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■■■■■■ 哲学板 コテ番付 ■■■■■■
『環境』グレタ・トゥーンベリ『正義』4
次世代の哲学を育むスレ Part 8
【無名校からの】千葉雅也31【私の東大合格作戦】
宮崎哲弥
■■■■■■■■■■■ブン■■■■■■■■■■■
ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
■■■■■■■■■■■ マラ荒江 ■■■■■■■■■
   お ま ん こ を哲学する。B
 波平みたいなB層によって日本は崩壊

Martin Heidegger 1889-1976


1 :2014/04/08 〜 最終レス :2019/03/07
1889年9月 標高600mの小さくてきれいな町ドイツのメスキルヒで生まれた 。
1911年 フライブルク大学で神学から哲学に専攻を変更。
1919年 フライブルク大学でフッサールの助手となり教壇に立つ。
1920年 フッサール邸にてカール・ヤスパースと出会う。以後ナチ加担による中断を
はさみながら戦前は互いに往来し戦後は往来はないものの1963年まで文通は続いた。 
1924年 学生ハンナ・アーレントと既婚のハイデガーの愛人関係が始まる 。
1927年 『存在と時間(有と時)』前半部が「現象学年報」第8巻に掲載。同時に別刷刊行。
なお「前半部」の前置きは1953年第7版以後は削除された。
1933年 フライブルク大学総長となる。
1933年 ナチに入党 。
1934年 ハイデガーの進めたナチ化改革により学内が混乱し総長を辞任。
1938年 『哲学への寄与』(刊行は没後)
1946年 ハイデッガー裁判の結果、大学の職務と講義の停止命令が下された。『「ヒューマニズム」に関する書簡』
1951年 名誉教授として大学に復帰。
1959年 『放下』
1961年 『ニーチェ』上下2巻
1962年 『技術と転回』
1975年 ドイツでハイデガー全集刊行開始。第1回配本は第24巻『現象学の根本諸問題』
1976年5月 フライブルクにて逝去 。

2 :
例の反ユダヤ発言を集めた本が出たんだっけか

3 :
検索できないスレタイで立てるなよ馬鹿が

4 :
丸珍這出蛾

5 :
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
存在と時間 邦訳
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
熊野純彦 訳 岩波 2013
高田珠樹 作品社2013

6 :
Martin Heidegger Critiques Karl Marx - 1969
http://jp.youtube.com/watch?v=jQsQOqa0UVc
ハイデッガー
(略)社会の変革などということがいったいどこまでいえるのかということも問題です。
世界変革の要求を問題にするとすれば、結局、しばしば引用されるカール・マルクスの
『フォイエルバッハに関するテーゼ』にある例の命題にまでさかのぼらねばなりません。
その命題を正確に引用して読み上げてみましょう。「哲学者たちは世界をいろいろと解
釈したにすぎなかった。大事なことは世界を変革することだ。」
この
命題を引用し、そしてまた特にこの命題に従って行動する場合、人は、世界の変革とい
うものを前提としており、世界表象というものを十分に解釈することによってのみ得ら
れる、とうことを見のがしています。
つま
りマルクスはまったく明確な一つの世界解釈を地盤として、そのうえで世界の変革を要
求しているのです。だからこの命題は決して基礎づけがしっかりなされたものだとはい
えません。この命題は決然として哲学に反対しているかのように見えますが、じつはこ
の命題の後半には言わず語らずはっきり一つの哲学を要求する態度が前提とされているのです。
『ハイデッガーは語る』(1973年、理想社、pp78-79)

7 :
ハイデッガー「ヘーベル 家の友」より
http://jp.youtube.com/watch?v=9_vYz4nQUcs
Heidegger Speaks. Part 1. English subtitled.
(冒頭の2分)
情報の一つの道具としての言語についてのイメージは、今日極端なものにまで推し進め
られています。(略)
言語に対する人間の関係は変化しつつあり、その変化の射程を我々はまだ見極めてはい
ません。この変化の進行も、それを直接押しとどめることはできません。しかもその進
行は、きわめて静かに行われています。
なるほど我々は認めざるを得ないのですが、日常に於ける言語は了解の一手段のように
思われており、このような手段として、生活の通常の諸関係に対して利用されています。
しかしながら、通常の諸関係が他にあるのです。ゲーテはこの別の諸関係を「より深い
(諸関係)」と呼んで、言語について次のように言っています。
「普通
の生活では、我々は言語に関してぎりぎりの暮らしをしている、何故ならば、我々は表面
的な諸関係しか言い表さないからである。より深い諸関係が話題になるや否や、直ちに別
の言語、ポエーティッシュ(詩的)な言語が現れる。」(作品集第二部、第11巻、
ワイマール1893年、167頁。)
「ヘーベルーー家の友(1957年)」(邦訳『ハイデッガー全集13、思惟の経験から』p186より)

8 :
ハイデッガーは語る1969年
heidegger on future of philosophy (english subtitles)
http://jp.youtube.com/watch?v=MZkYMwmMS4k
思惟の運命がどういうふうなさまになるかは誰にもわかりません。
私は1964年にパリで「哲学の終わりと思惟の使命」という講演をしました。もっと
もこれは私がでかけて行って自分でしゃべったのでなく、フランス語に翻訳してもらっ
て皆さんの前で読んでもらったのですが。この題からもおわかりのように、私は、哲学
すなわち形而上学と、私が解しているような意味での思惟との間に一つの区別を設けて
いるのです。
この講演の中で私が哲学と区別し対照して置いている思惟------この区別、対照は特に
ギリシア的アレテイア(真理)の本質を明らかにしようという試みがなされることによ
って生じるのですが------この思惟は、事柄から言えば、形而上学との関係においては
哲学よりずっとずっと単純です。しかし単純だからこそ実行においてはずっとずっとむ
ずかしいのです。
そしてそのためには、言葉というものを今までとは違った意味で慎重に扱わねばなりま
せん。ただしこのことは、私自身もかつては考えていたことのある新しい述語の発明と
いうことではないのです。そうではなくて、われわれ自身の国語でありながら、だんだ
ん枯れてゆくような状態にありつづけている言葉の根源的な内実へと帰ることなのです。
誰か将来の思惟する人が、たぶん、私が準備を試みているこの思惟を真に受け継ぐとい
う使命の前に立たされるでしょう。その人に対しては、かつてハインリッヒ・クライス
トが書いた一句が述べているのとぴったり同じことがあてはまるでしょう。その句とい
うのは次のようなものです。「私は、まだここにいるのではないひとりの前で後ずさり
し、その人の精神のまえにひざまずく。」
『ハイデッガーは語る』(1973年、理想社、pp89-90)

9 :
始源の思索: ハイデッガーと形而上学の問題 (プリミエ・コレクション) 田鍋 良臣 (2014/4/8)
哲学とナショナリズム―ハイデガー結審 中田 光雄 (2014/4)
ハイデガーとトマス・アクィナス ヨハネス ロッツ、 村上 喜良 (2014/1/31)
始めから考える―ハイデッガーとニーチェ (九州大学人文学叢書 6) 菊地 惠善 (2014/1)
ヤスパースとハイデガー―形而上学のゆくえ (西洋思想叢書) 堤 正史 (2014/4/8)
研究書が次々にでる。層が厚い。アマチュアでも詳しい人多いし。
日本人はハイデガー好き過ぎる。

10 :
【例】
 波平がパクリスレ『ハイデガーについて語ろう』等を立てたとする
             ↓
  波平、ガダマーが分からない
             ↓
 瞬時に新スレ『ガダマーについて語ろう』等というスレを匿名で立てる
             ↓
 で、また「現存在」「存在者」とかがわからない波平
             ↓
 瞬時に『現存在と存在者の違いについて』等と勝手に立てる
             ↓
 また、「存在了解」が分からない波平
             ↓
 瞬時に『存在了解とは何か?』を立てる
             ↓
           無限に続く

11 :
下の例だと@〜Cで計四つの波平によるパクリ用スレが立てられるが、
最後に残るのはCだけで他の三スレは下に沈んで二度と使われないw
これが哲学板の下位400件のスレの主な内実w

【例】
 @波平がパクリスレ『ハイデガーについて語ろう』等を立てたとする
             ↓
  波平、ガダマーが分からない
             ↓
 A瞬時に新スレ『ガダマーについて語ろう』等というスレを匿名で立てる
             ↓
 で、また「現存在」「存在者」とかがわからない波平
             ↓
 B瞬時に『現存在と存在者の違いについて』等と勝手に立てる
             ↓
 また、「存在了解」が分からない波平
             ↓
 C瞬時に『存在了解とは何か?』を立てる
             ↓
           無限に続く

12 :
こういう勢いで立てるので同じ哲学者のスレでも
波平が疑問に思った数だけパクリ用のスレッドが立てられるので
同じテーマの重複スレ数が鼠算式に増えていく
【例】
 波平がパクリスレ『ハイデガーについて語ろう』等を立てたとする
             ↓
 名無しで「解釈学って何?」と質問し「ガダマーだよ」と答えられる
             ↓
 波平、ガダマー自体が分からないので更にパクリスレを立てる
             ↓
 瞬時に新スレ『ガダマーについて語ろう』等というスレを匿名で立てる
             ↓
 で、また「現存在」「存在者」とかがわからない波平
             ↓
 瞬時に『現存在と存在者の違いについて』等と勝手に立てる

13 :
波平の言ってる事なんざ、大体他の人が書いたブログとかの丸写しだからな↓
> まず1つ目は、ラカニアンによって理論の解釈が違うこと。
> それだけ成熟した理論だと言う証拠なのかも知れないが、素人にとっては大問題。
> とりあえずは自分の一番納得できるものを選ぶのがいいと思う。
http://overkast.jp/2011/06/%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%89%8B%E9%A0%86-1/
                ↓ パクリ
> 931 :霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/30(水) 20:06:58.73 O
> 最初にもどればなぜラカンは分かりにくいのか
> ようするに通常の哲学のように理解できる体系になってないから。
> ではどうすればよいか。
> とにかく自分が気に入る解説本をさがすこと。
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1336134926/931

14 :
@波平が何か疑問を持つ
 > 525 :リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/26(土) 19:06:45.93 0
 > 橋下のなにが間違っているのか?
           ↓
A他人に答えさせる為に質問スレを乱立する
 橋下のなにが間違っているのか?
 http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1338031269/
           ↓
Bパクった結果を自分のブログにアップする

15 :
> 528 :リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/26(土) 19:10:30.49 0
> ネットウヨという思考停止に勝つ方法
          ↓他人に考えさせてパクる為にスレ立て
 ネットウヨという思考停止に勝つ方法
 http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1338031313/
> 525 :リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/26(土) 19:06:45.93 0
> 橋下のなにが間違っているのか?
          ↓他人に考えさせてパクる為にスレ立て
 橋下のなにが間違っているのか?
 http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1338031269/

16 :
波平が立てたパクリ用ステマスレは一時的に立てられるが、
何か不都合があるとすぐにそのスレを捨てて新スレを立て、
その後、波平が立て捨てたスレは二度と使われないこれが哲学板の
下位400件を占めている「波平の使い捨てパクリ用スレの残骸」w
> 261 :し:2014/03/16(日) 18:54:51.13 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
【大文字の】ラカン【他者】
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1381829444/261
               ↓
> 8 :1:2014/03/17(月) 21:55:30.10 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
精神分析学と臨床 in哲学板
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1395056419/8

17 :
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                     § 35. Das Gerede
存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認    第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3          第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013          第三十五節 巷談

18 :
 結局クロスターマン全集第2巻で『有と時』をハイデッガー所有の「書き込み
本」の書き込みを入れちゃった。でかつて出してた渡辺二郎訳の中央公論社が
その書き込みを取り入れて改訳させた。細谷貞雄はもう他界しててそれはしない
けども桑木訳から刷新したい岩波ではやはり書き込み入りのものを出したかった
だろうからその意味もあると思う。つまり文体(「です・ます」調)の刷
新と書き込み入り。高田珠樹訳の出版意図のほうがむしろ分かりにくい。

19 :
http://www.goethe.de/ins/jp/tok/ver/ja12586788v.htm
『存在と時間』、その翻訳を巡って−『存在と時間』とは何か
講演とディスカッション
2014年11月24日(月・祝)16:00
東京ドイツ文化センター図書館
日本語
参加無料、要参加登録
03-3584-3203
yoshitsugu@tokyo.goethe.org
2013年、ハイデッガーの『存在と時間』の新たな邦訳が刊行されました。熊野純彦訳の岩波文庫版(全四巻)と、
高田珠樹訳の作品社版(全一巻)の二冊がそれです。寺島実仁訳の三笠書房版(全二巻、1939-1940年)、桑木務訳
の岩波文庫版(全三巻、1960-63年)、松尾啓吉訳の勁草書房版(全二巻、1960-66年)、細谷貞雄訳のちくま学芸
文庫版(前理想社版・全二巻、1963-64年/1994年)、辻村公一訳の創文社版(前河出書房新社版・全一巻、1967年
/1997年)、原佑・渡邊二郎(中央公論社、全三巻、1971年/2003年)とあわせると、全部で八つの邦訳が刊行
されたことになります。古典と呼ばれる哲学書や思想書には複数の邦訳が刊行されていますが、原著の刊行(1927
年)からまだ一世紀もたたない時点でこれほどの数の邦訳が刊行されているのは、稀なことで、世界でも日本
以外にはないでしょう。それはまた、『存在と時間』がわが国の哲学・思想界に与えた影響の深刻さを物語る
ものとも言えます。この二つの新たな翻訳が出版された機会に次のように問うてみるべきでしょう。

20 :
1. 日本にこれほどの影響を与えたこの著作の力はどこからくるのか。
2. 繰り返しこの本を翻訳する試みはどのような意味を持っているのか。
3. 新しい翻訳と古い翻訳の違いはどこにあるのか。
4. どのような理由で翻訳者は、この著作を翻訳するという課題を引き受けたのか。
5. 翻訳に際して、翻訳者はどのような点に注意をはらったのか。
6. 翻訳者は、他の翻訳に関してどのような考えを持っているか。
7. 『存在と時間』は哲学の将来にとってどのような意味を持っているのか。
等々。
このような問いを問い、議論するために東京ドイツ文化センターはハイデガー研究会の全面的協力をいただき、
『存在と時間』の翻訳を巡ってシンポジウムを開催することにいたしました。『存在と時間』の新たな翻訳の
翻訳者、高田珠樹(大阪大学)氏をお招きして、翻訳の観点から、また思想内容の観点から『存在と時間』につ
いてお話いただきます。これに続けて、コメンテーターとして池田喬氏(明治大学)と齋藤元紀氏(高千穂大学)に
ご参加いただき、議論を展開し、徹底した意見交換を行います。司会は陶久明日香氏(学習院大学)が担当いたし
ます。20世紀最重要の哲学書について自由に議論できる貴重な機会です。ふるってご参加ください。

21 :
プログラム
16:00 開会の挨拶
16:10 高田珠樹氏講演
17:00 休憩
17:10 セッション1 池田喬(明治大学)
17:50 セッション2 齋藤元紀(高千穂大学)
18:30 休憩
18:40 全体討議
19:30 終了
司会: 陶久明日香(学習院大学)
高田珠樹氏略歴
1954年、福井県生まれ。1976年、大阪外国語大学ドイツ語学科卒業。1981年、京都大学大学院文学研究科博士
課程哲学専攻単位取得。現在、大阪大学教授。
著書:
『ハイデッガー・存在の歴史』講談社
『現代思想の冒険者たち』第8巻(1996)
翻訳:
スローターダイク『シニカル理性批判』ミネルヴァ書房(1996)
『フロイト全集』第7巻、11巻、15巻、20巻
ハイデッガー『アリストテレスの現象学的解釈』(2008) 他

22 :
 ハイデッガー研究者はすべからく内実は現代市民社会の同調者であ
り、ましな人間でも結局言説は外部には出られない。ハイデッガーは
その手の人間にまとめ切れる代物ではない。『哲学への寄与論稿』を
特殊な語彙で書かれた意味不明の代物としか読めない時点でそれは
明白になっている。ハイデッガー自身が『有と時』は有 Seyn への
問いに向かう途中であり、そのための基礎存在論であると明言して
いる。『有と時』にいつまでも停止しても無意味である。かといって
最も過激な側面に触れる気もない以上、ハイデッガー研究なぞと
銘打っても現在の最暗部には触れない机上の議論に終始するしか
ない。もう見えている。

23 :
こういう批判者はまさに市民社会的

24 :
>>23
「こういう批判者はまさに市民社会的」という意味が良く分からないな。
。ハイデッガーは、常識から脱-離する瞬間について有 Seyn の呼び声に耳
をすまし根源で応答すること、と名づけている。それは絶望をもたらし
不幸である。これらを偏見なく理解するには市民社会的感性からそれこそ
離脱できなければならない。脱-市民社会的でなければならない。24レスに
よれば、しかし「こういう批判者はまさに市民社会的 」だとしたら?
 非Aを思考すること、非Aとして存在することを論じている思考したいし
、「こういう批判者はまさにAである」となればそれなりの根拠が提示され
なければならないはずだが。
 24レスは日本語がわかる人間なのか?(笑)

25 :
>>24
あんたが脱市民社会的な特権者には全然みえないということ
昔からオルテガ引用する奴は大衆と決まっているが、
そのたぐいにすぎない

26 :
>24レスは日本語がわかる人間なのか?(笑)
いちいちこういう捨て台詞を吐かないと気が済まない幼稚な人間だな

27 :
不条理を孕む原発には、がしかし存在への制約としての価値の世界、〈〜の為の…〉という物の連関、それに
よる存在の窮乏にたいする正当防衛という性質がある。原発事故は、死も含めて事物を破壊してしまうことで、
価値、有益性、道具性の檻、そこへあらゆるものを 回収する枠組み、そこへの従属自体壊す意味があった。真
理とは人間に於ける覆蔵される時=歴史の現成、というところを熟慮すれば、今がハイデガーの時代だというのが
どういう意味でなのかがよくわかる。必要性や価値の基準と選別にどこまで行っても絡め取られていくその枠組
みを逃れる衝動が、原発事故を呼ぶとすれば、的確な同時代の分析になる。それは存在の開けの到来のことだ。
それは好運と呼ぶべきことで、市民社会的な常識や道徳心によって塞ぐべきでない。原発廃止や東電憎悪を愚かにも唱える者は、
時代の真理に盲目である。

28 :
市民市民うるさいよ
ハイデガーはあんたの保守思想の器じゃないから

29 :
>>25
 私が「脱-市民社会的な特権者」なわけがない。そもそもハイデッガーは
個体としての人間と主体を同一視していない。脱-市民社会的なものがある
としたら有 Seyn の領野。それは個体とまったく同一、ではない。ハイデ
ッガーにおける脱-市民社会的領野を語ることは有 Seyn の領野を語る
ことで、むしろそれは理性の外部を語ること。語る人間自体はただの
市民だ。しかし語れることと語れないことが市民の質を変えるということ
だけだ。理性の外部をハイデッガーが語っていることが意識できない
研究者をよって私は弾劾しているにすぎない。それでは『哲学への寄与
論考』を語る意味はない。
 26の発言だけでハイデッガーを読んでも分からなかったこと、あるいは
読んでもいないことはよく分かった。
 

30 :
 しかも『有と時』は基礎存在論として『哲学への寄与論稿』の途中
としての意義であるとハイデッガーは断っている。いつまでも『有と
時』に拘泥する意味はもうない。学者の限界をさらしているだけのこ
とだ。

31 :
宇宙人の乗り物という意味でのUFOは
誰も存在しない事を証明していないんだから証明しているんだ!
っていってる人みたいだな、このおっさん

32 :
2chでしか発表する場がないんだろう
好きにさせてやれや

33 :
>>32
 そういうことはいいから貴方はハイデッガーを読んだのか?何を読んだの
か?その上で具体的に>>22などの説が誤っているのかを語るべきだろう。
2ch.というスペースを使ってなら言えることは他にもあるだろう。
 ちなみに名前は控えるがあるハイデッガー研究家にも尋ねたことがある。
研究家「『哲学への寄与論稿』は「終わりを描いていると思います。そこ
で色んな読み方がでてくる余地がある。今の日本にも文明の終わりの風景
が出てきているからです」
私「存在忘却の忘却が今だと思うんですけど、そこでハイデッガーの言う
とおりになってきた」
研究家「そういうふうに読めるということです」
要点でいえばそういう回答。しかしアカデミズムからの回答としてはずば
抜けて率直。この人は流石だなと思わないわけにはいかなかった。しか
しここまで言えるのならばもう『有と時』にいつまでも拘泥する時期では
ないと言ってくれてるようなものだ。この研究者は立派だし、でも自分
に言えるのはここまで、という感じもあった。若い20-30代の研究者は
しかし感覚的に上の研究家の話も分かるだろうから、これからのハイデッ
ガー研究の方向としてくみ取っていくべきだと思う。

34 :
それで何が出てくるんですかねえ・・・
そんな似非宗教にはまるぐらいなら
千年以上の歴史がある宗教に本気で身を投じた方がよっぽどマシ

35 :
>>34
>そんな似非宗教にはまるぐらいなら
『哲学への寄与論稿』が似非宗教という意味かな。私はそうは思わない
。あれを研究した評論はいくらか読んでるがどう読むべきか戸惑って
いる感はあるが「似非宗教」はない。また私に話した研究者もそういう
ニュアンスとはかけ離れている。いずれもあそこには重大なことがある、
そういう予感で接している。

36 :
マルちんマルちんハンバー( ・ㅂ・)ؤ ぐッ!

37 :
マルちんマルちんハンバー( ・ㅂ・)ؤ ぐッ!

38 :
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede
存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談

39 :
>>6
>マルクスはまったく明確な一つの世界解釈を地盤として、
>そのうえで世界の変革を要求しているのです。
>だからこの命題は決して基礎づけがしっかりなされたものだとは
>いえません。
これは間違えています。
基礎づけはしっかりしています。

40 :
ハイデガーの「世界」概念前提だから食い違う

41 :
http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(=Ereignis,性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。
 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.

 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。
参考:http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122
この認識はマルクスと同じだ。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。」
つまり観念論と唯物論は一致し得る 。最後の神は最後の鐘に対応する。属性が違うだけだ。
「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」
  スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)

42 :
>>40
>ハイデガーの「世界」概念前提だから食い違う
 まったくそのとおりで、ハイデッガーが「世界」という語彙を使う
場合、大きく分けて‘有るものの全体’という意味ともうひとつ、
‘現有がそこから時熟し将来する内在’という意味がある。
 われわれが通常使う語彙は前者だが後者は日常的にはない。なぜ
この意味を提起したかがハイデッガーの問題意識を表している。また
ハイデッガー思想が強迫観念的に吸収する善や正義や真理にたいし
解毒剤たりうる理由もそこにある。
 詳しくはハイデッガー全集第9巻『道標』p.193によく書かれている

《世界は全体性として、如何なる有るもので「有る」のでもなく、
現有がそれ自身を如何なる有るものへ関わり合せ得るか、そして
如何なる仕方でその有るものへ関わり合わせ得るかということに
関して、そこから現有がそれ自身に指示を与えるところのものである
。》
《現有は世界から現有自身-へ-将来するというこのことの内で、現有
は自己として、すなわち、それで有ることが彼に委ねられている
ところの有るものとして時熟する》

43 :
邦訳ハイデガー用語の「なんとなく深遠な感じ」に誤魔化されてるだけにしか見えないんで
もう少し普通の日本語で言い換えてみて下さい

44 :
ハイデガーの『存在と時間』第42節に以下のような神話が引用されており、
その他者への気遣いをめぐる考察が福祉関連の人びとに参照されている。

クーラ(気遣い)の神話
in Hyginus’ Fabulae ヒュギーヌスの寓話より
昔、クーラ(気遣い、関心)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。
クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。
すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。
クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを
成し遂げた。
クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを
禁じて、それには自分の名前があたえられるべきだ、と言った。
クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、
自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前こそそれにあたえられるべきだ、と求めた。
かれらはサトゥルヌス(クロノス、時間)を裁判官に選んだ。そしてサトゥルヌスはこう判決した。
ユピテルよ、お前は精神をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。
テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだを受け取りなさい。
さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このもの
を所有していなさい。
ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、
このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homoと呼ばれてしかるべきであろう。

45 :
 花から種が落ち、種は成長し発芽し茎を伸ばしまた花を咲かせる。その
過程は傍からはどれも同じに見えるが実は一個一個の花によって微妙に
また大幅にまた分からないところで違っている。花自体にも自分が他者と
どう違うかは見えない。また自分が何者かは完全には見えない。また時間
とともに花の自意識は変貌する。あるいは成長過程でどの土地にいたか、
何と遭遇したか、どういう大気のもとに呼吸していたかによってもその
自意識は変貌する。併しそれはもともと種であった時に土中で
経験し孕まれていた何かの現成あるいは変成である。それが<既有的に将
来する>の意味である。<時熟>の意味である。
 そこにはある自然哲学がある。ハイデッガーのいう世界の-内に-有ること
は人間が歴史的な有るものであることの規定だが、そこには上記のような
自然哲学がある。また世界概念の詰め方がある。
 
 そこから世界の概念が、マルクスではまだ詰められていなかった。という
読み方が出てくる。そのためにそこで観念が個々の人間にたいし強迫的に
作用する要素を相対化することは内部ではなされない。また、世界概念の
不徹底は存在忘却を延長させ、人間を資本主義とは異なる仕方だが世界建設
のために消費される使用価値とする能力主義、効率主義が革命後も生き延び
てしまう事態を生む。

46 :
ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
一国中心主義ではないのだ
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう
マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーから存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える
ハイデガーとマルクス、ベクトルは違えど両者に共通するのはその表象(代表制)批判である。
ちなみにナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党を意味する。

47 :
河村書店 ‏@consaba 5月21日
インタビュー・高田珠樹「比較的読みやすい訳になっているのではないかと秘かに自負しています。」(聞き手・米田綱路)M・ハイデガー『存在と時間』(作品社)|図書新聞|http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_3158_1-1.html
辻村先生は、かねがね自分の一度目の『有と時』の翻訳(河出書房新社、一九六七年)
について日本語としては不十分で不満だとおっしゃっていたので、二度目の訳は日本語
としてもっとこなれた、読みやすい訳になるものと思っていました。
 ところが、ふたを開けてみると、一度目よりもさらに難解で、予備知識のない人には
とてもじゃないが読めないものになっている。できるかぎり逐語訳に徹したと言うので
すが、率直なところ、通常の読者でこの翻訳を最後まで読み通せる人はまずいないと思います。

48 :
――訳語をめぐっては、研究者のあいだに強い呪縛があるわけですね。
高田 以前は、それなりに強かったですね。辻村先生のまわりでは、『
存在と時間』を『有と時』と訳すというのは鉄則というか当然の前提で
あって、「ザイン」を「有」ではなく「存在」と訳したりするのは、一
種の裏切りと映る。周囲だけでなく、本人もそう思う。ですから、か
つて『ナトルプ報告』(「アリストテレスの現象学的解釈」、雑誌『
思想』、一九九二年四月号、後に改訳して平凡社)を訳したり、『ハ
イデガー――存在の歴史』(講談社、一九九六年)を書いた時は、心
理的にこれがかなり負担でした。今回の翻訳ではさすがにそれはなか
ったですが、仮にもう少し翻訳が速く進捗して辻村先生の御存命中に
刊行することにでもなっていれば、正直、心苦しかったと思います。先生は四年前に亡くなられました。

49 :
先生が死ぬのを待って、翻訳を遅らせていたら、熊野に先を越されたでござる

50 :
>>47-49
ワロタ
京大出身の小野真も『死と言葉の施策』の論文提出時は「有」だったけど
出版するときは「存在」に変えたって書いてたな

51 :
 自分が最初に『Sein und Zeit』読んだのは1995年頃で、河出書房新社に
なる前の河出書房版世界の大思想『有と時』。古本だった。「存在」と
「存在者」の違いが分からなかった俺には「有」「有るもの」の訳はむしろ
ありがたかった。その後、創文社版も読んだが辻村本人の事情はさておき
この訳で不都合なところは皆無だった。ちなみに最初読んだときも学生では
ないし学派とは一切関係ない。
 
 木田元氏はこれの理解させる作業に苦心した1人だと思う。たしかに
木田さんのハイデガー本は面白いがあれでもまだ氷解しない語はけっこう
残ったと記憶している。典型的な1例をあげてみると、「存在了解」って
ある。辻村訳で「有の理解」。「世界内存在」と同じとか。何かがある。
を成立させる意味・関心の方向・情態の特徴・時熟。世界が現象することと
同じこと。存在了解と世界は同義とも言える。存在了解は「何かがある」
という現象と同じ。「何かがある」ことの驚きはハイデガーがよく問題に
していたがそれって存在了解であって彼の生涯の主題だった。そういうこ
ともすぐには分からなかった。木田さんの説明でも分からない。
 あと「存在」にしても「有」にしても、今の若い読者には分からないこと
ではそう変りばえしないと思う。俺みたいに「有」の方が分かりやすい、
という人もいる。これまでの翻訳史も知らない人が手にとって読むわけ
で、どっちかにこだわり持つこと自体、もう終わった問題に見えるんですね。
少なくとも大學の外にいる人間にとっては関係ない。大學進学率も下がって
いる今日この頃、これからはそのこだわり自体終わった問題になっていく。
そう思いますけどね。

52 :
学が旧字なのはなんかあるの?

53 :
大本薫 Kaoru Ohmoto ‏@sunamajiri 5月21日
岩波文庫熊野新訳と比較しているけど、確かに日本語として読みやすい。
@consaba 高田珠樹「比較的読みやすい訳になっているのではないかと秘かに自負しています。」(聞き手・米田綱路)M・ハイデガー『存在と時間』(作品社)|図書新聞|http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_3158_1-1.html

54 :
シェリング講義(木田元訳)買おうかどうか迷っとる

55 :
永井均 @hitoshinagai1 · 6月17日
純文学と大衆文学があるように、純哲学と大衆哲学がある。『精神現象
学』や『存在と時間』が後者の典型だから難解さには関係ない。文学の
場合と同様、大衆〜の方が人生に直接役立つ。最終的なところで人々の
一般的通念におもねっているからだ。
永井均 @hitoshinagai1 · 6月17日
「おもねっている」という言い方が否定的にすぎるなら、「基礎を置い
ている」と言い換えてもよい。だからこそ役立つ。そこに疑問を持ち、
楔を打つ込み始めると、普通の人の人生には無縁のものになっていくだ
ろう。が、どんなジャンルでもそうだが、哲学も本当に素晴らしいもの
になるのはそこから先だ。

56 :
永井均 @hitoshinagai1 · 6月20日
「純哲学」の典型は『純粋理性批判』だが、理由は批判が三分割されているこ
とにあるかもしれない。もし三批判が一つの本だったら少々エンターテイメン
ト化するだろう(『精神現象学』ほど通俗化するわけではないが)。批判哲学
も体系(=物語)として見るとかなり「大衆哲学」化する。

57 :
千葉=文筆活動で有名+ネットの発言でも影響大
かわいいガールのひと=ネットでわめくだけの無名
同じ年でどうしてこれ程の差がついたのか、傲慢、慢心の相違…

58 :
かつてクーラ〔気遣い〕は川を渡るや、粘土の土地を見つけた。
思いにふけりつつクーラはその一塊を取りあげ、形づくり始めた。
すでに作りあげてしまったものに思いをめぐらしている間に、ユピテルがやって来た。
ユピテルにクーラは、形をえたその一塊の粘土に精神を授けてくれ、と願い、ユピテルはよろこんでその願いをかなえてやった。
ところが、その像にクーラが自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、自分の名前こそそれに与えられるべきだ、と言いはった。
クーラとユピテルとが名前のことで争っている間に、大地(テルス)もまた立ちあがって、
自分の身体の一部をその像に提供したからには、自分の名前がそれにつけられるべきだと望んだ。
彼らはサトゥルヌス〔時間〕に裁きをあおぎ、彼はもっともだと思える次のような裁きをくだした。
「なんじユピテルよ、なんじは精神を与えたゆえ、この像が死ぬときは精神を受け取り、
なんじテルスよ、なんじは身体を授けたゆえ身体を受け取るべし。
だが、クーラはこのものを最初に作りあげたゆえ、それが生きている間は、クーラがそれを所有するがよい。
ところが、その名前についてなんじらが争っている以上、
それは明らかにフームス(地)から作られているのだから、ホモ〔人間〕と名づけるがよかろう」。

59 :
ハイデガーの言う死の先駆ってあり得るのかな?
死は自分の体験としては語り得ない。だから死は常に他者の死でしかない
実存や言葉としては先駆的決意性なんてあり得るけど、それは比喩的な意味でしか現実に存在しないように思うんだよな

60 :
>死は常に他者の死でしかない
そうすると死ぬのビビったり宗教にすがったりすることもないわけだ

61 :
他者の死というのは自分の死は誰も経験してないという意味で言っただけで
死をビビるとかビビらないとかそういう事は言ってない
死は追い越せないのになんで死を前提に出来るんだよって事
それこそ責めある存在じゃねーのかよ、と

62 :
とにかく
>死は常に他者の死でしかない
というのはおかしいですねぇ
おかしいことを前提に考え込んでも時間の無駄です罠

63 :
じゃあお前は死んだあるのか?
どうやって死という概念を得た?それはお前の死ではなく、他者の死よるものじゃないのかな

64 :
>じゃあお前は死んだあるのか?
すみません、わたし中国人と議論するほど暇じゃないんでこの辺で失礼するアルヨ

65 :
ドゥルーズなら他者をそれなしでは知覚が機能しえなくなる知覚領域って言ってるとこだよ

66 :
>>65
意味がわからないんだが?

67 :
<死の少し前、ヘリングラード編のヘルダーリンの詩句を、「私の墓へ告別の挨拶としてゆっく
りと単純に朗読する」ことを望み、ヘルダーリンの讃歌では「ドイツ人に寄す」、「宥和する者」、
「巨人たち」から、悲歌では「パンと葡萄酒」から選ぶことを望んだ。(略)ヘルマン・ハイ
デッガーは父の意志通りにヘルダーリンを朗読した。その結びは「パンと葡萄酒」第三節のもの
であった。>
(人類の知的遺産75『ハイデガー』芽野良男、講談社p313より)
上記に挙げられた詩はすべて全集第2巻に所収されている。以下、その一節を引用する。

童児を嘲ってはいけない、鞭を手に 拍車をつけて
かれが木馬にまたがり 自分を雄々しい偉大なものと思っているときも。
なぜならドイツ人諸君よ、君たちも
思想に富んで行為に貧しい者なのだから。(以下略)
「ドイツ人に寄せる」  ヘルダーリン(手塚富雄訳)
(『ヘルダーリン全集2』河出書房p10より)
Spottet nimmer des Kinds, wenn noch das alberne
Auf dem Rosse von Holz herrlich und viel sich dünkt,
O ihr Guten! auch wir sind
Thatenarm und gedankenvoll!
"An die Deutschen"    Hölderlin
http://www.hoelderlin-gesellschaft.de/index.php?id=137
(ドイツ、ヘルダーリン協会サイトより)

68 :
《儀式は甥(弟の次男)のカトリック司祭ハインリッヒ・ハイデガーが執り行
い、弔辞はヴェルテが読み上げ、開かれたままの墓の前で、息子(次男)のヘ
ルマン・ハイデガーが、あらかじめ生前のハイデガー自身によって選び抜かれ
たヘルダーリンの五つの詩句を、ハイデガーが定めたとおりの仕方で、ゆっく
りと簡素に、野辺の送りに集まった親族と親友のために朗読した。その詩句
は、ヘルダーリンの言葉に託して、ハイデガーの深い心境を語り明かすものと
なった。
 第一の詩句は、「至福のギリシア」を偲び、その「光り輝く」世界はいま
「どこに」消えてしまったのかと問いかける。第二の詩句は、夢見る「愚かな
子供」を「嘲ってはならない」と言い、ドイツ人である「われわれは、思いば
かりが満ちれて、行動の下手な」者だと自認し、果たして、いつの日にか、ほ
んとうに、「思想」から「行為」が生まれ、「静かな書き物」に続いてその
「果実」が稔ってゆくのであろうかと問う。第三の詩句は、「しかし、一つの
神 [ein Gott] が現われるとき、天空と大地と海原の上には、あらゆるものを刷
新する光輝が降り注ぐ」と歌う。第四の詩句は、「けれども、いまはその時で
はない」と述べ、「神的なものは、かかわりのない者どもを射当てることはな
い」と告げる。第五の詩句は、「われわれは、開かれた場 [das Offene] を見つ
め」、「たとえどんなに遠くとも、一つの固有なもの [ein Eigenes] を求めよ
う」と訴え、「一つのものだけが確固としている」と述べ、「万人に共通な一
つの尺度がつねに存立しており、しかしそれぞれの者にはまた固有のものが授
けられており、誰もがそれぞれ、おのれの進みうるところへと進み、帰り来た
りうるところへと帰り来たるのだ」と歌っている。ここに、ハイデガーの全生
涯を貫く深い信念と心情が、その愛惜してやまないヘルダーリンの詩句に仮託
されて、二重写しに告白されていることは一目瞭然である。》
中公クラシックス1
ハイデガーの生涯と『存在と時間』の思想  渡邊二郎 より

69 :
TKimu @kimukuma · 7月5日
ハイデガーとラカンの第一章は、4つのデイスクールについて翻訳も含めた日
本語で読めるテクストの中でもっとも納得のいくものだった。ブルースフィン
クを超えるのがついに出た。
http://www.lacantokyo.org/sp/HEIDEGGER_AVEC_LACAN_japonais_20140703.pdf
TKimu @kimukuma · 7月6日
Heidegger avec Lacan は世界最高水準だろう。これは生涯ベスト5に必ず入るな。

70 :
小笠原晋也 @ogswrs · 7月6日
Bon soir à tous ! 幾つか御質問をいただきました.まず『存在と時
間』の邦訳についてですが,わたしが読んだものは絶版のようです.
昨年新しい翻訳が出ているようですが,わたしはそれを見たことはあ
りません.基本的に言って,Heidegger を読むためにはドイツ語を知る
小笠原晋也 @ogswrs · 7月6日
必要があります.Heidegger のみを読むためにドイツ語を習得し,Lac
an を読むためだけにフランス語を習得することは,する価値のあるこ
とです.わたしが目にしたことのある邦訳は,Heidegger も Lacan も,
それだけでは何も理解できません.原文を隣に並べて並行して
小笠原晋也 @ogswrs · 7月6日
読まなければ何も理解できません.そして,それらの邦訳が如何に誤
訳に満ちているかを発見するでしょう.ハイデガー全集の邦訳もその
誤訳の多さは『エクリ』に負けていませんでした.ドイツ哲学や神学
を専門的にやっている人々が翻訳しても,Heidegger の邦訳はその程
度のものなのです.

71 :
何の邦訳でもそうなる。きちんと理解したり解釈を入れたりしなければ訳せない場所はある。
そういうところにばっかり力を入れてると文法的な凡ミスが増える。

72 :
>>70
糞の役にも立たないような呟きだな

73 :
ハイデガー全集の邦訳もその誤訳の多さは『エクリ』に負けていません

74 :
yasu ‏@Yasuyassu 7月13日
たまたま手に取った『みすず』7月号、三島憲一「ハイデガーの『黒ノート』
をめぐって」が予想以上に凄かった。進行中全集の枠で3月に出版された断章
が、反ユダヤ主義の文脈で物議を醸しているらしい。三島氏はユダヤ人陰謀論
と存在史的思考の結合したこの内容を、月並みと病気、と位置付けている。

75 :
熊野先生の弟子を自称するネットナンパの達人がツイッターでやってることは
ハイデガーが嫌悪する”おしゃべり”じゃないの?
http://masahikono.tumblr.com/post/82475253275
ダイレクトメール送られて困ってるひと(kawaiiガール)の身にもなって!

76 :
朝日新聞(asahi shimbun) ‏@asahi 1 時間
哲学者の木田元さん死去 ハイデガー研究の第一人者 http://t.asahi.com/fkny

77 :
木田元さんの本紙書評委員時代の書評→ http://book.asahi.com/reviews/reviewer/1091.html

78 :
芦田宏直 @jai_an · 10 分
木田元の功績は、重苦しい文献主義的なハイデガー読解や竹田や西などの啓蒙主義的な解説とは違う仕方で、ハイデガーに近づいたことだと思う。それは隠居哲学者でしか不可能な文体だったのかもしれない。合掌。
返信0件の返信 リツイート3人がリツイート3 お気に入りに登録6人がお気に入りに登録しました6
その他
芦田宏直 @jai_an · 32 分
木田元のハイデガー解釈の帰趨は、被制作主義的な主体-客観主義から、ギリシャ的なプュシス主義へ、という陳腐なものだった。このプュシス論は、ほとんどカール・レーヴィットのもの。
返信0件の返信 リツイート3人がリツイート3 お気に入りに登録4人がお気に入りに登録しました4
その他
芦田宏直 @jai_an · 48 分
なんで、彼が「ハイデガー研究の第一人者」と言われるのかがわからない。
返信0件の返信 リツイート2人がリツイート2 お気に入りに登録1人がお気に入りに登録しました1
その他
芦田宏直 @jai_an · 1 時間
木田元は、私の世代にとっては、フランス哲学者。以上でも、以下でもない。

79 :
 忘れられてるみたいなんでage

80 :
こっちは検索し難くて過疎ってるからこちらに移動します
このスレは落としてください
マルティン・ハイデガー
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1409171121/

81 :
何を偉そうにしきってるんだかw

82 :
>>1が無智無能だから仕方ない

83 :
 芦田宏直という人がHPやtwitterでハイデッガー論を展開し、木田元や辻村
公一や渡辺二郎のことを分かっていないと批判しているようである。そこで
芦田氏のtwitterを読むと次のようなことが書いてある。
《「世界−内−存在(In-der-Welt-sein)」の「−内−」とは、「近さ
(親密さ)」の「−内−」である。
そのような場処に導かれた存在者は「手許的存在者(Das Zuhandene)」
として「手許にあるもの(Das “zur Hand” Seiende)」、「近さ
(親密さ)」として存在している。
そのように、書きたい気分に「つねにすでに」選ばれてその場処は存在
している。あるいは、書きたいという気分をその場処は醸成した。つまり、
ペンは既に「そこにあった」のである。そんなふうにわれわれと場処(um)
との関係は存在している。
書きたいときに、ペンがなければ、そこにいないか、ペンを用意するだろう。
書くのに差し支えるほど〈そこ〉がやかましければ、別の場処を選ぶ(すで
に選んでいる)。誤解を恐れずに言えば、ペンが〈そこ〉にあるときには、
すでに人は書き終えているのである。

84 :
84つづき
馴染んでいるということはやりたいことが〈できる〉ということだ。この
〈やりたいことができる〉は何も主体(Subject)の意志や能力、可能性−
現実性の徴表なのではない。
われわれは必ず或る場処に存在している。そのわれわれが或る場処に存在し
ているということは、その或る場処に馴染んでいる(vertrauen)ということ
。ハイデガーは「世界との親密性(Vertrautheit mit Welt)」とまで言っ
ている(86)。》
《デカルト的な主観=客観へと分裂する前に、われわれの身の回りには、ペ
ンがあり、机があり、椅子があり、灯りがあり、それらを取り囲む部屋が存
在している。これをハイデガーはさしあたり〈環境世界(Umwelt)〉と呼ん
だ。Um(周りの)-世界(Welt)である
「世界−内−存在(In-der-Welt-sein)」とは、「つねにすでに
(immer schon)」私たちは身の回りのものと共に存在しているということだ。
あえて言えば、〈主観〉は、いつも或る一定の場処と共にしか存在していな
い。
1927年のハイデガーは、その〈外部〉を「世界」と名付けていた。ハイデガー
にとって、人間は〈主観〉ではなくて、「世界−内−存在
(In-der-Welt-sein)」(としての現存在Daseinである(『存在と時間』)。


85 :
 ハイデッガーのいう世界とは主観のいる一定の場所としての外部である。
自己を取り囲むペンや机や椅子のある外部である。その外部と自己は馴染んでい
る。われわれはそのような場処と馴染んでいる。それがハイデッガーによ
れば「世界との親密性」である。
 ハイデッガーにとって、よって人間とは主観ではなくて世界-内-存在であ
る。
 芦田氏はそのようにtwitterの中で説明する。
 だがそうすると、まるで世界はハイデッガーによる「有るもの(存在者)」
であるということになる。
 芦田氏がHPでも引用する「根拠の本質について」の中でハイデッガーは
こう書いている。
《世界は全体性として、如何なる有るもので「有る」のでもなく、現有がそれ
自身を如何なる有るものへ関わり合わせ得るか、そして如何なる仕方でその
有るものへ関わり合わせ得るかということに関して、そこから現有がそれ自身
に指示を与えるところのものである。》創文社全集9巻『道標』193頁
 芦田氏が言う1927年の段階『有と時』ではこう書かれている。
《その内に於いて現有が、それ自身を指し向けるという様態に於いて、それ
自身を先行的に理解している処その処は、其処へ向かって有るものを先行的に
出会わしめている処である。自己を指し向けると言う仕方で理解することが
その内に於いて成りたっている処は、其処へ向かって有るものを趨向という
有り方に於いて出会わしめている処として、世界という現象である。
 その内に於いて現有がこのような仕方でそれ自身をその都度既に理解して
いる処、その処と現有はもともと慣れ親しんでいる。》創文社全集2巻『有
と時』137-138頁 第18節

86 :
「ハイデッガー」「有と時」表記の時点で説得されない
この表記消えろよ

87 :
 「根拠の本質について」が1929年。『有と時』が1927年。言ってることは
変わっていない。
 芦田氏の説明では世界-内-存在とは、慣れ親しんだ身の回りの事物(存在者
)とともに存在することを指す。慣れ親しんだ身の回りの事物が芦田氏に
よれば世界である。人間が世界-内-存在であるとは、慣れ親しんだ事物という
外部=世界とともに有るということである。
 また芦田氏がいうには慣れ親しんだ、その都度何かが可能となる場処との
間柄のことをハイデッガーは「世界との親密性」と呼んでいる。
 後者について言えば、《世界と慣れ親しんでいること》とは、現有と
世界との慣れ親しみである。現有が「自己を指し向ける仕方で理解している
その場処」こそ世界であり、その世界と現有は「慣れ親しんでいる」。けっ
して世界とは「やりたいことのできる場処」ではない。
 一方前者についていえば、世界-内-存在とは「常に既に身の回りのものと共
にいること」ではない。また、世界とは主観がいる一定の場処(外部)で
はない。
 芦田氏の間違いは単純なことであって世界を「有るもの」と勘違いして
しまっている。ハイデッガーにおいては世界は全体性として、如何なる有る
もので「有る」のではない。言い換えればモノでも事物としての場所でも
ない。
 因みに芦田宏直氏のtwitterのURLは以下の通りである。
http://twilog.org/jai_an/date-0818
 芦田氏のBLOG「芦田の毎日」のURLは以下の通りである。
http://www.ashida.info/blog/2008/11/post_304.html

88 :
 失礼。>>85での『有と時』からの引用はp.137-138ではなくて p.135ですね。

89 :
 芦田氏の所論が変だと思うのは例えば主観の外部にある親しいものを世界
と名づけており、『有と時』中でハイデッガーが世界としてそういうこ
とを言ってもいるのだから無理もないが、通読していけばむしろ論旨として
は現有がそこから意味をくみ取っていく其処(アプリオリ)のことを
「世界という現象」と言っており、ここに重点が実はあるのだから、環境
世界的なところにこだわるべきではない。こだわることでウェイトを外して
しまうことになる。
 むしろ主観もまた世界生成とともに変容するというしかないのだから、
世界に浸食されており、であるならば世界とは「主観の外部」ではやはり
ない。むしろ主観は世界に重なり浸食される。
 「人間は主観ではなくて世界-内-存在」と芦田氏も書いているが、それは
上記のような意味なのである。芦田氏の所論はハイデッガーのウェイトが
掴めてはいない論だと思う。なので論旨が混乱しており何が言いたいのか
読みこみずらい。twitterに彼が書いている論がまさにそうである。
 気遣いさせ現有に意味をくみ取らせる当のもの、こそ世界性概念の中心で
その後も本来性や有の理解として発展させられていったものである。ところが
芦田氏ではそこのところはBLOGを読む限り、論に飛躍があると思っている
ようで、さほど重要とは思ってはいない。それでハイデッガーの論旨がくみ
取れないのもいたしかたない。
 しかしそれでハイデッガーが読めていると思ってしまってはいけないのでは
ないか、木田や辻村や渡辺らが分かっていないなどと言えるのか、という
のが私の疑問である。

90 :
永井均
‏@hitoshinagai1
亡くなった木田元氏の本はいくつか読んだが、どれも読むに値するとは思えな
かった。どの本もどこに哲学があるのかわからなかった。コンビを組んで翻訳
をしていた滝浦静雄氏の本の方が遥かに哲学的価値がある。とりわけ時間と想
像力に関する二つの新書はこのテーマに関心を持つ人には今なお必読と思う。

91 :
五十歩百歩といいたいところだけど、木田元氏は共訳者の貢献割合が
どれだけあるのかは別として、重要な訳書を多く出している分だけ
価値がある。永井均の哲学的価値?

92 :
こんな誰でも言えるようなこと言っちゃって恥ずかしくないのかな永井氏は
しかも亡くなった後に…最低最悪だな
永井均 ‏@hitoshinagai1 · Oct 5
@hazigin @hirotourasaki
まずは自分で哲学をしていないと、ハイデガーをいくら読んでも、
結局、何もつかめないのだな、ということを教えてくれます。

93 :
俺でも言えるな。
まずは自分で哲学をしていないと、ハイデガーをいくら読んでも、
結局、何もつかめないのだな、ということを教えてくれます。
ほら言えた。

94 :
永井均
‏@hitoshinagai1
吉岡実「僧侶」http://ln.is/hannah5.exblog.jp/M7DY8 … 私はかつて詩を書
いていたが、このくらい詩的価値を自立させられなければ詩に書く意味はない
のだと悟って詩は捨てた。私は詩の外に言いたいことがありすぎた。でも多く
の「詩」もそうだ。この詩は素晴らしい。私は哲学で言うことにした。

95 :
 永井氏のtwitter読んだけど、何も言う事はないですね。頭の良い人で
読書家なんだろうなとは思ったが、他には何もないですね。強力な問題意識
や切迫感、惹きつける思想家じゃないなと思いました。そもそも思想家とも
言えないでしょう。方法をもって掘り進むことのできる人ではないように
見受けられる。ただの頭の良い人です。
 或る種の思想家のように研究してみようという気を起こさせるものはない。
木田とハイデッガーの関係は思想に惹きつけられた研究者の関係。哲学か
否かなど問題ではない。ただ木田はハイデッガーに惹きつけられ読解せずに
いられなかった。その切実感だけで書かれたのが木田のハイデッガー本。
哲学ではないとか言われても「だから?」とでも言うしかない。そういう意味
では木田のハイデッガー本というのは特異な本なんでしょう。ただ魅力が
あって読ませる。哲学か否かなどどうでもいい。そう思ってます。

96 :
 木田のハイデッガー本だけじゃない。どっかで語らずにいられない思想や
思想家ってある。ハイデッガーはその典型なんで、これだけ新旧の研究者が
彼やその思想を語るのもだからですね。それだけハイデッガーの目というのは
追思考し形成過程を追い、意図を見抜いてみる気にさせる。また語っても
語り尽くせない深さや謎に思い至る。ナチス加担問題もその一つだけども。
また、近代から現代までの思想とクロスしているかのように見えるところも
多い。興味は尽きませんね。その読解にこれだけ様々な人が乗りだし本も
書かれる。語らずにいられないところが共通している。
 元々ハイデッガー自体、知の歴史を形而上学として相対化してみせた人間で
、その中には哲学史も含まれている。「あれは哲学なのか?」という問い自体
、ナンセンスであって、ナンセンスである由縁はあの試み自体に含まれて
いる。そこを読めない人間の発する問いだと思います。

97 :
 この解釈に従うと、当時の典型的な反ユダヤ主義の文句でしかない。もっと
脱力させるエピソードを三島憲一は紹介している。
「シオンの賢者と言えば、ナチスの政権獲得後にヤスパースがハイデガーに、
この書を「愚劣そのもの」と言ったところ、ハイデガーは「だってやはり、ユ
ダヤ人の危険な国際的結びつきがあるじゃないですか」と答えたそうである。」

 「二十世紀最大の哲学者」と称される人物とは思えないほど、あっさりデマ
情報に踊らされている。他にも『黒ノート』には、哲学的中二病を患った者の
病態が散見される。まさに「黒歴史のノート」である。
「ドイツ人だけが存在を根源的に新たに歌い、語ることができる。ドイツ人だ
けがテオリアの本質を新しく征服し、ついには、論理学を創出できる」
「技術の最後の幕は、この地球が自らを爆砕することにある。そして現在の人
類が滅びることにある。これは不幸でもなんでもない。それどころか、存在者
の優位によって深く汚染されている状態からの、存在の(des Seins)浄化なのだ」
 

98 :
三島憲一は1300ページの『黒ノート』読解が相当退屈だったらしく、「そ
れにしても、この『黒ノート』の真正反ユダヤ主義のずさんさはなんな
のだろう」「ばかばかしくて読んでいられない」「ドイツの崩壊と恋愛
沙汰のなかで筋道立てた思考ができなくなっていたのだろうか」と終始
手厳しい。
 三島の「沈黙の奥に秘めた形而上学=ユダヤ人=その世界支配とい
う方程式は、二十世紀最高の哲学者という勲章を剥奪するにはあたいし
よう」はよくある評価としても、「まず書いてあることは、意外と月並
みな哲学者なのではないかという疑念を引き起こす」から始まる文体批
判は、いわゆる「知の欺瞞」「グル効果」など「ポストモダン・フラン
ス現代思想」批判の文脈にある。
「…そう見ると『存在と時間』ですらそうではないかとも思えてくる。
特に後半の卓抜な一部を別にすれば、文章の魔術を抜きにすると(文体
の独自性はたいしたものだ)、部分的にそうとしか思えなくなってくる。
「死ぬのは一人、自分だけだ」。それはそうだろう。」

99 :
ハイデガー「だってやはり、ユダヤ人の危険な国際的結びつきがあるじゃないですか」

100 :
Shigeo Hayashi ‏@HAYASHI_twit 10時間10時間前
Martin Heidegger and D.T. Suzuki|ハイデガーと鈴木大拙のレアな2ショット写真 http://s-hayashi.tumblr.com/post/102330982274/martin-heidegger-and-d-t-suzuki … pic.twitter.com/M7DFPmYCzS
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その他
Shigeo Hayashi ‏@HAYASHI_twit 7分7分前
“Zen Buddhism” の編者 William Barrett の序文にこんな記述が。鈴木大拙の本を読んでいたハイデガーは「もし私が正確に理解しているとするならば、ここには私が全著作において語ろうとしていることがある」と大絶賛。


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ニーチェの哲学は低レベルの戯言に過ぎないよな
ポストモダニズムは右傾化に本当に貢献したか?
■■■■■ ぷりろっちょえだまだロチン2 ■■■■■
■■■■■■■■■■■ ヘヘっプオ ■■■■■■■■
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