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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part13


1 :2018/04/02 〜 最終レス :Over
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1517843376/

2 :
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
同日   西軍伊賀上野城を開城
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。

3 :
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000

4 :
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)

ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。

5 :
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

6 :
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

7 :
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。

8 :
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

9 :
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…

10 :
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。

11 :
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

主な変更点は兵力算定見直しにより岐阜城兵力は8000となりました。

12 :
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf

13 :
毛利の兵力及び西軍の戦力布陣状況

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中島氏種?390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、

美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?

こんなかんじかな。

なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。

大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

14 :
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。

15 :
宇喜多秀家に早期に援軍要請案

順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。

16 :
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。

史実時系列には8月2日西軍伊賀上野城を開城を追加しました。
その他細かい兵力微修正あり。

17 :
美濃で受けに回ると必敗だろ。
勝つためには清洲から浜松辺りまで進出しておかないと。

18 :
まったく逆だよ
西軍が勝つためには毛利のやる気を最大限に高めなくてはいけない
輝元は西日本に縄張りを広げるのが悲願なのだから
逆に全力全身で西進に注力すべき
東進は三成のやる気を引き出すが、三成のやる気など勝敗に関係ないどうでもいい些末なことに過ぎない

19 :
>>18
安濃津城の戦後処理の二ノ丸占拠での輝元の指示と増田の使いとのやり取り部分から、
輝元の関心は西日本に限定したものではないと思う。

これは私見だけど、戦勝の暁には、毛利が攻略した伊勢もしくは四国のいずれかを
毛利秀元領、吉川広家領と転封し、中国の輝元直轄領を増やしたい思惑があったんじゃないかと思う。

秀元領、吉川領問題のこじれっぷりからも輝元の関心は領地問題の解決、だったんじゃないかと思う。
そのためなら秀元が伊勢への加増転封でも輝元的にはよかったんではないかと。

20 :
>>18
毛利が短期的にいくら西に伸びたって、西軍が家康に負けてしまえば史実通りヘタレて防長二ヵ国に押し込まれてハイおしまい。

21 :
だから>>15を勝手にテンプレにするなと

22 :
>>20
それは輝元のせいじゃなくて、西軍が彼の予想より遥かに弱かったってだけだろ。
輝元からすれば東にだってそれなりに兵出してやって総大将にまでなってあげたのに、
予想以上に使い物にならなかったから切り捨てに走っただけじゃないの。
泥かぶったのはまあ、必要経費だろ。御家存続という最低限は達成したし。

23 :
石田や大谷は毛利の兵力や威信を借りたいだけで
毛利に服従して言うことを聞く気なんてまったくないからな
むしろ逆に毛利の方が俺たちの命令に従って戦えという態度だ
吉川に限らず毛利重臣たちが石田や大谷の道具として利用されることに不満を感じたのも仕方がない
石田や大谷が毛利にまったく敬意を払わなかったのが悪いだろう

24 :
単なる無能がクソ案件に飛びついて食らいついて、損切りしたつもりでお家を台無しにした、だけ

25 :
>>1
秀次禁止で

26 :
簡単に大坂城からでちゃう輝元は将才がない

27 :
淀が秀頼出撃を許可してたら勝てたかな?

28 :
秀次が健在なら勝てた

29 :
前スレ999と1000通報したか?
高確率の逮捕案件だぞ

30 :
今時、逮捕されるような書き込みするやつそうそうおらんだろ
と思って確認したらガチアウトで笑った
いや内容的には全然笑えないけど

31 :
だれか通報のWebページくれや

32 :
>>27
何で三成が勝手に起こした戦に秀頼が駆り出されるの?
豊臣家は三成に臣従して石田家臣になったの?

33 :
五助、介錯してただちに首を埋めよ

34 :
にっくきは金吾

35 :
三年のうちに祟りをなしてくれん!

36 :
ヤフーJAPANで大阪の陣最大最古地図と聞いて飛んできました
昨日天道pk新品売って金にしたばかりなのにw

37 :
金吾は被害者なんだが

38 :
西軍は豊臣政権に歯向かう賊軍

39 :
>>32
大阪は城内市中に至るまで毛利を歓喜の声で迎えてるが

40 :
>>27
西軍はどう考えても豊臣家が積極的に支持したくなるような行動をしていない。
豊臣家がどんなに西軍に好意的だったとしても『家康の態度次第で』という形になるのは
避けられないと思う。家康の行動がどうかという話じゃなくてね。

41 :
>>39
そりゃ当たり前の話だ。
異国の未知の軍勢とか、兵士が度を越えるレベルの乱暴狼藉を働いたとかでもない限り、
民衆が意味もなく武力をもった軍勢を非難したりはしない。誰だって死にたくないんだから。
例としては幕末の彰義隊かな。あれ、最初は江戸の連中は割と好意的で自発的な協力者も結構いたんだけど、
参加者の質が悪くて評判が下がり、連中の旗色が悪くなると手のひらをかえしたように
残党をひっとらえて薩長に差し出す奴が続出したそうな。民衆なんてそんなもんだ。

42 :
>>41
京の都では上洛した軍隊を歓迎した歴史は無い。
唯一、織田軍は乱暴狼藉を禁ずる法を定めたから安心されてた。
上杉ですら歓迎されてない。略奪もしたからな。

で、それと毛利勢を歓喜の声で迎えた事とかぶるか?

43 :
唯一可能性があったのは島津、小西の夜襲案だな
受け入れてれば河越夜戦みたいになってたと思う

44 :
西軍は情報戦では負け続けたのだから、その辺を何とかしないと

45 :
関ヶ原戦で敗走しても大坂城で毛利が籠城してたらまだチャンスは延びたよな
直接徳川に毛利輝元を攻められたら吉川も動かずとはいかないだろうし西国武将の間に合わなかった組も参戦できる
西軍勝利とまで都合のよいことはないかも知れんがまだなにか機会ができたかもしれない

輝元の覚悟のなさ、が敗戦を確定したようなもんだし、三成みたいなものを督促係させていたのも話にならない
毛利の指揮力のなさもひどいもんだ

46 :
よくて犬山城、悪ければ大垣城

47 :
夜襲していれば勝てた

48 :
夜襲したところで一部部隊がやられるだけの話だろうに

49 :
しかも後世の創作

50 :
秀頼が関ヶ原限定で三成の家臣になってれば勝てたね
三成はその後秀頼の家臣に戻るのに淀に想像力が足りないから豊臣が滅びた

51 :
>>50
そのIFが本当に検討するだけの価値のある可能性の高いIFなら
10スレ以上もだらだらと議論が続かないと思います。
>>45
総大将が望むような戦場も情勢も整えられない方が悪いよ。
総大将が指揮下の兵力等をアテにするのは別にかまわんが、その逆は駄目だろ。
総大将がやる気なくすレベルの失態しておいてなおも要求を吊りあげるってそれタカリだよ。

52 :
>>39
つまり大坂の民衆は豊臣に代わる新たな主君として毛利を迎え入れて
豊臣は毛利の臣従したと言いたいの?
それなら東軍が豊臣に対する謀反を鎮圧するとして反転するのは当然の行動だろうね

53 :
東軍厨って徳川が幕府設立して秀頼殺した歴史を知ってるのに
まるで当時の未来を知らない人間のように事実をスルーしてるのってなんでなの?
安土桃山からのタイムストリッパーか?ちょんまげなの?

54 :
いや家康は実力者だから

55 :
秀頼に関しては知れば知る程好意的に見れなくなるし

56 :
>>53
そりゃ当時の人はそんな事知らんからだよ。

57 :
秀頼が死んだのは自業自得の側面が強いからな

58 :
秀頼淀の無能っぷりみれば滅んで良かったよ
当時の落首の家康Rば秀頼が天下人とかやばすぎやろ

59 :
9月下旬の大坂籠城は史実よりはマシな和睦条件を引き出せた可能性はあるが、
西軍敗北に変わりはないと思う。

籠城できた面々は、毛利輝元、毛利元康、小早川秀包、立花宗茂、増田長盛あたり。
あとは敗走組がどれだけ大坂城にたどりつくかだけど、あまり期待できないように思う。
秀元&吉川広家も不戦密約しておいて大坂城に入るのか微妙に思う。
田辺城組も気が付いたら四散してるよね?

60 :
大坂城で籠城して時間稼ぎすることはできるだろうけど
(史実より)情況が好転する見通しってほぼないような気がする
地方の戦況は悪化するだろうし関ヶ原本戦不参加組も東軍のほうが多いんじゃないか

61 :
>>59
如何かねえ?問題は大阪攻めだと幾らなんでも東軍が謀反軍臭いって事実なんだよな?
福島正則って、少年時代持て余しの不良少年だった頃何かと庇ってくれた尼に報恩したエピソードが
有るんだよね。
しかも、尾張から安芸備後に転封された時に新領主にくれぐれも面倒見る様に頼む始末。

親切な近所の尼さんに此処まで義理を感じる人情家が、果たして家康の命令で大阪攻め
やるんかね?
此処まで来ても、其の儘大阪に入城して寝返るくらいやりそうですよ?

それと、兎も角家康は野戦で勝ってるんだから論功行賞出来ないと評判落ちるし。

62 :
>>59
それは逆。大坂城を不法占拠してる毛利が謀反軍なの。
大体大坂城は輝元の城でもなんでもないだろ。何勝手な事言ってるんだ。
というより、それが成立するなら間違いなく史実でも籠城してるよ。
輝元はそれが成立しないと思ったから城から出て行ったの。別に家康に騙されたとかそういう話じゃなくてね。
とりあえず、大坂城と秀頼さえ確保しとけば大丈夫みたいな変な万能説は捨てた方がいいよ。

63 :
>>59
立花も入城はできないだろ

64 :
>>62
輝元は考え方が甘いと思うよ
大坂にはいった時点で徳川とことを構えているのにあっけなく大坂を明け渡すあたり頭がついてんのかといいたくなるレベルのアホさ
敵対するならする、しないならしないとはっきりせずにフラフラするなんてあり得ない
吉川が徳川と内通するのもわかるくらいアホだわ毛利

65 :
>>64
そもそも岐阜陥落の時点で輝元は徳川と積極的に戦う気がない。もう西軍に見切り付けてるから。
もっというなら内府違いの条々が上杉征伐軍に通じなかった時点で西軍に不信感もったろうね。
多分あなたは毛利にもっとやる気出せって言いたいんだろうが、出せるような展開にしなかった西軍が悪い。
大体なんで豊臣御為とやらの為に毛利が全力を尽くさにゃならないんだよ。
豊臣が毛利の領地を一切いじったり減らしたりしない保証なんかあるのか?
その保証があるというのならあなたの意見に賛同するけど。じゃなきゃ西軍の御題目なんぞにいつまでも付き合う訳ないだろ。

66 :
輝元か三成が家康に一対一の真剣試合申し込めば勝てたよ。
たぬきみたいなデブ爺、剣の世界なら瞬殺やろ。

67 :
>>62
レスアンカーが違ってるような気もするが、輝元が大坂城を退去した最大の理由は
輝元、秀就の命の保証と領国安堵が約束された、からでしょ。
それがないなら大坂城に篭って粘って好条件を引き出す、というのも悪くはない(毛利的には)

ただ残念なのが輝元が交渉したのは黒田、福島、それに加えて井伊、本多であって家康ではない。
いかに黒田、福島が約束しようと、井伊、本多が取り次ごうと
家康が約束したわけじゃないから。
好条件なんで飛びついてしまったんだろうけど、ちゃんと家康と起請文交わすべきだったね。
まんまと家康に騙されてる。

68 :
>>66
家康はガチの剣術遣いだが

69 :
輝元に剣を使えるイメージがまったく湧かない
無双とかバサラみたいな戦国アクションゲームに(絶対ないと思うが)輝元が使用可能キャラで登場しても
どっかの姫が参戦してくる以上の違和感を抱いてしまいそうだ

70 :
家康の場合、移動時は敢えて粗末な駕籠に乗ってさっさと移動するわ、
常に居所を多数に知らせずに変えたりするわ、自前で調薬するわ、
武術は優れるわで、暗殺できる可能性を丹念に潰している

71 :
>>67
実際には領地半減で話がまとまっていたそうだが。

72 :
>>67
騙したつかそもそも家康の権限じゃ口約束しか出来なかったわけで
領地宛行は君主の専任事項で五大老は代理で出来るだけ
家康が勝手に正式な領土交渉したら主君秀頼の権利を侵すことになる
だから関ヶ原時の家康は誰に対しても口約束
輝元も騙されたわけではなく籠城不可能だったから退去しただけ

73 :
>>65
下が動いてくれないから毛利君もやる気が出ませんでした
が通ることでもないでしょ、総大将なのに。
そんなお飾り気分でおいしいところだけつまみ食いしようとする時点で無責任すぎる
仮にも総大将に日和見は許されないよ

74 :
だって、テルだもの

75 :
>>73
だって毛利はそこまで徳川と対立する理由ないもの。
毛利には天下への野心が無いんだろ?なら別に徳川と豊臣どっちがトップでも構わんのだから。
別に西軍に味方すれば未来永劫毛利の領地が減らされず、いじられないって保証はないし。
西軍についたのは単にその方が利益を得られると思っただけだろう。
瀬戸内周辺制圧の為に兵士を西国のあちこちに派遣してるし。東にもそこそこ兵は出したし。
で、負けを悟ったからとっとと沈む船から降りて損切りしたってだけの話。
むしろこのまま負け組に付き合ってたら破滅だと理解して、余力あるうちに離脱したんだから輝元は賢いよ。
総大将なんだから?輝元の思惑も理解できん方が悪い。そもそも毛利抜きで西軍が成立したかどうか怪しいんだから、
毛利の望み通りに動かない方が悪いね。

76 :
>>68
そうなのか?このころってキセル吸ってごろごろしてるだけじゃないの?

77 :
>>75
徳川に積極的に味方しないにしても、一度西軍のトップに据えられたのならもうすこし立場を鑑みた行動すべきだよ
旗色わるいから実はボクチン東軍にたてつく気なんてないよ三成が悪いんだよほら吉川だって味方したじゃんとか、言い出すなよと。
あげく家康の甘言にだまされるとかどんだけ盆暗なのか。

最初からじつは総大将のくせに徳川に内通してたビッグサプライズでしたよ、ほらちゃんと果たして不穏分子あぶりだしに貢献したよほめてほめてーとやってるなら評価かわるけど。

78 :
>>68
肥満の剣術家なんているかよ。
奥山なんたらに剣を習ったなんてマジで信じてるのかよ。

79 :
>>77
逆だよ。だからこそとっとと逃げ出すべきなんだ。
むしろへんに義理堅さを見せて沈む船に付き合って破滅するよりよほどマシ。
そんなバカな事して御家を滅亡させたらそれこそ先祖に申し訳が立たん。
御家大事って観点で見れば輝元の行動はむしろ当然だ。
それと勘違いしてもらっては困るが、別に輝元の行動をベストだとかいう気は無い。
西軍が勝つ事がベストなのは当然だ。
ただ、負けに最後まで付き合う事なく、損切りして御家滅亡はしないようにしたんだから
バカだのボンクラだの言うのはちょっとな、って考えてるだけ。
まあ、悪いなりにはまとめあげたんじゃないの位の評価。

80 :
>>72
美濃の東軍方遠藤や東濃の遠山だか妻木だかに
旧領回復の許可の書状出してなかったっけ?
伊達も領地加増について家康に一筆書かせてなかったっけ?
家康は輝元に領地安堵の書状書いた?

>>71
それなにか書状とかが残ってるの?

81 :
>>80
近衛前久書状だかにそういう記述があるんだってさ。
過去スレや別スレでも話題になってた記憶がある。

82 :
>>76
柳生宗矩や小野忠明を召し抱えたのが関ヶ原合戦の6・7年前

83 :
>>81
それは興味深い、ちょっと調べてみよう。

84 :
本能寺〜賤ヶ岳の時と関が原の時で、毛利・上杉・前田の対応が基本的に同じというのが面白い
毛利 広大な領土を取引材料に講和
上杉 全面戦争の構えも上方の変事で生き延びる
前田 最初は対立するも自分が一番高く売れるタイミングで寝返る

85 :
>>79
逃げるのは別に否定しないけど、こんな軽薄な毛利を総大将に担ぎ上げた連中もいい面の皮だし、もう毛利を信用するやつもいなくなるわけで。
毛利の生き残りを賭けるならもっと頭のいいやり方もあったと思うよ
徳川に全面的に組みする必要もないが恩にきせる形で西軍の主要武家を制圧なりして逆心三成を倒したのは自分だと威勢をみせればいい
どっちつかずが一番ダメ
吉川あってなんとかあの裁定ですんだわけで。

86 :
>>80
他の大名にも口約束レベルの一般の書状でしか約束してない
誓詞だの宛行状だの正式なものは一切なし。戦後処理の時ですら出してない(島津除く)

87 :
>>85
別にいいんじゃない。天下狙う気もなく1大名として生き残ればいいんなら
周りからどう思われようが知ったこっちゃないし。
毛利は徳川に事実上降伏した訳だから、この先徳川の天下になった場合、
周りの諸大名が下手に毛利に手を出す事など出来ないし。(手を出すとそいつが徳川の討伐対象になる)
後、なまじ大坂城にいたせいで身動き取れなかったのもあるんだろうな。
岐阜陥落が割と決定打っぽいし、そこまではまだ輝元はがっつり西軍利用してたから
その後の展開が怒涛すぎて対処しきれなかったんでしょう。

まあ、輝元が大坂城に縛られてなきゃもっと色々手を打てたんだろうが、
西国に色気出してた関係上、そっちの方面の指示出しもあったろうし、
増田が旗色不鮮明だったんで大坂から動けなかったからね。
多分、西軍がグダグダになった原因は一つではないんだろう。
いくつもの要素が重なって史実の流れになったんだよ、きっと。

88 :
>>87
だからそもそも生き残りが目的なら西軍を積極的に指揮して徳川を倒すか(西軍が烏合の衆にしても規模だけなら東軍にひけをとらないし布陣としては関ヶ原では西有利な体勢だったわけだし)、
または徳川と対立せずそこそこの武家でいられるように吉川ふくめ毛利全体で東軍に与するか、が普通もとめられる姿勢と思うよ
西軍が不利になったのでこうしましたー、がそもそも通用すると思ってるのが甘い
吉川の嘆願がなかったら吉川家はのこっても毛利なくなってたわけだしさ
毛利としても徳川に内応するふりをしておく、などの仕込みをしてなお裏切るとかならまだ有りと思うが
吉川におんぶにだっこなのは明々白々なわけで。
ホント輝元の愚鈍さは元就にとって残念な結果だよな
隆元が長命だったらな

89 :
>>88
当初の目的は家康派と反家康派が遊んでる間に瀬戸内周辺を制圧して
西国覇者の大大名になるじゃないかな。徳川は西軍有利程度に牽制できればよし、位。
だから反家康派を精々利用させてもらう程度の認識だろう。
そもそもほとんどの諸大名は関ヶ原は長期戦になると考えている。あの如水や昌幸でさえも。
要はこんな短期間で決着がつく事が想定外。従ってある程度はチグハグになるのはしゃーない。
で、当初の計画がご破算になったんで生き残り策に切り替えたんだろ。

簡単にいうと、当初は長期戦をみこんで領地拡大を狙ったが、想像以上に西軍が脆かったんで、
生き残り策にシフトチェンジしたと考えればいい。
で、領地拡大狙いなら家康は弱体化してくれる方が都合がいい。大大名は少ない方がいいし。
けれど、天下をねらう気が無い以上、無理に徳川を潰す必要もない。関東遠いし、遠征も面倒だし。
従って、西軍につくけど、深入りは避けて西国に兵を派遣してなし崩しに周囲制圧狙いが一番良い、となる。

90 :
>>89
言ってることはわかるけどね
総大将という冠について責任を持つかどうかって話なんだよね
そして旨く立ち回ってる体で輝元の判断は結局失策だったと思うわけ
まあ徳川が何枚も上手だったって話で結論なんだけどね

91 :
総大将といっても石田や大谷は輝元の命令に服従する気はないからな
あくまでも毛利の兵力や威光を借りたいだけで
西軍の運営自体は自分たちでリードするつもりだよ
もちろん輝元も石田や大谷の言いなりになる気はないから
互いの方針が合わなかったら仕方がない

92 :
>>90
総大将として?ならそこまで責任持つ気なんかないだろうね。
せいぜいこっちが有利ならケツ位は持ってやるよ、程度だろう。
どうせ奉行だって毛利をうまく利用してやろうってだけでこれからは毛利に従います、なんて気はさらさらないだろうし。
お互いの認識がその程度なんだからそりゃ不利になればグダグダになるよ。

93 :
総大将の立場安すぎだろ

94 :
これで家康に勝てる訳ねーな
明智、柴田と次々に倒した当時の秀吉とさえも野戦で渡り合った怪物が相手だという自覚が無さすぎる
関ヶ原自体が家康に完全に手玉に取られてるし、無理がある

95 :
総大将っていっても名目上の盟主、程度のものだろうしな。
豊臣家とそれ程縁が深い訳じゃないし、大老としても平レベルで上杉や宇喜多と同格だし。
逆に家康は姻族とはいえ一門上位レベルだし、大老としても筆頭格だし。
少なくとも輝元が西軍諸将に対して強い命令権があったとは思えん。指導的立場がせいぜいだろう。
まあ家康もそこまで強い命令権は無かろうが、それでも輝元よりはマシだろうな。

96 :
ま、そもそも西軍が豊臣の看板背負ったわけでもないしな
全部自称豊臣秀頼さまのため、というおためごかし

97 :
>>94
家康は関ヶ原どころか美濃の戦いでも遅参して
殆ど戦ってないんだが・・・

98 :
>>97
それ、侍大将が槍働きしないと批判するようなものだが

99 :
>>81
2016年頃に発掘された、慶長5年9月20日付
近衛信これ?宛近衛前久書状かなと推測するんだけど、
ネットでは内容がわからない。
内容ってわかります?
白峰本あたり買って読まないとわからんかな?

100 :
>>97
やっぱり家康とタイマンだな。
輝元三成秀頼茶々の誰かで頼む

101 :
>>98
それは例え話にしても全然違うぞ?
この時点で、東軍所属の武将は誰も家康の家来じゃない。
更に徳川軍も戦っていない。

自分が何もしてない引け目があるから伊奈図書の首を差し出すハメになった。

102 :
もし家康が到着した時に、今更何しにきたんだ?三成?俺が撃つから帰れよ
って言われたら家康は立場が無い。

もしくは使者に自分が遅参してるのに何で攻めないんだ?っておかど違いな口上言わせた時に
( ゚Д゚)ハァ?おまえの戦いだろ?帰るわ。って言われたら関東に引き篭もってるしかなかった。

103 :
>>101
>>102
基本的な認識ズレているのどうしたら良いものか

先ず、東軍は家康に街道の道作や調略の指示を受けているし、
家康の上洛が無いと最終的な勝利はないと判断していた
だからこそ旗幟を鮮明にしろとの家康の伝言を受け、大損害を
覚悟した上で渡河を実行した訳

104 :
>>99
いや、前から存在は知られていた

関ヶ原直後、近衛前久が子の信尹に送った手紙

で検索してみ

105 :
>>102
見当違いでもないでしょ
西軍は徳川成敗を掲げているにしろ、東軍の建前は豊臣秀頼を無視して豊臣政権に槍をむけた三成排除なんだから
なので豊臣御為第一である福島加藤になにやってんだはよやれや、は間違ってない

106 :
>>105
加藤は関ヶ原には出て来てませんが
嘉明のこと?

107 :
>>97
総大将の実力差がありすぎて戦うまでもなかった合戦だからな

関ヶ原本戦は大垣を掠めて誘い出されてるだろう
武田信玄に三方原でやられた戦いかたの応用だわ
わざわざ槍を交えるだけが合戦じゃない

108 :
>>107
まあ駆け引きですよね。小早川秀秋の動向もあるし、
関ヶ原で迎え撃つか、堪えて大垣に篭るか、
秀忠隊の存在もあるし大垣は難しい選択を迫られたと思う。

109 :
小早川秀秋が松尾山を占拠した瞬間に関ヶ原の戦いは終わってた
東軍の勝利が確定してたね。

110 :
というかみんな家康伝説に惑わされ過ぎじゃない?
徳川勢は小牧長久手以降は戦らしい戦から離れて久しいじゃん。
毛利秀元や小早川秀秋は戦に次ぐ戦の荒くれ集団なんだから、
根性据えて背後から家康を襲えば勝てたって。

111 :
南宮山の毛利部隊が池田浅野に勝てばほぼ西の勝ちだろうが、毛利が動かないと分かってこそのあの布陣では?

112 :
>>110
小田原攻めでの徳川の功績は無かった事になってるのか
徳川が支城を落としまくったんだぞ

113 :
というか小早川秀秋が松尾山に布陣したため、東軍は秀秋と連携するために陣を急遽前進させたし
逆に西軍は秀秋が東軍と合流するのを阻止するために徹夜で先回りした。
本来は関ヶ原の戦いではなく「小早川秀秋の戦い」と命名するのが正しかった。
彼が松尾山を占拠する直前までは石垣城の戦いになる予定だったし。

114 :
大垣城と書こうとしたのだが・・

115 :
>>110
別に伝説とやらに惑わされてないだろ
普通に大将の実力で上行かれてるだけ
三河兵の強さは全盛期より落ちてるだろうけど
大将の采配で勝負にさえなってない

>>113
普通に家康から指示が出てたんだろ
布陣図を見れば見るほど戦略でも戦術でも西軍を綺麗に分断して罠にかける気まんまんという布陣だし

116 :
>>115
おそらくそうだろうね。
松尾山に来る直前までずっと佐和山城前の高宮に貼りついてたわけで
急に気が変わって関ヶ原の松尾山に布陣したのはできすぎ。
普通に考えたら家康からの指令があった。

117 :
秀秋神将説

118 :
最近、秀秋は日和見などしておらず関ヶ原の合戦が始まると同時に大谷陣を攻撃したなんて説もあるしね。

119 :
最初から大垣城は捨て石にして島津と伊藤に任せておき
松尾山を三成自身が布陣して東軍と秀秋の連絡を遮断しておき
北国街道の封鎖は大谷に任せて置き
その間の膨大な隙間を宇喜多と九州勢(大垣城に入れてた)でビッシリ埋めて置いたら
東軍から見ると関ヶ原が完全に死地となるので前進できず
まるで違う戦いになったんだろうけどね。

120 :
そのケースでは東軍はおそらく地道に大垣城を落とす事から始めていくか
そうではなく西軍と対峙しそのうち2〜3万の兵を伊勢路へ進軍させるんだろうな。
伊勢路への道は本来、吉川・毛利が止めなきゃいけないが素通りさせるのはほぼ確定的。

121 :
小早川の松尾山占拠によって大垣城の戦略的価値が落ちたのだから
先回りして行動するのは難しいんじゃないか

122 :
>>121
だから小早川の松尾山占拠で関ヶ原の戦いは既に終わってんだよね。
そこから何をどうしようと西軍の勝つ目は無い。
将棋で言えば、うっかり飛車取りを見逃がして丸々序盤で取られちゃったようなもの。

123 :
松尾山には中国勢が入る予定だったと聞いた事があるな。
で、小早川が来る前は伊藤が備えてたわけだから別に西軍ががら空きにしてた訳でもない。
が、小早川が来て同地が制圧された事で西軍大慌て、と。

124 :
>>104
ありがとう、見つけれました。これですね。

>吉川広家は毛利輝元の命で家康と交渉し、
>領地はすべてそのままと言う条件で家康の味方になる、との扱いになったが、
>それはあくまで表向きの発表で、
>実際には領土半減の条件で、家康に降参したとの話である。

たしかに義演准后日記でも、吉川広家が降参した、卑怯卑怯と書かれてますよね、

つまり領地半減の条件で降伏させてもらったが、しかしそれでは毛利の体裁が悪いので、
一般通説的な、不戦の密約をし、領地安堵の条件で大坂城を退去したが、家康に騙された、
しかし吉川広家がなんとか交渉して防長二国で済んだ、という表向きの形にしたと。


近衛前久の情報網もすごいけど、当時の上方の公家、坊官連中はけっこう裏の部分まで知ってたんだねぇ。

125 :
>>123
ガンダムを一番上手く扱えるのが安室のように
大垣城を一番上手く扱えるのは伊藤なのだから
小勢で松尾山などに行かせるべきではなかった。
最低限でも大谷か島津を警護に行かせるのが普通。
というか最重要地点なのだから三成が陣取ってていい。

126 :
三成がいないと指揮官がいなくなる

127 :
>>126
指揮を執る場所も松尾山が良い。
実際は北国道を塞ぐ場所に陣を置いたけど
あの場所では指揮しづらい。
実際に西軍はバラバラにめいめいで戦ってた。

128 :
>>122
飛車取りを見逃したくらいのわかりやすい事なら対策も取れるけど
あの段階での小早川の布陣って歩を取ったか取らないかぐらいの動きだ
あの段階から関ヶ原の決戦の陣営と旗色まで読みきって
急に松尾山に陣取れるほどの戦術眼のある奴が西軍にはいない、もちろん三成には無理だ
それに万が一松尾山に布陣出来ても、じゃあとがら空きになった笹尾山に陣取られたり松尾山の反対側に布陣したり、やりようはあるし
全く違う戦術でこられた場合、ついてこれる打ち手がいない

129 :
>>128
いやいや、そんな事ない。
動物にたとえれば頸を閉められたに完全に等しい。
松尾山が取られた時点で補給線が途絶えたわけだから
長期戦は最早不可能になってる。
既に食事もできず空気も吸えない状態だ。
しかも短期決戦しか選択肢がなくなった上に負けたら退路まで塞がれてるので
撤退すらできない。この時点でほぼ死んでいる。

130 :
補給線はまだ通っているし
大谷らが抑え込んでいる

131 :
横綱・家康:小結・三成と言ったところだろう。
両者は13日目くらいにぶつかる。
三成はマワシさえとらせてもらえず、完敗。
家康は14日目の冬の陣、千秋楽の夏の陣も勝利し優勝。

優勝インタビューで何日目が一番きつかったかきかれた家康は
「なか日の勝頼戦っスネ」と答えただろう。

132 :
>>115
罠にかけるには、其れなりの餌が無いと無理なんだけど?
普通に関ケ原の狭隘な地形に先回りすれば有利って餌が有るでしょ?
それと家康の性格だと、小早川の裏切りのみに賭ける事はしない気がするなあ?

133 :
>>132
小早川はそもそも裏切りというより普通に東軍なんだろうけど
布陣した位置もきっちりさらに保険かけてるじゃない
最悪小早川が東軍につかなかったとしても松尾山付近の地形と目の前の川と
周囲の陣形で簡単に家康に攻められる場所じゃないし
別に小早川が動かないだけなら自軍の投入で十分西軍を潰せる
現実は徳川軍が動く必要さえなかっただけで小早川の裏切りは念には念を入れたトドメでしょ

ついでに家康は慎重というイメージを必要以上に強く持ちすぎ
実際は野戦だと勝負の時は勝負に出てる武将
じゃなきゃ大垣スルーして追わせて決戦とかやらない
本当に慎重なら秀忠待てば良いだけなんだから

134 :
>>133
桶狭間の戦いの後の進退見れば、石橋を数回叩いて渡る性格だよね。
あの後今川の城代が逃げた後の岡崎を占領してるし、今川氏真が兎角の前評判を覆して
名君でも申し訳建つ行動してる。
実はその後、織田方の小城を色々攻めてるから氏真も文句言うの難しい。
二年も様子見て、織田に寝返り独立しとるし。

135 :
秀忠待ってると利長まで到着して東軍に7万近い援軍が到着してしまう…
西軍は近場の勢力をかき集めても2万増えるかどうか…

136 :
利長さんってえ長重さんと芝居打って関ヶ原に出て来ないんじゃないの?

137 :
いっそ関ヶ原前夜夜半に奇襲で乱戦に持ち込んだ方が良かったかもな
家康本陣に島津を突っ込ませ、福島の背後を宇喜多に襲わせ
その他の大名を左近と大谷に襲わせる。

138 :
>>136
一度は帰ったけど関ヶ原に向けて進行中やぞ?
待ってたら間違いなく参戦する

139 :
つうか史実がこうだったしか書き込まずにスレを流す奴はそろそろ関ヶ原の真実スレに帰れって。
俺は一気に掛川辺りまで西軍が進出しておくことで西軍は勝てたと思う。受けに回っちゃダメだって。

140 :
ある程度史実を否定できるだけの要素がないとな
夢物語だけではちょっと

141 :
一発逆転を狙うなら乱戦しかないよな。
毛利勝永と大野治長はもうちょいで家康と秀忠の首を刎ねるとこまで行ったんだろ?

142 :
>>139
後知恵全開でそんなこと言われても困ります。
そもそも西軍視点では上杉征伐軍が崩壊せずに短期間で
こちらに侵攻してくるのは想定外なんですけど。
内府違いの条々で上杉征伐軍は崩壊して家康は孤立する、ってのが西軍の想定ですし。
ちなみに失敗はほぼ想定してないと思いますよ。
うまくいくと思ったから西軍は書状ばらまいたんでしょうし、
失敗の恐れがあるなら多分毛利は挙兵に乗らないよ。

143 :
徳川本隊4万と前田2万5千がなくてあれだからなあ〜〜
最高の条件でも勝てなかったわけで、まあ無理な話ってことだわなあ〜

144 :
>>142
想定外の展開になったのならそれに対応すればいい。
なんかマイナス部分ばかり強調してるのはなにか理由があるのか?

145 :
まず家康を暗殺します

146 :
>>139
俺も西軍が確実に勝つには受け身に回ってはダメで、せめて清洲までは進出する必要があるとは思う
しかし、それを実現するには、畿内を速攻で平定するか、会津遠征軍がすぐには帰ってこれない状況を作り出す必要があって、その方法の見当がつかない

147 :
>>144
西軍もそんな出たとこ勝負だった気がする
だから負けたんだと思われる

148 :
想定外に対応すればいい、のは相手も同じことです

149 :
家康は重厚な経験によって次々と降りかかる想定外な事象に対応できた
三成は経験不足なため忖度しろ〜とか叫んで下痢してた(田中吉政にニラ粥を御馳走になった)
その差だろ

150 :
>>146
前者はともかく、後者はやったじゃん。内府違いの条々ばらまくって形で。
西軍の予定では、あれで征伐軍の連中の大半は家康を見限って帰国、あるいは上坂するはずだった。
まあ、現実は悲しい結果におわったけどさ。

151 :
次々と起こる想定外の出来事に政治家の家康さんは臨機応変に対応できたが
根っから融通の効かない官僚気質の三成くんは自論に固執して対応できなかった。
それを三成の周りの大名も間近に見てて「こいつパニくってるやん。もう見限っとこ」と
家康さんに「俺らも東軍に寝返るんでヨロスク」と手紙を送ってたって状態だよな。

152 :
例えるなら安倍ちゃんが家康で
山本真千子(大阪地検特捜部長)が三成だよな
勇気を振り絞って全身全霊で安倍ちゃんをKした真千子さんだが
結論だけ言えば9割以上の確率で真千子さんは負けるぞ。
運が良ければ弁護士資格取り消しで運が悪ければエクストリーム自殺をする
ほぼ断言できる。

153 :
>>150
それを(内府違いの条々)受けて他家がどう動くかすら想定できていない三成ではそもそもお話にならない

154 :
>>153
とはいえ、家康には結構痛打をあたえたんじゃないかね、あれ。
その証拠に、家康は東軍の先鋒部隊が岐阜陥落させるまで関東を動いていない。
佐竹や上杉を気にしていたのも勿論あるんだろうが、
大名たちが皆、あれを受け入れてしまったらどうしようって不安も大きかったんじゃないかな。

155 :
夜襲についてはわたしも最初はけっこういいのでは、と思っていたけど、最近は疑問に思う部分が大きい。

問題は赤坂の陣城の防御力。8月24日に東軍先発隊が赤坂に布陣して9月15日までなら
20日近くある。これは相当強固に防御を固められているのではないかなと。
例として、9月7日に南宮山に布陣した毛利秀元。9月15日まで一週間程度の滞在だが、
その間に南宮山に、竪堀、土塁、堀切、削平等の陣城構築を行っている。

また関ヶ原合戦図屏風の赤坂陣の様子は、杭瀬川沿い?に板張り壁か柵の構築、
櫓門、土塁のようなものが書かれている。

はたして夜襲でこれを突破できるのかなと。
夜襲といえど簡易砦に突撃するようなものだから。

156 :
>>154
まあ、明らかに徳川の足引っ張る内容ですわな 
それを最大限に活かす事が西軍にはできなかっただけで。

157 :
>>155
赤坂の陣を襲わずに移動してる最中の福島や黒田の背後を突くだけでいんじゃね?
それだけでも効果絶大。東軍の同士討ちも予想されるし。

158 :
赤坂の陣が堅城と言うなら、それこそ三成秘蔵の大砲を夜陰にまぎれて赤坂から届くところに据え付けて
深夜にバンバン撃っちゃえばいいじゃん、うっかり家康に流れ弾が当たって死ぬかもしれないし。

159 :
>>150
上坂するってロシア語で会話でもするのか?当時の通訳事情なら暗号には使えるかもしれんが。

160 :
軍に方角がつくような戦争は東や北が有利なんだよ
これは日本史だけでなく世界史でもその傾向が強い
西軍なんて呼ばれる配置についたこと自体が敗因なのは明らかだ
とはいえ家康より東に回りこむのは難しいから北に回りこんで
三成は自分たちが北軍と呼ばれるように努力するべきだった

161 :
秦帝国って西方から東方を攻めてたよね。

162 :
>>154
小山の軍議で何を言おうとも、徳川の直臣以外は家康に従う必要無いしね。
清須の東軍先鋒が其の儘西軍に寝返る展開も有り得た訳だし。
あれだけ家康の本隊が動いて無い意味は、豊臣系が本気で家康に味方するかの不安でしょ。

163 :
>>155
東軍の陣城が堅固なら大垣城をベースに家康の兵糧を遮断すればいいじゃん。
西軍は背後の佐和山からいくらでも搬入出きるから。

164 :
>>163
赤坂の東に陣取ると秀忠隊に挟撃される。

165 :
>>163
毛利勢が来るまで大垣城が包囲されていた

166 :
>>163
三成が目指してた基本戦略はそれだった
でも小早川秀秋に要地を取られ兵糧を遮断されたのは西軍だった。
それで最初から1ミリも考えてなかった短期決戦に西軍がチャレンジするしかなくなった。

167 :
>>160
冷戦は西側勝利ですが

168 :
基本的に日本は上方文化だったし東国や北国が日本の主要都市になった試しはなかった。
西国が主体の西軍が持久戦で有利だ。

169 :
つか別に三成達が負けたからって降伏する理由は全くなかった。
大阪が健在なんだから、宇喜田には再起して貰うとしても
関ヶ原で戦った西軍は三万にも満たない小勢だからな。

170 :
>>169
その通りなんだが主将の毛利輝元が降伏したいんだ!降伏するんだ!と強く主張したから
徹底抗戦派の立花宗茂、毛利秀元、鍋島直茂が激論の末、泣いて大坂城から出てったんだろ。

171 :
実際、大坂城が開城してとっくに徳川の天下になったのに
その後、ずーっと後まで上杉・佐竹・島津などは武装解除せずに
徹底抗戦し続けてたわけだから大坂城が開城しなければ家康が勝てたか全然分からないんだよね

172 :
徹底抗戦はしてないよな
お互い妥協しただけで。

173 :
>>170
いやそうなんだけどさ、輝元に言いたいと思わないか?
降参する必要性は全くないぞ?ってw
むしろ色々口出ししてくる連中が消えてくれてありがとうだろ。

174 :
毛利の場合、大坂籠城策をとると、おそらく手薄な本国を攻撃される。
てか、それ以前に領地半減で降伏してたのなら
大坂籠城はないと思われる。

たしかに9月入ってからの輝元の指示の書状が少ないなとは思った。

175 :
大坂籠城って利点は城の防御力だけで、事前準備の有無、豊臣家の支持、内部統制、裏切りと疑心暗鬼、本国の安全などなど、うまくいかない要因だらけだと思う

176 :
大坂籠城の場合は、大坂を包囲しつつ毛利本国へ攻め入るだろうな

177 :
大坂籠城してなんか良いことあるの?ってレベルやね

178 :
本国が落ちて籠城しても意味がない

179 :
>>76
傷口に馬糞をぬるのが医療扱いされるような時代にそんな生活をしていたらあんな長生きはできませんがな。
それに家康って武田信玄に負けるまでは「全軍我ニ続ケ」方式が大好きでしてな。あれの正体は狸の皮をかぶった猪やで。
剣術もそれなり以上にできますよ。でないと脳みそまで筋肉でできてる三河武士団の棟梁は難しい。

>>90
輝元は家臣の妻を寝取るような男だぞ。
偉大過ぎる祖父の真似をしようとして結局ダメな方向に悪化させる不出来な孫にしか見えん。

>>169
北条氏は小田原城に引きこもっている間に南関東の領土を根こそぎ豊臣軍にとられて降伏した。
大阪に引きこもっている間に岡山や広島を攻略されたらどうしようもない。
毛利を恨む土着勢力ならいくらでも湧いて出てくるだろうし。
それに、大阪にいる秀頼直属の守備隊が勝ち馬たる東軍についたら内と外の両方から挟み撃ちになりかねない。
豊臣朝臣羽柴家には小早川秀秋という「秀頼の代わり」がいるし、家康の権力が突出することが確定した以上、家康以外の東軍諸将にとっては幼君よりも秀秋のほうが都合がいい可能性すらある。

秀頼や大阪城とて、岐阜城、関ヶ原という二つの重大なの政治的敗北を喫した西軍には安息の地ではない。
それに毛利家にも吉川広家という毛利輝元の代わりに当主に据えることのできる人物がいましてな。

大阪籠城といっても戦を長引かせるだけで逆転は難しいような。

180 :
毛利という名家に生まれ西国の雄と言われる120万石の大々名になり最高な人生なのに、何か最強に中途半端に終わったな

181 :
>>163
大垣付近って広大な湿地帯だから
土地勘もなく下手にウロウロして逆に奇襲されたら一網打尽だぞ
遮断なんて高度な戦術どうやってやるの

182 :
為朝「夜襲ー!」

ホモの頼長「ダメ」

義弘「夜襲!」

ちびの三成「ダメ!」

どうしていつも時代も無能は夜襲を却下するんだ

183 :
>>181
大垣って聲の形の舞台だろ。橋の上からコイに餌やってたらなかよくなるんじゃないの?

184 :
無能だから他人に功績あげられたくないんだよ

185 :
>>182
そういう「お話」だから

186 :
創作だからな

187 :
>>181
ん?大垣城主は西軍でしょ?
家臣はむしろ土地勘有る人だらけでしょ。
>土地勘もなく下手にウロウロして逆に奇襲されたら一網打尽だぞ
その目に遭うのは確実に東軍。

188 :
>>183
三成「君に生きるのを手伝ってほしい」
家康「分かった」

189 :
>>187
大垣城とこの土地に関して最も詳しい伊藤盛正を追い出し松尾山に小勢で陣地構築してて石田三成の
先見の明の無さだな。
また三成は関ヶ原の領主である竹中重門の意見をろくにとりあげず重用しなかったので東軍に寝返られたのも
物凄くデカかった。
三成は軍人としてはマイナーリーグというより高校生野球だよ。

190 :
>>176
瀬戸内の水軍はあの時点では西軍の物ですが?
つまり、毛利本国に攻め込むには陸路で補給する必要が有るんですが?
近代以前は、陸路と海路では補給能力が正に桁違いです。
秀吉の小田原攻めが成功したのは、海路での補給が主力だったからです。

それと、家康だって豊臣と張り合えたの背後の北条との同盟有っての事なのに、土壇場で
見捨てる形に成ってます。
大坂攻めが長期化すれば北条の遺臣の一揆が起こるのでは?

191 :
>>179
まあ、あの時代の医療って治療してるつもりで其れは不味いだろ?って事普通にしてます。
小便で傷口洗うのが、比較的ましなぐらい「病気で無い限り小便に細菌は存在しないので、綺麗な水が
手に入らない状況なら有り」の世界ですよね。
後、意外と下剤が薬扱いですが、毒や食中毒の場合は有効では有る。

まあ、大坂に籠城されたら秀秋を名目上の主君に担ぎ謀反の印象を消すって策も有る事は有る。
でも、逆に福島や加藤あたりは憤激する気もするのですが?

192 :
秀秋の血筋を東軍の正当性の担保にするという考え方を徳川家康と黒田官兵衛の二人だけはハッキリ持ってたよね。
だから官兵衛はできるだけ秀秋に九州から出ないよう強く勧めた(自分の手駒として秀秋を神輿として上洛を果たすため)

193 :
>>187
大垣城主は小早川秀秋に本戦前に松尾山追い出された伊藤氏
そのぐらい影響低い、言ってしまえばザコ
小田原攻めで秀吉から大垣与えられた言わば成り上がりでしかないから仕方ないが
徳川、池田らのようにこの土地で戦い続けた父が生きてればともかく
もともと大垣の出でもないので土地勘は期待できない

194 :
関ヶ原の戦いの前夜には短期決戦にすると三成も決心を固めてたわけで
大垣城など捨て城にして全軍で東軍を総攻撃する事を強く命ずるべきだった
7500も守備兵なんて要らないって。

195 :
まことは、なぜ、矛盾を放置するのか

196 :
>>194
関ヶ原で勝った場合の東軍の退路の蓋を捨ててどうする。
長束、長曽我部と大垣城で蓋できる位置取りでしょ。

197 :
>>190
毛利水軍は四国と伊勢に派遣され払底
後、小田原攻めの海路補給は精々小田原までで、
内陸部は昔ながらの現地調達

198 :
変な事言ってる連中湧いてたみたいだけど
西軍が解体されてなければ、上杉・佐竹は関東いつでも狙えるんだぞ?
何で毛利の本国攻めるとか言えるんだろう?

大阪城は包囲するだけ?大阪城包囲って少なくとも10万以上の兵力割くぞ。
どっからそんな兵力が出てくるんだよ

199 :
上杉は無理だろ、普通に最上相手に劣勢だし
佐竹は結局東軍で参加してるんだがどこで寝返らせる算段なのか

200 :
京都押さえて朝廷や高台院に輝元を敵認定してもらえば、豊臣家・奉行・その他大名と毛利が対立して自滅するから、包囲の必要すらない

201 :
せっかく日和見してた佐竹が、なんでわざわざ敗色濃厚の西軍につくのか。
関ヶ原の敗戦聞いて上杉が撤退してるぐらいなのに、
馬鹿もいいかげんにしてほしい。

202 :
でもその佐竹が一番最後まで家康への謝罪を拒否し続けたよな。
とっくに上杉主従が家康のもとのおもむき謝罪してるのに
まだ籠城してた。

203 :
>>201
佐竹は毛利より現実主義だと思うんだけどなあ?
常陸で50万石、その他縁の深い諸侯まで入れると70万石の大名を家康が放置する訳が
無いじゃん。
但し、挙兵のタイミング間違うと東軍主力に潰されると思っただけで。
家康が大阪攻めやれば喜び勇んで家康のしっぽを齧るでしょう。

204 :
>>203
家康が大坂城攻めする想定はだれもしてないでしょ。

205 :
>>198
城内に碌な兵がいないのに何故に包囲で10万も必要なんだ?
豊臣の旗本がこの状況で西軍に留まる理由はないのだっが

206 :
東軍も思惑がバラバラだからな
家康「大坂城を包囲しろ」
諸侯「秀頼様の城を包囲しろって?おまえ死ぬか?」
って状況すらありえる。

207 :
大坂城の開城交渉も実際にやってたのは福島、吉川、黒田で
家康はダンマリ決め込んで我関せずだったろ。
家康が表立つと反発が出る事もちゃんと計算してた。

208 :
いや秀頼救助戦だから清正も喜んで参戦

209 :
交渉が長引いたら秀秋が豊臣家御連枝という立場で開城交渉の全権を握るというのも最初から計算済み
長引いて損をするのは家康であって輝元ではない。

210 :
本領安堵がなければ戦ったかもしれん

淀は攻城されるのはイヤだから早く出ていって欲しい

あくまで豊臣の敵を撃つというスタンスだか

211 :
西軍残党が大坂で籠城した場合、想定される家康の行動は、関ヶ原の敗残兵狩り、大坂への主要街道封鎖、前田の合流待ち、あたりじゃない。
しかるのちに宇喜多、毛利領への進攻。
家康が大坂城を包囲する政治的デメリットはそれなりに大きい。
伏見と播磨方面に抑え残す程度じゃないかな。
出てくれば野戦で。

212 :
家康もあまり長い間は江戸を空けられないんだよな。
普通に西軍残党が建設途中の江戸や川越や小田原などを放火するだろ。
守らなければならない都市と土地が広すぎる。
ゲリラ戦や愉快犯の放火には多くの軍勢は要らないし

213 :
しょぼい妄想力やね

214 :
>>199
えっ!?別に最上相手に劣勢じゃないでしょ。
最上勢は山形城への最後の関門の長谷堂城まで押し込まれて必死の防戦に全力を尽くしてたし、
上杉方の庄内からの別動隊は次々攻略しながら谷地城まで進出して山形城に北から迫ってた訳で。
退くことにした上杉に追い討ちをかけたというだけで上杉を劣勢呼ばわりも無いと思う。

215 :
>>214
最初から支城の兵力は極力減らして
山形城に集中させるよう義光から撤退指示が出てるのは書状できっちり残ってる
だから兵数500以下とかの城ばかりだったけど
それでも最上の決死兵相手に上杉は苦戦を続けて上山、長谷堂に至っては将兵クラスの大損害出しても落とせなかったまま撤退戦で追撃までされて
山形まで届きもしなかった
文句なしの大敗北、劣勢も劣勢だよ
喉元に政宗がいること忘れてないか?

216 :
あの状況で輝元が籠城なんかしたら、大坂城を不法占拠し主君を人質に立てこもる逆賊として敵味方双方から全ての責任を押し付けられるだろ

217 :
>>216
その覚悟がないなら最初から大坂城に入らなきゃいいのにw

218 :
家康は肚が座ってたよな。
秀吉の遺言をことごとく破り政略結婚を繰り返したり
五大老五奉行制を無視し独裁したり
同僚であるはずの前田や浅野を追い出したり
下手したら敵味方双方から全ての責任を押し付けられ逆賊の汚名まで浴びて
成敗されるのを覚悟してやってたよな。
輝元に無いのは脳味噌だけじゃなくてその覚悟だ。

219 :
10月21日までに最上領を制圧しろ
って条件なら上杉は敗北だけど期限がないなら上杉が圧勝するだろう

220 :
関ヶ原が一日で終わってしまい徳川方が一か月以内に北上する可能性があるから上杉方は
勝手ようが負けてようが自国領に帰って防衛策を練らなきゃいけないので
最上はそれを追っかけるだけで良いので楽勝だよね。
でも徳川方が大坂でつまづき当分北上できないという見通しになったら当然上杉軍は猛反撃する
最上は死ぬしかないよね。もちろんその場合は伊達も最上領を俺にも寄越せ!と侵犯するのは確実だし。

221 :
>>218
ンモー。また家康だけが遺言無視していたかのような言い回しをするー。

222 :
>>220
政宗には上杉と一緒に最上を攻めて徳川と敵対する以外にも
結城秀康と一緒に上杉攻めをするという選択肢もあるよ

223 :
一揆を平定した堀が新たに上杉戦に参戦する可能性がある

224 :
ホントに。毛利はいいとこどりをするための努力すらしてない
西軍の甘言になんにも疑いをもたずにお花畑で参戦
ろくな指揮すらせずおんぶにだっこ
あげく劣勢になったり吉川が動く気ないの実感してもまだ動かずの盆暗
せめて西軍をあっさり裏切るとか機をみて動くなりしないでダラダラと悪くなる状況に流されるまま、とか情けなさすぎる

225 :
大毛利家の御曹司に生まれたボンボンだもんな
重要な決定も叔父たちに丸投げでろくに成長しなかったんだろうね

226 :
>>215
いくつか前のスレで書いてあったけど上杉軍は山形城を攻撃してるぞ
上杉・伊達それぞれの書状史料で山形城での攻防戦があったことが確認できてる

227 :
最上・伊達連合は結局、敗走したじゃないか。
政宗なんて危うく首獲られそうになってんだぞ?

228 :
>>218
日本の司馬懿

229 :
慶長出羽合戦なんて軍記が盛りに盛ってるだけで大した戦いじゃない

230 :
関ヶ原の戦いなんて軍記が盛りに盛ってるだけで大した戦いじゃない

231 :


232 :


233 :
>>219
長谷堂、上山はどう見てもそう簡単に落ちない
それどころか度重なる奇襲と反撃で完全に翻弄されてる
山形城本戦にもなりえないうちにこの状況で被害も甚大
戦線が維持出来るとはとても思えない
この膠着状態で雪降られたら退くことも出来なくなる
そこを伊達結城蒲生らに逆に攻め立てられる可能性も高いんだよ

>>226
途中山形から援軍は来てるよ

234 :
>>233
上杉は山形攻めてますよって話に山形から援軍来てるよってなんのこっちゃ
会話になってない

235 :
>>233
ホームラン級の馬鹿だな
識字からやり直せ

236 :
時間切れで退却しただけだからな。追撃してきた最上叩き返して悠々退却
報告を聞いた政宗も書状の中で最上弱い使えないと愚痴ってる
まぁ軍記が盛ってるだけで上杉軍も8千程度で所詮は局地戦だからな

237 :
>>234
どの軍が山形城攻撃したのか
どの程度損害与えたのか

>>235
あの状況で上杉が圧勝とか言ってる方がよっぽどバカげてるだろ
将兵レベルまで損害出しておいて

238 :
>>237
直江が山形城に向けて軍勢を布陣させてる
布陣中に前線で小競り合い規模の衝突があってしばらくして伊達の援軍が山形に到着したので直江は山形城方面の軍勢を撤収
最上・伊達連合軍は追撃をしようとしたが撤退した上杉軍が攻め難い悪所に布陣していたので攻撃を仕掛けるのを断念して対陣姿勢に移行

239 :
>>238
山形城に到着してないけど山形城の方に兵は出して小競合いはしたよってこと?

240 :
で、援軍が来たけど上手く撤収したから追撃はされなかったぞって解釈であってる?

241 :
>>239
山形城に向けて軍勢が布陣してるのに山形城に到着してないってどういうことなんだ…?

242 :
テレ東で関ヶ原

243 :
>>241
山形城に「向けて布陣」した、というのをきっちり主語をつけるなら
もともと長谷堂包囲のため布陣してた菅沢から山形城に「向けて布陣」しはじめたということ
もっと具体的に言えば伊達留守軍が山形到着時の事を書いてるから恐らく9月21日前後の事で
ちょうど最上義光が20日前後に楯岡光直らを援軍として山形城から長谷堂へ送ってるからその事だろう

結果布陣途中の前線で援軍と小競合いが起こったというのも自然の流れで
当然山形城にはまだ着いてないし直接攻撃もしようがない
このあと義光自ら打ってでているし余計に素通り出来たはずもなく
どころかこのあと24日〜からどんどん最上、伊達軍が上杉軍と距離を詰めてきてて
焦って29日長谷堂に再度攻撃を仕掛けた直江兼続はその反撃で上泉主水ら家臣と兵を失ってる
関ヶ原の結果云々以前に投了寸前

244 :
>>243
直江が景勝に送った山形に向けて布陣し前線で衝突があったと報告してる手紙の日付は9/15で伊達の援軍の到着前なので違いますね

245 :
>>244
9/15はちょうど長谷堂に力攻めを開始した時期で菅沢に布陣した時期
全部山形城攻めに向けての布陣と言うことを書状に書いたのでは?
そもそも布陣という言葉を使ってるのはそういうことかと

9/12 畑谷城落城
9/15 直江軍菅沢布陣 長谷堂攻撃開始
9/16 志村光安の夜襲喰らって大惨事
9/17 再攻撃開始、失敗

義光が山形城から楯岡ら援軍送る

9/21 山形城に伊達援軍到着
義光自ら進軍開始

9/29 直江軍再攻撃、反撃により上泉死亡

246 :
上泉泰綱討ち取って大勝利ってはしゃいでるけど旗本でもない雇われ軍人だぞ?
最上義光物語の上杉軍の被害ならマジで将官の1人や2人死んでてもおかしくないが、下士官クラスしか死んでない

つまり上杉軍は最上の激烈な抵抗で多少の混乱はしたが、大した被害受けてないって見るのが自然な見方

敵中入って逃げる上杉を追撃して成果が殆ど出せなかったのも上杉の余力の証とみれる

247 :
>>246
18000vs1000で大損害出されてる時点でその擁護は無理がある
上泉もだけど200の志村光安決死兵にも奇襲繰り返されて大量の首取られるととにかく戦術レベルのやられ方がまずすぎるし
最上側は守れさえすれば家康に取り成して貰える訳だし
追撃を抑えたから余力あると言うのはちょっと情けなさすぎる
また雪があるから時間もない、南部もこの年一揆討伐を翌年に延期を余儀なくされてるし

最上相手にこのザマで徳川攻めるとか夢物語
結城秀康1万蒲生1万で十分守れる
下手にがら空きにしてれば伊達が空き巣に入るだろうし

248 :
直江も小さな国の官僚としてはよいが、天下にかかわる運営にはむいてないオッサンだったな

249 :
>>247
南部は太平洋側
最上は日本海側
気候に関しては結構違う!さてはテメェ西日本人だな!?

250 :
>>245
山形城攻めに向けての布陣で長谷堂城には力攻めを行い山形城には力攻めを行わなかったので前線の小競り合い程度の衝突だった、ということでしょう

山形近辺の城5、6ヶ所から敵が退散しそのうち2、3ヶ所から降参もあった、処置をしたあと火を放った、など直接戦闘が行われてないだけでしっかりと軍事行動も行っている記述もあります

伊達政宗の書状に記されている戦況報告でも伊達政宗の援軍が山形に到着したことで撤退した上杉軍がいてそれを最上義光と留守政景が追撃しようとしたが断念し対陣している、と書かれており
少なくとも長谷堂城攻撃軍とは別に最上本体と合流する伊達の援軍が来たことによって山形城方面から前線を下げざるを得なかった上杉の部隊がいたことは明らか

結論として長谷堂城のような激しい戦闘が行われなかったというだけで間違いなく上杉軍は山形城を攻めてます

251 :
史実と異なるけど景勝が天下を獲りたかったら結城秀康に決戦を挑むしか無かったと思う
負ければ伊達、最上が上杉領土に侵攻してくるので一瞬にして上杉家は滅びる。
勝てば伊達と最上を配下に従えて関東に乱入し領土を分配できる。
実際、時間稼ぎをするためだろうけど伊達と最上は別箇に景勝に対して
「関東に乱入するなら手前どもは下働きさせてもらいますぜ」というような文を送ってる。

252 :
上杉単独では例え結城に勝てても関東にはとても入れん

253 :
上杉、佐竹、伊達、最上が武蔵から上総から下野から東京湾から同時進行してどうかという感じか・・・

254 :
>>250
とりあえず布陣は長谷堂前の菅沢で確定なので山形城まではまだ距離がある
で、「山形近辺の城」ってむしろ山形城の支城を連想させる曖昧な書き方だけど山形城と断定できるの?
普通に上山や長谷堂の事を言ってるのではないの?

また伊達・留守軍が到着するより前に山形城から楯岡ら援軍が出ていて山形方面の別働隊と小競合いがここであったであろうことは>>243の通り
この小競合いの位置ははっきりしないが、留守軍が布陣した須川の位置は山形城と長谷堂の間ぐらいの位置
その留守軍とあまり交戦しておらず更にそこから前線を下げてるなら山形城にはまだ距離があるので直接攻撃していたとは考えにくい

255 :
>>215
でもそれって結局、無駄死にを避けて山形城に兵を集めるというだけの話だよね?
少しずつ残したといいたいのだろうけど、
あっちの城に500こっちの城にも500と守備兵を配置すれば、
20万石の最上が対直江軍に残せる兵力なんて多くて5000程度。
長谷堂城が抜かれれば伊達を頼って落ち延びるしかない。

256 :
>>255
でもその長谷堂が落ちる気配が無いという皮肉
損害も出てるし無理じゃね?

257 :
史実の直江軍も8000程度やでな

258 :
>>257
それ根拠のある数字?

259 :
>>256
小さく堅固で守りやすい長谷堂城に籠ってひたすら上杉の猛攻に耐えてただけっしょ。
地の利を活かした奇襲で一回直江軍を驚かす程度が関の山。
長谷堂城に援軍を送ってしまえば山形城に殆ど兵は残らないから、
谷地城から上杉別動隊が南下してくれば野戦決着も無理なぐらい一杯一杯じゃない?
留守政景率いる伊達軍3千は最後の一兵まで戦線を支えてくれるつもりの援軍には見えないし。

260 :
>>259
兼続も兵力差でそんな楽観視してたんだと思うよ
でも結果は三回攻撃して三回とも見事に撃退されてる
奇襲喰らって兼続本陣付近まで損害出てるのなんてもはや完全に翻弄されてるし一回で済む訳がない
まだ山形からの援軍なんて1000もいない段階でこれ
完全に大将の実力の差
伊達の援軍もかなり前線至近距離まで詰めてるしその楽観論ももはや慢心でしかない
雪の季節まで1ヶ月あるかないか、そこまでに山形城落とせるかと言ったら
完全に不可能
それでも猪のように攻めて雪で退路断たれたら全軍潰走ありうるし
政宗は会津になだれこんでくるだろう

261 :
西軍と言うより豊臣家が勝利するにはどうすればいいか?だろな。
もっと早い段階で、豊臣家は徳川との対決姿勢を鮮明に打ち出せば良かったんだろ。
これだと、いざ戦いになっても徳川につく大名はかなり減ったと思われる。

262 :
豊臣家じゃなくて西軍。豊臣語りたいなら大坂の陣スレへどうぞ。

263 :
関ヶ原は基本的に東西両方豊臣でしかないからな

264 :
>>258
陣立状などが残ってるわけでもないから現在よく使われてるのは奥羽永慶軍記や関原軍記大成などの軍記の数字で
そして軍記の数字が当てにならないのは周知の通り。
上杉系の軍記では逆に義光合流後の最上軍の方が大軍だったと書かれてる程度の話
なのでどの範囲の武将が参加してるか抽出して兵数を割り出す手法を取ると
名前の出てくる武将は水原以外はほぼ直江家臣と置賜郡の城代だけ
水原5千石と浪人組300と景勝からの援軍の安田家臣と、置賜郡の城代で不参加の泉沢1万1千石でプラマイゼロくらいなので
置賜郡18万石で1万石辺り300人換算なら5400人、4人役なら7200、+αでだいたい8000が直江軍総数
会津は関東と対峙、伊達郡等の陸奥勢は伊達と城の取り合いしてる中で割ける人数としては妥当

265 :
家康が倒された後のシュミレートの方がおもしろいな
秀忠が引き継いで戦えるかどうかが見もの

266 :
秀忠の場合勝ち切るのは難しい

267 :
秀忠じゃ味方が集まらんよ

268 :
カカカカカカカカカカカカカカカカカカ

269 :
>>266
カカカカカカカカカカカカカカ

270 :
>>264
仮にその数字だった場合
もともと最上と変わらない兵力で無理無理矢理攻めこんで結局全然ダメだわ
大部分の兵力遊ばせて会津で籠ってただけだわで
上杉景勝無能なんてもんじゃないって事になる

それはそれで徳川に攻めこむとかどう考えても無理で結論が変わらんけど
兼続はともかく景勝がさすがにそこまで無能だとは思えない
そもそも名前がでないから援軍大部分カットの計算は大雑把過ぎる

271 :
よくわからん理屈やね飛躍しすぎ

272 :
毛利が大坂城で粘った場合に上杉が関東に攻め込めるかの話だよね
なら上杉は関ヶ原の敗報を聞いて退却して最上に巻き返されてるし
落ち目の西軍に伊達が味方する理由はないし
今更佐竹が西軍として参戦する見込みも薄いし
越後方面の堀は一揆勢を片付けつつあるしで
とてもじゃないが上杉が自領を手薄にして関東に攻め込める情勢じゃないでしょ
そもそも景勝自身が関東攻め込む前に伊達や最上との関係を何とかしなきゃいけないといってるわけで

273 :
>>218
秀吉は自分が死んだ後にNo.2(最有力家臣)が乗っ取りをしない様に前田徳川を同格にしたはずなのに、
利家が亡くなったから家康はやりたい放題できる様になった。
正にNo.2不要論だな。

274 :
前田徳川を同格は無理すぎ、ありえない
官位、石高、軍功、家臣団

275 :
徳川前田が同格ってどこの世界の話だろうか

276 :
>>272
わたしも9月以降は上杉単独での宇都宮攻略はほぼ不可能だと思う。
秀忠&秀康が約1ヶ月使って宇都宮及び周辺諸城等の強化普請やってるわけでしょ、
秀康が宇都宮から釣りだされて野戦でもしない限り宇都宮は落ちないと思う。

逆に上杉がうまいこと宇都宮から秀康引きずり出せばわずかに可能性はあるかもだが…。

277 :
関ヶ原の報でハイもうダメと退却して庄内見捨てて守備固めしてる上杉が攻めるわけないじゃん。としか

278 :
>>271
貴方の出した数字は直江兼続単体の領土の兵力出しただけで
肝心の景勝がほとんど兼続に援軍をつけなかったと断定する明確な理由がなにもないってこと
軍記の数字はそのまま鵜呑みには出来ないが
当時の上杉の領土から兼続が景勝の援軍も率いて山形城攻めた兵数としては
2万強という数字は極めて現実的
あえて根拠がない低い見積をする理由がなにもない

279 :
>>278
上杉の総兵力と、どこにどれだけの兵力がいたか計算してけば最上攻撃の
直江隊の兵力がだいたいわかるんじゃない?

280 :
>>278
景勝からの援軍て具体的に誰?

281 :
>>264
記録を単純に信じると、奥州では物凄い動員出来た事に成るんだよね。
幾ら兵農未分離でも、おかしな数字に成る。
>>273
幾ら強大でも合議の席では五人の一人だしね。
前田の傅役、大阪で秀頼抱えてる、宇喜多は自分の婿まで考えると充分家康を封じこめるはず
なんだけどなあ?
息子がへ垂れて国元帰らず、大阪居座ってたら家康勝てたかねえ?

282 :
息子が大坂城に居座ってたら家康は大坂城に入れなかったしな。
伏見に徳川政庁を作って大坂御所と対立となっただろうね。

283 :
家康よりヘイト貯めてる石田が頭じゃ無理だわ

284 :
>>277
なるほど庄内をカラにして北から山形城に迫っていた訳か。
そりゃ山形城は絶体絶命だな。
この頃の山形城はまだ籠城策を取れない程度の屋形城だからこそ長谷堂防衛に必死だった訳だし。
伊達の援兵と併せて5000程度では野戦決着も怪しい。いざ決戦となれば直江軍からも横腹や背後を衝く遊軍が次々殺到するから負け確定。

285 :
ここは上杉がアイヌと同盟して北日本大連合で南下ですよ。

286 :
もし上杉景勝の家臣に真田昌幸が居たら東軍の南下を指くわえてみてないぞ
小勢で追撃かけて敵が挑発に乗ってくれば革籠原で罠にかけるし
挑発に乗らなければ喜んで追い首拾いしてく。
とりあえず罠にかけるため色んな施策はしたはず。

287 :
第二次上田合戦は森忠政&仙石秀久コンビが真田昌幸の猛追激を見事にブロックして
戦果を拡大できなかったが・・・

288 :
最上氏は少し前までは山形城周辺数万石の領主だっただけだもんね。
最上義光が謀略で次々下したけど、心服している武者はまだ少なかったのだろう。
山形城と出城の長谷堂しか確保出来てないのは降参寸前でしょう。起死回生の策も別に無いんだし。

289 :
>>286
真田に夢みすぎ
真田は基本的に籠城、挟撃、罠を利用した迎撃が目立つだけで、とくにそれ以外戦功もない
上杉の城で迎撃するときには役だつだろうけど追撃では期待できるものもないだろ

290 :
>>288
知っててわざと嘘言ってるだろお前w

291 :
小さな地域制覇の邪魔と思った武将は次の局面では戦線を任せられたはずの存在だったりするからな。
白鳥十郎をだまし討ちしなければ、谷地城を拠点に庄内勢を押し返してくれたのに。

292 :
最上義光大勝利Vやねん!
ってのは大概最上義光物語のソースが殆ど

293 :
もがみよしみ・・・・

294 :
>>281
しかし、政争になると家康には秀吉の義弟にして秀頼の義理の叔父兼義理の祖父(予定)という切り札がある。
例えばだけど、内大臣職と伏見の朝廷への近さを利用して「帝の御意志である。豊臣朝臣秀頼他、畿内の公卿はみな京都に住むように!」をやられたら秀吉が朝廷の権威を利用しまくった以上は抵抗できない。
宇喜田は家臣団の統制がどこまでできていたか怪しいし、宇喜田家を排除したい理由がたくさんある毛利が徳川と手を組むかもしれん。(確か関ヶ原直前の毛利家はその傾向があったはず)

ちょっと早めの関ヶ原をやるとして、前田宇喜田連合が徳川等に軍事力で勝つには距離の優位を生かせない限りは厳しいんじゃないかなあ?
ちゃんと計算したわけじゃないから確信を持って言えないけど。

295 :
養子であった秀次や秀秋を排除したのが致命傷だったよなやはり。

296 :
秀康とか秀家とか

297 :
>>296
秀家まで排除してたら関ヶ原すら起きずに気持ちよく家康に天下を奪われてた。
本当に秀家を排除せずに五大老にしておいてよかった。

298 :
むしろ秀家を排除しておけば政権はなくなっても家としての豊臣家の存続の目はあった
秀家なんて家中もまとめられない無能なくせに三成とつるんで暴れるお荷物を養子にしたことが間違いだった

299 :
スレ違いのような気もするが、むしろ豊臣政権存続のためなら関ヶ原がない方がよかったのでは?

関ヶ原で当時最大規模の十万対十万の大決戦を一日で勝ってしまった。
これにより、小牧長久手と関ヶ原という家康の武功と権威がどうしようもなく強くなり蔵入地を勝手に分配するのを止められなかった。
もっと小規模で、毛利や蜂須賀等に殲滅できる程度だったら上杉征伐以外にはそれほど武功はないし、蔵入地の分配ができる権威が不足するので恩賞の原資にも不足する可能性もある。
これなら徳川は藤原氏のように圧倒的だが、同輩中の首席程度に収まる。可能性論しかないけど。

300 :
なんで299の中に毛利を入れたのかよくわからんのでその部分は無視してくれ。
あと、蔵入地の分配に抵抗できたであろう増田長束などの奉行衆も壊滅してしまったというのも追加。

301 :
双方の書状でも記録が残ってるし
上杉の損害も出てるし
その後の最上家は大加増されてるしで
普通に客観的な最上勝利の合戦に
軍記だから信じないと意地張っても意味無いかと

302 :
最上の功績は大きいな。国力差を考えれば数日で降伏してもおかしくないのによくあんなに足止め出来た
数日で降伏してたら上杉、伊達、佐竹が関東に侵攻して関ヶ原さえなかった可能性が高い

303 :
>>299
既に、関ケ原前に豊臣の蔵入地を勝手に恩賞はしてるはずだよ。
家康が自分一人の花押で、信州川中島を誰かにやってる。
自分一人で豊臣の蔵入地を分配って、事実上主君の領地の横領だし。

304 :
>>302
確かに景勝の戦略自体はなかなかいい線行ってる
最上があっさり落ちてたら伊達、佐竹の動向は影響あったと思う
兼続に任せず自分で山形攻めてたら色々変わってたかもしれない
いずれにしろ最上の功績はとてつもなくデカい

305 :
>>303
恩賞については、豊臣が朝鮮で何年も過酷なただ働きをさせていたという背景があるから
朝鮮での不満を緩和するという大義名分を持ち出されたら仕方がないだろう
横領だ何だと批判するなら、秀吉が死ぬ前に朝鮮から撤退して論功行賞も終わらせればよかっただけだからな

306 :
その功績のデカかった最上だけどすぐ改易されてるよね
息子なんてまだ生きてるのに改易大名という辱めを受けて余生を過ごしてなかった?

307 :
確か家康が独断で豊臣家の蔵入地を横領して島津に与えようとしてたので
その情報を増田・長束からキャッチして先に三成たち奉行衆が島津に豊臣家の蔵入り地を与えて
家康の独断を阻止した気がする。

308 :
蔵入り地って強力なシステムだけど
強力すぎて嫌がられていたんだろうな

309 :
秀吉もまさが自分が死んだ直後から豊臣家の蔵入り地を横領して第三者に与える豪胆な奴が居るとは思わなくて
遺言でも触れてなかったろう。
その盲点をついて「遺言にも書かれてないでござる」で家康がバンバン横領して全国の大名と山分けするとは
凄い奴だよな。これくらいしないとやはり天下人にはなれなかったと思う。

310 :
秀吉もまさが自分が死んだ直後から豊臣家の蔵入り地を横領して第三者に与える豪胆な奴が居るとは思わなくて
遺言でも触れてなかったろう。
その盲点をついて「遺言にも書かれてないでござる」で家康がバンバン横領して全国の大名と山分けするとは
凄い奴だよな。これくらいしないとやはり天下人にはなれなかったと思う。

311 :
>>307
それは正確には、家康が朝鮮での戦功での恩賞を理由に島津に与えるのを主張だと思う。
ここでは、他の大老が拒否する所まで読み、それならそれで島津に私恩を与える事が出来て
逆に三成は島津に恨まれるって筋書き。
そこで奉行衆は前田とかに根回しして五大老の合議で認証した形にした。
そんで、恩賞は薩摩に有った豊臣の蔵入地ですね。
そもそも恩賞禁止だったはずだけど、ここではまだ五大老合議の形では有る。
だけど、其の後家康の独裁体制にした後で勝手にやった事は弁護不可能。

つうか、この時点で豊臣恩顧なら徳川討伐の挙兵を考えるべきだし。
そんなに大きな領地じゃ無いけど、戦争に負けた訳でも無いのに秀頼の領地が
勝手に削られるって酷い話だしね。

312 :
自演か

313 :
要するに安倍ちゃんが国有地を自分の手下である籠家や加計などにバンバン与えて
山分けし、国民を挑発する図に酷似してると思う。
これで国民が怒らなければ日本全土を安倍ちゃんファミリーで山分けすればいいし
抵抗勢力が現れたら治安維持法成立でバンバン逮捕し完全な独裁体制を築ける。
どっちになっても安倍ちゃんの勝ちだよ。

314 :
遺言はたくさん破ってるんです

蔵入りについては特に異論もなかったよう

異論あったらそいつが成敗される

315 :
豊臣恩顧の武将は何もいわなかったのかな?
福島らが東軍にいるのは、もう見限ってたのだろうか?

316 :
福島なんて真っ先に家康の養女をもらい受けた裏切り者だしな
この裏切り者に超要地であった尾張を与えた事が全てだよ
秀吉自身が豊臣家を滅ぼしたと言われる由縁。

317 :
>>315
当時の武士は恩賞を貰うために一所懸命に戦うという思想だから
豊臣は戦場でただ働きさせるだけで恩賞をもう出す気がないと思われる方が
豊臣政権にとっては遥かにマイナスになるんだよ
むしろ家康が豊臣筆頭大老としてスピーディに朝鮮の恩賞を出すことが
豊臣政権の信頼を繋ぎ止める唯一の方法だった

現代的な発想で勘違いされているだけで、蔵入地の分配に反対するなんて
豊臣のことを考える恩顧なら逆にありえないこと

318 :
秀吉もいない、誰の種ともわからない秀頼、これでいつまでも豊臣恩顧なんて言ってられない

319 :
輝元三成が勅令出させてたらなんとかなるかもしれないけど、家康なら南朝の末裔を召喚する可能性が。

320 :
蔵入地なんて諸大名の領地内にマダラに配置されてて
大名たちにとって目ざわりで鬱陶しかったろうに
秀吉のような強力な独裁者がいるからかろうじて運営できてたんで、そうでなければゆくゆくトラブルの火種から
戦乱のもとになったよ

総じて秀吉が作った武家関白制は秀吉級の現役カリスマ独裁者が代々続くことが前提で、
世襲であろうがなかろうが極めて不安定な体制だった
家康がいなくても破綻するのは目に見えてた

321 :
徳川家康「総じて秀吉が作った武家関白制は秀吉級の現役カリスマ独裁者が代々続くことが前提で、
世襲であろうがなかろうが極めて不安定な体制だった
ワシがいなくても破綻するのは目に見えてた」

豊臣秀吉「おまえな・・・」

322 :
豊臣秀吉「俺が作った武家関白制は完璧だ
肝心の関白を殺していなくなって幼児しか残っていないけど
死ぬまで海外遠征を続けて諸大名の不満を溜め込んでいるけど
俺の恩義を振りかざせば何とかなる


徳川家康「おまえな・・・」

323 :
いや徳川も真似してんじゃんかよw

324 :
秀頼さえ生まれなければ、秀次政権で豊臣家も安泰だったろうにな…

325 :
朝鮮出兵失敗で豊臣は
資金を使い果したのが痛かったのか

朝鮮出兵せずに足元を見て固めるべきだったのでは?

326 :
徳川は自分に力のあるうちに世襲して体制を整えていった
後継者も三代にわたって盤石になるように努めた

豊臣は後継者が育つまえに急逝して体制はそもそも整えられていなかった

327 :
>>325
そのとおりなんだが、武家を養うために戦争自体はやらないといけないので

武家解体にむけて動くか、海外にうまく侵略にでるか、どちらかだよね
明に攻め込むのもありだけど、もっとリサーチしてからやるべきだった

328 :
秀頼に継承できていれば…

329 :
豊臣家の跡継ぎを秀次にした場合、秀次は次に秀頼に譲るのだろうか?
秀吉としては「譲らない」と判断したんだけどね。

330 :
譲ったと思うけどな。秀次になってみないと分からない。

331 :
>>329
秀次がどう思ったかよりも
周囲の者がどう動いたかだしなぁ・・・
その状況でも家康は暗躍しただろうし

332 :
>>315
会社に忠誠を尽くすことと給料がたくさんほしいと考えることは矛盾しないだろ?

蔵入地は公衆電話ボックスみたいに大名領の中にポツンポツンと配置されていたんだ。
蔵入地自体が中央政権による各地の領主への内政干渉の道具だし、司法権も異なるから清朝の租界みたいに治安上の潜在的脅威になりえる。

そして、中央権力が弱体なら自家を取り潰す力も低いということ。
秀吉が福島加藤らを寵愛したからといって秀頼が福島らを寵愛する保証がどこにある?

そして室町幕府の足利家御料地なんて推定30万石しかなかったぞ。(ここから朝廷も養う必要がある)
朝貢貿易一回で数年分の収入が入ったという→財政基盤がすごい脆弱なことがわかる。
豊臣中央が貧乏でもそれほど違和感がなかった可能性もある。

もっと言えば慶長の朝鮮出兵で西日本の諸侯の財政は困窮していた。
当時としては現実的な懸念として、いつ報復として明や朝鮮が攻めてくるかわからないのもある。
周辺の大名だっていつ惣無事令を無視した戦争を始めるかわかったもんじゃない。
上杉征伐だって上杉が惣無事令違反をするんじゃないかという東北諸侯の不安に答えた側面もある。
だから軍拡をしたいと考えるさ。そして当然領地が必要だ。

もっと言うと室町幕府の守護大名から守護代や国人たちが大名の座を奪えた理由として守護たちが京都に住んでいて領国への土着性を失ったというのがある。
しかし、豊臣政権の大名は大阪や伏見に住むことが要求される。まあ不安だろうね。現に家康が諸侯の帰国を許可したら毛利や上杉を含めてみんな帰国した。
下剋上を防ぐには家臣団に加増を断続的におこない忠誠心をつなぎとめる必要がある。


つまり、恩顧を含む大名たちにとっては(自分と一族の命を懸けて)何が何でも領地をふやさないといけない。
蔵入地の勝手な配分を黙認したからといっても不忠と言うのはかわいそうなんじゃないかなあ。
というか加増禁止や私婚禁止という秀吉の遺言がちょっと実現可能性が低すぎるんじゃない?(この時期の豊臣はダメなところばかりに目が行ってしまう)

333 :
秀次健在なら勝てた

334 :
>>333
まあ、秀次健在なら家康は諦めてたかな。

335 :
秀次如きに家康が従う訳ねーだろ

336 :
秀次がいりゃぁ関ヶ原起きてないからな

337 :
関東の地理には疎いので質問なんだけど、
上杉が佐竹領経由で江戸を直接攻撃することは
地理的に可能?

338 :
男体山が邪魔するから現実的ではないな。
少数だったら山越えルートはもちろんアリなんだけど。

339 :
那須高原まで引き込めなかった時点で負けだよ。
そこまで引き込めれば佐竹が完全に退路を防ぐから東軍は袋のネズミだけど
宇都宮で進軍を止められたら佐竹は何もできない。

340 :
>>329
間違いなく譲らないし譲ってはいけない
秀次が継ぐ流れが出来ていた以上、それが豊臣にとって最善
秀頼は仏門にでも入れるべきだった

341 :
秀吉政権なんか15年程度のものだ
信長の盟友崩れの家康が黙ってるわけないよ

342 :
家康が執政である以上、家康の権勢が増大するほど豊臣政権全体とては安定する一方で、豊臣家の天下人としての立場は危うくなる

343 :
秀吉が家康を執権に指名した事が失敗だったな。
最初から天下の政は石田三成たち官僚に全てを任せると遺言してれば済む話だった。

344 :
>>343
全てを任せるということは前田利家や毛利輝元なども全て抜きで武断派や家康を抑えろということ
石田三成たち官僚なんて秀吉の後ろ盾がなければ
単独では簡単に追い立てられて排除される雑魚なのに
石田三成たち官僚に全てを任せるとかありえないな

345 :
石田三成なんて権勢がなきゃ、天下どころか佐和山領有すら怪しい立場だぞ。

346 :
>>343
豊臣家のトップを五奉行にするってことは
その五奉行潰せば豊臣を簒奪できる訳で
家康にとってこんな楽な話無いだろw

347 :
>>332
現代でも、後見人の叔父や祖母に財産を横領される子供「両親事故死で保険金が遺産とか」は普通に
居る訳だしねえ。
財産の横領を防ぐ為、複数の後見人の合議じゃ無いと使えない様にしたってのが五奉行五大老制
なんだよね。
そんで徳川から見れば、邪魔な他の大老を討てば豊臣の蔵入地山分け出来るって事です。

348 :
つまり天下国家の運営を一家族の感覚で運営しようとしたから豊臣家は支持されなかったと

349 :
入学金タダ!授業料タダ!生活費支給!文部科学省が「反日中国人留学生」に使う血税180億円!
日本人留学生の10倍もの予算が税金から外国人留学生に
中韓の留学生ばかりの支援は日本の発展のためにならない
ttps://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/26f22ec42fdbb3304dbaa8bda70d8930

< `∀´> ( `ハ´) 「日本人苛めても文句言わないからどんどんいじめて金奪うよ」

マスゴミ 売国政治家 「中国韓国に文句言ってはいけない、未来永久に謝罪続けてどんどん金を払いましょう」

350 :
>>343
それが本当に実現可能なら秀吉だってそう遺言しただろうよ。
大体地方大大名に政権の運営権をある程度でも渡す事自体が
特大のリスクだって事位秀吉だって承知していただろう。
いや、家康らを信じていたんだ!って言う人がいるかもしれんが、秀頼に確実に家督継承させる為に
秀次一族を完全排除してリスク回避した秀吉が、ここにきて他人を信じたとかいってはいけないと思う。
つまり少なくとも奉行だけでは政権は回らないと秀吉は判断した、と考えるしかない。

351 :
関ヶ原を勉強すればするほど毛利輝元に興味が湧きます この人、痴呆とかだったんじゃないか?

352 :
>>343
江戸幕府は老中達(譜代の中小藩の藩主が多い)が実権を握っていた。
大藩については、外様(加賀仙台薩摩)はもちろんのこと御三家も政権運営から除外されてた。
たぶん、豊臣政権の失敗から学んだのでは?

353 :
>>351
当主を継いだ直後は叔父達(元春隆景)が実権を握ってた。
叔父達が亡くなった後は安国寺とか広家とかが好き勝手やって家中がまとまらなかった。
そいつらの影響が消えた関ヶ原より後は親政をしてまずまずの領国運営してたからアホではないと思うよ。

354 :
毛利も西軍に行くなら行くで、覚悟を決めて大阪城で籠城戦ぐらいしたらいいのに…

355 :
篭城じゃなくて関ヶ原に押し出すべきだった。
そうすりゃ西軍の勝ち。

356 :
輝元が大坂に入場した時点では必勝の態勢で負けるはずの無い戦だった
その後、グダグダし始め総大将の輝元自身が「俺、勝てねんじゃね?もう降伏しちゃおうか」とか
とんでもない事を考え出したのが致命傷だった。

357 :
三成が二人居たらおそらく西軍は勝てたな。
一人が輝元の精神安定剤役として大坂城に居座り
もう一人が軍勢を率いて最前線に居れば・・・・

358 :
三成が1人もいないのが最善

359 :
小早川隆景が健在で毛利を統轄していたら勝てた

360 :
>>355
毛利が押し出して来たぐらいじゃ勝ち目無いよ
小早川が言うこと聞くわけ無いし
家康率いる無傷の徳川軍3万は大将輝元じゃ倍はいないと倒せるわけ無い

361 :
神社や寺は多額の寄付金を受けて儲けていて税金も払っていないにも
にも関わらず慈善行為をほとんど行っていない。
また、神社は日本会議と言う政治団体まで作って日本を支配利用する
最悪のカルト団体である。

まさに中世のキリスト教のような悪辣な団体だ。

しかも彼ら神職者は宗教的制約がないため酒もタバコも女も自由にできる。
快楽的宗教でまさに邪教にも関わらず、日本国民の多くが献金をしている。
彼らの最悪なことは宗教改革を行わないことである。

彼らは自分の宗教を改革しようとしない。
堕落をそのまま受け入れる。
こんな連中が日本を支配して税金も払わず、放蕩の限りを尽くし政治も
牛耳っている。

362 :
かつて信長を杉谷が暗殺しようとしたように、手練れの刺客を配置してやるしかない。戦いやっても勝ち目はない。

363 :
いろんなとこで家康暗殺されてるけど
その度に影武者がポンポン生えて状況が変わってないから暗殺策は無駄だと思う

364 :
マンガかよ

365 :
家康はそういう死線を何度も潜り抜けてるし
家康の為なら喜んで命を差し出すキチガイ三河武士が
鳥居クラスの重臣にさえゴロゴロいるしで暗殺は悪手だと思う
失敗して豊臣切り崩しの口実に利用されるだけ

366 :
毛利輝元って当時の日本でもトップクラスの恵まれた環境に生まれたボンボン、という認識でOKですよね?

367 :
>>366
その評価は宇喜多秀家か豊臣秀頼にやるべきじゃないかな。

368 :
輝元秀家はぼんぼん

景勝は自力か

369 :
利長もぼんぼん

叩き上げは家康

370 :
輝元、結構苦労してると思うがな。
そりゃ跡目争いとかそういうのは無かったし、当時の毛利は大勢力だったけど、
敵対相手はあの織田軍だぞ。しかも相対していたのは秀吉だ。
いくら優秀な叔父がいたとはいえ、決して軽く見ていい存在じゃないと思うんだが。

371 :
叔父あっての輝元だったと改めて思う
もし叔父が居なかったら五大老はともかく大名家としても生き残れなかった
今川氏直と同じ運命をたどったと思うよ。

372 :
花倉の乱で今川家御親族衆が払底しており朝比奈などの数少ない重臣に
おんぶにだっこしてもらわないといけなかったのが氏直もつらかったな。
優秀な叔父が二人いたら松平家も今川家を見限らなかったし衰退も無かった。

373 :
>>359
小早川隆景が長生きした場合そもそも上杉征伐が発生するかもわからなくなるのでその想定は難しくないかな?

>>366
叔父達の助けがあったとはいえ大友や織田家(秀吉)に四国や領内のゴタゴタと3正面か4正面作戦をやって大大名として生き残った。
ついでに言うと100万石クラスの大名でも簡単に改易や転封をくらう豊臣政権下の権力闘争を一度も失脚せずに重臣中の重臣としての地位を守りつつ生き延びたぞ。
上杉と徳川は地方に飛ばされ、蒲生と丹羽は大減封、切腹や一族皆殺しにお家断絶になった重臣はいくつもいる。
関ヶ原で大敗北し、大坂の陣で反逆の疑念をかけられても社稷を守るだけでなく自分の血統を継承できたんだから大したもんだと思う。

だが彼はおそらく、偉大過ぎる祖父のようになろうとしてなれなかったんじゃないか?
輝元からそこはかとなく漂う無能臭は、おそらく自分と毛利家の能力を過大評価しているところと、祖父元就と比べて事前準備や策謀が不足しているだろうと思う。

374 :
>>372
氏直は氏照、氏邦、氏規と優秀な叔父が三人いてあれなんだがな。

375 :
>>373
自分の我欲を通すために家臣の嫁まで奪うような奴にそんなガッツあるわけないでしょ。大坂の陣でも自分で家臣派遣しながら、その息子たちに罪なすりつけてぶっRわ、元春の外戚をぶっRわやることは秀家や秀頼より酷いと思う。

376 :
>>352
家康自身が、豊臣家の家老且つ外祖父の立場で乗っ取りした訳だしねえ?
伊達の娘を貰った息子に永対面禁止の処分したのも、死後に伊達政宗が動くのを封じる為だろうし。

中国の王朝だと、良く外戚「皇后の一族」ってのが出て来るけど、これは皇族に大きな領地や重要な地位を
与えると当人にも低いけど皇位の継承権が有るから不味いってのが有るんよ。
外戚なら姓が違うから危険は少ないと。
しかし、曹魏みたいに一族を弾圧し過ぎると家臣が勢力拡大すると終わりだしね。
逆に司馬氏の晋は一族だけでも28王も作ったら、皇族の内戦で滅亡した「確かに家臣の下剋上は無いけど」ん
です。

まあ、五奉行の一番不味い所は自前の武力が貧弱って事ですよね。
だから強大な武力を持つ徳川に威嚇された訳だし。
秀頼が元服するまでで良いから、奉行の合議で豊臣の旗本を動員指揮権限とか与えれば良かったのかも。

377 :
>>376
奉行連中に軍事指揮権なんか与えたところで豚に真珠もいいとこ
その武断派に蛇蝎のごとく嫌われてるのに
まともに指揮下につくわけがない

378 :
豊臣政権でも軍権と裁判権と治政権をおおまかに分けてはいたけど徹底してなかったのがな・・・
それこそ軍人も官僚化して刀狩りは農民だけでなく各大名からも武器を取り上げてしまえば
各大名たちは手も足も出なかった。

379 :
徳川政権は軍船や千石船(商船でも五百石以下を義務化)を禁止し
火薬の流通も押さえ、大砲の鋳造を禁止し、ある意味全大名への刀狩りを断行したから
太平の世を築けたんだよな。

380 :
>>378
それやりたいのなら、政権としてしばらくは大規模な軍事行動を控える必要がある。
そうしないと現場が大混乱になるし、当然反発も大きくなるから。
が、天下統一を果たした豊臣政権がその後何をしていたかというと…。

381 :
>>379
民間船の制限はすぐに解除されたよ。
江戸時代の後期は2000石相当の船が
輸送に使われていた。

千石船があの形なのは経済的な理由がでかい。

382 :
>>376
日本も外戚出てきてるがな
藤原北条安達日野

383 :
家康をVXガスで襲撃
利長はサリン漬け
輝元はポアしろ

384 :
毛利家事態はあまり好戦的ではないんじゃないかな?
中国大返しで秀吉追撃もしなかったし
その気になれば明智や柴田と徳川、北条あたりと
秀吉包囲網も作れたのに

385 :
大河ドラマの兼続か官兵衛かなんかで
毛利と上杉がなぜ本気でお互い
関ヶ原の時家康に対抗しなかったの?
おかけでお互い小大名にされてしまったな
なんて話してるシーンがあったな

386 :
>>385
どちらも関ヶ原で悔しい思いをしてるな。
しかし、毛利は維新で倒幕したのに上杉はなんで何もしてないの?

387 :
>>386
無嗣断絶の所を領地半減で許してくれたから

388 :
上杉はむしろ親幕府になったような

389 :
江戸時代通じて武門の家と持ち上げられ続けた上杉
幕府には優遇されてたが他大名からの陰口が収まらなかった毛利
いじめられっ子の逆襲かなと思わんでもない

390 :
真田は信之末裔が倒幕して信繁末裔が佐幕側に。分からんもんだ。

391 :
>>388
景勝の孫の綱勝の時に本来なら無嗣断絶するところを、保科正之に助けられて吉良上野の息子を養子にして改易を免れることができたからね。あれ以来、上杉は親幕府。

幕末には3万石ほど加増もされてるし。

392 :
>>376

次の皇后陛下とその一族をdisするとは不敬の極みだな、

393 :
三成叩きって島津を総大将にしてかろうじてだろうな。

394 :
>>376
日本の場合、朝廷の摂政関白、鎌倉幕府の執権、室町幕府の管領と、外戚やナンバーツーが実権を掌握しちゃう慣行が長くできすぎてるし。
特に武家政権で明確なナンバーツーがないのって徳川幕府だけだし。徳川も後半は井伊家が大老の職を独占してたから、幕藩体制が西力東漸なしに継続していた場合、井伊家が徳川家にとっての細川家や北条家、藤原氏になってたかもしれない。
天下人クラスでナンバーツーが完全簒奪したのって豊臣徳川くらいしかいないような。

松平忠輝の件は嫁以外の要因というか、息子の好き嫌いを極端に決める家康の悪癖にしか思えないけど。

奉行衆にしたって、あいつら仲が良かったけ?鎌倉幕府の初期にあった13人の合議制みたいに雲散霧消しそうな気がしてならないんだが。
旗本衆も領地があちこちに散在してるから室町幕府の奉公衆みたいに近隣大名のほうを優先するんじゃないかという疑念がぬぐえん。
それにすべてがうまくいったとして、五奉行が秀頼が成人した後でも軍権を手放すんだろうか。
あと五奉行体制が1600年ごろに起きるだろう前田玄以の死という困難を乗り越えられるかな?
尾張以来の豊臣恩顧の連中が奉行のポストに就こうとゴタゴタを起こしそうでならない。

足りないところが多すぎてきついよ。なんであんなに一族がごろごろ死ぬんです。残った一族で一番ましそうなのが小早川秀秋って何ですか。なんであそこで秀吉さん死んだんです。

>>386
毛利が関ヶ原の恨みで討幕したのって、明治政府のプロパガンダみたいなもんだし気にしない方がいいのでは?
関ヶ原の恨みが事実にしても、表高30万石実高50万石(100万石説あり)で交通の要衝にいて、広島藩とも同盟できた毛利と、表高15万石で実高もせいぜい30万石しかも全方位が親幕府派の上杉を比べちゃ可哀そう。

395 :
>>394
北条なんか長崎安達潰したはずなのに逆に牛耳られたんだぜ

396 :
>>394
四代目家綱の御代に大老酒井忠清によってほぼ実権が奪われてたけどな。
忠清が突然死しなかったら酒井幕府になってた事はほぼ確実だった。

397 :
>>394
7将らが三成を襲撃したのっていろんな理由があるんだろうが、
その一つとして自分たちにも奉行的なポストをよこせってのがありそうだな。
それと、タイミングがあんまりよくないのは確かだけど、
年齢的な事考えれば秀吉が病死はもうどうしようもない気がする。

398 :
秀吉がもっと早く逝去していれば良かったんじゃね
秀次が健在なら豊臣安泰だよ

399 :
少なくとも徳川が色気をだすこともなかったよな
まあ秀次が関東まで管理できるかどうかはかなり未知数な気もするがしばらくは豊臣の世だろう

400 :
いや秀次生きてても徳川は何かにつけて暗躍するだろう
淀と秀頼を焚き付ける謀略に掛かるに決まってる

401 :
天下と言う意味では秀次がいても家康には勝てないだろうと思う
ただ彼は関白なので、高家として豊臣家は江戸時代に血筋は残せたと思う

402 :
秀次が三成になる

ただし豊臣恩顧が何人味方するか

手としては秀頼を担いで
秀頼ぬ仇ナス秀次を討つといって秀次を攻める
三方師作戦

403 :
秀次生きてたら秀頼の養育も義父の秀次がやる事になるから口実にはならないんじゃね

404 :
そこを分断する

405 :
秀次の世が続いたとしても、豊臣家に匹敵するような大諸侯がわんさかいる状況だからなぁ
それらの大諸侯はゆくゆく力を削いでいかなければ政権の安定は図れないんだが秀次や以降の豊臣当主にそんな政治力や行動力があるかは未知数
やり方を誤ればまた戦乱の世に逆戻りだ
そしてそれは西軍が勝った場合にも当てはまる政治状況

406 :
その意味からすると徳川幕府は良く続いたね

強力過ぎれば反発が生まれるし無能な後継者も現れる

407 :
どう考えても秀吉生前の側近と秀次側近が対立し、前者が秀頼を担いでお家騒動に発展するパターン

408 :
秀次が秀頼を殺そうとする
あるいはその意図があると焚き付ける

どっちにしろどっちかが死んだ後にもう一人お排除する

409 :
>>405
秀次は子供たくさんいたし、年齢を考えたらまだまだ出来る可能性がある。繁殖力皆無の豊臣で秀次は異色の存在。

養子を送るなり嫁がせるなり、分家を新たに立てるなりと方法は色々ある。

それと勘違いしてるけど、秀次が大名として生き延びていたなら秀吉、秀次の所領合わせたら350万石くらいになって徳川家康すら上回るから。

410 :
>>407
担ぐとしても、そんな旗頭がどこにいるの?
秀次が生きていたなら石田三成は水口4万石の小大名。話にならないよ。

411 :
秀次が金を貸してる大名プラス秀次の与力大名プラス秀次と政略結婚してる大名で
全国の半数くらいになるんじゃね?それを秀吉が恐れて誅したのでは。

412 :
そんなに秀次が強力なら秀頼を排除するのが流れ
何故秀次が善人になるのか

413 :
>>405
なあに、鎌倉幕府も室町幕府も戦乱ばっかりだったさ。
だから戦乱がおきまくってもいいのさ(思考停止)

>>407
家康が秀頼を擁立して秀次と戦うのか。

414 :
秀吉が死んだ時に秀頼5歳
秀次30歳、尾張伊勢100万石+東海道大名等

誰が政治するって秀次がするしかないでしょ

415 :
そこでけんりょくを握った秀次が次にやることとは?

416 :
秀次健在なら黒田官兵衛も暗躍しそうだな

417 :
>>412
いや、たくさん側室を置いたのも
たくさん子供を産んだのも
たくさん政略結婚したのも
全部秀吉自身の命令だが
ところが秀頼が生まれてしまったので
その事を全て秀次に責任転嫁して激怒した

418 :
>>417
秀吉の命令?
初めて聞いたぞ。
ソース何?

419 :
>>412
善人とか何言ってるのかようわからんが、秀頼は娘婿として取り込むなりやり方は手荒にしなくてもいくらでもある。

420 :
秀頼が生まれて秀次が関白職のままで秀吉が亡くなったら
果たして問題なく権力移行できたのかな
三成が逆の立場になったりして

421 :
ほぼ藤原家になっただろうな
関白 秀頼
太政大臣 秀次息子
左大臣・右大臣 秀次息子
参議全て 秀次息子で独占
豊臣でなくば人にあらずになったはず。

422 :
秀頼の正妻も秀次の娘になるわけだから
太閤秀次は完璧な天下人になれたことだろう。

423 :
天皇の嫁も秀次の娘、皇太子の嫁は秀頼の娘(秀次の孫)となるわけだし

424 :
軍功が無い軍事政権などあり得ない
家康みたいに体制を作り切ってしまえば別だが

425 :
>>421
武蔵内大臣「一人占めは良くない」
安芸中納言「そうだそうだ」
陸奥中納言「官位を独占するなら越後を返せ」
公家衆「大名方の仰る通りでおじゃる!麻呂たちには官位しかないでおじゃる!」

426 :
秀吉付きの従者が政権から排除されて
実際は排除されなくても従来のような参画ができず排除されたと思い込む
秀次付きの従者が政治運営していくとしたら秀頼を立てて内乱が起きそうな気がする

427 :
秀次派が主流になれば秀次が死んだ後で
秀次径派閥と秀頼派で抗争
秀頼派が潰される
その頃は家康芯出るだろうが

大乱になる

428 :
秀次は関ヶ原に関係ないんだよ。他所でやれ。

429 :
徳川秀忠隊が関ヶ原に到着していれば、小早川秀秋ももっと早く裏切っていただろうね。
そうなれば豊臣諸侯の手柄が少なくなり、破れた諸侯の領地配分で徳川が多くの領地を獲得出来て、豊臣家も史実よりもっと早く滅亡していたかも…

430 :
小早川は東軍
裏切ってはいない

431 :
このスレは純軍事的に西軍がどうすれば勝てたかだけを考察するってこと?
その後の政治的な動きは考えずに
そこまで考えると豊臣政権の安泰という解はどうやっても導き出せないんだよね、不透明過ぎて
豊臣政権は秀次一族を滅ぼして秀頼一人になった時点で事実上終焉したとしか考えられない
西軍が勝利して、その後豊臣政権が安泰になるところまでシミュレーションしようと
すると
かなりご都合主義になると思うんだがどうだろうか

432 :
スレタイ的には、安泰は求められていない

どうすれば関ヶ原で勝てるかだね

433 :
豊臣恩顧大名全員が西軍についたら勝てた

434 :
西軍が負けた原因ってどんなもんだろ?

秀吉のせい 50%
輝元のせい 20%
三成のせい 10%
広家・秀元のせい 10%
運のせい   10%

こんなもの?

435 :
西軍が勝つか、だけだとあんまり議題としておもしろくはないな

436 :
上杉も革籠原まで東軍をおびきいれるためおとり部隊をだして負けさせるとか
上杉軍が壊滅状態であるなどの嘘情報を農民たちに流すとか何かしら努力や工夫はしたの?

437 :
奉行がグダってるのも敗因として大きいと思う

438 :
>>434
吉川小早川の内応

439 :
>>434
小早川隆景のせい。
毛利両川の生き残りとして吉川広家をしっかり教育しておくべきだった。
若しくは輝元に「吉川広家を用いてはならない」と毛利をまかせられる人物に育っていないことを警告。
小早川隆景は予想がつく数年後の毛利についてさえ何の布石もしてないんだよなあ。
小早川秀秋に譲る際に家臣が皆退去してくるのを遮り、
「小早川家を支え、ひいては毛利を支えよ」と説き伏せていない。
五大老のひとりとして家康に釘を刺すこともしていない。

440 :
吉川のおかげで毛利存続

輝元に天下を望むなと教育すべきだった

441 :
>>437
それは言えるな。増田と長束は酷い。玄以は最初っから東軍ぽいからなんとも言えないけど

>>438
秀秋は徹頭徹尾東軍だったし仕方なくね?

>>439
手厳しいな。そこまで隆景って実は優秀じゃなかったんじゃね?秀吉たちの買いかぶりで

442 :
>>439
その小早川に秀秋を送り込んで台無しにした秀吉の責任はどうなのか

443 :
毛利本家を元清とか元政が継いでおけば良かった。

444 :
>>443
元就に「虫けらのような子ら」と評されているから無理。
采配を毛利秀元に預けるよう遺言していればなあ。

445 :
元就亡くなったときに秀元生まれてないし
隆景だとしても秀元は当時17、8とかだぞ

446 :
>>439
吉川広家に器量がないのは親の元春が散々文章残してるし
輝元だってとっくに知ってるだろ
それでも頼らざるをえなかった輝元の器量と毛利の屋台骨の脆さはどうしようもない
秀秋に至っては子じゃ無いんだから無理に決まってる

隆景も元春も出来る事があったとすれば生きること、それしかなかった
群雄割拠の戦国乱世を生き抜いた奴じゃないとどのみち家康と張り合える訳がない

447 :
広家・秀元が参戦してたらどうなってただろう
池田は間違いなく死ぬけどな。

448 :
>>447
参戦するとしたら毛利を代表して東軍として参戦するだろ

449 :
>>444
輝元よりずっと名将だぞ

450 :
小早川秀包が小早川家継げばなんの問題もなかった

451 :
秀吉が毛利家に手を突っ込みすぎたのも含めて
すべてが裏目に出たのが関ヶ原という結果
勝てると踏んで関ヶ原で決戦起きたのだから変数を弄っても結局東軍が勝つ未来しかない

452 :
富士山噴火と地震で家康ごと関東全滅していれば西軍は勝てた

453 :
それをいうなら関東大震災だろw
津波で江戸と小田原と鎌倉と江の島と藤沢は丸ごと流されるから

454 :
>>449
能力ではなく、一門の中での格が低すぎるってことだろ

455 :
>>422
秀次生存なら秀頼の正室は千姫じゃ無くて、秀次の長女だろうし。
場合により子供産まれんと不味いから、三人くらい纏めて娘送り付ける可能性も有るかもね。
なんにしろ、家康みたいに自分の野望の為には孫娘の一人や二人焼殺しても構わないを
秀次が真似出来るかは疑問?
家康みたいな異常人は戦国時代でもそうは居ないのでは?

456 :
>>455
あー千姫じゃなくなるのか、なるほど。

でも秀次の子供に嫁ぎそうだ

457 :
秀次存命でも千姫は秀吉に乞われて秀頼の嫁となる約束だったので千姫が嫁ぐ事実は変わらない

458 :
>>457
それは秀次が死んだからやで
秀次が死ぬ前に秀次の娘を秀頼の嫁にするという約束もさせられてた。

459 :
関東方面在番状況

宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?

大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。

黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定

鍋掛:皆川広照、水谷勝俊

蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、

烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水

江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平靖忠、天野康景、
    

特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。

460 :
>>459の訂正、
江戸城の松平靖忠は康忠。

461 :
だれも読まないから気にするな

462 :
下野方面については、上杉単独で宇都宮を落とすのはほぼ不可能と思われる。
西軍勝利のための上杉の最善手は(上杉の意向、方針は別として)、
どのような方法、手段でもよいから、最低でも秀忠隊38000、欲を言えば江戸の家康本隊33000を
関東に釘づけにしておくこと。
その間に美濃・尾張方面で東軍先発隊を撃滅すれば、想定通り尾三国境付近もしくは
浜松で決戦するか、年末か翌春に大軍で関東進攻とつなげることができる。

想定外の敵戦力が東軍先発隊35000であり、これを撃滅すれば西軍の想定構想に
戻すことができる。

ただ、両軍とも動員兵力が多いので、いずれにしても野戦でなければ両軍とも相手の撃滅は
ほぼ不可能だと思う。
東軍は清洲、宇都宮で籠城してればそう簡単には落ちない、
西軍も木曽川ラインか、大垣、岐阜、犬山で籠城してればそう簡単には落ちない。
(当然だが十分な兵力は必要)
上杉もあれだけ防備を固めていれば守るだけならそう簡単には負けない。


西軍としては美濃・尾張で東軍主力を引き付けているうちに上杉が最上、伊達を攻略するというのもありだけど、
その場合上杉は、最上は2週間で、伊達は1か月以内で攻略しなければならないと思う。
つまり10月中旬には最上、伊達を攻略し、情勢的に西軍に与するであろう佐竹とともに
関東へ進攻する。
なのでこの場合なら10月中旬までは美濃で粘る必要はある。
しかし9月下旬でも長谷堂も落とせないようではだめ。美濃がもたない。

463 :
毛利は村上水軍を上手に使えば勝てた

464 :
>>463
毛利って西国に兵を派遣して勢力下におこうとしてたフシがあるんで
水軍は大体そっちにいって分散してるんじゃないかな。

465 :
>>464
東軍武将の本国を落とすのは別に問題無いでしょ。根なし草になれば一軍が崩壊する。

466 :
九鬼水軍ももっと活躍していればなあ

467 :
>>465
崩壊してないんだよ…。家康に居城を空け渡してもな。
それと、毛利の西国攻撃は事実上史実でも失敗してるし。

468 :
>>463
当時の水軍衆って縄張り意識が強いから、下手に村上水軍に紀伊半島を超えさせると九鬼家が親子両方東軍に寝返る可能性が。
九鬼・徳川水軍連合になると厳しくないか?あの頃の里見水軍ってどんな感じだったのかな?
黒田家とか瀬戸内海には小規模とはいえ東軍系水軍がいたわけだし。あんまり本国も安全じゃなさそう。

それに内海で比較的海が穏やかな瀬戸内海になれた水軍と、瀬戸内海と比べて波が荒い太平洋の水軍の争いになるからアウェーの戦いになるというのも厳しい。

>>466
九鬼水軍は大活躍だったじゃないか。
主に親子喧嘩でw

469 :
仁川上陸のように村上水軍で江戸上陸。慌てる家康の顔が目に浮かぶw

470 :
つまんない

471 :
毛利水軍はちゃんと活動してるでしよ、
大友上陸軍の輸送及び船団護衛、
三津浜への上陸、伊勢湾への派遣、
9月だったかには知多で東軍と戦闘もしてる。

472 :
村上水軍で江戸襲撃とか信長の野望でさえなかなか出来ない無茶苦茶戦略だなw

473 :
政宗「イスパニアの無敵艦隊とかワイルドだろう」

474 :
水軍といっても輸送がメインだしな

475 :
>>473
関ヶ原の時点でボロボロのくせにw

476 :
>>375
そもそも嫁奪った話自体怪しいし佐野の件は普通に偽文書なんだがね

477 :
幸村が1000の手勢を率いて豊臣の家紋を借りて
「秀頼様軍勢5万!もうすぐ関ヶ原に到着なり!」
って叫べば東軍諸将も動揺して東軍戦線崩壊じゃね?

478 :
>>477
幸村?

479 :
お薬飲み忘れてますよ?

480 :
横だけど
おまえら大河見てないのかよ

481 :
光秀?

本能寺珍説来るんだろ

482 :
>>477
関ヶ原の時って、秀頼は6歳とかじゃなかったか?
戦場に行くなんて無理無理

483 :
>>482
騙しだよ
実際は来ないがな
戦場を混乱させるための秘策だよ

484 :
まあ様子をみることにはなるだろうが、結果秀頼出てこないから先遣隊の真田が壊滅して終わる
千人規模ではどうにも。
そもそも真田は引き込んで罠にはめる、がメインだから突撃するのはかなり無理筋

485 :
秀頼来たら親徳川の戦意は異常に昂ぶる
倒せば大勝利
一気に豊臣を崩壊できる

486 :
秀頼がいるだけで勝てるなら挙兵の時点で勝ってる

487 :
>>480
とらどらなら大河の横からとんびの油揚げをかっさらっていくとこがひどいと思う

488 :
>>486
ヒデは仙道だから

489 :
>>482
鎌倉に突入した足利義詮って幼児じゃ無かったっけ?
実際の指揮は新田義貞でも、名目の総大将は足利義詮って思ってた武士は多かったみたい。
なんかね、幼児を総大将にすれば霊的な加護が有るって信仰が有ったみたいで?
正直、無理矢理でも秀頼親征なら士気が異常な程上がった気がする?
福島正則とか、金の瓢箪の馬印で寝返りそうだし。

490 :
秀頼は三成を支持してたわけじゃねーしな

491 :
>>489
淀君が幼児(秀頼)を戦場に送り出すわけないよ。
勝った方を支持すれば豊臣家は残れるとでも思ってたんじゃないか?

492 :
秀頼、というか淀殿とその取り巻きを押さえられなかったのは致命的だったよなあ
淀殿からしたら三成は他人みたいなものだし妹が嫁いでる徳川のほうに親しみがまだあったろうから
クーデターとしては政治的にかなり無理をしたんだと思う
淀殿に対して事前に調略した形跡全くないもんな

493 :
澱気味はリスク取りたくない
三成は必勝の策と言ったはず
真田にガセを言ったように
負ける可能性あるけどやっていいかと言えば却下

494 :
>>477
架空戦記で加藤清正がそう叫ぶのはあったぞ。

495 :
秀頼の出馬は難易度が高いが、もし秀吉(羽柴筑前)な、いざとなればら三法師出馬という
離れ業もやってのけただろうな。

三成や毛利にはそこまでの権限は無い。じゃあ淀ならあるのか?と言えば
仮に西軍首脳が真剣に言い出した時に淀に止める術は無い。
歴史的事実として、関ヶ原時点では淀の生母って肩書きしかないただの女性。
ねねと違って他に特筆されてる史料もない。

496 :
女は打算的に判断

三成では必勝でないと査定

そもそも実権なし

497 :
西軍首脳は家臣
家臣が命令するなら謀反

498 :
>>494
あの小説また読みたい

499 :
>>485
まあ金星だよな

500 :
>>492
主家の淀や秀頼からしたら三成のやってることは破滅への片道切符だしな
淀や秀頼が望んだ挙兵ならともかく勝手になにやってんだって話だわ

501 :
普通に考えれば秀頼の意志はないか無効
淀黄身は主君でないので無効
北条政子ではない

五大老に澱を入れるとかしないと

502 :
各大名がどう考えるか分からないが
雑兵レベルだと金なり瓢箪が出てきたら
「え・・・なんかヤバクね?」「関白家に逆らったら家族もろとも族滅するよな?」
「こんなの関わったらろくなことがねえ」「おらはこのまま逃げるだ」と
東軍の兵の多くは離脱しそう。

503 :
>え・・・なんかヤバクね?」「関白家に逆らったら家族もろとも族滅するよな?」

むしろ逆
関白が殺された秀次事件を教訓として
三成と対立したら徹底的に戦って三成を排除しなければいけないというのが末端まで含めた東軍の認識だよ
三成を相手に交渉や妥協は存在しない、それをやったら家族もろとも族滅されるだけ
だから三成以外の西軍大名と交渉して不戦を約束してでも
三成だけは絶対にR、ついでに佐和山にいる親兄弟も絶対にRというのが雑兵まで含めた東軍大名の共通認識だった

504 :
三成には覚悟が足りないよな。
もう謀反人上等で錦の御旗も金なり瓢箪も自作して各山の頂上に掲げとくべきだったし
佐和山城なんて捨て城にし一族郎党全員で関ヶ原に集合すべきだった。
当然、高宮に居た小早川秀秋が佐和山城を占拠し籠城する事が確定する。
それだけで史実よりずっと西軍が有利になってた。

505 :
一応、東軍は朝敵上杉景勝を討伐するための「官軍」なんで、これを背後から攻撃しようとしている西軍が秀頼を出陣させるためには朝廷工作が必要なのでは?
大坂の陣の時点で1万人ほど残っていた(つまり関ヶ原の段階ではもっといたはずの)七手組に抵抗されたら致命的すぎるし。

もし出すなら関ヶ原「本戦」時点で西軍の敗勢でレイテ沖海戦やクルクスの戦いみたいなもんだから、秀頼を出すなら出すでそれこそ岐阜城あたりに置いておかないと。
ただ、豊臣一族の異様なまでの病弱さや呪いとしか思えない短命さを考えると下手に大阪城から出すと病死されかねないのが怖いなあ。

というか上杉征伐に始まる一連の兵乱としての「関ヶ原の戦い」と美濃国関ヶ原で行われた合戦としての「関ヶ原の戦い」が混じってない?
なぜダブルミーニングな「関ヶ原の戦い」が分割されないのかはよくわからないけど。日露戦争を日本海海戦のひとことで無理矢理まとめてるようなものだろうに。

506 :
青野カ原ニテノ合戦や大垣表合戦と呼ばれる可能性もあったのが
色々あって関ヶ原の戦いと呼ばれるようになったんだよね、確か。
将来ネーミングが変わる可能性も微妙にあるかも。

507 :
こんな雑魚相手で秀頼引っ張り出してくれたら家康はもっと楽に天下取れたろうな

508 :
三成や毛利の言い分なんて結局賊軍のたわごととして朝廷もみていたわけなんだよな

509 :
>>507
当時の公家の日記に天皇から毛利輝元を疎かに扱わないようお達しが出てるんだが

510 :
正確に言えば毛利輝元に別儀のないように言ってるので仮に朝敵だとすると後陽成天皇は朝敵とみなしてるのに別儀のないようにしようとしてる無能になる

511 :
後陽成天皇味方にしても南朝の末裔(自称)が敵に出てくるので無意味

512 :
関白なんて関東とかで戦ってる
将軍とだって戦う

513 :
佐和山が落ちれば総大将が負けたことだから西軍崩壊

514 :
>>472
長宗我部水軍もあるのぜ!
村上水軍や九鬼水軍と協力すれば最強の水軍ぜ!

515 :
宗茂と秀包が本戦に間に合ってれば勝ってたわ

516 :
所詮は外様に過ぎない二人がそろって仲良く山の上で観戦しているだけだろ

517 :
大阪篭城を主張してる連中だからガチで戦うだろ
知らないのか?

518 :
>>515
そいつらが来てやっと徳川の出番かなってくらい
勝つなんて程遠い

519 :
>>517
西軍は口先だけは達者な奴が多いから参考にならないよ
実際に輝元が乗り気でないと理由をつけてさっさと大坂から帰っていった連中だからな

520 :
そしてその西軍の子孫たちに戦わずして逃亡した徳ちゃん

521 :
>>515
宗猛さえ居れば

522 :
>>515
宗茂と秀包は大津城攻めからして巧妙だったな
秀吉の側室や淀の妹がいることを理由にいくらでも時間を引き伸ばせる
淀や北政所にお伺いを立てると言えばいい
彼女たちが問答無用で攻めろなどと言える訳がないのだから
いくらでも時間稼ぎをして美濃に向かわず東軍本隊と戦わない理由を作れる
後は大坂で口先だけの篭城を主張して、篭城しない責任を輝元に押し付ければアリバイ作りは完璧だ
いかにも士気が高かったのに不運で戦えなかったかのように偽装しながら殺されずにすむ
関ヶ原の日和見連中が聞いたら泣いて悔しがる程の完璧な偽装工作だよ

523 :
>>522
誰に対する偽装だよ。
後世の歴史家や俺らに対する偽装か?
大坂城で籠城すると言ったから一旦、家康に御家お取り潰しになったんじゃねか
どんなギャグだよw

524 :
まるで篭城すると言わなかった大名が取り潰されなかったような言い方だな
言っても言わなくてもどうせ取り潰し確定なら
真面目でやる気があったかのように見せかけた方が後で仕官や再興に有利なんだよ

525 :
篭城すると言わなかった大名が取り潰されなかった→毛利、島津(島津は大坂城に立ち寄りもせずさっさと薩摩に帰ったがw)

526 :
島津は西軍に組み込まれるために取られた人質を取り返すために大坂に立ち寄っているぞ
そうしないと人質が今度は東軍のものになるだろ
大坂に立ち寄らずに薩摩に行った宇喜多と勘違いしているのかな?

527 :
>>525
なんでそうサラっと嘘が付けるんだろ。
島津は大阪に寄ってるし、篭城主張側だぞ。

528 :
???
島津義弘は大坂城には立ち寄ってないぞ
大和三輪山平等寺に逃げ込んで11月28日まで70日間滞在し
摂津国住吉に逃れていた妻を救出して帰国してるが

529 :
>>527
なんでそうサラっと嘘が付けるんだろ。
篭城主張したなんて説はどこにも存在しないんだが。

530 :
井伊と島津の戦いは明治維新まで続く

531 :
幕末の井伊家は水戸徳川家と内ゲバしていたのは秘密だ!

532 :
>>522
二人とも改易されてるんだがw

533 :
>>528
wikipediaからコピペしているだろ
書き方が完全に同じだぞ
そもそもwikipediaは史料じゃない

534 :
>>533
じゃあ島津義弘が大坂城に入城して徹底抗戦を主張したというスレをここに提示しろよカス野郎

535 :
スレじゃねーな。資料だカス

536 :
火病www

537 :
加賀征伐のタイミングで三成が挙兵してたら勝てたわ

538 :
>>537
前田が協調姿勢を取ってくれないんじゃないだろうか…

539 :
家康が大阪-加賀なんて至近距離にいるのに蟄居の三成が佐和山で挙兵とかどこ攻める気だよw

540 :
加賀征伐はどの程度まともな史料があるのという話だし

541 :
加賀征伐の段階で蜂起した場合、それは「関ヶ原」の戦いと呼べるのだろうか(棒読み)

仮に蜂起したとして、まともに仲間を集められずに、下手したら前田家からも切り捨てられて袋叩きにされそうな気がする。
宇喜田騒動でメンツをつぶされる前の宇喜田秀家だって反徳川に回るのだろうかという疑問
それに良くも悪くも宇喜田騒動で秀家の大名独裁体制ができたわけだし、宇喜田騒動がない状態で宇喜田家が西軍についたとしても内部分裂で崩壊しかねないし。
ただ、蜂起するだけでも動揺はかなりさせることはできるだろうけど。

542 :
いや、ちょっと待てよ。
当時の家康が伏見や大阪にいて、金沢や佐和山が敵になる。
つまり家康が西軍で前田家や石田家が東軍になる。
確かにこれなら「西軍」の勝ち目は大きいだろうな。
そうなれば残る問題はどうやって関ヶ原で天下分け目の大決戦をやらせるかだ。

543 :
>>542
どっかで決戦して、その地を関ヶ原と改名する

544 :
場所はどこでもいいだろ今までの議論だってそうだし

545 :
>>542
なるほどその発想は無かったわw
別に三成なんぞほっといて史実通り前田と和解して
佐和山から無理矢理関ヶ原に追い詰めればミッション達成だな

546 :
石田三成七将襲撃事件、慶長4年閏3月
庄内の乱(島津忠恒の伊集院忠棟殺害)慶長4年3月〜慶長5年3月に家康の介入によりほぼ落着。
前田征伐(家康暗殺計画疑惑)慶長4年9〜10月頃
宇喜多家中騒動、慶長5年1月、5月には家康の介入によりほぼ落着。


前田利長が迎撃を決断したとしても、前田に味方しそうなのは浅野長政、宇喜多秀家、
他にだれかいる?
毛利、上杉は中立というか征伐軍(家康)側だろうし、奉行連中も浅野以外家康側だろうし。
九州勢は庄内の乱対応に備えて動かない公算高いと思う。
宇喜多もすんなり動員できるかかなり微妙なかんじがする。

とても前田が勝てるとは思えない。

547 :
宇喜多秀家
間違いなく前田に味方してくれる大口

加藤清正
家康が清正が上洛してくるのを邪魔しろと命令した模様、前田信者の1人

細川忠興
一応前田派で城普請なんかもしてるみたいだし期待大

石田三成
大喜で前田討伐の準備を始めた模様

丹羽長重
織田閥筆頭を前田如きに奪われて怒り心頭(領土問題もあり)

前田征伐は関ヶ原に比べれば徳川に纏まって一致団結して戦えるかは不明瞭
みなが反前田としてまとまるかもわからんし、石田にすらあれだけ慎重に動いた徳川が早々動くかも疑問

三成よりは勝算あると俺は思うけど

548 :
当の前田が一番信用できんw

549 :
前田派などおらん
利家派が居ただけ

550 :
前田利家は過大評価されすぎ

551 :
いや前田征伐やるよ
ただしスキは見せない

552 :
秀吉は強力なNo.2を作るべきではなかった。しかし家康を強力にしてしまった。
秀吉がやるべきことは、家康に後事を託すのではなく、家康や毛利を亡き者にするべきだった。
漢の劉邦など、No.2どころかNo.5位までぶち殺したはず。

豊臣家は秀吉が死去した後は、必死に家康の力を削ぐべきだったが、ほぼ何もしなかった。
関ケ原や大阪の陣など、お話にもならない。こう言う戦いが起きる前に家康を片づけなければ、
その内家康に天下を取られる可能性があることに気がつかなかった。

553 :
>>552
北条家も、有力御家人を次々と始末していたな。
将軍すらも、、、

554 :
外征は二方面からにして琉球と寧波は家康にやらせるべきだったな。
そこで討死してくれなラッキーだし、そこで家康が勝つようだと明は朝鮮へ援軍など送れないから
朝鮮半島は日本領土となってた。

555 :
たしかに利家過大評価だな
単に時の権力者におもねってただけなのに。

556 :
毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、石田三成、小西行長、増田長盛、長束正家
前田玄以、織田秀信、長宗我部盛親、立花宗茂、加藤清正、浅野長政・幸長、細川忠興、加藤嘉明は

前田利家を過大評価しすぎたよな。 自分たちの身を利家に委ねて家康と対決すると自ら訴えたわけだから。

557 :
>>552
まったく逆だよ
強力なNo.2を作るのが不十分だったのが秀吉の犯した最大のミスだ

秀次を殺した時点で、豊臣が生き残るには徳川と合併するしかない
秀吉はそのことをきちんと宣言した上で
三成たちに豊臣No.2である家康の命令に逆らわないことを厳命するべきだった
それなのに毛利・上杉・宇喜多のような中途半端な粗大ゴミを乱立させ
三成がこいつらを利用して好き勝手な暴走をすることを許してしまった
むしろ三成が関ヶ原を起こせないようにする体制作りをすれば豊臣家は存続できた

558 :
>>557
いや、それはありえん。関ヶ原が無ければ100%豊臣家は廃絶してた。
むしろ関ヶ原があったからある程度存続の可能性が残された。

559 :
>>552
秀吉が外征に血道を上げた付けだな。

560 :
秀吉は何で外征なんてしちゃたんだろうね?
家康みたいに、参勤交代や内政の失敗の責任を取らせて大名の力を削いで行けば良かったのに…

561 :
>>557
その見解に賛成
ゆるやかに豊臣と徳川の看板はすげ替えられるだろうけど、現実よりずっとマシだったよ

562 :
豊臣に力が無かったのが現実だよな
秀吉はともかくその後はろくなもんじゃない
政権うばわれても仕方ないわ

563 :
鯛の天ぷら最強

564 :
>>560
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに、食うは徳川
ということで
織田が強力な中央権力の土台を構築し
秀吉が天下統一に太閤検地による大名独裁の確立と外征による諸侯の疲弊を同時に成し遂げ
徳川が二つの遺産を最大限利用しつつ、恨みつらみは豊臣とかに押し付けた。
隋が作った大運河の恨みは全部煬帝に押し付けて、感謝だけを手に入れた唐みたいに

外征も当時は成長(つまり絶え間なき領地拡大だ)が永遠に続くといわんばかりの家中統制をやっていたところがほとんど。
10万石の約束手形の渡辺勘兵衛や領地の半分を渡して島左近を雇った石田三成とかその典型

しかし国内はすでに統一済み、領土を増やしたければ外国に行くか内戦の二者一択で外征を選択しただけ。
関ヶ原の戦いも諸侯の加増を切望する声がなければ起きたとは思えん。
傭兵とかの失業問題もあるし。大坂の陣における失業浪人の大量殺処分みたいな(中国だと裁兵というらしい)
関ヶ原における領地拡大要求の沈静化がなければ徳川幕府の成立も怪しいぞ。

あと参勤交代は家臣団が忠誠を確約するためのもので疲弊させるためじゃない。
秀吉の時代から幕府の財政が悪化する綱吉の時代までは参勤交代の旅費を中央が補助金として出してた。
内政の失敗を理由とした粛清は佐々や宇都宮にやっていなかったか?
加増するために必要な領地を無理矢理ひねり出したかったから改易したようにも見えるけど。

それに豊臣政権は大名(特に徳川や毛利上杉といった大大名)の連合政権色が強いからうかつに粛清もできん。
下手に大大名の力をそぐと上位中堅大名な伊達政宗あたりの不穏分子が変な策動をしかねないし。
実務に長けた譜代の諸侯もいなければ、万が一を託せる親族もいない(いたけど能力的に使い物にならなかったと思われる)

全国の半分を支配し、他にはせいぜい50万石程度で突出しているのは前田家くらいしかいない徳川幕府の権力の大きさもやはり違う。

565 :
本来は天下人の家に所属していた軍事・政治力が、天下を取ったら公権力になり家から切り離され、家自体の力はいつの間かなくなっている
特に代替りの時に起こりやすい
古今東西で枚挙に暇がない現象ですな

566 :
石田三成書状の備口人数見てて気づいたんだけど、
丹羽長重の名前がないんだよね。加賀小松12万石なら3600人くらいは動員できそうだし
記載されててもおかしくないと思うんだが。
8月5日時点で既に落城してる大聖寺城の山口宗永の記載がないのはわかるが、
小松は健在だし、丹羽長重は石田からは味方と思われてなかったんだろうか?

あとは新庄直頼、直定あたりも載ってないがこれは伊賀在番7000に含まれてるかも。

567 :
>>566
その書状は>>13のと同じ?
それなら単に美濃に来ている東軍対策に動員可能な兵力だけじゃない?
丹羽は遠いし前田対策で張り付けているから動かせない兵力扱いで使えないから省略されただけかと。
情報が遮断されてる東北組はともかく、連絡が一応できる九州勢も書かれてないし。

あと、どっかで関ヶ原の戦いが応仁の乱クラスの長期戦になると予想していた前田家と丹羽家山口家は結託していて八百長試合を繰り返し
前田「しねーやまぐちー」
山口「わーせめられたー」
丹羽「やまぐちーおうえんにきたぞー」
前田「てきのぞーえんだーにげろーおぼえていろー」(最初に戻る)
を繰り返しつつ状況の変化を見つつ有利な方につく予定だったというのを見た気がする。
東軍西軍共にそれを知っていてとりあえず目の前の状況が整理されるまで事実上の中立扱いで無視していたとかなんとか。

568 :
家康や三成は関ヶ原前から色々工作してたが、宇喜田や毛利は挙兵してから
動き出してるからな。遅すぎる。

上方の有利な地に居るんだから、戦前に工作してれば色々やれただろうに。

569 :
>>568
輝元は事前に工作してたとは言われてる
大坂から味方してくれと言われ二日後には既に出発して
すぐに大坂城へ到着してる。
普通は部下へ命令して武具や兵糧の準備をさせるのに最低でも
7日〜10日かかると言われてるので大坂から声がかかる前から
大阪城へ入城する気でいた。

570 :
>>567
いやぁ、伊勢の在番衆は記載されてるので、それなら、北国口 城加番 3600 小松宰相
とか書かれててもおかしくはないなと。
時期的に小松が落城した、あるいは包囲され孤立していると誤認してた可能性も捨てられないけど。

571 :
付け加えると桑名の氏家も記載がないわ。こっちはおそらく味方とは認識されてなかったと思うが。

572 :
>>566
越前東郷衆二千人が該当するかと

573 :
大阪城明け渡しに応じてたら幕末で
豊臣家は活躍してたかな?

574 :
その前に改易されるか旗本か高家一万石で何にもなし

575 :
ちなみに織田家は上野の甘楽郡に残ったけど
途中から松平家になったよね、確か。

576 :
幕末で仇討ちしたね

あるいは婚姻関係で親幕府に

577 :
豊臣家が残れば徳川と婚姻を繰り返して準一門にでもなってそうだからな。千姫の子供が継いでるかもしれんし

578 :
まあ子孫の処世術次第だな

579 :
吉井藩みたいな感じか

580 :
豊臣氏を継いだ木下家も今川家改め品川家も大したことやってないからなあ。神輿にすらなってない。
高家や小大名として残るよりは摂家の一つとして朝廷の武家伝送なんかやってた方が影響力が大きそうなのがなんとも。

まあ、大名として残るなら幕末における石高=国力と藩主や家老たちの能力や思想次第やろうなあ。
尾張徳川家や水戸徳川家に外様筆頭なはずの藤堂さんちが積極的に幕府を裏切ってる割には、上杉家や伊達家が幕府を最後まで支えていたのを見るにむしろ佐幕派になってるかも。

581 :
幕末なら元関白の豊臣ってのは神輿の価値は十二分では

582 :
秀頼の血統が絶えた時点で絶家だろう

583 :
>>581
幕末なら関白なんて近い将来廃止される職なのに
そんな廃止予定のものに300年近く前になったことなんて何の意味がある?

584 :
なんで東北の連中は、佐幕派だったんだろ?

585 :
>>583
関白が無くなるのは明治になって分かった事であって、幕末の時点では分からない。
そもそも律令制は有史以来続いてきたので無くなるなんて想像出来ない。

586 :
>>585
ん、律令制ではなく太政官制か?

587 :
>>584
情報不足で幕府の力を過大評価してたのでは?
西国大名は南蛮諸国の力>幕府の力と知ってたからあなどったけど。

588 :
>>583
何言ってんだこいつ
馬鹿丸出しだな

589 :
豊臣秀吉が誠意大将軍になれて、豊臣幕府を作れていれば豊臣政権は安泰だったのだろうか?
血筋的に誠意大将軍になれない事はあえて無視して

590 :
>>589
全然無理。普通に執権家康が豊臣家の血筋を絶って親王将軍を担ぐだけだから。

591 :
>>585
よく勘違いされているが、関白は律令制にある役職じゃないぞ

592 :
後継者を自分でぶっ殺した時点で
関白だろうが将軍だろうが王様だろうが無理だろう

593 :
またいつものがきたぞ
何とかしろよ

594 :
>>581
公家では西園寺や三条岩倉が生き残れたけど、大名家の連中は島津久光が初期にいたことを除いてはいなかったことにされたし。
下手に権威のある大名を大名家家臣団が中心の元勲元老どもが担ぎだすかな?

>>587
幕府って幕末になっても何気に現実を見てる政策が多いからその影響もあるのでは?
実行力が失われてたけど、基本的な路線は明治政府にほとんど引き継がれてるし。
例えば、関税とかだと一番最初の関税協定では当時の日本経済の現実を直視したものだったけど、神戸開港延期のバーターで関税が引き下げられてからが日本経済にダメージを与えるような内容になってる。
なんで神戸開港を延期したかというと、はっきり言って孝明天皇のわがままのせい。
ビジョンや政策は正しくても実行力がない政府なんて役に立たないけどさ。朝廷や西国諸侯を信用できるかというとね。

>>589
ですから坂上氏や藤原氏になれるんだから豊臣でも征夷大将軍にはなれますって。
ただ、史実で秀吉が関白になったタイミングで将軍になると、ガバガバでボロボロな足利幕府の体制を引き継がないといけなくなる可能性が高い。
豊臣政権で室町幕府が完全に一掃されたから安心して家康も将軍になれたわけで。

そして何より秀頼の摂政役をやれそうなのが家康しかいなかったというのが致命的すぎた。
前田利家は血縁関係が婚姻でも存在せず、悪い先例になりかねない。あと家柄がちょっと悪い。
宇喜田秀家と小早川秀秋は能力的に疑問だし若すぎる。それに領国の統治にも集中してもらわないと。
毛利と上杉は野心がなくとも中央に縛り付けたら領国が空中分解しかねない。正直野心のほうも家康以上にありそうだし。
他の連中は身分、家柄、領土が足りなさすぎる。

家康の行動を抑えることができる可能性のある官僚団もあってないようなものだし。
秀次が生きていたらそれはそれで騒乱の原因になりそうだし。
秀頼が成人するまで秀吉が長生きできなかったことに尽きる。(当時の享年62歳とか十分すぎるほど長生きだけどさ)

595 :
>>589
肩書きが違うだけでやることは同じだろ普通に考えて

596 :
秀次って仮病をつかって関白を遮二無二辞めるわけにはいかなかったのかね?
それでさっさと隠居をしてしまえばもしかしたら秀吉からの処刑を免れる可能背もあったのでは?

597 :
上手い対処はそれはそれで秀吉の猜疑心を生むから難しい状況じゃないかなあ

598 :
秀吉が死んでからも秀次が秀頼に敵対しない確証がないから無理

599 :
朝鮮征伐の際、総大将にさせて欲しいとでも言って朝鮮に出て秀吉が死ぬまで待つというのも無理だったかな

600 :
>>598
身内以外が秀頼守る確率なんてもっと低いに決まってるのにな
秀吉が死ぬ以上、秀頼が生き残るためには秀次を中心に豊臣家を身内で固めて世襲を安泰させるのが大前提だった

601 :
朝鮮征伐じゃなくて「唐入り」だから
秀吉「ちょっと明を征服してくるからお留守番よろしくね」
秀次「日本のことは気にせず征服してきてください」
なんで下手に遠征するのもできない。それにあの時期の秀次って病気がちだったし。

……秀吉縁者の病弱率の高さって異常じゃないですかね。

602 :
>>600
なんつうか、能力優先過ぎて豊臣恩顧でも微妙な奴大名にしてるしね。
東海道の豊臣恩顧で籠城する奴がいなかったのがそれ。
義理堅い奴って、癖が有るのにそういう奴に領地やらんもんなあ。
平塚とか松野とかに領地やれば良いのに。

603 :
>>572
いやそれ越前でしょ? たしかに丹羽長正のことっぽいけど。

604 :
>>589
誠意大将軍
新官職だね。これなら任官できたかも。

605 :
>>600
豊臣家の安泰ならともかく、秀頼個人の安全に関してはそうとも言えん
幼い実子と家督を継いだ親族の殺しあいはありがちなことで、むしろ利害の一致する実力者の方が信用できる場合もある
特に秀吉の場合は、他ならぬ秀吉自身が織田家を乗っ取っても秀信は丁重に扱ってるから、同じ状況なら家康も秀頼をRまではしないと判断してもおかしくはない

606 :
>>581
幕末にそんな化石的な権威はもう要らない
薩摩も長州もみずからが正義だから

607 :
>>604
のちに沖縄出身の羽賀研二が自ら就任したが、別件で下獄し現在の当職は不明。

608 :
>>604
いや、羽賀研二も任官してたじゃない

609 :
>>607
四億円の詐欺を働いた男の誠意とは言ったい

610 :
ちょっとスレの本題からずれてるな。
(雑談スレになるならそれはそれで結構だけど)

伏見城を落としたあたりで朝廷を1万人くらいの兵で包囲して家康を朝敵扱いにしたらどうだろう。
承久の乱フラグが立って縁起が悪いかもしれないが。

611 :
>>610
当然、そうしようと画策はしたでしょ。
単に朝廷が錦の御旗を輝元たちに譲るのを渋っただけで。

612 :
朝敵にもなるのでますます死亡

613 :
>>603
「衆」とあるので兄弟纏めて計上したとも考えられる

614 :
>>602
西軍=豊臣軍
ではないのだが

615 :
西軍に豊臣軍がいるけど
東軍が豊臣軍

616 :
>>605
織田家が残れたのは何だかんだで織田の一族があちこちにいて禍根を残したくないと言うのが大きいし秀信が従順だったのも大きい
豊臣家は秀次の一族と関白の肩書きが残らなかったら本当に何も残らない
火種になる可能性が高いだけの秀頼は余程従順でない限り生かしておく価値が低いよ
秀吉は豊臣家を残すことを最優先で考えなければいけなかった
ひいてはそれが秀頼の生存にも繋がる
家が無ければ生き残れる術はない
身一つで成り上がった秀吉にはその感覚は足りてなかったのではないだろうか

617 :
家康が天下を盗るにしても秀頼の権威を担ぐはず
だが秀次は年を取るごとに成長していく秀頼が邪魔になり、どこかで排除しようとするだろう

と秀吉は思った
この被害妄想に取りつかれた老人に理を説いても無駄ですな

618 :
秀次事件よりも前に秀吉が死んでいれば勝てた

619 :
>>616
秀吉没後に家康が大坂城西の丸で政務を取り始めた時点で、実権を家康に渡してしまえば
良かったと、時々言われてるね。
家を残すには、それが一番良かったと思う。
豊臣家は実権を持たない関白家として存続。
石田三成の子孫は19万石の大名として続いだろうし。戦が終わって政治で能力を発揮
して30万石くらいの大大名になったかも。
毛利と上杉が120万石、前田が100万石(関ケ原戦がなければ90万石?)と、
100万石級の大名が複数いて、江戸幕府ができても政治やりにくそう。
佐竹を秋田に飛ばす理由がないので、今の茨城全域を支配する50万石のデカ大名が江戸
の近くにいるまま。
家康が最初伏見城と二条城で政務を取っていたように、江戸でやりにくかったら、
そのまま京都が政治の中心になった可能性が高い。
想像したらきりがないた、そうなったらそうなったで、またそれなりの世の中になった
ことだろう。

620 :
>>617
それは決して杞憂とは言えない
どっちのリスクをとるかだよ

621 :
小牧長久手で家康を潰しておけば勝てた
官兵衛が毛利との交渉終えるまで待てば勝てた

622 :
>>621
小牧長久手で家康を潰すという選択は当然ありえたよね。
でも最低でも半年以上かかるわけでその間に大友家は亡び
島津が九州統一をしてしまい、それを滅ぼすのが一苦労になると秀吉は考えたんだろうね

623 :
>>622
半年じゃ済まないな、1年はかかるよ、一回負けてる訳だし
その間に島津は九州喰らってたろうし四国は長宗我部が拡がってたろうし
北条に佐竹上杉真田もかなり喰われてる可能性高い
東北は伊達が拡げてるだろう
間違いなく天下統一は長引くし
ボヤボヤしてると前線の大将の秀長が死ぬので
天下統一自体が厳しくなる可能性出てくる

624 :
>>616
その辺の感覚(というかコンプレックス)は、あったからこそ羽柴姓を与えたり、秀秋を小早川に入れたりと藩屏作りに勤しんだ。
もっとも、そもそも親族も少ないし、重代の家臣皆無で、急拵えの藩屏は、用を足さなかったが。

625 :
>>623
そうかなあ?
後北条は氏政以降は火事場泥棒的伸長しかしたことないじゃん。
上杉真田佐竹を相手にした時、いつかまた薩土垂峠の再現をやらかして、
逆川越夜戦とでも言うべき転落の方が濃厚だ。

626 :
家康ぶっRルートだと九州の抑えは毛利に任せて東国から滅ぼすルートになるだろうな。
家康をぶっ殺したら次は北条攻めだろ。東北まで処分してから返す刀で四国、九州と攻め下がるかと。

627 :
小牧長久手が1583年で竜造寺隆信が沖田畷の戦いで敗死したのが1584年
大友宗麟が大阪にまで来て
「助けてください。ほんと。殿下のためならキリシタンだって辞めます。お願いします」
こんな感じで救援要請を出してきたのが1586年
完全土下座モードな救援要請をを無視したら天下人としての沽券にかかわとはいえ小牧長久手時点ではまだ九州平定は先延ばしにできるかと。

東国情勢はよくわからんが、庄内をかけて上杉と最上が争い、東北では伊達が暴れて、関東ではじりじりと北関東諸侯が追い詰められていくのかな?
東に集中しすぎると今度は毛利の動向もちょっと怪しくなってくるからそれも嫌だな。
史実で背中撃ちをしなかったとはいえどうして毛利を信じられるのか。あいつら毛利だぞ(偏見)

628 :
九州がどうってより、家康に関東250万石あげたのがまずい。

629 :
>>622
逆に言うと、九州征伐の後なら徳川潰せるんだよなあ?
徳川の旧領に転封拒否した織田信雄取り潰してるし、家康の立場も結講微妙。
つうか、何故あの後駿府と会津の築城ぐらい命じなかったのか?
家康の蓄財有名だし、最低でも螻蛄にしないと危険だよなあ?
>>617
それが正しい事だとしても、性格的に無理って事は世間に良く有る。
家康は、野望の為なら孫娘の一人やふたり、家を守る為なら長男や嫁くらいって
人だけど、幾らあの時代でも例外的だと思うんだよね。
秀次って人が、自分の従兄弟で長女の婿を殺せる人なのかは疑問?

漢の高祖は、自分の娘婿の趙王を疑った時に言った言葉が天下を取る人の
本音なんだろうけどさあ?
「奴が天下を取れば、あんな女「自分の長女です」よりましな美女が選り取り見取りだぞ?」
娘婿だから安全だと思えわないってさ。

630 :
>>625
氏直は神流川でも手早く上野を奪ってるし佐竹も追い詰めてる
豊臣が来ないなら関東は間違いなく北条の手に落ちてるよ
逆に誰がどうやって巻き返せると言うのか

631 :
>>626
それやっちゃうと徳川北条伊達は同盟組んで対抗してくるだろうし1年どころじゃ済まないかと
島津はどんどん伸びるだろうし毛利に抑えられるのか
そもそも毛利や長宗我部をそこまで信用出来るのかという問題も出てくる

632 :
小牧長久手を史実以上に引き伸ばした場合
紀州征伐・四国征伐・九州征伐・小田原征伐が全部遅れて長引く可能性が高いから
征伐事業の後の反乱鎮圧まで考えると秀頼作る時間有るのかね

633 :
>>630
神流川なんてどう見ても、火事場泥棒そのものでしょ。
背を向けて逃げては捕捉殲滅させられるだけだから向き直って合戦の体を取ってみただけ。
本能寺の変で浮き足立つ滝川軍に押し掛けたら逃げていきましたというのは氏直の評価は上がらんでしょ。

634 :
>>632
淀に入れるのがキモチよかったんだろ。
時間がなくても無理にでも会ってヤリたかったんだろ。
Rもうまかったんだろうなぁ・・・

635 :
>>633
敵対しないと言ってる北条の金久保城を無理矢理奇襲かけて奪ったのは滝川なんだけど
まさしく火事場泥棒そのもの
それで反撃食らってフルボッコにされてりゃ世話ないが

636 :
>>629
九州征伐の終了が天将15年(1587年)で朝日姫の婚姻が天正14年(1586年)
朝日姫を離婚させてまで婚姻関係を結んだ家康を粛清?
信雄は能力とか転封拒否とかで十分すぎる口実があったけどどんな口実をつけて改易するのよ。

旧北条領なんて旧関東八屋形や古川公方みたいに反乱に担ぎ出せるのがいくつも残っていて不安定だし、常陸の佐竹は豊臣政権の権威を背景に大量粛清という名の内戦をやっていたのよ。
徳川に安易に負担を増やすよりは明らかに不審な動きをしている伊達あたりに負担をさせた方がいい。
築城だって伏見城とかあちこちの普請で徳川家もかなり負担させられてるし、名護屋在陣兵数も1万5000人いた。(当時は名護屋に大軍を置くこと自体がかなりの負担)
旧北条領は四公六民で八公二民や二公一民だって普通にあった時代だったし。実際の収入が増えたかどうかも不明。

そして何より、どうして徳川を信じず上杉や毛利を信じるのか?未来を知らない状態で考えたら徳川より完全外様な連中のほうが怪しい。

637 :
秀吉は三成を改易して粛清すればよかったのに
三成なら簡単に粛清できるし、豊臣を存続させるために一番効果的だった

638 :
逆だよ。三成に尾張と三河をあげて五大老の一人にさせてたら豊臣の天下は続いた。

639 :
三成に軍功なし人望なし
過大評価もいいところ

640 :
三河の領主が反徳川とか恐ろしくてできないと思うんですが。

641 :
>>639
日本の半分味方に付けたんだぞ?充分、人望あるだろ

642 :
関所閉じて無理やりな

643 :
徳川みたいに三成の他に加藤、福島などの子飼いを譜代にして政治をさせて
徳川、上杉、毛利を外様みたいに蚊帳の外にしたらどうなってたかな

644 :
秀吉は福島を改易して粛清すればよかったのに
福島なら簡単に粛清できるし、豊臣を存続させるために一番効果的だった

645 :
>>643
そもそも、譜代ってほど代を重ねてないので
羽柴家臣団は、脆いのに変わりない。

646 :
中央政治に参画できるから毛利や徳川、上杉は豊臣に協力しているのであって、この三家が周辺諸侯を巻き込んで反乱を起こせば豊臣政権は崩壊するか近畿にしか影響力を及ぼせない政権に転落する。
徳川が外様系有力諸侯を中央政界から排除できたのは、基本的に外様大名が大きくても数十万石程度でしかなかったり、初期においては徳川と外様の関係が主従というよりは対等に近い関係だったから。
例えば初期の参勤交代で大名が帰国する時は外様の諸侯が江戸の町を出るまで将軍が見送っていたし。譜代諸侯は江戸常駐が義務だった。

徳川幕府みたいに日本の領土の半分を支配しているならともかく豊臣本体の力が弱すぎるし、毛利の功績が大きすぎて安易な排除は信賞必罰の原則に反する。
上杉や宇喜田はともかく毛利や徳川はお互いにある程度は独立した複数の諸侯に分裂させることができる見込みもあったからそこから先なんじゃないかな。

647 :
そうだな
毛利が豊臣家の譜代となってそのまま乗っ取れば勝てた

648 :
毛利秀元は豊臣秀長の娘を嫁にしたから、
上手くいけば豊臣家を乗っ取る事も出来たんだよな。

649 :
やはり豊臣秀長が秀吉より先に死亡したのが痛かったな
秀長が生きていれば、秀頼の後見人として豊臣家を守れたろうに。

650 :
>>649
秀長が死んだのが豊臣家にとって全ての面で痛かったのはその通りだけど
秀長だったら余計に秀頼を特別扱いせずに秀次で豊臣家を磐石にする方を優先すると思うぞ

651 :
秀長が無駄に長生きしてたら猜疑心MAXの痴呆秀吉に真っ先に族滅させられたのは秀長だと思うぞ。
返す刀で秀次もだが。

652 :
結局、秀頼が生まれたのが全ての元凶

653 :
結局、秀吉が生まれたのが全ての元凶

654 :
お前さえ生まれてこなければとここまで言われる人も珍しい。
(大坂の陣以外は)秀頼は何にも悪くなくて、100%秀吉のせいなんですけど。

655 :
>>654
そりゃさすがに言い過ぎだろう。秀吉の責任が0%などという気もないが。
勿論秀吉が自分の死後の見積もりと見通しを甘く見すぎたのは確かだろう。
しかし家康とて、政権内で反対派が不安を感じるレベルで権勢拡大をしようとしたのはほぼ確実だし、
反家康派の方もあまりにも安直に強硬策をとってしまったのは間違いない。
また、諸大名も自らの利益確保と拡大の為に戦争を求めた節がある。
少なくとも関ヶ原を秀吉『だけ』のせいにするのはおかしいと思う。秀吉『にも』責任があるなら賛成するが。

656 :
あんなん100%だよ

657 :
秀吉のせいですな。
秀次の権力基盤をさらに強くして後事を全て秀次に任せておけば
関ヶ原は絶対に起きてなかった。

658 :
豊臣の後継に関しては100%秀吉が悪いで間違いない
少しでも後継考えるなら秀頼は寺に入れるなりどこか養子に出すのが当たり前
まして秀次虐殺なんて1%の擁護も出来ないよ

659 :
秀次マンうぜええええ

660 :
上杉との挟撃申し合わせが無かったのなら蜂起しなければどうだったのかな?
上杉征伐軍の面々にしても、大軍で押し寄せれば降参するはずという思惑程度の義理参加じゃない?
徳川勢の圧を感じながら待ち受ける上杉の罠に積極的にかかって忠誠を示す武将までは余りいないと思う。

661 :
上杉の罠ってなに?

662 :
>>661
いや、そこから解説させようとするのは勘弁してくださいよ。
上杉がノーガードで待ってる訳ないでしょ。自分である程度は調べてから来てください。

663 :
>>660
思い込みと楽観的観測が西軍の皮算用と全く同じで

多方面から大軍で攻められたら先ず勝てません

664 :
さすがに兵力差が大きすぎて、よくて善戦ってとこだと思う。
征伐軍17〜20万対上杉4万でしょ、
局地的に1〜2回野戦で勝てても、大勢は覆せないと思う。

665 :
攻め口がいくつもあるから下手したらまともに勝負することすら難しいのでは

666 :
上杉の罠って革籠原?越後における一揆勢?佐竹の内応?
革籠原って会津征伐軍への防壁にはたいして役に立たないという指摘がされていなかったけ?
西軍の蜂起がなければ、北からの攻撃は最上や伊達だけでなく南部や秋田氏を含めた東北勢の総攻撃になるけどそっちも防げるの?

上杉軍って120万石で1万石あたり700人の動員(一揆が起きかねないレベルの無茶)をしても8万4000人。
これを少なくとも徳川系主力、陸奥、出羽にへの対策と常陸や越後への警備兵を置くことを考えるとかなり手薄になる。
そもそも転封直後で土着性がうすく、庄内平野が事実上切り離されてるから有事にそこまでの動員ができるかは不明。

対する会津征伐軍は小山の時点で約10万人、これに小早川や長宗我部ほかの西軍諸侯が加わると12万から15万かな?しかもこれに東北勢が加わってくる。
佐竹が本当に背中から攻撃したとしても南方三十三館の残党の鹿島氏とかが徳川家に保護されてるから実際どこまで動けるのか。

正直、上杉がどこに勝算を見ていたのかよくわからん。会津征伐軍の結束力は疑問だけど、それなり程度に団結されただけでもかなり分が悪い賭けになる。

667 :
革籠原って福島県の白河でしょう。
あの時の上杉家の領地の半分くらいまで攻め込まれてるからあそこに防壁を築いてもあんまり意味がないというか手後れのような。

668 :
決戦して勝つか優位に終われば意味がある
あるいは主力を拘束できれば

669 :
>>663
いや勝ち負けの話なんかしてないでしょ。
上杉が最後まで抵抗する姿勢だった場合、上杉征伐軍にやる気の軍勢なんてそんなにいたのか?の話。
相手が上杉しかいない状態では原資もなく大した恩賞も期待出来ない。
最終的に上杉征伐軍が勝つけれど、うっかり最初に矢面に立つ羽目になったら、消耗はとんでもないよ。

670 :
イキリまくりの直江に翻弄された家臣より発言力のひくい上杉さん

671 :
金吾っていつ徳川に内応の約束取り付けたんだろ?

672 :
金吾の動きは謎だね

673 :
極限徴兵で「こうなったらお前ら道連れだ」と完全に決戦モードの上杉。
「おいおいこれ、ガチで上杉を滅ぼすならこっちも2、3万は死ぬだろ。参ったなあ」
厭戦ムードが蔓延する中で、西から七手組を率いた毛利輝元登場。
やれやれ助かったと講和を望む声が溢れかえり東軍は解散。
くたびれ儲けの家康も江戸に帰る。
ハイっ、戦わずして東軍は消滅だ。

674 :
>>669
大坂の陣の幕府軍がやる気なかったとは思えんが

675 :
>>669
恩賞の財源ならたくさんあるじゃないか。
200万石の豊臣蔵入地が。二つ合わせて300万石ほどになる。

676 :
征伐軍が勝利すれば上杉はよくて減封最悪改易だから
没収領地も恩賞になるだろうしやる気満々だったろうな

677 :
近隣の堀、伊達、最上あたりはやる気はあるでしょ
年貢持ち去り、旧領への未練、庄内地方をめぐる因縁とかで動機がある
堀は一揆の扇動で抑えられるとしても伊達最上は会津征伐軍の片手間で捌くには手強い相手
それに景勝に徹底的にやりあう覚悟があっても家臣がそれに付き合ってくれるかは未知数

678 :
>>662
いいからどんな罠を仕掛けるつもりなのか書いてみろよ
やる気云々以前の兵力差で押し潰されるだけだろ
本当に上杉が徹底抗戦するのかも怪しいもんだし

679 :
>>671
伏見攻めの後に必死に誤解を解く使者を送りまくってたからそのあたりからだろうね
そこに黒田が対応した

680 :
>>674
世の中が定まったから忠誠を示す最後の機会ってことでしょ。
上杉佐竹はこのやる気をどうして関ヶ原で出さなかったのか。

681 :
二三万も野戦でしなん
川中島か?

682 :
>>677
伊達は新領統治や南部家の花巻城攻めに手一杯でしょ。
出羽から会津方面にかけては留守政景に任せる3000をひねり出すのが精一杯。

最上も直江の山形攻めでは国衆の集まりが悪くて長谷堂で必死の防御をしたぐらいに兵がいない。
北方には大した敵はいないし佐竹も積極的に攻めてきやしないでしょ。
抑えの兵と狼煙台を作れば残りは全て徳川に対応可能。

683 :
大津で籠城した京極さん、根性あるよな

684 :
>>680
プライドばかり肥大した連中だったんでしょ
徳川にいいようにやられてムカついた、でもイキリまくっても実はただのビビリだっただけ

685 :
>>683
うーん、そうかなあ?
自らが手塩にかけた堅城だし、意地を大事にしないとやってけない風潮なだけじゃない?
苗木城の河尻さんとか桑名の氏家さんは素敵だと思うけど。

686 :
革籠原(白河)の地図を読んで色々考えたけど
ここで家康を壊滅するのは難しいと思った。
白河城は南は山、北は阿武隈川に囲まれて西からしか攻められない地形になってるので守るのは容易。
それで奥州街道沿いに南西4キロの地点の黒川を丁度わたる所が狭い通路になってて
そこで挟撃したら袋の鼠で一網打尽ではあるけど長さ4キロにも渡る敵軍を袋状に囲うのって
それこそ凄まじい数の大軍を要するしタイミングよく動かないと容易に各個撃破される。
規模が大きすぎて上杉軍がこの作戦を成功させるのは容易な事ではないと思った。

687 :
壊滅はおそらく無理でも敵にそこそこの打撃を与え白河の関から東軍を撤退させたら
同時にその勝報を全国に一斉にばらまき最上、伊達、堀その他を日和見させるのが狙いだったんだろうなと思う。
それでグダグダさせれば留守にしてる大坂城で誰かしらが反徳川の狼煙をあげるだろうと希望的観測で動いたとしか思えん。

688 :
>>682
西で蜂起が無くて家康が大軍勢で目の前に来てるのに伊達が南部にちょっかいは出せないだろ
むしろ少しでも上杉領奪えるように勝ち馬に乗るに決まってる

689 :
なぜ白河の関で東軍を壊滅させるのが難しいかというと
俺の羽鳥湖とか白河とか直接行って地形を見た事があるけど
奥州街道のあそこらへんの山はなだらかでどちらかと言えば単なる岡なんだよね。
地形自体が敵軍への包囲網には到底なりえず出入口を封じて袋のネズミに成功したとしても
四方八方が緩やかな岡だから容易に脱走できる点にある。
二重堀(高さ4メートル)を築いたとあるがどの程度有効かも疑問。

690 :
>>677
当初の予定だと、丹羽長重、青山宗勝が越後在番担当。
庄内方面は押さえのみで攻撃せず。
前田利長、堀、村上、溝口、最上、南部、秋田、小野寺、戸沢等奥州諸将、
最上が先手、村上か溝口が道案内役予定。
この方面だけで兵力4〜5万くらい。
伊達が17000くらいかな?

あとはてきとー計算だと家康本隊33000、秀忠隊38000、秀康、蒲生、里見ら18000、
東軍先発隊35000、
足すと宇都宮、小山周辺で12万4000.

あとは上杉征伐に参加するつもりだった西軍が3〜5万くらいかな?

このざっくりてきとー計算だと上杉征伐軍総計20万超える。

691 :
>>683
山岡さんの鮎をカス扱いするくらいだからな

692 :
>>682
その辺は全部会津征伐が中止して徳川家康の後援が期待できない状況での動きだから何の参考にもならないでしょ
実際家康が上京したことがわかるまで上杉は最上攻めをしなかったわけだから
西軍蜂起がなければ最上は秋田戸沢小野寺といった大名と攻め込む予定で史実と攻守が逆転するし
伊達が新領統治で十分な力が出せないというならそれこそ上杉も同じ条件で徹底抗戦なんかできるわけない

693 :
>>691
鮎?
たかだか鮎のことで意地の張り合いになって籠城とは傾いてるなあ。、

694 :
>>682
伊達はあれでも奥州仕置以来10年くらいは居座ってるし、北条征伐のころには実質的に支配下にある地域だからもっと長い。
上杉って転封から2年くらいしかたってないから不安定じゃね?って言われてるだけ。
会津攻めが予定通り行われた場合、伊達最上以外にも南部や津軽、秋田、戸沢、本郷とかの奥羽諸侯のほぼ全部が敵としてくる可能性が高いから少なくとも1万とか2万はないと防げないのでは?

しばらく考えたけど、徹底的な持久戦で厭戦感情をあおるか上方で反乱というか西軍の蜂起がないと上杉の勝利どころか御家存続すら怪しいんじゃないか?

695 :
ダメだとわかってても男にゃやらねばならぬ時がある。って乗りだからな。損得じゃないから現代人にはわからん

696 :
過去の人間が皆損得抜きで行動してたわけでもないから上杉家中も当然割れる

697 :
損得抜きなら最上じゃなくて徳川攻めろやって感じではある
長尾の一族らしくて大変よろしいが

698 :
>>696
割れることで大した戦にならなければ恩賞も出せないね。
殊勝な振る舞いの家臣団には所領を残してあげないといけないし、原資がない。
五大老から上杉が除かれるだけで、毛利輝元と宇喜多秀家の残る五大老制度は存続。
豊臣の領地を勝手に分配しきれはしない。
こう考えると、西軍蜂起がない方が豊臣家にはまだ良かった?

699 :
>>698
その場合どうなろうと上杉は取り潰されるだろ
戦の大小に関わらず豊臣軍に逆らって兵をあげた事になるんだし、徳川は結局拡がる
その上で毛利も宇喜多も一つ一つ難癖つけられて潰されていくだけで大して変わらんと思う
宇喜多は騒動で政治的にはもはや終わってるし毛利は火種が多すぎる

700 :
>>699
一つ一つ難癖っていうけど、この時点の家康の立場は執権北条家よりは遥かに弱い。
矢継ぎ早に動いていちいち宇喜多征伐毛利征伐を企図されては諸将の不満爆発だ。
一方そろそろ出てくるのは徳川の後継者問題だ。
実際には長生きした家康だけど、それは後に分かっただけで当時の凡その人の寿命には差しかかっている。
結城秀康は上杉を徹底的に庇ったり漢勝負を仕掛けてくるぞ。
徳川を割るには、天下の声望が集まる結城秀康を褒め称えるだけでいい。
悪気なく結城秀康を持ち上げているフリならば西軍になるはずだった陣営は大得意だ。
福島加藤を初めとする豊臣武断派も加わり秀康ワッショイで追い込まれた家康は、
家中統制に追われて天下を狙うどころじゃなくなる。

701 :
>>700
宇喜多は征伐するまでもない
秀康褒めるなら史実通り加増移封して終わり
徳川の中で秀忠後継に問題など一切出てない
難癖つけて毛利潰すだけ、誰が止められると言うのか

702 :
>>699
なんでそうなるんだ。上杉の滅亡、改易なんてないと思うぞ。
前田も潰されてないのに。精々領地半減程度だろ。
大体関ヶ原が起きて結果的に家康の覇権が成立した後でさえ
上杉と毛利は減封で済んでるのに、なんで関ヶ原無しの時に上杉は改易になるんだ?

703 :
>>702
恩賞(土地)確保する為。
足りれば領地半減、足りなきゃお取り潰しってとこだろ。

704 :
>>702
軍事行動はタダではできないよ。そこわかってる?
豊臣からも銭米出てるんだから。

705 :
>>702
関ヶ原では結局毛利も上杉も直接豊臣と戦ってないと言い訳も出来るが
豊臣の大軍勢率いた家康に逆らって直接潰されたのでは言い訳のしようもない
この場合の上杉取り潰しは避けようが無いよ

706 :
まぁ例として挙げるなら前田、上杉、毛利ではなく北条だね。

707 :
上杉が助かったのは別に徳川軍と直接対決しなかったからでは断じてないよ。
滅茶苦茶徳川本体を直接対決して重臣を重症にさせた薩摩が助かってるし。

708 :
>>707
直接対決などとは言ってない、直接潰されたらと言ってる
薩摩が助かったのは単に遠くて手強いから
薩摩だろうが会津だろうがわざわざ直接潰しにまで行ったらそのまま取り潰しだよ労力考えろと

709 :
上杉こそ助かったのは単に遠くて手強いから
それ以外の理由など1ミリも無い。

710 :
>>709
どっちにしろ直接討伐軍が潰しに来たらそのまま取り潰しだよ

711 :
>>701
宇喜多は平時でも家臣が続々と離反するほどひどい状況だから
征伐するまでもなく勝手に瓦解するだろうな

712 :
戦わなきゃ助けただろうなというのは小西行長だろ。
実際に伏見城を落城させた宗義智は「朝鮮との修好で必要だ」という判断だけで無処分であり
彼と一緒に対朝鮮外交できる小西は生かしておきたかった。
でも関ヶ原で東軍の兵士を殺し過ぎたので家康の意と関係なく処刑するしかなかった。

713 :
>>700
北条家の得宗専制も確立するまでに50年くらいかかってるからなあ。

>>712
対馬宗家は本州か九州にあった領地を没収されてるから無処分ではないぞ。
小西行長は関ヶ原の直後に捕まったのが不運だった。
半年くらい逃走できていれば命は助かったかもしれない。

714 :
>>709
普通に、家康の名家好みや恭順の意思を示したとか小さな理由なら、いくつもあっての判断やで。

715 :
>>700
関ヶ原がなくて豊臣政権の枠組みが残るなら秀吉の遺言の影響力は史実より強く残る事になるから
従って秀頼の義父である秀忠の後継は疑いようもなくなるぞ

716 :
やっぱ夜襲しかないだろ?
河越夜戦みたいに東軍が進軍してるところにふいをつくしかないわ
やる気のある石田隊、宇喜多隊、大谷隊だけでも側面とかから突っ込めば相当なもんだろ

717 :
夜襲でリスクがあるというなら
夜のフランキー砲にすればよかったのに
三成が隠し持ってた大砲を夜中にバンバン家康陣へ打ち込むだけで東軍が大混乱で面白かったろうに。

718 :
くノ一ベッキーを送り込む

719 :
>>703>>705
それでも潰さないと思う。当時の家康に100万石以上の大大名を改易する力は無いだろう。
そこまで強大な権力があるのならそもそも反家康派が関ヶ原など起こせないんじゃないか。
恩賞問題は確かにあるが、その辺は豊臣家が蔵入地を解放するなり金蔵や米蔵を開いて
諸将に行き渡らせればよかろう。無い袖は振れぬ事位わからぬ諸大名ではあるまい。

720 :
>>719
この想定の上杉に関しては既に豊臣の討伐軍が動き始めてる段階
もう勝てないなら取り潰し以外ないところまで既に追い詰められてる自覚が弱すぎる

721 :
>>719
確かにそうだな。
上杉討伐軍自体が、数で押し寄せれば降参するだろうとのんびり行軍しているだけだし。
マジに抵抗してくるならやってられないよ。

722 :
上杉攻めは別にのんびり行軍してないだろ
攻める途中で三成挙兵の報をきいて行軍停止、江戸に引き返しただけ

723 :
まぁ既に伊達が先走って白石城攻略しちゃってるからね。
伊達はこれを機に旧領回復する気満々でしょ。
西軍が挙兵したんで、ぐだぐだな展開になったが。

724 :
>>719
>恩賞問題は確かにあるが、その辺は豊臣家が蔵入地を解放するなり金蔵や米蔵を開いて
>諸将に行き渡らせればよかろう。無い袖は振れぬ事位わからぬ諸大名ではあるまい。

それを豊臣にやらせるためには、家康に強大な権力を握らせる必要がある
諸大名は無い袖は振れぬが分からないのではなく、
豊臣に朝鮮出兵の分をも補填できる程の振れる袖が十分にあることは分かっている
問題は家康に権力を握らせて豊臣に溜め込んだものを開放させるか
三成に従って我慢するかということだけだ

そもそも豊臣家が自発的に蔵入地や金を開放すると勘違いしている時点で相当にずれている
それをやらせようと思ったら家康の存在が絶対に必要になる
なぜ家康がどれだけ問題を起こそうが、三成たちに糾弾されようが
支持する勢力が絶えず最終的に勝利したのかが理解できていない

725 :
無い袖がわからん連中ばっかりだろ
そういうのはすぐに鞍替えするんだから

726 :
とりあえず言えるのは、上杉が脱落すれば、
もう反家康としての西軍挙兵の勝算はほぼないってことじゃない?

727 :
ただ挙兵なんかしても豊臣に利なんてないんだよな
傀儡政権として全うするか、単純に史実のとおりに力を削がれるかでしかない
三成挙兵は余計なことしてくれた、が本音だろ

728 :
三成の目算では
家康軍は東西に敵を抱え行動できなくなる

実際にしばらく動かなくなった

それに乗じて関西と東北を制圧し
東西から家康を叩く
圧倒的じゃないか我が軍は

729 :
>>728
三成が隠居してて一切関与してなければ可能性もあっただろうけど、実質上の指揮者が三成では武断派から嫌われ過ぎてて豊臣も割れる。

730 :
三成なければ関ヶ原なし

731 :
毛利が積極的なんだか消極的なんだかよくわからん日和見だったからな
毛利、というか輝元がお坊っちゃん気質で下のものがお膳立てしてくれなきゃ動かない
家康のように自ら動く必死さがなかった
結局三成一人が踊ってただけだった

732 :
三成が絡むから負けた

733 :
>>731
毛利は凄く積極的だと思うけど。
残念ながら、その積極性は西国への覇権拡大に向かったんだけどさ。
やる気は間違いなくあるんだ。西軍を支持する人たちの望む方向とは違うだけで。
まあ、毛利からすれば豊臣御為とか言われてもピンとこないだろうけどさ。

734 :
西国へはたいして兵力向けてない

735 :
当初の予定通り全軍で浜松あたりまで押しかけて決戦すべきではあったろうな。負けたら大坂城に籠るだけだし
長期戦になったらむしろ西軍が有利だろ。江戸のすぐ真横に60万石の佐竹が控えてるし。

736 :
>負けたら大坂城に籠るだけだし
より大坂に近い関ケ原で負けたのに、どーして籠らなかったの?

737 :
>>736
それは輝元が池沼だからだよ。

738 :
ま、想像した程度の脳でした、と

739 :
家康「出てきたら無罪放免領土安堵」
吉川「そういうことですここは引き下がるべき」
毛利「わかったお」
その後
家康「毛利はとりつぶしな,残ったのはお前にやる」
吉川「ちょおまwww約束と違うwwせめて貰ったのを毛利に」
毛利「おいてめえの言うとおりしたらこんなめにあったぞヽ(*`Д´)ノ騙しやがって」

740 :
>>739
どうも最初から減封で話はまとまっていたようだけど。

741 :
毛利さんは積極的だったと思いますよ。
ただ、戦線が九州、四国、東方と少なくとも三方面、実際にはもっと細分化できるくらいにほぼ同時に出兵していた。
関ヶ原戦役が応仁の乱のごとく10年くらいの長期戦になるなら妥当な戦略だったかもしれないけど。
これで織田との戦いに秀吉の西日本統一戦や唐入りで酷使され続けた毛利はがんばったと思う。

大阪城籠城も、小田原城にこもっている間に関東のほかの領土を根こそぎ奪われた北条のように、籠城中に本国広島とかを落とされたら根無し草になる。
両川の吉川と小早川が徳川方についたんじゃ裏切りが毛利軍からも出かねないし、七手組や他の西軍の面々もいつ毛利を裏切るかわからん。
東軍には尼子家の残党的な連中もいるし、周防大内氏の傍系子孫も徳川家にいる。
西軍から東軍になりたい連中を使えば使いつぶせる兵力もあるから大阪籠城は危険というかリスクのほうが大きいように思える。

徳川一強体制の確立は妨害できたかもしれないけど、そのために毛利の御家というか自分の命をささげるような恩も義理も輝元にはないし。

742 :
毛利がもっとやる気を…っていってる人はここに限らず関ヶ原関係のスレには多いけど、
正直「徳川と激突してR」って言ってるようにしか聞こえない。

743 :
むしろ三成が無駄にやる気がありすぎなんだよ
これではまるで三成が奉行に返り咲きたくて私戦を仕掛けたように見えて都合が悪い
それに毛利からの籠城指示を無視して独断で大垣城を出たりするし
毛利が三成にさじを投げるのも仕方がない

744 :
いや、そんなん言うなら最初から大坂城入るなよ。
知障か?

745 :
カエサルがなぜカエサルとして英雄視されたかと言えば
「賽は投げられた」としてルビコン川を渡ったからだろ。
もうほぼ勝目がゼロで、この時点でポンペイウスに頭を下げさえすれば命まで取られる心配もなく
豪邸で安らかな余生をむさぼる事は余裕でできたけど
一度賭けに出た以上男らしく勝ち目が薄くとも最後まで執念深く勝ちを目指す事で
世界史上最高の英雄に登りつめたわけだし。

746 :
何が言いたいのかさっぱりわからん

747 :
ようするに自分の思ってたような展開にならないから文句言ってるだけだろ
西軍の目論見を早々に破綻させた家康の統率力を評価すりゃいい話なのに
そうしたくないもんだから池沼だなんだと言葉が見苦しくなる

748 :
>>744
>>89を参照。
>>745
それはつまり、毛利に天下人になってほしい、
もしくは豊臣政権の実権を徳川以上に握ってほしいって事かね?
それこそ西軍首脳部が拒否するだろ。どうせ奉行だって毛利の戦力を利用したいだけだろうし、
これからは毛利様を天下人として認めますなんて気はさらさらないだろうし。
毛利がやる気出す=天下への野心を持つって事位に考えるべきだと思うが。
むしろ西軍が本当に豊臣御為とやらで動くなら毛利に変に動いてもらうべきではないんじゃないの。

749 :
>>742
戦とはそういうもの。死ぬのがこわいなら武家など辞めればいい。

750 :
「執念深く勝ちを狙う」って、明らかな無理ゲーをやることとは似て非なるものだぞ。
関ヶ原の結果、毛利VSその他大勢になりそうで、東北情勢はよくわからないし、即時性に欠ける。
勝利条件を領地拡大から御家存続に切り替えるのは妥当で合理的としかいえない。

第一、西軍の勝利条件がよくわからない。同床異夢的感覚を覚える。
ほぼ確実に、上杉にとっての勝利と、毛利の勝利と、宇喜田の勝利と、石田他奉行衆の勝利と、その他の諸侯の勝利ってかなりバラバラじゃないか。
越後の奪還、西国における支配権拡大、宇喜田騒動で失った権威の再確立?、権力の回復か?、御家存続と可能なら領地拡大?なのかな?

その点東軍は比較的統一性が強いし、良くも悪くも徳川家康の権威が圧倒的で指揮系統もはっきりしている。
勝利条件もおおざっぱで短期的で東北組や真田つぶしのように例外も多いけど「とりあえず畿内の支配権を奪還する」で漠然と固まっていたし。

あと、池沼だとか知障とかいうワードは、ほぼすべてのケースで敗北宣言扱いされる傾向が強いから使わないことをすすめる。

751 :
>>745
カエサルは、他の場面でもそうだけど相手の予想外の即攻を掛けて相手が対応出来ない
状況で勝利を伸ばすってのが得意なんだよな。
あの時点でカエサルが自由に動かせるのは一個軍団6000「実数は多分4500くらい」で
しか無く、ルビコンを渡り元老院最終勧告「事実上の国賊扱い」に対抗する訳が無いってのが
元老院派の読み。
勿論、ガリアから増援を出す事は可能だけど、果たして軍団兵が従うのか?
大体、カエサルの信認厚く事実上の副将「軍を二分する時は何時も別動隊の大将」の
ラビエヌスがポンペイウス側に付く為カエサル軍を抜けてるくらいだから。
ラビエヌスは、元々ポンペイウスの地盤の出身で、クリエンテス関係の義理「譜代の主君筋
みたいな物」が有ったのが理由らしいけど、国賊扱いされたら負けるって予想が有ったはず。

でも、カエサルは即攻でローマを落とし、正規の執政官に自分が成れば大義名分は五分
じゃん、おまけに南イタリアのポンペイウスの根拠地を落とせば敵の兵力徴集能力も
削げるって斜め上の発想をした。
確かに一個軍団の兵力しか手持ちは無いけど、本国イタリアには兵力が無く、元老院派が
慌てて新規軍団を編成する前に南イタリアを占領すれば良いって考え。

勝負強い人って、相手の弱点を的確に突くんだよね。元老院派は大義名分有っても現時点では
手持ちの兵力無い所を的確に突かれた。
家康の弱点って、西軍が秀頼担ぎ大阪城に陣取り、第三者には謀反軍にしか見えないって所。
秀頼が西軍に担がれてる以上、豊臣恩顧大名の後ろめたさは大変な物だったはず。
こういう場合、名目上の主君を担ぐのが普通だけどそれすらしてない。
なら、とことん大阪城で籠城すべきだったと思う。

752 :
池沼

753 :
正面から反論せずに池沼と言い捨てる方が池沼
わかりやすく他の事例を出して西軍が勝つ根拠をあげてるのに気に入らないならきちんとその事例を否定してみろよ

754 :
鯛の天ぷらで勝てる

755 :
西軍の弱点には何も対策せずに東軍の弱点を突けば勝てるとか話にならないレベルだろ

756 :
>>749
確かに末端の武士ならば戦うのが仕事だ。しかし輝元は違う。
輝元は先代から受け継いだ毛利家という御家の当主だ。
御家の当主の仕事とは戦って死ぬ事じゃない。先代から受け継いだ御家を
次の世代へと受け継がせる事だ。つまり、戦って死ぬ事を優先してはいけない。
秀吉に頭を下げた家康や元親、義久。家康に頭を下げた景勝や輝元。
悔しくなかった筈がない。陰でバカにするものもいただろう。たとえそうだとしても、
グッとこらえて先代から受け継いだものを絶やさぬよう動くのが御家というものを背負った真の武士だよ。

757 :
>>751
>>62

758 :
いや、輝元はあまりにアホの子すぎる。
広家は山陰の留守役として残しておき秀元に家康を倒すべく指令を出すのはマストだった
そこで負けて初めて大坂で籠城するか高度な駆け引きで領地縮小で西の丸を明け渡すか交渉しても
全然遅すぎないし、むしろちょうど良いくらいだった。

759 :
>>756
何コンビニ経営者に安い共感「一国一城の主は我慢が肝心」な作り話を展開してるんだよ(笑)

家祖である毛利季光にしてから宝治合戦でそんなことしてないだろ、北条側ではなく三浦方に参じている。
名誉を大切にやるべきときにはやるから武士なんだよ、捨ててこそ浮かぶ瀬も有れ。
江戸後期のサラリーマン化した下級武士の処世術を当時の三本の指に入る毛利輝元に当てはめるなよ。
>先代から受け継いだものを絶やさぬよう動くのが御家というものを背負った真の武士だよ。

760 :
>>759
いや、もうこの時代なら御家大事優先だと思うわ。
それに徳川と手打ちしないと輝元視点困る。秀就後継になれない危険性があるから。
何故ならこの時点ですでに吉川広家が東軍に合流しているので、家康は
『毛利広家』を毛利の後継者にする事も可能だから。
自分の息子を後継者にしたいという欲望は秀吉でさえ抗えないものだよ。

761 :
なんで広家なんてユダを信用して軍を預けちゃったかね
輝元の眼力の無さは致命的。

762 :
まだ自分はアホの子なんだと自覚して無駄な野望を抱かなければ恥もかかなかったのに。
たとえば落合福嗣くんみたいに。

763 :
>>762
そこらへんは父や叔父、祖父に対するコンプレックスではないかと考えている。
もし西国制圧が達成できれば輝元は先代らがついに果たせなかった悲願を達成した事になる。
輝元は当時から先代らに比べるとやはり遠く及ばないといわれていただろうし、
その誇りであると同時にぬぐい切れぬ劣等感を感じてしまう相手だった父や叔父、祖父と
肩を並べる実績がほしい、あるいは彼らを超えたいという思いがあったんじゃないかな。

764 :
>>761
何の連絡もなく突然に三成たちが無断で大垣城を出て西に移動すれば
広家でなくとも当時の人間なら三成たちが裏切って逃げたと考えるしかない
後世の人間なら関ヶ原で戦うのが必然の出来事と考えてしまいがちだが
毛利を含めて大垣城以外の西軍は関ヶ原で戦うことなんてまったく承知していないことだからね

三成たちが裏切って逃げたと考えたなら、毛利単独で東軍で戦うのは不可能だから
不利な条件を飲んで東軍と講和するしかない
それによく勘違いされているが、東軍への書状には他の毛利の重臣たちも署名しており
別に広家が単独で勝手に講和したわけではない
広家は後からスケープゴートにされただけで、実際の責任はなかった

765 :
>>762
福嗣は声優として活躍してるぞ

766 :
>>754

鯛のてんぷらが引き金になり、命を落としたのは本当だったらしいね。

767 :
>>764
宰相の空弁当って捏造話なんだっけ?

768 :
>>764
裏切って逃げたとまでは思わんでも「あいつら何やってんだ?」ぐらいは思ってただろうな
勝手に大垣城を放棄されたら南宮山が孤立しかねんし
誰が主導したのかしらんけど(格からしたら宇喜多か?)かなり身勝手な人だと思うよ

769 :
>>767
そもそも関ヶ原自体が正午前には終了した超短期戦なのだから
空弁当なんて完全な捏造話だよ
それに毛利重臣が全員署名している以上は秀元も承知の講和と考えるほうが自然だろう
輝元本人の承諾はなかっただろうが
敵の大軍が目の前にいて篭る城もない、三成も逃げた(ように見える)のでは
大坂まで連絡する時間などないのだから名代の秀元の権限で緊急講和をしても軍規違反とはいえない

770 :
>>768
でも最近よく検証されてるけど家康が陣を張った桃配山というのは南宮山の一部であり秀元の本陣から峰続きで
道程で3キロ。ずっと下り坂なので万一、秀元が襲い掛かったらほぼ100%家康は死んでるんだよね。
位置的に広家の陣は外れてるし秀元も恵瓊も単独で家康の陣は急襲できた
しかししなかったという事で毛利全体で西軍を裏切るという意志統一はできてたみたいなんだよな。

771 :
>>769
正午前に決着がついてたという説は知ってるけど
まだそれは定説になってないよ。
というか間違いなくそれ嘘説。

772 :
>>771
正午前に決着がついてたのは当時の書状からしても確定的だろう
むしろ一進一退の攻防をしながら鉄砲で小早川が裏切ったという方が何の根拠もない嘘説だよ
その方がドラマとして面白いから定説として採用されただけ
関ヶ原というのはドラマとして面白いことが正しいという傾向が他の戦よりも遥かに強いからね

773 :
小早川が裏切ったという方がウソ
よって正午説もそれに関連しているなら怪しい

瞬殺説は?

774 :
おそらく岐阜県の山中集落で戦闘開始後2時間で決着がついたという書状を拾った説なんだろうけど
関ヶ原の戦いって盆地内だけでなくその周辺の山でも広く行われ
全体を俯瞰してた人間は居ないわけだから正確な戦闘終了時刻など分るわけがないんだよね。
山中集落で起こった小規模な戦闘が2時間で終わったと書かれてるのは、その集落ではそうなんだろ
としか解釈しようがない。

775 :
結果論だけど小田原城と大阪城も、籠城していれば100%負けていないのになぁ
ましてや大阪冬の陣なんて、兵糧に事欠き寒さも尋常ではなく徳川軍は撤退寸前だったのに、大砲が淀君が居る大阪城の本丸にラッキーパンチで直撃して淀君がびびって講和だもんな
豊臣秀吉は生前に運を使い果たと思ってしまう。

776 :
小田原籠城で負けじゃん

秀頼はもうちょいだったけど…

777 :
小田原攻めでは北条は完敗だったよね。
でも最後まで粘って内部から裏切り者が出たり放火が起きたりしてボロボロになるまでの局面も見たかった。
もしかしたらあと半年くらいもったかもしれないし。

778 :
>>775
その辺が、勝負強い人と弱い人の違いなんでは?
自軍の弱点ばかりが目につき、相手の弱点に目がいかない。
特に当時は通信が簡単じゃ無いから、戦場の霧「不確定要素が絶大」とか言われてるくらいだし。
冬の陣の大砲だって、当時の大砲は巨大な砲弾を飛ばすだけで、後世の榴弾とは全然違う。
榴弾なら密集してる所に当たれば大量破壊兵器だけどね。
城壁は崩せないので、半地下型の要塞にこもられたら無意味なんだよな。
それと当時は硝石が輸入で、基本的な仕組みが火縄銃を巨大にしたものって大砲は火薬を
馬鹿須加食う割りに効果が薄いんで日本で流行らなかったんだよ。
それに、国産含めて300門以上で砲撃って言うけど実際に攻城戦に意味が有る性能の輸入砲とかは
精々10門とかで、残りは爆音で城方を脅かす役目だしね。
それに有名な命中弾だって、淀殿の居室を狙ったなら内通者の情報だろうから二度目は困難。
狙えないから特定の場所に大量に撃ち込めばって運用で戦果あれだけ。
更に、火薬の残量的に何時まで砲撃可能って話にも?
実際さあ、実戦の経験豊富な大将が籠城軍の大将なら通じて無い気がする。
全体の戦況が見えて無いヒステリーの女だもん。

779 :
>>775
籠城で勝つことはないよ
相手の撤退を待つ=せいぜい引き分け、でもそれは兵農分離で微妙になった
次に援軍を待つ、についても小田原に誰が援軍をよこすのか、大坂についても九州くらいしか期待できない上、せいぜい黒田如水がなにかするかもくらいしか期待できない、毛利もあんな調子だし

780 :
>>772
午の刻とする家康書状、政宗宛書状ばかり取り上げられるが、
石川家成宛書状だとほぼ同じ内容だが、取り急ぎ書いたとあるので、
大勢は決したが終結には至っていない可能性もある

781 :
負けマシたーと西軍が言うわけもないわけで
単に状況的に東軍勝利っていう判断が歴史的にあるだけの話かもしれんな

782 :
島津なんて粘り勝ちだよな。
秀吉は島津に対し薩摩しか与える気は無かったのに
結局、極限まで粘られたせいで大隅、日向、薩摩の三国を分捕ったし。
ある意味、島津の価値だよあれは。
家康に対しても同じく極限まで粘ったおかげで減封されずに済んだ。
相手の弱みというのをちゃんとリサーチして島津だけが困ってるわけではなく
秀吉も家康も困ってるんだときちんと分かってた。

783 :
どうも兵力数に疑問があるので田辺城の戦いについて見直してみた。
まず石高だが、丹後約11万石、丹波約26万石、但馬約11万石、若狭8万5千石。

西軍の参戦武将として小野木重次丹波福知山4万石、前田茂勝丹波亀山5万石?
生駒正俊?(生駒親正代理、兵1000)、織田信包丹波柏原3万6千石、
石川光元?、高田治忠丹波上林1万石、谷衛友丹波山家1万6千石、
藤掛永勝丹波上林1万5千石、川勝秀氏丹波国内1万石?、
小出吉政但馬有子山6万石、杉原長房但馬豊岡2万石、別所吉治但馬八木?
斎村政広但馬竹田2万2千石、
早川長政豊後府内2万石、毛利高政豊後国内2万石?
山崎家盛摂津三田2万3千石、

他にもいるかもしれんがとりあえずわかる範囲でこんなかんじ。
これだといいとこ兵1万ってかんじに思えるが15000もいるかな?だれか抜けてたかな?
ほんと小粒の寄せ集めってかんじ。
城方500はいいとして攻め手15000は多いような気がするが…。

784 :
豊臣旗本の一部、片桐家臣、蜂須賀家臣、生駒家臣らも参加してる

785 :
>>784
あぁそうか、蜂須賀2000に豊臣旗本、片桐足せばまぁ15000ってとこか。

786 :
蜂須賀って西軍だったっけ?
家臣は西軍?

787 :
500の篭る田辺城に対し15000は多いので、8000で攻囲継続し残りの7000は他方面に転用したほうが合理的じゃないだろうか?
西軍としては大軍で一気に田辺城を落としたかったんだろうが、7月末に落城寸前の状況にまで
持っていきながら文化的理由での和睦交渉の長引きにより遊兵化してしまっている。
ただ、空鉄砲撃ってるようなやる気のない連中の烏合の衆なので、転用しても使い道に困る部分はあるが。

時期的には尾張に東軍が集結しだした8月中旬頃、
プラン的には、(城主が許すなら)北陸方面小松、北ノ庄、敦賀へ援軍か、
美濃の大垣、岐阜、犬山への援軍。
田辺攻囲は丹波衆と豊臣旗本衆で、生駒、蜂須賀、但馬衆、その他を他へ転用すべきじゃないだろうかと。

北陸に送っても前田が南下しなければ戦況には影響がないが、
美濃に送ってしまうと前田が南下する9月中旬以降北陸の守りは史実どおり脆弱になる。
が、リスク取ってでも東軍主力と相対できるだけの戦力を美濃に送らないと西軍は勝てない。

788 :
>>786
蜂須賀家は内心東軍で嫡子の蜂須賀至鎮は家康に同行して会津に行き、家康不在中に西国で起きた反乱を鎮圧するために蜂須賀家政と蜂須賀家の主力を阿波に残していた。(という説有り)
しかし、事前の想定以上に反乱の規模が大きすぎて鎮圧できないから阿波の領地を「返上」するとかして西軍の妨害をしていたとかなんとか。
国元の家臣団の一定規模が豊臣家に「復帰」、毛利家に「預けられた」というか「出向」した模様

田辺城の蜂須賀勢は豊臣旗本衆枠か毛利枠か西軍勝利時の保険のどれかと思われ。

789 :
蜂須賀生駒らは輝元の大坂入城に反対した当主を人質に取られて形でしゃあなし参戦。片桐家臣はアリバイ参戦
田辺城組はやる気ない奴らを集めてせめて多少の役に立てるための配置ってとこやね

790 :
厄介払いも兼ねてるんだろうな

791 :
佐竹がその気になって上杉と共同で江戸に攻め上れば家康は動けなかったんじゃね?
家康のいない東軍なら西軍でも打ち破れる

792 :
>>791
史実でも達成できなかった親父の佐竹義重の説得方法を教えてください。
親父は別に無能でもバカ殿でもないのだから押し込めなり暗殺なりすると、
間違いなく佐竹内部で内乱が発生します。

ああ、それと仮にやった場合、佐竹も上杉も大損害が発生しますけど
彼らがそうしてでも利益を得るだけの報酬を西軍は提示出来ますか?
勿論、その報酬が確実に手に入る保証も用意してね。

793 :
>>791
まったく逆だろ
佐竹が上杉を攻めれば家康が動けなくなるだろ
東軍として敵の上杉を攻めましたと言えば問題ない
上杉が最上攻めを始めた隙をついて佐竹は北に攻め上がるべきだった

794 :
>>793
なんでそれで家康動けないんだ?

795 :
家康が動けなくなる理由がわからんよな
佐竹が第三勢力になろうが上杉に反目するなら家康にしたら敵とも言い切れないし

796 :
佐竹が戦端を開けば東軍本体も続かざるを得ないってことか?

797 :
佐竹領から上杉領には進攻できるの?
たしかに面白い案だね。

798 :
たしかに家康は秀忠、秀康には「軽はずみな攻撃はするな」的なことは言ってたような気がするが
佐竹はそれ以前の問題で、そんな指示は受けてないわな。
伊達みたく先走ってもおかしくはない。
そしてそんな状況になれば少なくとも
秀忠はしばらく宇都宮から動けないと思う。
上杉攻めるのか真田制圧に行くのか。

799 :
上杉の最上攻め開始以降ってことは、おおむね東軍先鋒が清洲、家康は江戸にいる状況なのか
そこで上杉攻めが始まってしまうと、東西二方面を統括するために家康は動きにくくなる
そうなると東軍先鋒だけで西軍を相手にする状況を作りだすことができる

突っ込みどころも多そうだが確かに面白い案だな

800 :
結城秀康は何の為に北関東にいるんだよ……。
佐竹が勝手に上杉と戦端開くなら秀康が兵を7〜8000程度出せばいいだけだろ。
戦線をこれ以上増やしたら上杉が詰むぞ完全に。

801 :
>>800
秀康は宇都宮を守るためにいるしそういう指示を受けている。
家康の指示がなければ秀康は命令順守で動かんと思うが。

802 :
北で戦端が開かれていたら岐阜城陥落を家康が知ったと同時に濃尾へ行きそう。北の守りは安心だとして。
結城秀康は現場の判断で動くんじゃない?それくらいの裁量権はあるでしょ。今みたいにすぐ通信できるわけじゃないし。

でも、仮に家康本人が動けなくなるとしたら面白いな。
徳川家の主力中の主力である秀忠隊(浅野家など含む)もあるけどさ。
徳川抜きの福島系諸侯だけで勝ってしまうと戦後処理で徳川の優位性が大幅に減る。
それでも上杉や毛利、宇喜田に奉行衆のほとんどが壊滅すると、福島とかはもともとの力が弱いんで50万石くらいの準大老級になるだけだろうけど。
それでも徳川幕府の成立一直線という歴史に変化が起きそうだ。

803 :
佐竹が上杉攻めた時点で東は心配ないし
その時点で家康は即西向かうと思うの

804 :
佐竹が上杉攻めるわけないし、なんだその仮定は?
まだ大谷が石田を攻めるという方が現実味あるよ

805 :
上杉が最上を攻めたのは家康が岐阜陥落の知らせを受けて江戸を出発した後だから
その隙を佐竹が狙ったところで家康が動けなくなるとか言う話にはならないでしょ
佐竹が同時に家康不在の関東も攻めるとか意味不明な行動を取るなら話はまた別だけど

806 :
>>797
上杉領内に至らなくても佐竹がうろちょろすれば伊達も最上救援に向かいにくくなるし、関東東北は混乱するから家康が西上する余裕は減るかもしれん

807 :
家康の挑発に誰も乗らない。誰も釣られない。
これが最強。

景勝も兼続も家康のことが好き。
三成も吉継も秀家も行長も家康ラブリー。
毛利も長曾我部も最初から動かない。
伏見城も岐阜城も無事。
何も起きない。
誰も相手にしてくれないので、家康は寂しくなり、ひきこもりになる。

な? 完璧だろ?

808 :
義重の意向を重視し結局佐竹は家康につくことに。
東軍に与する以上益がなければ意味がない。
領地拡張を目的とし上杉領に攻めこむも守りが堅い。
もたもたしていると上杉の後詰めが現れ
野戦で大敗。
逆に上杉に攻めこまれる。
窮地の佐竹は家康に救援要請。

こんなとこじゃない?
突っ込みどころ満載だがわたしの立案じゃないから知らんw

809 :
その場合、上杉征伐軍に合流なり連携なりするのが普通なんですけどね。
西軍勝たせるために佐竹を論外レベルのバカにするってどうかと思うけど。
家康周りをみんな無能か有害にすれば西軍勝てますよって言われてもなあ。

810 :
長いものには巻かれろの精神だったんだろな
時代は家康の流れだったんだろな

本能寺の変の後でも秀吉に対抗する勢力が
あまり出てこなかったんだから
織田家家臣でさえ秀吉に好きにさせて
に引導を渡せなかったし

811 :
しかし関ヶ原の時の島津は何をしたかったんだろうか?
あんな態度では、西軍が勝利したとしても周りから白眼視されるだけだるろう…

812 :
いやあの兵力ではやりようがない
三成指揮では戦えないと考えた

813 :
島津に5000の兵があったらどうなってただろうか
1万はいないと無理かな

814 :
5000あったら逆に逃げられず捕縛されてたまであるな。

815 :
>>813
木曽川渡河迎撃が成功する可能性が少し上がる。
一万いるなら少なくとも福島隊は撃退できた可能性が高い。

816 :
最新の本読めよ。

817 :
島津義久にやる気がないのに
1万もいるわけないし

818 :
島津は日和見したわけだが単に頭悪いよな
伏見攻めに参加せざるを得なかったのはわかるがその後いくらでも東に組みすることはできた
寡兵とはいえ日和見しても双方から白眼視されるし、撤退もあれでホントに成功と思ってるのかって話だよな、ほぼ全滅してるわけだし。

伏見攻めになるまえに徳川にちゃんと通じておくのをおこたった
これがまずダメ
島津本家もやる気なかったわけだから義弘は自重して出て行く必要はなかった

819 :
秀頼or三成がキリスト教かイスラム教に改宗して家康に対して聖戦を宣告したら勝てたんじゃないの?

820 :
家康が西に向かう際に、佐竹軍は全軍で関ヶ原に向かえば良かったんじゃない?
一族を加えれば3万近い軍勢となり、東軍だから抵抗無しに西に向かえる。
味方をした佐竹に果たしていくら加増してくれるか見もの。

821 :
田辺城の1万5千が本戦に間に合ってればな
幽斎は500程度でいい仕事したな

822 :
一万いれば相当すごいことになったな

823 :
>>820
史実で佐竹軍は秀忠軍に従軍してる
兵が増えてもそこは変えられんでしょ
そうなると上田で真田昌幸にぶつけられる事になるかと

824 :
>>823
秀忠軍にはせいぜい一族が率いた千ばかりでしょ?
上杉との境目の城に守れる程度の兵を残し、全軍で東海道をひた走ればいい。

825 :
>>819
神聖ローマ帝国やオスマン帝国が江戸に押し寄せるのか。で補給は?

826 :
>>824
家康の領土を横断するのに家康の指示なく出来るわけない
と言うか家康から秀忠に従軍しろと言われてる時点で
義重が逆らう理由がない

827 :
>>826
逆らう?大軍を送り込む味方は別に逆らってないだろ。秀忠にも既に従軍はしてる。
>義重が逆らう理由がない
とか言うけど、別に義重は愚直な猛将じゃないし、それに義宣には理由が有るから。
義重も秀忠の指図を受けるだけではろくな恩賞に繋がらないと、むしろ激賞して送り出すでしょ。
他の軍勢に連なって進めば、そのままいけるっしょ。

828 :
>>827
ちなみにどのタイミングで行く気なの?
小山で人質断って以降じゃもう家康に警戒され過ぎて無理がある

829 :
>>828
なあに、一兵でも欲しい時だ。家康を追うように行っても家臣は通すだろう。
大軍を止められるような軍勢は常陸から尾張までもういない。

830 :
>>819
まず、聖戦なんて教皇やカリフ級の宗教権威がないと布告できんわ。
そして何のために日本に来るんだ?彼らにも本国はあるんだぞ。
欧州勢が日本を攻撃するとかアヘン戦争の時代でも国運を懸けた総力戦になりかねん。
それも本国を空にした大戦争。いくらなんでも荒唐無稽に過ぎる。

>>821
間に合った→×
たまたまそこにいなかった→〇
みんなで関ヶ原に集まって決戦しようぜって示し合わせたんじゃなくて、たまたま十万の大決戦になった。
「間に合った」という表現は9月15日しか見ていない感じがするし他を見失いそうになるから嫌い。

よくわからないけど関ヶ原の西軍の場所に追加で1万の兵って人口密度的に大丈夫かな?
布陣図を見るに割と密集している感じだから。ちょっと不安になった。
というか田辺城攻めに送られた蜂須賀勢とかは嫡子至鎮が家康周辺にいるから裏切りそうで危険じゃない?

>>824
秀忠軍?秀忠の信濃遠征隊は3万か4万の兵だったと思うが。
結城秀康の軍約8000人ではなく?

831 :
間違っていて古い資料かもしれないけど

関ヶ原で真面目に戦った西軍が約3万5000人
東軍が約4万人でこれに徳川家康の3万人が追加
南宮山への東軍の備えが1万人くらい。
そして小早川秀秋が裏切るんで約1万5000人が東軍につく。

人数的には田辺城組が全部来て互角になるくらい?
でも現実には大津城攻めに行ってから大垣城への応援に行くよなあ。
でもその分大津城攻めの1万5000人が早めに自由になると思うからそっちの方が重要かな?

832 :
要地瀬田のすぐ裏の大津城に東軍がいるのはいかにもまずい
田辺城組みたいなやる気のない連中じゃなく有力な面子で速攻落としたのは正しい
大坂城から降伏交渉の使者が何度も来て何日も時間稼ぎされたのが問題

833 :
だれが書いたかわからんが、>>245の上杉方面史実時系列及び兵力展開表的なものの
もう少しまとめたかんじのやつをだれかよろ。
次スレのテンプレ用に。

わたしあっちのほうは地理に疎いのでよくわからんから。

あと>>459も追加かな。

834 :
>>830
異教徒征伐なら大義名分は立つよ。
なんなら三成が教皇とかカリフを名乗れば助けてくれるんじゃないか?

835 :
秀吉がキリスト教を禁止したのに
三成が率先して破るファンタジー

836 :
田辺城組は在番くらいしかできないと思う。
瀬田守備隊が大垣在番だったのと同レベルかなと。

ただ、早い時期に転用できるなら岐阜在番とか役に立つかもかな。

それと田辺城組全部引き抜くと北陸方面への後詰なくなるから。
前田の南下阻止は不可能になる。

どうも丹羽長重だけでなく北ノ庄の青木一矩も東西両軍に誼通じてたみたいだね。

837 :
>>835
イスラム教なら禁止されてない

838 :
そもそも当時の日本にイスラム教って伝来していたっけ?
というか宗教を前面に出したら仏教系神道系の諸勢力(朝廷含む)から反発を受けそうで逆に西軍が不利にならないか?

839 :
>>838
トルコイランインドマレーの軍勢集めたら楽勝かと。

840 :
えーと、イスラム教にそんな団結力と求心力があったらローマやパリはおろかモスクワやベルリンまでイスラム教の国になっていると思うんですが。

841 :
さっさと伏見城を落として、岐阜へ西軍本隊を向かわせる。
岐阜に到着したら大垣で一旦行軍停止。

田辺攻城軍は最初から西軍本隊に組み込んでおく。
北陸部隊も特に必要ないんで、本隊に組み込む。

842 :
>>835
新教正教にして誤魔化せばなんとかなる
ロシアイギリスオランダの援軍も来るぞ

843 :
改宗した程度で援軍が来るのかどうかという問題
史実キリシタンも大友や有馬がつぶされそうになってもキリシタン大名への救援をついに行わなかった。

キリシタンどもの意思を無視して、仮に救援部隊を送るとしてまず、通信速度の問題
援軍を呼ぶとして、援軍がいつ日本にたどり着けるかという問題
確かうろ覚えだが、米国のガーフィールド大統領暗殺(1881年)の一報がロンドンタイムズに掲載されるまで確か1ヶ月かかってる。
当時の技術力で、喜望峰ルートを使うことになるから、蒸気機関開発済みの19世紀半ばの技術力でも片道100日かかる。

会津征伐(6月)が開始される前の5月1日に使者を出しても欧州につくのが8月ごろ。しかもこれは蒸気船を使っての数字だから帆船だともっと遅い。
リスボンから救援軍が出発したころには関ヶ原の戦いはもう論功行賞まで終わっている可能性すらあるぞ。
最速でも約200日、現実的に兵をそろえて、艦隊を建設して、周辺諸国との外交折衝をしてという段階を踏むことを考えれば2年か3年でも早い方だ。

イスラム勢ならもう少し近いけど、なぜその援軍をキリスト教徒が妨害しないと考える?
援軍を送った背後をキリスト教徒たちが攻撃しないとなぜ考える?

そして、どうして遠路はるばるやってきた異教徒異民族の連中が日本をそのまま植民地化しないと思うんだ?本末転倒じゃないか。

844 :
>>841
伏見は陥落させる必要なかったかもね

845 :
>>832
京極は秀頼の叔父にあたるからなあ。
豊臣家自体一門がロクにおらん以上、貴重な身内に万が一があっては困るし。
大坂からの距離を考えても降伏交渉の使者出すの当然だと思う。
>>841
結果論からの逆算をするな。近畿に東軍支持派の拠点を残すだけで物凄く面倒だぞ。
北陸がら空きにするとかちょっと意味わからんし。
それからなんで上杉征伐軍が崩壊せずに速攻で岐阜まで戻る事を西軍が把握してるんだ。
西軍はエスパーの集まりか何かかよ。

846 :
>>844
豊臣政権の重要拠点だったんだから、そりゃ伏見を放置する訳にはいかないだろう。
負ける事のない戦だから、勝って戦意を高揚させようって目的もあったと思うし。
全く効果なかったがw

847 :
>>845
結果論からの逆算しないでどうすんだよ?w
どうすれば勝てたか?って未来を知ってる俺らが考えてるんだぞ?w

大体な。東軍だって会津に押さえの兵は置いておいたが
他は分散させてない。そもそも西軍の勝利条件は家康打倒だから
他は放って置いても問題はない。

家康を倒してから、他の雑魚を片付ければいい。

848 :
>>847
当時を生きている人は未来を知らないんだから結果論じゃ駄目だろ。

849 :
>>846
初戦だからしっかり一勝というのはわかるが、ある程度で包囲してあとはとっとと東進すればいいという意見なんだよ
どうせ伏見から出撃してくるわけじゃないし。
で東海道の城をおさえれば山内だのが徳川殿に城を明け渡すだの宣言してるのも無駄になる

まあどのみち西軍がそんな要領よいわけもないが。

850 :
三成が輝元と初期にやりとりした書状では浜松付近まで輝元が押し出して決戦する旨書かれてたそうだね
輝元自身がその気で居たと。
途中で輝元が変心して四国や伊勢へ兵を送り最前線に兵を送る事を渋ったので
三成の計画は全て御破産になった。

851 :
>>843
西軍が勝てば後は野となれ山となれだよ。

852 :
>>849
ああ、囲んでおくのね?そうだね。4〜5千も押さえの兵置いておけばいいしね。
それはアリなんじゃない?ただ、簡単に落とせると皆思ってたんでしょ。
まさか誰も攻めかからないで鉄砲撃ってるだけとは思わないだろうなぁ。

853 :
>>850
仮にその時決戦しても家康には勝てないだろうなー
小牧長久手で秀吉より少ない軍勢であそこまでやったんだから

854 :
>>852
守備兵が300〜500人だから4000人も要らない。
どうせ城から誰も出てこないから門前を同数の500人で抑える程度でいいよ。
なんなら戦で役に立たない女性や子供にでも囲ませておけばいい。
侮辱されたと思って鳥居が出てきたらしめたものだし。

855 :
>>853
そこまで来ると家康は箱根から西へ出て来ないはずだよ。
万一、負けてしまうと一瞬で四方八方から関東へ雑軍がワラワラと出てきて家康終了のお知らせだから。

856 :
>>849
それはだめ。史実以上に情勢が悪くなる可能性が高い。
どうもやっぱり前田の南下は伏見の後詰めが
目的だったみたいだから。
伏見を包囲に留めるとやはり瀬田で対陣になると思われる。
ソースは9月5日付村井長頼宛前田利長書状みたい。

857 :
乃至政彦・高橋陽介『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった−一次史料が伝える“通説を根底から覆す”真実とは−」(河出書房新社、2018年)

858 :
アベンジャーズのサノスみたいに時間巻き戻そうよ。
織田人質時代の竹千代なら楽勝だろ。

859 :
じゃあ伊賀越えの際に

860 :
>>858
根本的に豊臣政権が成立するかどうか怪しくなるんだけど。
巻き戻すにしても秀次一族族滅の時期辺りが限界じゃね?
大老・奉行制度が出来たのこの時期だし。

861 :
最大限譲歩するなら鶴松が死なないか、秀次を関白にする前に秀頼が産まれるかかな
ただ鶴松が死ななくても秀吉死去時まだ9歳で関白は継げないから、武家関白制をどうするかという課題が出てくる
その場合秀次を内大臣などしかるべき地位につけて鶴松(もしくは秀頼)が成人するまで政務代行とする
そうすれば秀次は子沢山だから豊臣藩屏が増えるが、秀次とその一族が事実上トップが最低10年近く続くわけで
鶴松(または秀頼)が成人したとき秀次がおとなしくその座を明け渡すか、一族内での政治的駆け引きが
相当なものになり下手したら内乱になりかねない
・・・うーんいろいろ考えていくと家康がいようがいまいが秀吉に成人した嫡子がいなかった時点でかなり
詰んでるというか不透明過ぎるんだよなぁ
秀次が足利義満における細川頼之のようになれるかが鍵かな

862 :
>>861
というより、秀吉が細川頼之になってくれとある意味政権を託したのが家康なんじゃないの。

863 :
あくまで家臣の細川頼之と繋ぎとはいえ家督を継いだ秀次では根本的に立場が違う

864 :
人質時代の竹千代をRと徳川氏独立イベントがなくなって、桶狭間後の今川の対織田攻撃が行われて美濃征服ができなくなる可能性が。
伊賀越え時に家康をRと天正壬午がどうなるかわからなさすぎる。
信長→信雄→秀吉という歴史の流れが乱されて豊臣政権の成立が怪しくなる。
史実よりもスムーズに豊臣政権が成立する可能性もあるけど、北条氏が徳川家のようになる可能性も。

豊臣政権の転換点は秀次粛清と慶長の役以外の何でもない。
後知恵以外の何でもないけど、せめて秀次死後に慶長の役をやらず、国内体制を鎌倉幕府や室町幕府のように整えていてくれれば。
5大老5奉行なんて不安定極まりない制度じゃなく、摂政関白や管領や執権のように、明確にナンバー2を定めてしまった方がよかった。

865 :
東軍ですよと言いつつ不気味な佐竹義宣軍3万(親族含む)が家康の真後ろを移動。
いざ関ヶ原で家康の背後を襲えば西軍勝利だな。

866 :
>>865
家康親衛隊も3万人いるけど大丈夫か?
家康隊は旗本中心だから戦闘力が低いけど。

867 :
>>864
朝鮮ではなく北海道樺太カムチャッカを攻めるべきだった

868 :
>>867
実際、台湾は攻めたよね。
そしたら原住民しかおらず宣戦布告する相手も交渉する相手も居なかったという。
フィリピンのスペイン提督には「日本に服属しろ」と手紙を送り
スペイン提督「はいはい従属しますよ。あはは」と適当に返事をされうまくかわされてしまった。

869 :
>>867
寒いやん。
ついでに台湾あたりも征服対象に加えてくれ。
しかし、択捉にはいいレニウムの鉱山があるらしくて残念でならない。

870 :
寧波、香港、マカオ、海南島あたりを攻め海賊働きをして明軍が来たら逃げ、再度海賊働きをするゲリラを永続するだけでも
明は疲弊してボロボロになったと思うよ。そうなると朝鮮へ援兵を送る軍資金も出ない。

871 :
北条氏は小田原城最強だから城から出て来ない
結局方位されて詰み
20万動員して無罪はないから家康にはなれない

ガチで三成派とハン三成の抗争が続く可能性がある

872 :
>>870
海賊は秀吉自身が禁止して取り締まっているから
そんな大規模な海賊は編成できない
それに海外でゲリラするための莫大な費用を誰が出すのか?
諸大名の朝鮮への渡海費用さえ自分で出さない豊臣が海賊の資金を負担することはありえない
仮に自前で費用負担して海外でも海賊働きできるとてつもない奴がいたとして
そいつが日本の船や領土に海賊働きをしない保証がない

873 :
>>872
亀井茲矩が単独でやるよ。
もちろん褒美は「切り取り次第」
費用なんて秀吉が出すわけねーじゃん。
でも島津や村上や九鬼も
「俺たちにも海賊させてくだせー太閤様〜」と土下座して頼むのは想像に難くない。

874 :
日本の近海で小規模な活動しかできないそいつらが海外で海賊できるわけないだろw
そもそも遠洋航海できる船なんか持っていないから目的地に到達する前に船が沈没して終わりだ

875 :
・・・・倭寇ってなんなんだろ・・・・
台湾を初めて統一した鄭成功だって海賊だろ。

876 :
平戸ってそもそも倭寇の根拠地だったらしいね。
だから鄭成功の母親が平戸の日本人だっていう

877 :
そら福建省とか浙江省のあたりに活動拠点がある鄭成功と
日本の鳥取辺りにいる亀井茲矩じゃ全然難易度が違うでしょ
先に琉球を支配するとか前段階を踏むならともかく
いきなり中国の沿岸を荒らし回るったって上手くいくわけがない

878 :
良く相手にしてられるな

879 :
>>877
先に琉球を支配するとか前段階を踏むなら

当たり前じゃん。なんで当たり前の事を一々確認するんだ?

880 :
>>855
勝負どころで家康はその程度ではビビるような人物じゃない

>>861
秀次が秀頼に譲る訳がない
譲る必要もない、むしろ早急に処分すべき

>>865
福島ら同様お前が攻めてこいと言われるだけだ

881 :
>>879
いや当たり前じゃないから
亀井茲矩は琉球への関心は見せたけど(ポーズの可能性はあるが)
実際の琉球利権は島津の物だからね 
まずその辺から整理しないと

882 :
何よりデカい秀次事件だよなぁ
秀次生きていれば関ヶ原合戦は無かった

徳川が淀と秀頼煽って敵対させたりしない限りは

883 :
>>855
見落としていたけど家康って狸の皮をかぶった猪だから突撃してくる可能性すらあるぞ。
そもそも浜松まで行くには尾張清須城の福島正則と三河吉田城の池田輝政を突破して、徳川家の本拠地だった三河岡崎を通るから浜松城より西で決戦じゃないか?
福島正則が東軍についたのが想定外だったかもしれないが。

884 :
あんだけ敵対して殺されそうになっておいて
福島が敵になるのが想定外とかもうね
マジで大将の実力から桁が違ったとしか

885 :
でも福島って本当にアホの子だったな
逆臣中の逆臣じゃん

886 :
>>880
小早川ばりに勝手に陣取ればいいじゃん。
西軍との決戦を前に徳川本体と同数の佐竹軍と事を構える余裕などないぞ。

887 :
だって西軍って実際は政治クーデター起こして豊臣政権の実権握ろうとしただけだから…。
(毛利と上杉辺りは勢力拡大も見込んでたっぽいけど)
例えるなら二・二六事件起こした皇道派若手将校みたいなモンだし。
いくらなんでも無条件で味方しろってのは無茶だろ。

888 :
カリフォルニアかアラスカを征服して家康に転封してもらおう。
1000万石くらいの価値があると言えば家康も喜んで移動するよ

889 :
>>888
カリフォルニアかアラスカを征服出来るなら西軍は普通に勝てると思うの

890 :
オーストラリアに進出すればよかった
しかし、オーストラリアはイギリスが来るまで
ほとんど未開だったんだろ?
アジアや中国に近いのに仏教、漢字、稲作何にも伝わってなかったんだな

891 :
>>886
指示に従わないなら決戦前に義重に書状で「いい加減にしろ」で終わりだよ
そもそも水戸に帰っただけであれだけ色々言われて結局ヘタレた義宣に何が出来るのか
どこに行こうがそこが解決できないと変わらんよ

892 :
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893 :
>>891
義宣はそんな風に言われるような武将じゃないでしょ。
久保田に城を築き土崎湊と融合してひとつになっている街造りとか見事。
鬼義重も老いたといったところじゃないかねえ?
単純に東軍についても、里見がどうなったかを考えるまでもなく常陸には居られない。
根っこから剥がされて他に行く上に、福島加藤ばりに改易されるぐらいなら、
家康に追従しなかった名誉の方が後々効いてくる。

894 :
まことは、バイセクシャルのホモ豚である

895 :
金吾ちゃんが西軍のまんま無双していれば勝てた

896 :
>>890
オーストラリアなら先にヒンズー教とサンスクリット系文字が伝わりそうな気がするが

897 :
>>890
アジアと中国が別の存在か。(つっこみ)
豪州は気候とか土地の植生とかいろいろあって近代の技術でどうにかって感じらしいので。
あと、地下水を別とすれば水も潤沢ってわけじゃない。日本が異常に水に恵まれてるんだけど。

現インドネシアの東部がいろいろ魔窟だったんじゃないかな?マラリアとかの疫病や動物とかも危険だし。
欧州で換金可能な香辛料が出てくるまで人は住んでいてもあんまり開発されてなかったから。
香辛料が出てきた後も、小さい島が多いという土地の大きさもあるけど、インドネシア東部はあんまり発展してない。

898 :
>>858
竹千代は将軍になる未来があるから巻き戻す必要性はない

899 :
>>889
カリフォルニア国守に家康を任命すれば労せずカリフォルニアが手に入るかと

900 :
>>893
街造りとかどうでも良いんだよ
別に義宣が無能と言ってる訳でもない
ただ関ヶ原での彼の動きは急に水戸に勝手に帰って家康に付け入る口実を与えておいて
家康に何も出来ずに家臣と親になだめられたという実に中途半端な行動だ
東軍についていくまではまだしもそんな無茶苦茶で西軍に都合いいだけの大胆な行動を急に出来る人物ではない
そして結果から言えばやはり名将義重が正解だった
あの状況でノープランの三成についていく方がアホだとしか

901 :
義宣は家康が呆れてしまうほど義理堅い人物だったらしいから仕方ないんじゃね?
勝ち負け関係なくどうしても恩人であり友人である三成の味方をしたかったんだろ。
そういう性格を知ってるから家康も減封で許してやったし、その後も取り潰しせずに幕末まで残る事ができた。

902 :
>>899
朝鮮出兵よりもリスクしか無い更なる遠征だから普通に断るだろうな

903 :
真田親子も三成が必ずしも勝つとは思ってなかっただろうな。
勝ち負け抜きにして死んでも家康の天下は嫌だったんだろ

904 :
>>903
真田も家康とは沼田の件があるから、基本的には反家康だったんだろうね。

905 :
>>900
えっ!?名将義重とか言って、
佐竹家がどうなる想定なの?
房総半島の先っぽにちょこっとだけの里見でさえ存在を許されずに潰されたぐらいなのに。
単純に東軍についたら大領を与えられた挙げ句に取り潰しになる未来しか見えないでしょ。

906 :
>>888
秀吉が着手すべきは月面征服だろ
月なら戦になることもなく広大な領地が手に入る
勢いに乗って火星征服を宣言してもいい
秀吉の選択ミスによって豊臣政権の寿命が縮まった

907 :
中国で漢字が発明されたときにwestを東、eastを西としておけば西軍が勝った

908 :
おう、つまんね

909 :
ゲルググの量産がまにあってたら勝てたよ

910 :
>>905
この状況で三成についていくバカやらかしたら一緒にさらし首だろ
親父のおかげで移封で済んだんだろうよ

911 :
九鬼、佐竹、真田、鍋島は親子で東軍と西軍に分かれて生き残れた代表例だよね。

912 :
>>910
律儀者を取り潰しまでしたら徳川の世の平穏が成り立たないからというのは義宣の手柄でしょ。
遠方だからこそ加百万石パターンも有り得たけれど、
常陸五十四万石の佐竹にさらに加増してそのまま関東に置く事はない。
味方だった福島に両加藤に最上の大領を与えられた末の取り潰しと同じ事が佐竹にも起きただけだろう。
あれだけ家康寄りだった最上でさえあっさり潰したのだからね。

913 :
最上の場合は大名の権力が弱いのに、家臣団の中が悪すぎて武力抗争になりそうだから潰したんじゃなかった?
見せしめで減封したり監査役兼後見役を送ったりして最上家を頑張って支えようとしたけどらどうしようもないから潰した感じ。
家康と仲良しだった鮭の人の死後のことでもあるし。

914 :
秀忠と家光前期は大藩はとりわけ潰して中央政権にしようと
徳川家や松平家ですら潰されてたしね。
親藩か外様か関係なく前田や島津などの一部の例外を除いたらどんどんお取り潰しされてた。
佐竹は20万石程度の中堅大名に格下げしてもらったおかげで潰されないで済んだ。

915 :
最上義俊が13歳で57万石をそのまま相続できた時点で温情裁定

916 :
改易された家より上の前田島津伊達や代わりに入った細川浅野とかが一部の例外になる意味がわからん

917 :
>中央政権
だってさ
各藩はかなり自治が認められてたのに

918 :
最上騒動はお家騒動起こして幕府の裁定にも文句言ったらそらこうなるわなっていう典型だよね
なんか藩祖の功績がそのまま250年間その家を保障し続けるかのような物言いする人が良くいるけど
明治まで家名を保った家は代々その時代なりの処世を心がけた結果だから
改易されるような家は大抵いくつか失点を重ねている

919 :
>>917
united states of Japan

920 :
>>912
義重及び家臣が家康寄りに裏交渉が出来てたから移封で済んだだけ
律儀過ぎる困り者だけだったらあの世まで律儀を通せで終了だよ
そこに誉め言葉ぐらいはくれたと思うぞ、日本一のツワモノ的な

ただ秀忠の代以降でその領土を守れるかは大名の政治のなせる技
きっちり領土を統治して守った義宣は政治家としては優秀だったと思うよ

921 :
【GWの悲劇、6歳女児が死亡】 あーあ、どうすんだ、安全デマ撒いてる殺人犯ども、そこのお前だよw
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1525659344/l50

922 :
豊臣を裏切って徳川に味方した連中だぞ?そりゃ徳川にしたって
そんな連中をいつまでも信用して大録を与えてられるかよw
仕えるなら藤堂高虎くらいに謙らないとな。

923 :
家康を後北条氏壊滅後に関東ではなく蝦夷地に転封しておけばよかった

924 :
むしろ三成を蝦夷地に転封しておけば讒言も謀反も企てられなかったから
豊臣政権が存続することも可能だった

925 :
あの時代の関東は、蝦夷地みたいな未開の地だったからな〜
だから家康が関東に転封するのは、あの当時の当然の考え
しかし、朝鮮出兵が免除され、1590年代の10年かけて
あの一体を改造したからな

926 :
なんか勘違いしている人がいるけど、中央集権と大大名の存在は両立するぞ。
重要なのはすべての諸侯やアクターが、中央の命令や法度に忠実かどうかが決め手になる。
確かに大諸侯なら抵抗しやすいけどさ、別に中小諸侯ばっかでも言うことを聞かないのが多数いるようなら中央集権じゃないぞ。

現に秀吉が生きている頃の豊臣政権は50万石以上の大大名が伊達・佐竹・宇喜田・前田、100万石越えが徳川・毛利・上杉と大大名がたくさんいるけど、秀吉にとにかく忠実だったじゃないか。
秀吉没後は無政府状態に近いものすらあったから大大名の多さとは少し違うかもしれないが。
中小大名がほとんどのはずの幕末も中央の権威が失墜してからは諸侯が反抗的になって、万博に勝手に出展したり、天狗党の残党の流刑先にされることを拒否したりとボロボロ
領地がほとんどないはずの公家ですら幕府に抵抗したりしてるし。

927 :
北条も長宗我部みたいに滅ぼさずに無理矢理でも味方につけておけば良かった
領土半分くらい切り取って残せば恩も売れるし
北条なら関東以上の野心は見せなかったろうし
家康も東海で百万強であれば文句は言えないはずだし
前田上杉毛利とあまり差がなくなり
五大老制もバランスが取れる
さらに家康が東海にいるなら遠慮なく朝鮮に送れるので疲弊させられたし

>>925
それはない
場所によってはともかく関東全体で言えば十分発展してる
だからこそ気前よく二百万も与えてはいけなかった

928 :
>>927
家康が関東入部して最初の年貢は、八十万石分しか無かったらしいぞ

929 :
>>927
北条、普通に天正壬午の乱で甲斐や信濃に向かってるけど。
それと、領地半減で恩を感じるとかないない。

930 :
>>925
名護屋に1万5000もの兵を派遣したことは決して出兵免除ではない。

結果から逆算しているから、朝鮮に送る=疲弊させることができると考えてるけど
当時の基準なら当然朝鮮や明に勝てると思ってるから、朝鮮に送る=手柄を立てることができる、なので不公平とか依怙贔屓になる。
相手を攻める場合、領地が近い順番に兵を出していくのが当時のマナー
領地が敵地に近い順に派遣されるという原則のもと出兵が後回しだったに過ぎない。

もし仮に家康を無理に送ると毛利や四国九州の大名のメンツをつぶすことになる。

>>927
北条さんは小田原攻めのプロパガンダ性が強くなりすぎたからねえ。
東北諸侯の国分の基準になってしまった。

個人的には北条存続よりも、織田信雄が転封を拒否せず、東海道甲信に100万石を維持してる状況が気になる。
領地の大きさや官位から大老入りをせざるを得ないだろうけど、旧主家という微妙な立場
北条家改易と徳川移転のどさくさ紛れ以外の改易だったらと思うと。興味がわく

931 :
>>929
例えば鶴松が生れた時点でさっさと秀次を
小早川のように北条を継がせてしまうとか
そうすれば鶴松死んでも急遽秀次を養子には出来ないから
関白譲るまで時間が稼げる、ちょっとでも稼げれば秀頼の懐妊だ
無駄に少ない身内を失わずに済む

932 :
>>924
周りの書き込みの見識の高さに比べて、お前の貧相な書き込みの目立つことよw
さすがに誤字はしなくなったかw

933 :
>>927
黒田官兵衛が北条氏政に出した和解条件がまさにそれなんだよね。
・北条家の誰の責任も問わない
・北条の領土は武蔵・相模・伊豆だけとする

それで北条家は官兵衛に感謝したのだが
秀吉は官兵衛の面子を丸潰しにし、その和解条件を見事に全部破った

934 :
>>933
黒田官兵衛が可哀想になるね。
隠居していたのを無理矢理に小田原まで連れてきて、その扱いは無いわ…

935 :
>>934
宇都宮処分も
秀吉「ん?土豪の宇都宮を家来にしたい?いいよいいよ。おまえに任せた」
秀吉「あれは嘘じゃー。宇都宮を今すぐ殺せ」

これで官兵衛は宇都宮を暗殺し地元民の信用を一気に無くした。

936 :
氏政も伊達や島津の真似して剃髪し、白装束を着て、蹴鞠をしながら関白秀吉の下に参上し
道化師を演じながらひたすら土下座すれば案外許されたのではという気がしなくもない。

937 :
>>936
それは無理だ。関東は奥羽や九州のように僻地じゃない。
五代に渡って関東を支配した北条家の者を生かしておいたら
百害あって一利無しだ。

938 :
>>937
氏直と氏規は一応生かされて
すぐに1万石だか2万石の大名として復帰させられてるね
仙石権兵衛とほぼ同じ処置。
秀吉は主戦派の氏政や氏邦は嫌ってたけど
当主の氏直は特に嫌ってなかったでしょ。若くしてすぐに病死してしまったけど。

939 :
秀吉は敵にならないと思えば寛容
気まぐれではあるが

940 :
家康を秀吉の養子にすれば戦わずに済んだのでは?

941 :
秀康が家康の兄になるのか

942 :
親子揃って同じ人の養子というのはほとんどないだろうね
最初に甥を養子にしたけど夭逝して他に甥がなくその甥の父、つまり自分の弟を結局養子にしたというのはありそうだけど

943 :
そこまで出来ないからこその秀吉妹との結婚による義兄弟化だろう

944 :
秀吉は、家康を取り込んでおくことの重要性を分かっていたが、三成には分からなかったんだろうね。

945 :
家康から秀吉に征夷大将軍が継承されたんだから、そりゃあ三成も焦りもするさ

946 :
ミス
家康から秀忠にだ

947 :
>>944
いやその辺は理解していただろう
ただ奉行が政権内で主導権を握るには自分達より重要な存在がいては困るというだけで

948 :
家康もあんな境遇からよく幕府を開くまでになったね。
まさに奇跡だ

949 :
あせったところで豊臣家が征夷大将軍になれるもんでもないしなあ
結局三成は自分の権力のために動いてる不忠者

950 :
秀吉は
 大坂城があるから秀頼は安泰と判断した
 さらに千姫を嫁がせることで強固な血縁関係になり
 家康と全面的対立にはならないと考えた

951 :
https://authoritysite.info/post-410/

952 :
>>943
家康に茶々と再婚してもらえば安泰だったのでは?
茶々なら再婚早々に家康の子供ボンボン生みそうな気もするけどw

953 :
何言ってんのこの人

954 :
へうげものの話かな?

955 :
>>945
順番
関ケ原で三成敗北・処刑→家康将軍→秀忠将軍

956 :
>>953
秀吉死去後家康と茶々が再婚する話があったらしい

957 :
大野、土方、浅野による家康暗殺未遂は、
家康と淀の婚姻を阻止するためだった説があるみたいだね。

958 :
多聞院日記と看羊録に、秀吉の遺言で家康と淀が縁組することになったが大野治長の妨害で流れたという記述がある
最末期の秀吉は錯乱し無茶な遺言を乱発してたらしく、十人衆合意で旧来の如くとノーカンにされてるから
錯乱して出した遺言の中に本当にあったかも、といったところ

959 :
淀が徳川方に取り込まれることになれば淀の取り巻きもまた織田家の人間が台頭するからな
秀吉が取り立てたもしくは浅井系の人達は相対的に立場悪くなる

徳川はかつての盟友というか半分主人になる織田と関白家である豊臣取り込める
つまり両方の家臣団をほぼ手中に

こうなると豊臣政権で一族挙げて与力してきた毛利の立場が
毛利と深く結びつく可能性は旧浅井系、織田家中出身でない人達になりそうだけど三成がその人達から好かれてなかったのは色々痛かったな

960 :
三成は人質取ろうとしてガラシャ死なせたり
もはや悪党そのものに成り上がっていたからな

961 :
上に立つ者は孤独ギリギリなんだよ

962 :
と、まことは言うのである

963 :
>>961

( ´,_ゝ`)y―-~~ フハハハ!!

964 :
と、オレ様は言った

965 :
>>937
別に秀吉は侵略したい訳じゃない
統治するなら元の支配者は残して従えた方が間違いなく楽
残した上で毛利のように分断と支配を効果的に進めるべきだった
どうも秀吉は子が出来て以降が色々雑

966 :
次スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1525775487/

967 :
あと>>783の田辺城はあまり自信がないし兵数もわからんのだが、次スレに貼ったほうがいいだろうか?

968 :
今更ながら大河ドラマ葵三代を観たけど、関ヶ原に宮本武蔵が参戦して火縄銃打った後に超びびってるけどあれ本当の話なの?
宮本武蔵のイメージだと、関ヶ原に参戦してバッタバッタと足軽を切ってるイメージだった…

969 :
関ヶ原時 宮本武蔵 16歳
まだ剣豪どころか何もしてない時期にただの一兵卒として従軍したと記録があるだけ
巌流島での決戦は12年後
銃にびびる云々は知らんが

970 :
>>969
まだ16才だったのね
でも大砲まで飛び交う時代で、よく剣の道を歩いて極めようと思ったね
関ヶ原の戦いに参戦したら、普通は剣で斬り合う時代の終焉を感じそうなもんだが…

971 :
剣の道を究めるというのには実学的な利益があるのよ
高名な剣豪ということであれば士官の口があるからね
ひたすら剣の道に邁進する学究的な剣術家と後世からは思われがちだけど
武蔵の場合は自分に要求する水準が高くて仕官は実現しなかった側面がある

972 :
>> 971
う〜ん、なるほどね
柳生さんみたいなもんか…

973 :
上泉伊勢守なんかは武将辞めてからは
誰に誘われても仕官しなかったし、剣術指南役もしなかった。
代わりに弟子を推挙してたな。

974 :
>>973
何で生計立てたん?

975 :
そもそも宮本武蔵が関ヶ原に参戦してたのってあくまで伝説じゃなかったか

976 :
>>974
弟子の差し入れ

977 :
そんなんで食えるか

978 :
元々、領地収入はあるしな。

979 :
領主?

980 :
そうだよ

981 :
じゃあ食える

982 :
義宣が三成を助けてなかったら三成が死んで
西軍が蜂起しないんで勝てた

983 :
小早川隆景が健在なら勝てた

984 :
確かに東軍が圧勝したでしょうな

985 :
秀頼が死んで秀康を豊臣後継者に指名してたら勝てた

986 :
>>983
東軍につきそうだけどな

987 :
隆景がいたら不用意な出陣などするわけない
吉川元春が生きていたら・・

秀吉嫌いだから喜んで家康と組んだろうな

988 :
残りが埋まらないから戦国武将しりとりで埋めようぜ

最上義光


989 :
土田御前

990 :
兵は拙速を尊ぶ

991 :
でも、早漏はいかがなものか?

992 :
その前に最上義光をなんと読んでやがるんだ

993 :
ここ四半世紀で最も西軍無理な出来栄え

994 :
とにかく、まことは、遠隔操作で忙しい
多忙である

995 :
>>992
ヨシアキだぞ。それは史料に読み方が載ってた。

996 :
ということは>>989はキチダオマエ

997 :
榎本武揚

998 :
秀吉が100歳か120歳まで長生きしたら東軍でも西軍でもなく豊臣の不戦勝
いや、ボケの入った秀吉に全部ボロボロにされそうな気がする。

999 :
凶悪老害なことは間違いない

1000 :
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