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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
- 1 :2015/05/05 〜 最終レス :2016/10/09
- 開戦後まもなく家康が忍びに刺されて死亡という衝撃の展開。
まずはこれを覆す方法を誰か考えてくれ。
- 2 :
- 私案:関ヶ原には秀忠を行かせる
まあ秀忠なら死んでも惜しくないしと。
- 3 :
- そもそも関ヶ原に布陣しない。
それしかねーべ
- 4 :
- 本多忠勝御乱心(°_°)
- 5 :
- >>4
そして家康の馬を刺して後陣に後退させるのかw
- 6 :
- >>1
金をはたいて凄腕のかぶきものを雇う。
そして本陣にはりつけておく。
忍び返り討ちで死亡、家康勝利。
まあそんな金を出す器量があったら忍びごときにやられてないわな。
- 7 :
- >>6
金に目がくらむ時点でかぶき者ですなあ
- 8 :
- 島左近よりでかくて強いかぶきものといえば前田慶次ぐらいしか思いつかんが…。
確か前田は東北戦線で最上領奥深くに攻め込んでるはずだよな。
どうやって呼び戻すんだ?
- 9 :
- 家康は大垣城に留まって指揮するしか死なずにすむ方法はないわな。
- 10 :
- 勝つわけないだろ
戦力差が違い過ぎる
結局戦争は数なんだよ
- 11 :
- そもそも岐阜城攻めに時間かけすぎた
いくら信長の孫が守る堅城だからって10倍の兵力で1か月かけるとか・・・
西軍が攻めた伏見城は2日であっさり落城しただけに言い訳出来ん
まぁ、豊臣家の為に一致団結してる西軍に対して、
嫌々家康に従ってる寄せ集めの東軍じゃどうしようもない
- 12 :
- >>10
結局前田も秀康も寝返ったしな
- 13 :
- 未来からアダムス大尉呼んできたら勝機あると思うわ
- 14 :
- 勝利条件・・・それは未来から妖魔特急で赤い猫と白い執事の妖怪を連れた主人公がやってくることだけだな
逆に超次元サッカーの使い手がやって来ちまうと…。
逆だったっけ?
- 15 :
- >>13
いや多分アダムスも寝返ると思うw
- 16 :
- 天満山に布陣したのが禄でもないのばかり
- 17 :
- >>16
大坂から調達した軍資金に物を言わせて外人の傭兵を雇ってギンギンに武装した宇喜多軍団&小西軍団。
近づく敵は南蛮大筒の餌食
井伊直政と松平忠吉は砲撃で木端微塵
福島正則は鎧黒こげになって裸で逃げ出す
- 18 :
- 毛利あたりが天満山に着陣して突出すれば
家康本陣一発だったのになw
- 19 :
- >>11
実は池田輝政が秀信に内通してて寄せ手の攻める場所とか時間とか情報をどんどこ流してたらしい。
それで岐阜城はなかなか落ちなかったんだと。
- 20 :
- >>19
ソース欲しいな
- 21 :
- >>1
東軍勝ってるだろ
- 22 :
- 単なるネタスレにマジレスする雑兵がいるとは
しかも前スレ落ちてないから重複状態だし
- 23 :
- >>21
馬鹿正直の見本
- 24 :
- >>21の洞察力は異常。400年前に生まれていれば両軍から引っ張りダコ間違いなし
- 25 :
- >>19
『徳川退治記』『池田軍記』『イエズス会年報』『織田兵部覚書』
このへんには全部載ってるぞ。
- 26 :
- 井伊直政は最後が悲惨だったな。
伊吹山に逃げ込んで、腹を壊してたところを捕まって、天海と本多正純と一緒に市中引き回しの上斬首。
徳川の主要な武将の中では新参なのに。
- 27 :
- >>26
新参つっても小牧長久手で降伏中の兵士を一万以上虐殺したからな
それを武功と捏造したことで石川も呆れて寝返ったし当然の結末とも言える
- 28 :
- >>26
大事なときに柿なんか食うから腹壊すんだよな
- 29 :
- 井伊谷が柿ノ谷に地名が変わったり、松前が姓を戻す時に柿崎に字を変えた由来やね
旧徳川の土地にこぞって柿が植えられて名産品になったのも大半これのせい
- 30 :
- 毛利秀元の逸話もなかなかだぞ。
吉川広家が西軍に向かって突撃するように勧めても弁当を食ってるという理由で完全無視。
で、東軍に向かって突撃するように勧めると瞬時に決断して突撃した。
…お前ら、絶対打ち合わせずみの行動だろ。
- 31 :
- >>30
秀元はまじで優秀
広家が徳川に籠絡されてたのを知ってると思えるくらい焦らしてる
潰されるまでに貿易で巨万の富も築いたし
それに対して歴史の流れを変えられるチャンスを潰し続けた無能すぎる輝元は癌だな
優秀だった説に基づいた一字三星は無理矢理すぎて見るに堪えなかった
家臣団は羽柴を背後から襲うとか有能な行動をしてから輝元を盛り上げろよと
- 32 :
- >>31
中国大返しの開始時のくだりは頭痛がした。
失策も正しいと思わせるために改変してるけど滑りすぎ。
「敵が何故か退いていきます! ここはぜひ我らに弔い合戦を!」
↓
「ならぬ! 清水が命を賭して守った家を滅ぼすつもりか!?」
↓
「殿…なんと深き思慮を(涙)」
輝元の理由付けも部下の納得具合もテキトーすぎる。
- 33 :
- 上田城を攻めたはいいが陣頭に出てきたところを一発で眉間を撃ち抜かれた秀忠エ…
- 34 :
- 即死ばっかりしてる徳川一族ェ…
- 35 :
- 突発的な死は松平清康から続く風物詩
- 36 :
- 息子の信之の沼田城を舌先三寸で奪ってしまった真田昌幸すげえ…
- 37 :
- はかない
x
いのち
x
とくがわ
- 38 :
- >>36
九度山に流された信之の正室を幸村の側室にしちまった強引さはもっとすげーけどな。
- 39 :
- 井伊と一緒に抜け駆けしようとしたら福島正則に激怒されて後ろから襲われた挙句宇喜多軍にボコボコにされた松平忠吉エ…
- 40 :
- しかもそのまま捕まって、やる気をなくした福島が戦場離脱する時盾にされて味方の鉄砲にハチの巣にされて死亡した死に方エ…
- 41 :
- >>40
それのおかげで福島は切腹から島流しに刑が軽くなったやん
名前も定まってない対馬の諸島に流された結果が福島命名の原点やし
- 42 :
- あれ?東軍が勝ったんじゃなかったっけ?小学生からやりなおすかな
- 43 :
- >>42
やり直してこい
- 44 :
- >>42
まあ、東軍が買ってたら江戸幕府とか徳川幕府とか言われるようなものが成立してそうだしなあ
- 45 :
- 江戸で思い出したが家康って義理堅いって評判だったのに本性ゲスだよな
国替えで小田原望んだけど、民に殺されかねないって秀吉が憂慮して江戸にさせたのに
籠城されるのが怖いのかって家臣には言いふらしてたし
あのまま小田原に居城構えて死んでおきゃ、評価が高いままだったのかね
- 46 :
- まず西軍は関ヶ原じゃないところに兵力集中させすぎ
- 47 :
- 裏切り者だらけの東軍がどうやったら勝てるのか小一時間問い詰めたい。
池田輝政は最初から織田秀信と繋がってたし、吉川広家はダブルスパイだったし。
前田利長は結局大谷吉継に説得されて寝返ったばかりか大坂に入城しちまうし。
伊達と黒田は結局徳川見捨てたし。
東軍の実質戦力って徳川本隊のほかは一万もいねーじゃねーか。
- 48 :
- 織田秀信は美濃と尾張を有するものの三成に謀反の疑いがあるって粛清されたしな
織田信雄も粛清されてるし三成織田家嫌いだったろ
- 49 :
- 江戸の陣のあとなんで豊臣政権が20年で崩壊したのか教えて下さい
第二次戦国時代の始まりは1626年の毛利の乱なのか1630年の明教の政変(石田一族の失脚と前田のクーデターによる豊臣傀儡化)どちらが始まりなのでしょうか?
- 50 :
- 小西と伊達、伊東の字藩供同盟の結託の早さからして、こいつらが唆したんだろ
前田も同盟に太刀打ちできんかったし、内政より外交への転換といい絶対裏があるわ
- 51 :
- 爪を噛む方が本物らしいぞ!
- 52 :
- 徳川幕府っておい…
徳川の政治機構は鎌倉時代の北条氏にも劣る代物だぞ。
これでどうやって全国統治するんだ?
- 53 :
- 根切りするに違いないぜ徳川なら
そうすりゃ逆らうも何も出来なくなると考えるはず
始皇帝よろしく反乱を押さえる力すら失われて終わりそうだが
- 54 :
- やはり秀忠の遅参が致命的だったかと
徳川は親子で晒し首にされるなんて悲惨だよな
- 55 :
- 晒し首は関ヶ原で討ち死にした松平忠吉だよ
秀忠は正室の縁で助命されてる
おかげで蛍大名って呼ばれちゃったけど
- 56 :
- 西軍のど真ん中を突っ切っての福島の撤退はさすが七本槍筆頭。
「福島正則帰国いたす!」のセリフも決まっておるのう。
なのになぜ、「関ヶ原の退き口」で福島の退き口じゃないんだ?
- 57 :
- 生き残った福島兵が織田秀信や池田輝政に仕えているのはやっぱあれかねえ?
岐阜城攻防戦での戦いぶりが評価された?
- 58 :
- と、それはいいとして福島本人が加賀大納言利政に仕えて八家入りしているのはどういう縁故だ?
誰が仲介をしたのか読めないんだが。
- 59 :
- >>56
そんなもん何も、あっさり改易されたからにきまっとる。
これが島津とかだったら島津の退き口とか名前がついてたんだろうけどな。
立地条件と歴史からいって、島津はまず改易できん。
徳川が薩摩に攻め込むにしても被害は甚大になることが確実。
おそらく忍びを忍びこませることすら困難だと思われ。
福島とはものが違う。
- 60 :
- >>58
ああ、それは利政は秀忠と一緒にルソン遠征の先鋒を命じられたから。
一人でも多くの侍大将が欲しかったという事情がある。
ちなみに秀忠は加藤嘉明を召し抱えている。
- 61 :
- 1610年に織田秀信が謀反をしようとしたって本当なの?織田は結局5万石にまでなったけど
- 62 :
- 大谷吉継の配下の小大名連中についての疑問を口にしてみる。
こいつら、どうも怪しいんだよな。
特に脇坂が。
徳川が劣勢になってからの働きが良すぎるし、元徳川家臣の小大名本多とか榊原とかから嫌われまくってる。
これって裏切りの密約とかが存在した証拠じゃないかと思う。
同じ意見の奴いたら挙手plz
- 63 :
- >>62
賤ヶ岳の七本槍がなんで裏切りなんて卑怯なまねせにゃならんのよ?
脇坂さんは豊臣秀秋の前衛なんだから、本隊が動くまで勝手に動けなかっただけだよ。
- 64 :
- 毛利の乱で毛利家が100万石あったのが征伐により滅亡し毛利家の系統は当初から従っていた吉川家32万石まで縮小する。
豊臣秀頼が主導したのか石田三成が主導したのかよくわかってない。
石田一族のやり口は多くの反発をまねき後の明教の政変に繋がったと指摘されている。
- 65 :
- 関ヶ原とあれば小早川左大臣の落ち着きっぷりと果断さを語らずばなるまい。
最初に松尾山を押さえて敵軍に取られることを防ぎ、戦いが始まってからは冷静に戦局を見極めて軽挙せず、家康が死んで混乱した徳川軍から銃撃されても動かず。
最後は毛利秀元と呼応して一気に山を駆け下りて徳川本隊を殲滅。
長宗我部元親も真っ青な目の覚めるような働きぶり変わりっぷりだ。
やっぱり松野主馬の指導が良かったんだろうか?
- 66 :
- ところで、家康を刺殺した忍び、実は黒田長政が送り込んだ刺客だったという伝説を小耳にはさんだんだがみんなどう思う?
長政の筑前一国拝領は家康を死地に誘い込んだ功績だというんだが、武辺の長政と刺客はどうも結びつかん。
長政じゃなくて如水の刺客かなあ?
それとも別の誰かかなあ?
- 67 :
- 石田三成が活発的に粛清をしたのは関ヶ原後はあまりにも大大名が多すぎたから
豊臣宗家運営のために理由をつけて粛清していったんだけど伊達だとか上杉を残して織田だとか鍋島を粛清したのは明らかに「反抗せずに粛清しやすい方」を選んで行ったため自身の地盤をも弱める結果に。
結局織田は一回潰れてたし鍋島も歴史が浅い家だったから抵抗が弱いと判断したのはわかるけど。
案の定毛利粛清後に前田にクーデター起こされて豊臣ごと乗っ取られるし彼の粛清が正しかったとは思えない。
- 68 :
- 三成は豊臣宗家では仏教を推進しつつもキリスト教の布教は認めていたから色々と衝突が起こることがあった。
基本的に三成は禁教令を撤廃し布教は各大名の自由としつつも基本貿易のためなら認めさせる方針だったようで貿易地ではキリスト教は優遇されていたみたいだ。
奴隷貿易は厳しく取り締まっていて密貿易(賄賂で黙認)していて切腹に追い込まれた豊臣奉行もいる(有名な三津事件)
これは密貿易を主導していたわけじゃなくて賄賂もらってただけみたいだけど三成を激怒させたのは三成が奴隷嫌いだったせいもあるけど
政争の結果追い込まれたという説も根強いよね。
三津事件の桜依頼は秀頼の守りを任されるくらいの人間だったから九州の貿易を管轄していた際に密貿易放置の言いがかりを付けて殺したって面もある。
賄賂ってか目付け金を払うのは当時当然のことだったし言いがかり説がどんどん強くなってる。
伊達政宗は結構世界に使者を放って届け出ずに貿易してるけど三成はめんどいからと放置してたようだ。ほんと政宗抜け目ない。
勝手に伊達公儀の旗をスペインの国王に届けて失笑されてる。
小西あたりはポルトガルやスペインと非常に仲良くて豊臣宗家が輸入禁止していた大砲や規定量を超えた火薬など勝手に密かに輸入してるね。
これ放置して三津事件起こしたんだからそら三成は暴君の一面ありますわ。
- 69 :
- >>68
島津、上杉も遠いからって放置プレイかまされたからな
そのせいで欧州や琉球の民が海外に流れるわ、天保の改新の資金は作られるわで禍根を残した
毛利は稼いだ額が大きすぎたのと、大阪に近かったのが運の尽き
反乱起こさざるを得ないほど冷遇や風説流布されたのも順当
- 70 :
- >>52
250万石の国力、生産力を過信したとしか思えんな。
全国を支配するためには関東だけではまだまだ経済力が不足だというのに。
仮に天下を狙うなら、もう十年は我慢して領地を増やし、経済力をつける必要がある。
息子たちや四天王、本多正信を独立大名に仕立てて徳川領を五百万石ぐらいにまでは増やすべきだった。
- 71 :
- >>70
とはいえ新たな領地の候補が朝鮮しかないから、それは無理だと判断したかと
あそこは言葉も通じないし開発するのに20年はかかるぞ
秀忠もボンクラだから自分がボケる前に天下を取らんと焦ったわけだし
- 72 :
- 毛利の粛清は難癖というか毛利家自体が中国四国の一部九州の一部って肥大化しすぎてたのもあるから
- 73 :
- >>70
それをやると徳川家本体が手薄になると判断したんだろうな。
徳川家は結構人材が薄い。
使える人材をすぐに登用するということをしないから、一旦穴が開くと回復するのに時間がかかる。
外交の分野で石川数正の抜けた穴をとうとう埋められなかったのがそのいい証拠だ。
使える奴を独立大名にするなんて怖くてとてもできなかったんだろう。
- 74 :
- >>57
織田・池田両家には福島家家臣の縁者が多くてだな。
>>58
おまえ、もしかして福島も前田も同じ尾張衆って知らんのか?
- 75 :
- 馬鹿にされてるけど意外に頭は切れるんだよな、福島とその家臣
自分が無理だと判断したら部下にやらせるのは分かるが、しっかり成功させる奴を選定してる
その上手柄の横取りもせず、厚遇しているのが好感持てる
- 76 :
- 第二次戦国時代で小西と大友が疲弊して大内が再興したのは見事
- 77 :
- >>73
同じ大老でも前田、毛利と比べると明らかに人材の登用システムが劣ってるな。
両家だと百石級から出世しての仕置家老になってる例も多いのに徳川家だと三千石でも奉行どまり。
しかもこれ、1700年代の話だぞ?
1600年ごろにはどれだけひどかったか想像もつかん。
同じ田舎大国の伊達にすら負けとるわ。
- 78 :
- もいっこ
>>70
事実上傘下だった松前を十万石ぐらいにしてやる代わりにどっかに飛ばして、空き地になった蝦夷に伊達や上杉を加増して移す、そこへ秀康、忠吉、忠輝あたりをもってくるという方法は筆頭大老の家康の権勢をもってすれば難しくなかったはずなのにな。
蝦夷地は寒いことは寒いが豊かな土地、家康の舌先三寸なら伊達も丸めこめただろうし越後出身の上杉はもっと楽に移せたはずなのに。
何でやらなかったんだろう…。
- 79 :
- 今だからそう言えるが、松前がいた頃なんか不毛中の不毛だった土地だぞ
まともに育つ作物が入手出来たのも19世紀からだし、伊達は乗らないと思う
だから西軍の中心格の宇喜多を騒動の責任として、蝦夷に改易して戦力を削ぐべきだった
上杉も仰る通り移すべきだけど、宇喜多を陪臣にしてやるって名目も付けられる
空いた宇喜多領か上杉領は秀吉憎しの最上に与えて、もう片方は忠勝や康政に分ければ
いくら石田が号令を出しても戦線を分断せざるを得なくなる
- 80 :
- 毛利粛清後に尼子が再興した理由教えて
旧毛利への手配のため?
- 81 :
- >>80
倫久の子の頼久の才を羽柴秀秋が見抜いたおかげ
秀秋嫌いの研究者が、こぞって秀吉の代の再興軍を見捨てたからと言うが
それだけでは山陰が今ほど発展してるわけがない
- 82 :
- 秀吉が見捨てたってのと旧毛利の領土の安定のためってのと石田が自分の死後を見越して恩を売っておきたかったってのがあるよね。
羽柴秀秋は毛利征伐後に毛利の遺臣を取り込んで菩提寺を立ててるし慰撫が大変だったんじゃないだろうか。
三成は毛利輝元が死んだ直後に難癖つけてる。毛利も善戦するが結局滅亡。
この戦いは三成自身による広島城水攻めが圧巻。
三成自身の体調は悪く一回は中止を検討してるほどなのに。
死ぬまでに豊臣家のために(自家のためにも)毛利を取り除くつもりだったんだろう。思い切り裏目に出ちゃうけど。
- 83 :
- 尼子頼久の才も凄いよね。秀秋の元で活躍してたから復帰が認められたし。明教の政変では毛利に人質送りつつ反毛利サイドとも連携し独立を確固たるものとしてる
- 84 :
- 毛利じゃなくて前田だった
- 85 :
- >>83
父が再興軍の無茶っぷりや、輝元の判断力のなさを間近で見たからかなぁ
降伏後は毛利家で臥薪嘗胆の日々を送り、再興軍壊滅や山中処刑を聞いても堪え続けた結果
意思を継いだ息子が雄飛するというのは浪漫を感じる
話は変わるけど、徳川が勝った時に尼子みたいな軌跡を辿るであろう家が見当たらない
細川、京極、斯波、北畠、畠山のような名家が盛り返すって仮説は有名だけど
いまいち魅力に欠けるというのも、不人気の一因なんだろうな
- 86 :
- >>77
前田は17世紀になる前から、足軽下士から仕置家老を採用して藩政改革の実を上げた。
もっと時代は後になるが毛利家家老の高杉晋作はたった百五十石のぎりぎり上士。
その後継者の伊藤俊輔は元をただせば足軽の養子になった百姓の子だ。
それがポンポンと景気よく一万石クラスに出世して家老になる。
対して徳川はというと…
遠山金四郎、長谷川平蔵、三千石クラスの大身が遠山は町奉行、長谷川は火付盗賊改の頭。
長年勤めあげてもらった褒美はたったの金十枚。
同じ百二十万石とは思えんケチさだ。
天下分け目の戦いに負けるわけだよ。
- 87 :
- >>78
関ヶ原直前、松前は本州に移されることがほぼ決まってたらしい。
だが移される土地が陸奥須賀川、石高が一万九千五百石。
ケチケチするにもほどがあるっていうせこい加増。
抗議する松前の家老に米の取れ高が倍増するから我慢しろとか言って松前を怒らせて、結局話は流れたらしい。
もし東軍が勝ったとしても豊臣恩顧の大名の加増は一万石とか三万石とかのしょぼい加増だったんじゃねーの?
そう疑いたくなる。
- 88 :
- >>38
自分の側室にしたんじゃなかったっけ?
どっちにしろ生まれた息子の強さが尋常じゃないことは変わらんが。
祖父の本多忠勝以上の無傷伝説を作った、しかもルソンでスペイン人の鉄砲・大砲を相手に。
もう人間じゃねえよ。
- 89 :
- >>87
加増しておいて、後で言いがかりつけて改易のパターンもあるかも
んでもって残った土地は全て直轄領にすると
- 90 :
- >>89
長宗我部は同じような手段でやられたよなぁ
関ヶ原の功で念願の四国統一を果たしたけど、後の江戸仕置で嫡男が死んだうえ
攻め手が緩いのは二心を持つからと言いがかりをつけられて、甲斐5万石に改易だもん
おまけに土佐に入った仙石が高家として君臨するとか可哀想にも程がある
- 91 :
- >>66
最近の研究では、松前の刺客が徳川侍従に扮して決行した可能性が高いんだと。
>>87の後に家臣宛の書状があったんだが、行の一番上の文字を左から読んでいくと
「内府を討ちたいと思うのは私だけか」ってなる。
早期とはいえ寝返り組なのに24万石の大幅加増、家臣が独立大名化という優遇っぷりなのはそのせいだって。
- 92 :
- 明教の政変以後吉川家は毛利家本流を名乗るんだっけ
明教の政変も前田謀反の風聞が流れてすぐの決行だったし三成は粛清やりすぎて諸大名に警戒されまくってたのは仕方ない。
石田重家が権力を継承するも大阪に前田の兵一万の兵を常駐させてたのが運の尽き。これまでの罪を批判され石田一族はほぼ皆殺しにされる。
豊臣直轄領は前田派のいろんな大名と家臣にばらまかれドサクサに横領と一揆で奪われ続けた結果豊臣政権自体が完全崩壊だもん。
- 93 :
- 字藩供同盟ってなんで腹黒いって言われてるの?前田謀反疑惑が流れたら石田重家を呼び出して前田に兵を貸してクーデータを起こさせた挙句クーデータ後は前田に協力せず
反前田を名分に豊臣の奉行を殺害しまくって群雄割拠に誘導していったから?
- 94 :
- あ政宗がごく初期に自分で一揆を起こして皆殺しにして所領を拡大してたから?
- 95 :
- >>93
主なのはそういう三枚舌とイスパニアへの勝手な臣従だな
近代でいきなりスペインの属国扱いされて国交正常化は10年もかかってる
名前も東方見聞録のジパングが元だし石田は外交を出し抜かれてるわ
でもブリテンやネーデルランドとの軋轢もあって結局援軍は来なかったし
そのうち東国派と鎮西派で分かれるわ派閥内で内ゲバだわって末期は空気化したけど
- 96 :
- 同盟が内ゲバやってる間更にいろんな勢力が自立して行くわ足利将軍勝手に建てて更にカオスな事になるわで
- 97 :
- >>86
百二十万石もあればもう少し気前が良くてもよさそうなのにな。
関ヶ原敗戦で半知召し上げになったとはいえそれは名目だけ、実際には取り上げられたのはほとんど相模伊豆だけで実高は変わってないのに。
>>87
佐々成政の時と同じ手を使う可能性もある。
敵から没収した領地を地ならしするためだけに大国を与えて、適当な理由をつけて改易。
- 98 :
- >>86
大蔵卿井上馨はもっと低い。
禄高は百石、身分も中堅どころの武士という程度で上士じゃなかった。
まあ、薩摩には農民同然の下士から家老に成り上がった西郷・大久保という大物がいるがな。
いずれにせよ、徳川の人材登用がどうしょうもなく劣っていたことだけは間違いない。
- 99 :
- 大河ドラマの石田三成の美化ぶりは異常
- 100 :
- 伊達、上杉、毛利、宇喜多、島津、前田
徳川なら戦後にここら辺をどう扱っていくか、物凄い気になる
石田や直江はまず助からないだろうから除外した
何せ西軍にしてみれば家康と秀忠と義光を生かしておくような事だし
- 101 :
- 化け猫騒動ってあったよな。龍造寺高房が絶望して自殺。龍造寺の忠臣の霊と高房が飼ってた化け猫が大阪を騒がせる。
長束正家が騒ぎを聞きつけて亡霊に話を聞いた結果鍋島が龍造寺を不正に乗っ取り旧龍造寺家の家人を拷問にかけて殺したことを語る。
龍造寺高房は自分の無力さを知り公儀に訴えかけるために自Rるが鍋島に病死したことにされたため仕方がなく忠臣が代わりに出てきた。
奉行が調べてみるとその通りで鍋島は減封された。
しかし成仏しなかったため龍造寺を再興すると亡霊は消えて真夏に雪が降ったって話。
これってどう見ても改易するためにでっちあげた話だろ。鍋島の隣の龍造寺再興なんてただの鍋島へのあてつけ。
- 102 :
- 豊臣基本は潰れた旧家を再興して統治をしやすく仇敵同士を近くに配置して分断統治。
あまりにもやり過ぎた結果第二次戦国時代でが三好と細川が争い東大寺と高野山壊滅させとる。
徳川ならそういうやり方はしなかったはず。
- 103 :
- どっから探して来たってやつも取り立ててるからな
渋谷とか安芸とかは配置云々より嘘だとしてもよく末裔を探し出せたなと
- 104 :
- 秀吉自慢のお伽話が役に立ったなそれ。
- 105 :
- 御伽衆だった
- 106 :
- なんでドサクサにまみれて明知城与えられて明智家が復活してんだよと。
天海って坊主が後見人になってたけど光秀疑惑が後を絶たない
- 107 :
- 案外そういう扱いで徳川も置くとこが多いかもしれん
傀儡扱いにしそうだけど、豊臣に改易された白河結城あたりとか
- 108 :
- 秀吉と秀頼って本買ったんだけど秀吉に比べて秀頼の評価が低いのが気になった。
豊臣家を継いだ時は幼君ながらも奉行衆に支えられて大大名を抑え大名の地盤を削り豊臣の地盤を強化した前半生は褒められてもいいはず。
ほとんど功績を三成を初めとした奉行衆に吸い取られてる。
関が原後に諸大名に宛てがわれた蔵入地の復活と木曽川の治水は紛れも無く秀頼の功績なのに。
これらは近年の史料研究により秀頼の功績だと明らかになった。
ドラマとかでは30超えても政治は奉行に任せきりで本人は美食に精を出して大阪城に引き篭もって淀に甘えきりの情けないイメージあるけどもうちょっとは評価しよう。
- 109 :
- 秀頼は改易の手腕が図抜けてると思うんだけど、主導した三成に吸われ放題だからなぁ
今は2:8くらいの功績配分だけど実際は5:5でしょ
秀秋は人材発掘こそ一流だったけど、改易騒動を能動的に起こすしたたかさが無かったわけだし
- 110 :
- >>102
徳川なら余った労働力を関東の灌漑に注ぐだろうな
だから弱小大名に大封を与えざるを得なくなるのかも
暫くしたら数だけは多い家康チルドレンを各地に撒いて統治させるんだろうが
- 111 :
- 三好と細川は今でも和解してない。
細川総理大臣が三好議員を無理やり除名して結局三好議員は離党って流れだった。
細川と三好の怨恨はテレビでもたまにネタにされるけどきな臭い事件もこれまで起きていて触れたくない。
- 112 :
- 末裔が今でも絶縁や抗争状態ってとこは多いよね
第二次戦国時代で一気に仲悪くなった真田と上杉とか
徳川の時は大名間の仲はどうなると思う?
- 113 :
- それは真田は古くから関東管領に従属していた家系だったのに勝手に上杉を差し置いて上杉姓すら名乗らず関東管領を名乗ったせい。
鎌倉府や古河公方でいいのにわざわざ関東管領を名乗るんだから上杉も怒って当然。
- 114 :
- 淀が大野治長を浅井と改姓させて
長浜に継がせた江北30万石は淀が祖先のコンプレックスを解消する目的のためだけに
朝倉の末裔見つけ出して南近江5万石の与力大名に付けたから朝倉と浅井は今でも仲が悪い。
しかし大野ってよく関が原の戦いでは東軍で活躍したのによくあっさりと帰参が赦されたな。
何もしてないのにポンと浅井家30万石を継げるってどれだけ淀が入れ込んでんだよ。
扱いも秀秋と並ぶ一門衆筆頭扱い。歴史学者も不思議がっとる。
- 115 :
- >>86
このひどさを見てると、徳川なら武士に限らず社会全体で身分の固定化を進めそうな気がするな。
- 116 :
- >>30
完全に打ち合わせた上での行動。
毛利家は天下分け目の戦いに遭遇して国論が統一できない場合、吉川・小早川・穂井田の庶流三家を頭にそれぞれの党派が別行動を取ることになっている。
その上で裏で連携を緊密に保ち、どちらかが優勢になったら一気にそっちに賭ける。
関ヶ原でも家康が死んだ後も忠吉が健在なら徳川軍は盛り返す可能性があった。
忠吉と直政が大砲で吹っ飛ばされて討ち死に確定となって初めて東軍への一斉攻撃に移ってる。
弁当云々はその確認の時間稼ぎ。
- 117 :
- >>19
確実に内通している。
残された資料によると輝政は池田恒興を討った永井某、この男の処遇が低いのを知って東軍が勝っても田舎大名どまりだと見切りをつけてたんだと。
そこで、旧主でしかも恒興が昔擁立に加わった秀信を通じて西軍に内通した。
で、「秀信は輝政を通じて東軍に加わりたがっている」という情報を流して攻め手を緩めさせたり秀信側に寄せ手が攻め寄せるところを矢文で教えたりしたと。
それで岐阜城はなかなか落ちなかった。
- 118 :
- >>47
前田利長は入城しなかったとしても処分は軽かったと思うが(信長の娘婿なので徳川ならともかく豊臣家としては無碍にはできない)。
あれで大身生き残りが決定的になった。
普通なら利政の能登と領地替えだけで済むなんてことは絶対にありえん。
軽くて改易、堪忍分一万石だ。
- 119 :
- >>58
周旋したのは高山右近と言われている。
福島はキリシタンにもそこそこ寛容だったから右近が助けたらしい。
- 120 :
- >>26
捕まえた田中吉政は寝返り組なのに三河一国をもらった。
これは秀次事件への詫び代わりだろうか?
- 121 :
- >>66
>>91
他にも関与した大名はいるだろうが、実行犯としての松前の関与はまず間違いない。
本家が改易になった南部の所領を丸ごともらったのも、当時七歳だった松前由広が秀頼に拝謁を許されて小姓に取り立てられ、さらに三万石を与えられているのは明らかにこの件に対する報酬だろう。
- 122 :
- >>77
話はちょっとずれるが伊達は百万石に加増のうえ片倉小十郎が独立大名に出世してる。
秀康を巻き込んで寝返った報酬+弱体化策だろうな、やっぱり。
- 123 :
- >>113
それに激怒した上杉に、家名を捨てた長尾の分際がって檄文送ったからな
老害化した直江が激怒して沼田と箕輪を攻めたけど、結局落とせず赤っ恥というね
- 124 :
- 関ヶ原後に恩賞ばら撒きすぎた結果豊臣蔵入地が減った結果
秀頼の改易の手腕が発揮され成長することになる。
何せ目と鼻の先の四国ですら長曾我部に支配されているようでは劣化室町幕府になることは目に見えてた。
秀頼の改易は大大名がいる中でやってたから改易はうまかったよね。最終的に毛利まで潰すなんて関ヶ原の時点では誰が想像したか。
関が原で大活躍したにも関わらず戸田勝成が家臣の妻を寝取って騒動起こしたって理由だけで秀頼に改易されとる。
これが秀頼の初改易。伊勢一国貰って10年も経ってないにも関わらず
北畠を10万石で復活させて伊勢神宮で天皇を迎えて顕家公の顕栄の儀を行って動揺を抑えて人心安定させてるのは流石か。
あまりにも華やかな祭りに注目が取られて誰も改易には注目してなかった。
これが江戸の陣の戸田勝成の奮戦に繋がる。
でも惜しいかな後世真田を言いて勝成を言わずとどこまでも目立たないかわいそうな人。大抵小説とかでも真田に活躍吸収されとる。
- 125 :
- >111
徳川の場合は険悪そう。津軽と南部や堀と上杉のように怨恨もある。
上杉を改易出来なかった場合堀が納得しないだろうしどうなったか。
また謀略に長けた黒田とか政宗も東軍勝利の場合は画策するだろうから周辺との関係なんて最悪なものになりそう。
秀頼のように怨恨を改易の根拠にする程の政治力に家康は長けてないだろうからギスギスだけが長く続くだろう。
秀頼は南部と津軽の対立を忍びの工作で煽って勝手に戦を始めたところ両方改易してる。(南津騒動)
旧津軽領は秀吉期の騙し討ちの温情により九戸氏が15万石で大名復帰。
- 126 :
- >>100
徳川が勝っても余力がないだろうから最初は残して地盤が固まったところで言いがかりつけて潰しそう。
ただ家康にも毛利や上杉を潰す余裕はないから毛利や上杉は半独立国家になってそう。
- 127 :
- この前本で読んだけど
南部は「南」部だから南にいろよと秀頼に豊後3万石封じられたみたいだ。
雪国育ちの南部家にとって九州は熱いわ、台風が来るわ、食文化も違うわで
病気になったり熱中症で死んだ家臣もいたようで大変だったみたい。
哀れに思った秀頼に東北旅行を許された際に相馬家臣と雪合戦しまくった結果風邪で死亡だもんな。
- 128 :
- >>123
それどころか板尾城まで逆に攻められて落とされてる。流石に維持はできなかったようだけど。
上杉憲政殺害しておいて関東管領はないだろってのが怒らせたポイント。直江はその後手紙出すけど尽く論破されてる。
- 129 :
- 超連投ヴォースゲー
- 130 :
- 俺としては連投でも中身があったら良いけどなぁ
菅沼遼太みたいなマヂキチな展開ではなければの話だけど
別の世界線ではこうなるんだろうなって感じだけど流石にスレチか
- 131 :
- 徳川が勝っていたら?
・【初代将軍】徳川家康を語るスレ【徳川幕府】
・豊臣政権はなぜ短命だったか
こんなスレが立つんだろ。
- 132 :
- 徳川が勝つのはいいとして。
全国を治めていくには一門の数が足りない気がするんだが。
忠吉はどっかで討ち死にしそうだし信吉は病気でぽっくり逝きそうだし。
使えそうなのは秀康忠輝はどっちも裏切りそうだし。
秀忠がハーレムを作って子供を産ませまくらんと幕府を開いてももたないぞ。
- 133 :
- なんで徳川が将軍になんの?
天下を取るんなら関白でしょ。豊臣家より下の官位で天下人なんて名乗れるわけないじゃんw
- 134 :
- 朝廷を蔑ろにすることに定評のある源氏を自称してるんだぞ徳川は
頃合いを見て京ごと潰すに違いないわ
だから将軍か王か名乗るかは分からんが官位すらも無くなると思う
- 135 :
- どうも。徳川邸の庭師です。
上で家康公暗殺犯推理してる人がいるみたいですが、私からも。
我が家は代々、徳川藩邸、徳川邸の庭師プラスアルファの仕事をしていますが、我が家に伝わる口伝では犯人は藤堂高虎だそうです。
家康公は忍に刺される数日前、大垣城の書院に藤堂高虎と天海僧正を呼んで朝廷対策を話してたらしいんですね。
そこでとんでもない結論が出て、これはついて行けないと思った高虎が寝返りの手土産に家康公を弑したと。
ちなみに家康公本陣の警護を務めていた我が先祖は敵の忍びに斬りつけたんですが、返り討ちになって不具になりお役御免になりました。
徳川が関ヶ原の戦いに勝っていたら、ですか?
内大臣では幕府は開けないからやっぱり関白を目指したのではないでしょうか。
豊臣家を滅ぼすようなことはしなかったと思いますよ。
豊臣家では我が徳川家と加賀の前田家、濃尾の織田本家が大名序列の最高位に並んでましたが、たぶんそれと同じことになっていたと思います。
家康公にとっても秀頼様は孫のようなものだったでしょうから。
- 136 :
- 連投くんは今頃布団の中で自レスを恥じてるんかなぁw
- 137 :
- 休み時間にカキコ。
>>19と>>117へのレスです。
>>19さんの疑問は>>117さんのご推察の通りです。
池田輝政は織田本家を介して西軍に内通してました。
戦後、督姫様を秀忠公のもとに送り返してますから確定です。
督姫様の付け人衆も徳川家に帰ってきていますから疑う余地はありません。
>>119について
加賀八家の福島家は養子の正之の系統がお側衆にいますのでよかったら調べておきますよ。
若年寄まで務めた家ですから私みたいな者が見られる分だけでもかなりの資料が残っていると思います。
>>121
はっきり断言しますが関ヶ原前の松前に刺客を放つような力はありません。
松前由広の取り立ては純粋に秀頼様の好意によるものです。
- 138 :
- ほんと藤堂はうざったいとこで裏切って成功しやがるからな
歌舞伎や講談じゃ悪党扱いなのも無理はない
- 139 :
- 一介の庭師の口伝>>>>>>>>>>>>>>>>一級史料を基にした諸説という歪んだ世界
- 140 :
- 事の最初から東軍に、家康に加担して切腹確実の藤堂が助かった理由はそれか。
おそらく黒田長政と示し合わせての裏切りだな。
だがまだ謎が残る。
藤堂は今治に据え置きで15万石に加増されただけなのになぜ黒田は筑前一国を貰っている?
この差がついた理由がどうしても分からん。
- 141 :
- もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら [転載禁止]©2ch.sc
http://kanae.2ch.sc/test/read.cgi/gamehis/1441469816/
こっちに立てた。
- 142 :
- メッケルは関ヶ原の布陣をみて一目で「これは東軍の勝ちだ」って断言したらしい
- 143 :
- >>140
長政を如水の抑えにしたかったんじゃないか?
その後の動きを見ても、如水死後の領地は長政が継がずに蔵入地になってる
普通だったら貰うはずなんだけどね
- 144 :
- そもそも家康って後に大量に西軍の武将に手紙送って寝返り持ちかけてたのが判明してるからな
そんな人を信じられない奴が勝てる輪けねえわ
- 145 :
- 寝返ると過信していたという見方もできるな
関ヶ原前の三成は検地担当で他の大名から嫌われていたのは事実
家康は秀家と秀秋の士気の高さや東軍寝返り組を予見していないのが致命的だった
- 146 :
- >>138
そりゃ第二次戦国では、前田を内側から喰らって乗っ取ってるし
近代の幕開けでも二代目首相の座に就くほどの立ち回りをする家だから、憎まれて当然だわ。
- 147 :
- >>135の気持ちは分かるぜ。
同じ殺されるでもれっきとした大名の黒田や藤堂の刺客に殺されるのと、無高の松前の刺客に殺されるのじゃ笑われ方がぜんぜん違うからな。
寝返り続出の果てに九州にいた黒田と加藤までが戦力を高く売りつける形で西軍につくし、息子の秀康まで寝返って家康の一人負け、ただでさえ無残な負け方なのに。
しかも死んでしまって笑い物。
せめてちゃんとした大名に殺されたことにしておきたいはずだ。
- 148 :
- 何故か東軍に寝返った竹中とかも悲惨だったよなぁ。
20万石加増するって井伊の口車に乗せられたって通説があるけど
まさか領地と心中する羽目になるとは思わなかっただろうに。
籠城したあげく武蔵撃ちで蜂の巣にされた京極並に不憫だ。
徳川側だとこういう扱いになる奴って誰だろうか。
内通していた池田や放置プレイかまされた最上あたり?
- 149 :
- あんま意味のある仮定ではないな
家康に端から勝ち目なんて無かったよ
関ヶ原は追い詰められた家康が一発逆転狙って起こしたギャンブルなわけで、歴史の流れは変えられなかった
- 150 :
- >>149
秀秋は隆景のいびりで自信喪失していた上で秀頼も幼いという空白の期間だった
そこでギリワン賭けるつもりになるのも無理はない
大名の婚姻や朝鮮での加増を仕切っていたから家康の権力も当時が最盛期
前田や伊達に大幅加増の約束をしていたとこも自信を感じる
- 151 :
- 信長の野望の新作、武将な能力値極端でワロタ
三成と島の統率と智謀か100なのに家康が50代って
東国贔屓のコーエーにしては大胆だな
- 152 :
- ・今まで統率<武力評価だった忠勝が武力<統率にちゃんと変わっている
・過大評価筆頭の赤鬼がALL30台妥当査定、低すぎる秀忠の政治力の是正
・関ヶ原様子見組の下方修正、直江の能力曲線が早熟
ほんと進歩したわ
- 153 :
- おかげで今回の関ヶ原シナリオは東軍勝利のifが出来そうにない。
兵の攻撃力が統率で決まるから家康を始め誰をぶつけても島左近の部隊に溶かされる
統率96の小早川を寝返らればいいとかヒントが出るけど、あいつ義理100じゃねーか
- 154 :
- 小早川が寝返るわろたwww
絶対有り得ないだろwww
- 155 :
- 輝元裏切りのミスって噂があるぞ
裏切りで大阪崩れ→秀頼死亡による西軍撤退のムービーが解析で発掘した
- 156 :
- らしいが抜けてたスマソ
- 157 :
- 東軍勝ったじゃん?
- 158 :
- 家康は前田家を脅迫したのが最大の失敗だった。
あれで多くの武将の心が離れた。
同格の前田家にすら家来同然に人質を要求するような奴にはだれもついて行かんよ。
- 159 :
- >>132
いよいよ困ったら家臣の娘を養女にして大名に嫁がせてニセ一門を作るとかやりそうだな。
昔からある方法ではあるが、より大規模に。
一門でも何でもない、何の血のつながりもない家臣の娘を名前だけ養女にして大大名やその後継ぎに押しつける。
- 160 :
- 毛利輝元の大局観は凄いなしかし
- 161 :
- >>159
それの代表例信之があそこまで勇猛だから期待値も跳ね上がるよな
- 162 :
- 所詮一発屋というのが弱点だけどな
- 163 :
- 東軍が勝ってたら抜擢されるのは山内あたりかなぁ
堀が上杉にボコられるか騒動起こしたら、後釜に充てがわれる気がする
関ヶ原本戦でも、居城を献上して忠誠を示していたから無碍にはできないし
実際の淡路5000石と正反対の待遇になるだろう
- 164 :
- 東軍が勝とうが、藤堂さんは勝つ側に居そうな気がする
- 165 :
- 地味に三成の葬儀まで取り仕切ったからな、藤堂高虎
両軍の首魁の最期を、第三勢力でもない人物が行うのは非常に稀だろう
- 166 :
- >>158
三成のガラシャ誅殺と比べて、目的も方法も軽薄極まりない
伴天連追放令の元で行長らキリシタンへの引き締めと
素行に問題のあった忠興への挑発が目的だったし
結果も忠興の悪評から東軍の品格が問われ、離反者も出やすくなった
いきなり前田を脅して駒にするなんて、誰が進言したんだよと
- 167 :
- 教科書では本多正信の進言となっていたっけ
それを見抜いて対策をとったのが数正
- 168 :
- 仮に東軍が勝っていても家康は早い段階で失脚していただろうな。
もう年も年だったし、体制を安定させる前に死んでまた戦乱に逆戻りだろ。
年齢的に幕府開いて軌道にのせるのは困難なはず。
- 169 :
- >>168
次世代がロクなやつがおらんのが痛い
勝ってイケイケ状態なら変わるかもしれんがケツ万千代とかは頭打ち
流石の近藤秋用さんも見限るのが分かりますわ
- 170 :
- 江戸の四矢(または志士)も追い詰められたから開花したかもしれんしなぁ
こればかりは予想が出来ませんわ
- 171 :
- 大谷吉継は小早川だけじゃなく
その隣の四将の寝返りも警戒して先手打ってたからな
蛇に睨まれた蛙状態でとうとう裏切れなかったもんな
秀吉に100万の兵を率いらせたいと言わしめただけはある
- 172 :
- >>168
家康信者がやたら家康には後の世を作るビジョンがあったとか主張してうざいわ
そんなもんあるわけねえよw
関ヶ原自体、追い詰められた家康の発作的な反乱に近いってのが定説だろうに
- 173 :
- 軍師ウィスノブのクエストに挑戦中
只今関ヶ原当日
- 174 :
- じゃねーや
妖怪サンボンノタチのイチ・ニ・サンにマキモド石で昔に戻された
- 175 :
- と思ったら別のゲームが始まったぞ
何だこの大河ドラマのOPみたいなのは
- 176 :
- OP終わってもウィスパー地面に刺さったまんまだ
ここは一体どこなんだ
…って江戸だった
関ヶ原前の江戸しょぼすぎwwwwwww
- 177 :
- >>158
同格云々より信長の娘婿を脅迫したというその一点がまずいでしょ。
あれで織田家の女性を全員的に回した。
そっちから手紙が回って蒲生秀行も身動きが取れなくなったし美濃は西軍でまとまったし、神戸信孝の遺臣や有楽さえも徳川の誘いを断った。
逆の意味で効果は絶大だったなと。
- 178 :
- なるほど、ウィスパーは東軍が関ヶ原に負けてからずっとガチャに封印されてたのか
…とか言ってるうちに忍びキタ
- 179 :
- 家康が刺されるグラフィックスゲー
作者は家康に恨みでもあるのかw
- 180 :
- 家康瀕死
毛利一族攻めてきて戦場大混乱
裏切らなかった武将と合流して戦場脱出しろって出た
- 181 :
- 次の戦国無双、家康が追加だって
とうとうネタがなくなったんかな
- 182 :
- >>181
第二次戦国ばっか追加されていたから、第一次戦国で長く出せるのが欲しいんだろ
どうせ三方ヶ原で掘られ役になるんだろうけど
- 183 :
- >>ID:ofqokrFe
あんたは自分の立てたスレを処分せずに来る恥知らずか?
http://kanae.2ch.sc/test/read.cgi/gamehis/1441469816/
- 184 :
- >>169
石川、大久保といい徳川に見切りをつけた将が活躍
まさに徳川を出る喜びといったとこか
軍式を武田に退化させるとか、彼らには狂気の沙汰に見えたことだろう
- 185 :
- 輝元って迷った時に迅速に動くことで事態を打開する「動」の人間だよね
- 186 :
- 義統を九州にけしかけたのも輝元だからな
講談の出典だが、秀次謀反事件の際に内通も試みていたようだ
それを三成に突っ込まれて済し崩しに征伐に繋がっている
- 187 :
- 歴史ゲー板に立てたのは俺であってそいつじゃない。
それより戦国時代板のこの手のスレはID:q6fbKqjsのような仕切る特定のアレがいるから日本史板とかでやったほうがお得かな
- 188 :
- そもそも俺が書き込もうがこいつは2ちゃんの管理人ですら無いのだから恥知らずもくそもない気が。
勝手に何制限建てようとしてんだこいつ
- 189 :
- そもそも〜来るだとか主張してるが2ちゃんを自分の所有物と思ってる勘違い発言
別に彼のサイトではない以上何を書き込もうが勝手なはずだが彼はそれすらわからないようだ
- 190 :
- 特定の人物はスレに来るなって2ちゃんを自己所有物だと勘違いしている(しかも間違え)センスはどこから来るのだろう
特定の人物が特定のスレに書き込んでくることを批判要望板に書き込んで批判してみてほしい。ガイキチ扱いされるだろうから。
- 191 :
- >>190
ファビョって連レスとか何がしたいんだお前
埋め立てにでも来たのか?
そもそも1年以上前はどこぞのアホの自己所有物だったスレなのにな
>特定の人物が特定のスレに書き込んでくることを批判要望板に書き込んで批判してみてほしい。ガイキチ扱いされるだろうから。
それ菅沼遼太の前で同じこと(AA略
- 192 :
- お前の主張は「特定の人は特定のスレに書き込んでくるな」って主張なわけだろ?
恥知らずというがそれ自体が自分が2ちゃんの所有者であるという勘違いを元にしないと出てこない恥知らず発言だろ。
どうやったらそんな勘違いが出来るのか。
菅沼のことは知らないけど菅沼の書き込みを制限する権利も権限も君にはないから。
- 193 :
- うわこいつ自己弁護しだしたか
戦国板にいて菅沼遼太を知らないとか馬鹿だろお前
さっさと巣に帰れ
- 194 :
- ↑なんでも菅沼という特殊な人物のせいにすれば誤魔化せると思ってる馬鹿
- 195 :
- 文太作戦中だからってフルネーム徹底して出さないのか
わかりやすっ
- 196 :
- なんだ
居間売り出し中の菅沼文太とはお前のことか
北条厨=菅沼文太だな覚えたぞ
- 197 :
- なぜ>>196のような結論に至ったかは
越後勢の強さの秘密スレ参照の事
- 198 :
- >>197
だが乙!
相変わらず惨めな奴
お わ か り ?
- 199 :
- >>198
北条厨=菅沼文太よID変えて自演乙
相変わらず惨めな奴
お わ か り ?
- 200 :
- >>199
お前がID変えてるんじゃん
去年の埋め立て事件とかwikiに書いておくわ
- 201 :
- >>198-200
自作自演乙
- 202 :
- >>201
ずいぶん苦し紛れだなぁ
上洛スレから続くテンプレ通りの活動ご苦労さん
- 203 :
- >>202
文太先生!
文体が ID:Pce4ZosOに戻ってますよ
動揺してるのばればれです
- 204 :
- >>203
別人なんだが
でも文太を連呼するようなクソは菅沼遼太しかいないというね
- 205 :
- >>197-200はいくらなんでも不自然すぎるな
- 206 :
- >>205
相手が寝るか出勤した頃合いを見計らって自演したようにしか見えませんね
- 207 :
- >>205
それよりも不自然な文太連呼を突っ込んでは?
>>206
だが=subを試みた時と一緒の手口は通用しないぞ
哀れだな
- 208 :
- >>207
ログを見るかぎり文太と最初に言い出したのは>>195( ID:Pce4ZosO)
その後、文太という呼称が飛び交っても不自然ではない
その証拠にあなたも使っているではないか
- 209 :
- >>208
他のスレでは何カ月も前から文太や菅沼文太が飛び交ってる
その事実が見えないとしたら盲目性に呆れるほどな
- 210 :
- これじゃ捏造曲解されるか
>>208は明らかな菅沼遼太の書き込みに対して文太とか付くってことな
因みに過去の本名バレや埋め立て事件の時も菅原って同じ手法を使っている
無論正しいのは「 菅 沼 遼 太 」なのだが
- 211 :
- >>210安価は>>209に訂正
今日はもう寝る
- 212 :
- 他のスレでは何カ月も前から文太や菅沼文太が飛び交ってるとか言っても
このスレでは>>195が言うまで、だれも言い出さなかったという事実は無視
ID:I8DzECcnは自分の脳内情報は他者も共有してて当然と思うキチガイだな
- 213 :
- 菅沼くんの最新情報なんて知らない人の方が多いと思う
普通の住民は菅沼云々の飛び交う汚いレスなんて見ない/読み飛ばすという
常識的な思考が端から無いのは困りものだねID:I8DzECcn
- 214 :
- おはようございます。徳川邸の庭師です。
今度は家康公を題材にしたゲームが話題になっていたようですね。
『妖怪ウォッチ2 十八番』はうちの息子も大好きです。
ですがあの『軍師ウィスノブ』はちょっといただけない気がします。
どの武将についていっても家康公は亡くなられてしまって、もらえるアイテムが少し変わるだけというのは、ねえ。
メーカーさんとこにシュシュッと参上したりはしませんけれど。
それはさておき。
加賀八家の福島家について調べた件です。
福島正則の前田家への仕官を仲介したのは、当時加賀にいた高山右近で間違いありません。
清洲城主であった頃から一貫してキリシタン保護政策を堅持していたことから右近は福島には好意的だったようです。
家臣には黒田家や、一部小西家に引き取られた者もいますね。
石田家の佐和山二十人衆には及びませんが、福島家の奉行人や勘定方は人材が豊富でしたから、どこの家でも欲しがったようですよ。
- 215 :
- 今日は非番なのでもう少しカキコ。
上のほう>>62で裏切りの密約の存在が指摘されている脇坂安治について。
脇坂は裏切り者で間違いありません。家康公から伊予一国のお墨付きまでもらっておきながら約束を違えたのは徳川者にとっては印象が悪いですね。
綱吉公の時代にもう和解も済んだことですし、とやかくは言いませんけれど。
- 216 :
- 徳川が勝つ方法は東軍諸将を結集して魚鱗の陣形で西軍の鶴翼の陣を中央突破して総崩れにさせる、この方法しかない。
だがこの中央突破が成功するのは敵の戦意が低くて味方が強力に結束している必要があるわけで…。
織田時代の三河武士ばかりの徳川家臣団ならともかく、関ヶ原当時の武田旧臣に北条旧臣、関東の浪人衆までいる混成部隊の徳川家臣団じゃとても実行不可能だ。
加えて東軍諸将はほとんど 全 員 裏切り者だし。
まず無理だよな。
- 217 :
- 今の内務相である脇坂氏への醜聞は多いなぁ
これが負け組の僻みというやつか
- 218 :
- 醜聞は野党の大物である大谷が流してるリークっぽい。
大谷吉継といえば関が原後に脇坂が裏切ろうとしてたと改易を主張したくらいだから脇坂を気に入らなかったんだろう。
- 219 :
- こうして考えると今の日本の政治家も昔からの大名の末裔とかがやたら多くて本当に民主主義なのかって思えてくる。
脇坂も細川も大谷も三好も政争や党の別があるとはいえ全部昔からの大名の末裔たちじゃん。
昔今秀吉と呼ばれた田中角栄が総理になったけど献金事件でっち上げられて潰されたし
- 220 :
- 上杉なんか最上攻めるの止めて、家康が街道を移動したら江戸を攻めたら良かったのにね
- 221 :
- >>219
聞きなれない苗字だなって思っても、探ってみたら分家じゃんって時は悲しかった
- 222 :
- >>220
最上潰した後は旧領の堀のとこを攻めて、自分のもんにするという火事場泥棒っぷり
手際のよさだけは評価できる
- 223 :
- 関が原についても「全くの偶然だった」で突っぱねたからな直江は
だから徳川を西軍として攻める義理はないってことにして領地拡大とはよくやるわ
堀と最上を攻める名分を用意して仕置をしのぐアフターケアもバッチリ
それがどうして第二次戦国になると劣化するものやら・・・
- 224 :
- >>223
体制批判したやつを何かにつけて追放し続けたツケだろうな。
関ヶ原前からも同じ手口を使ってたけど、それからは輪をかけて酷くなった。
領地が広がったのに家臣を少なくする時点で間違いなのに、景勝も定勝も見て見ぬふり。
そんなんだから上野合戦で元家臣の柿崎や鰺坂に辛酸舐めさせられるんだよ。
- 225 :
- てか脇坂が裏切り者だとか伊賀者らしいアホの考えだわな
時の関白の腹心になれるのに、わざわざ僻地への左遷で天秤にかけようとでも?
コケにするために利用されたんだろ
- 226 :
- 関ヶ原の家康の混成軍は、戦国の中でも屈指の最低品質だと思う
寄せ集めただけじゃなくて冷遇も酷かったから
優秀な奴は出奔したり、総崩れの時に一気に寝返っている
- 227 :
- ぱっと思い浮かぶだけでも、関ヶ原の外も含めて
藤堂、京極、細川が開戦前に離反してるし
結城と佐竹は仕方がないとしても、黒田長政があっさりと寝返ったのは絶対親父の仕業だろ
にしても、藤堂と細川の人を見る目はすげえな、最後には必ず勝者の側にいるし
- 228 :
- 忠興が馬鹿だったぶん息子の興秋が聡明だったのが救い
父にも秘密で家臣纏め上げて、家康死亡を聞いたらすぐ離反したおかげで細川家は保たれた
江戸仕置で忠興が徳川に付いても改易されなかったのは疑問だが
- 229 :
- >>226
そんな中で本多忠勝隊だけは最後まで崩れずに粘ったんだよな。
乱戦になっている中で二万を釘付けにするのは見事。
- 230 :
- そういえば家康を刺した忍って未だに素性や名前が不明なんだよなぁ
それだけの功ならどっかで抱えられてるだろうに、そういう史料が見当たらない
松前が本土移った後に蝦夷任された、戸沢や千瀬は引っかかるとこがあるんだけど確証ない
こいつらって何かの戦とか政策で取り立てられたのか?
- 231 :
- >>230
戸沢は最上と一緒に上杉に滅ぼされたとこの遺児で、大谷に拾われた後に蝦夷の蔵入地の代官になった。
特段目立つ活躍もないけど、明教の政変を期に独立できる程の備を用意したのは流石。
千瀬は新興勢力かつ例の忍に憧れていたけど、年齢的に絶対無理だろ。
関ヶ原の時に9歳だぞ。
- 232 :
- >>231
昔から講談でも人気だった二人だね
家康にしろ秀忠にしこういう人材を抜擢できる気がしない
そもそも千瀬の後見が徳川から追放された近藤秋用という現実
- 233 :
- 真田信之も東軍首脳がこぞって死んだからこそ、配流で済んだのかもしれない。
東軍が勝っても、昌幸と信繁があそこまで派手に刃向かった以上、信之も何らかの罰はあったはず。
- 234 :
- 禍根が少なくなりそうな奴を始末して欲しいところだ
とりあえず藤堂、池田、仙石、京極、細川、伊達は絶対にやらかすから要らん
…あれ? こいつら全員東軍からの寝返りのような…
- 235 :
- >>228
噂によると幽斎の貯めてた骨董品を献上したそうな
名家をこき使うことで奉行たちの家格を上げるために生かされたとも言われてる
>>234
その位したたかじゃないと生き残れないでしょ
- 236 :
- もっとまともな奴がほしいなと言いたかったんだすまん
- 237 :
- 家康よりは信康のほうが期待値が高いからなぁ。
明教の政変の首謀者って言われてる外交僧が信康って説もあるし。
- 238 :
- >>237
松下朝庵って名乗ってたんだっけ
今川旧臣の流れって名乗るあたりも瀬名との関係からして怪しいよね
年齢不詳だけど信康説だと84まで生きたことになるんだっけ
すごい長寿に感じる
- 239 :
- 西軍側にいた奴らですら第二次戦国までに消えたのが多いから、徳川だとどういう構図になるか気になる
加藤福島あたりは何かにつけ邪魔だから、改易される可能性は高いように感じる
伊達も信用ならないけど前田みたいに逆襲して徳川終わるかも
- 240 :
- >>228
興秋は廃嫡の噂が立っていたから、独断を推し進める結果になったそうな
それでも父に対して最低限の情を持っていたという甘さが目立つけど、十分やることはやったと思う
- 241 :
- 徳川が勝ったら、家康が死んだ後の後継が秀忠になるんだろ?
地盤固めのために権力を振るえるタイプではないよな。
どうせなら秀次みたいにヘマやって自滅して、才能ある奴が後継になるとかしてほしいわ。
- 242 :
- >>241
秀康になるんじゃないの? 長男だし。
才気煥発な秀康を、とくに取り柄はなくても篤実な秀忠が支えればいい感じにまとまるんじゃないかな?
松平忠吉だって関ヶ原で討ち死にしてなければ長生きしていただろうし、頼りになったと思う。
秀康の若死には、実父の謀叛と豊臣家からの篤い信頼との板挟みからくる心労だろうから、家康があんなことしなければ長く秀頼の輔佐をしてもらえただろうにね。おしいことだ。
- 243 :
- >>242
惜しい人材は散見されるよね、それ以上に奸臣が多いけど。
いくらオキニの小姓だからって井伊を優遇したせいで、石川や近藤に逃げられてる。
彼らもそのまま徳川に仕えていたら頼りになったはず。
秀康については同意。
せめて石田よりも長生きしていれば、豊臣でも専横を防げたかもしれない。
- 244 :
- 岡部も江戸仕置の際に秀康について生き残ったりしている
どいつもこいつも馬鹿という訳ではなさそうだ
- 245 :
- とりあえず本多(正信側)や井伊が専横できるポジになるのは読める。
この二人は身内からの評価が低いけど家康からは評価されているし政争の火種にもなる。
特に井伊なんか新参なのに箕輪なんて貰えたし東軍勝ったら大幅加増だろう。
本多(忠勝側)は真田との関係上あまり加増はないはず。
服部や柳生あたりが政治面で上手いことやりそう。
千瀬のせいで過大評価されてる面もあるかもしれんが二人はやり手だ。
- 246 :
- 尼子頼久も有能でいい主君になったけど、毛利健在だと寄食の身分だから大成しないだろうなぁ
上でも話題になってる戸沢利盛や千瀬凉虎に至っては発掘すらされないかも
徳川だったらこういう無名の人材が出てくるだろうか
- 247 :
- 徳川系仮想小説では無名人物がメアリースーになるのがデフォ
そうでもしないと西軍側について生存した奴ばっか優遇ポジに収めることになるからかもしれないが
もうちょっと酒井や榊原にスポットライト当ててほしい
- 248 :
- >>247
まえになんかの歴史読本で榊原をすごい戦上手って書いてて「誰それ?」て口から出ちゃったよ。
関ヶ原の時に真田にひっかかって遅刻した有象無象の一人らしいね。
徳川に戦上手なんていたっけ?
負けてばっかりのイメージだけど?
- 249 :
- >>248
康政が活躍したのは小牧長久手で、秀吉を挑発して大軍の陽動に成功している。
上手く包囲網に引き込んで降伏させた手腕は見事。
でもその後に直政が手柄のために兵士を皆殺しにしたから、あんまり有名になってない。
上田でのグダグダっぷりからして攻め戦は微妙だろう。
- 250 :
- メアリースーって言っても、出自の分からない状態から大名に出世、子孫はロシアで帝政復古させた奴がいるから期待するしかない。
- 251 :
- >>250
徳川系列にそんな人いたの?
よければ詳しく教えてください。
- 252 :
- >>251
上のは千瀬でしょ。あれは規格外だから参考にはならないよ。
でもベトナムでは柳生、タイでは山田が大成しているから徳川も侮れないとは思うね。
今でも度々国の要職に就いてる名門だし、日本語圏を広げただけでも大手柄。
- 253 :
- ああ、ベ柳生か。なんか柳生って徳川の家来のイメージなくて忘れてたよ。
山田風太郎の「魔界転生」で、柳生十兵衛がフランスの魔人英雄たちと闘って、宣教師も追い出してベトナムの独立を護るのは胸熱だったなぁ。あんまり売れなかったみたいだけど。
ベトナムの第二公用語が日本語(武家言葉)なのは柳生の影響だったっけ?
- 254 :
- 徳川が天下取ったら武田がすごい過大評価される
長年争った相手なんだから箔をつけて説得力を出さないといけなくなるからな
あと今川も人質時代を盛るために悪党として語られそう
- 255 :
- うっはすげぇID
>>253
そのはず
列強の日本封鎖作戦にも反発して輸送ルート確保とかやってるし一応親日側だ
- 256 :
- >>253
訛りじゃ例えられない感じなのは分かる。
でも海外で平仮名が使えるというのは、欧州とかと比べると感動的。
>>254
甲陽軍鑑なんておあつらえの戯作もあるし、たぶんそれが重用されると思う。
- 257 :
- >>246
井伊を見捨てた近藤に後見された千瀬が飛躍して独立国家立てて後に日本の窮地を救った
故に井伊は英雄っていうギャグ調の歴史考証の本が出てたな
なんか関連付けしつづけてもう他人になっとるわっていうのと似てる
しかもその本の著者が小野と飯尾っていうのが笑える
こいつら井伊に目の敵にされていた奴らじゃん
- 258 :
- またくだらんスレを立てたバカがいやがる。
暇だから埋め立ての練習でもするか。
内政しかできなかった秀忠が江戸湾をゴミで埋め立てて永代島を作ったようにな。
- 259 :
- 徳川が勝っていたら?
まず秀忠が将軍になるだろう。
家康は一日だけ将軍になってあとは隠居してやりたい放題。
- 260 :
- その後は家康が側室に産ませた子供を三代将軍にする。
たわけうつけまぬけの秀忠の系統にゃ期待できん。家康ならそう考えるだろう。
- 261 :
- そういやTV大坂の「そなたは何しに日の本へ?」て番組でアオザイ着たベトナムの女の子が「それがし○○でござる」て喋りだして驚いたことがあるよ。
ベトナムだと女の子も男言葉で日本語喋るんだって。
タイは普通に古風な女言葉なのになんでかね?
柳生がなんかやったのかな?
- 262 :
- 家康は意外と絶倫かもしれんからそこらじゅうから女集めてきて十人ぐらい子供を産ませるんじゃないか?
で、生まれた子供を重要な土地に配置して防壁&スペアにする。
- 263 :
- 家康のことだから面倒を起こしそうな息子は自分が生きてるうちに殺しとくだろう。
娘婿も子供が生まれりゃ用済みだろうし暗殺の嵐が吹き荒れるんじゃねーか?
- 264 :
- 暗殺で片付けられそうもないところは戦を仕掛けるのは間違いない。
どこかの伊賀者は否定してたが豊臣家も下手をすると危ないぞ。
- 265 :
- >>261
学校の教科に新陰流あるんだぞベトナムって
前に女子剣道の世界選手権で示現流だった日本代表がベトナムの代表に負けてる
しかも彼女は代役で元々の代表は産休っていう話らしい
でも負けが恥ずかしかったからじゃ地上波で裏事情が報道されなかったんだよなぁ
- 266 :
- あとは伊達も危ないな。
- 267 :
- ああそうだ、島津も潰されそうだな
- 268 :
- >>265
その試合ニコ生で見たよ。
ベトナムの勝利に興奮した記者たちが試合場に殺到してくるのを
「まだ礼も終わっていないのに相手に対して失礼だ」
て制止したんだよね彼女。本物の侍がベトナムにいたと驚いたけど、まさかあれで代打だとはねぇ。
どこまで深いんだ、ベ柳生。
- 269 :
- >>265
>>268
今でも武士としての誉れを保ってる感じがする。
だからこそ徳川が勝つとこういう風になるって強弁する学者がいるけど、私はそう思わない。
徳川の中では肩身が狭くて、隠し田園は鳥居あたりのタレコミで発覚したという噂まであるんだし。
話は変わるけど、アメの作品でチョンマゲとかござる系の日本人が多いのは十中八九このせい。
- 270 :
- タイは逆に色んな文化が混じってるな
日本のご飯の名前で頼んだら別物になって出てきてぶったまげたわ
誰だ漬け寿司をチリソース漬けの炙り魚に魔改造したのは
- 271 :
- 徳川が勝ってもベトナム、タイ、ロシアみたいな国家にはならないと改めて時間する話だ
- 272 :
- >>270
それ大坂の鶴橋のベトナム横丁で食ったよ。
どう考えてもキワモノなのに意外とうまいんだよな。自分の味覚を疑っちゃったよ。
興味があったら「ベトナム料理 ヤギュウミツコ 鶴橋店」でググッてくれ。
ステマステマ
- 273 :
- 「珍料理、大発見!」って番組で関西チャラ男が食べてたのを見たな。
辛くないものまで赤い料理というのが斬新だった
- 274 :
- 徳川が天下取ったら、庶民の食事とか衣服とか縛りそうだよな
だから皮肉に焼き味噌を食べることが食通とされそう
- 275 :
- 焼き味噌w隠語のほうは勘弁願いたいなww
- 276 :
- 国交がどういうふうになるかな
伊達がでかい顔してやっぱりスペイン臣従を勝手にされる?
柳生や山田は没落してからの一念発起だから同じようにはならないだろうし
- 277 :
- >>276
伊達がスペインと組んで成功したのを見たら、他の大名もそれぞれ外国と組むだろうし、徳川関白?政権なんてあっけなく崩れるだろうね。国際感覚の欠如した家康じゃこの国難を乗り切るのは無理だよ。
史実でベトナムで大成功した柳生を、五奉行に取り立てるぐらいのことができたら徳川にも未来があるかもしれんけど、家康は名うての頑迷なケチだからねぇ。
柳生のベトナムでの成功を聞き、即座に南越守の官位を送った秀光公の爪のアカでも飲ましてやりたいよ。
- 278 :
- >>276
ロシアやメキシコ、ベトナム、タイとかも棚ボタで友好関係になったから相当厳しいんじゃない?
逆に今も仲悪い現漢や朝鮮と手を組むなんてことも考えづらいから孤立するかも。
もしくはスペインオランダの属国安定か。
>>277
秀光は豊臣中興の代表格だからね。
あれのおかげで末期の足利のような空気化は免れられた。
しかも実子ではなく細川秀考の末子を養子にして抜擢という思い切りの良さがあってこその人選だから
徳川では到底真似はできないだろうなぁ。
- 279 :
- 秀光の頃は西の豊臣、東の足利って権威だったけど
何故か天下統一しそうな勢力が出たら足利と豊臣でタッグを組んで蹴落としてた節があるんだけど何故ですか?
機内を支配した畠山家は末期には仏教界にすら仏敵扱いされて凋落。最終的には市中引き回しの上処刑されたんですが。
- 280 :
- >>279
東西は結託しながら民が飽きないように統治してたって説が濃厚
今のプロレスのシナリオと一緒
豊臣と足利は大筋だから争っても滅びることはなかった
そこで新興勢力や外敵に値するもの(畠山やジパング同盟や鎮西連合)が出てきたとこで
わざと民衆に危険を煽っておいて叩き潰してを繰り返してる
大きな発明や意図的な外患以外の事件の流れが全てこれに当てはまってるし
第二次戦国から飛躍して今も存続してるのは、傘下だったり中央から遠い僻地ばかり
- 281 :
- そういえばケチな家康の食い逃げ逸話って本当なのかな?
三方が原で忠臣が身代わりになってボロボロになってるのに、そこで食い逃げするってどういう精神状態なんだろう。
- 282 :
- >>281
逃げ癖がついたってことじゃないかな?
小牧長久手も秀次を退却させたまでは良かったけど、豊臣本隊が出てきたら慌てて逃げたし、関ヶ原も同じだし。
食い逃げが事実がどうかはわからないけど、家康はこういう逃げ癖のある男ですよって言いたいんじゃないかな?
そういや本能寺でも「家康の伊賀逃げ」と笑われるぐらいのみっともない逃げ方してたね。
ツレの穴山信君が「織田殿の敵を討つ」ていう、?となる理由(アンタそんな関係やったんかい!w)で京に向かい討ち死にしちゃったのとはえらい違い。
- 283 :
- 穴山は気骨のある奴だったのは有名だからな
武田信玄が甲斐を滅ぼすと予見して嫡子の義信の擁立を考えていたし
失敗後も臥薪嘗胆の日々を送りながら再起を図っていた
風魔に仕えていた小助が大名になる時に義信って名乗ったのもこれに起因している
- 284 :
- だから穴山小助って名前の方が、義信より有名というね
まあ政治面は微妙で、風魔の手下的なポジから脱却できなかったのもあるが
- 285 :
- 穴山信君が義信を擁立しようとしていたとする一次史料を挙げてみろよwww
ウソばっかついてんじゃねーよアンチ秀吉の織田在日くんよぁwww
- 286 :
- 在日…て何?
- 287 :
- >>286
移民のことじゃない?旧家の侍従が移民の働き口になってる
あんま金持ってるところがないからね
つい最近も徳川のとこの庭師が阿漕なルートで他国から流れてたのが報道された
- 288 :
- >>287
ああ、日本在留の外国籍の方のことかぁ。
今の日本に外国籍さんなんて珍しくもないし、気がつかなかったよ。
ウチのお寺の住職さんなんて三代前はタイから渡ってきてるしねぇw
これも豊臣太閤の政治の影響かな?
今日の晩飯は軽くチャツネでお茶漬けにしたんだけど、これがインド・パキスタン料理だって覚えてる人いるかな?
もうすっかり和食だよw
- 289 :
- 無能を装った暗殺者である仙谷を、徳川が操縦できる気がしない
- 290 :
- 今だからこそ全容がわかる人物だよね、仙石秀久は
当時は無能だとか悪党だとか評判は散々だけど、大義のために己の顔に泥を塗った影の英雄だよ
- 291 :
- >>290
日本は歴史資料が多く残されているからねえ
和紙の丈夫さとかにも支えられてるけど、
いわゆる歴史の敗者の手紙や書類が当時から大事な資料として残されてるのも大きい
今の世は無理でも、いつか日の目を見られることを信じた結果かな
敵側も黙認することもあったし
自分を正当化するための中国の焚書と違ってね
おかげで歴オタ万歳だわ、先人方に感謝だな
ってここ東軍が勝ったらスレだったねwww
そうだな、軍隊の兵糧軽視があるかもしれんね
ただでさえ突進属性高い武士の中でも三河武士は捨て身を良しとする奴多いけど
豊臣は武力は勿論石田大谷小西長束とか、
兵糧担当や書類仕事に才のある奴の多いこと
秀吉自身も兵糧は大切と考えてたようだしね
中国大返しとかでそれがよくわかる
そいつら兵糧担当の一族が後世まで長続きしてたのも大きい
まあ石田大谷小西家は書類仕事だけじゃなく戦もわりかし強いけど、家中も安定してたし
- 292 :
- 戦闘しかできない東軍派が戦争を知り尽くしている西軍派に勝てるわけが無いって話しよね。
互角なのは槍働きだけで、補給も連携も計略も大義名分も朝廷工作も全部西軍に負けてたんだから、万が一関ヶ原で引き分けに持ち込めたとしてもいずれ史実通りの大敗をどこかでして終わりだよ。
- 293 :
- >>292
本当これ
下準備が大事ってえらいひと言ってた
関ヶ原関係の戦の面白いところは
これまでの戦よりも権力争いの政治的側面が強いとこだと思ってる
さっきのレスに書いたように官僚系が後の世まで長く力を保ったのはかなり凄いことだよ
猪武者とか言われてる正則や戦闘狂扱い(実際戦好きだったけど)のカトキヨも
領地経営はしっかりしてたし只の脳筋ではないんだよ
「徳川は豊臣残してくれるやろ」って楽観視してた馬鹿ではあるけど
え?清正様の息子?知らんなby加藤家家臣
- 294 :
- 徳川だと領地経営できるやつが少ないだろうなぁ
一番大封の井伊が部下に当たり散らして手討ちにしまくっているし
その反動で本多のとこに仕官する奴が一杯でてきて人材が充実したというのはお笑い草だけど
- 295 :
- 家康が朝廷を軽視していたのは、のちのち朝廷すらも滅ぼす腹積もりだったって説が今は主流。
信長暗殺の念書を朝廷が出したように捏造した痕跡があるって恐ろしいわ。
- 296 :
- どいつが軍閥化するかな
伊達は確定として島津や黒田辺り?
- 297 :
- >>296
旧豊臣の官僚も関ヶ原から生き残れば再び団結する。
一応こいつらも軍閥に分類していいいかと。
でも伊達や島津じゃ国を治める器量がないから泥沼の戦いになるだろうな。
戦すらも内政の手段に利用してた豊臣足利体制の真似はできまい
- 298 :
- 石田三成も自分が戦は苦手なのを自覚していただけあって、自分が采配をミスるのを織り込み済みで事前準備を徹底的にしていたから勝ったんだろうね
- 299 :
- >>298
戦下手と言われるきっかけになったのは秀吉が方針を頑なに譲らなかった忍城水攻めというね………
中間管理職は辛いよ
碧蹄館では戦略提案して実際成功したし即興で関ヶ原の布陣考えたの三成って資料残ってるし
言われるほど戦下手ではなかったと思う(勿論この時偶然成功しただけって意見もあるけど)
水物である戦を理詰めで考える石田が上手く出来るわけないとは当時から言われてたが
その意見を一理あると考えてたからこそ
自分に意見出してくれそうな名のある武人(脳筋とは言ってない)を多く登用したんじゃないかって思ってる(想像)
色んな人からアトバイス受けながら政治経済補給陣形の下準備、後はお前らに任せた!って感じ
そういう意味では戦巧者だと思ってるよ
引退したときに息子へ言った言葉が記録に残ってるんだけど
「周りの進言諫言は採用するかどうかはともかくとりあえず聞け、但し補給の話は何が何でも譲るな」
…………朝鮮征伐色んな武将に色んなトラウマ与えてんのね………………
しかし石田家家臣の結束は強いね急に大身になったからいい家臣集めんの大変だったろうに
やっぱり採用不採用関係無く進言を一考してくれるのは嬉しいんかね
- 300 :
- >>299
重成はその言いつけをしっかり守っていたよね。
だから三成がクーデターの犠牲になった時も、怒りをこらえて出兵することを諦めることができた。
糧も財も前田の手中にある以上、引き下がらざるを得ないって。
吉成が仇討ちのために血眼で兵をかき集めたのとは正反対。
- 301 :
- 誰かに苦手なところを補完してもらう極致が羽柴秀秋
片っ端から才能を見抜いたやつを見立ててる・・・というか他力本願すぎる
後々そいつら独立するし
- 302 :
- >>300
七将襲撃事件後、家康暗殺を提案して左近に諫められた三成はその後関ヶ原で復権
クーデター事件で敵討ちしようとして側近小幡信世や叔父の正澄やその他古株に諫められ
亡き父の遺言にも従い無理はよした重家は
その後煩くなってきた日本の周りをウロチョロする国々との上手い外交を押し進め復権
(そして憎き敵はいつの間にか自滅)
得意分野も違えば性格もそんなに似なかったのにこうしてみたらやっぱり親子だなあwww
でも正澄の兄さん、日記に「今回の件は此方が苦汁を飲むしかないね
だが弟を殺した件は忘れもしないし許しもしない、絶対にだ」(超意訳)
って書くのやめてくれ……字から怨みが滲みすぎてて日記実物初めて見たとき心臓止まるかと思ったわ……………
>>301
秀秋さんが得意な分野そんなにないじゃないですかーやだー!
まあだから独立されたんだろうけどなぁwww
結構数多かった記憶があるな
- 303 :
- >>301-302
尼子頼久、島津豊久、千瀬凉虎の三人が、秀秋のおかげで立身出世できたというのは有名だろう。
彼らよりは知名度はないけど、小山田虎昌や近藤秋用、毛利勝永も秀秋の恩恵を受けてる。
バカを公言する理由が分からないほどの眼力の良さ。
彼らの共通点は、立場の弱さもさることながら、一人では実力を発揮しきれないところ。
秀秋はそれを補うことができるという特殊な何かがあったのかもしれない。
- 304 :
- >>303
………実力を思う存分発揮できる“場”とか?
地位の高さ、それに伴う仕事量とか
- 305 :
- 俺はチャンスの多さや失敗に寛容な性格も噛んでると思うわ
秀秋は他者に最も甘い関白だと評価されてるし
勝永なんか秀秋がいなかったら浮浪者になってたって断言してたからな
- 306 :
- 一人二人が気に入らない流れになると他人を排除するだけのスレだからやっぱり一人二人しか書き込んでないみたいだね
- 307 :
- >>306
どうしたんだこいつ
- 308 :
- http://kanae.2ch.sc/test/read.cgi/gamehis/1441469816/
ここへの誤爆じゃないのかなぁ。
言い分とスレの状況が、あまりにも合致している。
名前が一緒だからって間違えないで欲しいよ、空気が悪くなる。
- 309 :
- >>308
そんなスレあったのかよってワロタ後にスレ内の一人相撲っぷりにまたワロタ
- 310 :
- ていうか冷静に見直したらそのスレの主が>>306じゃねと思ったが気のせい?
- 311 :
- 流石にそれは邪推だとは思うけど、ちょうど菅沼遼太が別スレで発狂してるからなぁ。
無関係だとは思えないし、そもそも歴ゲのスレでも菅沼遼太が立てたスレだってレスが何個もあった。
前も東軍スレが菅沼遼太に潰されたし気味が悪いね。
- 312 :
- なんか良いことあってテンション上がってんじゃね遼太ちゃん
- 313 :
- 不穏だなあ
またこっちに来なきゃいいんだけど
いや一番いいのは荒しをやめてくれるることだけどさあ
- 314 :
- >>304-305
地位や権力だけでは説明できないが、カリスマ性まではいかない感じだよな
堺大学府の教授の著書では人間磁石って例えていた
積極的に用いるだけなら福島や黒田だってしていたが、そこから大物は出て来てない
甘いだけなら直江みたいに独裁したり、主君を食うほどにまでのし上がるが
独立は秀秋死後に集中してるし、主家を守る姿勢を崩してない
上の二つの良いとこ取りって感じもしないし何なんだろうな
- 315 :
- このスレって菅沼菅沼連呼してる織田厨が1,2人で参加してるだけのスレだから1人、2人以上参加できない糞スレじゃん。
気に入らないことには菅沼荒らし認定してくんだからちょっと信じられない。
- 316 :
- どうせこのスレでもスマホで自演して流れ作ってんだろうな
- 317 :
- 織田厨って菅沼遼太くらいしかもう使わない単語なのに。
ここで尻尾を出すなんて哀れだね。
- 318 :
- 家康じゃ革新的というか型破りな奴を使えないから、政治が停滞する
死ぬまでケツを舐める犬みたいなやつらばかりで、統制は楽だが進歩がない
晩年の秀吉にすら意見した三成を見習えよ
- 319 :
- >>318
停止とまでは行かずとも絶対技術進歩は緩やかになってたろうな
豊臣の技術革新しつつの技術熟成・浸透のペースは絶妙
欧米にも舐められなかったし、急成長の反動もほぼなかった
- 320 :
- 米寇まで筆や改良前の枕を使う羽目になるのかな
両方とも大名が不便だって思ったのが発端だから100%あり得ないって訳じゃないけど
- 321 :
- そういえば伊賀逃げの口実が、光秀の刺客に家康が追われたからっていうのが有名だけど
実際には光秀ではなく信長に命を狙われていたって話は本当だったの?
- 322 :
- >>321
本当やで
半強制で当て馬扱いや信康切腹をさせて徳川を逆ギレさせやかったんや
武田にも同盟の打診してるし(蹴られたけど)こりゃ潰す気満々やろ
だから長宗我部と明智とつるんだっちゅう私書が見つかって
伊賀逃げの真相が浮き彫りになったって騒ぎになったで
- 323 :
- 噂は聞くけど信長が死に11日後には光秀も死んじゃうから真実は藪のなかとしか言い様が…
- 324 :
- >>322
マジか・・・関ヶ原までは忠義の人だったと思ったのに、汚いことしていたんだ
仮に光秀たちと組んでいたとしたら、どっち付かずの最低の蝙蝠に見える
これは元親もだけど、せめて山崎の時に助太刀したらいいのに
- 325 :
- >>323
自分も忠義の人だったって今までの説を信じたいよ
擦り付けで連座させようと謀られた可能性だってあるし、そうであってほしい
- 326 :
- まあ見つかったのが長宗我部から斉藤への私書やから
徳川自体が出してないってことでグレー判定になるかもしれんな
- 327 :
- あの手紙の真贋ってまだ判定出てなかったんだなぁ。自分の歴史認識がちょっと古くなってるみたいだ。
- 328 :
- >>324
山崎に来いはさすがに無茶だろう。
石田らの方策によって、別次元の行軍速度で向かった結果の大勝だから。
>>327
最近徳川が不正密入国の件でガサ入れされて、信長誅殺の勅書が見つかって再燃した。
なんで朝廷が明智に宛てた書類を徳川が保管していたのか謎だし。
でも松平信康説のある松下朝庵は、落ちぶれた信雄一家を保護して織田家を存続させてるから険悪そうではない。
本能寺の謎はずっと解けないままなのかもしれないな。
- 329 :
- どちらにせよ改易祭りで直轄領ゲット作戦は徳川もやれそうってことでFA?
佐々の扱いとか一応見ているわけだし
- 330 :
- >>329
やりすぎて反乱くらって、やっぱり第二次戦国の流れになるかもな。
- 331 :
- >>329
やりたいだろうけど出来ないんじゃないかな?
関ヶ原で勝ったとしても手柄は全部、福島や黒田細川池田ら豊臣家の駄目なほうの人たちのものでしょ?
徳川なんて後からちょろっとやってきて負けただけだし、勝利の要になるかな?
遅刻秀忠が到着するまで待つと大正義毛利本隊が秀頼君担いでやってくるから勝ち目ゼロ。
つまり勝てたとしても徳川家の実入りは期待できないわけだ。これで幕府を開いたって室町以下の弱体政権になるだけだよ。改易なんてムリムリ。
- 332 :
- 後継があのボケナス秀忠だろうからなぁ
例え秀康抜擢しても、北政所に恩があるから下手に手出しは出来ないだろう
政変すっとばして二頭体制の足利→徳川バージョンになるかと
- 333 :
- あまり歴史に詳しくない頃に学校の授業で習ったけど
淀殿が豊家のためと家康に近付く→家康反乱→淀殿政治から離される
の流れクソ笑った
秀吉死ぬ前にちゃんとこういう所教えたれよ
おねね様なら大丈夫だったろうけどさあ
- 334 :
- それでも秀頼時代は何かと口出したから、奉行たちは厄介がっていたぞ
浅井治長に近江を与えたり、他の大名にも縁組みを薦めたり
息子の長藤に至っては前田を唆したりと、豊臣にとって疫病神だ
- 335 :
- >>334
石田がアンタいい加減にせえよと淀殿と大喧嘩したのは割りと有名よな
秀頼と大野が仲裁に入ったけど
実の子供である秀頼ですら仲裁の仕方が明らかに石田寄りで
更にヘソ曲げたとかなんとか
政に才があるならまだしも、無いのに口出されるのは流石に迷惑だよな
逆に前田利家はお松さんの言葉にもっと耳傾けるべき
銭溜め込むのはいいけど使うときは使えって家康&クロカン言ってた
- 336 :
- 利家の遺産があったから利政は明教の政変を起こせのが感慨深い
いまいち野心がなく義理で生きていた父の反動で貪欲になったのかね
- 337 :
- 利政が凶行に至った理由にトラウマと精神病説がある。
兄の前田利長は徳川家康に恐喝され、浅野らと共に家を守るために屈した。
しかし西軍が勝つと立場は一変し、権力は奉行衆に奪われて民にすら陰口を叩かれる始末。
しばらくして病で亡くなった際にも無様な死に様が吹聴され、権威は地の底に落ちた。
(有名どころでは猪狩りの際猪にケツを突かれて転落死、家康の亡霊に腹上死させられたの二つ)
石田の専横で前田すらも取り潰しの手が及んだ時、兄のように没落するという恐怖に駆られ
咄嗟に行動を起こしたというふうに関連づけている。
- 338 :
- 徳川は今川派の家臣を冷遇していたけど、有能なやつが多いよな
岡部とか小野とか
こいつらを上手く使えばいい体制が築けるか?
- 339 :
- >>338
岡部は同族と戦わされているし、小野はわざと仇敵の井伊の配下にしていびられてる。
こんな陰湿なことをされたから徳川を出た後に活き活きと活躍するわけ。
- 340 :
- 岡部は義理堅かったけど、矢部の説得がよく効いたね
もともと矢部もぞんざいな扱いを受けてたから、苦しみとかよく分かってたたんだろう
小野は千瀬に仕えたこと自体が驚き
当時は無名の若造なのに、よく家臣になろうと決断したもんだよ
- 341 :
- >>340
関が原で小野朝直が助命されたのは、実は近藤秋用の嘆願によるもの。
しかし小野道好(朝直の大伯父)の処刑に、近藤康用(秋用の父)が関わっているため
切腹しかねないと考えて、ほとぼりが冷めるまで脇坂安治が助命したことにしている。
それからは脇坂の与力として働いていたが、助命の事実を知って悩んだ結果
直接仕えることは出来ないため、近藤が後見してる千瀬に仕えたって流れ。
- 342 :
- 宇喜多詮家は秀家に助命されたことを知って自分から槍に刺さって自害したからな
怨恨のある相手が多いし徳川が勝ったら逆パターンになるかもしれん
- 343 :
- 戦と政治じゃ得手不得手が違うだろうから、江戸の志士が徳川の世で活躍できる気がしない
ずば抜けた武功だけでは飽き足らず、晩年は外交官も無難にこなした本多忠勝みたいな逸材もいるが
- 344 :
- 戸田勝成は失脚して一念発起しての参戦
真田信之も親父と弟に切り捨てられた身分だからなぁ
本多忠朝も信之より上が望めるとは思えない
佐久間や高坂は賊と代わりないからポイで
- 345 :
- >>344
賊に身を落としたけど元の主の北条に説得されて盛り返した風魔というのがいてだな・・・
- 346 :
- 空白地になった関東平野ってその後誰が入ったんだっけ?
- 347 :
- ほとんど蔵入地になって、そのぶん元の蔵入地を加増分にしたはず
残ったのは下野の結城と金山に改易された秀忠くらい
時が下れば他にも北条や高梨が出てくるけど、そこまで大きい勢力は足利再興まで皆無
- 348 :
- ドマイナーだけど上総に転封されたのが二人いる
久我原の山川朝信と、東金の郡宗保
結局一万千石って微妙な数字だし、これといって目立った活躍はないな
- 349 :
- >>345
他の成り上がり組には劣るけど、風魔もなかなか面白いよね。
忍びの類なのに馬術が上手いってことで、門下から大名の馬術指南役を多く出していたりする。
穴山や千瀬もここで育っているし、色んな面で他の忍者とは一線を画しているよ。
>>346-347
空白地だらけだからこそ、足利が一気に力を着けられたんだよね。
増田や長束の庶流が蔵入地の管理を任されていたけど、戦力なんて殆ど無いし。
腐っても幕府開いた家格だから人心掌握も簡単で、周囲の大名もすぐ懐柔に成功している。
- 350 :
- >>348
因みにその二人は石高は低いけど海が近いから、海産物も換算すると倍は行ったらしいよ。
場所が近いから漁民はライバル意識を持っていたみたいだし、豊臣のよくやる近場での分断工作かな?
- 351 :
- 豊臣は石高主義で奉行たちも他の作物栽培などで租税を軽くしていたけど
それが祟って他の大名の裏金作りにも利用されちゃったからな
徳川が仮に強権を持ったとしたら全て直轄領にして大名自体が廃止になるかもしれない
それこそ革命後の明治に推し進められた中央政府主義のように
- 352 :
- 島津は琉球を貿易拠点にしてボロ儲け
黒田も平戸を押さえた後はイスパニアや清と密貿易
小西や伊達に至っては人身売買が主力というね
支持基盤もクソもないような徳川にこいつらを取り締まる力あんの?
- 353 :
- >>352
強権の度合いが不明だが、握ったあとは案外すんなりと地盤固めそうだ
福島、派手な方の加藤は何だかんだで取り締まられるだろう
そのくらいしないと豊臣の牙城は崩せない
黒田については内応している疑惑のある立花や鍋島の動向でどうにかなる
島津は一番才能ある豊久が実権握らなきゃ芽が出るのは遅い
- 354 :
- 戦後処理の時点で石田、小西、毛利、宇喜多は滅ぼされるだろうからな
その空白地を四天王にでも分け与えるんでしょ
一番粘りそうなのが上杉だけど、直江を見限って生け贄にして和睦とかなれば面白い
上杉って第一次は謙信のカリスマと豊臣の後援、後期は直江一族の独裁のおかげで発展したし
- 355 :
- 勝ったとしても仲違いしてメチャクチャになるって可能性も、ゼロじゃないよね
徳川四天王って全員仲悪いし、福島加藤も豊臣を巡って争うかもしれない
大谷と石田だって政治方針の違いで一気に仲が悪くなったし、想像もしないところから亀裂ができることもある
- 356 :
- 家康亡き後に岡崎組と浜松組、武田旧臣あたりで分裂しそう
家康の遺言や残したもの次第では秀忠もある程度はまとめられるかもしれないけど、三代目までに地盤を固めないとまずいかもね
- 357 :
- >>356
やっぱり三代目が分かれ目だよな
奥州藤原や前田みたいに没落するか、足利や豊臣みたいに地盤固めるか
結城秀康が継げば忠康が、秀忠が継げば忠長が次世代候補だが
両方とも有能〜凡庸の中間くらいの実績だから
カリスマ性よりも、システムを構築して統治するのが現実的
- 358 :
- ありそうなのは大名の金を使わせるために定期的に江戸まで来させるとか 貿易を独占するために鎖国して制限するとか
- 359 :
- >>358
鎖国って外国と国交断絶することだとは思うがその状態で貿易だけ行うのは通用するか?
若しくは表だけ禁止して内々で許していた三成による切支丹への扱いみたいな状態ならまだ納得できる
前者の大名の呼び寄せは正純とかが好きな政策だから実際にやりそう
上納させずに強制的に浪費させるから批判を逸らせられるし
距離で出費がかさむから嫌な奴を遠くに置きながら反乱できないように苦しめることも可能
存在を脅かす勢力を消せる気がする名案だわ
- 360 :
- 正純って江戸の陣で家康や家康の嫡男の家光と一緒に炭小屋で腹切った茶坊主みたいなごますり男だろ?
あんな小物にそんな大それたこと発案できるかねぇ?
江戸の陣の直前に
「東西手切れとなれば伊達を筆頭に豊臣に不満を持つ東国大名が当家に馳せ参じましょう」
て寝ぼけたこと言って、いざふたを開けたら誰も来ないもんだから怒った家康に縁側から蹴り落とされた無能ですよ?
- 361 :
- 成果はお察しながら頭は切れるぞ正純
講談じゃ結果が伴ってないし正信の持ち上げのために無能扱いが多いが
- 362 :
- と言われても好きにはなれないなぁ。
講談の作り話だとは思うけど、家康は実子だと思い込んでる嫡男家光が、実は側室お福の方と正純の間にできた不義の子だとか、このての嫌なエピソードが多すぎるよ正純。
- 363 :
- そりゃ名前に偽りありとか不純とかネタにされる御方だし・・・
- 364 :
- 良い手段でも成功しなければ意味はないし、ナニコレって物で成功して再評価される例もあるからな
特に秀秋子飼いの人材なんか当時はボロクソに酷評されていたそうだぞ
- 365 :
- >>362
本多正純は徳川家光の実父疑惑だけではなく、息子の正勝の実父ではないという疑惑があるからね。
おおかた正勝は立花宗茂に引き取られた後に頭角を現すからだろうけど。
>>364
尼子晴久の新宮党粛清と島津忠恒の伊集院粛清は愚策、毛利元就の井上粛清と島津豊久の義久派閥粛清は上策とか
同じようなことをしても結果で評価が真逆になる例もあるからね。
前評判の悪い行動の割に、今では持て囃されているものは探すのが骨が折れそう。
なんせ最初から評価していたみたいな風見鶏な評論もあるし。
- 366 :
- >>365
義久派閥の粛清は酷評されていたのは間違いないわ
なんせ相手は現当主の秀恒とその養父の義久をはじめとする体制の重臣逹だ
また島津を昔のように割るつもりかって義弘も嘆いていて民からも関白の七光りと皮肉られた
結果は旧態依然の状況の打破と渋谷肝付の取り込み成功という文句なしの成功
それから掌クルクルされたもんだから豊久の心中は冷めていただろうな
- 367 :
- 怖いのはこの豊久を批判する文書や手紙が現在まで大量に遺されていることだね。
豊久は改革が成功していくにつれ、これらの証拠品を表に出しては元反対者達を黙らせていく。
もともとは豪放磊落な性格をしていたと言われる豊久が、現代では冷酷な独裁者のように語られることが多いのは皮肉な話しだ。
「大河ドラマ・桐ー豊臣三代」の関ヶ原合戦で、島津隊が徳川本陣に突撃するシーンの義弘と豊久が「伴に死なん」と意気をあげている場面に苦情が来たんだよ。
「義弘と豊久があんなに仲がいいわけない」とか「冷酷な豊久を熱血漢の猪武者のようにかくのは間違っている」って。
脚本を書いたジェームス二木は「あくまでフィクションです」と答えたんだけど後のエッセイ本で
「豊久の設定は彼の島津改革前の資料を使用した。自分としては満足の仕上がりだったが視聴者には受け入れてはもらえなかった。菅遼の影響の大きさを改めて思い知らされた」
と語っている。
昭和の文豪と呼ばれた菅沼遼太郎に嫌われ、関ヶ原、城塞、徳川家の人々などで度々「冷酷で陰険な独裁者」と描写された島津豊久の悪いイメージの払拭はなかなか難しいようだ。
- 368 :
- >>367
菅沼は贔屓がひどい割に影響が大きいから、歴史学者が「あくまで作家であって学者じゃない」って口酸っぱく学生に指導しているね。
でも家臣や友好のある大名の書状からも冷酷な一面が垣間見えるから、完全に創作ってわけでもないのが辛いところ。
千瀬凉虎も敵対する相手には容赦がなく、血も涙もない残忍なイメージが同じように定着している。
「惨いことに慣れるどころか、喜びすら感じる己自身が恐ろしい」って手紙が残っているのに、最初から残酷に大河や小説で書かれているのは解せない。
- 369 :
- >>366
逆パターンは見つけやすかった。
宇喜多秀規の前宇同盟は家臣も推していて、秀頼の政治を支える新体制になるって期待されていたけど、相克から散々なことに。
当時は持て囃されたのに今じゃ教科書にすら取り上げられず、風評の怖さを思い知るよ。
- 370 :
- 豊久と凉虎の二人は今もよく悪役やボスのモデルになってる
そこまでの飛躍はしなかった頼久は子孫までいい人の状態を貫けたのが凄いわ
- 371 :
- 地味加藤が七本槍の中でもまともな人として描かれるのと似た感じかも
落ち度を誇張されないとか他のやつらが個性的とか
- 372 :
- 善でも悪でも魅力のあるやつがいないよな、徳川って
強いて挙げるなら大久保長安なのかな、外様中の外様なのに家康に愛された武将だし
いろんな政策の原案を担ったって講談では持て囃されているからな
- 373 :
- ちなみに立川文庫の「大久保長安」では長安は武田信玄の末子と語られていた。もちろん根拠はなにもない。
現代人の我々には「武田信玄」と言われても誰?となるけど、どうも徳川が健在だった江戸の陣ぐらいまでは戦国時代の名将の筆頭格だったらしい。
それで徳川がらみの人には武田家ゆかりの○○という微妙なはく付けがされることが多い。
江戸夏の陣で散った真田信之(幸村の方が通りがいいか?)の家来の猿飛佐助も立川文庫では武田勝頼の息子ってことにされてるし。
- 374 :
- 遼太郎がメジャーにしようとしたけど、不義不忠の輩すぎて九割脚色じゃないと宣伝できなかったな
箔付けがらみは、徳川が永らく滅ぼせなかった相手だから持ち上げたって説が有力だし
武田信玄自体が人気になる方法はないね、魅力の欠片もない
それでも武田の〜という箔は、小山田虎昌や穴山義信、成瀬正則がある程度は使っていたけど
地位を確立した時には捨て去るどころか目の敵にするようなものだし
- 375 :
- 元徳川や元武田って肩書きよりも大抵後の主君のイメージが強いから、なんかいい人材いないなって余計に感じるのもある。
しかも家康って武田に恨みがあるからか、武田の残党や裏切り者を始末したり、ひどい扱いにしている。
真田はそのおかげで残党の駆け込み寺になっていたから、一気に勢力拡大できたそうだ。
- 376 :
- 武田の残党が逃げ込んだ真田信之が江戸で散々暴れて討ち死にした後、遺臣が信繁の元に駆け込んだんだよね
そんなことしてるから信繁も心労て寿命が縮んだんだよ
- 377 :
- >>376
関ヶ原からの関東は魔境だったからな
人材が枯渇しているのに領土だけはあったから統治もままならないし夜盗だらけ
江戸仕置直前は牢人相手の商売とかで賑わったというのが皮肉だ
- 378 :
- 秀康といい信繁といい身内が問題を起こすと神経弱いやつはキツい
北条氏規も小田原のせいで死期を悟って東軍についたって話をもあるし
- 379 :
- >>378
人質時代の家康と仲がよかったんだっけ。
小田原でも降伏して当主の座に据えられたこともあって
旧臣や身内を思うと精神がすり減ったんだろうね。
- 380 :
- 遺臣や新たな人材は毒にも薬にもなる
こういうとこで成功しているのは誰だろうか
- 381 :
- ダボハやくそみそに登用した場合は大抵いい結果にはならないな
信条も育った環境も違うやつを率いるのは苦労するし、不満を抱いて離反する可能性もある
代表例が徳川家康というのが皮肉だが、人材不足や依怙贔屓が発端だから自業自得か
- 382 :
- ダボハゼだった・・・何してるんだ俺
- 383 :
- うまくやったのは立花かな
元同僚の旧大友家臣や龍造寺遺臣や改易後の加藤家の家臣を抱えて上手くまとめていたな
- 384 :
- >>383
立花は上手いよね。
北九州の人材を手広く集めているのに、宗茂存命中は一回も謀反を起こされていない。
秀吉の懐柔策をより洗練して、鎮西連合って団体化したとこを見るに
主従関係をオブラートに包みながら周りを統率する力に優れていたんだろう。
三千の兵で一万分の力を発揮するって昔から評判だったし
島津が拡張路線を断念したのも納得できるよ。
- 385 :
- 西軍が勝った?
どういう状況だよ
- 386 :
- >>385
別次元から来たのかな?
とりあえず簡潔に説明すると、東軍が負けて残党も江戸仕置を最後に沈黙した。
これで一時期は平和になったけど、巨大すぎる豊臣の権力を得るために政争が起きて
色々なとこに飛び火して戦火が再燃した。
大大名が豊臣の権力を求めないようになったところで、また平和になったってわけ。
血統は何度か入れ替わってるけど、豊臣が最後までトップだったのは凄いと思う。
- 387 :
- >>380
遅レスだが松前は大幅加増された後に最上の残党を上手く使った
権限をかなり設けたうえで奉行職に置いて早期に領地経営を安定させている
信憑性は微妙だが松前と柿崎に分かれた時の松柿騒動でも共倒れを防いだって逸話もあるしな
- 388 :
- 家臣を融通して相手方で活躍させている面白い事例があった。
誰も無能という感じはしないけど、適材適所なのかと考えちゃうね。
豊臣→大野に朝倉在重(大野が浅井に改姓後も朝倉の末裔として厚遇。)
島津→千瀬に菱刈重秀(蝦夷開拓で菱刈地方の長となる。)
千瀬→風魔に木俣守安(のちの木俣、狩野という風魔の二枚看板の生みの親。)
尼子→豊臣に多胡重信(政権から秀秋恩顧大名への橋渡し役に。)
大谷→生駒に織田信吉、長次(一時は病死を偽って難を逃れ、織田の血脈を守る。)
探せばもっといるかも。
- 389 :
- 人材マニアには嬉しいメンツだ
朝倉と木俣は徳川にいたこともあるのにどうして活かせなかったのか
- 390 :
- >>378,378
で思い出したけど、家康が今川家の人質時代に親切にしてもらっていた今川氏真が、江戸夏の陣の鎌倉で討ち死にしてるね。
家康は義元死後の今川家を裏切り離反してるけど、氏真とは不思議なぐらい仲がいいんだよな。
この人質時代の資料が江戸夏の陣で散逸したのが惜しい。
浅井(大野)治長の軍師の小幡勘兵衛が書いた甲陽軍艦には、幼少の家康に軍事の手解きをしたのは武田信虎であると記されてるんだけど、これも大坂大空襲で裏付ける史料が焼失しちゃって事実かどうかわからなくなってる。
家康はつくずくツキが無い。てかB52のバカ野郎め(ToT)
- 391 :
- なんで家康についたのか分からないが、江戸で輝きを見せる将も多いよな
流石は犠牲を出しながらも1回は力で押し返しただけはある
- 392 :
- >>390
今川氏真については、最愛の妻が他界した後なのが涙を誘うね。
かの足利義輝を彷彿とさせる戦いぶりで、先鋒の吉川広家も肝を冷やしたそうだ。
もっと資料があればなぁ。
- 393 :
- でも菅沼遼太郎は、笹の才蔵や槍の半蔵と一緒にスルー。
「戦の世を望む老将の怒号が、武家の源流をたたえた古都に響く。」って文はあるが、
氏真は戦の世は望んでないから大名の座を退いただろと。
相変わらず涼虎や義信ら新世代が嫌いだからって、冬は豊臣の描写が少ないし
江戸の陣の全体をもっと詳しく書いた書籍が欲しくなるわ。
- 394 :
- 江戸合戦屏風絵にも、この最期の時点では死んでたはずの氏真の活躍がかかれているね。
さすがに嘘だと思うんだけど、鎌倉砦に押し寄せる大坂方の兵の首を片っ端から叩き落として、その首を蹴り付けて敵を何人か倒したって記録がある。
屏風絵では吉川広家が首を顔面にくらってのけ反ってる場面がはっきりとw
この嘘臭い話しが講談になり、ちょっと前のイナズマイレブンてアニメじゃウジザネシュートなんて技が出てきて苦笑したよ。
ゴールマウスじゃなくてゴールキーパーの顔面狙うヒデー技だった。
- 395 :
- ウジザネやノーボーン、オオヅツはエグいから放送出来ないんじゃね?って思ったら
演出がマイルドになっていて大丈夫だったみたいだ。
ただしやっていることは変わらんから、キーパーをゴールに串刺しにしたりしているわけだが。
まあ殺傷力高そうなシュートが許されてオフサイドは反則の世界だから、
こういうもんと考えたほうが楽なのは仕方ないわな。
- 396 :
- 北軍が秀頼へ加勢してたら支離滅裂になってたな
- 397 :
- 北軍ってジパング?
それとも千瀬?
- 398 :
- >>397
>>396の文脈からすると伊達のことだとは思う。
一応は南津事件の収拾がつくまで動けないって名目だった。
でも実際は江戸仕置の時期から既に、前田らと密約をしていたみたい。
実際に諸大名が消耗したことで一番あいつらが得をした。
- 399 :
- 那須や佐竹が強制的に召集されているのに温度差がひどいわ
特に佐竹なんて信之に押されて壊滅したせいで笑い者にされてるんだぞ
- 400 :
- >>393
土方謙作の「莚」がオススメ。
伝記物ではなく群像劇なのに、中身の厚さが半端ない。
ちゃんと小田原や川越の戦線もあるし
江戸仕置時代の新世代の描写は、この本が一番詳しいと思う。
- 401 :
- 土方さんの描く武将は人間味があるけど一般人のイメージにはならなかったな。
本人が小説として楽しんでって大々的に言っていたから?
海外じゃ愛羅親王記とか草原の英雄王が翻訳されて人気なのに。
- 402 :
- >>388
木俣守安は北条旧臣の狩野家の生まれで、小田原征伐の後に叔母に引き取られて木俣姓になるんだが
どうやら狩野家の再興をしたいということで、自分から千瀬に暇を願い出たとこで、縁のある風魔を紹介されたそうだ。
姓を戻せば木俣家が断絶するし、両方を存続させるために移ったんだろうな。
- 403 :
- ややこしいうえにつまんねぇスレだな
- 404 :
- >>401
土方は脚色が多いってイメージが日本じゃ定着しているからな
大体は菅沼派の偏見や風説流布のせいだが
- 405 :
- >>403
複雑に利害関係や心情が絡んでいるからこそややこしいんだろ
それを乗り越えてこそ生きることが出来る
まあ政権末期に欧米と組んで派手に暴れた龍馬や長宗我部が好きなお前には
到底分からないことだろうが
- 406 :
- >>405
まぁそう言うてやるな。
龍馬や長曽我部が好きでも単純な人間とは限らない。
まぁ、関ヶ原で東軍について土佐に流罪になった山内侍のたちの子孫の魅力にゃまけるけどね。
維新回天の快男児板垣退助や、土佐勤皇党の首魁後藤象二郎の三文字切腹とか涙なくして読めないよ。
菅沼遼太郎の「退助がゆく」で凶刃にたおれた退助の最期の言葉
「板垣死すとも自由は死せず」
で子供のころボロ泣きしたなぁ。
大人になってから、アレがほとんど作り話だと知ってもっかい泣いた。ひどいや菅遼(ToT)
- 407 :
- >>406
すまん熱くなってたわ
甲斐に改易される前の長宗我部の横暴を知らない節に腹が立っていた
山内の家臣は末期も激動だったよな
今まで面倒見てくれた安芸が難癖つけられて取り潰されたことをきっかけに
時代を変えるほどの風を吹かせるとは恐れ入ったわ
最後まで壊滅せずに勤王党が報われてほしかったがこれも天命か
- 408 :
- 長曽我部も信親が九州征伐で死んでなければああはならなかったんだろうけど…
四国という狭い天地
その中で最強の武力集団
改易までは曲がりなりにも順風満帆
二代目は合戦狂の盛親
とこれだけ揃えば夜郎自大のスーパーエゴイストが一丁あがって当然かもね。
結局甲斐に改易されても病はなおらなかったんだろ?
- 409 :
- >>402
その時期は「武士の男子は嫡男のみ」って、千瀬が縛っていたよね。
やっぱり例外は示しがつかないから出来なかったのかな。
当の千瀬自身が子沢山だったから、どのみち説得力がないんだけど。
>>406
菅沼=忠実と思って読んでいると結構ビックリするよ。
講談出典どころか、独自見解のものを結構ストーリーに練り込んでいる。
まあ面白いと言えばそれまでだけど、ゲームとかにも影響しているから感慨深いね。
- 410 :
- >>408
一回石田に素行を指摘されて、家臣の諫言もあって落ち着いたのに
江戸では覇気がない、内通しているとレッテルを貼られて爪弾きにされたよ。
せっかく帝王学を学び初めて冷静になったのに、これには同情する。
甲斐に行った後に悪化したのはそれが原因だろうね。
- 411 :
- 長宗我部盛親は菅沼遼太郎の本では破天荒というバイアスかかってるのが解せん
井伊直政以上のキチだったのに都合よく書きすぎ
土豪狩りや私設遺水軍による関税徴収というコンボもひどいわ
危機を察した西園寺の遺臣が毛利に逃げ込んだことだけは評価できるがな
活躍したのは尼子のもとでだが
- 412 :
- 大谷はそんな長宗我部の暴走を抑えるために、仙石を送ろうとしたことがある。
それはまずいと石田と長束に止められたのは言うまでもない。
- 413 :
- ほんとうに送られていたらどうなっていたんだろう?
「この野郎殺してやる!」
なのか、それとも
「あなたが兄貴を捨て殺しにしてくださったおかげで後継ぎになれました。ありがとうございます」
なのか?
- 414 :
- >>413
同じ性格クズの直政と仲が良かったし、なんか意外と気が合いそう。
少数精鋭で暴れるのは得意で本人も武芸に秀いていたり
暗殺大好きってとこが似通っている。
- 415 :
- >>409
十四部族に息子たちを継がせるなんてマトモな奴じゃ考えすらしなかっただろうな
相手も受け入れるかも分かんないのによく成功したもんだわ
- 416 :
- 14の有力部族の娘を娶って生まれた子をそれぞれの族長にするとか、力の入れどころが間違っているよね。
時間もかかるし、当時の千瀬にしてみたら馬鹿にならない出費の政策だから反対も多かったみたい。
そのせいで一時期はかなり困窮していて、家臣ら総出で漁や耕作を行ったり、男子の数を制限したりと色んな手を打ってる。
でも嫁いできた娘たちを通じて部族から信頼されて、色んなものを恵んでもらえるようになり
暮らすことには困らなくなったって棚ボタは凄い。
言語や伝承、生活を本にまとめて、彼らが蛮族という印象を払拭したのも恩返しの一環かな。
- 417 :
- 同じ多妻でも色々と問題のあった浅野とはえらい違いだ
徳川ってどうなんだ?子も室も多いのに逸話が全然ないんだが
- 418 :
- >>417
後継ぎのためだけに奥を持つ大名も多いから、ひどいとこは記録すら残ってないぞ
戦場には風習で連れていけないし、代役となる小姓のほうが愛されるケースも少なくはない(代表的なのは蘆名盛隆とか)
徳川家康もその節がある
側室は経産婦をかき集める合理的な手段を取っている(流産や死産が少ないとのこと)
その反面、小姓だった井伊直政には惚れ込んでいて、元服をかなり遅らせてまで側に置いたようだ
- 419 :
- 記録に残っている市とかは悲劇のヒロイン扱いにされてるしな、もっと悲惨な所なんて山ほどあるがね
- 420 :
- >>417
家康なら事実上の正室と言われた阿茶かな。
江戸の陣に至るまでのノラクラとした家康の外交方針を、ヌケヌケと実行した面の皮の厚さは評価する向きもある。
家康が寄進した方広寺の鐘銘
「国家安康 君臣豊楽」
なんて、
「家康が国を安々(易々)と懐に入れ、豊臣をひっくり返してやる」
ていう、どう見てもクーデター宣言にしか見えないものなのに、「誤解だ言いがかりだ」の一点張りだからね。
言いがかりなら五山の高僧がこぞって支持するわけないじゃない。
それでも関ヶ原で人材が払拭しちゃった感のある徳川家では、注目してよい人材だった。
最期は燃え盛る江戸城天守閣で家康とともに自害か。仕える相手を間違えたな。
- 421 :
- 阿茶って夏の陣で狼藉を働いた浪人を見逃すよう献策したんだっけ?
結果論だけどそれが受け入れていたら
冬の陣の戦力不足や士気低下がない状態でワンチャンあったかもな
- 422 :
- うん。それでも阿茶が取りなして救えたのがいて、そのうちの一人が塙団衛門です。
後に鎌倉砦で、吉川広家率いる毛利の大軍にかこまれて絶望的状況の今川氏真を、自分の手勢800だけを率いて救援に向かい討ち死にしました。この為に戦国のデビー・クロケットなんて呼ばれたりもするね。
彼の行動から無謀だけどなんだかかっこいい事をすることを「塙事を成す」と言うようになった。
これが海外に伝わって無茶なことをして一人前になった証明する成人儀式「バンジージャンプ」が生まれたんだよ。
- 423 :
- 江戸の陣は豊臣への不満分子が最後に意地を張って死に場所を見つけただけだからねえ
それでも講談によくある信之の最後の突撃は好きだけどな
映画で本陣手前て食い止めた信繁との一騎打ちを見た時は泣いちゃった
- 424 :
- カンボジア王国から帰化したライライ・サン・ヨーの謡曲「真田丸」でうたわれた名場面だね。
「我は官軍 武田の屋形(信玄) 迎うる六文兄とては 謙信勝れる 真田の幸村」
来年の大河は「真田丸」らしいけど、この兄弟対決ちゃんと予算かけてやってほしいな。
- 425 :
- >>423
その本陣突撃だけど、秀頼公に前線近くに陣取るのを宗是が進言したせいみたい。
玉縄あたりで高みの見物をしていれば安全だったのにね。
宗是は中心だから内通はしていないと思うけど、なんか不自然だ。
- 426 :
- >>425
×中心
○忠臣
信之と信繁役にダンディな人選をしてほしい。
一応江戸では50行っているんだから。
- 427 :
- 和久はあまり知られてはいないが、伊達に付けられていた時期がある
そこで何か毒された可能性は否定できないだろうな
中央に戻っても石田らの台頭で居場所が失われていたわけだし
- 428 :
- >>421
せっかく夏の陣は牢人の奮闘で勝ったのに、つくづく判断を間違えているのが徳川らしい
乱取りが中途半端なせいで、牢人も満足しなかったし、関東に縁のある武将の反感も買うはめになった
- 429 :
- 夏に34万5千なんて数の兵を集めちゃったせいだけどね。
そんな数は養えないし、食いっぱぐれや盗賊みたいなやつまでいる始末。
もう乱捕りにならざるを得ない状況さ。
でも兵をかき集めないと決起もできないだろうし、関ヶ原で負けた時点で徳川は詰んでいる。
- 430 :
- 当時の日本の人口から考えて34万5千はないよ。いいとこ10万越えぐらい。
豊臣方の50万も誇張だろうけど。
最初は小手調べぐらいの動員で、戦力比は2対1ぐらいだったんじゃないかな?(帝国陸軍参謀本部による推定)
この為に豊臣は不覚をとって引き分け講和なんていう、なんとも締まらないことになるんだけどさ。
結局、養いきれない浪人衆が武蔵の巷で狼藉をやらかしてしまうわけだから、秀頼のブレインたちはクールというかドライというか…
有名なのは織田有楽斉配下の大砲奉行の永井フランクが、有楽斉本人と誤認されて岩見重太郎に襲撃された、有楽事件こと「有楽殿出会いましょう事件」かな。
蛇足だけど永井フランクって洗礼名かと思ってたら、フランキー砲から取ったらしいね。
- 431 :
- 浪人の振る舞いに「義侠を欠いた鬼ども」と風魔が激怒したそうだ
主に徳川を狙う義賊として活動していたし美学というかプライドがあったのだろう
氷川神社の武笠氏も反発の意を込めて徳川からの書状を破っている
- 432 :
- >>430
その推定の写本を見たけど、どうやら家康は総指揮秀秋と想定して戦を起こしたそうだ。
無茶な戦線拡大や兵力は救援に来た大阪方を釣るためと見られている。
確かに秀秋なら乱取りの暴挙を止めるため、即座に兵力をを投入しかねない。
秀頼や三成にその手段は通用しなかったようだけど。
- 433 :
- >>419
千姫の末路も可哀想だ
太閤秀吉の要望どおりの縁組みという恵まれた状態から
夏の陣の後にスパイの疑いをかけられて強制離縁(失態の穴埋めとの噂も)
父の秀忠にも受け入れを拒否され、最後は刺客に討たれたという尋常じゃない転落っぷり
- 434 :
- どうして黒田は実力あるのに運が微妙だったんだろうか
如水は関ヶ原の早期決着で目論見が崩れ、長政は宗茂と豊久に敗北とは
- 435 :
- そもそも実力があるっていう根拠は?
息子は関ヶ原であのザマだし、親父だって天才軍師竹中半兵衛の引き立て役じゃない。
本能寺の時の中国大返しで全身忠義の塊の太閤様に「天下を取れ」なんて言っちゃう馬鹿タレだよ。
確かにその後太閤様は天下を取ることになっちゃったけど、それは明智退治の大手柄に嫉妬した柴田や三七郎が攻撃してきたり、せっかく織田家の後見人として立ててあげてた信雄がバカやって歯向かってきたのをたしなめてきた結果にすぎないからね。
ほんとは三法師が成人したら天下をお返しするつもりだったんだけど、相手が遠慮して受け取らないから、しょうがなくそのまま豊臣家が天下を預かることになったんじゃない。
だから太閤様は織田家の血をひく秀頼公の誕生をあんなに喜んだんじゃないか。
- 436 :
- 太閤様の忠義は100%信長個人に対するもので織田家には微塵も向いていなかったとか
だから信長のやってきたことを無駄にしないように天下を目指したそうな
- 437 :
- まあそう言ってやるな。
結局寝返って黒田は家を守るどころか、加増までされる優遇措置を受けている。
九州に親父が左遷された分のツケって民に皮肉られるようなものだが。
しかしまあ織田家の遺伝子ってどういうことなんだろうな。
確かに秀頼は相手の裏をかくクレバーさがあるが、信雄みたいにアホの子エピソードが結構多い。
おかげで色んな媒体でもネタにされる始末。巨漢で武芸も精力も優れているストロング系の君主だったのに。
- 438 :
- >>437
政権を牛耳ろうとした馬鹿を自滅させたり
豊臣なしでは殆どの地域は生きられなくしたりしている時点で相当のやり手
性格とか陰鬱に語り継がれなかったし上出来じゃないか?
- 439 :
- >>431
川越戦線での風魔は、無双といっても過言ではなかったからな。
まさか半世紀以上も後に再び夜戦で大勝するとは、かの北条氏康も想像できなかっただろう。
- 440 :
- >>439
それより驚くのは出世ぶり
だかだか3千石の集団がこの功で伊豆5万石まで手に入れたうえ
北条繁広を筆頭に旧北条勢を引き入れている
これで人手不足は解消して領地経営も円滑にできた
明教の政変後の混乱で念願の小田原も奪取
独立する穴山義信の知行を差し引いても22万石とは恐れ入る
- 441 :
- 5000→30万に爆上げしたせいで統治できず失敗した例もあったよな
- 442 :
- 木村吉清のことかな?
元はといえば明智家臣だったから、潰す口実が欲しかったんだろうね。
佐々に似ているけど、こちらは伊達に潰すよう働きかけていた可能性がある。
息子のジョアンに至っては豊臣への忠義は0だろう。
すぐ小西、伊東と組んだことからして、明らかに政権転覆を予見していた。
- 443 :
- >>411
西園寺については輝元が無能だったのも大きい。
無能と決め込んで一人扶持しか与えないとか半ば捕虜みたいな扱いだからな。
だから尼子頼久は労せずに奴らを家臣にできた。
- 444 :
- >>440
風魔のゲリラ戦は他の誰にもできないからね。功績にプラスしてその芸術を讃えての5万石なら決して過大ではないよ。
まねができないついでにもう1つ。
不遇をかこっていた北条繁広を伊豆の城に迎えたとき、風魔小太郎をはじめ元の家臣たちが城門前で平伏して迎えたっていう美談。
もう立場は逆転してんだけど、歴代の風魔小太郎たちは北条の殿様たちを決して粗略にしなかったっていう話しの始まり。
明治から現代までの修身の教科書にものってるね。
- 445 :
- 風魔をもとにした歌舞伎の演目「風の小仁郎」でも、人徳の篤さが一番の見せどころになっている
相模や伊豆では大衆にまでその意識が定着したことは必然だろうな
- 446 :
- 関東の良い逸話って徳川以外ばかり。
当時からどれだけ嫌われていたか察しやすい。
- 447 :
- 裏切り者も服部みたいに後味が悪いやつがいるからな
江戸冬の陣で伊賀忍者を連れて期待されたのに、三崎城を土産に豊臣方に寝返るという不忠ぶり
おかげで海路から江戸が襲撃可能になって大勢が決まった
でも伊賀を頂いた後は調子に乗って筒井や松永の遺臣を襲ったり
部下の女房に手を出すとかしたせいで、忍者衆のストライキ、藤林による処刑に結び付いた
そりゃあ伊賀者って「デタラメだらけの信用ならんやつ」を意味する言葉が生まれるわ
- 448 :
- >>433
明教の政変の後、秀頼が懇意にした天樹院って尼僧がいるんだけど
それが千姫だったって生存説があるね。
損実かどうかは定かではないけど、ロマンを感じる。
- 449 :
- あの時期に現れた人物は誰かと同一人物とか末裔とか疑惑が多い
箔付けのつもりなのだろうか
- 450 :
- >>448
うん?
その情報古くないか。
天樹院が千姫なのは頭髪のDNA鑑定が今年の初めにでてるよ。江、秀忠、淀の方様の頭髪と共通点が多く、97%の確率で千姫であろうと推定された。
ここから一説には天樹院の隠し子と囁かれた羽柴正之が土佐36万石の太守になれた秘密がわかるようになったんだよ。
豊臣家にゆかりの無い武田家臣の保科家の子が、なんで突然羽柴姓を賜り、長曽我部のあとに土佐なんて大国をもらえるのか日本史の謎だったんだけど、科学の進歩がこれを明らかにしたわけだ。
豊臣秀光と羽柴正之がめちゃくちゃ仲が良かったのも、男色がどうこうじゃなく異母兄弟だったからなんだよ。
- 451 :
- >>450
おお! 確定したんだ!
秀頼は性豪だったのに、天樹院が表舞台に出てからはさっぱりだったのも
昔からの許婚と再会して振る舞いを改めたからだったのかな。
- 452 :
- 保科の検索ランキングが上がったのもそのせいか
今まで成瀬や原より無名だったのが逆転してしまったし
その二人は大して有名じゃないという突っ込みは無しな
- 453 :
- 成瀬正一は貧乏クジを引きすぎ
徳川に編入された武田遺臣をまとめたり、軍式を武田流に改めたりした中心人物なのに
その功績を井伊直政や大久保長安に吸われている
官位こそ貰えたけど待遇がその二人よりも明らかに悪いというね
- 454 :
- >>453
完全に使い潰されたよね。
裏方として働いた成果が本人に還元されていない。
正一は関ヶ原、正成は江戸夏の陣で討たれてしまったから、余計に不憫だよ。
それでも生き残った正則と正虎は穴山小助に拾われたのが不幸中の幸い。
成瀬の陰に隠れて地味だった日下部にほうが、毛利勝永の家老になって出世しちゃったけど。
- 455 :
- >>452
これをうけて売り上げが急増したのが、たいらの太郎のマンガ「風雲児たち」
40年ぐらい前から続く大長編マンガなんだけど、2〜4巻が秀頼、千樹院から保科正之と土佐藩誕生に割かれている。
マンガで保科正之を豊臣秀光の異母弟とはっきりかいたのは初めてじゃないかな?
すごい名君に描写されてる。
- 456 :
- 当時は俗説ばかり有名にするなって学会の老人連中に槍玉に上げられていたのを思い出した
今となっては異母兄弟説をはじめ覆されて通説になったものが結構多いから
割とまじめに歴史をなぞった漫画と呼ばれるようになったのがな
時代を感じる
- 457 :
- 長曽我部が更地にした四国を復活させたから、昔から隠れた名君扱いだったぞ羽柴正之
紀伊畠山氏の滅亡に伴って食いっぱぐれた浪士たちを抱えて、山の切り崩しや運河建設とか大規模工事をやっている
これで土佐の石高が二十万は増えたし、浪人問題も一気に解消した
- 458 :
- さすがに詳しい人がいるなぁ。
羽柴正之から続く開拓事業のおかげで、土佐は額面36万石が豊臣末期には米だけで60万石。
それ以外の収入を加えると100万石前後の国力があったっていうね。
今でも高知県は日本でも一二を争う富裕県だし。
- 459 :
- >>457-458
ケチがつくとしたら、その政策の莫大な費用が豊臣政権から殆ど補助されていることくらいかな。
でも縁故や仲良しによるものと馬鹿にできない成果が出ているね。
特に目を見張るのが宿毛港の整備。
当時は貿易品などは日本海もしくは瀬戸内のルートで運ばれているけど、下関と博多は必ず通らざるを得ず
その近辺じゃ商家が幅を利かせるようになって、代官や地主との癒着がひどかったみたい。
だから南九州〜足摺〜土佐湾〜堺ってルートを作りだして、商家の力を削ぎ落とすことに成功している。
- 460 :
- 安芸と生駒以外が直轄地だったのもデカい
しかも生駒は伊勢に転封されたし安芸は4万石の弱小だから
実質的に四国全土を貰えていたようなもんだ
- 461 :
- それだけに豊末の土佐藩の悲劇が涙をさそうよ。
先祖の勇名はどこへ消えたか腰抜け揃いの豊臣直参をよそに、
京都守護職を拝命した羽柴容保と、長曽我部から受けた屈辱を晴らしてくれた土佐羽柴家へのご恩を今こそ返さんとする後藤象次郎率いる土佐勤皇党の活躍。
京の巷を血に染める、菅沼遼太郎の「勤皇党血風録」や「吠えよ剣」は名著だったなぁ。
まぁ、いつものごとく史実とは…ゲフンゲフン
- 462 :
- 幼君秀政の死によって後継争いに揺れる本家豊臣
政権へいかに食い込めるかを競う縁戚大名
関白や奉行衆の意を汲み取ることのみに注力する直参大名
それらに平伏するも反発を強める弱小大名
もはや中央を枷としか見なしていない島津、千瀬ら独立勢力
維新前は今見ても秩序が成り立っていたことが奇跡のような状態
検地も大名の統制も杜撰そのもの
相模に黒船が現れたことで全てが動き始めたといっても過言じゃないだろうな
- 463 :
- >>462
豊末と明治では各地の石高が違いすぎたもんね。
見栄はって実際より高く申告してたり、その逆をやって裏金作っていたり。
特に伊達なんか、政宗の代から勝手にスペインに従属し続けている。
しかも日本全体の相違として外交していたとか、誰も察していないのが不思議なくらいの失態だよ。
琉球を制圧してましたとか、蝦夷地どころか千島や樺太も掌握してましたとかも大問題だけど
それが大したことないように思えてしまうほどだ。
- 464 :
- >>463
石高の話から脱線しちゃった。
つまり各大名の動きを制御できていないどころか、察することが出来ないくらい豊末はカオスという意味ね。
- 465 :
- 島っていつの間にか消えているが、これってどういうことだ?
あれだけの重鎮が失脚したとしても死亡したとしても
記録が残されるはずなのに、それすらもない
明教の政変までは生きてないだろうが、謎すぎる
- 466 :
- >>462
神代の昔から日本にはいわゆる「強い政府」というものは無かった。
神輿として担ぐシャーマンキングのもと、なんとなく屋根の下にいる疑似家族のような雰囲気的存在が日本であり日本人というものだよ。
その点で天皇家に次ぐ新たなシャーマンキング(の代理人)のポジションを占めた豊臣家は偶然かも知れないが賢明だったんだよ。
相模の黒船だって大した事件じゃなかった。
だいたい鎖国もしてないんだから蒸気船が来るなんて当たり前だし、豊家も別に驚いてもいない。
ペリーとかいうアメリカ人が妙に尊大な態度をとるから、アメリカ大統領に抗議の親書を送り大統領が謝罪してるぐらいだし。
問題なのはこの些細な事件を国粋主義的な倒豊の志士たちが騒ぎたて、270年も続いた豊臣政権を倒してしまったこと。
それまでゆるふわな権力構造でうまくいっていた日本て国が、ナショナリズムを基盤とした国民国家に生まれ変わらざるをえなくしまった。
この結果、日清日露を経て、お互いにやりたくもない太平洋戦争での苦い引き分けと、東南アジアで米英仏蘭を追い出してしまった為に、ベトナムの共産化を防ぐ責任を日本が一身に背負ってしまったことだ。
豊臣政権みたいなのが日本の通常で今が異常なんだよ。明治維新なんかやらなきゃよかった。
あのままふわっとした豊臣の世が続いていたら、日本の若者がベトナムの泥沼で死ぬことは無かったのに。
- 467 :
- 昔のほうが曖昧な中で楽に暮らせられたのは同意
今まで為政者たちが背負っていた重荷が俺たち下々まで背負うようになって
人との間がピリピリする現状には本当に疲れる
だからロシアやベトナムは昔の日本のような国家構造に改革したわけ
- 468 :
- >>466
ナショナリズムへの変遷は仕方ない部分があるかな。
限られたコミュニティで循環させていた米大陸は、暴力の前に文明ごと滅ぼされてしまった。
もっと技術力のあった清もヤク漬けにされて内乱が勃発している。
これを防ぐには攘夷思想のもと欧米を滅ぼすしかないけど、そこまでの力はない。
だから変わらざるを得ないと勤皇党も痛感たわけ。
>>467
二国とも空想的社会主義を掲げているね。
科学的社会主義では限界があるが、自由を求めると責任がつきまとうと国民にまで浸透していることと
資本主義と利己主義が席巻く中でも主張を通せる力があるからこそ出来る芸当だよ。
- 469 :
- 痛感したわけだった
- 470 :
- まあ徳川じゃ今よりもいい状態にはなってないだろう
ろくに関東を統治できないような奴らが国を纏められるわけがない
- 471 :
- >>470
本多忠勝が10人いたらどうにかなったかもしれないぞ。
現実的じゃないが、徳川譜代の中では色んなとこが突出している。
家康に過ぎたるもの名に偽りはないな。
- 472 :
- 本多忠勝ってあまりに有能すぎて、未来人説とかあるよね。
蜻蛉切りは現物がないけど、逸話や使用回数からしてオーパーツ並だから
もしかしたら…って考えちゃうよ。
毛利本隊の進軍の際にも「やはりこうなったか!」って叫んだそうだし
少なくとも超人的な先見の明はあったんだろうね。
- 473 :
- 関ヶ原の前に内応の念書を送るときにも、井伊直政ではなく榊原康政との連署にしてくれって直談判したり
配下が気を利かせようと動いたら無駄なことをするなって叱咤しているのは
凝り性の範疇を越えているというか、筋書き通りに全てをやろうとしているとも受け取れるな
俗説中の俗説だが真相は闇の中か
- 474 :
- >>473
念書の件は普通の人間でも避けたい気持ちは分からんでもない。
井伊の悪行は小牧長久手ばっかり目立つが、奥州平定の際もひどかった。
九戸らの反攻で苦戦している時に、あいつは偽の講和を持ちかけて九戸を捕縛するなんて策をを使っている。
そのせいで皆殺しにしないと決着がつかない泥沼になって、後の東北争乱の遠因になった。
徳川は九戸を侮るなってことで井伊を派遣したようだが、どう考えても逆効果。
そんなやつに内応後の処遇を保証されても、誰も信用しないだろ。
- 475 :
- >>472
超人的な先見の明なんかなくても、敵が真下にいたら降りてくるに決まってんじゃん。
それを無視した家康がどうかしてるだけ。
- 476 :
- こう見ると家康ってつくづく裏切りを過信しすぎだよな
吉川だけで毛利を止められるし小早川にも目附を用意してある
島津や鍋島や立花や長宗我部は東軍に付くって話だから大丈夫と思っていたんだろうか
蓋を開けたらこのザマだ
- 477 :
- >>476
羽柴秀秋は二つ返事をしながら奥平貞治をひっそりと始末
毛利秀元も吉川広家を逆に挑発しまくって嫌々西軍のまま戦わせる有能ぶり
九州大名は最初から二枚舌で結局動かず
これで藤堂に裏切られたんだから戦線が崩壊するわ
- 478 :
- 東北争乱で井伊が火種を作ったようなことってあったか?
エセ九戸事件は必然的に起こった気がするが
- 479 :
- 名跡利用で旗揚げという行動自体は珍しくないよ。
第一次戦国のの北条しかり、第二次戦国の大内や三木しかり。
権力の空白地帯では確かによく起こる。
エセ九戸の問題は、豊臣が名跡ではなく血縁扱いで公認したことと
本物の血縁者が現れてしまったことだね。
担ぎ上げたのが千瀬だったから、余計に問題も大きくなったよ。
- 480 :
- ののって何だ…
- 481 :
- >>478-479
そもそも九戸との講話で戦力差を背景に改易すれば、偽物も現れないだろ。
功と領地欲しさに騙し討ちをしたのがまず悪い。
後の問題は察しのとおり、偽物を置いたせいで千瀬の東北進出が助長されたことだ。
しかも口実となる側室の陸奥姫は、九戸が最も信頼していた櫛引清長の孫娘。だから国人も蜂起して千瀬を助けている。
千瀬を気に入らない松前は偽物を支援したけど、結果は惨敗。
直接の九戸の血族の中野を擁立した時は、松前も勝ちを確信していたそうだが
南部について一族を滅ぼした裏切り者って罵られる存在だったとは考えてなかっただろうな。
- 482 :
- 尼子の独立や豊久の革命も連続して起きているよ
まさに地方の独立を象徴する出来事だね
- 483 :
- 自演か?
- 484 :
- 何で俺のID被ってるんだよ
因みに俺は別人だ
- 485 :
- 原因が野良wi-fiと分かったわ>>481と>482はスマソ
昼時のコンビニ利用者大杉だろ…
- 486 :
- 被っているなら周りを探せばよかった
ID変わっていますが(というか変えないと訳がわからない)481です
同じ理由だとしたら件名表示も通用しないしどうようか
- 487 :
- 直江景明の実力ってどんなもん?
老害化した兼続のせいで影が薄くてイマイチ分からないんだが
- 488 :
- >>487
病弱で義弟二人に冷やかされているけど、頑張った方だね。
真田との戦いで大敗して、浮き足立っていた家中をまとめている。
父の死語は陪臣には重すぎると十万石の知行を返納したのも、賢明な判断かな。
義弟は両方とも増長したせいで追放されちゃったし。
- 489 :
- >>486
本当に自演だったら菅沼遼太みたいにドブ臭くてすぐ分かるわ
あんま気にするとレスできなくなるぞ
- 490 :
- 結局のところ、家康はどこで選択を変えたら良かったんだろうか
現状では関ヶ原に来た時点で詰みって研究が多いし
- 491 :
- そのまま五大老筆頭を勤めあげればそれでよかった。
秀吉死亡の時点で中央で政治力を持っていた大老は徳川家康と前田利家の二人だけ。
利家が間もなく死ぬことを考えれば、家康は秀頼の舅爺なんだから、なにもしなくても秀頼成人まで権力を維持できた。
その間に自分にほどほどに都合のいい婚姻政策でもしていれば、天皇家に対する藤原氏の立場になれた。事実上の天下様だ。
結局はなにもかも手に入れないと気が済まない家康の強欲さが破滅をまねいた。
毛利や石田は、家康が上杉攻撃の私戦を始めたとき、しめたと思ったろうね。よって最初の段階から戦をしない方針でやり直さないと、戦名人の揃った豊臣軍相手に勝ち目は無かったと見ている。
- 492 :
- 家康は戦下手なんだよな、結局。
まあ三成も似たようなもんだが、ギリギリのところで天運が三成に在った。
個人的には少数ながらも大奮闘した
吉継や島津の功績が大きかったと思う。
- 493 :
- >>492
関ヶ原で我先に喧嘩を売った直政と忠吉を生け捕りにしたのが大きい
義弘の釣り野伏せにまんまとかかって東軍は士気低下
出し抜かれて先陣を切れなかった正則に至っては戦意喪失して後退している
これで前線が崩壊したとこに秀秋と秀元が加わり勝負が決まった
あの戦自体を起こしたのは三成だが勝利は西軍についた大名たちのおかげだ
- 494 :
- とんでもなく被ってしまったみたいだな。
>>490
鞍替えという観点で絞ると、三回ほどチャンスはあった。
三方ヶ原で武田につくか、本能寺の変で明智につくか、秀次事件で露見する前に秀次につくかだ。
どれも関ヶ原よりも主権を握ることができる可能性は高いと踏んでいる。
武田信玄も明智光秀も高齢で、前者に至っては三方ヶ原の後に病死するのが確定。
豊臣秀次は福島正則にすら馬鹿にされる器量のなさで、謀反の功で重用されればこちらのもの。
にも関わらず保守的な行動を貫き続けて機会を逃し、わざわざ自身の手駒以外の力がいる関ヶ原を選んだのは疑問が残る。
前田利家なき後、新世代の台頭を恐れたがゆえの保守的な行動の成れの果てが、あの大敗なのかもしれない。
- 495 :
- 大大名になれたのに更に上を目指せる機会があって、全てふいにしているのは
よく考えたら毛利輝元にも似ているよね。
畠山や小西みたいに、常に賭けに出て大きくなったとことは毛色が違う。
- 496 :
- 小西行長は手口さえ真っ当なら人気な武将ランキングに食い込んだ
商人の子からジパング同盟の創設者まで大出世したうえ生きてる間は島津にも無敗
でも朝鮮出兵で明に臣従したり宣教師の人身売買を利用したのは致命的だ
再評価されることは二度とないだろうな
- 497 :
- >>496
おれグラナダ産まれだからジパング同盟と言われてもチンプンカンプンなんだ。
誰か説明頼む。
- 498 :
- >>497
九州に固まっていたキリシタン大名集団と、伊達が組んだ同盟だね。
火薬や武器を大量にこさえていて、周囲の勢力からもすごい恐れられている。
明教の政変の余波で豊臣も手出し出来ない時期に組んだのも、まさに策士と言う感じ。
結局は方針がバラバラで5年くらいで決裂したから、史学系を専攻していないと教科書にも載ってない。
戦国時代は基本的に省略して平和な時期を長く学ぶ影響をもろに喰らっている。
因みにスペインやイタリアの日本人街は、ジパング同盟の使節団が定住化したものも多い。
伊達が豊臣を出し抜いてスペイン従属の条約を結んだのは負の遺産だけど、こういう面では役に立ったよ。
- 499 :
- 因みに進学校レベルの日本史でも、豊臣以外に取り上げられている大名は少ない。
第一次戦国は織田と徳川、第二次戦国は古河足利と秀秋小飼の御三家くらい。
試験にもこれ以外は使われにくいようだよ。
だからこの時代の教え方によって、講師が戦国ファンか否かが分かるね。
違う場合の講義で学んだら、応仁の乱が戦国の始まりだったと分からなかったり、すぐ秀吉が天下統一したと思っていたりする。
- 500 :
- >>499
今川義元が織田信長のかませでしかないのが教科書だしな。江戸の陣で真田信之と一緒に奮戦して最後は徳川秀忠の切腹する小屋を守って討ち死にした息子の今川真氏なんて欠片も出ない
- 501 :
- 後北条と鎌倉北条、室町足利と古河足利が一緒だと勘違いしているのが一般では多いな
- 502 :
- そういえば江戸の陣で一番活躍したのって誰なんだ?
大抵は真田信之が押されるけどもっと活躍した武将がいる気がする
- 503 :
- 夏の陣に限れば藤堂高吉。
たった2000の手勢で、本多忠朝の25000の軍勢を瓦解させている。
最後は数の暴力に屈して捕縛されたけど、一番槍に恥じない活躍だと思う。
- 504 :
- 真田、藤堂、今川かな
今川氏真が剣豪に恥じない無双っぷりで、義元を越えたと賞賛されていたね
- 505 :
- >>502
徳川方は江戸の志士を挙げれば外れはない
逆に豊臣方では夏冬通してそれなりだった将がいないのが悩みどころ
蒲生や佐竹や池田など醜態を晒したやつなら豊富なんだが
- 506 :
- そりゃしょうがない。もうすぐ泰平の世が来るのに、どん詰まりの徳川なんかと刺し違えられちゃたまらない。
よく徳川侍が強かったって言う人いるけど、日本中に逃げ場の無い死兵集団だから死にもの狂いで戦っただけで、ほんとに優秀だったら関ヶ原の敗北から江戸の陣までの間になんとかしてるって。
- 507 :
- 江戸の陣での江戸方は、徳川への恩義とかよりもとも豊臣の治世に馴染めない侍達が死に場所を見つける最後のチャンスだから、派手に死に花を咲かせようってのが多かったんだろうな。
- 508 :
- あの時に第二次戦国が開幕するとは誰も思ってなかっただろうね。
毛利の乱じゃ石田方も毛利方も覇気がなくて、今でいう消化試合のような有様だったって覚書ですら指摘されている。
会戦よりも水攻めや荷止め、乱取りが目立つ戦いとはいえ恥ずかしいもんだよ。
だからといって江戸の陣で徳川方に加担した浪人が第二次戦国で活躍できたという仮説は微妙かな。
どいつもこいつも年を食っているのに、明教の政変はその15年後。
常識的に考えて肉体が限界だろうし代替わりしたと考えても親並みの実力があるとは限らないからね。
- 509 :
- 割と江戸で善戦したはずの上杉なんか権力闘争や他大名との関係悪化で没落して伊達に抜かれちまったし、誰が台頭するかなんか分からんな
- 510 :
- 箱根攻略の時に活躍した内ヶ島工兵隊とかな・・・つーか内ヶ島って地震で壊滅してたんじゃないのかよ
- 511 :
- >>510
山下大和守って内ヶ島の末裔が、内ヶ島氏秀と名乗って御家再興を果たしている。
箱根攻略の山越えも山岳地帯出身ならではの手際の良さだろう。
元は徳川に仕えていたのが足を引っ張って大成ができなかったのが歯がゆい。
今でも家が存続していることは救いか。
- 512 :
- 関ヶ原から逃走した家康の敗残軍と合流した秀忠軍が
勢いづいた宇喜多や毛利軍の追撃をかわしきれないとはな。
仮に東軍が勝っていても秀忠なら徳川も二代目で没落してただろうな。
- 513 :
- 秀忠の軍勢は数がいるけど、真田と井伊くらいしか実戦経験豊富な将がいないからね、そりゃ百戦錬磨の宇喜多、毛利、大谷とぶつかったら蹴散らされるわ
- 514 :
- 別働隊にいたのは井伊じゃなくて榊原
関ヶ原からトンズラした井伊が合流したって話もあるが信憑性は薄い
なんにせよ「虱潰し」と大谷に皮肉られるほどの圧勝だからどうでもいいか
- 515 :
- さすがに史実ではないと思いたいが
秀忠が家康をほったらかして逃げたって話には笑えたよなw
仕切り直しのためには若年のそれがしが生き残らねばって言ったとかw
- 516 :
- そもそも家康は何を考えてこんな無謀で強引なこと始めたのかね…
関ヶ原に至るまでの過程も無理筋だし
関ヶ原の東軍陣形もめちゃくちゃ。
いくらなんでも三成や毛利、宇喜多を舐めすぎだろ。
自分の中では関ヶ原前までの家康は慎重で忍耐強い印象だったが
関ヶ原に関しては凡将以下の基地外沙汰だったとしか思えん。
- 517 :
- そりゃそうだ、家康は当時ならいつ死んでもおかしくない高齢。対して秀頼公は若輩ながらすでに天下人として立派に采配しているし、周囲には三成を始め次世代の武将が補佐。これで焦らない方がおかしい。後見の利家が死んで最後のチャンスと思ったんだろうね。
- 518 :
- 三成が同じような理由で焦ったのが感慨深い。
自分が生きている間に地盤を固めようと諸大名を次々と改易したのはいいが
結局は反発した前田によって粛清されてしまった。
諸侯を信頼しないがゆえに逆に信頼されなかったのは因果応報か。
- 519 :
- 家康や三成は寿命との戦いでもあったわけで
両者とも焦燥感にさいなまれて自滅的滅亡へ向かったのは興味深いよな。
家康も仮に関ヶ原で勝っていても
1605年〜07年あたりには寿命尽きていただろうし。
そういう意味で戦国に於いて若さは重要な武器だわな。
- 520 :
- >>519
若さと長命は非常に重要。
第二次戦国で地位を確立した武将は大抵若いし、頭角を現したのも結構早い。
島津豊久(1570)、尼子頼久(1585)、千瀬凉虎(1591)の御三家でも、この分類なら割と年を食ってるほうで
これより下の真田幸昌(1603)みたいに関ヶ原の後に生まれたやつも多い。
全員20〜30代の時点で大名として出世しているのも同じ。
織田信長や徳川家康も若くして家督を継いでいるから、第一次戦国でもこれは当てはまっただろう。
- 521 :
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- 522 :
- 秀家は若かったけど好機を逃したのが運の尽きか
せめて百万石に胡座をかかず秀秋か秀頼の懇意になっていればよかったものを
- 523 :
- 詰めの甘さはどうしょうもない。泥水を啜ってでも成り上がった直家の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいが。
- 524 :
- 直家の爪は苦そう
戦国全体で見てもあそこまで恐ろしい人物は少ない
- 525 :
- 直家の爪は苦そう
戦国全体で見てもあそこまで恐ろしい人物は少ない
- 526 :
- >>523
宇喜多直家は惜しいところで亡くなっているよね。
もう少し長生きをしていたら、絶対に織田内部に食い込んで地位を築いていると思う。
蒲生氏郷も関ヶ原前くらいにいたら徳川も動きづらかったかも。
徳川はそういう惜しい人物がいないから微妙。
関ヶ原もあれ以上の伸びしろが見当たらない陣容だし、あれが限界だったんだろうね。
- 527 :
- 蒲生氏郷と前田利家が生きていたらそもそも関ヶ原は起きなかったと思う。いくらなんでも動けないだろう
- 528 :
- 上杉私伐が蒲生私伐になるだけで、あの欲深タヌキは必ずやらかすよ。
- 529 :
- ならばその時こそ上杉佐竹は動くだろう
- 530 :
- 蒲生が会津に健在だと越後も上杉が据え置きだから、家康が欲望をむき出しにしたら江戸がペンペン草も栄えないような焦土になる。つまりは関ヶ原を起こせても江戸の陣はなくなるだろうな。
- 531 :
- 利家が生きていたら東軍についた豊臣恩顧が動かないから
関ヶ原自体は起きてないだろうな。
利家逝去待ちになったんだろうか。
なかなか利家が逝かなかった場合は家康はずっと待ってたのかね。
- 532 :
- 毒マンジュウが仲間になりたそうに家康を見ています
- 533 :
- >>532
よほどの馬鹿じゃなきゃ毒見役が犠牲になるのが関の山。
なお正宗の毒薬にまんまと引っ掛かった定勝
- 534 :
- 政宗さんは一度痛い目にあってから自分の食い物は自炊するようになったからな、調理前の材料を食わされる毒味役カワイソス
- 535 :
- 毒といえば秋月家が処刑方法にふぐを用いていたな
部位ごとの毒の有無が細分化された功績はあるが人体実験だよなこれ
- 536 :
- アイマスていうアイドルグループの秋月律子が秋月家のお嬢さんらしいな。
ふぐ料理のレポーターやってて毒にくわしいのなんのってw
- 537 :
- 誰かが生きていればというより、正信が早死にしていれば徳川はもう少しましだったかもしれん
あいつがいなければ余計な詮索をされる策もなくNo.2として地盤を固めた気がする
- 538 :
- 前田利家が豊臣家を滅ぼし前田幕府を作ってた説
- 539 :
- 家康と正信が早死にして、秀忠にスムーズに家督と実権が移っていたら案外大大名として残ったかもしれないね
- 540 :
- 秀吉の生前に家康と正信の妖怪コンビが死んでたら、領土をだいぶ削られたんじゃないかな。蒲生も丹羽もやられてるし。
逆に秀吉の死の前後に死んだとしたら、若いとはいえ律儀な秀忠は秀頼の義父として頼りにされていただろうに。
江戸の陣後に信州松代5万石に転封。有能な人なのに、とうとう表舞台に出られなかった。
秀忠諸法度とか松代諸法度とか言われているものを知ってる?
秀忠が自分が天下を指導できる立場だったらと嘆きながら作った、武家、寺社、禁中並びに公家に対する法令書なんだけど、実に見事なものなんだよね。
これが維新を経て明治政府が誕生するまで死蔵されてたんだよ。
石田や大野兄弟、木村重成なんかが天下の法制をどうしようかと頭を痛めてたときに、秀忠がいてくれたらな。
これは日本国の損失だったと言いきれると思うな。
- 541 :
- 前田利家、利長親子や徳川秀忠は自発的に動かないタイプだから
2トップが豊臣に従順という政治のやりやすい体制になるかもしれない
君主も欲があるうえ宰相はそれに輪をかけてひどい上杉、毛利はいつか爆発するが
征伐という形で丸く収められると踏んだ
- 542 :
- 安国寺も大大名で満足せず中央政権を利用していたからな
こいつが石田襲撃を唆して関ヶ原のお膳立てした説もあるし油断ならないわ
- 543 :
- 安国寺も大大名で満足せず中央政権を利用していたからな
こいつが石田襲撃を唆して関ヶ原のお膳立てした説もあるし油断ならないわ
- 544 :
- 大事な事なので二回書きました
- 545 :
- 毛利の乱じゃ釈明文を出したり秀元に降伏を提言しているし、引き際は弁えてるってイメージあるな安国寺は。
それでも結局は滅ぼされて安国寺も切腹とは世知辛い。
言いがかりを付けられたら最後、どんな手を使ってでも潰されるって諸侯に警戒されるようになり
前田の決起を促すには十分すぎる事件だった。
- 546 :
- 大谷さんの不義にならない裏放り方には脱帽する
最初に喧嘩売った脇坂とは秀頼の関白就任まで関係をこじらせず石田に鞍替え
改易魔になった後も批判そらしのために利用しつつ明教の政変の際に前田について鞍替え
陰りが見え始めたとこでフェードアウトして主犯前田に協力者宇喜多という専横体制を破壊
その後は豊富政権の大老筆頭を保ちつつ豊末は藤堂らと共謀して革命開国とか凄すぎ
- 547 :
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- 548 :
- >>546
そこまで出来たのは、大谷吉継が畿内のパイプを握っていたからだろう。
おまけに仏教勢力とも近しいために、庶民に悪評が広がることを恐れず行動が取れたのも大きい。
畠山の時だって専横や言論統制があったにしろ、筋が通っていた畠山のほうがタコ殴りだし
歴代関白すら大谷の意向を聞かなくては政治が出来なかったって話まである。
歴史マニアじゃないと「大谷=真人間」って認識であることも含めて闇が深すぎるな。
- 549 :
- >>541
上杉の反発は自業自得だから擁護不能。
蒲生氏郷の早世を期に会津転封になったのも、日本海貿易のボロ儲けを隠して石高を過小申告したことが原因なのに
いざ移ったら越後に帰りたいだの何だのとみっともないことを抜かす始末。
直江の老害化も諫言する家臣を次々追い出していったのが悪いし、どう転んでも争いの火種を作るだろう。
- 550 :
- 日本海貿易ってそんなに収入良かったの?
経済制裁の時に日本海貿易の海上封鎖とか禁輸とかやったらしっぺ返し食らったのしか分からない
- 551 :
- 謙信の時代が最盛期で無茶な出兵しても気にならんくらい美味しかったらしい。
時代と並行して価値は下がったけど今でも重要な販路だし
これを手放してしまった景勝は何を考えていたのやら。
おまけに堀から越後を奪ったとこで戻ってくるわけでもなく
中継地は商家たち、始点は千瀬、終点は浅井に握られて全部パー。
- 552 :
- >>548
吉継以降の当主の腹黒さは、よく悪役にされる豊久が可愛く見えるほど
風刺の歌舞伎すら公儀権限で中止させたのは
後にも先にも大谷家以外にない
>>551
石高換算で300〜400万石もあったからな
これは秀元が死守したかった下関貿易に匹敵する
すぐ他の大名や商人が食いつかないわけがない
- 553 :
- >>540
秀忠って劉禅みたいに少し前から再評価されてるな
為政者としての才はあるが乱世に生まれたのが惜しいか
- 554 :
- 偏屈な三河者や狡猾な伊賀者を従えるのは骨が折れそうだから
秀忠なら名君になれるというのは過大評価気味じゃ…
- 555 :
- >>549
調べてみたら鰺坂や柿崎みたいな功労者の家系も追放しているのか
これじゃあ直江のイエスマンしか上杉家に残らないな
- 556 :
- 直江兼続本人は、太閤と同じ判断だと思って気にしなかったんだよね。
誰が口出しても聞く耳持たないのも晩年の秀吉と被る。
そのぶん息子の景明は衰退しつつある上杉をよく支えたよ。
低姿勢すぎるとまで言われた外交も、当時を考えると適切だった。
あのまま兼続が実権握ったままなら真田や前田に滅ぼされていたと思う。
- 557 :
- あの秀光公も兼続を反面教師にしているな
大目付だった治長が死去して覇気が失せた父秀頼を押籠し、朝廷に働きかけて関白を得るなんて荒業をした割に
足利の躍進を見誤ると衰えたと宣言して、養子の秀茂に全てを譲ったのもこの心意気があったからだ
これほどの潔さを持つ君主は前代未聞じゃないか?
- 558 :
- >>554
松代御法度の完成度が他の大名と比べてずば抜けていたからね。
維新後に作られた疑惑までかけられていたけど、年代鑑定で当時の物って確定した。
- 559 :
- >>557
無能がトンズラすることは多々あるけど、有能なまま隠居政治もせず退いたのが珍しいよね。
逆に御三家は長期政権で家を発展させ続けているのは感慨深いよ。
- 560 :
- 有名どこの一番暗君って誰だろうか
- 561 :
- どういう意味だよ
各大名ごとの暗君か?
それとも全体のキングオブ暗君か?
- 562 :
- それは松平は家康だって一般人なら答えるよね。信長に酷使されながらも仕え続けて200万石まで成り上がった時点で十分いいのに。
- 563 :
- むしろ一般人なら知らないか
豊臣歴代摂政関白前部言えなんて問題もテレビでやっているし
- 564 :
- 全部だった
どういう予測変換だよ…
- 565 :
- 9代目関白の豊臣秀元は何がしたかったか分からないが割と安君だと思う
先々代の秀宗が全国に作った隠し子を探し知行を与えていくとか、温情にしても浪費が過ぎる
そのせいで眉唾物の家系図の木下や羽柴が量産されて、豊臣家の品格が損なわれた
- 566 :
- 豊臣秀宗も帰農令や献金規制とか結果は出したが女癖がな…
同じく悪かった秀吉も種は弱かったからいいものを
50〜計測不能の子を作るのはおかしいわ。
関白って立場でハードル高くなるのは分かるがこいつも相当のダメ主君
- 567 :
- 東軍が勝ったら家康が天下統一したとか語られてそうで嫌だな。
あと信長や秀吉より上に扱われていそう。
それでも信雄を従えた家康の姿は少し見てみたい。
- 568 :
- 秀頼公に命令する家康
ないわー
- 569 :
- 秀頼に命令なんてしたら淀がブチ切れて征伐命令出すでしょ
加藤や福島だって黙っちゃいないし藤堂も裏切ることも十分ありえる
- 570 :
- 元豊臣の東軍派閥側が、家康の寿命より早く失脚するわけがないよ。
秀忠も秀康も豊臣に憎しみはないだろうし、再び大老格に戻ると思う。
ドサクサに紛れて本多や井伊も豊臣内部にねじ込むかもしれないけど。
- 571 :
- 産廃を押し付けるのはやめろ
成瀬一家ならまだ分かるが四天王(笑)はいらん
- 572 :
- 忠勝だけはいるけど正信来るんだろうな。あんな奴は脳筋が重臣に多いから使われただけで文官天国の公儀じゃ役に立たないわ。
- 573 :
- 逆に公儀で役立たずだけど他で活躍したのはいたかな?
- 574 :
- 大河ドラマ真田丸の放送が始まったね
主人公の真田幸村を本名の信幸と表記したのは何気に英断だよね
江戸の陣になるのは何月ぐらいかな?
- 575 :
- 主役は信繁だからその後の期間のが長いんだけど、話のネタとしては地味だからなぁ。なんだかんだで信之の最後の突撃や江戸での活躍はクライマックスにもってこいなくらい盛り上がるから最終回近辺じゃないの?
- 576 :
- >>575
去年の早川大河は、江戸の陣前に亡くなったところで終わりだったからな。
今年と被らないように配慮したんだから、夏の陣の今川氏真らの活躍もしっかり作り込んでほしいものだ。
信繁の配役が意外なのが物語にどう絡むかも気になる。
今までの印象だった器用貧乏も、最近流行っている兄思い万能イケメンも合わないから予想できない。
- 577 :
- イケメンって完全にゲームの影響だよね
柴田や織田、豊臣、徳川は肖像画が画一的だから変えようがないけど
あんまり残ってないのは美化し放題だもん
- 578 :
- ドマイナーな豪族でも「先祖様はそんなのじゃない!」ってクレームつける奴もいるから、全体的に今風のシュッとした顔が多くなった気がするな。
- 579 :
- >>576
史上最低の酒井よりまともならいい…
〜の姉妹や愛人シリーズよつまらん戦ものって何だよと。
- 580 :
- 酒井は割と脚色なく作ってあのザマ
もし勝ってたら功績を捏造して名将に仕立てていただろう
島だって戦がそこまで上手くなかったはずなのに名将扱いなんだし
- 581 :
- 島って江戸の陣の前に亡くなっちゃったから、余計に謎が多いよ。
筒井家にいた時の資料も少ないし実際どうだったんだろう。
- 582 :
- >>581
君臣文禄の逸話が本当なら、優秀な人物だったことは間違いない。
尼子頼久のように功績のない輩を羽柴秀秋が大量に召し抱えた件について奉行衆は度々諫言していたが
「関白は100年先の堅城を築く人材を揃えた。」と石田三成は評価したことからも、人を見る目のよさが伺える。
島清興は衰え始めてもおかしくない年齢で将来性で評価を上乗せはできないだろう。
にも関わらず厚遇していたのだから、贔屓以外の理由が必ずある。
- 583 :
- 関ヶ原の左近は文句なしの活躍だと思う
精強な黒田隊とぶつかって互角以上
さらに黒田一成を捕らえてしまうんだから驚くわ
- 584 :
- 黒田は親父が独自行動で、長政も結局寝返るなんて経緯が気に食わん
一成も結局生き残ったから東軍側についた損失が少なすぎ
仮にも正則と共謀したんだから、加増どころか改易だろ
- 585 :
- >>584
埋伏説があるけど不可解だからねぇ。
栗山覚書が唯一の出典だけど嘘っぱちぱかりなんだよ。
例えば民放の時代劇の黒田節U。
本国側にいた将まで関ヶ原に出ていたけど
あれも栗山覚書の布陣を参考にしているのさ。
偽書よりおかしいよもう。
- 586 :
- 黒田節Uとはまた懐かしいもんを
あれってスポンサーに旧黒田系の出身者が大量について製作されたんだろ?
見栄はって都合のいいように作らせたんだろうな
- 587 :
- 「クロダクロダクロダ〜♪」のCMで有名な黒田製薬がメインスポンサーだったな。
- 588 :
- 九州じゃ街の中で宣伝かけてて噴いた
あれ中毒性があるわ
- 589 :
- 九州北部は黒田や母里、栗山の業者が多いね。
第二次戦国で支配していた立花が産業とか全然興さなかったのとは対照的だよ。
- 590 :
- 産業となると立花エレクトリックがあるぐらいで、立花系列は企業も弱いな。やはり個人の人気者にすぎないのかな。
その代わりゲームや漫画にはひっぱりだこだけど。
その昔少年サンデーで連載されてた、あだち充の「タッチ」が立花道雪と宗茂の二代記でアニメにもなったな。
道雪の死に際して、宗茂が南の方に「わたしを京につれて行って」と言われるシーンは多くの少年少女がマネしたとかしなかったとか。
- 591 :
- >>590
タッチは序盤の紹運の自刃で引き込まれた。
弟の直次とのライバル関係もあったりと幅広く楽しめるね。
個人の人気で思い出したけど
立花庶流の子孫が役者をやっていたはず。
真田丸に出るんじゃないかって噂されているよ。
- 592 :
- >>590
タッチは序盤の紹運の自刃で引き込まれた。
弟の直次とのライバル関係もあったりと幅広く楽しめるね。
個人の人気で思い出したけど
立花庶流の子孫が役者をやっていたはず。
真田丸に出るんじゃないかって噂されているよ。
- 593 :
- 連投ごめん。
- 594 :
- メディアまで含めると、本当か分からないのを含めて子孫を名乗るのが多すぎるわ。
武田の子孫の偽物なんて洒落にならんのもおったんやし。
- 595 :
- ああ、中学校の先生だっけ。わりといい先生だったらしいけど、ヤクザに盃もらってるのがバレて「金バッジ先生」て呼ばれてた人ね。
- 596 :
- 房総の大横綱の小文吾も里見の末裔って評判やったけど、飲酒運転とスピード違反で解雇やったなぁ。
そんで出所後にプロレスで酒勲賞や暴走の大横綱とか呼ばれとるのは腹立つわ。
本物か偽者かは知らんけど売り文句にすんな。
- 597 :
- 黒田は家全体に優秀な家臣団がいたのが大きいな
福島が改易された後に各地の大名が引き抜いたのがいい例
派手加藤の家臣が路頭に迷ったのとは正反対だ
- 598 :
- >>597
加藤清正は本人が優秀な反面、部下を育てる力はなかったというのが最近の通説のようだ。
いわゆる天才肌と呼ばれる人種なのだろう。
しかし豊臣秀吉や前田利家から吸収したものを、家臣どころか息子たちにまで継承しないのは頂けない。
東軍について改易されたとはいえ10万石は残されていたというのに
自らの死語は島津や伊東に圧迫されて3000石の公儀旗本まで転落したのだから。
- 599 :
- >>589
炭鉱があるじゃまいか。
石炭の下から石油が出たおかげで
今じゃ5大メジャーの一角だぞい。
- 600 :
- >>599
石炭が枯渇したから廃坑にしようって決まって、最深部を埋め立てるためのエレベーター設置のために掘ったら石油が出てきたんだっけ?
- 601 :
- >>599
立花石油は大名家としての立花家が興したものじゃないからな。
東京に出て立花レーシングチームを率いていた立花藤兵衛さんが、つぶれかけの立花石炭の株を持ってたんで代表になり、なかばやけくそ気味に「もっと深く掘れ!」と命じたら石油が出たってだけで。
藤兵衛さんは立花の人だとは言っても分家の端っこの人で、あなたは大株主ですって言われるまで自分が大名家の人間だと意識してなかったらしいと、今年の大河ドラマにも出てる役者の藤岡弘。の著書「俺とおやっさん」にも書かれてる。
- 602 :
- 石油を自給出来るようになったのが大きいよな
規模が大きくなれば他の産油国が足並み揃えて値段高くしても対抗できる
- 603 :
- >>598
加藤、蒲生、浅野とか本当情けないよね。
代替わりでコケて豊臣に頼りっぱなしになるんだもん。
- 604 :
- そう考えりゃ徳川は脈々と家名は守れたとこは優れとるなぁ。
無論デカいままじゃこうは行かへんけど。
- 605 :
- 松平なんて誇れる家じゃないでしょ。人の上に畜生を作ると罵られた綱吉を筆頭に、代々の当主が馬鹿なことをやらかし続けるんだから。
- 606 :
- 通行人を宇喜多家臣の花房と知らず不敬として切り捨て
畠山の伏見入りから逃れた商人の財産没収と口封じ
豊臣秀政毒殺疑惑など大きいものだけで10個以上も事件がある
これだけやって改易や取り潰しの処分がなかったのは凄い
千姫の輿入れの効力だろうか
- 607 :
- >>605
でも松平は一応源氏を祖としてるしね
- 608 :
- >>607
源氏は高貴な血統の代表格だけど、秀吉公だって生まれがハッキリしないし、初めは孤児だったという千瀬もロシアを統べている。
良いに越したことはないけどね。今の豊臣は源氏、平氏、藤原氏の末裔だし、今の千瀬はロマノフ王朝の末裔。
でも血で語るときに豊臣や千瀬から始まるのは、他の偉人の築いたものと比べても遜色のないような大業を成し遂げ、この者の血族ということが誇れるようになったという証拠だよ。
清和源氏の流れを汲むことが誇りというのが、徳川の限界かも。
- 609 :
- エッチ https://www.youtube.com/watch?v=0iHLJQTygkI
- 610 :
- 昔は征夷大将軍の条件が源氏の血だからな
それまでの武家政権=幕府だから何が何でもこさえたかったんだろ
- 611 :
- >>608
流石に豊臣や御三家に比べたら、大半の家が見劣りするわ。
徳川の立ち位置は織田、浅井の下で毛利と同格くらいだと思うぞ。
- 612 :
- 浅井なんて六角や朝倉より格下だったのに、淀と治長のおかげで随分地位が上がったよね。
息子の長藤以降の当主は全員五大老経験があるし、わりと有能。
なんで維新のときに藤堂に続いてすぐ離反したんだろう。
- 613 :
- 極楽橋前の変だろうな
長束東洋を守れなかったからって護衛は全員切腹
それも自前じゃなくて浅井家の奴らをだ
一気に公儀転覆に傾いたのも分かる
- 614 :
- >>613
それ映画で見たけど迫真の演技が冴えわたっていたね。
不当な処分なのに取り潰しをちらつかされて、見て見ぬふりの浅井邦長が
家老の真柄直経らの抗議の切腹で心を痛めるのが印象に残った。
暗殺した側の小早川家家臣が主人公だけど、どちらの苦悩も描かれている傑作だよ。
- 615 :
- 何の映画の話よ
- 616 :
- >>615
極楽橋前の変の映画。
大手が放映権買わなくて宣伝も打ってなかったけど、出来はよかった。
- 617 :
- あの事件って何
- 618 :
- 途中送信ミス
あの事件って何が原因で起こったのか分かりづらい
- 619 :
- 大老が長束の言いなりで政治体制が形骸化
識者層の反発を弾圧処刑で封殺
欧米には平身低頭なのに国内は恐怖政治
いまさら大名に豊臣服従の念書を送るよう強制
こういうのが重なって堪忍袋の緒が切れたんだろうな
- 620 :
- >>618-619
米国への対応で意見の合わない小早川が、大老を降ろされたのもあるんじゃない?
でも豊臣の分家が本家である公儀に逆らうわけにもいかないし
本当に苦渋の決断だったんだろうね。
- 621 :
- 国のあり方で熱くなれる人材がいたから起きた事件
だから誰の主張にも理があった
果たして徳川が作る世にはそういう人材は現れるだろうか
- 622 :
- 植民地が順当じゃない?織徳同盟的に自由より庇護を求めるだろうから、列強に金銀や労働力を上納しつつ保身に走ってもおかしくないよ。
- 623 :
- そうなると日本は今頃アフリカ連邦共和国が誕生する前のブラックアフリカや南米諸国のようになっていたのか。
あ、大東亜共栄圏体制に参加するまでの西東亜細亜もわりとそうか。
どちらにしろ気分の悪くなる話しだな。
徳川が負けて良かったよ。
- 624 :
- >>623
どうなるかが他国の足跡から痛いほど分かるな。
豊臣秀吉が九州の惨状を知り、バテレン追放令に踏み切ったのが正しいかったことも。
尼子や千瀬のような独立性の強い大名が、攘夷論を貫いたのも頷ける。
洗脳と搾取、弱者を踏みにじることを彼らが認めるわけがない。
- 625 :
- 神社仏閣をぶっ壊して教会を建てる
信者を救済という名の人身売買で売りさばく
住民が望んだから俺は無罪という宣教師の三枚舌は最悪だ
- 626 :
- 東軍が勝った時点で西国の大名はこぞって改易になるだろうから
外国の影響が強い中国と九州は侵略拠点になりかねん
天草も小西に拾われなくても何か起こす気がする
四天王や奥平とかの近親を全員こっちに置くくらいの覚悟がなきゃヤバい
- 627 :
- 島津も義久が東軍支持で大幅な改易ができないし、琉球よろしく不穏な動きをすることがあるから悩みの種だね。
- 628 :
- >>623
弱者を虐げて政治を安定させるのは、徳川家康の十八番。
後ろ楯のない旧今川、旧武田の侍を執拗に潰し、関東でも蝦夷狩りに興じている。
石川数正が贔屓に嫌気が差して出奔した際も、原因を考えず悪者扱いして家中を安定させた。
茶会拒否をして忠誠心をアピールした井伊直政が良い例だろう。
徳川家が欧米公認の中間搾取者、映画などで見る町の暴力支配者になるのが目に見える。
- 629 :
- >>626
奥平は武田についていた時期もあるから、そこまで信頼してないと思う。
山内とか平岩みたいな所を抜擢して要所に配置しそう。
本当なら反豊臣の塊の最上を百万石ぐらいで置いてほしいけど、上杉放置の件で因縁が出来るから無理かな。
義光の手腕が順調に子孫に受け継がれたら安泰だけどなぁ。
- 630 :
- 家康の信条って何だったんやろうな。
長いもんに巻かれ続けて自分が一番長くなったとこで
何していいか分からず迷走したイメージしかあらへんけど。
- 631 :
- そんな高尚なものは持ち合わせていない
孕石への逆恨みや秀吉死後の傍若無人さこそが奴の本性だ
- 632 :
- 徳川って家康以外の権力者も軒並みクズ揃いだから、民衆の暮らしは第一次戦国時代以下の水準に落ちぶれるかもしれないね。
- 633 :
- それは言い過ぎ。秀忠は松代で見事な民政手腕を見せている。
家康だよ。なにもかも強欲狸がいかんのだ。
とっとと死んでりゃ、関東250万石が秀忠の手腕でどれだけ発展してたか…
すくなくとも下水道が完備されたのが平成になってから、なんて事態にはなってなかったよ。
- 634 :
- >>630
信条とはズレるが、豊末時の大名分類に当て嵌めて家康の体制を予想した。
交易…積極(家康自身は目新しいもの好き、鉄砲や大砲を高く評価していたことから。)
外交…中庸(必要ならば行うが、晩年のように高圧的な態度を取るかも。)
欧米…開国(軍事力の差が大きければ早々に属国の申し出をする可能性は高い。)
権力…独裁(贔屓がひどいうえに後継者候補の秀康、秀忠にすら権力の継承をあまり行っていない。)
内政…保守(既得権益を守ることを最優先する家柄から保守と見た。)
うん、微妙。
関ヶ原時代のメンツもパッとしないし、幕府を立てるにしろ統治に骨が折れそう。
- 635 :
- >>633
そういえば近藤秋用が暗殺を逃れた時、秀忠は隠れて登用しようとした逸話もある。
人材を抜擢する気概があれば割と良い君主になったかもしれない。
- 636 :
- >>631
孕石元泰は可哀想だ。
幼かったとはいえ横柄な振る舞いの徳川家康を、人質とは何なのか分からないのかと叱るのは至極当然なのに
高天神城の落城の時まで根に持って一族もろとも切腹させられるとはな。
それでも名跡か血族かは定かではないが、穴山義信の家老で孕石信泰という人物がいるのは救いか。
- 637 :
- >>633
大半の県は普及率60%とかそんなもんだぞ
大都市圏でも70%はざら
過疎地まではどうしようもないからな
- 638 :
- まあ秀忠なら小田原以東の関東を過疎地にしなかったかも。
>>636
信泰の父は泰時って武田家臣だったみたい。
滅亡後は井伊に付けられていること位しか分からなかった。
やっぱり近藤や小野みたいな子守役兼サンドバッグかね。
- 639 :
- 大坂以外にインフラ10割宣言したとこって何処もないな
近場の京都ですら8割の壁がブ厚いようだ
- 640 :
- >>637
某ヤマダ総統「無理に水道も電気も揃えない方がいい。豪雨じゃ役に立たんし復旧費用も馬鹿にならん。」
某ヤギュウ大統領「ガス漏れからの連鎖爆発で、首都の商業区域が吹っ飛んだ。」
某チセ皇「そもそも寒すぎて使えない地域があるのですが。」
日本も山間部が多いから60%も下水道がある時点で十分立派だよ。
- 641 :
- 土地に合ったものを作る必要があるわな。
どこでも全て欧州式じゃまともな物は作れん。
建物ひとつ取っても築100年とかいけるのは古民家だ。
- 642 :
- 真田丸で武田の家臣がゾロゾロ出て、しかも後の主君のもとで開花したやつまで出番があるときた
何かのファンサービス?
- 643 :
- >>641
昔の日本建築は少しずつ見直されてきている。
明治あたりから作られた洋式建造物は、今では半数以上が取り壊し不可避の基準まで劣化している。
補修しながらも、各地の神社、寺院が今も健在であるのとは正反対。
檜の需要も増えたおかげで、公儀時代から植林をしていた冷泉家も知名度が少し上がったようだ。
- 644 :
- >>642
彼らは武田の下にいたってアピールしたかったんだろうね。
菅沼遼太郎がよくやった悪癖だけど、ここまで波及するとは。
>>643
その道では結構有名なのに、特集番組で現当主が張り切っていたね。
やっぱり一般に浸透していなかったからかな?
九戸桐が市場に出回らないからって取材拒否しているのとは対照的だよ。
- 645 :
- 徳川が天下取ったとしたら浪人対策はどうするんや?
取る過程で消耗したなら問題ないんやろうけど残ってたら厄介やろ。
江戸の陣や毛利の乱で減らせた豊臣ですら苦心しとんのに。
- 646 :
- >>645
由比小雪の乱が起きてますよ
浪人増やしまくったんでね
- 647 :
- >>646
由比正雪が反乱?
4代秀綱の側近がなんで反乱起こすの?
- 648 :
- >>647
秀綱ってだれ?
由比正雪は誰にも使えてないよ
- 649 :
- 初代、豊臣秀吉
2代、秀頼
3代、秀光
4代、秀綱
でなにか間違ってるか?
由比正雪は諸説あるけど大坂で私塾張孔堂を開いていたけど、世の中が華美文弱に流れるさまを憂いた秀綱が、綱紀粛正の為に招いた軍学師範だよ…な?
門弟に長曽我部の嫡子の座を自ら捨てて、諸国武者修行をしていた丸橋忠弥がいた。
ちなみに5代目が猫を大事にしろで有名な猫関白綱吉だよ。
- 650 :
- 由比小雪の乱で公儀の権威が落ちたからなぁ
掘り下げたら豊臣秀綱の落ち度が半端なくなるから
歴史の教科書でも全然取り上げられてない
次も綱吉、宣綱、秀宗と穴のある微妙関白ばかりだし
秀光があっさり隠居して政治から手を引いたのが悔やまれる
- 651 :
- 豊臣綱吉と松平綱吉は動物愛好家同士で仲が良かったが
両方とも当主として微妙だったよな
特に松平綱吉は闘犬に強い怒りを持っていて
闘犬の代わりに罪人や浪人を素手で闘わせる興業を行うとか発想が飛びすぎ
それを踏襲してバキが誕生したのは皮肉だ
- 652 :
- >>651
でも現当主の松平光成ご老公カワイイじゃん
年末の通天閣地下闘技場エキシビションマッチ行ったよ。
ベトナム柳生の柳生光子対ロシアコマンドサンボのエカテリーナ・プーチンの女傑対決の結果は…てスレ違いだな
- 653 :
- >>649
徳川と間違えてね?
- 654 :
- 秀秋とかの暫定関白を含めてないからわかり辛いかもしれない。
それが今の正式見解になったから仕方ないけど、個人的には在位16年という長期政権だった秀秋は歴代関白に含めていい気がする。
- 655 :
- とりあえず長政、秀政、秀長の類いの名は多い
フルネームで出してくれと思うことが文献でも何度あったことか
- 656 :
- >>654
秀秋は本人が豊国神社にまつられることを遠慮したからしかたない。
秀頼が何度説得しても関白「(仮)」を取らなかったし、引退した後も太閤を名乗ることを辞退している。
この為に豊臣政権で歴代に数えられるのは「豊臣家の惣領であり大坂城の主である者」という規定が昭和25年の御前会議でサンフランシスコ対共産軍事同盟の参加のついでに決まったわけだ。
もっとも秀頼直筆の公文書に「二代秀秋」とか「三代秀頼」とか書いてあるから非常にややこしいことになる。
当時の人の感覚なら、間違いなく秀秋が二代目になるんだろうけど、昭和帝に逆らうわけにはいかんし
- 657 :
- だからこそ余計に存在感があるんだろうね
史上最強の馬鹿と呼ばれるのも無理はないよ
- 658 :
- >>657
長束正家「金吾にだけは心を許してはならぬ。いかなる物事も全て握られるやもしれん。」
石田三成「人を導くことに於ては金吾に並ぶものはいない。」
毛利勝永「小早川様がおらぬとしたら、おれは野武士や浮浪者になっていたことは明白だ。」
直江兼続「勇も智もないと侮っていた己を許すことが出来ない。」
近藤秋用「大殿のために働くことが楽しい。これが天下人の力なのか?」
吉川広家「あやつの動きが関ヶ原という碁盤を全て返した。」
全部は多すぎるから抜粋した。
他にも御三家をはじめ多くの大名が秀秋に驚嘆している。
- 659 :
- お前ら、秀次忘れんなよ…
- 660 :
- >>659
秀次は関白という立場にありながら、国家転覆を画策した罪人として除外された。
古代ローマのコンモドゥス帝に倣い「名誉の抹殺」と目されている。
同じように3ヵ月しか関白の座に就けなかった豊臣秀勝は、惣領の座にあらずとして
長束東洋が2年間傀儡にした関白、喜吉も国に背いたとして各々含まれていない。
これらはサンフランシスコ妥結に向けた識者連合の見解によるもので
国の統一認識として扱うとのこと。
- 661 :
- >>658
「秀秋様を何も考えていないと評すならば、それは己が未来では些事たる存在でしかないということ。」
尼子頼久のこの言葉の意味は深い。
容量の限界というものが身近になった今にも生きる格言だ。
- 662 :
- 秀次事件は完全に耄碌した秀吉の暴走だろ
- 663 :
- >>660
なんでや 秀次は関白になったし街の整備やら色々これからって時だったやん
本来なら秀吉がサポートしてやれば伸びしろはあったと思うよ
けど秀吉が晩年の劉邦の如く猜疑心の塊になりわが子が可愛くなり切腹させて 報復を恐れて秀次の一族殺したんだよ
- 664 :
- バカ言っちゃいけない。殺生関白なんて呼ばれるような殺人狂の秀次を生かしておいちゃ、強欲な家康より始末悪いよ。
最期は自分だけ死ぬのが嫌で、妻子30数人を屋敷中、血刀さげて切り殺して歩いたんだぞ、あの男。
最上の娘なんか可哀想に、屋敷に着いたとたんにカラタケ割りに斬られたって言うからな。
- 665 :
- 秀次については文献も少ないぶん明智光秀と並んで謎が多い
まあ秀次処刑後町人が、そんな方はおりませんと口を揃えて言うのだから
当時の人間も忘れたいような出来事だったんだろう
- 666 :
- 異説・太閤伝みたいに秀吉の私憤で秀次廃嫡だったら怖いな。
福正則島にすら蔑まされる無能だからまずないと思うが。
そういう感じで疑惑の死ってあるかね?
- 667 :
- >>666
前田利長
表向きは失意のうちに病死って、いつもの定型文
自害、家臣や領民や石田三成による暗殺、狂死など死因は未だ分からない
- 668 :
- >>666
第一次戦国なら今川氏輝、長尾政景、尼子晴久が代表的だ。
第二次戦国はかなり多いが、大物なら>>666氏のとおり前田利長のほか、増田治盛、畠山統義。
特に統義に至っては直前に内府にまで上り詰めており、権力の全盛期に急死している。
直接的な戦が第一次と比べて少ないが、こういうところで犠牲者が出ているのではないかとも考えさせられるな。
- 669 :
- 自害とか事故死と知らせてしまうと、根掘り葉掘り公儀に聞かれて改易処分とかあり得る。死因隠蔽はこれの対策のために仕方なかったのかな。
- 670 :
- 鍋島もそれで取り潰しだからな>死因
規制が厳しくなると逃れる術が磨かれるのは皮肉だ
- 671 :
- >>670
秀頼、三成の改易祭りがかなり効いた。
このコンビに付け入られて、温情で生かされていた東軍の大名は勿論
戸田勝成とか西軍側まで滅ぼされている。
桃山、大阪時代の改易の4割はこのコンビ結成中の時にあるが
毛利の乱と明教の政変のインパクトのせいで霞んじまった。
- 672 :
-
《 ルーム・パパラッチ と 阿呆 と ぼんくら と 》
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ays.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/SW-pos.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/SW-sp.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/SW-BB8.html
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
http://www.o-naniwa.com/
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ia-1-4.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ia-2-1.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ia-3-2.html
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
●クリスタル通り 付きうごき引きート122号室,付きうごき繰り返し症ニート205号室
●浪速建設 女事務員 南野 東条 ●アパマンショップ八尾店 加茂正樹
!!!!!!!!!!!!!!!
- 673 :
- 地味にそれを乗り越えた真田信繁の処世術はもっと評価されるべき
親父と違って狡猾さがないのがまたいい
- 674 :
- >>673
信繁は良くも悪くも善人なのが救いだった。
遠江の蟄居先で信之が子供を作りすぎて困窮していたところ、秘密で30人扶持分の米を送って助けている。
父の昌幸が絶縁状を突きつけたこととの温度差は計り知れない。
大阪の陣の後は風当たりが強かったが、公儀が同情して所領安堵をいち早く取り決めたのも
当人の人当たりの良さが幸いしたのだろう。
- 675 :
- それに対して暇だからって愛人とサカってる信之ときたらもうね…
江戸陣なかったら多分ボロクソに叩かれてるよ
- 676 :
- 本多の娘かつ徳川の養女なんて経歴の嫁に、相当神経を使わざるを得なかったのもあるんじゃね?
元はクソ真面目なのに開放された途端にコレだから、人間というのは分からんもんだ。
似たとこで織田信雄も転封反対して浪人になってからのほうが生き生きしてる。
信長の後継者として天下人になれる素質はあるが、そうなるのとどっちが幸せなんだろうな。
- 677 :
- >>676
やっぱりそうなのか
不仲でも政略結婚だから諦めざるを得ないのは辛い
- 678 :
- https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(沖縄空港バイト)
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(大阪人福祉バンクビジネス)
- 679 :
- 幸村名義の逸話のときは勇猛と呼ばれ
逆に信之名義の逸話では不倫やハッチャケぶりが暴露される
どうしてこうなった
- 680 :
- >>679
歌舞伎の役名から出来た造語だからね、幸村。
四代秀綱の頃の抗豊ムードから爆発的に広まって、権力批判の旗印として軍記や戯作で次々に持て囃されて超人的になった。
一方、最近の大河が出るまで信之の名前はマイナーで、主に使うのが歴史マニア。
そういう人のサイトじゃ美化される前のマイナス面が多数出てくるから、検索結果はそうなるのかな。
- 681 :
- 幸村信者は信之信者とは別の存在だと断じる層もいる
流石にそれはキツすぎるだろうけど実像を知ることは大事だ
- 682 :
- 家康だって秀吉が死ぬまでは律儀者として有名だったそうだからな。
単に糞漏らしたジジイと思っているやつがいるのが悲しい。
もっと悪どく生き延びたり、晩年はひどかった武将なんか沢山いるだろうに。
- 683 :
- いっそ藤堂みたいに汚名を誇るようなら、嫌悪感が振り切れてカリスマ性に化ける。徳川は中途半端にやって失敗した最低のパターンじゃないか?
- 684 :
- 色々ヤバい事やってるけど表裏のない水野勝成も割と悪評がないよね
池田輝政や毛利勝永は好意的な書状を残しているし
- 685 :
- 水野は数多くの切り捨ての逸話があるが、その殆どが身の程知らずの挑発の代償だ
だから今でいう冗談が通じないタイプじゃないかって研究されてる
堅物すぎて嫌われる反面、根は真面目だから理解者も少なからずいる
理解者に権力を持つ者がいたから悪く言われにくいんだろうな
- 686 :
- >>684-685
人情を大事にする時代背景なのも深く関係している。
極楽橋前の変の暗殺の実行犯が、千瀬のもとで厚遇されたのが好例だ。
しかし維新後は資本主義、法治国家としての整備が進み、人情文化が廃れてしまった。
芥川辰之助の「猿蟹合戦異聞」もこれの風刺。
仇討ちをした蟹と仲間に死罪が言い渡され、処刑される場面は物寂しい。
法に則って裁くという当然の行動のはずであるのに、心が痛む。
- 687 :
- 判官贔屓もあるだろうが、そういう時代劇は多いよな
忠臣蔵とかも浪士たちに感情移入しちまった
- 688 :
- >>687
江戸仕置だって徳川優勢だった時は浪人の暴挙が関東では酷評されていたのに
負けて今に至るまで悲劇が強調されていったからね
信之の赤備えだって反乱や裏切りを防ぐためにわざわざ着させたというのが本音みたい
- 689 :
- >>685
取り扱いにさえ気を付けたら大丈夫。
馬鹿と刃物は何とやらとよく例えたもんだ。
- 690 :
- 福島や伊達に出していたって噂の「100万石のお墨付き」って実在したんかね?
- 691 :
- ほんとだったら伊達はもっと頑張ってただろうし、福島が関ヶ原本戦であんなに脆く崩れるってことも無いんじゃないかな?
小早川の突撃に対して奮戦したのは藤堂高虎と京極で、このどちらにも事前に恩賞は約束されてなかったようだし…さすが家康、ケチくさいw
- 692 :
- むしろ福島が大大名になると人手不足で潰れる気が…
>>686
千瀬ってどの世代でも義理人情に篤いよね。
あんな分家だらけになっても信条はどこも一致しているのは感心する。
- 693 :
- 徳川系以外の将の士気は軒並み低い
黒田なんか島や大谷みたいな小勢いにてこずる有様だ
褒章の類は全然なかったんだろうな
- 694 :
- 本国防衛のために余裕をもって布陣する連中を尻目に、二万弱という大軍で先陣を切る秀家の男っぷり。
加増の可否も確かめず、家康を潰したい一心で西軍に付いたって逸話といい、三成は頼りがいのある味方に恵まれたわ。
- 695 :
- 東軍は寝返りの打診を西軍大名にしまくったようだが
動いてくれたのは、竹中や京極みたいな雑魚ばかり
しかも肝心の輝元にはしていないことが最も馬鹿らしい
あいつ秀次事件の時も内通してのし上がろうとしたのを知らんのかと
- 696 :
- 毛利輝元なんて大阪城に駐屯しとるんやから、裏切りの成功したら最高だったんやけどな。
秀頼公を始末して挟撃なんてしようものなら戦況がひっくり返るわ。
まあ井伊が勝手に喧嘩吹っ掛けとるし、そういう手筈で天下取りに臨んだんに
日和見されて台無しにされたって可能性もあるがな。
- 697 :
- 羽柴秀秋の快進撃から戦況が大きく動いたから、けっこう内通しようか悩んだ大名も多いんじゃない?
- 698 :
- >>697
徳川もそこまで戦を急ぐ必要はなかった。
真田に背後から襲われた秀忠、関東防衛に残った秀康の軍勢は合計5〜6万。
わざわざ鶴翼の陣の石田らと関ヶ原で戦うより、出来るだけ東に誘き寄せるほうが有利。
領地を明け渡しかねなくなる福島らは納得しないだろうが、
無理に戦を進めて総崩れなんて事態は防げていたと思う。
- 699 :
- >>695
毛利勝永に武蔵撃ちを伝授したのが一番の活躍という京極高次…
えげつなさすぎて色んな媒体で使われないんだよなぁ
- 700 :
- 大津城の武蔵撃ちって、実際の犠牲者は30人くらいだよ。
京極も主力は関が原に置いているし、城を枕に討ち死にするのを覚悟の上でしょ?
犠牲者の数や行動のエグさも更に上のやつらがいるのに、批判の材料にされるのが可哀相。
- 701 :
- 当時から悪評をばら蒔かれたようだしネタにしやすいんだろ
泣く子も黙ると同じ原理で本当にやばい所業なら口にすら出せんな
- 702 :
- 主力を預けて戦ったといや本多忠勝やな
500人ぽっちで宇喜田や長曽我部を一度退かせるってチート杉
勝ち戦なら三国志の張遼になってまうわ
- 703 :
- 本多さんは、異能生存体の近似値とまで揶揄されているからな。
こいつだけ東軍じゃズバ抜けて強すぎる。
江戸陣で息子の忠朝が父と似た格好で布陣したら、豊臣側は怖くて誰も先陣を切らなかった逸話も嘘じゃないだろう。
- 704 :
- 忠勝は武勇に目が行くけど、軍団指揮も超一流
多くの大名が引き入れたがるのも分かる
- 705 :
- >>700
秀吉公が織田家臣だった時代、中国攻めの際に兵糧攻めをしている。
史料が少ないから真偽は定かではないが、相当な数の敵を餓死させたそうだ。
直接的な攻めより恐ろしく、えげつないはずなのに、あまり知られていないのが悲しいな。
綺麗事ばかりでは天下は取れないという教訓にもなるというのに。
- 706 :
- 大河で残酷なシーンやったらとんでもない量の苦情が来るって、制作側も悲鳴上げてるわ
- 707 :
- で、うすぼんやりとしたものを作られて視聴者が悲鳴をあげるとw
- 708 :
- 時代ものはどれも綺麗すぎるよ
特に地上波ドラマでは顕著
洋画やファンタジーものでは、平然とグロシーン流すくせにね
だからといって、年齢規制付くくらい先鋭化するのも歓迎はしないね
柴田勝家の最期や極楽橋前の変は、痛々しさが伝わってきて疲れた
- 709 :
- >>704
秀吉は何回も本多忠勝を討てる機会があったのに、自軍に欲しいからって躊躇ったんだよな
- 710 :
- 戦場で品定めする大名は割と多い。
でもそんな事をしてる時は大抵負けるから相手を誉めてるって事情もあるかも。
- 711 :
- >>708
切腹するも力が入らず死にきれず、壁にもたれて完全に刺すシーンは辛かった。
でもそれだけ苦悶する事であったのは疑う余地もない。
兵や家を守る交換条件として提示された時には、相当複雑な思いで決断をしたんだろうな。
- 712 :
- 息子を切腹させることを強要された徳川家康の気持ちも分からんでもない。
そりゃ織田は勿論、その後継争いに勝った豊臣も恨むわ。
- 713 :
- もう少し様子を見ても良かったんだがなぁ
秀秋の素質は認められず、秀頼も若すぎるって状態で推移して
家康にもっといい待遇が転がり込んで来たかもしれないのに
利家の死を見て寿命を意識したのか?
- 714 :
- >>713
後継者に任せられなかったのも大きいだろう。
徳川家康は短気な現場主義者で、自分で打って出るのが得意だった。
だから結城秀康も徳川秀忠もいるのに、常に前線で指揮をしているわけだ。
家康自信は息子が見劣りすると思っていたようだが、そもそも得意分野が違うことに気づいていない。
それさえ分かっていれば、潔く隠居して後を託していただろう。
- 715 :
- そう考えると天下が簒奪される可能性って割と高いし、家康は豊臣を守ったMVP、石田は老害になって豊臣を滅ぼした戦犯とも言えるんだな
- 716 :
- 徳川家康が戦功第一って考えは17世紀の時点からあるみたい。
戯作や風刺で使われるのが主らしいけど。
- 717 :
- >>716
ゲームでも石田や宇喜田がその論理で徳川をなじっていたのがあったけど
流石にそれは失礼すぎると思ったね
あくまで彼らなりに生きる道を模索した結果なんだから
- 718 :
- 現代の水準や常識が根底にあるぶん、当時を忠実に再現って難しいんだわ。
人間の内面以外にも、街道や海路の移動速度とかは考古学者でも間違えやすかったりする。
- 719 :
- まともな行軍に使えない道とかあるからね。
今の道路の太さで戦略を考えたら整合性が会わないのも当たり前。
三国峠を平然と突っ切る上杉という例外はいるけど。
- 720 :
- 上杉は怪物じみてるわ。
謙信なんか行動原理も謎だし、常識や倫理で解釈できん。
トラブルメーカーって評価が主だが、一体どういう考えで戦ってたんだろうな。
- 721 :
- >>718
菅沼遼太郎もページ数増やすためにワープ行軍やってる
物理的に不可能な距離なのに戦場まで駆けつけるなと何度思ったことか
- 722 :
- 海路の行軍については風向きの関連もあるからな
追い風なら速いし向かい風なら遅いし
- 723 :
- 特に夏場は神風(当時の台風)もあるから、非常にややこしい
大阪より西側の港が非常に多いのは、船が短距離ごとに停泊せざるを得ない環境の裏返しだ
海外の交易品が巨万の富を産み出したのも、航行のリスクの高さを考えたら納得する
- 724 :
- 三成は畿内の街道整備に力を入れていたけど、あれは軍事使用が目的だったのかなぁ
- 725 :
- >>709
その逸話の元の小牧長久手は秀吉主宰の品評会みたいなもんや。
数正を引き抜けたし三成世代の台頭に向けた人員整理もこなしとる。
味方の見殺しをしたのは評価でけへんがな。
- 726 :
- 秀吉は織田配下の時から阿閉らへの冷遇もあるし、不要と考えた相手にはとことん冷酷になれるからね
- 727 :
- >>726
戦国の世で生き残るためには、残酷な決断を踏み切れなければならない。
煮え切らない大名は誤った選択すら出来ずに滅びる。
しかし安易に惨い手を使えば暴君と揶揄され、信望を得られない。
秀吉公はその匙還元が絶妙だからこそ、天下人となった後も悪名が先行しなかった。
- 728 :
- 善人すぎる大名が躍進するときは、必ず部下に非情なタイプがいるからな
汚れ仕事を避けて通ることは無理だ
- 729 :
- 関ヶ原組で一番美味しい思いをしたのって誰?
- 730 :
- >>1
影武者で押し通す
- 731 :
- そういえば三方が原でも家臣が影武者になって何人も犠牲になったんだっけ。
年取ってたから変装できる要員がいなかったのかね。
- 732 :
- 家康直属の軍団が約4万
全てを一人で指揮できないため指揮官クラスの武将はいるはず
それでも家康死後は烏合の衆になるという残念っぷり
一部では家康生存➡江戸の陣で蜂起って説もあったが
井伊直政や本多忠勝が息子が扮していたし
通説どおり四男清康が家康を演じていたんだろうな
- 733 :
- >>729
・活躍やリスクに見合った恩賞を得た
石田、宇喜多、大谷、小早川
・恩賞が不相応に多い
黒田、藤堂、長宗我部、立花
・あまり旨みがなかった
ダブル毛利、島津、佐竹
・判断が難しい部類(関ヶ原の功績と判断できない)
結城、上杉、真田、大友
後の改易祭りを考えなければ、ざっとこんな感じじゃない?
大津攻めでは包囲要員として戦わず、東軍追撃もさほど功がないのに
10万石もポンと増えた立花の厚遇が目立つかな。
- 734 :
- 藤堂高虎は羽柴秀長に仕えていたのが救いやな。
普通やったら不忠もんだってブッ叩かれて切腹改易もんやで。
- 735 :
- 毛利が微妙だったのは順当かな
広家は内通疑惑が濃厚で、輝元は前線に出ていない
勝永のほうも大津で活躍したけど、手勢が少なすぎて他の大名に編入されてる
とても秀家らに及ばない
- 736 :
- >>734
裏切った連中にも甘いのは、大名の力関係も絡んでいるな。
元から120万石の上杉、毛利が巨大化しすぎると、家康の二の舞になるかもしれない。
だからこそ全体に満遍なく恩賞を与え、力の一極集中を防ごうとしたんだろう。
石田政権時は前田、毛利、上杉、宇喜多が同格と目していたのもいい例だ
- 737 :
- 4大名が牽制しあって上手く行ってたんだがなぁ
毛利にケチつけてから全部台無しだ
それに比べて御三家は中央距離を取って上手くやったわ
- 738 :
- 関ヶ原以降、全然聞かなくなった島左近はその後どうなったんだろう
- 739 :
- >>738
通説どおりなら関が原で既に60だからなぁ。
それでも功労者なのに没年までハッキリしないのは解せないが。
- 740 :
- 島中尉説なんてトンデモ俗説が産まれるほど謎だから…
- 741 :
- 左近は多忙な三成に代わって彦根の領地経営やってたって軍記にはあるからまだマシ
忠勝や康政、西軍でも勝成の与力なんか全然情報ないんだぞ
知名度が元から低いっちゃそれで終わりだが
- 742 :
- >>741
忠勝の家臣というと本多10勇士wぐらいしかしらんな
猿飛エツ子とか霧賀魔子とか
- 743 :
- >>742
その二人は無双で操作武将になっとるから知名度あるわな。
江戸の陣のみの活躍なのに、三河一向一揆の時代から使えるせいで誤解も多いようだが。
- 744 :
- 井伊の家臣は結構別の場所で活躍して名前が残っているね。
優秀な人物が積極的に当てられていた贔屓の象徴だ。
- 745 :
- >>744
しかも、その優秀な家臣の手柄を奪っていたからタチが悪い。
井伊に付けられた家臣が、待遇が悪くても他のとこで仕えたいと苦しむ中で
事あるごとに奴は家臣を手打ちにし、力の誇示を図っている。
おまけに「俺は人の三倍働いてるから辛い(現代語訳)」と親しいものに手紙て自慢をする始末。
こんな狂った状況でも実績を残せるのだから、まともな大名の下で更に活躍できないわけがない。
- 746 :
- それで付いたアダ名が「悪い直政」だっけ?
- 747 :
- 原文では悪し直政だね。
今はそこまで嫌われてはいないけど、
明治までは生臭の代表格として批判されているよ。
- 748 :
- 徳川が仮に勝ったら勢力図はどうなると思う?
各地に息のかかったやつを置くとしたら、層の薄さから悲惨なことになりそうだが。
- 749 :
- >>748
ん?
徳川が勝ったって豊臣政権の執政となるだけだよ。
よくて北条執権家、悪くすると藤原氏みたいな政権寄生虫として続くかどうかで、何代目かで別の実力者に追い落とされるんじゃないか?
わたしは徳川秀忠を高く評価してるんで、よくある「家康が死んだらおしまいだよ」説には反対だから、二代目まではもつんじゃないかなと思うよ。
- 750 :
- なるほど
地方から中央に食い込むのは手間がかかるとはいえ、本格進出の必要はないもんな。
反抗的な奉行を徳川派の伊奈や大久保に交替させる感じか。
- 751 :
- >>737
尼子は親豊臣派を称して政権と繋がっていたから、島津や千瀬のような実質独立国とは毛色が違う。
- 752 :
- >>751
むしろ千瀬島津が畿内まで勢力を伸ばす方が絶対無理
蝦夷と薩摩から大阪向かうのは飛行機ですら相当しんどいのに
異動手段が風の影響をもろ食らう帆船しかないんだぞ
本拠を移さなきゃ話にならん
- 753 :
- 信長や秀吉も京に近いとこに本拠を移しているし、家康か秀忠も関東捨てて機内に移る気がする。
- 754 :
- それを豊臣が認めるわけがないだろ
畿内から追い出された後は大内みたいな地方軍閥になるだけ
他の大老や奉行も傘下に出来るなら話は別だが
豊臣の威光がある限り無理だろう
- 755 :
- >>754
豊臣が天下を取ってからは、中央に割り込んだ大名が尽く没落している。
前田、宇喜多、畠山、細川なんて旧領にいたほうが繁栄できた。
徳川も同じ轍を踏むのが目に見える。
- 756 :
- 三代秀光の時によく大阪まで顔を出していた伊達も、移動費用が洒落にならなかったようだからな
メンツの代わりに国富をじゃぶじゃぶ使うとこは流石伊達者と言うとこか
- 757 :
- 冬の奥州は寒いからって言い張って来てたんだよね。
口添えのために居たのは明らかだったのに。
伊達といえば政宗が南部と津軽を唆したって本当なのかな。
今は通説の対抗馬として取り上げられているけど
旨味は少なかったしやる必要ない気がする。
- 758 :
- >>757
書状とかないから確実とは言い切れないが、葛西大崎の一件を考えるとありえなくはない。
むしろ九戸の乱の再来狙った南部主犯って通説が違和感の塊なのがな…
九戸は豊家の最低で南部傘下って判断だったが、津軽は独立までこぎつけているほか
席次は南部より上とも目されている。
こんな条件で戦の責任を津軽になすりつけるのは無理がありすぎるわ。
- 759 :
- ○裁定
×最低
- 760 :
- それが有力だってことで南部が馬鹿にされるのが辛い
小説やゲームでもアホ枠扱いだし
「三日月の丸くなるまで南部領」って知ってる?全盛期の南部の大きさを謳ったものだよ
- 761 :
- なるほど。
南部のことはよく分からなかったから参考になったよ。
改めて調べると政宗って大河のイメージほど戦をしてないよね。
そのぶん謀略(疑惑含め)が多いけど。
- 762 :
- てか伊達は大河のおかげでイメチェン成功しとる。
元々は計略好きの小物やったんに、あれでかっこええ独眼竜になったわ。
小田原遅参でビビっりまくっとった原型があらへんて。
- 763 :
- そういえば武田信玄って肖像画だけは有名だったけど
結局別人の物だったみたいだね
ステロイハゲとしてネタにしかならなかったのに
それすら失うとか取り柄なくなっちゃったね
- 764 :
- >>763
武田信玄でステハゲを汚すな。未来を捨ててまで強さを求めたステハゲマンは、悪魔超人の中でも人気なんだぞ。
というのはさておき、発掘調査や史料の再検証にはビックリさせられるよな。
織田信長に鼠と呼ばれた秀吉が145aで、当時基準じゃそこまで低伸長じゃなかったりとか。
- 765 :
- 武士は良いもの食っているから体格も比例して良くなるぞ
アスリートや兵士の体がたくましいのと一緒
- 766 :
- >>762
まだテレビがモノクロだった時代までは、伊達は悪役の鉄板だった。
豊臣に忠を尽くさず、手練手管で乱を企て、松前や千瀬と争った経歴からしたら当然だが。
描写も怒りを堪えたり高笑いしたり、一喜一憂がユーモラスな作品が多い。
ところが千瀬がロシアで革命に成功してから立ち位置が変わり
今のような、若さと格好良さを押し出した姿をよく見るようになったわけ。
- 767 :
- >>766
吉田郡山の時の輝元並の棚ボタだなぁ
大勢力だったのは分かるが美化する必要ないだろ
- 768 :
- 秀次残党に関しては悲惨だったね。
池田輝政、浅野幸長ら敗北者に集まり、無様な結果になってしまった。
池田輝政を斬首したのは正解だろうね。石田、増田とも秀次残党を集めると
主張したのにその通りになったもんね。
- 769 :
- >>768
そこに最上義光も連座させたかったな
松前なんか奴の旧領に転封された時
いきなり残党狩りを命じられて大変だったそうだ
- 770 :
- 梅北一揆や肥後国人蜂起事件みたいな実例を見る限り、わざと反乱を起こさせるか芽を摘むか、どちらが効果的なのか悩ましいな。
- 771 :
- 肥後のは佐々を潰すための策略だから…
- 772 :
- >>769
一番の失敗例を忘れてるぞ
江戸の陣
これが近代まで関東の開発が捨て置かれた原因でもあるんだからな
- 773 :
- 関東開発の遅さは湿地だらけという側面もあるかと。
陸路の劣悪さと海洋戦力で北条を相手に生き残り続けた里見みたいな例もある。
- 774 :
- 戦後の「さあ開拓事業だ!」って打ち出した時に、湿地を守る条約だの市民団体だのに邪魔されて計画が狂ったのは忘れられない。
- 775 :
- 成田空港計画も頓挫しちゃったしな
あんなド田舎の環境守ってどうすんだろね?
- 776 :
- 守ろうって活動してた奴らは後の展望がないぞ基本
空港予定地だったとこの地権者だけが大損こいて泣き寝入りよ
事件から半世紀以上経った今ですら村八分みたいだしな
- 777 :
- >>771
位が低い頃の秀吉と仲が悪かったみたいだからね。
孕石元泰や武田旧臣への家康の仕打ちと比べたら、筋通して罰しているだけましだけど。
>>776
土地代の吊り上げだとマスコミにレッテルを貼られ、市民団体には絶対に建てさせるなと脅され
最後に残ったのは泥まみれの土地と国賊の悪名のみ。
ある意味一番の被害者だよね。
- 778 :
- >>769
しかも数万石程度の地力しかない状態で、20万石の額面以上の広さの土地で残党狩りだ。
一歩間違えたら、伊達政宗に派手にかまされた木村吉清のようになっただろう。
始末したと偽って残党の一部を登用し、人員確保をした松前の手腕は流石と言ったところか。
ただし、登用に応じた者がこぞって仲間を売ったのは後味が悪いが。
- 779 :
- 江戸の陣でも服部が三崎城と徳川の内情を手土産に寝返ったし
保身のためなら何でもやる輩にとって裏切りなど造作もないんだろうな
- 780 :
- 戦場での裏切りっぷり見苦しくて、酷い評価されまくってるから、天網恢々疎にして漏らさずって感じがしないでもない。
- 781 :
- 伊賀者って言葉が生まれたのも当然の結果だな。
ストライキを起こされるほどの畜生ぶりも悪評に拍車をかけている。
- 782 :
- あのストって誰の差し金だろう
下手したら全員処刑だれてもおかしくないのに
よほど待遇がひどかったのか
- 783 :
- 改易されてるから真実が歪められてるとは思うけど、ストの首謀者を上意討ちしたというものの、ストとは関係ない人物を始末していた。
そういうこともあっての改易なんだけど、実際は関係ないと知ってて、美人の奥さんを手に入れるためとか、財産没収するためとかも言われてる。
当時、まだ戦国の気風も残ってて、主君に忠より家臣が主君を選ぶって感覚があって、嫡子がいても木下家の人間を迎えようとしてバレて改易とか家臣が暴走する似た例はあるんだよね。
伝説の中の服部正就は好色陰険な人物で、利に敏い小物っぷりとかキャラが立ってて良いけどね。
- 784 :
- >>783
元福島家臣だった吉村とはマニアックな>嫡子がいても木下家の人間を迎えようとしてバレて改易
話を知った息子が親父と腹心を襲撃して切り捨てたんだっけ
秀次も一歩間違っていたらここまで拗れていたかもね
- 785 :
- でも服部家って、ストを起こした家臣は基本、他家に雇用されてんだよね。
服部は徳川裏切って、家臣は家臣で主君裏切って他家に仕官。
全員が全員、利に転んで主家滅ぼしてんだぜ。
全部偶然とか、関連性ないとか信じられないよな。
- 786 :
- 伊賀忍は服部が独裁する前は、合議制の豪族集団だったからな
実際に織田に服属を求められた際に賛成と反対で割れてゴタゴタが起きてる
それに乗じて徳川をバックにつけて服部が支配したんで
他の奴らに不平不満が募るのは当然だ
因みにスト起こした中で異色なのが石川治部
あの有名な石川五右衛門の甥で、佐竹家に仕えて剣術指南役になってる
- 787 :
- 石川治部って猿飛影流の当代だった佐竹の指南役を何度も負かしてクビにさせんだっけ。
柳生たちの流派の元だから相手も弱くないはずなんだけどね。
- 788 :
- >>783
徳川に忠を尽くした父、服部正成と対にするために特に悪く描かれることが多いな。
映画「HANZO」で正成が徳川信康の介錯が出来ずに涙したり、晩年に石川数正と語らう姿を見せる中
正就は逸話に忠実とはいえ、劇中では8割以上も悪人面をしている。
忍者ら隠密衆の汚点の象徴として扱われているゆえ、致し方はないが。
- 789 :
- 汚い忍者って立ち位置だからなぁ服部
美談が多い風魔だって一時期は盗賊にまで落ちぶれてたのに
- 790 :
- 時代劇で国家転覆とか、お家乗っ取りとかに忍者出てくると、だいたい服部党とかいう名前だもん。
後年、服部党は保長、正成の系統とは別で、長島一向一揆に参加してたり、出身地は同じ伊賀の服部さんが、お家騒動に関わったりと、元ネタ?がないわけじゃないんだよね。
- 791 :
- 無能系君主のモデルが徳川家康になるのと同じかね
実際の家康はそこまで無能だった訳じゃないけど固定観念って根強いな
- 792 :
- 家康はこの前の大河のせいで、目をむいて甲高い声でイヒィ、イヒィ言っている印象しかない。
信長が討たれた「イヒィ」
重次が大政所監禁してる「イヒィ」
太閤が崩御「イヒィ☆」
小早川が山をくだって攻めてきた「イヒィ」
完全にネタキャタだったよ。
- 793 :
- 真田が上田城建造を懇願した時も家康「イヒィ☆」て言ってたわ
誰だよこの演出にGOサイン出したのは
- 794 :
- でも、実況でイヒ康、イヒ康って盛り上がってたよ。
徳川☆イヒィ康ってなんだよ。
- 795 :
- >>794
イヒ康に限らず、登場人物が同じ台詞を使いまくってるもんな
昌幸も信繁も口癖かって思うほど繰り返してる言葉があるし
これからの歴史考証にも影響を与えかねないわ
- 796 :
- まあ…ゲーム会社とコメディ作家の夢のコラボ作品だから。
次は安易なキャラ付けをしないで欲しいね。
- 797 :
- よく分からないことがあるんだけど、毛利家的には勝って得をしたのか?
関ヶ原以後、家臣が大名として独立、場合によっては転封させられたり、豊家から家臣押し付けられたりしてるし、
豊家との結びつきを強めたというより、豊家が寄生し骨抜きにしたようにしか見えないんだけど。
- 798 :
- >>797
赤間関の大火が起こるまでは本家もイケイケだったし、小早川は関白輩出する名家、吉川は維新の際の中核として大逆転。
本家が石田に潰されたり、小早川が豊臣の血筋に乗っ取られた以外は勝ち組に感じるけどね。
東軍なんぞに負けてたら毛利は悲惨だよ。
西軍の名目上の大将は輝元だから、少なくとも打ち首は免れられないと思う。
内通疑惑のある吉川以外は1万石以下にまで削られるとか、小田原仕置パターンも十分ありえる。
- 799 :
- 上杉なんかは負けていたほうが良かったかもな
耄碌ジジイ直江兼続にズタズタにされる前に
徳川と戦って派手に散れば美化されて評価も上るだろ
- 800 :
- >>799
でも判官贔屓バリバリの兼続や景勝が産まれると考えると、何かもやもやした気持ちになる。
綺麗な徳川四天王と似た違和感かな。
- 801 :
- >>800
多少は同情からのバイアスはかかるかもしれない。
それでも、あからさまな美化や中傷は見抜かれると信じたいな。
重臣たちの前で徳川家康が井伊直政の体中の傷を説明し
彼が忠臣かつ武士の鑑だと分からせる逸話は
中国にある孫権と周泰のものを盗用しただけと見抜かれたように。
- 802 :
- >>798
毛利が今以上の評価を得るとしたら、豊臣に囚われる前に明智からの使者と接触して
仇討ちに向かう豊臣を挟撃、殲滅ののちに明智政権内で地位を確立させる位か。
鎌倉北条のように執政職を手に入れられたら御の字だろう。
実現するための前提が非常に難しいが。
- 803 :
- 謀反を企む秀次を神輿にしようとしても、ドサクサに紛れて大友を九州にけしかけても失敗だから、輝元って自発的な行動がすべて裏目に出る星のもとに生まれたんじゃないか?
- 804 :
- そもそも輝元と秀元自体が家康よりもif需要ないもんね。
輝元が秀次と密約を交わした文書に、咄嗟に秀元が言葉を付け加えて
秀吉を支持しますって文書に変えた逸話は好きだけど。
- 805 :
- 官位は秀元さんに抜かれっぱで、祭祀継承のみ相続したとか言われる輝元さん。
・・・一応、毛利家の宗家って輝元の安芸中納言家だよね?
- 806 :
- >>803
言えてるわ
恵まれた元手と待遇に流されるままでいたほうがいいタイプ
同年代の大名の中じゃ輝元自体の実力は下のほう
>>805
よく知ってんなぁ
前田が輝元の孫娘を見つけて土佐の安芸氏に嫁がせた家系
これが血筋の関係で宗家扱いされてる
豊末にでかかった毛利は勘違いされがちだが勝永のとこ
秀元流も木戸の乱で一旦絶家して今の当主は小早川の養子だ
棚ぼたと言っても良いわな
- 807 :
- >>790
遅レスだが、由比小雪の配下にも服部某という人物がいるほか
打ち壊し先導者の中にも、服部と名乗る人物が度々出てきているな。
以外と人気の名前なのかもしれない。
- 808 :
- この前、図書館で調べ物してたら、高校生ぐらいかな?なんか徳川家の家臣団の素晴らしさを二人で熱く語っていたんだ。
徳川四天王って全員、死ぬまで家康に忠義を尽くしたと。
忠義の定義とか見解の相違とか、一旦、置いておこう。
ここまではどうにか許した。
全員、江戸城を枕に討ち死にしたそうだ。
滅びゆく徳川家を必死で支え、戦場で華々しく散るさまは、まさに戦国武士の生き様だってさ。
その話しを聞いたとき、純粋に「そこまで生きてたら忠次って何歳なんだろ?」だった。
- 809 :
- 高校生、ぜったい無双オロチにハマってるな
これに江戸の陣で徳川オールスターと戦うステージがあって
四天王が最後の壁として立ち塞がるから間違いない
- 810 :
- 無双オロチって一番ぶっ飛んでる奴をよくもまあ…
あれは馬鹿ゲーとして見るべきだよ。
戦国無双でも時代間違えていそうな本田忠勝、ジョーカー的存在の上杉謙信なんかいるのに
オロチ専用が妖怪じみた源頼朝、背中にブースター積んだ平賀源内とかヤりたい放題。
新聞記事の武将特集で無双キャラ載ってたときは頭がクラっとしたね。
- 811 :
- 取っ掛かりに無双は便利なんだけどな。
脚色オリキャラはお察し。
- 812 :
- 西軍はどうして立花を大津城ごときに張りつかせたのかな。
太閤殿下に鎮西一とまで評された豪傑なんだし、本戦の中核に入れておけばもっと楽に勝てた気がする。
- 813 :
- >>812
西軍首脳から見たら裏切りな訳だし、手持ちのエースでさっさと始末するって考えだったのでは。
- 814 :
- 確かに先鋒は島や小西、大谷と全員石田の息がかかってるな
- 815 :
- 西軍ばかりか東軍も戦略、戦術ミス犯してるから何とも言えないな。
秀忠遅参なんて結果論的にも致命的なミスになったし。
- 816 :
- 西軍が戦略的なミスを連発するも、関ヶ原で家康は戦術的なミスを連発して敗北。
戦術的なミスも場合によっては戦略的敗北に繋がる好例
- 817 :
- おかげで戦略ミスを戦術レベルで取り返そうとする悪しき伝統が。
ついでに包囲殲滅戦至上主義も関ヶ原の遺産かな?
無理矢理包囲して中央突破され、戦線分断されるようなお粗末な戦法を繰り返し、自滅していった後々の軍人。
- 818 :
- >>817
ダメだと分かっていても風当たりや統制を考慮したら、内部改革より敵と講和したほうがいいって松永元帥が匙を投げた話だね。
関ヶ原、第二次戦国、維新の地代でも包囲殲滅策は成功していたから、おいそれと方針を変えられなかったのかな。
- 819 :
- 大河オリジナルの信之の側室(と書いたらいいいのか?あれ)がウザい
品行方正が戦国とは思えない所は百歩譲るが
小松姫と婚姻結ばされてガチガチの頃から出しゃばるなと
女遊びに没頭したのは廃嫡後だってのに
- 820 :
- なんか監督の好み入ってる感じがするよね。
信繁は凡庸だけど憎めないって感じで良く描いてるのに
信之とか北条周りは粗は目立つのも変。
- 821 :
- >>820
小田原征伐の原因が、バカ北条の停戦破りみたいになってるのもひどい
豊臣の手先として使われていたことすら美化するつもりか?
- 822 :
- 俺は勝頼時代に家臣たちが「信玄さまなら」ってほざいてるとこで諦めた
ドマイナーだからって神格化できるような代物じゃねーよあいつ
悪いことは何でも周りや勝頼に押し付ける馬鹿と発想が同じだ
- 823 :
- このヘイトを撒き散らす姿勢、いつぞやの石田大河を思い出す。
- 824 :
- >>822
このゴミクズみたいな最下層の知恵遅れって自覚はしてるもんなのかなw
- 825 :
- 流石に信玄は知恵遅れではないでしょ
晩年は織田と敵対したり死期を弁えないから
痴呆だと揶揄されているけど
菅沼遼太郎が魅力的に見せようと躍起になるくらいの
無難な内政や領土拡大はやれている
- 826 :
- 関ヶ原後から秋田青森岩手の付近ってどうなってたっけ?
- 827 :
- >>826
あの地域は混沌としていて、時期によっての勢力変化が大きい。
豊末では秋田が戸沢、青森が櫛引九戸、岩手が小幡が主に治めていた。
それでも入れ替わりが多いせいで、同じ県内でも市の間でいがみ合っていることもある。
柿崎(松前)が最上の後釜として定着した山形は平和だが。
- 828 :
- ずっと伊達と松前と千瀬の戦場だったからねぇ
あそこまで激化する価値のある土地だったかと考えると疑問が残る
- 829 :
- 伊達は何だかんだで奥州統一狙ってたんじゃないか?
イスパニアへの手土産が仙台周辺だけじゃ格好がつかないだろうし、
何より秀吉公の時代ですら一揆扇動する無謀さもある。
- 830 :
- 本当に身の程知らずだな。
関ヶ原の結果出るまで日和って、その後、最上急襲とかセコすぎる。
- 831 :
- >>830
「それでも甥か!」って嘆く義光を容赦なく討って、首を上杉に渡す畜生っぷりは誰にも真似できまい。
- 832 :
- そこまでやって、加増なしで所領安堵どまり。
もう少し巧くやれなかったのか?
- 833 :
- 流石に野心のある輩と見抜かれていたからね。
関ヶ原後の加増も、100万石以上の大大名にのし上がったのは宇喜多のみだし、伊達をそこに並ばせる訳にもいかないでしょ。
- 834 :
- 羽柴秀秋も100万石だよ
- 835 :
- 秀秋は関白就任のイメージが強すぎるからなぁ
その上後釜の秀包がヘマして70万石に削られちゃったし
- 836 :
- >>828
伊達:奥州統一が代々の悲願
千瀬:海峡を越えた領地の確保
松前:旧家臣や同盟先に頼られて係争
こんな感じだろう。
今でこそ穀物や海産物は豊富だが
当時は日持ちもしないし魅力にはならない。
- 837 :
- >>835
1601年秀包死去、1602年秀秋死去
小早川家継嗣騒動って豊臣政権はかなり苦慮してるよ。
- 838 :
- (また小早川アンチが勝手に殺してる・・・)
- 839 :
- 1615年に関白を秀頼公に譲った秀秋がなんで1602年に死なんといかんのよ
- 840 :
- 秀秋公って子供の頃から酒豪だったから、周囲から早死にすると思われていたんだっけ。
関白になってから断ち切ったのが功を奏したのかな。
でも仮に秀秋が早死にしたとしたら、絶対メチャクチャになってたよね。
秀頼の補佐を巡って泥沼の争いになるだろうし、群雄割拠が早く来るかもしれない。
御三家はじめ秀秋子飼いの面々もいないと考えると絶望が込み上げる。
- 841 :
- それ、秀秋の後をついだ弟の秀規公の話しだよ。
中国大返しの時の隆景、関ヶ原で勝利を決定づけた秀秋の陰に隠れていて、講談は無視され、大河ではさらって触れられる程度とはいえ、関白を大過なく秀頼につないだ重要な人物。
一応、豊臣実記ではその功績を認め、周公旦になぞられるなど、過分な評価をしてもらっているというのに。
- 842 :
- 豊臣家が長期政権になった理由として、すべてが結果論ではあるが、
親族となる木下家が、積極的に他家、有力外様大名家に養子に入ったこと
関ヶ原で重要な役割を果たし、関白にまでなった秀秋の早過ぎる死と、その跡を継いだ政治的野心皆無な秀規という存在。
上記事象に影響されたかのように、秀吉子飼いから、秀頼の側近へと権力が順調に移行されたこと。
が上げられている。
- 843 :
- >>841-842
秀規が影武者になったってやつ?
確かに朝鮮の時に一緒になった大名に対して
縁故による厚遇などなかったというのが根拠にはなってるけど
結局文書は全部秀秋名義だし真相は闇の中か
- 844 :
- 生没年や墓の所在など、秀規公は不明なとこばっかだからな。
菅沼も土方も慎重な扱いをしてる。
>>840
おそらく秀頼公の元服まで関白は不在だ。
その間に上杉、宇喜多、毛利あたりが争いかねない。
最悪なのは各々が将軍だの名乗って独立すること。
権力と武力を関白に統合した秀吉公の功が全て壊され
元服する頃には単なる飾りになってしまう可能性もある。
- 845 :
- >>836
柿崎は由広が当主の時代までは、野心に則った戦略をしている。
エセ九戸を立てて勢力拡大を狙ったり、花巻に入った大山を明教の政変に乗じて傘下にしている。
その後は上杉と同盟して恭順路線になったのだが。
秋田の戸沢は千瀬と領地交換をした後は目立った動きはない。旧領復帰だけが目的か。
- 846 :
- >>844
最悪、歯止めのかからない戦禍で公儀自体が滅ぶ。
秀勝、秀長、秀次系が全て絶えているのもあり、豊臣一族は秀秋系と秀頼系しかない。
仮に秀秋が早世した場合、力のないうちに秀頼を謀殺したら後腐れはなくなる。
源氏から執権政治を得た鎌倉北条の前例もある以上、石田、増田、長束らの奉行衆も跡目を狙うだろう。
- 847 :
- >>843
関ヶ原後、秀秋から秀詮に改名してるのに、秀秋名義で残ってるなら、思いっきり別人だよ。
そもそも改名したのは関ヶ原での功績をたたえ、結果、効果を意味する詮の字にかえた栄誉ある名前なんだから。
関ヶ原の時、高台院の警護した木下家定は、秀吉の旧姓を名乗ってるように、木下家は秀吉の親族扱いされている。
- 848 :
- 秀詮って調べてみたけど三河太平記とか小説っぽいのしか出てこない。
どういうことや・・・
便宜で秀秋呼びされてるのかと考えたんだが訳がわからん。
- 849 :
- そりゃ関ヶ原後の改名なら翌年ぐらいに死去してるから、秀詮での書状が少ないパターンはありえる。
逆にすぐに死んでないのであれば、秀詮の名が残らないは無理がある。
正式な名乗りより通称の方が有名な例は幾らでもあるので、秀秋もそのパターンで、正式には秀詮だけど、秀秋の方が著名なため、慣例的に秀秋と称されているのであろう。
関ヶ原がどのような経過をたどり西軍が勝利したか不明だが、ながらく存命であれば関ヶ原の功績なども鑑みるに、その存在が強くなりすぎ、そのまま秀秋の系統が関白を引き継ぐ可能性が出てくる。
政権にとって重要な戦いに参加し、勝利にも貢献してした実績のある人物より、血筋的には良いけど未知数な部分が多い人物が頂点にたち、かつ、前者とその取り巻きが後者に恭順するご都合的な展開があるのなら別。
関ヶ原以後、まだ徳川家が残っているようなので、徳川家という明確な敵対勢力が残存しながら、秀頼の対抗馬以上になる人物に、必然的に高い地位につかせている
内憂外患状態の政権が、その後、どのような経緯をたどり安定政権になるのか興味はある。
- 850 :
- 仮に秀秋が早々に死去した場合でも、木下俊忠、秀規といった秀秋の弟が秀吉の馬廻衆つとめたり、関ヶ原の時に大阪城の警護をしたりしたように、若年ながらもそれなり役割を果たしてる。
秀秋が仮に死去していても彼らが次ぐことで、秀秋が存命の場合の影響力が低減出来るメリットとがあり、軍事力の低下は否めないが、一応、押さえることが出来る。
秀秋が早死にしなかった場合よりも、秀頼側に利が多いと思うんだが。
- 851 :
- >関ヶ原がどのような経過をたどり西軍が勝利したか不明だが
なるほど
そもそも次元が違ったのか
- 852 :
- 東軍が勝ったとしても日本語が残っているというのは素直に嬉しい。
我々が考えているほど東軍の作る世は悲惨ではないのかもしれない。
- 853 :
- >>849
想像が難しいだろうけど、秀秋の統治は上手くいってたよ。
馬鹿だからと言いつつ石田らに政務を任せながら、島津豊久をはじめ派閥増強に成功しているし、
宇喜田、毛利、上杉、島津が互いに牽制しあって大きな戦も起こってないね。
最大の敵の徳川は家康と四天王が全員討死か処刑されたほか、家臣団は結構な数の犠牲が出てる。
それでも千姫の輿入れの温情で、秀忠は武蔵41万石に改易で済んだ。
他にも前田が50万石に減らされたり、最上や堀に至っては滅ぼされたりしてるよ。
秀秋が強権化しなかった大きな理由が江戸の陣。
旧東軍残党らの蜂起を予想できず、夏に大敗して関東の大部分を奪われた責任を取って
関白の座を元服したばかりの秀頼に譲らざるを得なくなったわけ。
これに関してはタイミングが奇跡的だね。
- 854 :
- 徳川領がほとんど蔵入地になってたのが痛かったな
だからすぐ取られた
- 855 :
- >>848
ああ、相応しい名前と脅迫で秀詮()を裏切らせたってやつな。
関白よりも陣中に撃ち込まれた銃弾を取るってガイジすぎるわ。
どうして徳川勝利系の物語って上手い話を作れないんだ?
- 856 :
- 江戸の陣で徳川重臣の次世代の底が知れたからかね
御三家に匹敵する将が現れないと統治は絶望的だ
- 857 :
- 島津豊久がいない→基地外かつ徳川支持だった忠恒が、混乱に乗じて九州を荒らし回る気配しかしない
千瀬涼虎がいない→蝦夷開拓が進まない可能性が高いうえ、東北も伊達が幅を利かせる
尼子頼久がいない→毛利もいなければ中国が空白地帯となり戦乱が続く
彼らに取って代われる傑物なんているのだろうか・・・
- 858 :
- >>853
欠点は浪人対策の欠如、数こそ少ないが取り潰しの厳格さ位だな。
戸田、南部は甲府へ流刑、津軽に至っては切腹を言い渡し
遺臣たちの仕官斡旋もなし。
ただでさえ食いっぱぐれの武士崩れをいたずらに増やしてる。
- 859 :
- そういや加藤嘉明って改易された後どうなったんだろう。
清正は息子の凋落との比較が有名だけど、嘉明が全然分からない。
- 860 :
- >>853
さすがにたかが関東蜂起の予測できない程度でトップの首がすげ替えられたら、その後の豊臣政権が不安定すぎる。
農民一揆や、飢饉、そんな理由でポンポン代替わりしないとなんないよ。
その話が正史なら秀秋が子供ができず、秀頼が継いだはず。
ましてや政治を三成に任せてたのに、失策理由にトップが代替わりした上に、自身の子に継がせず兄弟に継がすのは無理がありすぎ。しかも、秀次の件があった豊臣家がやるのは冒険しすぎ。
そんな理由でトップがホイホイ代わったならば、秀頼もいとも簡単に代えられるぞ。歴史上、国を揺るがすような出来事が1回しか起こらなかった政権なんて、よほどの短命政権ならいざ知らず、長期政権でそれは無理。
秀秋が死んだか、秀秋が周公旦の故事に習い秀頼に禅譲。秀秋は子宝に恵まれず、お家断絶を惜しんだ秀頼が自身の子供に継がせた云々のはず。
- 861 :
- 10万以上20万弱と言われる徳川軍の反乱をたかがで切り捨てられるって、>>860の世界は修羅の国か何かかな?
- 862 :
- 江戸の陣の規模は関ヶ原や小田原より大きいうえ
体勢が整う前に攻められて、箱根まで失う大失態だからな。
蔵入地の代官をしていた木下勝俊、俊定も討たれ
秀秋が自責の念に苛まれれるのも無理はない。
- 863 :
- >>860
>関東蜂起の予測できない程度でトップの首がすげ替えられたら、その後の豊臣政権が不安定すぎる。
実際に三代秀光以降の豊臣公儀は、畿内より遠くへは権力が行き届いてない。
>農民一揆や、飢饉、そんな理由でポンポン代替わりしないとなんないよ。
明教の政変からはどこも少なからず戦乱があったからそれ所じゃなかったんだよなぁ。
>政治を三成に任せてたのに、失策理由にトップが代替わりした上に
奉行衆が辞めたら大大名が政権を牛耳るし、責任を取らなければ反目の危険もあった。
>自身の子に継がせず兄弟に継がすのは無理がありすぎ。
羽柴秀行は通説では12歳、秀就は6歳、兄弟で存命確定なのは病弱な俊貞のみ。どうしろと。
>そんな理由でトップがホイホイ代わったならば、秀頼もいとも簡単に代えられるぞ。
石田家が実権を握り続けていたらそうなっただろう。
>歴史上、国を揺るがすような出来事が1回しか起こらなかった政権なんて、よほどの短命政権ならいざ知らず、長期政権でそれは無理。
一回だけのとこは大抵そこが原因で滅ぶから当然のこと。公儀の苦難を舐めてはいけない。
うん、そちらの世界の政権がどういう感じだったのか逆に気になるな。
- 864 :
- 関ヶ原の陣中で偽名で守備兵に就いてた阿部某に斬られたのが家康の最後って切ないな…三代揃って阿部一族に殺害されるなんて
秀忠なんて上田城攻めで寝返った正信に暗殺されるし
榊原康政なんて秀忠死んだら即2万の兵引き連れて江戸乗っ取って籠城するし録なもんじゃねえよ
- 865 :
- 質問ばかりですまん
>>863
病弱なのは延貞じゃね?別の兄弟?
>>864
阿部某ってあの阿部高和の先祖ってマジ?
- 866 :
- 少なくとも阿部某は正豊やその父の血筋ではないな
正豊の一件の後は養子も取れず断絶している
あるとしたら弟の家系くらい
- 867 :
- >>865
木下俊貞って調べても出ないわ。
兄弟や病弱って文脈からして、延貞が正しいと思うな。
延貞は何だかんだで90近くまで生きてるから
結果的に一番兄弟で長生きしてる。
- 868 :
- >>859
どうやら改易後は鍋島に拾われたものの、鍋島が改易された際に記録が途絶えてるようだ。
その後に怪しい記述が出たのが、保科羽柴家の目録にある「加藤四郎明重」。
年齢や経歴も分からないが、四国に領地を持ったら前任者として
嘉明または子供を召し抱えたのではないかと研究されてる。
因みに嘉明の家臣で大身だった佃十成は、毛利の軍勢を僅かな兵で退けた縁からか
毛利秀元に誘われて士官し、毛利の乱後は尼子頼久に仕えている。
- 869 :
- 地味加藤のほうが派手加藤より血筋は続いたのか
所領没収されたハンデもあるのにすごいな
- 870 :
- >>858
まあ江戸の陣で反豊臣勢力が一掃されたから結果オーライではある。
その後の中央情勢は、豊臣ありきの権力闘争の形だからな。
- 871 :
- 豊臣ぶっ倒そうって勢力が維新まで出てこなかっただけで、やっぱり室町幕府に近い構造だと思う
- 872 :
- >>862
勝俊は伏見城の埋伏が相当恨まれてたみたいだね。
石田はそれを分かってて安房の代官に任命したのかな。
- 873 :
- 豊臣政権が長続きしたら、史実に比べて大分地方分権的な形になりそうだな。
鎖国する統制力なんてなさそうだし、そして蔵入地の大幅な拡大なんて政策も取れなさそうだ。
そもそも明治維新まで存続できるのだろうか?
それとももう一度の戦国と統一が来るのだろうか.
- 874 :
- 島津と千瀬は中央から遠いのをいいことに、半ば独立国家みたいな状態だからね。
絶対的な力があったのは秀吉公がいた短い時間だけだったし。
地方分権といえばそうなるかな。
- 875 :
- >>873
そっちでは蔵入地すんごい多いの?
豊末の公儀の石高は統計上は320万石だけど
- 876 :
- 藤原氏が主に政権をとっていた時代=平安時代
その時代の末期=平安末期
豊臣氏が政権をとっていた時代=桃山時代
その時代の末期=桃山末期
このスレにやたら何回も出てくる豊末っていうのはなんなんだ?人名?
- 877 :
- なに言ってるの?
桃山時代てのは初代の秀吉公の時代をさして区分した言葉で、1558年まで。それ以後は豊臣時代か大坂時代だよ。
豊臣の末期だから豊末と普通呼ばれてるわけで、桃山末期だなんて言うのは知るかぎり小説家の菅沼遼太郎ぐらいだけどな?
- 878 :
- 大阪時代って呼び方が第二次戦国よりマイナーなのがな
確かに他のとこが発展してる中で公家同士の付き合いみたいな政治で足踏みしたとはいえ
国の舵取り役が豊臣であることは変わらなかったからこそ大阪時代なのに
- 879 :
- >>874
勝手に琉球や蝦夷全土にまで勢力伸ばすからな。
今でこそ価値あると思うが、よくそこまでやる根気が出たもんだ。
- 880 :
- >>875
全国の3分の1を前後する感じ。
その時の為政者によって超える時もあれば、少なくなる時もある。
天領320万石じゃ外様で豊臣家より大きい家もあったろうし、統制が大変だろうな
- 881 :
- 凄い大きさだなぁ…封地や征伐に困ることはなさそうだ
改易ばっかしてた秀頼の時代ならその近くまで行ったけど
戦国の再来で蔵入地が取られたり独立するやつが出て減ってる
それでも大きさを上回るとこは出てこなかったが
秀秋が才を見抜いた奴等の末裔が御三家と呼ばれるほど強く
尼子は大谷や長束ら執権衆に意見できる立場だった
- 882 :
- >>881
復活したらしい?尼子が一度目の戦国時代で言う、細川京兆家のようなポジションになったと。
そしてその政権はあくまで自分が関白になることはせずに、足利ならぬ豊臣を傀儡としたわけか。
しかし、その後何処が天下を統一したんだ?
現代に繋がるということは、中世の続きではなくしっかりとした近世国家が存在した筈だが。
- 883 :
- 少し違うな。
尼子は政治中枢に影響力があったとはいえ、どの年代でもライバルを押し退けられてない。
前田、長束、宇喜多、大谷らや浅井、保科のような豊臣親類が主だ。
それに歴代関白の自主性も失われたのは、豊末の長束東洋が専横した時くらい。
近世国家になったのも米寇って喚ばれるアメリカの侵略が引き金。
それまでは地方ごとに産業や生活水準がかなり違う連邦国家のような状態だった。
- 884 :
- 分割統治は今魯粛と呼ばれた松下利康の功績だよね。
各地で争いが起きてる中で、天を分けようって開き直ったら
ものの見事に戦いが沈静化しちゃったんだもん。
逆に地方のほうが、足の引っ張り合いしてる公儀内より安定しちゃったけど。
- 885 :
- >>879
琉球は貿易窓口として利点があった。
今でも主要産業になっている砂糖も、その貴重な元手になっている。
だからこそ維新の際に大量の武器を仕入れることもできた。
それとは反対に、蝦夷開拓が実を結んだのは近代に入ってからだろう。
昔は作物が育ちにくく、俵物や皮革以外に目ぼしい資源がなかったからな。
文化が他の場所と異なる発展をしたのも頷ける。
- 886 :
- 何で織田秀信は石田三成に言いがかりつけられて改易されたんだろ
仮にも秀吉の御輿なのに容赦ないな
- 887 :
- 織田嫡流っていうのを良いことに、実力以上の待遇だったのが祟ったのかな。
岐阜時代はまだ信長、信忠の威光があったからどうにかなったけど、若狭に転封された後は年貢の取り立てとかで問題が少なくなかったみたい。
佐藤方政をはじめ家臣も事あるごとに出奔しているし、他にも色々な問題を抱えていたんだろうね。
- 888 :
- >>886
関ヶ原の時に大口たたいといてあっさり岐阜城落とされたのがいけなかった
近年の一部の研究家によると、関ヶ原合戦は石田三成が東軍を誘い込んだのではなく、岐阜城陥落のあおりをうけてやむなく張った防衛戦にすぎない…という研究報告もだされている
この研究報告は東軍びいきが過ぎると思うけど、岐阜城陥落が石田の想定外のことなら、けっこう怒り心頭だったんじゃないかな?
- 889 :
- いくら多勢に無勢とはいえもう少し粘って欲しかったな。
敵に助命されてるし、普通あのザマで所領安堵はない。
今までが厚待遇すぎたってことか。
- 890 :
- 本人は戦の経験皆無だから仕方ない
池田が助命保証したら食いつくあたり平時の殿様って感じ
- 891 :
- 織田の嫡流になったのは長次系?それとも信雄系?
- 892 :
- >>891
どっちの末裔も宗家名乗っててメチャクチャ。
元はと言えば大谷と前田の代理戦争みたいな状態だったのに
今となっては奴らの手を離れて制御不能。
他の高家は勝手にやってろと言わんばかりに無視してる。
- 893 :
- 大谷と脇坂と脇坂の三つ巴とか、三好と細川の抗争とかは余りにも長いせいで辟易されてるからな
- 894 :
- 大谷と前田と脇坂の三つ巴だったわ・・・今の大阪総統選挙で頭がおかしくなってたかもしれん
- 895 :
- タコ野郎と言われたワンマン多胡が退任したとこで
後釜がまともになるなんて保証はなかった。
もう後の祭さね。
- 896 :
- 10年以上前、元ネタのスレに何回か書き込んだよ
懐かしいなw
- 897 :
- 関ヶ原後の関東ってどうなりましたっけ?
あと減封処分は誰だっけ?
- 898 :2016/10/09
- 蔵入地を移したのが大半
なんだかんだで徳川も武蔵江戸32万石で生き延びたし
上野の真の支配者は誰?
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