TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
幸運な車両
JRになってから廃止された急行と快速1
【東海道新幹線】100系新幹線【山陽新幹線】
【トルペード】木製車【トラス棒】
むかし鈍行の寝台車があってな
新線・新駅の開業日の思い出
ヘッドライト・前照灯の思い出
連結器の思い出を語る
昔の伊豆急行を語る
マニ30

懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1


1 :2014/10/05 〜 最終レス :2020/05/05
昔は沢山あったよね。

2 :
今ではDD51が山手貨物線経由で東京駅まで乗り入れてもパニックになるくらいだから、
昔はおおらかでよかったよね。

3 :
急行「きのくに」は紀勢本線電化後も南海の「きのくに」とともに
廃止まで気動車のまま残ったが、南海電鉄では電化されているにも関わらず、
新型DCで南紀直通を継続する計画もあったようだ

4 :
今、架線下DC、DLってザックリ見て首都圏以外の地方ではデフォなんだよな。
地元の撮り鉄なんて、てんで目もくれないべ?

5 :
>>4
でもエネルギーの無駄だよなぁ・・・
だからハイブリッド車のアキュ‐ムなんて出来たんじゃね?

6 :
>>4 東北方面では701系の導入によって、かなり減少したけど、新八代・川内間では当たり前のように走ってるわな。
ただ、架線下DCと言っても、1、始点から終点までの一部に非電化区間があるが、電化区間の方がルートの大半を占めているもの
2、その編成自体は、始点から終点まで電化区間内だが、前記1に当たる編成と併結して走るもの
3 前記1、2両方に該当せず、完全に電化区間内を走るもの
があるわけだが。こういった類別が、意味あるのかというのはさておいて・・
ケース1が一般的だが、ケース2の例は、水郡線に乗り入れる「奥久慈」と併結の急行「ときわ」
ケース3の例は、名古屋発新潟行きの「赤倉」

7 :
>>6
東北本線も以前は上野まであったじゃん。
高崎線もジョイトレのアルカディアが上野まで来てたけど。
新潟県内の架線下でアイドル中に床下から火災で3両中1両を半焼した。
他の2両は他のジョイトレに再改造された。
イベントでは品川駅まで展示だけで自力走行は無かったが、
フェスタが1回だけ遠路はるばる来た。

8 :
急行ときわは、架線下DCと電車とで水戸までの所要時間、明確な差があった。
そのような例は他にもあるだろうけど

9 :
我が新潟では現在進行形です。
村上−鶴岡間の普通列車全てDC。

10 :
>>8
上野で[気動車運転士]のバッチ付けているのがカッコよかったなぁ…。
コレは俺しか運転できない見たいな?
わざわざコイツを水戸から運転してきてやった見たいな?

11 :
東武なんか一昔はキハ8500が鬼怒川温泉まで入ってきてたし、今や会津鉄道の赤いNDCが
下今市でスイッチバックして東武日光まで入ってくるけどな。

12 :
名鉄はまだ高山からの乗り入れやってるのかな?
車両は>>11に転属してしまったけど。

13 :
架線下DCで、電化区間内走行の最長記録は、キハ80系「かもめ」長崎行き編成の京都・鳥栖間か?
それに次ぐのは、同じ「かもめ」の京都・鳥栖間かな?

14 :
赤倉なんてキハじゃないといけない理由が何かあったの?
キハ91なんて形式が使われたのはエンジンの性能テストのため?
あれ4枚折戸で異端だったよね。

15 :
>>6
「あじがうら」なんかも懐かしいねぇ。

16 :
74年に赤倉乗ったが、何故、電車化しないのかと思っていた。
165系の余裕がなかったのと、中央西線の急行、廃止縮小する方針だから、急いで電車化する必要はないということか?
新幹線岡山延伸で余った山陽本線急行用153系は、関西新快速に回されたし…

17 :
>>4
羽越本線村上〜酒田間は今も。
村上以南、酒田以北がそれぞれ電車化されている今となっては結構貴重な存在かもしれない。
ただ村上〜酒田間は単に架線下
DCであるということ以外にもあつみ温泉〜小岩川間のように複線化が中断したりしていて、
翻弄されている感じではある。
もし黒磯駅みたいになってれば
もし415系が投入されていればもしE653系の間合いがあれば、
もし代行バスになっていれば、
もしきらきらうえつの485系が間合いで普通に運用されれば、
村上〜酒田間での架線下DCは
Ifもしもの可能性をことごとく排除した上に存在してるまさに鉄道の影の部分かもしれない。

18 :
>>6
JR九州に見捨てられた区間だな

19 :
>>12
北アルプス廃止前に高速バスに移行 北アルプス廃止後に1往復増発
ちなみにキハ8500系も既に引退

20 :
>>13
大阪〜西鹿児島の【なは】が913.6キロ。【日向】と併結だったから鹿児島本線全線電化後(1970-10)も82系のままで全区間架線下だった。

21 :
九州内完結でいえば特急おおよども82系で鹿児島線の博多〜熊本と日豊線の
都城〜宮崎の半分以上が架線下だったよな。
しかも82系で肥薩線恐怖の矢岳越えやっていた。仮に181系だったら
オーバーヒート続出な悪寒。

22 :
特急「あさしお」と急行「丹後」も山陰本線の京都〜園部間、
福知山〜綾部間などというように電化が進むにつれて架線下を
走る区間が多くなっていった

23 :
>>21
「おおよど」間合いの82系「にちりん」。485や583の陰で地味に運転されていた。

24 :
富士急はDCアルプスと併結する為にキハ58所有してたな。

25 :
長崎線や紀勢線に急行電車を投入しなかったのはなぜ?

26 :
確か急行アルプス使用車両が、
急行アルプス廃止後投入の筈。
なので急行きのくに現役当時は車両が足りなかった正解では?
車両があれば普通でさえ天王寺阪和線直通快速電車だったから
100%きのくには電車化のはず

27 :
優等列車の急行列車の置き換えが、車両が足りないからそのままてどうゆうことだ

28 :
長崎線は非電化の長与経由をだったからもあるかも。
諫早〜長崎を山から一気にぶち抜く長崎トンネルがまだ出来てなかったし。
仮に出来ていたにしても58系の長編成を6500m越すトンネルを走らせられないだろうし。

29 :
>>58系の長編成を6500m越すトンネルを走らせられない
北陸トンネルでキハ82系や、能登線乗り入れの気動車急行が何本も走っているんですけど。
長崎線や紀勢線の場合、電化後において、近い将来に急行を全面的に特急に置き換えることが予定されており、それまで気動車急行でつなぐという方針だったからでは?
これらの路線が電化された当時、東北・上越新幹線ができると余剰になるということで、急行用電車は既に製造中止になっていた。

30 :
>>28
その長さのトンネルは気動車はダメなのか?
北陸トンネル、頸城トンネルなんかバンバン走ってたぞ。
さすがにコレはないと思うが、新しいトンネルは排煙筒がないからってことでか?

31 :
>>19さん
ありがとうございます。
名鉄は当時キハ82モドキのそっくり車両を登場させたので良く覚えてます。
あんなことしないで、国鉄のキハ82を直接乗り入れたらよかったのにって思いました。
それか名鉄に運用を委託させるとかしなかったのは何故なんだろう?
趣味的には2種の気動車があるのでそれはそれで楽しいですが、
電車王国の名鉄ではあの車両は厄介な車両だったんじゃないですかね?
そういう理由からかキハ8000は保存されていませんねorz

32 :
>>31 Wikiでキハ8000調べれば、何故、名鉄がキハ82の借入れでなく、性能的にキハ58に準じているが独自の車両を造ったのかすぐわかるわな。
まあ、自分で調べる努力をせず、無知を晒すのもよいのかも?

33 :
キハ8000は準急型車両だ

34 :
>>33
えっ、それじゃあキハ55と同じと言う事で( ・∀・)b OK?

35 :
82年頃のダイヤだが、架線下DCの「ときわ・奥久慈」、上野から水戸まで1時間45分位。
電車の「ときわ」だと、それより10分前後速い。485系の「ひたち」だと1時間20分位。
架線下DCの電車と比較してのメリットは、交直流のデッドセクションで車内の電灯や冷房が停止しないこと位か?

36 :
>>35
つくば万博の時だってキハ58・28の臨時急行も、
コスモ☆丸のでかいヘッドマークを先頭につけて上野まで架線下DCだったよ。
あの車両どうやら簡易宿泊所代わりにも使用されたようだから、
給電が不要だからじゃないかな?

37 :
>>35
デメリットをカバーできる程のメリットとは言えないが、架線が高速運転に対応していない区間ではECときわよりDCときわ
の方が高速運転が出来た頃があったらしいよ。あとはそうさなぁ…、ジョイトレのカラオケの電源が歌ってる最中に
落ちないことだなw

38 :
>>36 583系も土浦駅の電留線で簡易宿泊所として使われているんですが・・
>>37 651系以降は、取手・藤代間で電源が落ちることがなくなったな。
架線下DCのメリットが一つ無くなった。
旅客需要が減った路線で、電車動かすよりも、製造費が安い簡易型のDC(レールバス)走らせた方がコストがかからないということはあるけど。

39 :
しらゆきは?

40 :
富士急の国鉄乗り入れディーゼルカー

41 :
有田鉄道キハ58系の湯浅までの紀勢本線乗り入れ

42 :
元鹿児島本線オレンジ鉄道は未だに理解できない。

43 :
>>42 新幹線開業によって、特急がなくなる代わりにローカル列車の本数を増やしたい。
しかし、従来、使用されていた電車だと、ワンマン運転や単行運用に使いづらい。
この用途に向いた車両を新製する必要があるが、電車よりDCの方が導入コストは安いし、運行コストもそう変わらない。
ということなんでは?

44 :
東北新幹線並行在来線の青い森鉄道などが電車なのは、701系が入っており、相当数をJRから譲り受けることができた。
単行運転しなくちゃならないほど、旅客輸送密度が低いわけではないからだろう。
ワンマン運転に対応できる交流電車を多数新製する必要はなかった。

45 :
>>42
八代〜川内間ははっきり言って
JR九州に見捨てられた区間だ。
と言うより更にはっきり言って水俣病が発生した地域である。
DC1両で十分な地域であるが、
水俣病が発生してしまった正にその地域だという事を考えて、
475系電車、457系電車両電車少なくとも寿命になるまでは、
使ってほしかったなあと思う。
水俣病が発生した地域で架線下
DCだなんて何考えてるか全然解らんわと言うのが正直な感想

46 :
水俣病まで読んだ。その後は電波か…

47 :
多分皆既月食の影響だろう…

48 :
>>28、29
電車への置き換えも大村線直通があって結局今に至っているからねぇ
そのおかげで長与線沿線の俺もカーテン・フットレスト・リクライニング装備の58に乗れてラッキーだったわ
それを考えると今の66・200の座席・内装は…

49 :
上野〜秋田 気動車急行おが
全区間570kmくらいが架線下だった時代が数年間はあったように思う。

50 :
あれ?急行『出羽』が出ていない・・・
陸羽西線経由の酒田行き
上野−新庄・余目−酒田が架線下
キハ58(しかも非冷房)が夜行なんて
いい時代だったなぁ

51 :
急行『ざおう』は『いいで』併結列車がDCだったな。全区間架線下
しかも板谷峠をキハ58とは

52 :
キハ181系特急しなの
中央西線と篠ノ井線電化完成時〜381系追加増備による置き換えまで大阪・名古屋〜長野全区間架線下走行

53 :
>>43
確かにウィキなんかにそう書かれているが、
保守やランニングコストはDCの方が高そう。
勿論、新車投入はあり得ないがそろそろくたびれてきた
北九州のECのクモハの後ろに顔を魔改造して単行用にした方が安かったかも。
台車も片方はクハから持ってきて電動台車1つでいいだろう。
それともいつかバスに転換する前触れか?

54 :
>>43
単行車両は今、NDCで1億2000万、NDCを流用したほくほく線単行直流車で
1億8000万。交流車の青い森703系、交直車のJR西521系(2両編成)もそれぞれ
4億。
NDCが破格値なんだよ。
ランニングコストにしても15km辺りの変電所の年間電気料と保守料は
年4億と言われ(参考:JR山口線電化計画。ちなみにボツになった)、
ガス代が高騰し、気動車の燃費は1.8km/Lとはいえ1時間1本程度なら、
軽油代の方がまだ安くつく。
問題はDCを選択したことじゃなくて、NDCには20m車も存在してて、減車を
予定するなら大型化を選ぶべきだったのに、赤字国鉄転換三セク線向けの
中型車18m車を選択したことで積み残しの危険が出てきてラッシュ時逆に
増車する羽目になった上に増便も対応が難しくなったこと。

55 :
ちなみに、大型NDCは水島臨海とごめんなはり線(20.8m車)、
三陸鉄道イベント車(20m)で購入されてる。
今度、えちごトキめき鉄道で購入するのはNDCではないキハ122
互換車だけれど20.8m車。

56 :
新幹線並行3セクの場合はNDC導入しても貨物は電機牽引だけど、
室蘭〜南千歳の場合はローカルも大半DC、寝台特急も貨物もDL牽引。
電車は1日数往復の特急すずらんのみ。
あくまで結果論だが、室蘭〜南千歳は電化自体が殆ど無意味では?w

57 :
>>54 肥薩オレンジ鉄道の場合、JR直通の貨物列車のために架線に通電しているわけでしょ。
最近、同鉄道の駅構内で、釣竿振り回していたら架線に触れて感電したという事故が発生したが、常時、全線に渡って通電させているのかな?
それとも、電気機関車が通過する区間、時間帯に限定して、部分的に通電させているのか?
NDC導入以前に比べ、架線及び変電所の維持コストはどの程度、減少しているのだろうか?電気料も大きく減少しているのかな?
電気機関車の動力に使用されない待機電力分の比率が多くなっているようにも思えるが。

58 :
肥薩おれんじ鉄道の場合、貨物列車の本数が国鉄時代に比べて明らかに激減しているからな。
2004年平成16年3月にJRから、
肥薩おれんじ鉄道移管された。
つまり何が言いたいかと言うと肥薩おれんじ鉄道が電化され、
かつて電車が走っていた事を、
知らない世代増えてると思う。
JR九州にも言い分あるだろうが少なくとも熊本鹿児島直通休日運転される快速列車くらいは、
肥薩おれんじ鉄道のDCでなく
JR九州の電車を使ってJR九州の時代を知らない若い世代にも、
肥薩おれんじ鉄道の今もここは
JR九州の電車が走る事ができる電化区間だということをせめてアピールがこの区間を見捨てた肥薩おれんじ鉄道区間見捨てた
JR九州の慰めではないのかな?

59 :
若い世代にそんなどうでもいい話伝えなくてよろしい

60 :
名鉄八百津線や近江鉄道等、架線への通電を停止した区間を走るレールバスは、「架線下DC」には当たらないということになるのかな?

61 :
>>60
架線下DCっていうのは無駄なエネルギーっていうことだろ?
だったら無電区間なら無駄なエネルギーじゃないから、当たらないじゃないの?
数年前、上野からあげ祭り号が烏山まで走ったが、全区間DD51が牽引した。
これが国鉄時代だったら、上野〜宇都宮PFかゴハチで、宇都宮からDE10だったろう。
実際1979年7月に走った銀河鉄道999号がそうだった。

62 :
機関車付け替えの時間的ロスなど考えると、上野からDL牽引で直行した方が合理的。
運転時間もそう長くない。
架線下DCならぬ、架線下SL牽引列車で、成田発上野行きがあったな。
上野発着の最後のSL列車だったが

63 :
>>61
からあげ祭りは乗務員訓練も兼ねたクサくないか?

64 :
急行『ざおう』を山形から上りに乗った記憶がある。
峠で随分時間がかかって福島からも随分時間がかかった。
車内は混んでいて通路の同年代の女性が立って弁当食べ始めたので、
食事くらいは座ってどうぞと席を譲ったら飯を食い終わっても居座られた。
何を勘違いしたのかわからんが当時流行ったレディーファーストと思ったのかも。
もしかしたら年下くらいのブスにしてやられた。

65 :
>>63
上野からあげ祭りの主催はケンタッキーかw

66 :
関西方面から九州方面で、電化区間の走行距離が500q行くような架線下DC急行ってないんだな。
夜行列車の急行が多かったこと、昼間列車だと博多で客がほとんど交代してしまい、博多以遠に直通させるメリットは少なかったからだろうか。
DC特急時代のかもめに相当するような、架線下DC急行がない。

67 :
昼間だけだと熊本が限界では?
鹿児島特急丸一日かかったし。
熊本以南昼急行不可能のはず。

68 :
広島を関西方面というのは無理があるが、趣旨に準ずるものとして
1975年3月までの気動車急行「青島」が、
広島〜(日豊本線経由)〜西鹿児島の運転区間のうち、
500kmを超える広島〜宮崎間が架線下、というような例ならあった。

69 :
「越後(金沢まで七尾線直通ゆのくに併結)」
大阪(米原)新潟間、特急列車が7時間30くらいで走るのを9時間以上
かかった記憶が有る。

70 :
可部線の可部以南へは、終始定期検査送り込みの1往復のみだったの?
大糸線は、終始電化、非電化区間で分断運転?

71 :
>>54
電車は付随車も入れられるから、編成が長ければそれほど大きい価格差には
ならないんじゃないかな。
とはいえ、これから電化中小私鉄は中古電車を買うしかないかもしれんね
電化設備撤去するにしても、烏山線みたいなバッテリー電車はなお高そうだし
>>69
日本海縦貫筋なら775kmのしらゆき最強でしょ
これも三電源の上、支線直通列車の併結もあって電車化はコスト増になるということなのだろうな

72 :
団臨なら大阪〜青森のDCって有るんじゃないのかな?

73 :
>>71
特急だと「日向」と併結時代の「なは」?

74 :
>>72
大阪〜青森を下道で行くメリットは夜行による夜間時間帯の有効活用、乗換不用かなぁ。
宗教団体、甲子園出場、修学旅行…、寝台需要が高そうだよな。
会社旅行の慰安旅行ったって現実的ではない。
キハ58-800で修学旅行となると、日数の関係もあって東京方面になるんかなぁ…。
ECからしても少ないし、PCの独壇場なんじゃね?

75 :
末期の気動車急行アルプスは新宿から終点まで全部架線下だっけか?。
2エンジングリーン車に末期は挙げ句の果てには出来たばかりのキハ65まで連結したし。

76 :
>>49
板谷峠対策で編成にキハ28を入れられず、
冷房装置があるのに非冷房というお粗末な列車だったっけ。

77 :
定山渓鉄道のキハ7000、7500は、同鉄道線内ではエンジンをアイドリングさせて電車に牽引されていたので、自力走行でないから「架線下DC」には該当しないことになるのか?
気動車と電車の併結・強調運転が実用化されていなかったから、電車牽引とするしかなかった。

78 :
 武豊線から名古屋駅に直通する列車も
もうすぐなつかしカテゴリーに入るね。
キハ25では313系と外見がそっくりなので
DCという感じがしないけど。

79 :
>>77
それを言ったら横軽のキハ80やキハ57、板谷の非協調区間のキハ80やキハ181は?って
なっちゃうんじゃないw
もともと架線下DCなんて言う呼び名は趣味的なもので正式なものではないんだし
話の流れで、そうだと感じればそれでいいんじゃん?

80 :
>>79
架線下DCの正式名称なんて有るの?

81 :
『架線注意』が効力を発揮する場面、という事でいいのではないか

82 :
懐かしい例だが花輪線の盛岡発に乗ったら東北本線普通客車の後ろにぶら下がっていて驚いた。
好摩で東北線が発車してから自力で花輪線に入っていった。
そこまではぶら下がり状態。運転士と燃料費節約とスジの確保が目的なら画期的な運用だった。

83 :
>>82 好摩までエンジンはアイドリングさせてたのかな?電源供給に必要だし。
電車との完全協調運転が、キハ183系1000台オランダ村特急より20年早く実現していたら、上野発の451系とキハ58系の併結急行が見られたのかもなあ。

84 :
>>83
ドア扱いがあるからもちろんアイドリングはさせてた。
DC車掌がドア閉→PC車掌が側灯滅を確認→機関士に発車合図(無線)という流れ。
で、DC運転士は好摩までは鎮座。

85 :
>>82 ヨンサントーより前の話か?70年代としても、盛岡・好摩間は岩沼・仙台間に比べればダイヤに余裕あったはず。
DC運転士は同区間でも運転席で待機しているわけだから、人件費の節約にはならない。
重い気動車を機関車が牽引するわけだから、加速度は余計に低下する。機関車に余計に負担がかかる。
これを考えると、大したメリットはないし画期的とは言い難い。
元々、列車同士で好摩まで併結運転していたが、花輪線乗り入れの方を気動車化したので、別々に走らせるのは面倒だということで気動車と列車の併結運転にしたのかねえ?

86 :
有明+オランダ村は電気車と内燃車の操縦資格が必要なのだが、ヤッパECに牽かれる無動力のDCは電気車の操縦資格
だけでいいんですかね?緊急時にエンジン停止させたり、応急措置を施したり、電車を推進させたりするのに。

87 :
>>85
自分はRJ誌1978.10月_客車特集号の539列車ルポを読んで知ったよ。
そのルポでは、ED75+ボロ客+【キハ52+キハ55+キハユニ26】の写真があった。
ゴーサン・トーからさらにゴーゴー・トーまであったんじゃないかな。
ボロ客は4〜5両だが、DCは密着自連の負荷を考慮して3両制限…の文が記憶にある。
併結の経緯は仰るように片割れだけDC化したから…だったかも。
それよか思い出したのは、沼宮内に着いたボロ客は『16時頃まで昼寝』という一文があったこと。
今では考えられない運用だよね。

88 :
昭和40年代 東武や国鉄の電車以外に国鉄のキハ10系や20系も乗り入れていたようですが、
(昔の鉄ピクのニューストピック記事で見た)アレの運転は国鉄乗務員?
確か電車は秩父側で扱ったと思うのですが・・・。

89 :
>>88
昔は臨時で国鉄の車両が私鉄に乗務員ごと乗り入れるのがデフォだったようだし、多分国鉄乗務員なんじゃね?
田町の乗務員が三峰口まで行ったり、確か八王子機関区の乗務員がELで富士急に行ったりしてたみたいだし。
乗り入れじゃないけど、パレオだって最初は高崎の乗務員がやってた。
東武の伊勢崎〜新伊勢崎に国鉄のSLが乗り入れてた事が一時期あったようだけど、あれはどうだったんかなぁ?

90 :
みんな「ユートピア和倉」を忘れているだろ?
あれも485系との併結で画期的でしたな。

91 :
485系の特急「北近畿」と併結の「エーデル丹後」も

92 :
話が脱線しつつある。

93 :
底抜け脱線ゲーム by金原二郎

94 :
>>87 今だったら、花輪線乗入れと沼宮内行きを別々の列車とし、後者は701系の2両ないし4両としているわな。
旧客4〜5両だと、朝夕以外は空席多くなるから走らせても無駄。
70年代後半から80年代前半、短編成化によるフリークエント・サービスが可能であったのに、それを怠っていたということだろうな。

95 :
>>94
今だっらおっしゃる通り。
しかし当時は新鋭のED75に客車5両は過剰性能。単機で12両くらいで峠越え出来た。
だからローカル列車ぶら下げて少しでも燃料費を抑えようとしたなら評価できる。

96 :
>>89 機関車・・・特に蒸機って会社や管理局が跨ぐ場合基本機関士の乗り入れじゃね?
・・・そもそも問題ある場合 機関車自体を要員と共に所属線区の機関車に取り替えてしまう。
戦前の東海道の特急(つばめ?)の走行中の交代以外知らない。

97 :
東北本線盛岡〜北上や田沢湖線のキハ58系はよく乗ってたな。

98 :
非電化区間の検測用のキヤ191は気動車ながら、架線検測用のパンタグラフもあり、
電化区間でそのパンタを上げて検測走行しているときは、素人目には電車と見分けがつきにくかった

99 :
五能線の観光列車だったノスタルジックビュートレインは弘前から分岐駅の川部までED75が牽引し、五能線内の牽引機であるDE10は最後尾に連結されていた。川部で機回しなんてできないだろうし、ディーゼル機関車牽引より合理的な理由があったんだろうな。

100 :
川部で機回しできないのか?
俺ん時は午前発も午後発も東能代→弘前の場合、川部で機回ししてたけどなぁ。

101 :
ノスタルジックビューは川辺〜弘前は両端にDE10だったぞ
弘前到着後はそのまま折り返して運転だから都合が良かったんだろう

102 :
ノスタルジックビューはあっという間にノスタルジーな思い出となってしまった。
結構金をかけた改造車だったと思う。
デッキでカランカランと鐘を鳴らした時にまさかあっという間に無くなるとは思わなんだ。
その後、どこかへ行ったが廃車になってしまった気がする。
以上、完全スレチごめん。

103 :
架線下DCの元祖は、東京横浜電鉄キハ1型か?ガソリンカーだけど。
神中鉄道を経て、日立電鉄で電車化されたものなんて、側面以外、原型保ってないな。

104 :
東横のキハ1は、日米関係悪化(太平洋戦争の布石)による燃料統制が起らなければ
どれ位?東横線で活躍出来たのだろうか?
導入当初から出力不足で多摩川園に停車した場合田園調布の坂を登れなかったとか云うハナシだし・・・。
機関をより高出力のモノに交換する(燃料統制がないので技術革新が進んで)などして活躍し続けただろうか?
それとも早晩機関は下ろすことになっただろうが、意外と売却や系列他線はなく電車のトレーラーになっていただろうか?
それともやはり、ガラクタ処分場の神中線に全車転属だろうか?

105 :
八高線の高崎、北藤岡の分岐点まで。

106 :
>>105
すまん!スレ違いです。

107 :
逆の形で架線無し路線を行くECはまれだったな。
一番最後が有明の水前寺公園。
151電車が博多まで行った。
あと80系電車がSLに引かれて草津まで行ったとか。
国鉄は電化と新幹線開業の需給を間違えてディーゼル作りすぎて、
大量の架線下DC生んだのでは?

108 :
>>107 非電化区間に乗り入れる列車との共通運用可能、というメリットがありまっせ。
特に東北方面では、それが重宝されたのでは?

109 :
>>70
北線のDCに信濃大町までの定期運用がある。
>>75
「アルプス」の糸魚川直通、お忘れかな?

110 :
>>107-108
それから日本海縦貫線のように、交流区間と直流区間の接続が多くなった要因も大きい。
当初は客車列車を想定していたのに、実際は交直流電車が必要になってしまった。
特に急行列車なら高価な交直流電車を使うより、気動車の方がいろいろ使えて便利ということになってしまった。

111 :
>>108
多層建ては効率的だっかかも知れないがあまり例は多くない。
始発から終点まで架線下は多かった。

112 :
>>111 多層建てのことだけじゃないんだよ。全線架線下の運用やって、その次は非電化区間に入る運用、ってのがあるわけだろ。

113 :
どうして昔のディーゼルカーは非力だったのだろ
もっとハイパワーにしておけば色々都合が良かったのに

114 :
>>113
キハ181やガスタービン試験車で色々失敗してるじゃん・・・・・
ガスタービンなんてディゼル燃料に変わる次世代エネルギーとして期待されたが,
あえなく挫折orz

115 :
遠州鉄道キハ1801改め花巻電鉄キハ1801?だっけ?
は、どれだけ使われたのだろう?(使われたコトがないような記述だった。)
そもそも花巻の乗務員に内燃免許所持者(ペーパー?)が居たのだろうか?
既に廃止されたいた仙台鉄道や仙北鉄道等他社就労履歴のあるヒトでも居てアテにしていたのだろうか?

116 :
>>113
日本製にこだわり過ぎたからでは?
舶来エンジン乗せるようになって130キロまで出せるようになった。

117 :
>>113
もっと出せるのによほど抑えてたと思ってるのか。
クルマが毎年のように進歩してきたのをみれば、戦前設計の物がハイパワー出せるわけはないのだよ。
すべからく標準化に拘って、国鉄が内燃車両の開発をサボってたせいだよ。

118 :
>>70
1989.3ダイヤ
2535D
広島818→三段峡1045
2549D
広島1946→加計2124
2528D
加計457→広島627
2534D
加計657→広島839
2548D
加計2008→広島2145
あと1989.3ダイヤでは広島655→古市橋721の2529D(休日運休)と古市橋725→三次953の2530D(古市橋〜広島休日運休)があった

119 :
>>113-114>>116-117
国鉄って、電車や電気機関車に比べると、気動車やディーゼル機関車は失敗が多いが気がするな。
内燃機関に関するノウハウが民間と比べて劣っていたのかな。
素人の考えだが、大馬力試作気動車キハ90系を踏まえて、大馬力特急型気動車181系を造るんじゃなくて、
大馬力急行用気動車151系(仮名)を造って、電車急行と連結して運用するとかすれば、
電化本線を走る急行+非電化支線に入る急行ということで架線下DCは減らせたんじゃないか・・・と。

120 :
内燃機関の問題もあるが変速機が液体変速機以降発達しなかった。
キハ44000まで機械式の変速機でそれ以降液体変速機。
車のように水平対向12気筒エンジンにしたまでは追いついたが、
その後ハイブリッド車の研究〜開発の方に傾いてしまった。
DF50で十分な成果を出したと判断した国鉄が、その後の内燃式の開発は中断し
バッテリーロコへと転換、その集大成が現在のHD300やDF50からの開発成果がDF200と成り
現在に至っている。
バッテリーロコは高性能な蓄電池の開発が昭和時代では開発出来ず、平成まで内燃機関が残った。
蓄電池の液漏れや自然放電等、乗り越えなければならない課題がまだその当時は多くあった。
余談だが国内では初の(東芝製)蓄電池式機関車EB10は、後にPS14パンタグラフを載せ、
電気機関車として改造されている。

121 :
皮肉にも烏山線においては、架線下DC区間が従来よりも増えてしまった。
以前は、営業運転では宝積寺〜宇都宮間の東北線乗り入れ区間だけだったが、
蓄電池電車アキュー厶の登場により、烏山駅構内の架線からの充電設備の新設により
同駅構内も結果的に架線下DCと成ってしまった。
だがキハ40は今後しだいに淘汰されるので、この現象もあと少しで見納めだろう。

122 :
板谷峠のような急勾配だと架線下DCの遅さが明白だな。
急行「ざおう」の場合、福島・米沢間を電車だと50分未満で走るのに、DCだと1時間10分以上かかる。
電気機関車牽引の客車(臨時列車)でも1時間以内なのに。
ブレーキ急制動距離の600m制限がもっと緩和されていたら、加速度に劣る客車でも電車に準じる位の速度で走破することができたはず。
非電化区間に乗り入れる特急、急行は客車とし、ELからDLに付け替えればよい。そうなれば、架線下DCはもっと少なくなっていたと思う。

123 :
>>119 電車と気動車の完全協調運転が80年代後半にやっと実用されたわけだが、デジタル制御でないと難しかったのかな?
電車と気動車の加速特性の違いも問題なのか?

124 :
>>123
長大編成だと、気動車だけぶら下がりっていうわけにもいかないからな。
ムドだと客車扱いになるし、
そうかと言って板谷の様に、EF64機関車に80系気動車を牽かせたみたいには、
効率的に悪いだろうし。

125 :
>>122
12系PCが開発された理由の一つは、EC+PC列車は気動車列車に比べて速度面で不利ではない
という理由が挙げられていた
しかしその後、北海道で宗谷・天北のPC化の際は従来のDCよりも所要時間が伸びてしまった
性能面ではDCに勝てても、曲線通過速度や分岐器通過速度でPCは不利な扱いがあることが大きい
諸外国ではそのような差別がないので、PCの優等列車もEMU/DMUに肩を並べで走っている

126 :
>>125
大阪の複々線の試験でEF66+12系が103系電車をぶち抜いたという話を聞いたことがある。
でも抜いたのは発車してから随分後のことだと思う。
日本は狭軌で軌道も弱く高性能な機関車を作れない上に制動距離の問題もある。
あと地形的にで上下左右がきつく東海道や山陽だって平坦・直線の場所は少ない。
それで動力分散のEC、DCの天下になってしまった。
なーんとなくスレチ御免。

127 :
PC>DC 優位論ってぶっちゃけ振動の問題では?で DCは、ECほど高加速減速性能も優れていないし、
ECの場合比較的余力があるからモーターの無いT車比も多くとれるし・・・。

128 :
>>126
最高速度が103は100キロだからそれは仕方ないこと。

129 :
この画像の架線下DCは最強!→ http://youtu.be/dbzVpaOAhKg
DD51が美祢線から来た長大貨物を牽引してたり、
架線下をキハ58の急行が通過したり、九州は架線下王国だったんだな。

130 :
>>129
え!最強とかってあらためて驚かれてもこれって普通なんじゃないの('∇`)

131 :
>>129 架線下走行距離は急行「しらゆき」ほどではないが、70年頃、上野から常磐線回り弘前行急行「みちのく」、秋田行急行「おが」、それに「ときわ・奥久慈」等の多層建ての架線下DCが多数出ていた頃に比べたら、大したことない。
キハ80の特急「ひたち」も忘れてはならないな。
ヨンサントー以前にも、相当数走ってたが。

132 :
>>129
この画像の架線下DCは最強!って言っといていきなりDDってどういうことだよ?
そもそも当時は山陰直通も多かったし、いまでも日田彦山線の列車があるから普通

133 :
九州だと「出島・弓張」を思い出す。

134 :
>>133
架線下DC急行フェニックスなめんな
49年3月から50年3月までだが宮崎〜小倉〜西鹿児島で九州では最長

135 :
羽越の村上・酒田間ってなんとかならないのかなあ?
未だに普通はオール気動車。

136 :
三岐鉄道が電化後も関西本線四日市乗り入れ用に残しておいた 気動車
遠州鉄道が二俣線乗り入れ用に用意したキハ04 も想い出してください。

137 :
>>135
い〜じゃ〜ん!ウラヤマ〜

138 :
>>135
切替を村上駅構内に移設しない限り、電車化はないだろうなあ。
これを言い出すと関門もどうなるかわからんね。
415系が限界になった時、交直流車の新製はあるんかな?

139 :
>>138
レールバスに転換じゃないの?

140 :
>>138
デッドセクションが市街地だし黒磯方式がベストだろうけど、
肝心の客が殆どいないからな。

141 :
>>138
JR西の521系買入れでもいいし、日田彦山線からのDCでもいい。
どうせ主力は貨物だから、門司駅のホーム一つだけデッドセクションを小倉側に移動して305系とかw

142 :
まあ日本の場合、直流・交流に加えて交流の50・60問題もある訳で。
非電化乗り入れは無視するとしても架線化DCは今後も安泰の気がする。

143 :
          _,//.::::::::::::/.:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.く
         ⌒ア.::::::::::::::::/::::::::::::::::::::::/.:::::::::::::::::::::::.ヽ
            ん':::::: :::::::: |:::::::::::::::::::::/| ::::::::::::::::::: |:::::::',
            l::::::::: j-‐/┼|::::::: /_::/ ;| :::::::| ::::::::: |::::::::i
            |::::::::::{:: x- |∧:: /|: /`メ|、:::::| ::::::::: |:::/\
.         人:::::{: Vr' ハ  ∨│xx-ミ:::::/:::::::::::::|:::\_厂\
            |\∨弋ツ     r' ハ V/l:::::::::::/. /∧\:::: \
            |:::::: }   ,,   弋シ ノ |:::::/:::/.::::: . ゛::::::::::
   >>415乙     |::: /;               ノイ⌒V:::::::::: i  j:::::::: |
           ノイ八    _               人::::::::: |  }::::: : |
               |::::: \  `          '⌒ /.::::::::::::: | i}:::::: │
               |::::::::::: \_     イ⌒T゙:::::::::::::::::::: | リ::::/:/
               |::::::::::::::| ::::: |:       |_U::::::::::::::::::::│//)′
               |::::::::::::∧:厂|     ∨ \ ::::|\:::::: |.′
               |::j|:::::::|/ ∨     │   \|  ∨:八
           乂|:::::::|   |      /       \__}/
          ∧ 人:::::|   ト--- ミ/         /\
            /  \ \!   |     /     //    |
.          |    \__」__,/     /    │
.          |       |「 ̄ ̄    |---‐=≦ }    │

144 :
>>142
50/60Hz問題はもう貨物以外は関係なかろう

145 :
>>144
え、電車はもう関係ないのか。
東北のを九州に持って行って大丈夫なのか。
電車も家電感覚になってきましたなあ。

146 :
>>145
何言ってるんだ?

147 :
路面気動車、札幌市交通局D1000形等も忘れないでくれ。

148 :
>>145
旅客会社は自社線内で定期に運用される車両にあっては、両周波数に対応できる設計をまず考慮する必要はないと言うことですよ。

149 :
>>146
昔の家電は50ヘルツと60ヘルツを東西で使い分けていたのがあったんだよ。
例えば東京の俺のうちにサンヨーのステレオがやってきた。
それで「いつでも夢を」を聞いたら何となく音階が違うと兄貴が言い出した。
店に問い合わせたら関西仕様のものが届いていて交換となった。
俺はガキで気づかなかったけどな。やべえ、それでも歳がばれる。
冷蔵庫や洗濯機も違っていた気がする。

150 :
>>149
それは流石に知らないが時計が
50Hz60Hz両方対応のあった。
485系ではないがスイッチで、
50Hz60Hzを切り替えるもの。
60Hz地域で50Hzにして使うと滅茶苦茶速く進んだ記憶ある。
あと関西と関東を転勤すると、
家電をいちいち買い換えるのでそれではあまりに不経済なので関東の家を家電ごと貸していたそんな話は聞いたことがある。
とここまで書いて気がついたが狭い日本で50Hz60Hz両方あり新潟とか同じ県でそうなのは、
改めて不経済だなあとは思う。
イギリスとドイツから電化方式東西で別に輸入したからだが、
交流電化はやはり大失敗だな。

151 :
>>149-150
電気に詳しくない人が電気について語ってると思うと笑えるw
その証拠に所々間違ってるし・・・
ここは学校じゃないから、いちいち添削はしないけど、
>>149は回転子について調べるといいよ。
>>150
イギリス???鉄道と間違えてないかw
ヒントは:GEだよGE

152 :
>>150 架線による直流電化でも、電圧が異なるために複電圧車こしらえるか、架線下DC走らせなくちゃならないという無駄(?)やってたりするからねえ・・

153 :
>>149
ふーん、相変わらず下らない無差別大量絨毯爆撃カキコしてるんだね。元気でなによりだ。
話は変わるけど、

神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em

まあ、こっちに座れよ。薩摩白波のヤクルト割りでも奢るよ。一杯呑んで落ち着くんだ。

154 :
直流異電圧で何でDCとかなるんだよw

155 :
直流だからDCでいいんじゃないの?

156 :
>>154 中央西線電化後、73年夏のシーズンに松本電鉄に乗り入れていた臨時DC急行。
当時、松本電鉄は1500V昇圧前。

157 :
600V時代の伊豆箱根に乗り入れてた80系電車

158 :
>>150
時計は周波数でカウントしていた時代があったからそうだった。
俺は未だに30年前のをタイマーとして使っているが誤差は少ない。
切り替えスイッチはないからこの頃から自動変換できるようになったのかな?
>>151って昔の電気屋さん?
一般消費者に迷惑けて客の知識が足りなかったとか、
典型的な自己中技術者だ。務めていた会社は多分もう存在しないだろう。

159 :
>>154 実質問題殆どないのは、600v車と750v車相互で・・・それでも600vの絶縁抵抗等留意する必要がある。
1500v車の600v,750v区間乗り入れは電圧不足で低性能になる。
その逆は当然アウト!(電車が逝かれる。)
だから複電圧仕様が最善。

160 :
>>135
10年以上昔に52系のDCを見た記憶がある。
今は何系が入っているの?

161 :
52系… ┐('〜`;)┌

162 :
「ときわ」が復活するらしい。
気動車じゃないけど、とても感慨深い。

163 :
南海線内のキハ5501・・・こういう大手電鉄の甲種内燃取得運転士って少ないだろうから
欠員とか生じると休暇取得が大変だったろうな。

164 :
>>163
普通だとデヅラの3〜4倍は有資格者いると思うよ。

165 :
必要かつ希少の資格だから、手当月に20万位あったんじゃないの

166 :
自宅と職場の往復は南海ハイヤー、社員食堂では頼みもしない豚汁がタダで出てくるは、帰区すれば風呂もわいてるはで
それはもう厚待遇でしたよ。
助役クラスでさえ廊下では道を譲りましたからねぇ。1ヶ月に和歌山往復1回やるだけで半年は暮らせましたよ。

167 :
>>164 当時は知らないが、何処の会社も乗務員って欠員気味だけど・・・
俺の会社では、某支線用に予備車両を急遽使うことになった際、
本線の営業運転士は全員ワンハンドル車しか扱えないので、
昔営業線で乗務した構内運転士が運転する事態になった事がある。
>>166 随分スケールのデカイ嘘だな。

168 :
>>167
ハイヤーと和歌山1往復で半年生活以外は、ひょっとしたら…

169 :
蒸気機関車時代の国鉄だと必要性から風呂は常時沸かしてたそうだが

170 :
架線下DCではないが、社名が“○○○○電鉄”なのに所有車輛はDC、DLだとかで、ECやELは1輛たりともないとかw

171 :
>>170
磐梯急行電鉄?

172 :
急行も電車もないまま廃線になったな。
そこの御曹司が同級生で豪邸に住んでいたが今はどうしているのだろう?
まあ、電鉄まではいかないが会社のイメージ保持のために
苦労して鉄道残している会社は今でもあるけどね。

173 :
磐梯急行電鉄って名前は盛大な名前だったけど、もともとは鉱山専用線の鉄道で、磐梯山麓の
硫黄を採掘して輸送するのが目的だったから旅客は二の次だったんだよね。
閉山して硫黄が採れなくなって旅客線にしようと名前を変えたと思った。そんでも数年持たなかった。

174 :
のちの紀州鉄道である

175 :
>>173 天然硫黄採掘が無用になり会社が傾き
そこに付け込み仕手集団に乗っ取られたの!
本来の沼尻鉄道関係者には甚だ迷惑千万ヒドイ話。
しかし末期に仙北のキハ2401,2402 を入れたのは何故?(それほど既存の車両が老朽化していたのか?)

176 :
>>175
そうだったのですか。
同級生の御曹司は卒業以来、音沙汰ないがさぞ苦労したことでしょう。
さて、だんだんスレチになりつつあるので話を元に戻しましょう。

177 :
 羽越本線のキハ110系の普通列車は
1人掛けのクロスシートと美しい車窓で
快適だったな。

178 :
東横のキハ1、何で洗練されたデザインを電車にも採用しなかったのか・・・。
実に惜しい!!

179 :
全線直流架線下DC、やっぱ赤倉だね
それがネタになるくらい当時の国鉄は面白かったな

180 :
小田急の御殿場行き「あさぎり」
あれは御殿場線が非電化だったからしかたない。
確か2両で小田急の架線化を爆走した。
その後、御殿場線が電化して直通電車が走り始めたころには需要は無くなっていた。
小田急と国鉄の特急料金とられてバカ高くなった。無駄な投資だった、
バスの方がずっと安かった。

181 :
>>180
>御殿場線が電化して直通電車が走り始めたころには需要は無くなっていた
だったら何で今でもあさぎり走ってんだよ?

182 :
>>178
電車よりパワーがないので、少しでも空気抵抗を減少させる目的もあったのでは?
でも、この流線型はいかにもローカル気動車然としていて、結果的に地方中小私鉄の情景にはよくマッチしていた

183 :
>>182
田舎モダンw
確かにそう言やぁそうだw

184 :
>>178 確かに興味深い指摘だね。
戦前の大手電鉄でガソリンカーを導入しなかったがデザインや車体工法に影響受けたり、フィードバックした
電車は名鉄のナマズ、イモムシ 西鉄の100,200,500 京阪の60,1000,1100
デザインこそ意匠はかけ離れていたが 近鉄2200 とかあるのに・・・
東横では電車は、ひたすら戦前関東私鉄標準タイプの半流非貫通 運転席ヒサシ付き3枚窓・・・逆にコレは小湊がキハ100に影響。
側窓寸法はキハ1とモハ510(後の3450形)では共通だからある程度部品保管互換性は考慮していたのだろうけど・・・
電車については、他社に影響を与えたデザインに自信をもっていて
ガソリンカーについては、新しい技術の車両と言うコトでPRの為にもデザインに斬新さを求めれたのかな?
流線型でより必要性を感じそうなヒサシが付かなかったは、謎だが・・・(デザイン重視?)
とにかく この時期の東横=目蒲は、木造車鋼体化で造った非貫通のサハ1とか車両政策が少し不可解。

185 :
ところで戦前の東横キハ1の塗装はナニ色だったのかな?
新車当時から東横を追われるまでは、ツートンのようだが・・・
省のキハ43000なんかと同じタンと紺のツートンかな?

186 :
>>181
御免。20000系や371系が運用離脱したと聞いたので廃止されたと思っていた。
でも御殿場まで行く客はそうはいなんじゃないの?
DC時代の2連の上りに乗ったことあるけど冬だったから20人くらいしか乗っていなかった。
小田急線内は無停車でそのまま新宿に着いた。
何とも贅沢な旅だったが、今でも走り続けているのは何か理由あるのかな?

187 :
>>186 双方の思惑 既得権 
小田急・・・東海地方への勢力圏拡大(昔は御殿場)
JR崩壊・・・JR東日本へのけん制。

188 :
>>186
恐らく小田急グループの箱根観光における輸送ライン、周遊ラインの維持のためかと。
箱根登山バスによる箱根地区〜御殿場駅のバス路線と一体となり首都圏との輸送ライン、周遊ラインが確保される。

189 :
名鉄の木曽川橋梁を渡るアルプス号

190 :
>>184
有名な青ガエルが鉄道国際展で最優秀デザイン賞を受賞したからな、
その影響もあるんじゃね?

191 :
501D金沢→青森急行しらゆき
RJ種村直樹列車追跡レポート。
種村直樹氏ご冥福お祈りします

192 :
>>178,184
あれは極めて使い勝手の悪いデザイン
ホームとのやりとり(タブレット授受や安全確認といったもの)に支障が出る
それが流線形でもびわこ型とは違う所
東横キハ1は非力なガソリンカーを電車に交えて走らせるものであったため
少しでも空気抵抗を減らす目的でやむなく前すぼまりの形状を編み出した
電車の出力があれば取り回しの悪いあの形状を使う理由はない

193 :
流線型もそうだけど、川車製特有のカウキャッチャー(幌内の蒸機タイプの排障器)は、何故に・・・
電車にはないし・・・
逆に大軌の電車には、付いているが、

194 :
>>188 小田急が新宿から御殿場経由箱根まで高速バスを走らせていることを、全く考慮に入れてないんだな・・
時間的、料金的に、特急あさぎりと高速バスとはほぼ対等。御殿場回りでの箱根までの周遊ライン維持のためであれば、とっくに「あさぎり」は不要となっている。
それなのに存続している理由は何か?渋滞が頻繁な東名高速経由での定時運行確保が難しいこと、利用客が新宿と御殿場以遠の乗降者に限られるからなんでは?
高速バスは東名高速の各停留所に停車するが、いずれも町田や厚木と言った都市中心部からは距離があり、アクセスが便利とはいいがたい。
高速バスと「あさぎり」とで、需要の棲み分けが行われているわけ。
東名高速ができたころから、このルートの高速バスが運行されているが、「あさぎり」の需要を全部代替するまでには至らなかった。
小田急線スレか、乗り入れ列車スレにふさわしい話だが

195 :
箱根の往き帰りに高速バス使うやつおるんか?
電車に比べて狭いし席回して宴会ひらけんし幼稚園生の遠足かいな?

196 :
電車と共通の美しいデザインで登場した架線下DCの一つとして札幌市交通局のD1040形がありましたね。
本来、予定していた使用目的を達成できなかった点においては東横のキハ1同様、美人薄命と言うべきというか…。
一方、顔が日本エレキテル連合のジジイの方に似ているD1000〜D1030はECに転身したんだっけか?

197 :
>>196 気動車から電車に改造したのは何処でやったのかな?
まさか?また 横浜の東急に戻したのかな?
電車で納車実績があり簡易軌道に自動客車(気動車)を多数納品していた
道内メーカーが製造に関与しなかったのは何故?

198 :
電車化改造はその4社のうちの泰和がやってるぞ
事情は知らない憶測だが、まっとうな台車の新造能力がなかったんじゃねーかな…
国鉄キハ40・45でDT22作らせてもらうまで技術なかったんじゃなかったっけ?
それまでに納入してる路面電車は全部機器流用だろ
キハ22みたいなの作った時も菱枠台車使ってる

199 :
新幹線の無い時代は在来線どおしだから支線まで直行できる
長距離架線下DCとか流行ったのでは?
新幹線出来てJRも商売上手になって最寄り駅まで新幹線乗って、支線は乗り換えてもらう。
これが今のパターンだと思う。
今は電化も進み長距離架線化DCはそんなにないと思うが、
現在、最長距離を走る列車は何かな?既出かもしれんが。

200 :
今でも四国は架線下DC王国だよ!
>>199
ジョイフルトレインなら今でも高松〜松山があるよ。

201 :
>>199
京都〜上郡とか札幌〜旭川とか?
岡山〜宇和島のしおかぜってまだあれば岡山〜松山とか?

202 :
>>201
予讃線の電化区間は伊予市までだよ

203 :
架線下しおかぜは廃止決定済
まだ走ってるけど

204 :
>>196 日本エレキテル連合のジジイ・・・ナイスな表現w!

205 :
急行「汐風」も架線下DCだったね。

206 :
そうか。四国は新幹線ないからね。
でも松山から宇和島ってそんなに需要あるとは思えないのに
いままで直行便があったのが不思議なくらいだ。
実際、最後の区間に乗った記憶があるがガラガラだった。
経営センスが無いから赤字になるのかな。
宇和島の人には申し訳ないが、松山から2両編成くらいのDC特急に乗り換えるしかない。
救済策として特急券は乗り継いでも同額にするとかはしてもらわんとな。

207 :
「架線下DC」って特殊で珍しいかって言えばその逆で、「架線下DC」が走らない都道府県の方が珍しいだろ。
臨時を除くとして…、千葉、埼玉、東京、神奈川、静岡、山梨、富山、福井、奈良、広島かなぁ?
「架線下」と言うわけですから電化されてる事が第一条件で、鉄道事業者がDCを保有してる事が第二条件ですけどね。
でもですね、以前は「架線下DC」と言えば全区間を架線の下を走るDCを指して、その特殊な事情や理由を趣味的に考察
する事はしばしありましたが、電化路線に乗り入れるDCなんて別にフツーですよね?

208 :
羽越本線村上〜酒田間が正しい使い方。

209 :
急行きのくにが和歌山〜和歌山市間だけ非電化だったつまり厳密に言えば架線下
DCではなかったわけだがあの頃に架線下
DCを間違って使うようになったようだ。
と言ってもこれはあくまで非鉄道マニア田辺出身普通の女の子でマニアが架線下
DC言葉間違って使うなんて信じられない

210 :
架線下DCなんてのは俗称でなにか決まりがある訳じゃないからな

211 :
架線下だけ走るDCという事だろゆとり君

212 :
501D金沢〜青森間急行しらゆきとかだな

213 :
>>211
もちろんそういう意味だけど確りと定義付けしてできた言葉じゃないということ
だから違う意味で使う人がいても責められないよ
それに例えばしらゆきは全線架線下だがひめかわは大糸北線走るわけでそういうのでも意見は別れる

214 :
上野〜福島〜山形〜秋田をキハ25・58で走っていた急行おが1号
グリーン車以外にエアコンがなくて夏は暑い列車だった

215 :
急行羽越や急行しらゆき越後など架線下
DCという言葉には電車になりたかったが
457系不足なれなかった負け犬イメージ急行越後の場合は急行立山が富山からは快速電車として電車化されたから尚更。

216 :
架線下DCは直流区間でのデットセクションとか交直切り替え区間とか関係ないから、
ウテシにとってはDC運転の方が、信号とATSだけ注意すればいいのだから、
少しは運転が楽なのかもしれないな。

217 :
大阪-金沢間のDC急行「越前」が速いのと金沢-大阪間の時間帯が良いので何時も上下とも満員だった。
「越前」が運転し出してから503レ「立山」が空いて来て、富山行きの客も金沢で
鈍行に乗り換える人々が大勢居た。
金沢から大阪への時間帯が物凄く良かったし、4-5時間のビジネスでは日帰りが
可能だった。

218 :
宇和海は1時間ヘッドでもゲロ込みで今度増車するんですが
鉄道マニアは1回自分の乗った時の印象を線区の実情として語るからいけない
しかも特急券は通算なんですけどね…
鉄道マニアは電車大好きで制度に興味を持たないからいけない

219 :
>>218
規則スレ行ったことないの?

220 :
架線下DC・・・電車がメインで高速運転していると、DCの運転士は常に加速運転を強いられ苦労する。

221 :
かつての急行「たかやま」の東海道本線の走りっぷりは圧巻だった。
新快速とのデッドヒートは、フルノッチでエンジン喘ぎながらの力走と言う悲愴感は、今でも忘れない。
高槻に新快速停車しても京都の手前で軽くちぎられたがwww

222 :
急行「きのくに」や「赤倉」は振り子式の急行型を新製すべきだったな

223 :
>>221
DMH17だとフルノッチ連続5分で火吹くけどな

224 :
>>222
南海はきのくにを電車化しようとしたが
485系でしようとしたが駄目だったなorz

225 :
>>223
電GO2だったかな?上りの「たかやま」ダイヤがあったけど、まさに火を吹くダイヤでしたww

226 :
ええ?急行「たかやま」が京阪神で爆走してた?
俺は新快速で抜いた時に相手は止まっているように見えた。

227 :
たかやまは一応キハ65が入った時代もあったけど、最終的にはキハ58+28だったんだよなあ。
インディ500の新快速にハコ車の58が挑むようなもんだった。仮に65が入ったって大して変わらんだろうな。

228 :
>>226
川上哲治じゃないんだからw
「たかやま」の晩年に乗車した時の記憶では、優等列車なのに緩行線を走ってた。ややもすると、緩行電車にもつつかれてたかも?





>>>>>>>>>>>>>>>>>>

229 :
広域運用スレに出てたが、金沢・青森間の「しらゆき」と仙台・青森間(北上線経由)の「きたかみ」って共通運用してたんだな。時期によって異なるだろうけど。
分割併合容易で、非電化区間含め広域運用できることがDCの特徴。
だから、架線下DCが結構な数、存在した。

230 :
「しらゆき」には坂町→大館間の乗車だったが、停車駅が多かったし普通車指定席
でも冷房無しで、秋田から「あけぼの」に併結だったが羽後本荘近くまで暑かった。

231 :
>>207
広島も呉線にマリンビュー走ってる。

232 :
まあ国鉄時代のDCがあまりに非力だったから問題だった。
82系や58系は加速が悪いし、どんなに頑張っても100キロ以上出なかった。
65系で本当に燃えたやつあったよね。電車と協調運転だったからかな。

233 :
>>231
「マリンビュー」て臨時列車扱いじゃなかったっけ?
それより、福塩線のことを忘れないでください。 神辺―福山間に井原鉄道が
3往復ばかり乗り入れているんですけど。

234 :
非電化区間から電化区間に乗り入れるのは仕方ないし
これからも残ると思う。
始発から終点まで架線下を走り通すのはもうネタ切れかな?
あと架線下を走るSLも残ると思う。

235 :
えちトキが旬だね。

236 :
ちょっと前まで広島〜新山口間に1往復するキハ47系6連の普通列車あったな
元は気動車のやりくりの関係で回送運転してたのを営業列車に仕立てたものだが貨物列車に抜かれまくるやたら寝たスジだった

237 :
>>233
土日運行の快速扱い。ダイヤにも載っている。

238 :
旧国の巣窟だった時代でも可部線の電化区間に冷房付きのDC列車が殆ど乗り入れなかったのは、
加減速性能の所為?

239 :
>>238
だってその時代、加減速どうのより、冷房付きの一般型気動車なんてキハ66・67くらいじゃんて。

240 :
国鉄線上を走る冷房付き気動車で特急型や急行型「ではない」と言う条件付きなら島鉄のキハ2600が居るけどな
一応

241 :
>>234
肥薩おれんじ鉄道や、えちごトキめき鉄道もあるからねぇ
電車はコスト高杉だわ

242 :
電気車の施設使用料で会社を維持して行くためだろ。

243 :
>>242 JR貨物の場合は知らん(JR貨物は当該三セク事業者の線路を借りて貨物輸送を行う)が、
基本 乗り入れる場合は、(相手社のクルマを借りる)でしょ。
その為の電気設備の維持管理&電力使用 費用とかで相殺、若しくは収支的に車両保有会社に支払うなるんじゃね?

244 :
>>243
JRFの場合乗り入れじゃなくて自社線
二種鉄道事業者だから
この場合では一種鉄道事業者の三セクに線路使用料を払う
その時、電化設備を貨物専用とするとそれは丸々貨物走行用の設備ってことになるから電化維持の費用すべてをJRFに負担してもらうことが出来るんだよ
もし、肥薩おれんじ鉄道が電車だったら、その電車の運行に必要なものだから、貨物が通ることによる維持費増加分しか負担してもらえなくなる

245 :
アボイダブルコスト方式でググれって言った方が早いな
気動車の方が車両単体の運行経費は2割ほど高い

246 :
>>245 ふ〜ん?
旧式化した電車を使い続けるか、高くつく電車を新製する場合に比べ、軽量小型の気動車を新製する方が運行コスト考えても全体で見て安くつく、ということなんでは?
肥薩おれんじにせよ、名鉄のレールバスにせよ、そういう発想なんだけどね。

247 :
>>245
アボイダブルコスト方式はJR貨物と旅客会社間での話ね
JR貨物は取り敢えず、フルコストに基づく費用負担を行っているんだよ
フルコストとアボイダブルコストとの差額を調整金としてもらってるけど
>>246
肥薩おれんじの場合は特殊なんよ
名鉄や近江とは違う
名鉄や近江は結局失敗だったし

248 :
>>245
国鉄時代の「数字で見た国鉄』1979版より:−
動力費(10t牽引で100km走行時)
新幹線@¥639.-、気動車@¥523-、電車@¥508-、DL@\483-,EL@¥282-
蒸気機関車は出ていないが破格で高いはず。
この費用はは現在の数値でも順番に余り変化が無いのではなかろうか?
皮肉なのは消滅しつつある電気機関車+客車列車の動力費が一番安い事だ。

249 :
肥薩おれんじの場合、交流電化ゆえに営業用だと1両に機器を積みきれず最低2連になるそうなので
ちょうど中間地点の出水にある車両基地で単行DCを柔軟に増解結した方がいいってことなんだろう

250 :
肥薩おれんじの場合、中間地点の出水で客の流れが分かれるというか学生なので出水境に混雑する時間分かれるからね。

251 :
>>248
もっと昔のたぶん1970年ころに1万円の動力費でどこまでいけるか?
という大きなポスターが何故か駅構内に出ていた。
やはりEL+客車がダントツで東京から静岡くらいまで行っていた。
次がDL+客車、EC、DCだったと思うから合っているね。
あとDCは維持費がかかると思うが、
最近のバスのエンジン使ったような軽快気動車は結構、維持費安いのかも。

252 :
>>251
というか今の交流電車など電子機器の塊のようなものだから、田舎の中小企業には
手が出せないでしょ。だから結局メンテはJRかメーカーに外注するしかない。
気動車なら地元のバス会社の技術も使えるんでないの。

253 :
>>248
北近畿タンゴ鉄道が電車導入を検討した時のデータに数値が出てる
>>252
最新NDCやキハ122・127は電車と同じ完全ブラックボックス

254 :
かなり横道だけど、動力集中が効率的ということはわかるけど、編成両数にもよるでしょ。欧州でも短編成では昔から電車気動車が主流だったし。
それから電気車でも直流・交流・交直流ではどうかという論点もあるね。

255 :
国鉄末期だったかなぁ、日中の日光線で宇都宮〜鹿沼の区間列車が数本設定された事があった。
たしか供用期間中の乗客の多寡によってその後も残すかどうかと言う列車で“α”の記号を付していたと思うが、
そこのところはちょっと自信がないorz。
僅かな期間と区間であったが、関東地方で見られた“全区間架線下DC”でした。

256 :
>>254
確かに機関車一両に客車一両じゃ効率一番悪くなるね。
日本の在来線は長大編成は大都市近辺に限られ地方に行けば1〜2両が殆ど。
つまりDCが一番効率がいいということになる。
それが都市部に乗り入れて架線下DCとなっているのが現状と思う。
スレタイにもあるようにあくまで「懐かしの」であるから、
やはりここは昔話で盛り上がるのが楽しい。

257 :
国鉄〜JR初期はローカル幹線は客車も多かったからね
機関車用意するなら、架線下DCの方が楽という面もあったろう

258 :
>>257
国鉄時代の交流電化幹線のローカル列車は、ほとんど客車か気動車だった
交流・交直流電車は都市近郊に限られ、当時から交流・交直流電車はローカル用には高コストと見られていたんだろう

259 :
交流、交直流電車が高コストに見られていたと言う考えもあったかもしれないが、従来のPCやDCをECに置き換えるには
EC基地を拡張したり、新設する事が必要となる。電車は都市輸送に適しており、回送の経費や手間を抑制するために
都市部や始発駅至近に設置する事が理想とされ、現にそうなっていると思う。
そうなると地価が高額な都市部のEC基地の拡張や新設のための建設費や用地取得を含めたコストも見積る必要が出てくる。
従来からあるELやPC、DCの基地設置も残し、まだ使えるEL+PCやDCの列車を残した方が最良と当時のソロバンはこう
はじき出したのだと思う。

260 :
交流や交直流の場合、旧国に相当する車両がない。
直流区間は中古の旧国通勤車を、そのままローカル運用に転用することができた。
交流ないし交直流のローカル輸送用車両を新製するにしても、それは時期早尚とみなされた。

261 :
米原口ローカルは電化のはるか前に蒸気動車を導入してる
電化後は当然架線下DC
間接接続やら柳ヶ瀬線やらで非電化区間が絡んでいたから
純然たる全線架線下DCになったのは結構遅いが

262 :
ところで何で交直切り替えは黒磯方式が普及しなかったんだ?

263 :
>>262
設備費、維持費が高い!
構内作業が複雑!
通過列車には選別装置が必要!

264 :
日豊線の佐伯〜延岡なんて
わざわざ大分から運用組んでまで
単コロのキハ220使ってるよなあ。
あれこそ復旧を手伝う代わりに
高千穂鉄道の車両でも借りてやれば良かったのに。

265 :
高千穂鉄道復旧するより単行新車作る方が圧倒的に安いですわ

266 :
そういえば一昔前の門司、小倉間は山陽線の直通は殆ど無くて、
山陰に入るDCが多かった。これもデットセクション問題だろうね。
今でも多分そうだと思う。

267 :
>>266 ふと思ったが、何故、山陰線から関門トンネル経由で九州に入るDCに、塩害に強いキハ35のステンレス(900番台)入れなかったんだろう?
千葉地区が電化された後、八高線で使うよりも、こちらに持ってきた方が有効ではなかったか?

268 :
>>260
国鉄も誘導機にトルコンを組み合わせたクモヤ790とか、旧国に電源車付加した
クモヤ490とか、それなりに低コストの交(直)流電車の開発を模索した形跡もあるが
結局客車列車や気動車に叶わなかったんだろう
>>262-263
直通列車は車上切り替えでも、ローカル列車は直通を止めて、ホームによって直流専用、
交流専用の番線に停車するようにすれば交直流電車は不要になるね

269 :
>>267 通勤形だからねー
急行形じゃないので、当該鉄道管理局欲しなかったんじゃね?
関東に居たのは製造元のアフター対応もあるのでは?
房総方面と云うコトで十分塩害耐久試験の環境下にある訳だし・・・。
視認性の為とは云え前面だけにすれば良いのに、車体全体をタラコ塗装したのは、サロ153 900の成れの果て
サロ111 の全面湘南色塗装と共に国鉄末期の労働争議、組織混迷時代の負の象徴。

270 :
智頭急とかそれ以前の三朝とかの大阪姫路間な。

271 :
架線下DLも考えれば北海道はデフォだが、昔は山線経由の列車でも小樽〜札幌は律儀にもED76-500に替えていたよな。
でも普通、あれくらいの距離だとDL乗り入れだよね。東京からだと戸塚や立川、上野からだと上尾くらいだ。
ただし関門間は別としてだよ。

272 :
>>271 小樽・札幌間と上野・我孫子間、距離は両方とも35q位だが、後者はDL、その前はSL乗入れだったな。
過密ダイヤのため、我孫子で機関車付け替える余裕がないからだろうか。
キハ30系による架線下DCとすることなく、電化までPC列車で残った。

273 :
>>272
>電化までPC列車で残った
成田線電化までって書かないと知らない人には伝わらないな

274 :
そういえば懐かしくない全線架線下DCが北海道にはあったな
昼間に山線で使うと輸送力過多なので手稲江別間などの札幌近郊運用

275 :
地下鉄道の架線下DCって覚えてる?新千歳空港に乗り入れたリゾートDC。
構内の排ガス充満の問題もあったらしく折返しは確か4分しかなかったように記憶している。
ダイヤの都合もあったのかも知れないけど。
客が乗らなかったのか、排ガスの充満で懲りたのかわからないけど、イッパツ屋列車になってしまったorz

276 :
>>275 名鉄北アルプス号の新名古屋駅乗り入れは、駄目ですか?
あとは、神戸電鉄の旧型車に元相鉄にガソリンカー改造Tc車が居たけどそのクルマの神戸高速線新開地駅乗り入れとか。 

277 :
>>276
北アルプス出すなら真の意味での架線下ディーゼルである名鉄の「ディーゼル特急」の方が相応しいかもしれん

278 :
>>274
東室蘭〜苫小牧間の普通列車が全てDC化されてしまって電車は特急すずらんのみになってしまったらしい
新たな架線下DC路線の誕生ですな

279 :
そのうち室蘭電化もやめてしまいそうだな。
ここまで左前だと軌道で手一杯になり、次は頭上が手抜きに…。

280 :
架線下DLなら毎日でも小名木川の越中島レールセンターから輸送される。
新小岩〜金町間で見られるよ。

281 :
オランダ村特急は架線下DCなのにわざわざ専用車を新造した上に485系と協調運転までしたのは謎

あれは石井さんの趣味だったと唐池さんが講演で言ってるの聞いた事はあるが

282 :
>>281
石井元社長は国鉄時代、内燃車が専門だった時期があったからね。
経営や鉄道事業の発展に寄与できる技術屋らしいセンスと言うか、発想と言うか…。

283 :
トロリーバスの架線の下を走る内燃車のバスはあったのかな?

284 :
>>281 当初から、九州各地の非電化区間を含めた運用にも使用できることを目的としていたからでは?
wikiに書いてあるわな。オランダ村宣伝のために造られた車両であるわけなんだから。

285 :
>>283
普通にあったよ

286 :
>>284
結局持て余すんだがな
唐池会長とか石井元社長の事を只の鉄ヲタ扱いだから
唐池会長が企画した初代ゆふ森みたいにその後は見た目重視中味は二の次政策が今に続く

287 :
DC+EC協調運転がその後もほとんど広がっていないことを見ると
そもそも協調運転の需要はなかったというべきだな
その意味では、確かに技術者のための技術で、用途は後から考えろ
ということだったのかもしれん

288 :
>>287 ミニ新幹線の三線軌区間もほとんど広がっていないから、需要はなかった。技術者のための技術だった・・
ということなんですかねえ?アプト式なんてのも・・
特定地域、区間に限定されてようが、その技術を必要とする需要が存在するんでは?

289 :
EC+DC協調はシーズ先行ではなくニーズ先行なんだがな
>>287は当時を知らない若い人かね

290 :
話は横道に少し逸れるが、581・583系の貫通扉も併結運転を考慮して折角作られたのに、
技術先行型だったのは否めないな・・・・・
その後何十年か後に、西日本のシュプール号でやっと用途を見ることになるのだが。

291 :
>>290
これも突っ込みどころがありすぎてどうしようもない発言だな…

292 :
>>277
豊橋や津島までのアルバイト運用。乗りたかったよな。

293 :
南海のキハ55を使って昇圧後も水間鉄道直通運転や国鉄介在で貴志川線乗り入れの臨時イベント列車をやって欲しかった。

294 :
>>292 キハ8000は、富山地方鉄道のアルペン特急として、レンタルの架線下DCともなったわけで・・

295 :
>>289 15〜20年くらい早く、EC、DC協調運転が実用化されてたらと思う。
板谷のような勾配地ではEL補機との協調運転で。
そうすれば、ECの「ときわ」と併結され、他の電車急行に劣らない速度で水戸まで協調運転するDC急行「奥久慈」が実現していたのかも。
ニーズが最大だった時期を逃したという感はある。

296 :
上野〜水戸、ECとDCでそれほど差はないんだけど…

297 :
>>283
多分あったと思うよ。
でも始発から終点までではなくて他の路線から入り込む。
まあ列車もバスも同じだね。

298 :
トロリーバスは何故やめてしまった?
電気のほうが有利ではないの?

299 :
>>298 トロリーポールが架線から外れやすいという問題点。無軌条電車であるから、パンタが使えない。
バスの性能が向上し、架線不要で小回りが効くから、トロリーバスの優位性が薄れた。

300 :
>>283
黒部のあそこにも普通のバス入ってたんだっけか

301 :
>>296 上野・水戸間で485系の特急ひたちが1時間20分位で、電車の急行ときわより15分早い。
急行に比べ停車駅が少ないものの、たった15分の時間短縮と車内設備が良いために、特急料金を支払わされていたわけだ。
同じ値段の急行料金取られるのに、電車に比べ10分遅く、しかも音や振動が大きいというのであれば、水郡線方面まで乗り換えなしで直行したいという客を除き、「はずれ」と感じるんではないかな?

302 :
>>298
>299の言う通りなのだがもう一つ追加。
トロリー線とそれを支えるワイヤーで道路の上はクモの巣のようだった。
「東京には空がない」と千恵子が言ったのはそのせいです。
というのは嘘です。

303 :
トロリーバスはどの顔ものっぺりしてて愛想がない。

304 :
>>292
豊橋から朝の通勤特急に新名古屋まで乗ったよ。

305 :
>>301
気になってDCときわ、ECときわを昔の時刻表で見比べて見ましたけど、ECときわでもDCときわと大差ないものもありますよ。
しかし、振動や騒音もそんなに気になるか?

306 :
>>305 74年夏のダイヤ、臨時は除外し定期列車だけ、上野発の下りで途中停車駅が我孫子、土浦、石岡、友部というのが、EC3本、DC2本あるので、これで比較。
ECがときわ1号、6号、10号。DCが同5号と8号。
上野・我孫子間(33.5q) EC 27〜28分、DC 28〜29分
我孫子・土浦間(26.5q) EC 23〜25分、DC 25分〜28分
土浦・水戸間(51.5q) EC 39〜40分、DC 44分〜45分
土浦まではあまり差がつかないが、土浦より先で差が開く。
上野・水戸間(117.5q)では、EC 90〜91分、DC 98〜101分。
土浦・水戸間の表定速度 EC:77.3〜79.2Km/h、DC:68.7〜70.2Km/h
勾配やカーブの少ない常磐線であっても、ECとDCでこれだけの差がつく。
「ときわ」でないが、「陸中・よねしろ」に乗ったとき、エンジンの音がうるさいこともあって、ズーズー弁でしゃべる隣の客の声がききうらかった。
 

307 :
>>306
ジーゼルだからな。

308 :
>>298-299
でも旧社会主義国を中心にトロリーバスは健在だよ
トロリーバスは架線が2本必要なのは欠点だけど、路面電車よりも自由が利くし加速もよい点は評価してよいと思う
ただ当然地上設備が必要だし、経路の変更等も簡単ではない。また日本ではもともと普及していなかったため車両価格も高かったのではないかな
その点ではローカル列車で交流電車がコスト面や地上設備等で、NDCに負けるのと同じ理由だろう

309 :
>>306
区間117Kmに対して10分しか違わないのに、電車との協調運転なんて考える?
これを問題視していたなら、まずはキハ58やキハ65主体の編成にするでしょ。
1974年がどんな状況だったか思い出してごらんよ。
考え方が現代に寄り過ぎじゃない?

310 :
>>309 当時の技術では難しく、コスト・パフォーマンスが悪かったから強調運転は実現しなかった、ということだと思いますよ。
急行から特急主体へと転換図っていた時期でもあるしね。実現可能性が低かったことは百も承知。
それとは別に、架線下DC急行がEC急行に比べて「遜色」であったということ。

311 :
>>310
あなたの言う「遜色」とは騒音や振動のこと?
私は>>305氏と同様、特に気にしたことはなかった。
その時間に特急ではないその列車が存在すること、これが最も重要だったかと。
あえて気動車の「遜色」を挙げるなら、電車と比べて冷房化が遅かったことか。
夏季はなるべく電車急行を選んでいましたね。

312 :
当時常磐の荷物輸送もキロ58の成れの果てのキニ58で単独行動だしな。
仮にクモヤ440を使ってもし常磐にもクモユニ クモヤがあったら多少変わってくるからな。
403系 415系の後ろにクモユニ441とかクモニ441とか連結さるてればなあ。

313 :
「遜色」と言うならせめて60系客車くらい持ってこなきゃ
九州あたりだとキハ58系の急行運用車は冷房化済みで定期で非冷房急行はキハ66・67が入る前の日田・はんだと門司港〜西鹿児島の夜行急行2本位だったし
日田・はんだはあれはあれでキハ55系かキハ58系の修学旅行仕様が運用に入っててなかなか趣があった

314 :
>>313
九州にはキハ65という名の電源車があったから、キハの冷房化も早かったよな。

315 :
気動車需要が高かった長崎本線系統や日豊本線系統の急行が大した峠越えが無かったのも大きい
その分豊肥本線系統や肥薩線系統にキハ65を集中投入したので非力なキハ28電源車も活用出来たから

316 :
>>312
郵便荷物車は、電車では旧国改造、気動車では元電気式改造など常に低コストを要求される
交直流電車には適当な改造種車がない上、高価な交直流電車の新製も考えられなかった
郵便荷物車では気動車か客車を残すかしかなかった
もし常磐線で荷物も電車を使いたければ、クハ401の前部をアコーデイオンカーテンで区切って荷物を積むより他はないだろうな

317 :
>>316 上野発であれば、クハ401の半室を荷物室とする方式を取ることができたのだろうけど、隅田川発にしなくてはならなかったから荷物気動車を造らなくてはならなかったということかな?
常磐線にも仙台行きの急行荷物列車が走っていたが、荷物気動車は関東北部、水戸周辺までの新聞ないし手小荷物輸送を請け負うものと、役割分担していたのだろうか。

318 :
>>300 ないよ!
その為(トンネルない有毒排ガスの充満防止)のトロバス。
>>303 長い事使っていた旧型は,60年代のバスのデザインを保っていて最高だった。
観光路線なんだから TDLリゾートクルーザーみたいにレトロなデザインにしてくれんかね?

319 :
>>283 >>300
かつて東京都内で走っていたトロリーバスのうち、国鉄や私鉄と踏切で交差
する路線があったが(品川駅−池袋駅間だったかな?)、両方の架線の電圧
が異なるため、トロリーバスの架線のほうはこの踏切の部分だけ途切れて
いた。
そのため、トロリーバスは踏切横断時はトロリーポールを下げて、エンジン
を起動させて走行(踏切を横断)していた。

320 :
機関を積んだ・・・モーターを動力にした意味無いじゃん
架線からの離線トラブル
この2点がトロバスの運命を決定つけた。

321 :
自己レスだが、品川駅−池袋駅間の系統ではなく池袋駅−亀戸駅間の
系統だった。(国鉄山手貨物線池袋−大塚間、東武伊勢崎線曳船−
玉ノ井間、東武亀戸線小村井−東あずま間、京成押上線京成曳舟−
荒川間にある踏切で交差していたため、この区間のみエンジンを起動
させて走行していた。)

322 :
キハ40に置き換える前の烏山線はキハ10系気動車が宇都宮線に乗り入れていたっけな?
私が生まれた時にはすでにキハ40に置き換わった後だし…。
過去には、キハ10系で石橋駅まで行き、石橋駅から折り返して、宇都宮〜宝積寺〜烏山まで行く列車も存在していた。

323 :
>>320
別に意味ないという程のことはない。
大半は電気で走れれば良いわけだし。
架線がなければ即立ち往生するバスって、入庫とか考えるとあまり実用的ではないのでは。
高性能なバッテリーがない時代であれば補助エンジンは現実的な解かと。

324 :
大阪じゃデッドセクション設置して片町線の踏切架線集電のままトロリーバス走行してたのにな

325 :
>>323 否々メンテや複雑になる構造、電車線のメンテコストを考えるとね・・・
車両だって量産されている 普通のバス方がはるかに安いし
少なくともコレは、川崎と横浜の廃止理由要因の1因だよ。

326 :
>>325
どうしても設備にかかるコストがね
横浜が車両更新もそうだし、市電廃止に伴う変電所の問題も大きかった

327 :
鉄道のほうが線路敷いたり駅造ったりもっと金かかるだろ
1日数往復の単行列車でこと足りる地域交通を鉄道に担わせた理由がさっぱりわからない

328 :
道幅が広く輸送需要と交通量が少ないて条件ならトロリーバスは適合するが
そんな都市は北朝鮮みたいな所だけしか無い

329 :
>>325>>328
しかし、なぜこれほどトロリーバスが非効率なのに、現在でも欧州中心にこれだけ残っているかだな
それこそ一日数往復の地域交通を鉄道に担わせている以上にわからない

330 :
>>329 欧州といっても、主にロシアや東欧諸国だよ。それらの国々でも、近年、トロリーバスの縮小、廃止が進んでいる。
冷戦期までトロリーバスが都市交通の重要な役割を占めていたのは、社会主義諸国において自家用車の普及率が低いことと、バス等内燃車両のエンジンの改善がなされず燃費が高いままだったからではないかな。

331 :
>>327 だから軽便鉄道も普及したじゃん。
日本で最初の本格的バス(円太郎バス)が出たのは関東大震災後
それに道も酷い代物だったし、・・・地域により雪害とか
また 個人経営の多い路線バスでは定時性や運行の確実性もかなり怪しかったのでは?
1067mmの場合省線と線路を繋げば貨物輸送の利便(直通)もあったでしょ。
戦前はやはり地方都市において最強かつ最重要の移動インフラだったんでしょ。

332 :
社会主義国は国家のインフラ整備に傾斜してるから道路やストラクチャーなんかは立派な一方で交通量はさほど増えない
長時間閉鎖して大規模な軍事パレードがやって影響無い環境は西側諸国では聴いたこと無い
北朝鮮や旧ソビエトの無駄にインフラ整備されてる割に人影まばらな都市が典型例
こういう街でこそトロリーバスや路面電車が生きる

333 :
>>330
そうでもない。たぶん↓の下を思い浮かべるだろうが、上(Vanhool ExquiCity)みたいな最新機もある
http://www.trolleymotion.eu/www/verwaltung/common/nimages/1337359112-GenfVanHool-Parmau666.jpg

334 :
>>333 全盛期に比べ大幅に縮小した日本の路面電車や非電化ローカル線において、その存続のため新型車両が導入されていることと似たようなもの。

335 :
トロリーバスは路上駐車を避けたら離線しそう。

336 :
トロリーバスは電車ですから

337 :
でも免許は大型二種のオマケ、申請するだけでOK。

338 :
>>337
今は実技試験は免除されないよ

339 :
でも法規関係の試験はどうなん?
乙種クラスの知識は要求されるんじゃなくて?

340 :
トロリーバスは路面電車と同じ軌道線扱いだよ・・・・・

341 :
トロリーバス運転できたら就職は有利ですか?

342 :
トロバスって制動どうなのかね?
普通にフットブレーキで油圧のみ?

343 :
排気ブレーキがない分、抑速ブレーキはあってほしいな。

344 :
電制はあるみたいね

345 :
テスト

346 :
仙山線停電8時間閉じ込め事故は架線下DCなら問題なかったのに、
仙台や山形にキハ40かキハ110ぐらいいるだろ?
EC/DC協調運転はこういう時、意力を発揮するんだぜ。
アタッチメントがないのか?
もし無いならば、キハの先頭車を双頭連結器に交換するとかしとけよ!
ttp://www.xanthous.jp/2014/12/03/senzan-line-stop/
ttp://www.sankei.com/affairs/news/141203/afr1412030005-n1.html

347 :
国鉄時代大鉄局がキロ65の「ユートピア和倉」を「雷鳥」にぶら下げていたが、殆ど
金沢に延着していたな---奇妙に其のスジの「雷鳥」に度々乗車したので。
>>336
トロリーバスは日本語で「無軌条電車」だろう。
以前に話題に上っていた「出羽」のキロ28に夏乗車したが、宇都宮辺りから眠っていたのに
福島で「マイクのテスト中」放送でたたき起こされて、みんな怒っていた。
板谷峠でエンジンの唸りが大きくてまどろむどころではなかったが、小鳥の
さえずりが聞こえてきたので癒された。

348 :
>>346 現場までDC持ってくるよりも、DL持ってきて牽引すればいいだろ。
今回、現場近くに道路がないし、倒木があったため、除雪や木の排除に時間がかかったということなんでは?
まあ、馬鹿も休み休み言えってんだ。

349 :
昔の東北地方なんて,
○○本線電化といっても
電車だったのは特急列車と一部の上野直通急行と「あぶくま」「くりこま」「仙山」のみ。
他急行はDCがあたりまえ。
普通列車は客車列車か間合使用のDC。
昭和50年3月改正当時で,東北六県で電車普通列車があったのは
仙石線:仙台〜石巻間
東北本線:白河〜郡山間(「あぶくま」崩れ)
奥羽本線:山形〜羽前千歳
仙山線:仙台〜羽前千歳
417系はまだなかった。

350 :
架線下のDCから外れるかもしれないけど、EL牽引の客車列車にぶら下がって、途中から単独DC列車になるのが、東北線であったような記憶が…。具体的には思い出せない。

351 :
>>350
>>82-87参照

352 :
昭和の終わり、近江鉄道にレールバスが登場したものの
車体が小さく朝夕の高校生を捌き切れないから短期間で姿を消した。

353 :
同時期には、名鉄でもレールバスが非電化区間となった閑散路線にて営業
運転を開始したが、そのうち三河線の両端(山線の猿投−西中金間、海線の
碧南−吉良吉田間)で運転されていたレールバスは、基地の猿投検車区と
海線区間の送り込みと送り返しを兼ねて、猿投−知立−碧南間でも1往復が
架線下で営業運転されていた。
猿投(碧南)発知立行きで運転され、知立到着後に折り返し碧南(猿投)
行きで運転されていたが、そのまま通しの乗車も可能で、末端区間の廃止
まで運転されていた。

354 :
>>346
キハ110は密連じゃないの?
素朴な疑問。
双方に異なる電気連結器が付いている場合、単純な連結もできないの?
だとしたら、とても不便な気がする。
スレチで申し訳ないと思いつつも、回答をいただけると嬉しいな。

355 :
>>354
郡山工場へ入出場の時はED75牽引だから自連じゃないかな。

356 :
>>354
出来ない。連結すると電連ピンが電連カバーを押して端子が露出
するので、互換のない信号や電源が接触してショートしかねん。

357 :
逆ケースで「非電化EC」はグッと少ないね。架線がなければ客車同然、いや、電源確保や簡易ステップの準備、
必要に応じて連結器交換etcなどの手間や費用を考えれば、客車より大変だ。
つぅか、一部のECを除き、殆どのECはそうした旅客運用を前提とした設計をしていないから当然なんだけどさ。
そこを行くと気動車は万能的存在だな。高速列車が往き来する電化区間でのダイヤ作成で多少の労苦はあろうが、
かつての妥協の産物的なものではないことは確かだ。

358 :
>>356
ピンの位置が同じで緊急用に通電offスイッチがあれば… と考えもしたんだよね。
まあ、あとから名鉄の例を思い出したんだけどorz
スレチにも関わらず、お付き合いいただき有難う。

359 :
>>357
草津、はっぴーきよさと、有明
他にあったっけ?

360 :
>>358
今のは電連だから無理だろう。
そう言や73系と101系も併結運転は無かったな。
電車はモーター出力の関係から、同車種じゃないと連結できないんだろうな。
でも231系とE233系は出来るはずだがな。

361 :
>>360
80系と153系の併結はあったべ

362 :
>>360 72系改造のクモユニ74と111系の併結など、吊りかけ荷電と新性能電車との併結が当たり前に行われていたんですがあ・・

363 :
>>361
それは協調運転の事じゃ無くて、均合い運転の事じゃないの?

364 :
>>362
京王や西武では普段から吊り掛け車とカルダン車の混結やっていたよね。最近だと、江ノ電と箱根登山かな?

365 :
..>>364
小田急も4000系吊り掛けと5000系平行カルダン車の連結があった。
制御機器関係が共通だと出来るんジャマイカ。

366 :
>>365
それ初耳。
更新後の4000系と勘違いじゃなくて?

367 :
>>363
協調運転と均合い運転とかそんな話してないだろ
>>364
昔の銀座線も忘れるな

368 :
ぶっちゃけ電制&回生車と空制オンリー車とかブレーキ系統の同期がとれれば問題ないんじゃない?
ツリカケとカルダンでも、但し モーターや制御装置の特性が大きく違う場合
此処の車両の機器にストレスを与えるので好ましくない 制動感覚の把握が難しくなったりや制動&加速時の挙動がおかしくなるのでは?

369 :
吊り掛けとカルダンなんて、気動車との協調運転に比べればずっと容易だろ。
そりゃ、カルダンの性能、機能を最大限に発揮できなくなるけど。

370 :
50年位前の話だが、山陽本線の瀬野八が電化された当時、151系や153系はMT比1対1のため補機を付けて峠越えをしたという。
キハ82系DC特急のかもめやみどりは、補機なしで走行したのか?
関東の人間で瀬野八はよく知らないもので・・

371 :
>>370
ググッたら82系単独で越えていたようですよ。
スレちだけど、瀬野八と聞くと、西村京太郎思い出す。

372 :
>>370
151系や153系って東海道専用、坂道弱々仕様だからな

373 :
東武のDRCだったら、瀬野八、補機なしで楽々だったのかも・・
6両オールMを2編成繋いで堂々の12連、だが食堂車がない。

374 :
>>371
そういや板谷峠も特急型はキハ181系でさえ補機付だったのに、
キハ58は単独峠越えだったなあ
特急型に比べてサービス電源が不要で身軽だったためだろうか
キハ181系はラジエータの問題らしいけど

375 :
キハ58と言うか旧世代気動車は速度低下に目をつぶればそれなりに勾配に対応できるよ
エンジン2台搭載とか補機連結とかはこの世代に関しては速度向上が主な目的
5ノッチ5分制限対策もあるけど

376 :
キハ30がハチ公線の金子坂をヒーヒー言いながら登ってたっけ

377 :
来春から北陸新幹線開業による北陸本線の経営分離によるえちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン
転換区間とそれのET122が乗り入れるあいの国とやま鉄道転換区間の一部が仲間入りだな。

378 :
>>375
ちょっと架線下DCという範疇から外れるけど
旧世代気動車の2台エンジンは速度向上が目的でなくて、やっぱり勾配線対策かと。
というのも、御殿場線でのテストで、勾配区間で変速機油漏れなどがあり、このため
2基エンジン車出現までは、勾配線は依然として蒸機列車主体だったという記載を読んだ
記憶がある。

379 :
>>365
ところが同じ小田急で旧国鉄63系払い下げの1800と4000吊掛けを連結したら脱線続出で
連結自体やめた例もあったりも。
4000自体の機器の出力が1800より低くて1800のが勝っちゃうんだっけ?。
瀬野八と言えば貨車より機関車のが勝っちゃってせりあがり脱線する危険性から生産打ち切りで
EF59の代わりさえならずにさらに先になくなったEF61-200の例がある。

380 :
あともう一つあった、HB-E210による東北仙石ラインも来年6月に仲間入りするね。

381 :
東北や常磐の臨時急行はほとんど客車か気動車。
高価な交直流式急行電車は定期列車分しか製造しなかったのだろう。

382 :
>>381
12系や14系座席客車がまさに、そのコンセプトで。
伊豆急下田まで14系客車の臨時踊り子号が走っていたなんて
現在では考えられないよね。185系より停車駅少ない割りに
最高時速が出ないし、加減速も悪いから、鈍足だったし。
一方、その前では定期列車は雑客で、臨時は12系って下剋上の夜行急行もあったような...

383 :
>>382
その通り。
津軽、鳥海、能登、越前、だいせんなど日本海側を走る急行はほとんどだった。
12系の定期急行はきたぐにくらいだが、
北陸トンネル火災理由素直に喜べない。

384 :
そもそも架線下DCの定義って何よ?

385 :
今で言えば羽越本線村上〜酒田間普通。
来年から糸魚川〜直江津間もそうなる。

386 :
>>384
関東では八高線の高崎〜北藤岡の手前。

387 :
電化区間で完結するDCの列車はもちろんとして、
今で言えば岡山ー宇和島直通のしおかぜや、大阪発着のひだ等の非電化区間への乗り入れで長距離架線下を走る列車はどうだろう。
あとはオランダ村特急やキハ201の協調運転も。

388 :
>>386
烏山線の方が距離長いんじゃないの?
営業路線じゃ無ければ新金線のDE10チキとか。

389 :
戦前の阪和電鉄を立ち上げた関係者は、20数年後に
国鉄形電車に席巻されるどころか、国鉄形車両全般中でも紀勢本線に向かう気動車が走るこのになるとは、よもや・・・。

390 :
>>388
烏山線(直通)は非電化下EVも走る路線で色々ロマンがあるな

391 :
>>387
非電化区間に乗り入れる以上DCなのは当たり前だからなあ
「そもそも」であれば電化区間しか走らないDCのことだわな
このスレの定義とは違うけど
>>386
北藤岡駅のホームよりは手前だけどあそこも北藤岡駅構内だから手前ではないな

392 :
電化本線から非電化盲腸線への直通列車は架線下DCが多いし効率が良いのだろうな。
吾妻線なんかは早期に電化されたからC11の客レ時代から、
一気に、電車化と成った。
現在でも東武妻沼線が残っていたら、上野〜妻沼までキハ30系系列か、キハ58・28どちらかの
形式が直通乗り入れしてたかもしれん。

393 :
そうか、東武熊谷線へ乗り入れるとまで考えちゃうか…

394 :
俗称で妻沼線とは言ってたけど
東武妻沼線という人は初めて見た

395 :
帰省でお馴染みだった急行ときわも春休みにはもう無いのか・・・・

396 :
赤倉は遅くまで('82-11)DCだったのもさることながら、DC時代の最後まで
編成中の過半数が非冷房のままで残っていたのも奇異に感じたね。
3・4号車のキロを挟んで、1・2号車のキハ58×2(指定席)が冷改、5〜10号車の
キハ58×6(自由席)が非冷、と厳然と区別されていた。

397 :
始発駅から終着駅まで全線架線下を走行した
国鉄DC特急も忘れないであげてくださいな。

398 :
>>397
ひばりとひたちと臨時雷鳥以外に何かあったっけ?

399 :
おお!マリンクリスタル、オランダ村特急、しなの、きのさき、ひたち、も頼む!

400 :
熊谷は、中央本線の大月と違い旅客動線的には高崎線の途中駅としてはマダマダ通過旅客導線が太いので
此処で他社線方向分岐なんて無理。
万一やるとしても休日で最低限 熊谷線が、電化整備して秩父鉄道乗り入れ列車と抱き合わせ運行。(輸送実績を考えると東武は絶対やらないが・・・)
※電鉄なのにディーゼル車持参で用意までした富士急だって自社車両の直通は放棄の憂き目に遭った。

401 :
>>399
ああそう言えば大阪しなのって電車化遅れてたよな
でもそれ以外国鉄じゃねえよ

402 :
>>400
電化線しか無いのに乗り入れ先のためにディーゼルカー用意したのは他にもあるからなあ

403 :
>>401
ひたちは国鉄だろ

404 :
>>403
ひたちは>>398が上げてるだろ

405 :
>>400
熊谷線は残存してたら需要あったよな。
安比奈線とは雲泥の差だ、でも安比奈線は全線電化されてたんだよなぁ
驚きだ、昔はあそこにE51やE61が走ってたなんて信じられんなw

406 :
>熊谷線は残存してたら需要あったよな
それはない
太田までつながってれば別だけど

407 :
>>398-399
なは

408 :
>>407
なはも鹿児島電化の時電車化しなくて後にズレこんだんだね
ひゅうが併結の都合なんだろうけど、南宮崎電化の半年前に単独電車化ってタイミング的によく分からんことしてるな

409 :
>>406
もし太田に繋がってたら、熊谷からJRに流れるから、はなからやる気無しだったのでは…?

410 :
>>409
そうだよ

411 :
それ以前に熊谷線自体が年2億の赤字でもはや廃止するしかない状態だったけどな。
小泉線に繋げる大義は富士重工からの戦争物資輸送と行員輸送というだけのもので
終戦と同時に消滅したのだから。

412 :
秩父鉄道からホームと用地借りてて返してよって言われてたしね

413 :
今の時代に金沢〜出雲市ゆき急行「大社」が有ったら、気動車のメリットを発揮しただろうな〜

北陸本線〜小浜線〜北近畿タンゴ宮津線〜山陰本線。

交流電化〜直流電化〜非電化〜直流電化〜非電化〜直流電化って。

414 :
>>412
今でもホーム跡がそのまま残ってるな、高崎線との間に、あのホーム利用してJRと階段の距離無しで連絡できるようにすれば良いのに、現在の熊谷駅の乗り換えは新幹線のコンコース分歩かされるから、とても遠く感じるんだが。

415 :
品川田町間の車窓から見る山手線新駅予定地と上野東京ライン工事:

https://www.youtube.com/watch?v=bqCv92vUVZo&list=UUncFHKa8Bg3zzfBTl-v4Rkg&index=2

---

416 :
>>412
今でも高崎線と秩父鉄道との分かれ目付近に熊谷線のホーム跡が有りますね。

417 :
>>396
併走する「とがくし」や「きそ」は全車冷房だからね。
それで急行料金同額なのは不条理w
そして停車駅は両者より少ないのに、表定速度はヘタすると遅いというダメ押し。

418 :
☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html

☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆

419 :
仮面女子みたいな素人女性集団はマジ神だった!!

暇つぶしにやってみたが、この超本命リアルだわ↓

daIn.net/c12/25yuika.jpg
Iをkkuに変えるよ

420 :
びわこエクスプレス

421 :
どうして羽越本線村上〜酒田の普通列車は気動車なの?
肥薩おれんじ鉄道やえちごときめき鉄道とかの事情と同じとは考えにくいのですが?

422 :
>>421
交直セッションがあるから
えちごときめき鉄道も同じ理由

423 :
381系を中央線に投入したとき、何故一緒に振子式急行電車をつくらなかったのだろ
紀勢線の時もそうだし

424 :
>>423
スレ違い

425 :
381系は中央東線・西線両方で使用すればよかったのに、
381系で新宿〜名古屋間ノンストップで4時間なんてどうよ?

426 :
振子式急行電車作らなかったから「赤倉」も「きのくに」もディーゼルのままだった

427 :
>>426
きのくにの場合直通で和歌山から合体した南海もキハ5500形からキハ58基本の
車を作ったかも知れんな。年度によっちや65で作ったかも知れん。
しかも車内は10000形レベルで無論空気バネと国鉄より豪華になってたかも。
現に客車で直通した当時、電車に連結した便宜上サハとしたサハ4800形は
国鉄スハ43形よりも車内は豪華だったらしい。

428 :
赤倉は最後は165系になっていた

429 :
23区最後の架線下DCは常磐線かな?

430 :
臨時旅客営業だったら新金線、あとはイレギュラーでDD51が品川から天の川なんてのもあった
DE10は貨物なら架線下で湘南新宿ラインを単機で走行を見る

あとは首都圏で良ければ、新鶴見から東海道貨物線を横浜羽沢までDE10が牽引してる
運用は2000番台と共通だけどね。

431 :
>>430
スレタイ読もうね

432 :
>>431

>>429への真っ当なレスじゃん

433 :
>>432
スレタイ読もうね、架線下DLじゃないから

434 :
>>433
杓子定規な奴だなあ

435 :
イベントで御殿場線にキハ82もってきたのは、常磐撤退より前?
会津マウントの東武線内乗り入れはダメ?

436 :
>>435

御殿場線にてキハ82が運転されたのは、JR化後の94年11月27日の「御殿場線
60周年号」

437 :
羽越本線ってどうして全線電化されてるのに架線下DCなんですか?
電気機関車は使ってるのに、
あれじゃEF510じゃなくてもDD51でもいいじゃないですか

米坂線も「べにばな」なんかは架線下DCですよね

438 :
>>437
現在のことをここで聞きなさんな

439 :
>>437
JR東が交直短編成電車を持ってないから。というか2両編成ですら輸送過剰な
時間帯もあるし。

昔羽越本線高速化のために鉄建公団が掘ったショートカットトンネルすら結局
引き取りを断ったくらいの輸送規模では、それ専用の新車を求めるのは夢のまた夢。

440 :
>>439
つ1M電車クモハシリーズ!

441 :
>>438
いや、むかしから羽越線は架線下DC王国だったよ
交直流電車の価格がバカ高く、優等列車でないと元が取れないことが主な原因
直流区間なら地上設備の費用を別として、保守費や動力費も考慮すれば電車の方が気動車より若干安くなる
また中古電車(旧型国電)も使えるため、直流区間では架線下DCは少ない

442 :
>>441 富山港線のキハ120は、その例外と考えたほうがいいのか?
1m電車新製するよりも安いと考えたからか。

443 :
>>441
嗚呼、デッドセクション対策ですか・・・・・

でも常磐線にせよ、東北本線にせよ、デッドセクションがありますよね
さらに言ってしまうと、北陸本線の米原〜田村間とかは昔からE10やら
ED30等の特種機関車王国だったわけですが、北陸本線も客レが多かったのですから、
羽越線も客レで電気機関車牽引の客レでも残すかしてれば良かったんでしょうね、
50系客車なんて旧客に比べて車齢が若くして廃車に成ってしまいましたから、
富山か敦賀二区のEF81+50系客車でも良かったような気がします。

444 :
>>441
昔からでも現在でもそうなら「懐かし」じゃねえだろ
板違いだ

445 :
つまんねぇ事でいちいち拘ってんじゃねえよwあんたはアスペ爺さんかw

446 :
>>443
輸送力単位が小さいですからね、EF81+50系客車2両じゃパワー過剰でしょ、それに終着駅で機関車交換は必要だし、実際よその線ではそれをやめて701系にしたくらいで。

447 :
>>445
アスペはどっちだよ

448 :
電化区間に入る気動車急行の間合使用普通列車なんてのが
架線下を走るのに萌えたなあ。
ただのローカル最終列車なのにグリーン車付の堂々としたキハ58編成だったりして。

上野発常磐線最終水戸行とか・・・

449 :
>>448
キハ58・28、12両編成に萌え〜

450 :
>>448
九州にJR化後も残っていた、急行「えびの」の間合いの普通列車で
元グリーン車の座席(急行では指定席)に座ったことがある。

451 :
そこはシーサイドライナー時代が一番優遇されまくってた

452 :
茨城交通茨城線の上水戸〜大学前

453 :
常滑競艇の臨時列車に使われていたキハ8500。太田川駅で見たときは
驚いた。

454 :
>>136
色も赤一色で鮮烈だったな

455 :
急行・狩勝の函館本線区間(滝川〜札幌)
狩勝の全区間中最も評定速度が速く特急列車より停車駅も少ないにも関わらず、
乗っていると走行区間内では唸るエンジンが最も急行らしさを醸し、
実はスジ上後続の785系ホワイトアローに捲られる夜行を除くと最も遅い優等列車。

456 :
既出だが南海のきのくに号、
難波駅でこれを見かけた客が屋根上にパンタグラフが無いのを不思議だと言っていた
DCを見慣れてないとそういう感覚になるものなのかね

457 :
>>456
泉佐野以南の曲線が続く区間では本職のDC運転士だったら直結の絞り力行
3〜4ノッチで逃げるところ、南海運転士は電車同様の鋸ノッチ扱いだったのが
面白かったよ。

458 :
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(アエロ沖縄空港ドナルド凍結バイト)

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(河北なぜ大阪人ヘアカラ福祉バンクドーハの悲劇ビジネス
(ゆとり不動産取締王過払いポイント著名店員廃炉舞台監督カクテルナイト

459 :
>>457
電車と気動車の免許を持っている運転士の中には、電車の運転が大半で、気動車の運転はたまにしかしない人も居る。
気動車の運転の日は電車のつもりでノッチを扱ってしまう人も居たね。

また、キハ20系の運転に慣れていた運転士がキハ40系に乗務する場合、変速機の特性を活かしきる前に
時速45キロ程度で直結段に切り替えてしまうことが多い傾向にある。

460 :
>>456
晩年の姿しか見たことが無いがディーゼルエンジンを唸らせてゆっくり難波駅を発つ後姿を見ただけだったな
乗客はほとんどいなかった

461 :
>>460
春木や和歌山の博打開帳日には沢山乗ってたよ。

462 :
昔関西線でキハ75使用の名古屋〜亀山普通がありましたね。
意外と出てこないのにびっくり。
ながら接続の一番列車が一時期これだった記憶がある。

463 :
一部のキハ75は高山線に行ったけど、高山と境界駅の猪谷行くのはキハ25だけ。
75は下呂までしか走んない宮の峠登坂できねえのかよ。

464 :
足回りは「ひだ」のキハ85とほぼ同じだから登坂性能は問題無いだろ、登場時には宮峠より厳しい加太越えを「かすが」でこなしてたんだし
考えられるのは耐寒、耐雪面じゃないの?

465 :
>>456
最晩年に孝子峠付近で目撃した
当時はDCには興味なかったのでカメラにも収めず。
ヘッドマーク付いてたのかなあ
その後に来た普通7001系の方が格好良く見えた

466 :
>>463-464
一部駅ホーム高さが非対応

467 :
架線下DCは無駄なのかな?
結局電化区間との直通運転が本来の目的なんだろうけど、
あまりにも長い下線下DCは非電化→電化のターミナル駅で電車に運用を振り替えた方が運用効率は良いのかもしれない。
でも東京駅には早くから架線下DCは撤退したが、上野駅には平成まで架線下DCが残っていたな、
あれは茨城県内の中小私鉄直通運転の為の処置と、デットセクション対策だったのかな。

468 :
エキスポライナーのキハ58は理由がはっきりと解る。
常磐線だもんね。
使える車両に制限がある。

469 :
>>465
それはもったいないね
引退が知られるようになってからというもの、
R26の撮影スポットには撮り鉄さんが大勢いらっしゃいましたよ

470 :
あー思い出したわ

471 :
これだけ技術革新があるのだから
地磁気観測所との干渉を解消できる手立てが見つからないものかなあ
そうなればノーマルに直流でいけるのに

472 :
ある程度予測はしていたが黒磯直流化絡みで黒磯〜新白河に登場ですな、但し一部の運用でしかも暫定っぽいが。

473 :
>>467
各鉄道会社の考えだと思う。
新幹線がらみで第三セクター化した路線で導入したり、名鉄のように
わざわざ架線を外してDC化した路線もあった。

474 :
電化後も千歳線を走っていたキハ22などを使用した普通列車(711系から受け継いだ札幌直通のキハ143は除く)
実はJR化後まであった

475 :
盛岡発碇ヶ関行き「急行しもきた」
東北本線と奥羽本線を結ぶ急行だったのに、何故か架線下DC。
ECでも大変だった中山峠を、爆音を響かせながらえっちらおっちらゆっくりと登るしもきた。懐かしいな。

476 :
>>473
名鉄のそれは合理化と言えば聞こえは悪くないが
実質は退化だったな
電車が撤退して、明らかに活気が消えた

477 :
>>476
それって昔は活気があってもちろんその時電車があったからそれと比べちゃってるだけだよ
電車がある時代から活気は失われていたんだよ

478 :
キハ10の振動は異常だった
2軸車特有の揺れに慣れてないからだろうが、ポンコツHLのほうがまだマシ
冷房が付いたのは大歓迎だったが、一部だったしなぁ

479 :
2軸車は相当デンジャラスな走行性だったみたいだしね。国鉄が最初に作ったレールバスのキハ01とか
最悪な乗り心地だったらしいし。
南部縦貫も旧東北本線区間はまだまともでもそれ以外は地震体験車で常に震度4〜5強に乗ってるみたいだし。

480 :
そりゃ100年ぐらい前にボギー車が考案されてから脱線事故が減ったというし

481 :
しらゆきも457化できなかったのかな?
50/60Hz対応なのに

482 :
散々既出すまそ

483 :
>>481
やってやれないことはないだろうけど、457が3電源直通を目指して開発されたというよりも、455と457を補充するにあたり、技術的に1本化できるようになったから補充用に19ユニットの457が誕生したわけです。
補充が目的ですから仙台から鹿児島までの広域な分散配置になりましたが、仮にしらゆき電車化という課題があれば、例えば金サワに集中配置すればよいだけのこと。
そうすると答えは@当時、しらゆきは電車化する必要がなかった。A当時、しらゆきは電車化できなかった。となりませんか?

484 :
田沢湖線(現 秋田新幹線)が出てこない。
特急は485で普通列車は全部キハだったな。

ミニ新幹線ならなかったら今頃は701に変わっていたのだろうか?

485 :
>>484
ないと思う。気動車のままだと思う。

486 :
全線電化区間でありながら、
秋田県が特急列車の運転に必要な最小限の変電所のみでよいとしたため、特急列車以外は電車化されず、長年に渡ってローカル列車はすべて気動車を使用していたが、改軌工事の完成(秋田新幹線開業)時に電車化され同時に一部列車でワンマン運転を実施している。

Wikipediaこれ本当なら確かにそうだな

487 :
>>483
単純に非電化区間直通の「白馬」と「きたかみ」の併結区間があった。
電車化するなら「白馬」「きたかみ」の単独化や、糸魚川・秋田発着で短縮し、
それぞれ接続を取って「しらゆき」は単独走行にはありそうかも。
特に「きたかみ」は青森まで行く必要がなかった列車なので。

ただ急行「しらゆき」廃止までは、東北は多層建てDC急行が幅を効かせていた。
そうすると気動車急行の運用や、できるだけ直通列車にして急行料金の利用者負担を
抑える意味合いがあったかもしれない。
また「しらゆき」健在時は、「羽越」「むつ」「しもきた」も全線架線下DC急行だったので、
東北新幹線開業が迫っていて、電化前の体系を大幅に崩したくなかったのもありそう。

488 :
>>484-485
改軌しなくても701系にはなってただろう。
秋田運転所の701系主体で運用すれば、効率は悪くない。
県境の赤渕〜田沢湖の普通列車本数は最低限なので、盛岡口は東北本線と共通運用でできそう。

実際は秋田新幹線着工が701系デビューとほぼ同時期なので、あくまで仮定になってしまうけど。

489 :
北陸線電化後の彦根発木ノ本行きのDC 、サボがまた不思議な表示だったな。ながはま

490 :
上の方にちょっと出てるが、南海線のきのくに号の運転の仕方は国鉄DCと微妙に違ってた記憶が自分もある。
カーブから直線に移行する直前に盛大に変速ノッチをふかして加速の準備をする?エンジン音が高くなった。
直線でもあんまり惰行はなかったような気もする。70kmにもいかない表定速度だったが、それでも現場には
DCの性能は余裕がなかったそうだ。もっとも下りは早着したこともあった。
ただ、国鉄線に入ると乗り心地が悪くなった・・・。

491 :
急行きのくに ときわ しらゆき おが

492 :
山陽線のキハ82は?
「かもめ」は長崎・佐世保線のみが非電化 まぁ、分割・併合があるから仕方が無いが、「日向・なは」に至っては鹿児島線電化後も「なは」は全線架線下
それこそ、客車のほうがよかったんじゃ?と思う。当時の事だから20系の座席編成とか・・・

493 :
>>492
当時は「かもめ」と共通運用だっただろう。
編成組み変えれば、博多「まつかぜ」も共通だったし。
また山陽本線は優等列車全盛時、慢性的な特急型電車不足だった。

20系では座席キャパが小さいし、日中の居心地も問題だったろう。

494 :
急行列車 出島・弓張

495 :
>>492
客車の方が良いと思うのは何で?
電化区間は電気で走れってこと?
機関車付け替える面倒が増えるだけだと思う
所要時間も短縮できないよね?

496 :
北陸本線は架線下DCダメかな?
北陸トンネルが長すぎて。
金沢から敦賀まで各駅停車増やしてよって思う

七尾線の交直流車も越美北線の気動車も暇なときは北陸線に投入してよ

497 :
そう言えば2010年の特急おわらがディーゼルカーの北陸本線走行の最後なのかな?

498 :
彦根駅折り返しはどうやっていたの

499 :
>>493・491
ああ、共通運用でしたか。それはご指摘ありがとう。無理だったでしょうね。
電気ブレーキのある電車と違って気動車・客車は最高速度が上げられないから、電機牽引列車でもよかったかも、という妄想です。
20系でも寝台車を連結せず、ナハ20・ナハフ20にナシ20 あとナロもあったらオモシロかったと思います。機関車はEF60-500あたりを・・・・

500 :
>>496
特急白鳥はキハ80系で北陸トンネルを抜けていたぞ。
長大トンネルには違いないが、DCだからダメということは
ないと思うが。

ただ、わざわざ越美北線からDCを回送する手間を考えると
その可能性はないだろうな。

501 :
>>499
でもディーゼルカーの方がお手軽だろ?
そもそも1961年の時点で考えてみ
この時点でキハ82しか選択肢ないと思わないか?

502 :
>>496>>500
「白鳥」電車化後も、急行「越後」「大社」が北陸トンネルを走行してたので、
気動車でも何ら問題ない。

503 :
東京地下駅開業、外房線電化の頃だったか、新宿駅でキハ55系が先頭の急行「犬吠」を見た記憶がある。この頃は東京周辺での架線下DC急行はキハ58系がほとんど。東北線や常磐線からは追い払われ、非電化区間が残っていた総武線、成田線の急行に使われていたのか。

504 :
>>503
夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも。
ただ気動車「犬吠」が新宿に乗り入れてた頃、中央線急行「アルプス」も一部気動車だった。
併結した富士急行や小海線直通などにもキハ55は充当されてなかったか?

505 :
>>504 中央線DC急行はキハ58系化されていた。富士急行乗入れは、キハ58の富士急保有車(後に有田鉄道に譲渡された両運車)だろ。

506 :
>>500
越美北線はダム建設でいちばん最後に完成した区間に5200mのトンネルぶち抜いたが、それでも
北陸トンネルの2/3の長さで5173mの北陸線の深坂トンネルと大して変わらない。

507 :
もしかして急行ちとせは?

508 :
トンネルで気動車禁止は青函だけ?
客車の発電エンジンは追加で防火対策したんだっけ?

509 :
>>504
>夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも
東京地下駅開業、外房線電化の頃だよ

510 :
>>503
常磐線では、昭和55年のダイヤ改正で九州から冷房付きのキハ58系が水戸機関区に転属して来るまで、キハ55系が急行運用に入る事があったよ。

511 :
>>509
房総半島一周が電化されたとはいえ、千葉以東の総武・成田・鹿島線方面の大半が非電化で、
「しおさい」「あやめ」新設前の千葉は、「気動車王国」と言われていた。

512 :
>>511
北総電化後も車両需給の関係で、昭和50年3月の山陽新幹線博多開業で、余剰となった153系電車が幕張電車区に転入するまでは、気動車急行が残っていた。

513 :
>>512
と言うより、その改正前の銚子・成田方面の急行は、気動車オンリーだったろう。

514 :
>>511
千葉以東の総武・成田・鹿島線方面なんて夏ダイヤほぼ関係ないじゃん

515 :
>>514
内房・外房線ほどでなくても、それなりの臨時列車の運転・増結はあっただろう。
当時の国鉄臨時列車は、今よりも半端なしに多く、派手だった。
また東京・両国〜千葉は、当然内房・外房線特急・急行も同じ線路を使ってたので、
そちらの夏ダイヤの影響で、銚子・鹿島方面の急行も影響受ける。

516 :
>>515
総武線が快速と切り離して錦糸町〜千葉が複々線化したのが全線電化の少し後だったから、今の緩行線に
両国からの特急だの急行を走らせる他なかった。今の新宿さざなみ わかしおが錦糸町から入ると同じコース。

517 :
>>515
だろうって言われても
実際どうだったか調べろよ

518 :
>>517
それは>>514に言うべきだろう!

519 :
>>518
いや貴方がきちんと調べないと
おかしなこと言ってるの一人だけだからね

520 :
米子〜出雲市まで

やくも6両で電車特急で、まつかぜ2両気動車特急なんだし。

各駅停車も電車4両、気動車2両の方が経済的なのに。

湖西線とかJR東海から117系貰えばいいのに。

521 :
>>520 普通列車で米子以東、出雲市以西の非電化区間に入る運用が相当数あるからなんでは?
117導入するんなら、伯備線に入っているだろ。

522 :
>>521
普通列車に出雲市から西だと江津や益田・米子(伯耆大山)から東だと松江や倉吉ら結構長距離列車も
あったような。
丹波路快速前に福知山線に117系を入れていたから、4両で嵯峨野線か伯備経由で米子や出雲市に
入れていた可能性もあり得たが。

523 :
>>520 伯備線北部から山陰線西出雲までは、ワンマン対応の2両編成115系改造車使っているわけだから、117をこの辺りに入れるとなれば、2両ワンマン化改造が必要だろう。
電化区間である米子・西出雲間の各停にしても、2両ワンマンのDC使っているわけだが、117を2両短編成化して入れる必要性は乏しかったということなんでは。
まあ、一方は原型のままで、もう一方は103系ATCのような切妻式前面にした117改造車というのも面白いかも。

524 :
キハ125系4連とかキハ120系の3連とか。

特急列車よりも各駅停車の方が運転動力費を食うなって。

525 :
>>524 鉄道とバスの対比も含めた乗客1人当たり運行コスト比較は、定員乗車を前提としたもの。
過疎地域でほぼ定員乗車の短編成DCと、同数の客を乗せながらより超大編成で乗車率が低い電車の1人当たり運行コストを比較した場合、前者が後者より高いとは限らない。
むしろ、前者の方が低くなることがある。だから、肥薩おれんじ鉄道は架線下DC化を選択した。

526 :
まあ、117系4連をそのまま山陰線米子・出雲市間に投入したってワンマン対応できないし、ワンマン2連に改造すると改造コストはかかる、非電化区間への直通ができないから柔軟な運用ができない、そもそも車体が老朽化している、という問題だらけだな。
運行コストだけでなく、閑散時は2両、ラッシュ時は4両で編成を柔軟に変化させられる、非電化区間に乗り入れられる、ということでDC投入がベターと判断したんだろう。

527 :
羽越線や田沢湖線を日常利用する場合に電化の恩恵は有ったのか謎だ
特にEF81+50系をキハ110で置き換えた前者は…

528 :
日本海とか白鳥とか電車化した方が良かったからじゃない?
新幹線みたいに在来線は直流なら全線直流、交流なら全線交流にすれば効率良かったのに。

東海道山陽EF58 EH10 EF65 EF66
九州ED76
北陸EF70
東北ED75
交直流EF81
効率悪いなって

529 :
交直両用が実用化されてなかったら
直・交の分化が徹底してただろうにね

530 :
なるほどね

531 :
東海道山陽 EF65 EF66
東北本線 EF58 EH10
日本海縦貫 EF60 EF61

という感じで

532 :
北陸本線が
敦賀から大阪方面は新快速電車、金沢から東京方面は北陸新幹線で
全線ICOCA対応になって乗客多くなって来たのよ。

余剰が有るなら気動車2両ワンマンでいいので本数増やしてよって思う

533 :
板の趣旨に相応しい投稿を心がけましょう

534 :
スッキリした当日に孫娘厨房ガキはふだんあらへんそんな場所にひとのちんちん見んなぁぁあああああああああああああああああああ
消え失せろぉぉっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

535 :
なぜかここまで誰も触れていないのだが
紀勢線西側の急行が最後までDCだったのは
非電化区間の紀勢線東側や関西線
当時非電化だった奈良線、和歌山線からの
急行との併結を考慮していたと思われ

536 :
5FLNN

537 :
実家が常磐線沿線で、鉄に目覚めた当初は常磐線こそ架線下DCの天国などと勝手に思い込んでた小学生の頃

538 :
>>537
行動範囲が狭いのだから当然!
だいたい誰でもそんなもんだってw

539 :
乗り慣れない臨時の架線下DCに指導運転士らしい人と二人で乗務しているのに、途中駅で交代の運転士が一人で乗ってくると「おお!カッケー!」とか思った。
北海道・東海・西日本・九州・北海道のJR、東北や新潟ではフツーに一人乗務だと思うんですが、関東の首都圏だとねぇ・・・。

540 :2020/05/05
>>539
あ〜、あと四国モナ〜

〔昭和〕ここだけ40年前のスレ・伍
【EF58】いなば号&紀伊号【DF50】
懐かしの併用軌道
懐かしの東北・山形・秋田・上越・長野新幹線
昔日の鉄道橋を懐かしむスレ
【0系】国鉄時代の東海道・山陽新幹線【ひかり】
ここだけ15年前のスレ
在来線ノンストップ最長区間は?
ぬるぽを2時間以内にガッ@懐かし鉄道板107輌目
銀座線と丸ノ内線の旧型車を語ろう
--------------------
芸能界の悪を晒す
WindowsXPを使い続けるよ Part98
アベノミクス継続に反対の人の方が多い(世論調査)
【魔法陣グルグル2】衛藤ヒロユキ総合 Lv49【舞勇伝キタキタ】
【バーチャルYoutuber】神楽めあアンチスレ#27
【失言】麻生財務相、セクハラ前次官処分に「セクハラは罪ではない」と発言
ワイドショー「若者がテレビを見ないから、テレビを通じた呼び掛けが効かずに感染が広まった」 ネット「むしろデマ垂れ流しのTV…
【国立】北海道大学会計大学院4【少数精鋭】
京都大学アメフト部ギャングバングスターズ
【魚拓推奨】斎藤さん婚活ブログ #文献32【タコ焼きをマフラーで包む。そんな彼女】
信長の野望 大志 part103
テイルズ オブ バッカニア
素人(個人活動限定)モデルについて語ろう 32人目【業者関連は一切不可】
【死刑確定】控訴取り下げの山田死刑囚「深い考えはなかった。まずいことになった」
羽生オタなら藤井の躍進は許せないよな
火炎放射器で消毒すべき汚物
リトルプーリップ3
あしべゆうほ【クリスタル★ドラゴン】part10
一人暮らしの喪女いる?137部屋目
【アイドル】「この時を待っていた!」元AKB48平田梨奈、B87W62H95Fカップ「アメリカンボディ」を大胆に開放
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼