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ロレーヌ家を語る
- 1 :2019/06/10 〜 最終レス :2019/08/14
- ロレーヌ家(フランス語:Maison de Lorraine, ドイツ語:Haus Lothringen)は、ヨーロッパ貴族の家系の一つ。シャトノワ家(フランス語: Maison de Châtenois)とも呼ばれる。
元来はロレーヌを統治した公爵家であったが、18世紀に婚姻によりハプスブルク家を相続してハプスブルク=ロートリンゲン家となったことで、ヨーロッパ史上において重要かつ最も長きにわたって統治した王家の一つとなった。
現在当主はカール・ハプスブルク=ロートリンゲンでオーストリア皇帝、ハンガリー、クロアチア、ボヘミア、ガリツィア・ロドメリア、イリュリアの王およびエルサレム国王の称号を有する。
- 2 :
- 基本age進行でお願いします。
- 3 :
- ロレーヌ家ってそんな語ることなくない?
- 4 :
- ロレーヌ公国が現代まで存続する可能性はあったのかな?
- 5 :
- なんかお菓子みたいな名前だな。
- 6 :
- お菓子みたいな名前はブルボンだろ
- 7 :
- >>4
フランツ・シュテファンがマリア・テレジアと結婚しなかったら可能性ある。
- 8 :
- ロレーヌ洋菓子店もブルボン株式会社もお菓子の名前ではない
- 9 :
- >>8
調べたらロレーヌ洋菓子店ってあったw
- 10 :
- 今のハプスブルク家は男系だとロレーヌ家なのに、
単にハプスブルク家と略されてしまう一体なぜだ…
- 11 :
- >>10
力関係的に明らかに婿入りだから
- 12 :
- ロレーヌ家の支配していたトスカーナってフィレンツェやカノッサがあったところだろ?
フィレンツェ共和国やカノッサ伯国を併せてトスカーナ公国が出来たの?
ルネサンス時代はメジチ家がこの辺で権勢を誇っていたと思うがどういう経緯でフランス出身のロレーヌ家がここの支配者となったの?
- 13 :
- >>11
フランツ・シュテファンって入婿になるのか?
- 14 :
- >>12
フランツ・シュテファンがマリア・テレジアと結婚、ロレーヌ公国を放棄。
↓
メディチ家のトスカーナ大公ジャン・ガストーネが死去、メディチ家断絶。
↓
ロレーヌ公国を放棄した代償としてフランツ・シュテファンがトスカーナ大公国を相続。
- 15 :
- >>13
正確には入婿じゃないけど事実上入婿みたいなもの
- 16 :
- マリア・テレジアの婚約者候補
フランツ1世(ロレーヌ)
フリードリヒ2世(プロイセン)
カルロス3世(スペイン)
- 17 :
- >>16
フリードリヒ大王と結婚してたらその後の歴史が大きく変わっただろう。
- 18 :
- フリードリヒ大王なんかと結婚したらハプスブルク家が断絶する
- 19 :
- プロイセンはカトリックじゃないからはじめから無理そうだな
- 20 :
- ハプスブルク=ホーエンツォレルン家
- 21 :
- >>20
実現してたらハプスブルク家主導でドイツ統一してたかも?
- 22 :
- >>20
恐ろしい…
- 23 :
- フランス革命軍に解体されて終わりや
- 24 :
- >>23
フランス革命起きなかったんじゃね?
- 25 :
- アメリカ独立戦争も起きなかったかも
- 26 :
- >>17
ヒトラーが歴史の表舞台に現れることもなかった
- 27 :
- 歴史が変わりすぎて想像できない
- 28 :
- >>25
ナポレオン戦争も起きなかった
- 29 :
- 現在のロレーヌ公は誰?
- 30 :
- >>29
カール大公
- 31 :
- >>30
即レスでびっくりw
カール大公なのか
- 32 :
- フランス第五共和制政府はエルザス=ロートリンゲン地方をハプスブルク=ロートリンゲン家現当主カール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏に返還すべき
アルザス=ロレーヌ大公国のシャルル・ド・アブスブール=ロレーヌ大公
- 33 :
- アルザス=ロレーヌ大公国とかあり得るの?
- 34 :
- >>33
ありえないです
- 35 :
- ロレーヌ家はロレーヌはもちろん、アルザスも祖先にあたるエティヒョー家が、
アルザス公として支配していたから、アルザス=ロレーヌとは歴史的に深い繋がりがある。
- 36 :
- 最後の授業
- 37 :
- ヴィッテルスバハ家と統合した方がよかったのに
- 38 :
- 統合できないだろ
- 39 :
- >>36
フランス万歳!
- 40 :
- ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。
彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。
気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。
「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。
これを聞いたフランツ少年は激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じる。
先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。
やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。
- 41 :
- フランスとドイツの国境地域に位置するアルザス=ロレーヌ(フランス語: Alsace-Lorraine、ドイツ語: Elsass-Lothringen(エルザス=ロートリンゲン))では古くからケルト人が住んでいた。
ローマ帝国に支配された後は、歴史の中で幾度となく領土侵略が繰り返されたことにより、ゲルマン系のアルマン人とフランク人が相次いで侵入してきた。
それにより北部ではドイツ語のフランク方言が、南部ではスイス・ドイツ語に近いアレマン語が長らくこの土地で話されるようになった。
この地は、元来神聖ローマ帝国に属していたものの、帝国に野心を抱くフランスの侵略の標的となった。
しかし神聖ローマ帝国の側では、アルザス=ロレーヌを帝国の領域から切り離してフランスに割譲することによって、フランスの帝国への干渉を食い止めた。
結局1736年に、アルザス=ロレーヌはフランスに編入された。その間に公用語としてフランス語が用いられたため、アルザス地方の言葉はフランス語の語彙が入ったアルザス語として形成されていった。
1871年に普仏戦争でフランスが敗れると、ベルフォールを除いたアルザスと、ロレーヌの東半分がプロイセン(ドイツ帝国)に割譲される、という複雑な経緯を辿る。
普仏戦争に敗戦したフランスに反ドイツ感情が湧き起こったこの頃であり、毎週月曜日にパリで『月曜物語』の新聞連載が始まった。
- 42 :
- ドイツ帝国統治下
当時の住民の大多数はドイツ系のアルザス人だったため、フランス語にそれほどなじみがあったわけではなかった。
ドイツ統一後もアルザス人は必ずしもドイツから完全な「ドイツ人」とは見なされていなかった節がある。
しかし安全保障上の問題からエルザス=ロートリンゲンを必要としていたプロイセンが「統一ドイツ」というナショナリズムを利用して普仏戦争を勝ち抜いたという経緯もあり、
後には自治憲法の制定を認めるなど、比較的穏やかな同化政策を取っていたと考えられている。
しかしツァーベルン事件の発生後は中央政府および軍との関係が悪化し、自治憲法も停止された。
- 43 :
- 戦間期と第二次世界大戦
第一次世界大戦でドイツが敗北した後の1918年11月8日、同地域はアルザス=ロレーヌ共和国として独立した。
アメリカのウィルソン大統領はこれを承認しようとしたが、フランスは拒絶した。
11月19日にはフランスによって占領され、この地域は再びフランス領アルザス=ロレーヌとなった。
第二次世界大戦時、ナチス・ドイツのフランス侵攻によって同地方は再びドイツ領エルザス=ロートリンゲンとなった。ナチス・ドイツの統治においても同化政策は一定程度踏襲された。
- 44 :
- 第二次大戦後のフランス化政策
第二次世界大戦後この地区には再びフランス化政策が敷かれたが、テロや独立運動が発生するなど反発が強く、間もなくフランス政府も方針を転換した。
1999年のジョスパン改革により、初等教育からドイツ語・アルザス語の教育が認められている。イタリアの南チロル地方ほど明確なドイツ人地区あつかいではないが、バイリンガルを基本として民族的な独自性が尊重されている。
ストラスブールに欧州議会が設置されたのもこうした背景が大きい。
政治的には、普仏戦争で勝利したプロイセン王国がエルザス=ロートリンゲンでのドイツ式初等教育義務化を実施し、フランス語は外国語教育としてのみ導入されていた時代である。
ただしもともと、アルザスにおけるフランス語は公的文書などのごく一部に使用されていたに過ぎず、フランス政府自身がアルザスにフランス語を強制しても定着の見込みはないと諦めていた、という意見もある。
- 45 :
- 結論、アルザス=ロレーヌの歴史はかなり複雑
- 46 :
- >>21
大ドイツ主義
- 47 :
- >>45
ロレーヌ家が統治していればこんなことにならなかっただろう。
- 48 :
- >>35
エティヒョー家はハプスブルク家の祖先では?
- 49 :
- >>48
ハプスブルク家とロレーヌ家は同族になる。
- 50 :
- >>46
ハンガリーとか揉めそう
- 51 :
- フランツ・シュテファンはフランス系ドイツ人
- 52 :
- ロレーヌ=ロートリンゲンだから遡ればカロリング家のロタール1世(ルートヴィヒ敬虔帝の長男)にぶち当たるんじゃねえのか?
その血筋にベレンガーリョ1世とかツヴェンティボルトとか何だかややこしいのがいただろ
- 53 :
- >>52
ロレーヌ家を遡るとパリ伯ジェラール1世に行き着く
- 54 :
- パリ伯ジェラール1世(752-778)の妃、ロトルーデはアウストラシア宮宰カールマン(カール・マルテルの長男;ピピン短躯の兄)の娘だからやっぱカロリング家繋がったじゃん
- 55 :
- >>54
ロタール1世には行き着かない
- 56 :
- ジラール家(フランス語:Girardides、ドイツ語:Gerhardiner)またはマットフリーデ家(ドイツ語:Matfriede)は、ヨーロッパでもっとも古くから続く貴族の家系の一つであり、その起源は8世紀にさかのぼることができる。
その家名は時代によって変わり、初期の世代はジラール家(ドイツ語:ゲルハルト家、始祖ジェラール伯から)またはアダラール家(ドイツ語:アダルハルト家、フランク王ルートヴィヒ1世のセネシャルであったアダラール1世から)と呼ばれ、
パリ伯やメッツ伯(メス伯)を継承し、カロリング家とはたびたび姻戚関係を築いた。
11世紀半ばはマットフリーデ家(マトフリード家)と呼ばれ、メッツ伯を継承したが、ロレーヌ公となった後はシャトノワ家と呼ばれた。
さらに18世紀、ロレーヌ公フランツ3世シュテファンがオーストリア女公マリア・テレジアと結婚した後は、ハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ばれるようになった。
- 57 :
- ロレーヌ家はブルボン家並みに古いんだな。
- 58 :
- カール大公が今年の秋に来日するけど
今上天皇との会見はあるのだろうか?
- 59 :
- >>58
来日は大嘗祭と丸かぶりだから会見は無理
- 60 :
- >>40
世界史の資料集にアルザス住民はドイツ語系方言が日常語で
最後の授業は対独復讐を煽るプロパガンダ小説だ、みたいなこと書いてたな
- 61 :
- オットー大公は来日の時に昭和天皇や先帝とも会ってた
- 62 :
- >>60
アルザスは以前からドイツ語圏の地域であり、そこに住む人々のほとんどがドイツ語方言のアルザス語を母語としていた。
普仏戦争にも従軍したプロヴァンス出身のフランス人である作者ドーデは、
作中のアメル先生に「ドイツ人たちにこう言われるかもしれない。“君たちはフランス人だと言いはっていた。なのに君たちのことばを話すことも書くことも出来ないではないか”」と言わせている。
しかし、その後に、フランツや生徒だけの責任ではない、国語をきちんと指導しなかった我々大人の責任でもある、と反省の弁も述べている。
さらにいえば、作者はフランス人とはいってもプロヴァンス出身であり、同地ではロマンス語系とはいえフランス語とは異なるプロヴァンス語が話される。
すなわち、アルザスの子供達は、ドイツ語の一方言であるアルザス語が母語であるため、国語であるフランス語を話すことも書くこともできず、わざわざそれを学校で習わなければならない状態だったのである。
主人公のフランツも、自分はやっとフランス語を書けるようになったばかりだと作中で語っている。
アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちのことば」ないし「国語」として押しつける立場にあったものであり、本作においてはこの点が隠蔽されていることになる。
背景知識なしでこの短編だけを読むと、まるでアルザスの人々が外国語であるドイツ語を占領軍に押しつけられているようにしか思えない書き方をされている。
日本ではこの小説は1927年(昭和2年)に教科書の教材として採用された。戦後の一時期、『最後の授業』は教科書から消えたが、1952年(昭和27年)に再登場した。
しかし、田中克彦の『ことばと国家』や蓮實重彦の『反=日本語論』などによる、「国語」イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品であるとの批判もあった。
また、戦後のフランス政府は同地でのアルザス語・ドイツ語教育を容認しており、同作のフランス語純化思想はすでに過去のものとなっている。
1985年(昭和60年)からは日本でも教科書に採用されていない。らしい…
- 63 :
- >>58
トンガの戴冠式では二人とも参列してたな
- 64 :
- >>59
数十分程度の会見だったら設定できそうなものだけどね。
- 65 :
- ハプスブルク家はアルザス系ドイツ人
- 66 :
- アルザス人ってドイツ人?
- 67 :
- >>66
はい。
アルザス人(アルザス語: Elsässer, Elsässi、アレマン語: Elsäßer、標準ドイツ語: Elsässer、フランス語: Alsacien)とは、フランス中東部のアルザス地方に住むアルザス語を話す南部ドイツ人に属するアレマン系の民族。
アルザス・ドイツ人、エルザス人とも呼ばれ、ドイツ系フランス人の大部分を占める。
- 68 :
- >>67
アルザスの中心都市はストラスブール(ドイツ語名:シュトラスブルク)である。
いまではライン川をはさんでドイツと国境を接しているこの地域は、元来ドイツの前身である神聖ローマ帝国の支配下にあり、フランス領になったのはスペイン継承戦争以後である。
これ以降、アルザス人は『ブルボン家に仕えるドイツ人』と呼ばれるようになった。
フランス領になってからは「フランス化」が進められたが、普仏戦争でドイツに再統合された(このときのエピソードとして、かつてはフランス語に変わってドイツ語が強制されたとアルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』が例に取り上げられることがあった。
しかし、アルザス人が用いる言語アルザス語はドイツ語の方言もしくは標準ドイツ語と極めて近縁な言語であり、実際にはフランス政府による国民統合推進の犠牲となり、アルザス本来のドイツ文化が抑圧されてきた。
そのため、この作品はアルザスの実態を示すというよりも、反独民族主義的なイデオロギーを含む作品と考えられている)。
- 69 :
- >>68
しかし、140年も及ぶフランス支配の帰結として、他のドイツ人とアルザス人との間には文化的・政治的意識のズレが生じ、ツァーベルン事件を機にドイツ人に侮辱されたアルザス人自身はドイツを完全な祖国と見なさない場合が多くなった。
他のドイツ人からはアルザス人はフランス文化に汚されていると見なされ、アルザス人は徐々に他のドイツ人と違った独自のアイデンティティーを模索するようになった。
第一次世界大戦後、アルザスは再びフランス領となったが、第二次世界大戦においてナチス・ドイツはアルザスを奪回し、一時的に支配下に置いた。
しかし、ドイツの敗戦と共にアルザスは再々度フランス領となり、今に至る。
このように度々フランスとドイツの紛争地となったこともあり、アルザス人の間には国民意識というより地域意識といえるような独自のアイデンティティーが形成されていった。
- 70 :
- ハプスブルク=ロートリンゲン家の家名は
マリア・テレジアの頃から実際に使われてたの?
- 71 :
- >>70
うん
- 72 :
- エディンバラ公が昨日でオットー大公の年齢に並んだ模様。
- 73 :
- ミハイ1世(2017年没、96歳)、ジャン大公(2019年没、98歳)と1921年生まれは長生き
- 74 :
- エリザベス女王夫妻は100歳普通に超えそうな感じ
- 75 :
- >>74
女王は本当に元気
- 76 :
- >>74
クイーン・マザーも100歳超えてるしね
- 77 :
- 未来のイギリス女王の王配に貧乏傍系王子のエディンバラ公が選ばれたのが謎。
- 78 :
- >>77
ヴィクトリア女王の血を引いていたから
- 79 :
- 女王が一目惚れしたからでしょ?
- 80 :
- ジョージ6世はフィリップとの結婚に反対だったらしい
- 81 :
- ギリシャ人の人名はスで終わるのが多い。
- 82 :
- ゲオルギオス
アンドレアス
フィリッポス
- 83 :
- イギリス王室とハプスブルク家って交流ほとんど無いな
- 84 :
- >>83
イギリスはそこんとこシビアだから…
- 85 :
- オットー大公はエリザベス女王と会ったことあったのかな?
天皇陛下とも会ったことあるぐらいだからかるか?
- 86 :
- >>85
一回は会ったことあると思う。
- 87 :
- ゲオルク大公の洗礼の代父は教皇パウロ6世
- 88 :
- オットー大公、20回近く来日しててすごいw
- 89 :
- 珍しい親日家
- 90 :
- カール1世って影薄いよね…
2年しか在位してないからしょうがないけど…
- 91 :
- ハプスブルク家はなぜか帝国崩壊後に子孫が激増した。
- 92 :
- ハプスブルク家男系子孫約600人
- 93 :
- >>90
それでもハプスブルク帝国最後の皇帝として永遠に記憶される。
- 94 :
- ・14世紀への移行期には、ハプスブルク家の素性をローマ市民の一族、それもコロンナ家とする伝説ができた。コロンナ家の起源はトゥスクルム伯を経てユリウス家(ユリウス・カエサル)に至っていた。
・ローマ人説と並んで、フランク人説もある。フランク人を経てカロリング朝、メロヴィング朝、トロヤ人まで遡及するもの。ローマは素通りされている。
これは西部との結合を目指すもので、マクシミリアン1世が強く主張した。
・素性に関する空論が時代遅れになっても、ハプスブルク家の起源をシュヴァーベンとエルザスのアレマン公エティヒョー家に求める説は依然として残った。ロートリンゲン家もエティヒョー家起源とされる。提唱者は17世紀のフランス人ヴィニエ。
その後のハプスブルク=ロートリンゲン家には、歴史的伝統と神の配慮という神聖さが添加された。
この説は、ハプスブルク家がドイツを支配する際に「キリスト教的・ゲルマン的」イデオロギーとなった。
12世紀のグントラムは確実に生きていた人物で、彼がエルザスのノルトガウ伯グントラムと同一人物なら、エティヒョー家起源説は正しいことになる。
- 95 :
- レストレーションは無理だよな
民族主義が基本の現代で、ハプスブルク家が民族統合の象徴になれる国って無いもの
むしろ男系を前面に出して、アルザス・ロレーヌの地域住民の首領になるほうが戦略としては現実的かな?
今後はロレーヌ家で行けばいいよ
だいたいハプスブルク家よりヴォーデモン家の方が血統も上だし歴史も古い、何せシャルルマーニュの末裔だし
- 96 :
- ロレーヌ家の祖先については大きく二つの説があって、一つはハプスブルク家と同じアルザス公エティヒョーを祖とするエティヒョー家説、二つは上にも出てるパリ伯ジェラール1世を祖とするジラール家説がある。
一昔前はエティヒョー家説もとられることが多かったが、現在ではエティヒョー家説を提唱する学者はほとんどおらず、ジラール家説が有力となっているらしい。
- 97 :
- >>96
アルザス公せつはしらんかった
- 98 :
- ロレーヌ家ってだいぶ古い家系なんだな
- 99 :
- よく考えたらマリア・テレジアとフランツ・シュテファン、
マリア・アンナとカール・アレクサンダーでハプスブルク家とロレーヌ家の二重結婚なんだな。
- 100 :
- カール5世以降のハプスブルク家の君主で傑出した人物って
マリア・テレジアとヨーゼフ2世くらいだよね、他は凡君ばっか
でもだからこそハプスブルク家の栄華は長続きしたのかもね
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