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虐殺者を英雄視するのはやめましょうよ
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☆★★名族 六角氏について語ろう★★★
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【名君】今川義元 Part2【海道一の弓取り】
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part25

【疑問】スレ立てるまでもない質問15【戦国時代】


1 :2017/10/27 〜 最終レス :2020/05/02
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◇過去スレ
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04 https://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
05 https://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
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07 https://toki.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1296473917/
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09 https://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1327134476/
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12 https://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1376577423/
13 https://hello.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1390465028/
14 https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1410967231/

2 :
スレ立てされてなかったから作っておいたぞ

3 :
建て乙です

1540年代で近畿の大阪湾(淀川口)で存在してた城は石山本願寺(後の大阪城)と他に
有岡(伊丹?)城(こっちは1540に存在してた?)と他に何がありましたでしょうか?

4 :
石山の北の方にあった三好政長の居城の榎並城とか

5 :
中嶋城大和田城野田城とか。
大物城はまだ使われてたんだろか

6 :
信玄「わしの死を3年隠せ・・・」
間者「信長様!情報によると信玄は死んだようです!」
信長「よし!京都に攻め込むぞ!」

明智「信長も信忠も討ち取ったぞ!さあ共に天下を取ろう!」
細川「首も無いのに何を寝言を・・・」

この差は一体

7 :
>>6
信玄が死ななくても畿内制圧は続けるし謀反が成功してても明智につく気はないというだけ

8 :
1399年頃の応仁以前の勢力図みたいなのが知りたいです。
どこかありませんでしょうか?

9 :
守護大名で画像検索すればいいんでね

10 :
室町期の守護大名って結構変遷あるしなあ

11 :
歴史小説などを読んでると「人質として嫁ぐ」という表現が出て来ますが
実家と嫁ぎ先が敵対したせいで夫(婚家の人間)に殺されてしまった女性って存在するんでしょうか?
そういう場合は離縁→実家に送り返されるケースがほとんどだと思うのですが
それって果たして人質と言えるの?と疑問に思ったので

12 :
人質と婚姻は明確に違います。両方を兼ねることはありません。

13 :
>>11
「人質みたいなもの」を「人質」と勘違いした描写だねえ

14 :
>>12-13
回答有難うございます、やっぱりそうですよね
「実家と戦争になったら私は磔にされますね」みたいなことを言い出す奥方が結構いて
困惑することが多かったのですが安心しました

15 :
合戦の様子が描かれている絵巻?は誰かがその様子を見て描いたもので信憑性のあるものなのですか?聞き伝えで描かれたとかで実際はちょっと違うかったよ、とかあるものなのでしょうか?

16 :
>>15
その絵巻の成立年によって違う。近い時代の成立ならその分史料姓は高くなるし、遠いと風俗自体異なる場合がある

17 :
>>16
絵巻の成立年!目から鱗でした、そういった背景もあるのですね。ありがとうございます!すっきりしました。また色々調べてみます!

18 :
木曽義昌と小山田茂誠
主君裏切って織田家に投降した点では同じなのに雲泥の差なのは何故でしょうか

19 :
小山田信茂じゃなくてか?

20 :
そら事前にちゃんと交渉して条件を合わせたうえで降伏するのと同じにはできんでしょ

21 :
戦国時代って大名みたいな大物が正室や側室の部屋に行くときに、取り次ぎとかあったんですか?
行きたいときに勝手に行けると思ってたんですが、取り次ぎの描写がある本があったので

22 :
あったでしょ。大奥みたいなかっちししたもんじゃないだろうけど
とりあえず現代でも急に来られると女性は困るもんだしな

23 :
そういえばそうですね
生活が別になってたら、生活リズムも違うだろうし

24 :
側室の子供って戦場で戦う必要あるの?
どれだけ命懸けで武勲建てた所で正室の子供が生きてる限り当主になれないのに
逆に言えば正室の子供なら武勲立てなくても当主になれるわけで
それこそ三歳で当主になった三法師とか

25 :
社長になれなければ働く意味ない。って言ってるようなもんやね

26 :
臣下から主君になった鍋島氏の例もあるからのう

27 :
>>24
信忠は公式には正室を持っていないとされているので
三法師は側室腹の庶子
ただ、松姫生母説準拠ならある意味嫡子になるけど

28 :
"生母"じゃなくて"正室"の間違いじゃろ?

29 :
佐久間親子失脚後の軍団を引き継いだ光秀って
謀反考えちゃうぐらい自陣兵力増えたの?
それとも軍団引き継がなくても謀反出来た?

30 :
信長って伊勢長島で大量虐殺とかしてるけど、
他の大名は大量虐殺してないの?

31 :
有名なところはたいてい一回は撫で斬りしてるかな

32 :
他もしているけど信長ほどの回数と規模でやったのはまあ
これ以上となると秀吉くらいじゃね

33 :
えっ、秀吉もなの?
朝鮮とか?

34 :
豊臣秀吉の朝鮮出兵について
・諸大名はいやいや参加した
・むしろ功を得る為に積極的に参加した(もしくは秀吉に出兵を促した)
のどちらが正しいとされているのでしょうか?

ネットの記事などで
「大名たちは秀吉の命令だからいやいや参加した とされているが実際は積極的だったとされる」
みたいな記述を最近目にするのですが、どのページも後半について根拠出典がないので気になっています。
これについて当時の史料などあるのでしょうか?

35 :
どっちも居た。

36 :
その史料は例えばどういったものでしょうか?

37 :
守護大名ってよく家臣とか戦国大名に傀儡にされてるイメージなんだけどなんで追放されたり滅ぼされたりしないの?
周りからそれを理由に攻められるから?

38 :
支配の正当性にできるから
昨日まで同僚だったヤツがいきなり主君になるとか実力主義でもなかなか受け入れられん
だけど「主君の命令でお前の上司になった」ならなんとか折り合いもつけられる

もちろんそういう建前が必要ないと思えば追放もする
斎藤道三は主君土岐頼芸を追放したが国人の反発にあって再び受け入れることになった
時期尚早だったわけだ
後に信長は守護斯波氏を擁立して尾張を征服したが、用済みになった斯波氏は追放
しかし尾張国内にこのことで反信長の動きはなかった

39 :
なぜ島津は宇喜多秀家を匿うという危険極まりない事をしたのですか
自家が追求をかわすだけでも厳しい状況なのに

40 :
身もふたもない言い方をすれば当時の島津は今後の方針をめぐって派閥争い全開で収拾がつかず
方針が定まらないゆえ秀家の身柄も棚上げされたまま時が過ぎて結果的に匿った形になっただけという

41 :
合戦中の本陣の警備はどうなってるの?

42 :
戦国時代の
堺の町 尾張国の津島の町の人口が知りたいです
1540年代と1550あたりです

どうかよろしくお願いします。

43 :
この頃の手紙って、普通は漢字ばっかで女性に出す場合が
かなメインなの?
かなと漢字まじりの手紙もあるよね?

44 :
公文書は漢文だけどそれ以外は仮名交じりじゃないかな。

45 :
そうなんだ
漢文が公式なんだね

46 :
城作るのってどれ位金かかるんだろ?
勿論、規模にもよるし大阪城や江戸城、安土城みたいな巨城じゃないので・・・
現代人の感覚だとさっぱりわからない。

47 :
>>46
真田昌幸が上田合戦で徳川の攻撃を防いだ上田城を築く時に、国人領主の真田だけでは
資金が足りなくて「上杉の南下を防ぐため」と称して徳川から資金援助を受けた。

48 :
>>46
城つくりなら公共事業の一つで賦役ですね
基本、労役だからタダだったはずです(労働で払う税?ってイメージ)

武士から商人に依頼して
人夫を集めた場合なら短期〜長期で50文〜500文だったとか

49 :
>>48
労役だったんですか?そうだったのか・・・
ありがとうございます。

50 :
信長って目に見えないものは信じない系だったけど、
そしたら墓参りもしなかったの?

51 :
>>50
そもそも目に見えないものは信じない系だったわけではない

52 :
じゃあお墓参りは行ったの?

53 :
平手の爺やの菩提を弔うため政秀寺を作ってるし墓参りくらいはしたんじゃないの

54 :
>>52
歴史武将は記述ってものが少ないし、信長に関しては
信長公記を始め一次資料はあってもやはり少ない。
墓参りに行ったかどうかまでは記述が無い。

55 :
本能寺の変くらいの時点の公家で一番序列が上な人と一番発言力が大きかった人は誰ですか?

56 :
関白の近衛前久

57 :
石山合戦で本願寺が立ち退いた後、信長はその跡地を何に使ったんですか?
伽藍とかみんななくなりましたよね
本当は寺町ごと使うつもりだったんでしょ?

58 :
使う予定が本願寺退去直後に放火で全焼で放置

59 :
>>58
早い回答ありがとうございます
放置!もったいない
場所としては交易にもってこいの所だったらしいのに

60 :
佐久間信盛「俺のせいに…なるの?」

61 :
映画とかで剣さばきのすごい殺陣で人を倒していくシーンをみるけどアレは演出じゃなくて
戦国時代とかでも実際にああいった感じで戦ったりしてたのでしょうか。だとすればすごい技術じゃ
ないですか?日本人の戦闘能力は高かったってことですよね?

62 :
当たり前のように広まってる信長(織田一族)美形説の根拠って何なんでしょう?
信長公記に弟の秀孝が美男だったという記述がありますが
それ以外にも信長やその血族の容貌を褒める記録があったりするんでしょうか

63 :
>>62
お市の方の容姿は色々記述あるな。浅井長政も同盟するなら嫁にくれって言ったし。
秀吉も側室にしようと画策してたろ?お市の娘も美人が揃ってる。後は信長の娘で
蒲生氏郷に嫁いだ冬姫だっけか?美人だったらしいぞ。秀吉が蒲生死んだ後に狙った事でも知れる。

64 :
それが「美人だから」なのか「大勢力に帰属するための手駒」として必要だったのかは
一次資料からはほとんどわからんけどな

65 :
文禄・慶長の役に西日本の弱兵を派兵したのはどうして?
精強な東日本の兵なら違った結果になったはず

66 :
>>62
信憑性のある史料じゃ秀孝くらいだね
>>65
地理的に朝鮮に近い順から出兵だったから

67 :
>>66
ありがとう
防人みたいに東日本から集めればよかったのにな

68 :
まず西日本の兵が弱兵って思ったのはなんで?
普通に東武士の方が糞田舎侍なんだけど

69 :
田舎武者の方が凶暴に決まってるだろ。

70 :
薩摩強兵がビビる坂東武者やでな。まぁ朝鮮征伐失敗はそういうレベルの失敗じゃないけど

71 :
そもそも近世の中頃くらいまで、九州兵は弱兵だと考えられていたらしい。九州征伐でもボロ負けしてたしな

72 :
平安時代の九州は13歳の鎮西八郎源為朝に平定されたからなぁ。その少し前に為朝の長兄源義朝は
関東に下り鎌倉などに地盤を築くとともに坂東仕込みの荒っぽいやり方を身につけて上洛し保元の乱で
都人を震え上がらせるのだった。

73 :
>>63>>64>>66
ありがとうございます
やっぱり秀孝のこと以外はないんですね

74 :
>>71
誰が考えてたの?もしかしてお前か?

北条征伐で坂東武士もぼろ負けしとるやないか

75 :
兵質は知らんけど装備で言ったら当時はもう南蛮交易のせいで
西高東低じゃなかったのかね
東国での火縄の普及はだいぶ遅れていたし購入ルートも限られるから
揃えるのが大変。
そもそも九州〜朝鮮でも兵站維持が困難だったのに
わざわざ東北から九州まで兵を大動員したら兵站構築と兵糧消費が半端なくなる
近いとこから兵を出すのは当たり前の話だろ

76 :
>>71
九州兵は強いぞ?豊臣の九州征伐で島津が惨敗したのはちゃんと原因がある。
島津は6万の兵を動員したらしいが、当然その6万の大半は薩摩兵ではなく占領した国の兵だ。
島津に恨みこそあれ命がけで戦おうなんて兵は居ないからだ。
彼らにしてみれば豊臣軍は解放軍にも見えただろう。

77 :
本土兵で強いと言えば、やはり武田の甲州兵と上杉の越後兵だろう。
彼等の強さは田舎だからというより、信玄や謙信に絶対の信頼を置き
尚且つ自分らの勇猛さに自信があったからだろう。

天下を制した織田兵が強かったかと言うと、美濃兵は強かったようだが
他はそうでもない。戦慣れは他の追従を許さなかっただろうがね。
あと鉄砲の数が多かった。
天下取るのに兵の強さは必須ではないっつー事だな。

78 :
この時代の人って、歯磨きどうしてたんですか?
虫歯だらけ?

79 :
上流階級はお歯黒の殺菌作用で虫歯無し
下々は歯磨き用の楊枝

80 :
>>78
塩で歯茎こするんだよ

81 :
>>79-80
マジすか!
お歯黒そんな効能あったんだ
塩で歯磨きは今でもやる人いますよね
昔のやり方が今でも残ってるんだなぁ

82 :
塩磨きは結構昔からの演出で時代劇等でも見るから
割とポピュラーだったんじゃ?
まあ、塩を毎日使える身分ならって話なんだろうけど

83 :
塩も貴重ですもんね
やっぱ庶民はほとんど楊枝なのかな
虫歯できたら抜くしかないのか…

84 :
http://www.fukagawa.or.jp/knowledge/history.html
「歯を磨く」という文化は結構昔からあったらしい。
ただ塩を用いるなどして広く一般に普及してみんながやりはじめたのは江戸期らしいよ

85 :
ついでに質問。前も聞いたんだけど
波多野や赤井みたいな丹波国人専門のスレってある?
ないなら立てて情報を集めたいんだがスレ立て規制で立てれないんだ
誰か「【波多野秀治】丹波国人について語ろう【赤井直正】」みたいな
スレ立ててくれない?
似たような該当スレがあるならいいんだけどさ、見当たらないから

86 :
無いなら立てれば。前も言ったけど

87 :
スレ立て規制中なんだってばよ

88 :
テンプレ作ってくれ

89 :
【波多野秀治】丹波国人について語ろう【赤井直正】

丹波国の大名・国人・城郭・歴史など
戦国時代の丹波国について総合的に語るスレです

↑こんな感じでお願い

90 :
>>89
【波多野秀治】丹波国人について語ろう【赤井直正】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1519201224/

立てたよ。
あとは宜しく。

91 :
おつ、立てたら軌道に乗るまでネタフリや情報提供しないと廃れるだけやで

92 :
「秘密」を告白します!!

ネットを使って、みなさんに「真実」を告白します!!
「安倍総理」の正体は・・・「ユダヤのスパイ」なのです!!
「安倍総理」も「小泉元総理」も「竹中平蔵」も
「ユダヤの洗脳」」をうけた「ユダヤのスパイ」です!
「ユダヤ人」たちは、ヨーロッパ・アメリカ・日本を完全に支配するために
「ユダヤのスパイ」を世界中に送り込んでいるのです!)

〇ユダヤの計画
「全人類に数字をつけて、コンピューターで全人類を支配する」
「日本人をユダヤの奴隷(どれい)にする」(労働者ハケン法)
(労働者ハケン法の文章をつくったのはユダヤ人です!!)
「日本人の知的レベルを下げる」(ネットゲーム・SNS)
「サラリーマンに「過重労働」においこみ、自殺者を増やし淘汰する」
「マスコミに「ユダヤのスパイ」を、大量に送り込み、
テレビを使って、国民を洗脳する」(ユダヤを批判しないマスコミ)
「竹中平蔵のような、あやしげな経済学者を世界各国に送り込み、
「経済」をコントロールし、労働者を奴隷化する!!」
「憲法9条を改悪して、日本人とイスラム教徒を戦わせ、殺し合いをさせる」

私は、「自分の言葉」に命をかける!!この言葉は「真実」だ!!!!
今、「安倍総理」は、「サラリーマン」や「労働者」を完全に奴隷化しようと
たくらんでいます!!ユダヤのスパイ」にだまされるな!!
「ユダヤ」 「計画」   「検索」してください!!
                    ユダヤの陰謀を暴露する軍師

93 :
信長って義昭を追放したあと、なんで義昭を幽閉とかしなかったの?
義昭が御内書ばらまいて面倒なことになってたんだから、
幽閉して外と連絡取れないようにすればよかったのに
外聞を気にしたの?

94 :
そう、外聞を気にした。
傍若無人なイメージがあるが実像はかなり世論を気にする為政者やでな信長

95 :
やっぱりそうなんだ
ありがとう
こっそり幽閉しちゃえば良かったのに

96 :
義昭の息子を後釜にするつもりだったから義昭は要らなかったって説もあったような

97 :
そういえば義尋だっけ?
義昭の息子はその後寺に入れられて出家したよね?
人質に取ってすぐに寺に入れちゃったの?

98 :
>>97
すぐじゃねえ。1年位義尋立ててなんとかしようとしてたけど、それじゃどうにもならんって感じで
信長自身が天下人になる方向性に変わる

99 :
>>98
そうだったのか!
将軍の息子を利用しない手はないよね
じゃあ本当は義昭と対立しなければ、二人でやっていくつもりだったとか?
それとも外聞気にして、とりあえず息子を将軍にして置いておくかと思ったかな

100 :
義尋のwikiに記述あるけど
信長は義尋を義昭の後釜に据えて、名目だけの傀儡として使う用意があり
毛利などにもそう通達している。
実権は与えずとも室町幕府を滅ぼした、という事実ができると
(歴史の教科書ではそう教えるけど「事実上」であって信長は足利幕府を消そうとはしていない)
反信長勢力に「幕府を滅ぼした逆賊」って名目を与えてしまうわけで
あくまで義昭個人を追放しただけで、その息子に幕府の座は与えるって建前を使いたかったんでしょ
ただ義尋が10歳の頃に信長は本能寺で死んじゃって
その辺うやむやになっただけ

101 :
秀吉と三法師の関係性みたいなもんだよ

102 :
江戸幕府でも足利氏直系は割と特別扱いやね、喜連川藩とか。

103 :
>>100
>毛利などにもそう通達している。
それは知らなかった
その辺気を遣いまくりだね

信長が死んだあとに義尋や義昭は将軍に戻れなかったんだね
秀吉が関白になったから?

104 :
安土桃山時代において、公家は一つの連合としてまとまって動いていたのでしょうか?それとも、各自やりたいようにやっていたのでしょうか?

105 :
朝廷自体が困窮でそれどころでなく、
年間200ほどあった宮廷行事を一説にはなんと5つに減らして開店休業状態
仕事の無くなった公家はそれぞれ日本中を金策に奔走しててまとまるだの動くだの以前の問題

106 :
武田の国力が大内義興に勝るってまじですか?

107 :
>>103
義尋は信長死後に出家しちゃった(させられたの方が適切か)し
義昭も秀吉が関白になった頃はもう老境だし
後を次ぐ人物がいなかったから義昭の死をもってして
名実ともに室町は滅んだとするべき。本来は。
>>106
どっちも最盛期と衰退期で版図が違うからいつの時代を言ってるのかによる

108 :
>>102
いやいや傍流の傍流もいいところの喜連川を遇して
義栄系義昭系が冷遇受けているから真逆
継嗣がなかった義昭系はともかく義栄系なんて嫡流なのに明治になっても酷い扱いだぞ

109 :
>>108
三好に担がれ、没落して逼塞したあとは蜂須賀に冷遇されたんだっけか?
で、挙げ句には紀州家を頼ろうとしたけど失敗
維新後には藩籍が無いので士分としても認められずに平民に
義輝の遺児とされてる系統(尾池)はいまも続いているのかな?

110 :
戦国時代の日本語はある程度共通だったのでしょうか?
光秀が信長に雇われたのは、軍師よりも通訳だと聞いたことがありますが
各地で意思疎通で難しかったような文献が残ったりしてますか?
日本語がバラバラで敵国の密書が読めないこともあったのではないですか?

111 :
方言は意思疎通が難しいレベルでしたが、
候文といわれる書き言葉は同一だったのでそれで意思疎通出来ていたと言われています。

112 :
幕末でも漢文を使って筆談したなんて話があるな

113 :
>>111 - 110
有難うございます

114 :
>>112
幕末には、少なくとも中級以上の武士は江戸弁を共通語にしてた

115 :
藩主は代々江戸生まれ江戸育ち。藩士も数年に一度は江戸勤務やでな

116 :
いわゆる江戸弁は落語で聞くようなベランメェ調の下町言葉で武士は使わない。
そういう時に武士が使うのは謡本の候言葉であるとここに書いてある。
勝海舟はベランメェ調の江戸弁で喋ってたとも書いてあるけど。

ttp://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo17_2/1702_okamoto.pdf

117 :
秀次が作らせた謡抄は無駄じゃなかったんだな

118 :
河尻秀隆が甲斐国主になった時について

織田政権の中では結構なエリートであり
次世代当主の補佐でもあった河尻さん。
武田滅亡後の甲斐・諏訪という一番統治が難しいとこを
宛てがわれるあたり、かなり信長に買われていた人物だと思うのですが
他の国持ちとか軍団長クラスって
必ず目付とか与力とかって形で織田からの補佐武将と
在地の有力土豪とかが新しく家臣団に入るじゃないですか。
なのに、彼が甲斐に入った際にサポートで織田の誰それが入ったとか
在地の有力な旧武田家臣が支配下に入ったとか
そういう話が全く出てこず、本能寺ではまるで1人で孤軍奮闘して
死んだかのような扱いになってる。
必ず彼と一緒に闘って死んだ織田家臣や、在地土豪
あるいは見捨てて逃げた連中がいるのに全然名前がでてこない
滝川が神流川で戦った際ですら
逃げた連中・共に戦った連中(元々北条支配下だった在地土豪)の動向が
わかるのに河尻さんの場合は何にもない
このあたりについて誰か知りませんか?
甲斐に入った河尻さんに従った人物(織田の与力でも在地土豪でも)
→森長可・毛利長秀←こいつらは厳密には違うでしょ?

119 :
軍団長クラスの信忠に付けられた目付とか与力とか滝川河尻森毛利やろ在地土豪は木曾など
(滝川は関東管領代として軍団長クラスに格上げ)
その下の階層の河尻秀隆にも縮小版の似た組織はあっただろうけどマイナーやで郷土史レベルを調べないとわからんやろな

120 :
森や毛利とは違って
甲斐+諏訪って領地が与力や目付ってレベルじゃないと思うんですけど
甲斐を与えられた時点でもう軍団長候補でしょ?
河尻>森・毛利→在地土豪らって感じで
信忠軍団からはもう独立してる
変後に際し、徳川がまあ歴史書消したんだろうけど
河尻傘下で戦った連中もいれば、逃げたり、土豪一揆側に回ったりって
いろいろあったと思うんだけど滝川の神流川ほど
土豪勢力の動きがなんにもわからないのが不思議だなって

121 :
甲斐って小国やでな。うち河内地方は穴山領やし

122 :
安土城って安土桃山時代のいつまで存在したんだろう?

123 :
1582年の本能寺の変で焼失。
その後、館が立てられ1584年まで秀信が滞在したが翌1585年廃城

124 :
焼失したのは天守と本丸だけね
秀信は二の丸に滞在してた
1585年に廃城になって近場にできた八幡城に
石垣やらなんやら根こそぎ資材は持って行かれた

125 :
話に割り込みすみません。わたくしの湯飲みは「戦国日本地図」→https://shop.r10s.jp/ekisaito/cabinet/mutumi/yunomi/imgrc0065138022.jpg

というものなのですが、「尾張」の区域内(「伊勢」との境付近)に名称が書いていない区域があります。

この区域の名称は何というのですか?

126 :
長島ぽいねぇ

127 :
三浦半島が武蔵にあるのだが

128 :
熱田・桑名のショートカット(七里の渡し)っぽいな
というわけで「伊勢湾」か

129 :
大坂冬の陣は豊臣側(又は徳川側)
大坂夏の陣はその逆サイドから参戦したみたいな大名家や武将っていますか?
戦いの途中で寝返って逆側についたみたいなパターンではなく
戦いの間は一貫してどちらか一方の側にのみついて戦ったパターンで教えてください

130 :
増田盛次

131 :
>>130
おお…一人ではあるが豊臣恩顧の動きを見せた武将もいたんですね
増田の家は政治能力に長けた人物ばかりなのかと思っていたんですが
こんな気骨のある武将もいたんですね。回答ありがとうございました

132 :
この差って何ですか?★1
http://himawari.2ch.sc/test/read.cgi/livetbs/1528191504/

133 :
>>129
関ヶ原東軍→大坂の陣西軍(その逆も)
ならいくらでもいるけど
冬の陣と夏の陣で東西変わるってのは
全然見つからんかった
さすがにそこまで行くともうどっちにつくかハッキリしてるからなあ

134 :
戦国時代に山の尾根に城壁を建てた近代要塞のような城があった記憶があるんですが思い出せません。
確かに北条氏の領国だったような。

135 :
戦国時代って行軍時の備蓄食料や携行食料って
一万人の部隊だったら何を食わせてたの?
行軍時は1日あたりのカロリーは4000キロカロリーは欲しいだろ?そんなに食糧持って行けたり倉庫に保管できてたの?

136 :
米食ってた。
10日分ほど小荷駄隊に運搬させて同行させてた。
ゆく先々で商人に兵糧を集めさせて補給
補給路である商道の確保は最優先させてた。

137 :
何万人分もコメ集められたの?
連絡員とかも拠点に残ることもあるし
各宿場町の食糧無くなりそう

138 :
小田原や大坂では十万以上が一斉に集まったから一時的な物資難にはなった。

139 :
そこまで規模のでかい合戦は戦国後期の信長末期・秀吉・家康江戸幕府開幕後とかでしょ
その頃になれば街道整備や兵站もそれなりにスムーズになってただろうし
それまではせいぜい集まって数千対数千の戦いで
まれでしょ、そんな大合戦。

140 :
>>139
川中島は?

141 :
川中島も全て万単位でやってたわけじゃない
1番規模のでかかった4次ですら1万数千同士(当然盛られてる数)でしかない
合戦は全て殿様持ち出しではなく
近隣の土豪や浪人、御家再興組とか手弁当で参加するやつもいるわけで
その兵糧全てを上杉や武田が出してるわけではない

142 :
>>141
豪族の人達は持ち出して参戦して自領が戦場になって引き分けなら踏んだり蹴ったりだな

戦国時代後半のロジスティックを知りたい
海運と陸運のバランスとか航路とか
荷車の発展とか。

車軸作れる国家は優秀な技術者いると思えるけど
日本は戦国時代に作れてたのかな?

143 :
車輪は上り坂や悪路じゃ逆に足手まといだから戦国時代には不要
街道整備された江戸時代では運搬能力高すぎて兵員輸送に使われると困るから禁止に

144 :
何その今の日本に受け継がれてる変な理由で改善案潰す文化は。

145 :
とりあえずここで聞けと言われました

「御陣女郎の雇い方」
「大きな町での兵の雇い方」
「↑の際の武器防具は?」
「西洋の『酒保商人』みたいなのは戦国日本になかったの?」

ちょっとここら辺詳しい人どうか詳しくご教授願いたい。

146 :
「御陣女郎の雇い方」
勝手に付いてくる
「大きな町での兵の雇い方」
雇わない。陣借りの浪人なら募集したりするが身元請負人が必要
「↑の際の武器防具は?」
浪人は本人持ち
「西洋の『酒保商人』みたいなのは戦国日本になかったの?」
御用商人。彼らのために商道の確保は最優先させてた。

147 :
家康に仕えた茶屋四郎二郎とか有名だよな。

148 :
政商か
利休って家業のほうはどうだったんだろうな

149 :
戦場での寝返りって配下の兵士にはどうやって指示したんですか?
例えば明智光秀の配下の兵士がいきなり大ボスの信長を攻撃しろ!って言われてすぐにはい!わかりました!ってなる?
普通、なんで?って戸惑ってスムーズに進まないと思うんですけど。

150 :
銃剣装着!突撃準備!
>>149「なんで?死ぬじゃん」

151 :
そうですね。関ヶ原の合戦で小早川秀秋が東軍に寝返って大谷吉継の陣に襲いかかると命令した時は
鉄砲頭の松野重元が「そんなこと出来るかっ!」と戦線離脱してます。重元は戦後、忠義者として田中吉政に
召し抱えられました。

でも重臣にはあらかじめ根回ししておくし一般の兵士は命令に従うだけです。従わない者は切るとか言われたら
従うしかありません。松野重元は秀吉子飼いで忠義者だから話さなかったんでしょうね。

152 :
ありがとうございました!
指揮権ある人だけ抑えておけば末端は言われるがまま動くしかないですもんね。
ご丁寧にありがとうございます。すっきりしました。

153 :
>>152
信長を頂点(社長)として末端の兵士まで家臣(直属の社員)というワンマン経営なわけではなく
光秀は株式会社織田家の京都支社の社長であり
そこの子飼いや、支社の社員はその地盤に根付いた権益や忠義を尽くす理由があるので
必ずしも信長に忠義を示す必要はない
京都支社は独立します、ってなればついていく社員もいれば、離脱する社員もいる
そういった意味で光秀はそれなりのカリスマがあり、ついていく実利もあり
支配してまもない地域の地侍も離反しない人徳があったんやろな
信雄・信孝なんかは支配歴の浅い土豪はみんな離反したわけだから

154 :
よく犯罪者が外国に逃げて手も足も出せないことを現在でも聞きますが、
戦国時代は他の国に逃げた犯罪者をどうやって裁いたのでしょうか?
日本本州で国が複数あったのは戦国時代が代表的だと思いますので聞かせて頂きました
人相書きが貼れるのは国内だけですよね?
また野党集団がヒットアンドアウェイで村を襲い、相手国に逃げ込めば
やりたい放題じゃないですか?相手国の大名に討伐を依頼した資料とか残ったりしてますか?

155 :
基本的には手も足も出ないです。
ただ国境付近の領主は敵方の大名ともお付き合いがあるので国境線跨げば即安全とはいかないと思われます
また当時の村は地侍を中心とした武装集団であり正当な理由があれば犯罪者とっ捕まえて即決裁判で自分たちで処刑できる
自検断権を持っていたので犯罪自体が命がけでありやりたい放題とはいきません。

156 :
>>155 なるほど、そもそも論として自力救済を原則禁止している現代とは違いますね
ご回答有難うございました。

157 :
小田原の陣では西国の水軍が多数小田原にまで動員されましたが
戦後彼らはどうやって本拠地に帰ったのでしょうか?
小田原に行くだけなら海流に乗るだけなので難しくはないと思いますが
太平洋の海流に逆らっての帰還は昔の技術力で本当に可能だったのでしょうか?

158 :
帆の付いた帆船なので普通に帰れます。

159 :
安宅船みたいな軍艦でも?帆が小さいと思うのですが

160 :
十分大きいと思いますが?

161 :
成る程。ありがとうございます

162 :
中世の地理感覚は現代と比べてかなり劣っていたと思います。
どうやって的確にその場所にいけたのでしょうか?
現代でもスマホや方位磁石を失えば近所でも誤認するでしょう
青森に行くつもりでも実は山口だったこともあったのでは?
手ぶらじゃ今でも起きてもおかしくはないですよね?
また味方や同盟国の城を間違えて攻撃するような失態はあったのではないでしょうか?ドイツ軍がイギリスを攻めたときイギリス軍は標識を曲げてかく乱戦法を行い、
米軍がドイツを攻めたときでも標識を逆にしてかく乱を狙いました。

163 :
中世の地理感覚は現代と比べてかなり劣っていたと思います。
どうやって的確にその場所にいけたのでしょうか?
現代でもスマホや方位磁石を失えば近所でも誤認するでしょう
青森に行くつもりでも実は山口だったこともあったのでは?
手ぶらじゃ今でも起きてもおかしくはないですよね?
また味方や同盟国の城を間違えて攻撃するような失態はあったのではないでしょうか?ドイツ軍がイギリスを攻めたときイギリス軍は標識を曲げてかく乱戦法を行い、
米軍がドイツを攻めたときでも標識を逆にしてかく乱を狙いました。

164 :
家の中でネットばかり見ていると山口と青森を間違える事もあるかもしれませんが
お外では太陽も月もお星さまも輝いて我々を導いてくれるので大丈夫です

165 :
>>163 すみません、2度書き込んでました

166 :
地元の人間が道案内に付くので大丈夫です。

167 :
>>163
津軽為信のように青森から小田原まで行けた例もありますので無問題です
敵対してた南部や安東の妨害を避けながら秀吉の下を目指す為に神君伊賀越えより長い道程を
わずか数十人程度まで供廻りを減らし見事に秀吉に謁見するゴールを決めました

168 :
そういえば佐々成政の沙羅沙羅越えも方向間違っててもおかしくないよね
小説では山の道案内がいたけど

169 :
ガイド無しで山に入ったら死ぬからな。

170 :
道案内人って地元の人なら相手の領主と仲いいよな
相手の領主からすると道案内人さえ買収しておけば
よそものの軍隊の行軍を操作できるわけか

171 :
平手政秀って主君織田信秀の秀の字を下にしてるけどこれってアリ?

172 :
>>171
その場合、秀は偏諱ではないと考えた方が正しいように思うが

173 :
偏諱じゃなくても気にして逆にしたり他の名前にしたりする人もいるけど
気にしないでそのままの人もいる。

174 :
経秀-政秀-久秀-汎秀
ということなので秀は平手家の通字と思われ。
普通は遠慮して使わないものだけど信秀が気を使って許したんだろう

175 :
みなさん、ありがとうございます

176 :
大阪城内に片桐、大野、織田と共に江原なる人物が屋敷を与えられているのですが
この人物は何者ですか?
聞いた事がありませんし、検索しても出てきません。

177 :
元宇喜多家臣と思われてる江原高次じゃないの?
親族とみられる江原親次は直家の娘婿で宇喜多家では1万石を貰っていた
ちなみに高次は天王寺岡山の戦いで行方不明になってる

178 :
返答ありがとうございます。

179 :
京橋口馬出に屋敷のあった江原与右衛門の事かな。確かに聞いたことのない人物やね
なんとなく屋敷の場所的に鉄砲頭つとめてた木下与右衛門延重の別名な気がする

180 :
詳細が分からなくて申し訳ないのですが

"ある武将が、戦の前に援軍を頼んだんだけど、大将とご飯食べたら嬉しくてポロポロこぼしたもんだから、こんな人の援護しても仕方ないって帰っちゃって、戦に負けた。だからきれいに食べないといけない。"

という話をされたことがあるのですが、調べても詳しいことは出てこず、ただの作り話だったのか気になっています。心当たりある方いませんか?

181 :
戦国よりだいぶ前の話なのですが平安時代の貴族が仕事に就くのはだいたい何歳の頃だったのでしょうか?スレチでしたら誘導していただけるとありがたいです

182 :
>>181
日本史板の方が適切でしょう。

歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1530453710/

183 :
>>182
ありがとうございますそちらで再度質問をさせていただきます

184 :
戦国時代年貢を納めるとき農民が米ではなく現金か別の作物で納めるのは
可能だったんですか?

185 :
>>184
支配している大名や時期によるけど銭による支払いは可能
というかそもそも銭納だったのが、撰銭やらなんやらで通過価値が混乱して「現物納入でもしゃーない」となったのが戦国期

186 :
>>185
ありがとうございます

187 :
島津歳久は永禄6年(1563年)に吉田城主となったという件について旧記雑録で調べてみたがそれを示す史料が見つからなかった
それどころか永禄5年の北原兼正討伐で歳久が吉田の兵を率いていたというような史料があった
これってどういうことなんだろう
それから歳久が永禄6年に吉田城主となったことを示す史料があるなら教えてほしい

188 :
>>184
八丈島のような離島は魚(及びそこからできる魚醤や加工品など)なんかで収めてたって見た

189 :
戦国時代くらいの椿油のおおよその価格がわかりませんか?
ググったり資料漁ったりしたけど見当たらなくて気になってます
少し見つけられた資料によると胡麻油より一般的だったとのことでしたが肝心の価格はわかりませんでした

190 :
油の価格ならいろいろ出てくるが椿油限定だと探すの大変だな

191 :
>>190
寺社に椿油が何樽ほど寄進されたって記録はわりと見つけたんですけど本当にさっぱりです
大山崎等の油座の史料は一通り当たったんですけどほぼ胡麻油等の椿油以外でした
ならは胡麻油程度と推定しても良いか悪いかの判断すら難しくて…

192 :
俺が子供の頃読んだ関ヶ原の本は家康が佐和山を攻めると噂を流して三成を関ヶ原に誘い出した

ってのが主流だったけど、今は小早川の東軍合流を牽制しながら味方に付けるために西軍が関ヶ原に移動した
っであってる?

193 :
そやね。まだ固まっては無いけど

194 :
信長は兵農分離だっけ?してたけど、自分が動かす分以外も徹底したのかな
例えば柴田勝家の兵とか

195 :
信長の兵農分離は旗本だけ。

196 :
兵農分離ってのはものすごく難しい問題だからなあ

197 :
戦国期に兵農分離なんてものはそもそも存在していない

198 :
大谷吉継って結局何年生まれなのか
1565年が最近有力な説なんだっけ

199 :
有力な家臣を大名の拠点に移住させるのは何処の大名家もやってるからなあ
それを兵農分離と言うかは議論が別れるところ

200 :
兵農分離してなくはなかったけど、そこまで大規模でもなかったってことかな

201 :
>>200
つかそもそも「兵(武士)」と「農民」は武士の発生した時代から分離していた。農民に「軍役」は無く、軍隊に加わる場合も人夫としてで戦闘員ではない。
家臣を在地から引き離し城下に集住させる。という意味なら戦国初期に既に大内氏などが行っており、中期以降はむしろ一般的で、
戦国最末期に成っても旗本すら満足に集住させられなかった織田氏はその分野では「遅れていた」といえる

202 :
江戸時代になり平和な世の中になって兵力不足解消のためや軍功上げたりで侍成りする機会がなくなり身分の固定化が進んだ結果、兵と農が分離したように見える時代になったという所か

203 :
兵農分離は論者によって定義が違うから説明がめんどくさい

204 :
俺の中では半農半士を城下に集住させたくらいの認識
それこそ馬回りクラスに限定した兵農分離というか

205 :
>兵農分離は論者によって定義が違うから説明がめんどくさい
そうなんだ
ただ戦に専念できるかどうかなのかと思ってた
武田信玄なんかは農期気にしながら戦ったりしてるけど、あれはみんな戦闘員じゃなくて人夫だったの?

206 :
信玄も普通に一年中戦っているし主力は足軽(傭兵)だよ

207 :
「兵農分離」は何かというと兵と農の分離で身分の分離固定政策なんですね
簡単に言えば武士は武士で農民は農民という江戸時代の身分制度のことであり
城下定住、専業軍人化、傭兵(契約軍人)、刀狩りなどは一部あるいは過程なんですが
これを定義として語る人が多くややこしくなってるのが現状で
江戸時代の身分制度だから戦国期に兵農分離は無いと乱暴に言っちゃうめんどくさい人も出てきたり
専業軍人や傭兵の語彙のイメージだけで常備軍だ農繁期でも出兵できたとか
近代軍制にまで飛躍させた論調が主流だった時代もあってやっぱりめんどくさいんですね
そして僅か10レスちょいで勘違いのほとんどが出てきてるから2chでの説明はさらにめんどくさいというw

208 :
んなこと言ってもどの大名も農繁期関係なしに何時でも戦っているじゃん

209 :
そうだよ兵農分離と農繁期出兵は関係ないからね

210 :
>>207
さらに言えば江戸時代に「身分固定政策」は無かったのである

211 :
それも一部の例を出して全否定するめんどくさい系やね

212 :
惣や農村でも専ら軍役を担う傭兵を抱えていたらしいからな。彼らは今で言うフリーターみたいな存在
ただ飯の代わりに村人の代役として戦場に赴いていた

213 :
当時の日本って石高合計でどれくらいあったのでしょうか?
江戸時代で2200万石だったそうですが、戦国もそんなものでしょうか?

214 :
ひとくちに江戸や戦国といっても、応仁の乱頃と江戸末期じゃ耕地面積に
3倍くらい差があったはず

215 :
ヨーロッパ・中国の歴史ドラマや戦国時代の日本の歴史ドラマを
見たりするのですが、日本の戦国時代のレベルって世界から見ると相当レベル低くないですか?
根拠とは、
1.日本の戦は食料の心配がない。戦国時代のドラマで食料の心配を聞いたことがない。
中国やヨーロッパでは、城を攻略しないと兵士は補給にありつけないので、食料の心配をよく聞く。
2.日本は戦でもやたら礼儀やしきたりを重んじる。
中国やヨーロッパは、総大将と一兵卒は対等な頭の立ち位置で話しする。
日本は戦いの最中でも頭の高さを気にする。総大将の前では家来は全て姿勢を低くする。
目上の人間よりも頭が高いことは許されないと考えている。
また使者が外交で書状を渡す時の渡し方も日本はまわりくどい。

その他、トップダウンや家臣との合議制、兵器の違いはありますが、
日本も優れている点があるので、
その点は言いませんが、食料と礼節は特に目立ちましたので書かせていただきました。

216 :
大遠征と言うほど長距離の遠征が外国と比べて少ない
あくまで日本国内での戦いが多いので食料を入手する方法が多い
朝鮮出兵では兵站に苦しんでいる

他民族と戦う外国の戦いと国内戦の戦いを比べるのはナンセンス

217 :
普通に長期間・大軍を動員していたら兵站の心配が出てくるのは諸記録にある
秀吉の北条征伐だって裏じゃ兵站の維持にかなり綱渡りでギリギリだったと
ドラマで描かれてないだけ

身分については、ヨーロッパは知らんが中国じゃ身分の上下・序列はめちゃくちゃ厳しいぞ
それは指揮権の問題でもあるしね

結論、ドラマというのは視聴者に受けるように演出・描写するもなんで
それをもとに史実・現実のレベルがどうこう言われてもなあ

218 :
>>213
応仁の乱1467年推定1200万石〜慶長3年1598年検地帳1850万石
戦国時代はこの間となります。数字は諸説あるので気になるならお調べください

219 :
日本の戦国時代を舞台にしたドラマのレベルが低いって話かと思った

220 :
>>215
日本の兵糧事情は現地に食糧の手配を済ませてから軍を動かす逆に優れていたものと言えます。
関東遠征を繰り返していた上杉謙信などはイメージと違って輸送路の確保に非常に気を配ってますし
秀吉や徳川の大規模戦もそうですが致命的な兵糧不足に陥らないように労力をかけて準備して戦争しています
ただし好条件な国内あってのものなので朝鮮では苦戦してます。

礼儀に関しては文化的な面が大きいので優劣はなんとも言えないところがありますが
史実では厳格な身分社会のヨーロッパ、回りくどどさに定評がある中国なのですが
映像作品では省かれてることが多いですね。そういう感想になるのもうなずける気もします
ともかく映像作品は演出8割なので真に受けない方が良いかと

221 :
>>215
>中国やヨーロッパは、総大将と一兵卒は対等な頭の立ち位置で話しする。
何を見たのか知らんがそんなわけないだろ。総大将が一兵卒を話して時間を無駄にしてたら
負けるわ。

222 :
駿府城の城跡から豊臣期の金箔瓦出土ってニュースが出たけど、
あの金箔瓦は信長が作らせてたやつじゃないのかな?
凹の部分に金箔貼らせるのは信長の特長だよね

223 :
家康が駿府手に入れた時期的に信長関与は可能性低くないか

224 :
家康が信長に倣って作った金箔瓦と考えるのが妥当でないかい。その後は徳川も豊臣型になるが

225 :
>>223,224
なるほど言われてみれば。納得

226 :
日本の戦(いくさ)は世界で通用すると思いますか?
特に他国を攻めるという点においてです。

227 :
唐入りで無理と証明されています。逆に防衛なら世界中どの国が来ても勝てるでしょう。

228 :
すいやせん、敵国を占領した時一般論として
もともと住んでいた人(武将や兵士以外)
をどのように扱うのでしょうか?奴隷にするのでしょうか?
例えば敵国に住んでいた商人や農民が持っている年貢減税とかの権利
があったら保護するのでしょうか?何か文献が残ってますか?

229 :
>>228
基本的にはよほど旧領主と結び付きが強くない限り普通に「領民」として扱われる。
旧領主から特権を得ていた場合、ケースバイケースでは有るが、その新領主の征服過程で
よほど反抗していない限りは、そのまま継承される事が多い。(というか占領者側はそれを餌に服従をせまる)

230 :
年貢減税の特権なんかは他の事業で領主に貢献してる事の対価の場合が多いからね
そのまま利用しようとすると同じように特権も認める事になる

231 :
特権といえば保内だっけかな
偽の綸旨を江戸時代まで利用し続けた商人たちがいたっけね

232 :
それは納得できないですね
降伏させた国だから好き放題暴れるのが人間じゃないですか?普通
一兵卒までそこまで理性が働くとは考えにくいのではないでしょうか?
「降伏させた国の民の利権はそのままとする、聞かないものは斬に処す」
って読んだことないし
攻め滅ぼして新しい領主になったら新しいことをやりだすもの、
それを既存の民の為そのままにするとはちょっとかんがえづらい

233 :
ああそう

234 :
西上野で信玄が出した制札を無視して寺で乱暴狼藉を働いた連中がおるね

235 :
占領地を滅ぼして自領の領民を連れてきて住まわせるのと
占領地にいる民を手懐けて領民として扱う
後者の方が圧倒的に手間が少ないし時間もかからない

236 :
彼岸島じゃあるまいし人間は成人状態で生えてくるわけじゃないから既存の領民を有効活用した方が効率的やで

因みに彼岸島ですら真面目に考察するときゅうけちゅき共があんなにやりたい放題だと人間居なくなるって言われてる
つまりそういう事だよ

237 :
そもそも税収に関わるから雑な扱いは出来ない
扱いが悪いと百姓は逃散するからな
国衆同士の争いや一揆の火種になる可能性もある

238 :
そういえば、関ケ原の戦後処分で大名の改易や減封は決まったが、
そこにいる民は旧支配者のやり方をそのまま維持だったの?
税収に関わるから雑な扱いは出来ない んだろ?

239 :
>>238
日本に限らない話だけど支配者にとって民はちゃんと税を取れればそれでいい。
旧支配者に恩義を感じていて言うことを聞かないとかならお仕置きせねばならんが
言うことを聞くならそのままだろう。

240 :
ただし土佐藩の郷士みたいな例もある。庶民じゃないけど長宗我部家の家来だった者を
山内一豊は自分の家臣より格下の郷士にして差別した。

241 :
>>240
差別した→長宗我部侍で幕末土佐藩の首相吉田東洋

242 :
郷士は郷士やもん。武士にしろってのが無理筋。
山内に仕官できた元々武士階級の者は長宗我部家臣でも普通に上士やってる

243 :
そもそも土佐で郷士階層は振興ブルジョアが身分上昇のため株を購入した例が多く(竜馬の坂本家のように)、
上士よりも経済的に恵まれた層が多かった。

244 :
吉田東洋の先祖は長宗我部家臣だったけど上士なんだ。知らなかった。

245 :
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1541930367/
このスレで女性説主張してるやつは頭おかしいんですかね?

246 :
見てないけど間違いなくおかしいですね

247 :
石川家成 天文3年(1534年)生まれ 母は家康の生母於大の方の妹
於大の方 享禄元年(1528年)生まれ

あれ?

248 :
まれによくある

249 :
>>171
これって織田信秀の烏帽子親(もしくは後見人)が平手政秀で、偏諱を受けた可能性もあるのでは?

250 :
山形の紅花栽培のように儲かってた作物って何がありますか?

251 :
越後の青苧、三河の木綿、飛騨信濃の木材、とか

252 :
すいやせん、三国志でよくある嘲りの策って戦国で使われておりましたか?
具体的にいうと城からうって出てこない城兵を嘲っておびき出すとか
嘲って伏兵を置いて殲滅する作戦とかですけどどうなんでしょう?

253 :
>>252
大河ドラマ「武田信玄」で橋爪功演じる真田幸隆が砦にこもる敵兵に向かって兵たちに罵しらせるのは
見たけどね。ドラマだけど。多分それは普通に行われていてそれくらいのことで怒って出てくる馬鹿はいないと
思われる。微妙に違うかもしれんが武田信玄の三方ヶ原の戦いはどうだろう。コ川領に攻め入った時に
家康のこもる浜松城をわざとスルーして西に向かうと見せかけて、無視されたと怒った家康が追撃すると
信玄は三方ヶ原に陣を敷いて待っていた。大負けして死にかけた家康は恐怖のあまり脱糞したと言われている。

砦に籠もって出てこない時に少数の兵を囮にして釣り出すのはよくあるけどね。

254 :
三方ヶ原の戦いは信玄が袋小路に入ったから家康が勝機とうってでたのでは?
3万 vs 1万ではスルーされても怒らないでしょ。
武士の面目を重んじるから一戦もせずに素通りはまずいとは思ったのかもしれないけど

255 :
徳川vs武田というと、鳥居強右衛門の史実があったな
降伏を勧めろと言って捕まえてた強右衛門を出したら、もうすぐ徳川殿が味方を連れてくるから耐えて待てていうアレ
あれ見ると、やはり城の外から声をかけるのは有効だったのかなって

どうでもいいけど、新城市が強右衛門まみれ(裸磔)なのはどうにかならぬのかなって
確かにすごい漢なのは分かるんだけど、強右衛門本人は恥ずかしいんじゃないのかなって

256 :
大石 内蔵助は戦国武将(特に軍事面)として十分通用しますか?
150人はいた警備体制で47人で討ち入りし、1人も死なせなかったのはすごいです。
討ち入りが用意周到すぎるので、城攻め名人の秀吉から重宝されそうな気がします。

257 :
そいや赤穂は5万石しかないのに塩があるから良いわと言っていたな
石高というのは米ベースでしょ
塩も含めたら実質石高ってもっとあったんだろうな
戦国時代でそういう名産地も含めた実質石高表ってあるのかな?上杉の越後は水産資源と金山を含めると70万石から200万石は行くんじゃね?
だから会津120万石へ行ったのは実質減封処置

258 :
小早川金吾の筑前59万石→岡山55万石も減封なのかどうなのか。実質減封なんだろね。
博多権益を含めれば100万石行ってた可能性あるし。京都に近くなっても半減は痛い。

259 :
筑前時代は36万石くらいじゃないの?

260 :
そやね

261 :
ふと疑問に思ったのですが、戦国時代に詳しい人は
例えば、桶狭間の戦いがあった年のヨーロッパの情勢とかのも詳しいのでしょうか?
それとも、あくまで日本の戦国時代に特化した方々ばかりなんでしょうか?

262 :
特化

263 :
歴史は起承転結的に流れで理解するものだから同じ時代のヨーロッパ事情とか理解してるのは相当レベルの高い人だけだよ。

264 :
俺が時々考えるのが日本の戦が世界で通用するかという点かな
外国の受け入りで戦に勝ってきたところが大きいから
やっぱり世界では通用しないのではと思っている

265 :
でさ、やたら上下関係も厳しいし、礼節も重んじるし、しぐさが回りくどいし
特に、関ケ原で島津が傍観の姿勢をとったのは
石田の家臣の無礼な馬上の物言いが原因だったと言われているから唖然とするわな
元寇でもみられたが、当時の戦国武士は合理的に物事を考える思考がかけている
世界で通用する武将は政宗か信長くらいか

266 :
八十島助左衛門か

267 :
そうは言っても、島津だってやる気まんまんで石田側に着いたんではなくて

流れでイヤイヤでしょ。

この状況で無礼なことされたら普通怒るわ。

268 :
>>261
戦国時代は、鉄砲やイエズス会以外はあまりヨーロッパと影響を受けていないからねえ
当時のヨーロッパは三十年戦争だっけ?

江戸時代になると蝦夷を荒らしてきたロシア艦隊が、母国ロシアがナポレオンと戦争始めて来なくなったとか、浅間山の噴火が巡り巡ってフランス革命の遠因の1つになったとか、少しだけ関係が出てくるから面白い

269 :
せっかくズロースが入ってきたのに普及しなかったのは蒸れるからかな?

270 :
白木屋だっけ?
デパートの火災まではノーパンがデフォだった

271 :
ワコールの調べだと秀吉への献上品にパンティがあったらしいね
淀姫が穿いたのか、はたまた秀吉が自身で穿いたのか

272 :
そもそもなぜパンティを持ってきてたのか?
秀吉が要請したのだろうか?
使用中の物を献上したのだろうか?

273 :
>>271
なぜ履いたと思う?
被ったかもしれないぞ

274 :
16世紀 ヨーロッパ 下着で検索したらちょうちんブルマが多いな
でも紐パンが城壁から出てきたってのもあるな 
やっぱいつの時代の男も小さい下着を着せようとするわな

275 :
>>274
むしろ鎧など上に履く物が多い男の方が下着が小さかったのかも

276 :
ドラマ三国志で曹操が1万の敵を倒すには8000の犠牲が必要だといっておりましたが、
この理論は戦国に通用しますか?

277 :
しません

278 :
しません、ってやってもいないのによく言えるよな
でもさ、同じ強さで同じ武器の10000人と10000人が平地で激突したら
相手を全滅させて勝った方は生き残るのは何人かといえば
曹操のいう2000人説はありうる。

279 :
ありません

280 :
すいやせん、薙刀はなぜ戦国で使われなくなったのでしょうか?また
鎌倉や室町の武士は馬に乗り弓を装備していましたが、
馬に乗る弓を装備していた武士も戦国では見なくなりましたがそれもなぜでしょうか?

281 :
鎌倉から室町そして戦国時代の大きな戦闘様式の変化に軍の大規模化、集団化、歩戦化などがあります。
集団戦を行うようになったので薙刀や太刀などの振り回す系の武器は使いづらく突く槍や短い打ち刀がメインになり
開けた所でどちらかに矢が当たるまで撃ち合いながらぐるぐる回る巴戦などもなくなり騎兵は突撃専門兵科になりました
ただしまったく廃れたわけではなくまれに史料には出てきます

282 :
軍の大規模化、集団化、歩戦化って古代中国でも定番だろ
薙刀・大斧・ぐるぐる回りながらの騎乗騎射は主流だったぞ

283 :
日本は城郭の発達で、合戦とはほ城攻めと後巻に限定される状況になったからなあ。
軍団同士の衝突と言うのがレアケース

284 :
>>282
古代中国には薙刀・大斧はありません。

285 :
中国で斧って歩兵の武器で対騎兵用なんだよね
馬の脚をぶったぎる

286 :
価値のある馬をわざわざRかね?

日本の斬馬刀も、馬を斬る目的で使用とかよく言われてるけど

馬すら斬れるor馬ごと斬れる、っていう意味だと思うんだけどな。

287 :
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AC%E9%A6%AC%E5%88%80
斬馬刀(ざんばとう:中国語: 斬馬刀、満州語:sacimri loho)とは、中国で用いられていた長柄武器、
もしくはその名で通称された大型の刀剣である。
また、近年では創作物の影響で日本刀の一種である「大太刀」がこれと混同される事が多い(後述)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AA%E5%88%80
基本的には歩兵の武器ではなく、騎馬武者の用いるもので、馬上から馬の走る勢いで斬る武器である。
そのため、実用にあたってはあまり振り回す必要はない。しかし腕力を誇る武士が馬に乗らない白兵戦で
使用する場合もあった。
現代においては大太刀は敵将を馬ごと斬ることができる代物とし、フィクションにおける表現では馬の胴体
または首部と騎乗の武士を一緒に斬る豪快なイメージを描くが、実際にはそのような使い方はなく、長い
リーチを生かして馬と騎乗の武士からの攻撃を避けつつ、騎者を落馬させるか、足を狙って馬をつぶす
ことが主であった。

288 :
伊達や毛利や島津や武田とかドラマ見てきたけど全国の戦国大名とか兵士とかがほとんど同じ武具を装備したり戦い方をしていたというのも変じゃない?
鉄砲の伝来があったにせよ
中には全然違う装備であってもおかしくはない
例えば薙刀や斧が主流の戦い方やパルティアのように軽装軽馬による一撃離脱射撃が得意な戦法をもつ大名が1人や2人いてもおかしくない
絶対的にこの戦い方がベストですと
全ての大名に強制するのは無理がありすぎる

289 :


290 :
いや、全員が全員同じ装備で同じ戦い方はおかしいと・・・

291 :
地域や大名家で微妙には違いましたよ。ただ狭い島国なので異文化並の違いはさすがにありませんが

292 :
足利尊氏って九州から京へ攻め上るときに50万の兵力を行軍させたそうですが、
50万ってすごくないですか?戦国時代でこれ以上の行軍はありましたでしょうか?
大谷と三成でも小田原征伐の22万がせいぜいなのに

293 :
実数は十分の一以下とお考え下さい

294 :
頼朝は28万の兵力で奥州藤原氏を攻めたから
当時の未開の地への派兵ではこの方がもっとすごい

295 :
wikipediaの改易のページで再封って言葉が出てくるんでが現代では無い言葉のようです
どういった意味なんでしょうか?

296 :
>>295
漢字の読み通りだよ。

297 :
封は封建の封で領地を与えるということ。与える領地を封土ともいう。
一度改易した者に再び領地を与えるのが再封。

298 :
>>296
わかんねえです
>>297
なるほどありがとう

299 :
武将や公家の名前は訓読みなのに入道したり出家したりすると音読みの名前になるのはなぜ?

300 :
簡単に言えば仏教は中国から入ってきたから

301 :
どうしても思い出せないので質問します

暗殺をしようと押し入り、闇の中一緒に行った家臣に間違えて首を切られて重体になった武将って誰でしたっけ?

302 :
後北条家並の大大名が、早い段階から秀吉に臣従して、全力で媚び売りまくってたら減封とか転封とかされずに済んだのかな?

303 :
>>302
毛利並みに早ければ。

304 :
毛利も国境画定がこじれにこじれたのと、賤ヶ岳の時柴田勝家に通じていたのがバレて秀吉との再戦寸前まで行ってるんだよなあ。

305 :
他の所のように北条兄弟で分割くらいはされるだろうけどガチで臣従してれば生き残れただろうな

306 :
北条は善政敷いてたみたいだし、本当に悲しくなる。
何であんなことになってもたんや……。

まあ、そんな北条を滅ぼせる人間だからこそ、天下統一なんて無茶苦茶な事業を達成出来たんだろうな。

307 :
島津も数年早く九州を統一してたら、交渉の余地があったんだろうか?

やっぱり難癖つけて減封?

308 :
統一を急ぐよりもいち早く誼みを通じることが肝要。

309 :
>>265
中世ヨーロッパの騎士達も似たようなもの
で世界でも通用するといった人物はヨーロッパでも日本でも少数でしょう

310 :
武将の呼び方について質問です
武将を呼ぶときは仮名だったり官位で呼ぶのが一般的だったそうですが、梅雪や有楽斎みたいな出家した人に対してはどのように呼んでいたのでしょうか

311 :
>>308
北条は信長時代はうまくやろうとしてたよね

312 :
>>310
出家しても法印とか官位のある場合はその官名。そうでなければ基本的には法名(出家名)。
また家中では出家して隠居の場合は大殿、あるいは御隠居様など別の呼び方もある。

313 :
>>312
なるほど
返答ありがとうございます

314 :
出家と入道でその辺りの扱いの差とかあるんだっけ?

315 :
>>309 常識に考えて、単一民族の日本と多民族の中国・ヨーロッパだったら
後者が世界に通用するやり方を行ってもおかしくない
元寇でもわかっているだろう
名乗り上げて一騎打ちのつもりが、名乗り上げている最中に殺された鎌倉武士がいかほどか

316 :
元寇警察に連行されるぞ

317 :
多民族でやってれば世界に通用するやり方ってのも無いけどなあ
どうせ石炭使えないくらいの時代なら世界が広すぎて結局破綻するし

318 :
唐入りもそうだけど明治以降に大陸に築いた日本の要塞は堅城なんだよな

319 :
漫画センゴクで伊勢(北条)は関東では他国から来たよそ者と描かれていたんですが
西国の武家もルーツは東国の場合が多いですがこっちは問題なかったんですか

320 :
田舎は閉鎖的だからね

321 :
つか西国の主な領主はほぼ全員東国出身だ。「西遷御家人」で調べろ。
ほぼ全員そうなのだからよそ者扱いされるわけがない

322 :
伊勢北条って桓武平氏にしろ中臣伊勢にしろ西国やん?
てか地縁がなければよそから来たんだしよそ者でいいんじゃないの?

323 :
他国から来たよそ者だから交渉しないみたいな馬鹿対応されなきゃどうでも良いよな

324 :
関東においてはよそ者扱いしてた奴等も最初はよそ者だからな。
源平なら祖先は100%よそ者として関東に来てる。

325 :
関東においてはよそ者扱いしてた奴等も最初はよそ者だからな。
源平なら祖先は100%よそ者として関東に来てる。

326 :
人類はアフリカで生まれた
つまりみんな余所者

327 :
そうなんだよな 白人もアジア人も先祖は黒人
科学的に証明されてる アダムもイヴも黒人

328 :
龍造寺・大内・宇喜多あたりは東国武者系じゃない地生えじゃないの?

329 :
東国も宇都宮や佐竹のような古い土着の勢力もいれば西国から来た古河公方や堀越公方もいる
ぶっちゃけ実力が全ての戦国時代において家祖はそこまで重要ではない

330 :
戦国時代の史料としてよく挙げられる「おあむ物語」の信憑性ってどんなものなんでしょ?
内容に矛盾や裏付けの取れない記述が多くて偽書説もあるなんて話もよく聞きますが

331 :
100年後に成立した物だからあてにはなんないよね

332 :
伊達綱宗以外で
武家(大名でも旗本でも)が
遊郭で働く女を身請けした(しようとした)
エピソードってありますか?
要は太夫みたいな職種から
武家の側室とか妾になった人の資料か
もしくはそうさせようとした武家側の資料ってないのでしょうか?

333 :
>>332
芸州浅野の5代藩主浅野吉長は吉原の遊女二人を身請けして愛妾にしようとしたら、正室節姫が
抗議のために切腹して死んでしまった。驚いた吉長は愛妾二人を遠ざけ、幕府へは急病死と届けて
改易を免れた。
節姫は加賀藩主の娘だそうだが女性なのに切腹というのが珍しい。姉さん女房で気も強くて嫡男も
産んだから吉長は側室を持つことも許されなかったと言う。四十を過ぎてそろそろ良いんじゃないと
思ったらこんなことになってしまって辛いところだ。

334 :
>>333
ありがとう!

335 :
お由羅騒動について調べてるのですが
何故家慶は茶器を送るという手段で斉興に隠居を勧めたのでしょうか
将軍なんだから堂々と隠居を命じる事も出来そうですが

336 :
ここ戦国板だぞ

337 :
ひょんなことから家のルーツに関心が湧き、一家を挙げて昔のことを調べたことがあった。

そしたら室町末期から戦国期にかけて盗賊で財を成した家系だと判明し、家族全員、何とも言えない気分になったもんさ

338 :
それが本当に判明したなら中世社会史における大変な発見なので地元の教育委員会
もしくは大学の史学科に報告する事をお勧めする

339 :
wikiに載っていたんですが、誰か分からなくなったので質問です。
戦国時代に活躍して、確か出奔などした人物です。
江戸時代になり、参勤交代などで静岡県あたりにとある大名?が通り、
声をかけたら上様?等の話になり、身なりからみれば当然知るはずのない話だったので
もしやと年配の配下に聞いたら、彼は〇〇じゃないか?となった。
多分、徳川配下の武士だったと思いますが、ご存知の方いますか?

340 :
天野康景か松平(徳川)信康かな

341 :
>>340
ありがとう

342 :
常備軍のない時代なのにどうして大内政弘・義興親子は長期間領土から離れた京都で暴れまわることができたの?

343 :
甲陽軍鑑に、史実と異なる内容が一定の割合で記載されているのは何が要因なのかな?
成立時期から考えると、横田尹松とか、初鹿野昌次とか、旧武田家臣、それもそこそこの身分の人間が生きていたのに。

344 :
>>343
冒頭で春日虎綱自身が言ってんじゃん「記憶違いも有る」って。何を読んでいるんだお前は

345 :
>>342
武士は専業軍人だから

346 :
>>343
日記を付けてたわけでもない高坂弾正の昔語りなんだから記憶違いがあるのは当然だろう。
俺だって履歴書書くのに苦労してるぞ。

347 :
東北地方のマタギなどの狩猟民が、熊などの大物狩りに銃を使うようになったのって
大体いつ頃からですか?
最近読んだ歴史小説が、九戸政実の乱を扱ったものだったのですが、
その中に火縄銃で熊狩りをする猟師のグループが出てきて、ちょっと疑問に思ったので・・・

348 :
マタギはわからんが、日本において鉄砲は武士よりも猟師の方に先に広まったという説は有る

349 :
https://i.imgur.com/Dzxm4aZ.jpg

350 :
>>348
ありがとうございます。そんな説もあるんですね

351 :
北信愛が鉄砲隊を率いてクーデターを起こしたり、南部晴政率いる手勢に襲撃された
南部信直が鉄砲で晴政を撃退したとあるように鉄砲そのものはかなり早い時期に東北まで伝わっていた模様

352 :
>>351
ありがとうございます。あり得なくもない、って感じなんですかね

353 :
その鉄砲はいわゆる、火縄銃、なのかな。

354 :
年代的にそうでしょ

355 :
あの家伝はだいじょうぶなの?

356 :
14,5年前に本屋で買って読んだ学研の漫画の大坂冬の陣(正式タイトル不明 画像検索してもパッとわからず)で
大坂冬の陣の際に幕府軍の陣中で怪しい兵士が捕まり取り調べたところ豊臣家から藤堂高虎への手紙があり
「この度は前々からの約束通り大御所と将軍(家康と秀忠)をおびき寄せてくれてありがとうございます(現代訳)」とあり
徳川陣中で騒ぎになったが家康が「これは豊臣の策略だろう」と動じずに藤堂陣営に引き渡し
漫画では藤堂高虎が怒ってその兵士の指を切り落とし目をつぶしたうえでそこらに解放した というエピソードがありました。
漫画の欄外の脚注で出典元の史料が紹介されていた記憶があるので実際?のエピソードだと思うのですが
ご存じの方いたらお願いします。(ひょっとしたらその史料も江戸以降の軍記物みたいなのかもしれませんが)

357 :
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-12300.html
ちょっと前に見たなと思って探したら細部は違うが同様の話があった。

358 :
たぶんこれですね ありがとうございました

359 :
歴史小説でプロに依頼したキャラの挿絵を記載するのは駄目ですか?

360 :
歴史小説でプロに依頼したキャラの挿絵を記載するのは駄目ですか?

361 :
保守

362 :
保守

363 :
戦国時代に合戦で用いられた日本の馬の多くはポニーサイズみたいな話がありますが
戦国時代以前や江戸時代に書かれた絵巻物や錦絵なんかを見ても
そこそこ立派な馬体のサイズで書かれたりしていませんか?
やっぱり上級武士などが乗る馬に関しては立派な外国産馬が用いられたとかって事はないでしょうか?

364 :
そもそもポニーサイズはけっこうデカい。ポニーと聞いてポニーの中でも小さいシェトランドポニーとかのミニポニーを思い浮かべるからちっちぇーと思うだけ。
そしてサラブレッドらの現代馬から見ればたしかに小さいが、歴史的にはチンギスハンのモンゴル騎兵や中世西洋の騎士も日本馬と同様にポニーサイズだから別にちいさかない

365 :
>>363
肩の高さが147cm以下がポニーの定義ね
つまり自分の胸から肩の辺りに馬の背中があるわけだけど、それを小さいと思うかどうか
現存する日本の在来馬の体高は100-135cmくらいで、鎌倉期前後の出土した馬の遺骸からの推定体高は120から130cmくらいだったかな?
それと宇治拾遺物語や吾妻鏡には140cmを超える馬の記述もあるそうな
続日本紀には新羅からの輸入馬だと思われるけれども150cm(wikiだと五尺五寸(165cm)も国会図書館で確認すると高五尺と記述されてる)の馬が献上されたと記述されてる

366 :
>>363
源平合戦のひよどり越えの逆落としの時に畠山重忠は愛馬を背負って下りたとされているのにそんなデカいわけないだろう。

367 :
なぜこの板は、極論をぶつけあってケンカしてばかりなんですか?

368 :
戦国時代の日本人は江戸期に比べればそんなに低くなかった説あったな
江戸期だけ極端に低いとも

369 :
秀頼はかなり体格が良く、太平楽という大型の馬に乗っていたらしく
大坂城の発掘調査でも比較的大きな馬の骨が出た
皆ポニーサイズの馬に乗っていたわけでなく、体格に適した馬に乗っていたが正解だろう
人間にも体格の差があるのと同じく、動物全般にも勿論体格の差があるんだから

370 :
>>369
その大きな馬が秀頼が乗ってた馬
というのはどうしてわかるの?

371 :
愛知には名古屋城 岐阜には岐阜城という具合にとても有名な城がありますけど
三重県ってなにか有名なお城ありますか?

372 :
大河内城とか

373 :
ありがとうございました

374 :2020/05/02
あと伊賀上野城や伊勢亀山城や津城とか巨城は無いがそこそこ有名な城は多い

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