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   中国英雄板自治スレッド No.4   

項羽と劉邦 その8


1 :2019/12/06 〜 最終レス :2020/04/06
基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです


前スレ
項羽と劉邦 その7
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1566228963/

過去スレ
▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
http://hobby11.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1161621239/
項羽と劉邦 その2
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1219552075/
項羽と劉邦 その3
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1379633993/
項羽と劉邦 その4
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1457530173/
項羽と劉邦 その5
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1505863018/
項羽と劉邦 その6
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1552103528/

2 :
>>1
スレ建て乙です

3 :
おつです

4 :
せんでん
https://sp.nicovideo.jp/mylist/63092896
楚漢戦争

5 :
>>1乙らぁ!

6 :
>>1

7 :
>>4
これ面白いけど
やる夫解説のパクリなんだよなあ
しかもエタってるし

8 :
はっきり言ってこの手の動画たくさんあるけど
三戦で書き込んでる人相手のレベルはないよね

9 :
ぶっちゃけアイドルヲタしかいないスレじゃあ物足りないと思ってたから続きはここでやらせてもらおう
まず項羽の敗因は傲慢さだろうな
はんぞうの意見に耳を傾けて従っていれば天下を取てたのは項羽だっただろう

10 :

しかしスレ立って>>1煮らる

11 :
>>10

おもろいw

12 :
ハンゾウの意見聞いてたら鴻門之会で劉邦死んでる
でもどのみち恐怖政治からの反乱は免れんかったろうな

13 :
スレたて乙

14 :
>>9
君主として生まれた訳でもない孺子やからしゃーない
衛青のおかげで苦労知らない霍去病みたいなもんや

15 :
「亜父の言うことさえ聞かないのに、誰が何を言ってもあかんやろ」
とか思われてたりして

16 :
>>12
永遠に続いてる治世は世界の歴史を見ても一例もないからいつかは滅びるよ
善政を行っててもその後継者が善政を行ない尚且つ国を治めるだけの力量がなければすぐに滅ぶ
結局早く滅びるか遅いかの違いしかない
項羽と劉邦が台頭する前のえいせいの時代も後継者に実権が皆無で悪臣が皇帝のような状態になって事実上滅びてるような例もある

17 :
>>7
なんだパクりの上に逃走してんのか
ほんとどうしようもないやつだな

18 :
やる夫楚漢戦争の人は最新の研究書(数千円から一万円くらいする奴も読んでる)とかもちゃんと読んでスレ作ってるから
それパクるのはずっこいよなぁ

19 :
>>18
そんなものがあったのか
今まとめサイトで読んでる

20 :
chmateで読めないからaa見辛い

21 :
よんでみようと探したけど
無関係な(?)まとめサイトだらけで
どれが本物かよくわからない

22 :
>>17
お陰で本家を読めたしBGMやセリフ回しも良かったから良い映像化だとは思うんだけどね

23 :
分かったから早く続きの動画upしてくれよ
つまるとこでもないやろ

24 :
陳平主役の小説ってありますか?

25 :
主役にして面白そうなのはやっぱ趙高か

26 :
>>25 三国時代よりもやはり楚漢時代だよな
悪宦官のレベルも段違いに趙高>十常侍、だし
陳勝&呉広も三国時代なら劉備以上の大物になれただろうし

27 :
楚漢の完全勝利

劉邦vs劉備
項羽vs呂布
張良vs荀イク
蕭何vs諸葛亮
韓信vs周瑜
陳平vs郭嘉
陳勝vs張角
趙高vs張譲
虞美人vs貂蝉
呂雉vs賈南風
冒頓vs於夫羅

28 :
>>27
一番得意な分野以外なら勝てる(白目)
例えば純粋な腕っぷしなら劉邦より劉備やろうし元々文官の呂布なら事務仕事で項羽に勝てるし孔明も戦でなら
周瑜は楽器演奏で韓信に完勝や

29 :
>>27 うむ、三国志時代の英傑=楚漢時代の凡夫、て感じがする
そして日本の応仁の乱時代は三国志時代よりも遥かに低レベルで英傑のえも居ないクズ揃いの時代だった、これは歴史家のほぼ全員が認めてる

30 :
演技に出てくる架空の人物と比較してる段階で
三国アンチを装った楚漢アンチやろこれ

31 :
>>30 それを言ったら、関羽が華雄や文醜斬ったってのも架空だぞ、あと
顔良斬ったのもタイマンじゃなくて張遼軍との挟み撃ちで討ち取っただけだから

32 :
確実に実在しないチョウセンと史記に出てくる虞美人を比較してる段階でね…

33 :
>>4
これさあ作者やるおと同ー人物じゃなきゃ文章かなりコピペしてるし酷いやつだよな
その辺指摘されて同ー人物じゃなかったから投げたくさいよね

34 :
>>28
劉邦は項羽に一騎討ちを挑まれたこともあるし、項羽は諸将に封建を行うことができる程の能力がある
蕭何には国士無双の逸話があるし、韓信にも四面楚歌がある

35 :
>>25
趙高主役になったら変に美化されそうで嫌
どうみても賊臣なのに

36 :
架空でもいいじゃねぇか
こまけぇこたぁいいんだよ
【板名】中国英雄板(仮)
【理由】中国の英雄たちについて総合的に語れる板がないので。
ここで言う英雄は歴史的な人物に限らず武侠小説などに登場する架空の英雄も含む(以下略)

37 :
架空でもいいなら今俺が作った項羽以上のキャラ語るが

38 :
>>37
【理由】
のところを読んでくれ
読んだ上で書いているのなら、もう何も言うまい

39 :
>>35

趙高が実はものすごい忠臣で、いろんな経緯があって、
あの結末になったというミラクルなストーリーを考えてみてくれ。

40 :
>>36
比較で変に混ぜるからだろがダボ

41 :
扶蘇が実は極悪人だった!
扶蘇が実はどこかの国に人質になっていたときに入れ替わられてどこかの国のスパイだった!
始皇帝が実は趙高に帝位を伝えようとしていたがあえて辞退し胡亥を推薦していた!

42 :
歴史上の人物が再評価されることは多々あるし
真っ白に漂白された趙高も少し見てみたい

43 :
>>39 キングダムの作者「いいなそれwwよし、次回作のネタにしよっと」
あの始皇帝すら名君にされてるもんな

44 :
>>39
実は宦官じゃない  これは必須要素だろうな
もういっそ実は女性ということでも良いかもな

45 :
橋本環奈なんか漫画で得た知識をひけらかしてそう
キングダムより楚漢戦争の方が面白いぞ

46 :
このスレにも数年いるが、なんかもう疲れたな

あばよ、達者でな

47 :
元気でな   ノシ

48 :
>>46
(-_-)<お達者で…
[⊃⊂」

49 :
>>43
焚書坑儒で被害受けた儒家にとっては始皇帝は暴虐な君主だが
秦の制度の多くをそのまま引き継いだ漢にとっては始皇帝はそこまで悪人ではない
文字や貨幣を統一したり最後まで仕事に勤勉で
部下にとっては信賞必罰でどう働けばいいかわかりやすい上司

50 :
>>49
でも死後に反乱祭りになるレベルで土木工事やりまくって民衆に重い負担をかけたのは擁護できない
分かりやすい権威の確立という権力側の事情はあるだろうけどね

51 :
秦の始皇帝
前漢の武帝
唐の玄宗
清の乾隆帝

52 :
>>49 始皇帝は功臣粛清した事1度も無かったもんな
無能でも死刑 有能なら嫉妬&疑われて死刑
結局周勃みたいな中能がトップ家臣として生き残った劉邦のバカと違って

53 :
劉邦は『項羽』という名の若者を秘密の部屋に連れ込んでイジメてたという逸話を思い出したわ。

54 :
それでも紀信みたいに身代わりで死ぬ人間もいるくらいだから
何らかの魅力はあったのだろうけど

55 :
>>54 魅力は魅力でも、所詮は仮面だからな
本性を完全に覆い隠す精巧な仏の仮面
一皮剥ければ実子さえ見捨てて恩人を切り捨て疑うようなド外道だから、あと
元上司にちょっと軽く見られた位で生涯根を持ち出世を遅らせた小者でもある 
成功者型サイコパス以外の何者でも無いわ

56 :
劉邦が小物なら天下統一もできなかった他の時代のやつらはありんこやなww

57 :
>>56 究極のカリスマ仮面を装備した小者だったんだよ

58 :
仮面劉邦>天下統一出来なかった他の面々>∞>素の劉邦

59 :
大物のふりが出来るならそれはもう大物

60 :
疑心暗鬼の鬼と化した劉邦に
最後まで重用されそして最後まで従った陳平

やはり傑物 麒麟がくる!!

61 :
>>59
そりゃそうだ

62 :
魅力的な人物だったんだろうな
周りの人がほっとけないみたいな例えサイコパスであっても

63 :
仮面劉邦>∞>始皇帝>∞>本性劉邦

64 :
>>62
そら気前よく報酬くれるからな
なお統一後手形過多で土地が足りず謀叛されまくった模様

65 :
>>64 は?そりゃ利用してる間だけだろが
すぐに功臣皆殺しにして手柄ゼロの血縁者だらけにした
項羽は身内の誰一人として王公クラスにさせていない
封じたのは、名門王族>戦功者>名門大夫、の順番、それなのに劉邦も斉王も韓王も欲かいて恩を仇で返し反乱した

66 :
劉邦に惹かれて随従したのって殆どが郷里の連中ばかりかなというか
大方は利で誘われたか、項羽陣営じゃ不自由さや生命の危機を感じたり
栄達を望めないと踏んで鞍替えした割合の方が多い気も

結局のところ、劉邦と項羽の二大勢力にほぼ分かれたんで、どちらに与すれば
利益が大きくて仕えやすいかを殆どの人間は天秤にかけたってのが
実情に近いんじゃないかね
項羽の様な威圧感や恐怖心をあたえないし、人の意見はよく容れるって一点こそが
大きなポイントかなと

67 :
項籍は穴埋めのせいで人気なかったんやないの?
しかし反乱のおそれがある秦兵20万をどう処分したらいいのかむずかしいとこやが

68 :
>>67 やらなきゃ殺られてた、それだけ
本心から服従を誓うわけないじゃん
仮に本気で服従させられたとしても、今度は兵糧不足で全滅餓死
項羽の行いを批判したい奴は、偽善者にも程がある
お前さんが項羽の立場だったら、どうしたかったわけ?

69 :
>>68
兵糧不足ってのも謎やけどな
鉅鹿で王離を破った後は結構長く章邯と対峙してたから両軍それなりの兵糧確保出来てたって事やし

70 :
項羽から韓信や陳平が去ったように、このスレからも人が去っていく

いや2chから去っているのか?

劉邦陣営はFacebook、Twitter、Instagram辺りか
煽りや罵声やマウントより、いいね欲しいよな

71 :
このスレのその5は完走に1年半かかってるのにその6から勢いが良すぎる
自分的にはまだ特に人が減ったとは感じない

72 :
宋義が上将軍つとめてたとき兵糧不足って記述あるやん

73 :
ウン十万人の捕虜の管理なんて
現代でも難しいわな
しかも自勢力の支配地域でもなく、
今の今まで戦地だった荒れ果てた場所で
そんなドッサリ投降されても困るわな

後の四面楚歌のとき、漢軍は項羽軍を投降させず
散り散りにさせて逃がしてたんだよね
その方が楽だよね

74 :
>>72 大した武力の無い宋義が項梁討ち死に後の後釜に指名されたのも変だ
宋義なんかで章邯の相手なんか務まるかよ
なんで項羽じゃ無かったのか
おまけに宋義を除いたら今度は劉邦を立ててきて項羽に断然不利な任務を押し付け失脚させようと謀る
懐王って相当腹黒いぞ

75 :
>>72
その後鉅鹿で王離を破って捕らえ章邯と何ヶ月か対峙しとる
これ秦軍の陣から糧食奪ってないと成り立たん行動やからね

76 :
>>75
攻城中に章邯軍から切り離され死亡した王離ほか隊の陣に十分な兵糧はない気がする
どちらかと言えば新たに影響下入りした近隣から供給してもらったのでは?それなら余裕で継戦できそう

77 :
>>76
切り離されたというか
王離の方が大軍でむしろ鉅鹿攻めの主力
たんまり兵糧持ってなきゃ城の包囲なんて出来んで

78 :
>>77
いや、補給すれば出来るでしょ
たんまり持ってないからこそわざわざ人員と糧食を送る補給路を建設したでは?

79 :
>>78
そりゃ30万と言われる大軍
幾ら積み上げてもどんどん減るやろね
言いたいのは王離の包囲軍が明日をも知れないギリギリの兵糧で包囲する訳がないって事
前線にもかなりの糧食を積み上げるのが当たり前だし少数の楚軍にとっては宝の山になるのが道理

80 :
項羽の穴埋めは普通に考えれば反乱予防が第一
何しろ章邯らは進退極まって降伏したと言っても結局は個人都合
秦兵にしてみりゃまだまだ数で優位に立ってるのに勝手に降伏されて捕虜になって故郷に帰るとかいう納得出来ない状況やからなあ

81 :
>>79
持ち込んでるから明日をも知れないほど少なくはない
ってことは俺の書いた十分ではないという表現は大体妥当じゃね?
その程度であればやはり心許ない感じ、章邯と対峙した反秦軍は相当な大軍だろうし

付け加えると、当たり前のことを当たり前のようにできない道理が引っ込む状況かもよ

82 :
あの状況で項羽がどうするのが後の天下人として振る舞うのがよかったのか

83 :
>>81
そもそも楚軍の兵糧が不足してたのは鉅鹿の戦い前の事で
鉅鹿の緒戦で王離の部隊を壊滅させてから数ヶ月章邯とやり合ってる間兵糧不足の話は無いんだよ
ましてや秦軍はその前の鉅鹿包囲からずっと戦い続けられるぐらい兵糧を確保してる

84 :
7月に章邯降伏、11月穴埋めだから兵糧が足りなくなるのはあるよな

85 :
兵糧が不足したのは遠地から補給路もままならず援軍に来た必ずしも大軍とは言えない楚軍ぐらいで
他の軍は何ヶ月も滞陣する余裕があったのが当時の鉅鹿周辺の状況という事

86 :
ここで紹介されたらやるお読んだが劉邦ってどう見ても謀略使いの軍人皇帝やろ
なんで無能の大徳で天下とれたに後世なったのかわからん

87 :
>>86
そりゃ儒教の印象操作の賜物や
特に宋の時代に生まれた朱子学の影響が一般に広がった明代が顕著で
三国志演義やら西遊記水滸伝の主人公像に影響の強さが見られる

88 :
>>86
不良中年は史記だと残念エピソードが目に付きやすいから……

89 :
無能だけど好人物な英雄が仲間の力を借りて勝利するという物語は民衆受けがいいからだな
史実であっても民衆受けが悪ければ広まらない

90 :
>>85
秦軍が降伏した後は兵糧が足りなくなってもおかしくはない

91 :
>>90
鉅鹿を半年以上包囲出来るぐらい兵糧豊富な秦軍が降伏して何で兵糧不足になるんや?
しかも秦軍を排除した事で趙を始めとした周辺の味方地域からの補給が可能になるのに
敵中で飢えた20万を抱えた長平の戦いとは全く状況が違う

92 :
降伏したら補給は打ちきりだ、その前からゴタゴタしてるし
だいたい1年以上退陣を続ける事自体が困難だ、他の地域でも反乱が起こってるからな

93 :
章邯が手柄を立てるのを警戒して趙高が補給を邪魔した可能性もある

94 :
胡亥と漢武帝後半ってやってることほぼ変わらんのになんで秦は滅亡したんやろ

95 :
最期の瞬間、項羽は肉体としては死んだが人間の壁を越え神となった

96 :
章邯が謀叛を起こして打倒趙高胡亥をやらなかったのは謎

97 :
項羽が黙って見とるとでも?

98 :
https://youtu.be/3reMykHGMtg

99 :
項羽って何で強かったの?
韓信みたいに戦術に優れてる印象無いけど

100 :
項羽は戦術はめっちゃ優れてるんだが
項羽がだめなのは政治や戦略だ

101 :
>>99 は?最期は1人で100人斬り殺して自害したエピソード知らんのか?それでよくこのスレまで来れたなww
韓信に同じ事できるか?
股潜ったり、何度も衛兵に捕捉され侯に降格され処刑されてるのに

102 :
なお灌嬰や高祖本紀によると東城で灌嬰の部下5人によりころされてた模様
司馬遷は本人ののには都合の悪いこと書かないからな

103 :
まあ、戦術もできるんだろうけど、こうと決めたら躊躇しない性格や、忠誠厚い楚兵の存在がうまくハマったんだろ
項羽が劉邦の立場で雑多な兵を率いて咸陽目指したら上手くいけたか微妙

104 :
用兵とか戦術とか言うとすぐに特異な作戦の事を語りたがるのはありがちやな
それ以前に兵を効率よく動かす為の軍法や兵の士気を下げない為の配慮等が重要
韓信が漢の大将軍になって最初に行ったのが軍法の制定だし英布の反乱で項羽と同じ軍法で軍を動かしてるのを見て劉邦が嫌な顔押したりといった記述も見える

105 :
項羽が略奪を気にせず敵対者を埋めたりする理由としてはシンプルに兵の士気を保つためというのが一番なのかもしれんね

106 :
>>103
楚兵が強いと言っても項羽に別軍を任された
項他、簫公角、薛公、曹咎ら(竜且ですら)の史記の記述では惨惨たる物だ
項羽に特別な才はあったろう

107 :
>>106
そもそも項羽側の功績記録がロクに残っとらんしな
そんな中別軍率いて英布討伐した龍且は頭一つ抜けてる感じといった程度

108 :
その司馬龍且はなんで韓信なめくさったのか疑問

109 :
直接じゃなかったにせよ
以前は自軍の数段格下の部下だったからなぁ
おまけに情けない逸話てんこ盛りで

それなのにハンゾウは韓信のこと
すごく評価していて内心ムカついてたとこも
あったのかもね

110 :
>>29
応仁はgdgdを楽しぬもの

111 :
范増って史記にろくに出てこないよな

112 :
范増忍びの者説
ハンゾウだけに

113 :
>>105
いや、それは士気が高まるどころか異常者みたいな感じで怖くなるんじゃ?w

114 :
>>113
略奪許可は兵士に対するボーナスやし
戦で散々敵を殺してるんやから捕虜等いつまた敵になるか分からん無駄飯食いは殺した方が兵にとっては気楽や

115 :
>>111
韓信を用いろ、さもなくば殺せ
なんてのも史料には無かったはずよね
俺は横山版でしか見た記憶ない
此処でも余所でも史実の様に言う人を見かけたけど
何か史料上の典拠あるんかな

116 :
〜を用いろ、さもなくば殺せって商鞅の逸話で見たことがある
他の例は覚えてないけど他国で活躍した人物の若き日のテンプレ逸話みたいなもんかね

117 :
范増「韓信wwwwww股くぐりwwwwww」

118 :
でも項羽らの護衛官やってたんでしょ韓信
腕っぷしも見た目もなかなかの位丈夫だったんでないかね

そのうえコツコツ献策もしたりしてさ
せれで范増の目にとまったくらいだし

つーか項羽に任せないで范増が自分で
韓信のこと重用してやれば良かったのにね
それぐらいの裁量権あっただろうに

119 :
>せれで范増の目にとまったくらいだし
それって小説や漫画の類の話のはず

120 :
蕭何のせいで関中入り後民衆から略奪せずにすんだ劉邦軍

121 :
関中どんだけ豊かだったんだよって話だよな
秦王の政が統一遅らせてまで
治水工事やった効果が活きてるのかな

122 :
そんな関中も後世食料を賄いきれず他地域に頼ることになってしまう
どれだけ人が増えすぎたのかどれだけ他地域が豊かじゃなかったのか

123 :
治水工事って鄭国渠のことか?

124 :
三國志で董卓も1度は天下とった土地だしねえ

馬謄馬超おじさんも頑張った土地

125 :
項羽も船沈めて背水の陣やってるんだよな
韓信より先に
戦場の機微に対する洞察力という意味では降雨も相当なもんだよ
だからこそ彭城占領した官軍を1/10程度の兵で撃破できたんだろうし
項羽陣営は范増もいる癖に補給幕僚がいないのはどうなってんだと言いたい

126 :
ナポレオンの強さの8割は兵站にあるって、朝鮮戦争ぐらいに米軍の偉い人が言ってたけど、その意味で蕭何の存在ってすごかったんだよね

127 :
>>125
現代人が使う背水の陣って鉅鹿の項羽の方だしな
出典は韓信の方になるんだけど、こちらは初めから緻密に練り込んだ策の上に立ってる

128 :
韓信の方はいかに無能のふりをして相手が本陣をカラにして突撃するように仕向けるかがきもだ

129 :
項羽の背水の陣って春秋時代の秦穆公もやってなかったっけ

130 :
井陘の戦いって李左車の言うこと聞いてればよかったと言われてるが劉邦本軍が趙を南から攻略してるんだよな
まして怨敵張耳が来てるわけやし

131 :
ショウカすごく持て囃されてるが
秦の時代だって兵站に不足ってないんだよね
政による各国征伐の遠征でも
統一後の反乱軍鎮圧の遠征でも
ショウカによると言うより
関中の国力による功績なんじゃないのかなあ

132 :

いや関中遠征の時から略奪してないやん

133 :
>>131
函谷関以東が陳勝・呉広の叛乱このかた戦争続きで、項羽が諸侯を分封した後も
支配者が頻繁に入れ替わったりの混乱続きで行政も安定していないなかで、
安定した現地調達が相当に困難なのは容易に察せられるわけで
劉邦が関中に籠って戦ってるならわかるが、争乱の巷である中原に出張り続けてるから
蕭何の手腕が評価されたんだろ
戦国時代の七雄の争いと違って陳勝以下の叛乱って民衆が多数蜂起してて流民も多い
占領したからって人口や生産力がそのまま手に入るわけじゃない

134 :
過去の事例を研究しまくってた曹操ですら、何度も兵站が続かなくてピンチに陥ってるんだよな
曹操が兵站の重要性を知らなかったわけがない、準備しなかったわけじゃなくても足りなくなっちゃうんだから、蕭何や孔明先生はやっぱ凄いってなる

猛将のイメージの強い夏侯淵も、実際は兵站を確立するのが最大のスキルで、それで速やかな進軍を可能にしてたんだっけ

135 :
曹操なんて二流と蕭何を比べるのがおかしい
あと格下の諸葛亮と蕭何も

136 :
項羽は滅茶苦茶強いよな
ドラマで一人で数十人に囲まれても勝つけど
実際は項羽くらいかね?
関羽や岳飛や楊再興とか強かったのかな?

137 :
秦の統一前にもし項羽が成人してたら
どうなってたかな?
項燕より取立てられていただろうか?

138 :
剣術は上達しなかったけど怪力で解決
力こそパワー

139 :
>>138 小山ゆうのあずみみたいな剣士とやってたら
項羽の手足は軽く切断されてたなww
速さが違い過ぎる
あずみ「弱い。なんだこの鈍重な大男は・・・・?」」

140 :
あずみとかいう架空のものと実在した項羽を比較してんのはガイジ過ぎる
まあ項羽本紀もファンタジーだらけとはいえ

141 :
項羽もファンタジーみたいなもんだからなぁ
騅だって実際はポニーみたいなかわいいやつでしょ

142 :
蕭何と並べて考えるなら管仲かな?
管仲も戦上手というよりは富国強兵政策と外交の達人で桓王の覇業を支え孔明が手本とした人物の一人だけども

143 :
鉅鹿と彭城がその後の展開見るとファンタジーとは思えんが

144 :
自分の頭で理解や処理できないものは安易にファンタジー認定してしまう

145 :
彭城でぼこぼこにしたあと項羽は何やってたんだろうな
すぐに滎陽に攻め込めば韓信の西魏討伐すら無理やったのに

146 :
休息してたんだろね
項羽側の負傷者も大勢居たろうし

147 :
追撃戦では漢軍が勝ち楚の西進をはばんだ

148 :
馬ってポニーくらいのデカさだったの??
幻滅しちゃうけどしゃあないわな
いつからちゃんとした馬での戦いなったんだ?
日本の戦国もか?

149 :
>>118
韓信は立派な体格だったらしいな
背も高かったらしい
この時代の武将クラスは180とか多かったらしいな

150 :
>>149
項羽184cmハンカイ194cmだっけ?出典は忘れた。

151 :
>>148
総じて今より小型だったけど、日本ほどじゃないはず
日本は牧場から体格のいい馬から順に連れ出して、そいつらは戦場で消費するから、牧場で選に漏れた貧弱な馬が子孫を残して、小振りな馬ばかりになっていった

それに対して大陸の騎馬民族では、体格のいい馬にだけ子供を作らせることを紀元前からやってた

日本でも東北地方はいくさが多くなかったから、質のいい(体格のいい)馬が生まれて、関東や近畿で高額で取引されてた

152 :
>>150
ハンカイでかいね
>>151
でもやはり小さかったんだな
そうやってドラマでするのはダサいから無理なんだろうな

153 :
>>147
史記にでてんの?

154 :
平凡社の史記だと項羽本紀ではずっと勝ちに乗じて敗走する漢軍を追ってすすみ、ふたたび結集した漢軍と、ケイ陽の南の京・索の間で戦った。こんどは漢が楚をやぶったので、楚はケイ陽をすぎて西にむかうことはできなかった。
淮陰侯列伝では信はふたたび兵を取りまとめて漢王とケイ陽に会し、またも撃って楚軍を京・索の間にやぶった。
と書いてある

155 :
平凡社の史記上中下巻のうち中巻が一番面白かったのに中巻だけどこかに無くしてしまった
とても悲しい

156 :
>>148
>>151
今のサラブレッドがでかすぎるだけで大陸にあるモンゴルの馬も島国日本の馬も同じくらいの大きさ
どちらも体高147cm以下のポニーになる

157 :
項羽は巨躯といわれるけど、実は韓王信の方が長身っていう

158 :
>>156
ショックだな
中国のドラマや日本の戦国見ると嘘かよってね
しゃあないよな

159 :
てゆーか弓矢の一斉掃射がある時代に
毎度毎度前線で自ら無双する総大将なんて
創作もいいとこでしょ

160 :
>>158
そもそも重い鎧着てる時代に線が細くて背の高い馬は評価高くないで
ヨーロッパの騎馬隊だってポニーやぞ

161 :
>>159
ガイカ以降はそうやろね

162 :
>>160
ポニーか
中世ヨーロッパも小さかったんだろうな
古代エジプトやローマも

163 :
ポニーって言葉だけで大分小さい馬想像してそうだな

164 :
ポニーっていうかロバなんじゃなかったかな?
アルプス越えで有名なナポレオンの絵も実際は白馬ではなくロバに乗っていたという

165 :
牛かも

166 :
ロバの速度は無理だろ

167 :
>>112

168 :
>>153
この戦いで勝ったことから淮陰侯列伝を編んだ、と司馬遷が言っておるがな

169 :
そうなの?
斉王楚王になったからそれで編んだのかと思った

170 :
>>169
京・索の間に劉邦が追い詰められた時に他方で勝利を収めて助けた、とある
勿論そっちも理由だけど、それと並べられる大手柄だったわけ

171 :
項羽と劉邦って二強みたいに言われてるけど
他にいなかったの?
韓信じゃなくて

172 :
>>171
まずなんで劉邦が褒中から抜け出せたか、考えた方がいいよ

173 :
秦の旧地を秦の降将に任せたから

174 :
頼りになる仲間に恵まれたから

175 :
韓信が頑張ったから

176 :
褒中とはなんですか?

177 :
○中と言えば?

178 :
おまえ何中よ?

179 :
楚での人気は
項羽と韓信どっちが上なんだろう?

180 :
そりゃまあ項羽なんじゃないの

181 :
韓信か、ジャイアントロボのアレはひどかったな

182 :
スズメバチの項羽
     VS
ハエトリソウの韓信

183 :
韓信の両親や子孫の話って皆無だね

親兄弟のことまったく出ないね
王様時代もあったのに

184 :
>>183

韓信の両親は、韓信デビュー前に死去。

185 :
劉邦って覇業を助けた兄弟いないの?
そういや項羽以外の主要人物のほとんど
「兄弟や家族もみんなで頑張った!」ってのないね。

186 :
おるがな、次兄劉喜は代王になったが匈奴に攻められ逃亡、降格
異母弟劉交は別動隊となって従兄弟の劉賈の方が目立ってるが楚王になり英布に破れた
長兄は早く亡くなってた、その妻は亭長時代の劉邦を疎んじ羹が無い様に見せ掛けた

187 :
いっぽうその頃陳平は兄嫁と懇ろになっていた

188 :
字が季というのを真に受けると、弟はいなかったのかな?

189 :
司馬仲達の兄弟も叔達・季達の下にさらに4人おるし、季でも末っ子とは限らん

190 :
司馬101達

191 :
ディズニーの101匹わんちゃんかよ!

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193 :








季の後に弟が生まれても続いていく

194 :
>>189
三雑魚に出て来るのをわざわざ出す必要ないから

195 :
>>189

家族計画の失敗。

196 :
>>193
司馬八達だけでなく
夏侯七権や馬五常もそうだろ
季で末っ子は劉璋ぐらいだ

197 :
同母兄弟の中では末っ子(伯仲季)で異母弟(游)は別カウントっぽいからいいんじゃね

198 :
司馬101匹タッちゃん大冒険

199 :
父親の兄が伯父
父親の弟が叔父
字が日本に来てこういう形で根付いているのにちょっと感動する

200 :
季で「すえ」って意味だったはずだけど、それでもその下にいるってのは、
小づくり計画が変わったとか、予期せぬ子沢山でって事だったりするんだろうか

201 :
>>26
むしろ陳勝はこの時代だからこそ王になれた人物だと思うわ
何のコネも血縁も無い農民出身の男が王になるのは後漢末や三国時代では無理

202 :
少しあとに何のコネも血縁も無い農民出身の男が皇帝になってるんですが

203 :
でも地元じゃ負け知らず

204 :
>>171
軍事的に強かったのは斉と趙だろうね
どちらも誇張かもしれないけど二十万の兵がいた

魏は十万

三秦はどれも数万程度

ただし、西魏軍十万を韓信軍三万で攻めているから
漢の総兵力も十万いなかったのかもしれない

九江も三万程度

205 :
漢は元々そこまで圧倒的に強かったわけじゃない
最初は数万程度の兵力しかいなかった

楚も斉への二十万の援軍が破られたから
最後の項羽軍は十万しかいない
韓信軍は上のと斉のを合わせたのか最後の戦いには三十万で来た

206 :
劉邦ってなんでか人使いが上手いだけの凡人扱いされる事が多いけど
普通に沛にいた頃から才能の塊だよな

207 :
ソース

208 :
秦だの漢だのの時代って
調味料香辛料どんなのあったんだろう?
塩だって貴重品だよね
ソース?醤油?
どんな味付けのもの食べていたんだろね

209 :
ソース

210 :
>>208


211 :
>>208
大豆ベースの醤油ちっくなのは紀元後の登場らしいけど、魚や獣肉をベースにした魚醤や肉醤は有史以前から世界各地で発達してたらしいよ

212 :
>>208
>醤の歴史は紀元前8世紀頃の古代中国に遡る。
>醤の文字は周王朝の『周礼』という文献にも記載されている。
>後の紀元前5世紀頃の『論語』にも孔子が醤を用いる食習慣を持っていたことが記されている。
>初期の醤は現代における塩辛に近いものだったと考えられている。

213 :
>>211
甕に貯蔵して発酵して沁み出したのが魚醤なんだっけ?

214 :
>>151
勉強になったわ

215 :
この時代に新型肺炎とか起きたら大変だよな
交戦中とか行軍中とか

216 :
WW1時に流行ったスペイン風邪かな?

217 :
防疫って概念そもそもあったのかね
コウモリや蛇モリモリ食ってただろうし

218 :
>>217

いちおう火を通さない物は食べないなどの予防策はなされていたのではなかったか?

219 :
行軍中に催したらどうすんの?

220 :
豚の生肉を食べるから駄目だろうね

221 :
間信ならうまく利用しそう

222 :
孔子の食べていた肉の刺身は何の肉だ

223 :
>>220
しかし樊噲よく鴻門の会で豚の生肉食って死ななかったな
死ななくても重病になってもおかしくないぐらい危険
現代の衛生基準厳しい日本でもユッケ喰ったら死人出るのに

224 :
焼いてあったんじゃないの?
豚の生肉つったって当時は貴重なものだし
無駄にはしないでしょ

225 :
そもそも何で宴の席に生肉が存在していたのか?
樊カイがいくら無礼な入り方をした、と言っても礼儀正しさで知られた(これが誤解される部分)項羽がそんなイヤミみたいなことをやったとは考えにくい、劉邦ならともかく
だから司馬遷が民間伝承で樊カイの凄さを表現するためにそのまま拾ったと考える方が納得いく
実際鴻門の会が行なわれたか、どんな場面だったのかは伝承でしか分からんから後の祭りだけど
司馬遷自身樊カイの子孫に会っているらしいから、こういうエピソードを入れたかったんじゃねえの?

226 :
肛門の会ってほぼフィクションでしょ?

227 :
アッー!

228 :
そこは司馬遷が採用したことに敬意を払って曖昧にしておくの

229 :
元お肉屋さんだったのって樊噲だっけ?
そっからきてんじゃないの
「なんかお肉にまつわるエピソード欲しいな〜・・」

230 :
>>228
自分で作り話は書かないが伝承は胡散臭くても取り入れるスタンスだからなあ
これはこれで武帝の時代にどんな民間伝承があったかを知るには貴重な歴史的資料

231 :
>>229
犬の屠殺という愛犬家が悲鳴をあげそうな職業だったらしいね
つまり当時中国では犬を食料にするのが当たり前だったという
こらまた実用的な資料だわな
チャウチャウってのは元々それ用の犬だったと聞くしね

232 :
https://i.imgur.com/jOAaT59.jpg

233 :
犬は、今でも食べない地域があったり、犬も豚も身分が高い人は食べなかったりした地域・時代がある。
左遷された蘇東坡が豚肉で東坡肉を作ったのは、
地元民が、中央から流された官僚に、「豚肉を献上して食うかどうか見てやろうぜww」という意図に対して、
それをうまい料理にして振る舞い、
「お前らこんなにうまい料理食ったことないだろうww」という返し技であるのと同時に、
自分を左遷した政権中枢に対して、「左遷うめぇww」と強がって見せたものらしい。
中国人は政治家でも調理好きというのが結構いるんだよな。

234 :
そのせいでトンポーローを蘇東坡の肉だと言って食うぐらい民衆に憎まれているという讒言が通ってしまった
生の豚肉は当時は普通に食べたんじゃないかね

235 :
雲南にはあるんだねえ
http://youtu.be/ahDUNd36cYg?t=265

236 :
?いにはたべる

237 :
生肉の刺身

238 :
樊噲と廉頗、どっちがより大食らいだったんだろうな?

239 :
記述がある方

240 :
やはり豚の生肉は当時普通の料理だよね
日本でも豚の生レバーを昔は出していた
事件一つで違法にしやがって許せない
衰退国日本

241 :
刺身ではなくて膾(なます)だよな。
細切りにして酢で和えて薬味を添える。
漢書の東方朔伝に「生肉を膾と為す」と記述され、
礼記には季節の薬味なんかにも言及があるそうな。

242 :
漢民族は生肉は食べないでしょ
少数民族に習慣があるくらいで

243 :
>>240
西漢で例えるとどのくらいの衰退度?

244 :
遊牧民は当たり前に食べるだろ

245 :
酢って、この時代あったんか

246 :
>>245
ヨーロッパでは少なくとも5000年前には作られていたらしいからな
「世界最古の発酵調味料」とされているくらい簡単に勝手に出来るものだし
古代中国で作られていた、としても何ら不思議はない

247 :
酒から自然にできるしね <酢
酒の歴史=酢の歴史といってもいいと思う

248 :
楚漢戦争の頃の14のいにしへ武将
統 武 知 政 魅
蕭何 21 17 86 99 89
張良 65 23 100 86 92
劉邦 71 62 57 60 100
韓信 100 74 95 74 68
頂籍 98 100 66 19 95
虞姫 28 15  68 61 96
范増 37  9  94 80 72
英布 85 96 55 31 42

249 :
寿司はあったのかね

250 :
>>248
相変わらずの劉邦の不遇に草
項羽より知力低いとか流石に辞めてさしあげろ

251 :
統 武 知 政
蕭何 E E A 100
張良 D E 100 C
劉邦 B D B B
韓信 100 D A C
頂籍 100 100 C D
武力は攻撃力なのか一騎討ち能力なのかわからないから一騎討ち能力として
こんな感じにしてほしかった

252 :
>>251
戦争しっぱなしの劉邦の政治は韓信同様Cかわりに張良の政治がBかな
楚漢戦争時で劉邦より統率高そうな人物って他に誰がいるやろ
項羽韓信この辺は別格として章邯英布彭越この辺には条件次第で勝てるもしくは実際に勝ってるから何気に上位だよなあ

253 :
彭越は自分より強い敵とは絶対戦わないし逃げ足も速いから、
戦う相手としては韓信よりも厄介では?

254 :
あとは竜且

255 :
才能で言うと高祖の軍才は謎
韓信に10万率いるのがせいぜいと言われ、40万動員した匈奴討伐は惨敗
英布討伐は英布より数倍の規模で望んだが、敵の戦意を削ぐ持久戦から入ったのだが
切れて最後は脳筋で死ぬ怪我してるし
陳キ討伐では敵の布陣を見て勝ったとか言ったり、歴戦の余裕、成長を見せたが

256 :
陽動見抜けなかったせい
婁敬の助言きかなかったのが悪いね

257 :
婁敬改め劉敬か。魯元公主を冒頓単于に嫁がせろとか
呂雉がブチ切れそうな提案しているけど、劉邦の死後も大丈夫だったのかな?
この頃魯元公主は張敖と結婚してた筈だけど、秀吉が家康と妹結婚させたみたいに
離婚させてまで、嫁がせるつもりだったのかね?

258 :
10万率いるのも相当すごいもんだよなあ
実際数えたら2000人ぐらいだったりして

259 :
張敖の部下がやらかした後だから高祖も承諾したのかもね

260 :
あれこそ口は災いの元

261 :
>>258
劉邦がせいぜい10万というのは、
それは韓信がそういってるだけで、
軍の運用の実際は、情報収集や指揮命令系や、戦闘員以外の軍吏の役割分担を詰めていけば、
システマティックに運用可能だろう、現代の用兵だってもちろんそうだ。
それは運用手法の整備レベルの問題であって、個人の資質ではないよね。
だから周勃は、韓信ですら扱ったことがない100万の兵を指揮できたんだよ。
つまり用兵のコアなメソッドは韓信すら知らなかったということに他ならない、
ある意味韓信の凄さではなく、韓信の無能さを示す言葉だ。
むしろ蕭何や張良や陳平から見れば、
「この程度の男だったか・・・」だよ。

262 :
>周勃は、韓信ですら扱ったことがない100万の兵を指揮できたんだよ
いつ指揮したんだよwと毎度ツッコミ入れたくなる
呂氏誅滅の際はせいぜい北軍数千だっただろうし
その後そんなに大きな戦役ないだろう

263 :
>>250
項羽は頭いいぞ
だから人を小馬鹿にしていたと思う
何せ天才軍人だったから

264 :
項羽はどうにもビッグ錠の
「できらぁ!」みたいなイメージなんだよなあ

265 :
>>262
>呂氏誅滅の際はせいぜい北軍数千だっただろうし
それは戦闘行為は、その数ってことだ、
周勃は太尉だろ?
漢全軍を預かる身だよな?
動かさなかった兵だって、周勃が動くなといったから動かなかった、
これは周勃の指揮下にあったといえるだろ?
呂氏の命令に従ったか?違うよな?
斉王を討伐に出た灌嬰だって中央の指示を待って?陽で止まった、
実際には陳平とかが策を練ったのかもしれないが、これも周勃の指揮下にあったと言える。
派手に動かすだけが指揮じゃないよ。

266 :
やるおの人が解説してたが
周勃と陳平は軍をうごせないため呂氏に穏便に政権返上させるように工作してたのに呂氏討伐のために挙兵したと思い込んでて斉王に付いたカンエイとは全く連絡取ってないと結論付けてたな

267 :
二世皇帝を殺した兵士の数も千人程度だ
楚漢戦争なんたらは命をかける臣下なんて普通にいるとか書いていたり
ところどころ考えに賛成できないところはあるが
やる夫スレとしては面白い

268 :
あれは理路整然としてるから作者は妄想としてるが事実と思えてくる

269 :
樊カイはいくつか良いエピソードがあるが周勃だけは人柄の悪さと能力のなさを示す話ばかりで良いエピソードが一つもない

270 :
周勃は楚漢戦争中は地味な活躍しか無いからあんまりパッとしない印象持たれるんだろうな

271 :
周勃って確かに何が優秀なのかわかりにくいけど、漢軍でも最上位(武官として韓信、曹参に次ぐ3位?)にあって悪い評価もないから、地位相応の能力はあったんじゃないかと思う
陸軍にいたジーちゃんが、一個小隊で敵一個中隊を殲滅するより、一個師団で相手の一個師団と五分に戦う方が難しいって言ってたの思い出す

272 :
まあ、司馬遷も凡庸とか言っちゃってるからなあ

273 :
英布討伐とかも周勃行かせりゃ良かったのにね
有能なのなら

274 :
いや同族の劉賈が殺され、劉交が捕虜にされてるから劉家の沽券に関わるわな
最初、太子を出そうとしたのも、英布は楚荊を物にした状態だったし
仮に周勃とかで討伐させて成功で周勃を王にする事は出来ないね

275 :
>>274
劉恒「余は気にしていないぞ」

276 :
皇族の王を殺した元王の討伐とか成功失敗どっちにしろ賞罰が面倒
戦えるリーダーは自分で戦った方が面倒が無いってのは古今東西どこも一緒やし

277 :
袁おうは文帝に周勃にへりくだる必要はないと助言したが周勃が謀反するという噂が出るとただ一人その噂を否定した
このことは俺の解釈では周勃は帝がへりくだって接するほどの優れた人物ではなく謀反を起こすほどの知恵も気概もないただの凡人だからほっといてよい
という意味になるのだ

278 :
反乱を起こす恐れはなくて、将軍としての責務は無難にこなせる
ある意味理想的な人材だろうね

279 :
陳平みたく呂后ー派にすりよりもせず
呂后ー派からもたいして警戒されることもなかったみたいやからそうやろね

280 :
韓信「それはどうかな?」

281 :
陳平「いぇ〜い♪」

282 :
陳平の異能生存体っぷりよ

283 :
兄嫁を惹き付ける魅力
目をつけた女を親経由でモノにする策謀と実現力
後の皇帝の足をムギュって踏みつけておいて
「イチチ」だけで済ませる収拾力
とんだ傑物さんのおでましだよ!

284 :
>>283
一番好きなのは皇帝に「これこれについて教えて」と訊かれたら
「そんなの知っている奴に訊いてよ」としたことだな
あれは政治家の多くは身につけて損のない能力

285 :
>>283
劉邦の命令とは言え樊噲を逮捕しておきながら。その樊噲からも、婚姻関係にあった呂氏からも害されないで済ませた立ち回りの良さも

286 :
呂氏の乱の顛末みると陳平って保身の俗物ってイメージが強くなった
皇帝の偽勅使ったから少帝弘を 偽物 として退位させてるし
ひどい奴だよ

287 :
>>286
劉邦
蕭何
張良
陳平
漢の頭脳派は揃って保身が得意
張良を除いて俗物ばかり

288 :
「陳平は密通やら賄賂やら糞野郎です、信用しちゃいけません」とか言ってた周勃と、25年後には盟友として2人で大仕事を為すのだから面白い

289 :
文帝いなかったら漢は前後400年続かなかったと思う

290 :
>>287
蕭様は身の振り方をわかってるだけで陳平ほど俗物じゃない

291 :
>>290
保身のために容赦なく息子を戦場に送り出し民衆から搾取する悪政をワザと行うぐらいやね

292 :
蕭何って劉邦不在のときに韓信勝手に粛清するしこれまた劉邦不在のときに未央宮勝手に建築するし劉邦のこと完全に見下ろしてたよな
劉邦が粛清しようとしたのも分かる

293 :
そもそも挙兵時も失敗した時の生贄にするため劉邦を担いだぐらいやしな

294 :
配下(蕭何)や皇后が勝手に粛清やってて当人が手を下したのは丁固と樊噲(未遂)くらいなのに劉邦は少し歴史詳しいのには粛清魔とか言われてるし酷い扱いよね

295 :
朱元璋と同じような扱いをされるのはさすがに酷いすぎるわ

296 :
「あいつはねえわー」「あー、兄嫁の・・」言われながら
最高権力握らされ続けた魔性の傑物

297 :
だれ?

298 :
多分陳平だと思うけど劉邦や蕭何韓信も大概な類友やからなあ

299 :
陳平は劉邦陣営に来た当初から
フルスロットルで品性を疑われてて
劉邦からも警戒されてて
でも結局劉氏のために生涯忠実でいて
他人を陥れるような悪どいことも
しなかったのが面白い

300 :
項羽「俺を陥れたじゃねえか!」

301 :
失敬失敬
味方を陥れるようなことはしなかったって意味ね

302 :
>>299
どこがやねん
劉邦の孫を保身のためにころしてるやん

303 :
>>302
史書で正当化してるとはいえ
やってる事の本質は董卓と変わらんからなあ

304 :
陳平の家族や子孫ってどうなったんだろう?

305 :
陰謀の報いじゃ

306 :
陳平や張良の家は速攻潰れた
蕭何の家だけは潰れる度に復興させてもらう不思議な状況

基本的に皇帝にとって諸侯なんて領土を奪ってる邪魔者やから何か落ち度が有れば直ぐに爵位剥奪取り潰しになる

307 :
>>306
野末陳平「私はまだ生きています」

308 :
>>306
建国の功臣第1位は無下に出来んよなあ

309 :
陳平はどんな国のどの時代に生まれてもしれっと権力握ってそうな怖さがある

310 :
>>291
親のために子が犠牲になる例は当時は珍しくない
悪政も生き残るための方便欲に陳平とは

311 :
悪政も生き残る為の方便だから欲に駆られた行動の多い陳平とは比べられない
って言いたかった

312 :
陳平そんなに欲に駆られてるかな?

313 :
プライドをかなぐり捨てたはずの韓信も最後はそのプライドが邪魔になって死んだ
陳平はそれを最初から貫いたからな
兄嫁を抱きたくて抱いて
金持ち女を妻にしたいからモノにして
項羽の元で出世出来なくなったから追い剥ぎの前で裸になっても逃げ出して
金が足りねえから賄賂要求して
女と遊びてえから項羽を滅ぼす算段をして遊び放題
遊べなくなったらから反乱に参加して呂氏を滅ぼして
それでも遊べなくなったから大臣辞めて
頭にあるのは金と女、正直だよなあw

314 :
弱み=弱点にならないのが陳平の強さであり嫌われる所以
非難される理由も本人が一番理解してそう

315 :
劉邦>項羽に家族が捕まっても気にしない
蕭何>家族を前線に送り出しても気にしない
張良>刺客を容赦なく見捨てて脱走
弱点なし野郎ばっかやん

316 :
>>315
彼らは立場や状況的にそうせざるを得なかっただけやん
保身と我欲じゃ話が違う

317 :
「俺なら天下を上手に切り分けて見せるのに・・・」

318 :
陳平のこの嫌われようよ!

319 :
陳平はサイコパスって言葉がしっくりくる
どんな時も自分の利益が一番で、大義とか道義とかは利益の妥協点になり得ない
だから変節もするし陰謀もサクサクこなすよ

320 :
サイコパスって感じはしないな自分は
目的のためには手段を選ばん人間だけど
無軌道に楽しむために卑劣な事をするような輩でも無いし

321 :
>>313
女と遊びてえから
の行から先の話は何に書いてある?

322 :
>>320
俺もサイコパスだとは思わん、ただの快楽主義者だったと
妥協するべきところは妥協しているわけで
じゃなければとっくに項羽か范増に殺されている

323 :
酒も女も金も大事を為す手段だったもんなあ

324 :
兄嫁は性欲の処理に使っていただけで
金持ちの娘との結婚も金目当てなだけだしその後は全然話題に出ない
裸一貫で漢に逃げたので一緒じゃないし佐賀市にも言っていない

325 :
その誤字っぷりから中国人も此のスレに興味あるのかね?

326 :
項羽倒してから、劉邦団を漢帝国を仕上げるのも
相当難儀なことだったと思うけど
その辺の知識経験あるスタッフっていたのかな?

秦の文書類引き継いだ蕭何が主導で進めたのかな?

てか項羽と戦ってるときは、
劉邦軍は自分等を何て名乗ってたの?
「漢」軍?

327 :
史記に記されていない旧秦の役人使ってたんやろ

328 :
>>327
秦の官僚って多国籍軍団だからそれほどこだわりなかったろうしな

329 :
叔孫通も秦に居たな

330 :
つか漢なんか秦の法をパクって運用してるんやからさ

331 :
そもそも劉邦や蕭何が関中にこだわったのは法治国家に順応した国民含めた国力や
他の地域にそれが浸透するのは呉楚七国の乱以降や

332 :
>>326
項羽の十八王封建で劉邦は漢中の王に封じられたから当時から「漢」中王だよ

333 :
中央集権の統一国家を達成できた唯一の仕組みが、秦の法治国家なんだからしょうがない。

334 :
劉邦が漢中もらえたのって張良が項伯に賄賂贈ったおかげでマジ獅子心中の虫だよな項伯は

335 :
>>334
劉纏「とんでもねえやつだね」

336 :
項伯は恩人として認められた、?水の時見逃した奴は罰せられた
上級国民は許され、下は部下が裏切らん様に見せしめにされる
今も変わらんよな

337 :
張良はその前から項伯と面識あったんじゃなかったか?
始皇帝暗殺未遂後逃げ回ってその後項伯に世話になってたんだっけ??

338 :
そういや項羽以降、
項○って名前はとんと見なくなったね

やっぱ漢の時代では形見狭くなったか

339 :
>>338
劉纏「不思議やな」

340 :
范増は立場の割に能力が未知数すぎるな…

341 :
>>337
陳さんの作品での曖昧な記憶だけれど、項伯がトラブルから
殺人犯して逃げた時にかくまってやったのが先じゃなかったかな?
その後に暗殺未遂だったような。

342 :
ヒトラーさんもみんな改姓したよね

343 :
アドルフもや

344 :
>>338
そうはいっても項氏は唐以後はちらほら見かけるし
明清中華だと普通に居るぞ

345 :
>>341
そか、先に項伯が刃傷起こして逃げてかくまったのが張良だったね

346 :
>>338
正史三国志に記載のある項氏はたった一人だけみたいだしね。
項峻(竣とも)
呉の郎中。孫権の命で呉書の編纂にあたった。

347 :
>>345
いや。昔に読んだんで記憶が曖昧なんよ。
史記だと、暗殺未遂が先で項伯をかくまったのが
後になってるんだね。
どっちにしても、犯罪者をかくまえるくらい
勢力を持っていたってことだな。

348 :
何にせよ始皇帝を暗殺しようなんて凄い度胸だ。
おれだったらビビる

349 :
ほんとに張良の企みだったかはわからんよね
そもそもそんな未遂事件ほんとうにあったのか?
でっかい分銅を遠くから投げて倒す
とか策にしちゃザル過ぎるし

350 :
暗殺を企んだり騙し討ちを献策したり張良も顔に似合わず悪辣だよね

351 :
>>349
妄想だけど、車の中にいる始皇帝をRには、重量物をぶつけて車ごとぶっ潰すしかなかったとか?

352 :
物語とかだと一人でぶんぶん分銅回してるけど、
20人くらいで20個を一斉に投げつけたら効果あるかもね

353 :
案外と行幸中に落石事故があって、猜疑心の強い始皇帝が
暗殺だ〜〜〜〜って騒いだのかもw
>>350
項羽との和睦を破ったのって張良の進言だったよね?
しれっとあくどいことをしてるw

354 :
まあ、後世の張良像なんて糞の役にも立たん奴の筆頭だろうな

355 :
>>352
機密の保持ってのは少人数に限るのよ
多ければ決起前に漏れるなり密告なりのリスクが高い
成功しても全員逃げ切れなきゃ捕まって芋づる式に捕まるリスクが高くなる

356 :
張良「前に始皇帝の暗殺未遂あったじゃん?
   あれ俺の企てなんよねぇ(ニチャア)」

357 :
>>315
張良のそれ赤龍王が元ネタだと思うが
張良は刺客見捨ててないし一緒に無事逃げ延びてるような

358 :
漫画だと捕まって殺されてるけど史記には暗殺失敗後の記述はなかったんじゃ

359 :
>>357
横山光輝の項羽と劉邦でも刺客見捨ててたと思う
横山光輝版は漢楚軍談が元ネタらしいからそこが原点なんだろうか

360 :
史記の原文にはどの様に書かれているのかな。
張良と力士がバラバラに逃げた風に解釈してたんだけども

361 :
誤って鉄槌を副車に当てた
から先は力士のことは何も書いてないと思う

362 :
まじかよ、高漸離って名前からしてそうだよな
一応その前に暗殺失敗してる人物なのは説明不要だろう

363 :
そもそも張良ほんとに関わってたの?
秦滅んだあとで格を付けるために
「おれも若い頃にはこんなヤンチャをしたんだよ」的に
言ったんじゃないの?

364 :
平凡社の史記の秦始皇本紀に
二十九年に、始皇は東遊して陽武県の博狼沙にいたり、盗賊のためにおどろかされた。(留侯世家第二十五参照)追求したがとらえることができなかったので、天下に布告して十日のあいだ大いに捜索した。
と書いてあるから犯人は捕まらなかったようだ

365 :
>>363
陳平「実は私もそうなんですよ」

366 :
>>363
張良はキャラ的に若い頃ヤンチャしたとか言うキャラではないから
張良信者が張良に箔付ける為に伝説使った可能性あるが
張良は弟の葬式やってないので始皇帝暗殺計画云々は本当の可能性は高い

367 :
>>365
項羽「鉄槌投げたの実はあーしだし!」

368 :
取って代わるべしとは言ったけどもあれは堂々と戦って倒すってニュアンスじゃないのかな

369 :
まあ、項羽なら実際にやってたら成功しそうだよな
暗殺とかじゃなくても白昼堂々でもね

370 :
項羽がもっとまじめに剣術習っていれば天下取れたかも

371 :
張良は晩節汚さず粛清されずに人生終えたいという信念が強すぎたんだろうな
結果的に陳平や蕭何が貧乏くじひかされる羽目になった

372 :
>>371
統一後に恩賞を辞退して一線退いてる事で粛清する側にもされる側にも立たなかったのが張良の好感度が上がってる最大の要因
まあ普通に呂后側に付いて恵帝支持してるんやけどね
それはともかく
恩賞の件で「功績があって嫌いな奴」を劉邦にズケズケと聞く
こういう劉邦陣営の雑さが好きなのは俺だけじゃないはず

373 :
張子房の頭脳ならば韓信の次は自分の番だと言う事ぐらいは読めるさ

374 :
「陛下がもっとも憎んでいる雍歯を侯にしましょう」と自分からいうと劉邦からは警戒されるかもしれないし雍歯からも恨まれるかもしれない
劉邦自身に言わせることでトラブルを回避するこれも張良の処世術

375 :
劉邦が雍歯を憎んでる事が公然の事実で
当の劉邦もそれを公言してる状況が草

376 :
張良は30000戸は辞退してるがそれでも10000戸はもらってるんだよな

377 :
万戸は譲れん

378 :
>>375
しかしそんな雍歯でも頃されない安心感が漢帝国の最大の魅力だったんだが…
少なくとも反乱していない彭越は生かすぐらいの扶持は残しとけよ呂后
んなだから後世に赤眉の賊どもに凌辱されるんだろ

379 :
>>370
あれは幼いころの話、
結局抜刀した項羽に誰も勝てなかった。
自殺した後にようやく死体の取り合いになったけど。

380 :
高祖が粛清したのって彭城から逃走中に見逃してもらった丁固だけ
あとは嫁や部下が勝手にやった

381 :
>>375
>>378
嫌われても殺されないが恐れられると殺されている

382 :
>>381
寧ろ嫌いな奴が居ることで安心したのかもね
寝首でもかかれない限りは恩売れるし
実際レキイキとか儒学者はボロカスだったらしいからね
そのあたり893なんだよなあ

383 :
嫌っていたが役に立つし功績が大きいからな

384 :
名前に『歯』って名付けた人は
何を思って付けたんだろう?
昔はなにか違う意味があったのだろうか?

385 :
「歯」と言う漢字は人間の年齢を意味する事もあるから長命を願って付けた可能性はないだろうか

386 :
雍歯の子孫雍ガイも劉邦の子孫劉備に対して反乱起こすんだから因果なものだな

387 :
本当に劉邦の子孫なら劉秀みたく部下もうまく使いこなして漢王朝をまたもや再興させてたよ
劉備は自称
大体献帝生きてるのに皇帝につくなんて噴飯もの
もし劉邦なら関羽から韓信みたく軍権取り上げて荊州失陥なんてこともなかった

388 :
>>336
イミフ

389 :
>>387
劉備より由緒正しい劉邦の子孫とされてるような人間でも漢王朝を復興できなかった者は数多くいるけど?

390 :
>>387
なんで三国志演義アレルギー拗らせキッズが湧いとるんや?

391 :
劉備、劉禅の子孫っているのかな?
魏・晋で出世してたりしないのかな?

392 :
劉禅の異母弟、劉永の孫の劉玄が益州に移ったという記録まであるらしい。

393 :
311年の永嘉の乱で匈奴に洛陽陥落された時に劉玄一人残して皆殺しにされてる

匈奴立ち上げ時は劉禅を正統としてその後継者を自称して漢朝復興を大義名分にしたのにその子孫をヒャッハーするという皮肉

劉玄は蜀漢のあった成漢に落ち延びて庇護されたがその後、成漢は東晋(晋の後継王朝)に滅ぼされて東晋の都に連行されてそこで曹操の子孫と共に庇護を受けた

時代が下って東晋が宋になると劉氏も与えられていた爵位も外されただの庶民?になった

394 :
>>393
そもそも曹魏になった時点で匈奴の王族が劉氏を名乗る事を認めている
現代の劉性で劉邦由来の人ってどの位残ってるんやろね

395 :
張良に関してはもし漢王朝で権勢をふるってれば
韓王信が匈奴に降伏した件で匈奴に内通してるとか讒言されて殺されてもおかしくはないよなぁ
ハンショが自分が推薦した王稽の内通に連座して殺されたように

396 :
>>393
劉裕「俺が劉氏の爵位継いだから劉玄の子孫とかいう馬の骨は捨ておけ」

397 :
>>394
文帝や劉長ですら息子かどうか不明
恵帝も怪しい
結婚してしばらくできなかったり一度抱いただけでできたってのがね
女好きという割には長男の肥しか子供いないんだろ
秀吉と同じで種無しの可能性もある

398 :
如意も劉邦の子供じゃないかもな
魔男の子供を我が子と思い溺愛する
現代でも金持ちの馬鹿男が顔だけの女に騙されている

399 :
まあ皇帝くらいになったら
嫡男にするわけじゃなけりゃ
「あーもうこの子、俺の子ってことでいいよw 
 この女のことは好きだしなww」
っておおらかに考えるんじゃないの

400 :
>>397
何ほとんど根拠も無く適当な事言ってるんだ?
秀吉も秀頼の前に子供いたから(すぐに亡くなったが)種無しじゃないぞ

401 :
秀勝のことなら、う〜ん?だからなあ
あと女の子もいたらしいけど
う〜ん?だなあ

402 :
>>397
流石に劉邦を種無しは無理あるやろ
劉邦の場合もっと子供いる可能性が高いけど認めてないだけってケースやろな

403 :
劉子だよ

404 :
武漢ってこの当時のどこら辺でしょう?
三国志で言うなら赤壁らしいけど、
彭城あたり?

405 :
なんで三国?
ここ楚漢スレなんやが?

406 :
>>404
呉だよ
ただ、秦末では楚とも言えるけど秦最後の防衛線に近い

407 :
武漢て江夏郡だろ?

408 :
さすがみんなは博識じゃのう
どいつもこいつも田沢じゃのう!

409 :
男塾一の秀才の九九を聞けっえええっ!

410 :
何を言ってるんだw
三国志なら黄祖や甘寧がいた辺りか。こことはあまり関係ないけども

411 :
三国時代の話はスレ違い

412 :
三国志の時代ならあの辺てわかるけど
この時代だとなんて場所なの?っていう話なのになにいってんだ

413 :
三国時代の話はスレ違いっつってんだろボケ

414 :
>>404
その辺であってる
項羽の居城

415 :
>>414
項羽の居城彭城は三国時代徐州
武漢は三国時代では夏口だから
魏晋短里で千五百里以上離れているぞ

416 :
秦代には南郡に属す
武漢が正式に一行政単位になるのは前漢沙羨県が置かれ、江夏郡に属する。
後漢末年に、当時の荊州牧劉表は黄祖を江夏太守に任命し、郡治を漢陽の亀山にし、そこに却月城が建てられた。
却月城が武漢の市街地にある最初の城となった。
223年(黄武2年)に、孫権は曹丕と戦う為、武昌の蛇山に夏口城を築いた。
城内の黄鵠磯にある物見櫓はのち、「黄鶴楼」と名づけた。
黄鶴楼にて孟浩然をおくるだっけ?

417 :
なぜそこまで三国志を嫌う人がいるのかなあ。
曹操は「余の張子房なり」とか「例え兄嫁を寝とった男であろうとも」とか言ってるからさほど無関係とは思っていない

418 :
楚漢時代大好きかよ曹操
劉邦と項羽どっちを好んだんだろうな

419 :
曹操としては勿論のこと漢の劉邦と周の文王も意識してたろう
荀?を張良、許褚を樊噲、張郃を韓信の故事を引いて迎えてる

420 :
>>417
現代から見ても中国史で優秀な人物となると春秋戦国、秦末、三国志の人物ぐらいしか思いつかない
それ以降はいないとは言わないがごくまれウッチケイトクすら知られていない

421 :
>>417
三國志しか知らなくて至上なのを嫌ってるんだろう

422 :
さしもの曹操でも「おぉ我が陳平よ!」とは
言わなかったんだな

423 :
>>422
曹操「だって人妻好きという意味では俺が陳平だし…」

424 :
>>420
三国志以後の歴史は邦訳されてない書物ばかりだからなぁ
小説も少ないし

425 :
横山さんが描いてくれてたら違ってたかもしれないね

426 :
>>420
李世民「まあ朕ですべて完結してしまうからな」

427 :
>>426
まだあんたは部下に活躍の場があったからいいんだ
劉秀っていうチートofチートの部下なんて、後世の人が「張良や韓信なみの人材が揃ってた」とフォローしても慰めにもなってないw

428 :
李世民は兄貴ころしの汚点だけで評価漠下げ

429 :
>>427
劉邦は敵もチートやからな
王莽の配下とかに中国史上最強クラスがいないのが悪い

430 :
>>428
「王羲之書・蘭亭序原書合葬」という文化的大罪を忘れてはならない

431 :
>>430
俺も兄殺しよりそっちの罪が重いと思う

432 :
趙匡胤よりぐう聖な皇帝っているの?

433 :
>>429
劉邦という、敵味方のチート野郎に囲まれた異能生存体

434 :
>>433
ヒモ同然のロクでなしがコネで警察署長になったけど仕事に失敗して山賊に落ちぶれるというお笑いスタート

435 :
ろくでなしが警察署長になるって
ちょっとした悪夢に聞こえるよな

436 :
劉邦って任侠でしょ
あの時代って任侠は人気あったし
司馬遷が任侠伝書くくらいだし
時代背景も大きいんじゃないの?

437 :
張耳の食客になってた事あるし
名士の呂公に気にいられて娘の呂雉を嫁にもらってるし
挙兵前から割と大物だよな劉邦

438 :
挙兵前から色々おかしい事やってるのは確かだけど
真っ当な任侠っぽい王陵や雍歯と比べると任侠扱いが違和感

439 :
山口組と関東連合ぐらいの差かね

440 :
>>439
そこまで大層なものでなく
家がそこそこ裕福で放蕩のついでに任侠の真似事してたって感じがする

441 :
任侠というのはヤクザじゃないからね、そのイメージで言ってる人は間違い。
と、陳舜臣先生の「中国任侠伝」の冒頭に書いてあった。

442 :
>>441
どっちにしてもだよ
王陵も雍歯も別にヤクザじゃないし
劉邦仲間でも夏侯嬰は任侠と言える性格
だけど劉邦は立場的にも性格生き方的にも任侠からは程遠い

443 :
どっちかっていうと周りがしっかりしてて上手く担いでくれて良い神輿になれる不思議な困ったちゃんだ
担がれてなんぼ
そういう意味では本当に項羽とは対照的
項羽は1人でも項羽

444 :
>>443
かといって無能だとか頭が悪いとかじゃ無いんだよ
ハッタリが得意な時点で嫌いな礼儀作法も身についてるだろうし話も得意だから頭も回る
ぶっちゃけ旗揚げ以来の部下を馬鹿にしてる感じすら伺える(というか実際に罵倒してる)

445 :
身も蓋もないけど「愛嬌」があったんだろうな

446 :
愛嬌かな?w

用意された立場や役割に合わせていけてしまう対応力っていうか山師みたいな感じだけども
特に鴻門の会前後の変わり身の早さと図々しさとしおらしさ
普通あんな態度を変えたら敵だけでなく味方にも愛想尽かされるだろうに寧ろ劉邦陣営はますます結束していく

逆に項羽は項梁死後は一介の将軍としてではなく楚のみならず新政権の君主にならねばならんのに自分の殻から一歩も出られずに負けた

447 :
将軍としては項羽の方が断トツで上だけど
人の上に立つ者としてはやっぱ項梁の方が上な感じがするな

448 :
劉邦は勝つために恩賞の空手形出しまくった結果戦後その土地が足りなくなり首が回らなくなった印象
やから劉邦はやらなくても異姓の王を潰すのは必然的な流れ

449 :
簡単に言えば保身のプロだろうな
だから自分の身に危険を感じたら頭がフル回転する
それが悪いところに出たのが晩年

450 :
保身と言っても陣頭に立ち続け自らを項羽の囮に使うギャンブルが打てる頭おかしい保身やけどな

451 :
いつの間にか紀信と選手交替してたりもする

452 :
彭城のやらかしは擁護できん
斉方面に一応斥候出してたものの裏をかかれ西から彭城奪回しにきた項籍が上手ってのもあるが

453 :
>>450
劉邦の説明として「100敗ののち1勝して天下を取った」ってのがあるけど、日中の学者が丁寧に調べたら100敗なんて話盛りすぎ、大小の戦を合わせてもたった77連敗だったそうだねw
見事すぎるぐらいの囮っぷりだw

454 :
>>453
丁寧に調べるまでもなくやろ
項羽以外には結構勝ってるし
項羽相手にもそんなに負けてない

455 :
>>453
77連敗も盛りすぎだろw

456 :
項羽と劉邦。
目の前に2人いるとして、さあお前はどっちについて行くのだ?

457 :
>>456
項羽
従ってさえいれば楽だもん

458 :
>>456
劉邦やろな
項羽に付き合う様な人格と覇気は持ち合わせておらん

459 :
勝手な想像だけど婦女の仁ってことは仲間や部下には甘そう
嫌われたら斬られそうだが

460 :
飯くらいならおごるけど昇進はいつまでたってもしてくれない上司

461 :
能力の無い俺からしたら最高の上司だ
現実でも出世出来てないから(震え声)

462 :
okok
そろそろ一緒にハロワいく時間だぜ

463 :
劉邦>有能過ぎると粛正の対象で無能はそれなり
項羽>とりあえず嫌われた時点で終了
さあどっちだ

464 :
劉邦の粛清は丁固のみ
残りは反乱(英布、陳キ)したり嫁(彭越)や蕭何(韓信)が勝手にやった

465 :
処刑までは至らなかったけど、ただの重臣じゃない蕭何や盧綰、樊噲まであと一歩だったと考えるとねー

466 :
劉邦の真似して天下取ったあれよりは比較にならないほどマシやからセーフ

467 :
>>456
宮城谷昌光「田横について行くぜ!」

468 :
「あれあれ?俺もしかしてまた何か天下とっちゃいました?」

469 :
>>464
臧荼はどうだったっけか

470 :
塩辛送ってめっちゃ煽ってたやん

471 :
>>469
反乱

472 :
>>4
これ昨日新作きた

473 :
項羽が義帝を殺さず左遷に留めてたとしたら
戦後の劉邦は彼を殺しただろうか

474 :
項羽が義帝を殺さなかったら劉邦は大義名分を得る事ができなくて侵攻できなかったんじゃね?

475 :
論功行賞で皇帝を無視した時点で項羽の横暴は明らかな上、土地分配で彼に不満を抱いてる諸侯も少なくない
楚漢戦争の起因が劉邦の野心と項羽の不足にある考えると結局戦争は起こるんじゃないか

476 :
>>475
論功行賞に不満ってそもそも司馬遷が書いているだけで、実際は知らん
斉って最後まで秦と最後まで戦った七雄なんだし、あそこから反乱が勃興したのは寧ろ必然ともとれる
調停役が居なかったのだろうね
そのあたりはあのいい加減な男がやってもおかしくなかったのだが

477 :
劉邦って野心あったのかな?
劉邦って割りと、足りるを知る男でないの?

中華統一って始皇帝はやったけど、
当時の人間でそんな大それた発想と野望持った奴なんて
いたんだろうか?
むしろ「項羽に○されるかもしれない」って恐怖から
項羽ぶっ潰すまで頑張ってたら天下目前まで来てたって感じ

あとは部下たちが、
ここまで来たら天下統一まで行っちゃいましょうよ!
って劉邦煽ったのでは

478 :
桟道焼いたからにはその後の展開も見据えてないと行動の辻褄が合わない
張良の策に乗った時点で天下は目指してたと思うよ
秦の記録持ち帰った蕭何の影響も大きい

479 :
>>477
呂公に吹かしこいたり、ある程度の野心はあるだろ

480 :
桟道焼いたのは項羽に攻め込ませないため、という
考え方もある

481 :
呂公への吹かしもかわいいもの
大陸統一じてしまうから

482 :
そう思わせといて章邯を奇襲して地盤を得るまでが張良の策なんじゃ

483 :
韓信もね

484 :
>>476
斉の反乱の原因こそ項羽の封建失敗の象徴やろ

485 :
>>478
タイミング的には事実かどうか眉唾な関中入り競争辺りから天下を望み始めたと考えて良いと思う
少なくとも項羽との対立姿勢が見えるから項羽にとって代わって楚の第一人者を目指した事は疑いない

486 :
最初に蕭何や曹参に担がれた時は「おれなんかがリーダーでいいんですかあ?」って感じだがあれは本心だったのであろうか

487 :
>>486
あの時点でのリーダーなんて蕭何の狙い通り貧乏くじでしかない
劉邦も分かってたやろうけど逃亡生活を見逃して貰ってた上にいつまでも続ける訳にいかないから選択肢無しやぞ

488 :
まあそうだけどね。
否応なしには違いないけど、ちょっと嬉しかったのかなあってチラッと思ったからw

489 :
>>484
ただ「論功行賞の不満」かどうかは知らん
そのあたりは司馬遷の創作の可能性がある、ということを言っているのだが

490 :
最終的に項羽こそが旧時代の権威をぶっ壊してしまったんじゃないかなあ?
それがなければ劉邦も統一王朝が建てれるとは思わなかったかもしれん

491 :
本当に桟道焼いたのかね?
漢中から見える範囲のごく一部だけじゃね?
劉邦が蜀に行ってから出撃するまでたった6か月でしょ?
桟道全部焼いてたらとても修復できる時間じゃないよ

492 :
結局、秦滅亡後も天下が定まらなかったのは項羽が将軍止まりの才しか持たなかったせいでしょ?
義帝は敬うか、さもなくば正式に禅譲させとけば誰も逆らえず第二の始皇帝になれた訳じゃん
散々虐めたあげくRってさぁ
あと対秦戦で諸侯の野心に火を付けといて、戦後にそれを消す努力もせず力で押さえつけとけばいいって考え方も半端過ぎる

項羽は思考が戦時中のそれなんだよ
故郷に錦とか飾ってる場合じゃないんだが

493 :
鉅鹿で有り得ない大勝してしまったからな
そしたら鉅鹿の回りで様子見してた連中がなぜか臣下の礼

494 :
なぜかも何も、絶望的な状況の鉅鹿救いに来て、戦力も多勢の秦軍を一戦でそれも
背水の陣で壊滅させたんだから畏怖もするだろと
あの時点で項羽が天下で最強って諸侯の悉くが思い知った様な感じかなというか
そりゃみんな内心はどうあれ随うほかなくなる様にも

495 :
>>484
田栄からすると項羽に怒って当然だけど
項羽からすると項羽に味方しなかった田栄への措置は仕方ないようにも感じる

496 :
韓信の使った背水と項羽の背水というか破釜沈船は違うよね
項羽は兵に信頼されてる上に元から強兵かつ死地に置いて有り得ない戦闘力で秦軍撃破
対する韓信は弱兵で兵に信用されてないからあえて死地に置き逃亡不可の場所に陣を敷くしかなかった

497 :
要は力関係を無視して封じた
そりゃ項羽なら多少の不利はものともしなかったから

498 :
項羽は統治者ではなく伝統的な盟主を目指してたきらいがある
だから楚人として彭城に拘ったんだろうが、悲しいかな既に時代遅れだった

499 :
現代日本の慣用句的には「背水の陣に追い込まれた」って感じで使われる事が多いんだけども、それはちょっと違うんだなあといつも思う

500 :
背水の陣も追い詰められてする場合と劣勢側が起死回生の逆転1発狙いの違いがあるってことでしょうな

その場だけ考えたら逃げる方がとりあえず命は残るという選択すらできない状況に追い込まれているか

逃げられるけどそこで逃げたら後々大きなリスクになるのでここが勝負どころと逃げる選択肢はあってもとどまって奮戦させるため進んで選ぶ場合と

項羽は戦機を見るのは達人だと思うけど勝ちに乗じて政治的な勝利をどさくさ紛れに得てしまうした高さというかずるさがなさ過ぎた
性格的な要因より野心として政治的な優位を取ろうと画策すらしない
范増が項羽から離れたのはそこだろうし、これは范増じゃなくて蕭何や張良、陳平がいても同じことにしかならなかったと思う

そこに項羽の哀れみというか悲しい最期を迎える原因があって、劉邦より人気があるのもそこに同情する気分を持つ人が多いんだろうなと思う

501 :
今のちゅうごくの道路事情しらんのだけど
今でも蜀と関中・中央を結んでるのは桟道で
そこが主要の道路なの?
さすがに今は岸壁平らにして高速道路みたいのあるよね?

502 :
井陘の戦いの謎は陳余はなんで井陘の趙側の出口に少数の兵をおさえに残し残りは北上してきてる劉邦本隊の討伐軍にあてようとしなかったのか

503 :
そもそも論として義帝が項羽と劉邦を秦に差し向けた時に
先に攻略した者を漢中の王にすると言ってたし
あくまで始皇帝の中央集権国家を目指すのではなく
戦国時代の覇者的な楚王が緩く束ねる程度の発想でしかない
義帝を殺したとはいえ項羽もその枠組みの中でしか動いてない
あくまで事実上の楚王になっただけ
劉邦も皇帝になったとはいえ功臣を王にせざるを得ず、支配力は微妙だったが
難癖付けて次々と功臣を滅ぼして中央集権化を推し進めた
劉邦の場合はここが項羽との違いだな

504 :
鉅鹿は秦側が渡河でやってくる楚軍を、戦の素人だと舐めてかかってしまう効果があるよな。
それは韓信の背水の陣も全く同じだ。
まして項羽はそのころ指揮官としては無名だし、宋義から奪って始めて指揮権を掌握した楚軍だし。
実際の鉅鹿の勝利は、難解なパズルを解くように難しい、
特に
・秦軍の騎兵の主力を早い段階で楚軍に向けられたら詰む。
・秦軍に時間的な余裕を与えたら詰む。
・前線と後詰の章邯の連携を絶てないと詰む。
・城内の趙軍が呼応しなければ詰む
・北側の諸国の援軍が牽制にならなければ詰む。
・序盤で優勢さを見せつけないと、趙軍も援軍も動かなくて詰む。
あらゆる難題をクリアして結果的に勝利した項羽だが、
項羽側にいた韓信はこれをどう見たかも気になるw

505 :
英布を捨て駒に使えたのが強い
アイツは劣勢で負けても生き残るし、戦果も上げる
項羽もそれによって戦術を練れる機会(時間)を得たのかもな
英布が離反した後は勝ってもその後長引いたりパッとしないよな

506 :
関中王の約何て史記を少しよみとけばありえないってのがわかる
それを持ち出してもね

507 :
>>504
范増いたしね

508 :
>>506
現実化しなくとも周知されれば影響力は残る
実際この辺りの対応が回り回って項羽の首絞めてるし

509 :
任命した宋義を頃してしまった上項羽が鉅鹿で大勝ちしてしまい軍権ない懐王が鉅鹿に参加してない彭城周辺警備してた劉邦を慌てて関中に向かわせたってのが真相やろ

510 :
>>416
黄鶴楼は行ったことあるけど
名古屋城みたいな戦後の現代建築だったわw

511 :
>>509
所謂、項氏と義帝の権力争いか

512 :
>>509
懐王「宋義大将軍が殺害されたのは痛手だが、まああの項羽とやらも長くはあるまい、所詮項梁のおまけ」
↓鉅鹿の戦い
懐王「まずい、項羽が勢力を作りつつある、これは・・・あ、居たわ、あいつに頼もう」
劉邦「王に拝謁いたします」
張良「(ふふふ、計算通り)」

513 :
妄想が激しいな

514 :
君主にとり大軍率いた部下が遠方にいるって常に謀反の危険があるから対策講じるんだけど懐王は元羊飼いだったせいかその辺疎かったのかね

515 :
義帝はあくまで戦国時代の秦を除く6か国が復活して
元の秩序の戻すつもりだったんだろうな
だから王の血筋でもない奴らが項羽の元に集まってきて
勝手に諸国の王になったりするのは想定外だったんだろう
しかしもうそれを止める力もなく項羽に僻地に飛ばされても従うしかなかったが
まさか殺されるとは思ってなかっただろう
項羽の正当性が崩壊することになるわけだしな
実際項羽は義帝殺しで大義名分を失ってしまった

516 :
項羽はあんな感じだが項梁が戦後どうするつもりだったかは興味深いよね
流石に殺さないか

517 :
項梁なら楚の丞相になるだけだろうな
あくまで楚の臣として振る舞っただろう

518 :
>>492
項羽の政治的無能さは当然としても
実は項梁の頃から抱えている問題が最後まで尾を引いている様な気がする
それは項氏がどこまでいっても軍人の家系でしか無いという問題で
その事は懐王との関係はもちろん半年と持たずに崩壊した十八王封建の問題にも影響してる様に思える

519 :
>>518
項梁は典型的な軍人だものなあ
項羽が武闘派すぎて目立たないが戦死したのも中年なのに血気盛んすぎたのが原因
政治家としての能力もよく分からない

520 :
義帝をころさざろうえなくなった理由があるんやろ
項籍陣営に
逆にいえばそれを防ぐことができなかった范増は大した人物ではないのでは

521 :
高祖でも難癖付けて、対立したら怪しいな
張良の方策でも義帝が居ても旧6国の復興は無しだろうよ

522 :
>>519
生きて秦を倒しても結局は項羽と同じ難問にぶち当たるからね

523 :
>>520
項燕将軍の子孫が懐王の子孫に仕えて秦と戦うって物語は秦を倒すまでは有用なんだろうけどね…

524 :
義帝が咸陽に都を移して皇帝になれば解決する話なんだけどね

525 :
>>524
関中入りした劉邦が項羽を破って立場が逆転したら有り得た体制かもね

526 :
そんな生易しい話か?
普通に張楚、斉を壊滅させて趙も滅ぼさんとしてた秦軍に勝った項羽を
戦功第1位にしない拗れだからな

527 :
動員兵力が物を言う時代に義帝が諸将を抑えられるとは思えない
まして義帝には戦闘実績皆無

528 :
楚の王様が咸陽まで行って帝位につくってのは
ないだろうなあ
劉邦はある意味根なし草だったから
その時その時で一番自分にとって
いい場所に本陣置くことができた

529 :
>>527
戦国時代は君主が軍を率いたりしないのが一般的だったからなぁ
始皇帝もそうだった

530 :
春秋期の五覇までだね
君主の親征をしていたのは

項梁の立ち位置でなら楚の司空になって各国連合遠征軍の司令官を兼ねて秦を滅ぼし諸国の反乱を収める過程でライバルを追い落としどさくさに紛れて楚王追放で新政権樹立かなあ
ただ王朝となると実子はなく項羽を養子にするして後継指名してからの体制作りになる
このタイミングで処遇に不満を持つ諸侯の反乱が頻発しそう
その際に項梁の政治手腕が必要になるけど史実でその手腕がみてとれるような事績ってないんだようねえ

531 :
>>518
項羽が王朝を興さずあくまでも封建制の復活を望む場合
項家はただの将軍家から脱して政治的正統性を得る必要があっただろうな
例えば宋義の後釜の令尹に就くとか、他国の宰相を兼任するとか…
少なくとも西楚覇王が悪手の極みなのは間違いない

532 :
項梁と項羽が取るべき方針は
曹操・曹丕親子が献帝を使って魏王朝を開いたように
義帝をできるだけ利用して最後に禅譲させるのがベターなやり方だった気がする

533 :
諸侯に徳をアピールしないと始まらんな
脅すための手段を常に行使してるようじゃ先は見えてる

534 :
あの時代に禅譲という発想はむりやろ

535 :
西楚覇王なんて名乗ってる時点で古い人間だよ項羽は
劉邦も始皇帝の皇帝制の意味を理解してたとは思えないけど
劉邦の場合は周りに眼鼻の利く連中がいたから上手く行った感じ

536 :
>>535
古い人間なのにやってる事が下克上というギャップが項羽を苦しめたとも言える
劉邦の場合は秦の官僚制と関中の地政が優れている事に躊躇なく飛びついていける立場の柔軟性も強み

537 :
若い項羽の方が劉邦よりも頭が古かったのかな

538 :
春秋戦国時代からの基本的な学問と儀礼を身に付けていた可能性は高いから古式な常識には囚われなすかったかもね
劉邦はも俗世を渡るための知恵と人脈に長けていてその点では時々の状況を乗り切っていくために図太さはあったかな

539 :
「壮士とはこうあるべき!」みたいな理想は劉邦より項羽の方が強かったかもしれない
知らんけど

540 :
劉邦のように邪魔者の殺害は天下が完全に定まってからやるべきだった
あの時点では義帝はまだ諸侯の盟主として利用価値があった
しかし項羽が殺して劉邦が哭礼を行ったから項羽が悪者みたいになった

541 :
>>540
そこで一つ問題が
未来から歴史を眺める現代人でもない当時の人達はどうやって天下が定まったと判断したらええんやろな?

542 :
単純に戦が無くなって法令が届いてだろうな

543 :
項羽は20代で若いんだから劉邦と父のかたきの田氏が代替りしたあたりまで待てばもう逆らえる者はいないはず

544 :
父じゃなくて項梁だから叔父のかたき

545 :
>>542
国内の戦自体は呉楚七国まで続くで

546 :
その前に一つ戦が終わったら法令は届くだろ

547 :
>>543
項梁の仇は章邯やろ
田栄は鉅鹿を手伝わなかっただけや
あと漢も関中支配が確立してたから劉邦が死んでも戦争継続出来るやろな

548 :
>>546
法令が届いたから十八王封建が成立してる
まあすぐに田栄が反抗するけど

549 :
>>538
当時は項羽の方が上品で節度のある人間、という評価だろうね

550 :
項羽は項梁というお目付け役がいてこそ武将として全力発揮できるけど
項羽がトップに立ったら范増みたいな老獪な取り巻きにいいように利用されて終わり

551 :
范増ってなにやってるかよくわかんないじいさん

552 :
>>543
田氏が叔父の仇だと思うのは拡大解釈しすぎじゃね?
まあ項羽は仇とまではいかなくても田氏が少なからず叔父の死の原因になったと思ってるから
田氏の斉の弱体化を図ったんだろうけど

553 :
>>551
結論から言うと詐欺師だよなぁ
范増のせいで范増を脅かす能力を持ってる韓信と陳平追い出されたんじゃないかと疑ってるわ

554 :
>>551
知名度の割に功績が少ないのが胡散臭いよな

555 :
敗者の歴史が埋もれてしまうのも常ではある
劉邦が使いこなせなかったと言っているくらいだから、用いられず後世に残らなかった
策も種々あるのかもしれんけど
まあそれにしても少なくて残ってるのも片手で数えられる程度ではあるけど

556 :
この時代にマスクとトイペがあったら
歴史が変わってたろうな

てかトイペみたいのは流石にあったよな
臭うし

557 :
>>555
范増は前線に立つ軍人じゃないから最低限の功績すら史書に残らない上
残ってる足跡すら高祖アゲになってるという状況で評価出来ないのは仕方なしやな

558 :
>>556
トイレットペーパーがあるのにお前が臭いのはなんでなんや?

559 :
>>557
儒教全盛の武帝の時代からすると劉邦がやってる言動は最低だけどなあ
アゲてるのか謎

560 :
>>559
武帝サゲの道具に使われたと思われ

561 :
項羽と范増って簡単に言えば韓信とカイトウみたいなもんでしょ
范増も項羽が劣勢になったらさっさと離れたし
劉邦陣営による離間の計ってことになってるしそういう面もあるんだろうけどさ
事実かどうかは知らんが「このガキ(項羽)は話にならねぇ」ってブチ切れてたしな

562 :
>>559
前漢それも武帝の頃は儒教の影響はまだまだの時期やで
だからこそ結構高祖アゲされてる筈の史記で劉邦がクズのままでいられるんや
後漢でこんな記録残したらちんこどころか首が跳ぶで

563 :
>>561
ファザコンの気が感じられる項羽が仮にも亜父と呼んでる時点でその程度の関係じゃない事は明らかやろ
それだけに范増の失望の大きさが分かるってもんやろ

564 :
>>562
後漢と比べるのはキツいかと
あの時代の儒教はイスラム教レベルのやばさ

565 :
>>563
はっきりしてる范増の功績に対して亜父って称号もなんかしっくりこないけどね
結局范増が典型的な説客で項羽を上手く丸め込んでたって印象だけどな
項羽も最後の方は離反者出たり兵糧切れしたりして「なんかおかしいぞ」と気づいたんじゃないの?

566 :
>>565
最後の方は旗揚げ以来の部下だった季布や鍾離眛すら離れていってるから明らかにおかしくなってるのは項羽なんやで

567 :
一応、宋義が上、項羽が次、范増が末将になってるから
ただの論客なのか?

568 :
>>567
死後漢の時代になっても地元で祀られてた事から楚に帰順した地方部族の長じゃないかって研究もある
范増じゃなく酈食其とかも単なる儒者論客と考えるには人脈や行動がおかしい
要は身分の流動的な時代だという事やろな

569 :
范増には家族おらんかったの?
妻や子供
だいたい秦の時代にゃ何してたんだかな?

570 :
>>569
不明
ドラマなら秦に侵攻時や些細な刑罰で殺された事にしたくなる所やね

571 :
>>564
王莽は実際は儒教にとっては英雄やしな

572 :
張良との対比でひねり出されたキャラ説

573 :
>>558
一番臭うのはお前の口調

574 :
項羽の無能さを証明するためのキャラの気もする

575 :
劉邦の相には天子の気があるからここでころしておくべき、と言っただけでも非凡な人物な気もするが。
しかし具体的に何かの計略を成功させたかとなると、あんまり思い付かないな

576 :
離間の策の時に最初に范増の名前が挙がるし
わざわざ狙い打ちしてるから、
高祖側では危険人物筆頭なんだろな

577 :
あんなあからさまの計略にかかるのって前の時代でも後の時代でもいないよな

578 :
>>577
陳勝呉広時の独立祭り見たら噂を完全に否定するのは難しいやろなあ

579 :
もし范増が、項羽が滅んだ後まで存命してたら
劉邦陣営は探し出して処刑してたかな?

580 :
>>579
そこまではしないんじゃない。

581 :
丁固みたいなことしなければ生き残り余裕

582 :
鍾離眜も韓信のところなんて行かなけりゃ季布みたいに生き残れる可能性あったのかもしれんね

583 :
日本まで逃げれば蛮族を統治して王様になれたんじゃね?

584 :
鍾離は潔く死んだから楚の再興は本気だったのかもね

585 :
鍾離眜の話は韓信おとしめるためのうそくさい話

586 :
英布の裏切りでもはや誰が裏切ってもおかしくない状況だったもんなぁ

別の話だが項羽にとっては龍且討たれたのが痛かったな
その精鋭20万と道連れだったし

そういや桓楚って途中から出てこなくなるけど戦死したのかね?

587 :
>>577
離間自体は幾らでもあるだろ
最初に十分仕込んで仕上げた

588 :
>>586
桓楚って項羽が宋義を殺した際に兵権の移動を義帝に伝える使者で登場した以外に
不明な人物だったはず
横山と漢楚軍談(もそうなのかな)みたいな存在じゃない様だし、于英も史料じゃいなくて
羽嬰という名で一度だけ登場して昆陽で曹参に負けてる

589 :
>>588
反秦反乱軍が大量に発生してビビった県令が
担ごうとしたのが桓楚って話があったから
桓楚はそこそこの大物かなと思ったけど違うんだね

590 :
離間の計のとき「なんだ、亜父からの使者かと思ったら項王の使者か」と劉邦も亜父と言ってるから范増はすごいやつに違いない

591 :
詳しくないけどドラマ観るかぎり范 増おじいちゃんが一番人気ありそう

592 :
アホからの使者だと・・?

593 :
>>592
亜父之左開

594 :
范増はまず項伯を謀殺しろ

595 :
親族すきの項籍がそれを許すとも思えない

596 :
鴻門之会の妨害は明らかなんだから上手く敵に殺させるとかすれば良かったのにね

597 :
あれを史実とは認めきれない

598 :
>>597
それ言い出すときりないじゃん

599 :
項伯は旗揚げからずっと項梁項羽に信頼されてたのにしれっと劉姓貰っていて何だかなぁ

600 :
そもそも親の仇である章邯ですら降伏して王として封建されとるんやから
項羽の身内である項伯を買収して下準備整えてた劉邦が降伏して生き残れたのは当然とも言える
范増の警戒と暗殺指示辺りはかなり創作臭い

601 :
項伯は元から甥である項羽の事が嫌いだったのではと思えてくるw

602 :
>>601
元々項梁に従ってたけど武勲の関係で項氏トップの座を譲った形だとしたら思う所は有るやろね
しかも項羽は鴻門前に大虐殺やらかしてるしね

603 :
張良に恩義があったから張良だけを救助しに行くつもりだったんじゃないの?
少なくとも最初の予定としては

604 :
そう書いてあるでそ

605 :
>>604
だからなんかおかしな話になってないか?
と言いたかったんだが通じなかったか

606 :
別に

607 :
>>605
おかしくなっているから歴史に残ったんだよ、分かるかな?

608 :
>>605
通じないよ、甘えるな

609 :
項伯が項梁の兄なのか弟なのかで少し変わってくる気がする

610 :
>>609
通常“伯”とある以上、項伯の方が年上と思われるが
なんか影響あるか?

611 :
>>610
叔父ならまだ項羽を立てやすいが伯父だと
いくら乱世とは言え辛いもんがあるだろ立場的に

612 :
項氏って劉氏に変えたものの子孫やが景帝の時代に丞相になってるんだよね

613 :
>>611
問題は項羽の父親の関係だと思うが
二人共「叔父」としか書かれていないから項羽の父親の方がその二人より年上だった可能性がある
としたらその推論は全く違う方向に行くことになる

614 :
史記の楚漢戦争がどこまで本当かわからないけど
あれが概ね事実なら項羽陣営は項伯という劉邦陣営のスパイを
政権の中枢に置いてたわけだよなぁ
あそこまで露骨だとさすがに范増やその他の武将連中も気づいたと思うけど
項羽の叔父だから別に殺せとは言わないが追放くらいはしても良さそうなもんだが

615 :
少なくとも表向きは張良への恩もあり張良も項羽麾下なんでその延長で劉邦とも親しくなったぐらいのところなんじゃ?

それだけだとマズイどころかむしろ項羽の影響力が項伯、張良を通じて劉邦にも及びよりコントロールしやすいって事でむしろプラスと思われてたんじゃ?

実際に項伯と張良、劉邦の間で交わされていた詳細な話まで項羽やその配下が把握できてはいなかっただろうし

616 :
ちょっと何言ってるかわからない

617 :
>>614
むしろ張良と組んで互いに機密情報流し合ってたかもね
自陣営の邪魔なライバルを蹴落とすのに
利用しあったりとかもあったかもよw

もしも項羽が勝ってたら、
張良は項伯に助けてもらってたろうしね

618 :
春秋時代の昔から国を超えて貴族同士の私的な関係って普通にあるからな
互いの私信で国の事情を交わし合うなんてのも別段不忠にあたらない
忠孝といっても孝が忠より優先されても非難にあたらんし、生死に関わる恩義があれば
義侠を採るのも認められる
日本の様にひたすら忠義第一じゃない価値観だってのは礼記なんかをみてもわかる

619 :
>>617
そもそも鴻門の時点で一度項羽が勝ってて張良は自分だけでなく劉邦も助ける様に働きかけてる(なお韓王成や懐王に責任を押し付けた模様)
だけど項伯は項羽が負ける展開になっても項羽を助けようとする動きが全くない

620 :
韓王成が「張良が劉邦と親しいから」という理由で殺されたのに項羽につけるか?

621 :
>>620
張良共々劉邦を助けてるのに
張良が劉邦と仲が良いからというだけで韓王成をRのは無理が有るわな

622 :
項伯は劉邦の家族を項羽が殺そうとした時も
殺させないように項羽を上手く丸め込んでる
項羽はその後劉邦に騙されて人質を返還した上に
天下を二分しようという劉邦との和睦条件を信じ
劉邦陣営から追撃食らってる
さっさと殺してれば講和自体が成立しなかったわけで
結果的に項伯は鴻門の会や劉邦の家族助けた功績で劉邦陣営に投降出来た
張良のため云々では劉邦の家族を助ける理由にはならんでしょ
明らかに自分のための保険かけてる

623 :
真田家みたいなもんや

624 :
実は項伯の子孫と親しかった司馬遷が彼の先祖をかっこよくするために仕立て上げたキャラ
実際「項伯」は項姓なんかではなかった説

625 :
項伯は劉邦と和親するのが良いという考えの持ち主だったのかもな
で范増が劉邦排斥派
もしそうなら項伯により范増は追放されたという事もありそう

626 :
>>624
前半は普通に有り得る話やけど後半は可能性低いな
項羽も流石に不合理な判断をするのに近親でも親しくもない人間の意見を聞きやしないやろ

627 :
>>626
項羽が意見を訊く、という立場の凄い“叔父”設定

628 :
あの当時では最後の最後まで劉邦が項羽に勝てると本気で信じてる奴は誰もいなかったのかも
項羽自身もあんな雑魚謝ったら許したるわぐらいで
逆に劉邦の項羽への恐怖が大き過ぎなければ天下二分で収まってたかも

629 :
>>627
項燕の息子で伯の名の通りであれば長兄だから本来家を継ぐべきは彼だった可能性もある
力の関係で項梁項羽に譲ってるんだとすれば項羽に対する発言権は大きくなるやろなあ

630 :
>>625
その場合は鴻門での小僧とは項伯って事にもなる訳だ

631 :
>>629
てかそんな立場逆に危なくないか?
なんか理由つけてすぐころされそうだ 支流と考えるのが妥当

632 :
史記の項羽本紀には項梁・項伯ともに「季父」とある
伯父どころか、叔父とすら書かれていないところにややこしさがある
無理に考えれば、項伯は項羽の父の弟のひとりで、その家系では長男だったという程度
季父が事実なら項羽の父にとっては末弟で、項羽との年齢差もさほど離れていない
可能性もある

633 :
末弟が2人いるとは妙だな。
おれはよく知らんのだが、古代中国の季父と現代日本の季父とでは意味が違ったりするの?

634 :
言葉の変化は詳しくは知らんが記録はいい加減だったり辻褄があわなかったりはしているようだな

635 :
誤字脱字の可能性

636 :
鴻門の会のとき少なくとも45歳以上の張良より年上の項伯と26か27歳の項羽では親子並みに差がある
項伯はやはり漢のスパイのような人物で一族を闇雲に信用した項羽が項伯に何度も騙されてしまったんじゃないか

637 :
最近、月刊少年マガジン他で、この時代が漫画化されてるけど
何かきっかけってあったかな
ただ単にネタ不足かな

638 :
キングダムの後に続いてるって事じゃないのか?

639 :
達人〜がキング〜の時代追い抜きそう
ぶっちゃけキング〜にはもう楚漢戦争は期待してない
達人〜は期待してる

640 :
達人伝も良いがゴン太はカエサルはもう書かないんだろうか
まあ書いてもローマ版の曹操になってしまいそうだけどw

641 :
曹操なんて統一もできない半端もんより統一した劉邦までやってくれ

642 :
>>638
実は複雑なようでつまらん春秋
実は複雑すぎて嫌になる五胡十六国
に較べるとやりやすいよね、三国志除くと

643 :
春秋はつまらんのは同意
五胡十六国はそれほど複雑でもないしやにならない

644 :
主人公が代わり過ぎるのがどうなのか?

645 :
>>644
そこ、実際作ってみれば分かるが思い入れのある主人公を使いこなせなくなる
石勒あたりを主役にしても上手く作れるかどうか
いっそ石虎とかの暗君暴君列伝にでもした方が面白いw
ただそれを少年雑誌には載せられない

646 :
長くても100年以内
歴史上の有名人がたくさんいる
ここらの条件満たさないとゲームやアニメに出来ないからなぁ
春秋戦国なんかやっても時代が被らない有名人が交わらないから成立しない
楚漢戦争なんて陳勝呉広の乱から見ても7年で終ってるしむしろ相当濃密だよね
楚漢戦争のゲームは光栄が項劉記出してたな

劉秀の後漢は咳日の乱から16年、劉エンの挙兵からは8年だし雲台二十八将もいるし
ネタ的にはありだと思うんだけどな
スイショウの日本(奴国)も絡んでくるし

647 :
自分で読み返して誤字発見
咳日ってなんだよ
コロナウイルスかよw
赤眉ね
このスレでは勝手に変換してくれると思うけど一応

648 :
>>646
楚漢戦争は小説や漫画には丁度良いけどゲームとしては期間や登場人物が寂しいのはコンテンツ展開状況みても分かりやすい
劉秀辺りは雲台の知名度が低いし敵キャラは更に不人気やから無理

649 :
光武帝は赤眉軍平定した後はほぼ消化試合だからな
歴史SLGだと作業になりオートプレイに変える所

650 :
項劉記やってみたけどあんまり面白くなかったな。ファミコンの赤龍王もなんだかわけわかんない上にあっと言う間に終わっちゃったし。ううむ

651 :
>>650
あれ俺光栄の最高傑作だと思うけどw
フリーマップ的な展開や城取りじゃないのとか
垓下からの大逆転は一歩間違えると死ぬからスリルあった

652 :
光栄は政策が中国本土メインになって提督の決断の続編作れなくなったけど
項劉記はもろ中国の話だし続編作っても良さそうなもんだけどな
あっちでも楚漢戦争ってあんま人気ないのかな?
三国志>>>水滸伝>>>>>楚漢戦争みたいな感じなのかな?

653 :
楽天FX
@rakuten_fx

25分
【要人発言】財務相「しばらくよく見ておき、慎重に見極める」 #fx



これがコロナはただの風邪と同じと会見で言い放った無能の相場観ですw

654 :
>>652
源平合戦もゲーム化してるけど全然やし
シミュレーションゲームとしては中世以前の一対一って面白くし難いやろ

655 :
楚漢戦争の登場人物はエピソード少なすぎるからゲームにするのは難しい

656 :
そうかな
それなりにキャラ立ってる人物多い気がするけど

657 :
>>655
そもそもRPGでもなきゃ一人あたりのエピソード量は問題じゃないよ
単純に漢以外の組織が不明過ぎてキャラが全然足りん方が問題

658 :
>>653
わざわざここに貼ること?

659 :
いっそ春秋から漢楚までオールスターで登場させてみてはどうか?

660 :
張良や范増が魔法使えるパターン

661 :
>>659
既に存在する三国志の架空武将でええやんって事になる

662 :
范増が、半裸の美少女。

663 :
>>642
春秋時代は外交が面白いと思うわ
軍事力があっても国を簡単に滅ぼせないからな

664 :
>>646
光武帝は敵がほんと微妙なんだよな…
ライバル不在のせいで物語として盛り上がりに欠ける

665 :
>>655
楚漢戦争は無双系なら割とゲーム化しやすいと思うんだけどな

666 :
>>664
こうぶはこうぶでも洪武帝の方が結構ライバル強いよなあ
もし朱元璋でゲーム作るならどうやって配下を粛清するか、までやってほしいがw

667 :
>>666
それ統一後だからなぁ

668 :
>>663
今の少年は頭いいから、オッサンの空気も読むし
でも編集がGo出さないね

669 :
キングダムやアンゴルモアみたいなのがウケるのが実情だから
>>663みたいな地味なのはウケないだろうね
簡単に言えば客は事実を求めてない

670 :
キングダムはファンタジー過ぎてオワコン

671 :
>>667
統一〜ゲーム終了と見せかけて別のバージョンに
暗黒の世界に突入、みたいな
部下がニコニコ媚び売ってくるのを粛清していくSな快感を堪能w
時々現れる馬皇后ストッパーw

楚漢でもどっちかが統一した後そういう流れだと楽しいのだが
確か項劉記だと最後は項羽は天下泰平をもたらしたが、劉邦は猜疑心の塊になって〜
みたいなエンディングだったと思うが

672 :
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm15405553
劉邦エンディング

673 :
垓下シナリオ数分で終わるんだよな

674 :
項羽が勝って数分でおわるの?

675 :
>>672
俺はスーファミ版だからこんな画面じゃなかった気がする

676 :
>>663
俺も好きな時代だけどゲームや漫画にするには地味なんだよ、左伝をモチーフにしても
致命的なのは登場人物がどうしても不足すること
創作キャラのリアリティについてはキングダムさんとかが教えてくれている・・・・
あれでいいんなら何とかなるかもしれないけどねw
その点楚漢は項劉記でもそうだったが人間揃えられる数少ない時代だと思うけどなあ

677 :
春秋って城は落とせないよね。
国境付近で小競り合いするだけ、
遭遇戦がほとんどで、経済的にも主要都市を城攻めできるほどのリソースがなかった時代。

678 :
>>676
地味派手以前に時代が長い割に全然人が足りない
ターゲットを絞ってRPGにするならともかくシミュレーションとかは無理

679 :
>>677
資源の問題だけじゃなく周王朝によって整えられた諸公と国を滅ぼしたり国境変更は秩序への叛逆になるから五覇でもしない
戦で力の優劣を確認した上で外交覇権と経済的な利益に繋がる協定を会盟によって確認する
晋と斉が覇者になった時点で別に会盟なしでも周辺小国を壊滅して中原の領有が可能なレベルだったと思うけどしなかった
これが春秋左伝の孔子以降の田斉で完全に変わった

680 :
Wuhan Pneumonia-Chinese Pandemic   
武汉肺炎-中国大流行

681 :
>>679
斉と晋や楚はそれぞれ桓公、文公、荘王が君主になる前は小国を滅ぼして併合してるけどね
小国を簡単に滅ぼすような君主は徳が無いという事で覇者になれないけど
小国を滅ぼす強権的な君主が覇者誕生の準備をしたわけだ

682 :
覇者認定されるかはともかく
小国(城)攻め潰した記述はかなりあるよな
斉晋楚秦みたいな強国だけじゃなく中堅国もやっとる

683 :
以前、楚だけでどれほど滅ぼしてるか調べた事がある
・文王
680年 息を滅ぼす
678年 ?を滅ぼす
・成王
648年 黄を滅ぼす
647年 英を滅ぼす
634年 夔を滅ぼす
・穆王
623年 江を滅ぼす
622年 六・蓼を滅ぼす
・荘王
611年 庸を滅ぼす
601年 舒蓼を滅ぼす
598年 陳を滅ぼすが、復す
597年 蕭を滅ぼす
・康王
548年 舒鳩を滅ぼす
・霊王
538年 頼を滅ぼす
534年 陳を滅ぼす
531年 蔡を滅ぼす
・平王
529年 蔡を復す
・昭王
505年 唐を滅ぼす
496年 頓を滅ぼす
495年 胡を滅ぼす
・恵王
478年 陳を滅ぼす
447年 蔡を滅ぼす
445年 杞を滅ぼす
楚だけでもこれだけあるという

684 :
それって実際に戦闘があったのかな?
そもそも楚相手に、小国は戦にならないわな。

大国が取り囲だもんで降伏しちゃったんなら戦闘なしだよね。
総力戦の潰しあい、殺し合いが本格化するのは春秋末期の呉越の台頭あたりからだよね、
楚は都を落とされたし。

685 :
>>684
左伝を読んでると普通に戦闘して滅ぼしたと書かれてたりするよ
ただ滅ぼしたとしか書いてない場合もあるけど

686 :
戦闘しなくても君主が降伏すれば滅ぼしただわな。

687 :
>>684
春秋末を待たなくても普通に殺し合ってるのでは?
都を攻め落とされた国とかそれこそ数え切れんほどあるだろうし

688 :
素朴な疑問なんだけど、どうして劉邦は『皇帝』に即位したんだろう?
他の諸侯王より一段上の地位となるためなのは理解できるけど、称号が『皇帝』である必要は無かったと思う。
むしろ皆最初は皇帝(秦)を打倒するために挙兵したわけだし、始皇帝の後は二代で滅んでるし不吉とは考えなかったのかな?
項羽の『覇王』みたいに新しい称号を考えても良かったんじゃないかと思う。

689 :
ヒント
懐王は義帝
そして義帝の仇討ちで挙兵

690 :
>>688
関中を制圧する際に、項羽に対抗して“秦朝の正統な後継”を銘打つ必要があったんじゃねえかなあ?勿論秦は当時も今もそんなに好意的に受け止められていないけど
統一王朝を印象づけるには皇帝の称号が一番分かりやすかったし、秦の例に倣うのも世間ではそれほどマイナスに捉えられていなかった、という判断だと思う。
やり方はともかく、方向性が支持されていたのは後世が証明しているわけで。

691 :
つーかそもそも劉邦が筋書きしてるわけじゃないやろに
もっと頭の良い人が当時の世間の空気読んで「皇帝」を選んだんだろ

692 :
だれだよそれは
史書に出てないが

693 :
>>691
始皇帝見た時の劉邦の発言もあるし、案外劉邦自身が皇帝を選んだのかもよ

694 :
あれも捏造くさい

695 :
>>692
普通に秦の官僚でもあった蕭何あたりのデザインの可能性は高いやろな
早くから韓王成に見切りを付けてた感じの張良共々早い段階で劉邦が関中を拠点として割拠する方針の下動いてるしね

696 :
>>688
確かに皇帝という名前にあまり良い印象持たれてなさそうだもんな当時は

697 :
ていうか戦国の七王はほぼ途絶えてるし
その後釜に劉邦の一族や勲功のあった武将を王にしたわけで
それらの王の上に君臨するには皇帝しかないよね?
わざわざ王の血筋の生き残りを探そうなんて発想自体ないし
春秋戦国と続いてきた価値観を始皇帝が壊して
更に楚漢戦争で項羽と劉邦が徹底的に破壊した(意図はなくても結果的にそうなった)
残ったのは劉邦陣営の功績者でそれらに国や土地を分け与えたら
古い権威と血筋なんかに与える土地はもうない

易姓革命の考え方自体は大昔からあるわけで始皇帝も劉邦の皇帝擁立もその延長線上にある

698 :
そもそも殷、周が易姓革命したからね
文字記録で残る周以降の感覚だけだと1000年革命は起きなかったけど、諸公の治める地域ではそれぞれ下克上が起きた
秦による統一で完全に周が潰え、その元にあった王もいなくなったパラダイムそのものは巻き戻す必要は特にないし

699 :
>>698
王莽「果たしてそうでしょうか?」
漢元帝「そこなのだよ!」

700 :
>>697
項羽は魏韓趙の王族を王にしてるし
何より主君の懐王が楚の王族やな
難しい立場が窺える

701 :
>>700
懐王の存在が西楚覇王なんて中途半端な立場になった原因ではあるね
結果的に劉法の主君でもあった懐王を項羽がぶっ殺してくれたおかげで
劉邦が皇帝になる道筋ができたと言えるし
懐王が生きてればただの懐王の部下の権力闘争で終ってたし

702 :
劉法ってだれ?

703 :
王が王を任命する場合はどんな論理になるのだろう。
社長が子会社の社長を任命する感じだろうか

704 :
劉邦が皇帝になろうが昔の王のように振る舞えると思ってたら
劉邦が片っ端から功臣粛清始めて青ざめただろうな
英布なんてその圧力に耐えかねて反乱起こしちゃったし

705 :
>>704
>>294

706 :
勝手に不正したのは官僚や秘書で安倍さんは何もやってないのに

なんて信じるバカと一緒だろうな

707 :
忖度という言葉じたいが漢語だからね

708 :
趙高は勝手にやってたけどね

709 :
そいつは勝手にやりすぎ!

710 :
超高は始皇帝が健康で長生きしてたら好き放題出来てなかった
やはり最高権力者は健康で長命でなければならない

711 :
安倍さんは難病持ちだからコロナに感染すると大変な事態になるかもね

712 :
>>706
陳キ討伐中に勝手に処分したからあとで蕭何除こうとしてたやん

713 :
元勲・側近・親族入り乱れてあっちこっちで権力闘争(粛清)やりまくってたら
最高権力者も何が何だかわからなくなってくる事もあるんじゃね?文革みたいな

714 :
嫁が勝手に動いたのは文革期と現代日本と共通はしてる

715 :
>>714
あれは明らかに毛沢東が見て見ぬふりしてる
実態は把握してたよ

716 :
>>715
そもそも毛沢東が仕掛けたもの、と考えられているからね
劉少奇に実権を奪われた失地回復、といういかにも老害な理由で

717 :
紅衛兵が暴走したのは想定外だったね
汽車が無料になるとか色々特典もあって
文化大革命には興味ねーけどタダで旅行できるから紅衛兵ってのもいたらしい

718 :
劉少奇は劉邦の子孫?

719 :
>>717
もうカリスマとしての毛沢東の限界があったんだよ、実在の人物として居てはまずかったくらいの
劉邦もそういう害としてはあったと思う。でも大失敗と言えるのは白頭山の大敗くらいだったわけだけど、あれはもう晩年だからねえ
結局死後のカリスマというのは粛清力も低下するわな

720 :
白頭山の戦いは婁敬の助言聞いてりゃ防げたがそれまでにキョウドの様子を探りにいってた使者10人を敗戦後に皆ころしたのは酷い話だ

721 :
>>718
違う可能性が高い

722 :
>>719
今まで部下に任せて成功してたのに白頭山では自ら失態だからな

723 :
全盛期の劉邦なら劉敬の提言聞いて戦わず軍隊を引き換えさせてた?

724 :
結果的に匈奴に朝貢する羽目になって
武帝が匈奴征伐したことで前漢が滅ぶ契機を作ったんだから根深いよな

725 :
匈奴に朝貢してたおかげて文景の治が生まれ国力増強できたわけやが
北宋も真似てたし

726 :
呂雉に「旦那が死んで身体が寂しいだろ。俺が抱いてやろうか?(意訳)」とゲスすぎる手紙を送って煽る冒頓単于のセンスは好きだなあ

727 :
マジでまた打ち負かして漢の美女を手中にするつもりだったのかもな

728 :
>>726
呂雉なんて美人という話も無いし
当時若く見積もっても年増の中年BBAの筈なのに
それに欲情する冒頓単于は変態
更に変態な赤眉賊とか居るけど

729 :
>>726
審食其「ぬぐぐ…」

730 :
ふと思ったが漢以前の時代は自分たちの民族をどう自認してたんだ

731 :
>>730
夏→商(殷)→周
いずれかの子孫って感じでしょ、それが漢の統一で無意味化した
秦の統一とあえて言わなかったところがミソ

732 :
なんであえて言わないの?

733 :
横レスだが、
秦が統一した時は反発が強かった。菅が統一してから時を経て同じ民族であるという意識が醸成されたであろう。

それ以前はそれぞれに堯とかセンギョクとか黄帝とかの子孫と思っていた。

734 :
>>733
菅さんスゲー

735 :
民主か官房長官か知らんが日本スゴイ!

736 :
漢字は実質秦でしかなかった
秦と法もほとんど変わらないが秦よりはマシだと世間を騙した

737 :
>>734
何のことかと思ったら・・・。Macが勝手に違う漢字に確定しやがる。

738 :
前にNHKでやってた古代中国の特集では
秦は自分は中原の一部だと主張して夏の末裔を自称してたとかなんとか
だから秦の中国統一は異民族による侵略ではないという理屈
まぁそういうメンドクサイ話も劉邦が皇帝になったことでチャラになったというかどうでもよくなった感じだが

739 :
漢民族と呼ばれる前には「華夏族」と言ったらしい。
夏王朝に由来するみたいだけど

740 :
秦建国の由来に限らず各国が建国エピソードあるからね
一番有名なのは「商人」かな?

741 :
>>738
周も殷から見たら西方の異民族だったしなぁ

742 :
>>734
それは直人ってこと?最近の人じゃなくて

743 :
民族から言語、文化様式までいわゆる中華文明の礎は漢代に築かれたといっていい
漢と秦以前では根底の価値観がまるで違う

744 :
遺伝子を調べると殷は西で周や秦は東らしい

745 :
私は韓信

746 :
>>745
ぐぐれかす
じゃなかった
くぐれかンしン

747 :
楚漢戦争の時に白起や王翦、楽毅みたいな名将がいなかったのはなぜ?
そのため項羽みたいな猪武者や、韓信みたいな不良少年上がりの軍事の素人が活躍する異常事態になった

748 :
新興勢力同士の戦いだから?

749 :
>>747
その辺りは処遇で苦労してるからな
統一すれば良狗よろしくお払い箱だし
実力を発揮出来なかった蒙恬とか李左車とかは居たな

750 :
李信とかどうしてたんだろうね

751 :
>>747
そういった六国の名将達は秦との戦いで死に
秦の名将は趙高が粛清したんだろうな
章邯も最初は軍事経験の無い文官だったし

752 :
秦末で一番軍事経験のありそうなのって周文かな?
周文も春申君や項燕に仕えてたというだけで何してたかは良く分からんけど

753 :
李左車の策ってそれほど的を得てない
なぜかと言うと南方から劉邦本軍が趙に迫って来ていたから
韓信の軍は陽動部隊

754 :
韓信が敗北も認めてたから高祖本体は見せ掛けかもな

755 :
天下統一後は軍人の多くは不要な人間になる。
楚漢戦争時に生粋の軍人がいないのは当たり前。

756 :
秦の天下統一で逃亡した将軍連中は
陳勝呉広の乱に便乗して蜂起してるし
そいつらが大して活躍してないってことは
そんな奴らだから滅ぼされたんだろうなとしか

757 :
【指標】3月ADP全米雇用報告 -2.7万人、予想 -15.0万人 #fx

はぁ?w

758 :
秦の天下が僅か15年といっても、15年もあれば世代交代するのに十分な年月
王翦は楚への遠征で邸宅や田地を始皇帝にねだってるのが自然なあたり、
224年で既に引退してもおかしくない年齢(慣例の70歳程度)だろうなと想像はできる
そこから滅亡する206年まで18年あれば生きてても90歳前後の可能性もある
子の王賁が登場するのは226年で父親の王翦と同時に将軍でもあり、であれば
単純に親子の年齢差からみても既に40歳を超えててもおかしくない
そこから秦の滅亡まで20年あれば、60歳くらいだとしたら亡くなってる事も十分ありうる
さらにその子の王離が206年に将軍として鉅鹿で項羽と対峙する
王離ですら、上位の将軍であればもうこの時点で40歳は超えててもさほど違和感ない
李信は初登場が229年
その時点で将軍であれば40歳程度と仮定したって、天下統一まで8年で、秦の滅亡まで
23年で、これも60歳ほどなんで亡くなっててもわからなくもない
蒙武は王翦の副将が多く、王賁や李信よりもやや世代が上
李信と楚へ遠征した子の蒙恬は李信よりもやや若いのだとすれば、秦末に統一時の
将軍が蒙恬しかおらず彼が頂点なのもさほどおかしい事ではない様に思う
某漫画では大方の連中がやたら若く描かれてるが、軍を率いるにはどうにも不自然で
参考にならんだろうなあと
ざっくりした計算だけど

759 :
司馬錯、魏冉、白起「「「最近の若い秦将は軟弱でいかん、史上に30年でやっと一人前やぞ」」」

>>758
蒙武さんは昭王期の中頃(楽毅連合軍の前年)に斉を攻めて大勝した不老長寿の漢

760 :
>>755
楚漢戦争終了後も徐々にベテランの武人がいなくなって
文帝のころになると「一朝事ある時に役に立つの周亜夫しかいねえぞ!」って嘆くようになるもんね

761 :
>>753
にしても無傷で通す親切さは要らんかった、隘路の場合少数精鋭で戦果を挙げやすい
としたら少数兵力を向かわせて、ダメージを与えた上で迎え撃つのが常套手段か、と
本隊は難しいにしても別働隊は派遣するべきだった、その度胸が陳余になかっただけだろうね

762 :
周勃って楚漢戦争では大して活躍してないのにな
劉邦にはよほど律義な人物に見えたんだろうな
だから呂氏滅亡させた後で陳平に馬鹿にされるわけだが

763 :
周勃は息子見てても脇の甘い感じ

764 :
豊臣対徳川で
関ヶ原の頃は、戦国生き残りの連中が大勢いたが
大阪の陣あたりでは、その連中が死去、引退して世代交代
戦争体験世代がいない、軍を統率する将も不足
なんて本読んだから
10〜20年たてば役に立つ軍人いなくなっちゃうのかなあ

765 :
>>764
大阪の陣から更に20年以上の島原の乱でも
水野勝成や立花宗茂が居たから
古参が完全に居ない訳ではない
周亜夫の時も欒布や張蒼や趙佗は健在という

766 :
島原の乱のあたりだと一揆軍(実はガチの戦争屋)の方が戦争慣れしてて幕府軍の方があたふたしてたしな。

漢王朝もおそらく似たような感じだったろうし匈奴はそれ見越して舐め腐った態度とってたんやろ

767 :
>>763
さしづめ大久保彦左衛門だろうな

768 :
>>765
宗茂等の戦国後期武将にあたるのは蒙恬ぐらいか
日本と違って秦以外の国が全て滅ぼされてるから一流どころが残らないんやろな
戦国時代の軍の現場にいた可能性がある将としては周文や項梁范増辺りかな

769 :
fuluでピーターホーの項羽と劉邦が3月で配信終了してしまったんですがどこか配信してるサイトありませんか?

770 :
>>764
将に限らず兵も世代交代されるのよな
大坂の陣でも20〜30代なんかはへたすると関ケ原すら経験していない全くの新兵
そういう連中は血気盛んな若さからくる怖いもの知らずなところはあっても、
戦場の雰囲気や呼吸なんかを知らない
たとえ足軽雑兵でも戦場の大多数を占める人員が未経験者ってのは少なからず影響
あるんだろうな
唐入りや関ケ原を経験して浪人したとなると大坂方は壮年以上の兵も多かったのかも
と想像したりもする

771 :
時代や世代の交代で将校や一般兵の戦闘力が落ちるという事象が秦にも当てはまるとすれば
それは戦国末や統一秦からではなく、戦国後期から始まっていたのかも
史記を見る限り、秦軍は商鞅登場の少し前から戦場で猛威を振るうようになり
そこから孝公、恵文王、武王と代替わりするも安定しており、大勝する度に多数の敵兵をR
昭王期(正確にはBC295頃〜BC260頃)に入ると桁違いの破壊力になり兵も邑も屠りまくるがここでピークアウト
続く孝文王、荘襄王、秦王政の代になると史料上の殺害数は急低下
この推移って白起の将才と頭がおかしかった、みたいな個人の資質に帰せるものじゃないと思う

772 :
秦の場合は占領地の軍事的鎮圧のために将軍連中はそれなりに残ってたと思う
こいつらがほぼ消えたのは趙高による専横時代でしょ
だから章邯みたいな文官上がりの将軍が出てくるわけで

773 :
兵器が近代になるにしたがって人を凌駕する
1500年後とまんま比較は出来ない

774 :
>>771
六国の人口が少なくなったとか
あるいは敵をR事より捕虜にして新戦力にする方針に変えたとか

775 :
秦の時代はよく知らんが趙高ってそんなに粛清しまくったのかね

776 :
>>775
史記読む限り有能な奴ほど自分の障害になるから
難癖付けて殺しまくってた印象
蒙恬も李斯も趙高に殺されてるしね
何しか国がどうなるかとかどうでもよく
自分の権力欲のためにはむしろ有能な奴は粛清するキチガイ

777 :
秦を滅ぼすために仕組んだ説

778 :
>>758
若くして無双するのは項羽だよな

779 :
>>774
・大規模な会戦が減った
・戦闘を避けて籠城、降伏(殺さない)→連鎖的に広大な地域が降伏するケースが増える
確かに上記のような変化があった可能性はありそう
秦の昭王期の終盤に台頭したリ失脚したりした(過渡期かな?)范雎らを挟んで
指導層に征服対象地域の知識人を大量に抱えていたであろう呂不韋のような毛色の違う人物が現れる時期とも重なる

>>775
たぶん粛清しまくってるけど
陳勝の軍が咸陽に迫った時期までに趙高(と李斯)たちにやられたとされるのは、扶蘇&蒙氏と始皇帝の子女
皇位継承に直接関わらない他姓の重臣は概ねスルーのはず
つまり蒙恬を欠いたとはいえ始皇帝を支えた将軍や人材はまだまだ健在だった可能性が大いにある

780 :
章邯が出るまで中央はなすすべ無かったんだから
少なくとも中央の人材は一掃されてたろ

781 :
まぁそんな秦軍ですら陳勝・呉広の乱はとりあえず鎮圧したんだよな

782 :
章邯が名将じゃなかったら陳勝に秦は滅ぼされてた可能性が高いよ
周文により函谷関を突破されてたからな
弱体化していたとはいえ秦を王手のところまで侵攻した周文はなかなかの名将だと思う

783 :
烏合の衆をそれも大軍率いるだけでも名将だな
負けた後も粘ってたし
高祖だって10万率いるのがせいぜいでしょ?

784 :
>>780
末期始皇帝体制の核心であろう丞相李斯が
百官の長たる丞相として活動しているのに中央の人材一掃ってどうなんすかね…?
統一秦でも戦国中頃の秦みたく公子たちの動向が頻繁に記録されていた(政戦の要だった可能性が高い)とかならわかるけど

785 :
いや、趙高が粛清、排除したのは有力者も含まれるからな

786 :
いやもちろん排除されたその他大勢の有力者もいただろうけど
周文が迫った時点では有力者の中の有力者である馮去疾、李斯、馮劫は一掃されてないぞ
この方たちは始皇帝の右腕左腕レベルでしょ?

787 :
自害した者も粛清されたものでは

788 :
自害した者は粛清カウント外って誰も言ってないような…?

789 :
李斯は始皇帝しんですぐ引退してれば晩節汚すことなかったのに

790 :
>>786
外様が重用される辺り異様だよな

791 :
>>790
外様が重用されるのは秦の伝統芸だけど

792 :
功績がちゃんと残ってればな

793 :
誰の?

794 :
>>790
春秋時代から秦は外様が宰相になってたりするぞ
百里奚が有名だな

795 :
>>794
李斯も趙高も外様やからね
有力氏族が支配する楚と趣が違う二国である
秦は西の遊牧民の色を濃く残し
楚は長江文明の色を濃く残している
こういう文化の違いを見ると
日本が太伯の末って言われてたのも分かる気がする

796 :
春秋戦国はグローバルな時代だったから
同じ大陸のヨーロッパにも言える事だが、どうも同一文化圏内で長く争ってるとこういう関係が出来るらしい

797 :
>>794
その辺りは功績が残ってるから納得だが
扶楚が廃されて外様が重用されてるのは趙高の思い通りだろ

798 :
扶蘇?

799 :
>>798
ごめんなさい

800 :2020/04/06
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