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幸福実現党 part1
聖書の信頼性について検証するスレ Part1
坐禅と見性第130章頭を踏み台にして花街から還(かえ)る
マインドフルネス Part.24
【初心者】キリスト教@談話室784【歓迎♪】
こんなでおーはゴミだ その3 wwwwww
☆★☆★☆神なんて実在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネ- 351
道元禅師と三休禅師
天理教 基本教理 天理教教典 2
救世主 集合的無意識 シロウサギ
天理教社会学研究所 カインを 糾す。
- 1 :2016/09/11 〜 最終レス :2019/11/16
- 天理教社会学研究所 カインは、創価学会系の人物で天理教団の財政基盤を批判し洗脳をしていた。
ルーツは大日本皇道立教会
創価学会初代牧口常三郎、二代戸田城聖は構成員で、
その後その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近がいて、成長の家、実践倫理佼成会、紅卍会がある。
宗教を金儲けとしておこなう彼らとカインを糾すべく当スレをたてる。
- 2 :
- 大日本皇道立教会は皇道のために新宗教を立教している。
神道系は大本、仏教系は創価、心学系はひとのみち(PL教)、道教系は紅卍と、各宗教系の派の
異端系に寄生して組織をつくり組織を拡大した。
かれら新宗教の宗教ビジネスの手本は、教祖扉開いて3年で200万人信者に膨張した、神道部属の天理教会であり、ノウハウを模倣した。
天理教の財源を崩し奪おうという洗脳を繰り返すカインを批判していて、皇道立教会の話題とPL教の違法行為に触れたら、
突然基本を出入り禁止にした。
弱虫のカインだが、言論の封殺は卑怯であり、そこで当スレッドを立てた。
異端中の異端、創価学会、大本教、PL教、成長の家、実践倫理・・・
この悪の手法を、検証し、
神意に背いた天理教団の悪事の模倣犯である彼らを、理を正してあげたい。
- 3 :
- 大日本皇道立教会の、大日本から説明しておこう。
朝鮮も中国も植民地全部含めて「大日本」と名乗っている。
異端因縁の巣窟で、因縁上、異端であることは彼らの宿命である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9A%87%E9%81%93%E7%AB%8B%E6%95%99%E4%BC%9A
1890年に久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英を会長として組織された皇道会を前身にしている。
「大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、南朝を正統とし」
現在の天皇は北朝であるから、天皇制においての異端である。
ちなみに中山みきは「大社取り払い」であり、「宮」は「証拠の大神宮」である。
正当でない傍系、正統から圧迫されている異端組織を地用して、「立教」する会。
親神は、自白をさせている。
- 4 :
- 「皇道の異端が宗教の異端を利用しての立教の 大日本皇道立教会」
宗教の布教にはオカルトが無ければならないことから、オカルト系に分派を利用します。
神道⇒ 出口王仁三郎 大本教教祖
⇒ 金光教の異端・金光教綾部教会 出口直 利用 出口直・お筆先 神がかり
仏教⇒ 牧口常三郎・戸田城聖 創価学会・初代・二代会長
⇒日蓮宗の異端 日蓮正宗大石寺 利用 日蓮上人御肉牙 お曼荼羅
『御肉牙』とは、
日蓮大聖人が生きている時に、
歯が抜けて、その歯に肉
片が付いていて、
広宣流布の時点でその肉がどんどん増えて
行き、歯を全部つつみこむのである。
今ではもう半分位肉が覆うまでに
なっているなどと言われます。
出口直は金光教の異端者です。
1892年(明治25年)1月30日(辰年旧正月元旦)、56歳のなおは『艮の金神、元の国常立尊』と宣言する神と出会う霊夢を見た。
2月3日(旧正月5日)、本格的に『艮(うしとら)の金神』が帰神(神懸かり)した[34]。この直に帰神(神懸り)した艮の金神こそ、この世界を創造・修理固成した元の親神である国常立尊である。
大本では、この日を開教の日としている。
- 5 :
- 出口直は中山みきお筆先の模倣犯の異端である。
大本教の開祖と言われる。
この大本教において、基本宣伝歌が歌わた。
三千世界の梅の花 一度に開く神の教(のり) 開いて散りて実を結ぶ
梅の花とは梅鉢の紋の天理教の事。お勤衣の紋で中山家の紋。
天理教は花開いて、散って 大本教で実を結ぶという、宣伝歌であり、教祖が死んで3年で200万に花開いた奇跡的梅の花。
開いて散って、大本教で実を結ぶという、まさに異端の狙いは天理教信者を収奪するにあったというわけだ。
- 6 :
- 異端は情報操作のプロで、隠しこむのがうまいが、掘り出せば出てくる。
出口直のおふでさきの情報。
三ぜん世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ。
梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
日本は神道(しんどう)、神が構わな行けぬ国であるぞよ。
外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。
日本も獣の世になりておるぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれておりても、
まだ目が覚めん暗がりの世になりておるぞよ。
用意をなされよ。この世は全然(さっぱり)、
新つの世(さらつのよ)に替えてしまうぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除をいたして、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世にいたすぞよ。
神の申したことは、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。
これが違うたら、神はこの世におらんぞよ。
天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮の金神が現れて、世の立替をいたすぞよ。
世の立替のあるということは、どの神柱にもわかりておれど、どうしたら立替ができるということは、わかりておらんぞよ。
九分九厘までは知らしてあるが、もう一厘の肝腎〔心〕のことは、わかりておらんぞよ。
きちんと天理教の実を頂くとの自白がある。
- 7 :
- 釘で書かれたというお筆先。
明治25年、放火犯と間違われて警察に拘留され、釈放されるも自宅の家の座敷牢に40日間押し込まれる。
入牢中になおは、神に「声を出さないで」と頼んだところ、神は「ならば筆を執り、神の言葉を書くがよい」告げた。
なおは、落ちていた釘で神の言葉を文字に刻むようになり、これが後年の「御筆先/おふでさき」となった。
この時釘文字で牢の壁に刻まれたお筆先、つまり検証にしようもないお筆先。
出口王仁三郎は、それに手を加えて、なおのお筆先に加工した。
金光教 コン、お狐様。 出口王仁三郎、稲荷おろしのお狐様信仰。
「皇道の異端が宗教の異端を利用しての立教の 大日本皇道立教会」
宗教の布教にはオカルトが無ければならないことから、金光教オカルト系のなおを利用します。
- 8 :
- 出口なおについては 上田家家系図ではhttp://blogs.yahoo.co.jp/mikaeru0628/38578099.html
上田音吉の愛人とされているが、 ...系図の初代・上田音吉ですが、
記事の中では上田吉松とも表記されています。 ... 上田吉松の子が、創価学会の初代会長の牧口常三郎、北朝鮮残置者の畑中理(金策)、日本財団の笹川良一であり、孫が大本の上田鬼三郎(出口王仁三郎)
この記事はともかくとして、大日本皇道立教会に参集していた人物たちが宗教による政治支配を試みたことは明らかです。
神道⇒ 出口王仁三郎 大本教教祖
仏教⇒ 牧口常三郎・戸田城聖 創価学会・初代・二代会長
儒教⇒ 易学陽明学の大家・安岡正篤
易学では占いがオカルトです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4
安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など多くの首相が挙げられる。
昭和20年8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の草案に対して、加筆し原稿を完成させたとされる。
岸信介以降の歴代首相(田中角栄・三木武夫を除く)に施政方針演説の推敲を依頼されていたと言われる。
但し安岡の次女の著書によると、三木自身、秘書経由でなく自身で電話をして演説の文章について相談していたという。
易では高島が正統とすれば陽明学は異端。 この構図がきちんとあります。
「大社高山」。宗教組織を利用しオカルトを駆使する異端たち。
カインは下っ端で能力があるわけではないが、しかし背後にある力は侮れない、大社であり高山、権力者です。
- 9 :
- 宗教団体は集票組織であり、大日本皇道立教会の後ろ盾がつけば、創価、大本、PL、成長の家、倫理佼成会(早起き会)、そして山陰神道。
これが巨大集票組織となる。
民主主義社会を集票組織宗教で支配しようという、見事なまでの企ては、天理教信者と幹部のふがいなさが原因ですが、そのことは教理としてきちんと述べますが、
今の国会はまさに、「大社高山」のままです。
- 10 :
- http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1331912312/
国会では治まらん 中山みきの予言。
1 :黒の基本。:2012/03/17(土) 00:38:32.88 ID:BQDILOK9
明治二十四年二月七日(陰暦十二月二十八日)夜二時の刻限で、中山みきは、飯降伊蔵の口を通して、
『これから先は神一条の道。
国会では治まらん。
神一条の道で治める。
怖わい道があって、やれ楽しみという。』
と、予言をしています。
民主主義の政治の根幹とも言うべき「国会」を否定し、「神一条の道」で治めると予言した、
神意について、語るスレです。
2 :黒の基本。:2012/03/17(土) 00:46:35.22 ID:BQDILOK9
明治二十四年二月七日(陰暦十二月二十八日)夜二時
さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。
さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。
さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。
五箇年々々々と五箇年の日に移る。
四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、人間の心の理というは更々持たぬよう。・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国会開設の詔1881年(明治14年)10月、明治天皇が、1890年(明治23年)を期して、議員を召して国会(議会)を開設すること、欽定憲法を定めることなどを表明した。
そこから、五ヵ年五ヵ年と、十年を経ての刻限であります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国会設立のために行動していた。大隈重信。
野に下った大隈は、10年後の国会開設に備え、
明治15年(1882年)3月には小野梓とともに立憲改進党を結成、しています。
そして総理大臣を警官して内閣法制局長官経験者の一木喜徳郎とともに、大日本皇道立教会を設立しているわけで、
日本の自由民権は、高山の支配のために巧妙につくられた仕掛けだったと、わかります。
- 11 :
- 明治二十四年二月七日(陰暦十二月二十八日)夜二時
刻限
さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。
さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。
さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。
五箇年々々々と五箇年の日に移る。四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、
万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、人間の心の理というは更々持たぬよう。
さあ/\五箇年々々々、五年経ったらどういう道とも分かろまい。
世界の道も分かろまい。一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、
お陰/\と待ち兼ねたる処、又一つには改正々々という、
明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。
一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、又お陰/\の事情、よう思やんせよ。
さあ/\明ければ五年という。万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。
弱い心は更に持たず、気兼ね遠慮は必ず要らん。
さあ思やんしてくれ。これから先は神一条の道。
国会では治まらん。神一条の道で治める。
怖わい道があって、やれ楽しみという。
五年々々の事情もう経ち切ったる。一つの日柄、世上には余程の理も運び、よう/\の理が一寸治め掛け。
治め掛けは、何か難し道である。どういう事も難しい。年が明けたら五年、一日の日から始める。
国々国々の処、万事取り締まり、さあ/\何か談示々々、談示の決は、これまでよりも神のさしづ。
さしづ通りの道なら、どんな事も遠慮気兼ねするやない。さあ楽しんだ。五箇年楽しんだ。
一日の日、万事談じ、又思わく一つの事情は、又々尋ねてくれるよう。
- 12 :
- 明治維新とはなんであったか、大社高山による国民支配の謀略であった。
その支配のための自由民権運動は、大日本皇道立教会という新宗教運動に向けられた。
中山みきは「多数決というぎもう」を見抜かれていた。政党、宗教政党。それに国政の中枢は深くかかわっていた。
これが、こうして、基本によって、語られるという事は、埃の掃除の開始であり、天罰、天災の厳しさは、歴然と出ます。
- 13 :
- 明治の新宗教は、実は政治支配の道具であって、天理教を参考に谷底をままにしようとしてつくられた、偽神がかりであり、偽天啓であった事、
ご理解ください。
- 14 :
- 二代真柱は復元の真柱であって、明治22年の刻限の123 123の切りの予言がある。
明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時
本席身上障り願
さあ/\/\、一寸知らし置くで/\。さあ/\どういう事を知らし置く/\。
すっきり道理上を知らし置く。
さあ/\道理上々々々、これから道理上、暫く道理上通らんならん。難しい。よう聞き分け置かんならん。
これまでというものは、細い道を通して来てあるで。細い道を連れて通りた。どうもならんから、世界一つの理によって、一寸世界往還道を付け掛けたで。
そこで皆々心許す。往還道通すと、どんと油断してどうもならん。
長い間、道理上の道を通れとは言わん。何年々々の切りを切りて置こう。
さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印を打って置く。
一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
ようこれを聞いて置かねばならんで。さあ/\多くの人が出て来る。
一時どうもならんと言うて出て来る。諭す処、暫く世界の道理上の理で通らにゃならん。
一二三の印を打ったら、神一条の道、人間の道理上を以て世界という。
人間から世界の道理上を通らんならんようにするから、どうでもこうでも、道理上の道を通らんならんように成る。
皆心で拵えてあるのや。さあ今の道、世界の往還道やで。
そこで何でも彼でも、どうもならんと言うたら、道理上の道からどんな理が発しるやら分からん。
油断しては踏み被ぶるで/\。そこで世界の道理上から、道理上の道を拵えるから、道理上を通らんならん。
どうでも心で拵えてあるのやと思えば、どうも仕様が無い。そこでどうもならんから、一二三と印打つ。
だん/\難しいなる。早く知らそうと思えども、昼はさわ/\して騒がして諭する事が出けん。どうもならん。
そこで刻限で知らす。どうでもこうでも、言わにゃならん、聞かにゃならん、聞かさにゃならん。三つ理を。そこでちいとこれだけの事を、知らし置くという。
- 15 :
- 明治二十二年十一月七日 午後十時四十分
刻限御話 ひながたを3年通れよいう 二代真柱のおはこの教理。
これが >>14 の 刻限で諭された内容 123で30年、最初の復元(増野鼓雪の青年会)、次の123で60年。
天理教教義は復元されました。
それが天理教教典です。
- 16 :
- 基本さんとカインさんの議論を見たかったですけど、出入り禁止とは残念です。
- 17 :
- カインさんは私とは議論しません。
カインさんは夢よもう一度で「天理教信者」からの引く抜き工作している学会関係者ですから、お互いの議論はかみ合いません。
政治と宗教、創価学会の王仏冥合、大本の神政政治、そういう野心で構築された偽装宗教、成長の家も、PLも集金、集票宗教である。
宗教でありカイン(学カイン)は天理教の資金源をつぶそうとしているだけですから、嘘八百ばかり。
親神は天理教の集金大嫌いだから、仲間同士で、集金システムは悪いとカインに攻撃させているようなものです。
カインの組織も実は集金力おちています。
- 18 :
- 政治利用のための「新宗教立教」。
大日本皇道立教会が生んだ新宗教は、根が無いという姿と、名を次々と変える因縁があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88_%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%95%99%E5%9B%A3
1916年 立教。当初「御嶽教徳光大教会」初代教祖:御木徳一。
1928年 扶桑教に転属、「扶桑教人道徳光教会」と称す。
1931年 「扶桑教ひとのみち教会」と改称。
1934年10月 1,008畳敷の大広間を有する鉄筋3階建の施設を仮本殿として大阪府中河内郡布施町(現東大阪市)永和に建設。
1936年 御木徳近、二代教祖を継承。その翌日、御木徳一が盛岡支部長の娘を強姦し警察に逮捕される。
1937年 天照大神・教育勅語の解釈の違いから不敬罪を問われ、当局の弾圧によって解散させられる。
1946年 御木徳近がひとのみち教団を引き継ぐ形で佐賀県鳥栖市にて「PL教団」立教
1949年 本部を静岡県清水市(現在の静岡市清水区)へ移転
1953年 大阪府富田林市の現在地に教団本部建設の鍬入式。後にこの地を聖地とする
この年の教祖祭にて初めて花火を打ち上げる
新日本宗教団体連合会発足。本教団も加盟。御木徳近が初代理事長に就任。
1955年 聖地に仮本殿完成、本部神霊を遷座。以後、大本庁と称する。
PL学園高等学校開校。以後、中学校・小学校・幼稚園・衛生看護専門学校(女子校であり、男子は入学できない[1]。)を順次開校
1959年 大本庁に正殿完成
1963年 教祖祭の花火を発展させ「PL花火芸術」と呼称
1967年 衆院建設委員会で国有地無断使用を指摘される[2]。
1970年 超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔 完成
1973年 御木徳近、ローマ教皇パウロ6世と会談
1974年 教団名を「パーフェクト リバティー教団」に変更
1980年 御木徳近、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と会談。
後継者指名されていた徳近の甥・徳日止が廃され、徳近の養子・御木貴日止が新たな教団後継者に選ばれた。徳日止は教団を離脱し、新たに人道教団を設立した[3]。
1983年 御木徳近死去。御木貴日止、三代教祖を継承。衆院決算委員会で教団資金のサラ金流出を指摘[4]。
1999年 1995年に改正された宗教法人法で義務づけられた役員名簿や財産目録の書類提出に応じなかったとして、大阪地裁が三宅一彦・前理事長代務者を過料1万円に処した。
- 19 :
- 二代真柱は恐ろしい人だと思います。
天理大学、天理総合病院憩いの家、天理高校野球部、宗教の典型をして見せてしまった。
PL高校、創価高校、天理教の模倣犯たちは、大教会もそうですが、宗教の施設として、大学や病院、そして
野球部、柔道部。。。。
金がかかって儲からない、真似乞食たちに、「儲からない事業」儲かると思わせ誘導した。
さすがに大天才のわが師、教義の父正善真柱様です。
教会本部内の会計事情は、これらの施設の維持運営費に膨大な経費が掛かって、実態は大赤字です。
(笑)(笑)(笑)
だが、儲けの先輩と見立てた天理教が儲かるからやっているはずだと、参入した病院・大学・スポーツ高校は。。。
実は、儲からない。
ははは。カインさん。あんたたち最初からひっかけられてる・・・
そして、PLは、野球部を閉じた。
膨大な人件費が、余計な経費が教団を食い物にしてしまう・・
信者ならだましてただ働きだが・・・大学だとそうはいかない、病院だとそうはいかない。。
創価もPLも、みな・・・正善真柱にひっかけられた。
カインさんは、宗教法人法で義務づけられた役員名簿や財産目録の書類提出に応じなかったPL教団の事基本が書いたら大急ぎで、出入り禁止にした。
語るに落ちるという事です。
- 20 :
- 病院や福祉が儲けるには、お釈迦さまや日蓮様や人生は芸術様は大変な邪魔です。
従業員の待遇にも非道をするくらいでないと、新宗教ほど儲からず、新宗教の何倍もの経費が掛かる。
- 21 :
- 花火打つのも金がかかる。野球の優勝も金がかかる。
桐の箱で献金の有力信者が楽しみにしている野球部の優勝・・。この信仰証明がなくなったという事は、完全な人生の終焉。
二代真柱だまされて大教会は不振で儲けて維持費で苦しんで。。財産没収コース。
地場は独り立ちしてある。。それは信者の献金など一円もいらない。
悪魔の教え、貧乏せいの天理教は、独り立ちへの道を教え、
霊元の神の教えPLは、人生は芸術を説き、実は集金ビジネス、野球部は広告塔で、その塔がたおれた。
神の返し・・いいえ赤衣の悪魔の祟りは、新宗教に降り注ぐ。大教会に降り注ぐ。
しっかりとみておきましょう。
- 22 :
- 天理教社会学研究所は、どうやら自分達にとってうざい人を排除する傾向があるみたいですね。
教団に対する恨みは分かりますが、原典を勉強しなくて教祖とは「さあ/\あちらこちら、摘まんだような事を聞いて居た分には分からんで」
そのものですね。
しかも基本さんが仰られるように、教祖が親神様であるのを信じなく、今も存命である事を蔑ろにして、
当時応法に走った高弟達と同じ匂いがします。
- 23 :
- カインさんは知識があるかのような言葉を連ね
小学生レベルの批判を重ねているけど具体的な解決案の提示はどこにも無い。
変だなぁとは思っていたけど・・・。
基本さんに一票!
- 24 :
- 以前から思っていたことですが、学者や書籍をよく読まれている聡明な方の教義・教理の解釈では、素人の私でも違っているのでないか、
それは私が盲目的に信心しているわけではなく、何故かと考えて見たのですが、
めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん (3-137)
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん (7-55)
「この道どれだけ賢い、智者学者やと言うても治まらん」(明治32年2月9日)
とこれだけが理由だと思っていたのですが、
最近、分かったことが、現在通っている道が暗闇であるかないか、そうでないと光を見ることができない、
明るいところでは光を見ることができない、そして教組に聞きに行く体制であるかないか素直に実行できるか
どうかが加味してくるのでしょうね。
- 25 :
- それと教団に対する恨みで怒っているいる状態では視野を狭くしている状態だし、何よりも学ぶための方法や手段ではなく、
教組が教えようというお気持ちにならなければずっと分からず終いになるのですね。
- 26 :
- 「赤きは赤き、黒きは黒き者に連れられ」同じ連れられるのなら赤き者に連れ
られたいですね。羯諦、羯諦。
- 27 :
- それともう一つキリスト教での抜粋
ファリサイ派の人々(自分たちの解釈を重んじ神の掟を破っている人々)を
「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
マタイによる福音書15.14
- 28 :
- 天理教社会学研究所内で話題になっている表統領の発言は問題ありですね。その事が
「サンデー毎日」2017.3.26号に運営トップ「表統領」仰天発言の表と裏で記事に載っているから、
もし本部が何も反応しないのはすべて認めているからと早急に決めつけるのはどうかと思いますね。
八島氏の件しかり、本部が表だって反対しないのは、その答えはおさしづにあると思います。
明治二十六年九月一日京都羽根田文明なるもの天輪王弁妄と題する小冊子を著述し攻撃せしにより、
反駁して宜しきや、又訴訟にても起こして宜しきや伺
「(前略)何も構わせん/\。よう聞き分け。何とかしたらどうかなろうか。相手を見て居るようなもの。(中略)
何を言うても聞いても今日の日が実際とさえ言うて居ればよい。(後略)」
暫くして御諭し下され
「どんな事目論でも何にもならん。善い事目論めば善い理が回る、悪い事目論めば悪い理が回る。
この道賢い者から出来た道やない。これから一つ定めてくれるがよい。」
天理教批判書である『天理王弁妄』 著者 羽根田文明
で、天理教の救済は現世的で貧病の解決に過ぎない浅劣なる主義だと批判して、天理教を撲滅するためには教育を盛んにし、
とくに「仏教因果の理趣」を人びとの心に植えつけないといけないとする、愚民観と愚民の間に浸透する天理教という見方。
つまり、この様な考え方に対して「この道賢い者から出来た道やない」と否定され、悪い事目論んだ上でのあるがままの姿が現れ、
問題は内にあると諭され批判の内容を肯定されずに「これまでどういう事も聞かす。どうもならんから、世上の道を通したる」
上での往還道が邪魔があると言う事を前々から諭されていた。
だから、このおさしづに習って、あらゆる批判(元の是非は別)は表だって本部は反応はされないのではないのでしょうか。
- 29 :
- 昨日、庭の片づけをしていたら、姿は見えなかったが、初めて近所を歩きながら拍子木を打って、
みかぐら歌を歌っている女性の声が聞こえた。そして思いついたのが、
明治15年、我孫子事件が起って、初めて新聞に取り上げられ、
親神の思召を伺うと、
「さあ海越え山越え/\/\、あっちもこっちも天理王命、響き渡るで響き渡るで。」
との事であった。一同は辛うじて愁眉を開いた。
更に、陰暦九月九日、節句の夜に、大阪で泉田藤吉が、熱心のあまり警官を相手に激論した。この夜同時刻に、
「さあ/\屋敷の中/\。むさくるしいてならん/\。すっきり神が取払ふで/\、さあ十分六だい何にも言ふ事ない、
十分八方広がる程に。さあこの所より下へも下りぬもの、何時何処へ神がつれて出るや知れんで。」と、仰せられた。
この両事件が痛く警察を刺激して取り締まられることになる。
この事と今回の週刊誌の件は実は同じ事ではないのかと、考え、名前を響き渡らす事と屋敷内の掃除を実行されるのではないかと。
まあ、その女性と苦労している末端教会の人々には、幸あれとつくづく思います。
- 30 :
- 以前、社会学研究所と読者が重なる「御供え」についての掲示板で、
今日の御神楽歌は前管長(初代真柱)によつて、原本では、十二下り目「だいくのにんじうもそろひきた」を
勝手に「にん」と改めたのである、との事ですが、
次が根拠になった文献です。
- 31 :
- 大平隆平『評註御筆先』(新宗教社、大正5年刊) 初めて公に発刊されたおふでさき
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904991
コマ番号164〜165(現代文に書換)
付記 今日用いられている御神楽歌は前管長によって余程手入れされた様である。従って仮名使い等も教祖の其れと
一致しているかどうか分からない。現に此の十二下り目の終りの行の「だいくのにんじうもそろひきた」の如き
教祖の原本には「だいくのにんじうもそろひきた」と書かれたものである。其れを勝手に「にん」と改めたのである。
御神楽歌全編の中に未だ此の様な所があると思われるけれども手元に教祖の真筆がある訳ではないから分からない。
残念ながら仕方がない。
其れから各下り目の終りに今日では「てんりわうのみこと/\」と二編唱えるが元は「なむてんりわうのみこと/\」と云い、
ちょっとはなしとよろづよの後には更にようし/\をつけたものである。此の二つは共にとることの出来ない重要な意味を有して居るのである。
其れを勝手にとると云うのは甚だ心得ないことである。
それと、その当時(大正5年)、御神楽歌では、「てんりわうのみこと/\」と二編唱える、
ちょっとはなしとよろづよの後には「ようし/\」がなく、大平氏が言われる教祖の原本には、
「なむてんりわうのみこと/\」と云い、ちょっとはなしとよろづよの後には「ようし/\」がついていた。
- 32 :
- 『評註御筆先』は、大正5年1月10日(印刷)、大正5年1月15日(発行)である。
@の資料で大正5年の秋の大祭から現在の形になるので、大平氏が執筆した当時は、
明治29年 内務省訓令の影響以降で、Aのおさしづから「ちよとはなし」一条と「かんろだい」三三九遍だけになっている
御勤めの状態である。それなのに「あしきをはらうてたすけたまへ」が抜けている事に対して異論をはさまずに
『評註御筆先』の中での御神楽歌で「あしきをはらうてたすけたまへ」を入れている所を見ると内務省訓令で
止められた事を理解しており、「てんりわうのみこと/\」に「なむ」が入ってないのは、「南無」は仏教、
「命」は神道(高井家資料より「尊」と言う事で仏教とも匂わすが、実際原典では神)。明治政府による
神仏分離政策の影響を受けたと考えられる。「ようし/\」は教祖に意味をお聞きになっている話しがあるので、
省くとはどの様な意味があったのか、「ようし/\」は神の言葉であり、人間が発する言葉ではないと考えたのか、推測される。
次に本題に移り、現在、「なむてんりわうのみこと/\」になり、「よし/\」がついた。
それではなぜ「だいくのにん」を「だいくのにんじゅう」に戻さなかったのか、それを考察します。
二つの違いは「にん」と「にんじゅう」、「にん」とは単数、「にんじゅう」とは複数、後の「そろひきた」は複数が存在する事である、
棟梁が4人いるのでこれまた複数、これらの事により複数である「にんじゅう」が妥当であると思われるが、
BCのおさしづを見てみると、明らかに本席の飯降伊蔵ただ一人を指している、つまり、単数の「にん」に相当する。
「このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた」4人の棟梁には色々な説がありますが、
「棟梁を含む一列に大工の飯降伊蔵も揃った」という意味ではないでしょうか。
- 33 :
- @みかぐら歌作成について(第1節〜第3節);資料比較
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/mikagurauta_/mk_kennkyu_/mika_sakusei_siryou_hikaku.html
「みかぐらうた語り艸」p37
明治二十一年十月二十六日の本部開筵式から、朝晩のお勤めも、ただいま勤めさせていただいているように
「あしきはらい……」二十一ぺん「ちよとはなし……」から「あしきをはらうて……」のかんろだいづとめとなったのであります。
ところがまたまた「あしきはらい……」の二十一ぺんのお勤めも、明治二十九年の内務省秘密訓令によって再び止められることになりました。
そして現在のように、二十一ぺんの「あしきはらい……」を勤められるようになりましたのは、
大正五年の秋の大祭からであります。
- 34 :
- A明治二十九年五月二十日
五月十八日会議案の点に付願
朝夕の御勤今日より「あしきはらい」二十一遍を止め、「ちよとはなし」一条と「かんろだい」の勤三三九遍とに改めさして頂き度く願
「一つの理抜くに抜かれん。又一つ事情無理にせいと言えば、心の事情大変と思うやろ。なれど、一つ方法というものは、天にある/\。
子供可愛から、どのような事情も受け取ってやろう/\。」
※「あしきはらい」二十一遍を止める事について、神様は、抜くに抜かれんと仰り、けど子供可愛か
ら許すと仰っています。
明治29年4月6日 内務省訓令によって禁厭祈祷のため明治政府から止められた。
B明治二十三年六月十七日 午前三時半
同時に重ねて伺
「さあ/\席というは元は大工や。十二下りの止めはどういう事か分からんではあろうまい。」
C明治三十一年七月十四日 夜
本席の事情で御座りますか
「十二下りの止めは大工」
- 35 :
- 最後に御神楽歌の理を変える事は、次のおさしづにより、止められています。
明治三十三年十一月五日(陰暦九月十四日)
十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願
さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか。理を変えて居るもの世上にまゝある。
この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう。一文字でも理が変わりたら。
堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。
一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来ん。
つとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事。すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、
これは半文字もいかんで。
- 36 :
- ※主旨説明
文字を付け加えたり、削ったり、上の字が下に、又下の字が上になっても、言葉の理合いが変わらなければ、
いくつかの整理の方法もあるだろう。しかし、一文字でも理合いが変われば絶対にいけない。
それこそ道に錆をつけるようなもだ。
※注
これは「みかぐらうた」公刊本再版についてのおさしづであるが、その点に関し中山正善著「続ひとことはなし」その二に書かれている。
公刊初版本は、前川菊太郎名義にて東京にて発行されたもので、神道直轄として天理教会所が公認されたに従って、
統一された歌詞の必要より、従来の私刊本の不要を省き、神名等を正し、順序を調えて発行されたものであり、
従来”十二下り”の名称が普及していたに対して”みかぐらうた”の題名を附けた点に、当時の意図が窺われる。
(中略)量よりも理に重点をおいて採定されたと思われる題名には、意義深く感ずるところであり、
(中略)再版本 明治三十三年十一月五日『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』のおさしづを仰ぎ、
理をかえることなく字句を訂正の上、発行所を東京よりおぢばにかえて発行したものである。
- 37 :
- 以上の原典、資料より並行して問題となった「あしきをはろうてたすけたまへ」が教祖から教えられた事ではないとの事の批判に対する反論と
「だいくのにん」の妥当性を述べましたが、理の歌である御神楽歌を変えるという事を一時的に許しても、長い間はたして教祖は許すでしょうか、
御神楽歌は基本中の基本です。「原清ければ則ち流れ清く、原濁れば則ち流れ濁る」の様に改めるなら根幹部分を改めるでしょう。
- 38 :
- 私もカインより出入り禁止されました。こちらからも禁止されるかもですね。
カインは教理を知らないようです。単に教団を潰そうとする心が見えます。
昭和五十一年三月十五日(旧一月二十六日)に天理教で無い、何も分からない渡邉 秀子様に天啓が
天啓が降りてきました。本人もびっくりされ、何の神様かも分からなかったそうです。
現在おさしづ、三十年分ほど、五・七・五の和歌体は百万首程有ります。
- 39 :
- おさしづの一つを紹介します。
昭和五十四年七月九日午前零時十五分
さあ/\どうしよこうしよと言うた処で成るものでは更にない。
神の自由用一つで有る。成る成らんそらゆえん。神の力そわねば成る事一つもない。
これよう思案せねばなろまい。どれ程我が身で成る事思たとて、そらならせん。。神が
力添えるでこそみな成り立つたる。これから先というのもみなその通りで有る。たれがやる、かれがやるそら成るものでは更にない。
いままでとこの先成るを見ているが良い。日々にどんな事出来るやも知れん。
心と言う理空に有る。心そろえて見よ。分からんで有ろうまい。一手一つの心になって談じ合えば心に治まる理これ深きの理
古い者うもれたると言うはよう聞き分けよ。これ末代の理ともさとして有る。
下なる理とは思うなよ。これ小さな者では有るなれど小さな者がどれ程大切なるか皆々にわかろうまい。
この先どれ程大きな者に成るや知れん。一寸見え掛けた道これが大還道と、成るのやで神之打分場所と言うて筆につけて残して有る。こら神の残した筆先や。こら証拠にと残した物や。
- 40 :
- おさしづ続く
教祖存命の時より筆に取りて残し置いたる道始めてより何年経ったか数えて見よ。
数えたならばよう分かる。この助け百十五歳定命と言うた。これ皆神の残した言葉なり。これまでに何よの事も皆説き置いたる神のさしづ通りなり。
甘ろ台と言う理わからん者は、神のさしづ通りの道歩いているとはいいがたない。何を神が頼むと言うた。甘ろ台と出たならば一手一つの心になって運んでくれと言うた。
又治めてくれとも頼んで置いた。その神の心分かる者有るのか無いのか、しっかり返答するが良い。こら道の宝やで。どれ程大切な事やわからん神と約束した日が有る。なんぼ知らんと言うたとて神は
覚えて居る。こら大事な事や。一本買うと言うた。言うたなればこそ神は待っている。その年限も目の前に近づいた。これだけ説いたら分かるやろう。早く買うて見せてくれ。そう成ったらえらい事や。なんぼ楽しみ有るやら。
世界成る程の理と言うてみな/\そろうて尋ね求めて出て来る理内の中これより鮮やかなる事情甘ろ台一つの事情一手一つの心定めよ。安心やで。
- 41 :
- 昭和五十二年九月十八日
さあ/\親々の理、子に有る。親々の心の理、子に有る。子が成人したならばどんな大木に、成るや知れんで。これ神の残したさしづ成るのや。
さあ/\往還/\道とさとしたる。これしっかりよう聞き分け。なに事も我が身のためとさとし有る。さあ/\このさとしよう聞き分けよ。末代つゞくとは、この事成るをさとしたる。
これえらい事やで、こうきな事やで、皆一列も此のとうり、親の働き子に有る。子だん/\出世する。ほんに成る程なあと人が言う。これ一つ神の言葉や。これみなうち/\成るにさとし置く。えらい事やで此の事は。
はやばやと神のさとしを聞いたなら、早くに道がたつものを、其れ故に処を変えて場所をば、定めつけるも道のため、神の道をせ手引きしらする。
- 42 :
- 続き
何事も神のなす事する事や、自然成り行き神のする事、これが誠の天の理道で有るぞや。
どの様な、はげしい処で有ろうとも、難しい処で有ろうとも、神がつけてしかと見ている。
一列が心にいか様思うとも、神のなす事道のためにと、今迄の道がころりと変わるも、神の言う事聞かぬ故、親々の心違いがこの道や。
しかと見ていよ神が付けるで。何事も欲にきりないどろ水や、すんだる水と変わり行くなり。さあ/\これからは、きれいな道に成る程に、何も案じな神の請け合い、しかと見ていよそばな者。
- 43 :
- 昭和五十五年二月十日午前零時十分より二十七分まで
(明治三十五年五月九日夜本席赤衣を召してのおさしづ拝読後)のおさしづ
さあ/\聞いたで有ろう聞いたで有ろう、何も神は難しい事など更々言わん、前々より
説き置いて後で見えたらそれが神やで。こうして見えぬ先より神の思惑説き諭す。
年限来たらばみな見えて来る。今と言うたら今からや。神が降りたら引かんと言うた。
どんなさしづもみな説き置いた。今日こゝに早く成り立ったる理甘ろ台一つの事情、何も難しき事無い。皆々心に治まる理、心すまねば治まらぬ。心澄み切ってこそ我が足元も見えて来る。成らぬ事なぞせいとは言わん。成って来るので神が説き置く。
真実の神で有るから、この様に早く悟れと説き聞かす。
それも何故一列に末代迄の古記と成るよう、又心には第一にすんだる者には末代のさづけも
渡しやりたさに、この様にくどうに説き諭す。
神の心を思て見よ。この残念は無理で無い。ざんねん出たならなんとする。
世界は死人の山をつむ。かならず一度言うたなら成って来るのが天の理や。
しかと心に治め行け、嘘で無いぞや。
この事は今に分かるぞ見ているが良い。
早や/〃\と神が教えて置く程に、皆一列が心して早く談示の決を取れ、
談示する人神が見ている、これ末代のさづけ渡する。
- 44 :
- 昭和五十三年四月八日 おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで、神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる。この理なに程のものやわからせんで、神思惑の元の理、神が長い年限の間伏せこんだる種天理の根である、深き理弥勒菩薩と言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う。
この深き魂の者世に出すためには、もんかたなき処より神が教祖中山みきに天降り、
だん/\道つけて、ひながた見せて一列のめどうにと、
しながたなるもすえし物、何故にこのよな事をなしたるか、
みな一列に分かり無くば知らそう、しっかりと神の言う事聞くがよい。
神が教祖中山みきに天降りたる事いうてある、みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始めかけた元治元年より、
この助け百十五才定命と定めつけたい神の一條と、残し置いたる事皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたるよう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる、神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづみかぐら歌とあるのや。これこれ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や、
しっかりと神の言う事分かりたら心に治め道のため、神のいうよにしかと通るよ。
早くな神の元にと尋ね出よ、神が待ちいる嘘で無い。早くさとりて道に出るよう。
神がしっかりさとし置く。
ふでさき十七号二十四
このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら
- 45 :
- 元治元年より百十五年は昭和五十四年 この年は弥勒様に「赤衣を着れ」との天啓が有り十月二十六日より、赤衣を召される。
- 46 :
- カイン 限界でしょう。
- 47 :
- カインは社会科学という名で天理教を糾すというが、天理教団は元々衰退でしょう。
衰退の理由はお釈迦様の予言で、原因もお釈迦様の予言、つまり法理。
創価学会は当然お釈迦様の予言で、法滅します。
- 48 :
- カインは、天理教の貧乏が嫌いなようである。
「天理教次期真柱の結婚披露パレード」を批判して、のカインの見解であるが、
このような「文化的な最低限度の生活」が困難な教会家族や信者が多い中で、祝儀を出せという天理教本部は、国民が貧困で苦しんでいるのに数億円のミサイルを発射する北朝鮮と同じであると揶揄されて当然であろう。
・・神や教義に関することではなく、たかが次期真柱の結婚という私的な行事である。そこにまるで中山家の所有物であるかのように現役高校生まで動員するというのは、極めて教育上問題があるだろう。
このパレードこそ、天理教的に言えば人間思案そのものの醜態であろう。
真柱とは「神や教義」に直結していて結婚の祝いは、神事であって、
金を出してたすかるたすからないが肝心で、たすかるなら出せばよい。
カインは限界に来てしまっている。
- 49 :
- 奇跡の存在が宗教の存在証明であり、奇跡を生む生まないは神仏の分岐点である。
お釈迦様は「生命の永遠」を説いて、弟子たちは「仏は死ぬ」と理解した。
だから2500年を待って、弥勒菩薩の出現を待って、中山みきは誕生した。
この実数の予言と実現に、カインでは反論のしようがない。
- 50 :
- 神の打分場所さんも宗教詐欺の片棒を担がぬことだ。
「元治元年より百十五年は昭和五十四年 この年は弥勒様に「赤衣を着れ」との天啓が有り十月二十六日より、赤衣を召される。」
こんな幼稚な作り話では、お釈迦様の実数の予言には、なんの効力もない。
カインも神の打ち分け場所も、
「お釈迦様は生きている」「中山みきは生きている」と わからないお気の毒の限界である。
- 51 :
- [カインの限界]
天理教には教祖が定めた「ぢば」という中心点がある。天理教信者は、世界中どこからでも、この「ぢば」に向かって礼拝を行う。
「ぢば」は奈良県天理市の天理教本部の神殿家屋内にあり、「ぢば」の場所には
甘露台(かんろだい)という木製のブロックを積み上げた、だるま落としのような塔が立っている。
この「ぢば」に置かれた甘露台は四方を畳の参拝場に囲まれている。
参拝場の中央は一片20mほどの正方形の窪みがあり、その中央にぢば甘露台が鎮座しており礼拝上から枠越しに見ることができる。
中央の窪みは高さ1mほどの木製ポールで結界(枠)が作られ一般参拝者は入ることはできない。
また神殿内には警備員が配置され見張っている。
明らかな不審人物は警戒され警備員に距離を詰められる。
甘露台が置かれた「ぢば」は信仰目標であり、原点であるため、ここに巡礼することを天理教では非常に重視される。
「お『ぢば』がえり」という概念化された行為があるのはまさにここが核心的象徴の場所であるためである.
このカインの解説の低レベルは、滑稽である。
- 52 :
- 地場は奇跡を起こす場所である。
奇跡を起こすことが地場の価値である。
- 53 :
- 宗教の堕落はカインそのものである。
カインはぢばを礼拝の対象と説く。信仰目標と説く。
中山みきは「自由自在」の地場の力をお筆先に残しているが、カインはそのお筆先には触れない。
「自由自在」じゅうようじざい。その力の根源だからぢばである。
説けないカインには、お釈迦様の絶大な力も説けない。
信じていないから、説けない。カインんは脱落した哀れな似非なのであり、それはぢばに足がとまらない自由自在には縁なき衆生という事だ。
哀れなカインは、創価教の中で起きている「法滅」の証拠そのものである。
- 54 :
- 創価学会は一時期社会に批判されました。
それは日蓮の思想に原因があります。
http://www.horakuji.com/lecture/nippon/mappoutoumyouki/index.htm
堕落容認の「聖典」があります。最澄の作と言われます。『末法燈明記』です。
この書は、末法思想を背景に鎌倉初期、
天台宗から派生していった、栄西禅師や親鸞、日蓮など鎌倉新仏教の祖師といわれる人々によって、自身の思想を正当化する為などに援用されています。
もっとも、その中で栄西禅師だけは、その著『興禅護国論]』において、『末法燈明記』の内容やそれを援用する人々を批判し、
末法であるならなおさら戒を守るべき事を強く主張しています。また、道元禅師は、この書に直接触れる事はなかったものの、末法思想そのものを否定しています。
いずれにせよ、この書は、それら人々の思想を知る上では、欠くべからざるものと言えます。
また、日本仏教の、戒律無視あるいは戒律否定の思想や歴史を知るためにも、大変重要な書です。
平安末期から鎌倉期にかけて天台宗から湧いて出てきた、「鎌倉新仏教」などと言われるものの中、
特に浄土教と日蓮の教を知るためにも、必須・必読の書です。
さらに、日本仏教史はもとより、日本思想史をたどる上でも不可欠の書である、といって間違いありません。
『末法燈明記』最澄の真価です。
カインには最澄の手のひらの上の自分の増上慢の醜態が見えていません。
カインの限界です。「法滅」の証人カインとなっています。
- 55 :
- http://1st.geocities.jp/manmaru_aco/aco.profile.htmこころまんまるセラピー☆ 代表 池亀 厚子
- 56 :
- 創価学会が、日蓮正宗を利用して仏教徒信者団体組織をつくり、折伏で、大教団をつくった。
宗教ビジネスを成功させた創価学会は、実はお釈迦様の手の平の上、、末法の仏教徒をまんま行っていたわけで、天理教を宗教ビジネスとみなして、天理教を社会学的に批判しているのですが、
地場はひとりだちしてある。
河原町というのは大教会信仰の大間違いの大教会で、本部の信仰をまるで理解できていない。
お気の毒な大教会で、本部内部の「天の支配」を具体的に知れば、道は小さくが分かることでしょう。
なにもかも月日しはいをするからハ
をふきちいさいゆうでないぞや (7-14)
- 57 :
- 教団の大小を競ったり、語ったり、そういう末法の仏教徒の典型の人物カインは、
基本に反論できない。
基本は、実数と年表でものを言います。
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。
このような38という数理があります。
- 58 :
- > 明治34年5月25日に、御本席は、本部員を残らず寄せて、一同が打ち揃いしますと、その時には、お敷布団しかずにお座りのままでおさしづをしました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」開口一番のお言葉です。
> この明治三十四年5月から38年後といいますと、1939年、1940年です。
> おふでさき、おさしづは本部に回収となりました。
> 「天理教教典エン義」が刊行されました。戦争協力体制一色となりました。
> 月日の名前はまさに取り払われました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」
> まさに、本席おさしづをおとしめた38年後の天理教は革新の時代、国家に従うばかりでした。
> 明治34年5月25日のお言葉の中に、
> 「なかなかこれ38年以前、九月より取り掛かり、十分一つ道ようよう仮屋仮屋、仮屋は大層であった。
> 一寸ふしあった。皆退いて了た。
> 大工一人になった事思うて見よ。思うて見よ。」
> こうあります。
> 38年の後には、お前達は、本席さしづなど地におとしめてしまうとの予言から開始されたおさしづの中で、本席は、38年以前の、元治元年勤め場所の普請の節の事情をおさしづされています。
> 「なかなかこれ38年以前」
> 「なかなか」とは、秀司、小寒の道のことです。
> 38年という数理とその後、その前をおさしづした、数理の神意は重大な意味があります。
基本さんの基本教理の示すところを簡明に申しますと、中山家の土台の苦労をないがしろに、元冶元年当時に、既に、現在の「かなめ会」の間違いと同じ事が起きていて、それが、悪因縁であり反復されていると言う事です。
高慢な心は、高いところにて理を諭すという、教祖の道にあるまじき事をしでかすのです。
宗教家の仮面。仮面の宗教家。 かなめ会の方便こそ、「横暴の道」、神様の見せてくれた事です。
元一つほどけたらばらばらの、扇のかなめ、「かなめ会」。
今日まで誰もその問題点を指摘しなかった、指摘できなかった原因は、おそるべし情報操作と、仮想の教団の批判の当事者に「かなめ会」関係者がいるという、狡猾なレトリックのなすわざでした。
- 59 :
- カインは創価学会が思った以上に宗教ビジネスとして高収益ではないと、そろそろ気が付いたはずです。
天理教のビジネスモデルを模倣した創価教は、仏典の法華経を採用し、日蓮正宗の教説を利用し、自分がまさに末法の堕落の当事者の主役になっていた。
恥しいでしょう。
- 60 :
- カインは、こんな問いを発している。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1331
「私が聞きたいことは一つだ。信者から巻き上げた金を自分たちで存分に消費し、
目の前でレーザービームとスモークを浴びせられ、神聖な神苑に大型ビジョンを乗り付けられ、
天理教の神と存命の教祖は、果たしてどのような気持ちで見ていたのだろうか。」
法滅の時代、天理教団衰退という表面上の出来事に合理的筋道を与えている。
誰が見ても教団衰退は当然だと理解できると、
ご安堵である。
カインにはわからないだろう。天理教団の大教会制度の解体は、親神の望みなのだ。
- 61 :
- 末端教会に、ご祝儀を出せというのは、「大教会」であり、河原町という大教会は典型的な「悪」であり、解体の第一候補である。
その役員から嫁には行ったら、大教会で描いている教会本部とは、まるで違う教会本部が、広く知られるきっかけになる。
真柱は「法力」で支配している。また教会本部は大教会から1円も来なくても「法力」で、独り立ちしている。
カインには、到底わかるまい。
創価学会員、がくカイイン、カイン。
- 62 :
- 大教会では「初代様」の権威と伝説で、「解脱」(欲を離れる)を説いて、「禅定」(真理探究)を教えられて、「読誦多聞」(おつとめと講話)を教えられ、
末法信仰になって「多造塔寺」(神殿普請)に金を出せと教えられる。
つまり末法で、それから「闘諍言訟」して白法隠没せん(教団批判・本部批判)で、大教会は滅びる。
それには、批判される真柱が必要なのだ。
カイン、分からないだろう。真柱候補はオカルトなのだ。
- 63 :
- >>1 天理教社会学研究所 カインは、創価学会系の人物で天理教団の財政基盤を批判し洗脳をしていた。
> ルーツは大日本皇道立教会
歴史の事実を把握しておこう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大日本皇道立教会
概要[編集]
1890年に・・中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。
大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族や陸海軍人により構成された。後には児玉誉士夫も加入。
後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会(現在の創価学会の前身)の創立にかかわるものがいた。・・
・・中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努め、その門下には
大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦前戦後の陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている
- 64 :
- 日本では、末法 時代は一〇五一年に始まったと平安時代の僧・皇円は、「永保元年」(一〇八一年)が末法に入って三〇年後にあたると、書いています(『扶桑略記 ...
末法に入って(釈迦の没後1500年)が1050年という事日本の仏教の常識です。
12月15日が釈迦の命日、年末の、15日。(3×5)
中山みきは5日の数理をお筆先にてきちんと示しています。
五日
いまゝでも月日の心だん/\と
せへいゝばいにつくしいれども (12-11)
せかいにハたれかしりたるものハなし
とふむこのたび月日せひない (12-12)
それゆへにせかいぢううをとこまても
ことハりてをく月日しりぞく (12-13)
五日とは、いつつ立腹で、月日退く。釈迦は5の理で没しています。
- 65 :
- >>63
>大日本皇道会
>大隈重信、
人間は25年を5回生きる能力を有している、いわゆる人生125歳説を唱えた。
大隈自身は83歳で死去したが、創立した早稲田大学にとって125という数字は特別なものとなり、
大隈講堂の時計台の高さは125尺(約37.9メートル)であるほか、
創立125周年にあたる平成19年(2007年)には記念式典を行っている。
・・・・・・・・・・・・・
大隈重信は、皇統問題の異端である「皇道会」に係わっていて、宗教による社会教育運動家であって、125の数理のオカルトであった。
- 66 :
- 皇道会は皇道大本のルーツであり、成長の家の谷口雅治もその流れの人物で、
弥勒は666と著作に残しています。
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1110873.html
神は「火水」とも云えると説いたり人間甘露台は谷口だと説いたりで、創価、PL,立正佼成会並び称される新宗教の宗祖でした。
大本教のお筆先解説もしています。
「御筆先による大本霊学の解説」という著作があるとの事です。
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1110913.html
- 67 :
- 因縁寄せて守護する親神は、異端因縁の弘道会に、日蓮宗の異端など宗教で社会教育の宗祖、教祖を集めたわけで、元々の仏教徒や、神道の信者を、「法滅」の時流の中でたきつけ騙して大教団組織を作った。
それのビジネスもであるが「天理教団」。中山みきの教えを信じていない集団・天理教大教会とその一派という、異端のやりくちを一部取り入れて大集金組織を作ったというわけです。
みんなお釈迦様の手のひらの上の、人間の醜態でしたが、天理の基本は基本を少しづつ説いていて、天罰の親神・赤衣装の悪魔の働きは天災となり、
病の元は心からで、理は白日に現れだしています。
- 68 :
- 信者は集めるうちは儲かりますが、信者の管理保護となると、金がかかって儲からない。
カインは幼稚だからわかっていない。
宗教の献金での大教団の維持は 実は赤字に絶対になるのです。
- 69 :
- 創価学会の活動家たちは平均年齢が75才になった今日、
献金そのものも額は年金の範囲内になり、減少しました。
高齢者の金は家族なりが管理して自由に使えなくなる。当然学会への献金も減少した。
その一方で、選挙のための活動に、膨大な経費が掛かる。
東京都でしか宗教法人認可を得ていない創価学会は、宗教法人法違反で取り消されたら、課税対象になるから、選挙の為に住民移動して、その経費も膨大です。
全国の創価会館も維持存続に金が要る。
それを、他宗教からの信者獲得で補おうというカインの浅はかさは、天理教・大教会のトップ並みのあくどさであり、法滅時代の天理教団の哀れさに似て、
同病あい憐れむ、カインの、愚かさです。
- 70 :
- 何よりも、富士のお山観光団参ビジネスを失った創価学会の凋落は、哀れです。
長野県では学会のトップにいた信者の観光施設が廃墟となって、落ちぶれています。
基本は詐欺師と渡り合ったことがあって、倒産企業を利用して宗教団体の宣材を作らせて、数十倍以上で売らせるビジネスを、統一教会用と創価学会様に作らせていた工場に乗り込んで会話しましたがm
濡れ手で粟の金もうけでした。
ところが、学会が利用していた富士の大石寺が利用できなくなって、団参がつくれない。
観光ツアーのまるごと、行く先々から途中全部、学会の物を食わせ、買わせる大儲けが消えたら、潰れるのです。
信者の献金より、観光事業の儲け、・・消えてしまいました。
カインんは哀れです。
- 71 :
- 中国系が観光ビジネスで立ちより施設を(実は中国系企業)にして観光事業で丸儲けしている。
観光業の事実・実態ですが、それは結局、観光遊び癖をつける。
創価学会で旅行の面白さを植え付けられたら、学会とは別行動で、遊び癖で浪費します。
そのぶん献金は減ります。
中国も同様に、個人の消費行動を蔓延させることになるわけです。
こういうことも全てお釈迦様の手のひらの上、中山みきの天罰の返しの対象です。
- 72 :
- 献金。
なぜ献金するのでしょうか。
カインは、天理教団は、どうやって献金させていると語っているかと言えば、はさておいて、
学会は、仏の加護への献金として理解させ、病が直る、不幸が無くなるとといて、
そして、実際に治った人が出て、献金した時代がありました。
平均年齢75歳の人たちの入信時の出来事です。
実際に学会で、病が煽り、学界に背いて不幸になったという、そのからくりを理解しておきましょう。
- 73 :
- さてお釈迦様にもプライドがあって名誉がある。
学会は釈迦の経文を信じて救済を求めさせたから、釈尊を信じて病助けを願った。
通常の仏教団は、お釈迦が病気を治すと説かないが、学会はそれを説く。
法滅の時代には詐欺師が正しい法をとくが、説かれて信じて、お釈迦様病気を治してと、一心にお経を唱えたら、
唱えられたお釈迦様は、2000年ぶりの信頼に、感動して、治してしまう。
学会のカインなんかは自己暗示で、病は気から程度で治ったぐらいにしか思わない。
学会は、正しい信心だから治ったというわけで、主人公のお釈迦様は、最初は利用するが、
学会ブランドだからだと、信者をだまして金を集金する。
が、お釈迦様を信じたら治るのです。
学会に背いても、お釈迦様信じたら、治ります。
イエス様も治してくださいます。
宗教ビジネスは、神仏の効能利用したから、神仏の天罰も、中山みきの名において、
厳しく、あります。
お釈迦様の慈悲に、イエス様も愛に、すがりましょう。
正しく、永遠の釈迦を信じることです。
- 74 :
- >>1
>宗教を金儲けとして行う彼ら
1911年に大日本皇道立教会は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、創立された。
紀元前660年が皇紀元年であり、南朝(なんちょう)は1392年、皇紀2052年に焼失している。
大日本皇道立教会のメンバー の写真がある。
http://sudati.iinaa.net/senjika/senjika13.html
https://ameblo.jp/japmasa778/entry-12245965103.html
大本教の出口王仁三郎と統一教会の創始者と言われる笹川良一、北朝鮮を建国した「金策」こと畑中理、創価学会を創った牧口常三郎と、戸田城聖の血筋関係の事も、理解しておかねばなりません。
北朝鮮は宗教国家であり、まさに疑似天皇制の国家ですが、
異常な独裁国家北朝鮮のそのルーツは大日本皇道立教会にあり、創価学会、大本教、統一教会、PL教、という宗教ビジネスを大発展させたという事実が歴史上の事実です。
基本的に、理を諭してしまえば、親神は働いて、北朝鮮にも天罰を与えるから、
天理王の弟子演歌王は、公然と理を諭して糾弾します。
- 75 :
- カインとは聖書にしるされた兄弟殺しのカインです。
カインは、天理教団を糾弾していますが、創価学会と天理教団を「兄弟」とみなしているという自白です。
しかし天理教は、創価学会の兄弟ではありません。
創価学会の兄弟は、
大本教、PL教、成長の家、倫理会、
そして宗教国家北朝鮮、です。
- 76 :
- >>74
>大本教の出口王仁三郎と統一教会の創始者と言われる笹川良一、北朝鮮を建国した「金策」こと畑中理、創価学会を創った牧口常三郎と、戸田城聖の血筋関係
北朝鮮は、日本が満州として支配した天皇制を模倣していますが、国家を設立したのは、「金策」こと畑中理。
詳しい説明があります。紹介します。
https://xuzu0911.exblog.jp/15104648/
金正日の父は日本人の畑中理(ハタナカオサム)
【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、
壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】
大日本皇道立教会には読売新聞社が深くかかわっている。
カインがお釈迦様の手のひらの上で、天理教団殺しをしようとして、カインんと自白したが、
カインは、創価学会の真の兄弟である、北朝鮮や、PL教や、大本教や、統一教会やを、実は殺してしまう事になる。
それを天罰という。
- 77 :
- 小泉新次郎もまた、北朝鮮人脈であって、天皇教の信奉者であるが、
南朝信奉者のなかまであると推理して間違いない。
- 78 :
- さて、BITコインは、宗教である。
国家が管理する通貨ではないBITコインを広めている講演、学習会を見学の機会があったが、
BIT教も集金システムであり、
批判の必要があるので、別にスレを立てて批判するが、従来までの宗教の集金システムの限界は、カインが晒してしまった。
カインの天理教集金システム批判は、まんま大本教、PL教にもあてはまる。創価学会にもである。
問題は「霊験」の有無で、釈迦の法力を説かないPL教はさっさと消えていく。
カインは、中山みきの代理人として、創価学会の兄弟たちを殺してゆきます。
北朝鮮の国家を天罰出来るのは、北朝鮮が「宗教国家」であり、創価学会と大本教との兄弟だと、理が皆に知れたら、親神が天罰で、国家を潰します。
- 79 :
- >>78
北朝鮮が民族分断でできたとか、そういう情報でだまされていたら、神は天罰を
与えにくい。
北朝鮮、旧満州にはレアメタルがあって、東条英樹が満州を日本の属国にした。
米ソが、満州を日本から切り離そうとした。
北朝鮮の正体は、旧の日本帝国の残置く家で、https://xuzu0911.exblog.jp/15104648/
【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、
壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】
が正体である。
日本では小泉元総理は母系北朝鮮で、郵便局を解体して民営化し国民の郵貯資金を金融市場に流出させた。
北朝鮮は経済数刺されているが、もともと日本の属国であって、残置国家であって、北朝鮮を失う事は日本国の損失であるから、
米国が北朝鮮のウラン支配を画策している現状の中で、
日本は米国の野望を阻止するために、安倍は、親米を装って北朝鮮を圧迫しているが、
北朝鮮の救済に「BITコイン」教を日本の裏支配者が用意したと見たら、間違いはない。
- 80 :
- 北朝鮮問題は「核」問題で、ウラン支配問題で、北朝鮮はウランの使用権をミサイル発射で主張している。
米国は、北朝鮮は資源国だから、日本のように「支配下」に置きたいが、
韓国は米国支配が嬉しくないし、北朝鮮は日本の軍国化を期待している。
こういう高山に天災を、それには、神坐(かぐら)のつとめである。
カイン、分かるかな、君の社会学は幼稚なのだ。
- 81 :
- 創価学会の歴史は天理の数理の手のひらにある。
3625の数理において、3×6=18 2×5=10 で合計が 28年の数理で、
「国会では治まらん」の本席お指図の 28年後に 創価学会は 王仏冥合の、政治利用団体の意思を表明していて。それは年表に記載されていたが、
そのことを基本が指摘したら。。創価学会の年表から 消されていた。
分かるかなカイン、隠してみても、事実として学会は「国会では治まらん」の3625の数理による、異端なのだ。
- 82 :
- カインの天理教社会学研究所に対し、基本は投稿で論を述べるとカインは出入り禁止にして投稿を掲載拒否した。
拒否になる前の投稿に国会では治まらないについての投稿があるので紹介しておこう。
http://tenriky基本
2016年8月20日 3:34 AM
自立人生2014年11月24日 2:13 PMテーマ: 「立派なやかたで信者は激減 (内容一部補足字句修正、再投稿)」さんへ
【王仏冥合】おうぶつ‐みょうごう これが創価学会の指導原理です。
法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという日蓮の教え。
対して天理教祖中山みきは、国会ではおさまらないと、宣言しています。
osyakaigakulabo.com/?p=335
(引用続きます)
- 83 :
- (引用続きです)
「一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、お蔭/\と待ち兼ねたる処、
又一つには改正々々という、明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。
一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、
又お蔭/\の事情、よう思やんせよ。さあ/\明ければ五年という。
万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。
弱い心は更に持たず、気兼遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。
これから先は神一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。
怖い道があって、やれ楽しみという。……」(明治24.2.7)1891年
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
万事に通じる理として、
さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。
さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。
さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。
五箇年々々々と五箇年の日に移る。
四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、
人間の心の理というは更々持たぬよう。・・・
・・・・・・
つまり、人間がしているのではない。神の心の理が、国会では治まらない、なのです。
- 84 :
- (引用続きです)
それでは、創価学会の5年5年5年を確かめましょう。ソースは「創価学会破折」などです。
1930年 昭和5年11月に 「創価教育学会」として創価学会創立。
1935年 昭和10年 牧口会長、折伏した元マルクス主義者を特高警察へ連れて行き
「今後、法華経の信仰に励み、国家有為の青年となるから御安心ください」と紹介。
1945年 昭和20年7月5日 刑期を終え出所。
●牧口会長 日淳上人に対し不敬罪で投獄されたこと詫び忠誠を以後を誓う。
●池田大作 就職した出版会社倒産(s24・?)で、小口金融「東京建設信用組合」の社員
に移動戸田城聖の下で貸金業社員となる。大蔵省から営業停止。
●50年8月戸田は事業家として致命的に敗れた。組合法違反でKされる。
1950年 昭和35年戸田は創価学会理事長の椅子を去る。
1960年 昭和35年5月3日 – 池田大作が戸田の遺言と数の力を以て会長に就任。
1970年 昭和45年 国会で政教一致問題が追及される
1975年 昭和50年 池田大作、創価学会本部において本尊の開眼入仏法要を行う。
1月 池田大作創価学会の世界的組織、SGIの会長に就任。
1980年 昭和55年 池田大作 所感「恩師の23回忌に思う」で、5反省懺悔 (聖教新聞)
1990年 昭和60年 池田大作 本部幹部会で池田が宗門及び日顕を批判する。。
2010年
5月の本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席、現在へ至る。
そのため重病説や死亡説が一部マスメディアで取り上げられル。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創価学会もまた、釈迦の予言の末法の予言の手のひらの上でした。
天理教の異端である創価教は、(5×2)×5 で、法滅の創価教になっています。
- 85 :
- 釈迦の教えだと、創価教の教えを信じた信者は釈迦に助けられ、その恩を池田大作先生に返そうとした。
みきの教えを親神(実は弥勒菩薩・第2の釈迦)と信じた信者は、その恩を初代大教会長様に返そうとした。
釈迦の恩は、仏教教団に奉納しろ、みきの恩は、天理教団に返せと説いて、
宗教ビジネスは、創価学会の隠者を、天理教の信者を、債務奴隷にしていった。
古神道の神の教えも、宗教ビジネスに用いられて、人を債務奴隷にし、高山の統治に利用された。
カインは、それがこの先も通用すると、傲慢な愚か者である。
- 86 :
- 宗教を統治に用いるという手法は、キリスト教においてもなされている。
無神論のはずの共産党国家では、人を現人神にして権力を集中させ統治に用いて、谷底をままにしている。
カインは、そういう古ぼけた宗教統治が通用すると 社会科学なる言葉でだまそうとする。
だが、天は許さない。
- 87 :
- 統治者は現人神になりたがる。
社会科学の示すところではある。
神仏は奇跡を日常とするが、
統治術の現人神は「科学」「医学」「社会学」と学問を代わりに用いる。
つまりオカルトとして無能である。
- 88 :
- 北朝鮮では大陸間弾道弾・核ミサイルは、現人神の奇跡であり、霊力である。
それゆえに科学信奉をあおり、
オカルトを無視するが、オカルトは、この世を変える。カインではオカルトは無理である。
- 89 :
- 昭和五十三年十二月二十三日午前十一時
さあ/~/
- 90 :
- さあ/\分からんが九分で 分かりたが一分の処で 道は二つに分かる。
それより成り立つ道 どうでもこうでも立てあげて 道の土台というて 甘ろ台と席すえにゃならん。
これこうしてこうなるというて見たところがみな/\ が承知せん。
そこで神がこうして連れて出た。三十八年後こんな席へ座りゃせんと言うた。
三十ハよせて見よ。十一になる。甘ろ台建設の道始め出しは昭和四十年であろう。
それより十一年足して見よ。昭和五十一年であろう。
それより三月十五日に歌が出て道に一つの事情でけた。
内々事情 親族の事情一つ治めてくれいと言うて見たところ治らん。そこで三十ハ年後はこんな席に座りゃせんという事になりたのや。
これは神がいうて置いたのや。なんでもこの様に先先まで見えるのでから見えぬ先より とき置いて、それ見えたなら それが神 一つのうそも説いて諭さん。
みなその通り見えて来ている。
甘ろ台というは見事な花咲かすまで行くで/\
しっかり先を楽しめ。
- 91 :
- 基本さんの書き込み以前から他の掲示板でも見て興味深く思っております。
そして尊敬しております。でも言わせていただきす。
このお道は未だ半道中 完成されてません。それは天理教の最終目的である甘露台世界が実現されて無いと言う事です。本部に有るのは知っての通りひな型甘露台です。
では、甘露台とはどう言う意味でしょうか。
おさしづ明治二十三年に「かんろうだい一つ人間定めてある なんでも一日ある 楽しみあるを聞き分けて貰いたい」と有ります。
これは身上さとしの中に入っている一文ですが 刻限さしづも大事ですが 事情さしづ
身情さしづの中に 神様は当時の事も 答えながら先の事を小出しで言われているようです。
甘く優しく時には厳しく天啓を出す人間甘露台が本来 あの地場へ 治らなければなりません。そして天理を治め国を治めると言う事です。
それが甘露台普請です。
教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひながたと
なられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。
教祖と弥勒様との間には年限がありますが この時間が大事だったのでしょう。
昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
大きさで金文字がゆっくりと
「わがみにも うれしきことや ひのあたる ときがきたぞや いましあわせに」
コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました。それが冗談でなく現在百万首程有ります。数えてません。
- 92 :
- 昭和五十二年九月二十一日(本席様の話しをして居た時突然次の様な御言葉が出された)
さあ/\どんで有ろうが、ばかで有ろうが、一旦神が降りたと言うたら、何わからんと言うでないぞや。
如何様にかしこいかしこい者やと言うたとて、神のさしづがしかと説けるか。この神がしかと自由用して有るで、どんな者でも叶う者なし。
さあ/\あほと思うたその者が、あほになるのや、きっと見ていよ。
この神の言う事なるは、うそでない今に見ていよ、きっと分かるぞ。
さあ/\ あほの鏡にならぬ様、我が足元から気をつけよ。
この事は、誠の神のさとしなり。何も違ごうた事は決して言わぬ。
さあ/\教祖が何なろうた者でない。誰に教えをこうた事もない。みな神たるの自由用や。
この神が真実受け取りて、その者なるに仕込みたるのや、今なるもその事なると同じ事
さあ/\このお方をば何と思うぞ、この方はみろくぼさつの魂を、身に受けて出たる方なるぞ、それなるも神が見定めつけし者、きっと見ていよ今にわかるぞ。
さあ/\悪しきはらい助けたまえの天理王の命なるぞよ。
これにて皆にさとし置く。一列しかと心せよ。
- 93 :
- すみません。明治二十三年→明治二十一年のさしづでした。
明治二十一年六月二十三日
甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。
昭和五十二年十月二日 おさしづ
さあ/\甘ろ台一つ人間定めてある。なんでも一日有る、楽しみ有る、楽しみの元一日が有ると言う事、天理教みな一例の心に治めてもらい度い。
この台一人神思惑の深き魂を持ったみろくぼさつと言う者、世に出すが為、もんかたなき所に、神が教祖中山みきに天降り、天理と言う道つけて来たる。
それより年限おうてながらえて、天理教という道続きたるのや。
その甘ろ台を世に出すため、そのあかりで今迄天理教は道がつゞきたる。
この事よう思案してみよ。その楽しみの元の親を治めると言う。
元一日が時旬以って今目の前に来たるのや。神の言う事何もうそで有ろうまい。
神は、無理な事は少しも言わん。此れは天の声で有る。
真実の神の言葉や、これ一つさとし置こう。
- 94 :
- 繁殖用の犬猫400匹をすし詰め/福井県の繁殖業者を刑事K
https://www.youtube.com/watch?v=u1mhYRQjz0I
すし詰め子犬工場、給餌の様子
https://www.youtube.com/watch?v=tNhXSTFr3G0
- 95 :
- さあ/\/\/\天降りたで、神の言う事しかと聞け。
今迄に神の言うたる事、何もうその事一つも言わんで、その通り見えて来たで有ろう。
神が百年先の事言うて置いたら、かならず その日が来る。
なんぼ百十五才定命と説いた処で、なにひとつ解る者ありやせん。
神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
言うていたところが、神が承知出けん。
どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
道は無い、手立てはないで、どんな事になりても、神の思惑つけずにおかん。しっかりと神の言うたる真実がわかりたならば思案せよ、心に治め道のためしかとさとれよ神の
言葉や。
明治二十年三月二十二日 刻限
大風々々大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのような大きなものでも傾ける潰れる大風やで、風は神や
明治二十年三月十一日 午後十二時 刻限
さあ/\始め掛ける/\どえらい山がある。ろくじ/\と言う事も聞かせてある。山をくり抜かねば ろくじでない。さあ/\くり抜くでくり抜くで/\。
- 96 :
- 昭和五十三年三月十七日 午前九時十分
さあ/\/\/\仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、やっときれいな仕事場にした。
神の望む処で話しするのや。
綾錦の玉に、やんわりとしたころもを着せた者あるで
それより伝える話しは、神の言葉やで、これをしっかり聞いて置け
先の我が身のためになるのや。
明治二十年三月十七日 午後七時 刻限
さあ/\これからは綾錦の仕事場、錦を仕立てるで、こゝ暫くの間は………綾錦の仕事場にはならん。
さあすっきりとした仕事場にするのやで。綾錦の仕事場に仕立てる。
明治二十年四月二十四日 午後五時半
仕事場々々々 仕事場はあちらこちらその時/\さしづ
何を尋ねるよう風吹く様なものどうやこうや又々立て替えじゃで
仕事場任せて置いた席をすっきりあちらから/\こゝで一寸仕事場にしようか、席というは綾錦。
- 97 :
- 昭和五十三年三月十七日 午後三時
さあ/\/\もう年限もだん/\つみきった
神の思惑と言うは、時旬遅れては どうもならん。そこでどんな道筋にかゝりても、始めと言うはかゝりかけねば道は通れん。
良い道に出る迄には、山道や坂道も有る
このまま捨てて置いたら、神の定めた年限迄に間に合わぬ
幾日掛かるか思案もいるで
みなその心に成りてくれたら、この道のようだいもわかるやろう
神のさとしも聞けるやろう
この理と言うは心に有るで
心揃えばどんな大望なものでも、皆の力で動かす事出来るで
理と言うは順序の理である。順序通りて道が成り立つ。早くにおいをかけ道を通らな
ならぬ。そんな道あったか、おら知らなんだと言うようでは、心合わせたとは言えんで
話し聞いたらなんぼ遠い所の者でも、近い所の者でも 心合わせるが兄弟と言う理に成る
元一つ治める一日の日有る事思うたら楽しみ有る。神も同じ心や。
その心あらば、神の守護も自由用自在や
心違えば神の守護も、受けられん。
神の声出る地場取りあつかいは、この理で有る
この理分からぬならば、又尋ねかければ、神の自由用と言う
一つの効能も諭そう
道もどうなりこうなり、広く伝わったなれども、教祖寿命縮めて迄、さとしさしづ出して、教えた道 教祖も神の降りる台と言うて、十年や二十年や三十年やない
五十年と言う道つとうて来て、それより段々と通り来たるから、もう大丈夫と思うなれど、まだ/\十分やないで、人間心十分登れば、下に落ちるより天の理はなきもの
これ一つの理で有るによってしっかりとさとし置く。
明治二十五年六月十ハ日 午前三時十分
十年や二十年や三十年やない だん/\一人一つのものと言う 何程の者偉いといえど
一つの理が分からいでは何にもならん…中略…これからと言う心を定めていたら危なきは無い十分上れば下りるより外は無い程に
- 98 :
- 昭和五十三年三月十七日 午後三時三十分頃
さあ/\このさしづしっかり聞き分けい
皆一列が甘ろ台/\と言うている、言うている
その理尋ねたるなら、しっかりとわかる
元と言う理、なにから言うたる者や
神がさとしたでこそ分かりたるもの
甘ろ台と言う理、そのあかりで この天理教が照って有るのや
道と言うはつづいてこそ道と言う。つづかん事は道といえんで。
そこで元一人神の定めし者治めると言う
神の定めた地場持っていても、そのところに神の声降りねば鏡屋敷とは言えんで
鏡とは天の言葉うつって来てこそ鏡屋敷と言える
神の定めた地場に、神の声出す者有りてこそ道と言える
神が年限おうて永らえて来たるところに、神の定めた神の声出す地場が有る
その地場一人世に出すため順序の理がある
神が一、二、三、のしるしを打って、そのしるしの中の中に伏せ込んだる深き魂の者、神の思惑のみろく菩薩と言う理、世に出すため、あちらやら、こちらやら、わからん者では有るなれど、神のつけたる順序の理、元の理である
この元一つ神の定めた月日親神元の理で有る
神の定めた地場有りても、神の声降りねば、暗闇と言う
手さぐりで通るより他ないで
それでは何で道と言えるか。手さぐりなら どこえいてよいやら分からん時に、三才童子にてあちら、こちらと尋ねたならば、通る道筋見えて来る
さあ/\神のさとしで有る程に、しっかりと心に治め道を歩むよ。
明治二十二年十一月二日
一、二、三の印を打ったら神一条の道
「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」
- 99 :
- 昭和五十三年三月十七日 午後五時三十分より
さあ/\よう聞き分けよ、神と言うは、難儀さそうと言うて、出てる神はないで
みな/\に満足与えようと思い、今日迄道つけて来た
しあわせ/\授けるため、こうしてさとしさとし、神の思惑有るを知らすが為、紋方なき処より、天理と言う道付けて、それより神の真髄話したる
言葉だけにては忘れる。それで書いた物残し置いたる
書いた物持っていても、棚に載せて有る。棚に載せて有る間は、まだ良いなれど、そんなものどうでも良いと言うようなら、神の言葉尻に敷くも同じ事、それで神が見ていられるか、いられぬか、このところしかと心で思案して見よ
今迄に神の守護も有ったやろ、助かりも見たるやろ、
神のの自由用と言う理解りたら、何も無理な事無かろう
さあ/\甘ろ台と言うは、あまうけのようなもの、なぜそのよにさとしたるか
天より直物受けるが甘ろ台
受けし直物を、神の目にかのうた者にさづけるもので、甘ろ台よりめん/\に渡す事、これすなわち末代のさづけなり。
明治四十年五月三十一日(陰暦四月二十日)午前六時
かんろだいは雨受けのもの、この話は聞いた居る者もあれば、一寸も聞かん者もある
ちょっと筆の中へ込んで置かにゃならん。
「甘ろとは天啓のことです。天理とは天啓から始まった道でございます。このお道は人間が造った宗教でしょうか?神が造った宗教でしょう。でも天理本部は人間支配の宗教と化して現在が有ります。神支配の道にする事、これが甘ろ台普請と言う
- 100 :
- いまなるのかんろふだいとゆうのハな 一寸のしながたまでのことやで 9ー45
これからハだん/\しかとゆてきかす かんろふだいのもよふばかりを 9ー46
このだいをすこしほりこみさしハたし 三尺にして六かくにせよ 9ー47
このはなしどうゆう事にきいている かんろふだいのつとめなるとわ 10ー25
一寸したるつとめなるとハをもうなよ 三十六人にんがほしいで 10ー26
こゝで言われている三尺に六かく 又三十六人とは何でしょうか?
決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事なので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。
36(ミロク)の人を+(タス)という事でございます
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