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続行運転の思い出
ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
- 1 :2019/10/17 〜 最終レス :2020/05/10
- すかさず九州新幹線と北陸新幹線完乗を目指す先生。
- 2 :
- 横川駅に着いて膝から崩れ落ちる先生
- 3 :
- 「留萌本線で久々に増毛でも目指しましょうかな。ん?」
- 4 :
- 「昔、末端の一駅だけ乗り残した富山港線に久々に始発から乗ってみるか」
「あれ、なんだか様子がおかしいぞ、富山駅にホームがない、乗り場は駅前だって?」
- 5 :
- 「日高本線もいいですな。久々に終点の様似まで乗車してみましょうかな」
- 6 :
- 北海道新幹線も当然乗るけど昔のほうが良かったと思うだろうな。
でも現実を素直に飄々と受け入れそう。
- 7 :
- 「おやおや、宮脇クンの単独スレッドがあって、僕のスレッドがないのは
由々しき事態であり、ぞっとしない」などと言い出す人がいるかも知れない。
- 8 :
- 「久々に釧路から根室に向かいましたが、シカの数がやたら多かったですな」
- 9 :
- もう一度最長片道切符の旅に出てしまう先生
- 10 :
- 寝台特急富士に久々に乗りに行く(( -_・)?)
- 11 :
- 東京-西鹿児島、または逆でもいいな
是非オロネ25に乗って、食堂車で飲んだ暮れる
- 12 :
- 宮脇先生の魂
「死体には旅客営業規則は適用されないらしい。すると私は、乗車しているといえるのであろうか。」
- 13 :
- 家内(まちさん)と娘の灯子を連れて行こう。
どこに行くかはパパが決めよう。
- 14 :
- 夫がぶらりと旅に出てしまった。
まちさんは、夫の帰りを待ちはしない。
- 15 :
- ここの家の主人は、よく旅に出る。
- 16 :
- でも、流石に元旦だけはまずかったと。
- 17 :
- とりあえず最長片道切符の旅を計画し、渋谷駅のみどりの窓口に並ぶ先生
- 18 :
- 背後で舌打ちの声が聞こえる
- 19 :
- 桃花台新交通の廃線跡探訪
- 20 :
- 種村先生に最長片道切符の旅について相談しに行った
ところ不在との由。
- 21 :
- 僕を生き帰らせないのは由々しき事態であり、ぞっとしない。
- 22 :
- 相棒はホログラムになっちまった種村直樹
- 23 :
- 孤高の人と、取り巻きを引き連れて旅行するのが好きな人とでは
本質的に水と油。あまり近付かないほうが良いかと。
- 24 :
- 似てないからこそ共存共栄できたって面はあると思うぞ。
- 25 :
- 目指す方向性が違う感じがしたからバッティングせずに良かったのでは。
- 26 :
- 酒井順子と訳あり旅行風なのお願い
- 27 :
- あの人、まだ独身なのかな?
- 28 :
- 昭和53年11月9日の最長片道切符の行程で、
上野から成田へ行くのに、「我孫子まで赤電、そこから成田へは113系」
にすべきであったと、後悔(反省)し続けている。
そうすれば、木下駅でのあのような不始末には至らなかったと…。
- 29 :
- 何と、東海道新幹線に品川駅ができたというのか。
しかも、私が世を去るのを待っていたかの如くに。
- 30 :
- >>26
矢野直美でも可
- 31 :
- 「東京―大阪間、JR・高速バスのない旅」に挑戦する。
今はもう「日着」は無理だろうし、
そもそも”田舎バス”の乗り継ぎだけで済むかどうかも不明だが。
- 32 :
- >>31
熊谷までは西武、秩父乗り継ぎして、軽井沢までバス乗り継ぎ(あるかな?)
軽井沢→長野→直江津→富山→金沢まで第三セクター乗り継ぎ。
金沢からは…高速バスしかないか。
あ、篠ノ井→長野はJRだ。
だめだ。
- 33 :
- 件の「旅」は雑誌社の編集者にそそのかされてのものだったために、
その”仕返し”に、今度こそ一番遅い飯田線全線直通列車に乗せようと企む。
しかし、今やそれに該当する列車は下地・船町を通過する知って愕然とする。
- 34 :
- 「そのうち、最長片道切符の距離が10000kmを割りそうではないか」
と慨嘆する。
- 35 :
- とりあえず稚内まで行く
- 36 :
- 種村直樹「私はホログラムだから無料で全線乗り放題だ」
- 37 :
- 「何処へ行っても”用があっても乗りたくない国電”ばかりになった」
と不満タラタラで、ついには引き籠りになったり…。
- 38 :
- 酒を飲まずにいられない。
- 39 :
- 「昭和52年5月23日の、”酒に飲まれたための失敗”
弘前から『むつ1号』に乗る予定
↓
それまで待つ苦痛に耐え難く、碇ヶ関迄先行する各停に乗車
↓
その中で寝過ごして、『むつ1号』に置いてかれた
↓
大館から乗る予定だった『よねしろ1号』に乗れず、タクシーで追跡」
を忘れようとして、また酒飲むのか。
- 40 :
- 42年も前の話であり、当然にして宮脇先生は忘却している。
- 41 :
- 福知山線の事故現場に足を運んでみる。
「21世紀になって、日本の鉄道で一度に100名を超える死者を出す事故が起ころうとは…」
と絶句。
- 42 :
- 継続乗車の規定を緩和させようとする。
「有効期限最終日に到達可能な最遠地点の手前で途中下車しても、
最終的にそれと同一の結果が得られれば、継続乗車が認められる」
様にすべきだと訴えるとか。
- 43 :
- 宮脇先生だから、という理由で少々のごり押しは通る。
- 44 :
- 少々の事では風邪を引かないよう、体を鍛える…。
- 45 :
- ベンチプレスで鍛える先生
- 46 :
- >>31
「東京〜大阪 国鉄のない旅」でも
新松田〜沼津〜静岡〜浜松と高速パスだし
「田舎バス」は浜松〜豊橋の3本のみ
当時すでに中央高速パスも開業しているから
飯田で京王バスと名鉄バスを乗り継げば
安直に「国鉄のない旅」が可能だったのだが
- 47 :
- まあ、その「旅」について雑誌に寄稿するっていう趣旨からすれば、
当時の国鉄に乗るに準じた手軽な行程じゃ意味がないって事もあっただろう。
それで思いついたが、生き返った宮脇氏が、今度は本当に歩いて東京から大阪へ行くとか。
- 48 :
- 東海道を歩く先生は絵になる
- 49 :
- 跡形もなくなった三江線という実態に接し、JR「酉」社長への殺意を抱いたり。
- 50 :
- それで、前とは違った意味での、「新・殺意の風景」なる書を著わしたりする。
- 51 :
- JR北日本とかJR日本海とか架空の鉄道会社を登場させる。
- 52 :
- 「リニアモーターカーが”走り出す”のは、自分(1926年生まれ)が101歳になった時か」
と呟いて、やはり乗れないと落胆する。
- 53 :
- 「はやぶさ、と言えばブルートレインですな。断じて新幹線の名称なんかじゃ
ない」意外に頑固な先生。
- 54 :
- 「やはり、東北本線には在来線最長路線であって貰わなければ困る。
新幹線ができたからと言っ、て並行在来線を切り捨てるような施策は感心できない」
とか何かの本に書いたりする。
- 55 :
- ごもっとも。18きっぷ旅行がやりにくくてしょうがない、と
種村クンも慨嘆している(?)
- 56 :
- 列車に乗った時には、OLの会話を盗み聞きする。
或いは、軽々しく女子高生に話し掛けて、警察に通報されそうになったり。
- 57 :
- 「ぼくに水割りちょうだい!」← 女だった
- 58 :
- 「どうも特急列車の客には変なのがいる」
って、あんたが一番そうだろ。
と突っ込まれて、返す言葉をなくす…。
- 59 :
- しかし正体不明で、傍から見ると全く普通の人にしか見えない先生である。
- 60 :
- タクシーに乗った時は、急いで目的地に行くよう運転手に要請するようになった。
- 61 :
- 近くで殺人事件が発生してしまい、「そう言えば怪しい乗客を乗せましたよ」などと
タクシーの運転手が先生の人相を警察に証言する。
(そんな作品、確かにあったような)
- 62 :
- 隣のヘアカール女「宮脇さんなら引っ越したわよぉ?」
- 63 :
- そう言えば殺意の風景ってのあったが、どんな中身だったのか覚えてる人いる?TV東京でドラマ化純然たるサスペンス
- 64 :
- タクシー云々の前に、
列車が終着駅に着いたら、余計な事考えずに降りるよう心掛ける。
- 65 :
- 改めて唐津に行って伊勢エビを食する。
- 66 :
- 唐津は海が見えていい場所だった。
- 67 :
- 一見、既に発車したかに思える列車にじつはのれる、
っていう事例を探そうとする。
しかし、今は表示が「着発」になった駅も増えたし、
停車時間の長い駅については
個別に到着時刻を表示したりもするので、
自分の「スキル」を軽侮されたようで腹立てる。
- 68 :
- その結果、近くにいた若者に絡む。
- 69 :
- 一見、既に発車したかに思える列車にじつはのれる、
↓
一見、既に発車したかに思える列車に実は乗れる、
で、変換し損ないがあった。
>>68
42年前、青函連絡船内で説教垂れた、当時の青年に復讐される…。
- 70 :
- 本人は説教垂れたことなどとっくに忘れている。
相手はそもそもジジイになっていて昔の面影などなかった。
- 71 :
- 昭和53年12月17日に、筑肥線の列車に乗ってたさる中年男から、
「ワシが何をどんな順番で食おうと勝手じゃ!」
っていう抗議の手紙が届いてたとか…。
それに(上っ面な)詫びの返事書いて投函しようとしたら、
相手の住所も名前もなかった。
- 72 :
- 最長片道切符の旅・・・・・・・・・・ ちゅうこっちゃ。
- 73 :
- 次は、ウラジオストックからシベリア鉄道に乗ろうとする。
- 74 :
- 先生ならやるだろうなぁ。
お供するのは、まちさんか。
- 75 :
- 「いいか、『ロシア号』同士は1日2回擦れ違うんだぞ」
とか余計な講釈垂れて煙たがれたり…。
- 76 :
- 今回も船でロシア上陸ですか先生。
- 77 :
- 東京から直通できない県が増加した事に慨嘆する。
「特に、九州の中で東京へ乗り換えなしで行かれるのは福岡県だけになった。
何たる不便さか。新幹線の拡張とは一体何であるのか」
とか言って。
- 78 :
- ブルートレイン断固復活を唱える。
- 79 :
- いったい東海道本線は
鶴見に駅があるのかないのか
- 80 :
- 京浜東北線は東海道本線一族の隠し子である。いや、東京から大宮は
東北本線の隠し子、と。
- 81 :
- 乗り換え不能の駅で乗り換えたと見なすルートになるが、
まあいいではないか。
尤も、そもそも現状の最長片道ルートは、
北千住ー日暮里(ー上野)ー尾久ー赤羽
と辿るのかが問題である。
- 82 :
- 「越美北線の起点は越前花堂でいいではないか」
と、JR西日本に進言する。
- 83 :
- JR〜東武の直通特急を目にして仰天する。
「これも、同病相憐れむという事なのか。
双方、単独では車に勝てぬと言っている
ようなものではないか」
なんて思って。
- 84 :
- 先生ならではのこだわりですな。
- 85 :
- 仁方、堀江がどこにある駅か、
地元民でないのに知ってる人間に出会って驚く。
- 86 :
- 最長片道切符の旅には欠かせないルート!
- 87 :
- 仁堀航路が距離を水増ししてる実態をバラしたのはまずかったかと後悔してる。
- 88 :
- 新幹線も自分の身長ごまかしてましたな。
- 89 :
- 「近頃はそれができなくなった。
盛岡―新青森間は、178.4kmと、正体を露わにせざるを得なくなった。
国鉄の頃であれば(在来線経営分離がなければ)、203.9kmと公言され、
特急料金も一段階高く設定されたところだが」
と、また”禁句”を口にしたり…。
- 90 :
- 93歳の誕生日を祝われる。
- 91 :
- ああ、もう93だったのか。おめでたいことである。ギリギリ大正生まれ
だったのかな。先生は。
- 92 :
- 旅先の宿で寝過ごさないよう、高機能の目覚まし時計を買っておく。
- 93 :
- 私の生後17日目(1926年12月25日)に大正天皇崩御と相成った。
この時までは、天皇崩御即新元号発足で、直ちに昭和に改元された。
それで、「昭和元年」は僅か1週間だったのである。
のような事を「新・新時刻表昭和史」なる本に書いたり…。
- 94 :
- 一週間で始まり一週間で終わりを告げた昭和の最初と最後
- 95 :
- 種村クンを見習って駅前のなんでも屋で買ったパンをもそもそとかじるも、ぞっとしない。
仕方がないので食堂を探して席についてはみたものの、世にもまずいラーメンが出てきた。
同行の編集者も、世にもしょっぱい顔をしている。
由々しき事態ではあるものの、どうすることもできない。
駅に戻って待合室で出会ったばあさまにかくかくしかじかと話すと、ばあさまは、
あの店のラーメンはまずいんですわとのたまう。丼ならまだなんとかなる由。
…と、もそもそ病が伝染る宮脇先生。
- 96 :
- 旭川のラーメンは旨かったですよ先生
- 97 :
- 「今日では最早、寝台特急に乗って松葉ガニを味わいに出掛けるなどという事は叶わぬ。
世知辛い世の中になったものである」
と慨嘆する。
- 98 :
- 青函連絡船で供された「海峡ラーメン」の不味さを
改めて問題にしようとする。
- 99 :
- 出雲は京都から山陰本線を経由してこそ本物である。
- 100 :
- 「現在では山陰本線にも客車は走らなくなり(こんなものは何処にもないと言ってよくなったが)、
それなら、東京に近い北陸本線を利用して越前ガニを賞味した方がよい」
と思ったりする。
- 101 :
- ワシ、カニの甲羅をパカ、と開けてそこに日本酒を注ぎ込むのが好き。
先生はどうやろか・・・・
- 102 :
- >>100
北陸新幹線じゃなくて北陸本線なのが宮脇翁っぽいね。
駅に降り立った先生を車で迎えに行きたい。
- 103 :
- だが今の北陸本線は海沿いを全く走っていない
- 104 :
- 慨嘆する。
- 105 :
- 九州へ行くに際して、都城で泊まれるように
スケジューリングする。
- 106 :
- 最長片道切符の旅、やってみたいな・・・・・・・・・・・
- 107 :
- しかし今は、「用があっても乗りたくない国電」だらけになってる…。
それに乗り続けるのは至難の業だ。
- 108 :
- 携帯電話なる文明の利器を家族や会社から強制的に持たされ
旅の間も携帯することを義務付けられる
しかし、それほど重要とも思えない要件での電話応答やメール返信に
気を取られ、逃してはいけない列車に乗り遅れ
会話やメール内容を著書で晒しネタにし憂さ晴らしする宮脇氏
- 109 :
- 「灯子も50を過ぎたのか。どうりでパパもトシをとるわけだ」と娘に語る。
- 110 :
- 「来年は娘達にどんな年賀状を出そうか…」
と思案する。
- 111 :
- 「パパは生きている。心配するな。鉄道旅行の相談ならばパパに任せなさい」
- 112 :
- パパ=びゅうプラザかなら終わりじゃん
- 113 :
- 「2人の娘のうち長女ばかりが世間に知られるようになった。
一方、次女は、小学校の時私の最長片道切符の旅についてきて、
”あの事件”を起こす羽目になった。
やはり、あの時上野をもっと早く出るべきであったと、今となっては悔やまれる…」
と悔恨の念に駆られたりする。
- 114 :
- >>113
事件って何ですか?
- 115 :
- 鮫島事件だろ
やめとけ
- 116 :
- 宮脇氏が次女を連れて上野―成田間の電車に乗ってたところ、
我孫子を過ぎた辺りで次女が「おしっこ」と言い出したという。
電車には当然トイレがなく、困り果てた宮脇氏は、木下で交換待ちする間に、
ホームで用足しさせたんだとか…。
(昭和53年11月9日)
- 117 :
- 成田まで我慢しろとは言わなかったんだね
- 118 :
- >>116
1978年11月9日って確か木曜日だよなw
鉄道で学校サボらせそれは鬼畜親だなw
- 119 :
- 素晴らしい教育法ではあるまいか。称賛に値する。
- 120 :
- >>117
一応、「(成田まで)あと30分我慢せよ」
と言ったという記述はある。
子供も一旦はそれに従ったとも。
>>118
その週は、子供の学校は休みだったんだと。
- 121 :
- >>120
何で従えなくなったんだろう?
- 122 :
- いくら、父親の言に従う姿勢を見せたと言っても、
さすがに「あと30分我慢(正確にどの位の時間かは不明だが)」は無理だろう。
…というような事を、生き返った宮脇氏は回想し、
「次女には気の毒な事をした」と思いそうだ。
- 123 :
- 41年前、志布志で寝過ごして、
6:24に出発するつもりが11:54発と同じ事になったのを、
今更のように後悔する。
- 124 :
- 志布志線ももうない
- 125 :
- >>122
漏らしたらどうなってた?
- 126 :
- >>125
ハァハァしてんじゃねえよ
- 127 :
- 「『自分の娘がそんな事になったからって…』との声も上がろうが、
以上の点を勘案すると、列車のトイレは増設こそされるべきではないか。
しかるに近頃では、相当な閑散線区・長距離列車でもトイレ無が目立っている。
特急ですら、トイレのない車両も多くなった。何たる乗客軽視ぶりか」
などと本に書いたりする。
- 128 :
- 理子ちゃん、もうアラフィフ
- 129 :
- 特急でトイレのない車両ってあったか?
- 130 :
- 車両はあるだろ。
さすがに編成単位では???だが。
- 131 :
- いかにも、
- 132 :
- >>126
漏らしたことに腹を立て、そのまま駅のホームに娘を放置して旅を続けていたらどうなってた?
- 133 :
- >>129
185のトイレだと、あっても和式で使えないという人が結構いそう
- 134 :
- うむ。
- 135 :
- 気仙沼線に乗って志津川町に行き、
開通当時(昭和52年12月)の女子高生がどうなってるか確かめようとする。
- 136 :
- ババ●になっている姿を確認して、虚しくフカヒレを食べつつ帰路につく先生
- 137 :
- 「考えてみれば無理もない。あの”少女”達も、今や当時の私の年齢を超えたのである」
と自らに言い聞かせてたりする。
- 138 :
- 渡良瀬川で獲れた魚をつまみに、一杯やろうとする。
地元のタクシー運転手の制止を無視して。
- 139 :
- 森高千里じゃないが勉強してほしいな。
じいさんに何を言っても無駄だろうが。
- 140 :
- 渡良瀬川は水質良くなったんじゃないかな? 娘の灯子から聞いたぞ、と先生。
- 141 :
- 年末になると、唐津―西唐津間の乗り残しを思い出す。
- 142 :
- 前述のは適切じゃなかった。
「年末になると、唐津―西唐津間の乗り残しを始末するために悪戦苦闘した事を思い出す」
が妥当か。
- 143 :
- 瀬棚線は北海道で一番最後の路線となってしまった。
あの頃は、灯子も理子も子供だったのう・・・・・・・・・
- 144 :
- 「前述したが、その北海道完乗の帰途の青函連絡船内で深酒し、
とんだ失敗をしでかした。
特に連絡船で同室になった青年に、要らぬ節介した事は、断罪されて然るべきであろう」
などと回想する。
- 145 :
- ただし、発言の内容は詳しく覚えていないのだが。
- 146 :
- 昭和50・51年度と、立て続けに正月に風邪で寝込んだ事を、今更のように悔しがる。
- 147 :
- 久々に我が家で迎える正月。
- 148 :
- 「45年前の正月、私は唐津線を、終点まであと1駅というところで途中下車した。
そのきっかけは、唐津駅前のホテルで伊勢エビを食そうとしたことだった。
しかも、伊勢エビは高くて、泣く泣くサザエにしたのだった。
これこそ自業自得であろう…。」
と回想する。
- 149 :
- 「今のような世相であれば、私は昭和51年のうちに国鉄全線完乗を果たせたであろう」
と思う。
「しかし当時は、長時間労働・休日出勤が厭われぬばかりか、”美徳”とさえされ、
私はこの年の秋以降、殆どの休日を返上させられたのである」
などと恨み言を口にしつつ。
- 150 :
- わざわざ正月に北海道に出掛けて、
胆振線に乗っただけで帰ってきた事を思い出す。
「当時は食堂車があったからまだよかった。
今なら、指定席を予約できなければ即立たざるを得ない」
などと回想しつつ。
- 151 :
- しかし、たんしんせん、とやらに乗ったことがない
私は、ひたすら先生の存在が眩しいのである。
( 一部間違えている箇所アリ )
- 152 :
- 「御庄は新岩国と一体化すべきであった」
と、今更のように蒸し返す。
- 153 :
- 乗り換え可能な駅。原宿と明治神宮前の関係である。
- 154 :
- 指宿枕崎線に乗って、
再び女子高生から席を譲って貰えることを期待したり…。
- 155 :
- 北海道新幹線・北陸新幹線の延伸を夢見て、
第二弾の「線路のない時刻表」を執筆する…、気になるかどうか。
- 156 :
- 私ももうトシなのである。灯子に頼もう、などと考える。
- 157 :
- 未だに本籍地を「神奈川県」と間違えられて、憤慨する。
「私の本籍地は香川県である」と。
- 158 :
- 本人も忘れてしまっていそう
- 159 :
- 「その香川県の親戚を訪ねた折に乗った、
東京ー岡山間の汽車に纏わる思い出は、
私の鉄道趣味の原点とも言える。
但し、食堂車へ連れていって貰えなかった
事は、未だに口惜しい」
と回想する。
- 160 :
- 「今年は、飯山線や只見線に乗っても豪雪には出会えそうもない」
とtwitterで呟いたり。
- 161 :
- 仕方ない。深名線は・・・・・・・・・・・とっくに存在しなかったのである
- 162 :
- 「阪神大震災から25年か。当時私はまだ、ギリギリではあったが60代だった」
と回想する。
- 163 :
- その頃はまだ「旅」誌の企画で青春18きっぷの旅行もやった。
ロングシートの車内で駅弁を食べるのは私にとっては至極当然のこと。
私のファンの男は、出版元が変わってから「旅」誌の内容が著しく変わってしまい
読まなくなってしまったそうだ。
- 164 :
- 突然のように、「東京―大阪間・国鉄のない旅」の逆の行程はどうだったのかと思い立って、
昭和57年9月号の時刻表を引っ張り出す。しかし当然、調べ切れない。
「豊橋から浜松へは、三ケ日乗り換えで行かれるだろう。
だが今度は、静岡から沼津がネックになるに違いない。
もう一度、あの雑誌社の編集担当に調べさせるか…」
などと悪企みも。
- 165 :
- 名前を忘れる
- 166 :
- 今だと東京〜大阪間に高速バスガンガン走ってるからあのルールだとあっさり終わってしまう。
- 167 :
- 一度、福塩線に寝ずに乗ろうとするが、結局寝ちゃう。
- 168 :
- 「特急や急行のために造られた筈の、”藤代線”に今や特急の姿はなく、
寧ろ、そこを通って新函館北斗を無視する普通列車があるとは、何と皮肉な事か」
などと言って、その新函館北斗無視の各停に乗り、森駅でイカ飯を買う。
併せて、
「今や北海道にまで国電型のロングシート車が蔓延っているのである」と憤る。
- 169 :
- 森駅に行くのは何年振りであることか。いやはや感慨深い。
- 170 :
- 「1月の終わりと言えば、松前線の廃止を思い出さないわけにはいかぬ。
沿線住民は、何の見返りも得ることなく鉄路を奪われたではないか」
と、改めて国鉄”改革”への怨念をたぎらせる。
- 171 :
- 「今、門司から福知山に山陰線の鈍行で旅しようとしたら何回乗り換える事になるのかと思って、
時刻表を調べてみた。
そうしたら、何という事か。門司から山陰線上り始発に乗り継ぐことができぬではないか!」
と憤る。
- 172 :
- 私もこれ読んで久々に山陰本線に乗りたくなった
- 173 :
- 「ただ、考えてみると、山陰本線の起点というか終点は幡生であり、
その意味では、下関から乗ってもよいことにはなる」
と自らを無理矢理納得させる。
- 174 :
- 線路の戸籍上のアレだ。
- 175 :
- 「自分の都合で遠回りさせておいて、
その分の運賃を客から徴収するとは何事か
(長万部ー札幌間)!」
と、JR北海道に猛抗議する。
しかし、鼻で笑われて終わり…。
- 176 :
- 神岡線はどこ?
- 177 :
- 「富山ー神岡」のサボに惑わされた事に腹立てつつも、
行先表示器全盛の現代に味気なさを覚えたり。
- 178 :
- 「けしからぬことに」と思いつつも景色を堪能する。
- 179 :
- 「当方は、昭和50年12月29日に上り『有明5号』の遅延のせいで湯之前線に乗り損なうなど、
鹿児島本線の度重なるダイヤの乱れで散々迷惑を被った。
剰え、昭和53年12月19日には、八代駅にて、当日で有効期限切れとなる乗車券の継続乗車手続きを
懇願したものの聞き入れられなかった。
貴管理局は客の存在を何と心得ていたのか」
と、当時の門司・鹿児島鉄道管理局幹部にに文句言うとか。
- 180 :
- 寒川ー西寒川間の初乗りを、出張の帰りで済ませた、
って事を、今でも祟られてたりする。
- 181 :
- 忍者の里へ行って、今度は手裏剣を命中させようとする。
- 182 :
- 気のせいか女の子が近くで「ぼくに水割り頂戴!」と言ったような気がする。
- 183 :
- 「『どうも特急列車の客には変なのがいる』って、あんたが一番そうだろ」
と、〇村△樹辺りに突っ込まれてたりする…。
- 184 :
- ○と△は何
- 185 :
- 〇…畑に蒔いて、花や野菜の元にする物
△…曲がりくねってるというのの正反対の状態
この人物(東京都足立区在住)は、
宮脇氏が、「ぼくに水割り頂戴!」なる客に出食わした旅に関して、
そのルートを決定するに当たって若干の指南を行ったという。
- 186 :
- 椅子ごと身体をせり出してきたくらいノリノリだった。
- 187 :
- “あれから40年以上“経っても、
「新松戸ー西船橋間の開通で最長片道ルートが
変わる事をお察しになれなかったのですか?」
と嘲笑されて言葉に窮する夢を見たりする。
- 188 :
- 100系の個室に閉じ込められて原稿書かされる、
っていう夢にもうなされたりする。
- 189 :
- 今年で94歳なのだから原稿はもう書かなくていいのでは、と考えたりする。
灯子がなんとかしてくれるだろう、と。
- 190 :
- 「私には、『汽車』の話など書けません。
父と違いますし、妹にも申し訳ありませんから…」
と執筆依頼を断る長女を目にして、肩を落としたり。
- 191 :
- 「そう言えば理子も間もなく50か。パパもトシを取るわけだなあ」
気分転換に街をぶらつくことにする。しかし、まちさんは夫の帰りを待ちは
しない。空気のような存在だから、宮脇家にとっては、夫の存在はさほど重要
ではない。良く言えば「無害」
強いて言えば酒を愛しすぎることがちょっと欠点なのだが。
- 192 :
- 「妹さん、というのはどういう事ですか?」
と尋ねられて、灯子氏は、
「小学校2年生の時、父に連れられて旅行に出掛けたら、
電車に乗ってる時にトイレに行きたくなったというんです。
ところがその電車にはトイレがなくて、あろう事か、妹は駅のホームで”させられた”そうです。
それがトラウマになってるようで、鉄道関係の事物には著しい拒絶反応を示すんです…」
と涙ながらに語ったりする。
というやり取りを陰で見ていて宮脇氏も自責の念に駆られて…。
- 193 :
- 「近頃急に物が見え難くなった」
と言って、最長片道ルートを提唱した眼科医を訪れる。
- 194 :
- 広尾から始まった最長片道切符の旅も40年以上が経ち大幅なルート変更を余儀なく
されることに。
「淋しいですな」とポツリ。
- 195 :
- 今度はJRバスを含めた最長片道ルートを
辿ろうと思いかけたが、
「これは、さるレイルウェイライターとやらの猿真似になる」
と気づいて“自粛“する…。
- 196 :
- 由々しき事態でありぞっとしない。
ヤング諸兄の投稿を祈るや切。
- 197 :
- 現状の最長片道ルートの終点が肥前山口である事を暫し呑み込めなかったり…。
(T大卒なんだから、そんな事はないだろうが)
- 198 :
- 某スレでの種村センセイとの不毛な争いはもうおやめください
アル中呼ばわりされていますぞw
- 199 :
- 「今年はその人物の七回忌だな」
なんぞと、ふと思い出したりする!?
- 200 :
- あの人も勝手に当スレで生き返らせてみては? とふと考える。
- 201 :
- 「優等列車には再び喫煙車を設けるべきである」、と各鉄道会社に訴えを起こす。
- 202 :
- 「パパも禁煙しないとダメですよ」と言われても耳を傾けることのない先生である。
- 203 :
- 新型コロナウィルスの恐怖に慄いて、旅行に出掛けられなくなったり…。
「私はそれでなくても肺を病んでいるのである」と。
(”だったら余計、禁煙すべきだろうと”の声は耳に入らず!?)
- 204 :
- しょうがないから酒を飲む。
- 205 :
- その結果、健康診断で、
「肝機能の数値(γGTP)が悪いですね〜。お酒は控え目にしましょう」
とか釘刺される。
- 206 :
- 予告された歴史的時刻
- 207 :
- 中央構造線の旅で、今度は鳥羽に泊まって
伊勢エビを賞味しようとする。
- 208 :
- めんどくさいから健康診断受診もやめる。
- 209 :
- その結果、体調の異変を感じた時には既に…。
てな事言いだすと、このスレ終わっちまうが。
- 210 :
- そこは鉄人・宮脇俊三。何度でも復活するのである。
- 211 :
- 流石終着駅は始発駅ですね先生
- 212 :
- 再び札幌駅で1分の乗り継ぎに挑戦する。
- 213 :
- しかし93歳の年齢がたたり乗り継ぎに失敗してしまう先生
- 214 :
- 置いてけぼりを食って、空しく駅のベンチで次の列車を待ちつつ、
「そう言えば42年前、1分間の乗り継ぎを企てた私を大股で追い越していった、
あの女の客は今どうしているのだろう」
と、ふと思い出したりする。
- 215 :
- 昭和53年。ヤクルトが阪急を破り球団初の日本一になった年か・・・・・・と
思うと感慨深いものがあるスワローズファンの先生
- 216 :
- 妙齢の女性がものすごい勢いで僕たちを追い越し、列車に乗り込んだ。
周囲のヤングも、うへーこれはすごいなどと口々に言っている。
もちろん、僕も宮脇さんも、乗り継ぎには失敗した。
駅前のなんでも屋で買ったパンをかじりながら、ひとしきり、
例のギャルについて宮脇さんと語り合ったことである。
…と、実はそこにいたもそもそ先生が。
- 217 :
- 僕は40歳の誕生日を目前にして常呂駅付近の流氷に喜び過ぎて転倒。掌がえぐれた
懐かしい思い出がある。昭和51年のことだ。
- 218 :
- >>217
で?
- 219 :
- 「私1人が下界に舞い戻った事を妬んでいる人物がいるようだ…」
と慨嘆する。
- 220 :
- Tさんも生き返らせてしまおう。
- 221 :
- もそもそと降臨
- 222 :
- 最長片道切符の継続乗車が認められたとしても、
八代から枕崎までの間、一切駅の外に
出られなかったと思い当たって、
八代駅の改札係に感謝する気持ちになる。
同時に自分を棚に上げて「額の禿げ上がった中年の駅員」
などと揶揄した事を詫びたいと考えたり。
- 223 :
- 宮脇先生推奨の湧網線ですが今、流氷が勢力を増しているようです。
- 224 :
- 昔、結核が蔓延した時代を思い出す。
「通勤列車が感染拡大の場にならぬよう祈るばかりである」と、
近所の神社に願掛けに出掛ける。
- 225 :
- 3日前は、「一旦!?」昇天した日だった事を、今更のように思い出す。
- 226 :
- 亡くなった父が落胆して無茶苦茶な旅に出て死を早めてしまったのを思い出した。
- 227 :
- 「現在では、東北・高崎・常磐線にもグリーン車が連結されるようになって、
『グリーン車の無料開放』を見出す楽しみがなくなった…」
と慨嘆する。
- 228 :
- 予定していた北海道旅行をコロナウイルスの影響で取りやめになる羽目に。
家で酒を飲んで荒れる先生。
- 229 :
- 「しかし、近頃北海道も、”用があっても乗りたくない国電”だらけではないか。
平常時と雖も、もう一つ出掛ける気になれずにいる」
などと虚勢張ったりする。
- 230 :
- 改めて中央構造線の旅に出掛けて、今度は渥美半島の釜揚げうどん食おうとする。
- 231 :
- 量より質を追求する先生
- 232 :
- 今度は、東京から大阪へ行く途中で、岳南鉄道・静岡鉄道・大井川鉄道・遠州鉄道、にも乗る。
- 233 :
- 大井川鐵道はオススメですぞ。
- 234 :
- 今年は久しぶりに稚内から根室まで流氷が着岸した
https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN1/drift_ice/engan/engan_jp.html
- 235 :
- ダイナミックですね。ノシャップ岬のほうまで。
普通ならば稚内は、もう去るくらいの時期に逆に接岸するとは。
- 236 :
- 「昭和58年3月に雑誌社の編集者を連れて
オホーツク海岸沿いを北上した折、
やはり稚内から『利尻』に乗った方が
面白かったかも知れない」
と今更の如く後悔する。
- 237 :
- シベリア鉄道に乗ったのは昭和57年。理子は小学生だったなあ。としみじみ。
- 238 :
- 「来月1日は、『西寒川線』『日中線』等の三十七回忌か…」
と感慨にふける。
同時に、自らの意向を無視した国鉄”改革”への憤りを新たにする。
- 239 :
- 初めて湧網線に乗った感動から50年。私は当時43歳だった。
- 240 :
- 青函連絡船に乗った日々を思い出す。
- 241 :
- どこかの青年に説教したことがある気がするが年のせいか
場所が思い出せない。
- 242 :
- 実は昭和52年夏頃から時々、
差出人不明の脅迫状が届いてたとか…。
- 243 :
- 東北新幹線の上野開業から35周年よりも、
急行が大々的に廃止された点への憤りの気持ちが断然強かったりする。
何より食堂車の全滅がけしからぬ事であったと振り返る。
- 244 :
- 同感!
- 245 :
- 48年前に「日本最長」の座から転落した北陸トンネルを通ってみようと考える。
- 246 :
- 久々にちほく高原鉄道に乗ろうかと(ん?)
- 247 :
- それよりも深名線。
- 248 :
- 宮古―釜石間が山田線でなくなった事を憤る。
「元々、三陸縦貫鉄道は国鉄の手によるものである筈だったのだ」と。
- 249 :
- 「道南いさりび鉄道? なんだそりゃ」
- 250 :
- 「えちごトキめき鉄道?なんだそりゃ。
娘たちが読んでいる少女漫画のことか」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8D%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88
- 251 :
- 「ぼくに水割り頂戴!」と60代と思われる女性が叫んでいた。
- 252 :
- 青森―好摩間を寝台特急の車中で過ごした事で、最長片道切符の旅を済ませた事にした。
これを未だに後悔してるが、さりとて今更改めて乗る気にもなれず。
そこを走る車両は紛れもなく「用があっても乗りたくない国電」そのものだから。
- 253 :
- 浜川崎駅で、「途中下車印を押してくれ」と言うが、拒否される。
- 254 :
- 意外と面倒臭いタイプの先生ではある
- 255 :
- 飯田駅で「切符の再発行が必要」と言われ、逃げようとするが捕まる…。
- 256 :
- 再び中央構造線の旅に出ようかと思うが、
「帰りの楽しみ」がないと思い当たって取り止める。
- 257 :
- もう一度、最長片道切符の旅に出ようと思う。しかし、ルートが大幅に短縮されてしまったこと
だろう。
- 258 :
- 「今は本当に、“稚内発肥前山口行“の切符しか
発売されない。逆方向は不可能である。」
と悟って、南から北へ向かえない寂しさを痛感する。
- 259 :
- この家の主人はよく旅に出る。しかし最近は、魅力的な路線が多数廃止に
追い込まれてしまったこともあり、出不精になりつつある。
- 260 :
- 空腹が旅情を上回っているから猛然とハンバーガーを食べる
- 261 :
- 段々畑が見たい
- 262 :
- 東京オリンピック延期?あんなもんは、1964年昭和39年の1回で十分だこのハゲ
- 263 :
- 「それがこのスレの趣旨に何の関係があるというのか。
さような事も考慮せぬ向きが増えたとは、実に憂慮に耐えぬ」
と思ったりする。
- 264 :
- 加悦鉄道の跡地を訪ねたいと思うものの、
新型コロナウィルスの前に屈する。
「命あっての物種である」なんて。
- 265 :
- 高リスク先生
- 266 :
- 種村直樹さんにもう一度相談してみる。
- 267 :
- 椅子ごと身体をせり出してくる
- 268 :
- 今度は自作の「最長片道ルート」見せて、
T村N樹に失笑されたり…。
- 269 :
- 「東京に戒厳令が敷かれようとしているとは…。
しかも、”不急不要”という言葉は戦時中を思い起こさせるものである」
と言葉もない思いに襲われる。
- 270 :
- 米坂線で迎えた「あの日」
- 271 :
- 「三江線の最後の日から早2年である。
この線を経由して、浜田―岡山間の急行が走るのではないかなどと考えたりもしたが、
全く当てが外れた。尤も、国鉄とすれば、それこそ”不要不急”の路線を経営させられた、
との思いだったのであろう」
などと回想する。
- 272 :
- 江の川の眺めが良かった路線。先生と違って、それがしは一度しか乗ったことが
なかったのだが。
- 273 :
- 国鉄分割民営化に関する見解(異論)を披瀝しそびれた事を改めて悔やんでる。
「何故、インタビューされた時に『利用者の視点』を思いつかなかったのか」と。
- 274 :
- しかし過去を振り返っても仕方ないと思い直して旅に出ることにする。
- 275 :
- 元の夕張駅の跡地へ行ってみる。
付近の住民に”インタビュー”して、
「これがこの国の交通政策というものか…」
と慨嘆、やはりこの思いを書に訴えねば、と決意を新たにする。
- 276 :
- 福知山線のあの事故現場に足を運んでみる。
「21世紀の日本でこのような前時代的事故が起きたとは信じ難い。
鉄道の技術進歩とは何であったのか」と嘆きつつ。
- 277 :
- 肥薩おれんじ鉄道線? それは、いかなる鉄道であるか
- 278 :
- フランス国鉄関係者に、
「TGVの最高時速は何キロでしたかな?」
と嫌味ったらしく尋ねる日の到来を待ち侘びる。
それだけに、”整備新幹線の最高速度260km/h”とかを腹立たしく思ったり…。
- 279 :
- 今日もスルメのような格好で買い物‥
- 280 :
- パパは変装してでも酒はやめない。
- 281 :
- 「私は酒で体内を消毒できているのである」
…なんて事は、T大卒ともあろう御仁だから、考えるわけないが。
- 282 :
- 鉄道とは「金を失う道」と書く。しかしパパは後悔なんかしていない。
金なんか残しても人生つまらんと思っている。
しかし家族には金を残したい。
- 283 :
- 去年、北陸新幹線の車両10編成が一気にお陀仏になったと知って、
JR東日本に幾らか寄付する。
- 284 :
- 「また一段と煙草が吸い難い世情になった」と不満を漏らす。
- 285 :
- 「旅」の企画の打ち合わせに美人編集者を同席させて、
宮脇氏に無理難題を押し付ける(東京から大阪まで歩かせる、等)雑誌社。
- 286 :
- 「自転車ならば」と妥協する。
- 287 :
- 「私を感激させた気仙沼線も結局廃止された」と憤ると共に、
開通日に志津川駅にいた、当時の女子高生を思い出す。
- 288 :
- 今日は駅弁屋さん、いないようだね。
- 289 :
- 「私の”国鉄全線大集合”をパクるとは何事か!」
と、某大学教授に文句言ったりする。
- 290 :
- 北杜夫さんは元気ですかな?
- 291 :
- 昼間から飲める店が増えたとほころぶ
- 292 :
- 桜を見ながら酒を飲む至福の時
- 293 :
- >>291
ここにも、「磯丸」があるようだ。
- 294 :
- 刑事ドラマで刑事役に
相棒は種村刑事
- 295 :
- で、あくまで犯人追跡のための一場面でしかなかった筈の、
時刻表探索に没頭し過ぎて、NGの連発。
それがプロデューサーをはじめスタッフの逆鱗に触れ、とうとう役を下ろされる。
- 296 :
- 相棒に「由々しき事態であり、ぞっとしない」とコメントされる先生
- 297 :
- 「『武蔵野線の西船橋延長で最長片道ルートが変わる』、
程度の勘も働かん奴に事件の捜査なんかできるのか」
と思われてたりする。
で、逃走する犯人役は、何処かの眼科医M畑(逃走経路考えるのはお手の物)。
- 298 :
- 光●氏
- 299 :
- 「これは『不要不急の旅行』などではない。私にとっては仕事なのである」
と言って、列車に乗り合わせた他の客に自身の正当性をアピールする。
- 300 :
- 300ですな
- 301 :
- 43年前、筑前宮田駅へと所望したにも拘らずバスの営業所へ連れていかれた経緯から、
もっと地理を勉強しろとタクシー会社にクレームを入れる。
- 302 :
- 不要不急の旅行には慣れてますから
- 303 :
- 「東京近郊区間の路線に乗るからと言って、
前日目覚まし時計をかけずに寝るのはよくない」
と悟る。
- 304 :
- 「近頃は、座席のリクライニングに後ろの客の同意を求める時代になったのか」
と嘆くことしきり。
- 305 :
- 「ワシに水割り頂戴!」と言ってみたが却下される。
- 306 :
- その時、何処かのレイルウエイライターとやらが乗り合わせてて、
「どうも、特急列車の客には変なのがいる」
と揶揄される。
- 307 :
- ↑ 顔立ちは種●直樹氏に酷似。
- 308 :
- 列車に乗ると、女子高生から警戒の眼差しを向けられる。
「あのおじ(い)さん、何?キモ〜〜〜〜い」
って…。
- 309 :
- 「時刻表平成史」の執筆を依頼されたり。
- 310 :
- 「もう今年で94だよ・・・・・・あ、いい手がある。灯子に仕事回そう」
- 311 :
- 「今年は、足立区に住んでた”あの御仁”の七回忌か…」
とふと思い出す。
- 312 :
- 地味にレスが伸びる先生のスレ(笑)
- 313 :
- 「肺病などとうに克服されたと考えていたが、とんだ誤りであった」
と反省する。
同時に、
「しかし、私が知っているあの医者は眼科であった」
などと、余計な事も思ったり。
- 314 :
- 「今日ではもう、
”高山本線経由の列車で金沢へ行こうとする客が、間違えて富山から猪谷へ戻る車両に乗ってた”、
などという事はないのか…。
私の鉄道に関する有識さを発揮できる場がどんどん狭められている」
と歯軋りする。
それを小耳にはさんで、鼻で笑う、何処かのライターとやら…。
- 315 :
- 8月15日には今泉駅に行こうとするが、
「今年は無理な情勢か…」と肩を落とす。
- 316 :
- どこかのライターも秘かに生き返っているスレ
- 317 :
- 「札沼線の非電化区間は、本来今日まで営業する筈だったではないか!
新型コロナウィルス云々などというのは言い訳にもならぬ。
もとより、そもそもこれを廃止などという仕打ち自体が受け入れ難いものであるが」
などと、憤りを新たにする。
- 318 :
- 浜川崎駅の有人改札を通ろうとしたら、
「ここでは途中下車印は押しませんよ」と釘刺される…。
- 319 :
- 「個人的道楽のために我々の仕事を妨げるような事はお控え下さい。
興味本位からのお問い合わせには応じかねます」
と、各鉄道会社から抗議或いは警告の手紙が届いてたりする。
- 320 :
- 「私を味方に付けるのと敵に回すのとどっちが得ですかな」
言葉は穏やかだが実はかなり怖い先生
- 321 :
- 先生のことではないが
味方に付けても良いことないが
敵に回すと甚だ面倒臭い人ってのはいるw
- 322 :
- それは言える
- 323 :2020/05/10
- パンチパーマの種村刑事と張り込み
キハ07を語る
懐かしの信号場(信号所)
【JR化後】懐かしのJR九州【限定】
懐かしの近江鉄道を語る
201系スレ
青函連絡船7便
懐かしの鉄道車両メーカー
ここだけ20年前のスレ〔鉄道懐かし板〕-2
このクソハゲ
未成線を語る
--------------------
■□■あいのりスレッド■□■
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