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長篠・設楽原合戦の真実
- 1 :2016/11/12 〜 最終レス :2020/03/11
- 1575年6月29日(天正3年5月21日)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、織田信長・徳川家康連合軍3万8千と武田勝頼軍1万5千との合戦。
武田方の戦死者は山県昌景、土屋昌次、馬場信房などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。
これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。
- 2 :
- 鉄砲の三段撃ちって本当はどういう方法だったのですか?
- 3 :
- 鉄砲の三段撃ちは狙撃手と弾を込める人と渡す人に役割が分担されていた
- 4 :
- 渡す人楽すぎだろ
- 5 :
- 鉄砲の三段撃ちは無かったんだよ
- 6 :
- 渡す人は弾を込める人から狙撃手に、狙撃手から弾を込める人にと往復するから意外と大変と見た。
特に両方から同時に渡された場合はどっちを先に取るか、そしてどっちに先に渡すか迷う。
- 7 :
- 寒狭川渡ったのが謎
しかも長篠城も落ちてないのに
- 8 :
- 三段撃ちと後の立花宗茂隊の早合はどっちが速いのだろう
- 9 :
- だから三段撃ちは無かったってのが最近の見解
- 10 :
- 三段撃ち=大斉射が三回
こんな気がしてきた。
仮に弾篭めが終わった1000丁×3回の発射間隔の短い斉射が有ったら
当時だと大混乱すると思うぞ。
- 11 :
- どうしてそこまでして通説を曲げようとするのか
- 12 :
- 昨日スカパーで信長対勝頼やってたけど、そもそも騎馬隊すら無かったのではないか?って説もある
大量の鉄砲で打ち掛けられたら、馬は錯乱して逃げ惑い、白兵戦になってたと
それに信長公記にも鉄砲五百丁の記述しかなく、本当に三百丁あったかも疑問
- 13 :
- あっ、三千ね
- 14 :
- 武田にもそれなりに鉄砲があったから大混乱を起こしたとは考えにくい。
多少はあったとは思うけど。
再三言われている様に、数に劣る武田が防御陣地で守る多数の連合軍に突っ込んで、攻め崩せず敗走。
更に追撃を受けて多数の死傷者を出したってのが現実的。
長篠で武田の取れる選択肢は、長篠城を強引に落すか、包囲される前に逃げるかだとは思う。
そもそも決戦するには遅すぎるて速すぎる。
- 15 :
- 三段撃ちの三段とは「柵」「堀」「土塁」のことです
- 16 :
- なるほど、上手いな
- 17 :
- 鉄砲隊を三隊に分けて全員が順番というよりも、特に狙撃手のエキスパートは大切なので「狙撃手」「渡す人」「弾を込める人」の三隊に役割分担されていたと思う。
むしろそう考えるほうが自然だと思う。
- 18 :
- 戦国時代の鉄砲に狙撃できるほどの命中精度はない
だから数撃ちゃ当たる集団運用
- 19 :
- 火薬量も適当、弾丸も円形
まぁ当たらんな
- 20 :
- 長篠・設楽原の戦いで討ち死にした武田軍の主な武将。
山県昌景、内藤昌豊、馬場信春、真田信綱、真田昌輝、原昌胤、原盛胤、土屋昌続、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉丹後守。
武田軍まぬけ過ぎる。
- 21 :
- >>18
雑賀衆のゲリラ戦術とかもあるし熟練の兵は狙撃してたと思うよ
- 22 :
- 眉唾物
- 23 :
- 戦国日本の火縄銃はタイムラグが少なく狙撃に向いている「瞬発式火縄銃」だよ
- 24 :
- そういう問題ではない
ライフリングもない、粗末な工作精度の原始的な滑空砲から
いいかげんな球形の弾丸をテキトーな火薬量で撃ち出すのが火縄銃
その命中精度は推して知るべし
- 25 :
- >>23
頭大丈夫?
- 26 :
- 日本の火縄銃は命中率重視だったはず
少なくとも欧州ほど数撃ちゃ当たるではなかったはず
- 27 :
- 島津の場合は3発中1発以上あてないと切腹だったらしいから島津の名手はそれなりの命中精度だったと思われる
- 28 :
- ヒント距離
狙撃というのは一般に遠距離射撃を指すが
字的な意味は「狙い撃つ」で距離は関係ない
五メートル程度の近接射撃で狙い撃っても当たれば狙撃成功
- 29 :
- 勝負の決め手は別に鉄砲でもないし
- 30 :
- たんなる柵じゃなくて、けっこう本格的な砦をつくったんだよね
ふつーに攻城戦になった そうなりゃ守るほうが有利だし、
使用武器は飛び道具中心になる 明らかに不利なのに攻めた勝頼が悪い
- 31 :
- 火縄銃は敵の突撃の勢いを削ぐのに使われた
また1発を弾込めしている間に敵はだいたい100mぐらい進む
そう考えると野戦の場合は引きつけて狙い撃つが基本だったと思うけどな
あと籠城戦でも物資に限りがあるからやはり狙い撃つというのが基本だと思う
- 32 :
- >>27
ブラック大名だな
切腹させずに槍隊かなんかに配置転換すればいいだろ
そんな了見だから秀吉に楯突いたりバカな事を起こすんだよ
- 33 :
- 罰といってもアナルに大根突っ込まれる程度だろ
- 34 :
- 敵が万全の防御態勢で鉄砲構えて待ってるのに騎馬隊で突撃する武田軍アホだよな
- 35 :
- 数が少ないと思ったって言い訳はやばすぎる
- 36 :
- 歴史とは勝者が書き換えるもの
実際はどうだったか分からない件
- 37 :
- >>34
武田騎馬隊なんてものは創作
- 38 :
- 勝頼さんはちゃんと孫子お勉強しなかったのかな?
- 39 :
- 圧倒的大勢力が小勢力相手に策謀の限りを尽くして勝利した戦い
- 40 :
- 1万5千で城に籠る3万5千を攻めて負けた戦い
- 41 :
- 長篠城落として篭城したらどうなるの?
- 42 :
- 長篠城に1万5千は入らん 定員オーバー
- 43 :
- >>37
なぜお前はそう考えたほうが普通の一般的通説を曲げようとするのか。
相当な捻くれ者だな。
- 44 :
- >>43
お前は右向いてなさいって言われたらずっと右向いてるタイプやね?w
最近の研究では武田の騎馬隊は無かったってなってるんだけどw
- 45 :
- 実際は,武田方武将の多くは戦死地点から
追撃戦で討たれたらしい,て説もあるけど。
- 46 :
- ほとんどは殿として撤退中に討たれたらしいね
勝頼さん重鎮を軽んじ過ぎ
- 47 :
- >これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
領土は拡張してんだけど
- 48 :
- 戦線を拡大し過ぎると補給が続かない。
朝鮮出兵、太平洋戦争も同じ。
これは伝統的な日本人の癖で同じ過ちを繰り返す。
- 49 :
- 結局、甲斐信濃は貧しい土地だと言うのが原点だよね?
尾張美濃や相模武蔵だと、ある程度戦線は拡大できるんだから
- 50 :
- 配られたカードで勝負するしかない
- 51 :
- 設楽が原の真実は、穴山梅雪などが動かなかったから
勝頼と梅雪の主導権争いにより、実際半分くらいの軍勢で戦った、いわば関ヶ原の戦いみたいなものだったからだよ
- 52 :
- >>7
元々武田側が織田軍叩きたかったからでそ
その前どこだったか家康の城落とした時は、落とすの早かったから救援きた織田軍が帰っちゃったから
今度は引っ張りこもうと攻城遅らせたし織田との合戦も進んで出ていった
実際長篠城攻防みるとあっという間に押し込んでるのにそこから手が緩んでる
後詰怖ければ被害が少々出ようがむしろピッチ上げて落とすところをのんびり織田軍がつくまで待ってた
ぐらいだから戦えば勝つと信じてたんだろな
まあ直接戦う機会作れず織田の膨張を隔靴掻痒で見てたろうからもうここしかないって感じは良く分かる
- 53 :
- 国人衆の集まりの組織なのにその重鎮達を軽んじてる時点で負け
勝頼さんの元では人は城になれない
- 54 :
- 戦の時期がダメ
織田の戦力分散させれない
- 55 :
- >>53
其れは信玄の責任
- 56 :
- 永禄10年(1567年)の武田の軍法で
騎馬武者の装備について言及があるんだけど、その中で
それまで騎馬武者の装備で面頬とか兜とかの装備がまちまち
(装備してなかったり、兜を笠で代用したりとか)で
見た目が悪いから兜や面頬の装備を徹底しろって信玄が言ってんだけど
「弓や鉄砲を馬上で使うものに関しては面頬の装備は随意とする」ってわざわざ書いてて
少なからず武田の騎馬武者には槍だけじゃなく
馬上で弓や鉄砲を使う者がいたのかもしれない・・・
大坂の陣における騎馬鉄砲隊がもしかすると規模は小さいがいたのかも・・・って
平山優の本に書いてあった
- 57 :
- >>44
>武田の騎馬隊はなかった
・武田の軍役帳による騎馬の割合は北条より少ないが上杉よりは遥かに多い
・馬の運用は西低東高であり、鉄砲中心の敵と戦い続けてきた織田軍は
本格的な馬の運用を有する東国大名との決戦は初であり
十分に「騎馬」を危険視していたからこそ、ただの柵でなく「馬防柵」を作った。
・時代劇のように戦の緒戦でワーッと集団隊形で突っ込むような騎馬隊はなかったが
足軽や鉄砲衆との連携上、騎馬武者が敵の乱れに乗じて敵を混乱させるべく
「ここぞ」という時に乗り込む事は多々あった。
(基本、序盤は騎馬衆は控えていて、勝負どころで運用された。馬が疲れるから)
撤退や追撃などの限られた運用しかされなかったわけではない。
・騎馬は指揮官クラスのみが乗っていたので、それを集団として運用することはない
そんなことしたら指揮官いなくなっちゃうだろという否定説があるが
士官クラスだけでなく牢人衆や下っ端も結構馬乗ってた事は軍役帳からわかっている。
だってさ。同じく平山優の著書より
- 58 :
- あとフロイスが「日本人は下馬して戦う」って書いてるけど
フロイスが主に見た合戦は中央や西国大名の合戦であって
東国ではまた騎馬の運用も違っただろうし
実際騎馬武者が東国では状況に応じて下馬しないまま
(当然、徒歩武者などを引き連れてだけど)
とっこんだ記録はたくさんあるってさ
- 59 :
- つまり
鉄砲戦術(新兵器・革新)と騎馬戦術(旧兵器・保守)の単純な勝負という話ではなく
このあとの時代の合戦でも、織田軍の戦いでも
(柵などを設けて待ち構える)鉄砲に対する突撃という戦法は
ごく当たり前に正攻法として存在し、まま突撃部隊が鉄砲隊を打ち破る事もあった事などから
特に愚策というわけではない。
(信長も少数精鋭部隊で本願寺の鉄砲衆を撃破したりとか結構よくやってる)
はじめから武田と織田徳川連合軍に兵力差があったのと
武田の足並みが揃ってなかった事が原因かと思われる。
信長が周到にこの戦にかけて準備してたってのもあるね。
局地戦での勝敗でいえば武田側が勝つ目もないわけではなかった
- 60 :
- 馬に乗ったまま鉄砲をぶっ放したら、馬が驚いてしまうよ。
馬に乗ったままヤリが精一杯だな。馬上から弓を使う武者もいるが、技量がいる。
- 61 :
- 部隊としては運用できないだろうけど
個人でそういう後先考えないで鉄砲もつ奴がいたんでしょ。
じゃなきゃわざわざ弓鉄砲を使う者は面頬つけなくてもよし、と書かないだろうし
- 62 :
- >>59
勝頼と穴山梅雪の主導権争いもあり、実際戦った兵も少なかったからね
- 63 :
- 武田は過信しすぎだよな
あれ柵に正面から向かわないで、南から迂回して西の背後から回り込むように仕掛ければ
防壁のはずの柵が退路断って織田徳川壊滅させられたと思うわ
護ってくれるはずの柵が後ろにある事を認識したら織田軍が踏ん張れるとはとても思えない
瓦解して負い討ちに大損害食らいそう
徳川が少しは踏ん張るかもしれないけど、所詮領内荒らす武田相手に逃げ回ってた軍だし
とても支えられるとは思えない、もし踏ん張ればそれだけ損害増しちゃうって有様で全滅の
憂き目もありそう
- 64 :
- 梅雪はそんなに勝頼が気にくわないのにクーデターでも起こさなかったんやな
勝頼は基盤盤石とは言えなかったし仲が悪い一味もいたようだからその気になれば行けたやろ
- 65 :
- 信長が酒井隊に大量の鉄砲を持たせて迂回させたのを啄木鳥戦法だと思ったんじゃない?
上杉は武田を抜けなかったけど、武田なら織田を抜けると考えたとか
- 66 :
- あと決戦前に羽柴・丹羽隊が先遣として武田を挑発してて
これを見た武田軍は「織田の援軍は大軍って聞いてたけど意外と少なくね?」と油断したらしい。
んで有利な地形を捨てて、織田の待ち構える場所へ誘い出され
そこでもさらに窪地などに兵を潜めて少なく見せていた織田を侮り
「これはいけるかも」と思って周辺国衆に今回の合戦は大勝利!的な書状を撒いてるので
織田と武田の諜報能力の差ってのもあるかもしれない。
織田は武田を恐過ぎるくらい恐れて万端の準備をしいて挑んだのに対し
武田は甘い見積もりで「勝てるかも」くらいの意気込みでたいした準備なく決戦に挑んだ感ある
- 67 :
- 織田側も今回はことごとく討ち果たす予定www
って宣言してるしそんなもんやろ
- 68 :
- 勝頼は「敵は手立てに困って引きこもってるからこちらから攻めて殲滅するつもりだよ」
信長「敵はわざわざ前進してきて包囲殲滅し易くなったから大勝利間違いなし」
勝頼の方が普通に状況判断が甘い
- 69 :
- 長篠合戦 やはり武田の騎馬武者は脅威だった。武田の鉄砲の弾を通さない重甲冑を馬に乗せていた、
重甲冑が数倍の織田•徳川の鉄砲隊に乗り込めば他もなだれ込み負けなしだった、
だから織田•徳川は対策に柵を設けた。
- 70 :
- 掲示板でもディすられてすぐダメになるメンタルプロテクター低い人より、
へっちゃらのメンタルプロテクター高い人が手強いのと、何となく似ている。
- 71 :
- 織田は柵作って大軍の利点の一気の押し出しが出来なくなってるんだから、武田は柵無い南に回って横から攻撃掛けりゃいいんじゃないの
なんでわざわざ策壊してまで正面攻撃にこだわったんだか謎だ
- 72 :
- 半包囲されてたから
- 73 :
- 迂回したら一気に押し出しで終わるからだろ
- 74 :
- 地図みろや
- 75 :
- 織田が出てこないから武田から攻めてるのに織田が出てきて終わるとか凄いなw
- 76 :
- 織田の勝因は、馬防柵と相手より3倍近い兵力を集めたこと。
馬防柵については、甲陽軍鑑に戦というよりも城攻めのようだったという記述が残っている。
それでも、武田軍は果敢にせめ、徳川の記録では馬防柵三段のうち二段まで破られたとある。
しかし、結局は織田・徳川軍の数的優位に圧倒された。
武田の猛将のうち、馬防柵近辺で打ち取られたのは内藤修理だけで、あとは追撃戦途上のもの。
ともあれ、鉄砲が主役の戦いではなかった。
- 77 :
- なんか甲陽軍鑑じゃ重臣連中は反対したのに勝頼が連戦連勝で驕って攻撃させた事になってるけど
実際は重臣連中もやる気満々だったんだろうな
ここで織田徳川連合軍撃破すればもう徳川方の豪族は離反しまくるだろうし新しい知行地ゲットのチャンスだもんなぁ
- 78 :
- やる気まんまんっというかやらんとまずい。
朝倉浅井滅亡
本願寺半包囲、長島壊滅
越前の反織田派は内部分裂を起こして機能しない
信玄の上洛詐欺も大概やったし、この状況下で戦わないで帰るとどうなるか予想してみ?
武田の威信は地に落ちるで(σω≡)ホジホジ
まぁ実際戦わないで帰ってれば、後に上杉や毛利が参戦してきて、もっと良い状況で決戦出来たけど、それを言うのは酷だな。
しかし戦うにしても長島が生きてる間にしないと戦力差が大きすぎる。
- 79 :
- 陣城作っておびき寄せて発砲するを繰り返して勝ったんでしょ
- 80 :
- >>76
小幡も馬防柵付近で死んでね
- 81 :
- 長島が信長に攻められてる時に
のんびり高天神城攻撃してたんだっけか?
- 82 :
- 地理的にも長島は尾張に近いし、ここで反織田勢力が抗戦する意義はでかい。
長島一向一揆の規模は質はともかくとし、数は多いため、武田が東から圧迫すれば、
もっといい条件で織田と戦えたし、或いは長島を戦略的に救うことも出来たかもしれない。
長篠の戦いは、長篠城を落とせず、長篠城の囲みは破られ、しかも武田軍より多い援軍が来援した時点で余程の事がない限り勝てんやろ。
っか、攻城軍より多い援軍かきて攻城側が勝った事例てどらくらいあんの?
逆なら
郡山城の戦い
毛利約1万援軍大内1万 対 尼子約3万
末森城の戦い
城約3千援軍約3千 対 佐々勢約1万5千
とか挙げたら数多あるけど、その上攻城軍を上回る援軍がきたら絶望的じゃん。
- 83 :
- 設楽が原で武田軍の前面に配備されてた兵力って2万程度らしい
残りの1万以上は丘の後ろで待機
1.5倍程度ならなんとかなると思っても不思議ではないな
- 84 :
- 前後挟まれてる時点で武田も全軍が正面と対峙出来るとはとても思えないのですが…
- 85 :
- 信長、敵に見えないように3万を上手く埋伏させる( 敵がたへ見えざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる)
勝頼「思ったより少なくね?さては度重なる軍役で愛想つかされたな?チャンス!(←まちがい)」有海原に出ていってしまう
信長、鳶ヶ巣山を強襲して後方を抑える
勝頼「おいおいやべぇ! 突撃しかない!」→悲劇
- 86 :
- 結局この時の勝頼の取るべき方法って
1 退却する
2 長篠城を一刻も早く落とす
の二択だよね?
後詰めにきた武田の倍の大軍が何も出来ずに丘に柵作って出てこず
長篠城は落ちましたなんてことになったら戦で負けるのと同じくらい徳川はダメージ被る
- 87 :
- 2は無理と思われる。
まず、援軍が到着した時点で長篠城を落とす事は不可能に近い。
犠牲を省みない総攻撃を行えば落とせるかもしれんが、それじゃ今度は援軍の織田と戦えない。
長篠城落としても、それに見合うメリットが殆どない。
収容不能な小城・敵中孤立・戦略的に有利にならない等。
とにかく落とせなかった時点で直ぐに退くしかないよ。
武田の威信も地位も名誉も吹っ飛ぶかもしれんけど。
- 88 :
- 徳川は遠江や駿河で城攻めしてる時
武田の後詰めが来るとすぐに逃げてたよね?
別に徳川の維新用いも名誉も吹っ飛ばなかったけど
- 89 :
- そもそも1万5000しか動員しなかった時点で武田は織田の来援を想定していない
徳川相手ならこれで十分という判断
織田が来た時点で退却だよなぁ
- 90 :
- 信長公記の後知恵論の鳶ヶ巣山に本陣を置いて睨み合いしながら長篠落とすが正解だろうな
- 91 :
- 「長篠城攻囲に攻め手を七首残して、別途1万5千であるみ原に向かった」って書いてあるから、
少なくとももっと多く動員してただろう。「七首」がいくらかが問題なんだが、
「七首」は別働隊酒井軍4千+長篠城の兵士に挟まれてあっさり敗走したようだから、4000よりは少ないと見ていいんかな
ちなみに研究者の谷口克広は2000ほどとしてる。どっからきた数字なんだろう
- 92 :
- >>88
徳川は別に戦略的な背景がないから、敗走しても別に問題ないやろ。
武田は反織田勢力として活動してるのに、中央の戦いに全く寄与してない。
寄与してないばかりか、信玄の中央圧迫は完全に失敗した。
その上、戦わず逃げたらそりゃ織田軍は中央で宣伝工作するやろうなぁ。
ここで戦わないで逃げるのは長島に続き、越前一向一揆も見捨てたと言われかねないし。
まぁ、それを覚悟しても逃げなんけど。
- 93 :
- >>88
そら武田の方が格上だもの徳川(当時)よりは
弱い方が逃げたって地位も名誉も糞もないだろ
- 94 :
- 酒井隊派遣を聞いて「鉄砲千丁?ってことは相当の大軍やな!それなら川中島方式でいけるやろ!で正面攻撃をかけたんでは」
- 95 :
- 織田って戦略的に動いていたんですかね?
トップの信長は戦略を部下に示したことが一度でもあるんでしょうか?
宣伝もなにも、信長様は何を考えておられるんだろ?レベルで最後まで終始していたのではないか。
身分不相応に人々が国家天下を語り始めるのは江戸幕府成立以後じゃねえか?
- 96 :
- 第二次織田包囲網を耐えきった後は戦略的に天下統一事業進めてる気がするけどな
- 97 :
- 信長が戦国時代の次の世界を具体的に描いていたかどうか、皆目判らない。子供が右往左往しているぐらいだから、赤の他人に至っては何聞いていないのだろう。
金閣を建てた義満と同じぐらいの、一時的な覇者止まりの器である可能性も否定できない。
だから、信長を中世社会の中の近代的な人物の代表であるかのように扱うのは飛躍だと思う。
- 98 :
- 戦略とか大層なものではなく、並外れたバイタリティと部下の酷使が強さの秘訣
- 99 :
- やっぱ経済力じゃね? 首都圏押えてたし
じゃあ三好はなんですぐ追い出されたんだってことになるけど
- 100 :
- 三好の基盤は四国方面(阿波)だから
もともと忠誠の薄い連中も多いし(丹波方面など)
信長が上洛狙った頃には内部抗争でボロボロだったし
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