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- 1 :2009/02/02 〜 最終レス :2020/04/08
- <´ ̄愛ヽ.
〉 .ロ===}
/=/〉´Д`) テンプレ
|ゝ∪ ∪
と__)__)
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http://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1222483677/
- 2 :
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- 3 :
- >>1
乙義な輩め!!
- 4 :
- 秀吉曰く知恵が足りない
景勝が無口だったからこいつが目立った
伊達政宗に喧嘩売ってるとしか思えない逸話がある
直江の目立った軍功は最上から逃げる撤退戦ぐらい
三成が負けたと知ると指揮官の責任放り出して切腹しようとしたから前田利益に叱られる
米沢藩の藩政の基礎を築くが上杉重定の時代に米沢藩は藩土返上のうえ領民救済を
公儀に委ねようと本気で考えたほど困窮しており直江の築いた藩政の基礎は大した事のないものであった
徳川家へのゴマすりや藩内の権力独占など官僚としては一流
漢籍コレクターとしては超一流
- 5 :
-
イカを使って攻めろ!
イカのような帽子をかぶっている事から「イカ」
の愛称で最近人気急上昇のキャラクター、直江兼続だ
直江イ兼続とも
イカの通常攻撃は前方に技が集中。チャージ4は〆が護符による円軌道の攻撃。
使いやすそうだが弱点もある。
護符攻撃をガードされると、イカと回転する護符の間に敵が入ることがあるのだ。
対武将戦では多様厳禁。
- 6 :
- >>4
前田利益に叱られる
お前、花の慶次見て語ってるだろw
- 7 :
- >>4
本当かはともかく、秀吉の逸話を持ち出すならちゃんと書きなよ。
秀吉は天下を治めるための「大気・勇気・知恵」の話をしている
のであって、知恵がないと言っているわけではない。ちなみ三つ
持ってるやつはいないけど、二つ持ってる三人の一人に直江を挙
げてるのだが。
- 8 :
- >>7
もうね、直江にまったく関わりのない
1644年に綱憲が嗣子の無いままに急死した為に
減封された15万石時代の、
しかも関が原から155年も経っている
1755年の大凶作を経た上杉重定を持ち出すあたり
基地害ですよ。
- 9 :
- >>5
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- 10 :
- 本屋行ったら大河に便乗した直江本がたくさん出てたんだけど
「天下人家康が最も恐れた男」
「乱世で唯一義と愛を求めた武将」
「戦国最強の参謀」
そんなキャッチコピーの本ばっかだった
いつか慶次みたいになるのだろうか
- 11 :
- >>4
お前はほんとバカ
三成と親密になり利を追って主家を蔑ろにしたとか悪意の解釈してんだろうが
史実の直江は、三成と同時に、家康ブレーンの本多正信とも親しくやってる。
豊臣時代も徳川時代も主家の上杉はいろいろと厚遇を受けてるのは直江の才覚に基づく交友関係によるものが大きく、
当時の直江の世間の評価はかなり高い。
- 12 :
- ただ、自身に権力を集めすぎたきらいはあるな。
後年に関しては上杉家としても、いないと困るけど存在としては厄介、だったとは思う。
- 13 :
- 藩政初期の秀忠・家光期におけるお家騒動→改易が流行ったのに上杉がそうならなかったのは
直江によって豪族連合から上杉家内の中央集権化がある程度達成できたから。
意見統一ができず、バラバラな対立ばかりの大名家や藩が迷走する中で、上杉は筋道を立てて家臣団が一致協力してる方だ。
結局、封権的な豪族連合から脱しきれずに改革に失敗し、幕末まで苦しんだ藩もあるくらい。
それまでの日本は中国王朝的な中央集権化を目指しながら、なかなか封権体制から脱皮できなかった。
江戸期に近代・近世に向けての入口にたどり着いたことにより社会秩序と身分安定が生まれる。
- 14 :
- >>13
それは直江でなくても…
江戸期の藩主への集権化は、幕府と藩主との合作だよ。
幕府は藩主に権威権力が集中するように政策誘導している、一国一城令も基本には
その要素がある。
つーか上杉はむしろ、豪族連合体質からの脱皮は遅れた方だろ。
- 15 :
- 上杉は御館の乱やその論功で有力豪族の排除や与板衆への集中で
中央集権化のスタートを切ってる。
これらの改革への反発が新発田の乱であり
豊臣期で直江執政政権として確立してる。
毛利一族の関が原での統制の取れないバラバラさや
佐竹のどっちつかずの態度を見れば、有力者たちの意思統一が取れていないことがわかる。
結局、最上改易なんかは封権制度のままだったからだし
伊達は改革に失敗し、中世のまま地方知行制の象徴である要害制度まで残り、幕末での体たらくを演じてる。
- 16 :
- >>15
兼続や景勝の時期は彼らの権力も未だに、豪族連合のまとめ役としてのものだよ。
上杉家は家臣の独立性が(伊達家ほどではないにしても)まだまだ強かった。
上杉鷹山はそういう連中に大苦労しながら、藩主自ら先頭に立って改革する羽目になってるでしょ?
比較して、例えば君も上げた毛利家の場合、藩主への権力集中は進んでいて、村田清風の改革なんて
藩内に不満が大きくても、藩主の信認だけで、一家臣の立場でも独裁権力に近い力を持って
改革を実行している。
兼続は確かに強力な指導力を持ったリーダーだった。これは間違いない。
しかし兼続のリーダーシップは逆に、上杉宗家への権力の集中を阻害した面、つまり
近世大名への脱皮を遅らせた面もあったと思うよ。
- 17 :
- 鷹山を持ち出すとかw
どんだけ未来を出してくんだよ…
すでに直江が築いた体制から剥離しまくって消えちゃってるどころか
吉良から養子もらって15万石に減封され
さらに吉良家の普請や買掛金が上杉負担にさせられるは、
藩政の害が諸藩に至るまで発生しまくってる時期だろ…
こんなの比較に持ち出すとかアホ過ぎる。
- 18 :
- 村田清風なんて1838年天保9年だし・・・毛利敬親はそうせい侯だし・・・
- 19 :
- >>16
というか、直江への権力集中と上杉景勝の権力強化は
矛盾しないし、むしろ、そのために直江執政体制を築
いたといえる。>>17が指摘してるとおり、江戸時代後
期を持ち出すのはおかしい。鷹山はよそ者だったから
まとめるのに苦心したんだろ。
- 20 :
- >>15
幕末の体たらくは伊達と上杉同じじゃないかw
- 21 :
- 1600年が関ヶ原だから
1838年は238年後www
- 22 :
- 越後奪回作戦やったりと米沢は頑張ったぞ。
仙台は大藩のはずが…改革失敗した旧態依然だったので、
宇和島藩と大違いの惨憺たる結果に会津藩も失望しました。
- 23 :
- なるほど。
明治維新のときの仙台藩の体たらくは政宗のせいで、
鷹山の時の改革への反発に兼続は関係ないわけか。
- 24 :
- 皮肉のつもりかも知れないが実際にそうでしょ。
兼続の権力強化は景勝の基盤補強のためでしかなく、
重臣の統制を取るのに大いに機能している。
鷹山の改革難航はこれと無関係。
- 25 :
-
政権を直江自身の与板衆と信濃衆で固めて専制状態だった割には
何にも改革はしてないんだよね
直江グループは改革を阻む抵抗勢力だったんじゃないかな
で、藩が貧窮して、吉良に擦り寄っていって
利用するはずは逆に利用されて乗っ取られて…
- 26 :
- >>25
景勝の代に近世大名への脱却を図ったんだが、改革って
何をさして「していない」と言ってるの?
鷹山と同じで、吉良とか持ち出すのも関係ないと思うが。
- 27 :
- 25みたいなのがモンスタークレーマーなんだろうな。
80兆円出せとか言うなよ。
- 28 :
- 結局落ちぶれ放題落ちぶれたわけだし
それのみが真理だお( ^ω^)
- 29 :
- >>25
直江にとって改革なんて必要なかったんじゃないのかね。
「戦争に負けたから今日からお前らも給料1/4なww」で了解しちゃう家臣団なんだもん。
- 30 :
- 石高は1/4になったが、家臣の俸禄は1/3にしてるんだが。
- 31 :
- 仙台藩百姓も大河みてるのか。プッww
- 32 :
- >>30
兼続は算数が苦手なんだね。
- 33 :
-
- 34 :
- yahoo戦国武将人気投票
http://weekly.yahoo.co.jp/97/busho/index.html
1位 真田幸村 12% 1463 票
2位 伊達政宗 11% 1360 票
3位 織田信長 10% 1258 票
4位 上杉謙信 10% 1257 票
5位 前田慶次 9% 1060 票
- 35 :
- >>32
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- 36 :
- でもよ
直江家のお家断絶、菩提寺破却、再興なし、ってのは
重罪人に対する扱いだよな
当時はお家を断絶させない、ということはムチャ大事で
直江兼続自身も断絶させない為に直江家に入婿しているワケで
兼続の「続」にもそういった意味がこめられているんじゃないか
つうか「続く」って名前にしといて、思いっきり断絶してるから
名前がギャグになってるんだよなこいつww
- 37 :
- >>36
断絶しないように願った=「続」
本人はすごい事思いついたと思ってるんだろうな。ほんと厨房って可哀想。
樋口家は断絶してないし、直江家は兼続死後も長く生きた船の意志だろ。
- 38 :
- 大名家の重臣の家系って、一女性の意向で断絶するものなのか?
しかも、菩提寺破却ってお船の両親や先祖代々の墓はどうなったんだ?
お船の意思なら、お船は気が狂ったのか?
- 39 :
- たとえお船の意思だとしても、お船が断絶せざるを得ないと思うほど、
直江政権への怨嗟非難があったということじゃないかな
直江支持の与板・上田・信濃衆だけで要職を固めて専制政治やってて
上杉が減封し貧窮する一方だったわかだから当然の評価でしょ
兼続本人も断絶せざるを得ないというのが分かった上で
晩年に名前を重光に変えたんじゃないかな
つまり、>>36 の指摘のように
兼続の続くのままでお家が断絶したのではヤバイ名前がギャグになってしまう
と思って晩年に慌てて変えたんじゃないかな
- 40 :
- 説得力あるなw
- 41 :
- 三成との親交から会津征伐を引き起こし、上杉家120万石から30万石に減封させた転地人だからな
上杉家では家臣のリストラはせず、財政難の中で自分は高禄取りだったんだろうし、そのまま子々孫々まで直江の名前残してたら後世は「悪臣」として語られてたかもね
- 42 :
- 家康が会津征伐のために上杉領に攻めてきたが
途中で石田光成が兵を挙げたために家康は引き返した。
この時、上杉景勝&直江兼続はなぜ追撃しなかったのか。
@兼続はここはチャンスとばかりに追撃を主張するが景勝は
逃げる相手の後ろを襲う卑怯な真似はできないと反対したため
追撃ができなかった。
A景勝は相手が家康なら望むところとばかりに準備万端ととのえて
待ち構えていたが、家康が急に引き返して相手が控えとして残された
息子の秀康に変わったので拍子抜けしてやる気を失い、代わりに
北から攻めてくる最上&伊達の対応に専念した。
B家康の軍が引き返すとの報告を聞いて景勝はただちに追撃を
命じようとするが、兼続が、最上と伊達が攻め込んできているので
それどころではありませんぞ、と反対したので実行に移せなかった。
このうちのどれが真相に近いのだろうか。
- 43 :
- 上杉はむしろこの期に越後奪回を考えていた節がある。
対最上戦はその牢人兵中心の軍構成から言っても、牽制の意味合いの濃いものであったのだろう。
- 44 :
-
>兼続の名のままでお家断絶したのでは名前がギャグになるから重光に改名
>会津征伐を引き起こし、上杉家120万石から30万石に減封させた転地人
何か萌えるワード炸裂だなww
- 45 :
- ・直江家のお家断絶、再興なし
本人またはお船の意思だろうね。息子死んだあと養子とってないわけだし
・菩提寺破却
直江のせいというより、林泉寺との紛争に敗れたことが原因
家康を追撃しなかったのは長期戦をにらんでいたため。
伊達や最上を屈服させ、彼らを従えて関東に攻め込む構想だった。
最上「息子とその軍を預けるからどこにでも連れていってください(嘘)」
景勝「関東へ出陣したいが、最上・伊達が思いがけず様子見をしている」
直江「政宗もしくは家老の数人に三〜五千の兵を従軍させ、関東侵攻の間
裏切らないようにしなければいけない」
とそれぞれ書状に残してる。
- 46 :
- >>39 こんな感じだったのかなww
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つ、 っ r、{ | ヽ ヽ // / |
ち
ま
う
- 47 :
- 糞原作とスイーツ脚本とお遊戯演出が醸し出す極上の笑いをお楽しみください
- 48 :
- でもさ、兼続自身は本田政重や本庄の息子を
養子として継ぎ止めようと必死だったみたいだから
例えお船の意思だったとしても断腸の思いだったんだろうね
晩年になって兼続→重光に改名してるってことは
やっぱり兼続の名に対し自らを恥じるものがあったんじゃないかな
兼続の人間らしさを感じさせて部分だけどな
- 49 :
- >>48
本庄の息子を養子にしていたのは、景明が生まれる前じゃなかったかな。
本多政重の養子は政治的な意味合いが強いと思う。
兼続の権力というものは、あくまでも景勝が存在していればこその
ものだったからね。直江執政体制への反感は、知っていただろうし、
自分の死後(正確には景勝死後)どうなるか、うすうす感じていたんじゃ
ないかなあ。
定勝は父の命令には逆らえなかった人だから、景勝が最後に任命した
志駄を死ぬまでトップに置いたし、お船を大切にはしてくれたけどね。
- 50 :
- 本多政重の婿入りの時は景明が10歳くらいのとき。幕府との折衝をする
直江が、徳川家の取次である本多正信との関係を強化する狙いがあったと
思われる。本多家とは家族ぐるみの付き合いに発展してるしね。
景明の結婚(戸田氏鉄娘)、秀忠の上杉邸御成後に上杉家を出てる。
景明の死から兼続の死まで4年、お船はその後も生きてるから、その間に
養子をとらなかったのは夫婦の意図的なものだったと思う。
直江執政体制への反感は、兼続生存中には若いころの上条出奔を除けば
それほど強かったようには思えない。「旦那」という特別な呼称がある
し。死後に反動が来たのは要因の一つだったかもしれないけど、当主が
次の代に変われば新体制が築かれるのは当然だからね。
水原と仲が悪いというのは軍記ソースだし、最上攻めで撤退を主張し、
直江との戦略不一致が生まれたという上泉も書状では武功を誇ってる。
大坂の陣で仲の悪い安田の功を上申しなかったという逸話も、実際に
は直江は安田を先鋒に配置したのに景勝に退けられてる。
- 51 :
- >>50
> 実際に
> は直江は安田を先鋒に配置したのに景勝に退けられてる。
関係なくね?
- 52 :
- 上条が直江を配下に欲しいって願い出て景勝に拒否られたんだっけ?
ヤッパリ景勝にとって重要な人間だったんだな。
- 53 :
- 直江には大量に仕事任せてるから信濃にやるのは困る、ダメだとか言ってるな。
そんだけ景勝には仕事を振り分けられる相手が足りてなかったんだろう。
後年景勝自身も家臣から働き過ぎを心配されてるし。
- 54 :
- >>50
直江個人というより、与板衆独占状態への反感かな。
米沢市史には例の甘糟らの殉教事件も一種の政治闘争の結果か
なんて記述もあった。
景勝の死後、水面下ではいろいろあったのかもしれんね。
- 55 :
- でもキリスト教の甘糟一族を見逃してきた直江や景勝の死後は、
幕府首脳との密接な関係が失われてきたから危険視してのことじゃないかな。
棄教しそうにないだろうし。
- 56 :
- >>48
いっそ主家を減封、断絶させ、継いた家をも断絶させる男ってことで
直江兼絶(かねたえ)とか兼滅(かねめつ)とかがふさわしかったかもなww
主君の景勝も、勝つって書いてて負けてばっかだから主従そろって名前負けしてやんのww
- 57 :
- 処刑されたものの家族が文句をつけに来て、死者を生かして返せと言ってなかなか帰らない。とうとうキレた兼続が、それならお前たちが地獄まで迎えに行け、と言って全員斬り捨ててしまった。
こんなエピソードを読んだことがあるが、テレビでも扱うのだろうか。
- 58 :
- >>56
主家を断絶なんかさせてないだろ。
直江家は断絶したが、直江の精神のようなものはちゃんと
受け継がれてんじゃないかね。
有名な西根堰を定勝時代に完成させた佐藤は与板衆だし、
鷹山の改革は直江の影響を受けているといわれる。
実際直江の文書を収集して、上杉家文書に入れさせたのは鷹山だ。
関が原の敗者のイメージが強い景勝だって、御館の乱に打ち勝ったし、
武田・織田滅亡という時代の後押しがあったとはいえ、謙信以来の悲願
であった北信濃領有に成功している。
国人衆を抑えて、ある意味真の越後統一を実現させたとして
評価している人もいるよ。
- 59 :
- >>58
>主家を断絶なんかさせてないだろ。
長尾はおもいっきり絶滅しとるが。直江のホモと幕府要人へのゴマすり政策の逆賜物だろ
>直江家は断絶したが、直江の精神のようなものはちゃんと受け継がれてんじゃないかね。
直江の精神って具体的に何よそれ。
>有名な西根堰を定勝時代に完成させた佐藤は与板衆だし、
堰なぞどこの藩でも沢山つくっとるがな。堰を作らない藩ってあったの?
>鷹山の改革は直江の影響を受けているといわれる。
その証拠を示して
>実際直江の文書を収集して、上杉家文書に入れさせたのは鷹山だ。
それは単に文官としてのもの
疲れた、続きを誰か頼む
- 60 :
- 長尾はおもいっきり絶滅しとる???
はあ??
- 61 :
- >>51
きらいで武功を立てさせたくなかったら先鋒に置こうとしない
ということだろ。水原や安田が直江嫌いの設定なのは直江家断
絶後に成立した軍記物にしかソースはないからな。
>>59
どの家でも幕府要人への接近を図ってるのにそれをゴマすりなど
とあざけるのは接近できなかった家の負け惜しみにしか聞こえない。
- 62 :
- >>61
負け惜しみも何も、幕府要人に接近しすぎて乗っ取られて実質消滅した上杉長尾が
負け藩そのものでしょ
>>59が言っているのはそのことでしょ
- 63 :
- 吉良の養子のこといってんのか。
家斉の子を押し付けられた、鳥取池田とかならともかく。
どこが乗っ取られてるんだよ。吉良の金の援助はしたかもしれんが。
常識はずれもいいところだ。
それに、吉良の養子なら直江とは全く無関係だろ。
- 64 :
- 血統が絶えたのは勿体無い
- 65 :
- 血統は絶えてないよ。
謙信から女系で景勝に繋がってるように、女系の直系(景勝の孫娘)でずっと続いてる。
まったく別人の血がはいった真田なんかに比べればずっとましだと思うんだが。
なんで、上杉スレには血統が絶えたとか、消滅したとかいうやつがいるんだろうね。
現に、御子孫のかたに対して失礼じゃないか。
- 66 :
- 上杉に養子に入ったのは定勝の娘の子だっての知らないだけなんじゃ?
男子が夭折したから母方から血の繋がってる子を養子に貰うのはよくある話だしなあ。
男系相続だけに限る家のほうが少ないんじゃないか。
- 67 :
- そもそも男系なんて謙信で絶えてる訳だしな。
- 68 :
- >>65
「血統が吉良に乗っ取られた!」とか得意げになって宣ってる人も
しばしばいるけど、江戸時代に藩主家の血筋が別の家のものになる例など
珍しくはないからな。
黒田なども、外孫にあたる池田家の子息を迎えようとしたら、
御三卿から養子を迎えるよう打診されているし、国持ちクラスでも
そういう例はいくつかある。小藩や旗本になると、藩祖の血を全くひいて
おらず、婿養子でもないような当主などザラになるしね。
- 69 :
- 嗣子が絶えると、なるべく近い血筋、なるべく男系、なるべく同族、で養子を迎えようとする
求心力、結束力を保つためだ
幕府は、というと徳川系の者を送り込もうとする。外様の力を削ぐためだ
そこに政治力、外交の駆け引きがある
上杉の場合、いくら吉良が高家とはいえ大名からは見劣りすることは否めない
氏も族も違う奴を送り込まれた。
当時の言いなり外交が無能だったということだ
>御三卿から養子を迎えるよう打診されているし
打診されていることと、実際に違う氏族の格下の奴を送り込まれているのとは大違いだろ
更に上杉の場合、血が絶えただけでなく吉良に植民地化されているからな
吉良を肯定的に見る奴ってホントに上杉ファンなのか?と思うけどな
- 70 :
- …上杉家のもともとの成り立ちを知っていれば、「足利御一家」である吉良氏が
養子として上杉を継ぐのは別に変な話じゃないことが分かると思うんだが。
南北朝からきちんと歴史をたどってみ?
- 71 :
- >>69
上杉氏存続は保科正之の力添えを得た結果だし、あっという間に綱勝が
死んでしまったため末期養子を迎えることも出来なかった状況もある。
当時米沢藩主家に最も血筋が近かったのが綱憲なんだから妥当な線だろう。
まあ、家光期までの改易政策がやや方針転換した家綱期と
いうこともあるが、譜代・一門の名門(福山水野家、越前家、松平光長)や
有力外様(宮津京極家、津山森家)も厳しい処分を受けているケースも
見られるから、誰が無能とかそういう問題じゃあるまい。
- 72 :
- >>69
吉良には金は出したが、藩政には口を出させていないはずだ。
藩政にまで口を出して、吉良が藩財政の悪化の原因となったとか、
赤穂事件のとき上杉の付き人を出したとかいうのは時代小説の話
であって、事実じゃない。幕府への口利きに吉良を利用することは
あったかもしれんが。
- 73 :
-
ホモに励んでいたから嗣子がなかった
当然直江に責任があるだろ
- 74 :
- また鮭厨のしわざか…
- 75 :
- 真田信之の家系も松平定信の血にのっとられてたな。
徳川宗家の血も家斉以後は無茶苦茶で、慶喜あたりでほとんど
アボンしてるし、江戸の名家にはよくあることなんじゃね?
- 76 :
- 上杉の場合は家自体がパチモンだおね( ^ω^)
- 77 :
- >>75
よくあることだが、良い事じゃない
そうした家系が乗っ取られた所はおおかた求心力を失って衰退してる
あと真田本家は、幕末に徳川系の血をかなぐり捨てて伊達の血が入って賊軍にならずうまいこと乗り切っている
- 78 :
- >>36
名前がギャグって良く気がついたね
確かに本田にあやかって重光に改名した、って何それ?って
養子にあやかって名前を変えるなんてバカ過ぎる、と思っていたけど
兼続の名のままお家が断絶したのでは笑われかねない、という配慮だったと
誰にあやかろうとどうでも良くて、とにかく名前を変えたかったのかな
たまたまあやかれるのが養子の本田だったと
そう考えるとなるほどつじつまが合うね
墓石にはなんて書いてあるの?
笑われないように重光にしてるのかな?
- 79 :
- 重は兼続の母方である泉氏の通字。
樋口家が父親が死んで弟に代替りしたから樋口家の名前である兼続を止めただけじゃね。
なんで本多政重は直江の養子になって勝吉に名前を変えたのに
政重の名前にあやかるんだよ。
- 80 :
- 【性生活】「左手でオナニーする男は初体験が早い」都内の中学校女性教諭が研究発表
http://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/bread/1233717163/
- 81 :
- 政重にあやかってってのはよく見るな。最近出たTrut
hInHistoryの本でも触れてるし。でもたしかに勝吉に
改名してるのにあやかるもなにもないよな。
- 82 :
- 何ぞ利を捨て義を取る者か −この兼続評の解釈は、結局どう考えるべきなのですか?
「天地人」史観の「弱を援け強を挫く」というような今日的な「正義」観なのか、
それともそういう「正義」は江戸期以降の概念なのか。
ただ、漢籍に通じた兼続とか、石田三成は、当時としては稀有な「正義」観の持ち主なのか。
- 83 :
- >>81
そうなると誰にあやかろうとどうでも良く、
何が何でも改名して
兼続の名でお家を断絶させて名前がギャグになって笑われるのを防いだ、説に信憑性が感じられるな
- 84 :
- >>82
書写した本の序文に書いたのだから、
藤原せいかの評と同じように「乱世でも学問を忘れない人」という
くらいの意味だろうね。南化は「管仲の才あり」とも言っているが。
- 85 :
- でもさ、名前を幕閣にあやかるってのはどうなんだろうな
それは、幕閣の権威でもって藩内で自分の権威と地位を高めるのに有効かもしれないけど
そ れ っ て 売国行為 売藩行為 な ん じ ゃ な い ?
将軍から屋敷をもらったり、豊臣家の官吏を兼任したりするのと同様の
名前をあやかるなら主家、主君からあやかるならともかく
と思うのはオレだけかな?
- 86 :
- >>85
それは幕府と藩と言う存在が、それぞれ対立したものだと言う発想だな。
実際の幕府権力というものは、藩主権力の確立を急速に推し進めた。
外様であろうと譜代であろうと、「藩主」と言う存在は幕府との運命共同体だったわけだ。
そのため家臣が幕府と密着する事は、この段階ではそう悪い事ではない。
- 87 :
- だから重光の重は母方の一族の通字だっての。
そもそも政重は幕閣でもなきゃ直江家に入った時に勝吉になってるし
なんで使うの止めた名前のその上本多の通字じゃないほうにあやかるんだよ。
- 88 :
- 本多にあやかって改名か。なりふりかまわず上杉と幕府の
パイプにって感じだね。
本多失脚後上杉内で直江の扱いは変わらなかったんだろうか?
- 89 :
- 泉氏の通字を使ったかはともかく、政重にあやかってってのはありえないな。
改名時期も婿入りから年月が経ってるし。
本多失脚後も直江の扱いは変わってない。直江自身、本多正信死後(家康死
後?)はむしろ土井利勝に接近してる。ほかの大名家もだけど。
- 90 :
- 今んとこ泉氏の通字のがまだ信憑性ありかね。
本多にあやかるって方もパイプ作りの一環ってのもわからんでもないが。
個人的に兼続の名前の方が好き。
- 91 :
- >>85
禿げ同だね。売国行為そのものでしょ。
天下人にすりより過ぎたり、幕府要人の権威を利用したり
それで家中で存在が浮いていたんじゃなかな
それがお家断絶、死後の罪人扱いに?がっていると考えると自然でしょ
- 92 :
- 名前くらい別になぁ。まぁ改名の理由をはっきり知りたいけど。
天地人終わるまでは荒れるかな。例の荒らしも未だに直江ファン装ってるし。
- 93 :
- アンチが自演してるようにしか見えんのだがわざわざ相手してやるのな。
- 94 :
- あぁスルーがいいよね、すまん
- 95 :
- このsageを知らない人はアンチというか
あまり直江のこと、近世初期のことを知らないだけのような・・・。
- 96 :
- >>86
その考えを突き詰めると、いっそ藩籍を献上して幕府領になっちまった方が良い、ってことになるな
幕府に擦り寄りすぎて、言いなりで、吉良の息子を押し付けられて植民地にされて、それでHappyってか?
んなわけないだろ
薩摩や長州の例をみるまでもなく、独立の気概を持った藩が雄藩として発展している
その正反対なのが上杉で、その流れをつくっているのが直江だ
- 97 :
- 尾崎一族は信州のかなり大きな一族、
景勝政権での信濃衆の台頭状況からして
兼続が自身の尾崎一族との繋がりを強調して
改名するというのはありえるな。
数年前に父も亡くなり樋口家は年の離れた弟に代替わりしているし
上田長尾家家老の樋口家の名で通すより
信州泉一族の一員であることを押し出す方が都合が良かったのかも。
改名のきっかけになった事象が何か分かれば良いんだがなあ。
- 98 :
- 最上に直江のような幕府中枢との外交ができる有能な人材がいれば改易にならなかったのに。
それどころか幕府の使役の一部まで免除されたのにな。
- 99 :
- >>96
斉彬は幕府の後押しで先代を隠居させたし
毛利なんて主家に権威なく「そうせい候」とかバカにされてるし。
独立の気概ってw
- 100 :
- 独立も何も、江戸期の藩は藩主が幼少の場合、幕府から代官が派遣されてその藩の
政務を執行するんだぞ。
毛利も島津も同じだ。
それに薩摩や長州が幕末にああいう立ち位置にいたったのは、別に独立の気概があったわけではなく、
毛利は越前松平家との繋がりで、薩摩は阿部老中との繋がりで水戸派として政局にかかわり、
それが幕末の混乱の中で変な化学反応起こしてああなったに過ぎない。偶然なんだよ。
結果から過程を類推するのは、学問として危険極まりない態度だ。
- 101 :
- 藩のずっと子弟は江戸住みだったから江戸の町に愛着あって
幕府に敵対しようとする地元の下士達を藩主はみんな嫌ってたって言うしね。
久光とかは江戸住み経験がなかったから江戸の町になんら愛着がなかった野蛮な田舎者だからね。
- 102 :
- 訂正
藩の子弟はずっと江戸住み
- 103 :
- ちなみに幕末毛利の藩主である毛利敬親も、生まれは江戸藩邸だが
世子ではなかったため育ったのは萩。
土佐の山内容堂も同じく世子ではなかったので土佐育ち。
幕末の諸般の行動に関する関連性で言えば、こっちの方が面白いな。
- 104 :
- 直江の時代と幕末の雄藩を比較すること自体どうかと思うよ。
それに、まるで直江だけが幕閣と緊密になろうとしてたみたいな言い方だけど、
どこの大名家だってそうしてる。それが大名家と取次ってもん。家康生存中はほ
とんどの大名家が本多家に接近してる。むしろしない大名家はアホってくらいの
風潮だった。その中で直江は本多正信の「ダメ息子」を婿にするという奇策で目
立っただけ。豊臣政権下でもそうだったけど、直江は取次との関係を円滑にする
のに長けていたよに思う。
本多と家族ぐるみの付き合いするようになったかと思えば、正信が死ぬと正純をあ
っさりと切り捨てる(黒田家は正純と親密で、細川忠興に「あいつアホじゃねぇの。
黒田も終わったなぁwww」と書状で言われてるように、ほとんどの大名家がそう
した)あたりも冷徹な宰相って感じがする。
重光改名については慎重に考えないといけないね。泉氏が信州の名家だと言っても、
徳川幕府の時代に今さら感はぬぐえない。「直江兼続」っていうブランドは当時すで
に泉氏ブランドを越えていたと思うし。意外に泉氏とは関係なく「重光」にしたのか
もしれない。むしろ直江家の「綱」をつけてないとこに注目すべきだろうね。「わし
はこんな家、入りとうはなかった!!!」って感じだったのかなぁ。それか、与七も
上杉家の重臣となるため大きな家に養子入りさせたい、下の弟はまだ幼少で樋口家の
家督も考えて改名できなかったのか。
- 105 :
- 104は>>96に対して
- 106 :
- 春日山城の中の、毘沙門堂では、男同士の異様な愛欲図が繰り広げられていた。
ベッドに腰掛けた謙信の上に膝を割って抱き取られているのは兼続である。兼続は狭溢な菊座を謙信の怒張した肉棒によって陵辱されているのだった。
「儂はこのベッドで綾子の処女も奪ったんだよ。姉と弟分、両方の処女を奪った男は天下広しといえども、儂くらいかもしれないね」
謙信はそういって笑いながら、兼続の裸身を抱き取ると、片手をまわし、隆々と怒張した兼続の肉塊をさすりあげる。
「ううっ」
「もうこんなになっているじゃないか、兼続。お主も案外こんなことが嫌いじゃないみたいだな」
謙信が兼続の耳元でそう囁くと、兼続は赤らめた顔をまるで嫌々をするように左右に振る。姉の綾子にそっくりの美少年のそういった風情は、まるで少女が恥じらっているような清冽な色気が匂ってくるのだ。
「さあ、ぼやっとしていないでケツを振るんだ」
謙信が兼続の引き締まった双臀をパシンと叩くと、兼続はこっくりとうなずいて、腰をうねらせる。
「どう、調子は?」
いきなり毘沙門堂の扉が開かれ、揚北衆の新発田と色部が入ってきた。
「ひゃー。お坊ちゃん、とうとうオカマを掘られたわけやね」
色部が素っ頓狂な声を出すと、兼続は、はっと動きを止め、謙信の身体の上から逃げ出そうともがく。
「見物人がいるからって慌てるんじゃない。お前はもう実演ポルノのスターなんだぞ」
「そうよ、兼続さん」
新発田が嘲笑する。
「貴方の奥さんなんか、たくさんの人が見ている前で、仙桃院様と堂々とレズビアンを演じたのよ。夫の貴方が人前で男とセックスできなくてどうするの」
「そや。宇佐美どんはその毛のあるお客ばかりたくさん集めて、実演ホモショーを企画してるんやで」
兼続は新発田と色部にそう決め付けられると、一切をあきらめたように、謙信に抱きとめられた双臀を再びゆるやかに動かせはじめる。
数分後、兼続は新発田と色部に見物されていることなど、すっかり気にしないかのように、謙信とのセックスに没入していた。
「どうだ、兼続、良い気分だろう」
兼続は謙信に求められると、背後から菊の蕾に肉棒を突き立て押して出る謙信の方に上気した顔面をねじって、唇と唇をぴったり重ね合わせ、甘えかかるように舌をすわせている。そして、謙信が囁きかける言葉にうなづきながら、せっぱ詰まった声を張り上げるのだ。
「け、謙信さま、兼続は謙信さんのものですっ」
「そうかい、可愛い奴だ。じゃあ、儂のいうことは何でも聞くんだよ」
「は、はいっ」
兼続はもう耐え切れなくなったのか、断末魔のうめきをもらしながらあせばんだ首筋を大きくのけぞらせる。
「謙信さまっ、ぼ、僕もう――」
「いきそうなのか?」
兼続は頬を赤く染めてこっくりとうなずく。
「もう少し我慢するんだ。儂と呼吸を合わせるんだ」
兼続は限界まできた激烈な快美感に耐えながら、激しく腰をうねり回せる。肛門は自然に収縮し、深く押し入って来る謙信を激しく締め上げる。
「おおっ。綾子のあそこと同じく、兼続の尻の穴もなかなかの名器だな」
謙信はうめくようにいうと、兼続の耳元にさ、いくぞと囁く。兼続はせっぱ詰まったような表情でうなずき、謙信が再び唇を求めてきたのに応え、少女のように赤い唇を謙信の分厚い唇にぴったりと合わせる。
- 107 :
- 「あッ、ああッ、いいっ」
謙信に「処女を奪われた」兼続は、引続きシスターボーイの鬼小島と柿崎も加わって、三人がかりで徹底した男色の調教を受けていた。
鬼小島の、シスターボーイに似合わない巨大な剛直でバックの姿勢で犯された兼続は、続いて立位で開股の姿勢に固定されると、柿崎のこれまた長大なものによって背後から深々と菊座を突き通された。
そして今は再びベッドに横たわった謙信の上で大きく膝を割り、しなやかな腰部を激しくうねり回せているのだ。
兼続の可憐な菊座は信じられないほど大きく膨らみ、謙信の巨根をしっかりとくわえ込んでいる。当初の激烈な痛みは既に薄れ、謙信に貫かれるその部分からは想像も出来なかった妖しい快感が生じ、全身が麻痺したような状態になっている。
柿崎と鬼小島はそんな兼続に寄り添いながら、様々な台詞を兼続に教え込もうと躍起になっている。春日山城を訪れる客の中にはいわゆるホモセクシュアルの味を好むものも多く、兼続にそれらの客をもてなすための手管を身につけさせようとしているのだ。
「け、謙信さまっ。兼続、気持ちいいですっ」
兼続は熱っぽく喘ぎながら、二人のシスターボーイに教えられた台詞をいい始める。
「そうかい、どこがそんなに気持ちいいんだ」
「か、兼続の、お、お尻の穴っ、アアっ、お尻の穴が気持ちいいです」
「どうしてお尻の穴が気持ちいいんだい」
「け、謙信さまのお、おチンチンが入っているからです」
兼続は少女のように可憐な頬を赤く染めながら、上ずった声を上げる。
「おチンチンはどうだい」
「お、おチンチンも気持ちいいっ」
「もう3回も射精したのに、こんなにビンビンにさせるなんて、スケベなチンチンだね」
「ああっ、そんな風にいわないでっ。恥ずかしい」
兼続はヒラヒラと前髪を震わせながら首を振る。
「今度はこんな風にいうのよ」
鬼小島が兼続の耳に口を寄せ、新たな台詞を吹き込むと兼続は嫌々と首を振る。
「そ、それだけは許して、許して下さい」
「駄目だ。なんでも言うことをきくと誓っただろう」
謙信が手を回して、兼続の屹立をつかむと柔らかく揉み上げながら、少女のような形の良い双臀を引き込むようにすると、力強く突き上げる。
「ああっ」
身体に楔を打ち込まれるような鋭い快美感に、兼続は思わず歯を食いしばる。
「お、鬼小島さん、か、兼続に、鬼小島さんのおチンチンをおしゃぶりさせて下さい」
兼続がせっぱ詰まったような声音で鬼小島に声をかける。
「まあ、感激だわ。兼続さんにRしてもらえるなんて」
鬼小島がふざけたように醜悪な肉塊を兼続の唇に近づけると、兼続は思わずおびえたように顔を逸らす。
「駄目よ。嫌がっちゃ」
鬼小島は催促するように兼続の滑らかな頬にその肉棒の先端を擦り付ける。兼続は進退極まったように唇を開く。
「まって、折角だからお化粧してあげるわ」
柿崎は口紅を取り出すと兼続の唇にひく。可愛いピンクの口紅を唇にひかれた兼続は顔だけ見るとまるで少女のような錯覚が生じるのだ。
「さ、始めるのよ」
兼続は改めて唇を開くと、鬼小島のそれに舌を伸ばし、柔らかく愛撫を始める。
「今夜は徹夜で調教してやるわ。ホモの悦びが身体の底まで染み込む様にね」
鬼小島は兼続の滑らかな舌でなでさすられる快感に恍惚となりながら、兼続に声をかけるのだった
兼続は改めて唇を開くと、鬼小島のそれに舌を伸ばし、柔らかく愛撫を始める。
「ああっ、たまんないわっ。兼続さんのRっ」
鬼小島が頓狂な声を出すと、謙信と柿崎は顔を見合わせてぷっと噴き出す。
「今夜は徹夜で調教してやるわ。ホモの悦びが身体の底まで染み込む様にね」
鬼小島は兼続の滑らかな舌でなでさすられる快感に恍惚となりながら、兼続に声をかけるのだった。
- 108 :
- 泉氏との繋がりでいえば幕府との関係というよりも上杉家中での信濃衆との
関係を深める作業と見る。
兼続の補佐役として出てくる春日や平林も信濃衆だし
岩井は尾崎一族、泉沢も泉氏の娘をめとっているし
景勝政権下の信濃出身者の割合はかなり高い。
景勝や兼続の強権で家臣たちの不満などを抑えにくくなり、
上杉・長尾家臣系には景勝の存在があるため信濃衆に対しては
兼続が「同族意識」を打ち出すことで藩内の信濃衆・与板衆に支えられた直江体制を
円滑に進める狙いがあったのかも。
- 109 :
- >>108
それでも今さらな感じはするな。平林や岩井なんかもずっと前から
補佐役はしてると思うし。そういう理由ならもっと越後統一前とか
に改名していてもいい。相川司が指摘するような晩年は失脚してい
たーみたいな話で(根拠は薄いと感じたが)、家中でも求心力を失
っていたなら、直江執政体制維持のために改名して信濃衆との結束
を強めたってのもありえるかもしれんが。
ただ、泉(尾崎)氏は直江の祖父という重歳の子孫も続いて兼続の
子に仕えてるし、兼続があえて尾崎氏の通字を使う必要があるんだ
ろうかと疑問に思う。
- 110 :
- それでもとっくに勝吉に改名している養子のすでに使わなくなった名前の
通字でもない方の字にあやかるという無茶苦茶な話より
1608年ごろに何かがあって母の一族の通字を使い始めたと言う方が
よほど納得できる。
年の離れた弟に気を遣ったのかも知れんし、家中で何かあったのかもしれんし。
- 111 :
- もちろん政重由来よりは説得力がある。可能性は否定しないけど、
直江兼続が泉氏の通字をつけるってなると違和感はあるな。
たしかに信州の名族の一つではあるだろうけど、高梨の重臣の家な
わけで、景綱が頭角を現し始めたころの直江氏に劣る家ではないと
いうのはわかるけど、上杉家の執政として十分すぎる地位を築いた
兼続が、親戚とはいえ息子の家来である泉氏の名をつけなきゃなら
んのだ、という気がする。「光重」ならともかく。
- 112 :
- 「どうして名前変えたの?」という問いは結構難しいからね。
謙信のケースはハッキリしているし、家康のケースも判りやすいが、
立花宗茂など、何度となく変えてるが、「何で?」と言われても
中々難しいものがあるし(統虎→宗虎くらいじゃないか、類推できるのは)。
- 113 :
- なんか直江家断絶を生前すでに予想し、「続」の名前を恥じて改名した、説が
最も自然に感じられるけどな
それだと、どの史実とも、晩年に既に失脚していたという相川司氏らの説とも矛盾しないし
直江のマイナス面を少しも認めようとしないここのファンに異常なものを感じるけどな
直江を完璧超人にしないと気が済まんのかなw
- 114 :
- 信憑性あるなしどころか論点ずれてるから却下
- 115 :
- 断絶するので「続」を使うの辞めたとか…
なんかリアル小学3年以下が思いつきそうな発想の貧困さを感じるわけだが。
- 116 :
- そもそも、改名した段階では景明は存命だし、政重(勝吉)も上杉家に
いるんだけどね
- 117 :
- 断絶するのに「続」だと恥ずかしいからっていうのは2chソース
だぞ?そいつはネタで出しただけなのに自然もなにもないし、信ぴ
ょう性もゼロ。完璧人間とかマイナス面とかいうのは全く話が違う
だろ。
- 118 :
- 相川なんかを基準に語る奴がいんのかw
- 119 :
-
直江はどうせ改名するならいっそ直江断絶、とか直江絶滅とかに換えれば分かりやすくてよかったろうにww
- 120 :
- >>118
関ヶ原のくだりまでは面白かったよ。
最後のほうは直江家断絶の真相に迫ろうとしたのはよかったけど、
突飛な話すぎて説得力に欠けた。
- 121 :
-
世界最古の直江兼続スレッド
http://academy6.2ch.sc/test/read.cgi/kobun/1018298226/
- 122 :
- 「義風堂々一直江兼続一前田慶次 月語り」
これはまた凄いストーリーだなw
上杉謙信と関白・近衛前久の妹・妙姫が恋仲であったという説は有名だけど、
なんと樋口与六(直江兼続)がその2人の遺児であり、、、
謙信の正統後継者であるとする説から物語を展開するわけだ
これは初めて見るパターンだな
たしかに直江兼継こそが越後の真の支配者であるとする証拠は、
近年いろいろ発掘されてきてる
先日テレビで直江による謙信暗殺説とか、
直江が主君・景勝よりも多くの騎馬を従えていたことや、
臣下であるにも関わらず秀吉(近衛家養子)から豊臣の姓を賜ったり、
家臣としては異例の米沢30万石の大封を与えられたりと、まさしく異例尽くし
妙姫は、謙信が結婚を断ったため憔悴して亡くなったとされるが、当初は存在の信憑性を疑われていた
それがここに来て近衛前久の日記で彼女の名前が確認されたことで、にわかに信憑性が増した
まあ一方では謙信女性説も以前として強いわけだけども。
- 123 :
- >>122
謙信暗殺説なんて、議論する価値もない眉唾もんだろ。
関が原後の謝罪のための上洛時の例の薩摩家の文書は勘違いじゃないのかって説もある。
豊臣の姓を、陪臣でもらったやつは結構いるよ。上杉家中でも、須田も貰っちゃってる。
とんでも説としてはおもしろいが、信憑性はゼロだな。
- 124 :
- >>123
マルチ相手にするなよ。
- 125 :
- 薩摩家の文書ってなんの件?
- 126 :
- 上洛した上杉主従を見た島津家臣がその様子を日記に残し、「直江のほうが主より従えてる数が多い」と記した件。
- 127 :
- 直江の越権ぶりが遠く薩摩まで聞こえるほどに目に余るってことだろ
将軍や幕閣に取り入っていたから、景勝すら何も言えないアンタッチャブルな存在になっていたのかも
- 128 :
- その上洛つ−のは関ケ原の謝罪のためだぜ。
確かに直江の権力の大きさは名護屋の陣屋跡の発掘調査からも証明されてる。
たが直江は最終決定者である景勝の権力は、決して侵してないと思うがな。
奉行たちが、家康に「直江はいなか者だから、失礼な手紙を許してやってくれ」といった史料も残ってるから、
無礼な手紙(それが現在伝わる直江状かわからんが)で家康を怒らせて、関ケ原の原因を作ったのは皆知ってたんじゃない?
安国寺みたいに責任とってじゃなくって、堂々と上洛してきたから変な尾鰭がついた噂が広がったのかも。
- 129 :
- 直江兼続が上杉謙信と景勝とに犯されるシーンが無いのは絶対に変だゼッ!!
彼はふたりの寵童になって出頭したのだからナッ!!!!!
男色の契りを交わすセックス・シーンが登場すれば、視聴率はダントツに上がるのサッ!!!
- 130 :
- 男女いずれにしても性交渉はテレビ放送できんだろ
- 131 :
- まー卑屈にならず上杉の体面を守り堂々と終戦工作をしたんだろうね。
直江状に近いものを直江の名で出した時点で上杉に責任が及ばないよう配慮してるし、
家康との会談では責任はすべて我にありと直江は切腹覚悟で「煮るなり焼くなりどうにでもしろ」と言ったとも言う。
家康ってのは、関ヶ原後の年初に挨拶に来ない佐竹や島津を、事の重大性がわかって任地でビビって引きこもってんだろ卑怯だと怒ったが、上杉や直江には悪い印象をまったく持ってないっぽいんだよね。
立花宗茂の籠城策を却下した輝元なんてアホみたいに大坂城を明け渡した挙げ句に騙されてるし。
敗戦陣営にいながらメンツ保ってる交渉の力量はすごいな。
やはり山形で優勢だったし、関ヶ原敗報後の撤退も見事だったから義光も誉めてるし、家康も会談では天晴れだと誉めてる。
松川では本庄が伊達を撃退し、直江に先駆けて家康への使者として、
伊達からの勝利の戦果をもって家康との和睦交渉に臨んでる。
やはり直江はデキる男だと思われる。
- 132 :
- >>131
> まー卑屈にならず上杉の体面を守り堂々と終戦工作
えええええ?
いや、そう思いたいのかもしれないが…。
- 133 :
- そうだな直江のおかげでゼロのところが30万石という大身で残ったんだもんな
- 134 :
- 今放送中だが、謙信死ぬのは残念だが、兼続の弟が仕官しだしたが、実績ってどんなもん?いつ死んだ?
- 135 :
- >>134
実績は結構ある。
後年兼続と大喧嘩して敵対する
死ぬまで顔合わせなかった。
- 136 :
- >>131
>松川では本庄が伊達を撃退し、直江に先駆けて家康への使者として、
伊達からの勝利の戦果をもって家康との和睦交渉に臨んでる。
新潟県の郷土作家の小説の咄をここでされてもな。坂口安吾なみの馬鹿だなw
- 137 :
- >>136
相変わらず伊達厨はアホだなw
- 138 :
- 与七は景勝からの評価は低かったんだよな。
「直江の弟だけど、見かけがわるい」なんて言われてるくらいだから。
- 139 :
- >>134
上杉家では兼続に次ぐ2万1千石の大身になるよ。
兄と対立して大変なことをしでかすけど。
- 140 :
- >>131
親友の承兌からの直江宛ての書状たったから、直江が書いただけだよ。
同じ日に、景勝は家康の使者に対して、上洛拒否の返答をしてるからどっちみち同じだと思うんだけどね。
直江と家康が対面したって史実なん?
本多佐渡との繋がりは関ケ原前からあったようだと、研究者も指摘してるから降伏交渉に大活躍したのは事実と思うが。
- 141 :
- 秀吉と直江も対面してるようだし、常識的に考えて対面してないと考えるのはムチャがあるだろ…
- 142 :
- ファンもアンチもすっかり大河版に移住して閑古鳥だね、ここ
戦国版らしく盛り上がろうよ
- 143 :
- >>142
その大河の出来があまりにもヒドいからね・・・・
史実云々以前の問題
- 144 :
- 乱立しすぎて忘れ去られてるじゃないかに
- 145 :
- マッタリできるからいんでないのかに
- 146 :
- コイツの逸話って、嫌な話ばっかり。
他人に対して素直に敬意を表すということが出来ず、逆に嫌味を言って回って得意になっている。
底意地が悪いだけなのに、トンチを利かせたつもりで好い気になっている救い難い愚か者。
自尊心の保ち方が歪。
直江って、実は名古屋人だろ。
- 147 :
- 大河より無双直江のが魅力あるな
- 148 :
- 戦国ファンの期待すべて裏切ってくれるのな。
良いところみなスルー
魚津での玉砕では柴田さすが上杉とかってとこまでやれよ。
あと景勝が佐竹に送った手紙ぐらい紹介しろや。
あだち充のラブコメとかわらんじゃないか。
2008.10.16 上杉景勝、佐竹義重への書状・いい話
上杉景勝
47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 18:24:08 ID:x1hhTK1R
有名だと思うが若き景勝が佐竹義重に送った手紙。
「こちらのことは心配いりません。
私は良い時代に生まれました。
もはや武田は滅び、私は越後一国で日本60余州と戦います。
もし生き残ることができれば古今無双の英雄となるでしょうし、
死んでも歴史に長く名を残すでしょう。
まこと武門の家に生まれた者として果報なことです」
- 149 :
- >>148
そういう絶望感が一切伝わってこなかったよな。
直江君は縁側で昼寝するくらい余裕しゃくしゃくだし
- 150 :
- 景勝の手紙は、景勝の良い主君ぶりがわかるものなのに、
壮絶にスルー
- 151 :
- 女の子ファンだってもちっとカッコイイとこみたいんじゃない?
時よりお船とラブラブすりゃーその部分も生きようが
すっと変なフェロモンと鼻水と涙だしっぱなしじゃ蒸せるよ
脚本て女の人だっけ?
松と利家
功名が辻
み〜〜〜んな 同じ雰囲気
- 152 :
- としまつ、功名の方がまだ楽しめたかなぁ…。
天地人はなんて言うか、本当に学生が作ったみたいなさ…。
NHKがどっか悪ノリする映像制作会社に制作頼んだように思えてならんー
- 153 :
- 秀吉初登場の時にはどれほどの視聴者が
天下とる前に死んじゃってるだろっ!!
ってつっこんだのだろうか・・・
- 154 :
- つまらん、本当につまらん
- 155 :
- >>131
直江状での有名な一節に「景勝罷り違い候か、内府様御表裏か世上の沙汰次第に候」というのがある。
直江は「世上の沙汰(今でいう解散総選挙)」で政権を決めようじゃないか」という極めて先見的なことを言っている。
上杉は敗軍(下野)し、政権を失った(五大老からの排除)ということ。
新しい政権(徳川幕府)が決まれば従うのが当然と考えたんだろう。アメリカで民主主義が出来る200年も前にこういうことを言える直江はやはり凄い見識を持っていると思う。
- 156 :
- 真田昌幸もあれではねーまだ丹波哲郎の方が昌幸らしいと思ったよー信玄に我が目とまで言われた男なのにあの演出では馬鹿にしてるよー
- 157 :
-
この大河間違っとるわ
たいした戦績も功績も無い直江を持ち上げるために
実際に功績戦績のあった武将を貶めたりバカ扱い
血税のような視聴料つぎ込んでやっちゃあいかんよ
- 158 :
- 真田っていまでこそ人気あるが幸村のおかげかな。
当時の人にはこうみえていたのではないだろうか。
自民と民主党うろうろする腐女議員。 あれだな非常に見苦しい。
- 159 :
- むしろ綺麗な小沢って感じじゃね?
国を売るためにフラフラするのと
国を守るためにフラフラするのかの違い
- 160 :
- 小沢は有能な売国奴だけど直江は無能な愛国者なんだと思う。
結果は一緒
- 161 :
-
郵政選挙の時は外資から5000億円の資金がマスコミに流れたという事ですが、今度の選挙ではマスコミはどう動くのだろうか?
もはや小泉改革で勝利した時の再現は無理であり、自公政権は野党になる可能性がある。そうなれば郵政民営化問題は見直しが進むかもしれない。
そうなれば竹中平蔵は「国策捜査」によって起訴されて、国会にも証人喚問で呼び出されるだろう。だから最近は元気がないようだ。
小泉元首相は、ディビッド・ロックRーから目をかけられ、
小泉元首相の腰巾着・竹中平蔵元総務相は、ディビッド・ロックRー直系の
手下であるグレン・ハーバート(元大統領経済諮問委員会=CEA委員長)の直弟子として、
師匠が推進していた「市場原理主義」のグローバル展開の一環を担わされた。
アメリカの下請け機関としての小泉政権は、不良債権の最終処理と、
米国ハゲタカファンドによる不動産投資の推進、日本版金融ビックバンの総仕上げとしてのペイオフ、
そしてディビッド・ロックRーに奉仕する「郵政民営化」の強行による
「郵便局保有の資産350兆円」の市場への開放を成し遂げたのであった。
アメリカは小泉純一郎、竹中平蔵、宮内義彦の売国トリオ≠使って、郵政民営化を実現せしめた。
竹中は、今でも「郵政は米国債を買うべきだ」とのプロパガンダを続けている。アメリカの意を受けた
小泉・竹中は、民営化された日本郵政株式会社を運営していくために、「毒を喰わらば皿まで」の精神で、
ダーティー度ナンバーワンの西川善文に白羽の矢を立て、2006年1月23日、晴れて日本郵政の初代
社長に就任した
- 162 :
- 昨日の福島役に、知事の息子だったのでワロタw似合わねーよな 後に三成に罵声浴びせる場面あるんだろうがw
- 163 :
- 春の花なら桜田門
- 164 :
- 日本七槍と称された武人
直江山城
小野和泉
後藤又兵衛
本多平八郎
島津家久
飯田覚兵衛
吉川蔵人
- 165 :
- 誰がそんな七槍決めたんだよww
- 166 :
- 秀吉
- 167 :
- 日本槍七本だな。
直江の戦場でのやり働きは伝わってないが、
大柄だったようだし、強かったのかもしれんな。
- 168 :
- 最前線にはでないだろ
- 169 :
- 武家の人間だから前線には出なくても
武芸ぐらいは訓練してるだろ。
- 170 :
- 剣豪だって戦場では戦ってないやつが多いからな。槍を取って勝負したら強いのかも
という話だ。最前線に出ないだろというと、吉川とか島津といった大名一門もあやし
いし、本多だって譜代重臣であって、兵卒からの叩き上げではないから最前線で兵を
引っ張って斬りまくってたわけではないだろう。
- 171 :
- やっぱり弓が役立ったみたいだね。
ランボーも常用してたしw
- 172 :
- 宰相の力量にして七本槍の武と和漢に通ずる文が直江山城
- 173 :
- まあ間違っちゃいない
- 174 :
- 今川流剣術の祖にして当代一流の風流人だった氏真公に通じるものがあるな
- 175 :
- 直江の武勇話なんてどこにも無い
文だけで武は全くダメポの人
- 176 :
- 武勇話がないのは前線に出てないからってだけだろ。
武の面が全く駄目というのは根拠がない。
- 177 :
- >>174
お家を大衰退させるあたりも氏真公と通じるよな
- 178 :
- 直江ってこいつナルシストだな
「花に背いて」ってまじキモい
武将でも文学の創作できる奴は居るけど、大抵ナルシズムでなくダンディズムを作品にするものだ。
- 179 :
- 歌人なんて昔からナルシストだろ。
近世文芸史研究家の松下英麿は、藤原せいかが挙げた直江、
上杉謙信、小早川隆景、高坂昌信、赤松広通の五人の中で
も、直江が最も文学的才能があったと評価してるがな。
- 180 :
- 武功はあるよ。
古い戦国物本を見ていたら、謙信公晩年期より大事な役務を任されていたり、「智将にして兵(つわもの)」という記述もあった。
- 181 :
- >>180
謙信晩年から活躍だなんて書いてる本は信用できないよ。
- 182 :
- でも直江って主家を大減封に導いておいて
しゃあしゃあと自己陶酔の詩を書いていたんだから
ふてえ野郎だな
- 183 :
- >>178
ダンディズムあふれる漢詩をひとつ紹介してくり
- 184 :
- >>183
報いを待てや羽柴筑前
- 185 :
- >>182
だから総スカン喰らって直江家断絶しちゃったのかな
主家再興にかける志しとかを詩にしておけば共感が得られたかも
- 186 :
- >>185
直江状を書いたから上杉家が徳川に敵対したわけでもないし、総スカン食らって
もいない。直江死後は部下の志駄(モミアゲの人)が上杉家執事として絶大な権
力は握ってる。定勝の代にお船が特別待遇を受けても養子をとるなどしてないこ
とからも、通説通り夫婦に断絶の意志があったと見るべき。
- 187 :
- 江戸時代の古い戦国もの本なんか
直江兼続が第四次川中島で大活躍(当時一歳)なんて
普通にあるからなwww
- 188 :
- 恐ろしい赤子だ
- 189 :
- >>187
単純に直江景綱を有名な兼続に取り違えてるだけの気も
- 190 :
- >>178 つうかさ
「花に背いて帰る」なんて自分で言うなよ、って感じはするわな
後世の人がそう形容してくれるならいいんだけどさ
- 191 :
- >>186
直江状の一事だけでないにしろ、直江は筆頭家老だったのだから
徳川との対立に至ったそれまでの政策に責任がある
それから志駄は政権の中枢を遠ざけられているぞ
夫婦に断絶の意志があった、何故か?
総スカンかどうかは?だが、直江への反対派が多かったといことだろうな
実際直江は晩年には失脚してたようだ
- 192 :
- 政権から遠ざけられたのは志駄の息子の方。
志駄父は長かった。遠ざけられたとすれば甘粕の一件だが死ぬまでやったはず。
それに直江が亡くなったとき奉行だったのは平林。
直江は亡くなる年、景勝と京に上ってるし、法令発布したりしてる。
- 193 :
- 最初、家康は景勝に対して、異心なくば急ぎ上洛するように、と求めてきた。
それに対して兼続は、
”これに応じれば、内府の罠(わな)に掛けられる”と案じて反対した。
前田利長は家康暗殺計画を教唆したとして、母を人質に取られている。こちらもこれに応じれば、家康への降伏に成りかねず、今回は病と称して返書して引き延ばした。
家康もそれぐらい読めるので、最終通告に及び、この口実は兼続の策と巡らせ、兼続と親しい京都相国寺の僧・承兌(しょうたい)に命じ、今度は兼続宛に書状を出させた。四月十三日に届く―
(内容)
早く景勝を上洛させるように。
(理由)
異心ありの疑いある為。詳細略
―翌十四日付けで、承兌宛に返書を出す〔直江状〕。
家康は この返事を待たず、四月二十七日に会津攻略を決意し、伏見城の留守を託した。五月三日に直江状を見て、諸大名に会津出征を命じた。家康のこの一連の動きに、五大老を初め、諸大名らは理不尽とみて、何度かいさめたが、家康は聞かなかった…。
以上の事を持って、
「兼続の罪、少なし」と断ずる。
- 194 :
- >>190
花が何を指すのか勘違いしてるんじゃないか?
>>191
晩年失脚とか書いてる本は関ヶ原まではよかったけど、
そのあとが無理矢理すぎ。
- 195 :
- >>190
春雁似吾々似雁
洛陽城裏背花帰
(春雁吾に似て吾雁に似たり
洛陽城裏花に背きて帰る)という漢詩だぞ。
華やかな都に背を向け渡り鳥のように北に帰ると歌った詩。
古今多くの有名人が詩や歌を残してるし、
その表現の特徴として気障になるのはやむを得ない。
だから下手だと恥ずかしいがこれは上手いのでおk
- 196 :
- >>193
直江の失策は直江状だけじゃないでしょ
豊臣家の奉行もやっていたり
三成その他の反徳川の連中と偏った交友をしたり
最上や伊達、堀ら周辺諸国と仲悪くなることをしている
家老として間違った行為だ
懲罰としてお家断絶は当然だよ
- 197 :
- >>186
絶大な権力があったから何だっての?
大した仕事をしないのに絶大な権力があった奴=直江が居たために上杉は衰退したんじゃね?
権力の理由も主君とのホモ関係が原因としか考えられないしな
- 198 :
- 愛の前立てってさ、兼続が養子に入る前から直江家にあったんじゃないの?
実綱とか景綱被ってたと思うんだけど。
- 199 :
- >>196
・豊臣家の奉行をやってるという意味不明な説の根拠を出したやつを
見たことがない。佐渡支配のことを指してるのか?
・「三成その他の反徳川の偏った連中と〜」ってのは当時の中央政権と
大名の関係を知らなすぎ。三成は上杉家の取次で深い交流があるのは
当然。家康家臣では榊原と特に交流があった。しかし榊原は上杉謀反
の噂が立ったときも釈明に協力せず、取次としての役割を果たしてな
いーと直江状で批判されてる。
・最上や伊達、堀と仲悪くなるような〜ってのもよくわからん。
伊達の小田原参陣には上杉も尽力してるし、会津移封の際の
年貢問題も堀のミス、会津移封の際にちょっかい出してきた
伊達
>>197
・最初から東軍が勝つと決まっていた徳川史観に毒され過ぎ。
・ホモと衆道の違いが分かってないのは笑止
- 200 :
- >>194
「花」を直江、「そむいて帰る」を徳川と見ているのかもなw
- 201 :
- 山形の土民達は大きいこと言えん
みな早々と降参してるじゃないか
そうおまいらのご先祖様達だよ
長谷堂と上山に山形の土勇民だけ除いて
- 202 :
- 注目リリース:青島文化教材社、フィギュア「花の慶次 −雲のかなたに− より 直江兼続」発売
http://news.imagista.com/animation/
- 203 :
- >196
まだ秀吉存命中で、秀吉配下の時に、秀吉方と仲良くして何が悪いの?
アンチスレ立てて、そちらへ行った方がよろしくないですか。
- 204 :
- >>203
当然悪いんじゃないか。豊臣が傾いている。徳川に期待が集まっている。これが読めなかったわけだから
- 205 :
- 徳川に期待なんか集まってたか?
司馬遼太郎の小説じゃあるまいし。
- 206 :
- >>205
集まってなかったとでも思ってるのか?
それこそ司馬遼太郎の小説じゃあるまいし。
- 207 :
- それこそ徳川史観でもあるまいし
- 208 :
- 秀吉存命中からすでに豊臣が傾いてて、家康に期待が集まってたって?
もうめちゃくちゃだな!
関ヶ原でさえ家康は秀頼様の御為、豊臣家のためを口実にしなきゃ武断派を従えられなかったくらいなのに。
- 209 :
- >>206
関連論文や文書も読んだことないのかw
- 210 :
- 北政所が「天下を淀に渡すくらいなら家康に渡したほうがいい」と
言う立場だったと信じてるんだろう。
武光誠の関ヶ原本みたいに「世論は悪行三昧の秀吉政権から離れて、泰平の世を築こう
としていた家康に集まったのに、天下国家のことを考えられないバカな上杉と毛利が戦
を起こした。最初から家康が勝つに決まってたんだ」という考えなんだな。
- 211 :
- 西軍総大将の毛利とその一家の吉川&小早川が腰砕けで足を引っ張らなかったら勝てた可能性が高いわけだが。
つか250年早く毛利幕府ができてた可能性すらあったのにw
朝鮮で小早川隆景の教えを受けた小早川秀包と立花宗茂が不憫でならない。
- 212 :
- 現実は御覧の通りヘタレ毛利は徳川に懐柔されて乙な訳で
- 213 :
- むしろ毛利を調略した黒田長政を褒めるべきなんだろうな。
内応の約束が無かったら家康もあんな陣敷かないだろうし。
- 214 :
- http://blog.4071.net/?eid=796913
こんなのありました。直江の農業政策。
- 215 :
- すごい!
慶次のお孫さん生きてた!
- 216 :
- >215
訂正
×お孫さん
○子孫
>214
情報ありがとう
- 217 :
- >215
訂正
×生きてた
○子孫の人が、明治の女流有名作家として生きてた
- 218 :
- 「田澤家遺書代々ヲ記ス」
米沢でお家騒動があり、慶次の子為義、為清、為里の三人は
庄内田澤へ亡命。姓を田澤とし、次男為清が医者となって庄
内藩士田澤家の祖となった。
「庄内藩ならびに諸家系図」
寛永三 十二月十六日 前田慶治
兄行蔵 十七石の処十六石二人フチ
慶治ニ下サル
先祖は前田慶次利大とて前田利家叔父。故有庄内に没落。丸岡村に居住。
鑓指南をなし郷士をもって終わる
「田澤家位牌」
天徳院殿利大義勇大居士
名前が「為」だったりと、つながりは微妙だと思うが。
- 219 :
- 次男 為清→田沢稲舟(明治の女流作家)
…ただし微妙、
っていう感じですかね。
- 220 :
- 為を通字で使ってるのが前田家と合わないし、院号が贈られてるのも
ホントか?という気が。利大というのも実際に使った名前かは怪しい。
本来は利益で太、大は当て字かも。ただ、米沢時代は「利貞」を使っ
てることが本人自筆和歌でわかる。
位牌は前田慶次が先祖だと信じた子孫が後世つけたものかも。
ちなみに天徳院というのは加賀藩三代利常の正室珠姫と同じ。
- 221 :
- おれんちは米沢藩。
家系図だましとられたと聞く
借金の形に取られるとか大金で買うとか良くあったのだよ。
よってそれを証明するものはお墓だけ
百姓なら百姓の誇りもちやがれ
しかしまぁ、いけしゃしゃあと自分の先祖にできるもんだよね。
- 222 :
- >221
米沢藩乙
- 223 :
- >221
家の親戚に戦国時代の地侍がいるけど、甲冑なんかは大切に取ってあるって。
家系図を取られたって、武士の魂までは取られないし、金で買った家系図で、武士の子孫を名乗っても、武士たる魂がなければ武士になれる訳じゃなし。
そう思いますよ。
- 224 :
- >>214
「秀吉は新しい検地の単位を定めます。
一反歩が360坪から300坪に、一坪が6尺5寸平方から6尺平方に。
この時の単位を、今も私たちは使っているんですね。凄い。
単位が小さくなったため、同じ土地なのに広くなったことになり
年貢の負担が重くなるため、全国各地で一揆がおきます。」
初めて知りました。
- 225 :
- >>213
おかげで親父から嫌み三昧w
でも実際の如水の行動も国東半島を迷走してただけなんだよな。如水が派遣した別動隊が大友再興軍を破ったけど。
大友再興軍も宗麟が運を開いた故地だからと言う理由だけで上陸地点を選んだバカっぷりだけど。
関ヶ原西軍敗報が九州に届いてから城主の降伏が相次いだので形だけの如水の破竹の進撃が開始されただけ。
- 226 :
- アホな意地とか義理で宣戦布告して、結局みじめなその後。
巻き込まれた家臣は本音はいい迷惑だったろうな。
義理じゃ飯は食えないべ
- 227 :
- >>226
だって堀から一揆扇動のこと家康に通報されて、戦わなきゃジエンドだったからな。
- 228 :
- その堀を怒らせたのは
直江が堀の年貢米を泥棒したから
その点でも家臣は大迷惑
まあ直江家の断絶は当然でしょ
- 229 :
- >>228
ただ、蒲生もその年の年貢を持っていったという話を考慮すると、
堀も間抜けといえば間抜けなんだよね。
でも、そもそもこの一連の年貢騒動ってどの程度信憑性のある話なんだろう。
原文の史料や当時の書状が引用されたり、有力者の裁定が行われたという
ようなのを寡聞にしてまだ見知っていないんだよね。
- 230 :
- 米に関して豊臣政権は蒲生も上杉も罰してないでそ
むしろ堀が世間知らず
- 231 :
- あの件は年貢横領以上に、その年貢の穴埋めをするためにした借米の借用書を、
兼続がいつの間にやら手に入れて、それを使って陰に陽に堀家に嫌がらせをしたことが大きい。
兼続は借金取りとして経済的な圧迫と、一揆扇動の治安上の脅威の二段構えで堀家に圧力をかけていた。
- 232 :
- 会津陣物語あたりの記事だから信憑性ないと思うでそ
- 233 :
- そんな話、聞いた事ないなぁ
- 234 :
- 年貢の話をすれば持ち出しが本当かは疑問だが、そのとおりなら
蒲生も半分持ち出したわけで、「堀の失態」といわれても仕方ない。
ストーリー的にはのちに堀が讒言する遠因になるんだろうが、これ
ではただの逆恨み。では堀の旧領に入った青木がもうけたという話
も聞かないし、公儀の裁定も聞かない。実際には武士層以外も多く
会津へ連れていかれたことが逸話のもとになってる気がする。
- 235 :
- 秀吉の天下統一以前
伊達政宗(米沢・仙台・会津の最高150万石)
後北条氏(関東全土で最高250万石)
上杉謙信(越後、関東・上野東半分、越中・能登・加賀、最高200万石)
武田氏(甲斐・信濃・駿河・上野の全域、遠江の半分、三河・美濃・飛騨・越中の一部、最高200万石)
今川義元(駿河・遠江・三河の全域、100万石)
徳川家康(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃、150万石)
織田信長(日本のほぼ半分)
三好長慶(四国東部と摂津・大和など、100万石)
尼子晴久(山陰8ヶ国で100万石)
毛利氏(中国全域で200万石)
大内氏・陶氏(中国・北九州で100万石)
長宗我部氏(四国全域で100万石)
大友氏(北九州で100万石)
龍造寺氏(北九州西部で100万石)
島津氏(九州大半で200万石)
豊臣政権下
豊臣直轄領(200万石。鉱山など経済利権は除く)
豊臣秀長(大和郡山100万石。跡継ぎがなく死後改易)
徳川家康(関東250万石)
毛利輝元(中国西部120万石。一族あわせて200万石)
上杉景勝(米沢・会津120万石。佐渡・会津の金山支配を許され実質200万石)
丹羽長秀(越前・加賀120万石。息子の代に10万石台に減封)
織田信雄(伊勢・伊賀・尾張・美濃にまたがり100万石。小牧・長久手の戦役で降伏し減封)
蒲生氏郷(会津92万石を与えられ都合100万石。息子の代に宇都宮12万石に減封)
- 236 :
- 上杉景勝(米沢・会津120万石。佐渡・会津の金山支配を許され実質200万石)
>>>>>>>>>>
ウソだけどな。新井白石の捏造。
同時代史料では、91万石。。。。。。。。。。。
- 237 :
- 184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 01:55:12 ID:duQ7Lxay
581 :人間七七四年 :2009/08/27(木) 19:53:26 (p)ID:cNsOW0C6(2)
社史を捏造する松坂屋、キチガイだな。
武功夜話、松坂屋社史、・・・・・・・・・
尾張名古屋の偽書群。
582 :人間七七四年 :2009/08/27(木) 19:55:24 (p)ID:cNsOW0C6(2)
伊藤という苗字の武士は、まったく出てこないな。
信長公記、大久保の三河物語、松平家忠日記、、、、、、、
いずれも記載なし。。。。。。。。。。。。。。
こいつも追加で。いつもの奴かどうかは知らんが。
ちょっと前に、今川関連スレで暴れてた奴と同一人物かと。
なんか、この板も最近は変な(というか頭のおかしい)奴が多くなったな
- 238 :
- そいつはサブだろ
- 239 :
- 大河は、追撃しないのを、景勝に責任丸投げ・・・?
- 240 :
- 意見の具申がどうだったかは知らんが、責任の所在はそうだろ。
決断は景勝がするんだから。
- 241 :
- いや、なら直江状とやらも、景勝の意思であって・・・・
- 242 :
- 現実問題として、背後に最上、伊達がいる状態で
はるか先の家康を追撃なんてできんと思うがねえ。
八月に入っても、直江は家康が小山から反転したのを知らなかったみたいだし。
- 243 :
- 現実で考えると、その通りだけどね。
いや、大河では、追撃の約束しておきながら、しなかったのは景勝の責任、みたいだからさw
- 244 :
- まあ三成と共謀しておきながら景勝を動かせなかったのは兼続の不手際だろうな。
三成が(おそらく)秀頼動かせなかったのに比べりゃたいした問題では無いが。
- 245 :
- 三成の挙兵時はともかく、それ以後の動性は、家康はほぼ正確に把握している。
それに比べて兼続も三成も、家康の動向すらまともに把握できていなかった。
- 246 :
- 三成にとって多いなる誤算は「内府違いの条」出しても、
豊臣恩顧の武将たちが動揺しなかったことだじゃないかなあ。
それだけ現実路線の武将たちが多かったことだろうと思うけど。
家康も先発の豊臣系武将たちの活躍ぶりをみて
勝利を確信して江戸を離れたみたいだし。
このドラマじゃ、かねたんとみつにゃんの友情物語しか描かれそうないけど。
三成と兼続の共謀説は、史実としては否定されてるし、
家康追撃うんぬんも、兼続をお家を危うくした奸臣、
景勝はそれを退けた偉い殿さまとして描くための創作だって、研究者も断言してるのに。
しかし、それで景勝は無能だ、馬鹿だって言ってるやつもいるから、
景勝も気の毒なことではあるね。
- 247 :
- >>246
加藤、福島とか利家死後に家康についた豊臣武将がどんな事を考えて家康についたかを描けば
自然とそうじゃない武将たちの考えや行動も引き立ってくる気がするけど…このドラマでは無理
景勝の追撃拒否もそうだけど、採用される逸話・エピソードが昭和頃の解釈ばっかりだよね
若い役者と妙な演出でごまかされてるけど、歴史が好きでいつもチェックしてるような人ならとても書けない古い内容
- 248 :
- 武闘派の考えどころか、三成襲撃で福島ヨシズミが
10秒ほど怒鳴っただけだし。
その後ろからちょっと顔出していたのが思えば加藤かもしれないという
そんなドラマ。
- 249 :
- しかし、堀、伊達、最上。
それらをけん制しつつに結城の率いる三万余りを撃破して
徳川を追撃するのはとても困難だと思われるが。
- 250 :
- ついでに言えば上杉の遠征能力は劣弱。
混乱に紛れで協力者のいる越後や飛び地との間を掠めるくらいがせいぜい。
- 251 :
- 遠征能力が劣弱というのは根拠があるのか?
何度も関東に遠征した謙信時代と景勝時代は家中の組織が全く違うし、
単独での遠征経験はないから「劣弱」の烙印を押すことはでいないのでは?
- 252 :
- >>251
上杉家は朝鮮陣のとき、名護屋に参陣した程度で、糧秣輸送の停滞から兵糧不足に陥り、
豊臣政権から兵糧米5千石を借り受ける羽目になってる。
戦地ではない国内輸送ですらこれなんだから、戦場での兵站能力はたかが知れている。
- 253 :
- 五千石も?
石田から五百石借りたのは知ってるけど。
つか上杉は豊臣方の兵糧として三千石を運んだんじゃねえのか?
- 254 :
- >>249
上杉方の総兵力が多くても5万弱だっけ?
伊達と最上と堀で3万、結城が3万だったら
南進なんてどうやっても無理じゃんw
- 255 :
- >>254
どう考えてもそんなに多く動員できるわけないんだが・・・
塚秀康は一万七千じゃなかったか
- 256 :
- 蒲生、水谷、大田原、大関など
秀康の配下にも何人かの大名がいたから。
- 257 :
- 宣伝するならちゃんと宣伝してやれよw 317頁で関ヶ原が分かったようになる魔法本w
この本は史料や先行研究も引用していて、一般の歴史研究の論文の形式。ムック本とか
直江の便乗本でPHP文庫などから出てるのとはわけが違う。
- 258 :
- 260 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 18:22:50 ID:RYHHvBqC
>>257
兼続自体非常に資料が少なくて人物像が不明な点が多い
兼続、三成に密約がなかったと主張するならばその資料あるいは
主張している学者の名前を挙げないと説得力のあるものにならないねw
会津国替えの時に三成もそれなりに尽力してるみたいだし
同い年の二人にそれなりの関係があっても不自然じゃないな
266 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 19:52:57 ID:CfkEV9Eu
>>260
最近読んだ本ではNHKブックスの光成準治『関ヶ原前夜』とかかな。
うろ覚えだけど、根拠としては、
軍記類で密約の証拠とされていた直江宛ての三成書状は偽文書だと思われること。
また四月に会津入りした詰問使たちに対して、一旦は上洛を承知したと思われることかな。
あと山形とか新潟の上杉研究者も密約には否定的だと思うから、彼等の論考とか読むといいかも。
三成と上杉家の緊密な関係は事実だが、
密約は研究者レベルでは否定的ではないのかな。
家康が会津討伐に出発した後、三成に動きがあるらしいことは
上杉は噂で知ってた可能性はある。
269 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 20:32:25 ID:CO/NWbZA
>>266
「かねがねの調略」という文言と家康が出陣したことを「天の与へと祝着せしめ候」
って書いてる書状だな。ただ、三成の真田宛の書状にも「天の与ふる儀に候」、昌幸
宛の別の書状にも「誠に天の与へに候」と似た文言があるから、偽書と断言してしま
っていいのかは疑問だな。6月の書状なので、謀反の疑惑をかけられてからの可能性
もあるけど。
そういう政治的駆け引きを描かずに関ヶ原をやろうという大胆不敵さったらないな・・・。
- 259 :
- 274 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:09:40 ID:EYj7mvrH
密約のネックは毛利に対してさえろくに話付けてなさそうなとこ、戦端開く前に挙兵など結構あるな。
最悪上杉石田佐竹であとは運任せというのは無い。
上杉無しには石田のその後の作戦が成り立たないから急だけどやっちゃったとか
誰かエライ人に言われてやっちゃったというほうがマシかな。
276 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:19:00 ID:NbE1n1b+
>>274
そんだけギリギリまで引っ張らないと家康にばれちゃうんじゃない?
そういう意味でも事前謀議ではなく、上杉家が謀反の疑いをかけられて「こりゃいかん」となって
から、三成をそそのかしたってのもありえる。
277 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:19:04 ID:KhhHtKbP
>>266
今年の6月に発刊されたばかりの書籍w
著者の個人的な見解を示しているにすぎない
で著者の略歴は?
研究者や学会レベルでジェネラルアグリーメントを得ているのかな?w
278 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:26:52 ID:KhhHtKbP
自分で調べてみた
1963年生まれの割りに大した職についてないのはどうしてかな?w
280 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:28:39 ID:NbE1n1b+
>>277
>>266じゃないが、中世・近世移行期の研究が専門の大学の非常勤講師みたいね。
校倉書房から本も出してるし、日本歴史、史学研究などにも論文を書いてる普通に
歴史の研究者。著者の個人的な見解というけど、研究者の本はみんなそう。
光成氏に限らず、東西挟撃は何十年も前から研究者の間では否定的。
281 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:34:04 ID:KhhHtKbP
>>280
いや研究者の間では肯定的な論文が優勢だw
282 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:38:31 ID:NbE1n1b+
大胆な嘘をついたな。
283 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:40:55 ID:KhhHtKbP
お前がな
じゃあ論文を挙げてみなw
- 260 :
- 285 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:41:53 ID:KhhHtKbP
それと一次資料
287 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:46:52 ID:NbE1n1b+
http://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1233506283/l50
大河板だからな。あまりしつこくするならこっちで。
確証となる一次史料がないから東西挟撃説は否定されてるのでは?
288 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 21:51:28 ID:KhhHtKbP
内容(「BOOK」データベースより)
彼らは、なんのために戦ったのか。太閤秀吉という支柱を失った後、関ヶ原に至るまで、豊臣政権内部で何が起こっていたのか。石田三成ら奉行衆の陰に隠れ、
その行動が明らかにされてこなかった毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、島津義弘ら西軍の外様大名に光をあてることにより、武功派対吏僚派、徳川派対
反徳川派などの単純な二項対立論に陥ることなく、軍記に彩られた数々の通説を打破し、ドラマでは描けない関ヶ原前夜の政治情勢・権力闘争の実態に迫る。
若手研究者による緻密な意欲作。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
光成 準治
1963年生まれ。2006年、九州大学大学院比較社会文化学府博士課程修了。同年、博士(比較社会文化)学位取得(九州大学)。現在、鈴峯女子短期大学非常勤講師。
専攻は日本中・近世移行期史、空間構造史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
宣伝するならちゃんと宣伝してやれよw 317頁で関ヶ原が分かったようになる魔法本w
290 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 22:04:27 ID:KhhHtKbP
悪いけど読む気にならないな
意欲作らしいけど
大学院終了の年齢
なんとか短大非常勤講師
291 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 22:07:01 ID:KhhHtKbP
終了→修了
関ヶ原関連本は一流学者の著書がくさるほどあるしw
292 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 22:14:42 ID:NbE1n1b+
東西挟撃の事前謀議があったことを肯定している一流学者は?
293 :日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 22:15:53 ID:KhhHtKbP
否定している一次資料は?
- 261 :
- 存在したとする一次史料がないのに否定している史料を出せというのは
順序が逆では。
- 262 :
- そもそもID:KhhHtKbP は一次資料の意味を分かってないんじゃなかろうか
- 263 :
- 大河板でしつこいから移動したが、結局むこうでだだをこねて、意味不明な発言を
連発している。
- 264 :
- 博士号取るのにどんだけ苦労がいると思うんだ。あの年齢で非常勤講師でも問題ない。
- 265 :
- 逆に教授になってもあまり論文や本を書かない人もいるからな。
- 266 :
- 映画「憑神」の妻夫木の方が男らしいし、義に厚い
- 267 :
- ↑Googleのせいか?この10年で乗っかり社会になったのか?良く言や芋づる式に情報入り合理的だが見てないが続けて時代劇かと…テレビ欄みたら妻夫木、1ヶ月前小栗旬のオールナイト日本にもゲストで出てたはず
- 268 :
- 大河特需わかるが!いっそ上杉屋敷の神棚?に(ハウスの)メガシャキ3ケース位積んどけよ
- 269 :
- なんか他板の本スレがアンチ化してて驚いた
大河天地人では、兼続を嫌な人に描いてるから
そういう意味では、あの時代と今の時代って同じなんだ
- 270 :
- 兼続のことが問題なのじゃなく大河の作り手側(脚本とか演出)に対する不満だろ。
役者に対する文句もこの手のスレでは極めて少なすぎでしょ。それは役者なんたらのレベルじゃないからw
どっちにしてもこの大河に対するあまりにも酷いつくりに親兼続派もアンチ兼続派も思いは同じ
論争がかみ合わないというか話してる内に糞大河で意見一致w
兼続は正義の味方で描かれようが大偽善者に描かれようがもはや問題にならない。
ただの戦国風糞メロドラマ
戦国ヲタ最高の盛り上がりエピソードことごとく総スルー(誰しも期待してたシーン)とか
戦国ファン VS NHKの視聴率バカ
- 271 :
- う〜ん…
一般人がこのドラマ見て、どんどん兼続の評判が下がってる件
- 272 :
- 今はネットですぐに本物の直江のこととか調べられるからなぁ
変に美化しても逆効果になるし、それで本来の魅力も無視されるかも
- 273 :
- 春頃から初夏にかけて、「悪名は無名に勝る」とお経のように唱えて、
心の平静を保とうとしていた自分。あんま効果なかったけど。
でも、こんだけ誰でも知ってはいるキャッチーな題材になれば、
本とか資料とか、まあ映像作品も色々世に出やすくなるんじゃないかとは思うんだ orz
そんで100あるうちの1つか2つは、良いものだったらいいなあ。
いつかはいろんな角度で見てもらえる日も来るだろ…。
- 274 :
- せまてツボだけはおさえていればこんな酷くななかっただろ。
作り手の浅はかな脳みそが考えた視聴者のツボがみんなめそめそ泣くところだけなんだもん
- 275 :
- 兼続自ら葦名氏の家臣に宛てた密書が出てきたな
- 276 :
- もともと覚上公御書集にあったやつだな。
- 277 :
-
會田康範「石田・上杉共謀説について」(『戦国史研究』23号、1992年2月29日発行)
- 278 :
- メガシャキ飲んでみた あんま美味しくなかった
- 279 :
- >>275
取次同士の情報交換は当たり前だから、そんなに密書って感じもないんだけどな。
なんで切り刻んでたんだろう。
「信濃に出陣するからあとはよろしく」ってのは明らかに「信濃出陣中に変な動き
するんじゃねえぞ」ってことだろうけど。
- 280 :
- 本当に密書を廃棄するなら燃やすもんじゃねーの?
- 281 :
- その密書は覚上公御書集に記載されているものだから、
上杉家が写しを所有していたか、
当時の所有者から見せてもらえる環境にあったことになるよね。
本当に密書なのかどうか疑わしいと思う。
普通の書状じゃないのかな。
- 282 :
- 花ヶ前編『直江兼続の新研究』はなかなか良いですね。
- 283 :
- >>282
各章ごとの書評を願えませんかな?
- 284 :
- >>283
「直江兼続と越後時代」 (はながさき)・・・お前の神社の歴史いらね
「慶長出羽合戦」(片桐)・・・最上好きなのはよくわかったから
- 285 :
- ttp://www.47news.jp/CN/200910/CN2009102401000420.html
直江兼続は天皇の倍額を寄付 北野天満宮の屋根修理で
安土桃山時代から江戸時代初期の武将直江兼続(1560〜1619年)が、
学問の神様、菅原道真を祭った北野天満宮(京都市上京区)の屋根修理費として、
天皇の寄付額の倍に当たる米100石を寄付したことを示す古文書が同天満宮に残っていたことが24日、分かった。
記載された人の中では最高額で、鑑定した藤井譲治京都大教授(日本近世史)は
「学問に秀でた兼続が、天満宮を支援したのでは」と推測。兼続の“太っ腹”ぶりを示す史料として注目されそうだ。
古文書は1588(天正16)年の「北野檜皮葺奉加帳」で、北野天満宮が所蔵。
修理費用を負担した人の名前と金額が筆書きされ、最初のページには身分の高い7人が掲載されていた。
6人目に直江兼続を示す「越後 直江山城守殿」と書かれ、寄付額は「米百石」だった。
当時の換算では約20両で、黄金2枚分に相当。同じページには「位御所様 黄金壱枚」などの記載もあり、
後陽成天皇と、正親町天皇だった正親町院がそれぞれ黄金1枚を寄進したことを示している。
藤井教授によると、兼続は、生まれ故郷の越後国の一部が室町時代に
北野天満宮の領地だったため寄付したとも考えられるという。
また豊臣秀吉の妻ねねは「黄金壱枚 政所殿様」とあり、後陽成天皇や正親町院と同額だった。
ねねの次の行には「黄金弐枚 密々」と記され、
秀吉の名前を伏せて、黄金2枚の寄付額だけを記載した可能性があるという。
2009/10/24 17:25 【共同通信】
- 286 :
- 都の連中が黄金で寄進しているとこに米百石ってのがすがすがしいな。
あとは誰なんだろうか。
- 287 :
- 朝刊にも載るかなぁ
- 288 :
- 中身は
「黄金壱枚 政所殿様 孝蔵主
黄金弐枚 密々 紹巴取次 一書在之
位御所様
黄金壱枚 勧修寺様ヨリ
院御所
黄金壱枚 帥御局様ヨリ
黄金弐枚 去年 此内ニ連歌祈祷料
当年半分 銀弐枚残十八両也
八木百石 直江山城守殿
(不明) 」
最後の不明となってるのは、写真を見ると明らかに銀子弐枚
と書いてある。名前は2文字目が「田」か「里」っぽい。
最後は「州」か?「前田筑州」な気がする。写真があるのに
なぜ「不明」としたんだろうか
- 289 :
- 前田利家より先に名前が出る直江。
額の問題かな。
- 290 :
- > 916 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/24(土) 19:08:56 ID:fByHEoOL
> >>898
> 公式完結編発行されたぞ。
> 陪臣兼続が、なんと将軍御指南役に就任、義と愛を伝授して、めでた死めでた死。
>
> 脚本家の脳内で義と愛の完全勝利w
- 291 :
- 朝刊に間に合った。
尚、この奉加帳は12月13日まで宝物殿(有料)で展示される。
※北野天満宮(京都市上京区)
- 292 :
- 新発見ではなく、知る人には知られてたらしいね。
何カ月か前にブログで、楽しみにしていたこれを見れてよかったって
書いてる人いるし。
- 293 :
- 北野天満宮最後の一人。
「前」のくずし字に違和感があったが、利家ではなく「薄田○州」のほうが可能性が高そうだ。
豊臣馬廻の薄田氏に「薄田能登」というのが、有名な兼相の一族にいるようなので○は「能」かもしれないが、
はっきりはわからなかった。
- 294 :
- >>292
藤木久志氏が著書でこのことを紹介してたのを読んだことがあるから、
研究者、兼続に詳しい人は周知のことだったのかもしれないね。
- 295 :
- 肝心の主家を大減封させといて
北野天満宮に札ビラ切って見せてもダメっしょ
少なくとも直江の政策で家禄が減った上杉家臣はどう思うか?
家中総スカン→お家断絶も当然っしょ
- 296 :
- >>295
ちゃんと記事読んで時期くらい把握しろよ。
- 297 :
- ただのアンチだろ。
- 298 :
- 越後時代の兼続の録高って、どのくらいだったのだろう?
- 299 :
- 昨日フジテレビのスーパーニュースでやっていたみたいだけど何だったの?
- 300 :
- http://bomb.6.ql.bz/page014.html
こんなのありましたw
- 301 :
- 三方ヶ原で意地をみせて大敗した家康にとって
関ヶ原勝利後に家康が直江を許したのも直江状で意地をみせたがゆえんだろう。
一方で東西内通した政宗には結果的に百万石の詐術となした。
また関ヶ原後の年頭の挨拶に来ない佐竹や島津に対しては「いまになって事の重大さに怯えて領国に引きこもってるんだろ」と嘲笑し
さらに佐竹に対して「戦って負けるのは武門ゆえ仕方がないが、はっきりした態度をとらなかった佐竹は卑怯だ」と政宗同様に断じてる。
小牧長久手などでも意地を見せた家康にとって武門の意地こそ至高なものだったのだろう。
- 302 :
- >>301
おまい甘いよ
利害で決めるんだよ
上杉は伊達や最上の押さえに役に立つ
だから生かさず殺さずの状態で残された
それだけ
- 303 :
- 301と302での価値観では腐れ糞人格なのは302ってことはわかる
- 304 :
- 普通考えて両方だろ
家康ともなれば
粒子性だ!波動性だ!と議論になったが結局両方だったと同じ
- 305 :
- アホ?利害だけなら、上杉潰して幕府直轄にするだろが。
もしくは家康の息子か譜代入れるわ。
そもそも伊達ごときへの押さえとか国力差が圧倒的な徳川にはまったく必要ないわ。
- 306 :
- 書状で意地を見せたからどうこうしてくれるなんて、マジで思ってんのだろうか。
- 307 :
- おまえが牛肉偽造食品ミートボールの社長さんと馬が合うだろうことはわかった
戦国の武将で言ったら誰に似てるかな?やっぱそういうやつは誰にも尊敬されることはないから
悲惨な処分で殺られるんだろうな。名誉ある死はさせてもらえん
- 308 :
- お前のその書き込み、なんか意味あんの?
脳内の悪態を、適当に思いついたまま書き連ねるの止めたら?
- 309 :
- 名誉ある死って腹を切る事か?
- 310 :
- 意地を見せたって何のことをいってんだ?
意地など見せずに戦わずして主家の領土を削らせた売国奴にしか見えないが
- 311 :
- 決戦するために手ぐすね引いて待っていたら、家康が勝手に逃亡しただけだが?
- 312 :
- >>311
秀康が「引き篭もってばっかりじゃつまらねえだろ?かかって来いよカモンカモン」
って親切に言って上げたのに、家康本人どころか息子にすら手を出せませんでした。
- 313 :
- アホな挑発に乗って罠にハマるほど軽率じゃないだろね。こちらは山形方面への動員をしてるわけだし。
それにそれは攻めて来ない秀康にも言えることで、お互い様じゃないかね?
秀康は政宗から挟撃しようって何度も誘われてたくせに。
もっとも秀康にとっても政宗は信用できない相手だから警戒してたんだろうがね。
- 314 :
- >>312
秀康が挑戦状って、本当かどうか怪しい話だけどね。
上杉は逆賊だったのが、内府ちがひの条々で豊臣政権に返り咲いた。
同書を周辺大名に転送して翻意を促し、家康の代わりに関東を束ね
ようとした。さらに豊臣奉行衆の命令で関東攻めを計画。ただ、最上や
伊達が家康に荷担したままでの実行は非現実的なので、両家を屈服させ
ないといけなくて戦った。
- 315 :
- 挑戦状はともかく、家康が「逃亡した」なんて書いてる時点でワロス。
- 316 :
- >314
成る程、それで最上攻めか
だから三成(西軍)敗退の報せが届くと撤退したのか
- 317 :
- 古川に兼続子孫の墓
謎の人物直江兼康
郷土史家「大名並みの地位」
米沢直江会「隠し子の可能性も」
大崎市古川下中目の萬年寺(ばんねんじ)に、直江兼続の子とされる人物か
ら続く直江一族の墓があることが分かった。石碑には、一族の初代の名は「直
江山城守兼続嫡子肥前守兼康」と記されており、この兼康が戦国時代から江戸
時代初期にかけて上杉家の家老をした兼続の子とすれば、これまでの通説を覆
す発見になる。
墓は高さ約1・5bで、正面に「直江家之墓」と刻まれているほか、脇の石
碑には、兼康をはじめ江戸から昭和にかけての直江一族43人の生前の名や戒名
、死亡年月日などが記されている。
それによると、兼康が死去したのは正保3(1646)年10月21日。兼続が
60歳で死去した元和5(1620)年の26年後に当たる。戒名は「松覺院丹光
壽榮大禪定門」。郷土史家によると、院≠竍大≠フ文字から相当地位が高
かった人とみられるという。
墓を管理している子孫は10年前に古川から引っ越し、現在は茨城県で暮らし
ている。直江一家と交流があった農業、加藤憲治さん(60)=大崎市古川下中
目=によると、1987年に墓を建て直した際、以前の石碑に記されていた名
前などをそのまま書き写したという。墓以外には情報がなく、詳しいことは分
かっていない。
さらに、大崎市松山下伊場野の別の直江家にも、祖先のものとされる弓など
が残されていたといい、世帯主の男性(68)は「昭和初期に下伊場野に引っ越
す前は中目に家があった。我が家こそが兼続ゆかりの家かもしれない」と話し
ている。
通説では、兼続は長男・景明のほかに2人の養子を迎えたが、景明は20歳前
後に病死、養子2人も縁組を解消したため、直江家は断絶したとされる。仮に
兼続に別の男子がいたとしても、米沢藩の重鎮の一族が要職にも就かず大崎地
方に住んでいたのは不可解だ。
これらについて、米沢直江会の小山田信一会長(80)=山形県米沢市=は「
徳島県にも兼続直系とみられる一族がおり、兼続に隠し子がいた可能性がある
」と指摘。大崎地方にいた点については「茂庭家との関係でかくまわれていた
のでは」と推測している。
茂庭家は、1600年の関ケ原の戦いに連動して兼続率いる上杉家が最上領
内に侵攻した際、伊達家の援軍として逆に上杉領内に攻め込んでいる。松山領
主になる前は伊達家などとともに米沢に住んでいた。兼続が1598年から米
沢を所領していたことからも、両家に敵味方を越えた関係があった可能性もあ
る。
ただ、兼康の墓がある萬年寺は、茂庭家より前に松山を所領していた遠藤家
の菩提寺。400年前の点と点を結ぶにはさらなる解析が必要になりそうだ。
郷土史に詳しい茂庭家菩提寺「石雲寺」の前住職、宮本亨一さん(76)は「
生前の名前や戒名を見る限り、(兼康は)大名並みの地位だったことが分かる
。なにか身を隠さなければいけない理由でもあったのではないか」と話してい
る。
(2009年11月11日付 大崎タイムス)
- 318 :
- >>316
福島の研究者によると、直江には西軍の敗報は届いていなかったらしい。
関東の東軍勢に情報を遮断されていたのか、確度の低い、または遅い情報しか
なかった。逆に態度のはっきりしない伊達や佐竹には当然、彼らを味方にしよう
とする徳川方から、東軍が勝ち進んでいる様子が伝えられる。
政宗は最上義康に会おうとせず、留守に「なんか最上の息子来たんだけど、たぶん
援軍要請だよなぁ・・。相談したいから来てよ」と書状送ってるくらいだから、上杉
を敵に回すことを逡巡してたが、上方の情勢を聞いて派兵を決断。
佐竹も内府ちがいの条々を見て上杉に同盟を申し込んだが、岐阜城陥落の情報
を手に入れたと思われるあたりから伊達に接近する。
兼続へはおそらく岐阜城陥落あたりの情報も届かないまま。兼続は最上や伊達の
動きが活発になったことを不審に思い、撤退した とのこと。
>>317
あやしい話だけど、政宗は最上に侵攻した上杉勢について「直江父子ら」って
書いてるんだよね。景明では幼すぎるし、政宗に誤情報が伝わっただけの気もするけど。
- 319 :
- >>318
関ヶ原敗報はかなり早い時期に兼続は知っていたなんて話もあるから、実際よくわかんないよね。
黒田如水もかなり早く察知してたらしいし。
>>317
前夫とおせんの連れ子じゃないのか?
- 320 :
- >>319
21日に「上方散々」を掴んだとも言われているけど、直江はそれをいい
情報として伝えているから西軍が敗れたことかは微妙。
実際にはそのあとも「上方丈夫」との報が入ったり、情報はかなり
錯綜してたようだ。
- 321 :
- >>317
兼続や関係のある上杉家中の文書類が残っていれば、またわかることもあるんだろうけどなあ。
「徳川と上杉が婚姻関係を・・・」という話や「上杉息女」にしてもそうだけど、兼続や景勝の周囲って
案外わからんことが多い。
>>319
兼続の清野長範宛10月7日書状で「福島方面の情報が、道不自由につき入ってこない」と
書き、二本松方面から情報を得ようとしているので、関ヶ原前後の時期は相当情報が錯綜してたのは確かなようだけど
- 322 :
- 多くの矛盾や混乱する玉石混交な情報量から判断するのは難しいよね。
戦争なんて情報からの誤判断の数が多い方が負けるなんて言われてるしね。
- 323 :
- >>319
> 黒田如水もかなり早く察知してたらしいし。
如水は毛利領である周防の上関に、早舟の基地を持っていたそうな。
それがあったから上方の情報が迅速に手に入ったらしい。
関ヶ原の最中、黒田が東軍に参加しているのにそれが維持されたのは
黒田親子と協力関係にあった吉川広家がその影響力を行使していたっぽい。
- 324 :
- と言うことは輝元が大友再興軍を支援し豊後上陸したのを、吉川が如水と内通して撃破させ、輝元に恥をかかせる目的だったと言うわけか。
やっぱり吉川は賊臣以外の何者でもないな。
- 325 :
- こうやってみると、
五大老の外様大名の中で、ガチで戦ってるのは上杉家だけのような気がする。
- 326 :
- えっ?
- 327 :
- 宇喜多は外様じゃないんですよね
- 328 :
- 養子になった本多の息子がよく解らん。
縁組解消後は前田家に仕官したよねえ。
加賀に直江家の郎党の一部が従ったって記録が
あるらしいけどカリスマでもあったんだろうか?
- 329 :
- 直江と同類のただの世渡り上手だろう
- 330 :
- カリスマっつーか政重が兼続の養女に再婚申し込んだから
兼続の養女に従って付いてきた。
そのうちでも重臣は後に景勝が上杉家に呼び戻してる。
- 331 :
- 確かにそんな感じは拭えないんだが…
でもだったら実父のご威光を傘にしてればいいワケで。
一向一揆後に本多家から槍衆だかに養子に
出されたらしいからそれで複雑な性格になったのか、
最初から諜報目的で多方に送られてたのか、興味はつきん。
- 332 :
- >>328
というより直江も納得の上での加賀仕官。
なにしろ与板衆筆頭まで加賀へ随行してるし、
前田家仕官時の名前は「直江勝吉」のまま。
「記録がある」どころか加賀本多家家臣団の中核は米沢からついて
いった連中が担ってる。
- 333 :
- あ、331は>329へのレスね。
>330
家臣を上杉家に呼び戻したのは知らなかった。
dクス
- 334 :
- >>331
秀忠の乳母の子を斬殺してるから徳川家には戻れず、
本人も自分のことを「家康、秀忠両御所様の勘気を蒙った」とか「公儀日陰」
とか書状で言ってる。諜報目的というのはあまり信憑性がない。
「公儀日陰」といっても父は当時随一の権力者本多佐渡なので、大名側は幕府と直接的に
つながろうとしているのではなく、本多とのパイプを強化することで幕府との関係を強化
しようとした。
- 335 :
- >334
凄いなあ、なるほど。dクス。
じゃあ、それ以前の政重の宇喜多家仕官とかもやはり
彼自らの決断と見るのが妥当なのか。
- 336 :
- >>335
大谷、宇喜多、福島、前田、上杉、前田と渡り歩いたと家譜にあるけど、
宇喜多が二万石で召し抱えたとか関ヶ原後に福島が三万石で召し抱えたと
いう話は、個人的には本当かどうか怪しいと思ってる。
20くらいの若造だし、関ヶ原以前であればそこまでして本多家に気を遣う
必要もない。そのあと一万石で上杉に行くのもおかしくなる。本多と直江の
親密さゆえといえばそうかもしれないし、家譜の言うとおり、直江の娘との
子供に上杉家を継がせるつもりだったなら話は別だけど、その割には幼少の
定勝に忠誠を誓う起請文を提出させられたりしている。だまして引っ張って
きたなら景勝・直江主従は相当の食わせ者だな(笑)
宇喜多の場合は重臣が多く離反した際に「浪人をいっぱい召し抱えて補強し
た」と明石全登が言ってるので、政重仕官もそのへんじゃないかと。秀家捕
縛を聞いて彼に殉じるために一度目の前田家を出奔したというので(という
話が本当なら)アーッな関係も疑わないとだめだな。衆道の関係になるには
政重仕官時の年齢が高いけど。
- 337 :
- >336
dクス
なるほど、凄い知識と分析。
>宇喜多の場合「浪人をいっぱい召し抱えて補強した」
言われてみれば思い出したけど宇喜多家騒動の
吟味に本多親子関わってたもんね。
なんか一枚かんでたのかも…
歴史は面白いなあ。
- 338 :
- こんなのを見つけた
> 先日、上杉家の直江兼続を主人公とするドラマを見ていた。初陣のイケメン兼続が、
> こいつにも親兄弟がいるよなあ、と敵と戦えずに苦悩している。
> おいおい、それはないだろう。現代社会では人命は何より貴いが、戦国時代に
> そんなヤツはいないよ、である。
> もしかすると「愛」印の兜(かぶと)からの連想なのか? いや、あれは「愛宕権現」または
> 「愛染明王」の意であり、断じて「LOVE」ではないぞ。
本郷和人(日本中世史家)←東大の推教授さん
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/kazuto/shohyou/sengoku.html
- 339 :
- >>338
宣伝するほどの内容でもないな。
その人の書く本は「わさわざ大衆目線にあわせてやったぞ」みたいな文章なので嫌い。
- 340 :
- 最近分かってきたことだが、どうやら愛の兜は景勝からの贈り物らしい、ということだ。
そもそも景勝らが謙信がその化身であるとする毘沙門天よりも上位にある
愛染明王や愛宕権現をあしらった物を家臣である兼続に下賜するはずがない
となると兜の「愛」は単なる景勝の兼続への気持ち
すなわちLOVEであろう、ということだ。
- 341 :
- 直江兼康の位牌見つかる
子孫提供、「兼続嫡子」と明記
大崎存続説の裏付けか
直江兼続の子とされる「直江兼康」の位牌が現存していたことがこのほど、
宮城県大崎市古川の直江家子孫が提供した写真などで分かった。仏教関係者に
よると、大きさなどから相当地位が高い人のものとみられるという。古川の墓
地にある石碑と戒名や生前の名前も一致していて、兼続の子孫が大崎地方で存
続していたという説の信憑性を高める証拠のひとつになりそうだ。
位牌の写真を当社に提供したのは、埼玉県ふじみ野市在住の内池(旧姓・直
江)弘子さん(62)=古川市下中目出身=。見えにくい部分があるが、表には
「松覺院丹光壽榮大禪定門」、裏には「直江山城守兼続嫡子 肥前守兼康 正
保三年十(一の可能性も)月廿(二十の意)一日」と記されているようだ。
内池さんによると、位牌は高さ約60aで全面うるし塗り。生まれたときには
すでに下中目の実家にあり、父らから「殿様のものだから大事にするように」
と言い伝えられた。兼続ブームが起こり始めた2年ほど前に撮影し、現物は現
在、茨城県在住の義姉が大切に保管しているという。内池さんは「最初は歴史
に興味がなかったけど、新聞にも取り上げられて自分の祖先がどんな人だった
のか興味がわいてきた。真相の究明につながれば」と期待を込める。
大崎市松山の石雲寺前住職、宮本亨一さん(76)によると、位牌の高さは20
a前後が一般的で、これほど大きいものは珍しいという。台座には装飾が何層
にも施されており、宮本さんは「相当地位が高い人のもののようだ。(大崎の)
直江家の家柄を証明する大きな手がかりになるのでは」と分析している。
内池さんによると、生家には位牌のほかに家系図のような巻き物もあったが、
現在、所在は分かっていないという。
下中目の直江家は10年ほど前に引っ越し、現在は近くにある萬年寺に墓が残さ
れている。墓には、兼康をはじめ43人の生前の名や戒名、死亡年月日などが記さ
れている。
通説では、兼続(1560−1619)には長男・景明のほかに2人の養子がいたが、
景明は20歳前後で死去。養子2人も縁組を解消したため、直江家は断絶したとさ
れている。兼康が死去したのは兼続死去の約20年後で時代背景は合うが、2人を
結び付けるにはさらなる解析が必要になりそうだ。
【写真】
直江兼康とされる人物の位牌(内池さん提供)
(2009.11.28 大崎タイムス)
- 342 :
- 兼康って名前が怪しいんだよな。
兼は樋口家の通字だし、康は家康の康だろう。
直江は上杉家臣だから名前もらうのは景勝からの
ほうが普通。景明、勝吉(政重)見てもそう。
陪臣で将軍から名前もらったとしたらすごい
だろうが、そんな人物が全く史料に登場しないのはおかしい。
- 343 :
- 家康からもらった字を兼の下に付けるのはありえないから、
康は貰った字ではないと思われ。
しかし当時家康とかぶった字を使うのが許されたかどうか。
- 344 :
- 俺が直江なら関ヶ原の時に最上と伊達を滅ぼして
佐竹も潰して
家康も追撃して倒して
上杉幕府の執権になってたな
- 345 :
- そうかw
- 346 :
- >>343
言われればそうだ。
でもやっぱ兼の字からしておかしいと思うんだよなぁ
- 347 :
- 康じゃなくて泰なんじゃねーの?
直江兼泰とか。前野長康みたいに
- 348 :
- 兼は直江に関係のない通字だけになあ。
兼康って刀鍛治いなかったっけ。
- 349 :
- 林泉寺の13世和尚・通天存達(景勝の叔父)が、
「敬天愛民」の教えを授けたというのが地元では一般的。
ちなみに佐久近代美術館(長野県)に、兼続使用の「愛」の旗があるよ。
今年の1月から展示してたらしいけど、ドラマの出来がイマイチだったせいか あまり一般に知られていない。
長野の地元新聞の記事では一応紹介されていたみたいだ。
ぐぐったら出て来た
- 350 :
- >>349
大河ではなぜか、信玄に招聘されたはずの全祝が兼続の師匠だったよな。
通天存達で良かったんじゃないかとも思った。
- 351 :
- ウントウアンはむかしから政治的な立ち回りがうまいからな。
上手に大河に取り入ったんだろう。
- 352 :
- 通天存達は年代的には兼続の父世代だろ。
まあ「伊達政宗」「徳川家康」の頃から、
主人公と爺の和尚の絡みは、大河の常道となってるからなあ。
- 353 :
- >349
訂正
×林泉寺
○雲洞庵
※雲洞庵は、古くは藤原家の尼僧院として栄え、室町時代に関東菅領・上杉憲実によって再興されたという。13世住職の通天存達は、景勝の父・長尾政景の兄であったともいわれ、寺には景勝から存達に送られた書状も残る。
一方で、宝物殿には、兼続が天正14(1586)に雲洞庵の門前に立てたとされる制札が掲げられ、兼続と雲洞院との縁深さを伝えている。
- 354 :
- >350-352
10世住職の北高全祝は、高徳の誉れ高く
上杉謙信と武田信玄も競って彼に禅を学んだ、と本に記載あり
僧侶って政治的には中立なのでは?
京都の南化和尚や西笑和尚も、秀吉や家康の両方と親しかったような文を見た記憶がある
- 355 :
- 終戦後の雲洞庵はGHQに接近してうまくたちまわってる
- 356 :
- ひぐち君と伊達って書くとなんだか芸人コンビみたいだ
- 357 :
- >>356
どちらも片っ方だけじゃないかw
- 358 :
- 知り合いがテレビで見たらしいんだけど直江加熱具って生前嫌われてて
奥さんより戒名が2ランク↓で墓も無縁仏扱いだったってほんとなの?
- 359 :
- 嘘だよ。
- 360 :
- 御家断絶し
菩提寺も破却された
超嫌われ者だよな
- 361 :
- サンドイッチマン
伊達はお笑いが性に合う
- 362 :
- >>360
伊達厨必死乙w
- 363 :
- ★直江兼続公 生誕450年祭、メーン事業9月に(米沢)
・9月18、19日は「戦国『鍋』合戦」と「戦国『ゆるキャラ』合戦」を行う。
・5〜11月の祭り開催期間中は、他にも関連事業が実施される。
- 364 :
- 直江は徳川幕府の開祖、神君家康公に弓を引いた人物として、米沢藩では鷹山でるまでは米沢では奸臣扱い。
法要ですら身内でひっそり行われていたらしい。
慶次もただのバカ扱いだったのが、今、米沢では直江共々手のひらを返したように...。
- 365 :
- 法要は林泉寺で行われ、法名は上杉家が京の高僧に依頼して
由緒を書いてもらっている。
- 366 :
- ttp://tvde.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/jlab-dat/k/s/dat1280045406139.jpg
ttp://tvde.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/jlab-dat/k/s/dat1280045421800.jpg
ttp://tvde.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/jlab-dat/k/s/dat1280045426835.jpg
ttp://tvde.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/jlab-dat/k/s/dat1280045433891.jpg
- 367 :
- 某糞ゲーで俺は無敵ー!とかいってやられた人のスレか
- 368 :
- 某野望ゲーで過大評価武将と名高い人のスレか
- 369 :
- ここが本スレか
去年の大河の主役なのに、何で直江関係スレってどこも低調なんだ?
- 370 :
- 何でってそりゃあ去年の大河の主役だったからだよ
史上稀に見るガッカリ大河の主人公の事なんて
皆わざわざ触れたくもないんじゃないか…
兼続は本当に不憫だな
- 371 :
- 大河にできるほどの人生じゃないからな、そもそも。
- 372 :
- さんざん掘り下げられて、つまらん男だってことが明白になった、って感じか
- 373 :
- >>371-372
まあ、一豊あたりよりは逸話も事跡も多いし、兼続・景勝についてはどっちかを抜きにして
描くってことはまあ不可能だろうし、ネタ自体は豊富にあるんだよ。
ただ、不思議なことにそれら(新発田の乱、庄内一揆、最上合戦、直江版、禅林文庫etc)を全スルー
すりゃあ、面白い題材も面白くはなくなるだろ。
せめてもの救いは、数々の便乗本に混じって、過去の良著が復刊したり、最近の研究成果を踏まえた良書が
出たことくらいかなあ。
- 374 :
- 一豊の方が事績多くないか?
- 375 :
- >>372
大河では脚本家が歴史的な事に無知だったせいか
全然直江について掘り下げられなかったけどな
何をやったのかさっぱり分からん詰まらない男として描かれていた
- 376 :
- >>375
歴史云々以前にドラマとして破綻しているんだよな。
あれでよくドラマの脚本が書けたもんだと逆に感心してしまうw
- 377 :
- ていうかよく見たらこのスレタイ悲しすぎるだろ
スレ使い切るまでにあと何年もかかりそうな勢いなのに
- 378 :
- 天下の三陪臣とまで評された武将があの扱い、悲し過ぎる
- 379 :
- 史実の流れや功績を無視して、
カマくせー話ばかりやりくさってさ。
獲得したのは腐女子の人気だけ。
こんなドラマ世界初だよ。
- 380 :
- アンチにすら同情される始末だったからなあ
- 381 :
- なんかこの人って大河の主役にもなったのに
いま一つメジャー感がない
名前の響きがパッとしないからじゃないか?
かねつぐ かねつぐ かねつぐ
かねつぐ かねつぐ かねつぐ
何度言ってみても一流武将の名前って感じがしない
織田信長 豊臣秀吉 徳川家康
伊達政宗 武田信玄 上杉謙信
一流どころの武将は名前の響きだけで既にカッコいい
大河になってもダメな奴はダメなんだよ
- 382 :
- ワースト大河だよな
戦国なんだから風林くらいの野生さや汚さが必要だよな
- 383 :
- 本人は晩年に重光って改名した
直江重光の方がかっこいい
本人の意思を尊重して重光で呼ぶべき
- 384 :
- 秀吉がしっかりしてればな。豊臣政権の下で大老クラスの
扱いを受けてたろうにな。
- 385 :
- しかしなんで重光に改名したんだ?
樋口氏の兼の字が無くなってるけど、直江氏の綱の字も入ってないし
何か名前の由来はあるのかね
- 386 :
- 何か、直江自身が直江家の御家断絶を予感して、
名前に「続」の字があるままでは可笑しいから
晩年になって変えた、という説が最も説得力があったな
- 387 :
- >385-386
「重光」
"重"…養子の本多政重の重
"光"…先祖の樋口兼光の光
だと思う
- 388 :
- >387
重光の名の初見は慶長15年7月13日の渋江・千坂への書状。
政重の方は慶長16年10月18日付で自ら直江安房守と署名。
慶長16年12月2日に前田利長より直江勝吉宛てに書状。
直江重光から弟本多忠純慶長16年8月12日付で直江勝吉を離縁した旨を伝える。(但、歴代古案)
このことから離縁を受理されるまで直江勝吉だった。
重光改名の方が早い。むしろ政重が重光の重をもらったのではないすかね。
- 389 :
- >>387
本当に樋口兼光由来だったら面白い話だ
敗軍の将だし先祖にシンパシーを感じていてもおかしくないが
- 390 :
- 領地もらいすぎたね
- 391 :
- 兼がないのは樋口家を継ぐ弟がいるからなのかね
重光改名時に本多政重は「勝吉」だから政重の「重」ではないと思う
- 392 :
- 閻魔状って事実?
- 393 :
- 違うと思う。天地人みたいな生ぬるい男ではないので
やりかねないけど。
- 394 :
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- 395 :
- 大河始まる前まではもっと高い頻度でスレに書き込みがあった気がする
あまりの内容に衝撃を受けたのか別の理由なのか知らんが、このスレは全然進まないな
なんか直江に関して新しい話題はないのかね
- 396 :
- >>395
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つ、 せ r、{ | ヽ ヽ // / |
ヽ '´ | ヽ ヽ // / |
- 397 :
- BSのTHEナンバー2という番組で直江やってたんだけど
上杉鷹山がやったことは、もうすでに直江がやってる 直江は凄い
みたいなことを、天地人作者の人が言ってた
- 398 :
- 火坂、いい加減してくれよ
引っこんでろ!!
- 399 :
- 直江を語る解説者によりにもよって火坂w
しかもほとんど言ってること妄想だったし
- 400 :
- >>395
大河放送中には兼続の関連本が出てたりもしたけど・・・・。
去年くらいに出た図録「直江兼続 人と時代」くらいかなあ最近は。
>>399
どうせだったら、矢田氏なり今福氏なりに解説してほしかったなあ。
大河のときに出た兼続関連の本ではこの辺が出色の出来だったと思う。
- 401 :
- >397
けど言ってる内容は本当だし、TVで言って貰ってスッキリ。
専門書を見ても、鷹山より兼続が先立って経済復興をやっているのに知らない人が多いから。
- 402 :
- ほとんど妄想だろ
復興など何もしてない
貧乏藩の代名詞のような存在
- 403 :
- 理想を掲げるだけなら簡単。
実行するのが難しい。
- 404 :
- 火坂が出てやがったwwwwww
あいつ、またくだらない捏造論を熱弁していて
西村も担当女性アナも失笑してたな
前回の武田信繁がよかっただけに、ガッカリだ
これ以上、天地人=直江のイメージを広めるのはやめてくれ
- 405 :
- 天地人で語るからいけないんだよなあ
「密謀」で語ればまだいいんじゃないかな
- 406 :
- >>405
密謀は兼続以外の越後武士のキャラクターも立っていて面白いからな。
- 407 :
- 密謀原作で作れば良かったのに…なんでよりにもよって天地人なんだか
しかし今のNHKに作れる訳ないか 風林火山並の作品またこないかな
- 408 :
- 山形の前田慶次はひどい
お笑いか
- 409 :
- 鷹山の時の藩政改革に関する意見書で有名な『管見談』が直江の政治を称えている。
鷹山の側近たちは直江の遺徳をしのぶ会を開いている。
- 410 :
- そりゃ単に
七家などの鷹山の反対勢力が直江を貶めていたから
アンチテーゼするためにやっただけ
- 411 :
- >>410
七家が直江を貶めていたなんて初耳。
アンチテーゼだというのも。
直江は会津陣物語などの俗書では責任を
押し付けられているが、その影響も受け
ている公式の御年譜では多大な功績を称
えられている。
- 412 :
- 板違いに付き誘導
大河ドラマ
http://yuzuru.2ch.sc/nhkdrama/
- 413 :
- いや、、大河のスレじゃねーし
- 414 :
- 直江家は絶えたけど、樋口家って江戸時代にはどうなってたん?
兼続の遺品を樋口家が貰ったっていう話しか知らないんだよね
今でも米沢に嫡流の人がいるんだろうか
- 415 :
- 三男の秀兼が継いでいる
今も 米沢あたりに御子孫は居るのではないか?
- 416 :
- 長男と次男がどっちもよそ様の家に婿養子に行って
両方とも男子が生まれなかったり女子含め皆早世したりで
家を潰してるのって凄まじいな 名家クラッシャーなのか
(大国家は後で再興したが)
三男の秀兼は普通に男子が何人かいたようなのがさらに無常を感じさせる
- 417 :
- 兼続の「続」の字にも、
直江家を永く続けさせるという願いがこめられたのかもしれないな
それをブッ潰しているんだから超不孝者だよな
- 418 :
- 樋口時代から兼続だと思うけどな
- 419 :
- >>417
樋口くんだったころから兼続じゃなかったかw
直江景明の早世が痛いな。
- 420 :
- ていうか名前が既にギャグなんだよな
名家クラッシャーっぷりを発揮しておきながら、名前に「続」だもんな
本人もそのあたりを予見して、晩年に兼続→重光に改名した説はうなずける
- 421 :
- 昔から直江家の人々にとって疫病神だっただろ。さんざんかきまわされて、家つぶされて
- 422 :
- 嫌われ者の兼続にわざと反抗して
無事にお家を残した大国実頼は
究極の世渡り上手じゃね
- 423 :
- >>422
直江は上杉家で嫌われていた訳ではないよ。
軍記物には一部そうしたものもあるが、上杉家の正史などでは
藩政初期の優れた宰相として功績をたたえているし、直江が死
ぬと上杉家が京都の高僧に依頼して詩文武に優れた「達三」の
法名を付けている。
- 424 :
- 直江執政体制は兼続が景勝より早く死んだことで綺麗に形になったな
景勝より長生きして年若い定勝の後見でもしようものなら
きっと上がりすぎた発言力にそのうち定勝や他の家臣と揉めてただろう
執政直江兼続の幸運は景勝の信頼と庇護の下で働いて死ぬことが出来たことだなあと思う
- 425 :
- 景勝の庇護の下でしか直江の発言力は発揮されなかった
何故そこまで関係が強固だったか?
そこはやっぱり、直江−景勝の肉体関係ですよ
- 426 :
- 肉体関係で忠誠心得られるなら、
なんで俺は彼女の知りに敷かれてるんだ?
- 427 :
- >>426 と彼女=SM関係
直江と景勝=男色関係
関係の相違ではないでしょうか?
- 428 :
- マジレスすると衆道は普通、1人だけが相手じゃないし、大人になったら
その相手にはならないので、直江が執政体制を敷く根拠にはならない。
景勝が先に死んだら直江が権力を握れないかは微妙なところ。定勝の養育にも
関わっていた様子がみられるし。
- 429 :
- 俺は直江が景勝より長生きしたら権力握れないなんて話しはしてないぞ
景勝が家臣たちからしっかり信望を集めていて
直江が景勝より先に死んで景勝が定勝成人まで生きたから
直江執政体制は綺麗に上杉家へと寄与したんだなと思っただけだ
もし景勝より長生きしたら景勝の死と共に即隠居するくらいは空気読むだろ
- 430 :
- 衆道禁止してるからあり得無い
- 431 :
- 衆道禁止ってのは家臣同士がそういうことして横の結びつきを強化するのを
恐れているのであって、毛嫌いしているんじゃないよ
- 432 :
- >>431
しかもしばしば刃傷沙汰になったりするしな
- 433 :
- またいつもの曲解開始w
- 434 :
-
ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前らほどの頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼かもしれん
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ!!
- 435 :
- ここ数年大河だか無双だかから入ったミーハーアンチがうざいな。
史料や信憑性を調べもしないで逸話と印象だけで叩いてるのが丸見えな
ベクトルが違うだけでミーハー腐女子と同レベルな奴ら。
- 436 :
- 最近になって景勝や直江に興味を持った素人なんですが
「天地人」を見て、酷いとは聞いていたし承知で見始めたけど7話目にして脱落しそうだ
あれが直江山城だと思って見ることができない・・・
この後、少なくともお館の乱〜大坂、或いは直江の死まで
景勝と共に見せ場があるんだろうけど、段々と“らしく”なっていきますか?
普段、大河ドラマも見なくて、ちょっとショックを受けてしまった
直江について学識のある方に聞きたくてこちらに書き込んでしまった
スレ違いで申し訳ない
- 437 :
- 天地人は腐女子御用達の歴史冒涜大河だ。
見ないほうがいい。
- 438 :
- 直江兼続としての見せ場は総スルーしてるから見ても何の役にもたたんぞ
- 439 :
- 大河天地人は、なんとなく直江っぽいような気がする人が
主人公のドラマって感じだったな
長谷堂城戦全然やらなかったし…
- 440 :
- 上杉謙信=阿部寛
豊臣秀吉=笹野高史
のハマりっぷりだけは評価する。
それ以外は総じてカスだな・・・
脚本家がダメだと思ってたら原作もひどかったし。
- 441 :
- 小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
- 442 :
- 史実の兼続は超デカかったから
妻夫木聡なんて話にもならん。
- 443 :
-
サルを完全に破壊する実験って知ってる?
まずボタンを押すと必ず餌が出てくる箱をつくる。
それに気がついたサルはボタンを押して餌を出すようになる。
食べたい分だけ餌を出したら、その箱には興味を無くす。
腹が減ったら、また箱のところに戻ってくる。
ボタンを押しても、その箱から餌が全く出なくなると、サルはその箱に興味をなくす。
ところが、ボタンを押して、餌が出たり出なかったりするように設定すると、
サルは一生懸命そのボタンを押すようになる。
餌が出る確率をだんだん落としていく。
ボタンを押し続けるよりも、他の場所に行って餌を探したほうが効率が良いぐらいに、
餌が出る確率を落としても、サルは一生懸命ボタンを押し続けるそうだ。
そして、餌が出る確率を調整することで、
サルに、狂ったように一日中ボタンを押し続けさせることも可能だそうだ。
のちのパチンコである
- 444 :
- 直江は死後水神として民間に祭られたという話を見てびびったが
よく考えてみたら阿賀野川・信濃川・直江堤と結構色々治水事業やってんだな
佩刀も水神切りって別称付けられてるし
- 445 :
- 直江の生前最後の仕事は景勝の供奉だったはずだが
晩年の直江は景勝に会ってもらえなかったとか言ってた奴はどこ行ったのかな。
- 446 :
- 本能寺直後あたりの上杉の甲斐進出時に、
直江さんが結構書類残してるのが面白いね。
- 447 :
- 堀直政が越後来た際に、兼続が三成と謀って領内の米を
全部持ち去る嫌がらせをしたって越後風土記にあるんだが
そもそも当時の慣習として、国替えの時には米半分残すって決まりがあったってホンマなん?
- 448 :
- >>447
黒田と細川の時もそれは問題になっているから、法的にはともかく一種の慣習や礼儀として存在していたのは確かなんだろう
- 449 :
- 厳密には決まってなかったとはいえ、よくそんなことする気になるもんだ
この2人って無駄に敵を増やすあたり政治家というか大将としての器じゃなかったんだろうな
- 450 :
- 蒲生さんがアホだった
- 451 :
- 結局、こんなバカを英雄視する見方って誰が始めたんだ?
- 452 :
- 小早川とか蒲生とか馬鹿でも英雄扱いされてる奴なんていくらでもいる。
直江は彼らに比べりゃマシな方
- 453 :
- >>451
上杉鷹山
- 454 :
- 今は義の人とか言われてんだな。なかなかの極悪人なのに
- 455 :
- 税金安くするため公務員に金儲けさせた最初の人(「原方衆」)。今の政府も増税の前に見習って欲しいもの。
雑草を金の生る木にして莫大に儲けた人(ウコギ、紅花、青苧)。政府もこういう知恵で金儲けして税金安くしてくれれば...。
ただの山を金の生る木にして莫大に儲けた人(瀬場、関川、相川等)。金の生る木は至る所にあることを示した事例。
本当は米沢城の石垣用だった巨石を洪水防止のため全部堤用に使っちゃった人(直江石堤)。城の建設より住民の安寧が第一、という思想。
自分が集めた貴重な書籍を人材育成のため全部禅寺に寄付しちゃった人(禅林寺)。上杉家よ勉強しろよ、という無言の圧力。
まあ、家康に堂々と反論。また、絶対に勝ち目が無かった織田信長にも最後まで屈しなかった人柄が偲ばれる。あの主従。
謙信公の教え「死なんとすれば生き。生きんとすれば死す」を地で行った二人だったね。
まあ、直江の弟子でもある真田信繁の生き方にも通ずるが。
- 456 :
- こうした史実無視の狂信信者が居るのがこの人物。何でだろ?
- 457 :
- 初心者向きで割と空いてる釣り堀だから
- 458 :
- >>455
確かに米沢城には石垣が全く無いな。
- 459 :
- >>455
上杉謙信が言ったのは
「死なんと戦えば生き、生きんと戦へば必ず死するものなり
家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る
帰ると思えば、是非帰らぬものなり」でしょ
- 460 :
- うまいビール
バイト
ドライブ中
お手前ら
- 461 :
- この人が、義だの愛だのって実の伴わないこと言う軽佻浮薄な人物であることはテレビで見て明らかだろうに
- 462 :
- >>455
まあ言わんとするところは全く同じだが。敢えて突っ込むか...。
- 463 :
- 01.Scoop!!
02.疾走
03.Dearly
04.ストイック★LOVE
05.SAVAGE
06.NIHILISM
07.この身、燃えつきるまで・・・
08.昼庭
09.SLUDGE
10.GO FOR ITBABY
11.哀切な色
12.SAMIDARE
13.二人あえる日まで
- 464 :
- テレビなんて 嘘ばっかりをやられてしまったな
- 465 :
- 関ヶ原関連であれば 「群雲関ヶ原へ」
御館の乱であれば 「龍神の系譜」かな?
両方ともメインは景勝だけど
- 466 :
- 正直兼続はガッツリド外道に書かないと面白く無いわな。
- 467 :
- >>465
そういうのじゃなくて直江兼続の伝記みたいな小説教えてください
- 468 :
- >>467
素直に研究書読んだほうがいいぞ
- 469 :
- 直江兼続とお船って、スイーツっぽい表紙の小説見かけた
- 470 :
- 「謀将直江兼続」読んだら、家康死去とともに伊達と手を結んで徳川幕府討伐の兵をあげ
江戸に進軍始めて「おいおいw」となり、最後のオチでズコー!となった
- 471 :
- そういうif系の小説は真剣に読むものじゃないよ
- 472 :
- >>471
普通の歴史小説だと思って読んじゃったんだよ
- 473 :
- >>470
だいたい誰が書いたんだそれw
志茂田景樹大先生か?柘植大先生か?
- 474 :
- いかにも好きか嫌いかだけで物事を判断しそうな兼続が大嫌いな政宗と組むわけがない
- 475 :
- >>473
南原幹雄
- 476 :
- Wikiに煙霞綺談の話で思われると書いてあるけれど中国の故事かなんかでま
るっきり同じなのがあるから完全なネタだよ。名誉のためにも消した方が良
い。
- 477 :
- でも兼続うんちく本では大抵そのネタ取り上げられてるし、兼続本なんてほとんど
俗説や後世の創作をそのまんま真に受けて書いてるしなー
妄想度の一番酷いのは童門小説
- 478 :
- 愛の兜からしてなぁw
- 479 :
- 尚更WIKIだけでも消すべし。
- 480 :
- パスポート音響整備情報開示義務すい辛ラーメン
パスポート音響整備情報開示義務すい辛ラーメン 👀
- 481 :
- 昨日天地人スカパーで見た。
なんじゃあの現代劇と時代劇の狭間のような時代劇。糞過ぎ。
- 482 :
- 主人公が史実で糞なんだからしょうがないよ
- 483 :
- 脚本家がスイーツ脳女だから仕方ない
- 484 :
- 火坂先生に感謝すべきだな。直江関係者は。
愛の兜ツアーいつも大人気だね。女ばっかり。
- 485 :
- >>484
史実の直江兼続好きからは
むしろ恨まれてるんじゃないの?
天地人の原作読んだけど
まったく魅力や凄さが伝わって来なかった
- 486 :
- 天地人の所為で兜の愛がLOVEの愛だと世間に定着させちゃったからなー
- 487 :
- 火坂といい近衛といい
どうして上杉贔屓の小説家は魅力的に書いてくれないのか
- 488 :
- >>467
藤沢周平の「密謀」は、時代小説だからダメなの?
面白かったけど。
- 489 :
- 永岡慶之助の「上杉謙信と直江兼続」が何というか……凄かった
- 490 :
- 大河に合わせて多数の便乗本や小説が出版されたけど
その中で読む価値ある本ってどのくらいあったんだろ
- 491 :
- >>364兼続が謙信死後の上杉家を支えたのは事実だけど、後を継ぐべき人間がいなかったから吉良上野介の食い物にされてしまったからね。
- 492 :
- 関ヶ原展で本物かどうかはしらんが直江状見てきたけど、
うちのカゲカツは…、うちのカゲカツは…ってあんな長文手紙送られてきたらどん引きだろw
他のに比べ5倍くらい長文だったぞ
- 493 :
- あれ内容が重複してる箇所があっちこっちに有ったりで本物(あるいは原本)はもっとコンパクトだったと思われ
- 494 :
- >>492
家康「三行で」
- 495 :
- https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(沖縄空港オマル凍結バイト)
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(大阪人福祉バンクビジネス)
- 496 :
- 名君
- 497 :
- http://pixio.jp/data/22/U5hVq1an/IBdEH7SJpV.png
- 498 :
- 保守
- 499 :
- >>486
愛宕権現様も泣く
- 500 :
- 直江状も完全に後世の創作と分かったわけだが
- 501 :
- ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪
- 502 :
- まことを怒らせると、PCに障害が起こる
最初は偶然かと思っても、必然とわかる
この56歳ニートのクソジジイは、偶然と必然の
区別がつかないらしい
- 503 :
- 義風堂々の兼続・・・
- 504 :
- 景勝・兼続の義なんて嘘っぱちなんだってね。
- 505 :
- 村上兼続と渡辺謙政宗で
兼続が政宗に「後ろ姿しか知らなかったので気づきませんでした」と言うシーンをやってほしい。
アレは作り話だろうけど。
- 506 :
- 謙信の遺言ねつ造、武田に所領割譲、織田信長に苦戦、五大老制を提案するも家康抑えられず、関ヶ原の挟みうち失敗、120万石→30万石
大坂の陣で直江は将軍から感状を拝領して表彰されてるのに、「義」だの三成との友情()だの笑わせてくれる
- 507 :
- まあ所詮プロパガンダム武将だからね。NHKまでプロパガンダを真に受けたわけだけど
- 508 :
- 政宗と似てる>プロパガンダ
- 509 :2020/04/08
- 五大老提案したの兼続じゃねーし。
天地人だとそうなってたけど。
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