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なんで三好家って天下を取ったのに知名度低いの?


1 :2014/08/26 〜 最終レス :2020/03/31
天下という言葉が京都周辺を意味していることが知られていないからか?
ぶっちゃけ鎌倉の北条家よりやりたい放題してた
将軍と戦をして追放してたからねw
室町幕府も応仁の乱後、足利家の影響力がなくなったから戦国時代なんだよね

2 :
低くない
終了

3 :
取ってない
終了

4 :
関西と東四国だけで天下なん?

5 :
当時の天下=畿内近国のことだから。

6 :
尊氏はその程度の版図で将軍になってるからね

7 :
>>2
いや低いよ。

>>3
実質的には取ってると言える。

8 :
>>1
将軍追放くらいじゃインパクトが少ないから
当時は他にも将軍追放くらいならした奴いるし
教科書にも載らないからね

やっぱり信長くらい派手な事しないと

9 :
戦国一、大甘ちゃんだったで十分インパクトはあると思うが

10 :
マジレスしちゃうと怒られそうだけど
三好家がほぼ完全滅亡して歴史を書き残す人がいなかったことと
三好家の都たる堺が衰退してその閨閥も歴史の波にもまれて消えたからかと。

11 :
>>1
畿内近国=室町的な「天下」だとかりに知ってても、だ
織田・豊臣・徳川の「天下人」は全国統一政権だけど
(織田はプレ統一政権だけど本能寺なかったら統一確実)
三好の「天下」は畿内近国だけで上の3つとは比較にならないからだろね
あと三好長慶は敵が足利義輝以外地味なのがあかんのやろねせやね
正直一般的には「誰だよそいつ」レベルなのがネック
宿敵:三好宗三(しらんがな)
直接の下剋上相手:細川晴元(わからん)
一番派手な合戦の相手:畠山高政(誰なの)
一般的な知名度・人気の点を考えると難しいだろこれ

12 :
>>10
これはおれの持論なんだけど
三好は支配地域で後世に残るような大規模インフラ整備しなかったのが
滅亡後、三好の遺風を慕って語り継がれなかった理由の一つだと思う
確かに堺は三好の畿内進出の重要拠点ではあったけど
堺の発展は三好のおかげというより基本堺商人の地力の高さだし
拠点の西宮の越水城、大阪の芥川城・飯盛城は後世の各都市の発展に
ほぼ何の影響もあたえなかった
まあ手間ひまかけて城下町つくるコストをかけなくても
経済拠点押さえれば畿内支配に問題なかったからだろうけど
平清盛「港神戸はわしがつくって遷都したった」
豊臣秀吉「大坂に天下一の城つくったった。ついでに博多も復興させたった」
こうゆうのがあればもっと近畿なり徳島なりで知名度あったかもね
もっとローカルでも
宇喜多直家・秀家「岡山はわしらがつくった」
宇喜多も三好同様大名家としては完全滅亡したけど
岡山という城下町を一からつくったから地元では今でも愛されてる

13 :
>>12
良い指摘だと思う
朝倉なんかでも一乗谷が残ってたら大大名扱いされてたろう

14 :
>>8
将軍追放しただけじゃインパクト薄いっていうから
思い切って義輝殺してみたんだけど!
それでも三好家の知名度低いっていう罠…
え、将軍殺しも三好だけじゃないって?
くっそくっそ赤松のせいか…
じゃあどうすればいいんですか?(震え声)

そうだ大仏燃やしてみよう
そうすれば

15 :
三好は糞過ぎだからかと
信長が焼け太りしたのも三好が雑魚だったから

16 :
これまで松永久秀がとにかく悪人で久秀のせいで三好は滅んだって
わりと同情されてきたよね
でも松永久秀は実は忠臣で別に悪いやつじゃなかったんでしょ?
長慶も別にボケてなくて最後まで正気で実権握ってたんでしょ?
でもそうなるとなにが原因で滅んだの?
三好自身が駄目な子で自己責任で滅んだって結論になるんじゃないの?
そのへんどうなの三好としては

17 :
長慶が死んで十河が死んで実休も死んで安定しないまま信長が来て崩壊

18 :
なんで残ってた冬康まで殺しちゃうの?

19 :
        朝倉 
大内 赤松 畿内
   三好   織田 徳川

赤松が出ました
と思いきや赤松力尽き大内が出てきました
おやおや?大内の配下、尼子の裏切り。大内退場です
そうこうしてる間に三好が出てきましたね〜
ですがgdgd状態。新たなる救世主が待たれます
朝倉が来るか?来るか?来るか?
来ません!朝倉来ません
おーーーーとここで織田です!織田が来ましたーーーーー!
あれ?!転んだ?織田の高転び!!!
gdgdが続き最後は徳川でーーーす!

20 :
三好以前に将軍を戴いてた大内とか細川も知名度低いし(細川は傍系の藤孝は有名だけど)
応仁の乱の細川山名も知名度低いしね
単に信長以前がそもそも注目されてないだけなんじゃないかと
三好家主役のいい小説でもあれば知名度も上がるし信長の野望で三好四兄弟の能力もきっと上がるはず

21 :
>>16
・三好宗家の義継も三人衆の長逸も松永久秀もみんな同じ従四位下で横並び
 ここん家、誰が一番偉いんです?兄弟で2ヵ国ももってる松永派
 「おれの死んだあとは宗家と三人衆、松永でなかよく殴りあえ」としか
 思えないトロイカ体制を残して長慶退場
 →こんな三本の矢がうまくいくわけがない。毛利じゃないから
・三好三人衆(一門のおじいちゃん、旧敵の息子、三好ですらない)
 とかいう微妙すぎるメンバーで構成された三好首脳部
・絶対逃がしてはならないVIP・義昭の監視を担当していたのに
 あっさり逃げられる松永久秀→三好追討の神輿を織田がget
・絶対死んではいけないタイミングであっさり討死する松永弟
 →山城に隣接する丹波をあっという間に三好喪失
・三好三人衆と松永派で畿内一円で殴りあってgdgd
・せっかく三人衆が松永派を追いつめまとまりかけたのに
 ありえないタイミングで久秀に味方し再び三好を分裂させた張本人
 行動力のある馬鹿・三好義継
・せっかく織田に帰順して河内半国の守護になってたのに
 義継が義昭方に寝返って失敗
 →信長「Rや」であっさり三好滅亡End
滅ぶ家って滅ぶべくして滅ぶんだ
織田がすごいっていうより三好が間抜けなんだ

22 :
義継さん浅井朝倉が滅亡した後も3ヶ月間粘ってたのに、
いつ信長包囲網に参加して、いつ滅ぼされたか知らない人も多そう…

23 :
>>22
3ヶ月は三好的には粘ったうちに入るのか!
さすが信長上洛から2週間で畿内失っただけのことはあるなw
義継も謀反するならせめて畠山くらいは初志貫徹して殺っとけよ
こんな甘ちゃんのボンボンに同調して挙兵した久秀は
結果的に三好滅ぼした責任大。やっぱり松永の評価は奸臣でいいんじゃね?

24 :
その理屈で言うなら明智光秀に瞬殺されて
領地を子飼いの重臣達に速攻で分割された
織田信長という魔王様もそんな大したことはないわな。
太閤殿下の死から関ヶ原まで何日だったかな?
下剋上の世で強引な手法で勢力を拡大した巨大組織ってのは
カリスマが死んで求心力を失うと強力な遠心力が働くのよ。
あまり意地悪く見てやるなって。

25 :
秀吉死んでから関ヶ原までは1年以上あるんだが

26 :
うーん・・・
やっぱり前当主が後継者をはっきり決めて体制を整えておかないとどんな勢力も脆くなっちゃうよね
にしても三好の崩壊っぷりはもうちょっとやりようがなかったものか
他の有力な身内もバタバタ死んでたのが最悪過ぎるし天に見放されたというか天に潰されたとしか思えないレベル

27 :
天に見放されたっていうか
大仏「松永・三好に仏罰当てたった」
順慶「キャー大仏サン!!!!ステキー!!!!」
大仏「お、おう///」
筒井順慶はこう思ってたはず(たぶん)

28 :
>>8
実弟も恩人の守護を討滅とか、インパクトのある事してなかったっけ。
長慶は何度も刃向う将軍・管領家に対して、いかにも手ぬるい処置だったのに
弟がこんな事をやって、激怒しなかったんだろうか。

29 :
>>21
それ見ると将軍殺し&義昭逃亡が三好滅亡のはじまりに思える
義輝殺しても結局三好になんのメリットもなかったな
代替りで不安定な時期なのになんであのタイミングでやっちゃったんだろ?
その後の勝算とかヴィジョンとか果たしてあったのか

30 :
経緯を追うとたぶん側近の粛清が目的で
義輝をR気はなかったんだと思うけど。
すでに三人衆と松永派の暗闘が始まっていて
その間隙をぬって敵対勢力が義輝を神輿に担ぎ出す可能性があったから
先手を打って殺したのかもしれないですね。

31 :
>>20
知名度がないのはそいつらを主役にした大河ドラマがないから

32 :
R気ないのになりゆきで将軍殺したなら
うっかりミスすぎてそっちの方が末期症状だと思うが

33 :
ヤラレ役のイメージが凄すぎる

34 :
うっかりミスっちゅうか大阪の陣の時の秀頼と家康・秀忠の関係と同じ構図かと。
当時は既に天下の実権は三好の掌中にあったのに
未だに天下人のごとく振る舞う義輝。
素直に人質を出して屈服するなら生かしておいて利用するが
反抗するなら天に二日無しで死んでもらわな仕方ないわな、と。
三好が都の主となって14年以上たっていて
都の人心は三好側に移っていたことも理解できずに
三好を倒せると妄想していた義輝とその側近の方が末期的かと思うけど。

35 :
>>34
義輝殺した直後から、畿内では畠山・遊佐や波多野にせよ
潜在的な反三好勢力が総復活。反三好派の公家と連携しつつ
「三好追討」で団結してしまう
その結果、河内でも丹波でも織田の上洛よりずっと以前の段階で
三好の支配が及ばなくなってるよね
畿内の反三好勢力に格好の大義名分を与えただけでも
将軍殺しは悪手だったと思う
阿波公方の将軍擁立があんなに遅れたのも三好側の内紛もあるけど
義輝の後に三好義継にあるいは将軍宣下もあるか?と
三好側には淡い期待があったからでしょう
>>29
そういう意味ではいちおうのその後の計画・見通しはもってたと思う
でも長慶晩年の2度目の改元申請の時点で朝廷側は完全に黙殺してるし
朝廷としては明確に将軍義輝の権威を三好の上に位置づけていた
要するに三好側の想像以上に足利将軍の政治的権威は重かったってことよ
結局のところ三好側の自己評価が朝廷や周囲の評価とどこかズレてた
それが一連の見通しの甘さにつながったのではないの

36 :
>>35
三好の衰退は将軍を殺した影響よりも直接的には
松永と三人衆に篠原が絡んだ主導権争いが長引いたことが原因だと思うけど。
畠山は三好追討ではなくて旧領回復のために松永と組んだんだし
丹波での三好勢の決定的衰退は内藤宗勝の敗死からだし。
将軍殺しが反三好の団結の決定的要因という考えは時系列的に無理があると思うよ。
もしも松永と三人衆が分裂することなく義継を支えていたら
将軍家の復活は少なくとも畿内の大多数は望まなかったと思うよ。
応仁以来続いた畿内の戦乱がようやく収束するんだから
わざわざ幕府を復活させて戦乱を呼び戻したくはないでしょ。

37 :
>>36
畠山高政は義輝殺害直後から義輝旧側近や和田惟政・義俊らと連携をとって
義秋を支援しつづけたガチガチの反三好だぞ
・時系列的には後に義継・松永が三好三人衆と割れて織田=義昭支持に
 シフトしたから結果的に信長上洛時には(一時的に)同陣営になっただけ
・そういう意味では三好(義)・松永の方が生き残りのために
 自ら殺した将軍の弟に乗り換えたわけでそこには何の節操もない
 「畿内の平和のために将軍を殺した(キリッ)」っていうのは
 ちょっと三好以外の畿内勢力には信じろとか無理ゲーすぎる
・河内は畠山家の分国だったんだから
 もちろん高政の「打倒三好」の目標は旧領回復が目的に決まってる
 本気で「三好死んでどうぞ!朝倉でも織田でもはよ」と期待してた
・丹波の波多野も一緒。もともと長慶の若い頃からの反三好・晴元派
 長慶死後の混乱を勢力回復の機会ととらえて挙兵
 早々に松永の弟(内藤宗勝)を討ちとって目標達成
 波多野は関白近衛家(足利将軍家と近い)と姻戚関係なのも大きく
 こっちも将軍側近や他の畿内反三好と連携して義秋を支援した
何が言いたいかっていうと、将軍殺害はもちろん失策なんだけど
ほかにも筒井etc.畿内に多くの反三好勢力が消滅せず存在しつづけている時点で
三好の畿内支配はどこか根本的な戦略的ミスがあったんじゃね?ってこと

38 :
>>37
当主の高政が反三好でも畠山家中にも親三好の勢力がいるんであって
三好が分裂せずに強ければ反三好を貫徹できないと思うし。
現に河内半国を返してもらって義継と同盟組んでたじゃん。
三好家の戦略に根本的欠陥ってのは
結局のところ強力な統率者がいなかったという点が8割だと思うんだけど。
つまり長慶が若輩の後継者を残して死んでしまったことがやっぱり痛かったのかな。
反三好勢の力は長慶生前の方が圧倒的に強かったんだよ。
六角・畠山・細川全て健在だったし将軍も自前の軍事力を持ってたよね。
だけど三好に圧倒されてしまったよね。
つまり将軍に敵対することで反感を買って衰退したのではなく
長慶死後の内紛に付け込まれたから勢力を衰退したと説明した方が合理的かと。
三好三人衆の衰退の原因はなんだかんだ言っても「戦に弱かった」からだと思う。
武士は勝つ事が本なりで、勝てば求心力が働くし負ければ見放される。
松永相手でも織田相手でも肝心なところで負けたり勝ち切れずに終わってるし。
織田相手には本願寺を引き込んだり畿内の勢力を寝返らせたり相当粘ったんだけど
やっぱり実戦で負けてちゃダメだよね。

39 :
個別の武将が合戦に強いかどうか個別の合戦に勝ったかどうかより
(それもすごく重要ではあるけど)
三好は敵を撃滅して最終的に支配地域の国人を地侍レベルで
自家の家臣団に再編成・再配置するとこまでやる余力が
兵力的にも戦略的も長慶時代からずっとないのが本質的な問題だと思うね
それをしないとたとえ合戦に勝っても敵対勢力が確固とした
自家の戦力に転化しないんだけど、三好は版図は畿内近国に広がったのに
それができたのは畿内ではせいぜい摂津の一部くらいだったのが弱い
あとは負けた方の大名・国人領主が一時的に「サーセンw」と
面従腹背してるだけで、播磨の別所なんかまさにそう
だから多くの敵対勢力が負けても家臣団ごと勢力が温存されたまま残ってしまう
その結果三好の威勢に陰りが見えると
オセロゲームみたく支配してたはずの地域で勢力図が入れ替わっちゃう
波多野なんか20年以上にわたって延々と戦ってるのに
三好は滅ぼすことができなかった
長慶死後あっけなく丹波を失陥するのはまさにそのツケが回ってきたかんじ

40 :
それは三好家に限らず今川家にも同じことが言えるよね
遠江や三河の多くの国人衆を本領安堵によってつなぎとめ再編成再配置までできていない
三好家と違い今川家は駿河守護なので兵力はあるが武田家、北条家、織田家との争いがこれを許さなかった
そのため桶狭間合戦以降、今川家に不安を覚えると遠江と三河の国人衆が動揺して不穏な動きを見せ始める
義元死後の三河離脱なんか典型的なところでしょう

まあ三好家にしろ今川家にしろ直轄領の拡大や国人衆の掌握は簡単に手を出せなかったと言えるね
また永禄年間の代表的な戦国大名である北条家、上杉家、武田家、毛利家もこれと同様と言えますよね

41 :
でもちゃんと三好政権っていう言葉があるんやから天下を回していたのは確かでしょ
上杉に権限与えたのも三好だし

42 :
「三好政権」という概念は今谷明の頃から主に関西(というか京大系)
の研究者の主張で、背景には帝がいる京都(畿内)が日本の中心なんや!
だから畿内基盤にした三好も天下人に入れろや!という部分が
やっぱり関西人の研究者にはあるのよ(だから概して三好倒した織田信長が嫌い)
これに対して関東(というか東大系)はわりと否定的スタンス
三好はあくまで畿内限定の地方勢力であって
将軍と帝のいる京都押さえたら天下人認定とかただの形式主義じゃん?
三好なんて細川あたりと大して変わらねぇよ。三好は織田・豊臣・徳川の
統一政権とは同一に論じられないって立場の方が伝統的に優勢
「三好政権」という呼び方・概念自体否定する研究者もいる

43 :
>>39
領国に強固な支配を確立したはずの朝倉も武田も
あっという間に瓦解したじゃん。
織田だって本能寺後バラバラに分裂したし
豊臣だって徳川に滅亡させられたじゃん。
上杉は謙信死後激しい内乱で滅亡寸前までいったし。
織田は重臣に強権を与えて在地勢力を再編成させたけど
その過程で独自の家臣団を形成した重臣たちが軍閥化して
織田本家を食いつぶしちゃったでしょ?
これだって織田家の戦略の根本的なミスが原因って言えちゃうよね。
ところで内藤宗勝を討ち取ったのはのは赤井直正で
波多野はそのドサクサで八上城を奪還しただけだから。
一貫して反三好ということもなく同盟を結んでた時期も長いよ。

44 :
>>43
天領400万石 旗本知行地300万石の徳川将軍家が
幕末にあっさり滅亡したことを叩かないでください

45 :
>>43>>44の言ってる意味がわからないと思う
おれはわかった

46 :
>>45
面白いと思ったけど
たぶん分かってないから
何がわかったか教えてくださいね。

47 :
>>46
ヒント:>>43はちょっとひねった皮肉というか否定的コメントになってる

48 :
>>43じゃないない>>44
おれはそう読んだ
でも>>44の意図と違ってたらごめん

49 :
>>48
あなったって頭いいんだね。
すごいやー

50 :
関東は関東で戦国時代の始まりは応仁の乱じゃなくて永享の乱ですって人もいるしどっちもどっちでしょ
まあ最近は後北条を最近は持ち上げてきてるけど関東の方が圧倒的に研究者が多くて進んでるんだから関西非難するのは違うと思うがな。
ぶっちゃけ畿内が日本の中心であったことを否定する方が可笑しいと思うけど
ちなみに三好研究者は織田信長が嫌いなんじゃなくて、信長が全てやりましたって言ってる人らが嫌いなだけですよ
三好政権が短命ってよく言われることがあるけど織田と豊臣と比べたら長い方だけどね

51 :
三好家、織田家、豊臣家の政権の長さは五十歩百歩で大して変わらないよね
しかし版図や政策などその影響力で比較すると三好家に評価できる内容が少ないかな?
三好長慶が足利義輝を切り捨てないで2度の和解と京都からの撤収が何ともってところでしょうか
三好政権に利することを書いてないけど三好家は好きだからねと言い訳しておきます

52 :
単純に四国がほとんどバックアップしてないからだろ。
武田、上杉、織田、豊臣は、山梨、新潟、愛知、大阪の布教活動が壮絶。
毛利と薩摩は更に別格だし。

53 :
>>51
自分もあなたの意見に近いです
三好は大好きだけど、織豊政権の畿内以外の地域への影響力・統一政権としての
同時代・後世へのインパクトの大きさは三好の畿内支配とは比較にならないと思ってる
だから三好と織豊を同じ「天下人」というカテゴリで括るのはわりと違和感ある方
でもこれって関東の研究者の見方にむしろ近いのかーw関西人なんだけどな

54 :
三好長慶は、室町幕府に代わる三好(堺)政権を打ち立てた
領国は、山城・丹波・摂津・播磨・淡路・阿波・讃岐・伊予・和泉・河内・大和・若狭に及んだ
これは高く評価されるべき
ただ、将軍家や管領家を傀儡にするやり方だったので目立たないだけ

 三好政権
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E6%94%BF%E6%A8%A9

55 :
信長も三好より規模がでかいだけの天下だし
豊臣も肝心の徳川を滅ぼせなかった時点で天下人にしては中途半端
三好は政治を行っていた時点で織田より上かもね

56 :
イメージにとらわれずにきちんと調べて細川・三傑政権と比較すると
三好政権の独自性ってのはたくさん見えてくるんだよ。
一揆との関係とか宗教政策とか。
なかでも一族ぐるみの宗教政策の巧みさは特筆ものだと思う。
滅んだから「失敗した政権」と切って捨ててしまわずに
きちんとその業績は評価されるべきだよ。

57 :
だって、知名度の低い程度の天下を取ったのだから。

58 :
あれってどうだったんだろうね。
私怨を捨てて、それまでの狂気の宗教戦争を終わらせた長慶と、
焼討や虐殺で強引にねじ伏せた信長。
現代の史家は、信長は宗教の影響を絶って近世への扉を開いた云々、とか言うかも知れないが、
当時の人達からすれば、強面の信長よりは長慶の方が優しくて良かったかも、みたいな。

59 :
>>58
>私怨を捨てて、それまでの狂気の宗教戦争を終わらせた長慶
天文2年の和議ことを書いているなら間違いです
翌年和議は破棄され石山本願寺は蜂起し細川晴元と対立しています

60 :
本願寺+細川晴国(高国弟)と晴元が争った天文の錯乱というのは複雑な相関関係がありまして
実は三好元長残党は波多野と組んで本願寺・細川晴国陣営に味方していました。
どうやら三好長慶の認識としては父を殺した一向一揆は晴元・木沢に扇動されたもので
本願寺法主は彼らに利用されただけで真の仇敵ではないと認識していたようです。
天文2年に一向宗・法華宗双方に影響力を持つ長慶が仲介した和議が破られたのは
法主の主戦派側近が暴走したもののようですが
再戦当初は本願寺に味方した長慶は木沢の調略に乗り晴元陣営に寝返っています。
三好家の支援を失った本願寺は天文4年に「滅亡」と呼ばれるほどの大敗を喫し
晴国と主戦派を追放することで晴元と和談を結びます。
しかし追放した主戦派と晴国が分派を起こし蜂起してしまいます。
すると長慶は木沢と共に彼らを攻め滅ぼし(法主に代わって分派を粛清し)ています。
長慶と本願寺の関係は複雑怪奇ですが、お互いの利用価値を認め合った法主と長慶は
その後強固な共闘関係となりタッグを組んで勢力を盛り返していきます。

61 :
>>60
へー、こんな風に硬軟織り交ぜて
本願寺主流を味方に付けるって結構すごくないか?
後年の織田VS石山本願寺とか見てると
>>11の足利・細川・畠山とかよりもこっちの方がずっと難物に見えるんだけど。

62 :
d

63 :
>>61
>>60は実は長慶がカッコよく見えるようにちょい潤色していまして
この当時は長慶は当主ではありましたがまだほんの子供で
実際の活動をしていたのは一門の長逸らだったようです。
この一連の騒乱でボロボロになった本願寺と三好が
お互いに助け合って逆境からの巻き返しを図ったという方が正しい見方かも。
いずれにしても本願寺と三好の同盟は
両勢力の発展を促したことは確かだと思います。

64 :
どっちみち、地方政権レベルのあらそいでは、勢力均衡へバランスが取られて手ぬるい結果となる。
織田の場合は総決算的な戦争になるから野合でもなんでも、その他が集まって抵抗。
つまり、最後の勢力均衡策が取られて激しい抵抗となる。
それを並べておだと比べて三好の活躍のほうが上だから・・・とかいうのは贔屓の引き倒しかと。

65 :
誰も三好の方が織田より上なんて言ってないと思うけどな
それぞれのやり方があっただろうしな、信長のやり方、長慶のやり方、秀吉のやり方
信長は武力で抑えるやり方、長慶はその反対
信長の場合は圧倒的武力で抑え込むやり方が一番良かったし結果それで行けた
長慶の場合は武力で抑えつけられるやり方では駄目な時代でもあったし。

66 :
源平の合戦も規模敵には小さいからね
だから平氏は関東で苦戦して源氏に負けたと
当時の天下人も京都周辺でしか軍事力を発揮できなかった
平氏は京都を追われたら西国から無視されて敗れたと
鎌倉幕府の初期の源氏3代も京都を抑えていなかった
京都の平氏を追い出しただけで京は朝廷の影響化にあった。源氏は朝廷を助けただけになってたのねw
実朝が暗殺された後、六波羅探題を設置して京都を抑えてやっと天下を取った
それまでの幕府は関東を治めていた武家政権にすぎない
西は朝廷の影響化にあった。だから承久の乱が起きた
三好も十分織田豊臣と同等に評価にできる
細川政権は応仁の乱後50年と長かった。この細川を見ても京都を抑えるのは難しかったと
細川時代に三好織田豊臣より先に天下に一番近づいたのが大内義興で、義興も過小評価されている
実力的には当時一番力を持っていた。ただ尼子や京都の政変のせいでタイミングがあわなかった

67 :
>三好も十分織田豊臣と同等に評価にできる

織豊政権のうち、豊臣政権は名実ともに天下統一を達成した政権なわけで
これを三好と同列に論じるのはどう考えても無理でしょう
三好の再評価を目指すなら、まだ三好と織田政権の畿内支配との
部分的な連続性を主張するくらいの現実的な路線の方が無難だと思う

68 :
三好政権を評価するっていっても教科書に載るような政策はあるの?

69 :
三好長慶が何をしたのか?
そこが根本的な問題!

70 :
教科書に載るような政策は残念ながらないんじゃないかな
それまでの細川政権よりマシな経済政策と畿内自治権の調整を行っただけで
織田政権がやったほどの革新性はあんましないしまず資料が乏し過ぎる
そもそも長慶がどういう思想で畿内を支配したのかもはっきりしてないし

71 :
畿内支配はある意味仕形がなくって感じがあります
細川晴元が三好長慶を優遇していたら
足利義輝が三好長慶と和解していたら
たぶん三好長慶は主君を立てると思います

72 :
あくまで晴元とその一派に仕掛けたはずが
将軍までびびって京から逃げ出したために空白となった京で政を代行
自らの晴元への私怨で仕掛けた抗争でこうなったのだから
仕方なくって感じですかねやっぱり?
個人的には長慶は最初から義輝とは敵対するつもりがなかったように見えます
晴元に色々吹き込まれて謀反人と信じ込まされたってのが将軍との対立の原因なのかも

73 :
三好長慶の思想を反映したと思うわれる旗幟「理世安民」
民が安心して暮らせるように世を治めるという意味です。
つまり長慶は私怨から晴元や将軍を追放したのではなく
天下万民のための政治を実現するためだったと自己の行動を正当化しています。
実際に都の実権=政権を握った長慶はそのスローガン通り
新興層の勃興などで時代のニーズに合わなくなり破たんした旧秩序を
より畿内社会の実情に即した形に再構築していきました。
その過程で管領はその権威を完全に喪失させられ
室町幕府も再起不能なまでにズタズタに解体されました。
過去にも将軍や管領を家臣が殺したり傀儡にしたことはありました。
しかし三好政権は幕府の組織や権威まで解体してしまっています。
この点で三好政権は細川政権の延長と捉えることはできないと思います。

74 :
細川晴元は管領であるためそれ自体が幕府中枢であるのに対し三好長慶は細川家の一武将
その立場の差が幕府解体に見えてしまいますね
しかし三好政権は幕府役人の取り込みに成功しているし足利縁者も確保しているので厳密には幕府解体とは言えず幕府代行と考えた方が無難かと
傀儡幕府ではなくね

75 :
三好家の研究に関してはその再評価に先鞭をつけた今谷氏が
自説に拘泥したために資料を意図的に曲解したりして
以降の三好政権の理解を歪なものにしてしまいました。
永禄元年に成立した三好と将軍家の和議は
将軍家を滅亡寸前まで追い詰めて義輝から人質を取って
つまり長慶が事実上の上位権力者だと認めさせたものだったのに
今谷氏の理解ではなぜか「三好家が将軍家に屈服した」となっています。
到底理解しがたい論理ですがなぜかこれが多くの人に信じられて
その後の三好政権の過小評価に拍車をかけていると思います。
永禄元年に「将軍を屈服させた」後にも三好家は独自に裁許を出しており
幕府側の裁許は三好家に壟断されたあげく事実上の機能停止に追い込まれています。
以上の経緯から幕政の代行ではなく傀儡化から簒奪に向けて
着々と地ならしをしている途上であったと見るべきだと思います。

76 :
しかしその結末は仰ることとは程遠く簒奪にも傀儡にもなってない

77 :
傀儡化って何でそんな突拍子もない発想に?
三好長慶は将軍を擁立なんかしてないよ
将軍を擁立してもいないのに傀儡化って意味が分からない

78 :
将軍を擁立してもいないなら

三好長慶の相伴衆就任とは何だったのか(震え声

79 :
そうだけど、立てた訳でもないよな

80 :
かいらいせいけん【傀儡政権】

形式的には独立しているが、実質的には他国によって操られている政権。

81 :
三好長慶ってそんなにすごいの?長寿だったらどうだったか
信長の上洛軍にあっさり敗北して現在の評価ガタ落ちになってそう

82 :
長慶が亡くなり三好三人衆と松永久秀とが対立して内部分裂していた頃に
信長は足利義昭を擁して上洛するわけでつまり漁夫の利を得たわけ
仮に三好長慶含め長慶の兄弟ももうちょっと長生きして政権も安定していたら
まず信長は畿内を掌握するのも難しい
三好長慶の全盛期には四国東部と畿内の10カ国200万石相当を支配化にしていて
やろうと思えば6万人強の兵力を動員することもできたはず
かつ信長と同じく堺の経済力にも目を向けていた
物量的にも当時最強の勢力

83 :
まあ、三好家は最強談義には向いてないし一般層からは相変わらず逆風だからな。
まず今の三好研究では旧来イメージとは全く違うイメージになった松永久秀と
江戸時代に創作された松永久秀像のイメージの蔓延でまず三好家と言えば旧来の松永が表に出てくる弊害
『剣豪将軍』と最後の逸話で厨二要素満載で大人気の足利義輝
とその義輝を殺害した三好三人衆に対峙するのは
義輝の弟・足利義昭を擁する征伐した織田信長が悪の三好を征伐し荒れ果てた京を再興する
って構図からまず撤廃させないとダメだからな。
そもそも三好氏や畿内の研究が本格的に始まったのってここ最近の話でしょ?
(織田・上杉・武田などメジャー級は手垢が付いてるから三好や細川などの畿内大名くらいしか目新しいのがいないから)
今谷氏も本を書いた昔と今では違うって言ってたけど、天野氏が出てきたから色々これから三好は発掘されてくるだろう

84 :
三好は研究史の薄さから3冊ほど読めば
誰でも即通気取りできるお手軽アイテム化してるので
これから中二病も狂信者もいろいろ増えていくんですね
このスレ見ただけでわかります

85 :
大内なんて2冊だぜ

86 :
>>84
大内厨は三好厨のように抜きがたい「天下人」コンプレックスも
「これまで不当に扱われてきた」という被害者意識からくる
攻撃的な啓蒙活動への意欲もないので
これからも戦国板の圧倒的サイレント・マイノリィとして
誰にも迷惑をかけず細々と活動してゆく未来しか見えません
正直大内は厨が湧くほどのキャラの濃さもないですし
歴代大内家の当主も名将揃いなのに不思議ですが
おそらく大内は戦国大名としては品が良すぎて
いかにも戦国らしい魅力に欠けるんでしょう

87 :
>>86
こういう他人を貶めることでしか自己主張できない奴って
本当に哀れとしか言いようがない。
自分はたった3冊の本を読むこともしないし
読んでも正しく理解できないんだよね。
天下人コンプレックスなんて誰も持ってないのに
見えない敵と日夜戦ってるのは自分じゃないの?
このスレのやり取りで攻撃的な啓もう活動なんてなかったでしょ。
ただ誤った情報から貶められることに対して
誤りを正して反論していただけだよ。

88 :
>>82
漁夫の利は織田信長だけではない
武田信玄、上杉謙信、北条氏康、今川義元、毛利就もやり口は同じ

89 :
なんか違う方向に流れきたのでしばらく様子見

90 :
長慶って運が良かったからみたいな場面ってあんまりないよな
本当に実力のみで這い上がった感じ

91 :
近江の六角がいつも三好との挟撃決戦時に間にあわないか
中途半端な出兵になるあたり長慶は結構強運だと思うよ

92 :
江口の戦いの時は六角は長慶に釣りだされたんじゃないかな?
六角勢一万が摂津に進軍せずに京に留まっていれば
三好勢に摂津は奪われてもその後の総崩れはなく
晴元は都までは失陥せずに済んだと思う。

93 :
三好家が最終的に戦国大名としては生き残れなかったのは、三好実休とその子の長治の存在が大きく響いてるでしょ。
三好実休不可解な細川持隆の暗殺、持隆の息子真之への扱いと実休の戦死、実休の跡を継いだ長治の悪政・・・。
このへんの流れが三好家の基盤であるべき阿波の混乱と畿内での騒擾とがリンクしている。
阿波がしっかり治められていれば、最悪地方の権力として生き延びる道も有ったであろうのに、
長宗我部の侵攻を許し、阿波・讃岐の混乱を招いたことで生き残る道も自ら閉ざしてしまっている。
細川家が傍流ながら見事に生き残ったのとは対照的ですね。

94 :
三好家が消滅して忘れ去られた原因は以下の3点も考えられると思います。
三好の名跡が織田信雄に移ったり羽柴秀次に移ったりしてうやむやになってしまったこと。
秀次が三好に養子入りした時に三好系家臣団も秀次配下に合流したものが
後の秀次粛清劇で多くが巻き添えで没落したこと。
三好系と親密だった堺閥が利休(長慶の義兄弟?)の粛清に象徴されるように没落したこと。
三好のネームバリューが長治滅亡後も
まだ一定の影響力を持っていたがのが裏目に出て
権力闘争に巻き込まれるうちに歴史の波にもまれて藻屑と消えてしまっんじゃないかと。

95 :
権力者の子弟が三好の名を欲するぐらいなんだから、
やはり、三好の名声は高かったんだろうね。

96 :
三好市って町の名前があるから四国の一部じゃ庶民からも人気だったのかな?

97 :
>>96
地名のほうが昔から有る、
三好家は小笠原家の支流で阿波に移って三好の地を根拠地にしたから三好を名乗った・・・ということになっている。
小笠原家の支流・・・の部分はまだ未解明で、ホントは別の一族だったが小笠原家から入婿を迎えて小笠原支流を名乗るようになった・・・とか
ただの仮冒とか、いう話も有る。

98 :
そうなのか…そもそも四国における三好長慶や三好家の知名度ってどんくらいなんだろ
なんか四国の戦国武将と言えば長宗我部がメジャーになっちゃてるが
全盛期の長慶と比べたらちょっとばかりスケールダウンすると思うんだよね

99 :
三好は長宗我部にボコボコにされたってイメージあるからなあ

100 :
>>99
三好家の勢力が衰えていたいから長曾我部が勢力拡大できたのであって、
三好が盤石なら長宗我部は土佐から進出するのは不可能だったでしょう。
最盛期の三好とガチにやり合った訳ではない。


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