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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part17


1 :2018/07/28 〜 最終レス :
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part16
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1530344370/

2 :
史実時系列表

6月2日 会津征伐を関東諸侯に通達
6月6日 会津征伐に関する軍議
同日  芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
6月18日 家康、伏見出発
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束(以下三奉行)輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 三奉行「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 秀家、伏見到着
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進 利長、金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着

3 :
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。

4 :
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000

5 :
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)

ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。



8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

6 :
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

7 :
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。

8 :
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

9 :
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…

10 :
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。

11 :
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

12 :
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm

一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を
考え直させる大きな発見。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf


農林水産省東海農政局 木曽川水系土地改良調査管理事務所の案内
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf


上記より抜粋

忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。



関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。

また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?

13 :
毛利の兵力及び西軍の戦力布陣状況

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中江直澄390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、

美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?

こんなかんじかな。

なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。

大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

14 :
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。

15 :
関東方面在番状況

宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?

大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。

黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定

鍋掛:皆川広照、水谷勝俊

蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、

烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水

江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
    

特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。

16 :
野間・内海合戦については詳細は不明で、

白峰氏は考察論文、「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討

の中で以下のように述べられている。

本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。


野間・内海合戦関連

愛知県史資料編13織豊3より引用

東軍の攻勢によって主戦場が尾張国内から木曾川を越えて美濃国西部へと
移っていく中、尾張・三河両国の海岸部では、西軍方に与した
志摩国鳥羽(三重県)の九鬼嘉隆の軍船が焼き打ちを行っており、
九月には毛利輝元の臣乃美景継・村上景弘らの軍船も伊勢湾に現れた。
毛利氏の水軍は九月九日未明に伊勢湾を渡って知多半島に押し寄せ、
各地で放火や合戦をおこなった。「慶長年中記」九月十日条にも
九鬼水軍による焼き打ちに関する記述がみえるが、
毛利氏の水軍もこれに加わっていた可能性がある。


慶長年中記 巻一
十日 熱田西の海辺四五ヶ所、是ハ敵方九鬼大隅(嘉隆)焼候よし、
岡崎?地鯉鮒(池鯉鮒)へ行に焼見ゆる、熱田海辺より五六町ほと大船一艘、
地ハ紫に白き桐のとうのまく張たる九鬼大隅守のミよし先へ被遣候、
御馬印持候ものさんたか橋にて 御目見いたし候、とかくの御意なし、

次は 慶長見聞書 二

同日(慶長5年7月21日)岩手(伊勢国)城稲葉蔵人(道通)手勢九百六拾人籠候処、
九鬼大隅守(嘉隆)町口迄取懸候へ共、堅固被相抱候間、
敵の人数引退申候、其後九鬼大隅守・堀内安房守(氏善)以下船手の衆卒し、
尾州・参州之灘浦を焼払、漁人村老男女僧侶に不限切捨狼藉前代未聞也、
尾州毛呂崎(師崎)江寄ンとす、
浦のもの内々近日従関東御上を聞て、其間敵をたるめ魚を取て日々に送り、
様々の音信におよひけり、
然るニ案のことく千賀孫兵衛(重親)一夜の内ニ而のりつけ、
大勢籠たるやうニ見せ、浦々に旗を立置候間、
敵驚寄せ不申、其間に松平紀伊守(家信)・小笠原新九郎(広勝)・
同安芸守(小笠原信元)次第ニ乗付申候間、
弥敵船驚きこきのき申候、右ノ海上浦々の悪行の天罰にや、
此口の寄手の大将達のすへ?迄後ニ皆たへはて申候、
武家の習殺業なくて不叶されとも、
分の敵を討て非分の者を不討とはかやうの事にや、

此時戸田三郎右衛門(忠次)・清水権之助(政吉)ハ
大野・とこなへ(常滑)に罷在候間、
舟を出し防候間、敵不叶舟をこきのき引取申候、

17 :
野間・内海合戦関連

浦備前覚書 巻一 無尽集第七七冊

先年関か原御弓矢之時、伊勢地数船之御船指廻し、御国?ハ村上八郎左衛門殿
(景広)・乃美備後殿(景継)御船手不残被差出、
大坂よりハ菅野平右衛門殿(管達長)・村上彦右衛門殿なだ声古ヲ被差添御廻シ被成候、
伊勢之鳥羽ニ者九鬼大隅殿(嘉隆)大坂へ之御馳走ニ、
右之御方々大隅殿江御座候而方角万事御談合被成、
尾張灘手を御働被成御儀定ニ相澄、
おふミなと(伊勢国大湊)まて御座候而、彼表ニ而長々船中各御苦労被成候条、
一夜彼在所にて御休め被成之由、悉宿を取り御休息候処ニ、
乃美備後殿野せつちん(雪隠)へ参と被申、
五六丁家はつれへ被参候而都合被見合候処ニ、
彼在所より弐里間にて岩手と申城を敵方?持堅、
おふミなとの在所からも殊外手広不審ニ相見候条、
各うかと罷居儀ニ而無之候条、夕飯を仕廻、
夜入候者船へ各被召可然之通被申付而、悉船ニのり申候へハ、
夜半迄(過)ニ岩手?夜打ニ心懸人数差出、殊外物あぶなき躰にて、
下々共ニ備後殿御見合之段感入候、一日間ニて血地江御働ニ、
不残御渡り被成候、尾州之内大野と申浦江九月九日未明ニ被打入、
一段仕合能発向被成候、其次ニ二浦同前ニ候而、各御談合ニ、
今日之働ハ不残出来申候へ共、放火不仕候条、
明日之働ニハほうくわ(放火)を専ニ仕候様ニと仰事ニ候、
かたかミと申在所を未明ニ御働、一軒も不残放火仕り、
頓而其次野間の内海と申浦江御仕掛候処、
是ハ先代(源)義朝之御腹被召たる浦ニて候得者、
船本江人数差出相さゝへ候へとも、船よりの御仕掛丈夫候故、
終ニハにけくつし多分追討ニ仕り、
船本より一里半奥ニ義朝之御影御座候故、坊中江おひ入候故、
跡?足長仕ル儀ニてハ無之候条、各引取り候へと被仰付、
不残引取申候、礒兼加賀殿上下八人ニ而、
彼御影之寺放火不仕候へハ、此在所相働専ハ無之候条、
是非共ニ放火仕り引可申と被申候而ふかいりの故、
人数三十計討出取まき候条、別条子細も無之候間、
足床を見合高ミを取可相果覚悟ニ候、
壱人にても足を乱シ候而ハ不叶儀候之条、八人之者ハひつかけ相果覚悟ニ候、
其人数ハ加賀殿上下三人・乃美平左衛門殿上下弐人・
末永惣右衛門・世良源右衛門・末島(島末)与左衛門、
此八人ハ鉄炮弐丁御座候而、引懸五間ほとにて討候やうニと覚悟仕り候処、
敵も其覚悟ミきりはた?と不仕懸候処ニ、舟本江此聞候而、
乃美備後殿・村上八郎左衛門殿自身かけつけ候へハ、
のほりさきを見及引取申候故、無事ニ御しのき、
御両人衆殊外御しかり被成、(乃美)宗勝巳来上りはたらきの仕やうハ御存知ニ而、
深入沙汰之限りと被仰、無事ニ船本御引候事、
二日之間ニ六浦御働殊外出来候事、


誤字脱字はご勘弁。さぁ読んでくだされw

18 :
関連スレ

関ヶ原合戦の真実 Part8
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1518176864/

大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©2ch.sc
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1501990638/


上記以外はあまり伸びていないので省略。
誘導は上記適当スレへ。


過去スレ

part1
https://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2
https://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
Part14
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
Part15
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
Part16
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1530344370/

19 :
宇喜多秀家に早期に援軍要請案

順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。

20 :
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。

また、その他の案としては、美濃主攻案、北陸主攻案、早期尾張進攻案、
鳴海上陸作戦案、9月8日後詰決戦案等あり。

また、上記諸表の兵力数は戦闘の損害による兵力減少を考慮しておりません。

21 :
安濃津城攻城戦での吉川隊(秀元等他の毛利含めず)の死傷者数。

・戦死75名、負傷226名。死傷者計301名。
負傷内訳:銃創126名、槍創60名、矢創24名、刀創1名、銃槍創5名、銃矢槍創2名、
       矢槍創8名、計226名。


吉川広家が推測で兵3000引き連れていたとしたら、安濃津城力攻めでの死傷率は10%と言える。

けっこう高いね。
毛利の他隊も同様の損害が出てるなら、南宮山の秀元&吉川は13500くらいかもしれない。


それと東軍先発隊の兵数については、一般的には約35000と言われているけど、
>>4にあるように福島覚書準拠でいくと49300〜58000くらい?となる。
かなり差があるのでこれをどう見るか、だけど。

あと安濃津に残置してる兵もいくらかいるっぽいので、
南宮山の秀元&吉川は(暫定的に)13500でいいかもしれない。

22 :
>>1
改めて乙
テンプレはちょっと整理したほうがいいのかな?

23 :
史実時系列表(仮・本戦後を加筆)

6月6日 会津征伐に関する軍議、芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束が輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 前田、増田、長束「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 宇喜多、小早川、鍋島伏見到着
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進開始、利長金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着
8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信が迎撃に失敗し岐阜城へ敗走、島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略、東軍先発諸将赤坂に布陣、秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日  京極高次が北陸から大津城に帰城、東軍方として兵3000で籠城する。付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約15000がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 家康清洲入城(33000?)、前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着、小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠、西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月15日 毛利元康ら大津入場
同日   関ヶ原の合戦(本戦)で東軍勝利、宇喜多石田大谷が壊滅、島津長束長宗我部他は撤退又は敗走
9月16日 伊勢亀山、桑名城など東軍に降伏し開城
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)、佐和山城落城、大津城開城、大垣城から相良秋月高橋などが降伏
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 大垣城の福原長堯が降伏
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着
9月24日 権中納言九条忠栄が家康へ戦勝祝い
9月25日 輝元大坂城退去、福島黒田らが大坂入城、増田長盛、高野山へ退去
9月27日 家康大坂入城
10月1日 恵瓊、行長、三成が斬首される

24 :
>>23
まとめ乙。よく60行に収まりましたね。反論なければ次スレからはそれで。

25 :
>>2>>3>>5>>14の合体を目標にしましたが2と3以外は情報の抜け落ちが多いですね。

大坂で毛利は籠城できたという方がいらっしゃったので「本戦」以降も少し加筆しました。
しかしまあ、本戦後の西軍は一気に士気崩壊しているイメージができましたね。

表記揺れがあるのを修正したいのと、「細川ガラシャ自害」みたいに呼んでくれた人がいろいろ連想してくれることを前提にしています。
()内は兵数
日付は和暦です。多分。以前からのものは大丈夫だと思うけど、加筆分には西暦も混じっているかもしれない(汗

行数削減のために同じ日に起きたことは1行にまとめることを基本としています。
例外は9月3日と15日で書くことが多すぎたから。
合体の過程で京極が北国組だったこととかも省略しています。

参考になりましたら幸いです。

26 :
大阪籠城は論外として、本領での徹底抗戦を行ったらどうなってただろうか
上方から広島に総員撤退(久留米、和気などは放棄)、
即座に大船団を組織し博多、小倉、宇和島、松山、今治など主要港を火の海に
備前美作にも進出し、拠点となりうる都市や街道を破壊
敵が進軍に難渋する間に重要拠点の改修を行い(TERUならここで油断しそうだが)
領内に踏み込まれたら秀元や秀包率いる友軍が攻城軍を後ろ巻にする
「豊家の逆臣」「朝敵」になっちゃうのは確定のリスクだが

27 :
友軍じゃねー遊軍だ

28 :
>>26
戊辰戦争が400年はやまるのか。

29 :
輝元「どうせ豊家の謀反人なら出がけに大阪も焼いちまうか‼」
元就「お前息子にどんな教育しとるん?」
隆元「どう考えてもあんたの影響だろ(憤怒」

30 :
>>26
関ヶ原敗北前でさえグダグダだった毛利が一枚岩で動けるかねぇ
東軍に侵攻される前に内部分裂して内ゲバしてる気がする

31 :
第一次長州征伐

32 :
なんというか、輝元だけでなく毛利一門がクウェートに攻め込んだイラクのフセインみたいなわかりやすい「世界の敵」みたいにならないか?

上杉や佐竹、島津や増田あたりが必死になって毛利征伐の先陣を切りそう。1945年になってから連合国側で参戦したトルコやチリみたいに。

少なくとも東軍先鋒、家康隊秀忠隊に返り忠組に前田家とかの10万から12万が山陽道山陰道を通って陸路攻撃
これに上杉や佐竹、東北組に秀康隊の5万から8万人くらい?も本州からの攻撃に加わるかもしれない。

海運力が再建されれば黒田、鍋島(龍造寺)や加藤など史実で立花宗茂を包囲した連中に島津あたりも加わってくるだろう。
あとは蜂須賀や長宗我部も来るかもしれん。
というか海運力で言えば九鬼水軍も使えるし、そこまで妨害出来るかな?

>>26のやつはとりあえずの時間稼ぎはできるよね。あちこちに分散した毛利軍の指揮系統がそこまで迅速な行動ができるか疑問だけども。やれる限りやるしかないだろうね。
>>29の大坂破壊は豊家直属組と合戦すること確定で兵力消耗や輝元に危険がある。

調略をよっぽど上手くやらないと圧倒的物量と多方面作戦でかつての小田原北条氏の如くすり潰されて終わり。
下手しなくても毛利家臣が輝元や毛利家に謀反するかもしれん。

秀頼や大坂の人質をどうにか広島に連れて行けばワンチャンあるかも。増田長盛や七手組、大坂に帰還した鍋島とかがこれ幸いと「西軍と交戦した」という実績を作りに行くと思うので成功率は低めだろうけど。

33 :
伊達政宗を西軍に取り入れれば、
東西挟み撃ちにして勝てたろ。

34 :
基本的にみんな勝ち馬に乗りたいってのが本音なわけで
簡単に誰それを西軍に引き入れろっていうけど、そいつらに西軍が勝つビジョンを見せられるかどうかの部分も記述してほしい

35 :
>>33
東軍もそれに対抗の手を打ってくるからダメだろ

36 :
開戦のだいぶ前から陣営は内定している

一部挙動不審がいる

37 :
伊達と上杉は地元の拡大にしか興味ないだろ

38 :
伊達は徳川とは敵対しないスタンスだよ

39 :
ほとんどの武家は自分のまわりだけが大事だもんな

40 :
>>34
むしろ逆に三成を西軍に引き入れることなく追い出す方法を考える方が簡単だろう
東軍は三成の謀反を鎮圧するという大義名分で戦っているわけだし
大軍を持っているわけでも百戦錬磨の武将でもない官僚の三成が前線で悪目立ちしていたら
西軍を不利に陥れるだけだ
少なくとも西軍が勝つビジョンは、三成に仕切られたら見せられないよ

41 :
>伊達と上杉は地元の拡大にしか興味ないだろ
毛利も同じだよ
家康が関東割拠策を採用していれば瀬戸内に毛利王国が成立していたんだから

42 :
>>41
毛利は西軍が勝てなくても少しでも長く戦線が膠着すれば大儲けって感じですもんね
となるとほんと岐阜が落ちて膠着すらできなくなった時点でそりゃやる気なくしますよね

43 :
>>41
確かに、東上してくる西軍を引き込んで撃つって作戦有りだね。
最低でも上杉打倒までは西には行かないって作戦。
但し、その場合西軍が内紛で分裂とかしなけば、前田や東海道諸侯が死ぬな。

まあ、歴史のIfとしては興味有るな。

44 :
それはつまり東軍先発隊が西上せず上杉征伐を優先させたら、というケースだろうか?
その場合、上杉がどれだけ粘るかがすべての焦点で、
上杉降伏後、越後堀、最上、伊達、史実での秀康ら宇都宮守備隊、奥羽諸将等、
すべてが西に向かい西軍は正面戦力が圧倒的に足りなくなる。
関東に攻め込むどころではなくなる。

前田は…わからんね、粘るかもしれないし西軍につくかもしれないし。

45 :
中央で政権軍が企図してない挙兵が発生したら普通そっちの鎮圧を優先すると思うが
まあ上杉と本格的な戦端を開いてればそっちを優先する可能性はあるけど、
そうなる為には征伐軍に参加予定の大名を関東に集結させておかないといかんから
小早川、鍋島、大谷等の西軍参加諸大名の何割かが東軍になっちゃいそう
上杉征伐は政権事業だから、軍勢集結前に見切り発車では多分やらんし
唐入りに続いて上杉征伐も参加費用掛かるだけで無駄足でしたとか政権としてもさすがにマズイから、
参加者に形だけでも参戦させて恩賞を渡すって風にしたいだろうからな

46 :
大谷は東軍にならん

47 :
>>45
前スレでも言われていたけど、西軍挙兵によって大義名分を失った上杉討伐軍が瓦解する
というifも含めて考えると割かしリアリティのある状況になってたんじゃないですかね
自分たちを構成する軍に離反が多かったり、旗幟鮮明でない者が多ければ西上できずにその場で待ち受けるしかないですよね

家康本人ですらこんな簡単に上杉討伐軍から東軍に再編できたの、びっくりしてるような印象受けますし

48 :
>>47
上杉征伐軍が瓦解するには、なにかしらの要素を加味しなければだめでしょ、
実際瓦解してないんだから。
(あったとされる)小山評定で、石田・大谷討伐よりもまずは上杉征伐を優先、
と決した、くらいならわかるけど。

49 :
なんで西軍挙兵だけで上杉討伐の大義名分が失われるのか
上杉が武装強化してその弁明に上洛しないのが理由なんだから、秀頼が上杉を許し、かつ討伐軍はひっこめると宣言しないとダメだよね
ただいきりたった豊臣家臣がもう一方の豊臣家臣を糾弾してるだけでは大義名分なんかには関わらない

結局は秀頼がどう動くか、それにつきる

50 :
意見がわれる、だから東軍が瓦解するってのも、徳川が上杉討伐を保留して引き返してるんだからそれに反論するのは誰だって話になるよな
徳川の直臣が反対するわけもない
反石田の福島もむしろ西進したい一択
ほかの日和見というか意見のないのはうんもすんもない

51 :
思いついたんだが、挙兵を遅らせると愛知川で食い止めた鍋島、長曾我部等が
すり抜けてしまうので兵力減少になってだめだが、
逆に挙兵を10日早めてみたらどうか?
まだ出陣せずに在国の将もいくらかいるはず。
そして在国状態で上方雑説を聞けば、まずは様子見、となるんじゃないだろうか?

とりあえず諸将の7月7日あたりにどこにいるのかがわかればおおよそは
つかめるんじゃない?
7月7日内府違いの条々を送ったとして。

52 :
過疎スレばかり何でゴメンけど、
中小大名の子だくさんって破産しないの?

始めの10人くらいで2隣りの大名まで婚姻できちゃうよね?

53 :
うーん、秀頼に言われたのは上杉討伐であって西軍討伐じゃねーだろなんで徳川殿に指図されなアカンねん勢ってのはやっぱり難しいですか

まあそりゃ秀吉没後やっとこ徳川執政の下で内外ともにまとまって来たのをここでひっくり返したい人間なんてそういないですか、失礼しました

54 :
徳川内大臣
豊臣政権の筆頭大老

55 :
いつから筆頭大老になったんだよ

56 :
筆頭の大老なのは間違いなくね?
遺言やらでも大老衆の中で文字通り一番最初に名前書かれてたはず

57 :
名簿の一番上に名前が載ってりゃ筆頭やろ(適当)
秀吉に政務見ることを指示されてるし、
そもそも関ケ原までに他の大老は職務放棄しとるし

58 :
宇喜多騒動さえなけりゃ、もっと豊家一門衆の秀家の発言力でかくなって
「秀家が西軍ならそっちに付くのが豊家のため」と味方が増えてたのかな
大老として職務放棄するわ、大阪城下でドンパチやりかけるわ、
秀家より家康の方が豊家の忠臣に見えてもしゃーない
家中掌握できない無能となめられてたかもしれんし

59 :
備前美作は忠家、詮家に与え、秀家は秀吉子飼いを家老に付けて
甲信、畿内、北陸のどこかに封じればよかったのかな
備前宇喜多家は古参中心にまとまれるし、秀家に楯突く必要もない
戦力を損なうことなく関ケ原に移行できるな

60 :
どうなんだろうなぁ
秀吉没後の合議制自体が秀吉の死後、9月3日に作られた十人連判の誓紙で新しく通した体制で
秀吉生前の遺言だと家康に政権託してるって説もあるからなぁ

61 :
>>59
秀家に従う必要もないなw

62 :
秀吉の弟(朝日姫)で秀頼の祖父(予定)で、当時唯一の現職大臣(内大臣)
あと宮中序列では徳川秀忠>輝元&景勝になる。これは秀忠が輝元や景勝よりも先に中納言になったため。
息子2人を中納言にしているのは家康だけですね。(秀忠と秀康)
これで家康が筆頭じゃないとしたらそれはそれでやばい。

豊家の序列だと最初は信雄が一番だったようだけど(内大臣)失脚。輝元がナンバースリー(東国のことは徳川に西国のことは毛利に)くらいに躍り出るも、利家が台頭して「普通の大老」になったりで面白いけどスレ違かな?

家康以外の大老の職務放棄は領国や家中のことを全権委任して(ある意味隠居して)中央政治に専念できるのが、成人した嫡男がいる家康と利家だけということを弁護したいかな。
利長と利政でどうにかならなかったの?とは言いたいけど。特に上杉は弁護したい。

しかし、家康への優遇は本当に凄まじいなあ。

63 :
宇喜多って秀吉の猶子だか養子だかにはなってたけど
豊臣家との縁戚関係は全く無いでしょ?
同じ大老の前田家から嫁貰ったくらいで
秀吉−秀頼という豊臣宗家と直接縁戚関係を結んだのは
秀吉の妹を娶り秀頼の叔母を跡継ぎの正室に迎え
その娘を秀頼の許嫁にした家康の徳川家しかない
五大老なんて言うけど同等でも何でもなくて、何より秀吉自身が徳川家を最大限に優遇してる、
というか最も頼りにしてるのが明らか
多分だけど、晩年の秀吉は家康と徳川家の優秀さと団結が羨ましくてしょうがなくて、
何とか一門化して徳川家によって豊臣家を存続させようとしたんじゃないか
さもないとこれだけ必死に何重にも徳川家と縁戚関係を結んだ理由がわからない

64 :
秀家の嫁は秀吉の養女な、一応

65 :
秀吉が秀家のことを溺愛していたし、甘々だったのは間違いないし、正室の豪姫も秀吉が溺愛していたのは間違いない。

血縁的には無いけど、意識としては羽柴家の一員くらいでは?文禄か慶長で朝鮮侵攻軍の総大将もしていたし。

66 :
豪姫は確かに秀吉の養女だったね
しかし宇喜多の場合は後継者の秀頼との直接的な関係がないから
秀頼の代になったら遠縁みたいなもので外戚を約束された徳川家ほどの影響力はとても持てない
逆に考えるとこれだけ優遇された徳川家に他の大老や三成が嫉妬と反発を覚えても全く不思議じゃない

67 :
>>61
宇喜多騒動がなければ忠家は引退しないし、
忠家の発言力が高いうちは秀家を立てると思ったが、ダメか
中央政権とのパイプは維持したいだろうし

68 :
>63
猶子だったという史料は残ってないけど秀吉養女を娶って早くから一門扱いだったと黒田基樹は言ってた

69 :
>>62
秀吉生前は秀康は参議では?
秀次失脚後の序列は
家康利家秀家景勝輝元だろうけど

70 :
>>67
隠居したのは宇喜多騒動前で騒動は関係ないはず

71 :
秀吉にド厚遇されてあの地位の家康を引きずり下ろすことに正当性持ってくるのかなり難しいよね
そりゃ諸将も家康につくわとしか

よく西軍って毛利抱き込んであそこまでの大乱にできたなぁ

72 :
豊臣政権の官位列を時期によって分けると

1590年くらいまでは、小牧長久手で戦った信雄、家康を優遇するためと、それを牽制するための一門の官位上昇
信雄内大臣、家康権大納言
秀長権大納言、秀次権中納言
秀家、輝元、景勝、利家、氏郷は参議

秀次後継が定まると秀次の官位上昇とその他の一門の官位上昇、さらに徳川以外の大大名の官位上昇があり、バランスのとれた家格秩序が整備されていく
もしかしたら秀次の意向もあったのかもしれない
秀次は左大臣
家康は据え置きで秀忠が権中納言
秀長後継の秀保が権中納言
一門の秀俊も権中納言、秀勝は参議
秀信も参議
その後、秀家、景勝、輝元、利家が順番に権中納言
秀俊を容姿に迎えた隆景も権中納言
秀雄は参議

秀次が失脚してから晩年にかけては、それまでの家格秩序が崩壊しはじめる
おそらくは秀吉が年をとって判断力が鈍ってきたのと唐入りの戦況が思わしくなく、近くにいる大名の評価が上がるということがあったのかもしれない
家康は内大臣となり秀康が参議
利家が権大納言、利勝も急上昇して権中納言
秀信が権中納言、側室の実家である高次が参議
さらには諸大夫だった正則、一矩が公家成してしまう

73 :
>>71
いやまあ、挙兵自体はアリだと思うぞ、家康って立場的には完全に藤原氏の位置だし
その藤原氏が朝廷におけるライバルポジの大伴や橘らをどうしたか考えれば、
反家康派が危機感を持つのはおかしくはなかろう

後、毛利はそれとは別の思惑もあるだろうな
政権の無力化を見越して西国覇者の大大名になりたいってのが透けている
上杉もややスケールが小さいが似たような動きしてるね
主観ではあるが、毛利や上杉は豊臣政権が無力化して大大名が好き勝手に領地拡大できる
戦国時代後期に時計の針を戻したかったんじゃないかな

74 :
>>73
実際奉行衆が挙兵するのは納得なんです
秀吉政権でそれなりの地位だったのにいきなり政務を家康に持っていかれればそりゃ反発するだろうなというのは

ただあくまでも奉行衆が乱を起こす程度ならもっと小さい規模、それこそ会津征伐中でも伏見城の人間だけで止められたと思うんです
かなり嫌われてますしぶっちゃけた話奉行衆の挙兵にそこまでの正当性はないので
そこで毛利を抱き込んで天下の大乱を起こしたところに驚いてるんです

75 :
伏見城だけで止めるのは無理だろ
石田と増田はそれぞれ5000以上動員可能だし
宇喜多は既に恨み骨髄だし、
毛利も周りの西国大名が家康に媚び売ってるのは面白くない
大老衆からしてもチャンスがあれば叩きたくなるのは当然
周りの連中も家康が畿内にいないなら強い奴に従うしかない
(その構造的脆さに気付けなかったのも敗因だろうが)

76 :
毛利は秀吉死後の政局で常に奉行側に立ってるから
加賀征伐(未遂)、会津征伐ときたら思うところはあるだろうね
あと秀元の相続問題をちゃぶ台返しされたこととか

77 :
>>74
奉行だけじゃ勝てないからでしょうね
勝てないからこそ、勝つ為の担保としての毛利を求めた訳で
というより、秀吉死亡直後に浅野を除く奉行が毛利と誓紙を交わしたなんて話もあるんで
かなり早い段階で奉行は「そうするつもり」だった可能性すらあります
やや傲慢な言い方だけど、家康さえ排除すれば(多分前田も)天下はどうとでもなるみたいな
要は自分たち『中央政権で政権運営をしていた奉行としての自分たち』を過大評価してたんじゃないかと

78 :
>>75
多分、毛利はそういった不穏分子を止める側に入ってくれると家康は認識したんじゃないですかね
わざわざ誓紙まで出させてますし

いやまぁその甘さゆえに問題大きくしてしまったんでしょうけれど

79 :
>>77
僕もおそらく奉行衆は忠義の発露と言ったものでなく、かなり野心を持った上での秀吉没後の行動じゃないかなと認識してます
秀吉最晩年におそらく家康に任された政権運営を奉行衆がごり押しで巻き返しを図って、ゴタゴタした結果三成が貧乏くじ引く形で家康に負けたような形なんじゃないかなと

そこからの再巻き返しに武力行使に出たのが西軍挙兵なのかなーって認識です

80 :
石高から筆頭大老

81 :
官位から筆頭大老
縁戚からも筆頭大老(秀吉の義弟)

82 :
信長を「どの」や「兄」呼ばわりも出来るw

83 :
単発ID連発だな

84 :
毛利・宇喜多の立場からしたら上杉討伐も他人事じゃないでしょ
前田は人質送ってうまいこと矛先反らせたけど

85 :
>>84
百歩譲ってよ?堀や最上たちによる報告が言いがかりだったとしてよ?
弁明のための上洛もせず、関係修復に努めてた藤田信吉も追放して挙句煽ったわけでしょ?

ここまでのことを毛利や宇喜多がやる前提なら他人事じゃないけど、ここまで舐め腐った態度取ったらそりゃ討伐って話になるし普通に他人事でしょ

86 :
その前に秀吉の遺言を悉く破った徳川の討伐ってなるのは普通だろ

87 :
上杉が秘密裏に建設しようとしていたところを見ると(すぐに露見したけど)
朝日軍道は咎められたら結構まずい案件だという認識していたんじゃないかな

88 :
家康なんかそんな破りまくりって言われるほど遺言に背いてたっけ?
割かしみんなナチュラルに遺命に背いてるし、むしろ家康割と守ってる方だと思うけど

秀吉の前期の遺言で言うなら家康が完全に全権委任されてるし

89 :
>>88
>秀吉の前期の遺言で言うなら家康が完全に全権委任されてるし

どこにそんな事書いてあるんだ?


太閤樣被成御煩候内ニ被爲 仰置候覺

一 内府久々りちきなる儀を御覽し被付、近年被成御懇候、其故 秀ョ樣
  を孫むこになされ候之間、秀ョ樣を御取立候て給候へと、被成 御意
  候、大納言殿年寄衆五人居申所にて、度々被 仰出候事、

一 大納言殿ハおさなともたちより、りちきを被付御存知候故、秀ョ樣御
  もりに被爲付候間、御取立候て給候へと、内府年寄五人居申所にて、度
  々被成 御意候事、

一 江戸中納言殿ハ 秀ョ樣御しゅうとになされ候條、内府御年もよられ、
  御煩氣にも御成候者、内府のごとく、秀ョ樣之儀、被付御肝煎候へと、右
  之衆居申所にて、被付 御意候事、

一 虫ト肥前殿事ハ、大納言殿御年もよられ、御煩氣にも候間、不相替 秀
  ョ樣御もりに被爲付候條、外聞實儀忝と存知、御身ニ替り肝を煎可申
  と被 仰出、則中納言ニなされ、はしたての御つほ、吉光之御脇差被下、
  役儀をも拾万石被成御候事、

一 備前中納言殿事ハ、幼少より御取立被成候之間、秀ョ樣之儀ハ御遁
  有間敷候條、御奉行五人にも御成候へ、又おとな五人之内へも御入候
  て、ゥ職おとなしく、贔屓偏頗なしに御肝煎候へと、被成 御意候事、

一 景勝、輝元御事ハ、御りちきに候之間、秀ョ樣之儀御取立候て給候へと、
  輝元へハ直ニ被成 御意候、景勝ハ御國ニ御座候故、皆々ニ被爲 仰置
  候事、

一 年寄共五人之者ハ、誰々成共背御法度申事を仕出し候ハゝ、さけさや
  の躰にて罷出、双方へ令異見、入魂之樣ニ可仕候、若不屆仁有之而きり
  候ハゝ、おいはらとも可存候、又ハ 上樣へきられ候とも可存と、其外
  ハつらをはられ、さうりをなおし候共、 上樣へと存知、秀ョ樣之儀
  大切ニ存知、肝を煎可申と、被成 御意候事、

一 年寄爲五人、御算用聞候共、相究候て、内府、大納言殿へ懸御目、請取を
  取候而、秀ョ樣被成御成人、御算用かた御尋之時、右御兩人之請取を
  懸 御目候へと、被成 御意候事、

一 何たる儀も、内府、大納言殿へ得御意、其次第相究候へと、被成 御意
  候事、

一 伏見ニハ内府御座候て、ゥ職被成御肝煎候へと 御意候、城々留守ハ
  コ善院、長束大藏仕、何時も内府てんしゆまても、御上り候ハんと被仰
  候者、無氣遣上可申由、被成 御意候事、

一 大坂ハ 秀ョ樣被成御座候間、大納言殿御座候て、惣廻御肝煎候へと
  被成 御意候、御城御番之儀ハ、爲皆々相懃候へと被 仰出候、大納言
  殿てんしゆまても、御上り候ハんと被仰候者、無氣遣上可申由、被成
  御意候事、

右一書之通、年寄衆、其外御そはに御座候御女房衆達御聞被成候、以上、

90 :
>>85
ほんそれ
他の大老からしてもイキがるのも大概にしろって思うだけで共感得ないよね

91 :
>>86
やぶったというより時勢にあったやりかたをしただけ
秀吉本人がいないのに本人の決済が必要だとかいうアホらしい決めごとをどう守れというのか

92 :
>>89
なんで前期だって書いてんのに思いっきり後期の遺言出してきてるの?

93 :
家康を擁護してる側が無理押ししてるように見える

94 :
家康否定してるのは単なる奇麗事ばかりにしか見えない

95 :
否定というか家康自身も生き残るためには仕方なかったと思うよ。
家康が権力を奪わなきゃ奉行どもに追い詰められ秀忠の代に取り潰されたかもしれないし。

96 :
>>95
まあ、本来信長の構想では駿河遠江三河の三ヶ国で約100万石で限界だったでしょうね。
此れすら、信長の性格では奥州あたりに転封かも知れんし。
秀吉が筑前守、光秀が日向守で惟任姓、丹羽も九州由緒の姓、嫡男の信忠が秋田城乃介って
考えると、信長が大身大名残すのって九州、奥州、北陸くらいの構想。

家康の関東250万石って、絶対家康Rば分割か改易だろうってのは解る。
前漢だと、異性の八王は高祖の時代に全滅。
同姓諸侯で最大の斉「高祖の庶長子の家」は、後嗣が無いから一度改易した上で六郡を
七つに分割して傍系の皇子にやる。
これも呉楚七国の乱で無力化される。

まあ、一度秀忠にいちゃもん付け改易、家康の子供全部でまんべんなく分割くらいするかも。

97 :
でも他の事は許されても豊国神社をぶっ壊したのはやりすぎだわ。
前主として祀るくらいの余裕は家康に持ってて欲しかった。

98 :
羽柴氏が滅んだのに祀り続けても祟り神にしかならない
ならば本来の大仏の鎮守にした方がマシというもの

99 :
>>85
個別に家康への従属か反抗かを問われてくことになるなら今のうちに皆んなで反抗してみるかってのが関ヶ原でしょ

100 :
内府を擁護するとか否定するとかの話じゃないだろ

そこをごっちゃにするから法的な慣行上の手続きに不備があったのかと、
政治闘争上の野心や脅威があったのかを混同してどっちが正しいかみたいなことになる


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