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邪馬台国畿内説 Part350
☆アンチ長州をという生き物を考察する★
八幡和郎の日本史観を考証
邪馬台国畿内説 Part430
邪馬台国畿内説 Part545
天智・天武・壬申の乱などの雑談スレ
『北条義時』は何故、大河ドラマにして貰えないのか
今川氏真公とその時代
外来語でみる真の日本の歴史
邪馬台国畿内説 Part552
邪馬台の全解決
- 1 :2018/02/19 〜 最終レス :2020/04/19
- ジュンク堂で、買ったばかりで驚いている。これ本当?
教科書が書き換えられると宣伝しているが?
- 2 :
- 常套句
- 3 :
- 【トルーマン】 原爆 3S イスラエル承認 【Jap!】
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/army/1519013434/l50
- 4 :
- かなり前、季刊邪馬台で特集が組まれ、それも井上光貞とか榎一雄とか、すごい人がこの本を論じている。読んで、その内容に本当に驚いている。
- 5 :
- 私もこれが正解だと思っている
- 6 :
- かなり前の本の改訂版だよね
これから読む予定
- 7 :
- 伊都国とか言ってる奴は読んだ方がいいね
- 8 :
- 筆者孫栄健自身の改訂版なんですか?
古いのしか持ってない
- 9 :
- これね
https://www.amazon.co.jp/dp/4865651144/
- 10 :
- 伊都国王が卑弥呼の弟なんて前のは書いてなかったぞ根拠はあるのかな?
- 11 :
- 「ここが邪馬台国である」という文書でも石碑でも見つかったときこそが唯一の邪馬台国問題の全解決。
- 12 :
- だから魏志倭人伝と言う文書から特定するんだよ
- 13 :
- 後漢書も見ようよ
- 14 :
- 魏志倭人伝が邪馬台国のあった場所から見つかるはず、とでも?
- 15 :
- 当たり前じゃないか
- 16 :
- 日本書紀と言う捏造文書を考慮するから分からなくなる
中国史書だけでいい
- 17 :
- 中国史書に捏造が無いとでも?
- 18 :
- >>17
中国国内事情については捏造もあるだろうが、
こと、倭国については、捏造する必要性がないので捏造はない。
- 19 :
- 司馬懿の功績を大きくみせるため盛ってるよね
- 20 :
- >>9 の読者レビューを見ると、>>19 のとおりらしいな。著者は日本国内での邪馬台国所在地論争には直接関わらない姿勢なんだろうが、要するに「3世紀の日本にはそんな大きな国はなかった」と言いたいんだろ。つまり間接的に畿内説不利との判断だろうなw
- 21 :
- まあ、普通に考えて畿内にあったとされる邪馬台国が遠隔地の北九州の港を支配していたなんて、この時代のインフラを考えればほとんどあり得ないからなw
- 22 :
- 邪馬台国が畿内にあったとすれば、朝鮮へ向かう船は敦賀から出港するのが最も合理的。マキムク⇒琵琶湖⇒敦賀⇒マツラ国(唐津?)。敦賀も唐津も波静かな深い入江。これに対して大阪湾は河口に土砂が堆積する葦原で3世紀には大型船が使いづらかっただろう。
- 23 :
- しかし、敦賀が朝鮮への拠点港だったと仮定すると、邪馬台国はマキムクではなく敦賀にある方が遥かに合理的だろうなw マキムクは所詮内陸志向の農業国家の拠点であって、海洋国家の拠点にはふさわしくない。
- 24 :
- 日本書紀が捏造だという所には異論はないんだね
- 25 :
- 捏造という妄言には異論有り。
日本書紀の編纂時までに伝承が様々に変化しておって
それを舎人親王が首をかしげながらとにかく列挙したのだと
俺は思う。
- 26 :
- 捏造とは本当はない事をあるかのように偽って作り上げること。
歴史を古く書き換えるのは明らかに捏造だよ
- 27 :
- 捏造したのは持統と不比等だろ
- 28 :
- いや、不比等の単独犯
- 29 :
- 大王家の日本支配権の正当性は日本列島を作ったイザナギ、イザナミの子であるアマテラスからニニギに与えられたと言う事だから
アマテラス=卑弥呼が魏志倭人伝の記述どうり魏の臣下であれば日本支配権は中国皇帝に有ることになる
白村江敗戦の後だから中国皇帝が大王家以外の豪族を倭国王にすれば内乱になる。だから都合の悪い文書は全て処分してから日本書紀を作ったんだよ
- 30 :
- >白村江敗戦の後だから中国皇帝が大王家以外の豪族を倭国王にすれば内乱になる。
中国皇帝が決めたら内乱にならない。 だから都合の悪い文書を処分することもない。
- 31 :
- 皇帝を騙すために歴史を書き換え嘘の申告をしたんだよ。
それが日本書紀。
ただし、全くの捏造ではなく、様々な資料とすり合わせもしていて、虚実ごちゃ混ぜになっている。
- 32 :
- 【伊都国】
伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。
伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。
伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。
アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。
- 33 :
- 歴史の迷路にはまり込んで抜け出せなくなった人のカキコが多すぎるね。学習すればするほどバカになるという好例。
- 34 :
- 中国皇帝の日本支配権を否定し大王家の日本支配権を正当化するためにアマテラスと卑弥呼を分離し卑弥呼の方は消去して
アマテラスの方は春秋時代より古い伝説の時代まで下げて卑弥呼が朝貢し魏の臣下だったことを隠した
- 35 :
- http://www.youtube.com/watch?v=tiF8dw6ZKwE
http://www.youtube.com/watch?v=cOtpvfMRIZ0
- 36 :
- 日本が中華思想の支配権に入ってる事実は古代から一貫してるし
モンゴル帝国以降、古代史は関係ないし、中国が日本を支配できたことはない。
白村江海戦で百済王と半島渡来人を送還して
百済再興を旗印に唐船と戦った事実は
当時の歴史上の事実として戦後処理もしてるんだから
記紀が隠蔽したのは、
北朝に対し南朝と軍事同盟を結び半島利権を行使していた事実。
倭の五王だろ。
九州も半島同様に日本が軍事支配を及ぼした地域だけど
記紀は九州が間違いなく歴史的に日本固有の領土であることを主張している。
倭の五王は九州と半島をほぼ同時期に一気に平定したと言っている。
記紀とは完全に別の2600年紀元当時から九州が支配地だったことにする
250年の他国だった卑弥呼を偽装できないトンチキな歴史。
神功皇后のデタラメと倭の五王の隠蔽についてくる記紀の嘘は、
信仰として戦国武将には効果があったけど、有史の古代中国は騙せなかった。
いまだに、記紀で日本国民を騙せてると思ってるのは、
朝鮮の御用学者だけだwww
- 37 :
- 改訂版と以前のもの両方読んだ人は改訂の要旨を教えて下さい
- 38 :
- キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。
- 39 :
- 畿内説とは要するに発掘バカの主張。歴史の発展段階論に照らせば児戯に類するタワゴトが多すぎるわw 歴史の基本は、地形、地質、インフラ(交通=道路、
通信=言語、食料、水)であって、これらへの考察を書いた「唯祭祀説」はタワゴトなのであるwww
- 40 :
- >>39
× 考察を書いた 〇 考察を欠いた
- 41 :
- 倭人伝の深読みはもちろん大切だが、文献だけで歴史が解明できるわけではない。
- 42 :
- 何回か読み直したが、読むほど信じてしまう。頭くらくら。
里数は十分の1は説得力ありすぎ。
すると、ヤマト説も、今までの九州説もなりたたなくなる。
- 43 :
- なにせ陳壽さんは現地調査してないで書いてるからな
- 44 :
- >>42
この本はガチだよね
邪馬台国論争で飯を食ってる奴らの本とは違う
- 45 :
- >>37
「旧版邪馬台国の全解決」:倭人伝の地理記事が対象
「魏志倭人伝の一構想」 :倭国の社会風俗記事が対象
「決定版邪馬台国の全解決」:上記2書+政治交渉記事が対象
- 46 :
- 私もそう思う。やまとの国だ。
納得するしかない。
- 47 :
- 倭と書いてヤマトと読むと古事記の冒頭で宣言されている。
そして、中国の史書では倭とは九州北部のこと。
- 48 :
- >>47
後付けの訓読みは意味なし
- 49 :
- なんでも否定しないと気がすまない畿内説
- 50 :
- >>45
新版は買う価値はありますか?
- 51 :
- 解決してるのに?
価値は騙されてるその人の問題だよね。
何のために詐欺師学者が無意味に言い張ってると思ってんの?
魔除けの土器だって売れるし?
土偶民族の血 だなwww
- 52 :
- 孫栄健はまだ生きてたのか
- 53 :
- 短里とか長里とか言ってる連中がバカに見える
- 54 :
- お前も言ってるだろ
- 55 :
- 南が東とか一月が一日とか言ってる連中がアホに見えるだろ
- 56 :
- しかしTV東京でも幕末便乗番組
- 57 :
- 失礼。誤爆でもした。
- 58 :
- 邪馬台国は「県」みたいなもの、
伊都国以下は「市郡町村」みたいなもの。
でも「日本国」に当たる「倭国」ではあった。
なんかそんな感じ。
- 59 :
- んぁ?
- 60 :
- >>58
違うよ。 古代韓が韓国でないのと同様、倭国ってもんがまだ無い。
倭人伝の卑弥呼の邪馬台国は韓同様、帯方郡に吸収されようとしていたけれど
小国過ぎて結局相手にされなかった。
というか、邪馬台国では同盟国として無能すぎたので帯方郡は313年で滅びる。
日本は半島利権を拡大したが、九州は白村江で再び、半島同様に唐に吸収される可能性を持ったため
大和朝廷は九州が日本国開闢以来の固有の領土であることを記紀で主張した。
- 61 :
- >>60
倭国は九州北部の限定された国だが、後漢の頃から金印により倭王がさくほうされていたから、ちゃんと国として認識されていた。
- 62 :
- 魏志倭人伝では後漢の頃の博多湾沿岸の倭国から倭国女王卑弥呼の時代まで、連続的に描かれている。
当然、卑弥呼も博多湾沿岸にいた。
- 63 :
- 本当に高祖山に居たのかな?
- 64 :
- 平原遺跡が足元にあり、そこに八咫の鏡とともに倭国女王が葬られていたことは間違いない。
あとは、それが卑弥呼であったかどうかというだけ。
卑弥呼はヒムカ(日向)と読むという説もある。
日御子だとしても、伊都から見て東にそびえる高祖山は太陽信仰や神仙思想から見て合致する。
祝詞でも筑紫の日向が謳われている。
イザナギ、ニニギらの倭国王らの系譜にその後の倭国女王である卑弥呼が加わるのは、自然なこと。
- 65 :
- 記紀では、国名は日本か倭と記されている。
途中で注釈で、倭や日本をヤマト(ヤマイ?)と読む、と追加されている。
どの段階、どの時代で追加されたのかはわかっていない。
- 66 :
- 【鬼道と神道】
伊都国にあたる平原遺跡からは最大の銅鏡である八咫の鏡5枚を含む史上最多の40枚の銅鏡と、太刀と約2000個の玉、鉄器などが出土しており、三種の神器に相当する副葬品(鏡、剣、玉)が揃って出土している。
3世紀で最大の倭国の王位を象徴する八咫の鏡を用いた国家規模の祭祀に倭国の女王である卑弥呼が関わらなかったわけはない。
周囲には鳥居や御柱の跡も残っており、古代神道の形式が整っていたことがわかる。
これは3世紀においてすでに倭国には神道があったことを意味している。
ならば卑弥呼の用いた鬼道とは、中国人から見た神道そのものだったはず。
邪馬壹国は鬼道などの言葉の印象が強いため後進国のように思われがちだが、中国人から見た鬼道とは、神道の儀式を指していたと考えられる。
そして、その祭祀は畿内ではなく伊都で行われていた。
平原遺跡から出土した八咫の鏡の形式である内行花文鏡は、もともと紀元前から博多湾岸では多く出土し、漢の皇帝から王侯に冊封された証である威信材として用いられていたと考えられる。
内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。
漢の滅亡後に作られた平原遺跡では八咫の鏡を含めほとんどが国産の鏡となっており、漢から下賜された鏡よりも大きな内行花文鏡を完成させることで王権の象徴となったと考えられる。
後世においては、八咫の鏡を継承することが天皇位の証とされ、今日でも伊勢神宮と皇居で1枚ずつ祭られている。
- 67 :
- >内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。
蝙蝠紐座はそのまんま秘匿されていたからますます真実味が増しましたね!
- 68 :
- 【八咫鏡】
平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。
伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。
- 69 :
- >>61
後漢の時は奴国王を倭の奴国王という認識で印綬した。
邪馬臺国は 卑弥呼を倭王 として冊封してる。
この齟齬は、238年に楽浪帯方は占領直後で
郡太守が郡以東以南に土地勘が無かったことに由来する。
卑弥呼の朝貢を歓迎して、洛陽の皇帝に倭王として引き合わせたのも同じ理由。
着任早々の大手柄なのである。
梯儁が卑弥呼の国を見た時、当然間違いに気づいたが、郡の失敗は言えなかった。
倭人伝には明白に告白しているが、皇帝のメンツの為、陳寿も言を濁している。
梯儁が金印紫綬で九州上陸後2千里、
女王国南限の邪馬国南麓の砦、女王宮に来た時
女王国全体を この時見た、卑弥呼の砦の王宮にちなんで
邪馬臺国 と命名した。
梯儁による21国の和名の当て字に 邪馬国 が有れば、
邪馬臺国 を女王国7万戸の全体国名とする場合に
女王宮は 邪馬国 の 臺=王宮 であると推測すべきである。
邪馬 は和名を漢字の当て字で中国語音にした が 臺 は表意文字だ。
これが、梯儁による 邪馬臺国 命名の由来であって、
人口が7万戸の女王国を意味する。
この、臺=王宮 は 卑弥呼の死後、
狗奴国と戦争を継続せず内戦になった事、弔いで新女王が伊都に居たこと、
政帳は、さっさと 巳百支國王、伊聲耆掖邪拘等20人 に送らせて帰国した事、
この20人が、以前のように、お土産貰って帰って来た記載が無い事、から見て
247年に落城している可能性が高い。
- 70 :
- >>69
>この齟齬は、238年に楽浪帯方は占領直後で
>郡太守が郡以東以南に土地勘が無かったことに由来する。
土地勘がなかったからこそ、実際に倭国を訪れて見聞し、卑弥呼が国を治める様子を細かく報告している。
その報告記事に九州の話しか書かれていないのだから、倭国が九州の国であったことは明白である。
- 71 :
- >>69
>247年に落城している可能性が高い。
どこの誰がどの城を落城したのか。
大変わかりにくい。
前提が多くの九州説と異なっているのなら、もう少し詳しく説明するべきだ。
- 72 :
- 九州のしかも伊都三雲までのことしか書かれていないからな
奴国弥生銀座ですら書かれていない
つまり
梯儁も張政もそこまでしか来ていないのに
外交目的を果たして帰っていったってこと
九州説の勝利確定だな
- 73 :
- >>69
邪馬臺國は倭人伝の中で一か所しか出てこない
女王国とはべつの国と考えるべきであり、すなわちヤマト・邪馬台国と卑弥呼とは切り離して考えるべきである
そもそも女王は一人だけではないのだ
- 74 :
- >>73
邪馬臺國は倭人伝の中で一か所しか出てこない
これは女王国または倭国の別名だからだ。
- 75 :
- 日本人じゃないよ
日本人の祖が北部九州の弥生時代最強金印国家だったら
現代の領土問題に絡んで問題あるっしょ
弥生日本人なんて無鉄器キナイコシでちょうどいい
だからゴネまくり
- 76 :
- 九州説だと、漢の頃から倭国とは朝鮮半島南岸から九州北部までの国。
ところがこれでは困る人たちがいる。
畿内に多い半島系の人たちだ。
- 77 :
- ズバリ正解でしょう
- 78 :
- >>74
違う
女王國は不彌國(不弥国)の別名
不彌(不弥)とは現代語ではヒメに相当する単語であり、「女王」とはそれを意訳したものだ
不弥国とその次の投馬国とを続けて読むと地理的な矛盾が生じるが、それは異なる二つの行程記事を一つに繋ぎ合わせたからだ
不弥国こそが一つ目の行程の終点であり、これこそが卑弥呼の国である
そして二つ目の行程の最初の「南至投馬国」の起点は不弥国ではなく帯方郡だ
- 79 :
- >>71
>どこの誰がどの城を落城したのか
>前提が多くの九州説と異なっているのなら
だが、すまない。
倭人伝を読んだだけで、九州説もあまり詳しくはない。
普通、九州説の、狗奴国は 南隣の熊本辺りでは?
どの城を落城 かは、当然、女給1000人の 卑弥呼の城だが、
想定してるのは、新井白石に分があるとして、山門瀬高で古代山城としては南麓。
考古学も2ちゃん情報斜め読み程度で良く知らないが、
卑弥呼の城辺りは辺境で、遺跡、出土品はあまりないのかもしれない。
でも、熊本で、狗奴国に250年以前の邪馬台国系の輸入品が出るなら
150〜250年位には狗奴国独自には対馬航路に出ていないだろうから、
卑弥呼の敵国と言うからには、これは、この戦時の略奪品とみて良いかと思う。
倭人伝の邪馬台国を九州以外に読むのは無理。
畿内説は倭人伝を無視曲解しているかのようで、ご都合主義の我田引水。
記紀神話や、別の地域のである本州系遺跡の頓珍漢な方向に話が飛んでしまって、
主張が理解不能。
九州、東遷説はそれの倍くらい無理筋で、もはやアホかファンタジー。
- 80 :
- 鉄器ゼロ
奈良湖のほとりで君を待つ
- 81 :
- >>78
東南陸行五百里 到伊都國
有千餘戸 官日爾支 日泄謨觚柄渠觚
丗有王皆統屬女王國 郡使往來常所駐
東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
ここまでが、政帳による説明。
以降の日程による紀行は 梯儁によって、魏の軍船で上陸し
九州上陸後、一月行=2千里 の行軍の上、卑弥呼の砦を見て、印綬で謁見している。
政は 奴国王に 因齎詔書黄幢拝假難升米 為檄告喩之 の目的で来日
伊都で用件は終わったようだが、奴国は難(奴の)升米の国。
不彌國は奴国の北の海岸、港町であり、
大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還因詣臺 で、帰国船の出港地と推測する。
政帳は倭人船で調査に来たため帰国便が無い。
巳百支王の伊聲耆掖邪拘等二十人 は卑弥呼の弔い戦に 魏の援軍を連れてくる
とかの嘘で騙して連れて行ったように思えてならない。
彼らは洛陽で、卑弥呼を倭王と騙ったかどで、死刑になっていても不思議ではない。
だから、お土産貰って、援軍連れて、帰ってきてはいないw
これが、300年付近には大和朝廷に征伐平定される歴史の九州、
邪馬台国、九州説の本筋ではないのかな?
- 82 :
- 漢の時代より数百年、倭国の都はずっと博多湾沿岸だよ。
紀元前の吉武高木からはじまる。
- 83 :
- 300年くらい宮殿が続いてるからそうなんだろう
- 84 :
- 倭国の都は筑紫の伊都だよ。
魏志には帯方郡から12000里で女王国とされ、10000里で九州北岸に到着している(対馬海峡の幅が3000里とされている)。
福岡県を出ることはまずない。
狭い糸島水道と日向峠以外には進入路がない一方、クシフル山からは糸島平野も博多湾も一望できた。
伊都の東側にクシフル山があり、その日向峠に山城を築き、高千穂宮と呼ばれた。
邇邇芸が、ここは日の出も夕日も照って、朝鮮半島にもまっすぐ道が続く良いところだと評した。
防衛にも外交にも非常に有利だった。
奈良時代には怡土城、戦国時代には高祖城と呼ばれた。
伊都国の東にそびえる王宮は太陽信仰や神仙思想といった初期の神道の舞台でもあり、魏志には日本独自の神道が鬼道の呼称で記された。
魏志には、伊都には代々王がいて、女王が治めていると書かれている。
伊都より北には一大卒を置き検察し、南は狗奴国(熊本)、東には海を渡ってやはり倭人の住む倭地(本州)があるとされている。
伊都は王権の象徴である金印や八咫の鏡が継承されてきた倭国の都である。
倭国女王である卑弥呼は死後に伊都の平原遺跡に埋葬され、八咫の鏡を含む三種の神器が副葬され、鳥居が建てられた。
- 85 :
- >>81
で、張政記が奴国、不彌国で終る、もう一つの根拠。
官 副日 卑奴母離
官は魏が雇う現地外交官、案内人であろう。
帳政は倭人船で移動したため卑奴母離が同行している
奴国、不彌国まで同行させた。
南至投馬國 水行二十日 可五萬餘戸
以降は梯儁による記録であり、別のものとなる。
- 86 :
- 邇邇芸がそう伊都るんだが、何か文句あんのか?
日本人じゃない人は?
- 87 :
- >>85
その通り
投馬国邪馬台国それ以降の国々は卑弥呼たちの女王国とはなんも関係がない
- 88 :
- >>87
と、外国の人たちが(特定地域
申しておりまする
- 89 :
- キナイコシ
反日工作を看破されて
液晶画面にグーパン自滅 乙www
- 90 :
- 統失の人かな?
- 91 :
- つ六拾弐病
- 92 :
- マジ?
あの倉庫は半分が大雨で流されて破棄したんだけど
マジであれが宮殿って言ってんの?
21世紀キタコレw
倉庫が宮殿www
パねえwww
- 93 :
- こんなデマと妄想が
九州節のすべてです
- 94 :
- 伊都国にいた官の禰宜というのが、邇邇芸らの日向三代の末裔だな。
伊都国は倭国の王都である筑紫の日向にあるからね。
記紀と魏志倭人伝は矛盾しない。
- 95 :
- >>87
>その通り じゃあない。
投馬国邪馬台国それ以降の国々 が、
梯儁が来た時に漢字をあてた21国として 行程記結語の
・参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里・
で、参問した、女王統属すつ国々 訳30国になるため の地名なのである。
これは、福岡平野、久留米平野にある、21国と言うことになる。
倭人伝起文 前説の 今使譯所通三十國 從郡至倭 に
国数を合わせる必要が有った ということである。
同様に、九州説で 投馬国邪馬台国 が
梯儁による 張政とは別の行程であることによって
官を置いた、投馬国は その梯儁による行程の中に存在しなければならない。
これは、帯方郡から
南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國女王之所都 水行十日陸行一月 官有(以下4名) 可七萬餘戸
であり、
水行二十日は 半島西岸の循海岸水行歴韓国 乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
水行十日陸行一月は 対馬海峡島領と上陸後一月行=2千里の行軍である。
張政の倭人船は北岸狗邪韓國に立ち寄り、倭人によるその港名を聞いた。
梯儁は魏の軍船で航行したので、立ち寄った宿営で地名は聞く必要が無い。
投馬國は、中国で地勢の常識だった、半島南岸の倭人国であり五萬餘戸がある。
魏の東夷知識に半島南岸の 倭人国=投馬國 の情報が既知であるなら、
この行程を 南=東 に修正する馬鹿は居ないのであり、邪馬台国は九州にある。
(個人的に危惧有り *都万論はもう勘弁ですw)
- 96 :
- 既知だな
- 97 :
- >>94 >>86
>記紀と魏志倭人伝は矛盾しない。
卑弥呼(実在)=神功皇后(神話) なのである。
神功皇后記には難升米を洛陽に遣使した記録が有るんだが・・・
三国志を読んでしまった、記紀の作者は時系列を理解してないので嘘を書いてしまった。
当時はバレなかったが、後世の検証には耐えない。
陳寿が間違いなら死刑でOK、記紀の神話部門にしたくても実話は邪魔なんだよ。
難升米 は九州のローカル王卑弥呼側近で、さらに小国の奴国王である。
これについて
齎詔書黄幢拝假 難升米 為 檄 告喩之 であるが
大和朝廷に、魏の帯方郡と韓の反乱鎮圧で招請される魏の将軍なんて居た訳が無い
と思うのだが? まあ、小国過ぎて半島に出兵するほどの軍は無かったようだが。
新井白石や本居宣長は倭人伝邪馬台国が九州であることを読み切っていた。
しかし、記紀を全否定する事実を それ以上さらすことは出来なかった。
昭和の学者は、これと向き合い倭人伝と記紀の解釈を捻じ曲げる蛮行を選んだ。
半島併合〜敗戦で、以降、東亜古代史の真実は隠蔽されて当たり前だったのである。
半島の歴史家考古学界との議論研究が成立しないのは、嘘が基礎になっているからだろう。
日本の多くの歴史愛好家、ネット民は既に戦後レジュームを脱却している。
- 98 :
- >>1
スレ主さんスマソ。 ↑アラシを呼ぶかも・・・
他スレでいやんなって、倭人伝の読み方は自説に近いここに来ました。
アマゾンの書評しか見てませんが、
>なぜか⇒ 4「一大率」は最大の政治権力者であり「伊都国王」だったから。
>それは卑弥呼の弟だった。 5卑弥呼は弟に殺されていた!
で、とんでも? 読む気無くならないんでしょうか?
倭人伝の読み方で 最近教えてもらったのに
>>707
>周旋
この人は三國志での周旋を全例検討して、起点に戻る例がないのを確認してるってさ
http://zenyamaren.org/yamaren20-038.pdf
があります。 これも、結論が腰折れで、トンチキだったかと?
ちら裏お借りしました。 ありがとうございました。
- 99 :
- >>95
>(個人的に危惧有り *都万論はもう勘弁ですw)
勘弁じゃないよ。
なんで投馬が韓国なんだ。
- 100 :
- 対馬海峡は倭人が占有しているので、魏の船は通行できないよ。
- 101 :
- >>95
ヴァカ特有の長い割に内容のない話
いいか、卑弥呼=神功皇后のモデルの本拠地は宗像にあり
宗像が女王国であり、同時に不彌國(不弥国)だ
不弥はヒメ(媛)の音訳であり、女王が意訳で両者は同一のものだ
応神天皇の名をホムダワケというのは不弥国の血筋の王族だということだ
邪馬臺國(邪馬台国)が女王の都するところというのは
そもそも卑弥呼の存命中のことですらないか、卑弥呼とは別に女王と呼ばれる者がいたか、
さもなくば卑弥呼が記紀における神功皇后そのままに畿内から九州へ移動したかのいずれかによってそうなっている
- 102 :
- 神功皇后は九州から畿内へ行ったんです
よ
- 103 :
- >>102
なぜ中途半端に記紀や三国志を信じて都合の悪いところだけは信じないんだよ
ガチで洗脳されてるわ
- 104 :
- 景行天皇から神功皇后まで
九州でいろいろやってんだから、
記紀に畿内の記事と九州の記事があっても
別人の事績を合わせたものでしょうね。
- 105 :
- >>104
畿内が乱れると九州から新しい大王を迎え
九州が乱れると畿内から新しい大王を迎えた
ということだろう
- 106 :
- この本を読み返した。
俺は信用する。ここまで、しっかりした本を読んだ経験がない。アマゾンの書評でも、同意見のようだ。
ゾクゾクした。
- 107 :
- そうか?
邪馬台国という国名が九州にあることに固執してる時点で凡百のトンデモと変わらないとおもうんだけど?
- 108 :
- この本が正解だよ
邪馬台国論争で飯を食ってる奴らがずっと無視してきたのも無理はない
論争が終わってしまうからな
- 109 :
- この本で邪馬台論争は終わった。
間違いない。
読めばわかる。
- 110 :
- >>108
俺もそう思う。
- 111 :
- 露骨なステマスレだな
- 112 :
- 春秋云々はさすがに牽強付会だと思うが、12000里目が奴国であることを提示したのは素晴らしいな
陳寿は、郡から女王国まで12000余里と断言しているうえに、「船で行ってるのに、なんで里数なんだ?」と、読んだ晋の高官や後の歴史家は疑問に思うだろうしな
ただ、邪馬台国の性格付けや位置は誤りだろうな
奴国が女王国であることをわかりにくくする必要性が何故あったのかを考慮しないとな
- 113 :
- 筆法が存在するのは間違いない
この推理に孔子が筆法を考案したかどうかは影響がない
しかし孔子なら出来そうだが
- 114 :
- どれが筆法による文なのか、その解釈が妥当なのか、すべて恣意
後代の歴史家の解釈が妥当かどうかの判断も恣意的
- 115 :
- 陳寿は慎重な性格で、里程だけでは心配で(郡使の報告が短里であることをうすうす気がついていた?)、日程も併記したんだよ。
倭国も、女王国とか邪馬台国とか言い直している。
- 116 :
- 帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)
(渡海千里) ※8000
対馬
馬(方可四百余里) ※8800余
(渡海千里) ※9800余
壱岐
岐(方可三百里) ※10400余
(渡海千里) ※11400余
末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)
- 117 :
- >>115
そうだぞ
女王国とは不弥国のことであって邪馬台国ではないぞ
- 118 :
- 結局この本では解決しないし
教科書も書き変わらない
ってことですね
- 119 :
- >>9
そこの帯だけ見て想像で言うが
結局『行程記事の暗号解読ごっこ』に新しいアイデアぶっこんで
センセーショナルに書き上げたって
過去何度も繰り返されてきたパターンだろ?
まあそのうち忘れ去られて終わりだろうな
過去に無数に出た本と同じく・・・
- 120 :
- https://i.imgur.com/VGENTrX.png
沙里院(帯方郡治)から宗像(不弥国=女王国)まで1200km強
一里0.1kmとすれば即ち万二千余里
さんざん言われてることだが女王国は九州北部、奴国=博多の近辺に所在していなければ全く地理的状況が合わないのだ
(同時に邪馬台国とは別の国と考えなければ投馬国や帯方郡との位置関係が合わなくなることにも注意)
- 121 :
- 海と陸を飛び越える超人魏使w
- 122 :
- わからん、
Amazonの書評で。かったがた里数問題は、これは完全に正しい。
あとは、読みながら勉強、
しかし、
- 123 :
- はぁ〜♪
鉄もねえ、絹もねえ、銅矛鉄矛なんにもねぇ
鉄器とは何者だ? たまに出るのは桃の種
銅鐸はあるけれど、書かれた歴史書見たこたねぇ
楼閣ねぇ、田んぼもねぇ、万戸どころか住居がねぇ
オラこんな村いやだぁ〜、オラこんな村いやだぁ〜
九州へ出るだ〜
九州へ出たなら入墨ば入れて、邪馬台国の人になるだぁ〜
はっ♪
- 124 :
- この本を今日、読了。説得力あるわ。邪馬台国は福岡県だね。
中国は白髪三千丈、南京大虐殺30万人の誇大表現をよくやるところだから、距離も
大きく盛っていたという著者の意見には納得。
- 125 :
- 露骨なステマやんけwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 126 :
- 後漢初期に中国人は現地にいれば緯度をほぼ正確に測る技術を発見
これ以降中国人の地図の正確性は大幅に増していく
経度の計測は難しいから不完全ではあるけど
三国志魏志の倭国の論述での「邪馬台国」の位置は福建省の真東
琉球説を採らない以上デタラメだ
つまり魏王朝〜三国志が執筆された時期までの50年間
中国人は一度たりとも「邪馬台国」現地には到達していない
行程が何日と書かれていようと距離が何里と書かれていようと
緯度がデタラメな以上なんの意味もないんだよ
三国志を陳寿に執筆させた晋王朝皇帝は司馬仲達の孫
司馬仲達の最大の功績は公孫淵を滅ぼし遼東半島およびその影響下にあった
朝鮮半島の小国群や倭人国家群を魏の手中に収めたこと
西の大月氏国が女王国であったという前漢時代の有名な逸話をぱくって
呉を文字通り挟撃できる位置にある東夷の巨大国家群を手にしたという
司馬仲達の大シバイに当時の魏呉蜀王朝後続の晋王朝そして現在の我々の大多数も欺されている
死せる仲達現在に生ける我々を誑かす
- 127 :
- >>126
>つまり魏王朝〜三国志が執筆された時期までの50年間
>中国人は一度たりとも「邪馬台国」現地には到達していない
畿内説が発狂したw
>行程が何日と書かれていようと距離が何里と書かれていようと
>緯度がデタラメな以上なんの意味もないんだよ
畿内はそれ以上に何もないじゃないか。
- 128 :
- わからん、
Amazonの書評で。かったがた里数問題は、これは完全に正しい。
あとは、読みながら勉強、
しかし、
- 129 :
- 古田武彦の「邪馬台国はなかった」以来の衝撃だな。
- 130 :
- それは悪評
- 131 :
- 里数解釈は、ただしいと私も思う。でも、論理的で説得力がある。こっちの知識がないから完全に理解できていないが、正解だと感じる。
- 132 :
- この本の初版は1982年だからね
そのあともずっと無駄な論争を続けて来た訳だ
結論を出さないのが目的だとしか思えない
- 133 :
- >>126-127
この程度のレスが読めないほど痴呆が進んだ年寄りが>>1の本を通読できるはずがないだろw
おれは「邪馬台国」は司馬仲達の創作物・架空の代物だと言ってるんだよ
倭人の小国家の人間が当時魏王朝を訪問した
当時中華帝国の辺境貿易路が存在したのは九州北部まで
これらの史実と「邪馬台国」やら「卑弥呼」やらが実在したかどうかは何の関係もない
- 134 :
- >>133
存在しなかったら書かないだろ。
イミフ
- 135 :
- 架空の国からの貢物を運んで架空の国に金印を送ったの?
- 136 :
- 使者が邪馬台国には実際に行ってないかもしれないというのは理解できる
不弥国からは日数表記だから倭人からの伝聞かもしれないからな
でもそれで邪馬台国や卑弥呼が存在しないというのは飛躍しすぎ
- 137 :
- 伊都国に滞在したと書いてあるぞ。
卑弥呼はその近くに居たんだよ。
- 138 :
- >>133
邪馬台国は女王国ではない
が唯一の正解だ
- 139 :
- では女王国はどこだった?
- 140 :
- 福建省の真東に位置し呉の背後を襲える東夷の大国家群の中心国家を服属させる
三国志正史の主題である晋の高祖司馬仲達の功績顕揚がこれほど露骨に現れた箇所はない
だが福建省の真東にそのような地はなく
魏王朝の使者が「邪馬台国」現地へ行って云々の記述はすべて真っ赤な嘘
- 141 :
- そりゃ無理があるよ。
- 142 :
- 当時の日本列島において「邪馬台国」なる国が実在し列島の平安が保たれていたなら
魏王朝の使者が「邪馬台国」現地に実際に行かないはずがないんだよ
- 143 :
- >>139
不弥国だぞ
里数の表記がここで終わってるということはここが女王国だという証拠だ
- 144 :
- うむ。
位置的には不弥国は香椎宮だ。
後の神功皇后からみの土地だが、それだけに実は卑弥呼が関与しているのかもしれない。
- 145 :
- >>126
>三国志魏志の倭国の論述での「邪馬台国」の位置は福建省の真東
邪馬台国は呉を牽制する位置にあり、その東の海上から魏の指示により呉を攻撃できる態勢を備えていた、ということかw これだと、邪馬台国は「海洋軍事国家」でなければならず、畿内説は論外だね。
- 146 :
- 邪馬台国は、九州説では海洋交易国家だが、畿内説では内陸農業国家のイメージ。
- 147 :
- やっぱり畿内説って、地頭(じあたま)の悪いヤツが嵌まる説何だね www
- 148 :
- >>139
この本では、帯方郡なら、万二千里、実数値千二百里の奴国。博多平野だね。
- 149 :
- 安本美典も福岡県説だが、根拠が明確ではない。
この本は、説明している。
- 150 :
- 安本はベイズ法推定だな。
- 151 :
- >>1
馬鹿馬鹿しい池沼本だよ
三国志魏志の「邪馬台国」へ至る行程は
「邪馬台国」が呉を挟撃するに絶好の位置である福建省の真東に位置するという
実際に中華帝国の使者が行っていれば揺るがしようのない位置比定から
逆算してこさえられたもの
その位置比定がデタラメな以上まったく何の意味もない
- 152 :
- 原田大六説を思い出した。同じ結論だな。
- 153 :
- 平原遺跡は、殉葬者のある女性の墓であり、三種神器があり、ヤタノ鏡と同サイズの大型鏡が五つ出たという、あれ。
- 154 :
- 大局観から歴史を考える。まず、「日本書紀」「古事記」という文字記録の成立がなぜ7世紀と遅かったのか。これはアフリカ諸国を考えるとわかりやすい。かつてアフリカが白人の草刈り場になったのは、狭い範囲しか支配できなかった部族国家しかなかったからだ。
- 155 :
- >>154
(続き)このため、植民地から解放されて独立後も、植民地時代の宗主国(イギリスやフランスなど)の言語がそのまま公用語として使われた。なぜか、各部族が争った結果、どの部族の言語を公用語にするかで揉めたからだ。
- 156 :
- >>154 >>155
(続き)この状況が、実は「日本書紀」「古事記」成立前の日本の状況と相似形と考えられる。中国から伝来した漢字は表音文字でなく表意文字なので、古代日本の各部族の言語を漢字を使って表記する仕方が部族ごとにバラバラだっため、共通語にならない。
- 157 :
- >>157
(続き)言語の統一というのは、極めて政治的なものだ。強い国が弱い国に自分の言語を押しつける。ドーデーの「最後の授業」はそれを理解させる名作だ。
「古事記」「日本書記」の成立は即ち公用語の成立を意味する。
- 158 :
- >>158
(続き)このことは、逆に言えば、「古事記」「日本書紀」が成立する少なくともその半世紀以前には「広域統一国家は日本にはなかった」ことを意味する。だから「3世紀に畿内から九州に至る広域統一国家があった」とする畿内説は「途方もないナンセンス」なのである。
- 159 :
- 全く基本ができていない畿内説はなぜこのような愚かな考えに陥るのか。それは、彼らが「日本スゴイ、スゴイ病」患者だからであるw 「日本はスゴイ。古代からスゴかった」と思い込みたいからである www
- 160 :
- 邪馬台国は九州にすらなかった、という意見もある。仮にそうだとしても、邪馬台国が畿内にあったという可能性は九州の10分の1程度のものでしかないだろう。畿内説を唱えることは余りにも恥ずかしいことなのである www
- 161 :
- ひたすら地面しか見ない。まさに葦(ヨシ)の髄から天井を覗いているのが考古学者の中に数多くいる愚か者たちだ w
- 162 :
- 原田大六は卑弥呼の墓だなんて言ってないよ
- 163 :
- >>162
言ってる、
高祖山が高天原だとも言っている。
- 164 :
- 原田大六
実在した神話
- 165 :
- 原田はアマテラス説だろ
- 166 :
- 原田大六もアマテラス=卑弥呼だと言う事が認められない人だろ
- 167 :
- アマテラスだと思うから高祖山が高天原になってしまうんだろ。
平原遺跡が卑弥呼の墓だから。
でも実は、高祖山は高天原ではなく、高千穂の方なんだよ。
- 168 :
- 結局結論ありきで都合のいい解釈して誘導してるだけやんww
なにが教科書が書き換えられるだよ下らねえ
- 169 :
- でも平原遺跡の被葬者が誰なのか、教科書には書けないんでしょ?
名無しの権兵衛さんだったわけはないのにさ。
- 170 :
- 日本史学会の無能ども。
捏造史観の盲信者。
- 171 :
- 『名無しの権兵衛』
という話(逸話、伝説)が作られるくらい有名人だということ
もれ(仮)の親戚にもいたよ、
源兵衛だったかな?むかーし、どこかの城に通っていたとか
名前などを調べても出てこない
- 172 :
- わかりやすく言うと
「菅野力夫」
むかーしの事は、わからないけど、
このような名前の家、明治になる前?
その頃の生まれ
- 173 :
- 日本は神の国などと言う人たちの神と言うのは天照大神だからね
- 174 :
- 神話ってのは世界中たいていどこでもドラクエ型の構成になってるんだよ
最初期のコアのストーリーがあって続編が生まれさらにその後で最初期のお話の「前の時代」に
お話が継ぎ足しされる
つまり天照は神話の中ではもっとも後に生まれた神
- 175 :
- アマテラスは持統だからな
- 176 :
- アマテラスだけを持ち上げるのは、明治以降の作られた伝統だよ。
相撲の女人禁制と同じ。
本当はその御祖であるイザナギとかの方が大事。
住吉神社は筑紫の日向においてイザナギが禊を行なったことに由来する神社で、これが大阪など関西地方でも権勢を誇っているのは、筑紫の勢力が畿内も征圧したことを示している。
- 177 :
- あと、日本で一番多いのは八幡神社だが、これは九州生まれの九州育ちの倭王である応神天皇を祭っていて、これが天皇家の直接の祖先だからね。
九州勢力が全国を制覇したんだよ。
- 178 :
- それとも家だったのかな?源兵衛
なぜか、むかーし、二本松の辺りに何やらで、
いま川崎に住んでいるんじゃないの?と言ってる人がいたり
- 179 :
- 伊勢神宮はいつできたか、神社の格をみれば、だれが頂点か分かるだう
- 180 :
- 伊勢の鏡は宮中から追い出されて放浪の末に伊勢にたどり着いたんだよ。
- 181 :
- 伊勢?
行ったけど、誰もいなかった
と言ってる人がいたよ
数年前の、とあるスレ参照
- 182 :
- 何か凄い神官のような人物とか、
神タマみたいな人物や存在がいると思っていたのかな
- 183 :
- 『伊達郡 神官 菅野』
むかーし、この辺りに住んでいたと言っているし
- 184 :
- ・宮司 神主 神官
どのように違うのですか?
という質問があったりしない?
ネットで調べると出てくる
- 185 :
- それにしても、老婆は詳しかった
自分の家(嫁の家だったかな)で、
お菓子も作っていて
米を粉にして・・・供えるもの、落雁のようなものだよとか
- 186 :
- wikiを読んでみると
米の粉(糒)〜焙炉〜養蚕
と繋がる
- 187 :
- 小手神社、菅野という家でしょ?
『小手神社 菅野』
- 188 :
- 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺
https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/Q5Ifb-UXVic
- 189 :
- >>181-187
さっさとRや基地外
- 190 :
- 邪馬台国論争も収束しつつあるから
新刊が出るのはいいタイミングだね
- 191 :
- 200回近く掘って鉄器ゼロ
青銅器は銅鐸片1個だけだからなあ。
大物主の怒りっしょ。
- 192 :
- 大物主の倉庫はやっぱり三輪山の麓にあったんだね
- 193 :
- 明らかに足りないテメーらのオツムで愚にもつかないごたくをこねくり回してないで
遺跡発掘の講習でも受けてこいよ
- 194 :
- 鉄器ゼロ→鉄器が溶ける土壌
遺跡発掘している人たちもやってられませんわw
- 195 :
- 畿内のリサイクルシステムを舐めんなよ
- 196 :
- >>193
農民が畑で見つけたらしい、しかも骨董市で売られていた銅鏡は
遺跡発掘の講習でどう扱うように教わるのでそうか?
- 197 :
- 釘の一本も残さずリサイクルなんて、大平洋戦争にならぶ負け戦で纒向は蹂躙されたのだろうな。
攻めてきたのは筑紫の磐余彦将軍かな。
- 198 :
- この板痴呆老人共に完全に乗っ取られたよなあ
- 199 :
- 鉄器ゼロで銅鏡も無いから
自らの姿を見ることすらできずに
状況なんて理解できないんじゃないの?
毛人=ムダ毛処理ができずに毛がぼうぼうの野蛮人
- 200 :
- 毛人=蝦夷=えみし
日本書紀の神武東征における歌に、
『えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず』
毛人は、一人で百人力の強兵と、人は言うけど、戦いもせず降伏した。
とある。
つまり鉄器国家北部九州から東征した神武に、
鉄器を持たない毛人は簡単に敗北した、というとても分かりやすい記録だ。
その後の478年に、宋書の倭国伝に倭王武の上表文として、
『東征毛人五十五國』
鉄器を持たないムダ毛ぼうぼうの毛人は、
鉄器国家北部九州からみて東方に55集落あったのが、
全部5世紀以前に征服されたということだな。
- 201 :
- 『西服衆夷六十六国』
の被征服者土蜘蛛熊襲が発狂してら
やっぱり畿内がナンバーワン!
天皇陛下は京都に帰って、どうぞ
- 202 :
- 福岡県春日市にある奴国の丘資料館に行って、解説を聞けば分かるが、この地で、紀元前2世紀の青銅器が発掘された。
現在までのところでは、日本製の青銅器は奴国製が一番古いとされている。
奴国の王族の墓が出土している。
西暦100年頃までは、奴国は日本の工業国で、九州と大陸間の鉄の道を掌握していた。
それで、後漢の光武帝から金印を授かった。
しかし、西暦100年頃、天皇(天神)家の一族の伊都国が台頭し、奴国は落ちぶれていく。
その後は、春日市から王族の墓が出土しなくなっている。
つまり、奴国の一部が、倭国であるという説は間違いだ。
又、卑弥呼である必要条件は、天皇(天神)の皇女、あるいは、皇女に匹敵する位の地位の皇族でなければならない。
何故ならば、中国や朝鮮同様、日本でも血脈(家柄)を重んられていた。
高貴な身分でなければ、いくら祭祀の才能があっても、国のトップになれることは無い。
ましてや、狗奴国からの攻撃に苛まれている弱い卑弥呼に、民衆がついてくるわけがないし、
有力豪族の女酋長に、魏国が金印を渡すわけがない。良くて、銅印がいいところだ。
文献だけでなく、現場検証をすれば、色々なことが分かってくる。
例えば、福岡市、春日市、吉野ケ里の遺跡の墓は甕棺様式である。
甕棺は春秋戦国の斉(山東省)の墓だ。
斉といえば、秦の始皇帝に仕え、不老不死の薬を探し求めた徐福の故郷だ。
そして、2000人の若者を引き連れてたびに出た徐福伝説が残る佐賀県の金立山は吉野ケ里から8Kmの距離だ。
邪馬台国が台頭すると、横穴式古墳等が甕棺古墳に置き換わっていく。九州の東部は横穴式古墳が多い。
尚、熊本県には蒸気機関車が走っているが、そのターミナルの人吉駅の隣に横穴式古墳がある。
市役所の方が、「人吉近辺の墓形式が天皇の力が及ぶ南限だ」と説明されていた。
球磨川よりも南が、狗奴国の領域だったのかもしれない。
文献だけでなく、現地調査、墓様式、頭蓋骨、ミトコンドリア、DNA分析結果を参照にすれば、色々なことが見えてくる。
現地調査をされた上で、もう一度、自説を見直して頂ければと、祈念致します。
- 203 :
- あほ、要点を言え なにが言いたいんだ?
- 204 :
- 読んだ。
もうこれでいいんじゃないかな。
- 205 :
- >>202
>西暦100年頃までは、奴国は日本の工業国で、九州と大陸間の鉄の道を掌握していた。
>それで、後漢の光武帝から金印を授かった。
>しかし、西暦100年頃、天皇(天神)家の一族の伊都国が台頭し、奴国は落ちぶれていく。
>つまり、奴国の一部が、倭国であるという説は間違いだ。
倭国の都が奴国から伊都国に遷都したのでは?
あと、墳墓の年代は多少なりとも誤差があるので、実は倭奴国は奴国ではなく伊都国かもしれない。
うまくすり替え、言い換えをしていた可能性がある。
伊都の細石神社が金印を保管していたという話もあるし、光武帝のときにはすでに伊都に遷都していたのでは?
- 206 :
- 【伊都国】
魏志において王がいて魏の郡使が駐在すると書かれた伊都国は、人口が1000戸と少ない。
卑弥呼の王宮の下女は1000人とあり、伊都には王族の他に王宮を運営する舎人と采女、その家族がいたことになる。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都は明確に分離されていた。
伊都国には平原遺跡という3世紀頃の女王墓があり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、特に史上最大の銅鏡であるいわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、強大な権力があったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
伊都国の卑弥呼の宮はどのようなものだったか。
糸島市には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクジフル山の山頂を囲む怡土城および高祖城があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。
ニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓である。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、平原遺跡からは八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。
http://maps.gsi.go.jp/#13/33.541752/130.280342/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
高祖山連峰の
第二峰 416ピーク 高祖山
第一峰 419ピーク くしふる岳
伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。
- 207 :
- 読み終わった感想は
日本書紀も この 春秋の筆法で書かれていそうな気がする。古事記はその焼き直し。
- 208 :
- 行程論
帯方郡
狗邪韓国 7000余里
対馬国 1000余里 + 400x2
一大国 1000余里 + 300x2
末盧国 1000余里
伊都国 500里
奴国 100里 = 女王国 = 邪馬臺国の都 = 倭国の極南
合計 12000里
戸数道里 略載できなかった30ヶ国連合=邪馬臺国
帯方郡
邪馬臺国 水行10日陸行1月
狗奴国
投馬国 水行20日
- 209 :
- 周旋5000里
狗邪韓国
対馬国 1000余里 + 400x2
一大国 1000余里 + 300x2
末盧国 1000余里 ※上陸しない
不弥国 500里※推定
伊都国 100里※推定
合計 5000余里
戸数道里 略載できなかった30ヶ国連合=邪馬臺国
- 210 :
- 万二千里が「極南」の国。
奴国が「倭国の極南界」、理屈は完全に合うし、後漢書の謎が解ける。
「西北界」も。
- 211 :
- 高祖山は、あとで城が作られたから、発掘してもなにも出ないだろう。
- 212 :
- 倭国は対馬海峡にあった国。
都は南端の博多湾沿岸の倭奴国。
- 213 :
- この本に対するまともで論理的な反論は見たことがない
この本が正解だよ
- 214 :
- 亜細亜大学
- 215 :
- 要するに、3世紀の先進的な遺跡は、博多湾岸に集中しているということだ。つまり、そこが中心地である。
- 216 :
- >>81
張政は魏の役人なんだから短里なんて使わない
里程の記述は公孫氏時代の記録が基になってる
日程の記述が魏使によるもの。
- 217 :
- 魏志倭人伝を気にせずに、3世紀前半で、半島や大陸と交渉があった当時の中心は、となれば、博多湾しかない。
当時のインフラで、奈良が北九州をも支配するなど、あり得ない。
それは、鉄器が十分に普及して、道路も海運も発達してから可能なこと。
- 218 :
- 当時の畿内人は北九州人より10cmもチビばかり
- 219 :
- >>217
>それは、鉄器が十分に普及して、道路も海運も発達してから可能なこと。
倭国(阿波)では中国と通交していた事実。 @阿波
- 220 :
- >>217
それは素人の印象論でしょ
- 221 :
- 682日本@名無史さん2018/04/15(日) 06:16:33.78
テンプレを読みに行くことすら拒否する駄々っ子のために貼ってあげるよ
倭国内の弥生時代後期〜末期に鉄器がないと想定する方がおかしい
鉄器が「発掘されない理由」を考える方が、重要
Q:鉄器の乏しい畿内の政権が覇権を握るのは無理だ!
A:倭人伝の描かれた卑弥呼の政権は覇権的でない。
宗教的権威者を核に、各地の首長が自主的姿勢で政治力を求心的に集約(共立)したものであり、考古学が解明した3世紀の状況とよく整合する。
一方、伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると、九州と畿内でも極端な格差が無い。準構造船(久宝寺南:庄内新)をはじめとする木製品の加工痕からみても、一定量の鉄器が普及していたと思われる。
遺存例には大竹西遺跡の鉄剣(弥生後期初頭)や唐古鍵40次調査の板状鉄斧、痕跡では加美遺跡Y1号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵SD-C107鉄斧柄、纒向遺跡メクリ地区の大型鉄器を研磨したと推定されている大量の砥石(3世紀前半〜中頃)など。
鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)、淀川・桂川圏で中臣遺跡(京都山科,弥生後〜古墳初)、西京極遺跡(京都市内,弥生後前)、和泉式部町遺跡(右京区,弥生後〜古墳初)、
南条遺跡(向日市,弥生後前)、小曽部芝谷遺跡(高槻,弥生後)、美濃山廃寺下層遺跡(八幡,弥生後後)、星ヶ丘遺跡(枚方,弥生後後)、鷹塚山遺跡(枚方,弥生後後)、木津川圏で田辺天神山遺跡(京田辺,弥生後〜古墳初)など。
纒向での鉄利用状況については、大型建物D隣の大型祭祀土壙SK-3001より出土したヒノキ材(庄内3)の分析で、その加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から
「集落を包括した工人専業集団の発達がなされ、鉄器が一般使用または使用できる集落」(金原 2011)
と結論されている。
弥生終末期(庄内新相)の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると、畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い。
- 222 :
- 683日本@名無史さん2018/04/15(日) 08:07:34.78
>>682
あのー
それだからダメだって言ってるんだが。
纒向の話をしているのに、
京都大阪までかき集めてどうすんの?
しかも京都大阪までかき集めてたったのそれだけ?
邪馬台国じゃないなあ、と思わないの?
北部九州の人がわずかに持ち込んだ鉄器を大事に大事に使ってたんだなあ、と思わないの?
【鉄器】
唐古鍵 板状鉄斧
大竹西遺跡 鉄剣(大阪府八尾市)
<こ れ だ け>
【痕跡】
唐古鍵 鉄斧「柄」
加美遺跡Y1号周溝墓 「伐採痕」(大阪市)
久宝寺南遺跡 準構造船の加工痕(大阪府八尾市)
纒向遺跡 大量の砥石 大型鉄器を研磨したと「推定」
明らかじゃん。
ごくごくわずかな鉄器とその痕跡のうち、
3点が大阪で、八尾市に準構造船を伴っている。
北部九州倭人が鉄器を持って準構造船でやってきたわけだ。
- 223 :
- >>222
>北部九州倭人が鉄器を持って準構造船でやってきたわけだ。
あのー
わざわざ、遠方の北部九州からご足労頂かなくとも、ちょいと「東渡海千餘里」で行ける倭国(阿波)に任せなさい。 @阿波
- 224 :
- >>217
逆だよ、
神武東遷なよだよ。奈良ならじゃない。九州からだ。、
- 225 :
- >>224
日本語知らんのか?
- 226 :
- あのー、
日本書紀や古事記によれば、九州から神武東遷なんですけど。
- 227 :
- >>225
馬鹿者、
アイファンでうつのは、難しいのだ。ばかたれ。、
- 228 :
- 無能
- 229 :
- あほんだら 上達してから来い ぼんくらめ
- 230 :
- http://www.youtube.com/watch?v=C5a5ZomA4CY
- 231 :
- >>226
神武は筑紫の日向のクジフル山の高千穂宮を出発しました。
邇邇芸が降臨して即位したのと同じ宮です。
韓国に真っ直ぐ道が続いていると言われた宮です。
博多湾に面した筑紫のクジフル山(高祖山)の高祖宮のことでしょう。
- 232 :
- >>231
>神武は筑紫の日向のクジフル山の高千穂宮を出発しました。
あのー
わざわざ、遠方の北部九州くんだりから神武天皇に御足労頂かなくとも、ちょいと「東渡海千餘里」で行ける倭国(阿波)に任せなさい。
鉄器でも朱でも古墳造営でも、すぐ間に合わせますから @阿波
- 233 :
- >>231
鉄器ルートの総元締めの位置ですし、
王墓がありますし、
考古学的にも確立が高いですな。
- 234 :
- 高祖山の東西には須玖岡本遺跡、三雲南小路遺跡、平原遺跡など、倭王の王墓が数多くあり、倭の都と考えられます。
魏志倭人伝においては魏の使いが滞在する外交の舞台であり、記紀においては葦原の中つ国を治めるための宮です。
- 235 :
- スレ荒らし工作員の阿波はここに来ないでくれ
- 236 :
- けっきょく痴呆老人共の巣になっちゃうんだよな
板全体がそうだからどうしようもないw
- 237 :
- >>234
筑紫は「其山有丹」に該当しないから、即刻退場!! @阿波
- 238 :
- 筑紫は「丹」の匂いがしないし、大和は「海」の匂いがしない。 @阿波
- 239 :
- >>236
痴呆老人パワーは凄いぞ
体力あって脳力ないからな
- 240 :
- >>234
舶載鏡の年代だけで並べると、
三雲南小路遺跡<平原遺跡<須玖岡本遺跡になってしまう
贅沢な悩み
- 241 :
- >>240
魏志倭人伝の里数、日数記事を一切読まず、他の記事だけで倭国とか中心地を推定したら、
北九州しかない。
イトとハカタ。
- 242 :
- 邪馬台国論争、いよいよ詰みなんじゃないか?
卑弥呼の治世において倭国の王権の所在地は伊都でした。
天照伝説のモデルとなったのは、八咫の鏡を複数枚所有していた平原遺跡に眠る女王卑弥呼でした。
終わり
- 243 :
- 卑弥呼と邪馬台国は無関係
これで万事解決!
- 244 :
- 卑弥呼の都は伊都国でしたで全解ですね♡
- 245 :
- 卑弥呼の都は邪馬台国の久留米で全解ですね♥
- 246 :
- >>245=ガイジ
- 247 :
- 邪馬台国は出雲だ。
理由、
やまたのオロチがいるから、
蕎麦も美味いし。
- 248 :
- >>247
阿波よりは、可能性がある。
讃岐はウドンだが、阿波はなぜラーメンなんだ?
蕎麦が一番。
- 249 :
- >>248
弥生の大洪水で稲作が出来なくなった時、蕎麦や小麦を含め、雑穀栽培法を全国に広め
危機を救ったのが忌部一族。 ご先祖様に感謝の気持ちを忘れぬように。 @阿波
- 250 :
- 東京には金ちゃんヌードルがなくて、困ってるよ。
金ちゃんヌードル>>>>>>>カップヌードル>>>>>>>>ホットヌードル
- 251 :
- >>249
行ったら、ラーメン屋ばかりだったぞ、
- 252 :
- >>250
それこそ、東京が邪馬台国ではなかった決定的な証拠だ。
- 253 :
- ヤマト王権の時代は東京より千葉の方が強かった。
知らないのかよ。
- 254 :
- 千葉=安房=阿波 これ常識 @阿波
- 255 :
- 千葉県は前方後円墳が最多。
ここが邪馬台国の中枢に違いない。
- 256 :
- >>255
>千葉県は前方後円墳が最多。
それだけ、忌部一族(海人族)の力が強大だったってこと。 @阿波
- 257 :
- >>255
けんまくんは和製スフィンクスだった?
- 258 :
- 卑弥呼は蕎麦好きだった。
だから、出雲か長野だ。それ以外は、嘘だ。
- 259 :
- >>253
あの、その頃は東京は、まだ海の底。
陸地はなあった。
- 260 :
- でも都心にも古墳があるよ?
- 261 :
- 東京も京都も大阪も奈良も、みんな海や沼の底。
福岡の一人勝ち。
- 262 :
- >>261
長濱ラーメンはドロドロし過ぎだ。
出雲蕎麦が品が良い。
だから邪馬台国は出雲だ。
- 263 :
- 醤油ラーメンが食べたい。
- 264 :
- おまえら自分の説ばかり主張してないで
>>1の本のどこがどうマズイのか、
この本の内容をちゃんと紹介しながら説明しろよ
おまえらの説はわかったからこの本を解説しろ、この本を
- 265 :
- スレタイが本の名前だったのか。
- 266 :
- 大体の書き込みは皇国史観ウヨ系50円の荒らしだから読んでないだろうなw
- 267 :
- 不幸化も水の底だゾwwwww
- 268 :
- 邪馬台国スレにちゃんと説明できるようなまともな人はもういない
邪馬台国論争はもう終わったんだよ
- 269 :
- >>264
本の内容の概要は>>208
- 270 :
- >>269
意味不明の説ですなw
- 271 :
- >>269
それで正解だと思う。アマゾンの書評でも、そうだ。
これは事件だ。
- 272 :
- でもこれだと
倭国と邪馬臺国が存在することになるのでは
それでいいのか?と思った。
- 273 :
- 女王国は不弥国なので不正解
でも女王国と邪馬台国が別の国というのは間違いない
- 274 :
- >>272
倭国は百国、邪馬台国は、そのうちの三十国、
女王国は、奴国、
見事に理屈が合うから、驚いている。、
- 275 :
- https://blog.nxpt.net/washida_koyata/archives/category/reading
みな、驚天動地
- 276 :
- http://www.honzuki.jp/smp/book/new_search/?search_word=邪馬台国の全解決
- 277 :
- しょっぺーステマだな
- 278 :
- >>274
あそう言うことか!
- 279 :
- 蕎麦だよ、蕎麦!
卑弥呼は蕎麦が好きだった。犬が犬好きをわかるように、蕎麦好きの僕は、卑弥呼が蕎麦好きだと、すぐわかる。
すると、出雲しかない。
また、この本は面白いが、前提的な知識と読書力がいる、
2ちゃんで邪馬台国している人は、いいたいほうだいの、根拠なしでもさわげるテーマだから二ちゃんしているだけで、
本なんか読める人はいないね。
バカでも。二ちゃんならさわげるからなあ。
ともかく。鍵は蕎麦だ。
間違いない。、
- 280 :
- 蕎麦だよ、蕎麦!
卑弥呼は蕎麦が好きだった。犬が犬好きをわかるように、蕎麦好きの僕は、卑弥呼が蕎麦好きだと、すぐわかる。
すると、出雲しかない。
また、この本は面白いが、前提的な知識と読書力がいる、
2ちゃんで邪馬台国している人は、いいたいほうだいの、根拠なしでもさわげるテーマだから二ちゃんしているだけで、
本なんか読める人はいないね。
バカでも。二ちゃんならさわげるからなあ。
ともかく。鍵は蕎麦だ。
間違いない。、
- 281 :
- 出雲は稲作文化の中心地の一つだ。
何が蕎麦だ。
- 282 :
- >>281
黙れ、
出雲蕎麦を食べた事があるのか?
それから。今は出雲平野があるが、昔は海だった。
貝殻が出る。
- 283 :
- なぜ神無月に出雲に集まると思う?
稲の収穫を祝うためだよ。
秋祭り、後の新嘗祭の起源だよ。
出雲は稲作文化の中心地。
大注連縄だって稲作文化の象徴だし。
- 284 :
- >>283
そんなもの、後付けだ。稲を神事として、天孫族が農業民となったのは、いつからだ?
卑弥呼は農業神か?
- 285 :
- 卑弥呼は出雲のワンゴ蕎麦が大好きだったんだ。
韓伝の馬韓の鬼神信仰も、卑弥呼の鬼道も、恐山のイタコ、沖縄のノロと同じだ。おばさんの脳みそに、宇宙からの電波がとどくのだ。
稲刈りのふりをして、豊作を祈願したりはしない。今の神道の催事は、後付けでつくられたものだ。
- 286 :
- >>284
出雲は天孫族より前に栄えた農業民ですよ。
海洋民である天津神に対する、農業民としての国津神の本拠地が出雲。
その頭領が大国主です。
- 287 :
- >>286
あまつ神が天孫族でくにつ神が農業民か?
面白い意見だけど、根拠は?
エビデンスは?
- 288 :
- >>287
あまつ神が海洋民
の間違い、
出雲は、侵略艦隊に制圧された。
- 289 :
- >>288
そして息子の一人が逃亡して、東北にズーズー弁をまきちらした。
- 290 :
- >>287
エビデンスも何も、海人(あま)と国(くに)が対義語で、それぞれの部族の支配地域を示しているだけ。
日本語なので、読んで字の如し。
(文字ではなく、音で)
- 291 :
- >>290
まて、無茶いうな、
語呂合わせがエビデンスになるのか?、
- 292 :
- >>291
アマは、担じゃない。
尼さんだ。
美少女尼さんがいたら、
貯金通帳ぜんぶつかうぞ。
- 293 :
- >>292
担じゃなく、、てんね
- 294 :
- >>291
語呂合わせだと思う方がおかしい。
海洋部族と農業部族を当時の大和言葉でなんと呼べばいい?
アマとクニしかないだろう。
対馬海峡を自由に行き来して大陸との交渉を一手に担い、宗像三女神を守り神として、高天原(至高なる海の都の意味)のアマテラス(海の支配者の意味)を王と仰ぐ一族が天津神だよ。
- 295 :
- アマテラスが大国主を倒して、孫の饒速日がまず統一倭国の王として十種の神宝とともに陸上に降臨した。
その時の称号が天照国照だ。
その称号は兄弟相続で邇邇芸に伝えられる。
照らすが支配する意味で使われた用例としては、他には猿田彦が陸上から海上まで照らしていたと書かれている。
- 296 :
- 高天原の古事記における読みはたかあまはら。
たか 敬語
あま 海
はら 原は九州の言葉で集落、国邑のこと
高天原は海上拠点だよ。
そこから出雲を攻略したり、筑紫に降臨した。
つまり、日本海側のどこか。
おそらく対馬海峡の中にある。
何しろ航路の安全を宗像に頼むくらいだからね。
- 297 :
- 後漢書によると、倭の北端は朝鮮半島南岸の狗邪韓、南端は九州北部の倭奴国。
つまり、倭とは対馬海峡国家。
これは記紀の神代の地勢とぴったり合う。
- 298 :
- >>294
なるほど
確かに「クニ(国)」は「クヌガ(陸)」という類語がある様に陸の意味だ
漢字の「天」と「国」では意味がよくわからないが、本来の和語での意味の「海」と「陸」でなら綺麗に対比になっている
目からうろこだ
- 299 :
- 語呂合わせの、
言葉おそびはやめろ。
その言葉おそびの基礎が、キキかよ。
- 300 :
- 千七百年前のこなど誰が知っとるか?
- 301 :
- 後漢書や魏志倭人伝も九州北部を倭の中心として扱っている。
弥生王墓も九州北部だけ。
- 302 :
- 畿内説は都合の悪いことは全てワカラン、信用ナラン、それだけ。
- 303 :
- >>298
大国主は本土における稲作文化を代表し、神無月の祭りは稲の収穫の祭りとなる。
祭りはすなわち政(まつりごと)なので、大国主は祭政一致体制における王である。
海上部族である天津神が出雲を攻略して陸上の支配権をも奪ったのが出雲の国譲り。
かくして筑紫の日向に倭国統一政権が誕生したわけです。
ただしこの時点では倭国はまだ筑紫と出雲くらいで、しかも中国と交渉するのは筑紫だけ。
だから金印をもらうのも筑紫だけ。
中国からの使いが来ても駐在するのは筑紫だけ。
倭王がいるのも当然、筑紫。
倭王である高祖日向三代がいたのは筑紫の日向、伊都国と奴国を含む福岡県西部の博多湾沿岸、高祖山がある日向地区。
倭王である卑弥呼も例外ではない。
- 304 :
- >>300
>千七百年前のこなど誰が知っとるか?
邪馬台国関連のスレになにをしに来ているの?
- 305 :
- >>303
筑紫国に日向などという地名はない
デムパはいい加減にしろwwwwwwwwwww
- 306 :
- >>305
めでたいなw
- 307 :
- ウ ン チ ー コ ン グって知ってるぅ?
- 308 :
- >>304
誰も知らんから、邪馬台国でもめているだろ。
そんな事もわからんのか?
- 309 :
- >>305
どうせ、爺さんがたまたま見つけたよく似た名前の場所にこじつけているだけだろ?
日向神とか日向峠とか向石とか
たとえそこが一定の平野部であっても、そんなところに国家レベルの政権が存在したのなら、
遺物が豊富に出るだろうから遺跡として既に知られているはず
出ていないということは、「ない」ということだ
めでたいのは爺さんのご都合主義的に偏った知恵遅れの脳みそということだw
- 310 :
- >>309
伊都国と奴国あわせて膨大な遺跡があるよ。
- 311 :
- 伊都国と奴国と確定しているなら邪馬台国とは無関係
- 312 :
- 応神天皇元年を390年と考え、そこからの平均在位を計算できる。
平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるのも、
正確な数値が出ないと思われるので、
30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。
・25代平均 応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年 11,28年
・28代平均 応神天皇390年〜42代文武天皇没707年 11,32年
・30代平均 応神天皇390年〜44代元正天皇没724年 11,13年
・33代平均 応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年 11,33年
・35代平均 応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年 11,17年
11年弱が平均在位。
さらに古くなると若干在位が短くなると考え、
「11年」で計算してみる。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ってみる。
11年×15代=165年。
応神天皇390年ー165年=225年。
神武元年は3世紀前半。
卑弥呼の時代である。
- 313 :
- >>312
何をご都合主義な計算をしてる?
正気なのかね?
最後の二行は、何?
- 314 :
- >>311
この本は、邪馬台国とは、イトやナのような国ではなく、それら三十国全体の名前だと解説しています。イトやナは、その邪馬台国の中の一つなのです。
- 315 :
- アホウすぎる本だな
- 316 :
- >>311
>伊都国と奴国と確定しているなら邪馬台国とは無関係
根拠は?
- 317 :
- 内容を論理的に否定できないアホウの書き込みばっかりだw
- 318 :
- 本の骨子をかいつまんで要約してはくれまいか。
- 319 :
- 読んでない人は帰ってくれ
- 320 :
- 馬鹿らしくて読む気がしない。
- 321 :
- だから帰れよ
- 322 :
- >>314
投馬国邪馬台国合わせて三十国なのに一体どんな勘定をしたらそんなバカげたことになる
侏儒国裸国黒歯国のうちのどれかを都合よく倭国の中に足し入れて30に合わせたりでもしたのか?なんとばかばかしい
- 323 :
- 邪馬壹国70,000戸の内訳は下記の計算で算出されている
1,000戸(對馬国)+3,000家(一支国)+4,000戸(末盧国)+1,000戸(伊都国)20,000戸(奴国)+1,000家(不彌国)+20×2,000戸(斯馬国-烏奴国の20国分)
斯馬国〜-烏奴国の20国の戸数は記の計算で算出されている
(1,000戸+3,000家+4,000戸+1,000戸+1,000家)÷5国=2,000戸/国
奴国を除く対馬国、一支国、末盧国、伊都国、不弥国の5カ国の戸数から1国邑当たりの平均値2,000戸を求め、斯馬国-烏奴国の戸数もこれと同じ戸数として計算
- 324 :
- ガイジかな?
- 325 :
- >>318
内容は>>208
- 326 :
- 便 所 の 落 書 き ・ 痰 壷 の 更 に 劣 化 コ ピ ー の 3 流 掲 示 板 = 開 2 ち ゃ ん ね る
運 営 の 性 格 悪 い 引 き こ も り I T 土 方 メ ガ ネ ザ ル 早 く 死 な な い か な
- 327 :
- 【筑紫の日向】
そもそも筑紫とは、博多湾を望む高千穂の日向峠周辺のことを指す言葉であったらしい。
それが拡大して博多湾沿岸から有明海沿岸や遠賀川沿岸まで含めるようになった。
こうして成立した倭国は、筑紫と豊国、肥国の連合国家、いわゆる邪馬台国連合であった。
福岡県の高祖山の最高峰は高地山、別名をクシフル山とも言う。
クシフルとは、チクシのフル(村落、国邑)の意味だそうだ。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とあり、福岡県のクシフル山とするべきだろう。
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生墳墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の筑紫日向なら朝鮮半島に向かう博多湾に面している。
最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
漢により冊封された王権の象徴としては他にガラス璧があり、福岡県の須玖岡本遺跡、三雲遺跡、峯遺跡、宮崎県の玉の山遺跡からのみ出土している。
伊都国の三雲南小路遺跡には王と王妃があわせて葬られており、ニニギと木花開耶姫といわれる。
その拝殿である細石神社は江戸時代まで「漢倭奴国王」の金印を保管していたと伝えられている。
伊都国の平原遺跡からは円周が八咫(あた)となる超大型内行花文鏡が出土していて、ニニギがアマテラスから受け取った倭国の王権の象徴である八咫の鏡と考えられる。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、その中に高祖宮がある。これが記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の伊都が倭国の王都であり、天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の都である。
- 328 :
- クシフルが(チ)クシの国邑の意味、、、
だったら、フルの御魂は国魂神様となる理屈?
- 329 :
- >>315
アホウすぎる書き込みだな。
- 330 :
- >>328
フルは古代韓国語だと見るのが、普通の学説だぞ。
- 331 :
- クシは、韓国神話に天孫がクジフルに降臨するという日本と同型の天孫降臨神話があり、神話学では、その共通性が解かれている。
勉強しなさい。
- 332 :
- モンゴルにもほぼ同型の天孫降臨神話がある。
つまり、けつに蒙古斑がでて、
ウラルアルタイ語族のもつ共通性のある神話だね。
中国人はけつに蒙古斑が出ない。
満州族は出る。、アメリカンインディアンも出る。
親戚だ。
- 333 :
- >>331
どっちも、
クジフルに天孫降臨する。、
- 334 :
- >>332
だから、蒙古斑が出る種族の人間は、神の子孫となるが、
中国人は、神の子孫ではなく、天帝のような神々の支配下にある。キリスト教と同じ。
- 335 :
- >>334
この本を読んだが、「全解決」と理解した。
驚きだが。
- 336 :
- >>332
すまん、漢民族は出る。
モンゴロイドは出る。多民族国家だから、出ない人達もおおい。
- 337 :
- 天、つまり神と人間との関係は、素朴な民族ほど、天孫族となる。シャーマニズと、祖先崇拝。
死んだお爺ちゃんお婆ちゃん。ご先祖様が、天で神となるからだ。
それが、卑弥呼の鬼道、韓国の鬼神信仰。鬼道は、今では神道という。
- 338 :
- 中国語で鬼とは、ツノを生やして、棍棒を振り回す日本的な鬼ではない。
死んだ人のこと、あるいは死んだ人の霊のことだ。
つまり3世紀に北九州に来た魏使は、それをみて鬼道と判断した。
祖先崇拝のシャーマニズだとね。
韓国の鬼神も同じ。
東北のイタコも、沖縄のノロも、韓国のムダンも同じ。千七百年前と、同じ。日本の神道はいつのまにか男のビジネスになって、形骸化したが、
明治のはじめまで、大阪の石切さんは、そんな女シャーマンばかりで賑わっていた。明治政府げ追い出した。
石切は古典的な鬼道の聖地だった。
- 339 :
- 死んだお婆ちゃんに逢いたい、言葉を聞きたい、
そんな感情。
神道は、それを捨てて、権力とついて利権ビジネスとなった。男の世界な。
そんなもん、
あとは、勿体をつけて大袈裟な所作をして、金をとる商売。
- 340 :
- >>1
「邪馬台国の全解決 完全版」
36年前に旧版よんだ時はおもしろいと思ったが
今回増補された部分は糞ばっかw 老化して脳が衰えたか?
- 341 :
- >クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
祝詞、古語に言う、
、、、朝日の直刺す国、夕日の日照る国
は宮都(現代なら東京等の首都)=神話表現では高天原。
ちなみに、出雲神(カモ)族(王族)の末裔の伝承等に依ると、
ニニギ=ニギハヤヒ=天火明/彦火明。
天火明命=天照御魂大神(天照皇太神)
ニギハヤヒと偽名を号した秦人の渡来人某は、出雲神族(王族)の宗像王家の初代、アタカタス命の末娘?のサヨリ/市杵島媛と婚姻してホホデミと穂屋媛を産む。
ホホデミは物部王家の初代。以降当主はホホデミを襲名したという。
妹の穂屋媛はニギハヤヒ(秦人、渡来人某)が前回渡来した際、ホアカリと号して出雲王国の王家の娘と婚姻して産んだ五十猛/カゴヤマの異母実兄に嫁ぎ、
産んだのが天村雲命。
天皇家の系譜上の初代神武はこの方。
- 342 :
- >>327
豚骨のバーカwwwwwwwwwww
「笠沙の御前を真来通りて」と言ってるんだから薩摩の笠沙の東にある高千穂に決まってんだろ
なにより海外との通交がないニニギと中華文明との接触により記述された邪馬台国を同一視してるのがサイコーにガイジwwwwww
馬鹿の話は必ず長いってのがよくわかるはw
- 343 :
- >>341
>、、、朝日の直刺す国、夕日の日照る国
>は宮都(現代なら東京等の首都)=神話表現では高天原。
天孫降臨によって、天津国の王都は高天原から筑紫日向になったと考えるべきだ。
朝日の直刺す国、夕日の日照る国は筑紫日向に対する表現だよ。
>>342
>「笠沙の御前を真来通りて」と言ってるんだから薩摩の笠沙の東にある高千穂に決まってんだろ
そんなに遠かったら、韓国なんて見えないよ。
福岡の地勢を表現したものなら、笠沙の御前は志賀島のことだろう。
>なにより海外との通交がないニニギと中華文明との接触により記述された邪馬台国を同一視してるのがサイコーにガイジwwwwww
ニニギが中華と国交がないなんて、誰が決めた?
むしろニニギが倭王であるためには、中華皇帝から倭王に冊封されなくてはいけない。
そうでなければただの藩王だ。
魏志倭人伝には伊都国の官として禰宜の名があり、おそらく、ニニギの一族だろう。
筑紫の日向が福岡県西部、高千穂は高祖山、倭の王都は伊都と考えると、全ては矛盾なくまとまるんだよ。
- 344 :
- >>339
卑弥呼も台与も大変だったろうな
伊都国長官のAさん「女王様、日照りが続いております。雨を降らせてくださいませ」
卑弥呼「よろしい。私が祈っておこう」(やべえな、雨降ってくれればいいけど)
奴国長官のBさん「女王様、死んだ祖父の遺言をめぐって遺産争いが起きてまして、
どっちが正しいのかわかりません」
卑弥呼「よろしい。私の鬼道で、貴殿の祖父に聞いておきましょう」(はぁ、ちゃんと家族が聞いておけよ)
末魯国長官のCさん「実は隣国との境界争いが起きてまして、土地の古老の言ってることがバラバラでして、どっちが正しいのでしょうか?」
卑弥呼「よろしい。私が神にお伺いを立てましょう」(末魯の地理がわからん 後で弟に地図持ってこさせるか)
対馬国長官のDさん「実はわが国の民同士の争いに困っております。
三郎と申す者が年寄りの四郎をだまして土地を奪い、それを善意の第三者の五郎に売却してしまいまして。四郎の家族の訴えで三郎を詐欺罪で拘束しましたが、土地を五郎のものとするか四郎のものとするかで頭を悩ませておりまして」
卑弥呼「よろしい。神にどちらが正しいのか聞いておきましょう」(面倒くさい問題を持ってくんじゃねえよ)
投馬国のE将軍「敵国狗奴国を攻めたいのですが、どの道から攻めればよろしいでしょうか それとも兵を二手か三手に分けるべきでしょうか?」
卑弥呼「よろしい 神にお伺いを立てましょう」(兵法なんてわかるわけないじゃん、どうしよ)
みんな「神の声」を信じてるけど、卑弥呼はそんなものがないことは
誰よりも百の承知
今さら「実は神の声なんてないよ!私が勝手に考えて言ってるだけなの!」
なんて言ったら処刑されかねないから、もう嘘に嘘を重ねて大変だったろうな
- 345 :
- >>313
>何をご都合主義な計算をしてる?
数学は客観的事実だよ。
それに対してご都合主義な解釈をしてるのは君。
>正気なのかね?
>最後の二行は、何?
ヒメ(踏鞴五十鈴)がヒミコだよ。
だから?
- 346 :
- >>343
元々博多からも韓国なんてみえねーよwwwwww
カラクニ(韓国)というのは漠然と西の方にある日本列島の外にある領域のこと
唐どころか漢も「から」と読むのはその名残
この場合の韓国とは済州島やその先にある中国大陸の事
証拠もないのに勝手に「笠沙の御前は志賀島」(笑)だなどと妄言をほざくな
だいたい志賀島はお前が日向だと強弁してる地点から北東の方向にあるから朝日とは全く関係がねーわヴォケ!
- 347 :
- だいたい「韓国に向ひ」が直接向かってることを言うなら対馬以外該当地点はねーわ
- 348 :
- 博多湾は海峡を挟んで韓国に向かっているから、ぴったり読んで文字の如くだ。
韓国が漠然と西の方だなんて、半島と直接交易を盛んにしていた時代にありえない解釈だ。
あと、志賀島と朝日は関係ないだろ。
- 349 :
- 朝日の直刺してないじゃんド田舎博多湾豚ニガーwwwwwwwwwwwwwwwwwww
朝鮮人並のウリジナル捏造してんなwwwwww
- 350 :
- 高祖山は東が福岡平野、西が糸島平野だ。
朝日の直刺す国、夕日の日照る国は筑紫日向に対する表現だよ。
- 351 :
- 邪馬台国論争も決着がつき皇国史観アホウヨには
都合の悪い事実が国民の常識になるんだよ
- 352 :
- >>345
なにが数学だ。ご都合主義まるだしの、ありえない馬鹿前提をだして。
なにが客観的事実だ。、情けないやつだ。
数学どころか、算数もできない脳みそ蝶々だな。
- 353 :
- >>350
此地者 向韓國眞來通笠沙之御前而 朝日之直刺國 夕日之日照國也
ここまでで一文なのだから「此地」は「笠沙之御前」から見て「朝日之直刺國」つまり東の方向にある
そして「笠沙之御前」から向かって「夕日之日照國」なんだよな
だから「笠沙之御前」と「筑紫日向」は東西に並んでいなければならないってはっきりわかんだね
そもそも志賀島なんて当時の海岸線では岬でもなんでもないTDN島を笠沙之御前だと強弁するTNKT兄貴は†悔い改めて†
- 354 :
- >>353
非常識な読み方だよ。
- 355 :
- 平地がない志賀島に巨大古墳があったとかホラッチョ吹いてた非常識おじさんがなんか言ってるンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 356 :
- 痴呆老人共の憩いの場
- 357 :
- みなさん、
アマゾンの。この本の書評くらい読んだ方がいいと、僕は思います。本を買い書評でちゃんとした人たちが意見を述べられてあり、検索しているうち、このサイトに来ましたが、
内容が幼稚すぎませんか。
証明もなく、いいたいことを騒がれています。
知的ないんしょがまるでしません。
この本を読んで、北九州説になりました。
- 358 :
- ネトウヨのような品性下劣なかたもおられますが、
アカデミックなテーマのはずです。
- 359 :
- いや
これは
完全解決と思います。はい。
- 360 :
- その本の内容をかいつまんで説明してくれまいか。
面白そうなら本屋で探すが、取り寄せないといけないなら辛いなあ。
- 361 :
- 買って読めと言う著者
- 362 :
- >>357は文章が下手すぎる
- 363 :
- >>362は知能が低すぎる
- 364 :
- >>360
史書の編纂は表現を間違うと断罪の恐れがあるので
事実を記述しつつ明言できないことを表現する修辞法が発達した。これが春秋の筆法である。
この春秋の筆法の注釈の伝統が大陸にはあり
その春秋の筆法で書かれてあるとみなして
著者なりの倭人伝解釈をしたら
邪馬台国は北部九州にあり女王国とは奴国であった。邪馬台国とは奴国を含む30国の領邦国家であった。
具体的な行程論は>>208
一大卒が置かれた伊都国とはなんだったのか?が増補されたところらしいです。
これほど文意を綺麗に説明したものは無いと思います。
- 365 :
- >>363
という根拠は?
w
- 366 :
- >>364
だね、
アマゾンの書評でも、ほとんどその見解ですね。
- 367 :
- 個人的には伊都国と奴国をあわせて女王国と考えているので、ほぼ同じなのかな。
興味深いから本屋で探してみるか。
- 368 :
- 女王国は邪馬台国と同一ではないが
このスレは臭い自演だらけの露骨な宣伝スレですねえ
- 369 :
- この本を読んでる人は伊都スレのテンプレで大笑いだよw
- 370 :
- さらしあげ
- 371 :
- >>369
お馬鹿な方達には理解できないだろうが、
2ちゃんの主催者は円盤で来た火星人で、
目的は宇宙征服のためだけにに、全人類に蕎麦を食べさせることだ。
ニちゃんなんかが、宣伝媒体になるか、ばかたれ。
蕎麦だよ、
蕎麦、
卑弥呼も蕎麦が大好きだったんだ。なぜか、
出雲蕎麦を食べて育ったからだ。
それが古代史の真実である。
- 372 :
- とりあえず、里数十倍説は信じられる。
こへも、蕎麦を食べればわかる。
- 373 :
- >>372
糸島平野で間違いない。最大勢力は博多平野だ。
蕎麦を食べれば、すぐわかる。
- 374 :
- >>371
2ちゃんに本を読むもの、買う者などいません。
- 375 :
- >>374
僕は読みました。
ただし、アマゾンの書評で。一円も払わず。
- 376 :
- >>375
感想は?
- 377 :
- >>376
書評している人達は、僕より賢いとしか思えない。
信用します。
- 378 :
- 機会があれば本屋で立ち読みします。
- 379 :
- この板には「短里」の存在を否定してる人いません?
短里説を採らない場合は、誇張説になると思いますが
たまたま俺が知ってるのは五倍説と十倍説。他にもありましたっけ?
で、短里否定派に聞きたいのだけどあなたは五倍説?十倍説?
またその理由は?
(短里派にはきいてないので短里説支持者は無視してくれ)
- 380 :
- 蕎麦蕎麦言ってる奴は新手の荒らしか?
- 381 :
- 出雲は弥生稲作文化の中心地であったのに、蕎麦雑穀の縄文レベルに格下げされてしまうとは、嘆かわしい。
- 382 :
- >>380
馬鹿野郎、
非国民め、やまと心は蕎麦だろうが、
じゃあ、ラーメンか、あり得ない。
糸島平野と博多平野も、弥生時代は蕎麦のさんちだった。
卑弥呼は博多の蕎麦を食べて、弟は糸島の蕎麦を食べた。弟の糸島の国王の名は、ナズめだ。
俺の親戚だ。出雲に逃げて来た。
意味わかるか?
わからんだろう。
出雲に逃げて来たのだ。、
- 383 :
- >>380
馬鹿野郎、
非国民め、やまと心は蕎麦だろうが、
じゃあ、ラーメンか、あり得ない。
糸島平野と博多平野も、弥生時代は蕎麦のさんちだった。
卑弥呼は博多の蕎麦を食べて、弟は糸島の蕎麦を食べた。弟の糸島の国王の名は、ナズめだ。
俺の親戚だ。出雲に逃げて来た。
意味わかるか?
わからんだろう。
出雲に逃げて来たのだ。、
- 384 :
- 出雲ににげてきて、うちの母親の近所のささで女捕まえて暮らしたのだ。
意味、わからんだろ。
- 385 :
- ささ、じゃない。
すさ、ね。
- 386 :
- 蕎麦を崇めよ
- 387 :
- >>382
>非国民め、やまと心は蕎麦だろうが、
なんだこいつ?
どこまで本気かわからんな。
ジョークにはなっていないしな。
春に田を起こして稲を植え、秋に米を収穫する。
感謝の心とともに秋の収穫の祭りを行うために出雲に集い、稲藁の大注連縄を奉納する。
それが倭の心だよ。
- 388 :
- それが、
すさの男のだ。
- 389 :
- >>387
だから、それは後世の神道ビジネス、形骸化された男の商売だ。
もともと、脳みそに宇宙から電波がきた女の子たちがやるのが、シャーマニズだ。
神道は、同じ道が形骸化されて商売になったもの。
なにが、倭の心だ。そんなもんあるか?
仕込まれた妄想は、やめろ。
蕎麦を食え。食ったらわかる。
- 390 :
- 出雲に行ったら、坂根屋か献上をすすめとく。
- 391 :
- >>387
それからな、
卑弥呼は何人もの殉葬物がいるのだ。
これは縄文人ではなく、
扶余などの北方民族の習慣だ。
稲坂民族の習慣ではない。
大和心は関係なし。
- 392 :
- 蕎麦を讃えよ
- 393 :
- (´・ω・)ざるそば下さい
- 394 :
- 蕎麦は阿波と同類の匂いがする
- 395 :
- 出雲には他に名産品とかないのか?
- 396 :
- 蕎麦を食べて育つのが日本人
つまり日本人は蕎麦から出来ているわけだ
ゆえに蕎麦こそ真の日本人といえる
- 397 :
- (´・ω・)√Letter っていう島根ゲームやったけど、出雲にはUFO研究所しかなかったよ。
松江にはヤマタノオロチ蕎麦があった。
- 398 :
- GOD WARS だと、静岡(富士)出身のカグヤちゃんが、出雲のオオクニヌシと日向のモモタロウを従えて、大和に入ってヒミコ(日巫女)になってた。
KADOKAWAゲームが邪馬台国論争を全解決させた。
v(・∀・*)
- 399 :
- ならヒミコになったカグヤちゃんが蕎麦食ったら
蕎麦論争も解決だ
- 400 :
- >>395
やかましい、
ズーズー弁がある。おまえらには、死んでも分からん。あとは、何にもない。
- 401 :
- >>396
それよ!
- 402 :
- 本を読んで、驚いて、他の人はどう考えているのか知りたくて、このサイトに来ました。
Amazonの書評も、本が好きという書評サイトも見ました。
どちらも絶賛していますが、
これらのサイトは一方通行なので、
読んだ人との意見交換を希望します。
読んだ人に限ります。
勉強させて下さい。
- 403 :
- >>394
>蕎麦は阿波と同類の匂いがする
蕎麦も弥生の大洪水で食糧難に陥ったとき、忌部一族が全国に広めた雑穀栽培の一つだろう。 @阿波
- 404 :
- 蕎麦も粟も穀物だろいい加減にしろ!
- 405 :
- >>404
??? @阿波
- 406 :
- >>402
この本と他の論が異なるのは
春秋の筆法
という
明確な読解方法論を示しているところ。
そのため他の説とは説得力
記述の信頼性
が全く段違いに高い。そこだけは間違いない。
あとはこれが考古学的にどのように整合性が取れているかそこが焦点になる。
- 407 :
- >>402
春秋の筆法はあるにしても、その解釈が正しいかどうか不明
そのため説得力に欠ける
- 408 :
- 解釈の正しさとか言い出すと
方法論の検証になるからそういう方向性は不毛だよ。
どんな論でも辻褄が合ってればいいのよ。
- 409 :
- >>406
原田大六の、平原遺跡が卑弥呼の墓せつは、どう思います?
この本と重なり、逆に原田説を補強しますが、
- 410 :
- >>407
いや、説得力ありすぎでした。
どの書評も、賛成してました。
私も目から鱗でしたが。
- 411 :
- 春秋の筆法の名を借りて勝手解釈してるだけでしょ
- 412 :
- >>409
もちろん説を補強することに同意です。
ただ、卑弥呼の墓と断定できるかというと原田説は疑問です。踏み込みすぎのように思います。
記紀の記述をゆるく信用するとしたら
忍代別や神宮皇后の熊襲征伐譚で
女性首長が九州には普通にいたことが分かります。
のちの聞得大君の係累につながるなんらかの女系優位の部族が九州以下にいた。少なくとも1世紀2世紀には糸島まで到達していた、くらいではないでしょうか?
- 413 :
- 原田はアマテラス説じゃね
- 414 :
- >>413
原田大六 著
卑弥呼の墓
- 415 :
- >>411
読んだ人だけ、お願いします。
すみません。
- 416 :
- >>412
ききから倭人伝解釈は、もう誰もしないのではないですか?
- 417 :
- アマゾンの書評を読んで、本気でこの本に向き合うつもりです。
- 418 :
- >>416
記紀にも一定の事実が反映されているであろう、が在野の探求者ならではということです。
記紀をベースにという態度はたしかに問題が残りますが貴重な古伝であることも事実です。
この辺りの記述のなさは
他の要素で補うしかないと思っています。
- 419 :
- >>415
読んだ感想だけど何か
- 420 :
- >>414
それ箸墓だよ
- 421 :
- >>419
読んでませんね、
- 422 :
- >>421
いいかげんだね、
何でも聞いてみ
- 423 :
- >>420
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56352466.html
すみません、その通りです。
- 424 :
- >>422
露布の原理の説明で引用している中国地理書の名前は何ですか?
四百里のエビデンスです。
- 425 :
- (´・ω・)鬼道に惑わされて蕎麦が食べたくなった。
でも、八咫の丼に桜エビと大根オロチをブッ込む蕎麦屋はもう遺跡になってしまったんだ。
南至蕎麦屋 陸行十分車行一分 其南有新聞屋
- 426 :
- https://blog.goo.ne.jp/kawakami23takeru/e/06a88c89cd8166f479bca821629464ae
原田大六は、ヤマト説だったのか!
あら、ビックリ、
そんなんありか?
- 427 :
- 原田大六、
おっさん、アホか?
- 428 :
- アマゾンで盗まれた神話を買って、
てっきり平原は卑弥呼の墓と錯覚してました。
卑弥呼の墓という本を読まず、当然に平原遺跡の事と勝手解釈してました。
お恥ずかしい。
- 429 :
- 勉強になりました。
- 430 :
- >>424
「活地志」だな
- 431 :
- 「東は大海に至る四百里」が半島南部となんで断定できるの?
- 432 :
- 倭人伝が九州北部の事を記録している ってことは、
最初から普通に読むだけのことで、解決も糞も無くないか?
それでも、矛盾があって、春秋の筆法とかワロスしwww
考古学の飯のタネ、
倭人伝には誤読やこじつけの余地があることは事実であって
現代の邪馬台国論争の解決とは関係ないわけで。
まあ、中国史書と記紀読んだ、考古学者が卑弥呼の墓探す目的で、
400年以前の皇室の古墳あさったらホントの基地外だけどな。
居たのか? www
- 433 :
- 日中どちらの史書も倭国は九州北部で一致しており、疑う余地はない。
- 434 :
- 福岡の筑紫が最初なら、卑弥呼も邪馬台国も
福岡でいいんでない?何を皆悩んでるの?
- 435 :
- 韓の地が方四百里なのを十倍してるというのは信じられる。
ただし孫栄健が括地志を根拠にしてるのは頂けない
括地志はそんなこと書かれてない。
孫栄健が引用してる部分は高句麗の中心部から東へ400里で海にでる、
西へ900里で営州、あわせて東西1300里という意味。
孫栄健はなぜかこの「東へ400里で海」のとこを
三韓の東西幅のことだと言い張ってるんだが、どういう思考なのかさっぱりワカラン
- 436 :
- 「朝鮮高麗貊東沃沮五國之地國東西千三百里南北二千里在京師東
東至大海四百里北至營州界九百二十里南至新羅國六百里北至靺鞨國千四百里」
朝鮮(=高句麗領のうち旧楽浪郡)・高麗貊(=高句麗の本土)
・東(「東濊」の脱字)・沃沮の5國の地は、
國の東西1300里、南北2000里、京師の東にあり。
東は大海に到る400里、北(西の誤字)は營州の界に到る920里、
南は新羅國に到る600里、北は靺鞨國に到る1400里。
- 437 :
- すまそ、訂正するは
・朝鮮(=高句麗領のうち旧楽浪郡)・高麗(=高句麗本土)
・貊(「濊貊」の脱字で江原道の「東濊」のこと、後漢書では東濊を「濊貊」と書いてる)
・東沃沮の5國(4國の誤り)の地は、
- 438 :
- 五国の地形だから、点ではなく、台形でしょう。
高句麗の中心地からとは、書かれていない。
- 439 :
- >>435
当時の高句麗の王都は、今の平じょうではなく、旧満州を深く入った集安だったはず。集安から東に向かったら、海ではなく、シベリアに行きます。
- 440 :
- >シベリアに行きます。
そりゃ北東だな
- 441 :
- 邪馬台国もいいけど三国志って面白くない?
https://goo.gl/mHxVZb
- 442 :
- >>440
行きません、
集安は満州です。
営州、遼東半島より北です。
東洋史の基本です
- 443 :
- 自分はこの本を読んでなかなか説得力のある説だと感じたが、一番疑問なのは、この
著者の「孫」さんというのは、どういう経歴の方なのだろうか。中国人なのか、どこかの
大学の先生なのか、巻末にはその辺について一切かかれていない。わかる方いる?
- 444 :
- >>435-442
君らの議論、わかりにくいんだけど。
要するに、孫栄健のいう「韓の地は方四百里だった」ってのが
合ってるっていうの?間違ってるっていうの?どっちなんだよ?
- 445 :
- >>442
ん?
地図見てる?
- 446 :
- >>444
間違い
- 447 :
- >>427
当時はまだ平原墓の年代が古いと思われていたからなぁ
原田さん亡き後、再度調査されて、弥生終末期とほぼ確定した
今なら原田さんはどう言っていただろうな
- 448 :
- >>443
翻訳本じゃなくて自分で日本語で著述しているわけだから
中国系2世とかじゃないかね
- 449 :
- >>444
あっている。
- 450 :
- >>446,>>449
じゃ君らでちょいと論争してみてくれないか。マジで結論に興味ある。
- 451 :
- >>450
まず、第三章の「露布の原理」には目から鱗。鱗がポロポロもの。
それを渡海記事で検証したあることについては、驚愕もの。対島や壱岐の説明は見事の一語だわ。
したがって、古代里数とか、長里とか短里とかの寝言は、もう聞けない。
すると、倭人伝の七千里は、韓伝の方千四里であるから、七千里がもう七百里と考えるしかないから、四千里は四百里だわ。
また、
「朝鮮高麗貊東沃沮五國之地國東西千三百里南北二千里在京師東
東至大海四百里北至營州界九百二十里南至新羅國六百里北至靺鞨國千四百里」
だが、
カツ地志は、唐の時代の編纂らしいが、すでに朝鮮三国の時代であり、高句麗は滅びていたのではないか。調べてないけど。
また、唐の時代に、「朝鮮高麗貊東沃沮五國之地國」とあるが、その時代にはそんなものは滅亡している。つまり記事は唐の時代ではない。「貊東沃沮」があった時代の高句麗の都は、集安で、これはウィキでは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97
第2代の瑠璃明王が隣国に在った夫余の兵を避けるため鴨緑江岸の丸都城(丸都山城、尉那巌城。現在の中国吉林省集安市近郊。かつての玄菟郡配下の高句麗県)の山城へ遷都したと伝えられる
とある。
つまり吉林省ね、
吉林省の王都の「東に四百里」なら、それはシベリアです。
「東至大海四百里」は、半島の中央部の横幅が正解でしょう。
ひとばん考えました。
ご反論は?
どうぞ、
- 452 :
- >>451
そのwikiの地図に丸都城載ってるよね
その東はシベリアですか?
- 453 :
- 高句麗の首都は
丸都城(-427年)
平壌城(427年-668年)
とあるね
平壌が起点の可能性もあるな
- 454 :
- >>452
五国の一つとして朝鮮があげられており、それなら卒本を時代となります。東はシベリア、
丸都城なら、四百里はまだ海は無理。
また、高句麗の中心地からとは、もこにもかかれていない。どう読んだら、高句麗の中心地からとなるのですか?
唐はじめには高句麗は滅びて新羅だけのはずです。
- 455 :
- 朝鮮やヨクソがあった時代の高句麗なら、王都は満州です。
- 456 :
- 卒本は遼寧省本渓市桓仁満族自治県にあったとされています。
卒本の東はシベリアですか?
https://www.google.com/maps/place/中華人民共和国+遼寧省+本渓市+桓仁満族自治県
- 457 :
- >>456
そこは白旗です。
満州の真ん中と勝手にイメージしてました。
では、「五国の地」なのに、なぜ高句麗の中心地からの計算になるのですか?
- 458 :
- それは>>436さんのレス
あなたはどこを測った距離だと思ってるの?その根拠は?
- 459 :
- 東西1300里
東は大海まで400里(3/10)
西は(北)営州まで920里(7/10)
南北2000里
南は新羅まで600里(3/10)
北は靺鞨まで1400里(7/10)
の地点
- 460 :
- >>436-437 を書いた者だが。
原文の「東西千三百里」ってのは「千三百二十里」の誤りと思われる。
「二十」が誤脱している。
まぁ大雑把な計測には無視していいぐらいの誤差だとは思うが
細かいことに突っ込む人がいるかもしれんので念のためw
あと括地志が書かれたのは高句麗の末期で、この頃は東濊は高句麗領と新羅領に分割され、
沃沮と朝鮮(旧楽浪郡域)も完全に高句麗領。
北の方は広開土王の頃は夫餘国領の満洲平原を相当侵食していたと思われるが
夫餘国から靺鞨国にかわってからは逆に満洲の平原部はほとんど失っていたと思われる。
(ただし満洲内でも生産性の低い山岳部=旧王都圏は失ってない)
まぁその何倍も生産性の高い楽浪郡を得ていたので
収支的にはさして痛痒は感じなかったろうが。
- 461 :
- >>460
原文の誤りとは乱暴でしょう?
- 462 :
- >>458
五国の地形だから、上辺とか、縦とか、下辺でしょう?
下辺が四百里でしょ。
- 463 :
- 下辺じゃないのは明白
- 464 :
- たぶん平壌じゃね
- 465 :
- >>463
なぜ、
ではどこですか?
- 466 :
- >>465
>>459
- 467 :
- >>464
なにが平壌なのですか?
距離の起点?
- 468 :
- そう
- 469 :
- 東至大海四百里だから、どこかの起点、つまり東西直線の西端から、東端の海までではないですか?
この東西直線の西端は、どこですか?
地形の表現だから、黄海でしょ。
- 470 :
- >>469
つまり、ぎゃく台形の五国の地の下辺でしょう。
- 471 :
- 括地志って史記の注釈に使われてるんだから、当時の地理を隋唐代の人が理解できるように隋唐代の地名を使って説明してるんじゃね
(靺鞨は隋の頃の国だし)
- 472 :
- >>470
それは、三韓の上辺になる。
つまり「方四百里」です。素晴らしい。
- 473 :
- >>470
違うな
- 474 :
- >>472
あなたはちゃんと蕎麦を食べている人だ。蕎麦を食べれば、心が清くなる。
阿波のラーマンはだめ。ラーメンを食べれば、人間がダメになる。
あなたに座布団一枚、蕎麦茶も飲みなはれ。
- 475 :
- 蕎麦を茹でよ
- 476 :
- >>475
ベトナムのフォーも好き。
453氏に、
出雲大社に行ったら、大国屋の蕎麦を食べるようにお薦めする。
- 477 :
- >>450
論争の言い出しっぺさん、ジャッジ願う。
問う、この判定をいかんとするかや。
蕎麦は食べてるね? 蕎麦で世界平和と古代史に光を。
- 478 :
- 括地志のいうところは「東は海まで400里、西は営州まで900里、あわせて東西1300里。
南は新羅まで600里、北は靺鞨まで1400里、あわせて南北2000里」という意味。
>>459氏が正しい。つか>>459以外の解釈はできない。
中心は高句麗の王都、平壌あたりとも考えられるし、満洲の旧王都とも考えられる。
ともかく括地志はそのへんを中心にした里程をいってる。
こんな簡単な漢文を曲解するとか、よほど漢文慣れしてないんだな。
で、5国(実は4国)のうち朝鮮・沃沮・濊貊の3国は当時は高句麗領だけど、
独立国じゃないってだけで三国志東夷伝以来、地名としては認識されてたし
中国人からしたら高句麗本土と朝鮮はもともと中国の玄菟郡と楽浪郡だし、
東濊や沃沮は高句麗と楽浪郡がその宗主権を争ってきたところ。
分割表示したって別に不思議でもなんでもない。
(続く)
- 479 :
- >>478の続き
>>459氏の里程を実際の地図にのせると、東の日本海沿岸は海岸線が大きく蛇行して
ウラジオストックあたりと元山、咸興あたりでは経度がずいぶん違ってしまって決められない。
南の新羅との国境線は、三国史記地理志の説は新羅の全盛期(高句麗滅亡後、渤海国との国境)であり、
当時の高句麗との国境線はもう少し南にさがっていたのではないかと思われるが高句麗も末期だし
三国史記地理志の説のままでも今回のような大雑把な話なら誤差のうちとして認めていい。
靺鞨と高句麗の国境はよくわからぬ。世界史地図なんかでは正確なところは細かく正確だが
よくわからないところは適当に線を引いてるので信用ならない。
ただ、新羅との国境から北へ2000里というのは、長春のあたりかな?
高句麗と靺鞨との国境としては最北端の部分だろう。
はっきりしてるのは西の営州だけだ、ここは今の朝陽市。
括地志は朝陽からまっすぐ東へ日本海にぬけるまで行くと1300里だといってる。
この線を西900里と東1300里に分ける点は、
「今の通化・桓仁・通溝をふくむ一帯、ほぼ高句麗の旧王都圏」でもいいような気もするが、
少し北にずれすぎて合わないような気もする。どっちかっていえばだが平壌のほうがいいだろう。
なんにしろ「三韓の地が東西四百里」といってるようには読めない。
孫栄健はおそらく平壌をほぼ黄海の海岸だとみなしてその四百里を
半島の東西幅に同定できると思ったんだろうが、はたしてそんなこと言えるかね?
南北に長い半島では北部と南部で違うし、現代と違って北部の「朝鮮=楽浪」と南部の「三韓」は
まったく別の異質なもので、両者をごっちゃに考えてる人間は朝鮮人にも中国人にも日本人にもいなかったろ。
(続く)
- 480 :
- >>479の続き
で、括地志の記述を実際の地図にあてはめた上で、
1里を計算するとかなりドンブリ勘定だけど450m〜500mくらい。
(この数字はgoogleマップで歩かせてみただけなので適当ですw)
唐代の1里については最短320m説から最長559.8m説まで6つも説があってよくわからぬ。
孫栄健は唐里は550mというが典拠はあげてない。
平壌から日本海への一番近いところというと元山のあたりで、ここまで200kmちょっとしかない。
220kmぐらいでもいいが250kmは無い、というぐらいの感じ。
なぜこんな狭いのかっていうと朝鮮半島の一番細くくびれた部分で湾が大きく入り込んでる部分だから。
これが400里だというなら1里は500mちょい。
三韓の地が方四百里だとは括地志は直接は言ってないが、括地志での1里を400倍しても
「200kmちょい」しかないのだから、方四百里では一回り小さすぎるように思う。
以上が>>477氏への答えです
(続く)
- 481 :
- >>480の続き、ここからは回答でなく、個人的な意見です
じゃ仮に「露布で十倍説」を却下したとして、
よく言われるありきたりな「五倍誇張説」はどうかというに
韓地の方四千里を「五倍説」でみると実地800里になって今度はあまりにデカすぎ、
これなら十倍説のほうがちょい小さめすぎるけどかなりマシにみえる。
ただ、倭地では十倍説だと小さすぎ、五倍説の方が適合的にみえるのがどうしたもんだか…。
もしやこれは孫栄健がいう「露布」とは無関係に里程は「韓で十倍、倭で五倍」に設定されてるんではないか?
そもそも露布ってのは庶民層でも物知りはわかってるんだろ(孫栄健がそう書いてる)
庶民でもしってるんならバレバレで隠す意味がない。
それに露布ってのはやっつけた敵兵=味方の勝利を十倍に誇張したり、自軍の兵力を十倍に宣伝したりするものだろ
行軍距離を十倍にするとか聞いたことがない。
行軍距離を十倍に宣伝したら下っ端の兵隊だってわかるだろ
「うちの大将やばくね?」って思われかねないよw
- 482 :
- >>478
それはない、
括地志のいうところは「東は海まで400里、西は営州まで900里、あわせて東西1300里。
五国の地の
国の東西が1300里だとかかれている
- 483 :
- >>482
名無史さん 2018/05/01 15:01:22
「朝鮮高麗貊東沃沮五國之地國東西千三百里南北二千里在京師東
ほら、
五国の地の、国の東西が1300里なわけよ。
あわせて1300里では、ないなあ。
それは無理だ、無理
- 484 :
- 俺(>>435,>>481,他)がこの本で感心したのは露布の件ではなくて
一万二千里の数字あわせを邪馬台国じゃなくて奴国にしたことだよ。
孫栄健より以前にも、卑弥呼は二人いたとか
邪馬台国と女王国は別の国だとかの説はいくつも現われては消えていった。
だけど奴国に倭国の中心実体を設定したのは俺の知る限り初めて。
(あくまで36年前の段階でってことです)
奴国重視は俺も自説をつくる上で大いに参考になりましたw
ただ、36年前の古い本なのに増補した部分はどうでもいいような内容でがっかりw
この人、理系(IT系?)の人のようでこの36年間の邪馬台国論争の
進歩(だか退化だかw)をまったくご存知ないようだよね
- 485 :
- >>478
また、
「朝鮮高麗貊東沃沮五國之地國東西千三百里南北二千里在京師東
東至大海四百里北至營州界九百二十里南至新羅國六百里北至靺鞨國千四百里」
西は営州まで、920里なの?
900里なの?
どっち?
決めてよ。
- 486 :
- >>482-483
だからおまえさんは字が読めないっていうんだ
それとも字が読めないんじゃなくて揚げ足取りのつもりかな?
「東西あわせて」と「五国の東西」は別になんも矛盾してないよ。
地図で描いてみれば同じ範囲になるから描いてみ。
同じことだから、指してるものが。俺はわかりやすく意訳しただけだよ
意訳が通じないで言葉尻ばかりいってるのを「字(の意味)が読めない」というのよ
- 487 :
- >>485
他が100里単位だから、900里が正しいんじゃね
- 488 :
- >>486
あのですね、
920足す400が
1300だと答えたら、小学校の先生が怒りますよ。
その答えを見て、お母さんも怒りますよ。
- 489 :
- >>487
それは天才だけに許された読み方です。
僕のような凡人は、920里と書いてあれば920里と読みます。
- 490 :
- 蕎麦を食べないと、初歩的な算数ができないのである。
ラーメンばかり食べてると、計算もできないのに、個人攻撃をするのである。
食生活が、すべてである。
だから、邪馬台国が出雲だと、何回言ってもわからないラーメン野郎がおおいのである。
こんな簡単な算数で、古代史を論じるから、
竹内まりあの旅館が不振なのである。
- 491 :
- 920足す400が
1300だと答えたら、小学校の先生が怒りますよ。
その答えを見て、お母さんも怒りますよ。
ではない。
お母さんが、泣くのである。
- 492 :
- >>486
蕎麦を食べなさい。心が洗われ、頭が良くなるから。
ラーメン厳禁。
ウドンは、まあ好きなように。でも、食べ過ぎはダメ。
蕎麦は食べるほど賢くなる。
- 493 :
- 伊都国王は蕎麦を食べないから、邪悪な心になった。
卑弥呼を殺した。
なるほど、
それから新羅に逃げて、さらに出雲に来た。大国主を婿にした。
だれか意味わからものがいるかなあ?
- 494 :
- 意味わからんぞ
- 495 :
- 海流がわかれば、北九州と出雲と越前と半島は意外と近い。高句麗船も渤海船も、このルートを航海した。継体天皇はこのルートの有力者だ。海だよ、そして蕎麦。
北九州と出雲と越前と、このルートが、当時の最先端地帯だ。先進地域だ。海だよ。
この本の北九州説は、取り敢えず正解だが、本家は出雲だ。
なぜか、
蕎麦の産地だから。
- 496 :
- 蕎麦より稲の方が人口支持力が高い。
蕎麦の地方を稲作で塗り替えたのが出雲だ。
- 497 :
- >>494
新羅のソシモリだったかに逃げた。亡命した。蕎麦がないから、出雲に渡った。
- 498 :
- >>495
>北九州と出雲と越前と、このルートが、当時の最先端地帯だ。先進地域だ。海だよ。
忌部(海人)一族が開拓していったルートだね。
出雲人は出雲の祖「出雲忌部」に崇敬の念を忘れないように。 @阿波
- 499 :
- >>496
人口指示力より、美味いか不味いかだ。
白いご飯を否定はせんが、
蕎麦は美味い。
- 500 :
- >>498
出雲には。勝部、物部、珍部やら変な名前が多い。阿波の人間に日本海が航海できるわけがない。
徳島駅前は、なんだ?
ラーメン屋ばかりだ。心が曲がっている。
- 501 :
- >>496
>蕎麦より稲の方が人口支持力が高い。
そうなんだけど、如何せん、弥生の大洪水で米が採れなくなったんだから仕方がない。
そこで、颯爽と忌部一族が登場する。背に腹は代えられぬ。 雑穀で命をつなぐ最新の栽培術を全国に拡めていった。
だから、忌部一族は神と称えられた。 @阿波
- 502 :
- >>500
>出雲には。勝部、物部、珍部やら変な名前が多い。
忌部も多いだろ?
>阿波の人間に日本海が航海できるわけがない。
心配ご無用。 倭国(阿波)の海人族は半島まで出掛けて鉄鍛冶材料を運搬しているから。 @阿波
- 503 :
- >>502
まさか、邪馬台国は阿波論者じゃないだろうな。
おの方向音痴ばかりの。
- 504 :
- この本の全体方向は正しい。ここまでの本はない。
だが、
卑弥呼に高祖山に宮をつくれ、
伊都国王に一大卒になれと指図したのが、出雲のボスだったことが書かれていない。
そこは、この本の欠点だ。
全体方向は正しい。
- 505 :
- 出雲の大国主を倒して高祖山に降臨したのが帥升「邇邇芸」
- 506 :
- >>503
>まさか、邪馬台国は阿波論者じゃないだろうな。
>おの方向音痴ばかりの。
末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)
↓【東南】陸行500里 福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】 豊後水道 水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛辺り)
↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察
女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)
↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)
女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。 @阿波
- 507 :
- >>506
あの、村おこしに邪馬台国ネタをやってるという阿波人か?
鳴門の渦巻きに飛び込みなさい。
- 508 :
- >>507
>心配ご無用。 倭国(阿波)の海人族は半島まで出掛けて鉄鍛冶材料を運搬しているから。 @阿波
反論はないのかね?
出雲人は出雲の祖「出雲忌部」に崇敬の念を忘れないように。 @阿波
- 509 :
- >>505
まあ、奴国に金印が与えられて、大乱でその宗女が卑弥呼だから、
普通に考えれば、
卑弥呼は奴国人となる。
これは当たり前の話。
奴国王の宗女が、奈良や阿波にいるはずがない。
でも、出雲の男を婿養子にして、卑弥呼は生まれた。
- 510 :
- >>508
村おこし邪馬台国が何を言うか、
銅剣の一本でも出してみろ
- 511 :
- >>507
>>506に 反論はないのかね?
出雲人は出雲の祖「出雲忌部」に崇敬の念を忘れないように。 @阿波
- 512 :
- >>510
>銅剣の一本でも出してみろ
そんな古臭いものを持ち出してどうするつもり? そんなものでしか倭国(阿波)に対抗できないと思っているんだね? 残念でした。
徳島県で現在までに発見されている銅剣数は細形,平形を合わせて源田遺跡の細形銅剣1本,神山町左右山の平形銅剣2本,
同じく東寺で平形銅剣3本と美馬郡西祖谷山五社大明神の平形銅剣1本で合計7本となっている。
因みに源田遺跡では袈裟祥文銅鐸3個も銅剣と一緒に出土している。 @阿波
- 513 :
- >>510
>銅剣の一本でも出してみろ
いくら、九州や畿内のトンデモ説が倭国(阿波)に対抗しても、所詮無理。 遊ばれるだけだよ。 @阿波
- 514 :
- >>512
丸が二桁違うだろうが。
でも阿波人は立派だよ、
同じアホなら踊りゃにゃ損損で、無責任にいいたいほうだいができる。
そんなんで村おこしになるか?
- 515 :
- >>513
>いくら、九州や畿内のトンデモ説が倭国(阿波)に対抗しても、所詮無理。 遊ばれるだけだよ。
もっとも、九州や畿内のトンデモ説は、「其山有丹」で邪馬台国論争に端から参加資格無いんだけどね。 @阿波
- 516 :
- >>515
そんなもん、支配下の地域から持ってからせただけの話だ。、阿波の片田舎とか。中心にすべてが集まるのだ。
- 517 :
- ラーメンを喜ぶようなレベルで王都の資格はない。北九州は出雲の子分だから、都があってもいい。
- 518 :
- >>516
>そんなもん、支配下の地域から持ってからせただけの話だ。
魏志倭人伝では、女王国に「其山有丹」らしいよ? どうすんの? @阿波
- 519 :
- 出雲から筑紫に禅譲しだろうが
- 520 :
- >>517
>北九州は出雲の子分だから、都があってもいい。
その都ってどこにあるの? 「其山有丹」に該当しないから女王国じゃないよね? @阿波
- 521 :
- >>519
禅譲じゃない。艦隊を派遣されて降参したんだ。
出雲人は平和主義だ。
- 522 :
- >>518
それは女王の支配下という意味だろうが。冷静になれ。
つまり、すでに阿波の原住民は属国、奴隷だったということだ。もし阿波に丹がでるなら、それこそ、3世紀の阿波民は、北九州の奴隷だったというまぎれもない証拠だ。
阿波に高地性集落はあるか?
あるなら、やられていたのだ。
蕎麦を食べろ。賢くなって、そんなアホを言わなくなるから。
- 523 :
- >>522
>それは女王の支配下という意味だろうが。冷静になれ。
じゃ、「其山有丹」の国はなんという支配下の国かね? 倭人伝に書いてあるのかな? 冷静になれ。 @阿波
- 524 :
- 女王国は奴国であり邪馬台国は三十ヵ国の総称と言う基本的な結論に
説得力がある反論する人はいないようだな
- 525 :
- 倭国の山だろうが。つまり女王の支配下の倭国および阿波のような奴隷民の山だろうが。
倭人伝のどこに女王国から丹がでると書いてある?
倭国だろうが。
奴隷たちの住む阿波もふくめてだ。
- 526 :
- >>524
それは反論しない。、だから蕎麦を勧めてる。
- 527 :
- 阿波は邪馬台国四国説の信者のふりをした
皇国史観ウヨの工作員だろ
- 528 :
- >>525
>倭国の山だろうが。つまり女王の支配下の倭国および阿波のような奴隷民の山だろうが。
じゃ、女王国はどこにあったんだい? @阿波
- 529 :
- >>527
違う、
衰退する徳島県を憂う「村おこし青年隊」だ。
踊るアホウに見るアホウ主義者だ。
中身はいらんのだ。
いっちょ噛みをしたい踊り子だ。
だがネタがない。丹が出るらしい。それしかない。
しかし、それは三世紀に阿波は北九州の奴隷であったという証拠だが、認めたくない。
哀愁を感じるぞ。
その点、出雲は堂々としている。艦隊を送られて、一戦もせず、男らしく、あっさり降伏した。
- 530 :
- >>528
このスレのテーマはなんだ?
知らずに騒いでいるのか?
- 531 :
- >>481
松浦までで、実距離は中国の里の1/5程度であることがわかっている。
これを前提として5倍誇張説を仮定する。一里あたり87mである。
5倍誇張説の場合の計算結果と推定場所
帯方郡の場所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Ancient_Korea_Taihougun.png
帯方郡黄海北道鳳山郡説より、帯方郡側の海州を起点とする。
帯方郡から狗邪韓国まで、乍南乍東7000余里 7000里/5=1400里*435m=609km 海州―釜山広域市 700km
狗邪韓国から松浦まで3000里 3000里/5=600里*435m=261km 釜山広域市−唐津 210km
松浦から伊都国南東500里 500里/5=100里*435m=43.5km 唐津―小城 38.3km
東南100里の奴国まで 100里/5=20里*435m=8.7km 小城―佐賀 10.1km
東100里の不弥国までの道 100里/5=20里*435m=8.7km 佐賀―大川 9.5km
南水行20日の投馬国まで 20日/5=4日*30里=120里*435m=52.2km 大川―玉名 47q
水行10日、陸行1月の邪馬台国
水行10日 10日/5=2日*30里=60里*435m=26.1km 玉名―緑川 26q
陸行1月 30日/5=6日*30里=180里*435m=78.3km 緑川―人吉 86q
侏儒國 南4000里 4000里/5=800里*435m=348km 熊本緑川流域―屋久島 315km
裸国、K歯国 水行一年 365日/5=73日*30里=2190里*435m=952.65km
熊本緑川流域-奄美大島 580km
熊本緑川流域-沖縄本島 824km
おまけ
韓地、方4000里 (4000里/5)^2=800里^2=(800*435)^2 =121104km^2
wikipediaより、
韓国 面積 100,210km^2
- 532 :
- >>530
>このスレのテーマはなんだ?
知らずに騒いでいるのか?
このスレのテーマは「邪馬台の全解決」らしいよ。 @阿波
- 533 :
- >>532
阿波に高地性集落はあるのか?
あるなら、海からのギャング団に、奪われる、殺され、犯されていた。
高地性集落があるなら、当時の倭国の中心には、なり得ない。
あるのか?
- 534 :
- 阿波はずっと箸にも棒にも掛からん事を繰り返し書いて徳島の評判を落として平気だ
徳島の村おこしとか観光が目的ではないよ
- 535 :
- 出雲には高地性集落はない。ある程度の国力があり、攻められたら、アッサリ降伏して、条件交渉したからだ。
わが大国主は、セックスは大好きだが、強い相手と戦うのは大嫌いという、人間愛のかたまりだったらしい。
- 536 :
- >>533
>あるなら、海からのギャング団に、奪われる、殺され、犯されていた。
なに言ってんの? 意味不明。 なんかに憑りつかれた? @阿波
- 537 :
- >>536
高地性集落を調べなはれ、
なぜ作られたか?
目的はなにか?
- 538 :
- >>537
>高地性集落を調べなはれ、
はいどうぞ。 @阿波
「桧はちまき山遺跡」
桧はちまき山遺跡は、軍事的防御性をもつ遺構や石鏃などの武器が少ないことなどから、日常生活が営まれた高地性集落であったと思われる。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%C9%B0%A4%CF%A4%C1%A4%DE%A4%AD%BB%B3%B0%E4%C0%D7
- 539 :
- >>537
>高地性集落を調べなはれ、
こっちの高地性集落は、朝鮮半島との通交が認められるね。 @阿波
「カネガ谷遺跡」
特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7
- 540 :
- >>524
伊都国と奴国、それらの間にあり全てを統括したのは高祖山・クシフル山の高千穂宮。
それらを合わせての女王国。
- 541 :
- >>521
>>>519
>禅譲じゃない。艦隊を派遣されて降参したんだ。
>出雲人は平和主義だ。
まあ、実際にはそうなんだが、流血がほとんどなかったので、出雲の国譲りとされている。
- 542 :
- >>541
- 543 :
- >>541
だからな、
私はね、出雲の国譲り神話と、神武東遷神話は、同時期の、日本海戦線と、瀬戸内海戦線の、両面作戦じゃないかとか妄想するわけよ。
朝鮮海峡を渡りつづけた海上勢力やね。
地盤的には北九州。
そんな気がする。
どう思う?
- 544 :
- >>543
この本は正解だと。
出雲神話が再解釈できる。
- 545 :
- 国譲り神話も、
国引き神話もだ。
- 546 :
- >>543
ないね。
何世代も違う。
- 547 :
- >>543
「桧はちまき山遺跡」や 「カネガ谷遺跡」が九州や畿内に在ったとしたら
きっと大騒ぎするんだろうね。 @阿波
- 548 :
- 讃岐うどんとそばとトンコツラーメンの三つ巴いいぞーこれ
- 549 :
- >>547
君は、日本史を高校からやり直しなさい。
私は、出雲の郷土史を、この本も読みながら、考え直す。
勉強しなさい。
- 550 :
- この本は正解している。
それを出雲に展開する。
- 551 :
- >>549
>私は、出雲の郷土史を、この本も読みながら、考え直す。
そうだね、君は出雲忌部の勉強が足りない。よく出雲郷土史を勉強して出雲忌部を勉強しなさい。 @阿波
勉強しなさい。
勉強しなさい。
- 552 :
- >>551
おバカ
- 553 :
- >>548
大和は三輪そうめんか?
- 554 :
- そうめんは、イボじゃないの?
- 555 :
- まじめにやりなさい @阿波
- 556 :
- >>555
アホウ、
何が忌ぶだ。阿波の忌部と出雲とどちらが格が上だ。
昔の日本人には名字はない。部とは、部民、職能の表現だ。
物部は軍事だから、すごいが、それ以外は散髪屋、魚屋程度だ。ほこんどが半島からの渡来人のプロだ。それが名字になった。
忌部氏は後世のとらいだ。ばかたれ。卑弥呼の時代の五百年あとだ。
- 557 :
- 揖保ってどこ?
- 558 :
- >>556
>忌部氏は後世のとらいだ。ばかたれ。卑弥呼の時代の五百年あとだ。
無礼者! 控えよ。
「蘇我氏」も「物部氏」も「中臣氏」も、元を辿れば全部忌部氏一族。
ここでいう忌部氏とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部氏とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
- 559 :
- そうめんは、南関、島原、神埼
- 560 :
- >>559
地名に「天皇」がある旧美馬郡半田町の「半田そうめん」もいけるよ。
だけど、「天皇」って・・・ @阿波
- 561 :
- 揖保の糸は美味しいね
- 562 :
- 揖保の糸は美味しいけど、揖保には「王都」の匂いがしないね。 @阿波
- 563 :
- 素麺といえば三輪
- 564 :
- スレ荒らし工作員の自演が続いている
- 565 :
- >>562
嘔吐の臭いなんていらんわ
- 566 :
- >>543
正解
- 567 :
- >>566
うん、
今なら海兵隊だが、倭寇でもいい。それほど組織的でもないだろうが、流れな。
- 568 :
- あげ
- 569 :
- >>543
出雲古伝によると
日本海側に主将は田道間守と物部十市根で
瀬戸内の主将はイクメイリヒコこと垂仁天皇
- 570 :
- 出雲人だが、出雲が「豐葦原中國」とされるのが、逆に不可解。でも高天原の出雲攻略は高皇産霊が指揮し、最強の武将を出している。
やまと攻略は、だいたい敵地に攻め込んだ印象だが、
出雲は、はじめから我々が統治する権利があるとする。
国引き神話は、新羅との密接な交流を表現するものだが。
- 571 :
- 高皇産霊を、この本はミスターややことする
まあ神話は少しの史実に枝葉をつけたものだが、高皇産霊が主催し、船団を派遣している。
出雲から、大量の銅剣が出土するが、
この本に従って、高皇産霊を北九州勢力のリーダーと仮定すれば、
- 572 :
- つまり、瀬戸内海方面と日本海方面の二つだ。
朝鮮海峡を渡りなれて、水軍能力をもつ北九州勢力の、日本列島統一の流れになる。
神武東遷神話も、国譲り進路も、北九州勢力の侵略戦争の話になるか、今までは、その出撃のスタートラインが判らなかった。
この本は正解だ。
北九州からなら、海流に乗り、出雲の稲佐の浜まで簡単に船団が、これる。
だがヤマトなら、瀬戸内海を西に行き、下関で回って、今度は日本海を東となる。あり得ない大航海だ。
この本は正解だ。北九州勢力だ。奴らが天津神だ。
- 573 :
- バイキングがイギリスに王朝をたてた。
- 574 :
- >>572
>神武東遷神話も、国譲り進路も、北九州勢力の侵略戦争の話になるか、今までは、その出撃のスタートラインが判らなかった。
>北九州からなら、海流に乗り、出雲の稲佐の浜まで簡単に船団が、これる。
どちらも筑紫かその付近が出発地であることは確かだが、時代は違う。
- 575 :
- >>572
>朝鮮海峡を渡りなれて、水軍能力をもつ北九州勢力の、日本列島統一の流れになる。
朝鮮海峡を渡りなれて、水軍能力をもつのは、倭国(阿波)の海人族。 北九州にそんな勢力はない。
>神武東遷神話も、国譲り進路も、北九州勢力の侵略戦争の話になるか、今までは、その出撃のスタートラインが判らなかった。
神武東遷神話も、国譲り神話も、倭国(阿波)内勢力の侵略戦争の話。 @阿波
- 576 :
- 古代イスラエルより渡阿波したのがエフライム部族=忌部
- 577 :
- 当時の海軍力は
安曇氏と
その係累の和邇氏なんだよなぁ。
瀬戸内海民は、オオヤマツミ族と住吉族だから
別部族と該当スレで書き込みがあったよ。
- 578 :
- >>577
それね、元々はみんな忌部(海人族)なのよ。 後世に色々分類されてるだけ。 それぞれの忌部(海人族)の出身地が違ったんだろう。 @阿波
- 579 :
- >>576
そうだったのか!
わかった、阿波人の脳味噌が。
イスラエルだったのか。
参りました。
付ける薬はなかったのか。
- 580 :
- あと、君とは会話しないね。
エホバの神とお話ししてなさい。
- 581 :
- >>575
阿波なら瀬戸内海の水軍だろ
阿波の水軍が朝鮮海峡を渡れる!?
- 582 :
- 【アミシャーブ計画】 日本人にとって骨の髄まで凍り付くような恐ろしい話! 【スタクスネット攻撃】
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1525405421/l50
神道、皇室、ダブル解体の危機!
- 583 :
- >>581
>阿波なら瀬戸内海の水軍だろ
阿波は太平洋側だよ。
>阿波の水軍が朝鮮海峡を渡れる!?
朝鮮半島まで行ってたんじゃないの? @阿波
「カネガ谷遺跡」
特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7
- 584 :
- >>581
>阿波の水軍が朝鮮海峡を渡れる!?
鍛冶素材=鉄鋌を取りに、朝鮮半島まで行ってたんじゃないの? @阿波
「矢野遺跡」
そのほか、鉄器を製作したと考えられる鍛冶遺構も見つかっており、集落内での鉄器生産を考える上で興味深い。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7
- 585 :
- >>577
>瀬戸内海民は、オオヤマツミ族と住吉族だから
博多の海の民じゃないか?
- 586 :
- 歴史の出発点を確定することは非常に困難です。私は本著を何度も読み返しました。さらにAmazon他の評価も読みました。同意見です。画期的です。
Amazonの書評と同じ意見です
- 587 :
- >>47
逆に大和政権が倭国と別と考えた場合、大和政権は倭国からの繋がり、
ついては中国の歴史書の記述を非常に重要視したと考えられる
もしかしたら「ヤマト」の名も邪馬台国からとったのかもしれない
- 588 :
- >>587
やまと政権なるものは、五六世紀いごのもので、三世紀には存在しないと考えましょう。
なぜ、神武東遷の伝承があるのですか。
やまと政権が言いたければ、神武東遷を否定しないと成り立たない筈です。
- 589 :
- やまとは、神武ひきいる勢力の食い物になって、そこに新しい政権ができたのです。
これが日本史です。
神武天皇ですね。
整理すれば、だれでもわかりますね。
- 590 :
- >>588
五六世紀以後の大和政権が作成した歴史書の中で
倭=ヤマトと宣言したということについての話なんだが
- 591 :
- 神武天皇が実在かどうかはわかりませんが、その勢力がやまとを制圧してたてたのが「やまと政権」ですよ。
それは、日本書紀などにあるとおり、九州から来たのです。
わかりますか。
神武天皇の制圧したやまとは、日本書紀や古事記によると、たいした勢力は有りません。
神武以後にやまと政権が成立したのです。
わかりますか。
- 592 :
- >>591
>それは、日本書紀などにあるとおり、九州から来たのです。
九州から、「どこへ」来たの? そこへ来ていたという痕跡はなに? @阿波
- 593 :
- >>591
旧唐書では別の国が倭国を併合した可能性も書かれている。
その可能性を採った場合に、自国の歴史書で本来別の国である倭とのつながりを宣言したということは
中国の歴史書を多分に意識したと考えられるし、そこからヤマトの名前も邪馬台国から借りたとも考えられる。
さらには九州から来たと言うのも作られた話かもしれないということでもある。
それはまた逆に、倭国、邪馬台国は九州にあったということでもある。
- 594 :
- >>593
>さらには九州から来たと言うのも作られた話かもしれないということでもある。
そういうこと。 それは、倭国(阿波)からやってきたという話なだけ。 @阿波
- 595 :
- >>594
君はキチガイ系だから、静かにしてなさい。エホバの神に朝晩いのり、あほが治るように祈りなさい。
- 596 :
- >>593
そこだなあ、
小さなどこからから来た天津神が、おおきな国津神の領土に侵入したという話だなあ。
倭国は、もと小国と書かれる。
地域的にはちいさな北九州が、あちこちを山口組のように、かなり時間をかけて「東遷」したわけだ。
百年とか、そんな時間。
- 597 :
- >>583
阿波のどこが太平洋側だ?
阿波が太平洋側?
脳みそが腐っているのか?
- 598 :
- 航路の話だろ
- 599 :
- 【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。
筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓ ↓
↓ 近江三上祝→東濃→纏向
↓
宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉
【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入
1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入
2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入
3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入
- 600 :
- >>597
>阿波のどこが太平洋側だ?
そんな疑問、初めて聞いた。 @阿波
- 601 :
- >>599
関門海峡が開削
それは穴戸伝説、弘法大師がひょいと池をつくっは た、山を動かしたと同じ。
- 602 :
- 弘法大師が土木工事を指揮したんだろ。
- 603 :
- >>602
関門海峡開削は、今でも無理や
伝説と史実はわけんとあかんが
- 604 :
- >>602
それは四国だけ、
全国にそんな話がある、
- 605 :
- >>603
ちょっと削れば、あとは勝手に水流で拡大するんじゃないか?
- 606 :
- >>605
ちょっとって関門海峡は10qくらいの長さだぞw
- 607 :
- >>606
幅50センチ深さ1メートルぐらいの溝つなげてなんとかならないかな
- 608 :
- >>607
ドラえもんに頼めば
- 609 :
- あの皇后さんは魔術使いだから、簡単にできる。朝飯前だよ。卑弥呼も出来る。鬼道はスーパーマンより強い。関門海峡など屁でもない。
- 610 :
- >>607
ならんなw
- 611 :
- 元から穴が空いてたんだよ
船が通れるようにしただけ
- 612 :
- トンネルの屋根を突き崩した感じだね。
あとは勝手に潮流が掘り下げるだろう。
今だって拡大中かもね。
- 613 :
- >>612
瀬戸内海の干満差は4mだから海抜-5mまでは掘らないと海水が流れない
幻の陸地の標高が何mあったか知らんが平坦な5mくらいの土地としても10m以上は掘らないといけないな
深さが10mなら幅は2倍くらいないとが斜面が崩壊して危ないから相当な大工事だな
浸食によって現在の幅になるまでに何百年かかののかなw
- 614 :
- >>613
関門海峡開削など、妄想以前だよ。
神話や伝説のほとんどは、そんなもん。魔術師の世界だよ。
つまり、いかに日本書紀などがあてにならんかな証拠だよ。
- 615 :
- 万里の長城以上の大工事だが、息子が務めている会社なら出来る。談合なしで請け負う。
- 616 :
- 万里の長城の方が大規模だろ。
それに比べれば、不可能ではない。
- 617 :
- 地名に穴門とあるからな
- 618 :
- >>616
海の工事は難しい。五洋建設という専門会社があったが、破綻して鹿島建設に救済された。
規模より難度ね。
- 619 :
- まあ、大昔は日本列島も大陸と陸続きだったらしいからなあ。本州と九州も繋がっていたかも。、ただし何十万年前な。
- 620 :
- 瀬戸内海の誕生は縄文海進によるもの
このあたりの記憶から神話を作りたかったんじゃね
http://www.infokkkna.com/ironroad/dock/walk/oskkaishin.pdf
- 621 :
- 女王国は奴国
邪馬台国は三十ヵ国の総称
距離は十倍
墓は平原
卑弥呼はアマテラス
これで決まりだろう
- 622 :
- >>620
ほう、
卑弥呼の時代の海面は今と比べてどうなの?
大阪だけと、標高十何メートルの四天王寺は、遣唐使船の船着場だったとか。
- 623 :
- >>621
正解、アマゾンの書評もほとんどそれ。
決まりだ。
- 624 :
- 【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲
邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg
- 625 :
- アマテラスが中国に朝貢していた卑弥呼であり、たったの1700年前の人物。
そして中国史書が正しくて記紀はデタラメ。
これがウヨには都合の悪い事実だから邪馬台国スレを荒らしてるんだな
- 626 :
- 蕎麦を食わないから売国ブヨになるニダ
蕎麦食え蕎麦!
- 627 :
- おい
阿波の人は
今年の阿波踊りはどうなんの、
何か知ってる?
アホな喧嘩して、開催できないと聞いたが?
- 628 :
- 行こうかと相談してたのに。
- 629 :
- >>628
絶対、毎年通り開催しますから。
是非、來徳し、阿波踊りを堪能してください。
そして、倭国(阿波)を理解するために、取りあえずは徳島県立埋蔵文化財センター、徳島市立考古資料館の見学をお勧めします @阿波
- 630 :
- 阿波人はバカばかりか?
何?
阿波踊りはやめる?
- 631 :
- >>626
出来損ないの動物以下め。
お前ごときが、高貴な蕎麦の芸術がわかるどころか、蕎麦を語るとは、クズめ。
知能指数の低い糞だな。
でも、二ちゃんでも、期待はしないが、
時たま、ゲットできる。
お前はそこらの糞だ。
蕎麦を侮辱することは許さん。知的障がいのおバカ。
- 632 :
- 日本人なら米を食え。
- 633 :
- >>632
小作人の子孫が。
日本人が、普通に米が食えるようになったのは、マッカーサーの農地解放以後だ。
それまで、農民は米げ食えなかったのだ。ばかめ。
- 634 :
- 蕎麦やひえを、食ってたのだ。糞が。
- 635 :
- 国会解散!
- 636 :
- >>635
阿波踊りは復活せよ。徳島県民から取り上げろ
- 637 :
- 博多の奴国に金印で、そこが乱になり、収めるために卑弥呼が共立された。すると卑弥呼か博多の出身なのは当然だ。
これでわかった。筑紫の話なのだ。
- 638 :
- >>637
だから九州説が時代遅れと言われるんだね
- 639 :
- このスレ(というかこの板か)つくづくキチばっかだな。昔からだが
- 640 :
- 倭国大乱の解釈で、だれが共立したかがまったく変わる
- 641 :
- >>639
何をいくのよ、
片山さつきという財務省出身の自民党国会議員のネタは、ほとんどが二ちゃんからだよ。
- 642 :
- >>639
あんた以外は、みなそうかもしれんなあ。
あんたは大丈夫。
- 643 :
- >>639
>このスレ(というかこの板か)つくづくキチばっかだな。昔からだが
ブーメラン
- 644 :
- その自爆テロ発言、おまえも巻き込まれてるから
またブーメランだな
- 645 :
- まずは検討の入口として、「一大率」は「一人の大率」であることを確認したい。
中島一憲氏は「大率」の用例として「墨子」の「迎敵祠」を引用し、「大率」は「城郭の
上四隅に配置された師団長」であり「国際的に通用する官職名であった」とされている 2。
後代の百済の官職名に「大率」が見えることがこの理解の裏付けとなる。
具体的には、 二十四史の一つである隋書(百済伝-列伝四十六東夷伝百濟)に、「官有十六品 長曰左平 次 大率 次恩率 次棊ヲ 次杅率 次奈率 次將 服紫帶」とあり、大率という官職名が記載さ れている。
また、倭人伝が大率の読みに何の注釈も加えていないことも同理解と矛盾しない。
官職名が「大率」である以上、「一大率」は「一人の大率」である。
ttp://wvgr.web.fc2.com/6.Daisotsu.pdf
- 646 :
- >>645
あちこちにこのコピペしてるアホはこれ書いた本人なのかな?
- 647 :
- 違うが、意見はほぼ同じ。
- 648 :
- >>646
とは限らないが、コピペがアホであることは間違いない
- 649 :
- 大率とは何かがカギなわけだが、それが官名であることがわかる資料があるわけだから、無視はできない。
- 650 :
- そして地方官なー
- 651 :
- 官名じゃないっつの
単にいろいろな意味なり用法なりある中に
城郭守備兵の師団長の意味もあれば百済の位階の一つもあるってだけの話
伊都国に常駐する一大率が城郭軍の師団長なのか?
倭の国々には城郭なしって書いてあるやんw
- 652 :
- 倭と百済は近い関係だから、百済を参考にするべきだね。
ただ、一つの国を担当する官ではなく、広域(対馬海峡)を支配しているので、海軍力を持っていただろう。
明治になり、最後の帥宮は初代陸軍大将になったので、将軍的な意味合いもあったかもしれない。
- 653 :
- 三世紀にはまだ百済の大率はないだろ
明治の話なんてぜんぜん関係ないし
- 654 :
- 倭の最初に記録された人名は筑紫にいた帥升、卑弥呼の時代は筑紫伊都に大率(率は帥と同じ)、景行天皇の時代に筑紫の梟師、その後は筑紫太宰の帥。
偶然か?
- 655 :
- >>647
私も、久しぶりに真剣に考えている。
- 656 :
- >>654
同じ意味のことを「漢文」という同じ言語で表現してんだから
偶然も糞もないだろw
意味がないほどの必然だぞ
倭国王帥升は倭国の「主帥」で名が「升」
主帥も大帥も梟帥も同じ
- 657 :
- 36年も前の本にいまさら驚いてるアホどもは
いままで何を学んで邪馬台国を考えてたのやらw
- 658 :
- 畿内説の奴らに言ってやれ。
- 659 :
- 畿内説だけじゃなく
邪馬台国論争で飯を食うためだろ
- 660 :
- 平原遺跡が発見された時、魏志倭人伝は決着がついたはずだった。
- 661 :
- と、研究史をまるで知らないド素人が妄想してます
- 662 :
- 学者、専門家と言われる人の無能、詐欺師ぶりは凄い
- 663 :
- と、激しく思い上がっている傲慢な人が妄想してます
- 664 :
- 学者、専門家と言われる人が無能だから邪馬台国論争が終わらないw
- 665 :
- 学問的にはほぼ決着がついているのだが
- 666 :
- 考古学者は通説以上のものは出せんよ。
- 667 :
- 考古学者は説は出さないよ、説の基となる資料を出すんだよ。
- 668 :
- 絹や鉄製品、硯、その他装飾品等の出土状況からみて学問的にはほぼ決着がついてますね。
- 669 :
- そう言ってくれる学者がいないのが
九州説の致命傷
- 670 :
- 畿内説には考古学的な証拠が無いからなw
- 671 :
- 桃の種でホルホルしてたかw
- 672 :
- 伊都クズがいかに歴史学・考古学を知らないのかがよくわかる
- 673 :
- 無能な働き者が最も周囲に迷惑をかけるという典型だな
- 674 :
- これだけ材料が揃っているのに九州と結論できないなら、学者はタダ飯ぐらいと言われてもしょうがない。
- 675 :
- その材料が、みんなお前の妄想
ってことなんだが
事実が見えんか?
かわいそうに
- 676 :
- >>656
実は「升」は「タケル」の意訳で
「帥升」の本当の名前は「スメラタケル」だぞ
- 677 :
- 平原が本命だが、倭人伝の記述と合わんのがあかんかった。この本は記述あうとゆうてる。
あの遺跡しかないわ。
日本史のスタートラインだ。
- 678 :
- けっきょく九州はただ言い張るだけ
- 679 :
- >>676
帥がタケルの意訳では?
- 680 :
- 安本説
博多湾岸
奴国
- 681 :
- >>676
根拠は
思いつきはあかんで
- 682 :
- タブラツヒメがヒミコだよ。
- 683 :
- それは卑弥呼の末裔、最後の邪馬台国の女王。
時代が神功皇后と同じだから4世紀末。
- 684 :
- >>683
神功皇后を実在の人物と考えてるの?
それで時代が特定できると?
- 685 :
- 今だ!666ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
- 686 :
- 日本書紀の中でも創作が多い部分だとは思うが、人物自体はいたと思うよ。
天皇家の歴史としては不都合なこと(仲哀と応神の皇統断絶の疑いとか)も多いが、それでも書かざるを得なかったのだと思う。
- 687 :
- 2秒差か、あぶないとこだったわw
- 688 :
- >>679
「帥升」をスイショウやソツショウまたはその中古音上古音に相当する様な読み方をしても日本語の音韻には一致しない
ということは音訳ではなく意訳で考えるべき案件
「升」は「昇」の異体字(本来の字)
タケル(建/武)はタカ(高)の類語で、上に上るニュアンスは「昇」に通じるためこの「升」で訳された
「帥」には率いるという意味があり、魏志韓伝の中にも「渠帥」という現地民の首長の言及がある
スメラ(皇)はスマル(統る)の類語で、各地の豪族の上に立つ統一王を指すため、これが「帥」に訳された
合わせて「帥升」を「スメラタケル」と読めば上代日本語での王の呼び名としては自然なものとなる
- 689 :
- 梟帥と書いてタケルと読む。
帥、率の字にタケルの意味がある。
iPhoneもタケルで梟帥と変換できる。
タケルは帥の方の読みである。
- 690 :
- >>686
言ってることがわからんが?
いたの、
いなかったの?
- 691 :
- 事績に創作は多いが、いたと思う。
そうでないと応神天皇が生まれないしw
- 692 :
- 神功皇后を歴史判断の基準にしていいの?
- 693 :
- >>691
応神天皇を歴史判断の基準にしていいの?
- 694 :
- 応神天皇からは実在でいいのでは?
- 695 :
- >>694
万世一系主義なの?
- 696 :
- >>694
根拠は?
- 697 :
- の日本史で信用していいのは、日本書紀はなしで、日本書紀編纂以後は信用していいが、日本書紀の中身は信用できないが基本だよ。
編纂者による編集作品。作品だからね。
- 698 :
- そりゃ無茶だ。
7世紀以前が空白になってしまう。
- 699 :
- 応神は実在しなかったの?
- 700 :
- >>698
空白から再出発せねばね
- 701 :
- >>699
聖徳太子すら実在したのか?
推古天皇は女帝だが、その時に唐の使者が来たが、男のおうだった。聖徳太子でも推古天皇でもない。応神天皇どころではない。、飛鳥時代でも、そんなもの。
- 702 :
- つまり、日本書紀の記述より、裁判でもそうだが、利害関係のない第三者の知見が優先。唐の使者が嘘をつく理由は何一つ無い。
- 703 :
- 利害関係のある当事者の陳述書は、裁判官は信用しない。
歴史も同様。
- 704 :
- >>701
男の王だったとか、どこにもかいてないけどな
- 705 :
- 利害関係がない歴史書なんてない。
- 706 :
- 中国の春秋に対抗して神武天皇の時代を紀元前600年頃にしたんだろう
- 707 :
- >>700
日本書紀で信用できるのは神武東征ぐらいだろう
時代は全然違うみたいだけど。
- 708 :
- 日本書紀って長いんだぞ。
なんで神武だけ信用するんだ?
- 709 :
- >>704
日本書紀には、書いてないけど、歴史を勉強きたものなら、すぐ分かる話だぜ、
- 710 :
- >>704
妃と太子の名前があり、さらに後宮には女が数百人いたと。
- 711 :
- 飛鳥時代って、何年から何年?
- 712 :
- >>704
ちゃんと覚えてないが、
推古天皇、女帝だが、その時にあった男王の名は、
間違っているかも知れないが、
あまたらしひこおおきみ、
推古天皇でも聖徳太子でもない。身内ではなく、他人が、ただの訪問者がそう記録している。
これを否定しないと、日本書紀は成り立たない
- 713 :
- まして、卑弥呼、
神功皇后、
そんなカバな、
そんなもんから、邪馬台国?
- 714 :
- >>712
おおきみ
- 715 :
- >>712
しかも阿蘇山が書かれているんだよな。
- 716 :
- >>715
だったかなあ、
古田武彦氏は、だから九州王朝説をだしたが、
江上波夫説のように、ヤマトまで行って、あまたらしひこと、あったと考えるのが自然では
- 717 :
- 阿蘇を見ながらやまとに行く話だが
- 718 :
- >>716
すまん、
江上さんは、そんなことを言っていない。
- 719 :
- >>689
梟帥のタケルは梟の方が本体だ
「梟(ふくろう)」には猛々しい・強いという意味がある
「帥」「率」には「タケル」という訓はない
それらの字は率いる・統べるという意味だ
- 720 :
- タケルに統べるという意味があるんだよ。
梟は修飾語。
帥に意味がある。
- 721 :
- >>720
ソースもなしにそんなことを言うな
ヤマトタケルの武・健にそんな意味はない
- 722 :
- クマソタケルにはそういう意味があるけど。
- 723 :
- ないよ
「統べる(suberu)」なら「皇(sumera)」の方が意味も発音もずっと近いだろ
- 724 :
- 梟にタケルなんていう意味はない。
タケルは支配者の意味。
- 725 :
- >>724=クズは言い張ることしかしないな
- 726 :
- 梟帥やタケルについて思いつき並べるのは
もうちょっと古文や漢文を勉強してからにしろ。
きみらには早すぎる
- 727 :
- どちらにしろ漢和辞典も古語辞典も見ないアホはトンデモを言い張ることしかできない
- 728 :
- 魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。
魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日
後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。
邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
- 729 :
- >>728
それのどこが邪馬台国の時代なん?
- 730 :
- >魏略逸文
>帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里
孫栄健の『邪馬台国の全解決』では一万二千里ってのは奴国までの距離だっていうんだが
確かに謎解きというかパズルごっことしてはそうなる。
だから著者の孫栄健は30国の総称が邪馬台国だとか屁理屈いいながら
事実上「奴国=女王国=邪馬台国」としてしまっている。
しかし魏略には一万二千里は女王国ではなく「女国」になってる。
みな勝手に女王国の「王」の字が誤脱してると思い込んでるが
広志逸文だかなんだったか奴国を女国に誤った例があったろ
ってことは孫栄健みたいにややこしい理屈をひねらんでも
原資料では「奴国まで一万二千里」とあった、ってストレートな説でよくね?
- 731 :
- 聖徳太子すら、実在かわからんのに、日本書紀で三世紀の話はまったく無理やわ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/多利思比孤
- 732 :
- ヤマトに来た隋の使者があったのは、多利思比孤という男王で、嫁さんがいた。当然に女の推古天皇ではあり得ないし、聖徳太子ごとき人物もいない。
しゃうがないから、さまざまな学者がこじつけを言ってるが、無理筋ばかり。
飛鳥時代の話ですらこれだ。日本書紀や古事記で古代史を考えるのは、ある話ではない。
- 733 :
- >>732
タリシヒコは遣隋使が中国側に説明した話
- 734 :
- 国書に署名してあったんだろ。
- 735 :
- >>733
いや、
ネットで検索して、
隋使者が奈良まで来て、男王とあっている。
推古天皇も、聖徳太子もいない。、
- 736 :
- >>735
男王とあっている、という証拠なし
都市伝説
- 737 :
- >>735
日本書紀読まないと
- 738 :
- http://1book.biz/2015/09/23/post-3128.html
聖徳太子はいなかったのだ、
日本書紀は天武天皇政権の作品
- 739 :
- 飛鳥時代でも、このレベル。三世紀の古代史を日本書紀で考えるなど、話になりません。
そんな専門家は、今はいません。
- 740 :
- 日本書紀なんて最後の7世紀辺りの記述は全く信用できないよな
まして3世紀とか話になりませんわな。
- 741 :
- https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/tutor92/entry-11514715856.html
隋の使者が奈良で男王とあった。
推古天皇も聖徳太子も、影も形もなし。
日本書紀は嘘、勉強すればわかります。
- 742 :
- つまり、
邪馬台国問題で神功皇后とか応神天皇とか出すお爺様は、その時点で退場しかないのです。
日本書紀は天武天皇政権の作品であり、
それを承知の上で、そこから少しでも歴史を復元するのが、今の学界らしいです。
- 743 :
- >>741
ブログなんか貼るなよ
日本書紀には男王とも女王とも書かれてないよ
- 744 :
- 日本書紀を信じないなら、隋に使いを送ったのは九州倭国の男王だよ。
隋書には多利思比孤の名前がある。
- 745 :
- >>731-744
なんでいきなりスレタイと関係ない話はじめてんの? スレタイ読めない池沼かよ
- 746 :
- 倭国がどこにあったのか、だろ?
関係なくはないな。
- 747 :
- いや、怒るなよ、
邪馬台国問題を考える際に、日本書紀は有効かとおうている訳だよ。つまり、飛鳥時代ですら史実的に疑問なのに、三世紀は語れないだろうと言いたかっただけだよ。
怒りなさんな。
- 748 :
- まず日本書紀読んでから語れ
- 749 :
- >>748
だから、
それは、そのままでは使えない資料だよ。神功皇后のお仲間の武内宿禰は、何才?
関門海峡を神功皇后が開削したの?
無理筋ばかり。
演習で読まされたけど、教授もこんなもんだと言ってたよ。
- 750 :
- それ以前に「男王とあった」がガセなだけだろ
- 751 :
- 妻がいるから男王だよ
- 752 :
- >>751
で?
妻がいるって史料のどこに書いてある?
- 753 :
- 多利思比孤の話だよな
- 754 :
- >>749
だから、日本書紀を批判するにしても、正確に頼むよ
- 755 :
- 史料は隋書だろ。
倭王多利思比孤には妃も王子もいた。
その時の国書が「日出づる処の天子云々」なわけだ。
でも日本書紀では、多利思比孤ではなく推古天皇になっていて、そもそも名前も性別も違う。
ちなみに諡号にタリシヒコとある天皇は7人くらいいたはずだが、いずれも年代などが該当しない。
- 756 :
- 山城国の織田信長が関白になった。
その部下に薩摩出身の豊臣秀吉がいる。
中世でもこんなレベル。
- 757 :
- >>756
えっ?
- 758 :
- 珍しく、まともな板だね、
- 759 :
- >>739
何を(720)書こうか日本書紀、だもんね。日本國ことはじめものがたり。
- 760 :
- 日本書紀では、三世紀の話は高天原神話のして書かれている。卑弥呼=アマテラスでしょう。それだけでも、凄い。
- 761 :
- >>760
文字のない伝承の時代から、文字で記録の時代にいつ変わったかが、ポイントになりますね。、
- 762 :
- >>760
平原遺跡の発見で、卑弥呼と天照の間に八咫の鏡というまさかの共通項が見つかってしまった。
- 763 :
- >>762
まあ、それで決まりだね。径百余歩は、その十分の一だと、こほ本は書いてる。ピッタシだ。
- 764 :
- また自演かよw ご苦労なこってw
- 765 :
- >>757
737は「明史日本伝」のことじゃね?
- 766 :
- 出版社はワーキングプア商売やけど、
モニタリングはしたいらしい、と先輩に聞いたけど、
ここはそれか
- 767 :
- 邪馬台国論争が飯に種の連中と皇国史観ウヨの八百長論争ももう終わりだ
- 768 :
- >767
その結果は?
- 769 :
- 畿内説の消滅
- 770 :
- 九州は言い張ることしかできないのだった
- 771 :
- 九州だなあ。
神話でも九州からヤマトに行く
- 772 :
- ブサイクフンドシ
- 773 :
- 九州だなあ。
神話でも九州からヤマトに行く
- 774 :
- 言視舎さん、今回はやりましたね。羨ましい。
- 775 :
- あげ
- 776 :
- 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺
https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
- 777 :
- これまで邪馬台国とは異なる、しっかりした論拠で述べられていて、ようやく納得できる説に出会った印象です。
邪馬台国に興味のある人は必読の書と言っていいと思います。
- 778 :
- 邪馬台国が連合であることは承知していましたが、連合名とまでは気がつきませんでした。なるほど、です。
自分の想定位置とは異なりますが、比定地の決め方に無理がないように思います。
少なくともこれまでの他説とは説得力が違います。
充分楽しめました!
- 779 :
- なんだ露骨な自演はwwww
- 780 :
- >>779
アマゾンの書評をアップしました。同意見ですが、
- 781 :
- >>779
アマゾンの書評をアップしました。同意見ですが、
- 782 :
- 売れないのから必死に売り込んでるのか?
- 783 :
- >>782
仕事してますか。
わたしはしています。
- 784 :
- うそこけ
- 785 :
- 仕事上がった〜。
皆さんお疲れ様。
- 786 :
- 良い仕事が、良い人生。人様の評価も調べ、次の企画をつくります。
- 787 :
- なんの本の紹介をしてるんだ?
- 788 :
- 版元の社員によるステマ
- 789 :
- >>788
売るためではありません。
二ちゃんは宣伝媒体にはとてもなりません。
でも、さまざまな反応をいただくことで、より良き本ができるのです。
このスレの皆さんの殆どは、読んでいませんが、それも参考になります。
- 790 :
- 初版が出たときは売れなかったはず
今はネットで評判になれば違うぞ
- 791 :
- >>790
いや、初版はかなり売れてそこそこ話題にもなった記憶がある
当時のロッコウブックスって営業力があったのかあちこちの書店に棚あったし
- 792 :
- 六興出版は良い本を出してました。バブル期に潰れました。
やがて出版氷河期になり、今は大氷河期です。ネットの時代になり、無料のゴミ情報の時代になり、かってのような知的姿勢が誰も持てない時代になりました。
- 793 :
- 洗練された情報媒体としての本
編集がいい仕事をしてたということで。
- 794 :
- >>792
だから、読んだ人の書評が欲しいのです。
- 795 :
- 新版の売れ行きはどうなんだろう
売れてるのかな?
- 796 :
- 今だ!777ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
- 797 :
- >>795
二ヶ月で増刷しました。、書店の評判もとても良いです。
- 798 :
- 著者の孫栄健氏は何者なんだろう?
- 799 :
- 日本人のペンネームかもよ
- 800 :
- 皇国史観ウヨに買ってもらうためか?
- 801 :
- 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺
https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
- 802 :
- >>800
意味不明なこといってんじゃねーよw
- 803 :
- 筑紫日向伊都国の天孫族が保有していたはずの八咫の鏡を、神武は持っていなかった。
饒速日との対面では天の羽羽矢を見せて身分を明かした。
では倭国の王権の証とされた八咫の鏡は誰が持っていたのか?
3世紀に卑弥呼とともに平原遺跡に何枚かが副葬された。
壹與は肥前河上神社の祭神となった。
4世紀には筑紫の女王である神夏磯姫が八咫の鏡を所有していた。
その孫の田油津姫は筑後から筑豊を支配していた。
彼らは肥国から進出して筑紫を支配していたのだろう。
- 804 :
- 皇国史観ウヨは著者名が中国韓国だと必ず読むんだよw
- 805 :
- >>804
この時代は皇国はないよ、
あれは大正末から昭和は初めに作られた言葉。
司馬遼太郎より。
- 806 :
- 司馬遼?張将軍か
。それなら話は速い。遼来来ね。ラーメン喰ったし。
- 807 :
- 邪馬台国問題も解決して論争も終わったな
- 808 :
- >>807
>邪馬台国問題も解決して論争も終わったな
だから前々から「其山有丹」一つだけでも、とっくに決着済みって言ってるでしょ。 @阿波
- 809 :
- 阿波のようなスレ荒らしが蔓延るのが論争が終わった証拠だね
- 810 :
- 西暦250年前後あたり邪馬台(ヤマト)とは九州北部の倭人達の自分達の国に対する自称であり、王の系図は仲哀帝まで下れるけれど
西暦350年後あたり畿内で勃興した応神/仁徳親子の勢力が瀬戸内海を征西、王権強化のために乗っ取った「ヤマト」という名称を対外的に僭称しつつ
魏志倭人伝の卑弥呼云々の記述をギリギリまで都合よく利用するため神功皇なる女傑キャラを創作して崇神〜仲哀帝の系図に自分等を繋ぎ、
いつしか崇神から神武なるキャラを生み出してアマテラスの五世孫とか唱えつつ欠史八代も加えて歴史を1000年ほど永く見せ、
皇親政治も極まって来た天武天皇以降の時代には列島内の他の歴史的書物などすべて廃棄させ
自分達が神の子孫だから〜〜〜という壮大な作文・日本書紀をまとめ上げた。と思います。
因みに古事記の内容を語った稗田阿礼ってのは藤原不比等のことだと思ってます。
- 811 :
- DAYONEー
- 812 :
- >>810
被害妄想だね。
単なる「稗田阿礼」或いはその先人達の年代記憶ちがいによるものだよ。 @阿波
- 813 :
- 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。
- 814 :
- >>813
見事なストーリー創造者が居たものですよね、神功皇后はもともと皇族という家系図だから
応神を仲哀の落とし子と設定しようがしまいが神武からの万世一系は崩壊しない。。。
妊娠したまま三韓征伐とかの逸話はもう笑っちゃいますけどね、これは事実でなく創作話に違いないことを
ちゃんと分かってね皆さん、神話ですから みたいな強引さが嫌いじゃありません。
- 815 :
- せっかく三韓征伐したっていうのに、いつの間にか朝鮮人に取り返されちゃったんですかーみたいなw
- 816 :
- 「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf
もともと第一の道論は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先 進性をことさらに高く見積もり、前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一 の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、 修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続 けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改 善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道とは、(中略)大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新されるという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。
しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行された橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。
こうした小共同体の安定した強固にすぎる程の紐帯とそれを安住させ得る自然条件の卓越性、それゆえの保守的基盤と非闘争性をもつ大和の弥生社会が、
いわゆる「ヤマト王権」と呼ばれる政治的連合体の権力中枢を内的に生成させ、国家形態を「王国」にのし上げ得るだけの母胎にはたしてなりうるのだろうかという疑問をもつにいたった。
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテーマを追い始めた1976 年頃から、大和弥生社会の自然的、社会的、
そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。
(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。
- 817 :
- >>816
>(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
それは、倭国(阿波)を発った忌部一族。
>(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
奈良盆地は湿地帯で、伊勢や東海、播磨より開発が遅れた地域。
>(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。
それは、忌部一族のよる拓殖と倭国(阿波)先進文化の注入。 @阿波
- 818 :
- とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
DH2
- 819 :
- 誰かも相手にされない捏造妄想これかもゴリ押します @阿波
- 820 :
- 捏造の阿波アゲでしかプライド保てない人間ですいません @阿波
- 821 :
- 日本の起源も人類発祥の地も地球誕生の地も阿波です @阿波
- 822 :
- >>821
>日本の起源も人類発祥の地も地球誕生の地も阿波です @阿波
いやいや、そんなもんじゃないよ。 @阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。
- 823 :
- 女王国は奴国
邪馬台国は30ヵ国の総称
距離は10倍
卑弥呼の墓は平原
これで決まり
- 824 :
- 知ってる人は昔から知ってるからw
大体、今だに邪馬台国九州説か畿内説で割れてるってのがなw
邪馬台国は筑紫つまり九州にあったよ
そして九州と畿内には大きな政権があった
邪馬台国とヤマト王権という響きが似てるけど、微妙に違うのは
二つの異なる勢力があったとにおわせるため
この九州王朝が白村江の戦いで唐に敗れ畿内王朝に吸収され
670年統一国家として日本国が生まれたのだよ
覚えときなw
- 825 :
- >>824どの勢力、あるいは権力者が、どのような理由で、二つの異なる勢力があったとにおわせる必要があり、そして名付けたの?知りたい。
- 826 :
- そもそも卑弥呼の時代に大和に大きな勢力などない。
ただ、後世にそこに王権が移って来た。
正確には筑紫の政権を乗っ取る形で畿内に政権が誕生したので、ことの経緯を詳らかにできないのだろう。
- 827 :
- >>826
>正確には筑紫の政権を乗っ取る形で畿内に政権が誕生した
「筑紫の政権」があった痕跡はどこ? いつもの儚い妄想ですね。
「筑紫の政権を乗っ取る」力があった畿内の痕跡はどこ? いつもの儚い妄想ですね。 @阿波
- 828 :
- >>827
今から阿波踊りの券は買える?
宿は混んでる?
大阪からバスで行けるけど、なんか揉めてるなあ。
なにか、市長と新聞が悪者みたいだけど?
- 829 :
- 阿波は徳島の観光業者じゃなくてウヨの荒らし業者だよ
- 830 :
- >>829
でも、阿波人だろ、
あの間抜けな騒動をみてると、昔、日本の中心でしたは、
そりゃ無い。
- 831 :
- 徳島新聞とかテレビが、自分の利益のために、元社員の市長をつかっているという構図らしい。
すごい田舎芝居、
卑弥呼の子孫ともあろうものが、
すごい田舎者まるだしだけど
- 832 :
- でも、阿波おどり見たい
- 833 :
- でも、今の阿波おどりは伝統とは関係ないなあ。
新しく作られた、観光用のジャパニーズ フレンチ カンカンだなあ。
なんとかソーランと同じだ。だから、良いけど。
- 834 :
- 阿波国大乱
- 835 :
- 東夷伝 阿波人条
耶蘇二千十八年阿波国滅亡
- 836 :
- 徳島騒乱節
- 837 :
- 仮に邪馬台国が畿内にあったとしても、纒向だけはない。
半島大陸との交易の痕跡がない纒向が、外国との交渉術に長けた卑弥呼の王都であるはずがない。
そもそも弥生時代の交通事情では、関西と九州を含む広域国家などあり得ない。
- 838 :
- >>837
正論、
3世紀にそんなインフラ、交通手段もなきところで、大きな国家形成は無理。そんな海外とも交易する巨大な国があれば、当然に文字使用もされて記録ものこるはず
- 839 :
- >>838
>3世紀にそんなインフラ、交通手段もなきところで、大きな国家形成は無理。
そうだね。 倭国(阿波)周辺でのお話なんだよ。
>そんな海外とも交易する巨大な国があれば、当然に文字使用もされて記録ものこるはず
文字の確認(観音寺木簡)は7世紀中頃からだね。 だけど大陸との交易は弥生時代からやってるよ。 @阿波
- 840 :
- 文字の出土状況
3〜4世紀は墨書土器などで文字の痕跡がある。
一文字だけ書かれていることが多い。田の字が多い。
5世紀は金石文の痕跡が残る。鉄刀などに彫られた文字である。
文字の形をみると、彫りの職人は書き順やとめ、はらえなどを
意識していないでたらめな彫り方になっており、
彫り職人は文字を使い慣れていないことがわかる。
6世紀は木簡が出始める。手習いの細片が多く、文字を習うという習慣が
始まっており、文字が下級役人に浸透し始めてきている。
7世紀には戸籍が出始める。文字を文化行政に実用的に
使用し始めていることが推測できる。
8世紀には万葉仮名など日本独自の使用法に、
魔改造が始まる。
ただしあくまで一般的な文字の普及丈量を表したものであり、
3世紀あたりでも、中国人などを招聘すれば、
あるいは彼らから習得した倭人がいれば、
文字の読み書きができる人員は確保できるであろう。
- 841 :
- 倭国と邪馬台国では、呼び名の発想レベルがまるで違うだろ。
「わし」「わたし」「われ」と自称してた人々を中国人は「倭人」と呼び、倭人のクニだから当然「倭人国」=「倭奴国」=「倭国」となる。
一方邪馬台国は、その住民が自らのクニを「ヤマト」と呼び習わしていたものの音訳。現在の九州北部、筑後平野に所在。
300年以上経って、この島国の統治権力をほぼほぼ牛耳ることに成功した畿内の応神・仁徳親子とその末裔は、
永い歴史を創作するためにも「ヤマト」という呼称を自国の名称にいただきつつ「大和」という文字を充てた。
- 842 :
- >>840
糸島市の博物館に行けば、紀元前後こ硯が出土している。正確な年代は忘れたが、卑弥呼以前だった。
- 843 :
- >>839
現代の阿波人は徳島新聞しか読まんのか?
あの阿波おどりはなんだ?
そんな野蛮な土地が昔の都であるもんか。
あの市長は弾劾せんのか、やれ。
- 844 :
- 何故、弥生時代は九州が栄えてたのか?
いや出雲にしても河内にしろ同レベルだろう。
別に九州だけが栄えてたんけではない。
- 845 :
- >>840
>3〜4世紀は墨書土器などで文字の痕跡がある。
それ5世紀のものだろう。
強いて言えばボウ製鏡がそうなんだけどあれも文字とは言えないからね。
- 846 :
- 阿波は泡。日本は泡からできた島国なのだ。当然に邪馬台国は阿波だろう。最近は淡路島も邪馬台国候補となっている。
- 847 :
- 奈良は出雲の大国主連合国家の支配下、もしくは友好国だったが、
それに対抗する九州の邪馬台国の侵略によって滅びた。
神武が広島に8年、岡山に7年なんてお茶を飲んでいたのではない。
出雲国との大戦争をやっていたからだ。
- 848 :
- 広島、岡山と戦争してたんだろ
- 849 :
- 出雲はそのずっと前に筑紫に降伏していたことになっていただろう。
- 850 :
- 奈良は元々、つち雲の支配地域。
出雲と同族であることは間違いない。
そこに邪馬台が侵入、大和政権を樹立するに至った。
- 851 :
- 奈良の土蜘蛛なんて、山の中の農民を狩っただけで、組織的な話ではない。
奈良盆地の本来の支配者は長髄彦らの瀬戸内ルートの開拓者、三島の神の鴨一族だよ。
そこに上位の天津神であるニギハヤヒ、さらには神武がやってきた。
ここで土地の開拓に励んでいた長髄彦がプッツンして、姪のイスケヨリヒメを神武が娶って一件落着。
- 852 :
- >>850
土蜘蛛は、つまりアイヌ系なのか?
- 853 :
- 有象無象の土着民
- 854 :
- >>850
>奈良は元々、つち雲の支配地域。
>出雲と同族であることは間違いない。
だから、彼らは「忌部はん」同士と何度言えばw @阿波
- 855 :
- 倭の読みはヰだろ
- 856 :
- ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
.
- 857 :
- アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCL6WAQsxbu3kAXBGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
- 858 :
- >>853
大和朝廷に従わない強い勢力の総称が土蜘蛛だ。
だから土蜘蛛とは同一の勢力ではない。
各地に根を張った別の勢力でも、反大和朝廷なら全て土蜘蛛だ。
- 859 :
- その代表が、畿内にいた銅鐸文化の氏族だな。
畿内は九州に征服された。
- 860 :
- >>855
臣讃の注だと「倭」の音は「一戈の反切」だから [ya] だね
- 861 :
- >>860
ちょっとナニ言ってんだが分かんねーな
- 862 :
- 昨夜の諸説あり!で邪馬台国は九州の伊都国の付近と確定した
- 863 :
- そうだったんだ。
誰か要約してくれないかな。
- 864 :
- >>862
畿内説チョンは番組タイトル通りじゃないかと食って掛かってきそうだけどな
- 865 :
- まあ、考古学的にも文献的にも、九州北部以外に考えられない。
- 866 :
- 邪馬壱国だけどな
- 867 :
- ..∧,,∧ .∧,,∧
∧∧<`Д´> <`Д´> ∧∧
<`Д´>.∧∧) (∧∧<#`Д´>
| U <`Д´><#`Д´> と ノ
u-u (l ) ( ノ u-u
`u-u' `u-u
とにかく反日したニダ!
史実なんて興味ないニダ!
- 868 :
- 日本のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
∧_∧,、, __________
<#`Д ( (二( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (○
/⌒\ / / |  ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ \ / ノ .||
| /ー' ' .||
/ ̄ ̄チョンコホイホイ ̄^\ .||
 ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ 示
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| . /|| \
いちいちこっちみんなオラァ !!!
∧_∧ -__
アイグォッ ドガッ (・ω・`# ) ─_____ ___
∧_∧,、, __ 从ノ (ミ_ (⌒\ヽ _ ___
・∴<`Д(#Σ( (二( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄( ( (≡ ̄ ̄ ̄ ̄三\⌒ノ ノ )
)⌒\ / / |  ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Wゝ  ̄ ̄\ ⌒彡) ノ =_
/ \ / ノ .|| \,___,ノノ
| /ー' ' .|| / /
/ ̄ ̄チョンコホイホイ ̄^\ ...|| / ノ ___ズザー
 ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ 示 __/ ノ _─ (´⌒(´
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ./|| \ (_/= (´⌒(´⌒;;
- 869 :
- 類似したスレが乱立しすぎ
- 870 :
- 3世紀の北部九州の遺跡発掘現場を見学に行った関西の考古学者や博物館の学芸員は、
周辺の地層全体が真っ赤に染まるほど大量の鉄の出土量を目の当たりにして内心(負けた…ヤマト王権は邪馬台国じゃないや…)と直感的に思うらしい。
でも関西に帰ると学閥や先輩後輩のしがらみがあって、職場で敵なんか作ったら大変だから、口が裂けてもそのことは言えず、
講演会などで「ヤマトで決まりやな!」という禿げ頭の素人おじいちゃんたちを見て
九州の発掘現場を知ってる人達同志で互いに肩をすくめて苦笑し合うらしいw
逆に九州の考古学者や博物館学芸員が畿内の3世紀遺跡発掘を見学に来ると、あまりの貧弱な出土品(木製品や桃の種、カエルの骨)に爆笑してしまい、
古墳築造の「縁日」と呼んでいるらしいw
- 871 :
- 畿内説はチョンコの呻き
- 872 :
- >>862
伊都国じゃなく博多湾沿岸な
- 873 :
- 伊都国は博多湾沿岸
- 874 :
- >>873
今津湾な
- 875 :
- 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる
- 876 :
- 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる
- 877 :
- オハヨー馬鹿ども\(^o^)/
- 878 :
- 馬鹿ども\(^o^)/オハヨー
- 879 :
- _人人人人人人人人人人人人人人人_
> チョンコロがいるぞ殺せ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
倭人
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | ナウマン象U ・ | 死にたくないニダ!!!
三 と| ι| | 三┏<;`Д´ >┛
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U 三 ┛ ┓
- 880 :
- ´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
|||||
マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(
\ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
\ヽY~~/~y} `/~,/ ∧ ∧
| ,k.,.,!,.,.,r| ,! く / `ー一′丶
<ニニニ'ノ \/ : : :: :: :::::ヽ
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- 881 :
- 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン、海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い
- 882 :
- 日本の人はひどいですhttps://i.imgur.com/0heOxWc.jpg
- 883 :2020/04/19
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