TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
キモいけど、幸運
【防衛】要塞を守りきれ!ファンタジーTRPGスレ3
おはようございます。安価で絵を描きます。
【SS】プリパラ二次創作スレ【二次小説】Part.3
勇者「これで終わりじゃぁあ!魔王「くっ!時よ戻れ
非リレー型バトルロワイアルを発表するスレ Part36
【お絵描き落書き】色鉛筆を擬人化して萌えるスレ3
【TRPG】ドラゴンズリング -第一章-
ポッポのスレ種子薫習
【ファンタジー】ドラゴンズリング4【TRPG】

【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】


1 :2017/02/18 〜 最終レス :2018/10/17
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。

漂白者たちと鞍馬山から盗まれた呪詛兵器『コトリバコ』との戦いは、佳境を迎えようとしていた。



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)
避難所:http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9925/1483045822/

2 :
糞スレ立てんな蛆虫
包丁で首吊ってR

3 :
前スレ 【伝奇】東京ブリーチャーズ【TRPG】
ttp://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/mitemite/1480066401/l50

4 :
【前スレより続き】



コトリバコが跳躍するたび、その豪腕を振るうたび、両者の距離は縮まり、品岡は追い詰められていく。
そしてついに、ロッポウの巨大な掌が品岡の痩躯を掴んだ。

(あかん、禹歩――)

指を再び足に変え、橘音に教わった変則禹歩を刻む――そこへロッポウが上から踏みつけた。
丸太のような脚が品岡の爪先を踏み潰し、ぐちゃぐちゃになった指が動かない。

「あっがっ……」

脚を這い登ってくる激痛にもがきながら、至近距離から何度も発砲。
しかしロッポウに吸い込まれた弾丸は復元される前に体外へと吐き出され、廃車のフレームだけが虚しく積み重なる。

「大人を舐めんな、クソガキ……!」

最後の一発。品岡はコトリバコではなく自身の足元へと銃撃を放った。
足首の辺りに着弾した弾丸が元の形へ復元。コトリバコと品岡の間にセダンが出現する。
品岡は廃車の膨れ上がる勢いに弾き飛ばされた。

自切した足首から鮮血の線を引きながら、自分を跳ね飛ばした品岡は宙を舞う。
そうして強引に距離を離し、再生途中の脚を引きずりながら近くのビルへと逃げ込んだ。

「流石に……ロッポウは……易くはいかんな……!」

ドアガラスを蹴り破って侵入したのは一階にカーディーラーを構える雑居ビルだった。
ロッポウもすぐに後を追って飛び込み、磨き込まれた高級車を跳ね飛ばして己が敵とみたび対峙する。
品岡は満身創痍だった。トレードマークの色眼鏡はレンズが砕け、柄シャツは所々が破れている。
裸足の脚は血塗れで、右腕は未だに再生できていなかった。
激痛を遮断し切れていないのか、顔中に脂汗が浮かび肩を激しく上下させている。

虫の息。
ロッポウはトドメと言わんばかりに脚を曲げ跳躍の姿勢に入る。
品岡に逃げる道は残されていない。

>「イッツ!ショータ――――イムッ!!」

その時、遠くで橘音の声が聞こえた。
波濤のように押し寄せる妖力の波がロッポウを飲み込み、その体躯を床へと縫い付ける。

(こりゃあ……本式の禹歩……)

橘音が抜け目なく構築していた禹歩による結界の陣。
まじないが不可視の圧力となってコトリバコ達を締め付け、ロッポウが苦しみに喘いだ。

>「さぁーてっ!皆さん、劣勢ターンはこの辺りで!そろそろ反撃と行きましょうか!」

「まるで見とったみたいに言いよるな……」

奇しくもまさに追い詰められたその瞬間を助けられた品岡は、苦笑じみた呟きを返す。
この強烈無比なる結界に囚われてなお、ロッポウは形を保っていた。
呪詛を溶かされ、肉を焦がされ、しかしその蓄積された膨大な呪いの全てを枯らされたわけではない。
今の品岡には例え動きを封じられたロッポウであっても完全に破壊することは不可能だろう。

それでも、時間が稼げた。
妖力を少しでも回復させ――ロッポウを撃滅する手を考える時間だ。

5 :
「なぁコトリバコよ」

息の上がった、いつもの威勢のない声で言葉を紡ぐ。

「ワシはべつに、ジブンが滅ぼされるほど悪いことをしたとは思ってへんで」

本心だった。
妖狐も、雪女も、ターボババアも、鬼も、のっぺらぼうも――コトリバコも。
およそ妖怪と呼ばれるモノ達の存在意義、その存在の証明は、ヒトを"畏れ"させることにある。
化かし、騙し、驚かせ、あるいは……殺し。
不条理で正体不明な脅威として語り継がれることで命を繋ぎ、今日まで生き延びてきた。

彼らに善悪などない。
ヒトを殺せば悪い妖怪?雪女だって鬼だってこれまで何人も殺して喰ってきた。
のっぺらぼうに全てを奪われて露頭に迷い、野垂れ死んだ人間だって数知れない。
命や財産を奪われるその理不尽が、その怨嗟が、その恐怖が、妖怪の唯一の糧に他ならない。

コトリバコは人をR。何人も殺し、何代もR。
コトリバコがコトリバコであり続ける限り、人の口に、電子の海に残る限り。
新たなコトリバコは生まれ、これからも人間は犠牲になり続けるだろう。

人間が、それを望んでいる。
生態系の頂点に立ち、全ての生命を糧とするヒトという生物が、失われた恐怖の対象として望んだモノ。
退屈な日常に刺激が欲しくて。理不尽を恨む相手が欲しくて。団結する為の共通の敵が欲しくて。
そうした願望が生み出した"必要悪"の存在が妖怪だ。
そして。

「ジブンが生まれたのがヒトの望みなら……滅ぼされるのも、ヒトの望みや」

誰かを殺したいほどの憎しみが、殺意の代行者としてコトリバコを作った。
同様に、コトリバコのない平和な未来への渇望が、ここに怪異の漂白者を呼び出した。

「必要だから生み出されて――必要だから、滅ぼされる。
 百年前の阿呆が描いたこの絵図、不毛な堂々巡りを、今から終わらせようや」

ロッポウが再び自由を取り戻す。
縛られてなお凄まじいコトリバコの呪詛が結界を制したのだ。
同様に品岡も、上がっていた息を整え終えた。右腕は再生し切らないが、走り回るのに支障はない。
橘音が稼ぎ出してくれた時間で、ロッポウを打破する策は決まった。

――――――!!

ロッポウが吠え、ディーラーの商談席を押し潰しながら飛びかかる。
対する品岡は即座に踵を返し、ロッポウの元から一目散に逃げ出した。

「誰が正面から組み合うかい。鬼さんこちらぁ!」

向かう先は店の端、雑居ビル共通の非常階段。
施錠されたドアを破り、階段を駆け上がっていく。
ロッポウは階段目掛けて数度粘液を吐きかける。階段同士が壁となって品岡まで届かない。
数秒の逡巡のあと、身体を変形させ、階段を通れる幅になって後を追い始めた。

品岡ムジナ――のっぺらぼうは、もともと高位の妖怪ではない。
人ひとりまともに呪い殺せもしない、ただ騙すだけの"化かし系"としても最下級に近い存在だ。

例えば同じ化かし系において、直接知覚野を支配して幻覚を見せることができる妖狐と比較しても、
のっぺらぼうは『わざわざ肉体を変形させる』という甚だ非効率的な手段でしか人を化かすことが出来ない。
当然、冷静で洞察力のある人間には簡単に見抜かれ、そうして退治された末路が今の式神という身分だ。

6 :
戦闘という領域でも、のっぺらぼうの術に相手を直接攻撃する力はない。
品岡がわざわざハンマーや銃といった武器を持ち出すのも、それら外部の力に頼らねば戦うことすら不可能だからだ。

のっぺらぼうは弱い。
その弱さが、品岡ムジナに戦い方を選択させる。

階段を一段飛ばしで駆け上る品岡の背を、コトリバコが追っていく。
さながら命を懸けた鬼ごっこ……子供の遊びだ。
段差を効率よく登れるよう最適化された節足がめまぐるしく蠢き、リノリウムを剥がして進む。

2F、3F、4Fと階数表示の前を横切り、やがて最後の階段の先、開け放たれたドアの向こうに飛び込んだ。
そこは雑居ビル最上階、5Fの一室。テナントが何も入っていないのか、仕切りのない大部屋は何もないがらんどうだった。
窓から差し込む日の光が、虚空を漂う埃だけを照らしていた。
……『何もない』。品岡の姿もそこにはない。隠れられるような物陰がないにも関わらずだ。

「わはははは!どうやワシの完璧な隠形は!どこにおるかわからんやろ!」

何もない部屋に品岡の声が反響する。
コトリバコは部屋の中央で唸り、スンスンと鼻を鳴らした。臭いを嗅いでいるのではない。妖力を辿っているのだ。
やがて、頭をぐるりと動かして、天井にある一点を見つめた。

「おっ、よう見つけたな。えらいえらい」

品岡の顔――唯一変形させられない部位が天井に張り付いていた。
天井に化けていたのだ。しかしそれもコトリバコの嗅覚によって看破された。
ロッポウの肺腑が膨らみ、天井目掛けて粘液を吐きかけんと口をすぼめ、

「アホぅ、他人様の家でゲロ吐く奴がおるかい」

足元から伸びてきた品岡の足がロッポウの下顎を蹴りつけ、噴射を阻んだ。
不発した粘液がロッポウの口の端から飛沫として散り、落ちた先の床が溶けると思いきや『避けた』。

「ほな答え合わせといこか。ジブンがくぐって来たんは――こんなドアだったかい」

ロッポウのすぐ背後に先程通り抜けたフロア入り口のドアが現れる。
否、現れたのではなく近付いたのだ。ドア含む部屋の全ての壁が、入った時よりもロッポウの近くに寄っている。
部屋自体が、縮んでいる!

「"再度の怪"や言うてな、のっぺらぼうは二度騙す。ジブンがおるんは5階やない……このビルは4階建てや」

品岡ムジナが化けていたのは、天井ではなく『部屋』そのもの。ここは本来屋上だ。
一気に小さくなった部屋がコトリバコを包み込み、その手足と顎を縛る。
コトリバコはもがき回るが、関節部を巧妙に拘束され、思うように振りほどけない。
品岡の顔がロッポウの首の後ろに出現する。

「ついでにも一つ騙しとこか。この鬼ごっこ、鬼はジブンやなくてワシやで」

品岡の足が屋上の床を小突く。床が形状変化し、ロッポウを飲み込むような大穴が生まれた。
コトリバコはのっぺらぼうに拘束されたまま、階下へと落ちていく。

「ボッシュートぉ!」

屋上から4階の床まで3メートルの自由落下。
巨大な体躯を持つコトリバコにその程度の衝撃では大したダメージにはならないだろう。
だから品岡は4階の床にも触れ、穴を空けた。ロッポウは一切減速せず更に落ちていく。

3階の床も空け、2階も空け、3メートル×4階分で12メートルの高さをロッポウが落ちていく。
重力が巨体を加速させる。

7 :
「5階の高さからその図体で落ちるんや、流石にケ枯れするやろ!」

だがロッポウも何もせず滑落死を受け入れるわけではない。
息を吸い、身体の下側を膨らませて衝撃に対するクッションを作っていく。
このまま一階の床に直撃したとしても、ダメージは最小限に抑えられてしまうだろう。

「言うたやろ。――のっぺらぼうは二度騙す」

ロッポウと共に落下しながら、品岡は一つの妖術を解除した。
妖力が遮断され、元の大きさに戻ったのは――ロッポウの落下地点に生える巨大な氷柱。
ノエルがアイシクルエッジと名付けてハッカイに撃ち込んだ溶けない氷の刃だ。
ハッカイと最初の交戦の際にそれを数本縮めて拝借した品岡は、橘音の結界にロッポウが囚われるうちに一階の床に設置した。

「コトリバコが周囲の全てをRなら、のっぺらぼうは周囲の全てを使って騙す。
 これがワシの化かし方や」

重力加速度に引かれるまま、氷柱がロッポウの巨体に突き刺さった。
衝突の轟音と夥しい水音、ロッポウの絶叫がディーラーに木霊し、コトリバコの肉体が貫かれ、破壊されていく。
ぶち撒けられた体液の雨が降る中、変色した寄木細工の小箱がロッポウの身体から吐き出されて床を転がる。
それを片手で拾い上げたのは、抜け目なく衝突の瞬間にロッポウから離脱し着地した品岡だった。

「お互い割に合わん生き方やな、ホンマに」

割れた色眼鏡をかけ、右腕を失い、ボロボロの柄シャツを血に染めたヤクザは観念したように呟いて――
ケ枯れしていくロッポウを顧みることなく歩み出した。


【ロッポウを撃破、橘音の元へ戻る】

8 :
祈の投擲した金属バットが、雷霆のようにハッカイを貫く。
ノエルの造り出した雪崩が、ゴホウとチッポウを生き埋めにする。
尾弐の剛力がニホウとサンポウ、シッポウを打ち砕く。
ムジナの計略がロッポウの知力を上回り、その身を串刺しにする。

無垢な嬰児の魂魄を悪用し、呪詛の塊とする禁断のパズルボックス――“イッポウ”から“ハッカイ”までのコトリバコ。
ブリーチャーズの奮戦によって、そのことごとくはケ枯れを起こし、無力化した。

「なんとか、ここまで漕ぎ着けましたか……」

橘音は軽く周囲を見回した。
戦闘区域のあちこちで戦っていたメンバーたちが戻ってくる。
祈はパーカーの裾や袖が焼け焦げたように消失しており、長い髪もひどく乱れている。随分苦戦したのだろう。
ノエルは傍から見ても一目瞭然、妖力切れ寸前だ。意識があるのが不思議なくらいである。
尾弐もさすがに疲労の色が濃い。おまけに着ていたはずの喪服がなぜかレザージャケットに変わっている。
ムジナに至っては右腕がない。血まみれの凄惨な姿から察するに、最も過酷な状況を切り抜けたのは彼に違いない。
全員、満身創痍のひどい状態だ。――が、結果としては最上であろう。
なぜなら、相手はあの永年封印指定呪具コトリバコ。運用次第では地上の生命体のことごとくを絶滅させかねない危険物だ。
それを八体向こうに回して、ただ一人の欠員もなく勝ったというのは、半ば奇跡と言って間違いない。

が。
まだ、終わりではない。

……ォ……
………ォォオ……オォォオォオオォォォォオオオ……
…………オォォ……オギャアアァアァァアアアァアァァァアアァ…………!!!

どこからともなく、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。おらびが歌声のように幾重にも反響し、ブリーチャーズの鼓膜を打つ。
それは今さら考えるまでもない。コトリバコの声だ。
妖怪は死なない。ケ枯れは一時的な力の喪失による無力化に過ぎない。
膨大な怨嗟が詰まった呪詛兵器であるコトリバコは、ケ枯れを起こしてもすぐに復活してしまうということなのだろう。

けれど。

「やらせませんよ。アナタたちは――然るべき場所へ送ると。もう決まっているのですから」
「――ムジナさん!預けていたものを!」

そう言うと、橘音はこちらへやってくるムジナへ右手を伸ばした。
一番最初に、ハンバーガーショップでムジナに預けていたジュラルミンケース。
それが必要だと言っている。

……オォオォオオォオ……オオギャアァアァアァアァァア……!!!

赤ん坊の声が徐々に大きくなってくる。ケ枯れを起こしたはずの小箱が妖しく輝く。
尾弐が破壊した三個以外のコトリバコが、ふたたび活動を開始しようとしている。
橘音はムジナから形状変化の解けたジュラルミンケースを受け取ると、その蓋を躊躇いもなく開いた。

中に入っていたのは、三角形のパネルを組み合せた二十面体のオブジェ。
手のひらサイズのそれを、橘音は両手で恭しく捧げ持つと、


「これが、今回の目玉商品。目には目を、歯には歯を――パズルにはパズルを、です」


と、言った。

9 :
「よーい……スタート!」

今にも復活せんとしているコトリバコのおらびが響き渡る中、橘音は何を思ったか猛然と手の中のパズルを解き始めた。
変わったパズルだった。恐らく、ブリーチャーズの誰もが見たことのない類のものだろう。
おにぎりを握るようにパズルを両手で包み込み、軽く捻ると、中心が音もなくスムーズに回転する。
そのうちの一辺がスライドし、出っ張ったり引っ込んだりする。その突出した部分をさらに回転させ、移動させ、変形させる。
事務所でルービック・キューブを使って披露した凄まじい速度もそのまま、橘音はパズルを操作してゆく。
橘音の手の中で、二十面体が爆発的に変質してゆき――それはやがて四ツ足をつき、小首を傾げた熊の姿になった。

「レベル1!」

が、完成した熊のオブジェをじっくり観賞したりはしない。橘音はすぐに操作を再開した。
熊の首を引っ張り、足を折り、胴体を回転させ、別の形状へと整えてゆく。
次に完成したのは、鷹のオブジェだった。
大きく翼を広げ、今にも眼下の獲物へ向けて鋭利な鉤爪を振り下ろさんとしている鷹。

「レベル2!」

鷹は躍動感にあふれ、それだけでも置物として素晴らしい出来だったが、橘音はそれもまたすぐに崩した。
翼を折り畳み、嘴を閉じ、鉤爪を本体の中へ格納し、瞬く間に別の姿へ変えてゆく。
妖気を感知できるブリーチャーズには、きっと理解できることだろう。
橘音がそのパズルを一定の形状に仕上げ、崩しては次のステップに進んでいくたびに――

パズルから莫大な力が溢れ出ていることに。
それは妖気とは違う。妖気、瘴気、そんな言葉で表現することなど到底できない恐るべき力。
そう。
あたかもそれは、パズルがどこか別の世界に繋がっていて、そこから迸る力がパズルを介してこちらへ漏れ出しているかのような――。

「レベル……3!!」

橘音が言う。その手の中で完成したのは、身体をしなやかにくねらせた魚だった。
まるで生きているかのような精巧さだが、注目すべきはその出来の見事さではない。

“動いている”。

「総員、退避!何かに掴まって、絶対にその手を離さないでください!」

橘音がそう叫ぶとほぼ同時に、魚の両眼が輝く。
魚は一度尾を打って橘音の手から逃れ、空中に跳ねあがると、もう一度爆発的な変容を始めた。
しかし、それは今までの熊、鷹、魚のような生物とは違う。

門だ。

古々しくも禍々しい熊、鷹、魚のレリーフが施された、洋風の巨大な門。
その開け放たれた両開きの門扉の向こうに見えるのは、本来あるべき商店街の光景ではない。
稲妻を纏う分厚い雲に覆われた、灰色の空。
どこまでも続く、赤黒い大地。
煮えたぎる瀝青の池に、陽炎を発するほど赤熱した城塞。のたうつ血色の大河と、汚物の海。
はるか遠くの丘では鉛入りの外套を着せられた人々が長く葬列のように群れなし、覚束ない足取りでいずこかへと歩いている。
まつろわぬ者たちを罰し、害するための世界。
これは、まるで――


「このパズルの名は『リンフォン』――」
「凝縮された、極小サイズの地獄。地獄の門です」

10 :
リンフォンがいつ、どこで、誰によって、何のために作製されたのか、真実を知る者は誰もいない。
しかし、それが現世と地獄とを繋げ、この世に冥府を顕現させる装置だということだけははっきりしている。
無論、これもまたコトリバコと同じ永年封印指定呪具。
本来ならば世界を崩壊させかねない危険物として、厳重に管理封印されて然るべきモノなのだが――

「ネットオークションにも、結構お宝は隠れてるもんですね!」

リンフォン――地獄の門が鳴動し、全てを薙ぎ倒すような烈風と共に中から猛烈な勢いで何かが飛び出してくる。
それは手だった。数十本、数百本……数えきれない数の亡者の手が、門の内側に広がる地獄から伸びてくる。
灰色の長い腕が、その五指が、何かを探すように蠢く。――亡者は見つけようとしている。
自分たちの仲間になるべき者を。新たな亡者を。

オォオォオォォォォォオオオォオオ……、オギャアアァァアァアアアァアァァアアァァァ……!!!

コトリバコが啼く。だが、それは今までのような憤怒や呪詛、怨念を表現するものではない。
死したのちも昇天降冥せず現世に留まり、憎悪を振り撒き続けていたコトリバコにも、その正体が理解できたのだろう。
ソレは自分たちを連れて逝く者。永劫の苦痛の世界へといざなう者だということを。

転がっていたイッポウ、ハッカイのコトリバコが、それぞれ亡者の手に捕縛される。
雪の中から亡者の手にしっかり握られたゴホウとチッポウの小箱が飛び出してくる。
ムジナの持っているロッポウのコトリバコを、長く伸びた手がひったくるように掠め取ってゆく。
尾弐が破壊したもの以外のコトリバコを捕まえると、手の群れはスルスルと門へ戻り始めた。

ギィィィィィィ!!アガガガガギギイイイ――――――――ッ!!!!

コトリバコの絶叫が轟く。本体を掴まれながらも、地獄へ連れて行かれるまいと再び付喪神化し、地面に爪を立てる。
が、踏ん張った途端に腕が崩れる。足が溶け落ちる。
いかに強大な力を誇る呪詛兵器とはいえ、ブリーチャーズとの戦いによってケ枯れした直後だ。――逃れられない。
コトリバコとの遭遇直後にリンフォンを使っても、適応能力の高いコトリバコは捕まらなかっただろう。
確実にコトリバコを葬り去るためには戦闘によってケ枯れさせ、逃走する力を奪い取る必要があった。
熾烈な戦いで全員浅からぬ手傷を負ったが、その目論見は見事図に当たったというわけだ。

ギ……ギギギッ!オォオォオォアアアアアア!!!!

まず最も力の弱いイッポウが門の中へと吸い込まれ、続いてゴホウが亡者の手に屈する。
チッポウは自分の前方にいたロッポウが力尽きて吸い込まれる際、巻き添え気味に体当たりを喰らって諸共に門の中へ姿を消した。
最後まで亡者の手に抗っていたのはやはりハッカイだったが、それにも限界がある。
ハッカイの巨大な赤子の身体を、無数の亡者の手が抉り取ってゆく。
全身から体液を噴き出し、四肢をちぎられ、胴体を分断されたハッカイのコトリバコは、

アアアアアアアアア!!!アアア……ギャアアアアアアアアアアア―――――――ッ!!!!!

双眸をこれ以上ないほど大きく見開き、口をあけ、この世への未練であろう断末魔を喉から迸らせ――
残った大きな頭部を数えきれない亡者の手に掴まれながら、地獄の奥へと連れ去られた。

「あらよっと!」

ハッカイが門の内側へ入ると同時、橘音が両開きの扉を素早く閉める。
そして扉の中央にマントの内側から出した札を貼ると、リンフォンは元の魚のオブジェへと戻った。
それを引っ掴み、今度は先程と逆の手順を踏む。魚から鷹へ、鷹から熊へ。
最終的にすっかり二十面体に戻してしまうと、ジュラルミンのケースへ収納する。

漂白は成った。が、いつもなら終了宣言するはずの橘音が今日に限って何も言わない。
それどころか、仮面の上からでも容易にわかる険しい表情を浮かべている。

「……さて……。これでコトリバコの漂白は完了しました。ミッション・コンプリートと言いたいところですが……」

そう言って、商店街にある雑居ビルのひとつ、その屋上へ視線を向ける。

「まだ、お客さんがいるようです」

11 :
橘音の見上げる、雑居ビルの屋上。
そこに、四人の男女が立っている。
ひとりは、半袖ミニスカワンピースを着た黒ずくめの少女。
ひとりは、少女とは対照的に真っ白い出で立ちの女。
ひとりは、筋骨隆々の肉体をダブルのスーツへ窮屈そうに詰め込んだ、髭面の大男。
ひとりは、真っ赤なマントで身体をすっぽりと覆い隠した仮面の怪人。
四人は薄笑いを浮かべながらブリーチャーズを見下ろしていたが、不意に少女がぽん、ぽん、とぞんざいな拍手を始めた。

「ずいぶんと手こずったようですが……なんとか勝てた、という感じですわね。お疲れさまですわ、日本妖怪の皆さん?」
「楽しんで頂けましたかしら。結構ハラハラドキドキな趣向だったのではなくて?うふふ!」

そんなことを言って、黒いロンググローブに包んだ右手を頬に添えて笑う。長いツインテールが夜風に靡く。
外見的には祈と同年代だろうか。愛らしい顔立ちだが、どこか底意地の悪さが滲み出ている。

「ま……、わたくしの予定としては、貴方がたは今頃ここで全滅しているはずなのですが――それはいいですわ」
「貴方の仕事というのも、あんまり当てになりませんわね?」

軽く背後を振り返り、微笑みながらマントとシルクハット姿の怪人に皮肉とも嫌味ともつかないことを言う。

「よォ、日本妖怪ども!今度はオレ様とやろうぜ、一対五でよ!いや、もっと援軍を連れてきてもいい!」
「日本には『ヒャッキヤコウ』ってェのがあんだろ?引き裂かせろ!知ってる奴を全員連れてこい!」
「リンフォンなんざまだるっこしい。オレ様が手ずから地獄に叩き込んでやるからよォ!ゲッハハハハハーッ!!」

次に口を開いたのは、銀色の顎鬚を生やした大男だ。いかにも凶暴、凶悪といった闘気を芬々と撒き散らしている。
少女が男を一瞥し、溜息をつく。

「控えなさいロボ。今は、わたくしが話をしているのです」
「……フン」
「血の気が多くていけませんわね。――さて、日本妖怪の皆さん。今回の用件というのは他でもありません」
「今日は貴方がたへご挨拶に伺ったのですわ。これから、わたくしたちが計画を成すにあたって。そのお断りを、ね――」
「……宣戦布告とも言いますかしら」

そう言って、長い前髪から覗く大きな右眼を細める。

「これから、2020年の東京オリンピック開催までの間に。東京都内に存在するすべての妖怪をわたくしたちの支配下に置きます」
「逆らう者は容赦しません。もし、貴方がたがわたくしたちの行ないに異議を唱え、楯突くというのなら……」
「全力で。潰しますわ」

ゴウッ!

少女の全身から妖気が迸り、ブリーチャーズの髪や衣服を嬲る。黄色い隻眼が炯々と妖しく輝く。

「わたくしの名はレディベア。偉大なる『妖怪大統領』に仕え、その意思を伝える――大統領の名代ですわ」
「この者は人狼(ルー・ガルー)のロボ。ジャック・フロストのクリス。そして……赤マントの怪人65535面相」

少女、レディベアが残りのメンバーを紹介してゆく。最後の赤マントの名前が出ると、橘音は不快げに呻いた。

「貴方がたが『東京ブリーチャーズ』なら、わたくしたちはさしずめ――」
「『東京ドミネーターズ』とでもいったところかしら?うふふふ……ふふふッ、あはははははは……!」

高らかに笑うレディベアの背後で、三人の妖怪がブリーチャーズへと殺気交じりの妖気をぶつけてくる。
2020年の東京オリンピックまでに、東京に存在するすべての妖怪を従えようと目論む一団。


――『東京ドミネーターズ』。

12 :
「『東京ドミネーターズ』とでもいったところかしら?うふふふ……ふふふッ、あはははははは……!」

高らかに笑うレディベアの背後で、三人の妖怪がブリーチャーズへと殺気交じりの妖気をぶつけてくる。
2020年の東京オリンピックまでに、東京に存在するすべての妖怪を従えようと目論む一団。


――『東京ドミネーターズ』。



さすがに寒い

13 :
 禹歩の生み出した白い結界が戦闘区域全体に、祈の足元にまで広がってくる。
水面に落とした水滴が波紋を作るかのように。
 結界からは呪いや穢れというようなものを阻む優しい光が放たれていること、
そして何よりこの結界内にいても祈が無事であることからも、
この光が少なくともブリーチャーズを害するようなものでないことは明らかであった。
仲間達がまだ戦っていて、コトリバコに対抗する為に何らかの術を、
恐らくあの“うほ”とかいうダンスによって展開したのだろうと祈は推測する。
 さて自分も仲間たちの戦闘をサポートすべく向かわねばと動こうとして初めて、
腕や足がずきりと痛むことに気付く。
「痛っ」
 痛みは特に右足からだった。
祈の右足はスポーツ用品店の石床をぶち抜いて、足首まで埋まってしまっている。
金属製のバットを投擲する際、コトリバコ『ハッカイ』を確実に倒す為にと思い切り踏み込んだ故であった。
痛みは、その時の衝撃がダメージとなって返ってきているからだと推測された。
 ピッタリ足型にできた穴からどうにか右足を引っこ抜くと、勢いがついたのか尻餅をついてしまった。
そのままの状態で右足を見遣れば、靴の上部と下部はまるで鰐が口を開いたように分離しており、
しまいには下部分は完全に壊れて、ポロリと落ちてしまう。
それを目で追うと、ふと祈の足型にできた穴の底に、氷が張っているのが目に入った。
役目を果たしたかのように消えていくそれは、まるで植物の根のように石床に深く突き刺さって広がっていたようである。
靴がこれ程ボロボロになり、石床が割れた状態で祈が踏ん張れたのも、
ノエルが靴底に作ったこの氷の棘が地面に深く突き刺さり、根のように広がって力を分散、
祈の足を支えてくれたからに違いない。
 続けて、祈は立ち上がって腕の調子を見た。
 腕の痛みも同様に、金属製のバットを全力で振り回したからだろうと思われた。
ギリリと体が軋むほどにねじり、遠心力を利用して思い切り投げつけた形だが、
そうすればバットを振り回す腕は外側に引っ張られる。
それを無視して強引に、更に力を込めて放り投げたのだ。当然ダメージはある。
 全力で踏み込んだ足。遠心力に引っ張られた腕。筋肉が悲鳴を上げているのだった。
だが恐らくは、それ程までに全力を振り絞っての投擲だからこそハッカイの頭を砕き得た。
 バットが回転しながら空を奔り、コトリバコの赤ん坊の頭を貫く光景が祈の頭に思い出された。
ノエルに止めを刺されて瀕死の状態になっていたとは言え、その頭蓋は恐らく、
尾弐でもなければ容易には砕けぬほどに頑強だったはずだ。
 筋疲労から震える手足だが、手指に力を入れ握ったり離してみたりしてみればまだ動いたし、
その場で跳ねてみても問題はない様子であった。それを確認すると、祈は動き始める。
「とりあえず、靴買わなきゃな……」
 金属製バットがあったこともだが、入ったのがスポーツ用品店であったのはつくづく幸いだった。
ここならば靴の替えがいくらでもある。
 適当なレディース用ランニングシューズの中から自分の足のサイズに合うものを見繕ったら、
戦闘後ももしかしたら私用に使うかもしれないことを考え、財布からその靴の価格分の金を置いて、履き替える。
財布の中身は大分軽くなったが、これで少なくとも、あのデコボコ道を歩くことに支障はなくなった。
 ハッカイの吐瀉物で破壊され、見る影もなくなった商店街の道。そこを転ばぬように歩いて、
祈はハッカイのコトリバコを回収する。
今は力を使い果たして動かぬとはいえ、これを悪用する方法があるやもしれないし、
放置しておくのは可哀想だと思ったからだった。
直接触れることの危険性も考え、もういくらかボロボロになっている遮光カーテンに包んで抱えると、
やや急ぎながら仲間達へと続く道を戻って行った。

14 :
 戻ってみれば、仲間達の姿は傷付いているものの確かにそこにあり、
誰一人として欠けていないことに祈はほっとする。
コトリバコ達も片付いているらしく、祈の出番はもうなさそうであった。
 尾弐が相手にしたニホウ、サンポウ、シッポウ。
品岡が負傷しながらも倒したイッポウとロッポウ。
そこに積まれている雪の山にはゴホウ及びチッポウがいて、恐らく橘音とノエルが討伐し終えた。
更に自壊寸前だったハッカイに止めを刺すと言う形で、ハッカイを祈が倒した。
 これで、東京に現れた脅威である全てのコトリバコが倒されたことになる。
 しかし。
……ォ……
………ォォオ……オォォオォオオォォォォオオオ……
…………オォォ……オギャアアァアァァアアアァアァァァアアァ…………!!!
 先程と同様の、子どもの鳴き声。
「終わって、ない!?」
 カーテンに包んで持っているハッカイの寄木細工が、小刻みに揺れ始めたのを祈は感じた。
その揺れは次第に大きくなり、まるで心臓が脈打つようなリズムへと変わっていく。
倒されたコトリバコ達はケ枯れを起こし、寄木細工に戻ったはずだった。
であるにも拘らず、もう――力を取り戻し始めているというのか。
これが、製法を伝えた男が武器と称し、橘音が世界を滅ぼすとまで言った、コトリバコという脅威。
無尽蔵の呪い。
 祈は戦慄する。流石にメンバー全員が満身創痍だ。
このまま力を取り戻したコトリバコと第二ラウンド開始となれば、結果はどうなるかわからない。
仮に上手く倒せたとしても、更に復活されたら次はどうか。その次の次は。
想像するだに恐ろしい、自分達が敗北する未来が見えた気がした。
>「やらせませんよ。アナタたちは――然るべき場所へ送ると。もう決まっているのですから」
>「――ムジナさん!預けていたものを!」
 橘音の声が祈の思考を、最悪の想像を途切れさせた。
そして橘音は品岡からジュラルミンケースを、
――どうやら品岡は形状変化で小さくしたそれを首から下げていたらしい――受け取り、開封する。
 その中身がコトリバコ達の復活を阻む何かであるようだが、
橘音がジュラルミンケースから取り出したのは、コトリバコのような寄木細工とは異なるが、
>「これが、今回の目玉商品。目には目を、歯には歯を――パズルにはパズルを、です」
 三角形がいくつも組み合わさった、二十面体かその辺りの立体パズルであった。
 橘音は自身に強力な戦闘技能がない故に、頭脳労働ともう一つ、道具を使って《妖壊》と対峙する。
コトリバコの攻撃を回避する不思議なマントや、離れている妖怪を呼び出す奇妙なタブレットなどがその良い例だ。
恐らくこのパズルもまた、その類の不可思議な力を持ったアイテムなのだろう。
 橘音はそれを恭しく、まるでおにぎりでも持つかのように両手で包むと、
猛然とそのパズルを組み上げ始めた。橘音の掌で立体パズルが目まぐるしくその形を変えていく。
>「レベル1!」
 橘音がそう言って組み上げたのは、まず熊の形だった。熊だと解ったのは、
お土産品店などで見たことがあるような木彫りの熊と形と似ていたからだ。
鮭でも咥えさせればよりそれっぽくなるだろう。
>「レベル2!」
 次に出来上がったのは大きく翼を広げた雄々しい猛禽の姿だった。
獲物へ向かい急降下する鷹か、あるいは鷲であろうと思わせた。
>「レベル……3!!」
 瞬く間に姿を変えていくパズルが最後に取った姿は、魚。
魚は、まるで今の今まで川で泳いでいたものをそのまま持ってきたような、活き活きとした姿を見せた。
見事な早業に一時目を奪われる祈だったが、
>「総員、退避!何かに掴まって、絶対にその手を離さないでください!」
 橘音の指示で弾かれたように顔を上げると、
カーテンに包んだハッカイごと、手近な場所へと退避する。
足が痛むので、そこまで遠くには避難できない。
「いや、何かに掴まれったって……」
 祈が咄嗟に掴んだのは、道路標識だった。
尾弐が道路標識を軽々と引っこ抜いているのを見ているので、
これを掴んでいて果たして大丈夫なのかという不安が脳裏をよぎるが、
今から移動するのは流石に愚策だと思われた。
 橘音がいる方を振り返ってみれば、そこには飛び跳ねたパズルの魚が変容した、『門』があった。
唐突に出現した門に、そして開かれたその先に広がる光景に、祈は言葉を失う。

15 :
>「このパズルの名は『リンフォン』――」
>「凝縮された、極小サイズの地獄。地獄の門です」
 開け放たれた門。
その先に広がるのは生者が決して見ることのない世界だった。
 稲妻が舞う灰色の空。赤黒い大地は荒寥としていて、草木は見えない。
まるで門の先に広がる世界そのものが死んでいるかのような錯覚に、寒気がした。
 あれが血の池地獄だろうか。ではあれは針の山地獄だろうか。
ではそれに並ぶあの人々はこれから――。
これが罪を犯した人々を罰する、拷問の為の世界。罪を償う為の死後の世界。
 地獄。煉獄。インフェルノ。
『RINFONE』をパズルの如く組み替えて、『INFERNO』が出来上がる。
祈の目の前にはまさしく地獄が広がっていた。
 不意に門が鳴いて、ごう、と。その向こう側から風が吹く。冷たく乾いたその風は
魂までも冷やしていくようにうすら寒く、そして、祈の体を浮かせるほどに強く吹き付ける。
道路標識を抱くようにしてきつく握り、耐えながら、祈はそれを見た。
風と共に門の奥から飛び出してくる無数の手を。
まるで死人のように血の気がない灰色の手が伸びて、何かを探すように忙しなく動いている。
 強風で祈の持っているカーテンが激しく揺れて、結び目が解けた。
中に包んでいたハッカイの寄木細工が零れ落ちる。
「くっ」
 祈は咄嗟に手を伸ばすが、爪の先を掠めただけで掴むことはできない。
そのまま風に煽られて地面を転がったそれを、亡者の腕がすかさず掴み上げた。
「あっ!」
 同様に、転がるイッポウも骨ばったその手でがしりと掴むと、
門の奥へと攫って行こうとする。
雪に閉じ込められたゴホウ、チッポウが小箱から飛び出して抵抗するも、手に捕まえられてしまった。
ロッポウもまた掴まれて――連れていかれる。
 わかってしまう。足掻くコトリバコ達の姿を見て。
あの無数の手が探していたのは、“自分達が連れて行くべき者”だ。
地獄に連れて行くべき者を探していたのだ。
 コトリバコ達は怯え、抵抗する。
この手達が己を門の先へと連れて行き、二度と帰さぬものだと本能的に察知したからだろう。
 しかしそのコトリバコ達の抵抗も虚しく、無数の手は彼らを無情に、門の奥へと誘う。
 そして最後に、再び付喪神としての肉体を顕現させ、
必死に逃げ出そうとするハッカイの四肢をも無数の手が千切り取り、
>アアアアアアアアア!!!アアア……ギャアアアアアアアアアアア―――――――ッ!!!!!
 断末魔の絶叫を上げる本体も連れて行く。
そうして手達は全てのコトリバコをその門の先へと攫って行ってしまった。
>「あらよっと!」
 それを見届け、門を閉じる橘音。
ハッカイの断末魔も途切れ、聞こえなくなる。風は止み、門もまた魚の形へと戻った。
それを橘音が鷹へ、更に熊へと逆順に戻していき、ジュラルミンケースに収納すれば。
――終わりだった。
 コトリバコと言う未曽有の脅威は去って、
強風や戦闘で荒れてしまった商店街とブリーチャーズだけが残された。
 恐らくは、こうするしかなかった。
橘音は常に最善の策を考える。その橘音がリンフォンを用い、コトリバコを地獄に送ったのなら、
それしか手がなかったのだろう。
 だが、できることなら。助けてあげたかった。そんな思いや無力感が祈の胸を支配する。
伸ばしていた腕をだらりと降ろして、門があった場所を祈はただ見つめていた。

16 :
>「……さて……。これでコトリバコの漂白は完了しました。ミッション・コンプリートと言いたいところですが……」
>「まだ、お客さんがいるようです」
 橘音がそう告げ、顔を上げた。その視線は雑居ビルの屋上に注がれている。
祈も、まだ終わってないならと、気持ちを切り替えようと努めながら
その視線を追ってみると、雑居ビルの屋上には4人の男女の姿があった。
 黒で彩られた半袖ミニのワンピースを着た、ツインテール少女。
ガタイが良いあまりスーツを窮屈そうに着ている髭面の大男。
上から下まで真っ白い女。真っ赤なマントに身を包んだ怪人。
 それらが逃げ遅れた一般人、などではないのは、その出で立ちと感じる力からも明白だった。
黒幕。そんな言葉が祈の頭に浮かぶ。
 思えば、最初にコトリバコと遭遇した際、聞こえた泣き声はハッカイのものだけだった。
だが、ブリーチャーズがその相手をし始めると、まるで誰かがそこら中にコトリバコをばら撒いたかのように
一斉に泣き声が聞こえ始めて、イッポウからチッポウまでのコトリバコが展開した。
コトリバコは人の赤ん坊のようなもので、群れて行動する習性などないだろう。
 だとすれば、その場に恐らく彼女達はいた。
 彼女達はずっとこの商店街にいて、コトリバコをばら撒いた後、
その雑居ビルの上から、あるいはその中からブリーチャーズの戦いを観察していたのだろう。
 ツインテールの少女がぞんざいな拍手をしながら、口を開いた。
>「ずいぶんと手こずったようですが……なんとか勝てた、という感じですわね。お疲れさまですわ、日本妖怪の皆さん?」
>「楽しんで頂けましたかしら。結構ハラハラドキドキな趣向だったのではなくて?うふふ!」
 その言葉に、祈の心臓が跳ねる。
 何がハラハラドキドキだ。沢山の人が死んだのに。
>「よォ、日本妖怪ども!今度はオレ様とやろうぜ、一対五でよ!いや、もっと援軍を連れてきてもいい!」
>「日本には『ヒャッキヤコウ』ってェのがあんだろ?引き裂かせろ!知ってる奴を全員連れてこい!」
>「リンフォンなんざまだるっこしい。オレ様が手ずから地獄に叩き込んでやるからよォ!ゲッハハハハハーッ!!」
 一体何がおかしいと言うのか。
 地獄に送られたコトリバコ達の断末魔を聞かなかったのか。
大口を開けて笑う男の声に、祈の神経が逆撫でされる。
 次いで、ツインテールの少女は自分達の目的を明かす。
『東京オリンピックが始まるまでの間に、東京に存在する全ての妖怪を傘下に収めることだ』と。
今回のこれは、それを邪魔立てするブリーチャーズに対する、単なる挨拶なのだと。
自らをレディベアと名乗ったその少女は、順に三人のメンバーを紹介していく。
大男は人狼のロボ、白い女はジャック・フロストのクリス。赤いマントを被った怪人は、赤マントの怪人65535面相と言った。
 これ程までの被害を出しておきながら、飽くまでも楽し気に、歌うように。
 レディベアはこう締めくくった。
>「貴方がたが『東京ブリーチャーズ』なら、わたくしたちはさしずめ――」
>「『東京ドミネーターズ』とでもいったところかしら?うふふふ……ふふふッ、あはははははは……!」

17 :
「ふざけっ……んじゃ、……ねぇーーーッッ!!」
 レディベアの高笑いに応えたのは、祈の咆哮だった。
祈はぎりと歯をきつく噛んで、雑居ビル屋上の4人を睨みつけ、そのまま喚くように続ける。
「そんなくだらないことの為にあの子達を持ち出したのかッ!
あの子達は……お前達が持ち出さなければせめて! せめて安らかに眠れたはずなんだ!!」
 命を、魂をも蹂躙された子ども達。
彼ら彼女らは数百という年月の後に、その呪いを解かれて眠りにつく筈だったのだ。
 この4人が持ち出したりしなければ、誰かを恨んでR怪物になどならずに済んだし、
地獄に送られると言う悲しい結末を迎えずに済んだのだ。
利用されるだけされて、人を殺し、その後は地獄の責め苦を味わって。
彼らは一体何の為に生まれてきたのか。それを考えると怒りで胸が痛くなる。
「それに人も沢山死んだ!」
 商店街の入り口で、母親の死を理解できず、その亡骸を揺り起こそうとする少年を見た。
あの少年はもう、母親の笑顔を見ることはない。それに気付いた時の絶望を、祈は知っている。
 薬局から出てきて死んだ女性にも、これからがあった。
大切な両親がいたかもしれない、大事な友人や恋人がいたかもしれない。
楽しいこと、辛いこと、様々なことが待ち受けていた筈だ。そこには確かに『人生』があった筈なのだ。
それを理不尽に、気まぐれに奪われた。
祈が目にしていないだけで、もっと多くの女子供が命を落としている。
「何が……『東京ドミネーターズ』だ。何が妖怪大統領だ……何様のつもりだっ……」
 気が付けば涙でぐちゃぐちゃになっていた顔を、祈は上着の袖で乱暴に拭った。
それでも流れ続ける涙をそのままに、祈は顔を上げる。
雑居ビルの上に立つ4人を。東京ドミネーターズを、再び睨む。
 その目に宿るのは、決意。
「お前ら全員、今ここで――」
 祈の持つ妖気がかつてない程に膨れ上がる。
体外に溢れ出したそれは風になり、祈の髪を逆立たせた。
 かの4人は何故姿を晒してきたのか。それは当人達が言うように宣戦布告の意味もあろうが、
今戦った所で勝てると言う絶対の自信があるからだと思われた。
コトリバコとの戦いで傷付いた漂泊者達など、自分達を脅かすような敵ではないと思っているからこそ、
安心してその姿を晒せる。いつでも潰せるという余裕、否、『油断』だ。
 それを突く。
「――倒して、」
 『東京ドミネーターズ』と名乗った者達は恐らく、
ここで逃がせばもっと多くの死者を出す。人々の幸せを奪う。
挨拶や宣戦布告などというだけでこれ程の被害を出す者達なのだから。
東京内に住む妖怪も無関係ではない。
傷付けられたり、利用されるかもしれない。それらは到底、許されることではない。
 ロボとかいう好戦的な人狼から放たれた気は、尾弐を思わせるほど凶暴だった。
ジャックフロストのクリスも力が未知数であり、
恐らくコトリバコ達を盗み出したであろう赤マントの怪人65535面相も得体が知れない。
そんな面子を纏める、妖怪大統領の名代を名乗るレディベア。
祈とそれ程変わらない年齢に見える彼女もまた相当な実力者であろうと思われた。
故に、祈のようなぽっと出の新参妖怪、しかも人間が混ざったような小娘など小指一つで倒してしまえるかもしれない。
 だがそうであったとしても。
「――あの子達や、死んでいった人達の家族の前に引きずり出して、詫びさせてやる……!」
 刺し違えてでも、今ここで奴らを止めなくてはならない。
祈は痛みを、肉体の限界を超えて妖怪としての力を引き出し始めていた。
 雑居ビルの屋上へ駆け上がる算段はもうついていた。
店舗の屋根や換気扇、看板を飛び移るようにして移動し、
そうして屋上まで駆け上がり、攻撃に転じれば――。油断している今を狙った奇襲なら――。
今の祈はもはや、放たれる寸前の、限界まで引き絞られた一本の矢だった。

18 :
自ら作り出したミニ雪山を前にドヤ顔をしていたノエルははっと我に帰る。

「こうしちゃいられない橘音くん、皆を助けに行かなきゃ!」

実質橘音とのタッグバトルだった自分はまだいい方だ。
一人でハッカイを引き付けて走っていった祈は、ニホウサンポウシッポウの三体に袋叩きにされていた黒雄は
ロッポウに成す術もなく追いかけられていたムジナは――無事だろうか。
そこに、タイミングを見計らったかのように皆が帰ってきた。

>「なんとか、ここまで漕ぎ着けましたか……」

「ちょっとみんなボロボロじゃん! 大丈夫!? あ……れ……? 力が入らないや……」

無事とは言い難い者もいるがとにかく仲間達が全員生きている姿を見た瞬間に、ノエルは地面にへたりこんだ。
一見怪我している訳ではないので絵面的には分かりにくいものの、自分が皆に負けず劣らずボロボロであることをここにきて自覚する。
肉体の概念が希薄でHPとMPの区分が曖昧なノエルにとって、無理を圧しての大技の連続は身を削る行為であった。

>…………オォォ……オギャアアァアァァアアアァアァァァアアァ…………!!!
>「終わって、ない!?」

再び響き始めたコトリバコの声に、祈が驚愕の声をあげる。
ケ枯れは一時的な無力化に過ぎず、何等かの手段によって封印等をする必要がある。
それは分かっていたことだが、それにしても――いくらなんでも復活が早すぎはしないか!?

「どうにかしてー! 橘音えもーん!!」

>「やらせませんよ。アナタたちは――然るべき場所へ送ると。もう決まっているのですから」
>「――ムジナさん!預けていたものを!」

ノエ太くんに要請されるまでもなく、橘音えもんは秘密道具を取り出した!

>「これが、今回の目玉商品。目には目を、歯には歯を――パズルにはパズルを、です」

橘音が鮮やかな手つきでパズルを解いていく様を暫し呆然と見ていたノエルだったが、
途中でそのパズルが何なのか察したようで、明後日の方向の心配をし始める。

「大変だ、橘音くんが連日連夜の悪戯電話で眠れなくなっちゃう……!」

>「総員、退避!何かに掴まって、絶対にその手を離さないでください!」

19 :
現れた門にただならぬ物を感じ、とっさに這いずるようにして、手近にあった街路樹の根元に抱き着く。
かくして、門は開かれた。

「何だよコレ……」

門の向こう側を見たノエルは呟いた。本当は分かっているけど魂が理解することを拒否している。
吹きすさぶ冷たい風に、首に巻いたストールがはためく。
門の向こうから伸びてきた亡者の手が、コトリバコ達を連れ去っていく。
祈が、零れ落ちたハッカイの寄木細工に手を伸ばす。しかしその手は届かない。
その光景を見ながら、寒さを感じぬはずのノエルが何故か震えていた。
それは恐怖か、哀しみか、やり場のない怒りかあるいはその全部からくるものであろうが
ノエルには自分の感情を分析する程高度な知能は無く、「ああ、これが寒いということかな」と漠然と思うのであった。

>「あらよっと!」

やがて全てのコトリバコが門の向こうに連れ去られると、あまりにも場違いな軽い掛け声と共に、橘音が門を閉める。
一見不謹慎にも聞こえるが、そうでもしないとやってられないのであろう。
呆然とした様子の祈が門のあった場所を無言で見つめている。
何か声をかけねば、と思うが、かける言葉が見つからない。
八尺様が消滅して苦悩する祈に地獄なんていかないから大丈夫と言い聞かせたばかりなのに。
思いっきり目の前で地獄に連れ去られていくのを見せつけられたらどうしろというのか。

>「……さて……。これでコトリバコの漂白は完了しました。ミッション・コンプリートと言いたいところですが……」
>「まだ、お客さんがいるようです」

「えぇ〜、もう勘弁してよー! 後でハーゲンダッツ奢ってね!」

気力を振り絞ってよろめきながらも立ち上がる。
雑居ビルの上の四つの人影を見た瞬間、妖力スカウター完備のノエルには分かってしまう、こりゃあ勝てないなと。
レディベアと名乗った少女の口上を、わざわざビルの上から堂々と自己紹介するなんて
漫画やゲームに出てくる悪役みたいだなあ、等と思いながら呆然と聞いていた。

>「貴方がたが『東京ブリーチャーズ』なら、わたくしたちはさしずめ――」
>「『東京ドミネーターズ』とでもいったところかしら?うふふふ……ふふふッ、あはははははは……!」

>「ふざけっ……んじゃ、……ねぇーーーッッ!!」

20 :
その咆哮のような叫びに、朦朧としてどこか夢の中のようだった意識が現実に戻ってくる。
祈が涙を流しながら激怒している。
ここで戦っても勝てる見込みがなく、どうにかして穏便にお帰り頂きたいこの状況においては、賢明な行為とはいえない。
しかし涙を流す機能もなければ怒りをこれ程ストレートに表現する事も出来ないノエルは、そんな祈を見て眩しく思うのだ。
しかし怒りに任せて突撃したところで返り討ちに合うだけだ、止めてやらねば――そう思っていたのだが。

>「お前ら全員、今ここで――」
>「――倒して、」
>「――あの子達や、死んでいった人達の家族の前に引きずり出して、詫びさせてやる……!」

祈の妖力がかつてないほどに膨れ上がるのを見て気が変わった。
倒すなんて相手の力が読めていないからこそ言える大言壮語なのは違いない。だけど――
今の祈なら、倒すことは出来なくても奴らに一矢報いることなら出来るかもしれない。
おそらく、奴らの方針はすでに決まっている。
自分達の計画に邪魔になるとして適当に甚振った上で全員Rか。
利用価値があると判断した等の理由でこの場は見逃すかのどちらかだ。
祈が暴れよう暴れまいが、その結論は変わることはあるまい。ならば――止める理由があるものか!
祈に、任せてのウィンクをする。
我が小さき友よ、君が行くなら全力で支援するぞ――という思いを込めて。
祈が狙っているのは相手の油断に乗じての奇襲だ。ならば、更に油断させつつ注意をこちらに引き付けてみせる!
少しでも気を抜けば意識が飛びそうで立っているのも辛い状況だが、精一杯いつもの調子を装って笑ってみせる。

「うちの若い者が失礼な事を言ってすみません! こう見えて見た目通りのロリなんでどうか寛大な心でお許しを!
つきましてはお近づきの印にナイスなニックネームを考えてやったから有難く拝命しやがることだな!」

まずはレディベアをびしっと指差し。

「まずはそこのロリババア! 全身真っ黒でテディベアってことは正体熊?
まあいいや、そのアンニュイな前髪は鬼○郎ヘアー、……いや、あれは出てるのが右だから逆鬼○郎ヘアーで決まり!」

まず名前自体を聞き間違えていた。次なる犠牲者は人狼ロボ。

「次にそこのけものフレンズ! ぶっちゃけお前狼王ロボやろ!?
ほらあれ、ムツゴロウ先生のモフモフ動物記! 長いから略してムツゴロウでいいよ!」

狼王ロボまではいい線いったもののその次のステップで惜しくも盛大に脱線した。
次は何故か順番を入れ替えて怪人赤マントを指さす。

21 :
「怪人ろくまんごせん……。誰も覚えられないし数字が中途半端すぎだろ! 面倒だからカンスト仮面な!」

残念、9999以上はカウンターストップらしい。そして順番を変えて最後に持ってきた真打である。

「そして……お前だよお前! 名前の由来にそこはかとない親近感を感じるけどそれはいいとして。
ナチュラル過ぎてさらっと流しそうになったけどさ――ジャックフロスト訳すと霜男じゃん!
霜男(巨乳美女)って何やねん! ぶっちゃけお前ソーセージだろ! それとも工事完了済みなのか!?」

両手を上に掲げて、生成するは巨大な氷のブーメラン。

「どっちにしてもその巨乳は偽物……というわけで偽乳特選隊だぁああああああああ!」

――祈ちゃん、行け!!
ブーメランを極力派手なモーションで屋上目がけてぶん投げると、今度こそ精魂尽き果てて膝を突いた。
話が脱線しすぎて当初の目的が忘れられていそうだが、もちろんこれは祈の奇襲を成功させるための囮だ。
しかしブーメランが戻ってきて自分の額に突き刺さる気しかしないのは何故だろう。
――無茶しやがって。合掌。

22 :
肉体が訴える痛みを無視しつつ、尾弐がこの騒動の開始地点である商店街に戻った時には、既に戦況は決していた。
そこには地を這いずる異形の赤子の姿は存在せず、ただただ赤子の数だけの小箱が残されている。
撲殺、刺殺、圧殺。
超常に破壊された各々の戦闘痕は、まるでコトリバコ達の墓標の様で。
そして、その墓標の傍に墓守の如く立つ者。
ブリーチャーズの面々は……ただの一人も欠ける事は無く、そこに存在していた。

「念の為、急いで駆けつけたんだが……どうも心配性が過ぎたみてぇだな」

全員の生存を確認した尾弐は、労う様にムジナとノエルの肩を軽く叩いてから
彼等から少し離れた位置に腰を下ろす。
今回の戦い。戦果としては上の上。快勝であると言っても良いだろう。
なにせ、相手は特大の呪詛であったのだ。
他者の死を生態とするコトリバコを前に一人の死者も出さなかったというのは、正に快挙である。
無論、各々がそれぞれに手傷は負った。
酷いものでいえば、ムジナなどは腕が存在していない。
だが……それでも生きている。生きていてこそのモノダネだ。
戦いの終わりの予感に安堵する尾弐であったが


その終わりへの予感は錯覚で
実際には、何一つ終わってなどいなかった


「……人類滅ぼす呪いにしちゃあ随分お優しい結果だとは思ったが、余力を残してたって訳かい」

突如として響いたのは、『赤ん坊の泣き声』。
徐々に大きさを増していくその声には、この場に居る全ての存在が既視感を覚える事であろう。
即ち、コトリバコの現出。その前兆現象である。
……そう、妖怪は死なない。前提としてその事をブリーチャーズの面々は想定すべきであった。
餌となる呪詛が尽きなければ、妖怪は滅びない――――Rない。
故に、その呪詛の塊であるコトリバコは、呪詛が尽きるまではケ枯れる事無く何度でも蘇る。

その復活に共鳴する様に僅かに熱を持ち始めた右腕の拳……三体のコトリバコを潰し喰らったソレを
強く握りしめ黙らせながら、尾弐は立ち上がり思考を巡らせる。

(全員の消耗が激しすぎる……この状態でもう一度ヤリ合うのは無理だな)

負傷したブリーチャーズと、復活するコトリバコ。
ここでまともに戦うのは、はっきりと言えば愚策と言っていいだろう。
万全の状態ですら苦戦した相手に負傷した状態で立ち向かえばどうなるかなど、子供でも判る。
まして、コトリバコ達は後何回倒せばケ枯れるのかすら定かではないのだ。

(呪詛の付喪神なんて執念深いモンが素直に逃がしてくれるとは思えねぇが
 まあ、それでも頑張って逃げる以外にゃねぇか……この段階でバレる訳にもいかねぇからな)

ならば、取れる手段は撤退しかない。ここでコトリバコ達を見逃せば犠牲は更に増えるだろうが、
それはここで対峙して自分たちがケ枯れても同じ事である。
結果を生まない努力など無能の自己満足に過ぎない。ここは『次』の機会に備えるべきだ。
尾弐がその様に思考し、それを実行しようとした――――その時。

23 :
>「やらせませんよ。アナタたちは――然るべき場所へ送ると。もう決まっているのですから」

響いたのは、ブリーチャーズの頭目である那須野橘音。
ブリーチャーズの中でただ一人、『コトリバコが蘇る可能性を考えていた』者の声。
その声に釣られて尾弐が視線を向けて見れば、そこに居る那須野は手に一つのパズルを握っていた。

「……那須野。お前さん、そいつは一体」

>「これが、今回の目玉商品。目には目を、歯には歯を――パズルにはパズルを、です」

那須野が手に持つのは、一見何の変哲も無いただの玩具。
だが、それを視界にとらえた瞬間、尾弐の全身は冷水を浴びせかけられたかの様に粟立った。
那須野とは長い付き合いである尾弐ですら見た事のないその道具。
尋常ではない気配を纏うその道具を、那須野はいつかのルービックキューブの様に展開させていく。

箱から熊へ。熊から鷹へ。鷹から魚へ。

形が変わると共に、ソレは放出する力……形容し難いエネルギーの量を増大させ

そうしてとうとう。
魚は自立して動きだし、その形状を『門』と化した。

そうして
そうして
組み上げられた門は

地獄の門は開く

>「このパズルの名は『リンフォン』――」
>「凝縮された、極小サイズの地獄。地獄の門です」

那須野の声と時を同じくして、尾弐の視界に飛び込んできたのは、
開き切った門の奥に広がる、赤黒い大地に彩られた鉄と腐臭の漂う風景。
終わった存在がたどり着く世界。人が想起する破滅の極致。

――――地獄。

リンフォンと言う道具は、その世界の光景を忠実にその門の奥へと映し出していた。

「……焦熱、黒縄、阿鼻……昔に巻物で見た通りじゃねぇか」

手近に有った赤い消火栓を掴みながら地獄の情景を見る尾弐は、
その情景に無意識に遠い昔に見た絵巻物の内容を思いだし、零れるように無意識にそう呟く。
そして、僅かな時を置いて……その地獄の門の中から無数の腕が凄まじい勢いで門の外へと伸びてきた。
数百を越える灰色の腕。亡者の腕。
八尺様の生み出した腕など児戯に等しく思える波の様な量の腕は、何かを探しながら蠢き――――

>オォオォオォォォォォオオオォオオ……、オギャアアァァアァアアアァアァァアアァァァ……!!!

やがて、求めるソレを見つけ出した。
彼等の同族たる亡者を。死してなお現世に留まる業深き魂を。
『コトリバコ』の素材とされた、無数の赤子達を。

24 :
腕は、抵抗も逃走も許さない。
コトリバコの本体である小箱を掴みとり、現出した付喪神としての肉体を揚々と砕き、
イッポウ、ゴホウと、彼らの魂を次々と苦痛のみが続く地獄へといざなっていく。
響き渡るコトリバコ達の断末魔

――――そして、その最中。
『腕』達の幾つかが尾弐へと……正確には尾弐の右腕へとその食指を伸ばして来た。だが

「……ああ、そういや獄卒ってのは鬼が務めてるんだったな」

尾弐が視線を向けると、腕達は何かに怯える様に、波が引くかの如くその手を引っ込めてしまった。
それは、永劫とも思える年月を『地獄の鬼』によって虐げられた、亡者の魂に刻まれた恐怖の感情が故の事だろう。
腕達は餌を前にした野犬の様に尾弐の周囲を遠巻きにうろついていたが
やがて、ハッカイのコトリバコが最期の悲鳴を挙げながら門の奥へと引き込まれると

>「あらよっと!」

那須野の声と共に 扉が閉じられたことで、門の奥……地獄へと戻って行った。
直後に広がるのは、不気味なまでの静寂。
常であればこのあたりで那須野が終結を告げるのであるが、残念な事に此度は常識外。

>「……さて……。これでコトリバコの漂白は完了しました。ミッション・コンプリートと言いたいところですが……」
>「まだ、お客さんがいるようです」

脅威が去った後に、猛威が訪れる、厄日。
尾弐が那須野に合わせて視線を動かした雑居ビルの上。そこに『彼女ら』は居た。

>「ずいぶんと手こずったようですが……なんとか勝てた、という感じですわね。お疲れさまですわ、日本妖怪の皆さん?」
>「楽しんで頂けましたかしら。結構ハラハラドキドキな趣向だったのではなくて?うふふ!」

悠然とたたずむのは四つの人影。
黒の少女と白の女。銀の男と赤の怪人。

>「貴方がたが『東京ブリーチャーズ』なら、わたくしたちはさしずめ――」
>「『東京ドミネーターズ』とでもいったところかしら?うふふふ……ふふふッ、あはははははは……!」

ブリーチャーズの面々に膨大な妖気と殺気を向ける彼等こそが、恐らくは今回の騒動の黒幕。
宣戦布告などという行為の為に、コトリバコ達を使用し、平穏な街に死をまき散らしたのであろう悪逆非道の徒。
『妖怪大統領』なる存在の傘下を名乗るその西洋産の妖怪集団に対し、尾弐は

「……」

けれど、驚く程に反応を見せなかった。
無論、全くの無反応という訳では無い。ロボと言う男の傲岸不遜な発言を聞いた時には、眉を潜めていたし、
赤マントの妙に長い名前を聞いた時は、懐かしい芸能人の名前でも聞いたかの様な態度を見せた。
だが、それだけだ。
初遭遇の未知の敵対集団に対しての驚愕の反応が、尾弐にはあまりにも不足していた。
まるでそれは――――彼女等の様な存在の襲来を、予期していたかの様に。

だが他の者達……特に、祈はそうではない。

25 :
>「ふざけっ……んじゃ、……ねぇーーーッッ!!」
>「――あの子達や、死んでいった人達の家族の前に引きずり出して、詫びさせてやる……!」

彼女は、涙を流し、他人の死を悼み、地獄に落とされたコトリバコ達をすら憐れむ事の出来る存在だ。
だからこそ、人間らしい優しい心を持つ彼女は、この事件を引き起こしたのであろう
『東京ドミネーターズ』の面々に対し、涙を拭いながら怒声と憤怒の感情……そして、
感情によって膨れ上がり増大した妖力と、害意を向ける。向けてしまう。

> 「うちの若い者が失礼な事を言ってすみません! こう見えて見た目通りのロリなんでどうか寛大な心でお許しを!
>つきましてはお近づきの印にナイスなニックネームを考えてやったから有難く拝命しやがることだな!」

そして、それに呼応するのはノエル。恐らくは祈を支援するつもりなのだろう。
彼は、常の通りの調子でビルの上に立つ面々へと挑発の言葉を吐いた上で、膝を付く程に妖力を振り絞り
氷で出来たブーメランを投げつけてしまった。

「っ!? やめろ馬鹿野郎共!!」

僅かな間に引き起こされたその行動に対し、僅かに離れた位置に立っていた尾弐は焦り制止の手を伸ばすが、間に合わない。
そう、尾弐は制止しようとした――――この場面で、積極的に事を構えるのは悪手であると、そう考えていたのである。

味方は全員が消耗しており、対する敵は全員が万全の状況。
敵はこちらの情報を得ているが、味方は敵の攻撃手段すら判らない。
まして、敵の実力は放たれた妖力だけでも相当なものであると推測出来る。

この状況で敵に挑むなど、自殺行為に他ならない。
故に、尾弐はブリーチャーズの面々も自分たちから仕掛けるなどしないだろう。そう考えていた。

まだ子供と言っていい年齢の祈の感情の爆発……危うさを秘めた心の強さを。
理性よりも感情が先に立ちがちな、ノエルの奔放さを。

結局の所、尾弐は彼等の心の動きというものを見誤ったのである。


一度放たれた弾丸は戻らない。
余程の事がなければノエルの放った氷のブーメランは敵を襲い怒りを買い、祈は「一矢報いる」ために命を危険に晒すだろう。
ならば、ここで尾弐が取る事の出来る選択肢は一つのみ。

26 :
「っとに、オジサン使いが荒ぇなガキ共は! 那須野、ムジナ……悪ぃが『この後』は任せるぞ!」

言葉と共に、最寄りのバス停の標識を右手に掴む尾弐。
彼は、膝を付いたノエルの前に立つと、そのままノエルの投擲したブーメランと軌道を同じくして

「西洋かぶれのガキ共――――俺が腰痛になったら責任とれよ、っと!!」

『東京ドミネーターズ』の面々へ向け、バス停を投げつけた。
風切音と共に放たれた大質量――重石付のバス停は、中世の大砲の様な威力を以ってブーメランと時間差でドミネーターズを襲うだろう。
けれど、尾弐はそれで彼等に手傷を負わせられるとは考えていない。
消耗した片手落ちの一撃だ。恐らくは、叩き落されて終わるだろう。

だが、それでいい。
尾弐の本命は、頑強な自身の肉体を盾とし、想定される敵の反撃からノエルを守る事。
時間差の追撃を行う事で、囮の囮……敵の中に居るであろう用心深い者に対し、自身の攻撃こそが『本命』であると偽装し、
注意を集め、反撃を受け。祈が攻撃後に逃げる為の隙を増やす事。

即ち、一種の捨て駒となる事であるのだから。

27 :


面白いと思って書いてんのかゴミ

28 :
それぞれの敵を撃破したブリーチャーズの面々が橘音の元へと集っていく。
誰一人として無傷のまま戻った者はおらず――誰一人として戻ってこれない者もない。
史上最悪の呪いを相手にして、全員が生きて帰ってきた。

>「なんとか、ここまで漕ぎ着けましたか……」

「ホンマになんとかですな……危険手当、期待しとりますよ」

品岡は煙草の煙と溜息を同時に噴き出した。
しこたま瓦礫の上を転げ回ってズタズタになった口に煙が染みる。
傷の治りが遅いのは、品岡の妖力もかなりすり減ってしまっているからだ。

「ああ嬢ちゃん、もうコトリバコも全部ケ枯れしたしそろそろ妖術解いてもええで――」

なんの気なしに品岡は祈に言うが、それは軽率な判断だった。

>…………オォォ……オギャアアァアァァアアアァアァァァアアァ…………!!!

地の底から響くような声は、紛れなくコトリバコのもの。
品岡は泡を食った。

>「終わって、ない!?」
>「……人類滅ぼす呪いにしちゃあ随分お優しい結果だとは思ったが、余力を残してたって訳かい」

「いい!?まだ生きとるんかクソガキ共!」

至極道理ではある。
コトリバコはこの世で最も濃密な悪意を更に煮詰めて練成された呪いだ。
子供を二三発ぶん殴ったところで更に大声で泣き叫ぶように。
ケ枯れが妖怪の終わりではない。

>「どうにかしてー! 橘音えもーん!!」

緊張感のないノエルの要請に、律儀に応える上司が一人。

>「やらせませんよ。アナタたちは――然るべき場所へ送ると。もう決まっているのですから」
>「――ムジナさん!預けていたものを!」

「へい坊っちゃん!」

橘音に促されるがままに品岡は首から下げていた鎖を千切る。
形状変化を解いてジェラルミンケースを元の大きさに戻し、手渡した。
結局アレは何だったのか――答えはすぐに提示された。橘音は躊躇いなくケースを開く。

「あ、開けてええんでっか!?東京滅びまっせ!」

>「これが、今回の目玉商品。目には目を、歯には歯を――パズルにはパズルを、です」

事前に言い渡されていた脅しに反して、ケースを開いたところで何が起きるわけでもなかった。
中から取り出されたのは、ミラーボールにも似た正二十面体。

>「よーい……スタート!」

橘音が手の中の二十面体を高速で組み替えていく。
さながらルービックキューブや寄木細工の解法だ。手際よくずらし、回し、開かれていく。
やがて出来上がったのは小さな熊のオブジェ。間髪入れずに更に組み変わり、鷹。そして――魚。
彼が"レベル"と表現したパズルの段階が一つずつ上がっていくにつれ、二重面体から放たれる妖力が濃密になっていく。
コトリバコとはじめに対峙した時のような、頬を叩く妖気の風が二十面体からも迸る!

29 :
>「総員、退避!何かに掴まって、絶対にその手を離さないでください!」

「一体何が起きとるっちゅうんや!」

言われるがままにすぐ傍の消火栓に掴まると、その警告の意味をすぐに理解できた。
『引っ張られる』。さながら地球の引力に引かれる林檎の如く、橘音の手にあるパズルの方へ。
パズルは既に魚から新たな形へうつりかわっていた。
門。閂が抜かれ、開かれた先に広がる景色は商店街のものでも――現世のものでもない。

>「このパズルの名は『リンフォン』――」
>「凝縮された、極小サイズの地獄。地獄の門です」

「地獄やと……!」

>「何だよコレ……」

あの能天気に手足が生えたノエルですら、いつもの暢気を忘れて唖然としている。
リンフォン。極小の地獄。現世とそこをつなぐ門。
長く妖怪をやっていれば大抵の非常識には慣れたものであるが、その品岡をして最早ついていける気がしない。
そんなものが何故造られたのか。そして何故それが橘音の手にあるのか。

>「ネットオークションにも、結構お宝は隠れてるもんですね!」

「ガバガバやないか妖怪銀行!!」

そんなものを野放しにして、あまつさえ誰でも手に入る状況にあったことに戦慄する。
何の因果か橘音の手元に流れ着いたのは、ブリーチャーズはおろか世界にとっても幸運だったことだろう。
開け放たれた地獄の門。誰かが門を開く理由は、そこを通行させたいものがあるからだ。
地獄の門から色のない死者の手が伸びる。無数の亡者の腕は、転がるコトリバコを捉えた。

>ギィィィィィィ!!アガガガガギギイイイ――――――――ッ!!!!

赤子の叫びは、断末魔に変わった。
残った五つのコトリバコ達が必死の抵抗も虚しく、門の中へと引きずり込まれていく。
あの向こうに何があって、取り込まれた者がどんな目に遭うか……想像に難くないが、したくない。
やがて最期のコトリバコの叫びが門の奥に消えていって、無慈悲な音と共に門扉が閉じた。

>「あらよっと!」

橘音は再びパズルを組み換え、先程の逆回しのようにリンフォンが元の形に戻っていく。
小さく纏められたパズルがジェラルミンケースの中に収まって、ようやく妖気の迸りが鎮まった。

「こら確かに、東京滅びますな……」

引きずられる力が消え、地面に足がついた品岡の背筋にぶわりと冷や汗が浮いた。
人心地ついたのは門が閉じたからでもコトリバコが消えたからでもない。
あんな危険物を肌身離さず持ち続け、あまつさえ戦闘まで経た自分の悪運に対する安堵だ。

>「……さて……。これでコトリバコの漂白は完了しました。ミッション・コンプリートと言いたいところですが……」

漂白は確かに完了した。コトリバコという脅威は失せ、東京に再び平和が齎された。
しかし橘音は未だ警戒を解いていなかった。

>「まだ、お客さんがいるようです」

彼が視線を向けた先、傾きかけた陽光を背景に4つの人影がある。
少女と、女と、大男……それに性別不明の謎の影。
彼らが立つそこは雑居ビルの屋上。封鎖されたこの場所に常人が立ち入ることはできない。
――常ならざる者達。妖怪だ。

30 :
>「ずいぶんと手こずったようですが……なんとか勝てた、という感じですわね。お疲れさまですわ、日本妖怪の皆さん?」

少女が心底愉快そうに声を上げる。
彼女は名乗るより先に、自分が何のためにここにいるかを明かした。
コトリバコを盗み出し、東京の一角で目覚めさせ、地獄絵図を創り出した張本人。
この狂乱の宴のホストにして、殺戮の企図者。

>「今日は貴方がたへご挨拶に伺ったのですわ。これから、わたくしたちが計画を成すにあたって。そのお断りを、ね――」
>「……宣戦布告とも言いますかしら」

(なんやコイツら……なんちゅう妖力しとんねん……!)

コトリバコにも劣らぬ叩きつけるような妖気の波濤は、再び消火栓に捕まらなければ吹っ飛びそうだとさえ錯覚する。
4つの人影、その一人一人が悍ましいほどの力と――悪意を漲らせている。

>「わたくしの名はレディベア。偉大なる『妖怪大統領』に仕え、その意思を伝える――大統領の名代ですわ」
>「この者は人狼(ルー・ガルー)のロボ。ジャック・フロストのクリス。そして……赤マントの怪人65535面相」

「大統領て……またえらくフカすやないか」

品岡は辛うじて声を出すが、殆ど虚勢に近かった。
低級妖怪にすぎないのっぺらぼうはこの巨大な存在感の前に掻き消えそうだ。

>「貴方がたが『東京ブリーチャーズ』なら、わたくしたちはさしずめ――」
「『東京ドミネーターズ』とでもいったところかしら?うふふふ……ふふふッ、あはははははは……!」

ブリーチャーに対する、ドミネーター。
漂白者と対峙する……『支配者』。

名乗りは言葉通りの宣戦布告だった。品岡達とレディベア達の目的は、明確に敵対関係にある。
足が震えてしょうがなかった。心の有り様は肉食獣に睨まれた子羊に近い。
満身創痍で、疲労困憊で、そもそも地力に差があって。勝てるわけがないと、生存本能が警鐘を鳴らす。
品岡の思考回路はいかにこの場を切り抜け逃げ切るかを主題として猛回転していた。

とにかく逃げねば。
踵を返し、全力でここから離脱すべく膝を曲げる。
橘音とアイコンタクトを取らんと横を見た刹那、その更に向こうで怒号が上がった。

>「ふざけっ……んじゃ、……ねぇーーーッッ!!」

怒りをぶち撒けたのは――祈。
コトリバコにさえ慈悲を向けていた彼女が、怒髪天を衝かんばかりに赫怒を漲らせる。

>「そんなくだらないことの為にあの子達を持ち出したのかッ!
  あの子達は……お前達が持ち出さなければせめて! せめて安らかに眠れたはずなんだ!!」
>「それに人も沢山死んだ!」

「あ……あかん……やめぇや嬢ちゃん!」

妖怪混じりの少女から膨大な妖気が吹き上がる。
祈が何をするつもりか、付き合いの長くない品岡にすらはっきりと分かった。
それは人として当然持ち得る真っ当な怒り。人の死を見慣れすぎた品岡が錆びつかせてしまったもの。
おそらく彼女はこの場の居る全ての者の中で唯一、生き残ることではなく戦うことを選んだ。

31 :
>「――あの子達や、死んでいった人達の家族の前に引きずり出して、詫びさせてやる……!」

祈は跳んだ。
一本の矢と化した彼女は誰の制止をも振り切りビルを駆け上がって行く。
品岡にはそれが火に飛んで行く虫にさえ見えた。

>「うちの若い者が失礼な事を言ってすみません! こう見えて見た目通りのロリなんでどうか寛大な心でお許しを!
 つきましてはお近づきの印にナイスなニックネームを考えてやったから有難く拝命しやがることだな!」

「ああああ煽んなアホぉ!!」

祈の怒りに呼応してか、それとも持病の急性発作を起こしたのか、ノエルもまたノエル節全開で煽りを入れ、
妖力で創り出したブーメランをぶん投げる。

>「っ!? やめろ馬鹿野郎共!!」

尾弐の警告も間に合わない。
大人二人は顔を見合わせて、品岡は覚悟を決めざるを得なかった。

>「っとに、オジサン使いが荒ぇなガキ共は! 那須野、ムジナ……悪ぃが『この後』は任せるぞ!」

「だぁーから割に合わんっちゅうんや坊っちゃんの仕事はぁぁぁ!!」

尾弐がバス停を掴み、カタパルトの如く振り被る。
品岡はその根本、コンクリート製の土台へ向けて二発、銃弾を撃ち込んだ。
バス停が東京ドミネーターズに弾かれても、復元された二台の廃車が同じ速度で彼らを襲う。

「その大統領とやらに伝えとけボケェ!」

品岡はせめて、祈に向けられた敵意が自分に切り替わるよう声を上げる。

「うちのシマで商売やりたきゃショバ代揃えて持ってこいやぁ!!億やぞ億!ピン札以外でな!!」


【尾弐の投げるバス停に復元弾頭を撃ち込み、下から挑発】

32 :
東京に巣食う《妖壊》を漂白をするにあたって、種々の事件の裏で蠢く者の存在に気付いてはいた。
が、実際に対峙するのは今回が初めてである。
今まで決して表舞台に現れることのなかった者が、ブリーチャーズにその姿を見せた。
それはつまり――

――準備は万端、ってことですか……。

もはや、姿を隠す必要がなくなったから。東京を掌握し日本妖怪のすべてを支配下に置く用意が整ったという証左なのだろう。
正直に言って、どう考えても現在のブリーチャーズには彼ら――東京ドミネーターズを倒すことはできない。
永年封印指定呪具と戦い、一人の犠牲すら出さず勝てただけでも奇跡なのだ。
その上実力未知数の西洋妖怪たちと戦うなど、無謀にも程がある。そんなことは誰だって理解できるだろう。
実際、尾弐もムジナも。あのノエルまでもが戦闘を回避したいという気配を滲ませている。
橘音もそんなメンバーの無言の要求に応えるべく、マントの内側から新たな狐面探偵七つ道具を取り出そうとした。
……が。

>ふざけっ……んじゃ、……ねぇーーーッッ!!

そんな逃げ腰の空気を打ち破ったのは、祈の怒号だった。

>そんなくだらないことの為にあの子達を持ち出したのかッ!
>あの子達は……お前達が持ち出さなければせめて! せめて安らかに眠れたはずなんだ!!
>何が……『東京ドミネーターズ』だ。何が妖怪大統領だ……何様のつもりだっ……
>お前ら全員、今ここで――
>――倒して、
>――あの子達や、死んでいった人達の家族の前に引きずり出して、詫びさせてやる……!

魂を振り絞るかのような慟哭。
橘音は仮面の奥で双眸を大きく見開いた。
他の三人と同じく、橘音もまた化生としての永い生を歩むうち、喜怒哀楽といった感覚が鈍麻してしまっている。
祈の叩きつけるような激情は、そんな橘音にとっては何よりも眩しいものに映った。

損得よりも、正義か悪かを判断基準とする心。
他者の痛みを自らのもののように受け取り、憤る感情。
自身を満たす激情に身を任せ、行動する勇気。

浅慮ゆえの軽挙かもしれない。自らを律することができない、幼稚な衝動かもしれない。
……だが、それが尊い。
祈以外のブリーチャーズの全員が、それを理解している。だからこそ、祈の行動を力ずくで止めようとする者は誰一人いなかった。
それどころかサポートしている。きっと、メンバーの気持ちはひとつだったのだろう。
自分が遠い昔に失ってしまったもの。最初から持ちえないもの。
それを、なんとしても守らなければならない――と。

この場から一瞬で移動する道具なら、持ち合わせがある。万一漂白に失敗した場合にと用意していたものだ。
ほんの少し前まで、それを使おうとしていた。絶対的に不利なこの状況を打破するにはそれしかないと、そう思っていた。
しかし、一条の矢のようにドミネーターズへと迫る祈を見て、橘音はマントの内側で掴んでいたそれから一旦手を離した。

橘音は東京ブリーチャーズのリーダー兼ブレーンである。
ブレーンはいつ、いかなるときも冷静でなければならない。周囲がどれだけ熱狂していようと、氷のように冷徹に大局を見据える。
それが、メンバーの中で唯一直接戦闘の技能をまったく持たない橘音に要求される仕事だ。
だが。

――行けッ、祈ちゃん!

胸中で橘音はそう叫んだ。
半妖である祈だけが持つ、人間由来の豊かな感情。太陽よりも眩しい煌めき。
東京ブリーチャーズの中で、祈だけが持つその力が。
この状況に何らかの楔を打ち込むことができるのではないか――そう、期待したがゆえに。

33 :
かつてないほど妖気を漲らせた祈が、身軽な跳躍から瞬く間にビルの屋上へと到達する。
祈を援護すべくノエルの放った巨大な氷のブーメランが、尾弐の投げつけたバス停が、ムジナの撃った銃弾が、西洋妖怪を襲う。

>まずはそこのロリババア! 全身真っ黒でテディベアってことは正体熊?

「だっ、誰が熊ですかしらっ!?『レディ・ベア』!テディベアではありませんことよ、イントネーションは合っていますけれど!」
「下等な雪妖ごときが……!脳の代わりに、頭に雪が詰まっているのかしら!?」

ノエルの挑発にレディベアが律儀に反応し、地団太を踏む。煽り耐性は低いらしい。
巨大ブーメランが弧を描き、唸りをあげながらレディベアへ接近する。ブーメランのエッジは剃刀よりも鋭利な刃だ。
ノエルのありったけの妖力を振り絞った、斧の重量と刀の切れ味双方を兼ね備えたブーメラン。
命中すれば、レディベアの華奢な胴体など一撃で真っ二つであろう――が。

「下等な雪妖で悪かったわね」

ずい、とレディベアの前方に真っ白な出で立ちの女――クリスが進み出る。
クリスは猛転するブーメランを一瞥すると、軽く右手を虚空にかざした。
その手の先に出現したのは、ノエルが造ったものと寸分たがわぬ氷のブーメラン。
クリスが上体を大きく捻り、自らの生み出したブーメランを投げつける。
ふたつのブーメランは空中で激突すると、パキィィィィンッ!!と澄んだ音を立てて砕け散り、氷華を撒き散らして消滅した。

「ふふん!よくやりましたわ、クリス!」
「……レディ。大統領には従うけど、アイツへの手出しは許さないよ。アイツはアタシの――」
「わかっていますわ、アレは貴方の好きになさい。まったく、過保護というかなんと言うか」
「ファザコンのアンタに言われたくないんですけど?」

真っ白な髪を一度かき上げると、クリスはノエルを見た。
ソーセージだ偽乳だとある意味一番ひどい罵倒をされたクリスだが、特に不快に思っているふうでもなく、それどころか微笑んでいる。
と、そこへ攻撃の第二波――尾弐の投げたバス停が飛んでくる。
クリスの氷雪を操る力では、氷のブーメランを相Rることはできてもバス停を止めることはできない。
しかし――

「女子供はすっこんでな!今度はオレ様の番だぜ……ゲァッハハハハハッ!!」

野太い右腕でレディベアとクリスを押しのけると、ロボが前に出る。
命中すれば大ダメージ必至のバス停に真っ向から対峙し、左の口角を笑みに吊り上げる。――長大な犬歯が唇から覗く。
ロボは左腕を突き出すと、尾弐が渾身の力で投擲したバス停のポールを難なく受け止めた。
そして、バス停を棒切れか何かのように一度振り回すと、その先端で尾弐を指す。

「おいテメェ!テメェだよ、そこのデケエの!女子供と優男にゃ興味ねえ、オレ様と遊ぼうぜ!」
「テメェは少っしぱかり骨がありそうに見えるしな……。引き裂かせろ、噛み砕かせろ!頑丈さにゃ自信があるンだろう?」
「オレ様も頑丈さにゃ自信があってな。テメェみてえなヤツを見ると、いてもたってもいられねえ!」
「遊ぼうぜ、どっちかがくたばるまで……この『ジェヴォーダンの獣』狼王ロボとよ!!」

そう一方的に言うと、今度は持っていたバス停を尾弐へと投げ返す。
ロボは新しいオモチャでも見つけたかのように尾弐に注視している。飛来する銃弾には見向きもしない。
仮にそれを把握していたとしても、飛んでくる二台の廃車を受けとめるのは困難に違いない。
それが命中したなら、倒せないまでも牽制程度にはなるか――そう思われたが。

「………………」

次に出てきたのは、赤いマントの怪人だった。
怪人が言葉もなくロボの前に立ち、銃弾から廃車へと戻ったムジナの弾頭に対して、マントを大きく広げる。
首から下をすっぽりと覆い隠していた、血色のマント。
その中には『何もなかった』。
胴体も何も存在しない。あるのはただ、夜の帳よりも昏い無窮の闇。
くろぐろとした空間が、さながら宇宙空間のようにその口を開いている。
ムジナの撃った二台の廃車が、マントの内側に吸い込まれてゆく。
赤マント――怪人65535面相、改めカンスト仮面(ノエル命名)がマントを閉じる。
これで自分の役目は終わり、とばかり、カンスト仮面は前に出たときと同じく、滑るように後ろへ下がった。

34 :
祈がビルの屋上に到達する。それを迎え撃つのは、クリスやロボら三人ではない。
『妖怪大統領』の名代を自称する、漆黒の少女レディベア。
レディベアは前髪の間から覗く右眼を炯々と輝かせると、トラバサミのようにギザギザの歯を剥き出して笑った。

「怒りに任せて突進とは――無謀、無知、無策の極致ですわね!」

豁然と開かれた右眼から迸る、雷撃めいた黄色の光線が、祈を直撃する。
だが、それは祈の命を奪うものではない。代わりに強烈な眩暈が祈を襲う。
自分がどこにいるのか、上を向いているのか下を向いているのか。それさえ分からなくなってしまうほどの平衡感覚の異常。
ドミネーターズに一矢報いるどころか、立っていることさえおぼつくまい。

「貴方、言いましたわね……人が死んだと。――それがどうかしまして?」

緩く腕組みし、レディベアが祈を見下ろして言う。

「言ったはずですわよ?わたくしたちは『宣戦布告に来た』と。それはつまり、戦争をしに来たということ」
「戦争で人が死ぬのは、当然のことではなくて?」

長い睫毛に彩られた大きな右眼が、禍々しい笑みを形作る。

「戦争したくない、犠牲者を出したくないというのなら、わたくしたちに跪きなさい。そうすれば、余計な被害は出ませんわ」
「わたくしたちは『東京ドミネーターズ』。目的は殺戮ではなく、支配することなのですから」

コトリバコを使っての殺戮劇は、自分たちの強大さをアピールするための示威行為であったと言外に告げている。
そして、あくまで従属することを拒むのなら、もっと犠牲者が増えるであろうということも――。

「とはいえ。今すぐ結論を出せとは言いませんわ。貴方たちにも考える時間は必要でしょう?尤も、選択の余地などありませんけれど」
「先にも言った通り、今日はほんの挨拶。戦うつもりはありませんわ……妖怪大統領は慈悲深いのです」
「無知蒙昧な土着妖怪の貴方たちには、俄かには理解できないことでしょうが。これは貴方たちのためでもあるのです」
「貴方たちは、2020年に妖怪大統領をこの地にお迎えしたときのセレモニーのことでも考えていればよいのですわ?」
「そして、あの御方を実際に目の当たりにしたとき。貴方たちは心から思うでしょう、『この御方に支配されてよかった』と……」
「なぜなら、あの御方こそ――この惑星すべての妖怪の頂点に立つ!究極の妖怪なのですから!」

両手を大きく広げ、あたかも神を讃えるように、レディベアが熱狂的に『妖怪大統領』を賛美する。
他の三人の妖怪も、それに異を唱えるようなことはしない。それだけ妖怪大統領が桁違いに強大な存在ということなのだろう。

「繰り返しますが、今日は挨拶のみ。卑小な妖怪が牙を剥いたからと、前言を撤回して武力を行使するのは支配者として下の下」
「――よって、今日の無礼については大目に見ましょう。躾のなっていない犬は、おいおい仕込んでいけばよいのです」
「特別の温情によって、暫時の猶予を差し上げますわ。次に会うまでに、自分たちの身の振り方を考えておきなさい」
「偉大なる『妖怪大統領』に傅き、あの御方のために働く栄誉を享受するか。それとも滅ぶか……楽しみにしておりますわ?」
「では――ごきげんよう、東京ブリーチャーズの皆さん!」

ひとしきり高笑いすると、レディベアはおもむろに踵を返した。カンスト仮面が大きく広げたマントの中へ入ってゆく。

「クク……オレ様が遊びに行くまでくたばるなよ?骨のねえ妖怪は殺し飽きたんでな!」
「……また会いましょ。近いうちに、ね――」

レディベアに続いてロボが、そしてクリスが赤マントをくぐってビルの屋上から消える。
最後に赤マントがバサリとマントを翻すと、四人の『東京ドミネーターズ』は跡形もなく消え去った。

35 :
「……立てますか?」

メンバーを伴って雑居ビルに入り、屋上に到達すると、橘音は祈に右手を差し出した。
それからノエルと尾弐、ムジナの方を見る。

「どうやら……お目溢しをしてもらえた、ということのようですね。ラッキーでした、アハハ……」

笑ってはみるものの、ドミネーターズが祈やノエルの挑発に乗っていたなら全滅は必至だった。
文字通り、首の皮一枚でなんとか生き残ったという状況である。
力の差は歴然としていた。仮にこちらが万全の状態だったとしても、ドミネーターズに勝てたかどうか。
よくて相討ち、最悪ひとりも倒すことなく全滅となっていたかもしれない。

「東京ドミネーターズ……また、厄介な相手が現れたものですね」

彼ら西洋妖怪が東京を制圧しようと目論む、その理由はわかっている。
それは、おいおいメンバーに説明しなければならないだろう。
今は説明よりもしなければならないことがある。コトリバコとの戦いで傷ついた身体を癒し、疲労を回復させなければならない。
レディベアは猶予をやると言ったが、具体的にいつまでと期限が切られたわけではない。
いきなり明日また姿を現して、結論を迫ってくるかもしれないのだ。
それに、この商店街に入ってかなり時間も経っている。そろそろ、警察や救急隊が痺れを切らす頃だろう。
となれば、早急にこの場から立ち去る必要がある。

「彼らへの対策や今後のボクらの方針については、また後日相談しましょう。とりあえずは、ミッション・コンプリートです」

メンバー全員に告げる。しかし、こんなものが勝利でないことは全員が骨身に沁みて分かっていることだろう。
特に、祈にとっては。コトリバコは救ってやれず、東京ドミネーターズにも大敗を喫した。
橘音にノエル、尾弐、ムジナら妖怪は長生ゆえに悔しい、つらいといった感覚に乏しいが、多感な中学生の祈はそうではない。
他者の痛みを敏感に受け取り、それを妖力に変えてレディベアへ食ってかかった祈だ。
一矢も報いることができなかった無念は、察するに余りある。

「…………」

橘音は祈を見た。そして、ごそ……とマントの内側をまさぐる。

「悔しいですか?祈ちゃん」
「それなら、その気持ちを決して忘れないように。大切に胸の中に抱いて、次の機会に――彼らにぶつけてあげなさい」
「それが、コトリバコの呪詛によって亡くなった人々の。そして……コトリバコそのものの救いにもなるのですから」
「……これ。あげます」

橘音はマントの内側から右手を出すと、何かを親指と人差し指でつまんで祈に見せた。
それは、からからに干からびた小さな指。

「ハッカイのコトリバコの中に入っていた、赤子の指です。リンフォンに吸い込まれる直前にくすねておきました」

しゃあしゃあと言う。さらに橘音はマントから消しゴム大の寄木細工の小箱を取り出し、指をその中に入れて差し出した。

「これだけなら、キミの身体に害はありません。コトリバコを想うなら、持っているといいでしょう」
「想いに境界や限界はありません。キミの優しい気持ちが――いつか、コトリバコに真の安らかな眠りを齎すことができるように」

他に方法がなかったとはいえ、コトリバコを問答無用で地獄に放逐したことに関して、橘音も何も感じていないわけではない。
ゆえに。せめて祈がその小さな箱を大切に所持することで、コトリバコたちの安寧を図ることができればと願った。
人の心から生まれる、強い想い。
それは何にも勝るエネルギーだ。想えば想うほど、大切にすればするほど、その力は無限に増してゆく。
そして、祈が今回の事件を忘れず。犠牲になった人々の、コトリバコの魂の安寧を、心の底から願い続けるなら――
地獄に墜ちたコトリバコ、その材料となった赤子たちの魂も、必ず救われることだろう。
そう。

想いの力は、きっと伝わる。他者を慈しむ祈の優しい心が、そこにある限り。

36 :
仕事を終え、仲間と別れ事務所に戻ってきた橘音は、後ろ手にそっとドアを閉めた。
そして。

「…………ぷは〜〜〜〜〜!!!あ、危なかった……!」

大きく息を吐くと、そのままずるずると閉めたドアに背を預けてくずおれる。
と同時、着込んでいる学生服の裾からボトボトと何かが落ちた。
護符だ。それもひとつやふたつではない、夥しい数である。
大日如来、降三世明王、孔雀明王、普賢菩薩、摩利支天等々有力な仏の護符をはじめ、ヒンドゥーやキリスト教の護符も見える。
コトリバコとの戦いに赴く前に、橘音はあらかじめ呪詛防御のための護符を学生服の内側にびっしり装着していたのだ。
誰も見ていないのをいいことに、だらしなく両脚を投げ出した格好のまま、橘音はズボンに手を入れて軽く下腹部に触れた。

指先に、ぬるりとした感触。……濡れている。
血だ。

これだけの数の護符を身に纏っていたというのに、それでもコトリバコの呪詛を防ぎきるには足りなかったということらしい。
橘音がゴホウと接触していたのは、一分にも満たないごくごく僅かな時間。
だというのに、橘音の下半身は真っ赤だ。戦闘のお蔭で血のにおいを他のメンバーに気付かれなかったのは僥倖だった。
あともう少しでも接触を許していたとしたら、橘音も臓物をぶちまけていたかもしれない。そう思うだけで背筋が凍る。

「げに恐るべきはコトリバコ……永年封印指定呪具の名は伊達じゃないですね……」

今頃になって感じるようになってきた痛みに息を喘がせながら、それでも小さく笑う。
無傷とまではいかなかったが、呪詛は水際で阻止した。もう、これ以上呪詛に身体を侵されることはない。
妖怪の治癒能力があれば、二、三日も静養していればすっかりよくなることだろう。
コトリバコの呪詛を至近距離で喰らっても耐え切れたのは、狐面探偵七つ道具のひとつマヨイガマントと、護符の力。
しかし、何より――

「これのお蔭、ですか……」

橘音は下腹部から何かを剥がすと、それを自分の顔の前にかざした。
それは、血にまみれた一枚の封筒。
コトリバコとの戦いの直前、破魔の刃だとして尾弐がくれたものだった。
橘音は最後の砦として、自らの下腹部に直接尾弐の封筒を貼り付けていた。
それが霊験あらたかな護符の防御を突破してきたコトリバコの呪詛を、土壇場で食い止めてくれたのだ。

「……ふふ……。助かりましたよ、ありがとう――クロオさん」

事務所のブラインドから差し込む月明かりに、血まみれの封筒を透かして眺める。
闇の中で束の間、常から身に付けている狐面を外すと、橘音は目を細めて封筒に触れるだけの口付けをした。

37 :
 激昂の果てに膨れ上がる、祈の妖気。
雑居ビルの屋上に立つ『東京ドミネーターズ』に今にも飛びかからんとする祈を押し留めたのはこんな言葉だった。
>「うちの若い者が失礼な事を言ってすみません! こう見えて見た目通りのロリなんでどうか寛大な心でお許しを!
 その言葉はノエルの声で形作られていた。
 なんでこんな奴らに謝るんだと、非難めいた目線をノエルへと向けた祈だが、
>つきましてはお近づきの印にナイスなニックネームを考えてやったから有難く拝命しやがることだな!」
 ノエルの閉じられた片目に、送られた合図に、その意味を理解する。
コトリバコ討伐に向かう前、留守番宣告を食らった祈がしょげていた時も、ノエルはそんな合図を送っていた。
そしてその後は橘音に猛抗議してくれたのだった。だから分かる。これが“任せてくれ”という合図だと。
 祈は小さく頷くと共に、頭がほんの少しだけ冷えたことを自覚する。
(御幸。あんたは最高の友達だよ)
 止めないでくれてありがとうと、祈はそう思う。
>「まずはそこのロリババア! 全身真っ黒でテディベアってことは正体熊?
>まあいいや、そのアンニュイな前髪は鬼○郎ヘアー、……いや、あれは出てるのが右だから逆鬼○郎ヘアーで決まり!」
 ノエルはレディ・ベアを皮切りに、ドミネーターズの面々へと次々にニックネームを授けていく。
>「だっ、誰が熊ですかしらっ!?『レディ・ベア』!テディベアではありませんことよ、イントネーションは合っていますけれど!」
>「下等な雪妖ごときが……!脳の代わりに、頭に雪が詰まっているのかしら!?」
 レディ・ベアなどはそれがなかなかに堪えたようで、律儀に言い返してきた。
見たか。聞いたか。これが『東京ブリーチャーズ』が誇る世界最高峰のノエリストが放つ渾身の挑発だ。
ノエルの挑発を耳で聞きながら、祈は僅かに前傾姿勢になり、足指に体重を乗せ、その時を待った。
そしてノエルが両手を天に掲げ、巨大な氷のブーメランを造りだし、
>「どっちにしてもその巨乳は偽物……というわけで偽乳特選隊だぁああああああああ!」
 そう言って投げ放つのが合図だった。
 祈は放たれた矢の如く疾駆する。目の端に、尾弐や品岡の動きを捉えながら。
 ブーメランが描く軌道とは逆側に回り、自分から一番近い店舗をよじ登って、
雑居ビルの壁を三角飛びの要領で蹴り上がり、換気扇や水道管などを足場にして、飛ぶように移動する。
人からはまるでスーパーボールが跳ねているようにすら見える速度で、雑居ビルの壁面を駆けあがっていく。
 かくして、――二秒半。あるいは三秒に満たぬ時間で、祈は彼女等、東京ドミネーターズの背後へと回り込むことに成功した。
 氷のブーメランに釣られたであろうドミネーターズの視線。
それに隠され、本命にすら映るであろう尾弐によるバス停の投擲。
更に、そこまで見ていない祈は知る由もないが、品岡の銃弾による仕込みもある。
それぞれが炸裂すれば、恐らくは勝ち目の一つ、否。一矢報いるだけの隙が生じるであろう、祈はそう考える。
狙うはドミネーターズの指揮を執っているであろうレディ・ベアだ。
彼女と言う組織の頭を潰すことで、“東京侵略など到底不可能である”とそう思わせなければならない。
 猫科の動物が狩りをする時のように、あるいは短距離走の選手のように身を低くし、走り出そうと構えた祈は、それを目撃する。
ノエルが力を振り絞って放った氷のブーメランが、白き女の造りだした同質のブーメランによって儚く砕かれる様を。
尾弐の投擲したバス停が人狼に容易く受け止められ、品岡が仕込んだ圧縮された車の弾丸すらも、
赤マントの内側に、暗闇の彼方へと消えてしまった。
 そして自らは、レディ・ベアの瞳と目を合わせてしまう。

38 :
>「怒りに任せて突進とは――無謀、無知、無策の極致ですわね!」
 ギザ歯を剥き出しにして笑み、黒いツインテールを揺らしながら、ゆるりと祈へと振り返るレディ・ベア。
その片瞳に浮かぶ黄の光を見た瞬間、天地が逆転したのかと思う程の強烈な眩暈を祈は覚えた。
――祈がどれほど足が速かろうとも、光の速度で放たれる攻撃を避けることはできない。
 祈が、自分が倒れている事に気付いたのは、雑居ビル屋上の床があまりに顔に近い場所にあり、
頬に鈍い痛みを覚えたからだった。
眩暈によって平衡感覚を失った体は、体重や力の配分がめちゃくちゃになり、横向けに倒れてしまったのである。
 ぐるぐると回る視界。体を波に揺さぶられるような錯覚。
恐らくは橘音と同様の、目から放つ幻術の類を掛けられたのだと祈は察するが、時既に、遅過ぎた。
 歩み寄ってくるレディ・ベアを視点も定まらぬまま祈は見上げるしかない。
「なに、しやがっ……」
 祈の言葉を遮るように、レディ・ベアが口を開く。
>「貴方、言いましたわね……人が死んだと。――それがどうかしまして?」
 レディ・ベアは本当に、『その程度のことがどうしたのか』とでも言いたげな口調で言う。
「それがどうかしたかって、お前っ……!」
 強烈な眩暈が頭を襲っているのに、レディ・ベアの声は良く通って聞こえた。
そういう術なのかもしれなかった。祈の逆鱗を逆撫でするその言葉は、次々紡がれていく。
>「言ったはずですわよ?わたくしたちは『宣戦布告に来た』と。それはつまり、戦争をしに来たということ」
>「戦争で人が死ぬのは、当然のことではなくて?」
「勝手な、こと、言うな……」
 これはドミネーターズを名乗る者達が勝手に始め、それを戦争と称しているに過ぎない。
そんなものに無関係な人々を巻き込んで、挙句死ぬのが当然などと言って良い道理など、どこにあるものか。
 祈は拳をきつく握り、足に力を込め、なんとか立ち上がろうとするが、
しかし天も地も分からず、世界が揺れるように感じられる今、
それは生まれたての仔馬が立ち上がろうとしているような覚束ないものにしかならず。
どうにか四つん這いのような恰好までは持っていったものの、
腕の力が再びがくりと力が抜けて、無様に転がることになる。
「くそっ……くそッ!」
 地面にただ、倒れ伏す。
祈にできるのは精々、レディ・ベアを恨めし気に睨むことだけだった。
 レディ・ベアはそんな祈を見て何を思っただろうか。祈を見下ろしたまま淡々と言葉を重ねていく。
その言葉の数々は、従属するならばこれ以上余計な犠牲者を出さないと言う、“悪魔の囁き”と。
今回はは見逃してやるという、“慈悲の皮を被った気まぐれ”と。
言外に、逆らうならばもっと犠牲者を出すぞと脅迫し、選択肢を潰しておきながらも、
敢えて従属か抵抗かを選ぶだけの猶予を与えると言う、“底意地の悪さ”と。
そして大部分は『妖怪大統領』への“陶酔”で構成されていた。
 レディ・ベアは両手を広げ、妖怪大統領への賛美の声を上げる。
>「では――ごきげんよう、東京ブリーチャーズの皆さん!」
 そうしてレディ・ベアは楽し気に全てを語り終えると、踵を返して、祈の前から去っていく。
きっとかの女は言葉を違えないだろう。
恐らくは彼女が崇拝する妖怪大統領が掲げる『支配』の為に、
戦争と称して、また多くの被害を出す。人から生活を、幸せを奪う。それは許されざることだ。
この妖怪は、危険だ。必ず倒さなくては。
 その後ろ姿を定まらぬ視線で追いながら、祈は言う。
「おまえっ、は……必ずあたしが……」
 赤マントに吸い込まれて、レディ・ベアの姿が掻き消える。
どうやらそのマントの内側は別のどこかへと繋がっているらしく、
残されたドミネーターズのメンバーも、赤マントの広げたマントを潜ると跡形もなくこの場から消えてしまった。
赤マント自身も、また。
それに伴って、祈を包む世界が回っているような、体を揺らされているような感覚が徐々に消えていく。

39 :
 悔しさに歯噛みし、ようやく感覚がほぼ正常と言えるまでに戻った頃。
>「……立てますか?」
 気付けば、橘音が祈の傍らに立っていて、右手を差し伸べている。
他のブリーチャーズの面々も雑居ビルの屋上へと上がって来ていた。
「……うん。ありがと」
 いつまでもみっともなく倒れている姿を仲間達に晒す訳にもいかないので、
祈は橘音の右手を掴んで立ち上がる。
立ち眩みがしたように僅かにふらついたものの、今度はどうにか立ち上がることができた。
>「どうやら……お目溢しをしてもらえた、ということのようですね。ラッキーでした、アハハ……」
 ブリーチャーズを見渡しながら、橘音。
>「東京ドミネーターズ……また、厄介な相手が現れたものですね」
>「彼らへの対策や今後のボクらの方針については、また後日相談しましょう。とりあえずは、ミッション・コンプリートです」
 ミッションコンプリート。今日の任務は全て終了し、災厄は去った。
その言葉を聞いても、今日に限っては何ら嬉しさはなかった。項垂れたままの祈に、橘音は声を掛ける。
>「悔しいですか?祈ちゃん」
「……うん」
 祈は頷く。何もできなかった。止められなかった。
 誰の仇も討てず、ドミネーターズがこれから出すであろう被害を未然に防げなかった。
そして、仲間達は命を危険に晒しながら自分と一緒に戦ってくれた筈だというのに、
一矢報いることすらできず無様に転がっていた。申し訳なくて、情けなくて、悔しくて、堪らなかった。
>「それなら、その気持ちを決して忘れないように。大切に胸の中に抱いて、次の機会に――彼らにぶつけてあげなさい」
>「それが、コトリバコの呪詛によって亡くなった人々の。そして……コトリバコそのものの救いにもなるのですから」
 祈はこくりと、無言で小さく頷く。
>「……これ。あげます」
 そんな祈を見かねてか、橘音はマントの内側から枯れた木の枝の端を思わせる何かを取り出して祈に見せた。
祈が、それがなんであるかわからずにいると、橘音がその正体を語った。
>「ハッカイのコトリバコの中に入っていた、赤子の指です。リンフォンに吸い込まれる直前にくすねておきました」
「指……」
 軽く言ってのける橘音だが、だとすれば、恐るべき早業だった。
コトリバコの指を失敬するとなれば、ハッカイが付喪神として顕現し、寄木細工が開く僅かな間を狙うしかない。
その瞬間を見逃さず、祈の目にも留まらぬ速さで盗んで見せたというのだ。
しかもリンフォンの門の一番近くにいたはずの橘音は、地獄の烈風に誰よりも晒されていた筈である。
その中でくすねたと言うのだろうか。それともぎりぎりまで門の裏にでも隠れていたのだろうか。
だがそのどちらであれ、困難であったことに違いはなく、流石は狐面探偵、那須野橘音と言った所であろう。
 橘音は消しゴム程の大きさの小箱を取り出すと、コトリバコの指を中に納め、祈に差し出した。
>「これだけなら、キミの身体に害はありません。コトリバコを想うなら、持っているといいでしょう」
>「想いに境界や限界はありません。キミの優しい気持ちが――いつか、コトリバコに真の安らかな眠りを齎すことができるように」
 祈はそれを両手で受け取る。
今日は良く涙が出る日だな、なんてことを思いながら。
祈の両目からはボロボロと涙が零れた。
誰も救われない、誰も救えない戦いだった。
そのことに胸が潰れそうになっていたが、その言葉で少しだけ、救われた気がしたのだった。

40 :
 その夜。仲間たちと別れてアパートへと帰った祈は、荷物を置いて先に風呂に入ることにした。
洗面所で、穴あきのボロボロになったパーカーを脱いで、散々迷った末に捨てることに決めた後、
ようやく妖力を込めて品岡から渡された、腕輪状の札を引き千切る。
 すると術を施された時と同じように下半身の感覚が消え失せて、それが戻る頃には、
ショートパンツの中に“あったもの”がちゃんとなくなっている感触があり、――深く、安堵する。
 シャワーを浴び、石鹸を含ませたスポンジで今日の汚れを落とす。
体の様々な所が痛んだが、暖かい湯を張った湯船に浸かると、それが少し和らぐ気がした。
 風呂から上がって、体をタオルで拭く。ラフな格好に着替え、髪をタオルで拭いながら廊下に出ると、
居間の扉から明かりが漏れていて、祖母が帰ってきていることに気付いた。
祈が風呂に入っている間に帰ってきたのだろう。居間の扉を開けると、祖母は夕食を作り始めているところだった。
 祖母は祈が風呂から上がったと見るや、今日の一件をどこで知ったのか、
鬼のような形相でなんて無茶をしたのかと祈を叱ったし、その頭を小突いた。
 しこたまターボババアに叱られ、暫くの後、祈は少し遅い夕飯にありついた。
肉が少なくジャガイモが多めの肉じゃがと、大麦の入ったご飯。
それにトマトやレタスなどが入った簡単なサラダが添えられていた。
 濃い味の筈なのにあまり味のしない夕飯を終え、歯を磨きいた後、
祈は自分の部屋へと戻った。畳の張られた小さな部屋だ。
その奥に畳まれた布団を敷いて、横になる。学習机の上には、小さな寄木細工が見えた。
 橘音は、想いに境界や限界はないと、そう言ってくれた。
 だとするなら。
 祈は起き上がり、コトリバコの指が収まった寄木細工を手に取った。
それを両手に持ち、胸元に抱き寄せると、両眼を閉じた。
「みんなが安らかに眠れますように」
 コトリバコ。地獄の責め苦に遭う赤子らが、そして彼らに殺された人々の魂が安らかに眠れるように。
ドミネーターズの被害に遭った人々の傷が早く癒えるように。ただ祈った。滅ぼされた八尺様の事も忘れずに。
 祈は寄木細工を枕元に置くと、部屋の電気を消し、布団を肩までかぶった。
今日は色んなことがありすぎて、心も体も疲れ果てている。
これから起こり得る戦いに備える為にも、寝て、体を休めなければならないのだった。
 不安は尽きない。いくら東京ドミネーターズを倒すなどと威勢の良いことを言った所で、
祈は妖怪の中では力のある方ではないし、事実、今日はそのドミネーターズに手も足も出なかった。
こんな自分が果たして、東京ドミネーターズの野望を阻めるのか。人々を守りきれるのだろうか。
無力感が胸を占め、強くなりたい、そう願う。
(こんな時、誰かに手を握って貰えたら心強いのかな)
 ふと、自分の傍にいない両親を思い描いた。顔もおぼろげな両親は、
記憶の中で祈に優しく微笑んでいる。
 次いで思い浮かぶのは、ブリーチャーズの面々の顔だった。
柔らかい笑みを浮かべたノエルや、ぶっきらぼうで頼もしい尾弐、色眼鏡を掛けたうさんくさい品岡。
そして狐面の探偵。その素顔を祈は知らないが、口元を見るに、優しげな顔をしている気がする。
そう言えばコトリバコに狙われてたけど、結局橘音は女の人なんだろうか。
それともやっぱり男の人なんだろうか。聞きそびれちゃったな。そんなことを考えながら祈は、
いつの間にか眠りに落ちている。

41 :
>「だっ、誰が熊ですかしらっ!?『レディ・ベア』!テディベアではありませんことよ、イントネーションは合っていますけれど!」
>「下等な雪妖ごときが……!脳の代わりに、頭に雪が詰まっているのかしら!?」

>「下等な雪妖で悪かったわね」

まるでノエルを代弁するかのような、純白の女クリスの不可解な言葉。
のみならず、ノエルが投げたのと寸分違わぬ氷のブーメランを作り出しそれを相殺してみせた。
完コピ――だと!? いや、完コピとは下位の者が上位の者を模す時に使う言葉。
この場合は元から同じかむしろ逆。自分の方がコピーであるかのような錯覚すら覚える。

>「ふふん!よくやりましたわ、クリス!」
>「……レディ。大統領には従うけど、アイツへの手出しは許さないよ。アイツはアタシの――」

「一体何なんだ……! 僕はお前なんか知らない!」

強烈な違和感はすぐに耐えがたい恐怖へと変わり、両手で耳を塞ぎながら叫ぶ。
これ以上聞いてはいけない、考えてはいけない――踏み込んだら最後、僕が僕でいられなくなる。
心の中の何かがそう警鐘を鳴らす。
それなのに何故か見てしまう。意味深な微笑を浮かべたクリスと目が合う。
数瞬見つめ合ってしまってから露骨に視線を逸らして俯き、消え入りそうな声で呟いた。

「お願いだ、そんな目で見るな……」

ノエルがそうしている間に尾弐が投げたバス停は人狼ロボによって容易く投げ返され、
ムジナが仕込んだ銃弾廃車はカンスト仮面が広げたマントの中へとあっけなく消える。
そして祈もまた、レディベアの妖術の前に成す術もなく倒れ伏した。
彼女は動けない祈を前にして端から選択させる気のない選択肢を一方的に突きつけると、マントの中の空間へと消えて行った。
全てが終わってから橘音に伴われて祈を迎えに行く。

>「どうやら……お目溢しをしてもらえた、ということのようですね。ラッキーでした、アハハ……」

「その……ごめん……」

流石のノエルもしゅんとしている。
祈を危険にさらしまたもや尾弐に体を張らせてしまったことを反省しているようだ。
ノエルがノエっていない、これは由々しき事態である。

>「彼らへの対策や今後のボクらの方針については、また後日相談しましょう。とりあえずは、ミッション・コンプリートです」

重苦しい空気に少しだけ救いをもたらしたのは、橘音だった。
橘音は祈にハッカイのコトリバコの指の欠片を渡して言うのだった。

>「これだけなら、キミの身体に害はありません。コトリバコを想うなら、持っているといいでしょう」
>「想いに境界や限界はありません。キミの優しい気持ちが――いつか、コトリバコに真の安らかな眠りを齎すことができるように」

42 :
ブリーチャーズの仕事から帰る時、仲間が一人また一人とそれぞれの帰途につき、いつも最後は橘音と二人になる。
同じ雑居ビルの住人なのだから当然と言えば当然である。
いつもはくだらない話などしながら帰るのだが、今日に限っては二人とも無言だ。
ノエルは辛うじて人間の姿をとっているものの、体温を上げることはおろか溢れ出る冷気を止めることすら出来ていなかった。
橘音に寒い思いをさせぬよう、またそれ程消耗していることを悟られぬように、少し離れて歩く。
1階のドアの前まで来て、これだけは言っておかねばと口を開く。

「橘音くん……ありがとう。おかげで僕の言った事、嘘にならずに済んだ」

もちろん橘音が祈に渡したハッカイの指とそれと共に贈った言葉のことだ。

「それと、君の天井は僕の床だから――」

いつも飄々としている橘音がいつになく弱弱しく、大きすぎるものを一人で背負っているように見えて。
言いかけてから、その続きの言葉に詰まる。

「僕はバカだしあんまり役に立たないかもしれないけど……160%橘音くんの味方だから……」

ブリーチャーズの勤務形態は画一的に決まっていないとはいえ、殆どの者は当然給料や報酬を受け取っている。
しかしノエルは何故かそれを何の疑問も持たずに無償のボランティアで行い、橘音も何故かそれを甘んじて受けているという謎の関係が成立しているのだ。
設定上存在する他のメンバーの間の一部ではあれは特殊関係人ではないかとあらぬ噂をする不届き者もいるが、もちろんそうではない。
そんなものよりずっと厄介な関係――献身だ。
献身と言えば崇高なものに聞こえるが、それはある意味では受ける側の迷惑も顧みない一方的で自分勝手なもので。
その上ノエルの橘音に対する献身は――往往にして、明後日の方向に暴走する。

「だから……橘音くんのこと全力で応援するからね!
僕の勘ではもうフラグは立っている……あのタイプはあとは押して押しておしまくれば落ちる!
言ってくれれば偶然を装ったセッティングとかいくらでも協力するから!
大丈夫! 渋谷区に住民票移せば何も問題ないよ! それじゃっ!」

意味不明の協力宣言を言い渡すと、返事も聞かずに店舗兼自宅に入っていったのであった。
そして2、3歩歩いたところで意識が遠のいてばったりと倒れる。

43 :
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

夢というものは常に混沌としたもので今回も例に漏れず――そこは「モニタリング空間」とご丁寧に貼り紙がしてある謎空間。
謎の姉妹のようにも見える二人組――銀髪外はねセミショートの残念美女と銀髪ロングヘアーの残念美少女がちゃぶ台を挟んで座って反省会(?)を繰り広げている。
二人とも青いストールを巻いていて誰かさんに似ている気がするが気にしないことにする。
そしてちゃぶ台の上には謎の黒い毛玉のようなものが乗っているのであった。
(便宜上、残念美少女をみゆき、残念美女を乃恵瑠と表記する)

みゆき「童達って実は今回結構危なかったのかなあ?
コトリバコ呪殺方法が内臓の破壊らしいけどそもそも童達って体の中身が割と謎仕様だし人間的な内臓なさそうじゃん」
乃恵瑠「内臓がないぞう、的な? でも奴らその辺あんまり深く考えて無さそうじゃない? クラッシュアイスになって死ぬんだよ、きっと」
みゆき「判定基準は単純にソーセージだったのかなあ、結局。呪いにしては妙に基準が物理的だよね」
乃恵瑠「呪いのターゲットを定める判断はそこでやってたみたいだけど実際に効くか効かないかはスピリチュアルな判定だったのかもよ?
現に気絶寸前まで削られたしね、謎仕様で血が出たりしないからダメージ受けてるのか受けてないのかイマイチ絵的に分かりにくいけど」
みゆき「クロちゃんの護符があったしきっちゃんがずっと囮になってくれてたしね」
乃恵瑠「なんでだろう、あの二人マジですごく自己犠牲したような気がするんだけど気のせいかな……」
みゆき「まさか。クロちゃんはマジでいい奴だしきっちゃんは禹↓歩↑いい男!……でいいんだよね?」
乃恵瑠「うーん……多分ね……」
みゆき「というわけで、童は出番みたいだからちょっと行ってくる」
乃恵瑠「行ってらっさい。2〜3日で戻ると思うけど一応見られないように気を付けてね。万が一見られた時の言い訳も考えて。
妾達の業界では正体がバレたらそこにいられなくなるのが鉄板らしいし……」
みゆき「小泉やくもっちゃん作の代表的原典とかツルッパゲの恩返しとか? でもなんでだろう?」
乃恵瑠「そりゃあツルッパゲがヅラで偽装してたことがバレたら恥ずかしすぎて逃げ出したくなるっしょ」
みゆき「なるほど――! そういうことか!」

そういうことだったの!? と心の中で突っ込むノエル。
ツルッパゲという言葉に反応して黒い毛玉がこころなしかプルプル震えているような気がするのは気のせいだろうか。
みゆきがとててて、という効果音が付きそうな感じでドアから出ていく。

゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


44 :
「――はっ! なんだったんだ今のは……」

束の間の気絶から目覚めて……自分の声が妙に高く聞こえる。
立ち上がろうとして――袴風に着こなしていたスカンツの裾を踏んですっ転んだ。

「あいたっ!」

更に転んだ拍子に下半身の服が全部ずり落ちる。
幸い要所は上衣でギリギリ隠れて放送事故は回避していたのだが――全体的に尺がおかしくないかい?
顔にかかった長い髪を振り払いながら、僕は髪が長くはなかったはずだ、等と思いつつ。
そのまま立ち上がって姿見を見ると――

「なんじゃこりゃああああああああああああああ!」

放送事故ギリギリ回避の煎餅もおかきもあられも無い姿の美少女が叫んでいた!
ここで抜け目なく出番を察知した氷から出る湯気的なやつ、通称氷湯気が部屋中に充満して何も見えなくなる。続きは音声のみでお楽しみください。

「ど、どうなってるのかな……やっぱ無い……! それ無くなるのは祈ちゃんだけでいいんだけど!?」

何が無いのかというツッコミは厳禁である。

「いや、聞いた事があるぞ……これは激しく消耗して省エネエコ運転モードに突入したことによる一時的な幼体への退行現象……!
無くなったのはそれに伴う付随的な事象だ……!
え、何!? コトリバコとの戦闘の最中にこうなってたら死んでたの!?」

「でも果たしてコトリバコが破壊するという噂のあの臓器はあるのか!?
小泉やくもっちゃん作の我々の代表的原典を見るにそれに相当する器官はあると考えられる。
しかしあれは我々の業界では稀有な例外的事例であるからして普段からある必要は無く
いざ必要な事態になったら適当に生成される可能性も……。
……って”いざ必要な事態”って何やねん!? もう嫌だ―――――――――!」

45 :
映像は見えないものの音声から察するに床をごろごろ転がっているようだ。
美少女の姿をした自らが変態的発言をしている事を自ら客観的に認識して興奮するという自給自足の永久機関に突入してしまったらしい。
コレはアカン――重症である。
そしてひとしきりノエった後、元に戻るまでの凌ぎ方を考え始めた。
ひとまず何故か持っていた和ロリ服に身を包み、「2〜3日旅に出ます、探さないで下さい」と下手糞な字で書いた貼り紙を店の玄関に貼る。
しかし階下の住人は凄腕探偵、何か怪しいと察して突入してくる可能性が否定できない。
冷凍庫から、消耗時の補給のために買い置きしてある高級アイスを取り出して食べながら思案する。

「うーん、どうしよう……そうだ! 名前はみゆき、ノエルの妹という設定にしよう!
あれ? それじゃあ御幸みゆきになっちゃうけど……覚えやすいしまあいっか!」

種族設定的に血縁関係が有り得んだろ、と一蹴されて終わりそうなガバガバ設定である。
逆に言えば種族全員皆姉妹とも言えるのだが。
全てにおいてツッコミどころしかないが、本人は物凄い名案を思い付いたような顔をしているのでそっとしておこう。
不意に、脱ぎ散らかしたままになっている服のポケットから白い封筒が出ているのに気付き、拾い上げる。
尾弐から渡された破魔の刃だ。

「あ、返しそびれちゃった……今度会う時でいっか」

とにかく上手い言い訳を思い付いたつもりのみゆきは、たくさんぬいぐるみが並べてある寝室に入っていく。
そして何の気無しに破魔の刃の封筒を枕元に置き、安心して布団に潜り込むのであった。
程なくして無駄に幸せそうな寝顔で寝息をたてはじめる。
特に妨害が入らなければ、次に目覚めたときには何事もなかったかのように元に戻っていて
「起きたら何故か女装をしていた」「美少女になった夢を見たんだ!」等と言い出すことだろう。
そしてそれは「ああ、また何か言ってるな」と軽く流され、真実に気付く者は誰もいないのである――きっと、多分!

46 :
只のバス停は、人外の腕力によって投擲された事により、砲弾の如き兵器と化した。
手負いの状態で繰り出されたとはいえ、その威力は有象無象であればまとめて吹き飛ばせる程のものであったのだが

>「女子供はすっこんでな!今度はオレ様の番だぜ……ゲァッハハハハハッ!!」

「……片腕で止めるかよ」

一撃は、同じく片手によって容易く受け止められる事となった。
それを行ったのは、犬歯をむき出しにして獰猛に嗤う、ドミネーターズの一員である髭面の大男。
鋼の様な隆々とした筋肉を持つその男は、バス停をただの棒切れの様に片手で弄ぶと、
戦局など知らぬとばかりの闘志を、ブリーチャーズ――――その中の尾弐へとぶつけてきた。

>「おいテメェ!テメェだよ、そこのデケエの!女子供と優男にゃ興味ねえ、オレ様と遊ぼうぜ!」
>「テメェは少っしぱかり骨がありそうに見えるしな……。引き裂かせろ、噛み砕かせろ!頑丈さにゃ自信があるンだろう?」
>「オレ様も頑丈さにゃ自信があってな。テメェみてえなヤツを見ると、いてもたってもいられねえ!」
>「遊ぼうぜ、どっちかがくたばるまで……この『ジェヴォーダンの獣』狼王ロボとよ!!」

「……腰痛持ちのオジサンを買い被ってくださんな。
 あんたにゃ俺なんかより相応しい相手が世界のどっかにいるから、まずは地球の裏側辺りでも探しに行ってくれや」

暴風の様な赤色の妖気……捕食者の殺意を向けられた尾弐は、
しかし狼王ロボと名乗ったその男とは対照的に、心底嫌そうな――――苦虫を噛んだかの様な表情を浮かべると、
そのまま降参とばかりに右手を肩の高さまで挙げる。
その態度は恐らくは、相手にとっては不愉快なものであろう。
だが、尾弐とて好きでその様な態度を取っている訳でもない。単純に。

(二の矢……ムジナの三の矢まで潰されたときたら、後はもう言葉で注意を引く以外にねぇからな)

単純に、ノエルの放った氷の凶器を相殺し、尾弐の投擲したバス停を軽々と受け止め、
あまつさえムジナの放った廃車の弾丸でさえも消失させた。
そんな連中の注意を引き、祈が奇襲からの生存を勝ち取る為の手札が、言葉以外に残されていなかったからである。
本来であれば、言葉による手練手管は那須野やノエルの領分であるのだが、

(那須野は平気そうに見せてるが、ありゃ大分消耗してやがる。
 ノエルの奴も無理だ。理由は判らねぇが……多分、あの雪妖怪の女のせいだな)

命を全面に貼ったこの鉄火場を戦闘に向いていない那須野へと任せる事が、尾弐には出来ない。
行動不能になったノエルも同じく――――ならば、

「第一な、オジサンと遊ぶには猿と雉とモモタローが足りねぇだろ。犬っころ」

自身がその代役を務めるしかないだろう。

そして、その尾弐の言葉を聞いていたのかどうかは不明であるが、
狼王を名乗る妖怪は尾弐へと向けて、片手で弄んでいたバス停を投げかえしてきた。

47 :
「っ……どんな馬鹿力してやがんだ……!!」

その一撃は早く、重い。それこそ、尾弐が投げた時よりも。
かろうじで受け止められはしたものの、推進力を自身の身体だけでは受け止める事が出来ず、膝をつく事になる。
アスファルトで舗装された尾弐の足元は、衝撃を間接的に受けた事で蜘蛛の巣状に罅割れ、陥没する。
正しく、地力の差を見せつけられた形である――――だが

隙は出来た。
注意を引く事は出来た筈だ。
ならば、祈の奇襲も『無事な形で』成功する筈。
そう思った。戦闘に長けた尾弐でさえも、そう思ったのだ。けれど


>「怒りに任せて突進とは――無謀、無知、無策の極致ですわね!」


奇襲は、失敗した。
彼の集団の頭目と思わしき少女は、その瞳から雷を彷彿とさせる光を放ち、空を駆ける祈を、撃墜したのである。

「――――祈っ!!?」

その光景に目を見開き、驚愕の声を挙げる尾弐。
宙を力なく落下していく少女の姿を見て、尾弐の体温は急速に下がり、
体から憎悪と憤怒が混ざった妖気が漏れ出ようとする……が。

>「なに、しやがっ……」

次いで聞こえた祈の声により彼女の無事を知った事で、尾弐はかろうじで自身の感情の動き……抑え込まねばならないそれを、抑え込む事が出来た。

>「特別の温情によって、暫時の猶予を差し上げますわ。次に会うまでに、自分たちの身の振り方を考えておきなさい」
>「偉大なる『妖怪大統領』に傅き、あの御方のために働く栄誉を享受するか。それとも滅ぶか……楽しみにしておりますわ?」
>「では――ごきげんよう、東京ブリーチャーズの皆さん!」

……
そしてその後。侵略者としての理論を述べたドミネーターズは、余裕と嘲笑が混ざった言葉を残し去って行った。
立ち向かった祈や、退治したブリーチャーズの心に澱を残して。
彼等に今すぐ滅ぼすべき障害と認識されなかったのは、きっと幸運であったのだろう。
だが、自分達の無力さを見せつけられた事が、幸福である訳も無く。

>「どうやら……お目溢しをしてもらえた、ということのようですね。ラッキーでした、アハハ……」
> 「その……ごめん……」

「……そう思うなら、二度とこんな無茶はすんなよ」

誰もが、眼前の敗北に打ちのめされている。
長い時を生きる事で感情が摩耗している尾弐でさえ、示された驚異の大きさに滅入っているのだ。
年若き祈に至っては、その心にかかった負荷はどれ程の大きさであろうか。
犠牲者は報われず、加害者は悠々と退場をする。
真実、後味の悪い結末。ただ、そこに救いがあるとするならば……

>「想いに境界や限界はありません。キミの優しい気持ちが――いつか、コトリバコに真の安らかな眠りを齎すことができるように」

それは、那須野が祈へと渡した、干乾びたコトリバコの赤子の指。
誰かが何かを救いたいという、想いが形になった物
誰かの心が救われる様にという、祈りが形になった物

48 :
「……」

尾弐黒雄は、コトリバコ達が救済されるべきだとは思っていない。
永劫地獄で業火に焼かれる事こそが当然であり、それこそが被害者へのせめてもの慰めだと思っている。
けれど尾弐は、その思想を眼前の二人に押し付けようとは思わなかった。

失われた其れが例え悪であれ、生きた者達が彼等に悪意と敵意しか抱いてはいけないという道理は無いからだ。



だが

「――――ムジナ、話がある。悪ぃがちっとばかし面貸してくれ」

尾弐は知っている。純粋な白い祈りは、東京ドミネーターズの様な黒い悪意によって、容易く踏み躙られてしまう事を。
故に、その悪意からノエルや祈、或いは那須野を守る為には……きっと、悪意の泥を受ける者の存在が必要なのだと考える。

「ムジナ。はっきり言うが、俺はお前さんが苦手だ。思想、思惑、目的――――何より、底が見えねぇ」
「……だけどな、そんなお前さんだからこそ……俺が『怖い』と思うテメェだからこそ、頼んでみてぇ事が有る」

黒い泥に染まりながら泥を喰らい、いずれ泥と共に消え去る存在が必要なのだと、そう考える。

「もしもこの先――――俺が居なくなったら」
「お前があいつ等の事を守ってやってくれ」

そう考えるからこそ尾弐は……『泥』が消えた後の事を『泥を被れる』相手へ頼んでみる事を思い立った。
これは、尾弐黒雄という男がただの気まぐれで起こした行動である。
単なる仮定の話であり、断られようと了承されようと、どちらでも構わない持ち掛けだ。

「タダとは言わねぇよ。対価は、俺が居なくなった後の全財産……そこそこいい額になってる筈だぜ」
「まあ、割の良いバイトだと思って考えといてくれ。勿論、当分死ぬつもりはねぇけどな」

そうして言いたい事を好き勝手に言った尾弐は、一人で帰路に就く。
夕日と反対の方向へと向かって――――

―――――――――

49 :
尾弐黒雄の経営する葬儀会場には、併設して建っている築20年程のアパートが有る。
間取りはトイレ風呂付の1DK。
古くは無く、さりとて新しくも無く。
本当にどこにでもある様な平凡なアパート。
そして、そのアパートの2階。奥の部屋に尾弐黒雄は居住している。

「……」

玄関扉のシリンダー錠を回し、自室へと踏み入る尾弐。
靴箱の横に設置されたスイッチを押し暗い室内を人工の光で満たすと、
彼は拝借してきたレザージャケットを脱ぎ、浴室へと放り投げた。
雨にでも振られたかの様な水気のある音を鳴らして重力に従い浴室の床に落ちたソレは、
含んだ赤色の液体を排水溝へと垂れ流していく。

「……」

そのまま浴室に入り、乱雑に傷口の汚れと付着した血液をシャワーで洗い流した尾弐は、
タオルで体を拭いてから、彼の部屋……一人暮らしの男の部屋としては意外にも綺麗……というよりは
物が無い室内へと歩を進め、救急箱から包帯を取り出して傷口へと粗雑に巻いていく。

「左腕は……数日ありゃあ、まあ動くか」

包帯を巻いた左腕は、相変わらず神経が断裂したかの如く力が入らない様であるが、
それでも少しづつ……妖怪としては余りに遅い速度ではあるものの、回復の兆しが見えいているらしい。
そうやって暫く体の調子を確信してから、尾弐は畳が敷かれた床へと体を倒した。
そのまま、何をするでもなく暫く天井を眺めていた尾弐であったが……突如、部屋に置き忘れていた携帯が鳴った。
尾弐は、寝転がったまま腕だけを動かし携帯を手に取ると、画面に表示された相手を確認してから耳に当てる。

「……あなたから連絡を寄越すたぁ、珍しい事ですね」

雑ではあるものの、尾弐という男にしては珍しい敬語。
電話先の相手は、それだけ格上の存在であるのだろう。

「まあ、あなたの事だ。状況は判ってんでしょうが……一応報告させて貰います」

「『東京ドミネーターズ』の戦力は想定以上。
 東京ブリーチャーズでの対処は極めて難しい――――少なくとも、目標の達成前に全滅する可能性の方が高い」

……そうして暫くの間、電話の相手と情報のやりとりを電話越しに行った後

「ええ、判ってまさぁ。俺も納得してるし、何よりそういう『契約』ですからね」

そう締め括り、尾弐は電話を切った。
再び訪れる室内の沈黙――――

暗転した携帯電話の画面に、一瞬。五本の角を持つ『青年』の姿が映ったが、尾弐がそれに対して反応する事は無かった。

50 :
悪いけど
すべってるぞ

51 :
【新宿区歌舞伎町・山里組事務所】

稲城市での酸鼻極まる殺戮劇からどうにか生還した品岡ムジナは、組の事務所で煙草を蒸していた。
日付を跨いだ今この時間、事務所に品岡を除く人影はなく、深夜の静謐に男の溜息だけが溶けていく。
現代ヤクザの朝は早い。7時の出勤時刻までは品岡がこの事務所の主だ。
別名、宿直とも言う。

「しんどかったのぉ……毎度のことやけど命がいくつあっても足らんとはこのことやホンマ」

中の綿がすり減ってしまって座り心地の悪い革張りソファに深く腰掛けて、ショートピースの煙を天に吐く。
コトリバコとの死闘、そして突如として現れた東京ドミネーターズとの邂逅……
あらかたの荒事には慣れたと思っていたが、こうして人心地つくともう膝に力が入らない。

ドミネーターズ。海の向こうから東京を『支配』しに来た者達。
その存在感も、妖力も、戦闘技術も、ブリーチャーズとは比べ物にならない上位の怪異共だった。
尾弐のバス停カタパルトをブラインドとした廃車の一撃でさえ、あの通称カンスト仮面は蝋燭を吹くように掻き消して見せた。
今日、品岡や橘音達が生き残れたのは彼らの実力や、まして奇跡や偶然が理由ではない。

――単純な、ドミネーターズの気まぐれ。
今はまだその時ではないという、何の保証もない理屈で生かされたに過ぎなかった。
ほんの一つボタンが掛け違えば、品岡は今頃『ケ枯れ』してその辺の浮遊霊の仲間入りを果たしていただろう。

>『――――ムジナ、話がある。悪ぃがちっとばかし面貸してくれ』

稲城市での戦いの後、尾弐は品岡に言った。

>『もしもこの先――――俺が居なくなったら』
>『お前があいつ等の事を守ってやってくれ』

尾弐が何を想って……何を覚悟して、品岡に頼みを託したのか、彼に判断する根拠はない。
だが、あの場で最も荒事に向いた男、武と暴力の体現者、『鬼』という怪異を宿す尾弐がそう言ったのだ。
尾弐をして、そう腹をくくる必要があった。その因果関係はノエルだってイコールで結び付けられる。
ドミネーターズという存在が、ブリーチャーズに刻んだ楔はあまりにも深く、強大だ。

>「タダとは言わねぇよ。対価は、俺が居なくなった後の全財産……そこそこいい額になってる筈だぜ」
>「まあ、割の良いバイトだと思って考えといてくれ。勿論、当分死ぬつもりはねぇけどな」

自営業の尾弐が言う『全財産』とは、斎場などの不動産を含めた全てを指す言葉だ。
この東京で、"土地"は何よりも価値のある財産――品岡のような土地転がしを生業とするヤクザからすれば特に。
尾弐にとっての文字通りの全てを、対価として譲る。金銭的にはこの上ない、不相応とさえ言える報酬。
喉から手がでるほどにほしいもの。

「……そらまた、えらく割に合わん仕事ですな」

しかし品岡は肩を竦めてそう返した。
尾弐から託されたものは、覚悟は、きっと百億を積まれたところで割りに合わない代物だろう。
尾弐がそう簡単に居なくなるわけがないというやっかみ混じりの信頼もそこに数えて良い。

――居なくならせはしない。品岡が力及ばなくても、きっと橘音やノエルや祈がそれを望む。
人に望まれて生まれる怪異がいるのなら……怪異に望まれて生きる怪異がいても良いはずだ。

52 :
二本目の煙草が灰になった頃、ガチャリと鍵が回って事務所の扉が開いた。
品岡は弾かれたようにソファから飛び上がって腰を落として膝に手を当てるヤクザ式の敬礼。

「おつかれさんです、オヤジ」

「なんやジブン一人かいなムジナ。最近のヤクザは定時に帰りたがってアカンな」

乱雑にドアを開けて入って来たのは長身に上品なスーツを着込んだ壮年。
オールバックに固めた髪の下、額には大きく一筋の刀傷が走っている。
品岡ムジナの主人、当代の陰陽師にして指定暴力団山里組組長・山里宗玄だ。

山里は事務所の奥、磨き上げられた黒檀製のデスクにどかりと腰掛ける。
品岡は素早くその横に回って、彼が取り出した葉巻の吸口を切ってライターで火を付けた。
一本で品岡の煙草一缶の値段に匹敵する高級葉巻がチリチリと燃え、甘い香りが事務所に漂う。

「オヤジ、今日のことなんですけど」

「あー報告は要らん。ババア経由で三尾から情報は入っとる。
 こんな時間まで明王連のボケジジイ共に説明しとったんは誰や思っとんねん」

「流石は坊っちゃん、仕事が早い……」

ヤクザであると同時に陰陽師でもある山里は、今日の事件について人間側の窓口として対応にあたっていた。
日本の退魔師を取りまとめ、ヒトの側から霊的治安を取り仕切る組織――『日本明王連合』。
彼はその会合に出席し『コトリバコ事件』の顛末を報告して来た帰りだった。

「明王連は何て?」

「クソミソやな。秘術なんぞつこて云百年生きとる痴呆老人共に良心を期待したワシがアホやったわ。
 現場の呪的汚染の浄化に人手割かなアカンっちゅうとるのにやれ御前を降ろせだのブリーチャーズを解体せよだの。
 ババアの戯言やからっちゅうて窓口ワシに一任したのをもう忘れとるんちゃうか」

日本怪異の重鎮『御前』が発足した妖怪による妖怪退治の組織について、明王連の意見は否定的だった。
妖怪退治は治安維持という行政的側面とは別に退魔師にとっては重要な財源であり存在意義だ。
表面的には利害の一致として御前の名の下協調路線をとっていた明王連であったが、
東京ドミネーターズの出現という火急の危機に直面して強硬論が再び息を吹き返し始めている。
すなわち、妖怪なんぞ信用出来ないからドミーネーターもブリーチャーも纏めて追い出してしまおう、という意見だ。
実際それが可能かはさておき、退魔師の沽券を楯に妖怪退治業を再び明王連の元に取り戻そうという流れが生まれつつある。

「ジブンが不甲斐ないからやぞムジナぁ。どないすんねん」

「そ、そんなこと言わはりましても……ほならワシに掛けたこの封印解いてくださいよ」

「アホか。顔変えられるようにしたところでジブンに何ができんねん」

「そりゃあ、ドミネーターズにゃ女子が二人おりますから、ワシが超絶男前になってこう、魅了と言うか……」

「大統領のファーストレディ気取っとる連中やぞ。顔でなびくかいな、世の中金や金」

「ほならまぁ、あとは現金で1000億ほど都合していただけりゃ万全ですわ」

「んな金があったらだぁーれがこないなミソカス商売やっとるかい。油田買って遊んで暮らすわ」

「組員が聞いとったらお家騒動モンの発言ですな……」

53 :
品岡ムジナが東京ブリーチャーズに非正規メンバーとして協力しているのは、山里が御前と懇意にしているだけが理由ではない。
怪異側が主導して行っているこの東京漂白作戦に、人間側からも一枚噛んでおき、来たる霊的統治において発言権を確保する……
有り体に言えば、『恩を売る』。
そういう政治的な思惑が糸を引いて操られているのが品岡という傀儡だった。

「しかしドミネーターズなぁ……またえらくけったいな連中に絡まれたもんやな"三尾"も」

「知っとるんでっかオヤジ」

「噂程度にな。欧州の銀霊騎士団や南米のククルカンも似たような組織と遭遇したって情報が入っとった。
 人的被害がなかったから向こうの連中の与太話の類やと思って明王連も眉に唾しとったもんやが」

「そのパターンばっかですな明王連……」

「人狼にジャックフロスト、カンスト仮面はよう分からんがどいつも海外妖怪のメジャーどころや。
 知名度っちゅうのは怪異においては強さと同義やからな」

「そんな連中を傘下に置いとる妖怪大統領……冗談みたいな名前しとるけど只モンやないでしょうな」

暫し、男二人に深刻な沈黙が降りた。
山里が吐き出す煙が天井の換気扇に吸い込まれるのを品岡は名残惜しそうに見る。

「……ムジナ、暫くジブン事務所に顔出さんでええぞ」

「ええっ!ホンマでっか!!」

「なんで嬉しそうなんやゴラァ!!」

ひぃ!と背筋を伸ばす品岡を見遣って山里は舌打ちと共に葉巻を灰皿に押し付けた。

「ヤクザは暫く休職や、ブリーチャーズの方に協力したれ。
 あのババアが何の手も打たずにのほほんと大統領を接待するとは思えへんからな。
 便利に使い捨てれるコマの一つぐらい貸したってもバチは当たらへんやろ」

「あの……ひょっとしてなんでっけど、使い捨てってのはワシのことで……?」

「いや、誰とは言わんがな。誰とは言わんがろくに集金もせずに日がな一日ヤニ吸いながら口半開きでスマホ構っとる
 間抜けヅラの穀潰しが一匹おるやろこの組に。誰とは言わんが」

「わ、わははは!誰ですやろなそんなプロ意識の欠片もないアホンダラは!けしかりませんな!」

「ほな、御前に話通しとくから」

「ぐえええ」

のっぺらぼうとヤクザの二足のわらじを履く男、品岡ムジナ。
彼はこの日を境に片方のわらじを……無職に履き替えた。


【失業】

54 :
コトリバコとの戦いから、一週間が過ぎた。
宣戦布告を叩きつけ、すぐさま行動を開始するかに思われた東京ドミネーターズであったが、予想に反してここ数日は鳴りを潜めている。
むろん惰眠を貪っているということはなく、水面下で蠢動していることは間違いないものの、表立った動きはない。
そして、それはブリーチャーズの面々にとっては有難いことである。
表向きの平和を永年封印指定呪具との戦いで疲弊し傷ついた身体を癒す時間に費やし、捲土重来を期す。
そして、都内でもちらほらと桜が咲くようになった、ある日の午後のこと。
橘音は尾弐を事務所へ呼び出した。

「やあ、クロオさん。いらっしゃい、お呼び立てしちゃってすみません。今日はレザージャケットじゃないんですか?」
「あれ、とっても似合ってましたよ。また着てほしいなあ。私服も仕事着も喪服なんて勿体ないですよ?クロオさんカッコいいのに」

にこにこ笑いながら、尾弐を奥へ通す。殺風景な事務所の中で、執務机の上に鎮座する胡蝶蘭の鉢だけが妙に浮いている。

「――ところで、今日はボクしかいません。祈ちゃんは学校で、ノエルさんは上のお店でお仕事中です」
「ムジナさんにはお使いを頼みました。ですから、今日はふたりで。……昔みたいで懐かしいでしょ?たまにはこういうのも、ね」

尾弐にソファを勧めると、お茶の支度をしながら橘音はそう言った。
東京ブリーチャーズを結成する以前、橘音と尾弐はふたりで妖壊退治をやっていた。
御前からの命が下り、チームを作って以降は祈やノエル、他の仲間たちの参入があって、ふたりだけになることは滅多になかった。
久しぶりにふたりきりでいる事務所の中は、妙に広い。
半地下の事務所の外から、若い女性のはしゃぐ声が微かに聞こえてくる。きっとノエル目当ての客だろう。

「クライアントからいい茶葉を頂きましてね。おいしいケーキも……ふたつしかないんで、祈ちゃんたちに内緒で食べちゃいましょ?」

濃い目に淹れた紅茶を洒落たカップに注ぎ、ソーサーと一緒に尾弐の前のテーブルに置いて、お茶菓子の皿を添える。
お茶菓子は某有名菓子店のミルフィーユだ。橘音の事務所でお菓子と言ったら、大抵は洋菓子が出てくる。
大半が小豆によって作られる和菓子は尾弐の身体に悪い――との配慮だった。

「クロオさんにはブランデーの方がよかったですか?でも、お酒はミーティング後までお預けですよ」

そんなことを言って自分のお茶とお茶菓子も用意し、ガラスのローテーブルを挟んで尾弐の対面のソファに座る。
優雅な所作でカップを取り、紅茶を一口含んで喉を湿らせると、橘音はおもむろに切り出した。

「さて。お話ししたいのは、東京ドミネーターズについて。それから、ボクたちの今後についてです」
「クロオさんもご存じの通り、この東京という場所、特に東京二十三区は、ただの都市ではありません」
「狸の頭領――東照大権現が人に身をやつしていた頃、配下の南光坊天海に命じて造らせた一大結界都市。それが東京、江戸の正体です」
「天海は江戸の造成に着手した際、方角から町割りに至るまでを精緻に計算し、都市そのものをひとつの巨大な結界としました」
「結界の中心、江戸城に座す主君に、この日本のすべてのエネルギーが集中するように。主が強大な力を得るように」
「この東京の地下深くには、大地の強大なエネルギーの通り道――『龍脈』が三本通っています」
「そして、三本の交わる『龍穴』、エネルギーの噴き出し口の上に建っているのが江戸城……現在の皇居というわけですね」
「極東の小さな島国に過ぎない日本が、なぜ世界の大国と肩を並べて第三位の経済大国として君臨していられるのか――」
「それは、すべてこの東京の結界のお蔭ということ。龍脈が三本交わる場所なんて、地球上には他に数ヵ所しかありませんから」

ミルフィーユをフォークで小さく切り、味わいながら、橘音は話を進めていく。
が、この程度のことは多少歳経た妖怪ならば誰でも知っているレベルのことである。

「で。東京ドミネーターズの狙いも、あるじに強大な力を与える龍脈の掌握、東京の制圧に他ならないのでしょうが……」
「“なぜ”彼らはこのタイミングで行動を開始したのか……それが不思議だと思いませんか?」
「彼らが行動を開始したのは、東京オリンピックと密接な関係があるんです。そして――ボクが東京ブリーチャーズを結成した理由も」
「今まで黙っていましたが、御前からゴーサインが出ましたので。お伝えします、ボクたちの真の目的を」

フォークをケーキの皿に置き、学帽を脱いで長い黒髪を一度後ろに撫でつけると、橘音はコンパスの長い脚を組んだ。

55 :
「西暦2020年。皇紀2680年は、東京直下の龍脈を流れるエネルギーが最大になる年。世界中で一番エネルギーの集まる年なのです」
「それはつまり“東京を手中にした者が世界を統べるに等しい”ということ。人間にとっても、妖怪にとってもね」
「まして妖怪にとって龍脈のエネルギーは極上の甘露。自分の力を数百倍、数千倍に増幅させてくれる『神の飲料(アムリタ)』です」
「当然、それを狙ってくる輩の出現も予想できた。よって日本の五大妖はそれを阻止するため、密約を結んだ――」

五大妖。日本の五大妖怪種族、妖狐、狸、河童、天狗、鬼のそれぞれ頂点に君臨する五体の大妖怪。
白面九尾玉藻、東照権現家康、河童頭目九千坊、天狗総帥魔王尊、鬼神王温羅のことである。
かつては反目し、妖怪大戦争などと言っては争いを繰り返していた各種族だが、現在は不戦協定を結んでいる。
そして、2020年に予想される大国難レベルの侵略を食い止めるにあたって結成されたのが東京ブリーチャーズだというのだ。
その指揮官である橘音には、妖狐一族のみならずすべての種族の代理人としての権限が与えられている。
橘音がなにげなく使っている狐面探偵七つ道具も、元々は五大妖が秘蔵していた特Aクラスの呪具である。

「……ま、何もかもが順風満帆とはいきませんがね」

東京ブリーチャーズの活動は何もかもが肯定され祝福されているというわけではない。
実際、人間の退魔機関である日本明王連合は表向き協力を表明してはいるが、内心ははらわたの煮えくり返る思いであろうし――
五大妖も各々腹に一物を抱えていることは間違いない。何せ、相手は龍脈。汲めども尽きぬエネルギーの源。
それを自分の一族だけのものにできたなら――と思うことは、なにも不自然ではないのだから。
肚の中はともかく、現在の五大妖の意見は『外敵から東京を守護する』で一致している。
そして、その音頭を取る白面九尾、玉藻御前が言ったのだ。

『東京オリンピックで海外からやってくる、たくさんの人間や妖怪をおもてなししよう』と。

「東京ドミネーターズ、そしてそれを率いるとされる妖怪大統領については、目下調査中です」
「海外でそういうことを企みそうな、野心の強い連中に当たりをつけているのですが、なかなか特定できなくて」

北欧を根城にするケルトの邪神バロールや、セイロン島の魔王ラーヴァナ、エジプトの暴風神セトらは強欲で知られる。
が、そういった伝説級、神話級の者たちには大抵の場合対となる神や英雄がついており、悪事の実行を阻んでいる。
神や英雄といった抑止力を持たず、強大な力を妖怪たちを率いることのできる存在。

「ひょっとして、妖怪大統領とは伝説や神話で語られる存在ではないのかもしれません」

ぬるくなってきた紅茶を口に運び、ぽつりと呟く。
妖怪の強さとは、知名度の高さと直結する。ネームバリューはそのまま強大さのバロメータだ。
有名であり、人口に膾炙されればされるほど、妖怪はその力を増してゆく。神話級、伝説級の妖怪が強いのは当たり前なのだ。
都市伝説系妖怪に強大な者がいないのも、そのバックボーンのなさゆえである。
しかし、そういった歴史の裏付けなしに強い力を持つ妖怪など、果たして存在するのだろうか?
それが、どうにもわからない。

「現在、その辺りをムジナさんに別行動で調べてもらっています。彼ならそう時間はかからないと思いますが――」
「そちらの方に専念してもらいたいので、直接戦力としての彼の協力は当分期待できません」
「他のメンバーにも、同様に指示を出しています。戦力ダウンは否めませんが、まぁ、頑張りましょう」
「……クロオさんの腰痛にはよくないですが、ひとつ発奮してください」

そこまで告げて、橘音はアハハと笑った。

「とりあえずは、東京ドミネーターズの動向を探るのが急務ですね」
「彼らの目的ははっきりしています。あとは、それを彼らがどうやって実現させようとしているのかを調べなければなりません」
「せめて、彼らが今どこにいるのか。消息だけでも確認できればいいのですが……」

はあ、と息をつく。日本妖怪の総力をもってしても、東京ドミネーターズの塒を探し当てることは容易ではないらしい。
恐らく何らかの結界等で、自らの痕跡を隠蔽しているのだろう。強大な力を持つ妖怪揃いだ、その程度はお手の物に違いない。
結局のところ、相手が動くのを待って行動するしかないという対処療法である。
ミルフィーユを口に運ぶ橘音の表情も冴えない。――しかし、そんな浮かない胸中とは裏腹に。

東京ドミネーターズは、すぐ近くにいたのだった。

56 :
フローズンスイーツの店『Snow White』は、都下でも評判の店である。
立地的には決して恵まれてはいない。駅は遠いし、そもそも店舗からして古い雑居ビルの一階だ。
下階および上階には仮面をかぶった探偵だの、どこから来て何をしているのかも分からない外国人が住みついている。
それでも若い女性を中心に客が途切れないのは、提供されるスイーツの味もさることながら店主のルックスが大きい。
いかにも(腐)女子受けしそうな、涼やかな顔立ちの美青年が店を切り盛りしているとなれば、メディアが放っておかない。
ということで、平日の昼間だというのに彼の店は大入り満員だったのだが、夕刻少し前ともなるとさすがにその波も引いてくる。
夜になればまた夕食後のデザートとばかりに客が増えるのだが、今の時間は貴重な休憩時間と言ったところだろうか。
そんな束の間の空白の時間に、カラン……とドアベルが鳴る。
頭のてっぺんからつま先まで、真っ白な女だった。もう春だというのに、白のダウンジャケットを羽織っている。
前を開けたジャケットから覗く豊かな胸にはチューブトップ以外つけておらず、上着以外はごくごく薄着だというのが分かる。
女はノエルの対面に位置するカウンター席に座り、ホットパンツから伸びる長い脚を組んだ。そして頬杖をつくと、

「氷、もらおうか。――シロップはいらないよ、味が濁る」

と言って、小さく笑った。
東京ドミネーターズのひとり、ジャック・フロストのクリス。
橘音やその息のかかったブリーチャーズが必死で行方を追っている妖怪のひとりが、忽然とノエルの前に現れたのだ。
それも、ひとりで。

「なんて顔してんだい。アタシは客だよ?ここへは氷を食べに来たのさ。おいしいって評判だからね」

ダウンジャケットのポケットから丸めた東京のグルメ案内を取り出す。
店内には他に二組ほど客がいるが、いずれもテーブル席でかき氷を食べながら歓談中で、ノエルとクリスには注意を払わない。
ふたりは他の客に邪魔されることなく会話ができる環境の中にいた。

「戦う気はないよ。……だいたいだ。元々、アタシはアンタと戦うつもりなんてないんだから……さ」
「アンタだって、ここじゃ穏便に過ごしたいだろ?それでいい、大人しくしておいで。それで何もかもうまくいく」

カウンターに肘を乗せ、軽く腕組みして、クリスはノエルの顔を覗き込んで笑った。
まるで、懐かしい友人と再会したかのような。家族の顔を見たかのような。そんな微笑。
そこにノエルを陥れようとしているような気配や、悪意の兆候はない。
ノエルが氷を出すと、クリスは柄の長いスプーンを手に取ってそれを食べ始めた。

「んん……、確かに噂にたがわない味だ。そうだね、例えるなら――」
「……雪女の里の味。アタシが捨てた、懐かしい……そして。忌々しい故郷の味だ」

そう、ひとりごちるように呟く。

「アタシが何者かって顔してるね。当然だ、アンタにゃアタシの記憶なんて、カケラもないんだから」
「――いいや。『カケラもなくなってしまった』って言うべきかね……。アンタは一度、真っ白にされちまったんだからさ」

く、く、と喉奥で笑う。クリスは右手に持ったスプーンをヒラヒラと振ってみせた。

「アンタはアタシを知らない。でも、アタシはアンタを忘れたことなんて今まで、一秒たりともなかった」
「覚えてない、知らない、ってんならそれでもいいよ。これから、もう一度覚えてもらえばいいだけ……簡単なことさ」
「アタシの名前は六華 紅璃栖(りっか くりす)。アンタと同じ、雪女の里出身の雪女。そして――」

総体真っ白の中で、唯一白ではない部分。真紅の双眸が、ノエルを見つめる。
六華紅璃栖。御幸に対する六華、乃恵瑠に対する紅璃栖。
同じ能力。同じ妖気。同じ故郷、同じ種族。
そこから導き出される結論は、たったひとつ――



「ノエル。アンタの姉貴だ」

57 :
雪女とは、雪山の霊気がひとの形を取ったものである。
ごくたまに外界で男と情を交わし、子を成す雪女もいるが、それは例外中の例外でほとんど出現しない。
基本的に雪女とは自然発生するものであり、誕生直後の雪女は雪ん娘と呼ばれる。
雪女、雪ん娘らが女性型で占められるのは、そもそも『山』という存在が女性としてみなされるからである。
家庭で女房のことを『山の神』と呼称することでも、それが理解できるであろう。

そうして山の霊気が凝縮して生まれた雪ん娘は妖怪というよりは精霊に近いものであり、その存在は非常に脆弱である。
そのままでは大抵淡雪のように消えてしまう。従って雪ん娘が誕生すると、その山に住む雪女が親代わりとなって育てるのが常だった。
雪女の里の住人たちは、いずれも同じ山から発生した親子であり、姉妹。
クリスはそう言っている。ノエルと自分は同じ雪女の里で生まれ育った、正真正銘の姉妹であると。

「そんなこと、どうして忘れてたのか……まぁ、それはどうでもいいことさ。知りたいんなら教えてあげるけど、知りたくないだろ?」
「かわいい妹の心をいたずらに乱したくはないしね。――もう乱れてるって?アハ、そりゃ悪かったね!」
「で……だ。そんなことよりも大切なことがある。ノエル、いいかい?よくお聞き」

クリスはもう一度、かき氷をスプーンで掬って口に運んだ。
店内は適度に暖房が効いており、時間が経つと室内温度で氷が解けるのが常だったが、クリスの食べている氷は解けない。
クリスが妖力を使って解かさないよう調節しているのだ。
ノエルが気を落ち着かせるのを待っているのか、クリスはしばらく氷を食べてから、静かに口を開いた。

「アンタは騙されてる。あのブリーチャーズとかいう連中にね。アンタはいいように使われてるんだよ、戦いの駒としてさ」
「アタシはそれを止めに来たんだ。アンタを……妹を危険な戦いに駆り出す連中を放っておけない」
「今すぐブリーチャーズを抜けるんだ、ノエル。姉ちゃんが守ってやる、アンタを。もう、ケ枯れ寸前まで戦う必要なんてないんだ」

クリスの真紅の双眸が、もう一度ノエルをじっと見つめる。
やはり、その瞳に嘘はない。クリスは正真、ノエルのことを気遣ってこんな提案をしたのだろう。

「ウチのボスは、そりゃ恐ろしいお方だよ。ハッキリ言う、ブリーチャーズじゃ毛筋ほどの勝機もない。勝てっこない」
「いや……ブリーチャーズだけじゃない。誰も勝てないのさ、あのお方には。伝説クラスの妖怪や、神話の人物さえもね」
「レディの言ったのはウソじゃない。ありゃ、心底からの温情さ。戦っても無駄なんだから従えって。譲歩してるんだ、あんなでもね」

は、と小さく息を吐く。

「アンタは、アタシのすぐ下の妹なんだ。アタシの初めての妹なんだよ。他にいっぱいいる姉妹とは違うんだ」
「雪女の里を出て、ヨーロッパへ渡っても。アタシはずっとアンタのことを考えてた。案じてた。そして……やっと会えた」
「……嬉しいよ。アンタにアタシの記憶がまったくなくなっていたとしても――」
「でも。アタシは覚えてる。アンタとアタシが、正真正銘の姉妹だってこと……」

そっと右手を伸ばすと、クリスはノエルの左頬に触れようとした。
それをノエルが許すにせよ、拒むにせよ、クリスは寂しそうな笑みを彼へと向けるだろう。

「レディは跪けと言ったけど、そんなことする必要なんてない。アンタはアタシと一緒に来れば、それでいいんだ」
「そしたら、後は全部アタシがうまくやる。アンタは今まで通り、ここで店をやればいい。誰にもアンタに手は出させない」
「西洋妖怪にも、日本妖怪にもね。――アンタのことは、絶対に。姉ちゃんが守るから」

強い決意に満ちた瞳と言葉。
それをひとしきりノエルへと向けると、クリスはカウンター席を離れて立ち上がった。

「ホントは、もっともっと話していたい。アンタの顔を見て、声を聞いていたい……けど。時間がなくてね。帰らなきゃ」
「やらなくちゃいけないことがあるんだ、でもまた来るよ……営業時間と定休日は、これに書いてある通りなんだろ?」
「じゃあね……だいぶ暖かくなってきた。ちゃんと寒くして、身体に気を付けるんだよ。ノエル」

氷の代金を置き、グルメ案内をダウンジャケットのポケットにねじ込んで。
妹と呼ぶノエルの身体を気遣う言葉を残して、クリスは店を出て行った。

58 :
都内某所、某中学校。
祈はこの中学校に、なんの変哲もない女子中学生として通学している。
人間社会で生きていくには色々不都合のある生粋の妖怪と違い、半妖の祈は自らを偽る必要がほとんどない。
せいぜい、妖怪としての優れた身体能力を発揮しないよう気を付ける程度だ。
教師も、生徒も、祈に近しい友人たちも、誰も祈が半分妖怪であることを知らない。
そして今日も、祈は多少不良っぽいところはあるものの、ごくごく普通の中学生として学園生活を送ろうとしていたのだが――
そんな平和な時間は、突然剥奪されることになった。

「えー、転入生を紹介する」

授業がつまらないことで有名な古典担当の担任教師が、朝のホームルームでそう切り出した。
教室の中がザワザワとざわめく。確かに、節目の新学期だ。転入生が来たとしてもおかしくない。
男子生徒が、転入生は男か女か?などと盛り上がっている。50がらみの担任はそんな騒がしさもどこ吹く風、

「アメリカから来た生徒だ。みんな仲良くしてあげるように。……入ってきなさい」

そう、扉の外に視線を向けた。
カラカラと扉が開き、担任に促された生徒がひとり、教室に入ってくる。
ツインテールにした、腰までの長い黒髪。前髪によって隠れた左眼と、やけに印象的な大きい右眼。
学校指定のセーラー服に身を包んだ、ほぼ祈と同程度の背格好の少女。

「モノ・ベアードですわ!アメリカはワシントンD.C.より参りましたの、皆さまよろしくお願い致しますわね!」

モノと名乗った少女はそう元気よく自己紹介すると、黒板にチョークで英語で名前を書き、にっこり笑った。
花の綻ぶような、愛らしい笑顔である。すこぶるつきの美少女と言うべきか。
実際、クラスの男子連中は早くも浮き立ってしまっている。男子だけではない、女子も同様だ。
……が、祈はそんなクラスメイトと同じような、浮ついた気持ちではいられまい。
モノ・ベアード。
その顔を、姿を、声を。忘れることなどないだろう。そう――

レディベア。

コトリバコとの戦いの終局、妖怪大統領の名代を名乗った東京ドミネーターズの先導者。モノはその妖怪に間違いない。
モノの方でも祈に気付いたらしく、大袈裟に両手で口許を覆うと、

「あら!あら!あら!あらあらまあまあ!これは奇遇なこともあるものですわね!」

と、露骨に驚いてみせた。

「ん、多甫と知り合いなのか?」
「ええ、それはもう。日本へ来て早々、大変お世話になりましたのよ?――いいえ、お世話して差し上げたと言うべきかしら?うふふ!」
「そうか。じゃ、席は多甫の隣でいいか」

席はあっさり決まった。モノは祈の隣の席に座ると、もう一度微笑んでみせた。

「多甫さん。わたくし、日本のことはまだ何もわかりませんの。教えて下さる?」
「知り合いならちょうどいい。多甫ー、あとで学校の中を案内してやれー。いろいろ面倒も見てやるんだぞー」

丸投げである。それで転入生に関することは終わりとばかり、担任が授業を始めようとする。
生徒たちが教科書とノートを取り出す。が、モノは少しだけ居心地悪そうにもじもじしている。
モノは大きな右眼で上目遣いに祈を見ると、

「……あの。さっそくで悪いのですけれど、教科書を見せてくださいませんこと……?」

そう、隣の祈へ小声で囁いた。

59 :
休み時間になると、モノはさっそく祈に学校の中を案内するように言った。
そして、行く先々で初めて見たものに遭遇すると、その都度大きな瞳をキラキラ輝かせ、オーバーアクションで喜んでみせた。

「これが日本のジュニア・ハイスクールですのね!……これは何ですの?あれは?……あっちにあるものも気になりますわ!」
「勉強以外にも課外授業やクラブ活動がありますのね。イケバナは?ハラキリ?ニンジャサークルはありませんの?」
「わたくし喉が渇きました。コークの自販機はどこかしら。……水道から直接水を飲む!?あ、ありえませんわ!」

計算高い妖怪である。これも何かの策略か――と思いきや、見る限り本当に驚いたり楽しんだりしている。

「……不思議に思っているのかしら?なぜ、わたくしがここにいるのか」
「東京ドミネーターズとして、今度はこの学校を災厄の坩堝にしようとしているのかと……そう考えていますわね?」

昼休み。校舎の裏でふたりきりになると、モノは壁に軽くもたれて緩く腕組みし、そう告げた。
遠くの校庭の方から、バレーボールやバドミントンに興じる生徒たちの嬌声が聞こえてくる。
しかし、こちらはともすれば一触即発の雰囲気だ。
そんな状況を打破するように、モノはかぶりを振った。

「だとすれば、余計な勘繰りですわ。わたくしは真実、この学校へ学びに来たのですから。お父さまがそう仰ったのですわ」
「いずれ、この東京を。日本を手中に収めたときのために、学校へ行ってこの土地の文化を学んできなさい……とね」
「わたくし、まだ誕生して14年しか経っておりませんの。余りにも知らないことが多すぎる……見聞を広めるのも支配者の務め」
「ですから、わたくしはここではあくまでモノ・ベアード。レディベアとは別人でしてよ」

そこまで言うと、校庭からぽぉん、とバレーボールが弾んでふたりのところまで転がってくる。
すみませーん、という女生徒の声に反応してモノはボールを拾い上げると、笑顔で投げ返した。

「……いいところですわね、ここは」
「貴方がわたくしに対してよい感情を持っていないことは知っていますし、改めろと言う気もありません」
「ただ、協定を結びませんこと?貴方とわたくし、この学校の中にいる間は戦わない――と」
「この学校を非戦闘地域に指定する、ということですわ。わたくしは人間の文化を学ぶ、貴方は余計な戦いをせずに済む」
「まさに、win-winの関係と言ってよいでしょう。悪くない提案だと思うのですけれど?」
「もちろん、この学校の敷地を一歩出れば、この協定は無しですわ。戦いたいと言うのであれば、受けて立ちますし……」
「わたくしたちのすることに刃向かうならば、潰します。よろしくて?」

祈はモノの提案を拒絶することも、受け入れることもできる。
モノの言い分は相変わらず傲慢で、一方的で、自己中心的なものだったが、彼女なりに譲歩はしているらしい。
この学校という日常の中で、ブリーチャーズの少女とドミネーターズの少女が共に生活するという非日常。
それを祈が受け入れるか、どうか。

「改めて、よろしくお願い致しますわ。多甫さん……いいえ、祈と。そう呼んだ方が宜しいかしら?わたくしのことはモノ、と」

モノがふわりと微笑んで、祈へと右手を差し出してくる。
この学校の中にいる限りは、モノは無害なただの中学生を装うという。
しかし、それが本気なのかどうかまではわからない。ひょっとしたら、何か別の目論見があるのかもしれない。
判断は祈の心次第。モノ――レディベアの言葉を信じ、ふたりだけの協定を結ぶか。
それとも、コトリバコを使い無辜の人々を惨殺した妖怪を信じることはできないと突っぱねるか。



モノは笑顔のまま軽く小首をかしげ、祈が結論を出すのを待っている。

60 :
「5人目の魔法少女は主人公の飼い犬のポチ(オス)にしましょう」
「もうまともに少女なのが主人公だけじゃないですか! あとはBBA(妙齢美女)、
ガチのお婆さん、おっさんと来て最後は人間ですらない(しかもオス)って酷くなる一方ですよ!」
「変身後が少女ならそれすなわち魔法少女じゃないですか。モフモフ犬耳犬尻尾美少女に変身させましょう」
「魔法少女は変身前も少女だろ、普通!」
「変身後の姿はなりたいと思い描いた理想の姿が投影されているんだ……つまり彼らは紛れもなく少女なのだよ!」

常連過ぎてもはや背景と化したレベルの常連客達の謎の会話を聞きつつ、
ノエルはああ自由な時代だなあ!と明後日の方向を向いて爽やかな笑みを浮かべる。
これはノエルが「作者」(ツッコんでる方)と「編集者」(ボケてる方)と勝手にあだ名を付けた二人組。
彼らは今日も日がな一日テーブル席の一角を陣取り、元気に哲学的且つ割とどうでもいい議論、通称「編集会議」を繰り広げていた――!
以前、雪女(イケメン)がアリか無しかについて白熱した議論を交わされた日には平静を装うのに苦労したものだ。
そんな常連客しかいない時間帯に、不意にドアベルが鳴る。

「あ、いらっしゃいま……ふぁっ!?」

かき氷の器を拭きながら顔を上げたノエルは、思わずイケメン(※ただし外見に限る)にあるまじき奇声を発しながら器を取り落した――
女は何食わぬ顔で眼前のカウンター席に座る。
一瞬変化を解きかけたが、他の客がいる以上派手に騒ぎを起こすわけにはいかない。
相手もそれを分かっているのだろう。

>「氷、もらおうか。――シロップはいらないよ、味が濁る」
>「なんて顔してんだい。アタシは客だよ?ここへは氷を食べに来たのさ。おいしいって評判だからね」

「嘘つけ、そんな巨乳を強調する格好で何を企んでる……!?
さては僕が一番バカっぽいからって籠絡して情報を聞き出そうとしてるんだろ!
残念僕はパンツ派だ! ミニスカートに履き替えて出直してこーい!」

と口では言いながらも、角度的に丁度見える胸の谷間をガン見している。

「なっ、本物――だと!?」

胸囲の格差社会――そんな謎ワードが何故か脳裏に浮かぶのであった。

61 :
>「戦う気はないよ。……だいたいだ。元々、アタシはアンタと戦うつもりなんてないんだから……さ」
>「アンタだって、ここじゃ穏便に過ごしたいだろ?それでいい、大人しくしておいで。それで何もかもうまくいく」

渾身の煽りも全く意に介さない敵意の無い微笑を向けられたノエルは、観念したよう少しレトロな大き目の氷削り器を回しはじめる。
回す時に妖力を通すことで粉雪のような氷を再現しているので、器材は何でもいいのだが、絵面は重要である。

「それなら全身真っ白のままじゃ目立ち過ぎるって……あと謎エフェクトも禁止ね!」

器に盛られたかき氷(味付け無し)をトンッと置く。
幸い客達が特にこちらを注目している様子はない。
物凄く色素の薄い外国人か手の込んだコスプレぐらいにでも思っているのだろう。
流石は常連客、店内に仮面の探偵が突入して来たり店主の奇行を目撃したり
妖壊退治の打合せが繰り広げられても物ともしないスルー力が遺憾なく発揮されている。

>「んん……、確かに噂にたがわない味だ。そうだね、例えるなら――」
>「……雪女の里の味。アタシが捨てた、懐かしい……そして。忌々しい故郷の味だ」

「えっ、だってこの前ジャックフロストって……」

偽装は性別ではなく種族の方だったというのか!?

>「アタシが何者かって顔してるね。当然だ、アンタにゃアタシの記憶なんて、カケラもないんだから」
>「――いいや。『カケラもなくなってしまった』って言うべきかね……。アンタは一度、真っ白にされちまったんだからさ」
>「アタシの名前は六華 紅璃栖(りっか くりす)。アンタと同じ、雪女の里出身の雪女。そして――」
>「ノエル。アンタの姉貴だ」

「真っ白に……された……?」

ノエルにはここに来る前の記憶が無い。記憶が無いことにすら最近まで気が付かなかった。
せいぜい雪ん娘のころは美少女の格好をしていた気がするなあ、というおぼろげな記憶がある程度だ。
ここで店をやるように言われて、たまたま下の階に橘音の事務所があって
気付けばそうするのが当然であるかのようにブリーチャーズに所属していた。
ブリーチャーズの意味は確か――漂白者。そこまで考えたところで、激しい頭痛に見舞われる。
まるで思考にリミッターがかかっているかのように。

62 :
>「そんなこと、どうして忘れてたのか……まぁ、それはどうでもいいことさ。知りたいんなら教えてあげるけど、知りたくないだろ?」
>「かわいい妹の心をいたずらに乱したくはないしね。――もう乱れてるって?アハ、そりゃ悪かったね!」
>「で……だ。そんなことよりも大切なことがある。ノエル、いいかい?よくお聞き」

「……とりあえず妹はNGだ、クロちゃんが全身鳥肌になっちゃう」

ここ十数年で本当にごく稀に男性型の雪ん娘(雪ん子?)も発生するようになったというが
雪女の業界では当然のごとく上の兄弟は姉、下の兄弟は妹と呼ぶ。
それはいいのだが、ノエルが発生したのは正確には不明だが少なくともここ十数年以内ではない。
そこから本当に昔は本物の美少女だったという結論が導き出されるのだが、ノエルは特に自分の性別について深く考えないのであった。

>「アンタは騙されてる。あのブリーチャーズとかいう連中にね。アンタはいいように使われてるんだよ、戦いの駒としてさ」
>「アタシはそれを止めに来たんだ。アンタを……妹を危険な戦いに駆り出す連中を放っておけない」
>「今すぐブリーチャーズを抜けるんだ、ノエル。姉ちゃんが守ってやる、アンタを。もう、ケ枯れ寸前まで戦う必要なんてないんだ」

ノエルは身を乗り出して叫ぶ。

「橘音くんが僕を騙すはずない! だって……友達だから」

普通に考えれば顔すら見せない仮面の探偵なんて怪しいに決まっている。
だけど最初に会った時、初対面のはずなのにずっと昔から友達だったような気がした。
妖怪は契約を破ることが出来ないが、橘音とノエルの間には契約はない。
仮に裏切ったところでお互いに何のペナルティも蒙らない。
裏を返せば契約も無く無償で手伝うのを許していること自体が、何よりの信頼の証なのだ。
ふと、左頬にひんやりとした感触を感じる。
クリスが心底愛おしそうにノエルの左頬に触れ、ずっと身を案じていたと告げる。

63 :
>「レディは跪けと言ったけど、そんなことする必要なんてない。アンタはアタシと一緒に来れば、それでいいんだ」
>「そしたら、後は全部アタシがうまくやる。アンタは今まで通り、ここで店をやればいい。誰にもアンタに手は出させない」
>「西洋妖怪にも、日本妖怪にもね。――アンタのことは、絶対に。姉ちゃんが守るから」

「友達が戦ってるのに僕だけ安全な場所にいるなんて出来ないよ! それに……いや、何でもない」

危うくうっかり橘音の事務所の場所の情報を流出させそうになって踏みとどまる。
床一枚挟んだ階下が総大将の橘音の事務所なのだ。
仮に辞表を出したとして、その後も毎日顔を合わせることになる。
それは気まずい、気まずすぎる――!
→気まずい雰囲気に耐えきれず「ご近所トラブルで店の場所を移りたい」って女王に要請する
→東京で場所確保するのがどんだけ大変だと思ってるねんと一蹴される→積む

ここまで想像し心のなかで「うわああああああああ!!」となってから
いや僕は何を考えているんだ、言動が変態すぎてクビになる可能性は微粒子レベルで存在しても
そもそも自分から辞表を出すなんて160%有り得ないだろう、と思い直す。
それぐらいブリーチャーズに所属しているのが当たり前のことになっているのだ。

>「ホントは、もっともっと話していたい。アンタの顔を見て、声を聞いていたい……けど。時間がなくてね。帰らなきゃ」
>「やらなくちゃいけないことがあるんだ、でもまた来るよ……営業時間と定休日は、これに書いてある通りなんだろ?」
>「じゃあね……だいぶ暖かくなってきた。ちゃんと寒くして、身体に気を付けるんだよ。ノエル」

「お……おとといきやがれー!」

好き放題言って去っていくクリスの背に通り一遍の煽り文句を投げかけ、壁を背にして座り込む。

「何なんだよ、一体……」

全身が変な汗のようなものでぐっしょりと濡れ、震えが止まらない。
左頬に触れられた感触がまだはっきりと残っている。
何より恐ろしいのは、あろうことかそれを心地よいと思ってしまったことだ。
相手はコトリバコを世に放ち阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出した宿敵の一味なのに。

「……こうしちゃいられない!」

しばらく座り込んでいたノエルだったが、やがて弾かれたように立ち上がって
玄関から出て階段を駆け下り、橘音の事務所に駆け込む。
橘音と尾弐が作戦会議をしている最中に乱入し、要領を得ない事を言い始める。

「あの一味の……ジャックフロストのクリスがたった今上の店に来て……
それで……僕が橘音くんに騙されてるって……ブリーチャーズを抜けろって唆してきた!
また来るって言ってた……このままじゃそのうちこの事務所の正体もバレちゃう!
僕のせいだ、僕がいっつも調子に乗って露出してるから……
橘音くん、今すぐ事務所を移そう! 渋谷区に移そう!」

さらっと爆弾発言をした気がするが、調子に乗ってメディアに露出していると言いたかったらしい。
動揺のあまり略したらいけないところを略して大変なことになってしまっている。

64 :
暦の上ではとうの昔に春を迎えているというのに、ビルの隙間を吹き抜ける風は未だ肌寒い。
公園の桜花も未だ一部咲きというその光景は、冬帝が未だ街に鎮座しているかの様である。
そんな冬と春との狭間の季節の中で。
都内某所に在る無国籍風の雑居ビルの一室、半地下となっているその部屋のドアを一人の男が潜った。

「よう、遅くなって悪かったな大将」

声を発したのは190cmを超えるであろう大男。
ややよれた黒のスーツ……所謂喪服を着こみ、黒ネクタイを嵌め髪をオールバックに纏めたその姿は、
その服の上からでも判る筋肉質な体格も相まって、異様な迫力を帯びている。
初対面の人間であれば、視線が合っただけで悲鳴を挙げそうな男の容貌であるが、
けれども彼の人物が扉を潜りながら放った言葉。その口調は、意外にも穏やかなものであった。
そして、そんな男――――鬼の妖怪である尾弐 黒尾の声に、室内から答える声が一つ。
男性とも女性とも取れる、中性的なその声の主は、学ラン学帽に、狐面……界隈では『孤面探偵』として名を知られる那須野橘音である。

>「やあ、クロオさん。いらっしゃい、お呼び立てしちゃってすみません。今日はレザージャケットじゃないんですか?」
>「あれ、とっても似合ってましたよ。また着てほしいなあ。私服も仕事着も喪服なんて勿体ないですよ?クロオさんカッコいいのに」

「おいおい、そんなに褒めても桃缶くらいしか渡せるモンは持ってねぇぞ……まあ、俺の服はこれでいいんだよ。ほら、着替えとか楽だしな」

那須野の冗談なのか本気なのかいまいち判断の付かない褒め言葉に苦笑を漏らしつつ、大雑把な返事を返すと、
尾弐は手に持った紙袋……中に果物の絵が描かれた缶詰が詰まったそれを、案内されたソファーの前に置かれた机へと置く。
無造作に中身が詰められた紙袋は自重で少し傾くが、机の置かれていた金平糖の入った硝子瓶へと凭れ掛かるような形で安定し、
それを確認した尾弐は自身も背もたれに体を預けた。

>「――ところで、今日はボクしかいません。祈ちゃんは学校で、ノエルさんは上のお店でお仕事中です」
>「ムジナさんにはお使いを頼みました。ですから、今日はふたりで。……昔みたいで懐かしいでしょ?たまにはこういうのも、ね」

「……まあ、な。たまにゃ、こういうのも悪くねぇ」

そのタイミングで、那須野が冗談めいた……もしくは悪戯を思い浮かんだ子供の様な調子で尾弐へと言葉を掛ける。
言葉に釣られるようにして尾弐が無意識に事務所の中を見渡せば、成程。人の居ない事務所は伽藍としていて、尾弐にかつての自分達を彷彿とさせた。
当時―――まだ、尾弐が祈やノエルと出会っていない頃は、確かにこんな風に二人で事務所に滞在している時間が多かった。
妖壊を追い、悪霊を祓い……時々逃げたペット探しにも駆り出され。
そうして無事に仕事を終えた時は、決まって那須野の事務所へと足を運んだものである。
その日の業務内容について語り、那須野が当時世間を騒がせいた怪盗6……何とか面相の話をするのを聞き、
尾弐が酒が美味い店の話をのんべんだらりと垂れ流し。
そうして、そのまま話題も無くなり、紅茶を飲む音と時計の針の音だけが響く空間は……確かに心地が良く、陽だまりのようであった。
その遠い光景を、まるで古い映画を見る様にして目を細め思い返していた尾弐であったが、
ソーサーが打ち鳴らす陶器の音と、窓の外から小さく響く若い女性の声にって記憶の上映は終わり、そのまま現実へと回帰する。

65 :
>「クライアントからいい茶葉を頂きましてね。おいしいケーキも……ふたつしかないんで、祈ちゃんたちに内緒で食べちゃいましょ?」
>「クロオさんにはブランデーの方がよかったですか?でも、お酒はミーティング後までお預けですよ」

見れば、尾弐の目の前の机に、那須野が注いだ琥珀色の紅茶と、恐らくは熟達した職人が作ったのであろう、
品の良い狐色とクリームの白に彩られたミルフィーユが並べられている。
それを見た尾弐は、那須野の気遣いに思い至り、目を瞑ると小さく口端を上げ微かな笑みを浮かべる。
長い付き合いだ。こういった時、那須野が和菓子を出さない理由を、尾弐は何となく察している。
別に炒った豆でもなければ尾弐にそこまで害は無いのだが……それを敢えて伝えないのは、
その気遣いに、どこかで心地よさを感じているからなのだろう。

「……まあ、紅茶もブランデーも同じ琥珀色だからな。足りないアルコールの分は後は気持ちで酔うとするさ。
 酔いすぎて祈の嬢ちゃんに怒られねぇように、甘味も貰いながらな」

その感情を隠すように、だらしなくそう言ってから尾弐は、対面へと腰掛けた那須野に合わせる形でカップを持ち上げ、紅茶を喉に流す。
そうして訪れるのは暫しの沈黙……それは、かつて確かに在った泡沫の夢の様な、心地よい時間であった。
けれど……夢とはいずれ終わるもの。
カップをソーサーへと置く音を合図として、那須野は口を開く。
心地よい過去では無い。切り開くべき未来についての話を。

>「さて。お話ししたいのは、東京ドミネーターズについて。それから、ボクたちの今後についてです」
>「それは、すべてこの東京の結界のお蔭ということ。龍脈が三本交わる場所なんて、地球上には他に数ヵ所しかありませんから」

まず。初めに那須野の口から語られたのは、基礎知識としての『東京』という都市の特殊性についてであった。
東京を中心として構築されている、世界最大級の結界。
収束する3つの龍脈と龍穴……人間社会においても都市伝説(オカルト)として語られるその一説を、那須野は、真実であると断じて見せた。

「……ああ、そういや聞いた事があるな。東京には複数の大規模な結界が構築されてるって奴か」

その話を聞きながら、尾弐は自身の知識と語られた内容を擦り合わせる。
連動して山手線結界説や、日本列島大陸説などという単語も脳裏を過るが、
話の腰を折る事になりそうなので、尾弐はあえてそれらを口にする事はしなかった。
思案する様子の尾弐に対し、那須野はミルフィーユをフォークで刻みながら話を続ける。

>「西暦2020年。皇紀2680年は、東京直下の龍脈を流れるエネルギーが最大になる年。世界中で一番エネルギーの集まる年なのです」
>「当然、それを狙ってくる輩の出現も予想できた。よって日本の五大妖はそれを阻止するため、密約を結んだ――」

「その目的の為に作られたのが―――――東京ブリーチャーズ、って訳だな」

66 :
次いで那須野の口から明かされたのは、東京ブリーチャーズが発足するに至った経緯であった。
五体の大妖が、世界を統べる程の力を持つ龍脈を『誰かの物にさせない』。
海外の怪異の手に、その力を『渡さない』。その為に、東京ブリーチャーズは作られたという、事実。

「……俺みたいなのはともかく、色男と嬢ちゃんが聞いたら怒り出しそうな話だな、また」

決して正義の為ではなく、エゴの妥協点としてブリーチャーズが作られたと知った時、
祈は……ノエルは、一体どのような反応を見せるのであろうか。
尾弐はその光景を想像しかけ……けれど、首を振ってその想像を頭から祓う。
仮定の未来をいくら夢想しても詮無きことであるからだ。

>「……ま、何もかもが順風満帆とはいきませんがね」

他にも様々な問題が有る様だが……那須野がここでそれを口にする事は無かった。
恐らくは、それこそ詮無きことだからであろう。

>「東京ドミネーターズ、そしてそれを率いるとされる妖怪大統領については、目下調査中です」
>「海外でそういうことを企みそうな、野心の強い連中に当たりをつけているのですが、なかなか特定できなくて」

そうして、最後に那須野が語ったのは、尾弐が先日対峙した西洋妖怪の集団『東京ドミネーターズ』について。
強力な力を有し、けれどその所在が雲をつかむかの如く捕えられない彼の集団。
そして、その頭目と思われる妖怪大統領なる存在――――

>「海外でそういうことを企みそうな、野心の強い連中に当たりをつけているのですが、なかなか特定できなくて」
>「ひょっとして、妖怪大統領とは伝説や神話で語られる存在ではないのかもしれません」

事実として語られたのは、彼等の所在地が不明であり、ムジナが主となり目下調査中であるという事。
推測と共に語られるのは、強大な力を持つと想定される妖怪大統領が、神話の神の様な存在ではないという可能性。
ここで、これまでの話を『知らなかった振り』をしながら聞いていた尾弐も、首を傾げる。

「神話や伝説以外の存在で強力な力を持つ奴ね……ちっとばかし突拍子過ぎねぇか、那須野。
 その条件で強い存在なんて、人間くらいのモンだろ」

幽世の存在に知名度や信仰が齎す力の増大は、尾弐も知る所である。
だからこそ、その影響を存分に受ける神話、伝承の怪物達以外の存在があの強大な力を有するドミネーターズの
頭目であるかもしれないという那須野の言葉に、尾弐は首を傾げ、疑問の言葉を投げかける事となった。
……最も、尾弐に思い浮かべられる程度の疑問である。優秀な探偵でもある那須野はとうの昔に思考していた様で。

>「現在、その辺りをムジナさんに別行動で調べてもらっています。彼ならそう時間はかからないと思いますが――」

既に、裏付けと調査の為にのっぺらぼうの妖怪、ブリーチャーズのメンバーであるムジナを動員しているとの事であった。
老獪な手練手管を有するムジナを戦力としてカウント出来ないのは痛手であるが、
事実を白日の下に晒すには彼の騙しの専門家以上に相応しい者がいないのもまた事実である。

67 :
>「他のメンバーにも、同様に指示を出しています。戦力ダウンは否めませんが、まぁ、頑張りましょう」
>「……クロオさんの腰痛にはよくないですが、ひとつ発奮してください」

「ったく……仕方ねぇな。そう期待されちまったら、腰に湿布貼りながら頑張るとしかねぇじゃねぇか。
 全く、相変わらずウチの大将はオジサン使いが荒いぜ」

結果。笑みと一緒に送られた那須野の頼み事は、人数の減った状態であのドミネーターズと対峙せよという無茶なものであった。
だが、彼の探偵は本当に無理だと思う事を相手に頼まない――――その事を知っている尾弐は、目を瞑り首の後ろを手で抑え、
困った様子こそ見せているものの……その頼みを断るという事はしなかった。

そして、そんな会話の終わり―――那須野が、ドミネーターズの所在地が不明である事にため息を吐いた、その時。


ドタバタと慌てた足音を伴って、勢い良く那須野の事務所の扉が開いた。
突然の事に、思わず戦闘態勢を取りかけた尾弐であったが、入って来た人物が見知った存在である事を確認すると、
気が抜けたように再度椅子の背もたれに体を預ける。

「なんだよ、色男じゃねぇか。どうしたそんなに慌てて」

入って来た男……精緻な人形の様に美麗な顔を持つその存在は、東京ブリーチャーズの一員。
種族名雪女のノエルであった。
ノエルは、身を乗り出すようにして、僅かに残ったミルフィーユが置かれている机に手を置くと、まくしたてる様に語り出す。
常に賑やかなノエルであるからして、初めは欠伸などをしてその言葉を聞いていた尾弐であったが、
彼の話が進んでいく連れて徐々にその眉間に皺が寄り始める。

>「あの一味の……ジャックフロストのクリスがたった今上の店に来て……
>それで……僕が橘音くんに騙されてるって……ブリーチャーズを抜けろって唆してきた!
>また来るって言ってた……このままじゃそのうちこの事務所の正体もバレちゃう!
>僕のせいだ、僕がいっつも調子に乗って露出してるから……
>橘音くん、今すぐ事務所を移そう! 渋谷区に移そう!」

常になくノエルが必死である理由……それは、今の会話の内容を鑑みれば当然といえるものであった。
ノエルの言葉を信じるのであれば、昨日のコトリバコの一件を引き起こした集団。
先ごろまで話に上がっていた東京ドミネーターズの構成員が、自分たちの喉元にまで辿り着いていたというのだから。
那須野の事務所がドミネーターズに発覚する可能性に思い至った事で、更に混乱を深めたノエルに対し尾弐は

「――――ちったぁ落ち着け、ノエル」

尾弐の眼前の皿に残っていた1/4程の大きさになったミルフィーユをフォークで刺すと、ノエルの口へと放り込んだ、
そうして、無理矢理にノエルの言葉を切ってから、尾弐は自身の口を開く。

「お前さんの趣味が露出になってるのはこの際置いておいてだな……慌てるよりも先に確認する事があんだろうが」

ノエルの口にフォークを突っ込んだまま、尾弐はその視線の身を狐面の探偵へと移す。

「……おい、那須野。お前さんの事だから、尾行(ストーカー)対策くらいは事務所にしてあんだろ。
 ノエルの奴は、ここに来る時に誰かにつけられたりしてたか?」

尾弐は、眉間に皺を寄せたままこの部屋の主である那須野へと問いかける。
彼が気にしているのは、ノエルが「釣り餌」として使われた可能性。
もし、件のドミネーターズが悪意を以ってノエルに接触したのであれば、
ブリーチャーズを一網打尽にする為にノエルが泳がされた可能性は十分ある。

「大事なのは現状の確認だ。もし、付けられてたならノエルの言った様に適当な場所……そうだな、
 隠れてもバレなそうな巣鴨辺りにでも引っ越さなきゃならなくなるかもしれねぇ」

だが、もしも付けられていないのであれば―――――

「そうじゃねぇなら、探し物のヒントが向こうから葱背負って歩いてきた事になる……だよな、大将」

68 :
 コトリバコの事件から一週間経った。
コトリバコ戦の翌日にでもドミネーターズは攻めてくるだろう、
そして惨禍を振りまきながら従属か抵抗かの選択を迫ってくるに違いない。
そう考えて気を張っていた祈であったが、意外にも何かが起こることも、
それどころか何かが起こる気配さえなく、ただ日常は過ぎていった。
 いつ何が起こるか分からないので気は抜けないものの、平和な毎日が続き、そして、
登校日を迎えた。新学期が始まる。
 朝の路地を制服姿の子ども達が楽し気に、あるいは気怠げに歩いており、
妖怪でありながら人間の中学生でもある祈もまた制服に身を包み、彼ら彼女らと同じように中学校への道を歩いていた。
「ふわぁ……」
 鞄を肩に担ぐように持って歩きながら、欠伸を一つ。
祈の顔には僅かに疲労が見えて、右頬には絆創膏。制服でいくらか隠れているが、
腕や指先、脚回りにも同様に絆創膏や、包帯が巻かれていた。
コトリバコとの戦いで負った傷はとっくに癒えているので、これは別件での怪我である。
そんな姿を見掛けた生活指導の教師には、喧嘩でもしたのかと校門の前で問い詰められたが、
派手に転びましたと適当に誤魔化して、さっさと校内へ入った祈だった。
「おーっす」
 教室の後ろ側のドアかをガラと開けて、誰にともなく挨拶をし、中へと入る。
祈を見て挨拶を返す者もいれば、目を合わせなかったり、あるいは逸らしたりする者もいる。
挨拶を返す者が少ないことで、祈が同級生からどう見られているのか分かりそうなものだ。
 祈が窓際の一番後ろにある自分の席に腰を下ろして、
今日はちょっと暖かいな、眠くならないといいな、などと考えていると、
やがて予鈴が鳴り、担任教師がやってきて教壇に立った。
 古典を担当するこの教師は、授業がつまらないことで生徒間で有名で評判は良くないが、
祈はこの担任のことがそんなに嫌いではない。
感情が常にフラットなのか、祈を問題視し煙たがる教師もいる中で、
素行が悪い祈だろうと成績優秀な生徒だろうと、誰に対しても同じ態度で接してくれるからだ。
そんな担任が、ホームルームの挨拶の後、こんなことを切り出した。
>「えー、転入生を紹介する」
 その一言で、にわかにざわつく教室内。
それも仕方ない事だろう。これからの学校生活を共に過ごす仲間が教室に一人増えるというのは、
学生にとってビッグイベントだ。
祈の同級生たちは、転入生が男か、女か。男だとして美男か、女なら美女か。
良い人だろうか、悪い人だろうか。仲良くなれるだろうか。そんな話題で湧いた。
 祈とて、期待がない訳ではない。
教室の扉にはめられたすりガラス。その向こうに僅かに見える人影がその転入生なのだろう。
なんだかシルエットクイズでもしているようで、楽しくなった。
Evaluation: Good!

69 :
 担任は教室内のざわめく様を見てもなんら気に留めることなく、転入生に教室に入るよう促した。
 祈はせいぜい、あたしには関わってこないだろうけど、
せめて挨拶してくれるような奴だったら嬉しいな、なんてことを考えながら、その扉が開くのを待った。
やがてカラカラと小さめの音を立てて扉が開かれ、教室へと入ってきたのは女子だった。
黒いツインテールがその歩幅に合わせて小さく揺れる。
溜息が出るような華やかなその姿に、湧き立つ男子の声。
美男子を期待していた女子もいたであろうに、その落胆の声すら聞こえない。
 誰もがその目を奪われ、感嘆の声を上げた。
――ただ一人、祈を除いて。
 学校指定のセーラーを着ているとはいえ、見間違うはずがない。
腰まで届く黒のツインテール。血のように紅い右目。長い前髪に隠された左目。
その顔は、東京ドミネーターズを率いる妖怪大統領の名代を名乗った者と寸分違わない。
 レディ・ベアがそこにいた。
(やられた……!)
 雷に打たれた様な衝撃とはこのことだろう。祈は硬直して動くことができないでいた。
背筋がぞくりとして、嫌な汗が伝う。
 あろうことかレディ・ベアは転入生を装い、祈の中学校へと侵入してきたのだ。
恐らくは、担任をあの目で操って。そして祈が人間として生活している以上、
この場では妖怪の力を簡単には振るえないと知っているからこその――奇襲。
 戦慄して動けぬ祈を置いて、時計の針は進む。
レディ・ベアは黒板に英語で自らの名前を書き記し、それを終えると再び生徒たちの方へ振り向いて、
思わず微笑みを返してしまいそうになるような、愛らしい笑顔を作って自己紹介をする。
>「モノ・ベアードですわ!アメリカはワシントンD.C.より参りましたの、皆さまよろしくお願い致しますわね!」
 その声も。大量の死者が出たことを『それがどうかしたのか』と言ってのけた声と変わらない。
「お前は! この間の――」
 祈は黙っていられず、つい声を荒げて立ち上がってしまう。
ガタンと音を立てて椅子が倒れ、何事かとクラス中の視線が祈に集中し、教室内に緊張が走った。
 だが祈は二の句を継げない。
『お前はこの間の、大量殺戮事件を引き起こした妖怪、レディ・ベアだろ。
モノ・ベアードなんて偽名まで用意して、なんのつもりだ』と、どの口が言えようか。
そんな事を言ったとて何もならないし、誰が信じてくれるだろう。
口走れば新学期早々狂人扱いを受け、後の学生生活に響くに違いない。
 否、誰が信じる信じないの問題ではない。
この女が攻めてきた以上、ここが戦場になるのは必定。
同級生や担任に被害が出る前に先手を打たねばならない。ここで妖怪としての力を解放し、
たとえ己が人として生活できなくなったとしても、今叩かねばならない。
そう思い、己の裡にある妖怪へのスイッチに手を掛ける祈と、
モノ・ベアードと名乗る少女……レディ・ベアの視線が交錯し、レディ・ベアは祈を認識。
そして、僅かな迷いで行動が鈍った祈よりも早く、レディ・ベアが動いた――。
Evaluation: Good!

70 :
>「あら!あら!あら!あらあらまあまあ!これは奇遇なこともあるものですわね!」
 言いながら、大袈裟な動作で両手で口元を覆い、驚いて見せる。
「……は?」
 殺意も害意も、それどころか敵意すら一切感じられない、
まるで知己の友人にでも偶然出会ったような反応に祈は呆気に取られる。
>「ん、多甫と知り合いなのか?」
 担任がそんな祈とレディ・ベアを交互に見て、そんな反応を返す。
>「ええ、それはもう。日本へ来て早々、大変お世話になりましたのよ?――いいえ、お世話して差し上げたと言うべきかしら?うふふ!」
 レディ・ベアは担任へと向き直って、しゃあしゃあと言い放つ。
「ち、違う! コイツとは別に知り合いって訳じゃ……ていうかてめぇ何吹かしてやがんだ!?
誰がお前なんかの世話になったって言うんだこのや――」
>「そうか。じゃ、席は多甫の隣でいいか」
「はぁっ!?」
 担任は全く動じることなく祈の発言をスルーし、
知り合いであるらしいという部分だけ都合よく受け取ったようである。
挙句、勝手に祈から見て右隣の席を指定し、そこへ座るようレディ・ベアに指示してしまった。
 小さく頷いて、祈の右隣りの席を目指して悠々と歩んでくる、レディ・ベア。
敵組織の親玉、その名代が接近してきている事実に身構える祈だったが、
レディ・ベアが祈の間合いに入っても、彼女は祈の右隣りの席にふわりと腰掛けるだけで
拍子抜けする程何も始まることはなかった。
(な、何が、何が起こってんだ……?)
 レディ・ベアが着席する頃にはもう教室内に一時走った緊張感も消し飛んでしまっており、
「多甫さん、モノさんと知り合いなんだ。いいなー」だとか「転入生と事前に知り合いになって、
それが偶然同じクラスだなんて。漫画みたいな事って本当にあるんだね。すごーい」というような
楽し気なひそひそ話が聞こえてくる始末である。
思えば先程、祈が立ち上がって「お前はこの間の」と発言したものなど、
漫画の一コマにでもありそうなものではなかっただろうか。
 祈は頭が痛くなった。
(何がどうしてこうなった……?)
 混乱の中立ち尽くしていた祈は、担任の『お前も早く座れ』と言う視線を受けて渋々、
倒した椅子を戻して、とりあえず腰掛けることにする。
そして一体何を企んでいるのか探ろうとレディ・ベアへと目線を向けると、レディ・ベアもまた、そのタイミングで祈を見た。
更に祈へと微笑んで見せ、言う。
>「多甫さん。わたくし、日本のことはまだ何もわかりませんの。教えて下さる?」
 混乱を極める状況の中。
唯一定かなのは、このモノ・ベアードと名乗る少女が敵であると言うことだけだ。
「あ”ぁん?」
 祈はガンを飛ばして、ふいと顔を逸らす。
良く分からないが慣れ合う気はないという意思表示であり、この状況に対するせめてもの抵抗だった。
 しかし。
>「知り合いならちょうどいい。多甫ー、あとで学校の中を案内してやれー。いろいろ面倒も見てやるんだぞー」
 担任の無情な一言が祈を襲う。
(あたしが嫌そうな顔してんのわっかんだろ!?
このタイミングでその空気読まない平常心発揮すんのやめろぉぉぉ!! クソォォォォ!!)
 祈がこの無表情な担任のことをちょっと嫌いになりかけていると、
>「……あの。さっそくで悪いのですけれど、教科書を見せてくださいませんこと……?」
 祈のガンなどなんのその、レディ・ベアは上目遣いに祈を見て、いかにも転入生らしいそんな台詞を宣った。
 祈の処理能力は限界だった。頭に無数の「?」を浮かべながら、流されるままに机を寄せ、
鞄から取り出した教科書を開きながら、再度心の中で思う。
(ほんとにどうしてこうなった……?)
 一限目の始まりを告げる鐘が鳴った。
Evaluation: Good!

71 :
 休み時間の度、祈はレディ・ベアに言われて、学校の中を案内することになった。
担任から頼まれたことを断るのも気が引けたというのもあるが、
祈が案内しないことで代わりに他の生徒がレディ・ベアと一緒になっては危険であると考えられた為、
祈はむしろ積極的と言えるほど素直に案内したものである。
 その先々で無邪気にはしゃぎ、見るもの全てに驚いてみせるレディ・ベア。
見る者の口元を思わず綻ばせてしまうような、その姿。
しかし祈はそれを見ても楽しい気持ちになどなれず、むしろますます混乱するばかりだ。
 何せ偶然とは思えないのだ。東京に幾つもある中学校の中で、
たまたま祈がいる学校を選び、しかも同じクラスになる等、そうそうあり得ることではない。
そこには必ずなんらかの意図がある筈だと祈は考えたのである。
 しかしその意図がなんなのかは、全く見当がつかないでいる。
何故なら、わざわざ中学校に転入生として潜り込んでまで祈と接触することに、
何ら利点が考えられないからである。
 一週間前、ドミネーターズは無傷でブリーチャーズを圧倒した。
コトリバコを手駒として行われた攻撃により、ブリーチャーズは疲弊あるいは満身創痍の状態にあり、
もしブリーチャーズを僅かにでも脅威に感じていたのであれば、
あの瞬間こそがブリーチャーズを始末するかつてない好機であったに違いない。
しかし、それを見逃してドミネーターズは去った。
それこそが、ドミネーターズがブリーチャーズという存在を歯牙にも掛けていないことの証左だろう。
祈にとっては苦々しく認めたくない事だが、言うならば“敵ではあるがいつでも潰せる存在”とでも言った所か。
 そんな相手に、これ程の労力や手間を掛けて接近する理由などどこにあるだろうか。
しかも祈はブリーチャーズの中では位の低い妖怪であるので、
妖怪大統領の名代が自ら出張って来る程の価値があるかと言えば尚更疑問が残る。
 そして何より、これが祈を狙った奇襲であると仮定したのならば、
レディ・ベアが教室に足を踏み入れた時、祈を討たなかったことに説明がつかない。
視線を交わした際に、あの瞳から放つ催眠術のようなものを使っていればそこで勝負は決まっていたし、
動揺している祈は容易く倒せたに違いないのだから。
 だとすれば、レディ・ベアは何故転入生として祈の学校にやってきたのだろうか。
それが祈にはわからない。
(狙いがあたしじゃないとすれば、学校に何かあんのか……?
いや、実はそれほど強い妖怪ではなくて、ブリーチャーズを倒す自信がない、
だから遠回しにプレッシャー掛けてるとか? それとも……いや、でも……)
 祈はもともと、橘音のような頭脳派ではない。むしろ考えるのは苦手な方だ。
思考はやがて堂々巡りし、明後日の方向へ進み、再び行き詰っては振り出しに戻る。
そんなことを繰り返しながら、昼休みを迎えた。
Evaluation: Average.

72 :
 昼休みも、当然のように祈はレディ・ベアに学校を案内することになった。
そして終わらぬ考え事をしながら歩いている内に、ふと、祈は自分達が校舎裏に入ったことに気付く。
 春の日差しを校舎が遮り、校舎裏に大きな影を作っている。
周囲には誰もおらず、人気と呼べるものはバドミントンやバレーボールをしている生徒が数人、遠目に見える程度に留まった。
祈とレディ・ベアがどのような話をしようと誰にも聞かれることのない、二人きりとも言える状況になり、
生徒達の遊ぶ日の当たるあちら側と、日陰のこちら側は、まるで隔絶されている世界であるような気がした。
 二人きりになったのを見計らったようにレディ・ベアが立ち止まり、
後方のレディ・ベアが立ち止まった気配を察し、祈も足を止め、振り返った。
 校舎の壁に軽くもたれかかりながら、レディ・ベアは祈へとこう問いかける。
>「……不思議に思っているのかしら?なぜ、わたくしがここにいるのか」
>「東京ドミネーターズとして、今度はこの学校を災厄の坩堝にしようとしているのかと……そう考えていますわね?」
 まるで心の中を見透かされた様な言葉に、祈はどきりとさせられる。
 術を掛けられる危険があると思い、直接レディ・ベアを見ないようにしながら祈が何も答えずにいると、
レディ・ベアはそれを問いへの肯定だと受け取り、かぶりを振ってその考えは違うとジェスチャーで示した。
>「だとすれば、余計な勘繰りですわ。わたくしは真実、この学校へ学びに来たのですから。お父さまがそう仰ったのですわ」
>「いずれ、この東京を。日本を手中に収めたときのために、学校へ行ってこの土地の文化を学んできなさい……とね」
>「わたくし、まだ誕生して14年しか経っておりませんの。余りにも知らないことが多すぎる……見聞を広めるのも支配者の務め」
>「ですから、わたくしはここではあくまでモノ・ベアード。レディベアとは別人でしてよ」
 『学校へは飽く迄も学びにきただけ』、『今の自分はレディ・ベアではなくモノ・ベアードである』。そうレディ・ベアは語る。
レディ・ベアがそう語っている最中に、バレーをしている女生徒がトスをしくじったボールがこちらへと転がってきていた。
レディ・ベアは己の足元へ転がってきたバレーボールを拾い上げて、女生徒へと優しく投げ返す。
その姿は、確かにこの間出会った、残酷で冷酷な“妖怪大統領の名代であるレディ・ベア”とは異なっているように祈には見えた。
大人しく授業を受けていた姿もまた、学業に励む学生そのものであり、言っている事と行動が一致している。
>「……いいところですわね、ここは」
 何気なく呟かれたこの言葉もまた、以前受けたレディ・ベアの印象と結びつかず、
レディ・ベアと似ているだけで全く別人の、“モノ・ベアード”という少女がいるだけのようにすら祈には思えた。
 真意を確かめようと、祈は逸らしていた視線をモノへと向けたが、
>「貴方がわたくしに対してよい感情を持っていないことは知っていますし、改めろと言う気もありません」
>「ただ、協定を結びませんこと?貴方とわたくし、この学校の中にいる間は戦わない――と」
>「この学校を非戦闘地域に指定する、ということですわ。わたくしは人間の文化を学ぶ、貴方は余計な戦いをせずに済む」
>「まさに、win-winの関係と言ってよいでしょう。悪くない提案だと思うのですけれど?」
>「もちろん、この学校の敷地を一歩出れば、この協定は無しですわ。戦いたいと言うのであれば、受けて立ちますし……」
>「わたくしたちのすることに刃向かうならば、潰します。よろしくて?」
 振り向いたモノの顔は、レディ・ベアへと戻っていて。
一方的に投げつけられる高飛車で尊大なレディ・ベアの言葉は、どこまでが本当で、どこまでが嘘であるのか。
その瞳をまっすぐに覗いても、ついに祈には測ることができなかった。
>「改めて、よろしくお願い致しますわ。多甫さん……いいえ、祈と。そう呼んだ方が宜しいかしら?わたくしのことはモノ、と」
 差し出されたレディ・ベアの、そして“モノ”の右手。
それを取るか否か。僅かな間に悩んだ祈だったが、やがて答えを決め、レディ・ベアへと一歩踏み出した。
Evaluation: Average.

73 :
 確かなことは二つある。
(やっぱりこいつは、あたし達の『敵』だ)
 彼女はレディ・ベア。八尺様やコトリバコを手駒として、酸鼻きわまる大虐殺を引き起こした張本人。
それ以前に起こった妖壊事件も彼女達が関与していた可能性は充分にある。
今がどんなに無害に見えたとしても、被害に遭った人々の無念を晴らす為にも、
これからそれ以上の事態を引き起こさせない為にも、倒さねばならない。
決して許してはならない『敵』である事は確かだ。
 そしてもう一つは。
(でもこいつは、約束を破らない)
 東京ドミネーターズが商店街に姿を現した時、
レディ・ベアは戦うつもりはないと言って、その約束を違えなかった。
性格的に義理堅いというのもあるのかもしれないが、それだけではないだろう。
祈は、橘音とある毛玉の妖怪がこんな話をしているのを聞いたことがある。
『契約というのは言霊によって紡がれた誓約であり、妖怪にとっては絶対的な拘束力を持つのだ』と。
また『契約を破ることは即ち自身という存在の否定になり、自殺にも等しいことである』とも言っていた。
 妖怪にとって約束は絶対。
だとすれば、レディ・ベアにどんな目論見があるにせよ、
ここを非戦闘地域に指定し戦わないと言う協定、その約束は活き、決して破られない事になる。
 レディ・ベアが現れてあわや学校が戦場になるかと思われたが、
協定を結べば、二人が学校にいる間は全校生徒や教師の安全が保障される。
これは大きなメリットだと言えた。
また、レディ・ベアを昼間、学校内という見える範囲に置くことで、その動向や目的を探ることもできるかもしれない。
そう考えれば、協定を結ぶのは決して悪手ではないように祈には思えた。
 だからこそ。
「いいよ。結んでやるよ、その協定っての」
 祈はそう言って、モノの右手を取った。
「但し――」
――そして、左足を振り上げる。
 レディ・ベアとの協定を結ぶ。それは決して悪手ではないと言うだけで、好手ではない。
もっと良い手があることに祈は気付いている。
 それは、“悩みの元凶であるレディ・ベアをこの場で倒してしまう事”だった。
そうすれば協定など結ぶ必要もなくなる。それどころか、
レディ・ベアを倒したことによって、東京に迫る妖怪大統領という驚異の影を払拭することもできるやもしれないのだ。
幸い、今は生徒は誰もこちらを見ておらず、僅かな時間ならば祈の正体がバレることはない。
更に、敵の首領の名代は今一人でいる。人狼やジャック・フロストなどの強力な仲間がいない。
これは、千載一遇の好機だ。
 風を切り裂いて、モノの頭部側面めがけて振るわれる祈の左足。
モノは祈に右手を掴まれ、封じられている。そしてこの至近距離。この速さ。
普通ならば避けることも、防ぐことも叶わないだろう。そしてこのまま祈のハイキックが頭に直撃すれば、
いかに妖怪と言えど無事では済まないに違いない。
 だが祈の左足は、モノのツインテールの横、その僅か数センチ離れた所で――ぴたりと制止する。
遅れてやってきた風が、黒のツインテールを揺らした。
 “ここはいいところだ”と、レディ・ベアは――、モノは言った。
レディ・ベアは絶対的な強者の立場にある。
何故なら学校に現れた時点で、全校生徒や教師達を人質に取ったようなものだからだ。
加えて、レディ・ベアには瞳術もある。故に、祈に対して交渉という遠回しな手段を取る必要がない。
従えとただ上から押さえつけるだけで良いのであり、つまり、交渉を飲ませる為に“演技をする必要すらない”。
 故にモノのあの独白を、本心なのではないかと祈は思った。
そして同時にこんな事をも思ってしまった。
“もし人の世界をいいと思える心があるのなら、もっと人の世界を知り好きになってくれたなら、
レディ・ベアは自ら改心して東京への侵攻をやめてくれるのではないか”と。
 それは湯に落とした一欠けらの砂糖が作る揺らぎのように、あまりにも淡く、甘い希望だった。
 だがそれを抱いてしまったが故に、祈はレディ・ベアを倒す千載一遇の機会を、今捨てる。
 人の世界を知って貰う為に。
「……この協定を破るような真似をしたら、今度は当てる。もう前のあたしじゃない。
空の彼方まで蹴っ飛ばしてやるから、覚悟しとけよ。“モノ”」
 蹴りを止めたそのままの体勢で、祈はレディ・ベアに釘を刺す。
 ノエルが事務所に駆け込み、尾弐にミルフィーユを食べさせて貰っている頃とほぼ同時刻。
こうして、転入生を校舎裏に呼び出して、さっそくヤキを入れているようにしか見えない多甫祈と、
モノ・ベアードの秘密の協定が結ばれたのである。
Evaluation: Good!

74 :
名前:おひめちゃん
外見年齢:8歳
性別:女
身長:132
体重:ノーコメント
スリーサイズ:すとーんって感じ
種族:元、神様
職業:ゆーちゅーばー
性格:神様気取ったり負け犬気取ったり気分の移ろいが激しい
長所:光を司る最高神の力を扱える、神様気分の時はわりといいやつ
短所:ただし神としての名も信仰も失っているのでクソ雑魚、負け犬気分の時は軽くメンヘラ
趣味:ショッピング、配られてるティッシュ巡り
能力:光を司り操る
容姿の特徴・風貌:白髪、おかっぱ、長髪、作り物めいた美貌、衣服は着物だったりフリフリドレスだったり
簡単なキャラ解説:

習合(神様や宗教、教義の吸収合併)により名前を失い信仰を失い、神様でいられなくなった存在
そういう神様がいたかもしれないという可能性を人間が認識しているから辛うじてその存在を保てている
ブリーチャーズでの活動や動画投稿は少しでも自分の存在を確かな物にして、消えてしまわないようにする為
明治から大正にかけて何処かの鉱山で巨大な岩を砕いたら、その裏にあった洞窟から少女が現れた・・・なんて伝承があったりなかったり



こんなんオッケーですかね・・・
正規メンバー希望です

75 :
>あの一味の……ジャックフロストのクリスがたった今上の店に来て……
>それで……僕が橘音くんに騙されてるって……ブリーチャーズを抜けろって唆してきた!
>また来るって言ってた……このままじゃそのうちこの事務所の正体もバレちゃう!
>僕のせいだ、僕がいっつも調子に乗って露出してるから……
>橘音くん、今すぐ事務所を移そう! 渋谷区に移そう!

尾弐とふたりきりでブリーフィングをしていると、俄かに外の階段からバタバタとあわただしい足音がする。
と思えば、元々白い顔色をほとんど青いレベルにまで変えたノエルが駆けこんできて、何やらまくし立て始めた。

>なんだよ、色男じゃねぇか。どうしたそんなに慌てて

尾弐が呆気にとられたように言う。橘音もノエルへ怪訝な眼差しを向ける。
ノエルが告げた言葉は支離滅裂だったが、その意味は理解できる。
まさに、たった今。敵のひとりであるジャック・フロストが、この事務所の真上にあるノエルの店に現れたというのだ。
しかも、ノエルに東京ブリーチャーズを抜けろと言ってきたと。
まさに驚天動地の事態だったが、橘音は落ち着き払っている。すっかりぬるくなった紅茶を一口啜ると、

「……やっぱり、一番手は彼女ですか」

と、独りごちるように言った。

>……おい、那須野。お前さんの事だから、尾行(ストーカー)対策くらいは事務所にしてあんだろ。

尾弐が問うてくる。が、橘音は軽く肩を竦め、

「ありませんよ?そんなの」

さも当たり前のように言った。

「それに、バレちゃうも何も――もう、あちらさんはとっくにここのことなんて御承知でしょう」
「メディアに取り上げられているノエルさんのお店はもちろん、ボクの事務所も。街のあちこちにポスターが貼ってありますからねぇ」

平然と言い放ち、ミルフィーユをぱくつく。
このビルはノエルの店の脇に階段とエレベーターが設置されており、一階には入居しているテナントのパネルが掲示してある。
もちろん、そこには『那須野探偵事務所』とバッチリ書いてある。ノエルの店を嗅ぎ付けられた者が気付かないはずがない。
つまり、クリスは東京ブリーチャーズの本拠地を把握した上で、敢えて本丸に攻め込まずに帰ったということだ。

「ま、彼女ならそうすると思ってましたよ。彼女がドミネーターズの一番手になるであろうことも予想できていました、なぜなら――」
「ノエルさんの顔を見た彼女が、他のメンバーに一番を譲るとは考えづらかったですからね」

尾弐に口の中へミルフィーユを突っ込まれたノエルをちらと一瞥し、立ち上がって自分の座っていたソファを勧める。
今までこちらに足取りをまるで掴ませなかった東京ドミネーターズが忽然と現れ、しかも戦わずに去った。

>そうじゃねぇなら、探し物のヒントが向こうから葱背負って歩いてきた事になる……だよな、大将

昔ふたりでコンビを組んで妖壊退治していた頃の雰囲気もそのまま、尾弐がこちらの意を汲んで告げてくる。
そうだ。尾弐の言う通り、これは千載一遇のチャンスだ。今なら、ドミネーターズの尻尾を掴むことができるに違いない。
しかし。

「……そう、ですね」

橘音はやや歯切れ悪く返すと、右手の人差し指を軽く下唇に添えた。
それは、悩んでいるときの仕草。躊躇いや逡巡があるとき、決まって行う所作。
橘音自身気付かず無意識にやってしまう癖だった。

76 :
「行動開始の前に、今回戦う敵――ジャック・フロストのクリスについて、ボクの知りうる情報を開示しておきましょう」
「なんで知ってるのかって?……簡単な話ですよ。ボクは――」
「『かつて、一度彼女と戦ったことがある』からです」

胸の下で緩く腕組みし、橘音はノエルと尾弐を順に見た。

「今から3年前の、平成26年。季節はちょうど今頃でしたか……東京は未曽有の豪雪に見舞われました」
「交通機関は軒並みストップ。電気、水道、ガスも止まり、首都機能は完全停止一歩手前にまでなったのです」
「でも、それはただの自然現象なんかじゃなかった。それは紛れもなく怪異の仕業……」
「――そう。あのジャック・フロストを名乗る妖壊。クリスの起こした『妖災』だったんです」

そんなことを言いながら、実用性一点張りのスチール製本棚から分厚いファイルを一冊取り出し、パラパラと捲る。
ふたりが見やすいようにファイルをソファの間にあるガラステーブルに開くと、そこには当時の事件の顛末が書かれていた。
何枚かの写真もファイリングされており、そこには望遠ではあるものの確かにクリスらしい白い女が写っている。

「あのときは、丁度クロオさんが不在で。他のブリーチャーズのメンバーで対処したんですが……結果は惨敗でした」
「ボクの采配がまずかったのもありますが、とにかくクリスの力が桁外れで――彼女を日本から追放するのが精一杯だったんです」

ふう、と一度溜息をつく。
事件のことは、事後報告ではあるが当時のメンバー全員に話してある。尾弐も一部始終は把握していることだろう。
たったひとりで東京二十三区全域を氷漬けにしようとした、恐るべき妖壊がいたこと。
なんとか東京都から追い出すことはできたが、倒すことまではできなかったこと。
クリスを退けるために、五人のメンバーが犠牲となったこと――。

「……そのクリスが帰ってきた。東京を侵略せんとする、ドミネーターズの一員として」
「まともに戦えば、とても勝ち目はないでしょう。3年前の戦いと同じようにね。――でも……」

そこまで言って、口を噤んでしまう。
強大な敵の再来に対して、脅威を感じている――というだけではない。明かな気の迷いがある。
橘音はほんの僅かに懊悩するそぶりを見せたが、すぐに意を決したらしく、

「今回、こちらには切り札があります。クリスに対して、絶対的なイニシアチヴを獲得できる切り札が。それは――」
「……アナタですよ。ノエルさん」

白手袋に包んだ右手、下唇に添えていた人差し指をノエルへと向け、そう言い放つ。

「クリスを撃破するには、ノエルさん。アナタの力が必要不可欠です。多大な犠牲を払わずに彼女に勝つには、ね」
「でも。そのためには、アナタに傷を負って貰わなければならないかもしれない。身体ではなく、心の傷を……」
「……ノエルさん。それでも、アナタはボクに。東京ブリーチャーズに、力を貸してくれますか……?」

仮面の奥から、橘音はまっすぐにノエルを見つめた。
東京のため、東京ブリーチャーズの皆のため、おまえが傷つけ。そう言っている。
非情な判断だが、それが目的を遂げるための最善手であるのなら、迷わずそれを採る。それが指揮官としての橘音の役目だ。
代われる痛みなら、喜んで自分が代わろう。
前回のコトリバコとの戦いでも、橘音は自分が囮になるが適任と判断したがゆえ、迷いなく自身を危険に晒した。
だが、今回はいけない。クリスとの戦いでは、ノエルに苦しんでもらわなければならない。
なぜなら、クリスは雪女の里の業そのもの。
ノエル以外の誰にも背負うことのできない、雪女という種族にまつわる因縁だからである。

77 :
「さて。では、上に行きましょうか。ノエルさん、お店ほったらかしでここへ来たんでしょ?」

橘音は軽く天井を見上げた。言うまでもなく、ノエルの店のことを指している。
事務所の戸締まりをして階段をのぼり、一階の店舗に入ると、幸いまだ店の中は閑散としたままだった。
これでうっかり大量の客が入りでもしていたら大変だったが、その心配はないらしい。
とはいえのんびりはしていられない。橘音は残っている客のところへ行くと、

「すみませーん!只今より店舗貸切となりまーっす!またのお越しをー!」

と言って、半ば無理矢理全員を退店させてしまった。
店内がノエルと尾弐、そして自分だけになると、橘音はぐるりと中を見渡す。
カウンターには、まだクリスの食べた氷の器がそのまま残っていた。その器のところへと歩いてゆく。

「ノエルさん、よっぽど慌てていたみたいですね?器も片付けないで……。この器から、アナタ以外の雪妖の妖気の残滓を感じますよ」
「ほんのごく僅かですが……でも、これで充分すぎる。これを辿って、クリスの後を追いましょう」

白手袋に包んだ手で、慎重に器をつまみあげる。
今まで欠片さえなかった敵の妖気。敵の存在を確かに伝える物証がここにある。
もし、ノエルが変に落ち着き払っていて、器を片付け洗ったりしてしまっていたなら、妖気の残滓も流れ落ちていただろう。
慌てに慌てたノエルの行動が、結果的にいい方に転んだというわけだ。
……とはいえ、器に残ったクリスの妖気は微かなもの。尾弐たちにも、よほど意識を集中させない限り感知するのは難しいだろう。
こんなものを手掛かりにクリスの足跡を追うというのは、至難の業のように感じられた。

が。

「こんな場合にうってつけの力を持つ妖怪を、ボクたちは知っている……。ですよね?おふた方」

橘音はにんまり笑った。そしていつも羽織っているマントの内側に手を突っ込み、ゴソゴソとまさぐってみる。
取り出したのは、禍々しい髑髏のフレームが施されたタブレット――狐面探偵七つ道具の一、召怪銘板。
魔王と呼ばれる二体の妖怪、山ン本五郎座衛門と神野悪五郎の力が封入された、日本のあらゆる妖怪を召喚できる呪具である。
その液晶画面を素早く繰り、店の床に人ひとりが入れるくらいの結界を作り出す。

「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり!我と共に来たり、我と共に滅ぶべし!――出でよ、妖怪送り狼!」

詠唱はまったくの適当である。ただカッコイイと思ってやっているだけだ。
ともかく橘音の召喚に応じ、結界の中がまばゆく輝く。
店内を満たす光の波濤が収まったころ、そこにいたのは一匹の中型犬ほどの大きさをした狼。
東京ブリーチャーズ正規メンバーのひとり、否、一頭――送り狼。

犬の嗅覚は一般に人間の百万倍から一億倍程度と言われており、狼の嗅覚はそれを上回る。
そして、妖怪である送り狼のそれは通常の犬や狼の性能を遥かに凌駕している。
妖怪の持つ妖気にはそれぞれ波長があり、種族によって差異がある。それは『におい』のようなものだ。
橘音は送り狼を使うことで、クリスの残した妖気の残滓を追跡させようと考えたのだった。
まして、送り狼はその名の通り後を尾けるもの。足跡を追う追跡者として、これ以上の適任はない。

「こんにちは、ポチさん。さっそくで悪いんですが、ちょっとお仕事してもらいますよ」
「報酬はドッグフードでどうです?半生タイプのお高いやつ。……あと骨ガムもつけちゃいます。いかが?」

などと言いつつ、橘音はクリスの使った器を送り狼――ポチの鼻先へ持って行く。
ポチの嗅覚ならば、クリスが店を出てどこへ向かったのか、はっきりとわかることだろう。

「途中で祈ちゃんを拾っていきましょう。ということで――東京ブリーチャーズ、アッセンブル!」

びっ、と店の外を指差し、場にいる全員にそう告げる。
割と気に入っている決めゼリフであった。

78 :
>いいよ。結んでやるよ、その協定っての
>但し――

ゴウッ!

烈風を撒き、祈の振り上げた左脚がモノの右の米神を狙い――寸前でピタリと止まる。
握手したまま、モノは微動だにしない。『動かない』のか、それとも『動けない』のか。
兎も角、モノは抵抗しなかった。ただ、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。

>……この協定を破るような真似をしたら、今度は当てる。もう前のあたしじゃない。
>空の彼方まで蹴っ飛ばしてやるから、覚悟しとけよ。“モノ”

祈の言葉に嘘はない。もしも協定が破られるようなことがあれば、祈は迷いなく蹴りを見舞うことだろう。
だが、モノは斟酌しない。穏やかで無害そうな笑みを一転、禍々しい化生そのものの嗤い顔へ変貌させると、

「……感情だけで突っ走る猪武者かと思っていましたが。認識を改めさせて頂きますわ?」

と、トラバサミじみたギザギザの歯を覗かせて言った。
ともあれ、これで祈とモノの協定は締結した。これよりこの学び舎は非戦闘地域となり、両陣営は戦いを行わない。
少なくとも、祈とモノは。
それはこの学校の校門を一歩出れば無効となってしまう、甚だ心許ない約束ではあったが、それでもないよりマシであろう。
モノは祈の手を離すと、ツインテールを軽くかきあげた。

「さて。では祈、もう少し校内を案内してくださいませんこと?わたくし、まだまだ知りたいことがありますの」
「やっとあちらから抜け出して、憧れの表世界に来たのですもの!何だって見ておきたいですし、触っておきたいのです!」

そう告げる漆黒の少女には、もう妖怪大統領の名代レディ・ベアの面影は微塵もない。
ここにいるのはあくまで、アメリカからやってきた転入生モノ・ベアード。
モノは言葉でなく所作で祈へそう伝えると、好奇心が抑えられないといった具合で嬉しそうに笑った。
そして、校舎裏からもっと人のいる場所へ行こうと促す――が。

そんな折、校庭の方で甲高い悲鳴が上がった。

「……なんですの?」

モノが怪訝な顔をする。
普段の学校は平和そのものだ。よほどのことがない限り、悲鳴などというものは聞こえない。
昼食後のバレーボールやバドミントンに興じる生徒の誰かが怪我をしたか、それとも喧嘩か――。
その声に気を引かれたらしく、モノは校庭へと歩いていった。

校庭のほぼ真ん中に、祈の見慣れない人影がひとつ佇立している。
ボロボロになったオリーブ色のトレンチコートを羽織った、四十絡み程度に見える汚い風貌の男だった。
髪は伸び放題、髭の手入れもしていない。まるで浮浪者の見本のような外見である。
もちろん、この中学校という空間からは完全に浮いている。突然の不審者の闖入に生徒たちは一様に怯え、遠巻きにその姿を見た。
モノも眉間に皺を寄せて男を窺う。そして祈に視線を向けると、

「祈、なんですのあれは?あれもこの学校の生徒なのかしら?それとも教師?それとも――」

そう訊ねた。
と、校内に入ってきた不審者を退去させようとしてか、ジャージ姿の教師が校舎から出てきて男へと歩み寄ってゆく。
筋骨隆々とした体育教師だ。一喝すれば、たまたま迷い込んだような浮浪者はすぐに退散することだろう。

しかし。

男と教師との距離が10メートルほどまで詰まった瞬間、一陣の風が体育教師の身体を掠める。
そして、次の瞬間。体育教師の分厚い胸板はまるで刃物で斬られたかのようにばっくりと裂け、血潮を噴き出した。

「――あの妖怪も、貴方がた東京ブリーチャーズのメンバーなのですかしら?わたくしの記憶にはありませんけれど」

79 :
何が起こったのかわからない、という驚きの表情を顔にへばりつかせ、体育教師は血潮を溢れさせながら仰向けに倒れた。
もう一度、女生徒たちの悲鳴があがる。

男が、嗤う。

「……喉が……」
「喉がよオ……渇くんだよオ……。水が飲みたくって……渇いて……。でも、東京の水はまずくって……飲めねえンだ……」

歯のところどころ抜けた口を開き、男は呟くように言う。

「ここだけじゃねえ……どこの水もまずくってよう……。昔は、うまかったのに……水の味が変わっちまって……渇いて……」
「渇いてよウ……苦しくってよウ……。でも、俺は思ったのよ……。水が飲めねえんなら、水じゃねえもんを飲めばいいってなア……」

じゃり。

ボロボロの靴裏を鳴らし、男はゆっくりと体育教師へと近付いてゆく。

「水の味はよウ……変わっちまって、飲めなくなったけど……。これは……この味は、昔と変わらねえ……。昔のまんまだあ……」
「だから。だから……よウ……」
「……血ィ……飲ませろ、よオ……!」

ずるり。
ずる。ずる。ずるり。
じゅるり。ずじゅるる、ずじゅり。

仰向けに倒れた体育教師の上に覆いかぶさるように跪くと、男は傷口に鼻面を突っ込むようにして溢れる鮮血を啜り始めた。
学校の中はパニックだ。悲鳴と怒号とが交錯し、我先にと逃げ出す者、蛇に睨まれた蛙のように固まる者、失神する者が混乱を助長する。

妖壊。

一般の水道水には塩素やカルキなどが含まれている。恐らく、東京都の提供する水が身体に馴染まなくなってしまったのだろう。
人間にはさして違いが分からないが、感覚の鋭敏な妖怪にとってそれは死活問題である。
そして『渇き』は『飢え』に勝る。空腹は土を食べても癒せるが、水へのかつえは水以外では満たされない。
この妖怪は満たされない渇きに苛まれるうち、妖壊へと変貌してしまったのだろうか。
人の世を乱し、妖怪の社会を壊さんとする妖壊を漂白するのが、東京ブリーチャーズの役目。
が、今ここには祈以外のブリーチャーズはいない。
万一のためにと橘音が祈に持たせている携帯電話はあるが、仲間を呼んでいるうちに被害はもっと拡大していくだろう。
祈はこの妖壊に対し、ひとりで立ち向かわなければならないのだ。

と、思ったが。

「ゆくゆくお父さまが支配される予定の帝都に、このような下賤、下衆、下郎の極致がはびこっているなど、我慢なりませんわね」

汚物を見るような眼差しで、モノが男を見ながら吐き捨てる。

「祈。こうした輩を帝都から一掃するのが、東京ブリーチャーズの仕事……。そうでしたわね?」

そう言うと、男の方へと臆するふうでもなく歩いてゆく。

「午後の授業に影響が出てはいけませんわ。わたくし、授業は遅滞なく受けたいの」
「手を貸して差し上げますわ、昼休みはあと15分……それまでに片付けますわよ。よろしくて?」

答えは聞いていない。ぼう、とモノの身体から濃い妖気が滲み出る。
つい今しがた結んだばかりの協定を守るために。
この学び舎を守るために。


漂白者と支配者との即席コンビが、妖壊に挑むこととなった。

80 :
新規スルーすんなや

81 :
>「――――ちったぁ落ち着け、ノエル」

「ついでにクロちゃんも住民票を渋谷区に移そうむぐぐぐ」

尚も喋り続け話が支離滅裂な方向にすっ飛んでいきそうになったところで、尾弐によってミルフィーユが口に放り込まれる。

「むぐぐぐむぐぐむぐむぐ!(だだだ駄目だよクロちゃん橘音くんがいる前で!)」

ちなみにこの状況を「食べさせてもらっている」と表現して別に何も間違ってはいないのだが、甚だしく誤解が発生すること請け合いである。
何かを受信してしまったのか、その発生するであろう誤解に基づいた抗議を繰り広げるノエルだったが
幸いにして何を言っているのか分からなかった。

>「……やっぱり、一番手は彼女ですか」
>「お前さんの趣味が露出になってるのはこの際置いておいてだな……慌てるよりも先に確認する事があんだろうが」
>「……おい、那須野。お前さんの事だから、尾行(ストーカー)対策くらいは事務所にしてあんだろ。
 ノエルの奴は、ここに来る時に誰かにつけられたりしてたか?」
>「ありませんよ?そんなの」

「ごっくん、このミルフィーユウマー。えっ、何二人でこっそり美味しいもの食べちゃってるの!?
……あっ(察し)これ僕どう見てもお邪魔虫じゃん! 紅茶ももらうよ、……あちちちちち! 熱い熱い!」

尾弐と橘音が真面目に対策を話し合う中、完全に明後日の方向のことを察してしまい、勝手に焦って紅茶を飲もうとして騒いでいる。
(超猫舌なのでアイスティーしか飲めない)

>「それに、バレちゃうも何も――もう、あちらさんはとっくにここのことなんて御承知でしょう」
>「メディアに取り上げられているノエルさんのお店はもちろん、ボクの事務所も。街のあちこちにポスターが貼ってありますからねぇ」

「ええっ、それはまずいよ橘音くん! 何落ち着いてんの!?」

平然とミルフィーユを食べている橘音の肩をつかんでがくがくゆする。

>「そうじゃねぇなら、探し物のヒントが向こうから葱背負って歩いてきた事になる……だよな、大将」
>「……そう、ですね」

尾弐に相づちを打つ橘音だが、いつになく歯切れが悪い。
橘音くん、平静を装ってるけどすごく迷っている――そう思う。
右手人差し指を唇に当てる動作、ノエルはその動作の意味することを意識的にか無意識的にかは分からないが認識しているのだろう。

82 :
>「行動開始の前に、今回戦う敵――ジャック・フロストのクリスについて、ボクの知りうる情報を開示しておきましょう」
>「なんで知ってるのかって?……簡単な話ですよ。ボクは――」
>「『かつて、一度彼女と戦ったことがある』からです」

橘音はかつてクリスと戦った事があるという衝撃の事実を明かし、平成26年初頭のクリスとの戦いについて語り始めた。
それは東京ブリーチャーズが発足してまだそれほど経っていない頃、黒雄は運悪く不在、ノエルや祈はまだ加入前だった頃の話だ。
その中で、“ジャック・フロストを名乗る妖壊”、意図してかうっかりか、橘音はそう言った。
橘音は知っているのだ――本当はクリスがジャックフロストではないということを。
首都機能を完全停止一歩手前にまで追い込んだ未曾有の大災害――
橘音が取り出したファイルの資料を見ると、人的被害も少なくなく、ブリーチャーズも5人もの犠牲を出したという。

「なんだよ、ドミネーターズに入る前から普通に悪い奴じゃん」

少しだけ残念そうに、同時に安心したようにそう呟く。
自分を見つめる眼差しが、触れた手が――あまりにも優しかったから。
妖怪大統領に太刀打ちできないと悟って被害を最小限に抑えるために敵の懐に潜り込んで――
なんてワケありではないかと一瞬でも思ってしまった自分が馬鹿だった。

>「……そのクリスが帰ってきた。東京を侵略せんとする、ドミネーターズの一員として」
>「まともに戦えば、とても勝ち目はないでしょう。3年前の戦いと同じようにね。――でも……」
>「今回、こちらには切り札があります。クリスに対して、絶対的なイニシアチヴを獲得できる切り札が。それは――」
>「……アナタですよ。ノエルさん」

「――えっ、僕?」

橘音の決意を知ってか知らずか、素っ頓狂な声をあげるノエル。
橘音はノエルの戦闘能力を高く買ってくれているようだが、ノエル自身はそうは思っていない。
なんとなくご近所だから声をかけられたと思っているし、いつも鉄壁前衛の尾弐に守ってもらい俊足中学生の祈に世話を焼かせている。
有体に言えばヘタレだしあんまり戦いに向いてないんだろうなあ、と自分でも思う。
そんな自分が、たった一人で東京23区を氷漬け寸前まで追い込んだ恐るべき妖怪に太刀打ちできるとは思えない。
つまりそこには、単に同じ能力を持つこと以上の何かがある。
橘音くんはまだ何か知っている、隠している――

>「クリスを撃破するには、ノエルさん。アナタの力が必要不可欠です。多大な犠牲を払わずに彼女に勝つには、ね」
>「でも。そのためには、アナタに傷を負って貰わなければならないかもしれない。身体ではなく、心の傷を……」
>「……ノエルさん。それでも、アナタはボクに。東京ブリーチャーズに、力を貸してくれますか……?」

無償のボランティアに対して犠牲を払えといけしゃあしゃあと言う。
それを言ってしまったら無償でボランティアをしている事自体がそもそも有り得ないのだが。
前回橘音や尾弐が人知れず身を削ったことに、ノエルは少なくとも意識的には気付いてはいない。
その上、妖怪にとって体の傷はわりかしすぐ治るが、心の傷は命にかかわる一大事だ。
自分の心が粉雪のように脆いこともなんとなく分かっている。死ぬかもしれない――
誰か一人の崇高な犠牲のもとに救われる世界――古今東西に枚挙に暇がなく世間に広く感動を呼ぶその手の物語が、しかしノエルはあまり好きではない。
ノエルは少しだけ困ったように笑う。

83 :
「……流石の僕だって”橘音くんの言う事”全部信じてるわけじゃない。だけど……”橘音くんの事”は信じてる」

そう思う根拠はない、理屈じゃない。たとえ記憶は遠い年月の彼方に消えてしまったとしても、魂に刻まれた何か。
普通に考えれば滅茶苦茶なことを言われているのに、橘音の役に立てて嬉しいと思う自分に困っている。
これはまずい、本格的にドMの扉を開いてしまったというのか――!?

「橘音くんはずるいよ……。僕が断るわけないって分かってるくせに」

だきっ――

まるでモフモフした動物を抱く時のように、橘音を抱きしめる。
頭がいいゆえに分かってしまう真実。伝えても詮無きことという判断に瞬時に辿り着き一人で抱えてしまう苦悩。
時に非情になり最善の道を示さざるを得ないリーダーの孤独――
実際にはそんなことを察せるほど高度な知能はないはずなのに、全て分かっているよと言わんばかりの微笑。

「一つだけお願いがある。もしも僕が致命傷を負ったら、消えてしまわないように支えて。この街でまだ生きていたいんだ……」

橘音ならいつだって最善の道を切り開いてくれる――それでも、その瞳に隠しきれない恐怖が混ざる。
今の自分が、何かあったら容易く壊れてしまう危うい均衡の上に成り立っていることに無意識のうちに気付いているのかもしれなかった。

>「さて。では、上に行きましょうか。ノエルさん、お店ほったらかしでここへ来たんでしょ?」

「あーっ! そうだった!」

流石は探偵、慌て過ぎてそのまま飛び出してきたことぐらいお見通しであった。

>「すみませーん!只今より店舗貸切となりまーっす!またのお越しをー!」

橘音が客を強引に帰らせたが幸い苦情等は出ず、作者と編集者に至っては
分かってましたと言わんばかりに「ですよねー!」と言って早々に退散して上階への階段を上って行った。
特に聞いてみたことは無いが、毎日ほぼいる事を鑑みても奴らはこのビルの上の階に住んでいるらしい。

>「ノエルさん、よっぽど慌てていたみたいですね?器も片付けないで……。この器から、アナタ以外の雪妖の妖気の残滓を感じますよ」
>「ほんのごく僅かですが……でも、これで充分すぎる。これを辿って、クリスの後を追いましょう」

「刑事ドラマでよくあるやつだよね! そうだ! 狐の橘音くんがモフモフの姿になれば……」

どさくさに紛れて橘音にありのままの姿を晒させようとするノエルの野望は次の橘音の発言で脆くも打ち砕かれた。

84 :
>「こんな場合にうってつけの力を持つ妖怪を、ボクたちは知っている……。ですよね?おふた方」

「……ですよねー!」

追跡といえば狐ではなく犬系と相場が決まっている。

>「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり!我と共に来たり、我と共に滅ぶべし!――出でよ、妖怪送り狼!」

大層な演出と共に結界の中から現れたのは、一見するとなんということはない中型犬サイズの狼。
しかしこう見えて彼は送り狼とすねこすりのハイブリッド――東京ブリーチャーズの正規メンバーである。
橘音のように人型に擬態して生活する動物系妖怪が多い中で
人語を喋る人と変わらない知能を持ちながら敢えて動物の姿を貫いている稀有な存在でもある。

「やあポチくん、元気だった? お散歩行こう!」

ノエルは現れた狼――ポチに抱きついて撫でまわす。
丁度彼が店に遊びに来ている時にテレビの取材が来て店の看板犬として紹介されたこともある仲だ。

>「こんにちは、ポチさん。さっそくで悪いんですが、ちょっとお仕事してもらいますよ」
>「報酬はドッグフードでどうです?半生タイプのお高いやつ。……あと骨ガムもつけちゃいます。いかが?」
>「途中で祈ちゃんを拾っていきましょう。ということで――東京ブリーチャーズ、アッセンブル!」

「アッセンブル!」

この掛け声が最近のお気に入りらしい橘音に合わせてポーズを決める。
「急用により本日は休店します」という下手糞な字の貼り紙を玄関に貼り、
今度は戸締りを忘れずに、ポチを追いかけはじめるのであった。

85 :
>「ありませんよ?そんなの」

「いや、ねぇのかよ」

さらりと述べられたノエルの店舗と那須野の事務所の警備事情を聞いた尾弐は、額に左手を当てて天を仰ぐ。
正義を勘違いした霊能者や理性を失った妖壊からの干渉を避ける為に、妖怪は闇に潜み、息を潜める。
人間社会に溶け込む時も、術式や呪詛を駆使し、己まで辿り着けないよう拠点を一種の結界と化す。
そんな尾弐の常識が吹き飛ばされた瞬間であった。
長年の付き合いにして初めて発覚した事実に軽く衝撃を受けている尾弐だが、
その尾弐を気に留める事も無く、那須野はミルフィーユを口へと運び

>「ごっくん、このミルフィーユウマー。えっ、何二人でこっそり美味しいもの食べちゃってるの!?
>……あっ(察し)これ僕どう見てもお邪魔虫じゃん! 紅茶ももらうよ、……あちちちちち! 熱い熱い!」

尾弐が放り込んだミルフィーユを嚥下したノエルは、紅茶を飲もうとしてその熱さに自滅してた。

そんな状況ではあるものの、何とか気を取り直し、ドミネーターズの構成員の足取りを追える可能性を提示する尾弐。
姿が見えないモノであれば追いようがないが、一度でもその尾を見せたのであればその足取りを追うのは容易となる
ましてや、那須野は探偵だ。人探しはお手の物だろう。
そう思っての発言であったが――――

>「……そう、ですね」

対する那須野の反応は、珍しくも歯切れの悪いものであった。
躊躇いや逡巡……或いはその両方か。
尾弐は経験から。ノエルはその豊かな感受性から。
那須野が、今回の相手と対峙する事へ思う事がある事に気付く事となる。
だが、尾弐もノエルも敢えて何も言う事は無く次の言葉を待ち……やがて、考えが纏まったのであろう。
腕を組み、那須野は語りだした。

>「行動開始の前に、今回戦う敵――ジャック・フロストのクリスについて、ボクの知りうる情報を開示しておきましょう」
>「なんで知ってるのかって?……簡単な話ですよ。ボクは――」
>「『かつて、一度彼女と戦ったことがある』からです」

それは、遡る事3年前に起きたとある妖壊との対峙の記録。
首都機能を麻痺させ、当時在籍していた5人のメンバーが犠牲となった、冷たい思い出。

86 :
「まさか……あの時の妖壊か」

当時、尾弐が葬儀を依頼された故人を迎えに行くため、隣県の病院へと車を走らせていた間に起きた事件。
東京全域を対象にした、豪雪による大妖災。
手の届かない所で起きた凄惨な戦いの『その後』を、尾弐は克明に覚えている。

火の消えた様に静まり返った事務所
取り残された、当時のメンバーの遺品
事務所にたった一人で佇む那須野の姿
自身が執り行った、仲間たちの葬儀

それらは未だ、尾弐の記憶に焼き付いたかの様に残っている。
那須野がファイルを捲る度に、何故その場に居なかったのかと、尾弐は自分自身を殴り付けたい衝動に駆られる。

>「……そのクリスが帰ってきた。東京を侵略せんとする、ドミネーターズの一員として」

「……」

そして、かつて東京全体を災禍の渦に巻き込んだその妖が再び現れたのだと。那須野はそう言ってのける。
彼の妖怪の帰還。それによって起こり得る事とは

――――また、犠牲者が出るかもしれない。

喉の奥まで登ってきたその言葉を、けれど尾弐は己の拳を強く握る事で押さえ込んだ。

確かに……話を聞く程に、クリスという名の妖壊は強い。
天災の如き力を振るう相手では尾弐の徒手空拳は届かず、圧倒的に不利な戦いを強いられる事となるだろう。
まして、今回は前回に比べても更に少数の人員である。苦戦は必然となるに違いない。
だが。
今回は、以前と違い尾弐自身がこの場に居る。そして

>「まともに戦えば、とても勝ち目はないでしょう。3年前の戦いと同じようにね。――でも……」
>「今回、こちらには切り札があります。クリスに対して、絶対的なイニシアチヴを獲得できる切り札が。それは――」
>「……アナタですよ。ノエルさん」

短く、けれども長い逡巡の後に那須野の口から放たれた言葉の通りに。
今回の戦いには、彼がいる。

>「――えっ、僕?」

御幸 乃恵瑠
種族としての雪女である、美麗の青年。
敵対者であるクリスと同じく、雪と氷を統べる権能を持つ者。

己の能力を熟知し、有象無象の敵を氷結させ、更には味方の支援すらやってのける東京ブリーチャーズの一員。
口にこそ出さないものの、尾弐は八尺様やコトリバコとの戦いは、彼が居たからこそ犠牲なく切り抜けられたのだと思っている。
そのノエルが居れば、今回の戦いの天秤を水平に近づける事が可能であろう。尾弐はそう考えた。
そして――――那須野はその尾弐よりも更に先を考えていた。

87 :
>「クリスを撃破するには、ノエルさん。アナタの力が必要不可欠です。多大な犠牲を払わずに彼女に勝つには、ね」
>「でも。そのためには、アナタに傷を負って貰わなければならないかもしれない。身体ではなく、心の傷を……」
>「……ノエルさん。それでも、アナタはボクに。東京ブリーチャーズに、力を貸してくれますか……?」

狐面の探偵は、犠牲への覚悟を。多大な犠牲を出さない為の、たった一人の犠牲をノエルへと求めた。
『心の傷』――――それは、ノエルの過去、或いは出自に関する事なのだろう。
その言葉が示すものの実体を、尾弐は知らない。
だが……今回の戦いで必要となるのは、ノエルの心に刻まれた古傷を、無理やり開く様な事なのであるのだと。
その事は理解出来る……そして、それはある意味では死ぬ事よりも恐ろしいという事も。

……そんな、痛ましい覚悟を求められたノエル。
だが彼は、常であれば浮かべないような、少しだけ困った様な笑みを浮かべると

>「……流石の僕だって”橘音くんの言う事”全部信じてるわけじゃない。だけど……”橘音くんの事”は信じてる」
>「橘音くんはずるいよ……。僕が断るわけないって分かってるくせに」

それでも。怯えながらも。傷を受ける事を、了承してみせた。
どころか、まるで小さな動物と相対する時の様に、全体の為に非情な頼みごとをせざるを得ない立場である
那須野の事を優しく抱きしめ、気遣ってすら見せた。
怯えながらも大切な者の為に進む事が出来てしまう。
それはきっと、ノエルの優しさであり、脆さであり――――何より、強さであるのだろう。

>「一つだけお願いがある。もしも僕が致命傷を負ったら、消えてしまわないように支えて。この街でまだ生きていたいんだ……」

そして尾弐は、最後に一つだけ弱音を漏らしたノエルの頭に手を置くと、
押さえつける様に乱雑に撫でつけながら口を開き。

「消えねぇよ――――お前さんも、嬢ちゃんも、那須野も、何ならムジナの奴だって。誰一人消させやしねぇさ」

そう言ってのけた。無愛想な尾弐にしては珍しく、口元に優しげな笑みを浮かべながら。

・・・・

88 :
そして、現在。

>「すみませーん!只今より店舗貸切となりまーっす!またのお越しをー!」

「声掛けしてたった3分で全員退店……店主が店主なせいか、えらく訓練されてる客層だな、おい」

クリスの痕跡を追う為にノエルの店へと訪れた尾弐は、退店する客へのレジ打ちを行いながら、
非常に聞き分けの良い客層へ対しての賞賛とも呆れとも付かない感想を漏らす。

――――そうして、室内に自分達以外の存在が居なくなった頃。
那須野が、おもむろに店内を見渡し始めた。恐らくは手掛かりになる物を探しているのであろう。
客を捌いた尾弐は、こういった場面では自身が役に立たない事を判っている為、棚に置かれた氷菓子用のブランデーを眺めていたのだが……
流石と言うべきか。そうこうしている内に那須野は目当ての物を見つけたらしい。
白手袋を嵌めたその手には、氷の器が乗っていた。

>「ノエルさん、よっぽど慌てていたみたいですね?器も片付けないで……。この器から、アナタ以外の雪妖の妖気の残滓を感じますよ」
>「ほんのごく僅かですが……でも、これで充分すぎる。これを辿って、クリスの後を追いましょう」
>「刑事ドラマでよくあるやつだよね! そうだ! 狐の橘音くんがモフモフの姿になれば……」

「ノエル、ステイ。妖気を追うのに必要なのはマジモンの嗅覚じゃねぇぞ」

那須野の言葉を聞いた尾弐は、外れそうになっていたノエルの思考の螺子を締め直しつつ、
眉間に皺を寄せ那須野が手に持つ器を凝視する……すると、そこには確かにクリスの妖気の痕跡らしきものが見えた。
だが、そこに残留しているものは、極僅かなものでしかなく

「……つってもな。流石にここまで薄くなった妖気を追うなんて芸当が出来る奴は、俺らの中には――――あ」

この妖気を追うのは難しい、そう言いかけ……ふと、尾弐の脳裏に一匹の妖怪の姿が思い浮かんだ。

>「こんな場合にうってつけの力を持つ妖怪を、ボクたちは知っている……。ですよね?おふた方」
>「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり!我と共に来たり、我と共に滅ぶべし!――出でよ、妖怪送り狼!」

そして那須野は、尾弐のその考えを見越したかの様に笑みを浮かべると、マントの内側から禍々しい装飾のタブレット
いつぞや見た召怪銘板を取り出し、一匹の妖怪を呼び出した。眩い光を伴い現れたその存在は――――

89 :
妖怪、送り狼
別名送り犬とも言われ、全国の伝承に名を残す、民俗学の業界人に限定すれば高い知名度を誇る妖怪であった。

「……対象を追尾する伝承と、霊的な痕跡の追跡能力。まあここで呼ぶならポチ助以外にいねぇよな」

彼の妖怪を呼び出した那須野の選択に納得したとばかりに小さくうなずく尾弐であったが、

>「こんにちは、ポチさん。さっそくで悪いんですが、ちょっとお仕事してもらいますよ」
>「報酬はドッグフードでどうです?半生タイプのお高いやつ。……あと骨ガムもつけちゃいます。いかが?」
>「やあポチくん、元気だった? お散歩行こう!」

……呼び出した瞬間から、狼という野生要素などどこ吹く風とばかりに愛玩犬の様に構われているその姿を見て、
やれやれとばかりに自身の首を押さえる。
だがそうしてばかりもいられないので、尾弐は自身も送り狼……ポチの元へと歩み寄ると、

「よう、久しぶりだなポチ助。悪ぃが今日は宜しく頼むぜ。後でケ○タッキー奢ってやるから頑張ってくれよ」

そう、挨拶をした……どうやら、自身の行動も割と甘い事には気付いていないらしい。

>「途中で祈ちゃんを拾っていきましょう。ということで――東京ブリーチャーズ、アッセンブル!」
>「アッセンブル!」

「嬢ちゃんはこの時間だと学校か……あいよ。あー……っせんぶる」

そうして尾弐は、腕を組み気恥ずかしげに二人の掛け声に合わせ――――ドアを潜った。


尚、この時点で尾弐は喪服と狐面と超常の美形が学校という環境へ訪れる事の
不審者具合にはまるで思い至っていなかった。

90 :
 果たして、モノは祈の左脚を避けることをしなかった。
避けなかったのか、避けられなかったのかは祈には分からない。
だが微笑を浮かべ、身じろぎ一つせずにまっすぐ祈の目を見ていたその様は、
祈が当てないと分かっていて敢えて避けなかったのであろうと祈に思わせる。
それとも、これ程の速度であっても防ぐ手立てがあった故の余裕か。
 幾許かの空白の後、モノはギザ歯を覗かせ、肉食獣のように嗤って見せた。
>「……感情だけで突っ走る猪武者かと思っていましたが。認識を改めさせて頂きますわ?」
「そりゃどーも」
 その獰猛な笑みを受けて、祈も不敵に笑って見せる。
少女達が笑い合っているという字面に対し、似つかわしくない程に剣呑な雰囲気が流れた。
ともすれば一触即発の様相を呈していたが、
やがてどちらからともなくその手を放し、祈は脚を降ろして、モノは髪をかき上げた。
 無事に協定が結ばれ、睨みあっている理由もなくなった、ということだろう。
>「さて。では祈、もう少し校内を案内してくださいませんこと?わたくし、まだまだ知りたいことがありますの」
>「やっとあちらから抜け出して、憧れの表世界に来たのですもの!何だって見ておきたいですし、触っておきたいのです!」
 そう言って今度は獰猛な笑みでなく華のように微笑んだモノ。
その目は小さな子どものように輝いており、逸る気持ちを抑えきれぬと言いたげにその足は急ぐ。
「……はいはい、わかったよ」
 その姿に急かされて、祈もモノの後に続いた。
 憧れの表世界、という言葉が何を意味するのか、祈には分からない。
もしかしたら妖怪大統領とやらは非常に束縛が強く、彼女を長く裏世界とでも言うべき場所に閉じ込めてきたのかもしれない。
なんであれ、祈がやることは変わらない。言われるがまま案内してやるだけだ。
モノに人の世界を知って貰い、好きになって貰うことは祈の目的にも合致するのだから。
そうして東京侵攻を諦めてくれるなら、倒してしまうよりも余程良い。
 モノの後に続いて、もっと人の多い場所へと案内してやろうと思っていた祈だったが、
絹を裂くような悲鳴が耳に届いたことで足を止める。
>「……なんですの?」
 モノもその悲鳴が聞こえたらしく、怪訝な表情で問う。
「悲鳴だ」
 幼年から小学校低学年くらいまでの子どもなら、
鬼ごっこ等で遊んでいるだけで悲鳴じみた嬌声を上げることもあるだろう。
なんなら、助けてなんて叫んだりもする。
だがここは中学校で、幼子などいない。即ちこの悲鳴は、何かが起こったことを意味していた。
 興味をひかれたモノと、緊急事態を察した祈が悲鳴の聞こえた方向、校庭へと向かうと、
校庭の真ん中に、祈の見慣れぬ影があった。
ボロボロのトレンチコートを着込んだ大人。髪も髭も伸び放題の男で、清潔感に欠けている。
教師ではない。またその恰好では保護者でもないだろう。
見た目から推察するに、不審者という言葉が似つかわしいように祈には思えた。
ホームレスが迷い込んでしまったのかもしれない。
>「祈、なんですのあれは?あれもこの学校の生徒なのかしら?それとも教師?それとも――」
 眉をひそめて祈へと問う、モノ。
「や、うちは中学校だから大人の生徒はいない。あんな教師もいないし、だからあれは不審者……ってやつだと思う」
 祈は、20メートル程離れた場所にいる男を視界に収めたまま、モノの問いに答えた。

91 :
 ホームレスか浮浪者か不審者か、
ともあれその男は虚ろに目線を漂わせながら校庭の真中に立ち尽くしている。
 その男に向かって、女子生徒の悲鳴を聞きつけたのであろう、ジャージ姿の体育教師が早足で歩みゆくのが見えた。
筋骨隆々なその体育教師に比べ、男の体躯のなんと小さく細いことか。
猫背であるのも手伝って、祈の目には頼りなく見え、
体育教師に少々脅かされればすぐにこの場から立ち去るだろうと思われた。
 だが、10メートルほどまで体育教師と男の距離が縮まった時だ。
ひゅる、と音がした。
それだけで、10メートル程も離れていた男教師の熱い胸板が
鋭い刃物で切り付けられたように横一文字に裂けて、血の鮮花を咲かせた。
倒れる体育教師。女生徒の悲鳴が再び響く。
>「――あの妖怪も、貴方がた東京ブリーチャーズのメンバーなのですかしら?わたくしの記憶にはありませんけれど」
「あいつ、妖怪だったのか!?」
 驚愕する祈。
 祈は妖怪の気配を感じ取る力に乏しい。
故にあの男が妖怪であることに気付けなかったのだ。
 男は歯の抜けた口で何事かぶつぶつと呟きながら、倒れた体育教師に覆い被さる。
そして胸から流れ落ちる血を啜り始めた。そのホラー映画さながらの光景に、
生徒達の間で悲鳴や絶叫が木霊した。校内はパニックが起こる寸前だ。
 稀にいるのだ。人間が変えてしまった環境に適応できず、
住処を失ったり、餓えや渇きを抱えたりで、どうしようもなく追い詰められてしまった妖怪が。
暴れ、人を襲うことしかできなくなってしまった悲しい妖壊が。祈はそんな妖怪を何度も見てきた。
 かろうじて祈の耳に届いた“水”という単語から、
あの妖怪は恐らく東京の水が体に合わず飲めなくなったのだろうと思われた。
東京の水はかつてと比べて格段に質が良くなったが、それは人間の物差しで測った善し悪しであり、
必ずしも妖怪には当て嵌まらない。
例えば池のような多少水の濁っている場所を好んで暮らす河童に、東京の澄んだ水で暮らせというのは、
海に生きている魚を連れてきて淡水に住めと言っているようなもので、到底受け入れられるものではないだろう。
 人よりも感覚が鋭敏な動物系妖怪や、自然から発生した妖怪などは時折そんな傾向があった。
「やめろ、やめてくれ! あああああ!」
 傷口に鼻や舌を突っ込まれる痛みに、命を運ぶ液体を啜られる恐怖に、体育教師が絶叫する。
近付けられた頭を押しのけようと両手で抗うが、
しかし妖怪の力で押さえつけられてはその頭を引き剥がすこともできない。
 人間は人体に流れる血液総量の約二分の一に値する一.五リットル程度の血液を失うと、
ショック状態に陥って死に至ることもあるという。
体育教師は胸を裂かれたにしては傷が浅かったのか、最初に噴出して以降の出血は見た目に少ないが、
男は渇いた喉を癒す為、一滴残さず血を吸い尽くそうとするだろう。
即ちあの体育教師の命はあと数分で尽きることになる。
 そしてここにいる妖壊と対峙できる戦力は祈だけだ。
 祈はポケットから取り出した、橘音から渡された携帯を仕舞う。
雑居ビルにいるであろう橘音やノエル、日中も葬儀屋の仕事があるだろう尾弐や、仕事を頼まれて暫くいない品岡。
その誰を携帯で呼んだところで、数分では間に合うことはない。
 久々に一人でやるしかないかと思い、飛び出そうとする祈の横で、モノが一歩前に出た。
>「ゆくゆくお父さまが支配される予定の帝都に、このような下賤、下衆、下郎の極致がはびこっているなど、我慢なりませんわね」
>「祈。こうした輩を帝都から一掃するのが、東京ブリーチャーズの仕事……。そうでしたわね?」
>「午後の授業に影響が出てはいけませんわ。わたくし、授業は遅滞なく受けたいの」
>「手を貸して差し上げますわ、昼休みはあと15分……それまでに片付けますわよ。よろしくて?」
 手を貸す、とモノは言う。
その意外な申し出に面食らった祈だったが、ふと笑んだ。
つい先程まで完全に敵だと思っていた相手と、一時とは言え共闘するのがなんだかおかしかったのだ。
だが、祈が身を以て知っているその実力は頼もしくもあった。
 モノから発せられる濃い妖気を肌で感じながら、
祈は右手の指、人差し指から薬指までを立てて、言う。
「……3つ言っとく。一つ、殺しはしない。二つ、サポート宜しく――そんで」
 祈は三つ目を言い終わる前にクラウチングスタートの体勢を取り、
「三つ。……あたしらなら1分もあれば十分だろ」
 言い終えると同時に駆け出しながら、心の中でこう付け加えた。
(東京ブリーチャーズ、アッセンブル……!)

92 :
 勢いよく駆け出した祈。
と言ってもその速度は生徒達の目もある為に、
100メートルを10秒程という人類の常識の範囲内で収められた。
 モノの瞳の力があるのだから、目撃した全生徒の記憶を上手く改竄して貰えばいいだろう、
という発想も祈の頭にないではないが、それも確実ではないし、出来れば避けたいと思ったからだった。
 たとえ超常の速さで駆けたところで、不良と認識されている祈に近付き、
『どうしてあんなに速いのか』などと訊ねて来る者などいないと知っていても。
 走って接近して来る祈に気付いたのか、
それともモノの濃い妖気に気付かされたのか、男は血を啜るのを中断し顔を上げた。
そして覆い被さっていた体勢から上体を起こし、膝立ちの状態になる。
恐らくは祈を食事を邪魔する敵と認識したのだ。
 瞬間、校庭の砂が僅かに渦巻く。
それを見逃さず、祈は横へと大きく飛び退いて身を躱した。
丁度祈が居た場所をつむじ風が過ぎ去って行ったのが、肌と風切り音で分かる。
(血を飲む……風を操る……やっぱあいつ……“鎌鼬”だ)
 先程、体育教師の胸が裂かれた時、男と教師の間で砂が舞い上がったのが祈には見えていた。
そこから、風か何かを使った不可視の攻撃であること、
血を啜るという特徴から、鎌鼬であると推測したのである。そしてそれは見事に的中したようであった。
妖怪知識に疎い祈にしては快挙と言ったところか。
 余談だが、鎌鼬はとかく種類が多い。地域によっては三匹で一セットであったり、単独が主流であったりする。
更には前足が鎌状であったり、風を操る能力を持っていたり、あるいは血を啜ったりする種がいたりする。
名までも様々であるのはメジャー妖怪の宿命とでも言おうか。
 そしてどうやらこの鎌鼬は、つむじ風を起こして切り裂く力を持つ“飯綱”に近い存在である様子だった。
全くのノーモーションで男から繰り出されるつむじ風。
 それを祈は舞う砂埃から読み、二、三、躱したところで――男ががくりと崩れ落ちた。
それもその筈だ。
(――あれ、きっついんだよなー)
 経験者である祈は思う。
男は顔を上げ、“祈のいる方向を見た”。
それは視界にモノを入れる事であり、即ち、その瞳を見てしまうという事だ。
 また体育教師の上に覆い被さるように倒れた鎌鼬の側に、祈は近付いた。
鎌鼬は尚も抵抗しようとするが、巻き起こした風は明後日の方向へ飛び、校庭の端の木の小枝を切り落としただけだ。

93 :
 鎌鼬はもはや戦闘続行不可能な状態にあると思われたが、
このまま体育教師に組み付かれでもしたら引き剥がすのが面倒であるし、
刃向かう気力を削いでおく必要があると祈は考えた。
「せー……のッ!」
 故に祈は、足元に倒れている鎌鼬の横腹をいくらか力を込めて蹴り、その体を数メートル先へ飛ばした。
鎌鼬はサッカーボールのように飛び、バウンドしながらゴロゴロと校庭の砂の上を転がった。
オリーブ色のトレンチコートが砂に塗れて白くなる。
 祈は足元の体育教師を一瞥し、生きていることを確認すると再び鎌鼬へと駆け寄った。
鎌鼬は仰向けになり、蹴られた腹を抑えながら、呼吸が苦しいのか咳き込んでいるところであった。
 世界は回り、視界は安定せず。腹は痛み、呼吸は苦しい。
であるにも関わらず尚も立ち上がろうとするので、祈は鎌鼬の胸の上に馬乗りになって動きを封じた。
祈の体重は妖怪からしてみればそれ程重いものではないだろうが、
咳き込んでいる今、酸素を肺に吸い込むのを阻害されればそれなりに苦しみがあるだろう。
更に、つい先ほど祈の蹴りの威力を思い知っている。
その状況でマウントポジションを取られるのは、命を握られているという大きなプレッシャーになる。
 殺されるのではという恐怖からかじたばたと暴れる鎌鼬に、祈は言う。
「血なら少しやる。だから大人しくしろ」
 祈は己の左手の薬指を犬歯で強く噛んで、痛みに顔をしかめた。
そして血が出たのを確認すると、それを鎌鼬の口元へ近づける。血が数滴、鎌鼬の口に落ちた。
「あんた、人を殺してないんだろ? だったら逃がしてやるよ。うちの教師も生きてたしな」
 体育教師はもしかしたら輸血などは必要かもしれないが、
祈が見た限りしっかり呼吸をしており、顔も血の気を失っていない。
ジャージに染みている血の量も大したことはなく、命に別状はなさそうであった。
 体育教師に関しては祈とモノが助けたから命があるのだろうが、
恐らくはこの鎌鼬、過去にも人の命を奪ってはいまいと、祈はそう考える。
 祈がそう考えるのには三つの理由があった。
 まずはトレンチコートの色だ。今は砂に塗れて白くなったオリーブ色のトレンチコート。
もし他にも誰かを襲っていたのなら、これは返り血の付いた、赤色の混じった斑のトレンチコートだっただろう。
 そしてこの鎌鼬が他にも似たような事件を起こしていたのなら、
那須野橘音の地獄耳に入らない筈がなく、祈にも通達が来ていただろう。
コトリバコ事件の時の迅速な対応が思い出される。
 更には、鎌鼬は日本の妖怪の中でもメジャーであり、強い部類に入る妖怪だ。
それが都市伝説妖怪の血を継いでいる程度の祈にこうも容易くやられるからには、相当に弱っていたのだと思われる。
他に誰かを襲っており、たらふく血を飲んでいるのならば、こうはならなかったに違いない。
以上の理由から、祈はこの鎌鼬を、『今回が初犯であり人殺しではない』と考えた。
 だからこそ、その問いの答えや反応如何では、見逃す。
 切り付けられた体育教師は災難であるし、納得しないであろうが、
そもそもこの一件は環境を自分達の良いように作り変える人の業に起因するものだ。
いずれ誰かが受けねばならない痛みだっただろう。
かといってそれを彼一人に背負わせてしまうというのも可哀想な話ではあるのだが、
幸い彼は生きているのだし、ならば殺してしまうことはない。祈はそう思う。
「那須野橘音ってわかる? 有名な三尾のキツネらしいんだけど。
その妖怪に聞けば水の美味しいところぐらい教えてくれるだろうから、これで元気が出たらそこに引っ越しなよ。な?」
 祈はそう言って、左手の薬指を右手で圧迫し、血を絞った。
鎌鼬がこれ以上暴れないのならば、鎌鼬の討伐は終了であろうか。
祈はこの鎌鼬が人を殺してさえいないのなら、逃がそうとするに違いなかった。

94 :
「きゃっ!」

東京都渋谷区、青山通りで上がる、小さな悲鳴。
鈴の音のような可憐な声。持ち主はスーツ姿の若い女性。
彼女は自分の足元を怪訝そうに見下ろしていた。

「……どうしたの?急に。何か踏んだ?」

「ううん……今、何かに脚を触られた気がして」

「何かって、なに……きゃあ!」

隣を歩いていたもう一人も悲鳴を上げる。
脚に何かが、毛深い何かが背後からすり寄る感覚を、彼女も感じたのだ。
殆ど反射的に彼女は背後、足元を振り返る。
そこにいたのは……

「……犬?」

黒い犬……少なくとも彼女は、そう思った。
この東京都、いや日本に、狼などいるはずがないのだから、当然と言えば当然。
それに首に巻かれた黒い首輪。飼い犬であると判断する根拠としては十分だった。
さて飼い犬ならば、飼い主が近くにいるはずだと女性は周囲を見回し……

「……あれ?」

いつの間にか、足元にいた犬の姿が見えなくなっている事に気付いた。
音もなく、あまりに素早く……不可思議だが、足を止め続けるほどの疑問でもない。
二人の女性は身を翻し、歩き出し……その背中を、すぐ後ろから、狼は見つめていた。
ずっと、そこにいたのだ。視線を背から脚へ。頬ずりを一つ。

「ひぃ!」

女性が悲鳴を上げ、不気味さに負け、小走りでその場から逃げていく。
狼は追わない。ただ二人が逃げていく様を、クスクスと笑いながら見送った。
狼が街を闊歩する。だが通行人は誰一人として、彼を気に留めない。
次は誰にいたずらをしようかと、狼はしきりに首を左右に振っている。
そして、足を止めた。コンビニの前でフライドチキンを齧る、中年の男性。
姿を隠したまま近付いて吠えれば、きっとご馳走が目の前に降ってくる。
狼はしめしめと笑いながら男に忍び寄り……不意に彼の足元に、円状の結界が現れた。
その紋様を狼は知っていた。『招集』だ。
拒否する方法は簡単。結界から飛び退けば、召喚は果たされない。
狼は目の前のフライドチキンを見上げ……仕方ないか、と言った様子で小さく溜息。
そして……結界放つ眩い光が、狼を飲み込んだ。

『Snow White』の床に描かれた結界。波濤のように溢れる光。
それが収まって……結界の中に、送り狼はいなかった。
より正確には、そこにいた……そして、もういない。

「やっほー!きつねちゃん!んーこのすね、久しぶりー!」

声は、橘音の足元、背後から。
夜道に付き纏う送り狼……夜色の毛皮で、影に紛れ込むのはお手の物。
彼は橘音の両足に挟まるように首を突っ込み、思うがままに、すねに頭を擦り付ける。

95 :
>「こんにちは、ポチさん。さっそくで悪いんですが、ちょっとお仕事してもらいますよ」
>「報酬はドッグフードでどうです?半生タイプのお高いやつ。……あと骨ガムもつけちゃいます。いかが?」

「はんなま!いいよ!やる!……でもやけにふとっぱらだね?一体何を」

>「やあポチくん、元気だった? お散歩行こう!」

首を傾げる送り狼……ポチにノエルが抱きつく。

「ぎゃーつかまったー!げんきげんき!ちょーげんきだよ!だからおしごとパパっとが終わらせてお散歩いこ!」

尻尾を縦横無尽に振って腹を見せるポチ。尋ねるはずだった疑問は、既に忘れた。
もみくちゃにされている彼だが、しかしノエルと目を合わせようとはしない。
橘音や尾弐に対してもだ。合いそうになると必ず、ふいっと顔を背ける。
皆を嫌っての事ではない。それが狼流の親愛の表現なのだ。
この相手なら、目を離したって自分に嫌な事はしない。だから目を背けられる、と。

>「よう、久しぶりだなポチ助。悪ぃが今日は宜しく頼むぜ。後でケ○タッキー奢ってやるから頑張ってくれよ」

「あー!オニっちもひさしぶりー!……ケン○ッキー!?きつねちゃん!もう行こうよ!ぼくなにやればいいの!?」

問いに応えるように差し出されるのは僅かな妖気を発するガラスの器。
ポチが鼻を鳴らす。

「くんくん……なーんだ、かんたんじゃん!だってこれ、ノエっちのにおいじゃー……」

においを嗅いだポチはすぐにノエルへと歩み寄り、

「……ない?」

ぴたりと立ち止まる。そして橘音を振り返り……その目を見た。
狼が相手と目を合わせる。それは、警戒の証。

「きつねちゃん、これってさ」

器から嗅ぎ取ったにおいに、ポチは覚えがあった。
鼻孔の奥まで凍りつきそうな冷気のにおい。
三年前……ブリーチャーズの仲間が永遠に失われた吹雪の日。
野良暮らしであるポチは仲間の助けを受けられず、ただ逃げ惑い、生き永らえるだけで精一杯だった。
そして後に残ったのは……姿の見えない、仲間達のにおい。
薄れていき、いつか消えてしまう残滓だけだった。

ポチの毛皮に、疎らに混じる白が狭まり、そしてその代わりに際立つ黒。
狼犬の、中型犬相当の体躯が、僅かに膨れ……すぐに元に戻る。

「きつねちゃん、やっぱさっきの報酬じゃ、受けらんないよこのおしごと」

橘音の目を見つめたまま、ポチはそう言った。

「もっとだいじなものがほしーなぁ」

いや、どんな報酬を積まれても、この仕事を手伝うべきではないのではとさえ思っていた。
無理を言って、頼みを断ってしまおうかと。

もし、あの雪妖……クリスとブリーチャーズが戦う事になったら。
微かなにおいだけを残して、橘音の、尾弐の、ノエルの、皆の存在が消えてしまったら。
それはひどく恐ろしい事だ。
いつかまた、あの吹雪が再来する日が来るとしても……それを今日にする必要はない。

96 :
しかし……

「……おしごとおわったらさ、ちょっと、時間ちょーだい」

その恐れは、ポチだけが感じているものではないだろう。
誰であっても、仲間を失う事は怖い。
だがその上で、ブリーチャーズの仲間を誰よりも大切に思う橘音が、探してくれと言った。
……もちろんポチとて仲間を思う気持ちで負けているつもりはないが、それはともかく。
ならば、きっと勝算があるのだ。今動くべきなのだ。
……臆病風に吹かれて足を引っ張るのは、彼への、皆への背信も同然。

「一緒に、お散歩いこうよ。たのしみっ」

だからポチはそう言って、鼻を鳴らしながら店の外へと歩き出した。

>「途中で祈ちゃんを拾っていきましょう。ということで――東京ブリーチャーズ、アッセンブル!」
>「アッセンブル!」
>「嬢ちゃんはこの時間だと学校か……あいよ。あー……っせんぶる」

「なにそれ?最近のはやり?えーと、あっせんぼー!」



……探偵事務所を出たポチは、鼻を鳴らしながら街を歩く。
学校に向かう最中ではあるが、においを探っておいて損はない。

「くんくん……うーん。なんか、違うにおいが混じってるなぁ。
 火のにおい……お祭りの時に降ってくるにおいだ。
 あと、これは……なんだろ。銀?お薬?ずっと昔に嗅いだ事がある……作り物の、雨のにおい」

そのにおいに何か意味があるのか。
偶然により混じっただけなのか、それとも必然なのか。
ポチは考えない。考えるのは彼の役目ではないからだ。
メタな話をするなら「打ち上げて、そして降ってくる」はちょっと面白そうとか、その程度のものだ。
……ふと、ポチが足を止めた。

「いのりちゃんと……血のにおい?」

瞬間、ポチが駆け出す。地面を強烈に蹴りつける四本の脚。
加速、加速、加速……可能な限り素早く、においを辿る。
そして見つけた。
祈と、祈の血のにおいを帯びた男。
送り狼の眼光が鎌鼬に突き刺さり、ポチは一際強く地面を蹴る。
狼の瞬発力は、彼と、その眼の先に横たわる獲物との距離を、僅か数秒で埋めた。
そして牙を剥き……何やら様子が変である事に気付いた。
どうも祈は自ら、自分の血を鎌鼬に飲ませているようだった。

「……なにやってるの?」

ポチは首を傾げて尋ねる。
彼の人語が周囲に聞かれる心配はない。
一般的な高校生や教員は、犬が喋る訳ない事を知っている。だから聞こえない。
ともあれ……事情を説明されれば、ポチはこう呟くだろう。
子供が素朴な疑問を口にするかのように、ぽつりと。

「……それ、牛乳じゃだめなの?」

なお近くにいるかもしれないモノに関しては、ポチは気付きもしないだろう。
そもそもその存在を知らない。
仮に知っていて、その妖気を感じ取れたとしても……それは彼にとって祈の怪我よりもずっと小さな事だ。

97 :
四人(正確には三人と一匹)の漂白者が、祈と合流すべく学校へ向かう。
ポチが先頭で、ノエルと尾弐がその後に続く。橘音は最後尾だ。
三人の背中に視線を向けながら、橘音は纏まりのない思考を巡らせる。

――ボクは。ひどいヤツですね……。

束の間瞑目し、小さく息を吐く。
クリスの強大さについては、この場にいる全員が思い知っている。
三年前のあの日、都内の交通網が豪雪で分断されたお陰で、都心から離れていた尾弐は戦いの場に駆けつけられなかった。
ポチは戦うどころではなく、ただ自分の身を吹雪から守ることで精一杯だった。
そして、ノエルはつい先ほど、当の本人から直接その力の片鱗を感じ取ったはずだ。

そんな三人に、橘音はそれでも言った。
『クリスと戦う』と。彼女を漂白する――と。
橘音はノエルに対して『傷ついてもらわなければならないかもしれない』と告げたが、実際はそんなに生易しいものではない。
ノエルだけではない。尾弐とポチに対しても同様だ。
そもそも今回の対クリス戦に参加するということ、それ自体が死刑宣告に等しい。
『クリスを倒すために、いざというときにはR』と言外に言っているのだ。
むろん、勝ち目のない戦いを挑むわけではない。こちらにはクリスに対処できる策がある。
三年前のように、むざと仲間を見殺しにするようなことはないだろう。
が、だからといって完璧ではない。策は充分に練り上げられてはいるものの、何事にも絶対はない。
一歩間違えれば、また犠牲者が出る。仲間たちのうち誰かが死ぬ。
妖怪にとって死は終焉ではない。長い時間を費やせば、いつかまた復活は叶う。
……しかし、それがいつなのかは誰にもわからない。
終焉でこそないにせよ、死は死であり、別れであることに変わりはないのだ。
だが、それでも。
橘音は仲間たちに、その可能性を強いた。

自ら仲間たちの葬儀を執り行った尾弐も、獣の本能と嗅覚で仲間の死と消滅を感じ取ったポチも、それは充分理解できているに違いない。
だというのに。
彼らは誰も、橘音がこれから為そうとしていることに対して異議を唱えなかった。
『そんなことは無謀だ』と。『自分は下りる』と。
そう言うことだって出来たはずなのに。命を惜しむことだって出来たはずなのに。
尾弐はなにも言わず、ただ事務所で橘音の言葉に耳を傾けてくれた。
古い付き合いで、バディを組んでもいたふたりだ。橘音の胸中の葛藤など、すっかりお見通しなのだろう。
ポチは僅かに逡巡したそぶりこそしたものの、それ以上は素直に従う姿勢を見せた。
人懐っこく仲間意識のとりわけ強いポチにとって、三年前の出来事は思い出すことさえ苦痛を伴う記憶のはずなのに。

そして、ノエル。

今回の戦いでは、ノエルには人一倍痛みを感じてもらうことになる。それは確定的なことで、避けられない事態だ。
それを甘んじて受けろと言った。それはなんと酷薄で、非情で、無道な願いなのだろう。
命令ではない。指示でもない。
『願い』。
上司でも指揮官でもリーダーでもない、『ともだち』という立場で。橘音はそれをノエルに告げた。
そして、ノエルはそれに応えてくれた。
部下でも兵士でもパーティーメンバーでもない――
『ともだちだから』。ただ、それだけの理由で。

>橘音くんはずるいよ……。僕が断るわけないって分かってるくせに

ああ。
そうだ。分かっていた。すべて計算していた。
尾弐が、ポチが、ノエルが。自分の告げる言葉を断るなんてことが、あるはずはないということを。
彼らは必ず受ける。その心に抱く正義感と、仲間意識と、愛情と――信頼によって。
それをすっかり把握したうえで、傷つけと言った。いざとなったらRと言外に宣告した。
彼らの優しい、まっさらな厚意につけ込んで。

――ボクは地獄に墜ちるのでしょうね。でも、それでいい。それがいい。
――満願成就の暁には。それまで漂白したすべての汚れを抱えて、ボクは――笑って地獄へ墜ちましょう。

98 :
橘音は数歩離れた位置から、先行する三人の背をもう一度見た。

>一つだけお願いがある。もしも僕が致命傷を負ったら、消えてしまわないように支えて。この街でまだ生きていたいんだ……

橘音の身体を優しく抱擁しながら、先程ノエルはそう言った。
東京は雪妖が生きるには過酷な場所である。夏の暑さは日本中でもとりわけ厳しく、冬になっても雪は一度か二度しか降らない。
故郷の雪女の里へ帰れば、もっと楽に過ごすことだってできるだろう。
しかし。例え不可逆的なケ枯れを起こし、存在さえもが危ぶまれる状態になってしまったとしても。
ノエルはまだ、この東京にいたいと。そう望んだ。
ノエルがそう言った理由はわからない。純粋にこの帝都が好きなのか、ブリーチャーズの仲間たちがいるからなのか。
それとも、まだ他に理由があるのか――。
けれど、それが耐え難い痛みに代えて彼が欲するものならば、橘音にそれを否定する理由はない。

>消えねぇよ――――お前さんも、嬢ちゃんも、那須野も、何ならムジナの奴だって。誰一人消させやしねぇさ

尾弐が請け合う。彼は出来ないことを気休めに言うような妖ではない。正真、心からそう思っているがゆえの言動だろう。
東京ブリーチャーズにおいて、一歩引いた場所から全体を俯瞰する彼の言葉は、とりわけ重い。
橘音自身、彼の言葉には幾度となく励まされ、窮地を救われてきた。
その尾弐が言うのだ。――そう、今回の戦いには三年前にはいなかった尾弐がいる。
ただそれだけの違いでも、かつてとは天と地ほどの差があるのだ。

>一緒に、お散歩いこうよ。たのしみっ

橘音の要求に対して、ポチが提示したのはあまりにも慎ましい対価だった。
ともすれば命を落とすかもしれないという戦いの代償としては、軽すぎる。
が、元々ポチにとって報酬などというものはさして重要な要素ではないのだろう。
狼とは群れを作る動物であり、その内訳は親兄弟といった家族が大半である。
そんな狼の妖怪であるポチが、東京ブリーチャーズという群れの中にいる。
それは、ポチがブリーチャーズのメンバーを家族かそれに準ずるものとみなしているという証左に他ならない。
金のためでも、餌のためでも、まして名誉や何らかの打算のためでもない。
仲間だから。ただそれだけの理由で、ポチは橘音の無茶を承知してくれたのだ。

――本当に、ボクは仲間に恵まれたものです。

しみじみと、橘音はそう思う。
今も、先程ノエルに抱きしめられたときの感触が残っている。ポチに脛にまとわりつかれたときのくすぐったさも。
柔らかくて、温かかった。体感ではなく、心が。彼らの想いを温かく感じたのだ。
橘音はそれが好きだ。妖壊を漂白するという過酷な使命の中にあって、なお温かな心を持っていられる彼ら。
それがどれだけ貴重なものであるのかを、身に沁みて理解している。
そんな彼らが自分に対して全幅の信頼を置いてくれているということが、どれだけ得難い幸福であるのかも――。
だからこそ、この素晴らしい仲間たちを失ってはならないと思う。どうでも守り抜かねばならないと思う。
いざというときにはRという宣告は、死んだところで些かの痛痒もないという意味ではない。
『目的を達成し』なおかつ『仲間も守る』。
狐面探偵の頭脳は、そのためにあるのだから。



>いのりちゃんと……血のにおい?

不意に、ポチが頭を上げる。何かを感知したらしく、猛烈な勢いで走っていってしまう。
リードはつけていない。ポチはあっという間に遠ざかってしまった。

「ちょ……、ポチさん!?」

止めるいとまもない。――が、ポチの行き先なら分かっている。
ポチが直前に零した言葉と走っていった方向、そして時刻から、祈がまだ学校の敷地内にいることは想像に易い。
橘音は今までの思索を中断し、軽く駆け足になると、ノエルと尾弐を促してそう遠くない場所にある学校へと急いだ。

99 :
蹴り飛ばした鎌鼬の胸に馬乗りになり、祈が自らの血を与える。
鎌鼬は蹴られたショックで咳き込み、苦しげに呻きながらも、祈の差し出した血を舌を伸ばして夢中で舐めた。
よほど飢えていたらしい。妖怪の血は人間の血ほど妖怪の嗜好には合わないが、半妖である祈の血なら充分だろう。
そんな祈と鎌鼬の様子を胸の下で緩く腕組みしながら、モノが呆れた調子で眺める。

「……手ぬるいこと。そんな者は一息に滅ぼしてしまえばよろしいのに」
「今、血を施してやっても、この者は渇けばまた同じことを繰り返しますわよ?後顧の憂いは断つべきですわ」
「それとも――東京ブリーチャーズの『漂白』とは、単に衣服を白くするという意味だったのかしら?」

鎌鼬の白くなったコートを揶揄するように告げる。
とはいえ、そう言っているだけで自分から鎌鼬を手に掛ける気まではないらしい。

「まあ、いいですわ。わたくしのアシストありきとはいえ、悪くない動きでしたわよ、祈」
「しかしながら――この状況では午後の授業を受けることは難しいですわね。残念ですが……」
「新しい妖怪の気配もあります。これは貴方のお仲間でしょう?鼻の利くこと――ならば、わたくし今日のところは退散いたしますわ」

そういって、モノは祈に背を向けた。
祈が不審者を押さえつけたのを見た他の教師たちが、こちらへと走ってくる。
野次馬の生徒たちも多い。今や校内にいるほとんどの人間の視線が祈へと注がれている。
できるだけ隠密に学校へ馴染んでおきたいモノにとっては、少々まずい状況ということであろう。
まして、ブリーチャーズの仲間が接近しているとなれば尚更だ。

「協定はあくまで、貴方とわたくしの間でのみ有効なもの。わたくしと一緒にいるところを見られるのは、都合が悪いでしょう?」
「それでは、祈。アデューですわ!」

>……なにやってるの?
>……それ、牛乳じゃだめなの?

モノが姿を消すのとほぼ入れ替わるように、ポチが祈の傍へとやってくる。
無邪気な質問を投げかけるポチだが、その言葉が周囲にいる人々に聞かれることはない。

「ヒ……ヒィッ!」

ポチが近付くと、鎌鼬は喉の奥に物の詰まったような短い悲鳴をあげ、ぼんっ!と煙に包まれた。
浮浪者めいた人間の姿が消滅し、代わりに一匹のやせ細った鼬が現れる。これが鎌鼬の原形なのだろう。
犬、狼、狐の類は鼬の天敵である。変化の解けた鎌鼬はまさしくつむじ風のような勢いで、一目散に校門の外へ逃げ去っていった。

「やれやれ……。何を嗅ぎ付けたのやらと思ったら、事件じゃないですか」

やや遅れて橘音たち三人がポチに追いつき、学校へやってくる。
仮面の学徒に喪服姿の大男、和パンクの美青年とやたら目を引く一団だが、それより校内は鎌鼬の件で騒然となっている。
負傷した体育教師の安否を気遣ったり、事件の一部始終を話す生徒たちで祈の周りは大騒ぎだ。

「多甫!大丈夫か?怪我はないか?なんて無茶をするんだ!」
「あの男はどこへ行った?早く警察に通報を……!」

教師たちが祈へ口々に言う。が、それを橘音がずいと一歩前に出て制した。

「まあまあ、落ちついて。ここは偶然居合わせたこの狐面探偵、那須野橘音にどーんとお任せあれ!いや〜みなさん運がいい!」
「先生方はまず怪我人の対処を。救急車を呼んでください、事情はボクが彼女から訊きますから――いいですね?」

そう告げて、祈の周りにいる教師たちの目を順に見る。お得意の幻惑視だ。
妖術で教師たちを遠ざけると、橘音は改めて祈へ向き直り、白手袋に包んだ右手を差し伸べた。

「事情は道すがら窺いましょう。それにしても……ひとりで妖壊を片付けてしまうなんて、気合充分ですね?」
「ということでお仕事です、祈ちゃん」

このどさくさに紛れて早退しなさいと、仮面の奥の瞳が言っている。
祈の手を取ると、橘音は学校を出た。

100 :
「ポチさんはクリスの妖気の追跡をお願いします。――で、祈ちゃん?先程は何があったんです?」

テキパキと指示を出し、ポチの後につきながら祈から学校での出来事の顛末を聞く。
が、そこまで詳しく内容を確認はしない。自分たちが到着した時点で事件は決着しており、祈も負傷した様子はない。
となればそこまで注意すべきものでもなかろう、と思っている。それよりも今はクリスだ。
クリスの妖気は千代田区方面へと続いている。ポチの追跡能力によってそれを辿ってゆくと、やがて一行はある場所へと辿り着いた。

「……ここは……」

橘音は小さく息を呑む。
そこは、この日本という国のために戦い散った英霊たちを祀る社。
戦士の鎮魂を目的に建立された神社だった。
国内のみならず、世界的にも有名な場所である。大きな鳥居の前に修学旅行生や観光旅行者などが大勢たむろしている。
微かなクリスの妖気は、確かにこの場所の奥へ。鳥居をくぐった参道の向こうへと続いていた。
クリスがなぜ、こんな場所を訪れたのか。その理由はわからないが、ただの物見遊山ではないだろう。
ここにブリーチャーズをおびき寄せる、それ自体が罠なのかもしれない。
が、たとえそれがクリスの策であったとしても、こちらには踏み入るより他にない。
相手は単独で東京を氷漬けにできるほどの妖力の持ち主。いつ三年前のように大妖災を引き起こされるかもわからない。
足跡を辿れるうちに追い詰め、倒す。時間に猶予はなかった。

「……行きましょう」

一瞬の空漠の後、橘音は意を決すると先陣を切って大鳥居をくぐった。
所狭しと並んでいる大きな観光バスの前を通り、記念撮影をしている観光客の合間を縫って、奥の社殿を目指す。
いつでも参拝者でごった返している社だ。とりわけ、今は桜のシーズン。
都下有数の桜の名所としても知られる神社の境内では、満開の桜を一目見ようと訪れた人々で溢れている。

――もし、この人々を盾に使われるようなことがあったら……。

考えられないことではない。かつて大妖災を引き起こしただけあり、クリスは人間の命など何とも思っていない。
こちらは仲間の命を守ることでも手一杯なのだ。この上大勢の人間の命までとなると、とても手が回らないだろう。
この時点で既に人質を取られたも同然だが、引き返すことはできない。
境内の両脇に植樹されたソメイヨシノ、美しく咲き誇るその並木道を貫いて、神門へと到達する。
重厚な造りの神門を潜れば、そこから先は正真正銘の神域である。妖怪たちには、その空気の清浄さが殊更強く感じられることだろう。
神門を通ったその先に中門鳥居があり、奥に拝殿が見える。そのさらに奥にある屋根が本殿だ。
もちろん、そこにもたくさんの人々がいる。ツアー客らしい老人の団体が、ブリーチャーズの前を通り過ぎていく。

そして。

拝殿を背に、ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで。
頭のてっぺんから爪先まで真っ白な女が、東京ブリーチャーズを出迎えるように佇立していた。


100〜のスレッドの続きを読む
TRPG系実験室
フィールドのエース
自動作成されるキャラクターで短編小説2
テーマ「大人になるということ」自作名言書いてくれ
【MGS】メタルギアシリーズの続編案を考えるスレ
【持込】持ち込み行って何て言われた?part25
【UTAU】神楽坂みら その2【製作】
ロボット物SS総合スレ 72号機
ぼくのかんがえた聖杯戦争
今日も('A`)レスをもらえない人々('A`)スルー2作目
--------------------
院長先生(とめった) ◆3VppEUMFXgoスレ
大人になるって金かかる78
( ´ω`)もう嫌だお…つらいお…
【DQR】ドラゴンクエストライバルズ LV1294
8月11日(土)貸切イベント列車「ザコと行く三浦海岸!京急ヒャッハートレイン」を運行します
【無課金】星のドラゴンクエスト★644
SHARP AQUOS sense3 Part15
【最高】今日聴いた演奏会の印象【失望】 Part.5
蒼海の武装商船晒しスレPart23
アニソン関係のAA
天までとどけ part11ぐらい
声優雑誌について語るスレ 8冊目
離職率アクセンチュア激務 そのA
エルメスバック素材
なんでもサッカーチーム
【マターリ】東洋大学陸上競技部応援スレ51【避難所】
第70回獣医師国家試験 Part2
名探偵コナン 考察スレッド Part.120 【あの方】
武豊さんのことを好きすぎて辛い(´・_・`)愛しすぎてどうしようもない
週末婚
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼