TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
ポル・ポトはなぜ大虐殺を起こしたのか
【九州王】日本国の成立はいつからか?【畿内王】
中南米の土人は恥を知れ。
ゴルバチョフはどうすればソ連を立て直せたのか?
修道会の歴史
ゲルマン人の大移動と彼らが建てた諸王国
スペイン・ポルトガルの歴史
冷静に考えたらソ連って凄くね?
日本に生まれてよかった
【ソクラテス】西洋哲学【プラトン】

イギリスはなぜ、WW2で海外領土を失ったのか


1 :2015/03/28 〜 最終レス :2019/12/30
ベトナムに関していえば、まさにファシスト・ドイツが無条件降伏したという知らせが入った後、ベトナム共産党は、
人民蜂起の準備を活発化し、その勝利がベトナムに自由をもたらしたのです。第二次世界大戦は、
人類の歴史に新しい時代を開いたと言ってよいでしょう。そして、その時代の特徴となったのは、ソ連の影響力の拡大と
アジア・アフリカ諸国民の独立を目指す戦いでした。」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_09_02/86931349/

旧ソ連の核開発
1949年 8.29. セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結させる
1953年 8.12. 水爆実験に成功
イギリスの核開発
1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される
1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加
1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進
1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功
1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html

ソ連邦の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連の核兵器は一人の人間もRことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。
ソ連の戦争は祖国防衛戦争で世界を変えたが、イギリスの戦争はただの植民地戦争で影響力ゼロ。

 あ り が と う ソ 連 邦 !

2 :
イギリスはソ連の三倍もの援助を受け取っておきながら、しかも北アフリカでは
僅か3個師団のドイツ軍を相手にしていたに過ぎないのに、日中戦争も日米戦争も抱えて
四苦八苦してた大日本帝国に惨敗した理由を、ネタでもいいから述べてみてくれ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

3 :
ブリカス(笑)

4 :
WWUでは失ってないね。
インドの独立も1947年だったはずだし

5 :
インディアンとアボリジニを皆殺しにしたのがばれたからってフランス人が言ってたよ

6 :
ソ連圏は大きく拡大したのに、英連邦圏は解体されてしまった。スエズ運河も失われた。
ソ連の祖国防衛戦争とイギリスの植民地戦争の差が出たんだろう。

7 :
強欲非道のイギリスに罰が当たっただけ

8 :
大日本のおかげだな

9 :
ソ連圏の方が短命だった気も・・・

10 :
足算すらできないほど知能が低い民族だから

11 :
他国ばっかり説教して自分は何の保証も謝罪もしないから

12 :
If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7

1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。

If you were asked to vote on the question of the United States entering the war against Germany and Italy,
how would you vote — to go into the war, or to stay out of the war?
Go in.............................. 12%
Stay out............................ 88

けれども米国がドイツイタリアと戦争すべきかというと、戦争は避けるべきというのが多数意見。

http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html

13 :
日本軍部は断じて狂信的に降参を拒否したのではなく、大陸打通作戦の大勝利を念頭に置いていたということだ。
太平洋戦争だけをみればいつ降参してもおかしくないくらいの惨敗続きだったが、大陸打通作戦の大勝利でカバーされたのだ。

終戦の報を聞いた支那派遣軍総司令官岡村寧次の言葉をここに記す。

>1945年になっても中国には支那派遣軍を弱体化させる事は出来ず、1945年のポツダム宣言受諾の際に
>支那派遣軍総司令官の岡村寧次は「百万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍に無条件降伏するがごときは、
>いかなる場合にも、絶対に承服しえざるところなり」と無条件降伏に反対した。
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%89%93%E9%80%9A%E4%BD%9C%E6%88%A6

パンター戦車の相手は強力なソ連赤軍、97式中戦車チハの相手は弱小な中国軍。従って前者は連戦連敗ベルリン陥落、
後者は連戦連勝大陸打通3000キロ。ソ連の祖国防衛戦争はホンモノ、中国の抗日戦争はニセモノ。

このすがすがしい大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を、いつまでもいつまでも語り継いでいこう!
このすがすがしい大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を、いつまでもいつまでも語り継いでいこう!
このすがすがしい大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を、いつまでもいつまでも語り継いでいこう!
このすがすがしい大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を、いつまでもいつまでも語り継いでいこう!

14 :
ソ連信者はどこでも暴れててキモイなww

15 :
>>13
ただの二正面作戦じゃん

16 :
しかし英国とドイツ及びフランスで、英国の世論調査機関ICM Researchが
「スプートニ ク・オピニオン」プロジェクトの枠内で実施した調査によれば、
これら3か国の人々は、第二次世界大戦に関し正しい知識を有しているとは、到底言い難い。
調査国によっては、19 から24%の人々が、第二次世界大戦中の欧州解放において
鍵を握る役割を果たしたのは誰か という設問に答えられなかった。
例えばアンケート参加者のうちわずか 13%が、欧州の解放で重要な役割を果た
したのはソ連赤軍だと正しく答える事が 出来たにすぎない。ただドイツでは17% がそう答え、
他の国々よりは比較的高い 数字が出た。一方フランスでは、わずか 8%、英国では13%だった。
なお欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人の数は非常に多く、
フランスでは61%、ドイツでは 52%に達した。英国では、この数は16% と低いが、
その代り46%が、英国軍の役割を一番に評価している。

世論調査結果 第2次世界大戦参戦国の国民 戦争におけるソ連の役割を知らず
http://jp.sputniknews.com/life/20150428/257120.html

17 :
赤軍がナチスドイツ軍を撃破した立役者なのは間違いないが、
赤軍の勝利が欧州の解放かどうかは別問題

18 :
 ゴルバチョフはペレストロイカの一環として、事実上の農地私有を認めようとしているが、
いくら個人所有になったからといって、農業技術の伝承は途絶えたうえに、気骨のある農民は
家族ぐるみ根だやしにされてしまっている。一部の商品作物の増産は可能かも知れないが、
肝腎の穀物増産は望み薄だろう。
 このようなスターリンの罪業が明らかになるたびに繰返される論法がある。いわく、
五ヵ年計画の輝かしい成功のためには多少の犠牲はやむをえなかった。いわく、スターリン時代の
重工業発展がなかったなら、ナチスの侵略によってさらに大きな犠牲が生まれただろう、云々。
 ブレジンスキーはこうした弁護に決定的な反証をつきつける。
 第一に、五ヵ年計画の成功は凡庸なものでしかなかったということ。20世紀初頭には同じような
レベルにあった日本やイタリアの方がはるかに少ない犠牲ではるかに高い経済成長を行なっているし、
決定的なことは、「一八九〇年から一九一四年にかけての帝政ロシア時代の方が、あれだけ大きな
犠牲をともなったスターリン時代よりも、高い経済成長を維持していた」。
 第二に、ドイツに経済復興と再軍備の余裕をあたえたのは、他ならぬスターリンだったということ。
ドイツの軍事技術の温存に重要な役割を果たしたラッパロ条約にはじまる両者の親密な関係は、
ポーランド分割を決めた独ソ不可侵条約の締結にまで発展する。ヒトラーはレーニンやスターリン
から多くの手法を学んでいるが、ソ連を事実上の協力者ともしていたのである。
http://www.horagai.com/www/book/rev/rev037.htm

19 :
http://img.2ch.sc/ico/anime_morara05.gif
ロシアのバイク集団、ポーランド入国拒否 ベルリンでパレード計画

【ベルリン=宮本隆彦】ロシアの国粋主義的なオートバイ愛好者集団が、旧ソ連がナチス・ドイツに勝利して
七十年の五月九日に向け、陸路でベルリンを目指すパレード走行を計画し、国際的な摩擦を起こしている。
背景にあるのはウクライナ危機をめぐるロシアとの対立。「夜のオオカミたち」を名乗るこのグループは
ロシアから西隣のベラルーシを抜け、ポーランド国境で入国を拒否された。

ポーランドは、グループの行動をプーチン氏に操られた「挑発行為」とみなし、
四月二十七日にベラルーシとの国境に着いた十人の入国を拒否。ドイツ外務省も
「入国後に法令を順守しない恐れがある」(報道官)として、入国を認めない方針を明らかにした

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015050202000124.html

20 :
植民地は失ったが、英連邦と言う緩い括りは維持した

それすら形骸化してきてはいるが

21 :
領海、領空はどうなん?

22 :
 ドイツは3つの戦線で戦い、いっぽうソ連はドイツとだけ戦っていた。連合軍が北アフリカ
と地中海に進出したことにより、ドイツ国防軍最高司令部は、もっとも精強な師団をスター
リングラードの戦いから引き抜かざるをえなかった。そもそもドイツが全方面で強力な軍事力
を発揮するのは無理だったのだ。北アフリカに上陸した英米連合軍は、スターリングラード
の戦いにも影響を及ぼした。また、シチリア上陸も、クルスクの戦い(戦車戦)に影響を与えた。
 ソ連のつくった初期のT−34戦車は、欠陥の塊で、戦場では全く信頼できなかった。
T−34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。
<第二次世界大戦・影の主役 著者ポール・ケネディ 出版  日本経済新聞出版社>
http://www.fben.jp/bookcolumn/2014/01/post_3864.html


これって、突っ込みどころ満載なんだけどwww

The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html

▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

23 :
 ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。
社会学者たちの調査によって明らかになった。 
 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、
それに反対の見解をとっている。
 1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって予期しない
ものだったとの考えを表している。
 ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論研究センター
はこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
 調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。続いて日本人、
英国人、ドイツ人、フィンランド人となっている。最も好感度が低かったのは、ポーランド人と米国人だった。
 全体的には、52−60パーセントのロシア人が、第二次世界大戦参戦国の国民に対して無関心であることが分かった。
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/

24 :
敵だったとしてもヘタリアに高感度が高いのは分かるが、
中国なんか反日全開なのに、ロシアはドイツに反感がそれほどないという違いの謎。

25 :
>>24
>中国なんか反日全開なのに、ロシアはドイツに反感がそれほどないという違いの謎

ナチスドイツとその愉快な仲間たちを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ

26 :
>T−34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。
少なくとも1941年のトゥーラ戦線での撃退成功はT34にかなり負っているだろ。

27 :
英国 性産業に従事する大学生が多いのがなぜか?
http://news.infoseek.co.jp/article/xinhuaxia_69284/

女子大学生の3.5%が性産業に従事し、大学生の20%は性の仕事により、臨時収入を得たいと考えている。大学生の50%はこのやり方に賛成している。
娯楽施設でヌードショーを踊る女性の20%は大学生である。

英国では、身体引き換えに金銭を得て学費を支払う大学生は多い

28 :
第二次世界大戦の歴史を歪曲しているのは、日本ではなくて欧米のほうだ!

歴史的な記憶の部分的な欠落は、現代の若者が歴史に興味を持たない事、そして社会自体が若干の事実や
出来事にしかるべき注意を向けないことから生じている。ここで必要なのは、歴史的真実を尊重する事だ。
いかなる事実の歪曲も許してはならない。歴史の書き換えもダメだ。なぜなら偉大な多くの歴史的文書
が存在しており、それらが、歴史において最も恐ろしい戦争から前向きに抜け出す中で、ソ連が鍵を握る
役割を果たした事を証明しているからだ。
欧州人のほぼ60%が、ナチズムに対する軍事的勝利において決定的な役割を果たしたのは、米国と英国だと
見做している事は、恥ずかしい。これは先頃、英国とフランス、ドイツで、英国の世論調査機関ICM Research
が実施した調査による数字である。
http://jp.sputniknews.com/opinion/20150503/287417.html

この動画を見れば、ヨーロッパの戦いで決定的な役割を果たしたのはソ連であることはすぐにわかる。
欧米人ご自慢のDデイ(1944年6月6日)以前に、赤軍が何をどれだけ達成したのかを知るべきだ。
なお戦略爆撃がレンドリースがというのなら、同時期の日本軍の大陸打通作戦にも目を向けてもらいたい。
ソ連邦大祖国戦争と中国抗日戦争では、何がどう違うのかを比べてみるがいい。

「第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線の変化が視覚的に理解できる動画」海外の反応
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6852050.html

29 :
29保守

30 :
 将兵と兵器を上陸地点まで運ぶため、特殊艦も数多く開発された。もっとも成功したのが戦車揚陸艦
(LST)であり、これは多くの点で第二次大戦でももっとも重要な舟艇となった。ウィンストン・チャーチルは後に、
連合軍のヨーロッパ大侵攻を計画した際に生じた問題について述べている。
「この困難な(戦略上の)問題は、すべてLSTの極度の不足というただ一点から発生している。
英米のニ大国の計画が一〇〇か二〇〇の特殊な船によってほとんど骨抜きにされ、制限を受けるなど、
歴史にその例を見ないであろう」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳

問題は、再びどのようにして十分な上陸用舟艇を確保するかであった。英米とも、「オ
ーバーロード」作戦と「アンヴィル」作戦(フランス南部への上陸作戦)を 1944 年中
頃に実施したいと考えていた。一方、チャーチルは、むしろ引き続きバルカン諸国や地
中海東部におけるドイツの弱体化を狙っており、連合国側について参戦するようトルコ
を説得した。それらのすべての作戦には上陸用舟艇が必要であった。ローズベルトは、
チャーチルが提案した地中海東部での作戦ではなく、「バッキャナー」作戦に上陸用舟艇
を使用することを希望した。しかし、チャーチルは、「アンヴィル」作戦にも上陸用舟艇
が必要なことをローズベルトに念押しして、オーバーロード/アンヴィルの両作戦を実
施する直前まで、地中海東部に上陸用舟艇を維持しておくのが理にかなった方法である
と主張した60。ここでもまた、欧州最優先の戦略によって、対日戦のための資源が他に
回されたのである。1943 年 12 月カイロにおいて開かれた英米首脳会談において、
チャーチルはローズベルトを説得して「 バッキャナー」作戦を中止させた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_4.pdf

31 :
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の
代表者達 だったが、そればかりではない。それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さ
なくてはならな い。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという事実でさえも、
そうした気 持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。 」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

    あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !

32 :
日本に経済制裁しなけりゃよかっただけ。

33 :
しかしこいつらシレっと正義側にいるのがなんだかなぁ・・・
日本とドイツという悪役がいなかったらどうなってたんだろ

34 :
WW2そのものがソ連の謀略で宣伝戦の勝利
イデオロギーの戦争だから

35 :
社会的成功者にもサイコパスが多いように、独善的で冷酷・無慈悲な国民性の国のほうが成功しやすいんだろう。

36 :
国に人格なんてない
色んな勢力がそれぞれ力を持って功利的に行動する国が勝つ
それらが足の引っ張り合いさえしなければ

37 :
やはり、イギリス人はクソだな

38 :
表3−3 イギリス戦闘機兵団の戦力(7月9日/9月7日)
戦闘機群           機種別中隊数
     スピットファイア ハリケーン ブレニム デファイアント グラディエーター  計
第10群  2(4)   2(4)    (1)            (1)     4(10)
第11群  6(7)   13(14)   3(2)                 22(23)
第12群  5(6)   6(6)    2(2)    1(1)           14(15)
第13群  6(3)   6(8)    1(1)    1(1)           14(13)
 計   19(20)  27(32)   6(6)     2(2)      (1)     54(61)
(注) カッコ内の数字は9月7日の中隊数
(出典) Basil Collier.The Defence of United Kingdom,HMSO.1979
<前略>
 航空機生産省は、当面、ハリケーンとスピットファイアを優先して生産した。
生産量の六五%がハリケーン、三五%がスピットファイアであった。ちなみに、
全戦闘機のうちハリケーンは五五%を占め、スピットファイアは三一%であった。
(ただし、一九四〇年五月初めから一〇月末までの撃墜された戦闘機のほぼ四〇%
をスピットファイアが占め、ハリケーンが三三%ほどであったから、スピットファイア
のほうが撃墜されやすかったということになろう)。
<日本経済新聞社「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」107−108頁 >

Fighter Command Serviceable Aircraft as at 0900 hours,
13th September 1940
Blenheim - 51
Spitfire - 208
Hurricane - 393
Defiant - 18
Gladiator - 8
Total - 678
http://www.raf.mod.uk/history/campaign_diaries.cfm?diarymonth=9&diaryyear=1940&diaryday=13

39 :
 カーティン首相が英米の 「ドイツ第一主義」戦略を明確に批判したため、チャーチル英首
相は激怒した。しかし、 チャーチルは 1914 年にまったく同じ点に言及していたのである。
「英国軍が海上で粉砕された場合、太平洋地域に住む白人 500 万人に残された道は、米国
に保護を求めることである 6。」ローズベルト米大統領も不満であった。しかし、カーティン
にすればオーストラリアは自らの生存に意を配る必要があり、そのために米国に依存せざる
を得ないのであればそれは仕方のないことであった。真珠湾攻撃後、アジア・太平洋地域
の状況が急速に悪化する中、カーティンは 1942 年初めにチャーチルに宛てて、「シンガポー
ルからの撤退は許しがたい裏切り行為と見なす」 と書き送った。裏切り行為に対する非難は、
その後数十年にわたり繰り返された。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2012/06.pdf

>カーティンは 1942 年初めにチャーチルに宛てて、「シンガポー
>ルからの撤退は許しがたい裏切り行為と見なす」 と書き送った。

ドイツ打倒が優先だからといって、対日戦はどうでもいいということにはならない。
中国はもちろんだが、イギリスとオーストラリアの関係も考慮されるべきなのだ。

海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

ヨーロッパの戦いと比べてみると、1944年以降のドイツと日本の違いが大きいことがわかる。
ドイツはどこの戦線でも敗れたが、日本は大陸打通作戦で連戦連勝している。

40 :
>シンガポールからの撤退は許しがたい裏切り行為と見なす
シンガポールイギリス軍司令官
「白人の為にインド人にシンガポールで日本人相手に戦えというのは無理な要求だ」

41 :
お金がなかったんだろうなあ
高給で精鋭を雇えば強かったろう
グルカ兵ってそんな感じじゃないのか

42 :
>>41
シンガポールの時の失敗をもとに、
インパールではイギリス軍はグルカ兵を雇って白兵戦でも
日本人を圧倒したのだね。

43 :
グルカ兵が強い、というが正面の対独戦で何故イギリスはグルカ兵を使わず、
忠誠心に疑問のあるインド兵を使ったんだ?勿論降伏して自由インド軍になってる。

44 :
グルカ兵なんて主力にできるほど数が居ない

45 :
うんこ

46 :
おしっこ

47 :
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 人に上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」39。
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた40。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf

ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6

48 :
>>38
統計詐欺

49 :
インド+パキスタン+バングラディッシュのクソ人口を
ちっこいブリテン島が支配できることのほうがおかしいんだよ

50 :
興味がある話題なので今初めてこのスレに来たのだが、なんだよ、


  だ  つ  お  が  立  て  た  ス  レ  

じゃねえか!

レスもほとんど  だつお  だし、読む気が無いので読んでないけど、
騙されてきた自分に腹が立ったので記念カキコw

51 :
よくソ連軍が「人海戦術」と揶揄されるが、人海戦術なら中国のほうが人口が多い分、ずっと有利なはずだ。
けれどもバグラチオン作戦でソ連軍がドイツ軍を蹴散らしてる間、中国軍は日本軍に蹴散らされてた。
97式中戦車チハは無敵のチンピラゴロツキ殺戮マシーンで、その主砲は57mmチンピラゴロツキバスター砲だった。
さらに四式戦闘機疾風は、米軍機の航空支援を無効化してしまった。まさにそれはチンピラゴロツキ殺戮支援機だった。
それはまさに地獄の亡者が次々涌いてきては鬼に虐殺される光景だった。火力も空軍力も通信機も乏しい日本軍、
でもその日本軍にさえ歯が立たなかった中国のチンピラゴロツキどもwww

朝鮮戦争で中国チンピラゴロツキも撃破できなかった米軍が
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1390281875/

日中戦争のチンピラゴロツキが、共産主義革命で何か別の生き物に生まれ変わったのか。ソ連の支援があったというが、
日中戦争のときだって中国は米国の支援を受けていたはずだ。更に言えば日中戦争のときはいくら「ドイツ打倒優先」とはいえ、
米国は日本と交戦していたのに対し、朝鮮戦争のソ連はほんの少数の義勇軍を送った他、米国とは交戦していない。
抗日戦争を支援してくれたはずの米国に牙を向くとは、これまた中国人は恩知らずのチンピラゴロツキと言わざるを得ない。

52 :
バカはよくバングラデシュを「バングラディッシュ」という

53 :
ディスクトップとか

54 :
「1532」

戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。

南雲忠一(まぐもちゅういち)、栗田健男(くりたたけお)(聯合艦隊司令長官)ども!!!許さん。
それから、航空隊の司令官の、源田実(げんだみのる。戦後もずっと自衛隊代表で、参議院議員をやっていた)。
お前たちも、心底、怪しいのだ。始めからアメリカとつながっていた、スパイ軍人どもだ。

ミッドウエー海戦という決定的な敗北を喫した。山本は、ずっと呉(広島)の戦艦大和の艦橋に居て、無線で指令を出していた。
無線封止(むせんふうし)さえしていなかった。これらはすべて露見している。
ミットウエー海戦で敗退したあとも、山本を連合艦隊長官から罷免せず、単に海軍内の庇(かば)い合いだけをした。

本当は、ミッドウエーには、戦艦大和 が先導して、空母艦隊を守りながら、戦闘(海戦)をするべきだったのだ。
この時の、「飛龍」艦長、山口多聞少将(第2航空戦隊司令官)の戦い方と死に方こそは、帝国海軍の軍人の鑑(かがみ)である。
「私たち海軍は、平和主義だった」などと、よくも、アメリカの奴隷になった軍人どもは、言えるものだ。

55 :
19世紀にイギリス国内で小イギリス主義が既にあった。
戦争のおかげで勢いを増すことができた。

56 :
イギリスの最大領土が最盛期をはるかに過ぎた1929年だもんな。
そんなに植民地持ってても、もう赤字赤字、時代に合わない。
そこにドイツ相手に勝つためにアメリカに大借金をしたから
財政赤字で植民地を維持できなくなった。

57 :
やはり、イギリス人はクソだな

58 :
>>1
単純に、世界の制海権が大英帝国からアメリカ合衆国に移動したから。
植民地の維持は制海権の保持が大前提。それを失えば植民地も失うのが道理。

そもそも、そのアメリカ合衆国の誕生も、
18世紀末に、イギリスの制海権が一時的にフランス海軍によって脅かされた
ことが原因で発生したイベント。

59 :
 一九四四年二月の終わり頃、ふたりはウルム近郊のヘルリンゲンにあるロンメルの自宅で会い、
胸襟を開いて話し合った。
 東部戦線の陸軍高級将校のある者ったいが、ヒトラーを捕虜にしてラジオで引退を発表させるのはどうかと提案した、
と彼に話した〔市長はのちにそう語った〕。ロンメルはこの考えに賛成した。
 わたしはさらにつづけて、彼はドイツでもっとも偉大で人気のある将軍であり、国外でも彼ほど尊敬されている
ひとはいないと言った。「ドイツで内戦を防ぎうるのはあなたしかいない。あなたの名を、ぜひ運動にお貸しください」。
 ロンメルはためらっていたが、結局は肚を決めた。
「ドイツを救出するのがわたしの義務だと信じます」彼はシュトレーリンに言った。
<第三帝国の興亡5 ウィリアム・L・シャイラー 198頁>

 ああした来歴をもつ反共主義については事情はまったく違っていた。ゴーロ・マンは一九四五年五月のヒトラー・ドイツ
の降伏から四十周年にあたる一九八五年二月の「ツァイト」紙に寄せた文の中で、反共主義の狂気の投影がどれほど
深く戦後に入りこんでいるかについて次のように確認している。
「私に言い寄ろうとする、おそらくたいていは元ナチス党員だった人びとから、私はよく次のような問いを受けた。
<なぜ西側連合国は、ヒトラーの敗北がすでに確定していた一九四四年の晩冬に、“同盟の逆転”を実行し、
ヒトラーとその一味抜きのドイツ人と結んでロシア人と対決しなかったんですか>と。純粋に技術的に
はそのようなことは困難だったろうが、可能ではあった。というのはアメリカはかつてないほど無傷のままであり、
豊かであったし、ロシアは恐ろしいほど荒廃し疲弊しきっていたからだ。そのようなことを考えるのさえ不可能
だった原因は、心理的なもの、道徳的なものにあった。」
<「第二の罪」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P230、231>

60 :
ゾルゲ工作がうまくいって、

(>_<)日本軍を太平洋の消耗戦に誘いこんだからでそwww

61 :
1940年6月、米英に人気の高かった、イタロ・バルボが不慮の死を遂げ、

1942年6月、山本五十六がミッドウェー作戦を強行して惨敗

1942年7月、エルヴィン・ロンメルがマルタ攻略作戦をキャンセルさせた(>_<)

62 :
大英帝国東南アジア方面軍はマレー方面進攻「ジッパー」作戦を企図し、
プーケット島攻略「ロジャー」作戦を、7月下旬に発動し、
7月24日、海域の機雷掃海を開始するも、掃海艇「スクァレル」が触雷沈没。
7月25日、約600名が上陸するも、日本軍守備隊に苦戦を強いられ、
7月26日、南方軍が派遣した陸軍特攻「七生昭道隊」の九七式戦闘機3機が艦隊を攻撃。
掃海艇「ヴェスタル」沈没、重巡「サセックス」及び護衛空母「アミール」が損傷して撃退された。

63 :
結局英連邦軍は、ビルマ国内の日本軍さえ放逐できずに終戦の時を迎え、
捕囚となった日本軍人に対して残虐な報復をもって憂さ晴らしをしたのである。

64 :
大日本帝国の植民地解放運動のおかげだろ

65 :
白い支配者を黄色い侵略者が追い払った

66 :
>>62「防衛庁資料」より
タイ国各地ではビルマまで勝利を収めた英印軍の進行を阻止するために各地で戦闘が行われていた。
タイ南部プーケット沖では、1945年7月25日英国巡邏艦隊が現れ、プーケット島を砲爆撃し、上陸作戦を開始。
しかし、日本軍守備隊が上陸を阻み、撤退させた。
翌7月26日、第3航空軍独立107教育飛行団第3教育飛行隊隷下の97式戦闘機特攻隊七生昭道隊が
本戦争で最後となる陸軍特攻を敢行し、2機命中轟沈1隻、撃破1隻の戦果を挙げた。
艦隊は同日中に撤退、特攻隊員3名に対して特別昇進が発令された。

昭和20年7月、第三教育飛行隊に七生昭道隊(99式軍偵)がマレー/タイピンにて編成される。
7月25日、七生昭道隊は特攻出撃命令を受け、タイピン飛行場よりアロルスター飛行場へ前進。
翌26日7時第一次攻撃隊の南部少尉以下3機、戦果確認機軽部中尉の計5機がマレー半島プーケット沖の英機動部隊攻撃に発進するが悪天候のため目標を発見できず引き返す。
第二編隊徳永曹長、同2番機大村伍長が英機動部隊を補足し、高度1,500mより突入を敢行、徳永機は突入角度が浅く離脱し、艦隊位置を報告し再出撃を期して帰還した。
一方の大村伍長は10時30分、被弾発火しつつも英空母艦尾近くの海面に自爆した。16時、第二次攻撃隊5機がアロルスター飛行場を薄暮攻撃のため出撃、悪天候により再び編隊は分離するも第二編隊長徳永曹長は積乱雲下に英機動部隊を発見し、雲を利用してこれに接近。
19時50分大型艦に突入命中、敵艦は艦首を起こし右側に傾斜して停止した。
ついで2番機山本曹長は他の大型艦の右舷に突入し、敵艦は大火柱をたてて轟沈した。

戦死 徳永勇夫曹長、山本玄治曹長(少飛7)、大村俊郎伍長(少飛15)
戦果 英海軍機雷掃海艦「ヴェステル」に1機命中火災後処分、戦死15名
(英護衛空母は損傷が軽微だったためか被害に計上されていない)

67 :
>>62
これってもしかしたら日本軍最後の戦勝ではないですか?
ウィキペディアにも記事がありませんね。
ネットで検索しても見つかりません。

68 :
『戦史叢書 インパール作戦』p664-665

 これより先、日本軍第15軍主力によるインパール作戦が開始され、
コヒマは包囲され、インパールへの道は遮断された。日本軍が一気に
ディマプールへ突進して来れば、ディマプールを経由するスチルウェ
ル軍唯一の連絡線は危殆に瀕することになる。
 スチルウェル中将は敏感にこの危険を感じとり、ディマプール防衛
のために38師を反転させてその使用に供するであろうと強く申し入
れた。当時第38師はフーコン谷地をサズップ付近まで南下していた
ので、もしスリム中将がその申し出を容れていたら、フーコン作戦は
停頓していたであろう。
 スリム中将はこれを断り、現に雲南から逐次到着しつつある新来の
中国師団を併せ指揮して、できるだけ激しくミイトキーナに進撃する
よう要求した。
 スチルウェル中将は、スリム中将に対してその背後連絡線確保に関
する保障を求め、スリム中将は最悪の事態においても、10日以上連
絡線が遮断されることはないであろうと言明した。

69 :
>>67
「七生昭道隊」で検索してください(^o^)丿[●]

70 :
>>69
http://togetter.com/li/176217

ありがとうございます、見つかりました。
この記録を見る限り、地上戦は起こらなかったようですね。

他の記録も見てみたいところですが、ネット上では限界があるようです・・・

71 :
>>63
さすがにビルマでの日本軍の悲惨な負けを擁護するのは無理がある。
最後のシッタン作戦とか、やばすぎるぞ
イギリス軍の戦死95に対し、日本軍13000という

太平洋戦争のどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない
イギリス恐るべし

イギリスが植民地を失ったのは
ナチス相手に力を使い果たして、借金がひどくなり赤字植民地を維持できなくなったから

72 :
>>71
>イギリスが植民地を失ったのは
>ナチス相手に力を使い果たして、借金がひどくなり赤字植民地を維持できなくなったから

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html

73 :
>>71
>太平洋戦争のどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない
>イギリス恐るべし

英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、
ソ連の参戦であったと指摘したことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、
欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」の著者である英国の歴史家
ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、
スターリンは4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/

Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater

74 :
>>71
>イギリスが植民地を失ったのは
>ナチス相手に力を使い果たして、借金がひどくなり赤字植民地を維持できなくなったから

 ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。
社会学者たちの調査によって明らかになった。 
 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、
それに反対の見解をとっている。
 1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって予期しない
ものだったとの考えを表している。
 ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論研究センター
はこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
 調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。続いて日本人、
英国人、ドイツ人、フィンランド人となっている。最も好感度が低かったのは、ポーランド人と米国人だった。
 全体的には、52−60パーセントのロシア人が、第二次世界大戦参戦国の国民に対して無関心であることが分かった。
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/

75 :
>>73
そんなの幼稚園児でもわかる社交辞令だしw

そんなの真に受けるおめでたい馬鹿にしちゃっていいの?ロシア人をさw

4日でとかwクソ笑った。
それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ
その間日ソ中立で胡坐かいておいてマジでよく言えたもんだわアホらしい。

真珠湾まで巻き戻して最初からヨーイドーンでやりゃ
同じくらいかかるわボンクラw
マジで4日で終わらせられたら誰も苦労せんわ、本気で思ってんのかよw

76 :
>>75
>4日でとかwクソ笑った。
>それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
>しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ

でも「米軍にとって太平洋戦争は片手間」ってのが、あんたの頑迷な信念なわけだろ?

77 :
>>22
>ソ連のつくった初期のT−34戦車は、欠陥の塊で、戦場では全く信頼できなかった。

佐藤:ところが、日本はそれをきかずに、やはり約束は守らなくてはいけないということで、日ソ中立条約を守ったわけですよ。
あのときもし日本が攻め入っていれば、モスクワも落ちていたし、スターリングラードもレニングラードも落ちていたでしょう。
ソ連は大変な窮地に陥っていた。それを、日本は約束を守ることによって助けてやったわけですよね。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37421

―戦争当時、スターリンについてはどのように思われていましたか?
 スターリンをどう思っていたかって?私はだね、こういう風に考えている。もしもスターリンがいなかったら、
あの戦争もなかったはずだ。戦争があったとしても、一瞬にして終わっただろうな。こちら側からは日本軍
がウラルを狙って攻めてきて、あちらからもドイツ軍が、やっぱりウラルを目指してくる。どちらの側にも
兵器がたくさん。あそこには100万の軍隊がいたんだからね[日本の関東軍のことか?]。だが実際には、
戦争はあっちの方からは始まらなかった。敵はスターリングラードで転んでそれっきり、すっかり大人しくなってしまった。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda79.6.html

78 :
>>22
>T−34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。

 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
 ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁  文・古是三春>

79 :
だつおスレ違いにも程がある

80 :
>>71
> イギリス軍の戦死95に対し、日本軍13000という

それいうなら、ソ連潜水艦はファシスト33000万を海没させる大戦果を挙げているぞ。

ヴィルヘルム・グストロフが投入された避難民輸送では、2月10日に客船シュトイベンがまたもS-13に撃沈され、
4月16日に客船ゴヤもそれぞれソ連潜水艦の雷撃を受けて沈没し、難民などに大勢の犠牲者(シュトイベンでは4,500名、
ゴヤでは6,666名)を出している。1945年4月はじめまでに、ドイツ海軍は東プロイセンからドイツ西部への250万人
の軍民を避難させることに成功したが、その過程で33,000人の難民や軍人が亡くなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95_(%E5%AE%A2%E8%88%B9)

>太平洋戦争のどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない
イギリス恐るべし

ヨーロッパのどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない
ソ連海軍恐るべし

81 :
>>80
支離滅裂で、意味不明だが?

82 :
どのみち「南京大虐殺」で旧日本軍悪玉史観が確定してるんだから、そういうことなら更に大勢の中国人を殺戮して、
皇軍の武勇伝を内外へ向けて示したほうがカッコいいしお国自慢なるし進歩的でリベラルに決まってる。

そもそも日本は大陸打通作戦をやらずに無条件降伏してたら、「南京大虐殺」は冤罪になったのか?

そんなことはないだろう。一人殺しても十人殺しても、「殺人犯」であることには変わらないはずだ。
だったら大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍で、97式中戦車は「走るアウシュビッツ」ってことで、
中国人という地獄の亡者が次々湧いてきては日本軍という鬼に虐殺されるのが一番良いに決まってる。

また米英流の反ナチ闘争史観からすれば、極東戦は欧州戦よりも優先順位が低いのだとのことだから、
極東戦で最大規模だった日中戦争はゴミ戦線ということで、中国人はゴミだからいくら虐殺しても良いとなる。

違うか?

文句があるなら米英は「オーバーロード作戦」を中止にして、日本軍に虐殺される中国人を救済するために、
中国大陸へ向けて大兵力を投入すれば良かったはずだ。

おい、なんとか言えよ、おい!

83 :
リベラルねぇ
そろそろ誤用を止めるべき言葉だよな

84 :
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52115468.html

インドでヒトラー支持のムーブメントが広がる。


韓国は、アメリカが日本に原爆を落としてくれたから、
独立できたと感謝するが、

インドは、ドイツがイギリスを攻撃してくれたから、
独立できたと感謝している。

85 :
>>82
クソワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
この調子でどんどん啓蒙活動してこうぜwwwwwwwwwwwwwww

86 :
1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。

If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

Day 107 ? 24th October 1940
FIGHTER COMMAND SERVICEABLE AIRCRAFT AS AT 0900 HOURS:
Blenheim   38   Spitfire   229  Hurricane  420  Defiant   12 Gladiator   8
Total   707
http://battleofbritainblog.com/page/2/

表3−3 イギリス戦闘機兵団の戦力(7月9日/9月7日)
戦闘機群           機種別中隊数
     スピットファイア ハリケーン ブレニム デファイアント グラディエーター  計
第10群  2(4)   2(4)    (1)            (1)     4(10)
第11群  6(7)   13(14)   3(2)                 22(23)
第12群  5(6)   6(6)    2(2)    1(1)           14(15)
第13群  6(3)   6(8)    1(1)    1(1)           14(13)
 計   19(20)  27(32)   6(6)     2(2)      (1)     54(61)
(注) カッコ内の数字は9月7日の中隊数
(出典) Basil Collier.The Defence of United Kingdom,HMSO.1979
<前略>
 航空機生産省は、当面、ハリケーンとスピットファイアを優先して生産した。生産量の六五%がハリケーン、
三五%がスピットファイアであった。ちなみに、全戦闘機のうちハリケーンは五五%を占め、スピットファイアは三一%であった。
(ただし、一九四〇年五月初めから一〇月末までの撃墜された戦闘機のほぼ四〇%をスピットファイアが占め、ハリケーンが
三三%ほどであったから、スピットファイアのほうが撃墜されやすかったということになろう)。
<日本経済新聞社「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」107−108頁 >

87 :
 イギリス軍の数字にも、驚くほど対照的なものがある。対日戦争における、
イギリス軍およびイギリス連邦諸国軍の損害は227,313人であったので、
ビルマにおける損害はこの3分の1になる。しかし極東における損害総数は
戦死者の数を増大させていることにはならない。この数字は公刊戦史の最終
巻の中で、「行方不明および捕虜となった者」とされている127,800人によって
さらに大きなものとなっている。もしイギリス本土の将兵に関する数字のみ
について見るときは、ビルマで戦死した本土の将兵の数は5,000人以下、
つまり、ビルマにおける戦死者総数の3分の1前後であり、インド軍の
戦死者数の3分の2に過ぎないことがわかる。イギリス本土においては、
この12倍の数の人々(60,595人)が空襲によって死んでおり、商船の乗組員
の戦死者もこの6倍(30,248人)に達しているのである。
<ビルマ 遠い戦場〈下〉―ビルマで戦った日本と英国1941‐45年 (ルイ・アレン)>

88 :
>>87
シンガポールでもおそらく同じくらいの比率だろう。
そもそもインド人兵士で300万以上いるのだから・・・

89 :
>>82
>極東戦で最大規模だった日中戦争はゴミ戦線ということで

記者は習氏がキッシンジャー氏について、「キッシンジャー博士は常に新たな角度で物事を見ている。その観察眼は素晴らしい。
彼は我々に新たな視点でのものの見方を教えてくれている素晴らしい人物だ」などと称賛したことを紹介しつつ、習氏についての同氏の見方を尋ねた。
「習主席は中国の10億以上の国民のために奮闘している。中国経済は現在最も発展しており、習主席の指導者としての手腕は高く評価され、
今後、中国史上でも最も偉大な指導者の1人として記憶されるであろう」と指摘している。
さらに、キッシンジャー氏はインタビュー後、記者の手をとり、
「私は中国の人と話をするのが好きだ。中国の独立自主外交政策も素晴らしい」と笑顔を浮かべて話したという。

NEWS ポストセブン 10月19日(月)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151019-00000001-pseven-cn

90 :
ブリカス土人(笑)

91 :
>>1
第二次世界大戦後、英国やフランス本土はナチス第三帝国ことアドルフ・ヒトラーとの全面戦争で経済基盤はズタボロになった
それにより世界中にある植民地で「脱植民地化運動」が始まり、その動きは香港・マカオの中国返還にて終焉した。だが宗主国はどうしたかといえば・・・

「もういい。しゃあないから、国家主権だってくれてやる。独立だって認めてやる。
だがしかし植民地時代に獲得した各種権利(鉱業権・空港の発着枠等)は既得権益として旧宗主国の企業が支配権を極力固持する」

これが20世紀後半の英国やフランスの生き残り策です。
だからこそ英国やフランスは脱植民地化のダメージを必要最低限に留めることで世界の大国の一角に残ることができたんです。


だが、それができずにいつまでも植民地支配にこだわり続けたポルトガル、オランダにベルギーはといえば植民地地域で発生した独立戦争で国力を急激に消耗させて、
最終的に主権を放棄することを強いられました。最期には本国で革命をおこされたポルトガルに至っては自分の国も満足に治められないのに他国なんて治められるわけがない。
だから植民地はブラジル、アンゴラ以外マトモな国がほとんどない。 結果としてかつて植民地貿易で栄えたポルトガルは、今や韓国よりも貧乏な欧州最貧国になってしまいました

92 :
そもそも欧米の植民地が次々独立したのは支配していた国が第一次世界大戦・世界恐慌・第二次世界大戦により疲弊し、
自分の国だけで精いっぱいになってしまい、植民地なんかに構っていられなくなったためです。

欧米では植民地を維持するほうがはるかにコストがかかる事を知ったため、
植民地を積極的に独立国にさせて、 直接植民地を支配するのではなく、
「既得権益者」として間接的に旧植民地地域を支配するほうに切り替えたのです。

宗主国はもはや植民地に対して義務を負うという負担を持たなくなったが、引き続き安価な製品や労働力を旧植民地から獲得することができた。
また宗主国の利権を得るために経済的、政治的、軍事的圧力をかけることも依然可能だった。植民地は独立しても経済基盤がないので、輸入に頼るしかありません。
その時に、必要なものを正確に把握し、輸出入のネットワークを持っているのは宗主国ですから、独立後も経済依存するわけです。
植民地側でも宗主国の技術や資本無しではミャンマーやジンバフェにソマリアみたいに経済が回らないことは知っていましたから、なんだかんだと繋がりを保っていました
つまり、植民地を早期に独立さてておいて、宗主国の企業が「既得権益者」になるほうが、独立をさせないよりも宗主国にとって利益になるのです。

現在でも英国とフランスが世界経済にそこそこの影響力を持っているのはそのためです。

現在、デンマークがグリーンランドを独立させようとしていますが、グリーンランドでは、その動きを警戒しています。
またアメリカの植民地であるプエルトリコでは、アメリカが独立させようとしていますが、独立反対派がジワジワと勢力を伸ばしています。

93 :
           ノノヽ、
         /    ` ,
      _ノ/       \ノノノ
     ヽ             ヽ、
     /                ヽ
    /  .,、_,、_,、_,、__      `,
   /   /          ヽ      ヽ
  /    /            ヽ      | 
 ヽ  ./              `,     | 
  `,  / /==ニヽ   ./ニ==ヽ  ヽ   .| 
  ヽ l.  __     / ___    .|  /ヽl
   .|.|   '-`='ゝ    '-`='-`    | ./ー、.|
   ||        l           | .|  l |
   ||       /           | .|`-' |
   l|      /   ヽ      /  | |`ー'|
    ヽ    ( c、_,っ )      |   `'lヽ./
     ヽ    .`   ´     |   .|ノノ
     `,   .,-=,=.=-,、   .|   .|
      `,  ` 二二 '     /   .|
      ヽ               |
       | ヽ       /  /   .|
       |  ヽ___/ /     |

94 :
>だからこそ英国やフランスは脱植民地化のダメージを必要最低限に留めることで世界の大国の一角に残ることができたんです。

イギリスは手放したが、フランスはアルジェリアやインドネシアで悪あがきをしてかなり戦費を費やしたが。

わざと混同しているようだが、イギリスとフランスの対応は全く違う。

95 :
インドネシアはオランダじゃなかったっけ?

96 :
インドネシアとインドシナwwwwwwww間違えたんだろwwwwwww

97 :
>>94
フランス、オランダはまだいい
ポルトガルは自分の国も満足に治められないのに他国なんて治められるわけがない
マトモな植民地支配なんて無理無理・・・・

フランス、イギリス、オランダは植民地を維持するほうが、コストがかかる事を知ったため、植民地を積極的に独立させ、
直接支配するのではなく、多国籍企業を使って既得権益者として間接的に旧植民地地域を支配するほうに切り替えたのです。

ポルトガルは、それができずにいつまでも直接支配にこだわったため、国力を急激に疲弊させ、
最終的に植民地を放り出して逃げ出してしまったのです。アンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウ等などです。
これらの地域では、「本国で革命をおこされた。もう無理!!」という
ポルトガルの勝手で一方的かつ無責任な理由で植民地統治を放り出して逃げてしまったため、
政権の正統な後継者がいなくなってしまい、結局は長期の内戦になってしまいました。
同じことは、コンゴを放り出して逃げ出したベルギーにもいえます。

・・・・結果としてかつて植民地貿易で栄えたポルトガルは、今や韓国以下の激貧国家になった。

ここの植民地はモザンビークだの東ティモールだのアンゴラ、ゴア、マカオだの
こいつ等が支配した地域はロクなもんじゃない。
今では昔の植民地のブラジル、中国、インドの方がエラソーにしてる。

98 :
>植民地を積極的に独立させ
だからフランスオランダは積極的じゃなくて、戦費が尽きて渋々独立を認めざるを得なかったっつーの。

99 :
           ノノヽ、
         /    ` ,
      _ノ/       \ノノノ
     ヽ             ヽ、
     /                ヽ
    /  .,、_,、_,、_,、__      `,
   /   /          ヽ      ヽ
  /    /            ヽ      | 
 ヽ  ./              `,     | 
  `,  / /==ニヽ   ./ニ==ヽ  ヽ   .| 
  ヽ l.  __     / ___    .|  /ヽl
   .|.|   '-`='ゝ    '-`='-`    | ./ー、.|
   ||        l           | .|  l |
   ||       /           | .|`-' |
   l|      /   ヽ      /  | |`ー'|
    ヽ    ( c、_,っ )      |   `'lヽ./
     ヽ    .`   ´     |   .|ノノ
     `,   .,-=,=.=-,、   .|   .|
      `,  ` 二二 '     /   .|
      ヽ               |
       | ヽ       /  /   .|
       |  ヽ___/ /     |

100 :
欧州歴史は白人以外の国からの搾取で成り上がった文明です。


自由平等博愛を謳いながら強制栽培制度を押し付けて
植民地の各種プランテーションから全てを搾り取る・・・・・

彼等からすれば白人以外は人間とすら観ていない
サル、ゴリラ、チンパンジーと同じ扱いというのは薄れたにせよ
未だに欧州各国人々の根底に有る筈です。


逆にそれの報いか、今や欧州は世界経済の中心ではなくなっています。 


100〜のスレッドの続きを読む
アメリカ独立戦争
歴史上の人物に一言アドバイスを
現代の日本はなぜ衰退しているのか世界史的に考察
え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2
山本太郎/猪木/井上敏樹/井筒和幸/佐高信/徳田毅
【地震火山】自然災害の世界史【洪水旱魃】
世界史に残る大きなお世話
【映画】時代考証学ことはじめ【小説】
第一次世界大戦のドイツのミス
明清帝国 二
--------------------
首都大学東京、ガチで都立大に戻る
【悪魔の仔】ERageアンチアンチスレ part2【嫉妬】
【ドイツ】「1941年のようだ」ドイツ海軍は恥だとナショナル・インタレスト誌 [08/25]
【地質学】〈反論〉「チバニアン」審査中断 国内別団体が異議[05/12]
大学生彡(゚)(゚)「マッマが1回の授業料3000円出してくれてんねや、絶対出席しないと」
MX・tvk・テレ玉・チバ・群馬・とちぎ実況 ★ 64896
††小公女セーラ212話††
【底無沼】PENTAX一眼デジで古レンズを楽しむ13本目
【総合】ドラクエ3 そして伝説へ… Part196【DQ3/ドラゴンクエスト3】
【附田祐斗】食戟のソーマ 255皿目【佐伯俊】
【PC版】Minecraftの日本語訳に関する雑談スレ Part2【翻訳】
【DX視聴率7.8%最下位】笑いも視聴率も取れない老害低視聴率王ダウンタウン嫌いな芸人1位 113すべり
【西日本豪雨】500億円で堤防整備したが…冠水招いた「内水」とは
【お願い】Windowsが起動できない!【タスケテ】
〓SoftBank 301Z 軽量プリペイドケータイ
BTSの雑談スレ1599
【ケイナー】かに座の占い総合スレ73【その他】
■本物ロコ■※どいつもこいつもRや、犯罪者ども
標準語バカ老害がこの板を荒らし始めた件
ビ ラ ク 第36部
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼