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【僧で】安国寺恵瓊【大名】
- 1 :2006/07/05 〜 最終レス :2020/03/08
- 愉快な坊さんです。
- 2 :
- 西軍の敗戦も予言できなかったのか
- 3 :
- 公孫参が参げつと
ついでにこのスレの予測…だらだらとレスがつくが、149でdat落ち
- 4 :
- 直江兼続と同じで秀吉に騙されて
人柱にされちゃった人
- 5 :
- 日本のラスプーチン
- 6 :
- 毛利氏守るための人柱となった人物の名前を書くスレでつか
- 7 :
- 織田家の没落と秀吉の台頭を予言した人物ですが、自分の死は予言できなかったようです。
- 8 :
- なんで処刑されたんだろ。
- 9 :
- 逃亡に失敗したから
- 10 :
- 輝元担ぎ上げたから
- 11 :
- まぁどちらにしろ大名ではない
- 12 :
- 伊予6万石の大名ですよ
- 13 :
- 何故だろうね
西軍主力のうち大谷吉継は討死
石田、小西は処刑
宇喜多は逃亡
長宗我部(戦ってないが)は土佐に逃げ帰る
早い時期に捕まったからだ、と言ってみる
- 14 :
- 残ってたら子孫は武田を名乗るんだろうか。
- 15 :
- 徳川の名門好きで高家当確
かな?
- 16 :
- >>12
大名じゃないよ
伊予6万石というのも、知行宛行状も出した形跡ないし、伊予和気郡も恵瓊の所領というより、代官地と思われる
それに安国寺恵瓊が「大名」として「家」を為してなく、家臣もいない
関ヶ原の時も、毛利から与力を付けられて、その与力の兵で軍勢を形勢している
- 17 :
- >>16
代官地ってのは、「誰の」代官なのかな。
小早川隆景領もしくは毛利一族の誰かの代官なのか豊臣政権直轄領の代官なのか。
関ヶ原の時以前、朝鮮出兵の時点で「安国寺与力衆」の存在があったようだがこれも毛利からつけられたものか
どうか。
どちらも毛利なら毛利の家臣だし、豊臣直轄領の代官なら存在が微妙なものになる。
もっとも、この時代は直轄領付近の大名に代官をさせているので「毛利輝元に代わって豊臣領の代官を務めてい
た」という可能性もある。
- 18 :
- 代官の意義がわからないけど、任地に行かない代官っているのかな、と言ってみる
- 19 :
- 相当な酒好きで、
毛利家の重臣佐世元嘉と会談した夜などは、酔がまわって、
挙句の果てはみめよい若衆をそばに寄せ付け、輝元側近の御若衆などを随分呼び出すという事をしでかしたらしい。
翌日彼は書状でこの事を詫びている(毛利家文章)。
このような人間くさい一面もあるんですね。
- 20 :
- 要は生臭坊主か。
- 21 :
- 恵瓊は臨済宗のお坊さん
安芸安国寺に身を寄せ、笠雲恵心と出会い、京東福寺で修行
後、安芸と備後の安国寺住持
その後、京東福寺、南禅寺住持
- 22 :
- まあノストラダムスよりは凄いことは確かだ。
- 23 :
- 高松城下における和平交渉は、毛利・羽柴どちらから持ち出されたんだろう。
定説では羽柴側から持ち出されたようになっているが、
当時の秀吉や恵瓊の書状によると、どうも毛利側から持ち出されているのが真実のようだ。
- 24 :
- 武田信重の遺弧
- 25 :
- 恵瓊は親父の仇毛利の外交僧になるのに
どんな心境だったのかな?
- 26 :
- 石田三成、小西行長はともに伊吹山中に隠れていたのに
彼一人京都を目指したのは、ここに知友が多かったためであろう。
- 27 :
- 恵瓊は建仁寺の再興にも係わってるし、(大方丈は恵瓊が移築したんだし)
東福寺、南禅寺の住持だったしね、僧仲間は多いべな
- 28 :
- 恵瓊には伊予領国とともに、彼が住持をしている安芸の安国寺に与えられた莫大な寺領があった。
- 29 :
- 安芸安国寺は1万1千5百石かな?
- 31 :
- 大内義隆には、安国寺真鳳って使僧が仕えてるんだね
- 32 :
- 暗黒痔
- 33 :
- そもそも安国寺って、足利尊氏によって、全国に建てられたらしい
ちなみに>>31は周防安国寺の人じゃ
大内氏に庇護されたらしい
- 34 :
- 周防安国寺・・・日照山安国寺 山口県柳井市
長門安国寺・・・鳳凰山安国東隆禅寺 山口県宇部市
- 35 :
-
石見安国寺=伊甘山安国寺 島根県浜田市
出雲安国寺=寶亀山安国寺 島根県松江市
- 36 :
- 信長の威勢が隆々としている当時、すでに十年先の本能寺の変を予測し、藤吉郎が天下をとるごとき人物であることを看破している。
- 37 :
- >>36
あの文章って「信長は今凄いけど足元がちょっと危ないですな。あ、秀吉ってのと知り合ったけど
あいつはなかなかやるよ」くらいの報告文書だろ。大体安国寺の文書全体の中からアレだけを
切り抜いて出して予言とか看破とか言うのは全く意味が無い。
- 38 :
- さりとては=なんとまあ=ひょっとすると大化けする
ってとこで、天下云々まではね
- 39 :
- ( ´∀` )<ほすほす!
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
- 40 :
- 現世への執着が断ち切れてない時点で糞坊主確定
- 41 :
- 現世への執着を断ち切ったら即身成仏であっというまにこの世を去りそうだな。
- 42 :
- 「鉢ひらきたるような頭」の持ち主だっけ。
三成の才槌頭も、こいつにはかなわん。
- 43 :
- >>1
俺の認識では最後にヘタれたカス。
- 44 :
- 何で処刑されたんだろう。って?
毛利秀元に関が原で山を下って
家康と戦わせられなかったからじゃよ。
当然、家康から見れば、「処刑」は当然じゃ。
吉川の陣を迂回してでも、徳川と戦わせる
参謀としての力量が不足してたからじゃ。
秀元山下れば、家康と戦わざるをえない。
そうしたら、戦況は、西軍有利に働き、
島津も出て、小早川は最低、山をおりられなかった
公算が高い。逆に最後にしぶしぶ、福島といくさしたかもね。
- 45 :
- 武安国寺
- 46 :
- 昔のことだが
藤吉郎「さりとては」の者と読まず、
藤吉郎さりとて「はちの者」と読んで変な主張を展開した香具師がいたな
- 47 :
- ほしゅ
- 48 :
- あげ
- 49 :
- 恵瓊の家臣で名の通った奴っている?
- 50 :
- 平井藤九郎と長坂長七
- 51 :
- 前田玄以とイメージが被る
- 52 :
- それはない
- 53 :
- 柳生十兵衛を始めとする安国寺恵瓊と雑賀孫市とお市と風魔小太郎が信長を倒しに行くんでしょ?
- 54 :
- 平井藤九郎と長坂長七って美濃の肥田玄番の家臣だな。
ここまで落ち延びたのか。
- 55 :
- 元就が討った武田元繁と関係有るのこの人?
武田氏でしょ
- 56 :
- 元繁のひ孫だね、恵瓊
- 57 :
- 外交坊
- 58 :
- 武田の遺児が毛利の使僧になったのは
竺雲恵心の影響
- 59 :
- 甲斐武田とつながってるな
- 60 :
- >>55
回り回って、毛利家に仇をなしたなw
- 61 :
- 知ってる方にお聞きしたいのですが、家の先祖の墓が安国寺の境内にあるの
ですが、何宗で、またやはり足利家とゆかりがあるのでしょうか?
尊氏さんのお墓はどこにあるのでしょうか?
源氏平氏とすると先祖のお墓が安国寺だとどちらに属し、どんな階層の先祖だったの
でしょうか?凄く歴史に詳しい方ばかりのすれなのですごいとおもいおききして
おきたいと思いました、よろしくおねがいします。
- 62 :
- >>61 コピペだけど
安国寺は、足利尊氏が元弘元年(1331)に後醍醐天皇が企てた鎌倉幕府討伐のための、
いわゆる元弘の乱から後の戦死者について、その霊を弔うために夢窓疎石の提案で発願し、
全国六十六ヶ国二島に一寺一塔の設置をすすめた。
光厳上皇の院宣をあおぎ寺は安国寺、塔は利生塔と称した。
詳しいページ
安国寺・利生塔
ttp://bird.zero.ad.jp/~zam77093/ankokuji.htm
- 63 :
- 尊氏の墓は京都市北区の等持院
- 64 :
- 恵瓊の父信重と、当主信実は仲が悪かったようなのに、
銀山落城時に信実は出雲に逃れ、信重は自刃したんだろうか?
- 65 :
- 斬首される時にガクブルしてたそうだが、案外普通っぽい人だな。
- 66 :
- そうなんだ
念仏だかお経はいらんと僧を突き放したのは、あれはガセかな?
- 67 :
- 「高転びに転ぶ」と信長の死を予言した彼の眼力は恐れ入る。
それに備中高松城での講和では中国大返しの離れ業をやってのけた秀吉軍を
追撃せず、信長に取って代わるのは秀吉である事を予見し恩を売っておくなど
さすがは大毛利家の軍事顧問であると思わせたが、関ヶ原では彼の策略は悉く
失敗に終わり戦闘にも参加する事なく(山から下りて来なかった)汚名を残し
惨めな死に方をした。
- 68 :
- >67
>「高転びに転ぶ」と信長の死を予言した彼の眼力は恐れ入る。
信長の天下は五年、三年もつ、と予言したのは天正元年のこと。恵瓊の予言、大外れ。
「高転びに転ぶ」も都落ち程度の意味としか考えられない。恵瓊の予言、大外れ。
秀吉云々も書状全体を読めば、また意味が変わってくる。
書状の一部だけ抜き出すから、特別な意味があるように感じてしまうんだよなぁ。
- 69 :
- 恵瓊が予言者というのは後世の評価であって、当時は毛利と秀吉の間をうまく泳いで大名になったという印象だったんじゃないかな
- 70 :
- 頭だか、後頭部が異様にデカい人だったらしいな。
- 71 :
- ノブヤボの恵瓊は過大評価しすぎだと思う
しょせん目立ちたがりやな坊さんだろ
- 72 :
- 今生きてたら株で儲けられそうな奴だな。
- 73 :
- 誰か詳しい人
- 74 :
- 関ヶ原では主戦派として色々と策動したけど、野戦ではあまりにも消極的。
全くと言って良いほど野戦経験は無かったのだろうか?
渡鮮してるのは聞いたことがあるが。
- 75 :
- >>74
所詮毛利の外交僧以上でも以下でもなかったのが、親豊臣(羽柴)だったというだけで秀吉やら三成やらに
持ち上げられて実力以上に政治力を持ってしまい、その気になったに過ぎない。
上杉家の民生担当官だった直江兼続も似たような感じだな。
- 76 :
- 保守
- 77 :
- >>75 毛利本家や吉川、小早川への牽制の意味もあったのかな?=重用
- 78 :
- >>77
秀吉が、有力大名の重臣を1人2人篭絡してその大名家を牽制するのはいつもの手だしね。
これは信長も、勿論家康もやらなかった秀吉オリジナルの政略だな。
- 79 :
- >>66
>念仏だかお経はいらんと僧を突き放したのは、あれはガセかな?
それはキリシタンの小西行長だと思う。
- 80 :
- >>2
秀元が動けなかった?そんなの関係ねぇ
長束と長宗我部誘って池田・山内・徳川を攻撃するだけでも流れが違ってたろう
戦意は三成・秀家と並んでるんだから
もっと果敢に動けよ坊主、と
- 81 :
- >>80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Sekigahara.png
安国寺はいざ知らず、秀元は無理だね。
南宮山は標高400mを越えてるしw
下りるにしても、大垣城側に下りるしかないから主戦力としては期待出来なかっただろう。
長束や長宗我部は言うに及ばず。
- 82 :
- >>79
そうか、黄金の日々だった…
- 83 :
- それ以前にこの人戦の経験あったのかな?
- 84 :
- >>83
朝鮮には従軍してるけど占領地慰撫をしてらしく、槍働きはしてないはず。
- 85 :
- そうなんだ そうすると最初から戦働きは期待できないね。
やはり外交僧なんだね 乱を起こした(?)罪で斬首か。
- 86 :
- 特に家康に恨まれる理由があったのかな?
- 87 :
- >>86
どう考えても関ヶ原の首謀者の一人だろ。
- 88 :
- 輝元を総大将に擁したのはこの人だろうからね。
処刑の理由はそれが一番だろうな
- 89 :
- ということは三成とこの人の謀議が戦のもとという事?
- 90 :
- 恵瓊と三成、そして小西行長が謀議の中心人物だったことは確かだが、
最近の研究では関が原は、宇喜田秀家が暴走に近い形で反乱を始めてしまい、三成ら中心グループが
逆に秀家に引っ張られる形で立ち上がる羽目になった、とされる。
つまり西軍は恵瓊らの思惑と違い、準備不足のまま家康と対峙せざるをえなくなった、まったくの計算違いの反乱だったようだ。
ただ、関が原を通して西軍は、三成、恵瓊、行長のグループが「執行部」として動かしていたのは確かだな。
- 91 :
- くわしくありがとうございます。
- 92 :
- >>90
>最近の研究
どこで誰が発表した研究なのかい?
聞いた事がないので、論文などの紹介よろしく。
- 93 :
- 恵瓊は何を望んでいたのか?
- 94 :
- 毛利家を中心とした政権作り、あわよくば毛利幕府の設立でしょうよ。
その上で最大の謀臣として権力を振るう、と。
- 95 :
- 家風からするとなかなか難しいだろね、毛利幕府
だが恵瓊なら考えそうではある
- 96 :
- 元を辿れば、毛利は一族の仇だよね? よく仕える気になったもんだ。
- 97 :
- 更に辿ると徳川は一族の仇?というほどでもないか。
- 98 :
- >>96
戦国時代にゃよくあること。信長なんて自分がヌッ殺した弟の息子を平然と使っておろうが。
- 99 :
- >>98
理屈は分かる、戦国の習いだからね。
でも、使う側と使われる側では随分違うと思うのだが。
関ヶ原後に毛利家が滅亡してたら、武田家の亡霊も成仏できたかな?
- 100 :
- 家康としても始末したかったろうし、
毛利側もこいつのせいにして切り捨てたかったろうし、
両者の思惑が一致したってとこかな
- 101 :
- つーか恨むも何も武田の一族は関ヶ原後も普通に毛利に仕えてるじゃん。
改易の後長州まで言ってる。
- 102 :
- >>92
私もその説どっかで聞いた。
秀家が奉納した、戦勝祈願文の日付。
それより前に、明確な三成の決起を示す証拠は無いらしい。
もともと、これまでも定説もほとんど推測から出来てるものだし。。。
- 103 :
- >>101 尼子もそだね。
- 104 :
- >>90
初耳だな
- 105 :
- こいつに限らず外交僧って多いよな
戦国期では坊主どものほうが武者より外交能力他語ったのです?
- 106 :
- 能力以前に普通の武士だったら敵対してるところへ入っていけないだろ
僧であれば敬われる存在だったし、勧進などで諸国を回っててもとがめられない
あと、無学なものが多かった当時は、ちゃんと教養のあるのは僧侶が多かったのもある
- 107 :
- >>30
本物のあぼーんを初めてみた。レスの内容が知りたい…
- 108 :
- >>70
宮城は安国寺がモデルだったのか
- 109 :
- 一度吉川広家と酒飲んで欲しい。意外にうまがあうかもね。
- 110 :
- 暗黒寺会計
- 111 :
- 秀吉に天下を取らせたのは恵瓊
関ヶ原の合戦のプロデュースしたのも恵瓊
- 112 :
- >>3
の実現までもう少し
- 113 :
- >>111
後段は可能性あるが 前段はないんじゃない?
- 114 :
- 恵瓊は首謀者じゃないということか?
- 115 :
- 諸説あるんじゃないかな。
- 116 :
- 恵瓊が毛利の使僧になったのは何故?
- 117 :
- 東福寺恵心が毛利田隆元と親しかったから。
- 118 :
- 竺雲恵心自身が毛利の使僧をやっていたんでしょ
- 119 :
- いつ頃から使僧になったと記録に残ってるんだ?
- 120 :
- >>7
司馬遼太郎も言ってるが
恵瓊は次の天下人は家康とわかっていたのだろうが
自分が作った(と思い込んでいる)豊臣政権を破壊するものは何であれ許せなかったのだろう
- 121 :
- >>120
それは、全て司馬の思い込みです。
- 122 :
- 司馬を読んで歴史が解った気になっている人間が、本当に存在したとは。
- 123 :
- 司馬遼太郎の名前を出せば
てめぇのカス意見も中身を持たせられると勘違いしてるようだからなw
- 124 :
- 「高転び〜」ってのは今はあまり評価されてないの?
3年とか5年の違いなんてたいしたことないし、秀吉と対比させた上での
評価はすごいもんだと思うけど。
書状全体を知らないから、そこでの文脈といわれると困るが。
- 125 :
- >>124
それ最初は偽書と思ったなw
- 126 :
- >124
その書状が書かれたのは天正元年だし、
信長jは謀反で討たれたのだから、恵瓊の予想は大外れ。
「藤吉郎さりとてハの者」というのも、
ちょうどその頃、秀吉が毛利側の予想以上の侵攻速度で
但馬国を攻めていたから(ということもこの書状には書いてある)、
油断ならないという意味でそう書いただけだろう。
- 127 :
- >>126
なるほど。
質問だけど、信長に関しては「今は調子こいてるけどそのうち転ぶぞ」
ぐらいのもので、これは正解かと思ってた。
ほんで、対比してその信長家臣団の中の1武将にすぎなかった猿を
自分が仲良かったかもしれないけど、高評価してる、という意味で
これも鋭い、という感じでね。
それと重要な点だが。
「予言」じゃないですよね。
ノストラダムス的な予言書と現代的に考えるから、当たり外れ、になるわけで
これは単なる「人物評」であり「噂話」みたいな感じですよね。
当たった外れた、じゃなく、あの時点での人物評価が本当に「高転び〜」
つまり絶頂期にひっくりかえされた、ほんで、後を継いだのが猿だった、という
点でやっぱり、驚きなんですよね。
イチローは今はすごいけど、高校の時、プロに入ってもしばらくは普通だった。
それを見出したのはおうぎさん。別に予言者でもないけど、そういう「人を見抜く
能力はすごかった」という意味でね。
今で言うなら五輪で野球代表は「高転び、さりとて台湾オランダあたりは〜」って
もんかな。
- 128 :
- 信長が討たれ、秀吉が天下人になったという結論から、あの書状は凄いように思われているだけで、
冷静に読めば当時の状況として当たり前のことを書いているだけだよなぁ。
- 129 :
- そか?
当時としては信長は日の出の勢いでまもなく天下人になる、
ってぐらいじゃなかったか。
秀吉こそ、優秀ではあるがまさか関白になる、なんて想像もつかん。
当時としても当たり前ではないと思うけどな。
信長が「高転び」なんて表現するのは。
ましてや3年、5年じゃなく10年後だから大はずれ、なんてのは
ちょっとどうかと。
- 130 :
- >>129
今の時代でも政権が成立したら、自称政治評論家の連中は「いつ崩壊するか」を話し合うよね。
- 131 :
- 今の政権とはちょっと比較は厳しくないか。
今の日本は短命で内閣改造が前提なんだから。
当時はいったん天下人になってしまえば、死ぬまで、ってとこだからね。
しつこくて悪いが、すぐに将軍か、なんて絶好調の信長を指して
「高転び」なんてのは足元すくわれる、つまり謀反、の可能性すら
指摘してるわけで、野球の日本代表が台湾に完封負けする、以上の
サプライズとも思うけどな。
ま、深い意味はなかった、と言われたらそれはそうなんだけど、
冗談でもなかなかそういうことはおもいつかないな、って感じかな。
- 132 :
- つーか、細川、三好、松永と、畿内政権は何度か成立しては高転びしているんだから、
信長の政権についても「どっかで躓くぞ」って考えないほうが不自然だろ。
- 133 :
- なるほどね。
あなたは戦国に生まれたら六万石の長にはなれたろうな。
信長はともかく、秀吉「さりとてハ」ってのもあるからね。
やっぱり、将軍追い出したような民衆から支持されない政権と
将軍たてて朝廷からも歓迎された信長政権と同格ってのは
どうかな。
ちなみに、細川、三好、松永は「高転び」とは言わないような。
「悪逆無道の所作にテ、然候成」ぐらいじゃないのかな。
- 134 :
- >132
>しつこくて悪いが、すぐに将軍か、なんて絶好調の信長を指して
>「高転び」なんてのは足元すくわれる、つまり謀反、の可能性すら
>指摘してるわけで、野球の日本代表が台湾に完封負けする、以上の
>サプライズとも思うけどな。
書状の日付は天正元年十二月十二日。
義昭を追い落として、朝倉・浅井を滅亡させたが、
まだ武田もいるし、本願寺もあるし、波多野氏やら何やらも
いっぱい残っていた時期だぞ。
その状況下での発言としては特筆すべきものでもないだろ。
秀吉に関しても、毛利家が直接戦う敵ということで
注意を促している以上のことは読み取れない。
そもそも書状の1割にも満たない部分だけ取り上げるから、
凄く思えるだけだ。まずは全文読めと言いたい。
- 135 :
- >>133
と、自称「俺なら天下取りは楽勝」だんがおっしゃっております。
- 136 :
- 竹内なんとか…だっけか?義昭に味方して「信長の権勢は熟した柿であとは落ちるだけ」と
流言をまいて処刑された公家は。
信長に対する悪口というかネガティブキャンペーンで「高転び」を使うのは常套句みたいなもの。
取り立てて大きく取り上げるようなことでもない。
というか、成り上がりに対する悪口としてはごく普通のものだよな現代でも。
秀吉への「さりとてハ」も、別に他の織田家の重臣達とであって、見比べて秀吉が一番なんて言った
わけでもない。恵瓊は秀吉一人とであってその人物評として持ち出したのであって、別に織田家中
で一番なんて評価はこの中からは読み取れない。
つくづく、ノストラダムスの大予言的超絶解釈だよなこの手のは。
- 137 :
- しかし女の北の政所ですら「天下はつよきもののまわりもの」と言ったぐらいだからなあ
- 138 :
- >>136
予言的、とか言うからおかしくなるわけであって、エケイの
人物評が適確であった、というぐらいでいいのじゃないのかな。
その竹内うんたらは、義昭に味方してる、から信長を悪口言うわけで
人物評としても、ちょっと前提が違ってきてるわけでしょう。
公平な立場じゃないというか。
北の政所の発言もだけど、それこそ、前後とか立場を考えずにそこだけ
切り取ってはいけない。じゃないのかな。
134の意見は、あの時点での信長がまだライバルいっぱい、を指してると
いうことでは同意なんだけど、やっぱり京を押さえてるし天皇も信長対象の綸旨を
出したり、信長がその時点で最も成りあがり的な有力武将ということでは
いいんじゃないかな。
なので、予言的解釈、じゃなくて、信長と秀吉をいきなり対比させてる人物評
結果的にも良い線行ってる、こういう風な感じじゃないのかな。
織田家の中で一番、なんてエケイは言ってないし、にもかかわらず
秀吉を高評価、という点でもなかなかの人物評とは感じるけど。
しつこいが、予言の書として、予言者として、じゃないからね。
人物評として、信長は今は調子いいが謀反でもおこされるかもよ、と
言ったら結果的にそうなってしまった、と言う感じであくまで人物評として
なかなか面白いものとなっている、そういったところかな。
- 139 :
- 質問!
安国寺って秀元と一緒に逃れてたのになぜ京で別れて潜伏したの?
一緒に大阪城にいかなかったのですか?
- 140 :
- >>139
お前戦国時代だぜ?そんなもん真っ先にスケープゴートされて消されるよ。
今の平和な社会と戦国比べて考えても難しいだろうが、戦国時代といえば
今の893よりやばいぜ、みんな人殺しみたいなもんだし、それが職業だ
し、言うなれば山師が「儲かるから」って言って誘ったのに大失敗し、煮
えたぎった893…もとい、何でもありの殺し屋集団の元に帰るようなも
んだぜ。
- 141 :
- 消される、ちゅうか家康に見つかったら逮捕されるだけだもんね。
さすがに大阪城に戻っても仕方がない。
- 142 :
- >>139
秀元と一緒ではないよ、南宮山で別れてる
恵瓊はスケープゴートになろうか?と広家に申し出るも出家してる人間だから責任とらなくていいよと言われ、
落ち延びたら?と勧められ、京都に単独で潜伏ってオチ
- 143 :
- 広家はよくもシャアシャアと言えたモンだw
- 144 :
- 広家はそういう人間なんでしょ。
戦国3大ヤナ奴、ってぐらいだ。
- 145 :
- まあ吉川家が後に本家から冷遇されたのも分かる逸話だな。
安国寺殿が悲惨すぎる。
- 146 :
- 吉川は全く冷遇されてないわけだが。むしろ毛利の支柱。
- 147 :
- >>146
本家に支藩格上げの願いを却下され、家臣扱いされたと思ったが違う?
- 148 :
- >>105 当時、知識人としても最も優れていたのは禅宗(臨済、曹洞など)の坊主だったそうです。鎌倉
末期から室町にかけてもっとも商才に長けていたのは禅寺の坊さんらしいです。公家の荘園を経営していたのも
実務者は禅僧です。寺院自ら高利貸しも行っていてその権勢は(鎌倉・室町)幕府が禅宗を厚遇(各地に安国寺を
建てましたよね)したこともあり、相当なものだったようです。武家はもちろん公家も禅僧の前では赤子同然だった
みたいですよ。今でいえば、頭のいい官僚エリートのようなものでは?
- 149 :
- >>148
反論じゃないけど、その坊さんのバックにはやっぱり「武力」がある。
決して「頭がいい」とか「権威」では人はついてこない。
高利貸し、というのも、昔は夜逃げとか出来なくて「土地」にしばられてた。
そのあたりを考慮しないと、支配層、の解釈がちと微妙になる。
鎌倉仏教、というぐらいで、武力と「ウンチク」がバランスをとってたのですよね。
方便、なんて素晴らしい「言い訳」ですしね。
- 150 :
- つーか、禅宗の場合、武力よりも、先進的な知力と情報力、そして経済力だな。
五山なんて、その経済力で、途中からだが室町幕府を実質支えているようなものだし。
「安国寺」というのは、室町幕府が、五山を頂点とした禅宗の国分寺として打ち立てた、禅宗の
全国ネットワークの中核となる寺院の名称で、その僧侶は勿論、そのネットワークと人脈を活用する事ができた。
そう言うネットワークがあったので、禅僧はいろんなところで外交官として活躍している。
- 151 :
- 安国寺というと一休さんだな。
は、おいといて五山と室町幕府の関係はおもろいとこだよね。
その後信長がうまくトゲを抜いて、秀忠あたりで支配下におく。
このあたりは義教とはちがった手法で、歴史の進歩を
感じるとこなんだ。
- 152 :
- 大阪城天守閣所蔵「関ヶ原御合戦地図」にみられる記述。
安国寺カ馬印ハ天カイ旗ハ白ニ一文字
目ニタチテ勇々シク見ヘシ所ニ
味方ノ旗色アシキヨリ大勢ノ守ヲ押分々々一番ニ逃退ク
- 153 :
- >一番ニ逃退ク
真っ先に退いたってこと?
- 154 :
- >>153
>>152は
「安国寺の馬印は天カイ、旗は白地に一文字。
大変目立ち雄々しく見えたのだが
味方の旗色が悪くなると、大勢の(味方の毛利軍を)押し分けて一番先に逃げ去った。」
って事だ。
- 155 :
- そうですか。くわしくありがとう。
- 156 :
- >>154
> 「安国寺の馬印は天カイ、
天カイって何じゃろ?
- 157 :
- >>156
> 天カイって何じゃろ?
天蓋(てんがい)の事だな。お寺にある
ttp://www.yamano.or.jp/phot/phot-b/tengai.gif
こんなの。
- 158 :
- >>157
坊主で天蓋か。確かに見ればもっともな選択だ。小西行長が冗談で言った薬袋の馬印もわかりやすくていいぞw
- 159 :
- 結構派手な馬印ですな。
- 160 :
- 武将のイメージがないなあ
- 161 :
- 実際武将じゃ無いしなあ。関ヶ原も名目上部隊率いてただけって感じが強い。
- 162 :
- 大名でもないしな
伊予6万石は寺領と代官地
- 163 :
- >>162
兵力は豊臣家から借りてたのかな?
- 164 :
- 毛利だろ
- 165 :
- >>163
毛利の軍事組織「組」を従えて参戦
- 166 :
- 毛利の与力大名みたいな感じかな
- 167 :
- そんな感じかな
- 168 :
- 神山繁が存命の内にもう一回やって欲しい。
- 169 :
- 来年で80歳か でも今年もドラマたくさん出てるね 神山さん。
作左もやったんだ。
- 170 :
- 来年は出るね
- 171 :
- 多分ね
- 172 :
- 三成を通してなんだろうけど
- 173 :
- 直接は絡んでないでしょ。
- 174 :
- 安国寺恵瓊は関ヶ原を落行き僧正谷辺より松尾辺をさまよひしが、やがて七條の道場へ入て隠れ居ける。
此時迄、長沢長七同長八と云両家士付き居けるが、主人安国寺に申けるは、
「いつまでか隠れおふすべきや。終ひには生捕れ申さん。されば生捕て恥をさらし給はんより今御自害有べし。御首は我々共隠し奉らん。」と諫めけれ共、
安国寺おくれたるにや猶落仕度をし伏見より船にて芸州へ行んと用意しける所に、
江州の六角家の士に学弥と云者安国寺を見知り居り早速奥平美作守方へ訴人す。
これに依て召捕の人数押来る由なれば、長七長八相談し、とても逃るヽ事はできず。敵来らぬ間に主人の首を隠し敵来らば討死せんと主人を討んと思へど、
安国寺何分切腹せざれば、兎や角する間に捕方押来りければ、長七長八の両士大勢を合手に戦ひ、三四人切伏せ終ひに両士共討死す。
安国寺は生捕れける。この安国寺の様なる不覚者の家士にはかの両人は惜き士也と其頃人々申合へりとかや。
- 175 :
- >>174
無理矢理押さえつけて、自害させるとかw
- 176 :
- そんなに不覚者なのかね。
- 177 :
- 武家じゃない感じか
- 178 :
- 血筋は名門武家だけど
- 179 :
- 生臭坊主ですね
- 180 :
- 大予言者
- 181 :
- 自分の未来は読めないのはありがち。
- 182 :
- 坊ちゃんだから。
- 183 :
- しかし不動院を残した
- 184 :
- 安国寺不動院か
- 185 :
- 尊氏が全国に安国寺造ったのあまり知られてないよね。
- 186 :
- 恵瓊絡みまで知らなかったよ 安国寺。おっと一休さんもか。
- 187 :
- 秀念さんも暗黒寺だな
- 188 :
- うるさい兄弟子秀念さん。
- 189 :
- この人が主人公の小説とかないのん?
- 190 :
- この人って秀念さん?
- 191 :
- この間まであの「天地人」の作者が
なぜか宗派も所縁も全く無い「公明新聞」
ですさまじく下らん小説連載していた。
- 192 :
- 赤旗で連載始めたとかなんとかの小説家も最近騒がしいな。
- 193 :
- 何が連載されてるの?
- 194 :
- 臨済宗のちゃんとしたお坊さんなのですね
- 195 :
- 血筋がいいから外交僧に迎えられたんだろね。
- 196 :
- 恨みとか気にしなければ 血筋は大事かな。
- 197 :
- 本人が恨んでる風はないね。
- 198 :
- 安芸安国寺住持になったあたりに何かありそうな。
- 199 :
- 安国寺は武田氏が庇護した寺。竹若丸が難を逃れた安国寺。
- 200 :
- 「安国寺」は禅宗の国分寺として足利直義が力を入れて全国に整備したもの。
なので全国各地に「安国寺」があり、勿論相互の情報ネットワークがあり、
外交層にはうってつけの寺だった。
- 201 :
- 怪僧ですね
- 202 :
- 一休さん
- 203 :
- みんなで不動院へ行こう
- 204 :
- 不動院って文化財の宝庫なんだ。知らなかった。
- 205 :
- 不動院行った人いる?
- 206 :
- 不動院(安芸安国寺)はHPを開設してるよ。
恵瓊についても詳しく紹介している。
最近は由緒ある名刹もHPがある場合が多くてありがたい。
- 207 :
- 広島駅−下祇園駅−佐東銀山城−下祇園駅−可部駅−
高松山城−可部の街並み−可部駅−大町駅−アストラムライン乗り換え−
不動院前駅−不動院−不動院前駅−本通り駅−徒歩−流川−ソープ−広島駅
オススメプラン
- 208 :
- 寺に参拝後に風呂屋とは何たる生臭。
まあ恵瓊の寺の後らしいと言えばらしいが。(イメージ)
- 209 :
- 恵瓊は生臭ではあるまい。
- 210 :
- 妻帯してる?
- 211 :
- してないでしょ
- 212 :
- 明治になるまで真宗以外は妻帯しない
- 213 :
- 生臭坊主
- 214 :
- 生首坊主
- 215 :
- *
- 216 :
- 安国寺AK
- 217 :
- 安国寺AKB48
- 218 :
- 人物叢書以上の物はない?
- 219 :
- 保守
- 220 :
- AKG48
- 221 :
- 500年前のAKGは坊さんかい
ついでに保守
- 222 :
- 毎日上げてるのに誰も書き込んでくれない
- 223 :
- じゃあ俺が書き込む
関ヶ原当日、南宮山山麓で戦況見守るしかなかった安国寺の心境を思うと
まじでせつなくなる
長束、長曾我部、安国寺の約1万で東軍後方をつついてみれば面白かったのに・・
と、後のこの3人の運命知っている後世の人間の俺は思ったりもするw
- 224 :
- ありがとう
戦国AKGは人気ないのかな?
有名なのに、いいワルまとめに名前すらない
- 225 :
- >>224
広島に旅行した時、不動院やら宮島の千畳敷と、
安国寺が建立したとされる建物見たけど(千畳敷は未完成だったかな)、
人物像的には繊細と豪快さを併せ持っているお坊さん、みたいな印象を感じたよ
それまではTBS「関ヶ原」の神山さんの神経質そうな?イメージが強かったけど
まあ、豪壮な建物造ったからといって性格まで豪快とは限らないけどね
- 226 :
- >>223
吉川が前を塞いでるから下山は至難だよ。
長束はやる気無いし、長宗我部は元々東軍志向だったのを無理矢理動員だし、
安国寺も采配を積極的に振るう野戦指揮官でもないし。
- 227 :
- 外交僧っつう割には、
外交の逸話で有名なのは織田家とのやつだけだよね
- 228 :
- 武蔵坊弁慶=立ち往生
恵林寺快川紹喜=心頭滅却
安国寺AK=逃亡斬首
AKは最期が地味なのが、ね・・・
- 229 :
- 戦国最大の戦い
関ヶ原の戦犯ビックスリーなのにこの過疎っぷり
- 230 :
- こいつで大河ドラマやってほしい
- 231 :
- >>229
東京裁判でいうところの戦犯だね
その意味では確かにその通りだわ
勝負でいうところの戦犯なら輝、広家、秀秋・・・毛利と両川がビッグ3か
>>230
大いに期待
面白そうだ
無理そうだけど
- 232 :
- 大名時代の居城は何処にあったの?
- 233 :
- >>232
領地としては伊予和気郡6万石だったようだが、本人はどうも安芸安国寺を本拠にしていた感じ。
多少の家臣はあったようだが、恵瓊が出陣した肥後国人一揆や朝鮮征伐、そして関ヶ原も
その兵は毛利からの与力だったっぽいし。
- 234 :
- 僧か僧か
- 235 :
- 安芸武田滅亡の怨みを晴らす
- 236 :
- 子供の頃よく武田山で水晶拾ったな
- 237 :
- 大河ドラマ毛利元就ではとんな扱いだったの?
教えてえろいひと
- 238 :
- あげまし
- 239 :
- >>231
毛利元就と比べたら話題性は無いけどそういう人を取り上げるののも大河だよね。
誰がいいだろう?
- 240 :
- >>237
確か、出なかったはず
でも三船美佳は出てたで、小早川の正室の少女時代で当時16歳くらいで高橋と結婚直前。
関係ないか
- 241 :
- 懐かしい・・あの頃の三船美佳はホント美少女だった
- 242 :
- 渡邊大門『戦国の交渉人―外交僧・安国寺恵瓊の知られざる生涯―』洋泉社・歴史新書y(2011年8月5日刊行/定価903円・税込)
目次
はじめに
序章 安国寺恵瓊の出自と周辺
第一章 恵瓊の本格的な活動
第二章 織田信長・足利義昭との関係
第三章 備中高松城の攻防と恵瓊
第四章 豊臣政権における恵瓊
第五章 毛利氏家中の恵瓊
第六章 文禄・慶長の役で苦闘する恵瓊
終章 運命の関ヶ原合戦と恵瓊の最期
おわりに
おもな参考文献
- 243 :
- 僧ですか。
- 244 :
- 戦国の交渉人―外交僧・安国寺恵瓊の知られざる生涯―
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f11308929%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f15518073%2f
- 245 :
- 坊主で大名w
- 246 :
- 執念・キリシタン・僧侶の自害拒否トリオ
- 247 :
- 首を斬られた輝輝坊主
- 248 :
- ほう
- 249 :
- age
- 250 :
- 結局この人は豊臣政権で大名扱いだったの?それとも僧侶扱いだったの?
- 251 :
- >>250
伊予国和気郡に領土がありましたから、両方でしたね
- 252 :
- >>250
諸説あってはっきりしない。ただ直属の軍事力は持っていなかった(関ヶ原の時も付いていたのは毛利からの寄騎)ので、
個人的には僧侶として扱われていたと考えるべきだと思う。
それにしてもBS−TBSのTHEナンバー2で安国寺恵瓊だったな。何がナンバー2なのかはさっぱりだがw
- 253 :
- 大河ドラマ「安国寺恵瓊」
- 254 :
- 「黄金の日日」で神山繁が演じていた安国寺恵瓊を良く覚えている。
納屋助左衛門がルソン壷を秀吉や秀吉の配下に売りつけた後、
助佐が恵瓊に謁見した際に、恵瓊はこう言った。
「殿下に気に入られたようじゃのぅ、そちの土器(かわらけ)は・・・」
土器を「かわらけ」と読むことを、そこで学んだ。
その後、受験の時に出たんだな、これが・・・。
そんなわけで、よく覚えているんです。
- 255 :
- 来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
- 256 :
- 信長、秀吉、家康の三人を出せるし、安国寺恵瓊の大河ドラマはいけると思う。
- 257 :
- いやルックス的にどうなのよっていう
- 258 :
- 2014/04/13 nhk「軍師勘兵衛」は毛利対織田の播州調略の局面。
安国寺恵瓊、毛利側の外交僧としてしっかり活躍していますね。
別所一門の分断にまんまと成功。
- 259 :
- それと同時に秀吉はすごいと書いてるのがまた未来を予見してるよねw
- 260 :
- 安国寺恵瓊を重用したのは隆景
- 261 :
- 保全
- 262 :
- (-人-)
- 263 :
- 柳生十兵衛や雑賀孫市と一緒に織田家と戦った人
- 264 :
- age
- 265 :
- 関ヶ原安国寺恵瓊隊
平賀元相、熊谷元直、益田元祥、三村親成、井上景貞
杉岡(周布)長次、神村(吉原)元種、宍戸元円、竹井惣兵衛
植木五郎兵衛尉、楢崎元好、平川新蔵、裳懸福寿、刺賀元信、花房彦右衛門
- 266 :
- >>265
なかなか充実してるね。
目の前の東軍に自分だけでも突入してしまえば、否応なしに長曽我部を巻き込めた。
- 267 :
- 怪僧
- 268 :2020/03/08
- 秀吉期の輝元体制が
穂井田元清、安国寺恵瓊、福原広俊、渡辺長
堅田元慶、佐世元嘉、二宮就辰、榎本元吉、張元至
(林就長、内藤正栄)
であるから元清亡き後は自然重い
徳川期になると広俊が重い
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