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ローマカトリック教会20180220

聖書の信頼性について検証するスレ Part1


1 :2018/06/13 〜 最終レス :2018/07/18
聖書の信頼性について検証するスレ Part1

聖書は、『信頼に値する書物である』ということを様々な視点から検証していこうというスレです。

2 :
クリスチャンでない方も歓迎ですが、
聖書をただ否定したい人、否定ありきの人はお断りです。

3 :
現代に生きる我々にとって、イスラエルが最大のしるし

4 :
写本の信頼性―旧新約聖書の原典は正確に書き写されてきたのか?

今日私たちが読んでいる聖書は、オリジナル(原典)の内容を正確に反映していると言えるのか?
この点は、17世紀以降に合理主義が生まれ、自由主義神学が台頭するようになって以降、たくさんの批判を浴びてきた。

批判の根拠の中でも最大と言えるものは、聖書の原典の喪失だと言えるだろう。
つまり、オリジナルが無いのだから、現代の聖書の内容が必ずしも原典の内容と一致しているとは限らない。
むしろ、歴史的にコピー(写本)が作成されていく中で、多くの改ざんがなされ、その内容が書き変えられていったのだ、と批判を受けてきたのだ。

このような批判を展開してきたのは、無神論者や自由主義神学者たちをはじめ、イスラム教やスピリチュアリズムなどをもたらした「霊による啓示」も含まれる。

もしも、聖書の内容が本当に書き変えられてきたのであれば、キリスト教の信仰の基盤は大きく揺らぐことになるだろう。
しかし逆に、聖書が正確に筆写されてきたという確かな根拠があるのなら、その信頼性は確かなものとなり、多くの批判を一掃することになるだろう。

そこで今回の記事では、「写本の信頼性」という点に的を絞って、この疑問に対する確かな答えを提出していきたい。

5 :
聖書の成り立ちを理解する

用語の解説

写本の信頼性を説明していく前に、まずは最低限知っておくべき用語の説明をする。

原典:著者が書いたオリジナルの文書のこと。聖書の原典は、主にパピルス紙や獣皮紙など腐朽しやすい書写材料に手で書かれた。

写本:原典を書き写したコピーのこと。写本作成作業を専門的に行う人を「写字生」と言う。聖書の写本を作成した多くの写字生は、注意深くその作業を行った。

本文批評:古典作品などの原典を復元するために、伝本(写本)どうしを比較したり語学的に検討したりすること。(デジタル大辞泉)
他には、「下等批評」や「テキスト批評」などの言い方もある。聖書研究の視点からは「聖書批評学」とも言われる。

定本:本文批評によって、写本を比較・検討して誤りや脱落などを正し、その本の最初の姿に復元するように努めた書物のこと。
今日、旧約聖書の底本として多く用いられるのはドイツ聖書協会発行の「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」であり、
新約聖書の底本として用いられるのは「ネストレ・アーラントの校定本」となっている。

6 :
聖書の成り立ちと本文批評

聖書は、今からおよそ3500年前〜2000年前にかけて徐々に記されていった書物の集大成だ。
合わせて66巻に上る全ての書物は、元々特定の著者によって原典(オリジナル)が作成され、
その原典を写字生たちが書き写して写本を作成していき、今日までその内容が語り継がれるようになった。

では、聖書の各書物の原典はどこに存在するのかというと、現代は全ての原典が失われており一つも残っていない。
この事実が、多くの批判の原因となってきたことは、本記事の冒頭で説明した通りだ。

では、原典が無ければ写本の正確性を判別できないのか?というと、答えは完全に「ノー」だ。
聖書の原典が無くとも、歴史的に多くの専門家たちが多大な努力を払って本文批評を行ってきたおかげで、原典の内容はほとんど誤りの無い形で復元されているからだ。

今日私たちが手にしている聖書は、下等批評によって十分に復元された定本を元に、各国の言語に翻訳されたものだ。
だから、私たちは安心して聖書を読んで、その記録を信頼することができるのだ。

以上の点を踏まえ、これから旧約聖書と新約聖書、それぞれの写本の信頼性について、もう少し詳しく説明をしていきたい。

7 :
旧約聖書の写本の正確性

マソラ学者によるマソラ本文の正確な筆写

旧約聖書の本文は、ユダヤ人の書記(ソフィリーム)と呼ばれる人たちによって、繰返し写本が作られ、受け継がれてきた。
そして中でも、ユダヤ教の「マソラ学者」として知られる専門家たちによって、写本の誤りを防ぐための特別な配慮と工夫が取られてきたものを「マソラ本文」と呼ぶ。

全てのマソラ本文には、写本に誤りが生じた時にそれが明らかになるように、「マソラ」と呼ばれる注釈が付いている。
そしてこの注釈には、ある書物が全体で何文字あるのか、あるいは全体でいくつの単語があるのか、ある単語は全部でいくつあるか、
ある書物のちょうど真ん中の文字はどれになるのかといったことが書かれており、誤りを防ぐための最大限の努力が払われてきた。

今日、世界の様々な図書館に残存しているヘブライ語聖書の全巻・あるいはその一部の写本のほとんどはマソラ本文であり、
その数はおよそ6,000点に上り、どれもが西暦10世紀以降のものだ。その中でも標準本文として認められているのが、「レニングラード写本」であり、
その流れを汲む「ビブリア・ヘブライカ」は、世界中の旧約聖書の定本となっている。

8 :
旧約聖書の写本、どんな批判があるか?

旧約聖書の写本の正確性に対する批判の中でも主だったものは、イザヤ書とダニエル書に対するものだ。
これらの預言書では、キリスト(救い主)に関するものや、世界の終末に時代にかかわる預言が多く含まれているが、
それらの預言があまりにも詳細に成就してきたため、多くの懐疑的な人々から、その真正性を疑われてきた。

質の高いことで定評のあるマソラ本文だが、現存する写本がどれも紀元10世紀以降だということで、自由主義の聖書批評家たちからは、
その内容が原典を正確に反映していないのではないか?と疑問を投げかけられてきたのだ。

別の批判として、旧約聖書の正典全体は、そこに書かれている出来事のずっと後に、伝統的に信じられている著者ではなく、
無名の記者によって書かれたのであり、多くの時代錯誤と誤りを含んでいると、多年にわたって批判されてきた。

この議論の中でも主だったものは、モーセ五書に対するものだが、写本の伝達の信頼性とは若干テーマが異なるので、本記事では追って簡単に解説を加えたい。
そして今回の記事では、写本の信頼性に対する批判として、イザヤ53章で語られている「苦難の下僕」の預言に焦点を当てていく。

9 :
イザヤ53章「苦難の僕」のメシア預言

「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。・・・

9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。」(イザヤ53:5-9)

10 :
以上は、イザヤ53章の預言の一部だが、

(1)メシアが罪のための犠牲として刺し通されて死ぬこと、
(2)その墓が悪人と共に設けられ、
(3)金持の墓に葬られること、などが預言されている。

他にも、53章全体の預言が、イエスの十字架〜復活によって成就する内容となっている。

そしてこれらの預言は、
(1)イエスが十字架の上で実際に刺し通されて亡くなったこと、それが罪の贖いのためであったこと、
(2)またイエスの処刑の際は両脇に二人の犯罪人が共に十字架に付けられていたこと、
(3)処刑後にはアリマタヤのヨセフと呼ばれる裕福なユダヤ人の議員が彼の遺体を引き取って自分の墓に収めたこと、

などが歴史上明らかとなっており、新約聖書の記録からその預言の成就を確認することができる。

11 :
イエス・キリストは聖書で預言されていた救い主なのか?

しかし、このような預言の詳細の成就は、信仰の無い懐疑的な人々からは疑いの目で見られてきた。
そこで彼らは、イザヤ53章の預言は紀元前八世紀に書かれたものではなく、イエスが十字架に付けられた紀元一世紀以降に意図的に書き加えられたのだと主張してきたのだ。

そして、イザヤ書の1〜39章を紀元前八世紀の「第一イザヤ」、40章以降はより後の時代に「第二イザヤ」によって「預言が成就したかのように」書かれたと考える「複数イザヤ説」が浮上した。
そして、当時現存していた最古の旧約の写本が紀元10世紀以降(AD1000年以降)のものであったため、その懐疑的な立場は多くの人々から受け入れられてきた。

しかしこの批判は、20世紀最大の考古学的発見と言われる「死海写本」によって、見事に誤りであることが証明されることとなる。

12 :
死海写本の発見(死海文書)

死海写本は、今からおよそ60年以上前に、ベドウィンの羊飼いがとある洞くつに一つの石を投げ込んだことがきっかけで発見された。
その少年は、投げた石が土器の壺のようなものに当たって割れる音を聞いたが、まさにその割れた壺のようなものの中から、古代の写本が発見されたのだ。


「死海北西岸の洞窟群で、1947年以降複数回にわたり発見されたヘブライ語、アラム語で書かれた古文書群の総称。「死海文書」ともいう。
紀元前3世紀ごろ〜紀元1世紀ごろに成立したとみられている。クムラン教団修道院跡で多くの文書が発見されたことから「クムラン文書」「クムラン写本」ともいう。」(デジタル大辞泉プラス)

1947以降、クムラン洞穴の調査によって次々と発見された古代写本の総数は、およそ700点にも上り、20世紀最大の考古学上の発見とも呼ばれるようになった。
そしてこの死海文書の中に、旧約聖書のイザヤ書の完全な写本が、一つの巻物として出てきたのだ。

13 :
死海周辺で見つかったこのイザヤ書の写本は、紀元前100年以前のものと判定され、最古の写本であることが認められたと同時に、当時認められていたイザヤ書の本文の内容とあらゆる細分に渡ってほぼ完全に同一であることが明らかとなった。
存在する極少数の相違もほとんどが単語の綴りの問題であり、実際の意味の不一致は一つも無かったのだ。

この発見によって、イザヤ書は間違いなくキリストの誕生以前に一人の著者によって書かれたことが明らかとなり、53章のキリストの預言に対する批判は一掃された。
また、一つの巻物として発見されたことにより、イザヤ書が複数の著者によって書かれたとする「複数イザヤ説」も論破されることとなった。

さらに、発見された死海文書群は、イザヤ書だけでなく旧約聖書のほぼ全てを含んでおり、それらの古写本の内容は、現在の「標準本文」の内容と、千年以上もの長い期間を空けているにも関わらず、本質的に同一であることが確認された。

結論として、旧約聖書全体は、ユダヤ人の写字生たちによって極めて注意深く正確にコピーされてきたのであり、現在私たちが読んでいる旧約聖書が、原典の内容をほぼ正確に反映していると考えて良いのだ。

14 :
モーセ五書への批判「文書説」について

旧約聖書の写本の真正性について、最後にモーセ五書に対する批判を簡単に取り上げたい。
モーセ五書は、ユダヤ人の中では、伝統的にモーセ一人によって書かれたと信じられてきた。

ところが、十七世紀以降の自由主義神学者たちによって、モーセ五書がモーセ一人によって書かれたものではなく、ずっと後に書かれた複数の文書を融合させたものだと主張されてきた。
それらの複数の文書とは、ヤハウェ文書(J文書)、エロヒム文書(E文書)、祭司文書(P文書)、申命記文書(D文書)の四つから成っており、バビロン捕囚期以降に今の形に編纂されたと考えられるようになったのだ。

この文書説に対する反論は複数挙げることができるが、特に注目に値する発見が1980年になされた。
この年、エルサレムにあるヘブライ大学で、モーセ五書の語彙のコンピュータ解析が行われた結果、五書は全て同一の著者(編纂者)によって書かれたものであることが確認されたのだ。

したがって、五書が全てモーセ一人による著書であると信じてきたユダヤ人の伝承は正しかったのである。

15 :
>>5
>主にパピルス紙や獣皮紙など腐朽しやすい書写材料に手で書かれた。

パピルスはすぐに変色するが、羊皮紙は洋紙より耐久性があって2000年前の写本も状態良く残ってる

16 :
>>10
「刺し通された」はセプトゥアギンタのみにあり、マソラ本文にはない
しかし現代キリスト教はその箇所をなんとか「刺し通された」と解釈させようとしている
処女懐胎も誤訳を元にしてることが知られている
マソラ本文には処女の記述はなく、現代訳聖書でも「おとめ」と約されている

17 :
新改訳聖書ってヘブライ語聖書から訳されてると思ってたのですが、
一部、そうではないってことですかね。

18 :
>>17
https://www65.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/62.html
新改訳にも「野原へ行こう」があるよな

19 :
なぜ「野原へ行こう」が必要かといえば
一部キリスト教教典にそれ(殺された場所)があるから

20 :
>>18
へー、久しぶりに新改訳と新共同訳を読み比べてみようかな

21 :
聖書の改ざんなんてあるよ。

ヨブ記37:11〜

本来 稲妻ではなく 光を表すヘブライ語の単語のはず 

また、懲らしめではなく 杖と本来書かれている。

意訳の恐ろしさがここで表れている。

22 :
何がどうなっていたら「信頼性があるのか?」という定義がないね。

原点との差異が無いこと?
記述の内容に矛盾が少ないこと?
科学的な正しさ?
歴史の記録としての正しさ?
それとも他の条件があるの?

争点をはっきりさせないで「正しいんだー!」って騒いだって片手落ちすぎるよ。

23 :
キリスト教の聖典の信用が限りなくゆらいだとき
キリスト教はイスラムに助けを求めなくてはならないだろう
バルナバの福音書が最も権威ある聖典となるか

24 :
定義というよりも状況証拠を積み重ねていけばいいのでは?

25 :
新約聖書の写本の信頼性

新約聖書の写本―どんな批判があるか?

旧約聖書同様、新約聖書においても、その原典は今日存在しない。
原典の内容は、キリストを信じる写字生たちの手によって、歴史的に書き写されて継承され、今日に至っている。

そこである人々は、今日現存している新約聖書の写本には多くの誤りが含まれており、原典の内容を正確には反映していないと主張する。

また、今日の新約聖書の内容は、後の時代の教会がその権威を維持するために、教理に合うように書き換えた、そして教理に合わない書簡は新約聖書の正典から排除した、とも主張する。

本記事ではこれらの批判に対して、新約聖書研究の世界的な権威であるブルース・M・メツガー博士の証言を参考に、確かな答えを提示していきたい。

26 :
写本の正確性を示す二つの証拠

新約聖書の写本数の多さ

今日の新約聖書が原典の内容を正確に伝えていると言われる最も重要な根拠は、その「写本の多さ」にある。
ではなぜ写本数が多いと信頼できるのだろうか?
それは、同一の写本が多いほど、特に違う場所から同一の写本が見つかったという事例が多いほど、それらを比較研究し、原典の内容を推察しやすくなるからだ。

新約聖書の写本数は、ギリシャ語・ラテン語を合わせれば、約25000もの数に上るが、この数字は他のいかなる古代文献とも比較にならない。

聖書の次に多くの写本が残っている古代文献は、古代ギリシャでバイブルとして読まれていたホメロスの「イリアド」だが、現存するギリシャ語の写本は650部を切っている。
また、他の有名な「タキトゥス」や「ガリア戦記」などの著名な古代文献でさえ、その写本数は僅か20程度であり、これら古代文献の写本の数は、新約聖書のそれとは全く比較にならないのだ。

27 :
原典と最古の写本の時間的隔たり

次に重要な要素が、聖書の原典と現存する最古の写本との時間的隔たりだ。
当然のことながら、この時間的隔たりが少なければ少ないほど、写本の内容の信憑性が増していくこととなる。

新約聖書の場合、現存する写本と原典との時間的隔たりが30~300年程であるのに対して、他の古代文献の多くは、500年〜1000年もの時間的隔たりがあるのだ。
既に挙げたタキトゥスやガリア戦記などの著名な古代文献も、その時間的隔たりは、およそ900年に及ぶことからも、聖書との信憑性の大きな違いが容易に理解できるだろう。

以上に挙げた二つの点「写本の数が多いこと」「原典と写本との時間的隔たりが短いこと」を踏まえた上で、ブルース・M・メツガー博士は次のように語っている。

「(他の有名な古代文献と比べて)大変優れております。ですから、自信を持って、聖書の内容が正確に筆写されてきたと言うことができます。
特に、他の古代文献と比べた場合、正確さは顕著になります。」

28 :
写本同士の間違いは教理に影響したのか?

新約聖書が他の古代文献よりも遥かに正確に筆写されてきたとしても、各写本を比較した時に、ある程度の誤りが混入してきたことは、本文批評によって明らかになっている。

そして、ある試算によれば、新約聖書の写本同士の相違点は20万にも上るという。
しかし、その相違点をどのように計算したのか、という問題を考えると、その数字には若干の誤解がある。
例えば、二千の写本に一つでもスペルミスがあれば、相違点が「二千」として計算されてしまうのだ。

とはいえ、こうした相違がキリスト教の教理に影響を与えてきたことは無かったのだろうか?
写本同士に存在する相違によって、信仰面での真実性が揺らぐような教理はどれくらいあるのか、という質問に対して、ブルース・M・メツガー博士は次のように断言している。

「そういう教理は一つも存じ上げません。・・一つもありません。」

「エホバの証人の信者が訪問伝道に来て、『英欽定訳聖書には、ヨハネの手紙第一5:7〜8節に、「父とことばと御霊である。この三つが一つとなる」とありますが、最古の写本にはこうした文章はありません。
だからあなたの聖書は間違っています』と言ったとしましょうか。

これは事実だと思います。・・・しかし、だからといって、聖書ではっきりと証言されている三位一体の教理が否定されることにはなりません。・・・
パウロはコリント人への手紙第二の最後で『主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊なる交わりが、あなたがた全てとともにありますように』と書いています。
三位一体を示す聖句は他にもたくさんあります。」

メツガー博士は、写本同士の相違があったとしても、それは重要視するべきことではなく、どちらかと言えばマイナーな問題であることを確認した上で、さらに次のように加えている。

相違点についても、研究者たちが最新の注意を払いながら、もともとの意味にまでさかのぼって解決しようとしています。
比較的重要な相違点も、それで教会の教理が覆されるというようなことはありません。

29 :
正典研究―意図的に排除された書は無かったか?

仮に新約聖書が正確に受け継がれ、信頼性において他の古代文献の追随を許さないとしても、そこにイエスの全体像が描かれているという保証はあるのか?
そして、新約聖書二十七書が最高かつ信用できる情報の集大成だと言い切れる理由はどこにあるのか?
教会が、自分たちにとって不都合なイエス像や真実の情報を含む書物を、意図的に正典から排除した可能性は無いのだろうか?

正典を決定する際の三種類の判断基準

初代教会の指導者たちは、聖書に収めるべき文書を決める上で、以下の明確な三種類の判断基準を持っていた。

(1)使徒的な権威があるもの:使徒自身によって書かれたものか(マタイ・ヨハネ・パウロ・ペテロなど)、
あるいは使徒たちの活動に追随した者たちの手によって書かれたものであるかどうか(マルコやルカなど)

(2)信仰の規範との一致:初代教会が規範的と認めたクリスチャンの伝統に文書の内容が一致しているかどうか。

(3)信頼性と継続性:教会全体がその内容を継続的に認め、用いてきたかどうか。

30 :
正典の決定はほぼ満場一致だった

これら三種類の基準に沿って正典が考慮されていく中で、多少の議論はあったものの、新約聖書の正典は、編纂当初の二世紀の間にほぼ満場一致で決定されていた。
そして、キリスト教の異なる教派の間でもこれは同じだったのだ。

メツガー博士は、新約聖書の正典の決定には「適者生存の法則」が働いたと説明した上で、次のような話を紹介し、重要な結論を展開した。

「ハーバードで教鞭をとったアーサー・ダービー・ノックは、学生たちに『ヨーロッパでは最も交通量の多い道が最高の道である。
最高の道だから、最もよく使われたのだ。』と教えました。これはとてもよいたとえですね。

それからイギリスの新約学者ウィリアム・バークレーは、『新約聖書の各書巻は、それを阻止する者がいなかったがゆえに正典として認められた』と言っています。

正典に関する古い歴史を研究した人は、新約聖書こそがイエスの歴史に関する最高の資料であると必ず納得します。
そして正典の何たるかをはっきりと理解した人は、福音書に対してバランスの取れた明晰な考えを持つことができるのです。」

31 :
結論―聖書の写本は信頼できる

最後に、旧新約聖書の写本に関して、本記事で学んだ重要な内容を確認する。

旧約聖書の写本は、マソラ学者たちの手によって、特別な配慮の元に正確に筆写されてきた。
そしてその正確性は、死海文書の中から見つかった旧約聖書全体の古写本によって確認され、確定的なものとなった。

新約聖書の写本は、その写本数の多さと、原典と写本との時間的隔たりの短さにおいて、他のどの古代文献とも比べ物にならないほど、その正確性と信頼性が認められている。
そして、写本同士の相違によって、信仰面での真実性が揺らぐような教理が一つも無いことも確認されている。

さらに二十七書からなる新約聖書の正典は、適者生存の法則によって、イエスの歴史に関する最高の資料が必然的に選ばれたものであることが認められている。

したがって、現代私たちが読んでいる聖書は、原典の内容をほぼ正確に反映している最高の資料だと断言できるのだ。

「新約聖書は他のどの古代文献よりも多くの写本が残っているだけでなく、その内容も99.5%が限りなく原本に近い形で残されている、最も信憑性のある本です」(ノーマン・ガイスラー|ウィリアム・ニックス)

聖書は神の霊感を受けた言葉だ。(第二テモテ3:16)そして神は、その聖書が正確に筆写され、後の時代の人々も同じ神の言葉の読み、救いの祝福に与ることができるように、その言葉を守ってこられたのだ。

「研究は私の信仰を育ててくれました。私はこれまで、質問という質問を自らに問いかけ、新約聖書をむさぼり読み、隅から隅まで調べ上げました。
そして今は自信をもって、イエスに対して揺るぎない信頼を持っていると申し上げられます。」(ブルース・M・メツガー博士)

32 :
飛躍した、都合の悪い事実を無視しただけの結論だされてもなー。
原本が存在せず、原本だけでなく写本の元本になった写本の多くも失われ「写本の系統図」が構築できないので「同じ内容の写本が多いから、それが原本に書かれていた内容なので」と言っても、その時点で「あっそ。嘘乙」で終わっちゃうんだよね。

33 :
じゃあ聖書以外の歴史に関する資料はどこまで信用できるの?って話しだよね。
こういうところで聖書を否定する人って特に聖書だけには厳しい要求するよね、
極端な話し、他の書物は認めても聖書だけは絶対に認めない。

34 :
https://ja.wikipedia.org/wiki/カイナン
>文語訳聖書と口語訳聖書、新世界訳聖書ではルカによる福音書に述べられているイエス・キリ
>ストの系譜内にカイナンが2度登場する。一つは創世記5章9節同様に「エノスの子、マハラレル
>の父」として[1]。もう一つは「シェラの父、アルパクシャドの子」とされている[2]。しかし、創世記に
>おけるセムの系図に関する記述では「アルパクシャドは35歳になってシェラを生んだ」とされており
>[3]カイナンは登場しない。

この「2度のカイナン」があるのは七十人訳のみである

35 :
>>33
聖書が神やら神の子を語る以上は、
織田信長の歴史と同じ次元で批判が厳しいか厳しくないか言われたら、おかしい。

親戚のおじいさんの嫁さんの50代前の先祖の歴史と同じに批判される筈がない。
神の子だとか神を語るんだから、
嘘デタラメ、
勘違い、思い込み、希望、思想、皆の取り決めで書かれてたら困る。

当たり前の批判。

それだけの責任があるのが分からないならば、馬鹿の宗教である。

36 :
困ると言われても聖書が世界的な宗教の経典になったのは結果論であって、
だからと言って聖書にだけ信頼性の判断基準を厳しく要求されるのはおかしい。

天皇も神の子孫と言われてるから厳しく判断しよう

37 :
>>36
天皇家の神話をまともに信じる人はいないし、
例え、信じていても、極めて個人的な世界での話し。

神話は神話としての位置しかない。

神話を現実だと言い張れば、
厳しい批判、厳しい検証を要求される。
当たり前の事。

38 :
>>31
アーメン

39 :
神に逆らう者たちを滅ぼしていこう!
時は近い!

40 :
>>39
神に逆らう者は既に滅び、死んでます。

41 :
>>37
神道は立派な宗教でまともに信じてる人もいる。
キリスト教との違いは世界的な宗教かそうでないかだけ。結果論。

42 :
>>37
聖書も神道も神話って思っとけばいいじゃん。いちいち聖書にだけ絡んでくるなよw

43 :
>>40
いいえ
フリーメイソンという神に反逆する者たちが世界を支配しています
世界を神の手に取り戻しましょう

44 :
>>43
 「彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないから」

45 :
>>44
悪を行うあなた方は地獄の最も深いところに行きます
神の怒りを知りなさい

46 :
>>45
自分の事を人の事のように言うのはやめなさい。

47 :
>>46
悪魔崇拝者が何を言っているのか
あなたが神となんの関わりがあるのか
メシアがあなたを救うとでも思っているのか
メシアはあなた方悪を行う人間たちを否み、地獄に叩き落とす
真実によって滅ぼされよ、クズども

48 :
私は貧しく、なんの取り柄もない人間だが、神の友人だ
私はいつも神とともにいる
あなた方の悪は目に余る
あなた方のために世界は滅ぼされるだろう

49 :
>>47
真実はお前の滅びのみ

ハレルヤ

50 :
>>48
妄想乙

51 :
>>41
別に神社の信仰者は天皇を拝んでる訳ではないから。
自然界の神々、
ご先祖さま、
昔の人々への感謝だから。
特定の何か人物だけへの信仰ってのはない。

その特定の何かだけに執着するのは、
庶民的な神社宗教にはないから。

52 :
>>44
この指とまれ!
仲間になれ!
信じないヤツは神から殺されても良いヤツだ。
この思考が犯罪集団、殺戮集団の思考なのが分からない。

目前の人間より、
見た事ない誰かを重視して、
目前の人間の裁かれて滅びるのを望む心理構造がまさに悪魔的な脳構造だと自己客観視できない状態。

愛はなく野蛮な意識、殺戮や憎しみに満ちた思考。

他の宗教的集団もそれをやれば、
宗教戦争となる。

こんな簡単な野蛮な教義が見抜けない。
狂気のカルト宗教の定義は、
その教祖やその救い主に平伏しない者は、この世から削除して良いと言う考え方だ。

53 :
>>52
同意
幼児生贄、人肉食、ヤギの生き血を飲む、サタン崇拝、乱行、、、こういう儀式を陰でこそこそやって、陰謀を企み、この世界を悪魔の支配下に置こうとしている秘密結社に、誰が加わるか
死んでもお断りだ!
地獄に堕ちろ、くずフリーメイソン!

54 :
>>47
地獄はゲヘナのことですか?
現在のローマ法王もゲヘナは否定してる

55 :
>>54
地獄はないと思ってるのですか?
クルアーンには地獄のことが書いてありますよ
悪人にはふさわしい裁きを

56 :
日本に住んでるくせに神道がどんなものか知らない馬鹿がいるとか驚きだわ・・・

57 :
>>55
ゲヘナは「ヒンノムの谷」のヘブライ語
地獄としてのヒンノムはエノク書に言及がある
つまりゲヘナを信仰する=死海文書グループとのつながりを肯定する、となる
だから今じゃ法王もゲヘナ否定

58 :
ゲヘナはイエス様も言及しとるがな

59 :
それを否定する動きなんだよ
今の堕天使や悪魔、天使の概要はほぼエノク書によっている
そのエノク書自体がヨーロッパに存在しなく、ロシアかエチオピア版を使っている
なんとか関係を排除しようって流れなんだよ
エノク書を聖典としたのがクムラン教団
否定しなければエッセネ派→キリスト教のつながりが決定的になる

60 :
エノク書読んで見ればわかる
エノクの予言の成就=キリスト
当時の人間はそう考えた

61 :
地獄を否定する奴はエホバの証人やらろくな奴がおらん

62 :
プロテスタントが否定ぎみ
カトリックが肯定ぎみかな
教会が消えつつあるのはカトリック側

63 :
https://ja.wikipedia.org/wiki/教会の危機
実情を知らずにカトリックが増え続けてるアジアはやばいな
いきなり谷底に落とされるかも

64 :
>>51
聖書にだけ厳しく判断基準を厳しく要求する理由に全くなってないよ。
神道の信仰対象なんてどうでもいい。

65 :
聖書よりも古事記や日本書紀のほうが信頼性や信憑性があると主張し神道を信じてる人もいる。

しかし一般的には聖書のほうが信頼性がある(一例としてイエスが実在したことを否定する学者はほとんどいない)
と考えられているので、逆に聖書のほうがいちゃもんをつけられやすい。

66 :
>>64
別に神道がどうだか神話の類いで終了。
ジンギスカンが源義経か?
ああそう?で終了。
イエスキリストがどうだら、
ああそう?
終了。

問題は宗教裁判や宗教戦争、
キリスト教の異常さはカルト。

これは、はい終了にはできない問題。

キリスト教と言う野蛮で殺戮ばかりして来た気違い狂気の宗教は批判しなきゃならない。

67 :
キリスト教は狂気の宗教という考え方そのものが宗教戦争のきっかけになり得る

キリスト教会で刃物振り回して暴れないでね、君の思想はかなり危険

ていうかスレ違い、写本の信頼性から何故そんな話しの流れになるの?
頭がイカれてるのかな。マジ怖いこの人

自分でスレ立ててそっちでやってね

68 :
>>67
聖書の信頼性は、
気違い狂気のキリスト教の姿が一番の信頼できない理由。

オウム真理教の麻原が直接書いた手記か?
直接説法した説法か?
その信頼性を考えると言っても、
気違い狂気のカルト宗教に対して、
信頼性も何もない。
当たり前の事だ。

気違い狂気のカルト宗教として、
魔女裁判で拷問や強姦し財産を没収した歴史事実。

その狂気のカルト宗教がキリスト教にはある。

つまり、聖書の信頼性は魔女裁判と聖書から派生したユダヤ教、キリスト教、イスラム教の流血の史実を見れば明らかだ。

その事実を棚に上げて、
指摘する私をナイフを持って暴れるなと個人的な侮辱をしている。

聖書とキリスト教に対する批判と個人的批判または侮辱は別次元の物だ。

キリスト教会と
クリスチャンは、
反対者、異端者、異教徒(魔女も含む)
を残虐に拷問し強姦し財産を奪って来た。

アフリカやアジアやアメリカインディアンを虐殺して来た。
それは聖書の信頼性がない事実、史実である。

神と神からの言葉を信じる信仰者達の行う野蛮で残酷な悪事が、
その聖書なる物を信頼するに値するか否かの信頼性の答えだ。
上に名無しクリスチャンが批判者を悪魔呼ばわりして、
神に憎まれ殺されて地獄で苦しめと呪っている。
これが即ち、中世の魔女裁判の本質である。
クリスチャンの本性である。
自分自身の信じる物に異質な者は、
相手が無抵抗でも抹殺して良いと言う気違い狂気のカルト宗教な本性が如実に示されている。

69 :
>>67
気違い狂気のカルト宗教の事実を語ると何故か、
気違い狂気のカルト宗教を信じてない人間を気違い狂気の危険人物と逆転して考えてしまうクリスチャンの脳構造こそが、
気違い狂気の危険性の塊なのだ。

エゴイズムについて心理学的に真面目に考えるべきだ。

また、歴史的文献学的な検証ならば、
お前が板違いだ。

学術板や文献板に行け!

70 :
権力と癒着した腐敗した教会の指導者が異端狩りとして財産を奪うなどしたのは事実でも、大半のクリスチャンは世界平和を望み、殺害などには反対してきたのだ。
異端審問をやめさせたのも司教だったはずだ。
全てのクリスチャンが悪いわけではない。

極端過ぎる思想、歪んだアンチキリスト教こそ危険なカルト思想。

71 :
スレ主さんが批判否定はお断りと言っているので、他でやってね

72 :
>>70
殺戮が止まないのはキリスト教の教義に欠陥があるからだ。
インディアンを殺して良いとか、旧約にも他の民族を虐殺し強姦して略奪して良いと書いてある。

キリストを信じない者は地獄に落ちるべきだと憎み差別して良いと言う教義が存在するからだ。

殺戮を本性とした、表面は綺麗事を言う教義。

欠陥教義があるから異常者がそれを容易に悪用出来る。

悪用する為に書かれてあるのがキリスト教。

それを根本的に批判すると殺しにかかる。
批判しなくても、
異教徒は殺して良いと言う教義がある。
つまり、
自分自身の都合に良いエゴイズムの宗教なのだ。

まさにカルト宗教。
他人と他人を信じるか信じないで殺したり憎んだりが起きる教義体系。

何々人は殺して良いとか、
何々民族は殺して良いとか、
そんな差別を平気で許可する教義体系が聖書。

それを誤魔化す偽善箇所がなきゃ、
余程の気違い狂気の性格じゃなきゃ、
誰も入会しない。

だから、偽善の甘い言葉をちりばめた、殺戮教義体系が作られた。

聖書の信頼性は、
神ならば、
こんな欠陥差別、殺戮歴史は作られない。

馬鹿でも分かる事。

神の定義が、
殺戮と差別を推進する犠牲者を製造する存在ならば、

言葉として破綻している。

事実と言葉と照らして虚偽。

虚偽を神とは言わない。

昔ならば、
これで拷問されて然るべきだと、
自称平和を望んでいるクリスチャンの群衆から石打ちや、
罵りやら捕らえて拷問の限りで殺されている。
容易に想像出来る。

疑問を持つ者は集団リンチや法的な拷問と処刑が待つ。

これが当たり前に許される教義体系がキリスト教と言う宗教には存在する。

写本がどうか?

悪魔の教義が
信頼性に値しない論証である。

73 :
>>71
スレ主は神でない。
なんとか主を付けると支配者になれる脳構造はキリスト教の悪構造そのもの。

他人の権利、人権を救い主とか神とか、
言葉の上で自分自身を絶対視する為に使う欲望なんだよな。

エゴイスト、
我が最高者、
エゴイストが好む神とか救い主は同じくエゴイスト。

小学生でも分かる不当な差別と優越を大人が喜んでやり始めるカルト。

否定意見を排除するのは言論封殺。

まさにクリスチャンの本性の殺戮の構造そのもの。

74 :
矛盾してる記述が散見できる時点で聖書の信頼性は無いも同じだよねぇ。
スレ主は、ただただ「聖書は正しいんだー!」ってオナニーするだけのスレにしたいみたいだけどさ。

75 :
神による大量殺人―「従わない者をR神」は本当に正しいのか?

聖書では、神の裁きによってたくさんの人々が命を落としている。
神の望みにそぐわないものは殺し、神に従順なものを救う、ということだ。
果たして、従わない人は皆R神は、本当に正しいのだろうか?

誰が善悪の基準を決めるべきなのか?

「従わない者はR」このような神の対応に、不満を感じる日本人は決して少なくはないが、その不満には、ある前提となる考えが存在する。
それは「神と人間の関係性」に関するものであり、そのような不満は多くの場合、神の立場と自分の立場を対等に見ていることに原因がある。

聖書が繰り返し語りかけていることは、「神は万物の創造者・支配者である」という事実である。
もし神が本当に万物の創造者ならば、神が造らなければ人間ははじめから存在すらしていない。
さらに、人間の命を含む、万物の所有権は、完全に神の側にある、ということになる。

私たちの社会では、所有権を持つ者は、その所有物に関連する権利を持っている。
だから、アパートの大家は、その家の規約を決定する権利を持っており、もしそのルールに従わない住人がいれば、適切な警告を与えた上で、そこの住人を追い出すことができる。

この時、住人を追い出した大家に対して、文句を言う人間は誰もいない。
なぜなら、私たちは、「大家と住人の関係性」を理解しており、彼らの立場が対等でないことを知っているからだ。

しかし、これと同じようなことが、万物の所有者である神と、その住人である人間との間に生じると、人間が不平を言うのはなぜだろうか?
それは、住人である人間が、大家である神との根本的な関係性を理解していないからだ。

神は所有権を持つ大家・万物の支配者であるために、善悪の基準を決定し、人間を裁く権威を持っている、これが聖書の教えているところである。

76 :
聖書の神の属性と目的―愛と義

神に倫理基準を定める権利があるからといって、神が人間を乱暴に扱うわけではない。
むしろ神は、どんな人間よりも、自身の属性にしたがって、完全に公平な裁きを与える存在である。

聖書で啓示されている神の属性は、「聖なる神」「義なる神」「愛ある神」であり、全ての物事は、この神の属性に基いて、忠実に実行されていく。

たとえば、神が義であるということは、正しく生きる人々には必ず祝福を与え、悪いことを続ける者には必ず罰を与えることを表している。
私たちは、このような神に対して、不満を抱くどころか、むしろ社会で完全に公平な裁きが行われることを切望しているのではないだろうか?

また、神は愛であり、どんな人間よりも、私たちのことを深く愛している。
その愛ゆえに、神は多くの場合、悪を行う者たちにすぐに裁きを下すのではなく、悔い改める時間をしっかりと与える。
また愛ゆえに、全ての人の罪の身代わりとして、独り子であるイエスを与えた。

77 :
裁きの事件の背景

聖書に記されている神の裁きが批判されるもう一つの原因としては、誤解が挙げられる。
つまり、出来事の背景が十分に読み取られていないのだ。
そこで今回は、際立った二つの裁きを取り挙げてみる。

ノアの大洪水

聖書に記されている裁きの中で、最も大規模なものは、「ノアの日の大洪水」である。
聖書の記録によれば、当時は「ネフィリム」と呼ばれる人間と堕天使の混血種がおり、彼らの影響も悪く働き、地上は暴虐で満ちるようになった。

そして、その悪のレベルが、「回帰不能点」を越えたため、神はやむを得ず、全地球規模的な裁きを下すことを決定した。

しかし、聖書の記録によれば、ノアが方舟の建設を命じられてから、大洪水が生じるまでは、120年間もの期間があった。
その間に、人々には、ノアの警告に心を留めて悔い改める時間が十分に残されていたのだった。

しかし、改心した人は誰もおらず、方舟に入ったのは、ノアとその家族の八人だけだった。
それほどまでに当時の世は、神に対して反抗的だったのである。
もし神が大洪水を起こさなかったら、地上から正しい人は、一人も残されなくなっただろう。

78 :
ボスポラス決壊

79 :
各事件の背景〜ヨシュアによるカナン征服

カナン人に対する征服戦争の背景は、唯一の神ヤハウェが、カナン人の罪を裁くために、イスラエル人を用いた宗教的なものである。

当時のパレスチナの地域に住んでいたカナン人は、偶像礼拝に端を発した不道徳と性的堕落で極めて堕落していた。
例えば、彼らが行っていた礼拝には、性的な行為や、殺した子供を生け贄として捧げる人身供犠のような悪魔的な儀式も含まれていた。

聖書の歴史と一般の歴史の双方は、彼らが不道徳や堕落のとりわけ卑劣な記録を作り上げてきたことを、一貫して証言している。

それでも神は、すぐには彼らを罰せず、400年もの長い間、彼らに時間を与えた。
しかし、最終的に、彼らの罪が極みに達し、回帰不能点を越えたので、イスラエル人を用いて裁きを与えたのだった。

80 :
結論

聖書の神は、万物の創造者であるため、倫理基準に関する絶対的な決定権を持っている。
そして、その基準は、聖・義・愛という神の属性に基づくものであり、神は常に完全に正しい方法で、その権威を行使される。

旧約聖書に記されている大規模な裁きの多くについて、神の残虐性が批判されていることがあるが、それらは大抵、背景事情を十分に理解していない人々がもたらす誤解である。

81 :
ヨブを試すためにその親族を殺したのは?
なんの事情もないぞ
最も正しきヨブ自身をも殺そうとしたし

82 :
>>1
史実として信頼できるかどうか、ということなら全くナンセンス
そんなことはとっくに放棄している
聖書を通じて信仰が成り立つかどうかだけが問題だ

83 :
まずキリスト聖書とユダヤ聖書にわけろ

84 :
>>82
史実である

85 :
>>84
聖書の記述のみで、「いつ」「どこで」が特定できれば「史実」と言ってもいいでしょう。
ところが、聖書の記述のみではどちらか一方だけしか特定できないことがおおく、両方特定できることなどほとんど無いのです。
特に「いつ」については全くアテにできません。
そのような片手落ちの文章が史実であるとは、狂人ならば別ですが、言えないのです。

86 :
>>85
多くの聖書以外の古代文献も実際の歴史として受け入れられているではないか

87 :
>>14
このサイトのコピー?
http://true-ark.com/reliability-manuscript/
>1980年になされた。
>この年、エルサレムにあるヘブライ大学で、モーセ五書の語彙のコンピュータ解析が
>行われた結果、五書は全て同一の著者(編纂者)によって書かれたものであることが確認されたのだ。

仮にこの研究が正しかったとしても
ヤハウェ文書(J文書)、エロヒム文書(E文書)、祭司文書(P文書)、申命記文書(D文書)の
四資料仮説への反証にはならんぞい

というのは、四資料を組みあわせて編纂した人がいるのだから
同一の著者(編纂者)が四資料を使うと編纂者の癖で統一されるではないか。

問題の立て方がそもそも低レベル

88 :
>>84
旧約の中でヨブ記 詩編、箴言 コヘレトの言葉 知恵の書 雅歌 エレミヤ哀歌等は 実話ではなく「詩歌」の部類に属する。

89 :
>>80
知能障害だな。
その馬鹿な如何様の神の理不尽な虐殺肯定論法が、
その侭、
人間がその論法を模倣して実行したのが、
他民族を虐殺し強姦し略奪した史実。

植民地支配という極悪は、如何様の空想妄想の神の模倣だ。

90 :
>>88
揚げ足とりに過ぎん

91 :
>>89
神の裁きとそうでないものの混同

単純な見極めもできないバカげた批判

92 :
>>85
じゃあインドの歴史は歴史じゃないな

93 :
従わない者を殺した方々
毛沢東、スターリン、ヒトラー、ポルポト、神(旧約)

94 :
火の柱 ・・・サントリーニカルデラの噴火
海の道 ・・・サントリーニカルデラの噴火による津波の引き潮

95 :
ソドムとゴモラ ・・・大規模地滑り

史実を後付けでああだこうだ難癖つけて偏狭思想で味付けしたしたのが聖書

96 :
南極の氷が溶けても地球は水没しないぞ?

97 :
>>81
死イコール神の裁きではないのでは?
ヨブ記のテーマは、なぜ良い人に悪いことが起きるのか

98 :
>>87
仮説だしね。そのなんとか文書は写本か何か見つかったのかな

99 :
「聖書は正しくない」って色々いわれてるのに、それに反論できてないね、ネアン君。
「じゃぁ×○はどうなんだよ!」って話題を逸らそうと無駄な努力しかやってない。
前からそうだけど、自分の意見(ネアン君に「自分の考え」なんてものがあればだけど)に対する突っ込みから逃げしかしてない。

その程度のアタマしかないのに、なんか態度だけはものすごく大きいよね、ネアン君。

100 :
>>97
だから全く悪と無関係の人間を神が殺してる
ユダヤ教義ではそれはありえるという話


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