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末路があまりにも悲惨だった人物


1 :2009/02/08 〜 最終レス :2016/10/01
ちょww
お前あれだけこの世の春を謳歌してたのに最後はそれかよ
って感じで転落しちゃった人教えろ

2 :
難波田

3 :
朝倉義景かな…

4 :
天国と地獄なら伊東義祐とか
伊東氏全盛期を築きながら所領まで失って最後は野垂れ死に・・・

5 :
石田三成だろ
毛利や島津など多くの大名に比類なき権勢を示す資料があるが
秀吉が死んだ途端に袋叩きで処刑

6 :
中野さんも悲惨だったよな…

7 :
伊東義祐と今川義元が真っ先に浮かんだ

8 :
大浦政信
戦死した事に気づかれないで放置される殿

9 :
内ヶ島さんのスレはここですね

10 :
織田信長・福島正則・穴山梅雪・小山田信茂

11 :
滝川

12 :
尾藤と神子田は外せないだろう。

13 :
伊東義祐一択だろ
常識的に考えて

14 :
三好長慶

15 :
福島正則かな

16 :
龍造寺隆信
最盛期を築くまでは名将だが…
最後は一説には(デブすぎて馬に乗れない為)輿をかついでた部下に見捨てられて討ち死に
馬に乗れないってww
半身不随の道雪ならまだしも原因が肥満…

17 :
氏元は最盛期に戦死だからまだましだけど、氏真は悲惨じゃね?
名家今川の御曹司だったのに、家督ついだら離反の嵐、結局妹の嫁ぎ先と元人質に攻められて、国も取られて海道一のお家も没落。
仕舞いにゃ親の仇に都まで呼び出されて蹴鞠やらされ見世物に…

18 :
>>6
中野宗時は餓死らしいからな・・・

19 :
滝川でしょ。
秀吉以上に信長から期待されていた可能性が高い。
清洲会議の件は、
周りが滝川の力量を恐れたか、
積年の嫉妬の可能性もある。

20 :
佐々

21 :
ここまで四郎勝頼なし

22 :
>>17
武田義信と北条氏政が何か言いたいようです

23 :
徳川信康
もし信長の命でなく、父である家康の思惑で殺されたなら相当悲惨だよな
もし生きていたなら長男である信康は次の天下人にだってなれたであろうに

24 :
>>17
氏真は良妻がいるし一応家は残ったから、あまり不運のイメージはないな。
山口に小京都を作りながら、お家滅亡の時に山口に滞在していた公家達をも
巻き込んでしまった大内義隆も悲惨だと思う。
三条公頼が娘(三条の方)を頼って武田信玄の所に行けば、まだ長生き出来ただろうに。

25 :
>>19
危険な奴、出来る奴は先ずみんなで潰すってのは今も昔も変わんないね

26 :
九戸政実:籠城戦で奮闘するも、謀略にかかって捕らえられ結局死罪。(くのへまさざね…orz)
大友親貞:義元と違いガチで酒で酔っぱらって鍋島直茂ら奇襲喰らいに斬り殺される。
秋山信友:岩村城攻めで降伏勧告に従い捕らえられるも信長の怒り収まらず逆さ磔で殺される。
蔵田直信:毛利元就の説得に応じ尼子経久に投降するも、経久に行動の件を咎められ斬り殺される。

27 :
お艶の方

28 :
河尻秀隆も悲惨だな。
織田家中でも結構良い位置に居たのに、最後はなぶり殺し。

29 :
織田家の第一線で活躍していた重臣は本能寺以降の転落ぶりがすごいよな
滝川一益を筆頭に
河尻、丹羽、柴田、佐々みんな悲惨
幸せなのは秀吉だけ

30 :
秀吉の晩年も哀れっちゃあ哀れ
小便漏らしたり悪夢で錯乱したりしながら死んでいった。

31 :
丹羽はまだ…
長秀生きてるうちは厚遇されてたから…

32 :
本当に内臓抉り出したかどうかも疑わしいしな。

33 :
斎藤龍興 信長に美濃を追われてから朝倉氏に身を寄せたが、元亀4年刀根山討ち死に。

34 :
吉川経家と不愉快な(気分にされた)鳥取城兵
2ヶ月(or20日)分しかない兵糧で半年以上耐え抜き自刃
もしもこれ以前に山名豊国が追放されてなかったら多分豊国と戦ってたか石見で待機のどっちかだと思う
そして豊国の評価も激変してたはず

35 :
小早川秀秋

36 :
上杉憲政。
人は一代でここまで落ちぶれるものなのか。
まさか越後の片田舎で氏康の孫と心中するとは、人生のどの段階でも想像しなかっただろう。

37 :
氏康の孫じゃなくて、氏康の子(異説あり)だけどな。

38 :
>>30
それが哀れなら世の中のおじいちゃんみんな哀れじゃねえか
悪夢云々は信憑性無いし

39 :
永田寿康

40 :
>>37
道満丸のことじゃろ

41 :
陶晴隆

42 :
佐久間信盛

43 :
>>40
ああ、なるほど。

44 :
>>36
まずなんで御館の乱で景虎側にまわったんだか…

上杉ネタならおれは北条高広だな
上杉家を裏切りまくった結果御館の乱で本人は何故か助かるが息子が死んじゃったのは因果応報と言っても過言じゃないかもだが可哀相な気も
しかもその後の消息は詳しく伝わらない程没落したらしいし

45 :
>>39
はげどう

46 :
石川五右衛門 油をたっぷり入れた大釜で、こんがりと揚げられる。

47 :
信親かわいそうです

48 :
小笠原長時
源氏の名門小笠原氏の嫡流で信濃守護職
親父が苦労して一族を統一し周辺勢力とも友好関係を築いたのに
家督を継いだらプライドの高さと人望の無さで内外から嫌われ
それにつけ込んだ武田晴信には連戦連敗。ついには所領を追われ
その後は劉備並みの流転人生で転がり込む先が悉く没落するという
貧乏神っぷり。最期は蘆名家(ここも数年後滅亡)にて病死だが
長年いじめてきた家臣に殺られたとの説もある。
「風林火山」じゃ憎めないバカ殿という感じだったのにね。

49 :
マジレスすると近年では安倍晋三だな

50 :
>>26
秋山は自業自得
信長の叔母を妻にして、信長の息子を人質に甲斐に送る
怒るのは当然

51 :
一条兼定

52 :
>>36
北条の血を引いたヤツに肩入れする理由なんか本来ないはずなのにな

53 :
>>52
それ言ったら、そもそもなんで近い親戚の越後守護上杉を乗っ取った仇の越後長尾家を頼っちゃったのか。

54 :
ガルシアかな

55 :
戦で死んだ人はまだ本望だろ
最盛期とのギャップで言えばやっぱ伊東義祐か佐久間信盛じゃないかと

56 :
思い付きで、
斉藤道三
村上元吉
なんかどう?

57 :
>>50
自業自得もなにも
信長が援軍送らなかったから岩村は攻略されたのに。
叔母まで酷い殺し方だし。

58 :
豊臣秀次しか考えられん。

59 :
>>58
どう考えても駒姫のが上

60 :
大内しか思いつかん

61 :
斎藤龍興
美濃滅亡後も各地の大名の客将になり信長に抵抗するが全戦全敗。

62 :
堀衛門

63 :
>>1

64 :
横山やすし
嫡男の木村一八も悲惨な末路をたどりそう

65 :
裏切り者の家族。
人質。

66 :
大内義隆

67 :
今川義元

68 :
マイケル・ジャクソンがなりそう

69 :
東美濃の遠山一族は斎藤・織田・武田の間でどっちつかずを長年繰り返してきたから
信長にとっては潰す口実があったらとことんつぶしたほうがいい家ではあるんだろうけどな
最後の城主がたまたま秋山だったというだけの話で

70 :
秋山関連で織田信房は?
信長の四男として生まれたのに微妙な遠山家の養子に↓。
かと思ったら養母が実家の敵方を迎え入れちゃって敵国に。↓
敵国で元服しちゃって不名誉な名乗りをつけられる。↓
ようやく織田に帰還。新しい名前つけて貰って兄貴と共に武田をやっつける↑
さぁこれからブイブイ言わせちゃうぞってところで本能寺の変、二条城で討ち死…
下げて下げて上がったところであぼん。結構悲惨じゃね?

71 :
宇喜田ヒデイエだろ

72 :
上杉謙信
ウンコ気張り過ぎてケツ出して倒れたんだおね( ^ω^)
もしくはケツ刺されて死んだとか

73 :
>>58>>59
秀次とその家族、お手伝いさん達数十人だね。
ありゃあ惨いよ。

74 :
>>73
秀次の正妻は、池田輝政の姉妹で助かったらしい

75 :
>>57
城を明け渡して退却なら、信長もそんなに怒らなかっただろうけど
思いっきり裏切り行為じゃん

76 :
悲惨というほどではないけど真田昌幸
もう少し長生きして息子と一緒に脱出してたらな・・・。

77 :
>>48
武田滅亡を見届けられたから良かったんじゃないか?

78 :
俺がもうじきそうなりそうだorz

79 :
良い時期がなかったのにか?

80 :
>>69
どっちつかずっていうか、岩村っていうのは実は斉藤道三が生きてる時代から
武田に属してたような城。
一時両属になったがそれをいきなり織田側に組み込んだのは信長。
>>75
包囲されてる状況でどうやって退却しろと。
てか攻略した敵将の秋山にその恨みをぶつけるってなんだ。
援軍おくれよ。
上のレス見てもわかるようにそもそも織田が岩村に裏切りというのは筋違い。
もともと岩村と武田の縁は織田よりはるかに古い。
織田が勝手に組み込んでおいて裏切りも何もない。

81 :
どっちにしろ息子人質に甲斐に送られた時点で怒り心頭だわ
荒木の家族も皆殺しにする信長に>>80は何の情けを求めるんだ?
信長の期待に応えて信忠も武田狩りの方針で武田兵を皆排除。
もともと武田信玄の同盟の切り方が最悪だったんだよ。織田は低姿勢だったのにね

82 :
あとスレタイは荒木一族だ
女房どもの磔で泣き叫ぶ声天にも届かんばかり・・・
家に押し込め火をつけて上へ下へ影が踊る、いくらなんでも正気と思えん

83 :
裏切られれば人質は’残酷に処刑’するのがこの時代の常識。
残酷な処刑法をしたからって信長の人格の問題にするのは大間違い。
当時は磔こそが残酷な処刑法と認識されていた。それを火刑に変えたってだけ。
だいたい信長は荒木の家族は最初は助命しようとすらしていたんだが。
それを降伏勧告は拒否する。使者は帰陣して報告の義務があるのに逃亡。
これでお咎めなく助命解放なんてそれこそありえん。
>>80
縁の長さがどうであろうと、当時の岩村を含む遠山一族が織田に従っていたのが
現実。実際、この後も岩村以外の遠山一族はそのまま織田に服属を続けている。
付き合いが長ければ、今の主君を捨ててかつての主君に帰り忠しても当然なんて
理屈はこの時代にもないよ。

84 :
>>81
だから武田織田両属してた岩村を勝手に組み込んだのは織田だといってる。
これは明確な裏切りだが。
>>83
だから、それは岩村遠山氏を織田がいきなり強引に組み込んだんだっての。
岩村遠山氏はもともと武田に属し、それが一時両属になっただけ。
それを当主が死んだのを契機に信長は織田が強引に織田の支配化に組み込んだ。
これは武田にしても裏切りだし遠山にしても不本意極まりないが。
実際最近の研究では岩村の武田への再帰属は岩村の家臣たち主導で行われたという説もある。
強引にやっといて何をいってる。

85 :
岩室長門守 長谷川橋介 佐脇籐八 山口飛騨守 賀藤弥三郎
以上5人 永禄3年5月19日未明、織田信長の後を追って清州城を出た馬廻り
岩室長門守 この翌年尾張小口の戦いで討ち死に。
他4名 信長家臣坂井道盛を殺して出奔、徳川家に身を寄せるも三方ヶ原の戦いで討ち死に・

86 :
>>84
強引だからなに?
そんなもの織田だけでなく武田も上杉も北条も今川も徳川も毛利も島津も
その他もみんなやっているよ。
信長は強引ではあっても、遠山氏の総意として織田に従うことを同意させた。
だからこそ、信玄も表向きは遠山氏が選択したこととして非難は出来なかった。
自分もさんざんやってきたことだしね。

87 :
織田家家臣は悲惨だと思う。
やっぱ主君がちがうといやなのかなあ?

88 :
ここまで出てないみたいだけど光秀も悲惨だったな
藤孝や順慶にも見捨てられ、最後は土民にうちとられる

89 :
>>36
実際御館の乱で死んだのかわかってない。

90 :
父弟の敵方が着いてその尻拭いを60年近くし続けた真田信之

91 :
龍造寺
首受け取り拒否

92 :
松永久秀 大好きな九十九とRたから本望かWW
松田憲秀 降伏論者でありながら、切腹を命じられた

93 :
>>86
武田が織田の遠山乗っ取りを認めた資料なんかないぞ。
むしろ織田が遠山のっとりを行ったのが1572年9月から10月。
武田の岩村攻撃が10月から始まると考えれば即座に行動に出たといってもいいくらいだ。
少なくとも武田に対して強引にやった以上、武田を敵に回す事は
当然想定されてしかるべきだろう。
何を被害者面するか。

94 :
>>80
包囲されて脱走は出来ないけど、降参して城を差し出せばいいじゃん
犠牲者を出さなくていいから、秋山も承知するだろ
実際荒っぽい城攻めとその後の処置ではないし

95 :
降伏したのに磔にされた波多野秀治・秀尚兄弟

96 :
>>95
実際は、城兵がクーデター起して波多野兄弟を拘束して、身柄を差し出して降伏したらしい。
三国志の呂布の最後状態か。

97 :
>>94
だからもともと岩村は武田に長い間従ってた勢力で
織田と武田が同盟を結んだときに一時期織田との両属になったけど、
基本的に武田寄り。
それを強引に当主が死んだからといって織田に組み込まれたら不満持つのは当然。
武田に包囲されしかも織田がろくに援軍も送らないのなら、武田に従うのは自然な事だと思うが。

98 :
>>97
降伏すること自体は別に仕方ないことですよ。
ただ、降伏して城から退去して戻ってくるならともかく、敵将と結婚して
養子に出した自分の子供を人質にされたなんてのは仕方ないとか自然の
範疇を越えている。
戦に負けるのは罪ではないけど、裏切りは明確な罪。

99 :
>>98
だから岩村はもともと武田方で織田に強引に組み込まれただけなんだと言ってる。
裏切り以前の問題なんだってば。
そもそも織田は援軍さえ送ってないんだからもともと武田方で強引に組み込まれただけの岩村勢に
そこまで忠誠期待するのは間違いだと思うが。

100 :
>>91
龍造寺家を滅亡させた有馬晴信も中々悲惨。
キリシタン大名なのに賄賂でお家復興を願うのはいかんよ。

101 :
>>99
>だから岩村はもともと武田方で織田に強引に組み込まれただけなんだと言ってる
随分と武田びいきな説明文ですね。都合のいい部分しか上げずに、誤魔化そう
としている。元は武田よりでも、後に武田と織田の両属と、信玄信長双方の
合意は出ている。その上で、さらに信長は織田従属へと組み込んだわけだが、
このかつての部分を無視するのは卑怯でしょう。
強引でもなんでも、遠山一族は織田に服属することを認めているわけですよ。
そもそも強引に認めさせるた場合は忠誠を持つ必要は無い、なんていったら、
織田武田に限らず全ての合戦で降伏させ従属させた豪族が忠誠を誓う義務は
ないなどとなってしまいますよ。
現代的価値観にまみれすぎです。
事実として、岩村の遠山氏は降伏しても、その他の遠山一族はこの後にも
変わらず織田に服属し続けているという事実をどうお考えで?

102 :
そしてもう一度いいますが、信長は戦に負けて降伏したことを責めたのではない。
敵将と結婚するという明確な裏切りを責めたのです。
秋山個人にとっては、巻き込まれですがね。

103 :
>>101
無視なんかしてないんだが。
岩村遠山氏が武田と織田の両属になってるのは何度も書いてるだろ。
>>その上で、さらに信長は織田従属へと組み込んだわけだが、
この時点で明確に織田の武田に対する裏切りだが。
だから岩村遠山氏はもともと武田よりでこの時点では両属だっていってんだろうが。
それを合戦で取ったわけでもなく、同盟国である武田に断りもなく奪い取れば
遠山も武田も不満を持つのは当然だろうが。
現代的価値観も何もない。織田の背信行為が招いた事だ。当時の価値観でもな。
これで岩村に忠誠を期待するのは間違いだろう。
だから他の遠山一族の事はいってないっていってんだろ。
岩村遠山氏が長い間武田とつながりがあり、強引に組み込まれたから武田に呼応して離脱した。
それだけの事。関係ないことを持ち出してどうするつもりなのか。
>>102
結婚っていうからにはおつやの方の事を言ってるのか?
自殺でもすればよかったのか?援軍送らなかったくせに何を言ってるのか。
甲斐に送られた織田の子の為にも武田の将と良好な関係を持っておく事は
悪くなかったと思うが。

104 :
黙れやチンカスどもが。
岩村・遠山・織田・武田・お艶の方・秋山もろもろうるせえ。
悲惨な結末を語らないならどっかいけアホンダラ。
いつまでもスレ違いを語る荒らしはどっか行けば?
バカだから日本語もわかりませんかね?
まさか自分は荒らしじゃないとでも思ってるんですか? え?
まともな思考がちゃんとあるなら、以後慎めやバカどもが。

105 :
私物化がウザイので
別スレ建ててそこで2人議論しててください

106 :
伊達輝宗
伊達家は亡くなる時は代々たたみの上で亡くなっている
らしいけど  この人だけは殺された

107 :

足利義稙以降の足利将軍全員

108 :
松平清康・広忠

109 :
やっぱ築山殿。しかも死んだ後まで家康による殺害を正当化するため、筋金入り
の悪女にされようとは…

110 :
ボルポト正則

111 :
吉良上野介義央 キレたあんちゃんに切り付けられた上、屋敷を暴徒に襲われて殺される。

112 :
しかも死後も、やってもない事までやった事になって叩かれてた。

113 :
>>109
山岡荘八氏は静岡に取材に行った時に悪女説が虚構だと感づいてたけど
話を面白くする為にあえてああいう風に書いたみたいだね

114 :
ゴージャス松野

115 :
ここまで葛西晴信なし

116 :
>>115
悲惨かと言われれば悲惨でもないような。
前田家で静かな余生を暮らしたんじゃね?
戦死説を採るなら別だが。

117 :
直江兼続
こんな糞大河で全国に名前を喧伝されるとは。
屍に鞭打つってレヴェルじゃねーぞ。

118 :
謳歌具合いと死様のギャップで言うなら
袁術最強

119 :
斉の閔王

120 :
小早川秀秋

121 :
金 正日 (予定)

122 :
豊臣秀頼

123 :
時代は下るが細川宗孝。
本人自身、何で死んでいくのか分からなかっただろう。

124 :
後北条氏は創価学会会長を二人も出している

125 :
スレタイ見たら伊東しか思いつかない

126 :
もう少し生まれるのが早ければその軍才を活かす場もあったし、
死後になってまで源氏名“幸村”の人に功績をもってかれるような事もなかったかもしれない、
と思えば毛利勝永もある意味悲惨な末路、かも。
まあ文字通り悲惨な末路なら鋸引きにされた大賀弥四郎とか。
あんな死に方は絶対したくない。

127 :
新田義貞とか。
移動中にたまたま敵部隊と遭遇。そのたまたまの戦いで討ち死。
合戦の末とか、落城の際とかではないところ。
鎌倉を落とした英雄だからなおのこと。

128 :
やっぱ>>2でしょう
松本清張も書いちゃうほどの悲惨さw

129 :
上杉景虎
すごい可哀想だから

130 :
難波田良銀?

131 :
秋田実李
晩年は自分の木像に対して話し掛けたり飯の世話してたそうな
若いときはあんなに輝いてたのに、、、、

132 :

>>121
吹いたWWW

133 :
>>121
楽しみだなw

134 :
前田利家
病気で苦しんでいるとき長年連れ添った妻に「地獄に落ちますね♪」と言われる

135 :
>>130
「黒い空」嫁
子孫が醜い嫉妬で争ってる下世話な話w

136 :
>>123
人違いで殺されたのかよ カワイソス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%AE%97%E5%AD%9D

137 :
土岐頼芸かなぁ。
道三のおかげで当主の座に収まってたけど、
最後は追放されて流浪の末に失明とか。
まあ、道三に関わったのが運のつきというか。

138 :
畠山義継
バラバラに切り刻まれた揚げ句に藤蔓で繋ぎ合わせて数キロに渡って引きずられ
街道筋の木にぶら下げて晒された
大名でここまでスプラッターな最後を遂げた人はまずいないかと

139 :
佐々も悲惨じゃね

140 :
>>138
その義継に拉致されて殺された伊達輝宗もかなり悲惨かと・・・
実質この二人を殺した息子がきっちり天寿を全うするあたり世の不条理を感じるわ

141 :
悲惨なのは大家に生まれながら、全てを失った揚句
困窮しながら生き続け、最後は野垂れ死にってパターンだな・・・

142 :
つまり伊東ですね

143 :
佐久間はまだましかな。

144 :
>>136
wikiの紹介文、“殿中うっかり刃傷事件”の記述にwwwww

145 :
>>42に一票

146 :
スレ違いだけど
末路というより死後悲惨だったのは斉の桓公
死んだ後彼の家臣たちが勢力争いにあけくれ
遺体は何十日も放置され蛆が湧いたという

147 :
中国の戦国時代なら趙の武霊王は2ヶ月だか自分の息子の軍に宮殿を包囲
され続けて餓死したよね。彼のおかげで趙は秦と張り合える強国になったのに。

148 :
内ヶ島以上に悲惨な奴はないだろ・・・

149 :
今川義元だろ
まさかの戦死

150 :
宇喜多秀家
南海の孤島に流され、船が見えると
手を振って施しを求めたという

151 :
>>146
その人物と比較するなら、後土御門天皇かな。
お金が無いから息子に譲位出来ず、息子の即位式をするのに21年待ち、
亡くなった後も葬儀をするお金が無いから、遺体を一ヶ月以上そのままにされたという。

152 :
すげえなw

153 :
淀君
まさに戦国そのものの浮き沈み
死後もどちらかと言えばDQN扱い

154 :
小早川秀秋

155 :
初音

156 :
親父に殺された(も同然の)嫡男たち
武田義信…親父と喧嘩
徳川信康…喧嘩?命令?
最上義康…ひとえに親父
織田信忠…まきぞえ


157 :
上杉景虎だろ
要らない子扱いされて武田への人質→出戻り→上杉への人質→家督争いに巻き込まれ死亡
それも御館の乱は最初優勢だったのに武田は景勝と和睦するわ、北条にはやっぱり要らない子扱いされ援軍来ないわで悲惨
何より最近は別人説まで出てきてどこからどこまでがこいつの業績かさっぱり不明というのが泣ける

158 :
>>68
すげー

159 :
悲惨とまでは、いかないんじゃないか?w

160 :
>>68
何者だろう?

161 :
>>68
現在最も信用出来る預言者様www

162 :
顔は確かに悲惨だがw

163 :
>>68
…神。

164 :
>>68
…神。

165 :
三沢さんはリングの上でRて本望だったろうな

166 :
>>161
×預言者
○予言者
>>68
なんという的中

167 :
マイケルはある程度予想できただろ
突然死の予想は無理にしても幸せな最期は無理

168 :
柴田勝家だろー!長年片思いだった女をやっと口説き落としたら
後輩に攻められてドボン・・・・

169 :
柴田は逸話を見るとそれなりに納得してそう。
戦った上での負けだし。
前田のことも許してたし。
豊臣秀次とか荒木村重の一族はきつかったろうな。
後は佐久間信盛、中野宗時かなあ。
野垂れ死にはさみしい。

170 :
>>169
前田のことを許すわけねーじゃん
前田家の作り話を当たり前のように広めるなよ

171 :
まさか柴田もあんなにあっさり負けるとは思ってなかっただろうね
前田って柴田→豊臣と裏切りばっかりだな

172 :
柴田はしょうがないな
決戦の敗北だって佐久間の暴走が原因だが、
「殿の下知はあてにならぬ」と思われてたからのことだろ
同僚時代の秀吉が激怒して勝家の人から立ち去ったりとか、
勝家ってかなり方針が偏ってたんじゃないかと思う

173 :
変な小説の読みすぎだな
佐久間の暴走が原因とか何言ってるの?www

174 :
どの史料を見ても、前田が撤退を始めるまでは柴田軍優勢だったとされている。
また、戦後の処遇でも前田がダントツに厚遇されていることから、秀吉は前田の
貢献を高く評価したことがわかる。

175 :
諸岡一羽とかいう、東国でなかなかに名の売れた剣客

176 :
尼子義久、高橋紹運、秋山伯耆。

177 :
>>175
弟子の根岸兎角に裏切られたんだったかな。

178 :
貴様、高橋紹雲の死を愚弄するか。
あれほど武士の本懐を遂げた死はあるまいて

179 :
>>178
かみなりだっけ・・・・

180 :
よくわからんが、ベッキーこと立花道雪のことかい?

181 :
尼子義久
より息子の方が悲惨だろ
勝久だっけ?

182 :
新宮党の、ほうです。

183 :
放浪の上に餓死したやついなかったっけ

184 :
伊東義祐?

185 :
佐久間信盛も餓死したとか

186 :
前田利家=金吾だな

187 :
>>185
いや、史料では「病死」。
まあ、実際どうだったかはわからないけどね。

188 :
>>39
永田元議員は確かにカワイソス 
自業自得の面も大きいが、九州の大金持ちの医者の家に生まれ、慶応付属から東大、大蔵省と進み代議士までなり、 
結婚もし(どっかのドーム借り切って寿の一文字やった)人生の春を謳歌していたのに、 
偽メール問題で民主党から追い出され復活目指すも党に相手にされず精神に異常をきたし自殺 
妻からは離婚をつきつけられていた 
まさに慢れるものは久しからず

189 :
>>188
バブル期に事業拡大させた2代目社長みたいな傲慢さがあったね
それにしても民主は友愛の割には切り捨てだけは徹底してるなw

190 :
屋代景頼
政宗のもとで権勢をふるうも追放され近江で若くして病死

191 :
ところが政敵のはずの成実に匿われる屋代勘解由景頼であった

192 :
がんばって華々しく散った人より
放浪で餓死とかのがつれーな。

193 :
織田秀信
赤ん坊の頃から利用されて最期は高野山で夭折
天下人三代目の可能性もあったのにかなり悲惨な末路

194 :
庶子だから本能寺なくて信忠が2代目うまく継いでいたとしても3代目の目はないと思うよ。
史実よりはよい領地もらって平穏に一族衆はできたと思うけど。

195 :
>>194
信忠も妾腹だったし、嫡子が出来なければ秀信に後継の座がまわってくる可能性もなくはない

196 :
ありうるとしたら、本能寺がないという仮定の場合、
・信忠が何らかの理由で信長より早死にする
・秀信が、あえて信忠ではなく秀信に相続させたいと信長に何らかの方法で思わせる
・互いに満足な勢力をもった状態で家督争いが起こり、それに勝つ
あたりかな。

197 :
新党さきがけ

198 :
>>193
「流された秀信が、土地の娘に手をつけたのが我が家のルーツ」
と、ほとんど与太のような、裏づけも何もない伝説根拠に、
「うちは信長の末裔」と名乗る家が現れてしまった悲劇www

199 :
龍造寺家兼
最晩年で息子や孫を悉く失ったのは悲惨すぎる
後を託した曾孫も無様に戦死して首も受け取り拒否されたし

200 :
最後は比較的まともだったろ。

201 :
家兼本人はまともな死に方だけど隆信や高房の末路を考えると報われない

202 :
武将じゃないけど、杉谷善住坊…だっけ?
信長狙撃成功してればヒーローだったのに……

203 :
秀次

204 :
勝頼

205 :
李白

206 :
龍造寺なんて
光栄社員が龍造寺ヲタだから
評価が上がっただけ

207 :
シャクシャイン

208 :
>>188
可哀相とは思わないな。議員時代も散々なことをしているし、偽メール問題で辞めたのも当然。
政治家をやめないなら10年は議員復帰しないで、コツコツと活動していくこともできたはず。
民主党から見捨てられたのなら他の党に頼るか、
一人で政治活動続けられるだろう。
そこまでしてまで政治家にしがみつきたくないのなら、政治を諦めて他の道に就職すればよい。離婚したとてまだ若い。何とでもなったはず。
そもそもあの程度で自Rるようなバイタリティーしか持たないのなら、政治家には向いていなかったということなのだろう。
今までの過ちを認めて、何十年後でもいい、政治家として復帰してくれることを期待していたのに・・・。

209 :
片桐且元

210 :
>>207
道民乙

211 :
永田の選挙区住民だが近所に常設の事務所があって、資金力はズバ抜けてた
あれだけの経歴と金があっても、うまくいかない奴もいるのね

212 :
服部小平太
桶狭間で義元に一番槍喰らわせたものの、小指食いちぎられた挙げ句首を毛利新介に取られた人。
その後も地味に伊勢攻めとか高遠城攻略とかに参加して、
ついには豊臣秀次の家老になったものの、
主君の巻き添えくらって切腹。

213 :
あれ、小指食いちぎられたのは毛利の方じゃなかったっけ?

214 :
九戸実親

215 :
>>214
競輪で有名な六戸や八戸って地名があるよね
一戸から九戸まで揃っているのか?

216 :
>>215
四以外は全部あるよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/一戸町
http://ja.wikipedia.org/wiki/二戸市
http://ja.wikipedia.org/wiki/三戸町
http://ja.wikipedia.org/wiki/五戸町
http://ja.wikipedia.org/wiki/六戸町
http://ja.wikipedia.org/wiki/七戸町
http://ja.wikipedia.org/wiki/八戸市
http://ja.wikipedia.org/wiki/九戸村

217 :
>>211
政治センスと知恵がないのが致命的。

218 :
>>216
ちなみに1〜9で石版を集めると四の扉が開き
そこで最後の石版を集めると十戸にいける。

219 :
>>199
家兼自身、90年近く生きたから悔い無し
俺の意見は斎藤竜興 信長に下ったものの、朝倉滅亡後の一揆の後始末が酷くて自害か戦死だっけ?齢30ちょい

220 :
>>68
( ̄□ ̄;)!!

221 :
>>217
政治センスも知恵もないのに総理になれるやつがいるよなw

222 :
↑豆鉄砲氏(兄)の事ですね、解ります

223 :
豊臣秀次に連坐して殺された妻妾達

224 :
>>222
一応東大でてるんだからあんたより知恵はあるだろう。
あんだけのお坊ちゃまなのに兄弟そろって東大ってかなりすごいぞ。

225 :
良スレだな

226 :
>>224
仕事するようになれば分かると思うが
賢いバカが一番やっかいなんだよw

227 :
>>219
斎藤龍興は刀根坂で戦死だよ。

228 :
>>221
知恵はないかもしれんが
政治センスはそれなりにあると思うよ。
政党渡り歩いて民主結成してのらりくらりとかわしつつ
総理の椅子に手をかけようとするわけだから。

229 :
>>219
恐らく富田長繁(享年は20ちょいだが)との勘違いかと。

230 :
>>229
前波かもしれんぞ?

231 :
>>230
前波は富田に出世を妬まれて襲われたんじゃなかったか。

232 :
富田に関わったやつはみな悲惨。

233 :
>>226
ちょっと茶化されたからってまあw

234 :
>>233
低学歴では理解できないか
残念

235 :
長繁って同僚を襲ってばっかりだよな
完全にイッてたんだろうなあ
そんなヤツの下で働きたくねえ

236 :
悔しさいっぱいの234

237 :
津野親忠

238 :
福島正則
中国の韓信みたく強すぎた男

239 :
コシャマイン

240 :
          ,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、              
        /イハ/レ:::/V\∧ド\                
       /::^'´::::::::::::i、::::::::::::::::::::::::::::\   
     ‐'7::::::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ:::;、::::::::::::丶   
     /::::::::::::::/!i::/|/  ! ヾ リハ:|;!、:::::::l      
    /´7::::::::::〃|!/_,,、   ''"゛_^`''`‐ly:::ト     
      /|;ィ:::::N,、‐'゛_,,.\   ´''""'ヽ  !;K          
        ! |ハト〈  ,r''"゛  ,       リイ)|    
          `y't     ヽ'         //            
         ! ぃ、     、;:==ヲ   〃           
         `'' へ、   ` ‐ '゜   .イ            
              `i;、     / l        
            / !        レ' ヽ_   
彼は?

241 :
二次元の人間なんぞ知ったことではない。
アニメスレにでもいけや池沼。

242 :
>>238
韓信もそうだが単に保身術に欠けていただけだろう

243 :
>>238
福島って戦歴はそうでもないよな。
なんだかんだでお殿様として死んだし
悲惨ってほどでもなかろう。

244 :
福島正之
安芸広島五十万石の世継ぎにして、家康の養女を嫁にしていながら最期は餓死かよ・・・
まあ、発狂したという話が本当ならしょうがないのかなとも思うけど。

245 :
武田勝頼
周辺諸国から一斉に攻め込まれ、味方には次々に背かれ
ついには女房達をつれて路頭に迷い、最後は餓えで体力をなくしたところを
敵の名も無いような兵に首をもぎとられた。
…なんか集団リンチみたいで残酷さが際立つ滅亡劇。

246 :
勝頼はなるべくしてなったという感じだろ
死ぬ時も「わしがなんでこんな目に」って泣き言めいた感情はなかったと思うよ
「朧なる 月もほのかに雲かすみ 晴れてゆくへの 西の山の端」
やることはやったんだという満足感が感じられる辞世の句である

247 :
押尾学

248 :
おいw

249 :
秋田実季
本人は悲惨とも思わなかったんだろうが・・・

250 :
吉弘統幸
時勢の見えない主君のせいで犬死。

251 :
真田幸村って首を取られた後、雑兵が寄ってたかって
只でさえ薄い髪の毛を全部毟られたんじゃなかったっけ?

252 :
なんと

253 :
きれいな

254 :
落差のでかさなら足利義昭だけど
この手のスレは若干マイナーな方が生きてくるので
里見忠義
徳川家内部の政権争いに巻き込まれて本国追放
嫡子が居るのに居無かった事にされて里見家滅亡
宇喜多秀家
関が原で西軍の主力を担うも小早川の裏切りで破れる
島津を頼るも家康に見抜かれ引き渡され改易
その後は山に流され、島に流され、徳川四代将軍まで生き延びた

255 :
泳いで参ったがマイナーとは・・・

256 :
裏切った秀秋も2年後に変死してるしな
裏切り者と罵られて早死にするのと、孤島で50年孤独に暮らすのとどっちがマシだろう

257 :
秀家は落差がすごいけど、悲惨なイメージはないな。
性格がまっすぐすぎて、八丈島暮らしもくよくよせず受け入れてそうだ。

258 :
あちこちからの支援で子孫繁栄だもんな
明治になって流刑が解けた時には狭い島なのに子孫が十数家にもなってたとか何とか

259 :
>>251
すんごい戦いっぷりに感銘を受けた連中が、お守り代わりのような意味で丁重にきりとっていったんじゃないっけ。
名誉なことだと思うけど。

260 :
>>257
米の飯が食いたいです…って毎日言ってたらしいから
結構窮乏してたんじゃね
関が原に参戦しなかった元家臣が米送ってきたらしいけど

261 :
>>260
だって最期の言葉が「米の粥が食べたい」だもんな
かつて秀吉に目をかけてもらった若武者とは思えない台詞だからな
>関が原に参戦しなかった元家臣が米送ってきたらしいけど
旗本花房某か

262 :
米が食いたいって
米の仕送りなかったの?お菓子とか果物送ってきたのか。

263 :
それでも長生きなところをみると
大名やめて精神的重圧がない生活がよかったんだろうな、と思う。

264 :
そらただの寿命でしょ
長生きしてる大名なんて他にも腐るほど居るよ
しかもこの後は戦国時代も終わりだし
精神的苦痛どころか借金ながら暮らしてたから

265 :
まじ海賊にでもなって無理やり近海を通過する船を難破船にさせまくっちまえば食い物が手に入って良かったのに。
討伐に来たら船で逃走してさ。

266 :
直江兼続
大河天地人のあの酷い扱いにはさすがに同情をしてしまう

267 :
秀家の八丈島暮らしというと、宴会の際おにぎりを3つ貰って一つは自分が食べ、
残り二つは妻子に食べさせようと持ち帰ったという逸話があるな。

268 :
>>260
1回だけでしょたしか

269 :
吉川経家

270 :
>>258
前田家からの支援はは幕末まで続いて
維新後には東京に屋敷までもらってるんだよな。

271 :
島勝猛、大谷吉継

272 :
大内義隆

273 :
絶対でてるだろうと思ったのに
なんで武田信虎がないんだよ

274 :
>>273
なんだかんだで武田家には戻れたし、長生きしたし、それなりの暮らしを送れた。
幸福ではないかもしれないが、悲惨というほどでもない。

275 :
一条兼定は名門一条家、関白の子と言う絶好のポジションにありながら
本人が馬鹿すぎてあれで妥当だと悲壮感を感じさせないのが凄い

276 :
本日早朝、内ヶ島氏理を思い出させた
大自然には逆らえんよ

277 :
A級戦犯

278 :
信虎は追放後も結構充実した生涯を送ったように思えるけど。

279 :
孫の勝頼と対面した時も矍鑠としてたしな

280 :
>>250
俺としては戦国武将でも5指に入る格好いい死に様なんだがなあ・・・

281 :
信虎があまりに威厳があったから、80歳のもうろく爺さんを引き取ってやるかぐらいに考えていた
旧臣もあわてて勝頼に引き取り拒否を進言したらしい
死ぬまで武将であり続けていたんだろう

282 :
勝頼を後見した信虎の西上作戦は面白そう。
信虎には畿内に人脈あるし。
信虎によって木曽か穴山が粛清されたりしてな。

283 :
信虎と勝頼のここ数年の再評価ブームは誰が仕掛けたんだろう

284 :
それ言うなら氏真じゃね?
剣豪だったとか内政の達人だったとか言いすぎだろ

285 :
あと豊臣秀次
彼が生きていたら豊臣家は続いてたとか正気かと

286 :
>>283
通説と違ったこといわなきゃ学者や作家は注目されないだろ?それだけだ

287 :
豊臣秀次も剣豪だったとか

288 :
よく考えてみると島流しされたり追放されたり所領をうしなって放浪するやつは
意外と長寿だな

289 :
島流し健康法

290 :
島流し遠泳方

291 :
政治やってたのは氏真のババアだよな

292 :
>>288
食事が質素になるからじゃない?
天海とか家康も長寿だし

293 :
斉藤道三に追放された土岐頼芸も本能寺の変頃まで生きてるしな

294 :
島津勝久一度も出てないな
薩摩島津氏の本家本元で(戦国島津は所詮分家)、
30年も流浪したのに覚えてもらえないという・・・
悲惨の横綱だろう

295 :
浅井長政

296 :
横綱
元征夷大将軍:足利義昭
大関
元関東管領:上杉憲政
こんな感じじゃね?

297 :
>>296
なんで義昭が
本来ならありえないはずの将軍職に就いて、それを失っただけじゃん
信長に追放された後も、各地でそれなりに遇されていたじゃない

298 :
どう考えても信長が一番悲惨だろ、
天下統一直前に家臣にバーべキューにされ、その政権は家臣に簒奪される。
いいとこなし。

299 :
いや信長はカッコよすぎるだろ
戦国武将としては唯一世界的に有名なひとだし

300 :
世界的に知られているのは信長じゃなくて家康だと思うぞ

301 :
信長は謀反されすぎ。どうしても信頼できない部分があったんだろう。
なんとなく気持ちがわかる。
部下に裏切られるにしても、武田勝頼のほうが悲惨さは数倍上。
こっちはなんか裏切る側が非情な気がする。

302 :
明智光秀、小山田信茂、小早川秀秋
裏切り者の末路は大概悲惨なもの

303 :
>>299
信長の、あのうすら間抜けな最後のどこがかっこいいのか理解できない。

304 :
>>299
欧米の評価は家康>>>秀吉>>>超えられない壁>>>信長
特に家康の評価はめちゃくちゃ高い。
Ieyasu で検索するとすげー出るぞ。
ちなみに歴史的人物の欧米人の書き方は苗字・名前なので、
徳川家康や武田信玄も Tokugawa Ieyasu 、Takeda Shingen となる。
Ieyasu Tokugawa、Shingen Takeda としているのはたいていは日本のサイト。

305 :
「八つ墓村」の尼子の落武者たち

306 :

ほーっ、結構やりますな〜〜♪♪

--
松平忠輝(1592〜1683年)
●石田重家(1582-1686:石田三成長男)
--
武田信虎・土岐頼芸――長生きは愉しい
http://academy6.2ch.sc/test/read.cgi/history/1028049326/

307 :
大内義長(大友晴英)
名門大内家の当主となるも、毛利元就に攻められ、兄の宗麟に助けてもらえず自刃。

308 :
石成友通
三好三人衆の一人として栄華をほこるも、最後は溺死。但し、その最期には諸説あり。

309 :
>>297
そら田舎大名とは比較にならんほど偉いからな
1にある条件の転落を考慮すれば落差が大きい方がいい
2階から落ちるのと10階から落ちるのでは
10階の方が落差が大きい

310 :
>>304
wikiの英語版って日本のサイトだったんだ
初めてしったよ

311 :
>>310
極論大好き厨二病〜

312 :
極論じゃなくて皮肉だろw

313 :
ウィキペディアを「Wiki」っていうやつ、まだいるんだな

314 :
酒井法子

315 :
>>310
おまえの「たいてい」は「ぜんぶ」なのか? すごいな。
実際に検索するとわかるけど、海外の戦国武将紹介サイトも苗字+名前が多い。
すっげーマイナーな武将とかが紹介されてるのがなんか笑えるw

316 :
>>315
その突っ込みはおかしくないかw

317 :
>>294
島津勝久は貫久より長生きしてるんだよな。
武田信虎・土岐頼芸もそうだが、追放された側が追放した側より
長生きする事はよくある。

318 :
>>317
宇喜多秀家とか徳川忠輝とか

319 :
豊臣秀次
現職の関白が謀反の疑いで妻子まで皆殺しとか前代未聞だろ

320 :
>>319
しかしなあ。
秀次は福島正則に「せいぜい土いじりしか能のない男」とまで言われた男だしなあ。
王族や大貴族の堂々たる家系で一気に凋落したとかなら悲惨だなあと思うけど、
元々、ドン百姓で終る程度の男が関白になって、そこから切腹に追い込まれたとしても
「究極の悲惨さ」とまでは思わんのだな。
最底レベルの階級の男が一時的に最高階級になり、それが元に戻っただけだし。
元々、最高階級になったのが間違いの男だ程度にしか思わん。
むしろ一時的でも贅沢し放題、セックスし放題の身分になれて彼は幸せだったのでは?
切腹させられたときの彼の心境は
「俺は悪い夢を見ていたのか? いや良い夢だった・・・」
という感じかもね。

321 :
正則の悪口が当てになるわけないだろ
子供の頃から仲悪かったみたいだし

322 :
>>320
君がどう思うとかどうでもいいんだ
でも頼むから1を見てくれ
その中で出されてる条件はこうなんだ
「この世の春を謳歌してたのに最後はそれかよって感じで転落」
そもそも偉くなった時期が一時的じゃなく慢性的だったら
転落にならないだろ

323 :
>>320
メガテンww

324 :
>>317
ストレスの問題だろうな
油断したらいつ殺されるかもわからない強大勢力の当主何十年も勤めてたら
そりゃ病魔も住みやすいわ

325 :
正則は叩き上げの軍人気質だからなぁ
文官的な秀次とは考え方が違うだろ

326 :
時代は違うのは重々承知の上での最強候補者
後醍醐天皇

327 :
このスレに何度か出てる内ヶ島ぐぐったけど、こんな事ってあるんだね

328 :
かっこ悪い悲惨な末路といえば坂崎直盛もなかなか
千姫事件はあまりにもダサすぎる
一説には朝鮮征伐の時に宇喜多が現地住民を拾ってきたのがこいつとかいう説もあるようだが
ただなぜかそこら辺がwikiからさっぱり消されてる
デマなのかな?昔は書いてあったような気がしたんだが

329 :
己の知識をひけらかしたいのか我が世の春→不幸のどん底を話し合うのに…  武将が戦で負けて死ぬのは生姜梨。地方の小物はたいした我が世の春でも梨。

330 :
麻生宗麟

331 :
大友義鑑

332 :
最上義光でしょう!

333 :
織田信孝かな
臓物投げつけた掛け軸とかもまだ残ってるし

334 :
>>328
千姫事件とか真に受けてる時点でおまえがいかに歴史に疎いかわかるわ
秀次の件にしても、悪評鵜呑みにしてる奴多いし、ここは情報弱者ばっかりかよ
少しは自分で調べろよ

335 :
>>334
「1616年10月10日夜遅く、江戸市中に騒動起これり、こは出羽殿と呼ばれし武士が、
皇帝(将軍秀忠)の女(千姫)が、明日新夫に嫁せんとするを、
途に奪うべしと広言せしに依りてなり。蓋し老皇帝(家康)は、
生前に彼が大坂にて秀頼様の敵となりて尽くしし功績に対し、彼に彼女を与へんと約せしに、
現皇帝は之を承認せずして、彼に切腹を命ぜり、されど彼は命を奉ぜず、
すべて剃髪せる臣下一千人及び婦女五十名とともに、其邸に拠り、
皆共に死に到るまで抵抗せんと決せぬ。是に於いて皇帝は兵士一万人余人を以て其邸を囲ましめ、
家臣にして穏かに主君を引き渡さば凡十九歳なる長子に領土相続を許さんと告げしに、
父は之を聞くや、自ら手を下して其子を殺せり。
されど家臣などは後に主君を殺して首級を邸外の人に渡し、其条件として、
彼等の生命を助け、領土を他の子に遺はさん事を求めしが、風評によれば、
皇帝は之を諾せし由なり」
↑はwikiにある、リチャード・コックスの当時の日記の内容だそうな。
これが現在伝わる千姫事件とほぼ同じなのは読めばすぐわかる。
出典である「イギリス商館長日記」第1巻を読んでないので、
自分も100%信頼しているわけではない。ただ、
>千姫事件とか真に受けてる時点でおまえがいかに歴史に疎いかわかるわ
こう言い切るのだからとりあえずこれを否定してくれないか。
堀内氏久救出説は「柳営婦女伝系」にあるのでかなり信頼できるんだがね。

336 :
・自分で本読んで調べたりした話じゃなく、出典がwiki。
・基本、宣教師や外来人の日記や書物にはいい加減な記述が多い。
(キリスト教を支持する大名を美化したり、権力者に媚びたり)
・千姫事件が仮に事実だとしても、そんなもんは後付けの理由に過ぎない。
他に坂崎が殺される理由は山ほどある。
後は死人に口無し。彼を殺した理由などいかようにもこじつけられる。

337 :
こじつけしか書いてないな
明確な否定理由がまったくない
それじゃまともな反証とは到底言えんな

338 :
また俺様が一番賢いんだぜ厨か
毎年のことだが・・・
夏なんだなあ。

339 :
千姫事件を否定するなら
否定する根拠を少しで良いから示せよw

340 :
根拠なんか示さなくても怪しいソースなんだから嘘だってわかるだろ・・・
夏だなぁ・・・

341 :
千姫事件は有名だからな
何の根拠もなしに「俺が信じたくないから捏造に決まってる」と厨丸出しにされても
はいそうですねと納得はできないわ
もうしわけないが

342 :
早く夏休みが終わらないかなぁ・・・

343 :
とりあえずお前以外で千姫事件を捏造だと指摘してる歴史学者と
その著書でも教えてくれよw

344 :
>>ynk33Xhe
おまえが夏厨だろ。
根拠がなけりゃ話にならんよ。
>「俺が信じたくないから捏造に決まってる」
おまえの言ってることは↑コレ以外の何物でもなく、
ただの 思 い 込 み に過ぎない。
反証や否定の根拠が正当であれば誰だっておまえの主張を認めるんだぜ?
こじつけや思い込みでの話なんてどうでもいい。
否定するなら否定するで、根拠を明示してくれ。
今のおまえは否定するに適切な理由が見つからなくて言葉を濁して逃げ回ってる汚い人間でしかない。

345 :
だから否定論者の学者名とかその著書の名前でも教えてくれればいいのにな
そこら辺からは逃げまくってるw

346 :
お前ら大昔の死んだ人達の事でなにやってんの?やめなさい恥ずかしいw

347 :
>>346
おまえはなんのためにこの板にいるんだよw
現代板住民ならそっちいけw

348 :
過去ログ見ないで書くけど大内義隆

349 :
織田秀信
豊臣秀頼

350 :
直江兼続もその1人だろうなぁ。一族含めて。
1人息子が死んだ後、50代半ばになった彼はこう決断したと言う。
「大禄の直江家がなくなれば、家中の財政負担が幾分軽くなる」と言って養子を取る事を拒んだ。
しかし、実際は上杉家中で老害(上杉家家老を「40年」も務めた)を撒き散らた。
そして、反対派からひんしゅくを買った挙句に、ついに主君・景勝から「養子を取り家を存続せよ」と言う、業務命令をもらう事はなかった。
米沢移転後の上杉家中は「相当苦しい目になった」と聞く。これが本音でしょう。

351 :
直江みたいな人生送りますか?っていきなり神様に問われたら
絶対イエスって言うよ

352 :
ハイハイ 他でやれ

353 :
「あまりにも」悲惨ってスレだが、
悲惨度はたいした事ない人物が多く挙がるてるのは確か

354 :
シナや中世ヨーロッパみたいな派手で残虐な処刑がないからな
せいぜい磔に釜茹でだし、

355 :
竜造寺隆信

356 :
>>353
内ヶ島さんなめんな

357 :
本多正純も余計な欲を出さなければ、「勝ち組」で昇天できたのだが…。
父親の正信は欲が少なかったから、「勝ち組」で天寿を全うした。
本多親子の石高の差を見ると、父と息子の権力との関係の差がわかる。

358 :
>357
岡本大八(劣勢)→大久保長安(復調)→宇都宮天井(自滅)。
そこへ行くと大久保家は「彦左衛門後」にちゃんと再び隆盛している。


359 :
>>357
親父は欲がないというか、欲を出すとどこかで落とし穴に落ちるかもしれない
そう用心していたんじゃないのかな

360 :
福島の呪いだな。

361 :
名前が出てない?っぽいけど、十河存保とかその子供とかいうのはどうだろう?
結局所領を失ってかなり悲惨だと思うんだが。。。
がいしゅつだったらごめん

362 :
判官贔屓有りなのか、無しか不明瞭だけど。
人物なら勝頼正室、北条夫人とか末路が悲惨だと思う。

363 :
夫に添い遂げてるんだし幸せだろ

364 :
>>362
妻の悲惨な死に様というと敵に売り渡されて拒否って自殺とか獄死とか狂死とか
さらに敵の家臣に下げ渡されて死亡とかだろ(実際にあるかどうかはしらんが)
夫に添い遂げるとか夫の死を聞いて殉じるとかは自ら望んでの死だから悲惨とは違うような
嫌いな夫に仕方なく殉じたのならわかるが

365 :
亡夫の跡を継いだ妻が寄せ手の大将に降伏してみたら、その妻になっていたってのがあったな
その後、元の主君の軍勢に攻められて落城
夫ともども逆さ磔にされた

366 :
秋山とお艶の方の話だな
あれは悲惨といえるが勝長を武田に売ったも同然だから当然の報いかもしれん

367 :
穴山梅雪なんかも逃避行の末に土民に殺害されたあげく
明智光秀に無用の首扱いとか悲惨だな。

368 :
織田勝長

369 :
武田勝頼

370 :
木曾義仲

371 :
>>354
末路が悲惨というか
「殺され方がいちばん悲惨な戦国武将」っていったら誰だろうな?
処刑が地味な日本じゃなかなか難しいか?
シナの処刑もグロいが欧州も鉄板の上で焼き殺したりすさまじいものがあるからな

372 :
筒井道隆
元トレンディー人気俳優で格闘家の子息。
過去の実績を惜しんだのか天下のNHKが彼を拾い上げ今に至る。
ギラギラとした出世欲は見せないものの、異性等に微妙な欲を見せる役がはまり役。
戦国時代に秀吉にお目こぼしにあずかった織田信雄・家康の今川氏直を彷彿させる。
鶴瓶の番組での四国田舎巡りが哀愁を誘ったのと評もあることから
足利義昭を連想する人もいるようだw

373 :
>>371
戦国武将の家柄の人物なら石川五右衛門(一色家家臣石川氏出身説がある)。
釜煎りの刑(釜茹では誤伝)だから、焼いた鉄釜で煎られるという
>鉄板の上で焼き殺したり
これと似たような感じ。
残虐な殺し方についてはキリシタンに対する拷問方法が一番残酷。
蓑踊りとか。
あと秀吉は播磨攻めの際に反抗した郷村の人間を見せしめのため串刺し刑にしてる。
逆さ串刺しだったかな?
そんで街道そばにズラリと並べた。
国許の近江に「せいせいしたぜw」みたいな手紙を送っている。
日本の残酷な処刑というと「鋸引き」じゃないかなぁ。
まっとうな戦国武将ならやっぱ秋山ぐらいしかいない気もする。
日本だとほとんど自害か斬首・磔刑・切腹だからな。

374 :
信長狙撃した坊さんだろ

375 :
大河だと、それと炎立つの渡辺謙だな。

376 :
>>371
隣国みたいに処刑場が食肉市場になったりはしなかったからな。>日本

377 :
「黄金の日日」の根津五右衛門のネ申最期に比べ、「秀吉」の赤井五右衛門wの最期はある意味悲惨。

378 :
浅井長政の息子だろ

379 :
>>377
嫁といっしょに抱き合って釜茹でだっけな>赤井五右衛門

380 :
>>374
杉谷善住坊な。鋸引きの刑。

381 :
>>378
お母さんの方じゃない。
多分、助命の約束貰ってたと思うよ。

382 :
>>373
だから戦国武将だっていってんだろw

383 :
>>382
くそ、そう言われるだろうと思ったが実際に言われるとほんと悔しいなw
だって残酷な死に方した戦国武将ってなかなか見つかんねーんだもんw
逆さ磔ぐらいしか見当たんねーw

384 :
福島正之
別所家から養子に貰われてきたが、正則に実子生まれたので
幽閉されて餓死
一番悲惨だとは言わないが哀れではある

385 :
幕末まで行けば勤皇志士が拷問死されてるんだけど
思いっきり戦国じゃないし

386 :
>>384
広島県に伝わる話だと、鉄砲で民を撃ちかけたとかあるな
正則の実子が生まれ、自分の地位に危惧を感じて狂っていったのかもしれん
最期については割腹自害したという説もあるそうな

387 :
>>167
ひねくれてるから将来のたれ死ぬと思うよ

388 :
>>386
R言い訳だろ>狂っていた

389 :
>>388
言い訳かもしれんが狂ってると伝えられてるって話。
今となっちゃ狂ったってのが本当かどうかはわからん。
腹切って死んだって説もあるし、
個人的には言い訳だと思うけど、断言まではできんよ。
まぁどっちにしても哀れな最期だわなぁ。

390 :
切腹を強要されたとか、自殺に見せかけて殺されたとか言う話はあるが
餓死、というのは日本の武士の死に方としては(篭城戦とかは除くと)結構珍しいような気がする
正則は軟禁、廃嫡に留めるつもりでいたけど、正之の方は抗議の意味もこめて
自ら食を断って餓死したのかな、などと思うと余計哀れだな。
ちなみにこの人の息子の大道寺直秀は、福島家再興を画策して、
その動きを危険視した母親に毒殺されたそうな。

391 :
僧侶とかなら良くある話なような気もするが

392 :
北畠家のほとんど

393 :
戦国じゃないが、藤原清衡
錆びたノコで首落としたんだよな

394 :
>>393
清衡って奥州藤原氏の初代だろ・・・

395 :
だから渡辺謙だろって

396 :
それは炎立つの藤原経清だろ。

397 :
亀田3兄弟
しろう

398 :
尾崎豊

399 :
亀田は内藤にぼこられて瀕死になるがいいさ

400 :
小早川秀秋

401 :
石田三成

402 :
殺され方が悲惨な戦国武将か・・・
徳川から武田に寝返ろうとした、大賀弥四郎とかどうだ?
裏切り計画が露見して、妻子磔を見せられた後に、足の腱と両手の指全部切断されて。
首だけ出して埋められて、鋸びきの刑。6日後に死んだみたいだが。

403 :
孕石だったかな?家康に降伏許してもらえなかったの

404 :
二階堂なんちゃらも、死んだ後のあつかいが、、、
某ゲームのグラなんか凄いよ。

405 :
息子は天下一の美男子なのにな。

406 :
>>403
高天神城陥落後の孕石元泰だな。
駿河時代の家康を小馬鹿にした恨みで斬首の予定だったが、
大人気ないと諌められて切腹に変更した、とかいう話だっけ?

407 :
>>402
大賀弥四郎なんか存在したのかどうかもあやふやだし
そもそも戦場に一度も出たことがない経理の人だからな
武将か?っていわれるとちょっと違和感が

408 :
武田勝頼だろうな
戦国最強(失笑)と噂されていたらしい最強??軍団を率い
徳川・織田と遣り合っていたと思ったらあっという間の転落人生
最後は家臣に裏切られ山中を彷徨った挙句の自刃www
大大名としての武田は滅びましたとさ、めでたしめでたし

409 :
たぶん伊東より酷いのはいないよな
大友も中々酷い。
茶々なんかも惨めだよねー

410 :
家康の嫡男、信康様。

411 :
小梅太夫

412 :
地震で一族滅亡した飛騨の大名なんつったかな

413 :
おいらのちんちん。

414 :
>>246
すごい歌を詠んだもんだよな。この歌はすごい。

415 :
野田城攻めの最中にあっけなく射殺された信玄

416 :
大名の都合でどうにでもなった国人衆や庄屋がそうなんじゃね。
ただ塞翁が馬じゃないけど、
毛利家の改易に巻き込まれた庄屋が200年後日本の総理大臣になる青年を面倒見た
という事実もあるがな。
別にその家が幸せと言うものでもないが。

417 :
>>412
内ヶ島家
大名なんてそんなたいそうなもんじゃなくて、
小豪族・国人クラスでしょ

418 :
武田勝頼


419 :
中川昭一

420 :
明智

421 :
わずか10歳で処刑された浅井長政の子、万福丸。串刺し刑が本当なら悲惨過ぎる

422 :
武田信勝
KYな祖父と父を持った為に悲惨な末路

423 :
>>421
串刺しでRんじゃなくて、
打ち首で殺してから、見せしめのために死体を串刺しにして晒す、という方法。

424 :
難波田義銀しかおるまい

425 :
>>424
当時の井戸って蓋してなかったら落とし穴と変わらんしな

426 :
千葉邦胤

427 :
大老の井伊

428 :
たぶん俺?

429 :
>>428
え?

430 :
信長の野望でわいに捕縛後斬首された今川氏真。

431 :
福島正則だろ。
心の中で何度も秀吉や三成に詫びた事だろうな。

432 :
>>430
わかるぞそれww
なんもせず斬首を選んだら命乞いしやがったけど斬首をもう一度ww
もう二度とあの不細工ヅラを見る事はなくなった

433 :
>423さん
何かその時代に戻って見て来たような書き方です事。
戦国時代の磔の多くは、囚人のおいどの穴から細身
の特別に作らせた竹槍で口まで貫き通す串刺しの刑
が主流でした。囚人が女性の場合は、恥しいもう一
つの穴からどうのこうのと言う小説も多いですが、
全て嘘です。おいどから口まで貫き通す方が、なか
なか絶命しないのですよ。見懲らしには持って来い
の方法でした。

434 :
>>433
あのね、万福丸は首を落とされた後、串刺し(頭も胴体の上にくっつけて)にさらされたの。

435 :
上杉景虎はどうだろう。
兄はなかなか来ないし、
味方のはずの武田は景勝に付くし。

436 :
それだったら大内義長。
茶入より低い価値とされた。

437 :
関白秀次以上が思い当たらない。

438 :
昨年の溝ドラマで人間であることを完全否定された
桂岩院(景勝の側室)が最上駒姫と並ぶ女性部門トップか。

439 :
やはり辛酸を舐めて死んでいったのは、信長の三男織田信孝であろう。
彼の生母は坂氏という身分の低い家柄であった為、実は信雄より先に
生まれているにも関わらず、弟にされてしまった。
信長死後、柴田勝家について反秀吉軍団に属するが、秀吉に攻め立て
られ、大事な娘と生母まで人質に取られてしまう。だが、元々優柔不
断な性格から、人質を秀吉に取られているのに再び裏切って勝家に付
き反秀吉色を明らかにした。いくら秀吉でも二度の裏切りに堪忍袋の
緒が切れて、信孝の居城を攻める前に安土城の馬場で、先代の側室で
ある坂氏と信孝の長女雪姫を磔にして万福丸同様に無残な串刺し刑に
処してしまったのだ。
だが、柴田軍は早々と秀吉軍に破れ敗走途中で信孝は捕らえられ、知
多大御堂寺に幽閉され切腹を命じられた。
この時の辞世の句が、怨念のこもった物であった。
「昔より主をうつみの浦なれば報いを待てや羽柴筑前」
この話には後日談が付く。三十路を大きく回っていたとは言え、主君
信長の側室であった坂氏寛子は絶世の美女で、秀吉はぞっこんであっ
たのだが、彼女は頑として情けを受けようとしなかった。
それで秀吉は、腹いせに生き身の女子にとっては極刑中の極刑である
串刺し刑に処したそうだ。哀れなのは十歳の娘であった。信孝の乳母
も許されずに一緒に串刺しにされたそうだ。安土城の馬場は、三人の
女子の血で染まり、それを血祭りに狂った様に戦ったそうだ。


440 :
明智光秀、別所長治、清水宗治、長宗我部元親あたりかな

441 :
清水宗治は悲惨かなぁ?
あれがあってこそ、ここまで後世に名を残したと思うし……

442 :
貧乏で餅が買えなかった戦国武将っていなかった?
なかなかの猛将だったが、貧乏だったっていう・・・

443 :
スレタイ見て即座に思いついたのは中野宗時
>>6も挙げてるけど、最後が餓死とか哀れすぐる、貧民でもないのに

444 :
>>441
完全に死に損だぜ?

445 :
>>442
公文重忠

446 :
>>445
ウィキペみると公文公の祖先だってな。
まさか公文式で名を広めることになろうとは。。。

447 :
餅が買えなくて死んだんじゃないだろw

448 :
九戸一族

449 :
餅が買えなかったのは藤堂もかな。

450 :
>>444
秀吉に利用されたにせよ、判断したのは主家だし。
城兵や主家のために切腹、何ら恥じる要素もない。
あの一件がなければ、ほとんど歴史に名前も出ていなかっただろうこと考えると、
後世に勇名を残した死に方が、悲惨とは思わないなぁ。

451 :
>>449
それは末路とはいわない

452 :
同じ毛利関係なら三村元親の方が悲惨かな
父の敵宇喜多直家と主家毛利が手を組んだから信長と手を組んで滅ぼされるってゆー
常山城での鶴姫の最期とか泣ける
時代に翻弄された一族だよね

453 :
香西元長
盛者必衰の理をあらわしてる。

454 :
大友家に謀反したとして攻められ、互角に戦った後
和睦すると偽られて騙し殺された佐伯惟治
死んだ後怨霊になったとされ、その霊を鎮める神社が
20余り建立されたやばい人。

455 :
残虐な事を繰り返してて、死んだときに
敵はおろか、味方にも喜ばれたのって誰だっけ?

456 :
森兄弟

457 :
南部宗秀の名前がでてないな

458 :
>>455
ひぜんのくまさん
ピンチに側近に放ったらかしにされて置いてけぼり状態で惨殺され、
その後「首は返すよ」と敵に言われるも「そんなもんいるか!」と拒否されたという

459 :
九鬼の親父
関ヶ原で負けるも東軍の息子のはからいで助命
ところが息子の部下のうっかり早とちりで切腹
息子は当然怒って部下斬首
かわいそす

460 :
>>458
森武蔵のことじゃないのかな

461 :
みんな、歴史の主人公になりたくないか?

462 :
信長の八男の織田信吉さんも、悲惨だと思う。関ヶ原の戦いで西軍だったが、命からがら逃走。大阪の陣では、真田幸村に総大将の座を持って行かれて、自分はふて腐れて京都の屋敷で引きこもりになり、その後に病死。

463 :
北信景は悲惨だろ
凌遅刑にされたんだよな
南部家には武士の情けもないのか

464 :
だって南部なんだもん

465 :
ま東北は何をやっても場外乱闘というか番外編というか、
中央の話であれば大きく扱われそうな出来事でも、
ほとんど無かった扱いにされるので、より悲惨さが際立つな。

466 :
北にあるのに何故南部

467 :
北がいるからいいじゃない

468 :
北畠だって畠山より南にいるぜ

469 :
しぶとい生命力だったのに、意外とあっさりした最後の斎藤龍興

470 :
>>469
いや斎藤龍興がしぶとかったという事はあるまい。
信長の一方的な情けで命を助けられ美濃を追放されたのちも
織田領の周りでコソコソしていて、やられたというだけだ。
見逃されたゴキブリが別の機会に殺されただけの話し。
せめて、信長に一泡吹かせるとまではいかなくなくても一矢報いた
とかいうならともかく、そんな話しもないし。

471 :
>>458
何で、そんな扱いを受けたんだろうか?
鍋島直茂も少しくらい配慮してやれよと思う。

472 :
>>471
ググればすぐ出てくるよ

473 :
初めてこのスレを見てるけど、
足利義昭
じゃないの?
現職の将軍様なのに追放されて鞆の浦に隠棲。
秀吉の唐入り時には名護屋城で布陣している。
信長の下の秀吉にも完全屈服。

474 :
義昭はもともと兄たち同様三好松永に殺されるはずだったのが、大逆転で将軍になれた人だからな。
似たような境遇の尼子勝久よりずっと長生きできてるし、むしろいい方じゃないの?

475 :
似たような境遇で自滅した足利義教

476 :
どっちかっつーと足利義教は劣化信長だな、暗殺されてるし。
いや、彼のが先達なのは解っていってる。

477 :
足利義教はやりたい放題やっての結果だから、まあ仕方ない。
足利義昭は諸国の大名に打倒信長の手紙を書いただけ。
>>474
長生きを基準にしたら、八丈島の宇喜多秀家は幸せだったのかい?

478 :
>>477
長生きと言ったら真田信之さん(ry

479 :
俺も義昭が悲惨だったという見方は反対だな。
生まれた頃から栄華を極めた将軍から転落したというならともかく、
室町幕府なんて三代義満以外はロクな権力も持たず、
六代は殺され10台あたりから全国流浪が始まってたからな。
とうの昔に有名無実であった将軍家なのに織田や毛利のもとで
寄宿して生きるのがそんな悲惨だったとは思えん。

480 :
そもそも百歩譲って「足利義昭の末路は悲惨だった」としても
そんなの本人にしかわからんだろうが。
あるいは本人が決めることだろうが。
>>473>>477は足利義昭が「私の末路は悲惨でした」と言ってたのを聞いたのか?
あるいはそんなことを本人が言っていたという史料があるのか?

481 :
そんなこのスレの根底を否定するような無粋なこと言うなよw
をれを言いだすと暗殺されたり島流しになって田舎で一生を過ごしたような人だって内心は
「まあ武士だし暗殺されても悔いはない」とか「田舎でも殺されなかっただけマシだ」
とか本人はそんな悲惨だと思ってなかったかもしれんし

482 :
>>481
でもさ三国志の阿斗の逸話みたいな例もあるし。

483 :
>「私の末路は悲惨でした」
こんなことを書き残したり言い残したりする人物がいるのか?
それが本心だと判定できるヤツがいるのか?
ID:JfGH8iMT は真性の阿呆かもしれん。

484 :
辞世の句で「もうこんな所で死ぬのが残念で残念で仕方がない、絶対祟ってやる!」
ぐらい歌ったような人でないと判定できなくなるわな
それですら本心かどうかを判定する必要があるんだろうが

485 :
辞世基準だと、織田信孝とかおつやの方とかか…

486 :
主体的行動を起こしての結果ならやるだけやった感があるんじゃね?
例えば 宇喜多八丈島秀家、足利お手紙義昭、織田優柔不断信孝
逆にどうみても巻き込まれ系は悲惨だなと思う
河尻秀隆、伊東義祐、最上の姫(秀次側室)

487 :
宇喜多秀家とか足利義昭は自らが招いた事態で、
むしろ周囲の大勢の人を巻き込んだだろ。

488 :
>>487
義昭は「室町将軍」
秀家は「秀吉の縁者」
どちらもおとなしく信長や家康に恭順してたとしても立場的に
いずれ難癖つけられ用が済んだら始末(改易やら追放やら)される運命だったと思うけどね。

489 :
でも義昭は自業自得な気もする

490 :
このスレはあくまで「悲惨だと思う人物」を書いていくスレだから
あんまりその人生の是非を論じたいんなら義昭のスレにでも行ってくれ

491 :
だれがもっとも悲惨だったか、というスレでもない。

492 :
義昭はともかく秀家はじっとしてればたいした問題にならなかったんじゃね?

493 :
>>492
中国地方3ヶ国50万石持ってる秀吉の元養子なんて危なくて仕方が無い
もし彼が関が原で東軍についてたとしても、大阪の陣の前あたりで変死がオチかと

494 :
まぁ、>>1みたいな末路だとしたら、本多正純か。
親子揃って徳川政権の事実上の支配者みたいな存在だったし、
幕府が開いてからは常に家康の元にいて、父親以上に重用されたわけだし、
家康と正信が死んでからおかしくなっていったとはいえ、
別に秀忠との仲も良好だったはずなのに、あれよあれよという内に孤立無援になって落とし穴に落ちて改易。
幕府体制はほぼ完璧な状態に仕上がっていた為、今更逆らう事も出来ない。
しかもその幕府を築き上げたのが他でもない自分自身だというから笑えない。
他の豊臣恩顧が改易されるのとは訳が違う。
まさに「どーしてこうなった」状態。
関ヶ原合戦の後に、捕らえられた石田三成に対して、「時勢や人心を読めん奴」と嘲笑したというが、
人生終わってみたら、「お前が言うな」だったな。

495 :
■菩提寺にチョコ/ホテルにプラン
戦国時代の岡山の大名、宇喜多秀家が、
戦国ブームにのって人気急上昇中だ。岡山市内の菩提(ぼ・だい)寺では参拝者が増え、
ホテルは秀家をテーマにした宿泊プランをヒットさせた。「戦国の貴公子」ぶりが
「歴女」(歴史好きの女性)の心をくすぐるようだ。(八尋紀子)

■貴公子ぶり・生き様魅力?

くっきりした瞳に、すっと通った鼻筋と優しげな口元。岡山城に残る秀家の肖像画は
美男子そのもの。絵は1966年ごろの作だが、母親は夫の死後、豊臣秀吉の
寵愛(ちょう・あい)を受けた美女とされるだけに、美男子だった可能性は高い。
宇喜多一族の位牌(い・はい)がある光珍寺(岡山市北区)に、
若い女性が目立つようになったのは一昨年末ごろ。主に男性の檀家(だん・か)や
歴史ファンによって毎年11月に営まれていた秀家と宇喜多家の法要に、
昨年は20人以上の女性が参加した。
イカソース
http://mytown.asahi.com/okayama/news.php?k_id=34000001003170001

だそうですよwwwww

496 :
宇喜多秀家の実父はかなり酷い手段を使って土豪から成りあがった宇喜多直家。
宇喜多秀家の養父は平民から成りあがった貧相な豊臣秀吉。
どこを取っても貴公子とは言えないと思う。

497 :
>>494
三成は加増転封断ったりして、まだ自分に厳しかったからな
正純みたいに領地欲丸出しで将軍の姉上に恨みを買うようではダメだな

498 :
>>496
いや親父がどんな低い出自でどんな汚い手を使って成り上がった者だろうと、
二代目が貴公子に育つことは多い。
一代目がどんな人物だろうと「二代目は大組織の御曹司」になるからな。
まあ、そういう親父は子供には甘いせいってのもあるかもしれん。

499 :
実際、秀吉が農民上がりでも
秀頼は「成人するまで牛を見たことがなかった」ような
世間知らずのお坊ちゃんに育つんだしな。

500 :
>>497
滝川一益と蒲生氏郷は加増転封を断り切れず、渋々従った。
明智光秀は断ったが受け入れられず、謀反を起こして滅んだ。
石田三成は断ったが受け入れて貰えた。三成は自分に甘かった。

501 :
源頼家
実母とその実家VS政略結婚させられた嫁の実家
無理やり将軍職をはく奪され、入浴中に殺される
別の家に生まれたかったろう

502 :
関白で当初は世継ぎのはずだった秀次の周りに近臣として仕えていたのに
あげく憂さ晴らしで一族郎党殺された人たちはどう?

503 :
>>501
一応暗黙の了解として戦国時代の話だろうが

504 :
秀吉だろう。
天下人も我が子の行く末を心配するだけの
ただの哀れな老人に成り下がった最後だった。

505 :
天下取って天寿全うしただけマシだろ。
そんな人間2人しかいない。

506 :
豊臣 秀次のよめたち
とうじいちにを争うくらいの男にとついで勝ち組
とおもいきや、肝心の秀次があほだったので、いつの間にか
罪人扱いを受けさらに殺され穴にうめられた。

507 :
なんか犯罪予告文みたいな文章だな

508 :
今、思いついたが織田秀信なんかも不幸な気がする

509 :
>>508
状況だけ考えるとけっこう悲惨なんだけど、
残した文章とか見る限り本人はあまり自分のこと不幸だと思っていなそうなんだよな
お坊ちゃん育ち故のお人よしというか

510 :
松平広忠
いい奥さんに巡り合えた事だけが唯一の救い。
政情の変化で離縁させられたけど…

511 :
>>509
爺さんの顔も父親の顔も知らないからじゃないの?
物心ついたときにはサルが天下人だもん

512 :
>>505
そういや、秀吉って不思議なくらい「不自然死」とかいう話しがないんだよな。
天下人という立場やその後の状況から言えば、そんな噂の一つも出てもいいと思うんだが。

513 :
利休と秀次、死に方は自然だが理由が不自然

514 :
不自然って言うか、北条氏直と織田秀信
配流されて直ぐと言うのが・・・

515 :
死を減ぜられて配流されたのだから、暗殺されることは無いだろう。
高野山の極寒の環境に慣れなかっただけでは?

516 :
>>515
まあ、秀信も氏直も、れっきとしたプリンスでいい暮らしはしてただろうし、
高野山の不自由で貧しい暮らしには耐えられなかったのかもしれんね。
多分、彼らが当主だった頃はほとんどのことは
人に言いつけてやらせるような生活をしてたんだろうしな。
あと氏直は元々、体が弱かったという話もあるし、
逆に秀信は秀吉の性格から言って極甘に育てられたんじゃないだろうか。
秀次、秀頼、鶴松などを見ればわかる。

517 :
後醍醐天皇は隠岐とか吉野でも元気でやる気マンマンだったよ

518 :
あの人は元からプリンスじゃないもん
大覚寺統の傍流だったのが、ピンチヒッターで天皇になった(この時すでに歳いってる)幸運児だし
持明院統の嫡流と傍流、大覚寺統の嫡流と傍流の四つの流れがあの当時あって
後醍醐以外みんな彼と敵対している
後醍醐は隅っこで生まれてガッツリ皇統狙いにいってる野生児だわさ

519 :
>>514
氏直も秀信もすぐというわけではないだろ
秀信は1605年まで生きてるし、氏直は1591年に死んではいるが既に許されており旧信雄邸と1万石を貰ってる
氏直は病死(疱瘡?)らしいが、秀信は高野山追放時に何かあったのかもしれんけど

520 :
三好吉房
当人は案外悠々自適の晩年を過ごしたのかもわからないが
太閤の義兄たるものがどこで死んだかもはっきりしないというのは…

521 :
だいぶ上で真田信之出てるけど
信之は末路というよりは人生全体を通して悲惨な気がする。
最後だけクローズアップするとむしろ戦国期の武将としてはまずまずな死に方できてると思う。
でも寿命長すぎて息子や孫にまで先立たれた上、
最後の最後まで御家問題で揉めるハメになったのは悲惨かも

522 :
信之は大往生じゃないか?
早死にしてたらおそらく改易されてただろう
仕事をやり終えて死んだ家康と通じるところがある

523 :
「オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪」
   ∧_∧   ∧_∧
  ( ・∀・) ( ´∀`)
 ⊂    つ⊂    つ
  .人  Y   人  Y
  し'(_)   し'(_)
 「あぁ 恋せよ アミーゴ♪踊ろう セニョリータ♪」
   ∧_∧  ∧_∧
  (・∀・ ) (´∀` )
 ⊂、   つ⊂、   つ
    Y 人    Y 人
   (_)'J   (_)'J
  「眠りさえ忘れて 踊り明かそう♪サーンバ ビバ サーンバ♪」
  ∧_∧  ∧_∧
 ( ・∀・ ) ( ´∀` )
 ( つ⊂ ) ( つ⊂ )
  ヽ ( ノ  ヽ ( ノ
 (_)し'  (_)し'
 「マ・ツ・ケ・ン サーンバー♪オレ♪」
    
    ∧_∧   ∧_∧         
  ∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩        
   〉     _ノ 〉     _ノ          
  ノ ノ  ノ  ノ ノ  ノ               
  し´(_)   し´(_)               
【ゴールデンレス】
             このレスを見た人はコピペでもいいので
             10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。               そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
              出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です

524 :
>>493
とりあえずは備前・美作・備中半国に播磨を加増されて100万石強の大大名
にはなっただろうが、末期は越前の松平家みたいになるのではないか?

525 :
どっかの国の王になった山田長政だったか?
傷治す薬が実は毒で亡くなっちまうような気がするが。

526 :
結城晴朝

527 :
尼子勝久

528 :
伊達政宗や徳川家康の死因は胃癌らしく
鎮痛治療のなかった当時としては地獄の来る祖身を味わって死んでいったろうな。
同じく癌で死んだ前田利家も実際は傷みに耐えられずに自刃したらしいし。

529 :
浅井長政の母親だったかが
指を一本ずつ切断されたあげく殺されてるんだよね
単なる大名母堂に過ぎないのに
何でそんな目にあってしまったんだろう
信長を侮辱かなんかしたのかな

530 :
朝倉義景の母だったと思う>指一本づつ

531 :
織田信成

532 :
指をちょっとずつ信長にちょんぎられたのは小野殿(阿古御料人)
浅井長政の生母
まあ長政の裏切りがよっぽど憎かったということだろう

533 :
妹を寝取られた腹いせか

534 :
上杉朝定も悲惨だなあ。川越夜戦で不意を喰らって討ち取られ、子供もなかったので、
名門扇谷上杉氏は断絶(子孫なし)。
上杉憲政(山内上杉氏)は、本人は御館の乱で殺害されたが、子孫は生き延びて上杉
の御一門衆として残ったからまだマシ。

535 :
やっぱ子供はばんばん作っておかないと駄目なんだな

536 :
名もなき足軽

537 :
おね
さんざん利用された挙句、豊臣家は滅び
悲しい思いをした。

538 :
>>537
愛人とその子を抹殺できたんだからそうでもないかも
実家や子飼連中は生存中は存続してたし

539 :
あんなけ忠義を尽くしたのに結局主筋を滅亡に導いた福島正則か
あとは末代まで恥をさらした小早川秀秋

540 :
盲腸とかで死んだ有力武将とかも別の意味で悲惨というかついてないな。

541 :
>>540
昔は盲腸は治療手段がない死の病なんだが。

542 :
真田幸村、大谷吉継、毛利勝永

543 :
安田国継

544 :
>>538
側室は愛人ではないし
北政所は秀頼を大切にしていたよ。

545 :
昔は盲腸や虫歯でも人が死ぬんだし、
ガンや胃潰瘍の鎮痛治療がない。
つまり、そういう厄介な病気になった人物の晩年は地獄の苦しみなわけだ。
だから、そういう人物は「さっさと死んで楽になりたい」と考えるわけ。
病気の治療法や苦痛軽減の手段がいっぱいある現代人とは一緒に考えてはならない。
丹羽長秀は腹を切って胆石を取り出して死に
一説に前田利家も胃癌で苦しんで自刃して死んだという。
歴史上ではあえて不利な勢力についたりして華々しく死んだ人物を賞賛してるが、
実際は大谷義継とか真田幸村も病気苦が原因で死に急いだのではないかと推定できる。

546 :
>>542
   . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
あれだけ好き勝手やって後始末丸投げしたハゲの何処が悲惨だと…
人の金で子供養育したニートなハゲが悲惨だと…
問い詰めたい、小一時間問い詰めたい

547 :
>>546
お兄ちゃん…

548 :
>>545
真田幸村って何の病気だったの?

549 :
>>548
50にして腰が曲がり歯がほとんど抜け落ちる症状。
大阪の使者が来たときも床に臥せってたという。
具体的な病名はわからないが、相当に不健康だったのは確か。

550 :
>>549
そんな状態で家康本陣に何度も突撃できるのか?
もしかして冬の陣の活躍も江戸の講談?

551 :
>>550
間違えた。 冬の陣じゃなくて夏の陣。 

552 :
>>550
人間興奮すると痛みとかあんま感じないし、なんとかなるんじゃねぇ?

553 :
突撃するのは兵だもの、こいつは後ろで号令してるだけ

554 :
まあ、少なくとも幸村が自ら槍をふるって
敵を蹴散らしたみたいなイメージは講談だな。

555 :
藤原信頼

556 :
神子田は自分に落度有りだが
落度無しで悲惨な最期と云えば誰かな?

557 :
姫でもいいなら最上義光娘の駒姫だな
豊臣秀次の側室になる為に京都に到着後まもなく秀次切腹
正確には秀次の側室にまだなってはいなかったが側室として連座適用されて処刑

558 :
特段の落ち度がなかったと思われる中では、前野長康とかかな。
佐久間父子や安藤伊賀守、磯野員昌あたりも、本当に落ち度があったのか良く分からないけど。

559 :
大澤アホ典

560 :
織田秀信だろうなあ。信長嫡孫が関ヶ原の結果岐阜城追い出されて高野山登ったら、
高野山の連中から「お前の爺ちゃんが高野山にしたこと知ってるのかぁ?」と苛め抜かれて
高野山からも逃げ出し最後は野垂れ死に。
再就職に成功している旧家臣もたくさんいたのに、誰一人彼を助けようとしなかった当たりも
色々と想像させる。

561 :
藤原泰衡だろ
耳は削がれ、眉間に五寸釘打ちつけられたからな
写真で泰衡の骸骨みた事あるけどグロかったぜ

562 :
死んでからという意味では、浅井・朝倉の髑髏杯かな
あれって安土城と一緒に焼けたのか、埋葬されたのか

563 :
やっぱり、一時代の栄華から転落して、路上浜辺とかに
野ざらしに置かれちゃう人とかかなあ・・・

564 :
国宝になっている茶碗だけ持って野垂れ死にしていた
喜左衛門

565 :
総じて戦に敗けた側は悲惨だが、武田勝頼の最期もかなり悲惨。
空腹と疲労で動けないところを織田方の兵に討ち取られ、首は他の首と一緒に
馬にくくり付けられて運ばれ、誰の首だか分からない状態に。首実検でかろうじ
て勝頼の首と分かった。

566 :
近衛文麿
青酸カリ自殺

567 :
近衛とか東条って右翼なの

568 :
>>546
有能なDQNを家族に持ったばかりに寿命を100年縮められたこの方が最も可哀想

569 :
藤原信頼

570 :
寺沢・松倉
>>569
ガキの頃読んだ歴史マンガでは源義朝にペシッ!!と叩かれてて、可哀想に思ったw

571 :
      
      信
   田  

           

          長

572 :
>>569
受験生時代予備校に置かれた漫画では泣きながら土壇場に縛らるたな

573 :
なぜ佐久間信盛の名前が出ないのか

574 :
義経を騙し討ちした藤原秀〜だったか頼朝にとらえられ釘で打たれた。

575 :
>>574
秀〜はちゃう
息子の泰〜の方や

576 :
小早川秀秋だろ
友も失い、名も失い、家も失った
気の毒


577 :
>>576
先日「宇喜多と池田の間に岡山城主って誰か居たっけか…」ってしばらく考えてから出て来たよ

578 :
宇喜多と池田の間は分家の池田

579 :
>>578
ノシ

580 :
>>579
Х 576 → ◯ 577
サーセン

581 :
藤原泰衡は平泉から逃亡しながら鎌倉に対して命乞いの
投書をする等小物臭が半端なかったな。

582 :
戦国時代板なのに、
現状が悲惨なバカばっかり揃ってる

583 :
島津義弘も悲惨といえば悲惨。
お家のためにと思って参戦した朝鮮征伐や関ヶ原では、義久の協力を得られず孤軍奮闘。
特に闘いたくもない関ヶ原では必要以上に敵扱いされ、薩摩に帰れば戦犯扱い。
すでに高齢だったのに。

584 :
最晩年にはものを飲み込む力が衰え、食事もままならなくなっていたが
家臣たちが鬨の声をあげるとがばと跳ね起きて飯をかきこんだという話もあれだな
まあ、その手の話を悲惨だと言い出したらきりがないけど

585 :
>>583-584
痴呆には勝てないな。

586 :
今も昔も認知症(痴呆症)は厄介だよね。
俺も身内がそうなってしまって、そのすざまじさに絶句の毎日だった。
仕方なく、入院して病院で面倒見てもらってる。
ただ、昔は長生きする人が少なかっただけにそうなる人も少なかったんだけどな。
よく姥捨て山とかいうけど、
実際に老人が息子たちに捨てられるのは
認知症になって、もはやどうにもならなくなった時に捨てられるんだろうな。

587 :
尾藤知宣

588 :
さんどぉ〜ばあっぐにぃ〜うかんで〜きえぇるぅ〜

589 :
山上宗二

590 :
武田信虎は八十歳すぎても追放前と変わらぬ荒々しさで、
昔を知る老臣がビビって甲斐に入れさせなかったという

591 :
島津義弘は晩年寝たきりになったが、法螺貝を吹いた時だけ目を覚ましたとかいう逸話もあるな

592 :
毛利元就
晩年はボケ老人

593 :
上杉憲政
関東管領山内上杉家に生まれてワガママに育つ↑↑
→北条にフルボッコされて涙目↓↓
→かたきのはずの長尾家頼る↑
→家督をゆずった政虎が北条フルボッコしてくれて少しスッキリ↑↑
→謙信が死んで何故か酷い目に遭わされた北条の子供を支持
→どさくさ紛れに殺される↓
→甲陽軍鑑に暗君の筆頭として紹介される↓↓↓
→2chに経歴を晒される↓↓↓

594 :
北条氏康
謙信や信玄を恐れてストレスのあまり脳溢血で痴呆症。
最後は越相同盟破棄したい氏政に暗殺される

595 :
>>593
>→甲陽軍鑑に暗君の筆頭として紹介される↓↓↓
これって一番悲惨だよね
実際に武士が居た時代のベストセラーで叩かれて訳でしょ
今の時代で叩かれてるより本人には辛いと思うよ

596 :
越相同盟どう思ったんだろ

597 :
その時点でもう北条の関東支配を半ば認めてたんじゃないの

598 :
死んだ後も永久に腰抜けとか馬鹿って言われ続けるのが一番悲惨だよな・・・
「名こそ惜しめ」とはよく言ったものよ

599 :
千利休
内々の儀は宗易とまで言われた男が切腹のさせられたうえ
自分の木造に踏まれて晒されるとか落差が半端ない

600 :
少弐一族

601 :
少弐さん達は、あれだけしつこく粘れば武門の誉と言えるんでないかな
ある意味、歴史の中で真っ白に燃え尽きることができた一族だろう。

602 :
城井長房
よく下野宇都宮家の内紛に介入って記述があるけど
豊前からちょくちょく出向いていったんだろう。
そうまで人に尽くしていながら最後は一族もろとも滅亡。

603 :
細川晴元はどうだろ?

604 :
ターザン山本!

605 :
>>593
嫡男を残して逃走、その嫡男が北条に捕らわれて処刑も追加。

606 :
>>603
高国の方が悲惨
管領だったのに(本当かは知らないけど)子供に見つかって切腹だからな

607 :
長井秀和

608 :
ノリさん

609 :
目指してる 未来が違うww byシャープ
http://twitter.com/ozawa_yuuki/status/6549767047872513 

610 :
尾藤知宣

611 :
大田道灌さんとか、松平清康さんもその将来性を考えたら悲惨。
あと島津忠良の父親なんて、馬丁に撲殺されたとか、何をトラブったんだろう
これも悲惨

612 :
松平清康は近い将来、
織田と今川の2勢力に挟まれることを考えると
名将のイメージのままRた感じ。
「徳川家康影武者説」的に打ち込んでwikiでググったら
守山崩れの年代・死んだのは孫の家康とかあったけど
それなら尚更、せっかく岡崎に帰還できたのに悲惨...とか思う。

613 :
むしろあの時期に暗殺されていなければ十六松平の内部争いで泡沫のごとく家そのものが
消えていたような気がする。

614 :
16松平ってか主に桜井だな……
ただどこかで清康は織田キラーではあったとか聞いたから
そのまま信秀さえやっとけばなんとかなったかもしれん
うん、やる前に結局暗殺されそうだな

615 :
小笠原長時
「戦争? 祭りが優先だばかやろー」民は言うことをきかない。
信玄に滅ぼされて。
亡国後、三好長慶を頼るも、長慶死亡で内乱状態。
上杉謙信を頼るも、謙信死後に内乱。また流浪。
葦名盛氏のところで食客。なんかここも左前。
「おじいちゃん、旧領に封じられたよ。帰ってきなよ」
孫・貞慶からの招待状に、喜びいさんで出発しようと
「これまでの恨み、はらさせていただく!」
部下の馬借に殺され、異国で果てる。
 …はるかなる南信濃

616 :
貞慶は長時の子供だった 訂正

617 :
羽柴四天王のうちの神子田正治と尾藤知宣、似たような最後

618 :
>>615
長時、殺される前には失明状態でかなり衰えてたみたい。
カワイソス(´・ω・`)

619 :
たまにage

620 :
逸話レベルだけど
ギン千代の末路も全米が泣いた感じだよな

621 :
東電社長。エリートコースまっしぐら。巨額退職金と年金たっぷりで老後も安泰のはずが、、、、、

622 :
あんなの謝って見せてるだけで、老後安泰に生きる気満々でしょw
自分たちのしでかした事を判ってりゃ全財産を寄付して自殺してもまだ足りねぇ

623 :
松平 清康

624 :
東電の社長は、なんで俺が社長の時に地震くるんだよ。
ついてねーちきしょーとしか思ってねーし。

625 :
公開処刑されたわけでもねえし、
東電の社長は今まで甘やかされすぎだった。
くだらねえ。

626 :
一色義清だろ。
家督相続直後に討死滅亡。

627 :
こうなってみると、何回かでてきてるが内ヶ島一族はやっぱり悲惨だなあ

628 :
ワンジル

629 :
家臣に嫡男ともどもブチ殺され死体も遺らず
また別の家臣に家を乗っ取られて息子達を争わせて殺し合いさせられると言う
古今東西まれにみるバカ殿信長

630 :
それは末路なのか?

631 :
>>629は古今東西まれにみるバカw

632 :
秀次さんも入れてやって

633 :
一族郎党は悲惨だったけど本人は名誉の切腹だからいいんじゃね

634 :
3カ月放置プレー上げ

635 :
前波吉継

636 :
豊臣秀吉。
晩年は壮年時代の見る影も無く、痴呆状態。
よりによって、家康に息子を託すぐらい血迷っている。
慶長の役は、文禄と違って殲滅戦争しろと命令しているので、講和すら出来ず、
自分が死んだら「やっと死んだ」とばかりに日本軍は撤退。
秀次も死んで、一門にも恵まれず、加藤や福島ら子飼いの武将は石田らと対立しているし、
領土も蔵入地からの収入で、しかも徳川家より石高が下。
三公二民とも言われるくらいの重税で評判は悪く、まさに裸の王様。悪しき軍事独裁者そのもの。
豊臣家の将来はお先真っ暗の状態で死去。
天下取るまでの秀吉はどこへ行った状態。

637 :
>>629
さすがに、自分の死後に息子が何をするかまでは影響力を行使できないでしょーがw

638 :
島津歳久

639 :
福島正則かな?
このタイプ現在も多数存在しそうなのが、イタイ。

640 :
>>639
どうせ愚痴言いながら酒飲んでたんだろうし
そんなに悲惨じゃ無かったんじゃない?
2万5千石あれば酒代には苦労しなかっただろうし

641 :
その二万五千石も己の遺体処理の不手際でぱーだけどな

642 :
>>632
秀次の側室たちが一番可哀想だわ

643 :
大飢饉で、
先に死んだ家族の肉を半狂乱で食って、
それでも餓死した、
名も無き農民もいたんじゃないか?

644 :
長島の信徒や鳥取城の兵士たち

645 :
篭城戦ってのはある意味そこまで頑張った自分自身の意志による悲惨さだからな。
選択の余地もない悲惨さとはまた違う気がする。

646 :
嫁さんのわがままのせいで自ら生き埋めになった逆さ水松の人

647 :
宇喜多秀家と申しますが、
ご質問を承ります

648 :
結局長生きしたし、良いんじゃねえの

649 :
でもやることがなくて退屈でした

650 :
調所広郷はどうでしょう?

651 :
板違い
この時代で島津関連で言うと伊集院忠棟一家かな
最も「豊臣秀吉にすり寄った裏切り者」という評価から見ると全然悲惨じゃないという意見もあるだろう

652 :
秋田実季
愛用のドール、凍蚓と語り合う晩年とか悲しすぎる

653 :
>>647
ご飯もう召し上がらないんですか?
えっ、奥さんのお土産に持ち帰りたい?
そういうことでしたら、別にご飯を用意しますって…。

654 :
>>652
地味に長生きしてるしw

655 :
伊東義祐(1512-1585)
日向国の戦国大名。日向伊東氏10代当主。従三位。大膳大夫。
通称三位入道。日向国の大半を支配。四十八城を構え伊東氏の全盛期を築く。
一時島津氏を圧倒。京風文化に溺れる。木崎原の戦いで島津義弘に大敗。
多数武将を失い求心力低下。家臣離反が相次ぎ島津氏に次々に支城を奪われ
1577年豊後落ち。大友宗麟に島津征伐を請うも耳川の合戦で島津氏に大敗。
大友家中での風当たり芳しくなくなり出奔。河野氏を頼りさらには播磨に渡り
以後放浪生活。秀吉への拝謁臣従を断固拒否。最晩年は単独で諸国放浪。
病を患い堺を目指すも船中にて昏倒、浜に打ち棄てられる。息子祐兵の従者に
発見され看病されるも死去。享年73。
「流浪の身たりとも、藤原三位入道が何ぞ羽柴氏に追従せむ」

656 :
>>647
大変な長命をされてますよね
大大名としては大変だったてでしょうが実は健康的な生活をしていたのではないでしょうか?

657 :
徳川家康だろうな。
最後は死んじゃったし。

658 :
飽食が死因とか馬鹿みたい

659 :
尼子国久、誠久はどうだろう
驕ってぶいぶい言わせてたから
粛清とか元就の策略とか言われてるけど
どうも晴久による粛清だったっぽいし
末代の勝久もそうとう悲惨

660 :
>>657
最後に死なない奴がいたら見てみたい

661 :
>>659
勝久は無念だろうけど再興を賭けての結末だから悲惨というのはちょっと違う気がしないでもない。

662 :
豊臣秀頼の息子

663 :
豊臣秀次だな
奥さんや子供まで引き回しの上、磔や串刺しとは
ひど過ぎる。
外様大名はこれ見て、どう思っただろうな・・・・

664 :
>>663
最上家は娘がそのついでに処刑されたから恨んだだろうね。
関わった大名は全て後々徳川についたからこの時豊臣を見限ったんだろうな。

665 :
毛利輝元は?

666 :
36万石の大大名がなぜ悲惨なのか?
本人の能力に比べて恵まれ過ぎ

667 :
減封の酷さなら毛利や上杉より家督継いだ時の丹羽長重が一番酷いんじゃね

668 :
武田勝頼は無念であったろう

669 :
武田家四名臣の一人。春日弾正忠虎綱。高坂弾正忠昌信。
 本名の春日姓で出仕し、改名して一時(香坂)高坂姓、後日また春日の姓も名乗っているため春日と高坂名が混在しています。 
 甲斐、石和の農家春日家に生まれ16歳で武田信玄の奥近習となり、使い番、侍大将を経て川中島の合戦時には信濃海津城の城代。
 地下人(農民)出身でありながら譜代の家臣を抜いて一代で9千貫を領する重臣にまで取り立てられた武田家家臣中一の出世頭です。
 春日源五郎は初め信玄の近習として仕え、格別に寵愛されました。 信玄が近習の弥七郎に手を付けたとして源五郎が腹を立てたのに対し、
 「弥七郎には言い寄ったが腹痛持ちなので断られた。今までも弥七郎を伽に寝させたことは無い。これからも無い。そのように疑わないでくれ」 となだめたり言い訳している信玄の誓詞が現存しています。

670 :
川中島で討ち死にした山本勘助は最後は斬り合いながら首を捕られまいとし首実験の際、頭には無数の刀や槍の痕があり両耳はもげ鼻も無く両目はえぐられ殆ど何者なのか検討がつかず首の無い胴体を探してやっと武田の軍師であるとわかったそうな

671 :
そもそもいくさ場で斬り合いながら首を捕られる武将とはそのようなぐあいであったのかもしれない

672 :
>>667
秀吉直臣に転籍させられた家臣の知行分を引いた相続前の知行と
減封後の知行との差ってどれくらいなんかね?

673 :
俺の親父だな
まだ50代だったのに酒と煙草のやりすぎで肝臓と肺やられてぽっくり逝っちまった

674 :
秋山信友
武田と織田家の同盟の時に信玄の名代で信長に逢いに行った信ともは信長に大
変大事に扱われ至れり尽くせりの歓待を受けるが…
その数年後 信長によって長良川で逆さ磔にされてしまった。


675 :
やはり、家族を根絶やしにされた織田信孝でしょう。
それも元は呑百姓の身分の秀吉にやられたのだ。
岐阜城に籠城している時に、己の母親と可愛い愛娘
と美しい奥方を磔にされている。それも裏切りの見
懲らしという理由で、数万の軍勢が見守る中で下半
身を丸出しにされた串刺し刑であった。二度も秀吉
を裏切った報復であった。最後は捕えられて腹を切
らされているが、俺ならば女は殺さず張本人の信孝
だけを磔にして串刺し刑にするな。

676 :
武田元明
朝倉に監禁されて、織田に傀儡にされて
最後ちょろっと謀反起こすも失敗して切腹
源義光に始まった名門、上総武田、安芸武田、
若狭武田、甲斐武田の正嫡はここに途絶えた

677 :
>>676
最後に同調した京極高次が生き残ってるからなおさら悲惨さが際立つ

以前このスレと似たようなテーマを話し合ってたところで鳥居強右衛門の名前が挙がってたが
確かに本人は磔にはされたが、奥平家がちゃんと約束守って足軽同然だった鳥居家が大身になり
子孫の一人は分家とはいえ家老にまで上り詰めたんだからもって瞑すべきだろうに

678 :
新京極とか今でも京都一の繁華街だしなぁ

679 :
真田一族
民衆のために特産品(真田紐)を発明してあげてヒーローに。
しかし、後日、人体にすむ寄生虫を見たある者が言った「真田紐みたいだ」
そしてそのおぞましい寄生虫はサナダムシと名付けられた。
以降、真田一族が近くに入ると人々は食欲をなくし、忌み嫌われ続けたという。

680 :
榊原康政
家康のために頑張ってきたのにわずか10万石
しかも腸が腐って死んだ(本人談)

681 :
そのかわり榊原家は価百万石にまさる神誓証文もらって二度も改易の危機を乗り越えたろ
いくら石高高くても改易されたら終わり

682 :
スレタイに人物とあるのに、
家単位で評価するのは筋違い

683 :
駒姫(義光の娘)
豊臣秀次の側室になる直前に秀次切腹、その数日後に三条河原で処刑。享年15

684 :
勝頼・信勝親子だろ
親族衆の裏切り寝返りで
天目山彷徨ってるしw


685 :
確かに武田の末路はあまりにも悲惨過ぎる

686 :
ありゃ自業自得だし、悲惨というものでもないよ

687 :
大津の自殺に追い込まれた中学生

688 :
つまんねーし追い込んだ方が実名バレしてるし悲惨になるから

689 :
全知行をかけてでも、家臣を誅滅するといって、その通り誅滅してその通りに知行を没収された人。
とか
阿波足利家も結構悲惨。

690 :
あまりにもって訳でもないけど気の毒な姫だと思ったのは上杉景勝の継室四辻殿。
景勝と菊姫に子供がいないので嫁入りしたのに「菊姫が可哀相」とかで家中に嫌われ
地震も菊姫を差し置いて若い娘を入れたからだと原因扱いされたり。
当の景勝は一緒にいたのは2ヵ月くらいで上洛してしまい
その後伏見の菊姫が亡くなるまで伏見から帰ってこなくてその間に産後の経過が悪くて死亡。
男の子を産んだので継室として扱われるも死後妹の御与津御寮人事件の余波で
実家とは血縁的に関係ない家臣の娘って事にされたり遊女って事にされたり。
嫁いでわずか1年弱で死んでるので話にも全然出てこない。出ても菊姫の死因扱い。

691 :
>>690
>四辻殿
おまけに孫の綱勝の代に甥でキリシタン公卿山浦光則が
改宗を拒み処刑された件も彼女の不憫な扱いに拍車を掛けている始末。
とはいえ事実上の継室(奥方)なのに側室(妾)扱いがデフォルトな所とかね……
それだけ菊姫が上杉家家中にとって良くも悪くも
偉大過ぎた存在だったということかも知れないけどね。

692 :
長宗我部元親
子供のころは内気な少年だったけど心を入れ替えて鬼に
四国の覇者になれたのに息子が死んで言動が狂ってしまった
人生の悲哀を教えてくれた武将

693 :
私も勝頼だな。
名家の大大名があんなに呆気なく滅ぶなんて。
滅んだ大名は数多くあるけど、あんなに急速滅亡し、しかも続々と
裏切りまくられている。
滅亡時の甲斐は一種の集団ヒステリーじゃなかったかと思うわ。

694 :
集団ヒステリーでもないだろ、武田本家以外は揃って寝返ったんだから
むしろ統制が取れていたといえるんじゃないか、殆ど死者も出なかったろうし

695 :
でもあれだけ続々続々と裏切ってるんだよ。
もうちょいおまいら奮戦しろよとは思う。

696 :
うーん、殉じないとならん義理もないだろうからね
後世の視点で勝頼を君主とした場合、確かに酷い裏切りだが今風に例えればせいぜい山梨県大会優勝校=武田家くらいだろう
他の強豪校(穴山、小山田)もそれぞれ事情があるから仕方ないね。当時は家を絶やさないのが最も重要だったろうし

697 :
朝倉とかも滅ぶところは最後はみな似たようなものだろ

698 :
裏切ったら滅ぶのではなくて
滅ぶから裏切っただけだろ

699 :
むしろお家存続のために織田についたのに粛清された小山田氏も結構悲惨
直接支配体制の織田にとって前時代的土着領主の小山田はこれから検地など行う上で
邪魔と考えたんだろうが、あのまま信長が生存していいれば木曽・穴山も同じ目にあっただろうか

700 :
小山田がウケル所は信長に裏切り者と呼ばれたとこだな
裏切り相手からのお墨付きだ ぐうの音もでねぇw

701 :
木曽や穴山は事前に寝返りの意思を伝えてた
小山田はしてなかったか、あるいは取次ぎ相手の選択を間違えて信長に
伝わっていなかった
この差は非常に大きい
後年、関ヶ原で揃って寝返りをしながら事前に家康に意を通じていた脇坂と朽木は
所領安堵、それをしてなかった小川と赤座は改易になったのも同じ基準

702 :
忠誠とか義理とかよりも、自分のお家がそりゃ大事だしな。
裏切って失敗すると目も当てられないが。

703 :
>>701
>>699のいうように後々検地など中央集権確立のために邪魔だから処分したの
側面はあると思う
 後に秀吉が奥州仕置やったら、東北一体の在地武士が大一揆起こした例からして

704 :
>>703
その理由だけなら木曽や穴山もさっさと始末されたと思うよ
小山田が早くから意を通じていたら、とりあえず所領安堵して後から難癖つけて
潰すパターンじャね

705 :
朝倉で前例があるのに同じ事やってる時点で長生きは出来ない

706 :
秀吉の国人領主弱体化計画に逆い滅びた城井鎮房だな。
黒田家の謀略により自身は暗殺、父と嫡男も殺された上に
娘は侍女とともに磔にされた。

707 :
>>705
朝倉の時に織田に寝返った連中は一向一揆にやられたんじゃなかった?
それとも近江あたりまで逃げてきたのを密かに始末して一揆にやられた事に
したのかw

708 :
>>707
おいおいw

709 :
朝倉景鏡たち朝倉家の降伏組は越前一向一揆に対する捨て駒

710 :
>>705
朝倉家で寝返り降伏した連中はみな助命され所領も安堵されている
信長もその約束をきちんと守っている

711 :
>>710
20点^^

712 :
越前一向一揆への壁役としてな

713 :
>>2
難波田憲重(善銀)は悲惨だが>>1が書いてるような「この世の春を謳歌」のレベルになるかどうか
重臣として重要な立場にいるものの、そもそも北条に押されてるあまりにも悲惨な時代の扇谷上杉の臣だし
…あ、井戸に転落した伝説と>>1の転落をかけてるのか

714 :
>>709
>>712
計画的に壁にしたんなら
越前が陥落してあんなに慌てるかアホw

715 :
西郷隆盛
西南戦争で敗れた西郷隆盛は切腹したと言われてますが…
西郷隆盛が西南戦争の最後に城山で、
死ぬのが怖くて山中を逃げ回り、桐野利秋に「西郷どんもうよかじゃろう」
と言われて背後からピストルで撃たれて死んだ、、
というのがどうも真相みたいです

716 :
西郷どんは自業自得みたいなもんだろ・・・・・・
西南戦争で勝つ算段でもあったのか?
転落具合で言えば、武田勝頼とか石田三成だろうなぁ。

717 :
穴山の謀反が武田家臣を諦めさせたんだろうな。
穴山の謀反がなければもう少し善戦できたと思う。
まあ、滅亡には変わらないが。

718 :
三法師秀信くんは?

719 :
勝頼って新府城捨てた時点でもう生きる気力失ってる感じだなぁ
積極的に生き残り図ってればとりあえず真田経由で上杉領に逃げ込んでただろうし
もし上杉領に逃げ込んで本能寺起きてれば景勝から3000くらい兵借りて信濃・甲斐を回復してたかもしれない

720 :
秀信の死因は、突然死過ぎるから自害説もあるな

721 :
勝頼って逃避生活に疲れ果てて身動き出来なくなってたところを
無抵抗のまま討ち取られたんだよな
切ないな

722 :
>>721
まぁ落ち伸びていった先の小山田が裏切って鉄砲撃ちかけてくるわ
後ろからは織田軍が迫ってるわで
まぁ勝頼敵には小山田と穴山が悲惨な死を遂げたのがせめてもの救いだろうな

723 :
>>721
討ち取られたんだっけ?
自害したんだと思ったが・・違ったのか。

724 :
信廉の最後ってどうだったの?
武田の栄華を知ってるだけに最後の状況はあまりにも辛いと思うんだが。

725 :
>>719
そうやって下手に刺激すると、そのまま越後に雪崩れこまれる可能性も

726 :
武田領の仕置きや残党狩りがあるからそのまま転用して越後に雪崩れ込むとはならなさそうだけど
兵站面でも計画狂うだろうし
勝頼の首にそれほど執着してるようにも思えないんだよな信長って
こだわってれば浅井親子みたいにドクロの杯とかにされてただろうし

727 :
信長、信忠、信孝、柴田勝家、明智光秀、林秀貞、佐久間信盛、池田恒興
滝川一益、佐々成政、森可成、森長可、河尻秀隆、安藤守就、氏家卜全
織田家の主要な武将は悲惨な最期が多いな

728 :
足利義栄

729 :
切腹して果てるならそれ程悲惨ではないかと

730 :
越後に織田軍がなだれこんできたら100%織田方は撃退されてただろ
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦
ろくな備えもない魚津城に大苦戦
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田に
あと数月で落とせるわけがない
まず手も足も出ず苦戦しまくりの須田のいる松倉城どうするかだな
実際に攻め込んで撃退されたり苦戦してる。松倉城でも飛騨口別働隊は撃退され
ろくな備えもない魚津城では4ヶ月もかかり
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦し
天正12年段階ですら富山奪い返されたりしてる
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
しかも当時の上杉は石高もしょぼく御館の乱や新発田の乱で極度に弱体化

731 :
森の長沼奪回と関山・三本木侵攻は信長公記のデタラメで一次史料にはまったく存在しないウソ。
森も天正10年4/2に景勝に破れて長沼城を奪われてるわけだがw
(武田への援軍で上杉が派兵した松本房繁が長沼にいたが、
武田滅亡のため越後に撤退した後に森が接収してた)森が奪回した記録はない。
4月には仁科方面や長沼の守りを磐石にとか命令してるし(長沼には島津忠直の滞在が景勝書状から確認)
5月になっても富山は取り返されて残念だが信濃方面の守りは磐石で心配はないとか言ってるし
信濃の守り捨てて越中まで天神山まで出兵するくらい
当時の芋川は武田配下で上杉配下ではない
しかも一豪族が8000も動員できるわけがない。
そもそも上記の話は一次史料で全く証明できないわけだが。

732 :
景勝の場合は御館の乱で反対派一掃(恩賞で揉めて裏切った奴もいるが)してるからなぁ
勝頼みたいに木曽や穴山の離反みたいな事がない分抗戦意欲は旺盛じゃね?

733 :
反対派一層って揚北では御館の乱の続きで黒川清実らが伊達輝宗や葦名盛氏と結んで反旗翻したり(天正8年半ばまで戦闘が続く)
新発田の乱においても本庄や色部が出陣渋って腰を上げずにいたり鮎川が寝返ったりしてるし
上野も御館の乱で北条についた厩橋北条・那波氏らは結局上杉に帰参するのは本能寺後天正11年まで待つことになるし
北陸も織田が長・神保やら地元諸将やら飛騨口別働隊使って火事場泥棒したし
抗戦意欲どうこうではなく領国が内乱の連続と周辺勢力(武田北条伊達葦名織田)の侵略でガタガタになった状況でも敢闘できるほど戦闘能力が高いというだけ。
長沼城攻防や魚津城・松倉城攻防、御館の乱における北条や葦名との戦闘をみればわかる

734 :
スレ違いの挙句妄想か
そもそも柴田勢45000+滝川勢20000なんて織田軍でも地方軍の一部分レベルで
織田信長と織田信忠率いる織田主要軍+同盟国徳川軍+当時協調していた北条伊達蘆名が
一斉に上杉に向けて進発を考慮する必要があったのによくそんな余裕が言えるな
柴田勝家を討死させるとか戦功がない時点で朝倉より酷い有様だろ・・・
よほど武田一門が悲惨な最期を迎えたのが応えたのか
武田義信(幽閉の末病死)、海野信親(自害)、武田信之(早逝)、武田勝頼(自害)、
仁科盛信(自害)、葛山信貞(戦死)・・・末っ子の信清以外まともな死を迎えた人間がいないとか

735 :
武田信勝には生き残って大阪の陣で家康本陣に突撃してもらいたかったな

736 :
柴田・滝川は織田家トップクラスの人材
またかなりの大軍だったのは各資料にあるし彼らに加え森も長沼で撃退されてる
上杉分国なんてせいぜい兵5000〜6000程度だし同時に揚北での新発田とそれに協調する葦名伊達
柴田45000滝川20000森6000(?)を悉く跳ね返すかろくに進撃させていない時点で上杉は強すぎる

737 :
宇都宮国綱

738 :
>>736
いやだからそれって1部隊相手でしょって話。
しかも、越後間近まで攻められてるのに、一度撃退したからって言って
も、信長、信忠本隊来たら終わりでしょ。
いくら越後勢が強いと言っても、多勢無勢。
太平洋戦争と同じだぁね。

739 :
>>738
頭で考えるんじゃない。
魂で感じるんだw
そして、歴史の知識はマンガとゲームに絞るんだw

740 :
>>738
謙信という偉大な当主が死んだ直後、しかも内乱が終わった直後だということを
考えに入れておくべき
信長の死後は織田家はどうなったか?
秀吉の死後は豊臣家はどうなったか?
それに比べたら上杉はだいぶマシ

741 :
せやな米沢30万石は立派やで

742 :
景勝の場合は秀吉を選んだのが全てだわな

743 :
秀吉を選ぶも何も元々信濃で徳川と激しく戦ってたところに秀吉が外からやってきたわけだから

744 :
会津に飛ばされるは朝鮮には駆り出されるは散々やったな

745 :
>>512
秀吉は普通に死んだだけで、家康はじっと待機していた

746 :
>>549
病気で死に急いでる人間が派手に戦い、ノブヤボで武力90とか評価される

747 :
>>730
上杉は滅亡寸前と思ってたけど、上杉の方が優勢なのか?知らなかったよ

748 :
上杉は御館の乱や新発田の乱で崩壊状態の所を9倍もの兵力で火事場泥棒されたのに
越中中部〜魚津松倉で2年も食い止めてたし毛利も南条宇喜多草刈が寝返るなど崩壊状態だったが美作攻防で勝利してるし滅亡寸前なんて笑わせるなと
信長が生きてても北陸平定はまず無理
内乱の連発で崩壊状態の上杉を9倍もの兵力差と神保・長・佐々など送り込んだりして火事場ドロしたのにろくに進めてないからね
越後に織田軍がなだれこんできたら100%織田方は撃退されてただろ
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦
ろくな備えもない魚津城に大苦戦
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田に
あと数月で落とせるわけがない
まず手も足も出ず苦戦しまくりの須田のいる松倉城どうするかだな
実際に攻め込んで撃退されたり苦戦してる。松倉城でも飛騨口別働隊は撃退され
ろくな備えもない魚津城では4ヶ月もかかり
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦し
天正12年段階ですら富山奪い返されたりしてる
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
しかも当時の上杉は石高もしょぼく御館の乱や新発田の乱で極度に弱体化
武田滅亡がもう少し遅れてたら
魚津城攻防で柴田ら45000の大軍は5000そこそこの上杉軍に瞬殺されてただろうな
何せ御館の乱や新発田の乱につけこんで圧倒的大軍&長・神保等地元大名の活躍と調略で
能登・加賀・越中を火事場泥棒したのに越中中部で天正8年から天正10年半ばまで
2年も足止めされた挙句土肥・小島・須田などに大苦戦しロクな防備もなかった平城の魚津城で大苦戦。
こんな体たらくじゃ史実で上杉が信濃に派兵した隙をついて居留守泥棒的に奪った魚津攻防でも
初めから越中に軍動かして魚津城外で圧倒的な大敗劇を演じていたんじゃないか。
何せ松倉の須田に手も足も出ずに苦戦していたんだしな
新発田なんて完全に新潟から排除されて下越で包囲され逼塞に追い詰められていただけだし。

749 :
>>748
春日山城のすぐ側の魚津城が落ちてるんだけど  妄想だろ

750 :
魚津城なんて春日山から親知らず子知らずの難所の先にある松倉城の枝城にすぎんろくな備えもない城
こんな所を45000と9倍の兵力で攻めかかって大苦戦したのが織田軍。
これじゃ越後進むどうこうといったレベルじゃなく名将須田満親の守る堅城松倉城をまずどうするかだな

751 :
魚津城が春日山からすぐ側とか馬鹿じゃねぇの

752 :
魚津を落としたところで
其の先の越後・越中国境にある超難路
親不知の要害を簡単に通過できるとは思えんな。
越中魚津〜松倉の短い区間で9倍もの圧倒的兵力差がありながら2年も足止めくらう
御館の乱や新発田の乱で弱体化していた上杉相手に
こんな弱軍織田じゃ親不知の天嶮で撃退されるのがオチ

753 :
>>751
越後のすぐ隣だろ?越中東部まで侵略されて、越後一国に抑えこまれてる。

754 :
>>753
地図みてみろよ
天神山を間にはさんで越後までまだ大分ある上春日山までは相当離れてる
そもそも上杉が御館の乱やその後の天正8年半ばまで続く内戦やら新発田の乱で弱りきった隙をついて
神保・長ら地元諸将に加えて斉藤やら佐々長縄やら飛騨口別働隊送りこんだりして火事場泥棒しただけで
御館の乱に続く内戦が終結する天正8年半ば〜本能寺まで越中中部〜魚津松倉のごく狭い区間で2年も食い止められてる
ちなみに天正10年時点ですら小島に富山城奪回されたりしてたし。柴田軍なんて45000もいるのにたかだか5000そこそこの上杉にこの戦果じゃ
親不知の天嶮で撃退されるのがオチ

755 :
>>754
毛利まで潰れれば、圧力が2倍になるよ

756 :
本能寺が起こらなかったと仮定して
上杉家が凌がなければいけない兵力
柴田勝家らによる北陸方面織田軍
森長可率いる信濃方面織田軍
滝川一益率いる上野方面織田軍
新発田重家率いる反乱軍
新発田重家を助ける伊達・蘆名軍(ここまで史実で上杉と交戦したと思しき兵力)
これに加えて
徳川家康率いる徳川軍
北条氏直率いる北条軍(参戦するかどうかは未定だが)
織田信忠率いる濃尾方面織田軍
織田信長率いる畿内方面織田軍(織田家随一の規模)
明智光秀率いる丹波方面織田軍(史実では信長に謀叛する)
羽柴秀吉率いる中国方面織田軍(史実では毛利と和議寸前)
正確な兵数は不明であるが
史実で上杉が交戦した兵力のおおよそ4,5倍の兵力が
大体織田軍とそれに協力する連中の総兵力
上杉はこれを全て破る必要がある

757 :
徳川と北条はともかく信忠とか信長とか光秀とか秀吉とか兵站の問題があるからそうそう大軍で出てこれないだろw
武田攻めのときでも大軍一挙に動員するのを信長が兵站気にして少しずつ動員しろみたいな事言ってるし
それより遠隔地の越後方面に史実の4.5倍の兵力で突入とか無理

758 :
謙信:魚津城からは越中が一望できる。ここを取ればこの国を平定したも同然
↑これは松倉城の事
上杉方からも織田方からも松倉城は魚津城と呼ばれているのに
長文垂れ流しているのは何者だよw

759 :
意味不明。
日本語でよろ。

760 :
つうか平城の魚津城と違い
須田が籠城していた松倉城は鬼のような山城だからなー。
これ放置して親不知なんて通過しようもんなら挟撃されるだけだし
上杉水軍にも横っ腹を襲われ逃げ道もなく柴田軍消滅だろ。
天正11年4/17に景勝が糸魚川の新城に兵を入れてるから
糸魚川にも備えを構築準備してただろうし。

761 :
まぁ上杉は後回しになるからいつまでも抵抗してたら悲惨なことになるだろな

762 :
>>761
信長は、個人的に信玄と謙信を恨んでいたから、武田は残党狩りまでした。上杉家臣も当然皆殺し。

763 :
長尾にクラスチェンジして土下座したら越後半国くらいは何とかなりませんかね

764 :
>>763
佐竹にメール送って、滅亡しても悔いは無しwと意地張ってるし

765 :
だから『上杉』は滅亡しちゃったことにしとけば、ウソは言ってないキリッ
ってできるだろ

766 :
>>765
だから家臣団まで皆殺し  

767 :
西の方が片付いてからになるからその頃には丸くなってるだろ

768 :
毛利とか上杉のしぶとさ考えると武田、朝倉、浅井の崩れっぷりは異常だわな

769 :
魚津を落としたところで
其の先の越後・越中国境にある超難路
親不知の要害を簡単に通過できるとは思えんな。
越中魚津〜松倉の短い区間で9倍もの圧倒的兵力差がありながら2年も足止めくらう
御館の乱や新発田の乱で弱体化していた上杉相手に
こんな弱軍織田じゃ親不知の天嶮で撃退されるのがオチ

770 :
武田の場合は対北条徳川戦の疲弊と勝頼の失政自爆と信長の甲江同盟反故の騙まし討ちで防衛体制解除してた所に
圧倒的大軍で攻めたら寝返りだらけになっただけだしその上運悪いタイミングで浅間山が噴火して撤退せざるをえなくなっただけだしなぁ
自力で滅ぼしたわけでもなんでもなく偶発的条件の連発と騙まし討ちで勝っただけだし
あんな状況じゃどんな大名でも滅びるわな

771 :
だがさんこんな場末まで来るのか

772 :
寝返りでガタガタの村上と今川しか倒せない時点で
武田はあの時代のどの勢力と戦っても負ける

773 :
>>771
うむ、しかしこっち方面の知識はいまいちらしい

774 :
北条+今川に勝った織田徳川に勝った
長尾に負けず領土切り取った
村上諏訪小笠原山之内上杉連合に勝って自国の2倍もある信濃を切り取った。
弱体化しきった斉藤に負けまくり一揆勢数百に一門10人以上殺される雑魚長とはわけが違うな

775 :
山中鹿之助じゃね?
途中苦労しまくって最後報われたと思ったらストーンと落とされる

776 :
山中っていつ報われたんだよw

777 :
一応一瞬だけどお家再興がなったから
本当に一瞬だけどw

778 :
本人はともかく子孫は財閥になったし知名度は高いしまあ恵まれてるんじゃね

779 :
半ば無理矢理担ぎ出された尼子勝久の方が悲惨だ

780 :
一方そのころ義久は

781 :
土下座像を作られてた

782 :
足利義昭しかないな
転落将軍
突通将軍
小当たり将軍

783 :
寺で殺されるはずが一時期でも将軍に成れて天寿も全うできたのにあまりにも悲惨と言えるのかねぇ
弟の方が被悲惨な気が

784 :
剣豪将軍に続いて殺されたんだっけか

785 :
西軍に直接参加したわけでもないのに、佐竹に与したとみられ改易され浪人のまま死んだ多賀谷重経
一緒に改易された連中も佐竹義宣→減封したが大名として存続、相馬義胤→復活、岩城貞隆→復活、蘆名義広→佐竹家臣
多賀谷だけ流浪の憂き目に…

786 :
小田さんは?

787 :
天庵様は最初っから負け組人生突っ走ってるから、むしろよく寿命全うしたな、と思う

788 :
公方家に連なる血筋が天庵さまにああいう行動を取らせたのだろう

789 :
天庵様はここ一番の戦いに負けまくってるだけで最後まで人望も残ってたし
秀康の客分になってまったり天寿全うしてるし悲惨な印象は受けないな

790 :
>>775
ド変態マゾ野郎なんだし
それなりに納得した一生だったんじゃなかろうか

791 :
下手の横好きの典型例だなw

792 :
七難八苦を与えられた上最後は騙し討にまであって大喜びだな

793 :
牧伸二

794 :
長束正家は?
文官として超優秀だっただけに三成と一緒くたに武断派の目の敵にされ、武才のなさから城を奪われ処刑と言う名の切腹…
怨念の話もわかるわ。池田ざまみろ

795 :
城奪われる経緯は池田外道過ぎで武才とかあんまし関係なくね

796 :
のぼうの城ではすげー嫌な奴にされてたな長束

797 :
良スレの予感

798 :
断トツで俺

799 :
山本太郎

800 :
ここに上がった名前をくぐったらおもしろいな
伊東義祐なんてここ見なかったら一生くぐる事もなかったろうし

801 :
実際は、駒姫が義光の子かどうか証明できないんだけどな。

802 :
国府台合戦後の小弓公方とか
いや、それよりも堀越公方かw

803 :
出たかな
斎藤佑樹

804 :
この条件だと、武田系ならどうしても勝頼より武田元明かな
甲斐武田なんてのは源氏武田家全体としてみると、しょせん枝葉の一つ
勝頼は多くあるいとこの一人みたいなもんだ
若狭武田と言えば、一門中最も宗家にも京都にも朝廷にも近い一族屈指の名門であり
応仁の乱でも活躍した家系でもあった、軍事力もそれなりにあった(絶頂期)
でもそれ故に家中が内部分裂を起こして、結果親は殺され自身は幼い頃から色んな所の人質となった
そして気がついたら他の武田一門はことごとく滅亡させられていた
そしたら本能寺の変が起きて、今度は明智の都合で旗印的に無理矢理謀反を起こさせられて
明智が勝手に負けて、織田の部下なんかに無理矢理切腹させられて、
大名としての武田家はここに潰えてしまった(末路+武田家の最後)

805 :
やっぱり伊藤義佑。一時は一国の大名だったのが、どっかの海岸で一人野垂れ死にって・・・

806 :
柴田だろ
羽柴はさっさと毛利と手打ちしたってのに
上杉の徹底抗戦で滅亡へと追い込まれた
最も毛利は滅亡一歩手前で上杉は余力
ありまくりっていう大きな違いがあったんだけどな

807 :
>>806
逆だろ?
上杉の方がヤバイ状況だったよ。

808 :
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦
ろくな備えもない魚津城に大苦戦
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田に
あと数月で落とせるわけがない
まず手も足も出ず苦戦しまくりの須田のいる松倉城どうするかだな

809 :
本能寺で助かったのは雑魚織田軍の方でしょ
実際に滝川10000森6000柴田45000新発田伊達蘆名20000と上杉を瞬殺できる条件でも
2年もトロトロやっててろくに進軍もできず
たかが平城の魚津城で撃退されたり
長沼も奪回されたり三国峠ごえで撃退されたりしてる始末だから
何年あろうが滅ぼせるわけがない

810 :
織田はつくづく運だけはいいよな
本能寺の変のおかげで上杉にぶち殺される危機はなんとか乗り切ったし

811 :
超絶ヌルゲー状態の戦争でも勝てないのが織田
超絶ムリゲー状態の戦争でも勝ったり負けないのが上杉

812 :
菅沼遼太ばーか

813 :
>>1
菅沼遼太

814 :
菅沼遼太

815 :
柴田勝家はなぁ・・・
上杉と絡むと碌な事ねーよな
武田、北条なんかも何度も煮え湯飲まされてるし
上杉との戦いを嫌って戦線離脱し、本能寺の変後も
いち早く同盟を模索した秀吉はさすがとしか言いようがない

816 :
菅沼遼太

817 :
>>49

818 :
真田昌幸

819 :
人生最後の瞬間がウンコだった

上杉謙信

820 :
>>810
むしろ上杉が運よいだろ
本能寺で命拾いし、会津討伐でも命拾いして
減封されながらも江戸を乗りきって現代まで続いてるんだぞ

821 :
本能寺で助かったのは雑魚織田軍の方でしょ
実際に滝川10000森6000柴田45000新発田伊達蘆名20000と上杉を瞬殺できる条件でも
2年もトロトロやっててろくに進軍もできず
たかが平城の魚津城で撃退されたり
長沼も奪回されたり三国峠ごえで撃退されたりしてる始末だから
何年あろうが滅ぼせるわけがない

822 :
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦
ろくな備えもない魚津城に大苦戦
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田に
あと数月で落とせるわけがない
まず手も足も出ず苦戦しまくりの須田のいる松倉城どうするかだな

823 :
本能寺の変のおかげで10倍以上の兵力で攻め込んでも歯が立たなかった上杉相手にわずにすんだ織田は運がよすぎる

824 :
死亡状態からスタートしてもゾンビのように這い上がって生き残れるのが上杉
最初から天下統一確定してるようなヌルゲーからスタートしても、戦に負け続けて家を滅ぼされるのが織田や豊臣

825 :
上杉は相当不運だよ
景勝はスタートが既に死亡状態から始まってるからな
国中を半分に割った上に伊達蘆名北条武田を巻き込んだ御館の乱と
それに続き、神余、本庄秀綱、鮎川、黒川、新発田との戦闘
同時期に神保・佐々・長・斉藤らで編成された飛騨口別働隊が
御館の乱の隙をついてコソドロを初め、彼らの活躍のおかげで中群での戦闘が終わる天正8年中ばまでに既に越中や能登の大半の国衆が織田に帰参する有様
勝家45000もすぎに加賀を侵攻してくる始末
こんな死亡状態からスタートしてて運がいいもクソもない。

826 :
本能寺後ですら徳川100万石は信濃を北信してくるわ蘆名や伊達が新発田を介入するわ
秀吉が景勝の邪魔をして新発田支援やめさせるわ
でろくにいいことがないし
佐々なんて周辺諸国相手の内戦につぐ内戦(武田北条伊達芦名の介入した御館の乱とそれに続く内戦、
伊達芦名の介入した新発田の乱)をわずか30万石程度の国力でのりこえざるをえなかった上杉に比べるとヌルゲーもいい所でしょ。
佐々勢なんて越中の肥沃な土壌策源地にしてた上に
信長の城割り政策と、国人衆の騙まし討ち粛清政策で国人の力そぎまくってたから統治も楽だっただろうし

827 :
本能寺後、景勝は信濃の徳川との攻防が第一目標で、越中なんて放置状態
上杉5000は信濃中部の麻績地方などで小笠原4000を瞬Rるなど大暴れしてたのが小笠原史料でもわかる。
新発田攻略に向かってた時期もあったし
単体相手に全力を注げる佐々8000〜10000相手に下越・奥州・信濃にも敵がいる5000程度の上杉じゃ
本来なら速攻責め潰されてもいい所だが結局ほとんど戦果はないからね。

828 :
景勝のスタートは8万石前後だよ
越後や越中の諸将は大半日和見か景虎派で上田衆くらいしか頼りはいなかったし
伊達葦名北条武田も敵
御館の乱終結後も中郡に神余・本庄秀綱や下郡の新発田・黒川・鮎川らが敵対してるし
越中や能登は上杉の御館の乱や中郡での戦闘や新発田の乱の隙に織田がコソ泥してて失ってるから
御館勝利後でも30万石前後しかないし

829 :
900万石も国力がありまわりも同盟者ばかりで、30万石の上杉を潰すような超絶ヌルゲー状態の戦争でも勝てないのが織田
30万石しか残っておらず、900万石の織田とその同盟者100万石に同時に攻め込まれるような超絶ムリゲー状態の戦争でも勝ったり負けないのが上杉

830 :
実際に戦って寡兵で2.5倍の大軍の柴田・丹羽・佐久間・滝川・前田・佐々ら45000を瞬殺したのが謙信
わずか6000で柴田45000森6000滝川10000新発田&伊達・葦名20000ら80000相手にろくに負けず五分に戦ったのが景勝
よって上杉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田は確定的
織田と上杉の武将の指揮能力や采配能力が互角なら
謙信を手取川で瞬殺し
景勝は1週間程度で瞬殺してる

831 :
実際に国力バランスで考えれば、1ヶ月程度で瞬殺されないとおかしいくらいの兵力・国力比だが
それでも延々と戦い続けて、持ちこたえているのが上杉。

832 :
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦
ろくな備えもない魚津城に大苦戦
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田

833 :
菅沼遼太うっせーぞ

834 :
このキチガイよくアク禁にならないな
雑兵の野糞ほどにも世間の役に立たないんだから今すぐ首吊れば良いのに

835 :
羽柴秀次

836 :
武田信虎もすごい悲惨

837 :
大内義隆、三好長慶、北畠具教、滝川一益がないな。

838 :
宇都宮忠綱の最期はかなり悲惨

839 :
佐久間とか林とか信長の家臣は可哀想なのばかり
譜代重臣でこれだから

840 :
安芸武田傍流の伴繁清・武田信重父子
若狭出身武田信実逃亡後の孤立した銀山城を継承
半年で落城、切腹
伴城の繁清もやはり孤立してほどなく落城

また武田家臣小河内氏の養子弥太郎が信重の弟という説があり
こちらは4年後に騙し討ちで城を落ちそのまま自害したとの民間伝承がある
悲運の敗戦処理一族と言えよう

841 :
伊奈忠次
武士なら戦闘で死ぬのは覚悟はあるんだろうけど
関ヶ原で勝利してこれからって時にアホに難癖つけられて

842 :
もしかして伊奈昭綱

843 :
>>842

ごめん間違えた

844 :
基本的に武士が戦場以外で死ぬのは悲惨だわな。

845 :
良スレだな(´・ω・`)

846 :
内ヶ島氏理で決まりでしょう。
秀吉と和睦成功→やったー宴じゃ宴じゃ→その晩に天正地震発生→崖崩れで一族全て城ごと埋もれて滅亡

847 :
★★★行方不明★★★
       ヘ___
       (  ) ) ) )_    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       // ̄ ̄ ̄ヽヽ  < キ、キンR先生、早よ死亡発表せな、長寿ギネス記録になってしまいまっせ!
       ||  P献金 | |  \________________
 仏罰→| /⌒ヽ /⌒ヽ    .::-=-
      (Y  ノ・ || ・ヽ|/:/        \
       |    ‥  ||:::ミ   元法華講  | ←仏罰総本山&行方不明
       |   ノ ( ヽ |゙゙、|   ,_=≡ 、´ `,=≡_|ミ
        ヽ (<二二>ヽ/:ヽ─||..::+;;;| ̄|. (;;;;.;|
       / ヽ,,__  <∂  ヽ二/   ヽ二/|
     /  ___) ̄l⌒l   ハ− - ハ  ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    _|_/   彡 |  |ヽ ゝ_/\/\ノ |< マハーロ、バカヤロー!ニッケンと浅井より先に死んだら、カモの洗脳解けてしまう、ニダ〜
  /           |  ヽ |ィ' \しw/ノ.ノ / \___________________
  l,_丿──εっ    |  |\_  __∪ i /─、
   l,_丿 ̄ ̄` -──ヽ_,ノ─ノノヽ──────

848 :
宇都宮吊天井事件
かわいそすぎる

849 :
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(沖縄空港オマル凍結バイト)
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(大阪人福祉バンクビジネス)

850 :
今の清原

851 :
それは自業自得

852 :
>>848
将軍にロメロスペシャルなんて技かけて改易で済んだのだからまだ恵まれてるよ正純は

853 :
>>852
改易どころか幽閉やぞ
しかも正純存命中に釣り天井自体でっち上げってことが判明してるけど赦免されなかったとかひどい扱いだろ

854 :
つまり元々嫌われてたんやなw
どうせ罪を被せるんだったら切腹でもよかったわけで(何といっても将軍に対する謀反なんだし)生かしてもらってるだけ情けがあるじゃないか

855 :
政権交代してもう旧世代の老害だったのに親子2代の功績があるから15万石やって諸侯にしてやって
当然本多や榊原みたいに中央から身を引いて諸侯の仕事の地方鎮撫に専念するかと思えば
懲りずに中央に口出しする。減封して懲らしめようとしたらそれすら蹴って改易
自業自得じゃね

856 :
少弐歴代当主を語るスレでつか?

857 :
島津 亀寿

858 :
やっぱ、秀頼

859 :
おまいら、ベッキーを忘れてるぞ。

860 :
>>859
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

861 :
>>859
誰も勝てんわ(笑)

862 :
ターザン山本も悲惨だな

863 :
やっぱ伊藤かな

864 :2016/10/01
東京裁判で絞首刑くらった奴等は総じて悲惨

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週刊それがしのおやかたさま
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