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架空の車両形式・番台スレ・懐鉄編


1 :2018/02/10 〜 最終レス :2020/04/26
路車板だと、どうしても現行やJR化以降の架空車両が中心になってしまうような気が。

なので、もっと前の時代・・・まだ国鉄があった時代とかに、
国鉄でも私鉄でも海外でも、こんな車両があったらなあと妄想するスレッド的な。

【関連スレ】
架空の車両形式・番台スレ 23次車
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/rail/1481344289/

2 :
以下は自分が過去に書き込みしたもの。

【国鉄・22系急行型客車900番台】

1972年、急行「きたぐに」の北陸トンネル火災事故を機に、電源が12系客車、14系客車の様な分散方式から、
20系客車の同様の集中方式に戻される事に伴って試作された12系客車の集中電源方式バージョン。
普通座席車の他、夜行急行用としてグリーン車、寝台車、食堂車、
そして始発・終着駅での機関車の付け替えを考慮した非常に珍しい制御車なども製作された。
日本海急行「きたぐに」、東北急行「十和田」などで試用されて活躍。

オハ22(普通車)中間車。外観・内装は12系のオハ12とほぼ同一。
オハフ22(普通車)緩急車。外観・内装は12系のスハフ12、オハフ13とほぼ同一。
オロ22(グリーン車)外観・内装は電車や気動車の急行型グリーン車とほぼ同一。
オロネ22(A寝台)プルマン式A寝台。
オハネ22(B寝台)寝台幅70cm・3段式。
オハネフ22(B寝台)緩急車。
オシ22(食堂車)10系食堂車・オシ16の22系バージョン。
オクハ23(制御車)運転室の外観は貫通扉にパノラミック窓で急行型の制御車とほぼ同様。
カ二22(電源・荷物車)電源用DGを2基搭載。

日本海急行「きたぐに」編成 ←大阪・青森→(新潟−青森間・逆編成・座席車のみ)
二 ハフ ハ ハ ハ ハ クハ シ ハネフ ハネ ハネ ロ ロネ ハネフ  

東北急行「十和田」編成 ←上野・青森→(常磐線経由)
二 ハネフ ロネ ロ ハネ ハネ ハネフ シ ハフ ハ ハ ハ ハ クハ  

「きたぐに」の14系化、「十和田」の廃止後は、座席車は全て12系に、
グリーン車、寝台車、食堂車、電源車は全て24系に改造・編入され、
制御車はクハ165に改造の上、165系電車に編入され、全車が1980年代中盤に形式消滅した。

3 :
外観が115系等近郊型電車そっくりの客車。旧客の置き換え用。3ドアだけでなく2ドア型もある。

4 :
国鉄O系新幹線電車・デラックス編成ロット

1975年、山陽新幹線博多開業に伴い登場。
富裕層やVIPの利用を想定し、亡きクロ151や、試作編成961形の3・4号車の客室を反映しており、
豪華な車内設備となっている。

11形
博多方先頭車。客室はクロ151と同様の一人掛けシートが並んでいる。出入口は東京方のみ。
東京方の車端にトイレや洗面所がある。

12
東京方先頭車。客室はクロ151と同様の一人掛けシートが並んでいる。出入口は博多方のみ。
パンタ付の偶数形式だが、22形と異なり、博多方の車端にトイレや洗面所がある。

15形
従来の0系15形と同一の設備。

16形
従来の0系16形と同一の設備。

17形
全室個室車。961形の6人用個室や、2人用個室寝台が配されている。出入口は東京方のみ。
博多方の車端にバーカウンタ、東京方の車端にトイレや洗面所がある。

18形
全室個室車。961形の6人用個室や、2人用個室寝台が配されている。出入口は博多方のみ。
これもパンタ付の偶数形式だが、博多方の車端にトイレや洗面所がある。

19形
食堂車36形と組む特殊車両で機器類は27形と同一。
車内は、博多方にバーカウンタを儲けたフリースペースとなっている。

36形
従来の0系36形と同一の設備。

編成は以下の8両を基本とし、東京〜博多の「つばめ」、東京〜新大阪の「はと」として活躍。
どちらも一日一往復の運用であり、「ひかり」「こだま」を利用する一般庶民から羨望の的となっていた。

博多方
11 18 19 36 15 16 17 12

5 :
国鉄205系・中央総武緩行線導入車両
国鉄末期、老朽化が進んでいた101系を置換する為に、最後の最後で導入された車両。しかし国鉄民営化前ということもあり、20両のみの導入で打ち切られた。
民営化後は再び山手線のみの導入とされた為、中央総武緩行線へは山手線の103系が転用された。

6 :
国鉄・急行型気動車165系

1972年、北海道急行向けとして登場した65系・急行型気動車の固定編成・耐寒耐雪バージョン。
基本的には固定編成を原則としているが、56系気動車や他系列との併結も可能。
窓は65系の様なユニットサッシ窓でなく、北海道仕様の二重窓となっている。
乗降口の扉も極寒季の使用を考慮し、幅は700mmながら折り戸から引き戸に変更。
急行型気動車では珍しく、ビュッフェ車や寝台車も製造された。

キハ165(Dc)キハ65とほぼ同じ車両。トイレ・洗面所有り。DG搭載。
キハ164(D)運転室を持たない中間車。トイレ・洗面所無し。
キロ165(Ds)グリーン車。
キハシ165(Db)半室ビュッフェ車。床下スペースの関係で水タンクが車端にある。専用DGを搭載。
キサロハネ165(Tsn)エンジンを持たないA・B寝台合造の附随車。
キクハネ165(Tnc)エンジンを持たないB寝台車。運転室付き。

主な昼行急行編成
Dc D Dc ・ Dc Ds Db Dc ・ Dc D Dc

主な夜行急行編成
Dc D Dc ・ Dc Ds Db Dc ・ Dc Tsn Tnc

この他、56系気動車や他系列と併結した運用も存在した。

7 :
並行世界シリーズ!
○国鉄・JR北海道キハ31形1000番台
1980年代、国鉄再建法により、赤字ローカル線の内、特定地方交通線に指定された路線が
廃止される事になった。
が、しかし、廃止路線が多い北海道では反対が根強く、
既に過疎化が原因で大量輸送に真価を発揮する鉄道の存在意義が無くなったにもかかわらず、
「鉄道を廃止すれば、地図に路線が無いと人や産業が来ない!過疎化が酷くなる!」云々の
鉄道信仰が根強かった。
ついには、「食糧自給率向上の為には農漁村をもっと振興すべし! 
鉄道廃止は過疎化を増長し日本の第一次産業を衰退させるから食糧安保上鉄道を存続すべし!」
というトンデモ理論により、
農林水産省の補助金で次の路線を1987年から30年間存続させる事となった。
羽幌線、天北線、名寄本線、池北線、標津線、広尾線、松前線など。
この農村漁村振興策としての農林水産省からの補助金で延命させた特定地方交通線用に、
同補助金で新造導入されたのが、キハ31形1000番台である。
九州向けの0番台との相違点は以下の通り。
極寒地向け仕様、例えば、乗降扉は半自動引戸、客室窓は一段上昇式の二重。
接客設備は、セミクロスシート、便所、冷房無し。
積雪時の空転防止と排雪抵抗対策としての粘着性能向上の為の二軸駆動。
ボルスタレス台車。スカート付き。
見た目は、キハ54形500番台を17mに短くした様なもの。
結局、廃止が適正な超赤字ローカル線を無理矢理存続させても、
沿線の過疎化と衰退を食い止めることは出来ず、利用客はかなり減ってしまった。
そんな現実に対し、世間では鉄道神話は完全に力を失い、
21世紀の深刻な少子化人口減少に日本政府の財政赤字の影響で、
補助打ち切りとなってしまい、2017年度に廃止する事となった。
廃止決定報道以後、夏休み等の学校の長期休暇期間中は乗り納めの鉄道ファンの客が増えて混雑し、
特に愛国から幸福の広尾線は顕著で臨時増発、
本形式で状態の良い車両は他路線に転用されキハ40系を置き換える予定。

8 :
妄想はのうないでやれ

9 :
香港メトロ1000系

日本からの技術供与により建設された香港地下鉄(現・香港メトロ)の初代車両。
日本の電車の影響を色濃く残す20m4ドア車で、
当時の流行であるくの字型・左右非対称のデザインは営団の各車両や京都市10系とともに時代を象徴するものとなっている。
海に囲まれた香港の地理を反映し、それらと違い耐食性に優れたステンレス製とされた。

10 :
◎国鉄241系郵便電車
1984年
○1970年代後半以後、郵便物輸送における鉄道のシェアは年々縮小し、
郵政省は国鉄に対し鉄道郵便を継続させるならば、
トラックよりも速く、利便性あるダイヤで安価に大量輸送を可能しめるよう改善を要請し、
特に新幹線の利用を要望した。
1984年頃に、東海道山陽線等の汐留〜梅田〜東小倉間に最高120km/hの郵便物輸送用高速電車の
運行が計画され、
それが241系である。車籍は国鉄だが、郵政省の私有車。
車種は、クモユ240(M'pc)、モユ241(Mp)、サユ241/240(Tp/T'p)、(注:p=psot;ユ)の四種。
車体長20m級の鋼製車体。
登場以前の84年2月のダイヤ改正にて車内で郵便物を仕分ける取扱便は廃止されたので、
郵便区分室を有する車両はない。
M車は護送便用車両で、その設備及び間取り並びに意匠はマニ50形に酷似し、
同乗荷役作業員控室とトイレ洗面所付き。
先頭車M'pcの先頭の意匠は、183系0番台電車酷似の電気釜・貫通型、観音扉は省略。
T車は締切便用パレット輸送用貨車で、Tpはス二40形に酷似、T'pは回送運転室を備えマニ44型に。
M'pcMpTpTpT'p及びその逆配列の二種ユニット(2M3T)による両端にM車配置の10両編成、
若しくは一ユニット増結の15両。
走行システムは、201/203系のを改良した電機子チョッパ制御とし粘着性能を向上、
但し列車密度極小の深夜帯走行が専らなので回生ブレーキは非搭載、
発電ブレーキ用の抵抗器を搭載し、チョッパ制御は力行専用。
Mpにパンタグラフ二台。
台車は201系のを改良したヨーダンパ付きの空気バネ台車。
乗り入れる交流電化区間は下関〜東小倉間と短距離なので直流専用電車とし、
当交流区間は機関車に牽引するとし、M'pcに電源用のディーゼル発電機を搭載。
M'pcとT'pの運転台側連結器は機関車との連結の為並形で、ユニット内は密着。
車体塗装は、全体に赤系一色に白帯と、身延線色に酷似。
84年半ばに量産先行車が登場し試運転開始。
85年3月のダイヤ改正で郵便特急列車として就役開始。
就役当時、汐留〜梅田間の直行便は151系こだま号に匹敵する6時間半。
86年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で、郵便小荷物輸送は原則全廃され、
例外の一つとして本系列使用の列車は残る。
汐留駅廃止で東京貨物ターミナル発着となる。
87年4月の国鉄分割民営化でJR貨物に承継。
その後、鉄道による全国的郵便輸送が復活したが、専らコンテナ輸送となり、
パレット輸送用の本系列の増備は無かった。
JRによる線路改良によって所要時間短縮。
登場時から10年程経った1990年代半ばの車両更新工事により、
フランスのTGVの郵便専用車を真似て、黄色に。
2006年にコンテナ輸送の新型車に置き換えられ、全車廃車。
引退直前に登場時の赤に戻る。

11 :
国鉄157系500番台電車・東海道線急行用

1960年、東海道線・急行を電車化するために製造された形式。

国鉄本社は当時、東海道線・準急(一部急行)として活躍していた153系電車に、一等車(グリーン車)と食堂車を連結することで、
東海道線・客車急行の電車化を予定していたが、大阪局では「準急形式の格上げではなく、急行形式を新たに製造すべき」という意見が根強かった。
国鉄本社も最初は「153系は準急形式ではなく、急行運用も想定に入れた長距離用汎用形式である」として取り合わなかったが、
大阪局は同様の意見を持つ一部車両メーカーと結託し、国鉄本社との丁々発止の末に、遂に押し切って製造許可を勝ち得た経緯を持つ。

その性能は、日光準急として使用されていた157系基本番台をベースとして纏められているが、製造コストの関係などから異なる点も多い。
座席は、一等車(グリーン車)はリクライニングシートだが、二等車(普通車)は157系基本番台と同じ回転クロスシートではなく転換クロスシートに変更。
客室側窓は153系と同様の上段下降・下段上昇式ユニット窓に変更。出入口は157系基本番台と同じ幅700mmの片引戸が二カ所。
塗装はクリーム地にマルーン帯が窓下に入る関西急行色とされた。

・クハ157
制御車。前面形状は、増結の際の乗務員の通り抜けなども考慮され、クモハ157の独特の形からクハ153-500番台と同様に変更された。
両渡り構造。前面貫通扉には電源コネクタが設け、ヘッドマークを電照式とした。製造当初は冷房なし。

・モハ157
電動車。モハ156とユニットを組む。製造当初は冷房なし。

・モハ156
電動車。二基のパンタグラフを搭載。157系基本番台にある車端の売店は無い。製造当初は冷房なし。

・サハ157
付随車。製造当初は冷房なし。

・サロ156
本形式の目玉の一つである二階建一等車(グリーン車)。車端に回送用運転台あり。冷房あり。
上階座席はリクライニングシートで、客室は車端の出入口近くまで広がっているが、平屋部分の通り抜け通路があるため一部は欠き取られた間取りとなっている。
台車間が下階となり座席はプルマン式座席で、家族や小団体向けとされおり、中央の通路とはカーテンで仕切られるようになっている。
また下階座席は簡易寝台することも出来るため、夜行急行では寝台扱いで営業することも出来る。
二階建構造とされたのは、大阪局のライバルである近鉄を意識したものであるが、二等車(普通車)の乗客が一等客室に入らずに食堂車へと通り抜けられることを考慮された為である。
なお実際の営業列車では、二等車(普通車)乗客は、平屋部分の通り抜け通路から、下階客室に降りて中央通路から車端反対へ通り抜けてる様に案内された。

・サシ156
本形式のもう一つの目玉である二階建食堂車。冷房あり。上階に食堂、下階に厨房と通り抜け用の側通路の構造。


1960年、東海道線・急行「なにわ」「せっつ」として153系と共に運用開始。
関東では鮮やか湘南色の153系と比べると、クリーム地にマルーン帯の関西急行色の本形式は地味とされたが、関西では「懐かしい色。落ち着きある色」と好評だった。
また夜行急行や151系トラブル時の代走特急に153系と共に使用されたが、転換クロスシート、二階建車両、簡易寝台などを備える本形式が歓迎されたようである。

・編成(<大阪・東京>)
クハ157-モハ157-モハ156-サハ157-サロ156-サロ156-サシ156-モハ157-モハ156-モハ157-モハ156-クハ157

12 :
国鉄561・563・565系

1964年、直流−交流電化区間を走行する夜行客車急行置き換えの為に登場した交直流急行型の夜行バージョン。
走行機器類は455・475系と同一。
寝台設備は10系寝台客車を模した構造。
電動車は交流60Hz対応の西日本用561系、交流50Hz対応の東日本用563系に分かれていたが、
後に3電源対応の565系が登場。
付随車は全て561系となっていた。
塗装はローズピンクとクリームの交直流急行色。

クハネ561(Tnc)制御車。運転室の外観はクハ455とほぼ同一
モハネ561(Mn)電動車。交流50Hz対応の東日本用はモハネ563。3電源対応はモハネ565
モハネ560(Mn')電動車。パンタ付。交流50Hz対応の東日本用はモハネ562。3電源対応はモハネ564
サハネ561(Tn)付随車
サロネ561(Tsn)A寝台車
サシ561(TD)食堂車。両端に回送用運転台

西日本用561系編成/山陽・九州・北陸(上野−長岡−北陸間も含む)
Tc M' Mc Tc M' Mc TD Tn Ts Tsn Mn' Mn Tnc

東日本用563・565系編成/東北各線(日本海縦貫線も含む)
Tc M' Mc Ts M' Mc TD Mn' Mn Tsn Mn' Mn Tnc

尚、座席車は455・475系が使用された。

13 :
国鉄113系3000番台
国鉄が導入した113系の最終増備車。
115系3000番台と同様に2扉車でかつ転換クロスシート(ただしドア付近はロングシート)で導入された車両である。これは117系を導入するより、113系を導入した方が運用も共通化出来るメリットがあった為である。この車両は115系と同様に、半自動ドア対応として導入された。
しかしながら、利用者からは前面だけ見ると今までの電車と変わらないという声もあった。
最終的に54両が東海地区に、126両が西日本地区に継承された。

14 :
大井川鐵道オハ4801
南海電鉄サハ4801が1972年(昭和47年)2月廃車後大井川鐵道に保存目的で譲渡されたが。
1976年(昭和51年)7月9日 SL復活運転時客車として運用開始
車体そのものは基本となったスハ43形とほぼ同一であるが、屋根上の通風器は左右両側に分割されたガーランド式で中央には2列のランボードが設置され、車体色が濃緑色となっていた。
また、デッキ上部に赤字で「南海」と社名を表示する当時の国鉄の特別二等車用と同様式の表示灯が備えられ、
車内は当初より蛍光灯照明となっており、座席はラテックススポンジを用いたスハ43形とは異なる形状
という南海時代そのままの姿でオハ35 オハ47
スハフ33 スハフ42の国鉄旧客の茶や濃青と連結
した際異色放ち後々グリーン車スロ54 スロ62
スロフ62(日本ナショナルトラスト)
が入籍した際も連結した、しかし未更新で老朽化進んだのと国鉄旧客と異なる1形式1両のため
J R北海道 西日本より14系座席車 12系やまぐち入線により廃車予定

15 :
>>7 >>10 に続く並行世界シリーズ
◎国鉄EF67形500/550番台
1984年 第三軌条
○1950年代、関西本線の難所加太峠での峠越えの加太隧道のSLの煙害対策として亀山〜柘植区間が電化されたが、
関〜柘植区間は、加太トンネル等の幾つかのトンネル自体が明治開業時以来の超狭小断面であったが故に、
架線が張れず、碓氷峠のアプト式区間と同様に、やむを得ず第三軌条方式となった。
関〜柘植区間は、駅と信号場構内以外は、直流750Vの第三軌条集電で、それ以外は国鉄標準の直流架線集電。
当電化開業時に架線と第三軌条に対応した専用の旧型電気機関車が導入され、補機として長年活躍した。
1985年3月のダイヤ改正で、関西本線が全線電化。
但し、国鉄の財政破綻寸前を反映し、島ヶ原〜加茂区間はトンネル断面を拡張せず電化したので
身延線と同様に乗り入れる電車や電気機関車に制約が生じ、関〜柘植区間の第三軌条も放置された。
この全線電化対応及び上記の旧型機置き換え用に投入されたのが、EF67形500/550番台。
0番台と同様にEF60の後期形を種車とした改造車であり、
1500Vと750Vの複電圧車として、抵抗制御だと回路が複雑、電圧が異なると性能差が大きく、
エネルギー損失も多いので、 効率的な電機子チョッパ制御を採用。
使用路線の大半の区間が列車密度の低いので改造費節約の為、0番台と異なり、
回生ブレーキ非搭載で、発電ブレーキ。
台車に、DC750Vが流れる第三軌条(サードレール)から電気を得る為の集電靴(コレクターシュー)を設置。
電気暖房(EG)搭載。
第三軌条の加太峠区間では第三軌条非対応の電車を牽引する為に、
双頭連結器、EGの容量を増やして電車の冷暖房照明電源に対応などを追加したものは、550番台となる。
車体の塗装は、黄色単色をベースに、550番台には青いラインが追加。
85年3月のダイヤ改正で就役し、関西本線にて関・加茂区間経由の貨物列車や郵便小荷物列車、旅客列車を牽引。
加太峠の第三軌条区間では、パンタグラフを下ろして走行する。
87年4月の国鉄分割民営化で500番台全機がJR貨物に承継され、550番台はJR西日本に。
2016年、関〜柘植区間が架線集電の新線に切り替えられたのを機に、引退、廃車となった。

16 :
717系1000番台

足回りは通常の717系と同様だが、車体が前面以外は117系に準じた作りになり
シートも転換クロスシートが装備された。
国鉄末期、西日本鉄道の対抗として南福岡電車区に増備され
福岡圏の快速等で使用された。

17 :
209系(史実の209系は901系1000番台)
国鉄分割民営化を行なったが、その後しばらくして福知山線の事故など失敗が続いた。
また、東京一極集中を緩和させるため東京の企業や学校は積極的に地方へ移転した。そんなこともあってかJR各社では交流電化や非電化各線を直流電化することとした。
そこでJR東海が主体で開発し、全国で運転できるJRグループ共通の20m4ドア・トイレ付きの通勤電車を開発することとした。これが209系である。起動加速度3.3km/h/sで最小4両から編成を組める。
209系は史実でいうE233系に近いが、走ルンですではない。
0番台
基本区分で、クロスシート。2007年に御殿場線と四国地区に4両12編成づつ投入された。これにより313系2両12編成が東海道線増結車に用途変更。ラッシュ時の最混雑列車が211系8両(オールロングシート)となり、輸送力が激増。
四国でもラッシュに6両編成の各停運転を開始し、さらに余った113系は大和路線へ転属し非電化区間を電化させた。

1000番台
大阪地区の利用者が増加してることから、大阪環状線に10両29編成をロングシートで製造した。これにより103系が阪和線に転属し、阪和線の各停を8両ないし10両で運行するようになった。
ラッシュ時には亀山まで大和路線に各停として10両編成で乗り入れる。

18 :
>>11
157系500番台は東海道新幹線の開業後、2等車への冷房装置取り付け改造を施したうえで、
東京−伊豆急下田間の全車指定席急行「伊豆」に転用された(なお0番台は史実とは異なり、
上野発着の日光・黒磯・水上・軽井沢方面への急行に使用され続けた)。
だが、1969年には増収のため0番台を使用する上野発着の157系急行同様、500番台使用の
伊豆方面への急行も特急に格上げされることになり、特急「あまぎ」となった。
しかし、1981年には急行「伊豆」の153系同じく老朽化のため、185系に置き換えられることになり、
史実と同様185系特急「踊り子」に置き換えられ、全車廃車された。

19 :
【過去投稿の改訂版】

国鉄20系特急列車用客車「はつかり」用ロット

1958年、初の東北特急として誕生した「はつかり」だったが、
車両が従来客車だったこともあり利用者から東海道特急や九州特急と比較され評判が悪かった。

そこで国鉄は1959年、長崎寝台特急「さくら」のサービスアップ用として製造した20系と共に、
「はつかり」サービスアップ用として座席車(ナロ20、ナハ20、ナハフ20)、食堂車(ナシ20)、電源車(カニ21)を製造した。

各車の基本的な仕様は同時期の「あさかぜ」や「さくら」の20系と同じだが、ナハ20とナシ20には変更があった。
・ナハ20変更点=上野(博多)方の売店スペースの廃し、代わりにトイレと洗面所を設置。青森(東京)方は出入り口のみとなった。
・ナシ20変更点=食堂部分の座席をナロネ21の様な向かい合わせソファに変更。

配置は品川客車区(当時)とされたが、上野発長距離列車の殆どを担当していた尾久客車区(当時)にならなかったのは、
当時まだ新鋭だった20系の管理を一箇所に集中させておいた方が運用上都合が良いだろうという国鉄側の判断だった。

「はつかり」編成は下記の通り。
←上野:カニ21・ナロ20・ナロ20・ナシ20・ナハ20・ナハ20・ナハ20・ナハ20・ナハフ20:青森→

完全空調・固定窓を装備した20系を使用することで、蒸気機関車の煤煙問題も回避できるようになり、
また座席車は回転シートととなったため、両終端駅での三角線を使った方向転換の必要もなくなった。

1960年「はつかり」はキハ81系に置き換えられたが、キハ81系の初期故障が続いた為、暫くの間「はつかり」代走用として編成は維持された。
他に季節増発「はつかり」としても使用され、「はくつる」「ゆうづる」登場後は、その編成に組み込まれたり、季節増発として活躍。

最後は全車、青森運転所に配置され、増結用、波動用として活躍し、1980年中盤に全車廃車となった。

20 :
1963年東海道線高速試験
国鉄の高速試験に今回小田急3100NSE、
東武1720DRC 名鉄7500パノラマカーが
国鉄151系 クモヤ93と共に参加
先ず小田急3100NSEが東海道線で時速163キロ記録
次に東武1720DRCが負けずと東海道線で時速161キロ記録
次に名鉄7500だが東海道線で時速158キロと160キロ突破出来ず2回目で時速162キロ記録
国鉄151系が時速163キロ記録
更に営業最高速度時速120キロ運転見込んだブレ
ーキ試験を東海道線で行なった
軌間1435mmでこの速度試験に参加出来なかった近鉄は悔しがり、後々国鉄職員招き
近鉄名阪間で独自に最高速度記録試験行なったとか

21 :
1963年東海道線高速試験
国鉄の高速試験に今回小田急3100NSE、
東武1720DRC 名鉄7500パノラマカーが
国鉄151系 クモヤ93と共に参加
先ず小田急3100NSEが東海道線で時速163キロ記録
次に東武1720DRCが負けずと東海道線で時速161キロ記録
次に名鉄7500だが東海道線で時速158キロと160キロ突破出来ず2回目で時速162キロ記録
国鉄151系が時速163キロ記録
更に営業最高速度時速120キロ運転見込んだブレ
ーキ試験を東海道線で行なった
軌間1435mmでこの速度試験に参加出来なかった近鉄は悔しがり、後々国鉄職員招き
近鉄名阪間で独自に最高速度記録試験行なったとか

22 :
国鉄20系特急客車・食堂車ナシ21

サロンカー・オシ16の20系版という車両。

1965年、編成の担当が尾久客車区に移管された「はくつる」「ゆうづる」は、
「あさかぜ」などの九州特急より所要時間も短いため、
本格的食堂車であるナシ20よりもビュフェ・スタイルの食堂車の方が、
利用客の趣向に合っているだろうという理由で製造された。
勿論オシ16同様の電子レンジを装備。

1968年、編成の担当が青森運転所へ移っても「ゆうづる」への連結は続けられたが、
同じく担当の「日本海」の方は所要時間が長いことからナシ20が連結となった。

その後、数両が宮原客車区へ移り、関西ブルトレの一部に連結された関係などから、
ナシ21-3が弁天橋の交通科学館にナシ20-24と共に寄贈され、ナシ20-24が本格食堂の営業となる一方、
ナシ21-3はうどんやそばなどを提供する軽食スタンドとして営業することに。

現在はナシ20-24と共に京都鉄道博物館にて展示されている。


発想のきっかけは20系スレの書き込みから。

http://mao.2ch.sc/test/read.cgi/jnr/1524075510/l50

16回想774列車2018/05/01(火) 22:35:41.65ID:E2FL9P+F>>18
食堂車スレだったかな、20系の関西-九州とか、東京-東北はオシ16のような形が
良かったんじゃないかというのがあったけど、営業時間帯を考えれば
同意できるところがあるね。

18回想774列車2018/05/15(火) 21:06:44.67ID:GIG1H+DC
>>16
実際に東海道筋よりメニューも少なかったしね。

23 :
国鉄キハ40形0・1500番台、キハ47形300・1300番台、キハ48形600・1600番台
キハ37形で試用した直噴式DMF13Sエンジンが好調だったので、原設計が古くまた重量の割に低出力な
DMF15系エンジンをDMF13系(横型に改設計したDMF13HS)に換装したもの。
北海道向けのキハ40形0番台を除き寒地仕様で設計されているが、設計共通化によるコスト縮減のためである。
エンジンの軽量・高出力化によりサブエンジン式のAU34による冷房化も行われた。(0番代は準備工事)

キハ40形0番台は苗穂機関区に配置され札幌地区で用いられ、JR化後に高出力を買われて釧路運輸車両所へ転属して滝川〜帯広間を中心に運用されていたが
9両と小ロットにとどまったことから延命改造の上道南いさりび鉄道に転属した。
それ以外は高出力で冷房化済という条件から竹下気動車区・直方気動車区・鹿児島運転所に集中配置され、
降灰の影響のある鹿児島地区や電車並みのダイヤを要求される香椎線、冷房化済のキハ66とのサービス格差是正のため筑豊本線・篠栗線を中心に用いられた。
後に機関換装・ワンマン化が行われた他筑豊電化などあり、現在ではキハ47が主に香椎線で、キハ40は肥薩・吉都・指宿枕崎線で運用されている他
キハ48を中心にD&S列車に転用された物も多い。

24 :
国鉄461・751・753・761系電車
交直両用型が461系、交流型北海道用抵抗制御車が751系、交流型九州・東北用が753系、交流型北海道用サイリスタ車が761系である。
車体は2扉デッキ付きだが、車体長は21.3mとなり1300mm両開きドアを採用(グリーン車は700mm片開きドア、北海道用は1000mmの片開きドア)、
車内は普通車が910mmピッチの転換クロスシート、グリーン車はリクライニングシートである。
窓は普通車が2連の2段ユニット窓(上段下降、下段上昇)(北海道用は2連の1段上昇窓)、グリーン車が2連の固定窓である。
出入り口はステップ付きである。
正面は貫通型で、前照灯はシールドビームである。
モーターはMT54系、歯数灯は4.21である。
冷房装置は初期車がAU13系で、パンタグラフ付き中間車のみAU75系、ベンチレーターは2列配置、後期車は全てAU75系集中式でベンチレーターはなく117系と同じタイプの強制換気装置搭載となっている。
車体塗色は赤色13号に窓回りクリーム色4号である。
形式は
751系: クモハ751、モハ750、モハ751、クハ751、サハ751、サロ751、サシ751
761系: クモハ761、モハ760、モハ761 (電動車以外は751系と共用)
461系: クモハ461、モハ460、モハ461、クハ461、サハ461、サロ461、サシ461
753系: クモハ753、モハ752、モハ753 (電動車以外は461系と共用)

25 :
から急行列車が存続した場合の
直流急行型電車、気動車

国鉄171系、179系直流急行型電車
国鉄が老朽化した153系初期車、155系、159系更にデラックス急行型157系列の置き換え、関西地区、中京地区で新快速の置き換えと平行大手私鉄対抗の為に投入した急行型電車
車体は2扉デッキ付きだが、車体長は21.3mとなり1300mm両開きドアを採用(
グリーン車は700mm片開きドア)車内は普通車が910mmピッチの転換クロスシート、
グリーン車はリクライニングシートである。 窓は普通車が2連の2段ユニット窓(上段下降、下段上昇)(北海道用は2連の1段上昇窓)、グリーン車が2連の固定窓である。
ここは>>629の国鉄461・751・753・761系電車 と共通
179系は碓氷峠の横川=軽井沢でEF63と協調運転可能な形式
歯車比は4.21、MMはMT54系
形式は
171系が クモハ171、モハ170、モハ171、クハ171、サハ171、サロ171、サシ171
更に皇室用編成置き換え用として、クロ171(供奉車)モロ171(供奉車)モロ170(供奉車)サイ171(皇室用)
が製造された。
179系は、クモハ179、モハ178、モハ179、クハ179、サロ179、サシ179

関西地区、中京地区では新快速に使用するため
サロ1両入り8両編成、総武地下線や関西片福線乗り入れのためにATC装備
首都圏では通勤時間帯に急行列車の間合いや増発で
定期券+指定券のホームライナーや
定期券+急行券の通勤急行列車ホームタウン系列車でも使用される。
上尾事件により首都圏では急行列車間合いの一般普通列車使用は
はばかれた事と国鉄の増収対策から。
更に皇室用お召し列車の置き換えのお召し電車用特別編成
も本系の仲間で製造。
(皇室用お召し列車客車編成は24系客車ベースで製造。)

26 :
国鉄キハ68、キハ69、キハ64、キロ64、急行型気動車国鉄が1970年代後半に新時代を睨み急行列車の存続と
特急列車との併用存続。新幹線開業後特急列車は新幹線に移行だが並行在来線には
急行列車や夜行特急、夜行急行を引き続き残しエコノミー客に対応

そしてキハ66、キハ67の試験結果を反映した急行型気動車
車体は2扉デッキ付きだが、車体長は21.3mとなり1300mm両開きドアを採用(グリーン車は700mm片開きドア、北海道用は1000mmの片開きドア)、
車内は普通車が910mmピッチの転換クロスシート、グリーン車はリクライニングシートである。
窓は普通車が2連の2段ユニット窓(上段下降、下段上昇)(北海道用は2連の1段上昇窓)、グリーン車が2連の固定窓である。
出入り口はステップ付きである。
正面は貫通型で、前照灯はシールドビームだが顔つきはキハ66、キハ67
やキハ40系の顔つきで。
エンジンはキハ181系の札幌〜函館間120km/h〜130km/hの高速試験結果を
反映した結果、DML30系を440psに絞り、最高速度はキハ80系と同じ100km/h
として、キハ181系、その北海道運用含めた改良型のキハ183系の120km/h
と区別を付け、在来の置き換え予定のキハ58系との併結も配慮された。
やはり気動車快速や一部普通列車との兼任運用を考慮している設計だが。
普通列車や快速列車運用時はローカル線で珍しい冷房気動車として地方非電化線の
サービスアップや自家用車、高速バスに対抗出来た。

27 :
>>7 >>10 >>15に続く 平行世界、並行世界、パラレルワールドもの!
◎国鉄021系電車
製造年 1985-90 
車種 クモハ021(Mc) クハ020(T'c)
特記 三相交流750V側方接触式集電
○沖縄返還間もない1975年に鉄道建設公団により沖縄縦貫線が着工、1986年夏に国鉄沖縄本線として開業。
規格は軌間1067mm、三相交流電化、高規格の在来線。
経路は、海洋博公園〜運天港〜名護〜許田〜石川〜具志川田場〜コザ〜沖縄県総合運動公園〜普天間
〜琉球大〜浦添牧港〜那覇旭橋.
運天港と鹿児島駅桟橋を結ぶ国鉄の鉄道連絡船を介して内地とレールが繋がる。
後年、那覇空港に延伸し、モノレールとは旭橋と空港で接続。
米軍基地の存在とそれによる民間建造物の密集で鉄道用地が確保困難な為、
国鉄としては異例の道路直上高架と地下線の比率が高い上に、
加えて沖縄本島は起伏の富んだ地形なので急勾配が多い厳しい線形となって、
動力車に高い粘着性能を要求されるので交流電化。
台風銀座で高架に隣接する建物からの飛来物の付着から米軍ヘリの引っ掛けまでと架線事故を避ける為に、
従来の単相交流20KVの架線集電方式では無く、三相交流750V60Hz側面接触式を採用。
つまり、線路に平行して地上から車両床下辺りの位置に三本の給電線を張り、
床下に装備した集電装置で電気を得る。
これ即ち、ゆりかも等のAGTと同様。
当路線用に021系が新造された。
設計と意匠は同時期の213系に準拠し、接客装備も転換クロスシート。Tc'に洋式トイレ。
走行システムは713系ベースのサイリスタ位相制御、回生ブレーキ。
Mcの床下に集電層装置を装備し、屋根にパンタ無し。
従来の国電車両形式の規則では三桁目は七か八だが、
電化方式の特異性を強調する為に敢えて零とし次の21世紀にも因んだ。
McT'cが基本編成で、自動解結装の為の電気連結器を備え需要に応じて二両単位で増結。
側面(側方)接触式の制約で最高速度は100km/h。
従来の単相交流20KVに比べて750Vと低電圧で三相なので、従来の交流電車に比べて機器が簡素化されて安価だが、
変電所の数は増えてしまいインフラは従来よりもコスト増。
就役後、青春18切符シーズンでは鉄道連絡船接続列車は最大六両で運行される。
87年4月の国鉄分割民営化で沖縄本島路線と連絡船と共にJRに承継される。
21世紀初めに、VVVFインバーター制御への換装などの更新工事が施された。
2015年以後、後継車両の増備で余剰車が発生し、廃車が始まっている。

28 :
モハ114・115-600番台

80年代下関の111系の短編成化に伴い
クハ115-3000番台が先頭を務める編成が登場。その際中間のモハ110・111も115系に改造編入してしまったのが本番台である。

改造内容は主電動機がMT54に換装され、主制御器もCS15に交換しノッチ戻し、抑速発電ブレーキを装備
客用扉も半自動化に伴い取っ手が付けられた。因みに冷房化は見送られた。

外観は取っ手が付けられた以外、特に変化は無く通風器もグローブベンチレータのままである。

115系3000番台の増備後も一部の車両は残存し、JR化後は冷房装置WAU102が搭載された車両も出現され
2000年代まで活躍した車両もあった。

29 :
クモハ73620〜・モハ72981〜・クハ79620(621)〜

試作モハ72970、仙石線用72971〜・クハ79600〜に引き続き、
それぞれモハ72500/920〜・モハ72500/920〜・クハ79300/920〜から改造されたアコモデーション改良車。

仙石線用と同様に103系ATC準備車から冷房装置と方向幕を除いた形態の車体を有するが、客用扉の半自動回路は備えていない。
クモハ73620〜は後位寄りに運転台を持ち、パンタグラフは連結面寄りに備える。このため奇数番号車は存在しない。
クハ79620(621)〜も同様に偶数番号車は改造されなかった。
当初は鶴見線に投入され面目を一新したが、1980年の101系置き換えにより、クモハ・クハは富山港線へ転用、モハは一時的に保留車となった。

30 :
>>29 続き
国鉄・JR東日本 サハ103 700番代

後にモハは401系廃車に伴い発生したTR64台車に履き替え、空き区分番代となっていたサハ103 700番代として形式を改め、
103系1000番代車の地上転用が進んでいた常磐線快速に転用されている。民営化後に車両更新工事・AU712+SC24により冷房改造を施工され、
特殊な改造車としては寿命が長く2003年まで運用された。

31 :
>>30 続き
国鉄・JR西日本 105系700番代

富山港線の72系アコモ改造車は1984年に101系転入によって一旦置き換えられた後、
105系に改造され、再び富山港線に投入された。改造にまつわる経過は同時期に可部線等に投入された
105系500番代に準じたものであるが、クモハのDT33台車は新製した。
民営化後、WAU101冷房改造を受け、JR西日本としての2006年富山港線廃止まで使用された。

32 :
415系1000番台

415系の山岳、寒冷地バージョンとして1978年に登場。
基本設計は417系とほぼ同一で、違いは扉数(ステップは無し)と座席配置ぐらい
通常の415系との併結による制御装置切替スイッチがついている。

国鉄当局は78年10月のダイヤ改正で東北本線の長距離客車鈍行を廃止。
しかし長距離列車廃止による、黒磯分断で利便性が低下し
各方面からの批判を恐れたため、登場したのが本形式である。

客車時代は上野〜一ノ関だったが電車化により運転区間は短縮し、最長列車でも上野〜郡山となった。
配置は勝田電車区に配置され常磐線でも使用された。
85年つくば博開催による常磐線輸送力増強により東北本線から撤退。
以降通常番台と同じ機能で使用し、宝の持ち腐れとなりながらも2007年3月まで活躍し廃車となった。

33 :
583系300番台 クハ583・モハ582・モハ583

東北新幹線開業により「はつかり」は盛岡〜青森に短縮された。
そして民営化後、485系に比べて583系は客室の陳腐化が目立つようになってきた。
そこで夜行と昼行が一緒だった583系に、昼行「はつかり」専用の編成を作り
その編成の座席を交換してできた形式が本形式である。

改造内容は座席をリクライニングシート(R55型)に変更し中段・上段も撤去し
小窓も埋めて外観上でも見分け可能である。サロはそのままである。

普段は9連で運用されていたが、多客期の増結には余剰がなく0番台が混結された。

2000年にE751系投入で置き換えられ、そのまま廃車となった。

34 :
>>33
583系3300番台
>>33をさらに3000番台化したものである。
貫通扉を塞いで485系300/1000番台に準じた形状になり、補助電源はMGからSIV化及び台車はコロ軸受化された。
またATC取り付けと増圧化により140Km運転どころか青函トンネル内にも入れるようになった。
塗装も485系3000番台と同じになり、スーパー583が名前になった。
函館行きはつかり1号/8号に使われたため昼行ながら初めて北海道に渡った583系となった。
津軽線の蟹田までの普通にも使われた。
しかし函館までの運転は短く上沼垂へ移動された。当初はいなほであったが、程なく北越/雷鳥に使われ、
形状は変わったが大阪まで583系が昼行特急に入る前代未聞の雷鳥が登場した。
ほくほく線直通のはくたかで使う計画も上がっていたとも言われている。
雷鳥は西日本車のはくたかになった後の晩年は北越と快速くびき野で使われ、2014年に廃車された。

35 :
715系200・1200番代
余剰となっていた481系・483系モハユニット、サシ481を改造し、3連を組む
モハ奇数形式を先頭車化改造(105系タイプ)、開口幅1000mm片開き扉増設(増設の乗降口はデッキ無し)、セミクロスシート化
ロングシート部は廃車となった101系のものを再用、クロスシート部は種車のものを向かい合わせに設置し直し向きを固定した
クハ(←サシ481)は厨房側を切断し、別途製造した運転台+乗降デッキユニットを接合し
これと競合しない部位の窓配置は極力種車そのままとしたが、業務用扉は埋め込んだ
種車の簡易運転台は廃止
発生品の110kVA補助電源装置を積載し、元々の補助電源装置は流用のため取り外した
半自動扉扱いは備えていないが、デッキ付扉側だけを開扉出来る選択開扉回路を追加した

クモハ418
国鉄最後の年に誕生した新形式の一つで、
向日町で余剰になった583系モハユニットから改造し2連を組む
ユニットを組むクモハ419と共に今回は105系顔
クモハ418の連結面側に機器室を設置し、補助電源装置を床上搭載した
既存3連の一部編成と組み替えた他、組み替えなかった既存3連はクモハ419に運転台貫通路を追加設置した

36 :
モハ113 CS12再用車

廃車となった153系モハ153の主制御器CS12Aを改修しCS15G相当として再用し、
車番の百位を5(または6)として区分したもの。
その他の仕様はこれまでの新製車と変更はなく、他の機器類は全て新品を用いた。
車番の下2ないし3桁は完全新製車との通し番号とした。同様に下2(3)桁が同番号のモハ112 各番代とユニットを組む。

37 :
モハ113 CS12再用車

廃車となった153系モハ153の主制御器CS12Aを改修しCS12G相当として再用し、
車番の百位を5(または6)として区分したもの。
その他の仕様はこれまでの新製車と変更はなく、他の機器類は全て新品を用いた。
車番の下2ないし3桁は完全新製車との通し番号とした。同様に下2(3)桁が同番号のモハ112 各番代とユニットを組む。

38 :
東武オハ6050
オハ14系の老朽化があまりに酷く、急遽余剰のモハ6050系を電装解除して「大樹」用客車としたもの
解除したのは走行系のみで、サービス電源はそのまま流用のため、パンタグラフは残る。
運転台は車掌設備を残し、前面方向幕とヘッドライトと共に撤去したため、茶色一色の塗装と合いあいまって一風変わったご面相となった
2両から4両を組み引き続き「大樹」の任に当たっている。

39 :
JR西日本 クハ103 2010・2060番代

経年の進んでいるクハ103 0番代初期車を置き換えるためサハ103・サハ102から改造
同趣旨の車両は他社ではクハ481-1100、クハ115-1500(JR東日本改造車)がある

40 :
>>7 >>10 >>15 >>27に続く 平行世界、並行世界、パラレルワールドもの!
◎国鉄711系2000番台電車
登場年 1978年
特記 低圧タップ制御
○1976年に長崎本線と佐世保線が交流電化されたが、
国鉄の財政悪化の影響で高価な交直流用電車の新造が特急料金で償還出来る特急専用車以外は見送られた結果、
旅客列車は特急以外気動車いわゆる架線下DCが顕著となり、
会計検査院に電化の必要性を問われてしまい、
そこで交直流用電車よりも安い交流電車で普通から急行の汎用運用可能なのを新造投入。
それは、優等料金徴収列車体系にて急行廃止・特急統合という国鉄の長期経営戦略に基づき、
車両の想定寿命中に急行運用消滅後を見据えて急行形は新造せず、
後述の近郊形711系の新派生番台として2000番台となった。
車種はクモハ/サハ/クハ/サロ711-2000(Mc/T/Tc/Ts)の四種。
Tsは将来の特急形への編入前提故にTs481そのもの。
車両製造と誘導障害対策の費用の抑制や新型車不信の労働組合対策により枯れた技術を採用する事となり、
北海道向けの0番台が当時最新のサイリスタ位相制御を採用したにも拘わらず、
当2000番台では0系新幹線やED76と同様の低圧タップ制御とした。
1M2Tを基本ユニットとし高価な電動車の比率を下げたので、最高速度はキハ58等のDC並に割り切って
歯車比を103系等の通勤形と同じにして加速度を上げた。60Hzのみ対応。
冬期の排雪抵抗上編成中央に中間電動車を置いた0番台と異なり、編成短縮に備えクモハを用意。
TcとTsのみにトイレと洗面所を設置し且つ空気バネ台車とし、他の車種はコイルバネ。全車冷房搭載。
車両の意匠は0番台を暖地向けにしたものでユニット窓と集中式冷房装置が大きな違いで、
接客設備も0番台に準じ、固定クロスシート主体で車端の乗降デッキ寄りにロングと、
同時期のキハ48や50系客車とも共通項がある。
0番台とは異質過ぎるので新形式を付与すべきだが、
労働組合対策で711系にされ暖地向けだから115系に倣い2000番台に。
落成後、博多と長崎・佐世保を結ぶ急行出島・弓張の一部に就役し、普通運用にも。
それでも、やはり、国鉄の厳しい台所事情を反映して、大量増備されることはなく、
架線下急行・普通DCは残存した。
711-2000使用の急行は鉄道愛好者の一部から遜色急行と叩かれた。
82年急行の特急への吸収統合に伴い急行運用は終了し、Tsは485系に編入され、他普通列車専用に。
87年にJR九州承継後、性能上高速列車高密度路線での運用には不適切で閑散路線で専ら使用され、
後年二両編成化でTは廃車。
2018年に全廃された。

41 :
クハ103 ATC車 関西転用改造車

需給の関係で経年の高い103系先頭車が多い関西へ、205系置き換えが進む関東から
ATC車の転用が行われた。
ATC装置が降ろされたため仕切り位置をずらして客室面積を拡張、仕切り窓を新規設置して室内からの眺望に配慮したが、
高運転台車で前面窓面積がそもそも小さいため、評判は芳しくなかった。
他、非ATC路線で使用するためブレーキ弁改修、屋根の塗屋根化、前面・戸袋窓Hゴムを劣化しやすい白ゴムから黒ゴム化、
運転台正面下部のジャンパ栓受け未設置車が僅かに含まれていたため追加設置、運転台のワイパー更新、
運転台窓下の通風孔埋め込み、
客ドア更新(ドア窓の支持方法を押え金方式に変更)、床敷物張替え、シートモケット交換、
雨樋整備(同種取替と、運転台側の集水器部分を後期新製車同様に大型化)、冷房装置ランボード大型化改良などの
延命更新が施工された。
転用整備後しばらくの時期はATC用アンテナが撤去されずに残されており、また、
仕切り位置と干渉する運転台直後の戸袋窓が設置されなかったため、後に戸袋窓閉塞工事が開始されるまでは
関東からの転入車であることが一目で判別出来た。

42 :
583系500番台

国鉄からJRになり、寝台列車の個室化による利用促進が各列車に図られるようになり
「はくつる」と「ゆうづる」も同様に客室の見直しが図られた。

サハネ581を個室化しシングルデラックスのサロネ581-500に改造した
一部のモハネもソロとデュエットに改造し500番台になった

編成
←青森    上野→
B電3-B個2-B個1-A個1-グリーン-B電3-B電3-B電3-B電3-B電3

43 :
クモハ164形 500番代(近郊形改造車編成)

185系投入により余剰となった新前橋区の165系をローカル転用するにあたって、
車両キロ抑制の観点から短編成化することになりモハ164形基本番代から改造された。
後位寄りを台枠ごと切断し、115系1000番代に準拠した新製運転台を接合。
改造竣工したクモハ164形に洗面所・便所は改めて設けられず、編成を組むクモハ165形に集約し、
種車で装備していた汚物処理装置は整備の上、他区所の未設置車へ流用した。
旧デッキ部分屋根上には主電動機冷却風取り込み用の大型押し込み通風器を設置、
種車のデッキ仕切りは(編成を組むクモハ165形の洗面所側を除き)撤去し、
クロスシートを乗降扉から数えて2列分撤去した跡に101系廃車発生品のロングシートと網棚・吊革を設置した。
種車のMGを撤去し153系廃車発生品の110kVA MGに換装し、制御・冷房兼用とした。

44 :
国鉄 サロシ88形

いわゆる80系の一員として、長距離優等列車の要素として足りうるものに食堂車が考えられ、
国鉄車両設計事務所で図面まで引かれたが、実現までには至らなかった。
国鉄電車として供食設備を備えた形式は、後のモハシ21形に譲る事になった。

45 :
>>7 >>10 >>15 >>27 >>40に続く平行世界、並行世界、パラレルワールドもの!
◎JR東日本E219系電車
1997年 碓氷峠自走
○国鉄が破産寸前の1980年代に東北上越新幹線が開業したが、
それらの利益が高金利の建設債務と並行在来線の赤字で相殺されて経営改善には貢献しなかった
という教訓から、整備新幹線の建設には、
一に財源には公的無償資金援助、 二に並行在来線の廃線等の経営分離の自由が認められた。
北陸新幹線高崎・長野区間着工の際、
JR東日本は並行在来線の横川・篠ノ井区間を経営分離する事を表明。
JR東が発足当時とは想定外の黒字であった事から
『税金等の公的資金の援助で新幹線という金の卵を手に入れて、
赤字の在来線を納税者に押し付けるとは、そこまで一民間企業を厚遇して良いものだろうか』
云々の批判を受け、
結局、インフラを第三セクターの第三種鉄道事業者の保有とした上で
JRが第二種鉄道事業者として運営を継続する事に。
1997年秋の長野新幹線開業時に横川・篠ノ井間が上下分離による会計上の都合で
JRの新しい地方交通線として信越本線から分離する事になった。
これは他の整備新幹線の並行在来線にも波及し、
並行在来線の上下分離区間は路線名が変わるが、全区間は外観上JRが一体運営。
上下分離された旧信越線横川・篠ノ井区間の合理化徹底目的で
軽井沢・横川間の最急勾配66.7‰の碓氷峠を自走可能な電車E219系が新造投入された。

46 :
>>45の続き ◎JR東日本E219系電車

当路線合理化目的で軽井沢・横川間の最急勾配66.7‰の碓氷峠を自走可能な電車E219系を新造投入。
車種と編成は、軽井沢←クハE219(Tc)サハE218(T')クモハE218(M'c)クモハE219(Mc)→横川、
需要に応じて二両から八両まで、ローカル運用は原則M'cMcのみ、
東京圏発着の臨時快速運用にはT車組み込みの4両編成を二連結の最大八両。
本系列は、仕様について同時期の209/E217/E127/701/E501系と共通項は多いが、
JR東日本版のズームカー故の特有な仕様は次の通り。
走行システムは、当時標準のGTO素子VVVFインバータ制御で、
急勾配故にトルクベクトル制御及び冗長性確保に一両当たり1C1M方式4群。
ジーメンス製でE501系と同様に発車時の磁励音の不快感を和らげる為に
ドレミファソラシドと奏でる。
主電動機は公称120KWで過負荷使用を前提とし耐熱性を強化。
ブレーキは、碓氷峠区間の下り急勾配の抑速強化目的に変電所に回生電力吸収装置設置の上で
回生ブレーキを本格採用。
M車は回生と発電併用で、屋根に発電ブレーキ用抵抗、T車には渦電流式ディスクブレーキ、
全車に非常用の渦電流式レールブレーキも。
特に停電時に急勾配での停車維持の為の各種ブレーキへの非常電源となる大容量の蓄電池を搭載。
横軽対策としての空気バネパンクはT車のみ。
意匠は、701/E127をE217並の裾絞りの有る広幅断面車体にした様なもの。
M車は両開き三扉、T車は両開き二扉、半自動ドア。
接客設備は、セミクロスシート、クロスは215系と同様。
M'cとTcの後位に車椅子対応の洋式トイレ。
97年10月に本系列は碓氷峠越え運用に就役開始。
2010年以後、制御装置等の機器の更新工事が施工された。

47 :
国鉄キハ66・67形100番台
轟音と機関不良に悩まされていたキハ66・67の主機関をDMF13をベースにした新型エンジンに換装したもの。
DMF13エンジンは6気筒で330PSだったことから8気筒化したDMH17HS(440PS)を新潟鐵工所と共同開発して搭載している。
好評だったためキハ183系気動車にも水平展開され、DML30系機関を置き換えた。

JR北海道は後に120km/h・130km/h対応となるN・NN183系を開発しているが、
その際にはDMH17HSにインタークーラを追設したN-DMH17HZとして採用している。

48 :
まるでAKIRAの金田のバイクみたいな気動車だ…。

ピーキー過ぎて、並大抵のウテシじゃ運転できねえよ!

49 :
名鉄が高度成長期に通勤車製造したら
名鉄4000系(初代)
高度成長期名古屋圏の人口増加に名鉄も1967年
昭和42年から犬山線で8両編成していたがパノラマカー一辺倒に流石に問題があり一部社内と
日本車輌から長野電鉄OSカーの足回り1100形
の車体全長18600mm、幅2740mm前面は名鉄3780系の前面を採用
、側面は1D3D3D1、通勤車でコストカットの
為非冷房、窓は二段上昇式でOSカーと同じ
通風器もOSカーと同じ押し込み式
座席もOSカーと同じロングシート採用
とパノラマカーと比べコスト削減
台車はOSカーのNA18 NA18Tを名鉄向きにした
NA19電動車用 910mm車輪主電動機135kw4個
モ4200中間電動車 モ4300制御電動車
NA20制御車 付随車用 860mm車輪
ク4000制御車 サ4100付随車
編成4両 モ4300 サ4100 モ4200 ク4000
編成2両 モ4300 ク4000
1968年昭和43年犬山線でラッシュ8両編成の
運用でデビューしたが社長のパノラマカー優先により1968年〜1975年迄の8年間で
4両編成10編成40両 2両編成10編成20両の
計60両に止まる
1976年3扉の後継車6000系が登場すると6000系とも連結運用開始したが6000系と比べ
非冷房、ペデスタル軸バネ式コイルバネ台車
主電動機出力135kwと性能が見劣りするなど
遜色が目立ち、一時1500V昇圧した瀬戸線転属案も出されたがラッシュ時3扉で輸送力あるため残り1985年から冷房改造開始されたが
10500kcalのRPU3004A MGは40kvaのCLG367
と6000系中期車に準じた節約仕様
ロスナイ省略
最高速度100km/hしか出ず名鉄高速化に対応出来なかった事から冷房装置増強からも外され
1998年〜2000年にかけて全車60両廃車解体され
薄幸な車生を終えた。

50 :
大井川鐵道(←鉄道) スロ54

昭和56〜57年頃、大井川鉄道のSL列車は順調に利用客を伸ばしていたが、一方で旅行代理店等から冷房車の導入を求められていた。
折しも、上越新幹線開業の57年11月ダイヤ改正で事実上引退した名古屋客車区所属のスロ54形2両(2041,2047)を58年7月に譲り受けて整備し、翌59年3月から運用入りした。

大井川入線に際してはグリーン帯を復活させ、2041は車体色をぶどう色2号に塗り換えた。
料金は、既存のハザを『SL2等』、スロ54を『SL1等』に設定。

30年余り大井川鐵道で活躍してきたが、JRから譲り受けた12・14系客車により今後の動向が注目されている。

51 :
大井川鐵道スロ81 スロフ81
JR東日本水戸支社がリゾートエクスプレスゆうを登場した際に廃車になったお座敷客車の
スロ81系「ミト座」を大井川鐵道が3両購入したもの。
SL急行としてではなく団体臨時列車やビール列車などの臨時列車用として使われた。
冷房とディーゼル発電機があって重量が重いためこの車両連結時は両数 蒸気機関車形式に問わず
E10型の後補機が必要。
SL検査時はE10型牽引になることが多く、岳南鉄道からED402を購入も一時期検討されていた。
原則臨時列車と団体臨時列車用だが突発的にかわね路に連結される場合もあったため、お座敷車だけあって喜ばれた。
しかし老朽化によりJR西日本よりやまぐち号の12系及びJR北海道より14系を購入した他にこの代替として
JR西日本よりサロンなにわ4両の購入を決定したため、去就が注目されている。

52 :
JR西日本 クハ103 5000番台

片町線木津電化により13両が改造され、偶数向き専用で付属編成に用いられた。
後に電気連結器を撤去し2000番台に改番された。
2000番台は先にクハ100改造車があったがこの時点で全車廃車されていたため、二代目として2001から付番された。

207系投入による片町線からの撤退後は13両全てが森ノ宮に移り、同区既存編成の
偶数向き新製冷房車クハとの差し替えを行った。
ここで捻出した新製冷房車クハのうち7両を奇数向きに方転し、経年の高い初期0番台クハの置き換えに用いた。

53 :
JR西日本・JR東日本 201系電車
車両交換(相互譲受)

JR西日本のサハ201とJR東日本のクハ201・クハ200を交換した。京阪神緩行からの201系
転出で、JR西日本で短編成化によりクハが多く必要になった理由による。
E233系による201系淘汰がJR東日本で進むなか、主に10連の中間に封じ込められて運用されていたクハを
JR西日本で譲受した。
帳簿上それぞれの対価を設定し、JR貨物への双方への甲種車両輸送費をJR西日本が受け持つ形で考慮することで、
実態は物々交換となるよう調節、相殺された。

54 :
国鉄211系(モハ213 0番台)

横須賀線に投入し、全ての113系1000・1500(・2000)番台を置き換えた。
捻出された車両は東海道(東京口)用との玉突き転属を伴い、
房総ローカル、静岡ローカル、福知山線電化用、広島、岡山、下関、四国などに回り、
高経年の非冷房車淘汰に多大な貢献をした。

55 :
形式ではなく列車だが・・・。

1961年、特急『白鳥』のデビューと共に、急行『日本海』が特急に格上げされた。
(従来の急行『日本海』は『きたぐに』に改称)

『白鳥』と同様、西日本〜北海道の輸送と東京〜北陸と兼ねるが、座席需要も配慮され緩急車は座席車となった。
編成は以下の通り。

カニ21−ナロネ21−ナシ20−ナハネ20×3−ナハフ21・ナロネ21−ナシ20−ナハネ20×3−ナハフ20

なお上野〜直江津間は大阪〜青森間とは別の電源車を連結。

56 :
>>55
訂正
誤:西日本〜北海道の輸送と東京〜北陸と兼ねるが、
正:西日本〜北海道の輸送と東京〜北陸の輸送と兼ねるが、

57 :
鹿島鉄道・茨城交通キハ5500
南海の南紀直通「きのくに」号廃止に伴い、同社所有のキハ5500系8両は余剰となったが、
製造歴が比較的新しいことから、両運転台キハ5551のみ鹿島鉄道に2両、茨城交通に2両ずつ譲渡され、
両社の元国鉄気動車が置き換えられた

58 :
115系4000番台

身延線の62系を115系に新性能化した番台。
1986年に改造され引き続き身延線で使用された。
改造当初は身延色を纏っていたが民営化後は湘南色に変更された。

59 :
国鉄 オロ12形
余剰となった急行型電車のサロ165・サロ455から改造編入。電車を客車として改造編入するにあたり、運輸省から特認を受けた。
元々新製車として存在しなかった形式であり、種車に関係なく0番台として区分した。
急行「八甲田」に用いられた。

60 :
国鉄 115系2200番台

481系・483系廃車で発生した機器類を再用し、廃車が進められていた111系の車体に取り付けたもので、
改造名義ではなく新車名義ではあったが、屋根上の冷房装置AU12から機器流用車であることが一目瞭然であった。
車体新製した方が手っ取り早いのではないかと思われるほど徹底的な保全工事を行った※が、
これは施工を担当させた各工場社員の技術力向上を主眼に置いたものとされる。


※但し投入日程との関係から全ての車両ではなく、実際に一部は富士重工業や新潟鉄工所で台枠から含めて車体新製し、
各国鉄工場ではその艤装作業を行った(ノックダウン生産)と言われている

61 :
国鉄サハ103 750番台増備車

片町線の103系を6→7両編成にする段階でいきなり8両化するにはサハが足りず、101系からの改造が発生した。
改造は1986〜1987年頃に行われ、101系の淘汰、201系の製造が終わり205系の製造が始められていた
時期であったため、101系のうち車齢の新しいサハ101を中心に種車に選び、改造工程削減のため
AU711※による冷房改造を施工した。

※日立製作所が原設計を行った集約分散型の冷房装置で、屋根構体の補強を不要としている。
2台使用で従来のAU75と同等能力とされた。

62 :
>>61
国鉄サハ103-791〜794
同様に作られたものだが初のモハ101からの電装解除車。電動車機器を取り外してMGも撤去。
台車はDT21TからTR62又はTR212に履き替えた車もある。
AU75に冷房改造済車が種車に選ばれ、中野と津田沼の車が選ばれた。
特別保全工事車が多かった中でも791・794はなんと延命NA工事を施工された。
片町線から阪和と大阪環状線へと移動し、2013年に廃車された。

63 :
東武鉄道1900系:
東上線有料特急「フライング東上」の為に1800系をベースに1720系の簡易リクライニングシートを搭載。
特急という特性上、4M2Tの6両編成で落成(1800系は3M3T)。
1910-1920-1930-1940-1950-1960の組成で、FS356Dにキノコ形クーラー。
1911F〜1915Fが落成。


8連化:
東上線の8連化に伴い1970-1980をモハ1930とモハ1940の間に増結。
変更点は
・FS356台車→FS396台車への変更
・CPのC-2000→HB-2000への変更
MGの60kVA(1800系同等)→75kVA(8000系2連同等)

10連化:
更に東上線の10連化に伴い1990-1900をモハ1980とモハ1940の間に増結。
変更点は
・FS529台車への変更
・MGのブラシレス化(10000系2連同等)
・CPのHS-20への変更
・クーラーを1819F同等に変更・簡易リクライニングシートからフリーストップリクライニングシートへ変更


改番及び台車・MG・CP振り替え:
1800系同様に、現場からの要望で編成番号の改番と、台車及びMG及びCPの統一が行われた。
但し、屋根上のクーラーは構造上そのままになった。
・編成番号は1910〜1900まで通し番号に変更。
・1911F〜1913F:FS356/C-2000/60kVA MG
・1914F:FS396/HB-2000/75kVA MG
・1915F:FS529/HS-20/75kVA BLMG
に統一されたが、1911F〜1912Fは台車振替の段階でクハ1914/クハ1904/クハ1915/クハ1905のFS056の台車振替で8M2T→6M4Tになる。
その為、4両分のFS029を発注して、クハ1915とクハ1905のFS529を捻出して、1913FからFS356を更に1911F及び1912Fに振替。
1913Fのうち1923-1933と1983-1993がFS529台車に変更される。
台車振替の時に車内内装のリニューアルが行われ、6号車と7号車のフリーストップリクライニングシートを1911Fに転用して、同等品を他編成に新規製造。
また、車内内装のリニューアルと同時にMGの140kVASIVへの変更が行われ、1編成4基→2基に半減。
また、リニューアル時に車内通路を自動ドアに変更。

また、機器更新も行われ、200系同等の添加励磁に改造された。

64 :
東武鉄道 6000系 6131〜6146F
東上線の快速急行「さだみね」「みつみね」に投入された6000系。塗装と車内は本線仕様と変わらない。
晩年まで非冷房車で一部は6050系の6181〜6190Fに更新された。
なお6050系に更新時塗装は本線と異なり、8000系と同じ塗装になっている。
更新された車両以外は本線の6050系のパーツ取りドナーとして9000系に置き換えられて廃車。
池袋の乗り入れはなくなり、越生線と小川町〜寄居間のみとなった。
2017年には6183Fが南栗橋の乗務員教習用車両となるために廃車。6185F〜6188Fが本線に転籍している。
本線に転籍された車両は鬼怒川線のSL大樹のアシスト客車用とする予定で、これにより下今市から
SL牽引を栃木や東武動物公園始発等も可能となり、電車機能は殺さないため、浅草や北千住始発も可能になる。
これにより今までの浅草や北千住駅からは特急で下今市から乗り換え必須だったのが、浅草又は
北千住駅から乗り換えなしでSL大樹に乗れるようになる。
定期運用がない634系も大樹の客車化する予定で特別展望車両化する。

65 :
なるほどね

66 :
西武鉄道901系:
西武鉄道が西武有楽町線計画(8号線計画)で製造した車両。
西武池袋線系統初の4ドア車で、電機子チョッパ制御。
主電動機と台車は101系と同一。
但し、西武有楽町線の開通と西武池袋線との直通運転が遅れ、地下鉄直通に使われずに、6000系が登場した為、西武有楽町線〜営団有楽町線・営団副都心線での運転に至らなかった。

運用は西武池袋線準急限定運用とした。
理由は快速や急行などの優等運用をすると、電機子チョッパの消費電力が高くなり、各駅停車では池袋〜練馬の中間駅の有効長が8両までという制約もあった。

101系の廃車発生品を流用した9000系同様に、車体更新が行われ、9050系となる。

西武9050系:
前述の901系を2000系同等に改造した車両。
相違点として、
・日立製作所製(所沢工場閉鎖後の為)
・車体はアルミ製で内装は6000系最終増備車に準ずる。
・最初からVVVF制御で、東武30000系や京王1000系同等の日立IGBT-VVVF。
・台車はNRA同様に積層ゴムに改造(6000系同等の主電動機載せ換えで)。
それらの改造で準急限定運用から、10連運用全般に利用される。

67 :
国鉄487系電車:
185系の交直流版として製造。
東北方面急行の451/453/455/457系急行及び、北陸方面急行の471/473/475/457系の特急格上げ名目。
制御機器は485系1000番台をベースに無接点化したものを採用。

分割民営化後はJR東日本とJR西日本に承継される。

JR東日本承継編成:
リニューアル工事で185系同様にリクライニングシートに改造される。更に、IGR/青い森/しなの/トキ鉄に譲渡される。

JR西日本承継編成:
転換クロスのまま延命N40体質改善工事が行われ、サハ487・サロ487は保留車として疎開留置される。
主に北陸本線の普通列車で運用される。更にトキ鉄/あいの風/IRいしかわに譲渡される。
なお、保留車となったサロとサハは485系の廃車発生品で電装化され、ジョイフルトレインに転用。
サハを電装化したジョイフルトレインは、瀬戸大橋線のイベント車両に使われる。
サロを電装化したジョイフルトレインは主に団臨や多客臨に使われる。

68 :
117系1000番台

国鉄が東武への日光対抗策として登場。
基本番台との違いは、耐寒耐雪構造と横軽対策(185系200番台に準じた設計)
さらに中央線乗り入れを考慮して集電装置にPS24が施されている。
塗色は185系200番台と同じ塗り分けである。(クリーム10号に緑14号の帯)
編成は6両1編成で、通常は12両で運用された

1985年田町電車区に配置され快速「日光」として新宿・上野〜日光としてデビュー
快速「日光」以外にも臨時で伊豆方面や山梨、上越方面でも使用された。

2006年に東武との相互乗り入れにより快速「日光」は廃止され、それに伴い配置を高崎車両センターに転配。
現在は短編成になり一部ロングシート化され高崎ローカルで使用されており、今後の行く末が注目されている。

69 :
国鉄459系電車:
457系をベースに167系同等の車内設備を持つ修学旅行用急行型電車。

国鉄469系電車:
169系同様に横軽でのEF63協調運転に対応した急行型電車で、457系及び489系をベースにしている。

国鉄キハ381系気動車:
ガスタービンのキハ391系の失敗を生かし、ディーゼル機関に変更された振り子式気動車。
エンジンは前期車がDMF15HSA、後期車がDMF13Sを搭載。
性能はDML30系より低下するが、車体の軽量化の為の措置である。
前期車は「くろしお」に投入され、キハ37系のエンジンで性能向上させた後期車は「やくも」に投入されたが、いずれも電化されて、北海道や東北や四国や九州に転属になるが、
北海道転属編成や東北転属編成は雪害で振り子まで作動せず、四国や九州に転属になる。

四国では大活躍して、分割民営化後にTSE2000系にフィードバックされる。
九州ではそこそこ活躍したものの、電化に伴い、振り子機能を停止して、ローカル線急行などに転用されるが、
分割民営化後に「おらんだ」(大村線周遊特急)「ゆふ」「あそ」「九州横断特急」「はやとの風」「いざぶろう・しんぺい」などで振り子機能を復活させて特急運用に返り咲く。
北海道では雪害対策が確立しない為、分割民営化後に北海道で保留車になっていた編成を苗穂工場で雪害対策改造をして、キハ281系にフィードバックされる。
四国では2000系気動車の投入により置き換えられ、元「やくも」編成を九州に譲渡した。
九州では四国から譲受した編成は、元「くろしお」編成を元「やくも」編成に置き換え。
四国・九州共に元「くろしお」編成は全車廃車された。

70 :
定山渓鉄道キハ7000形4両が譲渡されたら
定山渓鉄道キハ700形 7500形→関東鉄道キハ720形→鹿島鉄道キハ720形
1969年定山渓鉄道廃線後、まだ12年と若いキハ7000形を
関東鉄道が譲受、改造内容は右側運転台を左側運転台に移す、
定山渓鉄道キハ7000形 7001 7002 7003 キハ7500形7501
→関東鉄道でキハ720形に改番
721 722 723(元キハ7000形) 724(キハ7501)
翌1970年から運用開始、これによりキハ42503、42504が常総線に転属
(史実キハ600形は無く代わりにキハ610形が7両に増える)
1979年関東鉄道鉾田線が鹿島鉄道で分離すると
そのまま鹿島鉄道キハ720形721-724となり引き続き活躍を続けた。
1985-1986年に車体修繕行う
やがて1989年 1992年にKR500形が4両新造された際、本形式は在来車で一番車齢若く
かつ台車もキハ710形711-715のTR29系じゃなくDT22系だったため
窓扉配置異なるキハ720(元キハ7501)含め4両全て、元加越能鉄道キハ431、432
と共にワンマン化改造が行われた。更に1994年には4両全て冷房化改造が行われ。
引き続き活躍続けるも2007年4月1日鹿島鉄道廃止と共に全車廃車された。

71 :
14系「みやび」リニューアル車

機関士の機転により余部鉄橋前ギリギリで停車して転落を免れ、その後も団体列車等に活躍したが、
車内外の老朽・陳腐化が目立ってきたため、1995年に鷹取工場で大規模なリニューアル工事が施工された。
主要な工事内容は、
・両端スロフ14の連結位置を入れ替えて便洗面所を撤去し、展望室を設置
・雨樋一体化
・多客臨での使用を考慮し、座席配置を通路を挟んだ2+1列配置に変更
・車端部壁面に大型テレビを設置し、テーブルごとの小型テレビは撤去
・各車格子等の木製内装の更新
・外板塗装の茶色帯に金の縁取を追加

出場後は以前よりも勢力的に運用されるようになり、1997年からは「ホリデーパル」から抜かれた
オハ14 701を食堂車に復元し和風内装に改造したオシ14 801を組み込んで8両編成となった。
しかし、大口団体輸送の減少や車両自体の老朽化が進み、2005年にはオシが廃車、
翌年オロ1両が抜かれて6両に減車されてしまった。
その後は大きな動きもなく宮原に健在だが、ここ数年はまったく営業運転に就いておらず、動向が注目されている。

72 :
定山渓鉄道キハ7000形4両が譲渡されたら
定山渓鉄道キハ700形 7500形→関東鉄道キハ720形→鹿島鉄道キハ720形
1969年定山渓鉄道廃線後、まだ12年と若いキハ7000形を
関東鉄道が譲受、改造内容は右側運転台を左側運転台に移す、
定山渓鉄道キハ7000形 7001 7002 7003 キハ7500形7501
→関東鉄道でキハ720形に改番
721 722 723(元キハ7000形) 724(キハ7501)
翌1970年から運用開始、これによりキハ42503、42504が常総線に転属
(史実キハ600形は無く代わりにキハ610形が7両に増える)
1979年関東鉄道鉾田線が鹿島鉄道で分離すると
そのまま鹿島鉄道キハ720形721-724となり引き続き活躍を続けた。
1985-1986年に車体修繕行う
やがて1989年 1992年にKR500形が4両新造された際、本形式は在来車で一番車齢若く
かつ台車もキハ710形711-715のTR29系じゃなくDT22系だったため
窓扉配置異なるキハ720(元キハ7501)含め4両全て、元加越能鉄道キハ431、432
と共にワンマン化改造が行われた。更に1994年には4両全て冷房化改造が行われ。
引き続き活躍続けるも2007年4月1日鹿島鉄道廃止と共に全車廃車された。

73 :
越後交通栃尾線 モハ212 213 214 215 216 217 クハ102 103 104
→近鉄モ250系251形251〜254 255形255 256 ク171形171〜173
栃尾電鉄→越後交通栃尾線が昭和48年 昭和50年の2段階に渡り全廃になったが
垂直カルダンモ4401系を上手く使いこなした近鉄が北勢線 内部八王子線の近代化を計画した際
自社の新車の前のリリーフ役として車齢若い全金属製近代13m車体750Vの上記車両を譲受た形式
250系に纏められモハ212〜215垂直カルダン車がモ251〜254
吊り掛け車216 217が255形255 256 クハ102 103 104がク171〜173
になり北勢線に255-171 256-173 の2両固定編成
内部八王子線に在来の旧松坂鉄道車や他雑多形式置き換えで垂直カルダン駆動の
モ251形251〜254とサ代用でク171が配属、在来のサ150形やサ131形を総括制御改造して
近鉄ナロー線区では元三重交通4401系〜モ200形初の総括制御車として一躍看板車両になったが
1977年昭和52年新車北勢線271系導入により改造改番転属により数奇な運命辿る事になる

74 :
国鉄195系:
東京〜日光で国鉄と東武で競争していたが、
国鉄がDT24/DT32系ウイングバネで、
東武がFS334系アルストムやFS356/357系ミンデン
やFS370系Sミンデンを採用しているが、
国鉄と東武で台車性能試験で2M2T。
モハユニットにはMT58(モハ195)

194)を試用。
・クハ195-1編成:DT24(157系同様)
・クハ195-2編成:DT32(165系同様)
・クハ195-3編成:FS334(1720系)
・クハ195-4編成:FS356(東武標準)
・クハ195-5編成:FS357(6000系)
・クハ195-6編成:FS370(1720系後期及び台車交
換)
ちなみに、国鉄のCS型から東武のMMC/VMC型カム
軸制御器に試験的に交換。
で日光線及び東北本線で試験して、日光号の速度や
乗り心地を比較。
比較している矢先に日光号の多客期臨時格下げが決
定して一般公募乗車試験の打ち切りが決まり、訓練
車や新幹線IS台車へのフィードバック試験など、晩
年は試験車として余生を送り、廃車。

75 :
旧栃尾線から譲渡車はHL手動加速関節制御 AMM自動ブレーキで
従来のKR-8直接制御 SME直通ブレーキに比べ格段に近代化され
更に入線したが入籍しなかった車両 モハ205 207 209 211が部品取りとして
更に電機ED51も近鉄在来デ45 46に比べやや非力な事から部品取りに
在来車の中ではサ141〜サ143がモ251形251〜254と連結する為
ATA自動ブレーキに変更 旧クハ104→近鉄ク104含み
モ251-サ141-142-モ252 モ253-ク104-サ143-モ254と
サ130形134〜137からサ134 136がクハ化ク134 136
となりACA自動ブレーキに変更 サ135 137はATA自動ブレーキに変更
其々貫通化され、吊り掛け駆動のモ255-ク102 モ256-ク103の増結編成と
なった。

76 :
国鉄117系3000番台・3100番台

153系・165系からの改造。クモハ117・モハ116・クハ116の3型式からなる。
117系の区分番台だが新製車との混結は出来ない。
あくまで同様の車体構造と接客設備を備えた機器流用車に同じ系列名を付与したものであるが、
車端部は当初からロングシートとした。台車の歯車装置は111系からの廃車発生品で、
種車が153系となる3000番台では改造時に主電動機がMT46AからMT54へ振り替えられている。
モハ116にPS24パンタグラフを備え、身延線入線を考慮して取り付け部を低屋根構造としている。
静岡地区に投入され、119系に代わり「するがシャトル」として運用された。

77 :
国鉄201系300番台
203系100番台に準じた仕様変更を行った
京阪神緩行に投入され103系を捻出した

78 :
>>12
561系登場当初は寝台車と食堂車のみだったが、直後にサロ561形が登場。
565系の登場直前の1966年には普通座席車も登場。

79 :
>>67は561・563・565系座席車で1両当たりの長さは21.3m、出入口はステップ付きで開口幅は700mm。

80 :
>>69
459系→457系800番台
469系→459系

81 :
711系500番台

711系の本州版。塗色は国鉄時代は北海道と同じ赤一色にクリームの警戒色であり
窓がユニットサッシで外観は900番台に似ている。
車体は455系ベースで断熱材等は省略されているが、前面は711系をベースにタイフォンは下に位置しているが頭上のライトは省略された。
編成は北海道と違い2M方式でありクハ・モハ・クモハの3両を基本としている。
制御方式は北海道と同じサイリスタ位相制御である。
一番の違いは、当系列は抑速発電ブレーキを装備しており、それに伴い床下に抵抗器を設置している。
台車も北海道版とは違いDT32・TR69が採用された。

旧客の置き換えを50系ではなく当形式で置き換えようと1980年に青森運転所に配置され
東北本線の普通列車で使用され、また快速くりこまにも使用され仙台にも顔を出した。

東北新幹線新青森開業まで701系に混じり走っていたが、1編成を残して廃車され1編成は青い森鉄道に譲渡された。
青い森鉄道では限定的に使用されていたが、703系投入と同時に定期運用を離脱。
現在は車籍はあるものの使用されておらず動向が注目されている。

82 :
国鉄203系900/910番台:
国鉄では営団で試作された4象減チョッパを203系で試用。
900番台(A編成)にはMT60型主電動機を分巻に改造したもの。
910番台(B編成)にはMT61型主電動機の分巻仕様(713系と同等)
制御装置や主電動機を除くと、100番台と変わらない。
しかし低圧素子の為(01系同等)、1C2Mで1500V→600V降圧DC-DCコンバータが必要になった。
600V降圧DC-DCコンバータはクハとサハに搭載。

分割民営化後:
900番台も910番台も高圧素子に機器更新して(03/05系同等)にして性能向上。DC-DCコンバーターは撤去。

試運転は東西線と千代田線で国鉄時代及びJR東日本時代に行われた。
特に珍車揃いの松戸に配置(東西線では中野に貸出)。

晩年はE233系2000番台に置き換えられる。

83 :
>>74
195系補足:
M-M'でM車にMT58・M'車にMT61で試験したが、
DT24/32編成はCS型制御器にMT58
FS334編成はMMC型制御器にMT58
FS356編成はVMC型制御器にMT61
FS357/FS370編成はMMC型制御器にMT61
と、制御器と主電動機を入れ替え。
その後小山電車区試験線で新幹線台車開発試験車に至る。
バーニヤ制御器は珍車揃いの松戸でしか受け入れられない為、バーニヤ制御器だけが松戸電車区の試験車に転用される。

84 :
>>83より補足
国鉄149系電車:
195系電車でバーニヤ制御器は珍車揃いの松戸電車区でしか受け入れられない為、また、FS356は新幹線台車試験に供出。
そこで、201系のDT46にMT61を組み合わせた車両。
車体は195系からの流用だが、車内の客席をの大半撤去して、訓練車兼藤代セクション救援車で、藤代セクション救援車として用いる場合のDD51/DE10との協調運転に対応。
松戸電車区に常備され、民営化後に廃車。

85 :
EF72

国鉄が交流機のF級の標準版として登場し、青森機関区に配置。
機器はほとんどED75と共通であり見た目もED75のロング版みたいな感じであるが
歯車比は3.83で高速使用になっている。

客貨両用として登場したが、運用は専ら寝台特急ゆうづるメインで運用されていた。
国鉄末期、やはりED75の使い勝手の良さから運用を持て余し気味になり
一部が青函トンネル用に改造された500番台が出現。
民営化後はJR北海道とJR東日本の両会社に継承された。

JR東日本は96年3月、東北地区の電車化によって運用を離脱し
そのまま全機廃車となった。(1号機は利府に保存された)
JR北海道の500番台も2002年、快速海峡廃止を機に全機廃車となった。

86 :
>>85
EF73
>>85の九州専用機。この車両は重連総括も可能な他EF65-500と同等の装備を行っている。
旅客用のブルトレだけでなく貨物用として10000系貨車の連結にも対応した。出力2900Kwは交流機では最強である。
主に特急牽引機としてブルートレイン牽引の任にあたり、ED72 73から引き継いだ。
しかしF型機の九州島内の路線に限りがあり、使われたのは「あさかぜ」の門司〜博多 「はやぶさ」「みずほ」が門司〜熊本
(はやぶさの熊本〜西鹿児島はED76)「富士」の門司〜大分「なは」の門司〜熊本などで、
熊本 大分以南 長崎線には充当されなかった。

87 :
北海道拓殖鉄道キハ301が譲渡されたら
北海道拓殖鉄道が1968年廃線後泰和車両に引き取られ
同じく廃止になった
定山渓鉄道キハ7001 7002 7003 7501を関東鉄道鉾田線に
譲渡改造を泰和車両が受け持った後、キハ301を本州の
私鉄に売り込みに行った時、加悦鉄道に譲渡が
成功、1970年2月から加悦鉄道でキハ301の名前もそのままに運用開始した
キハ101が運用から外れ、キハ40900形が予備に退いた
その直後1972年2月キハ08形3が入線した際
客車のサハ3104を中間に挟んで
キハ301=サハ3104=キハ083の3両総括制御で朝ラッシュ時使用しようと
したが断念、キハ301=キハ083の2両連結を朝ラッシュ時運用
しかし元は木造客車台枠利用台車中古TR29の狭幅車で車齢は1968年
泰和車両製と若かったが1980年国鉄からキハ1018が譲渡されると
2両連結運用をキハ10形18に譲って予備車に1985年5月1日
加悦鉄道廃線と共に廃車以後加悦S L広場で保存だが北近畿タンゴ鉄道ね
手によりキハ083 キハ1018共にキハ301動態復活保存の
計画があったとか。

88 :
20系の次(つまり14系)に求められた仕様が不可解
パズルのような581・583系の寝台・座席転換に比べて14系はボタンで簡素化されたものの、車掌補→作業員は必要なまま
寝台特急車両なのに寝台の真下に発電装置を設置


幅52cmのままで固定2段
食堂車は作らず、1/3ずつグリーン席・ビュフェ・発電室(自車を入れて当初7両・のち8両給電)、それ以外には身障者設備を設置
→なので、7両のうち1両は必ずこの車両が連結される
オハネ14 10区画40床
オハネフ14 9区画36床
オロネフ14 12区画24床
マロシ(フ)14 2+2席4列とビュフェ
(スハフ12 北陸トンネル火災事故による一時的処置)
しかし、北陸トンネル火災事故があっても、比較的集中配置そして水タンクを床上配置(置く場所がなかったため)していたこともあり、
さらに消火能力を高めて増備された

1972年寝台特急登場時の編成
オロネフ−オハネ×5−マロシ+マロシ−オハネ×5−オハネフ
マロシ2両連結の非効率さが問題となったものの、解決方法はなく、そのままの運用が続いた

89 :
1975年の新幹線博多開業に伴う在来線効率化のため、車掌補を全面廃止する必要に迫られた
しかし、これから置き換える寝台特急から14系への置き換えは寝台定員の大幅減少が伴い、かつと食堂車が必要なこともあり、集中電源方式に戻した

24系
集中電源方式
とにかく寝台数減少割合を減らすため、新聞輸送もしない
食堂車は経年が浅いナシ20を改造して流用。そのため、電源車に食堂車従業員用寝台を設置
A寝台は編成端への設置が困難になるため、固定ルーメット(下段座席、上段固定寝台)
カヤ24 発電装置と食堂車従業員用寝台3段3組設置
オハネ24 10区画40床
オハネフ24 9区画36床
オロネ24 18個室18床
オシ24 ナシ20の昭和43年以後製造分から改造
オロネシ24 8個室8床とビュフェ

90 :
食堂車スレでもよかったのだが、架空車ばかりなのでこちらへ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ
https://mao.2ch.sc/test/read.cgi/jnr/1505541400/852の続き

(サハシ188 189系。計画されたものの、乗車人数と所要時間から作られず)
サハシ481 481・483・485系
サロシ581 581・583系
キハシ180 キハ181系
スハシ14 14系・20系用。14系のみ自車を入れて5両給電可能。20系600Vは通し回路のみ。※ばったんこシートではない
スハシ12 10系・12系用。自車を入れて5両給電可能。急行用なので身障者設備なし

37 車販基地&売店
サハシ180 181系・183系用 元サハシ153。1972年改造。181・183系対応化工事(台車・座席交換など※身障者設備なし)
サシ481 700番台 元サシ581
サロ481 700番台 元サロ581
オシ24 200番台 元ナシ20。24系対応(440V化、窓ガラス構造変更など)
 24〜29→206〜211(1970年度製) 1973年改造
 19〜23→201〜205(1968.8.4製) 1975年改造
 結局、オシ24は新製されず
オハネフ12 3000番台 12系併結対応車。冷房用発電機撤去、自動ドア化、車端貫通路に引き戸設置
モハネ583 200番台 三相切替スイッチを設置
モハ183 1200番台 車販基地のみ設置

91 :
国鉄サハ103形700番台

103系の新製費抑制のため、サハ101だけでなくサハ100からも103系への編入改造が実施されることになり登場した。
種車はサハ100としての最終増備車である100番以降の車両から選ばれ、改造時に冷房と電動方向幕をを設置した車両の他に、
101系当時に冷房改造した車両を編入した車両もあり、後者の車両は電動方向幕の設置がない。
1979年から1980年にかけて5両が改造され、中央快速線や中央総武緩行線で活躍した後、最後は南武線で活躍した。
1993年までに全車廃車となった。

92 :
103系1800番台

1984年越後線・弥彦線電化に伴い電車化するにあたって
当時財政難だった国鉄は何を思ったか、首都圏の103系を新潟地区に転配することにした。

改造内容は雪国の新潟地区用に、仙石線並の耐寒耐雪構造に加え
グローブベンチレータを押込式に交換し、制御車には排雪器を装備した。

運用は越後線や弥彦線の他に、早朝や夜間には新潟〜長岡や新潟〜村上等にも充当された。
民営化後は115系に準じた一次新潟色になり、いろんな意味で注目を浴びた。
1995年E127系投入により運用を離脱、そのまま廃車となった。

93 :
>>92
209系6000番台
2009年に103系に代わって配備された209系。京浜東北線の車を種車にしたものとりんかい線の
余剰車を改造したものとがある。
クモハ209-モハ208-クハ209の3両編成とクモハ209-クモハ208の2両編成があり、2連は弥彦線ワンマン用。
半自動ドア装置とドアレールにヒーターを入れるなどが改造の主なものでトイレも追加された。
原則新潟県内だけで弥彦 越後線を中心に使われた。
2016年にE129系に置き換えられて3両編成が一部富士急に 2連が南武支線用になった編成以外は廃車された。
なおラストランでは70系時代の新潟色ラッピングをまとい信越線や羽越線など他線でもイベント運転し、
ファイナルランだった上越線では上越国境越えて水上にも入線を果たした。

94 :
国鉄405系/115系700番台/165系1000番台:
奥羽本線の福島〜米沢間が直流電化されていた当時、交流電化の東北本線からの乗り入れや、奥羽本線内区間運用で投入。
福島〜米沢間の交流電化で特急型を除いて新潟地区に転属して、
特に405系は村上〜酒田運用に充当されたり、425系に改造されて糸魚川〜直江津運用に転用された。

95 :
国鉄105系(史実の105系→107系、107系→109系)

京阪神緩行線の旧型を置き換えるにあたって、国鉄本社は103系を投入しようとしたが
大鉄局が不向きと判断し断固拒否、このような経緯で当路線に向いた新形式が造られた。

当105系は車体は103系と変わらない外観をしているが、主電動機がMT54を採用しており
歯車比は5.6で、中身は完全に101系の後継であると言える。

全車スカイブルーで明石電車区に投入された。
201系投入頃から転配が始まり、国鉄時代には名古屋の神領や、武蔵野線増発用に豊田に転属した車両もあった。
民営化後は、JR西日本、JR東海、JR東日本に継承された。

JR東海車、JR東日本車は持ち場がほぼ変わらずにいたが
唯一JR西日本は207系投入後、京阪神地区を離脱し広島へ転配
山陽路を第二の職場とし2015年まで活躍した。

96 :
サロ110-601

80年代12系客車が余剰になり、鈍行化やジョイフルトレインに変化したが
その余波は東海道線のグリーン車にも訪れた。

オハ12をサロ110-601に改造編入した。
座席をリクライニングシートに変え、塗色も湘南色になった。

結局1両しか改造されなかったため、化けサロの中でも珍車中の珍車となった。

97 :
105系1000番台
111・113・115系の改造により、越後・弥彦線電化のために投入された。

98 :
サロ88形
80系湘南形電車にはサロ85形も製造されたが、準急にも使用されるようになったことから、
オロ41形のような転換クロスシート車も必要となったために製造された形式である。
車体はオロ41形のように座席ごとに窓が1つという外観で、オロ41形を電車にしたような外観であるが、
新たに専務車掌室と車内販売用控室も設置されたというのもサロ85形との相違点である。
1951年に0番台が10両製造され、翌年に修善寺乗り入れ編成用として3両が増備された。
台車は1951年製がTR45で、1952年製はTR48である。
さらに1957年の東名・名阪準急用として全金属製の300番台が製造された。
車内は転換クロスシートのままであるが、外観は裾絞りの有無以外はナロ10形に準じたものとなった。
153系の登場後は湘南・東名・名阪準急の運用からは次々に離れ、上野−横川の準急「軽井沢」、
上野−長岡の準急「ゆきぐに」などに転用されていったが、それも165系の登場で準急としての運用はなくなり、
その後は私鉄との競合が激しい関西地区の快速電車の1等車に転用されたものの、
それも113系に置き換えられたため、1965年〜1968年にかけてクハ85形500番台・550番台に改造されて形式消滅した。
クハ85となったあとも転換クロスシートを向かい合わせにした状態で活躍していたが、
1970年代後半に115系などへの置き換えが進み、1978年にすべて廃車となった。

99 :
す、すげえ(汗

100 :
国鉄・宇美参宮鉄道→JR九州405系電車
※平行世界モノ
史実では福岡市地下鉄1号線(現空港線)を代替路線として廃止された筑肥線博多〜姪浜間および1985年に西鉄バスを代替路線として廃止された勝田線だが、
福岡市では小笹地区の道路事情を鑑みて筑肥線を連続立体交差事業を施行して、福岡県と志免町では志免町内の道路事情を鑑みて第三セクター宇美参宮鉄道として残すことを決断。
1983年、福岡市地下鉄1号線開業と同時に博多〜姪浜間を数年間運休して西鉄バス代行しながら連続立体交差事業を施行し、
1985年には勝田線を宇美参宮鉄道へ移管後当面バス代行として連続立体交差事業を施行。
1986年に国鉄運行のまま博多〜姪浜間が、1989年には博多〜筑前勝田間が複線開業。
姪浜以西が直流電化となる他高宮以西で高低差が激しいこと・勝田線区間は複線高架化となった場合航空法の規制から福岡市内区間で立体化困難だったため
博多〜御手洗間を並行する筑紫口通り・国道3号・妙見通り・国道201号地下への地下線にて複線化された。
以上のことからセクションは博多構内に設けられ、建設費の抑制から最大編成を6両としたため
交直両用電車による車両新造となったことから新造されたのが405系電車である。
労組対策で415系の番台違いとすることも検討されたが、福岡市の補助もあったため別形式とされた。

国鉄205系がベース車で、これに交流機器を後付で積載している。
なお宇美参宮鉄道は当初から整備を国鉄小倉工場で行うことが決まっていたため、博多〜美野島(筑前簑島を再開時に改名)間に連絡線を設け、
美野島から国鉄線経由で小倉工場へ回送される。
6連15本が製造されており、うち6本が宇美参宮鉄道の1000番台である。

1992年にJR九州は宇美参宮鉄道を吸収合併し、勝田線と筑肥線を相互直通運転させている。

地下鉄線ホームドア設置と103系の老朽化もあって2003年に303系6本が追加増備され、405系4本が2連×2に改造されて筑肥線前原以西に転用された。
(この時点で地下鉄直通から103系は原則撤退、103系は3連2本に定期運用があるものの他は予備車として残るのみ、また405系クハ8両は保留となった)
2013年には保留中のクハ8両を電装化して205系1500番台として前原以西に転用している。
2015年の305系導入で103系は完全撤退。予備車も確保できることから305系同等の足回りに更新する工事が行われている。


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