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大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part7
- 1 :2017/08/06 〜 最終レス :2018/09/03
- 大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part6 [無断転載禁止]©2ch.sc
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1498127809/
- 2 :
- ID:r49HEt/F [28/28]
- 3 :
- 太平洋戦争で日本が勝つようなもんだからな
- 4 :
- 素人が考えてみた
まずは明国と独自のパイプを持つ島津に「西日本を全部与える」と約束することだろう
時を同じくして伊達には「東日本を全部与える」と約束
島津には伊達が、伊達には島津がこの話に乗ったと伝える
明の援軍を得た島津が「豊臣を守る」と高らかに宣言し、九州侵略を始める。
すると福島ら豊臣恩顧の大名が寝返りはじめる
このタイミングで北の伊達が蜂起すれば徳川はパニックに陥るだろう
毛利、上杉など徳川に恨みを持つ勢力も豊臣に加担するかもしれない
ここまで来ると勝利は決定的か
徳川滅亡後は伊達と島津にすべてを任せて、豊臣家は公家に転ずる。
- 5 :
- >>3
冬の陣は10万vs20万だからそこまで絶望的ではないかと
もちろん豊臣の天下再来は無理だが、浪人の使い方さえ間違えなければ
上手くいけば野戦で秀忠の首は取れたかもしれないし
それなりの損害を与える武威を示せば生き残りは出来たかもしれない
だからこそPart7まで続いてるわけだ
- 6 :
- 出陣してればチョンボしまくった秀忠は討てたかもな
秀忠討ち死に後は継子を決め直すために撤退せざるを得ない
- 7 :
- 732:人間七七四年 2017/07/26(水) 11:33:14.52 ID:waKHA1St
>>725
幕府軍は10月1日に東山東海の諸大名に出陣命令を出し
大坂方は翌10月2日に檄文を発し浪人を集めだしたから幕府軍を出し抜くのは基本的に無理
奇襲するなら大坂譜代だけでやらなければならないが
京・近江の軍勢だけで大坂譜代を5割上回る計算になるのでこれも難しい
- 8 :
- 822:人間七七四年 2017/07/31(月) 02:45:53.01 ID:CKhT+HEj
まとめ
ベスト:片桐且元の案を受け入れ淀殿を人質として江戸に送る
※本領安堵+秀頼生存
ベター:必要最小限の浪人だけを雇い冬の陣で講和後、浪人に恩賞として秀吉の金銀を分け与え解散。
従わなければ正規軍で排除。
※本領安堵+秀頼生存
ノーマル:史実通りの冬の陣の講和後に家康の転封命令に従う。浪人が邪魔をすれば幕府と協力して排除。
大坂城は幕府直轄になるので治安のためにお互いの利害が一致する。
※転封+秀頼生存
バッド:主戦派を始めとする浪人達は京都、近江に行かせてその後無血開城。
>>732の理由で京都に行っても駆逐されるために行っても無駄。
また京都を攻める+乱暴狼藉により朝廷や幕府から心証が悪くなる。
無血開城しようにも冬の陣の大坂城籠城みたいに武威を示せてないために、夏の陣のように助命嘆願が通らず最悪な場合滅亡する。
また無血開城が通っても北条氏のように改易+責任者切腹は確実である。
※改易+責任者切腹または滅亡
これが結論だな
- 9 :
- >>5
それ、緒戦は日本軍優位レベルの儚いものだから
- 10 :
- >>8
ベストが有り得ない
>本多正純を通じて家康様は大坂退去が望みでそれ以上は望みませんと片桐に伝えさせて出てきたのが三択
>講和時の初期条件も転封。夏の陣の前に突き付けたのも転封。夏の陣の出陣命令も秀頼に転封を促すため
>幕府は転封としか言ってない。
>三択はあくまで片桐の試案であり。片桐の家臣は「片桐は智謀があるので家康の御意にさか逆らわずかつ旨くごまかそうとした」とも記してる。「山本日記」
ベターも有り得ない
>全国に檄を飛ばさない合理的な理由ってなんだ?進言しても淀が受け入れる理由がない
ノーマルも何故、家康がそこまで豊臣に尽くさなきゃならないのか・・・
バッドは、ただの脳内戦記
- 11 :
- >ノーマルも何故、家康がそこまで豊臣に尽くさなきゃならないのか・・・
中の人が滝田栄なのだろ
- 12 :
- ベストもベターも転封飲まない限り無いだろうけど
ノーマルについては転封は幕府の事業だから幕府が協力というより主体になって責任持つからありやろな
- 13 :
- >>10
まず君が籠城派なのか野戦派なのか聞かせてくれ
反論はそれからするから
逃げずに答えろよ
- 14 :
- >>13
両方かな。合戦のセオリー通り、最低限の兵力は城に残して野戦し
その後、籠城で迎え撃つ派
- 15 :
- 史実通りーことやな
- 16 :
- >>14
>両方かな。合戦のセオリー通り、最低限の兵力は城に残して野戦し
その後、籠城で迎え撃つ派
はい残念
自分で>>10で言った
>進言しても淀が受け入れる理由がない
がブーメランとして君自身に刺さりました
史実で野戦は淀と大野たちを説得出来なかったから無理です
自分で説得云々とアホな枷を付けたんだからな
しかも兵力も史実通りだから君のは豊臣滅亡ルートしかない
前スレにいた自分に甘く人に厳しい枷を課すダブルスタンダードやるアホがまた同じこと言ってんだなw
- 17 :
- >>12
ねえよ。転封に必要な金や借金の問題と言った様々な問題には幕府は関与せず全部大名に丸投げだぞ
- 18 :
- >>17
何の問題もなければ幕府のやることは上使を派遣して城門のカギの受け渡しの儀式見守るだけやからな
- 19 :
- 史実で野戦は淀や大野たちを説得できずに却下されてんのに
他人に淀の説得云々と難癖つけたのにSVcNnOuD自身は淀の説得は必要なく野戦できるという言い出すのは
自分の言葉も見返せない真性のアホだなw
- 20 :
- 史実でも堺や平野とかに出て野戦して敵の本隊が来たら敵わないから速攻引いて籠城
合戦のセオリー通り道理やで。
>>14
もし史実の流れのままの開戦でガチの野戦しよう何ちゅうならただのアホやから勝手に俺のレス引用せんや
- 21 :
- ID間違えた
訂正
史実で野戦は淀や大野たちを説得できずに却下されてんのに
他人に淀の説得云々と難癖つけたのにID:pMi6TVE4自身は淀の説得は必要なく野戦できるという言い出すのは
自分の言葉も見返せない真性のアホだなw
- 22 :
- >>16
何という予想通りの回答wお前ほどの気持ちよく予想に嵌ってくれる馬鹿が居たとはww
>ベター:必要最小限の浪人だけを雇い冬の陣で講和後、浪人に恩賞として秀吉の金銀を分け与え解散。
>従わなければ正規軍で排除。
>※本領安堵+秀頼生存
史実で全国に檄を飛ばさない合理的な理由がないことを自分で認めたわけだ
ベストは絶対有り得ないし、必要最低限の浪人だけを雇うという支離滅裂なベターもない
- 23 :
- >>20
>最低限の兵力は城に残して野戦し
>その後、籠城で迎え撃つ派
って言ってるから違うよ
冬の陣や第二次上田や長谷堂城の戦いも城から少数の遊撃隊で攻めてる
それは野戦とは言わない
- 24 :
- >998 返信:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/06(日) 01:10:33.13 ID:LbWGT9pH [8/10]
>>>994
>守りきれないなら最初の朝廷斡旋による講和で淀の人質と転封を受け入れるだけだ
>守りきれるならそのまま真田丸の戦い後に講和で本領安堵
>どっちでもどうぞw
そういや前スレのこのレスは何だろう。
守り切れないのに講和はできるとは何なのか?最初の朝廷斡旋による講和とは?
真田丸建築できないのに真田丸の戦い後とは?
- 25 :
- >>18
問題があれば一緒にRが幕府のスタイルだからな
島原の乱を押さえられなかった松倉が戦後に斬首になったように
- 26 :
- >>24
真田丸が建築できないって言い分も意味わからんけどな
出来なくても堀があるから耐えられるけどな
真田丸による幕府軍の蜂の巣にして武威を示せれば講和は有利になるが
真田丸が無く防戦一方なら淀を人質に出しての転封を申し出るまでだ
そして浪人の数が史実通りなら浪人のための加増を条件とした転封になるから
家康に却下されて史実通りの豊臣滅亡ルートだ
- 27 :
- 片桐且元も、織田信雄も大阪城で家康と戦い散るつもりだった。
織田信雄は、大勢いる浪人部隊の部隊長になる予定だった。
放り投げたのは、淀とその情夫、大野治長がバカすぎて、一緒に
戦うに値しなかったからだ。
- 28 :
- >>25
問題が起きることを予見できる場合。例えば熊本藩の改易の時は
熊本藩士が籠城しないように、してもいいように大名を江戸に置いた上に周辺の大名を完全武装で動員して
城を取り囲みその周囲の大身外様大名にも事が起きたらすぐ出陣できるように待機命令を出して行ってる
事を起こさないように、事が起きたら責任をもって処理するのが幕府の仕事。大坂城も準じた扱いになる
- 29 :
- >浪人のための加増を条件とした転封
そんなのは要請しなければよい。そもそも抗戦できない程度の浪人を雇う意味がない
- 30 :
- >>29
だから>>8で必要最小限の浪人しか雇わないって書いてある
- 31 :
- >>26
あと淀の人質にこだわってるみたいだけど史実の講和では淀の人質に出すと幕府に申請したがそんなもんはイランと拒否されてる
- 32 :
- >>30
何がだからなのか?
- 33 :
- >>30
どうやって?
>全国に檄を飛ばさない合理的な理由ってなんだ?進言しても淀が受け入れる理由がない
これをどう解決するの?全国に檄を飛ばさないことは無理なのに
- 34 :
- >>31
・淀殿が人質として江戸に行く
・籠城浪人のための加増
この二つを同時に出したから却下されたんだよ
籠城浪人の加増なんて家康にとって馬鹿げているからな
淀を人質を受け入れたら浪人の加増も受け入れたことになる
- 35 :
- >>33
>>16
- 36 :
- >>34
加増抜きでも交渉2日目に淀は要らん国替えのみが望みと言っている「駿府記」
- 37 :
- >>35
>>22
- 38 :
- おっと本交渉2日目ね。加増の話はその前の打診の段階で家康は何それ時間稼ぎ?といった感想を漏らしながらまったく取り合ってない
- 39 :
- >>37
籠城に薪や物資など限界があり、必要最小限の数の浪人しか入れないってのは戦場のセオリーな
そして戦争後に浪人を雇いすぎてると仕官の数や恩賞を与えなければならないから必要最小限しかいない方が良いのもセオリー
現に講和の時点で多すぎる籠城浪人の加増が講和の障害になってる
野戦をする詳しく説明して貰おうか?w
逃げずになw
- 40 :
- >>36>>38
豊臣側の要求は淀を人質にする代わりの籠城浪人のための加増
家康は転封(大坂以下)
決裂の原因が籠城浪人のための加増だろ?
- 41 :
- 籠城浪人のための加増が決裂の原因という史料はない
- 42 :
- >>41
アホかお前はw
籠城浪人の数さえ多くなければ浪人のための加増を考慮した転封要求せずに
家康が提示した転封を受け入れれば良かっただけだ
つまり多すぎる浪人のせいで講和が決裂したんだよ
- 43 :
- ただの妄想でしかない。
そもそもIFを前提としてるのに大坂方の心は決まってるという、自分に甘く、他人に厳しい制約を課すダブルスタンダードが極まってる
- 44 :
- >>43
お前は一方レスすると一方が止まるんだなw
豊臣方
・淀殿が人質として江戸に行く
・籠城浪人のための加増を考慮した転封
徳川方
・好条件無しの転封
史実でどこが決裂してるか一目瞭然なのに妄想w
前スレで北側の川が干上がってたって捏造してたやつが良く言うわw
- 45 :
- 浪人だけで京都に野戦と主張できないのは前スレで俺に論破されたから言えないか?w
- 46 :
- >>44
まず淀殿が人質の話は加増転封ではなくただの加増だぞ。転封なぞない
史実より少なくとも浪人の加増は必要。寺社に寄進多く余裕などない
次に大坂方が召しはなった浪人なんて知っちゃことじゃないつえば終わる話。秀頼の心は決まってるダブルスタンダードなのかな?
- 47 :
- あと同一人物とか笑わせるな
- 48 :
- そもそも浪人雇わなければよいもろくな答えがなかったな
- 49 :
- >>46
浪人の加増が必要なら浪人雇いすぎた結果が講和決裂
そして豊臣の滅亡しかない
前スレから浪人を史実通り雇うんだろ?
多すぎた浪人はどうするつもりなんだ?
詳しく聞かせて貰おうか?w
- 50 :
- 言い分がコロコロ変わってるよな
948:人間七七四年 2017/08/05(土) 22:22:29.88 ID:YKvZO9xP
転封受ける派
ニヤニヤとか馬鹿に見えるからやめた方良いよ
14:人間七七四年 2017/08/07(月) 22:54:27.29 ID:pMi6TVE4
>>13
両方かな。合戦のセオリー通り、最低限の兵力は城に残して野戦し
その後、籠城で迎え撃つ派
- 51 :
- 牢人は充分な金を与えて放逐すればいいのじゃない?
天下どころか再戦するつもりがなければ金も不要だろう
加増加増しつこいが交渉過程で挙がっただけでそれで和議は決裂とかしてないぞ
- 52 :
- 前みたいにID変えながらAA貼ったり荒らすのは情けないから止めとけよw
- 53 :
- 金を配るにも浪人の数が多すぎると破綻するし、一人当たりの金の取り分も少なくなるので納得しないやつも出て来る
そして家康死語に福島正則の改易や島原の乱でワンチャンスあるかもしれないから破綻はさけないとな
このスレのスレタイ的にもね
- 54 :
- 破綻とか言い出したら加増要求は牢人のせいだけじゃないのだよなあ
豊臣家の家格と大阪城の維持だけで毎年大赤字ですわ
幸い大阪城は幕府が縮小してくれたし65万石のいち大名に成り下がるなら身の丈経営しような
- 55 :
- 毎年大赤字でその上、浪人の数が多すぎるなら尚更浪人のための加増要求は必須になってくるわけで
講和が決裂した原因そのものと自分で証明しててワロタ
- 56 :
- >>50
どうしても同一人物にしたいんかい?
- 57 :
- >>49
転封受けます。出ていきます。
大坂は幕府直轄領になります。
治安維持は幕府の仕事になります。
おわり。だろ。
大坂方の心は決まってるという、自分に甘く、他人に厳しい制約を課すダブルスタンダードが極まってるじゃなければな
- 58 :
- >>56
IDで検索しても前スレと同じ文体だからどうみても同一人物だろw
伝家の宝刀「俺じゃない」ってか?w
>>57
>転封受けます。出ていきます。
>大坂は幕府直轄領になります。
>>10で言った
>進言しても淀が受け入れる理由がない
はい。淀が受け入れる理由がありませんというブーメランw
ダブルスタンダードはいい加減にしましょうねw
- 59 :
- お前が京都に行って野戦するって言ってたのバレバレだからなw
お前とレスしてると京都に行って野戦するって言うやつがなぜか現れないのもバレてるよw
- 60 :
- 不味くなったからアホのふりして逃げようってか?
- 61 :
- >>60
逃げてるのはお前だろ?w
>>8で結論で終わってるだよな
お前のウンコみたいな理屈なら片桐の案を受け入れれば滅亡は絶対避けられるし被害も押さえられるからベスト
お前が主張してた京都に野戦のことをバッドで書くと面白いほど過剰反応してくるよなw
お前しか反応しないしw
毎回毎回淀を云々と同じ文体でいうから分かりやすいよw
- 62 :
- >>61
自分はずっと転封受ける派と言ってる
どこの文体が同じか説明してみ?
- 63 :
- >>61
>>8のノーマルで>多すぎた浪人はどうするつもりなんだ?を自分で答えてるな。健忘症でしょうか?
- 64 :
- >>62
ネタバレする気はないなぁ
お前の他人のフリしてるの見破りたいしw
他人に淀の説得云々と史実の流れを要求するくせに
自分は浪人や淀の説得ことを無視するダブルスタンダードは恥ずかしくないのかねw
- 65 :
- 探してみたけど見つからなかったのね
- 66 :
- >>63
浪人が反抗するなら俺は幕府と協力して排除
つまりはお前は俺の案に賛成ってことで良いんだな?
- 67 :
- >>66
アホだろ。
- 68 :
- 前スレといえばさ
998人間七七四年2017/08/06(日) 01:10:33.13ID:LbWGT9pH
>>994
守りきれないなら最初の朝廷斡旋による講和で淀の人質と転封を受け入れるだけだ
守りきれるならそのまま真田丸の戦い後に講和で本領安堵
守りきれないなら落城の危機じゃねえの?
史実の真田丸の戦いをするなら半数近くを城南に配置するの?
北東西は攻めにくいからOKとか言ってたがそこの城兵が手薄なら攻め手も南を増強できるよ
攻めないなら史実通りの兵を張り付かせとく意味ないし
- 69 :
- >>67
>>57みたいなアホより浪人対策をちゃんとしてる分
お前よりマシだよw
お前は何も考えないで他人にダブルスタンダードで噛みついてるだけだもんなw
- 70 :
- >>68
落城はしないでしょ
まだ東西南は水没&湿地+鉄壁の堀があるし
淀川と大和川止められて堀が干上がったら響いてくるけど
最初の講和では籠城浪人の加増で決裂したんだから
籠城人数が必要最小限なら最初の講和ですんなり和議が結べる
- 71 :
- >>70
守りきれない状態で幕府が和議を結ぶ意味は?
和議結んだ後は牢人が邪魔ってのに固執してそれまでがガバガバじゃね?
- 72 :
- 東西南じゃなくて東西北だった
- 73 :
- >>71
冬の陣の講和の条件は堀の埋め立てと大野治長ら子の人質だ
数ではないんだよ
講和条件は鉄壁の堀な
- 74 :
- >>73
落とせそうなら落とすだろって話が何故講和条件どうたらになるのか
実際に鉄壁かは別として守りきれないなら和議とか言い出したのはお前な
- 75 :
- >>74
浪人の解散要求は夏の陣直前の浪人による乱暴狼藉を通報されてからだからな
冬の陣では堀の埋め立て
あと>>26読め
- 76 :
- 諸大名も、徳川によるだまし討ちのための和睦だとわかってたと思うよ
知らぬは淀と大蔵卿局ぐらいばかりなり
本来なら徳川主導の天下の大軍を動員した大坂征伐で、ほぼ対等の和睦に持ち込めたら、
徳川の権威がだだ下がりになるはずだ 第二次長州征伐で実際、そうなった
しかし大坂の役では、その気配がない
- 77 :
- >>75
もはや会話になってないw
そういう話はしてない
>>76
例えに出すなら第一次長州征伐じゃないの? 第二次は敗北したらだだ下がって当然
- 78 :
- 2017/08/08(火) 04:37:48.83 ID:0S7Lp6BH [23/23]
キチガイ
- 79 :
- >>77
>>26>>70で落城はしないって言ってんのに聞こえないフリしてるからなお前は
淀川と大和川を止められて堀が干上がったら影響は出るだろうが
最初の講和で浪人のための加増を条件として出して決裂しないために
最初の講和で和議が通る
- 80 :
- 年内に坑道戦術で惣構は爆破されて、突破されます。
- 81 :
- 城兵半分以下になってるのになんで史実と同じタイムスケジュールで和睦交渉が進むのだろう
どうせ数じゃないとか頓珍漢なことを言うのだろうけど
- 82 :
- 牢人の減少で交渉がスムーズに進むと主張しといて他の事を突っ込まれると数じゃないで逃げるのはダブルスタンダードではないのだろうか
- 83 :
- >>81-82
>>10で淀の説得云々と他人の案には史実の流れ重視で難癖を言い出した奴が
自分の主張の時は淀や浪人の説得無しで野戦に行けるってダブルスタンダードを言い出したんだよ
史実重視なら野戦は淀や豊臣譜代に却下されてるし
史実通りの大量の浪人なら加増は必須になるし
最初の講和で決裂するのも説得しないといけない
自分で淀の説得云々と言い出したのに自分自身は説得無しで史実と違うことが出来ると主張してるのが笑えるw
- 84 :
- >>83
だからお前もダブルスタンダードだろ? 話を逸らすなよ
数は関係ないってなら牢人減らしても加増を言い出す可能性はあるよ
豊臣家の面目や空気の読めなさを考えると前田や池田一族以下、伊達とほぼ同等ってのは我慢ならんだろうから
負けてないのに和議してやるから加増しろって超理論もありえる
太閤殿下は内府に250万石を与えたのだから秀頼にももっとよこせとかも
そもそも交渉事って初手は無理やりでも自分に有利な条件を提示するもの
- 85 :
- 「牢人のための加増」云々を抜きにしても和議を即決はありえないわあ
- 86 :
- 「秀頼が浪人なんか知らねつえばいいだけ」の返事ももらってないなぁ
- 87 :
- 「牢人のため」なんて言い訳にすぎないかもしれんしなあ 単に加増してほしいだけ
いや加増加増言ってるが彼らの感覚では太閤殿下の領地を返せと言ったほうが正しいかも
- 88 :
- >>84
>>75で言ってんだけどなぁ
そもそも浪人がたくさんいるから豊臣首脳がまだ戦えると勘違いして加増なんて無茶な条件だしたからで
最初から籠城の人数が少なくて防戦一方なら早期に和議に漕ぎ着けようとするのは当然なんだけどな
- 89 :
- >>86
>>8のノーマルの俺の意見と同じってことだろ?
もし浪人が反抗したら徳川と協力して排除
お前の言ってることは俺の通った道を遅れて走ってるだけなんだよなw
- 90 :
- じゃあ浪人が多数でも少数でも関係ないと言う事やね
- 91 :
- >>90
ノーマルの転封+秀頼生存の条件は君と同じで既に見えた
じゃあ次は本領安堵+秀頼生存を目指そうか
(スレタイみたいに勝つのは不可能だけどなるべく良い条件を目指そうか)
ってことで>>8のベター、ベストの案に繋がる
結局はノーマルで多すぎる浪人のために金を払うと豊臣は破綻するし
徳川と協力して浪人を排除すると家康死後に福島正則の改易や島原の乱で豊臣がワンチャンスあるかも知れないときに
破綻してたり豊臣に協力する浪人が少なかったら勝てないだろ?
結局は関ヶ原合戦での豊臣恩顧と反徳川勢力の壊滅&弱体化が大坂の陣に響いてるわけだから
被害も最小限に抑えるのが良い
つまりは俺は君の一歩先の議論に入ってるって話だ
- 92 :
- 講和まで行けるかどうかわからない少数で戦をする意味がない
- 93 :
- お前は次の良い条件の本領安堵+秀頼生存の道筋の議論に入らずに立ち止まって
淀の説得云々とこのスレに相応しくない難癖を他人に撒き散らしてるだけだもんな
本当は京都に野戦を主張してたけど前スレ以前に俺に論破されたから言えなくなっただけだしなw
- 94 :
- 必要最低限の浪人以外は京都でも近江でも天王山でも行かせて野戦させればいいだけ
駄目だったら降伏も容易にできるし、その後の講和をおじゃんにされることもない
合理的に考えて必要最低限の浪人だけを雇うことはありえないが
39が言う様に
>籠城に薪や物資など限界があり、必要最小限の数の浪人しか入れないってのは戦場のセオリーな
>そして戦争後に浪人を雇いすぎてると仕官の数や恩賞を与えなければならないから必要最小限しかいない方が良いのもセオリー
>現に講和の時点で多すぎる籠城浪人の加増が講和の障害になってる
とあるので必要最低限の浪人以外に野戦をさせるのは十分合理的
未来予知wとかダブルスタンダードなんてアホな話じゃなく合理不合理の話
- 95 :
- >>93
恒常的な本領安堵はない。幕府の目指すところは各史料が物語っているよう転封。
- 96 :
- まぁ、大坂の町政に板倉勝重が介入している時点で、もうどうしようもねぇ
- 97 :
- >>88
もはや誰が主導で何のために戦をするのかさっぱりわからんな
- 98 :
- 家康に売られた喧嘩をどう乗りきるか。が目的かと
- 99 :
- >>94
>>10によると
>進言しても淀が受け入れる理由がない
史実で野戦は淀と豊臣譜代に却下されたからダメらしいぞw
- 100 :
- >>95
まあ冬の陣の和議後は一応本領安堵だった事実があるわけで
後は浪人を早期に解散にさせて浪人の乱暴狼藉をさせないようにするだけ
どちらにせよ、浪人たちは仕官やお家復興目的で来ているんだから
それが叶わないなら自棄になっても仕方ない
- 101 :
- ただの本領安堵じゃ鐘銘事件に戻るだけ
- 102 :
- 鉄壁の堀が無いから事件前より悪い
- 103 :
- だったら尚更、冬の陣で京都に行かせるべきだな
仕官や御家再興を餌にすれば手柄を立てるために喜んで野戦に行くだろう
- 104 :
- ちょろっと戦ってごめんなさいするならいっそ正規兵だけでいいのじゃない
淀に現実を理解させるだけなら大名が誰も味方にならなかっただけで充分
- 105 :
- 真田信繁の侵攻論は畿内を制圧し関東の徳川と西国の諸大名を遮断
近江国で徳川軍を足止めしている間に西国大名を味方につける
その見込みが無いときに初めて城に立て籠もって戦う二段構えの作戦だからな
西国の諸大名が呼応する見込みが最初から無いので京都に攻めても意味がない
- 106 :
- 京都は外様大名は勿論のこと徳川の譜代大名さえも配置されなかった
極端に武士の少ない場所だったから制圧そのものは難しくない
その先の近江の制圧は無理だが、京都を占拠していたら
豊臣領内への侵攻は難しいな
- 107 :
- また適当なことを。板倉勝重と松平定勝がおるやろ
それぞれが二条城城代と伏見城代を務め。さらに交代で詰める城番の譜代大名と、精鋭旗本の大番組が二組ずつ
さらに京の後詰の井伊家を筆頭にする戸田氏ら近江勢。少し経てば次々に到着する幕府軍先鋒
京制圧すら困難
- 108 :
- >>107
とりあえず「石高 兵力」と「京都 武士 人口」でググるところから始めよう
あと地理の勉強もしといてね。
- 109 :
- 残念でした。
- 110 :
- トウシツ君がいないと平和だな
- 111 :
- 京を制圧しても少数で伏見城とかに籠城するなら時間稼ぎできるが
大軍が展開するには守りにくい土地だからな
京都に居座っても各地の幕府軍が集結してきたら西国と東国から挟み撃ちにされるぞ
- 112 :
- 東国勢は瀬田で食い止める構想じゃないの
西国勢と大和路へ迂回してきそうな東国勢は知らんが
浅野さんもなんとかしないとね
真田の頭は関ヶ原当時の勢力図で思考停止してそうな懸念
- 113 :
- 冬の陣で降参せずに戦い続けたらどうなっなんだろう。徳川軍も兵糧不足に陥っていたというが。
- 114 :
- >>112
西国大名が徳川を裏切り豊臣に呼応しないと挟み撃ちにされるからな
西国大名が裏切る見込みが無いなら最初から籠城するってのが真田信繁の案だから
結局は籠城になっちゃったわけだよな
- 115 :
- >>108
伏見城の戦いでは1800人で四万人の西軍を二週間釘付けにしたからね
板倉勝重か誰かが籠城するだろうから二週間は時間稼ぎされて幕府軍が続々と到着するよ
しかも統率取れない浪人じゃ伏見城など京の完全制圧は無理だろうね
- 116 :
- そういや瀬田で食い止められた事例ってある?
- 117 :
- >>113
小田原の陣みたいに入念な下準備はしてなかったから普通に撤退かと
- 118 :
- 年内に坑道戦術で惣構が突破されます
- 119 :
- あと10日で突破できるまで掘り進んでたのか 凄いなあ
通れても同時にに少人数だろうし隠密に門の開放や破壊をできるならともかくモグラ叩きみたいに袋叩きになるだけじゃね
- 120 :
- 仮に坑道が出来ても大軍相手じゃ大した成果は出せない。少数が籠る城じゃないんだから
- 121 :
- 城壁壊す坑道だから楽にはなる
- 122 :
- 大坂城の城壁は石垣なんだけど・・・
石垣を壊すには相当の労力が必要だし、破壊音も木とは比較にならないくらい大きい
どう考えても作業中に気付かれる
- 123 :
- 水が溜まっている堀を突破して掘り進んでたのならともかく
突破してないなら一ヶ所水の通り道が出来たら水が入って作業員溺死するぞ
- 124 :
- 坑道作戦が有効なのは武田が相手してたような土塁の城だろうな
それも井戸や水汲み施設をぶっ壊すとか水を断つ方向で
- 125 :
- 火薬で惣構の門や土塁を吹き飛ばす、西洋から導入した新戦術です
大砲や雷壕を含めて家康は西洋の最新戦術を投入しました
- 126 :
- 坑道戦術も堀の下を掘ることができず門の手前で止まってたんでしょ?
- 127 :
- 藤堂の持ち場は、櫓の下まで掘り進んだ所で和議締結
なお井伊の坑道は中止したので、徳川の主攻勢面は、
南西にシフトした
- 128 :
- >>117
そうだよね。
堀埋め立ての有利な講和条件といってもね。
攻め落とせるなら講和しないよね。
- 129 :
- >>128
するよ、家康は甘いから
- 130 :
- 負けそうになってたの大坂方だからな
だから大坂方唯一の拠り所の大坂城丸裸で和議
- 131 :
- 大坂城を坑道戦術で落とそうとか城攻めが苦手とか下手なんてレベルを越えてるな
- 132 :
- 坑道を掘ったのは城内にスパイを送り込んで兵数や兵糧を探るためだろ
いくらなんでも坑道から兵を送り込むのは馬鹿げてる
- 133 :
- だから爆薬で惣構を爆破するためなのだが、
何時まで前時代の方法に拘る気
- 134 :
- 強度が高く難燃性の漆喰、石、瓦で築かれてた大坂城は
爆薬でどうにかなる代物じゃない
木と土で造成されていた時代の城じゃないんだから
- 135 :
- >>133
坑道戦術は堀と石垣に阻まれてまともに掘れなかったんだろ
確か大坂城の下は巨大な岩山に盛り土したから深く掘るとぶち当たるし
- 136 :
- >>135
そんな事実は無い
藤堂家は櫓台下まで掘っている
- 137 :
- >>136
だったらとっくに爆破してないとおかしい
- 138 :
- もしかして藤堂の話は天守を崩すって淀に対する脅しの話か
アレは脅しのためのデマで実際は城門で止まってたぞ
- 139 :
- >>137
櫓台まで掘った段階で和議になった
- 140 :
- 豊臣大坂城が漆喰を使ってたって断言できる史料あったっけ?
- 141 :
- ゆうても坑道作戦はオマケみたいなもんだし通常の攻城準備も着々と進んでて大坂城は風前の灯火
攻城戦で要らぬ損害が出るのを避けたのと家康は最後のチャンスを与えるつもりで講和したからな
- 142 :
- >>128
近世城郭は力攻めじゃ落とせないからな
中世の城郭と違い近世城郭は侵入されてから本領発揮する
侵攻するほどに各所から浴びせられる十字砲火と少人数でしか進めない郭
会津籠城戦も官軍は20万発の大砲を撃つなど
圧倒的な火力があったにもかかわらず本丸は力攻めでは落とせなかった
- 143 :
- 力攻めで攻め落とす=皆殺しじゃないからな
会津を攻め落とせなかった例にするのはなんだかなあ
城兵が玉砕覚悟じゃなければある程度の段階で降伏するでしょ
- 144 :
- 250年後の官軍の大砲なら大坂の陣の大砲と比べ
かなり精度はあったでしょ
日本での焼玉式焼夷弾の登場も幕末だし
- 145 :
- 戊辰戦争の大砲の口径は、大坂の陣で徳川が西洋から購入した
大砲の口径より小さいけど
- 146 :
- 四斤山砲のことか?
球形砲弾からライフル砲弾になって回転力が増して飛距離・命中率・破壊力が飛躍的に増してるのに
口径比べて何か意味あるのか?
- 147 :
- 「力攻めじゃ落とせなかった。」じゃなくて「本丸を攻め落とす前に降伏してきた。」だろ
物は言いようにもなってない
- 148 :
- 所詮は山砲だから砲身長は短いし、弾重量も倍以上ある
オランダから家康が購入した大砲は攻城砲に分類される
- 149 :
- 戦国〜江戸初期の球形砲弾をただ飛ばすだけの大砲と
幕末のライフル弾丸で榴弾となってるのを比べて戦国〜江戸初期の球形砲弾のが優れてると思ってるのか(笑)
250年も経ってるんだぞ
- 150 :
- 単なる鉄の塊を飛ばすのと榴弾の違いを全く理解できてないのかな?
- 151 :
- 江戸時代初頭の大砲と幕末に欧米から輸入した大砲が同等な訳がない
- 152 :
- 優越を語るなら、ちゃんと数値データを示す必要があるのだが、
難しいんだよね
攻城砲は貫通力だけど、山砲は射程だし
- 153 :
- ライフル砲弾=回転力があるから射程も長く飛び、命中率が飛躍的に上がり榴弾だから破壊力もある
戦国〜江戸時代の大砲=球形砲弾=ただの鉄の塊を飛ばすだけだから飛距離もなく、命中率もすこぶる悪い
データとか言い出す以前に250年前の代物が1800年代後半のヨーロッパでもまだ活躍してると思ってるのか(笑)
- 154 :
- 攻城砲(カノン)は飛距離関係なく、近距離で胸壁を破壊するのが目的なので
- 155 :
- 家康が外国から買い付けたカルバリン砲はそのカノンより飛距離を長くしたが威力は低くなってる代物なのを知らないんだな(笑)
- 156 :
- カルバリンはイギリスから、カノンはオランダから
- 157 :
- 水掛け論以下だな
- 158 :
- >>156
ライフル砲弾型で命中率と飛距離と回転力を掛けて突き刺さり内部で炸裂する榴弾
アームストロング砲や四斤山砲などもある
旧式大砲の薩摩がイギリスにボロボロにされたり、新政府軍に旧幕府軍がボロボロにされた
それに対してそのまま飛ばす球形砲弾のタイプだと命中率も悪くカルバリン砲しか成果が出なかったのが冬の陣だったな
あれもまぐれ当たりだったと言う
250年前の大砲のが威力ある(キリッ
- 159 :
- >>158
カルバリンなら備前島から撃てば、水平射撃で本丸まで届くよ
- 160 :
- >>159
大砲を語る上で一番重要な有効射程を考えないで距離だけでドヤ顔するやつはいつの時代もいるな
- 161 :
- 水平に撃ったら石垣や
- 162 :
- アホとしか言いようがないな
- 163 :
- 勝っても家中がまとまらないし
すぐに
- 164 :
- >>160
無垢弾の有効射程というのは、ほぼ水平射撃の射程だが
>>161
水平射撃というのは砲を向けた延長線上に弾が届く距離ということだよ
つまり仰角があってもそのまま飛翔する距離ね
- 165 :
- 冬の陣とはそれこそ桁違いの砲弾を浴びせた会津若松城でさえ
城壁には大して損害を与えられなかった
まして江戸時代初頭の大砲で大坂城の総構えを破壊するのは無理
- 166 :
- もし冬の陣の段階で豊臣が降伏したら幕府も攻囲下の10万の牢人の処置に困っただろうな
そういう意味でも仕切り直ししたかったのかもな
夏は半減していた上に野戦だから逃走した連中も多かったし
- 167 :
- >>164
限界射程距離を水平射撃で語る素人が何を言っても笑い事にしかならないよ(笑)
恥を晒すだけだやめとけ
- 168 :
- >>166
秀忠や政宗は囲んでれば落ちるのにと不満げだったが家康はやっぱり老練だな。
- 169 :
- 秀忠は純粋にそう思ってそう
政宗ら外様大名は褒美もない手伝い戦に二度も出たくないってのが本心かな
大砲撃ちながら囲んでるだけなら野戦より損害は出ないし
- 170 :
- >>167
カルバリンの最大射程なら本丸どころか、備前島から四天王寺まで届くけど
- 171 :
- >>170
ライフル砲弾による回転力で有効射程と命中率を上げてない時代の限界射程で兵器の威力語るアホはいつの時代もいるな
- 172 :
- >>171
もう一度言おう、カルバリンを備前島から撃った場合、
水平射撃で本丸まで、最大射程で四天王寺まで届く
- 173 :
- >>172
もう一度言う
最大射程(限界射程)で兵器を語るアホはいつの時代もいるな
しかも水平射撃w
大坂城天守にまぐれ当たりの一発しか当たらなかった時点で有効射程では無かったってことは猿でも分かるよね
- 174 :
- >>166
浪人を繋ぎ止めるだけの金が無くなったのと日和見でない精兵だけ残した結果半減した
真田と毛利と大野に万余の兵がいればまた違ったかもしれんが
その場合は指揮系統が分からんことになるしなぁ
突撃後に後詰めの将兵がいればなぁ
- 175 :
- >>173
水平射撃は水平に撃って弾道が垂れない距離を指すのだが
天守に命中したのが一発の出典は?
- 176 :
- >>175
は?
一発しか命中しなかった話はいくらでもあるが
逆に何発も命中したって出典はあるのか?w
それくらい命中率が悪く有効射程が短いってことだ
あんな動かずにデカイ的の大坂城にもまぐれでしか当てられない命中率w
- 177 :
- 250年前のライフリングを施されてない時代の戦国〜江戸初期の大砲が250年後のより高性能と思ってる頭の悪さだからな
- 178 :
- >>176
『寛永譜』に櫓・陣屋多く打ち破りとある
で天守に一発のみ命中の出典は?
- 179 :
- >>178
櫓は城郭じゃねえかw
陣屋も収まり切らない浪人のかもしれないし
天守に何発も打ち込んだって記述は?
- 180 :
- 天守に届いたのは一発だけじゃないんだろ?
櫓は天守じゃねえけどなぁ
175:人間七七四年 2017/08/14(月) 13:40:55.54 ID:ImoXxXLF
>>173
水平射撃は水平に撃って弾道が垂れない距離を指すのだが
天守に命中したのが一発の出典は?
- 181 :
- そもそも自分は天守に着弾したとは一言も言っていないが、
で、あなたが主張する天守に一発だけ命中の出典は?
- 182 :
- >>181
命中率や有効射程が短く下手な豆鉄砲数撃ちゃ当たるで
まぐれで天守に一発しか当たらなかったって自分で証明しちゃったなw
178:人間七七四年 2017/08/14(月) 16:42:34.68 ID:ImoXxXLF
>>176
『寛永譜』に櫓・陣屋多く打ち破りとある
数撃ちまくったにも関わらず命中率が悪いから天守に集中砲火どころか
城門にも集中砲火もできなかったのか?w
>>152で言ってた攻城砲は貫通力(キリッ
だっておw
- 183 :
- 届かないなら別だが天守狙って当たらないって欠陥兵器もいいとこだな
そりゃ城門とか真田丸とか狙いませんわ
- 184 :
- >>183
カルバリン砲も攻城用じゃないからな
視界が拓けた駄々広い海で仰角を付けずにやっても長距離だと命中率が悪くて
中〜近距離で使ってたほど
大砲が主力になるのはライフリング(砲身内に螺旋状の溝を付けて回転数を上げジャイロ効果で直進力を増す)が付いてからだね
ライフリングがない江戸初期だと空気抵抗やら大砲の品質の問題やらでまともに目標物に当たらないからな
- 185 :
- >>184
大阪城に大砲が有効だったかはともかく、さすがにそれは大砲を過少評価しすぎ。
その頃の鉄弾でも普通にm単位で土手を貫通するし、臼砲の榴弾もある。
これよりあとの時代とはいえ、グスタスアドルフとかフリードリヒ2世とかナポレオンとかつかっていたのも滑空砲の大砲なんだけど。
- 186 :
- >>185
大坂の陣の頃の外国製の大砲を過大評価しているアホがいるだけだ
しかもナポレオンなんて150年〜200年後じゃないw
- 187 :
- 土と木の城じゃ鉄砲や焙烙を防げないから石垣を用いた城郭が
建設されるようになったわけだが
- 188 :
- 武田勝頼は長篠でカンナエの戦いを再現しようとしたが信長の野戦築城と鉄砲によりズタボロにされた
時代が進み長篠の野戦築城も馬防柵と土累だけじゃ鉄砲と大筒の集中砲火でやられる
古い兵器と兵法がずっと優れるってことはないからな
- 189 :
- >>188
当然織田軍の武器も進歩するだろうからどうだろうか
大砲の話ばっかしてるけど大阪の陣も同様
- 190 :
- 武田軍は織田連合軍より数が劣るのに野戦を挑んだ武田勝頼の無能っぷりは凄いね
このスレでも敵より数が劣るのに野戦を挑めという武田勝頼の生まれ変わりがいるけど
- 191 :
- 面白そうだから天守に何発当たったか調べて見たが碌な記述がないな
- 192 :
- つか目標が最初は櫓と塀、次いで北側が奥御殿、南側が表御殿でそもそも天守狙って無いという・・・
- 193 :
- 空気抵抗の影響を直に受ける球形砲弾じゃ狙いなんて有って無いもの
破壊力にしても空気抵抗で相当削がれる
- 194 :
- そう当時しょぼい大砲じゃ大したことないと思ってたら
いきなり淀殿座所に命中弾が出てこれじゃ抗戦不可能として講和つうのが「難波戦記」当たりの流れやね
射程精度からカルバリン砲じゃねというのが現在の推測
- 195 :
- NHKでインパール作戦やってたけど
こっちが劣勢なのに攻めこみたがるアホってあんな感じなんだなw
- 196 :
- 劣勢のなか一発逆転狙って失敗なんてのはナポレオンでもやってる
数多い戦例のなかでもアレなインパールを引き合いに出してあんな感じと言われてもな
- 197 :
- >>196
インパール作戦の司令官の牟田口はこんなんだぞ
インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。
食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。
これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。
腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。
日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」。
訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた。
- 198 :
- >>197
そいつ個人のアホさはわかったけどスレとは関係ないよね
- 199 :
- >>198
過去スレで兵站を現地調達とか言ってた牟田口並の無能がいたなw
935:人間七七四年 2017/05/04(木) 01:20:02.37 ID:Wzi2wvB0
>>934
当時の京都は大阪に匹敵する米をはじめ物資が集まる要所なんだがな
大坂京都間で物資を輸送するのは困難なのは事実だが
京都で現地調達が出来るのに、大坂から兵站線を作る必要は全くない
お前は当時の経済から勉強し直せ
939:人間七七四年 2017/05/04(木) 22:38:37.29 ID:Wzi2wvB0
>>936
あのさあ、野戦は攻城戦のように長期間鉄砲を撃ちまくるわけじゃない
関ヶ原の戦いで家康が江戸を出立したのは9月1日。それで本戦は9月15日
そんな短時間で江戸から関ヶ原まで補給線を築けると思ってるの?
野戦の場合は小荷駄隊の持参で事足りる
- 200 :
- もはや誰と会話してるかもわからんな
- 201 :
- >>196
ロシアに遠征したがロシアの兵站妨害と冬将軍作戦にボロ負けして
ナポレオン帝政が崩壊した切っ掛けになったのをナポレオンの名を出して知らないわけじゃないよな?
- 202 :
- 異国や異民族の住む土地に侵攻するわけじゃないからw
基本的に戦国時代は同じ民族による内戦
金さえ払えば食料は道中や現地で賄える
本格的な兵站を構築する必要があるのは対外戦争。こっちは侵攻先から
食料を買い付けたりするのは困難なので本格的な兵站を築く必要がある
戦国時代でいうと唐入りがそれに当たる
- 203 :
- >>202
京都なんて幕府領だし戦の支度で幕府軍が米の買い占め&備蓄してるに決まってるだろ
戦の当初に幕府側の兵糧不足で急いで船で輸送させたほどなのにアホだな
- 204 :
- あと兵站の重要性が増したのは弾薬とかの補充が現地調達が困難なことな
- 205 :
- >>202
現地やその近辺で調達できるものを本国から労力を割いて運ぶアホは居ないからな
普通に金出して買った方が早い。この時代後方から輸送したのは弾薬くらいで食料は主に現地調達
- 206 :
- >>205
アホだなぁ
九州征伐で豊臣秀長が九州征伐に参加した大名に割高な兵糧を売ろうとして秀吉に止められたり
小田原征伐では長束正家に命じて米雑穀20万石あまりを徴発し、天正大判1万枚で馬畜や穀物などを集め、
長宗我部元親や宇喜多秀家、九鬼嘉隆らに命じて水軍を出動させ、徴発した米などの輸送させたのも知らんのか
しかも大坂の陣では豊臣、幕府軍の両陣営が戦仕仕度で買い漁ったために確保できなかった幕府側が最初は兵糧に困って
船で兵糧や薪を輸送してたのに
その後、京都や近江に攻めて現地調達しようにも残っとらんわw
- 207 :
- 結局機能してないけどなww
九州征伐は流通の大動脈である瀬戸内海を使えたのに島津に同情されるほどの兵領不足
念入りに準備した小田原攻めでも後半は兵糧不足が露呈
冬の陣はひと月程度で兵糧不足。当時の輸送力の限界も知らんのか
- 208 :
- 機能してたろ
- 209 :
- 勝手に機能してないことにしててワロタ
まあ現地調達とか言ってる現実が見えないアホが兵站語るのは一番笑えるけどw
- 210 :
- 大坂の陣で豊臣と幕府の両方から買い占められてほとんど残ってないのに
そのあと京都や近江で現地調達する方法教えてくださいよw
現地調達君w
- 211 :
- 在庫無限値段固定の自動販売機が存在してる世界
- 212 :
- 冬の陣の和議締結は、徳川がどうしようもなくなったからという形に
したい人が古今東西を問わず沢山いる
実際は、豊臣がどうしようもなくなったからだけなんだよね
徳川は豊臣が屈服して大坂城を使用不能にすれば良いのだから
で、そうしたら即座に豊臣の和議破り
もっとも誰かの主導ではなく、統制が取れなくなった結果なのだけど
- 213 :
- 幕府軍は20万人動員してるし
財政的に徳川も外様大名も長引けば悪影響が出るからな
徳川としても大名に与える報奨もないしで長引かせるメリットが全くない
夏の陣みたいに野戦なら数日で終わるし
- 214 :
- >>212
そういうことにしたい奴とか言い出すなら鏡見ろなんだけどなあ
- 215 :
- >>214
つ判官贔屓
- 216 :
- 江戸初期の一次史料、軍記、編纂物みんな大坂城がやばくなったから講和
その後の豊臣よりの豊内記や軍記難波戦記ですら大坂城やばいで講和
もっとずっと後の講談難波戦記以降あたりまで行くと
大坂城余裕、淀がヘタッたせい、幕府軍も苦しい、家康に騙されたみたいな話が出て来るが
家康討ち取ってたりするトンデモ物語レベルだからな
- 217 :
- そりゃ考えなしに正規軍以上の浪人入れたら統制も不可能になるしヤバイに決まってる
- 218 :
- どうかな。各史料とも浪人はおとなしいというか従順
譜代の織田頼長や大野治房あたりの跳ねっ返りはあきらかにガンだな
- 219 :
- >>210
>大坂の陣で豊臣と幕府の両方から買い占められてほとんど残ってないのに
>そのあと京都や近江で現地調達する方法教えてくださいよw
脳内戦記おつw。いつ豊臣方が京都や近江に出撃したのかww
幕府の本拠地の江戸から大坂まで運ぶ労力を考えれば
前線付近の京都や近江、播磨から買い上げればいいだけ
なんでわざわざ江戸から大阪まで兵站を築かなきゃならないのか
- 220 :
- 結局、従順で大人しい浪人には野戦をさせるのがベストってことだな
仕官を餌に京都を制圧させる命令をだして籠城させる浪人は厳選する
そうすれば素直に降伏でき夏の陣も起こらなかった
- 221 :
- 何処がどう繋がってその理論になるのかわからない
- 222 :
- 馬鹿にも分かりやすく言えば大人しい浪人は仕官を餌にすれば言うことを聞いてくれる
ってことだよ。
- 223 :
- はぁ
- 224 :
- >>219
京都や近江に進軍して現地調達するってアホが>>199でいたんだよな
何のために近江に行くのかも分かってないアホだったけどw
あ、今もいるっぽいなw
- 225 :
- >野戦の場合は小荷駄隊の持参で事足りる
最初は京都や近江の城も取らずに瀬田をいきなり目指し小荷駄隊で運ぶって言ってたなw
- 226 :
- この時代は前線やその付近からの現地調達が基本
本国から兵糧や消耗品を送れるようになったのは鉄道が発達した近代から
- 227 :
- 正当な代価を払う場合も多いが面倒だとその辺から無理矢理徴収とかするしな
- 228 :
- 徳川の天下になってるのに領外にのこのこ出ていって現地調達とか通用するのだろうか
- 229 :
- >>207
そうなんだ。九州征伐はフロイス日本史に書いてあるね。
- 230 :
- そもそも戦準備で豊臣と幕府の両陣営が兵糧確保で買い占めしてたから
そのあとに浪人がノコノコ京都や近江に行っても残ってないけどなw
状況情勢も判断できずに未だに現地調達とか言ってるアホは牟田口並の無能だろうw
- 231 :
- >>229
九州や小田原を持ち出すなら幕軍がまさにその立場なのだけどな
- 232 :
- 九州、小田原の陣では秀吉は十分に準備してたけど冬の陣の家康は
何故かその辺が疎かになってるしな
そのせいで早々に兵糧不足に陥ってしまった
- 233 :
- 秀吉の時ほど計画された出兵じゃなかったうえに頼れる経験者が正信くらいしかいない人材不足
秀吉の時は戦国時代最中だしクロカンや奉行連中等家臣団も全盛
そもそも真冬に長期を想定された攻囲戦に出ること自体が時期を考えて無い
- 234 :
- 家康は遠征の経験が少ないから仕方ない
冬は時季は兵糧だけでなく燃料や酒も大量に消費する。
会津藩士のようにへたれなければ追い返せたかも
- 235 :
- >>232
秀吉は>>206の通り徴発して水軍で輸送したからね
家康も足らなくなったから船で輸送させたし
現地調達とか言ってるのは少数の場合だけで大軍の場合は現地調達だけじゃ全く足りなくなるからな
- 236 :
- 小田原の陣は海流に乗って大坂から物資を輸送できなくもないけど
黒潮に逆らい江戸から大坂への大量の物資の輸送するのは当時の技術では困難
結局は中世同様に現地調達に頼らざるを得ない
- 237 :
- なにいってんの?江戸から運ぶ必要ないだろ。池沼?
- 238 :
- 豊臣方が兵糧の買い占めしたから幕府軍は現地調達しようにも足りないから
慶長19年11月9日に家康が大名に兵糧船や商船を堺へ回すように命じてるのにアホだよなぁ
- 239 :
- 畿内や江戸からの調達が無理なら播磨以西の中国地方から調達すればいいだけ
- 240 :
- 豊臣と幕府軍の買い占めで大坂と京一帯の米価が高騰して飢饉に陥ってたからな
それにつけこんで国元に米の輸送を頼んで大坂で利益を上げようと企む輩もいたからね
- 241 :
- >>237
大坂、京一帯で米不足なのに・・・アホだなぁ
>>239 >>240
それでも全然足りなかったけどなw小田原の陣は準備が万全なことと海流に乗って
大坂から兵糧を運べたから後半は兵糧不足になったが
北条が諦めたおかげで3カ月で何とか落とせた
- 242 :
- >>241
本当に足りなかったら撤退するんだけどなw
お前は牟田口並のアホだから現地調達(キリッ
って言ってるけど家康は足りないと思ったから大名に兵糧船や商船を回すように命じたり
近くの港を保護してた史実を理解できないかw
- 243 :
- >>242
豊臣がヘタレて和議を結べたおかげで撤退できただろww
あと徳川が色々と手を回したのに兵糧不足になってた事実も理解できないのかお前は?
- 244 :
- 兵糧不足になっとらんぞ
- 245 :
- >>243
はあ?
当初は兵糧や薪は不足したが船などの輸送で回復したんだがな
本格的に兵糧不足なら坑道作戦や淀川塞ぎの土木工事や力仕事も出来ずに撤退しとるわw
地上最強のアホは豊臣&幕府軍に買い占められてもうないのに
そのあとに京都や近江に浪人たちで攻め込んで現地調達とか言ってたアホなw
- 246 :
- >>245
>>当初は兵糧や薪は不足したが船などの輸送で回復したんだがな
架空戦記おつww徳川の兵糧不足を伝える文献はあるが
回復したなんてものは見たことがない。
近代以降も十万以上の軍勢は兵站に苦慮したのに、
江戸時代初頭に20万の軍勢を支える兵站が構築されてたなんて
証明出来たら歴史を塗り替えられる偉業w
- 247 :
- 徳川は兵糧不足で撤退したらしいねw
大坂城の防御機能の掘を埋められられるのを見届ける余裕であったのに撤退w
243:人間七七四年 2017/08/22(火) 22:55:58.46 ID:wfMZOLxi
>>242
豊臣がヘタレて和議を結べたおかげで撤退できただろww
あと徳川が色々と手を回したのに兵糧不足になってた事実も理解できないのかお前は?
歴史を改竄してるアホがいるねww
彼は歴史を塗り替える(改竄)偉業を達成したらしいw
- 248 :
- >>246
大坂冬の陣の幕府軍は兵糧不足で撤退した(キリッ
凄いな君w
徳川有利な掘の埋め立てや大野らの子どもも人質に取られて
戦の後の掘の埋め立て完了してまで諸大名はいたのに撤退w
- 249 :
- 兵站で一冊本書けそうですね。誰かもう書いてるのかな?
- 250 :
- 冬の陣は両陣営とも物資不足説が出てるけど実際にどれだけ足りなかったかわからんよね
どれだけ継戦してたらやばかったかとか
>>242の言うように本当にやばかったら音を上げるしかないわけで
- 251 :
- 史料で語られているのは、あくまで京で米が高騰したという話だけ
- 252 :
- >>250
インパール作戦並みに兵糧足りなくて困窮してたなら
餓死者や衰弱してた者が数万人いたという記述がなければならない
それだけ困窮してたなら豊臣優位な和議になるはずだし
幕府軍が和議が成るまで坑道作戦や淀川塞ぎ等の力仕事の土木工事をやり
和議後に諸大名は掘の埋め立てまでちゃんと見届けて帰ったからな
>>243みたいなアホが言う兵糧足りなくて困窮して和議して撤退したという記述は全くないからなw
- 253 :
- 真田丸にボロ負けして兵糧も不足してたのに、豊臣に寝返るものを出さず徳川優位の和議を結ぶなんて
さすが天下人は格が違う。
- 254 :
- 10月1日に板倉勝重が大坂にあった幕府蔵米5万石の回収に成功して伏見に移送し着陣した順に軍勢に支給され
京と尼崎を兵糧の備蓄基地にし万全の態勢を整え後に奪還した堺もくわわり
11月28日には包囲戦用に蔵米8万石と大坂方からの接取米6万石の配給を開始
さらに日本一の木場の大坂仙波の木材が無傷で幕府軍の手に入ったから柵や小屋作り放題、当然薪も使い放題
史料上では20万の軍勢を半年賄える兵糧を配給してる幕府軍は盤石やね
逆に史料上で物資の欠乏が見えるのは大坂方というこの
- 255 :
- >>254
>日本一の木場の大坂仙波の木材が無傷で幕府軍の手に入った
これが結構曲者で豊臣方がなぜ手を付けなかったかというと
川を使って木材を船場に運ぶ木場は水に浸かったままで水分を多く含んでいる生材だったんじゃないかって言われてたね
水分含んで重い上に水分含んだ生材は薪にも適さない
薪に使うには水分抜けやすくするために細かく割って早くて半年、普通は1〜2年以上乾燥させる
薪は足りなかったから豪商の角倉一族が大坂の陣で功労があったとして家康から報奨を得てた
- 256 :
- そういや木場の木材は水につかってるのが普通やね。指摘感謝
- 257 :
- 籠城は無意味で結局のところ豊臣は冬の陣で野戦に賭けるしか勝ち目はない
早いうちに手薄な京都と畿内の兵糧を押さえないとジリ貧
- 258 :
- >>252
戦国時代でインパール作戦を出すなんて知能指数低すぎw
対外戦争と内戦の区別くらいしようよw
- 259 :
- >>258
で、幕府軍が兵糧不足で撤退に追い込まれたという記述は?
撤退に追い込まれたんだから相当な餓死者が出てたんだろうなw
- 260 :
- >>258
撤退って言葉がよほど癇に障ったみたいだなw
- 261 :
- 自分にレスしてしまったw>>259宛てな
- 262 :
- >>260
あらあらw
やっぱり出せないから逃げるのねw
脳内戦記で妄想&捏造してたからそこを突っ込まれると痛いよなw
- 263 :
- >>262
撤退・・・部隊が、陣地・根拠地を捨ててしりぞくこと。
>徳川有利な掘の埋め立てや大野らの子どもも人質に取られて
>戦の後の掘の埋め立て完了してまで諸大名はいたのに撤退w
徳川有利なのに退いたよねwそして夏の陣の騙し討ちw
- 264 :
- >>263
和議後に陣を払ったら撤退になるんかw
しかも戦終わって和議後の掘埋め立てを見届けてから陣払いしたのにw
ほら、お前がずっと脳内戦記で妄想してる兵糧不足で撤退した記述出さないとw
- 265 :
- >>263
秀吉の四国征伐、九州征伐、小田原征伐は豊臣軍は撤退してたのかw
逆にスゲー面白いなお前w
渾身のギャグか?
- 266 :
- >>265
そいつら全員降伏してるのに例に出すお前のほうが面白いわ
そりゃ豊臣軍は撤収してるが占領地には配下大名が転封されてる
- 267 :
- >>266
撤収って言い方に変えたんだなw
豊臣は掘の埋め立てと人質差し出して和議して
諸大名は掘の埋め立てを最後まで見届けて撤収したんだがな
で、幕府軍は兵糧不足で撤退したって記述は?
- 268 :
- >>267
すまんが俺はそいつじゃない
お前が面白かったからレスしただけ
- 269 :
- 伝家の宝刀「俺じゃない」
出たなw
- 270 :
- 「俺じゃない」VS一人に見える病 ファイト!
- 271 :
- 夏の陣の話だが、坂東丸という船に兵糧を積んで江戸へ向かわせる旨の指示がある
こういうことを冬の陣でやっていないとはとても思えない訳で
江戸普請等で船は大量にある訳だし
- 272 :
- >>271
訂正
江戸から大坂へ向かわせる
- 273 :
- >>271
そもそも諸大名に堺に兵糧船や商船を回すように家康が命じてるからな
江戸からだけじゃないしな
江戸から来なければ兵糧不足になるんだよ!ってアホな言い種を連呼してるだけだし
- 274 :
- ベスト:大坂の陣が勃発する前に臣従する
ベター:主戦派を始めとする浪人達は京都、近江に行かせ畿内や京都を制圧
その間に豊臣領内や畿内の兵糧を独占、それが無理なら徳川に渡る前に焼き払う
バッド:正規兵のみで籠城戦を行う
ワースト:正規軍と主戦派を含めた浪人達と一緒に籠城戦を行い夏の陣で滅亡
大坂の米まで徳川に奪われる醜態ぶり
纏めるとこんな感じだな。何にせよ出陣しないことには兵糧の独占も出来ず
多すぎる浪人達の間引きもままならない
- 275 :
- >>274
>ベター:主戦派を始めとする浪人達は京都、近江に行かせ畿内や京都を制圧
> その間に豊臣領内や畿内の兵糧を独占、それが無理なら徳川に渡る前に焼き払う
アホだろお前w
浪人が集まる前に徳川が諸大名に戦の準備始めろと命じてるから
戦の準備始める=本格的な兵糧や物資の買い占めが始まる
時期も分からんド素人かお前w
- 276 :
- 徳川のかき集めた米は殆どが大阪、堺の米だったからな。早いうちに徳川の手薄な
地域くらいは押さえないとジリ貧。結局のところ野戦に賭けるしかない
- 277 :
- 時期については>>7に書いてあるだろ
各地の浪人に檄を飛ばす前に徳川が大名に出陣命令出してるからな
そこから浪人たちが続々と大坂に集まってきて
そのあとに編成やら兵装準備やらして
整ってから進軍しようにも結局は徳川方も兵糧や物資やら戦の準備できてるからなw
- 278 :
- >>275
秀忠率いる幕府主力軍がいつ京都に入ったも知らないのかよ・・・
その様子じゃ大坂に侵攻を開始した時期も知らないだろうな。
とんだド素人。おまけに一日中貼りついてるニート
>>276
兵糧を独占するのが難しいなら徳川に渡らないよう焼いてしまえばよかったし
討って出ていれば距離的にも時間的に大坂、堺の米は押さえることは十分に可能だったね
- 279 :
- >>278
>幕府軍は10月1日に東山東海の諸大名に出陣命令を出し
これが見えないんだなw
夏休みも知らない世間とは隔絶されたニートなのかな?君はw
近畿には大名がいないと思ってんのか?w
- 280 :
- しかも家康が諸大名に命じて兵糧船や商船を堺に回せと命じてるのに
最初から堺に米が大量にあったと時系列も分からないアホなんだなw
- 281 :
- >>274
正規兵のみで籠城して落城しない保証はないし和議条件が良くなる保証もない
- 282 :
- >>278
>兵糧を独占するのが難しいなら徳川に渡らないよう焼いてしまえばよかったし
>討って出ていれば距離的にも時間的に大坂、堺の米は押さえることは十分に可能だったね
すぐ上のこれが理解できないとは・・・長い夏休みのニートは言うことが違うね
- 283 :
- >>278
>討って出ていれば距離的にも時間的に大坂、堺の米は押さえることは十分に可能だったね
>>254で言われてるように堺は豊臣譜代に攻め落とされて軍需品を徴収されてるのも知らないのかw
時系列どころか本当に何も知らない素人なんだなw
- 284 :
- >>282
>>283
はあ…お前の考える浅知恵を豊臣がやってないと思ってんのかw
本当にド素人だなぁ
- 285 :
- なんかヤバイのがいるんですけど
- 286 :
- >>280
>しかも家康が諸大名に命じて兵糧船や商船を堺に回せと命じてるのに
>最初から堺に米が大量にあったと時系列も分からないアホなんだなw
お前の中では堺は徳川に与したんだろ?
- 287 :
- >>286
とりあえず>>283見て
豊臣譜代は攻められる所は攻めて徴収して
大坂城周辺の河の堤を切ったりしてやれることはやってるから
もう少し勉強しようね
君だけ知識レベルがかなり低くてついていけてないから
- 288 :
- >>287
ああ見たぞ。大坂の兵糧を徳川に奪われながらそれを黙認してた醜態も
- 289 :
- >>288
檄を飛ばすのが徳川が大名に出陣&戦の準備命令出した後だからな
そこから各地から大坂に浪人が集まりだし
集まったら浪人の編成やら兵装やら整えた後じゃ何もかもが遅すぎるって話をいつまでも理解できないよなお前w
豊臣譜代だから堺とかも攻め落とせて軍需品を徴収できたけど
そのあとに奪還されたんだからな
- 290 :
- >>289
徳川方が大坂に侵攻し始めたのが11月の下旬ってことを何故理解できない?
江戸から海流を逆らって兵糧を運んでくるから兵糧は無限なんで馬鹿な妄想してないよな。徳川は
在庫無限値段固定の自動販売機が存在してる世界
を持っていたとでもいうのか?
- 291 :
- 江戸から輸送する必要はないだろ
- 292 :
- >>290
>>273読め
- 293 :
- >>292
堺は豊臣方に落ちてるだろ。豊臣に兵糧を与えるほど家康は余裕だったのか?
- 294 :
- あと攻城戦だから城を完全包囲するために各地の大名が集まるのを待ってたに決まってるだろ
包囲できない数で攻めたら物資搬送筒抜け&各個撃破されるだけでただのアホのすることだ
アホだから理解できんか?w
- 295 :
- >>293
時系列を本当に理解できないんだな、お前w
お前本当にレベル低いなw
- 296 :
- >>254
豊臣首脳部の無能さは想像以上だな
浪人に全権を渡した方が生き残れたんじゃね
- 297 :
- 想像以上の無能じゃなければどうやっても勝ち目のないあの時期に戦い挑まないわな
- 298 :
- 暴力団の因縁と大差ない言い掛かりで喧嘩を売ったのは家康
- 299 :
- 秀吉も織田信雄が転封に従わなかったとして改易してるし
家康も関東の田舎に転封されてるからな
- 300 :
- ヤクザの因縁と言えなくもないが因縁付けられてる方もヤクザだし
秀吉よりよっぽど温いし落としどころも再三用意してくれた優しいヤクザやな
- 301 :
- 家康が豊臣家を積極的に滅ぼす気があるなら
前田に出した戦争協力の依頼が露見した段階で戦になってもおかしくないよな
- 302 :
- なんともいえんな
- 303 :
- 豊臣に突き付けた3条件の「大坂城から出ること」は流石に厳しいと思うけど「淀殿は
江戸に人質に」て別に何でもないな。それで承服すればよかったのに。
- 304 :
- >>303
しかも末妹の嫁ぎ先だから三姉妹で道楽もできるだろうに
逆に豊臣が率先して淀を江戸に行かせたら家康は困ったかもな
- 305 :
- むしろ、秀頼が参勤交代して現実を知ってくれれば、転封も受け入れてくれたかもしれない
何しろ豊臣家は大坂の町の仕置すらできず、板倉勝重の仲介を受けていた
- 306 :
- 秀頼が参勤して江戸に行けば牢人はどうにもできなかったのにな
何かやれば反乱として殲滅するだけ
秀頼親子の参勤は不要は寛大なように見えるが臣従拒否ともとれる
- 307 :
- そりゃ「家臣として平伏してきた男に頭なんか下げられるか!」ってのは
普通の感情だろ
- 308 :
- 三法師「時代の流れに逆らっても無益やで?」
今川氏真「そやそや」
- 309 :
- 毛利輝元「・・・・」
- 310 :
- 武田勝頼「頼が付く者同士同じ運命でしたな」
- 311 :
- >>307
自分を豊臣秀吉だと思い込んでいる精神異常者がほざいてもねえ
自分を織田信長だと思い込んでいる精神異常者こと織田秀信は血の繋がった孫だからまだ擁護出来るが秀頼は宗教的乱行で産まれた悪魔の子だからなあ
しかも三成と違って大名オフ会0人なのも悲惨
- 312 :
- 毛利輝元「オフ会の主催者は俺なんだけど…三成が主催者だと人が来ないからって頼まれたのに」
- 313 :
- >>303 >>304
大坂は当時の日本の流通、商業、経済の中心地だし、そこを安堵は絶対にない
- 314 :
- 幕府はずっと転封が条件と言い続けてるから転封しないとずっと圧力かけられ続けることにはなるだろうね
- 315 :
- 幕府が大坂残留・淀人質・参勤は不要って提示した時点で絶対滅ぼすって意思を感じる
大坂首脳は豊臣家の威光に幕府が遠慮したとか勘違いしてただろうけど
再戦を回避したいなら最低でも秀頼自ら江戸なり駿府なりへ出向くべきだった
- 316 :
- 家康に頭下げるの嫌ったのは秀頼だからしょうがない
- 317 :
- >>315
幕府に譲歩させたというのを武門の名誉としといて、その直後に秀頼から参勤交代、淀の人質、国替えを幕府に願い出るのが唯一の生き残りの道かな?
浪人が暴れて無理だろうけど
- 318 :
- >>315
講和の時の誓詞なら大坂安堵、淀人質不要、浪人不罰、の三ヵ状の後に
もし大坂退去してくれるなら代替地は望みのままと続いて、定型文の不義理はしませんで締め
譲歩し切ったつうだけで転封は最後まであきらめて無いぞ
- 319 :
- >>317
大坂は幕府直轄地&大坂城作り直しの大規模工事もしたから
徳川は商業の中心である大坂は喉から手が出るほど欲しかっただろう
浪人が邪魔しようが豊臣転封の要請があれば浪人排除は徳川は喜んで請けるぞ
- 320 :
- >>312
自分も不参加じゃないか
- 321 :
- >>319
浪人が暴れて“豊臣がそれを言い出すのが”無理だろうけど、ということ
- 322 :
- 秀頼は結構あちこち普請に金出してるし、10万人集める財力って太閤の遺産?
大阪押さえてることで資金力あったってこと?
- 323 :
- 両方だろうな。当たり前だけど商都は人と金が集まるから冥加金もたんまり入ってくる
三津七湊の一つ、直江津を抱えていた上杉謙信は何度も関東に出兵したり
北陸地方や飛騨に遠征をしてたにも関わらず莫大な遺産を残した
- 324 :
- >>294
>>あと攻城戦だから城を完全包囲するために各地の大名が集まるのを待ってたに決まってるだろ
待ってる時間を有効に使えと言う話だよ。どうして理解できない?
野戦で出ていれば大坂の兵糧が徳川に渡る事は無かった
アホだから理解できんか?w
- 325 :
- 大坂の兵糧が徳川に渡ったのは開戦前だよ
- 326 :
- だから開戦前に手を打てよということ
堺は早いうちから手を打って軍需品を徴収してただろうに
せめて国境くらいは閉鎖しておけと。国境の閉鎖なんて基本中の基本
- 327 :
- 豊臣譜代が堺を攻め落としたのが10月中旬
幕府軍が堺に接近して豊臣譜代軍が退却して幕府軍が堺を奪還したのが10月下旬
開戦は11月中旬以降だけど堺で豊臣譜代が抗戦してればそこが開戦だった
待ってる時間?
10月中は浪人が各地から集結、編成&兵装等の準備、これからの方針を巡り軍議していたから待ってる時間なんてねーよ
- 328 :
- 国境の閉鎖なんてすぐ出来る。それをせず豊臣領の兵糧を徳川方に
指をくわえて眺めてるのは愚の骨頂
- 329 :
- すぐ出来る閉鎖って看板でも立てておくのか?
- 330 :
- 豊臣譜代を立てておけばいいだろ
大阪、京都間は川もあり陸路で往来するルートは案外狭い
- 331 :
- その譜代は幕府軍が接近したら逃げてきたからな
- 332 :
- 大坂城への立ち入りを制限する詔勅と防備を出すことが慣用である
- 333 :
- 譜代も死にたくないから降伏するか逃げ出すわな
有能な片桐のように
- 334 :
- >>328
きみが言うように「すぐにできる」んなら豊臣方も現実にやっている
実際には出来なかったと見るべき
「すぐにできる」「簡単にできる」「誰でもできる」はこのスレの常套句だが、ほんとうにそうなら、豊臣方というのはそんなことさえ出来ない組織として絶望的な状態だったということになる
- 335 :
- この時代は兵糧の補給は現地調達が基本だし豊臣領内での徴発さえ
やっていれば兵糧不足で幕府軍の撤退も有り得た
東日本から西日本への兵站は困難なこともあり
戦略次第では冬の陣だったら勝つことも不可能じゃなかったな
- 336 :
- 京と尼崎が兵站基地になってるから兵糧不足にはならん
大坂と京は一日二日の距離だから余裕で現地調達の範囲だでな
- 337 :
- >>336
>>251
- 338 :
- だからなんだ軍が買い占めたから高騰して庶民が困ったという話だろ
- 339 :
- >>338
京都は兵站基地にはなりえないという話。そもそも京都は米の生産地でなく消費地
- 340 :
- 京と大坂は換金のために日本中から米の集まる土地
- 341 :
- >>340
>>換金のために日本中から米の集まる土地
京都にそんな機能があったなんて初耳。資料あるの?
- 342 :
- 常識だろ。毎回恥かいてるけどちぃったあ調べることをお勧めする
- 343 :
- 今度は脳内経済学かよw
- 344 :
- 10月中旬 豊臣譜代が堺を攻め落とす
10月下旬 幕府軍が堺に接近すると豊臣譜代軍は退却し、幕府軍が堺を奪還する
11月上旬 家康が諸大名に兵糧船や商船を堺へ回すように命じ、伏見に秀忠の幕府軍本隊が到着
11月中旬 開戦
また豪商の角倉一族が兵糧や薪などの物資を輸送したとして家康に報奨を得た記録は残っている
また大坂一帯の米の値段が高騰してたから武将や商人が米を国元から輸送して高く売り付けようとしてた
米は十分足りるくらいあったが開戦初期は薪不足から米が炊けずに兵糧が足りなかったと言われかが、商船などの輸送で改善した
- 345 :
- >>344
?豪商が荷駄隊を供出することは戦国時代では当たり前
>>商船などの輸送で改善した
>>254 >>255読め。兵糧も燃料も現地調達で済ませてる
いい加減、悪い頭で脳内戦記を書くのは止めろ
- 346 :
- 摂取米「も」使っただけだ
- 347 :
- >>345
家康が諸大名に命じて堺に兵糧船や商船を回させたって話はずっとスルーして脳内戦記やってるんだなw
しかも>>254>>255は兵糧は十分あったって話で木場の木材は濡れてるから薪には使えなかったって話じゃねーかw
お前、日本語も読めなくなったのか?
豊臣譜代が堺を落として徴収したり攻められる所は攻めた
>>335で言ってた兵糧不足で撤退に陥るのは不可能
できもしない小学生並みの脳内戦記は恥ずかしいやめといたほうがいいぞ?
- 348 :
- >>347
具体的にどれだけの兵糧を輸送出来たんだ?そこを示せよ。
ちなみに念入りに準備をしたはずの九州征伐でも兵糧不足になってるからな
まして大坂の陣は東国から西国へは兵站は海流に逆らうことになり
当時の技術じゃ困難極まりない
- 349 :
- 東国から輸送する必要は無いやろ
- 350 :
- >>349
九州征伐って言葉の意味を読み取ってくれ。西国は中国地方の毛利、四国、
北九州の大友が秀吉陣営だったのに兵糧不足になったんだぞ
念入りに準備していたのも関わらず
- 351 :
- 大坂の陣は大阪以外全部幕府陣営だろ
- 352 :
- >>348
家康が全国の諸大名に命じたって言ってたのに
なんで東国から西国限定なんだよw
お前日本人か?
ずっと前からそれしか言ってないけど?
しかもずっと前から大坂の陣がずっと慢性的な兵糧不足してたって主張してるが
その記述はまだ出せないのか?w
- 353 :
- 稲刈りの終わった10月、日本中の米が集まる京大坂、周辺全部味方
これで一時的局地的以外でどうやってコメ不足になるのか
米の収集備蓄分配してた史料はなぜ全部無視しなければならないのか
理屈的にも史料的にも全く逆の主張しても笑われるだけだろ?マゾなん?
- 354 :
- >>352
>>具体的にどれだけの兵糧を輸送出来たんだ?そこを示せよ
これを教えてくれ。
西国の米を集めても九州征伐では兵糧不足になったんだぞ。
>>353
気持ち悪いドMだな。陸運で十数万単位の兵糧を輸送できるようになったのは
鉄道が発達してから。とりあえず日本史で鉄道と海運に頼らずに
十数万単位での兵站を示せよ
- 355 :
- 海運もし放題ですが?。大坂方はいつ制海権を取ったのですか?。陸運も今日から短距離で何の問題もありません
- 356 :
- 今日じゃなくて京ねw
- 357 :
- >>354
大坂の陣で幕府方が慢性的な兵糧不足だったって記述を出せって言ってるのに逃げるんだなw
しかも九州征伐と違って大坂の陣は大坂以外は全部幕府陣営だから全く関連性ないのになw
結局は話を反らして逃げ回ってるだけだよな、お前w
- 358 :
- >>355
制海権を取ってても念入りに準備した九州征伐では兵糧不足
>>357
>>具体的にどれだけの兵糧を輸送出来たんだ?そこを示せよ
結局、これに反論は出来ないんだな。現地調達以外での兵站は
困難だったと認めたというわけだ
- 359 :
- >>358
やっぱ大坂の陣で幕府軍が慢性的な兵糧不足だった記述は出せないわけねw
じゃあ兵糧不足で撤退は無理だね
脳内戦記は論破されたわけだ
- 360 :
- 九州征伐の兵糧不足は島津の焦土戦術で補給船が伸び切ったのと豊臣秀長の失策のあわせ技で大坂の陣に当てはめるのが無理
しかも数日で解消された一時的なもの。こんなん伝家の宝刀のように連呼しても無駄やで
- 361 :
- >秀長の失策
秀長が割高な値段で九州征伐に参加した大名に兵糧を売り付けようとして秀吉に止められた話か
- 362 :
- 兵糧が致命的に足りなくて餓死者や飢えで戦闘不能者が続出してたって史料的な物があるんならまだしも
ちょっと兵糧供給でゴタゴタがあった程度で兵糧不足と言われてもな
- 363 :
- 九州征伐は豊臣軍は兵糧不足で撤退すること無く
島津を降伏させてるのに
- 364 :
- 何冊か大坂の陣関係の本読んだけど
冬の陣はもう少し豊臣方が粘れば勝てたっぽいと考える研究者が多いみたいね
秀頼は前線に督戦に出るほど積極的で城内の士気は高かったらしい
- 365 :
- 家康が死ぬまで待てば
かなり勝算は上がったのにな
やっぱ秀頼は無能だと思う
- 366 :
- 片桐の言う通りにして
家康死ぬまで開戦を避ける意味ね
- 367 :
- 俺らは史実を知ってるからあとはあと2年と計算できるが当時の人間なら無理ゲーと思っても仕方がない
家康は老いても大坂くんだりまで出陣できる壮健さだし幕府の圧力にいつまでも耐えれない
- 368 :
- そもそも秀忠の過小評価が酷すぎる
- 369 :
- 秀忠は政治家としは評価するけど家康死後に大坂城を落とせるとは思えない
- 370 :
- 別に家康の意思が無いと落とせない要素はないけど
- 371 :
- 誰がやろうが一緒な戦力差と状況やでなぁ
- 372 :
- >>370
意思じゃなくて指揮能力な
- 373 :
- 立花宗茂が補助するから問題ないだろ
- 374 :
- 今川義元も内政と統治力は高かったけど軍事さっぱりだったからな
太原雪斎が軍事と外交を担当してたからレジェンドの武田信玄や北条氏康と渡り合えた
太原雪斎が死んだら義元が戦場に出なくてはいけなくなり討ち取られて総崩れしたけど
当主が軍事の才能無くても補佐して軍事を任せられる奴がいれば何とかなる
- 375 :
- >>372
指揮能力といっても秀忠の地位にある大軍運用なら、
むしろ平時の統治能力と大して差は無いかと
当時の史料で確認できる限りだと、秀忠の軍事的才能で
そこまで深刻な問題を伺わせるものは感じない
- 376 :
- 秀忠の戦下手は筋金入りだろ
強行軍で家康に叱責されたり、力攻めを主張して却下されたり
柳生宗矩のおかげで命を拾ったりと秀忠のどこに軍事的才能があるの全く分からない
- 377 :
- >>376
強行軍は失態ではない回復するし早く着くことに取り返しのつかない事態ではないからな
豊臣方は逆に国分村に到着が遅れて先に幕府軍に到着されるという失態を犯している
これは取り返しが付かないから大失態である
秀忠を見習え
- 378 :
- 失態だから家康も怒ったんだろ
- 379 :
- もし豊臣が攻めて来ていたら逆に称賛されてただろうけどね
あと柳生云々は秀忠が前線に出て士気を上げてた証拠でもある
前線にさえ出なくて命乞いを却下されたら自決した秀頼とは天と地の差がある
将軍が中心になって政治をしてたのは秀忠まで
家光からは政治は家臣に任せっぱなしだったし
- 380 :
- 家康>>(名将の壁)>>秀忠>>(凡将の壁)>>秀頼
- 381 :
- 木下秀頼は大和法隆寺へ、違法
- 382 :
- 家康が死ぬのを待つのは手ではあるが
秀忠の才能が問題にならないほど戦力差がついてるし損害が増えるかな程度だろう
時間稼ぎのため大坂方はさらに譲歩を重ねる訳だが戦えるほどの力が残ってるかどうかも
- 383 :
- お前らその場に居たかのようだな
- 384 :
- 秀忠の指揮能力問題にするとき、なぜか秀頼の指揮能力は問題にならないよね
秀忠には関ヶ原のときの中山道方面軍司令官の実績があるいっぽう
秀頼は実績ゼロなのに
- 385 :
- 籠城してるだけの天下人はあり得ない 秀頼
- 386 :
- >>384
秀頼の指揮能力を問題にする以前に大坂城という壁があるからな
- 387 :
- 籠城は来る敵を火縄銃で撃退するだけだから野戦みたいに指揮能力や統率力必要ないしな
一向一揆でも火縄銃持てば織田軍撃退できたし
攻め手は野戦能力を問われるが籠城側は城の守備力しか問われないしな
秀頼が攻めることは不可能
巨漢デブだから良い的だし敵の襲撃からも逃れられない
- 388 :
- なんか信長と石山本願寺の石山合戦のこといろいろ調べてたら、少しだけ大坂の陣の謎がとけた。
信長が甚大な犠牲を払いながら10年も大坂と本願寺に粘着したのは、やっぱ大坂が相当重要な
地だからなんだよね。秀吉も大坂が重要だと思ったから大坂城を築城した。家康も大坂が重要である
ことがわかっていた。ようするに豊臣家を恐れたいたことは確かだが、それより大坂からなんとしても豊臣
家を排除したかったわけだ。秀頼と淀殿もすなおに別の場所に移っていれば豊臣家存続の道はあった
かもしれないな。
- 389 :
- 黒田孝高が生きてれば大阪に入城して総指揮とっただろうね
- 390 :
- >>389
それやるくらいなら関が原の時に西軍を乗っ取ってる
- 391 :
- 黒田官兵衛と真田昌幸は勝てない方には絶対に加勢しない
大坂入りすることはない
真田昌幸はもし入ったとしても所領を餌に引き抜きしたらさっさと出ていくしな
- 392 :
- >>387
籠城を嘗めるな。籠城戦ってのは野戦以上に内応、内通が発生して疑心暗鬼に落ちるし
勝っても得られる物が少ないから、士気が高くなければあっさりと落城する
籠城で敵を撃退できるのは本当に有能な武将だけだ
- 393 :
- >>392
内応、裏切りの機会は野戦のが圧倒的に多い
関ヶ原合戦を忘れたのか
籠城しちまえば外部との行き来が遮断されるし
お互いが見張りになるので南条元忠は内通がバレて処刑されただろう
野戦なら調略の密書のやりとりし放題
お互いが見張る距離にいない単独行動だしな
正規軍でもない一向一揆や島原の乱でも籠城して正規軍を数回撃退して大軍の本隊が来るまで耐えてるんだけどね
- 394 :
- 秀忠でも大阪城を落とせるってのは家康を過小評価しすぎでは
秀忠で充分なら老体に鞭打って冬夏と出てこないよ
- 395 :
- 家康はん、戦決まったら若がえちゃったから
- 396 :
- >>393
それを言うなら砥石城も小田原城も堅城なのにあっさりと落城したけど。
あと一向一揆も島原の乱も一次的に籠城で退かせても、
決定打を与えられないことから攻城側は何度でもやってきて最終的には落城
- 397 :
- 秀頼が有能だったら家康死後何とかなったかも知れないが
前線にも出ないようじゃ秀忠よりも圧倒的に劣るって話だな
家康がいなけりゃ立花宗茂が補佐するだろうし
- 398 :
- 後詰めのない籠城は無意味
悲しいけどこれが真理なのよね
- 399 :
- >>396
>砥石城も小田原城も堅城なのにあっさりと落城したけど。
>あと一向一揆も島原の乱
籠城せずに野戦してたら1日経たずに殲滅されてボロ負けするだろって話だな
- 400 :
- >>397
宗茂に軍配を握らせれば違うだろうが最終決定は秀忠や側近の譜代衆
もし宗茂が指揮したら諸大名は従わないかもしれんけど
宗茂個人ではどうにもならんことは関ヶ原の西軍が実証してるし
もちろん豊臣方にも言えることだが
- 401 :
- >>400
立花宗茂は大坂夏の陣では徳川秀忠の参謀&警護担当してるし
島原の乱では総大将の松平信綱の補佐してたよ
大将は臣下の献策を取り入れるのがことができれば上等
宗茂は夏の陣では秀忠を実際諌めてたし
逆に士気を上げるために臣下からの献策である出陣要請を全て跳ね退けてたのが無能が秀頼
命乞いや自決するくらいなら死ぬ気で出陣しとけや
- 402 :
- 戦場での勇気に不足はないからな秀忠
- 403 :
- 大叔父さんが同じ大坂の天王寺で味方より多い敵(本願寺)に相対した時、
自ら出撃して、ぶっ飛ばした事例もあるしな。
逆に自らの命や御家存続が最優先なら、とっとと服従してしまい
ママンを江戸住まいにするなり、大坂からの国替えするなりして、
前田の三代目とかみたいにせっせと嫁と子作りでもして
徳川の親戚の立場を確保しておくべきでした。
中途半端が一番ダメ。
- 404 :
- 相変わらずワッチョイなしの自演スレでこんなこと書くのもアレだけど
秀頼は冬の陣で督戦のために前線に出てたという資料が発見されてるんで
- 405 :
- 一応天守の外には出たけど大坂城の近くだけって話だろ
督戦だから戦ってる前線までは出陣しなくてすぐ引き上げたって話なら既出だな
浪人衆が主張してた徳川方の豊臣恩顧に対陣させて進軍を鈍らせる案は却下されてるわけだし
- 406 :
- >督戦のために前線に出てたという資料
督戦とは…後方にいて、前線の軍を監視すること。
督戦というのは前線に出ないことなんだけどね
督戦のために前線に出るという言葉の意味の矛盾
- 407 :
- 冬の陣の前線って総堀の内側までじゃね?
城外に出たとしてもせいぜい戦闘前の真田丸の見学くらい
籠城軍の総大将って広義では初陣したことになるんかあ
- 408 :
- 冬の陣の前線って総堀の内側までじゃね?
城外に出たとしてもせいぜい戦闘前の真田丸の見学くらい
籠城軍の総大将って広義では初陣したことになるんかあ
- 409 :
- 豊内記からだと船場や天王寺岡山辺りを騎馬で督戦して廻ったとある
- 410 :
- >>409
>>404がいう冬の陣だったらそれは督戦ではなく戦が本格的に始まる前のただの見回りだろう
前線に行ったとは言わない気がする
- 411 :
- >>409
馬に乗れたのか?
秀頼の技量以前に乗せた馬も凄いがw
- 412 :
- 貴人だから輿だな
- 413 :
- 肥満体の龍造寺隆信は馬に乗れなくて六人担ぎの駕籠だったからな
だから討ち取られたけど
秀頼は馬乗れたのか?
- 414 :
- 大型馬が存在した記録もあるし
秀頼は狩りを嗜んだので馬に乗れたと考えるのが自然
弓六角義弼について弓術を学んでいたとされているけど
武将の弓は騎射が基本だから
- 415 :
- ちょい調べたら秀頼の騎馬は大型馬で太平楽と名付けられた黒馬だったと伝えられてるんだけど
大坂城の発掘調査で実際に体高170cm以上あるアラブ馬の骨が見つかってるんだね
- 416 :
- アラブ馬じゃ150kgが乗るの辛くないか
ブルトンとかペルシュロンみたいな馬車馬でないとすぐに潰れてしまうだろ
- 417 :
- 競走馬じゃないからアラブ馬でも荷重には充分耐えれるよ
文献資料で秀頼が大型馬に乗馬していたとあって
発掘調査でも実物が出て裏付けられたってことね
秀頼は弓術も武芸も師範に学んで
その膂力は10人並みと書かれた資料も多いのに
馬にも乗れないポチャデブと決めつける人の根拠って何なんだろ?
- 418 :
- 冬の陣の本戦は籠城なのに船場や天王寺岡山辺りを騎馬で督戦したっていう意味不明な主張がよく分からんな
幕府軍が集結する前の小競り合いしてた時に見回ったんなら督戦と呼ぶには恥ずかしすぎるし
- 419 :
- 徳川方が完全に集結する前何度も野戦してるし
真田丸の戦いも打って出て追い討ちかけてるから野戦だよ
万余の軍勢が激突した野戦や真田丸の戦いが小競り合いですかそうですか
戦国時代の戦いは全部小競り合いですは
- 420 :
- 敵が大軍勢で集結して対陣してる中で総大将が前線に出て士気を上げるならともかく
安全な内の見回り程度で督戦と言われても何の評価にも値しない
ああやっぱり秀頼はこの程度か…印象だな
- 421 :
- ちゃんと督戦して史実程度なら出馬してもたいした効果無いやろなぁといった感想
- 422 :
- 督戦=後方にいて、前線の軍を監視すること。
上でも言われてるように前線に出て士気を上げるならともかく
督戦と言うか見回りには何の効果もないしな
前線に出ていれば士気も上がるし、総大将を囮にしての策で
真田幸村が家康に嵌められたように真田隊が突出したせいで包囲攻撃されて戦線崩壊させられた例とかね
豊臣恩顧がいる幕府部隊に対陣させて睨みを効かせるとかいくらでも策ができる
- 423 :
- 嵌められたって計算通りなら切腹口走りながら逃走したなんて逸話は出来ないだろw
家康を討てなければ、あるいは討てても包囲殲滅されるのは覚悟の上の特攻だろ
- 424 :
- >>423
逸話は逸話だ
本当に敗走するような退却だと回りもそれに釣られて敗走しだす
大坂夏の陣は突出した真田を四方から囲ってちゃんと壊滅させている
- 425 :
- ID:MzIC9xsuは知ったようなフリして嘘ばかり付くバカ
- 426 :
- 知ったようなフリして嘘ばかり付くバカっていうのはこういう奴なんだけどね
404:人間七七四年 2017/09/13(水) 09:58:35.14 ID:x3fMJTcX
相変わらずワッチョイなしの自演スレでこんなこと書くのもアレだけど
秀頼は冬の陣で督戦のために前線に出てたという資料が発見されてるんで
↑
督戦=後方にいて、前線の軍を監視すること。
督戦と前線に出るは成り立たない
言葉の意味も分からない無知というべきか
- 427 :
- >>426
家康が信繁れを包囲するためにわざと軍を引いたというソース持ってこいよ
なんて研究者の本か?
軍記物だったら署名は?
秀頼は瓢箪の馬印を掲げて陣地見まわってるんだから
督戦と解釈して何にもおかしくない
- 428 :
- てか督戦って書いたのは別の人だがね
- 429 :
- 部下を監督・激励して戦わせること。また、後方にいて、前線の軍を監視すること。「兵を督戦する」「督戦隊」
前者なら前線でやってもなんらおかしくはないのだがなあ
- 430 :
- 秀忠は遺骨から銃弾が見つかりましたな
- 431 :
- >>429
>督戦と前線に出るは成り立たない
>言葉の意味も分からない無知というべきか
- 432 :
- >>427>>429
指揮権のある人間が前線にいる場合は指揮するという
指揮権のある大将なら軍に指示したり、参謀や臣下の献策や作戦を承認したりするのも指揮だ
督戦という言葉はその指揮すらできない無能、または指揮権さえ剥奪されてる形
それを良い評価と思ってるアホはお前だけだw
- 433 :
- >>432
前線でやるのは督戦じゃないって誰ぞの主張を入れるならそれは指揮じゃね?
- 434 :
- >>433
ん?言ってる意味が分からんが?
大将が陣頭指揮も取らずに後方から督戦という見回りしか出来なかった無能の話か?
- 435 :
- >>430
夏の陣の野戦で受けたと考えるのが自然
冬の陣で仮に野戦を選択してたら秀忠は討てた可能性があったな
秀忠討ち死に。な事態に陥ったら継嗣を決めるために幕府軍は撤退せざるを得ない
家光じゃいくらなんでも若すぎるし、秀忠の弟達から選ぶしかないが
誰にするかで何年も掛かる
- 436 :
- >>435
冬の陣の前線視察時に矢弾の飛び交う距離まで、親子揃って出向いた話があるから、
冬の陣でもありそうではある
そもそも夏の陣で本陣まで迫ったという記録は、当時の資料に無いし
- 437 :
- 記録の有無を論じるなら秀忠が銃弾を受けたという記録が無いよね
骨に弾痕残るくらいだからかすった程度では無いし 秘匿したのかね
上田城という可能性も無いことはない
- 438 :
- 大坂夏の陣最終決戦の日の情報が錯綜してるんだよね
秀頼は5月7日に自害してるのに
何故か8日に助命交渉を継続してることになってる
秀忠が負傷して治療隠匿する時間稼ぎをしてたのかも
大坂の陣は冬も夏も楽勝どころか薄氷の勝利だったみたい
もちろん勝ち切った家康が凄いんだけど
- 439 :
- と言う事にしたのが見え見えやで
- 440 :
- >>425>>427で他人にこんなレスした奴がソース無しの妄想垂れ流しててワロタ
本当に知ったようなフリして嘘ばかり付くバカ
425:人間七七四年 2017/09/15(金) 15:57:04.98 ID:OKQ9sxTE
ID:MzIC9xsuは知ったようなフリして嘘ばかり付くバカ
427:人間七七四年 2017/09/15(金) 16:33:37.82 ID:OKQ9sxTE
>>426
家康が信繁れを包囲するためにわざと軍を引いたというソース持ってこいよ
なんて研究者の本か?
軍記物だったら署名は?
秀頼は瓢箪の馬印を掲げて陣地見まわってるんだから
督戦と解釈して何にもおかしくない
- 441 :
- ここはifスレだから妄想垂れ流す所ですが何か?
ちゃんと仮定の話として書いてるし
それより家康が信繁を包囲するためにわざと逃げたなんて断言した人はソース持ってきてください
- 442 :
- 『梵舜日記』
五月八日、天晴 巳刻に至り大坂城落つ、秀頼公、同御袋、そのほか女中二十人ばかり自害の由也、打ち死にの衆二万ばかりの由也
『金地院崇伝』
五月八日、大阪城中の焼け残りの唐之物倉に秀頼並びに御袋、
大野修理・速水甲斐守以下、付き女中衆、余多籠もり居り、降を乞う。
井伊掃部・安藤対馬、検地として相詰め、倉へ鉄砲放ちかけ、
いずれも残らず生害、火掛かる也
秀頼の自害は5月8日、他の資料や秀頼の死没日は軒並み5月8日なのに
5月7日に秀頼が自害する捏造して秀忠が負傷して治療隠匿する時間稼ぎをしてたのかも
とか脳内ファンタジーを展開してるアホがいるらしいねw
しかも捏造してる奴がソース持ってきてくださいと連呼してるのが笑えるw
- 443 :
- 居城が炎上・落城して、将兵は全て死ぬか落ち延び、
それでも生きていて、助命を求める領主一族なんて、
生き恥以外の何物でもないからな
これだけで、秀頼の評価は地の底まで落ちるのだが、
秀頼と国松の年齢混同していないレベルで
- 444 :
- >>442
毛利輝元などの書状で7日に切腹とある
秀頼らが自害した倉は7日夕刻に焼かれていて
7日夕刻切腹後に倉に火を放ったと考えるのが自然で
中から火を放ってから潜伏するなんて常識では有り得ない
- 445 :
- >>444
お前本当に捏造するどころか無知なんだな
5月7日に敗戦して夜に大坂城が裏切り等によって燃えだし
秀頼は今で言う食料庫の蔵に逃げ込んだんだろ
食料庫は地下のように掘り下げられていて石材で崩れないように堅固に組まれていたから燃え尽きない
常識的に考えて一番重要な食料庫を燃え易く作ると思ってんのか?
学者に5月8日以外は否定されて秀頼自害&死没は5月8日確定されてるのも知らない無知なんだな
- 446 :
- >>445
毛利輝元、鍋島直茂書状に7日自害と書いてある
そもそも火がついた倉がすぐに人が入れるくらいに消火されるわけないだろ
あと倉の地下が掘ってあったソース希望
こっちは7日自害の可能性のソース出したぞ
- 447 :
- 自分の妄想を満足させるために通説をひっくり返すのはお前らどっちもどっち
輝元も直茂も参戦してないから誤りの可能性はある
それで家康がわざと引いたというソースは?
- 448 :
- >>446
ソースと言うなら>>442みたいに原文出してくれないかな?
面白そうだから5月7日自害のソース調べても全くなく、調べても5月8日自害がほとんど
ちなみに大坂城の発掘調査でその蔵は瓦礫で埋め立てられていて発掘するのに
深く掘らないといけないくらい深かったとある
そして発掘で石が積まれていたとな
図面からも念入りに石垣に囲まれてるのも分かる
そして冷蔵庫のない当時の食料保存は地下貯蔵が当たり前
戦いで一番重要なのは食料庫で燃やされたら終わりなのに燃え尽きやすいように作るわけないだろ
秀頼もそこが一番安全だから逃げ込んだ
常識的に考えな
- 449 :
- 『梵舜日記』
五月八日、天晴 巳刻に至り大坂城落つ、秀頼公、同御袋、そのほか女中二十人ばかり自害の由也、打ち死にの衆二万ばかりの由也
『金地院崇伝』
五月八日、大阪城中の焼け残りの唐之物倉に秀頼並びに御袋、
大野修理・速水甲斐守以下、付き女中衆、余多籠もり居り、降を乞う。
井伊掃部・安藤対馬、検地として相詰め、倉へ鉄砲放ちかけ、
いずれも残らず生害、火掛かる也
『慶長二十年五月十五日付細川忠興書状別紙巨細條書』
五月八日、未刻御切腹
『慶長二十年五月十四日付毛利秀元書状』
八日ノひるすきニ御腹被成候
毛利家で夏の陣で先駆けして前線で戦った毛利秀元がこう言ってんだけどな
5月8日に秀頼自害って
- 450 :
- 『駿府記』
八日、辰の刻、片桐市正使者言上申し云う。
秀頼并びに御母の儀、大野修理、速水甲斐守を始め其の外究竟の士、二の丸帯車輪に引篭る由と云々。
幕府御使として、安藤対馬守参上申し云う。
秀頼并びに御母の儀其の外、帯くるわに篭るのところ、すなわち切腹申し就くるの由仰せ上げらる。
- 451 :
- 『駿府記』と『金地院崇伝』と『慶長二十年五月十四日付毛利秀元書状』は内容が近いからこれが史実だな
5月7日に豊臣敗北で決し、夜に大坂城天守が炎上
燃え広がり秀頼は死んだかと思ったら
5月8日翌朝、片桐且元から秀頼や淀、大野治長達が焼け残った蔵で生き残っているという報告を受ける
秀頼や淀は降伏したいと申しでると
秀忠は安藤重信に切腹させるように命じる
切腹を申し付けられるもいつまでも助命嘆願してくるために
正午頃、井伊直孝は秀頼と淀のいる蔵に切腹を促すために鉄砲を撃ち込んだ
そしたら見事、切腹して果てた
纏めるとこうだな
前線にいなかった毛利輝元の話を信じるアホがいるけど
- 452 :
- 毛利のテルは戦場にでてなかったから5月7日まで
の情報しか聞いてなかったんだろうね
それなら合点がいく
- 453 :
- 輝元や直茂って当時自領か江戸かにいたのじゃない?
当初情報送った奴が情けで見苦しい助命嘆願は無かったことにしたのかもよ
- 454 :
- 確かに毛利秀元の書状か何かで秀頼に同情してたからね
潔く切腹せずに命乞いをいつまでもしてた秀頼と
無理矢理切腹を促すために火縄銃撃ち込んだ話は
秀頼の名誉と幕府への批難を避けたくてあまり知らせなかったかもね
- 455 :
- 書状で日にちが錯綜する事はたまにあるからな。同時期の書状だと細川書状で後藤の戦死日が一日遅れだったり
- 456 :
- そんなに死にたくなかったのか
往生際が悪い
- 457 :
- オレがいたら勝てたな
- 458 :
- 家康が津野田幸作の著作並みに無能なら余裕で勝てた
- 459 :
- 秀次死後、近衛家は無理だがその他の摂家から養子を迎えて
ワンポイントにしたらよかった
- 460 :
- そこまで遡っていいなら秀頼が生まれなければよかった
- 461 :
- >>459
秀頼が関白になる為の障害になるから秀次を排除したのに
秀頼の障害になる人間を増やしてどうする。
絶対不可能で無茶な案である事に目をつぶる前提で言うが、
摂関家を壊滅状態にしてそっちから関白を出せない状態にする方がよっぽどマシ。
そうすれば関白候補を秀頼のみに出来るからな。絶対無理だし絶対やめた方がいいけど。
- 462 :
- 武家関白と公家関白では違うだろ
公家なら本格的なお飾りにできる
鎌倉の公家将軍・宮将軍のように用済みになれば追放できよう
- 463 :
- >>462
飾りには出来るだろうが地位を引きずり下ろすのは無理。
だって史実でも出来てないもの。秀頼は結局は関白には就任出来てないのだし。
そもそもリスクを考えれば豊臣家以外の者が関白に就任する事自体危険。
それに関白は摂関家にとっては目標とすべき到達したい地位だからそう簡単には手放せない。
鎌倉の摂家・宮将軍より抵抗は大きいだろうね。
もちろん秀吉ならその辺は問題にはならないだろう。が、秀吉死亡後はかなり難しくなる。
そして秀吉死亡時点では秀頼は関白就任可能年齢に達していない。
- 464 :
- 実際には、秀頼の関白就任には、菊亭晴季や池田輝政らが
あらゆる手を使って妨害していたんだけどね。
正直、菊亭晴季と池田輝政を秀次事件で葬れなかった秀吉の
ミスだろう。
- 465 :
- 秀頼は、自身の関白就任を邪魔する菊亭晴季を失脚させ、池田輝政、
浅野幸長の両名を葬ったが、遂に関白にはなれなかった。
- 466 :
- 現職関白の秀次を妻子ごと抹殺して
秀秋に関白を持ちかけた三成も処刑して
自身の関白就任を邪魔する池田輝政や浅野幸長も死んだのに
秀頼は関白になれなかった
- 467 :
- 魚鱗陣で家康に殺到
運良ければいける、ぐらいか
- 468 :
- >>467
絶対無理。
総大将が出陣した軍としてない軍で、数や質まで差がありすぎるから、勝負にならない。
やるなら刺客送っての暗殺。
- 469 :
- 隕石が降ってきて家康に直撃くらいの運がないと
- 470 :
- 家康と秀忠同時にだろ
- 471 :
- >>470
本能寺を教訓にしてるのかあいつらあまり同じ場所にいないからな
大坂の陣だって同陣して本陣一つでもよかったわけだし
良くも悪くも将軍と大御所がそれぞれ軍を率いた幕軍と総大将不在の大坂方
- 472 :
- あの時点で狙うとしたら秀忠でしょ
秀忠を討ったら次の継嗣を決める為に退却しなきゃならんし
- 473 :
- 大坂の陣の頃には家光って生まれてたっけ?
- 474 :
- そのくらい自分で調べろよ
- 475 :
- >>473
生まれて無かったら三代目確定する前に家康はあの世です
- 476 :
- 秀吉がその大半を蔵入地という不安定な経営に依存してたのがまずい。
紀州や大和など自国領に組み入れ実態のある領地で200万石を確保してりゃ
そもそも関ケ原で65万石に落とされることはなかった。
収入源や備蓄は相当なものだったんだろうが、それの実態が不透明で
秀吉本人と長束など一部の側近しか知らなくて、
徳川に対し抑止力として働かなかった。
- 477 :
- 自領が大きかったとしても大幅に減領されるのは変わらんだろ
- 478 :
- 江戸幕府みたいに転封をガッチャンガッチャン繰り返して直轄領集約するには時間がなさすぎる
かといって地方の蔵入地に譜代小大名旗本領乱立させても事が起きた時に速攻潰されるだけ
あの時点では太閤蔵入地制は有益だったんだよね
- 479 :
- 蔵入地の経営を丸投げしないと成り立たない豊臣政権の人材不足が直因
- 480 :
- >>477
豊臣家が各地の大名に預けてた土地を改易・転封のドサクサに奪っただけだから例えば大和一国が直轄領だったら手を出せないよ
>>478
集約って点では大和大納言家の領地をそのまま直轄化してればだいぶ違ったと思うけどな
ただ>>479の言うように豊臣家が管理できたかは別だが 関が原前なら奉行管理でよかっただろうけど
- 481 :
- 豊臣家のような人材不足をノブヤボで反映できたら面白くなりそうなのにな
- 482 :
- まあ天下握って功臣を大名にしたらたいていの大名家は人材不足になるだろうけどな
織田家も本能寺後はスカスカだったし
徳川は天下獲るまでに三国同盟の家臣を吸収できたのが大きい それでも春日局人脈や側用人があっさり権力を握れたし
- 483 :
- >>480
大和大納言家旧領って増田領以外は直轄だからあまり変わらん気が
- 484 :
- 豊臣家直轄地を臣下の家康が諸大名に配分するわけにはいかないだろうよ
- 485 :
- うーん摂津河内和泉同様に直轄地扱いだった播磨丹波山城とどう違いが出るのか説明できる?
- 486 :
- 家康「豊臣家に謀反を企てた奸臣三成を討伐した諸大名の功労に報いるため、豊臣家が直轄地を恩賞として差し出してくれるぞ」
これが全てだろ
- 487 :
- >>486
関ヶ原の後の所領分配は豊臣家の名前は一切出てこない。全て家康が「私的」に行っている。
- 488 :
- >>486
まあそんなまわりくどいこと言わずとも豊臣は文句のひとつも言えないから
まあ建て前上は家康が命令するわけにもいかんだろうけど
- 489 :
- それにしても関ヶ原でも家康三成をとりなすこともできず、大坂ではひっこんだまま
淀や秀頼はホントになんにもできない、なんにも言えないお飾りだったんだな
- 490 :
- まあ軍事政権が国を二分される内戦起こされたあげく鎮圧にも関与出来なきゃそうなるわな
石田三成が忠臣扱いされるのが理解できん
- 491 :
- 一面だけ見て三成忠臣なんて、ちゃんちゃらおかしいよね
主家の繁栄を願うにはむしろ私利私欲が目立つし、無闇に主家を窮地に陥らせてる
- 492 :
- いまは見る人によってどっちにでもとれるだけじゃん?
- 493 :
- 柴田勝家もそうだが勝ったほうが主家をないがしろにしたから忠臣視されてるってのはある
- 494 :
- 関ヶ原で西軍が勝っていたら石田三成と毛利輝元の覇権争いは確実に起こり戦国時代に逆戻りだろ
- 495 :
- 江戸期って領地のデフラグされてたの?
てっきり飛び地だらけに成ったと思ってたのだが、、、
- 496 :
- >>492
それが正確な表現だよね
立場見方で人物評は変わってもおかしくない
- 497 :
- >>494
それはない。三成にそんな力はないから
徳川幕府に変わり毛利幕府か上杉幕府が出来るだけ
- 498 :
- 関が原勝ったら三成は大老になるか江戸幕府の大老みたいな地位になるのじゃないか
三成の力とか言うなら毛利や上杉に器量や野望があるとも思えないのだけど
- 499 :
- 西軍勝ったら毛利や上杉は徳川級(200万石クラス)の待遇になるだろうし
対抗上宇喜多や島津、佐竹、真田、長宗我部なんかにもそれなりの大きさにしないと取り込まれちゃう
奉行だっていつまでも一枚板というわけには行かないだろうから
いずれは応仁の乱みたいになるのかね
- 500 :
- 西軍が勝つと言う事は豊臣系の大名が半分以下になって戦国系の大大名がぼこぼこできるってことだからな。
- 501 :
- 結局は豊臣の力が削がれてしまうことに変わりないのかね
- 502 :
- 上杉は越後加増か、家康の旧領にまるっと移動かな。
毛利は伊予と豊前あたり加増、宇喜多は播磨あたり加増
小早川は西軍に残るなら畿内に一国とかかな?紀伊か大和あたりがもらえそう。
最上は改易、徳川は秀康が一国くらいは残りそう。
佐竹は働き次第で下総くらいは増える、上杉が関東いくなら会津あたりになりそうだな。奥羽管理で会津に大大名を置く措置はありえる。
伊達はなんだかんだでそのまま残りそうw
福島加藤らは改易、小西は肥後まるごと、尾張美濃は秀信
加増の約束をそのまま守ればだがね。家康も大判ぶるまいしてどれだけ反古にしたかと考えるとね。
- 503 :
- 誰が天下を主導したとしても豊臣と一蓮托生じゃないと運営は無理だろうな
史実の徳川は戦前でも250万石と圧倒してたのをさらに激増したから
- 504 :
- 畿内と奉行が豊臣に残るならそれなりの権力は残るでしょうよ。
徳川と毛利で東西体制から、上杉と毛利の両翼体制、畿内は奉行などが分割して、
尾張美濃は旧織田系が、播磨備前などは宇喜多が、山陰は宮部の子供かな。
前田は多少減らして弟系統に移行、加賀一国くらいかね?山口とかが越前もらえそう。
細川黒田は改易、蜂須賀は領地安堵、脇坂は裏切らないなら讃岐とかかね?
真田は弟系統に移行して信濃半国、仙石も系統かわって領地安堵くらいか?
- 505 :
- 戦後の態度や手柄にもよるが前田に加賀一国はきついな
能登召し上げで利長隠居で利政後継くらいじゃね
- 506 :
- >>502
加増の約束守んなきゃ守んないで即座に揉めるか後日の火種になるから結局政権の不安要素になるんだよね
家康は抜けた実力者だから実力で黙らせることは出来たけど西軍が勝った場合はそうもいかない
>>504
越前は大谷吉継でなければ青木一矩の家系がもらうんじゃないかな
真田は甲信貰う約束取り付けてるから最低でも信濃一国は与えないと
- 507 :
- 毛利は讃岐阿波制圧、伊予攻略中、門司城占領。さらに本戦の主力だからどでかくなるだろうね
家康裁定参考だと広家秀元安国寺は上とは別に国持になるレベル
- 508 :
- 畿内と大坂を取り込んだ毛利が幕府を開くだけだったろうな
- 509 :
- >>502
関東は佐竹、上杉、伊達が共闘して徳川領を食い荒らす
畿内は中国地方と瀬戸内海を押さえている毛利が制圧だろ
二十万石しかない光成に統制が執れるとは思えん
- 510 :
- そりゃ勝利の立役者の三成は山城・近江・河内あたりで100万石ですよ。増田は紀伊大和で100万石
そのくらいなければ物申せん
- 511 :
- >>510
大大名が多くなりすぎるよ。
室町幕府→応仁の乱→戦国時代の流れになる未来しか見えん。
- 512 :
- そんだけ大盤振る舞いしてたら家康の戦後処理より豊臣家の直轄地減らされたっておかしくない
なんせ奉行は自分達=豊臣と考えているんだから
そのうち奉行同士で揉めて地方の大大名を引き入れて応仁の乱コース一直線だな
- 513 :
- 次は毛利征伐。家康除いた意味が無くなるからな
- 514 :
- せめて関ヶ原スレでやれよこの話w
- 515 :
- で、毛利に滅ぼされる豊臣
- 516 :
- 関ヶ原スレで関ヶ原の話なんて出来ると思ってるのか?
- 517 :
- 大坂の陣スレだと初めて気付いたw
- 518 :
- >>511
この時代は多くの城が取り壊されてるから戦国時代の再来はない
徳川以外の大名が幕府を開くだけ
本命→毛利(中国地方と石見銀山、瀬戸内海を押さえてる最有力候補)
次点→上杉(最上を降した後の関東乱入次第では毛利を超えられるかも)
穴→前田(母を売ってまで家康に土下座した男にどれだけ見方が集まるか・・・)
大穴→宇喜多(畿内へのアクセス以外は秀でた個所がない・・・)
- 519 :
- >>518
一国一城令は江戸幕府後の1615年以降だから関ヶ原近辺では城はまだそんなに減っていない
戦国時代〜江戸初期の築城された城
姫山城 → 姫路城
丹波亀山城築城
曳馬城 → 浜松城
伊賀上野城築城
駿府城築城
坂本城 → 大津城 → 膳所城
二条城築城
伏見城築城
隈本城 → 熊本城
岐阜城 → 加納城
丸串城 → 宇和島城
桑名三城 → 桑名城
伊予松山城築城
大高坂山城 → 高知城築城
清洲城 → 名古屋城
大浦城 → 弘前城
末次城 → 松江城
丸亀城築城
篠山城築城
土豪国人の砦レベルのが取り壊されて城になったり
水堀や城郭のある城を築くために木材を再利用して統廃合された小さな城があっただけって話
- 520 :
- 豊臣政権の城割の話だろ
- 521 :
- >>519
仙台とか福岡とか
- 522 :
- >>518-519
一国一城令以前の城割レベルの城塞ならまた作ればいいだけの話じゃないのか
- 523 :
- ただし全国的に厭戦気分はあるだろうけどな
そうでなければ関が原一戦で豊臣から徳川に塗り替わるとか無いだろうから
- 524 :
- >>523
その厭戦気分は朝鮮出兵で本格化したという説があるけどね。
豊臣秀次は、浅野幸長の報告を受けて秀吉を幽閉し朝鮮出兵を終わらせ
ようとしたという説がある。
(だから、浅野幸長は能登に配流され秀吉の死まで許されていない。
義兄の池田輝政や継室の父の菊亭晴季でさえ翌年許されている。)
- 525 :
- >>524
浅野幸長って慶長の役で出陣してなかったっけ?
- 526 :
- だから報告できるんだろ
無為無謀な戦略でみなボロボロですわって。
- 527 :
- 城割なんて織田信長時代からやってるだろう
交通の要所に無く動員数が少ない小規模な城や山城は城割して
その資材を集約して動員数が多く交通の要所にある平城や平山城の拡張しただけだろう
鉄砲+平城+堀で攻防一体になるわけだし
- 528 :
- >>523
関ヶ原で徳川がポシャったら西国の大名は毛利に従い
東国の大名は上杉に従うだろうね
意外と毛利幕府と上杉幕府が両立し江戸時代と大差ないかも
- 529 :
- >>528
南北朝展開になるのがオチ。
家督争いに負けた奴がもう一つの幕府に家督継承を認めてもらって
後継の正当性を主張して…って流れで全国規模の大戦争になるね。
当然だけど、毛利も上杉も自分の領地や取り分を出来るだけ増やしたいから
自分の言う事聞く奴を傘下におさめたいもの。
まあ、どう考えても平和にはならんな。
- 530 :
- 毛利が大坂城入りして三成とか五奉行を閉め出したら
三成は上杉を担ぎ上げてまた内乱起こしそうw
- 531 :
- 毛利を倒してやっと完結だろ。徳川だけじゃ片手落ち。でかい顔したかっただけなら別にいいけど
- 532 :
- >>526
秀次は慶長の役の前に死んでますがな
- 533 :
- 大坂の陣に興味なさそうなのになんでこのスレに来てるんですかねぇ…
- 534 :
- 自分が知ってることを熱弁して
自分に酔ってる滑稽な図
- 535 :
- >>529
全国規模の大戦争って・・・普通に考えて徳川幕府の代わりに
西軍の総大将だった輝元が家康のように豊臣領の再分配を行い
毛利幕府ができて長期政権になるだけだろ
- 536 :
- 毛利の専横に上杉や三成たちが唯々諾々と従うとは思えんし内乱に逆戻りじゃないの?
- 537 :
- 毛利に長期の全国統治なんて無理だよ
というか大阪の陣と何も関係ないやんけ
- 538 :
- >>536
そいつらに毛利に抗える力なんてないだろ。
- 539 :
- >>535
いや、>>528が毛利と上杉がそれぞれ幕府を開いて
その2つの幕府が『両立して平和になる』とか無茶な事言うから…。
普通に考えれば毛利幕府が出来るだけでしょう。
ただし、室町幕府が事実上復活するだけでしょうから江戸幕府のような
安定政権には絶対ならないでしょうね。
- 540 :
- 長期政権になる要素はないな
- 541 :
- 豊臣政権を維持したい石田三成らの五奉行と
毛利が幕府開いた輝元らじゃ必ず争いになるけどな
三成と上杉が結託して東軍になるんでまた戦争は避けられまい
その時は家康との大坂の陣とは違い豊臣恩顧はかなり残ってるので勝ち目はある
やはり関ヶ原以前に戻らねば大坂の陣は絶対に勝てないな
- 542 :
- ↑
無限バカうぜえ
- 543 :
- 家康と秀忠をひたすら暗Rるために刺客を送る。
家光ならなんとかなるでしょ。
- 544 :
- 大坂の段階で家光なんとかしようとしても無意味
- 545 :
- キモオタ共が数百年前の終わった話を寝食忘れて熱く語っております。
- 546 :
- だがそれが良い
- 547 :
- ( ̄ー ̄)ニヤリ
- 548 :
- 天下奪回じゃなく大名としての存続を勝利とすれば勝ち目もあったんじゃなかろうか。
それでも無理かな
- 549 :
- それは普通にできる
- 550 :
- 開戦前に申し出ないとダメだったろう
- 551 :
- 御三卿くらいの地位に甘んじれば存続は可能かと
領地は無し 将軍家の旧主・縁戚として官位と10万石を幕府から支給
それか岐阜中納言家くらいの扱いか
- 552 :
- 今川氏真のようになるべきではあったな
- 553 :
- 氏真は大名じゃないしなあ 最低でも信雄や喜連川氏レベルかな
下手な弱小大名より大身旗本のほうがよい場合もあるけど 豊臣なら高家確定だろうし
- 554 :
- 戦時なんだから侍女がやられたくらいで日和るなと気合を入れる事が出来れば豊臣方は勝てたのでは?
と素人は思うと同時に、この素人考えこそが最適解であるようにも思うんだけど、どうなの?
この考えは前提条件として徳川方の兵糧切れがあります
- 555 :
- そもそも淀に決定権があるのが不思議だよな
- 556 :
- 寿桂尼とか直虎(笑)とか女が実権を握った例は豊臣だけではない
当主が幼少だったり経験不足だったりすると生母や祖母が影響力を持つ場合はあるな
- 557 :
- 秀頼は成人して子供もいるにもかかわらず世間では幼少のイメージでおふくろ様が実験握ってると思わたけど、実際はどうなだろ
淀の親戚織田が仕切ってたんじゃないの
- 558 :
- >>557
ドラマでは途中で裏切りバレてたな
- 559 :
- 信雄は戦前、有楽は冬後に退城
仕切ってたらそんなことにはならないだろう
能力的には親族で一番あったであろう信包が直前に急死したのがな
- 560 :
- >>557
実際それあるよな
結局豊臣ってのはろくに影響力ない家だったわけだ
- 561 :
- >>559
いや仕切ってはいただろうよ
でも牢人勢が暴走しだしてあきらめたって感じかもね
- 562 :
- >>560
豊臣じゃなくて秀頼ではないかな
- 563 :
- >>562
秀吉秀次秀頼ふくんで豊臣全部で、だよ
面従腹背で誰ひとり心服してなかったのがバレバレの豊臣政権
あっという間の没落もわかるわーってことで。
- 564 :
- 家康だって外様に心服なんかされてないだろ
反抗できない体制を作ったのが勝因
太閤はその大事な時期に外征したり秀次を殺したり
- 565 :
- すくなくとも心服している連中もいたのが徳川
豊臣はひとりもいない
- 566 :
- 幸村を総大将にして采配を任せれば良かったんじゃ
- 567 :
- 信繁どころか昌幸でも位が足りなすぎるわ
側近の大野治長を差し置いて秀頼名代として総大将を任せるなら元大大名か高官位か
名実ともにこれという人物がいなかったから合議制になったのだろうし
- 568 :
- 真田信繁は負けたからまだ有名になれただけだよな
あの時代ではせいぜい昌幸ならまだ名前が知れてたが息子は大して評価されてない
- 569 :
- 真田も毛利も長曾我部も戦前の評価は○○の息子の域を出てない
- 570 :
- >>569
まさにそれ
ああ、せめて息子でなく親父だったらという話
- 571 :
- 個人として名が通っていたのは後藤又兵衛ぐらいかね?彼の将としての前評判はどんなものだったんだろう
- 572 :
- あとは明石
薄田はどんなものだったのだろう
- 573 :
- >>572
薄田は仇討ちやヒヒ退治の虚名だけじゃないの?
そもそも岩見重太郎は実在したんかね?
- 574 :
- >>571
有能だけど器としては侍大将から武将の中間くらいじゃない?
実績としても個人の武勇の比率が高め
- 575 :
- 真田と毛利はむしろ前評判はなくて事後に名声を高めたタイプだと思う
- 576 :
- >>571
個人の武威が評判だったけど、指揮官としてはどうだろうね
予定とおり行かないけど突撃とかやるバカだし
- 577 :
- >>567
大野ってそんな偉いの?
- 578 :
- そりゃ淀のお気に入りって時点で察してくれ
- 579 :
- >>577
織田一門を除いたら大坂城ではトップじゃないの
合戦に限定したら七手組の古参も発言力があったかもしれないけど
- 580 :
- 大坂の陣での軍事監督だものなあ大野
ろくでもない連中のよせあつめで苦労しただろうな
まあそういう立場だから仕方ないのだが。
- 581 :
- 淀の縁者・お気に入りと秀吉家臣の出涸らししかいないのだよなあ
大野兄弟や木村がそこそこできたからまだマシだったというか
- 582 :
- 家臣「殿、島津が大阪城に入城したよしにござりまする。」
家康「な、なにぃっ! 島津ぢゃと!? して、兄か、弟か?」
家臣「弟のほうにござりまする。」
家康「な、なんてことぢゃ(( ;゚Д゚))ブルブル」
家康「わ、わしは腹を切る!」
家臣「殿、落ち着いて下され!」
家康「ええい止めるな、あやつが大坂方についた以上我々には勝つ見込みなどのうなったわ。
敵にワシの首を絶対に渡すでないぞ、よいな」
家臣「分かり申した。では私めが介錯をおつとめいたしまする。」
- 583 :
- 結局、秀頼を大将に出来なかったのが敗因
やっぱ女はダメだな。淀が悪かった
秀頼が出てくれば戦争にもならない
- 584 :
- 一番悪いのは成人にもなって何もしなかった秀頼だろ
- 585 :
- 主導権を手放そうとしない茶々とそれにさえ勝てない秀頼はどっちも問題だ
- 586 :
- つまりは豊臣家はクソだったわけだ
- 587 :
- 片桐且元
無能とは思わんけど役不足
10万石以下の器
大野一族
屑揃い
七手組
揃いも揃って(世代交代後は)雑魚だらけ
こんな手札やししゃーない
- 588 :
- >>587
片桐かつもとは有能だと思うよ
でなければ徳川の取り次ぎなんて任せられない
板挟みでよくやったほうだ
それを無責任にお鉢をまわす豊臣連中の無責任ぶりがまた際立つ
- 589 :
- 信雄を大将に担ぎ上げる動きってのは認知してたけど
背景まではわかんなかった(単に知名度があるから程度に思ってた)
先日の番組だと秀頼の傍流(つまり織田家)に
秀頼が頼りないなら(かつての主筋の)織田が主導権を取るべきみたいな
イデオロギーがくすぶってたということらしい。
天皇家に反感持つ竹田恒泰が自分が自ら天皇になると言ってるようなもんか。
- 590 :
- >>589
片岡愛之助の歴史捜査ね。
大野と織田が組んで片桐を追い出し、危険を察知した信雄は逃走
- 591 :
- >>589
どんだけあてにされてないんだよ秀頼
- 592 :
- 首謀者があの織田頼長だから秀頼個人の資質ともまた微妙に別問題かな
- 593 :
- 大坂城から出たことがない秀頼が出陣しても役に立つわけがない
- 594 :
- >>589
織田家を簒奪した木下家から奪い返す、一種の王政復古みたいなもんじゃないの。
- 595 :
- 織田頼長がそういう策謀をしてた(という噂があった)ちゅうだけで信雄は御免被るだったし有楽もそんな動きはしてないし
単に信雄しか司令官実戦経験がないかったからというだけの話だろう
- 596 :
- 豊臣家の責任回避という側面もあるのでは
- 597 :
- 御伽衆におとしめた信雄に頼らざるを得ないって人材少なすぎだな
- 598 :
- >>595-596
信雄は元内大臣で位負けしないうえに淀の一族で名門の織田家
秀頼代理で負けた時の人身御供には格好 それがわかってるから本人は逃げ出したけど
若いころもしくは信雄がアホなら勝って天下を獲ろうとか考えたかもなw
- 599 :
- >>597
在野で総大将に担げそうなのって元大老の宇喜多秀家くらいじゃないの 八丈島だから無理だが
- 600 :
- >>599
まあはじまる前から豊臣連中は詰んでいたわけで。
せめてもっと徳川と外交戦でやりあえたらよかったのにね
- 601 :
- >>600
自分を虎と思ってる鼠が外交なんて出来るわけないんだなぁ
- 602 :
- まあ最初に話を持って言った前田に断られた時点で察しなきゃいかんよなあ
- 603 :
- 大坂の陣前あたりからの豊臣の外交で優れてた場面はあっただろうかってレベル
- 604 :
- 関ヶ原から14年もなんとか持った…ていうのがプラスの材料かな
- 605 :
- 一瞬だけ譲歩して二条城会見行ったのがプラスの材料かな・・・
- 606 :
- 逆にやるならあのタイミングが限度だったかもな
どうせ秀頼に指揮はできないから成長を待つ必要は無かったし
真田安房が入城したら狸ガクブルだろw
- 607 :
- >>583
うつ病だったんでしょ淀さん
- 608 :
- 信雄は秀吉に取りつぶされたのでなく自ら大名やめたのかもしれん。面倒くさくなって。
毛利輝元も廃業しようとしたら黒田如水か誰かに引き留められた。
- 609 :
- >>583
ここの議論見ると、意外と劉禅って名君かも知れん。
ちゃんと采配任せるべき相手に任せてるし、中傷する馬鹿が出ても信じるべき相手を信じてる。
孔明死んだ時に悪口言った男を処刑してるし、忠義をつくした挙句粛清される恐怖が無いだけでも
ましかも知れん。
- 610 :
- 秀頼が主将をやってたら豊臣宿老と外様浪人衆の対立は起きなかった
冬は大野兄が一応主導権を握っていたが、これも軍義の議長的な立場でしかない
結果、豊臣宿老と外様が対立して幸村は居場所がなくて真田丸をどうでもいい場所に作って陣取った
冬が終わった後、主導権が大野弟幸村後藤の主戦派に移って、合議だけしてまとめる人間がいなくて連携も取れずに、ただ迎え撃つだけしかできかった。
そして淀の口出しだけは通る状態になった。まず豊臣方は戦争をやる以前に組織が出来ていないから話にならん
- 611 :
- >>609
中国では親不孝の人間としてあるけど、割とまともな判断してるよな劉禅。
- 612 :
- 言うちゃなんだけど秀頼に裁決権があってもどうにもならんやろ
これまで殆ど決断した事無いんやぞ
わかってるのは字が上手くて素早いデブってだけでしょ?
- 613 :
- 結局豊臣は秀頼の成長を待てるだけの体制作りができてない無能集団
秀吉の先々を考えるだけの力の無さをあらわした好例だな
ま、種なしでは仕方のない話なんだよな
- 614 :
- >>609
国を滅ぼす切っ掛けを作った宦官の黄皓を重用したのは劉禅だし
宦官は後漢末期の動乱の原因になってるし、何も学んでなかったから馬鹿にされてるらしいね
- 615 :
- 「秀頼様、家康公が方広寺の碑文「国家安康」「君臣豊楽」に腹を立てておいでのようです。なんでも「国家安康」は家康の名を分割し身を切断、徳川氏を呪い、「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を祈願しているとのよし」
「えーい江戸の爺は面倒くさいやつぢゃ。ならば碑文を直ちに「国秀安頼」「君川徳楽」に書き換えるがよい。それで文句はあるまい」
「御意。直ちに取り掛からせます」
- 616 :
- 後、仏像・大仏殿の開眼供養の日取りと、大仏殿棟札に問題があるとも
- 617 :
- まぁヤクザの難癖と同じだから
何をしても変わらないよね
- 618 :
- >>617
お前どんな正当な批判もヤクザの難癖って言うタイプだな
- 619 :
- つまり大阪 夏の陣・冬の陣というのは天下分け目の関が原の後で
豊臣方が徳川と戦ったのではなくて、何よりも侍・大名の数が多すぎると。
こんなに数が多かったら、絶対にこの後で揉めるに決まっているからどうすればいいだろうと。
「そうだ! 武将の数の半分ぐらい、ギリギリ自分達が勝てるぐらいで
不満を持ってるようなヤツらをぜんぶ豊臣方に付かせて、彼らにケンカをさせよう」と。
そうしたら、それを力押しで全部 滅ぼして、負けたほうは全部ホームレスにしちゃえば
日の本から武人がいなくなるってふうに考えたんですね。まぁ、武将のリストラです。
- 620 :
- 秀吉も始皇帝も司馬炎も前半は有能で天下統一したけど
全員晩節を汚したから王朝が短かったね
毛沢さんみたいに反対勢力数百万〜一千万規模をジェノサイドして徹底的に駆逐しないといけなかったね
家康も一応関ヶ原に続いて大坂の陣で反徳川を徹底的に潰したから250年続いたんだよな
- 621 :
- >>620
そういう意味では秀次事件で失敗している。
池田輝政の一族を皆殺しにし、浅野幸長、田中吉政も処刑し、
後顧の憂いを絶つべきだった。
自分の死後、田中吉政がフィクサーとなり秀次残党という大派閥を
結成し、混乱させたのは、秀次事件の始末の不徹底によるもの。
なお、池田輝政と田中吉政の危険性は石田三成が指摘しており、
彼らに死を賜るよう秀吉に強く要求している。
- 622 :
- >>620
始皇帝は確かに有能なんだけど、法律に人情味とか愛が無いのが問題だよね。
陳勝呉広の乱でも、漢の高祖の逸話でも、別に彼らは天下を取る野望に目覚めて挙兵した訳じゃあ
無い。
追い詰められた窮鼠が挙兵しただけだし...普通に優しい人柄って言われる長子の扶蘇が継いでれば
法律に愛が産まれて長期政権だったかも。
普通に扶蘇の性格だと、地方に弟達を封じて前漢の郡国制に成っただろうし。
- 623 :
- >>622
法律に人情いれたらダメでしょ
始皇帝政の割り切りぶりがあるからこそ始皇帝は評価されてるよね
- 624 :
- >>623
法は割り切れるけど、人の心や意識は割り切れるもんじゃないけどね。
徳だけで世界は治まらないだろうが、法だけでは人は荒む。かといって指導者の都合優先ではそれはただの人治主義。
政治ってホント難しい。
- 625 :
- 軍隊でもないのに遅刻したら死刑はやりすぎたな
そうでもしないと働かなかったのだろうが
- 626 :
- >>620
関ヶ原後に毛利と島津を潰さなかったので明治維新を起こされた。
- 627 :
- 毛利と島津がいなくても他の誰かがやるだけ
- 628 :
- >>626
いや、幕末はもう幕府は制度疲労で限界だったし……
あれはもう歴史的役割を終えて幕を下ろす時が来たってだけじゃないかな。
別に毛利や島津がいなくたって幕府は倒れる事になったと思うぞ。
正直250年以上も日本を運営してたわけだし、お疲れさまでしたっていうべきじゃねーの。
- 629 :
- 幕末維新史において、薩摩長州が倒幕の主体勢力と成ったのはまったくの偶然だと、幕末史をちょっとでも勉強すれば解る話で、
>>626 みたいなことを言い出すやつは、自分の無知を晒しているに過ぎない
- 630 :
- >>629
風雲児たちの影響かな?
- 631 :
- 長州征伐が失敗した時点で長州が倒幕の主力になるのは必然じゃないのかな
- 632 :
- 周防長門2カ国はあかん
日向とか山陰とか東北とかに移さな
- 633 :
- 正月の秘密の恒例行事とか
(創作らしいけど)
- 634 :
- 日本全国相手に長州が奮闘したのも
関ヶ原の戦いで戦わずに領地を没収
されたのがあるから。
もし他の藩だと幕府の権威が喪失しないで
ドイツみたいな連邦制の国になってたかも。
- 635 :
- >>634
日本全国相手。
してないよ。長州征伐は幕府内部からも反対意見多数で参加してないのも結構いたし。
- 636 :
- >>634
第一次長州征伐で長州は戦わずに降伏してるんだけど、馬鹿かお前
- 637 :
- 長州征伐なんて一次も二次もグダグダになっただけだよなあ
- 638 :
- 長州は、第二次長州征伐で日本全国を敵にしたんだよな。
(裏工作で薩摩などを参戦させなかったけど)
それで籠城するだけかと思えば逆に攻め込んで山陰や北九州では城を占領している。
もうあれで幕府の権威は無くなったよ。
長州がいなかったら、あと5年は維新が遅れてたよ。
そうなったら香港みたいな租借地がどこかにできてたんじゃないかな?
- 639 :
- 幕府の旗本八万騎は満州八旗と同じで制度疲労で
戦う能力が無かったから清と同じ運命になってたな
- 640 :
- >>626
毛利は家康公が潰さなくても
輝元自ら、もう大名は嫌になったので返上したいと言ったら
黒田如水だかに、続けてりゃいいことあるからとか諭されて
嫌々大名続けたって話じゃなかったか
- 641 :
- 毛利もそんな殊勝なこと言わないだろ
だがしかし、大したことなしてないよな輝元では
- 642 :
- >>641
輝元って結構曲者だと思うけど……。
- 643 :
- 輝元は全く信用できない人間だし、実際秀吉すら輝元は全く信用してない。秀吉は晩年には、家康からは実質人質を取っていないが、
輝元からはガッツリ取っている
- 644 :
- 輝元は単なるボンボンだよな
- 645 :
- 秀吉はボンボンには厳しいから
丹羽長重とか蒲生秀行は大減封だもんな
秀吉は輝元の領地をもっと減らしたかったけど達成できなかったんだろうな
- 646 :
- >>645
丹羽も蒲生も仕方無い部分は有る。蒲生は徳川牽制の為に会津に置いたのに、早死にしたせいで
当主が徳川の婿に成ってしまった。これでは徳川に100万石加増したも同じで、どんな手を使っても
取り潰すしかない。宇都宮18万石でも大サービス。
丹羽もねえ、本来は織田の家老としては席次が上の家が100万石以上じゃあ減封するしかない。
つうか、良く考えると徳川の領地を削ってないのが寧ろ変だよね。
北条の遺臣で一揆煽動くらいできそうなのに?普通に家康が先に死ぬと、分割相続させて5分割とか
してそう。
- 647 :
- >>646
関東の整理したの他ならぬ豊臣だしな、それに唐入りという大事業がある以上
下手に関東を不安定にするのも悪手だろう。
海外遠征をする関係上、国内は安定させるべきだし。
関ヶ原の時は…難しいな。家康不在時に挙兵させたいけど家康が関東から動いたの
岐阜陥落後なんでそれじゃあ手遅れだしね。
- 648 :
- >>646
秀行に振姫嫁がせたのは秀吉だぞ。自分の養女にして。それでいて家臣の争い理由に減封とか酷すぎる。しかも蒲生は秀次事件に巻き込まれて危うかったし。秀吉につくわけないわ。
- 649 :
- >>648
まあ、この時代だと内紛で取り潰しは良く有る。自分の力で自分の領地を守れないってのは
大問題だしね。
それと、徳川牽制の意味が無く成ったのが最大の理由でしょう。
蒲生氏郷が生きてるなら、この縁組は家康の娘を人質に取ってるんで悪い話ではない。
でも、当主が若年で、家康の婿じゃあ徳川牽制どころか、家康に100万石加増したも同じ。
流石の秀吉も、なりふり構わず取り潰したって事ですね。
会津に徳川牽制の大名を置かないと豊臣家は潰れるって事で仕方無い。
- 650 :
- >>649
その意見を全否定はしない。しないんだが…
その理屈が秀吉死後の豊臣家にまんま跳ね返っているのは因果は巡るというか。
秀頼、天下どころか家中統制もロクに出来てないっぽいし。
- 651 :
- 上杉は秀吉の忠実な臣下なのか?
犬っころ過ぎる
- 652 :
- >>650
それ以前に、政治を自らとったことがあるの、秀頼って? 何か公的文書とかあるの?
- 653 :
- 一応配下の大名に指示出したり、江戸城の普請に派遣したりとかやってる
徳川と豊臣の二重公儀状態だったとする学者もいるしね
まあなにかやってたとしても大坂陣のおこる数年前くらいからだろうけど。
- 654 :
- 大将募集
応募資格 武将経験者(十万石以上)
仕事の内容 十万の兵を率いて関東勢と戦っていただきます。
報酬 勝利の暁には希望する国三百万石分の領地と将軍職
- 655 :
- 攻城軍を撃退しても豊臣方の領地は増えないのですが
- 656 :
- 勝ったら徳川にねだるので大丈夫です(史実)
- 657 :
- こんな理屈が通用するんなら、小勢力は大勢力の領地や財源等を担保にすれば
確実に勝てる事になる。そんなの無理に決まってるだろ。
これが本気で通用するなら蜀は魏に勝てるし、南宋はモンゴルを倒せるし、
日本は対米戦に勝利出来るし、北朝鮮はアメリカに圧勝出来る事になるぞ。
- 658 :
- ゲーム脳なんでしょ
- 659 :
- >>655
それを心配するより、寄せ方が論功行賞出来ない方が問題だろうね。
実際、史実の流れでも冬の陣で軍資金使い果たし新たな借金できず困った大名居るし。
普通に引き分けでも幕府の威信が下がるからね。
それとこの時代は、地付き豪族の力を弱める事を何処の大名でもやってるから長引けば一揆が
起こる気がする。
- 660 :
- >>659
聞きたいんだけど、仮に一揆があったとして、豊臣に味方したら
そいつらは一瞬で矛を収めてくれるのかね?どう考えてもそんな事あり得ないと思うんだけど。
それとも、徳川政権が崩壊したら諸大名が再び豊臣の権威に縋ると思ってるのか?
どう考えても戦乱の世再びで戦国時代に逆戻りじゃないの。
- 661 :
- 自分たちの権益が犯された不満を爆発させて一揆を起こすんだろうから豊臣云々は関係ないんじゃないの?
- 662 :
- それなら>>659の一揆云々の部分はこのスレと何の関係もないって事だ。
- 663 :
- 大坂の陣が長引いて不満を持っていた連中がこれ幸いと一揆を起こすってことじゃないの?
- 664 :
- 一揆の目的、要求は?
- 665 :
- 小田原の長陣でも西国で反乱がおこったとか聞かないけどな
- 666 :
- 応仁の乱くらい引き延ばせばいいんだな
- 667 :
- 大坂の陣だと紀州浅野領で一揆があったけど良くも悪くもこれだけだな
- 668 :
- >>663-664
唯一、大規模かつ現実性があるとしたら、キリシタン一揆。
既に慶長の禁教令で大坂冬の陣の1年前に全国単位で禁教令が出た。
だから、キリシタンとしては禁教令に抵抗するという意味で一揆の目的は
満たしているし、要求はキリスト教の禁教令を破棄しろ、それでOK。
ついでに、世界帝国スペインを呼び込めば、更に徳川幕府は窮地に陥る。
但し、家康もそれを見抜いていたようで、大坂方につくのが確実なキリシタンの
ドンで武将としても優秀な高山右近、内藤如案をさっさとマニラに追放している。
- 669 :
- キリシタンは一揆禁止だからしない
- 670 :
- 大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級
https://mainichi.jp/articles/20180404/k00/00e/040/315000c#cxrecs_s
- 671 :
- 今までもなかったか、陣図
- 672 :
- そりゃあるだろ
- 673 :
- 冬の陣で壊れた天守閣を一度更地にし、秀頼が雑居ビルみたいな細長いタイプの天守閣に立て直したって真実ですか?
- 674 :
- はいはい、おもしろいですね
- 675 :
- 思うにいよいよ家康が大坂にくるというに、秀頼はどこらへんに勝算を感じていたのかねえ
三万人超の牢人衆にしろ堅牢な大坂城にしろ、大坂城一カ所の拠点でやってる時点でじり貧なのに。
耐えている間に秀頼に鞍替えする連中が増える、なんてのも希望的観測でしかない
それまでに督促しても徳川がたについている連中ばかりがそんなコロコロ鞍替えしてくるなんて甘い考えではないか
まあ最期はひくにひけない、という形の冬の陣立ったかも知れん
ただ夏はさらに自分らのスペックダウンを強いられているわけで。本気で勝てると思うなら相当天国頭だよな
テロリスト集団にすぎない牢人衆に押し切られる形だったとも聞くが、ぶっちゃけ夏の陣までに秀頼殺されてるんじゃねえの牢人衆に。
大坂城落城の際、ではなくてさ
- 676 :
- >>675
そもそも冬の陣前の時点で家康自ら来ると予想してたのだろうか
70歳超の隠居の老体だぞ 来たとしても往年の力はあるのかと
来ても来なくても実質秀忠相手なら勝てるとか思ってもおかしくはない
- 677 :
- >>676
ごめん、それならば言い方を変えるよ
別に家康本人こなくてもいいわけで。
徳川軍が攻めてきますよ、って時にどこまで秀頼はつっぱらかった事を考えていたのかなと。
堅城大坂、は自負も自信もあっただろうけど、相手は超大軍
それまでの嘆願であつまったのはまともに仕官のなくなった連中ばかり、相手はそれこそ何万という正規軍
まさか元の主家筋を攻めまいとか甘い考えをもつにしてもそれまで徳川からの恫喝受けてるわけで安心できる状況じゃないよね
あげく痛い目みせられたあとの夏ではなおさらと。
よほどのバカじゃなければ保身もふくめ戦をさけるためになんでもやらないといけないとわかろうもんだと思うんだが。
まあ成人まで大坂城からでてない温室そだちだからまさに甘いバカだったんだろうかな
もしくはすでに暗殺されてましたとかね、と。
- 678 :
- >>677
昼間にパチンコ屋でも覗いてみ。そんな煮えた頭の馬鹿が掃いて捨てるぐらいいるから
自分が理性的に損得を考えられるからって、フライパンの上であぶられ続けている秀頼にもその思考を期待するのは根本から間違いです
- 679 :
- 豊臣はガチで戦争する気はなかったんだよね
籠城して強硬姿勢を取る、
豊臣恩顧がこぞって講和を嘆願する
家康はぐぬぬ言いながらも講和を要請する
秀頼は悠々と受けて豊臣健在をアピール
ついでに加増をもぎ取る
勢いに乗じて止まっていた関白就任を進める
甘々皮算用の当てが外れたちゅうだけやね。
夏の陣はプライドこじらした秀頼の自殺
- 680 :
- >>678
その理屈でいえば、秀頼はたんなるバカってことだよね
- 681 :
- >>679
そんな感じですやね
秀頼が甘過ぎた
徳川が実利を得た
そんだけの話ですやね
- 682 :
- >>680
追い詰められたら人間は誰でも阿呆になるって話し
- 683 :
- >>678
暗殺とか言ってるやつが理性的に考えているのかと
秀頼を殺したら終わりってのは馬鹿でもわかるだろう
- 684 :
- >>683
きみの住む地方ではバカに向かってバカと言うことが得策なのかね?
- 685 :
- >>683
講和されて困る牢人衆ならやりかねない
徳川と講和されたら破滅するわけで。
- 686 :
- >>685
秀頼を殺したら合戦どころか不逞牢人の反乱に成り下がるのだが 破滅するのは同じだし
実態は合戦したいだけマンや死に花を咲かせたいだけマンの集まりだろうと秀頼を擁しているからこそ合戦たりえるし美談にもなる
- 687 :
- 秀頼を殺害し、乳児国松を擁立して合戦を継続する
- 688 :
- 秀頼をかかげているからこそ負けるとなればバカは英雄になりたくて暴走するかもよ
- 689 :
- >>623
>>624
現代的な感覚で言うと法律に人情がないとかは間違ってると思う。
ただ秦の場合は(特に領土が広がったことに対する)柔軟性に欠けていて不可抗力への配慮や情状酌量の観念がないと聞いたような気がする。
一応、現代では恩赦や大赦に裁判所の判決で調整するはずだけど。
>>649
蒲生氏は徳川対策もあるだろうけどそれ以上に東北諸侯対策のような。上杉や佐竹への牽制も含まれている気もするけど。
伊達政宗とか最上氏とか伊達政宗とか秋田氏と浅利氏とか伊達政宗とか南部氏と津軽とか伊達政宗とかの対策
- 690 :
- 千姫を輿入れさせた時点で家康というか秀忠は豊臣家の外祖父にもなって
影響力が絶大になるんで豊臣家を例外的な高家として残してもよかった。
誤算は千姫と秀頼との間に男子が生まれなかったこと。
- 691 :
- なんでよりにもよってお妾さんとの間に二人も作っちゃうかなぁ
- 692 :
- 千姫が子沢山ならともかく一人もいないとなると夫婦仲自体が怪しい
当主としては子供作るのも仕事だし練習がてら侍女に手を付けるくらいはするだろ
あの年代の男子が誰でもフリーパス権持ってるわけだしw
まあ本人にその気がなくても周りがやらせる
- 693 :
- 世継ぎどころか一門すらいない状況で大名家の当主をやるのは綱渡りすぎる
- 694 :
- 正室との間に子供がいないのはそんなに珍しくない。
とはいえ、秀頼は何としてでも千姫との間に男子を一人以上作らないといけなかったわけで。
- 695 :
- 大坂藩主豊臣秀頼と、大坂藩副城公の淀君は、大和法隆寺に移転すべきであった
- 696 :
- >>694
前田利常は偉かった。
- 697 :
- >>693
一門ってのは確かに制御・管理・整理が必要な存在であり、扱いに注意すべきなのは確かだが、
だからといって排除しすぎると結局は御家の為にならないってのが頼朝や秀吉を見てるとよくわかる。
勿論身内争いがひどすぎてエライ事になった家が多いのも事実だけど。
ただ、一門をしっかりとまとめあげるってのはもう当主の仕事と割り切るべきだと思う。
当主が就任するたびに行わねばならない事として。
- 698 :
- >>692
まあ、建前は兎も角大阪城内では千姫と侍女は徳川のスパイって思われてたんでしょうね。
千姫はまだしも、侍女は徳川恩顧の家柄の娘だろうし秀頼から見れば気持ち悪い事この上
無いしね。
夫婦円満を望むなら、最低限の人数で送り込み侍女は豊臣で別に付けるべきだけど、家康が
そんな配慮する訳無いよね。
- 699 :
- >>698
> 夫婦円満を望むなら、最低限の人数で送り込み侍女は豊臣で別に付けるべきだけど、家康が
> そんな配慮する訳無いよね。
お前は武家の婚姻を何も知らんのだな
- 700 :
- それでも、千は淀の姪だったから、まだましだったろう。
淀は、千の異父姉の完子の養母もやってたし。
- 701 :
- 血縁なんて頼れない時代
- 702 :
- 宇喜多忠家「おっ、そうだな」
- 703 :
- 武田信玄なんかもそうだけどヤバいと思った奴に娘を嫁がせてたら存亡の危機の時は頼りにできないな
貰い貰われの違いはあれど江や千姫の婚姻もそうだし
- 704 :
- 婚姻外交はある種の保険だからな
大抵の場合は機能するけど免責事項も有りますよって感じ
- 705 :
- 信長は妻の兄や妹の夫と戦っている
- 706 :
- だから全て婚姻だけで安泰なわけはない、って前の人も書いてるじゃんね
- 707 :
- そもそも婚姻で鉄の結束を誇った大名家同士の同盟ってぱっと思い浮かばないのだが
織徳同盟は信康切腹で離縁してるし
- 708 :
- 信長と道三は鉄の結束じゃないの
生き残った末子利治は信長が引き取ったわけだし
- 709 :
- まあ場合によっては妻を実家にかえせば義理は立つのであんまり強力な提携にはならんわな
まあ通り一遍の取り組みと言う話
- 710 :
- >>708
斉藤という家との同盟なら代替わりで破綻したからなあ
家康だって信長が死んだら甲信で勝手やってたし当主個人同士の結束なんて次代で続く保証は無い
- 711 :
- >>699
もしかして不味い事書きました?
正直、知識が無いのでご教授お願いします。
個人的には、モスクワに有るアメリカ大使館みたいに、明らかなスパイが堂々と乗り込むのかと?
- 712 :
- 君の大好きな小説なら永井路子のを読んでみたらいいよ
- 713 :
- 話を戻して申し訳ないが、まず、籠城すべきだったのか出撃すべきだったのか?
それはどっち?冬の陣からのシナリオだよね?
- 714 :
- 籠城も出撃もしないで恭順すればいい
- 715 :
- >>713
千姫と子供作って、そいつに跡を継がせれば解決だろ。
- 716 :
- 大坂の役が始まったいることが前提で
豊臣方に勝利をもらたすことを考えるのがスレの主旨だから
スレチだね完全に
- 717 :
- 政治的に詰んでいる状況からスタートだと何らかのミラクルを期待しないと無理だろうね
家康の突然死とか
- 718 :
- 武田厨が早期本能寺を期待するより家康の死のほうが現実的ではある
- 719 :
- 初戦の冬の段階で家康と秀忠を討てれば息はつけるでしょ
徳川に代わって政権運営できるとも思えないから、しばらく国内は乱れるだろうけど
- 720 :
- どうやって討つの?
- 721 :
- 吹き矢でフスっと
- 722 :
- なるほど
まことがオレ様に嫉妬しているのは
図星だった
- 723 :
- 吹き矢で家康と秀忠を討ち取ったら
大坂の陣で勝利できるの?
個人のカリスマに依存していた秀吉なら理解できるが、260年続いた幕藩体制の盤石さを
もう冬の陣の時には築いていたとは考えられない?なら第2第3の家康秀忠が幕府のルールに従って指揮をとるだけではないか?
- 724 :
- >>723
この時点で家康が死ぬと色々と不味い事が有る気がするんだけど?
まず、家康は次男を無視して三男の秀忠後継にしてる。
しかもその理由が豊臣との縁が深いからって感じなので、豊臣が存続してる状況で家康がRば
越前家が寝返るかもよ?
後、伊達と縁組した息子も居るし。
家康の個人カリスマが消えるときつい気がする。
- 725 :
- 「吹き矢」で家康、秀忠を殺害したら忠実より素早く悲惨な滅亡だろう。
- 726 :
- さすがに秀忠までRば混乱する
- 727 :
- すごいな吹き矢
- 728 :
- 色々調べるに可能性はあるみたいだな
山名宗全、細川勝元が死んだら大名が帰国して応仁の乱が静まったことも根拠にしているしな
しかし応仁と江戸幕府では統制力が違うし
江戸幕府が諸藩を粛清しだしたのは、秀忠か家光になったころからを考えれば、家康は冬の陣までには誰が将軍やっても回して行けいるように教育を浸透させていたはず
- 729 :
- 問題は吹き矢で暗殺じゃ秀頼の武威には繋がらないということ
- 730 :
- >>723
考えられない
鎌倉も室町も初期は荒れてる 幕府作ってはい安泰ではない
- 731 :
- 結論は、
大坂の陣で豊臣が勝つには家康と秀忠を吹き矢で倒す
で決定かね
- 732 :
- ネタじゃないの?
>>725が忠実
- 733 :
- 吹き矢で殺されて豊臣の仕業と断定できるのか
誰が軍を率いて大名がそれに従うのか
忠実(笑)より素早い滅亡なんか無理w
- 734 :
- 大坂の陣の前あたりに豊臣系大名がバタバタ死んだのも幕府の暗殺かも知れない
暗殺されたなんて家にとって不名誉 騒ぎ立てても得も無い 結局は泣き寝入りしかない
表向きは急病死と処理するだろうね
- 735 :
- そりゃ吹き矢で殺されたとはいえんやろね
- 736 :
- >>734
加藤清正なんか、国元に帰ろうとして船上で死去だもんね。
領地の相続が認められないなら、熊本城に籠城して城を枕に討ち死にしろって遺言だし?
少なくとも、当人はやられたって思ってた証拠。
- 737 :
- 吹き矢で豊臣が勝利すると考える単細胞しかいないの?このスレは?
- 738 :
- 吹き矢はネタだろうけど、秀忠の遺骸を調査したら銃創痕があったんだよね。
戦傷なら名誉なことで、記録に残るだろうし色々と裏では暗殺未遂とかあったんだろうか。
- 739 :
- >>737
吹き矢はどうでもいいけど両御所死亡でも史実通りになるってのはノーテンキすぎるってだけ
- 740 :
- バカネタを振るやつと
相手するやつ
- 741 :
- 幕命が存在し続ける限り史実通りにならなくても結局豊臣は滅亡する。
幕府ってのは朝廷から支配を委任されている武士の組織、体制をいうんだ
小牧で家康が死んでいたら・・・の理屈とは全く違うんだぞ
実際に秀忠~家光あたりが、改易ラッシュ、参勤、武家諸制定のことを考えると
家康は関ケ原からの14年で誰が将軍やっても回していけるよう
支配体制を確立していたと考えるのが相当。
- 742 :
- あの時点で秀忠まで死んですんなり三代将軍に任命されるかね
豊臣家があるとないとでは大違いと思うけど
幕府内で政争が起こってもおかしくはないし
- 743 :
- 豊臣は絶対滅びるマンなのか幕府は絶対に安泰だマンなのか
- 744 :
- 豊臣に関してはやはり秀次の存命が最も大きいだろうな
徳川に与した豊臣恩顧大名をどれだけ据え置けたかに繋がるからな
- 745 :
- >>738
大坂の陣で受けたんだろうな。現実的に考えればあの時点での秀忠の首は家康より重い
秀忠討ち死にとなれば次の将軍を選ぶために幕府軍は撤退し兄弟の誰かから
選び直さなければならない
- 746 :
- 家康が健在なら撤退は無いね
- 747 :
- 大坂の陣の際は家康が西国大名や外様を指揮下に入れてたみたいだし
どっちかが死ぬのはそれなりに影響ある
- 748 :
- 夏の陣の最終決戦での話なら秀忠が死んでも家康指揮でそのまま城内に雪崩れ込んだだろうな
大坂の真田や毛利の軍が健在のうちに秀忠もろとも配下大名が敗走でもしたら負けもあり得るけど
- 749 :
- 秀忠の死と配下大名の総崩れに加えて家康の指揮不能状態
これを真田、毛利隊が健在な状態で達成するの?
これができたら神の親戚だな
- 750 :
- 冬の陣の和議は書面で決めたんだろ
埋めるのは総堀か外堀かで事後にぐだぐだなんてことがあり得るのか
- 751 :
- >>749
吹き矢ならできる
- 752 :
- >>751
なるほど盲点だな
吹き矢にしかできない
- 753 :
- まぁ吹き矢神に頼るしかない状況やでな
- 754 :
- >>750
絵図面ででも場所を細かく記してない以上は文章だけなら外堀(惣堀・惣構え)は総堀とも書くからな
幕府が勝手に余計な堀を埋めたって説は否定されつつあるけど
- 755 :
- >>750
書面はあくまで結果論
話し合いのなかで埋めます、誰が、の話になっただけ
西軍は認識あますぎ
- 756 :
- 豊臣がバカすぎたから後世の人が謀略でもないと理解できない事態になった
- 757 :
- >>753
矢吹神に空目した
- 758 :
- 関ヶ原の認識ははもはや「毛利輝元の乱」になりつつあるな
- 759 :
- 利家が見舞いの時に家康を懐刀で討ち取っておけば
西軍が勝てた
- 760 :
- ふーん
- 761 :
- 利家が家康討ってたら徳川前田で戦争だよな
それをとめられる豊臣家中は誰もいない
- 762 :
- >>761
それこそ家臣同士の争いだよな
それも初代より明らかに格落ちの二世同士の(利家はじきにくたばるだろう)
- 763 :
- 家臣団の出来の違いで
秀忠>利長
石高も3倍
- 764 :
- 関ヶ原の戦い相当のものがあるとしたら東軍vs西軍から北軍vs南軍になって戦場はそれでも関ヶ原だな
- 765 :
- 前田と上杉が連合(東軍)したら家康が西軍になるかも
さすがに関が原は無いだろうけど
- 766 :
- 北軍はともかく南軍はどこだよ
- 767 :
- そりゃロバートエドワードリー率いる連合国陸軍でしょ
- 768 :
- 横からわるいけど
こないだ加藤清正公の菩提寺である熊本県の本妙寺にいったんだけど。。。。。。。。。。。
大規模なお寺なんだけど。。。。。
先の震災のあと何も復興されてなくて、荒れ放題になってんの。
国も県も何もしてくれないとかで。。。。
熊本県はお寺に石灯篭を献上するのが風習みたいなんだけど
その何百という灯篭が倒壊したまんま、清正公の墓を守してきた一族の大きな墓所も壊れたまんま。
清正公があまりにもお気の毒。熊本は熊本城をシンボルにして観光やってるのにさ
菩提寺の惨状には知らぬ存ぜぬ。おかしいんじゃないの?
- 769 :
- >>768
熊本の歴史を調べてみ?
自ずとその「理由」が分かってくるから
理由がわかっても書き込まなくていいぞ
- 770 :
- なぜか上から目線
- 771 :
- >>769
マルチに触れるな
- 772 :
- >>770
いや1から説明してもええけど事情が事情だけに書きたくないんだわ
NGワードに触れそうだし
だから自分で調べて納得しろとしか
- 773 :
- 今川氏真ルートしか名前残す方法ないだろ
- 774 :
- わたしがいれば勝てた( ´・ω・`)
- 775 :
- ∧_∧
( ^∀^ ) ゲラゲラ
( つ ⊂ )
) ) )
(__)_)
- 776 :
- 天変地異が起きて関東壊滅、家康始め徳川一族・幕閣の要人全滅
- 777 :
- >>776
しかないわな。
あるいは、家康と秀忠が相次いで急死してくれたら。
- 778 :
- 慶長年間に家康と秀忠が急死すれば或いは一発逆転の可能性もなきしもあらずだな
家光と忠長は幼児だし、秀忠の兄弟ともども上手く相続争いをさせれば衰退させられる
- 779 :
- 問題はその一緒に死ぬことのリスクを徳川は理解してて割とバラバラで動いてるのに、どうやって二人いっぺんにやるのかという点
なんだったら徳川官僚団も一緒にやらないと効果薄いまでありそう
- 780 :
- >>779
そう考えると本能寺の変はジャストタイミングだったんだな
切れ者光秀が一世一代の大勝負掛けたくもなる
- 781 :
- というか徳川家は本能寺の変の経験を元に、二人が可能な限り固まらない
手元にそれなりの兵を置くことを行っている
- 782 :
- あれ本能寺で織田家官僚と次期官僚たちも消し飛んでるんかな
鴨がネギと鍋背負ってるような状態だったらそりゃ明智も突発的に謀反もするよね
徳川がそのレベルの不注意をしてくれるかどうか、これが問題よね
- 783 :
- Rのは無理ですわ
あくまで事故や病気で死ぬような奇跡が起きればという話であって
- 784 :
- >>782
前例見てるのに同じ過ち犯すのは不注意どころじゃないわな
そして明智の末路もみんな知ってるので同じ過ち犯す人もいないだろうしな
- 785 :
- 怨恨説や精神異常説なら過ちとか関係無しでやるだろうけどな
幕府は外様をいじめてたし
- 786 :
- Rのも無理となるとほんとそれこそ呪詛しかないよね
徳川家に流星群降り注げとかそのレベル
- 787 :
- 徳川いなくなっても内輪もめしてダメになる西軍
- 788 :
- 家康、秀忠が急死する。
これ以外は無理だな。
- 789 :
- 淀君の急死は?
- 790 :
- 実際急死する理由もないしな
- 791 :
- >>790
家康は高齢だから可能性はある。
- 792 :
- 家康は実際夏の陣のあとにすぐ死んでいるしな
家康はかなり食い意地が張っていたからジャンクな物を食わせまくれば寿命を縮められたはず
問題は秀忠だな
- 793 :
- >>792
刺客を送るしかないだろうな。
- 794 :
- 秀忠は銃弾うけてもピンピンしてる強靭やぞ
- 795 :
- シエが秀忠を殺せば・・・
- 796 :
- 秀忠は家康ほど戦上手でも逃げ上手でもないから戦場に誘い出せば何とかなりそうな感じはある
- 797 :
- >>796
豊臣が存続してる状態で家康が死んだら秀忠の指揮で諸大名が従うかねえ
ただでさえでも大軍を一人で指揮するのはしんどい
夏の陣は御所・大御所の二頭体制だからうまくいった面もある 大坂方も狙う頭が二手に分散するし
- 798 :
- ぶっちゃけ秀忠が徳川体制を盤石にしたから家光が若くして将軍足り得た
秀忠は家康ほどの大器ではないがそんな盆暗でもない
- 799 :
- 似た例を挙げると秀次の指揮で小田原征伐が可能かって話
彼だって長久手でやらかした以外は無難にやってた やらかしも池田の責任大だし
大坂の陣の幕府のほうが圧倒的とはいえたいていの大名にとって豊臣は旧主だしね
- 800 :
- 逆に家康死んだからって幕府相手に喧嘩売る大名って誰?
- 801 :
- >>800
島津と伊達、毛利かな、あの当時だと。
- 802 :
- その見通しは甘いと思うぞ
豊臣家のために挙兵するリスクなんて負わないし三家連携なんてそうそう成立しないししたらしたで関ヶ原より条件悪い
- 803 :
- 家康が警戒していたのは徳川家親類が外様大名に担ぎ上げられることであり、具体的には松平忠輝、松平忠直、松平国千代である。
- 804 :
- >>801
島津も毛利もビビリでやらんだろ
伊達は嘘つきながらやる
- 805 :
- 将軍家縁戚も本当そこまでやる根性あるか、一蓮托生で叛旗を翻す外様大名いるかは別だよな
秀忠、家光に致命的な失策があった時にあわよくばくらいのノリでしょう
実際浮ついてた連中は最終的にはそれさえ許されず排除されてるが家康死後だし
- 806 :
- 家康と秀忠が死んで、家光になったら逆転の可能性はかなりあると思うんだが。
家光は11歳で病弱、経験も無いし、後ろ盾にできる強力な家臣と言っても本多正信くらいで、正信はすぐに死ぬ。
徳川四天王も既にいないし幕府に名将なんて当時はいない。家康、秀忠が急死したら、あるいはなんだけどなあ。
- 807 :
- 徳川と正面から戦うのでは家康や秀忠が死んでもあまり意味がないよ
二人が居なくなる事の最大の利点は後継争いの火種を作れる事にある
家光と忠長は勿論
忠輝、義直、頼宣、頼房らも己が後継となってもおかしくはないと言う自負があったろうし
忠直も同様で皆多かれ少なかれ将軍秀忠に対して不満を持っていたから
朝廷や縁戚の大名を使ってそれぞれを煽って分裂させ争わせれば漁夫の利を得られる
- 808 :
- 1.家康・秀忠の死が豊臣家に全く関係ない自然的なものであること
2.豊臣家に家康・秀忠死後の混乱をうまく操れるだけの人物が現れること
1は偶然と幸運でそうなったとしても2が厳しい
豊臣家の為にそれが出来て、なおかつしてくれそうな人物が見当たらない
- 809 :
- 確かに状況が整っても人材の面が難しいか
蜂須賀正勝や堀秀政レベルの家臣が残っていればな
- 810 :
- そんな有望な人材が先行き乏しい豊臣家に尽くす理由が無いだろ
子飼いだった将すらろくに味方しないのに
関が原で徳川が豊臣家の褒章を自由に出来るようになった時点で決したの
それ以降はあくまで確認作業
- 811 :
- それもまとめ役がいなかった事が大きい
誰かしら統率できる人物がいれば子飼いも分裂したり離反する事もなかった
もっとも、そうなると関ヶ原も大坂の陣も起きなかっただろうからスレの主旨から外れるけど
- 812 :
- 堀はまだしも(それでも厳しいと思うけど)蜂須賀正勝に全体の政局を操る期待なんて持てる?
- 813 :
- もしかしていまだに盗賊の親玉とでも思ってるのかな
- 814 :
- 正勝は秀吉の家臣の中で筆頭と言って良いくらいの存在
古参で参謀役で実績は多大で信頼も絶大
一族以外でまとめ役を選ぶならこれほどの適任はいないかと
まあ、年齢も秀吉より一回り上だからどだい無理な話ではあるけどw
- 815 :
- >>789
冬の陣の有名な命中弾が、侍女じゃ無くて淀殿に命中だと如何だろうか?
自動的に秀頼が総指揮取る訳だけど?
この方が、有能な武将に指揮権行きそうなんだけど?
- 816 :
- >>809
蜂須賀生きていたら90超えてるぞ。
まあ龍造寺家兼、北条玄庵の例があるけど。
そもそも蜂須賀が生きていたら秀吉があそこまで暴走したかが疑問だわ。
- 817 :
- 淀死亡は秀頼覚醒につながるかな
むしろビビるのは秀頼のイメージ
- 818 :
- >>815
少なくとも真田・毛利・後藤にはいかんぞ、指揮権は
そいつら信用的に微妙だから
ま、大野になるんじゃね?
- 819 :
- 淀君にどのくらい影響力があったかだわな
史実と変わらないか少しよくなるか
- 820 :
- 砲撃で淀が亡くなっていたら降りそうな気もする
- 821 :
- >>818
無難に大野だろうが淀に逆らえない大野と淀から解放された大野で違いが出るかだな
- 822 :
- 強力な後ろ盾を失ったが他に適任者がいないから引き続きやる大野。パッとする気がしない
- 823 :
- 怒れる大野が消える蝋燭の輝きを発揮すればワンチャン?まぁマンガじゃねーしな
- 824 :
- 実際のところ淀と取り巻きがどこまでアホで発言力を持ってたかだなあ
大野や秀頼も同程度の認識だったのなら何も変わらないだろうし
- 825 :
- >>817
マザコンが、母親爆殺されて敵に降るかねえ?
寧ろ、怒りで覚醒しそうな気がするんだが?
まあ、もうこの辺はラノベと言われそうだけど、面白い気がする。
オーストリアのマリアテレジアなんか、最初は只の腹ぼて女「当時妊娠中」とか外国大使が
言ってたんだよね。
それがプロイセン王フリードリヒ「人前でも盗賊って言ってたそう」に対する怒りで覚醒した
からねえ。
女性は感情的って良く言われるけど、この人はプロイセン王は許せないで20年以上も死闘を
繰り広げた人だし。
気が付くと、何時の間にか女ヤクザの親分が産まれた訳で。
秀頼だって、母親戦死なら憎悪で覚醒するかも?
- 826 :
- >>825
マザコンというか、単なる甘えん坊だろ
強いやつに勝てないビビリ坊主が秀頼
それでいて現状認識もできず文句だけは一人前にいう
- 827 :
- 蔵にまで逃げ込まないといけないほど追い込まれた段階で
大野が腹切るから自分と母親は助命してって言ってる人間は多分まともに判断出来てないと思う
せめて最後くらい親父が激賞した清水宗治くらいに俺が腹切るから城兵と城民の命助けてくらいの事言えばいいのに
天下人云々どころか城主としての器すら怪しいぞこんなの
- 828 :
- 何処まで本当かによるだろうな
徳川家としたら謀反を起こした訳だから
元主君が有能であっては不味い
あくまで器が小さいとしないと
こういうと徳川は豊臣に仕えてないとかいうキチガイが湧くけどww
- 829 :
- >>828
逆。秀頼が徳川体制に「謀反」したの。「主上御謀反」ってご存知?知らんだろうなあ
- 830 :
- 家康好きって何故そんなに家康が綺麗な家康と思ってるの?
徳川が秀吉に下った時から臣下だよ、後から色々屁理屈付けてるだけだろ
戦国武将なんだから、そんな綺麗事だけでは上手くいかんよ
- 831 :
- >>830
むしろお前何でそこまで史実を捻じ曲げて徳川を悪くしたいの>親でも殺されたの?
あと二条城会見で世間的には完璧に秀頼は家康に臣従してるぞ。そんな事もわからないの?
- 832 :
- 関ケ原後に豊臣と徳川の上下関係は逆転してるよ
それは年度礼なんかでも豊臣自体が認識していることだと思うけど
そこを無視して話すからややこしいことになる
- 833 :
- >>830
征夷大将軍になった理由がわからないのか?
- 834 :
- >>827
そうだよなあ
千あたりに助命嘆願やらせるのも見苦しい
とりあえず千は徳川家にかえし嫁実家への義理を果たして後は武家らしいいさぎよさを出すくらいでちょうどいい
それぐらいの大家なんだから。
- 835 :
- >>830
まあ確かに徳川は豊臣の風下についたわな
徳川も戦乱がおちつくならと大人の判断をしたわけで。
豊臣としちゃその後徳川の機嫌を損ねないように必死だったのが笑うところかな
- 836 :
- 謀反は禁句か。家康好きが荒れてるww
当時の人達が主上御謀反だとか理由として語るならまだしも
徳川も豊臣も関係ない後世の時代の人達がそれを言ってたら駄目だろ
当時の人達がどういう理由を付けて、豊臣から徳川へと世を変革していったかを学ぶべき所で
主上御謀反だから大丈夫キリッではたんなるバカ
あくまで当時の理由付けなんだから
まぁ、いずれにしろ、徳川家としては政治を行う上で
豊臣のがましじゃねってのだけは避けたかった
それ故、秀頼を悪く言う可能性は十分過ぎる位にある
どこまで本当かは分かりにくい
当然、本当かもしれんよ
- 837 :
- 自分に酔って熱弁してるが
他人が読んでわかるように書こうとは思わないものなのか
- 838 :
- >>836
もちろん悪く言ってる可能性は十分に考慮しないといけない
けれど、史学上十分信用できるとされる史料なんかでも正直秀頼はあまり出来た行為をしてたとはいいがたいんですよね
史学のともがらとして言うなら、いやいやそれは全部徳川がでっち上げたことなんですという信用に足る史料がないと、そりゃ違うって言われてしまう
もちろん解釈が違うって言うのはあると思うけどね
- 839 :
- >>836
おまえ大阪の陣が起こった経緯いちゃんと把握してる?
- 840 :
- >>839
所謂、1ビット脳の話?
オンかオフか
発表すれば、それしかやりませんってやつ
武家諸法度を構想1ヶ月で作りましたキリッ
大笑い
家康にも失礼だよww
そんなちゃちなもんじゃないし
- 841 :
- 個人的には徳川は凄いなと思ってるよ
その方が自分達にとって都合が良いという事はあるのだろうけど
戦後時代や江戸時代初期までの武士道と、それ以後の武士道の概念を変えた
一般的に武士道言われて思うのは、正々堂々
でも、これは徳川の世で変えたものであって
戦国時代とかの武士道とは違う
- 842 :
- >>841
いやだから徳川が凄いとかどうとかじゃなくて
信用のおける史料をもって語れって言ってるんだけど
- 843 :
- >>842
スマン
何か徳川に親を殺されたのかって言う人が居たから
別に徳川に親殺されてないし、思想の変革という凄い事をしたなと思ってるよと言いたかった
スレ違いだし、そんなに深くやろうとは思ってない
- 844 :
- 家康(あるいは秀吉)が簒奪者なら分かるが、謀叛人と言われるとしっくりこないな
簒奪者にはある程度合法的な手続きを踏んで上位者にとって変わる、謀叛人には上位者に直接軍事力を行使するイメージがある
- 845 :
- >>836
謀反に反応してるひとなんていない
単に家康はそれなりにやることやった偉人だし、豊臣は秀吉で終わったようなもの、その事実があるだけ
- 846 :
- あの場面は北条氏直みたいに自分が全ての責任を取りますから他の者の命は助けてくださいと言うべき場面だからなあ
そういってこそ相手も助けてやろうかという気が起こるってなもんだけど
秀頼は自分に何が求められていてどう振舞うべきかという芝居の筋がわかってないという印象はあるね
生育環境が特殊なせいだろうけど
- 847 :
- 秀頼が考えてたとは思わんけど
小田原城に居る人達と、大阪城に居る人達は意識が違うんじゃないだろうか?
大阪城に居る人達は、文学的に言えば、居場所がなく、死に場所を求めて大阪城に入ってね
そんな人達がはいそうですねと引き下がるだろうか?
- 848 :
- あの時点で秀頼が気を使わなきゃいけない相手はその人たちじゃないからなあ
- 849 :
- 天下人に対する謀反が最高にうまくいった結果が簒奪で、必然簒奪者は合法的な手続きに沿って天下人になったという歴史が生まれる
- 850 :
- 秀頼が大人しく降っていれば、豊臣も宋代の後周柴氏のように厚遇されたろうに
- 851 :
- 冬の陣で、淀殿はもう心が折れてしまったが、秀頼が牢人衆の昔語りで(太閤様は戦では...)で強硬派になってしまった説は本当だろうか。
- 852 :
- >>850
実際豊臣家は奉行すら足りてなくて自領の年貢の徴集すら徳川によって京都所司代から派遣された代官で回してますからね
普通の御家なら奉行足りなくて自分の領土から年貢徴集できませんなんて言ったら即改易だし、よほどの厚遇措置だと思う
甘やかされすぎて超えちゃいけないラインわからなくなってたんじゃないかな
- 853 :
- >>847
あの場面では真田幸村達の意見を受け入れて浪人達は討って出させるべきだったな
無茶苦茶な強行軍で軍の体を成していない秀忠なら仕留められた可能性が高い
- 854 :
- 秀吉が死んだとき、まだ物心付いてなかった頃だよね?
武将としての教育をする人がいなかったのが問題
秀吉と秀頼の間に秀次がいたらちゃんと育ってかもしれない
- 855 :
- >>847
大阪城に籠ってる牢人達の意識って「飢え死にはしたくない、せめて武士らしい死に場所を」って
のが実状だろうからね。
あそこで秀頼が助命嘆願なんかしても喜ばんと思う。
理不尽な取り潰しや改易で主家を潰された牢人達の憎悪が漂ってるのが大阪城。
せめて、「徳川に一泡吹かせたい」せめて、「討ち死には覚悟するから徳川本陣に突撃を」とか
「もし家康に一太刀出来るなら悔い無い」とかそんな連中。
死に場所を求めてるって意識濃厚だしね。
家臣の事考えるなら、半分討ち死にしても良いから徳川本陣に突っこむべきだよねえ。
皆、武士らしい最後を求めてるんだし。
- 856 :
- 武士らしく華々しい散り方とはいうが、単なる食い詰め者が一発逆転のばくちにでた程度の心構えだと思うよ
- 857 :
- 豊臣家が滅びようがどうでもいいってやつしかいないんならそら負けますわ
- 858 :
- >>854
下手に摂関家になっちゃったから公家教育か武家教育かで方針が定まらなかったとかあるのかな?
- 859 :
- >>858
いやあ、明確に武家の棟梁としての教育受けてるんだけど。一条兼良が将軍足利義尚のために著した「樵談治要」の講義とか受けてる>秀頼
- 860 :
- >>859
そうなんだ…
武家教育ちゃんと受けてたのに最期あんな残念な感じになっちゃったんか…
- 861 :
- >>856
>>857
状況としては、徳川が可成り理不尽な改易や減封をやり、更に徳川を刺激したく無い大名が
牢人の新規召し抱えなど保々やらないって状況だし。
秦王朝を滅ぼした、陳勝呉広とかの立場に近く無いかね?大阪城を退去しても徳川の政策から
して新規召し抱えなんて期待出来ず、緩慢な飢え死にのみ。
結局、大阪の陣其の物が徳川の政策で追い詰められて窮鼠に成った牢人の存在有っての物
だと思う。
確かに勝ち目は薄いかもしれんが、家康の政策で餓死寸前に追い詰められてる牢人としては
武士らしい最後に賭けるしかないもんな。
この辺は、家康自体が窮鼠の怖さを忘れてたのでは?
可成り強引な大名取り潰しをやって、しかも籠城抗戦した奴が居ないから徳川に怨恨持つ牢人を
大量発生させちゃった。
- 862 :
- 理不尽な改易や減封なんてあったかしら?
- 863 :
- 減封はあったね、なので牢人がでた
ただ集まった牢人衆に奇麗事はなかったと思うよ
元の雇用主に反発して出奔した後藤又兵衛みたいな困ったちゃんみたいなのが目立つくらいなんだから
真田次男も同様。
一発逆転したいだけの荒くれなだけで、武家の死に様とか考えてたとはおもえない
- 864 :
- 最大の浪人発生源は関ヶ原
- 865 :
- 後の世には幕府として浪人の積極雇用を全国の大名に言うし
まぁ失敗だったんだろ
このままで浪人による政情不安に成りかねないと
理不尽でない改易厳封だから、そこの藩士に仕方ないだろと説明すんのか?
それで、そーだねと納得する人ってどれくらい居るんだろ?
- 866 :
- >>865
改易や減封で牢人が出たことは確かだし、その浪人衆が大坂城に集まったことは確かだけど
それを理不尽、って言ってしまうのは公平なものの見方ができてないでしょ
- 867 :
- はっ?
浪人達がどういう感情を抱こうが自由じゃん
理不尽とか公平とか意味分からん
後世の人達が理不尽じゃないといえば
浪人達の感情は理不尽じゃなくなるとか?
何で公平とか出てくる要素があんの?
- 868 :
- というか浪人の心境はどうでも良い
浪人の死に場所探しの為に暴れられちゃ豊臣家にとって迷惑なだけだし
秀頼も死ぬ気がないならそれに付き合っちゃ駄目だろうという話
- 869 :
- >>868
まあ私も浪人の心境はあまり興味はないけど
関ヶ原の戦いという戦闘行為の結果による改易減封なら
戦国時代だったら普通なんでそれで浪人となったからって理不尽だと悲憤にかられてたんだろうか?
再就職が出来たのと出来なかったので違いは出てきただろうけど
- 870 :
- 浪人衆の多くは単に再就職先として大阪入ってるだろうけど
新参者の常として身を切るような働きが必要でもある
改易厳封というか過剰な戦闘員のリストラは乱世から安定政権への移行に必要不可欠でしょ
江戸幕府は仕事ない旗本御家人抱えたり、1つの職務を月番にしたりむしろその辺甘い印象ある
- 871 :
- >>869
あ、間違えて868にレスアンカーつけてしまいましたm(_ _)m
- 872 :
- 戦国時代は戦乱の世だから当然のように再就職先はあるでしょ
仮に仕えてる主家が滅びても、滅ぼした所に敵対してる所とか
あと、浪人問題は対策は打ってるけど、江戸幕府を通しての問題でもあったよ
抜本的な解決はしなかった
まぁ、体制的に無理だろうな
それに、どういう人達が大阪城に集まったかって話だし
徳川幕府をちょっとでも批判するとすぐに反論が出るところが面白いww
徳川幕府を批判するのがそんなに不満なの?
名前が徳川だからとか?
- 873 :
- 華々しい活躍をして合戦で死ななきゃこれまでのように新たな仕官先がまた見つかるだろうってのもたくさん居ただろうな
- 874 :
- >>872
批判の仕方が頓珍漢だからでしょ
改易や減封が理不尽なんて書き方すればそりゃ理不尽なんてなかったんだから批判されて当然でしょ
牢人たちにとって、とか前置き置くくらいのことしようよ
- 875 :
- どう見ても浪人の流れだと思うけど
そもそもここ大阪陣のスレでもあるし
徳川がちょっとでも悪く言われた気がして過剰反応してるだけだろ
何でそんなに徳川好きなの?
家康の掛け軸とか飾ってたりすんの?
- 876 :
- >>875
理不尽な取り潰しや改易で主家を潰された牢人達の憎悪が漂ってるのが大阪城
この記述で牢人たちの主観であると認識するの難しいでしょ
一般論で語ってるとも十分に受け取れるよね
その手の過剰反だなんだで批判する前に誤解させる記述だった可能性考えようよ
- 877 :
- >>876
えっ?
浪人達の憎悪が漂ってんだから
浪人達の感情だろ
きみ少し落ち着きなよ
家康好きはアレだと思われるから
- 878 :
- >>877
理不尽な取り潰しや改易で主家を潰された、の部分は浪人の感情とは認識しにくいでしょって言ってるんだけど、これでもわかんない?
受け取りにくい記述で誤解生ませた挙句他人批判しておいて落ち着きなよはないわー
少しは反省しなよ、他人を家康好きはアレだなんだとかレッテル張りする前に
- 879 :
- >>878
それ書いたのオレじゃないし
いい加減落ち着きなよ
キミの大好きな家康も、嘆いてるよ
落ち着けと
- 880 :
- >>879
落ち着け落ち着け連呼する前にさ
他人を煽り倒してた事に対して反省すらないの?
それとも本気で自分が他人を煽ってないと思い込んでるの?
どちらにしても君いま人として最低な行為をしてるよ?
- 881 :
- 家康好きがあれとかレッテル貼りはあまりに酷いね
別に誰が好きでもええやろ
俺は家康嫌いやけどね
- 882 :
- >>878
多分さあ、この時代の人って本当の意味で平和な時代を経験して無いって思うんだよね。
水軍には本業が有るから、平和に成れば本来の業務の商戦隊や商船隊の護衛に戻るだけ。
しかし、陸軍の軍縮はそうでは無い、容易に政情不安に繋がる。
軍隊で鍛え抜かれたホームレスが何を考えるのか?
家康も、その辺の事を良く考えて無かった気がするんですよ?
そういう行き場を失った牢人の憤り、恨み、怨念が無ければ大阪城に大量の牢人が入城する
事も無かったでしょうし。
- 883 :
- >>882
そういう人は一部の年寄りだけだよ。
城攻めのための仕寄りの作り方もわからなくなってたんだから。
- 884 :
- >>882
相当数が海外へ流れて迷惑をかけたので諸外国から文句が来て、
家康は現地で勝手に処分して良いと返答している
- 885 :
- 考えると、戦国時代前半までは兵農未分離だから普通に牢人したら帰農してたんだよね。
だけど、織田豊臣が専業兵士にしたから牢人問題が出て来た訳で。
古代ローマなんかでも、兵役が職業に変わって以降は退役後の土地問題が出て来た。
カエサルなんかでも、元部下を軍団ごと入植させて作った都市とか有るし。
職業兵士を無保証で放り出したら治安上の問題に成るしね。
多分、大阪の陣の時は勝算の少ない大阪城に入城した牢人の心情なんて理解してない
気がしますね。
理解してれば、末期養子の禁なんてやらないでしょう。
- 886 :
- 浪人って要は失業者だよ
特殊に考え過ぎ
全国各地で軍拡してたのをやめるんだから当然失業者は出る
お上からしたらその心情とかどうでもいいし世情を騒がすなら取り締まるだけ
何が起こるのか?大して何も起きてないよ
大阪に篭ったりあちこちで騒ぎ起こしたってもそんなんこれまではもっと大規模で制御不能に起きてたことじゃん
- 887 :
- 江戸幕府は初期こそ諸侯統制のために改易や減封を繰り返して牢人を増やしたかも知れんが
大坂の陣以降牢人が起こした島原の乱や慶安の変承応の変などの騒動もうまく鎮圧して
その後は末期養子の禁も緩和して各藩に牢人の採用を奨励するなど体制固めと
文治政治への転換に成功している
これ、後の明治政府が士族の反乱を各個撃破してその都度体制を強化していったのと
みごとに共通しているんだよな
明治政府こそ武士からしたら理不尽なことしたわけだから
要は体制の変革期で必ず発生する反作用(大坂の陣もそう)にどう対処するかなんで、
そこで政権の力量が問われるんだが江戸幕府も明治政府もかなりうまくやった
むしろ武士を一切否定した明治政府より同じ武家体制下でできるだけの配慮をした
江戸幕府のほうがよほど心情に寄り添ってると思えるけどね
- 888 :
- >>882
上杉や毛利みたいに西軍大名を大減封で留めておけば大量の浪人は出なかったかもな
ガチで反徳川なのは石田や宇喜多ら少数だろうし
- 889 :
- >>888
それはそれで「ここまでやってもこの程度で済むのなら…」みたいになって
モラルハザードが進み、中央政権の統制がきかなくなるって問題が発生するがな
というか、それって戦国時代の復活じゃないの?
中央政権である室町幕府の秩序が完全崩壊して、幕府が有力大名によって
都合よく利用されるだけの存在になっちゃった時代と変わらん事になりそう
- 890 :
- 長年の内戦状態の結果、武士階級かなりいるからなぁ
江戸時代に入ってすら多すぎるといってもいい状態だし
この辺はもう帰農なりなんなりで減らさないと、今度はこの層食わせる生産階級がつぶれるだろうし
- 891 :
- 家康は政権取ると猛烈な勢いで新田作って猛烈な勢いで帰農させてて実際帰農した連中もかなりいるんだけどそれでも足りなかった。
- 892 :
- 太平の世に移行するってことは大量の戦闘員が解雇されるってことだ
そこは天下人が誰だろうと絶対に起きる
というかそれができなければ大量の戦闘員とその活躍の場が残ってるってことだ
- 893 :
- 秀吉「仕官もせず農業も手に職もない浪人は村から追い出して野垂れ死にさせろ」
代官と大名と農村が土地用意した上に食住を負担し新田は数年間無税、場合によれば永年減税と
至れり尽くせりで帰農の道を確保した江戸時代各々の温情には涙が出てくるな
- 894 :
- そもそも第一に新領地得たものも増員しないと両地経営が回らないので仕官を一定数は募る
特に有能なものは取り合いで大名重臣や幕臣になったものも多数
平和になった分の軍縮であぶれるものは当然出てくるが次は帰農の道が待っている
戦国末期から江戸前期にかけては農村は新田開発真っ盛りの高度成長期でどこもかしこも深刻な人手不足で
代官と大名と農村が土地用意した上に食住を負担し新田は数年間無税、場合によれば永年減税と至れり尽くせりで人材確保の必死
人返し条約結んでる大名同士間でも逃散してきた農民を親戚頼ってきた正規の移民だからとかなんとか理屈付けて返さないくらい
軍縮してもなお軍人及び支配階級の割合の多さは江戸時代通じて問題だったくらいで侍自体もういらない
仕官できる能力も伝手もなく好待遇での帰農もいやだなんてのは、なんか起こしたらぶっ叩く以外政府にはどうしようもない
- 895 :
- 家康が浪人雇用を一定数義務付けたって話も聞いたけどどうなんだろう
- 896 :
- >>887
大坂の陣の教訓の理解出来ずに、慶安事件で初めて破綻を悟ったって感じに見える。
家康って、数にすれば数百程度しか居ない三河譜代しか信じて無いんで、それ以外の大名は全て
取り潰したいって考えに見えます。
結局、末期養子の禁の緩和が政策的な敗北だと思うんよ。
なんせ、外様の上杉家を取り潰す機会を幕府が自分て潰したんだからね。
- 897 :
- 豊臣家を潰すというより、帰農もせず、今後の治安不安に繋がりかねない浪人を一気に抹Rるねらいですか
- 898 :
- >>896
上杉に限れば保科正之の尽力だろう
- 899 :
- >>896
上杉に限れば潰して得られる30万石に対して発生する浪人が100万石規模なのも割に合わんのかも
- 900 :
- あの時点で上杉氏を潰すことに政策的な意味がすでに薄かったでしょ
逆に上杉氏を改易しなかったことによる幕府の損害ってなによ?
末期養子の禁止は政権初期には特権階級の数を減らし幕府服従させるのに役立った
でも世の中が治ってそれ以上締め上げる必要なくなったら無用になったら緩和されたってだけでは?
- 901 :
- 酒井忠清の考えは次のようになる。
無嗣を理由に、上杉家を取り潰すのは、「余りに勿体無い」ことであり、罰して取り潰すのは簡単だが、罰せず徳川家のために働かせるのが幕府の利益に繋がる、と。
- 902 :
- 江戸時代という長い時代の政策を、全部一貫してるとみるのは無理あるよね
時間がたてば状況が変わるんだからそりゃ今まで出してたお触れを緩和したりもするよね
幕府成立からその緩和までで50年近くは経ってるんじゃね?
- 903 :
- 何が破綻してて何が敗北かさっぱりだ
- 904 :
- まったくだ。江戸城開城の後まで徳川家に尽くした上杉家を潰した方が良かったとか、先が見えない盆暗だわ
- 905 :
- そもそも250年以上続いた体制の終焉を初期の政策から導き出そうとすること自体がどうなのよって話
- 906 :
- 自民党は江戸幕府を超えられるのか
- 907 :
- まだ半世紀くらいだから道のりは長い
- 908 :
- 何度か政権交代してるだろ
3回ほど
どれも短期で終了だったけど
今の自民は第4期自民か
かれこれ6年ほど。まだ短い
- 909 :
- 政権交代いうても結局自民系だしな
派閥争いの延長でしかない
- 910 :
- 当時の豊臣家の勢力で摂津、河内、和泉の3カ国と言われてるけど実際どこまで豊臣家の直轄地だったの?
名目上豊臣領でも幕府が押さてて豊臣の実質的な支配地域は摂津の一部だと勝手に思ってたんだけど実際のところどうなんでしょうか
- 911 :
- 豊臣譜代の土地も込みやろ?
七手組とか
- 912 :
- 例えば岸和田城だと小出吉政が当時居たみたいだけど小出って豊臣方ではなかった気がする
というか大坂城の支城ってあったっけ
- 913 :
- >>912
片桐兄弟も城持ちだったけど大野治長とか他の重臣連中はどうだったんだろうね
- 914 :
- >>910
北条家なんかもずっと狭山にいたはずだからなあ
摂河泉の小藩連中は美濃の織田秀信のように豊臣を一応盟主と仰いでいたのかガン無視してたのか
- 915 :
- >>850
家康が許しても秀忠は確実に豊臣の息の根を止めると思うけどな
秀忠は皇室にすら超強気で挑発しまくりだから、家康のように甘くない
- 916 :
- >>915
秀忠ってその辺り家康以上に厳しくて絶対になぁなぁでは済まさないよね
福島正則の改易の話でも、もちろん悪いのは百パー正則なんだけど
本多正純が事なかれ的に処理しようとする中厳罰に処すって態度取り続けてるし
自分で自領の年貢徴集すら自前でままならないっていう状態の豊臣家が何もなしに済むかというと多分厳しい
- 917 :
- >>915
宋代の柴氏とは、大分条件が違うってのも事実では有るんだよ。
後周王朝の版図は黄河流域だけで、地方政権は盟主と仰いでただけですからね。
大体の目安として唐の最盛期で350州前後、そんで五代の王朝は黄河流域で70〜80州程度
ですから。
つまり、趙匡胤が下剋上して無ければ全国統一は無理で乱世が続いただろうって予想は誰でも
予想できます。
丁度、立場的には秀吉に近いんだよね、趙匡胤。だから柴氏が旧主でもまあ礼遇してれば批難を
受け難い立場ではあります。
豊臣家は全国政権だし、秀吉死後乱世に成った訳でも無いからどうしても徳川の立場が悪いのは
事実なんだよな。
- 918 :
- 病人登場
- 919 :
- 幸長、清正が生きてれば正則もやる気になっただろ
- 920 :
- >>919
幸長も清正も家康の親族なんだがね
- 921 :
- 義直と頼宣の妻の実家だな
- 922 :
- 豊臣だって親族だよ
- 923 :
- 秀頼とはほぼ他人
- 924 :
- >>914
いない
狭山の陣屋が出来たのは戦後
多分久宝寺屋敷(織田信雄元屋敷の払い下げ)が丸焼けになったんだと思う
- 925 :
- 豊臣恩顧と呼ばれる大名達が生きてても秀頼のために戦うより
秀頼に頭下げさせようとする奴の方が多いんじゃないかな
- 926 :
- 実際頭下げるところまでがっつりセッティングされたのが二条城の会見じゃね?
当の本人がわかってなかった可能性あるけども
- 927 :
- 子飼いみたいな小者じゃ無理だわ
秀長、蒲生、堀、蜂須賀くらい揃ってないと
- 928 :
- >>927
小六まで持ち出すのなら両兵衛が生きてれば最強w
- 929 :
- 小六は大河ドラマで大仁田が演じてから
バカのイメージが抜けなくてね
- 930 :
- 秀吉の軍師的存在なのに何故か昔から割と脳筋にされる事が多い気がする
- 931 :
- 最近だとリーゼントのイメージかな
- 932 :
- 小六も散々やな
- 933 :
- 秀康が生きてたら大阪の陣に参戦したかな?
秀頼のために何らかの和平交渉に奔走すると予想するが
- 934 :
- しないよ
- 935 :
- する訳がない
秀頼(豊臣家)がアホすぎて擁護できないもんなぁ
- 936 :
- 信長の野望のせいで秀頼が引きこもりの力士にしか見えない
- 937 :
- >>930
何か、木曽川の水運の利権で儲けてた海賊成らぬ川賊「こんな熟語無いけど」だったらしい。
まあ、武装した商人とか武装した運送業者って感じの立場らしいよ。
文字が書けないので、戦場で見たって書いた木札を当座の恩賞にしてたって逸話有る人。
>>933
秀康は、位置的に豊臣家牽制で越前国主なのでは?
大阪潰れると粛清される可能性有るし、馬鹿で無ければ必死に止めると思う。
- 938 :
- >>933
越前松平家は用無しになれば別の場所に転封になるのでは?
姫路池田家や、紀州浅野家みたいに。彼らも明らかに豊臣家の
牽制(半分嫌がらせ)目的で豊臣家の隣国に置かれたし。
- 939 :
- そもそも秀康が親豊臣というちゃんとした根拠あるんだろうか?
- 940 :2018/09/03
- 死んだ時期で誤解されてる枠の一人よね
もしも秀吉が明ではなく蝦夷地以北を攻めていたら
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