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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15


1 :2018/06/07 〜 最終レス :
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1525775487/

2 :
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。

3 :
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000

4 :
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)

ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。



8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

5 :
関東方面在番状況

宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?

大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。

黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定

鍋掛:皆川広照、水谷勝俊

蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、

烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水

江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
    

特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。

6 :
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

7 :
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。

8 :
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

9 :
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…

10 :
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。

11 :
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

12 :
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf

13 :
毛利の兵力及び西軍の戦力布陣状況

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中島氏種?390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、

美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?

こんなかんじかな。

なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。

大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

14 :
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。

15 :
宇喜多秀家に早期に援軍要請案

順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。

16 :
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。

17 :
その他の案としては、
美濃主攻もしくは北陸主攻案について

乃至政彦・高橋陽介著「関ヶ原の合戦はなかった」の208頁に
秀元、吉川はこう主張したが輝元の意向を受けた益田元祥に説得され
伊勢攻略に従ったとある。

「美濃・北陸両方面への処置を堅固に申し付けるのがよろしいかと思います。
伊勢方面は、さしあたってのところ重要ではありませんので、人数を出す必要はありません」と。

内容的に書状っぽいけど出典はよくわからない。
とりあえずこれが事実ならば、秀元、吉川の主張が採用され、美濃主攻もしくは北陸主攻が
あってもおかしくはないと思う。
美濃主攻なら西軍主力による東軍先発隊の木曽川渡河迎撃、
北陸主攻なら数的優勢でなんとか前田を降伏に追い込むか和睦で味方につける、
このいずれか、個人的には美濃主攻が勝算が高いと思う。

問題点は、だれがこの案の採用に同意するかという部分だと思う。
輝元や奉行(増田、長束)は小田原征伐のようなゆったりした展開を想定していたものと思う。
まずは丹後、伊賀、伊勢と近場を制圧し、安濃津攻略により伊勢湾制海権の確保、
関東に向けてじっくり進軍していく、と。

しかし当面の西軍の脅威となりうる存在は、前田と西上してくるであろう東軍で、
これに対処するには北陸と美濃に兵を送るという秀元、吉川の主張は当たり前ではある。

個人的には、増田と長束が自領の安全確保の優先と、輝元の毛利水軍を活かすための
伊勢攻略優先の結果、伊勢主攻になったのではないかと思う。

石田だか秀元だか吉川が「奉行衆は戦がわかっていない」と嘆いたらしいが、たしかにそう思う。

毛利元康あたりが秀元、吉川の主張を擁護してくれれば美濃主攻、北陸主攻は有り得ると思う。

18 :
小早川隆景が生きてればな〜

19 :
またテルをグーで殴って止めてただろうからな

20 :
ここで秀頼さえ生まれていなければ、と思ってしまった私はクズ

鶴松長生きしたりや石松丸秀勝とか信長四男の秀勝とかが長生きしてくれていればと思うこともしばしば。

21 :
関ヶ原の段階では秀頼はまだクズと断ずるには早すぎるし若いのが罪なのか、動乱が起きるのが罪なのかどちらとも言えない

22 :
そういや織田秀信と東軍による岐阜城の戦いは元城主の池田がいたから籠城はよくなかった、みたいな話あるけれど
鳥居元忠と西軍による伏見城は前パートのスレの話だと伏見城在番を奉行衆大体経験してるわけで、それならある程度城の構造とかもわかってそうだけどこちらは10日くらい持ちこたえてるよね

もちろん岐阜城と伏見城なんて構造も規模もてんで違うから単純比較にはならないけれど後詰が全然来ない籠城で、攻め手に城の構造に精通した人間がいるといった共通項もあるんでどういった差が明暗を分けたのかってのは知りたいですね
あ、ただ秀信が無能だったからだよみたいなのは身もふたもないというか、彼なりに勝算あっての行動だとは思うんで、無能以外の理由も知りたいですね

23 :
>>22
岐阜城の戦いはその前に野戦があって兵力を消耗してた。(多分最大の要因)
河田木曽川渡河の戦いとか米野の戦いね。

あとは岐阜城は濃尾二カ国の領主が建てた城で、伏見は天下人が本気を出して立てた城という違いもなのかな?
小早川東軍説で伏見城攻防戦の最初はやる気があんまりなかったというやつもあった。

勝ちが確定した戦だと兵力の消耗を嫌って戦意が低くなることもあるらしいからそれもあるかもしれない。
岐阜城を攻めた東軍は後がないから必死だけど、伏見城を攻めた西軍は今後無数に続く戦いの前哨戦に過ぎないからあんまり兵力を消耗したくないだろうし。

岐阜城って竹中半兵衛以来、約40年で5回か6回のハイペースで陥落してるから守りにくく攻めやすい城だったのかもしれない。

24 :
岐阜城は野戦せず、ひたすら籠城していればって思ったけど、岐阜城無視して他に攻め込まれるかもしれない。
三方ヶ原みたいなことをやらず、岐阜城に普通に攻め込むとして、3倍どころか兵力さが5倍6倍もあったから後詰なしには落城必至だけど。
それでも兵力差4万対2000の伏見城よりは有利なんで1日ではなく、単純に数日かかるとは思う。

間に合うのかなあ。岐阜城後詰め。以前の議論に戻っちゃうけど。

25 :
普通に考えれば岐阜城は持った

それから仮に落ちたとしても最善を尽くしたのであれば
あれこれ言われる言われはなかった

26 :
信忠の織田家家督継承時に与えられた本拠地が岐阜城だからね。
普通に考えたらその天下人の後継者の本拠は巨大な城。
秀吉が秀信に岐阜を与えたのも巨城で格式だけは与えたという事だ。
秀信は援軍も来ない状況の兵力でただ守りきることは不可能と判断したのだろう。
そこで決戦で敵にダメージを与えようとしたのが若さ。
配下に敵を城下に引き込んだゲリラ戦を出来る器の武将でもいれば良かったんだけど。

27 :
認めたくないものだな

28 :
確か渡河中の敵を迎撃してるわけで、割と相手に損害を強いる作戦を取ってますよね
渡河中の戦闘で渡河側が勝つって割と珍しいと思うんですけれど、なんでこれ東軍勝てたんですかね

また5,6回のハイペースで落ちてる岐阜城ですが
尾張の織田からの侵攻はずっと防いでいたわけで
尾張方面からの侵攻にだけは強いみたいな城なんですかね?

29 :
>>28
確かにそうなんだけど、尾張系諸将にしてみれば勝手知ったる場所だから渡河可能点をすぐに見つけて突破できるのは不思議ではない。
池田の旧領主、福島の隣接領主としての強みはこの辺で発揮されたのかも?

30 :
岐阜城は巨大すぎてまだ全容が解明されてない城ってとこかな?
調査の度に新たな発見があるし。

岐阜城陥落もやっぱ寡兵守るには広すぎるってことじゃない?

31 :
俺はここで何度も野戦で負けた後に、寡兵で守るには岐阜城は大きすぎてキツイから落ちたって言ってたんだが
水が無かったとか散々に言われてたぞw

32 :
あと、池田輝政が岐阜城の弱点知ってたからだとかなw
基本、明確な弱点が存在する城なんてほぼ無い。
あったらそんな城に存在価値ねーだろw

33 :
全力侵攻厨が、普通に考えれば一番現実的な岐阜城後詰め決戦策を出されたら
俺の全力侵攻策が一蹴されてしまうと、あの手この手で貶めてたからな
相手にしたら負けを相手にしてたやつらが悪い

34 :
>>32
関ヶ原後すぐに廃城されたけどなw

35 :
欠陥城?
いずれにしても野戦よりマシ

36 :
秀信は出撃しないとマズイんじゃないかなあ。
例えば、東軍先鋒が直接大垣に向かったとして(無論、岐阜を権勢出来る程度に)
東軍が「秀信がこちらに寝返った」という噂を流したとする。
その状況で秀信がなお籠城を決め込んだ場合、大垣勢は秀信をどう見るだろうか。

まあこれは極端な例だけど、東軍先鋒が岐阜を無視して大垣に向かった場合に
自分の立場が悪くなると秀信が考えた可能性はけっこうあるように思う。
秀信は西軍に参加させてもらったメンバーだと思うので、西軍首脳部に
「自分は東軍と積極的に戦う気があるのだ!」とアピールしないと予定通りの報酬が
手に入らないと考えたのかもしれない。

37 :
そんな流言飛語はすぐにバレるだろ・・・

38 :
>>33
一番現実的なのは清須急襲策だろ。
小山会議で盛り上がっただけで、その空気はまだ伝わってきていないのだから抵抗すべきか逡巡するだろ。
清須を落として東海道にフタをする。
これで美濃も有利になるし北陸にも兵を回せる。

39 :
東軍には秀信の父親を切腹に追い込んでおきながら、自分だけ逃げのびた有楽斎がいるからな
有楽斎を前にびびって籠城するのは、秀信にとって死よりも耐え難い屈辱だろう
秀信には兵力差や後詰めがどうこう以前に有楽斎をRための突撃以外に選択肢がなかった

40 :
信長みたいなことをしてみたかったんだよ

41 :
秀信は見殺しにされた
将来秀頼に仇成す可能性があったからかな

42 :
んー、やはり岐阜城防衛時の秀信の行動は謎が多くて憶測だけが飛び交ってしまうなぁ
この辺りの行動研究してる本とかないかなぁ

43 :
野戦は論外
防衛する気がない

44 :
秀頼に似ているかもしれないけど、秀信は偉大過ぎる祖父と父親の幻影で、桶狭間の戦いみたいなことをしたかったんじゃないかな?
信忠も武田家をあっさり打倒してたりするし。
流言飛語については一応、清須同盟もあるから、若干の信憑性はあるかもしれない。

しかし、いったん籠城しても三方ヶ原の家康みたいに野戦をやらざるを得ない可能性もあるしなあ。

45 :
織田家の家訓で一歩でも外へ出て戦えってのがあったからなぁ・・・
それ守れば勝てるって思ったんだろ。祖父と父親が勝ってたんだから。
状況が全く違うって理解出来なかったんだろうな。お坊ちゃんだから・・・

46 :
>>36
石田の援軍が岐阜城に行ってるから
そこからある程度の情報は来る。
まぁ多少は疑心暗鬼になるかもしれんが。

47 :
たとえ負けても自分が殺されることは無いだろう
というへんな安心感の上にたったギャンブルじゃないかな
敵の総大将は祖父の弟分だし、向かってくる奴等はもともと家来筋か陪臣たちだし
うまくいけば自分が戦場に立つだけで、敵は総崩れになるぐらいのドリームを見ていたかもな

48 :
ドリーマー過ぎる

桶狭間以上の劣勢

49 :
>>47
否定できないなあ。
高野山であと10年か20年くらい長生きできていれば、豊臣や徳川の身内扱いで領地が貰えてもおかしくないし。

秀信を西軍に引き入れたことが敗因の一つか?
でも濃尾では織田の名前は強かったみたいだし、美濃方面での初動に遅れる可能性もあるから、秀信東軍だと逆に劣勢になるかもしれないけど。

50 :
岐阜城が何回も落ちてるという事実に対しては、
ろくに抗戦もせず降伏開城したケースなんかは
城自体の防御力ではなく、後詰めが来ない等
外的要因理由で「落ちた」場合があるであろうから
その点については十分留意する必要があると思う。

51 :
岐阜城は稲葉山城のころからちょくちょく落ちてるけど、城の規模や構造も結構変わっていそうだ。

ところで清須強襲案だけど、清須城を攻め落とせるの?
清須城留守組の兵力がわからんのだけど、西軍の当初の目論見は会津征伐軍の自然崩壊と北条征伐の再来狙いではなかった?

仮にできたとしても、清須城陥落を情報封鎖するのは不可能だと思われるので、東軍先鋒と家康隊、秀忠隊とせっかく分断できていた東軍が全部まとめて東海道を上洛してきそうなんですけど。

そこで誰か内応させることができればいいのだけど。できなければ逆に不利になりません?
でも、西軍も伊勢越前北九州を無視して、東海道に全軍突っ込めばどうにかなるかもしれないか?毛利の動向も小早川を除けば西軍で固まりそうだし。

52 :
そういや西軍が狙っていた会津討伐軍の瓦解がほぼ起きず、西軍討伐軍に再編されてこっち狙ってきてることに気づいたのってどのタイミングなの?
確か書状だと三成は真田昌幸が意図的に隠していた節があるとはいえ信之が東軍についてたことすら気づいてなかった感じもあるんだっけ?

53 :
http://cannonballtours.com/

54 :
>>52
清須に集結するまでは絶対に気付いてない無い
なお、家康の指示で西軍の勧誘に耳あたりの良い返答をしていた

55 :
>>54
清洲に集結したタイミングでなお気づいてないってのはなかなか鈍臭いというか希望的観測で居すぎたのか
なんというか本当に決起してからえらいグダグダしてたんですね、西軍

56 :
>>55
希望的観測の方が大きいでしょうね。
下手に攻撃して迷っている相手を一斉に敵対させるのも問題だし。
味方にしたいのなら刺激したりせず、融和ムードは崩すべきじゃありませんからね。
まあ現実は残酷なもんでしたけど。

57 :
毛利や浮田が東国情勢に疎いのは仕方ない。北条征伐や東北仕置以降は特にかかわる理由がないし。
下手に情報網を構築して秀吉に疑念を持たれる方がはるかにヤバイ。
一方、東軍諸侯が西国情勢にも詳しいのは違和感がない。上洛や朝鮮出兵で情報が必要になるから。これは仕方ない。

しかし、なんで奉行衆は東国情勢をまともに把握できていないんだ?
上杉とか佐竹は石田の担当だったのだからそれなりに情報網を構築していてもおかしくないのに。

58 :
>>57
石田は襲撃事件で奉行クビになったからその辺のつてが一旦切れたのかも。
それに上杉は意図的に遮断した可能性がある。上杉征伐の原因って結局は
上杉が豊臣政権の統制に従わなかった事が理由だから、上杉に悪意があった場合は
内情を悟られぬようあえて断ち切ったとも考えられる。
佐竹は……徳川が壁になっちゃったんじゃないかなあ。

59 :
徳川は徹底的な情報封鎖していた感があるし

60 :
そういや思い出したんだが、上杉(と直江)って確か徳川との融和を考えてた
藤田信吉を事実上追い出したような形にしてなかったっけ。
正確には藤田は出奔だけど。

61 :
>>60
藤田信吉って、山内上杉家臣だったのに北条に属したと思ったら武田に走り武田が滅びると滝川一益へ。
本能寺が起きると上杉景勝のもとへとまあ、節操ないなあとしか思えない浮遊だけの武将だからなあ。
その後の取り立てられ振りを見ると、家康の内部崩壊工作要員にしか見えないね。

62 :
徳川との連絡役で板挟みになって、じゃあ徳川でいいやとなっただけじゃね
上記のようにフットワーク軽い武将だし

63 :
【カミカゼ高齢ドライバー】 ペダルが、ロシアンルーレット状態、車が線路に飛び出し列車と衝突…死亡
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1528546399/l50

64 :
>>62
何がフットワーク軽くだ。節操がなくて関東で信用が無い武将じゃないの?
機密を持って出奔されては困るから大事は任せられないよ、この手合いは。

65 :
豊臣政権の討伐対象にならないように家康相手に弁明に努めているのに
内通者扱いして出奔させる方が無茶苦茶だわ

66 :
>>51
清洲早期攻略案については、主張する者が、 いつ、だれが、どうする、を述べないので
判定(議論)しようがない。
ポイントとしては、日程的問題、兵力的問題、8月14日には清洲に来る東軍先発隊35000に
どう対処するのか、このあたり。

>>52
わたしも清洲集結で様子がおかしい、と感じたあたりじゃないかと思う。
西軍の敗因のひとつだろうけど関東方面への情報収集を怠っている。
ただ、擁護できる点としては、家康はなにもしてなくても上方から、
増田長盛、鳥居元忠、京極高次、その他大勢から上方情勢の注進が来たのに対し、
逆に関東情勢の注進が西軍にもたらされたというのを聞いたことがない。
佐竹、お前関東にいてなにしてたってかんじ。
関ヶ原後、西軍に積極的に加担したような都合の悪い書状は全て焼却処分されてるだろうし。
それでも黒田、細川、藤堂、池田あたりを含む軍勢が西上しつつあると把握してたら
のんびり尾張の勧誘はしていないと思われる。
迎撃態勢を取るはず。それをしてないということは、知らなかった、となると思う。

67 :
>>46の追記。8月上旬、秀信は石田と連携して尾張の勧誘やってるからというのも
付け加えとく。
美濃衆の犬山在番指示は秀信の影響が大きいと思われる。
それだけ西軍に積極的に動いてるのに東軍に寝返るというのもおかしい。

68 :
>>66
恐ろしい可能性だが、西軍(特に奉行衆)は内府違いの条々を出した時点でこの戦いは『終結した』と考えたのかもしれない。
この時点の家康の大義名分は豊臣政権筆頭大老である事。しかしそれは内府違いの条々で奉行が剥奪している。
つまり、西軍視点では上杉征伐軍を始めとした諸将が家康の言う事を聞く理由が最早ないのだから、
『皆、いやほとんどが豊臣政権に従って帰国するだろう』と予測した可能性がある。
で、江戸征伐は諸将が戻ってから改めて陣立てすればいいし、諜報もその後でよかろうと考えたのかも。

69 :
>>67
そうは言うが、西軍に従って伏見を攻撃した小早川があの様だしなあ。
後、秀信はともかく老臣の木造や百々が秀信に東軍に味方するよう説得していた事実もある。
つまり、彼らが秀信を説き伏せてしまったと考えるかもしれない。

70 :
>>61
藤田のことはよくわからないし、あんまり話すと完全に話がそれるけど、彼って上野か下野の国人でしょう。
あの辺の国人領主が安全保障を求めてあっちこっちにふらふらしているのはそんなに変なことじゃないと思うけど。

71 :
>>70
けどさあ北条氏邦を養子に迎え入れたなら重臣として尽くせばいいじゃん。
面白くねーやと武田に出奔してみたり、
その武田への恩義に報いもせずにいつの間にか遊泳して滝川家臣にという辺り、
国人領主としてやむを得ない行為というよりは無節操さの印象が先立つけどなあ。

72 :
>>66
>>68
お二方の意見を鑑みると、奉行衆は東国の情報収集しなくても勝てる、くらいに踏んでたって感じなんすかね
上杉と徳川の政治的対立を利用して畿内一時占拠までやったしたたかさはどこへ行ってしまったんだってくらい楽観ぷりなんですね

スレの主題的にはこの楽観っぷりさえテコ入れすればまともな相撲取れたんじゃないか感

73 :
>>71
じゃあさあの地域の国衆で節操のあったとこてどこよ

74 :
そのぐらいじゃ無理だろ

75 :
節操ないぐらいのしたたかさがない奴じゃ戦国は生き抜けんしな
秀吉ありきの奉行衆に一番足りない分野
こいつらが合戦で勝つすべなんて最初からない

76 :
西軍はチームワークがアレだったよな
もし長束正家、増田長盛、毛利輝元が必死になって戦ったら西軍の勝利は揺るがなかったと思うよ。
四国へ送った軍隊を最初から全て東海方面へ送り
増田と長束が豊臣家の金穀を両手に抱えながら最前線に来るだけで
負ける要素はどこにも見当たらなかった。

77 :
>>76
毛利はまだしも奉行のザコ二匹なんてなんの影響も無いだろw
節操なかろうとその時々の権力者に従って黙って算盤弾いてりゃ良かっただけの連中

78 :
家臣のなかで言うこと聞かん坊なんてどこの地域にもいるだろ
島左近やら後藤マタベエやら。
わがままな家臣の責任まで親方の責任にされても困るわな

79 :
戦国末期で名を売る機会ももう無いんだから、
藤田信吉も伏見の上杉屋敷に籠って鳥居元忠ばりに壮絶に散れば良かった。

藤田信吉が籠城すれば家康も東軍緒将も迂闊に動けないぞと慎重になり西軍が勝てた。

80 :
>>76
奉行と毛利(上杉も)じゃ目的が違うからな。
奉行は徳川を中央政権から排除したい。毛利(上杉)は自領を拡大したい。
特に毛利なんか家康(奉行も)が毛利の西国における優位性を認めさえすれば、
徳川征伐すら取りやめて徳川と手打ちしそうだ。
大体、毛利からすれば奉行だって潜在的な敵勢力だしな。毛利の勢力を脅威に感じたら、
徳川に対してやったような事をしかねないし。

81 :
>>77
滅茶苦茶影響があった。
増田は旧秀長領の代官もしており
秀吉直轄領を数多く代官している事から
莫大な金穀を管理していた。
長束正家も豊臣家の財産の管理運用を任されていた。
彼等が即座に金を差し出せば浪人や農民兵を20万人は即座に雇う事ができた。
実際、三成はそう命じたが
増田・長束「確かに我らは莫大な金や米を預かっているがこれは秀頼様のもので私どもの私物ではない」と断ってる。

82 :
>>81
そんな史料はない

83 :
一方、上杉は持ってる金を全てばらまいて10万人もの農民を勢子として雇ったと言われてるよな
直接、戦には参加しないが革籠原周辺の山々に旗を持って太鼓や法螺貝を鳴らしワーワー言うアルバイト

84 :
三成としては自分たちが負けたら豊臣家が滅びるのは必定だから
増田・長束に豊臣家の金は全部使っちまえと命じてるが
彼等は「横領は嫌だ。勝っても負けてもそれでは我らは罪人ではないか」とテコでも動かなかった。

85 :
ID:yWXz69C9 が言うような内容の史料は一切存在しない。ただの妄想

86 :
>>72
楽観っぷりをテコ入れして東国の情報収集をした場合、家康と、それにしたがって東国へ向かった部隊の動きにビビった西軍が史実より早く瓦解する様が脳裏に浮かびますが…

87 :
>>86
その場合、美濃主攻になるだけだと思う。
戦力はあるのだから。

88 :
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者にした

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われた
ご奉行に戻してやるって

それで輝元が潰してこいっていうのは
合戦じゃなくって思い切って当たれって意味

89 :
自分を含めて美濃趣向といっても、美濃以外の場所をどこまで手抜けるのかな?

伏見は時期と位置的に最優先だし、大津城は場所がやばい。
越前も多少は兵を送らないと、前田に制圧されるか中立化する。あと、大谷軍の兵の士気が持たない。
伊勢も一騎打ちのエピソードがなくなっちゃう(個人的には超重要)。無視していいわけじゃないし。

九州も無視したら相良秋月高橋鍋島立花がめんどくさい。
四国も藤堂地味加藤の軍を動揺させることができるから軽視できないし、蜂須賀領接収しないという選択肢は厳しい。
それぞれに送る兵の数を減らすことはできるけど、どこまで減らせるんだろう。

90 :
秀信が三成の誘いに乗らず東軍の勝ち馬に乗ったら
戦後どれほどの恩賞貰えたのだろうか

91 :
岐阜城?
あそこ?やばいよね?
東軍でも西軍でもどっちでも。
秀信が東軍についたら?
真っ先に西軍に攻められて、
秀信の人生は変わらなかったと思う。

92 :
秀信は祖父縁の地であり豊かな土地の尾張が欲しかったんでしょうな
東軍には福島正則がいたから東軍につくと尾張は貰えない

93 :
>>89
秀元と吉川広家が美濃に行くだけでいい。
もしくは宇喜多。
極端に振る必要はない。
バランスを踏まえた上で主力をどこに送るか。

少なくとも言えることは、伊勢主攻は兵力の無駄使い。

94 :
伊勢国を抑えないと、伊賀・大和経由で近江・大坂に抜かれる

95 :
>>94
それは東軍主力が伊勢に来た場合。
しかし東軍主力が尾張から伊勢に行くには
大量の舟を用意する必要がある。すぐにできることではない。
そして伊勢には有力な東軍戦力はいない。
従って早急に伊勢を攻略しなければならない理由はなく、
伊勢の優先順位は低い。
最低限桑名を堅持できていれば、
もし東軍主力が伊勢に来たとしても
美濃からの後詰めで東軍の退路を断つことも可能。

96 :
>>94
そこで留守城の清洲強襲だな。
清洲を落とし東海道を封鎖してしまえば伊勢は熟柿のごとき物よ。

97 :
>>95
伊勢国に拠点はあるし、船に関しては元々伊勢・三河湾は海運が盛んな場所
軍船も東海道の大名が朝鮮役に建造された安宅船等が返還されているかと

そもそも朝鮮役で大軍の渡海を実際に行った直近の経験を持つ西軍の大名が、
そちらをより警戒するのは必然とも言える

98 :
英雄たちの選択で磯田氏もとにかく東海道の諸城を制圧して
東軍所属の城主たちに揺さぶりをかけるべきだったと言ってるね

99 :
伊勢は伊勢で重要だからな。安濃津他東軍の橋頭保もある

100 :
尾張から伊勢の渡し船を西軍の九鬼と村上水軍がバンバン沈没させればいいじゃん


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