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ジム・クラーク
- 1 :2010/05/16 〜 最終レス :2017/05/29
- ジム・クラーク (レーサー) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF_(%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC)
- 2 :
- 事務クラーク
- 3 :
- ジミー・やってるやってるぅ
- 4 :
- 日本のF1文化なんてこんなもん
- 5 :
- 昨日FSWでロータス49走ったよ、1周だけだけど
- 6 :
- 実は一番好きなマシンは49だ。
チャップマン、ナショナルカラー、あの太いリアタイア…
そして、労働者然としたジムの顔。
音速の貴公子じゃない、あのころのモナコののどかさよ。
- 7 :
- 最近スポーツカーやUSAのオーバルを走るF-1パイロットは少なくなったから貴重ですな。
それにしても古い。スレが一体何所まで伸びることやら...
- 8 :
- 実際リアルで見た事のある日本人って10人もいる?
- 9 :
- >>8
日本インディとかで来日してるから
- 10 :
- 本当の天才。エンジニアを凌駕する速さはこの人だけ。
- 11 :
- >>9
それは知らなかった。当時、欧州開催のF1観戦した日本人って商社勤務で欧州滞在してた人とか?
例えば森脇さんとか見た事あるのかなぁ。
確か外貨持ち出し制限があったり、カーグラで2カ月遅れで結果知るような時代だものね。
- 12 :
- 以前オールドレーススレに貼った映像だが
富士スピードウェイを試走するクラーク1〜3
http://www.youtube.com/watch?v=F5bxYaNW0Eo
- 13 :
- 中村良夫さんは星空をみながらクラークと語り合ったことあるよ
中村さんは音速の貴公子はクラークとよく似てるって言ってたっけなぁ
「天然自然に速いのである」中村さんが両者を語るとき必ず出てくるお言葉
- 14 :
- >>12
ドン・ニコルズが胡散臭すぎるw
クラークの交友関係にこの人を入れて欲しくない・・・
- 15 :
- グラハム・ヒルやブルース・マクラーレンが同世代のライバルだったんだよな
堅実ヒルと爆速クラークは結果残せたけど、マクラーレンはクーパーの低迷にもろに足を引っ張られた
- 16 :
- ドン.ニコルズはD.クラークとか言う偽名で日本GPにローラで出場して無かった?。
- 17 :
- >>12
貴重な映像が残ってるんだなあ。ありがとう。
よく「朴訥な人柄」って雑誌で読んでたけど、本当にそうなんだね。
掛け軸下がった座敷、おちょこで日本酒飲むクラークに萌えたw
- 18 :
- >>15
マクラーレンといえば、あの美しいオレンジのCANAMカーが強烈
ところでクラークは、CANAMには出られなかったのかな?
- 19 :
- オラF1さ乗るだ オラF1さ乗るだ コリンと契約しただ
チャンピオンになったら 銭コぁ貯めて モナコで羊飼うだ
- 20 :
- >>16
「R.クラーク」
>>18
Can-Amには出場してないね。
アメリカでは、インディ500での活躍の他、63年ミルウォーキー200で全周回ラップリーダーでの優勝がある。
- 21 :
- ここの人なら知ってそうだから質問なんですけど。
ホンダ+サーティースがイタリアで初優勝の時の記述で、「最終コーナーを立ち上がって4速全開。」
この時代はトップ4速が普通だったんですか?いつぐらいから5速、6速になったんですか?
- 22 :
- >>21
RA300は5速。
ホンダのホームページには、「シフトアップによるタイムロスを避けるために3速のままだった」とある。
http://www.honda.co.jp/F1-roots/collection-hall/ra300/index.html
流れと無関係な質問は、質問スレで行いましょう。
- 23 :
- >>22
ありがとうございます。失礼しました!
- 24 :
- >>20 書斎派マニアさん
ありがとう。Can-Amって書くんだね。
ところで、ジム・クラークは、2位以下を1周遅れにしたことあったけ?
何回か、そんなイメージが残っている。カーグラ上だが。
- 25 :
- >>24
63年オランダGP(80周)で1回ある。2位はダン・ガーニー(ブラバム)。
また、ちょうど上で出てきたホンダ優勝の67年イタリアGPでは、トップ走行中の13周目にパンクでピットインし、一時は周回遅れになったものの、猛烈な追い上げで61周目に再びトップに立つという離れ業を演じている。
最終的には燃料ポンプの不調で3位に終わるが、ファイナルラップに入った時点では、クラークがトップだったのだ。
- 26 :
- まぁ彼がホッケンハイムで事故死した時は
J.サーテイーズが「原因はマシンの欠陥であんな所で彼がミスする筈が無い」と
怒ったらすいんだが....
- 27 :
- >>25
当時のモンツァはオーバルこそ撤去されたけど、まだシケインが作られてない時代ですよね。
スリップでガンガン抜けるサーキットではあるけれど、テクニカルなサーキットに比べてタイム差が出にくいと思うんです。
今のモンツァだったらラップ遅れからトップに立つなんてMP4/4とかFW14ぐらいのアドバンテージないと無理ですけど、
当時、そしてクラークはどうしてそんな事が可能だったんですか?
- 28 :
- 彼のマシンに搭載されていたDFVは他のユーザーよりも出力に
アドバンテージの有ったスペシャルなんだよ。
- 29 :
- >>28
エンジンだけで1周1秒以上のアドバンテージあったと思う?
- 30 :
- 有ったんじゃね?。
レースはぶっちぎってフイニッシュする必要が無いし
当時のマシンは未だグランドイフエクットの類も未だ無かったし
誰だって「エキストラ」は隠して置くだろ。
- 31 :
- >>30
やっぱロータスとフォードは特別な関係だったって事か。
でもそこまでのパワーアドバンテージがあったら逆にクラークの業績もかすまないの?
間違ってたら教えて欲しいんだけど。
いやもちろん、ファンジオの時代から最速マシン得たドライバーがチャンプになってるのは分かるけどさ。
- 32 :
- ドライバーの力量はマシンをコントロールするだけで測るのでは無く、
資金、道具、優秀なスタッフを集められるか
又は、そんな環境に自身を置くことが出来るかによる。
パワーアドバンテージの有るDFV搭載したマシンに乗ることが出来た時点で
評価は上がるんだよ。
- 33 :
- クラークとシューマッハどっちが速い?
- 34 :
- クラーク
- 35 :
- 規制明け。やれやれ…
>>27
レース中の最速ラップはクラークの1'28"5。
クラークはピットアウト後数周で同一周回に戻しているので、その後は1周につきおよそ2秒という凄まじいペースで差を縮めていったことになる。
ロータス49・フォード-コスワースDFVは、この年の第3戦オランダGPでデビューし、その後出場した9戦全てでPPを奪った最速マシン。
クラークは駆け引きなしでとにかくベストを尽くせば良い状況だったので、マシンとドライバーの実力からすればこの離れ業も不可能ではなかったのだろうが、40周以上にもわたってハイペースを重ねたクラークの集中力はやはり驚異的と言わざるを得ない。
- 36 :
- あら 糞コテさん見かけないと思ったらこんな所に居たのか
つか67年のFー1てDFVはまだ出たてでロータスだけの時だろ
何がエキストラでぇ、適当な事書きなさんな
この頃のGPに興味の有る方にお奨めの資料として
一期ホンダF-1監督の中村良夫さんの書かれたグランプリ関連の本や
二玄社のDFV奇跡のレーシングエンジンとか資料は一杯あるしね
wikiでも色々出てる
だから偉そうに薀蓄垂れる糞コテはROMってろ。
- 37 :
- 中村氏は本気のケケはクラーク以上かもしれないと評してたな
- 38 :
- 本気のクラークは本気のケケどころじゃないから
ざんねんでした
- 39 :
- 本気のクラークを知ってる爺ちゃん、あの世で中村氏にそう言ってください
- 40 :
- ジムクラークの印象
ロータス・コスワースの針の先で、シューマッハのような常勝はできないが、
勝つときは唖然とするほど鮮やかだった。
また彼にはセナに対するプロストのようなライバルがいない。
そして彼はそれほど勝利にこだわっていないように見えた。
走ることにこだわり続けた異才であろう。
- 41 :
- ジムクラーク ナチュラルドライバー
ギアボックスが壊れても何も無いように見える走りをしてしまう
テレメータのない時代 テストの時に役に立たない エンジニア泣かせ
死ぬまで、ラリーでも・ww ロータス チャップマンのマシン意外乗ってないから
評価に謎が残るのは、納得
元祖フライングスコッマン 天つ翔けるスコットランド人
勝つときは、スタートから独走だった
>21 私の記憶では、
クラークが残した物と思われる
最終ラップ 最終コーナーを横切る虹色のオイルの帯を見た
サーティースが、シフトアップによるスリップのロスを避けて
シフトアップを選択したブラバムを抜き去った
ブラバムを抑えてフィニッシャーラインを超えたしたRA301の写真には
排気管にオーバレブによる煙のかげが見えたはず
- 42 :
- ゴメンなさい RA301でなく
インディーローラベースのRA300でした
- 43 :
- >>12
FISCOのオープニングレースに来賓として来てるんだよな
だから見た人は大勢いるはず >>8
1600GTで優勝した細谷四方洋サンと握手してるってのが面白い。
>>17
人柄までは分からんと思う。
昼間:紳士、夜中:狼っていうのがレーシングドライバーw
最近のドライバーより大人な感じには見えるけどね。
>>38-39
>>41
クラークは速く走ることに関しては大変な才能だったと思うけど、
マシンの開発能力みたいなのはどうだったんだろうね。
死亡事故の原因もタイヤのスローパンクチャーか何かだったが
空気が抜けていくのに合わせて走ってしまうので
最後に限界が来て吹っ飛んじゃったという説があるんだよな。
- 44 :
- そりゃ〜
B.マクラーレンやJ.ブラバム及びJ.ホール等には劣るでせう。
- 45 :
- ハミーとバトソは開発能力があると思えない。
しかし、今のチーム・マクラーレンは開発能力がある。
当時のロータスも周知のように抜群の力があった。
また、ドライバーが特異な速さを持っているかどうかが、
チームの開発の方向性を決定づける要因になる。
- 46 :
- 開発能力云々よりも
開発/テストを行える資金が有ると言った方が正解。
- 47 :
- 小学生かw
本気になればなんていってるやつぁ
本気になったら僕ちゃん凄いぞ!!
- 48 :
- これの事か、number1994 3月号
「ケケが"よしやるぞ!"と決めた時の走りはクラーク以上だったかもしれません。
走りが明らかに違うんです。コーナーで他のクルマがいようがいまいが関係なく抜いてくる。
それでいて奇妙にクルマは無傷なんです」
需要があったら桜井さんのも打つが
- 49 :
- と思ったが桜井さんはクラークに言及してないから止めとく
中村さんは余程ケケに惚れこんでたんだろうな
- 50 :
- 「本気の××は速い!」というのは裏返せば
普段は100パーセントの力を出し切れていないということ
- 51 :
- 常に100パーセントで走ってる奴なんていないわけだけどなw
勝負どころで100パーセントの力を出せるように
自分とマシンとチームを引っ張れるというのが
名ドライバーの条件ってことかな
そこに「いいチームやマシンに恵まれるかどうか」の運もあるだろうし
実力はあったが成功しきれなかった
そういう人もたくさんいたんだろうな
どの世界でも同じだろうけど
- 52 :
- トニーブルックスとかクリスエイモンですな
- 53 :
- なぜそこでダン・ガーニーが出ない
- 54 :
- クリス.エイモンはチーム/マシンに恵まれ無かったね。
最後は自らマシンを製作したのかな?。
- 55 :
- チームオーナーに可愛がられたというと
エンツォとビルヌブ父というのがよく語られるけど
チャップマンとクラークもすごい仲良くて
一部じゃホモダチ同士説もあったくらいらしいね
- 56 :
- >>54
クリスエイモン懐かしいね。マクラーレンのセカンドドライバーだった人だね。
- 57 :
- むしろRーリのナンバーワンだった男と呼ぶべきだろw
マシンにはそこそこ恵まれたが、運はとことんなかったイメージ
ゴーグルのバンドが切れてペースダウンとか
- 58 :
- ブルースマクラーレンが初めてチームを作った時の
1stドライバーが自分自身、2ndドライバーが
エイモンだったのでその時の印象が強い。
- 59 :
- まあ、Rーリのナンバーワンだった男と呼ぶのが順当だよね
- 60 :
- そうだね。ちょっと古すぎてごめん。
- 61 :
- なんか「60年代を語るスレ」みたいになってて面白いね。
昔、フジのオープニングで過去のドライバー紹介あって、アレ好きだったんだけど、
クリス・エイモンってやってたかなあ?
- 62 :
- 微妙な人だからなあ >エイモン
F1で一度も優勝歴のない人だし
ホンダF1があったとはいえF1が遠かった時代の人だしさ。
1966年の日本インディでFISCOを走ってるわけだが
相当なマニアでないと知らないだろうね。
- 63 :
- ぼくクリスエイモン
- 64 :
- スレチだけどオープニングで印象に残ってるのはロイテマン。
「15戦連続入賞。地味な記録が残った。」
- 65 :
- カルロス.ロイテマンやテイム.シュンケンは生沢のF-3ブラバム時代のライバルだね。
彼らは順当にブラバムでF-1に上がって逝ったけどね。
- 66 :
- ティム・シェンケンだろ?
- 67 :
- また知ったかぶりで墓穴掘りW
- 68 :
- アタッシェケース
アタッシュケース
- 69 :
- エイモンが引退を決意したのは、エンサインに乗ってる時にラウダの事故を目の当たりにしたからって、どっかで読んだ記憶があるんだけど。
- 70 :
- >>66
ティム・シェンケン=テイム.シュンケン
大して違わねぇ〜よ。
- 71 :
- >>52
ジャン・ピエール・ジャリエも
- 72 :
- 欧州レース界にジャン.ピエールは多いけどジャリエは
ワークスマーチ732/BMWで圧倒的な速さのF-2チャンプだね。
F-1では冴えなかったねw。
- 73 :
- ここまで何故かグラハムの話題が出てないね。
- 74 :
- グラハムやサーティース、マクラーレンがクラークのライバルって認識でおk?
ブラバムは若干前の世代だし
- 75 :
- 一緒に走ってチャンピオン争いしてたんだから
ブラバムだって立派なライバルでしょ
- 76 :
- ヨアキムボニエも友達として入れといて
- 77 :
- クラーク&グラハムはジョイントNo.1だったらしいけど、
いつからロータスは片方をを完全なNo.1にするようになったんだろうね。
- 78 :
- ファジンオ、クラーク、セナ、シューマッハに継ぐのはカムイだな。
- 79 :
- ヨアキムボニエの死に様は・・・
- 80 :
- 小学生ぐらいを対象にした「偉人伝」ってあるじゃん。
「野口英世」とか「聖徳太子」とか「マザー・テレサ」とか。
あれで1960年代末あたりに「ジム・クラーク」ってのがあったんだよ。
ラストは「クラークは誰からも尊敬される天才レーサーだったが、そんなクラークでも事故で亡くなってしまった。みんなも事故には気を付けよう」みたいな感じでさ。
これは知ってる人は少ないだろうね。
おそらく重版されずに終わったと思うし。
- 81 :
- >>80
そのオチは間違ってるような気がするw
- 82 :
- >>80
あったあった。私もそれ読んだこと有るよ
タイトルは「スピード王ものがたり」
今44歳の私が小学6年生の時に読んだ。
図書館探せばあるんじゃないかな?
http://www.lib.town.ginan.gifu.jp/kensaku/tosmok.asp?tilcod=31322&mngkbn=01&style=IF
- 83 :
- おお、検索で出てくるとは!
でもそれ、1977年出版なんだね。
俺が知ってるのと同じかなあ?別なのかな。
- 84 :
- 彼がホッケンハイムのF-2レースで死んだ時に
「事故は天才へも容赦しない。」と書かれていたのじゃねぇ?。
- 85 :
- 昔のF1は無謀だったねぇ。スピードは遅いんだけど…
今は、無謀なハミーでも死ぬような気はしないな。
- 86 :
- >>53
今の人にわかりやすく言うと
クラークに対してのダンガーニーとは
セナに対してのマンセルってな感じ
- 87 :
- じゃあクラークに対してのヒルは
セナに対してのパトレーゼみたいなもんか
- 88 :
- カーボンコンポジットのモノコック
ライフサポートシステム
ハンズ
安全燃料タンク
アームコバリアやセーフテイゾーン
ドライバーの顔の両サイド迄囲うカウル
これ等が'60年代に有れば現存しているドライバーも多かった筈...
- 89 :
- >>87
それは、ちょっとヒルに対して失礼でしょ。
ヒルはクラークより先にチャンピオンになっているし、
クラークが亡くなった年のチャンピオンでもあるから。
もし、無理矢理こじつけるならピケかな。(同チームでは無いけど)
- 90 :
- >>89
いや、むしろヒルを誰かに変えるべきだろ。
ガーニーはチャンピオン取れてない人だから
パトレーゼがある意味で近いかも知れない。
でもヒルって偉大だけど速いイメージがないんだよなあ・・・w
チャンピオンだけど、なんかパッとしないっていうか。
- 91 :
- そういう意味では、ガーニーは恐ろしく勇敢な人だったそうだから、
死ななかったジルかな。
ヒルは下積みの長い苦労人ということで、これはヒル。
中村良夫氏が当時のドライバーを評して、クラークは全てのコーナーで100点、
ガーニーはあるコーナーでは103点だが、あるコーナーでは95点、で時々とっちらかる、
ヒルは時々デタミネーションが足りない、という様な意味の事を書いていたと思う。
- 92 :
- J.ボニエはル.マンで確か高原も乗ったローラ/280?DFVで事故死したのかな?。
スポットレンタルのRA-301に乗って入賞もした?。
- 93 :
- そういえば、60年のBRMはボニエ/ヒル/ガーニー
同年のロータスはアイルランド/クラーク/サーティース
クラークとサーティースは新人だったが、今見るとすごい組み合わせだ。
ボニエは57年キューバGPの時にカストロと間違えられて警察に連行された話もあるねW
- 94 :
- ヒルと新人のスチュワートが乗ってたものすごく細いBRM1.5Lのマシン好きだったなあ。
- 95 :
- 1.5L時代の車って、本能的な恐怖を感じさせる程、華奢で繊細だよね。
だからこそ、魅力的なのかもしれないが。
もう、ちょっとぶつかっただけで骨の二本や三本は勿論、簡単に死んじゃいそうだもの。
あんな車でレースをしていたという事だけで、その勇気(この言葉って、日本と欧米ではちょっと違う使われ方をするよね。)に敬服する。
同じ様に天才と呼ばれるセナに感じる違和感、セナのDQN感の背景は、
ここら辺に理由が在るのかもしれない。
- 96 :
- あまり言われないけどクラークも
フォン・トリップス(と観客)の死亡事故の原因を作ったと
けっこう非難されたんだよね
- 97 :
- そう言えばダン・ガーニーも観客死亡事故あったよね
- 98 :
- 事務・蔵悪
- 99 :
- サルティもスパで子供殺したよなw
- 100 :
- それ分かる奴って、どれ位居るんだ?
- 101 :
- 大戦前後のドライバーも民衆も死体馴れしてるし、殺したり殺されるのも見慣れてるから、なんともない
- 102 :
- この時代のマシンって殆どマシンのロールバーの高さがドライバーのヘルメット頂部より
低いけど車検でアウトに成らなかったのかしらん?。
- 103 :
- レースで走ってるからおkだったんだろ
つかセナ太郎さん、此処とか昔のレーサーやレースのスレでどうでも良い事ばっか言ってるけど
たまにゃ本とに競技遣ってる人が書き込みしてる様なスレとかには書けないのか
ネットで昔の資料とか三文雑誌の記事を見て偉そうに講釈ぶるくらいしか出来ないのか
ちと教えて下さいよ。
- 104 :
- まぁ餅つけ>>103
- 105 :
- ほら、セナ太郎さんそうやってごまかすから信用されないんですよ
- 106 :
- 誤魔化してねぇ〜よ。
漏れがどのスレに書こうが漏れの勝手だ罠。
ageますです。
- 107 :
- 2位1回!は不思議ですね。
それとモナコGP未勝利(表彰台もない)。
- 108 :
- モナコGPは出走6回中4回PPを取ってるので、速さではダントツなんだが、運がなかったな。
- 109 :
- この人が乗ると、どんな車もカッコよく見えてくる。
ただでかいだけ、みたいなフォード・ギャラクシーもw
- 110 :
- BRM製H型16気筒エンジンで勝てるのはこの人くらいだろう。
- 111 :
- ゴードン・マレ−が言ってたな。
「クラークとセナは別格だ。他のドライバーとはレベルが違う」って。
- 112 :
- J.クラークの現役時代にG.マレーは彼の走りを直接目にするポジションで
レーシングカーを設計製作していたの?。
- 113 :
- クラークの現役時代はまだ大学生/アマチュアドライバーで、最初に渡英したのはクラークの死後のはず。
生でクラークを見たとしたら、南アフリカGPや、南アフリカでの非選手権戦では。
- 114 :
- 見たとしても、判断できるほどの目があったかどうか、だな。
伝説って、こうやって大きくなっていくんだろうね。
- 115 :
- 現役時代はは間違いなくずば抜けてすごい人だっただろうね。
記録だけ見てもすごい成績だし、数々の賞賛の話を見るとね。
- 116 :
- >>115
そそ。結局は語り継がれるかどうかって事だと思う。
公正で客観的な評価なんて厳密にはないんだしね。
- 117 :
- >>115-116
↑
伝説が大きくなっていく瞬間を目撃してしまった。
- 118 :
- 彼のマシンに搭載されていたユニットが"SPECIAL”だったと言う事実は
差し引かなければ...
- 119 :
- どこかどうスペシャルなんだよ?
しゃあしゃあと嘘こいて。
最低だな。
- 120 :
- HONDAの中村良夫氏が彼の著書の中に
他の同じユニットより確実に出力が高いと貝鳥ますた。
DFVを初搭載したのも彼のチームでひょw?。
- 121 :
- ジミーのドライビングは凄かったよ。
フォーミュラミラージュに乗ってた俺から見ても叶わない走り方だよ。
- 122 :
- >>120
いつの時点の話なんだろう?
クラークと同時にフォード・コスワースDFV搭載車で選手権戦に出場したのは、チームメイト以外には68年南アフリカGPでのスチュワート(マトラ)だけのはずだが…
- 123 :
- カスドライバーのヲタが悔しさのあまり伝説の肥大化論でなんとか自分を納得挿せるので精一杯です
カスドライバーと伝説のドライバーの圧倒的な差をちょっとでも縮めたい一心なのでしょうな
脳ミソの神経伝達の距離はバカも天才もおなじなんですがねぇwっw
- 124 :
- そりゃ半世紀近く昔の事だし伝聞ばかりだから、でも伝説ってそういうもんでしょ。
事故死した時だって歴代最多勝ドライバーの死だったんだし。
70年代にどう語られてたかってのは興味あるな。
- 125 :
- 確か漏れの記憶が正しければ彼の著書
グランプリ1かグランプリ2だから
HONDA RA-301/300以前の話なんじゃねぇ〜の?。
- 126 :
- 雨のレースが危険と言われるけど
雨のレースで死んだのクラークぐらいじゃないの?
- 127 :
- クラークを引き合いに出すって事はF1以外のレース全部が対象って事になるんで
調べるのは難しいな
- 128 :
- >>127
じゃF1の雨のレースに限ってください。
ルマンの雨でもそんなに人死んでなくない?
- 129 :
- つまりどっかのバカ雑誌の記者かなんかが
「雨のレースで死んだ例」か何かの記事を書くのに
オレ達をウイキペディア代わりにしようとしてるわけか
- 130 :
- 死ななきゃ危険じゃないってか?基準を詭弁にすり替えてるあたりから推察するとリアル厨房か?w
- 131 :
- >>129
頼むよウキペディア
- 132 :
- 別に教えてあげてもいいけど、非常に書き込みにくい流れだw
まああれだ、質問はなるべく質問スレにまとめなさいってことだ
- 133 :
- >>132
教えると思うつぼかもしれんしな。
だが、そのネタが本当に雑誌に載ったら面白すぎるがw
- 134 :
- >>120
そもそもDFVは、チャプマンが英フォードにはたらきかけて
ロータスの分家ともいえるコスワースに作らせたロータスの
ためのエンジンだし。
だから、1968年からロータス以外にも供給するという決定は
チャプマンは大反対だった。
- 135 :
- >>134
大反対はしてないだろ。「まぁ、しょうがないね」だ。
- 136 :
- >>135
チャプマンがそこまで紳士的な人物だったらロータスはあれほど
成功しなかったぜ。
- 137 :
- クソコテが「ロータスのエンジンは他より強力だった」とか言ってるのは、
DFVが市販された後の一般市販バージョンと、
ロータスなど関係の深い有力チーム用バージョンで、
仕様が違ってたとかそういうことなのかね?
例の糞コテは詳しいようで話が錯綜するからw
- 138 :
- バカ課長
過去レスにクラークのDFVがスペシャルだ、と書き込んだのは、自分だろ。
その時、ツッコミを入れられたから、今度は話をぼかして書き込みか。
そこまで書くなら、クライマックスの事位書けよ。
それで、釣ってる積もりかよ。
- 139 :
- ↑因みに、>>28と>>36辺りを参照な。
- 140 :
- 以前にカキコしていたことは忘れ鳥ますたw汗。
- 141 :
- >>136
DFVの供給拡大についてのチャップマンの反応は色んな書物やインタビューでも確認できる
猛烈に反対したというのか記憶にないな。チャップマンが反対しなかったからDFVとその後のF1は大成功したんだよ。
- 142 :
- たまには顎とクラーク比べてやりなよ、詳しい人
- 143 :
- 70年代の拡大路線でコスワースだけでメンテナンスが出来ない状況になると、
下請けのチューナーによって回るエンジンとそうでない物の差がついたのは事実だが
きちんと支払えるコンストラクターにはコスワース謹製、貧乏チームは下請けの・・・ってのはあったはずだが
意図的にクラークだけ専用だったってのは聞いたことがないな〜
- 144 :
- チャップマンが独善的だったってのは確かにあるが、当時60年代のF1ってのはチーム間の仲間意識も強固なんだよ。
DFV初登場の時だっけか?中村良夫がチャップマンやクラークの目の前でDFVの排気管の長さをメジャーで測ったりしてる(本人談w)
それを見たチャップマンは怒るどころか「どうだいこのエンジンは?」と聞いてきて、中村良夫が「排気管はまだ検討の余地はあるね」と返したってよ。
ロータス79の時も隠すどころか見たい奴にはひけらかしてる。
ブラバムのファンカーも同様・・・隠す方が当時は珍しかった
- 145 :
- >>142
>>111のマーレーみたいな「別格」という評価もあるわけだが、
時代が違って、マシンのレベルも違うから、
なかなか比べにくいのは事実だろうね。
同時代のドライバーでも、
たとえばピケ、プロスト、セナあたりでも評価は分かれるし、
それが時代も違うとなればなおさら難しいだろうなあ。
クラークとシューなら、両方とも間近で見た人はいるよね。
たとえばスチュワートあたりはどう評価するんだろうか。
>>141
反対したけど押し切られたのかもよ。よく知らないが。
- 146 :
- >>144
中村サンに見せたってのは
「これはウチが独占だから」と安心してたから、
という考え方もできるわなw
・・・ていうか、見てきたようなことを言うね、あんた。
実際に見たり聞いたりしてるなら、
生の情報をいっぱい書いてほしいw
- 147 :
- DFVの供給拡大をチャップマンがあっさり承認したのは有名なエピソードなんだが・・・
- 148 :
- >>あっさり承認
裏で「おまえんとこには特別なのを回すからさ」とか
密約があったりしてw
- 149 :
- 糞コテが正しいことを書いてるかどうかは怪しいんだが、
本に書いてある話も必ずしも正しくはなかったりするんだよね。
「○×氏がこう述べた」とか言っても本音とは限らないし。
別に「チャップマンが承認した」を疑ってるとかじゃないけどさ。
で、「現場で生で見たの聞いたの?」と聞いたわけw
揶揄じゃなく、
生で見た人ならいっぱい教えてくださいよという意味です。
別に絡んでるわけじゃないので誤解しないでねw
- 150 :
- 現場で見てるわけないですよ(見てるとはカキコしてないですけどね、念のためw)
それが何か?ソースは、各種記録映像や「DFV」「グランプリ1・2」「レーシングエンジンの過去・現在・未来」他多数としておきましょう。
大体のものは目を通しましたね。でも「チャップマンが猛反対した」というのは一つもなかったですね。
- 151 :
- なるほど。
もし生で見た人がいたら、すごくいろいろ聞きたいw
クソコテの情報は細かい中に大間違いが紛れてたりで要注意だが、
もし中村サンが言ってるのが正しいとすれば裏事情もあるのかなと。
もちろん中村サンの見解にも間違いはありうるけどね。
つーのは、レースに限らないけど、
外から見てると(どんなに細かく調べても)絶対に分からないのに、
中から見ると一発で分かっちゃう事実があったりするからさ。
この板でよく話題になる「長谷見サンvs星野サン」ってのも、
ファンの目で外から見てたら星野>長谷見って感じもするんだが、
少しだけレース業界の人と知り合っただけで、
もう明確に才能は長谷見>星野と分かっちゃったんだよね。
オレ個人はどっちかつーと星野サンの人柄が好きだけど、
乗り手としての才能は長谷見サンのが上って、
知ってる限り誰もが同じことを言うんだよなあ。。。
前スレではコジマF1の頃の関係者サンらしい人が出てきて、
やっぱ同じようなこと言ったしさ。(スレ違いスマンです)
クラークの凄さってのがどういう意味(内容)なのか、
腹を割って話してくれる関係者がいたら話を聞いてみたいなあ。
表に出てない話もいろいろあるかも知れないし。
- 152 :
- >>151
いや、やはり才能も星野さんの方が上だろ。
90年には、当時すでに四十を超えていた星野さんに、
F1の準トップチームのベネトンからスポット参戦のオファーがあった。
こんなことは長谷見ではありえないことだ。
星野さんは男だから2000万円の持ち込みを嫌って断ったが、もし参戦していれば大活躍してただろう。
予選20番手くらいからグングン順位を上げ、
130Rではマンセルにサイド・バイ・サイドの勝負を挑み、
ポール・トゥ・ウィンで勝ったに違いない。
なにせ星野さんだもの。
- 153 :
- >>152
予選が20番手で、どうやってポール・トゥ・ウィンを決められるんだw
- 154 :
- Mr.長谷見にはテデイ.イップ率いるセオドールRからUS-GP出場の噂が
出たことが有るよ❤。
- 155 :
- >>152は釣りだろうけど、
そうとしか思えない奴が多いのも無理ないよね。
オレもそうだったからw
でも関係者の話を聞くほどに長谷見>星野なんだよなあ。
で、クラークの実像ってのを聞いてみたいんだよねえ。
もうクラークもチャップマンも中村サンもいないから、
なかなか難しい話だろうが。。。
- 156 :
- >>ID:TKGO3USB0
別にあんたを否定してる訳じゃないので、
情報あったらいろいろ教えてください。
自分語りが長くてごめんなさい。
- 157 :
- つっこみだけでは申し訳ないので、ちょっとネタを。
ジムクラークのエンジンが高出力だったというのは、私も雑誌で読んだことがある。
ただし、1.5リッターF1時代の、コヴェントリー・クライマックスエンジンの話だけど。
普通のコヴェントリー・クライマックスが220馬力前後なのに対して、クラークの
使っていたのは240馬力くらい出てたとか。
今wikiを見たら、クライマックスエンジンには2ヴァルヴと4ヴァルヴがあり、クラーク
は4ヴァルヴを使っていたと書いてあったので、あるいはこの差が20馬力になったの
かもしれないが、当時小学生の私では詳細は不明。
その記事は、クラークが死んで15〜20年くらい経ってから、名前は忘れたが
外人記者が書いたと思う。むろんクラークを非難するとかじゃなくて、DFVは
基本的に同一仕様という話の中で、クライマックスエンジンはこうだったと引き
合いに出していただけ。
すべて、昔の話だなあw
- 158 :
- クライマックスの1.5リッターFWMVは、ホンダを凌ぐ240馬力も出てないだろ。
4バルブのFWMVは、65年にクラークとJ・ブラバムが使ったユニット。
- 159 :
- >>145
どう評価するってw知らないの?
モスやスチュワートは
あちこちのインタビューでシューマッハは史上最も「成功」したドライバー
シューマッハの時代では間違いなく最高のドライバーだがオールタイムで
最高のドライバーだとは思わないとキッパリ言ってるよ
モスなんか「シューマッハの実力に疑問」とか言ってるっしょ
モスが最高に挙げるドライバーは
ヌボラーリ、ファンジオ、クラーク、セナ
スチュワートは
ヌボラーリ、ファンジオ、クラーク、プロスト、セナ
- 160 :
- >>159
知らなかったよ。
モスもスチュワートも話したことも会ったこともないから。
で、モスやスチュワートにはいつどこで会ったの?
- 161 :
- >>158
そうか。そのへんは記憶違いがあるかも知れない。200馬力が220馬力だったかな。
なんだか20馬力ぐらいの差というのは、うっすら覚えてるんだが、肝心の雑誌は、もう
残って無いだろうなあ。
- 162 :
- >>160
ブックオフにでもいってさがしたら
2ちゃん専門の人
- 163 :
- 自分の意見に反論食らうと「見てたのかよ」「会ったのかよ」じゃね・・・
リアル厨房臭が充満しとるなw
- 164 :
- さてさてネタを投下
クラークといえばロータスだけど、当初、F1デビューはアストン・マーティンからの予定だったみたいね。
これはちょっと意外だった
- 165 :
- マニアさん、そんなの聞いたこともない。
クラークとチャップマンはもともと仲良しコンビだったんじゃないか。
- 166 :
- いや、俺も聞いたことある>アストンデビュー
はっきり記憶してないんだが、クラークはF1デビュー前はアストンで活躍してたんじゃないかな?
- 167 :
- >>165
実は、俺も最近知ったw
59年、アストンの監督レグ・パーネル(30~50年代の名ドライバー)が、草レースで活躍していたクラークに目を付けて60年のF1シーズンに向け契約。
しかしアストンの参戦計画は最初から遅れっぱなしで、結局クラークは一度も起用されないまま放出され、アストン自体もF1から撤退。
一方クラークは、アストンが出てこない間もロータスでF2に参戦しており、アストンの話が流れたためにそのままロータスでF1デビュー、という経緯だったようだ。
今ちょっと調べてみたら、このサイト(英語)にも少し載ってたから見てみて。
http://www.f1-grandprixhistory.net/Clark.html
- 168 :
- 大昔、『死の24時間レース』って本を読んだ人は居るかな。
アストンのワークス撤退後に、ディーラーチームとしてDBR1でル・マンに参戦する話しなんだけど、
その主人公が多分、クラークをモデルにしていそうだった。
(あと、車好きの妹が居る所はモスも)
子供向けの本だが、さすがに英国本場のものだけあって、
独特の挿絵を含め、すごく面白かった。
クラーク自身も60・61年にDBR1でル・マンに出ているよね。
('60は三位だったかと)
- 169 :
- >>124
80年代位までは伝説のドライバーの代表みたいな感じだったな。
ドライバーが自分を売り込むとき、「私は未来のジム・クラークです」って
例えを使われてた位だし。
>>126
クラークが事故死したホッケンハイムのF2レースは雨じゃなかっただろ。
- 170 :
- >>151
>ファンの目で外から見てたら星野>長谷見って感じもするんだが
長谷見さんのシフトダウンの下手さはダントツでした・・と関係者から
聞いたのだが。
欧州のF2の成績を見ればチーム力を補正後で、星野さんは抜きん
出ていたでしょ。
- 171 :
- Mr.星野の欧州F-2でのリザルトはBSタイヤの功績大。
MR.長谷見はマカオGPにFPで1戦エントリーした位じゃね?。
- 172 :
- >>168
子供向けでそのタイトルとはw
耐久レースのイメージはあまりないけど、59年ル・マン24時間でもロータス・エリートで10位に入ってたり、60年ニュルブルクリンク1000Kmにも出場してるね。
>>169
雨でいいんじゃないの?
- 173 :
- 映画「グランプリ」で描かれた人物像が意外と合っている
と云われたが、どうなんでしょう。
ところで、皆さんはこちらでポール奪取率とかのDATAは
確認済みで議論されているんですよね。
つttp://www.f1-data.jp/script/db/stats/driver.php?field=pp_races&sortby=2
- 174 :
- >>126
シュレッサー・・・
- 175 :
- クラークが死んだのは雨で正解
- 176 :
- さすがに>>168を読んだ人は此処にも居ないのか。残念。
巻末には、これまたモタスポファンには堪らない、ヌヴォラーリの短編も付いているんだけどな。
あの本を読んで以来(多分、オレが8才、73年頃)、ヌヴォラーリは僕の最大のアイドルだよ。
- 177 :
- 因みに、某漫画に出て来るヘッドライトを消して云々なんて話しは、
この本で四十年近く前に知っていたし、
もっと凄い話しも一杯のっていたよ。
スレチではあるが、ヌヴォラーリって本当に伝説(都市伝説)の人だよね。
スロットルケーブルが切れたから、ナビのズボンのベルトをケーブル代わりにしてナビに操作させたとか、
(これはカンクネンもやっていた)
ギブスだらけでレースに出た(お前は赤馬研かよ)とか、
ステアリングホイールがとれて、シャフトを無理矢理掴んでクルマを停めただとか。
ドイツGPでの奇跡の勝利と、その後の国歌のレコードの話しとか。
話し半分、都市伝説に近い話しも沢山有るのだろうけど、
それにしても凄いよなぁ。
- 178 :
- 本で知った知識でしたり顔で語るヌボラーリやビルヌーヴのファンは痛い。
見た事も無いのに共通のエピソードで盛り上がる。
まるで戦国武将を教科書で学習してるみたいで引く。
- 179 :
- 彼が死んだ旧ホッケンは何故かJAPANESEドライバーの活躍が目立つ
4輪では生沢、風戸、鈴木、片山等
何故?
富士(FISCO)でのスリップの経験が効いているからw?。
- 180 :
- >>162
つまり伝聞ねw
伝聞専門の人
>>170
それは「星野サン偉い」バイアスがかかってるからだろうなあw
ちゅーかスレ違いな話題ですまんかったw
- 181 :
- >>178
当時の走りの映像など、YouTubeやヒストリーチャンネルで見れるのに
なに寝ぼけたこと言ってるんだよ
- 182 :
- よっぽどのドライバーでなければ都市伝説もうまれない
伝説になるほどの裏付けがあってのもの
単に素晴らしいだけのドライバー程度では嘘であれ本当であれ「伝説」はうまれません
へぼドライバーのマヌケな伝説は除く
- 183 :
- ファンの間では皆知ってる事なのだろうが、クラークは来日時、俳優の田宮二郎氏と
握手した事実を最近知って驚いた。
俺はグランドスラム通算8回、という記録に一番惹かれる。
- 184 :
- >>182
クラークは現役時代にすでに伝説になっていたらしい。
- 185 :
- また話がでかくなったw
まあ「セナは現役時代にすでに伝説」とか
そういう言い方をされる場合もあるんだろうけど
「現役時代にすでに伝説」ってのは不自然だよなあ
- 186 :
- ID:bD+Nx54z0の考える伝説とは
安達ヶ原の鬼婆レベルだろうから相手にしないほうがいい
- 187 :
- >>182
クラークの伝説は色々あるよね。
63年の豪雨のスパで、予選8位からオープニングラップでトップに立って2位に5分差付けて優勝。
65年のイギリスGPで、オーバーヒート状態からコーナーでエンジンを切って優勝。
67年のオランダGPで、フォードDFVのトラブルの出やすい回転数を使わずに優勝。
挙げていくと切りがないな。
>>185
イチャモン付ける位なら、わざわざこのスレに来なければいいのに。
- 188 :
- 墓碑の一番上にFARMERって書かれているんですよね。
もし生きていたら74歳、スコットランドの牧場でのんびりと悠々自適の生活を
送っていたんでしょうね…
- 189 :
- 1963年の優勝回数は7で有効ポイントはベスト6戦。
優勝を1回捨てているのか・・・
- 190 :
- >>189
無敵艦隊にも程があるなw
11戦有効ポイントで12勝するようなもの?
- 191 :
- >>190
当時は年間10戦だったから、まさにそれに近い感じだな。
- 192 :
- >>188
生きていたら取り巻きの連中がどっかのGPに連れて行ってそうだなw
- 193 :
- しっかし63年てドライバーもコンストラクターもイギリス勢が
圧倒的に強いな。
- 194 :
- >>193
60年代はまさにイギリスの時代だったな。
ドライバーで言えば、クラーク、モス、ヒル、サーティース、スチュワート、etc・・・
コンストラクターはロータスとBRMが強かった。
- 195 :
- 結婚してなかったのでしょうか?
- 196 :
- >>193
62年イギリスGPから64年ベルギーGPまで、イギリス人ドライバーが18連勝(クラーク11勝、ヒル6勝、サーティース1勝)。
>>195
付き合っていた相手はいたようだが、結婚はしなかった。
- 197 :
- 1960 ジャック・ブラバム(オーストラリア) クーパー
1961 フィル・ヒル(アメリカ) Rーリ
1962 グレアム・ヒル(イギリス) BRM
1963 ジム・クラーク(イギリス) ロータス
1964 ジョン・サーティース(イギリス) Rーリ
1965 ジム・クラーク(イギリス) ロータス
1966 ジャック・ブラバム(オーストラリア) ブラバム
1967 デニス・ハルム(ニュージーランド) ブラバム
1968 グレアム・ヒル(イギリス) ロータス
1969 ジャッキー・スチュアート(イギリス) マトラ
- 198 :
- ムムッ。全て英語圏のドライバー!
でも70年のリントはドイツ語圏?
- 199 :
- クライマックスってどこのエンジンなの?
- 200 :
- BRMが強かったって?!
BRMが本当に強くなったのはP.ロドリゲスがトライブした頃じゃねぇ?。
- 201 :
- >>199
イギリス。
ちなみに自動車メーカーではなく、消防ポンプなどに使われる汎用エンジンのメーカー。
>>200
どう考えてもヒルの頃が最盛期。
ロドリゲスは、不振から脱出して一時的に復調した時期でしょ。
- 202 :
- j.サーテイーズがHONDAからBRMに移籍したころは絶望的に遅かったけど
P.ロドリゲスはそれまで低迷していたBRMに久々の勝利をもたらしたよ。
- 203 :
- ヒルはBRMでチャンピオンになったけどロドリゲスはなってない。
- 204 :
- >>197
イギリス勢凄いね。
10年で6回もタイトルを取っているのか。
- 205 :
- J.スチワートをイギリスにすることは無理が有る。
彼はスコットランド。
- 206 :
- >>195
チャップマンとのウホッ説も・・・
>>197
チームを見てもイギリス系が7タイトル取ってるね
レース=経済力だってのがよく分かる
- 207 :
- >レース=経済力だってのがよく分かる
?当時でもアメリカの方が経済では強かったはず。
レース=技術力の方が適切では。
- 208 :
- アメリカには既にインディがあったんだし、ヨーロッパ文化のF1に積極的だっけか?
フィル・ヒルみたいな人もいたけどね。
- 209 :
- そうそう
アメリカはアメリカ
イギリスはヨーロッパ最強(最悪w)の覇権国家
F1ってのは事実上ヨーロッパ選手権+αだもん
アメリカだってイギリスの分家みたいなもんだしね
- 210 :
- もっというと「技術力」ってのも
結局は「経済力」の裏付けがあってのものだからね
技術とか才能とかいっても金がないと勝てない
ドライバーも育ってこない
ファンにしてみれば夢のない話になってしまうがw
- 211 :
- アメリカンドライバーがF1に積極的なのは70年代前半だね
ダナヒュー、レヴソン、フォルマーらをF1で長く見たかった
スレ違いだけど
- 212 :
- 当時のドライバーの収入はレースの賞金ベースだからな。インディのほうが圧倒的に儲かったってのもある。
ロータスがインディに挑戦したのも屋台骨が傾いたからだ。
- 213 :
- なるほど。モナコよりインディを優先したのはそのせいか。
- 214 :
- アメ車なんてバカしか買わない
インディーもバカしか見ないと思う
- 215 :
- >>214みたいに思ってる子供も多いだろうけど、
F1が今みたいに派手になったのは'70年代後半以降だからね。
エクレストン(FOCA)がのしてから。
それまでは田舎のサーカスだったんだよ。
山師(エクレストン)が大がかりな仕掛けをやったおかげで
今みたいに派手になったんであってさ。
'70年代以前は、
むしろアメリカのレース界の方がよっぽどゴージャスだった。
F1=至上の物、みたいなイメージは
'60年代ホンダやカーグラあたりからの洗脳だね。
とどめは'87以降のフジTVのF1放送w
- 216 :
- アメ車は中身は大した事ないんだろうけど、欲しくなるのもあるのよ。
日本人はスペック厨が大半だからアメ車が受けないのも分かるけど。
- 217 :
- >>209
1950年代に、インディ500がグランプリの1戦に組み込まれていたけど、ほとんどヨーロッパから参加しなかったもんな。
世界選手権の名目上入れてただけみたいな感じだった。
当時の移動手段の問題もあっただろうけど・・・
- 218 :
- >>217
明らかに無理のあるスケジュールだったし、FIA自体インディ500に参戦するチームがあるとは想定してなかったと思う。
ヨーロッパ勢のインディ500参戦は、10〜20年代や60年代の方がずっと積極的だったね。
- 219 :
- アメリカの田舎レースと本場自動車発祥の地ヨーロッパのレースどうしても一緒にしたい知ったかアイビールック禿
戦前のグランプリカーでもしらべてから物言え
- 220 :
- 昔から5〜6月は世界3大レースのインデイ500、最中GP、ル.マン24Hが有ったからね。
- 221 :
- 知ったかオヤジは子供の頃唯一テレビで見れるインディー夢中になったインディ博士だったんだろw
精々60年代のホンダ知ってるぐらいで有頂天
アウトウニオンとかメルセデス、ブガッティーとかベントレーとか創世記も潜ってこい
- 222 :
- 漏れはオーバル、エスケープエリア無し、コーションでSC導入即コーションの
アメリカンは嫌いなんだょ。
- 223 :
- :知ったか太郎 ◆5.l4uPu/Ng :2010/12/15(水) 13:53:21 ID:mKlAp0dk0
カナダとUSA西海岸には逝ったことが有りますけど何か>>606?。
(CAN-AMシリーズだwww。)
ふ〜ん、別スレじゃこんな事言ってるのに
ほんとあんたの言う事は支離滅裂でいい加減だね
- 224 :
- カナダとUSA西海岸には逝ったことが〜
↑
これは漏れのスイ〜トハネム〜ンで逝った時だわなwww。
- 225 :
- >>219みたいに考えてる子供も多いだろうけど
F1で日本の子供を洗脳したンダは
アメリカで大儲けして延命できたんだけどなw
いや、ンダに限らず、日本の自動車メーカーの大半がそう
F1が至上のものだなんて、つい最近のことだから
- 226 :
- このバカID:wWpGJGxW0
インディ版のスリックか?
なんか一人でブツブツ
>F1が至上のものだなんて、つい最近のことだから
このバカ自動車やレースの起源しらないらしい
- 227 :
- >>226みたいに考えてる子供も多いだろうけど
動いてる金の額は
アメリカ>>>ヨーロッパ
だったからね。
'70年代前半までのF1は田舎のサーカスだった。
今みたいに化けたのはエクレストンの手腕。
ヨーロッパ選手権+αを「世界選手権」と言ってしまうのが
ヨーロッパの連中の不遜なところだよ。
それに踊らされてる>>226みたいな奴が今でもいると。
アメリカ国内決定戦を「ワールドシリーズ」と言ったりもするがw
- 228 :
- ワールド≠世界って説もあるけどな
- 229 :
- むかしから自国の中だけで満足してるのがアメリカ人なんだがな
何でもオラが一番って思ってる脳天気な国民
70年代しか知らないバカは黙ってろ
1906年で潜れニワカ
- 230 :
- >>229みたいに洗脳されてるヤツも多いんだが
F1も長いことグッドイヤーに助けられてたし
コスワースDFVもフォードの金で作られたものだし
ヨーロッパのレースがアメリカより上なんてことは別にないんだよ
アメリカの資金が入ってなかったらF1は終わってたかもね
- 231 :
- それよか実質的にアメリカ最高峰インディー終ってるのに、菜にいってんだか
ナスカーなんてぇレースが人気のアメリカンバカにいわれたくないよぅ
- 232 :
- ○○だけはガチ
- 233 :
- >洗脳されてるヤツも多いんだが
TBSとかアメ車に洗脳されてるやつってアメリカングラフティー脳で今でもロカベリーでゴーゴー踊ってるバカだろw
アメ車ヲタ見て見ろw
族を卒業したバカばっかり
センスが田舎アメリカ人と似ている
アメリカ人でも洗練された奴らの車の趣味はヨーロピアン
- 234 :
- テスト
- 235 :
- >>219=226=229=231=233=洗脳されている子供w
- 236 :
- 自分が大人と思っているんだったら
>で、モスやスチュワートにはいつどこで会ったの?
なんて言って八つ当たりすんなw
- 237 :
- でID:HstG1FlH0は何に洗脳されたんだろ?
チョコレート?
ギブミーちょっこれーっと
- 238 :
- この前wowwowで『グラン・プリ』をやってたが、ちらっと本名で出てたな。
ヒルは役名セリフ付きで出てたし、他にもボニエ、ガーニー、ブラバムetcの顔もあった。
レースシーンの替え玉はエイモン、サーティース、ギンサー、ステュワート、バンディーニ。
- 239 :
- 懐かしい名前が有るね。
J.ボニエか。ルマンでローラ.DFVで出走中クラッシュ死亡したのかな。
HONDAのRA-301をレンタルして入賞もしているね。
- 240 :
- ちょっとスレちだが、『栄光への5000キロ』、DVD化されないかなぁ。
確かに映画は、「劇場のでかいスクリーンで観るもの」という、
裕次郎の気持ちはよく判るのだが、当時とは家庭のAV環境も違うしね。
あの映画が今後、劇場公開される見込みも無く、このまま死蔵されてしまうのは残念過ぎる。
あのオープニングの、モンテの断崖絶壁を走るアルピーヌだけでも観たいよ。
『黒部の太陽』もそうだが、炊き出しも良いけどお願いしますよ、石原プロさん。
- 241 :
- >>240
ちょっとどころかえらくスレ違いですがw「黒部の太陽」と「栄光への5000キロ」
などがDVD化されるようですね。
石原プロ50周年で「黒部の太陽」等DVD化へ
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110512-OHT1T00029.htm
- 242 :
- 最速
- 243 :
- 天才
- 244 :
- 伝説の勇者の伝説
- 245 :
- ロータスはブリティッシュグリーンで復活して欲しかった。
- 246 :
- 英国勢は全部ちゅ〜か、ナショナルカラ〜にすべきでしょうな。
- 247 :
- なんでおまえに説教されなきゃいけないの?w >>246
- 248 :
- 説教し鳥まへん。
- 249 :
- 説教ってwww
>>247病院行ったか?
- 250 :
- 今日、NHK-BSプレミアムで「グランプリ」やってたけど、クラークは本人役で
ちょこっとしか出てこなかった。
ヒルは俳優のクレジットに載ってたけど。
- 251 :
- J.クラークが死んだ以後、レーサーのヘアスタイルが長髪になったのは何故だろうw?。
- 252 :
- ジム・クラークも事故死したレースでは、そこそこ長髪だったよ。
http://www.youtube.com/watch?v=O6zmeSxRt-M
- 253 :
- そ〜だね❤。この頃はG.ヒルの方が短いじゃんwww。
- 254 :
- >>250
他にも、オープニングで手袋だけ写っているよ。
JCのモノグラムの入ったグローブ。
- 255 :
- クラークが事故死したレースでは、「JCのモノグラムの入ったグローブ」は
使っていないけど。
- 256 :
- >>255
おれは>>250へレス、映画の話しをしたんだけど。
- 257 :
- ジム・クラークは、映画で使ってたグローブと、死んだときにはめていた
グローブが違うの?
- 258 :
- Jim Clark Documentary Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=VgVSLXobwy0
Jim Clark Documentary Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=sm3FhROsUmU
Jim Clark Documentary Part 3
http://www.youtube.com/watch?v=K8eg8TznUXQ
Jim Clark Documentary Part 4
http://www.youtube.com/watch?v=4z0-0U8Fk-8
Jim Clark Documentary Part 5
http://www.youtube.com/watch?v=zA1OjcZQUNY
Jim Clark Documentary Part 6
http://www.youtube.com/watch?v=2USiWS0HZwA
- 259 :
- 昨日が命日だったんだよな。
- 260 :
- そ〜です。
そして彼の名前を冠したホッケンハイムのF-2レースで我がMr.生沢氏がC.レガッツオーニに
0.3秒差で2位に入ったのが今から42年前('70)の4月12日で御座居ます。
- 261 :
- クラークって、勝ち方が効率悪いな。
1963年なんて、10戦中6戦のポイントしかカウントされないのに7勝したり、
1967年は4勝したのに、リタイアが多くて2勝のデニス・ハルムにチャンピオン
持って行かれたり。
何しろ2位が1回しかないからな。
- 262 :
- 10戦7勝したことに意味がないわけじゃあるまい。
- 263 :
- 25勝をもう少し毎年平均的に勝っていたら、チャンピオン4回くらい取れた
んじゃないだろうか?
- 264 :
- それは結果論というもので、そんなに都合よくはいかないさw
勝てる年も勝てない年も相応の理由があるってもんだ。
- 265 :
- チャンプを逃した62、64年も最終戦の最後数周前までは選手権をリードしていたんだよね。
- 266 :
- 1968年も、事故死しなければチャンピオン確実だったしね。
グラハム・ヒルがチャンピオン獲るくらいだから。
事故死しなければ、何勝していただろう?
- 267 :
- 1970年、1972年、1973年もチャンピオンだったであろう。
ロータス49とロータス72の性能を考えると、50勝はしていただろう。
- 268 :
- いや
ロータス72でリントの前に死んでいただろう
- 269 :
- Jim Clark Documentary Part 5
http://www.youtube.com/watch?v=zA1OjcZQUNY
によると、1968年に3度目のチャンピオンを取ったら引退していた可能性も
あるけどね。
- 270 :
- >>267
'73
二代目フライングスコットをdisるなよ。
- 271 :
- >>270
クラーク+Lotus72Dの方が速いだろうな。
- 272 :
- '73はコンストラクターズチャンピオンはロータス。
ロータスはフィッティパルディとピーターソンが勝ち星を分け合ったので
ドライバーズチャンピオンをスチュワートに持って行かれたが、
クラークがロータスにいれば、そんなことはなかったと思われ。
- 273 :
- 多分LOTUS49B/FORDは前後の高い位置にウイングを設置して走行中に
ウイングが外れ空力的バランスを崩してチームの2台がクラッシュしたから
F-2ホッケンハイムで生き残ってもF-1で無事でいれたかどうか?。
- 274 :
- >>272
いいレス番だがw
クラークがいたらリントがロータスに入らず
クラークが72で死んでたと思うよ
- 275 :
- あの頃のLOTUSは49をプライベートチームに売却していて、M.アンドレッテイやJ.シフアート等は
好成績を残していたからね。
- 276 :
- マリオはプライベートチームではなく、ロータスのワークスだよ。
- 277 :
- ウイングカー(TYPE-78/79)時代のLOTUSじゃなくて、TYPE-49B時代もワークスチームだったの?。
ワトキンスグレンではフロントノーズが壊れるまでTOPを走ってた筈だけど?。
- 278 :
- マリオは1968年、69年にロータスのワークスから出場している。
- 279 :
- クラークやリントや鈴木誠一や風戸裕が死なずに
このクズ糞コテがRば良かったのに
- 280 :
- >>176
いるよ、ここに。
確かに読んだはずですが、車はアストンマーチンでしたか・・・
ジャガーの話は別の本かなぁ。
おっとジャギュアかw
- 281 :
- クラークがロータス49のデビューウィンを飾った1967年オランダGPの写真だけど、
http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/image/4042.html?object=1541;page=1
クラークとヒルが、全く別のレーシングスーツを着ている。
この頃は、レーシングスーツは、ドライバーが私物としてあつらえたのかな?
- 282 :
- むしろチーム全体がそろいの服を着るようになったのなんて
せいぜいこの25年ぐらいだろw
'80年代あたりまで
同じチームでドライバーのスーツが違うなんて
別に普通のことだったけどな
- 283 :
- マクラーレン在籍のセナが赤いスーツを着ていたしな。
- 284 :
- G.ヒル/J.クラーク時代は未だノーメックスの耐火スーツは無かっただろ?。
- 285 :
- >>266
意味無いタラレバだけど、70年過ぎごろまで走ってたら40勝は固かったかな?
年間16戦だったら50勝越えもあったか。
まあこれは同時代の他のドライバーにも当てはまるけど、
クラークvsスチュワートのチャンピオン争いとか・・・・
- 286 :
- >>283
プロストも基本的に同じ赤いスーツを着てなかったか?
セナは腹の所にナシオナル銀行のでかいパッチをつけていたから、
ちょっと両者の印象は違っていたけど。
>>284
クラークの頃のレーシングスーツは燃えるの?
- 287 :
- >284
60年代後半ならノーメックスはあるよ。
最初は空母の航空整備士用にデュポンが開発したのが60年代前半で
初期の宇宙服にも採用されたはず。
- 288 :
- この頃は一応耐火繊維で作っては有るけど、萌えたのじゃ無い?
レーシングスーツ下に耐熱/耐火繊維で出来た下着も着用して無いし
この後にP.カレッジやJ.シュレッサーが事故死しているけど2人共焼死だろ?
この頃は燃料タンクにも安全規定が未だ無かったし。
ただ難燃度合い/耐火度合いが年々向上した素材が開発されているんじゃない?。
- 289 :
- 映画「F1グランプリ 栄光の男たち」でセベールがレーシングスーツに着替える
シーンがあったけど、耐火素材の下着を着てたね。
逆に1980年代後半には、普通のTシャツとか着てるけど、レーシングスーツの
性能が上がったの?
- 290 :
- まぁ安全燃料タンクが出来た、燃料タンクの搭載位置がウイングカーデザインで安全なコクピット背後に成った
ライフサポートシステムは出来た、ヘルメットはフルフエイスに成った、Gセンサーで作動する消火システムは出来た等は有るね。
一般的な耐火繊維でも昔は石綿系から最近はカーボンクロスに変わっているから。
- 291 :
- セナがレーシングスーツの下に着ていたセナのロゴ入りやセニーニャの
Tシャツって、耐火繊維の特別製なの? それとも普通の綿シャツ?
- 292 :
- セナの頃はヘルメット(スネル規格)や耐火スーツの明確な基準が出来ていて普通のシャツじゃ無いと思うよ。
- 293 :
- あれは耐火繊維の特別製Tシャツなの?
- 294 :
- クズ糞コテに物を訪ねる愚かさよw
- 295 :
- 他に知る香具師が居ないからねwww。
- 296 :
- 糞煮込み屑コテ
- 297 :
- 間違った知識と
犯罪そのもののの誤った見識で
世界中に害悪を広めるクズ糞コテはすぐにR
- 298 :
- クラークはウィング+スリックタイヤの時代を迎える前にこの世を去ったからな
70年代まで生きていたらどうだったのかな?って思うことがある
ノーダウンフォース、ローグリップ時代だからこそ卓越したドライビングテクニックが生きてたって可能性がありそうでさ
葉巻型時代は速かったけど70年代に入って精彩欠いたドライバーっている?
G・ヒルの場合は年齢が〜で例に出すのはどうかなって感じなんだけど
- 299 :
- D.フルム。
- 300 :
- >>299
フルムは70年代になっても毎年の様に勝っていた筈だが。
- 301 :
- 間違った知識と
犯罪そのもののの誤った見識で
世界中に害悪を広めるクズ糞コテはすぐにR
- 302 :
- D.フルム
'60年代:ワールドチャンプ2階
'70年〜'71年:未勝利
'72年〜'74年;各1勝
- 303 :
- ハルムは30代半ばで次第に下り坂の時期
それに気づかないのが
クズ糞コテの知能の低さを物語るw
- 304 :
- >>302
また嘘を書く
- 305 :
- 次いでにいえば、フルムの70年代の成績はそのクルマも考慮すべきだな。
- 306 :
- ブルース.マクラーレーン時代のマクラーレンですが何か?。
- 307 :
- >>306
ブルースが亡くなって低迷していた時期を考慮しろ、って言ったんだけど、何か。
- 308 :
- クズ糞コテとまともな話なんかできないよw
嘘と勘違いと捏造が形になったような悪質な生き物だから
- 309 :
- そもそも、60年代、70年代の両方で勝った人はあまり居ないし。
70年をどちらに入れるかで違うが、71年以降ならば、ステュワート・イクス、そしてフルムの三人だけかな?
(70年をいれても、あとはリントとブラバムか?)
で、上の三人うちステュワートとフルムは引退年にも勝っている訳で、イクスならまだしも、フルムを70年代に入って精彩を欠いたドライバーの代表に挙げるのは如何なものかと。
(イクスは精彩を欠く、というか期待はずれ感はあるな。)
あと、60年代の若手有望ドライバーって、皆、亡くなってる印象があるよ。
- 310 :
- 何だ、ぱいゴル=セク課なのか
早く産廃処理施設で処理されろよ
- 311 :
- J.イクスはフエラの後、チームを次々に変わっているからねw。フエラ以外のチームで競争力が
有ったのは初のモノコックボデイを採用したブラバム位だろ?。
まぁ彼はJ.Wやポルシェでの活躍の方が印象が強くねぇ?。
- 312 :
- >>309
リカルド・ロドリゲスが生きてれば、60年代の勢力図も変わったかもしれないね。
あと、無名だけどピーター・ライアンもトップドライバーになれる才能があったと思う。
>>311
イクスが乗ったBT26Aは鋼管スペースフレーム。
ブラバム初のモノコックシャシーは70年のBT33。
- 313 :
- イクス・ステュワート以外の60年代後半の活きの良いドライバーで生き延びたのって、
Mr.不運のエイモン位かな。
ばっと亡くなってた人を思い浮かべるだけで、リント・シファート・カレッジ・ロドリゲスが浮かぶ。
アメリカンでは、レブソン・ダナヒューも亡くなってるな。
兎に角、死にすぎ。
- 314 :
- C.エイモンはフエラの絶不調時に在籍し、自らのF-1チームも全く冴えず
F-2パワーユニットのBDAのリビルトさえ好成績は残せなかったなw。
- 315 :
- ジミーが生きていたら、68年のチャンピオンは確実に取っていただろうね。
69年は微妙。70年は、ロータス72で事故ってたかも。
でもジミーの事故死がなければF1での安全ベルト導入もまだだったろうから、
リントみたいな死に方はしなかったはず。
- 316 :
- >>でもジミーの事故死がなければF1での安全ベルト導入もまだだったろうから、
>>リントみたいな死に方はしなかったはず。
もっと悲惨な死に方だったかもね
てかシートベルト導入はクラークのせいなのか?
- 317 :
- ジミーが事故死したときのF2にシートベルトがなかったため、車から
放り出されて木に激突死したことは、フォーミュラ・カーへのシートベルト
導入の一つの原因になっているよ。
- 318 :
- ひとつの原因でしかないだろw
おまえwiki信じてるの?w
- 319 :
- コースアウトして木に激突してコクピットから放り出されたのじゃねぇ?
- 320 :
- クラークの車は、コースアウトして何度もとんぼ返りしたそうだから、
そのとき放り出されたんじゃない?
- 321 :
- 他人様の尻馬に乗って間違った知識を書くのが
クズ糞コテの唾棄すべき悪癖
- 322 :
- まぁ今の様にカーボンモノコックじゃないし、ライフサポートもハンズもない
コース全周に渡ってアームコバリアも無ければマシンから出火しなかったよ〜だけど
旧ホッケンはモンザやスパと並ぶ高速コースだから、いずれ助からないね。
- 323 :
- だからクズ糞コテは殺○犯に故意に3回当てられて焼死してから来い
- 324 :
- Mr.生沢氏がF-2で2位に入った時の外誌を観て初めて旧ホッケンハイムのコースを観たけど
本当に森の中を走ると言う感じで、Mr.古館氏が「情念の森」と称し、
ポニーキャニオンのF-1独GPのCDを聴いて様子が良く判ったよ。
- 325 :
- 旧ホッケンってのは「シケインがない」じゃなく
「超巨大オーバル」のことを言うんだよw
クズ糞コテは間違った知識をばらまく病原菌
- 326 :
- 高橋が勝った頃か。
- 327 :
- 別にシケインの話はしてねぇ〜ねどなw。
Mr.生沢氏が2位に入ったのは'70年。
ジム.クラークカーブやアイルトン.セナカーブは後で命名されたコーナ-だけど
オストカーブは昔から有ったんじゃねぇ?。
- 328 :
- クズ糞コテ=話にならないバカ
生きている資格すらない
富士GCの殺○犯に3回当てられて焼死しろや
- 329 :
- 「Mr.」と「氏」は、同時に使うべきではないと思うんだ。
- 330 :
- こまけぇ〜こたぁぃぃんだよ。
♪ラララララララララ〜1234567 お願いミスタ〜>>329♪
- 331 :
- だからクズ糞コテはR
殺○犯に故意に3回当てられてR
- 332 :
- ノーダウンフォース、ローグリップ時代に卓越したドライビングテクニック
を誇っていたクラークが、ウィング+スリックタイヤの時代に通用しなかった
とは思えない。
68年にチャンピオン取って引退でも、シーズン6勝で通算30勝はしたと思う。
シーズン3位だった67年でさえ4勝しているから。
- 333 :
- 60年代末期からテクノロジーの進化は目覚ましく
ドライバーの占める比重は急速に減少し
如何に良いマシンを製作しドライブ出来るかに掛かって来ますた。
多分彼の能力のみで選手権を制覇することは困難だったでせう。
- 334 :
- ぺヤングのCMに出てたしのすけってジムクラークに似てるな
- 335 :
- ロータスは1968年、1970年、1972年、1973年とコンストラクターズ・チャンピオン
になっているから、十分コンペティティブだと思うけど。
- 336 :
- クズ糞コテと話し合おうとするのは「愚行」でしかない件について
- 337 :
- まぁLOTUSはウイングを付けた49Bやウエッジシェープ、サイドラジエター、インボードブレーキ、3枚ウイングの
72が良かったからね。
- 338 :
- 彼はJ.ブラバムやB.マクラーレンやD.ガーニーやJ.ホールの様に
自分の所でマシンを創ってなかったからドライブに集中できたのじゃねぇ?。
- 339 :
- クズ糞コテは何も考えてない激烈低脳だから
大間違いなことを書き込めるんじゃねぇ?
- 340 :
- スターリング・モスが、ジム・クラークはあまりメカニックには詳しくない
と書いていた。
- 341 :
- リントはメカに詳しかったのが悲劇だよな
死ぬかも知れないマシンだと分かってたわけだから
- 342 :
- でも安全ベルトのバックルでノドを切られて死んだのは、自分のミスだろ>リント
フルブレーキでインボードブレーキのシャフトが折れたのは、マシンのせいだが。
- 343 :
- いや、シャフトが折れなきゃ生きてたわけでw
ミスは全てチャップマンの責任w
- 344 :
- ロータス72はマクラーレンのM23/26と並ぶ長年に渡って活躍出来たマシンですな。
- 345 :
- クズ糞コテは長年に渡って害悪ですな
- 346 :
- HONDAの故Mr.中村良夫氏がMr.チャップマン氏の造るマシンは
限度を超えた軽量車だと著書の中でカキコしていた位ですから。
まぁパワーは有るが重いHONDA車からして見れば軽いLOTUS車は
裏山椎かったのでせぅ。
- 347 :
- 他人の尻馬に乗って下らない知識を披露したがるが
その知識が大間違いなのがクズ糞コテの特徴
- 348 :
- >>346
60年代から70年代初めまでのF−1については中村良夫氏の著書か
CG、ASくらいでしか当時の日本では紹介されて無いからねぇ
古い人ならみんな知てるちゅうねん、おまえだけが判ってる様な書き方するな
それに>限度を超えた軽量車だと著書の中 とは言うがその前後になんて書かれてた
ただのロータス批判だったか、もう一度読み返せ
- 349 :
- 昔、弟とF1談議してたら、いつもブスっとした感じの叔父が
「オジサンの若いときは、ジム・クラークと言ってだなフライング・・・なんだっけ」
とほろ酔いで笑顔で嬉しそうに話してたっけ。
もちろん知っていたさ、フライング・スコット。
でも、オジサンごめんね。
俺は、当時どちらかと言うと努力の人、モナコ・マイスターの方が好きだったんだ。
遠い思い出。
48になっちまった。
- 350 :
- 48でリアルタイムでクラーク、ヒルを知っているの?
クラークが死んだときには、4歳になるかならないかだろ
- 351 :
- >>350
いや、流石に雑誌でですよ。
私の時代はマンセル、ピケ、セナ、プロでしたよ。
叔父は、個人タクシーの運ちゃんでしたが大きくて怖かった。
このスレを見て、叔父を思い出しました。
- 352 :
- まぁLOTUSにHONDAエンジンを搭載するプランがLOTUSの契約問題でダメになって
Mr.中村氏はMr.チャップマン氏に怨みが有ったのじゃねぇ〜のw?。
- 353 :
- >LOTUSの契約問題
表向きにはそうかも知れんけどよ、実際は1.5Lなのにあんなに大きくて
重くて、しかも横置きでミッション一体式では整備性が悪すぎてよ、
チャップマンは一目見て、連戦では使い物にならないと見抜いたんだろうよw
そんなのジョーオシキ♪ あ、これこれ♪
- 354 :
- 判ってねぇ〜なw。
LOTUSに搭載の話はF-2用パワーユニットの話w。
ロータスがF-1用パワーユニットをFORD系のクライマックス社のパワーユニットに決定したので
F-2用にHONDAを採用出来なくなり契約が進んでいたMrC.チャップマン氏がMr.中村氏に
搭載出来ないと断って来たのだよ。
そのHONDAエンジンはブラバムに搭載され結果はご覧の通りw。
- 355 :
- 他人の尻馬に乗って細かい知識自慢をしたがり
しかもその知識が間違いだらけなのがクズ糞コテの唾棄すべき特徴
- 356 :
- しかも、下品な名前2つ使い分けるという意味不明なオツムの持ち主と来たもんだw
- 357 :
- >ロータスがF-1用パワーユニットをFORD系のクライマックス社のパワーユニットに決定したので
そりゃ3リットルになってからの話じゃないか。
ホンダの参戦は1.5リットル時代だぞ。
- 358 :
- F-2のパワーユニット供給は'65年からですけど何か?。
- 359 :
- ホンダのF1参戦は1964年。
だからLOTUSの契約問題云々は1963年以前。
- 360 :
- >>354
- 361 :
- >>354
そもそもこの時点でのコヴェントリー・クライマックスはフォード傘下じゃないだろw
- 362 :
- バカを晒して楽しんでるのか?糞コテw
- 363 :
- HONDAがF-2用1000ccのパワーユニットを'64年からLOTUSに供給する予定が
LOTUSが断ったので'65年からMRDに供給変更した話じゃねぇ〜か。
HONDAのF-1参戦とは何ら関係ねぇ〜よ。
クライマックスはFORDの傘下じゃねぇ〜けどFORDとは協力関係だったのだよ。
- 364 :
- そういや中村さん、クラークに、ホンダみたいな重い車はいかに運転しにくいかを
聞かされた、と本に書いてたな。
- 365 :
- 今頃気付いて話題を逸らす・・・・
まぁぃぃけどwww。
- 366 :
- 嘘つきが正直者をあざ笑う
1974年のGC事故のような図式だな
クズ糞コテは殺○犯にガーンと3回当てられて焼死しろや
- 367 :
- 漏れは国家資格の消防設備士、防火管理者等を所有し鳥ますので大丈夫www。
- 368 :
- もうメチャメチャだな。大嘘つき野郎。
ホンダがロータスにエンジン提供する話しは1.5L・F1エンジンだし、
コベントリー・クライマックスはフォードでは無くジャガーとの関係が深く、その関係からチャップマンはホンダに断りを入れた。
(ホンダは当て馬にされたとも)
で、仕方なくホンダは車体まで作って自社参戦する事になったのは有名。
- 369 :
- >>367
そんなもん持っとっても、ガーンと当てられて火ダルマになったら役に立たんだろうが蛆虫
- 370 :
- >>368
ロータスとジャガーはどんな関係なの?
ロータスのシャシーにジャガーのエンジン?
- 371 :
- そこら辺はあまりよく知らない、かつ手元に資料が無いので適当、うろ覚えで書くが、
(ホンダの四輪進出を恐れたであろう)ジャガーが、関係の深いコベントリー・クライマックスに、
ロータスに対する更なる援助(32vエンジンの開発辺り?)を約束させた事により、
ロータスが手を引いた。
ロータスはホンダを当て馬に使い、クライマックスから更なる援助を得た?
ホンダはロータスに1.5L・F1エンジンのモックアップまで送っていたが、
電報一本でその約束を破棄され、『ホンダはホンダの道を行く』と返電した。
これによりエンジンテスト用のRA270だけで無く、レース参戦用のRA271を開発し自社参戦する事となった。
- 372 :
- 1L・F2エンジンについては、
もともとF1エンジンの供給先として、ホンダはMRD(ブラバム)を有力と考えていたが、そこにロータスが強引に割って入った。
結局F1は自社参戦となったが、MRDには純レース用の1L・F2エンジンを開発し提供する事となった。
ここら辺の事情については、ホンダ側の当事者であった中村良夫氏の著作に詳しい。
大嘘つき野郎はMr.中村良夫氏などと書きながら、その著作は全く読んで無い様だな。
ホンダの純レース用1L・F2エンジンをS8ベースなどと堂々と書き込む様な人物、
さっき食べた食事の事も忘れてしまう人物だから致し方無いけどな。
- 373 :
- >>352
中村氏のチャップマンに対する恨み云々でいえば、
CGの小林氏による『65年英国GPブランズハッチの決闘』(@中村氏本人)と題された、中村氏とチャップマンの、
画面からも険悪な空気が漂って来るツーショット写真があるな。
大嘘つき野郎は見た事があるかな?
- 374 :
- 間違えた。64年の英国GPでの写真だった。失礼。
(本当だったら64年の英国GPから参戦予定だったが、クルマが間に合わず、
視察のみする事となった時のお話)
- 375 :
- <<ホンダの純レース用1L・F2エンジンをS8ベースなどと堂々と書き込む様な人物、>>
然し、リザルトにはS800と記載されてサイトも存在する。
<<CGの小林氏による『65年英国GPブランズハッチの決闘』(@中村氏本人)と題された、中村氏とチャップマンの、
画面からも険悪な空気が漂って来るツーショット写真があるな。>>
あの写真は小林彰太郎氏が写した写真で中村氏が「この写真を撮ったのは誰だ!w」と書いて有ったなw。
- 376 :
- >>375
ああ・・あの写真小林彰太郎さんが撮ったのか!
ナカさんは後ろ姿で、チャップマン氏のバツが悪そうな顔が印象的でナイスw
- 377 :
- >>370
帰宅したので補記。
以下、中村氏の著作より引用。
チャップマンから至急電が送られてきた。
曰く、"種々折衝したが、その後コベントリー・クライマックスはジャガー社がそのレース部門をコントロールすることが決定した。
ロータスとしてはジャガーからいろんな形での援助を受けているので、クライマックスがジャガーの支配下に入った現在、
ホンダのエンジンを使う訳にはゆかなくなった。
何卒不悪御了承賜りたし"というものであった。
『HONDA F1』より
ジャガーからロータスへの援助ってどんなものだったのだろう?
やはり、巧く当て馬に使われた様な気がする。
あと、都合よく適当にコテを使ったり使わなかったりするな。
- 378 :
- ジャガーでは御座居ません。ジャギュワア〜と発音して頂きたい。
- 379 :
- 大嘘つき野郎は黙ってね。
- 380 :
- ジャガーでいいの。
本家本元のJaguar Cars Ltd のHP
ttp://www.jaguar.com/gl/en/marketsel
ここの日本語ページでジャガーと表記してる。
- 381 :
- 最初はジャギュワア〜と発音して頂きたいとジャギュワア〜はJAPANのメデイア/フアンに
雑誌CGの広告でお願いしていたがJAPANサイドが全く無視したので諦めたのだよ。
- 382 :
- ジャガーだろうがジャギュワア〜だろうがどうでもいいが、アゴスティーニの
ティーガーってのは何だ?
タイガーかティーゲルじゃないのか?
- 383 :
- その類いでいえば、『フォルクス・ワーゲン』てのは正しいの?
- 384 :
- ジャギュワ〜は英語だけど
ワーゲンは独逸語だから
シューマッハの様に英語読みか独逸語読みでは違うのじゃねぇ?
例えばPorcheは日本ではポルシェだけどUSAではポーシアに近い発音だろ?。
- 385 :
- 3歳になるウチの子もポーシェと言ってるぜいw
- 386 :
- モスとチームメイトだった頃は常にモスの後塵を拝していた人だね>クラーク
- 387 :
- モスはプライベートのロブ・ウォーカーやがな。
同じマシン使ってた時は相手にしてなかったと言ってたけどね。
- 388 :
- モスが引退してから速くなった人
- 389 :
- 1976年生まれだけどクラークの走り、生で観てみたかったなあ…
でも一試合だけ過去に戻って観れるならやっぱり1950年の開幕戦?
- 390 :
- >>384
オレはドイツ語は全く知らないのだが、ワーゲンのWはヴァーゲンとは読まないの?
BMWのWはヴェって言うじゃん。
独逸語にも堪能な、百の名前と、名無しの自演を駆使する某コテさん、
教えて下さい。
- 391 :
- その通りだけど、漏れは文部科学省認定実用英語講座3級wだから
英語は全く詳しくねぇ〜けど
例えば
独逸のモタスポ誌AUTO MOTOR & SPORTSは
英語読みするとオート.モーター.アンド.スポーツだけど
独逸語読みだとアウツ.モートル.ウント.シュポルツだ。
メーカーのBMWは
英語だとバイエルン.モーター.ワークスだけど
独逸語だとバイエリシェ.モトーレン.ヴェルケ(Bayerische Motoren Werke) だわな。
- 392 :
- あちらこちらで間違った知識を開陳するクズ糞コテ
- 393 :
- F-1ロータス49/DFVの成功とは裏腹に60年代後半のロータスF-2は不振を極めたからね。
ノーマルのコスワースFVAではJ.クラークでも如何とも使得なかったと言うことかw。
- 394 :
- J.リントはF-2キングの称号を得たが、この時のマシンはLOTUS-59B?
- 395 :
- リントがF-2キングと呼ばれたのは、F-1で勝つ前じゃないの?
だとしたら、ロータス入りする前。
- 396 :
- クズ糞コテは間違った知識と低劣な見識を世間にばらまく悪質病原菌
- 397 :
- 彼はF-1で複数の入賞でグレテイッドドライバーに成っているから、それ以降
F-2で勝ってもチャンピヨンシップテーブルに載らないちゅ〜か、ポイントが付かないんだな。
ブラバムに乗った'67年に英国内のF-2チャンプを獲った時にその称号を得たよ〜だ。
- 398 :
- クラークのチームメイトってヒル以外に速い人いた?
- 399 :
- デビューイヤーのジョン・サーティースくらい?
まだ二人とも、それほど速くなかったけど。
- 400 :
- >>399
サーティースってウォーカーからのスポットじゃないかった?
- 401 :
- いや、サーティースはチーム・ロータスからのスポットだね。
- 402 :
- S.フェテルがクラークのPP獲得回数に並んだみたいだが・・・
89戦も要しているのか。
- 403 :
- 実はかなりの女好きで、夜、同じ部屋でチャップマンが寝ているときでも、
女とセックスしてたとか。
- 404 :
- セナやシューマッハのように最初からチームメイトを圧倒して速い訳ではなかった
- 405 :
- そりゃまあ、ロータスでデビューだからね。
- 406 :
- >>399
サーティースは初めから速かったよ。3戦目でPP。
クラークも1年目で表彰台に上がってたはず。
- 407 :
- サーティースはデビュー2戦目で2位入賞、3戦目でPP。
クラークはデビュー5戦目で3位入賞だね。
- 408 :
- クラークよりサーティースの方が年上なんだね。2輪で世界の頂点に立った
後だから当然か。
- 409 :
- ロータス49とクラークのおもしろい話知ってる人いません?
- 410 :
- 前後ウイング付きのLOTUS-49Bには乗って無いなMr.クラーク氏は。
- 411 :
- Mr.クラーク氏 ←ここを突っ込んで欲しいのか?w
- 412 :
- >>409
当時クラークは税金逃れでパリに住んでいたため、ロータス49の開発テスト
はヒルによって行われ、クラークは49のデビュー戦である1967年オランダGP
の予選2日前に初めて接した自分用の車で、49のデビュー・ウィンを飾った。
- 413 :
- >>412
で、テストを担当していたヒルは当時のDFVのアキレス腱であったカムギアが壊れてリタイアだっけ?
49では予選はヒルの方が速い事が多かったが、クルマを最後まで持たせなかったんだよな。
でも、イタリアGPは二台とも圧倒的に速かったよな。
首位だったヒルがパンクで遅れ周回遅れになったクラークとスリップを使いあって、
あっという間に二位集団にクラークを追い付かせた(て事は、ヒルはほぼ二位以下を周回遅れにした?)。
結局、勝ったのはサーティースだけども。
ノーカットでレースを観てみたいよ。
- 414 :
- 面白い話じゃなく、年輩の方なら知ってる話しなのじゃろうが
その49に積まれたDFV、その後10年以上メーカー系以外の
スタンダードエンジンになるんじゃが、デビュー時のDFVは
過渡特性が悪いオンかオフかみたいな非常に扱いづらい特性の
エンジンだったそうな
そんなエンジンでクラークは67年旧ニュルブルクリンクの予選で
2位を9秒離してポールになったとさ
- 415 :
- 1967年のロータス49でのPPは、クラーク6回、ヒル3回。
ヒルのリタイアが7回もあり、2回しか完走していないのは、テストを担当
させられていたからかな?(クラークは6回完走、リタイア3回)
デビューした年の49はいろいろ問題が多かったようだな。クラークが、それら
が解決した1968年のデビュー戦で勝ったのに、4月のF2レースで死んだのは、
実に惜しい。
- 416 :
- 1968年のデビュー戦→1968年の開幕戦
- 417 :
- >>415
クラークの方がPP多かったのか。
やはり、それはそうか。ごめんなさい。
何かの本で、クラークは予選は負ける事も多かったが、
決勝ではトラブルを抱えたDFVを労り、最後まで持たせ勝った、というような事を読んだ気がしたもので。
言い訳、御免。
- 418 :
- そういえば、DFVデビュー戦(秘密の固まり)のオランダでは、地べたに部品を並べて、
総人監視のもとでエンジンのオーバーホールをしている写真があったよね。
で、それをホンダの中村さんが興味深く眺めて、内心、こりゃ敗けだな、と思っちゃったりしている。
今考えれば信じられない牧歌的な時代だよな。
- 419 :
- ロータス49は1967年のオランダGPでデビュー以来、同シーズンは9戦全戦PP
だから、やはり最初から傑出したマシンではあったんだろうな。
- 420 :
- デビュー当時のロータス49は、DFVエンジンのタイミングギアだけでなく、
ZF製ギアボックスの信頼性にも問題があったそうだ。フランスGPで、
クラーク、ヒルともにギアボックス破損でリタイアした。
49Bでは、ヒューランド製ギアボックスに改められている。
- 421 :
- >>420
当時のZFって、ギア比の変更が難しい、ファイナルでしか調整が出来ないレースには不向きなギアボックスだと読んだのだが、
なぜそれを使用するメーカーも多かったのだろう?
ポルシェなんかはドイツ繋がりでまだわかるのだが、何故ロータスまでが使用したのだろう。
ヒューランドはギア比の変更も簡単で、ダンガーニーモデル等で、レースでの実績も充分だったと思うのだが?
- 422 :
- ZFはシンクロ付きだったからじゃないの?
話はずれちゃうけど、プリンス時代にヒューランドに苦労した為に、日産に合併された後に作られたR380はドライバーの負担を減らす為にシンクロ付きのZFに変更されたって話もあるし。これも1967年だな。
- 423 :
- ああそうか、ZFはシンクロ付きだったか。
だったら、耐久のポルシェはやより納得出来るのだが、
スブリント向けのコンストラクターがZFを採用したのは不思議だなぁ。
まあ、いろんな理由があったのだろうけど。
- 424 :
- チャップマンだと、ZFは軽いから選んだ、とかいうのが一番ありそうだけど。
クラークやヒルが、シンクロ付きギアボックスでないと操作できないという
のはなさそうだから。
- 425 :
- そういえば25や33もZFを使ってなかったっけ?その流れで49に使ったけど不具合が目立つようになったって事じゃないの。
- 426 :
- >>425
ああ、そうだね。
ZFのギアボックスは、1.5Lエンジンのパワーには丁度よかったけど、
3Lエンジンのパワーには耐えられなかったということか。
- 427 :
- 何となく、ZFの方が頑丈だが重そうだけど、そんな事はないのか。
- 428 :
- >>422
ヒューランドが2リッターのプロトタイプカーには容量不足だったため、余裕のあるZFに変更したという桜井氏の手記を今は亡きオートテクニック誌だったかで読んだような記憶がある。
まあ当時のプリンス、日産はルマン出場を遠い目標としていたと言われるので、シンクロが付いていることは有利と判断した可能性もあるが。
- 429 :
- >>426
ロータス49は66年のそれほど遅くない時期からDFVと同時並行的に開発していたと思うので、ヒューランドのDG300は実績面で検討の対象にならなかったと思うし、そもそもあれはAARがイーグル用にオーダーした製品なので他社は入手できなかった可能性が高い。
- 430 :
- 当時のF1は排気量倍増で、色々とエンジン以外にも難しい所が多かったんだな。
タイヤが一気に太くなってグリップも上がって負荷も増えていたし、同じ様に、スボーツプロトも飛躍的にパワー等々が発展した時期だし。
中村さんの本によると、3L・F1か本格的な馬力を出す様になった67年モナコは、
全車ドラシャをが壊れたそうだし、
ホンダ3L・F1はデフのセッティングが難しく、
常にホイールスピンに悩まされたらしい。
で、その根本的な解決になったのはウイングの装着、ダウンフォースだったと。
- 431 :
- >>426
ZFをやめたのは、シンクロ付きのZFは重量及び現場での整備等の負担から短距離レースに向かなかったこと、ヒューランドが軽くて丈夫なFG400を出したことが理由ではないかと思います。
67年のミッショントラブル(及びDFVのトラブルの一部)の原因は、シリンダーヘッドとミッションでリヤサスペンションを支持する構造そのものにあると、ホンダの中村良夫さんが当時強く批判していたと記憶しています。
歯車の強度は十分だったがミッションケースが結果的に強度不足というか、49の構造が当時の常識を超えていたと評価すべきでしょうか。
- 432 :
- >>430
ああ、そうでしたね。ホンダはデフのリングギアだったかにプリロードをかけづらい構造で、LSDの効き具合が不安定だったそうですね。たしかRA301の中期ぐらいに他社で実績のあるZFデフを(多分、宗一郎には内緒で)導入したという文を読んだようなとても曖昧な記憶があります。
- 433 :
- >>432
確か、本田宗一郎の信念でローラーベアリングかボールベアリングしか許されていなかった、
テーパーベアリングが使えなく(エンジンにはプレーンベアリングが)、横方向への入力に弱かったんだっけ。
- 434 :
- 409です
やっぱ49はdfvとミッションがらみの話がおおいですねー
dfvはプーリー類が前(進行方向)にあるのが弱点だった(振動とか)となにかでよんだ記憶があります
当時ほかのマシンはプーリー類はミッション側だったんですか?
- 435 :
- >>433
中村良夫さんが結構強烈な言葉で、本田さん(の技術に対する考え方)を批判していましたね。
第一期のホンダF1は紛れもない壮挙でしたが、本田宗一郎社長、藤沢武夫副社長、技術研究所、中村良夫さんらの思惑というか、それぞれの向く方向が微妙にずれていたことが5年で2勝(立派な成績であると同時に物足りない成績でした)に留まった原因だったのでしょうか。
ホンダをドライブした三人のドライバーにとっても不満が残る結果だったでしょう。
- 436 :
- >>435
スポット参戦の3人も勘定に入れてやれよw
- 437 :
- >>436
すっかり忘れてました。シュレッサーが焼死、ホッブスは正式な第二ドライバーなのに一戦しか乗車できずリタイア、こちらも不幸でしたね。ハッピーだったのはホンダ最後のメキシコで5位(でしたっけ)入賞のボニエだけですね。
- 438 :
- >>436
ボニエは満足しただろ。
草履顔は残念だったかな。名前もろくに覚えて無いからなぁ。ポップスだっけ?
あとは、言うに及ばず。恨まれているだろうな。
>>434
ホンダのV12はV6+V6
2つのV6エンジンの真ん中でカム駆動、パワー取り出しだから、補機もそこから駆動。
スボーツカーだが、ボルシェの917も確か同じ様な形式。
(後年、この形式が時代遅れ、廃れてから、フットワークだかのF1エンジンに採用して、大失敗した筈。)
Rーリはどうだっただろう?
昔は長いクランクシャフトが造れない、振動対策が難しい等の理由でエンジンの真ん中から出力を取り出したりかむを駆動するのが当たり前だった。
- 439 :
- わぁ、被った。
おまけに感想も似ているし。
- 440 :
- ロータス25、33とクラークのおもしろい話知ってる人いません?
- 441 :
- >>440
はて、時代をさかのぼりすぎるような観もあるけど、子供の頃に旺文社の学習雑誌wで読んだ「65年イギリスGP 走らないロータスと止まらないBRM」はワクワクしたな。
- 442 :
- 1965年イギリスGPはクラークがポール・トゥー・ウィンしているけど、どこが
「走らないロータス」だったの?
- 443 :
- >>442
途中から白煙吹き出し、エンジントラブルの兆候。クラークは通常より高いギアを使って常用回転を下げ、タイム落としながらも逃げ切った。ゴール直後に本当に壊れてウイニングランはできなかったと記憶しているが、ここは少々記憶が曖昧。
ヒルは中盤からのブレーキトラブルでクラークを追いきれず僅差の2位。生で見ていた人は熱狂したでしょうね〜。
ホンダの中村さんだったか海外記者だったか忘れましたが、クラークはこういう悪いなら悪いなりに走るというか、トラブルを上手に騙して走るのがうまかったという評価がありましたね。67年のロータス49+DFVデビュー年などその真骨頂でしょうか。
- 444 :
- ついでに妄想書けば、映画グラン・プリの中のイギリスGPで、日本のヤムラがオイル漏れ→炎上しながら1位?でゴール直後にコース脇に車を停めドライバーが脱出するシーンがありましたが、これは撮影が行われた66年の1年前のシーンをたたき台にしたと勝手に考えています。
この映画は65年のBRMのシケインでコースアウト→水没も再現したり、Rーリチーム内の確執が主要テーマの一つだったりと楽しませてもらいました。
- 445 :
- >>443
クラークは、ギア抜けするのを右手で押さえながら、左手だけで運転して
勝ったこともあるそうですね。
49デビューの1967年のヒルのリタイア7回というのは多すぎる気がするけど
(クラークはリタイア3回)、これはテストで自分の車を酷使していたせい
ですかね。
- 446 :
- クラークは操縦技術だけでなく異常を感知する能力に長けていたのだろうと考えています。
初期のDFVのタイミングギヤ破損について、共振する回転数を意識的に避けて操縦していたというのは、よく引き合いに出されますね。
66年のBRM H16エンジンデビューのイタリアでも本家は数周で壊れたのに、クラークは終盤まで走ってますし、2戦目のアメリカで勝利しています。最終メキシコもエンジン故障ではなかったと思います。
やはりトラブルを避けるというか、最悪の事態を避ける能力は抜群だったのではないでしょうかねえ。
- 447 :
- 対するヒルさんは顔を見ても女好きのプレイボーイ(失礼)風で、実はイケイケドライバーだったのではないかと妄想しています。
ヒルの67年はありとあらゆるトラブルを背負って本当にお気の毒。私は当時、ヒルの車は手抜きされとるんやないかと邪推していましたが、ドライバーの能力性格と未熟な車の組み合わせが悪い結果につながったというのが本当のところかなと。
車が安定した翌年は堂々たるチャンピオンでしたね。
- 448 :
- 長々とすみませんが、最後に。
ロータス49の開発を主にヒルさんが担当したのは事実と思いますが、ヒルの車だけが使い減りしたということはないだろうと考えます。
それはヒル車を走らせると同時に、クラーク車もシェイクダウン、慣らし、セットアップを(ヒル自身または多分ジョン・マイルズとジャッキー・オリバーが担当して)やったはずなので、走行距離に大差はなかったと想像します。
さすがに当時のホンダのように一台だけでスペアカーはもちろん、まともなスペアエンジンも無しに戦うということはなかったろうと思いたい。
- 449 :
- >クラークは操縦技術だけでなく異常を感知する能力に長けていたのだろうと考えています。
そう言われていますね。
そのクラークが感知できなかった1968年ホッケンハイムのトラブルは、
単なる後輪タイヤのスローパンクチャーだったのですかね。
>走行距離に大差はなかったと想像します。
1967年オランダGPも、クラークだったからこそ勝てたと?
- 450 :
- 68年ホッケンハイム。当時のドライバーで後輪のスローパンクチャー説を支持した人は少なかったんじゃないですか。
あれぐらい車が壊れてしまえば、原因追及は難しいでしょうし、とりあえずスローパンクチャーを原因にしたんじゃないですかね。真相はチャプマンにもクラークさんにもわからないのかもしれません。
- 451 :
- デビューのオランダに限ればヒル車の走行距離が多かった可能性はありますね。しかし予選終了後にダックワースも加わって全バラチェックしたわけですし、その時点で問題を発見していれば修理したと思います。
そもそもレース車は、個体にしろロットにしろ事前に走り込んで初期故障を排除し信頼性を上げておく必要があるわけで、クラーク車が仮に卸したての新車であったならば、それ自体もリスクだったろうと思います。
私としてはうまく走り切ったクラークが生き残り勝ったと思いたい。
- 452 :
- この時代のロータスについては、クラシックチームロータス・ジャパンに元カーマガジンの藤原さんが関与しているので、いつの日か寄稿していただけると密かに期待しています。本家にはクラークのメカを務めたボブ・ダンスさんもご健在のようですし。
- 453 :
- Lotus in the 60s というDVDを観ると、ロータス49はオランダGP直前に完成、英国で2日間のテストを実施。ヒルは数時間乗ったが、クラークはオランダで初めて49を見た、となっていました。オランダに限れば、どちらの車の使用状況も大差なかったかもしれませんね。
いずれにしろぶっつけ本番に近い状況でポールポジション、ベストラップ&勝利ですから、ドライバーの実力、車の性能ともに抜きん出ていたということでしょう。チャップマンのドリームチームがほぼ実現していたと思います、車の信頼性を除いて。
- 454 :
- フォードの宣伝用と思われるNine Days in SummerはDFVの構想開始からメキシコGPまでをまとめていますが、ヒルはシーズン中にリヤサス破損2回に見舞われたようです。
破損部位はアッパーアーム付け根のボルト折損とアッパーアームとエンジン・ミッションをつなぐ構造部の破損のように見えます。3戦目の高速シルバーストーンで壊れているので、やはり車の熟成(強度)不足だったのでしょう。
トラブルがヒルに集中したのは、車の使い減りだったのか(さすがに定期交換はしたと思うのですが)、クラークがうまく回避したのか、ヒルの不運なのか、今となっては確認のしようもありません。
- 455 :
- 1991年版のThe Legend of Flying Scot(日本語版)に1965年のイギリスGPがちょこっと出てました。「終始油圧の低下に悩まされ、コーナーでは丁寧に、ストレートではスピードを上げて走った」とナレーションがあり、ゴールシーンは映ってなかった。
このレースはホンダがスタートで一瞬首位を奪ったあと、クラークがすぐに首位に立ち序盤で圧倒的なリードを奪ったはずなので、「終始油圧の低下」というナレーションには納得できません。
でも画面で見る限りクラークのロータスは白煙を上げてはいないようなので、私が読んだ少年向け雑誌記事も少々誇張していたのかもしれません。
- 456 :
- The Legend of Flying Scot(日本語版)の中身って、
The Golden Age of Motor Racing - Jim Clark
http://www.youtube.com/watch?v=Xmv5BBd3XdQ
と実質的に同じっぽいね。
- 457 :
- クラークさんとかロータスに関するものだけでなく、写真と違って限られた当時のTV放送や記録フィルムを使っているせいでしょうかねえ。秘蔵とか新発見物が出ないかな〜と妄想しています。あ、DVDの場合は、タイトルだけ変わっている場合もあるかもしれませんね。
個人的に日本語版はナレーションに問題がある(しゃべりではなく、翻訳そのものに)ものが多いように思うのですが、自分で直接脳内翻訳するとさらに破綻するので、板になっている場合は日本語版に頼っています。
- 458 :
- はは、これだけ詳しく書かれると糞コテも口挟めないのか出てこないなw
- 459 :
- 先週〜今週は名無しwww。
- 460 :
- 糞コテ
土人が家畜のうんこて居住用建物の壁などをつくる時に使う道具
- 461 :
- クラークの葬儀・埋葬シーン
http://www.youtube.com/watch?v=2USiWS0HZwA&feature=player_detailpage#t=167s
- 462 :
- ジャック・ブラバムが通算14勝でチャンピオンに3回なっているのに、
クラークが通算25勝でチャンピオン2回というのは、勝ち方の効率が悪いな。
- 463 :
- >>261と言ってること同じじゃんかよ〜。
- 464 :
- 煽りにマジレスもいかがかとは思うけど。
効率が悪いのではなく、彼(とロータスのパッケージ)は「速かった」のだ。
- 465 :
- Please Mr.ブラバム氏がMRD代表兼マシン設計者っだっちゅ〜ことを忘れてはRない。
- 466 :
- >>465
オレは?
- 467 :
- 忘れちゃ〜いまへん。
ブラバムのシャシーNo.のBTのTはロン.トラーナックのTですからね❤。
- 468 :
- クラークがロータス以外の一流チームに入っていたら、通算何勝くらいしただろう?
- 469 :
- もっと長生きして、もっと沢山勝ってたりしてな。
- 470 :
- その可能性は高いように思える。
- 471 :
- その時は何処のチームで勝ち星を重ねていただろうか?
元々、アストンのF1進出の秘蔵っ子であったクラークをチャップマンが強奪してロータスに乗せた訳だし。
現実にはアストンのF1計画は、ミッドシップ時代に時代遅れで、その他諸々で幻となったし。
考えられるとすれば、残る英国系のクーパーかBRMになるよな。
六十年代に入ってからののクーパーは既に下り坂だし、とすれば有力なのはやはりBRMか。
当時のBRMのトップはヒルで、その後に出てくる期待の新星はスチュワートか。
その二人の代わりにBRMとマトラ・ティレルに乗ったとしたら、
なんか、確かにこっちの妄想のほうが遥かに勝ち星をかさねそうだなぁ。
- 472 :
- 66年〜67年とブラバムにいたら、2年連続でチャンピオン取っただろうな。
- 473 :
- Please Mr.ブラック.ジャック氏がNo.2を要求し
彼の前を走行することを許さなかったのじゃないの?
- 474 :
- クラークなら、2扱いでも、天然でブラバムの前を走りそうだ。
- 475 :
- 故D.フルムはブラバムHONDAのF-2時代からJ.ブラバムの後を走っていたが
徐々に早くなりブラバムの前を走るようになったね。
- 476 :
- BRM・ブラバム・ティレル、と、英国系チームを渡り歩いて勝ちまくり、「またスコッチ
野郎か、空気嫁 ('A`)」とシューマッハ並みにウザがられていただろうね (^^)
- 477 :
- チャップマンとはツーカーの仲だが
移籍した他のチームではそうは行かず
結局ロータスに戻り余生を過ごす
と俺は思ってたりする
- 478 :
- クラークはモナコGPで4回もポールポジションを取っているのに、
どうして1勝もできなかったのだろう?
- 479 :
- 運が悪かったんじゃない。
本人はモナコは大好きだったようだが一度も勝てず、
大嫌いだったスパでは何回も勝っている皮肉。
- 480 :
- 同年代にグラハムがいたから?
- 481 :
- 毎回トラブルが出てた。
63年は残り22周で優勝確実な状況だったが…
- 482 :
- 62年から64年にかけて、モナコGPで3年連続でPP取ってるのに、よほど
運が悪かったんだね。
63年はギアボックスのトラブルか。
- 483 :
- '66年の欧州F-2開幕戦でブラバム-HONDAを抑えてP.Pを獲得した彼は
決勝当日雪でレースがキャンセルになり、2戦以降J.ブラバムとD.フルムのブラバム-HONDAの
独走を許すので御座居ます。
- 484 :
- >>482
65年はそこまでシーズン全勝だったが、日程の重なったインディ出場の為にモナコは欠席だったかな。
- 485 :
- クラークが65年のモナコGPに出場していたら勝ったかな?
- 486 :
- >>484
>65年はそこまでシーズン全勝だったが、
開幕戦南アフリカGPで優勝して、モナコGPは開幕2戦目ですな。
- 487 :
- それはそうか。
モナコって、当時はヨーロッパ開幕戦だったな。バカだなあ、失礼。
モナコ後に、ずっと連勝したんだっけ?
- 488 :
- クラークとセナを、ロータス25や49、マクラーレンMP4/4といった同じマシン
に乗せて、取り敢えずサーキットを1周させたら、どちらが速いだろう。
セットアップなしで走ったら、クラークの方が速い気がするんだが。
- 489 :
- ニュートラルなマシン状態なら、プロストが一番速い気がする
- 490 :
- Please Mr、J.クラーク氏は近代の複雑怪奇なダッシュボードの操作に不慣れで
近代的なマシーンではアイルトンに勝てないことでせぅ。
- 491 :
- >>489
マシンがプロスト好みにばっちり決まればプロストが一番速いよ
でも毎回そう上手くは仕上がらないけどね、
とはジョーラミレスの弁
>>490
MP4/4はもうクラシカルな車でしょハンドルのボタンも2つだし
サーキット1周ならブーストもマキシマム固定でいいし
「行く!」と決めた時のケケはクラーク以上かも、とは
中村良夫氏の弁
という事でケケ最強説を俺はとる
- 492 :
- 「行く!」と決めてないときでも速い気がするんだな>クラーク
後半流すセナと違って、ファステストラップが多いし。
- 493 :
- まぁアイルトンでしょうな。
イクオールコンデイション(ラルト+2T-G+コントロールタイヤ)の中で世界一の激戦英国F-3を
圧倒的な強さで制した彼は同じマシンを与えられると飛び出る筈。
- 494 :
- >>493
セナの2T-Gはチューナーのスペシャルだった筈だが。
まさか全部同レベルの性能だと思ってないよな???
- 495 :
- ノヴァモーター製2T-Gのリビルトを担当する別チューナーショップの貝?
そんなのスペシャルと言わないよ。
- 496 :
- 25回も優勝しているのに、どうして2位が1回しかないのだろう?
- 497 :
- 多分チームオーダーでチームメートは彼の前で走行することを
許されなかったのでしょうな。
- 498 :
- >496
バトルが下手だったので、トップで逃げるレースをやる。
華奢なロータスで無理すれば当然リタイア。
ノントラブルで完走という条件なら3位以下も少ないはず。
- 499 :
- クラークは、3位には6回なってる。これも25回の優勝と比べると少ないと
言えば少ないが、なんで2位には1回しかなっていないんだろう?
- 500 :
- >>498
ガス欠で3位に終わった1967年イタリアGPで、パンクで周回遅れになりながら、
猛追撃でトップに返り咲いたのを見ると、バトルにも強かったのでは?
- 501 :
- 晩年のスターリングモスに速さで完敗した男
- 502 :
- >>500
62年ドイツGPで、スタートで30秒出遅れ、追い上げて4位というのもあった。
>>501
晩年といっても、モスの引退はほぼ全盛期の32歳。
モス自身は引退後のインタビューで、クラークは現在最高の天才と評価している。
- 503 :
- >>502
よく御存知で。
英文のクラークの伝記でもお持ちですか?
- 504 :
- >>438
超遅レスですが、
「ホンダのV12はV6+V62つのV6エンジンの真ん中でカム駆動、パワー取り出しだから<略>Rーリはどうだっただろう?」
ジョー・ホンダ写真集「MONACO Grand Prix 1967」を見ると、ホンダ以外のV12つまりRーリ、マセラティとイーグルは吸気ラムパイプが片バンク6本ずつ等間隔で並んでいるので、クランク後端からパワーを取り出す一般的な方式かと思います。
- 505 :
- >>504
良い写真集を持ってるね。
バンディーニの絶筆となった「出来る準備は全てやった云々」のカードは、
この写真集を撮影中に書いて貰ったんだろうな。
- 506 :
- >>505
遅レスになりました。この本は模型製作の資料集という位置づけのようですが、ドライバーの写真も多く、楽しめます。コメントには少々疑問が残るところもありますが、45年も前ですのでそこはご愛嬌ということで)^o^(
ジョー・ホンダさん、モナコを頑張って歩き回っています。当時のタイヤや車の性能、公道ということもあるでしょうが、大カウンターステアで立ち上がっていく写真が何枚(クラークさんも)かあり、興味深いです。
クラークさん、33では最後の出走ですが、序盤にコースアウト、最下位から猛烈に追い上げ中にクラッシュ、リタイアとなってしまいました。
- 507 :
- 英語版Wikiの67年モナコGPの項目
http://en.wikipedia.org/wiki/1967_Monaco_Grand_Prix
によると、クラークはクラッシュというより、サスペンション破損で
リタイアしたらしい。
- 508 :
- >>507
ジョー・ホンダさんの写真集でも「サスペンションの破損が原因でクラッシュ」と書かれています。
事故後の写真を見ると、右後輪があっち向いてホイ状態、左前のサスペンションが歪んでいるように見えるのとノーズカウルの左側が大きく破損しています。
緩い左カーブでコース右端に後ろ向きで止まっているので、(想像ですが)右のリヤサスペンションが壊れてスピン、右前部をガードレールか壁にぶつけたということでしょうか。
クラークさんは予選5位、2周目にコースアウトして最下位近く(巻末のラップチャートでは下から3番目の13位)に落ち、29周目に4位まで上がり、42周でリタイアとなっています。
- 509 :
- >>508
リタイアの原因はサスペンション破損ですか。
クラークの頃のロータスは、やはり華奢だったのですかね。
しかし3Lエンジン車も走る中、2Lエンジン車でファステストラップを記録し、
13位から4位までポジションを上げるとは、同年のイタリアGP並みの追い上げ
を見せていたのですかね。
ところでこのモナコGP、同じチーム・ロータスでクラーク車がクライマックス
エンジンを使い、ヒル車がBRMエンジンを使っていたのは何故でしょうか?
- 510 :
- それぞれが慣れ親しんだエンジンを使ったとか?
- 511 :
- >>510
エンジンサプライヤーとの契約の問題があるから、そう単純とも思えない
のですが。
- 512 :
- 67年モナコだとBRMエンジンはH16かな?
やはりクラークが嫌がったじゃない。当時は今ほど契約の縛りがきつくないだろうし。
- 513 :
- 67モナコのヒルさんの車はシャシーNo R11、BRMの2リッターV8付きType33で、66年にロータスNo2のピーター・アランデルさんが乗っていた車です。
66年の主力になるはずだったBRMのH16付きType43はこの年1台しかなく、序盤の2戦のみアランデルさん、後半イタリアからクラークさんが乗りました。
同年中盤は43を引っ込めてアランデルをType33+BRM(クラークが序盤に乗った車のエンジンを換装)に乗せていました。
67年初戦の南アはクラークさん、ヒルさんともに43で出走、次のオランダで49のデビューが決まっていましたので、モナコには新たな車や装備を準備することなく、前年型33BRMを最後の奉公として引っ張り出したのだろうと推測します。
ちなみにモナコでクラークさんが使ったのは前年中盤にクラークさん自身が使っていた車です。
- 514 :
- ロータスが66年(及び67年序盤)にクライマックスとBRMの2種類の2リッターエンジンを使った理由は不明ですが、H16の不調に対する代替としてBRMから提供受けあるいは安価で購入したと推測しています。
クライマックス社は65年限りでグランプリエンジンの新造をやめてしまい新エンジンの入手はできませんから、ロータスとしてもクライマックス付き33を2台走らせるほど手持ちエンジンの余裕がなかったのかもしれませんが。
- 515 :
- 凄く詳しく、有難うございます。
BRMのV8を引っ張り出していたのですか。
何年前に生産されたエンジン何だろう。
- 516 :
- BRM2リッターV8は65年までの1.5リッター時代のエンジンの排気量拡大版です。bou_ckさんの「誰得」ブログ ttp://blogs.yahoo.co.jp/bou_ck/2001111.htmlにわかりやすく解説されています。1.5リッターのP56、新造2リッターのP60、P56からの改造版P60があるようです。
チーム・ロータスがBRMV8を使ったのは66と67年で、英語版wikiでは66年がP56 2リッター、67年がP60 2.1リッターと書かれています。67年モナコでのヒル車の写真を見ると、Vバンク内吸気ですから市販用ということでしょう。中古エンジンを調達した可能性はありますね。
ちなみに67モナコでのBRMワークスカーはバンク内排気、マクラーレンのF2ベース車はバンク内吸気でした。
- 517 :
- >>512
>当時は今ほど契約の縛りがきつくないだろうし。
でもクラークは、ファイアストンとの契約上の義務で、68年4月8日にホッケンハイム
で開催されたF2レースに出場している。
この日に開催されたレースとしては、BOAC 1000km スポーツカー・レースの方が
ビッグイベントだったのに。こっちに出場していたら、事故死しなかったかも
しれない。
- 518 :
- 506さん、色々と詳しく有り難うございます。
資料は何をお持ちなのですか。
- 519 :
- 血波にBOAC1000kmレースのBOACとは
ブリテッシュ オーバーシーズ エアーウエ-ズ コーポレーションの略で御座居ます。
老婆心ながらwww。
- 520 :
- >>513
もしかして「相当逝ってる」っていうコテの人?
>>519
BOACというと、グランプリドライバー/戦闘機パイロットのホイットニー・ストレートが代表を務めた会社だな。
- 521 :
- 漏れのカキコを観てクグッたのでしょ>>520www?。
- 522 :
- >>518
ほぼ日本語版限定で、あれこれと買い集め読んできたつもりなのですが、転居を繰り返すうちに散逸してしまい、手元にあるのは、ジョーホンダさんの写真集数冊、クラシックチームロータスのカタログ?本、中村良夫さんの著作ぐらいです。
雑誌では66年ベルギーGPが載っていた号以降のオートスポーツ誌は78年頃までをすべて読んだはずですが、全部散逸してしまいました。従って曖昧な記憶を引っ張り出しながらWebをさまよっている次第です。
- 523 :
- >>520
私はコテハンではありません、次にご本人らしき方が出ているので誤解は解けていますよね(^_^;)
- 524 :
- >>511
66〜67年のBRMエンジンに関して、ロータスとBRMはどういう関係だったんでしょうね。
1.5リッター時代はエンジンを作らないチームは代金を支払ってエンジンを買う顧客と思います。66年のH16及び2リッターV8搭載に関して、ロータスがフリーハンドを持つ顧客だったのか、拘束されるような契約があったのかはよくわかりません。
地元イギリス文献だとそういう話題が載っていそうな気もしますが、当方の能力では入手そのもの及び入手後の読解に問題がありそうです。
- 525 :
- Wikiの日本語版に、運命のホッケンハイムのレースで、
>決勝直前、左後輪のダメージとエンジンのミスファイアを抱えていたため
とあるんだけど、それなら左後輪タイヤを交換してそうなもんじゃない?
>事故原因は左後輪タイヤのスローパンクチャーといわれている
というのにさ。
- 526 :
- Wikiに書込む奴っていったい何様のつもりなんだ
間違いなくきちんと書込まれたものなんてほとんど存在しない
知恵袋とたいして変わりないのに信頼性が高いと錯覚してる奴大杉
まだアホ丸出しの知恵袋の方が良心的
- 527 :
- ジム・クラークと同じ1936年生まれの母が、クラークの45回目の命日に当たる
今週の4月7日に亡くなったよ。
- 528 :
- ご愁傷様です(〃_ _)
- 529 :
- 皆良田キモイ
- 530 :
- .
- 531 :
- >>449
クラークは、トラブルの出やすい8000回転付近をなるべく使わずに走りきったとホンダの中村良夫氏は回顧していたと思う。
- 532 :
- 46回目の命日age。
ジム・クラークと同じ1936年生まれの母の一周忌…
- 533 :
- ロータス・エキシージ・クラークエディションとか出ないかな…
- 534 :
- ついにガルパンにまで出てきたよ
http://video.fc2.com/a/content/20160530pBsmBpvz
- 535 :
- 萌えブタ死んどけや
- 536 :
- >>535
てめーとその家族が首つれクソチョン
- 537 :
- うわwくっさww
- 538 :
- 「天駆けるスコットランド人 ジム・クラーク物語」って本
内容知ってる人はいる?
- 539 :
- HEY GUYS
彼の伝記だろ。
国立国会図書館へR。
観れるぞw。
COMING SOON。
- 540 :2017/05/29
- 伝記ではなく、自伝だよ。もちろんゴーストライターがいるのだろうが。
俺はお茶の水の古本屋で500円くらいで買ったが、
Amazonを見たら2万3000円の値段が付いていてビックリした。
【2016年参戦】ハースF1チーム【USA】
□■2019□■F1GP総合 LAP2097□■シンガポール□■
全日本ロードレース選手権総合 42LAP?2ch.net
【中団最速】ピエール・ガスリー 8
のりピーハウスレーシングチーム
□■2018□■F1GP総合 LAP1783■□イタリア■□
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