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坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)


1 :2014/09/02 〜 最終レス :2019/03/21
古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった
この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている
日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である
毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ
毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる
このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください

2 :
前スレ
坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1329022431/l50

3 :
改めて書きます。
684年(天武13)に制定された八色の姓(やくさのはばね)、その5番目、道師(みちのし)、こそ、道の管理、流通や情報伝達をつかさどる毛野に与えられるはずの姓(かばね)だった。
ところが、その直後に起きた白鳳の大地震、つまり、南海トラフ巨大地震と推定される地震で、東国との連絡網が途絶えてしまった。
これが、八色の姓の5番目、道師(みちのし)が賜姓されなかった本当の理由である。

4 :
東山道の新田駅家から東に二駅目くらいに三毳山〈みかもやま〉があり麓には、三鴨駅家があった。
これが一番、毛野国らしい駅家だと思うな。

5 :
へえそうなん(・ω・)ノ
まあ米とかを運ぶ流通路はあったみたいだな

6 :
佐野と言えば、犬伏宿と天明宿。
天明の方は鋳物の街だけれど、白村江のころから毛野氏の鎧や兜を作っていたのだろう。
犬伏宿の方は藤原秀郷ゆかりの唐沢城の麓です。
唐沢城からは江戸大火も見えて、それを危険視した徳川幕府は佐野氏を改易し、佐野庄を天領にしたという。

7 :
徳川氏って毛野国から見たらゴミみたいな氏族だよな。
新田氏ですら遙かに新参者なのにそのシッポ以下のシッポですら怪しいという。
武家の祖の八幡神社は応神を祀るが
その応神の朝鮮征伐に参戦してたのが毛野氏じゃん。
八幡神社って毛野氏を崇めてる神社?

8 :
下野国新田郡徳川郷を名字の地と見なされて少し北方に日光東照宮は、燦然とその凛とした勇姿を現したのであろうか。今や世界の各地から観光客が訪れる日本屈指の名所旧跡だ。
見猿言わ猿聞か猿。小野猿麻呂のお友達も上毛野国に睨みを利かす。八幡神社が崇めているのは誰かって。義家と毛野氏は全くの無関係。毛野氏を崇めている神社なら東北の方に
一、二カ所、上毛野田道の神社かあるらしい。時が変わって正月参賀日、明治神宮のお賽銭ときたら銀行員もテンヤワンヤの大騒ぎ。それに引き換え陸奥の田道の神社と来た日には、
寂しそうに閑古鳥が鳴いているだけなのかもしれない。

9 :
まーた他氏族貶めてる基地外が来てるな

10 :
北海道は札幌市に豊平神社もあるで。上毛野田道を祀っている。

11 :
豊平川のシャケ供えるべ

12 :
川漁用のヤスには、鮭用、鮎用と様々なものがある。貴殿は、ざるでドジョウ位すくったことはあるのかね。

13 :
おい!
ちょっとスレを上げているやつ身元名乗ってみ?!w

14 :
武茂郷出身ですが。那珂川流域では、ヤスでサケや鮎をついたり、上流の方では笊でドジョウをすくっていますか、何か疑問点があるのですか。

15 :
那珂川沿いの高瀬の簗近くで、ドジョウ汁が出てきたので少し食べてみたら丼には五十匹ぐらいの天然ドジョウが入っていて驚いたわ。

16 :
古代の食卓
春先は木の芽の季節である。私はタラの芽や白木の芽を取ってきて食したことがある。ところが都市部の八百屋では、タラの芽はあっても白木の芽はないらしい。古代人は、もっと豊富な木の芽を食糧源としていたのではないだろうか。
皆さん、白木の芽を食べたことはありますか。 ?

17 :
★【群馬】国内初の骨製小札 6世紀初め渋川の金井東裏遺跡
六世紀初め(古墳時代)の火山灰層からよろいを着けた男性の骨が出土した渋川市の
金井東裏(かないひがしうら)遺跡で、動物の骨でつくられた小札(こざね)と呼ばれる
短冊状の板が新たに見つかったことが二十日、県埋蔵文化財調査事業団の調査で分かった。
数十枚が連結された状態で、よろいの一部か付属品とみられる。事業団によると、骨製小札が
見つかったのは国内で初めて。同日、県の検討委員会で報告した。
骨製小札は、一枚が縦六・六センチ、横約三センチ、厚さ数ミリ。一段あたり十数枚が、
三段にとじられていた。男性の骨の出土場所近くで、巻かれた状態で見つかった別の
鉄製よろいの内部にあった。
韓国で四世紀の骨製小札が出土した例があるとされ、今回の小札は穴の開け方から、
韓国の技術を用いて日本でつくられた可能性が高いという。
事業団の右島和夫理事は「材質から考えて、防具としての機能よりも視覚的なアピールが
重視されたのではないか。遺跡の意義を東アジアの枠組みで考える必要性が高まった」
と話している。また、男性がつけていたよろいは羽織った状態だったことも、
CTスキャンを使った調査で新たに分かった。
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20131221/CK2013122102000174.html
渋川市の金井東裏遺跡で見つかった骨製小札(県埋蔵文化財調査事業団提供)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20131221/images/PK2013122102100058_size0.jpg

18 :
残念ながら渋川は、その時代、毛野ではなく、新潟方面から侵入してきた物部氏に占領されていた。
その武具も、物部氏のものだろう。物部氏は朝鮮半島からやってきた渡来系で、毛野の領土に侵入し、氷川神社を関東各地に残している。

19 :
物部は製鉄の全過程に関わってた氏族(物部連)の総称で日本人だよ。
結社かコンツェルンみたいなもん。
現代でいうと「三菱グループ」みたいなもん。
後には渡来人の秦氏も加わるけど。
朝鮮半島は東国などと並んで、その進出先の一つ。秦氏を日本に連れてきたのも物部連でその絡み。

20 :
東国の歴史は、上毛野、下毛野、武蔵、相模に別れる以前の記録がほとんどない。
それは、文字が抹殺されたからではなく、残りにくい媒体に記録されていたためだろう。
例えば、縄文字、沖縄やインカ帝国のキープ。
竹の皮、木の皮に書いた。
一番の可能性は口伝。
言霊の力を信じていたのだ。

21 :
>>20
河川氾濫圏内(湿地帯含む)に留意するように

22 :
この、結縄文字には2種類あって、
1、川のように垂らすタイプ・・・これは蛇のように見える
http://www.gondo.com/g-files/wara/qui.jpg
2、両側に垂らすタイプ・・・これはムカデに見える
http://www.gondo.com/g-files/wara/warasan.jpg
これは恐らく違う部族のものであり、両部族は男体山と赤城山をご神体として対立していた。
そして、日光戦場ヶ原で対決することになる。
勝ったのは蛇で、その後、日本中の神社のしめ縄は蛇タイプになった。
この藁算というものは、商取引の記録、住民基本台帳にも使われていたとされ、
東国の総合商社である毛野と物部ともに蛇タイプの結縄文字を使用する同族と思われる。

23 :
考古学的知見と日本書紀の記述(崇神帝、四道将軍)との連関性にも注目されたし。

24 :
豊城が290〜330(318没崇神+20)
八綱田が310〜350 で垂仁時代の狭穂彦王の叛乱が330〜340(20〜40のときに将軍として畿内の乱を鎮圧)
彦狭島王 330〜355 早死 滋賀〜美濃止まり?
御諸別王 350〜390 関東平野に到達・蝦夷征伐あり
荒田別・鹿我別 370〜420 応神遠征に同行

25 :
360〜370までに関東平定が終わってないと394応神の朝鮮征伐に軍勢連れて同行できない。
340くらいまでは畿内に留まっている。
つまり実際に関東征伐をしたのは御諸別王か。
300〜360までが関東遠征の期間。
だが300〜330の関東周辺の遺跡の変化はないらしいので=民間交流すら見られない。
350〜370に毛野氏がきたものと思われる。

26 :
群馬・栃木の初期古墳は4世紀末に見られるので
300年代後半に来たのか?
ただ土器=民間人は280までくらいに少数の集団が畿内かどこかから関東に来てたらしい。
卑弥呼の死後に来た?集団がいる模様。

27 :
奈良時代の人口と兵士
初期の頃の日本の総人口は、500万人弱とされている資料が多いようだ。一郷あたり1399人と想定して、それに郷数を乗じて算出するらしい。下野国は70郷だったので9万7千人になるという。
したがって、古代毛野国の人口は、おおよそ二倍にして那須国分を控除することになる。すると約18万人となる。飛鳥や古墳時代は、緩やかに逓減する。この数字から兵士の動員数5万人というのは、
大風呂敷の荒唐無稽なる絵空事と言わざるを得ない。まず女子は省かれるので半夏する。残りから、さらに老若を除くのである。5万人と言ったら適任者のほぼ全員になってしまう。周りのの信濃や、
武蔵国、まとまった感じのしない国造の多い常陸国などなが八紘一宇になるなど夢にも思えないのである。

28 :
>>27
禿げ上がるくらいに同意!

29 :
>>27
>尾張が2万なら毛野は5万くらいだろ。
「誇張」を入れても「洪水だらけの尾張よりは開発できてるから兵力はでかい」
んだから【それに合わせた数字】なだけですが。
尾張が2000なら毛野が5000という意味で5万といったまでですけど
そんなに変というなら「尾張が2万なのがそもそもおかしい」って書いてある
日本書紀28巻
(尾張國司守小子部連 鉤、率二萬衆歸之)
に文句言ってくれ。

尾張 鬼頭宏 5.5万 澤田吾一@ 5.5万 A 5.5万
上野 鬼頭宏 11.2万 澤田吾一@16.5万 A10.4万
下野 鬼頭宏 7.7万 澤田吾一@9.7万 A10.2万
尾張 人口5.5万人で兵力2万?
5.5 VS 18.9 or 26.2 or 20.6
1 VS 3.4倍 4.7倍 3.7倍
尾張が2000なら毛野氏は6800〜9400
尾張が5000なら毛野氏は17000〜23500
尾張が1万なら毛野氏は3.4〜4.7万
尾張が2万なら毛野氏は6.8万〜9.4万
「尾張が2万なら毛野氏は10万」
が正しいねー
5万じゃなかったわ、失礼。

30 :
うーん、見れば見るほど天武は尾張の軍勢で大逆転したとあるが
毛野氏の軍団規模はすさまじいなと。
「天武が大喜びした大軍勢の尾張を毛野氏は全滅」できるくらいの規模。
倭国軍主力だしな。第二軍総軍で1万7000で、他の地域があるにしても1万3000〜1万5000くらいは出せたな。
「壬申の乱で尾張2万」なんて嘘くさいが=実際2万じゃなくて2000だとすると実に現実通り。
>人口5万で兵力2000は「4%」だからそんな程度。<「人口の4%は問題なく出せる兵力数」
白村江の兵力数に関してはかなり信憑性が高いな。
毛野氏はこの時代に兵士が1万5000超えくらいいるね。
そんで尾張は2000だろうな。

31 :
690くらいの毛野氏は
平常動員数が1万3000で
最大動員数が2万6000くらいか?<人口の10%根こそぎ動員かけると
戦国時代だとすると兵力3万の大名だな。
戦国最大クラスの大名だな。
そんで遠征が多いから騎馬の比率も高いかと。

32 :
後の時代になるが、毛野はアテルイとの戦い、東北遠征でも数万の兵が徴用され疲弊している。
防人として九州へ行くにも、旅費が出るわけではなく、手弁当で行かねばならぬ。
九州に歩いて、一部船で行くにしても村中から有り金残らず集めなければならなかったはず。
白村江の戦いでも5万の兵を出してその殆どが帰国できず、生き残った兵は現地化した。
神功皇后の時代から毛野は武人として兵役に就いているから、現地化した集落が多い。
例えば、九州の豊前上毛町には三毛郡(みけの こおり)があった。
大和朝廷へ租庸調を差し出すのも自力で運ばなければならず、野垂れ死んだ。
大和朝廷が来てから毛野にはろくなことがない。
非征服民として、奴隷のように扱われたのだろう。
平将門の気持ちがわかるだろう?

33 :
>>29
>>30
確かにそんな感じだろうね。況してや当時の尾張は今の名古屋中心部辺りまで
内湾状態だったわけだし。

34 :
>平将門の気持ちがわかるだろう?
将門の方がひどいですぅー
東国を滅ぼしたのは火山灰以外では将門=桓武平氏が最悪だった
マジで東国が荒廃したからな。

35 :
尾張は平安時代から戦国時代にかけてすごい石高=人口が増えるが
それは後の時代のこと。
1000年以前は全然まったく毛野国には歯が立たない地域。

みたいな貧乏地域の援軍で畿内が一気に盛り返すって・・・ ワロス
どんだけ畿内ザコなんだよ。

36 :
古代の公共の宿、駅家って食事付きと違うか。
奈良時代になると白河軍団や安積軍団、磐城軍団とか計八軍団はあったけれど、
上野軍団ってあったか。 ?

37 :
押し入り強盗は犯罪である。それでは最近では、あまり聞かない押し入り投宿とは如何なるものを指すのであろうか。それは戦で、その日の戦いが済んで見ず知らずの民家に問答無用で強引に投宿すること。
幕末の天狗騒ぎの際に見受けられた。それでは最初に行った集団は誰なのであろうか。もしかして、それは貴方の近くにいる毛野氏関係者かも知れない。   押し入り投宿、万歳!!  朝から酒飲むなよ。

38 :
>>35
尾張の支配者変遷
尾張氏 熱田大宮司。尾張国造、つまり尾張の古代豪族。
藤原氏 尾張氏の婿となり大宮司職を継承。初代は三河四郎大夫季範(源頼朝の外祖父)。
小野氏 武蔵国多摩郡(東京都)出身、横山党。平氏追討戦で活躍。尾張国守護として3代任じられる。
中条氏 武蔵国北埼玉郡中条発祥の横山党小野氏族。小野氏に代り尾張守護に任じられる。頼平(神奈川県)ら剣の中条流で知られる一族。基本的に鎌倉在住。
名越氏 北条氏族(神奈川県)。鎌倉末期の守護。
中条氏 再び
南北朝以降は土岐、足利、今川、一色・・・と移り変わり、織田氏の登場を待つ。
長秀の剣法中条流は、中条氏の祖小野氏時代より刺撃の術を伝え、中条頼平に至り特に精妙となり。
これを平法とも中条流ともいった。これが長秀に伝わり、長秀が念流系の中条流の中興の祖といわれた。
(『豊田市史』より抜粋、『大日本剣道史』)

39 :
スコットランドが独立するかもしれないな
毛野国も独立すればいい
初代天皇の崇神から賜った私領だもんな。
毛野氏は独自に東国を支配してもよいとのお墨付きをもらってる。
今の天皇には毛野国を支配する根拠がない。
毛野国はそもそも日本建国以来の独立国だろ。スコットランド程度の関係。
崇神とそれ以降の天皇は格が全然違うから何言ってもムダ。

40 :
畿内天皇家は西国支配
毛野氏は東国支配
というのが日本の初代天皇の崇神が決めた国是なんだが。
なんで天皇家が東京に来てるんだろうか・・
根拠がないんじゃないの? 誰の許可?
天皇勢力は西日本ほったらかしにしてるんだが・・
やっぱりバランスに欠ける配置だよな。東国は親王国で、皇太子が来てもいいが
本家の天皇家は大阪なり京都なり奈良にいるべきだろ。

41 :
東京奠都は、知る人ぞ知る我らが武茂郷出身の北島秀朝らの尽力により実現した。明治維新の総仕上げ。一部の御三家の水戸藩のものは倒幕に動いたのかよ。別におかしくはない。
鎌倉幕府を倒したのは、新田義貞や足利高氏らである。江戸幕府を倒したのは、御三家水戸藩の尊王攘夷思想が源流にある。  ところで、もうすぐ毛野が独立するって。本当かよ。
バチカン市国よりは大国になるのか。  周りにいる奴は、高い通行税を取ってやれ。関税は350%にしようぜ。直ぐに干しあがるな。 年末年始ごろに街の何処かで忠臣蔵が放映
されていて、吉良上野介が出てくるけど、少し前まで上野国をこうずけこくと読んでいたよ。普通は、こうずけって読むよな。ところで吉良氏も足利氏系で源氏か。毛野には、随分と源氏が多いな。

42 :
このスレの基地外率はパないな

43 :
北島秀朝--「天皇と窮民に尽くした人」という資料があるらしい。 読みたくなって国会図書館から取り寄せたよ。

44 :
北島秀朝は、天皇の御東行だけではなく、太政官も移されることも望んだとされる。次のような趣旨の書簡が残されている。
「関東はひとまず平定することが出来ましたが、天皇の御威光はまだ全国に広まってはいません。人々は、ただ官軍の強さに恐れを抱いて服従しているにすぎません。
 願わくば天皇に東京に来ていただかなくては、どんなに有能な人でも政治を安定させることは難しいと思います」
秀朝の明治元年の京都滞在は三度にわたる。時期と頻度からいって、その活躍の度合いが分かるであろう。 実は京都には、天皇の御東行に対して反対勢力が存在していた。

45 :
北島秀朝は、明治元年7月26日から京都にいて八方手を尽くしているらしかった。しかし多くの案件は滞ったままだったらしい。そこで北島は、京都から東京に戻ると9月6日に江藤新平と二人で大久保利通宅を訪ねて、
上京の上で反対派を説得して御東行を実現する旨要請した。大久保は要請に応えて翌7日に西上の命を受け9日に海路東京を立ち13日に京都に着いた。直ちに大久保は太政官に出頭して御東行の義について協議した。
大久保利通得意の熱弁をこれでもかと言わんばかりに奮ったのであろうか。その結果、御東行の京都出発は、9月20日に決定したのである、但しこれは、第一回目の御東行で後の東京奠都の予行練習の様なものになった。
なお、予算関連については、すでに一応の目処は立ったことから8月13日に三条実美は、「御東行後御用費之義」の手配の整ったことを岩倉具視宛に通知していた。

46 :
毛野国独立運動まだー?
グンマーは治外法権なんだよ。崇神天皇がそう決めたんだよ。
東国15ヵ国は「毛野氏の私領」です。
将門は勝手に名乗ってよくないが
「毛野国は崇神から賜った独立領地」なので天皇制なら逆らえませんよ−。
天皇には畿内があります。
西は天皇 東は毛野氏 これが日本の正しい国境です。

47 :
日本書紀の崇神期に書いてあるじゃん
「豊城は東国を治めよ」
って。
東国を治めて良いのは垂仁の末孫ではなく毛野氏です。

48 :
まーた基地外出現かw

49 :
西も東も分からない輩が、能書き垂れるな。 例えば、富山はどちらですか。?

50 :
当時の日本は、百余国に分かれていた。仮に百余国を120か国と仮定した場合、その内の15か国は、日本の国土の約12%になる。
狭いなあ。 これで独立国気取りかよ。ポルトガル本土は狭いけれど、ブラジルは広大だ。少しはポルトガルやスペインを見習ってくれ。

51 :
その「狭さ」に萌えてしまう俺がいる。

52 :
>>51
思わず和んだw

53 :
狭いところが好きなのも毛人の特徴。
うさぎ小屋のような住宅、ワンルームマンション、カプセルホテル、一人用テントが好きだ。落ち着く。
恐らく、古代人も、竪穴式住居だけではなく、岩穴に住んでいたのではと思う。
吉見のような百穴が関東各地に見らるが、あれは、古代のビジネスホテルのシングルルームかワンルームマンションだと思われる。
空の下では眠れない、体育館の真ん中でも眠れないのです。

54 :
>>53
どうなんだろうかねぇ……自分は判らなくはないと思う口だが。
そんなオレは基地外様方から氏族丸ごとで誹謗中傷を喰らう足利(源姓)門葉の後裔w

55 :
>>50
まずは毛野国が独立して毛野氏直属の軍団をつくってから、南関東を取るんだよ。
東京攻略なんかちょろいよ。
大本営も防衛無理だと判断して長野に基地をつくってたし。
アメリカ海兵隊と互角に戦った毛野国なら問題なく東京は取れます。
練馬駐屯地潰せば勝てる。
第十二旅団(群馬栃木連合)で第一師団(練馬)を倒せばいいだけ
都市部の戦車戦を想定した10式戦車は毛野氏の南下を阻止するために開発されたんだよ。

56 :
グンマーとネリマーの戦いがはじまると
勝った方が関東平野を掌握できる。

57 :
国内戦は明治十年の西南戦争が最後かと思っていたけれど、そうでもないらしい。武蔵国造の乱で助太刀して負けた怨念を今こそ晴らす時だ。
1500年は永いようで短かった。 いざ出陣。 座間や横須賀にいる外国勢は何方につくのか。 私は、永世中立人間なので高みの見物といくか。

58 :
>>56
ネリマーでは無理だ、存在しないw
此処はトシマーを担ぎ奉らんぞ!w

59 :
福島の自衛隊はザコだった
すぐに逃げたしな。
敵ではない
練馬も「烏合の衆」だからザコだろ。命をかけて練馬を守ろうとする連中がどれだけいるのか?
静岡の砲兵部隊は市街地戦じゃ使えないし。
けっこう勝率高くて笑える。
ザコしかいない練馬駐屯地を1つ潰せば霞ヶ関を毛野国が取れます。
まあ東京を取ったところで、群馬と栃木が争う内乱になるわけだが・・

60 :
群馬と栃木が連合組んで
要するに練馬の陸自を倒せばいいのです
そんなに複雑怪奇なプロセスはいらないです。
命をかけて東京を守ろうとする陸自がそんなにいるとも思えない。
群馬栃木はやばすぎる。
ろくに物資がない太平洋戦争でアメリカの精鋭師団でも勝てなかったんだぞ。
全滅させて撤退させたしな。
硫黄島を守った九州の師団の強さは認めるが九州の師団は練馬にいないから「勝てます」
地方から支援にくるかもしれないが、主要道路をぶっつぶすし、南下速度が速ければ勝てる。

61 :
グンマーやネリマーより、ソウマーの平将門の方が強かった

62 :
戦場ヶ原と南北朝期の内乱と二連敗しているから、負けた側の敵愾心も爆発寸前なんだろうな。

63 :
天狗党にも負けたのか。天狗党には、下野の人間もいた。

64 :
>>62
そんな状況下において岩松っちゃんちなオレ気分複雑(´・ω・`)

65 :
明治以降にとんでもない内乱起こしたのは
西ク隆盛以外じゃ北関東の連中
警察の手に負えず
「東京鎮台」がでてきたしな
このときグンマーと栃木が同時立ち上がっていれば南関東の明治政府は崩壊したと思われる。
北からの南下速度を確保できるかが重要。
>>61
将門は大手門に首塚がある。つまりあそこは将門の勢力圏だな。
北関東から将門の首塚まで進軍するべきだろう。

66 :
>>64
へたれの岩松は去ね
風見鶏が!

67 :
>>65
ところが将門の首塚はおそらく崇神帝による四道将軍事蹟にも係るやもしれぬ
出雲系氏族の墳墓跡と見るべきなんよね(´・ω・`)
>>66
ご、ごめそ(´・ω:;.:...

68 :
毛野軍団=第12旅団 (陸上自衛隊)
司令部を群馬県榛東村の相馬原駐屯地に置く。
>陸上自衛隊で唯一、空中機動力を高めた即応近代化旅団である。
↑陸自唯一の空中機動力をもって練馬駐屯地を2時間以内に強襲しようぜ!
>また、首都圏の防衛を主任務とする東部方面隊隷下であることから
>4個の普通科連隊の重迫撃砲中隊は2個射撃小隊編制から3個射撃分隊を有する

首都圏防衛しなくていいから 重迫撃砲で逆に首都圏攻めようぜ!
霞ヶ関は3日くらいで攻略できると思うわ。

69 :
畿内は後方基地 「女子供がいる場所」
前線基地が東国
将軍・元帥は前線にいるもんだ。
皇族は安全地帯で昼寝していることに威厳があるのではなく
ローマ皇帝アントニヌスのように戦場で戦うべきであって
最前線で鼻水たらして泣いてた上毛野田道こそ真の皇族だろう。
応神以外じゃ畿内の偉い王様はろくに戦ってないのがねー。
戦国時代も応仁の乱もほったらかしで何してたの?
まあ毛野氏は女までも男を蹴っ飛ばして無理矢理戦わせてたわけで(上毛野形名妻)
サイヤ人みたいなのが毛野氏だな。
崇神は垂仁はアホの子だと思ってたのかもしれん。
「仁」ってw 要するに無能ってことだろ
豊城入彦命の末孫は生まれも育ちもガチな戦闘集団で崇神の真の後継だな。

70 :
武力と権威が一体になって口だけ番長じゃなくて
実際に戦地で将軍として戦死しているなど、血も流している。
まさに皇室のあるべき姿だなー
指揮官だけじゃなくて率いる兵士も精強揃い
畿内の皇族も今の東京の皇族も軍隊の指揮監督権がないわけで
後鳥羽・後醍醐・明治・大正・昭和天皇も無理だった皇族将軍だな。
部隊を直接率いて勝利して天下を治めた唯一の例は天武くらいか。
天武はまあまあ認める。 雄略は何したかそもそも分からん。
あと神武か崇神だな
応神とは互角か。負けてはない。
神武・崇神>>毛野氏・応神>>天武・百済王>>天智>>その他なんらかの戦乱との直接関わりあった天皇>>何の指揮権もない置物
99%の天皇より普通に蝦夷の方がすごいのでは? 指揮権があったしな。 蝦夷の将軍は置物じゃないよな。

71 :
継体もすごいよな。おそらく継体自身が直接なんらかの軍事行動をして
畿内を征服している。継体も天武クラスか。
磐井(毛野氏?)の九州勢も軍事行動の独立した指揮権があったようだ。
天智もまあまあだが、「負けた」から天武より劣るな。
毛野氏も何度も負けているので、天智よりすごいとは限らないが
長期間活動しているのでプラスだな。
神武崇神応神継体天武の合計で畿内が優勢だが=軍事行動を指揮してるので
結局 毛野氏と同時代。
そういった権威と武が一体になったのは700年以前という・・
その後は抜け殻のようなのが皇族と。
そもそも最前線にいかないと情勢も分からないのでは?
ミッドウェーやガダルカナルに皇族が行って、戦死するなり必死で報告するなりしてれば
もう少し太平洋戦争はまともだったのでは?
皇族独自の情報ルートすらないというのが・・
それで戦争を始めるか終わるかをまともに判断できるのかなと。
やはり「直接指揮」をしている皇族が歴代最上位ランクというのは間違ってないな。
野山をかけるわけで、情勢を良くも悪くも理解しているし、
それだけでどっかの氏族の傀儡じゃなくて天皇独自の情報網と指揮系統があったということ。
作戦に失敗したら死ぬわけで、作戦の責任も体で十分とっている。

72 :
イギリス王室も皇太子が戦場にいかされるよな。
イギリス王室にも何の権威もないけど、やっぱり皇族と武力は分離しちゃだめだと思うわ。
自分で見ないとやっぱりわからないだろ情勢が。兵士の声も聞けるし。
象徴天皇でも置物はよくないな。今の皇太子はひどいw

73 :
このスレ、ネタスレ化してきてんなw

74 :
伊達氏は毛野氏なんだな。
毛野国の境界付近の氏族だったらしい。
出自は常陸国伊佐郡、あるいは下野国中村荘と伝えられる
伊達氏は伊佐氏が祖か
その伊佐氏は
>従来は藤原氏の藤原北家山蔭流とされてきたが、毛野氏とする説も提唱されている。
と書かれている。
藤原でも源氏でも平氏でもなければ毛野氏だろうな。
それ以外の氏族もあるが、それもここら辺の氏族の源流はどうせ毛野氏になる。
伊達政宗は毛野氏らしい。

75 :
こうして見ていくと、伊達氏の先の伊佐中村氏と宇都宮・八田氏とは、遠く遡ると同族同祖の関係にあって、実際には下毛野一族の車持君氏ないしは韓矢田部造氏から
出自したものではないかとみられる。ともに藤原姓を称し、名前に宗や綱の字が多く見えるという共通点もあげられる。
以上、伊達氏の遠祖について、多角度から見てきたが、資料が乏しく断定はできないものの、多くの関係者からみて、
毛野氏族の出とみるのが比較的自然な模様である
伊達家臣の)只木氏は下野国足利郡只木村、いま足利市東端部の多田木に起ったといわれる。
系図スレでも伊達氏=毛野氏説が有力
なるほど伊達氏は毛野氏なのか・・

76 :
伊達政宗は、近世においても活躍した人。出自が分からないのであれば不詳というのが適切である。
宇都宮氏の綱という文字は、縄綱や藤綱の藤の方からきているのではないか。?
毛野氏というのは、ご立派氏族名である。実際に毛野氏であるならば、何故それを隠匿して公明正大に藤原氏であることを喧伝するのか理由が分からない。
毛野氏は、藤原上野国司を殺害しているのである。殺害した相手の苗字を名乗るのも奇妙と言わざるを得ない。藤原宗円と毛野氏が同族とは思えない。

77 :
将棋というのは、面白い嗜みである。日本の将棋は、中国将棋とは違うらしい。チェスとも違う。生け捕りにした敵兵を、直ぐに自陣に組み入れられる。
日本で改良された将棋にモデルはいるのであろうか。自分なり源平合戦を参考に考えてみた。ちなみに俺、奨励会員と一度一戦を交えて勝っているんだ。
王将 一人 文字通り王で将軍。頼朝。家康。足利義満(自ら日本の王であることを表明した)
飛車 一人 牛若丸
角  一人 那須与一。屋島の戦いは立派であった。
金将 二人 大勢いて甲乙つけがたい。
銀将 二人 同上。癖のある梶原景時などは適切か。
桂馬 二人 忍者のような動き。服部半蔵が目に浮かぶ。
香車 二人 武蔵坊弁慶等。
歩  九人 名無しの権兵衛。源平合戦当時は騎馬軍団中心か。

78 :
>>76
網野用語になっちまうが「荘園公領制」が発達する過程で
毛野氏が時代について行けず没落=ブランドとしても価値が
下がってきたからだろうな
出羽の吉彦氏のような名乗りの変化もあったりするし

79 :
★【群馬】国内初の骨製小札 6世紀初め渋川の金井東裏遺跡
六世紀初め(古墳時代)の火山灰層からよろいを着けた男性の骨が出土した渋川市の
金井東裏(かないひがしうら)遺跡で、動物の骨でつくられた小札(こざね)と呼ばれる
短冊状の板が新たに見つかったことが二十日、県埋蔵文化財調査事業団の調査で分かった。
数十枚が連結された状態で、よろいの一部か付属品とみられる。事業団によると、骨製小札が
見つかったのは国内で初めて。同日、県の検討委員会で報告した。
骨製小札は、一枚が縦六・六センチ、横約三センチ、厚さ数ミリ。一段あたり十数枚が、
三段にとじられていた。男性の骨の出土場所近くで、巻かれた状態で見つかった別の
鉄製よろいの内部にあった。
韓国で四世紀の骨製小札が出土した例があるとされ、今回の小札は穴の開け方から、
韓国の技術を用いて日本でつくられた可能性が高いという。
事業団の右島和夫理事は「材質から考えて、防具としての機能よりも視覚的なアピールが
重視されたのではないか。遺跡の意義を東アジアの枠組みで考える必要性が高まった」
と話している。また、男性がつけていたよろいは羽織った状態だったことも、
CTスキャンを使った調査で新たに分かった。
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20131221/CK2013122102000174.html
渋川市の金井東裏遺跡で見つかった骨製小札(県埋蔵文化財調査事業団提供)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20131221/images/PK2013122102100058_size0.jpg

80 :
但木土佐殿には気の毒であった

81 :
奥羽越列藩同盟には水戸藩の市川三左衛門率いる保守門閥の諸生派も与して慶応四年春から越後方面で本格的な戦闘を開始していた。一部は佐渡に渡って軍資金を求めたが果たせなかった。
やがて水戸城が手薄なことを知った市川等と長岡藩約百名を加えた総勢五百余名は、会津の陥落直前に、「勝機到来ぞ、今こそ手薄な水戸城を奪還して佐幕の兵を関東に挙げようではないか」
と叫びながら南下していった。長岡藩兵は銚子から、願わくは仙台に向かう意向だった。しかし銚子では、飛び地として高崎藩兵が護衛していた。もっともこの時には、仙台藩は、すでに新政府軍に
降服していた。長岡藩兵も白旗を挙げる。 なおも水戸藩諸生軍は、抵抗を続けようとしたが八日市場あたりで壊滅した。しかしここでも市川三左衛門は逃走。今の東京都港区三田の娘の嫁ぎ先で
ある宝生院や剣術指南役宅などに潜んでいたか、やがて水戸藩関係者によって逮捕されてしまった。    宝生院には都々一坊扇歌の妻の墓所でもあった。

82 :
北島 秀朝(きたじま ひでとも)旧姓・益子。
益子氏の本姓は、下野宇都宮氏を支えた紀清両党の紀氏だ。
その子孫が出雲国造家北島家の養子となり、東京遷宮に関わった。
下野宇都宮氏と言えば、祟神天皇、豊城入彦、下毛野氏の流れを汲む東国の支配者の正統。
古代の神武東遷も出雲の国譲りによるもので、裏のそのまた裏で日本を動かしているのは出雲国造家なのだ。

83 :
北島家の養子になったのは事実、しかし京都には、既に北島家は無かった。これは岩倉具視の権謀術策か。あるいは当時、名前を変えるとは護身のためであった。単純に、その理由と思える。
元、東山道軍大監察の北島の妻は、江戸は浅草下平右衛門町三番地の松岡蒼造の妹である。最早、旧家としての北島家の痕跡は何もない。

84 :
北島は、源頼朝や藤原秀郷に憧れていて秀朝というカッコいい名前にしたのであろうか。何となく気になる。

85 :
>>79
毛野氏は百済を支配してたのに何をいまさら・・
左翼のせいで毛野氏の朝鮮の300年統治が教科書に書かれなくなって残念だね。
徳川や秀吉すらやってないし、源氏も平氏もやったことがない海外遠征・海外統治を
毛野氏はやってたわけで
毛野氏を過小評価しすぎた時代は終わるべきだろう。
「レベルが違う」氏族です。

86 :
パクリ
http://livedoor.blogimg.jp/inumenken/imgs/b/a/ba83a44f.jpg
パクラレ
http://livedoor.blogimg.jp/inumenken/imgs/4/9/499d2b9b.jpg
パクリ。ひきこもりのバカ。足立区に住んでいるそうだ。
http://inumenken.blog.jp/archives/11704718.html

87 :
前橋から霞ヶ浦の西側 筑波山までの平野部が毛野氏の領地かな。
霞ヶ浦から千葉の下側ラインは違う。
これだけの平野部というと名古屋平野全域
大阪・奈良・滋賀の平野部全域と互角以上
平野面積だけ見ても古代毛野氏には恐ろしいまでの軍事力があったと思われる。

88 :
畿内が信長 東国が家康の関係でもないな
信長はいざとなれば家康を滅ぼせるが
防衛側が有利なことを考えると
毛野氏を滅ぼすのは畿内全力+名古屋でも軍事的に不可能でしょう。
畿内と東国の関係は思った以上に緊張感があったのでは?
というか、毛野氏は滅ぼせないわけで、独立地域だなこれは。
日本はアメリカを滅ぼせないし、アメリカはできるが、
両国は同盟してるのと同じようなもんか
パワーバランスがおもしろいな。

89 :
崇神が「豊城は今後 東国を治めよ」
と言ったのは文字通りそうなってたわけで
畿内の支配権認定とかでもなんでもなく、純粋に独立地域と化していたようだ。
毛野氏は朝臣にすぎないが、52朝臣の中では完全に別格だな。
筆頭家老ですらないな、「同盟してやっている」だけの関係。
末期の秀吉政権の中での家康と同じポジションか。もっとすごいか。
畿内政権が日本すべての軍事力を動員すれば理論上は毛野氏を滅ぼせるが
天智が九州に無視されたように、地方が必ずしも畿内の天皇に完全に従い、
十分な兵力を出兵できるとは思えず。
秀吉と家康の関係よりひどいかも・・
畿内に東山道直結でけっこう近いから毛野氏側からの侵攻は可能なのな。
関ヶ原をいつでもおこせたのが毛野氏か。

90 :
戦争するには理由がいるから
必ずしも軍事力が畿内より数倍あるからといって勝てるわけではないが。
(なんで戦うの?と家臣に疑われる)
いつでも畿内を滅ぼせる毛野氏だったが=武田信玄の比ではない
たまたまやらなかっただけですね。
300回くらい畿内を滅ぼせる可能性はあったのでは? 逆はないけどな

91 :
毛野は部族ではないので毛野氏は滅ぼせない。
当時の毛野はトヨタと三菱商事と日本郵便と専売公社とセブンイレブンを合わせたような東日本を牛耳る巨大組織だった。
つまり、武器や農具など鉄製品、海産物や塩と酒といった必需品の生産、物流に加え、通信、小売まで支配する巨大コンツェルンだ。
しかも、関東の主要道路沿いには毛野の拠点が2、3キロ毎に置かれていたし、関東以外にも支店網があった。
中仙道や東海道の主要宿、そして近江に一大拠点があったし、遠く九州、任那(恐らく、木浦付近)にも広がっていた。
白村江の戦では5万の兵を動員する力はあったが、政治、軍地面では表だつことを嫌ったようだ。
毛野には総帥はおらず、重要事項は合議で決めており、中央集権ではなく、アメーバーのような有機体組織だったのだ。
東国の六腹と呼ばれる有力氏族も、毛野を構成する大親分の一人にすぎなかったし、毛野が長い歴史の中で培ってきた習慣を無視するものは徹底的に排除された。
徳川家康は、毛野の伝統や既得権を認めることで東国の政治や軍事面での支配を認められたのだ。
つまり、士農工商は徳川の支配下にあるけれど、それ以外の 穢多(えた)、非人は浅草団左衛門等の 穢多頭や各地の大親分、
僧侶は各寺院、神官は各寺院が支配する権利の二重構造があったのだ。

92 :
海なし県の群馬+海なし県の栃木+海なし県の埼玉

海なし毛野国
毛野国は海を確保すべく、海を求めて南下政策をすべきだろう

93 :
邪悪な海あり県を軍事力で平定すべき。

94 :
奈良の崇神
近江の毛野氏
群馬栃木の毛野氏
たった8県しかない海なし県をまたがって生息している
海のない8つの県
http://www.benricho.org/chimei/nairikuken/
まるで海を狂犬病の犬のように恐れていたような毛野氏だな。
でもいざとなったら朝鮮を平定している。
よく分からんが、海なし県>>>海あり県らしい。
海に面した地域は邪悪な県民性を発揮するのかもしれない。

95 :
>>94
長野や山梨、甲斐武田や上杉も殿様はともかく主要な将は毛野の血を引くものたちだろう。
上杉は、その後やはり盆地の米沢に移った。
盆地好きの伝統はヤマトタケルの頃にすでにあった。
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠 (やまこも)れる 倭しうるはし
これは縄文人の生活に適した場所だったと言うことで、海賊に襲われないし、大津波も来ない。
長く1万2千年も続いたのは盆地の気候が比較的安定していたからでもある。
そして毛野の居住地は、更に古い旧石器時代の集落跡とも重なりそうだ。

96 :
>>60
なぜ硫黄島を守ったのが九州?
鹿児島の硫黄島(いおうじま)と東京の硫黄島(いおうとう)を
取り違えていないか?

97 :
バングラディッシュは雨季になると国土の60%が水に覆われる。高台だけが浮き島のように取り残され、人々はそこで暮らす。
学校も船の中にあって、高台の島に子供達を迎えに行って授業をし、学校が退ければ島々に送り届ける。
関東平野の渡良瀬川周辺も河川工事が進む前は同じような風景だったと思われる。
毛野は雨季にも水没しない狭い高台に暮らしていて、古代の道路も住居跡も舌状台地と呼ばれる長く突き出した固い地層の上に作られた。
↓バングラディッシュの雨季 、水煙湧く土地
http://ord.yahoo.co.jp/o/image/_ylt=A3JvcouvFhVURi8ApIiU3uV7/SIG=131ivuiop/EXP=1410754607/**http%3a//image.space.rakuten.co.jp/lg01/48/0000316848/67/img462ac8fczikczj.jpeg
↓東京亀戸の大洪水、近世
http://www.pocketbooks-japan.com/images/products/w0001-5000/w4076.jpg

98 :
日本の首都は群馬か奈良にすべきだろ
毛野氏は海外遠征しまくったせいか、
海外からの侵略にも怯えていて
それで内陸部を重視してたわけだな。
「沿岸部がやられている間に対策をうてる」からな!
東京が首都なんて韓国の首都を釜山にするような愚かな行為ってことだな。
一瞬でやられるじゃん。
バカ徳川様は海に面したところを首都にしたくせに
海からの侵略で一発で終わるとかマヌケもいいところ
毛野氏は海外遠征の経験が豊富なので、海に面した地域の防衛の脆弱性をよく理解してたと。
やっぱり毛野氏は総合的に徳川より遙かに上だな。

99 :
歴史街道を行く  群馬編
私が初め群馬の地に足を踏み入れたのは、平成二年頃の社内旅行であった。サファリーパークという動物園に行くことになった。車の中から見る百獣の王ライオンは少し眠そうな感じはしたものの野迫力満点であった。
旅行から戻るとテレビや新聞で飼育員がライオンの餌食になってしまったという報道があった。ライオンの前では油断大敵であると肝に銘じた。  そのころであろうか、東京は目黒駅西口の中華料理店で昼食を取った
ところ、カウンターの隣の席では、何処かで見かけたことがあるよう方がごく普通のラーメンを頬張られていた。私も何か麺類を注文している。食事を終えて店から出ると同僚から、あの方は司馬遼太郎だと教えられた。
何でも近くの杉野女子大で教鞭を執られていたということで同僚な話では、「時々、この辺にも出没される」ということであった。私は、いききなり十か所位の歴史街道を行く旅をおえたような気分になったものである。

100 :
海なし県の方が外的の侵略に対して防衛できる
・そもそも都市部が海から遠いので地理的に何もしなくてもある程度の防衛になる。艦砲射撃も不可能
・「海は恐ろしいもの」という発想の下で、海をそもそもの侵略者とみなしている

海有り県は海があまりに目の前すぎて、「海は海水浴をして楽しむもの」という間違った判断をしてしまう。
→海有り県ほど海岸線の防衛に関して完全に無頓着(徳川幕府は江戸湾にありながら、黒船までお台場防衛を一切してこなかった)
海がない内陸部では「海は邪悪なおそろしいもの」という「正しい判断」をしているので
防衛ラインを内陸部の山間部にひきやすく、それ自体が外的の侵略に対して絶大な効果がある
→黒船なにそれ? 見えないしw
この「海はおそろしい未知なるもの」という内陸人特有の発想が
ペリリュー島の防衛に向いていたのであろう。
フィリピン・サイパンで海岸線で無様に玉砕したのに対して
内陸人はそもそも「海は怖い」ので山城を築こうとする習性があり
「海は楽しむもの、おもしろいもの」という誤った発想の連中が負けまくるのに対して
アメリカに対して内陸人は唯一猛攻を行い、イーブンに持ち込めたのである。
海なし県こそ首都に向いているのはこのため。
・そもそも津波なんて赤城山までこない
・外人が侵略してきても「沿岸部の尊い犠牲」によって時間を稼げるので 防衛ラインを構築できる。
海あり県の発想は海外からの侵略に対して非常に脆弱なのは津波被害をみても分かる。


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