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3 :
  ◇ ◇ ◇
鬼はそれほど睡眠を必要とはしない。だが、人間だった頃の名残というものはなかなか消えないもので、黒金蟲程の
オトコであっても、「眠る」ことは時々あった。
 天魔党・居城。その奥まった一室に四天王が『侍』頭首黒金蟲の寝所があった。
 数人の奴子(やっこ)を引き連れ、憎女は黒金の寝所にやってきた。奴子とは城内の台所事情を一手に
引き受けている局・配下の侍女達のことである。その本性はもちろん「鬼」ではあるが、普段は頭ごと覆う白い布に
包まれてツノはもとより、顔を伺い知ることはできない。彼女たちはすべて同じような姿・服装をしており、
見分けはつかなかった。城内を仕切る局こと白露の君は一人一人を把握しているというが、他の者達には個々の
違いなど判らない。その彼女らが憎女の後ろに幾人も付き従い、一抱えもある酒瓶を黙々と運んでいた。
「黒金さま、寝酒の準備が整いましてございます」
「うむ。入れ」
「失礼いたします」
奴子達をひきつれ、寝所に入ったが、黒金蟲は床にはついていなかった。床の準備こそされているうものの、
その傍らであのゴツい武者姿のまま、頑丈な椅子に座していたのだ。椅子に座し、兜のみを脱ぎ、傍らの鎧かけに
かけていた。
「まちかねたぞ」
寝所に入ってきた女達をいつもの質実剛健さを思わせる鋭いまなざしを憎女のつけている面に向け、出迎えた。
「すみませぬ。酒の選別にて手間取りました」
そう言うと憎女は座している黒金に近づくと大きな朱塗りのサカズキを手渡した。大きな杯である。蟲成した憎女の
頭部が丸々隠れてしまう大きさがある。
「ふ……相変わらずよな。して、今宵の銘柄は?」
「清酒・黄金蟲(おうごんちゅう)にございます」
その名前を聞いて黒金は軽く目をみはった。
「城下で醸造されているものの中でも上級のものではないか。よく藤葛のが許したものよ」
そういいつつも、巨大な杯を手甲に覆われた無骨な手で受け取った。
「まがりなりにも四天王が頭首・黒金さまが嗜むお酒です。むしろコレ位でなければ下々の者たちに示しがつきませぬ」
そういいながら憎女は奴子の一人から一抱えもある酒瓶を受け取り、栓を抜いた。そして、黒金の掲げている杯の中へ
ドボドボとそそぎ込んだ。
「うむ」
その酒を黒金はグッと一息に流し込んだ。
「……うむ、うまい。やはり酒が違うとのど越しも違うものよな」
そう呟くとそれを皮切りにガッポガッポと呑みはじめた。その勢いはとても寝酒とは言い難い勢いであった。
「さ、酒の肴も用意しましたゆえ、どうかご存分に」
憎女がそう言うと奴子の後ろの方から一抱えもある台の上に山と盛ったおはぎを持った奴子が歩みでてきた。
「うむ」
そううなると、片方の手でムンズとおはぎをつかみ、口に運ぶ。しばらくは黒金の酒を流し込む音と憎女が酒を注ぐ音が
交互に響く。……ややあって、黒金の動きがピタリと止まる。
「うむ……そろそろか……お憎」
「は」
そう言うと黒金はパチン、パチンと具足の留め金を外す。バガン、といった感じで肩の装甲が外れる。その無骨で
頑丈そうな鎧の一部分を憎女が受け取り、鎧掛けにかけてゆく。暫く酒を飲み、また暫くすると鎧を外す。
「……ふむ、さすが銘酒よの。こ奴も大人しくなるのが早いわ」
そう呟くと、まだ外していない手甲の無骨な指で胸元をはだけた。鍛え抜かれた胸の筋肉が露わになる。……だが。
不意に、胸の内側で何かがもぞりと動いた。

4 :
「!つっ、まだ呑み足りぬようだな。お憎」
「は」
 請われ、お憎は黒金の杯になみなみと酒を注いだ。
黒金蟲は名の通り、蟲の姿をとる鬼である。『蟲成』と呼ばれる強力な変身を成すことができるが代償も大きかった。
 ──そう、それは悪夢そのものだった。この国が鬼の集団に襲われた時の事だ──
国が滅ぶ直前、この国の最高呪術責任者『陰』の鬼駆慈童は『鬼化の術』を起動させた。その術に巻き込まれる形で
敵の鬼と当時武将だった黒金は融合して鬼と化してしまったのだ。
 以来、黒金の内に棲む敵方の鬼は隙あらば黒金を内側から喰い破ろうと、乗っ取ろうと様子をうかがっている。
その為、内なる鬼を押さえ込む封印術式を編み込んだ鎧を着込まなければならなくなった。その鎧は黒金の内なる鬼の
力を引き出し、三つの形態に『蟲成』る事を可能にしたが、鎧を脱ぐと内なる鬼に蝕まれる危険につきまとわれる事に
なったのだ。
──ただし、「鬼は酒好き」その例に漏れず、黒金の内なる鬼も酒には弱かった。黒金が酒を呑むと、黒金よりも先に
内なる鬼は鎮まるのだ。その間だけ、黒金は鎧を脱ぎ、眠ることができる……
「ふむ、だいぶ鎮まってきたな。今ある酒だけあれば充分であろう」
その声を受けて、憎女は手を振った。奴子達は手にした酒瓶を置くと、一礼して退去した。憎女は一人残り、黒金の杯に
酌を続けた。今や黒金はほとんどの鎧を脱ぎ、肘掛けに寄りかかりながら酒を呑み続けていた。着ている物も
ゆったりとした白い装束に着替え、呑むペースも最初ほどの勢いがなくなってきた頃、不意に酌をしようとした
憎女の手を掴み、引き寄せた。
「く、黒金さまっ?!」
逞しい胸に抱きすくめられ、珍しく憎女の狼狽えた声が響く。
「折角呑んでおるのに酌をする女が面をつけていては興が削がれるというもの、外さぬか」
そう言うと胸の中に抱き込んだ憎女の仮面を外す。仮面の下からは目を伏せ気味にした端正な女の顔が現れた。
この憎女の仮面も、彼女にとって『内なる鬼を御する封印』である。しかし、黒金のそれと
「ふ……折角の美しい容貌を秘して晒さぬとは。もったいない事よな」
「く、黒金さま……そんな……お戯れを……」
憎女の声にいつもの凛とした張りがなくなり、目を伏せ気味にし、弱々しく腕の中から逃れようとする。
「醜いと思うか。この身体を」
「えっ」
不意に言われた言葉に憎女は動きを止めた。
「幾重もの鬼の魂に蝕まれたこの五体。あの忌々しい鎧なくばいずれは内なる鬼に引き裂かれるだろう呪われし身体よ。
 気味が悪くない訳なかろうな」
「いえ、そんな……っそんな事っ!」
憎女は常に伏せぎみだった目を思わず見上げた。間近に黒金の精悍なまなざしが憎女を見返していた。
「あ……」
そんなことはないと言い返そうとした憎女の言葉はそのまま口の中で溶けて消えた。
「……酒が過ぎたようだ。許せ」
どの位そうしていたろうか。気がつけば憎女は黒金の腕から解放されていた。
「あ……いえ……」
どう返したものかとまどう憎女に朱塗りの杯が差し出された。
「一人で呑むのも飽いた。つき合え」
昔の職業柄、それは彼女の得意とすることだった。
「えぇ、喜んで。ご相伴にあずかりましょう」
先ほどの失態(と彼女は思っている)を埋め合わせるように艶やかなほほえみを浮かべ、彼女は杯を手にした──
                           情景描写:むしのねどこ
                                            ──おわり──

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