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おちんちんの季節としてパイパンを見直すべき
東浩紀478
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国語教育と哲学教育の関係性
- 1 :2019/01/29 〜 最終レス :2019/12/03
- 国語教育では直観で読むよりもむしろ、
本文に忠実であることが求められる。
哲学教育ではそれも一応は考慮されるが、
やはり根源的思考と独創性が求められる。
- 2 :
- 細かく文章を読解することばかり気にすると、
人は線を引いたりして本をぐちゃぐちゃにする。
全体をつかむ能力がアカデミックな、哲学的な読解では
求められているということなのだろうか。
- 3 :
- >>2
に関して
"センター入試国語で定規使用が不正行為になったので思い出したが、
中高や予備校の長文読解でやたらに線を引いて読ませたり、品詞分解しているせいか、
大学の図書館の本や他人から借りた本でも線を引きまくる人がいるが、
本文を汚さないで理解する読解力を学生は身につけて欲しい"
https://twitter.com/yasuokakobe/status/1087320729744375810
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- 4 :
- まあ、古本に慣れると線引きが沢山されていても
そんなに気にすることもなくなるのだが。
とはいえ、複雑な文章を分析するために、
カッコを入れたり波線をいれたりしながら読むようなやり方は、
中3〜高2辺りで卒業しておいた方がよさそうな気がする。
- 5 :
- 国語とはそもそも日本という国民国家において話し読まれる語のことである。
ナショナリズムに回収されやすい。
ともすれば、和辻哲郎が『続。日本精神史研究』で語ったような、
日本語で語り哲学するものよ出でよ
というスローガンが生じる。
ここでは、日本語=国語とは自明のものとされ、
哲学という普遍的な営みに戻れないくらい内面に沈潜した何かが
前提とされているように思われる。
- 6 :
- 『続・日本精神史研究』
だな。
訂正する。
- 7 :
- そうしたマグマのような内奥にあるものを宿しながら、
哲学することはできないだろうか。
とりあえず日本で生まれ育ち教育を受けた者としては、
日本思想、日本哲学に触れることがそのことの鍵である考えている。
- 8 :
- 鍵である(と)考えている。
- 9 :
- 哲学=西洋哲学史である傾向が長年強かったように思われるが、
ここに来て日本人が日本語で以て考えることを公にする傾向が
強まっていると思われる。
その代表格の一人がコーネル大学教授の酒井直樹であり、また、
国内の日本哲学の分野では元岐阜大学教授の津田雅夫であり、
日本政治思想では苅部直だと考える。
- 10 :
- 酒井直樹のコーネル大学に提出した博士論文をもとに著された、
『過去の声』などを読むと、
近世儒学、特に伊藤仁斎などを読むことも重要だと思わされる。
もちろん、西洋哲学に一定程度触れた後でのことではあるが。
- 11 :
- どうしても西洋哲学に触れないと、
日本の哲学者が日本の思想について語っている場合でも、
予備知識としてそれが必要とされる場面が多々あるので、
耐えなければならない勉強ではある。西洋哲学の勉強は。
- 12 :
- 高校で習う「倫理」はその第一歩であるが、思想を構築するというよりかは、
有名な学者とその著書の一致、その概要を知るにとどまるし、
大学以降の哲学史の教科書もそれの発展形に過ぎない面はある。
- 13 :
- 古代ギリシャ以来の伝統である、
真=哲学:『純粋理性批判』
善=倫理学:『実践理性批判』
美=美学:『判断力批判』
などといった具合に。
- 14 :
- 哲学とは言っても、
社会との関わりで論じられなければならないという側面はある。
特に社会科学の中でも経済学と法学。
経済学では佐伯啓思。
法学では木庭顕。
- 15 :
- 佐伯啓思のサントリー学芸賞を受賞した『隠された思考』は
ちくま学芸文庫化されるだけあって、今でも通用しそうな根源的な思考を
披露してくれている。
木庭顕の『ローマ法案内』も、
現代日本を念頭に置いているかのような文脈の下で
古代ローマにおける所有権の誕生の問題や商売の統制といった
根本的問題を記述していある。
- 16 :
- 2016年08月01日
『隠された思考―市場経済のメタフィジックス』(ちくま学芸文庫)/佐伯啓思
難しすぎて、分からなかった。
http://mojibako.seesaa.net/article/440627312.html
- 17 :
- 記述している。
- 18 :
- >>16
キルケゴールやガダマーやホワイトヘッドの引用がなされたりしているからね。
佐伯啓思は奈良出身の人だから、風土的には仏教や神道の影響のもとで、
そういう哲学者を引用しながら、経済学の背景にある、何らかの超越的なもの
を探ろうとしてそれをまさしく「隠された思考」として考えたのだと思う。
- 19 :
- 誰の記述も引用せずにエッセイを書ける能力というのは、
天賦の才能によるものと思われる。
佐伯啓思の『隠された思考』も、本格的な研究書に比べれば遥かに量的に少ないし、
それゆえ賞を受賞できたのだろう。
もちろん難解だという評判はそれが出た当時(1985年)からあっただろうし、
より文章をわかりやすくして『経済成長主義への訣別』(新潮選書)などのような
通俗的な本も書いているという風に思われる。
- 20 :
- 国語の試験問題として佐伯啓思だとか猪木武徳だとかが採用されたりするのは、
引用が長すぎない、哲学的思考が地の文の中から垣間見られる、
などといった理由からだろう。
エッセイを読むのも大事だが、大学に入って研究書を読む生活に慣れるには、
そういう方々の文章が入学試験という登竜門にうってつけだからだと思う。
- 21 :
- ただ、国語の試験に採用されているからといって、
その筆者が必ずしも学術的に、哲学的に優れているというわけではない。
例えば村上陽一郎なんかがそうだと言われている。
- 22 :
- 【産経新聞】「日本第一党」関係者を傷害容疑で逮捕 ヘイトが問題化する川崎【ネトウヨ逮捕】
https://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1548794607/
- 23 :
- 日本哲学や日本思想から入って
外国の哲学をも学ぶという方向性を取った人はいないものだろうか。
- 24 :
- そういう人はなかなかいないだろう。
国語の教材や国語の入試問題で、
西洋の哲学者の日本語訳された文が取り上げられるようになったら、
世の中、多少は変わるような気もする。
- 25 :
- 日本語で書かれたエッセイも、もとはと言えば西洋思想が学ばれた結果
出来ているものだから。
- 26 :
- 引用なし、他者への言及なしで文章を書くことの難しさよ!
- 27 :
- 文章力と読解力は必ずしも一致しない。
文章力は自らの論理を展開して辻褄が合っていれば良し。
読解力は他者の書いた文章をその論理に忠実に読み解くことだから、
自己の論理云々は関係ないと言えるだろう。
- 28 :
- 哲学的文章力は正しい読みをあえてずらすところにこそ本質があるかもしれない。
そうすることによって新たな知見が生み出されることもあるかもしれないのだから。
- 29 :
- とは言っても、ずらしたり曖昧にしたりすることには恐怖感も伴うだろう。
そこで、宗教の出番である。日常においてずれても大丈夫だという感覚を
保つために、一定の体系を持った、物事の大本を教えるものがそれである。
- 30 :
- 宗教と哲学は一体的に捉えなければならない。津田雅夫も言っていた。
学校においては、国語と倫社政経はセットで教えられなければならないだろう。
- 31 :
- 道徳もだ。
- 32 :
- 国語力なき倫理教師
道徳観なき政経教師
下部構造へのまなざしなき国語教師は
あってはならない。
- 33 :
- 哲学教師はそれらを全部ひっくるめて批判でき、
そして新たな知見を付け加えられる者でなければならない。
- 34 :
- 小中高大連携で哲学教育の革命的取り組みがなされるべきだ。
- 35 :
- 大学の付属校の生徒なんかはある意味恵まれている立場かもしれない。
上の大学の社会科学や哲学の教員から連携を兼ねて授業を受けられるかもしれないのだから。
大学受験というイベントを回避する代わりに読書に勤しむことも可能だ。
- 36 :
- まあ、大学未満の教育段階でいきなり哲学を教えるのは無理があるかもしれない。
ドイツやフランスの状況を見ているとそう思わされる。
国語という形で評論から詩やら文芸やら色んな文章に触れあうことができる
今の日本の状況の方がいいのかもしれない。
大学入試という形にはいろいろ問題があるかもしれないが。
- 37 :
- 哲学教育と国語教育─ 中等教育における連携の可能性 中等教育における連携の可能性 ─
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900117042/2013no.255_115_127.pdf
- 38 :
- コピペミスった。
上の論文の著者、森大徳氏は開成中高の教諭。
- 39 :
- 森教諭は漫画をも教材としているようだ。
「またひとり殺せた」─マンガ『夕凪の街』のセリフの深い意味を考える国語授業
学校教育におけるマンガの可能性を探る
https://mananavi.com/%E3%80%8C%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%AE%BA%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%80%8D%E2%94%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%80%8E%E5%A4%95%E5%87%AA%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%80%8F%E3%81%AE%E3%82%BB/
- 40 :
- >>37
では文科省の指導要領の記述をもとに、
道徳でも倫理でもなく、
国語科で哲学教育を行う正当性が述べられている。
個人的には、
道徳や倫理でも哲学教育と接続できるような状況が生まれてほしい。
- 41 :
- >>37
より。
”「国語」の授業で従来、「考える」場や「表現する」場がなかったわけではあるまい。
しかし、それは、あくまでもテキストに書かれていることをもとに、
テキストから離れずに行われることが多かったのではないだろうか。
例えば文学的文章では「この場面で登場人物はどのような気持ちだったか」
「なぜ登場人物はこのとき、このような行動をとったのか」といった問いが主で、
「自分だったらどのように考えるか」「自分だったらどのように行動するか」など、
自分自身に引きつけた、自己言及性を含んだ問いは従に位置づけられて
きたのではないだろうか。”
小説だと一歩間違えると結構危ういことを言っちゃう生徒もいて
大変そうな気もするけど。
- 42 :
- 筑駒の社会科の先生の日本哲学会における提題。
新科目「公共」における哲学教育の実際
http://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2018/04/2018_yamamoto.pdf
- 43 :
- >>42
の先生は授業を自分の学校だけでなく
全国で出来るようなものにし、
ネタ元を新書や文庫のような手に入りやすいものにして
ネタの取捨選択をどのようにしたか説明できるようにするとしているな。
ご立派。
- 44 :
- 現代社会に代わって公共という科目が新設され、
国語に匹敵するくらい重要な位置づけになるというのは大きいな。
熟議の民主主義を根付かせさせるきっかけになりそうだし、
哲学的な問いを突き付ける科目にもなりそうだ。
- 45 :
- 国語は、公共性から零れ落ちそうな曖昧な領域、私的な情念を扱うことになるのやもしれぬ。
- 46 :
- 無から何かが生じることはない。
では、「私」は何から生じたのか?
「私」の両親から?
でも、それなら、「私」の兄弟や姉妹も「私」の両親から生じたのだから、
なぜ、どのように「私」の兄弟や姉妹とは異なる「私」が生じたのか?
また、存在するものが無に帰すことはないだろう。
どのようなものでも、それがもとの姿形で認識され得なくなる
ように分解/解消されたとしても、無に帰すことはない。
では、命はどのように消え去るのか?
炎を上げて燃える火が消えるように消え去れるのか?
しかし、火であれば、それが消えるとしても、火として出現した
エネルギーが保存されるはずである。命が消えた後、命として
出現していたものはどのようにか保存されているのか?
「私」はどのように消え去るのか?
こういう設問で国語の作文とかさせればいいのでは?
- 47 :
- 消え去れる ×
消え去る ○
- 48 :
- 国語と科学の関係性も難しいね。
身体論に誘導したいところだが、
遺伝子がすべてをそうさせているのだ
という答えが複数出てきそうだな。
- 49 :
- 「私」はどのように消え去るのか。
自らの姿かたちを家族や友人に見られなくなることで
消え去ると言っていいのだろうか。
- 50 :
- でもその人たちの記憶には残る。
その人たちがまた「私」を次の世代に語り継ぎ、
延々と子孫が絶えなければ消え去らないこともありうるのではないか。
天皇を初めとした著名人なんかがそうだろう。
- 51 :
- 見ず知らずの人々だけしかいない他所の土地に移動しても
「私」が消え去るわけではないだろう。
- 52 :
- 語り継がれるだけで存在が残るなら、実在したかどうかも不明な
人物も残りますよ?
- 53 :
- そもそも、無から生じたのではないとすれば、「私」は何から生じたのか?
また、無から生じたとするなら、なぜ無から何かが生じることが可能なのか?
- 54 :
- >>52
古代ギリシャの哲学者とかがそうだよな。
偽書とかの存在にも言及しないといけなくなるな。
歴史の正統性の問題にもかかわる。
- 55 :
- >>53
「私」とは何か、なぜ存在するのかという問いは、
宇宙の始まりとかの話にも接続するね。
- 56 :
- 国語的な問いは哲学的思考を通じて全学問分野に拡散され、
色々な分野に精通し、絶えず自己や様々な事柄に懐疑の念を抱きつつ
前を向いて生きることにつながるのだろうね。
- 57 :
- この国語塾は、ヘーゲルを京大でかじった先生が
受験指導だけでなく大学生や社会人向けにヘーゲルの原書購読までやっている
まさに国語教育と哲学教育を接続させたような塾だな。
https://www.keimei-kokugo.net/
- 58 :
- ヘーゲルかじってたら大抵の日本語の研究書は読みやすく思えるだろうな。
エッセイや小説に関しては読書歴が物を言うんだろうけど。
- 59 :
- 京大でじゃなかった。牧野紀之のところでだった。
- 60 :
- テストは0と1しか見ないから文章に書かれたことをそのまま読ませようとする
本来の日本語に含まれている裏の意味が読み取らせることなく、
その文章だけから最低限読み取れることを問う問題が多い
この文章は仕事でよく使う文章だから、
しっかり勉強しておいた方が良いのは事実
でも、問題は現実の日本語とは乖離した文章になってるってこと
日本語は裏の意味を読み取らせる文章だから、なんでも前提があるし、
その前提が分かっていれば楽しめる文章になってる
(だから前提を解説する解説書があると良いんだけど、少ないのが玉に瑕)
これが、テストの点数主義によって歪められて
仕事で使う文章でしか小説を読むことができない人が増えた
だから、本の内容の裏を読むってことや行間を読むってことが出来なくなって、
小説に明記されていないことは描写されていないこと、って言われるようになった
- 61 :
- 小説の行間を読むとか裏を読むとかほとんど教えられたことないなあ。
せいぜい、「雨が降るという描写があるときには
そういう暗い心情に登場人物たちの心理がなっている」
とかいう風に国語の時間で教えられた記憶はあるけれども。
- 62 :
- >>21
くだらない本ばかり書いてる
ホーキングの方がまし
- 63 :
- 【高野山金剛峯寺】ネトウヨ僧侶の韓国人ヘイト投稿事件、朝日、読売、産経、毎日、全紙が記事にする
https://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1548911627/
- 64 :
- こんぺいとうとヘーゲルどっちかな。かじりつくなら。スターだろ。
- 65 :
- 小林秀雄とかはやっぱり偉大なのかな。
- 66 :
- 丸山眞男ってあんまり国語の入試問題の題材には使われないよね。
「であることとすること」は教科書に取り上げられているけど。
- 67 :
- 直裁的という言葉を使って書け
- 68 :
- http://blog2.hix05.com/2014/03/post-1016.html
丸山眞男は入試問題に使われてたみたいだ。
直截的に言えば、丸山眞男の方が小林秀雄よりも高校生の国語力を養うのによい
というブログの文章。
- 69 :
- 翻訳も評論も批評も時代と共に更新されるさ。東大おっさんだのみじゃなあ。
- 70 :
- 京大は京都学派の偉いさんの文章を出題することがある。
- 71 :
- 藤田正勝の西田幾多郎についての文章なんか、
国語の教材として使ったら面白いだろうな。
西田幾多郎の文章自体は難しすぎるから(俺は好きだが)使えないだろうけど。
- 72 :
- 熊野純彦の文章を入試に使う勇気のある高校や大学はないものだろうか。
もしあればこのスレでほめてつかわす。
- 73 :
- 早稲田や広島大学で出されているようだな。素晴らしい。
http://www.chikumashobo.co.jp/kyoukasho/textbook/subtext/hyouronsen-2012-list.pdf
http://www.waseyobi.co.jp/data/waseda/2008reguluar/ho/08ho_jap_k.pdf
https://www.johnan.jp/soukei/pdf/2013/waseda_kokusaikyoyo_kokugo_02.pdf
- 74 :
- 熊野純彦も東浩紀も国語の教科書で取り上げられるべきだな。
入試問題の方が哲学的思考の先端を行ってる。
twitter上で山月記の意義が問われていたりして話題になっているが。
個人的には削ってもいいと思う。
- 75 :
- >>61
それだと特に意味のない雨の描写で登場人物の気持ちが
落ち込んでるって思い込むだろ
- 76 :
- 遠回しに言いたいことを見抜く力と
命題をベン図として考えた時に該当する部分を見つける力が
世の中で言う読解力って言われる力だ
毎日が独立した日常じゃなくて連続した時間の流れなんだから、
前の日にあったことだとか過去にあった印象的なことを覚えていて当然なのに
さも無かったことのように同じことを繰り返すバカとか
読解力も人の気持ちも分からない奴だわ
そういう奴が今の日本人には増えてて嘆かわしい
世界的に使用される単語の減少傾向が見られててちょっと問題になってるけど、
感情表現に沢山の単語がある日本人にとって致命的とも言える現象なんだよな
なのに、いまだに相手に気持ちを感じ取れと押し付ける
反撃されたら、力不足を他人のせいにして押し付けられたとキレる
ワガママもいい加減にしろよと言いたい
- 77 :
- >>75
作者は意味もなく雨を降らせたりはしないでしょ。
- 78 :
- >>76
読解力の要求がワガママなわけね。
- 79 :
- いたいけな学生が大学に入って宗教にはまるのは、
人の生を根源まで突き詰めたような評論文を、
高校時点で読んでいないのが一因なのではないだろうか。
大学以前の教育において、
国語科や公民科で哲学や宗教についてもっと触れておく必要があるのではないか。
- 80 :
- 創価学会や統一教会が、
歴史の教科書とか倫理の教科書に載る時代もそう遠くないのかな。
- 81 :
- >>77
え、じゃあ特に意味もなく家でゴロゴロしたりしないの?
別にそういう意味のないことを文章に書いてもいいじゃん
散文体なんだし、なんで「意味のあること」って決めつけるのかさっぱり分からん
- 82 :
- >>81
わざわざ教材や入試の題材に選ぶぐらいなんだから。
のんべんだらりとした日常に終始する文章もないとは言えないが。
- 83 :
- 奈良高専で東海村の臨界事故に関する新聞記事を読み解かせて
学生に考えさせる授業。挑戦的だ。
国語の授業における技術者倫理教育の可能性
−国語表現の実践報告を兼ねて−
https://www.nara-k.ac.jp/nnct-library/publication/pdf/h13kiyo23.pdf
- 84 :
- ”日本においては「技術者倫理教育」の定義そのものがまだ十分に確立されているとはいえず、
また、ここに取り上げた授業は低学年対象の「国語表現」として行ったものであり、
専門分野から見れば不十分な面もあろう。しかし、倫理教育というものは、
知識を与えるだけでは不可能なものであり、逆にいえば、
あらゆる教科・学校の様々な状況下での教育全てにおいて、可能であるといえる。
複雑化する現代社会において、特に科学技術を扱う者はこれからますます倫理観を
問われることになるであろう。この報告がいささかでも参考になれば幸いである。”
- 85 :
- >>82
それは一部抜粋と注釈と中略が入った文が提示されて
かつ元の小説の内容から離れないように工夫された文章が提示されるだろ
俺が言いたいのはそうじゃない
テスト用の文章じゃなくて、加工されていない小説にケチつけるアホがいるって話だ
- 86 :
- >>78
思わずスルーしたけど、お前なんなの?
一応聞くけど、どういう理由でそんなレスになるわけ?
- 87 :
- >>79
高校倫理でも読んでろ
ただ、現代社会と世界史くらいは知っておかないとダメだからやり辛いかもな
- 88 :
- >>86
「遠回しに言ってることを理解しろ」が「読解力を発揮しろ」ということにつながると思ったので。
- 89 :
- 「気持ちを感じ取れ」が「遠回しに言ってることを理解しろ」につながるのかなとも思った。
- 90 :
- 国語科の人物としては、過剰なバカ騒ぎをしないと生きている気がしない。
- 91 :
- 国語の先生ってその人なりに熱いよね。
- 92 :
- >>88
>>89
俺のレスの要約をしたのか合成の誤謬を起こしたのか
疑問だったからスルーしたけど、
やっぱりお前、合成の誤謬を起こしてるわ
高校の数学で命題と論理を勉強しなおせ
こんなことで人の発言を誤解しておいて
言った言わないで人のせいにするんだからさ
- 93 :
- 必要十分な条件の命題を十分条件の命題に変えるのが要約だ
この要約に元の命題に必要な条件を加えると必要十分条件になるんだが、
知らない奴は十分条件の裏を取ってみたり、合成の誤謬を起こしたりして
全く違った命題にしちまうんだよな
要約の方法によっては不可逆変化だってことを知らないから
そうやって誤解して人を不快にするんだ
- 94 :
- 合成の誤謬って経済学の用語なんじゃないの。
論理学の用語にもあるのか。
- 95 :
- エッセイみたいな文章に
必要十分条件がどうとかあまりそぐわないようにも思える。
- 96 :
- 日本人論って難しいよね。
自分の印象、主観を説得力ある主張にしないといけないんだから。
- 97 :
- 随筆は読むのは楽しいが、
それの読解力を試されるのは正直しんどい。
- 98 :
- 国語教師が日常を生きながら非日常を持ち込む者だとすれば、
哲学教師は日常を生きながら非日常を考える者だと言えるだろうか。
- 99 :
- 新井紀子の国語論は日常に徹しているよね。
- 100 :
- ふとした何気ない経験からその経験の懐疑に至るような思考を、
国語と倫理を併せた時間で教えられたらなあと思う。
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