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【秀吉の闇】関白秀次切腹事件について その3


1 :2016/06/17 〜 最終レス :2018/08/25
秀次事件の真相、秀吉の命令の是非、事件の影響、色々語りましょう。

前々スレ
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1460994343/

前スレ
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1463891661/

2 :
秀次はやはり秀吉の命令による切腹ですな。

3 :
物証的な史料ではなく単に秀吉をDisりたいだけの連中が集まっているだけのスレなの?

4 :
馬鹿げた自殺説を嘲笑っているだけやで
文字通りの第六天魔王こと豊臣秀吉の悪から目を背けてはならないよ矢部君

5 :
公家の日記を「伝聞」の一言で切って捨てる素人に総ツッコミ状態なだけ

6 :
前スレで話は終わってたのになんで次スレ立てたの?

7 :
気違い用の檻やろ

内容的にはもし秀頼が生まれなければスレでカバーできるし

8 :
さりげない徳川ヲタもうざいな

9 :
>>3
切腹が命令なのかそうでないのか関係なく、
秀吉の失策なのは変わらないんだが。

10 :
仮に秀次が排斥されずに済んでも、徳川家康に対抗できるかな? 石田三成よりはやりにくいだろうが、秀次は長久手で家康にメチャクチャにやられた過去があるし。徳川家康に簒奪されるのは変わらないのでは?

11 :
簒奪厨もウザいと思うんだがな

12 :
>>10
しっしっ、巣に帰りな

13 :
>>10
成人の後継者がいてどうやって簒奪すんの?
俺逆らっちゃうぜ!とか?

豊臣系大名はほぼ着いていかないんじゃね?

14 :
>>10
どういう手段でやるのかな?
秀吉の所領をそのまま継げるなら力の差はあまりに大きすぎる
江戸夏の陣になるのがヲチだと思う

15 :
秀吉秀次の関係が良好なら逆らうより上手く取り入いるのも選択の内だよなぁ

16 :
執権のような感じで、豊家を関白としたままで実権を征夷大将軍が握る
という手ならあるいは
武力でガチ謀反というのは無理ゲー

17 :
  |l、{   j} /,,ィ//|     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ     | あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
  |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |     < 『おれは秀頼のために
  fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人.    |  秀次を殺したら豊臣家が消えていた』
 ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ   | 催眠術だとか超スピードだとか
  ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉.   | そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
   ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ. │ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
  /:::丶'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ \____________________

18 :
秀長の死後すぐに利休が切腹
秀保の死後すぐに秀次が切腹

とかアホかと思う

19 :
秀吉はその場その場の思いつき「だけ」で天下人になったからな

20 :
秀次政権で将軍なんてなれるわけがないよ
史実でも関ヶ原がなければ将軍になれなかったんだし

おかしな動きを見せたら江戸征伐で終わりだよ
秀次は奥州仕置軍を率いてる実積があるから軍を動かせないわけがない
むしろ謀反の意思がなくても恩賞を分け与えるために征伐されたかもな

21 :
秀次政権では最上や伊達も秀次派だろう
誰が徳川に味方するのか?
小田原征伐以上の大軍勢で攻められて終わり
攻められる前に大減封を受け入れて降伏だろうな

22 :
徳川がいないと東国がまた火薬庫になる

23 :
それ以前に、秀次が政権を掌握してたとしたら、5奉行はどうなるんだ?
キチガイアンチはほっといて、
秀次政権下なら、失職の可能性の高い5大老5奉行の動向を検討すべきだろ
秀次飼い殺し、なら史実5大老奉行は史実通りの権力を握ってるだろうが、
秀次が権力を掌握していたなら、唐入りの事実上の失敗に対して、責を問うだろう
(逆に問わないと金の出どころが無い)
秀吉に責任を問えるわけが無いんだから、奉行くらいの所為にするのが妥当
(中略)
秀吉側近+奉行と秀次+側近+菊亭+最上の対立構図になれば、家康みたいなのは躊躇なく秀次に付く
秀吉死後、家康の代わりに秀次が秀頼を処分するだけだろ

家康にどうすれば勝てるかしか考えてないアンチじゃ理解出来ないのかなぁ

24 :
五大老五奉行って名前は一次資料には無いんだっけ?

25 :
奉行はあるが大老は無い
年寄とか「おとな」とか

26 :
秀次政権になるなら問題は秀頼の処遇をどうするかだね。
双方の派閥争いが激化して関ヶ原や大阪の陣のような戦が起きるかも。

27 :
秀頼に譲る気あったかなかったか。
なさそうだけど。

28 :
秀吉が遺言で秀頼と徳川の縁組と利家を後見人にしたらどうなるかな?
秀次は秀頼派を少しずつ潰していくしか自分の政権を維持できないと思うか、諦めて譲るか?

29 :
円満に進んでいたら秀吉の遺言は成人後に秀頼に関白移譲だっただろう
二代目太閤になるか、譲らず争うか

30 :
そもそも秀頼が生まれた時点で秀次政権なんて無理ゲーなんだよなぁ

31 :
秀吉死後、順調に秀次政権が続いて、秀頼が成人した頃の情勢しだいだろうね。
秀次は子だくさんで娘を嫁がせたり息子を養子に出したりして多くの大名とは親戚関係になっているだろうしね。
秀頼は一人だし、そもそも「本当に秀吉の子?」という疑念は付きまとっているだろうし、ヒステリックなイメージの母が周囲とうまくやっていくとは思えない。

秀頼が成人した際、当然淀の方が動いて秀次から秀頼に権力を移すような要求があるだろうけど、どうなるんだろうね?

32 :
>>31
淀、江ラインで家康秀忠が動くかもな

33 :
>>32
応仁の乱の再来だな

34 :
秀頼が生まれた時点で秀次がこの先生きのこる手段と言えば
自分の子どもを全部他家に養子に追い出すて秀吉に秀頼を自分の養子にと願い出ることぐらいだと思う

35 :
>>32
淀江(物置みたいだな)ラインで秀忠が動こうとしたら、日和見の多い家康なら
秀忠が信康の二の舞だろ。

秀次が有り得ないレベルで、能無し或いは冷酷非道のどちらかでもない限り、
秀吉親派対秀次親派で揉める。
そこに大大名がどう絡むかで家康の動向が決まるんじゃね?

36 :
>>34
そんなレベルの生き残り策で良いんなら、
嫁と子供は離縁して、出家しとくのが一番成功するだろ

秀頼に全部持たせるなら秀次は殺しておくのが唯一無二。
そもそも、関ヶ原なんてのを回避出来なかったのが、豊臣政権の限界であって秀次の逝き死には大したことじゃない

37 :
秀次が秀吉の晩年まで失脚していなければ、豊臣家の相続権を奪うのは楽勝

秀吉の死後、家康がやったように大坂城に入ってしまえばよい
さらに可能なら、「静かな場所で健やかな成長を」とか適当な理由で、
秀頼と淀殿を山城淀城か伏見城に移してしまえば、なお良し

あとは、関白を「秀頼元服まで」の条件で一度公家に譲ったうえで、自分は
征夷大将軍に就任して豊臣関白家(秀頼)とは別に豊臣将軍家(秀次)を
創設して、実権をそちらに移してしまえばよい
公家の代打を経由して秀頼が関白になったところで、武家に対する権限を
失われた関白の座はただのお飾りでしかないだろう
朝廷に出仕した時だけ、豊臣宗家の秀頼の下座につくことさえ我慢すれば
天下は豊臣将軍家のものだ
一方で、「関白は秀頼のもの」という秀吉の遺志も満たすので、豊臣家に
忠義心を持つ者たちも満足するだろう

38 :
そういうこともあるから秀次は失脚、族滅させられたってことで

39 :
ぱっと考えて色々と面倒くさいことが思い浮かぶから、思い切って族滅
よくよく考えればそれはそれで面倒くさいことが分かるのに、やっちゃうのが秀吉

40 :
水戸光圀や保科正之みたいに実子に継がせないという度量はなさそうだよな。
そんな度量があれば秀頼との婚姻も即答で受けるだろう。

41 :
現実に秀吉が死んだら秀次が秀頼を消しにかかってもおかしくはないからな
本人にその気はなくとも周りがやる場合もあるし

42 :
秀次と男子をRまではわかる
女子、妻妾まとめて皆殺しはやりすぎ
あれで最上その他から一気に恨みかったし

43 :
>>40
保科正之の世継は実子だよ。ただ、松平を名乗る資格がありながら生涯保科を名乗り、養子入りした家を本来の血筋に返したのは度量あるとは思うが。

44 :
養子が後を継ぎ、その後養父の子に家督を戻した、で思い出せるのは上杉鷹山かな
まあ平和な時代とは訳が違うか

45 :
>>42
女子は三人はたすけてるはず

46 :
>>45
たった三人と言うべきだな。

47 :
>>45
秀次の娘かどうか怪しいのも混ざってないっけ
真田信繁側室とか

48 :
>>47
女性の記録なんて当時は残すことは珍しいくらいだからしかたないよ
当時の最高位の女性たるおねさんですらあまり残ってないのだから

49 :
池田の妹の正妻は助けてるし嫌な意味で配慮してるところがなんとも

50 :
>>49
配慮の仕方が半端なんだよな。
生かしたい奴が一人でもいるのなら男子だけで終わりにしとけば良いんだ。

51 :
来週の大河ドラマ「真田丸」は秀次成敗かな?
内野家康が「豊臣は長くない」って予告編で言ってたし

52 :
千利休だろ
秀頼生まれてもないのに…

53 :
>>21
秀次派というよりは秀吉を支えるため
西は秀長、東は秀次も取次してたからね

54 :
助けたのか殺し漏らしたのか微妙だなw

55 :
処刑された秀次の子供で名前が分かってるのは
百丸、千姫、八百姫、ちゃう姫(兆姫?)の4人らしいが秀次は数字にでも凝ってたのだろうか

56 :
ところで、秀次自殺を吠えている矢部とかいうのは、有名な専門家なのか?

57 :
自説が2ちゃんで話題になって嬉しいとか後書きに書いてるただのアホ

58 :
二大主張が清華成と秀次切腹な時点でお察しレベル

59 :
通説には矛盾点が存在する←まあ、わからんでもない
だから秀吉は秀次をR気はなかったのだ←どうみても飛躍しすぎ

60 :
御大ご本人だったりしてな

61 :
>>57
スレ立てたのが本人くさい

62 :
矢部と白峰はお笑いの専門家

63 :
自説や自己の価値観と違うからと言ってアフォだのってガキかよ
世の中自分と同じ考えの人間ばかりだと思っているのか?

64 :
自著の後書きに「2ちゃんで話題になって嬉しい、見当違いの誹謗中傷が多かったけど一部参考になる意見もあった」とか堂々と書くさまがアホらしいと言ったんだよ。
自殺説を出してから何年たったのかな?2ちゃん以外では話題にならなかったの?

65 :
甫庵太閤記が通説に仕上がっていった経緯は知らないが
切腹命令状の存在は本当に罪深いな

66 :
まあ、本当にRつもりがなかったら女子供家臣まで殺しまくったことについての説明が不十分すぎる。
母親のための寺を血で汚したからだってその母親からみて孫やひ孫殺しまくって言えたことかと。

67 :
北条氏直らの件から考えたらさ、高野山行きは本当に助命を意味していたろう。でも秀次はなんらかの理由で腹を切った
それは秀吉に対する当て付けのように取られかねないし、実際逆鱗に触れたから過酷な事に
血で汚したからよりは秀次が変死した事に対する報復を怖れて先手を打ったのだ、という説明のほうがまだいい

68 :
あーあ

69 :
>>51
ああいうエスパーみたいな演出イランよな
歴史を知っている人間だから書けるシナリオだろうが
あの時にそんな事を断言できる人は超能力者しかいない

70 :
>>69
関白を事実上更迭する権力を持ち、最悪で格上のライバルグループも瓦解させた平家さえ滅びた現実を、家康は知ってるだろ(鎌倉ファンらしいから)
何もなくても、豊家が長く無いのはわかるんじゃね?

71 :
>>69
信長が死んですぐに織田が駄目になったという実例があった直後で
高齢の独裁者が幼少の実子可愛さに成人の甥っ子ぶっ殺してりゃ
そりゃ長くはないだなんて誰でも思うわ

72 :
>>71
もう秀次切腹したの?

73 :
秀頼が生まれていない、どころか鶴松も死んでない
秀次も関白左大臣になっていない

74 :
予告では、鶴松の死と利休の切腹だな
秀長はスルー

75 :
>>7
お前家康スレから来ているキチガイだろ

76 :
秀次が徳島で落ち延びたという異説があるみたいね

77 :
>>75
君、誰か刺さないうちに入院したほうがいいよw

mateに家康スレないんだけど…

78 :
>>20
秀次なら・・・
徳川家の重臣に直接命令をだして直臣化していく工作をより強めるだろう
これは秀吉が好んだ事。大大名の家臣に手を出して大名を骨抜きにする政策
いつのまにか徳川家は240万石から100万石くらいまで自然減封となるw
この状態で盾突くなら武力征伐となるだろうが、家康なら素直に改易を
受け入れて捨扶持の3万石くらいで生きていくかもね

79 :
>>78
意味が分からん
「秀吉による陪臣の引き抜きがまずあって、その結果として減封された実例」
が一度でもあれば挙げてくれ

80 :
豊臣政権だと丹羽や蒲生の例もあるから代替わりを口実にあれこれ領地削ってくるだろうな
ただ家康が生きている間は手を出さないだろうけど

81 :
でも秀忠は家康の代わりに関東の統治やってるから、経験不足とかの理由で領地削ることできないんだよな

82 :
減封という公式の領地削減があったわけじゃない。
榊原康政ら徳川家の重臣らだが、秀吉の命により10万石級の領地と従五位下の官位を与えられている
彼らは豊臣政権の直臣大名としての面も持ち、家康とは別に各家の当主として大坂城や聚楽第に登城
できた。家康に与えられた240万石余りの領地のうち、重臣の分はあらかじめ秀吉に配分が決められている。
一見大幅加増のようだが、重臣を独立大名として認めている形になっているので解釈次第で、純然たる
徳川家の領地は100万石となっていて、家康の立場を難しくした。
実際、榊原康政は宇喜多家の家中に内紛があり、大谷吉継と共に公儀使者として仲裁している。

なぜこのような事をしたかと言えば、家康が謀反を起こそうとした時に諫めたり、独立大名として認めて
いるので豊臣政権に付き易い状況をつくっていたと言われている。
同様の事は上杉家など他の大大名にもやっている。

家康存命中は重臣も徳川への思いも強いだろうが、次世代以降になり、秀次が
政権を継いでいたならばそちらに靡いてくるだろう。

83 :
石川数正引き抜いても徳川の領地は減ってないからな

84 :
家康配下時代の石川数正は秀吉の命で領地もらってたわけじゃないし
城や領地ごと秀吉についたわけじゃないから徳川の領地は変わりようないんじゃね

85 :
まぁ、根拠の薄い想像でしかないね

86 :
家中にクサビをうたれ秀次もバカではないだろうから大大名重臣に官位と領地を直に与えている
意味はわかるだろう
大名の立場からすれば表向きは大幅加増でも、家中にクサビをうたれたもんだからたまったもんじゃないな

87 :
重臣の石高を秀吉が決めたというのも、明確な史料が存在しない話
元々3人は家康が旗本先手役として転封前まで手元に置いたから、
相応の石高を家康が与えても不思議ではない

88 :
家康に家臣の領地を指示して家康家臣の気を引こうとしたんだろ

89 :
そういう話は逸話レベルしか確認できないからねぇ

90 :
重臣の官位も秀吉の推挙がなければできないからな
直江兼続優遇なんぞも結局は上杉を警戒したからかな?

91 :
家康の領土を削減するより味方につけるほうが秀次の為になると思うぞ。
秀次最大の敵は秀頼だからな

92 :
つうか豊臣が失敗したまんまの手だよな
家康が豊臣恩顧の大名に石高を増やした訳じゃないのにそいつらが徳川に付いて豊臣から石高を減らしてくれた

93 :
徳川家重臣を両属関係にしておけば家康が勝手に処分できないから250万石
と言っても張子の虎同然というわけで上手い手だったが
それも秀次を追放してしまったから元の木阿弥

94 :
家康は三傑の家臣は大半を寄騎にしていたから、そうなったら家臣を引き上げるな

95 :
そうなったら家康ご乱心ってことで減封は必至だな

96 :
それまで乱心扱いにされたら諸大名皆豊臣を見限ると思うけど

97 :
家臣引き上げたらむしろ好都合じゃん
徳川系じゃなく豊臣系大名になる
禍根も残るしな

98 :
両属関係にしたからこそ徳川家重臣は単身で秀吉に謁見できたし、公儀使者として活躍できた
これなら250万石と言っても自由に出来ないのだから張子の虎どころじゃないだろう
表向きは加増転封で軍役も増えるのに実態は減封の左遷でしかない
家康が謀反を起こしても、重臣は独立大名と認められているに等しいから家康につい
ていく可能性は低くなる
だが秀吉がはやく死んでしまったし、秀次が政権を継げなかったから完全分断に至らな
かった

99 :
遠ざける意図は明確にあったけど、家康と家臣団は積極的に
その立場を活用して他大名とコネクションを築いていったわけでして

秀吉としては彼らを引きはがす自信をもっていたけど、
秀吉の寿命や失着もあって歴史はその道を辿らなかったわけだな

100 :
また史料も無いのに、笠谷・白峰・矢部のような推論で徳川家大したことない説を

101 :
史料はあるでしょ

102 :
後世の逸話レベルしかない

103 :
>>99
秀次が継いでいたら。
悔やまれるな

104 :
それには秀頼が生まれてこなかったらの前提条件も付くがな。
秀頼が生まれてきた時点で秀吉にとって秀次は粛清する対象にロックオンされたからな。
全力で淀を流産させることこそが豊臣が生き残る唯一の道だった。

105 :
>>104
別に秀頼が産まれたからと言って自動的に秀次が粛清される事が
決定したわけではないだろ。
史実でも秀次の娘を正室にしようとしたのは何のためだよ
秀次の出方次第で粛清どころか後見人さえありえたと思うぞ
後見人なら実際の政務は秀次がやるので秀次が継いでいるのと大差ない
秀次は空気が読めなかった。秀頼が秀吉の子ではないと確証をもったとして
も一旦は身を引いて秀吉の死を待てばよかったのにな

106 :
まあ、所詮、野人の係累と言ったところだろ。
身の処し方なんか分かるわけもない。

107 :
>>105
晩年の秀吉なら秀次だろうが秀長だろうが容赦なく殺したと思うよ
秀頼の対抗馬になりそうな身内は消しにかかるスタンス
殺し洩らせばそいつが永楽帝と化すことは目に見えてるし

108 :
>>107
それは単に君らがアンチだからそう思うだけでは?
秀次はたしかに粛清されたが、何度かその運命に逆らえるチャンスがあった
それを反故にしたのは秀次だし

109 :
秀次本人だけでなく弁護した家臣も妻妾や女子も容赦なく殺しといて回避できたとかねーわ
明らかに粛清という答えが先にあった

110 :
ならば日本の4/5を秀次に与えるだの、娘を秀頼の正室にっていうのはなんなの?
粛清ありきという首尾一貫状態ならこんな事を言い出すのは変だわな

111 :
秀次の選択肢さえ間違ってなきゃ殺されないよな。
なんでも粛清!なら家康なんて先にヤラれてる。

112 :
粛清直前まで秀吉と秀次は頻繁に面会してたろ
ならば交渉がまず先にあったと考えるのが筋
秀次が秀頼の出自について疑問を持っていて関白を譲るのを渋ったのでは

113 :
秀吉だって人間だから迷いがあったのだろう
だがそうだとしても秀次が回避できるのが容易だったとは思えないけどな

114 :
秀次は前関白、前左大臣で尾張、伊勢、近江などに100万石
弟の秀保は権中納言で大和、紀伊に100万石
毛利、浅野、増田、細川、伊達、最上、小早川秀秋、菊亭など秀次派と疑われる存在

秀次が関白を辞職したとしても一大勢力が残るからな
何より前関白という肩書きが脅威
史実の徳川以上に危険だろう

115 :
秀吉の言いなりならばそんなことないと思うけどね。
娘と秀頼の婚姻を嬉々として受け入れ、
少しだけ国を秀頼に残してくれって言われたら、
全部秀頼のものですと答えたら安泰では。
関白もやめろってんならさっさと辞める。
まあ、それはないと思うけどね。

116 :
秀次の子供らは一人の娘を除いて秀吉の養子・養女にしてもらう。その上で秀頼を養子に貰う。残した娘は秀頼の正室とする。
秀次は関白職を引いても権威は残るため、このようにしておく。系図上は秀次の子は秀頼しかいないため、跡目は秀頼となる。
秀次の子らは秀吉が一門衆として分家を取り立てるか養子にだすので安心だろう。

117 :
何をやっても秀吉が死んだら結局秀次のやりたい放題

118 :
要は猿がどう考えるかだよね
ムリポ…

119 :
>>117
諸大名の目があるのであまり筋にはずれたことはできまい

120 :
>>114
秀吉が秀頼の脅威になると言っているようなもんだろそれ 意味あるの?

121 :
>>120
全然違うと思うけど

122 :
ちなみに今回出てきた秀次の弟も1人は病死して
もう一人は秀長の大和大納言家に養子に行ってたが
秀次が刑死するのと時期を前後して同じような悪評流されてから不審死する
そしてそのまま大和大納言家は取り潰される

123 :
>>117
だから秀次が何をやっても秀吉は粛清しただろう

関白就任前に秀頼が生まれてりゃ少しは違ったかもしれんが
そうなったら関白に就任してないか

124 :
>>123
ならば秀吉自身が言い出した日本の4/5を秀次に与えるとか娘を嫁に、という案はどう説明する?

125 :
>>124
4/5を秀次、1/5を秀頼に

で終わると思う人っているの?

126 :
>>125
説明になってないな
粛清という決定があると決め付けている以上は
そんな程度だろうけど

127 :
>>126
1/5を返してくれ、と言ってるのはもはや関白を渡したのを後悔しているってこと
実際に1/5分けるなんては徳川潰して関東関白でも作るくらい無理な話
最初から無理難題を言われてる

128 :
まー豊臣政権中枢の政策立案部の人間じゃ無い人間の日記だしあてにならないよね

って切腹命令否定してる人は散々言ってたよね

129 :
>>127
理屈にもなってない
なんで徳川が出るんだ
お前の頭では、徳川は独立してて、豊臣の枠外なのか

仮にそうだとしたら、徳川を除く範囲からの1/5寄越せって意味でとるべきだろ

130 :
鶴松が長生きしてたらさすがに切腹は免れたと思う
秀秋のように朝鮮征伐の不手際とかで減封くらいはあったかもしれないが

やはり一度関白になってしまったのが致命的

131 :
いやー関白になってしまっても秀次がゴネなければ切腹を命じる事はないやろ
関白を引いたあとの秀次は実権のない公家になるか出家すればいい

132 :
何かゴネたっけ?

133 :
公家になるって可能なのか?
すでに公卿なわけで
家臣と領地を返上すればいいのか?

134 :
>>131
そんなの絶対無理。これまで秀次が後継者だと考えていた家臣団が反対する可能性もあるし、秀吉が死去したら秀次を神輿に立てる家臣団が絶対に現れる。

135 :
秀吉と秀次の家臣団含めた権力争いの果てだろ、戦国時代にはよくあること

136 :
>>132
粛清直前まで秀吉と秀次は頻繁に面会してるっていうのは話をしていたって事やん
その場で秀次が関白職を降りる事を了承しなかったって事はゴネたって事と同義

137 :
>>133
武家であることをやめて公家になればいい
ほとんどの領地と聚楽を返上して京屋敷を建てて住む。ならばもう力はない。
5000石くらいは残して生活費にするが、たぶん秀吉の方が品位を保つためと称して3万石位を与えようとしてくるだろうからそれは受けとっておく
それであとは隠居として暮らす
たぶんこれなら大丈夫

138 :
>>136
秀吉が秀次に関白を降りるように要請して断った、なんて話あんの?

139 :
>>138
切腹を命令したんだから、そういうことがあったに決まってる
って話だと思ってるんだが(笑)

140 :
>>138
粛清直前の頻繁な接触で
他に話すことあるかな?
という話

141 :
そりゃ大御所と現トップの会談なんだから政務の難問についての意見ヒヤリングとかあるんじゃね
粛清っていうのは後世だから知り得るだけで
実際当人同士にそんな意識があるなんてうかがい知れないからな

142 :
秀吉に秀次の存在自体が秀頼の脅威に見えてしまえば、秀次個人がどれだけ野心がないアピールしても効果は薄いって
極端な話、秀次シンパが秀頼に一服盛るとか、秀次を拉致して強引に旗頭にするとかも起こりうるから、万全を期すなら消すしかないでしょ

143 :
>>142
そうなんだよね。
一度その立場になってしまった以上秀次が望むと望まないに関わらず、秀次が生きている限り、将来反秀頼派ができた場合御輿にされる可能性が高いと判断される。

144 :
高野山送りになった後も最初は大勢連れて行こうとしたり、左遷の見舞いが来たりと最初はそこまで深刻に思われて無かったんじゃないかな
で、周囲と切り離された後にバッサリと

145 :
出家しときゃ良かったんだよ。
大海人皇子だな。

146 :
>>142
あくまでも秀次が秀吉に楯突かなければ脅威に見えない。

秀吉にとってはたった一人の甥だぞ
憎かろう道理がないわ

147 :
たった一人?

148 :
>>146
世の中にはいらなくなったペットをごみ捨て場にポイする人間もいるんだよ

149 :
>>142
その理屈は大大名にも脅威という点では同じでしょ。特に徳川家なんて顕著だし
だが、家康は無理難題も普通に従い秀吉に逆らう事はなかったので取り潰しもなかった
理由もなくそうそう粛清なんてできるもんじゃない。秀次が粛清されたのは秀吉の意向に楯突いたからだろ。おそらくは秀頼の出自の事で拗れたのだろう

150 :
秀吉が脅威に思ってなかったのなら、そもそも秀次の粛清なんてやらなかっただろうね。

151 :
>>148
それと秀吉とは無関係
何の説明にもなってない

152 :
実子がほしいという人の機微を秀次は理解が足らなかったんだろう。そこはもう理屈ではない

本当の所は懐妊を喜んでいなかったと言うし、秀吉自身が秀頼をこ

153 :
秀吉自身が秀頼を実子ではないと気がついていたが、あまりに実子が欲しいと思う気持ちが強いため、実子と思い込むことにした。
秀次はそんな機微の部分にズバリ言ってしまって秀吉に憎まれたのだろうね。

154 :
秀頼の安全なら、利害が一致する他人の方が、秀頼がRばすべて自分のものになる身内よりよほど信用できる

155 :
秀吉が本当に秀次に関白辞職を迫っていたとするなら、辞職しとけばよかったとしか言いようがないよな
秀次も実際に関白になったら手離したくなくなったのかな

本当に秀次が秀頼の父を疑っていたならむしろ一旦引いて秀吉没後に異議を唱えた方がいいのに

秀吉が関白辞職だけではなく出家や領地返上、子息の寺行きなども要求したとかないだろうか
秀頼のために一門の領地を集めたかったとかね
秀秋も没収されてるのだから

156 :
足利将軍も兄弟は基本的に仏門に入れてたわけで、それに倣おうとしたとか
そうすると秀次は受け入れられないと考えるだろうし
もともと仏門に入れるつもりだったから、秀次切腹後にそのまま仏門に入れるだけじゃ気がすまなくて処刑にしたとかね

157 :
>>155
秀秋はすぐに別領地を与えられている
都合の悪いことを無視してはいかんよ

158 :
>>157
でもそれは隆景の領地では

159 :
>>151
きみが理解できないからってそうやって払い除けてたら晩年の秀吉という特殊なエゴイストは理解できないんじゃないかな?
まぁ結論ありきで語る人には無意味かもしれんけどね
自分の子供が産まれた途端にそれまで可愛がってたペットを捨てる人は実際にいるし、ましてやそのペットが実子に噛みつく危険性があると思い込んだんならなおさらだろ?
普通の人間ならどこかで止まるか止められるかするけど、この老耄した哀れな独裁者には止めてくれる人はすでにおらず、善悪と妥当性の基準が自分の中にしかないんだから、どんな異常なことだってするさ

160 :
>>157
自分の持ってた領地没収されたんで相続することが決まってた隆景領を相続しただけ
実質、減封。京都に近い亀山と腹心の家老の山口をボッシュートされたのは決してダメージ軽くない。

161 :
>>160
相続は秀吉の了承がないとできんだろ

162 :
秀秋は秀次事件の連座で所領を没収されて隠居する隆景の領地を相続するけど
その領地も慶長の役で取り上げられて半分ほどの領地に転封させられてるから
何かしらの意図はあったんじゃないのかな

163 :
それはもともと小早川家の所領だからね
その頃には怒りも収まってたかもしれないし

164 :
慶長の役でもう一回怒りに触れてるんだよな
秀吉死後にもとに戻されたのを考えると、よほど同情できる事情だったのだろうか

秀吉は途中から一門の存在を恐れていたのかもなー

165 :
全く繋がりの無い秀家が無風なことからもそんな感じなんだろうな
血統的には秀秋も直接は無いけど

166 :
秀次派と見なせる人間を警戒したのかもね
まだらボケが、やらかしたこと(本人、嫁、子供の畜生塚)の危険さに気付いたとか

167 :
秀秋は小早川家の養子ってのがギリギリ助かった要因じゃね
もしくは酒浸りだったから侮られたか

そうすると秀秋の気持ちとして、三成に関白にしてやると言われても心が動かんよな
いくら秀吉はもういないとはいえ、関白になることに恐怖を感じていたかも

168 :
>>159
それって史料的な根拠あるの?

169 :
>>164
認知症が進んだ老人の敵意は家族や親せきに向かうからな
外様よりも一門の方が秀頼の脅威になるって妄想に囚われてた可能性が高い

170 :
秀吉の養子たちの不幸イベント
  ▲養子に出される、●減封・改易、■死亡と家名断絶

1589 鶴松誕生
  1590 ▲羽柴秀康、結城家へ養子に出される
  1591 2月、秀長死亡
       ●豊臣秀保、秀長の後を継ぐも大和・紀伊のみの継承で、和泉一国と伊賀の一部、河内の
        一部などは幼少を理由に没収される
  1592 ■豊臣秀勝、巨済島で病死
        秀次の子供による美濃豊臣家の存続も特に検討されず
1593 秀頼誕生
  1593 ▲羽柴秀俊、小早川家へ養子に出される
  1595 ■4月、豊臣秀保急死(不審死)
        藤堂高虎らは丹羽仙丸による大和豊臣大納言家の存続を願うも却下される
        秀次の子供による大和豊臣家の存続も特に検討されず
  1595 ■謀反の疑いをきっかけに秀次、切腹に追い込まれる
        その妻子たちも処刑される
  1595 ●7月、小早川秀秋、秀次事件に連座して丹波亀山10万石を改易される
        隆景が隠居して筑前名島30万7千石を譲ったたため、諸侯の地位を失うことを免れる
  1597 ●小早川秀秋、再三の秀吉の命令により日本に帰国したところ、理由不明※で
        越前北ノ庄15万石に減封される
        ※定説としては蔚山城の戦いでの軽率な行動が原因と言われるが、秀吉の帰国命令は
         蔚山城の戦いから繰り返し出されており、秀秋が蔚山城の戦いに参戦していたかどうかも
         一次史料からは見当たらない


こうしてみれば、実子誕生後の秀吉の養子たちへの仕打ちは明白
「秀次をR気はなかった。秀次が勝手に自殺した」「実は秀次を改易・関白職没収のうえで
秀頼の後見人兼秀頼にもしものことがあった場合の後継者候補に復活させるつもりだった」
というのは、なんの史料・根拠もない妄想でしかない

 

171 :
>>170
秀康はもともと人質みたいなもの
秀保の家督相続時の減封は石高で1割、2割程度で、蒲生や丹羽に比べたら何てことないレベル
秀勝家の存続については、秀次の子が幼少だし、数年しか続いていない秀勝家の存続よりも、新たに新家を建てる方が自然
丹羽の血筋に大和大納言家を継がせるわけないだろう


秀秋関係と、秀次事件、秀保の不審死くらいだな
秀頼が生まれてから徐々に考えが変わったと見るべき

172 :
大河の秀次が公家にしか見えない

173 :
真田丸は自殺説かよ

174 :
まぁ史実をベースにしたフィクションだしな

でも、大坂城に太閤暗殺のための刺客を忍ばせてたなんて話を前田利家が近習と大まじめに
話してたくらいだから秀吉と秀次は一触即発状態だったんじゃないのかね、実際のところ

175 :
最終的に豊臣側だからあんまり秀吉のことを貶められないしね
西軍や大坂方に味方する大義名分は必要だし

176 :
あんまり貶められないと言っても既に十分魔王化してると思う…… >真田丸の秀吉

177 :
今週のは見てないや
先週は祖母の危篤に帰国を許す優しさ

178 :
大河ドラマの解釈をまともに議論する必要はない
真田丸スレでやればいい

179 :
>>178
そもそも、真田なんて眼中にねーだろ。
近侍とか笑えるよな。
三谷の阿呆は、真田が見てないような出来事は描かないとか言いつつ、
太閤や茶々にべったりな信繁なんてありえねーだろ

180 :
秀次事件は、朝鮮出兵の第1次と第2次のちょうど間に起きているから、
朝鮮出兵と関係あるだろうね。秀吉はこの総指揮をとっているし、
なんといっても、
秀次は朝鮮のじつに最前線、北京周辺100カ国を与える約束をしているのだから。
第一次の出兵でソウル陥落のことに北京周辺100カ国を与える文書があるわけだが、
この時点ではまだいい。

第一次が撤退してきてもうダメっぽくて、(実際には聡明な)秀次も事情はよく
わかっているはずだが、そこへ秀吉が再出兵を強引に命令!。秀次に命じる。
秀次は当然、秀吉の命令を聞かないわけだが、イコール =謀反
ということにされて、残虐に処刑。

他の武将たちにも見せつけたうえで、翌年からは朝鮮に再出兵という流れだろ。
秀頼という幼児が産まれたからどうこうというのは、
朝鮮出兵という話題が日本では乏しいしあまり取り上げられていないことから、結びつきにくいのだと思う。

181 :
秀吉の虚像と実像っていう本で矢部説が肯定的に評価されてたぞ、やったね矢部ちゃん。

182 :
第一次の戦況が予定通りだったら家康と秀次が最後に渡海することになってたんだっけ?

183 :
秀次は東海道軍を率いて秀吉の先鋒。
家康は正確には不明ながら秀吉より時間をおかず渡海と推測

184 :
秀次の最新の発見文書によると、朝鮮出兵にて
九鬼の水軍が敵船2隻を拿捕したことを誉めている。
あと、クジラの肉を貰ったのでそのお礼の手紙を書いている。
ソース
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81008713.pdf
http://bushoojapan.com/scandal/2014/12/09/36433
ここのサイトの中にある戦国ブギウギという戦国マンガはそろそろ秀次切腹の時期を迎える。

185 :
クジラということは贈り主は長宗我部元親?

186 :
なんでや

187 :
>>185
>>184のpdfファイルによると、贈り主は九鬼

188 :
真田丸では双方、思いやってたが誤解の行き違いからの悲劇って
感じに持っていこうとしてるけど、そんな生易しいものなら
関係者を皆殺しにするかな?
情とか介在する余地のない狂気というか私怨丸出しの末の悲劇だったんだと思うけど。

189 :
>>188
それだといつもの戦国大河のワンパターンになっちゃうし
仕方ないんじゃね

190 :
>>190
ですよねwとんでもない権力を持ったドロドロとしたヤクザたちの話なのに
真田丸だと近所にいる家族ドラマ的に描かれてる所があって、まあ
それが面白いんですがw

191 :
若く才気に溢れ太閤をR気満々の秀次

最後の最後まで粛清を渋り、あくまでも甥を信じようとする秀吉

そんな秀吉を見るにみかねて自ら泥をかぶる覚悟で秀次誅殺に向かう三成

…いつかこんな展開の大河を見てみたい

192 :
仮に秀次が生きていても、秀吉が死去したら秀次と三成ら秀吉近臣団の争いになり、そこを
家康につかれて終了ではないかな?

193 :
秀次と三成が争う理由を述べよ

194 :
謀反といえば今のトルコも同じだが、それに加担したとして
190人が殺されたと言う。まぁいつの時代も犠牲者は多いもんだな

>>192
秀次は成人だ。家康が付け入る隙はないだろう
下手すれば謀反になるので妙な真似はできんだろうな

195 :
>>193
秀吉死後は秀次側近が政権中枢にくるから三成には用はない

196 :
家康の死後に影響力が低下して終いには失脚した本多正純ような運命たどったろうね<三成

197 :
>>190
逆に、秀次体制が確立してしまったら天下への野望が潰える、徳川、上杉、宇喜多、毛利を抱き込んでの大戦争を起こすかもしれん。

198 :
三成が公儀から排除されると、その復帰のためなりふり構わぬ行動を起こしそう
三成にとって関ヶ原合戦は、自身の政権中枢復帰のために起こしたものだし

199 :
三成も正純みたいに監禁死確率は高いよね。
秀次の家臣連中に嫌われてるから。

先手を打って秀次の家臣を殺したんだろ。
秀次より秀次の家臣に先に殺してるし、秀次家臣の妻子を磔にしてる。

秀次より家臣のほうがより恨まれてる感じで、家臣の方を恨むのは
三成らの秀吉重用家臣しかいないだろ。

200 :
秀次の家臣の多くが三成に仕官して関ヶ原で討ち死にするまで尽くしたからそれはないかと。

201 :
石田家は中に入ってしまえば超がつくほどのホワイト企業だからね
収入のほとんどを家臣の高給にあてて下手な大大名より待遇がいい
むしろ中に入れなかった連中や秀次と親交があった大名連中が三成を嫌い
東軍として打倒三成に燃えていた

202 :
>>201
そういう存在がいることは理解できる
俺がまだ辞めさせて貰えない会社も、創業者存命中は業界一の嫌われ者で周りは敵ばかり状態だったらしいが
創業者が死んだ時は平成の時代にも関わらず殉死しようとして警察を呼ばれた重役がいたらしい

203 :
大河は、勝手に高野山に行ったことにしたwwww

204 :
んなわけねぇだろ

205 :
いやいや、見てみろって。
建前上、謀反による蟄居にしようと言い出す始末。

206 :
家臣が同日に数人切腹したことはなかったことになったな。
真田丸って酷いフィクションだからまじめに相手にするのもあれだけど。

207 :
>>200
秀次のあとに三成に仕えるようなやつらは、もとから秀次の忠臣ではない。
売国奴みたいなもの。

208 :
三成が嫌ったのは「秀次の忠臣」。

209 :
>>205
ひでえ建前だなw

210 :
勝手に秀次が逃げた、建前は謀反で、頃合い見て許すつもりて
利休事件もだけど、豊臣信者が秀吉の悪行もみ消して、豊臣正当にしたいあまりにエライ事になってるな
ある種晩年の秀吉擁護すると、こんな破綻した歴史になるって皮肉にもなってるが

211 :
>>201
関ヶ原で東軍ついた山内一豊とかは事件の時点で既に秀次家臣じゃなかったんだが…。
秀次勝手に切腹説もアレだが奉行衆主犯説も無理あるだろ。

212 :
ドラマとしてはありじゃないかな
いつもの展開と違うのも新鮮だし

213 :
豊臣政権としては、
1)秀次出奔を秀吉の命令にするという政治工作を行うために、「謀叛嫌疑による蟄居とした」、
2)しかし「謀叛人」秀次が切腹してしまった、
3)秀吉の命令による「謀叛人」切腹と公表しなければならない、
4)「謀叛人」である以上、一族皆殺しにせざるを得ない、という理屈です。

https://twitter.com/kazumaru_cf/status/754658223706087424

214 :
それなら話として一応筋は通るのかな。

215 :
筋は通るが前提に無理がある
建前が謀反の疑いてやばすぎやろ
後に勘違いでした(・ω<) テヘペロじゃすまない

216 :
実際は太閤が実権を握っているとはいえ
一応トップの関白を「謀反」とするのは
建前なら余計にアカンやろ

217 :
確かに後で関係修復を図るならもっとマシな理由を付けると見るべきか。
「謀叛嫌疑による蟄居」扱いをした以上どう転んでも秀次の命はない。
かわいそうな秀次

218 :
謀反人の族滅って中国なら例が山ほどあるけど日本だとどうだったっけ
荒木村重の例ぐらいしか思いつかないんだけど

219 :
俺もドラマとしてこういう展開はよかったと思うよ
いつもと同じだとつまらんもん

220 :
>>218
戦国以前の戦は負けても領土半分、或いは権益渡して終わりーってのが殆ど。
たまにお家乗っ取りとかもあるけど。

そもそも族滅しようと思ったらある程度世の中がまとまってないと逃げられるしそれ自体が難しい。

221 :
光秀だって娘までは殺されてないのにな
謀反だから一族皆殺しってのは当時でも筋が通る物では無い

222 :
やっぱり丸島ってアホだわ

223 :
切腹命令書はなかった、秀吉はRつもりはなかったという人がいるけど誤魔化しにしか見えないんだよね。
本当にRつもりがないなら謀反の嫌疑なんか立てずにもっと穏便に済まさないと。

224 :
秀吉が何故あそこまで殺ったか謎だ
家臣も連座で処罰して
反感恐れて逆に徹底的に秀次に反意があった事に真実味を持たせようとしたのか

225 :
秀次が勝手に切腹してしまい、「謀叛の嫌疑」が後付けなのは一次資料から見えるらしい。

まだ若輩の甥が関白の重責に潰れて自殺してしまったでは豊臣の権威が地に堕ちるから謀叛てことにした

どうも胡散臭い殺生関白の逸話も謀叛任官として処刑された秀次を悪人に見せるためなら辻褄が合うってところかと

226 :
またお前か

227 :
そういや、秀次が高野山入りする前に妻子は監禁されていたよね
矛盾ありまくりじゃね?

228 :
>>225
関白謀反未遂アンド関白関係者大量処刑でも豊臣の権威ヤバいと思うんだが

229 :
関白が自殺→ヤバい!
関白が謀反失敗。一族家臣皆殺しにする→ヤバくない?

どこの平行宇宙の価値判断だよw

230 :
オマケ感覚で虐Rるキチガイだな

231 :
必死でこの学説はあまりにも馬鹿げているから無視されているだけ!
秀吉が悪いだけ!
ってわめいている人がそろそろ少数派になってきたな

232 :
>>231
お前の脳内ではな

233 :
家康に上洛するよう命じた文書読むと、切腹が豊臣政権にとってはかなり想定外の
突発事態だったことはうかがえるけどまぁ理由は本当に謎だよねぇ…

いや、十中八九、謀反だろうけどさ

234 :
秀次事件に至るまで、誰がどう見たって秀吉の側が次々と秀次を追い詰めてるのに、いざ事件化すると驚くって
秀吉は本当に馬鹿なのかと

235 :
>>231
かわいそうになるからやめてくれ。きみが

236 :
>>231
矢部先生書きこんでる暇あったらもっとちゃんとした研究活動行ってください

237 :
清華成もアレだし
ならば家康の内大臣昇進は何やねんと

238 :
>>217
まあもしドラマの通りだとして
謀反以外の理由ってどんなのがありえる?

関白の職務が不行き届きの疑いとか?

239 :
>>237
清華成が内大臣になれない決まりなんてあるのか?

240 :
若干20代の実績もなにもない甥っ子に関白継がせたら

調子に乗って横暴になって秀吉から実験を奪おうとしたから処刑した

ってのと

プレッシャーに押し潰されて自殺してしまった


ってののどっちのほうが秀吉が無能に見えるか

241 :
>>240
どっちもどっちだな。
つか実権を奪うも何も、秀次は本気で一切の権限持ってないからなあ。
近江尾張の行政権すら行使できてなかった。

242 :
>>239
徳川家以外の武家出身の清華成を多く置くことで徳川家を埋没化しようとしたと主張しているが、
実際の徳川家はそれ以降も特段の扱いを維持された

243 :
>>240
謀叛を企てられるってのは、同調する反秀吉勢力がそれなりに居るって事を示唆しちゃうんだよな

要は、身内も大名(家臣)も制御できない秀吉って事になっちまうんだよな

244 :
てか養子で世継ぎを定めた後からいい年して子供作って、結局その養子粛清ってのが糞だし、無能の極み
何か勝手にタイミング悪く秀頼が生まれたみたいに言われっけど

245 :
>>242
埋没はしたよね?
家康の内大臣就任は秀次事件の後だし
しかも利家が権大納言まで昇進してるし

246 :
秀頼が可愛い以外の理由なんてないよ

247 :
>>245
利家の権大納言就任は家康の内大臣就任と同時期

248 :
そうだけど?

249 :
>>248
なら家康は埋没せずに更なる高位に上がったことになるので、埋没していない

250 :
秀吉政権の初期、中期、末期で分ける必要があるだろ

初期は家康を取り込むため権大納言まで上げた
しかしそれと同時に秀長を権大納言、秀次は権中納言まで上げた

中期になると秀長が没して、秀次が後継者になったのと、家康を埋没させるため次々と有力大名を権中納言に引き上げた
家康はこの間、権大納言のまま

末期になると秀次が消えて、家康に頼るしかないと判断して懐柔のため内大臣に引き上げ
しかしそれとほぼ同時に利家も権大納言にした


埋没させるというのは中期の話だろう
初期はとにかく天下統一のため大盤振る舞い
関白任官あたりで政権の家格秩序を構想したが
末期になるとその当初構想していたものを崩すしかなくなったという流れでは?

251 :
>>233 そんな文書ある?

謀反といっても、秀吉のむちゃくちゃ内容でも言うとおりにしなければ「謀反!」あつかいだろ。
武装蜂起とかじゃなくて、単に言われたままに動かないというだけで謀反。

252 :
>>250
前期は旧主君筋の秀勝を除けば弟の秀長と同列、
中期は権大納言より上はそれこそ内大臣しか無く、
また家康が内大臣に上がるまで他の大名は権大納言に上がらなかった

埋没させる気はなく、むしろ特段の位置に置き続けている

まぁ秀次事件で家康を内大臣に上げざるを得なかったとは思う
秀吉の関白就任に注力した右大臣今出川晴季を例外として、
長官職は豊臣家が独占するつもりだったのだろう

253 :
いつも忘れられるのぶお

254 :
関白左大臣豊臣秀次は高野山にて自刃し、右大臣今出川晴季も連座して
越後へ流刑となり、左右大臣が空位状態になった
内大臣は前任の秀次が昇任して以降3年以上空位のまま後任が無く、
秀次事件以降ついに大臣は太政大臣秀吉のみ、という異常事態になった

秀次事件の10ヶ月後、家康が内大臣に昇進するまでこの状態は続き、
秀吉の死後、今度は内大臣家康が唯一の大臣という事態になり、
家康が根回しして4ヶ月後に晴季を赦免帰京の上右大臣に還任させるまで
この状態は続いた

255 :
>>254 そういう事態になってたのか!

256 :
>>243-244
だから、秀次はプレッシャーに潰れて切腹してしまい、
謀叛を企てたって事実はなかったって方が整合性が取れるってことでしょう

257 :
>>256
秀頼への継承のために無理やり秀次を切腹させたって方が整合性はとれるだろう?

258 :
秀次は自殺したかもしれんが謀反の疑いなんかかけられて謹慎させられたRといってるも同然

259 :
秀吉が身内をRはずがないと思い込んでるから何を言っても無駄

260 :
でも、どの説でも結局秀次は、三条河原で晒し首なんだよね?

261 :
>>256
家老もプレッシャーに弱くて秀次より先に切腹したのかな?

262 :
>>254
このとき権大納言だった公家の中で
大臣以上に昇進できる家格のものはたしか4名
既に従一位を授けられていた鷹司信房はなしにしても、
西園寺実益、大炊御門経頼、久我敦通を昇進させられたはず
摂関家を内大臣に昇進させると関白となる恐れがあるけど清華家ならそうはならないわけで
失脚前の今出川晴季ほど信頼できる人物がいなかったのかな

263 :
>>262
そんな所に口出ししたら
徳川は豊臣の権力を認めません!って意志表示に取られるんじゃね?

264 :
他スレにあった「秀吉の虚像と実像」って言う本の目次の一部のコピペだけど

>11 秀次事件の真相
>実像編[金子 拓]
>はじめに/秀次事件解釈の新説/秀次事件の発端/秀次の高野山出奔/「公式見解」の形成と秀次切腹/「秀次事件」の成立/秀次の個性
>虚像編[丸井貴史]
>秀次事件を描いた作品/物語としての秀次事件/殺生関白秀次/秀次の妻妾たち/仏法僧―戦う秀次

気になるんだけど近くの本屋にも図書館にも置いてないんだよね
三千円位する本だからAmazonで手軽に注文って訳にもいかないし

265 :
三千円てこの手の本じゃ標準やろ手軽に買っとけ

266 :
専門書みたいな部類の本だから、コンビニ本よりはどうしても高いよね。
部数が多く出ないから仕方ない。

267 :
>>264
図書館に購入依頼出すか、相互貸借できないか試すのどっちかで

268 :
高野山にある豊臣秀次切腹の間が数少ない秀次がこの世に存在した証かな

269 :
高野山が、「寺内で切腹させるなんて!」と抗議した書状の文面が知りたいと思った。
が、めんどくせ。

270 :
関白争論を契機に停滞していた公家たちの官位昇進を回復したことで
家康の朝廷工作も有利に働くようになった、と解釈して支障なかろうか?

五摂家、特に近衛家や二条家は恩義に感じたであろうと思われるが

271 :
問題ないかと

近衛家というか信尹は、もっと重用されるとの期待が外れて、不満だったようだが
関白相論の元凶なのに図々しい

272 :
大河の秀次死亡の回が終わった途端、過疎ったな。
上の珍説と似たような解釈だったし、
NHKのステマだったりしてな

273 :
ここは長い事ずっと過疎板だからな。
ステマでも何でも、歴史の話がちゃんとできる奴が来るのはいい事だ

274 :
出来てなかったけどね

275 :
>>273
これは自演(*´∇`*)オツカレサマー
発狂してる阿呆を皆がからかってただけ議論も糞もない。
発狂者が居なくなれば誰も居なくなるわ(`o´)

276 :
鉱山師みたいなやり口でまんまと矢部健先生メディアに名前売ったな
まぁその可能性はないと断言はできない、そこが歴史の面白いとこか

277 :
河豚須磨さんが己の潔白を証明するために腹を召されよと
けしかけたとか先日の番組でやってた。
真田丸はその人の説に則ってシナリオ書いてる感じ

278 :
言い出しっぺの矢部健太郎でしょ?
あいつの言いたいこと要約すると「証拠はないけど三成と仲の悪かった正則が全部悪いに決まってる!」だからな

279 :
                  【内乱罪】      無効選挙      【反逆罪】


実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、


豊島区ではなんとゼロ票 

中央区ではゼロ票。

江東区ではゼロ票、

荒川区ではゼロ票 

足立区ではゼロ票 


通常、こんなことは考えられない。


慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。


2011年
3月18日  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。
2016年
6月25日 『悩みのない世界へようこそ』のスピリチュアルTV主催者テディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で倒れ、心筋梗塞で死去。
7月 2日 昨日、友人が脳梗塞で倒れ頭を打ち家でトイレの前で亡くなっていた。40歳だぜ!俺は放射能汚染が本気で憎い
7月 2日 ブロガーのサランさんが今日日本で心肺停止で亡くなったそうです。倒れる前日までブログが更新されてて
7月21日 ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2012年に入社。仙台国際ハーフマラソンで3度優勝
8月 3日 写真家の宮本敬文(50)さん  脳出血で死去、SMAP写真集など手がける

280 :
矢部カスは顔が猿=秀吉に似てるからか秀吉擁護の珍説ばかりで他所から観察する分には面白い
ただし学会では公開処刑されて欲しい

281 :
大正時代の本なのにちゃんと出典引用してて凄い
徳富蘇峰「近世日本史 豊臣氏時代 乙編」
http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F960830&contentNo=214&outputScale=2
五箇条詰問の中にて、奴隷売買の一件は、最も重大であった。しかもコエリョは、ただ言葉を濁して、申し訳したるのみにて、その事実を否定すること能わなかった。
それもその筈だ。これはポルトガル商人が公々然行うところの罪悪であったからだ。
その詳細の顛末はレオン・パゼーがマドリッド府の歴史学士院の文庫を捜索して得たる文書を、その日本耶蘇教史の付録に採録したるもので分明だ。
その一節に曰く、

ポルトガルの商人は勿論、その水夫、厨奴等の賤しき者までも日本人を奴隷として買収し、携え去った。しかしてその奴隷の多くは船中にて死した。
そは彼らを無闇に積み重ね、極めて混濁なるうちに籠居(ろうきょ)せしめ。
しかしてその持ち主らが、一度病に罹るや ――持ち主の中にはポルトガル人に使役せらるる黒奴も少なくなかった―― これらの奴隷には一切頓着なく、口を糊する食糧さえも、与えざる事がしばしばあった為である。
この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いを逞しうして、あえて憚(はばか)るところなく、そのマカオ帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。
予は今ここにポルトガル人らが、異教国におけるその小男、小女を増殖――私生児濫造――したる、放恣、狂蕩の行動と、これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合わすべし。

と。しかしてムルドックの如きは、この奴隷売買を途絶したるは、秀吉及びその継続者の力にして、耶蘇会宣教師の力にあらざる事を特筆している。[ムルドック日本史]
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960830/214

282 :
ワイ東近江市民。徳川家康の「五大老」筆頭否定して三成挙兵をやたら正当化する書物見て偏頭痛。
もち著者は矢部ちゃん。

283 :
矢部はアマチュア精神で研究するなら博士号返上しろよと思う

284 :
三成信者の学者多すぎ

285 :
司馬遼の小説に影響された育った奴が今研究界の多数派になった感じか?

286 :
司馬にブチ切れてる学者もいるけど、そいつらも史料の曲解して自説を押し立てるっていうやってることは司馬と変わらんっていう

287 :
矢部たちの場合、小説家じゃなくて研究家・学者だから司馬より悪質

288 :
学者なんて言っても利権の犬ばかりだからな
憲法学者とかひでーじゃん

289 :
真田丸で採用された矢部の新説はドラマの視聴者からも評判が悪かったみたいだな

290 :
評判悪いとかどこの話だ?
視聴率とかもいいのに

291 :
妄想だろ
一般人はそこまで気にしてない

292 :
ここぞとばかりに矢部信者が

293 :
大河ドラマ板では叩かれまくりだったから勘違いしたのかもしれんが
精神不安定とはいえ秀次の行動がおかしすぎた、激怒した秀吉が謀反にみせかけるため妻子虐殺も狂ってるようにしか見えない しかも超残忍な処刑法
金子拓は秀次の勝手な自殺のせいで豊臣が終わったと書いてた気がしたが…。

294 :
勝手な自殺というなら隔離された状況なんだから関係者に口止めして病死ということにすりゃいいのに
わざわざ謀反とかいう罪状を作り上げて親類縁者と創業以来の功臣をまとめて処罰する必要は無いわな

295 :
>>294
こう言われたら、矢部はどう反論すんだろ?

296 :
身内から謀反人が出たとか、それこそ恥以外の何物でも無い揉み消すべき案件だろうにね
職務怠慢による公平な処罰、病死でも何でも良かったはず
一族皆殺しにするからにゃ、何かあったんだろうな

297 :
>>293
百歩譲って自殺だったとしても、秀吉に処刑される前に先手を打ったくらいしか説明がつかんわな

298 :
自殺だったならそもそも最高権力者である関白を「謀反」
という形で処分する必要が無いからな
病気でおっ死んだという事にでもすればいいわけで

299 :
>>295
「大政所の菩提寺で勝手に切腹したから秀吉は激怒したんです!」って言ってた

300 :
資料無しの妄想やないか!歴史小説家にでもなればいいんじゃねーの

301 :
>>299
そんなんで京都に来ただけの駒姫までぶっRのか…(呆れ)

302 :
>>301
しかもそれで最上家に深甚なる恨みかってるしな
(嫁入りした経緯聞くと最上家が激怒するのも至極
当然な話でしかないし)。

そう言う意味で、秀吉は「最高権力者」にはなっちゃいけない
タイプだったんだろう、とは思う。

303 :
忠興とガラシャの娘は前野景定に嫁いでいたが
秀次事件に巻き込まれ、景定は後日自殺してしまった
娘がどうなったのかは知らない
殉死者はなかなか多いし、謀反を企むような奴には思えないんだよなあ秀次

304 :
>>288
やあ籾井くん、あるいは古田武彦の幽霊君
数十年条文のこじつけ解釈可能性や他国の歴史や哲学読み込んで多数意見積み上げてきてるんですがねえ
多数説って君が思うほどぬるいもんじゃないよ(笑)

305 :
>>299
それくらい想定しておくよね?
大体刃物はどこから入手したわけ?なんで座敷牢作らせなかった?

306 :
>>299
つうか秀次は先に小姓数人介錯してから切腹してんじゃん
矢部はあれか、小姓はホモしかいない、ホモは自傷癖かマゾだらけって偏見でもあるんか?

307 :
でも大政所って秀次の祖母でもあるんじゃん、危篤のとき神社に直筆っぽい文字で寄進を要請していた
秀次ノンケはフロイス日本史で確定じゃない?キリスト教に好意的だったのも側室多すぎなのもそのせい

308 :
そもそもこの事件は本当にあったことなんだろうか
江戸時代に幕府の御用学者や講談師が捏造した作り話という可能性はないのか

奴らは伊勢盛時にまつわる嘘八百や真田左衛門佐信繁のインチキ諱を捏造したりしたばかりか
それらを何百年も後まで「史実」と信じ込ませてしまう“洗脳技術”も持ち合わせている
連中の手にかかればこの事件だって簡単に捏造できても何ら不思議じゃない

本当は彼ら彼女たち全員が病気や事故(火災もしくは震災)で死亡していたんじゃないのか?
そう考えるとこの事件のあらゆる不可解な点や辻褄の合わない事が全て説明できるのだが

309 :
ふぁふぁ…ファンタジーだね

310 :
多数の書状とか、覚書きとか、宣教師の手紙とかせっせと偽造すんのか
国際的に大変だな

やっぱ秀吉信者頭おかしい

311 :
なかなか面白い歴史SFだな

312 :
只の悪口スレw

313 :
うわぁこの書状俺が捏造して書いたのにまだ残ってたんだ…懐かしいなぁ

314 :
さすが774年生きてるだけはあるな

315 :
秀次の切腹は、第一次朝鮮出兵と第二次朝鮮出兵の中間だろ。

諸大名が嫌がった朝鮮出兵を、大名たちが秀次に中止を遠回しに頼んでいたんだよ。
秀長はもういない。

316 :
秀次の死は貸与という形の諸大名への朝鮮征伐の資金供与の道を断ち、慶長の役以降の困窮(更に獲得地が無い為の恩賞不足)をもたらして
結局豊臣政権瓦解への道を開いたんだから、秀吉晩年期の失政中の失政だな。

317 :
でも、秀次と家康だと経験、実力、軍略、政治全て家康が上。家臣の優劣も徳川にありそうで、史実より難しいのは確実でも、秀次は家康に天下を奪われた可能性はないか?

318 :
秀次がサル並みのポカ連発とかの
そうした無限の可能性ならあるわな
現実的にはナイフクリア並みの難易度になるとおもうよ
秀次は程よく若いしね

319 :
戦さになるか否かはIFだから何とも言えないけど、秀次家がそのまま摂家豊臣氏として公家にあっさり納まっちゃいそうな気はするな。
秀頼だとまだ関白職を勤めてないから、秀頼家は武家から単なる公家に変えるか郡山の大名かの選択枝が発生するけど
秀次家は関白を勤めた以上、変に郡山の中小大名になるより京で公家として生きていく方が収まり易いだろう。
ただ秀吉がバックに居たとはいえ、一応は天下の政治の差配をした身だから容易く家康の下には付けないよなあ。戦さになった時どれだけの大名が秀次に付くかだな。

320 :
可能性で言えばそりゃあるにはあるだろうけど
両者の間で争いごとがなければそもそも対立に至らないんじゃないか
家康に秀次と対立する理由はないし秀次が徳川家を排除しようとするにしても
小牧長久手で手ひどくやられているので家康存命中にわざわざ喧嘩を売るような真似はしないと思う
普通に考えれば家康が死ぬ方が先だしそれまでの期間は自分の勢力を扶植する方に専念するだろう
子供は沢山いることだしね

321 :
ぶっちゃけ徳川は家康の寿命が先に来たらジエンドなんでわりと綱渡りだったわな
利家より先に家康が死んでたら秀忠の方が利長みたいに頭下げる道になってたろう

322 :
淀と秀頼を焚き付けて…豊家内戦に
寿命が足りないなかなぁ
ギリ何とかいけるか

323 :
>>321
関ヶ原の時点で江戸差配は秀忠でやってたんだし、
前田家は長いものに巻かれて自発的に焼け栗拾いにはいかんし。

324 :
>>323
豊臣政権下でそこそこ上手くやってくぐらいなら秀忠でも十分だったろうが
そこから徳川の天下まで持っていくにはやはり秀忠では周りがついてこない
利家生存中は前田派だったやつらが利家死んだらすぐに家康に鞍替えしたように
結局はその人による部分が大きい
それも単純な能力の問題じゃなく年功による実績による部分がな

325 :
家康も死んでたら秀頼秀忠ラインと秀吉側近と外様の三つ巴で鎌倉初期の再現になりそう

326 :
つうか秀次ジェノサイドと私戦やらかした上杉を討伐しただけの家康を背後から殺そうとしたのは諸侯が愛想尽かす二大要因だわな

327 :
秀次ジェノサイドに加担してたのは福島正則の方だけどな

328 :
三成も秀次の旧領貰ってるから割とグレー

329 :
舞兵庫みたいに連座で身内殺された人がその後、三成に最期まで尽くしてるあたり
それはないかなあという気もする。秀次遺臣の再就職先の最大手は三成。

330 :
身内殺されたんだから恨みに思うに違いないって現代的発想だよね

331 :
新領主が前領主の遺臣を雇用する事自体はよくある話だよね
長年いがみ合っていたわけでもなくあっという間の政争劇での御家滅亡だから
秀次の遺臣からすれば天災に遭ったみたいなようななもので
誰を恨むということでもなかったのかもしれない

332 :
>>330
身内だけでなく本人も処罰されたんだが舞兵庫の場合

333 :
三成は側近中の側近なんだから、秀吉を諌めないといけない立場なのに、諌めていない段階でグレーでは?

334 :
>>331
にしては、関ヶ原で秀次系の生き残りは東軍についているのが多い。恨んでいても、秀吉が存命中に恨みを晴らせるわけないから黙っているだろうし。

335 :
>>330
身内殺されたから恨むは現代的。当時もそれは普通。

織田信長は兄弟殺された恨みから一向一揆に。尼子経久は嫡男政久を殺された恨みから城兵皆殺し。毛利元就は嫡男隆元を殺されたと誤解して和智一族を皆殺し。

336 :
>>334
関ヶ原は徳川対豊臣ではなく、豊臣政権内の権力争いだから、秀吉への恨みはあまり関係ないんじゃないか?

337 :
>>334
秀次系の大名の生き残りって大体近江以東に配置されてたから
上杉征伐に参加する為に東上中の大名を関所で留めて自軍に組み込むやり方だと
彼らを西軍に引き入れることはできないだろう
それに当時失職中の三成と秀吉の遺言で政務を託された家康じゃ秀頼様御為の説得力が違うし

338 :
>>336
ならどうして秀次系の生き残りの大多数が東軍についたんだろうね? 浅野なんか秀吉の一族なのに、長政は家康から甲斐に逼塞させられたのにね。

339 :
秀吉は関係ないからやろ

340 :
秀吉が関係ないとかおかしいのがいるな。
そもそも秀次を殺さなければ、秀次の家臣は将来を約束されてたから家康なんかにつかんわ。
秀次を殺して生き残った家臣は将来が不安になり、非主流派に追いやられて家康についたんやろ。

341 :
>>338
> 浅野なんか秀吉の一族なのに、長政は家康から甲斐に逼塞させられたのにね。
元から仲良しだからその程度ですんだのでは?
仕事じゃ同志、プライベートじゃ囲碁友達って聞いた
やる夫スレに出典あったかな

342 :
秀吉は関係しな

343 :


344 :
>334
関ケ原が東軍西軍と言われているとおりでもともとの領地の場所がポイント
あとは、西軍系は朝鮮征伐参加者が多く、上杉討伐は東日本組
参加に迷ったのは、大谷・石田など地盤が中部以西のばかりじゃない
上にあるとおり、豊臣vs徳川の戦いではなかったのだよ
終わってからそうなっただけ

そういう意味でわざわざ西組に寝返った真田が異色なんだよ

345 :
秀吉と血の繋がりがあったのは
秀頼じゃなくて秀次のほうだったろうにばっかみたい
老害秀吉

346 :
>>340
それもあるが、秀次事件で直接処罰され、恨みに思っていた武将も多い。
能登に配流され秀吉に死ぬまで許されなかった浅野幸長は論外として、
近親者を殺された池田輝政、最上義光、蟄居、謹慎を言い渡された
田中吉政、中村一氏、山内一豊なども、秀頼をはっきり憎んでいた。

347 :
あと、調停内部でも、菊亭晴季も娘、孫を殺された上に浅野幸長と同様秀吉が
死ぬまで配流されていたので、秀頼をはっきり憎み、秀頼の朝廷での官位が
上がることを徹底的に妨害した。

348 :
池田の場合は助命されている
そもそも池田は家康の娘婿だから家康側になるに
決まっているだろ
他の連中も秀頼を憎んでいたなんて話は史料にないけどな

349 :
秀頼も老害秀吉の被害者!

350 :
豊臣のせいで朝鮮は先進国でも遅れをとる事になった。
日本はこの責任をとってない

351 :
ちょっとだけワロタ

352 :
>>350
アルスラーンみたいなもんか?
意地悪両班殺して戸籍燃やして奴卑や賎民解放してやったと自慢してたら
自立した家や土地の管理不馴れだわ分業制が崩壊するわで逆効果って風にか?

353 :
>>350
朝鮮半島、というか、李氏朝鮮自体に問題がある。
500年間かけて、日中とそん色ないレベルから石器時代まで文明水準が
落ちる時代なんて、そうはないぞ。秀吉に責任がないとは言わんが、
それ以前に儒教原理主義、技術の軽視、政経の軽視、論外のレベルなんだが。
高麗青磁も年が下るごとにレベルがどんどん下がっているしね。

韓国はこの時代を本気で反省しないと、日帝のせいにばかりすれば、同じ過ちを
繰り返すよ。

>>348
本来なら消されるはずの池田輝政自身は家康の取りなしで何とか助命されているが、
秀次の正室の池田の妹及びその娘までは助けることができなかった。

354 :
若御前は助命されているし若御前に子供はいない
そこまで断言するなら真面目にソースを出してほしい

355 :
>>353
話が逸れるがそれ出典どこですか?染料と顔料区別出来ないだれかさんみたく聞こえるんですが。

356 :
功名が辻で秀次を演じた成宮が今薬物使用の疑いをかけられ、芸能界を引退し
精神に追い詰められ、自殺の可能性がささやかれているが、この薬物使用疑惑
が潔白なら肥やしになるだろうし、さらによい秀次を演じる事ができそうなのにな。

「功名が辻」の秀次はめずらしくイケメンが演じ、聚楽第で政務をとり家康含む
諸大名の奉公も受けている様子が描かれていて結構詳しかったわ。

357 :
>>346
親の仇に仕えるのは普通だぞ。
池田なんて父兄を家康に殺されているし
そもそも秀吉軍は信長に負けた家臣の再就職先で、親兄弟の仇に仕えている。
つか池田はお咎めなしだったろ。山内とか加増されてる。被害受けてないから。浅野も許されて朝鮮渡っているぞ。

358 :
>>302
娘一人の為に動くわけないだろ。
娘なんて人質にすらならんのに。
お家の為に嫡男ですら犠牲にする時代。
関ヶ原の時も最上は上杉には逆らわない人質も送るから攻めないでとペコペコしていたのが最上。

359 :
どうでもいいけどそれは上杉の妄想でしょ
最上が改易されたから言いたい放題書いてるだけ

360 :
池田、浅野の摂津源氏系、最上の河内源氏系が家康方についたんだね・・・

特に、最上は駒姫の件で本気でブチ切れたことは想像できる。凄まじいと思うよ?

361 :
戦国大名が女子供の為に国の針路を決めるわけねーだろ。
馬鹿かお前は。
欧州の大名なんてみんな血縁関係にあるけど、みな戦争してるよ。
妹と甥がいる所に攻め込んでるし、甥からも攻められている。
人質をぶっ殺してでも謀反や裏切りは行われるんだよ。
千姫いても家康は容赦なく攻め込んだだろ。
戦国の世においてはそれは当たり前。

362 :
欧州じゃなくて奥州の間違い。
けど欧州でもある意味間違ってはいないか。

363 :
前野長康、木村重滋を殺害した罪を重い

364 :
罪もない善良な朝鮮を侵略した罪は重い
日本は謝罪と賠償をしないとね

365 :
信長はお市助けてるし
家康は千姫助けてるね

366 :
>>360
恒興流の池田は摂津源氏と断定はできないよ
かつての同族だった可能性は否定できないけど
美濃(東西どちらも)説が有力だし源氏にくっついて
いるのも光政がくっつけてと頼んだから

367 :
>>365
助けたのは浅井と豊臣だよ。
戦争になった時点で処刑もの。
家康は邪魔になったら正室でも殺しているだろ。

368 :
>>360
最上以外は単なる系図詐称だろ。

369 :
まあ最上も詐称の可能性がゼロではないが・・・

370 :
>>367
>>361の言う血縁関係に変わりはない。
自ら殺めて他人を恨むのは筋違いだが、他人に殺されりゃそいつ恨むのは自然だわな

371 :
恨むのは自然だが、恨んだからといって行動が変わるもんでもないということ。
親兄弟の敵に仕えるなんて戦国時代では珍しくもなんともない。
池田は親と兄を家康に殺されているが、東軍についた。
感情で動いたりはしないんだよ。

372 :
>>361
秀吉は秀頼のために針路を決めたけどな。

373 :
池田親子は徳川と戦をして死んだ。そこで家康が礼に失した行いをしたわけでもない。
戦場での死で相手を恨む武将(軍人)は今の世でもまずいないだろう。
あと池田が東軍付いたのは家康の女婿だからだ。その際の逸話は有名だ

374 :
疑問点としてあげるなら、なぜ秀次は切腹ですんだのかだな。
秀次の一族は謀反連座で一部を除いて処刑されている。
これは謀反なら当たり前の処置で、石田も切腹ではなくて処刑だ。
一族を処刑し、その後見人まで切腹させた。まあ後見人切腹は信玄が息子処分したときにもやったし、
家康も息子処分したときに後見人は切腹させないまでも、冷遇し一人蟄居になり。石川はのちに戦ってた秀吉の所に出奔してる。

なぜ秀次だけがそうなったのか。さらに高野山行というのは秀吉がよくやる処分なのだが、
高野山いけというのは命だけは助けてやるということなんだが、その後切腹命令というのはおかしな話である。
切腹させるなら佐々みたいに、しばらくおいといて切腹させればいい。
とてもおかしな処置だ、途中で気が変わった?追放→切腹→族滅とだんだんエスカレートしているのも疑問だ。

新説として自分で高野山で切腹したという愚かな行為をして、、
つじつまあわせに謀反したということで一族は処刑したという説があるが、
どう考えても高野山で自分で切腹するよりも関白謀反のほうがまずい。

そもそもRならこっそり毒もって病死ってことで始末したほうが楽だろう。

一番ありそうなのは、高野山にいってから秀吉に罵詈雑言いった。
それで激怒して切腹命令が下り、その切腹の時にもいろいろいったので一族にも咎が及んだ。
聚楽第落書き事件の時も、最初は奢らなくても久しからずと皮肉った句を詠んだりして、笑ってすませていたのだが、
秀吉は種無しなのに、茶々がいきなり子供を産んだ事を皮肉られると激怒して皆殺しにされている。
秀頼は托卵だろとかぶっちゃけしまったのではなかろうか。

375 :
毒もって病死。ばれたらかなりやばいよ。そんなこと秀吉したのかって。
それならまだ堂々と命令で殺したほうがいい。切腹にしたのは秀次に内々で家族や家臣は助けたるとでも言ったんじゃない?
それで切腹命令を素直に受けさせる。ただし文書にしてない口約束だから、秀次が切腹したらすぐに破棄して皆殺しにした。
佐々の場合は謀反ではなく失態だからねえ……それに織田旧臣で元同僚が多いから、様子を見る必要もあったんじゃない?

376 :
高野山は助命っていうのを
サイコ秀吉はただ利用しただけな
一旦隔離してしまえば375
サイコ秀吉の命で秀次をペテンにかけたのが三成と…

この線でドラマ作ると批難轟々だろうなw

377 :
>>375
いいタイミングで死んだ人けっこう多いよ。
上洛したら直後にしたんだとかさ。
医者を抱き込めば問題ない。

378 :
最上義光の娘が不憫でなあ。

379 :
>>374
普通にRなら関白殿、伏見城内で口論の末、太閤殿下に斬りかかった為、やむを得ずこれを討ち果たしたということにして斬ればいいだろう

380 :
秀次の母親って最後まで大阪城にいなかったっけ?

381 :
夏の陣直前に秀次の娘と孫を匿っていたはずだが
むろん大坂城ではない

382 :
日秀もどんな心境だったんだろうな。
一農民の娘からアレヨアレヨと持ち上げられて、
気づいたら落とされて。しかも実弟に。

奇妙な人生だったんだろうな。

383 :
日秀尼は天皇から1000石賜り、死の直前には家光からも500石寄進されてる
秀次事件は悲劇だが秀吉にも繋がる直接の子孫を現在まで残せたのは大きい

384 :
秀吉につながるって言うか?

385 :
>>384
山内家みたいなもん
一豊には子がおらず、甥っ子を後継者にした
そんな山内家でも一豊は先祖
日秀は秀吉の姉だしその息子の秀次や秀勝は血縁者だし

386 :
怖いけど昔は本当に人の生命が安い時代だったんだな,・・・

387 :
秀次の精神状態から考えると被害妄想に陥って自決するってのはあり得るよ
うつって本当に周りが見えなくなるから

388 :
夜な夜な城外に出て、人斬りをしていた殺生関白の話は本当だったのかね?

389 :
>>388
それこそ創作の最たるもの。
辻斬りするより、家臣や女中を斬るほうが簡単だし。わざわざ外に出て捕まるリスクもない。

そもそも、殺生関白の言葉自体が創作。

390 :
戦国時代だけで同じような逸話持ってる武将結構いるもんね
出典元は中国からきてそう

391 :
>>389
立場上捕まらないよ。今みたいな状況とは異なる。
領主なら領民きっても問題にならん。切り捨てた話はやまとある。
家臣や女中を切り捨てた話もやまとあるけど、
家臣は切らないが領民は切る、もしくはながれもんを切り捨てるというのはおかしな事ではない。
戦国ドキュソ四天王を始め別に珍しい話でもない。

392 :
っていうか秀次謀反説が本当の可能性も0じゃないんだけどね
 最近ゲームも漫画も大河も黒秀吉一色でつまらないので
たまには白秀吉を妄想してみたくなった

393 :
謀反はないと思うんだが、方針の違いで対立はありうる。
蒲生問題、朝鮮征伐、後継者問題、
方針の違いで揉めると、武田や徳川みたいに嫡男でも殺される。

394 :
で、大山鳴動して鼠一匹か?
「秀次事件の真実」でもいいから
キタイでもスワでも誰でもいいから援護射撃してやれよ、このままだ可哀そう

395 :
けど殺生関白呼ばわりされていたのは事実だからなあ。
辻斬りではなくて、死罪人を直接処刑していたのが原因らしいが、

本人に謀反の気がなくても側近とかが早まってしまった可能性はわりとあるし。

396 :
秀次にはたくさんの子女がおり、これを有力大名の正室や養子として配することで政権基盤強化につなぎえたのにみんなダメにしてしまった太閤の罪は重い
よって豊国大明神の神号廃止と豊家の大和法隆寺移封は避けられない

397 :
>>395
据え物斬りは刀剣の鑑定をしている以上当たり前のことらしいからなあ

398 :
武士は当たり前。関白はやっちゃダメ。

399 :
やっちゃダメといっても秀次に鑑定させていたのって秀吉じゃないの?

400 :
鍛冶師から大量に依頼が来るんだよ。
江戸時代も山田家に鑑定依頼が来てた。

ただ武士としては当然なんだけど、関白でやるとどうしても評判が悪くなる。

401 :
下手な人が切ったんじゃ、名刀でも刃こぼれして刀が台無しになりそう

402 :
家康でもわが子と妻を殺したのだから方針の違いはわりと致命的ではないかな
ただ女子を数名助けただけではなく、男児も許すべきだった

403 :
秀次は剣の腕前も確かだと聞くが
個人としては文武両道

404 :
>>402
男児を許して禍根を残せば平清盛の二の舞

405 :
>>404
信長は別に弟信勝の息子殺さんかったぞ。それどころか一門衆として扱っている。
長政の息子(次男)も仏門に入ったんで殺してないな。長男は殺したけど。
家康も三成の息子殺してないな。秀頼とその息子は殺したけど。
正直状況によるとしかいえない気がするよ。

406 :
石田治部の陰謀

407 :
同じ禍根でも家康は全く羽柴と無関係な人間
秀次が禍根だとしても傍系とはいえ秀吉につながる血族であり、羽柴の人間

どちらがマシかわからなかったんかなぁ
仮に秀次が秀頼を殺したとしても羽柴の家は天下人として残り続けるのだが

408 :
>>407
だって末期の秀吉の目標は『秀頼が豊臣家の後継者になる事』だもの。
だから『豊臣』秀次は族滅対象。
家康は『徳川』だから生かしておいても問題なし。豊臣家を奪われる心配はない。
以前どっかのスレでこの理論を見た。ちなみに自分の感想は『だめだこりゃ』。

409 :
>>408
そもそも史料不足で俗説が独り歩きしている状況では
なんともいえないなぁ
秀次が精神病だったとすれば思い込みによる自決はあり得るけど

410 :
秀吉とて自分の寿命が正確に分かるわけでもなし
秀次殺した段階では史実より長生きするつもりだったんじゃね
秀吉の寿命がもっと長ければ秀頼のために色々できただろうし

411 :
>>408
それだけなら秀次を他家養子にやればいいだけ。
秀次三度目、いや四度目の養子になるだけ。

412 :
>>411
えっ、関白を養子にするの?どこに?

413 :
>>412
どこでもいいい、なんなら別家を立ててもいい。
豊臣本家から追い出して家督を継がせなければいいだけだから。

414 :
権関白兼ダジョウ大臣とか色々ポストはつくりえる

415 :
根底には秀次への不信感があるので、出家させたり他家に出したり名誉職に置いても自分の死後に返り咲かれるのを懸念したのでは。
そうやって考えが進むと、もはやRしかない!となってしまう。

416 :
秀頼さえいなければ豊臣家は秀次のもの

417 :
関白を養子w

418 :
ワラタw

419 :
皇族に養子に出す手はあるな

420 :
秀次は出家しかないだろう

421 :
秀次は従一位関白左大臣という極めて高位だから出家しても
禅閤殿下と言われるだけで権威はあんまり変わらん

422 :
秀次は派閥も強かったからね。家臣団がしっかりしていた。
こういうのが後ろにいたのも、秀吉が秀次を除くしかない、と考えた大きな理由だろ。
彼らが秀次を立てたら厄介だからね。

池田輝政(ナンバーツー、正室の兄。蟄居、謹慎)
浅野幸長(能登に流刑)
田中吉政(近江八幡城代。蟄居、謹慎)
木村重?(死刑。族滅。)
前野長康(死刑)
中村一氏(蟄居、謹慎)
山内一豊(蟄居、謹慎)
堀尾吉晴(蟄居、謹慎)

あとは、正室の若御前(池田輝政の妹、刑死)と継室の一の台(菊亭晴季の娘、刑死)の
権勢争いが異常で、大奥で派閥を作って争い、周囲を巻き込んで騒動を起こしまくって
いたのも、マイナスに作用したのは確実だね。
若御前は一度離婚騒動を起こし、池田輝政が便乗したため池田輝政と秀次との間が
著しく険悪となり、秀吉の仲介で和解したこともある。(仲介後は以前通り池田輝政は
秀次に忠誠を尽くしたが、)こういうのもマイナスに働いている。

423 :
>>422
浅野は北政所の親戚でもあるよな。
あと記憶違いでなければ輝政の妹は処刑されてない筈だけど。

424 :
>>422
つか生き残っている奴らって、みんな加増されてなくね?
田中なんて後見人だから飯富みたいに責任取らされてもおかしくないのに。

425 :
東海道に配した大名たちは、秀次政権を前提とした配置だった

426 :
>>424
田中は石田三成、増田長盛とも死刑にしろと主張したが、通らなかった。
(池田輝政はもっと強硬に死刑を主張されているが、これも通っていない)
完全に秀吉の判断ミスだろうね。彼らは秀次に忠実なので、生かしておいたら
秀頼の害になることを読めなかった。

427 :
>>402
女児も史実上に明確な1人はすべて殺されている。
ほかの女児が生き残ったというのは、単なる伝説。

428 :
東海道に配備された豊臣大名は秀次政権を前提にしたものですね

429 :
結局東海道大名を指揮できる大大名が尾張伊勢岐阜から居なくなったから家康への壁が無くなっちまった

430 :
>>427
否定できるだけの根拠がないってことは伝説ではないということ

431 :
秀次の妻子は男女問わず皆殺し。
家康も瀕死の池田輝政は救ったが、流石に若御前までは救えなかった。

432 :
というか、家康が池田輝政を救ったこと自体が奇跡。

石田三成、増田長盛とも族滅を主張し、秀吉も族滅にほぼ心を決し、
池田一族も切腹の準備を終え、あとは沙汰を待っている状態だった。
(沙汰が下り次第妻子を自らの手で殺し、切腹して果てる予定だった。)
こんな状態からひっくり返すこと自体、もはや奇跡以外の何者でもない。

433 :
だから女児が数人助かってる

434 :
若御前は別に処刑されてないんじゃ…

しかし娘の生存説はどれも作り話だと思う
お菊とか幸村の側室とか。
427の史実上に明確な一人って誰?

435 :
家康が池田を救ったとかw
秀吉が家康の話なんて聞くわけないし、家康が秀吉敵に回して庇うようなことしたら家康が真っ先に処刑されてる。
池田は妻をだしてるだけで秀次と親しいわけでもない。
女出しているだけで処刑された事例はない。

436 :
> 池田は妻をだしてるだけで秀次と親しいわけでもない。

こいつスゲーなww

437 :
池田恒興、池田元助は徳川麾下の永井右近大夫直勝、安藤帯刀直次に討たれた。
その後、池田照政は督姫と婚姻し、徳川家康の婿になったが、この討ち取りは永く尾を引き、宮内少輔忠雄は安藤治右衛門に殺人者引き渡しを要求したのである

438 :
>>436
秀次と親しくて、秀次の弁護をしていたら粛清されている。
しなかったから何も言われなかったし、正妻だったのに問題にもされなかった。

439 :
正室だったけど無関係ですwwスゲーなコイツwサイコーw

440 :
側室と違って正室は秀吉が取り持ったものだからな。

441 :
>>435
>池田は妻をだしてるだけで秀次と親しいわけでもない。
ダウト!!

親しくないどころか、秀次のナンバーツーで腹心で、どう考えても許される
立場にはなかった。流石に謀反にかんしては、輝政も「知らぬ」で通しているが
(謀反自体がでっち上げなのに知るわけがない)、置かれた立場からして
族滅されて当然だった。木村重これ、前野長康よりも、はるかに粛清される
べき立場だったぞ。

442 :
>>437
相変わらずソースもなくぼくのかんがえたいけだけを語っているのなw
忠雄のそれと遺恨は直接の関係はねーよ、あほが
そもそも安藤が直接の仇筋にあたる家(天城池田)は忠雄じゃなく光政に
仕えているんだがな
光政側のことなしで書いている時点でネット情報しか見ていないのは明白

443 :
>>442
愚かモノがその様な屁理屈で相変わらずなどと言うな!!!古文書での遣り取りが証拠で在り!貼り付けた書面も、因州家から発掘・公開している証拠であろうが!
愚かモノが偉そうに言うのではない!!!これ以上お前に理不尽はさせないぞ!!!やはり!お前はその程度のモノだろうよ。当方も多くを記載したから観ろ!
そして!安藤家に“それら”を隠すなと云えろ!!!当方は>>442と違い!!自分の公言した事を!それも!こっそりと!!人のモノを削除する様な卑怯な事はせんぞ!!!連絡遣せ!!!

444 :
キ印につける薬なしw
で、その史料名は?

445 :
もう一つ付け加えておくがそのやりとりって荒尾と土井のやつか?
だったら言っておくがあれは荒尾が旗本故あまりいい顔をしない土井に
対する禁じ手みたいなものだよ
(天城を抱える光政も協力する意思があることを強調付ける意味もある)

第一、そのやりとりって引き渡せーと再三言っても安藤が言うことを聞かず
忠雄がブッチする前後であって小牧の遺恨とは直接関係ないよ
岡山藩内で起きた事件の主犯なんからそりゃ引き渡せとなるに決まってる
安藤家じゃなくたってやったよ

446 :
忠雄の件に協力署名しちゃったのもあって光政は幕命という形で
勝姫と結婚させられたんだよな、いわば監視
けど勝姫が光政にぞっこん状態で結局熱愛夫婦になってしまい
お付きの連中も監視どころか何もできず千姫まで手をかす状態で
幕府の計算は見事に狂いまくったw

つくづく女運がいい池田宗家なのである

447 :
BS-TBS 2017/05/08(月)22:00〜22:54
にっぽん!歴史鑑定『秀吉の甥 豊臣秀次切腹の謎』
豊臣秀吉の後継者として関白の座を譲り受けるも、28歳で自刃してしまった甥の秀次。
秀吉に対する謀反の罪で切腹させられたと言われるが、果たして真相は?
近年の研究成果をもとに、謎多き事件の闇にきり込む。
▽秀吉に翻弄された!不運の幼少時代
▽有能な政治家だった?「殺生関白」の異名をとる秀次…実像は?
▽秀次の妻子30数人を処刑!秀吉が暴挙に出た理由

448 :
>>447
面白かった
ただ猿の甥だっただけで翻弄された人生
まあ側室いっぱいいて妻子もいて聚楽第で贅沢三昧で来たんだから
いいか

449 :
>>56
自殺も切腹もあんまり変わらないんじゃね?

450 :
せめて鶴松が長生きしていればなぁ
御三家筆頭的なポジションで安泰だっただろうに

451 :
秀吉は明と李氏朝鮮を征伐するに当たって、それらの王朝の創業時の歴史をどこかの時点で耳にしたのかな

明では洪武帝が死んだあと、まだ若い建文帝に対して叔父に当たる永楽帝が反乱を起こして簒奪してるし
李氏朝鮮では太宗が反乱を起こして、弟である世子や他の兄弟を殺したり流刑にして王位に就いている

大陸制覇を考えていた秀吉が大陸のそういう歴史から影響を受けた可能性も少しはあるのかなあ

452 :
>>451
それ以前に我が国の壬申&保元の乱が

453 :
歴史鑑定みた 秀吉にパワハラ受け続けてキレて、
俺がいなくなって困れと自殺 せつねえわ
でも連座して殺された女たちはもっと悲惨か

454 :
関白という朝廷秩序に基づいて天下を統一したのに、太閤が関白を処分しては自己矛盾だということ、これである

455 :
豊臣秀次と秀次事件は、光秀と本能寺の変のように歴史学者とライターのオモチャになってしまったのか

456 :
秀次の弟の秀保が継いだ大和大納言家もつぶしちゃったしなぁ
まあ跡取りがいなかったから仕方が無かったかも知れないが

457 :
無嗣断絶なんてよくあった話だが?

458 :
>>457
御家再興だってよくある話なんだから
秀次一族の次男とか三男とか使って大納言家継がせて
一門衆形成すればよかったのにな。
そうすれば豊臣家ももっとマシな結末があったろうに。

459 :
>>458
豊臣本家の領土になっているんだから問題ないだろ?

460 :
>>459
いや、さすがに一門筆頭が姻族で本来なら準一門でしかない
家康になっちまうのはまずいんじゃないかと。
養子はみんな他家に出してしまってるし。

461 :
>>458

或いは秀秋返してちょうよと小早川に違約金どっさりやれば解決だよなあ
鶴松や秀頼の邪魔になると思ったのか?

462 :
多分ね。
それだからこそ、秀次の子女皆殺しにしてるようなもんだし。
成年し地位を与えた秀次の存在が秀頼ら実子の脅威になるだけなら、秀次だけ排除し幼年の者は自らの強い影響下に置いて教育し
鶴松や秀頼に絶対忠誠を捧げる藩塀に仕立て上げればいいのに、それすらする気配も無いのは
親族による藩塀すら信頼出来ない、只鶴松・秀頼の実子のみが絶大な権力権威を握ればよいという事なんだろう。ライバルは少なければ少ない程存続の不安は減ずるという事だ。
結局これが豊臣政権の先細りの根本原因だから、豊臣政権若しくは豊臣宗家存続を考えれば親族をこんな形で削ったのは大失敗。
大体秀吉が側室を多く持ちたがったのは、実子が殆ど出来ず後継者不安があったためだし、当然嫡子が出来ても万一のスペアはやはり要るからこそ。

しかし何故か鶴松・秀頼が出来ると、万一のスペアも必要という肝心な事をすっかり失念してしまっている。
将来のライバルになりかねないから、秀秋の召し返しなんて思いもよろう筈が無し秀次の子供なんか邪魔なだけ。

463 :
>>462
これホント失敗だと思う。
よく源頼朝の例を出してライバルは完全にとどめをささないと…とかいう人がいるけど、
そういう人は頼朝が兄弟や親戚を殺しまくったせいで自分の家が
息子の代で結局絶えてしまった事をどう考えているんだろう。
頼朝の一生を教訓にするんなら
「親族はライバルになりうる存在ではあるがだからといって
むやみに排除すると逆に家が滅亡する元になるだけである」
という至極当然の結論しか出ないだろうに。

464 :
>>460>>461
秀次の弟も死んでるだろ、秀次の子供なんてまだ子供そんな連中に領地まかせても、
結局は家老が好き勝手やるだけ。なら家老に直接領土を与えればよい。
藤堂などは大名として取り立てられている。
準一門というのなら、秀秋だってそうだろ。妻の外戚にすぎん。
463のいうところの北条家の人間だぞ?

465 :
>>462
そうやって親子兄弟で家督争ったのが戦国時代というか武家の時代。
家督争いになりそうなら事前に殺しておくのが武士のたしなみというものだ。
家康は秀忠がまだ新生児なのに、自分と疎遠であった嫡男を殺した、
秀忠は家光がガチホモで当時子供おらず急死したら後がなかったのに、次子である忠長を殺してお家騒動を防いだ。
なおそのあと家光は子供を後になってようやく作ったが、結局秀忠の子孫は途絶えてしまった。

秀次と秀頼の間でお家騒動がおきて豊臣家が滅んだら、お前は秀次を粛清しておかなかったからだ、
とかいいそうだな。
応仁の乱がなんでおきたのかくらいは知っていろよ。

466 :
>>463
そりゃあ結果論にすぎん。
義経なり範頼なりが謀反をおこして頼朝かその子供を排除しないとは言えない。
保元平治の乱をみれば、親子兄弟で争うのは当たり前だったのだからな。

467 :
>>464
あの、スペアの意味、理解してる?
赤の他人に領地渡してどうするのよ。身内に藩屏になってもらうんだよ?
徳川の御三家とかまさにそれでしょう。
別に当主が幼少でもいい。家老に支えてもらえばいい。家臣とはその為に存在するんだから。

468 :
>>465
応仁の乱で足利将軍家が滅んだ訳ではあるまい。
それと史実では御家滅亡だから御家騒動の方がマシ。
>>466
結果論でいいのならそれこそ頼朝も秀吉も
身内を排除しすぎたせいで御家を途絶えさせてしまったっていう
本末転倒な結論になってしまうのだが。
そのせいで本来序列が低いはずの姻族に頼らざるを得なくなってしまった
って点まで全くいっしょなんですけど。
秀吉、頼朝を知らぬ筈がないのに彼の何を学んだんだろう。

469 :
結果から言うと秀次事件は豊臣政権にとって致命的だったけど
問題の本質は秀吉が事件の三年後に死んでしまったということで
秀吉の寿命がもう少し長ければ秀頼の為に体制作りができたかもしれない
直近である分応仁の乱の印象のほうが強いだろうということと
あの時点で秀吉に寿命に関する不安がそれほどがなかったと仮定すれば分からなくもないんじゃない
たしか秀吉が体調を崩した記録があるのは秀次事件のあった年の年末とかでしょ

470 :
>>469
うん、まあそれは同意する。
秀頼が20歳になる位まで秀吉が生きてれば秀次事件の影響はだいぶ小さくなったろうね。
ただ秀長が早く死んだ事や、家康の押さえとして期待したといわれる
蒲生氏郷や堀秀政の早死にとかを考えるとやっぱり早まったんじゃないかと。
まだ若いならともかく、秀吉はすでに60歳前後なんだから
もういつ死んでもおかしくないって感覚でいるべきだったと思う。

471 :
>>467
親子兄弟で争う時代に、妻の外戚や従兄弟やそのまた子孫なんて垢の他人だろうに。
御三家が徳川宗家の為になんかしたのかね?
東海道を下る先鋒を務めたのは尾張家だぞ?

そして幼少の君主なんてたいてい家老が好きにするんだから、なら家老を直接引き抜いて雇えばいいんだよ。
その方が無駄がない。

472 :
>>471
御三家がいたから宗家が絶えた時にスペアとして吉宗を将軍に出来たんでしょうが。
さらに吉宗がスペアとして五三卿をつくっておいたから家斉を将軍にする事で
御家をつなぐ事が出来たんじゃないの。
あなたはデメリットばかり強調してメリットを見なさすぎ。
一門っていうのは保険なんだから。保険を信用せず赤の他人を信用してどうする。

473 :
>>468
将軍家のお家騒動で戦乱の時代になったんだが。
天下統一した秀吉がそれを避けようとするのは当然だろう。

そして秀吉は乗っ取りよりもお家騒動を恐れたってことさ。
俺から言わせれば甥や弟の子孫が家を乗っ取るのと、外戚が乗っ取るのになんの差があるのかわからんよ。

474 :
>>472
吉宗がでた時点でお家が乗っ取られているだろ?
家斉がでた時点で、家重の家は奪われた。さらに慶喜がでた時点でも奪われている。

一門が保険とは限らないのだよ。中国でも呉楚七国の乱や八王の乱のようなケースはある。
一門粛清しまくった曹家を反面教師にしたら、一族に権力あたえて各地で王にしたら、
今度は一族で騒乱になって、最後には異民族に征服されるというオチになった。

475 :
>>473
そうかなあ。例えば保元の乱は皇族同士の争いだけど別にどっちが勝っても
皇統が断絶したなんて表現はしないと思うぞ。
もし藤原氏が天皇の地位を奪い取ったら皇統が断絶したって言うと思うけど。
甥や弟の子孫による乗っ取りと外戚の乗っ取りはだいぶ違うと思うわ。

476 :
御三家筆頭水戸斉昭は宗家乗っ取りを謀り、最後は死去した

477 :
>>474
そういうのは乗っ取りとは言わんよ。
それこそ保険としてのスペアが役に立ったって事だろうが。
そういうのを乗っ取りとか言われても困るわ。
分家とかが何のためにあると思ってるんだよ。

478 :
>>475>>477
つまり、甥が後を継いでくれるから実子が甥に殺されてもいいや。
ってことかね?
甥が乗っ取ろうが、外戚が乗っ取ろうが差があるようには思えないのだがね。

俺も妹いるけど妹に財産とられるとか普通に嫌だぞ。

479 :
正直、兄弟・分家が跡を取ったら乗っ取りって言ってしまうなら
そうなると嫡流は必ず一子一系を常に保たねばならんて事になるが、そりゃ現実的に戦国時代ですら無理ゲーに近いじゃないか。
そんな難易度の高い政権と御家継承方法を秀吉は鶴松や秀頼の未来に求めてた訳か?幾らなんでも酷いだろう。
大体秀吉自身が側室を多数抱えてあの始末なのに。
親類が跡を取ろうが、外戚が取ろうが変わらないでは、秀吉は一体何をしたかったのかワケワカメだぞ。
誰が取ろうが構わないなら、子作り必死にならずにとっとと家康や毛利などの大大名に天下の跡目をくれてやった方が面倒が無いじゃないか。

480 :
秀次が乗っ取れば豊臣家当主は秀次だけど
家康が天下人になっても豊臣家当主は秀頼だろ
秀吉からすれば豊臣家当主に秀次がなるのが嫌なわけ
逆に家康が天下人になるのは単なる政権交代でしかないからな
別に家康が豊臣家当主になるわけじゃないんだから家康が天下人になることは秀吉にはたいしたことではないんだよ

481 :
>>479
だから戦国時代だと次男以降は他家に養子に出すんだよ。本家に残しておくとお家騒動になるからね。
急死した場合は孫が継ぐ、孫もいない場合にやっとお鉢が回ってくる程度。

そして親類と外戚に差なんてねーだろw
外戚が子供殺して乗っ取ったらダメだが、親類なら子供殺して乗っ取ってOKとかねーよw
姉の子供と、妻の兄弟の子供と、妹の旦那に差があるようには俺にはみえんがね。

482 :
>>478
お前、親族と仲悪いのか?いや人様の家庭問題に口出す気はないけどさ。
正直赤の他人に財産奪われるぐらいなら兄弟に渡す方がマシかなあ。
つーか叔父が絶対甥をRと思ってるあなたが割と怖いんだが。
どんだけ人間不信なのよあなた。

483 :
>>481
前田家は利長が死んだあと弟の利常が継いだが。
そもそも前田利家だって前田家の次男だか三男だったはずだけど
彼はどっかの家の養子だったのかね?

484 :
>>482
家族で家督めぐって争って、親子兄弟で争うのは戦国時代の常だぞ。

ちなみにほんとかどうかは知らんが、斉藤道三は実子と争い、
負けた時には義龍よりも娘婿の信長に美濃を譲るといったそうな。
三好笑岩は実子と敵対して、実子を廃嫡にして秀次を養子にもらって争っている。
戦国時代では珍しくもないよ。

>>483
利家の兄は弟に家督譲りたくなくて、妻の実家から養子もらって跡継ぎにしようとしたと言われているんだがな。

485 :
うーん、なんだろうな。そりゃ親族で争うことだってあるけどさあ…。
戦国時代でも親族で争うより赤の他人と争う方がはるかに多いと思うんだがな。
親族が信用出来んっていう割には赤の他人は優秀なら信用出来るってのが
どうしても理解できん。
普通赤の他人より親族の方が信用度で言えばマシだから
一門ってのが家中で重きを置くと思うんだが……

486 :
親子兄弟で争うものだって決めつけている時点で他の人と話が噛み合うはずがないのである

487 :
>>486
お家騒動がなかった所なんて北条くらいのもんだろ。
そんなレアケースをもとにして持論を言い張られても困るんだが。

488 :
>>487
いや、親兄弟で争うより赤の他人同士が争う方が遥かに多いだろ。
別に戦国時代に限らず、古今東西いつだって。なんで親族争いだけそんなに強調するの?
赤の他人より親族の方がまだ争いが少ないから一門ってのが重視されるんですけど。
勘違いされては困るが別にゼロとは言わんよ。あくまでも確率の問題。

489 :
そうか、あんたは親族間で問題を抱えてるんか
大変やな

490 :
>>488
天下を統一して国内に敵のいなくなった人物が争う相手は誰だと思う?
頼朝は平家を倒したら弟を処理した。
尊氏は北条を倒したら、いろいろあった元は仲良かった結果弟の直義と対立して、
弟を殺し、そのあと弟の養子になっていた実子と争っている。
秀吉は秀次を処理した。
秀忠も家光も弟を処理している。

確率の問題でいうと親族で争う確率は90%くらいじゃないかな?

491 :
いろいろあった(元は仲良かった)結果弟の直義と対立して、
()が抜けてた。

492 :
>>490
普通そうなったら粛清するのは功績や領土が大きすぎる赤の他人にすぎない部下ですね。
後重要拠点すぎるところを治めている奴に転封を命じるとか。
それと天下統一した場合でも粛清や権力争いで没落するのは
身内より家臣の方が遥かに多いです。
なんか勘違いしてるみたいだけど誰も親族争いが起きないなんて言ってません。
それよりは功績の大きすぎる部下とか信用出来ない家臣とか
政治的に敗北した奴の没落や死亡の方がもっと多いですよ。当たり前ですけど。
そういう話です。

493 :
まあ要するにあれだよ。秀吉は順番を間違えてる。
粛清とか減封をするんならまず有力外様大名からやって
それから信用の足りない家臣とか政治的に敗北した奴を没落させて
もろもろを済ませた後、最後に信用ならない身内を断罪すべき。

494 :
>>492
家臣より一門を真っ先に粛清したケースも少なくないよ。
頼朝は真っ先に義経を粛清したし、外戚である北条氏や関東の武士団を信じて、
範頼を次に粛清した。
尊氏だって弟よりも高のほうの方を最初もっていたと言われている。ましてや他の有力諸侯など後回し。
信長とてまずは弟や叔父と真っ先に争って、家臣の粛清なんて後回しだった。

まず家督を脅かすものを真っ先に排除するというのは武家においては当然の事なのですよ。
>>493
それをいったら、鎌倉も室町も江戸もみな間違っている事になるね。

495 :
>>494
一門を藩屏とみるか本家の脅威とみるかだな

頼朝の場合は一門粛清が失敗だった側面もあるよ
木曽義仲は別としても甲斐源氏の一条、安田を討ち、
弟の義経、範頼を討ち、源氏の藩屏がなくなり、事実上頼朝一代で、
北条に天下を奪われた
信長の天下も事実上一代で終わった 織田一門の力が弱かったからだ

496 :
中国の三国時代でいえば、
魏を建国した曹丕は弟たちを警戒して冷遇して左遷してばかりいた

結局、曹丕が重用した司馬懿に魏は乗っ取られ、やがて滅亡した
司馬氏はその「轍」を踏まないように、司馬一族を各地の王として大軍を持たせて、
藩屏とした

そしたら今度は八王の乱という司馬一族同士の内乱が勃発して、
三国統一がすぐに崩壊したw

497 :
徳川の統治が上手なのは
尾張紀伊水戸の御三家という藩屏を作ることで、
江戸の将軍家が何者かに乗っ取られたとしても、
徳川の天下奪還のために対処できるようにしていた

その一方で御三家には幕政への口出しを禁止することで、
将軍家の優位性を確保し、御三家と将軍家で内紛が起きにくいようにした

498 :
秀次が謀反により秀吉に討たれたともっぱら言われているが
秀次の眷属達の死に様を見れば直ぐに分かる。畜生塚と言わ
れているが皆打ち首である。逃げ回るガキどもは槍で突き殺
されたがほぼ皆斬首だったのだ。真に秀吉に対する謀反人共
ならば全員磔刑が当然の報いなのにちと刑罰が軽すぎた。
謀反は三成のでっち上げだな。その煽りを食らったのが家臣
共だ。秀次の右腕と言われた山城国淀城主木村重慈は切腹だ
ったがその奥方と娘は極刑の磔だった。この様に割を食った
重臣達の家族は多く居たのだ。これも秀吉の好みの結果だ。

499 :
>>465
>>秀忠は家光がガチホモで当時子供おらず急死したら後がなかったのに、次子である忠長を殺してお家騒動を防いだ。

えっ!?

500 :
>>497
御三家が宗家と対立して幕府はほろんだんですけどね。

501 :
>>500
正確には水戸と幕府だよな。あれが原因で幕府は壮大な内ゲバした。

502 :
>>465
もっとお勉強しましょうね。
秀忠は忠長を幽閉しましたが殺していません。殺したのは秀忠が死ぬのを待っていた兄の家光です。

あと、信康が自害した時点ではまだ秀康がいますから、秀忠の後継はこの時点では決まってません。

503 :
そもそも一門が敵対したり寝返ることをなんでそんなに問題視してるのか。
それって要するにどっちが勝とうが御家は残るって事でしょうが。
豊臣家の場合、それすらできなくなってしまったから御家滅亡という事態になったんでしょうに。
親子や兄弟、親族の対立はそりゃあある。でもそれは同時に
どっちが勝っても最悪の事態は防げるって事なんだが。例としては関ヶ原の真田とか。

504 :
でもやってる事をみると秀吉はどうしても秀頼に継がせたかったと思われるし
秀次を庇った人間は連座して処罰されてるから
その旨(お家を残す)で秀吉を説得しても無意味なんだよなあ

505 :
>>502
秀康は庶子、側室が産んだのですらないと言われている。相続権は基本的にないよ。
そして秀康にしてもまだ子供で普通に夭折の恐れがある年齢。
>>503
家より自分の血統を重視する人はいるよ。
家にこだわるのは本人より家臣だろう。

506 :
>>498
秀次の家臣たちって三成に拾われているのが多いんじゃなかったっけ

507 :
>>501 鎌倉公方と足利将軍の内ゲバである享徳の乱には及ばない
30年も戦ってついに鎌倉公方はほぼ温存で将軍の権威大失墜

508 :
秀次の残党を大量に集めた三成が突然武装蜂起したら
淀は復讐されると恐怖に震えただろうな
家康に早く戻ってきて鎮圧してくださいと懇願する手紙を出すのも当然だ

509 :
>>506
それWikipediaで石田三成マンセーが勝手に作った説。

実際には前田、浅野、藤堂、徳川にもかなり拾われてるし、石田三成に仕官した奴らは関ヶ原で生き延びてるのが多い。

510 :
蒲生や秀次の遺臣を三成が雇った理由って
近江出身で近江に領地を貰った領主(三成)が近江に縁がある浪人を雇ったってだけの話の気がする

511 :
>>509
秀次の遺臣を一番かき集めたのは池田輝政と浅野幸長。
いずれも秀吉の死後だが、秀次の仇討ちと称し、大量にかき集めている。

512 :
>>508
アホ?
淀が復讐を恐れていたのは、秀次の遺臣の池田輝政と浅野幸長だ。
そして、軟禁状態だった彼らを秀吉の死後赦免した徳川家康を、淀が
信用するはずがない。

513 :
信用するはずがないと妄想するのは自由だけど
江戸幕府が出来るまでは家康と淀は対立どころか仲良しだからな
現に淀は三成が謀反を起こしたから何とかしてと家康に手紙を送っているくらいだ
池田や浅野なんて家康に管理してもらえば何の脅威でもないが
三成だけは誰も制御できず何をするか分からない危険人物だから当時の淀が脅威を感じるのも当然だ

514 :
>>513
そちらこそ妄想はご勝手に。
家康が、関が原後一番大阪が嫌がる池田輝政を西に、浅野幸長を南に
わざと置いたんだぞ。ともに、秀次派の重鎮だ。そんな家康を、誰が
信用するものか。

ついでに、確かに池田、浅野(特に娘婿の池田)は家康が管理できるが、
三成暗殺の急襲を企画、実行したのはこの両名で、加藤、福島は
悪ノリしたに過ぎない。当然、池田輝政、浅野幸長は治安を乱した重罪人
だが、家康はこの両名を罰していない。
その段階で、大坂が家康は信頼できない、とはっきり認識したはず。

石田三成は秀吉、秀頼、淀君に忠実で、全幅の信頼をしていたはず。
ついでに、秀次を追い落としたのも石田三成の助力があってこそだしね。
(これが理由で池田、浅野に憎まれた。ただ、三成のために弁護して
おくと、池田輝政を生かしておくと秀頼にとって害になることは正確に
予想しており、秀次事件時に池田家の族滅を主張し、ほぼ通りかけたが、
家康が助命嘆願してポシャった経緯もある。
これからも、家康は信頼ならないはず。)

515 :
池田と浅野が秀次派の重臣とかねーわw

516 :
>>514
三成が忠実はないだろ。
忠実なら豊臣政権から正式な依頼をを受けて、かつ朝廷からも許可もらった
上杉征伐妨害したりしないんじゃねーか?
後、池田と浅野をそこに置いたのは『関ヶ原後』なんだろ?
関ヶ原の時点なら三成の方が危険だと思うわ。

517 :
>>514
三成が忠実って何の妄想?
三成がバカみたいな挙兵しなければ、時間稼ぎはできたんだよ。

518 :
>>507
嘉吉の乱で将軍権威大失墜してるから、享徳の乱は今更なんだよねえ。

519 :
>>466
頼朝の場合、六代助命してるんだがなあ。
あと木曾義高は甲斐源氏の武田が担ぎ出そうとしてる時期に脱走したのが致命的だし。しかも北条政子と大姫も手伝ってるし。
信長だって謀反やらかした弟は殺したがその子は助命したし、その子は本能寺の変くらいまで生きていたよ?

520 :
>>494
つ上総なんたら

521 :
>>514
つか輝政が死んだときに大坂方がこれで徳川と豊臣のクッションがなくなる
これからどうしていいものかと言ったという説もあるのだけど…
ついでにいっておくが池田が姫路に入ったのはのっけから姫路に決まって
いたんじゃなく姫路か美濃か好きな方を選べといわれて家中で話し合って
姫路にしたんであって家康の意図はあんまり関係なさげ

522 :
>>521
加藤清正と勘違いしていない?

池田輝政は徹底的に大坂を憎んでおり、大坂がその死を悲しむ理由は
微塵もないが。ついでに、池田輝政が美濃ではなく姫路を選んだのは
わざとだよ。主君の仇の憎き秀頼、豊臣政権と対峙するため、わざと
選んだんだよ。

浅野幸長も、家康と秀頼が面会するとき、秀頼をわざと「護衛」して、
同じく護衛した加藤清正と一触即発の緊張状態となっている。
流石に暗殺はする気はなかったのだろうが、秀頼への最高の「嫌がらせ」
をした。

523 :
池田輝政、浅野幸長とも秀次の信頼厚く、当然秀次事件で厳罰を
食らっている。浅野幸長は能登に配流され、池田輝政は居城
吉良吉田で蟄居、謹慎を命ぜられ、ともに秀吉が死ぬまで許されて
いない。私は秀頼の安寧のためには両方とも処刑すべきだったと思うがね。

だから、徹底的に秀吉、秀頼、豊臣政権を憎んでいた。

524 :
そもそも秀吉があんな馬鹿げた粛清劇をしなければ良かった話だよ。

秀頼の事績見てると、終始母親の膝下に置かれていて主体性0。まだ秀次が豊臣当主にいたほうが何十倍もマシだと思う。

525 :
話変わるが、最上義光の駒姫輿入れは何処まで本気だったのかね?
個人的には「まあ良いか」ぐらいで、嫌悪するレベルまで行かなかったと思う。
だってDQN眼龍コントロールするには中央との繋がり必要な時期じゃなかったっけ?蒲生氏郷は死んじゃうし、後釜の上杉は今一信用できんし。

526 :
上杉が会津に入ったのは秀次死後だろ

527 :
>>522
池田にとっては徳川は父と兄の敵だが、
豊臣は恩人だよ。
池田は関ケ原の後も豊臣氏を名乗っていたほど豊臣に対して忠義熱き男だった。

だから家康に毒を盛られて殺された。浅野も同じく殺された。
ほぼ同時期に殺されてそのあとすぐ大阪の陣だ、ついでに前田、加藤や仙石なども同時期に死んでいる。

528 :
あの時期いっきに死ぬからなぁー

529 :
>>527
今時毒殺説かよ…
つっこみ所沢山すぎて言い切れんが、恐れていたなら細川黒田福島地味加藤の存在って何なの
福島なんて事実上敵への兵糧横流しばれても無事なのに。

530 :
警戒されてて失敗したんだろうなあ。
かわりにそいつら大阪には参陣できずに江戸滞在だけど、
大阪の周りだけは早急に固める必要があったんだろうけど。

531 :
加藤清正は浅野幸長と仲がいいからなぁ
幸長を戦場(朝鮮)で鍛えたのは清正とも

清正はともかく紀伊の浅野が大阪攻める際はまじで邪魔

532 :
播磨の池田、紀伊の浅野、阿波の蜂須賀、伊賀の筒井、大和は福島や片桐織田などがいたからね。
蜂須賀は隠居、池田と浅野は直前で死に、筒井は改易にされ、福島は戦後改易、そういえば片桐もすぐに死んだな。

九州まで飛ばしていた連中はともかく畿内や中部の連中は死に過ぎだな。

533 :
>>522
伊木家の記録読んでないだろw
というか相変わらずぼくのかんがえたいけだけかましてるのなw

>>529
輝政は1609年に最初の軽い発作があって1611年に重い発作と
死ぬ前に2回も倒れているから普通に病死だろうな
倒れた時期も脳卒中が起きやすい季節の変わり目、死んだのは立春前の
寒の最中だし多量吐血で死ぬのも脳卒中起因の合併症ならおかしくないしね

譲ってもし毒殺でいうなら毒そのものというより血圧があがるような
強壮成分だったかもしれないな
ただ血圧に左右されるという概念がまだ乏しい時代だからそれが意図的なのか
善意からくるものが結果的に最悪の結果になったのかはわからん
長安との絡みで気になる点もなくはないけどとりあえず個人的考察

534 :
家康が豊臣恩顧武将を暗殺したという説は
家康が自他の寿命を正確に測れるというとんでもない人物になってしまうからなあ

535 :
そういえば池田も浅野も徳川から医師だったか薬だったから貰ってたな。
ここに一服もったとみていいだろう。

536 :
浅野が死ぬと大阪城南側の攻略はずっと楽になるからねー

537 :
>>534
というか輝政が豊臣恩顧というのは少し違うような気がする

>>535
輝政が二回も発作を起こしていることはスルーかよw

538 :
秀吉によって加増されて関ケ原以後も豊臣姓を名乗っている池田が豊臣恩顧ではないという意味がわからん。
>>537
季節の変わり目の脳卒中で大量吐血はないだろw
うちのじーさん風呂場で脳卒中で死んだけど、別に吐血とかしなかったし。

539 :
前田利長も大阪の陣直前に死んでるのになんでこの人は殺されたと言われない?

540 :
>>538
そもそもだけど池田もこの際細川や前田も織田恩顧であって豊臣はそれを
引き継いだだけに過ぎないわけで加藤や福島らとは土俵が違うだろ
あと関ケ原はとどのつまり石田と徳川の喧嘩であって豊臣と徳川の喧嘩ではないから
関ケ原以降も豊臣をというのは違和感あるなあ
それと脳卒中だけど症状は人それぞれだし脳卒中の種類の中には重度だと
吐血する場合があるそうだぞ
詳しくは戦国武将の病が歴史を動かしたという新書を読むといいよ
輝政の死についても現代医学視点で言及されている

541 :
仮に輝政、幸長が生きていて大坂陣が避けられた、あるいはこれらが豊臣についたと思うの?

輝政の後継者利隆はともかく、忠継、忠雄らは家康外孫だから豊臣につくわけない。幸長も父の長政が2年前に死去し、実弟の長晟や長重は父の遺領を継承していてしかも所領は関東だからつくわけない。

輝政、幸長が生きていようが、さして問題はない。

542 :
>>527
池田にとって、確かに秀次事件以前は豊臣恩顧だが、秀次事件で
厳罰を食らって忠誠心は吹っ飛んだ。
池田が豊臣を名乗り続けたのは、秀次の仇討ち&正統後継者という
意味であり、逆に秀頼と徹底的に敵対する意思を示した証拠でもある。

>>531
確かに、文禄の役で浅野幸長は加藤清正と組んでかなりの武功を積んだ。
実際に、浅野が死刑を免れたのも、文禄の功績があったともされている。
慶長の役は能登で幽閉されていたので参加しなかったが。

>>541
もっと大阪にとって悲惨なことになっていた。何せ、池田輝政、浅野幸長は
大坂に最も恨みがある第一人者だからな。池田が2世になって、浅野が
秀次と縁が薄い弟に継がれたことは、豊臣方にとってかなり助かっているよ。

543 :
二人が存命しててもよくあって所領安堵は無理にせよ、淀殿・秀頼親子の助命嘆願を形ばかりでもしたら良い所かね。
無論秀次の一件や下手に豊臣の肩を持って自分達の身を危うくする事を考慮した場合は、形ばかりすらもしないだろうけど。
彼等が嘆願出来る位なら福島辺りが史実でしてるだろうが、福島すら実際はこっそり兵糧横流しはしても表立っての嘆願はしてないし。

544 :
>>543
最も憎い淀殿、秀頼親子を池田、浅野が助命嘆願などすると思うか?
かつての主君、秀次の仇敵だぞ。
むしろ、誰よりも喜び勇んで首級を上げようとするだろう。

池田輝政、浅野幸長にとって「豊臣恩顧」は秀次事件で終わった。
あとは、可愛さあまって憎さ百倍の典型、豊臣への復讐に生きている。

545 :
>>544
まぁ存命してたら実際は将軍御奉公と称して、戦場では散々な事をするとは俺も思う。助かりそうな場面でわざと知らない体で狙撃したり、こっそり秀頼らが城から逃げたら執拗に探索してわざと殺害したり。
自分達を抹殺しようとした首謀者&息子な訳だしな。

只、体裁ぶる為に親族として「形だけは」嘆願する可能性を提示しただけ。
した所で親族としての体裁を調える程度の意義しかないから、やる意味なんて両家にとって殆ど無い。

546 :
池田や浅野が大阪を憎んでいたという確かなソースは?
秀次事件以外でよろしくです

547 :
>>546
池田は輝政が危うく家督継げなくされた恨みもあったからなあ。それに長久手も秀吉主導の作戦だった説があるから、そうなると恒興元助を殺された恨み抱いていたかもしれない。

浅野は長政が文禄初期に一時失脚している。秀次事件後に奉行として復帰しているが、その恨みかねえ。

548 :
>>541
『ぼくがかんがえたてるまさ』感半端ない文章やな。

549 :
>>548
なら貴方が考えた輝政を教えて。
自分の意見言わないで他人をけなすのは誰にでもできるから。

550 :
豊臣を誰よりも憎んでいたのは三成であることは明白なんだけどな
文禄の役から関ヶ原まで豊臣を破壊する行為を延々と続けて
豊臣政権を完膚なきまでに叩きのめした反豊臣の筆頭格だよ
三成を無視して浅野や池田に執着している連中は何を考えているのだろう
連中の存在など三成による暴挙の数々に比べれば無害に等しいものだ

551 :
>>550
どっちか言えば「豊臣政権は俺が居なきゃ豊臣政権じゃない」と勘違いしてたの様な気が。
だから秀次の時は「秀次政権じゃ俺がハブられる!」と讒言し、朝鮮戦役の勝手な講和捏造も「俺じゃなきゃ収められない(小西・宗のご都合込み)!」
秀吉の没後も「俺が主導しない豊臣政権ってどうよ!?」が基調の行動しかしちゃいない。
秀吉に重用されて自分の立場を勘違いしてしまってから、それに気付かないまま生涯を終えたと思う。
豊臣無しには自分は無い事を念頭にはあったのだから、恨むは無いんじゃないかなあ。むしろ寄生の自覚はあるという。

552 :
>>547
もともと輝政は之助が亡くなるまで荒尾を継ぐ予定で育てられていて
本人もその予定でいたのは池田両家、天城、片桐、荒尾、伊木それぞれの
記録で明白なことだから輝政が危うく家督を継げなくされたとうのは小牧直後の
池田家中における順序的にかなりおかしい話だしそもそも話でこの時点で
池田を継ぐべき存在は由之なんだがなw

553 :
>>539
前田は当時から暗殺説があったよ。
特に前田は家をわけて自分だけ大阪側に参加しようとしていたとも言われているのでね。
徳川じゃなくて、前田家の連中かもしれんけどね。
まつの血統は断たれたし。

554 :
>>553
断たれてない。利政の家系は残ってる。

それと利長には息子がいないし、あと毒殺より自殺説が有力だけど。

555 :
>>550
>>551 が言ったように、石田三成は豊臣あっての存在であって、
独自で何かできる存在ではない。だから、宿主を破壊する真似はしない。
そして、宿主を破壊しようとする者に何よりも敏感である。だからこそ、
秀次事件で池田輝政を族滅し、浅野幸長にも死を与えよ言っている。
彼らが秀吉死後復讐に走ることを予想したからだ。

556 :
利長は両親の上を行くロリ嫁もらったのに子がなー

557 :
>>555
ウィルスは宿主の人間が死ぬと自分も死ぬが宿主を破壊してRウィルスはたくさんある
三成も所詮はウィルスと同じなんだよ
豊臣がなければ存在できないからこそ豊臣を徹底的に攻撃して破壊を繰り返したのが三成だ
秀次一族を抹殺して関白を剥奪したり謀反を起こすことで宿主たる豊臣の天下が続かないようにすることが
三成ウィルスの生きがいだった

558 :
この人は分裂症かなにか患っているのかな?

559 :
゚(゚´Д`゚)゚

560 :
>>557
実際にそういうウィルスの存在は否定しない。

石田三成が豊臣秀吉に度し難い破壊行為を受け、恨みからやった場合、
という可能性がある。これを証明するためには、石田一族が浅井長政や
六角義賢あたりの信長、秀吉敵対勢力の出身で、主家滅亡時に多大な
被害を受け、生涯恨みを忘れまい、とした場合に限る。
それは三成が10代前半の時だ。

さあ、その証拠はあるか。なければ妄想に過ぎない。

561 :
アホか?石田一族の出身なんて関係ない
三成個人が精神を病んでいて関白を謀殺したり武装蜂起して関ヶ原をやっているだけ
ウィルスが宿主をRのと同じ原理で動いているんだから
動機とか恨みとか見当違いも甚だしい

562 :
>>552
547含め由之の存在をスルーして池田を語る奴の多いことと言ったら…
ツイッターでも池田好きが嘆いてたわ

563 :
>>546
何で治部の出任せ信じて上杉討伐の背後から斬りつけるんですかね(呆)

564 :
秀頼は運良く成人まで成長したけど、秀吉は鶴松みたいに
早死にしたときの可能性少しも想像しなかったほど耄碌してたのかな

565 :
秀次個人だけじゃ無く自分が秀次に就けた秀次家老軍団をはじめとした
秀次の政治組織にも恐れを感じていたかも
慌てて引き離してる感じもあるし

566 :
>>565
それはある。
実際に、木村重これを族滅し、前野長康を死に追いやっているし、
池田輝政、浅野幸長、菊亭晴季を秀吉の死まで幽閉している。
秀次軍団を恐れたのは明らか。池田輝政を秀次、若御前に連座させ
族滅しなかったのは痛恨のミスだけどね。

567 :
またお前かw

568 :
旧秀次派は皆殺しにできない以上、火が燻っている状態だった。
こういう時、危険なのは糾合できる人物がいること。
その人物こそが秀次の義兄(それも正室の兄)、池田輝政である。
こういう人物がいると、条件が整った段階で秀頼の一大敵対勢力が
纏まり、非常に危険である。

だからこそ、石田三成も、増田長盛も、池田輝政の危険性を正確に
読み、族滅を主張したが受け入れられなかった。

569 :
いくら正室の義兄とは言え従四位下、侍従でしかない輝政に
そこまでの影響力は無いだろう
それほど人望があれば関ヶ原で正則とつまらない先陣争いなどしないだろうし

570 :
>>569
福島と先陣争いをしたのは関ケ原の前の岐阜城の戦いね。
関ケ原では、秀次残党を率いて、毛利勢と対峙していたけどね。

なお、この先陣争いでは、総大将なのに軽率極まりない、と
指揮下にあった秀次残党仲間(先輩)の田中吉政や山内一豊から
厳しく咎められているけどね。

571 :
>>568
出典がないと頼りないなあ
三成が「親の敵の祿高を上げろと要求するとは家康に媚びすぎじゃないのか」と奉行仲間や大谷吉継に不満漏らした記録とかないのかね

572 :
永井のそれは俺の親父の首の価値はそれだけでしかなかったのかよ
って意味であって三成もそこは普通に理解してたろ
都合いい部分だけ切り取るのはよくないぞ

>>569
つうかそもそも輝政が督と再婚したのは秀吉の仲介という名の半命令で
徳川寄りになっていったきっかけを秀吉自ら作ったようなものだから
秀次事件で池田は三派とも潰せなんて進言したって当の本人は聞き入れる
わけもないしそんなあからさまに秀吉を批判するようなこと言うのかと
後年に小牧の時の話とごっちゃになった可能性もある

573 :
>>572
>つうかそもそも輝政が督と再婚したのは

増田長盛が物凄い反対したけどね。秀次、池田輝政を除くときの邪魔に
なるという理由でね。最後は、秀吉の衣装に噛みついて、秀吉が蹴飛ばして
歯を折っている。

一方、石田三成は、秀次を除くとき、池田輝政に連座して徳川家康をも
連座させ弱体化させられる、と賛成している。

574 :
暑さで脳みそ沸いたかw

575 :
>>574
いつも通り平常運転だ。

576 :
某雑誌で徳川宗家と石田小早川毛利の子孫が対談していたが心底別に恨みはないとわかる言動ばかりだった
もっと早くしてくれなンだのがもったいない
次は前田や上杉や真田も参加するのを期待

577 :
>>576
なぜか小池一夫風になってらあ…
あと秀次関連なら最上の子孫も希望

578 :
それにひきかえ某スケーターの家はいまもあの家を赦してないんだっけか

579 :
>>578
KENザブロウかな?

580 :
>>577
最上の子孫となると、交代寄合の方か水戸徳川家に仕えた方になるのか

581 :
月花を 心のままに 見尽くしぬ
なにか浮世に 思ひ残さむ

豊臣秀次(1568〜1595)

582 :
>>244
秀頼は淀の方が独断で作ったんじゃない?
おねへの手紙で自分の子は鶴松だけだ今回の子は茶々だけの子にすればよいってあまり喜んでない反応。しかもそのあと茶々の侍女たちや僧侶を粛清してる。秀頼の出自を知ってる人らを消した。
秀吉も予想外だったけどやっぱり秀頼がかわいくなっちゃったんじゃ

583 :
淀ってこんなことまでして秀吉に斬られるとは考えなかったんかな

584 :
秀次誅殺に石田三成は積極的だったのかね?

585 :
矢部あたりは石田よりも福島の方が積極的って意見じゃ無かったっけ?

586 :
>>585
可能性がなくもない。
秀次事件をきっかけに、池田輝政と福島正則との関係が正反対になっている。
それ以前は仲はむしろいい方だったが、以降は険悪極まりない関係に
なっている。池田輝政は秀次の義兄だから、可能性はあるだろう。

587 :
福島は結果的に得してるんだよね
尾張を与えられた上に公家成してる

588 :
>>585
三成麾下の元秀次家臣が福島勢相手に関ヶ原で
奮戦したのはその為とか書いてたけど、
戦で敵相手に必死に戦うのは当たり前で
恩義や恨みで戦っているなら敗色が濃厚になっても
もう少し頑張るもんじゃ無いかと思ったな

589 :
>>584
文治派が明に要望した官位表だと
石田・小西・大谷・宇喜多・増田が秀次より上位の存在として書き記されているから
誅殺に積極的かどうかはともかく秀次を主君とは思っていない可能性が高い
せいぜい秀秋に毛が生えた程度という認識だろうね
秀頼の方が傀儡にしやすいからもう用はないしどうでもいいやくらいだろう
それなら関ヶ原で石田が秀秋に関白にしてやると言い放ったことも納得できる

590 :
>>585
それなのに関ヶ原で東軍についたの

591 :
裏で糸引いてたのは徳川家康だということが定説になりつつある

592 :
豊臣贔屓にしたら、家康が暗躍していたってことにしたいよね
豊臣贔屓の研究者のいうことと言ったら何かと言えば徳川史観だからね

593 :
>>589
石田が秀秋を関白にしてやるとか、はっきり言って家臣の分限を超えてないか? 三成はたかが従五位下治部少、しかも五奉行は解任され仮に五奉行でも筆頭格ではない。

当時、関白云々言えるなら主君の秀頼か、五大老筆頭で豊臣親族の家康か、五摂家だろ。どう考えても三成は秀頼と豊臣を傀儡にしていたとしか思えない。

594 :
>>593
まずその話が事実かどうかが微妙だし。話としての成立はかなり早いらしいけど。
まあ、資料とか確認した訳じゃないから何ともいえないけど。
ただ後世からの後知恵ではあるが、豊臣家で関白を維持し続けようと考えると実はこれが正解かも。
秀頼は年齢的にあと10年は関白にはなれないから、どのみち繋ぎの関白は必要になるのだし。
そうなると秀吉の養子で、しかも豊臣家とぎりぎり血のつながりがある(正確には寧々の方にだが)
秀秋は繋ぎの関白の筆頭候補だろう。
少なくとも豊臣家視点で考えると秀康や秀家、宮様よりはマシな選択だろう。

595 :
家康のもとに嫁いだ朝日姫も家康が毒殺したというのが定説になりつつある

596 :
>>595
あんな婆さん殺して家康に何の得があるんだよ。殺害がバレたら秀吉に徳川攻めの格好の口実与えるし、徳川家中でも家康に対する非難が出る可能性があるぞ。

597 :
家康は朝日と寝室を共にしてやったんですか一応?

598 :
次の正妻貰う予定でもない限り、朝日をRメリットなし。

599 :
家康は朝日姫に対しては供養塔を造ったりして菩提を弔っているからな
秀次の妻妾皆殺しにして、畜生扱いした秀吉とは違うな

600 :
つうか朝日姫が亡くなったのって聚楽第だから家康を疑うよりも他の人間疑ったほうが

601 :
疑う必要あるの?
寿命じゃないの?

602 :
死因を疑うなら、ね

603 :
秀長も秀次も朝日も三成が殺したんだろうな
豊臣を乗っ取るためには豊臣一族は少なければ少ないほどいい
秀次の妻子も三成が処刑しているし完全にクロだろう

604 :
>>603
その割には、池田輝政を除き損ねる大チョンボをしているけどね。
秀次の残党が、池田輝政の旗に集結するという、容易に予想可能な
事態(事実そうなった)に対し、手を打たなかった理由は何だろうか。

605 :
>>604
池田輝政の背後には舅の徳川家康がいるのに、そんなことしたら徳川家康との全面対決は必至だが。そもそも秀次系の何人かは徳川家康の仲介で命拾いしている。

606 :
東海道に配された池田、山内、堀尾、中村、有馬らが、なだれを打って徳川に馳せ参じたさ

607 :
>>606
こいつらが裏切るのはしゃーない。秀次事件で全員ひとつ間違えたらよくて改易、悪くて斬罪だしな。

608 :
>>604
三成は武人ではなく文官の吏僚だろ
あくまで秀頼を傀儡にして豊臣家中の権力を握りたいのだから
排除の最優先が豊臣一族になるのは当たり前だ
池田輝政の下に秀次の残党が集まったところで権力を握れるわけでもない単なる特攻部隊でしかない
強かろうが弱かろうが中央の権力者に使われる部隊に過ぎないという意味では島津あたりと大差がない

609 :
結局、秀吉死に豊臣政権下の家臣大名が分裂したのは
秀次事件や元禄の役で危険になった大名たちが
豊臣を見限ったのが原因じゃないか
豊臣滅亡の元凶は秀吉で間違いない
耄碌してなかったとは思うが、余りに国内外の情報に疎すぎた
上手く事を治めた家康を次期天下人と見込んでついていくのも仕方ない

610 :
>>606
三成「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )」
三成が家康以上の脱糞偉人になってしまう

611 :
>>610
三成は腹痛起こして捕らえられたんだったな。

612 :
与次郎大夫が持ってきた韮雑炊でござる。

613 :
>>611
生米食って腹壊したんだっけ?
その時に使った紙が高級品でそこから三成の場所がバレたらしいとか

614 :
>>604
池田と浅野はチンコ大名やで家康の娘が中古で余ってたからな。

615 :
どうも、まことは、ハッキングがバレてない時期が捨て切れないらしく
必死になって、こちらの設定を変えている

616 :
>>605
まあ、それを言うなら徳川家康の娘と池田輝政を縁組させたことそのものが
致命的なミスと言える。この縁組当時、既に秀頼は産まれていた。
秀次を除くなら、当然ナンバーツーで正室の兄の池田輝政も粛清対象となる。
こんな危険人物に、家康という強力な後ろ盾をつけるなんて、気が触れたと
言われても仕方がない。

池田輝政はこの縁組で命拾いをし、池田家は秀次の正室の処刑とわずかな
時期の謹慎だけで済んだが、秀吉側からすればこれほど愚かなミスはない。

617 :
>>池田家は秀次の正室の処刑
若御前のことですか?
処刑されたという書込みを時々スレで見かけますが
興味深いのでその根拠となる資料を教えて頂けませんか

618 :
秀次は、温和な性格だった
と、比叡山関係者はいう

619 :
真田丸でも、そうやったやん

620 :
>>618

何だって?!
比叡山関係者は、そう言ってたのか?!
文献にそう書いてあるのか?!

621 :
文献に書いてある

622 :
井沢元彦が言うてた

623 :
秀次が仮に秀頼が生まれたから、私は太閤殿下との養子縁組を解消し、関白職も辞職します、と言えば命は助かったのかな?

毛利秀元は秀就が生まれたら、輝元との養子縁組を解消して、その見返りに20万石と別家を立てることを許されたが。

624 :
>>623
やりたくても出来ない。
・秀吉が死亡する可能性がある。秀吉はすでに60歳ちかいうえに、弟がすでに病死してる事を考えると
いつ死んでもおかしくないと考えるべき。実際秀吉は秀頼5歳の時に死んでいる。
・秀頼も成長すると決まったわけではない。鶴松は夭折してしまっている。しかも母親は秀頼と同じ淀殿。
・秀次は単に豊臣家を継承した訳ではなく、天下機構そのものも受け継いでいるので
いきなり放り出すのも無責任極まりない。仮にそうしたとしても、秀頼幼少で秀吉が死んだら
(事実そうなった)結局は後見人として自分が政治をみなきゃならんから混乱を助長するだけ。
・豊臣政権の象徴たる関白を保持しているのは秀次だから、秀次は秀頼が成人するまでは
関白を保持し続ける必要もある。ちなみに関白は16歳未満での就任は『前例がない』

結論を言えば、『危険だとわかっていても、豊臣政権のこれからを考えたら
現状維持を続けるしか方法は無い』になる。

625 :
婚姻話を蹴らなきゃいい。

626 :
>>624
つうか天皇の顔潰してんじゃん。織豊期の皇室の権威や権力が話題になるけどさ、やっぱり地に落ちてないか?

627 :
後陽成帝の前で諸大名に忠誠を誓わせるなど、朝廷の権威活用している癖にだ、太閤が現職関白を高野山追放、切腹させるなどは、朝廷を蔑ろにするもので、池田輝政や浅野幸長が反豊臣に転ずる契機になることは明白である。
積極的ひびきをおびてたちあらわれてくるであろう。

628 :
秀次が自ら出奔しつ切腹したって話もあるね
切腹のほうは三成の署名はあっても秀吉の署名すらないとか

629 :
>>628
そもそも切腹したなら、一族や家臣にまで前代未聞の連座をした理由がわからない。

630 :
>>629
関白が切腹なんて前代未聞だから、政権の安定をはかって秀吉が謀反をでっち上げたそうだ
ここまでくると胡散臭さいが、まだ勝手な振るまいに怒って処刑したのほうが現実味がある

631 :
幕末の安政の大獄と一緒で、秀次事件は豊臣政権のモラルを失わせたとしか思えない。

632 :
それは三好秀次に対するモラルハラスメントである

633 :
未成年の関白というが、前例がないだけなら破ることもできる
秀吉自身が前例を破って関白に就任しているからだ
なぜそれをしなかったのか?
朝廷関係のブレーンであった今出川晴季の失脚がひとつ
もうひとつは関白に就任させたからと言ってそれだけで安泰と言うわけではないからだろう

関白は必置というわけではないのだから秀次が辞職する分には問題ない
しかし秀次が関白だったという事実は消えないのだ
父が関白であれば潜在的に関白就任資格が生まれる
秀次がいくら辞職しても秀次の子は死ぬまで秀頼のライバルになりえる存在として残る
秀吉が恐れたのはここではないのか?

634 :
>>633
秀吉は前例のない行動をした訳ではない。
秀吉は近衛家の猶子となって関白に就任している。つまり『藤原秀吉』として関白になっている。
豊臣姓を創始したのはその後であり、少なくとも関白就任の際に前例のない事をした形跡はない。
また、秀次処分の時も秀吉は前例のない事をした訳ではない。
というのは、秀次は関白を辞職してから死に追いやられたからだ。つまり、正確には『元関白』として死んでいる。
そして元関白ならば殺された『前例がある』。二条尹房という人で、大寧寺の変で陶隆房に殺されている。

つまり、秀吉は前例がない行動をした訳じゃないって事。
なお勘違いしてもらっては困るが、秀吉の行動を正しいとか問題ないとか言っているつもりはない。念のため。

635 :
近衛家が他姓のものを養子にしたのは前例がないだろ
さらに他姓だったものに関白を譲るのも前例がない

源師房が頼通の猶子になった例はあるが源氏のままだし関白にもなっていない
親王が摂関家に養子に入った例は秀吉の後

636 :
>>635
まあ、自分で書いといてなんだけど、屁理屈を言っている自覚はある。
正直『暴論にも程があるよな、これ…』って思ったし。
ただまあ、秀吉の中でそういう折り合いがつけばそれでいいって話じゃないかなって気はする。
要は自分さえ納得できれば…っていう身勝手な安心感というか、そんな感じ。

637 :
秀頼が5歳で権中納言になったのも前例がないことじゃないか?
たしかその前は松殿師家の8歳が最速だったと思う
師家は権中納言任官の直後に治承三年のクーデターで解官されている
もしクーデターがなければ幼年での摂関もありえたかもしれない
師家はその後12歳のときに権大納言となってその3か月後に内大臣関白となっている
秀次の例から言っても権中納言になれば摂関まで最短数ヵ月で行ける
武家の関白というのも前例がないことなのだから、幼年での関白就任にそれほど朝廷側に抵抗があったのかは疑問

>>636
なるほどね
まあ秀吉がそういう考えをした可能性もあるよね
何も考えてなかった可能性もあるけど

638 :
朝廷の権威を120%活用して諸大名を服属させたのに現職関白を処分するのは違反行為だ!

639 :
違うだろはげえええで自害した説が濃厚に

640 :
秀次さん、優しくていいお殿様だったみたいね
近江八幡では今も尚、秀次さんのやったまちづくりを参考にしているとか

641 :
実父の手腕に不満をもっていたらしいけど所領の内政にどこまで関わっていたのかね
ただ認可していただけじゃないのかな?

642 :
>>641
認可した、つまり信任した。
失敗したら自分の責任にもなるから、人使いのうまいところはあったのかもな。

秀次事件で挙げてる秀次の罪状って武田信虎と似てて創作性満開だし。

643 :
>>640
正室側室三十人伝説とかもおなごを惹き付ける天然ジゴロだったせいかもね
単なる女中や乳母も含んでいたらしいけど
一の台の娘、お宮姫はむしろ彼女の方から夜這いやらかした可能性が

644 :
>>643
いや、秀次が正室や側室をたくさん持つのは仕方がない。秀吉には子がない、秀長は娘2人、秀勝は娘1人。

となると、残るは秀次に託すしかない子作りを。そして秀次はたくさんの子に恵まれた。長生きしていたら、まだ出来た可能性もある。

それに側室とか妾の数なら、秀吉のほうに問題がある。

645 :
切腹命令に素直に従ったのは家臣や娘や嫁は許されると思ったからだろうな

なお実際は皆殺し

646 :
>>595
朝日姫は、ウツの病で亡くなったという。
鬱病で死ぬのか?。
なにかの体調不良が深刻だったのだろう。

647 :
>>640 秀次は頭脳も良かった。
ただ、その聡明さは隠していた。
でも偽装していてもわかってしまうもので、当時は
朝鮮出兵の負担が諸大名にはあまりにも大きくて、
出兵をやめてもらうように頼むとすれば、
内心では出兵には反対だった秀次に頼みがちになる。
話のわかる秀長や利休はすでにいない。
朝鮮出兵の反対論を押さえつけるため、秀次が謀反を
たくらんでいたとデッチあげて残酷に処刑されるという展開に。

648 :
>>596
家臣が家康上洛中軟禁してたって話もあったような

649 :
秀次の狙いは秀吉死後に家康と組んで秀頼をRことだった
だから朝鮮にも行かず蓄財していたんだし家康の娘婿の蒲生秀行の領土を守ろうとした
公家や外様大名に金を与えていたのは当然派閥工作

650 :
>>645

それも只の斬首では無く殆ど全員磔刑に処せられたのだ。
これと九州で黒田長政に皆殺しにされた城井一族が同様
の殺され方をした。その当時、謀反人は極刑中の極刑の
串刺し刑に処すのが当たり前であった。眷属は悉く捕ら
えられ三条河原で股間から口まで竹槍で貫き通され無残
な死に様を曝したのである。何事にも動じない京の人々
も震え上がって恐怖の坩堝に陥ったそうだ。

651 :
>>616
小牧長久手の事を忘れてますよ。池田輝政の親父は中入り軍の実質的な大将で、責任取って
秀次はちゃんと逃亡させてます。
つまり、家康は親の仇って見る事も可能だし、秀次後継なら何の問題も無い。

652 :
もし鶴松が生きてたら…
鶴松は北政所が…
結果的に秀次が…

653 :
鶴松もそうだが秀吉は智仁親王を残しておくべきだったな
そしたら異常者の秀次なんかを後継者にする必要なかったのに

654 :
誰が後継者になろうが三成が権力欲しさに暴走するから意味がない

655 :
智仁親王・羽柴秀勝(織田信長四男)・羽柴秀長が
秀次・秀勝(小吉)・秀保のアホ三兄弟に移譲していったのが豊臣家のケチのつき始めだと思うがな
豊臣家が早々に滅びるのにアホ三兄弟についてはアホな逸話しか残ってないし

656 :
>>654
秀次が関白のままなら三成に同心する人間はいないと思うが

657 :
だから秀吉が死ぬ前に秀吉を同心させて秀次を殺したじゃん

658 :
>>655
その割には、秀次の残党は秀次の義兄の池田輝政を立てて石田三成に
復讐を果たしているけどね。その残党には、浅野幸長、田中吉政、
中村一忠、山内一豊、堀尾吉晴、一柳直盛など名だたる面々が加わって
いるから、少なくとも秀次には人望はあったと思われる。

659 :
山内も池田も家譜では秀次時代のことを抹消してる

660 :
池田は抹消してないよ
家譜にも秀次室としてきちんと載せてるし伊木も記録残してる

661 :
むしろ池田は織田勝長室のことを消してる?

662 :
田中吉政中村一氏堀尾吉晴など反逆者一族も結局は跡継ぎもいたのにお家取りつぶしになったよな
こいつらをきちんと処刑にしていれば息子たちは木村常陸介の息子みたいに豊家のために忠誠を尽したかもしれないけど

663 :
>>661
正室じゃなかったから載せなかったという見方が有力
というのも池田は側室関係はおざなり傾向が強いが正室関係は
しっかりしている傾向が強いからっぽい
(恒興から見れば連れ子、善応院からみれば実子の七条が好例かと)
加えて女だから余計に記録には残りにくい傾向もあるだろう

664 :
書き忘れたけど大久保長安事件時に武田とつながりそうなものは
なるべく排除ないしほとぼりさめるまで隠すみたいな動きが
あったっぽいよ。寺の話だからどこまで本当かわからんけど。

665 :
時々、池田家の若御前が処刑されたという書き込みを見つけるけど
そういう資料はある?
前にその書込みをした人に聞いてみたが返事がなかった
助命されたという話が一般的だと思っていたが・・・

666 :
若御前は秀次の正室だった事実を隠すため早死にしたことにして一の台を継室(後妻)つまり正室扱いにしたんだよ
家康の娘婿が殺生関白の正妻だったらまずいだろ

667 :
娘婿が正妻・・・

668 :
そうだとするなら正室は助けられたということか
一部の女子と

印象が少し変わってくる

669 :
>>665
毎度毎度処刑されたとうるさいのはぼくのかんがえたいけだてるまさが
正しくないと済まない人だからスルーするがよろしいかと
他方で確かに若御前も処刑されたという話があるけど池田家の史料にも
そう書いてあるのがあって創作もの中心にそれ採用したから広く流布したという
事情からだと思われ

ただ、池田家は輝政正妻大義院みたいに実際は生きていても勝手に死なせたり
しているところがあるから(これについては輝政→利隆→光政と代わる前後で
次々事情を知る者が死んでしまったという不幸や徳川との関係という環境が
あるから故意なのかやむを得ないのかは任せる)若御前もそうだったのか
秀次事件の処罰に対する世間の目を憚って死んだことにしてそれが後世の
池田家中では処刑されたと誤伝していたのか検証の余地はあると思われ

670 :
>>669
本当は一人でも多く助かった方が良いのだろうけど
あの状況では生き残った方も辛かろうなと

2011年のNHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」特別展で「高野山で自刀した秀次公と家臣達並びに三条河原で処刑された御一族の御影」を見たときは怖かった
秀次切腹事件がらみの資料は他にもあったが今も怖いという印象しかない

ドラマはアレだったが特別展は良かったかも

671 :
その時見た「三条河原で処刑された御一族の御影」の中には若御前は入ってなかったような気が

672 :
>>669
池田ァ!!督姫様がいつ毒饅頭なんぞ持ち込んだつうんだァ!!

673 :
良質な池田家史料には毒饅頭のことなんて書いてないんだが

674 :
池田は情報操作が得意な一族だからな
大久保長安の息子に嫁いだ輝政の娘も謎に包まれてるし

675 :
娘、何人いるんだよ〜・・・

676 :
>>675
池田恒興の娘はWikiでは5人

安養院(生没年不詳、森長可室、後に中村一氏室)
若御前(?-1595、豊臣秀次正室)
天球院(生没年不詳、山崎家盛正室、後に離縁)
娘(生没年不詳、浅野幸長正室)
娘(生没年不詳、織田勝長正室)

677 :
池田恒興の息子の輝政の娘は3人かな
他の大名家に比べると情報は残っている方か

京極高広室
伊達忠宗室
大久保長安の息子に嫁いだ輝政の娘?

秀次事件の異様さって娘も処刑してることかと
息子は跡取りと考えると助命は難しいかもしれないけど寺に入れるとか
娘も助命されている例は当時でも多かっただろうに
一の台の処刑で貴族社会に衝撃を与え
若御前の助命で武家に対する不信感を与えたりしなかったのかね

678 :
>>674
というか督姫が亡くなった時は利隆はピンピンしているんだがな
逆を言えば利隆が亡くなった時に督姫はとっくに京都の墓の中にいたんだから
毒饅頭もへったくれもないんだよ
ついでにいえば督姫が死んでから2週間後に亡くなった利隆の弟で督姫実子の
忠継は国道2号線の拡張工事の時に廟を移築することになり掘り起こして
警察の鑑識まで巻き込んで調査された結果中毒含め他殺の痕跡は見当たらず
自然死と科学的に判断されたんだからこちらも白
すなわち俗にいう毒饅頭事件のようなことは無かったってことになるんだよ

蛇足だけどツイッターで池田ヲタが駿府記などを元に家康による督姫の暗殺疑惑を
推測していたけどその中で本来は被害者である督姫のせいになるよう話がすり替えられたのではないかと論じていたがこっちの方がしっくりくると個人的には思う

679 :
>>677
上記の池田ヲタによると輝政の娘は

督姫生母が3人(一人は夭折ないし流産)
側室生母が3人(長安息子の嫁はこっち)

の6人らしく側室生母の娘は長安んち以外は家臣に嫁がせたらしい

680 :
>>679
正室と側室でそんなにはっきり区別してるのか
あまりいい感じがしないのは自分が現代の価値観で見てるからか

秀次は秀吉の死後に子供をたくさん作った方が良かったのかな
当時であれだけいると秀吉からすれば脅威だよな

681 :
秀次の嫁も大久保長安の息子の嫁も再婚もできずになくなってる
その辺抜かりはない

682 :
>>681
誤)再婚できずに亡くなっている
正)秀次事件、大久保長安事件に連座し、処刑されている。

683 :
処刑されているという明確な史料プリーズ!

684 :
呉座氏の陰謀の日本史でも事件に触れられていたね

685 :
警察、創価と在日マフィアによる集団ストーカーの模様
(車両ナンバーつき)
https://www.youtube.com/watch?v=gTOBN1AkSz0
https://www.youtube.com/watch?v=bbPcpPwO3ug
https://www.youtube.com/watch?v=de1jeSPGGNo

怖ろしくておもらししそう´・ω・`

686 :
秀次が生きていれば秀頼と千姫の結婚もないだろうから徳川の影響力は減っていくだろうな

687 :
秀次の息子と縁組したかもしれんけどな
もし足利義満みたいに大名の勢力削減を図ったら真っ先にターゲットになりそう

688 :
>>687
秀次の場合、多くの大名と縁組していたので、簡単には潰せない。
また、史実では秀次事件で失脚したナンバーツーの池田輝政も
かなりの人物だしな。

689 :
秀次が外征をしないなら、徳川や毛利あたりはそのままではいられないのでは?
討伐対象にならなくても分家させられるとかありそうだな

690 :
今月、瑞泉寺に手を合わせてくるね

691 :
>>690
通るだろうけど三条大橋も見てくるといいよ
秀吉が1590天正18年に北条征伐の時に架けた橋の石柱がスターバックスの所にある
秀次の首と妻子達の最後を見てる石柱のはず
擬宝珠も一部は当時のものらしいけどよく分からない
京都国立博物館の庭園にもあるけど現地にある石柱の方が気分的に雰囲気があるかも

瑞泉寺所蔵の「秀次公縁起」とは異系統で秀次事件を伝える「関白殿物語」によると
文禄5年の7月13日の夜に三条の橋付近で宿屋をやっていた主人が秀次一行の幽霊を泊める話がエピローグにある
明くる14日の早朝に橋を東に渡っていくの見送っていたら「畜生塚にて影の如くに失せ給ふ」と書いてある
宿の主人達は謝礼としてもらった品物も消えてしまうんじゃないかと恐れたが消えずに残って宿屋の子孫は金持ちになった

692 :
>>691
こんな丁寧な書き込みを頂けるとは露程も思っていませんでした。
東京から秀次さんに手を合わせる為にだけ京都に寄るので
大変嬉しく思い、そして勉強になりました。
あなたの書き込みをもとに歩いてみたいと思います。
感謝します。ありがとう。

693 :
秀頼托卵説をばらまいたのは家康とか
なんかで読んだがそうなのかな。

その説を信じた秀次が秀吉に直訴、
→秀吉激怒!
(血がつながってなくても織田の血が必要と判断したんだよ!
空気読め!高野山で頭冷やせ)で追放
秀次納得行かなくて抗議の切腹とか。

托卵説について口の軽そうな女どもは処刑。
言って含めて理解出来そうな池田の娘は助命。

家康いろいろ勉強してそうだから
孫子の三戦のうち心理戦を仕掛けられて
秀次がそれに乗せられちゃったんじゃないのかな
後には他の秀吉子飼いの面々まで影響されてるというか。

孫子の三戦:心理戦
敵の抵抗意志の破砕を目的とする。常用戦法には「宣伝により敵の思考、態度等を変化させる」、「威嚇(軍事演習、有利な戦略態勢、先進兵器の誇示によ
り敵の認識、意志に影響を及ぼす。)」、「欺ぎ騙(真実を偽装して敵の決定と行動を誤らせる。)」、「離間(指導者と国民、指揮官と部下の間に猜疑心等を生ぜしめ、自軍が乗じる隙すきを作為する。)

秀吉恩顧の武将にとっては
秀頼托卵は裏切り行為で
気持ちが徳川に向かうきっかけになりうるけど
信長直系の三法師こと、秀信は関ヶ原でも大阪に味方してるよね。
秀吉の血筋とか そもそもなんとも思ってないというか。
茶々の織田の血筋が優先されているような

その辺見越して、いろいろ飲み込んで
自分の嫡子にしようと宣言したなら
秀吉そんなにボケてない気もしたんだが。

長文失礼

694 :
産まれて3歳くらいまではなんともいえないが
それ以降、少なくとも10代までには母親→父親
父親→母親という交互にクリソツになる子供多いから
大阪の陣の頃には秀頼が誰の子か周りはわかったろうな
大きくなってからの顔が誰に似てたとか目撃談ないのかな

695 :
秀吉の歯は京都に残ってて血液型もO型とか言われてる。
昭和55年に大阪城三の丸で発見されたという
秀頼の頭蓋骨と
DNA調査できないんだろか

一万年前の英国に住んでいた人類の骨から
DNA解析出来たという記事もあるから
やって出来ない気はする

もっとも、大阪で見つかった頭蓋骨が本当に
秀頼のものかどうかは確定してるのか
という問題もあるが

696 :
チビの秀吉から、190cmの秀頼が育つ時点で、分かるはず。
家康との二条会見で、バレた。というより、
家康もそれを確認する為に会見したように感じられる。
滅ぼすキッカケになった面会だったと思う。

697 :
肖像画見ても、秀吉と秀頼は全く似ていない。
斎藤道三と義龍ですら似ているのに、
秀吉と秀頼は不思議な親子関係だと思う。
大野治長の肖像画を探しているんだが、
未だに見たことがないので、あったら教えて欲しい。
一番疑っているのは、この治長かな。

698 :
あえて残さなかったのかな
ヤバイと思って。
大坂夏の陣図屏風に大野治長が描かれているようだけど
群像の中の一人で肖像画というレベルの絵ではないようだね

699 :
身長に関しては淀、浅井長政、織田市もかなり高かったらしいから
秀頼が高身長でもおかしくはないんじゃないか?
秀吉はチビでも母ちゃんに似たらさ

700 :
秀吉が側室との間に作った秀勝とかいう夭折した子が
本当に秀吉の子なら種無しじゃないことが確定するのになぁ…

701 :
秀吉に種があってもなくても
種付け時期の問題もあるんでない

702 :
女児だったかな
竹生島に亡くなった子の位牌だか追悼文だったか残さなかったっけ?

703 :
秀吉の若い頃というか種付け可能な時代って
おメカケさんとそんなゆっくりする暇あったのかな

あちこち戦で出払ってるイメージがあるんだけど

704 :
>>703
1573年天正元年、江州小谷12万石の大名になってから
女遊びが激しくなったと推測される
(根拠はねねからのぶへの手紙)
と今読んでる淀君の本に書いてあるが果たして。

705 :
書き忘れたよ。秀吉が40歳前後の頃だそうな。
種付けありえる年齢かな?今ならありだけど

706 :
>>705
でも、その頃に信長の子供の秀勝を養子に貰ったんだよな
秀吉は自分の血筋にあまりこだわりがなかったのかもしれない。

707 :
>>706
それはあくまでも信長への機嫌取りじゃねえの
秀吉が天下を取ったら自分の血縁者である甥(姉・ともの子)
を養子にしてるよね

708 :
>>707
だから自分とこの血筋にあまりこだわりがなかったから、
そんなご機嫌取りがあっさり出来たんじゃないかと言ってるわけで…
あと小吉秀勝が養子になったのは信長の子供の於次丸秀勝の病死後。

709 :
甥なんかのためにそこまでこだわるやつはいないよ
秀吉にすれば子供の頃から育ててる於次丸はかわいくて死んだときは悲しんでるけど小吉や秀保が死んでも気にしてない

710 :
べつに血筋という言葉に含まれるのは直系だけではないとおもうんだけど

711 :
例えば自分の実子にこだわりがなかったとしたら
ますます秀次一族を大虐殺した意味がわからなくなる
んでも実子にこだわってたとしてもあれはかなりやり過ぎで理解不能だよ。
秀次いなかったら秀頼大きくなるまで豊臣君主は空席になってしまうのに

712 :
北政所がチラ裏日記でも残してたら
秀吉の一生や秀次事件、更に大阪の陣以降のことも明らかになったろうに。

713 :
>>709
秀長が死んだときには秀吉には愛息・鶴松がいたし
秀保が死んだときには秀吉には愛息・秀頼がいた
実子に家督を譲るためなら弟や甥はむしろ邪魔

鶴松が死んだときなど秀吉は失意のあまり髻を落とした
生きがいを亡くした秀吉は無謀な朝鮮出兵に走ったとも
於次丸の比ではない

714 :
鶴松は毒殺なのかな?

715 :
>>713
幼児の死亡率が高い当時によくやるよ。
秀頼が秀次事件の直後に夭折でもしたら、豊臣を誰に継がせるつもりだったんだか秀吉は。

716 :
>>715
一応元養子や猶子がいるからそいつらの誰かに継がせるだろ。
(猶子は継承権無かった気がするがこの際それは無視する。)
まあ秀秋→秀康→秀家→宮様の順番で継承するんじゃないかなあ。

717 :
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718 :
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719 :
>>715
あの時代幼い子供はバタバタ死んでるもんな
ただでさえ我が子なくしてて
そんな時代に生きてたら
よし生まれた!よーし!なら今邪魔な秀次殺しとこ!
なんて発想俺ならしないと思ってしまうがどうなんだろね
直江さんとこも3人もいて全員亡くなっってるしな
うまく成長しても切腹だの戦死だの
溜まったもんじゃねーな
あの時代の女はよくキレなかったな
死なせる為に産んでんじゃねえぞこの野郎と一人くらいキレてもおかしくない

720 :
秀次の母親は息子どころか孫まで公開処刑されてよく秀吉殺さなかったな

721 :
秀次云々はともかくとして、7歳までだかは神様のもの(授かり物)であって人智の範疇外じゃなかったっけ?
いまとは違って何人も産む女性も多かったみたいだし、いまとは生にたいして若干捉え方が違うんじゃないかな?
いまみたいな考え方が根付きはじめるのも生類憐れみの令が出てからだし

一応言っておくけど、当時の人が悲しんでないって言ってるわけじゃないからね

722 :
だから秀吉にとって他の諸将にとっても別に秀次なんてどうでもいいんだって
秀吉の親父なんてただの農民なのにそんな血筋が正統性を持つことはない
秀頼が早死しても八条宮や秀秋がいる

723 :
>>720
相当激しい憎しみを秀頼に対し持っていたとは言われているぞ。
なお、池田輝政、浅野幸長らが開催した秀次及びその妻子の供養
(関が原直後に行った)には参加している。

>>722
どうでも良くなかったから、池田輝政、浅野幸長、田中吉政、中村一氏
(中村一忠)、山内一豊、堀尾吉晴、一柳直盛ら秀次残党が、秀吉死後
第3勢力を結集し暴れまわったんだけどね。彼らは関が原で家康と結び
つき、勝利の一員となった。

また、池田輝政が姫路に、浅野幸長が和歌山に配置された時は、
大阪城は恐怖で震え上がっている。

724 :
逆に秀頼は親父の存在を除けば孤立無援で頼れる兄弟親戚も配下大名もいないからな
だからこそ秀吉は徳川と婚姻政策を繰り返して秀頼の外戚として
秀次残党についても徳川が吸収して従わせるように手を打ったが

そうなると今度は奉行が権勢を振るえずに不満を抱いて
毛利や上杉とつるんで暴れ始めるようになる
一方に配慮すればもう一方が暴れるという制御不能状態に豊臣は陥った

725 :
ぼくのかんがえたいけだけ君は相変わらずだなあwww

726 :
>>722
秀吉の親父の親族が全く出てこないのは興味ある

727 :
>>726
没落して誰も居なくなってたとかだったりして

728 :
>>719
戦国時代は親族で家督相続争いって凄まじかったんだよ
織田信長や伊達政宗の弟殺し、武田信玄の息子殺し(おそらく徳川家康も)

秀次が生きていれば秀頼が跡取りになれない
秀頼を秀次の娘と婚約させて秀次の後継者にしようとしたようだが
結局秀吉が死んでしまえば秀次は約束を守らないだろう
(自分の息子を関白にするために秀頼を殺してしまうかもしれない)
と思い秀次を殺したんだろ

天智天皇は弟の大海人皇子を殺せず吉野追放で済ませた
結果、我が子大友皇子は壬申の乱で大海人皇子に殺されてしまったからなあ

729 :
>>722
田中山内中村って秀次を裏切った側やん
若江八人衆が頼りにしたのも三成だし
秀次派なんてみんな処刑されてるよ
浅野幸長は秀次を弁護したけ終生秀頼のために尽くしてるし

730 :
>逆に秀頼は親父の存在を除けば孤立無援で頼れる兄弟親戚も配下大名もいないからな
織田信雄織田信包織田長益織田頼長といった織田一族がいるじゃないの

731 :
>>730
そいつらがどれだけ役に立つとお思いで?
だいたい、信雄は秀吉に東海への移封を命じられて拒んで改易され、信包は減封されてるんだが。

732 :
一応正則は父方の親族説もあるぞ

733 :
>>732
正則はただの道化。

734 :
福島正則
家康の養女と結婚させた養子を自らの嫡男が産まれたのを理由に廃嫡幽閉し餓死させるファインプレー!

735 :
父方だとするなら秀次より優先されてもいい気がするけど
秀吉が大政所の血筋優先だったのかな

736 :
秀吉自身が父親の事を語ったという史料もないし
むしろ父親の存在を抹消してるようなかんじがする。

737 :
養父の方も折り合いが悪かったから、大政所・ねねの家系と比較したら差して重んじてないしね。
実養父共に秀吉の心情的に縁の薄い者だったんだろう。

738 :
秀吉は祝福されない結婚で生まれた子供だったのかなあ
大政所に兄弟がいないから婿養子をとって家を継ぐべき娘に変な虫がついたとか

739 :
第一子は秀次の母親だから

740 :
>>721
死生観の違いは大きくありそうだな…
ついつい今の価値観でみてしまうが
現代までも7つまでは神様の子
みたいな土台は残ってるもんな

741 :
大物専門家を気取っているまことの不安定を
初心者は見逃さない

742 :
>>738
もし本当に貧農の家なら弥右衛門が死んだ後竹阿弥と再婚したって話だけど
なんか、逸話を読む限り竹阿弥の方が後婿に入った感じで違和感感じるんだよね

743 :
弥右衛門竹阿弥同一人物説なかったっけ
時宗門徒の在家得度

744 :
漫画な話ですまん
センゴク権兵衛、鶴松秀吉の種じゃない説なりそう
参籠中のまぐわい&父親が生臭若坊主かも知れないって展開していた
『河原者・非人・秀吉』の影響かな?
秀次勝手に絶望・切腹命令無いのに自害説採らなきゃ良いけど

745 :2018/08/25
>>744
ということはより一層怪しい秀頼も血の繋がりは無いという話しになるんかね

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