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【シャルリとは誰か】E・トッド【家族システムの起源】
西暦1350年の日本がドラクエVの世界とつながったら
イタリアは南北独立したほうがいいんじゃね ?

春秋戦国時代2


1 :2018/12/13 〜 最終レス :2020/02/04
新スレ立てた

2 :
まずはスレ立てより始めよ

3 :
最近、「キングダム」という漫画を読んでいる

吉川英治や横山光輝ほどじゃないが、かなり有名

4 :
マイトLーヤって何?宣伝ウザいんだけど
http://fate.2ch.sc/test/read.cgi/spiritual/1527044468/l50

★ マ@トレーヤ <●><●> が黙ってない ★

【人類を2つに分ける】 世界教師マ@トレーヤ到来
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/seiji/1538271437/l50
【投資家は、投身自殺】 マ@トレーヤが株通貨廃止
http://egg.2ch.sc/test/read.cgi/stock/1538630750/l50
【報道規制の、解禁を】 マ@トレーヤのUFO出現
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sky/1537927336/l50
【STOP東京五輪】 オリンピック開催なら、首都地震
http://mao.2ch.sc/test/read.cgi/olympic/1538632218/l50
【米日気象戦争】 風船爆弾 VS 人工地震津波兵器
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/army/1538546569/l50
【ハルマゲドン】 ユダヤは天上へ、ゴイムは戦場へ
http://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/kokusai/1544011096/l50
【視覚教育】 テレビを普及してゴイムを奴隷化する
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/kaden/1543574452/l50
【Nintendo】 WHO「ゲームは害だ」ESA「風評だ」
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/gsaloon/1543809419/l50
【Sony】 マイケル・ジャクソン「ソニーは悪魔だ」
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/mesaloon/1543405790/l50
【嘘HK】 放射能と無関係を装って「心筋梗塞激増」
http://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/nhk/1541301264/l50

5 :
スレ立ちてときにこれを荒らす
また悦ばしからずや
スレあり初っ端より荒らす
また愉しからずや

6 :
クソスレに入らずんば糞を得ず

7 :
春秋戦国時代の中華料理はどんなものだったのか。

8 :
人肉料理

9 :
君子はスレ立てて荒らさず
小人は荒らしてスレ立てず

10 :
スレにレス無きを憂えず、そのクソレスを憂う

11 :
>>7
宋ですら和食みたいだとか
古代は生魚を食べない村をおかしいと書いた記録があったり
孔子がナマスは細ければ細いほどいいとか
羊とか牛とか豚の生肉?
君主は行使に子供が生まれた時に鯉を贈ったとか

12 :
人だって

13 :
朋有り。遠きより方(なら)び来たる。

14 :
陸の民なので、川魚ですな

川魚といっても、日本の川とはスケールが異なり、イルカも棲んでるくらいだが

15 :
宋の時代に石炭の火力が利用されるようになって、中華料理は激変した

16 :
酒池肉林の頃は、茹で肉を馬鹿食いして燗酒をガブ飲みすればそれで贅沢だったのかな?殷の青銅器って基本、肉を茹でる容器と酒を燗する容器だよね。

まだ繊細な料理文化がないから量で贅沢さを誇示する路線で。

17 :
>>7
餃子は春秋時代にはあった

18 :
殷の紂王が、はじめて象牙の箸を作った。それを知った家臣の箕子が恐れを抱いた。
象牙の箸を何故そこまで恐れるのか分からない周囲の者たちに、箕子が語った。

「象牙の箸を使うとなれば、(今まで用いていた)素焼の器などではなく玉の器や犀の角の杯を用いたくなるだろう。
象牙の箸に玉の器で食事をするとなれば、(今まで食していた)豆の葉や藜の汁などではなく水牛や象や豹の肉が盛られるだろう。
豪華な食器に豪華な食事をするとなれば、粗末な衣服と粗末な家屋では満足できずに錦の衣服と豪華な宮殿が欲しくなるだろう。
象牙の箸に釣り合うものを集めていけば、いずれ国中の財物を集めても足りなくなる。私が怖いのはその行きつく先だ。だから象牙の箸を恐れるのだ」

19 :
趙匡胤も似たような事言ってた気が

20 :
>>18
このエピソードだと王族でも普段の食事は大したこと無かったのかも

21 :
このエピソードはどう見ても後世の中国の価値観を反映したものだからなあ
ディテールまでは信用しないほうが

考古資料の裏打ちとかあれば別だが。

22 :
>>21
後世といっても韓非子が出典だから戦国時代末期よ

23 :
殷周交代は中国文化の一つの画期だからね。君主が天の代理人であり、もしその意志を忠実に執行しないならば罰せられる、という思想は周が持ち込んだものだから。
このエピソードがもろにこういう思想に裏付けられてるのを見ると、どうも起源をあまり遡らせるのは難しいんじゃないか、という気がする。

24 :
解決済の質問

春秋戦国時代の中国の食事はどのようなものだったのでしょうか?

25 :
ベストアンサーに選ばれた回答

かなりあっさり系の食事です。
羹(スープ系)や膾(肉と野菜をスライスしたのを和えたもの)が中心で今日のような食事になったのは元以降です。中華料理の原型は北宋の時代に完成しました。
また、穀物も北と南で大きく異なります。雨の少ない華北は雨が少なくても育つ麦がメインで、雨の多い江南は米がメインです。なので酒も麦から作るのと米から作るので別れました。
調味料も今と違い塩と梅のみで「塩梅」という言葉は春秋戦国時代の味加減の調節から生まれました。
一般的な料理の形態としては「煮る」「焼く」「蒸す」がありますが春秋戦国時代は「煮る」が大半で「焼く」と「蒸す」は殆どありませんでした。
これは漢の時代まで強く火を起こすと家の構造上あっさりと火事になるので低火力の料理が中心にならざるを得ず、自然と「煮る」がメインになりました。
酒の度数も今と比べるとかなり低く、糖のアルコール転嫁の技術が今よりもかなり低かったので度数はかなり低く酒の中に糖質がかなり残っていました。一説には当時は2〜3%が一般的だといわれました。

26 :
古代(始皇帝の秦の時代、紀元前3世紀ころまでを指す)の主要な料理は、細切れにした肉や野菜を、多めの汁の中で煮た羹(あつもの)であり、王侯も庶民も毎日食べたといわれる。
具の多いスープのようなもので、日本で言えば豚汁などである。
また、肉や野菜を細切れにしたものを酢につける膾(なます)もよく食べられた。
また古代には、野菜や野草は塩漬けかひたしで食べたとされる。
油脂は古代から宋代(10〜13世紀)までの料理ではあまり使われず、さっぱりした料理が主流であった。

27 :
「羹(あつもの)にこりて膾(なます)をふく」という言葉があるが、この2つこそは、古代中華料理のメインディッシュ

28 :
古代中華料理では、調味料としては、塩と梅しかなかった。
「塩梅」という言葉は、ここから生まれた。

もっとも、膾は酢の物だから、酢の味がする。

羮は、肉野菜を煮込むのだから、ダシが出て旨くなる。

29 :
>>23
エピソード内の料理の記述は当時の反映では?

30 :
これ面白かった
美味求真 周代の八珍
http://bimikyushin.com/chapter_5/05_ref/hatsuchin.html

 @淳熬(肉醬油澆飯)
 A淳母(肉醬油澆黄米飯)
 B炮豚(煨烤炸炖乳猪)
 C炮羊(煨烤炸炖羔羊)
 D擣珍(燒牛、羊、鹿里脊)
 E漬珍(酒糖牛羊肉)
 F熬珍(類似五香牛肉乾)
 G和肝遼(網油烤狗肝)

@ 淳熬じゅんごう
 淳熬という料理は、肉醤(醢)に火を通してご飯の上に乗せ、その上から動物の脂肪を加えて混ぜ合わせた料理である。肉醤というのは肉から作る発酵食品で「醢」という字が当てられている。淳熬は肉と脂をまぜたご飯を想像すると分かりやすいだろう。

31 :
これなんか、オーブンがないのでアースオーブン式調理なんだろうな。石蒸し調理とかにも近い

B 炮豚
 豚の腹を割き、内臓を取り出して、腹腔内を洗って汚物を取り除き、その中に棗を詰め込んで腹を縫い合わせ、萑すいと呼ばれている茅に似た草で編まれたもので、その豚を丸ごと巻き、その上から粘土に香草を混ぜたもので全体を塗り包み、火で蒸し焼きにする。
 その全体を包んだ粘土が、十分に焦げた時を見計らって、火から取り出し、その土を取り除き、手を水に浸しながら豚の身体を擦って、毛の焦げ付いた上皮をすり落して、
完全に丸むきにして、上皮が綺麗に取れたものに、米の粉をかけて葛かけのようにして、牛の脂を入れてヒタヒタになるまで煎り、これに香物を入れる。
 別に大鍋に熱湯を入れ、先の丸豚を浸した鍋そのままをこの熱湯の中にいれ、小鍋を覆さないように注意しつつ、三日三夜の間、絶え間なくこれを煮る。
そして後、醯と醢で味を調えるものとする。醯と醢などの肉醤の製法は前ですでに述べたとおりである(王の饋食参照)

32 :
これも面白い
http://bimikyushin.com/chapter_5/05_01.html#section_ref_05_01

「朝事の籩」に麷とあるのは麦のことである。蕡とは麻の事である。白とは米、黒とは黍の事である。形鹽とは虎の形に作った塩のことである。膴とは生魚の切身、鮑とは燻製魚、
鱐とは干した魚の事である。以上八種を籩に供えて、豆(肉皿)の方には韮のおひたしに、動物の血液と糀と酒で作った肉醤。昌本つまり菖蒲の根の和え物に、麋肉の肉醤、
菁(かぶら菜)のおひたしに鹿の肉醤、茆つまり茅の若芽のおひたしに麋肉の肉醤を添えたもの八品が供えられた。
 「饋食の籩」には棗、栗、桃、乾橑(干し梅)、榛の五種が供えられ、皿には葵のおひたしに蠃(カタツムリやサザエの類)の肉醤、
脾析(牛の脇肉)と蠃の肉醤、蜃(大蛤の類)の和え物に蚳(白蟻)の肉醤、豚拍(豚の肩肉)の和え物に魚の肉醤の八品が供えられた。
 「加籩の實」は菱、芡、栗、脯、菱、芡、栗、脯と同じものを二重に、都合八品を供え、皿には芹のおひたしに兎の肉醤、
蒲の若芽の和え物に血汁の肉醤、箈(シノブ竹の子)のおひたしに、雁の肉醤、筍のおひたしに魚の肉醤を添えて八品が供えられた。
 「羞籩の實」に糗餌、粉栥とあるのはすべて米と黍の粉で作られたものである。捏ねて混ぜた団子を餌と言い、餅にしたものを栥と言う。
これらはいわゆる現在の餅菓子の類のことである。食皿に酏食とあるのは犬の肝と、狼の脂肪と、米で作った一種の炊き込みご飯のようなものである。
八珍の中に肝膋とあるのはこの料理である。糝食さんしょくとあるのは牛羊豚の肉をそれそれ等分にして、細く刻んで米二、肉一の割合で混ぜて煮た雑炊に似たものである。

33 :
一般庶民は竪穴式住居に住んでいた

日本でいえば、「弥生時代」のイメージ

34 :
日本の一般庶民は平安時代まで竪穴式住居に住んでただろ。

35 :
支那の一般庶民は現代になってもニーハオ便所

36 :
春秋時代にはもう家屋に住んでたのでは?

37 :
>>36
一部ではね

38 :
中国といっても広いからな

春秋時代には呉で鉄器文明が始まったが、華北では漢代になっても青銅器が広く使われていた

それと同じで、家屋もあったけど、漢までは、一般人は基本的に竪穴式住居

39 :
紀元前というと、中国にはすでに高度な文明があったが、日本には原始人が住んでいたというイメージが強い。

でも実際のところ、本当はそこまでの違いがないんだな。

しょせん、同じ古代人のレベルだ。
土器や石器、竪穴式住居が広く使われていた。

40 :
それは第三者からみたら負け惜しみにしか見えないんじゃないかなあ・・・

41 :
日本の中卒とアフリカの中卒の学力が同じなので
日本とアフリカにそこまでの差がない

しょせん中卒レベル、割り算もできない

42 :
>>40
いや、そんなことないよ

43 :
古公→末っ子溺愛して息子二人が家出
李歴→商王文丁に殺される
文王→長男殺された上に自分も監禁され怨みから反乱起こすも途中で死亡(監禁時に殺されていた説もある)
武王→商の残党や各地の勢力に睨まれたまま即位2年で病死
成王→叔父達から反乱を受け、母親や周公の傀儡が長く続く
康王→比較的安定していたらしいが外征繰り返さなきゃならないなど平和には程遠い
昭王→楚の反乱鎮圧中に殺される
穆王→各地の反乱鎮圧のために外征しっぱなし。刑法を厳しくして恨まれる
共王→美人の娘達をくれなかった腹いせに従った密国を滅ぼす
懿王→風刺されるぐらい民に舐められる。
考王→懿王の叔父で王位簒奪?結局懿王の息子が後を継ぐ
夷王→讒言を信じて斉の哀公をR。遠方の国が従わなくなる
レイ王→民衆に殺されかけて亡命、そのまま復位出来ずに死去
宣王→処刑した部下の呪いで流れ矢に当たって殺される
幽王→嫁を笑わせるために狼少年になり殺される

王莽は周王の何を理想と見ていたのか?

44 :
文王も武王も悪いことしてないやん
私怨から反乱起こしたなんてのは器の小さい下衆の勘繰りだ

45 :
>>38
「竪穴式住居」といっても偃師商城の時点ですでに磚(レンガ)の使用が確認されていて
日本人が連想する「竪穴式住居」とは外観が大分ことなっている
また鋳鉄制の農具も春秋時代には華北を中心に広まっていて日本で普及したのはようやく平安時代になってのことだから約2000年ぐらいの開きがある

46 :
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-024.html
 古代中国では春秋時代中期以降に製鉄が始まり、戦国時代に普及した。
中国の製鉄は、春秋時代に始まったが注目されるのはそれが「鋳造」であったことである。西アジアで最初に現れた鉄器は鍛鉄(原鉄を叩いて形にする)であったが、
 中国の鉄器が鋳造であることは、それが西方から伝わったものではなく、中国独自に開発されたと考えられるからである。
鋳造を可能にするには高い温度を出すための送風装置、つまり鞴(ふいご)が必要であり、中国では早くそれが発明された。
 また、鋳鉄は鋳型に入れてつくるため形は自由に作れるが、鍛鉄に比べてもろいため、中国の鉄は農耕具として利用され、武器は依然として青銅器が用いられた。
「だから、鉄は悪金とよばれ、武器には青銅が使用され、それは美金とよばれていた。」<貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』2000 講談社学術文庫 p.367>
 戦国時代の鉄器の普及  鉄製の農具は、それまでの磨製石器に代わって普及し鍬や鎌が農耕だけでなく、牛耕農法を可能にし、開墾、水利土木工事にも使われ、
農業生産力を飛躍的に増大させた。
 戦国時代にになると鍛造の技術も開発され、武器にも利用されるようになった。
農業生産力の向上は、手工業をも発展させ、さらに貨幣経済へと社会を導いていく。戦国時代には各国で青銅貨幣が鋳造されるようになる。

47 :
>>39
ローマだけは別格。街道に上下水道に住居も紀元前に完備
蒸気機関に似たものすら紀元後には表れている
彼らから見ればアジアは土人にしか見えないだろう

48 :
ローマとか秦の商鞅の時代の頃は四国の半分程度の面積しかない
しがない都市国家レベル
楚漢戦争の頃でようやく現代日本と同レベルの領土面積
古代帝国の中では後発もいいとこだぞ

49 :
唐がペルシャやインド・中央アジアから受けた文化的な影響の大きさは、日本が唐から受けた影響と大差ないほどのレベル

中国大陸の文化をガラリと変えた

50 :
>>45
陝西省あたりのコチコチに固まった黄土は、ほとんど天然の干乾し煉瓦だ

現代でも、穴を掘って地下に住居を作って住んでいる人たちもいる

毛沢東も習近平も、不遇な時期はそこで暮らしていた

51 :
>>48
それは言える

古代帝国といったって、ペルシャ帝国やローマ帝国との差は大きい

宋や元あたりになると、中国のほうが西方より文明度が高いと思うんだが、古代だと西高東低だねえ

52 :
>>49
唐って言うより五胡十六国の北朝政権が正しいんじゃね。
仏教が儒教とフュージョンしたのが典型

53 :
>>52
まあ、そうでしょうな

唐の文化には中華風な要素も多いが、北朝は思いっきり西域っぽい

やっぱり、南朝が中国文化を受け継いでいたんだねえ

54 :
しかし、その北朝でさえも、北斉の優美な仏像などを見れば、かなり中国化している

そもそも、仏様の顔つきが、インド風の濃い顔とは違いすぎるというのもあるが

55 :
仏像自体がギリシャの影響だ

56 :
>>48
四国?

57 :
日本は唐よりも朝鮮半島三国から受けた文化的な影響のほうがよほど大きい
竈や須恵器や字形鋤先や無床犂といった日常生活レベルのものから文字の使用に至るまですべて朝鮮半島を通して伝わった

建築においても7世紀半ばである皇極天皇の治世ですら屋根を精々板で葺いたぐらいで「板葺宮」と名付けて尊んでいたぐらい原始的な段階でとどまっていた倭国に
瓦、土壁、礎石や中国南朝の寺院建築を伝えたのも百済である

まぁ建築学的には日本の伝統建築はあくまで中国建築のマイナーチェンジで「日本建築」というものは厳密に言うと存在しないらしいがな

58 :
春秋戦国時代の一般的な民居は「木骨泥牆」と言われる柱を土壁で塗りこめた工法で作られていた
このような形式の建築物は日本でも5世紀後半のものと推定されている森ヲチヲサ遺跡から見つかっている
https://www.gensetsu.com/20150801mori/20150801mori.htm

ただし上のような大壁建築に住んでいたのは半島系の渡来人に限られ
圧倒的多数の庶民は宋代にあたる平安時代に入ってもなおこのような竪穴式住居にくらしていた
https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g1021320-d12538278-i273674444-Hiraide_Iseki-Shiojiri_Nagano_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html

59 :
粟が主食(と呼んでいいかはともかく)だったみたいだけど、あの小さな粒で腹を膨らませるにはどのぐらい生産量が必要だったんだろう?
ネコジャラシ並に放っておいても勝手に生えてきたんだろうか?

飯よりは上に書いてる人のいるように羮に入れて腹を膨らませる具材扱いだったのかな?

60 :
>>57
百済は、倭の属国だよ

形式的な中国への朝貢とは異なり、実質的な支配を及ぼしていた

61 :
>>52
唐はその北朝政権の流れを汲んでるから唐も同じだけどね

62 :
>>57
倭国と中国南朝は、古来から盛んに直接交流していた

倭は、その通り道である朝鮮半島南部の諸国を支配し、彼らが反抗の動きを見せたときは軍隊を送りこんで鎮圧した

63 :
>>59
水分を吸収して、それなりに膨らむ

粥にしたりして食べていた

64 :
>>49
それ、元はローマ帝国の文化
ヨーロッパが東ローマ帝国の支配領域を別にして暗黒の中世へと移行すると
その文化はササン朝やイスラム帝国に受け継がれることになる

65 :
>>60
そうその属国よりはるかに文明が劣っていた
だから技術者を連行してくるために支配したわけだ

契丹、女真、モンゴルのように元々未開人だった部族が自分より武力の劣る文明国を支配して
文明化することは世界的にはよくあること

66 :
>>65

67 :
技術者を連れてくるのは良いことだな

68 :
敏達天皇や舒明天皇が自らの皇居を百済宮と名付けたり
高松塚古墳の壁画の女官がチマチョゴリ着てたり古代の大王は半島かぶれが多かった

69 :
古代の日帝による強制連行だから韓国人はこれにも謝罪と賠償を求めていいぞ

70 :
>>65
契丹は、中央アジアやペルシャの文化とダイレクトにつながっていた

もちろん、陶磁器や絹織物などの工芸技術で中国にかなうはずもないが、文化的に劣っていたわけではない

71 :
>>68
その時代にチマチョゴリがあったと思ってる時点で韓流時代劇かぶれのオバチャン以下

72 :
それはともかく、春秋戦国時代の歴史というのは、どこまで信用できるのか?

「史記」を初めとする、後世の伝聞による記述に依存するところが大きい

73 :
世界大百科事典 第2版
チマ【ch’ima】
朝鮮語で女子の服装に用いる裳(も)の義で,洋装のスカートにあたる。
元来は漢制として伝来し,三国時代に定着した。その実物は正倉院御物にもみられる。

チョゴリ【chŏgori】
朝鮮の上衣で,男女とも同形である。三国時代から形は変わらず,李朝の初めまでは1mくらいの長いチョゴリを着て,
腰を布か革のバンドでしめたが,16世紀末の壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)以降はこの長さが短くなり,腰のバンドもなくなった。

74 :
司馬遷にとっての管仲は、現代人にとっての足利義満くらい大昔の人

どこまで本当に分かっていたのか

75 :
>>73
チマチョゴリは、和服の影響を受けて20世紀から始まった創作民族衣装

現代の化学繊維と染料なしでは語れない

「百済の壁画に描いてあったニダ」というのは、あの国ではお約束

76 :
何を根拠にそんなこと言ってんの

77 :
>>72
>>74
清末民初の擬古派の学者たちもそう考えて「ほとんど後世の作りごと」「孔子も本当はいなかったんじゃね?」と主張し、日本でもそれを受けて「西周なんか無かった」と唱えた学者もいたくらい。
ところが甲骨文の解読が進んで殷の王系が判明すると、それが司馬遷の記録したものとほぼ同じであることがわかって、みんなひっくり返って驚いたわけだ。
司馬遷からみて千年以上前の史実をそれだけ正確に記録し得たのは、口承のみに依拠したのではなくて、何らかの記録や史料が存在して、それを参照したのだと考えられる。六国の史官が編纂した記録も当然あったろうし。

もちろん、たとえばツキジデスの「戦史」の登場人物がしばしば行う大演説みたいな、ディテールを盛った部分までは信用する必要はないけど。古代の歴史家はこういうディテールを盛ることを職業的義務と感じていたようでもあるし。

78 :
古代のチマチョゴリと現在のものとは全く違うから
誇張して言えばそうとも言えるという話じゃない?

79 :
>>77
逆に司馬遷の間違いや嘘も出土史料から明らかになったりしてるから
全く疑わないわけにもいかないし、かといって全部嘘ってわけにもいかないのが悩ましいところ

80 :
>>76
どうせちょっとの史実を斜め上に捻じ曲げてぜんぜん違う話にしている
いつもそうだ
伝言ゲームが失敗したやつみたいになってる

81 :
長平での白起の生き埋め大虐殺も、ただの伝説なのではと思われていたが、掘ってみたら大量の人骨が出てきた

82 :
>>77
清代は、客観的な研究が進んだ時代だな

まあ、18世紀や19世紀だから、ほぼ近代国家なわけで

83 :
>>38
鉄の利用は燕と斉が最も早い、それに次ぐのが楚
鉄器と青銅器わ用途が別、青銅器が農機具に使われた時代なんて無い

住居も北部は土間の平屋木造建築、南部が高床建築
既に陶器が広く使われ土器の利用は終わってる

84 :
>>47>>49
街道も上下水道も春秋期から既にある、抑々街道に技術は不要
大都市の遺跡からわ大抵上水道が見付かってるし下水道の無い都市なんぞ無い
影響を受けたのわ仏教位で他に西方ガラスとマニ教が入って来た程度

85 :
>>58
木骨泥牆は江南の建築様式だと何度も教えてやっただろ無知無知ガイジ

86 :
>>82
逆、元よりマシなだけで清は科学の衰退期

87 :
>>86
科学じゃなくて、人文系

文献考証の話

88 :
春秋時代の燕については、史書に記述が極めて乏しい。

89 :
戦国時代に入り、紀元前334年の段階で『史記』蘇秦列伝によると「東に朝鮮・遼東、北に林胡・楼煩、西に雲中・九原、南に呼沱・易水がある」といわれており、すでに広大な領域を支配していたことがわかる。
紀元前323年に王(左飛)を名乗るようになった。第2代の王の噲(檜の偏を口に変えた字)は宰相の子之を盲信し、堯舜に倣うと言って禅譲を行い、これにより国内は騒乱状態となった(紀元前315年)。
翌年ここに斉(田斉)が付けこみ、兵を出して侵攻し、全土を併合したため一時的に滅亡状態となった。
紀元前313年、公子職が子之を倒して、斉軍も撤退したので、公子職は即位して昭王となった

90 :
昭王は、一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み、いつか復讐したいと願っていた。

しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。
昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを郭隗に尋ねた。

郭隗は「死んだ馬の骨を買う」の故事を喩えとして話し「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答えた。

91 :
>>85
殷墟からも「木骨泥牆」の民居は見つかっているよ
ソースは楊寶成「殷墟文化硏究」65頁
というか「木骨泥牆」って江南からも見つかってるんだね
東南アジアの伝統住居みたいな網代壁かと思ってた

92 :
>>91
江南でも木骨泥牆は主流の建築じゃ無いが発見されてる大半は江南
抑々商代の木骨泥牆は一般住宅用途じゃ無いし宮殿建築としてわ周代に廃れた

93 :
>>90
この時に斉(と楚)の力を削いだ楽毅って秦のスパイなんだろうか?

94 :
魏出身の一族で中山に仕えて燕に行くってなるとさすがにどこに国、っていう帰属意識すらなさそうだな

95 :
秦だって、趙の李牧に敗れたり、簡単にはいかなかったけどな

やはり、辺境に位置していたのが最終的に有利だった

96 :
韓はワンランク落ちる

もっとも、それは国力の話であり、文化水準は最高だったが

97 :
>>96
現代の韓国に通じるものがある

98 :
全世界の若者が、韓流カルチャーに熱狂している

99 :
<丶`∀´>全世界の若者が、韓流カルチャーに熱狂しているニダ

100 :
韓国と言えばドルコが連想されてしまうw


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