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え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2


1 :2015/05/05 〜 最終レス :2020/05/25
※前スレ
え?この時代からあるの?という技術・発明
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1420102261/

前スレ折り返し辺りからネタ切れ感あったけどとりあえず

2 :
ガム
古代ギリシア人がすでに愛好していたよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/マスティック・ガム

ちなみにこのガム、今も健康食品みたいな扱いで通販で入手できるよ

3 :
「新聞」とWikipediaで調べてみると、唐の時代からあったようだな。あれは今で言う官報に近いものだと思うが。
事件報道とかの記事が載った新聞って何処の国でいつ頃始まったんだろう。

4 :
いつも思うが連続性があるものとないものを分けて欲しい

唐のものは新聞類似のものの最初かもしれんが
後の新聞ではないだろう

酒場の掲示板とかが始祖だろうか

5 :
オランダの世界遺産、シュレーダー邸(1911)
ttp://www.k3.dion.ne.jp/~honjo/LOVELOG_IMG/BCADDAB0C0DEB0934020(4).jpg
今ならあってもおかしくないが、日本でいう明治時代の建築とは思えない斬新さ。

>>4
定期的な刊行物としては、17世紀のドイツに始まるようですね。1650年、日刊紙創業。
現存する最古の瓦版は大坂夏の陣の結果を伝えたものですが、勿論定期刊行ではない。
それどころか、江戸も後期にならないと業者が組合に名を列ねていない。

6 :
>>5
バウハウス思い出したなんとなく
用の美ですか

7 :
https://www.youtube.com/watch?v=B-m9A8mY-U0
https://www.youtube.com/watch?v=-dF1IjU0Njc
↑1900年頃のドイツ帝国・帝都ベルリンの都市風景

こんな時代のカラー映像が存在しているなんてシンジラレナイ
しかし、真実味に欠けるという
まるで映画の世界にいるようで

https://www.youtube.com/watch?v=J_RTnd3Smy8
  ↑
1922年撮影のこんなに鮮明なカラー映像があることも驚きだが

8 :
>>5
逆に言えば江戸後期には株仲間所属の出版業者が定期的に報道物を刊行していたということですかね?

9 :
古河の歴史博物館に行くと、蘭学の街らしくストリートオルガンが展示されている(学芸員に頼むと演奏もしてくれる)。

古河のものは大型だけれど、家庭用の小型オルガンもあったらしいね。家庭で合奏曲を聴けるというと、レコードの魁かな。

10 :
>>7
これ着色じゃなくて?

11 :
>>9
録音技術の無かった時代、家庭で音楽を楽しみたい人は(楽団抱えられるほどの富豪は別にして)自ら演奏した。

家庭用ストリートオルガン(変な言い方だけど)によって、自ら演奏すること無く家庭で音楽を観賞できるようになったのだから、レコードやCDはその延長線上だと思う。

12 :
15年位前白人の爺さんが酒に酔っ払いながら手回しオルガン回してたの思い出すな
隣に6歳くらいの幼女がないてて

ナンダこれアニメのひどい場面の再現か?とあたりを見回した記憶がある

13 :
なんかおしゃれだなーw

14 :
>>11
堺屋太一本によれば、最初の録音物の販売はビスマルクの演説
だったそうだからww
エジソンも自分の発明によって興行がここまで巨大産業に
なるとは思ってもみなかったのだろうなww

15 :
>>8
定期的な収入は上がっていたのでしょうね。
史料を探しても出て来ないのですが。処分してしまったかな。

>>9
中国のオルガンは、フビライの中統年間(1260-1264)に、「回回国」から贈られた
「興隆笙」が最初だと言いますね。
本物の羽を用いた孔雀が飾られた、異国情緒のある品物であったという。
もっとも、マテオ・リッチ(1552-1610)は「中国には鍵盤楽器がない」と言ってお
り、自らもクラヴィコード(一説にチェンバロ)を献上していますが。
どちらも欧州では14世紀末にはあったので、どちらでもおかしくない。

日本にも、同時期に天正少年使節が両者を持ち帰っていますが、出発の前年である
天正9年(1581)に、安土のセミナリオを訪れた信長は、ハープシコードの演奏を
耳にしたということですから、鍵盤楽器の伝来はより古いのでしょう。
遠藤周作は信長の前で演奏した日向の領主の息子を伊東マンショとしていますが、
彼の親類のジェロニモだろうと思います。
ピアノは1823年にシーボルトが持ち込んで日本人に贈った物が現存最古。
しかし、最初の伝来はより古いかもしれません(発明は17世紀末)。

ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。

16 :
>>15
>ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。

あり得ますね。
ヨーロッパ情報の日本伝来は意外と速くて、頼山陽が「仏郎王詞」を詠んだのは1818年。ナポレオンは存命中に日本でも知られていた。

17 :
Wikipedia「サウロマタイ」より
サウロマタイの住居は荷車と一体であるので、古代のギリシア人は同じ習俗を持つアガテュルソイとともに彼等を
「ハマクシビオイ(車上暮らし族)」とも呼んだ。

俺も去年の今頃はやっていたよ車中泊の連チャンを・・・
全国の公園駐車場を渡り歩いたものさ・・・

18 :
どうやって脱出したのかをぜひ詳しく。
明日は我が身である。

19 :
>>18は、強いられたホームレス的生活として解釈してるようだけど
>>17 は、定期預金1000万ぐらいあって、田町の2LDKのマンションも
確保したうえで、趣味として全国放浪してたのかもよ

20 :
遊牧騎馬民族はテント暮らしが定番かと思いきや、
紀元前からキャンピングカーを持っていたとは
http://wildfiregames.com/forum/index.php?showtopic=18573&page=2

俺も定年になったら気ままに車で日本一周したいな。

21 :
つうかそれってロマの原型じゃないの?

22 :
今ググったら、馬車の鋼製バネ(サスペンション)の起源は欧州17世紀、と
あったけど、確かその前は、車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・

当時の道路事情で、サスペンション無しの馬車に長時間乗るとか
拷問っぽい気がする 想像だけど

23 :
乗用馬車の車輪が大きいのは、車輪時代が撓んでサスペンションとして働くのかもね。
もちろん、車輪が大きいと悪路の走破性も良くなる。

24 :
>車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
>ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
それは初耳ですが、15世紀後半になるとハンガリーでコチ(地名だが、馬車名にもなった)
が生産され、西欧にはフランスのシャルル7世に送られて伝わっていますね。
運ぶ、導くことから、指導員(コーチ)の語源でもあるとか。

それでも、17世紀までは欧州で馬車はあまり使われていなかったはず。

アッティラの時代のフン族の婦女子もほとんど荷車の上で過ごすと書かれていましたが、
これは誇張があるでしょう。
しかし、それほど当時の西欧の人間には車上生活が珍しかったと見える。

我が国では、源頼光配下の三人(後に四天王と呼ばれる面子の内、源綱を除く三人)が、
賀茂の祭の行列を見物したいが馬を列ねて見るのは悪目立ちするし、徒歩では疲れるとい
う理由で牛車に乗ったところ、初体験で乗りなれていなかった上に牛が逸物だったのが悪
い方向に作用してしまい、車内で前後左右に揺られ、酔って烏帽子も落とし、死に掛かっ
たので徒歩で帰還したという話があります。

平季武いわく、「猛き武者でも、車に乗る戦いは不要。自分はあれ以来、車には近づいて
もいない。」と。
牛車に乗って移動していた女性たちは記録していませんが、あれも乗り方を教える人間が
いないのに乗ると、歩いた方がましな目に遭わされたということです。
源義仲も酷い目に遭わされたという逸話がある。

25 :
馬車の振動を防ぐために、椅子を本体に固定せず、
ブランコやハンモック方式で、上に立てた横棒から吊ってたのもあったらしい

シンプルかつ安価な良い解決方法だ・・ 
俺じゃ昔に生まれてても多分思いつかんわ

26 :
バネよりもダンパーを工夫しないと、あっちこっちに揺れてかえってつらい。
ハンモック式だと、重りぶら下げて質量稼ぐくらいしかダンパーが思いつかないな。どうしてたんだろう。

27 :
>>25
私が以前読んだ本では、15世紀のハンガリーのコチはハンモック式でスプリング式が17世紀の
発明とあったのですが、今検索してみるとコチがスプリング式であると説明されていますね。

ブランコで思い出しましたが、「鞦韆」の名でこの「北方山戎之戯」が南北朝時代以降の中国
で行われ、平安時代には日本にも伝来していたことはあまり知られていませんね。
鎌倉時代以降は長く記録上に現れず、江戸時代になると房総半島や南九州に民俗として存在し
たことが知られるのは、周圏論的な形で古俗を伝えたものか。

江戸時代になると、和漢の書の研究が進んだためか、民俗にない土地でも知名度が上昇。
ぶらこ、ふらとど、ふらんど等と呼ばれた。

 ふらんど(ブランコ)や 桜の花を もちながら  一茶

 鞦韆院落夜沈沈(ブランコがぶらぶらとして夜は耽る) 蘇軾「春夜」

中国では鞦韆といえば春に(女子が乗って)するものであり、朝鮮や日本でも春のもの。
とりわけ火を焚かぬ寒食の頃、月下でゆれている姿が好まれたようです。

28 :
ブランコの起源は遊牧民っぽいってことなのか

29 :
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/001037/files/24387_15654.html
古代ギリシャでも行われたようです。
ギリシャから遊牧民経由で伝播したのか、元々遊牧民の祭りに使われたのかは分かりませんが。
ブランコをポルトガル語とする説は、ぶらここなどの語が江戸時代からあり、ブランコという
言葉より古い例ほどポルトガル語と似ていないので、否定的に見られています。

欧州の例も、17世紀から西欧で盛行したのはいいとして、古代ローマとどう繋がるのかがよく
分かりませんね。

30 :
>>24

馬の場合も
人間が家畜化以降に最も重視して選抜した特性は
乗り心地だったらしいww

たしか馬の歩き方が
上下の重心移動を避けるようにするんだったっけな

31 :
>>30
それは駆けさせ方によるね

32 :
>>31

ほんとだ、走り方って書いてあった
http://jp.sciencenewsline.com/articles/2014020415510020.html

Swedish University of Agricultural SciencesのDr. Leif Anderssonによってリードされた研究チームは、
馬の歩行様式を規定しているDMRT3 の遺伝子の特異分布について調査を行った。
DMRT3は「gait keeper」として知られている馬の遺伝子となる。

その結果、DMRT3が人間が馬を利用するにあたって馬の移動がスムーズに滑らかに進むように中心的な役割を担ってきたことが判った。
レース用の馬から、レジャー用の乗馬用の馬まで、人間は馬がスムーズに走行することを最大の目標に置いてきたのである。

研究チームは世界中の馬、141種類の品種、4396頭を対象に調査をすることでこの「gait keeper」の遺伝的変異は、
東は日本から西はブリテン島まで世界中の馬が有していることを発見した。

「人間はこの遺伝的変異を世界中に広めていったのです。
なぜならば、この遺伝的変異を有する馬は、乗り心地が滑らかで、
ブリーダーからは「running walk(歩くように走る)」ことができると称されるに至ったからです」
「こうした滑らかな走りをすることができる馬は常に1本の脚を接地する走り方をすることができ、
このことにより乗り手には最小限の揺れしか与えることのないことを可能にしたのです」とDr. Anderssonはまとめている。

33 :
痔の手術は中世から行われていた
http://static1.squarespace.com/static/522db17de4b04287ea7b6e6c/t/53a04463e4b0ccf77813edff/1403012225371/tumblr_mn6tbs8ZJR1rqxd5ko1_1280.jpg?format=1000w

このやり方で治ったかどうかは知らんが

34 :
>>33
血豆状の静脈瘤を潰すだけの治療なら当時でもイケたんじゃない?
死ぬ程痛いだろうけど

35 :
>>33-34
これ、痔瘻の切開じゃないかな。
私は痔瘻になったことは無いけれど、膿を出すと驚くほど苦痛が軽減するらしい。こんな手術でも効果はあったと思うよ。

36 :
>>33-35
痔の治療法として、熱した鉄を患部に当てる方法もあった。
ttp://hypescience.com/wp-content/uploads/2009/03/1-medieval.jpg

どうしてもやるなら、こっちがいいな。
>>33の絵では出血多量で死んだかもしれん。

37 :
>>32
その走り方で選択されたってのは今のアラブ種ってことなのかな?

馬の走り方は、ネイティブでは片側の前後脚を一緒に送るのに対し、
アラブ種は互い違いに送る。
アラブ種は高速で走るのには適しているけど、上下動が激しくて馬もしんどい。
一方たとえばモンゴル種はそんなに速くは走れないが上下動が少なく長時間乗るのに適してる。
モンゴル帝国がユーラシアを席巻できたのはこの馬の走り方があったからこそ。

という内容で40年ほど前だったかNHKの歴史番組でやってた。

38 :
んで今、流鏑馬は上下動の大きいサラブレッドでやるもんだから当たらない当たらないw
在来馬だったら走りの迫力は減少するけどもっと当たりやすくなるはず。

39 :
>>37
へー、なるほどぉ
そしたらサラブレッドの系統は完全に選択されちゃってますねww

より自然に近い走り方だったのかな、
背中に荷物載せることなんてありえないし

40 :
ちなみに「名馬千里を走る」も
単純に計算すると
速く走る馬じゃなくて
長距離を移動できる馬のことになるらしいww

41 :
流鏑馬って当たらないのか
ニュースだと当たってる絵ばっかだからそういうもんだと思ってたわ

42 :
テレビ番組で流鏑馬をやっていた女性がモンゴル版流鏑馬(名前失念)に挑戦してたが本番では一〜二回当たったかどうかだったな馬も小さいし弓も小さい、距離感覚も短ければ的はかなり低い位置にあるから大分勝手が違うようだった

43 :
>流鏑馬って当たらないのか

5mしか離れていない的を外すとか神業だなw

44 :
>>43
射的屋で外しまくりの私に謝って下さい。

45 :
>>43
なら、君もその「神業」ができるよ
簡単そうに見えるけど、和弓って、けっこうむずかしいんだ
弓道未経験者なら、狙った方向に飛ばすことができるだけでも立派なもの

46 :
そんな欠陥兵器なのか和弓って

しらなかった

47 :
和弓でない弓でも、銃器でも揺れた・走らせた状態からだと5m先は至難の業では。

48 :
>>47
騎射の大会は世界各地にあるけど、的からの距離で言えば流鏑馬は難易度が低い方だよ。
https://www.youtube.com/watch?v=dZ3nGl1bFYM
https://www.youtube.com/watch?v=kQ6wmLfm3aQ
https://www.youtube.com/watch?v=91n0ANczK3A
https://www.youtube.com/watch?v=iszRLm9Wouk

49 :
外国人が驚く和弓の特徴は弓が非常に大きいこと。
弓を使うとき問題になるのは左胸肉を削ること。
それを回避するために、モンゴルは弓を小さくして体から遠ざけ、
アーチェリーは矢の持ち方を反対側にして体から遠ざけ、
和弓は射ると同時に弓を半回転及びプロテクター使用。

50 :
日本の弓って馬で走りながら射るのには大きすぎるんじゃね
パルチアンショット的に後方に弓を引こうとすると馬の尻にひっかかるし

51 :
>>50
お前が古い弓術知らんだけやろ

結構アクロバティックな射形あんだけど弓道に採用されんかったからな

52 :
>>51
アクロバティックな事をせねば使えぬとは
おぬしガラパゴス化という言葉を存じ居るか

53 :
>>52
そりゃ現代弓道からの視点で見ればアクロバティックなだけで
体の操作法としたら別に不自然なもんじゃないから

本当無知って怖いな

54 :
>>53
苦しい言い訳乙w

55 :
いや言い訳じゃなくて事実だから

あとガラパゴス化云々て指摘も間違いだろ
目的に応じてそれぞれ適応してくからイングランドロングボウなんかも
下半身使った遠射モーションとかもあるし

てか弓を横に倒したりする古式の射法も知らんのに馬のケツに引っかかるとかアホな事言われてもなぁ

56 :
>>55
和式弓術で弓を横に倒すのってあったっけ?
いやアニメ以外で。

57 :
外国の弓はどんなに大きくても真ん中を引いて射るけど、和弓は馬の首に引っ掛からないように、下側を持って引いて射るようになったと聞いたな。
馬の右側に射る技術もあって、弓手切りって呼んでたような。
うろ覚えですまない。

58 :
日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向があるような
草鞋とかさ。下駄とか思いつく前に普通の皮靴でも作れば一発で不便さ解消なんだがそういう発想の転換が何故かないんだな

59 :
皮ぐつは猟師やさむらいがつかってたやん
しか皮

60 :
>>58
肉食が少ないので皮がそんなに手に入らない。
湿度が高いので蒸れる。
治水されていないと、川が氾濫し、川筋も変わり、湿地だらけで水浸し。
当然、橋も掛かって無いから、川を渡るには入るしかない。
草履が一番良いみたい。

61 :
>>56
鎌倉とかの古い弓術ならな

体ごと弓を横にしたりとかもあるし

62 :
>日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向がある

似たようなことを、煙管に関して呼んだな・・ 煙草を吸う道具としては
キセルは優れているとはいいがたいのだが、むしろその不便のまま、
キセルでの吸い方が妙なスタイルと言うか美学になって、結局改善されなかった、と

内心は変えたいものを、美学であるとか胡麻化して、変える努力を怠る、という
傾向は日本文化でかなり見受けられる気がする

別の例を挙げれば、AVのモザイクとか。モザイクがエロ心の成長のために有用である、
みたいな議論が制作側からも出るのが不思議

63 :
中国とかと貿易もしてたんだから絶対普通の靴作って売ろうとした奴も大昔から何人もいたんだろうなぁ

64 :
高下駄だよタカゲタ、ゲタ

糞尿まみれの京の都を歩くには高下駄でなければ無理
これならウンチを踏み潰しても小便溜まりにはまっても被害を防げる
革靴であれば踏んづけたウンチの飛沫がくるぶしまで達してしまう

だが下駄も買えない庶民は裸足でウンチにまみれながら都を走り回っていた
これが日本の文明えんがちょ

65 :
>>58
走ることを職業としていた「飛脚」は、紐で足の甲や足首をしっかり結べるタイプの草鞋(わらじ)
を履いていたようです。
「飛脚の草鞋」と「革底の革靴」とで、今の道路を走って比べてみても飛脚の草鞋に軍配が上がるでしょう。

それに加えて当時の道路事情を考えれば >>60さんの言うとおりです。

現代の布製でゴム底の運動靴ならば飛脚の草鞋に勝てますが、ゴム底の革靴だとどっちが勝つか?飛脚の草鞋が
勝ちそうな気もします。

66 :
>>61
弓を横に倒すという和式弓術のソースは?
いや脳内じゃなくて。

67 :
>>66
鎌倉から室町辺りの絵巻の戦争風景を調べるといい
結構弓を横にして撃ってるものがあり、当時の人には
弓は地面に垂直に構えるものと考えてないことがわかる

68 :
>>67
結局ソースを出せないの?

69 :
>>62
餡子と胡粉が双璧だと思いますが、江戸時代以降の日本の工業技術の不合理さは錬金術に通じるものがあります。「祖先伝来の秘法」に拘泥し、イノベーションを受け付けない。
鍛冶や日本酒、油など、戦国期までの創意工夫と比較すると同じ国とは思えないほど。幕府の方針もあったのでしょうが、新規技術によるコストダウンの必要がないほど国内経済が安定していた証拠と見ることもできるでしょう。

70 :
>>68
んだから絵巻の資料色々見てきなよ
そういう撃ち方してるものがあるから
web上だとイメージ検索したけどあんまこれってのがなかったから提示できないわ

71 :
>>70
「弓を横に倒す和式弓術」というおぼろげなイメージについて、
皆の前に出せるようなソースを見つけられなかったわけね。
ご苦労さん。

72 :
>>71
いや単に妥当な資料がオンライン上にないってだけなんで

結城合戦絵詞とか塀の上から腕だけ出して垂直?何それ?おいしいの?状態で射たりしてるんだがな

73 :
>>72は結城合戦絵詞のいったいどこを見たの?
君の言い方だと、登場する武者がみな水平に弓を射てそうな口ぶりだがw
http://www.yamada-kouji.com/nihonshi/japan_beau/yamato/emaki_soushi/15c_yuuki/15c_yuuki.html

74 :
その絵巻もっと長いから

75 :
これ左端の人物が変な射ち方してんね

76 :
塀から腕だけ出してとか、弓の実物を見たことがない人間の発想じゃね。
伸ばした腕の力だけで弓を引くなんてムリだよ。

77 :
>>76
そりゃお前の発想が狭いだけだわ

別に弓で狙撃するわけでなく、それで射Rわけでなく、最大射程でなく
ただ近くに適当に射掛けるだけならそんなに全力で引く必要はないよ

78 :
弓の特徴の一つに「自由に曲射ができること」があるはずだが、塀の上から射掛ける必然性がよくわからないな。

79 :
>>78
視界の確保だろ

80 :
最近のアニメやドラマで見た、拳銃を横に構えて撃つ中二的なポーズに影響されて、
日本のサムライも昔から弓を横に構えて射かけていたんじゃという妄想が生まれたのですね・・・
わかります。

81 :
>>78
曲射出来る道具だからと言ったって常に出来るとは限らないんだがな

82 :
アニメそのものの影響じゃね?
もののけ姫のアシタカが横構えで矢を放って敵兵の首をすっ飛ばしてたアレw
蝦夷だかアイヌの人ならそれでいいと思うよ。

しかし上下非対称な和弓であれと同じ構えをするとかなり間抜けだな。
まともに矢が飛びそうにないし、わざわざ非対称に弓を作った意味が無くなる。

83 :
遮蔽物の陰からの面制圧射撃って、それこそ曲射の出番じゃないか。

84 :
んで結局>>72は、結城合戦絵詞のいったいどこを見て弓を横にして射ていると主張したいわけ?
どの場面で誰が?

85 :
>>84
壁から腕出して射てるところは今の弓道とは全然違うやり方しないと射れない

他の合戦絵巻は馬首より身を乗り出して射てるものがあるが
これをやろうとすると弓と体が横向きにならないと出来なかったりして
弓道とは全く違うやり方しないといけないんだわ

86 :
昔の絵巻物の表現技法では、縦向きと横向きの見分けがつかないんじゃないかな。

87 :
>>86
実際に棒状の物持ってその姿勢取ればいいさ

88 :
弓道のことなんて何も知らないけど
絵巻物から正確な仕草なり型なりを見て取ろうというのはちょっと無理がありそう

89 :
鵜呑みにはできないだろうな
ただよく出来た絵巻物なら弓に関する当時の「通念」を読み取ることができるかもしれない

90 :
>>85
>壁から腕出して射てるところ

弓を横に倒して射ていると判断できる描写は見当たらないな。
念の為にここに絵を貼って端から何人目の人物って書いてみてよ。

91 :
弓を縦に構えれば左手いっぱいから右肩まで引けるが、横構えだと
左手の付け根までしか引けず、その威力は半分でしかありませんな。

92 :
>>91
勘違いしてるようだけど弓を横にするのと弓と体の位置関係が横になるのは別だぞ?

93 :
古墳時代の出土品に靴あったよなごてごてと飾りついてる奴、弥生時代だっけ?

94 :
自分が書いてあるようにようはい付きの靴は古墳時代だぜ

95 :
単純にもちにくいので横にもつことはあんまなかったでしょうね

とりあえず弓を横にする派はソースだしなさいな

絵は解説もないしソースになってない
ソースだせないなら妄言で確定

96 :
どうでもいいけど
長弓と短弓の関係は周圏分布っぽいな

97 :
以前もどっかで尋ねた気がするけど
なんで北条氏ってコンクリートで総構え作んなかったのかな?
コンクリって、石灰、砂利、水の混合でそ。秩父で材料幾らもあるし
ローマ人も使ってるので16世紀の日本で作れないはずない。

コンクリで5m壁の総構えとか作ったら、当時の攻城術だと為す術もないんでないか

98 :
金がかかる上に小田原城の総構え最北端の土壁は
5メートルなんて余裕であるぞ

実際20万の秀吉軍も抜けなかった

99 :
日本の城は近代兵器相手でもタフだよ
会津若松城は戊辰戦争でボロボロになっても
最期まで落ちなかった
熊本城も西南戦争で天守が事前に焼失したにもかかわらず
堀、土塁が健在で落ちなかったし

100 :
天主はたぶん戦争中に燃えると面倒だから
前もって防御側が燃やしたんだろう


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