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伊都国東遷スレ 6


1 :2018/06/12 〜 最終レス :2018/06/19
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。

<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる

柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html

2 :
Part 1
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1515402057/
Part 2
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1525042172/
Part 3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1526223134/
Part 4
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1527047330/
Part 5
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1528119763/

3 :
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その1

森浩一
「中国では連弧文鏡と呼んでいる内行花文は、花の文様ではなく、
太陽の輝きを捉えた文様だと推測されており、 天照大神そのものにふさわしい。
八咫鏡の有力候補が内行花文鏡であるということに、私は知的興奮を覚える。」

北條芳隆
「ヤマト土着の弥生文化の勢力が独自に邪馬台国の主体をになったというのはありえない。
纏向の建物の配列の仕方などは、ヤマト在地の弥生文化とは異質で九州北部の強い影響を受けていることは明らかです。
(中略) 言ってみれば、「邪馬台国東遷説」に近い考え方かもしれません」(歴史REAL抜粋)

寺澤薫
「平原一号墓の鏡はそれまでの弥生時代の王墓の副葬鏡とは大きく性格が違う。(中略)首長霊継承の秘儀には本来、
太陽の力によって首長霊を鼓舞する女性最高祭司と内行花文鏡が欠かせない存在だったという考えもある。
比類ない倭製の大鏡が内行花文鏡で、後の前期古墳にも引き続き特別扱いされていることは、その可能性を強く示している。」
(王権誕生 p249抜粋 連弧文鏡は、内行花文鏡と表記を改めました。)

4 :
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その2

寺沢知子
「初めて国産オリジナルブランドの超大型内行花文鏡を制作した糸島平野の勢力の意図は、
初期ヤマト王権成立期に吉備や出雲主要な要素に加えて受け継がれた。
特にその初期には、王権の伝統生徒独自性を主張しうる祭祀具として、中国製ではない国産の超大型内行花文鏡が王権中枢部で作り出され、政治性が付加されて分有された。 」

福永伸哉
「やや単純化して言えば、弥生後期段階に内行花文鏡を重視した集団のネットワークの中から、古墳成立期の中央政権主流派を形成する動きが展開して言った。 」

高橋徹
「現時点において平原遺跡にその最古例を知り得る特大、大型倣製内行花文鏡は、
大和の古式の前期古墳に形式的連続性を保って連綿として用いられている。」

5 :
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その3

今尾文昭
「前期古墳に出土の大型長宜子孫銘内行花文鏡の日本列島内への伝来と、
大型倣製内行花文鏡の製作開始時期に大きな隔たりをみる必要はないと考える。
具体的には、大型倣製内行花文鏡の製作開始時期は古墳時代前期前葉の桜井茶臼山古墳の出現以前に設定できるのではないだろうか。
平原墓出土鏡と古墳出土鏡に間隙を設ける必要はなくなる。」

清水康二
「柳本大塚、下池山古墳出土の大型内行花文鏡が含まれる大型鏡は、
王権の強い規制の元で製作され王権の意思によって被葬者の手元に届いたものと考えらえる。
その場合、当然のことながら面径30cmを超える極端な大型鏡は、中型鏡、小型鏡と比べて付加された権威はさらに大きかったものと思われる。」

辻田淳一郎
「奈良盆地の東南部に内行花文鏡系の超大型倭製鏡が集中する事実は重要である。
これは具体的には、舶載三角縁神獣鏡の配布主体と想定される。
奈良盆地東南部に墓域を営んだ初期ヤマト政権を構成した上位層が、
各地で共有される舶載三角縁神獣鏡や中国鏡とは異なる自らのアイデンティティの表現形態として
内行花文鏡系の超大型鏡を採用したものと考えることができる。」

6 :
アマゾンの電子書籍「継続としての日本古代史」を出しましたので、
岡上説として纏まったものは、そちらを参照いただけると幸甚です。
ちょっとした広告用ポスターを自作しましたので、ご笑覧ください。

A3版 ttp://fast-uploader.com/file/7079819167188/
A1版 ttp://fast-uploader.com/file/7079819231809/

A1版は結構大きいので、ご注意ください。
私は、A0に引き伸ばして印刷しました。なかなかの迫力です。
リング切れの際は、ブログ( http://aroomofwisdom.blogspot.jp/ )の方からでも落とせます。

7 :
コラムとして、「魏略と伊都国」を書きましたので公開いたします。
「平原一号墓」が女王墓であったという考古学側からの知見に対して、あくまで邪馬台国畿内説を維持しつつ、それが中国側文献に残っている痕跡はないか、という着眼点から考えました。
特に魏志の旅程記事解読において、女王国に至る「万二千里」は九州北部まででその大半を消費しているため、従来の単純な畿内説の立場では、どうしても納得的な説明を与えることができず、
「万二千里」は単なる文飾として無視する以外ないと感じていましたが、それがこの小論において、随分とスッキリしたのでは思います。これはある意味、旅程記事の解釈の大きな比重において、九州北部説側の説明に合理性を認めたという事でもあります。
(もちろん純粋な九州北部説で魏志が全て綺麗に説明されていると認めているわけでありません)
少々自身を込めて表現するなら、この小論において、共立された女王としての平原墓を文献的にも発見すると同時に、旅程記事の里程の矛盾が解けた、と言うことができるでしょう。
「膝に手を打つほどに明快」とまで感じるは人に依るところはあると思いますが、個人的には、なかなかの自信作というところでしょうか。是非ご一読ください。

http://fast-uploader.com/file/7083675628950/

8 :
魏略との一致状況の点数表です。 平原王墓に減点要素ゼロですね。

          【平原一号墓】
被葬者が女性      : ◎(2点)
王墓である       : ◎(2点)
鏡が出土        : ☆(3点) *日本最大、最多
年代....         : ○(1点)
漢との交流       : ◎(2点)
万二千里におさまるか? : ◎(2点)
-----------------------------------------------------------
合計             12点

【箸墓】
被葬者が女       : ○(1点) *モモソヒメ伝承から
王墓である       : ☆(3点) *古墳時代への画期を成す
鏡が出土        : ?
年代....         : X (0点)
漢との交流       : ?
万二千里におさまるか? : X X(-1点)
-----------------------------------------------------------
合計            3点 + α

以上でテンプレ終わりです。

9 :
魏略との一致状況の点数表です。 平原王墓に減点要素ゼロですね。

          【平原一号墓】
被葬者が女性      : ◎(2点)
王墓である       : ◎(2点)
鏡が出土        : ☆(3点) *日本最大、最多
年代....         : ○(1点)
漢との交流       : ◎(2点)
万二千里におさまるか? : ◎(2点)
-----------------------------------------------------------
合計             12点

【箸墓】
被葬者が女       : ◎(2点) *モモソヒメ伝承から
王墓である       : X (0点) *モモソヒメ伝承から
鏡が出土        : ?
年代....         : X (-4千万点)
漢との交流       : ?
万二千里におさまるか? : X X(-2億点)
-----------------------------------------------------------
合計            マイナス2億4千万点 +α

10 :
咫=八寸が確定した今、八咫鏡も確定した

11 :
咫=非漢尺が確定した今、八咫鏡も消滅した

12 :
周代から一寸の長は変わらないので、畿内厨は死滅した

13 :
九州説はいつも妄想で失笑を買う

14 :
然則伸臂一尋。周之丈也。とあって
然るに則ち臂を伸ばすを一尋とす。周の丈なり。と書いてある

尋は大人が両腕を一杯に広げた長さとして定義された身体尺
これが周代の丈

漢尺の体系の「丈」から、周尺の尺、寸、咫を類推するのは的外れだよ

15 :
前スレ>999
>建設的な批判ではないね、それだけさ。
>的外れとも言う。

「お鏡さんの言ってることが的外れ」という指摘だよ
>999は本当に的外れ

前スレ>883で
「>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
 一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)
 > 六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
 一丈211cmなら、丈夫というより、怪物ですよ 」
と書いているが、お鏡さんは「丈夫」と「偉丈夫」を混同している

「丈夫」は漢典http://www.zdic.net/c/8/3/6184.htmでは
(1) [husband]∶已婚女子的配偶
 古者丈夫不耕。——《韩非子·五蠹》
(2) [man]:男子
 生丈夫,…生女子。——《国语·越语》
(3) [manly person]∶成年男子
 丈夫气
 丈夫亦爱怜。——《战国策·赵策》
とあって、単に「(既婚女子の)夫」「(女子に対して)男子」「成年男子」というのが本来的な意味

「凡夫の男子」が「丈夫」で何も問題がない、というより、それがもともとの「丈夫」

漢典の国語辞典では
身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
身長が一丈の男子。周朝では八寸を以って尺と為し、十尺を以って丈と為す
成年男子は高さ(身長)八尺左右(八尺前後)、故に丈夫を以って男子の通称と為す

別に「立派な」男子とか「高身長」とかいう意味合いはないだろ?

16 :
またシャドーボクシングが始まったわ。

17 :
液晶画面にグーパン
キナイコシ
コミュ障
シャドーボクシング

18 :
漢典の国語辞典では
身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
身長が一丈の男子。周朝では八寸を以って尺と為し、十尺を以って丈と為す
成年男子は高さ(身長)八尺左右(八尺前後)、故に丈夫を以って男子の通称と為す


これ単に説文を現代語訳しただけだろ。
説文自体の解釈の根拠にはならないな

19 :
どっちにしろ、咫=八寸が漢尺で八寸じゃないことは確定してるんだから、平原大鏡の円周は八咫ではない
だから八咫の鏡でありえないことも確定だろ

20 :
お前の脳内で確定してるだけ。

www

21 :
>>20
また簡単に論破された九州勢が悲鳴をあげている

ww

22 :
>>21
確定したと言い張るだけの簡単なお仕事です

23 :
>>22
咫の八寸が漢尺じゃないことは証明されてるからね
八咫の鏡説はだいぶ前からご臨終してる

24 :
>>23
いつ?
どうやって?

25 :
>>18
>これ単に説文を現代語訳しただけだろ。
>説文自体の解釈の根拠にはならないな

説文自体の解釈は>>14にも書いてあるだろ
再掲
「然則伸臂一尋。周之丈也。とあって
 然るに則ち臂を伸ばすを一尋とす。周の丈なり。と書いてある

 尋は大人が両腕を一杯に広げた長さとして定義された身体尺
 これが周代の丈

 漢尺の体系の「丈」から、周尺の尺、寸、咫を類推するのは的外れだよ」

本当に、都合の悪い所はスキップして、文句を言うだけの簡単なお仕事だなww

26 :
肝心の説文を無視してるじゃん
しかも 丈 も 尋 も同じ長さだしね。
両手の長さと身長の関係しらないの?

27 :
>>26
その関係とやらを医学的に説明してみろよw

28 :
世間の常識だろ。

29 :
>>26
>肝心の説文を無視してるじゃん
>しかも 丈 も 尋 も同じ長さだしね。
>両手の長さと身長の関係しらないの?

周代には、 丈 も 尋 も同じ長さで「身体尺」なんだよ
それだから、丈夫というのは、ある意味当たり前で、
晋朝の公定に関わらず、誰でも「丈夫」な訳だ
「身長が低いから丈夫じゃなくて凡夫」、というのがどれだけ的外れか理解できたか?

30 :
>>26
>肝心の説文を無視してるじゃん

説文解字の「丈」は
「十尺也。从又持十。」
これだけだぞ? 自分で原典、確認してるか?

お鏡さんが説文解字によるとって言って持ち出してきた
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。」の部分は
清代 段玉裁《說文解字注》の方

しかも、《說文解字注》には続きがあって、全体では
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。
 然則伸臂一尋。周之丈也。故从又持十。直㒳切。十部。」
なのに、後半部分を無視してるから、そこを批判してるんだよ

まあ、どこかで引用された前半しか見てないんじゃないかと思うけどね

>>26山は、云うこと為すこと、本当に的外れ

31 :
>>29
>晋朝の公定に関わらず

ひどい誤変換だな ごめん

再掲
周代には、 丈 も 尋 も同じ長さで「身体尺」なんだよ
それだから、丈夫というのは、ある意味当たり前で、
身長の高低に関わらず、誰でも「丈夫」な訳だ
「身長が低いから丈夫じゃなくて凡夫」、というのがどれだけ的外れか理解できたか?

32 :
>>24
聞こえないフリに必死だな

いくら無視しようとしても
平均的な女子の手は18.5cmもない
咫=八寸=18.5cmではありえない

平原から出たのは八咫の鏡ではありえない



  あ き ら か


 

33 :
>>32
聞こえないフリに必死だな

いくら無視しようとしても
平均的な男性の手は23cmもない

尺の由来が観念的なものなのだから、咫の由来もまた観念的なもの。

尺=十寸=23cm
咫=八寸=18.5cmで確定。

平原から出たのは八咫の鏡。



  あ き ら か

34 :
オウム返しは、ザラコクさんと同じレベルだよ?
まあ、九州説はみんなそんなものだけどさ

35 :
完璧な反論をされて、オウム返しだとさw

36 :
平均的な男性の手は23cmとか
誰も言ってないしな

典型的シャドウボクサー w

 

37 :
九州説って死んでるね

38 :
>>36
ほう、じゃあ尺の由来とは何なのだ?

39 :
>オウム返し
>他人の言ったとおりに言い返すこと。「鸚鵡返しに答える」

キナイコシは数字だけじゃなくて、言葉の意味にも弱いのだな。

40 :
>>26
煽っておいて自分も説明できないだろ。
畿内説は学問ではなくワイワイ囃すだけ。

41 :
        箸中山古墳    浦間茶臼山古墳
墳長      約280メートル  約138メートル
後円部 径   約150メートル  約81メートル
    高さ  約30メートル   約13.8メートル
前方部 前面幅 約147メートル
    長さ           約61メートル
    高さ  約16メートル   削平により不明

あまり相似形という感じではないな
後円部が浦間茶臼山古墳の方が比率的に大きい

42 :
>>40
>>26
>畿内説は学問ではなくワイワイ囃すだけ。

>>26は九州説側の人で、>>25のお鏡さん批判に対する混ぜっ返しだぞ?
アンカー間違い?

43 :
>>33
>尺の由来が観念的なものなのだから、咫の由来もまた観念的なもの。

周代は尺も咫も、もともと身体尺で、きわめて具体的で物理的な裏付けのあるものだぞ?

具体的な数値では話が合わなくなったから、「観念」に逃げようというのが見え見え

漢尺の長さで、周代の尺、寸、咫を測ろうというのが最初から筋悪

44 :
だって漢代に作られた鏡だから。

45 :
女の手だろ

46 :
>>44
>だって漢代に作られた鏡だから。

記紀に八尋鰐が出てくるのは知ってるか?
八咫鏡、八尺瓊勾玉なんかと、命名の仕方としてはセットだ

でも、記紀の頃には尋も咫も、大陸では使われていない単位で、
読みも「ひろ」「あた」「さか」で、大和言葉への当て字なんだよ

大陸の単位として読むなら、周代の長さで考えないといけないし、正しく
日本の単位として読むなら、大陸での長さは関係ない

漢代の尺で説明できると思ってるところが、おバカさんなんだよ

47 :
>>39
>>他人の言ったとおりに言い返すこと。「鸚鵡返しに答える」

単語を一つでも入れ替えたらもう、オウム返しじゃなってか?
九州説の人間はどうしてそんなに日本語が不自由なんだ?ww

48 :
オウム返しと喚く奴は100%そのオウム返しとやらで自説を論破されたと思ってる
だからオウム返しとしか言えない

49 :
オウム返しを喚く奴は100%そのオウム返しとやらで相手を論破したと思ってる
だからオウム返ししか言えない

50 :
>>49
そらそうだろ、論破してるんだし
というか論破してるから他に言う必要無いっていうね

51 :
畿内説一人以外の全員が八咫鏡だと思っているこの状況w

52 :
>>48
>オウム返しと喚く奴は100%そのオウム返しとやらで自説を論破されたと思ってる

違うよww

オウム返しをするやつは、自説を説く時に自分の言葉で書くことすらできない、
オリジナリティの低い奴だって言ってるんだよw

ザラコクを見ても、キナイコシ連呼のやつを見ても、
同じことの繰り返ししか書かない、書けない、だろ?

そういう自分の言葉が十分に使えない、論理力、日本語能力ともに低いやつが
オウム返しで、したり顔をするんだよ

九州説には、日本語能力の低い奴が多いのはどうしてだろうね?ww

53 :
>>51
>畿内説一人以外の全員が八咫鏡だと思っているこの状況w

全1病をこじらせてるなぁw
どうして九州説は「多数」であることにこだわるんだろう?
何かあると、「大勢で囲んで大声で罵声を浴びせて要求を通そうとする文化」が
背景にあるのかな?

54 :
ノイジーマイノリティー

55 :
>>54
畿内厨のこと
言い当て妙

56 :
>>50
オウム返しして、なんで相手が論破できるんだ?

57 :
>>53
なぜか異常に下手な日本語使って
筋の通らぬわワケワカメな説を言い張って
ひとから「意味わからん」と言われると
「お前以外は全員わかってる」
なんて平気で言う人々だよ

思い込みが強いのさ

58 :
コミュ障のカミングアウトみたい

59 :
いくら畿内説側が対話を求めても
彼らが能力的に他人と会話を続けられない人じゃ
詮ないわぁ

60 :
丈は古代中国に由来する。「丈」は元々は成人男性の身長を基準とした身体尺であったと考えられる(「丈夫」は元々は身長1丈の男の意で、そこから一人前の男の意となった)。当時の尺は約18センチメートルであり、丈は尺と関連づけられてその10倍の長さとされた。

61 :
当時の尺が約18センチメートルだって根拠は?

62 :
>>61
ウィキに聞いてなー

63 :
>>60
>(「丈夫」は元々は身長1丈の男の意で、そこから一人前の男の意となった)

だろ? 別に「立派な男」「大男」じゃなくて、成人男子、くらいの意味だろ?

このネタの発端の、お鏡さんの前スレ>883の
「>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ

 一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)」

が、的外れだってのは、全員が確認できたな?
凡夫でいいんだよ

64 :
>>62
>ウィキに聞いてなー

当時っていつ?
周代は、約20センチとあるね

その前の身体尺の頃のこととして
「手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺とする身体尺で
 あった[要出典]。この長さはおおむね18cmくらい」
とあるけれど、[要出典]だそうだ
「中国の尺
 「尺」という文字は親指と人差指を広げた形をかたどったものであり、
 元々は手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺とする身体尺で
 あった[要出典]。この長さはおおむね18cmくらいであり、現在の尺の6割くらいの
 長さである。

 身体尺は人によって長さが異なるので、後の時代に一定の長さを1尺とする公定尺を
 定めるようになった。しかし、公定尺は時代を下るにつれて長くなっていた。これは
 民間で使われる単位が長くなっていったため、時の政権もそれを追認する形で公定尺を
 改訂したものである。尺の長さを長くすることで尺を基準にして納める税(反物など)が
 より多くとれるからとする説もある。

 尺という単位は古代中国の殷の時代には既にあったとされている。古代の1尺の長さは
 正確にはわからないが、出土文物からの推測では、戦国から秦にかけての1尺は23cm前後で
 あった。漢代でもあまり変わらず、23-24cm程度であった。
 『文献によると周の尺はその8割ほどの長さ(約20cm)であった[3]。』」

となっていて、文献[3]が、例の
『説文解字』夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。」

65 :
どっちにせよ、ふつうの女性の手18.5センチもあるわけがない
つまり一咫が漢尺八寸だと言うのは妄想

平原で見つかったのは八咫の鏡ではない

66 :
このスレ



もう死んでるわ

67 :
>>52
そもそも自分の言葉のなど必要ない
池沼にはまずこれが理解出来ない
そして同じこと(オウム返しという言葉)の繰り返ししか書かないのはオウム返しと喚いてる方って言うね

>>56
実際はオウム返しじゃなくて相手の論を論破する内容に改変してる事が大半だからな
たまに自分の主張を理解出来ない池沼が自分で自分の主張を論破してしまってる時とかは「本当のオウム返し」になる事もあるな

68 :
オウム返しで、どうやって相手を論破するの?
おつむ足りてないんじゃないの?

69 :
おつむ足りてないから分からんのやで

70 :
ようするに九州説ジジイは
他人と会話できないコミュ障ってことか

71 :
こういう風にオウム返し発狂君はすぐに現実から目を逸らして相手との議論を放棄するコミュ障君なんだよなぁ

72 :
ヤタとなぜ呼ばれたか?の対案がなければ、今の所、平原の鏡が第一候補だということ

はわかった

73 :
なにも理由なく「わかった」と思うコミュ障狂爺






74 :
>>67
>そもそも自分の言葉のなど必要ない

なら出てくんなや!

75 :
>>67
>池沼にはまずこれが理解出来ない

他人に池沼とか言う前に、自分の知的水準を見つめ直した方がいいよ
親切な私からの忠告

76 :
>>67
>そして同じこと(オウム返しという言葉)の繰り返ししか書かないのはオウム返しと喚いてる方って言うね

>>47で「単語を一つでも入れ替えたらもう、オウム返しじゃないってか? 」って
図星を書かれたものだから、まともに言い返せないんだねww

77 :
>>74
>>75
>>76
発狂しすぎててやばいw
どんだけ悔しがってんだよ
図星もなにもその通りなだけなんだが
しかも結局>>47以降の事は都合が悪いものは見えない病で一切反論出来てないってのがすごい

78 :
九州説なんてそんなもん

79 :
>>67
>実際はオウム返しじゃなくて相手の論を論破する内容に改変してる事が大半だからな

どこが?ww >>33>>67だろ

32 聞こえないフリに必死だな
33 聞こえないフリに必死だな

32 いくら無視しようとしても
33 いくら無視しようとしても

32 平均的な女子の手は18.5cmもない
33 平均的な男性の手は23cmもない

32 咫=八寸=18.5cmではありえない
33 尺=十寸=23cm
33 咫=八寸=18.5cmで確定。

33 尺の由来が観念的なものなのだから、咫の由来もまた観念的なもの。

32 平原から出たのは八咫の鏡ではありえない
33 平原から出たのは八咫の鏡。

32  あ き ら か
32  あ き ら か

オリジナルなのは
「尺の由来が観念的なものなのだから、咫の由来もまた観念的なもの。」のみで、
しかもびっくりするほど根拠なし
既に、>>43で間違いであることが示されていて、それに対する反論はなし
どこが「相手の論を論破する内容に改変」なのかな?
間違ったウソを平気で書くこと?

80 :
平原のデカ鏡が八咫鏡てなかった作って事実が
そんなにショックだったのか

81 :
>>79
この人に
論理のある文を書けと
要求するのは
酷なのか?

82 :
それ以前に>>79が日本語の文章になってない件について

83 :
>>72
>ヤタとなぜ呼ばれたか?の対案がなければ、

つ対案
「「八咫」は実際の大きさを示しているのではなく、
 単に「大きい(多い)」という意味と捉えるのが通説
 類例
 八百万 八百八町 八百八橋 八尺瓊勾玉 八百屋 八千矛 八尋
 表す八を使った」

84 :
>>82
いや、>>82だけど、>>79の文章よみ間違えてたかも
正しいこと言ってる気がしてきた

85 :
>>79
池沼ってすげーのな
33が誰かは知らんが
32 平均的な女子の手は18.5cmもない
33 平均的な男性の手は23cmもない
ここで既に32の「平均的な女子の手と違うからおかしい」という論拠が崩れてる事を示してる事が理解出来てない
これが「相手の論を論破する内容に改変」という奴

86 :
すまん>>81だが、読み間違えた
撤回する
浅慮だた

87 :
>>79だが、気にしてないよ
畿内説の人は、間違いを修正できるんだがなぁ

88 :
>>85
32の「平均的な女子の手と違うからおかしい」
という論拠は崩れてないだろ?

89 :
>>85
>33が誰かは知らんが

こういうのを平気で書けるのが、九州説だよな
>>85>>67と同じ九州説ってのは、いいのか?

90 :
>>88
なんで?
32 平均的な女子の手は18.5cmもない
33 平均的な男性の手は23cmもない
この二つの内容には双方異論無いんだろ?
そうするとこの二つから導き出せる結論は「議論になってる数値はそもそも平均的な女子の手や平均的な男性の手を元にした数値では無い」となる

91 :
どっちにせよ
1咫は18.5cmではない
ってのは、いいよな?

92 :
>>89
>>85>>67はどっちも俺だよ

93 :
>>91
どっからその結論導き出したんだ?
論拠を示して主張すれば良いだけやで

94 :
>>90
やっぱり、論理的思考に弱いねぇ

>32 平均的な女子の手は18.5cmもない
>33 平均的な男性の手は23cmもない
>この二つの内容には双方異論無いんだろ?

ここまではいいんだが、
「平均的な女子の手」の対象となる「周代の咫」は「身体尺」だから、
「現実の女子の手の大きさと直接比べる必要がある」
そして、数値的に合わないというのは九州説の>>90も認めている

しかし「平均的な男子の手」と今比べているのは「漢代の尺」で、
これは「公定尺」であり、既に「現実の手の大きさからは切り離された長さ」
だから、平均的な男子の手のサイズと合わないのは、漢尺の長さを論じるのに
意味を持たない

>>64に引用されているウィキの尺の記事からも、これくらいのことは分かる

>そうするとこの二つから導き出せる結論は「議論になってる数値はそもそも平均的な女子の手や平均的な男性の手を元にした数値では無い」となる

議論になっている二つの数値「周代の咫」と「漢代の尺」を、対等に扱っているところで
論理として破綻している

がんばったのは認めるけど、論理的ではないよ

95 :
ということで、>>85
>ここで既に32の「平均的な女子の手と違うからおかしい」という論拠が崩れてる事を示してる事が理解出来てない

まるで崩せていないのは、>>94で示した
説文解字に「中婦人手長八寸,謂之咫。」と書いてあるんだから、
婦人の手長に合わなかったら、それは咫の長さに合わないんだよ

>これが「相手の論を論破する内容に改変」という奴

論破した気になってたんだ?
そんな内容にはなっていない、ただの独りよがりなオウム返しだよw
もう少し、漢文が読めるようにならないと厳しいかな

96 :
>>91
なんか勘違いしてるようだけど
1) 古周尺八尺=1歩=今周尺六尺四寸
つまり古周尺=今周尺八寸
2) 今周尺=東周尺=漢尺(東周銅尺より)

1)2)より古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸=約23cmx0.8=18.5cm

という代数操作で導かれた値だから
2)は否定できないから、1)の代案となる解釈を出さない限りなに言っても説得力ないよ。

97 :
「中婦人手長八寸」と書かれているんだから
この「八寸」が漢代の八寸でないことくらい
脳が3g以上あれば普通わかるよな

98 :
>>94
じゃあ頑張って33と続きやれば?
認めてるじゃなくて「お前ら二人は異論が無い」と言ってる
まずこれすら理解出来ないのがやばい

そして俺が見る限り>>64には男という字も女という字も存在しない

99 :
>>83
八咫鏡
だよ?

なぜ"咫"なのか?が論点だよね

100 :
>>98
思考停止か

説文解字のいう八寸が漢尺じゃないことは理解したのか?

101 :
>>100
速攻の自己紹介、これがコミュ障か
八寸が漢尺じゃないとかいったいどこで争点になってたんだか
まじもんの池沼なのかな、こいつ

102 :
        ↑
反論ができなくなると相手も罵るコミュ障の症状

103 :
自己紹介好きだなぁw

104 :
それがオウム返しだ
幼稚園児がよくやる

105 :
>>101
争点ね
>953 名前:岡上 ◆Lv09mLa3HM Mail: 投稿日:2018/06/04(月) 21:50:54.01
>そうですよ。事実に根拠はいりません。
>平原1号墓出土鏡の円周長は、正しく漢代の説文解字の咫であらわせば「八咫」になるのは
>事実だから、そこには根拠は入りません。

漢代に書かれた説文解字にある咫八寸が漢尺じゃない、ってのが争点
というか、結論

106 :
>>105
だからそいつに言えよ
俺は八寸が漢尺なんて話には一切絡んでねーよw
そもそもその引用部分に寸なんて出てきてねーじゃん
どんだけ頭おかしいんだこいつ

107 :
平原から出た鏡の大きさは八咫ではない
それだけ

108 :
ほんとコミュ障だなぁw

109 :
>>96
漢文読めないと苦労するね

>1) 古周尺八尺=1歩=今周尺六尺四寸
>つまり古周尺=今周尺八寸

ここがまず、読み間違い
原文は「古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。」
「古周尺」とか「今周尺」とかいう長さがあるんじゃなくて、
古くは(者)「周尺八尺」を歩としていた(為す)
今は「周尺六尺四寸」を歩としている(為す)
ということなんだよ

そしてそれは、尺=8寸とするか、尺=10寸とするかの解釈の変更

>2) 今周尺=東周尺=漢尺(東周銅尺より)

今周尺なんてのはないことは、既に説明した
そして「鄭意八寸爲尺。周末始有之。」とあるから、
尺=八寸なのは、周末つまり春秋戦国時代(東周)の頃の話

そして「漢尺の体系では1歩が六尺」なのが、「周尺では六尺四寸あるいは八尺」
なのだから、周尺が漢尺より短いのは明白だろ?

110 :
>>109の続き

問題は「歩」の長さをどれくらいの長さとすればよいかが、よい典拠がないこと
wikipediaの「歩 (尺貫法)」に従えば、
周代 歩=1.35メートル
漢代 歩=1.38メートル

これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
1.35m    21.1cm      16.9cm
1.38m    21.6cm      17.3cm

8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
1.35m    16.9cm      16.9cm
1.38m    17.3cm      17.3cm

>1)2)より古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸=約23cmx0.8=18.5cm

こうはならないのは理解できたかな?

それから、歩=六尺四寸に関して、新井宏氏が、論文をかいてるのを見つけた
「『考工記』の尺度について 新井宏」
arai-hist.jp/thesis/archeaology/metrology/koukouki.doc

これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で、その原因は
篆字の四と六が似ているからと考えられるそうだ
四 http://www.shuowen.org/view/9671 の𦉭
六 http://www.shuowen.org/view/9679

111 :
>>108
そう連呼してコミュニケーションを拒否するのが
コミュ障の人だよ


w

112 :
>>118
>>107でいきなり全てのコミュニケーション無視して自説を述べるだけになってるからコミュ障なんだよなぁ
また自己紹介しちゃったのかな?

113 :
>>110
>これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で

それは昔からある通説だ
周尺は漢尺で9寸相当になる

114 :
あああ、肝心なところで誤植だ
>>110の訂正

8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
 歩     周尺(八寸)*   咫(八寸)
1.35m    16.9cm      16.9cm
1.38m    17.3cm      17.3cm

*のところが(十寸)になってた

115 :
>>112
全てのコミュニケーションを無視してるのは貴方では?

116 :
>>115
自己紹介はもう結構ですよw

117 :
おかしなひとは往々にして自分がおかしいという自覚がない

118 :
コミュ障連呼の九州説の人は、>>109>>110には反論ないの?
なきゃないでいいけどさ

119 :
>>118
私はその話に関わって無いんだから反論も糞もねーよw

120 :
>>116
九州爺さんは、ただ連呼して対話拒否を続けるコミュ障

121 :
>>119
ほら
コミュ障

122 :
>>119
じゃあ、咫=18.5cmだと言う主張にも関わらないの?

123 :
"咫"とは何か?

基本
咫=8寸なんだよね?
尺=10寸なんでしょ?

つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない

当時は、漢尺を日本では使用していた可能性が高いし

平原鏡は国産だよね?
可能性はあり、だと思うよ

後、咫は「中婦人手長八寸」であれば、

どんな基準で測るかわからないけど、私は尺みたいに親指から中指で長さを測る前提で、精一杯広げると18センチぐらいだったよ

中国の昔の人は大きかったらしいから、18.5センチもありえそうだな〜、と思ったけどね

124 :
>>120
自己紹介しつこいよw

>>121
では、どこがコミュ障なのか論理建てて説明どうぞw

125 :
>>122
そらそうよ、最初から関わってないもん

126 :
>>125
じゃあ、平原出土超大型鏡が八咫の鏡だと言う主張にも関わらないのね?

127 :
>>123
あんたは古代の女性よりチビなんだな

128 :
>>123
>つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない

その「否定できない」が、「きっとそうだ」「そうに決まってる」に
脳内変換されるのがおかしいってことだよ

「咫」が当時、大陸での使用例が一切ない
その状況で「咫」が伝わること、さらに「尺の8割という概念」が伝わることの
妥当性、蓋然性が、著しく低い、ということを言っている訳だ

可能性は0ではないかもしれんが、それをもとに何かを言うのは無意味、
というレベルだよ

ラプラスの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ
熱力学的な分子運動の揺らぎで、いきなりコップの中の水の一部が
沸騰する可能性はゼロではない

129 :
>>109
お、新展開。正しくそうでなくちゃ。

> そしてそれは、尺=8寸とするか、尺=10寸とするかの解釈の変更

比率が問題なのだから、仮に古周尺と今周尺と便宜上分けたところで、今周尺が存在しないことにはならんよ便宜上の名前だから。
ただその実態がなんなのかが問題になるだけでね。

周末が東周という解釈はおかしいね。
前段で 古い周尺の方が短いことがわかってるんだし、
西周と東周は西周の方が古い歴史的事実がある。

新井論文は未見だから今から読むよちょっと待って。

130 :
>>126
関わってないよ?
俺はオウム返しの話からだぞw
そもそも私は神武東征は地方軍の遠征と思ってるからな
記紀にそう書かれてるし
でも伊都国は首都だろ?

131 :
>>124
他人と対話できないから

132 :
>>127
そうだね〜小さい方だし
調べると中国の昔の人は身長が高かったみたいで、ちょっとびっくりした

133 :
伊都クズは嘘つきなので、その発言は信用できない

134 :
>>131
もう自己紹介は良いってw

135 :
>>134
ほら、連呼ばかりで他人と対話ができない
コミュ障そのものだ

136 :
>>129
>前段で 古い周尺の方が短いことがわかってるんだし、
>西周と東周は西周の方が古い歴史的事実がある。

ここで既に間違っているんだってば!

解釈された時点が、古いかどうか、という話

以前の方が、周尺は短い(歩=八尺、含意として尺=八寸)という考えが広がっていた、
今は、周尺は以前より長く想定している(歩=六尺四寸、尺=十寸)

そして、尺=八寸というのは、東周の六国時で周末に始まった

その周末から続く時代=古い時代は、周尺=八寸と考えられていたが、
今では、周尺が正しく換算されて、周尺=十寸、歩=六尺四寸(六尺六寸)と
されるようになった

ということだよ

137 :
>>135
こいつなんでひたすら自己紹介してるんだろう

138 :
ていうかいつも言ってるが、中国の事は中国人に聞けよ
なんで中国人の書いた論文見ないの?

139 :
あああ、さっきから間違えてばかりだ

>>128の訂正
× ラプラスの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ
○ マクスウェルの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ

140 :
見てますが、何か?

141 :
>>128
中国では使用された例(文献)はなくても、
実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?

その日本の「咫」とは何なのか?が問題点。

「咫」が"8寸"の可能性が一番高いのは言うまでもない

平原鏡制作当時は漢尺を使用していた可能性が高い

可能性としてはそこまで低くはないと思うけど

長さではないならば、「咫」とは何だったのか?が問題になるが…

142 :
>>136
>今は、周尺は以前より長く想定している(歩=六尺四寸、尺=十寸)

単純な間違い
王制では、今は一歩が六尺だが、それが周尺では六尺六寸だと言っている
つまり秦漢の一尺より、周の一尺の方が一割短い



>そして、尺=八寸というのは、東周の六国時で周末に始まった

これも間違い
東周景王代の銅尺には10寸が刻まれている

143 :
>>141

根拠もなく「可能性が高い」と言い張られても、な

144 :
>>136

東周の時代は、昔は西周と同じく
周尺八寸と考えられていたけど
今では東周の時代は周尺10寸だったと考えられている?ということ?

145 :
>>109
6尺6寸にしたらちょっと大変なことがわかったかも。 整理するわ、、、、

146 :
>>141
>実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?

それがいつ使われるようになったのか?という視点が抜け落ちてる
文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない

8世紀の文献で、3世紀の器物の名称を推定するというのはいかにも乱暴

記紀を書くために、多くの漢籍を参照しているのはよく知られている
その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い

147 :
>>142
>これも間違い
>東周景王代の銅尺には10寸が刻まれている

それ、春秋時代のどこの国の話?

葢「六國時多變亂法度」。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
「鄭意八寸爲尺。周末始有之。」與許說異。然許亦曰諸侯力政。

漢文は読めるかい?

148 :
>>144
東周の時代に周尺が八寸だったとか
そんな考えが、どっから湧いてきたんだろう

???

149 :
>>144
周朝では、尺は十寸だった

東周=春秋戦国時代になって、諸侯が自立して王を名乗る頃になると、
国ごとの変乱法度が多くなり、その中で尺=八寸とするものも見られるようになった

それに「近い時代=古くは(古者)」、周尺=八寸とされていたが、
今は、周尺=十寸と考えられるようになった

150 :
>>147
すまん、勘違いで景王代ではなく洛陽金村の東周墓
当時は韓か魏だな
しかし結論は変わらない

八寸を刻んだ尺はないだろう
後世の人の推測は根拠にならん

151 :
記紀の咫が漢尺の8寸って後世の人の推測だよね

152 :
>>149


西周時代は尺八寸と思われてたってことよね?

153 :
誰に?

154 :
>>151
後世の人の推測じゃなくて
平成の一部日本人の妄想

155 :
>>154
一部じゃなくて数人の妄想

156 :
>>153
言い方変えよう

周末とは西周の末期って意味だよな?

157 :
>>156
>周末とは西周の末期って意味だよな?

いいえ、違います
漢文読める?

鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。

ここで周末が諸侯力政の時代で、分爲七國って書いてあるだろ?
春秋戦国時代まで、周代だよ

158 :
>>146
>文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない

でも実際に鏡が出ているし。
で、畿内説は平原遺跡は2世紀末との主張はどうしたの?
卑弥呼の時代であることは認めるんだw
纒向も葛城も卑弥呼と同じ時代だけど、平原の方がかなり卑弥呼のと関係していそうだよねw

>その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い

あなたの主観的な判断で、根拠はないですね。

159 :
>>146

キナイコシのような言葉を用いるなら、
つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用されたと考えるのが妥当だということ。

160 :
>>158
>でも実際に鏡が出ているし。

どんな鏡が?

161 :
円周の長さが八咫の鏡

162 :
>>158
>でも実際に鏡が出ているし。

相変わらず論理が通じないな
平原1号墓出土鏡の円周長が147センチだったとして、
「センチという単位」が日本に伝わる前に、「147センチ」とされることはない
最大限古く見積もっても、18世紀末より前に147センチと測られることも、
それに基づく呼ばれ方をすることもあり得ない

3世紀に「咫」が倭国に伝わったと考える妥当性はない
八咫鏡という文字記録が確認できるのは8世紀以降

163 :
>>158
>平原の方がかなり卑弥呼のと関係していそうだよねw

これが、徹頭徹尾、根拠がない

自分でも「関係していそう」としか書けない、単なる感想だな

164 :
>>161
円周長を「換算すると」8.63咫の鏡がどうかしたのか?

165 :
記紀以前には日本には文字どころか言葉も無かったという事かー
原始人かな?

166 :
>>161
八咫だと決め付ける根拠は?

167 :
3世紀の伊都国には硯があったからなあ。
文字が使われていたことは確実。
そもそももっと前から漢と国交を結んで金印をもらうくらいだしな。
キナイコシの頭の中では筑紫の弥生人は文字を知らない原始人か何かなのだろうか?

168 :
意味不明なつぶやきを始めるトンデモ糸クズ爺


なにがしたいのだあろう

169 :
岡上とか、そういった人々って思い込みが異常に強いというか
事実だから根拠は要らないとか、とてもマトモと言えない感覚のもち主で
彼らの「事実」ーー思い込みなんだけどーーを否定されるとキレちゃって
コミュ障の正体まるだしになるね

170 :
>>149
?まだわからん

事実と考察が(説文解字中の)違うということ?

周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺

とあって
尺八寸にしていた時代があったかのように読めるが、事実は違って

是可證周未嘗八寸爲尺矣

西周時代東周時代含めて尺八寸だったことはなく、東周時代の戦国春秋期に一時期尺八寸だったことがある

と、いうこと?

171 :
>>157
周末は西周の末期だよ?

戦国春秋の時期に各国で尺が異なることがあったってことはいいよ。

東周の末期にしてしまうと異なる時期がわずかすぎておかしくない?

172 :
>>170
そう考察した後世の学者もいるが実のところ真偽不明ってことでしょ

173 :
>>171
>周末は西周の末期だよ?

漢文読めますか?(3回目)
自分で漢文読んで確かめればいいじゃん?

何度も原文貼ってるんだから
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。

鄭意八寸爲尺。「周末始有之。」與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。

日本でも、南北朝や戦国時代も室町時代のうちだろ?
六国時とか、分爲七國とか、諸侯力政とかで表現されている時期が周末だよ

勝手に西周末だと思い込まないように!

174 :
>>173
まあそれも漢代の学者の推測なんだがね

175 :
周代の尺の混乱は、「尺=十寸」と「尺=八寸」の異説があることと、
「尺=咫」と「尺と咫は別」の異説ががあることの
二段重ねで紛らわしくなっていることが原因

周朝では本来、
「尺=10寸(もとは男性の開いた手の親指から中指の長さの身体尺)」
「咫=8寸(もとは女性の開いた手の親指から中指の長さの身体尺)」
で区別されていた

それが周末の六国時に、尺=八寸としたものなど変乱法度の分国法が多く、
尺の長さが混乱し、さらに咫との関係も混乱した
尺=八寸ならば、尺=咫となる

この時の、「尺=八寸、尺=咫、歩=八尺」が、秦の始皇帝の度量衡統一前(周代)の状態として
認識されていた
これが「古者以周尺八尺爲步」

秦の始皇帝の度量衡の統一で、長さの単位の寸尺歩里が公定尺となり、身体尺の咫は
使われなくなった

使われなくなることで、混乱した周末の状態がそのままほったらかしになっていたが、
律暦志の編纂などを通して、周尺の正しい尺(歩)の長さが考察されて、
「今以周尺六尺四(六)寸爲步」と考えられるようになった

176 :
>>143
いやいや、
つまり中国では
咫=8寸
だったのは確定なんでしょ?

だったら日本でも"咫=8寸"と考えられていた、とするのは当然の推測だと思うが?

ちなみに、平原鏡は漢尺で周長が8寸×8になるのは事実だね
咫八鏡の可能性が他の鏡より高い、程度ではあるがな

"咫"の意味の候補が他にあるのなら別だが、今の所これだけみたいだし

177 :
咫=漢尺の8寸じゃないんだから、当然ちがう

178 :
>>176
>ちなみに、平原鏡は漢尺で周長が8寸×8になるのは事実だね

事実じゃないよ
8寸×7 余り7寸弱だ

179 :
>>145
>6尺6寸にしたらちょっと大変なことがわかったかも。 整理するわ、、、、

整理はまだ終わらないのかい?

180 :
>>173
>東周の末期にしてしまうと異なる時期がわずかすぎておかしくない?

181 :
>>180
>東周の末期

末期を短期間にとり過ぎ
東周の時期を、春秋戦国時代とまとめて言うけれども
紀元前403年の戦国時代の開始頃から先が六国時であり
そこから紀元前221年の秦の統一まで、180年くらいある

この180年全てを周末というつもりはないけれど、それくらいの
時間幅を見てよい

182 :
>>175
そうそうこういう話だと思うよ。

考古遺物の東周銅尺が10寸の目盛りで尺長も漢尺と一緒でしょ?

西周の尺が短かったかは取り下げるわ。

尺の混乱期での短かった尺を
古周尺と呼ぶことにしよう。
それなら矛盾は解消する。

>>172
ありがとう
>>174
そうだよね、ありがとう
>>175
改めてありがとう

183 :
>>181
そんなら東周中は尺の混乱期であった、FAでよい?

184 :
>>179
うん終わってない本業もあるからね。

大変なこととは、別口で
殷人はメートル法を使っていたのではないか?という話を目にしたことがあって

ここが6尺6寸だとなんだか
いわゆる10対8の大尺小尺とは別に、メートル法としての尺度がでてきて使っていた形跡が数字から見えてきたかも、ということです。

185 :
>>184
うお!秦漢代の公定尺長を決めた計算式がわかったかも。

186 :
>>183
いや、逆に安定してる

187 :
>>182
逆だ
東周〜新が不変なんだから、その前の西周の尺が短かかったんだよ

188 :
東周銅尺を、周代の尺の基準として重視している人がいるけれど、
『中国歴代度量衡考』に、「東周銅尺 23.09cm 南京大歴史系文物室」と
いう記載があるところまでしか調べがつかない

現物の画像が見られるところとか、どこでどんな遺跡から出土したかとかの情報、
教えてもらえないかな?

189 :
どっちみち咫が「中婦人手長八寸」だから
平原の鏡が八咫の鏡じゃないことは確定なんで
あとは余談のスレ消化だけどな

190 :
>>186
>>187

ちょっともー
東周時代は変法で秦の度量衡統一になるっていう
>>175
と矛盾します。

191 :
【咫】
❶長さの単位。周の尺で八寸。約18センチメートル。❷短い・近いたとえ。「咫尺」❸わずか。少し。
(国)た。あた。古代の長さの単位。親指と中指とを開いた長さ。「八咫の鏡」

192 :
>>191
常識的な解説だ
どこの辞書?

193 :
>>190
そりゃ>>175への反論なんだから
あたりまえだろう

きみは頭が異常に悪いの?

194 :
学研日本語大辞典
《意味》
{単位詞}周代の小尺における長さの単位。一咫は大尺で約八寸、今の約十八センチメートル。
▽小尺は、女子の指十本の幅を基準とした尺度。大尺は、男子の指十本の幅を基準にした尺度で、
その一尺は今の二二・五センチメートル。

195 :
>>192
「漢語林」
鎌田正、米山寅太郎 著

196 :
>>195
なるほど。
畿内厨と違って理性的だね

197 :
>>194
>その一尺は今の二二・五センチメートル。

それ、学研日本語大辞典はどこで調べてきたんだろう?

周尺19.7cm説、というか、20センチ前後ってのが通説だけれどな

198 :
>>196
古い世代の漢学者は清朝あたりの考証学者の誤解を引き摺ってるだけさ

199 :
>>198
っていう証拠は?

200 :
>>193

いや、西周の尺が短かったと認めてもらえたようだからあとはどうでもいいです。

201 :
>>199
証拠

鎌田 正 1911年(明治44年)1月7日生

202 :
>>188
https://www.ptt.cc/man/Chinese/DD28/DB33/D847/M.1129658445.A.AE9.html

洛陽金村らしい

203 :
>>110
改めてじっと考えてみたよ

>これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
>1.35m    21.1cm      16.9cm

この値に非常に魅力を感じる
16.95cmって尺が出土してたよね?

私の仮定は 今周尺 が 東周銅尺 = 漢尺だった
そうではなくて今周尺 ≠ 漢尺 だったということだね?
古周尺八尺=今周尺六尺四寸

周尺六尺六寸=漢尺六寸から計算すると
1.38mから21.1cmになる
古周尺八尺=今周尺六尺四寸を一歩とすると1.35mにちゃんとなるね。

たぶん、六尺四寸の記載で正しいと思うよ
もし古周尺八尺=六尺と書かずに敢えて周尺六尺四寸と書いたんだねきっと。

これ冒頭の16.9cmの尺があるという考古学的事実と整合するものだから、この論証は極めて妥当なものだと認めます。

204 :
商の骨尺  16.95cm 故宮博物院収蔵
(伝殷墟出土)

これだね。

205 :
中津人手長だな

206 :
婦人

207 :
中婦人手長八寸謂之咫。商尺也 なら、100点だったかもね(笑)

208 :
周と商の字似てない?無理か(笑

209 :
東周銅尺を十寸として基準尺としており、八寸=が咫として規定されたわけだ。

210 :
で、婦人の手長が咫であるという認識のみが残ったと。

211 :
>>202
ありがとう

商周度器

傳河南安陽殷墟出土的商代骨尺和牙尺﹐是目前中國所見最早的測長工具。
尺面分、寸刻線都應用了十進位制﹐分別長16.95、15.78、15.8厘米﹐可作為商代一尺實際長度之參考。
東周銅尺傳河南洛陽金村出土﹐全長23.1厘米﹐尺面無刻度﹐隻在一側刻十寸﹐第一寸處刻十一格﹐
與實測商鞅銅方升所推算每尺長23.2厘米相接近。

ざっくりで訳すと
商周時代の度器(長さを計るものさし 度は「はかる」)

 河南安陽殷墟で出土と伝えられる商代の骨尺と牙尺 があり、これが目下のところ
中国で最も早期の長さを計る工具である

尺面は十進法の寸刻線で分けられている
刻線部分の長さは16.95、15.78、15.8センチで、商代の実際の尺の長さを計る上で参考となるだろう

東周銅尺は河南洛陽金村出土と伝えられる
全長23.1センチ﹐尺面には刻み目はないが﹐側面の片側に十寸の刻みがあり﹐
第一寸を刻むところ「十一格(これがよく分からない)」
商鞅の銅方升の実測値から推測される一尺23.2センチと相近い

212 :
尺換算式
周尺六尺六寸=漢尺六尺=漢1歩=1.38m(漢尺23cm)
ここから周尺=10/11漢尺=21.1cm

また
古周尺八尺=周尺六尺四寸より
古周尺=周尺八寸=21.1cmx0.8=16.9cm

約17cmって婦人の手かな?ちかいけど。

絶対値としての咫は8/11x漢尺=16.9cmだった。

213 :
>>211の補足
洛陽金村出土というと、これかな?

金村古墓
中国河南省洛陽市北東にある戦国時代の古墓群。 1928年以降の大規模な盗掘により,
優秀な戦国式銅器が世界に分散している。8基の木槨墓が存在したと伝えられる。
木槨は地下 14mに営まれ,平面が八角形をなし,南に墓道が付設されていたといわれているが
確証はない。「その年代は戦国時代後半から秦代にかけて」のもので,遺物には特に工芸的に
すぐれたものが多い。

東周銅尺と呼ばれているけれど、秦の度量衡統一に繋がる系列の尺のようだね

商鞅(しょうおう)は、中国戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家

商鞅は大良造の立場で変法が実施し,畝積制を含む土地改革がなされるとともに,〈斗桶,権衡,丈尺〉の度量衡を標準化する法が実施した
前344年には標準量器の商鞅銅方升が作られ,秦の始皇帝による中国全土の度量衡統一の基礎となった

214 :
推定値としてはこんなのがあるみたいだね

《古代中国の男女身長及び手長:岩田前出)
――――――――――MAN------------FRAU------
4500-3200B.C._____166.8 18.1   155.5 16.7
3000-2000B.C._____165.3 18.0   154.2 16.6
2015-1900B.C._____168.8 18.3   157.3 16.9
A.D.1979___________170.3 18.5   159.0 17.1

215 :
えっとね、
私が誤解したように今周尺が漢尺として、
さらに
古周尺八尺=漢尺六尺六寸とした時、
古周尺=66/80漢尺になるのね。

これを33/40=99/120≒100/120=10/12

12寸が出てくる

この古周尺が正しく商尺だと思われてたら
漢尺の12寸が1商尺になって、説文解字の記述と合うように思うんだけど、どうだろうか?

216 :
お○さんが出てこないと、わりに建設的な議論が進むな
なんだか考古遺物とも文献記載とも、すごく整合性のある数値になってきた

217 :
>>214
婦人の手ぴったりじゃん。ということはやはり
>>110
を補強する事実と言える。

218 :
>>215
>この古周尺が正しく商尺だと思われてたら
>漢尺の12寸が1商尺になって、説文解字の記述と合うように思うんだけど、どうだろうか?

その計算だと、1漢尺が商尺12寸になると思うんだが?

219 :
>>218
そうとも言う。

220 :
そして、10尺=1丈=169センチで、当時の成人男子の平均身長ともぴったり
それが丈夫の定義と完全に一致でまったく問題ない

221 :
人長八尺が丈夫でしょ?

222 :
すでに正確な対応関係がわからなくなっているのだから
ピッタリ合う必要なんてないと思うけど

223 :
じゃあ、説明できてないってことだね。

224 :
理屈と膏薬は何にでもくっつくと言われるように
説明できるから正しいとは限らない

これまでに多くの学説が新説に取って替わられてきたが
覆されるまでは古い学説に沿って説明されていたのだし
例えば、本能寺の変における光秀の動機のように、いろいろな説明が入り乱れているものがある

こうした現実を客観的に整理できないのであれば、学術の世界に足を踏み入れるべきではない

225 :
何を突然言い出すの?コミュ障の症状かな?

ともかく、人長八尺が丈夫と考えられていることは、
説明出来ないって認めてるわけわだな



226 :
>>225
イミフ

「丈」って身長って意味でしょ
昔の人の平均的身長の1/10が「丈」でいいじゃないか

227 :
おまえのレスがイミフすぎる。

228 :
書き間違い

昔の人の平均的身長の1/10が「丈」でいいじゃないか
       ↓
昔の人の平均的身長の1/10が「尺」でいいじゃないか

229 :
説明出来ないことを説明できるようにこじつける。

それを改竄というんだよ。

230 :
畿内説が文献無視と言われる所以だな

231 :
>>230
なんで文献無視になるの?
理由は?

232 :
コミュ障発症



233 :
>>232は誰にも返事しない
理由も言わない




コミュ障の典型だな

w

234 :
コミュ障かな?
>昔の人の平均的身長の1/10が「尺」でいいじゃないか
というの立場で、「人長八尺、故に曰く丈夫」を説明してごらん??

235 :
>>229

そうじゃないぞ
1に棒を足して4にしたりする、これが改竄。

236 :
もともと丈夫は一人前の成人男子ってだけの意味だった
一家の主とか娘の亭主、つまり家長くらいの意味だった
だから10尺の1丈が平均身長くらいだった
今でも背丈って言うだろ
そのあと1尺がだんだん大きくなって、その10倍と決められた1丈も大きくなった
10尺どころか8尺でも結構な大男の身長になってしまった
丈夫もヒーロー的な意味に変わっていった
そんだけの話

237 :
>>236
で、

>昔の人の平均的身長の1/10が「尺」でいいじゃないか
というの立場で、「人長八尺、故に曰く丈夫」を説明してごらん?

238 :
聞こえなフリ?

コミュ障?

239 :
で、人体八尺は、何センチ??
にげてるよね?

240 :
で、人長八尺は、何センチ??
にげてるよね?

241 :
何から?

242 :
>>238
聞こえないフリ?

コミュ障?

243 :
で、人長八尺は、何センチ??
コミュ障?

244 :
>>240
そんな質問しなかったのに、突然相手に「にげてる」とか
頭ヘンな人?

245 :
>>240
そんな質問しなかったのに、突然相手に「にげてる」とか
頭ヘンな人?

246 :
なんでダフる?

247 :
で、人長八尺は、何センチ??

248 :
>>247
一尺が21センチだった時代には168センチだろ
一尺が23センチだった時代には184センチだろ

それが何か?

249 :
どっち?

250 :
何が?
たどたどしいな

コミュ障?

251 :
168センチか184センチかはっきりしろよ、コミュ障

252 :
時代によって変化があって何故いけないんだ?

253 :
はい、ハッキリさせずに逃げた

254 :
>>253って頭がおかしいのか?

いつの時代の話かハッキリさせずに質問したのは自分なのに

255 :
説文なら漢代だろ、当たり前の話。

256 :
お前、そう言ってない
コミュ障?

257 :
説文とその注に関してなんだから、尺は明示がなけりゃ漢代だろ。
こういった議論の前提がわからないと言い出すのがコミュ障の症状。

258 :
>>255
そうなら一尺が23センチのほうを選ぶだけなのに、それをしない
知能が低いのだろうか

259 :
>>258
じゃあ、丈夫は、184センチでFAだな。

260 :
>>257
それが情弱って告白だろう
辞書類書は故事を書く

261 :
>>259
いや
漢代一般人のイメージなら大男のことだし
古典研究家の言葉なら違うな

262 :
>>357
それはお前の思い込みだから

263 :
ほら、コミュ障さん、

人長八尺は、何センチ??
答えてみ?

俺は説文に対しての説明だから、漢尺で解釈して184cmだと思うぞ。
お前はいつの時代で何センチだと考えたの?

264 :
>>257
説文解字がことばの語源。つまり、昔の常識を解説してる本だということを全く理解できてないバカがいたな

265 :
だいたい九州説の人はコミュ障で、無知で、頭が悪いという三重苦を抱えている
かわいそうだな

266 :
>>263
常識で判断しろよ
語源の解説は解説が書かれた時代じゃなく、その言葉ができた時代の話を書いている

267 :
>>266
で、お前はいつの時代で何センチだと考えたの?

268 :
で、248の答えはなんだったの、って話だな



269 :
>>268
答えだろ

270 :
>>267
百貫デブみたいな象徴的意味であって、何センチとかいう話じゃないんでは?

271 :
>>263の知能が低いことは解った

272 :
本当に九州説のコミュ症って言葉が大好きなやつは、
まともに漢文も日本語も読めないんだな

説文の問題の部分は
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。
 然則伸臂一尋。周之丈也。故从又持十。直㒳切。十部。」

周制では、八寸を尺として、十尺を丈としていた
(十寸を尺とすれば)平均的な人(男子)の高さ(身長)は八尺である
ゆえに丈夫という
然れども即ち両腕を伸ばした長さが一尋であり、周代の丈である

まず第一、
これまで見てきたように、八寸を尺とする見方だと、歩=八尺で
周尺(古)=16.9センチ 十周尺(古)=一周丈=169センチ
そして、漢代の成人の推定平均身長が168.8センチでぴったり

十寸を尺とする見方だと歩=六尺四寸で
周尺(今)=21.1センチ 八周尺(今)=人長=168.8

数値はばっちりあってるよ

丈夫が大男を意味しないことは>>15を参照

273 :
>>272
お前のそれ人長十尺じゃん

274 :
>>273
周尺(今)=21.1センチ 八周尺(今)=人長=168.8
って書いてあるが?

275 :
>>273
>お前のそれ人長十尺じゃん

つ「十寸を尺とする見方だと歩=六尺四寸で
  周尺(今)=21.1センチ 八周尺(今)=人長=168.8」

276 :
>>263の知能は低い

277 :
>>274
>>275
池沼かな?
それ周制十寸爲尺じゃん

278 :
>>272
どうも
説文解字の今の時点が明瞭でないせいで
注を入れる人も混乱した書き方になったようだ。

いちおう、1丈=168センチ程度でいいのでは。
色々辻褄が合ってるしな。

古の周尺八寸は多分
古の周尺と呼んだら間違いで
昔々の尺=商尺は、
周尺の八寸長が基準長だったを意味するのかな。

よく考えたら王朝としては殷の次が周で
殷人の遺民が周王朝時代は商にいたわけだから
商尺とみなしてもいいのかもしれないね。

279 :
>>277
それが何か?
東周の銅尺が10寸だったろ?

280 :
>>279
ガイジかな?
説文の問題の部分は
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。
然則伸臂一尋。周之丈也。故从又持十。直㒳切。十部。」

281 :
>>279
>東周の銅尺が10寸だったろ?

>>202のおかげで東周銅尺の素性が分かったけれど、
「戦国時代後半から秦代」にかけての年代と推定される金村古墓出土(盗掘)と
されているもののようだ
そして、その位置(漢魏洛陽城址の宮城北側)から戦国時代の韓(かん)の
墳墓と考えられている
その地は後に秦に併合される

そして、秦の中華統一前の大良造(役人)商鞅は、秦の国力を高めるために
商鞅変法を実施し、その中に始皇帝の度量衡統一につながる秦国内の
度量衡標準化を行っている
その基準となるのが標準量器の商鞅銅方升で、現存している
その銅方升から推定される尺23.2センチが、秦漢尺の基準

東周銅尺は、周代の尺ではあるけれど、周朝の尺ではなく、
「後に秦漢尺となる長さ」を示す遺物だと考えればよいと思う

282 :
だから八咫の鏡を漢尺で換算するのは間違いなんだよね
周尺とは違うんだから

つまり平原から八咫の鏡は出ていない

283 :
そして、このネタの発端の、お鏡さんの前スレ>883の
「>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ

 一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)」

は、単なるもの知らずの勘違いであり的外れだってのも、確定でいいな

1丈=169センチで、それがその頃の「成人男子=丈夫」の
平均身長「人長=八尺=168.8センチ」とほぼ等しい

284 :
ふと思ったんだが、出雲の荒神谷遺跡の358本の銅剣が、それよりも古い銅製品を
溶かして作ったものだという同位体分析の結果があるらしいんだが、
平原1号墓の銅鏡も、同じ文脈で考えるべきなんじゃないだろうか?

285 :
中近東は青銅作るのに錫鉱山が枯渇してはるばるイギリスまで採掘しに行ったらしいから。

錫が手に入らないので鋳つぶすしかないという
銅はたくさんあるけど錫が少ないから後代になるほど加工もしにくくなるというね。

286 :
そういう、材料の制約もあるだろうが、
1.地方王権の伸張に伴い、各集落(神社?)ごとに持っていた神宝(銅器)を取り上げ、
  鋳潰して大量の銅剣(出雲)または銅鏡(伊都)を作った
2.統一王権の成立(卑弥呼の共立)に伴い、地域王権の神宝を破棄した

という流れは想定できないだろうか?という問題提起なんだが

287 :
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。

この場合の八寸を尺となすはつまり
前代の商尺=16.9cmを8分割した寸長で尺を作ったつまり16.9/8 * 10= 21.1cm
ということになりそうかな?

288 :
>>286
ありえそう。

しかし神宝の献上は血を見ると思うね。

289 :
>>287
勝手読み乙

290 :
どっちにしろ平原から出たのは八咫鏡じゃない

291 :
>>286
>1.地方王権の伸張に伴い、各集落(神社?)ごとに持っていた神宝(銅器)を取り上げ、

ないよ。
もともとは漢が倭の代表に与えた威信財だから。

292 :
>>290
なぜ断定できるの?
"日本"での「咫」の意味がわかったのかい?

293 :
>>289
>勝手読み乙

どこがどう「勝手読み」なのか、一切理由も根拠も記さず、
一言だけ書いていい気分になろうとする、典型的な九州説に書き込みw

294 :
>婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺
>16.9/8 * 10= 21.1cm

この漢文から、こんな数式が出てくるところが勝手読みだろJK

295 :
>>292
>"日本"での「咫」の意味がわかったのかい?

日本での「咫」は「あた」であって、大陸の「咫(シ)」じゃないのははっきりしたと思うが?

296 :
漢尺で八寸だから八咫の鏡だという説が崩壊した

297 :
>>296
どこで?

298 :
>>294
>この漢文から、こんな数式が出てくるところが勝手読みだろJK

それを「説文に中婦人手長八寸謂之咫、周尺也と書いてあるから、漢尺の八寸が咫」って
読むような人に言って欲しくないなぁ

こっちの方がよほど恣意的な勝手読みだろ?w

299 :
>>298
いつそんなおかしな数式を読み込んだんだ
一緒にすんな、ハゲ

300 :
>>296
どうして"日本"で漢尺の8寸が"八咫"でないと断定できるの?

基本、咫=8寸なんでしょ?
"日本"では"咫"とは何だったの?

八咫鏡ってどんな大きさなの?
平原鏡が違うと断定できるのなら、わかったんだよね?

301 :
>>293
そら10はお前のオリジナルなんだから勝手読み言われるだろうよwwww

302 :
平原1号墓出土鏡の円周長が八咫だから八咫の鏡というのは、完全に破綻したよな?

そもそも円周長は計らない
後漢〜魏晋代には、大陸でも咫を計量単位としては一切使っていない
また周代でも咫は八寸の言い換えに使われるのみで、二咫や三咫という複数形はない

そして、咫の長さの典拠を説文解字に求めるなら、ここまで縷々示されたように
咫=16.9センチほどが妥当で、それで換算すると8.63咫

303 :
>>300
>どうして"日本"で漢尺の8寸が"八咫"でないと断定できるの?

これは簡単
漢尺の体系(公定尺)に咫(身体尺)はない

以上

304 :
>そして、咫の長さの典拠を説文解字に求めるなら、ここまで縷々示されたように

示されたのはお前の脳内だけじゃねーかな

305 :
>>304
だな

漢代の書物は漢尺で読んでOK

306 :
>>300
>八咫鏡ってどんな大きさなの?

決まった大きさはないだろ?
「あた(咫)」は身体尺なんだから

>平原鏡が違うと断定できるのなら、わかったんだよね?

という状況で、八咫鏡と呼ばれた事実も伝承もないなら、
そもそも最初から、八咫鏡とする「理由がない」

307 :
自演

308 :
雄略紀に
別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、
使倭子連(連、未詳何姓人)奉『八咫鏡』於大伴大連而祈請
曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」是以、
大連爲奏於天皇使留居于角國。

とあるように、皇統と関係ない鏡が『八咫鏡』と呼ばれている例もあるから、
そういう「普通名詞としての八咫鏡」と主張する分には、それを否定する理由もないが、
八咫鏡だと主張する理由も同じくない

309 :
>>307
自演っていうか、昨日から周尺の咫にいちゃもん付けてる九州説って
「一人だけ」でしょ?w

310 :
八咫鏡にいちゃもんつけてるのがお前だけの間違いだろ。

311 :
往生際の悪い伊都クズだけ

312 :
>>310
「昨日から話の通じない九州説は一人だけ」ってのには反論しないんだww

313 :
2chでは九州説、特に伊都国説が多数派なのは自明だからなぁ

314 :
九州説、特に伊都国説は
「ことの真偽」より「多数かどうか」を気にするからなぁ

だから自演をしてまで多数を装いたがる

で結局
「昨日から話の通じない九州説は一人だけ」ってのには反論しないんだww

315 :
ある意味、正直でよろしいw

316 :
伊都国説がいちばん真実に近いと思うけどね。

317 :
伊都国は魏志倭人伝によれば首都だし
神武東征は記紀によれば地方軍だし
文献とは符合しない

318 :
>>316
宗教か?

319 :
畿内説よりはマシw

320 :
>>306

理由がない?

"日本"で八咫鏡は作られた

平原鏡作製当時、"日本"で身体尺として「咫」が使用されているとする文献等はあるのかい?

日本では"わからない"のだよ

しかし"咫"の意味は推察はできる

長さを示す字である事

その概念が問題で
身体尺だった可能性もあるが、
中国での"咫=8寸"の概念が日本で残っている可能性もある

それに加え、平原鏡は"八"という数字に拘りのある鏡にも見えるし、作製された当時の漢尺の"8寸×8"の周長に非常に近い

そして日本最大の鏡にして超大型鏡の中では最古

伊勢の伝承にある「八葉」とも符合するし

出土している鏡の中では一番可能性が高いと思うがね

321 :
>>317
>伊都国は魏志倭人伝によれば首都だし

これがもう魏志倭人伝の無理読みだし
魏志倭人伝では首都(女王之所都)は邪馬台国で、
伊都国とは水行と陸行合わせて2ヶ月かかるほど離れている

>神武東征は記紀によれば地方軍だし

記紀と魏志倭人伝を混ぜて解釈するのは方法論として妥当性を欠く
魏志倭人伝は準同時代資料だが、記紀は500年後に伝承をまとめたもの
また、地方軍というのも恣意的な勝手解釈

>文献とは符合しない

伊都国が首都ってところから、文献とは符合しない

322 :
>>320
>"日本"で八咫鏡は作られた

まず、ここがおかしい
500年後の文献に、関係のない別の鏡に八咫鏡という名称が使われているからといって、
ある特定の鏡に「その名称を流用する理由がない」

平原1号墓出土 が八咫鏡とする「根拠がない」というのは、
この「皇室の鏡の名称を流用する理由がない」という意味だよ

323 :
つーか、循環論法では?

324 :
>>320
>中国での"咫=8寸"の概念が日本で残っている可能性もある

残る前に、3世紀時点で伝わっていたと考える理由はない
8世紀の文書に「咫」の文字が「流用」されていても、8世紀までに大陸文書での用例が
伝わっていたことが分かるだけで、3世紀までそれを遡及する理由がない=根拠がない

325 :
>>325
>平原鏡は"八"という数字に拘りのある鏡にも見える

まあ「見える」のは本人の主観だから否定はしないけれど、根拠にもならないよ
以前は周溝が埋まってからそこに作られた土坑墓が、「殉葬墓に見えた」人がいたんだから

結局、平原1号墓が卑弥呼(または日巫女)の墓、というのは、
この「殉葬墓に『見えた』」という思い込みが大きい

この殉葬墓が否定されれば、積極的な根拠はなくなる

326 :
>>322
逆だろ。
平原遺跡の八咫の鏡の名称を皇室が流用したんだよ。
畿内説が主張するように皇室の鏡が径46cmでないなら、そういうことになる。

もしくは、平原遺跡の同范鏡の一部が皇室に伝世しているはず。

327 :
>>324
伊都国から硯が出ていて、漢の時代にはすでに倭人は呉の太伯の末裔を名乗っていたので、トップの文化人は漢籍に親しんでいたはず。
もちろん、平原遺跡が作られた時代や卑弥呼の時代(ほぼ同じ時代だけど)には漢文が読めたはず。
8世紀になるまで漢文が読めなかったと思うのかい?

328 :
おお、新たな伊都国説論者が参戦ですかね。歓迎歓迎!

329 :
漢文が読めたら漢尺八寸で八咫とか言わないでしょ

330 :
>>326
前からの人だよ

331 :
>>326
なんで平原遺跡に八咫の鏡が在るんだ?
循環論法だろ?

332 :
箸の長さは、親指と人差し指の広げた長さの1.5倍(1アタ半)ってTVでやってたな

333 :
議論の内容が見たような内容ですので、新人さんかなと思いましてね。

>>321
の文献的根拠がないというは、どうでしょうかね。
十分に女王国が九州北部にあったと考えて良いと思います。

今、上野武の女王卑弥呼の「都する所」を読んでいます。
もちろん差異はありますが、私のPDFの内容とかなり近い上、
伊都国説の方の考えをまとめたような本ですね。

334 :
おまえがパクったんだろ

335 :
「人長八尺、故に丈夫という」解釈について、私の解釈をちょっと書いておきます。

<丈夫に「大きな男」であるいう含意を認める立場の読み>なら下記二つ読みが一応
考えられます。両方とも前スレに出てきました。
A(周代の平均的な)人長は八尺であるから、(十尺の男のことを)故に丈夫という。
B(今、漢尺で)人長が八尺であれば、故に丈夫という。

Aの読みは、147cmというのは、平均にしては、少し低すぎる気がします。

Bの読みのほうが、スッキリするすると思います。
「周制では、尺(8寸) x 10 = 丈(80寸 184cm)である」と説明したうえで、
「今、漢代は1尺=10寸 であるから、身長8尺なら80寸(184cm)、故に丈夫という。」ということです。
括弧でcmや等号を補うとよりわかりやすいですね。
故にという一字で、周制の丈と漢代の八尺が等しいという関係を言っているんですね。
この読みなら漢尺八寸という既知数が入りますので、周代の寸は、23mm以外取りようがなくなるのも、2chでの議論という意味合いでは大きいかもしれませんね。

対して<丈夫は、単なる男で169cm説での読み> はどうでしょうか?
これは、私は単純に破綻していて、普通には成立しない説文の読みだと思います。
丈夫の「丈」は、十尺というのが説文解字の解説ですので、丈夫=169cmなら、
その場合、人長八尺の男は、単なる135cmの小男ですから、平均的な身長の丈夫ではあり得ないですね、当たり前ですが。

あと、尋が丈が一致する云々の話は、身体尺として、身長と両手を広げた長さが大体一致するということでしょうから、別に大勢に影響するよう話ではないですね。

336 :
見たような内容なら前からいる人だ

337 :
>>333岡上
>十分に女王国が九州北部にあったと考えて良いと思います。

北部九州は「其山有丹」で、魏志倭人伝により「却下」されていますよ。
いくら、銅鏡をあーだこーだこねくり回しても時間の無駄。  @阿波

338 :
ちなみに私の力量では、<丈夫は、単なる男で169cm説での読み> でも、
A,B のようはカッコで文脈を補う文章を作ってみようかとも思いましたが、
私の力量では作れませんでした。本人もわかってないんじゃなかな?(笑)

339 :
少なくとも岡上はわかってない

340 :
>>337
阿波さんも 上野武の女王卑弥呼の「都する所」を読んで見ては?
展開がちょっとクドイですけど、面白いですよ。

341 :
だれ?

342 :
>>340岡上
>阿波さんも 上野武の女王卑弥呼の「都する所」を読んで見ては?

上野武さん?は「其山有丹」について、どのような見解?  @阿波

343 :
つーか、誰それ

344 :
へー、マイナーなんですかね。
けど、伊都国説って、2chではともかく、それを正面から唱える本って
見かけないから貴重と思いますよ。

345 :
>>344岡上

上野武さん?は「其山有丹」について、どのような見解?  避けて通れないですよ。  @阿波

346 :
まだちゃんと読んでいませんのが、避けて通れないどころか、
触れてもいないじゃないでしょうか?

基本的な論立ては、魏志と魏略の比較が全てですからね。

347 :
だから上野だれ?

348 :
ググればすぐわかるほどのものでしょ。

http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/168281.html

349 :
古代史好きのおっさん

350 :
金を払う値打ちはなさそうだな

351 :
上野さんは編集のベテランさん

自分的に編集者目線からの意見なので非常に影響を受けた本だね

352 :
>>322
皇室の鏡の名を流用?

悪いけど何が言いたいか意味がわからない

353 :
わからない理由はなんだ?
知能が低いからかな?

354 :
流用とは
使途の定まっているものを別の用途に使用すること。

誰も皇室の八咫鏡の名称を流用等してないだろ

それと、なぜ理由もなく関係が無いと断定するの?

論点がずれてんだよ

平原鏡と伊勢神宮御神体の鏡が、同型鏡であるかどうかの可能性の有無の話でしょ

355 :
>>335
>A(周代の平均的な)人長は八尺であるから

平均的な身長っていうのは、ありふれた人だよな?
前スレ>883で
「>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
 一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)」
と言っていたのは、ただの恥ずかしい思い違いだったといういことでよろしいか?

前スレの想定は的外れだったと認めるってことで話を進めるんだな?

手のひら返しをして?

356 :
>>354
>誰も皇室の八咫鏡の名称を流用等してないだろ

八咫鏡と言えば、普通の日本人は伊勢のご神鏡あるいはその形代としての
皇居の三種の神器の鏡を想定する

詳しい人だと、それ以外にも八咫鏡と呼ばれた鏡があるのを知っている人もいるが
そうした鏡は、皇統の神器とは無関係だ

その上で、平原1号墓出土鏡を八咫鏡と呼ぶのが、皇室の神器の名称を仮冒していることに
他ならないのは理解できるか?

平原に八咫鏡があったなどというのは、伝承一つすらないんだが?

357 :
お鏡さんは>>15のこれを無視してごまかそうとしている

漢典の国語辞典では
身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
身長が一丈の男子。周朝では八寸を以って尺と為し、十尺を以って丈と為す
成年男子は高さ(身長)八尺左右(八尺前後)、故に丈夫を以って男子の通称と為す

周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺「左右」

この「左右」が、八尺の左右、つまり八尺が平均的な身長だって意味なのは
「あの博識な岡上氏」なら理解できるよな?
周代でも漢代でも、成年男子の平均身長は169センチくらいだ

そして、八尺という件は
「周朝」以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺「左右」
と「周朝」でのことを書いている文章だぞ
漢尺の八尺を持ってきてどうする?

358 :
>>354
>平原鏡と伊勢神宮御神体の鏡が、同型鏡であるかどうかの可能性の有無の話でしょ

可能性はないよ

八咫鏡の「本物」は誰が何と言おうと、伊勢の神宮の御神体の鏡だ
そして、その八咫鏡は見てはいけない鏡なので、実見記録はないがその入れ物については実見記録がある

八咫鏡は遷宮の際に、御桶代に入れた上で御船代に載せて、移動するが
「そのオケの大きさが平原の鏡と一致する」と主張する伊都国説の人がいる

しかし、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に 「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、 蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、 その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

本物の伊勢の八咫鏡と、平原1号墓出土鏡は大きさが異なることが明らかであり、
その意味で平原遺跡出土の大型内行花文鏡は記紀において八咫鏡と呼ばれる鏡ではない

359 :
岡上が漢文も英語も読めないのは立証済み

360 :
じゃ、読めるお前が読んで見せたら?ほれ

人長八尺、故曰丈夫

361 :
>>354
>誰も皇室の八咫鏡の名称を流用等してないだろ

流用してないなら、八咫の鏡が王権の象徴だなんて予断は抱かないでしょ?

362 :
>>360
「人長八尺、故曰丈夫」
男の身長は周の八尺ほどなので、丈夫(周小尺で十尺の身長=一人前の男)という言葉が生まれた

363 :
周小尺なんて説文のどこに出てるの?
勝手読み乙

364 :
>>363
出てこなくても、区別は必要でしょ?

365 :
>>363
>周小尺なんて説文のどこに出てるの?
>勝手読み乙

勝手読みじゃなくて、中国の「漢典」の国語辞典
http://www.zdic.net/c/8/3/6184.htmにも
身高一丈的男子。
「周朝」以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
って書いてあるだろ? 
典拠はきちんと挙げてあるから、自分で確認してごらん

「故に丈夫を以って男子の通称と為す」のは、「周朝」でのことであり
周朝当時のことが語源だって書いてあるだろ?

漢文が読めれば、一発で理解できるな!

366 :
いやだから、説文のどこに書いてるの?

367 :
説文には周尺としかないでしょ。
周小尺(笑)

368 :
>>366
別に書いてある必要ないし

周代に二種類の尺があれば区別が必要だ
それを大小で区別して悪い道理がないわ

369 :
>別に書いてある必要ないし

はい、開き直りの勝手読み宣言頂きました。

周代に周大尺と周小尺があっていいなら、
漢代にも基準尺と小尺にあたる「咫」があった考えても全然いいな
別に書いてある必要ないんだしな

370 :
あ、咫は八寸と書かれてるから勝手読みじゃないか。

371 :
古代の単位は身体から生まれたってのは常識
手から生まれた尺、歩幅から生まれた歩、身長から生まれた丈、みんな別々に生まれた
それぞれの換算率が整備されるのは次の段階だ
発展段階ってもんがあるの

372 :
>>369
辞書に書いてないのと律暦志に書いてないのと
一緒にしてはダメだな

373 :
>>370
中婦人の手長と書いてあるから
漢の八寸を咫だと読むのは
勝手よみじゃなくて
ウソ読み

374 :
>>369
王制に
「 古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩」
とあるんだから
周尺に大小二種類あるとするのは
勝手読みでも何でもない

375 :
>>369
説明文に書いてなくても、他の史料にあるなら勝手読みじゃないでしょ?

376 :
>>373
それこそ由来でしょ

377 :
>>376
どういう意味?
あなたの日本語がわからない

378 :
>>366
>いやだから、説文のどこに書いてるの?

漢典の国語辞典の
身高一丈的男子。
「周朝」以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
は、
説文解字の
夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。」
を大陸中華の人が解釈しただけのものだって分かるかい?

この解釈は、勝手読みでもなんでもなくて、大陸中華の人が説文解字を読めば、
こう読めるってことだよ

丈夫は周代の十尺一丈がもとの語源で、八寸を尺としたときの十尺、十寸を尺としたときの
八尺が男子の平均身長で、そこから成年男子を丈夫という
全部、周代のことだよ

漢尺の出る幕はない

379 :
>>321
読み方が間違ってる

南至邪馬壹國 女王之所都

これは南の邪馬壹國までが全て女王の治める領域という意味

380 :
>>356

流用ではないだろ?
八咫鏡と同型であれば、八咫鏡でいいだろうに

まぁ、よくわからんが、君が気に触るなら八咫鏡の同型鏡でいいよ

もし、そうであったなら王権との関連性を論じれるが、まだその段階ではない

平原鏡は同型の可能性がある程度しかなく、根拠にはできないのは明らかなんだし

ただ、可能性は無い、と断定はできないね

籠神社の鏡が内行花文鏡だったことで、少し可能性が高くなったからね

381 :
>>380
>八咫鏡と同型であれば、八咫鏡でいいだろうに

で、どれが八咫鏡なんだ?

なんの可能性が高くなる?
理由は?

382 :
>>380

一つ確認しておきたいんだが
同型鏡という言葉は、意味がわかって使ってるんだな?

383 :
>>358

その黄金の入物の記載はかなり後世の物でしょ
伝承記述には出てこない
祀られた当初にはあったかもしれないし、無かったかもしれん
鏡も当初の姿を保っているかどうか…

384 :
>>358
それ、初代八咫の鏡が焼失後の偽物の話だから意味無いよ
八咫の鏡が萌えてる事は文献に書かれてる

385 :
>>384
>それ、初代八咫の鏡が焼失後の偽物の話だから意味無いよ
>八咫の鏡が萌えてる事は文献に書かれてる

火災消失の記録があるのは、宮中賢所の鏡の方
伊勢の御神鏡の焼損の記録はないよ

あるなら出してくれ
すぐに日本の御神宝を貶めようとするよな

386 :
>>380
>籠神社の鏡が内行花文鏡だったことで、少し可能性が高くなったからね

籠神社の鏡は、そんなに大きくないよな?
デカくて円周長が八咫だから、っていうのはもうどうでもいいことにするのか?
内行花文鏡なら何でもいいのか?

387 :
>>385
伊勢神宮での火災だぞ
良く調べるんだな

388 :
>>386

同じ内行花文鏡だから少し可能性が高くなったのは事実でしょ?

389 :
>>388
そもそも伊勢神宮の文献に記載されてる八咫の鏡の形と違うから可能性0

390 :
>>383
>その黄金の入物の記載はかなり後世の物でしょ

だが、平原1号墓出土鏡と御樋代の内径がほぼ同じとか言ってたのと同じ古さの記録だよ
都合のいいことは信じて都合の悪いことは後世だというww

391 :
可能性可能性って、なんの可能性なんだ?

392 :
>>387
>伊勢神宮での火災だぞ
>良く調べるんだな

そういって逃げるんじゃなくて、あるなら典拠を示してくれよ
東周銅尺はちゃんと教えてくれたよ?

393 :
>>392
ググれば幾らでも出るものに逃げるもクソもねーよ
君は「ググっても一切見つけられなかった」のですかー?www

394 :
糸厨また逃げた

395 :
>>393
>ググれば幾らでも出るものに逃げるもクソもねーよ

なら一つでいいから示してごらんよ
それ、宮中の鏡の記録だから

原田大六氏の著書の
「御鎮座伝記を読み解いてみると、約三回ほど内宮の火災があり」
これのことを言いたいのかも知れないが「読み解いて」ってところが実はごまかし
御鎮座伝記に、八咫鏡が焼損したって記録はないよ

396 :
>>395
じゃ、お前が頑張ってその論拠を示すんだな
頑張れよw

397 :
糸厨いつも逃げる

398 :
商の牙尺 15.80cm 上海博物館収蔵
(伝殷墟出土)
商の骨尺  16.95cm 故宮博物院収蔵
(伝殷墟出土)
東周銅尺  23.09cm 南京大歴史系文物室

これらについて、順番に商尺 、古周尺、漢尺と呼ぶとする

15.8=16.95-1.15
商尺=古周尺-2.3/2=古周尺-漢0.5寸=古周尺-5/100漢尺
ここで古周尺は8/11漢尺=72/99漢尺≒72/100漢尺とみなすと
商尺=72/100-5/100 漢尺=67/100=2/3=8/12漢尺

12商尺=8漢尺
12商寸=8漢寸=1尺?

この12寸、8寸、10寸の関係は完全に説文解字の記述通りである。

この推測の仮定は東周銅尺が漢尺であることだけ
で、21.1cmという出土していない尺の事情と合致している。

399 :
>>398
12商寸=8漢寸=1尺?

東周銅尺は正しく周尺としたら
周尺八寸=咫において
実長として寸長23mmは固定だったことになる。

400 :
周尺は漢尺だった...?

401 :
全部調査による出土じゃないのね
つまり古物市で見つかった鏡と同じ

402 :
>>356
>平原に八咫鏡があったなどというのは、伝承一つすらないんだが?

しかし鏡が実在しているからな。

403 :
平原鏡が八咫かどうかが問題なのに何いってんだ?

404 :
>>399
いや違うな

説文解字中での尺と為すという表現が、
基準長という意味ではなくて
共通の長さ、くらいの意味合いである可能性があるということか

12商寸=8漢寸=1尺=これは18.5cmくらい

405 :
循環論法が伊都説の本質

406 :
無茶なゴリ押ししてでも平原のを八咫鏡にする必要があるんだろ
それだけが頼りなんだから

407 :
>>399
>東周銅尺は正しく周尺としたら
>周尺八寸=咫において
>実長として寸長23mmは固定だったことになる。

東周銅尺については>>211>>213>>281にまとめたから、きちんと読んで!
東周銅尺は、「周尺ではなく秦漢尺」だよ

408 :
>>404
>説文解字中での尺と為すという表現が、
>基準長という意味ではなくて

これは素直に読めば、基準長ではなく定義、尺と寸の換算率として書かれている
と読むのが正しいと思う

ただ、夏王朝、商(殷)王朝では、身体尺だから決まった長さはないと言えばないんだけれど

409 :
>>404
いや、古周尺=8/11秦漢尺である以上
絶対値としての尺長16.9cmは確定しているので、18.5cmを咫とみなすことはできないはず、、、

410 :
伊都クズ、ついつい読点を連続させてまう

411 :
つーか、物差しは調査による出土品じゃないんだから、真贋を疑うべきだろ

412 :
まったくまとまってないものをまとめてる言われても困っちゃうよなw

413 :
どう纏まってないと?

414 :
>>398
これは酷いオナニー計算

415 :
反論は罵倒だけか
勝負ついちゃったな

416 :
>>415
朝からオナニー完了ですか?

417 :
伊都厨下品

418 :
>>417
頭が究極まで悪いね。
>>398の通りだと、説文がいう周尺が、漢八寸であると認めるようなもんだぞ。
よく自分の書いたものを見てみ

419 :
なんで?

420 :
理由はないが結論がある


九州説の不思議


w

421 :
説文解字の中に表現の揺れがあって
12,8,10の関係を記すところは、周尺=秦漢尺=23cmで計算されている。

一方で、歩の換算式からは周尺は21.1cmになる

歩を定めた時と説文解字の時点はかなり離れているから、後代の大尺小尺の関係のように
周大尺=秦漢尺=23cm
周小尺=21.1cm
二つが用いられていたということではないか?

あるいは説文解字の著者は周尺は秦漢尺と思って計算して各代の換算比率を記述した。

422 :
殷尺= 商の牙尺 15.80cm 上海博物館収蔵(伝殷墟出土)
周尺=商の骨尺 16.95cm 故宮博物院収蔵(伝殷墟出土)
春秋尺= 21.1cm(仮)
戦国尺= 秦漢尺 = 東周銅尺  23.09cm 南京大歴史系文物室

423 :
全部、調査による出土じゃない

424 :
>>421
秦の前代までを周朝として東周尺が21.1cmだったんじゃないの。易姓革命によって尺長が変わるみたいだから、秦朝が23cmにした。

周大尺21.1cmで
周小尺が16.9cmだろう。

425 :
歩の換算式を尊重すると同時期に丈も定義したであろうから、丈の本来は169cmだろう

ただ説文解字の著者は、 周尺は秦漢尺と思っていた。そのため、12、8、10が出てきた。
咫は八寸だけを伝え聞いて、漢代の咫は尺長8割として18.5cmと思われている<---イマココ

426 :
>>425
漢鏡である平原大型内行花文鏡は当時の人にとっては八咫の鏡ということだな。

427 :
>>425
説文解字の著者が周尺は秦漢尺と思っていたなら
中婦人手長とか周尺とか書かないよ

428 :
>>427
そこは古伝の言い伝えのままなんでしょう。

429 :
>>428
チェリーピッキング ww

430 :
>>409
>いや、古周尺=8/11秦漢尺である以上
>絶対値としての尺長16.9cmは確定しているので

ここがまず理解不足
周尺が、8/11秦漢尺の場合は、周尺=八寸
周尺が、10/11秦漢尺の場合は、周尺=十寸
であって、
周尺八寸と考える場合は、咫=八寸なので、尺=咫=16.9cm
周尺十寸と考える場合は、咫=八寸なので、咫=8/10尺=16.9cm
となるんだよ

431 :
何がなんでも八咫の鏡にしたいのね

432 :
>>430
ごめんごめん、そこは咫長と書くべきだったよ。

433 :
そもそも漢代に咫とか使われてないし

434 :
説文に「中婦人手長八寸謂之咫、周尺也」
とあるのだから
漢尺の八寸が咫で18.5cmだ
なんてあり得ない

435 :
>>421
>周大尺=秦漢尺=23cm
>周小尺=21.1cm
>二つが用いられていたということではないか?

表記のゆれというか、説文解字注の判断では、
10寸の周尺と8寸の周尺がある、という見解になっている
で、
10寸の周尺が21.1センチ
8寸の周尺が16.9センチ=咫
という関係だよ

436 :
>>432
了解

結局分かっていないのは、
「何がなんでも八咫の鏡にしたい」人、約1名だけだねw

437 :
「わかりたくない」人だろう

438 :
何度も書くけど、
重要なのな日本での"咫"の意味だからね

中国で使用された"咫"の長さを求めてもいいけど、時代も違うし、その後日本に伝わってどの様に"咫"の概念が変化したかがわからない
物差しでも出土してれば別だが

中国で作られた鏡ならわかるが、日本で"八咫"と名付けられた鏡なのに、その意味が宙に浮いているのだよ

439 :
>>438
同意するよ。
3世紀の倭人が平原遺跡の鏡を周八咫と理解した可能性は否定できない。
そもそも内行花文鏡は王権の象徴であり、その中でも最大の鏡を製作した時に、これを最高位の鏡として位置付けるべく製作したと考えるのが妥当だよ。
記紀の八咫の鏡は語句の意味が不明だったが、平原遺跡の発見により、その意味するところが明確になったと言える。
賢所や伊勢の八咫の鏡は、その同伴鏡か、その焼け残りか、それをモデルとした鏡だろうね。

440 :
畿内説の説明は、どれだけ聞いても八咫鏡の意味するところがわからない。

441 :
>>438
同意。

442 :
>>438
>重要なのな日本での"咫"の意味だからね

じゃあ、>>438は円周長が「漢尺の八咫だから」というのは、
『無意味』という立場だね?

443 :
>>439
>可能性は否定できない。

これ、「まともな論証は一切できない」以上の意味はないんだけど?

444 :
>>439
>そもそも内行花文鏡は王権の象徴であり、

これがまったく根拠がない
王権と無縁なところからも、内行花文鏡は出てるよ

445 :
伊都クズの人はどうしても自演が止められないんだねぇ

446 :
>>444

具体的にどこ?
王権と無縁だという根拠は?

447 :
>>445

言い張れば言い張るほど、畿内説が嘘つきだということが多くの人に知られるだろう。
少なくともこれらの書き込みをした人達はお互いに自演ではないことがわかっているわけだから。

448 :
>>447
それ、言い張れば言い張るほど・・・

449 :
>>446
何度説明されても無視ですか?

450 :
>>446
雄略紀に
別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、
使倭子連(連、未詳何姓人)奉『八咫鏡』於大伴大連而祈請
曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」是以、
大連爲奏於天皇使留居于角國。

とあるように、皇統と関係ない鏡が『八咫鏡』と呼ばれている例もある
他にもある

451 :
>>448

九州説が多数派である事実を認めたくないのだね。

452 :
>>450

>>444
>王権と無縁なところからも、内行花文鏡は出てるよ

これの出土例を教えて欲しいのだけれど。

453 :
いくらでもある

454 :
瑞龍寺山とか

455 :
>>446
>具体的にどこ?

宮崎県広島古墳群、山口県朝田古墳群3号方形台状墓、島根県岡田山1号墳、
広島県石鎚山第2号古墳、愛媛県東宮山古墳、香川県猫塚古墳、他多数
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3215-0.gif

>王権と無縁だという根拠は?

逆にこれが全部、王権の所在地とは言わないだろ?
王も持ってていいんだけど、王権の象徴とは言えないし、
持ってるから王だとはまったく言えない

456 :
三種の神器が王権の象徴で無くてなんなの?

457 :
よくある副葬品

458 :
>>446>>452みたいに調べもせずに思い込みだけで考えてるような人じゃないと、
今どき、九州説なんて支持してないんだって!

中でも伊都国説ww
伊都国と邪馬台国が水行陸行合わせて2ヶ月かかる、遠く離れた別の国ってのを
無視しないと成り立たない

お鏡さんですら、伊都国説は採らないのにw

459 :
伊都厨は自分の思い込みを結論部分だけ強弁するばかりで、論理的に説明できない

460 :
まあこのスレは邪馬台国論争とは無縁ですし。

461 :
>>457
歴史オンチにも程がある。政治的に距離を取りたい考古学者ならそれでいいけど日本史板でその態度はいかんよ。ポジショントークポジショントーク。

462 :
>>461
イミフ

463 :
>>456
>三種の神器が王権の象徴で無くてなんなの?

話の順序が逆なんだって!

>>457も書いてくれてるけど、「剣、鏡、玉」のいわゆる三種の神器セットは、
実はよくある副葬品

その中で、皇統のものだけが天皇の権威とともに長く伝世することで
神器とされるようになったんだよ

王も持ってていいんだけど、それだけで王権の象徴とは言えないし、
持ってるから王だとはまったく言えない

三種の神器の組合せは、そこらの古墳の副葬品として普通に見られる
 山口県の赤妻古墳、山梨県の笛吹市平林2号墳 など

464 :
>>461には歴史ウンヌン以前に
他人に通じる日本語を喋ってほしい

465 :
>>461
>歴史オンチにも程がある。

それは>>461の方だろ?
何かを考えるには、十分な基盤が必要なんだよ
事実の把握が穴だらけで、その穴を憶測と妄想で埋めてるだけでは、
まともな考察はできないよ

まあ、歴史オンチ以前のレベルだから、>>461は歴史オンチとも言えないのかも知れないけどさ

466 :
>>463
その弥生時代によくある副葬品が畿内から出てましたっけ?

467 :
弥生時代の畿内は副葬しない文化

468 :
中国古代尺について三国志中の用例
http://1st.geocities.jp/wanotoiti/research/02.html

どうも漢の時代だからといって漢の尺で記録されたとは限らないようだ。
周尺が23cmであるとする説もあるという。

漢の時代も大尺小尺があったということかな?

469 :
>>467
土民



470 :
>>467

大和が倭国の非主流派であったことがよくわかる。

471 :
>>463

言い張れば言い張るほど痛いなw

472 :
>>463
あなたはちょっと専門バカのようだからもう少し厳密にいうと

「王権の象徴とされる神器」の「起源」を追求する意味で、考古遺物としての鏡が重要なのだが、鏡がたくさんあるから、その鏡が皇統につながったのかわからない状態です。

古墳が大きい
副葬品が多種多様で
古代の政治状況推測するなら
特大の鏡である内行花文鏡を捨て置く態度は一貫性のある態度ではないね。
八咫がどうであるとか以前の話。

473 :
>>455

福岡が中心で、島根、兵庫、関西から中部、関東まで、見事な西高東低だね。
筑紫の王権が各地に王族を送り込んだということだろう。

474 :
三種の神器が揃っている古墳は多い

その三種の神器副葬文化はどこからはじまったのだろう?

鏡文化がある事は倭人伝の内容と合うよな
卑弥呼の治世は3世紀前半
既に鏡を重要視している地域の事だと思うよ

475 :
>>472
「捨て置く」って、どういう意味?

他人にも分かる日本語で話してくれない?

476 :
>>475
??

477 :
>>472
>あなたはちょっと専門バカのようだから

普通のバカがそれ言ったらシャレになんない

478 :
>>475
コミュ障発症

479 :
尺八寸だけ分かっていればどの鏡も八咫の鏡。
単位尺の半径なら。

鏡の面径を鏡の種類別に統計を取ると
当時の尺長と思われる面径の鏡が一番多くなるそうね。

平原は面径二尺だからそういう分布ともかけ離れてるわけだから、普通の鏡ではないね。

480 :
>>463
>話の順序が逆なんだって!

逆だという根拠がない。
もともと平原遺跡より前は、内行花文鏡を含めて銅鏡は漢から周辺の王侯に下賜されたものなので、それが権威の根拠だよ。
なぜ平原遺跡は国産になったのか?
そりゃ漢との交流が断たれ、長く続いた漢王朝そのものが滅亡したから。
つまり平原遺跡は魏の時代、卑弥呼の時代の鏡だろうね。
筑紫を中心とする内行花文鏡の文化を共有する勢力が各地に広がり、列島を席巻した。
とうぜん次は内行花文鏡の中での序列があり、その中でも最上位に位置するのが、最大であり国産でもある平原遺跡の超大型内行花文鏡になる。
これが倭国女王卑弥呼の鏡だろう。
八咫の鏡を作らせたアマテラスは卑弥呼がモデルだとも言われるが、ここに両者のつながりが見出せる。

畿内説は、あれも違うこれも違うと叫ぶばかりで、まともな対案を示せていない。

481 :
>>475
日本語が理解できないキナイコシ

482 :
>>477
専門バカほど他人とコミュニケーション取れないってことよ。

483 :
>>476
他人にも分かる日本語で話してくれない?

484 :
>>475
一般人と話をする機会を定期的に持った方がいいよ?例えば奥さん相手とかね?

485 :
>>474
同意

486 :
すごく下手な日本語を書き、他人に意味が伝わらない
      ↓
当然どういう意味か聞かれる
      ↓
説明できずに逆ギレし、コミュ障ぶりを更に発揮
      ↓
なぜか相手をコミュ障だと連呼し始める
      ↓
自演を始め、ほかの人は理解しているかのようにアピる

いつものパターン

487 :
そうだね、いつものキナイコシだね。

488 :
>>486
捨て置くの意味も解らない日本語不自由不自由者

wwww

489 :
>>482
質問したり説明したりするのはコミュニケーションを取っているということ。

回答しない説明しないで対話を止めるのはコミュニケーションが取れない人。

490 :
>>440
単に「大きい」という形容のついた普通名詞だと説明しているんだが、この説明がわからない理由は?

491 :
>>488
なんで説明できないで罵るだけなの?

492 :
知人の娘さんが三角形の面積を求める問題で、
三角形が傾いてたら、底辺が見つけられずに解けなかったって言ってたな。

似た状況に感じる。

493 :
>>490
咫の説明をしてないから。

494 :
>>493
咫の説明ならしているが?
漢尺とは無関係な日本独自の単位だと

495 :
>>494
初耳

496 :
>>492
なんで全く説明できないで罵るだけなの?

497 :
>>495
ロムれ

498 :
>>495
 >>46日本@名無史さん2018/06/14(木) 00:46:55.44
  >>44
  >だって漢代に作られた鏡だから。

 記紀に八尋鰐が出てくるのは知ってるか?
 八咫鏡、八尺瓊勾玉なんかと、命名の仕方としてはセットだ

 でも、記紀の頃には尋も咫も、大陸では使われていない単位で、
 読みも「ひろ」「あた」「さか」で、大和言葉への当て字なんだよ

 大陸の単位として読むなら、周代の長さで考えないといけないし、正しく
 日本の単位として読むなら、大陸での長さは関係ない

 漢代の尺で説明できると思ってるところが、おバカさんなんだよ

 

499 :
>>474

三種の神器のセットは、紀元前の吉武高木遺跡が最初かな。
もちろん、はじめは威信財の寄せ集めだったのだろうが、それが伝統として踏襲され、組み合わせが固定されたのだろう。
その文化が福岡から全国に波及した。
吉武高木遺跡は列島で最初の王墓とされ、倭国王権の発祥の地が筑紫であることがよくわかる。

500 :
>>498
「漢尺とは無関係な日本独自の単位」
とは書いてない

「おバカさんなんだよ」
って書いてるよ?普通に罵倒の内容だよね。

501 :
>>499
そろった弥生墳丘墓は畿内にはないんだっけ?

502 :
>>500
「正しく日本の単位として読むなら、大陸での長さは関係ない
漢代の尺で説明できると思ってるところが、おバカさん」

から咫は「漢尺とは無関係な日本独自の単位」だと読み取れない?
君は日本語の勉強が必要な状態だな

それも深刻なレベルで

503 :
古墳時代開始期に玉の副葬例は少ない
これ、豆な

504 :
>>499
>吉武高木遺跡は列島で最初の王墓とされ

誰の説?

505 :
つまり東遷は無いんだよ

506 :
>>502
えっ
言いたいことは、最初か最後だよ。
論理的な文章を書く訓練をしたほうがいいよ?

かけない人はよく、一つの文章にダラダラ主張を織り交ぜて結局言いたいことがなんなのかはっきりしない文になるけどね、あなたの文は全くそういう文だよ。

もっと文章に構造を持たせる訓練しないとダメだよ。

507 :
伊都厨は日本語が読めない、書けない、説明できないの三重苦

508 :
>>504
定説だよ。

509 :
>>503
副葬品に玉が少ないというのは畿内の話だろう?
平原遺跡は玉だらけだよ。
内訳で最多なのはガラス玉(2000個)だけど。
畿内は貧しい辺境だから、福岡のような優美な王朝文化がなかったんだよ。

510 :
>>508
誰の説だか言えないんだね?

511 :
>>506
>言いたいことは、最初か最後だよ。

ちゃんと最後に
「正しく日本の単位として読むなら、大陸での長さは関係ない
漢代の尺で説明できると思ってるところが、おバカさん」
と書いてあるなあ

512 :
>>506
たぶん君は論理的な文章を書く訓練をまったく受けて無いか、受けても学べなかった
人だね

513 :
>>509
平原は古墳じゃない
そんな基本的なことも理解していないのが伊都クズ

514 :
>>473
>福岡が中心で、島根、兵庫、関西から中部、関東まで、見事な西高東低だね。

倭国(阿波)が中心で、島根、兵庫、関西から中部、関東まで、見事な忌部一族の痕跡だね。


>筑紫の王権が各地に王族を送り込んだということだろう。

筑紫の王権が各地に王族を送り込んだという痕跡がない。
倭国(阿波)の王権が各地に忌部一族を送り込んだということだろう。  @阿波

515 :
>>499
>その文化が福岡から全国に波及した。
>倭国王権の発祥の地が筑紫であることがよくわかる。

筑紫発祥のものなど一つもない。
三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」も倭国(阿波)が発祥である。  @阿波

516 :
>>512
どちらが論理的な構造になってるかは読者にお任せするよ

多分100人が9割はあなたの文は、主張を探さないといけないから、読みにくいし読みたくない文って印象を持つと思うよ。もっと構造化しようね。

複数の文を主張の文だなんて思ってる人とは分かりあえないから。

517 :
>>513
それだけ平原含む筑紫は由緒あるということだよ

518 :
>>517
>それだけ平原含む筑紫は由緒あるということだよ

筑紫は天皇家に繋がる由緒がない。 だから、「践祚大嘗祭」でも蚊帳の外。  @阿波

519 :
>>516
>複数の文を主張の文だなんて思ってる人とは分かりあえないから。

すでにこの文が他人に通じない

520 :
>>517が基本的なことを理解できてない失態の弁明になってない件について

521 :
>>516はまったく根拠の出せないタイプの人

522 :
>>516
いや、あんたの文章マジで下手すぎて意味わかんないよ

523 :
>>479
>単位尺の半径なら。

何度も何度も書くけれど、「半径が尺の整数倍の鏡」なんていうのは、
事実上ないんだよ
だから、「半径が尺の整数倍の鏡の円周長を示す」ために「咫」という単位が
設定されるはずがない

524 :
王統と関係ない内行花文鏡がたくさんあるのが示されているのに、
内向花文鏡=王権のシンボルだと言い張るのはどうして?

王統と関係ない内向花文鏡が、王権のシンボルだとすると、
それは何のために存在するの?

525 :
>>479
>鏡の面径を鏡の種類別に統計を取ると
>当時の尺長と思われる面径の鏡が一番多くなるそうね。

また大嘘をついてるww
面径が尺になるような大鏡は少ないよ

「主要紀年・銘文鏡 一覧」っていうページに、53枚くらい鏡のデータが載ってるから
見てごらん
http://www.ne.jp/asahi/isshun/original/mater10.html

526 :
内行花文鏡はつまり、伊勢のご神鏡なの?伊都説の人どうぞ。

527 :2018/06/19
>>525
データありがとう。
尺長付近で大体でみると偏りがあるように見えるね。鏡の面径と尺長はやはり相関関係があるのではないかな。

18,21,23 は周尺か秦漢尺の類いだろう
22のものは楽浪郡産方格と件の三角縁神獣鏡にあるね。

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