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【信玄】甲斐武田氏総合スレッド【勝頼】
戦国大名の家柄や先祖について
織田信長は過大評価されすぎ Part 2
【晴信】武田信玄が信虎追放に失敗!【死亡】
- 1 :2010/11/28 〜 最終レス :2019/04/21
- 1541年6月14日、信虎は事前に晴信の不穏を察知し、謀反を見破る!
信玄は処罰され世継は信繁、家督は信虎のまま時代は続いていったら…?なスレッドです。
なお信玄の遺児は信繁の嘆願により助命されたものとして話は進めてゆきます。
(武田義信、海野信親まで生まれている、勝頼や盛信は当然生まれてない。)
もしこのような状況下に陥ったならば、甲斐武田家は戦国時代をどう生き抜いたのであろうか?
- 2 :
- 謙信vs三国同盟の全面戦争ですね
- 3 :
- 信玄の跡を勝頼が継いだのが不評だったんだから、信虎の跡を信繁が継いだところで早く武田家中が分裂して、村上義清辺りに滅ぼされた可能性が高いんじゃないかな?とマジレス。
真田幸隆は信虎から逃げるように確か上野国に居たはずだから、真田の居ない武田勢力という図式にも繋がる。
- 4 :
- 真理姫も生まれていないので木曾氏も武田家と敵対
- 5 :
- 謀反人どもは、一人残らず・・・
- 6 :
- 信玄は甲斐国人衆に担がれただけだから、どっちみち甲斐は終わったろうな。
- 7 :
- でも諏訪頼重とか高遠頼継とかとは対立せず普通に弱小大名として生き残りそうだけど。
- 8 :
- おはょお^^;
- 9 :
- そんな馬鹿な!! 武田晴信タイーホ!!
http://hobby.2ch.sc/warhis/kako/1056/10568/1056845834.html
http://yomi.mobi/read.cgi/news2/news2_newsplus_1056817815
- 10 :
- 信玄居なかったら川中島起きなかったんじゃね?
- 11 :
- >>7
そもそも諏訪とは同盟結んでるでしょ
信玄の妹が頼重の嫁じゃなかった?
高遠も諏訪と同族だし、敵対するようなことはなかったと思う
当分は今川、北条と争うことになるかな
- 12 :
- >>11
同盟を結んでいる今川と何故争わないといけないの?
- 13 :
- >>12
あぁそうか、今川義元の支援したんだったか
何十年か前には今川氏親と争ってたみたいだし
時系列が混乱してたわ、すまん
- 14 :
- >>13
了解
むこうのスレ(織田信長は日本最高の天才その2)にも返レスしておいた
見ておいてくれ
- 15 :
- って事は信虎にとっての当面の敵国ってどこにになるの?
むしろ信虎って北条には攻め込まないような方針じゃなかったっけ?
詳しくは知らないけど、戦国いい話スレでそんな感じの話聞いたけど。
- 16 :
- >>15
信濃遠征はよくやってたっぽい
佐久郡の大井貞隆と戦って、平賀源心も討ち取ってるらしい(甲陽軍艦)
- 17 :
- >>16
情報ありがとう!
って事は結局は信濃の統一を目指す過程で村上と小笠原と対立して、
勝利した場合は結局は謙信が現れて川中島に発展するって可能性あるのか。
- 18 :
- 北条については、上杉に抑えてもらおうと考えてたみたい
憲房の側室の娘を、側室として貰って
朝興の娘を信玄の正室として迎えてる(この正室は難産で死亡
信玄の元服する前の年には今川氏輝との同盟が滅びて
その軍勢が攻め込んでくるも、これを撃退(万沢口の戦い
そのすぐ後に北条が攻め込んできて、これに苦戦
ここで上杉が小田原に侵攻して、慌てて北条は撤退
同盟はかなり活用されてたね
信濃制圧後は当然、日本海に進出したがって
長尾為景との戦いについては、避けられないと考えてた…らしい
- 19 :
- 信虎は村上義清や諏訪頼重とも同盟を結んでいるので、それ以上の信濃進出は無いだろう。
晴信処罰後の武田周辺には北条くらいしか敵がいない。(大井は諏訪に居城を奪われ潜伏中)
第2次河東一乱で、晴信は今川北条の停戦を斡旋したが信虎はしそうにない。
粛清を逃れた奸臣どもが北条に匿われてる事だし、今川と共に相模に攻め込むだろう。
北条は河東方面に拘束されるので川越夜戦は起こらず、
武田・今川・両上杉・古川公方に袋叩きにされて滅亡の可能性が高いな。
その後は四方を同盟国に囲まれるので戦争もなく国内は安定。
信虎は反抗的な国人を片っ端から粛清して強固な独裁体制を築きましたとさ。
- 20 :
- この場合、義信の扱いが気になるな。対豪族用の養子弾なのか否か。そして、養子ならどこに出すのかも。
- 21 :
- 武田・今川と両上杉で北条領の分割に揉めそうだ
氏康は先代の親交を頼りに越後に亡命・・・しても謙信を動かす大儀名分が無いか
- 22 :
- 上杉憲政に関しては大義名分で関東侵攻してたと思うけど、
小笠原と村上に関しては旧領回復が大儀名分じゃなかったの?
あと穴山さんの嫁はどこから貰うのか少し気になる。
信繁の娘かな?
- 23 :
- 桶狭間が発生してからが甲斐武田の分かれ道
- 24 :
- 武田信虎が当主の時点で、今川家の戦略方針も変わってると思う。
太原さんが存命のうちに尾張侵攻終わらせたりして桶狭間発生しないとか。
- 25 :
- 晴信死亡なら当然、板垣・甘利等の首謀者連中も何らかの形で粛清されてるだろうから、
甲斐武田家の戦国大名化が進んでいたと予想。
一説には中央集権化を図った信虎を板垣・甘利等が嫌ったとのことだから、
追放失敗は信虎にとって願ったり叶ったりの状況かもしれない。
で、その効果はと言うと、信濃を平らげるのが早くなったり(中央集権化で戦略が機敏に)、
逆に遅くなったり(粛清に時間が掛かり内乱状態が続いた場合)する程度じゃなかろうか?
今川との同盟関係は良好だし、仮に武田が内乱状態でも、生産性が低く山間部で侵攻しにくい
甲斐に無理矢理攻め入ってくるよりは、尾張を狙ったり駿河との敵対関係をどうにかするのが
今川にとってはメリットがあるだろう。
つまり今川の動向はさほど史実と変わらないと思う。
問題は小田原北条氏。
信虎が反乱分子をさっさと粛清できれば問題ないが、
仮に内乱状態になっていれば甲相駿三国同盟などありえない。
パワーバランスが取れないからだ。
そうなると今川は北条といつまでも睨み合いを続けることになり、
武田の内乱が収まるまでは尾張に積極的に侵攻することができず桶狭間発生せず。
松平の離反もないので、織田は三河も警戒する必要があるため美濃侵攻が遅れる。
信長の天下取りはなかったかも知れない。
今川が織田と同盟して北条を全力で叩く、という選択をすれば、
織田の上洛は史実どおり成ったかもしれないが、東海地方には、
いや上手くいけば関東にも一大勢力を築いた今川が目の上のたんこぶになるのは確実。
話を戻して甲斐武田氏。
程よい時期に信繁に家督を譲り二元政治体制を敷いた信虎なら、遅かれ早かれ信濃は制圧可能だと思う。
となると越後の長尾が厄介な存在になってくるが、ここらへんは信玄とあまり変わりないと思う。
もしも三国同盟が成立していなかったら今川と共に北条を挟撃することを優先して、
譲歩してでも長尾と同盟(北信濃の一部を割譲とか)するかもしれない。
そうなると上野を取れるかもしれないがやはり長尾が邪魔。
北条を潰した後すぐさま長尾との同盟は破棄し越後に攻め入るだろう。
先に北条が長尾と結んでいればほぼ史実どおり川中島あたりで睨み合いになる。
長文スマソ
- 26 :
- 武田は結局晴信の時代において中央集権化を進めていくんだがな
なんかこう、年がら年中家臣と喧嘩してた信虎にはろくな業績ないのにもかかわらず
信虎だったら中央集権化が進んだって事にしたがるのは
一体何が根拠なんだ?
いっとくが信虎の作り上げた政治体制は晴信にほぼそのまま継承され、
それは晴信時代を通して集権的・近代的体制に変革されていき
晴信晩年には晴信初期とはまるで別物になるくらいに改造されたんだが
晴信晩年にはその威令は領国全てに細かくいきわたるようになり、
名実ともに武田の集権化は成功してる
なんだって信虎がいたら集権的で晴信が集権的じゃない、って事を主張するのが多いのか
謎すぎだわ
- 27 :
- 信虎の政治体制は信虎が家臣たちの信玄を担いだクーデターにより瓦解した。
信玄は信虎よりもずっと後退した権力基盤から自らの体制を作り上げた。
- 28 :
- 信虎なら戦争に弱い北条くらい降せそうな気がする。
- 29 :
- >>27
だから組織体制は信虎時代と晴信初期で全然変わってないんだが
- 30 :
- ts
- 31 :
- >>25すごい想像力だね。
- 32 :
- >>26
いや、信虎だから集権化が進むってんじゃなく、
信虎追放失敗で板垣・甘利あたりの「重臣の勢力が弱くなるから」集権化が進むんだよ。
晴信が集権化進めだしたのも板垣・甘利が死んでからだろ。
信長だって廃嫡騒ぎがなければあそこまで独裁体制敷けたか怪しい。
お家騒動ってのは家中分裂の危機だが、クリアすれば中央集権化の絶好のチャンスにもなるんだよ。
それを信虎が成功させてたらって前提で話してるだけ。
>>31
褒め言葉と受け取った!
- 33 :
- 信虎は家臣団の集住を成し遂げたけど
その程度では集権化を進めたとは言えないということでいいですね
- 34 :
- うーん、>>25で言っている信濃制圧は進んでも半分程度だと思うのだけど。
晴信くらい非常さと政略がないと、諏訪、高遠、小笠原を制圧できるとは思え
ない。
信虎にそれができたか・・・?
いずれにしても、関東に目を向けるののではないかと思うが、その場合、後北条
だけ滅ぼしても、まだ足利、上杉が健全なわけだよね?
- 35 :
- 信虎をバカにしすぎ。
晴信を特別視しすぎ。
戦国大名なら皆同じようなことやってる。
- 36 :
- 晴信に出来て信虎に出来ないって理屈はないな
- 37 :
- そもそも諏訪に娘を送り込んで政略支配の礎を気付いたのは信虎だし。
寅王丸がいたからこそ晴信は高遠を駆逐し、円滑に諏訪を支配できたわけだし。
- 38 :
- 4et
- 39 :
- >>36
あるだろ
そもそも家臣に推戴されて国主になった晴信と同じことが
家臣一同に見限られて追放された信虎にできるわけがない
- 40 :
- 久々に来たら>>25のような猛者が出てきて凄く嬉しいわ。
このスレがまじめな議論で>>200まで伸びたら、その話を元に信長の野望でEDITデータ作って配布するわ。
- 41 :
- >>39
家臣に推戴されて=家臣に祀り上げられて
そんな大層な事じゃない
- 42 :
- うーん、規制で入れなかった。
>>35
書き方が悪かったかしれないけど、逆、逆。
つか、非情と書くつもりが、非常になってるし・・・。
ifなので、実際と対比するのはどうかとも思うが、実際に信虎は佐久方面には
色気を出しているが、諏訪方面には縁戚を結んでいる事から、関東方面に行くと
のではないかと思うんだ。
その向こうの小笠原にまで手が届くとも思えないし、なので、信濃は半分程度じゃ
ないかと。
しかし、関東は後北条だけじゃなく、当時なら足利も上杉も健全・・・とは言え
ないけど、勢力を保っている状態だし、>>25の様にはいかないのではないかと思う。
個人的には、晴信はあまり評価していない。
甲斐を安定期に持ち込んだ信虎の存在があってこそだと考えている。
- 43 :
- 「縁戚結んでるから諏訪方面ほったらかし」っていう考え方が信虎をバカにしすぎってことなんだろ
そもそも諏訪とはずっと抗争繰り返してきてたんだぞ
乗っ取り前提の婚姻同盟と考えるのが普通だろ
仮にそのつもりがなかったとしても、追放事件時に反抗的態度を示した諏訪を
そのまま放っておくのは戦国大名として失格
晴信(というか担ぎ上げた重臣たち)が諏訪侵攻を決意したのは、
特別非情だったわけではなく当然の措置
常識的に考えると信虎だってそうする
- 44 :
- >25見て一番気になったのは甘利・板垣のように静粛される家臣どれだけ居るんだろうなと思った。
飯富・横田・駒井とかこの時期に静粛されてたりするのだろうか?などなど。
- 45 :
- 静粛・・・
- 46 :
- >>43
随分と信濃に攻めたがっているけど、そうするといった根拠もないよね。
そこまで信濃(諏訪方面)に攻めたいのなら、考え方の違いとしか言いようが
ないかな。
乗っ取りもあり得るというならわかるけど、前提って言うところが、もう何と
言っていいのか・・・。
諏訪とは抗争をしていたらこそ縁組みしなんだし、晴信が信濃に攻め込めた最大の
要因は、後顧憂いがなくなったからだし、それが今川や後北条ではなく、諏訪との
同盟だったとしても、別に不思議ではない。
- 47 :
- >>46
いや、信濃に攻めたがってるというかそれが自然だろ
上野や武蔵に攻めるとあんたが言うように北条や上杉あたりの
そこそこ巨大な勢力とまともに事を構えることになる
だったら群雄乱立状態でかつ甲斐よりは生産性の高い信濃を先に支配下に
治めた方が戦いやすいじゃん
関東から甲斐・佐久への侵入ルートさえ守っておけばいいんだから
関東への進出があるとしたら信濃を食って勢力拡大したその後だろ
てか例え仲良しこよしの同盟だったとしても諏訪が勝手に上杉と結んで
武田挟撃&佐久の分割統治を目論んでいたら完全な裏切り行為だろ
普通攻めるぞ
あんたならどうするんだ?
乗っ取り前提と言ったのは対等な婚姻関係じゃないからだ
諏訪が一方的に禰々を正室に押し付けられてる
寅王丸が諏訪当主になれば祖父である信虎の影響力は嫌でも増す
なのにその時点で武田家には頼重娘を嫁に迎えた形跡なし
これはもはや降伏にも等しいぞ
- 48 :
- 難しい事は解らんが、信虎なら普通に湖衣姫をいずれは娶る気がするぞ。
年齢的な問題で信繁かもしれんが。
- 49 :
- >湖衣姫
諏訪御寮人な。
まあ娶るとしても史実の晴信と同じく諏訪を降した後だろ。
- 50 :
- 諏訪御寮人も別に本名じゃないし由布でも湖衣でも構わないだろw
- 51 :
- だとすると、勝頼or勝頼に類似した誰かが産まれるのは確実か?
それでも跡は継げないからやはり諏訪への養子になるか。
- 52 :
- 御寮人ってのは「〜の方」みたいな敬称。
諏訪の姫、とか、諏訪の方、という意味合い。
つまり本名ではないが、当時から使われていた名称。
由布姫、湖衣姫はそれぞれ、井上靖、新田次郎の創作。
当然本名でもなければ、実際使われた名称でもない。
- 53 :
- >>51
諏訪頼重の下に禰々が居て、その嫡男の寅王丸が諏訪を継ぐとは思うから、勝頼と同じ道には歩まないとは思う。
とは言っても仁科みたいな感じの養子には行くやもしれんが…
- 54 :
- 禰津御寮人も信玄には嫁がず小笠原に嫁いだり歴史が狂いそう!と思ったがそもそも子供居たっけ?
- 55 :
- 禰津御寮人=諏訪御寮人という説もある。
裏切り者の諏訪の娘だと立場があまりよろしくないってんで
一旦禰津の養女にして武田に嫁いだっていう…。
それだと子供はまんま勝頼だな。
- 56 :
- こんなスレあったとはw
信繁が跡を継ぐって事は嫡男の武田信豊が跡を継ぐわけか。
なんら史実と変わらず滅亡√になりそうだ。
- 57 :
- そうとは限らないんじゃね?
武田滅亡の重要なファクターである織田が>>24みたいなってれば滅亡せずに信豊以降も続く可能性はある
- 58 :
- そこはどれだけ信豊が御親類衆と関係上手くいけるかがポイントだと思う。
信繁は戦死したから寿命は解らないけど、信玄没した1573年よりは長生きすると思うから、
仮に長篠のような合戦が発生したとしても、信繁が存命なら負けないとは思う、信虎すら存命だし。
- 59 :
- スレ違いかも知れんが、勝頼が1574年に信虎の帰還を受け入れていたら何か変化はあったかな?
その後すぐ死んじゃうけど…>信虎
信虎を嫌っていた当時の重臣たちもほぼいなくなってるし、
先々代である信虎の威光で勝頼を中心に結束するきっかけにはなったかもしれない、
なんて思っちゃったり。
まあ追放時の言い訳(信虎暴君説、狂気説など)がまことしやかに浸透してたら
威光も糞もないんだろうけど。
- 60 :
- 武田信虎で有名な合戦はやっぱ『福島乱入事件』だと思う。
受け入れた事による結果は、合戦の勝率くらいは上がりそう。
でも御親類衆をまとめるのは難しいと思う。
- 61 :
- 信虎が武田信恵を討ち取った戦いって、どういう名称?
- 62 :
- 第二次油川氏の乱とかそんな名前だったと思う。
- 63 :
- age
- 64 :
- 一応「勝山の戦い」になるんじゃなかったっけ。その後出張ってきた
小山田弥太郎を昼の戦いで敗れた直後に夜襲で屠ったのは分からないけど。
甲府を作ったのも、名僧学者を甲斐に集めてきたのも、一国を統一して
中央集権化、国人の家臣化を進めたのもみんな信虎の時代だもんなあ。
- 65 :
- 信虎は名将だったと思うよ冗談抜きで。
負けた戦いあったか?ってくらい強いし。
- 66 :
- 戦術的な負けはけっこうあったと思うけど(笑)
けど「もうかなりヤバい」ってところに追い込まれると神がかり的な
逆襲に成功する。今年のロッテみたいだ。
- 67 :
- むかし「歴史が違う方向に行ってた場合の人物略歴スレ」に書いたもののコピペ
■武田信虎(1494-1574)
甲斐武田第17代当主。武田信縄の嫡男。父の死後、楠浦昌勝
(荻原と表記するもの有り)らと共に叔父の信恵を倒して家督を
継ぎ、川田夫人との間に生まれた嫡男・虎縄(とらつな)と共に
国内の統一を進める。天文10年(1541年)、国内外での専横を
許されず不満を持っていた板垣氏・甘利氏ら国人衆が、次男の
大井晴信・三男油川信繁を立てて叛旗を翻すが、原虎胤・小幡
虎盛・山本勘助ら国外から帰服した家臣の力もあってこれを制圧、
娘婿の今川義元と共に北と南から国土を広げ、永禄4年(1561年)
直江津の戦いで長尾景虎を倒すと*1、国主の座を武田輝虎と改名した
嫡男に譲った。隠居後も戦いの前線に立ち、永禄9年(1566年)に
畠山義続を倒し*2、11年(1569年)には今川義元、九鬼嘉隆らと共に
六角・三好・織田らを撃破して入京する。今川氏輝が「二条の変」で
十八人斬りの伝説を残しながら殺害された後も、巧みな外交術で
輝虎らの勢力拡大を助けていたが、天正2年(1574年)、小早川
隆景邸での歌会に参加していた際に、武田信隆・熊谷元実らが
これを襲った「大寧寺の変」に巻き込まれて死亡した。
*1 なお、この時の長尾景虎は上杉家の家督を受けて「政虎」と
改名していたが、あまりに短い期間なので認知している者は少ない。
*2 信虎は畠山義続の肖像を見て「見るからにおぞましい
面つきだ」と嫌悪し、討伐の思いを固めたといわれている。
- 68 :
- これは酷いオチw
- 69 :
- 今川氏輝が酷く長生きな辺りかなりのifだなぁ。
ところで>>67での信玄は??
- 70 :
- >>69
>大井晴信・三男油川信繁を立てて叛旗を翻すが、原虎胤・小幡
>虎盛・山本勘助ら国外から帰服した家臣の力もあってこれを制圧
粛清されたんじゃない?
- 71 :
- >>70
やはりそうか・・・・このスレの趣旨にあってるな。
>>25と>>67を混ぜて正史にした場合、
>直江津の戦いで長尾景虎を倒す
ここの部分の合戦膨らませてみたいわ。
正直、どういう経緯で軍神を破ったのやら・・・
- 72 :
- 意外と調略であっさり倒せたりして。
それでなくとも内乱多いからな>越後
- 73 :
- 信玄に内通しようとした重臣もいたよね
北条高広だっけ
- 74 :
- 北条高広の寝返りっぷりは異常。
長尾政景も上手く揺さぶれば内応こぎつけれるかもしれない。
- 75 :
- 信虎は調略上手?
後、越後方面に進むのなら村上の打倒は絶対条件だと思うけど……
- 76 :
- >>75
絶対ではない。
より厳しいが上野→越後ルートもあるでよ。
信虎が調略得意かどうかは知らんが、
政略は駆使してた(板垣等重臣の存在が大きいけど)みたいだし、
さらなる拡大を目指す上で調略を多用したとしても不思議じゃない。
ある程度大きくなった戦国大名なら普通にやってることだし。
村上を攻略するとしたらやはり最終的には調略なんだろうけど、
信玄における真田幸隆のように、北信濃の国人衆とつながりの
深い家臣がいた方が断然楽だろうね。
- 77 :
- 信虎が頭首だと海野平合戦の影響で真田幸隆が武田家に来るか微妙だよね?
下手すると長野業正の家臣になって、どえらいことになるような気がするんだが。
- 78 :
- 無職、武田晴信容疑者(31)を逮捕
http://yomi.mobi/read.cgi/news2/news2_newsplus_1056817815/
- 79 :
- どえらいことって?
- 80 :
- 唯でさえ、業正存命中には信玄も手が出なかったのに、それ+真田家されたらとてもじゃないが上野には侵攻出来ないって事だろ
- 81 :
- >>80
代弁どうもありがとう。
あと川越夜戦なども発生しなくて、上杉憲政が史実より頑張る可能性も考えられる。
長尾景虎も関東管領になれずに関東方面の進出もしないなどのifも充分考えられる。
- 82 :
- 下手したら北条が潰れかねないからな
武田は上杉今川と共に北条と戦うか関東からは一旦手を引いて信濃を攻めるか
諏訪に関してはそのまま取り込めるかもしれないし
1530年前後の時とは違って1540年前後には国力的には今川松平並に差が出てきてるし
諏訪を取り込んで小笠原や木曽伊奈方面を攻める可能性も
- 83 :
- 武将個人の力ってそんなに影響力あるかな?
そりゃ大名クラスなら大きいだろうけど。
海野平で敗戦し所領を失った(?)真田幸隆個人の影響力がそこまで大きいとは思えない。
周辺諸国に多少影響は与えるとしてもせいぜい誤差の範囲内だと思う。
- 84 :
- >>83
上田城に関しては真田幸隆の個人の力が強いと思う。
その気なれば真田の兵だけで何かやらかす恐れは充分見える。
長野業正も合戦自体は負けてて結果を出してるから、
その長野業正を負けないように補佐を真田幸隆がするなら充分変わりうると思う。
あと>>81の続きだが川越野戦がなければ、長野吉業が死亡しない事になり、>>83の言うような誤差の範囲は超えるとは思う。
- 85 :
- 追記だが、
信玄と同じように侵攻した場合、自力で戸石城を落とさなきゃならなくなる可能性もあるね。
- 86 :
- >>85見てハっと気付いたが
×上田城 ○砥石城
- 87 :
- うむ、上田城築城時には幸隆は亡くなってたしな
- 88 :
- 砥石城の調略は、幸隆に代わる人材(人脈を持つ人間)をあてられれば何とかなると思う。
「幸隆の調略で落とした」は、即ち「幸隆でなければ落とせなかった」ではないし。
- 89 :
- 真田幸隆に限らず真田一門全て武田に与さないから捻じ曲がるという考え方でいいんだと思う。
- 90 :
- 真田ってさ、海野平合戦で一旦所領失ってるんでしょ?
だったら長野業正んとこへ行ってもせいぜい客将扱いで発言力・影響力は微々たる物だと思うんだが。
信玄の元で活躍できたのは、おそらく臣従を条件に旧領(の一部?)に呼び戻されたんだと思う。
もし幸隆個人の真田旧領や周辺豪族への影響力が強いのであれば信虎だってそうした可能性もある。
(真田の武田臣従時期が不明なので、もしかしたらそもそも海野平の後、信虎によって安堵されてた可能性も?)
そうしなかったとしてもある程度時間をかければ真田旧領の統治や周辺豪族の懐柔はできたんじゃないかな。
何にしても、土地を持っていない武将はそんなに影響力ないと思うよ。
昌幸などの子孫が武田に与しなかったとしても同じ。
それに代わる誰かが似たような働きをしていたと思う。
よほどのボンクラをあてると思いっきり捻じ曲がると思うけど。
徳川との上田城の戦いはひょっとするとなかったか負けてた可能性もあるけど、
そこまでいくと武田関係ないし。
- 91 :
- じゃあ>>90の通り真田一族が居なくて史実にさしたる影響が無いとしよう。
でも俺は結果的に信虎が当主だと山内上杉家と今川家は残ると思うな。
- 92 :
- 穿った見方をすれば信虎がせっかく海野一族を追放して小県を直接支配できるようにしたのに
信玄が村上に対抗するために小県を真田一族に上げてしまい武田は間接支配に留まることになった
って見方も出来るな
まあそのおかげで武田滅亡時に真田はそれなりの勢力を持つことが出来て独立勢力となれたわけだが
- 93 :
- >>91
そう思う理由もぜひ。
- 94 :
- >>93
散々既出だから書いてないんだが。
- 95 :
- あ、逃げた
- 96 :
- そもそも家臣団から総スカンくらった信虎にまともな外征などできるわけないべ
晴信処断の段階で内戦突入、それに勝利したとしても信虎の性格じゃ家臣団の大半は粛清
深刻な人材不足に陥って甲斐一国の運営さえ儘ならなくなるのがオチ
- 97 :
- 家臣団から総スカンなら信行謀反時の信長だって似たようなもんじゃん。
追放に失敗が前提ならそれなりに信虎派もいたということだろ。
だったらすぐに立て直せるはず。
それに信虎追放についての詳しい史料があるわけでもないんだから、
総スカンと言い切るのはどうかと思うぞ。
板垣などの反信虎派が追放に成功したので、
残された信虎派もやむなく従った可能性だって十分にある。
担がれた晴信だって自分まで追放されたらたまったもんじゃないから、
不本意ながら当主の座についたのかもしれない。
てか信虎の性格ってどんなだよw
詳しく教えてくれ。
まさか妊婦の腹を裂くような残酷無比な奴とか言うんじゃあるまいな?
- 98 :
- >>97
>家臣団から総スカンなら信行謀反時の信長だって似たようなもんじゃん。
その当時は信長派と信勝派の内部分裂であり総スカンではない
間違った知識は早急に修正しておけ
- 99 :
- まあ似たようなもんは言い過ぎたw
正直反省している。
でも信虎が総スカンだったって証拠もなかろ?
総スカンなら騙し討ちの追放なんてしなくても、
家臣団全員で隠居を迫ればいいだけだし。
- 100 :
- >>97
「甲斐の民は信虎の追放を知り皆大いに喜んだ、信虎は牛馬の類にまで憎まれていた」
とまでいわれてるんだから家臣どころか国民総スカン。
>信虎派
全くいなかったとは断言できないが、大勢に影響を及ぼすほどいたなら追放されない。
信虎派が多数派と仮定すると信虎には人望があったという事になり、家臣の支持に値する立派な国主だったという事になる。
そのような人物は嫡男の廃嫡を公言するような無茶はしないし、讒言する家臣むやみにを手打ちにもしない。追放劇も発生しない。
それは史実の信虎と懸け離れた同姓同名の別人だ。
>詳しい史料
一次史料は確かに存在しない。
が、それをいうなら晴信処断後の史料など全く存在しない。
>信虎の性格
「讒言した家臣五十余人を手打ちにした」と孫に自慢。
>>99
お前さんが妄想を語るのは自由だがそれを否定するには証拠がいるわけだ。
逆じゃね?お前さんの妄想に説得力を持たすには証拠が不可欠。
単なる妄想を否定するには信憑性の乏しい逸話で充分。
- 101 :
- >>99
>家臣団全員で隠居を迫ればいいだけだし。
隠居を迫ればという話だと浅井家の久政・長政父子のケースがある
これなんかは朝倉家に久政を送り出してもよさそうだが隠居することで事態収拾
後にこれが裏目に出て浅井家の運命はこの時点で決まる
まあそれはどうでもいいとして信虎の方は隠居ではすまない事態だったのだろう
>>100の人も言っているが信虎総スカンについては
信虎甲斐追放を領民はおろか牛や馬までが喜んだとか言われているので強ちありえる話かもしれない
ところで総スカンじゃないと仮定した時に疑問がある
武田家の場合は信虎派の武将っているのか?
先に挙げた織田家だけに限らず今川家、長尾家、毛利家、伊達家などの内訌では両派が合い争う展開
武田家の場合は内訌にすらならない
人望があれば大なり小なりの内訌や謀反騒動が起きてもあの甲斐なら可笑しくあるまい
義信事件の時のような信虎派武将の粛清とかあるのか?
- 102 :
- 原か小幡が信虎追放に猛抗議したという話をどこかで読んだ。
抗議しただけでその後も信玄に仕えてるけど。
信虎が登用した足軽大将でさえその程度。人望の無さが伺われるね。
- 103 :
- いやだから追放したんじゃないかって言ってるんだよ。
例えば板垣ら反信虎派が隠居を迫るとしよう。
仮にその勢力が過半数を超えていたとしても、
信虎や信虎派が隠居に同意しなければ争いは避けられない。
圧倒的な勢力差があるなら押し切ることも可能だけどね。
そこで反信虎派は考えた。
先に担ぐ御輿をなくせば信虎派もこちらに従わざるを得まい、ってね。
で、騙し討ちの追放劇を成功させてから信虎派を懐柔させたって寸法。
あくまで想像に過ぎないけどw
でも信虎派だって命は惜しいだろうし、
肝心の信虎がいないんじゃ結束力も低下するだろうしで、
平和裏にクーデターが成功する要因としてはありうる話だと思うよ。
反信虎派が絶対に抑えておかなきゃならない人物がいるとすれば、
武田信繁とその後見人(諸角?)だね。
板垣が後見人を務める晴信を担いだ時、信虎派が信繁担いだら内乱確実だし。
- 104 :
- >>101
>信虎甲斐追放を領民はおろか牛や馬までが喜んだとか言われているので
クーデターを正当化するための後付けにしか見えないよ。
妊婦の腹を割いたとかもそう。
そんなに支持されてない当主ならもっと一揆や寝返りが頻発しててもおかしくないのに、
結構安定して治めてると思うんだけど。
- 105 :
- まあ、信虎は長尾為景みたいに単なる戦争馬鹿と違って、内政でも治水工事等に努めてるからな。
人事面でも原虎胤や横田高松みたいな、才能があるなら甲斐国外の人間でも重用するなど積極さを見せた。
ただ、こういった分け隔て無い人材登用が、逆に板垣等の閉鎖性の強い国人衆の反発を招いて仇になった面があるのかも
- 106 :
- 猛抗議したと言われるのは原虎胤、
他に足軽大将の誰かは不明だが信虎のもとにいった者もいる。
>信虎甲斐追放を領民はおろか牛や馬までが喜んだとか言われているので
これは一次史料に値する勝山記の記録で牛馬は比喩表現にしても領民がその時点で喜んだのは恐らく事実
ただ代替わりしても災害が止むことは無かった為に信虎を追放したその年ですぐに悪いと書かれている
- 107 :
- とゆーか守護の親子を旗頭にして国人が主導権争いがするのが甲斐の歴史だよ。
信昌派vs跡部派
→守護代・跡部の専横に対して非主流派が信昌を担いでクーデターに成功
信縄派vs信昌派
→跡部の孫として粛清しようとした信縄の一派が窮鼠猫を噛むクーデター
信虎派vs信恵派
→信縄の息子信虎と信昌の息子信恵を立てての争いも、旗頭の信恵が殺され決着
晴信派vs信虎派
→反信虎派が信虎の義理の息子・今川義元の力を借りて決着
信玄派vs義信派
→非主流派が信玄の息子義信を立てた争いも、旗頭の義信が殺され決着
- 108 :
- >信虎派vs信恵派
これも暗殺とまではいかないにしてもそれに近いような小兵力で屋敷を襲ってるからなー。
信虎の場合は兵を連れずに甲斐を離れたのが失敗か。
- 109 :
- >>102
何の本か忘れたが、新参で能力を買われて仕えた武将達が、信虎追放に反対気味と書いてた。
譜代の家臣から見たら面白くないし、立場も命も危ういから追放し、信玄を立てた。
その本が何次資料か解らないけど、板垣信方と甘利虎泰と飯富虎昌を痛烈に批判してた事から昂揚軍艦みたいなもんだと思って読んでたが。
- 110 :
- >>105
甲府開設は有名だけど信虎の治水は知らない。信玄堤のこと?
調べてみた。
wikiによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%8E%84%E5%A0%A4
『明治以前日本土木史』では信濃侵攻と平行して天文11年堤防築造が着工したとされているが、
川除場で行われる夏御幸の開始時期が弘治年間であることから、着工時期をそこまでに遡るとする説もある。
なるほど、天文11年は信虎追放の年、堤防の安全を記念する祭りが弘治年間であることから、
着工時期をそこまでに遡るので信虎の業績となるわけだ。
・・・あれ、弘治年間て1555年から1557年だよね。遡ってないじゃん。文脈がおかしくね?
調べてみると明にも弘治年間(1488年-1505年)がある。wikiの編集者はこれと混同してね?
仮にこの場合は明の年号でOKとしても1505年じゃ信虎は家督継承前の12歳。信虎の業績とするには無理がある。
信虎は治水してないんじゃね?
>>109
そりゃ信虎に拾われたのに追放に嬉々として賛成したら不忠もいいとこじゃん。形だけの反対ならするさ。
- 111 :
- 治水にしろ高名な学者を招いたのにしろ、だいたいは信虎が始めたこと。
文化財なんか信虎時代の方がいいものを集めたり作ったりしている。
晴信が歌にふけってボンクラのように見せかけた、なんていういかにも
江戸時代あたりに作られたような俗説があるけど、歌会三昧だったのは
むしろ信虎の方だったわけだしw
信虎にしろ晴信にしろ、国外から家臣を募ったのは、早い話が国内の
国人たちはいつでも敵に回ると言うかはじめっから利害が敵対する存在
だったから、直接の家臣を作りたければ他国ものを膝下に抱え込むしか
なかったからという面は絶対にあったろうね。
晴信信玄がクーデターを起こされたのも、新参の家臣たちに主導権を
握られて焦った古参の国人たちの劣勢挽回のための行動だったというし、
そもそも晴信を担いだはずの板垣・甘利らが、その後晴信自身に実質的に
粛清されてる気配すらある。
いつだって甲斐の国人は「家臣」なんかにはなってくれない厄介な相手だよ。
勝頼をほぼすべての甲斐人が見捨てたのは歴史から見れば理の当然だったと
言っていいわけで。
- 112 :
- >>100に甲斐の民は信虎の追放を知り皆大いに喜んだってあるけど、意外と>>110みたいに堤防由来の祭で喜んでたのをそう言う解釈をしたように見えて来るなぁ
- 113 :
- 感情を書き添えてる部分ってのは、
執筆者の意図や意見が多分に反映されたりするから、
あまり鵜呑みにしない方がいいよね。
事跡は検証可能だろうけど、感情なんて確かめるのは不可能だし。
- 114 :
- >>112の意見に同意。
駒井高白斎の日記だけが一次資料かな?
期間どのくらい書かれてるのか知らないけど見てみたいなぁ・・・・
- 115 :
- >>110
そのwikiの記述は確かにおかしい。信虎追放が天文11年となってるし、弘治年間が天文年間より昔のような文脈だ。
そのへんを真に受けると信玄堤は信虎の業績と思う奴もいるかもしれんな。
ところで別の説もある。
信玄堤は着工時期が定かでなく、洪水の被害は信虎が開設した甲府にも及ぶ可能性が有ることから
信虎も治水をしたのでないか?信玄堤の着工は甲府開設まで遡るのではないか?というものだ。
まあ、それらは史料的な裏付けがある訳ではなく推測にすぎないのだが。
>>112
おまえの読解力の無さは異常。
- 116 :
- 駒井高白斎日記は、実際は長男じゃない信玄の誕生をむやみに大げさに書いて
あったりと、信玄治世の時代になってから改竄もしくは校訂したことが割と
ハッキリしている部分が多いからね。
上にもあるように、晴信時代になってからも飢饉や出陣が多いので、期待された
晴信もけっきょくはボロクソ書かれたりしてる。
武田八州満の小説で、上田原合戦で大敗した晴信が謀反を起こされなかったのは
その年が大豊作で国人や庶人の不満が少なかったからだ、と語られていたのは
かなりの部分当たっているだろうw
- 117 :
- 駒井高白斎といえば出家したのが信虎追放直後ぐらいなんだっけ?
もしかすると信虎派だったけど突然の追放劇で自分まで攻撃対象になることを恐れ、
反信虎派に恭順の意を示すために出家したのかな?
- 118 :
- >>116
それは凄く興味深い話だなあ。
もし上田原の時点で豊作じゃなかったら、信繁辺りが担がれて謀反なのかな?
それとも小山田家、飯富家、穴山家辺りが謀反を起こしてしまうかな?
- 119 :
- 上田原で板垣ら重臣が死んでようやく晴信直接の治世が始まった、
って説が正しいなら謀反は起きにくいかもね。
そして信虎追放〜上田原までは武田家集権化にとって
ある種の停滞時期だった可能性もある。
- 120 :
- 誰かが書いていたけど、江戸期の歌舞伎(本朝二十四孝とか)なんかだと
板垣信方は「お家乗っ取りを企む悪家老」になっているけれど、これが
当時の知識人や庶民の感覚だったんじゃないか、現に板垣が采配を振るった
戦いでは残虐行為が甚だしいし、最後の死にざまも仲間の軍勢にはめられて
敵陣に取り残されたみたいなところもある、実は板垣は専横を嫌われて、
晴信とその側近たちに粛清されたんじゃないか…という意見があった。
あれだけ信濃で権勢を振るっていた板垣家がその後あっという間に廃れて
しまったこと、板垣死後晴信の権威が急上昇していることから見ても
ありえる話だと思う。晴信にとっての板垣は、自分を傀儡にして権力を
ふるっていた(曾祖父)武田信昌にとっての守護代・跡部みたいなもの
だったのかもしれない。
ちなみにドラマなんかで板垣が急に持ち上げられるようになったのには、
明治期に板垣退助が「俺は板垣信方の子孫だ」と言ったせいで、昭和まで
悪口を言えなくなったからだという意見があって、結構真実を突いて
いるんじゃないかと思ってしまうw
- 121 :
- >>120
それはとても面白い話、なんかおお!!って頷ける。
wikiとかだと合戦のさなかに首実験してる最中に討ち取られたとかマヌケだし、
老練の武将においてこれは無いだろって思ってたし。
甘利虎泰も同じような理由かな?
- 122 :
- >>120
なるほど…それはありえそうだな
- 123 :
- 上田原までは陶と大内義長みないな関係か
- 124 :
- 陶隆房は実力と大内家で残した結果でクーデターが成功したように思う。
板垣信方には何か偉大な結果は残されているのかな?
- 125 :
- 対今川戦
- 126 :
- 小田氏治みたいに何回負けても領民、家臣に支持され続けた大名もいれば
武田みたいにちょっとした利害で
何回もクーデターが起きたりする大名もあるんだよなあ。
なにがちがうんだろうなあ。
- 127 :
- >>126
甲斐の国は貧しくて米も全然取れなかった国だったから、
自分や家臣達の飯食わせてやるには、より強きに従うって感じじゃないかな?
やっぱ家臣に満足な俸禄も出せないと、その領主のが殺されちまうとも思うし。
- 128 :
- つうか小田さんとことは領国の規模が全然違うから、
寝返り頻発しても全然おかしくない。
支配域が大きくなればなるほど統治・統率が困難になるのは当たり前。
- 129 :
- だがの笑えるところは書状の数が多いほど
政治をきっちりやってると思い込んでるとこ
信玄の出した書状なんて半分はどうでもいい内容ろうがw
- 130 :
- >59
嬉しさの余り一年くらいは、長生きするでしょう
- 131 :
- >101
朝倉におくりだしたら、それはそれでまずいことに、なったのではないだろうか?
- 132 :
- >>129
高坂昌信『・・・・・・・・・・』
- 133 :
- 一条信龍って一条兼定と同じ一条なの?
- 134 :
- 多分、違うでしょう。
- 135 :
- 初めて甲斐の地に赴任した実質武田開祖の義清(〜1149)の息子信義が
はじめて武田姓を名乗ったんだけど、その嫡男の忠頼が甲府の「一条」に
住んでいて「一条忠頼」を名乗っていたんだよ。
だから一条は昔から武田の里にある名家の名で、武田の親族が継承してた。
忠頼は本来ならその後跡目を継いで「武田」になるはずだったんだけど、
源平合戦で大活躍して目立っちゃった武田家は頼朝に睨まれて、戦後処理の
あいだに長男の一条忠頼、次男の兼信(板垣姓)、三男の有義(逸見姓)まで
みんな難癖をつけられて誅殺されちゃった。四男の信光が承久の乱で功績を
あげて北条氏に気に入られて武田を継ぎ、いとこの長清が小笠原の宗家になる。
この武田信光(二代国守)の息子信長もはじめは「一条信長」だった。
代々親族に受け継がれてきた一条氏を信虎の息子の信龍が相続したということ。
- 136 :
- もしもの話だけど、穴山梅雪が武田信繁を当主として認めないパターンあるかな?
- 137 :
- 晴信派が義信・信親担いで内ゲバが長めに続く、と予想
- 138 :
- 海野信親って目が見えないんじゃなかったっけか?
あとスレタイでは信玄が死んでるぜ。
- 139 :
- 甘利虎泰「このスレがあまり伸びておりませぬな」
- 140 :
- 一条神竜最強
- 141 :
- さてそろそろ復興いたしますか
つまるところ武田家ではなく甲斐の大小領主たちが二派に分かれて利権を
争って、それぞれ晴信と信虎というビッグネームを担いで戦った争い。
元々地盤を持っている在地領主派と、信虎がうるさい領主たちを排除して
他国から雇い入れたり能力を買って抜擢した若手たちなんかが敵対した。
能力を買われた抜擢組(原虎胤など)はむろん信虎を支持し、自分たちの
既得権益を侵されそうな旧守派は晴信をみこしに担いで争って、より悪辣
だった領主たち(板垣ら)が謀略に勝った。
これがそっくり繰り返されたのが抜擢組が支持した信玄と旧守派領主が
かついだ義信の争いだったわけだけど、みこしにかつがれる危険を、
身をもって知っていた信玄が先手を打って嫡男を幽閉して謀略戦に勝ち、
そして自分の家の未来を閉ざしてしまったと。
甲斐はいつまでたってもこんな感じだったんだね。
- 142 :
- 戦国武将から学ぶリーダーシップ 部下を”愛した”武田信玄
http://hato.2ch.sc/test/read.cgi/news/1298773088/l50
- 143 :
- そりゃまあ国人領主が主君のはずの領主に対して
「あいつ気にいらねーから追放しちまおうぜ」
とやるのを間近に見て育ったら、部下というか国人の扱いには慎重に
なるのも当然だろうなw
- 144 :
- 原発で関東もやばいと言われてモーローとしてしまう今日この頃だが…
信虎の時代は放射能こそなかったものの、疫病、地震、台風、洪水、飢饉が
毎年のように襲っていた時代なんだよなあ。
そんな時代に無茶なやり方ででも国内を統合して、物資や人的資源を国内の
エリアで活用しようと思うのはムリないと思ってしまう。
- 145 :
- 信玄(震源)が上洛を始めた
- 146 :
- >>145
今の都は東京だからな
- 147 :
- >>129
信玄の書状でどうでもいいなら
信長の書状なんてゴミ以下のものばっかりだろうなw
本当に反乱おきまくりのゴミ政治w
- 148 :
- >>141
だから信虎は普通に嫌われまくり
妙法寺記では家臣粛清や家臣逃亡の記述がいくもある
しかも義信事件では大半の家臣が信玄を支持した
どう見ても家の未来を閉ざしたようには見えんし、
その理屈なら織田なんか始まった瞬間に未来が封鎖されとるわ
- 149 :
- >>147
何ヶ月も前の書き込みに執着するなよバカ
無知は煽りしかできないんだから放っておけばいい
- 150 :
- >>149
書いたのは>>129の馬鹿だろ?
知った事かよ
- 151 :
- どうしても構いたいなら他でやれ
だがとだがアンチ専用板でも作れ、戦国板でやるなバカ
- 152 :
- 保守
- 153 :
- 信虎って実質凄い人だったの?
今川に預けられてたみたいだけど、何か武功でも上げれたの?
- 154 :
- 武田信玄ヲタの為の
武田信玄総合スレ
http://toki.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1247975668/
- 155 :
- >>148
信玄が自らを正当化するために書かせたとも考えられるだろ
- 156 :
- >>153
寿命に関しては完全に信玄を上回っているかと。
- 157 :
- >>153
庶流になりかけた武田家を本流に戻した人
劣勢を押し返したりしてるから結構どころかかなりすごい
- 158 :
- いずれにしろ信虎の時代が続くと政治がヘッタ糞だから一向一揆が結成され
躑躅が先を襲撃、さらに家臣達の不満がたまり暗殺なんてことも…
- 159 :
- 単に家臣の派閥争いに巻き込まれて負けただけだぞ
- 160 :
- なんかやたら長生きだよなあ…
息子ら差し置いてずっと一線にいられたらどうなったか
- 161 :
- 長男でありながら疎まれた場合の理由はほとんどの場合、他の男の種じゃないかと疑ってるからなんだよね。
だから晴信は自分の子ではないと信虎が思ってた可能性が高い。
晴信の母親が初めて信虎に抱かれた時と晴信出生の間の期間が異様に短いとか。
それで確実に自分の種である信繁を後継にしようとしたとか。
- 162 :
- 更に追加すると義信も晴信の子ではないと疑われてた可能性がある。
ここで最も強く義信の真の父親として推定されるのは信虎である。
甲斐に京都の名門公家から嫁いできた美しい晴信の嫁を見て一度くらいは手を出した可能性がある。
- 163 :
- のぶやぼ厨涙目w
- 164 :
- 信繁が家督を継いでいたら日本史は大きく変わっていたとおも
信長は早々に潰されていたであろう
- 165 :
- 間接的に信玄が無能って言ってるぞ、それ
信玄が家督継げなかったら内戦が起こるから、甲斐源氏は上洛どころか、北条と今川からの侵略も警戒しなきゃならんし
- 166 :
- 信玄が無能なんじゃなくて信玄が不義理だって話だろな
もう半年も書き込み無いけど一応言ってみる
- 167 :
- 荒戸城に匿ったらいい。
http://mirai660.net/castle/
- 168 :
- >>155
妙法寺記を書いてることを
どうやって信玄は知ったんだよw
超バカだなお前w
- 169 :
- >>161>>162
>>長男でありながら疎まれた場合の理由はほとんどの場合、他の男の種じゃないかと疑ってるからなんだよね。
はいはい腐れドラマ脳乙wそんなソースはねぇよwwww
>>166
不義理?じゃあそれを証明する一次史料はないのか?www
- 170 :
- >>157
室町体制では直接室町将軍に仕えた若狭・安芸武田氏が嫡流扱いで
鎌倉公方に仕えた甲斐武田氏自体が庶流の扱いだったはず
- 171 :
- こんなスレですら信玄憎しで、
一次史料の裏付け皆無の悪口中傷活動をする汚物織田厨。
汚物ゴキは消毒するべき。
突き抜けるカス織田厨。
- 172 :
- さすが在日織田w
行動原理が逆恨みによる「恨」文化に根ざした粘着ストーカーそのもの。
- 173 :
- >>148
47 人間七七四年 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:3mYqfNIT
悪逆大名たるもの、自分の最後が因果応報でなきゃ認められんな!
キリスト教における魔女退治の火あぶり刑で神の裁きの煉獄地獄行き信長
船頭にすら見捨てられ野垂れ死伊東義祐
悪行から家臣鍋島の島津への内通を呼び込みぶち殺され家を乗っ取られた龍造寺隆信
家臣も民も全てが甲斐追放を喜び、預かった今川からも迷惑料を請求され、30年以上経ってもう風化しただろと甲斐に戻ろうとしたら全力拒否された武田信虎
- 174 :
- >>170
庶流、嫡流の使い方が違う気がする。
家が大きかったら嫡流か?
- 175 :
- 晴信が武田家で傀儡として擁立されたころ
甲斐国は武田の支配した国中
小山田が支配した郡内
穴山の支配した河内
でほぼ三分されてる(少し国中が大きい程度)
この両者は独自に外交権を有して戦国領主として対等な立場にあったが、
天文末期に武田による介入が進み、介入からさらに国衆存続のための武田による保護へ変質した。
これは信玄による法整備と公正な裁判によるところが大きい。
たとえば郡内での領民の裁判などで、小山田一族の暴虐の裁きはまったく進まず
訴訟を信玄の元へ訴え、それを信玄が裁き、小山田の妨害を排したりと
介入し、さらに穴山などは信玄の発給文書様式と特徴を学ぶことで、
武田へ従属し領内権力基盤を安定させる方向性へ志向したのである。
つまり天文末期の晴信時代に武田氏はその内治裁判の先進的整備を通じて甲斐国での民意の支持を得て求心力を高め
国衆への介入と知識提供を通じて、甲斐国の統一権力への進化と臣従を進めていき、
その内治による国力伸張を背景に他の国衆を凌駕し、武田による安全保障体制を構築提供するに至った。
しかも国中には専横重臣ばかりで晴信政権はその家臣団によって擁立された。
これは斉藤道三や長尾為景などと同様に一国の主の資格なしとして否定された事例と同様である。
このような国家ビジョンを信玄は持っており、これを全国レベルで広めることこそが使命であったといえるだろう。
また信玄が作った分国法による法治国家構想は、源流を辿れば、戦国時代の秦国が韓非子の意見を容れて導入したものであり、
法治の最も重要なことは信賞必罰を君主がしっかり行使することであると述べており
信玄も出陣する際に、かならず多くの褒美用の準備を欠かさず用意していた。
秦国が全国統一できたのも法治に照らした信賞必罰であり、それに基づく富国政策である。
しかし秦帝国はすぐ滅んでしまった。中国史観ではその理由を人治ではなく、冷酷な法治のせいであるとした。
しかし、それが原因ではない。韓非子は始皇帝に皇帝であっても法に従わないとならないと強く説いたが受け入れられなかった。
そして二代皇帝は超法規的存在である皇帝であるがゆえに、法を守らず、皇帝の寵愛を受けた宦官もまた、皇帝の保護を受け
信賞必罰の原則も崩壊したからこそ秦帝国は滅亡したのである。
信玄は自分もまた法に従い、法によって罰せられる存在であることを明示したのである。
まさに立憲君主による法治国家を新国家構想に掲げたのである。
これは今川家の分国法にも見られない画期的先進性として高く評価されている。
まさに国家とは何かを知りつくしたのが信玄だろう。
>>平和な甲斐に生まれる
どこが平和だよw甲斐国は実質、武田、穴山。、小山田の三国の合同政権で
しかも武田の支配していた地域は専横家臣だらけ。
結局、その専横家臣団によって武田の集権化を進め統合しようとした信虎はくにを追放され
専横家臣団に都合が良い傀儡として信玄が擁立されただけ。
>>信玄に無条件で忠義を尽くしてくれる
そうではなく、専横家臣団の意向で信玄が当主に祭り上げられてたくらい武田当主なんて誰もやりたがらない傀儡守護職。
それは戦国時代に大半の守護が家臣による下克上で滅んでいることでもわかる。守護を延命させる方が難易度が高い。
>>信玄にやりたいように政治ができる
>>287のように信玄の国の整備と経営の努力によって指導力を発揮していったことを周りが認めていった結果だ。
国人たちによる合議政権だから信玄の意見だけで勝手なことができるわけねーだろ。
>>父親が、自分で身を引いて信玄に全権譲渡
そんなことどこにも書いてない。お前の妄想。
- 176 :
- 徳川vs武田の戦い、二俣城があった。
http://mirai660.net/castle/
- 177 :
- 丸馬出の武田の城、諏訪原城の城ラマ。
http://mirai660.net/castle/suwaharajyoh_model.html
- 178 :
- >>174
嫡流が安芸に乗り込んだんじゃなかったっけ?
(安芸ってか京だろうけど)
- 179 :
- >>164
少なくとも武田が滅びることはなかっただろうな
- 180 :
- >>153
息子の信玄以上に先進的、かつ革新的。
一族、家臣、国人を躑躅ヶ崎館周辺への移住を強制し、
同時に直属の傭兵集団を抱え、大名権力の強化を推進した。
これが大きな反発を呼び、駿河に追放された。
だから、息子の信玄の時代には大名権力と言う点では、
やや後退している。
- 181 :
- 厳密に言うと在京守護である武田信虎とかは
家臣の掌握なんてまったくできてなかったからね。
しかも在京生活費を甲斐から搾取してるだけだから恨みすら買ってた。
同じ在京守護でも越後守護上杉房定などは在京を止めて越後へ帰国し
守護代長尾邦景・実景父子を攻め、邦景は自害させ守護権力を回復させ、
息子の上杉顕定を関東管領にし事実上の関東王状態になってるからね。
守護でも現地に滞在してるタイプはまだマシ。
ではなぜ、守護が在京を止めたのかと言うと、これは室町幕府が全国支配を放棄したから。
幕府は公田段銭賦課方式を止めて、一国ごとに百貫を賦課する一国百貫賦課方式へ変更。
これは百貫さえ幕府に納めれば、あとはいらないから好きにしろというもので、
守護による一国支配の可能性を開いたものだった。そこで守護は在京を止めて
権益確保のために任国へ下向する者が現れていった。
そして実質的な支配をして税をネコババしていた
守護代と国人の癒着の関係から現地対立が生まれていく。
上杉房定は速攻で守護代を排除して守護による支配を確立。
晴信が武田家で傀儡として擁立されたころ
甲斐国は武田の支配した国中
小山田が支配した郡内
穴山の支配した河内
でほぼ三分されてる(少し国中が大きい程度)
この両者は独自に外交権を有して戦国領主として対等な立場にあったが、
天文末期に武田による介入が進み、介入からさらに国衆存続のための武田による保護へ変質した。
これは信玄による法整備と公正な裁判によるところが大きい。
たとえば郡内での領民の裁判などで、小山田一族の暴虐の裁きはまったく進まず
訴訟を信玄の元へ訴え、それを信玄が裁き、小山田の妨害を排したりと
介入し、さらに穴山などは信玄の発給文書様式と特徴を学ぶことで、
武田へ従属し領内権力基盤を安定させる方向性へ志向したのである。
つまり天文末期の晴信時代に武田氏はその内治裁判の先進的整備を通じて甲斐国での民意の支持を得て求心力を高め
国衆への介入と知識提供を通じて、甲斐国の統一権力への進化と臣従を進めていき、
その内治による国力伸張を背景に他の国衆を凌駕し、武田による安全保障体制を構築提供するに至った。
しかも国中には専横重臣ばかりで晴信政権はその家臣団によって擁立された。
これは斉藤道三や長尾為景などと同様に一国の主の資格なしとして否定された事例と同様である。
- 182 :
- あげ
- 183 :
- 普通に晴信廃嫡、信繁が嫡男だろう。
典厩信繁はあの真田昌幸がリスペクトし、自身が信玄の小姓出身にも係らず、次男にその名をつけた人物。
信虎が、利発で自身の誤りを諫言する晴信を嫌い、従順な信繁を家督にしようとしたが、晴信が先手を打って信虎を
追放、という説がある。
海千山千の信虎がたとえお気に入りの息子でも、実力無視して後継者にするはずももなく、その俗説が正しいとして、
案外両者の能力を冷静に見比べた結果、ルールから外れても信繁を強引に後継者にしたかったのかもしれない。
ただ、信繁が能力的に信玄よりはるかに優秀だとして、武田をより強大な大名にできたかどうかはわからない。
他人の領土を奪うことに抵抗がない、暴虐無人でDQNな信玄だからこそ、あれだけの領土拡大をできたともいえるから。
- 184 :
- 謀叛起こしたのじゃ。わが子とて斬らずばなるまい。
- 185 :
- >1
その場合にはっきりしているのは、諏訪家が滅亡しないということだな
- 186 :
- >そいえば自分もベッキーパターンで不倫した時あるけど
>既婚者ってわかった時は男に激怒したわ
>「私の綺麗な経歴を汚しやがって(怒)」
>てな感情しか出てこなかった
綺麗な経歴w
- 187 :
- 誰も書き込んでないようなスレで言うのもアレなんだけど、武田信玄論争でずっと気になってることで1つ
信玄の負の面話すのに軍鑑や真偽のわからんネタから持ち出すと「講談だからノーカン」と言い返す。まあそれはわかる
そのわりに>>100みたいに信玄正当化や信玄ageにはそういう講談発祥のネタ使うのなって
妊婦の腹割いたり気まぐれで家臣殺したり、信虎の凶行なんてそれこそ夏傑殷酎の頃から前政権追い出して新政権を正当化するのに使われてる話なんだけど
- 188 :
- もしかして菅沼に釣られた?
- 189 :
- 眠い
- 190 :
- >>1
信虎こそ最強!
- 191 :
- 信玄公です
- 192 :
- *これは謀反じゃーっ!
*なにを!ババア!
*みんなの力を一つにするのじゃ。国栄えるためには、まず己栄えねばならぬ!己活かしてこそ、国また栄えるっ!
*えぇい!あの鬼ババアめ!
*親不孝者めが!
*八十の父を目の前に、横たわっておるとは、不遜であろう!そちはわしを越えられぬ…
- 193 :2019/04/21
- 家臣が先導しての追放だから
それが失敗するって事は、信虎の権力は強まるって事だと思う
只、その反面、甲斐内部の混乱は相当強まると思う
有力家臣も粛清する必要があるだろうし
どの位の期間で正常化するかだろうな
そして、周りがそれを放っておいてくれるか
まぁ、甲斐は貧乏みたいだし大丈夫かな?
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