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ポストモダニズムは右傾化に本当に貢献したか?


1 :2017/08/01 〜 最終レス :2020/05/13
ポストモダニズム批判の一つに、それが右傾化に貢献してきたと力説するものがある。
果してそれは本当だろうか。信じがたい。
例えばネトウヨや保守の言説を観察して、それらにポストモダニズム思想からの引用や
論拠として好んで取り上げている傾向が本当に見いだせるのだろうか?
むしろポストモダニズム批判の言説のほうが右傾化と親和性が高いのではないだろうか?

2 :
ポスト・モダニズム批判論者は、エビデンス、エビデンスと連呼するわりには、
こういう論拠についてははっきりした証拠を示しておらず、
論理的な飛躍が目立ち、文学的にのみ表現しているように見える。

これが偏見であるというなら、彼らはその証拠を本当に示せるのだろうか?

3 :
アラン・ソーカル氏が攻撃した標的も進化論を否定する右翼誌というよりは
リベラル誌に近いんだよね。ソーシャルテキスト。
つまり、彼にもポストモダニストは左翼だという認識があったはず。

4 :
スティーブン・アーサー・ピンカー氏が好んで批判するのも左翼言説だ。
右翼言論界では古くからルソーがやり玉に上げられてきたが、
ピンカー氏もその例外ではない。

5 :
日本のようなモダニズムが根づいていない地域では、ポストモダニズムはプレモダニズムに帰着するという指摘はよくある

6 :
>>5
それはないよ。
日本ではポストモダニズムそのものが普及した事実があっただろうか?
現実に見られるのはポストモダニズムの衰退と右傾化の相関だよ。

7 :
ポストモダンって新左翼のイメージがあるけれど右翼なの?

8 :
国家やら歴史やらの権威的なものが必然的なものであることを否定して相対化する傾向が強いから、そういう点では元々左翼の理論でしょ。
ただ最近になってそういう相対化のロジックを右翼も使い出したっていうことじゃないの。
統計で「外国人が犯罪しまくっているという事実はない」と言われても、「そんなオーソライズされた学問など知らん、俺の直観が正しい」と開き直る奴が出てきたというか。

9 :
>>8
> ただ最近になってそういう相対化のロジックを右翼も使い出したっていうことじゃないの。

そういう事実すらほとんど観察できないと>>1は主張しているんでしょ。
むしろ逆のほうが観察できるんんだと。

10 :
>>9
まあ右派的でアカデミックな論文なんてのは基本的にないので、ポストモダンの理論を直接引用する右翼なんてのは存在し得ないわな。通俗的な本でポストモダニストの名前が出ることもまずないだろうし。
そうするとこの場合ポストモダン思想に着せられてるのは、それが人文科学界隈を席巻したせいで、まともな(エビデンスのある?)見解がすぐ相対化される状態が自明視されるようになり、
その結果一昔前ならトンデモ扱いされてたような言説に対する人文科学の批判的機能が失われた、ぐらいになるのかね。
ただ因果関係があるのかどうかはよくわからんし、国によっても違うわな。

11 :
例えば保守派に人気がある「インテリジェント・デザイン」論が
ポストモダニストの議論を好んで引用していたりする事実とかあるのか?

12 :
右派や保守派からしたら、ポストモダニストの議論を真に受けたら
愛国心まで相対化されちゃうんじゃないか?

13 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1409864848/161-166
>『ニュー・サイエンティスト』の議論の根底には、科学者とはその本姓として、
>実証的な思考手続きを踏んだ理性的世界観にたつ人、という固い信念がある。
>そもそもタイトルのカルト(熱狂・邪教)は蔑称であり、
>これと理性的人間=科学者とが対比的に並べられている…オウム問題につなげると、
>八〇年代前半の日本の出版業界は、アメリカ社会の片隅で…はやっていた疑似科学的言説に
>ニューサイエンスという名をかぶせて導入し、一時的に読者需要を掘り起こした。
>これに…日本の少なからぬ知識人は、これを世界的な科学思想の流行であるかのような素振りで、
>追認するばかりであった…どれが妥当な自然観で…どこからが非科学的…臆説であるか…
>日本の知識人・科学者集団は行うことなく放置した…
>これは…市場原理に知的権威を代行させてしまう…本来ありえないことを是認し…た…

>この事実は、日本の専門家教育の知の伝達の場が、
>伝えるべきもの…を無意識のうちに溶解させてしまっていることを示している。
>…近代科学を生んだ欧米では、科学研究に従事することは、
>科学的世界観の拡張という哲学的目的の一角を担うことという共通了解が…なお存在する。
>この意味で、研究者は明らかに知的エリートであり、
>実証主義的手続きと合理的世界解釈は…単なる文言ではなく、
>彼らの世界に対する哲学的態度そのものである…

14 :
>その一因は、科学研究そのものが約百年前から移植された外来物であり、
>哲学的衝動までをも伴ったものではなかったからである…
>これは、大学のカリキュラムを変えればいいという次元の話ではない。
>むしろ近代科学の実利主義的な面の制度化と研究の社会からの隔離は、
>日本の大学アカデミズムにとってその出生以来の本姓なのかもしれない。

>…しかし、今回の事件で明らかになったのは、日本の研究者社会が、他先進国におけるのと同等の、
>専門家集団としての社会的責任やこれを果たす機能をもっていなかったこと、
>あるいはそれを引き受けるだけのエネルギーと志とを枯渇させてしまっていたことである…
>日本の大学が、高等教育機関としても研究機関としても、
>言い換えれば知の伝達・保存・創出のあらゆる点で、時代錯誤の状態にあることは、
>繰り返し指摘されてきた。しかし何も変わらず…オウム真理教事件が起こった。
>これによってこれまでは水面下に隠されていた日本の専門教育の巨大な欠陥が、
>世界的な次元で暴露されてしまったのである…

15 :
>米本昌平「再建せよ 科学者の社会的責任を 特集 オウムの教訓」 中央公論 1995年7月号

何と20年前の話なんだな。ポスト・モダンとか、
ニューエイジ・サイエンスなんかが社会に抵抗なく受け入れられること、こそがそもそも問題で、
オウム真理教事件でも見えたことは、
社会に内在し、放置されていた欠陥(弱点)としても、その欠陥を(外国に?)突かれた?点でも、
とてつもない問題をはらんでいた
が、日本社会は結局、時間の経過に任せてその後、なーんにも考えなかった。
一歩間違えば皇居諸共霞が関も消えていた。にも係わらずそれを隠している。完全な無責任で、
(〇〇長官狙撃事件等)法的に時効でも同じ構図は消えていない。どころか再び巡って来た。
そのような体制が、福島第一原発事故にまでつながっている。福島第一原発事故でも今後同じ経過をたどるのか。
法的に無罪、時効でも、国や民族が消滅しても良いのか。
この種の問題で、“後発”国の《法》では時効でも、哲学的には時効は無い。

16 :
日本社会は学校であろうと企業であろうと上下関係の厳しい専制社会であって、
ちょっと権力を握った自制心無き者があっという間に好き勝手をし始める社会である。
そういった個人の権力乱用を《超越的規範》で律しようとするのが一神教であり、
プラトン哲学であり、デカルト哲学である。
ところがハイデガーの哲学やポスト・モダンのような考えは、この《超越的理念》を否定する。
全ての存在を超越する観点から見下ろす視点が無いのだから権力を握った者が好き勝手して、
しかもそれを任意にでっち上げたへ理屈で正当化できる。
誰もそれを否定する《言葉》を持てない。やられっ放しになる。
ハイデガーの哲学やポスト・モダンはそのような正当化に手を貸して、
専制社会への転落を増長させるものである。

>ポストモダニズム批判の一つに、それが右傾化に貢献してきたと力説するものがある
>信じがたい
>むしろポストモダニズム批判の言説のほうが右傾化と親和性が高いのではないだろうか?
>ポスト・モダニズム批判論者は 論拠についてははっきりした証拠を示しておらず 論理的な飛躍が目立ち
>これが偏見であるというなら、彼らはその証拠を本当に示せるのだろうか?
こんなのでどうかな?

17 :
>>1
超越的規範は右翼や保守が好む論法であることはご存知のはず。
「任意にでっち上げたへ理屈」はどこまで行っても「任意にでっち上げたへ理屈」にしかすぎず、
ポストモダンな社会では、それらは人びとによって常に相対化されている。
「任意にでっち上げたへ理屈」が「超越的理念」や「超越的規範」へと正当化されることはない。
そもそもそんな理念や規範などが相対化されているのだからね。
「超越的理念」や「超越的規範」はむしろ右翼的言説にとって都合がいい権威を社会に与えてしまうんだよ。

18 :
権威が相対化された社会では、
ある種の権威へとすべての人びとを「右へ倣え」と
洗脳することが極めて困難な社会になるということ。

「神なんて恣意的なものだよ」と思っている人が多数の
ポスト・モダン社会では、オウム「真理」教など求心力を
持ちようがないし、少なくともそれが全体社会になることもない。

19 :
>>16
権威を否定するから右傾化するっておかしいでしょ、権威主義も超越的規範も保守の根っこじゃん
そりゃ相対主義が何もかもに対して平等だから、本来敵である差別主義や権威主義までもがある程度力を持つってことはあるけど

20 :
今の右翼って超越的規範なんて主張してるのかね。
自分たちの主張がローカルルールに過ぎず普遍性などないことを自覚しつつ全否定される謂れはないとゴネてるだけでしょ。
日本でいえば天皇があらゆる道徳の源泉だと主張するやつなんかもう存在しないわけで。

21 :
普通の日本人名乗るような奴は主張の普遍性の無さなんて全然自覚してないだろ

22 :
超越性と普遍性は違うでしょ。
オウム真理教もローカルルールの権利を主張していただけ?

23 :
>>20
それってポストモダンの相対主義とコミュニタリアンとを混同しているんじゃないかな?
ポストモダンが「それはローカルなものにすぎない」と権威を相対化するとき、
ローカルなものが絶対化されているかといえば、そうじゃないでしょ。

24 :
じゃあ普遍的なものはどこにあるんですか?

25 :
右派は、ローカルルールとして最適な国家に個人が従うのが
もっとも自然で合理的で、社会的に普遍性をもつのだと主張するでしょう。
国家を普遍化するのですよ。そして国家を支える超越的な権威が必要だと説く。
神であれなんであれ、個人を統制する強力な権威が必要だとね。

26 :
>>25
それが根本的に間違ってるって事ですね?

27 :
エーリヒ・フロムの自由からの逃避メカニズムの分析から一歩も出ていないし
昨今の右傾化もモダニズムの範囲で説明できる

28 :
>>26
間違ってるという事ではないと思うがどうなんだろう
もちろん左派から見れば間違ってるということになるんだろうけどさ

29 :
そのレベルの保守はそもそも一歩引いた視点ってものが欠けてて自分のそれがローカルルールだとわかってないから
反知性主義なんていい例じゃん、「正しいから正しい」より先に行けないんだよ

30 :
>>29
私はどちらがというと左側かもしれないから、極左ブログとかも読むけど(右と左のお互いの尊重と共存が個人的理想)、
極左の世界も「正しいから正しい」でガチガチだよ?
ドン引きするよ。

31 :
今の日本で起こってるのは右傾化ではない
日本会議、日本青年協議会の地道な活動が身を結んでるだけ
今の保守派のメインの主張が改憲にあるところなんか、右翼とは全く違う

過去の歴史修正も全く右翼的ではないし、
それは人を集めるための方便でしかない
歴史学の本流を伴わない歴史修正などただの噂話にしかならないのだから
本当に歴史を改めたいのならば市井での活動など逆効果
彼らはそれで人が集められればそれでいい
彼らが必要としてるのはその数の力だけ

32 :
「変えるか護るか」の観点のみで左右のレッテルを貼るから混乱する。

33 :
こういうスレで池上さんの番組の話題は申し訳ないが、
池上さんは左翼の定義の一つとして、共産主義を志向する者を
挙げていた。

34 :
>>31
つまりファシストってことだよな
ファシストって言葉自体も右翼の呼称として使われてるからややこしいけど

35 :
>>33
池上さんってどこいっても嫌われますね

36 :
いずれにしても、右派が超越的権威の絶対化せずに相対化するような
ポストモダニズムと親和性が高いという論法は大嘘で、事実とは真逆だということ。

37 :
ネトウヨやオルトライトは、超越的権威なんて何も認めてないように思える
ただ、自分たちの居心地の良さをひたすら求めてるだけ

38 :
「俺たちのトランプ」が権威主義じゃないというのはちょっと無理がある
まあそれを権威を求めてると見るか勝ち馬に乗ってると見るかの違いなのかもしれんが

39 :
トランプも自分が気持ち良ければそれでいいという範囲でしか言動がない

40 :
というかあれはアホなだけだろ
「原因と結果」って概念自体が頭の中にないと思うぞ

41 :
右翼はルサンチマンから生まれるが、20世紀の右派、ファシズムが貧困や社会的弱者から生まれたのに対し、現代日本の右翼、いわゆるネトウヨは「左翼知識人に支配された日本社会」という物語に対する反感から生まれている
それは、ネトウヨが死刑賛成、原発賛成、ナチス賞賛などの「左翼の逆張り」を好むことからもわかる
また、ネトウヨが貧困層以外にも見られるのもそのためと思われる

ポストモダンの社会ではその物語が大きな物語となることはなく、ネトウヨの存在は本来日本社会の右傾化とイコールになり得ない
そもそも「反感」は大きな物語にはなり得ない

右翼の要望である改憲や南京、慰安婦といった歴史修正が完全になされたとしても、左翼の平和主義は否定されたことにはならず、右翼がその支持を集めて日本社会を支配することにはなり得ない

42 :
ネット上なら相手が殴り返して来ないから辛うじてネトウヨとして成立してるだけで、
ネットが無くなるとあれ全部消えるんだろうな

43 :
>>41
ナチは論外だが、死刑制度や原発の是非論は
別にネトウヨ特有の議論じゃないよ。

44 :
よく読め、論点はその善し悪しじゃなくて主張そのものが全部ただの逆張りだってとこだ

45 :
ある事項に於ける賛成(反対)意見に違和感を感じたら、それに対し反対(賛成)の立場をとるのは自然な流れだと思うよ。
それは右翼であろうが左翼であろうが変わりは無い。
確かに「逆張りする事自体」が目的になってしまってる輩がいる事は否めないが(左右どちらの人間でも)、多くの人は
自分が思った事感じた事を率直に述べているだけだ。

46 :
そもそも歴史修正主義/歴史固定主義って何だろうか。歴史で何より大切な事は事実を伝える事だ。考古学だって各種サイエンスだって、事実を手に入れるために常に検証とアップデートが
日々繰り返されている。新しい説を唱える者が出てくれば、それが正しいか誤りかを物証や研究データを駆使して検証する。
そして時には今までの常識が覆る事もある。
歴史だって同じではあるまいか?現在の主流の歴史観に
異を唱える主張があれば互いの立場を超えて共に検証を行う方がより「事実」への近道になるんじゃないだろか?

47 :
>>46
右翼は「歴史戦」って名乗っちゃってるから
それが学問じゃなくて、政争、政治活動だって自覚してるし、それをアピールしてる
それに賛同する人たちもそのアピールを歓迎してるし、そのアピールに反応してる

歴史の修正には膨大な資料を正しく分析する高度な知識とたくさんの時間を必要とする
実際に学問の世界ではそれは日常的に行われてる
「歴史修正主義」っていう言葉、ある意味蔑称にはそういったものを完全に欠いた上での政治活動に対する批判的な意味合いが含まれてる


ところで、その「そもそも論」で義理人情に訴えてベクトルを逆に向けるっていうのが日本の右傾化運動の1つの特徴だよね
日本人は「必ずしもそうとは言い切れないんじゃないのか?」っていうのに弱い
日本人には曖昧さ、社会を保とうとする事なかれ主義みたいのがある
一回ベクトルを逆転すれば、あとは空気を読んでジワジワと逆に進んでいく
欧米のナチスに対する態度みたいな「何が何でも絶対ダメ」っていうのは日本人は違和感を感じる
いいことでもあり、悪いことでもある

48 :
>>43
傾向として右派(右翼や保守)はそれらを政治的に推進することが知られているけどな。

49 :
>>48
ageられてるんで乗るけど、終身刑と引き換えに死刑は廃止していい

50 :
>>47
つずき

>日本人は「必ずしもそうとは言い切れないんじゃないのか?」っていうのに弱い

ポストモダニズムを懐疑と相対化とするならば、ポストモダニズムが右翼を生んだというのは一部正しい
右翼の元が貧困のルサンチマンとは違うという点で現代の右翼をポストモダニズムを使って説明することはできる
ただ、右翼を生んだという事と社会の右傾化はイコールではない

それはそもそもポストモダンと、右傾化という大きな物語″の関係を論ずる事自体に矛盾があるのだが、右翼の存在が社会の右傾化になるためには社会での彼らへの許容や賛同が必要になる

51 :
>>46
それ名前に騙されてるだけだよ
実態は歴史改竄主義だから、必要なら史料燃やしたりする奴

52 :
>>51
それ確かなの?保守系論客がそんな事してるって事?

53 :
保守系論客と呼べるほどまともならそもそも修正主義にはまらねーから

54 :
歴史修正主義を「古い説が間違ってたから直す」ってことだと思ってるなら世間知らずすぎ
修正主義者の主張見てみろよ、ホロコースト否定説、南京大虐殺否定説、従軍慰安婦否定説
全部「なかったことにする」政治活動だぞ

55 :
ポストモダンでは、それぞれの正義を認めるわけでしょ
なら、歴史修正主義だろうと何だろうと、それぞれの正義は認められることになるよね

56 :
>>55
歴史は事実がどうかであって、正義は関係ないんじゃ?

57 :
どこに事実があるかはわからないし、誇張されてきたとすれば、その反対方向の歪曲だけを責めるのも無理がある
結局、正義の置きどころが問題ってことになるから、それぞれの正義を認めてしまえば、もうどうにもならない

58 :
じゃあ歴史は全部水に流そう

59 :
オルトライトという名前がもうポストモダンライトという意味じゃないのか?
ネトウヨも同じでしょ

60 :
オルタナ・ファクトって奴でしょ
どう考えてもポストモダニズムの影響と言うことになりそうだけど

61 :
>>50づつき

>それはそもそもポストモダンと、右傾化という大きな物語″の関係を論ずる事自体に矛盾があるのだが、右翼の存在が社会の右傾化になるためには社会での彼らへの許容や賛同が必要になる

では現代日本は右傾化しているのか、右翼への許容はされているのか?

答えはYESである

例えばヘイトスピーチに関する動きを見ても、カウンター側が勝利しているとはいえない
それはポストモダニズムにおける相対主義は批判主義に勝てないという事である
ポストモダンは情報過多があらゆるものへの批判可能性を生み、それが相対主義となって大きな物語が喪失するという事である
相対主義は批判主義には勝てない。相対化自体が自己の勝利を目指していないからである。

しかし、批判主義は留まらない
例えば、社会に溢れる左翼的な物への批判としてのネトウヨ思想は、やがてそのネトウヨ的情報が飽和した時、自己に溢れるネトウヨ的な物へ対する批判を生むからである
ネトウヨを卒業する仕組みである

つまり、現代日本の右傾化とは生み出され続ける批判主義者が相対主義者に勝利し続ける事である
批判主義は大きな物語になる事はなく、この図式は固定化される

62 :
ポストモダニズムというのは多様性を促進し、
かつ、一つの権威に基づいて統制された共同体を否定する。
オルトウヨやネトウヨはその真逆だろう。

オルトウヨやネトウヨがポストモダニズムを好んで持ち出す
ということが言論界で起こっていた事実もない。
むしろポストモダンを批判する潮流とオルトウヨやネトウヨは仲がいい。

63 :
例えば、日本でもポスト・モダニズムを激しく批判し、
ソーカルをもちあげる人たちには右派が多いという事実がある。

64 :
ただし、「リベラリズムのディレンマ」という問題がある。
要するに「自由は自由を否定する自由を許すか」という問題だ。
自由を認めるなら自由が否定される自由も社会的に認められなくてはならない、
というわけだ。
多様性が認められるならば、多様性を否定する多様性も認められるだろう、
という発想にそれはつながる。
だから自由や多様性はけっきょくはめぐりめぐって全体主義に収束するという論理だ。

65 :
ポストモダンは思想じゃなくて現象だよ
ネトウヨが緻密な理論武装なんかするわけがない

66 :
>>64
じゃあ幸せな全体主義をつくって行こうよ

67 :
今まで悪とされてきた管理や監視を受け入れる哲学が欲しい。

68 :
ポストモダニズムが右傾化に貢献してきたという論理は
だいたい>>64のような理屈で成り立ってきたと見ていい。

69 :
右派の言論が実際にその論理を持ちだして理論武装してきたという意味ではない。
ポストモダニズムを批判する言論が好んでそういう論法を使って
ポストモダニズム批判を展開してきたということだ。

70 :
>>64
ネトウヨが多様性を否定した社会を目指してるわけじゃないと思うんだな
それはモダニズム的だし、何よりネトウヨの目指す社会ってのは〜主義と名付けられるほどの具体性がない
あれはポストモダニズムの批判主義と捉えるべきだと思う

71 :
自分たちの国や民族を大切にしつつ、排外主義に陥らない姿勢はどうなん?それでも右傾化?

72 :
>>71
多くの日本人はそのはずなんだが、そういう人々は「存在しない」ことになってしまっている。サイレントマジョリティとは
よく言ったモンだよ。思想やイデオロギー論争には邪魔な存在なんだよ。

73 :
サイレントマジョリティが何も言わずに静かにしてるから
知識人文化人がのさばっているとも言える。無関心は罪だ

74 :
やはり価値相対主義が全体主義につながるということを分ってないやつが多すぎる。
ポストモダン=価値相対主義、多様性を認める価値観、だから唯一絶対神を掲げる狭量な文化より柔軟性が有る。
価値相対主義者は必ずそう言ってくる。悪辣な者は価値相対主義を標榜しながら専制政治を狙ってくる。
それに騙される者は、
「多様性」という表面的な言葉にごまかされて超越的価値観が機能する仕組みが分っていない。
価値相対主義は実際、最後にはファシズムになる。

75 :
>>74
世界市民とか地球政府とかの危険性みたいな?

76 :
>>74
それは今の日本会議がやってることだな
彼らの手法は古い左翼のやり方だけど、彼らの思想の核もまたモダニズムという点で古い左翼と同じものだ

ポストモダニズムがファシズムになるというより、ポストモダニズムはファシストに対抗できないと言った方が正確だと思う
悪意を持ったファシストは確率的にいつか必ず出現するわけで、世界的な右傾化の潮流はそういうことなのかもしれない
しかし時計の針は戻らない

個人的にはファシストは勝利しないと思ってるけどそれはただの願望なのかもしれない

77 :
ファシストが勝てないようにできてるってのはナチと日帝を見ればわかる(選民思想のせいでいくら領土を取っても領民が味方にならず国力が増えない)けど
それは最後に必ず負けるという意味であって一度も勝てないという意味ではない

78 :
>>64
それってクソウヨがよくやる俺に対する意見は野次一つであっても人権侵害だけど俺の意見は言論の自由っていうクソ理論だよな
平等を根拠に自分を特権に置いて義務を果たさず権利だけは主張する寄生虫みたいな思考

79 :
>>77
モダニズムのファシズムとポストモダニズムのファシズムを一緒にするとこのスレの存在意義が失われる

80 :
>>74
現実は右翼が全体主義押してるよね

81 :
>>74 >>76
ネトウヨやオルトウヨが価値相対主義を持ちだしてきているかなあ?
そんな事実はほとんど観察できないように見えるけどねえ。
むしろ彼らこそ価値相対主義、ジェンダーフリーとかを総攻撃しているように見えるが。

82 :
ポストモダニズム批判が実は保守派や右派によるものに見える。
日本でも明らかにそうだし、欧米でもどうやらそのようだ。
一見してリベラルを装っている連中もいるからややこしいが。

83 :
長谷川三千子「民主主義とは何なのか」
ttp://blog.livedoor.jp/bakara2012/archives/2014-01.html
ttp://livedoor.blogimg.jp/bakara2012/imgs/c/e/ce84dbfd.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/bakara2012/imgs/0/e/0e173d44.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/bakara2012/imgs/b/5/b5d66af9.jpg

84 :
支配に都合がよければ、イデオロギーはなんでも使うんですよ。

85 :
民主主義批判て立場もあるのかな?

86 :
正直この頃の右傾化って
馬鹿は相手しない→馬鹿の方が多かったわ
ってだけの流れだろ

結局日本会議やら新KKKやらが地道にネット工作した結果だからな

87 :
>>86
ごめん、二行目がよく解らん…

88 :
目的と手段とがあり、
目指す目的はポストモダニズムと保守派や右派やナチは相容れないが、
その手段においてポストモダニズムが保守派や右派やネオナチに悪用される
という批判があるわけだろ?
実際に悪用されたかどうかはあやしいが、悪用されていると反ポストモダニスト論者は主張する。
しかしそうした悪用は反ポストモダニストの立場の側にも多いにあるんじゃないか?
実際には反ポストモダニスト論者の論法のほうがネトウヨにウケがいい。

89 :
>>88
日本の保守とナチ、ネオナチを一緒にするなよ。

90 :
>>64に書いたとおり、ポストモダニズムへの批判はリベラリズムへの批判と等しい。

91 :
ポスト・モダン批判は全体主義思想=カルト専制に対する批判となる

リベラリズムはルネッサンス、宗教改革、アメリカ独立革命、フランス革命を経た啓蒙思想から出た概念で、
その大元となった考えはキリスト教やプラトン哲学が持つ“中核的な”価値観である。
一方ポスト・モダンはニーチェ、ハイデガーの思想を元にしている。それがフランス現代思想の基になっている。
ハイデガーの思想はギリシャのプラトン哲学、ユダヤの一神教を否定する思想である。
(ハイデガーが否定する)一神教やプラトン哲学を土台にして今の立憲主義、議会制民主主義が生れてきた。
だからこれを否定すれば立憲主義や民主制を否定することになる。
またプラトン哲学は幾何学を基盤として成り立っている。だからその否定は数学を否定することにつながる。
数学は真理を見出すためのあらゆる議論の雛形を提供する。その否定は、
(一般人が疑問とする、社会的な問題に関する)如何なる議論も有効に噛み合わないように働く。
単なる《多様性》とは全てが『自分は正しい』という話しで、《譲らない》ということである。
全てが《譲らない》中で真に何が正しいのかが分らなくなる。こうして民衆は強い指導者を期待する。
その中で最終的に強者の意見が社会“全体に”押し付けられることになる。
ポスト・モダンは専制体制を進める独裁者に対して個々人の権利や尊厳を弱めるように働く。
従ってポスト・モダンの追求は前近代への逆戻りとなる。

92 :
>>91
ならば「本当の正しさ」は何処にあるんですか?教えて下さい。

93 :
哲学は書物の流れではない。

94 :
社会的、理性的自由とポストモダンが標榜する無原則、衝動的自由とは根本から異なる概念である
哲学の歴史とは、ノモスとピュシス、ビオスとゾーエといった、本能と理性との二項対立に依って置き換えられるが
論理としての整合性は理性の演繹的活用でのみ解消され得る、このことから導き出される結論によって
哲学が論証しようとしたリベラリズムが後者ではないことが明確に示される

95 :
NHK 日本海軍反省会400時間の証言

元少佐:
相当の者が、本当に日本の自存自衛の為に、日本の独立を守っていく為には戦争をせざるを得ないんだと、
そういう考えで戦争に走ったんだと思うんですよ、そうじゃないんでしょうか。

軍令部元大佐:
うーん、それだと非常に良いんですがね、そうじゃないから問題になっているんです。

元少佐:
何の計画も勝算も無しにですね、名義の無い強盗侵略戦争をやったということが事実なんですか。
それを我々は認めるんですか。

軍令部元大佐:
負けると思ったほうは内乱を恐れてやったと、
それから内乱を起こそうという連中はですね勝つと思っておった訳です。

ナレーター:
多くの将校はアメリカとの戦争に不安を抱きながらも早期の開戦を主張する軍令部に引きずられて行った。

96 :
三代一就元中佐:
何故あなた(永野軍令部総長)は戦争に賛成するような態度を取られたのか…(と聞いたら)
海軍が戦争できないと反対したら、その右翼や陸軍がですね、これに対して内乱を起こすと言うんですよ。

ナレーター:
当時陸軍は中国との戦争で数十万にのぼる死傷者を出しており今更撤退できないと主張、
東条英機陸軍大臣は撤退すれば陸軍はがたがたになる、統制がきかなくなると警告していた。

三代一就元中佐:
内乱を起こすと人数上海軍はかなわんから何ヶ月か後に鎮定されて結局そういう連中、
右翼の内閣が出来て時期を失して日本として不利な時期に戦争をやらなきゃならんと、いうことになると。
そういうことよりもどうせ戦争やらなきゃならんというなら
少しでも勝ち目のある間にやるべきだということが僕(永野)の考えだと、こう言われましたね。

ナレーター:
永野総長は陸軍の内乱、クーデターによって海軍が支配下に置かれる事態を恐れていた。
開戦を決断したのは海軍という組織を陸軍から守るためでもあった。
太平洋戦争の大儀、自存自衛、アジアの開放をこの日、軍令部の参謀達が語ることは無かった。

97 :
軍令部作戦課佐薙元大佐:
本当に、あのー、国力、その他検討して対米戦勝てるのか勝てないのか、
いうようなことを真剣に検討しなかった。

海軍省兵備局保科善四郎元中将:
…作文は出来ておったんです、計画が。まるで使う事が出来ないような兵器まで載せてる訳だ、
帳面を合わせるために。

ナレーター:
高田元少将はそこ(他所の海軍関係者とのインタビュー)で戦争への準備をせまった当時の思惑を証言していた。

高田元少将:
それはねえ、デリケートなんでね、予算獲得の問題がある。
いやー、それが国策で決まると大蔵省なんかがどんどん金くれるんだから。
それが国策としてきまりゃーですよ、臨時軍事費がどーんと取れる…
ですからね海軍の心理状態は非常にデリケートで…日米交渉妥結したいと、
戦争しないで片付けたいと、しかし…海軍に意気地がない…とか言われる事はしたくないと

98 :
ナレーター:
アメリカとの対立を煽り軍事予算を出来るだけ獲得、その後にアメリカと妥結する。それが狙いでした…
しかし、それは国民の命を危険に曝す事と引き換えでした。

高田元少将:
ですからねえ、国家の将来なんか考えるよりもですね、考えなきゃいけないんでしょうね本当は、
いけないんでしょうけれどもね、もう自分の部局部局でやりまして、
もう上の人が決めてくれるもんだとこう思ってますからねえ。

ナレーター:
海軍が戦端を開いたアメリカとの戦争。自ら煽り立てた対立が予想を超えてエスカレートした結果だった。

99 :
>ならば「本当の正しさ」は何処にあるんですか?教えて下さい。

国力が十倍程度違うけど、
今、マレー半島、真珠湾を奇襲して英米に戦争を仕掛けて勝てるのか?
サイパン島が陥落したけれど本土決戦してアメリカに勝てるのか?
勝てると主張する者と、勝てっこないと考える者と…。かつて対立があった。
英米との戦争に反対するグループが226事件を起こすなどした。

ttps://www.youtube.com/watch?v=BuJA5JOKRy4&feature=youtu.be&t=2201
【言論アリーナ】明治憲法はなぜ破綻したのか〜日本的意思決定の罠〜 片山杜秀×池田信夫

主謀者は逮捕されて殺された。
で、どちらが正しいのか。戦ってみたら解る。だがその時は手遅れになる。
検証どころか自分は死んでいるかもしれない。国自体が亡んでいるかもしれない。
で、事前にどう判断するのか。日本はアメリカと戦うべきなのか、べきでないのか。
真実はどちらなのか。
《226事件を起こした者を逮捕し、粛清した者らはその後対英米戦争を強行して日本を潰し、
自国民を310万人も殺して敗け、GHQに逮捕された。226事件を起こした側の判断が正しかった》
で、あなただったら事前にどう考えるのか。どう筋道を立てて考え、結論を出すのか。
その結論をどうやって反対の者に説明するのか、説得するのか。先ずそれをお話し下さい。

100 :
川田稔「昭和陸軍の軌跡−永田鉄山の構想とその分岐」

翌年七月、絶対国防圏の要衝サイパン島が陥落。
それによって日本本土がアメリカ長距離爆撃機の空爆範囲内に入ることとなり、
本土主要都市への本格的空襲がはじまった。
これを契機に東条内閣は重臣や宮中側近らによって総辞職に追い込まれる。
ただ、東条失脚後も陸軍内ではなお統制派系幕僚が主導権を握っていた。
この段階では、太平洋の戦局からみても、国際情勢からみても、
すでに長期的には日本の敗北は確実となっており、即時休戦ののち講和協議へ入る選択肢も当然ありえた。
だが、陸軍内では、非統制派系の戦争指導班…や参謀本部情報部の一部で、
ソ連を通じた早期講和が模索されていたが、統制派系の主流派は継戦方針を変えなかった。
太平洋戦争中の日本人兵士戦死者二三〇万人の大部分、
民間人死者八〇万人のほとんどは、このサイパン陥落以後に犠牲となったのである。

101 :
>>92
「正しさ」ってのは人工物であって人を超えた正しさはないよ、ないけど一切ないと認めてしまうと人間最後には自分一人だということになって
人類は協力することも社会を作ることもできなくなるので人間は建前としての「人を超えた正しさ」を作らなければならない
これが宗教だったり王権だったり思想だったりしてきたわけだけど、それってつまりは「何が正しいかを決定する機関」なわけで
そんな「掴んだが最後、悪用し放題」な絶対権力はどうあがいても闘争と腐敗を招く
ただ一応神官→王侯貴族→民衆と「正しさを決める作業」に関われる人間は増えて行ってるんだけどね

つまり「本当の正しさ」は存在しないが、人はそれに代わる妥協点を作らなくてはならない
絶対の正しさがあると思ってはならないし、妥協点を作ることを諦めてもならない

102 :
そうすると民主主義が戦いってのは間違ってて本当は民主主義はマラソンなんだろうな
でもマラソンってやっぱ辛いから自分で走るのが億劫な奴が右翼とか左翼とかってバスに飛びつく
で自分達はバスに乗ってるもんだから気が大きくなって自力で走ってる人達を轢いて通ろうとすると

103 :
再帰的近代とは?

104 :
>>103
自分で本でも読めよ波平

105 :
>>101
人を超えた正しさはない、確かに正しさとは人が定義するものだからね

だが普遍的な正しさなど存在しないとは良く言われるが、人権なんて言葉が発明されて世界に共有される
ようになっていく事態を考えるとき、これを近代以降に登場した新たな概念と見るべきでなく、人間という生命体が
本来もつ自己保存の性質から生ずる自然な感情の発露をさらに歴史的、文化史的にも検証、再定義し
人が共通にもつ正しさなりモラルが発見されてきたのだと感じる

106 :
すべては関係から生じる。神も個物も存在しない。構造主義。
関係でさえも波のような揺らぎでしかない。ポスト構造主義。

107 :
ダーウィンの進化論も構造主義っぽいね。

108 :
ポストモダニズム批判はカール・ポパーにその多くを依拠しています。
ポパーは政治思想的にはハイエクに近い人です。つまり右派です。

109 :
だから何だよ

110 :
>>105
>人が共通にもつ正しさなりモラルが発見されてきたのだと感じる

これは大袈裟
Rな盗むな等古今東西で見られる普遍的なのモラルはあった
むしろ人権モデルを押し付け全てを人権モデルに包摂しその枠内で解釈しようとすることで
普遍的なモラルを確認しあう機会を失ったかもしれない
人権モデルを押し付けることで前提はどうあれ結論は同じだよねという妥協が不可能になった

111 :
自民支持が増えた若者は本当に「右傾化」しているのか
10/19(木) 6:00配信

 筆者が思うに、若い世代は雇用を重視し情報はテレビ以外から入手する。 一方、高齢世代は雇用の心配がなく時間があって、情報をテレビばかりに頼っているからだと思う。

 大学教員をしているのでよくわかるのだが、大学生にとっての最大の関心事は就職である。初めての就職がうまくいくかどうかは、その後の人生を決めるともいえる。

 民主党政権時は、残念ながら就職率は低く、就職できない学生が多かった。 ところが安倍政権になってから就職率は高まり、今では就職に苦労していない。正直言って学生のレベルは同じなのだが、政策によって就業者数にこれほどの差が出るとは驚きだ(図2)。

 また、身の回りで雇用状況がよいことを知っており、これは安倍政権のおかげであると実感している。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171019-00146230-diamond-soci

112 :
>>109
右傾化と強い相関がある一つの証拠

113 :
>>110
とはいえその元々のモラルが機能しなくなってたわけだからな

114 :
かつては、宗教や地域コミュニティの慣習が治安やモラルを維持することに機能してきたことは否定できない
しかし、現代では宗教や慣習などと言うものは迷信的なもの、そして個々人の自由を制限する、主体性を喪失させるなど
悪習を生じさせてきたと言う理解が常識的だが、刑罰を始めとして規則、ルール、一般常識、こんなことばかりを
増やすこと以外にモラルを維持することができない現代の方が遥かに個人の自由意志が制限されているものと感じる

115 :
21世紀の日本はここらへんの問題で相当危機的なんだよなぁ

116 :
なんだこの生簀の中の生簀みたいな問題設定

117 :
>>114
その慣習が腐敗して役に立たなくなってから革命を経て民主主義と人権が作られるっていう経緯があるんだけど
お前こそほぼイメージで話してんじゃん

118 :
慣習は腐敗なんかしてないね、合理的な社会になって機能しなくなったと言うのが正しい
モラルというものは本来、自由を制限することで育まれるものでもない

119 :
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

AVLJE

120 :
AVLJE

121 :
科学的相対主義批判者、疑似科学批判者が、
歴史修正主義批判には沈黙しているのはなぜでしょうか?

彼らのイデオロギーを暗示しているのではないでしょうか?

122 :
サッチャーからの新保守主義はポストモダニズム傾向を逆手にとったもの。
すべてを相対化していいなら保守政権だってしていいでしょ、という。
とにかく選挙でこっちは勝ってるからっていう。
それを頭悪く極めたのがトランプ。
すべてを相対化していいなら「フェイクニュース」と最高権力者が決めつけるのもありだろ、という。

123 :
中心以外をすべて相対化するというのは原理主義の特徴でしょ。
つまりナショナリズム以外はすべて相対的な価値にすぎないと。

それにしてもなぜ擬似科学批判者たちが歴史修正主義に対して
沈黙しているのか不思議なんですよ。

124 :
でも価値観て元々相対的なものではないの?

125 :
なんだよ疑似科学批判者って

126 :
>>125
確か今原発関連で名前忘れたが疑似科学批判の人が議論の
真っ只中にいるみたい。それがウヨサヨの争いに飛び火してるらしい。

127 :
疑似科学を批判するのは特定の思想的立場などでなく常識的なことじゃないか

128 :
何をもって「元々」とするかが問題だけど「神」「父」「正義」の価値観は相対的なものでなかった時代はキリスト教圏で長かったよ
「文明」は今でもそうじゃないか

129 :
ちなみに「文明」に関しては60年代のヒッピー・ムーブメントが価値の相対化を図ったと思う。
ただヒッピー・ムーブメントにも甘さがあって、尻すぼみになった。
(日本の現代思想業界ではそもそも「関係ない」ことになっていて?
この板で言えば同時代人の柄谷行人や竹田青嗣が視野に入れていない?
のがこの業界のタコツボ性を示していると思うが、それは別の話か。)

130 :
キリスト教時代だって全てのひとがそれを信仰していた訳ではあるまい
価値観とは信仰だけを指すものではないしね
一人でも違った価値観を持っていれば相対的になる
家族ですら同じになることは有り得ない

131 :
ttp://www.yomu-kokkai.com/entry/kohpro-saiketsu
2018-05-25 自民党はデータと事実を捨て、近代国家を放棄する覚悟があるか 
高度プロフェッショナル制度の委員会採決を巡って

事実に基づく意思決定は、近代の最低条件
近代とはどういう時代であったか。それは、ルールの確立と科学の浸透の時代であった。
呪術的な権力を保持していた王政が打倒され、市民革命が起きた。
近世に始まった科学が更に浸透し、
迷信や宗教的にタブーとされていたことが次々と覆り、明るい光が当たった時代だ。
地球は太陽の周りを回り、人間は猿から進化し、
ハンセン病は前世の因縁ではなくマクロファージによるものだとわかった。
科学は、全てを事実に基づいて判断する。
それがどれほど今までの見解と違っていても、実験によって証明されなければ科学ではない。
すなわち、近代的思考とは科学的思考であり、科学的思考とは、事実を直視する思考なのだ。
近代国家とは、まさに事実に基づいて政策を意思決定することによって成り立っていた国家だ
今日の委員会採決において政府が行ったことは、事実に基づいて意思決定をする、
という近代国家の最低条件を満たしていなかった。すでにある結論に向け、事実を捻じ曲げたのだ。
これほどまでにデータやファクトが軽んじられたことは、立法府において、私の記憶する限り一度もない。
我々はよく知っている。戦艦を沈めたはずの爆撃機が、実は小舟一つ沈めていなかったことを。
そして、その結果日本がどのような煉獄に突き進んでいったか、ということを。
事実を直視できない国家がたどる末路は常に哀れなものだ。
だからこそ、近代国家はまじない師の言葉ではなく、常に事実に基づき物事を合理的に決めてきたのだ。

132 :
近代を捨てる覚悟を問う
高度プロフェッショナル制度の法案自体の酷さは言うまでもない。
しかし、その採決に至る経緯は、我々が近代国家として守ってきたはずの、最低条件たる
デュープロセスをずたずたに引き裂くものだった。
与党の一人一人の議員は、今まさに、日本が近代国家としての最低条件を、自ら投げ捨てている
大正デモクラシーのあとに何が起こったのか。それを我々はよく知っている。
与党と維新の議員の一人ひとりに対して、近代を放棄する覚悟があるのか、問いかけたい。
我々は今、歴史の際に立っている。

133 :
ttp://homepage2.nifty.com/uzankai/taisyou%20no%20yuigon.htm
山下奉文大将の遺言

これは教戒師の森田正覚氏が処刑40分前に将軍の言葉を記録したものです。
私の不注意と天性が閑曼であった為、全軍の指揮統率を誤り何事にも代え難い
御子息或は夢にも忘れ得ない御夫君を多数殺しました事は誠に申訳の無い次第であります…
皆さん方の最愛の将兵諸君の指揮官であった
「山下奉文」は峻厳なる法の裁を受けて死刑台上に上がらんとしている…

134 :
私の背負された一切の罪を購う時が参った…もとより私は
単なる私一個の死によってすべての罪悪が精算される…安易な気持ちを持っているものではありません
兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず、と孫子もいったように
兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。この戦争を防止するため私はあらゆる努力を払いました。
然し悲しいかな私の微力よく之を阻止することが出来なかった
兵事は古えより明君賢将の深く慎み警むる所でありました。
一部の者がひとの事を断じて国民大衆を多く殺傷し
残れる者を今日の如く塗炭の苦しみに落入れたことは等しく軍部の専断であり
国民諸君の怨嗟悉く我等に集中するを思う時私は正に断腸の思がする
ポツダム宣言によって日本が賢明ならざる目論見によって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、
民意によって選ばれた指導者によって平和国家としての再建が急がれる…が…
新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、
侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません…

135 :
又此の事程実践に困難を伴うことはない…又此事なくしては民主主義的共同社会は成り立たない…
他から制約され強制される所のものでなく自己立法的内心より湧き出づる所のものでなくてはなりません…
私は何回此言葉を部下将兵に語ったこと…か。
峻厳なる上下服従の関係に在り抵抗干犯を許されなかった軍隊に於いてさえ
この事を言はざるを得なかった程道義は著しく頽廃していた
自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたい…此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ
…を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思う…
此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度い…
諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされている…
何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されない

136 :
第二に、科学教育の振興に重点をおいて頂きた度い…
現代に於ける日本科学の水準は極く一部のものを除いては
世界の水準から相去る事極めて遠いものがあるということは何人も否定することの出来ない厳然たる事実…
一度海外に出た人なら第一に気のつく事は日本人全体の非科学的生活ということ…
合理性を持たない排他的な日本精神で真理を探究しようと企てることは、
宛も水によって魚を求めんとするが如きもの…
我々は資材と科学の欠除を補ふ為に汲々とした…我々は優秀なる米軍を喰い止める為
百萬金にても贖い得ない国民の肉体を肉弾としてぶっつける事によって勝利を得ようとした…
必殺肉弾攻撃体当り等の戦慄すべき凡ゆる方法が生れました。
僅かに飛行機の機動性を得んが為には、
防衛装置の殆どを無視して飛行士を生命の危険にさらさざるを得なかった…
我々は資材と科学の貧困を人間の肉体を以って補わんとする前古未曾有の過失を犯した…

137 :
この一事を以ってしても我々職業軍人は罪萬死に価するものがある…
ニュービリヒット収容所に向ふ途中、ヤングの記者スパートマクミラン君が
「日本敗戦の根本的な理由は何か」と質問された時、
重要かつ根本的な理由を述べんとするに先達って今迄骨身にこたえた憤懣と…
潜在意識のなかに押込められていたものが突如意識の中に浮び上がり、
思はず知らず飛び出した言葉は「サイエンス」でありました。
敗因はこれのみではありませんが重大要因の中の一つであったことは紛れもない事実…
私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく
未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て
人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。

138 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1341071064/555
★ ハイデガーは なぜ「ナチ党員」だったのか ★
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1396898238/122
Martin Heidegger 1889-1976

木田元氏が何故デカルトやプラトンを過ちだとする(似非)論理を展開し、逆にハイデガーを称賛して、
フランス現代哲学=ポスト・モダンを持ち上げていたのか。
梅原猛氏は何故デカルトやプラトンを否定し、プラトン学者の田中美知太郎氏を批判していたのか。
権力側が超越理念や事実の束縛を逃れ、自分に都合好く事実や原理(の解釈)を改変し、
自分のあらゆる行為を正当化するためだろう。ポスト・モダンはそのための正当性を与えてくれる。
それによれば『そもそも真理など存在しない』のだから。
立場の強い者は何でも正当化して弱い立場の者に押しつけられる。
それを道徳的・倫理的に正当化さえできるのだ。従わない者は『反日日本人だ』などと。

139 :
自国を潰し自国民を大量死に追い込みながら『鬼畜米英』を煽った者らが自国を敗戦させたら
(『国のためにR』と命じて死んだ兵隊と『逃げるな』と命じて空襲で死んだ国民とを置き去りにして)
そっくり敵=『鬼畜米英』側に寝返った。寝返って助命され占領軍の代理人として自国の支配を継続した。
その代理人が占領軍に庇護されながら自分らが仕掛けた『太平洋戦争は正しかった』
『占領軍の占領政策(戦後憲法、東京裁判)は間違っている』などと
(自分たちはその、「天皇の人間宣言」、「国家神道廃止」、「東京裁判」、「戦後憲法」、「日米安保条約」
の“受け入れ”といった《交換条件》で免罪されたにも係わらず)
(戦争を強要された被害者側である国民に向かって)言っている。
『我々が命じて始めた《自国を潰し自国民を大量死させたあの戦争》は正しかった』と。
つまり『お前ら国民を殺して敗けたら敵に寝返った我々は正しかった』と。
では日本の指導者であった彼らとは何者なのか。自国を潰し敵に寝返る指導者とは何なのか。
その行為を正当化する指導者とは何なのか。

140 :
>ヤングの記者スパートマクミラン君が「日本敗戦の根本的な理由は何か」と質問された時、
>思はず知らず飛び出した言葉は「サイエンス」でありました

141 :
ttps://dot.asahi.com/aera/2018042500023.html
「世襲議員ばかり。役人を守る気などない」霞が関の官僚たちの「絶望」の声
澤田晃宏2018.4.27 07:00AERA

霞が関の官僚にとって、昨年の流行語「忖度」は、死語になりつつある
第2次安倍政権発足から5年あまり。さまざまな出来事が積み重なって、「絶望」すら見えた。
4月10日、参議院議員会館で国家公務員の働き方を考える緊急院内シンポジウムがあった。
ゲストとして登場した前川喜平・前文部科学事務次官は「公務員いじめも極限にきている」と訴えた。
すべての公務員は憲法15条に明記された『全体の奉仕者』であるが、
『一部の奉仕者』に政治が変えてしまっている。そのなかで死を選ぶ人も出てきてしまった」
「政治家は国民に選ばれた代表であり、政治家が『やる』と言った以上、役人は逆らえないし、
従うのが民主主義」(中央省庁の幹部官僚)
菅義偉官房長官に対して厳しい質問を続ける東京新聞の望月衣塑子記者のもとには、
官僚からエールが寄せられる。
「自分では口に出して言えないから、代わりに質問してくれとお願いされることもあります」

142 :
ttps://hbol.jp/165484
安倍政権とは何か? そして何を目指すのか? 有権者に突きつけられる選択肢
2018年05月11日 田中信一郎 千葉商科大学特別客員准教授、博士(政治学)

>総力戦と精神総動員によって目指す目標は
>「本音の国家方針」と「建前の国家方針」との併存状態に決着をつける「総決算」…
>戦後の日本では、自民党・官僚・財界による国家を重視する「本音の国家方針」と、
>日本国憲法による個人を重視する「建前の国家方針」が併存してきました。
>安倍政権は、経済低迷や人口減少、国力の相対的低下等の「国難」に対処するため、
>対処への制約要件となっている「建前の国家方針」を骨抜きすることを企図しています。
>「総決算」を企図する安倍政権に対し、
>日本に関係するすべての人々は、無関心であることは可能でも、無関係であることはできません。
>なぜならば、憲法という建前、
>かつそれなりに法制度が整備されてきた国家方針の全面的転換を最終的な目標としているからです…

>安倍政権は、経産省主導政権です…
>経産省は、安倍首相にとって個人的な関係の強い省です。
>戦前は商工省として殖産興業を担い、戦時中は軍需省として物資生産を担い、
>解体を免れて通産省となった戦後は高度成長を担ってきました。
>安倍首相の祖父・岸信介は、商工省のエリート官僚で「満州国」総務部長(官房長官に相当)を務め…
>軍需省はマッカーサーの来日前に商工省へと看板を戻し、官僚機構は温存されました。

143 :
上層階級に《逆・フランス革命》の意識が蔓延る平成末期の末期的日本

籠池、加計問題とは一体何なのか。つまり〇〇省が
(…幕末から明治にかけて英米と結託して徳川幕府を倒し、応仁の乱以後、
関ヶ原以来の代々の武士身分を廃止して新たにのし上がった家柄の末裔ら=特権階級…、
だからこそ民主主義を廃止して天皇親政の明治時代に戻したい、と考える)
(日本会議、元生長の家の信者らが支える)□□倍政権を支えている。何のために?
福島第一原発事故の責任追及を押さえ込むために。(自らの利権である)原発再稼働を進めるために。
福島第一原発を破裂させた自らの罪を免れるため(取引条件に応じそうな)□□政権を支えている。
それで専制的な憲法改悪を進める非民主的、非立憲的な政権と取引している。
『責任追及回避に政治が協力してくれるなら政権を支えます』『ご希望の憲法改悪を支えます』と。

144 :
●●省は何なのか。『消費税増税をやってくれるなら、□□政権のお友達、
籠池氏の極右学園に国有地を只で提供致します』
『その代り(我が省の悲願である)消費税の増税をお願い致します』と。
(『保守革命』とやらの)民主主義と立憲主義とを破壊して極右の専制政治に戻すことを公言している
日本会議と元生長の家の信者らに支援される□□政権を〇〇省と●●省が支えている。自分たちの省益と交換に。
自分らが起こした原発事故の本当の原因と破滅的な現実が追及されないように
(例えば謀略的な記者会見を開き、吉田証言と吉田調書を一緒くたにして取り消す、等)、
たとえ日本経済が瓦解しても、国民生活が破綻しても、
(絶対に採算が取れないと国鉄、JRの技師長が判断していたリニア新幹線を
お友達のゴリ押しで復活させる一方で)
(新しい財源を得て他の省庁に睨みが効かせられるよう、国民に対して)
増税できるように、

145 :
つまり省益追及と近代国家の根幹である立憲主義とを“取り引き”しようとしている。
今の官僚と幕末以来のパワー・エリートの末裔らが…。
今の権力を保とうとする者らと過去の権力を取り戻そうとする者らが…。
近代国家の理念を売り渡そうとしている。
それを国民が『森友なんか大した問題ではない』と考えて黙っている。
国家として、社会として、これ以上の頽落があるだろうか。

146 :
ttp://blogos.com/article/296379/
国家公務員一般労働組合 2018年05月11日 15:38

昨日の柳瀬氏の国会答弁を聞いていて安倍内閣が倒れては困るのは、
経済産業省のキャリア官僚ではないかと思いました。第2次安倍内閣になって経済産業省は官邸を牛耳り、
官邸主導による産業競争力会議や規制改革会議などを通じて自分たちのやりたい施策
(社会保障費の削減、年金積立金を使っての株価操作、
労働者保護の破壊、国家戦略特区による規制緩和等)を進めてきました。
前から経済産業省は他省庁の縄張りにまで口を出すので霞が関の嫌われ者でしたが、
官邸を牛耳ることによって大手を振って他省庁の庭先に入り込むことができました。
その結果、今は経済産業省に対する他省庁の恨みつらみは頂点に達しているのではないかと思います。
もし、安倍内閣が倒れたら、経済産業省に対するさまざまな攻撃が始まるのではないかと
戦々恐々の日々を過ごしていて、
そのため、恥も外聞もなく安倍首相を支えるのに必死なのではないでしょうか。

147 :
どうも生意気なことを書いてすいません。皆さま方にお詫びいたします。

148 :
【悲報】RADWIMPSの抗議集会、ネトウヨの自作自演だったことがバレる [936353996]
http://leia.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1528950209/

149 :
リトルピープル問題だねこのスレ

150 :
イケメン、イケジョとその他のセカイなんてェ

151 :
おRテリトリー理論の第一人者でつ

152 :
事務作業と過剰なネットがたりのスベテ

153 :
ソーカル事件に便乗したいくつかの人々は右派ばかり保守派ばかり。
いつも決まって左派系の雑誌を攻撃している。
これには明らかなイデオロギー的根拠がある。
ソーカルが左派を自称するのは疑わしい。現実に起こっていることの間に齟齬がある。

154 :
アラン・ソーカル氏は実際には「隠れ優生主義者」もしくは「隠れ人種主義者」
すなわち「隠れ生物学的差別主義者」ではないかと確信している。その疑惑がある。

155 :
ポストモダンの学者らが批難を浴びたのは思想的な背景とかじゃない
やってたことがほんとにバカだったからだろ

156 :
三世紀早すぎた現代の地動説

157 :
貢献してるに決まってるでしょ
近代主義の否定をイデオロギーの中核とすることと保守主義がいかに相性がいいか考えたら自明

158 :
決定論的宇宙論の立場をとらない思想哲学運動がある。それがポストモダニズムだ。

ポストモダニストは言うだろう。神?
それはおそらく人類が社会的につくりあげた無意識の構築物であろう。
それにもかかわらず、その事実を忘却するイデオロギーのベールで覆われた存在、
それが神だ、と。

159 :
>>157
理性の万能を信じて結実したマルクス主義が最大のカルトになっていった理由を反省してからだな

160 :
ポモは哲学っぽさの追求で
音楽でいえば現音、美術でいえば概念芸術
つまり高踏的な芸術になっちゃった!

だからポモ論者の現実的な意見や評論て
別にポモ使わなくても主張できるやんというwwww

161 :
明確な正解をもたない「芸術」とポストモダンは元々親和性が高いんだろうな
往来をフルチンでダンスして芸術とみるか公然わいせつとみるかはセンスの違いなんだろう
だけど求められる回答が一定程度ハッキリしてる政治や倫理に
ポストモダンの出る幕はないよ

162 :
(/ω\*)

163 :
異常でもなんでもないだろう。
人生に悩みを抱える現代人の生活だ。
凡人にはアドラーとかをやらせとけばいい。

164 :
イスラム原理主義やキリスト教福音主義から一番遠いのがポストモダニストだよ。
ポストモダニストはあらゆる種類の神を相対化し、神が存在するにしろしないにしろ、
そこに絶対真理的ないかなる位置づけを与える可能性をも拒否している。

それに対して啓蒙主義者は一神教を自然哲学や自然科学にまで拡張しようと改良しただけ。

165 :
自然の摂理ってのはキリスト教の教えで、
自然科学とは全く関係ないって本当?

166 :
>>164
じゃあポストモダニストは自分自身の思想も
信じないの?

167 :
ならポモでイスラム教をEUから
排除することも簡単なのかな

迷信深い人間は市民として不適格だろう

168 :
>>6
ポモは広がってないよな
その意味ではフーコーやサイードは理屈として影響大きい
右のポリコレ棒にすらなってる

169 :
国家神道に対してネトウヨもそれは発明された伝統だ、
キリスト教を真似ただけで日本は神仏習合だったんだ、
ていう場合がある
これは近代批判でポスコロ的な発想だが
今は左翼だけの理屈ではない

一方ポモだと神仏習合も同じじゃん
こしらえたんだろ、特別扱いしないよ
やっぱ政治だろってなる

でもさ、これ今進む伝統化を擁護「したい」時には
当然だけども、やはり必要な近代批判まで
封じ込める作用もあるよね

170 :
>>158
>決定論的宇宙論の立場をとらない思想哲学運動がある。それがポストモダニズムだ。

ポストモダンはニューアカ、新マルクス主義の別名であり、宗教と自由主義(自由と正義)に対する敵意をむき出しにした反社会思想だ

tarafuku10@tarafuku10
第2に、自由意思に基づく自由貿易がすべての人に恩恵をもたらすという思想、すなわち自由市場の否定である。
資本主義により、何億もの人々が、歴史上で初めて、衣食住や移動に困らなくなり、娯楽や旅行を楽しめるよう
にすらなったのだが、彼らはそれを認めようとしない。

tarafuku10@tarafuku10
米国で(そしてその他の国々でも)貧困に分類される人々は、基本的ニーズを満たすことができるようになっている。
ところが、最近まで大学の急進派に人気が高かったベネズエラでは、かつては繁栄していたにもかかわらず、
今では中産階級がトイレットペーパーを手に入れるために行列を作っている。

tarafuku10@tarafuku10
第3に、アイデンティティ・ポリティクスである。ポストモダニストは個人を信じない。
個人は、人種、性別、性的指向の事例の1つにすぎない。また、あなたは犠牲者か抑圧者のどちらかである。
前者が悪いことをすることはないし、後者が良いことをすることはない。

tarafuku10@tarafuku10
私たちは、こうした残忍な観念が拡散するのを防ぐため、何十年にもわたる冷戦を戦った。
しかし、彼らはアイデンティティ・ポリティクスに姿を変えて戻ってきたのだ。ポストモダン・新マルクス主義という
腐敗した思想にふさわしい場所は、歴史のゴミ箱の中である。

tarafuku10@tarafuku10
ところが私たちは、西洋の中心的な価値を何世代にもわたって伝えていくべき機関(大学)において、(新マルクス主義の)
継続を支援してしまっている。私たちが止めなければ、ポストモダニズムは、既にアメリカや西洋の大学に対して行っ
たことを、アメリカや西洋の社会に対しても行うだろう。(了)

171 :
反ポモには反マルキスト色が色濃く出ている。そこに彼らの政治的動機が現れている。
右傾化に貢献しているのはまったく反対。アラン・ソーカル氏を祭り上げている側だろう。

172 :
>>170

ポストモダン・実存主義・構造主義・ポスト構造主義というどれに類似品の焼き直しの詐欺理論があるが、それの代表的な言説だ

「人生はゼロが無理数=不合理であるような微積分学として定義できるでしょう。
この式はほんのイメージ、数学的隠喩です。私が「無理数=不合理」と言うとき、
何も私はある種のはかり知れない情動の状態を指しているのではなく、正確に虚数といわれているものを指しているのです。」
ジャック・ラカン(フランスの哲学者)

173 :
>>172

ざる。@kana_ri_saru
日本の左翼たるもの反合理主義反科学主義相対主義の精神で、なにについても「不確かだ」
と言うべきなのに、いつも自分だけ断定しているから「そういうのがーーーー柄谷だ」っていってるんだよね……

174 :
>>173

マルクス極左主義者が好むのが実存主義、ポストモダン、構造主義であり、これには倫理観も正義や悪も存在しない
なぜなら実存主義者にとって真実(従って善悪)は存在しないからだ
唯一の原理は、全ての行動(犯罪、嘘、詐欺、洗脳)は自由だが、その結果を受け入れねばならないということだけだ

実存主義者にとっては現実(実存)が先に来るために、良いことも悪いことも存在せず、善も個人的な意見に過ぎない
意見は一時的で変化するものに過ぎないからだ

自由主義(自由と正義)との根本的な違いは、自由だけが存在し正義が存在しない。これには一つ大きな問題がある
真実・正義がないとするなら、どんな悪行も自己弁護が許されるし、悪行の口実とされる(儒教の価値観が単なる序列主義に還元されるのと同様な現象)

だとすると実存主義において民主主義は一意見に過ぎず、必ずしも良いとは言えない一部の偏った意見ということになる
正義が存在しないとするなら、社会の数割でも奴隷制や身分差別を認めていたり、数割でも独裁制・圧政を認めその力が強固
であれば独裁制も認められる口実となるだろう

人間が腐敗しやすい生物だという認識にたとば、人類を劣化させる最短の方法と考えて良いだろう

真実がないという状況は、快楽主義、物質主義を生み、思い上がりはカルトの教祖を生み、西部邁のような知識人を自称する教祖が生まれるというわけだ

175 :
イスラム原理主義者がアラン・ソーカルよりもポストモダニストのほうに好感をもつだろうか。
それは事実に反するだろう。

176 :
>>158 はポストモダニズムが自由主義と適合するなどという荒唐無稽な主張を他のスレでしている

自由主義(自由と正義)はアウグスティヌスに代表されるキリスト教精神の代表的思想でありキリスト教そのものだ
ポストモダン・ニューアカ・新マルクス主義左翼に代表される自由しかない偽自由主義ではない

アダム・スミスと類似した思想をもつバークやアクトン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンも同様だ

Adam Smith
Every part of nature, when attentively surveyed, equally demonstrates the providential care of its Author,
and we admire the wisdom and goodness of God even in the weakness and folly of man.

the happiness of mankind, as well as all other rational creatures, seems to have been the original purpose
intended by the author of nature, when he brought them into existence ... By acting according to the dictates
of our moral faculties, we necessarily pursue the most effectual means for promoting the happiness of mankind,
and may therefore be said, in some sense, to co-operate with the Deity, and to advance as far as in our power
the plan of Providence.

Benjamin Franklin
You will see in this my notion of good works, that I am far from expecting to merit heaven by them. By heaven
we understand a state of happiness, infinite in degree, and eternal in duration: I can do nothing to deserve such rewards.
He that for giving a draught of water to a thirsty person, should expect to be paid with a good plantation, would
be modest in his demands, compared with those who think they deserve heaven for the little good they do on earth.
Even the mixt imperfect pleasures we enjoy in this world, are rather from God’s goodness than our merit: how
much more such happiness of heaven!

https://www.economist.com/blogs/erasmus/2017/01/faith-barack-obama

177 :
>>176

バークやアクトンといった自由主義保守思想の代表格は自由主義者(自由と正義)であるが
思想をキリスト教から派生させたことはわかる

2 Corinthians 3:17
Now the Lord is the Spirit, and where the Spirit of the Lord is, there is freedom.

2 Peter 2:19
They promise them freedom, but they themselves are slaves of corruption. For whatever overcomes a person, to that he is enslaved.

1 Corinthians 6:12
“All things are lawful for me,” but not all things are helpful. “All things are lawful for me,” but I will not be enslaved by anything.

Romans 8:21
That the creation itself will be set free from its bondage to corruption and obtain the freedom of the glory of the children of God.

1 Peter 2:16
Live as people who are free, not using your freedom as a cover-up for evil, but living as servants of God.

1 Corinthians 10:29
I do not mean your conscience, but his. For why should my liberty be determined by someone else's conscience?

1 Corinthians 9:19
For though I am free from all, I have made myself a servant to all, that I might win more of them.

新約聖書は自由と正義の言葉で溢れ返っている

13世紀にマグナ・カルタが成立し、後日、アメリカ合衆国の誕生にもつながる

178 :
>>177

法律を超えて絶対に踏み越えてはならない善と悪のラインは存在する
これを超えたものを罰しなければ悪人は悪を自由に行えるようになる

自由主義は自由と正義の二大看板がないと成立しない構造を持つ
そのため善と悪の相対主義、悪人の意見も聞く、議論をするような弱腰は自由を失うための最短コースだ

正義が破壊され社会は腐敗し、世界的な競争に取り残され、国民はますます貧しくなり、国情は不安定化していく
正義を失えば自由も失われるのであり、それは国民の多くが奴隷や家畜になる道だと言える

日本人は民主主義を単なる社会システムと考えがちだが、長年、民主主義を実践してきたアメリカ人からするとキリスト教と民主主義が不可分という理解となる

単なるシステム化された民主主義は専制主義や官僚・選民主義となる事を理解し、その特効薬が宗教(キリスト教)とする
最終的には宗教に力がないと、自由主義は拝金主義・物質主義にとって変わり、民主主義も儒教選民主義、縁故主義に変質する

F.D. Roosevelt
"Those forces hate democracy and Christianity as two phases of the same
civilization. They oppose democracy because it is Christian. They oppose
Christianity because it preaches democracy. Their objective is to prevent
democracy from becoming strong."

これらの勢力(ナチスと共産主義)は文明の2つの段階である民主主義とキリスト教を憎む

Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God,
indivisible, with liberty and justice for all.

179 :
ここのスレッドが>>1の疑問を明らかにしてくれるだろう。
インターネット上でビッグデータを集めて検証することでも調べられるかもしれない。
アラン・ソーカル氏を担ぎあげているイデオロギーが右か左か、それも明らかになるだろう。

180 :
>>178

Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God,
indivisible, with liberty and justice for all.

両親の赴任でアメリカに渡った5歳の甥っ子が「忠誠の誓い」「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴す
る、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」
をスラスラ英語で朗出来るようになってビビった。日本国籍であろうとも幼稚園で必修らしい。
seaple0425

F.D. Roosevelt
"Those forces hate Democracy and Christianity as two phases of the same civilization."

F.D. Roosevelt
"I am certain that the rank and file of patriotic Republicans do not realize the
nature of this threat. They should remember, and we must remember, what
the collaborative understanding between Communism and Nazism has done
to the processes of democracy abroad"

ナチスは神の否定をする共産主義者たちと同じように無慈悲である

F.D. Roosevelt
"The Nazis are as ruthless as the Communists in the denial of God."

181 :
>>158 による >>172 の解釈
>そのラカンの文は隠喩と明確に書かれてあるじゃないか?

「人生はゼロが無理数=不合理であるような微積分学として定義できるでしょう。
この式はほんのイメージ、数学的隠喩です。私が「無理数=不合理」と言うとき、
何も私はある種のはかり知れない情動の状態を指しているのではなく、正確に虚数といわれているものを指しているのです。」
ジャック・ラカン(フランスの哲学者)

科学的思考、論理的思考とは適合しがたい隠喩ではある

https://note.mu/shinkai35/n/n37779516e099

リンクはソーカル事件とその登場者達もまとめられているので、参考になるだろう

日本代表の皆さん、ありがとう!@libegiman
2017年10月18日
千葉雅也などは正に「ふり」だよなあ。ドヤ顔で「天才的(と彼自身が思い込んでいる)発想」をつぶやいている
が、専門家の批判やツッコミに顔を真っ赤にしている様がツイート越しにまざまざと見えるので、彼のような若手
学者の筆頭ですら「詩人気取りの俗人」かと残念な気持ちになる。

しんかい38(山川賢一)@shinkai35
2017年2月11日
千葉雅也のアンチエビデンス論、ゼロ年代以降どんどんエビデンスを求められる息苦しい社会になった……てそりゃ
ソーカル事件でポモへの風当たりが強くなったことをそう感じてるだけじゃないの?というぼくの批判がこれです

905ニュースソース検討中@自治議論スレ2018/07/26(木) 00:42:10.96ID:2I67JQTs
>>904
同値変形を分かってなさそうだな

182 :
ここのスレッド自体が>>1の仮説を証明してくれるだろう。それだけではない。
インターネット上のビッグデータによっても>>1の仮説の蓋然性が証明されることだろう。

183 :
>>172

カルト宗教であるマルクス教ポストモダニスト派の論証法

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7#cite_ref-3
「ある社会に共産主義革命がおこれば「唯物的段階にあったからだ」発生しなければ「まだ唯物的段階になかったからだ」と
無謬の論証が可能になっている。」

マルクス主義は屁理屈で成り立つから、屁理屈を補強する屁理屈であるポストモダニズムが支持された

https://plato.stanford.edu/entries/postmodernism/
The term “postmodernism” first entered the philosophical lexicon in 1979, with the publication of The Postmodern Condition
by Jean-François Lyotard. I therefore give Lyotard pride of place in the sections that follow. An economy of selection dictated
the choice of other figures for this entry. I have selected only those most commonly cited in discussions of philosophical
postmodernism, five French and two Italian, although individually they may resist common affiliation. Ordering them by
nationality might duplicate a modernist schema they would question, but there are strong differences among them, and
these tend to divide along linguistic and cultural lines. The French, for example, work with concepts developed during the
structuralist revolution in Paris in the 1950s and early 1960s, 「including structuralist readings of Marx and Freud. 」

184 :
>>183 >>158 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5

ポストモダニズムはマルクス新興宗教の一派なのでカルトないしセクトではある

https://jordanbpeterson.com/philosophy/postmodernism-definition-and-critique-with-a-few-comments-on-its-relationship-with-marxism/
Postmodernism is essentially the claim that (1) since there are an innumerable number of ways in which the world can be interpreted and perceived (and those are tightly associated) then
(2) no canonical manner of interpretation can be reliably derived.

That’s the fundamental claim. An immediate secondary claim (and this is where the Marxism emerges) is something like “since no canonical
manner of interpretation can be reliably derived, all interpretation variants are best interpreted as the struggle for different forms of power.”

There is no excuse whatsoever for the secondary claim (except that it allows the resentful pathology of Marxism to proceed in a new guise).

185 :
アラン・ソーカル氏は反共主義者であるあまりに、
ポストモダニズムの言説にその臭いを嗅ぎつけ、
異常にそれに憎悪を抱いたのだと推定される。
この仮説もいずれ証明されることになろう。

186 :
【哲学】神は存在するのか? ホーキング博士が遺作でも強調した「答え」
https://egg.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1540377423/

187 :
>>184 >>1

ポストモダニズムはマルクス主義2.0運動であるため、その批判がキリスト教から派生した自由主義(自由と正義)から来るのは自然なことだ

188 :
ポモポモうっさいねエコラリアかい?

189 :
>>172
どう考えても意味が理解できない
もうムリだ
人生は微積分学?
ゼロが無理数=不合理であるような微積分学?
無理数=不合理→虚数?
ここまでくるとハンプティダンプティだろ

190 :
施光恒「本当に日本人は流されやすいのか」(今こそ「和魂洋才」に立ち戻れ)

ジーレンジガーのひきこもり現象や日本社会に関する議論は、米国的なものの見方…を基準とし…
日本社会を断罪するものだ。一面的・一方的な見方に満ち溢れており、的外れな個所が多い。
ジーレンジガーのひきこもり論や関連する日本社会批判に疑問を提示するのは難しくない…
ジーレンジガーの分析が正しく、ひきこもりとは日本の集団主義的かつ
同調主義的な社会が創造的・個人主義的精神を備えた若者を抑圧している結果だとすれば、
ひきこもり現象はもっと早い時期に、つまり、ジーレンジガーが集団主義的で抑圧的だと批判する
日本型社会システムが確固として存在した70年代から80年代に現れてきたはずではないのか。
そして、構造改革による日本型社会システムの改造とともに、徐々に少なくなっていかなければおかしい。
だが、ひきこもり問題が認識され始めたのは、日本型社会システムが揺らぎ、
その抜本的改革が開始された頃である。時間的な辻褄が合わない。

191 :
これは、ひきこもりの原因を、集団主義的日本社会による個の圧殺という図式に
押し込めるジーレンジガーの診断が誤っていることを物語っている。
…ひきこもりは、90年代前半にその存在が認知され始め、
90年代後半から2000年代初頭にかけて社会問題としてさかんに報道されるようになった。
ちょうど「グローバル・スタンダード」という言葉がもてはやされ、構造改革が本格的に開始された時期と重なる。
そして、構造改革路線は、かつての日本型社会システムを着実に破壊しつつ、
長らく日本の各種政策の主流の地位に今でもとどまっている。
同様に、ひきこもり現象も現在まで深刻な社会問題であり続けている。
むしろ、構造改革路線が、
ひきこもり現象の発生と密接に関わっていると推測するほうが自然である。

192 :
>ジーレンジガーの分析が正しく、ひきこもりとは日本の集団主義的かつ
>同調主義的な社会が創造的・個人主義的精神を備えた若者を抑圧している結果だとすれば、
>ひきこもり現象はもっと早い時期に、…70年代から80年代に現れてきたはずではないのか。
>そして、構造改革による日本型社会システムの改造とともに、徐々に少なくなっていかなければおかしい。
>だが、ひきこもり問題が認識され始めたのは、日本型社会システムが揺らぎ、
>その抜本的改革が開始された頃である。時間的な辻褄が合わない。

193 :
稲村博「黙示録2025年」1985年

漱石の描く遊民は、いくつかの点で、今日の青年の「無気力」に生き写しなのです…
この仕事を続けていて最近とくに青少年に関してつくづく感ずることがあります。
陸続と生じてくる問題事例の多さに
あたかも大海の水をひしゃくで汲むような無力感を覚ることもさることながら、
最近の青少年が以前とは違う独特の特徴を帯び、それがますますつのっていることを肌で感ずるのです。
私たちの時代が快適さの背後にはぐくんでいるかつてない危機を考えますと、
私はひとりの臨床家として、持ち込まれる問題事例の治療だけに専念しているだけでいいのか、
それでことが済むのかという強い不安にとらわれざるを得ません…
しかし目を転じてわが国の青少年を見ますと、はるかに強い戦慄に似たものを感じてしまうのです…
最近では、夜更けにふと、何か形容しがたい、黙示録的ともいえる危機感に襲われて目覚め、
目覚めてみると冷や汗をかいている、といったことさえまれではありません。

194 :
私たちの仲間はこのところ、青少年健康センターという、
日本でこれまで極端に遅れている分野の施設を造ろうと、懸命に努めています。
一方ではそれも絶対必要なのですが、青少年に関してはるかに大きな課題があるわけです。
それを誰かがかたり叫ばねばならないと痛感し、…あえてこれを広く訴えることにしたわけです…
青少年というのは未来からのメッセンジャーである、という認識にたって…
臨床家の立場に立ちながら私が考える、深刻な意味をもっているメッセージをいくつかあげていきます。

「無気力」はそのひとつで重大な意味をもつものの筆頭です。
日本の青少年はさまざまな意味で世界の青少年の中でも独特の存在だといえますが、
これはとりも直さず、日本の未来が独特であることを示唆しています…
いろいろなメッセージのうち、とくに注目される「無気力」、
すなわちアパシーについて、これが必ずしもいま初めてあらわれたものではなく、
歴史をさかのぼると、過去にも見出すことができるものだということを明らかにしたいのです。
典型的に漱石文学に、この「無気力」が描かれているのですが、
…このような歴史にてらすとき、問題なのは、今の遊民、
つまり、アパシー青年たちの後に、一体何がくるか、ということです。

195 :
そんなとき偶然、ある必要があって、私はさきほど紹介したような、漱石の文学に、
久しぶりで出会うことになったのでした。
…ところが今度あらためてこの遊民と出会って、大変びっくりしました。
いま私たちがたずさわっている仕事といやおうなく照らし合わせて考えざるを得ないのですが、
そんな目で遊民を見ますと実に慄然としたのでした。
最初は、あまりにそっくりなのに苦笑しながら、やがて読み進むうち声をあげんばかりに驚きました。
欽吾や須永や大助が、今日のアパシー青年と、
ほとんど同一人物かと見まごうほど似ているではありませんか。

…さて、以上、現代日本の若者が抱えている、未来からのメッセージやサインのうち、
心配なもの、気がかりなものについて述べてきましたが、
これらのうちで最も象徴的で、しかも意味するところが重大だと思われるのは、無気力です。
無気力とは、まさに亡びのサインにほかなりません。亡びといういい方がいくぶんいいすぎだとすれば、
カタストロフィーの前兆といってもいいのかも知れません。

196 :
>>187をはじめとする数多くの文から観察できるように
アラン・ソーカル氏をこの件で支持しているのはそのほとんどが右派だ。
このことは日本でも欧米でも大差がない。

197 :
東浩紀(編集)他「ゲンロン4 現代日本の批評III」

――興味深いエピソードですが、その「新しい陣容」は具体的には何を目指していたのでしょう。
八〇年代にポストモダニストたちが行った左翼の再構築は、
やはりいまから振り返ると、リアルな政治にはほとんど結びつかなかったと言わざるをえない。
冷戦崩壊の直前、政治的な小春日和の下でこそなしえた
先進諸国限定の思想運動という印象が拭えないのですが…

もちろん、ポスト冷戦世界がグローバル資本主義のヘゲモニーの下で焼け野原のようになってしまった以上、
もういちど敗戦直後の焼け跡に戻って戦後民主主義から再出発するのもいいだろうし、
そのためにも丸山眞男は高校を卒業するまでにはぜひ読むべきだと思いますよ。
戦後民主主義がいかに古く見えても、そこで提起された問題が解決されていない以上、それはいまも新しい。
ただ、丸山眞男のいう「無責任の体系」の克服にせよ、あるいは立憲制の擁護にせよ、対米従属の解消にせよ、
大昔からいわれてきた議論であることははっきりさせておくべきで、
そういう議論をさも新しいものであるかのように言い立てる連中や、
それをもてはやす連中は、どうかしているとしか思えません。

198 :
たしかに、文化の領域へ撤退したと思われてもしかたのない道のりを辿ってきました。
しかし…考えていること自体は最初からそう変わっていないつもりです。
逆に、いま社会問題にコミットするとしても、さっき言ったように、
とりあえずは丸山眞男のラインで行くほかなく、
実践的にはそれでいいとして、理論的にはとくに新しく言うべきこともないだろう、と。
ぼくは、古いと言われようとも、
柄谷行人が…取り出したカント−マルクスの批評的・批判的知性はいまも重要であり、
その先を目指すにせよまずはきちんと踏まえておくべきものだと…あえて言っておきたい…
最近は、いわゆるカント的「相関主義」の批判が一部で流行している。
「人間は人間が世界に投げかけたフィルターにひっかかったものしか認識できない、
その意味で客観と主観は相関的であり、
物自体・世界自体について有意味に語ることはできない」というのはあまりに人間中心主義的な見方であり、
端的に言えば人間が誕生するまえも死滅したあとも世界は人間と関係なしに存在し変化しているのだ、と…
ものすごく大ざっぱに言ってしまえば、コンピューターの発展に伴ってSF的な考え方が広がり、
一方では数学的形而上学、他方ではプログラミング的プラグマティズムとでもいうべきものが出てきた…

199 :
一方では、世界そのものが巨大なコンピューターであり、
そこで生ずる現象はすべてコンピューテーションである、さらに言えばそれは量子コンピューターであり、
一瞬ごとに無数に分岐する世界を紡ぎ出している、
人間はそうした膨大な計算過程のなかで、たまたま現れ、やがて消えてゆくものにすぎない、と。
ここから、人間の有限性を超越した世界=コンピューターを「神」とするSF的な神学――
とまでは言わないとしても、数学的形而上学が現われてくるわけです…
他方では、人間がプログラム総体を上から完全に統御することは可能でも必要でもなく…
複数の計算モジュールを並列して走らせておいても…うまくいくものが遺伝的に選ばれていく、
振り返ってみれば、それはプログラミングに限った話ではなく、人間社会そのものが
人間の意識や統御の外にある物たちを含んだネットワークの複合体として動いてきたのだ、と…
これは各論としては具体的なプラグマティズムになるのだけれど、
さきに述べた数学的形而上学と背中合わせになっており、
総じて現代における反人間主義ないし非人間主義を形作っているように思います。

200 :
新カント派から構造主義にいたる流れにおいて、人間が世界に投げかけるフィルターのなかで、
とくに言語が注目され、主体の意識よりそれに先立つ言語的構造を重視する「言語学的転回」が生じた。
それは反主体主義であり、さらに言えば反人間主義だった。
しかし、コンピューター時代になると、言語そのものがすでにあまりに人間的なものと意識され…
それを超えるさらにラディカルな反人間主義へと「思弁的転回」が生じたわけで…
そのようにして人間を相対化するという契機は哲学的にみて重要です。
ただ、「言語的転回」においてすでにそうだったように、「人間は死んだ」と宣言すると、
なんだかラディカルなことを言った気分になって高揚するという一種幼児的なロマン主義があって、
「思弁的転回」の流行もそれと無関係ではないのではないか。
そういうロマン主義からSF的な新種の神学に飛びつくというのは、
ずいぶんナイーヴなふるまいのように思えます。

201 :
…まったくそのとおりで、
神学(テロリストの宗教的原理主義のみならず超人間的システム論も含め)とプログラミングが勝利し、
もはや文学の入る余地はなくなったということでしょう。
しかし、個々の人間は、幻想にすぎないとしても、主観的な意識を持って行動するわけで、
それを理解しようとすれば、やはりカント主義的に考えるしかないんじゃないか。
…しかし、人間の意識においては、われわれはあくまで主体的に考えてゲームをプレイし、
発話しているつもりなので、
社会システムの制御だけが目的ならそんなものは無視していいのかもしれないとしても、
個々人に関する限り、自然科学的な「説明」で割り切るのではなく
内的な「了解(理解 Verstehen)」がどうしても必要でしょう

――たとえ主体が幻想だとしても、ぼくたちがその幻想を持つという事実は残る。
そう、その事実は無視できない…

202 :
>>201
そもそも主体が幻想だとすること自体が、言葉の遊びだろ?w

ポモだけではないが、哲学というのはほんとに言葉の遊びに終始してる。

203 :
それと同じくらい経済学も「数式の遊び」になってしまっている。
mathnessだ。

204 :
>八〇年代にポストモダニストたちが行った左翼の再構築は、
>やはりいまから振り返ると、リアルな政治にはほとんど結びつかなかったと言わざるをえない。
>もちろん、ポスト冷戦世界がグローバル資本主義のヘゲモニーの下で焼け野原のようになってしまった以上、
>もういちど敗戦直後の焼け跡に戻って戦後民主主義から再出発するのもいいだろうし、
>そのためにも丸山眞男は高校を卒業するまでにはぜひ読むべきだと思いますよ。
>戦後民主主義がいかに古く見えても、そこで提起された問題が解決されていない以上、それはいまも新しい。

結局、敗戦後に指摘された問題は今に至って何も解決していない。
テクノロジー(職人芸・工業化)の分野では西欧の近代化に追いついたかに見えたものの、
政治やそれを支える精神性は(上意下達の)封建時代と変わっていない。
戦後、経済発展と共に(国民相互が議論し合う)民主的社会に進むかに見えたものの、逆回転している。
伊丹万作や坂口安吾が描写した滑稽な日本人とその社会は何ら改善されていない。

205 :
で、宜しいか?

206 :
ttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65088
私が一橋大学の教員を辞めた理由?国立大に翻弄された苦しい日々
ある大学教授の告白 河野 真太郎 2019.6.9

私…はこの新年度に…一橋大学大学…を退職し、専修大学…に着任した…
知人の中には「なんで?」という反応をする人もいた…
言いにくいことをはっきり言えば、一橋大学といえば研究者が望みうる最高の所属先のひとつであり、
なぜわざわざ中堅どころの私学に移籍するのか、と…
無理はない…私の今回のような移籍は、確かに一昔前であればあまりないことだった。
…しかし現在…は、私の例はかなり典型的で…直接知る範囲でも、
一橋だけではなく東大や東京外国語大学といった国立大から都内の中堅私大…への異動が多く起きている…
そしてそれは、国立大学と、さらに広く大学一般や学問が直面している危機をよく表している。
本稿で…私個人の体験がここ30年ほどの大学の変化の表現となっていることを示したい…
これは大学と学問研究一般の危機の問題に、
ひいてはこの国の高等教育がどこに向かうのかという由々しき問題につながっている…
問題は歴史的かつ構造的であり、一橋大学だけに当てはまるものではない…

207 :
私は一橋大学に2009年に着任し…10年間勤めた…
しかし私はその特に後半の数年間…キャンパスに足を踏み入れると気分は落ち、動悸が高鳴り、
最後のころは「辞めてやる」と心の中で唱えることで平静を保つような、危険な精神状態に陥っていた…
私は一橋大学法学部の出身であり、この大学…を…愛しており、
2009年に…母校に凱旋することに意気揚々としていた。
それが、なぜそんなことになってしまったのか?

…私が着任し…たころのこと…当時、商学部は新たな英語教育のプログラムを作ろうとしていた。
それに関する会議で、座長…の発言に、私は耳を疑った…
発言の趣旨は、旧教養課程系の英語教員が座っている椅子を、
できれば商学部で自由に使いたいということで…私は…着任して早々に、
「できればあなたには辞めてもらった方がいいのだが」というメッセージを浴びせられた…
私の一橋ライフは、これによって決定的に呪われたものになった。

その後…2015年を経て大学の内外の状況は悪化の一途を辿り、
「お前(たち)はいらない」というあのメッセージは、
結局私の頭からぬぐい去られることはなく、現在にいたる。それが、私の背中を押した…

208 :
では、なぜ座長は「お前(たち)はいらない」というメッセージを発したのか。
その背景には、この30年間で起きた大学の大きな変化がある。
話の鍵は、「旧教養課程」という一語である…
「旧教養」というワードは…「平成」とほぼ一致する
ここ30年間の大学改革の歴史にとって中心的な重要性を持っている…
当面の出発点…は1991年の「大綱化」で…
大綱化とは…大学評価・学位授与機構の英文資料では…deregulationと訳されて…
つまり、規制緩和である。
この時に緩和された規制とは…一般教育(教養教育)と専門教育との区分だった。
それまで大学では、2年間の「教養教育」、その後の「専門教育」の区分が義務化されていた。
大学設置基準の大綱化は、その区分を…なくてもよいとした…
各大学は雪崩をうって教養部を解体していった…一橋大学はそのひとつの典型だった…
私のような教員は、この大綱化から生まれたと言ってもよい…

とはいえ…教養対専門の分断・対立…はずっとあった。
大綱化のポイントは、教養部が解体され、人事権をはじめとする力を失って…
教養教員のポストが奪い去られつつあるということだ…

209 :
強調したいのは、教養教育が消え去ろうとしていることだけではない。問題はその消え去り方だ…
大綱化が、英語ではderegulation(規制緩和)であること、
つまり同時代に日本全体で進んでおり、今も終わっていない新自由主義改革の一部だったことである…
90年代の大綱化が、2000年代の国立大学法人化、
そして2015年の国立大学法人法改正と文部科学大臣通知へとまっすぐにつながっている…
そしてそれらをつなぐキーワードが新自由主義で…
平たく言って…これまで国が丸抱えで運営していた国立大学の業務を市場化すること…
つまり競争原理や成果主義を持ちこみ、運営や意志決定プロセスに一般企業的な原理を持ちこむこと。
そして…大学に「民間」の参入を促すこと、…大学業務を民間に切り売りすることである…
その「改革」の中にはいわゆる「ガバナンス改革」がある…
教授会の議決権を大幅に削減するなどして、
学長の権限を拡大する…(その内実は、上意下達以外の何物でもない)を進めた

このような意味での市場化は大いに結構、と思われる方も多いだろう…
大学をより効率的に運営し、研究や教育成果を世の中により多く、より良く還元する方法として。
だが…大学は効率化などしていない。

210 :
一つには…大学であれなんであれ、
これまで競争原理のなかったところに競争原理を持ちこむためには、
巨大な評価・査定の制度とプロセスを必要とする…
実際、現在の大学教員は外部資金や認証を得たり自己点検評価をしたりするための
ペーパーワークに溺れて、研究どころではなくなっている…
二つ目は、雇用の崩壊で…大学は、教員であれ事務職員であれ、正規雇用を維持する余裕を失っている。
それはとりわけ、一橋大学のような文系の大学では顕著になる。
文系大学は人が資本で…一橋は予算の65%を人件費が占めている。
予算削減は雇用を直撃する…
教員の雇用が流動化し不安定になると、じっくりと腰を据えた研究がしにくくなる。

211 :
その結果は例えば、2015年の、
国立大学協会政策研究所所長の豊田長康氏による研究レポート
「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」が衝撃的な形で示している。
それによれば2002年あたり以降、
日本の論文数は停滞・減少し、先進国中でも最も低水準に落ち込んでいる。
例えば、2013年の生産人口あたりの論文数は、
日本は31位で「東欧諸国グループに属する」という刺激的な言葉が見える。
豊田氏がその要因として挙げるのは、
フルタイム研究者の数、公的研究資金の額の減少であり、
日本はそこで比較された先進国中で、いずれについても最低水準となっている。
これは、明白に、ここまで述べたような改革のみごとな「成果」である。

この二つの問題の両方に関連して、最も深い問題は、
大学が、そこで働く人間にとって、
所属し貢献すべきコミュニティではなくなりつつある、ということだ…
これが教養・人文教員の問題だけではないことは…私と同時に…一橋を退職された…
ある事務職員さんの経験…にも示されている…
その職員さんは非正規雇用ではあるが、私と同じく10年ほど一橋に勤めていた。
私は…この方と親しくさせていただいた。だが、彼女が大学を辞める直前につぶやいた…
自分がいかに、「お前は使い捨ての駒だ」という大学上層部からのメッセージにさらされ続け、
思っていた以上に心を蝕まれていたのかが分かった、という言葉だ。
私はそれを読んで落涙を止めることができなかった。
あなたは、私だ、と思った。

212 :
>では、なぜ座長は「お前(たち)はいらない」というメッセージを発したのか。
>その背景には、この30年間で起きた大学の大きな変化がある。
>話の鍵は、「旧教養課程」という一語である…

>この時に緩和された規制とは…一般教育(教養教育)と専門教育との区分だった。
>それまで大学では、2年間の「教養教育」、その後の「専門教育」の区分が義務化されていた。
>大学設置基準の大綱化は、その区分を…なくてもよいとした…
>各大学は雪崩をうって教養部を解体していった…一橋大学はそのひとつの典型だった…

>大学に「民間」の参入を促すこと、…大学業務を民間に切り売りすることである…
>その「改革」の中にはいわゆる「ガバナンス改革」がある…
>教授会の議決権を大幅に削減するなどして、
>学長の権限を拡大する…(その内実は、上意下達以外の何物でもない)を進めた

213 :
>それがなければ、自然・人文・社会などの講義というのはほとんど意味がないと、私は思います。
>となると、なぜそれが、いまの大学ではできないのか、という問題になってくる…
>まず、そういうことを講義する先生がいない。いないだけではありません。関心がないんです。
>しかし、それぞれの先生がそういう関心・発想から授業をやっているかというと、やっていない。
>残念ながら、そういう関心はごくごく少数の、大学のなかでは特殊な人間の関心なんです。

>だから、自己とは何かということについてほとんど関心を持たない教師たちは、
>学者としての形成の過程でそういう人物と出会っていない

>日本のトマス・マン研究者にしても、トマス・マン研究者になるにあたって、
>自己とは何かという問題は必要なかった。日本中世史の研究者にしても、日本の中世史の研究をするのに、
>現代日本の社会に生きるという問題意識は必要なかった。そんなものはなくても研究者になれる。
>むしろ、ないほうがなりやすい…
>そういう人たちに「ぜひ自己形成を主題にした本を書いてほしい」と言ったのですが、
>たいへんな抵抗にあいました。それは、なぜなのか。

214 :
149 :考える名無しさん:2015/09/06(日) 14:46:55.77 0
阿部謹也『日本に西欧型「社会」は存在するか』大学とは、「自分とは何か」を考える場である

…大学については、いま大学改革などということが言われ…いろいろ議論されていますが、
そのなかでいちばん議論されていないのは、「戦後の一般教育、一般教養とはなんであったか」という点です…
いつのまにか一般教養が姿を消すような気配になっており、私は、そのことがとても気になっています。
一般教養というと…大学設置基準にある、人文・社会・自然が何コマずつとかいったことになる…
高等学校の延長のような知識が一般教養であると考えられている…そういうものがあっても悪くはない
…ただ私は、一般教養の核心はそういうところにはないだろうと思う…
大学には、だいたいみんな十八歳で入ります…
そこでまず、自分がどういう人間なのかを知る。これが一般教養の核心なんです。
そのために、自分と過去の関係を考える。両親、兄弟といった家族。高校、中学、小学校の先生。
そして自分を育んでくれた地域。さらに、その外側にあってその地域を規制している国家あるいは社会。
そういうものと自分との関係を知ることだろうと思うんです…
そして、そういうものを中心に抱いている自然、あるいは地球、もう少し広げて宇宙といったものを知ること。
これが一般教養の意味なんです…

215 :
核心になるのはやはり、「自分とは何か」という問題をきちっと考える場所だと思います…
そういうことを、大学のどこかでやっている。
つまり、その先生のもとに行けば自己分析ができ、それが同時に家族との関係、仲間との関係、地域との関係、
国家・社会との関係、宇宙との関係、生物としての人間のあり方と結びついてきて、
そこに自己というものが認識されるきっかけがある。
そんな講義あるいはゼミナールが行われていることが望ましい。

それがなければ、自然・人文・社会などの講義というのはほとんど意味がないと、私は思います。
となると、なぜそれが、いまの大学ではできないのか、という問題になってくる…
まず、そういうことを講義する先生がいない。いないだけではありません。関心がないんです。
いまお話ししたようなことを私が大学でしゃべるとすれば、大方の賛同は得ることができるでしょうし、
少なくとも反対はしないでしょう。
しかし、それぞれの先生がそういう関心・発想から授業をやっているかというと、やっていない。
残念ながら、そういう関心はごくごく少数の、大学のなかでは特殊な人間の関心なんです。
しかし、私がいままで接触した学生はみな、自己の形成ということに関心を持っている…
ところが、教師の側にはそういう関心が全然ない場合が圧倒的に多い。
それは教師の個々人の能力の問題ではなく、かつて若者だった個々の人間が、
大学の教師になる過程で置かれてしまった状況のなかに問題があるのではないかと思います。

216 :
たとえば、日本の学者というものを一つの典型として考えてみます。
彼らも若いときには…自分とは何かということに関心が向かなかったわけではないだろうと思います。
しかし…抽象的な問題として議論してもなんの意味もありません。
それを具体的に分析し教えてくれる人がいたかどうか、それを生涯の課題にした人がいたかどうか…が、
たぶん決定的なんです…言い換えれば、二十歳までのあいだに大きな優れた人物に出会うかどうかということ…
もちろん人間…は、本をとおして学ぶ、知識で学ぶ…
しかし、私の経験では、やはり大きな人物と出会うしかない。人は人によってしか変わらない。
だから、自己とは何かということについてほとんど関心を持たない教師たちは、
学者としての形成の過程でそういう人物と出会っていないんじゃないかと思うわけです。
たとえば、日本のトマス・マン研究者にしても、トマス・マン研究者になるにあたって、
自己とは何かという問題は必要なかった。日本中世史の研究者にしても、日本の中世史の研究をするのに、
現代日本の社会に生きるという問題意識は必要なかった。そんなものはなくても研究者になれる。
むしろ、ないほうがなりやすい…
私が『自分のなかに歴史をよむ』…という本を書いたとき、私の本としては比較的売れましたし、
反響もありました…それで、偉い学者はたくさんいますので、
そういう人たちに「ぜひ自己形成を主題にした本を書いてほしい」と言ったのですが、
たいへんな抵抗にあいました。それは、なぜなのか。

217 :
>いつのまにか一般教養が姿を消すような気配になっており、私は、そのことがとても気になっています。
>一般教養というと…大学設置基準にある、人文・社会・自然が何コマずつとかいったことになる…
>高等学校の延長のような知識が一般教養であると考えられている…そういうものがあっても悪くはない
>ただ私は、一般教養の核心はそういうところにはないだろうと思う
>核心になるのはやはり、「自分とは何か」という問題をきちっと考える場所だと思います
>それがなければ、自然・人文・社会などの講義というのはほとんど意味がない

218 :
ttps://twitter.com/handainakano/status/1137711443158097923
なかのとおる? @handainakano 6:22 - 2019年6月9日
大学入試が子どもたちの好奇心をそぎ取っているような気がしてしかたがない。
かといって、入試勉強をしなければいい大学に入れない。
そして、このところぼやきまくっているように、入学後は勉学の意欲をなくしている子も多い。
なんのための「勉強」なのか。「勉強」って何なのか。根は深い
早速ポチりました。予備校とか中高一貫校の教育が悪いんとちゃうんか、
とずっと思っていたのですが、最近ではその両方からも嘆きが聞こえてくるようです。
何がどうあかんのでしょう。
この子たち、医師になってもつらいだけとちがうんか、と心から心配しています。
なにしろ、勉強の方法論が身についてない。どの医学部の先生も同じようにおっしゃってます。
Medical School 制度を本気で考える時期かと


岩田健太郎? @georgebest1969 ・ 2 時間2 時間前
ありがとうございます。私見では「目的ではなく手段として学ぶ」
(よって目的を失えば学ばなくてええやろ)な子供の頃からの呪いを解くことが肝要と思ってます。
神戸大の学生諸氏も深刻な病に侵されてます。
実は僕はメディカルスクールには懐疑的です。米国も学問は「手段」でむしろ日本より露骨です。
欧州に比べ米国の医学生は「カネになるかどうか」に非常に意識高い方が多く少し幼稚に見えました。
「学生を長くやると成熟する」かなあ、と思うのです。
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219 :
養老孟司「東大よ、「世間」に背を向けよ」 中央公論 2010年2月号

大学全入時代を迎えて、大学生の学力がひと昔前の小学生並になっている。
大学院の拡充をしたのはいいが、卒業生に対して、経営難に苦しむ大学は研究者職を提供できない。
民間企業は見向きもしない。結局、学歴だけ身につけて就職先が見つからない学生が大量に出てきている。
最近は、こうした大学についての悪い話をよく耳にする。
マスコミの話というのは、話半分にして聞くものだ。
しかしこの件に関しては、おおむね状況を正しく伝えている…

日本の大学は今、本当に腹をくくらなくてはいけない状態にある。
明治以来、日本の大学は「情報流通産業」としてその役目を果たしてきた。
ようするに新聞社や通信社に近い仕事をしてきたわけである。
自分たちで情報を「作り出す」のではなく、
あくまで西洋で作られた情報・知識を「仕入れ」てきて、日本に「流す」。
しかし、今は学問の「情報流通産業」など必要とされなくなった…
これからの大学に求められるのは、情報を「作り出す」ことしかない。
しかし、日本の大学はこれがてんで弱い。特に基礎学問の研究は見るに堪えないレベルにある…

220 :
「情報流通産業」だったということのほかに、日本の大学にはもう一つ注目すべき特徴がある。
それは…「学問の府」とは言われながらも、
東京大学を含めて、「実学」を修得するための学校だったということ…。
東大の場合で言えば、法学部は官吏養成所。医学部は医師養成所である。
けっして法学研究所でも医学研究所でもない。これは大学設置当初から現在まで変わっていない。
西洋の大学はまったく違った起源を持っている。西欧においてはじめて作られたのは神学部である。
そこで宗教的な世界を研究する中で、…思想・哲学を育て…他の分野にまで手を広げていった…
明治以来、日本の大学が世間から敬意を払われ…目に見える形での成果を残せたのはなぜか。
それは、新しい思想・哲学を生み出すのはすべて西洋に「お預け」して、
自分たちは実際の生活で役に立つことだけを考えればいいというスタンスが明確だったから…。
しかし今はもうそれでは通用しない…
「自分で価値基準を作る」というのが、情報を「作り出す」ということ…。

221 :
…東大は実は「実学」で発達してきた。自ら価値基準を生み出してきた歴史があるわけではない。
でも私は、「本当はそういうことができるようになるべきだ」と本音の部分では思っている…
グローバル時代に対応して、大学は国際化しなくてはいけない。留学生を受け入れなくてはいけない。
英語で発信して、世界の学問の中心へアクセスしていかなくてはいけない。
そうしたことが言われる時代になった。しかしこうした流れに真っ向から反対する人もいる。
仏文学者の内田樹氏は『日本辺境論』という本の中でこう結論づける。
「日本人は辺境人でいれはいい。そういう民族なんだから」。一理あると思う。

「自分が中心だ」と思っている人間には、そもそも「国際化が大事」 
あるいは「世界の学問の中心へアクセスしていかなくてはいけない」などという発想は生まれない。
最初から「自分が中心」だから…そういった発想を日本人がするようになるとはとても思えない。
「オレはオレだ」と日本人は言えない。辺境から中心にある何か”良いもの”を真似する癖がついている。

222 :
…こんな若者がいる…。一流大学の文系学部を卒業した後、オレオレ詐欺をする。
それで儲けて、自分の会社を作る。そしてオレオレ詐欺から足を洗って正業に就く。
一方で一流大学の理系学部を卒業した若者が何をしたか。オウム真理教に入った。
そして第七サティアンでせっせとサリンを作った…。
こうした状況を見るに、もうこれまでの日本を支えてきた土台は崩れ落ちたと言っていいと思う…
オレオレ詐欺をしてでも「儲けたヤツが勝ち」という世界もそれはそれで筋が通っている…
「大学院を出たのに職がない」と文句を垂れている人よりも、
オレオレ詐欺をやってでも儲けて、
とにかく正業に就いている人のほうがまともだ、ということになるのかもしれない。

223 :
…霞ヶ関の官僚ではないけれど、私が在職していた頃の東大には、
「自分たちが国を背負っているんだ」というプライドがあったように思う。今はもうない。
新制大学として国立大学がすべて平等になった時点から、
実質的に東大は「国を背負う大学」から「学生の偏差値が他よりも少し高い大学」になった…
かつての上位大学には、大学ごとの「クセ」のようなものがあった…
特徴をそれぞれの大学が持っていて、大学の多様性は担保されてきた…
たしかに「社会を安定させる」という視点から考えれば、基準があるというのは大事なことかもしれない。
横並びでみんなが平均値…をウロついている状況…しかし、それでは学問が死んでしまう。
…大学は専門人を育てるところなのか、教養人を育てるところなのかという議論がある…どちらも必要だ。
しかし今は、どちらのタイプの人材育成も徹底されていない。
医学部で言えば、…「患者さんのためになる医者をつくる」という…理念を持った学校が…
そういう学校の教育カリキュラムは、臨床より研究を得意とする学生があきらかに多い
東大医学部のカリキュラムと違っているほうが自然だろう。しかし実際は官僚が一律で基準を決めている。
医学部はすべての授業が必修だから、どこの学校も同じになる。

224 :
…先日、日本大学の芸術学部で…講義をしたのだが、…学生の感想文を読んで驚いた…
「人間も世の中もどんどん変わってゆく。
だから、同じ状況なんて二度と来ない。それが生きるということだ。
一方で学問というのは、生きたものを停めて…整理する作業である…
そんな論文をいくらかき集めても、実際の『生きた人間』にはまったく役に立たない…」
当たり前のことを言っただけである。しかし学生たちはひどくビックリしたようなのである。
想像するに、彼らはきっとこれまでの人生で「大人の本音」を聞いたことがなかったのだろう。
教育の世界はウソで塗り固められている。子どもたちにとっては不幸なことである…

225 :
>東京大学を含めて、「実学」を修得するための学校だったということ…。
>東大の場合で言えば、法学部は官吏養成所。医学部は医師養成所である。
>けっして法学研究所でも医学研究所でもない。これは大学設置当初から現在まで変わっていない。
>西洋の大学はまったく違った起源を持っている。

>霞ヶ関の官僚ではないけれど、私が在職していた頃の東大には、
>「自分たちが国を背負っているんだ」というプライドがあったように思う。今はもうない。

226 :
ttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/64958
東大卒・女性キャリア官僚の私が、霞が関を去った理由
この国の中枢で起きていること 奥村 まほ 2019.6.4

私は数年前に官僚を辞め、それまで勤めていた霞が関の官庁を去りました。
東京大学を卒業後、就職してから3年以内の早期退職でした。
私が官僚として働きながら日々感じていたのは、
「就職前の私は何を勘違いしていたのだろう」ということでした。
官僚の仕事は過酷です。夕方からが本番といっても過言ではありません。
霞が関で働きながら結婚〜子育てにおけるあらゆるハードルをクリアするには、
高いモチベーションと体力・精神力、
パートナーの理解と協力体制、周囲の手厚い支援は最低限必要でしょう。
さまざまな可能性を考えている女性からすれば、
霞が関で働き続けることはリスクに見えてもおかしくありません。
少なくとも私には、リスクに見えました。

227 :
「長時間労働で辛い」ことは、単純に心身がもたないという問題にとどまらず、
自分の人生の選択を狭めるリスクを孕んでいるように思えたのです。
自分の大切な20代が、心身を消耗させるだけで終わってしまうような気がしました。
就職前は、ここまで深くは考えていませんでした。
「就職前の私は、何を勘違いしていたのだろう」
就職前、私はキャリアのことで頭がいっぱいでした。
働くことへの期待、公務員として、そして働く女性として活躍することへの希望。
プライベートについては漠然と「なんとかなるだろう」と思っていました。
仕事も家庭も子育ても私ならどうにでもなる。
大学までは、学業をこなしてきたように、きっとうまくやれるはずだ、と。
しかし現実は違いました。実際に働き始めてみるとどうにもなりそうにない気配に気づきます。
思った以上に官僚の働く環境は厳しいし、人生を捧げたいと思えるほどのやりがいも見出せない。
普通に働くだけでもギリギリの状態という人が大勢いるのに、子育てが加わるなんて想像もつかない。
なんとかなると思っていたけど自分には無理そうだ。こんなはずじゃなかったのに……。

228 :
霞が関には現実的にめざせそうなロールモデルが少ないという点も、
若い女性職員が将来像を見出しにくい要因のひとつになっていると考えます。
私見では、現在の霞が関に管理職相当で残っている女性こそがイレギュラーなケースであり、
ロールモデルにはなり得ないのではないかと思っています。
「私にもできそう」という希望や安心感を与えてくれるロールモデルが滅多に存在しないのです。
就職当初、男性職員に「きみたちが女性職員のロールモデルになればいいんだ」
と言われたことがありますが、これほど無責任な言葉はないと感じます。
環境を改善することなく、
耐えて耐えて耐え忍んだ女性や恵まれた環境にある女性をロールモデルとして崇めても、
女性職員へのプレッシャーがますます強まるだけです。

229 :
>ああそうか、「ごっこの世界」だからかと気づきました。
>ごっこの世界とは、文藝評論家で保守の論客だった江藤淳が、1970年の論文で使った概念です。
>どちらも自分のことばを本気で信じてはおらず「ごっこ」をしているだけだという論旨は、
>問題は、ごっこはいつまでつづけられるのか、です。

230 :
與那覇潤「知性は死なない―平成の鬱ををこえて」

私の印象でいうと、新聞ではあたりさわりのないことをいっている先生が
ほんとうにつまらない人物であるということは、ほぼありません。
知遇をえたのが一流の方ぞろいだったのもあるでしょうが、
ほとんどの人はじっさいに話してみると、誌面に載る以上のことをいっぱい考えています。
どうしてそちらの「もっとおもしろいこと」のほうが活字にならないのだろうとずっと思っていて、
ああそうか、「ごっこの世界」だからかと気づきました。
ごっこの世界とは、文藝評論家で保守の論客だった江藤淳が、1970年の論文で使った概念です。
米国の軍事力に守ってもらいながら愛国心を叫ぶ「右翼」も、
やはり米国の核の傘に安住した状態で非武装中立の夢想にふける「左翼」も、
どちらも自分のことばを本気で信じてはおらず「ごっこ」をしているだけだという論旨は、
いまの日本にも通じる指摘ではありますが、実はもう一重の「ごっこ」があるのです。
新聞や雑誌の側にはとうぜん、文字にしてほしい自社の主張があって、
それを大学教授や在野の評論家の口をかりることで、
社内の記者が書くよりも権威と影響力のあるものにしたい。
そういうゲームにつきあってあげることで、
大学人なら象牙の塔、評論家なら自宅の書斎から外に出ても通用する、
社会的に承認された「知識人」という存在になれる。
江藤のいう「ごっこ」には揶揄の響きがありますが、
この後者の意味では江藤本人だって、立派に「知識人ごっこ」をしていたのだと思います。
問題は、ごっこはいつまでつづけられるのか、です。

231 :
>当たり前のことを言っただけである。しかし学生たちはひどくビックリしたようなのである。
>想像するに、彼らはきっとこれまでの人生で「大人の本音」を聞いたことがなかったのだろう。
>教育の世界はウソで塗り固められている。
>ウソのなかにどっぷり浸かって生きてきて、突然当たり前のことを聞かされてびっくりする。
>そういう子どもたちの姿というのは、見ていて胸に詰まるものがある。

232 :
2017衆院選 勝ったのは何か 細川護熙さん、濱野智史さん、大宅映子さん
2017年10月25日 昭和の利益誘導、なお強固 濱野智史さん(社会学者)

そこそこ若い世代の一人として、勝ったのは「昭和」だと私は思います。
和時代に自民党が作り上げた、
地元や業界への利益誘導に基づく集票システムを超える政治基盤が、本当に日本にはないんだな、
ということがむなしく確認できました。
そういう意味では死後なお、田中角栄が勝っているのかもしれません。
日本はもともと、外圧でもないと変化の起きにくい島でした。
黒船が来たから仕方なく近代化し、形だけ民主主義をやり始めたけれど、
革命のあったフランスや南北戦争のあった米国のように、過酷な歴史を経て有権者に根づいた意識もない。
だから日本の政治は、「民主主義ごっこ」のような一種の借り物でした。
戦後、その「民主主義ごっこ」を日本流の利益分配システムに仕立て上げたのが、自民党であり角栄でした。
その結果、組織票か、地元でずっと応援しているから、という利害と惰性中心で、
政策は二の次という支持基盤が強固になりました。
都市型無党派層の私から見ると、
今回の結果は既得権益に頼る地方の人々が作り上げた分配システムの勝利にしか見えないのです。

233 :
>昭和時代に自民党が作り上げた、
>地元や業界への利益誘導に基づく集票システムを超える政治基盤が、本当に日本にはないんだな、
>ということがむなしく確認できました。

>日本はもともと、外圧でもないと変化の起きにくい島でした。
>黒船が来たから仕方なく近代化し、形だけ民主主義をやり始めたけれど、
>革命のあったフランスや南北戦争のあった米国のように、過酷な歴史を経て有権者に根づいた意識もない。
>だから日本の政治は、「民主主義ごっこ」のような一種の借り物でした。

>戦後、その「民主主義ごっこ」を日本流の利益分配システムに仕立て上げたのが、自民党であり角栄でした。
>その結果、組織票か、地元でずっと応援しているから、という利害と惰性中心で、
>政策は二の次という支持基盤が強固になりました。

234 :
>「就職前の私は、何を勘違いしていたのだろう」
>就職前、私はキャリアのことで頭がいっぱいでした。
>働くことへの期待、公務員として、そして働く女性として活躍することへの希望。
>プライベートについては漠然と「なんとかなるだろう」と思っていました。
>しかし現実は違いました。実際に働き始めてみるとどうにもなりそうにない気配に気づきます。
>思った以上に官僚の働く環境は厳しいし、人生を捧げたいと思えるほどのやりがいも見出せない。

235 :
>東京大学を含めて、「実学」を修得するための学校だったということ…。
>東大の場合で言えば、法学部は官吏養成所。医学部は医師養成所である。
>けっして法学研究所でも医学研究所でもない。これは大学設置当初から現在まで変わっていない。
>西洋の大学はまったく違った起源を持っている。

>霞ヶ関の官僚ではないけれど、私が在職していた頃の東大には、
>「自分たちが国を背負っているんだ」というプライドがあったように思う。今はもうない。

236 :
>ああそうか、「ごっこの世界」だからかと気づきました。
>ごっこの世界とは、文藝評論家で保守の論客だった江藤淳が、1970年の論文で使った概念です。
>どちらも自分のことばを本気で信じてはおらず「ごっこ」をしているだけだという論旨は、
>問題は、ごっこはいつまでつづけられるのか、です。

237 :
>一般教養というと…大学設置基準にある、人文・社会・自然が何コマずつとかいったことになる…
>高等学校の延長のような知識が一般教養であると考えられている…そういうものがあっても悪くはない
>ただ私は、一般教養の核心はそういうところにはないだろうと思う…

>それがなければ、自然・人文・社会などの講義というのはほとんど意味がないと、私は思います。
>となると、なぜそれが、いまの大学ではできないのか、という問題になってくる…
>まず、そういうことを講義する先生がいない。いないだけではありません。関心がないんです。

>たとえば、日本のトマス・マン研究者にしても、トマス・マン研究者になるにあたって、
>自己とは何かという問題は必要なかった。日本中世史の研究者にしても、日本の中世史の研究をするのに、
>現代日本の社会に生きるという問題意識は必要なかった。そんなものはなくても研究者になれる。
>むしろ、ないほうがなりやすい…

>しかし、それぞれの先生がそういう関心・発想から授業をやっているかというと、やっていない。
>残念ながら、そういう関心はごくごく少数の、大学のなかでは特殊な人間の関心なんです。
>ところが、教師の側にはそういう関心が全然ない場合が圧倒的に多い。

238 :
>教育の世界はウソで塗り固められている。
>ウソのなかにどっぷり浸かって生きてきて、突然当たり前のことを聞かされてびっくりする。
>そういう子どもたちの姿というのは、見ていて胸に詰まるものがある。

239 :
NHK 日本海軍反省会400時間の証言
第3回 戦犯裁判 第二の戦争

ナレーター:
敗戦後四〇年経っても表に出ていない事実が多すぎる、
それを語り、残しておこうと開かれていた海軍反省会。
(豊田隈雄元大佐:85歳、海軍大学校主席卒、戦犯対策を練った)
敗戦後重大な課題となっていた戦争裁判の対策を担うよう、軍令部の元幹部から指令される。
昭和20年11月30日、日本海軍は解体された。その翌日に発足したのが第2復員省、通称2復。
多くの軍令部のメンバーがこの2復に移った。主な業務は海外に残された海軍将兵の復員業務とされていた。
同時に軍令部員達は裁判対策に深く関与していた。
戦時中ドイツにいた為、太平洋戦争の前線に一度も立つ事の無かった豊田元大佐。
裁判対策を第2の戦争と考えていた。

豊田元大佐手記:
与えられた裁判業務、これこそが私の戦場であり私の戦争である。

ナレーター:
反省会の開始から7年が経った昭和62年、豊田元大佐は裁判対策の舞台裏を語りだす。
重視したのは組織のトップを守る事。

240 :
豊田元大佐:
戦争裁判というのは従来、普通の裁判と違いましてどうせ講和条約までだと、
死刑になりさえしなければ終身刑でおっても講和条約まで頑張ればそれで自由の身になれると。

ナレーター:
嶋田の死刑を回避する為の東京裁判での課題、
それは捕虜虐待などの通例の戦争犯罪への関与を否定すること。
敗戦時の海軍大臣として開戦の責任、
つまり平和に対する罪が有罪となることは避けられないと見られていた。
これに通例の戦争犯罪が加われば死刑は免れないことになる。
嶋田の判決の鍵を握った重大な事件。

241 :
中嶋親孝元中佐:
終戦直後の9月15日に私は海軍省に行きまして着任したときすぐ言われたのが、
今問題になりそうなのが「大船(俘虜収容所)」と「潜水艦」だと。
お前潜水艦持てって、その時から持たされた…。
まず事実を調べなきゃいかんという訳で、方々に聞いて歩いた。
だいたい私の得た感想はですね、発想の元は軍令部に有り、これは相当本当だと
(潜水艦で商船を攻撃し生き残った乗組員を皆殺しにしろという命令)。

ナレーター:
問題となったのは昭和18年から19年にかけて潜水艦の部隊が商船の乗組員を殺害した事件。
沈没後、海に浮かんだ乗組員を、艦上から機関銃で殺害した事が東京裁判で罪に問われた。
軍令部の指示が有ったのかどうかが争点となった。
指示が有ったと認定されれば、嶋田は組織のトップとして責任を問われることになる。
この裁判の行方を決定付けた人物…潜水艦部隊の司令官三戸寿少将。
潜水艦部隊の命令書(「第一潜水部隊命令」三戸寿少将のサイン有り)、
船舶の撃沈に止まらずその要員を徹底的に撃滅、乗組員を殺害する様、明記されていた。
命令者となっていたのが三戸少将。
三戸少将は東京裁判に証人として出廷し、軍令部からの支持はなかったと否定、
その上で証拠とされた命令書は何者かが偽造したものであると主張。

242 :
豊田隈雄元大佐:
作戦会議の時に中央からその事を指示したと言うわけ、
指示したっていうか、示唆したっていうか、
軍令部の参謀ですから命令する立場じゃないと思いますけども、
まあ、そりゃ結局中央の意向みたいなものを察して伝えたんだと思いますけど。

ナレーター:
三戸少将の第一潜水戦隊は第6艦隊に属し、この第6艦隊の会議に軍令部から参謀が派遣され、
撃沈した商船の乗組員を殺害する様、口頭で指示していた。
しかしこの指示に対し現場の指揮官達は文書での命令にこだわったという。

豊田隈雄元大佐:
当初は口頭命令でやろうとしたが、
麾下の艦長連がそろってそのような重大な内容の戦法は口頭命令では出来ない!
強く反発したのでやむなくそのような文書となったと。

ナレーター:
命令書は軍令部が指示し三戸少将が作成した本物でした。
三戸少将は偽証して組織のトップを守ったのです。

243 :
中嶋親孝元中佐:
これを表向きにしたらえらいことになると。しかも日本の海軍の信用に関わると。
私は一切証拠をあげるなと。本当の事は何も言うなと、黙っとけ

ナレーター:
中嶋元中佐が口にした指示とは何か。2復はまず出廷前の証人を呼び出していた。
証人が何を知っているのか聞き出し文書を作成、
海軍が不利にならない様、証言を訂正するなど組織的に指導していた。
GHQが証人から聞き取りをする前に対策を終えていた。
嶋田は開戦については有罪、潜水艦の事件など通例の戦争犯罪については証拠不十分で無罪。
判決は終身刑でした。昭和30年、嶋田は連合国の占領が終わった3年後に釈放された。

豊田隈雄元大佐:
BC級裁判の一方的と言われる所以…。
そのー、裁判を統括している中央でもって、そのー、
上の方を助けてそして下の方をやっつけるという方針で行ってるからだ、
というようなことが遺族の耳に入りまして墓参りも受け付けないような状態にありました。

244 :
ナレーター:
篠原大佐が問われたのは国際法に反し捕虜を処刑した罪。
篠原大佐はスラバヤの守備に当たる部隊の参謀を務めていた。
部隊は軍令部からの作戦命令を実行する艦隊司令部の指揮下にあった。
裁判では捕虜処刑が篠原大佐の独断で行われたのか艦隊司令部からの命令を受けたのかが争われた。
篠原大佐は「艦隊司令部は命令は出していない」として自分に責任を押し付けていると訴えている。

篠原大佐日記:
艦隊司令部参謀が嘘を言っている理由について。それは何か不利な事が有るから。
逆に私を陥れるとしか判断のしようが無い。

ナレーター:
艦隊司令部からの命令があったことを窺わせる人物が立ち会っていた。
軍法会議の最高責任者は艦隊司令官が務めていた。
軍法会議に、所属する法務官が立ち会うということは艦隊司令部が処刑を認めていることを意味する。
篠原大佐への命令があったかどうかを知るはずの法務官。その行方は敗戦後わからなくなった。
背後に2復が関与していると東京から派遣された弁護人から聞かされる(法村剛一元上等水兵)。

法村剛一元上等水兵:
その法務官を逃亡させたんですよ。お前がおったら我々も一緒に絞首刑になるかわからんし、
2復が海軍ですから、マッカーサー司令部から逮捕される前に情報が分かる訳ですよ、
このケースは危ないと、絞首刑が出る場合じゃこれは、って時は担当者は逃がせと。

245 :
ナレーター:
法村さんは逮捕されましたが上官からの命令を実行しただけであるとして無罪となった。
法村さん達に命令を下したことを認めた篠原大佐には唯一人、死刑の判決が言い渡された。

篠原大佐が家族に送った最後の手紙:
無罪となった部下達は幸い私に感謝している。
一方、艦隊司令部の行為に一同憤慨、彼らと共謀せる2復を訴えるという。
この身は潔白です。

この手紙が書かれてから4ヵ月後、篠原大佐は絞首刑となった。
BC級裁判で死刑となった海軍軍人はおよそ200人、その殆どが現地部隊の将校や下士官でした。

246 :
2復でBC級裁判の対策を指揮していた担当者が弁護の基本方針を記したメモ:
天皇に累を及ぼさない為に、中央部に責任が無い事を明らかにし、
その責任を高くとも現地司令官程度に止めるという方針でした。
そして問題は何処で責任の遡上を食い止めるかであると記している。    

ナレーター:
敗戦後の海軍が組織をどの様に守ったのか。核心にふれる議論が始まります。
その中で再三取り上げられたのは、昭和天皇と占領政策を進めるアメリカでした。
平成元年3月の反省会。この2ヵ月半前昭和天皇が亡くなりました。
この日、特別に参加した元海軍省担当記者が、
これまで反省会がほとんどふれたことのなかった天皇の戦争責任について話を始めました。

247 :
元海軍省担当記者:
天皇の戦争責任問題についてでございますが、
いったい天皇の戦争責任、どういうふうに絡んでくるのかと。
その後、考えない訳にはいかない、避けて通れる問題じゃありませんので、
天皇は明治憲法の最高責任者であったという事実は否定する訳にはいきません。
ナレーター:
天皇に戦争責任が有る事に同調する人はいませんでした。
豊田元大佐も、天皇に責任は無いと語りました。しかし、責任を追及される可能性は有ったと打ち明けます。
豊田隈雄元大佐:
陛下には決して手はつかないんだ、という確信はなかった訳です、何も。
陛下に話題が及ばないようにということを第一の目標として努力した訳なんです。
政府の要路におった人、大臣、総長、皆ね、
答弁がまちまちにならない様に皆話し合って答案の骨子になるものが、ちゃんと出来たものが残ってるよ。

248 :
大井元大佐:
そいつは、それは戦後に裁判用に作ったみたいな。
豊田元大佐:
そうそう、そうなんだ。
ナレーター:
戦後裁判用に作られたという答案の骨子、海軍の最高幹部による会議の議事録が見つかりました。
2復で裁判対策に従事していた中嶋親孝元中佐、議事録はその遺品の中にありました。
−特別座談会記録−。2復が取りまとめたこの文書には、開戦の責任についての議論がしるされています。
座談会の参加者は、軍令部総長(永野)や海軍大臣の経験者など国家の中枢にいた人です。
東京裁判の始まるおよそ半年前に開かれていました。
海軍が開戦に反対できなかった主な理由を、陸軍の強硬な姿勢にあったと結論づけています。
この頃、海軍の最高幹部だった人物が占領政策を進めるアメリカ軍と接触を始めていたといいます。
その際、話の中心となったのは天皇であったと、豊田元大佐は明かしました。

249 :
豊田元大佐:
陛下を、俗な言葉で言えば利用して占領政策をやりやすい様にすると、
米内(海軍)大臣がマッカーサーの所に会いに行かれた時も、
結局、日本の占領政策をうまくやるために、こういう方針を採っておるんだ、
と言っておられました。
ナレーター:
マッカーサーと会っていたという米内光正元海軍大臣。
戦前は総理大臣を務めるなど天皇の信任厚い重臣でした。
豊田元大佐は裁判対策を通じ米内と頻繁に連絡を取り合っていました。
米内がマッカーサーの腹心(事務秘書官)Rーズ准将から重要な申し出を受けていたと、
豊田元大佐は語りました。
豊田元大佐:
Rーズ准将が「自分としては天皇制がどうなろうと一向かまわないのであるが、
マックの協力者として占領を円滑ならしめつつある天皇が裁判に出される事は、
本国に於けるマックの立場を非常に不利にする。これが私のお願いの理由だ」と。
ナレーター:
昭和21年3月6日、米内はRーズから東京裁判の行方に関わる踏み込んだ話を聞いたといいます。

250 :
豊田元大佐:
「対策として天皇が何等の罪の無い事を日本人側から立証してくれる事が最も好都合である」
「その為には、近々開始される裁判が最善の機会と思って、東條に全責任を負担せしめるようにすることだ」と。
まあ、そういう風にRーズがそこまで突っ込んだ話をしとるんですね(笑い)。
それに対して米内さんが「全く同感です」と。

ナレーター:
米内はこの時、東條だけでなく嶋田元海軍大臣にも責任を取らせる準備があると伝えました。
しかし、結果として死刑となったのはRーズの言葉通り東條初め陸軍関係者6人、
海軍は1人も居ませんでした。

ナレーター:
戦争責任の問題に海軍はどう向き合ったのか。
2復の裁判資料の中から「天皇の戦争責任に関する研究」という文書が見つかりました。
海軍の便箋が使用され、文面から東京裁判の開始前、
米内とRーズが接触している時期に作られていることが判りました。
誰が書き、どう利用されたかは明らかになっていません。
天皇に責任が及ぶことを防ぐにはあらゆる局面で責任者が必ず存在しなければならない。
そう結論付けています。

251 :
ナレーター:
豊田元大佐は裁判終了後に次のような手記を残しています。

手記:
旧海軍全般については検事自身が海軍出身の旧重臣と接触するなど当たりが柔らかだった。
全体の公判の流れの中では、
海軍は陸軍に引きずられて戦争に参加したとの印象が持たれるようになっていた事も見逃せない。
それやこれやが重なり合い影響しあって極刑は回避されたと思われる。

豊田隈雄元大佐:
およそ2カ年半の審理を通じ最も残念に思ったことは、
海軍は常に精巧な考えを持ちながら、その信念を国策に反映させる勇を欠き、
ついに戦争、敗戦へと国を誤まるに至ったことである。
陸軍は暴力犯、海軍は知能犯、何れも陸海軍在るを知って国在るを忘れていた。
敗戦の責任は五分五分であると。

252 :
皇室の風 「終戦のエンペラー」に思う 岩井克己
雑誌「選択」2013年6月号

マッカーサー元帥の側近で、太平洋戦線から日本占領まで身近に仕えた
軍事秘書ボナー・Rーズを主人公とするハリウッド映画「終戦のエンペラー」…
マッカーサーの対日占領政策、とりわけ天皇の扱いを決定づけた黒子とみられながら、
詳しい足跡は…知られていなかった。…原作は…故岡本嗣郎…
岡本がその存在に着目したきっかけは…マッカーサーの副官フォービアン・バワーズを取材したこと…
マッカーサー始め総司令部の面々をなで切りに酷評したバワーズが、
Rーズだけは「良心的で信頼に足る人」と語ったという。
昭和天皇崩御後、次々に未公開資料が公開されたが、
最も衝撃的だったのは天皇本人の『独白録』(月刊『文藝春秋』1990年12月号)だった。
側近五人組が開戦の経緯を聞き取った記録で…外交官寺崎英成の遺族が公開した。
ただ、その記録の目的は当時は謎で、同誌翌月号の…座談でも論争になった。
秦郁彦…が、東京裁判対策に作成されたもので、英訳が存在するのではないかと主張。
故小島襄(作家)、伊藤隆(東大教授)は…一笑に付し…筆者も、秦の推測に「まさか」と感じた…
七年後、その英訳をRーズの遺族が保管していた文書の中から発掘したのは
NHKディレクターの東野真である。
九七年六月、NHKスペシャル「昭和天皇 二つの『独白録』」と題し放映された。
同名の著書…で東野は、五人組の一人の内記部長稲田周一の備忘録などと合わせ
Rーズの足跡をほぼ解明した。

253 :
同書によると、イリノイ州の農家に生まれたRーズは一四年に…アーラム大学に入学し、
日本人留学生渡辺ゆりと出会って友人となる。ゆりは、新渡戸稲造の直弟子で、
後に恵泉女学園を創立する河井道の勧めでクエーカー系の同大に学んでいた。
その後、Rーズは陸軍士官学校に転じ、フィリピン配属となった二二年に初来日し、
ゆりと再開して恩師河井に紹介された。
…この時…ゆりに勧められたラフカディオ・ハーンの文学と日本文化に魅せられ

三〇年、二度目の来日の際には、結婚し一色と改姓していたゆりの家に妻とともに滞在。
ハーンの遺族を訪ね墓参も果たした。三五年、陸軍指揮幕僚大学に提出した卒業論文は「日本兵の心理」。
神道、天皇、武士道などから説き起こし、
日本軍兵士の心理を分析した論文は高く評価され米軍内で必読書となる。

日米開戦後、准将に昇進したRーズは四三年、オーストラリアのマッカーサー司令部に配属され、
フィリピン奪回作戦での働きを評価したマッカーサーから軍事秘書の特命を受け、
情報収集と対日心理作戦に携わった。謀略を避け、戦況を知らされない日本兵に正確な情報を伝え、
天皇への忠誠心に敬意を払いつつ投降を呼びかける方針を貫いたという。

八月三十日…厚木飛行場に降り立ったRーズは直ちに河井とゆりを探し出し、
九月二十三日に米大使館内の宿舎で夕食を共にした。

254 :
…Rーズが天皇不起訴を進言する覚書をマッカーサーに提出したのは十月二日だった。
「彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民族の行ける象徴である…
天皇の命令により、七〇〇万の兵士が武器を放棄し、すみやかに動員解除されつつある…
もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、
全国的反乱が避けられない…」(『資料日本占領1天皇制』) 
そして、ソ連、オーストラリアが天皇訴追を主張するなか、マッカーサーの意を受けて
天皇免責のため開戦時の天皇の役割と心境を立証するように日本側要人らに働きかけた。
側近五人組の天皇からの聞き取りも、これを受けたもので、
寺崎の『独白録』も、Rーズに届ける英訳版のためのものだったのである。

…Rーズは七三年十月七日、七十七歳で死去。
米議会にウィリアム・ブレイ上院議員の追悼が記録されている(東野書)。

「彼は日本の最もよい面を知っており、
日本の文化と伝統のうちで最良のものに対して生涯変わらぬ深い愛着を抱いていた…
占領軍司令官としての元帥の明らかな成功に大きな貢献をした…
敗北し荒廃した敵国・日本は、かくて強く新しい国へと生まれ変わった」

255 :
吉田裕「昭和天皇の終戦史」1992年

ここで見逃すことができないのは、この時期、宮中に右翼人脈が深く食い込んでいて、
彼らが宮中グループの重要な情報源となっていた事実である。
なかでも、戦時中、運送業や土建業で大きな財をなした任侠右翼の安藤明からの情報はきわめて重要だった。
たとえば、四六年一月一日、木下侍従長は、GHQの民間情報教育局(CIE)のケン・ダイク局長が
天皇の地位を実際の政治から切り離した上で天皇制を存続させるという意向をもっていると
天皇に報告しているが、この重大情報は安藤を通じて宮中にもたらされたものである(『側近日記』)。
安藤は、GHQの要人から情報を収集するために、早くも四五年の一〇月に東京の築地に「大安クラブ」を設立、
GHQ関係者を招いて派手な饗宴をくりひろげていた。
「大安クラブ」の女中頭だった北村トクの証言によれば、安藤からは、
「金はいくら使ってもよいから、背の高い“べっぴん”を揃えろ」と指示され、
彼女たちがGHQ関係者の接待にあたった。

GHQ関係者からはいっさい料金をとらなかっただけではなく、
「クラブにきたお客にはきまって安藤さんが、
日本の紋付袴や刀剣、真珠、カメラなどをプレゼントして」いたという。
この「大安クラブ」を通じて安藤は、ケン・ダイクCIE局長や
マッカーサー元帥の軍事秘書ボナ・Rーズ准将などとの交友関係をつくりあげたのである。
また、「安藤は、木下侍従長から、「天皇制護持につかわれた資金は、
いずれ皇室財産の一部を処分してお支払いする」という話をうけていた」という(『秘録 わが命天皇に捧ぐ』)。
真偽のほどは確認することができないが、
安藤の情報収集活動が宮中の暗黙の支持のもとに行なわれていたのは確かなことのようだ。

256 :
アラン・ソーカルらは
ポスト構造主義と社会構築主義の区別がつかない人たちだったな。

257 :
要らない区別を捻出する術w

258 :
必ず真聖ラーゼフォンに決定だよ、絶対に真聖ラーゼフォンに限定だよ、確実に真聖ラーゼフォンに指定だよ、十割真聖ラーゼフォンに認定だよ
100%真聖ラーゼフォンに確定だよ、勿論真聖ラーゼフォンは高評価だよ、無論真聖ラーゼフォンは高品質だよ、当然真聖ラーゼフォンは高性能だよ、一応真聖ラーゼフォンは高得点だよ、多分真聖ラーゼフォンはハイクオリティーだよ
真聖ラーゼフォンの勝ち、真聖ラーゼフォンの勝利、真聖ラーゼフォンの大勝利、真聖ラーゼフォンの完全勝利、真聖ラーゼフォンの圧勝、真聖ラーゼフォンの楽勝
真聖ラーゼフォンの戦勝、真聖ラーゼフォンの制勝、真聖ラーゼフォンの連勝、真聖ラーゼフォンの優勝、真聖ラーゼフォンの奇勝、真聖ラーゼフォンの全勝、真聖ラーゼフォンの完勝、真聖ラーゼフォンの必勝
真聖ラーゼフォンは強いよ、真聖ラーゼフォンは強力だよ、真聖ラーゼフォンは強大だよ、真聖ラーゼフォンは強者だよ、真聖ラーゼフォンは強烈だよ
真聖ラーゼフォンは強靭だよ、真聖ラーゼフォンは強剛だよ、真聖ラーゼフォンは強豪だよ

259 :
リーベル ラゲス

260 :
2016年11月19日
真山仁 ?@jinmayama ・ 3時間3時間前
昨日、電力史に詳しい大学教授と対談をした。
その中で、「日本は、プランBがない国家」という話が双方からほぼ同時に出た。
反対者には対案がなく、推進者は問題があっても強引に突き進む。その原因はここにあった。
池田信夫 ?@ikedanob ・ 2時間2時間前
池田信夫さんが真山仁をリツイートしました
これはその通りだけど、推進派のコアは役所でも電力会社でもなく、東大の原子力工学科の「先生」。
彼らは理論的に核燃料サイクルが100%正しいと決めたので、
それが失敗したときのオプションを考えなかった。

261 :
真山仁 ?@jinmayama ・ 11月20日
プランBがない最大の理由は、“絶対(=安全)神話”を守るため。
つまり、まさかを考えることが神話の崩壊に繋がるから、プランBはあってはならない。
プランBがないのは、推進者(権力者、企業家)だけではない。
権力を監視したり、推進者を批判する者たちも同様だ。
対案なき批判ばかりが続き、対案がないから、推進者にとっては何も怖くない。
所詮は、野党的発言で、現状を覆す力がないのだから。
プランBがない国家ニッポンから脱却せねば。

262 :
2020年3月19日
ttps://twitter.com/georgebest1969?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
岩田健太郎 Kentaro Iwata@georgebest1969
消費税の是非もだけど
「走り出すのにこんなに苦労したんだから、なんで反対するんだ?」という同調圧力現状維持主義、
プランAにこだわりプランBが作れず
みんなで沈没なエートスがよく現れている。日本が間違うときは、だいたいこれで間違えてる。
(deleted an unsolicited ad)

263 :
ttps://forbesjapan.com/articles/detail/33332
新型コロナ、日本は本当に感染がコントロールできているのか。今こそ検証せよ
2020/03/29 12:00岩田健太郎
西浦博先生は日本で数少ない感染症数理モデルのプロであり、
その能力が傑出しているのは関係諸氏の知るところだ。彼の知見やコメントは神格化されやすい。
数理モデルの中身が多くの人には完全にブラックボックスなために、
まるで神社のおみくじのような神託が出てくるように見えてしまうのだ。
日本の感染対策のポリシーの多くが西浦理論に依存している。
それで概ね間違いはないのだが、日本あるあるの問題として、
プランAが破綻したときのプランBがないことにある。
西浦先生は優れた学者である。神ではない。
故に間違える可能性とそのプランBを持っている必要がある。
無謬主義に陥りやすい官僚や政治家が科学を神託と勘違いしないか、大いに心配である。
モデルを使うな、といっているのでは決してない。ぼく自身、モデルを用いて論文を書く。
しかし、モデルは無謬ではなく、そこには前提たる仮定があり、仮定はしばしば間違っている。
プランAに固執する日本あるあるの失敗のパターンで、
ダイヤモンド・プリンセスでは「二次感染が起きてはいけない」が
「起きているはずがない」に転じてノーガード下船を許してしまった。
繰り返す。演繹法は帰納法で補完するのがこの業界の常識だ。

264 :
ttp://peace.2ch.sc/test/read.cgi/seiji/1433587600/259-261
淵田美津雄 奥宮正武「ミッドウェー」
>私には、当時の戦争指導者たちには、
>戦争は自分たちの力で解決できるという見通しをもっていなかったのではないかと思われる。
>ただ当面の戦争資源を入手して、
>戦力の持続を図ってさえいれば、世界情勢はおのずから開けてくると思っていたのであろう。
>つまり他力本願である。はっきりいえば、ドイツの勝利をあてにしていたに違いない。
>これが、緒戦で主作戦をまず南方資源地帯に向けた理由である。
>そしてまた、開戦時の総合計画が南方作戦までで、
>その後の計画が全然立てられていなかったことの理由でもある。
>この南方作戦が、第一段作戦としてまことにうまくいったので、これで不敗の態勢が成ったと思った…

265 :
>この思考パターンは太平洋戦争への突入と導き、
>やがては戦後の高度経済成長を生み出す経営思想にまでなっていく…
>つまり、制約された資源のもとで、これぞと思う一点にすべての資源を一直線に集中する
>ということが習い性となり、…得意技にまでなって…
>既存の路線をひたすらに突っ走る時には効率的であっても、
>誰しもが経験しない事態に遭遇したときは、混乱状態を生じ…

266 :
>欧州で発展を見たプライベート・バンキングは革命、戦乱、動乱、圧政などの「激動のヨーロッパ」において、
>その歴史の波に翻弄され続けた人々が生み出したひとつの智恵で…個人資産の総合運用管理であり、
>その目的は資産の保全である。
>この点における欧米系の…経営姿勢はその歴史的な重みに裏付けられ…明快である…

モーセの一神教、プラトン哲学を受け継ぐ
西欧文明はその《近代合理主義》によって個人の《主観》=エゴイズムを脱し
(単なる個人ではなく、組織、社会、国家、民族、ひいては人類“全体に”とって『何が正しいのか』=)
《客観》とは何かを考えようとした。

267 :
>先の第2次世界大戦においても、また今回のバブル経済の形成過程においても、
>自己にとって都合の良い要因だけを選択し、つまり希望的観測だけで情勢判断をする性癖は変わらない。
>容易ならざる国民性なのである。

日本の権力者は自己の《主観=エゴイズム》の中に閉じこもり、
その《主観》を支配下の臣民に押しつけようとする。この心理的な“仕かけ”こそが天皇制になっている
(靖国神社や教育勅語はそれを支える小道具である)。
これを称して『島国根性』などと言っているが、島国だからそうした精神性なのではない。
社会自体が《BDSM》で出来ているからそうなのだ。

268 :
何で日本の小中高は大昔から苛めが無くならないのだろう。
それも他人が死ぬまで苛め(或いは嫌がらせを)続ける。集団で。
それで子供が死んでも、学校当局(校長、教頭、担当教員)が知らん顔をする。
普通は人をRと犯罪だが、遺書を残して人が死んでいるにも拘わらず、誰も捕まらない。
実に不思議な感覚だ。
秩序を守るためには何人かの生贄が死んでも学校は関知しない。
これが『教育が義務である』、と言う意味であったのか。

269 :
ネット上の百科事典の項目を見ると《BDSM》という概念には、
単なる性倒錯(=変態)という意味よりももっと哲学的に深い意味があるようだ。
自分が(歪んだ)快感を得るために、他人に対して(歪んだ)規律と罰を強要するという。
それ自体を(文化的に)倫理化して見せるという。
どうやら日本の天皇制や学校教育は、
そうした構造(権力者の快感)を『社会的に倫理化する』ことで成り立っているようだ。

270 :
BDSM(ビーディーエスエム)とは、
人間の性的な嗜好の中で嗜虐的性向を一纏めにして表現する言葉である。
ボンデージは直訳すれば「捕われの身分」であり、その状態を指す。
ディシプリンは「懲戒」を意味し、西洋では体罰による厳しい躾も意味する。
サディズムは加虐性向、マゾヒズムは被虐性向であるので、
状況としての嗜虐と行為としての嗜虐を含む広範な言葉と言える。
BD、DSに代表される「囚われた状況」は
童話や物語に多く見られる「囚われのお姫さま」に似た状況を指す。
支配する側が強圧的であり支配される側がそれに従わざるを得ない、と言う状況は
BD、DSには欠かせないシチュエーションである。

271 :
これは自分を外国に支援させて守旧体制を倒し、その国内支配を確立して維持しつつ、
同時に(外の危機と怨嗟を煽った)富国強兵によって国内の被支配者側をBDSMで支配する、
実に巧妙な心理操作である。
ここであえてBDSMを使ったが、用語としてはともかく、
BDSMという概念は性的倒錯にのみ当てはまる概念では無い。
他人を支配から逃れられない状態に落とし込み、更にその状態を維持して搾取し続けようとする。
S側はその行為自体を美化して正当化する。
M側は貶められた自分の立ち場を(そうされても)『仕方がないこと』として受け入れる。
そうした社会的な価値観・風潮により、
この歪んだ支配構造が固定化されている問題を問題とするべきである。

272 :
BDSMが性的倒錯を含む用語であるならば、SMの部分をことの本質を表す表現で置き換えて、
性的に限らない搾取構造を示す用語を作れば良い。
Sに相当しSを生み出す精神性はナルシシズムである。
Mに退却する精神性、及びナルシシズムに迎合する精神性はスキゾイドパーソナリティ障害である。
とすればBDNSとなる。
この場では性的倒錯(による、を使った人間支配の方式)を含む概念であるBDSMに対し、
殊更に性的倒錯を表すのではなく、
より一般的な人間関係の倒錯を表す用語としてBDNSを導入する。

273 :
BDNSの典型例はナチスドイツとそれに同調した一般のドイツ人の関係で、
それはフロイトの理論によって分析されている。
つまり第一次世界大戦で敗戦したドイツはフランスから天文学的賠償金を課せられて
資源地帯も占領されてしまった。
それで産業が無くなって税金が入らなくなり、ドイツは輪転機を回してフランスの賠償を支払い続けた。
すると通貨の価値が崩壊し、ハイパーインフレが起こった。
大戦が始まった1914年には1ドルと1マルクの比率は大体1:4−5程度だったものが、
インフレがピークに達した1923年には1:1兆になった。
何十年も支払い続けた年金や、貯金していた金融資産が無価値になり、ドイツ人は仰天した。
こうした虚無感が
『偉大なドイツを再建する』というヒトラーの演説によって満たされることになる。

274 :
BDSMは(他人を隷属化に置く、
その支配する者と隷属する者の立場を自分自身で心理的に正当化=倫理化する。
ことによってこのBDSM関係を恒久化する)非常に高度?深淵?な精神支配である。
これは結局、フロイトが分析した、幼児期に遡る《心的外傷》の問題である。
この《心的外傷》によって〇〇〇パーソナリティと、ナルシシズム(サイコパス)が生れる。
ナルシシストは他人を“無限に”搾取しようとする。
〇〇〇パーソナリティ障害者は(子が親にするように)
他人に隷属(することによって己の生存を確保)しようとする。
これはヒトラーの魔力に感染した(あの当時の)ドイツ人の問題でもある。
BDSMの《捕らわれの身分》と
(罪を犯してもいないのに罪人の地位に貶められた者、
に対する生存を危うくするような懲罰的規律=)《懲戒》、
支配する側の加虐性向と
立場の下の者の被虐性向の組み合わせによってこうした関係が持続し固定化する。

275 :
>欧米の投資の世界ではこのAlternative Plan、代替案という発想が根づいている。
>Alternativeの反意語はAbsoluteである。
>欧米ではAbsoluteという絶対的なものは神(Absolute Being)以外には存在しないと考えられている。

276 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1453477774/380-383
380 :考える名無しさん:2016/03/23(水) 23:57:48.46 0
〇〇〇〇の如き人間が目指す《テクノロジー・カルト》国家の自己破滅
何が真実真理であるかを究明する態度を持つ西欧社会、
その思想の根幹がプラトン哲学であり、デカルト哲学である。
それを生み出す土台となった思想とは、エジプトのアメンホーテプ?世が興したアートン教を元とする、
モーセの一神教である。この思想の根幹は、
(プラトンによって文章化された表現によれば)『自然界とは常に生成流転消滅しているので
(寿命を持ち、行動範囲が限られる一個の人間が、
眼に見える、体で感じる)その“一時的な一部分を”切り取って《絶対視》してはならない』というものである。
これをモーセの一神教が表現するに『妄りに偶像を創って拝んではならない』
『絶対視できる存在とは(決して目には見えない=人間の五感で感じ取ることの出来ない)神のみである』
というものである。この「プラトンの文言」と「一神教の戒め」は、結局同じことを言っている。
広大な宇宙空間(これまで宇宙は人類という種を遥かに超えて百数十億年の昔から存在し、
その全てを観測し切れないほど広大である)に含まれたこの地球の自然界は常に生成流転消滅している。
そこに生まれた一個の人間が経験する内実は、
常に自然界全体の顕れ、その《一時的な一部分》である(に過ぎない)。
よってそれを“絶対視”し(これを根拠、前提として)一般化してはならない。
このようにモーセ一神教もプラトン哲学も、同じことを諫めている。

277 :
藤垣裕子、柳川範之「東大教授が考えるあたらしい教養」
しかしリベラルアーツという言葉の源流をたどると、
知識量ではかるような「教養」とはまったく別の意味であることが見えてきます。
当時のギリシアには奴隷制度が有り…
そこで「人間が奴隷ではなく独立した自由な人格であるために身につけるべき学芸」として
リベラルアーツという概念が生まれたのです。
自由な人格であるためには、自分の思考を自由にする必要があります。
「自分の思考を自由にする」というのは、
わかりやすくいえば「自分の思考を固定化せず、柔軟にする」ということです。
リベラルアーツという語源から「教養とは何か」を考えるなら、
新たな知識や情報に触れたときに、
それをただのデータとして頭にため込むのではなく、それを活用し、
思考を柔軟にして自らのとらわれに気づき、
そのとらわれから自分を解放して視点を変える力が「教養」ということになる

278 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1396898238/154-155
殺し合いが「市民」を生んだ いま「ヨーロッパ」が崩壊する(上)
阿部謹也『日本に西欧型「社会」は存在するか』
では、ヨーロッパはなぜ、呪術的なものを整理できたのか。その点に関して神判の問題との関連で言えば、
十一〜十二世紀にヨーロッパ社会はある画期的な転機を迎えた、離陸したんだと思います。
そのきっかけは聖と俗の分離です…私はこれが最大の理由であると思っています。
聖と俗が分離した理由は、
二世紀から六世紀までの、ヨーロッパよりむしろローマ末期にその源があります。
つまり、ローマ末期のあの禁欲主義的な運動というものが、
まさにヨーロッパの現在をつくったと言えると思います
私はやはりキリスト教の問題が大きかったのではないかと考えています。
つまり、中世になって、聖なるものと俗なるものとが分離するきっかけが生まれた
聖と俗が分離するということは、言い換えれば日常生活がある意味で合理化されていく、
アニミズム的なものが消えていくということです

279 :
ゲルマン人のあいだにキリスト教が浸透していく過程で、
もともとゲルマンにあった呪術的な裁判慣行はキリスト教化されていった…
そして、一二一五年のラテラノ公会議で、神判に司祭が関わることが禁止されました
このラテラノ公会議以降、すべての成人男女は少なくとも年に一度は
教会の司祭の前で告解することが義務づけられました。
これは、ヨーロッパにおける個人というものの成立の第一歩でもあったわけですが、
その際の司祭のためのマニュアルが、贖罪規定書と言われるものです
十一〜十二世紀にかけて、世俗的なさまざまな慣習、ゲルマン的・異教的な伝統や信仰、
迷信・俗信の類いが法的に否定されていきます。
この贖罪規定書を分析していきますと、ヨーロッパではこのころに、
呪術的・アニミズム的なものが消えていき、聖と俗の境界線が新たに引かれていった
そして、十七〜十八世紀以降の啓蒙思想と、それに基づくフランス革命、
名誉革命、ドイツ三月革命などの市民革命を経て、決定的に押さえ込まれていったのだと思います。

280 :
ttp://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1396898238/264-270
福沢諭吉「文明論之概略」
開闢の後、野蛮を去ること遠からざる時代には、人民の智力いまだ発生せずして…
内に存するものは、ただ恐怖と喜悦との心のみ。…山を恐れ、海を恐れ、旱魃を恐れ、飢饉を恐れ、
都てその時代の人智を以て制御すること能わざるものは、これを天災と称してただ恐怖するのみ。
あるいはこの天災なるものを待ちて来らざるか、または来て速に去ることあれば、
乃ちこれを天幸と称してただ喜悦するのみ。
…而してこの天災天幸の来去するや、人民に於いては悉皆その然るを図らずして然るものなれば、
一にこれを偶然に帰して、かつて人為の工夫を運さんとする者なし。
工夫を用いずして禍福に遇うことあれば、人情としてその源因を人類以上のものに帰せざるを得ず。
即ち鬼神の感を生ずる由縁にて、その禍の源因を名けて悪の神といい、福の源因を名けて善の神という。
およそ天地間にある一事一物、皆これを司る所の鬼神あらざるはなし。
日本にていえば八百万神の如き、これなり。
この善の神に向ては幸福を降さんことを願い、悪の神に向ては禍災を避けんことを願い、
その願の叶うと否とは我工夫にあらずして鬼神の力にあり。その力を名けて神力といい、
…その時代に行わるる祈祷なるもの、これなり。

281 :
この人民らの恐怖しまた喜悦する所のものは、啻に天災と天幸とのみならず、人事に於てもまたかくの如し。
道理に暗き世の中なれば、強大なるものの腕力をもって小弱なる者を虐するも、
理を以てこれを拒むの術なくして、ただこれを恐怖するのみ。その有様は殆ど天災に異ならず。
故に小弱なる者は、一方の強大に依頼して、他の横暴を防ぐの外に手段あるべからず。
この依頼を受る者を名けて酋長という。
…この酋長なる者、既に権威を得るといえども、無智の人民、反覆常なくして、これを維持すること甚だ難し。
これを諭すに高尚の道理を以てすべからす、これを説くに永遠の利益を以てすべからず。
その方向を一にして、共に一種族の体裁を保たんとするには、ただ
その天然に備わりたる恐怖と喜悦の心に依頼して、目前の禍福災幸を示すの一法あるのみ。
…然りといえども、そのこれを褒めこれを罰するは、皆君長の心を以て決することなれば、
人民はただこの褒罰に遇うて恐怖しまた喜悦するのみ。褒罰の由て来る由縁の道理はこれを知ることなし。
その事情あたかも天の禍災幸福を蒙るが如く、悉皆その然るを図らずして然るものにて、
一事一物も偶然に出ざるはなし。
故に一国の君主は偶然の禍福の由て来る所の源なれば、
人民よりこれを仰て自からまた人類以上の観を為さざるを得ず。

282 :
西欧近代合理主義=啓蒙思想とは、
過去の恐怖や嫌悪に向き合うことで神経症から脱する精神的な治療法である
《当時のギリシアには奴隷制度が有り…
そこで「人間が奴隷ではなく独立した自由な人格であるために身につけるべき学芸」として
リベラルアーツという概念が生まれたのです。
自由な人格であるためには、自分の思考を自由にする必要があります。
「自分の思考を自由にする」というのは、
わかりやすくいえば「自分の思考を固定化せず、柔軟にする」ということです。
リベラルアーツという語源から「教養とは何か」を考えるなら、
新たな知識や情報に触れたときに、それをただのデータとして頭にため込むのではなく、
それを活用し、思考を柔軟にして自らのとらわれに気づき、
そのとらわれから自分を解放して視点を変える力が「教養」ということになる》

283 :
これは正に個人、或いは集団が或る驚異的な畏怖する自然現象に遭遇し、
或いは未知の外界から強力な部族の侵略を受け、
個人、或いは集団全体が《死の恐怖》を体験することで《心的外傷》=神経症に罹患し、
その心理的呪縛が個々人の人格にナルシシズムと〇〇〇パーソナリティを作り出す。
この、他者を無制限に支配しコントロールしたいと願うナルシシスト
(例えばヒトラーやスターリンなど)と、
強者の支配を受け入れることで辛うじて己の生存と安全を図りたいと願う
〇〇〇パーソナリティ障害者
(ナチスドイツ時代のドイツ国民や、大日本帝国の臣民たる当時の日本国民と)の《共依存》を生み出し、
以って呪術祈祷に頼るこの集団的精神状態が、覇王(=ナルシシスト)と
それに支配される盲目の大衆(=〇〇〇パーソナリティ障害者)という状況を生み出す。
この強固な《思い込み》の裏には恐怖と嫌悪が有り、
それを回避するため無意識的にその思い込みに縋っている。

284 :
正に啓蒙思想=リベラルアーツとは、
精神心理学でいうところの〇〇〇〇=〇〇〇〇〇〇〇〇であって、
未知(意味不明)の恐怖を動かぬ事実と厳正なる数学的推論とによって理解可能な説明に置き換え、
以って《死の恐怖》を克服し、神経症=呪術祈祷の世界から脱する、
という西欧近代合理主義を打ち立てた精神性を土台とする。
つまり、啓蒙思想=リベラルアーツ自体が社会全体に対する《心理的な治療》と見なせるのだ。

285 :
リベラル・アーツ&サイエンス(3学4科)といわれる、
過去の人間が築いた学問の“帰結を”学ぶことだけでは意味はなく、
(その帰結を如何にして得るか=)
自己が過去の育成の過程で親や社会から埋め込まれれしまった恐怖や嫌悪、
を回避するために無意識に前提としている論理構成(自分自身に対する説明)を、
一回全て疑って、動かぬ事実から出発する厳正なる数学的推論によって一々確かめて行く。
そして誤った自己の認識を正しい認識につなぎ変えて行く。
それによって(恐怖を基にした)歪んだ呪縛
=呪術祈祷の状態から(数学的な説明=西欧近代合理主義へと)脱して行く。
それがリベラル・アーツ&サイエンスを推進する意義である
(数学は《死の恐怖》と戦う手段であり《死の恐怖》を克服する方法論となっている)。

286 :
ttp://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1396898238/264-270
福沢諭吉「文明論之概略」
宗教は人心の内部に働くものにて、最も自由、最も独立して、豪も他の制御を受けず、
豪も他の力に依頼せずして、世に存すべきはずなるに、我日本に於ては即ち然らず。
…日本の宗旨には、古今、その宗教はあれども自立の宗政なるものあるを聞かず。
その実証を得んと欲せば、今日にても国中有名の寺院…何れも皆政府の力に依らざるものなし。
…故に古来日本の大寺院と称するものは、…概してこれを御用の寺といわざるを得ず。
…その威力は封建の大名より盛なるものあり。然り而してその威力の源を尋れば、宗教の威力にあらず、
ただ政府の威力を借用したるものにして、結局俗権中の一部分たるに過ぎず。
…寺院に自立の宗政なきもまた怪むに足らず、その教に帰依する輩に信教の本心なきもまた驚くに足らず。
…古来日本にて、宗旨のみのために戦争に及びしことの極て稀なるを見ても、
また以て信教者の懦弱を窺い知るべし。…宗教なおかつ然り。いわんや儒道学問に於てをや。
…これより足利の末に至るまで、文学は全く僧侶の事と為り、
字を学ばんとする者は、必ず寺に依らざればその方便を得ず。
後世、習字の生徒を呼て寺子というもその因縁なり。
ある人の説に、日本に版本の出来たるは鎌倉の五山を始とすといえり。果して信ならん。

287 :
故に今、東西学風の…行われたる次第に就き、著しき両者の異別を掲げ…示す…
この学問なるもの、西洋諸国に於いては人民一般の間に起こり、我が日本にては政府の内に起こりたる一事なり。
西洋諸国の学問は学者の事業にて、…我国の学問はいわゆる治者の世界の学問にして、
あたかも政府の一部分たるに過ぎず。
…国内に学者の社中あるを聞かず、議論新聞等の出版あるを聞かず、技芸の教場を見ず、衆議の会席を見ず、
都て学問の事に就ては、豪も私の企てあることなし。
…その学流もまた治者の名義に背かずして、専ら人を治るの道を求め…官途に就かざれば用を為さざるが如し。
…故に偶々民間に才徳を有する者あれば、己が地位にいてこの才徳を用いる方便なきがため、
自らその地位を脱して、上流の仲間に入らざるを得ず。
故に昨今の平民、こんにちは将相と為りしこと、古今にその例少なからず。
これを一見すれば、彼の上下の隔壁もなきが如くなれども、この人物はただその身を脱して他に遁れたるのみ。
これを譬えば、土地の卑湿を避けて高燥の地に移りたるが如し。
一身のためには都合宜しかるべしといえども、元とその湿地に自ら土を盛りて高燥の地位を作りたるにあらず。
故に湿地は旧の湿地にて、目今己が居を占めたる高燥の地に対すれば、
その隔壁なお存在して、上下の別は少しも趣を変ずることなし。

288 :
ttps://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1501550015/214-216
阿部謹也『日本に西欧型「社会」は存在するか』大学とは、「自分とは何か」を考える場である

大学については、いま大学改革などということが言われ…いろいろ議論されていますが、
そのなかでいちばん議論されていないのは、「戦後の一般教育、一般教養とはなんであったか」という点です
一般教養というと…大学設置基準にある、人文・社会・自然が何コマずつとかいったことになる…
高等学校の延長のような知識が一般教養であると考えられている…そういうものがあっても悪くはない
…ただ私は、一般教養の核心はそういうところにはないだろうと思う
大学には、だいたいみんな十八歳で入ります…
そこでまず、自分がどういう人間なのかを知る。これが一般教養の核心なんです。
そのために、自分と過去の関係を考える。両親、兄弟といった家族。高校、中学、小学校の先生。
そして自分を育んでくれた地域。さらに、その外側にあってその地域を規制している国家あるいは社会。
そういうものと自分との関係を知ることだろうと思うんです…
そして、そういうものを中心に抱いている自然、あるいは地球、もう少し広げて宇宙といったものを知ること。
これが一般教養の意味なんです

289 :
核心になるのはやはり、「自分とは何か」という問題をきちっと考える場所だと思います…
そういうことを、大学のどこかでやっている。
つまり、その先生のもとに行けば自己分析ができ、それが同時に家族との関係、仲間との関係、地域との関係、
国家・社会との関係、宇宙との関係、生物としての人間のあり方と結びついてきて、
そこに自己というものが認識されるきっかけがある。
そんな講義あるいはゼミナールが行われていることが望ましい。

それがなければ、自然・人文・社会などの講義というのはほとんど意味がないと、私は思います。
となると、なぜそれが、いまの大学ではできないのか、という問題になってくる…
まず、そういうことを講義する先生がいない。いないだけではありません。関心がないんです。

290 :
ttps://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/seiji/1559436033/924-927
何故日本の「学問」は文系と理系に分かれているか、その根本理由

西欧哲学(思想)の根幹は数学(幾何学=ユークリッド)であり、
数学によって思考(を統制)する合「理」性にある。日本は近代化(というよりも、
それを生み出した思想や価値観を抜いた“表面的な”工業化、産業化)を進めるため、
先進国から『完成品』を輸入して社会が成り立っている。
それでその輸入元が法律・経済(文系)と工学(理系)に分れている。
つまりクーデターによって武力支配した《閉領域》を、
(流石に帝王の恣意では無く、“一応の”近代的な規則によって)
(人々の、合「理」性による自己認識、
その一致による自治ではなく)《支配する》目的で(輸入された規範=)法律・経済が存在する。
また、その武力支配を維持する=支配者の自分とその他を“物理的に”差別化する、
最新の兵器や機械を製造するために工学が存在する。
つまり、全てが一部の支配者側の都合で組み立てられている。

291 :
ところが(大元の文明を創った)西欧社会の成り立ちは全然違う。日本社会とは全てが“逆”なのだ
(エジプトやローマ以前の西欧文明も当初は狼のような動物の群れ社会を基礎とする階層
(全ての人間関係の始まりである母子関係、それを模し、拡張した親分子分関係の)構造、
を絶対視した社会であっただろう。つまり日本と同様の大君を長とする部族社会であった。
だが部族社会は他からの攻撃、
或いは(跡目争いのような)内部要因から短期で滅亡し別の部族に取って変わられた。
何故なら自然界は常に生々流転消滅しているからだ。
自分の思い込みに囚われた大君に、率いられた群れは群れごと消滅した。
その長い歴史の教訓をくみ取った先進文明の或る天才的な人物が、
階層(=親子)構造の部族社会を脱し、一神教(=幾何学)で律せられる社会を考案した。
原始的な人類は恐らく今の自分に(時間的空間的に)近い身近な“部分から”説明しようとする。
だが(目先に囚われず)先ず全体を表現し、それから部分を説明する。
こうした言語表現の“逆転が”起こった。

292 :
(そういえば)西欧の言語は日本と違って主語・動詞の構造を持っている。
細かい説明はその後から補足される。
西欧は(厳然たる細部の事実を観測しつつも)先ず全体の整合性=バランス=調和=矛盾の排除を考え、
それから(論理的な整合を保って)細部を埋めようとする。
(観測された)細部の“事実と”(仮想した)全体像が矛盾したら全体像(=仮説)を再構成する。
これによって矛盾の無い調和的な全体と、それを構成する精密な細部が両立する
(中世、ヨーロッパ北方の人物画は当時の織物の生地の目が分かるぐらいに精密だった。
だが、手足や首の長さ、全体のバランスが悪かった。一方、イタリアなどの南方の人物画は、
人体全体のバランスは調和していたものの、細部が曖昧だった。
後に両者の画法は合体し、
細部が精密でありながら全体のバランスも調和した人物画が描かれるようになって行く)。
だが日本のような原始部落は細部を説明しながら延々かかって(矛盾に満ちた)全体を語ろうとする。
最初に全体のバランスを考えない。場当たり的に増築された旅館のように。
最初から水道と下水道を、公衆浴場と広場を備え、車道と歩道を分けて設計された
(ということは、それ以前の、気が遠くなるような錯誤と教訓の積み重ね、
が在ったからこそ成し得た)ポンペイの都市とは正反対に。

293 :
こうした“逆転現象は”長い歴史の教訓をくみ取った先進文明の或る偉人が考案した、と推論する。
それを何回目かで――最初の単純なアイデアの組み合わせから成るそれを――
洗練させた者が恐らくはモーセでありプラトンだろう。

294 :
紀元前に、人間社会の倫理道徳の基礎を“数学を使って”見出そうとするような、
この《超SF的》な考え方を一朝一夕に発案できるはずもない)。
先ず真っ先に、(専制君主にとって“ではなく”)社会“全体から”見て『何が正しいのか』を、
(皆が参加して進める)事実を基礎とした数学的推論=議論によって探索し確定して行く。
そのために哲学(=数学)が存在する。
その哲学とは倫理であり、この倫理を貫徹するために「法」が作られ、
また(この世の真偽を見極める)哲学を実践するSCIENCEからテクノロジー(科学技術)が生れて来た。
つまり「法」も「科学技術」も一切が哲学(=合「理」性)につながっている。
この合「理」性によって原人以来の呪術祈祷(=理屈を解さない原人が、
或る《死の恐怖》と遭遇しその体験=現象を『二度と体験したくない』と、現象を解釈=意味づけする、
誤った自己認識)の世界を変えて(現象とその解釈を正しくつなぎ変えて)行く。
つまり西欧近代合理主義=啓蒙思想とは、社会的に推進される《〇〇〇〇〇〇〇〇》になっている。

295 :
このように、哲学は一神教(の世界観=プラトン哲学=3学4課=リベラル・アーツ&サイエンス
=啓蒙思想・立憲主義)や数学(=合「理」的推論)と直結している。
その世界観=価値観を基にして社会が組み立てられており、憲法自体がその歴史観の反映になっている。
超越的原理=哲学(=合「理」性=「理」に適った思考統制)こそが、
強大な権力を握った或る個人――それは嬰児に対する親であったり、
無力な民に対する覇王であったりする、
それ――の動物性(=自己の肉体を誰よりも優先し、より良い状態で維持したいと願う)、
その一方的な攻撃からその他が(もまた)持つ
(自己の肉体を良い状態で維持したいと願う)その最低限の動物性=尊厳を守っている。

296 :
ところが日本の文系には(それを生み出すに至った精神的なプロセス、歴史プロセス、
及びそこから生まれる)哲学的な理念が無い。それを支える数学的な精神性が無い。
全ては(圧倒的な外国と結託した、利用する)(クーデターを企てる)支配者の道具でしかない。
(精神性を欠いたところで行なう技巧=)方便でしかない。道具としての(形式的な)手順でしかない。
日本の学問は『全体にとって何が正しいのか』を追求するものではなく、
己の勝手な権力を自在に振り回すための
(土着を圧する外から入れた)単なる“自己正当化の”《道具》
(柔道・剣道、囲碁・将棋に等しい“自己防衛の”ツール)に過ぎない。
だから(其々が『俺様』を主張する)部分部分が(矛盾無き全体=)一つにまとまることが出来ないのだ。

297 :
>核心になるのはやはり、「自分とは何か」という問題をきちっと考える場所だと思います…
>そういうことを、大学のどこかでやっている。
>つまり、その先生のもとに行けば自己分析ができ、それが同時に家族との関係、仲間との関係、地域との関係、
>国家・社会との関係、宇宙との関係、生物としての人間のあり方と結びついてきて、
>そこに自己というものが認識されるきっかけがある。
>そんな講義あるいはゼミナールが行われていることが望ましい。
>それがなければ、自然・人文・社会などの講義というのはほとんど意味がないと、私は思います。
>となると、なぜそれが、いまの大学ではできないのか、という問題になってくる…
>まず、そういうことを講義する先生がいない。いないだけではありません。関心がないんです。

298 :
明治の日本は(水戸光圀、徳川斉昭の「水戸藩」に典型の
――主流派と反主流派が互いに主導権を巡ってテロを仕掛け合うような――
元々存在した恐怖社会の中に、外から圧倒的に優勢な文明を持つペリーが来航した、
という“より大きな”)《恐怖》を近代合理主義によって解消する方向には行かず、
むしろもっと大きな武力を取得して《恐怖》を抑え込む(=否認する)方に走った。
つまり、より壮大な呪術祈祷(妄想)の世界に走った。
それが大日本帝国や八紘一宇を連呼して自滅した、《日本思想》の大元だろう。

299 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1453477774/380-383
380 :考える名無しさん:2016/03/23(水) 23:57:48.46 0
〇〇〇〇の如き人間が目指す《テクノロジー・カルト》国家の自己破滅

300 :
日本の「教育」は果たして教育なのか、支配なのか
日本人は幼児期に負った自分でも説明出来ない訳の分からぬ恐怖(=心的外傷)を封じるために、
進んだ外国から取り入れた学芸を学び、
それを社会的な地位=腕力に変換するため『立身出世』しようとする。
そしてそれで得た《高み》から好き勝手なことを言い、好き勝手なことをする。
それを詭弁で正当化しようとする。
それが恐らくは《立場を守る》という意味で、安冨某氏が言う『東大話法』につながっている。
また、この個人の『立身出世』を国として行うのが『富国強兵』になっている。
だとしたら『Contingent Plan』なんか出てくるはずもない。
自分が権力を握る、握り続けるに都合の良い“状態=アニミズムを”、
前提にした都合の良い結論しか考えないに決まっている。

301 :
2016年11月19日
真山仁 ?@jinmayama
昨日、電力史に詳しい大学教授と対談をした。
その中で、「日本は、プランBがない国家」という話が双方からほぼ同時に出た。
反対者には対案がなく、推進者は問題があっても強引に突き進む。その原因はここにあった。
池田信夫 ?@ikedanob ・ 2時間2時間前
池田信夫さんが真山仁をリツイートしました
これはその通りだけど、推進派のコアは役所でも電力会社でもなく、東大の原子力工学科の「先生」。
彼らは理論的に核燃料サイクルが100%正しいと決めたので、
それが失敗したときのオプションを考えなかった。

プランBがない最大の理由は、“絶対(=安全)神話”を守るため。
つまり、まさかを考えることが神話の崩壊に繋がるから、プランBはあってはならない。
プランBがないのは、推進者(権力者、企業家)だけではない。
権力を監視したり、推進者を批判する者たちも同様だ。
対案なき批判ばかりが続き、対案がないから、推進者にとっては何も怖くない。
所詮は、野党的発言で、現状を覆す力がないのだから。
プランBがない国家ニッポンから脱却せねば。

302 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1396898238/185-189
デカルト「方法序説」
それから私は一つの方法をつくりあげたのである。
その方法というのは、私の認識をだんだんに増し、少しずつ高めて、
ついには、私の凡庸な精神を私の短い生涯とをもって私の認識が達しうる最高点までいたりうる、
と思われるような方法である
よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、
これが本来、良識又は理性と名づけられたものである
第一は、私が明証的に真であると認めたうえでなくては、いかなるものも真として受け入れない。
注意深く即断と偏見を避けること…そして私がそれらを疑ういかなる理由も持たないほど
明晰判明に私の精神に現れるもの以外の何ものも私の判断に取り入れない

303 :
最も単純で認識しやすいものから始めて、少しずつ、
いわば階段を踏んで最も複雑なものの認識まで登ってゆき、
かつ自然のままでは順序が持たぬものの間にさえも順序を想定して進むこと
最後に、何ものをも見おとすことがなかったと確信しうるほどに
完全な枚挙と全体にわたる通覧とをあらゆる場合に行うこと
幾何学者達が彼らの困難な証明に至達するために用いるのを常とする
全く単純な容易なもろもろの推理のあの長い連鎖は私に以下を示した。
すなわち、人間の認識の範囲に入りうる全ての物事は同様な仕方で互いにつながっているのであって、
それらの物事のうち真ならぬいかなるものの真として受け入れることなく、
かつそれらの或るものを他のものから演繹するに必要な順序を常に守りさえすれば、
いかに遠くへだたったものでも結局は達しうるのであり、
いかにかくされたものでも結局発見できる。

304 :
ttp://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1396898238/147-149
矢内原伊作「デカルトと現代」 昭和33年10月 世界文學体系 月報8 筑摩書房
いま私の机の上には二つのデカルト読本がのっている。
二つともデカルトのテキストを抜粋して中学校の教科書向きに編集した小さな本だが、
一つはヴァレリイが編んだものであり、もう一つ方の編者はサルトルである。
ヴァレリイとサルトルという現代の最もすぐれた文学者、
しかも正反対といってもいいほど異質的な二人の思想家が、揃ってデカルト読本を編んでいる
フランスでは何世紀にもわたって、『方法叙説』を読むことは一般教養の必須の条件とされてきた。
なぜデカルトはかくも大きな影響を与え、その思想の光芒を現代にまで強く投げかけているのであろうか。
その理由は極めて多いであろうが、少なくともその最も根本的な理由の一つは、
考えるという人間能力をデカルトが最も徹底的に深く究めたところに求められよう。
その形而上学や自然学の体系はこの思考の結果に過ぎない。
結果である体系は知識の進歩によって時代遅れになるかもしれないが、
この体系の源となった思考そのものは、その徹底的な深さの故に時代を超えて生き続けている
人間を高邁な自由意志の主体として把握していたデカルト哲学の重要性は、
人間の危機が意識されればされるほどいっそう大きなものとして輝くであろう
或いはまたこういう風に言ってもよい。
わが国でデカルトがひろく読まれる時は民主主義が日本に根をおろす時であろう、と。

305 :
>正に啓蒙思想=リベラルアーツとは、
>精神心理学でいうところの〇〇〇〇=〇〇〇〇〇〇〇〇であって、
>未知(意味不明)の恐怖を動かぬ事実と厳正なる数学的推論とによって理解可能な説明に置き換え、
>以って《死の恐怖》を克服し、神経症=呪術祈祷の世界から脱する、
>という西欧近代合理主義を打ち立てた精神性を土台とする。
>つまり、啓蒙思想=リベラルアーツ自体が社会全体に対する《心理的な治療》と見なせる
>自己が過去の育成の過程で親や社会から埋め込まれれしまった恐怖や嫌悪、
>を回避するために無意識に前提としている論理構成(自分自身に対する説明)を、
>一回全て疑って、動かぬ事実から出発する厳正なる数学的推論によって一々確かめて行く。
>そして誤った自己の認識を正しい認識につなぎ変えて行く。
>それによって(恐怖を基にした)歪んだ呪縛
>=呪術祈祷の状態から(数学的な説明=西欧近代合理主義へと)脱して行く。
>それがリベラル・アーツ&サイエンスを推進する意義である
このように、デカルト「方法序説」は
《精神医学・心理学でいうところの〇〇〇〇=〇〇〇〇〇〇〇〇》(の実践)の説明になっている。

306 :
>その方法というのは、私の認識をだんだんに増し、少しずつ高めて、
>ついには、私の凡庸な精神を私の短い生涯とをもって私の認識が達しうる最高点までいたりうる、
>と思われるような方法である
>よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、
>これが本来、良識又は理性と名づけられたものである
>第一は、私が明証的に真であると認めたうえでなくては、いかなるものも真として受け入れない。
>注意深く即断と偏見を避けること…そして私がそれらを疑ういかなる理由も持たないほど
>明晰判明に私の精神に現れるもの以外の何ものも私の判断に取り入れない

>人間を高邁な自由意志の主体として把握していたデカルト哲学の重要性は、
>人間の危機が意識されればされるほどいっそう大きなものとして輝くであろう
>或いはまたこういう風に言ってもよい。
>わが国でデカルトがひろく読まれる時は民主主義が日本に根をおろす時であろう、と

307 :
.
>或いはまたこういう風に言ってもよい。
>わが国でデカルトがひろく読まれる時は民主主義が日本に根をおろす時であろう、と

308 :
ttps://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1453477774/725-731
ttps://shinsho.kobunsha.com/n/nf7b63d934f28
「いじめの構造そのものを、ぶっ壊す可能性を提示しなければならない」
―――岩田健太郎 教授に聞く 光文社新書 2020/04/14 10:35
>それで、やっぱり、自分で書くしかないなと思ったんです
日本精神科医や心理学者は何故日本で自殺が多いのか、その原因を追究しなかった。
全て患者個人の責任として解釈し、薬を出して終わりにしてきたのだ。
社会に「ごみ」が何故在るか。それは「ごみ」を出す側がいるからだ。
だから「ごみ」そのものを非難するよりも、「ごみ」を出している側の姿勢“を見る”べきが、
「ごみ」を出す側が権力を握っていてその正体を世間に知られたくないために、
自分が出した「ごみ」に向かって『あいつは「ごみ」だ!』と世間を煽り、叩いている。
叩くことによって「ごみ」が自分の立場を弁護してもその主張の信頼を貶めるように謀っている。
その(人間の劣情に対する)煽りに世間が同調して嘲笑う。
それで真の責任が隠される(権力が守られる)。という構造は日本の全ての言論に見られる。

309 :
例えば自分は英米から技術支援や資源供給を受けて守旧の徳川を倒し、
下級武士から立身出世して、しかも支配下に置いた自国の富国強兵を実現しながら、
しかし支配下の“国内に”向かっては
『英米は中国で、東南アジアであんな酷いことをしている!』と自分の支援者を詰る。
“自分は”といえば、英米の支援を受けて自分ら以外の日本人をなぎ倒し、
(最新の学芸や技術を得)それで自他を差別化して搾取する側に立っている。
その上で(自己のエゴイズムが生み出す)困窮を自分ら以外の日本人に押しつけている。
自分ら(自身が発想発案し、『こうしたら上手く行く』と計画したそ)の指導力
によって富国強兵を実現したのではなく、
(自国領土や国民の労働力を英米“に売る”こと=不平等条約の締結でその“見返りに”)
英米の支援で自分らの政権を支え、富国強兵を実現している。
という(外国の《開弁》となって利益を得、
自国民を差別している者らの)“真実を”支配下の国民に見破られないために、
自分の支援者外国を非難する。こうした《すり替え》
(=自分の被害者を悪人に仕立てることで、本来の加害者が美化されて、その罪を免れる)
は日本の言論の至る所に埋め込まれている。

310 :
すいません、酒飲んでます

311 :
ttps://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1453477774/725-731
「いじめの構造そのものを、ぶっ壊す可能性を提示しなければならない」
―――岩田健太郎 教授に聞く 光文社新書 2020/04/14 10:35
>コミュニケーションというスキルがなくて、
>単に、みんなに合わせることで、コミュニケーションをとったつもりになっている。
>議論によって前に進むんじゃなくて、
>声のでかい人の一喝とか、みんなの雰囲気とかで、ものが決まっていくんです。
>だから、非理性的で、理不尽なものごとの決まり方になるんです。

312 :
ttps://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1453477774/732-736
〇〇〇〇「〇〇〇〇〇〇・〇〇〇〇〇〇〇」199〇年
>ある目的を達成するための手段として
>考えられるいくつかの選択肢の中から最も良いものを評価し、選択するという考え方は
>国民性として…馴染まない…そういう訓練を積んできてはいない。
>いつでも誰か声が大きいか、勢いがあるか、…単純なことで重要事項が刹那的に決定され…
>代替案という発想が少ない

313 :
二十年以上前に同じことを言っている日本人が居た。
それで20年以上後に同じことを嘆いている日本人が居る。
恐らく199〇年どころか、敗戦後にも同じことを言っていた日本人は居ただろう、多分。
ということは、もう、ダメ(ポ)じゃないでしょうか?

314 :
ttp://peace.2ch.sc/test/read.cgi/seiji/1433587600/259-261
淵田美津雄 奥宮正武「ミッドウェー」
私には、当時の戦争指導者たちには、
戦争は自分たちの力で解決できるという見通しをもっていなかったのではないかと思われる。
ただ当面の戦争資源を入手して、
戦力の持続を図ってさえいれば、世界情勢はおのずから開けてくると思っていたのであろう。
つまり他力本願である。はっきりいえば、ドイツの勝利をあてにしていたに違いない。
これが、緒戦で主作戦をまず南方資源地帯に向けた理由である。
そしてまた、開戦時の総合計画が南方作戦までで、
その後の計画が全然立てられていなかったことの理由でもある。
この南方作戦が、第一段作戦としてまことにうまくいったので、これで不敗の態勢が成ったと思った…

315 :
この立場に立てば、ミッドウェー海戦は、わが国民性の欠陥を、見事にあばきたてた戦いであった。
これまで述べてきた数々の敗因には、その根底にことごとくわが国民性の欠陥が潜んでいる。
合理性を欠くわが国民性は、やることなすことが行き当たりばったりで、相互の間に理屈が合わない。
セクショナリズムの国民性は、ものをみる視野が狭く、やることが独善的である。
因習から容易に抜け切れない国民性は、気がついても、
ただちに一八〇度転換の進歩的革新を行うことができない。
熱しやすく冷めやすい国民性は、すぐ思い上がって相手を見下げる。
かと思うと自主邁進の気迫に乏しい日和見的な国民性は、他力本願になりやすく、卑屈な事大主義ともなる。

316 :
太平洋戦争の経過から知りうることの一つは、
多くのわが国の指導者たちが、わが国力を過信していたことであった。
いいかえれば、わが国力を総合的に把握し、国民を適切に指導しうる人物を欠いていたことであった。
その結果、多くの国民は、彼らの願いや努力にもかかわらず、悲劇への途を歩まざるをえなかった。
このことは、開戦以来三十有余年を経た今日でも、ほとんど改められてはいないようである。
すなわちわが国の社会の構造も、その運営も、
政府の縦割り行政が示すように、いまもなお、偏狭なセクショナリズムが横行している。
従って、個々の分野にいかに優秀の人材がいようとも、多くの国民がいかに勤勉であろうとも、
彼らの善意や努力が正しく報いられず、わが国が再び敗戦に勝るとも劣らない結果を迎える危険性が少なくない。
わが国民が血で贖った戦訓を生かすことによって、軍事的に犯したと同様の失敗を、
文民が実権を握る現在ならびに今後のわが国が繰り返さないよう祈らずにはいられない。

317 :
>このことは、開戦以来三十有余年を経た今日でも、ほとんど改められてはいないようである。
>すなわちわが国の社会の構造も、その運営も、
>政府の縦割り行政が示すように、いまもなお、偏狭なセクショナリズムが横行している。
>従って、個々の分野にいかに優秀の人材がいようとも、多くの国民がいかに勤勉であろうとも、
>彼らの善意や努力が正しく報いられず、わが国が再び敗戦に勝るとも劣らない結果を迎える危険性が少なくない。
>わが国民が血で贖った戦訓を生かすことによって、軍事的に犯したと同様の失敗を、
>文民が実権を握る現在ならびに今後のわが国が繰り返さないよう祈らずにはいられない。

318 :
.
教訓を教訓にしない、というのが『日本人の教訓』なので同じことを少し違った形で繰り返す。

319 :
>わが国民が血で贖った戦訓を生かすことによって、軍事的に犯したと同様の失敗を、
>文民が実権を握る現在ならびに今後のわが国が繰り返さないよう祈らずにはいられない。
福島第一原発は2011年3月11日にメルトダウン致しました。

320 :2020/05/13
ネトウヨになるプロセスはある程度は定番とよべる形はあるだろうけど、
基本的には10〜20代のうちに染まるのは悪いことではないと思うし、むしろ有望よ。
マルクスにかぶれるのも良いこと。
だけど50歳も越えてから「ネットで真実を知った」という状態の人間は手遅れなのよ。
弁護士に対して意味不明な懲戒請求をしてたのは殆ど高齢者だっただろ?
あれはそういう「歳を取ってから賢くなりたいと目覚めた馬鹿」なんだよ。
底辺の馬鹿でも高齢者になると何故かある日突然賢くなりたがるのよ。
知的コンプレックスから「勉強」しようにも数学や英文を読むという事は基礎教養が無いから無理なんだけど、
歴史問題などについてはマスコミや雑誌の受け売りでも賢くなった気になるには持って来いなのよ。
年老いてやることも無くなると大抵はここに行き着く。
ただし同じ馬鹿でも経済的に裕福だと左翼に向かうこともある。沖縄に座り込みに行ったりね。

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