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個人的日本史最大の謎 空白の4世紀 考察スレ


1 :2019/09/11 〜 最終レス :2020/06/22
邪馬台国からどのようにヤマト朝廷になったか

邪馬台国の記述は女帝の台与が治めたところから消えていて、ヤマト朝廷の成り立ちも詳しく解っていない。

ここで俺が思っていることは

古事記に記載されている(飛鳥、奈良)以前の日本史は殆ど嘘なのでは?

中国の歴史書系統(魏志倭人伝など)のみが真実で日本が記載している歴史(特に古事記、日本書紀)は嘘八割だと思う。

つまり今の120ぐらい続く天皇も、それが本当の数なのかも不明だしヤマト朝廷(五人王、ヤマトタケル)も無かったのでは?

だからこそ四世紀は謎に包まれている。
おまいらの考察はどうだ?

2 :
知らねーよ
2get

3 :
ヤフー知恵袋で聞いた方が確実

4 :
>>3
一般人が知ってるわけないだろ😡

5 :
マクロな話をしよう

4世紀は任那や半島を足掛かりとした鉄交易の主導権を握るため倭人(海人族)達が争い、統一王権を求めた時代だ。

弥生後期
日本列島の倭人は各地における稲作土地開発(国産み)を進める中で一種の限界点に達していた。
それらの要因は従来の開発技術の停滞による富の集積の不安定と災害や疫病に対する対応力の弱さなどである。

やがてこの状況を祭祀で納めようとした勢力と、中国からの技術(特に鉄)を持ち込む事で開発力軍事力の強化をもたらそうとする勢力が力を持ち始めた。

そうして元来海の民でありつつも弥生式稲作文化を踏襲した倭人勢力(海人族)は九州北部に集積し交易の利権確保に努めるようになる。
当時の伊都国と那国は交易品と文化が集積する当時の国際ターミナルであり各部族が交易拠点を設置した連合体の萌芽であった。
また九州北部中部ではその交易による富の蓄積において豪華な宝物を用いた祭祀が祀られ、女王による祭祀的権威を誇る文化が育った。

海人族たちは交易のために必要な宝物や資材を確保するため日本列島沿岸を拠点として各所の露天辰砂や黒曜石、瑪瑙、翡翠産地を確保し祭祀具や鉄と交換した。
それを各地の部族民に配布し開発技術と祭祀を伝えることでイニシアチブを握り各地を「祀ろわせ」る。
その中でも突出した祭祀的統率力をもつ天孫族が覇権を担ってゆく

こうした海人族の交易力開発力により、九州のみならず出雲、吉備、尾張、関東と拠点を広げることに成功したのが3世紀までの日本の状況だと考えられる。

発掘成果が見られにくいため大きく語られていないが、こういった海人時代とも言うべき大きな文化の変遷がアマテラスの伝説を生み、邪馬台国の伝説を生み、後のヤマト王権に繋がったのだろうと考えられるのである。

6 :
終わり

7 :
>>5
良い分析だな

↓はν速で見かけたものだが納得できた、3世紀の終わりか4世紀の初め頃に九州の海人族が鉄器とともにやってきて
畿内を制圧し西日本が大体まとまったんだな

> 193 :名無しさん@1周年 :2019/09/12(木) 01:57:50.69 ID:0YsjhZXt0
> >>191
> 三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
> この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
> http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
>
> そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
>
> このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
> そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
> ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
>
> 証明終わり

8 :
>>1
奴国〜倭の五王、中国の属国だった歴史と
高天原の神の委任による天皇統治は矛盾する為
前者は消去されたんだよ

9 :
すごいなスレ立て2日でFA出ちゃった

10 :
いやむしろ基本だろ

11 :
>>5
文化とか日本の形態の流れは大雑把に言えばそう推測できるけど

権力いわゆる勢力の変化はやっぱり推測するのが難しい気がする

12 :
>>7
じゃなんてわざわざ山奥で住むにはあまりてきさない畿内に朝廷が移った?

はしはかには誰が埋まってるのか推測できる?

13 :
四世紀が謎なのは勢力の移り変わりが分からないとこじゃない?

なんでわざわざ奥地の大和が本拠地になったか、邪馬台国は何で消滅しているのか。

14 :
>>12
津波対策じゃない?

15 :
奈良は半島から見た場合に守勢的立地なんだよね

16 :
>>14
なら同じ九州の阿蘇とか由布でええやん。
それとも噴火が嫌だから移ったのかな

なら四国、中国も守りに適してるのたくさんあるよ 朝鮮式古城だってあるし。

畿内は城跡もないんやぞ?なら最初から畿内なのか?🤔

17 :
>>15
奈良だけじゃなくてもっといいとこあるでしょ

18 :
>>16
噴火が嫌で九州から四国へ移動
白鳳地震の津波で四国壊滅して対岸の奈良へ遷都

吉野ケ里(佐賀)→吉野川(徳島)→吉野(奈良)
黒潮の流れに沿って名前も伝播

19 :
>>13
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と

一枚目の地図の通り、三世紀の弥生終末期までには西日本の大部分は九州の海人族の手に落ちている
奈良盆地に鉄器が急速に普及する4世紀には盆地内まで海人族の支配が及んだ時代
そして西日本をほぼ統一した彼らはさらに東の東海、関東を支配するべく前線基地を奈良盆地に置いたのだろう

なぜ奈良盆地なのか?それは奈良盆地の土着勢力と戦った実感から
奈良盆地が西日本で一番最後まで頑強に抵抗した=防衛に最も適した場所
と考えたのではないかな
東を攻めるための基地なら中国四国より前線に近い奈良盆地のほうが適しているしね

20 :
玄界灘を本拠地とする海人が東へどんどん勢力を伸ばしていったのが弥生後期〜古墳前期頃の出来事
そしてその勢力拡張は畿内に留まっていない
九州海人の権力の証である有鉤銅釧は畿内をはるかに飛び越して関東沿岸にまで分布している(下図の黒丸)
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png

実はこの東方の有鉤銅釧出土地をよく見ると、ヤマトタケルの東征伝承の地と多く重なっている
草薙剣で火難を逃れた焼津、海上で波浪に遭って后が入水した横須賀、その后を思って過ごしたという木更津、
白い鹿を討ったという足柄峠付近など、これらがいずれも有鉤銅釧の出土地になっている
https://i.imgur.com/bdBE1QJ.jpg

つまり九州海人にとって畿内征服は最終目標ではなく、そのさらに東の地域を征服するための通過点に過ぎなかったわけだ
東海以東をも視野に入れていた彼らにとって、本拠地が九州のままでは遠すぎて指令を出すのに不都合だったため
四世紀初め頃に新たに手に入れた畿内に前線司令部を作ったのがヤマト政権の起こり
しかし東西に広い日本を広範囲に支配するには畿内のほうが地理的に好都合だったため、やがてそちらが中心となっていった

そして旧都の九州も古墳時代にはまだ旧狗奴国領域を含めて多量の財宝を所有しており豊かであった、完全に衰退するのは白村江の敗戦以降だろう
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif

21 :
>>18
何で100年で二度も本拠地移ったのかな?🤔
しかも徳島の吉野川周辺は遺跡発掘されてないし

剣山は怪しいけどやっぱり何回か大きい戦いとかあったんじゃないかな🤔

22 :
>>19
なるほど

だからヤマト朝廷ができたのか。

しかしその流れでいくと天皇の祖先が気になる

邪馬台国歴代の王は天皇であるか否か

23 :
>>20
大宰府設置から衰退したのかな

24 :
>>20
ヤマトタケルが九州の海人族だったとは
驚きの発見じゃね?

25 :
>>21
吉野川流域は遺跡だらけだよ、掘ってないだけで

26 :
>>22
畿内へ移転する前に四国の期間があるんだよ
だから国生みは四国からはじまる

天皇の祖先も四国。イザナミ神社(式内社)があるのは四国だけ
倭(やまと)の冠ついた式内社も徳島の倭(やまと)大國魂神社のみ

27 :
大嘗祭のあらたえは徳島の三木家が担当する
三種の御前も徳島が用意

大事な大嘗祭で奈良京都でなく徳島の服を着て徳島のものを食べる
徳島が天王の故郷だから

28 :
伊勢神宮の天照が卑弥呼である可能性についてはどうだろう
豊受大神はトヨと符合し、3世紀から4世紀にかけて大和から伊勢に移動することの意味とか謎に満ちている

祭祀の象徴として大和に推戴されたがヤマト王権の確立で必要なくなったのか
大和の土地の原始信仰とは別の存在であることは言えると思うけど

29 :
伊邪那美が四国なんだから天照も当然四国
阿波岐原の橘は、徳島の橘港のことだろう

豊受は別名オオゲツヒメ
オオゲツヒメは阿波の国神
豊受もまた阿波の人

伊勢神宮は徳島の伊勢神社が黒潮に乗って三重に遷移しただけ

30 :
>>29
そう断定するなら根拠を解説して欲しい
新しい視点から根拠を提示するなら納得もできるかもしれない
僕の考えた四国王朝にはうんざりだ

31 :
もともと九州発の覇権国家倭があり、近畿に起こった(もしくは四国から移動してきた)大和が同時期に存在していた。その後白村江の戦いでの倭の大敗というワンチャンスを活かし、大和が倭を併合した。

隋書にもこれにそう日本側の使者の発言がある。

32 :
そしてその後、大和は倭の神話を簒奪し矛盾が生じない様近畿各地の地名を九州の神話の要所に合わせて改名した。
実際に7世紀末期には焚書が行われた記録がある。

33 :


34 :
>>24
初めから天津神(海人の王)を名乗っているし、移動はほぼ船だった。
陸に上がった途端に苦戦している。

35 :
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。

36 :
『旧唐書』倭国・日本国伝

日本國者、倭國之別種也。
以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。

日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。


『新唐書』日本伝

其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至るおよそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州


(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本は東側の小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)

日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は筑紫にいた。(新唐書)

37 :
>>28
伊勢神宮は土着を滅ぼした後、土着の神が祟らないようにアマテラスで封じた神社だと思うよ
アマテラスの衣装が戦闘用だからね
祭られてるのは軍神アマテラスという事だ

38 :
>>35
結構面白くて好き
なぜそこまで解る?というのも多いけど

39 :
>>36
筑紫城と言われると想起するのは高良大社と神籠石
これらに関連性があればより具体的な説に進化しそう

40 :
>>38
記紀に加えて、九州各地の神社の縁起に追加情報があるんだよ。
それらをまとめるとああなる。
るな氏のブログかがかなり参考になった。

41 :
>>39
倭王の筑紫城がどこであったかは、倭王卑弥呼の邪馬台国がどこかとほぼ同義だろう。
古代史最大の謎だけど、本当に同じ城を使い続けたのかは疑問もある。
ただ、彦渚ウガヤフキアエズを含む日向三代の宮は、国内の史書では筑紫の日向の高千穂宮とある。
それはイザナギが禊をした筑紫の日向の小戸つまり福岡市西区の近くであるはず。
彦渚の父であるヒコホホデミ(山幸彦)が祭られているのが小戸のすぐ南側にある高祖山の高祖神社で、その西側の三雲南小路遺跡の細石神社はヒコホホデミの母である木花咲耶姫を祭る。
三雲南小路遺跡の被葬者は考古学的には三種の神器を持つ倭王で、その年代は金印をもらった頃になる。
ヒコホホデミの妃であった豊玉姫の実家は高祖山から見える志賀島の綿津見神社。
そして魏志倭人伝では玄界灘を支配していたのは高祖山の麓にある伊都国の大率。
全てが博多湾沿岸に収束する。

42 :
倭國者 古倭奴國也 去京師一萬四千里 
在新羅東南大海中
依山島而居 東西五月行 南北三月行 世與中國通
其國 居無城郭 以木為柵 以草為屋
四面小島五十餘國 皆附屬焉
其王姓阿毎氏 置一大率 檢察諸國 皆畏附之

倭国は、古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、
新羅の東南、大海の中に在り。
山島に依りて居す。東西、五カ月の行、南北、三カ月の行なり



倭国は大海の中にある東西に長く南北に短い島
九州ではない

43 :
時代によって違います

44 :
190年から247年迄の筑紫女王国は独立国であり、
日本には九州を含む統一は無かった。

半島情勢として
BC100〜313年迄の半島の楽浪帯方郡時代を、記紀は知らない。
246年から313年迄の馬韓、辰韓は帯方郡が制圧し、王政を廃した直轄統治である。
本州における、BC200年からこの間の青銅器移入は釜山側、辰韓が主流だったかもしれない。

350年の百済新羅建国については、高句麗戦などで倭人がこれを後援しているのであって
三韓征伐と言うのは無く、どちらかと言えば、弁韓は倭人が植民地化していた。
倭人伝が、馬韓辰韓の南は倭とするのは、これを十分把握していなかったから。
400年迄には、日本への高句麗馬の移入、鉄の国内生産化は終わっている。

倭の五王時代400年〜500年については
中国史がリンクするが、漢名を名乗った王は、記紀とは一致しない。
この時代は中国語の文字が使えた訳で、王には古墳が残るのであり不明であれば
諸国の豪族による戦国時代的な国体で、世襲継続王朝ではなかった可能性が高い。

記紀の王統が直系の可能性が高まるのは、継体天皇からである。
隋書には、600年の王(聖徳太子)後宮有女六七百人 であるから
諸国の豪族は子女を送り、政争に利用したと思える。源氏物語の世界だ。
これは、ある程度の世襲王権だが、大化の改新となる。

45 :
そのサイズの後宮なんて蘇我氏くらいしか持ってないんじゃない?

46 :
サイズ的にそもそも奈良盆地にそんな大きな王宮は見つかっていない。

47 :
聖徳太子が幼少時は馬子邸の五経博士や仏教僧を家庭教師にしていた。
これが、馬宿の皇子と揶揄された由縁だろうと思う。

その後、渡来人を使って寺院や宮を建設
600年の裴世清には、新造の斑鳩宮と法隆寺を見せた。
後宮もこの斑鳩の宮だと思う。

帰国後、裴世清は人も建築も中国の都と変わらないと証言した。

記紀についての話では、女帝の推古天皇と言うの迄が創作の疑惑がある。
もはや、全期間デタラメ説w
大化の改新の皇統の混乱を記紀で伏せるという理由も有ったかと思う。
この辺りは白村江海戦に向かう、開国派と攘夷派の争いも有ったはず。

48 :
>>42
この当時の倭国は四国だな。
東西が5 南北が3の比率の島だろ?

49 :
東西五月行 南北三月行 については
遣隋使の要請で来日した、裴世清が 大和を訪れた際の記録がソース

国の大きさについての記述だが、
東西五月行 南北三月行 各至於海 と記す書もあり
九州の南北が三月行 瀬戸内海が五月行 の意味と考えられる。
この時の日本の東の果ては、奈良の東の山までと見られている。

極めて出典の少ない、月行の単位だが
九州島南北3月行が、倭人伝の九州上陸後、陸行一月の2千里と一致する。

50 :
当時瀬戸内海は未整備で使えないし
豊後水道を挟むならそのことも書くだろう
島内の移動だから海に至る、という表現になるわけだ

51 :
そもそも関門海峡も通過できなかったらしいね。

52 :
大和朝廷の成立期の推定だが
その瀬戸内海航路の安定が300年代であるという事と
倭人伝で筑紫の連立は247年以降という事なので、本州銅鐸が消えて古墳
250年〜300年で、瀬戸内海諸国の平定または連立は完了していたと推定できる。
もちろん筑紫が最後で247年筑紫平定でも良い。熊襲隼人はちょっと後。

黄海も渡った400年からの倭の五王時代の王が 
文字は有るのに記紀に比定困難なことから
世襲の確率はまだかもしれない。
地方豪族の中央進出と戦国武将の天下争いのような状態、
奈良平安の状況から武力より人質や姻戚関係の調略と思うが
この間の大王墓の集中する大阪湾周辺が中心地だった。

大倭王纏向説は公孫氏滅亡箕氏韓王朝滅亡を見て、
防衛上、首都機能が一時湾岸を離れたのではないか。
313年の楽浪帯方撤退以降、牛馬の移入の半島進出は進み、
350年百済、新羅建国で、400年代には甲斐、武蔵、上州方面にも
御牧の成立、前方後円墳に付随する高句麗墳墓も広がる。

記紀のデタラメっぷりに鑑みれば、古墳時代であって、
考古学が記紀に振り回されてる観は有るが
空白と言うほどのことは無い。

53 :
>>52
>大倭王纏向説は公孫氏滅亡箕氏韓王朝滅亡を見て、

さっきまで247年と言っていたのに、辻褄が合わないのでは?

54 :
>>53 ? 辻褄? が何か判らないが、
歴史は
238年が、楽浪帯方公孫氏陥落 公孫氏交流終了
246年が、箕氏韓王朝滅亡 馬韓辰韓の魏の直轄化

これを見てから、本州豪族勢から
筑紫の卑弥呼の魏外交が否定され
BC200年から本州側にもあった、青銅器輸入の道を再度開拓の必要、
及び九州防衛で、246年辺りで筑紫一大率設置に至った、が、歴史の必然だろ。
当然、公孫氏や韓王朝からこの対策に必要な軍師たり得る人材も来ている。

280年三国志統一の晋が 東夷では313年楽浪帯方撤退
高句麗が台頭で、倭を背景にした百済、新羅に押されてるだろ。
実際、高句麗は来歴は確認はできない高麗王まで、
楽浪候、幽州刺史であって、半島勢力じゃ無いし。

313年以降は、日本は急速な富国強兵、
古墳時代で半島利権外交の倭の五王で
文字も有り得るのに、大王墓なのに古墳の出自は闇。

記紀が嘘を創作している。
考古学の積み重ねは、しかしもう、今は判ってるだろ。

倭人伝卑弥呼は正しく読めば筑紫だし
日本海ルートや瀬戸内海出自豪族の排出した倭王は倭の五王で大阪湾だろ?
記紀を検証しても、世襲王朝は継体天皇以前は無理だね。

纏向は歴史上根拠のある一時的遷都であって 
畿内説って、何? 奈良は600年のちょっと前からだ。

55 :
>>54
>246年が、箕氏韓王朝滅亡

魏志韓伝では、「將其左右宮人走入海,居韓地,自號韓王。其後?滅,」

とあるので、箕氏は起源前後には滅亡してるだろ

56 :
>>54
>纏向は歴史上根拠のある一時的遷都であって 

都ですらなかったと思うよ。
宮はあっただろうけど、それは大和盆地内の政権であって、河内とすら絶縁状態だったんだろ?
尾張氏の出張所?

57 :
宋書には倭王武が宋の天子に送った条章文が引用されている。
倭王武は第21代 雄略天皇(大泊瀬幼武尊)であるが、
東の55国、西の66国、北は、海を渡りて海北九十五國を
平定し国内統一を進めたことが述べられている。
魏志倭人伝と併せもつと東も西も北も海を隔てて国があることが分かる。
皆、倭種だと述べられている。唯一四国しか在り得ない

倭の五王は大阪湾でなく四国

58 :
平安時代の和名抄によると
西海道(九州)の旧郡が96郡
筑紫国25郡、肥国25郡となっている。

三世紀からは相当時間が立っており
いくつかは合併したものとして
百余国は九州を指し、三十国は
筑紫か肥を指していると思われる。

59 :
侯淮既僣號稱王 爲燕亡人衛満所攻奪 将其左右宮人走入海 居韓地自號韓王 其後絶滅

侯淮既僣號稱王 爲燕亡人衛満所攻奪 は、遼東で衛氏が箕氏を裏切って、追った。
将其左右宮人走入海 居韓地自號韓王 は、遼東の箕氏が韓に入り、王を称した。
其後絶滅 は 魏が制圧した 246年です。
これは、馬韓の歴史全部です。

そのうえで、韓伝は現在の 魏の直轄で、
王を廃し臣智以下を置いた現状を記述しています。

倭人伝、238年〜246年迄の韓は王政です。馬韓は10万戸。
238年に楽浪帯方を攻略した魏はこの間の韓を詳しく知りません。

倭人伝、240年の梯儁の行程
南至 投馬國 水行二十日 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 可七萬餘戸
自郡至女王國 萬二千餘里

は、この状況下での記録です。
投馬國 可五萬餘戸 は 韓伝の246年以降の弁辰韓 5万戸の仮称です。

邪馬壹國 可七萬餘戸 も、
張政の行程、倭人船の寄港地名を里程で繋げた行程とは 直列し得ない国名であり
次有 ―列記21国― で構成する、
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里 
の小国、筑紫の女王国の仮称です。

正しく読めます。

60 :
>>59
>其後絶滅 は 魏が制圧した 246年です。

韓伝では、さらに、「今韓人猶有奉其祭祀者。漢時〜」と続く
この「今」は魏代なので、箕氏絶滅はそれ以前なのは明白

景初中に滅ぼされた韓は別系統ということだね

61 :
>>60
今韓人猶有奉其祭祀者 漢時屬楽浪郡四時朝謁

この今は、246年以降の魏の直轄で臣智以下を置いた今。
漢時屬楽浪郡四時朝謁 から 公孫氏の話

桓霊之末 韓濊彊盛 郡縣 不能制 民多流入 韓國 
建安中 公孫康 分屯 有縣以南 荒地爲 帯方郡 
遣公孫模 張敞等 収集遺民 興兵伐 韓濊 舊民稍出 是後 倭韓遂属帯方

で、魏が公孫氏を討った話に繋がっていきます。
景初中 明帝密遣帯方太守劉マ楽浪太守鮮于嗣 越海定二郡

それから、韓制圧戦245年勃発
部従事呉林 以楽浪本統韓國 分割辰韓八國 以與楽浪 吏譯轉有異同 
臣幘沾韓忿 攻帯方郡 崎離營 時太守弓遵 楽浪太守劉茂 興兵伐之 遵戦死 
二郡 遂滅韓
箕氏韓王は246年迄継続、絶滅は246年。

ちょっと、スレチだったかな?

62 :
>>60
文章の内容をちゃんと考えましょうね

63 :
間違えた

>>61
文章の内容をちゃんと考えましょうね

64 :
宋書の倭王讃は仁徳天皇を指す

仁徳天皇は難波天皇と呼ばれるが、古代の香川には難波という地名があり
大阪よりもずっと古い
仁徳天皇は四国に居、讃から香川は讃岐という国名になった

讃と武が四国なんだから間の期間も当然四国

65 :
本来の難波は九州周辺で最大の難所であった関門海峡

66 :
愛媛にも難波

67 :
稲荷山鉄剣が崇神の時代なら崇神が武だな

68 :
崇神が祀らせた倭大國玉神
倭大國魂神社があるのは四国のみ
崇神が四国に居たのは明白
崇神の諡号はミマキイリヒコ
倭大國魂神社は徳島県美馬(ミマ)市に鎮座
こんな偶然ない

69 :
>>57
>東の55国、西の66国、北は、海を渡りて海北九十五國

海北は朝鮮半島、 東55国は四国ということでこの視点は
東九州かな?

70 :
九州ならば、なぜ当時四国に天皇の出入り業者である三木家が居るのかっていう

71 :
あくまで倭王・武の父祖の時の話だよね?讃の時は四国を領土にしてたんだろ?
倭国は九州から領土を広げていったから不思議でも何でもない。

72 :
>>69
東九州なら豊後水道のことも書くっしょ

73 :
倭人伝によって250年以前は、諸豪族形成連携時代だったと考えられる。
本州には、銅鐸繋がりがかなり発達したが、軍事統一のような形ではなく
本州の記録は無いが、倭人伝筑紫地域に見るような領主連合で、
数万〜10万戸程度の国邑を形成した。
これは、馬が無い時代の連携可能性として、当然かと思う。

古墳時代には、軍事背景の統一化が見られる。
戦国時代とは違い戦争ではなく、姻戚関係形成などの戦国調略が主流と思う。
これは、倭の五御時代の巨大古墳は中央として
各地に似たような古墳が有ることからも信長的、軍事統一とは違う。
古墳にしても城のように、大きさで王が見分けらるものでもない。

この軍事統一形成の原因は、239年、倭人伝の魏の楽浪帯方攻略で
BC200年からの青銅器搬入地域に軍事介入が必要になったためと考えられる。
313年の楽浪帯方撤退以降馬の搬入は本格化し、広範な集権が可能になった。
豪族権力の固定化があり、世襲王権にはなっていないようだが
400年には、御牧が武蔵、上州、甲斐の及ぶ。中央王権の基礎は形成した。

記紀の皇統の世襲化は、古墳分布からも500年以降が絶対であって、
聖徳太子の600年付近と天智天武が一統であるならこの500年継体天皇からである。
古代史を皇統で語られる記紀に合わせれば、時系列である歴史が翻弄される。

出雲は神代として、九州からも安曇族の参入が想定可能だが
4世紀と言うより、瀬戸内海航路形成の200年前後の瀬戸内海諸国で
諸豪族の発生と連携辺りが記紀の都合で、空白になってるんじゃないのかな?
本スレみたいな、神話だか何だか? 状態www

74 :
>>73
君の中ではな

75 :
4世紀は景行天皇や仲哀天皇の時代だろ?
珍しく記紀が九州のことを沢山書いているから、空白でもなんでもない。
倭国とは筑紫のことという前提を認めないから空白になるだけ。
4世紀の筑紫倭国の中枢における出来事がこれ。

76 :
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。

77 :
広開土王碑が有力な史料だな。朝鮮半島に出兵できるほど、大和政権が強大化していた。

78 :
まだ同じ話をしているの?
本当に頭が悪いんだろうw

79 :
浦島太郎、かっぱっぱーw

なぜか神武以前の話と同じだし、釣針が〜とか

80 :
瀬戸内海諸国の連携と海軍の成立が無いと
大阪中心の古墳時代全盛になる4世紀〜5世紀が説明できない。

九州勢と考えられる安曇族の分散もこの250年以降からと見られるし
分散と言うのが、必ずしも反映ではなく信州開拓みたいのは配流で
大阪デビューは中央進出って形なのではないかな?

250年以降、九州が廃れるのも、つまりそういう事だ。
倭人伝一大卒が防人の先駆だったことは十分考えられる。

81 :
半島進出の主体は筑紫だろ。

82 :
300年以降、九州が最盛期を迎えるのだが

83 :
>>80
筑紫にいた卑弥呼の死去により、各地が伸長したのだろう。
ただ、あくまでも王都は筑紫のまま。

84 :
繁栄とか伸長とかの定義はなんなのよ?
まさか土盛りの大きさじゃなかろうな?

85 :
うん?
筑紫の支配下に入り、その恩恵を預かれるようになったという意味だよ。

86 :
中国の書く日本の歴史はいい加減なのになぜ魏志倭人伝の里数や方角を神典のように扱う人がいるんでしょうか?

明史 巻322 列伝第210 外国3 (1735年成立)

【原文】※一部の漢字は日本のものに置き換えた
日本故有王,其下稱關白者最尊,時以山城州渠信長為之。偶出獵,遇一人臥樹下,
驚起衝突,執而詰之。自言為平秀吉,薩摩州人之奴,雄健?捷,有口辯。
信長。之,令牧馬,名曰木下人。後漸用事,為信長畫策,奪並二十餘州,遂為攝津鎮守大將。
有參謀阿奇支者,得罪信長,命秀吉統兵討之。俄信長為其下明智所殺,秀吉方攻滅阿奇支,
聞變,與部將行長等乘勝還兵誅之,威名益振。尋廢信長三子,僭稱關白,盡有其衆,時為萬暦十四年

【日本語訳】
日本には昔から王がいて、その臣下では関白という者が最も偉い。
当時、山城州(京都)の頭である信長という者が関白だった。
ある日信長は猟に出かけた時、木の下で寝ている一人の男を見つけた。
男が驚いて跳び起きたので捕えて詰問すると、「平秀吉と申します。薩摩州の奴隷です」と答えた。
その男は雄健・敏捷でよく口が立ったため、信長はこれをおもしろがり、馬飼いにして「木下人」と名付けた。
秀吉はその後徐々に権力を握っていき、信長のために画策して二十州余りを征服し、遂に摂津鎮守大将となった。

信長の参謀に阿奇支(アケチ?)という者がいて、信長に対して罪を犯した。
信長は秀吉に阿奇支を討つように命じたが、突然部下の明智という者に殺された。
秀吉は阿奇支を攻め滅ぼした丁度その時、変のことを聞き、武将の行長らと共に兵を返して明智を誅した。
秀吉の威名は高まった。秀吉は信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の家来だったもの達を皆自分の部下とした。
万暦14年(1586年)のことである。


【まとめ】
・信長は関白だった
・秀吉は平氏で薩摩の奴隷だった
・明智光秀は二人いた

87 :
崇神の時代には王都はもう四国に移っていたよ >>68

四国在住だったから景行天皇は道後温泉に行幸した

最も繁栄している都市と首都は一致すると限らない

88 :
>>87
畿内にいても道後温泉ぐらい行くよ

89 :
景行は九州にも宮を立てているけど?

90 :
景行が神武の故郷に征伐行くわけない
九州と天皇は何の関係もない

91 :
神武の故郷は筑紫。
筑紫の神夏磯姫とは共闘している。

92 :
>>90
その通り。よく気づいた!

景行が征伐したのは筑紫以外の南九州だけ。
筑紫が母国だ。

93 :
故地の日向にとどまりクマソを退治したのだ
褒美に日向から嫁をもらった

94 :
景行は嫁だらけだろ。
女王だらけの国である九州で征服先の姫を全員嫁にした。
その結果が子女80人だ。

95 :
そもそも天皇に九州出身の嫁が日向以外に何人いるのかね

4世紀前半とされる景行天皇。
熊襲が背いたので征伐に赴いたという建前だが、熊襲どころか九州は全く支配できていない。
ほうほうの体で日向にたどり着く。ただ日向入りはスムーズである。
ここ日向を拠点に熊襲を討った。
仕事が終わればとっとと帰れば良いのだが、日向で嫁をもらって6年過ごす。何をしていたかは書かれていない。

ここで問題の歌が詠まれる
倭(やまと)は国のまほろば、たたなづく青垣、山隠れる、倭しうるはし

A説 通説 望郷歌。帰りたいけど帰れない
B説 我が先祖の故地は何と素晴らしい所だという感慨・賛美の歌。南九州こそが倭(やまと)

当然B説なら倭国=九州、Aの通説もまるで天皇が防人のよう、日向の意向に抗えない畿内の
リーダーの姿にも見える。どちらにしても不思議な歌だが
熊襲が背いたからというのは建前で、実際は隣国と敵対した日向の派遣要請に辺境の友好国が
応じたと解釈することもできる。

96 :
やっさんが地名が似てるってやってたじゃん
畿内と思ってる地名も実は九州だったかもしれん

97 :
>>95
>熊襲が背いたからというのは建前で、実際は隣国と敵対した日向の派遣要請に辺境の友好国が

実際には筑紫の梟師とされた神夏磯姫の要請で筑紫周辺の敵を平らげたんだよ。
そして神夏磯姫は八咫の鏡などの三種の神器を持っていた。
彼女こそ、4世紀初頭の筑紫の倭王だよ。

98 :
別に4世紀は空白でもないよ
神宮皇后の三韓征伐と倭の五王が宋に朝貢して
使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王に任ぜられたと
記紀や宋書や南斉書や好太王碑に見られる
朝鮮人が都合が悪いから空白空白と騒いでるだけに思えるよ

99 :
ニニギと神武(イワレビコ)と崇神天皇は同一人物。

100 :
そんなわけないだろ。


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