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天理教 基本教理 天理教教典 2


1 :2016/07/16 〜 最終レス :2019/01/10
前スレhttp://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1389806893/
天理教 基本教理 天理教教典
を継続し、スレを立てます。

2 :
http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1389806893/
>>541 :基本。:2016/07/02(土) 06:05:42.05 ID:2l56/WQz
> 中山みきの本音は、高山との神と上とのちから比べにあること。
> それを実は教典第2章は説いている

テロ国家の支配層は、大社は死して後の天国を諭し殺人を神の御心と説き自殺をすすめる。
繁栄国家の高山は、医療と教育を保障し、科学による地上の楽園を説き示して、実はコストを被支配者に多く負担させて支配層の甘い汁になっている。
このカラクリが見えないので高山は膨大な医療費と学資を負担させて、当地の武器としている。

しかし、病がなくなったら、医療費はいらなくなる。
中山みきと高山の力比べは、病の問題において、きちんとなされることになる。

人々の心が澄みきつて、真実の心となつた暁には、
たすけづとめによつて、甘露を授けられる。
これを頂けば、人は、よく百十五歳の定命を 保ち、なお、心次第によつては、いつまでも生きさせてやろうと教えら れる。

  このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを         四 93
  はや/\と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる        一四 92

 二大真柱の応法レトリックにひっかからぬことだ。
 お筆先を読めば、神楽つとめで甘露がいただけるのではない、たすけつとめで頂けるのであり、病まないという経済効果は谷底を救う。
 医療費の補助ではない、病まない。こんな谷底救済は、中山みきしかできない。

3 :
おさづけというのは、病助けで集金するための道具でも信者獲得の手段でもなく、
実はこの世界をたすける力くらべの手段であった。

天理教教典をちゃんと読んだら誰でもわかることです。

病助けは世界を変える、中山みきらしい手段ですが、医薬妨害で警察から追及された、その意味です。
科学より魔法、医学より魔術、赤い衣装の魔女と黙示録に予言されたみき姉さんの力、甘く見ないことです。

4 :
黒衣では言えないこと。
赤衣でしか言えないこと。

この違いですかね。人はそれを既知外と呼ぶのかも。

5 :
現代科学はみきの天理に勝つだけの力があるか?
無謀な闘いです。
赤い衣装を嫌った官憲は、みきの力を実は恐れていたと解せます。
教祖伝史実においてのみきは老母であり百姓女であり無力であったと見えますが、成人の足らない高弟たちは黒衣装を着ることで官憲に認めてもらおうとした。
そういう経過において、人衆が10人いないと働けない理の仕組みの意味は重大です。
大工の任、そして道具、立教以来、この人材はいつテンの10人になるのでしょうか。
心をしっかり揃えるにも先ず10人という具体的な数字が集まることです。

たすけ一序は、道具が集まって、開始されるという天理は、裏主題として心得るべき事柄です。
一人ではサッカーは出来ない、一人では世界の普請は出来ない。
ここをわからないと、人間完成を目標に置くという大間違いにはまるでしょう。

6 :
精神医学では、中山みきのような神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び、
人間の主体性が失われて起こる「精神分裂病の一種」としています。
このような精神錯乱・精神分裂の妄想が出発点となっている天理教など、
まともに信ずるに値しませんし、誰もこれで救われることなどありません。
「万物創造の親神」などというものは、単なる中山みきの妄想の産物です。

7 :
現在の天理教は、オギャーと生まれたその瞬間から、50年後の立場が決まっています。
末端教会の息子は、境内掛→大教会青年→末端教会長
本部神楽勤め奉仕者の息子は、本部青年→准員→本部員→本部神楽勤め奉仕者
このような現状、現実の中では、真の10人のつとめ人衆が揃う事は難しいでしょう。

8 :
>>6
オカルト、神秘を否定するのはイエスキリストに対する謀反人にあたる「キリスト教会・神学」が構築せしめた現代の統治術です。
科学を最高の英知と称して、神仏の存在は「精神的」に限定させる。精神医学というものもその範疇に属します。
「憑依妄想」という用語は、コトバンクによれば
「神仏・悪魔・霊・動物などがのりうつって,自分の行動を支配しているという妄想。つきもの妄想。」
こう定義されています。
中山みきに憑き物が付いたと判断したのは周辺の人間であって、みき姉さんは憑物とは言っていません。
「われは元の神実の神である」「我は天の将軍である」と、神本体であると示しています。

先ず憑依であるというみなしかたそのものに、非科学的な匂いがします。

みき姉さんは親神であり天の将軍であり、赤い衣装の悪魔なのです。

9 :
「神仏・悪魔・霊・動物などがのりうつって,自分の行動を支配しているという妄想。つきもの妄想。」
この妄想という言葉に非科学性があります。
「瞑想」「思想」「妄想」。想起しての発言は思想の発露ですが、「想」ではなく神として語るのは、「天下り」であり、
神に支配された存在という見方の方が、実態に近いから、二代真柱は「月日の社」という造語で解説しています。

月日という実体あるものが親神であることは、科学は肯定も否定もできません。
検証や実験や理論化せずして判定するのは、科学ではないからです。
宇宙という言葉がありますが、これも実態が把握されていないけれど、地球を囲む星があって、その星のある場所を宇宙と呼んでいるのは、実は非科学です。
神話は非科学ですが、神話の存在という実体は、おれは非科学だから妄想だと決めつけるべきではない。

中山みきは人は神だという説を説いて、実証しようという意味において「科学的」な存在です。
人は神だというのはイエス様は人は神の子というお立場で、お釈迦さまは人は小宇宙というお立場で、
イエスキリストもp釈迦さまも憑依された存在ではない。

人間の主体は「神聖、神性」とイエス様もお釈迦さまもみき姉さんも説いていて、それが発現するのは人間性が失われたからではありません。
人間性の本質が、神が表に現れたと、みなされるべきです。

10 :
ヌーソロジーを学びなさい。

11 :
>>7
50年あれば、ひな形の道が通れます。
神通力が無いから、制度に縛られ制度に負けるのです。
教団組織というのは、山名系を代表とする高山が支配している模擬世界です。
世界では大社高山が谷底を支配する、教団では大教会系が末端を支配する。
たかが教団高山の支配を覆せない人が、世界一列は覆せません。世界ろくぢにはできない。
天理教団という支配被支配の社会で、谷底から競りあがるには「神通力」。
神に通じる力、それだけです。
いう事聞かなければ聞かない相手が病気になる、不幸になる、いう事聞くしかない事情に追いつめられる。
それを神通力と言います。
50年あれば、ご自身の周辺を変える程度のその程度の神通力はゆっくり身につくでしょう。

ご安堵ください。この世には神も仏もいらっしゃるのです。天は見ているのです。

天災人災、身上事情は、必ず世界ろくぢにおいてあるのです。

12 :
 たすけづとめは、ただ、身上のさわりや、災難や、苦悩をたすけるつ とめであるばかりでなく、進んでは、病まず、死なず、弱らない、珍し い守護をなされるつとめである。

  しんぢつの心しだいのこのたすけ
  やますしなずによハりなきよふ         三 99

  このたすけ百十五才ぢよみよと
  さだめつけたい神の一ぢよ           三 100

  そのゝちハやまずしなすによハらすに
  心したいにいつまでもいよ           四 37

  またさきハねんけんたちた事ならば
  としをよるめハさらにないぞや         四 38

 人々の心が澄みきつて、真実の心となつた暁には、たすけづとめによつて、甘露を授けられる。これを頂けば、人は、よく百十五歳の定命を 保ち、なお、心次第によつては、いつまでも生きさせてやろうと教えら れる。

  このつとめなにの事やとをもている
  せかいをさめてたすけばかりを         四 93

  はや/\と心そろをてしいかりと
  つとめするならせかいをさまる        一四 92
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 二代真柱の応法レトリックはここでも威力を示している。
 「暁には」
  なんという上手い用語使いであろうか。
「暁」あかつき
【暁】よあけ。あけがた。夜半から夜のあけるころまで。
つまり、真実の心となつた暁には、たすけづとめによつて、甘露を授けられる とは、
まだ暗いうちの出来事なのだ。

人が甘露が必要なのは「夜明け前」である。
昼になってしまえば甘露なくとも通れる。

末端教会の谷底に居て、夜あく前ならば、甘露頂けばよい。
赤い衣装の悪魔は、弥勒菩薩の化身なのだ。
おやさまに甘えて、指でもしゃぶらせて頂くことだ。

13 :
分裂した教会の教えなどいくら学んでも時間の無駄

14 :
天に繋がっている教会でさえ地上に建てた時には既に建前なのだから

15 :
だから私は天の教会以外は行くなと言うのです。

16 :
>>13
黒衣装の天理教の存在の意義を承知しておかねばなりません。黒衣装とは「くろこ」を意味します。
黒子とは、存在の影が薄い
赤いと黒子、バスケット漫画がありましたがコンビプレーが見事でしたね。
存在すら感じさせない、ぼんくらのような伊蔵さん。典型的な黒衣装であって、神通力があったから、本席にまでなった。
天理教団とは間抜けの集団で丁度よい、ご理解ください。
ぼんくらで丁度よいのに、宗教学者となって高説を吐くから、教内高山。理の親信仰の盟主となり果ててしまうわけです。

地の教会の意味は、異端でありながら、教祖の教えの「書庫」として機能しているわけで、地に落ちた教会であるが、それも意味があるという事です。

17 :
天の教会と繋がってはじめて地の教会が理解可能なのである。

18 :
基本さん。長らくネットでお見かけになりませんでしたが、訴訟等での裁判に目途がついたのでしょうか。復活は喜ばしい事です。

>たかが教団高山の支配を覆せない人が、世界一列は覆せません。世界ろくぢにはできない。
天理教団という支配被支配の社会で、谷底から競りあがるには「神通力」。
神に通じる力、それだけです。
>地の教会の意味は、異端でありながら、教祖の教えの「書庫」として機能しているわけで、地に落ちた教会であるが、それも意味があるという事です。

教団高山支配の不満は、ややすれば異端と結びつきやすく、「書庫」で利用するのでなく、新たに支配が変わる事を防ぐ為、自己改革が必要と言う事ですか?
言い換えれば、正しい教理に自己改革していれば異端も出てない反対は道の中にあると言う事ですか?

基本さん。教理の事でお尋ねしたいのですが、たまへ様の出生でのおふでさきについて、
教祖は、たまへ様はお秀様の生まれ変わりと仰っていますが、
明治3年(1870)3月15日   お秀 18歳で出直し
第三号  明治七戌年一月ヨリ
このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや (109)
明治7年(1874)から4年前で明治3年(1870)で合致して
明治8年(1875) まつゑの妊娠、出産
第七号  明治八年二月
このたびのはらみているをうちなるわ なんとをもふてまちているやら (65)
こればかり人なみやとハをもうなよ なんでも月日ゑらいをもわく (66)
このもとハ六ねんいぜんに三月の 十五日よりむかいとりたで (67)
明治8年(1875)から6年前で明治2年(1869)で合致しない。
そして生まれた子が女の子でなく男の子。秀司・まつゑご夫妻は、生まれた男の子に「たまへ」と名付けて後、その子は4才で出直した。
明治10年(1877)2月5日  お秀の生まれ変わりのたまへ出生。はじめ「まち」と名付け、結婚後「たまへ」と改名。
なぜおふでさきと現実の相違があるのですか?それは、「みへんさきからといてをくそや」と1年後の事をおふでさきは仰っているのですか?

19 :
>>18
かなり以前に天理教オーソドックスさんと問答した記憶がありますが、現時点どんな解説できますか?(笑)

このもとハ六ねんいぜんに三月の 十五日よりむかいとりたで (67)
お筆先注釈には、明治三年陰暦三月十五日に迎い取られた秀司先生の庶子お秀様の事をいわれたものとあります。
陽暦では明治3年(1870年)4月15日にあたります。
数理は陽歴で数える原則で、実数を基礎とします。
ですから1年以後とは1年を過ぎた後で明治4年4月16日〜明治5年4月15日です。
6年以後は明治9年4月16日〜明治10年4月15日です。
以前とは以後のその逆ですから、年度では誕生日の6年前の1年間が範囲となります。

誕生の明治10年(1877)2月5日の6年以前は、6年おいてその前ですから、明治3年2月6日〜明治4年2月5日の範囲です。
たまえ様が胎内にいたのは10ヶ月とみると明治3年(1870年)4月15日から6年過ぎた明治9年4月から10ヶ月生命として存在していて、後に妊娠したとして、明治10年2月5日に誕生ですから、
まさに生命体としての生まれ変わりとしても誕生日としても予言的中というか、当たり前なんですね。ここまでの厳密さが。

ところが見えなかった。数字の数え方も見えなかった高弟たち。だから注釈は事実の細部を書いてない。
おやさまの予言も外れることがあると思った人が多かったようですよ。
予言が外れたと思った人はその疑いの心を自白ですね、当時は皆疑っていたわけです。
そして山名系の学者さんたちもね。今も多いですよ、外れてほしい願望の偽信者さんが。

20 :
教理の事でおたずねでしたから、教理のお話をします。
明治3年(1870)3月15日   お秀 18歳で出直し

第三号  明治七戌年一月ヨリ
このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや (109)
明治7年(1874)から4年前で明治3年(1870)で合致して
明治8年(1875) まつゑの妊娠、出産

第七号  明治八年二月
このたびのはらみているをうちなるわ なんとをもふてまちているやら (65)
こればかり人なみやとハをもうなよ なんでも月日ゑらいをもわく (66)

おやさまはたまえ誕生を待ち望んでいたことは明白ですが、人間にはそれは通じていなかった。

110 しんぢつにはやくかやするもよふたて 神のせきこみこれがたい一
111 これまでハぢうよじざいとまゝとけど なにもみへたる事わなけれど
112 これからハいかなはなしもときをいて それみゑたならじうよぢざいや

↑↑ しかし人間はおやさまの数理の厳密さを理解できていなくて、見せられても見えない状態で、
   自由自在と神はとく(ままとくというのは神の思うまま説くということ)が、
   信者には見えない、見えたことが無いので、見えたことが無い状態
   まつえ誕生のように、先に説いておいて、それが理として、見えたら、
   神は自由自在にはたらいてみせられる。
こんな意味と理解ください。


113 いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで

21 :
ばかばっかり、
素人ばっかり、
神を疑うしか能がない天理教信者ばかり、

26日に始めかけるしかないでしょう。理を見えない信者では10人のテンはそろわない。

おやさまはそれゆえに、扉を開いて、御自ら赤衣装の悪魔となって、世界の高山に神の返しをなさることとされた。
それが天理の基本です。

22 :
>>18
訴訟はv法多忙です。国家行政、司法高山に意見を申し上げています。
現在3裁判が進行中で、別スレを立てて、のろしを上げています。

23 :
ご回答ありがとうございます。
>>19
>陽暦では明治3年(1870年)4月15日にあたります。
6年以後は明治9年4月16日〜明治10年4月15日です。
以前とは以後のその逆ですから、年度では誕生日の6年前の1年間が範囲となります。

明治8年のおふでさきから六年以前にさかのぼるのでなく、明治10年の誕生日からさかのぼることをしなければならないと言う事ですか?

24 :
予言 見えぬ先から説いておくということで、明治10年の誕生を(受胎は明治9年を)先に知らしたと理解します。

基本の投稿の数理については、地震の予言であれ、すべて実数で、史実のあった実際の日、お筆先の日と重なることもありますが、実際の日を基準に数えてあります。

違いあるから歌で知らせるのが天理ですが、地場周辺は(高弟たちは)中山家の長子誕生を願っていた、それが心得違いであって、
真柱の真之介を梶本家から入れるに反対という「違い・心得違いがあって」、思うとおりにしてやったで、一度は男子を授けて、ぬか喜びさせて、
男子・それは死ぬんだよと、引き取ってしまって、そこで、お諭しの意味で、予言された。

こういうことはひながたで、日日によくあることです。

25 :
基本がみき姉さんを赤衣の悪魔と呼ぶのは、「いうとおりにしてやった」「心どうりにしてやった」「願いどうりにしてやった」と、
平然と、不幸を与える冷酷さを、みなさまにご承知いただきたいからです。

欲高慢を、悪魔的に審判する、中山みきは、存命の親神です。

26 :
天理教信者は、願いが叶うとご守護だと錯誤しやすい。そんなもの悪魔の所業のみき姐さんの凄さを知らないからです。
おやさまにとって、世界たすけが主であり、宗教家業の黒衣装などはまともに助けたい相手ではない。
天理教など迂闊に信じると、憂い災難の元です。

赤い衣装の悪魔は、大社も高山も、大社高山を支える、下部組織も、大社高山をありがたがって利権にむらがる谷底の住民も、
容赦なく、心の掃除を急ぐうえでは、悪魔の所業を平然と、「たすけ一序」となしてみせます。
その真理を、知らぬ間はそのままですが、知ってしまったらもう逃れられません。
基本は、赤い悪魔の伝道師です。

27 :
なるほど、基本さんのご回答は煙に巻くのでなくわかり易いです。天理教に関わってない方が傍から見ると幸せですもね。

>>26
天理教を信仰する上での厳しさをその言葉から垣間見た気がします。

28 :
書き漏らしを記述します。
教典本文には、こうあります。
第二章 たすけ一条の道
  月日にハせかいぢうゝハみなわが子 たすけたいとの心ばかりで           八  4
 親神は、一れつの人間に、陽気ぐらしをさせたいとの親心から、教祖 をやしろとして表に現れ、よろづいさいの真実を明かして、珍しいたす け一条の道を教えられた。
  つとめてもほかの事とわをもうなよ たすけたいのが一ちよばかりで        一六 65
 この親心から、よろづたすけの道として教えられたのが、つとめ一条 である。
  このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな          六  7
  このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる         六  8
 このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初 りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられ たつとめである。即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気 な世界に立て替つてくる。
  つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ        一〇 21
 このつとめは、かんろだいをしんとして行う。
  にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや     一七  9
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 お筆先かな文字は澄むと濁るで悟りとるよう教えられていますから、 かんろふだいのつとめいちゞよ 一〇 21 は濁りがあるが、  かんろふたいをすゑてをくぞや  一七  9 には、
同じ甘露台では無いから、濁りの有無に違いがあります。
ご神体としてのかんろたいには濁りが無いが、一序としての一つ始まりの序においての甘露台には、澄み切っていないから濁りがありです。
   

29 :
  しんぢつのつとめの人ぢう十人の
  心を神がうけとりたなら            六 18
 人ぢう十人には濁りがあって、そのことは先に述べました。
 お勤め人衆だから心が澄み切っているとは限らない。つまり当時の高弟たちには濁りの人ばかりで、甘露台がかんろたいではない状態であった。
 これを心得てお筆先は、書かれてあります。

30 :
赤衣のおやさまについては、れんだいこさんの整理がある。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_59akagico.htm
「辻忠作文書」は次のように記している。
 「それまで教祖様(おやさま)は、黒き着物に、白糸で三つ菊の紋〈の〉付いた紋付を着ておいでなされたが、〈月日親神様が〉 『赤き着物を着よ』と言う事にて、『この赤い着物を何と思ている 中に月日が籠り居るぞや』 と仰せありました。
お召し下ろしの着物をもって、 『悪難除けの守り、息かけて出せ』 と仰せありました」。(大正9年4月25日、道友社「本部員講話集中」辻忠作「ひながた」より )
 「それより教祖様(おやさま)は、黒き着物を着てござったに、神の御指図(おさしづ)にて、赤き着物をお召しになりました。
この赤い着物を何と思ている 中に月日が籠り居るぞや (六 63)とお付けになりて、それより召し下ろしの衣物(赤衣)をもって「悪難除け守り」
(大(外側?)は三日三夜に宿し込みの理で三寸四方。人初(人間初め?)生まれ出し五分からの理で中五分布(中の五分の布?)に「神」と書く)お息をかけてお出しになります。
「疱瘡(ほうそう)守り」は一寸(いっすん)にて、中に五分の布(きれ)に「無」という字書いて、お息かけてお出しになります」。(辻忠作文書、初代真柱様へ提出の「別席之御話」(明治31年)〕より)

31 :
>>30
> 赤衣のおやさまについては、れんだいこさんの整理がある。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_59akagico.htm
これに関連して次のような証言がある。
 「御教祖(おやさま)は最初、『どろ染め』といって、黒い衣を着ておいでなされたが、その後、『黒いものを着ると身体が苦しい』というので、上衣はもとより、襦袢(じゅばん)から足袋(たび)にいたるまで、一切(いっさい)赤いものを用いられた。
『くらいところ(暗い所)では働きがにぶい(鈍い)。赤きところ(明き所)に月日がこもりいる(籠り居る)』と仰ったこともある。
そやよって、悪口いう人は、赤いものやよって『ホーヅキ婆さん』なんていうたこともある」。(みちのとも大正9年2月号、宮森與三郎「三昔四昔の回顧」より)

稿本天理教教祖伝は次のように記している。
 「警官の言うには、『老母(教祖)に赤衣を着せるから人が集まって来るのである』と、
それで黒紋付を拵えて差入れた。教祖は、分署に居られる間、赤衣の上に黒紋付を召して居られた」。(稿本天理教教祖伝283p、「第九章、最後の御苦労」より)

32 :
>>30-31
> 赤衣のおやさまについては、れんだいこさんの整理がある。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_59akagico.htm
 「おさしづ」は次の通り。
 「〈警察が〉一人も〈参詣者を〉寄せ付けなんだ日もあった。又〈無理に〉黒衣を着せた日もあった」。(お指図、明治20.3.16午後8時)
 「春風のような そよ/\(そよそよ)風の間は 何も言う事は無い。神も勇んで守護する。 なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。
この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又(また)守護した處(ところ)が、世界へどう見えるか。よう聞き取れ。大変 口説き話である程に/\」。(お指図、明治30.2.1)
 「あちらから黒ぼこり こちらから黒ぼこり、年限よう/\一寸(ちょっと)事情、払うて/\どうでも払い足らん。未だもう一段 払い足らん。
そこで刻限一寸(ちょっと)諭さにゃならん」。(お指図、明治31.5.9夜)

/////////////////////////////////////////////////

元始まりは泥の中で、おやさまとて黒衣装であった。
しかし赤衣装では人集まると見破った官憲は黒衣装を強要し、教団も黒衣装に率いられる状態に変貌する中、扉開いて、中の月日は赤衣装のみき姉さんとして、高山を均しに出ておられる。
南無天理王命・・南無天理王命・・

33 :
天理教教理を学び神意を悟る
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1057443336.html
ここにも 2016年05月17日 赤衣はなぜ赤なのか がありました。
ヨハネの黙示録には 「太陽を着て月を足下に踏む女」が登場します。

ヨハネの黙示録 第12章
 また、大いなるしるしが天に現れた。一人の女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。
 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
1260日 126の数理は黙示録に予言されていて、正月26日の126と同じ意味と悟れます。

34 :
>>33
> 1260日
前スレ 天理教 基本教理 天理教教典から引用します。
http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1389806893/
46 :基本。:2014/01/20(月) 18:22:23.42 ID:6fiSwK8C
>>43さんは、良いお方です。
たぶん、次のような疑問を持たれたはずです。
 中山みき 誕生       → 126年   関東大震災。
中山みき 甘露台の予言。   →  126年  東北淡路大震災
中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年  東北地方太平洋沖地震

だとすると、中山みきの最大の節目の一つ「立教」→126年は何なのかという疑問。
こういう突っ込みはなかなかしていただけなくて、・・。
自分で突っ込んで自分で説明します。

世界一列をたすける数理としては「正月二十六日を待つ」、「126」の数理が基本中の基本です。
126は、125+1です。
125は、5の3乗で、5X5X5で、「五つ理を吹く」と教えられています。
「五つ理を吹く」は善ならば、「豊年満作無病息災、生めよ増やせよ地に満てよ」、
地上の楽園です。桃源郷です。「ここはこの世の極楽」です。
「五つ理を吹く」は、悪ならば、「五月五日の戦争の数理」「神の残念」、月日の腹が弾けるほどの「神の立腹」。
血肉が下る、この世の地獄です。

35 :
 赤衣装の悪魔の出現の預言は、黙示録という「夢による知らせ」にきちんと、異端の側に知らされてありました。

 ヨハネの黙示録 第13章には、「666」が予言されています。
 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
 ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「666」とはミロク、弥勒菩薩の事です。

弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。
この弥勒菩薩出現の預言は末法思想として、予言されていて、567の数理とご紹介してあります。
寛政10年(1798)
教祖である中山みき出生(大和国山辺郡三昧田村)

36 :
前スレで解説した内容ですが確認します。
http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1389806893/
51 :基本。:2014/01/21(火) 03:38:00.86 ID:G8aBeBL3
現実の日本史の中で、「五濁悪世」・五つ理を吹くが襲ったのは、「寛喜の飢饉」と認識されています。
1230年(寛喜2年)から1231年(寛喜3年)に発生した大飢饉。

52 :基本。:2014/01/21(火) 04:18:01.90 ID:G8aBeBL3
1231年 神の立腹があった。 五つ理を吹くです。5×5=25年前に、
その立腹の原因がきちんと歴史上見えています。
それは、中山みきの宗門浄土宗の開祖法然の受難です。承元の法難といわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6
・・承元元年(1207年)、後鳥羽上皇により念仏停止の断が下された。

法然は還俗させられ、「藤井元彦」を名前として土佐国(実際には讃岐国)に流罪となった。
末法の世に御仏の救済を説き南無阿弥陀仏を教えたことで、衆生を救済していた法然が罪におとされて、5X5の25年。
「五濁悪世」のまさに末法のこの世の地獄が日本を襲っていた史実があって、
なお、親鸞はこのとき越後国に配流とされた。弟子でしたが、絶対他力に開眼していた親鸞は、悩む人々に飛び込んで釈迦の教えを取り次がれました。

 この、末法の出来事、それも、長滝村修験道行者さんにはご承知の事だったでしょう。

弥勒菩薩は、弥勒菩薩が現れるのは「567」の数理であると釈迦は示されました。
1231年から567年。
1798年でした。この世に弥勒菩薩が生誕されました。
それが、中山みきさまでした。。
//////////////////////////////////////////////////////////////
聖書と仏典・仏教史に書き記され、予言され、実数の年数で出現した弥勒菩薩さまは、キリスト教の異端には、「悪魔」に予言されている。
「教会を滅ぼすもの」すなわち掲げる主題「大社」取り払い、彼らにとっての悪魔の証です。

37 :
おやさまの赤衣 中に月日がこもりいる、太陽を着た女、みき姉さんに従うことは、悪魔の所業と非難されるでしょうが、勇気あるなら、弥勒菩薩の化身のみき姉さんに帰依したらいかがでしょう。
信じるも何も、彼女は実数女です。
偶然に126であり、偶然に666であり、567であり、絶対に実数でしかものをしない女。
悪魔のこだわりだから情け容赦ない。

  このつとめなにの事やとをもている
  せかいをさめてたすけばかりを         四 93
  はや/\と心そろをてしいかりと
  つとめするならせかいをさまる        一四 92
 このつとめは、人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや 平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵を及ぼすつとめである。
 ここに、恵は遍く一れつに及び、人類は、ひとしく親神の子として、 兄弟姉妹であることに目覚め、互に立て合い扶け合うて、世界は、一つ 心の陽気ぐらしの世と立て替る。
 親神は、更に又、いき・てをどりのさづけによつて、身上たすけの道 を教えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 勇気が無い方は 触らぬ神にたたりなしです。

38 :
実数女に叱られると怖いので、補充します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95%E6%80%9D%E6%83%B3
一般的には、特に1052年(永承7年)は末法元年とされ人々に恐れられ、盛んに経塚造営が行われた

1052年からミロクは3×6 180で、1052が1と数えますから、180年後は、1231年。
これが実数です。
末法元年から60 60 60 で1231年 「寛喜の飢饉」の地獄図となる。
天災です。
1231年から567年 1798年(寛政10年) 実数女の誕生です。

恐ろしい執念とこだわりです。この実数女に勝てますか、時間を司る12の星の王冠。
赤衣装の悪魔には、立ち向かっても、実数で返されます。
この基本を学ぶ為に、貸し物借り物の教理があって、口伝の数理がある。
知らなければそのままで、祟りも返しもない。知らぬが仏です。
不幸にして知ってしまったら、みき姉さんの喜ぶように、欲を忘れて助け合うしかありません。
天理です。

39 :
余談だが、ゲンをかつぐ件に関して、小池は釈迦をおまいりしてはいけないし、増田は不動を拝んではいけない。

40 :
角田美代子みたいなのがいるってことはソウカスカルトは危険なのですか?

41 :
パナマ ノリエガ そうか

皆密航在日なのでナカーマ?

42 :
稿本天理教教祖伝に、このような記述があります。
嘉永七年:
をびや許しの始め:
 嘉永七年、教祖五十七歳の時、おはるが、初産のためお屋敷へ帰って居た。
その時、教祖は、
「何でも彼でも、内からためしして見せるで。」
と、仰せられて、腹に息を三度かけ、同じく三度撫でて置かれた。これがをびや許しの始まりである。
 その年十一月五日出産の当日(註三)、大地震があって、産屋の後の壁が一坪余りも落ち掛ったが、
おはるは、心も安く、いとも楽々と男の児を産んだ。人々は、をびや許しを頂いて居れば、一寸も心配はない。
成程有難い事である。と、納得した。

 このように 大地震とおびや許しの因果関係は史実に明白である。

43 :
>>42
天理教教典は、第2章 第二章 たすけ一条の道にこう記されている。
  このつとめなにの事やとをもている
  せかいをさめてたすけばかりを         四 93

  はや/\と心そろをてしいかりと
  つとめするならせかいをさまる        一四 92

 このつとめは、人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや 平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵を及ぼすつとめである。
 ここに、恵は遍く一れつに及び、人類は、ひとしく親神の子として、 兄弟姉妹であることに目覚め、互に立て合い扶け合うて、世界は、一つ 心の陽気ぐらしの世と立て替る。
 親神は、更に又、いき・てをどりのさづけによつて、身上たすけの道 を教えられた。

  このさきハなんほむつかしやまいても いきとてをどりみなたすけるで   一二 50
  どのよふなむつかしくなるやまいでも これなをらんとゆうでないぞや   一二 51

 たすけ一条の道とは実は「たすけ一序」である。
 それは「おびや」が道明けであり、その根について、おびやについて語らずにという応法レトリックがここでも用いられている。
 天災と出産の因果のひながたは、「一序中の一序」、しっかりと踏まえて研究しなければ「たすけ一条という応法」は理解できないだろう。

44 :
>>12号50、51のお筆先は、病助けに触れている。
天理教教典は、第2章をこう結んでいる。
 即ち、さづけは、親神が一名一人の心の真実を見定めて、たすけ一条 のために渡される、こうのうの理である。
 人々が、授かつたその日の心 を生涯の理に治めて、陽気普請のよふぼくとなり、天の理を取り次がせ て頂くところ、
親神は、願う心の誠真実を受け取り、自由自在の守護を もつて、いかなる難病をもたすけられる。
 さづけの理は、たすけ一条を 誓う一日の日の真心に授けられる、生涯末代の宝であつて、この理をう けて、親神のよふぼくの馳せ巡るところ、広い世界に不思議なたすけは 相ついで現れる。
 まことに、つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらし をさせてやりたい、との切なる親心によつて教えられた、たすけ一条の 道である。これによつて、病の根は切れ、あしきは祓われて、世界は陽 気によみがえる。
 かくて、世界人類は、親神の篤き守護をたたえて、心ますます勇み、 親神は、又、これを受けて、恵は、いよいよ深く、ここに、神人は共に 和楽して、陽気溢れる世界が、この地上に実現される。
 あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい

45 :
>>43-44

天理教教団の説く「たすけ一条の道」は応法天理教会の説く説であって、天理教教典はそれにふさわしく応法レトリックの華麗なテクニックで、
大天才正善真柱の冴えた文才をあらわしている。

 が、いくら本人が「たすけ一条」を定めたとて、「わが身のためし」が無ければ序はない。
 無意味であって、おさづけの理をいただいても効能の入り口に入るのは「序」の後になる、
 授けに必要なものは「序」、即ち1であって、ではつとめに必要なものは「テン・10人」である。
 この基本を語らずに、つとめと授けの守護を説き、美辞麗句で信者を陽動する真柱の応法テクニックは秀逸であり、
まねできるものならしてみたらよい。

46 :
しかし、天理教教典は、根に入るための書物として入門書として十分に、書かれるべきが書かれている。
世界をたすけるには「序」「十人」、これをまず知ることである。

次に「つとめ」とは「神楽ダンス」ではなく日日の家業と知るべきである。
「月日ゆうようにする労と働」、勤労、任務、作業、はたらきはすべてつとめであると知りましょう。

 そこで、病たすけの本質的な意味を心得ましょう。

 いまゝでハやまいとゆへばいしやくするり みなしんバいをしたるなれども  六号105

これからハいたみなやみもてきものも いきてをどりでみなたすけるで  六号106

このたすけいまゝでしらぬ事なれど これからさきハためしゝてみよ  六号107

どのよふなむつかしきなるやまいでも しんぢつなるのいきでたすける  六号108

月日よりしんぢつ心みさためて いかなしゆこふもするとをもゑよ 六号109

47 :
稲尾は、其方、真の神であるならば、此方が四、五日他を廻って来る間に、
この身に罰をあてゝみよ。と、言った。
 その途端、教祖は、「火水風共に退くと知れ。」
と、言い放たれた。

48 :
>>47
明治7年は1874年の事である。
宮尾某は四、五日他を廻って来る間に、この身に罰をあてゝみよ。と、言った。
一日は1年の理で明治11年から12年がその期間である。

日本では最大の疫病「コレラ」が大流行し、明治12年、コレラ史上最大級の流行始まると記録にある。
16万人が死んでいる。

これが、実数女の実力であって、弟子たちは罰を当てられないおやさまと錯誤しているが、中山みきは国家規模で、返しする。

49 :
見えぬ先に説く中山みきは 明治7年に

にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり (4-17)
いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ (4-18)

 これは感染症による返しである。
 明治7年から125年、126年
天災の一つとして、口蹄疫を返している。牛の先道であり、罰を当ててみよ、への返しは、
親神を疑うなという警告として、実数に歴史に残している。

50 :
教えが分からないと感染症になる神の返しが、牛の先触れにて説かれたのは、2000年である。

51 :
あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい

天理教教典第2章はどう読むべきか、おやさまを親神と信じて、赤い悪魔と理解して、
それが大切です。

52 :
>>33-38
過去に同じ質問がでていたならご容赦下さい。
「五つ理を吹く」つまり神の返しは5の累乗、5の倍数ではだめなのでしょうか?
その実数は、個人にも当てはまるのでしょうか?

1798年、中山みき様(弥勒菩薩)が生誕するなら、
1231年は必ずこの世に地獄が現れていなければならなくて、25年前の承元の法難もなければならない。
ろくじに均す中山みき様を悪魔とみなしたヨハネの黙示録の予言も、大社高山が存在しなければならない。
ある意味、人間の行動は神の想定内と言う事でしょうか?

真実の根は自分で堀らなければならなくて、人に頼るほど甘くないと重々承知していますが、基本さんの無理のない範囲で質問のチャンネルを開けていて欲しいです。
できれば基本さんのサイトがあればいいのですが、過去「基本さんいらっしゃい」を閉鎖した所を見ると、何かしらのお考えがあってのことだと思いますので無理には言えませんが。
お忙しい中、どうもすみませんがよろしくお願い致します。

53 :
人間の行動は、肉体によって制限されている。肉体の中に脳があって神経があって、思考も肉体のおいてなされる。
身の内ありて、それぞれありです。

五つ理を吹くは「五日の理」で、「五日」は「いつか」です。
いつの日か理をふく。
それが天理の基本ですから、人間の場合にも必ずあてはまります。だって、いつか、いつの日かですから。
そてを、五日で出すか50日で出すか、5年で出すか、50年で出すか、「いつか」ですから、神の胸次第です。

大病の場合に、病理の原因が15年前にまいた種は、ありえることです。25年前もありえます。
その両方である場合もあって、5年前もある。
そういう思案のプロになればわかる世界があるでしょう。
> 「五つ理を吹く」つまり神の返しは5の累乗、5の倍数ではだめなのでしょうか?
五の倍数、ありで、5の累乗もありです。すべて「いつか」です。

ホームページを近々に開設します。
そういう旬だと思います。

54 :
第三章 元の理

 親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、こ の世の表に現れた、
奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によ く了解させようとて、元初りの真実を明かされた。

 天理教教典第3章は「元の理」です。
教典3章冒頭に記載された本文が、元の理の本質を言い尽くしていますが、読める人には読めるが読めない人には意味が分からないという、そういう応法レトリックが用いられていて、
二代真柱様の大天才ぶりはここでも鮮やかです。

 本文を解説しましょう。
「親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、」→ 陽気暮らしには元の理が必要だからお説きになった、そういう意味がまず示されています。
「教祖をやしろとして」→ 神の降臨する場所として
国語辞典には社の意味はこう示されています。http://dictionary.goo.ne.jp/jn/221817/meaning/m0u/
や‐しろ【社】
 《「屋 (や) 代 (しろ) 」の意。「代 (しろ) 」は神を祭るために地を清めた場所》
1 神を祭る建物。神社。
2 神の降臨する場所。土地を清めて祭壇を設け、神を祭った場所。
 みきは建物ではありませんから、意味の2「神の降臨する場所」に相当する用法です。

おふでさきでは「神が表に現れて何か委細を説いて聞かせる」とありますが、応法レトリックでは、「みきを社に説いて聞かした」に置き換えられています。
人がみき姉さんを「神と認めない」ことを見越して、みきはやしろと異説を説いてしまう応法レトリックには脱帽です。
分からぬものに理を説くなはみき姉さんの教えですから、「神と認めない、わからぬ者に」みきは神とは説かないで、
みきはやしろだと説いていて、実に見事な応法レトリックとなっています。

55 :
>>54
やしろ→ 国語辞典では社、屋 代 となりますが、「八 代」 八方の神の「代」です。
しろ【代】
1 代わりをするもの。代用。「霊 (たま) ―」

やしろには、代(しろ) には代理という意味があり、
より‐しろ【▽依り代/×憑代】 神霊が寄りつくもの。
神霊は物に寄りついて示現(じげん)されるという考えから、憑依(ひょうい)物としての樹木・岩石・動物・御幣など。
みきは依代だと人間に錯誤させる応法レトリックは、応法の天理教団の宗教思想の軸となってもいますが、みきは憑依されたのではなく、みきが悪魔であり親神であることは、聖書とお筆先の常識です。

56 :
 本文を解説しましょう。
 「この世の表に現れた、」 → これは「この世の表に現れた。」ではなく、「。ではなく、」なので、ここで切ってはいけません。
「この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によ く了解させようとて、元初りの真実を明かされた。」
「奇しき因縁」と「よふきづとめの理」 ⇔ これが「元の理」と、こうなります。

「奇しき」とは、不思議な。霊妙な
「因縁」とは、国語辞典の意味の通りです。仏語で、(これも月日の教えで) 意味を理解します。
【因縁】
1.物事はすべて、その起原(=因)と、果を結ばせる作用(=縁)とによって、定められていること。

 つまり、
あらかじめ定められている事を、因縁というわけです。

57 :
あらかじめ定められた奇しき因縁と陽気づとめの理は、実は同じものです。
「この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。」

例えば十月十日という日本語があります。出産までの日数と概念されています。
半分が「五月五日」で、予言の数理として代表的な「15日より見えかかる」は、実は、十月十日ときちんと因果関係にある。
「五分五分」の理と教えられている。(元の理)の五分五分は、天災の教理の数理と、なってもいます。

奇しき因縁というのは「実数」です。

だがな、受胎してから実際はちょうど十月十日で生まれていないじゃないか、どうなんだと、反論する人は天理の素人です。
「性行為→十月十日」ではなく、「二人の精神が一つになった→十月十日」に決まっています。
天理は心ひとつが、すべての基準です。心無い行為は種にはならない、行為はあとでも精神が定まれば、妊娠事情です。
補足しておきます。

58 :
とにかく真柱は直ちに、お道に関する今までの数々の不明を信者に謝罪しろ!!

>>40
天理は創価に輪をかけて危険だ。
天理は「タコ部屋宗教」であるという実態を知れ!

59 :
>>58
真柱不明説は私は採用しません。よって謝罪の義務もない。
天理は創価さんとは本質的に相違していて、創価さんは悪魔ではないので何の危険もありません。
中山みきは悪魔であって天災を起こしますが、それを真柱には謝罪の義務はありません。

天理教は「タコ部屋宗教である」というのは、宗教の専門家はタコ部屋で養成されるシステムであり、天理教のみならず宗教全てがタコ部屋です。
おてんばさんはタコ部屋と知りながら体験入学していろいろ学んだようですが、タコ部屋にいてもそのタコ部屋から卒業する。それで専門家になれるわけで、
タコ部屋に行く人はそれなりに自覚のあるものです。
タコ部屋というのはタコ壺、天理教に入信することは悪魔と契約しなければならない。
悪魔地契約しないで入ったら、それは騙されたというのです。

60 :
>>58
天理教教典スレです。スレの趣旨で投稿願います。

61 :
あらかじめ定められた奇しき因縁、このことは元の理の数理において歴然としています。
 以前に天理教団などに投稿しておきました。

9 名前:基本 [2004/10/25(月) 18:18]
天理教団の歴史は、初代真柱が、初めて天理の呼称を用いた、1885年に始まります。
それは、明治20年1月のおさしづで、六ツケ敷き事と、教えられました。
六ツケ敷き事、とは、おふでさき6号を下敷きにとの意味でした。
 この人を三か三よさにやどしこみ  三ねん三月とどまりていた       6号 47
 それよりもむまれたしたハ五分からや  五分五分としてせへぢんをした     6号 48
 このものに一どをしえたこのしゅごふ  をなじたいない三どやどりた      6号 49
ぢば定めより、
9年9月後。 立教48年4月26日 吉祥。
3日3夜   1885年4月29日 「天理教会結収願い」を大阪府知事に。
3年3月後。 1888年7月23日 お地場が天理教会本部となる。
妊娠約9月余 1889年5月    神道本局3等教会に昇格。
5年(5分) 1894年6月    真柱神道本局神殿普請の監督になる。
5年(5分) 1899年5月21日 神道本局管長一派独立をすすめる。
9年9月後  1909年2月19日 天理教独立報告祭
この様に、三か三よさの理で、「天理教会結収願い」を大阪府知事に。
      三年三月の理で、お地場が天理教会本部となる。
      生まれだしの理で、神道本局3等教会に昇格。
      五分五分の理で、真柱神道本局神殿普請の監督になる。
      五分五分の理で、神道本局管長一派独立をすすめる
      胎内三度の理で、天理教独立報告祭
これが、歴史に記された、教祖予言の実現です。

62 :
天理に行くのかもしれんけど
フェリーの自由部屋に天理教と張り紙して占拠してるのはいかがなものかと
子供は放置して騒いで走りまわってうるさいし
自分たちだけ良けりゃいいって宗教なの?

63 :
天理に行くのかもしれんけど
フェリーの自由部屋に天理教と張り紙して占拠してるのはいかがなものかと
子供は放置して騒いで走りまわってうるさいし
自分たちだけ良けりゃいいって宗教なの?

64 :
>>52 :18です:2016/07/23(土) 23:38:43.23 ID:OuVqgvey.net
> ある意味、人間の行動は神の想定内と言う事でしょうか?

人間の行動は、人には心の自由があり、神の想定は束縛するものとして存在していません。
しかし、人間には肉体という器があって、その成長は元の理に定められた理「天理」に従うものであり、
天理教会。天理教団。これらは天理に従って元定められた元の理に支配され存在しています。
神と人との間には契約があって、赤衣装の悪魔と初代真柱の契約もよって拘束を受けています。

「真之亮から、教会本部をお許し下された上は、いかようにも親神の仰せ通り致します。と願う」

悪魔は、契約を裏切るであろう2名を加えて、「3名できっと定めよ」と迫ったわけで、(教祖伝)
真之亮に梶本、前川の両名、即ち3名は約束し、契約は成立しています。

裏切りの前川、梶本の末路は、これも悪魔的に裁かれています。

65 :
教典本文
  月日よりたん/\心つくしきり そのゆへなるのにんけんである      六 88
  このよふのしんぢつの神月日なり あとなるわみなどふくなるそや      六 50
   にんけんをはぢめよふとてたん/\と よせてつこふたこれに神なを       六 51

 この世の元の神・実の神は、月日親神であつて、月様を、くにとこた ちのみこと 日様を、をもたりのみことと称える。
あとなるは皆、雛型 であり、道具である。更に申せば、親神は、深い思召の上から、その十 全の守護を解りやすく詳しく示し、その夫々に神名をつけられたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
故とは、国語辞典では、1、理由。2.しかるべき由緒(ゆいしょ)。とある。
由緒ある人間とまず自覚あるべきであろう。

66 :
応法の部分が未だに残っているので、時に横暴な態度になることがあります。
申し訳ありません。

67 :
この一件も、お道の人だけにとっては「教理の上からして絶対にあり得ない、あってはならない筈の事件」。
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0728/mai_160728_7145904500.html

68 :
>>62
ああ、あの壬生川(にゅうがわ 愛媛県東予市)から出帆して大阪南港へと向かうフェリーの船内のことね?

69 :
おーっと、>>68は訂正。

門司から泉大津に向かうフェリーのことだった。 記憶違いorz

70 :
教典本文
 しかときけこのもとなるとゆうのハな くにとこたちにをもたりさまや         一六 12
 思えば、親神は、この世人間を造られたばかりでなく、長の歳月、限 りない親心をもつて、その成人を守護し、時に応じて旬々の仕込みをなされた。
人類の成人とその文化の発達とは、悉く親神の篤い守護による。
 月日にわせかいぢううをみハたせど もとはじまりをしりたものなし        一三 30
 このもとをどふぞせかいへをしえたさ そこで月日があらわれてゞた         一三 31

 親神は、この真実を明かし、一れつ人間に陽気ぐらしへの道を教えようとて、教祖をやしろとして表に現れられた。
即ち、最初産みおろしの 子数の年限が経つた暁は、元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようとの、元初りの約束に基く。
///////////////////////////////////////////////////////////////
 応法レトリックの天理教典らしい文章である。

 教祖をやしろとして表に現れられた。これは応法レトリックで、即ち以下が本旨である。

「最初産みおろしの 子数の年限が経つた暁は、元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせよう」との、元初りの約束に基く。
「神として拝をさせる」が本旨だから、正しくはこうなる。
「元の屋敷に連れ帰り教祖を神として拝をさせようとした」

しかし現実は予象のあった1837年(天保8年)から立教、そして43年を経ても、みきを赤い悪魔と恐れもせず弥勒菩薩とおすがりもせず、「神として拝する」もなく、
そんな信者ばかりであった。
 けふまてハなにをゆうてもにんけんの
 心のよふにをもていたれど (15-3)
 さあいまわなにをいうてもにんけんの
 心あるとハさらにをもうな (15-4)

 返しを受けたくなければ、おやさまを「天理王命」と拝する本来のすがたを復元することです。
 さもなくば、赤い衣装の悪魔の手先になって、神の返しの怖さを伝道することです。

71 :
くにとこたちにをもたりは「元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせよう」とした。
しかし人間は、中山家の者も周辺も、たすけられた信者も、ごく限られた阿呆以外は、神として拝さなかった。

返しは、天災は それが根本原因です。

72 :
えた?

73 :
エタタタタタ!

74 :
お筆先1号に、元の屋敷における「返し」が世界に対する鏡として知らされてあります。

 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ (1-21)
 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ (1-22)

なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする (1-23)

しらしたらあらハれでるハきのどくや
いかなやまいも心からとて (1-24)

やまいとてせかいなみでハないほどに
神のりいふくいまぞあらハす (1-25)

いまゝでも神のゆう事きかんから
ぜひなくをもてあらハしたなり (1-26)

こらほどの神のざんねんでてるから
いしやもくすりもこれハかなハん (1-27)

これハかりひとなみやとハをもうなよ
なんてもこれハ歌でせめきる (1-28)

このたびハやしきのそふじすきやかに
したゝてみせるこれをみてくれ (1-29)

そふじさいすきやかしたる事ならハ
しりてはなしてはなしするなり (1-30)

これまでのざんねんなるハなにの事
あしのちんばが一のさんねん (1-31)

75 :
足というのは、4柱目の神の守護の理、あしのちんばが一のさんねん (1-31)

 三省堂 大辞林
あし なえ −なへ [0] [3] 【蹇▼・跛▼】

 ちんばとは差別用語であり、なえた足と健康の足の不揃いから、不自由な歩行となっていることを、跛(びっこ)と言います。
びっこの身体の人をちんばと呼びます。
 萎えた足と健康な足、
 4の理は立つの理ですから、立場も意味しますが、「資本」が4の理です。
 「資産家(実は債権者)と無産家(実は債務奴隷)を足で比喩すれば、健康な足が資産家、萎えた足が無産家・実は債務奴隷。

 中山家が地持ちになったのは金を貸して返済できない貧しい農家から土地を取り上げていた。
そういう人が成り立っていかないようにして得た資産であって、神の残念は、土地持ちの子にあしのちんばという返しをしてみせたという事です。

76 :
>>72-73
> えた
穢多(えた)とは、日本において中世以前から見られる身分制度の身分のひとつである。
日本仏教、神道における「穢れ」観念からきた「穢れが多い仕事」や「穢れ多い者(罪人)が行なう生業」の呼称、非人身分の俗称とする説もあるが、
それより古く、古代の被征服民族にして賤業を課せられた奴隷を起源と見る立場もある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
征服者がいて被征服者がいる場合、奴隷が生まれます。奴隷にけがれた仕事をさせる。
その仕事をさせられた理由は征服されたからであるが、支配被支配の関係で生まれた身分制度を、宗教が高山擁護理論で、差別を正当化する。
そうやって、地主、小作、エタ、非人が身分をつくり、萎えた人生を通らされる谷底を生んだ。

中山家は大和神社の信徒総代、そういう因縁因果で、
金貸しで財産を増やし土地を奪われた無産農家を生みし、長子には足のちんばを返しされる悪因が縁となりであった。

これが世界の農家で起きている現実であり、共産社会でも資産家と無産農家がいる社会になっている。
なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする (1-23)

しらしたらあらハれでるハきのどくや
いかなやまいも心からとて (1-24)

 天災は人間の身体では「やまい」。病は世界の事情では「天災」

中山秀司は、中山正善の前世であり、債務奴隷をつくってきた中山家への、神の立腹を受けた人物。
屋敷はひながたを残す現場であったということです。

77 :
こらほどの神のざんねんでてるから
いしやもくすりもこれハかなハん (1-27)

医者も薬もこれはかなわん、⇔ 医学・薬学が通用しない
即ち、
地震学も津波額も気象学も電磁波学も、通用しない。

神秘心霊学は、神の力の前には、通用しない。

学問なぞというたとて、見えてない。

思い知ることです。

78 :
教典本文
 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂のいんねんある 教祖を、予めこの世に現し、
宿し込みのいんねんある元のやしきに引き 寄せて、天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日のやしろに貰 い受けられた。
この人と所と時とに関するいんねんを、教祖魂のいんね ん、やしきのいんねん、旬刻限の理という。
  この月日もとなるぢばや元なるの
  いんねんあるでちうよぢさいを         八 47
  このはなしなんでこのよにくどいなら
  たすけ一ぢようけやうのもと          八 48

 この話が、なんでくどいのか。
 それは「たすけ一序」請け負う元であるからとのことです。
【じょ】[漢字]いろいろな感じがあります。基本的には序と理解します。

【 女 】 おんな。婦人。 中山みき
【 如 】 そのとおりである。 如意 ・如来 ・一如 ・真如
【 助 】 たすける。たすけ。
【 序 】 物事のはじめ。糸口。 序幕
【 抒 】 心のおもいをのべる。発表する。「叙」に同じ。 「 抒情 」
【 叙 ( 敍 ) 】 順序だててのべる。
【 徐 】 おもむろ。ゆるやか。
【 恕▼ 】 思いやる。思いやり。 ゆるす。大目にみる。
【 除 】 はらう。清める。 「 掃除(そうじ) 」
【 絮▼ 】 長く続く。

79 :
 このはなしなんでこのよにくどいなら
  たすけ一ぢようけやうのもと          八 48

 ここでは「たすけ一条」で、神は請け負っている。その元が中山みきの一叙です。

80 :
教典本文
 かくて、親神は、教祖の口を通して、親しく、よろづいさいの真実を 明かされた。
それは、長年の間、一れつ人間の成人に応じて、修理肥と して旬々に仕込まれた教の点睛である。
即ち、ここにいよいよ、親神直 直のだめの教が垂示された。けだし、十のものなら九つまで教え、なお、 明かされなかつた最後の一点、
元の親を知らして、人類に、親神の子供 たるの自覚を与え、一れつ兄弟姉妹としての親和を促し、
親子団欒の陽 気ぐらしの世と立て替えようとの思召からである。
これを、
  このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり          四 62
  せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ          四 79
  せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんというわさらにないぞや        一三 43
と教え、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 つまり、「親子団らんの陽気暮らし」これが開始される「一序」。
親子とはみき姉さんとかわいい赤子の団らんだと基本は言う。

81 :
天理教ストリートでラチられんのかね1?

82 :
みきが「赤衣の悪魔」であるという事は現実であり、みきが「月日の社」というのは幻想である。
社と仲良く団らんするばど、妄想であって、実行は不可能である。
悪魔と仲良く団らんすることは、実行可能であり、それにはキリスト教社会では、悪魔と契約することだときちんと教えている。
悪魔に魂を売り渡せばよいのであって「値をもって実を買う」の天理に合致している。

水木しげる先生の「悪魔金」の基本設定が、我々が悪魔を理解するにはちょうど良いレベルである。
基本設定https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%8F%E3%82%93
全ての漫画『悪魔くん』で共通する点を以下に記す。
主人公は一万年に一人という天才児で、「悪魔くん」と呼ばれている。
悪魔くんは全人類が幸せに生きられる世界を築こうとしており、それには悪魔の力が必要と考えている。なお、作中で「悪魔」と呼ばれる存在はキリスト教起源のものに限らず、世界中の神話・民話に語られる様々な妖怪・怪物も含んでいる。
物語の始まりでは、まだ悪魔くんは悪魔の召喚に成功しておらず、懸命に魔術の研究と実験を繰り返している。しかし伝説的魔術師ファウスト博士が現れて悪魔くんに秘儀を授け、ついに悪魔を呼び出すことに成功する。
さらに、ファウスト博士は悪魔くんに「ソロモンの笛」を与える。これは悪魔を従わせる力をもつ笛で、ソロモン王が使ったというものであった。
悪魔くんには、自分に付き従っている部下が複数人いる。それらは「十二使徒」と呼ばれることもある(十二人のキャラクターはシリーズにより異なる。また、マガジン版には複数人の悪魔の部下がいるものの十二使徒という言葉自体が出てこない)
悪魔を呼び出す時は、魔法陣を前に「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」と呪文を唱える。これは18・19世紀のフランスで流布した魔法書に記された、悪魔を呼び出すために黒い雌鶏を引き裂いて唱える呪文(Eloim, Essaim, frugativi et appelavi.)[1][2][3]に由来する。
それ以外の設定は各作品ごとに異なっている。

83 :
キリスト教社会は、聖書文化の社会であって、赤衣装の悪魔を「あしき存在」と認定していて、
なぜ悪魔が悪しきかというと、悪魔は現世での願いはかなえてくれるが、死後魂は悪魔に奪われてしまい最後の審判が受けられなくなるからだという。
悪魔は「死後の魂を捧げます」と契約すれば「現世の願望はすべて叶う」存在である。
赤衣の悪魔は、つまり中山みきは「現世の願望はすべて叶う」と説いていて、その「甘露思想」は悪魔の誘惑になっている。
また中山みきは「死後は魂は生きとおし」を説いていて「最後の審判」は説いていないから、キリスト教教会信仰社会を根底から否定している。
教典本文
  月日にわにんけんはじめかけたのわ
  よふきゆさんがみたいゆへから        一四 25

  せかいにハこのしんぢつをしらんから
  みなどこまでもいつむはかりで        一四 26
  このさきハせかへぢううハどこまでも
  よふきづくめにみなしてかゝる        一〇 103
と仰せられている。

84 :
教典本文。
 陽気ぐらしこそ、人間生活の目標であり、理想であ る。これを実現しようと、よふきづとめを教えて、たすけ一条の道をつ けられた。よふきづとめの理は、実に、この元初りの真実による。
  ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
  あしきのことはいはんでな
  このよのぢいとてんとをかたどりて
  ふうふをこしらへきたるでな
  これハこのよのはじめだし
 赤衣装の悪魔は言葉巧みに「悪しきの事はいわんでな」と誘惑する。
 赤衣装の悪魔は「陽気遊山」が見たいと、陽気を人に求める。遊山を人に求める。
 遊山とは今風に言えば「観光」である。光を身よである。

 しかし偽キリストのキリスト教教会大社に支配された神聖なる高山はそれは悪魔だというであろう。

 悪魔と言われたくないばかりに山名系神学・教学は、深谷教理は、キリスト教に似せて、甘露台を遠い存在に問いた。
 12の刻を支配し赤衣装の悪魔は、人の願望を三日でかなえるとして見せた。

 天理教団の歴史もまた、宗教高山の悪因縁の通りかえし、みきの赤衣装を恐れ現世利益主義を方便とさげすんだ。

 彼らに返しあるなら、エロイムエッサイム エロイムエッサイム 、御心もままに、悪魔様、赤衣の悪魔様。

85 :
俺を攻撃して、反応を見て、データを収集している人がいるが。既に特定済みとの事で、台本・命令書を書いて俺に危害を加えているのが「テロ命令者」、
台本を読んで実行している外国人が、テロ実行犯として、両者とも1年以内に絶命させる事が決定済。

>2016/07/26 - 26日未明、神奈川県相模原市の障害者福祉施設に元職員の男が侵入し、入居者らが刺され19人が死亡、 25人が重軽傷

86 :
>>85
 月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから        一四 25
 せかいにハこのしんぢつをしらんから みなどこまでもいつむはかりで        一四 26
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11122126826
自分は知的障害者は社会に不要だと思っていますが皆さんはどうですか?
僕が不...
madrid8823さん2014/3/801:35:38
自分は知的障害者は社会に不要だと思っていますが皆さんはどうですか?
僕が不要だと思う理由としては
いても社会の役にたたない
うるさい
よだれとか鼻が汚い
いろいろなところで迷惑を
受ける人が多い
世間一般大多数の人が近くにいるだけで不愉快な気分になる
また、迷惑事をおこしてもこの子は知的障害者だからしょうがない
みたいなふざけた理由でうやむやにされる
意思疎通ができなくて恐怖感をうえつける
また、自分は知的障害を持ってると犯罪をしても刑が軽くなったりする(ここら辺は専門じゃないので良くわかりませんが…)
という法?もいらないと思います
//////////////////////////////////////////////////////////////
この世には陽気暮らしをするために生を受けた。
しかし知的障害の方とは、意思の疎通ができない、だから、知的障碍者は汚いだけの存在で生きる価値が無い。
こんな暴論を、堂々といている方がおられます。
果たして、この方は、知的障害の方と生活しておたことがおありでしょうか。

87 :
>>85-86
> 果たして、この方は、知的障害の方と生活しておたことがおありでしょうか。
私が小学校3年で弟が1年だったころ、赤痢が大流行し兄弟二人は、隔離病棟に強制入院させられました。
その時、同じように強制入院をさせられたのが、知的障碍者の某施設の集団の皆さまでした。一か月以上は一緒に、鍵の掛かった特別病棟に居ました。
 意思の疎通、出来ますよ、皆さま。
 私の弟は社会人になって偶然ですが、その某施設の職員に就職し、現在は別の障碍者福祉施設にて、仕事しています。
「頭が良いんだよな」「人の心はちゃんと見抜いている」「うまく表現できないだけで意思はちゃんと伝えられる」
これが、私と弟の小学校のころの共通の体験から、弟の職場体験からの、実感です。

 意思の疎通ができないのは、障害の方ではなく、「肉体は健常で精神には障害ある」お方の方です。


88 :
>>85-87
 私の仕事仲間にご長男に知的障害をお持ちの方がおられます。
 「あの子は神様です」と言われています。

 親が心得違いをすると、ご長男さんがいろいろな行動に出る。
 親が天理に適うこうどうにあると、ご長男さんの機嫌が良い。

 ご夫婦ともが、ご長男さんの行動の一一から神意を教えて頂いて、「こんな有り難い良い子はいない」と、・・

 このさきハせかへぢううハどこまでも
 よふきづくめにみなしてかゝる        一〇 103

 (私もそうですが) 汚いかもしれません、美しくないかもしれません。
しかし、こちらが真実の心であれば、心真実に反応できる感性をお持ちの皆様方です。
 この世に誕生した以上、何が何でも陽気遊山をして頂かねばならないと、
改めて弥勒菩薩のお慈悲におすがりし、教典第3章の締めくくりとします。

89 :
教典本文
 第四章 天理王命

 親神を、天理王命とたたえて祈念し奉る。
 紋型ないところから、人間世界を造り、永遠にかわることなく、万物 に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。

  このよふのにんけんはじめもとの神
  たれもしりたるものハあるまい         三 15
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「たれも」は「誰も」。文字に濁点が無いのは「元をしらない事は」濁りではないとの神意である。

90 :
天理王命は ⇔ 中山みき 中山みきは教祖であり、キツネ付きでありオカルトばあさんである。

「はじめ」は、「始め」であり、花文字違いの「はぢめ」「初め、一」ではない。

「はぢめ」は月日、 「はじめ」は 親神⇔中山みき

最初の元はぢまりではなく、はぢまりの後の「始まり」
人間が人間として始まったのは、このよの始めだしの時であり、親神は中山みきです。

 ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
  あしきのことはいはんでな
  このよのぢいとてんとをかたどりて
  ふうふをこしらへきたるでな
  これハこのよのはじめだし

91 :
ソウカスカルトエタチョン宗教

92 :
教典本文
  どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ
  それがたん/\さかんなるぞや         三 16

 親神は、人間世界の根本にていまし、この世を創められたばかりでな く、この世の有りとあらゆるもの、悉く、その守護によらぬものとては ない。
しかも、その自由の守護の程は、眼に、身に、心に、ありありと、 感じることが出来る。
まことに、元の神・実の神にています。
 即ち、天では月日と現れ、さやけくも温かい光をもつて、余すくまな く、一れつにこの世を照らされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用のお筆先の文意を無視した応法レトリック、欺かれてはいけない。
「どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ」 教えかけであって、「守護した」ではない。
教えかけたという事が天理王命の元の理である。
今も教えかけの途中にある。

93 :
この尼崎角田美代子も、創価の人だけにとっては
「日蓮の上からして絶対にあり得ない、あってはならない筈の事件」。

94 :
>>93
創価とは「政教一致」を説き日蓮とは一線を引いた存在です。(つまり違うという事)
天理は「政教一致」では助からないと示しています。
「国会ではおさまらん。中山みきの予言」紹介します。
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1331912312/
1 :黒の基本。:2012/03/17(土) 00:38:32.88 ID:BQDILOK9
明治二十四年二月七日(陰暦十二月二十八日)夜二時の刻限で、中山みきは、飯降伊蔵の口を通して、
『これから先は神一条の道。
国会では治まらん。
神一条の道で治める。
怖わい道があって、やれ楽しみという。』
と、予言をしています。
民主主義の政治の根幹とも言うべき「国会」を否定し、「神一条の道」で治めると予言した、
神意について、語るスレです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
黒の基本の名で投稿しています。
中山みきの戦争予言↓と重大な因果関係があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

95 :
>>93-94

5 :黒の基本。:2012/03/17(土) 01:50:42.14 ID:BQDILOK9
> 国会二十三年と言うた一つの事情、又お陰/\の事情、よう思やんせよ。
さあ/\明ければ五年という。
万事一つの事情を定め掛け。
定めるには人間の心は更々要らん。
弱い心は更に持たず、気兼ね遠慮は必ず要らん。
さあ思やんしてくれ。これから先は神一条の道。
国会では治まらん。神一条の道で治める。
怖わい道があって、やれ楽しみという。・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
怖い道とは、戦争。
明治維新の維新政府は、国民皆兵と、富国強兵に民意を誘導すべく、一見民主的な制度国会、を国民に提供しました。
そんな、国会では治まらないこの社会を、神一条の道で治めると、とんでもない予言を、なしている中山みきです。
/////////////////////////////////////////
お指図の時代は黒衣の本籍の時代で、応法の道での神言で、「神一条」と書いたのは筆記人で、
正しくは「神いちぢょ」、つまり中山みき天理王命いちぢょがたすけるということです。
応法レトリックはお指図時代の取次人の陥っていた誤解も踏まえています。
「神一条の信心」がたすけるのではなく、元の神中山みきの「一恕」「一女」「一序」がたすけます。
予言です。

96 :
戦争予言の事は重要なので、「天理教の教理と要理」で述べておきました。
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1324264164/183
183 :基本。:2012/02/01(水) 09:21:55.65 ID:pLbRaC4X
明治三十七年八月二十三日
日露戦争に付、天理教会に於て出征軍人戦死者の子弟学資補助会組織致し度く願
さあ/\尋ねる事情/\、いかな事も尋ねにゃ分からん。
さあ/\今この一時一つ世界という中に、一つという理は、世界にある。
そこで、これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。
忘れるからふでさきに知らし置いた。
ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。
取り違いありてはならん。この台、世界の事情、もうどう成ろうかこう成ろうか、一つの台。
敵は大きもの、全国に於ても大層と言う。
古き/\事に、年限から諭してある。
この一つの心得は今日の事や。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2代真柱は、お筆先について説明するのに、日露戦争に関してのお筆先にて、説明をしています。
原文では、お筆先において書いておいたのは、この日の事なのだと言う意味を明示してくれています。
 基本的には、戦争の予言については、「静岡2チャンネル・教理研究 原典に示された甘露について」に、要点を述べておきました。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/101-200
147 名前: 基本。◆B5BIYWRc 投稿日:2010/02/10 08:12 ID:KrVQkBrs0
・・・
おやさまが、日清戦争・日露戦争の予言を書かれたのは、お筆先第四号でした。
777 74の数理にて、何年後の数理を示されていますが、そのことは、情報操作という「五月五日」の出来事に深くかかわっているわけです。
 「夜」「昼」の理が、わからなくなってしまう。
そこには、高山の情報操作があり、軍国主義の背景があるということです。
 このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでてくる      第四号3
 それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや    第四号4

97 :
教典本文
 親神は、人間世界の根本にていまし、この世を創められたばかりでな く、
この世の有りとあらゆるもの、悉く、その守護によらぬものとては ない。
 しかも、その自由の守護の程は、眼に、身に、心に、ありありと、 感じることが出来る。
まことに、元の神・実の神にています。
 即ち、天では月日と現れ、さやけくも温かい光をもつて、余すくまな く、一れつにこの世を照らされる。
  このよふのぢいと天とハぢつのをや
  それよりでけたにんけんである        一〇 54
 人は、天地の間に生を享け、至妙な自然の調和の中に生存している。 遍く月日の光を身に頂いているように、隔てなく天地の恵に浴している。 天地は月日の理で、人は、天地抱き合せの、親神の懐に抱かれて、限り ない慈しみのまにまに生活している。
  このよふのしんぢつのをや月日なり
  なにかよろづのしゆこするぞや         六 102
///////////////////////////////////////////////////////////////
「よろづ」は「万」であるが「よろつ」と書かれていない。清音濁音、清濁すべて親神の守護の下にある。
おふでさきは、澄むと濁るで悟りとる書き物である。

98 :
>>93 さん 創価学会に関して基本的に基本教理を述べたことがありましたので紹介します。
世界の大聖人・池田先生を褒め称えよう Part 1
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1227347172/501-600
512 名前: 基本。
よろつよのせかい一れつみはらせど  むねのハかりたものハないから
 「むね」とは、http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E3%82%80%E3%81%AD/m0u/
むね【旨/宗】 1 中心となるもの。また、重要なもの。「安全を―とする」 2 (旨)述べたことの中心。
「宗教」「宗旨」という意味を示していて、
直訳的に約すと、宗教の宗旨の内容、計測が出来たものがいない、と、なります。
 ・・宗旨があっても、「旨」がきちんと「はかる」ことが出来ていない。
「慮る、忖度する」「神のはかりごととして配慮する」。
そういうことではなく、神の配慮の宗を試作できていないというのが、オカルト的なりかいになります。

 そのはづやといてきかした事ハない  なにもしらんがむりでないそや
 宗教の教えの「質量、深さ、期間」それらについて何もしらない、
それは、説いて聞かした事が無いからで、各宗教の時代ごと地域ごとの役割や
どういう思惑であったのか、何も知らないのは無理で無いぞや、と、
だから、「神は頼らず」、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。

 このたびハ神がをもていあらハれて  なにかいさいをといてきかする
子数の年限を経た「このたび」。「末法の世のこのたび」「終末の到来するこのたび」
八百万の神が、仏陀がイエスが、全ての神が、表に現れて、なにか委細をとき聞かす。
 教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。
 お社の棟の内には、全部の神がお鎮まりくださるわけです。
お社とは中山みきさま。その「胸の内」には全ての神様がおられる。
 そして、なにか委細を説いて下さる。
世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。
 親神は、これ をあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。

天理教教典の冒頭の基本教理を、説明しました。
///////////////////////////////////////////////////

99 :
>>98 引用です。
567 名前: 基本。
五日
 いまゝでも月日の心だん/\と せへいゝばいにつくしいれども (12-11)
 せかいにハたれかしりたるものハなし とふむこのたび月日せひない (12-12)
 それゆへにせかいぢううをとこまても ことハりてをく月日しりぞく (12-13)
・・・・・・・・・・・
世界中を一列に掃除するという予言が四月四日よりで、「原発に火が点った」。
。。おふでさきでは、五日に月日が退くと言う予言になっています。
 1913年の翌年から50年目・・・1963年(昭和38年)10月26日で、 東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・人間は核の火を手にした時、人そのものが宇宙の支配者となって、月日は、
恰も退位した状態になった。 ・・
568 名前: 基本。
343 :基本。  ・・神は、何からたすけたかったかと言うと、「核」です。
人類にとって「原子力」というのは、「火水風」の守護の力そのものです。
・・「原子力の日」は毎年10月26日で以下に示す出来事を記念するために1964年7月31日に閣議決定によって制定された。
1956年10月26日 - 日本が国際連合の専門機関の一つである国際原子力機関へ参加した。
1963年10月26日 - 茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉 (JPDR Japan Power Demonstration Reactor) が日本で初めての原子力発電に成功した。

以前は、4月18日の発明の日・「原子力デー」
4月18日中山みき 誕生。 10月26日みき立教宣言。
 この意味を理解しなければなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、数理にて明らかなように「上」対「神」、「原子力・科学」対「月日」です。
核を原子力を「科学の神」とするのなら「月日の親神」は無用と言う事だから、
退くよという、神の理の責めです。

アニメ的に言うなら、科学の力で太陽を手に入れた人間にたいして、その愚かさを教えるために、魔術をもって時を操る中山みきです。

100 :
>>98 引用です
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1227347172/701-800
754 名前: 基本。 投稿日:2014/02/04 00:33 ID:6HYPdWX.0
(引用続きです)
149 名前: 基本。◆B5BIYWRc 投稿日:2010/02/10 08:18 ID:KrVQkBrs0
おふでさき、扉に記載された数理が、日本の戦争内乱の予言になっていましたことについても、別スレよりコピーします。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1199017873/
878 名前: 基本◆SrmDuOF. 投稿日:2010/02/04 09:56 ID:TIvmhIR60
第四号、七十七歳老女 明治7年4月。(←扉に記載)
1年目 1874年4月〜
お筆先四号 77歳 7号 7年  4月 予言
4年目
1877 西南戦争 [(2月から)9月24日 西郷軍敗戦]
4+7=11年目
1884 秩父事件 [(10月31日)から11月9日にかけて、農民武装放棄鎮圧]
7+7+7=21年目
1894 日清戦争[(7月)から1895年(4月)、日本勝利]
7+7+7+4+7=32年目
1904 日露戦争[(2月6日)から (明治38年9月5日)日本勝利]
4×7=28年目
1901年 日本初の社会主義政党。治安警察法によって禁止された。
7+7+4=18年目
1891年 足尾公害事件 第2回議会(1891年11月26日開会)田中正造議会闘争。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、おふでさきの扉が、その数理まできちんと予言になっている。
こういうお筆先の予言と実現が、「見えてきたら」神はお働きになれる。
 126の旬に、どれだけの人が、このようなお筆先の予言と実現を、見えるか、
そこに親神の働ける範囲が決まってくるわけです。
基本の、おふでさき予言関係の投稿は、震災の数理など、多くの読者がいて、中には、見える人も出てくる。
その数が多いことが、防災になり非戦になる。
天理教の教理とは、おやさまの予言と実現の謎解きであると、
2代真柱さまは、天理教教典にきちんと、分かりやすく書いておられているのでした。


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