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はたして教育学板は必要あるのか?
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肉体的暴力はともかく無視はイジメに入らないよな
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まったく当てにならない教育学の 「 統 計 」

はたして大学院教育学研究科は必要あるのか


1 :2011/08/07 〜 最終レス :2014/11/24
大学院に行って学べるほどの何があるというのか

2 :
>>1
アレじゃないかな。

3 :
研究者になりたいのか、実践の前にもっとやっておくべきことがあるのか次第。
大体の大学院には、この2つのコース設けられてると思ったが。
教員免許6年制の話も出てるし、悪くないんじゃない?

4 :


5 :
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。


6 :
八巻正治音頭
あの時 あの駅 あのプール ホイ
日本一の リリカルシティ
友に笑われ 身内を磨く サテ
やさぐれた歌が 聞こえてくる街
ハンハンハハハン
 
喫茶店の数では 勝ち目が無い
ハンハンハハハン
投げやり地蔵に 願いを込めて
八巻正治音頭でララライライ
八巻正治音頭でヒュールリラ

7 :
駅弁の教育卒は高校教師にならないでほしい
Dランク数学、物理教師に教わったけどありゃ逆に教わるレベル
てかDランクとか受験の敗者なのになんで教鞭とろうとするのか理解不能

8 :
Fランが言うな

9 :
てか、旧帝クラスの理系博士が余ってるのに、なにが嬉しくて
底辺の教育卒の教師に習わないといけないんだろう。

10 :
www

11 :
大学院の話をしてるスレなのに、学部教育の話を持ち出してる奴って文盲なのだろうか。
認識することと、認識することを認識することへのアプローチが決定的に異なることすら
理解していないみたいだし。
まあ広島大の教育学研究科はいらんわ。
出来損ないの修了者を、権力とコネで各地の大学にねじ込むんじゃねえっつーの。
実践と理論の循環とリエンジニアリングが機軸の学問領域で、実践方面の能力はゼロだわ、
理論方面は専門学部の履修内容の10分の1もマスターしてないわで、話にならん。

12 :
駅弁大学の大学院入試落ちた。
定員割れだったのに。
しかも落ちたの俺だけ。
35歳だからかな

13 :
>>12
今はどこの大学院でも収益確保のため社会人入学大歓迎なんだぞ。

14 :
では何故落ちたんだろう。
2月また受けるつもりだけど、
今度がラストチャンスだな。
教育学って人気ないの?

15 :
その大学院で学ぶための基礎能力には達していない…という判断か?

16 :
文科省は,クソな事ばかりする。
1.教員免許更新制・・・総理を放棄した安倍総理の思いつき。
2.教員免許に介護体験を必修・・・田中真紀子が自分の介護体験を押し付けた。
3.まるで意味ない2学期制・・・単に外国の真似。日本では意味なし。多忙化。
4.給料をドンドン削減。田中角栄の教員優遇策は消えた・・・
これで,さらに教員になるのに,大学6年制になったら,だれも教師にはならないよ。
クソ文科の小役人ども,私立大学に天下りばかりしてないで,
公立小中学校や国立大,公教育を充実させろや,ボケ!

17 :
>>14
人気と入学試験の結果に関係があるのか?

18 :
6年制化は不要だけど、免許制度はいじったほうが良い。
短大卒は免許取れなくして、4大卒で二種免、修士で一種免、博士or実務業績認定で専修免に
しとけ。
んで、二種免は10〜15年で失効で更新不可。
初任研か10年研で教職大学院に通わせて1種免に切り替えるようにしとけば、バカ教師も減る。

19 :
教員免許を取得できるのは国立大学だけに限定したほうが良い。
算数すらできない社会教師など何の説得力も持たないし、
自分の子どもの教師が帝京卒など、信頼ができないのが本音。
いや学歴で人を判断するなということは分かっているんだけどね。

20 :
確かに帝京はあり得ないな

21 :
小学校教師が学士のみ
中学校教師が修士のみ
高校教師が博士または満期退学
限定でいいんじゃね。小学校教師は人数必要だから学士限定で。

22 :
教員免許が卒業すればもらえる免許だからダメ
弁護士なみに難しくしたほうがよい。
それくらいでなくては威厳がない。(体育音楽美術免許は除く)
国家資格制に賛成。

23 :
教員採用試験がすでに指導力不足教員を採用しちゃってる現状で、国家資格化して試験導入
しても無意味。
そもそも試験する側の能力に問題があるんだから。
一般企業でも、人事課が糞ばかり採用しているのと同じこと。
資質を正しく問える適切な試験なんか不可能。

24 :
実際にその仕事か直接関係するような訓練をさせながらエリミネートしていくぐらいしかないだろうけど。
航空機パイロット養成なんかがいい例。練習機を操縦させて不適格者をエリミネートしていく。
一般企業でも教員でも試用期間は一応あるがそういう運用はあまりやってない。

25 :
>>24
そうなると結局、現場実践中心の教職大学院へという話になる訳で。
試験導入で国家資格化というより、やはり教職課程を学部4年+教職大学院2年の6年生にして、
それをクリアできない奴には免許発行するなということになるかと。
もっとも、教職大学院にしても、教育学の分野って実はかなり実践指導できる教官が少なくて、
抽象論ではもっともらしい論文は書けても、それを実践に落とし込む論文や指導案を書かせると
学部3年生より酷いものを出してくる、学会のお偉方がわんさかいるので・・・。
理論と実践の両方に精通していて、理論と実践を橋渡しできるという人材は1%もいないし、
さらにその中から、学生への指導力がある人となると、もうエスパーレベル。

26 :
国家資格になるって、具体的になにが変わるの?

27 :
>>25
指導案どころかシラバスだってまともに書けてないだろw

28 :
>>25
理学部は科学を、工学部は技術を学ぶ所
もっと簡単に言うと、
理=虚学
工=実学
と言う事

29 :
理=artes liberales
工=artes mechanicae

30 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)

31 :
>>26
現状では、所定の教職単位を履修して短大・大学を卒業すれば
県の教育委員会に手続をとるだけで免許状が取得できる。
日本の短大・大学は単位認定も卒業も簡単だから、
事実上ほとんど誰でも、能力がかなりあやしくても教員の資格がとれる。
ただし学校に採用されるか(就職できるか)は別。
国家資格化すると、詳細は未定だから推測だけど
おそらく厚生労働省が医師国家試験をやるのと同じように
文部科学省が教員国家試験をやって、その合格者だけが免許状が取得できるようになる。
医師国家試験ほどの難しさにはならないだろうが、
それでも本気で免許状を取得するつもりがない者は
時間と労力の無駄だから教職単位を履修しなくなって、
その人数分だけ全国の小中高校で無駄な教育実習が減るだろうと期待できる。

32 :

中野剛志先生がTPP賛成論者の詭弁を全滅させたようです
http://www.youtube.com/watch?v=9amjatPD_l4
http://www.youtube.com/watch?v=8G29qFqId2w

中野先生が敗北宣言、暗殺される?
日本が米国の植民地に。すでに99%手遅れか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15973549

テレビ・新聞にだまされるな。
気づいたら、
「my日本」で検索


33 :
>>31
なんだよ、それ誰得だよw
教職課程の教員が楽になるだけじゃんw

34 :
age

35 :
>>33
それは逆。教職課程の教員は大変になる。国家試験になると
国家試験の合格率が高い大学・短大を高校生が選んで受験するようになる。
それが国家試験の怖いところ。
大学全入時代で大学経営者は新入生の奪い合いだから、
国試合格率が落ちると教職課程を一気につぶしにかかる可能性がある。
本当に楽になるのは実習受け入れ先の小中高校の実習指導教員とそこの児童生徒。
いわゆる「実習公害」が減るわけ。

36 :
あと、教員養成系の教育学部以外で教職課程を受ける学生が減るって事だな。
これまでは専門科目を取るついでに教職課程を取る学生がいたが、国家試験の負担が生まれることで
履修者は減り、大学での講座数も減る。
それにより非常勤講師の大幅なリストラをせざるをえない状況になるだろう。
うちの母校で教職課程の学生の質の低下が大きな問題になったことがあって、課程を取るに際して
事前テストを課すプランがあったが、開講数減少の見込みがあったからなのか実行されなかった
ことがあった。
その後、教員採用数の頭数増加のため教職課程とは全く別の教員養成系教育学部を新設したが、
有力な教授が相次いで退官し左前になっていく教職課程とは対照的に教育学部は着々と実績を
積んでいってる。
このような改革ができてない教職課程は消滅していくだろうな。

37 :
国家試験化は費用対効果がかなり望める改革だと思う。
国家試験化ってかなりのオオゴトだから、あくまでも比較の問題としてだけど。
でも各地の教育委員会に教員採用試験のノウハウがあって
大学入試センターに大規模試験の作成・運用とテスト理論研究のノウハウがあるから
文科省なら現実味がある。他の改革はもっとずっと大変。

38 :
教科教育の内容に対する専門性も大事だけど、教育学の専門性も、教育方法学のスキルも
大事で、この3つを適切に育成することが本当は大切なんだろうけどね。
この手の議論になると、必ず教科内容だけを重視した残念な人や、スキルを至上のものに
位置づけて教科内容を軽視するマヌケが出てきて、残念な結末に落ち着くのが
毎度の展開なんだけど。

39 :

違法駐車王 塩 ホ 容 疑 者
10月の成績
18/31
New Record!!
ランクAAAA
国家的犯罪者に認定します。

40 :
医師並みに国家試験+インターン制にすれば?

41 :
>>40
既得権益に胡坐をかいてるような現役バカ教師に
さらに権限(餌)を与えるって発想だな。
おまえ反射バカだろ?

42 :
そうか、そこまですでに腐ってるのか。

43 :
教員養成系ってのがゴミを量産してる全ての根源。

44 :
英単語と専門書3冊を読み込めば早稲田大学大学院に合格確実。
今なら3000万円を1800万円でそのノウハウを伝授します。
早稲田大学大学院入試研究会 担当 吉崎玲於奈
               名誉代表  倉石和彦
         ↑↑↑
1800万円って高くね?だれか確実に受かるノウハウの情報持っているいたら方教えてください。

45 :
大多数のバカ国民に教えるならばその程度の教師でも過分だ。

46 :
バカ国民にバカ教師をあてがっちゃいけないんだけどね本来は。

47 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,兵庫,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)

48 :
積年の恨みは怖いぞ。by AYS

49 :
>>46
その意見は尊重するけど、
もうそんな一般論では語れないほどレベルが下がっていて、
自浄作用も全く効かなくなっているし、
なんだか一線を越えちゃってるんじゃないかと思うんだ。

50 :
教育学部とか教職課程という全国の大学に張り巡らされた教員養成系の利権を解体しない限り無理。

51 :
・・・と,3流私大の教職担当が申し述べております。

52 :
…と,3流私大にも滑り込めなかったネラーが戯言かい?

53 :
どうでもいいFランク私大の教職課程にいる、広島大だの鳴門教育大だのの大学院卒って
いうだけで教授職にありつけた系の奴って何なの?
講義ではずっとキョドっててコミュ力ゼロで、実践指導力を育成する教科教育法の講義なのに
講義担当者が実践指導力ゼロだったり、じゃあ専門性は持っているのかといえば、それもまた
担当の教科教育の教育史が専攻ですみたいな、散々やりつくされた指導要領の年代別比較
しか語れなかったり。
こんな奴、教員養成する能力もなければ、師匠のコネで師匠主催の学術誌にお手盛り論文
載せて、身内だけで気持ち悪い世界を作る以外に何もできない無能でしょ。
いい加減に、この手の奴を落下傘で研究職につけるの止めろよ。

54 :
東大教育学修士で教職歴がある教授もこんな感じだよ。
気にくわない学生に単位を与えない糞教授だったけど。

55 :
社会化・選別・正当化だそうですから。

56 :
>>53
F乙。

57 :
>>49
うん。そうなんだよね。

58 :
>>49
そういう奴を含めて、ダメな教員をどうしたら良い教員にできるのかってのを研究するのも大学院教育研究科の役割なんじゃないの。

59 :
良い教員は良いとして正当化。
ダメ教員はダメなりに正当化。
学校は最強なのだw

60 :
>>58
大学院教育研究科の教員がダメなんだから無理じゃね?

61 :
欲をかけば、あらゆる事態が学習機会であり、そういう意味では教育に失敗はないともいえる・・・わけがねぇじゃねぇか。

62 :
てす

63 :
同じことをやっても、成功するときと失敗するときがあるというのが、理解できてないみたい。

64 :
>>61
 生涯発達心理学は、<人間>関係、すなわち局限された枠内での一律的学習、
要するに組織内での発達を主に取り扱う。社会的抑圧とはすなわち組織的抑圧。
問題だと語ることで問題になる。自分の保身のために周囲の人間に病気だとラベリングする。
トラウマだと語ることでトラウマになる。寂寞とした、汚らしい言葉で記憶を語ることで、
本当にそいつの記憶は汚いものになるし、汚い言葉で自分や他者を語ることで、
本当に自分も他者も汚いものになってゆく。仲の睦まじいカップルを蹴落とすために、
自己犠牲の美徳を振り回し、「自分のために時間と金使うな!子供産め!子供産め!」
「おまえらだけ幸せになるなど周りが認めるわけないだろ! 子供産んで不幸になれ!」
「子供産んでその時間とお金を犠牲にしろ!」と周囲の女性に当り散らす嫉妬豚。
 対して、生涯学習学は、水族館や動物園、植物園、科学館、世界遺産など、
海底生物やサバンナの猛獣、太陽や月、銀河なども視界に入れた、
大いなるものを相手にした関係を取り扱うものだ。
 言っちゃえば、ティラノサウルスだろうがトリケラトプスだろうが、
ヒグマだろうが巨大イノシシだろうが、シロナガスクジラだろうが
マッコウクジラだろうが大王イカだろうが、アフリカゾウだろうがバッファローだろうが
ジャガーだろうがアナコンダだろうが、ホオジロザメだろうが、な〜んでもありなのだ。
 どっちが本当に人を幸せにするか、どっちが本当に高級な学問か、少し考えれば分かる。
そもそもこれは、教育の機会平等の精神に立脚した、国家機関の一大公共事業なわけだし。

65 :
電波テロ装置の戦争(始)
魂は幾何学、コピー出来る公安はサリンオウム信者の子供を40歳まで社会から隔離している
オウム信者が地方で現在も潜伏している
それは新興宗教を配下とする公安(慶應卒T)の仕事だ発案で盗聴器を開発したら霊魂が寄って呼ぶ来た
<電波憑依>
スピリチャル全否定なら江原三輪氏、高橋佳子大川隆法氏は、幻聴で強制入院矛盾する日本宗教と精神科
<コードレス盗聴>
2004既に国民20%被害250〜700台数中国工作員3〜7000万円2005魂コピー機2010魂イン機歯科医Sと赤木絡む<盗聴証拠>
今年5月に日本の警視庁防課は被害者SDカード15分を保持した有る国民に出せ!!<創価幹部>
キタオカ1962年東北生は二十代で2人の女性をR殺害して入信した創価本尊はこれだけで潰せる<<<韓国工作員鸛<<<創価公明党 <テロ装置>>東芝部品)>>ヤクザ<宗教<同和<<公安<<魂複<<官憲>日本終Googl検索

66 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,兵庫,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)

67 :
>>66
あちこちにコピペして、他にすることないのか?
あ、ごめん。 ないんだよな

68 :
>>66
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
  ⇒公式ページなら事務方の問題だし、個人ページなら個人の自己顕示欲の問題。
    論文なんか論文データベースで検索すりゃ調べられるし、そもそも採用時に最低要件が
    存在しているから、実績が無いなどありえない。
    大学研究職のシステムが良く分かっていない学生か高卒が書いたとしか思えない指摘。
A博士号無し。(単にバカ)
  ⇒社会科学や人文科学系では、博士号無しが普通(博士号は勲章と同じ扱い)。
    最近は文科省の方針で若手はすぐ貰えるようになったが、課程博士の質の低さが問題に
    なっており、実学系では「修士号+実務経験」が最強の証
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
  ⇒学会誌の種類が少ないために、競争率が非常に激しく、学生でも掲載できるような理系の
   学会誌とは状況が違いすぎる。しかも、多くは筑波大や広島大などが査読権を持つため、
   審査が不公平で、審査員の教え子じゃないと掲載のハードルが上がりまくる。
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
  ⇒社会科学や人文科学系は、大学紀要で書き溜めたものを1本化して学会へ投稿するのが
   普通。自然系や工学系のように、しょーもない追試や部分改良だけでは学会誌に掲載されない。
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
  ⇒実学系は、本が売れて実践されてナンボ。「何を書いても良い」では本が売れず、実践されない。
   誰にも実践されない理論は、無いものも同じ。
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
  ⇒実学系は、実践されなきゃ理論の価値も示せない。理論を知らなければ、実践には持って行けない。
F筑波,広島,上越,兵庫,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
  ⇒上記の大学は学会の元締め以上の能力はないので、これら関係者の存在は無視すればいい。
   実際、優秀な研究者や実践家は、上記の大学以外から排出されているんだし。
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
  ⇒荒れる学校は、教員に荒れさせる程度の能力しかないから荒れる。附属学校でも荒れるところは
   荒れるし、荒れていない学校を荒れさせないまま維持する能力を無視しすぎ。
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
  ⇒崇拝しているのは、政府委員や明治図書関係者ぐらい。どこにでもいるでしょ、提灯学者は。
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)
  ⇒ノーベル賞受賞者を、受賞前に何人の人が知っていましたか?
   研究者以外は知らず、その分野を専攻してる学生すら、その人の存在を知らないでしょ。
   素人への全国的な知名度と研究実績や能力は別問題。
   そして名前は知らずとも、その無名の研究者の研究成果を、我々は生活の中で享受している。
   教育だって同じこと。

69 :
 大学や博士号がどうこうじゃなくて、教員採用試験、公務員試験が、法的重みを帯びたもの
であること、もう、大学で学んでゆく上での基礎学力を測る、子供のお遊びは終わったんだ
ってことを認識することが、入った後の俺らの人生には大きく関わってくるんじゃないのかな。
 なぜ公教育で教えられる英語と、TOEICなどの資格で教えられる英語は随分(形態が)違うと
頻繁に言及され、批判の俎上に乗せられるのか、なぜ文科省はその批判にわざと迎合したのか、
そしてなぜ、英語に限らず、日本語にせよ古文・漢文にせよ、文法(品詞 構文)が最も重んじられてきたのか、
なぜ簡単な単語を覚えたら、真っ先にやらされるのが、たとえば中学英語では英文法であり、
中学国語では国文法と古典文法なのか、そしてなぜ、文法が読解の基礎であると
受験業界で言われてきたのか。その全体の、教科教育学的な「意義」と、
指導要領的な「意図」を理解することの方が、大学入試の知識なんかより遥かに重要に俺には思える。
 言語コード、国語(統一言語・標準語)、国文法、品詞、構造化された宣言的知識、
中産階級・有識者階級、社会批判力(学校教育法)、「科学的(分析的・批判的・
あるいは産婆的)」「思考」…全てが見えてきた…
 如何に今までの自分が、親や予備校講師に騙されていたか、
そして教師に何も知らされていなかったか。意義や意図を公示されていなかったか。
そしてそれによって、階級が再生産されるところだったか…
 国家の構造が見えてくる…教育(教科)の構造が見えてくる…意図が見えてくる…
こりゃ震え上がるぞ…官憲が頭良すぎて、もう笑えるレベルじゃない…こりゃ恐怖だ…

70 :
某放送局の高校講座の倫理の時間なんか聞くとさ、現在の学校教育と照らし合わせると十分検討すべき余地のあることが、
さも当たり前かのように、考える隙を与えないがごとくスラスラと先生に喋り尽くされるんだよね。
放送時間の関係もあるかもしれないけど、あれじゃ、中身のない知識だけテストのために覚えろと言っている様な感じ。

71 :
 如何に今までの自分が井の中の蛙だったか。如何に現在まで、団地生まれの
母親に語り聞かされてきた戦後の風景(地域社会)と、公教育で教えられる
(近)現代史(日本社会、グローバル人間社会)が、次元の全くことなるものであり、
日本が西洋列強に文化的に遅れた、文化資本の貧しい成金国であったことか。
 母親が幼かった頃、一定の教養と階級を有した親のもとに生まれたお坊っちゃま・お嬢様、
幼い頃から、紀伊國屋やジュンク堂、ブックオフにアニメイト、様々な古書店に囲まれて育った子ども、
超早期教育を受け、幼稚園や小学校からハイレベル私立とか、偏差値70前後の中学入試を突破するような
家庭に生まれた子どもたちは、どのような景色を見て、どのような人生を送っていたのか。
そして、当時の教育制度、世代継承関係はどのようなもので、教育史学会や教育哲学会ではどのような
言説が著しく挙げられ、その間にも西洋の教育はどのような進歩を遂げていっていたのだろうか。
教育関係の歴史人類学は、この問にどのような答えをよこしてくれるのだろうか…

72 :
教育学の院試があります。
論文あさっていますが、オススメありますか。
書籍のオススメも是非。
夢なんですよ。

73 :
>>68
いくつかに反論
@大学教員なら,自らの業績を公開するのが原則だろう.
A確かに,課程博士の質は低下している.しかし,実学では,修士+実践
というが,医学や工学も実学でないのかね?教育学は学問にもなっていない.
B学会誌の世界にまで,政治力が及んでいること自体が異常.どうせなら,
海外の雑誌に投稿したらどうだい?
Cちゃんと査読つき(できれば国際誌)にあればいいのだが,本当に紀要にしか
ない輩が非常に多いな.
D根拠のある理論ならいいのだが,何でコロコロ変わるの?
E雑誌の査読の件もなだけど,偏った大学出身者で占められているのは,
如何に国際的でないか=学問でないかの典型例
F提灯学者はどこにでもおるが,教育学とくに学習指導要領つくっとる
連中は学者とも呼べん.お上がいうことを,鵜呑みにすること自体が失格.

74 :
>>73
業績公開は原則じゃない。
というか、そんなものは履歴書に書くものであって、広く世間に知らしめるのは大学の問題。
医学や工学は博士課程が最低水準としてとして簡単に修得できるが、人文・社会科学は無理。
アメリカの教育学の分野では、日本の教育学研究は盛んです。
そもそも状況性の理論なのに、状況性を無視して「ころころ理論が変わる」と言うのは、
内科と外科のどちらかは間違いと主張するようなもの。
原発の件しかり、薬事審査しかり、腐敗した提灯学者がどの業界でも相当数はびこっているのは
見てのとおり。
批判のための批判をしても無意味だよ。

75 :
>>73
もっとよく読め.
@教員の業績は23年度から義務化.国公立なら言うまでもなく,私学
でも,補助金もらって,かつ,受験生の情報を発信するために,必要なのは
当たり前.
http://eic.obunsha.co.jp/resource/topics/1006/0603.pdf
A学位取得の難易度を言っているのではない.
B正確な理論の元になされたなら,なぜ,教育政策がこれだけ混迷し,
コロコロ変わるのか.教育学は学校利権屋の集団にすぎない.たしかに,
原発や薬の申請でも御用は多くおるが,悪い例を挙げて,自らが免責
されるわけでもない.

76 :
訂正
受験生の→受験生に

77 :
筑波なんて学位簡単にとれる大学じゃん。とれてないのは欠陥があるとしか思えない。
そういえば、最近東大で発覚した学位論文盗作による学位取り消しも教育学だったな。
教育学はほんとレベル低いわ。

78 :
>>75
よお文盲、お前が自分の提示したソースをよく読めや。
どこにもお前の主張を裏付ける記述なんてないぞ。
お前さんの頭では、財務情報やカリキュラム情報、就職統計が教職員の研究業績なのか?
そもそも教育政策の変更と、教育学に何の因果関係があるんだよ?
中教審ですら教育学者は半分も入っておらず、政権お抱えの素人の有名人が、指導要領改訂の
度に主張を二転三転させてぶれまくるわ、安倍のように全てを無視して勝手に逆噴射するやつも
いるわ、そういう政策決定のプロセスの問題が、教育学の問題に収束すると思うのなら
いくらなんでも論理の一貫性が破綻し過ぎ。
>>77
広島大や筑波大のような、そもそも派閥形成が目的で研究者を養成する気のない大学だと
そうだろうね。
他大学では学部生ですらはねられる内容の論文を、院生が平気で書いてきて、学会でも
自由研究発表でそんなものを発表して他大学の人間に失笑されるのは風物詩だし。
論文盗作を言うのなら、どの学術分野でも、学生教員問わずに多発してるだろうに。
具体的な理論への科学的な反論をせずに、批判目的の批判で都合よく事件の一部を
切り取ることでしか反論できない時点で、君の主張は君自身が破綻してると証明しているよ。

79 :
>>78
教育学の関係者だろうが,どこまでオバかなのか..文盲の意味を知っているのかね?
学校教育法施行規則 ◇
大学は、次に掲げる教育研究活動等の状況についての情報を公表するものとする。
第172条の2
3 教員組織、教員の数並びに各教員が有する学位及び業績に関すること
教育政策,学習指導要領など国主体となっていることひっくるめて,教育
行政とわしはよんどるが,役人とつるんでるのは,広島や兵庫あたりの
御用学者さ.そんなことも知らんのか.地方の国立大は,さしずめ,教育
委員会の植民地だよ.われながら,悲しくなるよ.
もし,どっかの教育学部の教員なら,これだけオツムがよわいと,教わる
学生さんも気の毒だな.

80 :
このまえの提案型仕分けでも教員養成系のゴミっぷりが財務省に
ガンガン突っ込まれていたが、なぜか全くニュースにならなかったw
門下の関連では一番ボリュームがあったように思うんだがw

81 :
>>79
で、どこに大学教員に対する業績公開の原則化が記述されてるの?
あなたの主張だと、情報公開は大学学務担当ではなく、大学教員の責任なんでしょ?
そんなこと、どこに書いてあるのよ?
やっぱり文盲なの?
172条の冒頭の文章すら読めないの?

82 :
そもそも通知の趣旨を読めば分かるが、
>当該教員の専門性と提供できる教育内容に関することを確認できるという点に留意
とあるように、業績公開が原則ではなく、専門的に提供できる教育内容の確認をできるようにすることが
施行規則の原則なのであって、片っ端から論文を載せろという訳でもなければ、所属学会や
刊行物を片っ端から掲載しろという代物でもない。
HPに片っ端から業績を羅列するのは趣旨ではないし、しかも情報公開業務は学務担当の仕事
であって、教員個人に課せられた原則ですらなく、教員は履歴書で業績を大学に報告し、
それをどういう形で公開するかは、大学側の問題。

83 :
地方国立大が教育委員会の植民地というのは、教育g区部ですら仲が悪いところ多過ぎなのに、
その他学部も含めたら、そんな訳無いだろうに。
いまだに万能感が抜けきれない学生さん?

84 :
原則ではなく,義務化ならいいわけか.わしの勤務先では2年に1度は,
業績報告させられるよ.履歴書書いて,それっきりなしってところあるわけ
ないやろ.まあ,あんさんのところはそうかもしれんがな.
それと,文脈からして,地方大教育学部のこと.

85 :
それと,これだけ,業績を公開することに抵抗しているあんさん
の根拠を知りたいよ.もう一度かくけど,大学は公金の補助をうけて
運営されている以上,教員の業績も含め,できるだけ,情報を社会に発信
する必要があると思うんだがね.
 

86 :
教育学の研究なんて、失敗したときのことを考えると、非常に怖いんですが。

87 :
教育行政学とか、研究者じゃなくて単なる門下のパシリやってる小役人だからなあ。
まあ、もともと研究者とか思ってないけど、「研究」もしないでいただきたいと。

88 :
小倉優子

89 :
 自分というものは教育によって規定されるが、その教育がどこから
輸入されてきたのか、その文献のルーツをひたすら探求していきたい、
時間の大河をひたすら遡行して行きたいと思ったら、やっぱり学部では限界がある。
 巷の書肆に陳列されている著述をそのまんま鵜呑みにするのではなくて、
その説明は何を参考にして描写されたものなのか、あるいは歴史の教科書を教えるにしても、
その仮説はどこから来てるのか、何を根拠にそれを主張し、あるいは別の人は
どう言っているのかなど、どのように教科教育を行えばよいのかとか考え出したら、
やっぱり翻訳文しか読めない人間には制約がありすぎると思う。
 週末に英語や日本語で、時代×観点(符号)で論文を検索かけてファイルし、
レジュメを作成し、良好な記憶の状態依存性を育む授業を、
常日頃から行うようなクセがついた時には、もう日頃から読んでる本が
根本的に変わってる。極端な話すれば、学校にまるで関係のない学部に入ってそのまま遊び倒し、
予備校の英語講師や現代文講師のアルバイトで食い繋いでる人間と、
文学部や教育学部で大学院出て採用試験くぐって、正規の学校教員をやってると人間では、
家で読んでる本も授業の質も何もかもが違う。

90 :
 それに、教師には教科指導だけではなくて、生活指導の使命も課せられている。
教師は、憲法の心・同心円拡大方式に則って、子どもという名の動物、サルを、
人間化・日本人化・そして国際化していかなければならない。
いわば、西洋合理主義的に思考できるよう、生徒をアポロン化していかねばならないのだ。
そのためには、やはり学校教師、とりわけ生徒指導主任などの管理職員には、
教育諸学の方法知と教科教育学の内容知に加えて、霊長類学の知識も問われてくる。
 人間とサルの違いは何か。人間の原始的な部分、獣性をサルに類型化し、
その違いを明確に意識して啓発することで、生徒の粗野な先天的気質や、
親の養育から世襲されたオペラント条件づけは、消去されていくであろう。

91 :
「社会化」の施策に問題があると、問題のある「選別」が行われ、やがてその問題も「正当化」される。
問題のチェック機構が全くない時点で問題なのでは?

92 :
教育学の先生に質問
@なんで,西洋合理主義でならんのだ?
Aサルとヒトの違いを3つほどわかりやすく説明してくれ.

93 :
やっとやっつけたと思ったら、また敵キャラに出会ってしまったような気分。

94 :
>>@
 われわれは日本国民は、自国のことのみに専心して他国を無視してはならない。
政治の基底にある道徳法則が人類普遍であるため、そして、人類が恒久の平和に
向かうためには、世界中の人々がキリスト教神学を修め、その道徳を身につける必要がある。
そして本来、キリスト教道徳は科学と不即不離、表裏一体の関係にあるのだから、
聖書の意味をより良く咀嚼するためには、どうしても科学の素地が必要になってくる。
 事実、キリスト教の真理は神の子の受肉にあるのではなく、人間理性の中にこそあるもので、
理性で考えられるものを信じるものが真の宗教であると、ロックは言う。
それは生徒を紳士にしていく上でも、そして、教育法規に則った、
人知を超えた崇高なるものに対する畏敬の念、そして寛容の精神を育む上でも必要なものなのだ。
 [イエスが語った神の国は、伝統的なユダヤ教の終末思想とは異なりました。
「神の国はいつ来るんだ?」と聞かれたイエスは、次のように答えています。
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」](ルカ17章20-21)
 「全世界の平和のために 神の聖なる教会の反映のために すべての者が一つとなるために。」
(正教会連祷文より)

95 :
>>A
1.「人間は考える葦である」。
同心円拡大方式によれば、太陽系第三番惑星にあたるこの地球(the earth)
という星(the our planet)は、銀河系内の数千億の星々の一つにすぎないし、
その銀河系も、宇宙に存在する無数の銀河という名の生命の1個にすぎない。
しかも、その地球に生息する何百万種もの生物が実際に住んでいるのは、
実は地球のごくごく表面上にすぎない。人間は、そのたったこれっぽっちの生物圏にしか住めず、
これっぽっちのものしか見れず、これっぽっちのものしか知識を貯蔵することのできない、
記憶力も寿命も、自身を決して超えられぬように、神によってプログラムされた、
哀れでちっぽけな生き物なのだ。エビングハウスの忘却曲線、老人ボケはその最たるものである。
しかしそれを自覚することで、己の弱さ、ちっぽけさを知り、そこから対極的に
世界の偉大さを実感できる人間は、その点で、あるいは他のあらゆる方法によって
神の存在を身近に感じられる人間は、他のあらゆる種よりも最も神に近しい存在なのだ。

96 :
2.人間だけが大人になっても遊ぶ
 人間は理性だけではなく感性をも併せ持っている。
 遊びは、普段、理性によって抑えられている感性を解放してくれるものだ。
 中でも、人間が絵を描くようになったこと(フランスのラスコー洞窟、
 スペインのアルタミラ洞窟に描かれた絵画など)は、考古学界では、
 何らかの精神生活あるいは抽象的思考力の生じた証拠であるとされている。
 その点、俺は浅学にして、まだ猿と人間の行動を比較できるようなレベルの人間ではないが、
 少なくとも、絵を描かそうとすると、わざとグチャグチャにしたりして笑ってるような奴は、
 現代型サピエンスには相応しくない。また火遊びをするような奴、とくに夜に河原で
 花火ぶっぱなしたり、家でマッチで遊んでるようなサルは、即刻説教しまくって
 やめささないと、そのうち何をやり出すか分かったもんじゃない。
3.共同墓地や埋葬品
 子どもは、まだ命というものの概念が内在化されていない。
 そこら辺にあるいてる大型の虫を引っ掴んで、グロテスクに全身をひきちぎって
 解体してRところを想像しても、そのクレイジーっぷりが看取される。
 その点、小鳥や虫の死骸を見つけたら、近くに土を手で掘って、優しく埋めてあげるような
 ことをしてあげられる子どもを見つけたら、その子は間違いなく先進した子どもだと思ってよい。
 なぜなら、思いやりの心、役割取得能力は、教育目標で金科玉条とされている能力の一種だからだ。
4.洞窟、生活の工夫
 俺も発達障害児の一人だから、つい去年ぐらいまで、人のこと言えず
 「洞窟」「秘密基地」という概念があったけど、中学生にもなって、部室やら校舎裏やら
 どこぞやに隠れてゲームなんかをしたり、もっと酷い奴なんか、独りで過ごしている
 ような奴を見かけたら、そいつは何かメンタルに問題を抱え、そして頭脳に障害を抱えた
 子どもなんだなと思ってよい。人間は社会的動物である以上、如何にネットや本で
 模造品を集めようとも、本物の洞窟で化石に囲まれて暮らすことも、海底で住処を張って
 静かに暮らすことも、出来やしないのだ。そういう生活を教師が変えてやらねばならない。
 それが将来の生徒の人生に関わってくる。

97 :
5(last).文明の出現(農耕の始まり)
 世界の文明の起源といえば、言うまでもない。あの有名な、ティグリス・ユーフラテス川
 両川に挟まれた、あの肥沃な三日月地帯だ。世界が未だ一つであった時代、
 この世の全ての財を一人の英雄王(ギルガメッシュ)が支配した頃だったろうか、
 世界最古の学校、古代ウルクの書記学校(エドゥッパ)が存在したのも、遠からずその辺りだ。
 農耕が始まるにしたがって、世界経済は獲得経済から生産経済に移り、
 人間は移動生活から定住生活に移るようになった。すなわち、人間は何かを生産、創造してこそ人間なのだ。
 何のクリエイティビティもない人間、何の成果も社会に出せない人間、
 そして、いつまで経っても定住生活を送れないチンピラは、発達段階的に、
 人間すれすれのレベルに生きていること、どんなに好きな人ができても、
 そういう差別的に目で見られていることを心の底から自覚すべきなのである。
 ひきこもりなんてとくにそう。社会的ひきこもり(ニート)なんか論外。

98 :
それは成果を出す前にその芽をつぶしてきた教育界にも多大な原因があるんじゃないですか?

99 :
>>94-97
もっと手短にかいておくれ.
・教育=何でキリスト教なのか?
・洞窟絵画だけど,遊びと言うより,狩猟の安全や多産への祈り,
言い換えれば,呪術でないのかね?
 それとサルとヒトのもっとも大きな違いは,直立2足歩行,複雑な道具
を使うこと,家族を形成することかな.どこの人類学や考古学の教科書
にもかかれてある.

100 :
>>98
 いや、俺は原因の大半は親と民間組織にあると思う。人はある程度の年齢になると、
どんなに内実が腐敗しきっていて、それこそ処理できない程の問題を抱えていても、
それを見ないフリ、あたかも存在しないフリして、良い所ばかり見て
ひたすら躁的に肯定するようになる。そういう価値観を上の世代から植え付けられてきたからだ。
 歴史学者は「問題史」なんていう漠然とした綺麗な言葉を使うけど、
要するにあれは「世襲」「問題の先送りによる下の世代へのしわ寄せ」に他ならない。
民間組織に行くと、そこには何でもかんでも「自己責任」、すなわち、組織、
社会というコンテクストの中で醸成された問題を、全て下の人間に帰属し、
みんなで話し合わなければならない問題を「問題の私事化」してしまう。
こんなもの、有識者階級の世界では本来あってはならないのだけれど、
心理学者などという曲学阿世が、近年では、俗界の理屈を学会にまで持ち込むようになっている。
学校教育は当たり前のことだけど、教育六法に則っているから、そんなことは教えてはいない。

101 :
 問題の私事化、組織や現代社会(人はそれを現代の内実と書いて現実と呼ぶが)
で問題を終止させて思考停止させてしまうこと、自分を脳死状態にさせてしまうこと、
精神すら時代精神・組織文化の奴隷にしてしまうこと、これが一番、人生の質という点において良くない。
 教育に教育史があるように、産業に産業史があるように、経済に経済史があるように、
現代社会ってのはとにかく、古からの人類の営み、民族の営み、その歴史の踏査で成り立っている。
世界は、それを想起する度に、心がコトコトと踊りだすほど、生きとし生きる者の総てが、
有機的に関連し合い、影響し合いながら成り立っているのだ。
 そして、その視点で自分を相対視した時、最終的に行き着く点は、
結局「そもそもなぜ自分はこの世に生まれたのか、そこがまず問題ではないのか」
「親はどういう意図、あるいは無意識的願望をもってこの自分を生んだのか」
「親による欲求不満の世襲、現在自分が問題のしわ寄せの処理をさせられている、
そのコンテクストは具体的に一体何なのか」という点ではないだろうか。

102 :
 英語で「content」という言葉があるように、「中身」のある人間ってのは、
すなわち「〜に満足して」いる人間のことを言う。あるいは「Bildung」「educationed」
「culturaled」という言葉があるように、人間は教育や文化によって形作られてゆくもので、
「教育は人なり」と言われるように、中身(すなわち人格や人間味)のある人間とは、
教育や文化のある人間を指すのだ。つまり、中身のある人間、自分の中身に満足している人間、
内的満足感を得ている人間とは、教育や文化に対する造詣の人一倍深い人間のことを言うのである。
 以上を総括すると、なぜ親が自分を生んだのか、その歴史学的全貌が見えて来ないだろうか。
要するに、親は自分の過去の記憶という事象から意味を見出し、それによって自我同一性を
築き上げられていなかったのだ。同一性拡散、記憶障害、それらこそが、
少なくとも親の代から世襲されていたのである。
 そしてその究極原因は何か。それは時代である。問題史的考察という視点の欠如。
人間は、社会(社会という漠然とした用語)に振り回されているというより、
むしろ、変化の激しい、時代そのもの、そして人類そのものに振り回されていたのである。
全ての原因は「過去を振り返らないこと」「問題を見て見ぬフリをすること、
先送りしようとすること」、そこにあったのだ。

103 :
 だから、傍から見たら俺の方が狂ってるんだろうけど、俺からすれば、
現代人の方がよっぽど狂ってるのだ。あらゆる精神異常は、周囲からのラベリングを含んだ、
そのコンテクスト自身、とくに過去の記憶、エピソード記憶の蓄積にあるのだから、
その欲求不満のもととなっている、そのルーツを辿って消化し直していけば、それで済む話であったのだ。
 新しいものに手をつけないということ。反復は学問の母であるということ。
本や参考書を読む時は、家にある古いものから読むということ、昔間違えて捨ててしまった
本や参考書があったなら、それを買い直して読むということ、
どんどん市場に新しく出てくる漫画作品やアニメ作品をそのまんま見るのではなくて、
その背景になる文化史の本を読んだり(たとえばワンピースなら海賊史とか)、
あるいは自分が小学生頃までに見ていたものを読み返し・鑑賞し直し、
しかしそこで終止してしまえば過去を反省した意味がないから、
そこから時代の殻をぶち破って、自分が赤子の頃、もっと生まれる前、
親が子供の頃に見ていた作品にまでどんどん遡っていき、自分の中で漫画史を描いていくということ、
それによって、親の世代から世襲された欲求不満、記憶障害を解決し、
自我を築いていくということ。それが大切なのだ。
 一世代=30年、すなわち漫画は、30年ぐらい前のものの方が分析的に
読む・あるいは見る価値があるのだ。分析的に読んでいくとは、すなわち問題史的に読んでいくということ。
時代精神から出るために読むということ。人は新しいものを見れば見るほど狂っていく。
どんどん変化の絶えない時代に流され、翻弄されていく。それをあえて逆らって、遡行し、
その膨大な人類の営み・歴史・記憶の蓄積にこそ焦点を当てる。
人はそれを「カルチュラルスタディーズ」と呼び「生涯学習学」と呼ぶ。

104 :
×現代の内実 〇現代の実情

105 :
なんでもいいから,もっとわかりやすく説明してくれ.教育学の先生の
特技は,3行で説明できることを1冊の本にすることかい?

106 :
>>105
何の意味も無いデータを収集して科研費を泥棒し、
教職単位をタテに大学に居座ること。

107 :
 確かに大学にはそういう奴いるな。中高の教師も大学の教師も、
どっちも威張ってたけど、中高と大学の教師とでは、教育目標も就職動機も
試験も何もかも違うから、威張る意味合い、ニュアンスが異なってくる。
 本当に生徒に将来勝ち組(人間学的な意味での勝ち組)の道に進んで、
幸せ(教育学的な意味での幸福)になって貰いたいから、生徒を紳士に変えていきたい一心で、
説教師として、必要があって威張るのか、それとも社会正義を建前にして、
自分の卑小さや後ろめたさを隠すために、自分を大きく大きく大きく見せようとして、
「俺は偉いんだ 俺は偉いんだ 俺は偉いんだ」と、カビだらけの自分を生徒に
肯定させたい・服従させたい一心で威張るのか。
 中高の先生にもさんざん叱られてきたけど、今考えたら、かなり情熱や愛情がこもってた。
自分のこと真剣に向き合って考えてくれてたんだな〜、思われてたんだな〜って今になって思える。
 教育者は、基本、子どもとの触れ合いが命。研究者は、基本、自分の研究時間とその論文の業績が命。
自分のことしか考えられず、自分の幸せのためなら人の幸せなど踏み躙っても
何の罪悪感も感じないジコチューの溜まり場になってくるのも、至極当然の話。
自分が雑誌に記載されるような論文さえ書けて、同僚(とくに学歴の高い奴、女性にモテる奴など)
に鼻高くしてデカい面が出来ればそれでいい。生徒のことなんか知るかって奴ばっか。
 確かに教師は、保護者を始めとした人間という存在を毛嫌いし、
軽蔑し、敬遠してる奴ばっかだけど、社会や組織のためではなく、子どものために働いてる、
子どもの未来のためになら一生を捧げられるって人たちでもある。
だから教育学はやめられない。そこに生き甲斐を感じることが出来るから。

108 :
そうやってダメ教師まで同じ括弧にくくるから・・・

109 :
 それに大学の教師って、とくに学歴の低い奴ほど、「ひきこもり」の定義を
きちんと調べずに乱用しまくる奴が多い。学生を蹴落とすラベリング用語に利用してる。
 言葉通りの人間に丸め込む意図があってやってるのか、それとも知らずに
やってたのか知らけど、教育社会学的にも法律的にも、今までひきこもり
呼ばわりされてきたけど、俺ひきこもりでも何でもなかったわ。
何か今まで貼られてたラベルが一気に払拭されちまった。
 おまえはアルバイトをしていないと言ったところで、どんなにアルバイトしても、
身分は大学生。あれは単なる小遣い稼ぎにすぎず、仕事とは程遠いもので、
むしろ進学校で学業について行けない奴が部活動を言い訳にするのと同じ理屈。
俺は学歴も国家資格もないけど、アルバイトして働いてたから仕方ないと言うのと同じ。
学生支援機構が喜んで奨学金を貸してくれる今の世の中、その言い訳は通用しないのだ。
 上の世代が、自己保身のために学生を脅す・蹴落とす目的で「奨学金」を
「借金」などと呼ぶのも、あれもニュアンスに大きな誤解がある。
借金と言っても、メガバンクのような大銀行から借りるのか、闇金から借りるのか、
それとも公の機関から借りるのかによって、そのニュアンスは全く異なってくる。
学生支援機構は、中でも最もクリーンで安全な機関でもあり、その上、
法律に定められた学校教員には、特別免除制度まである。
5年働けば院の奨学金はチャラ。10年働けば学部まで全部チャラ。
言わば、奨学金という名の、単なる教育ローンにすぎない。
住宅ローンと全く一緒。むしろこっちの方がクリーンで安全。みんなやってること。

110 :
 怖いね、空威張りしてる奴って。虚勢。ハッタリ。正に全部自分のこと。
恥の投げおろし。汚名の擦り付け。投影。ぜ〜んぶ自分のコンプ。
大学職員に至っては、年収30代で300万程度、学歴は高卒、穢多出身でOKってwww
まあ神戸大学とあんま変わらんけど。

111 :
 まあ、それもあと2年の我慢だ。所詮、あいつらの出来ることなど、
学生から弁護士会(無料)や理事長にチクられたりしないように、
せいぜい名指しで言わないように、授業でそれとなく触れることすら出来ない。
所詮は俺のところに直接喧嘩売りに来ることも出来やしない。なぜなら殺されることも
職を追われることも、もう予想ついているから。それもこれも、全て官憲のおかげだろう。
彼らのおかげで、学生は昔に比べて遥かに自由になったのである。
 そして、奴らがこのスレを見ていることも全部気づいている。だからこそ書いているのだ。
授業の中でいくら遠まわしに嫌味が言っても、その脈絡の繋がりが切れればそれでおしまい。
俺はあと2年経てば、院に行こうが就職しようが、いくらでも行方をくらますことが出来るし、
いくらでも書き込み続けることが出来る。もう誰も言い返して来ない。
みんな見てるから、それこそあいつらが俺にやったように、実名を避けていくらでも書き込める。
そしてそれを、啀み合っている職場のみんなが見る。好きなだけ片っ端から面子を潰していける。
こりゃいいやwww 結論もう決まってるしwww 俺の勝ちだwww それも永遠の勝利だwwww

112 :
 触れることすら→触れることぐらいしか
そう! ついに来たのだ!! 公務員の時代が! 官憲の時代が!!
大学教授が貶められ、アカポスはいつまで経っても開かず、
早期教育の苛烈によって、私立の中高一貫が持ち上げられる時代が!!!
ああ! 助成金! 助成金!! 助成金!!!
もっとくれ〜もっとくれ〜もっとくれ〜! ギャハハハハハwwww 大学教員ざまあwwww

113 :
 教会があるから、もう二度とクリスマスに苦しめられることもない。
教会や風俗に行けば女だっている。階級闘争から目を背けるため、
風俗の取締も近年では緩い。婦女を連続で強姦しても、罪に問われない。
夜は道端に歩く女性を犯したい放題。
 男女平等? ジェンダー? はあ??? 女は男の性欲処理の奴隷に過ぎない。
所詮、男が考えていることなど、セックス以外にありはしないのだから。
 そう! 男の天国の時代が徐々にやって来たのだ! 全ては官憲が作ったのだ!
もう昔のように、女を暴行したからって死刑にされることはない! 今や女性は商品だ!
売れるか売れ残るか、愛されるか愛されないか、買ってもらえるか買ってもらえないか。
「聖霊を、私は信じます。また、聖なる公堂の教会、聖徒の「交わり」、
「罪」のゆるし、「からだ」の復活、「永遠のいのち」を信じます。アーメン。」
聖なるカトリック教徒、そして聖なる教会、聖なる神父の天国のために、アーメン。

114 :
偽キリスト教というのはカ○○○クのことらしくて、666っていうのはロー○○王のことらしいなぁ。

115 :
 だいたい、20年という時間は、使い方によっては途方もなく永いものだ。
それを「人間関係」だの「人格」だの、軽薄で具体的技術に欠ける
ものだけで済まされても、「じゃあおまえは今まで20年生きてきて、
一体何をやってきたんだ、本当におまえは何も持たない人間なのか、
何の遠近法も無い人間なのか」ってなってくる。
 普通、勉強ができない人間は、スポーツか音楽、宗教、芸術分野で何かが秀でているものだ。
なのに、心理学の手にかかってしまうと、学校の勉強も、音楽も、スポーツも、
芸術活動も、ぜ〜んぶ意味のないもの、ただのガラクタにされてしまう。
それを三人市虎を成す的なノリで、力づくで尊敬しろとか言われても、
20年何をやって来たのかも分からないんだから、そもそも理屈になっていないのである。
 他人が自分より何かを持っていると、すぐに僻んでその人間を貶めるような
嫉妬まみれの人間より、折りたたみテーブルに置けるような小型のキーボードの
1つでも持っていて、愛妻に愛のメロディーを奏でられる指を持った人間の方が
よっぽど優れていると思わないか普通。
 教師は普通、自己表現を授業中するものだが、ディズニー作品が小さい頃から大好きで、
DVDも小説も全部コンプリートしてるとか、ヴァイオリンやピアノが弾けるとか、
俺の姉みたいにスキューバの免許持ってて、長期休暇には必ずダイビングに行って
サメと一緒に泳いでますとか、何かそういう上品な趣味の1つか2つでも無いのかよ本当。
授業中、口開くたびに他人を害児呼ばわり、他人の人生や人格批判って、
それ以外授業できないのか。本当にな〜んにもない人間なのか。

116 :
http://www.youtube.com/watch?v=qqAks9uSFMQ

117 :
訂正
特別免除制度:平成10年辺りで廃止、現在は廃止中…

118 :
このおっさん、本は隠れて読めってw
http://irrespect.txt-nifty.com/

119 :
無言実行がかっこよかったのは遠い昔の話か。

120 :
 頭が良いとはどういう人間だろうか。人は分析する分析すると言うし、
最近至るところでそういうの流行っているが(とくに人間関係において)、
一体どう分析するというのだろうか…
 予めどっかの誰かが書いた本を短期記憶して、その本に書かれていた傾向の
行動を目前の人間が取れば、「そういうのを〇〇というんです」と変な烙印を押すのを
分析というのだろうか。あるいはソクラテスみたいに「俺は物事知らんけど、
それを自覚してる俺は謙虚で賢くてカッコエエw」なのか。
 哲学者は、「ツッコミ力」などという俗な言葉で表現していたから
今まで気付かなかったけど、頭が良いとは、発問力…いやこれでもまだ漠然として弱い、
俺流に言い換えれば「どこ(何)が」「どう」分からないのかに「気がつく(知覚する)」力、
「明確化する」力、「自分に知らせる(表現する)」なんじゃないかと思えてならないんだが…
 何かおかしいなぁ〜って思った時、漠然とそこに終止したり、力任せに喚き散らしたり、
「もういいや、考えても分かんないや」って放り出したり、投げやりに答えを決めつけてしまうんじゃなくて、
それを何かしらの方法・手法を持って、具体的にどうおかしいのかを明確に気が付き、
解決の糸ぐちを見つけられる人間、どの学問(問を学ぶこと)分野の本を読めばいいのか
が自分なりに分かる人間、「あ、ここが分からなかったのか、よし、帰って(書店行って)
あの本読も(買お)〜」ってなれる人間。そんな人間が俺には物凄く大きく見える。
要するに「閃」のある人、頭が柔軟な人。

121 :
>>106
>何の意味も無いデータを収集して科研費を泥棒し、
>教職単位をタテに大学に居座ること。
クソワロタwまさにそのとおりww

122 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)

123 :
放送大学あたりの教育学系の授業5分見ただけで、ドデカイ穴が開いてるの分かるのにさ、誰も疑問すら呈しないのな。
それで上がっていくから、あほ過ぎるw


124 :
 学校も大学も、職業訓練校ではない。確かにカリキュラムに技術教育なども
含まれてはいるが、教育学、人間学は、余暇の過ごし方、遊戯人や宗教人としての側面、
プライバシーの確立を含んだ、人間的諸能力の発達を目的とし、それによって多様な価値観の
共存する社会を築いてゆくことにある。国民、草の根の、一人一人が、人格的自律を果たし、
幸福に生きるために必要となる、幸福追求権、このイデオロギーが基調となっている。
座標軸が仕事一本線の人間、仕事以外何の知識もない、哀れな人間を育てることが、教育の目的ではない。
 人は社会的動物である。独りで生きてゆくことはできない。生きてゆくためには、
必ずどこかのグループ、コミュニティに属する必要がある。すなわち、人間関係を視野に入れた、
生きる力の確立だ。その時に橋渡しになってくれるのが、哲学であり、文学であり、史学であり、
宗教であり、美術であり、あるいはドラマやアニメや映画であり、そして各種博物館の利用なのだ。
 会社の人間とどう付き合うか。どうグループを組むか。
なぜ学校で勉強するのか。なぜ理科だの社会だのを勉強する必要があるのか。
それを生徒に教えることこそが、教育の一番の課題となる。

125 :
 大学受験予備校にしても、研究者にしても、民間組織にしても、
分業が進んだ現代日本においては、一本線の人間がとにかく多い。
受験勉強(大学の入学試験問題は、そもそも大学教育の一貫なんだが…)
ができなかっただけで、あるいは博士論文が書けなかっただけで、
あるいは会社で何かミスを犯しただけで、まるでそいつの人生や人格の全てが
否定されたと感じる人間、あるいは否定してくる人間がこの国には多すぎる。
 その上、宗教もロクに持たない無神論者集団だから、自分を慰めることも叶わない。
会社の出世競争とはかけ離れた、慰め合ったり愚痴を聞いてくれる親しい仲間もおらず、
面倒くさがって結婚もしないから、互いに支え合ったり、存在や行動を肯定してくれる人間もいない。
宗教を持たないということは、人生を幸福に導いてくれる引っ張り手、思想家もいないということだ。
何のために生きているかも分からない、自分独りというちっぽけな殻の中でもがき苦しみ続ける。
 不眠を患うような悩みに懊悩させられた時も、自分相手に語ってしまうことで、
さらに悩みを深刻化させてしまう。自分を肯定し、心の平安を与えてくれる人間に
語る相手がいない。自分と同じような経験をし、辛酸を舐めてくれる人間も、
その精神的視野狭窄の殻をぶち破ってくれる人間もいない。
どんなにお金を払ってエステに行っても、硬直化した神経を柔らかく揉み、
リラックスさせ、感性を和らげ、世界の肯定的で情緒的な側面を取り入れることは叶わない。
肉体の健康と心の健康は、影響し合っていても、同じではない。頭はやられたまんま。
 「どうしても落ち着かない時、気分を沈められない時、神経を治められない時は、
いざとなったら、この本を読みなさい。」という本もない。
この国の教育は、どこまでも壊れている。そして国民たちも。どいつもこいつも。

126 :
今度、大学院教育学研究科を受験すんだけどさ、今の教育の潮流、流行ってなんかある?
あんなら教えて欲しいんだけど
ちなみに専門は教育学、教育法方法学で学校教育専攻かな

127 :
教育学の大学院って採用落ちた人が行くっていうイメージなのかな?特に上越とか鳴門とか大学院の定員が多いところは。

128 :
>>127
そのあたりはたぶんそうね。
ちなみに、東大の教育学研究科は「他大学から学歴ロンダ」がやや難しい。
内部進学でそれなりに枠がうまっちゃうから。コースによっては定員6人とか
だし。内部進学希望者が6人いれば、そいつらのだれかを倒さなければ外部
の人間は入学できないw

129 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G現場出身者。(附属上がりが多く,荒れた学校を知らない)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L博士号所持でも「教育学」か「学校教育学」。(所詮,上記Fの低能大の学位)

130 :
同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば
同性愛者を人間モルモットのように扱う
同性愛研究してる社会人類学研究者。
媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら
同性愛者に近づき気安く話かけては
同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる
【文化人類学者のホモ研究者】
男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては
自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて
聞き出した同性愛者の了承もなく
同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる
傍若無人な同性愛者の社会人類学者は気味悪さは抜群で
研究対象にされた同性愛者からは不満や批判が多い。


131 :
補講はまだ教育委員会の厳格な規定はないから、補講を最大限活用した
教育カリキュラムを研究しようと思うんだけど、そういう研究の場として
やっぱり必要でしょ大学院研究かは

132 :
今第一線で活躍してる選手って、早い時期からその競技に触れている人が多い。
スポーツに限らず各方面で、今後ますます、早い時期からやる戦略は広く採用されると思う。
すると、学校も特に高校なんかだと、通信制とかが流行ってくると思うよ。
部活なども学校ではなく、NPOなどによって地域に置かれるようになる。
内藤朝雄が提唱してる新しい学校像に近づきつつある。

133 :
ここ数年引きこもって中学、高校、大学の数学全部に何故そうなるかっていう
理由を頭の中の一度文字にして、それを全部書き起こしてみた。
いろいろ分かりやすい数学の教材がでてるけど、あいかわらず脱落者が存在するから
脱落者ゼロの学習環境をまず数学で構築するつもり
その研究を大学院でするからやっぱり大学院は絶対必要、ダメだしも教授なんかにしてほしいし

134 :
脱落者ゼロということが、良いことなんだか、悪いことなんだか。

135 :
ぬくぬくとな?

136 :
wikipediaやfacebook、2chみないなのがうまくできるか分からないけど
じっくり準備してきたから、補完型の学習テキストの読書サイトみたいな
サーバーをつくってみるつもり
塾みたいな受験重視の学習環境じゃなくて、絶対評価主体、理由主体の学習環境
をつくるつもりだお
関西〜ハシゲ〜まってろ〜大阪の学習環境はオレが救ってやるぞ〜

137 :
朝ナマのおかげで
チラシ院様のおかげで
京都大教育社会学の院が全国区に
ロンダ大学院としてね

138 :
教員養成系とは一体なんだったのか?

139 :
バベルの塔のようなもの。

140 :
地方国立の院三回落ちた。
コツがあるのかな
すげえ勉強したし、休みの日は論文ばっか読んでたんだけどな。
学部時代の成績表や卒業証明書が十年前のやつだからダメだったのかな
研究室訪問してなかったからダメだったのかな

141 :
a

142 :
>>140
可能性として、
・外国語の試験の成績が悪かった
・専門の試験の成績が悪かった
・口頭試問の成績が悪かった
・研究計画書が悪かった
1次で落ちたなら上2つ、2次で落ちたら下2つ
その対処法
上2つ:外国語はひたすら長文読解をやる、専門は同じ系統の専門書を3冊用意して
    比較しながらひたすら暗記、その時書籍の目次を、暗記するカテゴリーとして
    最大限利用する。そして頭の中に区分けみたいなのを作ったら、関連項目の内容
    をひたすら暗記。その際似たような系統の専門書を比較しながら内容を追っていくと
    比較的楽に暗記できる。
下2つ:口頭試問は緊張しない。でも、緊張しちゃうって言ってもダメ。緊張しないこと。
    自分の研究は何なのかはっきり、詳細に研究手順まで明確にしておくこと。その
    とき、理由やその研究の社会的効用まで考慮にいれて臨むこと。研究計画書は
    口頭試問の時の資料として試験官に利用されるから、これも詳細につめておくこと。
    どういう過程でこの研究に興味をもち、どのような手順で研究し、その研究がどの
    ような役に立つのか。
以上のことをやれば、たいがい受かるはず。大学院であらためて教育学に興味があるので
勉強したいです的な、なんとなくアバウトな姿勢では必ず落とされます。勉強したきゃ
自分でやれ!!って一括されるか、スルーされる。今の教育学の現状をデータで持って
問題を指摘し、自分のアイデアを提示する。基本この姿勢がないとなかなか相手にして
もらえない。

143 :
>>142
どこかしらんが、地方の院なら、英語は辞書持込で半分
できれば可、専門は何とでも書いておけば点数をもらえる。現職教員
なんて、筆記試験さえないんだから、落とすような試験ではないよ。
とくに、新構想なんて、ディプロマミルとそうかわらん。

144 :
教育学界の懐の深さ次第じゃないの?

145 :
英語のテストは半分まででよくて、専門は問題に関わらず何かいても許されるって
大学院あるのか?
だったら>>140は死んだ方がいいな
一生受からない、受験するだけ無駄だよ

146 :
>>145
140はネタのような気がするな。そもそも、修士の院試対策に、
論文読む必要あるんかいな。基礎的な教科書で十分だろう。

147 :
ネタじゃないよ
三回落ちてる
一回目は六年前。
二回目は今年の夏。勉強法は英検準一級の単語と問題集を訳しまくった
多分現役大学生より英語はできた
試験は定員割れだったが俺だけ落ちた。三回目は大学で論文を読みまくった
試験は英語を避けて小論文を提出した。
しかし結果は他のあとから来た人が受かって俺は落ちた。

148 :
院試は大学入試とは違って、採る側がほしいと思う人を採る
140は努力の方向がズレている
っていう基本中の基本が140にはわかってないんじゃないのかな

149 :
あんまり詳しく書くとばれるから書かないけど
地方国立で
倍率は1.0に限りなく近く、定員割れもおこる大学院。
テストは多分形だけ。
面接も形だけで、
研究計画書が100%だと思う。そのような印象を受けた。
自分の計画書は社会的な役割が無かったのだと思う。

150 :
来年から院生なんだが、他学部からだからちょっと不安。140さんは現職なの?学部教育?ちなみにどんな研究内容提出したの参考までに教えてほしいです。

151 :
チャレンジャー4回目さん
恥ずかしいかもしれないけど、大学院や研究内容を教えてくださいよ
教えたところで、個人名は特定されませんから
ろくに試験や研究計画書を評価もせず落とされたのか、ガチで落とされたのか
ガチで落とされたのなら、試験への準備・手順で問題があったのだから、合格
の可能性はあると思いますけど。

152 :
今通勤途中なんで
詳しくは書けないけど
塾講師から見る生徒の成績の上げ方

153 :
>ろくに試験や研究計画書を評価もせず落とされたのか
やっぱ反体制派は落とされるのね。

154 :
>>152
貴殿は、たぶん基礎学力はあるのだと思う。ただ、教員養成学部というのは、
「成績の上げ方」など興味がない。師範学校をWikiで検索してみ。
小学校教員には、高校入試レベルで十分、というより、中学課程も含め、
大学での、専門教科のは必要ないという雰囲気だな。

155 :
同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば
同性愛者を人間モルモットのように扱う
同性愛研究してる社会人類学研究者。
媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら
同性愛者に近づき気安く話かけては
同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる
【文化人類学者のホモ研究者】
男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては
自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて
聞き出した同性愛者の了承もなく
同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる
傍若無人な同性愛研究者の社会人類学者は気味悪さは抜群で
研究対象にされた同性愛者からは
同性愛研究者に不満や批判が多く苦情も殺到している。

156 :
>>143
教育学の学位って、ほんと価値無いよな。まさに和製ディプロマミル。

157 :
論文テーマ【これからの学校教育の方向性】
1. はじめに
本論では筆者が社会人として5年間過ごしてきた、学習塾という教育産業が子どもたちに提供する学習の場と、
公教育が提供する学習の場(ここでは公立中学校に限定したい)の差異、役割のちがい、向かうべき方向性について論じてく。
よって本論はその性格上、科学的な実験結果に基づく報告を主とするものではない。目的はあくまでも筆者の本学での1年間の
研究を整理し、総まとめを示すことにより、次年度以降の研究への枠組みを示すことにある。

158 :
2. 学習塾が目指してきたものと現在の状況
05年の文科省の調査によると、学校の他に学習塾に通う子は小学校で36.9%、中学校では50.9%に達している。市場原理の観点
から見ると学習塾はニーズに応えることで存在価値を保っている。そのニーズとは、ほぼ成績向上、志望校合格といった「目に
見える学習面での結果」といっていいだろう。学習塾は、それにより過度の受験競争をあおる存在として一部教育関係者に目の
敵とされてきた。過度の塾通いは、子ども達から自然体験や遊びなど、子どもらしさやゆとりを奪っているとされるからだ。
そんな中、02年度から実施された新教育課程では、「週休5日制」や「授業時間数の削減」、「総合的な学習の時間の新設」に
よる特色ある教育、学校づくりで知識偏重の教育を改める試みを実行した。
しかし、その新教育課程こそが学習塾の格好の宣伝材料になったといえる。削減された授業内容では志望校、とりわけ難関校に
は合格できないからだ。新教育課程と受験制度とのリンクがなされていないため、学校だけ通っていても「(受験に合格するた
めの)学力」は身につかないというわけだ。ゆとりを持たせる名の下に、学習塾に通っている子とそうでない子の間に大きな学
力格差がもたらされることになってしまう。そこが宣伝文句となった。
さらに目の敵にしていた学習塾を、学校側が受け入れつつある。杉並区では04年度から06年度までの暫定として学習塾講師によ
る授業の実施を導入した。港区でも06年度には全部の中学校で土曜特別講座を学習塾講師によって希望者に行っている。いずれ
も学校選択制をとっている区域であるため、公立中学であっても「教育サービス次第」で保護者・生徒から選ばれる立場となっ
ている。サービスの悪い学校に子どもたちは集まらない。それは保護者・生徒のニーズが「(受験に合格するための)学力」と
いうことを学校側が認めているに他ならない。裏を返せば「ゆとり教育は失敗だった」と認めているようなものである。実際に
東京都などでは今年から授業時間数が増加され、元に戻り始めた。現実のニーズを見極め、これまで批判の対象だった学習塾を
学校側が追いかけていくという図式になり始めたといってもよい。

159 :
3. 学校教育へのニーズの変化
近代に入ったばかりの頃のような「国家に従順な国民」を育成しないと欧米に植民地にされる、というような時代は終わった。
ただし、植民地支配はないにしても経済的に追い込まれることは今後充分ありえる。そうなると国民一人ひとりのもつ生産能力、
発想力はますます重大な課題となり、やはり教育は重要なキーワードとなる。ただし、今までのような集団性、社会性第一とい
った教育の役割はある程度終わったのではないか。これからは国民一人ひとりが「個人の能力を伸ばし、未来を切り拓いていく」
ための教育が求められるはずだ。ただし、その根本にあるのは確かな学力だというのは否定のしようがないだろう。そういった
中で、保護者・生徒は「(受験に合格するための)学力」を求めている。それが目に見える成果だからだ。目に見えない成果の
ために努力を継続させることは難しい。「(受験に合格するための)学力」を伸ばしてくれる学校=自分を成長させてくれる学
校、という概念はもはや固定化されつつあるのではないか。よって首都圏での私立中学受験の流れは近年拍車がかかっている。
公立の荒廃というのも挙げられるが、多くは「受験に有利になるため」という声である。
少子化を受けて、公立校でも差別化の時代となった。今後は保護者・生徒を顧客と考え、いかにサービスを提供するかという市
場原理の導入を意識的に運営に活かせる学校や教員が求められていくと考えられる。

160 :
4. これからの学校教育の方向性
学校は学習塾に劣る存在なのか―漠然とそう思ったことがあった。ただ、今思うことはそもそも同じ土俵に置いて比べることが
おかしいということだ。確かに「(受験に合格するための)学力」を身につけさせること、それに合わせた授業を行うことでは、
専門分野である学習塾の方が勝っているだろう。最近では、大手塾や大手予備校主催による、学校の先生に対しての「うまい授
業の仕方のレクチャー」も実施されるほどだ。
しかし、本来学校の管轄する教育はもっと幅広いはずだ。知育・徳育・体育をバランスよく育成する場である。行事への取り組
み、グループ活動を通しての社会性、調べ上げたことを発表・ディスカッションする力。これらは「(受験に合格するための)
学力」のようにすぐに目に見え、評価しやすい力ではないと思う。だが、それこそ社会に出る上で人としてどれも身につけてお
かなければならない力である。こうした能力を養ってきたのはやはり学校教育なのである。そもそも学習塾とは与えられた役割
がちがうのだ。だからこそ、学校と学習塾は双方の足りない分野を補い合う補完的な関係であるといえる。決して、同じ土俵に
置き、対立・比較させるものではないのだと考える。
よって、「(受験に合格するための)学力」だけではない、学習塾にはない魅力を学校側がもっともっと自信をもってアピール
していくことが必要ではないか。学校における教育活動の理解と地域の参画を求め、なるべく多く開放し、オープンな場にして
いく。「地域の目」が入るようにする。さまざまな背景により、たとえ教育が困難な状況にある場合だったとしても、それを内
側に隠すのではなく、あえて地域の人々に見てもらい、自らの目で確認し共有してもらう。そうしたことで教育機能が学校のみ
に留まらず、地域の大人達にも波及していくのではないか。学校を「生徒と先生の場」から「生徒と地域の場」にしていく必要
があると考える。

161 :
5. まとめ
確かに現状のニーズからすると学習塾のはたす役割は大きい。これからもなくなることはないように思う。ただ、やはり学校と
学習塾は与えられた役割がちがう。だからこそ、保護者や地域は学校を「消費者」としての目線で見るのではなく、「教育参画
者」としてとらえることが必要だ。ともに学校を成長させるメンバーとなることで一体感を生み、学校が子どもと大人、地域の
人々の心を結ぶシンボルのような存在になることが理想だと考える。

162 :
6.参考文献
  『学校崩壊』(河上亮一/草思社)1999年
  『教育改革と新自由主義』(斉藤貴男/寺子屋新書)2004年
  『学校が学習塾にのみこまれる日』(前屋毅/朝日新聞社)2006年
  『公立校の逆襲いい学校をつくろう』(藤原和博/朝日新聞社)2004年
  『教育格差』(和田秀樹/PHP研究所)2006年
  『教育学がわかる辞典』(田中智志/日本実業出版社)2003年
  『近現代教育史』(柴田義松・斉藤利彦/学文社)2005年
  『読むだけ小論文』(樋口裕一/学研)2001年
  『ヤンキー先生の教育改革』(義家弘介/幻冬舎)2005年
  『予備校講師からの提言』(竹内久顕/高文社)2001年

163 :
>>140さん
>>157>>162のような感じになっていませんか?
何がダメかというと、研究の対象範囲が広すぎて焦点を絞りきれてない点です。
エッジング(枠組み=研究範囲をはっきりさせること)、研究計画書や論文には
このエッジングが必要です。ですから、テーマ設定には十分な注意が必要です。
大学院というところは、総論やイデオロギーだけの研究計画書や論文を嫌います。
各論でどれだけつめた内容にできるか、具体性があるのかが、合否の鍵となります。
データや先行研究に裏打ちされた具体性のあるアイデアをもって、臨むことが大切
です。
どこかのサイトでコピー&ペーストしたような研究計画書にならないよう、独りよが
りな研究計画書にならないように気をつけてください。知り合いに下書きを読んでも
らうというのもいい手かもしれません。

164 :
163も言っとるように先行研究について盛り込むとよい。
文系の研究はえてして
先行研究はこんな点が不十分だ
だから俺はここを研究するんだ
って流れが多い。学会誌なんかそんなんばっか。
大学院では学会誌に載るレベルの研究が要求されます。
とりあえずCiniiとかでも見て使えそうなもの探したらどうかな?

165 :
みなさんありがとうございます
また頑張って受けてみようと思います

166 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
E著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ)
G附属小・中出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)

167 :
 院試とか関係なく、趣味で幼児教育学の専門書、有斐閣で読んでたけど、
遊戯教育学なんて言葉あったんだな。今までの育ち、家族、郷戸の中で培われた、
世襲された価値観、局所的な組織社会、そこで注がれ、貼り付けられた
(括りつけられた)否定的なステレオ、無意味とされていた部分的記憶の囲いによる
精神的視野狭窄や孵化効果が、どんどん外され、フォーマルな言葉に置き換えられていく。
ルソーにしてもフレーベルにしても、教育学者は、本当、みんな頭柔らかいな。
 記憶とは畢竟、所与的な文化的・社会的コンテクストの中で、言葉によって、
部分的に記述される(二次加工される)ことで醸成されていく。人は自分に都合のいい
側面だけ記述しようとする。自分に都合のいいシナリオ、プロットを編もうとする。
無限や中立などというものは存在しない。人は必ず、育ちの中で培われた、
何かしらの価値観、主義に立脚し、何かしらの偏り・傾向を持つ。
道徳的判断は、その中から醸成される。

168 :
 その限りで、本を読むという行為は、決して人を書物の中に隔離するものではなく、
むしろ自分という土俵に気がつき、そこから外に出させることに意義がある。
大学の教員連中が憲法学を貶していたのも、あれも結局は奴らの偏見にすぎない。
むしろ、書物よりも組織社会、いわゆる世間とやらに、要するに自分の側に
力学的な優位性を置いて語ることで、書物という権威的なものから逃げてたんだね。
家族や組織、地域という共同体の中で、組織的防衛によって、神話的慰安に浸ろうとしていたわけだ。
 いわゆる分析、哲学といわれる行為の背後には、必ずこの「価値観」、神話が潜んでいる。
哲学青年だった頃、全ての学問が哲学から始まったなんて信じ込まされていたが、
あれも結局は、哲学者が言っているだけであって、教育学者は、学問は教育論争から
始まったって言うし、歴史学者は歴史学から始まったって言う。
人それぞれ、解釈の仕方、見方が違う。でも、それをあえて口にはしない。
心理学者や社会学者なんか特に酷い。
 教育学が、意図的・目的的に、特定の社会、共同体に人を心理社会的に
コミットさせてゆく営みである限り、こういうことが次々に見えてくるのは、
教育学の特性であり強みと言えるだろう。知らされていなかったのは、俺と家族だけ。
幼稚園の先生から始まり、教育界の人間は、こういうこと、もう全部知ってたんだな。

169 :
 そして、歴史学の始まり(確かヘロドトスだっけか)にしても、
そもそもは個人の生活経験から始まったものとされる。年代史などではなかった。
人が社会的動物である限り、歴史を描く、社会史、関係史を描くということは、
自分史を描くということであり、それらは全て、人間の営みを究明する人文科学に
属するものに他ならない。
 歴史学者や人類学者、教育学者は、もうとっくに気がついていた。
だからこそ、全体史や生活史を教育現場で教えることを重んじたし、
史料としての人類の記憶の分析を大切にすることを説いた。
そこに記述される際の、人間の無意識的願望にも、とっくに気づいていた。
「記憶」「学習」というものを、多角的に分析・研究していた教育学者も、そこは同じ。
 論文を書くという行為は、間接的に自分を表現する行為だ。
その限りで、文章を滔々と書き連ねる輩は、みんな俺と同様、精神薄弱なのである。
自分の中身に満足していないのだ。その上、どいつもこいつも強がりである。
哲学者なんか特にそう。この世は、虚栄心とホラ吹き、そして薄弱な精神共に編まれた神話で溢れている。
どこの組織に行っても… やっぱ『エミール』最高だわw ルソー隻眼ありすぎw

170 :
ワシもこの8月、9月、10月の間に院試受けるお
オマイラよろしくね

171 :
 しかし、ルソーは同時に、消極教育の原則に則って、自然人としての自我の
大切さも説いていた。すなわち、社会史に偏らず、自然史を描くということの重要性、
自然人としてのアイデンティティの構築の重要性。言うならば、spiral identity。
大人と子供、社会人と自然人、人間と動物、それぞれの長所と短所…
 かつて、スイス連邦は、ジュネーブ宣言において、人類は「子どもに最善ものを
与える義務を負う」と宣言したが、ルソーが考えた「最善のもの」とは、
この自然人としてのアイデンティティ、人間の尊厳のようなものだったらしい。
弁護士や医者、貴族や農民である以前に、まずどこまでも人間であること、
そして生きることを教えることが、エミール、そして教育の正鵠なんだと。

172 :
 教育学者から言わせれば、周縁の民間人が言うような、いわゆる社会性の優れた人間、
社会慣れした人間が、必ずしも「人間」として優れているのではないらしい。
ラッセル曰く、社会的成功は幸福の一要素にすぎないし、社会と一口に言っても、
家族や組織、地域、国家、連邦、生物圏、そのさらに外の、神性を帯びた神的な社会と、
社会は実に多様である。これら諸社会の境界線もいまいち曖昧だ。
どこまでが生物社会で、どこからが神的な社会かすら人類には未だ分らない。
深海底が未だ宇宙よりも未開のままであることがそれを証明している。
 人は社会化される過程で、自分をある種の基準、組織社会的・上下関係的な
基準では自分を相対視できるようにはなってゆくが、その過程で、
反って、その人間中心主義的・組織中心主義的な、局所的な価値基準の中に
押し込まれていくものや、捨象されてゆくものも山ほど有るのではないか。
だから彼らは自然人教育を大切にした。ヘルバルトが教育学の基礎を倫理学に置いたのも、
ある種これに関係あったのかもしれない。大人になって、この感性を失わず、
動物の権利や倫理より、人間の権利や倫理をついつい優先してしまう、
この社会的矛盾、生物多様性とも言うべき、真の多様性、相対性を見据えている人間は、
確率的には実に皆無に等しい。
 子どもを国際人にしていくこと。遊戯人にしていくこと。
そして自然人にしていくこと。もしかしたら、うちの哲学教官みたいな人が、
教育学が目指した、真の人間のあり方なのかもしれない。

173 :
大学院受験の際には,以下を必ずチェック。
クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ)
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
E著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ)
G附属小・中出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)

174 :
本学教育学部教員の研究不正行為について
http://www.shiga-u.ac.jp/main.cgi?c=topics:1603&r=0
滋賀教育大w

175 :

  思想・経済統制 → 国民動員 → 対外経済戦争
 

176 :
 人は人に認めてもらいたい。存在や行動を肯定されたい。だから何かしらの
手段を用いて人は表現する。しかし、人は、自分を高みに置こうとする人間を嫌うし、
「俺を褒めて褒めて褒めて〜」という、肯定されたい、認めてもらいたいという
願望が鼻につくのを嫌う。
 謙遜って言ったら聞こえ悪いけど、自己表現の基本は、相手を褒めること
にあるように思える。誰でもそうだけど、大ボラのお世辞でも、自分を褒めてくれる
人間の方が一緒にいて気持ちがいいからだ。それは入社面接でもどこでも問われることだろう。
 だから、心理学者みたいに「俺を認めろ!」なんて態度を取って、
何もない自分を正当化するために、ロクでもない特化的な人間を持ち上げて
ハロー効果でカーテンかけたり、一方で、自分の前で横柄な態度を取る人間、
自分の前で謙遜しない人間を害児呼ばわりするだけの人間は、結局誰にも愛されない。
 法的根拠を持たないような差別に訴え、周囲を貶めることでしか自分を表現できない
人間の内面など、端っから痴れているからだ。端からフォーマルな世界から
疎外されている人間だと。自分の前で謙遜しない人間はみんな害児。
自分を褒めない人間はみんな害児。俺様人間。人に褒められたくば、
まずはどんなにクソったれでも自分から褒めるのが基本だし、自分から謙遜するのが基本だ。

177 :
× 端からフォーマルな世界から疎外されている人間だと。
○ 端からフォーマルなものを何も持ち合わせていない証拠だと
(それしか方法が見つからない、それ以外の手段を持ち合わせていないのである)。
 彼らに本当に必要なものは、自分の価値観至上主義的に、価値観に順位をつける
能力ではない。それでは自縄自縛に陥るだけだ。必要なのは、論理的正当性と
人心掌握術をもって、自分の価値観を相手に納得させる能力である。
人は何がしかの観点で疎外されている。そんな自分を優れているとか、
人のこと粗探しして腐ってる腐ってると強弁するのではなくて、
その負となっている箇所を(collect→ categorise → brush up)によって
澄明とした、鮮明なものにし、人生の正と負の緊張関係の糸を解きほぐして
結びなおしてゆくのである。そうしているうちに、人は徐々に明鏡止水とした心境に向かってゆく。
 そもそも家族すら持てない輩に、家庭内暴力がどうのこうの言う資格など、
本来ないのである。人に愛されるということは、少なくとも何かしらの観点で、
人を傷つけたり嫌われるようなことをせずとも、自己を表現できるような手段を
持っているということであり、婚約指輪とは、その証でもあるのだから。
人を貶めたり虐げたりしているだけの人間には、永遠にパートナーは訪れない。
誰も一緒の部屋に居たいと思わない。
 社会的動物、問題史という観点で人を見た時、差別や人格批判に訴える人間は、
やはりそういう家族や共同体の中で育ってきたと思われても仕方ないのである。
どんなに心理学のカーテンで隠しても、言動と現象学で分かってしまうのだ。
やれ家庭内暴力がどうのこうの、そんな卑近なものを専門とするような
学科進んでいる人間は、やはりそういう観点で飢えてきた人間に他ならないのだから。
全部、自分の過去の記憶、育ちからの投影にすぎなかった、という結末に、
最終的には行きつくのである。心理学と教育学、やはり両者は相いれないのかもしれない。

178 :
田舎に住んでる親父!
田舎のお袋!田舎の同級生!会社の同僚のみんな!
http://www.youtube.com/watch?v=eLsZqEyCH_0&sns=em
俺はホモとして生きて行くよ!
近所や職場でゲイ疑惑がある同僚やホモのウワサがある仲間や友達や親族を見つけたり探したり確認したいなら
この動画を見てくれ!
http://www.youtube.com/watch?v=HcvArkQtoIA&sns=em
各企業の採用担当者や面接官には
俺たち就職を控えてるゲイの大学生が東京の路上で伸び伸びとハシャイでる素の姿をみて欲しい
http://www.youtube.com/watch?v=ewEKGHujCng&sns=em

179 :
教育学部の教員の業績を調べよう。
以下は,クズ教員の判断基準。
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単に能力なし,バカ,あっても博士(教育学or学校教育学))
B学術論文(学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=誰でも掲載)
D著書がやたらと多い。(本は何を書いても良い=楽チン)
E「理論より学校現場が大事」という。(理論はわからない)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない)
G教育学部附属小・中・高の元教師。(荒れた学校を知らない生徒指導不能者)
H学習指導要領崇拝。(文科省のイヌでしかない)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする,講演,指導助言専門の低脳)
J国立教育政策研究所出身。(現場上がりのクズばかり,学位無し多し

180 :
ゲイの朝日新聞東京本社文化くらし報道本部記者「新谷祐一(33)」が
東京都江東区白河の自宅で乱パを開催して覚醒剤で逮捕されて
その流れでホモのNHKディレクター「迫間崇(46)渋谷区神山町」NHK編成局ソフト開発センターがハワイで逮捕されて 芋づる式に続々と違法薬物で同性愛犯罪者として逮捕されてるね。
2012年3月5日。
http://m.logsoku.com/thread/uni.2ch.sc/newsplus/1330982903/
覚醒剤を使ったとして警視庁大井署が
覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで、
【埼玉医科大学】講師で医師、
【矢ヶ崎史治(48)】=埼玉県飯能市と、
【大手都市銀行員の男(31)】を逮捕していたことが2012年3月5日、警視庁大井署への取材で分かった。
警視庁大井署によると、2人とも容疑を認めてるという。
大手都市銀行員の男には精神科への通院歴があることから、
警視庁大井署は刑事責任能力について慎重に調べる。
逮捕容疑は、2人は【2012年2月26日】、【東京都新宿区のマンションの一室】で、それぞれ注射器を使って覚醒剤を体内に注入したとしている。
【マンションでは知人が集まって】覚醒剤を使用しているとの情報があった。

181 :
教育学部で論文修士とか論文博士っていうコースあるのでしょうか?

182 :
ねえよ。

183 :
少しくらいならあってもいいだろ

184 :
>>173
文部科学省スレッド Part22
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/koumu/1321061605/
787 :非公開@個人情報保護のため:2012/03/27(火) 22:36:54.37
国立教育政策研究所はアンケート調査もやってるよ。
でも、小・中・高や教員養成系大学の教員の意見や感想を聞くアンケートだから、
教育ムラの理想論・観念論・妄想を集めただけの、客観性ゼロの調査になっている。
こんなもの、実証研究とは言えないよ。
http://www.nier.go.jp/05_kenkyu_seika/seika_link.html
から、国立教育政策研究所の研究報告書を探すことができる。
研究報告書は分厚いだけで、中身は、アンケート調査結果と事例紹介と資料集と
研究所外の研究者に書いてもらった論文(自分たちで論文を書けないのか?)がほとんど。
はさみとのりで切り貼りして作った中身空っぽの代物。
こんなものを読むのは時間の無駄
789 :非公開@個人情報保護のため:2012/03/28(水) 21:09:13.61
>>787
プロジェクト研究の報告書のレベルが低い原因は、
文科省が国立教育政策研究所に押し付けた評価システムにあります。
(この評価システムは秘密にされていたが、ばれてしまっている)
プロジェクト研究に参加しても、学界では研究業績としては評価されない。
なぜかと言うと、数十人規模のプロジェクトなので、各個人の貢献度は分からないし、
国立教育政策研究所のプロジェクト研究のレベルが低いことは、みんな知っているから。
しかし、プロジェクト研究への参加を拒むと、人事評価で報復を受ける。
そのため、嫌々ながら参加して、適当にお茶を濁す。
一方、学会誌などへの論文投稿は、学界では研究業績として評価されるが、
国立教育政策研究所の人事評価では全く評価されない。

185 :

パチンコと売春の「うんこ地帯」で生活する発達障害者(チビ、ブサ、知的障害)


186 :
>>179
優秀教員の判断基準を教えてください。

187 :
結果往来です。
判断基準というもの自体が全体主義的な発想だと思います。
要は、つめこみ型とゆとり型の両方の受け皿を用意しておいて、詰め込みでダメだったらゆとりに行くっていう、ワンクッションが必要だと思います。
自由というのは不自由があって初めて分かるもので、不自由ををある程度味わわなければ、自由の重要性がわからないと思います。
問題意識を持たせるためにあえて詰め込み型を強制するというのは、戦略的にはありだと思います。
もちろん、そのまま詰め込み型で良い生徒は、そのままの路線でいけばいい。

188 :

ホリエモンのブログ  元ニート  でググれ

腹よじれてワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

189 :
>詰め込みでダメだったらゆとりに行くっていう、
マジレスするのもアレかともおもうけど、
要するに、落ちこぼれに自由を与えろってことか?w

190 :
できん者はできんままで結構

191 :
教職大学院は、研究者のカスの巣窟!
入学を考えている人は、
以下のことをよ〜〜く、お考えになって決めた方が良い。
教職クズ大学院の教員の特徴は,以下の通り。
いずれも,研究はできず,業績は自慢話と手柄話。
書いたものは,学習指導案レベルのレポートで,英文の学会誌などは皆無。
@退職校長や指導主事経験者・・・現場の自慢話が講義である。
A教育学部附属小・中学校の元教員・・・良い子ちゃんしか,教えられない理想主義者。
Bたいていは,地元の教育学部出身者・・・教育委員会との単なる顔つなぎで採用される。
C学位はあっても教育学か,学校教育学(笑)・・・中学生のレポートレベルの博士号。
D実務家教員(現場出身者)・・・彼らは実務家教員と呼ばれ,大学の研究者とはみなされない。

192 :
何やっても構わないが、失敗したときには責任を取るという最低限のことも、教育学部は教えたほうがいい。

193 :
失敗しても責任を取らない大人は、教育学部出身者じゃなくても、民間企業の人間でも
わんさかいるよね。

194 :
思春期に受けた心の傷は一生残るっていうからね。

195 :
「1部屋しか確保できなかったから一緒に寝よう」女子学生に同じ布団での宿泊を強要した宮城教育大准教授に懲戒処分!
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120419-OYT1T00210.htm


196 :
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L現場上がりの教職大学院教員。(学校での手柄話,自慢話をすることが研究だと思っている,雑談先生)

197 :
>>196 いいじゃないか。現場の実践と理論研究は、やりがいもあるぞ。
職務的にも修士以上・専修は教育界の宝。

198 :
>>197
教育系の板やスレに発狂したように同じコピペを貼りまくってるようなキチガイには
コメントするだけ無駄だよ。
きっと思い上がった自尊心をバッキバキにされて、ぐうの音も出せずに壊れちゃったんだろう。

199 :
わかりません

200 :
現行の免許制度が続くかぎり必要だな。

201 :
どんな本読めば入れるの?

202 :
まずは岩波ブックレットみたいな軽いのをある程度批判的に読んで論点を
まとめたりすることおすすめする。
それが終わったら行きたい研究室の教授が書いてある本とか専門書とか。

203 :
大学院進学のために岩波ブックレットを頑張って読みましたみたいなバカを入学させる大学院はない。
あんなのは高校生が読むもの。

204 :
岩波ブックレットはあくまでも足がかりだね。あれだけ読んで受かる大学院はさすがにないw
ただ、薄いから教育分野について広く浅く捉えるなら数をこなすとよい。
例えば、佐藤とか苅谷とか志水あたりが書いたブックレットを読んでから彼らの専門書に入っ
ていくとかなり理解しやすいと思われ。

205 :
岩波ブックレットを購入しようと思いました。
で、amazomを見ましたが、送料のほうが高くてびっくり
これ普通の書店で売っていますか?

206 :
>>205
ジュンク堂とか紀伊国屋とか

207 :
サンクス

208 :
教育専門職大学院を作るべきだ。
学士を取った後、1年で教員免許がとれる大学院。

209 :
学士ごときの専門性しかないのに、1年しか養成を受けていないヤブ教師は不必要です。

210 :
専門職大学院あるよ、現職教員が対象だけど
てか>>208が言ってるのは教職特別課程という名称で開講されてる

211 :
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L現場上がりの教職大学院教員。(学校での手柄話,自慢話をすることが研究だと思っている,雑談先生)

212 :
教育とは、勝者の奥義伝承システムだ。
にもかかわらず、勝者でもないものが自分を勝者と同等に位置づけ、教育を語る。
それはおかしい。

213 :
>勝者の奥義伝承システム
必要悪も含めて、いろんな意味でのね。

214 :
 学校教員という制約の中では、底辺であればあるほど、現場主義が蔓延してる
だろうから、理想なんて捏ねてられないけど、教育学者が学校教員に与える影響
という面で見れば、教育、人間形成という、最も実存的な影響を与える仕事においては、
きちんと出版、書物を通じて、彼らを指導してあげられる人間がいるんじゃないか。
 子どもの頃、周りの大人たちは、みんな努力努力努力と叫んで、自分の責任を
全部子どもに丸投げしてるのを隠してたけど、―今のところ残念ながらあまりないが―、
地域によって、情報の源泉の落差(デジタルデバイド)がありすぎる。
 教育思想とか教育哲学とか、よく分からんのはあるんだけど、教育言語学とか、
教育地理学とかは聞いたことがない。語彙爆発でも何でもいいけど、言語が人間形成に及ぼす
影響性なり、自分の中の言葉を変えてしまうことによる、世界の解釈の革命というか、
言葉と世界の繋がりとか、あるいは、立地、極端な話すれば、東京の高級住宅街と、
どこぞやの岐阜や長野辺りにありそうな、政府から見放された何たら集落のどちらかに
生まれ落ちることで、統計的にどれだけ学力差が広がるかとか、学校を選択する際の
立地条件はとか、そういったものが、まるで研究されていない。
 教育工学のテキストも、あるらしいけど、俺は見たことがない。自分の部屋の中の
あり様とか、教師の立ち位置や生徒の座り位置など、他にも展開してみれば、鱗が落ちるような
教育的無意識が山ほどあるんだろうけど― つーか言いだしたらキリがないが ―、
そういった諸々の格差に目を瞑って、努力だ! 根性だ! 音読だ!
歩いてる時も英語のCD聞いてりゃいいんだ! それで受からなかったのは、
全部子ども本人の自己責任であって、親のせいでも教師のせいでも予備校講師のせいでもない!
って類の暴論は、ちょっと子どもの人権を無視しすぎてるだろ。
 本当、子どもを何だと思ってんだろうなみんな。 昭和時代の農村みたいに、
学校の勉強なんかどうでもいいから、ええから家の家事手伝えや、ワガママ言うなや、
他所は他所、うちはうち、生んでやったんだよ、分かったか糞餓鬼、とでも言いたいのだろうか。
オレ個人的には、もう二度と子ども時代には戻りたくない。子ども差別は、まるで無くなっていない。
世界の子ども史なんかを辿ってみても、子どもは、昔から、世界中で差別され、非人間的な扱いを受けてきた。

215 :
× ―今のところ残念ながらあまりないが― ⇒ 消去

216 :
 公教育は、まず、教育政策が 政界(国会)によって立法され、それを官界が具体的な
政策へと変換し、それを職責として、法令順守の元に遂行する、という仕組みになっている。
教育の自由権とか、民主制のあり方とか、日の丸君が代とか、私立学校法の規定とか、
イエズス会とかヴィアトール修道会とかサレジオ修道会とかマリア会の教育理念の衝突、
果たして官憲(日本の制度のあり方)を信仰すべきなのか、あるいは社会批判的に教育してゆくべきなのか、
とか論い出したら、またややこしくなるんだが、まず大前提として言えることは、
校舎それ自体に、固定的な意味など無いということであろう。
 これは、いわば詩みたいなもので、多角的・多次元的・多目的(多理念)的に
如何様にも解釈が可能で、というか、そもそもの思考の原点にある言葉は、
これまた政府やら審議会やらが、言語政策で作りだしたものだ。国語科教育学で習った筈。
だから、この「仮名」やら「表意文字」やらを凝視してやることで、世界の見え方は
一気に変わるし、人間社会と世界の繋がりの隠れた側面も、裏面が表面に裏返るように見えるようになる。
これを詩学では「ミモロジズム」と言う。または、コエーリョの用語でマクトゥーブ、
「すべてに書かれている」ということだ。
 かつて、アメリカ政府は、仮国定教科書か何かを出版したことがあったんだが、
そこでの国語教育では、文学よりも、むしろ言語教育、メディアリテラシー教育が
為されていたのだが、あまりに優秀すぎる気持ち悪い生徒が増殖し出したから、
すぐに止めたそうだ。教育は、そういった、他人を蹴落とす目的の側面も、陰ではあるの「かもしれない」。
 さらに、教育界は、こういった、大学や業界、国家と教育界の繋がりも
総合的な学習の時間で、業界研究や大学研究を通じてロクに教えちゃいないし、
教育理念を明文化して、生徒に語り尽くす時間も取らない。だから次々に、
多くの子どもが学校に飼い殺しにされて、無産階級に蹴落とされてゆき、
世襲だのメリトクラシーだのと言われるようになるのである。
現場は、正に腐ってる、としか言い様がない。

217 :
 政府が悪いのか、あるいは採用試験の制度、試験形態のあり方が悪いのか分からないが、
とにかく、現職の学校教員たちの教育思想の根底にある、読み物が変われば、
彼ら自身も変わるし、それによって、教育のあり方も少しずつ変わってゆく。
 家庭教育の根底にある「家族」という「関係性」においても、あれは畢竟、
ただの「制度」によって意味が支えられているのであって、親の役割は、
何も肉親でなくとも良い。生活指導が学校教育に導入され、授業時間も朝から夕方まで、
しかも義務教育も高校までなりかけている(最近テレビ見てないけど、なったのかな?)。
授業中心主義によって、教育格差は緩和されつつある側面もあるにはあるのだ。
 となれば、あとは何が足りないかというと、理念、意味、社会の情報、
要するに、情報チャンネル(施設の利活用、消費社会への参加)と内発的動機付けだ。
教育、とくに受験勉強というものは、(情報を)買うものであり、自分から能動的に
施してゆくものであって、他人から言われてするものではない。教育は、学校だけではなくて、
企業に出てもある企業教育はあるし、社会教育も自然教育もある。生涯教育学でも習った通り、
学校というものは、生涯を通じての自己教育の手法を教える場であって、
あるいはどっかの教育思想家も言っていたように、世界との関わりを教えるところなのだ。
 しかし、学校教員も、予備校講師も、授業中くだらん無意味な雑談ばっかりして、
それはプログラムでどうのこうのと言い訳するくせに、―他に教えることは山ほどあるのに―
教育学に則ったことなど、なんにも教えちゃいなかった。公教育はダメ、
予備校講師もダメダメダメ、底辺大の教授なんか、死んだ魚の目みたいで論外、
となっては、優秀な教師を養成するには、やはり優秀な大学の大学院まで出た、
大人を教育する、大人を上で指導する、アンドラゴジーのプロ講師が必要になってくる
のではないだろうか。かなり個人的な感想になってすまんかったが。
最近では、一部の私立学校なんかは、院卒しか取らないらしいよ。学部卒なんて使いもんにならんとか。

218 :
 仏教系のことはよく知らないが、洛南や清風のような仏教系の学校は、
たとえば、道徳教育の時間を用いて、経典を読ませたりしているだろう。
戦国時代だったか、浄土真宗の門徒を、僧侶が率いて、村同士で大連合軍を結成させ、
石山本願寺を総本山として、近畿で織田信長と戦を交えるという事件があった。
それは、後に石山合戦と云われ、最後は燃やされて、後の大阪城として、
現在、大阪樟蔭や大阪女学院、大阪明星学園、清風学園、上宮太子、桃山学院、
高津高校などなどの、すぐ近隣に、現在も、荘厳と聳え立っている。
 現在は、言語帝国主義の時代、冷戦の時代と言われているが、それでも、
形態は違えど、戦の根底にある、思想の衝突、理念の衝突、抑圧や利権の争奪や、
集団凝集性、エスノセントリズムは、どこの世界に行っても存在するものである。

219 :
 また、教育界、いや大学でさえ、実は、生徒指導論について、勘違いをしている人間が多い。
たとえば、同じ意味を有する言葉でも、国々が違えば、その背後にある文化的なニュアンス
までが異なってくることは、もう既知の通りであるが、英語では、指導という単語は
「instruction」と表す。それは、またの訳を「指図」と表すのだが、日本人はどうもここを勘違いしやすい。
 確かに、英語の出来た時代や、その後のイギリスやアメリカにおいて、
政治的背景をもった歴史の過程で、この言葉が生みだされたのかもしれないが、
少なくとも、現代日本において、「指導」とは、「指図」を意味するものではない。
日本語の辞書においても出てこないし、むしろ、生徒指導論においても、
あるいは学校カウンセリングにおいても、あくまで教育は「援助」「支援」「支える」
行為であって、つまり、相手の踏み台になってやることで、あくまで相手を立てるのだ。
謙って、縁の下の力持ちになって、どんどん援助的に、大人に叩き上げていくのである。
 教育界では、理念上、あくまで上下の関係は作らない。互いに人格を尊重する。
先生>生徒ではないし、かといって先生<生徒でもない。先生=生徒なのだ。
しかし、現場の教員と、大学(しかも生徒指導論)の教員が、このルールを破るから、
生徒指導も生活指導も、あるいはカウンセリングも、本来は、あくまで、最高法規に則った、
子ども個人と集団の自己実現、幸福を願い、それを助ける救済のための学問なのに、
まるで上から権柄尽くで抑圧・弾圧するような、憂鬱な分野に思えてしまったり、
人によっては、もう生徒指導論を、そういうポジションのものなんだと、本のどこにも書かれていないような、
まったく逆の解釈を為してしまって、生理的に受け付けなくなってしまう。
単に大学と高校までの教員がルールを破りまくってるだけで、理念それ自体は、ずっと昔から、
弁証法的に発展してきた、物凄く崇高なものなのに。
 現代日本の教育、生徒指導の、本来的な姿。それは、「教育とは、援助行為である。」
の一言に尽きる。援助的指導、支援、支える、立てる、なのだ。ここを履き違えると、
あるいは忘れてしまったり、等閑視してしまうと、生徒指導は、法令順守を破るどころか、
崇高な理念もクソもない、我欲ばかりが先走った、とんでもない方向に行ってしまうことになる。

220 :
 ウロ覚えなので、かなり変わっているが、教育思想家ルソーは、
次のように表明している。「教育界の為すべきこと、それは、少しでも多く、
子どもを大人たちの悪辣な社会から守ってやることである」。
 近年、産業界の連中、あるいは、学歴コンプレックスの連中が、まるで教育界に対して、
汚物でも見るかのように、スプリッティングをかけて、イチャモンばかりつけてくるが、
教育界が目指す人間形成は、あくまで全人教育であり、そして、差別のない、平和な国家、
よりよい社会であって、そこには、如何なる差別も認めないのだ。
 ここに関しては、自分自身も勘違いしていて、以前の自分など、黒過ぎて思い出せた
ものではないが、教育者とは、あくまで援助者、アシスタントであって、
会社の上司、経営者のような存在ではないのだ。
 ゆとり教育は、決して悪いものではない。受験勉強のような丸暗記ではなくて、
それぞれの知識が頭に入ったところで、矛盾が発生し、雑念、懊悩が脳内で湧きだすようになる。
それをグイと呑み込んで、とにかく根性で前に突き進む能力など、高3などのごく一時期では
求められていても、それ以外では、教育界は求めていない。むしろ、雑念をノートを1枚千切ったものに
書きだし、関連付け、整理していく、これを特別活動論では「振り返り学習」
「生活綴方教育」(せいかつ つづりかた きょういく)などと呼ぶのだが、
むしろ、こういった行いの方が、理念的には求められている。この手法を、学生の頃から
身につけてこなかったから、受験勉強の時点までは「頭良い」と言われていた
筈の大学の教員連中でさえ、突っ込みどころ満載のことばかり言う、バカが多いのだと個人的に思う。

221 :
 「どんなに頑張っても、過去は取り返せないよ。時間は取り返せないよ。
中高生の頃には取り返せないよ」。本当だろうか? 何て短絡的な思考回路だと個人的に思うんだが。
(教育)社会学では、人間の「行為」の意味づけが大きなテーマとされてきたが、
行為の意味付けに最も大きく寄与するのは、畢竟、言葉だ。これを言語学者などは、どう解釈するだろうか。
そもそも、教育行政学で大原則として言われているように、「学校」という存在自体が、畢竟、「言葉」なのだ。
教育史学においても、学校の定義は、その国々(あるいは文化圏)、時代、教育政策によって、移り変わって来た。
学校の生徒が、普段、何気なく使っている言葉も、実は、政界や官界が政策によって作った、
教育行政学用語であり、その限りで、「学校って何なんですか?」と生徒に尋ねられた場合、
「学校とは、言葉である!」と一言に集約して答えを返すことが可能なのだ。
 実は、いわゆる学業で落ちこぼれた人間も、それを気にする必要など、端からなかったのだ。
なぜなら、それは学校から疎外されたというより、むしろ、学校という言葉が壊れた、
自己の中に内在する、学校という価値体系から疎外された、と言い表した方が的確で、
それは、教育学を修めることによって、その言葉、自我もろとも、再構築することが可能だからだ。
これは、友人や恋人、家族などに捕らわれている人間にも同様のことが言える。
それは、友人から疎外されたのか。家族から疎外されたのか。いや、むしろ、
友人という関係性、家族という関係性、その自我の一部が瓦解したのであり、
「自分にとって大切な存在」という、遠近法に則った価値体系こそが、崩壊したのである。
そこに気が付きさえすれば、この手法を身につけさえすれば、あとはもう、本人次第である。

222 :
 生徒指導論とは、如何に生徒に指図してゆくか、如何に生徒を弾圧・抑圧
してゆくかに関する学問分野、などではない。それは、まったくもって、偏見である。
生徒指導論は、如何に生徒を援助していくか、如何に生徒の敷布団になってあげられるか、
を説く学問分野なのである。

223 :
 かつて、教育者は、清貧を誇りとする、高邁な精神の権威ある化身として、
多くの侍たちから敬い慕われた。教育者は、まあ適性な待遇が保障されてるから、
ある程度お給料は貰ってるんだが、それでも、スーツさえ着てれば頭がいい、
黄金や黒の眼鏡や腕時計やしていれば頭がいい、坪の大きな家にさえ住んでいれば
頭がいい、値段の張る車に乗ってさえいれば頭がいい、なんて人間たちではない。
 確かに、国家が円滑に機能し、人々が幸福に生きるためには、多少の制度的な寛容さや
寛容主義的な精神も問われるんだが、それ以上に、教育者は、何よりもカジュアルでなければならない。
スーツなんて、教育者には向かないのだ。予備校講師が着ているような、舞台の衣装のような
ド派手な服装も、教育者には向かない。俺が今しているような、黒淵眼鏡も向かない。
普通にジーパンや普通のズボンに、ポロシャツやTシャツを着て、ピンクや紫、水色や黄緑の
眼鏡をかけて、普通にレジュメを作って、普通に意義と方法知と内容知の伝授をしていればいいのである。
時間稼ぎや言い訳は、一切不要。
 
 それに、教員には恋愛の自由が認められていない、という点が、ここは俺が盲目だから
だろうけど、皆目理解に苦しむ。もっとカジュカルで、そして、もっと寛容主義的で、
もっと自由であるべきなんじゃないか。予備校講師とかだと、もうちょっと自由にやってる
みたいなのに、何で大学教員と学生は抱き合って舌絡ませちゃダメなんだ。大学の女性教員が、
学生男子を食べた、でもあんまりおいしくなかったとか、チンコが小さかったとか、
早漏だったとか、みたいな会話が、もっと職員室で普通に合法にあってもいいと思うんだが。
 特に10代は、まだ判断力がついてないから とか言われてるけど、本人が好きだ、
愛してるって言ってんだし、むしろ やりたい やりたい ってずっと疼いてんのに、
それを無理やり抑圧・虚勢されて、女の人から慰めて貰わずに育った男性なんて、
それこそ性格が歪みきってたり、すぐに意地を張って強がったり、自分の思いを素直に伝えられなかったり、
人と関係を持とうとしない、人の心を壊して自分が羽を伸ばすことしか考えられない、
ロクでもない人間が出来上がるじゃないか。背中や頭に手まわして、頭撫でながら
キスしたり、肉体を擦り合わせて 抱き合うぐらい、いくらでもしたっていいだろ、別に。
石毛先生 好きだ、ずっと愛してる、抱きたい、って言ってんだから。

224 :
失礼いたします。
山梨大の大学院を落ちたものですが、
落ちた理由は研究計画書だと思います。
いったいどういう主題なら合格できるのかとんと検討がつきません。
ちなみに私は佐藤学教授の本が好きです。

225 :
研究計画というのは他人の物まねやパクリではなく、しかもきちんと研究の成就が見込めるような
研究方法の提示がなされていないと普通は落とされる。
佐藤学が好きでも何でもいいけど、佐藤学の学び合う共同体論をパクっただけの計画書を
提出しちゃったりはしていませんか?
誰かがすでに主張済みの論理をオウム返しするのは、論文ではないですよ。

226 :
 教職の教養試験は、詳しくは見ていないが、パッと見た感じ、( )つきの穴埋め
形式での出題が為される。教育系の出版社などの民間企業や、博物館学などの
社会教育学の業界に進むなら 研究重視でいいと思うんだけど、専修免許を有した、
たとえば教科教育学の主任職を目指すのであれば、流石に単語レベルだと雑駁としてるから、
一定の纏まったフレーズで、鉛筆で濃いめに( )記号を解説書内に書き込んで、
文章を蛍光ペンで線引いたり、ノートにインデントを付けて纏めたりして、
それを受験勉強らしく何回も読む、ってやり方でやってく、熟読暗記主義的な学習法の方が、
採用試験には向いている。過去問に踊らされない、傾向対策など必要としない、
国立大学卒、教育大学の大学院卒らしい学力が必要だ。
 大阪府などの一部の都道府県では、人間性・面接重視って言われているけど、
人材不足でニーズのある関東圏なんかだと、どんな傾向の問題が出題されるかも分からないし、
専門教養試験も待ち構えている。だから、現場に出る人間は、あくまでそれを想定した
学習(研究)計画を立てた上で、修士に臨まなければならない。大阪教育大か
どっか忘れたけど、修士論文がなくて、代わりに筆記試験があったりするらしいじゃん。
 というか、学校という機関は、あくまでプレゼンテーション重視の業界だから、
視聴覚教育などでやるような、機器を用いた、生徒を前にした発表で、
如何に生徒たちを魅了し、監視したり、歩き回ったり、逸話なんかを入れながら、
自分の方に注目させるかの方が大事だから、文章力はそこまでいらない。
というか、ディスカッション試験がまず待ち構えてるから、
口頭で意見を述べる力、質問に即興で応える力、議論力を身につけなきゃ。

227 :
鉛筆で濃いめに ⇒ 重要なフレーズの箇所に 鉛筆で濃いめに

228 :
縁の下の力持ち=砂泥底(泥)

229 :
 そもそも、大学や大学院の教育学部や、教育大学で教わるレベルの教育学は、
門外漢が想定する教育とは、全くもって、根本的に異なるという、奇想天外なまでの事実が存在する。
よく、総ての学問の底流は哲学だと一部の人間たちに云われているが、個別科学や個別業界の
洗練が進みまくった現代においては、これは果たして、真である、哲学は総ての分野を
包括できる、理解できる、呑み込める、と言えるだろうか。
 学歴ではなくて、本来的な教育学の手法に則った世界との関わりという意味で、
教育のない者、そういう教育しか授かって来なかった者たちにとっては、
教育というものは、何か適応適応適応っていう偏見染みたものしか無いみたいだし、
大学もそういう曲解しかしないが、文化伝達や、世界との教育的関わりとしての、
広義な意味での、本来的・学問的な意味での教育学は、もっと世界の見方、
スキーマに認知革命を起こしてしまうほどの、目から啓かされるものが実は在るのだ。
 学校の起源というものは、そもそもは古代のウルク前後、生産手段の伝達手段が変化し、
教育の組織化が行われるようになったことにあるが、―すなわち文明の起源とほぼ同時期
なのだが―、現代では、業界によって、あるいは研究分野において、研究手法、
(自己)教育手法は、個別科学や業界の洗練によって、まるで違ったものになっている。

230 :
 それらの起源は哲学にあるんだ、という類の神話ではなくて、現実の社会的事象として、
世界、社会を見る際に、あるいは自分や他者が生きてゆく上での判断材料として、
教育学は、「そこでどのような教育が行われているのか」とか、
「人間形成に関わる一手法として、どのような自己教育手法(研究手法、考え方)があるのか」とか、
あるいは、「どのような教育を受け、自分に施し、変化、発達を遂げて生きたいのか」とか、
「生命が居るところ、相互関係があるところ、意志、意図が存在するところ、そこには必ず教育がある」とか、
そういった視点、世界や社会を「教育(自分と世界との関わり)」に焦点を当てて視るのが、
社会体験・自然体験などを総て包含した、本来的・学問的な、広義な意味での教育学なのである。
 だから、こっちの方が、目的がはっきりとしていて、哲学を学ぶ、あるいは教えるよりも、
考え方、関わり方ばかりを、一定の目的の基に換骨奪胎して来やすいし、分かり易いと思う。
ただ、物心もまだついておらず、法的・規範的な制約、その他諸々の制約が無限大に存在する
学校教育という機関では、残念ながら、それを教授することは不可能に近い。
しかし、大学の教育学部レベル以上、あるいは研究者のレベルにもなれば、
これの探究が可能の域に入ってくるから、いよいよ世界は面白くなってくる。
何せ、先史時代の古生物や、あるいは微生物などにも、あるいは人材派遣業界に
勤めていると自然と目や耳に入るような、様々な社会の一側面を担う人間社会、
業界においても、そこには必ず未知の教育世界、人間形成や人間評価、
変化、発達、意志などが存在するのだから。教育学は、ある意味では無敵の学問分野なのかもしれない。

231 :
研究手法、(自己)教育手法 → 研究手法、(自己)教育手法、教授法

232 :
tes

233 :
八巻正治・教育学博士の輝かしい実績
http://hrr.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10634/5876/1/HirogakuDaigakuinShakaiFukushi_3_57.pdf
弘前学院大学大学院社会福祉学研究科社会福祉学研究第3号(2008)
あとがき
弘前学設大学大学院社会福社学研究科教授・教育学博士野口伐名
(前略)
 本大学院社会福祉学研究科の社会福祉の学照的成果を世に
間い、広く社会福社・人間福祉の構築に貢献しようとするものです。
本号の執筆者のステイタスは、次のようになっています。
第1部研究論文
(中略)
八巻正治弘前学院大学大学院社会福祉学研究科教授・教育学博士(障害者福祉論〉
(攻略)
注・八巻正治氏への教育学博士号はニューポート大学より授与されたものである。
2000年03月27日  『米ニューポート大学』より 『教育学博士(Ed.D.)』の学位を取得
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kikikirinnoki/taxpayers/academism/diploma_mill_aiueo.html
 このページではイオンド大学・パシフィックウエスタン大学・クレイトン大学などの
非認定大学の経歴を「本人の履歴」に掲載している(していた)教育者、著名人などを掲載します。
八巻正治教授のコメント
『日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同一視されるのは、とても不愉快だ』
八巻正治教育学博士のコメント、最高です。


234 :
 教育学やってると、どれだけ自分の育ちが悪かったか、
如何に家庭や学校という、最も教義な意味での教育現場における、
人間形成、人間性を支える意図的・意識的な教育、条件付けが、
甚だ荒々しく、子どもを人格として認めない形式で為されて来たかが自認される。
 共同体を担う成員を価値とし、まだそこに至らない未熟な存在として
見下すような、大人には忘れ去られた、子ども世界に住む、別世界の人間として
認めない、そんな偏狭な教育世界だった。
 教育学をやっていると、当然ではあるが、教育(人間形成、人間性、成育歴)
を見抜く目(眼鏡)が鍛えられてゆく。一見、自分では育ちが良いと周りには
見せている人間も、実はただのハッタリで、ロクでもない荒々しい教育しか
受けて来れていない人間たちが、何と外の世界で多いことか。
 卑屈な、憎しみ混じりの、野心の黒い炎がメラメラと燃えたぎる、
法的根拠のない、差別という妄想を拠り所とし、その妄想に立つことで、
自我を支えようとしている人間たち。ひょっとしたら、教育学者が綺麗事ばっか言うから、
その逆ベクトルで、それに適っていない現場が汚く見えて仕方なくなるのだろうか。
彼らに、自身が特定の共同体の中で受けてきた教化の性質を突き付けるのは、果たして悪だろうか。

235 :
教義→狭義
 共同体を担う成員を価値とし、まだそこに至らない未熟な存在として
見下すような、大人には忘れ去られた、子ども世界に住む、別世界の人間として
認めない、そんな偏狭な教育世界だった。
 ↓
 共同体を担う成員を価値とし、子どもを、まだそこに至らない未熟な存在として
見下すような、子どもを、大人には忘れ去られた 子ども世界に住む、
別世界の人間として認めようとしないような、そんな偏狭な教育世界だった。
 子どもにあって大人には無いもの。それをハッキリさせて教えてやらないから、
大人たちはどんどん子ども差別に奔る。「生んでやった」「育ててやってる」
という恩着せによって、人格支配を振り回して。大人にも、王族の血筋を引かない者もいるし、
子どもにも、王族の血筋を引く者もいる。華族制度が廃止され、血統で他人を差別しては
ならないというのなら、能力で他人を差別するのも誤りだし(メリトクラシー社会はあくまで小説世界だ)、
子どもが先達を敬わなければならないのと同様、大人もまた、子どもを個人として敬い、
援助的に、対等な存在として、指導していかなければならないのである。

236 :
 「新聞を読んで、選挙に行くのと、家でアニメを見るのと、どっちが現実ですか?」
と問う人間がいたとすれば、それだったら、「生徒や学生、あるいは定職に就いている人間が、
友人とアニメの話を交わすのと、定職にすら就いていない、そもそもまともに働いていない、
失業者の身分無しが、政治や経済や法の話をするのと、どっちが現実ですか?
どっちが自分の立場を弁えていますか?」という問いかけも成立するし、
「そもそも、政治の神様の末裔の前で、政治の講釈を垂れるって、どういうことですか?
政治学の学位ロクに持っていないんだから、お門違いも甚だしいんじゃないですか?」
という問いかけも、これまた成立するのである。みんな、本当、意地っ張りだ。

237 :
 発達心理学では、農村的な、一方的に共同体に適応してゆくような、
価値基準の前提の良し悪しを疑わない、一方通行の子ども不在の教育と発達が
良しとされてきた。それに適応してゆく人間が「育ちが良い」と言われてきたのだ。
情報化の進展による人間関係の希薄がどうのこうの、団欒の機会がどうのこうのと言われて。
 すなわち、昭和育ちを善とし、平成育ちを一方的に悪とする、若者バッシングの構図が描かれて来たのだ。
これは生涯発達心理学とて大差ない。社会、世間を相互関係で捉えず、何か問題が出ると、
常にそれらは、その問題を言い出した本人と家庭の所為にされた上、「おまえはどんな育ちをして来たんだ」
と原因探し・粗性しをされ、恥を投げおろされ、世間>摘発者(人格障害児)
という構図が描かれてきたのである。
 善のイデアは常に世間で、個人ではない。そんな腐り切った環境の中で、
人々は、我こそが育ちが良い、いやいや我の方がそちより育ちが良い、
家格が高いのだ、おまえの家は機能不全なのだと、ハッタリをかまし合う。
そもそも前提、全体、座標軸そのものが腐ってたら、家族の役割を規定する
制度や規範そのものが腐ってたら、その中でいくら競争しようと、
その腐敗を加速させるだけなのに。昭和時代は、大いに問題があった。
しかし、上の世代たちは、なかなかそれを認めたがらないのだ。本当は、育ち悪いくせに。

238 :
 みんな、自分の過ちを認めたがらない。それは、個人でも、家族(一族)でも、
企業や業界でも、国家関係のレベルでも、宗教社会のレベルの階層秩序でも、みな同じだ。
戦争は絶えず、ここから起こる。過ちを認めれば、自分は格下に置かれる。
だから過ちを認められない。それを認めることは、自分の人生何十年を認めることに繋がるから。
だから、国家も、会社も、家族も、個人も、すぐにああやって意地を張り、
自分たちに都合の良い構図を描きたがり、そこからエスノセントリズムや集団凝集性が発生するのだ。
そして、それらの衝突を避けるために、振るい分けや住み分けが為される。
国家が円滑に機能するために。

239 :
×自分の人生何十年を認めることに繋がるから
○自らの人生何十年を貶しめることに繋がるから

240 :
 自分のことを棚上げして、相手の足腰を立たなくなるまでに、二度と偉そうな口が
叩けなくなるぐらい、再起不能になるまで、罵倒によって徹底的に痛めつけ、頭を抑えつける。
このやり取りを中島義道は「正義ゲーム」と呼んだ。別名「パワーゲーム」とでも表せようか。
そして、自分は分析する側、相手は分析される側という構図を描き、自分は相手を全人格的に
理解している、すなわち上を行っているんだ、という圧力をかけること、
抑圧したがることを、フィヒテは「呑み込み」(捕食する側、される側の関係)
(利用する側、利用される側)と呼んだ。
 生涯発達心理学の一番根本にあるのは「どんなに信用を裏切られても、
人様の腹を探ろうとするな。本意を漁ろうとするな。ただただバカみたいに信用するんだ。
裏切られたなんて言うな。世間はクリーンである、世間に喧嘩を売るような真似や
迷惑をかけるような真似はするな。一方的に世間を立てろ。」である。
世間を一方的に善しとし、それに背馳するものは「両親がメンタルに問題を抱えていて…」と、
まるで自分は違う、とでも言うかのように。メンタルに問題を抱えていない人間なんて居ないし、
問題を抱えているから、子どもを生むのだ。人間である以上、皆何かしらの問題を抱えているし、
その問題のあり方、環境とのズレは、環境のあり方によって一角度に規定される。
心理学は、そこまで問い詰めるということはせず、ただただ、人間環境を「変えられないもの」、
一方的に頭を下げて、適合してゆく、受け入れられてゆくもの、とするのである。
これほど学校教育とズレたもの、価値観を画一化した極端な集団主義は、そうそう無い。
 環境は、変えられる。嫌なら、流動すればいい。それを選ばせるため、
自己決定させるために、言わば、学校があり、進路指導があるのだ。
学校教育は、子どもたちが強く逞しくなるまで、大人社会から守るために一義に存在する。
悪辣な大人社会、彼らの意識的・無意識的な集団詐欺から、そして心理学から、
守ってやらなければならないのだ。市民が、市民らしく、自由に生きるために。

241 :
 教育とは何かを考える時、あるいは学生に学習塾で如何に教えようかと
考えている時、いつも、心理学が邪魔になる。心理学では、発達とは、変化、
と言われているらしいが、工作人を含んだ、全人教育を行う、教育学にとっての発達とは、
変化、適応に限定されたニュアンスではない。そもそも、語学的に「辞書」で解釈すれば、
「develop(発達)」とは、「velop(包む)」に 打ち消しの接頭語(des)を付けて、
(包まれていたものを解く)という意味になるらしい。(内部に包み込まれていた
中身の可能性が引き出される)というものとしてdevelopはあるのだと。
[つまり、発達は人間の潜在的な力が顕在化することを示す言葉である]と。
 人間が人間たる所以は、一義には工作人にある。人間は、学習によって獲得された
能力を(伝達すること)ができる。そして、人間は、動物の適応形態である(身体的特徴の変化)
に加えて、いやむしろ、「身体の外側の器官」を所持し(これを文化と捉える)、
これを(選択的に用いて環境に適応する)のだそうだ。例えば、気候が寒冷ならば
それに対処出来るように、体温を保持するために服装や住居・生活習慣を生みだして、それに適応する。
イヌイットの民の文化が良い例だろう。こうやって、ヒトは、より良く生きるために、
様々な生活文化の工夫を凝らしてきたのだが、教育という文化伝承も、畢竟は、
その生活文化の発達の、大きな流れの中で生まれてきたものなのである。

242 :
 また、スイスの動物学者A.ポルトマンは、インドで発見された、
「狼に育てられた子たち」の記録や「アヴェロンの野性児」の記録に注目して、
人間は育て方次第で(狼にまでなりうる適応性、可塑性を有した存在)、
生活文化を獲得する能力をもった存在であること、すなわち、(人間を超えて
動物まで開かれた可能性)(超人にまで進化できる可能性)を有していることを示したのだが、
しかし 同時に、そういった能力も、機会を与えず、檻にぶち込んで放っておけば、
次第に退化してゆくこと、潜在能力は淘汰され、消滅してゆくことも示した学者も世の中には存在するんだ。
 適応は、受動的な適応と獲得的適応に大別されるのだが、歩行や言語といった
人間の発達(歴史レベル、人種レベルでの)を支える重要な能力の獲得は、
(獲得的適応)によって果たされるのだ。つまり、共同体への適応ではなく、
共同体そのものの発展、人類の発展を視野に入れた、工作人としての文化伝達において、
受動的適応は一番させてはならない。それは、子どもの学習権や自己決定権の侵害にも繋がれば、
共同体そのものの集団浅薄、凋落、地盤沈下にも繋がる。あくまで自己発展、自己実現でなければならないのだ。
自分の大した根拠のない薄っぺらなプライド、我欲や意地ばかりを先走らせて、
学生や生徒の成長・発達、進路を抑圧し、阻むようなことは、法律に定められた学校機関、
公教育機関は、一番やってはならないことなのである。
そんな奴がいたら、もはやそいつは教師のクズ・人間のクズ以外の何者でもない。
教育を歪曲しすぎなのだ。そういう奴に限って、人が言ったことをわざと曲解して、
繊細なまでのプラスの面での具体的要素を捨象した、悪いとこ取りの矮小化した解釈、
分断によるスプリッティングしかしたがらないんだから。意地張るのも、いじけるのも、
大概にしとけよって言いたくなる。

243 :
他人のせいにしないで、自分が変わるということを教えたいんだと思うんだけど、虐待を受けたり、いじめを受けたりしてきた生徒というのは、
今までが常にそういう状況だったわけで、高校に入るくぐらいになると、義務教育を終えたというひとつの区切りも手伝って、
そろそろ自分のやりたいことをやっても許されるはずという強い期待と信念が湧き上がる。
それをズタズタに切り裂かれるんだから、狂い方も尋常じゃなくなる。

244 :
 なぜドラマでは、いつも、子どもばかりが引っ叩かれるんだろう。
最近見直した『サラリーマン金太郎』で、ヤクザに不意打ちで殴られて一旦は
気絶した主人公(元、関東全域にまでに1万の勢力を束ねた伝説の暴走族
「八州連合」ヘッド、通称 矢島の金ちゃん)が、起き上った後、やり返しに、
ヤクザの後ろにあった鉄筋の傘立てで、不意打ちで背後から思いっきり頭を殴りつける、
ってシーンがあったんだが、あんな展開は、ドラマではまず作られない。
 長谷川京子に引っ叩かれた華奢な高校生(元暴走族、実は物凄く深い思索の出来る哲学青年、
しかし元暴走族ということは誰も知らない設定)は、一旦は信頼を裏切られた絶望&
放心状態にさせられ、京子は哲学青年に好き放題罵声を浴びせて、そのままカタカタと
仕事のPC作業に戻る。一方で、頭に血が昇り切った哲学青年は、近くにあった鉄筋の傘立てや椅子で、
京子の頭をぶち割るぐらいの勢いで、「久々にブチ切れちまった〜!」思いっきり殴りつける。
周りは止めにかかるも、理性を失った青年は、部屋で暴れて暴れて暴れまくる。
窓ガラスなんざ粉々。血だらけになるまで、京子をドツいてドツいてドツき回す。
 青年は刑務所に搬送され、世間からは見放され、そのまま実家に引き取られるのだが、
京子は怪我した体を抱えて、再び哲学青年と話し合いに行き、そこで猛烈論争が再び起こる。
そこで京子は、実は青年が、物凄く深い思索と世界に対する愛情を持った、
本当は真面目な心の持ち主の青年であったことに気が付き、社会がおかしいんだよね、
私が間違ってたんだよね、と気が付き、「ごめん!先生が間違ってた!」と頭を下げる。
しゃんしゃん。ま〜る。こんな展開は、まずドラマでは描かれない。
 結局、現実世界で最後にものを言うのは、慎重。俺みたいな160cm男は、
常に周りから鼻で笑われる。しかし、慎重が190cm前後ある奴は、
その力をさり気無くチラつかせて、周りの人間を見下して、周囲を脅して、
思いっきり暴れまくることが出来る。これは、もはや、生まれついた、どうしようもない格差だ。
 そして、自分の過ちを認められない大人たちは、それを綺麗事でドラマに昇華する。
自分の過去に犯した過ち、歴史問題は忘却の彼方に飛ばされ、なあなあ。隠蔽される。
そして、エリートや子ども といった、少数派の人間たちに、その矛先は脅威となって向くようになる。

245 :
 あるいは、実は40歳50歳のオッサンなんだけど、何かしらの理由があって、
主人公がタイムスリップ、あるいは子どもの姿になっている、なんて設定があってもいい。
従来の社会に一番足りなかったものは、前提を疑うということ、哲学的視点だろう。
歴史上でも、哲学者にしろ学者にしろ、何かと迫害され、時には火炙りにもされて来たし、
現代においても、つい数カ月〜1年前に見た某哲学会のHPでも、弾圧があった、との文書が見受けられた。
ジャンヌ・ダルクにしても、キリスト教の殉教者たちにしても、火炙りにも屈しない、
自分の信念を貫くという点で、教義の中身がどうあれ、彼らはどこまでも気高かったのだ。
 教師は、ヤクザや暴走族の価値観を、善い意味で、理解してはならない。
彼らは、本当は、社会に居場所が無かっただけなんだ。社会からそういう扱いを
されてきた、差別の標的にされてきただけなんだ。正当と思える評価を受けたかっただけなんだ。
 しかし、教師は、あくまで「反社会的なことはするな」と生徒に教え込まなければならない。
その上で、とくに宗教教育の無い学校、法令遵守を教育委員会に強く迫られる公立学校は、
現行の階層秩序を子どもに信仰させねばならない。そして、時として、彼らの中には、
自分が社会であるように、自分が村長か何かであるように振る舞い、語る者も出て来るだろう。
なぜなら、生徒指導論の読み物それ自体において、そう誤解させるような書き方が為されているからだ。
彼らもまた、メンタルに問題を抱えた、精神を病んだ病人である。
この手の野郎は、予備校講師の中にも居た。そして、支配を被ってきた者は、
大きくなると、今度は逆に他者を支配したがるようになる。しかし、そんな彼自身も、
心の奥底では、その関係性こそに心が支配され、縛られ、蝕まれていることに、なかなか気が付けない。
気が付いたところで、なかなか外せないし、溶かせないし、癒せやしないのだ。
よっぽど幸福なことがない限り。よっぽど自分を受け入れてくれる人間がいない限り。

246 :
研究計画書の裏面の「今までの研究の概要」って何書けばいいんですかね。
学部卒業してから研究なんてしていないし
そもそも卒論がノート提出だったんですが。

247 :
普通は卒論の概要を書く。
卒論かいてない奴は・・・まあその程度のハードルも超えてない奴は大学院に来るなよってことだ。

248 :
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L現場上がりの教職大学院教員。(学校での手柄話,自慢話をすることが研究だと思っている,雑談先生)


249 :
@業績はいらない
A修士でいい。ただ「満退」八つ当たったりしてくるから勘弁して欲しい
BCD 書いてる時間が無駄。それよりもDVD観賞。
    プレゼン・アサーション トレーニング。感極まる授業を。
Eそれよりも、解説書の重要なフレーズを丸暗記して、要点を掴んでること。
Fどれもスゲえよ。学部入試段階では文句なし。それよりも、入ってどれだけ専門の勉強するか。
G知らん
Hんなもん信仰してる間があるなら、仏教やキリスト教の勉強を。
I無名でいいから、奥さんはトビッキリの高学歴であること。R最高に気持ちいいだろうな。
J教育政策よりも教育史学・教育思想論を。余裕があれば理系の教育学も多少は。
K教職教育学よりも、教育科学の教授を子どもに。
L現場経験は確かに肝心。大人からの視点だけで社会、歴史を描かないこと。
 それじゃ教育哲学になんない。人はしばしば、嫌な時期、ライフステージは、
 多少嬉しい事はあっても、総じて嫌な時期と判断すれば、丸ごと忘れ去られる。
 しかし、現場の子どもを見ることで、嫌な記憶も、一緒に戻って来る。
 子ども(聴衆)の突っ込み(視点)も肝心。そこから何を組み立てられるかが肝心だ。
 子どもの頃、世間に押し潰されそうになって、血の涙を流したことを忘れないこと。
 自慢よりも学校制度と社会制度の関連、各教科の関連の解説を詳細に子どもたちにしてやること。

250 :
教職課程落として発狂してる雑魚大学の低知能学部生の発狂コピペにマジレスするだけ時間の無駄

251 :
 教師が求めているものは、果たして本当に「子どもの救い」だろうか。
それとも、子ども時代、同一文化圏内において、全人格的に子どもを
未熟な存在(大人>子ども)と法律レベルで捉える風潮の中で育ったために、
救われてこなかった自分の「部分」を拾い上げること(「自分が救われること」)
なのだろうか。どっちなのだろうか。「子どもの救い」願望は、あくまで投影なのだろうか。
 生徒指導論も生活指導論も、あくまで 大人>子ども と示唆するような書き方が為されている。
しかし、あれでは、子どもと接する中で、本当に子どもの頃の視点、価値観を取り返し、
連合(取り込み)(止揚)することは出来ない。今まで、この社会は、どこかおかしい、どこかおかしい、
と霞がかっていたけど、やっとはっきり見えた。要するに、学校や地域社会で為される際の、
大人が子どもに接する際の接し方は、あくまで文化人類学的なフィールドワーク手法、
すなわち異文化理解の手法(先住民族>自分)ではなくて、あくまで大人(指導する側)>子どもなのだ。
男女問わず、子どもと話す時、やけに声が高くなったり、あるいは いきなりタメ語になる連中がいる。
奴らは総じて偽善者だ。子どもに優しいことは、大変上品なことだと、他者(世間)から良心的な目で
見て貰えるから、そう演じているに過ぎない。心の奥底では、思いっきり彼らを見下しているのだ。

252 :
 人が齢を重ねるに連れて、内面がどんどん空虚になって、意地ばかりが残っていくのも、
その理由の一端はここにある。いつの頃からだろうか、成人前後になると、
子どもも、社交界の基本技術である「他人の自慢話をすることによる目前の人間の抑圧」
の手法を覚え出す(この最高値を中島義道は○○ゾーンと呼んでいた)。
この辺から、子どもは、単に制度に冠されただけの上っ面の大人ではなくて、
悪い意味で、本当に大人になってゆく。文明論で言うところの、腐敗への道を歩み始める。
 文化差別を覚え、年齢差別を覚え、職業差別を覚える。たとえばハウツー本差別をする輩。
方法知よりも内容知の方に至上の価値を置く輩。すなわち、知識による差別化、
極端な言い方をすれば、人格差別であるが、その根底にあるのは、ズバり、言葉、文化のブランドだ。
齢を重ねるに連れて、人はどんどん高級文化、言葉のブランドに染まっていく。
コンスタンティヌスがどうのこうの、コンスタンティノープルがどうのこうのとホザくようになってゆく。
単に楽しいから、世界を楽しめるからではなくて、「他者に対して、何かしらの観点で
差別化を図ること、自分を一段高次に置くこと」に至上価値が置かれるようになるのだ。
この辺から、人間はだいたい狂い出すのだろう。他人をいちいち攻撃する、汚す人間になってゆく。
 彼らが本当に求めているのは、リアクタンス効果の回避(超克)、他者との差別化、
対人関係上のリードであって、子どもの「視点」そのもの(価値観や視点が変われば、
読む本、書店で選ぶ本、ネットで検索をかける論文そのものもガラリと変わる。これが方法知のいいところ。)
ではない。「記憶」そのものではない。しかし、人間が、少なくとも大凡の教師が
心の奥底で「無意識に」求めているものは、実はこれではないのか。子ども相手だからって
タメ語になるのではなくて、あくまで「対等な」「異文化をもった(暮らす文化は多くで重複していても、
それを捉える目が違うのだから、それは異文化と一緒)」「外国人」「異民族」として
礼儀をもって接すること、その文化に染まることで、今までは一方的に大人社会に押し込まれていったものが、
今度は子ども社会に染まって、一方的な優劣(大人>子ども)ではなくて、正確な、
文化的・自然的な対比が為される。ここにこそ、真の教育的無意識があるような気がしてならない。

253 :
 △人格差別 ⇒ ○人格差別・人生差別
 長年生きているからといって、それで本当に、視野が広いとは限らない。
かえって偏狭になっている場合もある。だって、周囲を見ないんだから。
逆方向を見ないし、参照(差別化ではなくて、あくまで異文化理解の手法。
相手方の文化にあって自文化に無いものを探す)もしない。となると、
「自分>目前の人間 」という構図を支えている究極のものは、差別感情、その願望そのものになる。
そういう奴ほど「論破」だとか「研究業績なんて現場では吹き飛ぶ」といった類の台詞をたくさん吐く。
 子ども(少なくとも、自分の子ども時代、あるいは近所の子どもと比較して)
にあって大人に無いもの。その一つが、たとえば、「時間を忘れて、何も気にせず、
夢中になって遊ぶ」ことだ。鬼ごっこ でも 隠れんぼ でも スポーツ でも何でもいいけど、
子どもの頃は、とにかく外に出て、夢中になって、時間を忘れて、遊ぶということが出来た。
しかし、今のような年齢になると、これが自分でも驚くほど出来なくなっている。
タイムマネジメントの欠片もないクセに、なぜか、遊びを「時間の無駄」とどこか蔑視している。
その根底にあるのは、おそらく文化差別、スポーツ差別だ。そして、人生観、時間を捉える考え方そのものが潜んでいる。
スポーツに対して「こんなことをやっても何も手に入らない」と言う輩がいたとすれば、
おそらくそいつの無意識は「こんなことをやっても何の差別化も図れない、何の自慢も他人に出来ない」と言いたいのだろう。
 大人は社会的な善悪の観念や、監視社会の視線が内在化されている。
彼(彼女)らは明らかに「法」を意識している。しかし、子ども社会という
村空間においては、本当に偉いのは教師でもなければ親でもない。ガキ大将である。
クラスの頭、すなわちオピニオンリーダーだ。その特定された空間内では、そいつが法律なのだ。
経営学では「大学で勉強することは、ディズニー映画(ちょっと改造)が面白くなくなること」
と学んだが(最近この種の本が多く発売されている)、大学の勉強は何もそれだけではない。
漫画を面白いと思えるようになること、ディズニー映画を面白いと思えるように戻ること、
社会的な善悪という偏見を捨てて、ガキ大将の子分としての視点をもって社会を見れるようになること、
そういう社会があることを認知すること、そういった諸々の視点をぜ〜んぶひっくるめて、
総合大学としての勉強なのだ。特に、敬語を使わなくてもまだ怒られない年齢にある小学生、
その教師になって、彼らと夢中になって鬼ごっこや隠れんぼ、ドッジボールや野球などのスポーツに
打ち込むことで、あるいは漫画の話をしたり、カードゲームや交換を楽しむことで、
そして、オピニオンリーダーとの交流を深めることで(あくまで「異文化をもった」
「外国人」「先住民族の村長として」「子分のつもりで下手に付き合う」)子どもの頃の視点、
社会に対する見方を、取り返せるかもしれない。スポーツや遊びに時間を忘れて取り組むことで、
ciniiで具体的にどんなキーワードを検索をかけ、社会的事象としての教育科学、教育史学に
応用すれば良いのかが見えてくるだろうし、小・中・高の、体育や部活動の解説書も、十分に血肉となることだろう。

254 :
 一方的に指導するのではなくて、あくまで別の、社会に対する視点、
文化を持った、教え、教え合う、学び合う、対等な、異民族同士、外国人同士の、
フィールドワーク、異文化理解(交流)の関係。そんな関係性こそを、少なくとも自分は、
心の奥底で、子どもという生き物に、そして社会に求めていた。
これこそが、真の意味で、子どもを、一個の対等な個人として、平等に、
いやむしろ、向こう方の民族の村長、オピニオンリーダーを法よりも局地的に
優先させる、立てるという意味では、かなり謙虚で斬新な接し方だと我ながら思う。

255 :
 だからこそ、謙虚に子どもにも敬語を使っているフリをしながら、
さり気無く、子どもに授業中「ええか?」とか高校生に対して舐めた口をきいて、
自分を高校生よりも立てようとする、対人的に優位に立とうとするような、
我欲を露にする差別化願望を隠しきれない人間たちを、老醜の漂った、
我欲や意地、差別感情ばかりが先走った、矮小な、そして下品な人間を見るような
目で見下してきたし、彼ら(一部の予備校講師など)が大嫌いだった。
社交界に染まれば染まるほど、支配するかされるか、利権を取るか取られるか、
そういう貶し合いの関係性でしか、人間も世界も捉えられなくなってゆく。
世界を楽しめなくなってゆく。そういう視点が、使い道のないものとして淘汰・忘却されてゆく。
そういうことだったのね。

256 :
 特定の階層秩序1つを妄信すれば、その階層秩序で上に上り詰めれば
上り詰めるほど、自身は万能感に満たされ、その逆ベクトルで、
周囲の人間を空っぽに見ることになるし、世界も知り尽くした、支配した
とか思い始めるから、身の周り、世界すべてが空虚に見えて来る。
万能感がマンネリになって形骸化してくることも加わって、もう世界は地獄に向かう。
 しかし、一方で、色んな社会、色んな秩序、色んな階層を見て、
自分には殆ど何もない、そして、その何もない答えは、身の周り、社会、世界の、
そこら辺の至るところに転がっている、全てに潜んでいる、隠れているのだ、
それが見つからないのは、自分の隻眼が足りないからなんだ、自分がまだまだ空っぽだからなんだ、
こう思えば、世界の見え方は、まったく違ってくる。自分が空っぽであることに気が付けば、
それを心の奥底から認めて嘆くことが出来るならば、それを埋め合わせようとして、
何かを吸収することも、動機づけとして可能になってくる。
 世界に如何なる上下関係、ヒエラルキーを認めない。ダーウィン人類学は
ここから始まった。この視点を応用したものが、おそらく社会人類学だ。
何せ、社会人類学は、イギリス生まれなんだから。

257 :
 (秩序)(階層)(法)を相対視すること。それは、(規範)を相対視
することに繋がり、究極的に(社会)を相対視することにも繋がってゆくし、
その中に染まり切った(自分)を相対視する、自分学の一手法にも繋がってゆく。
その、一手法として、子ども文化、子ども社会、若者グループ、ギャンググループや
チャムグループをフィールドワークする、そんな異文化理解の機会が、
社会的に公認されてても良いと思う。

258 :
スレ違いの連投ウザイ。
内容も素人向けの概説書程度のことを専門板に投下すんなよ。

259 :
 日本の法と教育は、移民排斥や、在日韓国人差別すらも作り出した。
向こうの歴史(朝鮮史)を知らない無教養のバカだから、西洋列強・中華帝国>日本>韓国
って勝手に思い込んで、親戚の、韓国人奴隷の子孫、在日韓国人に対しても、
何か腫れものに触るような態度で接してきた。でも、自分の先祖のルーツ、オリジンが、
韓国の渡来人や、向こうの王にあると知った途端、いきなり多民族やがガラッと変わった。
制度って本当恐い。法やメディア、歴史教育、集団凝集性、ナショナリズムの賜物か。

260 :
 いきなり多民族やがガラッと変わった
⇒ いきなり異民族や歴史に対する見方がガラっと変わった

261 :
 そして今度は、見てもいないくせに、内心、韓国ドラマ>日本の女流文学
とまた勝手に思い込もうとしている。この「>」をすぐに付けようとする癖を
何とか消して、世界を水平線でどこまでも見渡せるようになれないものか。

262 :
良いものは良いで良いジャマイカ?
安くて良質なものを選ぶのが消費者心理。
もはや、そこに国境はないのだぉ。

263 :
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育を全て廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
無駄なバカ私立学校は不要だ!悪徳私学はさっさと消滅しろ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し教育に効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさとR!!偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!!

264 :
 学校教育でも大学教育でも、ライフヒストリーはそうそう教わらない。
こんなもの、何の役にも立たないと言わんばかりに。だから日本の子どもたちは、
皆、反省的思考(罪滅ぼしの手法)(自己開示の手法)を習得すること無く、
そのまま大人になっていって、偽善者やキチガイが大量に出始めることになる(所謂モラルハザード)。
 イジメや虐待などの教育問題が声高に叫ばれる日本国内で、イジメにも加担せず、
虐待も受けず(そのトラウマも残さず)に育った人間なんて、本当に皆無に等しい。
10人に1人もいないかもしれない。しかし、日本の大人たちは、そこを必死になって隠す。
そういう自分も、つい最近までは、そのうちの一人だった。

265 :
 人に嫌がらせをして来た思い出、悪戯のレベルを悠に超えた、陰湿なイジメ、
嫌がらせを、クラスメイトに働いてきた人間たち。クラスメイトの女子に片っ端から
ちょっかいかけて、先生にチクられて、クラス中の女子連合軍から1時間じゅう
罵倒された経験のある人間や、姉にちょっかいかけて、グジョグジョにまで泣かされてた人間。
 そして、そういう症状が表れ出る子どもに育ってしまうのには、
それなりの背景があって、たとえば母親の頭が狂っていたり(英検1級で大学主席なのと、
思考力があることは、殆ど関係ない)、父親がキレさせたら暴力を振るうようなDV男だったり。
 世間で生きていく以上、人間には面子というものがある。世間に見下されるような、
自らの家格→人格を貶しめることにも繋がりかねないような事を開示・暴露するには、
それなりの勇気や武器がいるのだ。だからこそ人は、自分の嫌な記憶、罪を重ねた記憶や、
不名誉を被った記憶、都合の悪い記憶は、意図的に忘れ去ろうとする。
それでいて、自分の重ねた罪、都合の悪い観点は忘れたり、目を意図的に逸らしておきながら、
他人のことは、リアクタンス効果を恐れるあまり、徹底的に罵倒して、破壊しよう、心を壊そう、
学習性無力感、鬱病、再起不能に追い込もうとする。ああ、何と都合の良い人間たちだろう。

266 :
 心理学者たちは、こういった人間を育ててしまう家庭のことを「機能不全」と呼ぶ。
しかし、「機能不全」という言葉では、家庭には具体的にどういった機能が必要とされるのか、
如何に世間とのマッチを図れば良いのか、さっぱり解らない。あれは「機能不全」というより、
「コミュニケーション不全」(世間でやって許されること、明らかに許されないことなどを、
徹底的に教えることが出来ていない、その時間が取れていない家庭)と呼ぶ方が合点がいくものだ。
 教育とは、何かしらの関係を築いてゆく、コミットしてゆく営みそのものであるから、
別に親父がキレ児であること、母親がキチガイであることが、必然的に「育ち」(人間性)(人格)
の良し悪しに繋がるとは限らない。しかし、多くの人は、ここに気が付けないから、
世間にずっと自分の育ちを隠し続ける。しかし、隠し続ける限り、自己開示を忌避する限り、
開かれた個という自由は永遠にやって来ないし、忘れ去られた過去は症状として抑圧されたり、
PTSDとなって夜な夜な過去が当人を追い詰めるようになる。人間、嘘をつくとロクなことはない。

267 :
 18歳(16歳)〜22歳(25歳)ぐらいまでなら、部屋で電気を消して、
静まり返った部屋で、目を瞑り、今までの人生を回顧してみると、本当に色んな記憶が戻って来る。
もう電車やバスにも乗れる年齢なんだし、インターネットも扱えるし、
他人にもの訊けるんだから、今まで行ったことのある店や施設に、自分で行き直してみると、
本当に色んな記憶が返ってくる。それを「分けて」「纏める」のがライフヒストリーの基本だ。
この作業を、大学で、あるいは高校生時代ぐらいから繰り返すと(たとえば高校入試で落ちた
ことをきっかけに、反省的思考が身についたとか)、かなり頭の中が気持ちよくなる。
耳鳴り、頭ガンガンや、頭の中真っ白といった症状が、ドンドン解消されてゆく。
 特定の人間社会の中で、他人に辛く当って来たのは仕方ない。それは、今更、
近所中に土下座するような真似も出来なければ、かといって死ぬことも出来ない。
でも、その世間から見下されるような記憶を纏めて、それを消化し直し、
人間社会、世間との関わり方に関して、何かしらの命題、帰結を導き出すこと、
抽出することが出来たならば、そしてそれを、何かしらの、世間から褒められるような、
資格や学位や宗教などの物的証拠つきのものに昇華出来たならば、その記憶は、大変意義深かった、
名誉ある記憶へと変わる。たとえば、自分はたくさんの罪を重ねて来たのだから、
その分、周りの人間の旧悪を許せる人間になろうとか、他人に辛く当たってしまう人間や、
犯罪者などの人間たちの心境が人一倍解る人間になろうとか、そんな人間たちは、
決して自分とはかけ離れた人間ではなくて、誰でもそうなりうるんだと自覚出来る人間になろうとか。
 一番 人間社会で嫌われるのは、そういう、自分の汚い記憶の纏まりは全部都合良く忘れて、
そして隠して、その一方で、他人の欺瞞ばかりを暴こうとしたり(人はどこかで嘘をつかないと
生きていけないのに)、他人を悪者に仕立て上げて、ボロクソに虚仮おろす、罵倒する、批評・非難することで、
自分は純真無垢、潔白なんだと言わんばかりに、周りの尊敬を集めようとする随筆家・評論家タイプの人間だ。

268 :
 子どもが世間で差別されるのは、ある種、これが関わっている。
「子どもは法的には責任を免除されてるんだ。社会正義の道理も解らず、
自分の行いに責任も取れず、社会から保護され、失敗が許され、
その機会すら保障されている身分の分際で、対等とは自惚れにも程がある。」
とでも言わんばかりに。
 大人、特に主婦は、食べ物の好き嫌いや栄養配分に関しては、さんざん子どもに
戒めるくせに、「記憶」の好き嫌いに関しては、ま〜ったく戒めないんだよな。
だから人間たちは、片っ端から心の病にかかっていくのかもしれない。
記憶が完全に消化不良に陥っている、分解されきっていない事に気が付けない。
 皆、自分の都合のいい記憶ばかりを思い出し、得意分野にばかり磨きをかけるのだが、
苦手分野や都合の悪い記憶に関しては、まるで加工作業をしたがらない。
これでは、本当の意味での精神的自由、健康は、得られないんじゃないか。
学校は、特別活動論、とくにHRなどで、こういうことを全く教えないんだから。

269 :
 父親がもし、血統が代々優秀な家系であるなら、別に父親を貶されても、
そんなに堪えない。母親がキチガイでも、大学を主席で卒業してたり、
英検1級取得者なら、母親を貶されても、そんなに堪えない。
 これは人間関係にも言えることで、自己実現を人間という不確定なものに
見出してきた人間は、友だちの人数(たとえば携帯にどれだけ友人のメアドが入っているかとか)
を計られ、それを職場の同僚に貶されたら、すぐに 自我の一部が、前提から
脆くもガラリと崩れ落ちてしまう(特に女性)。しかし、アボリジニの民のように、
その記憶の纏まりの中から、何かしらの資格の成果を生成した人間は、たとえその頃の記憶の抜け殻、
旧悪や、その観点での育ちの悪さを攻撃されたとしても、そして人間関係で失敗したとしても、
[その記憶を纏め上げ、達成経験を生みだしたという、その物証つきの確固たる達成記憶・経験]
そのものまで貶しめることは叶わない。その金字塔が崩れることは最早ない。
 教育で正に教えるべきこと、大学院で研究すべきことは、こういった自分学、
人間形成・生きる力の形成手法そのものなのに、こういったことは、特別活動論などの
偏狭に置かれてしまう。社会に出れば、本当に求められるのは、こういった集結力なのに。
キリスト教の宗教教育を、まともに自分に施そうと考える人間なんて、どこにも居ないし。
 大した年収もないのに、給料をきり詰めてブランドの衣装買い漁ったり、
身の丈に合わない高級マンションを借りてみたり、美酒や美食に走ってみたり、
家は公団のくせに車だけピカピカのベンツだったり、やたらに旅行しまくってみたり、
なぜ人は、齢を重ねるに連れて、みんなああも必死で頑なな、気の狂った人間と化してゆくのだろう。
家庭教育・地域教育・学校教育・大学教育をみ〜んなひっくるめて、教育、人間形成の手法、
方向性そのものが間違っているからじゃないのかな。人は、商品そのものより、むしろ意味を買っている
ぐらいなのだから、もっと勉強の意味の最根底にある、行為の意味、期待効果の一番根っこ部分である、
「そもそも自分の人生における本当の望みは何なのだろうか」という実存的問を、人はもっと大切にしてやらなきゃなんないのに。

270 :
 神のみ前に[自らの弱さを認める謙虚さ](自分の罪を認められる謙虚さ、
克服した弱点の抜け殻を自己開示・自己暴露できる強さ)を持ち、
絶えず自分の[人格の陶冶を心がけ](自己教育を意識し)、同時に[他者の尊厳を認め]
(すぐに自分に都合の良い人間的格づけに走らず、また他者の旧悪を許し、
一人だけお高く留ることなく、加害者側の心理も理解できる寛容さを持ち)、
そのために、自分に不利な事柄もあえて引き受ける(自分の弱点となる、都合の悪い思い出を
自ら思い出した上で、それを克己して、人当たりを良くしていける)寛容さ・鷹揚さを持った
人間を育てていこう。読み物や授業を通して、教師のあり方を変えていこう。

271 :
それが一番都合がいいってことか。

272 :
 記憶とは、症状となって表れ出た、どこかしらから先天的あるいは後天的に
受け継がれた、自分の一面そのものである。その一面を思い出し、纏め上げることで、
より強固に、鮮明に意識し、そこから何かを生成する行為は、自分に都合の悪い一面も含んだ、
ありのままの自分を受容すること、すなわち一義的に、他者や、世界の諸側面を
好き嫌いすることなく、受容することにも、繋がってゆく。そして、自分に都合の悪い一面も
他者に正直にカミングアウトできる正直さと直向きさをもった人間は、何かしらの形で、
その努力の報酬を、信頼性という形で、承ることになるだろう。

273 :
2012年8月23日(木曜日)23時
新宿二丁目でブルーシート事件発生!
新宿二丁目ARCHで開かれた「大学生ナイト」のゲイ大学生参加者が
新宿二丁目の仲通りの交差点の路上に
「ブルーシート」を広げて宴会を始め
ツイッター(twitter)で批判が殺到して大炎上
それらの批判に対して新宿二丁目の路上にブルーシートを広げたゲイ大学生の当人たちは
「グリーンシートだ!」と反論
@Quusuke
ブルーシートのゆうきです「ちなみに、グリーンシートですから!!!」
残念!!!!ww
@AK1RA0413
そこらへんで飲んでる方たちと変わらず飲んだだけであって
たまたまブルーシートがあったから引いただけのことでした
@kan_mikan
人気者になっちゃったww


274 :
 周囲の人間を妬んで、誰かを不幸に追い込もうとする人間たち。でも心の奥底では、
そんな醜い構図(自分の心の働き)を認めたくないから、それを妄想上で逆転させて、
自分を高いところに置いて、「蹴落としている」という構図にしておいてみたり。
本当は自分が非正規な身分のくせに、それを意図的に棚上げして、
「おまえみたいな奴は家に引きこもってろ」とか恥を投げおろしてみたり。
 誰かを不幸に追い込みたがる人間は、心の奥底では、自分がその人間と比較して、
不幸であること、あるいは、自分より幸福になられる可能性が大いに有ることを自覚しているからだ。
だからそれを潰そう、阻止しようとする。小学生の頃は、普通に友だちと遊んでたような
大人しかった奴が、なぜ齢を重ねるにつれて、ああなっていくのだろう。
 まるで、おまえが幸福になるなんて 無理な話なんだ、幸福になるな、と言わんばかりに。
ああいう人間たちが会社組織にウジャウジャいるから、中小零細や体育会系の職場は、
どんどん地獄と化していく。大企業、民間企業は、実はそんなに学歴の高い、
真面目に生きて来た人間はいない。いても、学部が経済や経営や法や商に偏ってたり、
体育会系だったり。かといって、公務員試験のような 大きなセーフティネットもない。
学歴が第一にものを言うのは、やはり学会である。
 何でスコットランドで学位もってる、あの西洋史の講師、あんなにも優しいの。
色が白くて、ほっそりとした華奢な体格で、指も、仕草も、凄く上品で綺麗だ。
あれで本当に40前のオッサンかよ。髭が全然生えていない。腕毛も。
まるで女の子のような肌だ。取られないかな、石毛先生 … ジャニーズ系や
文学少年系が好きなロリ混じりの趣味だったらどうしよう…
俺みたいな庶民キャラ・関西弁キャラは アウト オブ 眼中になっちまう。

275 :
 オッサンというより、20代の現役 MやD の 兄ちゃん みたいだ…
10代の高校生でも、あのオッサンより老け面してる、汚い顔の、
ニキビだらけの高校生だって、稀に見たりするのに。明らかにニキビを潰しまくった顔のような。
あれで本当に、40年近く、俺より20年以上も生きてきた面かよ…
 性格的・哲学的・思索的・キャラ的 には、社会学専攻、哲学寄りで、
関西弁、ぶっちゃけ系、現代っ子の 俺の方が勝ってるつもりなんだけどなぁ…

276 :
×20年以上も ○20年近くも

277 :
 やっぱ、小学生の頃から、体育会系の 仕切りたがり だったのだろう

278 :
だったのだろう → だったのだろうか。

279 :
 1回生の頃からずっと どっかで見たことある顔だなあって思ってたけど、
今日やっと思い出せた。あの人、教育学者の斉藤孝に顔のつくりがそっくりだったんだ♪
斉藤孝なんか、5出版社や0超であの顔面だからな。ありゃぶったまげる。テニスも上手いらしい。
 てか本人見てたりして(笑) メディアを支配してる 出版社やテレビ曲が、
勝手に商売で祭り上げてるだけで、スターと言っても、所詮はただの、
スケベ心や妬み心など、諸々の負の感情も併せ持った、ただの一個の人間にすぎない。
コミュニケーション論でセックスがどうのこうのと吐露しちゃうぐらいなんだし。
 うちの大学も、大漫画家とか 東大名誉教授とか ほんの稀 にいるけど、
結構みんな研究室でコッソリ2ch弄ってたりする。50代の女性教授ですら。
家ではこっそり、男性教員や男子学生をオカズにしたり、ネットでオカズ集めてきて、
欲求不満で布団で独り モソモソ ギシギシ もがいて、ブチュって出た白い液を、
ティッシュを ファッ ファッ て箱から出して、それで濡れた黒いビラビラの花びらを
股開いて拭いて、臭くなった股にパンツをはき直したりしてるし。
 漫画家も大学教授も茶道の大家も、公式な面ではみんな見栄張ってても、非公式、
プライベートでは、2chを弄って、ウケるレスを見てはニヤついたり、叩かれたら
ムキになって俗語連発してカタカタやってる、ただの一個の、キャパシティーの限られた矮小な人間。

280 :
・5出版社や0超であの顔面だからな → 50超であの面だしな
・メディアを支配してる → メディアの発信源を支配してる
・一個の人間 → 相互社会で成り立っている 人間社会のうちの 一個の人間

281 :
数年前に見つけた最強のプレゼンター(既に知ってる香具師も多し)
ttp://pika2.livedoor.biz/archives/3516013.html

282 :
何で、他人と比較するかねぇ。
そうやって、他人を蹴落としながら人生走っても、最期は後悔すると思うけどな。
でも、そこは物質的欲求が満たされたということでごまかすのかな?

283 :
 小さい頃は、太陽も木々も、雲も、雨も 河川も、何もかも、
科学の知識は無かったけど、すべては生きている、すべてには意志が宿っている、
と考えていたし、その確信があった。理科などやらなくとも、人体が、
極小生物の支え合いで成り立っている、1つの大きな惑星のようなものだという自覚があった。
 でも、大学に入ってから、世間・人間社会(99%)>その他全部
という構図をシャワーみたいに浴びせられて、その価値観の呑み込みを強要されて、
頭痛と思考停止が止まらない。世界(99%)>人間社会・世間(1%)という
俺の価値観を、誰も認めてくれない。それどころか、精神分析学も、発達心理学も、
それを幼いだとか、妄想だとか、ボロクソ言ってきやがる。
 俺はただただ、この腐った連中に取り巻かれた世間から解脱して、
かつての自分を取り返したいだけ。断絶された、自然界との関係を取り返したいだけ。
帰納的な割り切りと反措定を認めない 力づくの意固地で情緒不安定な思考停止社会
から解放されて、自由で穏やかに生きたいだけ。なのに何で周りの大人は邪魔するの。
何で予備校講師になっちゃいけないの。予備校講師って、そんなに罪なの。
単に、国立大学の大学院出て、レジュメ作って授業して、帰ったら本や漫画読んだり、
自然・動物系や史学系のAV資料を観賞したり、RPGゲームやファンタジー小説に耽溺したり、
スカイプのオタ友と楽しくやってるだけなのに。何でそれがいけないというの。
あいつらから離れられさえすれば、誰もこんなに毎日毎日、頭ガンガンになってまで書き込んだりしないのに。

284 :
世間・人間社会(99%)>その他全部:
 中心の、世間、人間社会というサークルだけが、やたらにバカでかい
サークルで、中も開拓(人間の支配し易いように)されきった豊かな世界で、
その外(周縁)には荒涼とした、茫漠とした世界が広がっている、という遠近法。
 たとえ 約10:1の比率の集団力関係でも、その1の集合を99集合 集めれば、
いや、何なら990集合 集めれば、「1:99」の力関係になるのに。
何も中枢だけが 豊かで 偉くて 凄くて 強くて 幸せな わけでもないのに。
俺の周りには、自分を基準、地軸にして、周りの人間を動かそうとする人間が多すぎる。
俺の場合は、別に他人を動かしたいなんて考えていない。ただ、放っておいて欲しいだけ。
なのに、世間の周りの人間たちは、邪魔ばかりする。無理やり幽閉するか、スポイルするか。
何でいつも ああやって 嫌がらせばっかして来るんだよ。
独りで生きて、独りで死にたいって言ってるんだから、そうさせてくれよ本当。
このままじゃ、気が違って、そのうち大学で とんでもない事 してしまいそうだ。

285 :
 そう、ただ見ていたいだけなんだ。小さな マイノリティー民俗文化の集合をかき集めて、
それらを一挙に論文・レポートで束ね、世間にも負けないような巨大帝国を作り上げ、
自分がその地軸になることで、周りを公転させるような非公式の独裁国家が作りたいとか、
そういう幼児的万能感染みた、あるいは法学部生・経営学部生染みた、天下統一染みた夢を描いているわけではない。
 意地を取っ払った本音を言えば、ただただ、見ていたいだけなんだ。面倒事に関わりたくないんだ。
せっかく生まれたんだから、1つの世界だけじゃなくて、幾千も幾万もの世界を見たい。
本当、それだけなんだ。それが何故、こんな薄汚い 欺瞞に満ちた世界に 巻き込まれる羽目になっちまったんだろう…
親の自己実現のために、勝手に生まれさせられて… それが納得いかなかったからこの業界を志したわけだけど。
民間企業で労務管理だの簿記だのに現を抜かしてたら、本もロクに読めないし、DVDもロクに観れない。
世界の諸民族のことも、自然現象のことも、生命圏のことも、古生物のことも、他銀河のことも、
文明の起源以来、あるいは古代ギリシャ以来、この地球が見てきた景色を、全然学べやしない。
だから 邪魔しないでくれって、大学であれだけ叫んでんのに。就活はしない。もう俺の意志は変わらない。

286 :
 もちろん、引き籠る つもりもない。

287 :
△スカイプのオタ友と楽しくやってる
→ ○スカイプのオタ友に囲まれてワイワイやってる
大学に入ってから、本当 何もやらなくなったよ。見栄の張り合いにばっかり付き合わされて。
メールもスカイプも何もしなくなったし、フリーのRPGゲームも全くさせてくれない。
(せっかくCore2Duo詰んでるのに) ファンタジー小説もラノベも全く読まない。
そんな、完全にプライベートの潤いを失った、干からびきった生活をここ数年ずっと送らされている。
受験もまだ間近に迫っていなかった17歳までの頃は、あの頃は本当に楽しかった・・・

288 :
 ケロロ軍曹も、あれから何年も経ってるけど、あれまだ続いてるらしいね。
予備校講師になったら、絶対に 一気に片っ端から観直してやるんだ。

289 :
クソ公務員による道徳教育が大間違い!!
公務員に道徳教育は絶対にできないww
公立学校はクズどもの集まり、いまの日本の教育システムを
ブッ潰し教育に効率の良い学校システムへつくり変えよう!!
税収入の為のキズナwwみせかけ福祉ww偽善教育の得意技!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさとR!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!!

290 :
昔は道徳の時間なんて、他教科に差し替えられてたけどな。

291 :
「教育学」や「学校教育学」の学位は、クソと同じ。
そんなもの、「原付免許」以下である。
それなのに、その「クソ学位」すらない教育学部のクソ教員は
まずは、荒れた学校で修行して、ぶん殴られてみろや。
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292 :
学位って専門士から博士まで、全部学位なんだけどw
嫉妬丸出しって思われたくないなら、免許証と学位記の画像でもうpしてからにしなよ、低脳w

293 :
自分から博士号を名乗るやつなんかロクなのがいないと思うんだが。
それしか弾を持ってないから撃たざるを得ないんだろうけど。

294 :
それなら明らかに貧乏臭い身なりで運動音痴で
見た目がアキバ系ホモの東京プライドパレードや東京レインボープライドを率いる
同性愛組織的抗議過激派団体のゲイリブばかりが集まるゲイリブバーに行ってみたら?
飲みながら日の丸や君が代に対して敵意剥き出しで何故か日本人を拉致した北朝鮮に同情的で
反日の韓国や中国に異常な親近感を抱いちゃったり
惨めさコンテストしたり
【けっして竹島問題や北朝鮮による日本人拉致問題や尖閣諸島問題やウイグルチベット問題に言及しないゲイリブを崇拝しちゃう冴えない客やゲイリブ活動家ばかり】で
会話の中に差別とか迫害やら絶滅間近のアマゾンの原住民みたいに
やたらとマイノリティー!とか
世間でもホモも使わないようなLGBTなんて特殊なゲイリブだけの特殊用語を使う変な会話できるしw
ちなみにそんなゲイリブが集まる新宿二丁目の場末の巣窟のゲイリブバーは
ブリッジbridgeやタックスノットやmfメゾフォルテなどだが


295 :
某有名調味料食品メーカー○の素に就職が内定していた慶應義塾大学機械体操部主将がゲイのポルノAVビデオgamesゲームスに出演発覚で大騒動
http://m.logsoku.com/thread/hibari.2ch.sc/news4vip/1321868126/
慶應義塾大学SFC出身機械体操部主将がホモAVポルノビデオ出演発覚!
http://mimizun.com/log/2ch/gymnastics/1336316208/


296 :
四回目の入試
頑張ります

297 :
四回目も落ちました。
せっかくアドバイスをいただいたんですが。
社会人より現役有利ですかね。
私は36ですが。
口頭試問中は和やかで入ってからのことを話していましたから今度は大丈夫だと思いました。
誰より時間使って論文読み行ったり佐藤学先生の本を読みました。

298 :
現役有利もくそもない。
テスト結果と研究計画書の内容がゴミだっただけ。
4回も落ちたのなら諦めろ、というか佐藤学の本を読んでる時点でありえん。
あんなのは学部1年生や短大上がりでまともに教員養成受けていない人が読む物であって、
大学院進学しようとする奴がそんなの読んでたら、どこの大学でも入学を拒否る。
学術書を読め、学術書を。

299 :
ちなみに口答試験が和やかに進むというのは、研究計画書を見て試験官が「これはないわw」と
不合格を予め確信してまともに相手をする気がないからだから。
まともな口述試験は学術的な内容を突っ込んで聞いてくるから、ピリピリしていて和やかなムードには
ならない。
学生生活についてとか世間話をしちゃった時点でお察しください。

300 :
レスありがとうございます。
しかしまだ諦める訳にはいきません。
というのは人生のほとんどを犠牲にして大学院合格にかけてきたからです。
十年前数学教育を受験した時、教授陣に馬鹿にされたように大笑いされた時とても悔しい思いをしました。だからこの十年ずっと大学院を夢見て勉強してきたのです。
受けた大学は地方の国立大学で、大学自体のレベルは国立としては一番低いレベルです。

301 :
大学院は研究するところであって、ちんけなコンプレックスを満たすための場所ではないし、
そういう動機に支えられているから受からない。
人生の殆どを犠牲にしたとかいってるけど、君は何も犠牲にしていない。
何の努力もせず、何の苦労もせず、自分の悲劇に酔って誰かに救ってもらおうとわめいているだけ。
そういう人間は大学院に限らず、どの社会でも必要とされないし、そういう状態に自身が置かれることは
犠牲でもなんでもなく、むしろ自分からは何一つ向き合ってこなかった怠慢さの代償でしかない。
大学院進学を諦めてコンプレックスを抱えながら悶々と地べたを這いずり回る人生を選択するか、
次こそはコンプレックスを脱ぎ捨てて本当の課題意識を持って大学院進学を目指すことを選択するか、
よく考えたほうがいいよ。
佐藤学の理論も、何もせずにただ社会に受け入れてもらうことを祈っているだけの人間に慈悲を与える
ような理論ではないし、むしろ君みたいな人間を排除するための理論だって知った方がいい。
自分で自分を克服し、駄目な自分に向き合って、愚かな自分自身のありのままの姿を受け入れられる
ようにならないと、誰も手を差し伸べないよ。

302 :
ちなみに私の友人に、大学卒業後、必死に貯めた少ない預金を切り崩しながら、手弁当で学校に通い、
研究会に通い、自分にできることを探してそこに参加し、そうやって学んだことをまとめて形にし、
社会に還元し、そうやって研究者の第一歩を踏み出すことを認められた人間がいる。
人生を犠牲にしてでも取り組むということは、こういうこと。
今の自分が他者に与えられるものを与え、それを通して今の自分に何を与える力がないのかを知り、
その課題を乗り越えたいと願うことができなければ、本人がどれだけ自己犠牲を払った気になって
いても、それはただのマスターベーション。
何も得ていないだけで、何も失っていない。
欲すればまず与えよ。

303 :
そこまでしなくても入れちゃう人は入れちゃうんだけどね。

304 :
学会に入りたいと思います。
入った場合のメリットを教えて下さい。
入試で学会は入っていますかと聞かれたので。

305 :
メリットは特にない。
学会に入ると、定期的に論文が掲載された機関誌が届き、大会で自由研究発表することができ、
論文を投稿して査読を受けることができる程度。
大学院に入ってもいない人間が入会しても、相手にされないしついてもいけない。
入るなら大学院に入学してから。

306 :
ありがとうございます。

307 :
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/24546/3/KJ0060_145-152.pdf
↑この執筆者の田上綾子が
      イジメの主犯格だったようだwww↓
http://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B0%E4%B8%8A%E7%B6%BE%E5%AD%90%20%E5%BF%83%E7%90%86

308 :
敵対する人物の妄想、悪評、トラブル等を捏造または演出し人間関係を操作する「集団ストーカー」
カルト宗教団体による嫌がらせ、ネット集団ストーカー、電磁波を悪用した体調操作、マインドコントロールの手口
「集団ストーカー カルト」で検索して下さい

309 :
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方  まずは自分の指導教員を調べろ!
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L現場上がりの教職大学院教員。(学校での手柄話,自慢話をすることが研究だと思っている,雑談先生)

310 :
 
 
学校で習ったことは将来ほとんど使わない
社会に出て使うのは
読み書き と 四則計算 ぐらい
 
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4232024.html
 
 

311 :
 英語、数学(用語や概念)、現代文、公民は、最低限全部使うよ。
さらに知的な人生が送りたいなら、日本史・世界史、地理もやっておくべき。
じゃないと、大学で歴史の授業受けても、オレみたいにイミフになる。
大河ドラマ、中国史・韓国史も観れない。というか、ケーブルで放映されて
いるような、知的な番組はぜ〜んぶ観れなくなる。地学もやっておかないと。
 そもそも、憲法すら知らない奴は、何の法律の勉強も出来ないし、
政治経済すらやってない奴は、まず公民館に選挙の投票にすら行けないし。
自民党? 何それ? ってなる。職場での会話にも付いていけない。憲法史が出来ないと、
日本史も世界史も消化できないし。教科書のそもそものテーマは凡そ
「如何にして人間が、動物から王政を経て、現代の民主政を獲得していったか」だから。
 そもそも人権感覚が身につかない。商法だの労働法だの言われても、
「はあ?」ってなる。知ったかする奴は五万といるが。
 日本語表現法は、キャリア学(ex.キャリアデザイン)のテキストでも
絶対に出てくる頻出中の頻出。というのも、デザインとは構想のことであり、
構想とは作文のことであるからだ。キャリアデザイン、ライフヒストリーは、
日本語表現法、文学的・随筆的・詩的センスがあって、初めて豊かになる。
特に内的キャリアの方。経営学と心理学だけ出来てもしゃーない。

312 :

 
人類はまだ真理を理解していませんが
あなたは産まれ生きてますよ 好きなもの食べればおいしいし

313 :
在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い
マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません
そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです
在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい
[ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を!

外国人工作員の隠れ蓑はカルト宗教団体
10人に一人はカルトか外国人 異常に気づけ

314 :
http://matomelog.m.ldblog.jp/article/22069715?guid=ON&
【スーパー銭湯で声をかけ児童にホテルで買春行為をしたゲイを逮捕】
神奈川県警浦賀署は2013年1月7日に横浜市青葉区市が尾町、派遣社員水浦友也容疑者(34)を
児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)容疑者で逮捕した。
発表によると、水浦容疑者は2012年12月14日と同21日に、
横須賀市内のホテルで同市立中学二年生の男子生徒(14)に各1万5000円を渡し、 12月21日に同ホテルから「男が男の子を連れ込んでいる」と浦賀署に通報があり、署員が駆けつけたが、水浦容疑者は生徒を残して逃走。
同署は生徒の話や乗用車のナンバーから同容疑者を逮捕した。
水浦容疑者は昨年春、同市内のスーパー銭湯で生徒に声をかけ、メールアドレスを交換。
夏頃から数回、同様の行為をしたという。
水浦容疑者は「間違いがない」と容疑を認めた。
2013年1月8日読売新聞

315 :
 学問はただのブランドじゃない。教育学はただのブランドじゃない。
人類学、比較宗教学、比較神話学は、ただのブランドじゃない。
(歴史学は知らんが。) これらは言わば、自己の存在を探求していく上での
不可欠とも言える手法であって、自分の存在の奥深くに宿る、知りたくて仕方ない
という疑問を彷彿とさせるものなのだ。
 経済や法、商学や法学などは知らない。そもそも、ブランドが好きならば、
そいつはアパレル業界を志望する筈なのだ。しかし俺はアパレル業界に興味などない。
第一、ブランド志向だけで学界が成り立っているならば、現在の研究技術、
特に理系コースは、その達成はあり得なかっただろう。
 心理学を求める奴は、心との関係を何より大切にしたい人間だ。いわゆる安泰思考、
ジコチュー、安全第一というやつである。哲学を求める奴は、万物に対する疑問を
大切にしたい奴、いわゆる正直に生きていきたい奴だ。強制思考停止が大嫌いな人間。

316 :
 人類学を求める奴は、商業などの少々卑近な文化も含めて、これからどんな業界に
進むことになろうとも、そのすべてをマクロな眼で 相対的に視ていきたいと望む人間である。
「人類の営み」という規模にまで総てを敷衍していくのだ。その見識はもはや歴史学を超えるだろう。
あるいは、自分の存在のルーツを知りたい、という願いも、その岐路選択の中に包含されているだろう。
 そして、比較宗教学、比較神話学は、確かに自分の起源、源流を知りたい者ではあるのだが、
歴史学との決定的な違いは、その違いは形而下に留まらないということ、
人間中心主義の独我論などに留まらないということなのだ。だって、自分はどこから生まれたのか、
自分や親、友人、動物など、総てを動かしている者は何かと問いつめて行くと、
そこには必ず「意志」というテーマが出てくる。唯物論や人間尺度説では限界があるのだ。
 哲学者の中には、宗教・神話学に対する批判も込めて(単一レベルの神話・宗教学が過去に
無茶苦茶やったから)、我々は世界を考究する時、安易に「神」という決定論には奔らない、
あくまで理性をもって考えていく、と言う人間たちがいる。しかし、あくまでそれは
単一レベルで視た場合であって、世界中の色んな国々から、宗教や神話のストーリーを集めて、
そこから何か抽象命題、妙諦を導き出す、という極めて理性的な営みを度外視している。
比較宗教学、比較神話学は、人類学としてやっているのであって、それ単体でやるものではない。
 そもそも、宗教や神話のストーリーそのものを妄信せよなど、俺は一言も言っていない。
比較宗教学や比較神話学は、あくまで宗教ではないし、度を超えた誇りもその分野に持つ必要は無い。
色んなことをやればいいのだ。ただ、ず〜っと昔から、世界中で人類が疑問に思ってきた
共通のことについて考えを巡らしたものを読むことで、やはりそこには、1つの共通した、
人知では計りきれない、究極の存在が垣間視えるのだ。自分が生きているのとは、全く違う次元の存在について。

317 :
 経営学が、経営者との関係を大切にしていきたい学問分野であり、法学が、
法との関係を大切にしていきたい学問分野であり、心理学が、心との関係を大切に
していきたいと願う学問分野であるならば、文学とは、物語との関係を大切にしていきたい
と望む学問分野であり、そして宗教学・神話学とは、物語との関係を大切にしていきたいと
望む分野であると同時に、人間関係や動植物との関係をさらに超えて、神との関係を大切にしていきたい
と願う分野なのである。もはやこの次元に至ってまで、どう「ブランド」などという、
焼却炉やリサイクル行きの アパレルの服みたいなチンケな言葉で片付けさせられようか。
 俺は、教育に不満を持っていたから教育学を志した。教育に猜疑心を持っていたから、
すなわち疑問を持っていたから、その疑問に対する納得が欲しくて、教育を志した。
そして、教育の解釈が学校教育から人生レベルに広がって、過去、歴史を視る時の着眼点に
囲いがなくなり、すべてが教育・学習であったと悟ったから、今度はそれを纏めて
社会に打ち出していこう、訴えていこうと考えたから、キャリア学を志しただけなのだ。
 何で学校も予備校も、皆して嘘をつくのだろう。何故、説明責任、情報開示などを、
守秘義務などちう言葉を用いて、平気で怠るのだろう。自分の立場のことしか考えていないのだろうかと。
授業が全部で15回あるのならば、最初のまるまる1回は、端的に自己紹介を済ましたら、
徹底的に理念開示、科目の狙い、役割、その説明責任や情報開示に充てればいいわけで、
体系的にそれを講義して、資料も明文化された形で、きちんと学問分野の一環として配ればいいのに。
そして そこから、2回目〜13回目まで授業して、14回目でこれまでのことを踏まえ、
これから先のことを話し、最後15回目でテストする、ということにすればいいのに。
 なのに、教育というものは、いつだって、後になってその効果を知ることになる。
その効果を知った時は、疑ってばかり来た人間は、時既に遅し、何でもいいから、
とにかく従順に言うことを聞いて、思考を停止させて丸暗記してきた人間ばかりが、
社会システムの上へ行ける仕組みになっている。みんな、序論をわざとやっているかのように
疎かにし、意味や訳も分からないままに、いきなり教育の本論からスタートさせ、そのまま社会に放り込む。
畢竟、最初の序論で絶対にネタバレをさせない 教育システムというものは、実は最初から、
事無かれに 従順に言うことを聞く人間だけを選別するシステムだったのかもしれない。

318 :
 人間など、所詮は人間だ。どんなにマズローの欲求段階説やボウルビイの愛着不全説を
御用たちが 持ちだしたところで、やはりその根底にあるのは、人間だけで世界の全てを
割り切ってやろうとし(家族や世間や社会だけで割り切ってやろうとし)、
あくまで人間が世界の支配者であり、人間を支配者として奉らせよう、
経営者を始めとした人間社会の権力者を 神同然のように(「我こそが神である!
経営者は神である! 実体がある分、神などというあやふやなものより実証的で偉いんだ!」)
看做させようとする、1つの洗脳の形式だ。
 しかし、人類学の眼(「鳥の眼」)を宿した者にとって、この種のハッタリは通用しない。
我々は神の元から生まれた。全ての原点は神である。親は全てを説明しない。
経営者は全てを説明しない。政治学は全てを説明しない。教育は全てを説明しない。
解釈の幅に予め囲いが与えられていて、限定されているからだ。その原因はズバリ弱肉強食。
人間は、隣人との競争に埋没する余り、自分が動物の生態系の中に属する人間だということ
を含んだ、マクロで学際的な眼を自分を探求してく「眼」や「志」を、どんどん削ぎ取られ、
あるいは吸収され、もしくは圧殺・抹殺されていく。そして、似たりよったりの器の被造物同士で、
50歩100歩、ドングリの背比べの、クソ狭い囲いの箱の中で生きるようになる。
もはや空を観ても 何も感じない人間の完成だ。
 情報活用がなぜ大学の1回生の授業に組み込まれていたのか。あれが産業界に局限された話ではなく、
どう学術研究に活きてくるのか。歴史学に共通して見られる、あの「参考URL」を
少しでも信頼のおける、権威あるものにだけ選り抜く、という営みに、如何なる意味・訳があったのか。
その理由を、今更になって知る始末。そう、人間は、どこまでも嘘つきなのだ。
人間は平気で嘘をつく。もちろん権威ある人間でも。それでも、せめて根拠のない話、
そこら辺に転がってる人間のハッタリに騙されるなよと、そういう意味合いがあって、あの手法は存在したのだ。
これは決算などにも見受けられるもので、大きな・公式な機関であればあるほど、
そこには情報開示や説明責任を始めとした、責任が伴うのだ。世の中には、決算すら晒さないような企業すら存在する。

319 :
 手段の目的化。競争優位性やブランド戦略は、あくまで手段であって目的ではない。
しかし、人間は、ついつい その卑近な闘争ばかりをやっているうちに、いつしか本来の目的も
進む道も忘れて、力ばかりを渇望し、その誤った道に行くようになってしまう。
社会科学という囲いの中の道に。
 そして何時しか、神や世界レベルの愛が欲しくて 学問の道を志したのに、
「俺は神みたいなものだ! 俺はエスタブリッシュメントだ! 俺は偉い人なんだ!」
という人間になってしまう。人間なんて、所詮はただの被造物であり、種の1粒であって、
みんな許容量も ドッコイ ドッコイ なのに。50歩100歩、ドングリの背比べ。似たもん同士。

320 :
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方  まずは自分の指導教員を調べろ!
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L現場上がりの教職大学院教員。(学校での手柄話,自慢話をすることが研究だと思っている,雑談先生)

321 :
県立大学教授って聞いただけで、「この、御用学者め!」と思うのは間違いかな?
裁判になれば、県側の証人としておそらく引っ張られるだろうに。

322 :
学校法人経専学園はいじめの加害者を擁護しました!
http://engawa.2ch.sc/test/read.cgi/senmon/1347957733/

323 :
まず●「シンガンス事件」と●「シンガンス釈放嘆願書に署名した議員リスト」を検索して
次に●「西新井事件」と●「百人町事件」を検索してみなよ
たとえば反日同性愛者原理主義過激派のゲイリブ活動家団体だけが叫ぶ同性婚ってさ
北朝鮮工作員が日本人に合法的に成り済ます道具に悪用して使いそうで反対。
ついでにtwitterなどのネット上にて
【反日運動を仕掛けて】る
【レズビアン活動家】や【ゲイリブ活動家たち】が
狂信的に【支援表明】している
【同性婚とか外国人参政権に賛成している政治家】って
【日本人拉致実行犯の北朝鮮拉致工作員】の
「シンガンス(辛格洙)」事件の「釈放嘆願書に署名した日本の議員」と近い関係の政治家が目立つぞ

324 :
教職大学院は、研究者のカスの巣窟、入学を考えている人は、
以下のことをよ〜〜く、お考えになって決めた方が良い。
教職クズ大学院の教員の特徴は,以下の通り。
いずれも,研究はできず,業績は自慢話と手柄話。
書いたものは,学習指導案レベルのレポートで,英文の学会誌などは皆無。
@退職校長や指導主事経験者・・・現場の自慢話が講義である。
A教育学部附属小・中学校の元教員・・・良い子ちゃんしか,教えられない理想主義者。
Bたいていは,地元の教育学部出身者・・・教育委員会との単なる顔つなぎで採用される。
C学位はあっても教育学か,学校教育学(笑)・・・中学生のレポートレベルの博士号。
D実務家教員(現場出身者)・・・彼らは実務家教員と呼ばれ,大学の研究者とはみなされない。

325 :
国や自治体、教育委員会や学校の不祥事をKしたり、
街のダニや凶悪ガキや危険人物を晒して警戒を呼び掛けたりたりするのは、
社会を良くするために必要不可欠なことだ

326 :
警戒する側が悪意を持つ可能性もあるから、それだけでは50点。

327 :
人生にも特急列車はある。いつまでもくすぶり続けるダメ仕事人が
いる一方で、トントン拍子で富と名声をつかんでしまうような若者も
いる。人生を勝ち抜く最大の要素「運」である。

328 :
「教育学」や「学校教育学」の学位は、クソと同じ。
そんなもの、「原付免許」以下である。
それなのに、その「クソ学位」すらない教育学部のクソ教員は
まずは、荒れた学校で修行して、ぶん殴られてみろや。
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329 :
もしかして、学校が荒れてる最大の要因は、教育学にあるのではなかろうか。
たしかに何でも糧にして成長していくのは逞しい限りだが、それを優先するあまりに、不法行為も止めないとくると、ちょっとなぁ。

330 :
いや、違う、裏でいろいろ操作しているアメリカのせい
アカデミックな世界ももはや世襲制、派閥制が定着しただろ
汚い医者や政治家のそれに近い、自浄作用も働いていない
だから賢い奴は海外へ‥ 日本は終わってる

331 :
食物、水、空気、マスコミ、政治、全てが汚染されすぎている
人間の脳や神経がおかしくなっている
自浄作用も効かなくなっている
教育学がどーとか言っても、それらを正さないと、何にもならないよ

332 :
性善説のシステムでやって、自浄作用がはたらくと思う?

333 :
「ナチスに学べ。国民に知られないようにこっそり憲法を変えてしまえ」。国際的失言。
【ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演】読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm?from=tw
ちなみに、自民党改憲案が追加した第九章「緊急事態」はナチスの全権委任法とそっくりです。http://magazine9.jp/soda/130417/
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/362207601884274690

334 :
【試し腹】
朝鮮半島で行われていたもので、父親が結婚前の自分の娘に対し、妊娠の可・否を調べる為に性行為をする事を云う。大韓帝国の時代まであった風習だが、日韓併合後に直ちに禁止にされた。
「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。
故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる。
これを「試し腹」と言います。
産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、妻と同じ奴隷的な身分しかなく、結婚はおろか大人になるまで成長する者も稀だったと言われています。
自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女と証明させて嫁がせる儒教思想が暴走した習慣だそうです。
日帝が禁止した朝鮮時代の風習だそうです。
wikipedia 削除済み
米人類学者Cavalii−Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きな
Genetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution. 1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)
韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。

335 :
仕事です
暑いなか
がんばってビールがうまい

336 :
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方  まずは自分の指導教員を調べろ!
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し。(単にバカ,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)

337 :
政治も教育もモラルの欠如で崩壊する。
本来のモラルの見つめ直しが必要。再設定とはいわん。
人としての最低限の習得が出来ていない教育体制の長期化が
教育も政治も経済もダメにしているんだろうね。

338 :
院で充実した研究ができず、現場でもどうしようもない実践しかできないおまいらのやっかみだけじゃないのか?
個人的恨みをはらすためだけにスレ立てられてもなあ…
院で充実した研究ができるかどうか、それを生かして実践に役立てられるかは、すべて自分次第。
自己責任でしょ。中二病並みの責任転嫁論理にもはや笑いを通り越して、気の毒ですらある。

339 :
院試対策(教育学)って具体的にどうすれば?
暗中模索で『よくわかる 教育学原理』だけ入手した
上の方で学術書を読め、比較しながら読めってアドバイスがあったけど、とっかかりが見つからない…(村井実くらいしか知らない)
どなたか、おすすめの学術書などご教授ください

340 :
図書館で学会誌を読め
現在の主流の研究を理解できなきゃ話にならない
論文を読め、一般書籍なんか読むだけ時間の無駄

341 :
有能な教師への需要はあるが
それが大学院でどうにかなることなのかって

342 :
院試対策は、究極は情報戦だ。
あと、大学院入試と大学入試の区別がついていない人が案外多い。
前者は、基本的に「マッチング」だ。教授陣がこの研究室に必要で研究を
すすめてくれる「拾い得」な人物かどうか。
入っても、一定限度までは「教育」はしてくれるが、基本的には研究は自分で
すすめていくわけなので、過剰な期待をしてはいけない。自分次第。
効率的に情報を集めるなら、いまはいくらでも情報産業・サービスが発達している。
具体的な名前を挙げるのは憚られるが、高円寺の中央ゼミナールは一考の価値あり。
オーソドックスに言えば、自分のやりたい分野の先行研究をまず調べ、その理論的背景
になっている学術書を読むといい。教育学の場合、研究には実践的売らず毛が必要だから
教育実践記録を読むといい。ただ残念ながらほとんど流通していないので、Amazonで入手するか
東京学芸大などの図書館で探すしかない。
英語や第二外国語、教職教養を試験科目に課すところは、いちおうその受験勉強はしっかり
やっったほうがいい。しつこいが頭の転換をしてほしいのは、院入試は「マッチング」であると
いうこと。ここを勘違いしたままの人が、院に入ってからも残念ながらいる。
だいたいそういう人は、たいした修論書けない、あるいはいつまでもまとめられない。
「研究とは何ぞや?」っていういちばん土台のところがわかってないからだ。

343 :
>341
そんな当たり前の話をここでしてどうする?意味あんの?
大学だろうが大学院だろうが、有能な教師の資質は個人の努力や才能。
(世の中には、大村はまのような天才教師もいるが、完全なマネはできない)
大学院を出たからと言って、大村はまにはなれない、あるいは向山洋一のよう
にはなれない。近づくことはできるかもしれないが、大学院でそれを教えて
くれるわけではない。教職大学院とて同じこと。理論構築や実践研究の過程で得たもの
を、何年もかけて実践の質を高めていくその人の努力にかかっている。
当たり前の話だ。大学院出て、一生「有能な」教師を続けられるのなら
こぞって全員、大学院に行くだろう。
このことは、医者だって弁護士だって同じことではないか?
いや、すべての仕事に通じることではないか?
本気で血反吐くまで仕事したことあんの?
これだから教育の人は世間知らずなんて言われる。

344 :
342です 失礼、一点、変換ミスがありました。
「実践的売らず毛」→「実践的裏付け」
訂正よろしくお願いします。

345 :
>>343
×これだから教育の人は
○教材研究や業務改善を自力で行う意識も資質も能力も無い、学士上がりの無能教師連中は

346 :
>>345
具体化ありがとう。
しかし、文脈を丹念に追っていただけるとわかるが、「これだから」の
「これ」はどこを指示しているかというと、直接的には「医者とか弁護士
とかその他の仕事、つまり教師以外の仕事をきちんと経験したか、あるいは
中身をよく知っている、教師はそれができていない」ってことです。
だから「教師以外の仕事」=「世間」を知らないんじゃ?という批判。
ただ、教師の数ある仕事のある一面を切り取って、端的に分かりやすく
表現すれば、345さんの言う通りだと思います。ちなみに「学士上がりの
無能教師」は人によるかな。有能な人は有能だし。というより、学部生
の間にきちんとやるべきことをやった人(たとえば、現場にボランティア
で入るとか、子どもとかかわる地域の仕事をしたとか)は違うな。本ばっかり
読んで、目の前の教採をテクニックでクリアしてきたような学生とは違う。
ま、教採の試験制度そのものにも大きな矛盾・欠陥があるわけですが。

347 :
 袋叩きを覚悟した上で言うけどさ、教職課程には、いわゆる生徒指導論派、
(教育)心理学派の人間たちがいるけど、教育界を腐らせてるのって、かなりの割合で、
ぶっちゃけ あいつらじゃないか? 教育心理学ですら、あくまで補助であって、主役じゃない。
 確かに、教職教養試験では、総則の解説文と並んで、一番出て来る、
頻出中の頻出分野であり、その枠内でのみ 主役らしいけどさ。
 近所の人間関係も、学校の人間関係も、職場の人間関係も、悩むこと自体は
真っ向否定しない。でも、人には、それぞれのライフステージにおいて、
それぞれ本業というものがある。人間関係を、それを出来ない言い訳にするというのは、
如何なるものか。学校教員の何よりの仕事、本業は、教科教育であり、各種-部活動の指導だ。
 生徒指導なら、生徒指導の専門が学校に居るし、何なら担任にでも任せてればいい。

348 :
 確かに、一被造物に過ぎない人間は、神様ではないので、どんなに国士無双な奴も、
所詮は 虐めにだけは 勝てない。勝ったとしても、碌な勝ち方をしない。
 虐めというのは生物の本能だ。これに逆らうということ(理性それ)自体が、
真の摂理、神の定めた掟に逆らっているようなもの。しかし、だからと言って、
それを 遠回しに ボカした言い方で(みんな一緒・平等主義を)支持して、
「学業成績や営業成績が一番いい奴よりも、あるいは 居住地域で一番お金持ちで
学歴の高い奴よりも、その一人の人間を、みんなで寄って集って虐めてる奴の方が、
多数派でマジョリティーだから、オレたちの方が そんな奴より 人格の高い、
優れた、優勢な人間なんだ。」なんて考え出したら、そいつはもう、人間が腐ってると思う。
私人(わたくし-びと)としては、そんな奴には 教壇には絶対に立って欲しくない。
 教育の意義、理念ってはのは、考え出したら、ホントに複雑観念で難しい。
だって、本や教科書ってのは、いきなりその文字が浮かび上がって来たのではなくて、
必ず誰かが書いたものであり、その背後には、文化背景、業界背景が必ず絡んでいるからだ。
 その限りで、教育ってのは、wikipediaなんかを見てみたら 即分かるように、
そもそもは学際分野の代名詞のようなものであるのに(そもそもは全人教育の基に
為されているものだから)、現代文や古文・漢文、政治・経済や倫理(あるいは道徳)、
歴史や地理、英語 などなどなど… 哲学者などを始めとした、彼ら、地域的教授の枠を超えた
ステークホルダーたちの言い分を、ぜ〜んぶ払いのけて、生徒指導論だの教育心理学だの、
そんな一番低次元なレベルで、総合大学の各専門家たちも関わって来ないようなレベルで、
教師の人格やその教育理念を育んだところで、そんな教育は所詮、碌なものにならないのでは?
 奴らは、もう少し、コンプレックスや意地を払いのけて、他人の話を 建設的に
採り入れるような 学際的・異文化理解的な態度を習得すべきだと強く思う。

349 :
真の摂理 → 自然の摂理
 親が貧しくて、高校の頃、アルバイトをしていた。18歳から就職活動をして、
高校の 涙(-演技)の 卒業式を 友だちと終えた後は、20歳の成人式も
迎えていない、10代の子どもの頃から、既に高卒として就職して働いていた。
 で、25歳過ぎになる頃には、もうそれなりの居場所も会社で築いて、隣-近所の
人たち、床屋や近所の個人書店の店長、商店街のオジチャン・オバチャンたちを
始めとした、近所付き合いも良好。年収もまあ、生活に困らない程度の金額は稼ぎ、地位も得ている…
 別に、それを真っ向から否定する訳ではない。というか、「ああ、よかったね」
「あっそ」ぐらいにしか思っていない。でも、それで人間、驕り高ぶりだして、
「学校教育なんて糞だ! 教師なんて連中はみんな糞だ! 教育ってのは本来、
オレたちのような民間人がすべき事なんだ! 奴らは世間を知らない!」なんて
言い出す奴(特に中年に多い)がいたら、そりゃあんた、身の程を弁えていないでしょ、って話になってくる。
 教育制度は、彼らのような人間たちを作るためには、そもそも作られてはいないし、
作られてゆくべきものでもない。

350 :
341を書き込んだのは俺だが
誰かと勘違いされているのか
ほとんど初めて、ろくに上のレスも読まずに書き込んだのだが・・・
343の反応は異様だな

351 :
教職大学院の現場出身の大学教員たち・・・笑
・・・彼らは実務家教員と呼ばれ,大学の研究者とはみなされない。
   単なる,教育委員会との顔つなぎ,研究無能教員である。
   大学も,教員採用試験で教委に世話になるから,仕方なく雇っている。
   学術論文はほとんどないし,博士号も持っていない。
   自分は実務家教員(カス教員)なのに,一般の大学教員だと勘違いしている。
   その証拠に,まともな大学では,教授会に参加できないし,投票権も無い。
    
   教職大学院の大学教員は,自分の立場をもっと自覚すべきだ。
   大学の恥部,お荷物であると・・・・・

352 :
>>346
「世間」なんてどいつもこいつも自分の半径1mを世界の全てだと思ってほざいているだけだから、どうでもいい。
教師は世間を知らないと言っている連中も、具体論の話をしだすと、主張する「世間」の定義も内容も違う。
世間知らず批判は、自分が知らない世界や専門知があることを意識できないバカの戯言。
理論を無視した経験主義称揚も同様。
どれだけボランティアを積んで子どもと関わっていようが、相当の本を読んでいない教師はゴミ。
自分は子供と関われる力を持っていて誠実な仕事をこなしていると自己満足しているだけで、子どもが
無能な教師の為に合わせてやってあげていることにすら気付けない馬鹿。
「働きの者の馬鹿は真っ先に殺せ、社会の害悪だから」を地で行く。
これでもかと言うぐらい本を読みまくって、先人の経験を内在化した上で現場に関わって実践力として
昇華させていく奴だけがまとも。
学生時代は死ぬほど本を読め、安易なボランティアに逃げて自己満足に浸るな。
そういう奴が教師になると、基礎基本が見についておらず、地道な努力からも逃げ癖がついているから、
自己満お祭り騒ぎをしているだけで仕事が出来ない税金泥棒になっていくだけ。

353 :
>>352
あえて極論を弄して注目されたい、反論・議論ごっこをあおっているとしか思えない。
学生時代に本を読むのは当たり前。プラスアルファでボランティアせよと言っている。
だから院試前にあたって、先行研究も学術書も実践記録も読めと言っている。
あなたがどれだけすごい実践をされているのか知りませんが、それだけ言うなら、最低限度の
証として博士号取得、実践記録が出版され相当部数売れているんでしょうね?
そうでなければ、それこそ机上の空論では?あなたの展開する仮説が正しいという科学的証明を!
(根拠のない)扇動ことばを弄して自分の意見をゴリ押しするなら、誰でもできます。
私の経験上の話で恐縮ですが、そういう方は、たいてい、実践力がありません。
だいたい、「世間知らず」という言葉がどういう文脈で使われているのかも読解することができない
「専門知」のレベルで、何を言っているのだろうと思われるのがオチです。
児童・生徒の生活、その背後の家庭の生活、厳しい現実に日々向き合って、いちばん世間を知ってい
るのは、学校の教員でしょう。とくに、いわゆる荒れた中学校の実践に携わっている先生方なら、
実践として分かるはず。
要は、「バランス」でしょう?教科指導も生徒指導もできて、初めて一人前。教科指導だけやりたいなら
予備校講師にでもなったほうが金もいいし、教科指導に専念できる環境も整っている。生徒指導論がどこまで
理論化されているのかは、私個人としては懐疑的です。実践の現実のほうが数段先へ行っていて、理論化が
追いついていないのが現状だとみています。
ご自分の「半径1m以内」でしか語らないその姿勢を、まず正すべきでは?
言ってることとやってることが、ちぐはぐすぎるんですよ、あなた。

354 :
>>351
でも、教職大学院を各都道府県に1つ以上配置するというのが文科省の計画で、決定事項だよ。
文科省が一度やるといったことは、もう覆ることはないのはよくご存じでしょう?
そんなに教職大学院の実務家教員制度に疑問があるなら、あなた自身が教職大学院の中枢・あるいは
教職大学院を監督する文科省の役人にでもなって、理想的な制度に変えればいい。ここで愚痴言ってても
仕方あるまい。そんな暇あるなら教材研究でも家庭訪問でも家庭への電話でもしたほうがいいと思いますよ。

355 :
>>350
レスをろくに読まないで、言いたいことだけ言い散らかして、逃げるといいう態度は
教育を議論する態度として、あるいは一般的に掲示板に参加する態度としてどうかな?

356 :
>>353
言ってることがコロコロ変わりまくった挙句、最終的に「バランスでしょう」だの「学位見せろ」だの、自己矛盾
の果てに明後日の方向にお茶を濁して逃げていく姿が素敵過ぎて涙が止まりませんw
じゃあ最初からバランスが大切だの、積み上げた実績は糞の役にも立たないだの言っておけよ。
ボランティアが大切だの、本ばかり読んで手はモノにならないだの、頭の悪い経験主義を振りかざしといて
何言ってんだw

357 :
まあ勉強してこなかったから、生かすべき知識も技能もないまま、自分の中身の無い敬虔なる空虚な者に
寄りかかって、現場を知っているだの子ども達への接し方を知っているだの恥ずかしい話が出てくるんだろうw
まともな実践家は、間違っても自分をそういう誇り方はしないわw
子どもも学校も変われば対応策は変わってくるから、経験なんて糞の役にも立たないし、だから自分の経験を
絶対化せずに、どれだけ多くの実践を読み込んで、後は実際にその知識のバックボーンを活用するかに
全ての実践家は意識を払うんだけど、そうじゃない無能教員に限って現場の話をしたがるw
お前の世間は半径1mしかないと指摘されても、それが理解できずに頓珍漢な鸚鵡返ししか出来ないw

358 :
>>352
352に縷々展開されているような仮説が、すでに科学的立証を終え学問上定説となり
研究者の間に十分に定着し、実践者も当然のこととして動いているかのような物言い。
こういう物言いこそ、教育学徒ならおそらくかなり初期に学ぶ「デューイ理論」(教育
研究史的にも押さえている学生がほとんど)さえも十分に習得していないことの証左。
さらに言えば、堂々とこんな言葉遊びを公開できるのは、自らの教育実践において、
基礎中の基礎であるデューイ理論でさえも、具体化して授業を行えてないことの証左でも
あるのでは?(「私は、○○理論を学んでこういうすごい実践をやった」と一言書けば、
ぐちゃぐちゃ屁理屈こねなくても、すぐわかりますよ、というのが教育実践の世界の常識)
もう少し踏み込んでいえば、あなたが仮に管理職になったとして、「私はこういう考え方
なので、理科の実験や社会科の見学、体育実技、その他、経験学習・体験学習にあたると
私が判断したものは、この学校ではその授業をすることを禁じます」って言うんですか?
指導主事になったとして、市内の県内の学校を、すべて上記のように統一する力が、あな
たにあるんですか?現場も納得したうえで、文科省も説得したうえで、あなたの仮説を
ゴリ押しできますか?あなたが職を失わずに、あなたの仮説の科学的正当性を、ずっと
主張し続けられますか?
現場レベルに具体化すれば、すぐにその可笑しさ、妥当性のなさがわかることを、堂々と
「これが正しいんだ!」と言ってきかない、あるいは間違いに気づく謙虚さのない人間が
教育なんかできるんでしょうか?児童・生徒はたまったもんじゃないよ。保護者もそんな
人物に教育してほしくないはず。たぶんあなたは、実践にはほとんど関わってない人だね。

359 :
本当の実践家は、世間なんて半径1mしかないと知っているからこそ、自分の世間にも寄りかからず、
他人の世間にも寄りかからず、人の数だけ存在している世間を多く認識しようとするのに、馬鹿な奴ほど
自分の世間に寄りかかる。
こが理解できないから、>>353みたいな恥ずかしい鸚鵡返しをしてしまう。

360 :
>>358
長文で的外れすごいなw
お前みたいな頭の悪い経験主義と同一視されたデューイとミードに謝れよw

361 :
>>357
で、そのあなたのすばらしい実践は、どこに発表されてるんですか?どこで読める?
それを見たほうが、あなたの屁理屈聞くより、一度でわかるから時間の無駄をしなくて
済むんですけど?すばらしい実践をされていて、それは社会的に認められているという
ご自負があるから、そんな風におっしゃるんですよね?
参考・引用文献を挙げて、論文を書くのは、すでにあなたも知っている学問のイロハ、作法。
ごちゃごちゃ言わんと言いから、「私は、こんな素晴らしい実践をしました」って言えば?堂々と。

362 :
>>631
何でお前に個人情報を明かさなきゃなんないのかとw
お前が晒せよw
言い逃れできなくなったら個人情報出せって方向に逃げ出す頭の悪さを治したら?

363 :
自分がやりもしないできもしないことを他人に求める奴が、そもそも子どもの気持ちを汲み取って
指導してますとか本気で思えるのこ頭の悪さ。
何が本質なのかすら読み解く知能がないから、自分以外の誰も納得させられない脅しで
勝利宣言に走ろうとするんだよ。

364 :
まさか、自分で自分を主観的に評価して、自分のことを「本当の実践家」なんて
恥ずかしすぎることは言わないよね?まさかね。そんだけ自信がおありなら、
すぐに次から次へとこういう実践をした、こういう風に評価された、私の学校は
こう変わったと、淡々と事実を述べられるはず。その実践は、こういう理論に
裏付けされていると理論化できるはず。そして、本当に素晴らしいなら、すでに
発表され、教育界で認められているはず。

365 :
>>363
かまってもらってうれちいですね。ぼくちゃん(^^♪
自分以外のものを納得させられないのは、勝利宣言出そうとしてるの、あなたのほうでしょ?
「個人情報」?ハハハ。面白いこと言うね。個人情報を出さずに、淡々と実践語るのは、簡単に
できるでしょ?「子どもの気持ちを汲み取って授業してます」って誰が、いつ、どこに書いた?
書いてもいないことを曲解して、断罪して、自己満足・勝利宣言に耽る。。
人を批判する前に、自分のハエを追えば?ってか、キミが実践に関わってないことは明々白々
だということだけは分かった。だって、実践で語れないんだもん。知らないからだよね。

366 :
自分の立てた仮説の科学的正当性・妥当性を、データや実践の質に裏打ちされた理論で証明してみてくれ、と言っているだけなのだが。。
なんか、論文ちゃんと書いたことあるのかさえ、疑わしくなってきた、、まあいいや、こういう頭の悪い人間と付き合いと、伝染するから
これ以上は深入りしないわ。。俺は院生で講師だからこんな時間にここに書き込んでるけど、この人たぁ、公立でも私立でも正規職員だったら
こんな時間に2chに書き込んでるの、まずいんじゃね?ほんとに学校の教員なんかな?この人。たちの悪い派遣学生か?

367 :
たぶん、発言の内容・方法・投稿時間帯・投稿のクセから総合的に判断するに、
おそらくこの人たぁ教育実践家などではなく、教育学オタクのほぼニートではな
いかという仮説が立つ。こういう「教育学に興味のあるニート的2ちゃんねらー」には
ある傾向がある。
1、「馬鹿」「頭が悪い」「本質を見ていない」「オオム返し」などの
中身のない「テンプレ攻撃ワード」で相手を攻撃することだけに命を懸ける(笑)
2、常に自分が正しい。多方面からの多角的検討で議論を進めることをあえてしない、できない。
3、本当は不安でたまらないとにネットになると勇ましく、現実世界ではおとなしいネット弁慶。
4、現実社会では人とコミュニケーションをとることが苦手。
5、自分の知らない世界のことを結果的に切り捨て、他人と討論する中で、本質を見極めようとする
  共同的・協同的・協働的学習の経験がない。ないので、他人にもそれを教えられない。
6、要するに、簡単に言えば、手前勝手。
こういう人が、教員に向いていると思いますか?みなさん。

368 :
ま、>>363は、反抗挑戦性障害の典型的言動だから、キミ、若干、LD/HDの学習障害も入ってるね。
いや、こういう子どもたちを差別してるんじゃないよ?キミの言う学問的見地から判断した生徒理解。
キミ、米国の精神医学会の学会誌にでも論文投稿しなよ。「反抗挑戦性障害の教員」という教師論でもよいし、
「反抗挑戦性障害の教員の教育実践評価」という質的研究でもよいし、「反抗挑戦性障害の教員が児童・生徒に
与える心理的影響」という教育心理学的検討でもよいね。
たぶん、斎藤喜博先生もびっくりの最新の授業論が確立されるかもね!期待してるよ!がんばれ!

369 :
ん?いまピンと来たのだが、派遣学生って線も強いかもな。
現場で問題起こして、あるいは指導力不足、不適格教員として認定され、
仕方がないんで教委が温情人事をしてくれて、いまは大学院にいるという。
給料もらいながらお勉強しているという。教委も現場も、当該教員の話には
できれば触れたくないから、タブー視。腫物を触るような扱いで、「研修」の
名目で、お給金いただきながら自分の好きなお勉強ができる。おー、うらやましいな。
うちの院の派遣学生は全員優秀だけど、よく聞くよ、上記のような人。
自分以外は全員バカだと決めつけているから、それが態度や言葉に出てしまい、同僚教員と
うまくやれない。もちろん児童・生徒たちともうまくやれない。基本的コミュニケーション能力
に欠陥があるから、保護者の信頼もすこぶる悪い。管理職もどうしたものかと眉をひそめている。
いるなあ、、、こういう教師。あ?キミのことだとは言ってないよ?そうじゃない自信があるんだもんね。
ただ、ここの人納得させるためには、そうじゃないことを実践をもって証明しないとな。
こういう事情があるから、自分の実践なんか絶対に公開できないんだね。
この人、半径1mの世界を知らないと他人を批判してを自己を顧みないで
喜んでいるから、超教育困難校に放り込んで、「理論を応用して」生徒指導を
完璧にこなしてもらいたいね。そしてその教育成果を論文にまとめていただきたい。
私、不勉強ですので、先生に、ぜひ、そのあたり、お教え願いたいです(笑)
学問の力で、家庭環境がめっちゃくちゃな一歩間違えると精神疾患になってしまい
そうな児童・生徒を、この学問的理論を応用して、このようにすばらしく改善しました、と。
いいねえ、そういうの、現場は待ってる!(はぁと)

370 :
「やべぇ、ここで反論してコテンパンにやっつけたいのは山々だけど、時間帯
のことはうっかりしてた。ここで真昼間から書き込んだら、向こうの思う壺
だしな。勤務時間のことを突っ込まれない17:00ごろになったら反論開始と
行くか。こいつ、ほんとムカつくから、今度こそ息の根を止めてやる。あー
いっぱい言いたいことあるのになあ。俺様は天才だから、こいつだけには
負けたくない。でも今書いたらダメ、ダメ。落ち着いて戦略を練るんだ。
よーし、こっち方面から攻めてみよう。17:00までたっぷり時間がある」
(ニート的教育学オタク、心の声)(爆笑)
いいから、ニートな教育学オタク君、実践を語れ!
「個人情報」?笑わせるな!そもそもすでに発表されている論文を紹介する
のに、個人情報も糞もねーだろ!なんだ、キミの所属する学会は、匿名で論文
受け付けるのか?それを紹介できないのは、キミの実践が、科学的妥当性を持った
教育的効果のある実践でないことの何よりもの証拠。あるんなら出せよ。
もちろん、出したら、キミの勤務校に連絡して、「貴校に勤務する○○教諭は
2ちゃんねるに自論を展開し、誹謗中傷活動を行っています」と報告するのみ。
脅しというより、常識的・良識的行動。
いい加減、黙ったほうが利口だと思うがね。
キミみたいな質の低い軽薄な教養主義者の教師は、インターネットが本格的に
教育現場で利用されるようになったとき、すぐに取って代わられるね。
キミが解説してくれなくても、MITがハーバードが無料公開講義の中でやってくれる。
キミが及ばないことまで教えてくれるとは思わないかね?その程度の教養なら、最初からひけらかすな。
みっともない。「無知の知」を知るのはキミだし、まともな実践家は、ここにはこない。
もちろん俺も、まともじゃないからここにいる。俺たちは同じ穴の狢。仲良くしようぜ(笑)

371 :
なるほど、朝のように元気よく反論してこないところを見ると図星か(笑)
たぶんこの人たぁ、教員ならば「うつ病」あるいは精神疾患の休職中。
で、院で勉強しているか、自分が読みたかった本に囲まれ幸せを満喫しているか。
見ててごらん。うつ病患者は、夜中に起きだして朝までハイになる型があるから。
うつというより、それがきっかけで躁鬱、あるいは統合失調症になった口かもな。
気の毒に。。。同情するよ。ゆっくり休養して、また現場に戻ってきてね。センセ(^^♪

372 :
ほんと、口ほどにもないやつですね。>>362とかの糞教養主義者野郎。

373 :
社会的地位
@博士号所持,旧帝大卒の国立大学勤務の大学教授・准教授
A博士号所持,旧帝大卒の私立大学勤務の大学教授・准教授
B博士号所持,短大,高専などの教授・准教授
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
C博士号無し,大学教授・准教授・・・研究者としてはクズ人間
・・・・・・・
・・・・・・・
D八百屋,魚屋,米屋,コンビニの店主
・・・・・・・
・・・・・・・
E博士号所持,小・中・高校の教諭
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
Fただのクソ教師

374 :
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ

375 :
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/psycho/1314005547/121
  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  

376 :
基本的に言って、博士号がないということは
研究者としての資質の問題です。
文系は学位が取れにくいのは昔の話で、
現在では、母校の教授が退官したとしていても、
いくらでも取る方法があります。
博士号がないのは、
論文の審査を依頼できる研究者がいないという人間関係の欠陥者か,
研究能力がなく、論文を書くことができない低能か、
または,ただのやる気の無いクズ人間かのどれかなのです。

377 :
ところで、目下八巻正治について関心を持つようになってきたのでさまざまなインターネットを閲覧してみるようになりました。
旧来八巻正治については大してわからなかったところもあったけど随分サイトなどに書き込みが存在するものですね。
八巻正治はたくさん検索されているように思われます。八巻正治に関して少し調べてみると、八巻正治関係の記事が出るわ出るわ。
八巻正治についていろいろと言及しているんですね。

378 :
小泉政権が加担したイラク戦争、その傷跡は今 〜イラク医療支援報告会 高遠菜穂子氏ほか
http://www.youtube.com/watch?v=um-gpmWajj4
岩上安身による宇都宮健児氏インタビュー
細川さん田母神さん陣営はお返事頂けてないんですね
また今度とか明日また電話かけてくれとか誠意の無い応答が続いております
これは本当に声を大にして申し上げたい
http://www.youtube.com/watch?v=15KnV0_WOrw
宇都宮「細川さんの応援団長である小泉さんは、
規制緩和をどんどん進めて、貧困と格差の拡大を押し進めた人です」
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/428927058652045312
ヤミ金など、消費者問題に一緒に取り組んできた仲間の弁護士が、
自宅に押し入られた暴漢に家族の前で刺殺されている。
オウムによって殺された坂本弁護士の妻は宇都宮氏の事務所で4年間働いていた。
自分の仲間をそうやってテロで失ってきた痛切な経験が宇都宮氏には、ある。
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/428960885072478208
続き。「自分は覚悟ができているが、家族に手を出されることだけは……だから、
家は防犯のため、セコムにも入っています」と語る宇都宮氏。
しかし公示日前日の深夜12時に、自宅まで押しかけてきた人物がいた。
連日、選対事務所に「一本化しろ」「降りろ」といった電話が鳴り止まない時期。
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/428962475078582272
続き。真夜中に自宅まで押しかけてきたその人物は、細川氏に票を集めるため、
宇都宮氏に降りるように迫ったという。非常識極まりない。
この話をした時には、温厚な宇都宮氏が顔を真っ赤にして怒りを露わにした。
ご家族も「深夜の訪問者」に怯えたという。異常である。
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/428964165282443265

379 :
吉川裕の憂悲とその解消−「twitter」「2ちゃんねる」「遠くから見る推理研名物Q君を想像するの図 〜2004 帰郷〜」を手がかりとして−
吉川裕(東北大学大学院)
吉川裕(一九八四〜)は、佐藤弘夫(一九五三〜)の宗教・学問のうち宗教的側面を主に継承したとされる人物である。
宗教的側面を主に受容した理由については諸説あるが、
吉川の強烈な性欲や、実際の性行為における無能力感や挫折感を原因とするのが一般的である。
本発表では視点を変え、嫌儲板での書き込みにおいて、吉川が
「女で心を満たそうとする人間はやった人数に比例した地獄を目撃する。」と書き込み、
女性が自分を満たしてくれない事への率直な憂悲を吐露していたことに注目する。
この下半身の憂悲を解消すべく吉川が没頭したのが、
折伏活動とそれに伴う漢文能力を駆使した未来の創造であった。
ところが少し前に書き込まれたレス(二○一四)ではそれまでの表現的受容を越えて、内面的に創価学会から大きく影響を受けたことが確認できる。
人生の目標を「出世」とし、憂悲に限らずR等には煩わされない「創価ホモ」の主張は震災以前の吉川は見られないものだった。
本発表では、佐藤弘夫を必要以上に信仰した裕であるが、最近になるにつれて憂悲の忘却・思考停止は創価学会が主に担っていったことを指摘する。

380 :
早起き寝坊チャイニーズ和食総会3Dカード教師 沖縄海長缶づめそば
早起き寝坊チャイニーズ慰杏フジ和食総会3Dカード教師 沖縄海長缶づめそば
早起き寝坊チャイニーズフジ和食総会3Dカード教師 沖縄海長缶づめそば
早起き寝坊チャイニーズフジ和食総会3Dカード教師 沖縄海長缶づめ

381 :
授業力などというものは、教師になってから、
学校で磨くものである。
そんなものは大学では身につかないし、身につけるべきものでもない。
大学は教育理論を学ぶ場なのだ。
その点で教職大学院は、まったく意味がない、ガラクタのゴミ箱である。
教官も、学部で使えない3流教官があてがわれているし、
現場上がりの年より教授は、ただの教育委員会との顔つなぎである。
これが教職大学院の現状なのである。

382 :
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383 :
基本的に言って、博士号がないということは
研究者としての資質の問題です。
文系は学位が取れにくいのは昔の話で、
現在では、母校の教授が退官したとしていても、
いくらでも取る方法があります。
博士号がないのは、
論文の審査を依頼できる研究者がいないという人間関係の欠陥者か,
研究能力がなく、論文を書くことができない低能か、
または,ただのやる気の無いクズ人間かのどれかなのです。

384 :
私立大学卒に博士号なんて要らないから、さっさと巷に飛び出して、ミスマッチに遭うことが大切だよ。
そして、色んな学部学科に知り合って、そこでキャリア・チャンネルを得て、そこから大学に返って来る。
大学教官が、一番学生に教えてやらなければならないことは、18歳〜25歳までの7年間を費やして、
如何に機会ロスを克服し、埋め合わせて行くか、失われた記憶を取り返し、統合して行けるかの、その着想/観点/手法だと思う。
人間として一番最悪なのは、生きられないことじゃない。Rないことなんだ。元-高校中退-肉体労働者 の 俺が言うんだから、間違いない。
あの頃は、本当に辛かった。死にたかったほど辛かったんじゃない。自足を満たしてやることが出来なくて、死ぬにRないほど辛かったんだ。
自己受容する、環境を受け入れる、現状を受け入れる、なんて言ったって、幾ら何でも、限度ってもんがあるでしょう。未成熟の子どもに向かって。
やっぱり、大学教員は、奴隷には奴隷のままで居て欲しいらしい。下の世代が、自分よりもデカい面するのが、耐えられんぐらい 堪らん らしい。

385 :
16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/08/16(土) 03:14:58.83 ID:goVx90yL
 民間営利のキャリアコンサルティング会社や広告会社に釣られない、一番手っ取り早い方法。それは、
己のキャリア・アイデンティティを知り、己のキャリア・ビジョンを知り、そして、企業、会社の、性格を知ること。
「キャリア・コンサルティングも何も、私 何も ビジネス・レディネス 持ってないんですけど」って。
 商業高校も出ていない、TACや大原で 簿記検定も持っていない、MOS資格も持っていない、販売士検定も持っていない、
継続的にアルバイトした経験も無い。そんな人間、非正規雇用の門を学生で閉じるようなホワイト企業は、どこのお店も
採ってくれやしません。確かに、就職には、当たり外れがあります。しかし、それは、一時的なまやかしに過ぎないのです。
 要するに、人生や社会を舐めんな、商業界(実業界)舐めんな、って話なのです。だから、その点で、私なんかは、もうお終い
なのです。企業が、アルバイト雇用を、高校生不可、フリーター未歓迎にしたがる理由は何か。それは、資本主義社会を疎んじて、
人間精神を効かしてくれているからなのです。それすらもしないような、暴君会社なんかに就職しても、殺されるだけなんです。

386 :
45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/13(水) 04:17:36.83 ID:DVQ9kN2f
「自分で考える力を育む/奪う」なんて綺麗事で着飾ったって、そももそも、考えようと思ったら、情報が無ければいけない。
情報を知ろうと思ったら、まずは情報チャンネルに出会わなければならない。テンプレートが無ければ、そもそも考えられない。
図書館情報学 → 情報チャンネル → キャリア・チャンネル。
パブリック・サービス → パブリック・キャリア。
ネット通販やブックオフや公共図書館の利活用法も教えなかった分際で、何が教育機関か。
どう見ても 悪徳商法の 弱い者虐め、貧困ビジネス じゃねえか。自分棚上げして。
関西のFラン、大学図書館の蔵書数が50万冊有るか無いかぐらいの規模の大学の分際で、
大阪中央図書館を教えない大学なんて、そんなものは、もはや教育機関ですら無い。
学園都市の流通科学大学なんか、クレジット・カードの使い方までをも教えてくれるんだよ。
高度な生産者になろうと思ったら、まずは、高度な消費者でなければならない。教育チャンネルを教えない
ということは、自己教育の機会、自己成長の機会、考える機会を、奪っているということに等しい。
テンプレートを与えず、奪って、お金だけ泥棒してまで、「自分で考える」なんていう建前を吹くなよ。
教育の機会均等に則った、公共サービスも碌に受けられないような分際が、高度な市民になんか育つか。

387 :
SEが報告書(レポート)を書きたがらないのは何故か。それは、会社上層部に睨まれるからである。会社上層部とは何か。国会議員である。
国会議員とは何か。元老院である。古代ローマにおいても、元老院を敵に回した奴に、明日などというものは無かった。貴族・聖職者も含めて、
ローマ市民は、一人の人間が莫大な権力を握ることを嫌った。それは、共和制の国であったからである。これが、現代日本の価値観の基盤
となっているのは、今更言わずもがな。アメリカの政治体制の基盤となっているということすらも。というか、世界レベルでの基盤となっていることも。
("小飼弾"のインサイトを一部引用)

388 :
キャリア学で求められる第一の素養。それは、先ずそもそも、キャリア・マトリックスをこじ開けられるか否かに関わる情報収集力にある。
たとえば、立地。勿論、これは、あくまで、親の職業の世襲という理不尽を除いたらと仮定した話だが。そして、本人自身の観察力。行動力。
着想/観点 からして、掴め捉えられなかったら、そもそもキャリアデザインは始まりはしないだろう。世は情報社会である。
その限りで、キャリア学で求められる第一の素養は、先ず「仕組み」を見抜き捉え、チャンネル(=キャリア・チャンネル、教育チャンネル)
を獲得し得る能力であると同義語反復がされうる。経済学ではこれを「財源」なんて呼んだりする。そして、世界史で求められる能力。
それは、人間社会を、(社会)現象として、そしてキャリア学と同じくして、「仕組み」として捉える能力である。ここの重なりにこそ、
キャリアデザイン学と歴史学との、その夢のコラボ、学際研究(教育)から生まれるニュー・バリューの誕生の可能性(鍵)が隠されているのである。

389 :
>1>2>3>4>5
読んだってや。
新聞拡張員ゲンさんの嘆き
ttp://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/index.html
新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A
ttp://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage10.html

390 :
早稲田大学大学院は永和信用金庫の小林泰理事長の撲滅に賛成です。弱い零細企業から巨額の金利を強盗しまくり次々に倒産させる卑劣な男を早く殲滅して下さい。早稲田大学大学院は恥ずかしい。よろしくお願い申し上げます。

391 :
5女子大の共同教職大学院、経歴詐称で白紙
2009年7月31日 掲載
 ──昭和女子大学、准教授を解雇

昭和女子大学(東京都世田谷区)など都内の五つの女子大が、来年度の開設を目指していた
「共同教職大学院」の設置認可申請を取り下げたことが22日、分かった。
文部科学省への提出書類に昭和女子大学准教授だった西尾克明氏(61)が虚偽の経歴を記載してい
たことが発覚したためで、同大は男性を懲戒解雇処分にした。共同教職大学院の教員に同大は3人を申請しており、
この男性はトップの教職研究科長に就任する予定だった。
08年の制度改正により、複数大学による学部・大学院の共同設置が可能になった。
昭和女子、大妻女子、実践女子、東京家政、日本女子の5大学による共同教職大学院は、この制度を用いて設置認可申請した
全国初のケースとして注目されていた。

392 :
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em

393 :
「宗教は何を信じようが個人の自由」ではありません。
宗教とは、その人の人生を支配するプログラムなのです。
学校では教えてくれない宗教について正しく学びましょう!
「中杉弘のブログ」
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
「中杉弘の徒然日記」
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

394 :
教職大学院の現場出身の大学教員たち・・・笑
・・・彼らは実務家教員と呼ばれ,大学の研究者とはみなされない。
   単なる,教育委員会との顔つなぎ,研究無能教員である。
   大学も,教員採用試験で教委に世話になるから,仕方なく雇っている。
   学術論文はほとんどないし,博士号も持っていない。
   自分は実務家教員(カス教員)なのに,一般の大学教員だと勘違いしている。
   その証拠に,まともな大学では,教授会に参加できないし,投票権も無いのが普通。
    ロースクールの実務家教員は,まだ裁判官だったり,弁護士だったりするが,
    教職大学院の実務家教員は。教員免許しかない,学部卒とかのクズばかり。
    研究者教員と言っても,普通の学部に勤務できない,カス人間のたまり場だ。
   さっさと潰した方が良い。

395 :
5女子大の共同教職大学院、経歴詐称で白紙
2009年7月31日 掲載
 ──昭和女子大学、准教授を解雇

昭和女子大学(東京都世田谷区)など都内の五つの女子大が、来年度の開設を目指していた
「共同教職大学院」の設置認可申請を取り下げたことが22日、分かった。
文部科学省への提出書類に昭和女子大学准教授だった西尾克明氏(61)が虚偽の経歴を記載してい
たことが発覚したためで、同大は男性を懲戒解雇処分にした。共同教職大学院の教員に同大は3人を申請しており、
この男性はトップの教職研究科長に就任する予定だった。
08年の制度改正により、複数大学による学部・大学院の共同設置が可能になった。
昭和女子、大妻女子、実践女子、東京家政、日本女子の5大学による共同教職大学院は、この制度を用いて設置認可申請した
全国初のケースとして注目されていた。

396 :
既存の大学院は必要!
バカの巣窟=教職大学院は,さっさと潰せ!
教職大学院の様子2
実務家の大学教員(退職校長)「私は,○○をしました。これがホントの教育なのです」
学生「ふ〜〜〜〜ん」
実務家の大学教員(退職校長)「私は,○○もしました。今では親になった当時の児童から感謝されます」
学生「・・・・・」
実務家の大学教員(退職校長)「私は,教師のプロです。皆さんも実践してください」
学生「(ホントかよ)・・・・」
学生「(自慢話しかしねえ,ジジイだな)・・・」

397 :2014/11/24
教育学部におけるダメ大学教員の見分け方
@HPに業績を出していない(出すほど無い)。
A博士号無し,あっても博士(学校教育学)・・・笑。(それすら無いヤツは,昔は取れなかったとか言い訳する,やる気無し)
B学術論文(査読有り学会誌)が少ない。(審査で落とされる)
C学術論文があっても,共著ばかりで第一著者が極少。(自分では書けない)
D業績といえば,大学紀要ばかり。(紀要は査読が無い=低能でも掲載)
E著書がやたらと多い。(学習指導要領の解説とか指導事例ばかり,小学校教師でも書ける)
F筑波,広島,上越,学芸などの出身。(群れでしか生きられない仲良しグループ,学会賞も談合)
G附属小・中。高の出身者。(荒れた学校を知らないメルヘン,ヤンキーを扱えない,殴られてみろよ)
H学習指導要領崇拝。(指導要領作成者が多い,文科省のイヌ)
I全国で無名。(県内だけでは,偉そうにする。指導助言専門で指導主事レベルの口八丁手八丁)
追加
J国立教育政策研究所出身。(論文書けない,ただの統計調査人。研究できない)
K教職大学院の専任または兼任。(小学校レベルの低能研究)
L現場上がりの教職大学院教員。(学校での手柄話,自慢話をすることが研究だと思っている,雑談先生)

●●●イジメる、イジメられると言う事。■■■
子供に世の中の事を教えているが子供の方が詳しい
灘中高校長が日本会議とネトウヨを猛烈批判!
少人数がいいなら僻地や離島はみな東大
書かなくなるとwwwwwwwwwwww
少人数がいいなら僻地や離島はみな東大
ゆとり教育って実はめっちゃ良いよね
好きな教育学者でも地味に書き込もうか
  日本って本当に民度が高いのかな?   
国語科教育学について語るスレ
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鳴き声を吐くスレ
【2020年4月】加熱式と電子式タバコの扱い3 【原則屋内禁煙】
【悲報】関東の高校生さん、誰も大阪大学に興味がない【日本三位】
釣具屋の福袋について語ろう
ステラ女学院高等科C3部(しーきゅーぶ)
もう一歩
機動戦士ガンダムオンラインPart7107
【反日アート展】松井市長「朝日新聞自体が誤報として謝罪したデマの象徴である慰安婦像を行政が展示すべきではない」★5
コラムス
50歳〜54歳の奥様(ID梨) part56
ラジアーターのパーティを評価してもらうスレ
菅野完「民主政権はイメージで叩かれてる」→ネトウヨ「民主政権の悪いところ?いっぱい言えるぞ!」→自民政権下での話でした [347334234]
首里城再建で12億円もの寄付金集めた沖縄県、使い道はアンケートで決定へ ネット「まじクズどもだな」「そして、基地反対に渡るワケか
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【速報】上皇 風邪の症状で誕生日のあいさつ見送り★2
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