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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ6


1 :2019/10/21 〜 最終レス :2019/12/22
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ

識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配


前スレ
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1555335499/

2 :
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。

3 :
なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた

しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる

4 :
ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)


ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。

ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。

著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。

5 :
神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』

近現代に結実する、豊穣なる中世

―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。

中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。

▼中世を読み解くための6つのキーワード

【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・

6 :
艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。

急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。

いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。

「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。

暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。

狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。

人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。

己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

7 :
かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった

8 :
東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。


※現在のスペイン領のコルドバはコンスタンティノープルに匹敵する大都市であったが、
当時のコルドバはイスラム王朝・後ウマイヤ朝の支配下にあった。
また2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。

9 :
十字軍運動の魅力の秘密

もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。

10 :
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg

132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗

明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。

11 :
【ソウル大学の】京城帝国大学【前身】
https://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/korea/1329395207/

12 :
名古屋は最高だよ
日本第3の都市で仕事も多いし給料も良いし
味噌カツ、ひつまぶし、どて煮、きしめんなど美味しい名古屋飯も沢山ある
東京・大阪両方面にすぐ行けるし、京都に日帰り旅行も出来るし
市内には徳川美術館、熱田神宮、名古屋城、東山動物園、名古屋港水族館など
周辺にも伊勢神宮、犬山城、下呂温泉、郡上八幡など観光名所も多い
JRと地下鉄と名鉄と市バスがあるから車がなくても生活可能
大都市の割に物価も家賃も安い

名古屋が大都会過ぎる
https://i.imgur.com/tlQIR1F.jpg
https://guruguru.nagoya/wp-content/uploads/2017/09/princehotel-premium-king-room-0-768x512.jpg
https://guruguru.nagoya/wp-content/uploads/2017/09/princehotel-1.jpg
https://guruguru.nagoya/wp-content/uploads/2017/09/princehotel-2.jpg
https://i.imgur.com/j2uGf5z.jpg
https://i.imgur.com/YD64Ebp.jpg
https://i.imgur.com/YiNktrF.jpg
https://i.imgur.com/7iRwpHR.jpg

13 :
SS 東京
S 大阪
A 名古屋 横浜
B 札幌 福岡 京都 神戸
C 仙台 広島 川崎 さいたま 千葉

14 :
白人ってアジア人や黒人を見下してるんだろ?
でも過去にはアジア、イスラムに見下されてたって想像出来ねえなあ

15 :
アラブ人って日焼けしたラテン人って感じ

16 :
ペルシャやエジプト、メソポタミア、インダスとか富裕な地域は全部イスラム陣営なんだからなんら不思議ではないが

17 :
富裕な地域の割には、西暦1800年頃まで2千年ものあいだ人口横ばいなんだがね

18 :
ここに当時の史料から割り出した収穫倍率が載ってるけど中世ヨーロッパの農業生産性はローマの半分以下
都市国家時代のシュメールの数十分の一みたい
http://zae06141.client.jp/agricltural_productivity.html#%82R%81D%90%BC%89%A2%92%86%90%A2%82%CC%94_%8B%C6%90%B6%8EY%90%AB

19 :
シュメールの農業は塩害で衰退したよね
農業が衰退すると人口も減少しただろうから
シュメール人はセム族に同化され消滅した
中世のアッバース朝は塩害で放棄された土地を
黒人奴隷を使って強引に再農地化したけど
ザンジュの乱を鎮圧後は奴隷農場が再建されず
イラク南部は荒れ地に戻った

20 :
イエメンは農業が盛んでローマ人に「幸福なアラビア」と呼ばれたけど
ユスティニアヌス朝期にアクスムとササン朝によるイエメン争奪戦により荒廃して
575年に灌漑ダムを維持出来なくなり多数の農民がベドウィン化した
ベドウィン化した元農民が後にイスラム兵としてイスラム帝国各地に移住したので
イエメンの人口は古代よりも中世の方が少なかった

21 :
アッバース朝創建時に名高いホラサン軍は
ホラサンに入植したイエメン兵が中核だった
ササン朝時代以前のイランはイラクに比べて
人口希薄だったが中世イスラム時代にはメルブや
ニーシャープールなど大都市が繁栄したとされる
これはイラン人の人口が増えただけではなく
アラブ人がイランに移住したからだと思われる

22 :
小アジアは11世紀末にセルジューク朝の征服により牧草地化して人口が激減した
16世紀にトウモロコシが伝わると農業が盛んになり小アジアの人口は増大した
当時トウモロコシはトルコ小麦と呼ばれていた

23 :
>>21
イスラム時代以前のイランはイラクに比べて
人口希薄だったが中世イスラム時代にはメルブや
ニーシャープールなど大都市が繁栄したとされる

24 :
マグリブは11世紀半ばにファーティマ朝にエジプトから領内に居住する
バヌーヒラル族らベドウィンを送り込まれて荒廃して農業が衰退した

25 :
ジャン・シャルダンの「ペルシャ見聞記」やフランソワ・ベルニエの「ムガル帝国誌」を読むと
近代初頭のフランスよりもイランやインドのほうがまだ豊かだったようだな

26 :
17世紀にイラン西部は繁栄していたようだね
中世に繁栄したホラサンとイラクは衰退していた

27 :
ベドウィン化したイエメン人はホラサンとかイスラム帝国各地に移住したけど
イエメン人は元は定住民だったので新天地で定住民に戻ったようだ

一方バヌーヒラル族らはマグリブに移住した後もベドウィンのままで
マグリブの農地の多くを放牧地に変えてしまった

28 :
マムルークは遊牧民出身だけどイスラム世界では都市民だった
一方トルクメンはイランに移住してからも遊牧民のままで
イラン人の農地を奪って牧草地を広げようとした
セルジューク朝のイラン人宰相ニザーム・アル・ムルクは
多くのトルクメンを小アジアへ移住させてイランの農業を守った

29 :
中世イスラム時代にイランでは既に綿花栽培が盛んになっていたので
食糧を外に依存するようになり食糧の備蓄が充分ではないので
モンゴル軍に都市が包囲されると次から次へと陥落した

30 :
>>25
重箱の隅を突付くようだけど、その頃はまだ近世では?
フランソワ・ベルニエの生きた時代は17世紀ぐらいなので、とても近代とは呼べない

31 :
>>28
そんなイランの灌漑事業もティムールによって破壊されてイランの発展は大分遅れたよね・・・
まあ、地政学的にもイランは周辺をいろんな遊牧民族に囲まれる地域だったから、
イランを強力な王権が支配した時代以外は荒らされまくってても不思議ではない
ここらへん、ユーラシアの農耕定住民あるある問題だが

32 :
ササン朝が滅んでからはパッとしないなイラン
イスラム帝国の一地域になるわ、トルコ人が侵入してくるわ、モンゴル軍も来るわ
イギリスとロシアに半植民地化されるわ
近代化に邁進するも革命でガチガチのイスラム教国になるわ

33 :
ギリシャも東ローマ帝国が滅んでからパッとしない

34 :
ギリシャ人曰く「自分達はギリシャ人じゃない。ローマ人だ!」
という誇りを持っていたらしい。ギリシャ人でもいいじゃん

35 :
スラブ人やトルコ人と混血しまくって最早原型をとどめてないな

36 :
中東から地中海周辺で原型が残っている民族なんてあるのか?

37 :
バスクとかじゃね?

38 :
というかトルコ人の血筋が入ったギリシャ人とかいるの?
現代トルコ人ですらアジア由来のハプロなんてほとんどいないのに

39 :
ギリシャはトルコ系で、トルコはギリシャ系だと言われたりしていたな

40 :
>>38
そりゃあ一部にはいるだろうよ
実際、トルコ語しか話せないギリシャ人、ギリシャ語しか話せないトルコ人がいたから、
戦後双方の住民交換が行われた時に大層混乱したそうな
コンスタンディヌーポリ征服後の双方の文化は不可分だろう

41 :
>>34
中世以降はギリシャ人というのは、
異教徒の蛮族という認識だった。

42 :
>>38
マジかよ
トルコ人って元はモンゴル人みたいにコテコテのアジア人だったけど
中央アジアから小アジア・バルカン半島に行く過程で
イラン人、アラブ人、ギリシャ人、スラブ人と混血しまくって
コーカソイド風の顔になったというのが定説だけど

43 :
石虎の治世は石虎自身の暴虐非道な性格を反映して、
乱世である五胡十六国時代の中でも最も非道がまかり通った時代と評されている。
中でも次々に大宮殿を造営したり、統治下の漢人から馬、美女、物資などありとあらゆるものを徴発し続けた結果、
漢人の10人に7人が破産し、妻を取られて自Rる者も後を絶たなかったという。

44 :
>>34
ギリシアも自分の歴史だと思っていたけど、
誇りにしていたのはアレクサンドロス時代だけで、
ポリス時代は興味なかったらしい

45 :
中世東ローマ人の多くは小アジアのギリシャ語話者だからだろううね
ポリス時代にはまだギリシャ化していなくてギリシャ語を話していなかった

46 :
ポリス時代でも距離的にはコンスタンティノープルとデルフォイ/アテネで陸路千km前後
陸続きで山脈や砂漠で隔てられている訳でもない
庶民語でも近代のスペイン語とポルトガル語の違いでしかないとおもうが

47 :
小アジアの住民はマケドニアに征服されるとギリシャ語を話すようになり
トルコに征服されるとトルコ語を話すようになったから自らの言語と宗教に
対する愛着がもともと弱い人々だったようだ

一方アルメニア人とかは自らの言語と宗教に極めて強い愛着があるようだね
アルメニア人はギリシャ化しなかったしイスラム化もしなかった
マンジケルトの会戦での東ローマの敗因はギリシャ人とアルメニア人の民族対立で
ギリシャ人将兵らはアルメニアのマンジケルトでの戦いに戦意が乏しく
勝手に退却してアルメニア人将兵を見殺しにした

48 :
>>47
小アジアの言語分布は、20世紀初頭の住民交換・アルメニア人虐殺前は、
沿岸地帯はおおむねギリシア語圏、歴史的アルメニア地方はおおむねアルメニア語圏だった。

おおむね、と書いたのは、他のトルコ語話者も混在していたから。トルコ語メインの場所は、
小アジアの高原地方(だいたいヒッタイト帝国の支配地域にあたる)だけで、もともとここいらは人口希薄な地域だった。

つまり、マケドニアに征服される前から、小アジア沿岸部はギリシア語圏で、歴史的アルメニアは
ウラルトゥ時代からアルメニア語圏だった、というわけで、特に小アジアの住民が言語に
愛着がなかった、というわけではないのではないか。中央高原地帯は人口希薄地域で
ウマイヤ朝以来イスラーム勢力との戦場になってきた場所ということで更に人口増が阻まれ、
結果として言語交代しやすい地域だった、ということなのではないか。

49 :
小アジアはギリシャ化する以前はイタリアやスペインと
同じく多言語地域で民族のパッチワークだったそうだね
エトルリア人やバスク人のような非印欧語族も数多くいたようだ
隣接する民族どうしが互いに全く言葉が通じないので共通語が必要で
小アジアはギリシャ化してイタリアとスペインもラテン化した

50 :
https://www.youtube.com/watch?v=UY9P0QSxlnI

51 :
>>42
現代トルコ人のハプロタイプは上から順にJ2、R1b、G、E3b、J1、R1a、I
R1aは中央アジアのイラン系が起源かもしれないが
その他は地中海人種とアラブ人とコーカサス人種、北方人種でよく見らるタイプで
ウラル・アルタイ語族によく見られるハプロであるCとN合わせてもせいぜい5%

52 :
そんだけDNAが薄くなっても言語は残るのがすごいね

53 :
ユダヤ人「世界中に散らばっても信仰を捨てないで」
ユダヤ人「ナチスに600万人虐殺されたけどまだまだ元気やで」
ユダヤ人「約束の地に国家を再建したで」

54 :
バビロニアとかローマ帝国に滅茶苦茶にされて世界中に散らばった後
2000年後にユダヤ国家再興とかロマンやん

55 :
宗教ってすごいね

56 :
>>52
言語は遺伝するもんとちゃうからDNAとか関係無い

57 :
>言語は遺伝するもんとちゃうからDNAとか関係無い
少なくとも乳児期のジェスチャーや言葉にならない言葉は遺伝するで
たとえばヨチヨチ歩き男児のピストルサインが出たらオムツ交換
またジェスチャーをやる子は容貌に傾向がある、スレチだが

58 :
ユダヤ人はよく「ローマに追われた」と言いたがるけどどうなんだか
第三次ポエニ戦争直後のローマに早くもユダヤ人コミュニティがあったし
プトレマイオス朝下のアレキサンドリアではギリシャ人とユダヤ人の
人種間抗争で暴動が絶えなかったとか
ローマに支配される以前から地中海各地に散らばり過ぎ

59 :
地中海各地のユダヤ人は都市に住む裕福な商工業者なんだろうけど
ユダヤ本国には貧しいユダヤ農民が数多くいただろうね

60 :
古代ユダヤ人は農民的でフェニキア人とアラム人が商人として名高かった
ユダヤ人は商売上手の隣人らを守銭奴や偶像崇拝者として蔑視していた

61 :
>>58
ローマに追われたユダヤ人の多くは
ローマ領外のイエメンに逃れただろうね

62 :
>>60
フェニキアはヘレニズム以降衰退、
最後の砦カルタゴ滅亡以後は目立たなくなった
アラム人も言語のみ残して自然消滅、紀元前100年代には
どちらも交易の主力ではなくなっている

63 :
ローマ時代にはヘブライ語は死語になっていて
ユダヤ人はアラム語を話すユダヤ教徒になっていた

フェニキア本国ではフェニキア語が死語になっていて
ギリシャ語が普及していた

64 :
七十人訳聖書が作られたのも
ギリシャ語しか解さないユダヤ人の増加によるもの

65 :
トルコは自分達の事をヨーロッパ人って自称してるんだっけ
俺は認めないけど

66 :
間違えたEUに入れて欲しいけどEU側から許可されてないって所か

67 :
>>54
ポーランドも、プロイセン・オーストリア・ロシアに三分割されて一旦消滅したが再復活
ドイツもベトナムも再統一したけど、朝鮮半島に再び統一国家が現れる日は来るのか・・・

68 :
ルーマニア「ワイこそローマ人やで」

69 :
>>67
ドイツはまたオーストリアとボヘミアがある


統一なんかまず考えられんのはアラブ、アングロサクソン、ヒスパニック

70 :
ルーマニアにローマ人意識が再燃したのは近代に入ってからでしょ
中世のウラドの頃なんて、言語こそラテン系とはいえ
ローマ帝国やトラヤヌスのことは記憶から消えていただろうし

71 :
スコットランド何気にしぶといな
最後はイングランドと連合王国になったとはいえ
ローマ帝国、アングロサクソン人、ヴァイキングなどの侵攻を全て弾いてる

72 :
>>71
しかしスコットランドゲール語は死語になりつつある
ウェールズゲール語がまだまだ現役なのと比べるとちょっと弱い

73 :
日本で言うアイヌ語みたいなもんか

74 :
ローマ帝国は滅んで旧領はゲルマン諸王国にブツ切りにされたけど
それでも共通語としてのラテン語は一応生き残ったのね(キリスト坊主のおかげか)

75 :
スコット人はアイルランドからカレドニアに移住してきた
カレドニアのピクト人はスコット人に征服された

76 :
古代のアイルランドって拡大路線バリバリの帝政初期ですらスルーよね
征服する旨みがなかったといえばそれまでだが

77 :
ローマ時代の何かが見つかったみたいなのを大分前に聞いたな、アイルランド
交易品か何かかは覚えてないけど

78 :
ノルド人とローマ帝国の交流もあったようだ
デンマークの遺跡からローマ時代の金製品が出土してる

79 :
>>48
東ローマでは当初バルカンが軍事力の要で
小アジアを含むオリエントは守られる側だった
バルカンは牧畜が盛んで騎兵が主力になったローマ軍に
多くの兵馬を供給したので帝位を独占する事が出来た
しかし農耕民のスラブ人が移住してくると
牧畜民のバルカンの住民の方が人口が少ないので
同化されてしまいバルカンは農業が盛んになって
東ローマに騎兵を供給しなくなった
騎兵が必要な東ローマはバルカンの代わりに
小アジアで牧畜を奨励せざるえないから
小アジアは古代よりも人口希薄になっただろうね

80 :
>>78
osprey本のどれかで読んだけど
ゴッドランド島あたりなんかでも帝政期ローマ製の剣などが出土してるとか

81 :
米下院、オスマン帝国のアルメニア虐殺認定

82 :
小アジアは有史以来ずっと牧畜が盛んだし
少なくともアケメネス朝時代から特にパフラゴニアあたりは馬の産出地だけど
またバルカンに侵入した当初のスラブ人もゲルマンやガリアと同様に農業も行う牧畜民って感じで農耕が盛んって印象はまるでないな

83 :
>>65
でもお前ってさ
在日の癖に日本人名乗ってるじゃんwww

84 :
アメリカ人と言われて小汚いネイティブアメリカンを思い浮かべる奴らはいない
ネーションとは近代に強く意識されるようになった概念で国や民族に対する帰属意識に依るもの
仮に日本人と言われて歴史的に言われるのは天皇家だ
家系図すら怪しい屑どもが我こそは日本人とかどんな冗談?
日本人も遺伝的に見れば大陸から流れてきているのは明白
そして東ほど大陸系の古い遺伝子を持ち、西に行くほど新しい大陸系の遺伝子となる
これから推測するに天皇家は比較的新しく大陸から流れてきた一族であり、先に大陸から流れてきた人々を屈服させて王朝を確立したんだろう
天皇家の遺伝子を解析すればより正確にわかるが今の所解析したデータが一般に公開されたという話は聞かれない
その為、研究している教授連中の言葉も歯切れが悪くボカした言い方でそれとなく示唆する止まっているが、恐らく何人かの天皇家の遺伝子は解析されて知られているのだろう

85 :
>>82
ゲルマン人よりもスラブ人の方が農民的だったようだ
ゲルマン人の方が数が少ないけどスラブ人よりも強そう
民族大移動で東ゲルマン人が東欧からいなくなると
スラブ人の人口が増えだしてバルカンに南下してきた
東ゲルマン人はスラブ人の人口増加を抑制していたようだ
おそらく東ゲルマン人が去ってから農地に使える土地が増え
農業をやり易くなってスラブ人の人口が増え始めたのでは

86 :
>>84
大陸から来たんでない日本人なんか一人もおらんわアホンダラ

87 :
そんなことより当時のアイルランドやデン人の交易品は何があるのか気になる
鮭の燻製とトナカイと鯨の脳油肝油位しか思い浮かばないんだが

88 :
奴隷や金髪のかつらとか

89 :
塩鱈とかじゃねーの?

90 :
金髪で青い目のほうがいいと思うのは人間の本能?
後ウマイヤ朝とかでも後進地域だったはずのヨーロッパから金髪の奴隷女をつれてきて妾にしていたし

91 :
北海のタラの干物は中世にはヨーロッパ中に流通していたな
古代はどうだったんだか

92 :
デーン人は琥珀とか

93 :
イスラム、アフリカ系のが当時は交易品の質だとか良かったん

94 :
ササン朝にボロ負けして皇帝が捕虜になるとかカルタゴ以来の大苦戦だな
ローマ皇帝で捕虜になったのは上記のウァレリアヌスと、東ローマのロマノス4世の2人

95 :
ウァレリアヌスをシャープール1世は処刑してしまったようだけど
ロマノス4世をアルプ・アルスラーンは同盟者にしようとしたようだね
ロマノス4世もアルプ・アルスラーンもそれぞれ自国の支配層にとって
邪魔だったので殺されてしまいこの同盟は流産してしまったけど

96 :
紙が発明される前は中国は木簡、ヨーロッパはパピルス・羊皮紙・石盤

97 :
イスラム帝国の輸出品はディナール金貨かねえ。

話は飛ぶが、アテナイの最も重要な輸出品がラウレイオン銀山の銀、と聞いてなんか裏切られたような気分がしたな。大胆かつ抜け目ない貿易商人、すぐれた商工業者というイメージが壊れた・・・。
”輸出品は貴金属”ってそりゃ今の産油国と変わらないじゃん!

98 :
ペルシャの絨毯や貴金属加工品などは高級ブランドイメージ
イスファハンやコムは、オートクチュールのパリ/ミラノに匹敵すると思うがね

99 :
アウグストゥスによる帝政開始から東西分裂まで400年間もあの広大な領土を維持出来たのは何気にすごい
(塩婆の受け売りだけど、ハドリアヌスによる防衛システムの強化によるところが大きいのかな)
東ローマは1000年だけど領土縮小しまくりだし、途中で一度滅んでるし

100 :
オスマン帝国って末期がアレだったから評価も様々だが
かなり長い間、ヨーロッパの覇権国家だったよね
スペイン・ポルトガルみたいな一発屋ではないし
興隆期・全盛期の頃なんて実際に西欧諸国が束になっても敵わなかったしな

101 :
>>100
そーでもねーだろ。実際、西欧諸国が束になった海軍に海戦で負けてるじゃん。

102 :
中東がイスラム勢力に席巻された後でもエジプトやシリアではキリスト教徒の存在は一応容認されたけど
ガチガチのキリスト教一色の中世ヨーロッパでも隠れイスラム教徒みたいなのはいたんだろうか?

103 :
イスラム帝国では異教徒が納税者の主体だったから
異教徒が多いほど国家の税収が豊富になる
イスラム教に改宗する者が増えるにつれて
同じイスラム教徒なのに重税を負担する者も増えて
政府に反発するようになったのでイスラム国家では
マムルークとか奴隷兵が普及していった
アラブ兵ではアラブ民衆を弾圧する事にためらいが
生じるので君主に絶対服従の奴隷兵が重宝された

104 :
イベリア半島やバルカン半島、アナトリア半島では
キリスト教徒とイスラム教徒が共存していた

105 :
ウマイヤ朝とアッバース朝の大帝国時代には
ムスリムは帝国総人口の10%以下だったそうな
ササン朝末期にアラム語を話すネストリウス派キリスト教徒が
イラクで多数派だったけどバグダッド創建時も同様だったから
厚さ50mもの城壁でバグダッドの円城は厳重に防御されていた
バグダッドの円城は異教徒の大海に浮かぶ島だったわけだ

106 :
https://i.imgur.com/FGOEplc.jpg

107 :
アッバース朝はアブー・ムスリムを粛清してからバグダッドを建設し始めた
バグダッドの建設には莫大な費用を要するので彼が存命なら許可しなかったのだろう
アブー・ムスリムを殺したのでホラサン軍の反乱と報復も恐れていたので
アッバース朝はバグダッドに分厚い城壁の円城を建設したようだ
恐れていた通りにバグダッドの円城はターヒルの率いるホラサン軍に破壊された

108 :
バグダッドはソ連の戦艦ソビエツキー・ソユーズ級みたいなものなんだな
スターリンは海軍拡張に反対する赤軍と共産党の幹部らを大粛清して
大型艦の大量建造によりソ連を海軍国にしようとしたけど
独ソ戦の勃発によりスターリンは大型艦を解体して陸戦兵器の資材に転用した
戦後スターリンは再び海軍拡張を目指したけど彼自身の死により頓挫して
大型艦はまたもやベリヤ達に解体されてしまった

109 :
戦後に今さらのようにスベルドロフ級巡洋艦(14000トンていう超大型巡洋艦)を14も量産してる

110 :
>>108
赤色海軍首脳部も大量に殺害されてるし、そもそも大テロルの時点でスターリンに反抗できるような政治勢力はどこにも残ってなかったよ。

111 :
だいたい、イタリアから技術支援を仰いで建造したチャパエフ級巡洋艦ですら、竣工後スクリュー亀裂で航行不能みたいな実力だったのに、戦前のソ連の工業力でソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦なんて誇大妄想としか思えない

112 :
スベルドロフ級巡洋艦とともにスターリングラード級大型巡洋艦
さらに史上最大の10万トン級戦艦もスターリンは造ろうとした
ソビエツキー・ソユーズ級とかはまだ実用的な価値があったけど
スターリングラード級とかは実質的に軍備拡張にならないよね
晩年のスターリンは西太后化していた

113 :
帝政ロシアの置き土産だった巡洋戦艦ボロディノ級を完成させれば
スターリンがとりあえず満足してみんな殺されずにすんだのかも
ボロディノ級こそ小さ過ぎず大き過ぎずソ連に相応しかったのでは

114 :
スターリンは狂信的な大艦巨砲主義者なんだけど
実は海軍出身だったのかな?

話をアッバース朝に戻すと革命の実務担当という事で
アブー・ムスリム=スターリンだろうか?
初代カリフはすぐに死ぬからサッファーフ=レーニンだよね

115 :
おれも大艦巨砲主義だから股間に巨砲を装備してる

116 :
その薄汚いデリンジャー銃を引っ込めろ

117 :
黒パンって黒糖が入ったパンの事だろ?
白パンよりも美味いじゃねえか

118 :
>>117
アホ
黒パンていうのは黒人が作ったパンのことや

119 :
じゃあ黒ギャルは・・・

120 :
パンがないならお菓子を食べればいいじゃない

121 :
ソ連「もう帝政ロシアじゃないから借金は関係ないお」
フランス「ファッ!?」

理屈は通っているけど、いいのかこれって思っちゃう
ちなみに日露戦争における借金を日本が完済したのは昭和に入ってから

122 :
カルタゴはローマへの賠償金をあっさり払い終えてしまい
かえってその経済力をローマに恐れられたために・・・

123 :
>>121
借金取りから逃れるために芸名を16回も変えた古今亭志ん生に比べれば、まだまだ

124 :
借金の額では日本の1100兆円が世界記録かね?

125 :
米国人ら、清王朝が残した債務の返済を中国に要求=米誌
借金ネタなら最近こんなニュースもあったな
https://www.epochtimes.jp/p/2019/09/46696.html
中国の清王朝が発行した債券を保有する米国人債権者は、
トランプ政権に対して、中国当局に債務を返済させるよう求めている。
債務規模は現在の価値では、1兆ドル(約106兆円)以上だという。

…中国当局はこれらの債務について、1949年より前の中華民国政府が責任を負うと主張する。
ビアンコ氏は「この言い分は、当局が中国の主権の唯一の継承者だとの主張と矛盾する」と批判した。

デューク大学の法学者は「法的にみれば、清王朝が残した債務は完全に合法だ」との認識を示した

126 :
>>125
すごいな中共
中国唯一の正統政権のタイトルを台湾に譲るのか

127 :
溥儀「チキンラーメン食いてえー」

128 :
天皇陛下「明日はパレードですね(本音:ああー、名古屋行って蓬莱軒のひつまぶし食いてえー)」

129 :
中国人は京都にかつての唐の長安を重ねているんだぜ
王朝の滅亡時に略奪されまくって跡形もなくなったからな

130 :
親世代から東京暮らしでようやく江戸っ子と言える
地方から上京してきた奴はただのカッペ
京都は三代住んでようやく京都人と認められるんだっけか?

131 :
江戸っ子も三代だよ

132 :
ハマっ子は移住したその日からなれる。
江戸っ子は三代続かないとダメ
京都は十代続いてもダメらしい

133 :
京都は先の戦(応仁の乱)の前から住んどらんとお客さんどすえ

134 :
中世のローマは廃墟

135 :
ローマ市は6世紀のゴート戦争で廃墟になり
イタリア再統一まで大都市に戻らなかった
イラクのクテシフォンは7世紀の大水害で廃墟になった
イラクもローマ市のようにこのまま没落しそうだったが
アッバース朝のバグダッド建設と奴隷農場で復興した

136 :
ローマ市は6世紀のゴート戦争で廃墟になり
イタリア再統一まで大都市に戻らなかった

イラクのクテシフォンも7世紀の大水害で廃墟になった
イラクもローマ市のようにそのまま停滞し続けそうだったが
アッバース朝のバグダッド建設と奴隷農場で復興した

137 :
>>129
今の京都に、いにしえの平安京、さらにはモデルとなった唐の長安の面影があるだろうか?
あるとしてもせいぜい碁盤状の区画くらいじゃない?
現代の京都の風情はせいぜい江戸末期から昭和までごちゃ混ぜになった近世的なカオスという感じ

138 :
今の京都というか、今の中国の方に問題あり
古い伝統や価値観や美意識がみな失われ、文化を見る目がない
最近中国のサイトで「曜変天目や牧谿の水墨画は小日本に奪われた
天朝の宝!」というスレが立っていたが、そもそも曜変天目も牧谿も
日本でのみ評価が高く、歴代中国では牧谿は画風が古臭いとして
低評価され、曜変天目は存在すら知られていなかった
中国で歴代培われてきた美意識や審美眼は失われ、日本人の美的価値観
そのままのことを若い中国人が振り回してる
本当に中国は文革で何もかも失われたんだよ

139 :
鎌倉五山って宋代の禅宗寺院の様式を直輸入してるので
当時の寺がほぼ全滅してる中国からの観光客には人気があると聞いたことがある。

140 :
>>138
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパみたいな感じ?

141 :
十字軍の時代以降、古代ギリシャ・ローマの知識が
ビザンツ帝国やイスラム世界から西欧へ逆輸入されるのよね
そしてルネサンス、産業革命へ

142 :
徳川美術館にある曜変天目が気に入ってる
南宋で作られたものと金でつくられたものがある

143 :
文革は有識者ってだけで排斥にあったからなあ
西ローマ帝国滅亡後も元老院とかは残ったしローマを立てる文化は残ってた

144 :
士太夫とか君子とか言われた階層が文革で富農と名指しされて消滅し、
今の中国人は老百姓ばかり
貴族階級が消滅して文化も失われた西ローマと似てるな

145 :
「文革で全部なくなった」厨ってどうにかならんのか?
んなわけねーだろってw

146 :
と罵倒するだけで具体的なことは何も言わないマウント厨

147 :
じゃあ一遍でも行けばいいじゃん、現代の中国に。
唐代の建築は確かに少ないが西安市街地(旧城内)だけでも大雁塔小雁塔残ってるし、郊外まで行けばもっとある。
宋代の建築なんてちょっとした地方都市にもある。

148 :
何十億部あるかわからん量の書籍が存在してるな
宋版となるとけっこう貴重品やけど
明版、清版となると膨大な量が現存する

149 :
京都は唐どころか北宋時代のものすらろくにないぞ
そもそも大雁塔が出来た時代は日本では飛鳥時代
平安京どころか平城京や藤原京ですら影も形もなかった時代だし

150 :
>>145
国益を考えろ朝敵

151 :
>>124
アメリカのほうがはるかに多い。
ただし今のお金のシステムだと他人の借金は自分の財産・自分の借金は他人の財産の
繋がりの共同幻想だから、個人の借金みたいな感覚でいるのは間違いだ。
だから今の日本政府の1000兆円の借金は日本国民からの借金だから
日本国民は歴史上かつてないほど豊かになっている。

152 :
>アメリカのほうがはるかに多い。
日本円に換算するとどれくらい?
つかアメリカって世界一の金持ち国家で借金とは無縁のイメージがあるけど違うのか

153 :
>>137
応仁の乱で焼けちゃったからね

154 :
「日本の借金1000兆円」って中学か高校ぐらいで勉強して
「なあんだそういうことか」と解決する悩みかと思ったらそうでもないんだな

155 :
ローマ帝国は輸入超過
金山のあるダキアは狙われた

156 :
トラヤヌス率いる全盛期のローマ軍と戦うはめになるダキア
1000年後の十字軍遠征がかわいくみえる規模

157 :
アウレリアヌスがダキアを放棄したけど
金が枯渇したのかな?

158 :
金山と言えばトラキアもそうだったよね
トラキア民族は黄金の民だった
トラキアの金山はマケドニア軍の軍資金になった
アケメネス朝は何故かトラキアを支配し続けなかった
アケメネス朝もローマ帝国もともに放棄したトラキアや
ダキアから侵入してきた敵に滅ぼされたしまった

159 :
>>156
あの時にそのまま北上してゲルマニア占領すりゃ良かったのに・・・
衰退期にゲルマン諸部族とササン朝の二正面作戦は無理ゲー

160 :
西ローマ帝国はカタラウヌムの戦いで最後の力を使い果たしたけど
フン族によるヨーロッパ支配の野望を粉砕した

161 :
トラヤヌスは即位する前はゲルマニア総督だった
幸か不幸か当時のゲルマン諸王らとトラヤヌスは
友好的だったようだね

162 :
トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国はウマイヤ朝の侵攻を撃退し
ヨーロッパ世界を救ったとよく言われるが
ホームグラウンドで遠征で疲弊したイスラム軍を撃破したというのが実情のようだ
むしろヨーロッパ世界が救われたのはビザンツ帝国の防衛によるところが大きい

163 :
トラヤヌスはダキアを滅ぼした後、パルティア征服に向かうんだよな
アレクサンドロス大王への憧れもあったのだろう

164 :
>>162
トゥール・ポワティエ間の戦いはアレクサンドロス大王のインド遠征みたいなものかね
ヨーロッパ世界が救われたのはビザンツ帝国とカザール可汗国の同盟のおかげだな
マンジケルトの戦いの時にはもう北からイスラムを攻撃してくれる味方がいなかった
セルジューク朝はカザールがユダヤ教を国教にした時に離反した部族の末裔

165 :
ロンドン市長がイスラム教徒
ヘンリー王子の妃が黒人
中世の人間がみたらたまげるだろうな

166 :
>>164
イベリア半島はヨーロッパに復帰し、
アナトリアはヨーロッパから離脱した

167 :
何気にアナトリアを本拠地にした覇権国家ってヒッタイト以来じゃないかオスマン帝国

168 :
中世東ローマはアナトリアを本拠地にした覇権国家
バルカン全土が東ローマ領になったのはバシレイオス2世の時

169 :
ユスティニアヌス「最大領域を築いたで」

170 :
ランゴバルド、アヴァール、スラブ人、ササン朝、正統カリフ、ブルガリア帝国

侵略者多すぎィ

171 :
東ローマは西方領土を奪回すると没落する
ユスティニアヌス1世がイタリアを奪回すると・・・
バシレイオス2世がバルカンを奪回すると・・・
ミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回すると・・・

172 :
でもローマ名乗るのにローマ領有してないのは違和感あるから難しいところよ
敵勢力にとられてそのまんまは恰好がつかない
奪回無理ならいっそのことコンスタン帝国とかバルカン帝国に名前変えるとか無かったのかね

173 :
東ローマ帝国「パチモンがwww」
神聖ローマ帝国「ギリシャ人の帝国www」

174 :
1453年まで自称ローマ帝国やで

175 :
>>172
神聖ローマ帝国「せやな」

176 :
形だけとはいえナポレオン時代まで神聖ローマ帝国が続いてるんだよな

177 :
もしアルミニウスが反乱を起こさなければ
衰退したら神聖ローマ帝国みたいな領土の
ローマ帝国になったかもしれないね

178 :
どこもかしこもローマ帝国に憧れてたから名乗りたくもなる

179 :
オドアケルは西ローマ皇帝になれる立場だったけど
イタリア王の地位で満足だったようだ

180 :
神聖ローマ皇帝も西ローマ皇帝→フランク・ローマ皇帝の流れを汲んでいるから
あながちパチモンでもないんだよな

181 :
ルーマニア「おれっちもまぜろ」

182 :
>>176
イリュリア人皇帝達がオリエントじゃなくて
自分達の出身地の防衛を優先していたら
オーストリア帝国みたいなローマ帝国に
なっていたかもね

183 :
>>179
信長が義昭を追放した後代わりの将軍を立てなかったようなもんだろ
権威が凋落しすぎて傀儡の価値すらないと

184 :
皇帝を擁立するとスティリコやアエティウスのように
自分が粛清される可能性が生じる

185 :
ロムルス・アウグストゥルスの頃になると実力者を
粛清する力もないんじゃないの

186 :
当時ロムルス・アウグストゥルスはまだ子供だった
ホノリウスも即位した時には子供だったけど
大人になってスティリコを殺した

187 :
ヨーロッパが今も栄華を誇ってるのって植民地化のおかげなのかね?

188 :
>>159
アウグストゥスはエルベ河の河口からゲルマニアに北から軍を攻め込ませた
カエサルはリヨンから北上してライン河の内側を進撃してガリアを征服した
トラヤヌスがカエサルのようにエルベ河の河口を目指して北上したら
ゲルマニア征服に成功したかもしれないね
ダレイオス1世のスキタイ遠征やハンニバルのイタリア遠征とかと同じく
遠回りで遠征すると敵は大いに驚くけど最終的に遠征は失敗するようだ

189 :
名古屋と横浜はどっちの方が都会?

190 :
味噌民乙

191 :
仙台味噌の方がうまい

192 :
江戸時代の横浜はただの漁村だったけど
それがここまで発展するとは

193 :
もともと開港場は神奈川湊のはずだった
東海道神奈川宿もあり江戸の南の玄関として栄えていた
しかし、ここを西洋の軍艦に押さえられると西方への
海路と陸路を同時に失ってしまうと恐れた幕府が
東海道から外れた辺鄙な漁村横浜を開港場に指定した

194 :
日本初の鉄道が新橋-横浜間だったのも、横浜が当時の大動脈
東海道から外れていたため交通手段が必要だったから

195 :
そのせいで横浜弁が標準語になるというのが面白いよな

196 :
横浜弁が標準語?
お前が住んでる世界ではアナウンサーがジャンジャンベーベー言うてんの?

197 :
当時はまだ階級方言が残っていたから

198 :
>>152
>>155
世界史板って文系板なのに経済オンチ多くね?
国の借金を個人の借金、輸入超過を企業の赤字収支と同列に考えてるでしょ?

199 :
前近代の経済においては輸入超過は正貨の流出を意味し、それは交換経済の不活発化を意味する。
決して良いことではないよ。

200 :
>>182
イリュリア出身でも、皇帝になったら税金の取れるオリエント守るだろ

201 :
ゾロアスター教  イラン・インドで少数だが存続
キリスト教アリウス派  消滅
キリスト教ネストリウス派  アッシリア東方教会が継承
マニ教  ほぼ消滅

202 :
オリンポスの神々を信仰する宗教は現代には残ってないん?

203 :
ギリシャ神話はキリスト教覇権の中世でもなぜか容認されてたけど
ケルト神話や北欧神話やスラブ神話は完全に駆逐された

204 :
>>203
教養として容認はされてたけどあくまでも教養であって
信仰する宗教としては消滅してた

205 :
ケルト北欧スラブも創作物や物語の題材的な形で残ってるな
それでも知名度低い古代ローマの神々に比べれば恵まれてるほう
二次創作のクトゥルフより日本だと知名度低そうなのが泣けるわい

206 :
ローマは神話が残ってないからな
ゼウスはあちこち女こさえてた困ったオッサンというイメージだが
ユピテルはどういう神なのかさっぱりわからん

207 :
磔にされた裸のおっさんがご神体
カトリックとプロテスタントで殺し合い
やっぱキリスト教ってカルトだよな

208 :
ゲルマン人はあっさりキリスト教化されたけど(アリウス派だが)
ノルド人は割と長く北欧神話の神々を信仰し続けていたね
古プロイセン人もキリスト教には頑強に抵抗したし、この違いはなんだろう?

209 :
>>207
そやからそのおっさんも処刑されたやん

210 :
>>198
経済史オンチな発言だな

国債や資本移動どころか、その概念すらない時代に近代経済学の原理をあてはめるからおかしな妄言がでてくる

211 :
中世ヨーロッパは経済的にも文化的にも貧しくて碌な売り物がなかったから
人々を奴隷としてイスラム世界に売り飛ばしていたほど

212 :
>>183
信長は当初義昭の息子を次期将軍にしようとしたがうまくいかず、空白期間が続いて信長自身
が君臨することに結果的になってしまった。

213 :
信長 右大臣
秀吉 関白
家康 征夷大将軍

214 :
元老院「いつの間にかアウグストゥスが皇帝になってた」

215 :
>>210
いやいやだからその「近代経済学の原理」を古代に投影してる奴がいるからおかしくね?
と言ってるわけよ
ミクロ経済すら成り立ってない古代に輸入超過もクソもないからな

216 :
>>213
信長は天下取る前に死んだにしてはかなり高い身分になってるんやな

217 :
>>211
愚問ですまなんだが白人至上主義の優越性は当時は無かったもんかね
先進国だったのがアジア人、黒人だったかもしれんけど

218 :
>>217
イスラムも主要部分は白人文明やん
インドも

219 :
アッバース朝のイラクでは黒人奴隷ザンジュが農場で酷使されていた
ファーティマ朝は黒人奴隷兵アブドを使ってエジプトで圧政を敷いた
サラディンはアブドを虐殺一掃したので圧政からの解放者として
エジプトで称えられた
後年メフメット・アリーもエジプトでマムルークを虐殺したけど
サラディンに倣ったのだろう

220 :
>>218
アラブ人やイラン人は色黒で日焼けした白人という感じ
トルコ人はスラブ系・ギリシャ系と混血しまくったせいか顔立ちがかなり白人っぽい
色もそこまで黒くない

221 :
>>217
白人至上主義が出て来たのってキリスト教的価値観が浸透した中世以降じゃないか
ローマ帝国の時は白人マンセーなんてのはなかったし、オリエントは相変わらず先進地域
ゲルマン人は野蛮と蔑まれていたが、彼らの金髪はローマ人の憧れだったようだ

222 :
ギリシャ系の血しか入れなかったとされるプトレマイオス朝だが
DNA鑑定の結果、黒人のものも若干混じってるみたいだ

223 :
黒人はアッバース朝のイラクでは最底辺の農場奴隷
ファーティマ朝のエジプトでは特権階級の奴隷兵
いずれにせよイラクでもエジプトでも
最期には皆殺しにされておしまい

224 :
>>217
ローマ崩壊から中世までのヨーロッパは56し合いばっかりで野蛮の地であり文化面ではオリエントの方が先進的
しかしそれによって培われた観念や工業力でヨーロッパ以外の有色人種の土地を次々と侵略できるようになった
そして白人が優越であり有色人種は劣等という価値観が肥大し続けた
近代において有色人種が白人に戦争に勝ったのは日露戦争が初めて

225 :
>>215
>輸入超過もクソもないから
古代には確かに近代的な経済学はなかったとはいえ、家政経済学みたいなものを国家に適用する
考え方はあって、インドとアラビア半島の交易における輸入超過は、実際大プリニウスが嘆いている話
それが現代でいう輸入超過とは少し違うのは、輸入された奢侈品が100倍もの値段でローマ帝国内で流通
し、しかもローマの貨幣が一方的に流出していた点にあり、プリニウスには不均衡貿易だと映っていたということ
そうした認識もあって、ヴェスパシアヌス時代以降にはある程度改善された結果、インドにおけるローマ貨幣の
出土は減少した。これは貿易額と量の減少を意味しておらず、寧ろ東方貿易は最盛期を迎えるのである。
これは、ローマ側も輸出品に力を入れ、奢侈品の購入量を抑えたためで、減少したとはいえインドにおける
ローマ貨幣の出土は続くのだから、やはり当時の人々が”入超”と認識していた現象はピーク時よりも
低下したとはいえ続いていたものと思われる
当然流出した分を補うべく、ローマは鉱山開発に力を入れることになったわけで、
俺は155ではないが、別に155はおかしかことはいってない。

226 :
>>224
有色人種などという人種は無い

227 :
>>225
輸入された奢侈品が100倍もの値段で
ローマ帝国内で流通していたのは
ユダヤ商人のせいなのでは?
ヴェスパシアヌス時代以降にはある程度改善されたのは
エルサレムの神殿が滅んだからなのでは?

228 :
>>227
ユダヤ陰謀論か

奢侈批判はプリニウスだけではなく、セネカやタキトゥス等も批判していて、1世紀後半のローマの
時代思潮。その批判を受けて交易における絹の量が減り、木綿主流の交易に移行した。
木綿の産地は北インドだったため、この時代のローマ貨幣は北インドの出土にシフトする。
ユダヤが征服されたからユダヤ商人の影響力が減少して奢侈品の価格が下がったといいたいのだろうが、
全く違う。ローマからガラス製品などの輸出で相Rるようになったから。ローマの文物の輸出は
ガンダーラ美術に結び付いた。

北インド交易はクシャン朝の勃興の経済的原因のひとつとなった可能性も考えられている。
ガンダーラ美術にローマの影響が出始めるのもこの頃

エルサレム神殿はじめ、ヴェスパシアヌス時代のユダヤ戦争で奪取した財宝の一部は(もしかしたら
大部分かも知れない)コロセウムの建築費用となったと考えられている。貴族層に財宝をばらまいても
奢侈品に消費されてしまうから、闘技場を建設し間接的に庶民にばらまいた方が良いと考えたのかも知れない。

首都ローマにおけるユダヤ人が飛躍的に増大するのはウェスパシアヌスのユダヤ鎮圧戦争で捕虜となった
ユダヤ人のうち首都に連行したユダヤ人が多かったからで、ローマと東方交易におけるユダヤ人の存在感が
増大するのも寧ろこの時期以降のことだろう。しかしその時期は寧ろ奢侈品の量は低下していたのである

229 :
ちょうどエルサレムが破壊された頃からパルミラが繁栄し始めるよね
パルミラは砂漠化が進行して中世には放棄されてしまったけど
これはガラス製造が盛んになったからなのでは?
ガラス製造は燃料として木材を大量消費したから
森林が消滅して砂漠化したと思われる

230 :
メソポタミアも元は緑豊かな土地だったらしいが本当かな?
北アフリカのカルタゴは「ローマ帝国の穀倉」と言われるほどで
西ローマ帝国が衰退したのもここをヴァンダル族に奪われたのが大きい
アラブ人がやってきてからは衰退した

231 :
今イラクに小麦畑って
どこにあるの?
農業盛んらしいけど

232 :
昔から肥沃な三日月地帯だったろ

233 :
トラヤヌスはパルティアからメソポタミアを奪い
ローマ帝国が最大領域になるけど、次のハドリアヌスはあっさり放棄してるね
維持管理に対して実入りが少なかったから?

234 :
帝政初期だと
ゲルマニアも一時征服しかけたが失敗
アラビア半島にも遠征したが暑すぎて撤退

235 :
古代だし進攻限界線が地中海からさほど離れてないよね
鉄道発明まで待ってもらわないと

236 :
>>224
オスマン帝国が東への道を防いだからな
通るには通れるけど滅茶苦茶高い通行料を取られるから商人もたまったもんじゃなかった
ポルトガル「よし、じゃあ迂回してアフリカの南端を回ってアジアに行こう!」となる
これが帝国主義の始まり

237 :
フランク王国は西欧を一時的に統一したけど
すぐ分裂したな

238 :
>>229
シリアでガラスが製造されたのは、アンチレバノン山脈の西側
パルミラで輸出入されたガラスは器に成型する前のガラス塊が多かったと考えらている。
これらのガラス塊を材料にしたパルミラ自産のガラスも発見されているが、非常にレアで
産業という程のものではなかったそもそもガラス工房自体が発見されていない
パルミラは古代から既に砂漠地帯で、これは水に関する法律や貯水池、カナートの遺跡などから判明している
パルミラでは塩が重要な生産品&輸出品で、これも乾燥塩化した土地こその産業だった
パルミラが勃興したのはナバタイ王国が滅んだからで、ナバタイ王国から通商権を奪ったから
当時のユダヤはナバタイ王国と競合していたが、ハレタト四世、マリク二世の元で全盛期を迎えた
ナバタイ王国に圧倒されていた。従ってこの時期ユダヤが東方通商を支配していたとはいえない

プリニウスの言う100倍というのは誇張された値だと考えられるが、
後漢書にもインドと安息国(パルティア)との間の貿易は十倍の利益を得ると記載があることから、
パルティア―ローマ間でも10倍となり、結果、インドとローマの間では100倍も十分ありえると
考えられているのである

239 :
>>236
ポルトガルがそれを意識するのはかなり後だと思うけどね
だいたいオスマンが来る前からアフリカに植民地もってたし
アフリカの最南端発見できるかどうかもわからないわけで
ただ最南端発見したらインドいけるってことは当然知ってたとは思うけど

240 :
>>237
フランク王国の領域で中央集権政府があって近世の技術があればめちゃ強かったんだけどね
ナポレオンより広大な領域征服できる

241 :
プレスター・ジョンの国=エチオピア

242 :
>>241
キリスト教のネットワークが無くてもキリスト教国家だったのかい?

243 :
サハラ以北がイスラム化した後もキリスト教信仰を保っていたようだよ
今でもキリスト教国

244 :
つかエジプトにも少数だがキリスト教徒がいるんだよな

245 :
ディアスが喜望峰発見した同時期に
Pero da Covilhaって人物をポルトガルはエチオピアやインドに送り込んで
目標をマダガスカルに設定してる
かなり用意周到に計画的にやってたわけだ

246 :
スーダンも16世紀まではキリスト教だったとか

247 :
しかし教皇庁との繋がりが無いのにいけるものなのか

248 :
書き忘れたけどもちろん中東経由でエチオピアやインドに行ったわけね

249 :
>>233
メソポタミアを放棄したハドリアヌスはブリタニアに長城を建設したけど
メソポタミアよりもブリタニアの方を放棄した方が良さそうだよな
貧しい辺境を防衛する為に莫大な費用を注ぎ込むのは無駄だよな

250 :
アメリカが朝鮮半島南半分を自陣営にとどめておこうとするようなもんだろ
努力も虚しくもうしき大陸勢力に取り込まれそうだがな

251 :
ローマの属州時代のブリタニアにはあんま貧しいイメージ無いな

252 :
メソポタミアの維持の方がコストかかるんだから相対的な問題だろ
メソポタミアの文明が古いと言ってもあそこら辺砂漠だらけだし
奢侈品があっても住民全員が金銀財宝じゃらじゃら持ってるわけじゃないからな
ブリタニアにしてもメソポタミアにしても大多数は農民なわけで

253 :
ウェールズの錫鉱山が目当てじゃなかったかローマ

254 :
>>250
朝鮮半島=アルメニア
北京=クテシフォン 
じゃないかな

255 :
ArmeniaやCtesiphonが可哀想だ…

256 :
私はこう考えるけれどもローマ時代のメソポタミアより三韓の文明が上位だったようです

257 :
ローマ時代はメソポタミアの全盛期
アッシリアやバビロニアが自立していた時代は
絶え間ない戦乱で虐殺と破壊が繰り返されていた
イラン系帝国によりメソポタミアは初めて平和になった

258 :
「ブリタンニア属州を維持するための収支は大幅な赤字」ってタキトゥスが「アグリコラ伝」で書いたんだっけ?

259 :
ゲルマニアからブリタニアへの民族移動は
古くはライン河を渡りベルギーを通って
ドーバー海峡から上陸していたので
ライン軍団でブリタニアも防衛出来たけど
アングロ・サクソンが北海を渡ってくるようになると
ブリタニア自体に大軍を配備しなければならなくなった

260 :
東方でもゴート族が黒海北岸に到達すると
ゴート族は船で黒海を渡り海峡を越えて
エーゲ海にまで侵入してきた
サルマタイとか遊牧民はドナウ河で防ぐ事が出来たけど
ゴート族に海峡を突破させない為にビザンティオンや
ニコメディアをローマは重視するようになった

261 :
>>252
>メソポタミアの文明が古いと言ってもあそこら辺砂漠だらけだし
中東ってあれだろ?砂漠ばかりでラクダに乗ってターバンつけてる奴が暮らしてるとこなんだろ?って思ってるでしょ
>奢侈品があっても住民全員が金銀財宝じゃらじゃら持ってるわけじゃないからな
>ブリタニアにしてもメソポタミアにしても大多数は農民なわけで
中学生?
地政学って知ってるかな?金銀じゃらじゃら取れるとかお宝いっぱいあるとかは君が思ってるほど実は重要じゃないんだよ

262 :
と罵倒だけで具体性0のいつものパターン

263 :
ゴート族がいなかったら東ローマの首都は
コンスタンティノープルじゃなくて
シリアのアンティオキアだったのだろうな

264 :
ごめん俺素人で中世につきもののゴート族とかフランク族ってのがどうも覚えられない
分かりやすい説明をお願い致す

265 :
なぜ世界史板に来る
三戦板にでも行っとけ

266 :
アングロ・サクソンとは異なり
ゴート族は何故か船を使わなくなった
フン族の襲われた時に船でローマ領に
逃げ込んでこなかった
西ゴート族がドナウ河を渡って移住した時は
船をローマ側が用意したという

267 :
ヴァンダル族は東ローマに敗れた後、故地のゲルマニアに帰ったようだ

268 :
>>261
アホか249が貧しくて金銀がないからブリタニアいらんとか言ってる答えだろ
よく読めボケ

269 :
>>261
実際人口少ないんだから荒れ地だらけで防衛もめんどくせーだろ
ローマ時代のイラクの人口歴史推定人口で100万程度だぞ
緑が豊かだったメソポタミア時代じゃねーんだぞ
実際砂漠だらけなんでターバンつけてラクダなんだよバーカ

270 :
19世紀のイラクの総人口が100万人
同じ頃のエジプトの総人口が200万人
エジプトはメフメト・アリーの治世に
総人口が400万人に倍増した

271 :
ローマ時代のブルタニアの推定人口は150万人
アイルランド=ヒベルニアの推定人口が50万人

272 :
紀元1年100万1000年200万1500年100万1700年100万1820年109万
バグダッド繁栄時代ですら200-250万ぐらい
もうローマ時代にはオアシスににぽつんと都市が点在する状態だな

273 :
1258年から1820年まではイラクは100万人前後で停滞

アッバース朝全盛期にはバグダッドだけで150万人から200万人
イラク総人口は1000万人

アッバース朝衰退期にバグダッドは80万人
ローマ時代のクテシフォンは60万人
イラク総人口は500万人前後

274 :
イラクは日本よりでかい
その広大な土地に100万程度しか住んでない
イランの勢力はローマと互角の強さだから軍隊維持コストがかなりかかる
イランの勢力とメソポタミアを巡って延々と争そう気もないから撤退というところだろう

275 :
>>273
どこのデータ?
俺のはcontours of the world economy
oxford 出版

276 :
イランとイラクが逆なのでは?
パルティアとササン朝は農業生産をイラクに依存していた
イラクは帝国の穀倉地帯で人口の大部分が住んでいた
一方イランは住民の多くがまだ牧畜民で人口希薄だった
ニシャプールとかイスファハーンが大都市化するのは
イスラム時代になってから

277 :
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_population_in_1000
これだとイラクとイランあわせたブワイフ朝の人口は650万だね

278 :
イランが人工希薄ならよく3000年も前に大文明築けたな
高原ばっかりでたしかに人口少なそうな感じやけど

279 :
イランはイラクの面積の4倍あるし日本の5.5倍もあるからね
だいたい古代から中世通して4-500万ぐらいいる

280 :
500万いたら文明築くには充分なんかな
周りにもっと古い先進文明あったし

281 :
イラクは黒人奴隷に農作物作らせてたけど
黒人奴隷は去勢されるケース多いから同時に人口抑制もしてたということだな

282 :
モンゴルに滅ぼされたホラズム・シャー朝が
最大領土で950万人で約1000万人
イラク無しでイランだけ統一した状態

283 :
>>277
イラクが500万人ならイラン西部は150万人という事か
中世イランの中心はホラサンとかイラン東部だったよね
サマルカンド、ブハラ、ウルゲンチ、ニシャプール、
メルブ、ヘラート、バルフ、ガズニ、カンダハルとか

284 :
>>281
イラク南部で塩害で駄目になった土地の
土を入れ替えるのが重労働なので奴隷にやらせた
バグダッドがあるイラク中央部ディヤラ川流域は
肥沃な穀倉地帯で土着民が耕し続けていた

285 :
>>283
イランが400万でイラクは200万程度
273はソースも出せないし単なる憶測だろ
バグダッドの人口が多いから周辺人口も多いだろうという勘違い
それは中国やインドに当てはまってもメソポタミアに当てはまらない
塩害で土地がダメになって農業が土壌の入れ替えも含めた重労働ですぐ死ぬ奴隷にやらせてたから人口も増えない

286 :
>>282
イラン×倍の領域だから
やっぱりイランは安定して500万ぐらいなんだろな
https://en.wikipedia.org/wiki/Khwarazmian_dynasty#/media/File:Khwarezmian_Empire_1190_-_1220_(AD).PNG

287 :
>>284
だからバグダッドにめちゃ人口が集中したわけだな

288 :
ウマイヤ朝時代にはイラクは200万人以下だっただろう
ササン朝末期の大水害でクテシフォンとかが泥に埋まった
アッバース朝のバグダッド建設とともにイラクは復興した

289 :
単にバグダッド周辺が栄えただけでしょ
他の地域がフロンティアである森林が開墾されて
森林の中に点在する都市中心の社会から面に広がる農村共同体が形成されていくのに対し
中東は古代の時点で開発されつくしてフロンティアが存在しないからな
基本点在する都市のネットワークで成り立ってる社会でインド、欧州、東アジアみたいに面がない
だから面全体としての発展はほとんどおきない

290 :
ローマ市は帝国全盛期に100万人以上いたそうだけど
アウレリアヌスが城壁を築くと城壁外の市街地が
放棄されだして西ローマ時代は20万人が城壁内にいた

291 :
アナバシスだとクセノフォン一行がメソポタミア地域の裕福さを見てそのまま定住しようとする話が出てくるけどな

292 :
中東は中継貿易で栄えたから裕福ではあるけど
住める土地自体は少ないから別にずれないでしょ

293 :
教皇庁って昔から綺麗だったのかな

294 :
アケメネス朝のキョロス2世によるリディア遠征では
リディア軍との戦闘よりもリディアまでの行軍で
餓死するかもしれない事をペルシャ軍は恐れたという
イランとリディアの間の旧アッシリアと旧ヒッタイトが
虐殺されたまま無人の荒野と化していたので補給と略奪が
出来なかったからでペルシャ軍はリディア領に辿り着き
敵の軍勢を見て一安心したという

295 :
バグダッドができたころはエジプトから穀物を輸入していた
アッバース朝中期にエジプトが離反し、カイロが勃興すると
バグダッドの人口の一部はカイロに吸収された
全盛期バグダッドの高い人口は、周辺地域の住民を吸収したからで、イラク全体の人口は
変わらないので、バグダッド以外の農村人口は前代より低下した

296 :
>>294
>キョロス2世
直すのが惜しい誤字

297 :
>>264
ゴート族
ゲルマン人の中ではマイルドな蛮族
イタリアやイベリアで王国を築く
フランク族
ゴート族からも「マジやべえこいつら・・・」と思われるほどのガチ蛮族
フランク王国を築き、フランクがなまってフランスになる

298 :
ゴシック建築とか、ホントにゴート族風なのか?

299 :
んなわけねーだろ

300 :
>>295
バグダッドもローマ市と同じくエジプトとかを
収奪する事により過剰人口になっていたわけだね
イラクやイタリアの農業生産だけで超巨大都市は
ありえなかった

301 :
>>285
イラク南部に黒人奴隷ザンジュは100万人近くもいた
883年にザンジュの乱が鎮圧されるとこの100万人がいなくなり
イラク南部の農地は労働力を失い元の荒れ地に戻っていった
ブワイフ朝時代のイラクが200万人という事ならば
ザンジュの乱鎮圧以前のイラクは300万人という事だな

302 :
アッバース朝の最盛期は813年ホラサン軍による
バグダッド陥落で終わった
813年に円城は破壊されてしまいバグダッドは
150万人以上の超巨大都市ではなくなった
813年以前のイラクは883年以前よりも
さらに人口が多かったようだ

303 :
>>297
ありがとうございます

304 :
>>292
古代や中世初頭ではヨーロッパ側のほうが住める土地も農地も少ない未開の地だけど
東ローマ帝国の人口もアナトリア側に7割が集中していて司教座都市もほとんどがアナトリアに置かれていたし

フランク王国は土地に何の産業も工業もなく農具は石器を使ってる有様だったが
この時代のヨーロッパがイスラム側に何を輸出していたかというと奴隷とくに若い女性で
これがヨーロッパ唯一の輸出品と良い存在だった
カール大帝とヴェネツィア が女性奴隷の輸出を巡って対立するというかなり醜い争いをしているが
これは自国の女でも売らない限り外国との交易が出来なかったから

305 :
俺の持ってる oxford出版 contours of the world history だと複数の学者によるデータが乗ってるけど
ローマ時代の人口は紀元14年 1978 mcevedy&jones 2000 frier maddison
シリア(レバノン、シリア、パレスチ)400万 アナトリア 600-800万 エジプト 400-450万 マグレブ350-380万
イタリア 810万 イベリア 400-500万 ガリア 580万 ギリシャ 270-300万 ドナウ川(スイスからブルガリア 270-300万)
紀元164年 2000 frier 
シリア(レバノン、シリア、パレスチ)480万 アナトリア920万 エジプト 500万 マグレブ 650万 キレナイカ 60万 
イタリア 870万 イベリア 750万 ガリア 900万 ギリシャ 300万 ドナウ地域 400万 キプルス 20万
欧州 3220万 アジア 1420万 アフリカ 1210万 計5850万
ブリタニアはmcevedy&jonesによると60万ぐらい
maddisonの紀元1年の推計だとアラビア200万イラク100万トルコ800万イラン400万大シリア440万

306 :
>>304
ていうより北アフリカのイスラム海賊が非人道的にも欧州の海岸沿いで奴隷狩りしてた

307 :
>>305
イラクだけなんか少ないよね
0が一桁足りなくて1000万人か?
シリアとエジプトが400万人ぐらいなら
イラクも400万人じゃないかな?

308 :
アッバース朝時代のアナトリアはイスラム圏じゃないからイスラム視点で話されてもね
>>307
mcevedy&jonesでも100万だよ
新しいデータが出てくるかもしれないけど
少なくとも現段階の史料からはその程度ってことなんだろな

309 :
逆にアラビアが多過ぎかな
イスラム以前のアラビアが
よく総人口100万人と言われた

310 :
イラクはバグダッドの隆盛のあとも19世紀まで100万だからね
自力だとそんなんものなんだろ
衛星写真みても全然緑ないしな
シリアやパレスチナの地中海沿岸沿いは結構緑あるから狭い地域だけど人がそれなりにいる

311 :
>>309
補足するとアラビアはイエメンやオマーンも含む半島全体

312 :
>>306
イスラム海賊の略奪とかカール大帝の大略奪遠征に比べれば万引き程度のちゃっちなもんだぞ
アヴァール遠征ではアインハルト曰く人っ子一人いなくなるまで徹底した人狩りをやったそうだし
おもな取引先はアグラブ朝だったのだが同じキリスト教徒を異教徒に売り払うこともあったけど当時の倫理観的に大丈夫だったのだろうか

>>308
>アッバース朝時代のアナトリアはイスラム圏じゃないからイスラム視点で話されてもね
だれもそんなこと書いてないのですけど
もしかしてイスラム圏に非ずんば中東に非ずと思ってる?

313 :
イスラム海賊は120万人に奴隷にしたって英語版WIKIででてたぞ
黒人は1000年で2000万
ゴミ屑野郎だなイスラムは

314 :
ちなみにイスラムのクズ共は未だにリビアで黒人奴隷売買してるし
まじでクソ

315 :
黒人奴隷は去勢しまくったから中東でのザンジュの子孫は人口割合の1-2%ぐらいしかいない
白人奴隷は船漕ぎでほとんど死亡、女は性奴隷
クズすぎるな

316 :
https://www.youtube.com/watch?v=Df7sRqqG9pQ
Blacks In The Middle East The Harsh Brutal Reality
黒人奴隷の子孫たちが中東で過酷な差別をうけている現状
白人に隠れて悪いことばかりするのがイスラム、信用してはならない

317 :
>>304
アラブ人でもシリアとかは白人風の顔つきが多いのはそのためか

318 :
現代のアラブ人は大なり小なり黒人の血を引いているのだが・・
まぁいいや

319 :
現代の黒人アメリカ人が大なり小なり白人の血を引いてるみたいなもん?

320 :
>>310
ローマ時代のイラクはパルティアとササン朝の穀倉地帯だった
イランに食糧を収奪されていたからイラクは100万人だったのかな?
ローマ時代のエジプトも本来なら1000万人いるはずだけど
ローマに飢餓輸出していたので500万人以下に抑制されていた
穀物輸出がエジプトとって重い負担だったのでアラブ軍により
ローマ国家から切り離される事を住民は歓迎したという
19世紀のエジプトもオスマン帝国から独立した途端に
人口が200万人から400万人に倍増した

321 :
オスマン帝国崩壊後百年間ずっとgdgdな中東さんハンパないッス!

322 :
>>320
>ローマ時代のエジプトも本来なら1000万人いるはずだけど
これ出典は?

古代エジプトの人口はファラオ時代から一貫して成長していて、ローマ支配直前でも400万人くらいだけど
https://www.quora.com/What-was-the-population-in-Ancient-Egypt-What-did-the-population-depend-on

323 :
これなんか見ると起源1000年以前はローマ時代がピークだ

http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/discussionpapers/DP97.19/zu1.gif

どこが飢餓輸出なん

324 :
>>322
プトレイマイオス朝も既に穀物輸出国だった

325 :
穀物があまってたからね

326 :
人口が増加している時は穀物があまっている
人口が横ばいになっている時はあまってない

327 :
で?1000万の根拠は?

328 :
>>326
なるほど・・・してみると、紀元200年まではローマ支配下のエジプトでは穀物があまってたってことだな
人口増加しているから

329 :
帝都ローマやイタリアの人口から推定したようだ

330 :
誰が?

331 :
>>329
誰がいってるかともかく古代エジプトの人口推計は
https://oi.uchicago.edu/sites/oi.uchicago.edu/files/uploads/shared/docs/early_hydraulic.pdf
の論文の研究にもあるように具体的な地質調査の結果で4-500万とでているのだから、
1000万という数字はおおかた古代の史書とかの数字を鵜呑みにした古い研究だろう

332 :
>穀物輸出がエジプトとって重い負担だったのでアラブ軍によりローマ国家から切り離される事を住民は歓迎したという
http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/discussionpapers/DP97.19/zu1.gif
アラブになってからの方が人口低下していて草

333 :
ペストの流行で人口が減少した

334 :
200年頃の大幅な人口減少はアントニヌス疫病か
んで500年頃の次の転落はユスティニアヌス時代のペストか

335 :
で イラクはどうなの?

336 :
イラクも地質調査をもとに100‐200万程度と考えられている

337 :
>>305
ブリタニアは60万人しかいないのか

338 :
日本国天皇=ローマ教皇>>>イギリス女王=スペイン国王=オランダ国王=タイ国王>>>アメリカ大統領=韓国大統領

339 :
でもマッカーサーは昭和天皇を見下そうとしてた

340 :
今やemperorは世界で日本の天皇だけになってしまった

341 :
emperorはローマ由来、kingはゲルマン由来

342 :
いかに英国とアイルランドの人口増加率が高いと言うことだな

343 :
横レスだが、、、、
終わった議論を蒸し返すつもりはないが、上の方で議論になってた
ローマ時代エジプトの飢餓輸出の件は、疫病や戦乱で人口が200万
以下くらいに低下した古代末期の場合は飢餓輸出に該当するだろう
本来は1000万とかいうところだけがおかしいであって、
>>320はそれほどおかしなことは書いてないと思う
5-6世紀のコンスタンティノープルの人口が20-30万くらいで、
コンスタンティノープルの人口増に反比例してアレキサンドリアの
人口は減少したはず。アレキサンドリアの民衆の一部がコンスタン
ティノープルに流入した可能性もある。飢餓輸出すれすれの状態で
ユスティニアヌス時代のペスト大流行があったのだから、イスラム
征服直前は飢餓輸出状態だった可能性がある

344 :
何でこの人はこんなに飢餓輸出に拘ってるの?

345 :
話を元に戻すとハドリアヌスは
メソポタミアの代わりにブリタニアを
放棄すれば良かったのではなくて
メソポタミアだけでなくブリタニアも
放棄すれば良かったという事だな
どちらも人が少ない過酷な土地だから

346 :
そんな戦略ゲームじゃないんだから
人口が多いとこだけ抑えとければいいというもんじゃないよ

347 :
もともとローマは利用価値があるところしか征服しない方針だった
カエサル以前は地中海式農業が出来る土地だけを征服していた
イタリアとスペインやギリシャはナルボンネシスやダルマティアなど
狭い回廊で繋がっていた

348 :
中世は中世温暖期というぐらいだから
ローマ時代の方が中世よりも寒かったんだよな
ローマはかなり無理していたわけか

349 :
グリーンランド氷床に見られる古気候によると共和政>帝政時代=中世中期>それ以外の中世となってるけどな

350 :
ローマ時代もブリタニアでブドウの栽培が可能だったのか?

351 :
知らん

とりあえずグリーンランド氷床気温変動グラフはっとく
https://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_Warm_Period#/media/File:Greenland_Gisp2_Temperature.svg

352 :
帝政期とくに南東部におけるブドウ栽培とワインの製造は、常識の範疇かと思っていたが…

353 :
ローマ時代ワイン栽培地の北限地図
https://www.researchgate.net/figure/Roman-Imperium-and-northern-limit-of-vineyard-olive-groves-and-date-palm_fig1_226515762

354 :
そもそも海流によりブリタニアの方がガリアよりも温暖で
だからガリアからブリタニアへ民族移動していた
ブリタニア西部と東部では西部の方が温暖なので
西部の方がブリタニア・スペリオルと呼ばれた

355 :
ローマ時代のブリタリアでワイン畑跡が発掘されてるのか・・・マジか
https://www.researchgate.net/publication/273292576_Roman_vineyards_in_Britain_Stratigraphic_and_palynological_data_from_Wollaston_in_the_Nene_Valley_England

356 :
その頃は今より温暖だったようだ
ただ最近の温暖化によってブリテン島でもブドウ栽培が可能になっているので
近い将来イギリス産ワインが出来るのではと見ている

357 :
カエサルの遠征時にブリタニア東部の後のイングランドに
相当する地域が既にベルガエ人が支配するようになっていた
ブリタニアはゲルマンにとって憧れの土地だった
あのキンブリ族もブリタニアに移住しようとしたけど
ベルガエ人に負けて向きを変えてイタリアにやって来た
ユトランド半島出身のキンブリ族にとってイタリアは暑過ぎた

358 :
>>356
イギリス産ワインもう日本でも売ってるだろ…

359 :
>>318
アラビア半島南部の国家オマーンなんて黒人との混血アラブ人が通商活動してるもんな
アラビア半島の全住民・全域ではないだろうが混血してる層も2,3割はいると思われる
かと言って黒人差別が少ないワケでは決してないが。
あとアラブ人はアジア系に対する差別もひどい。
サウジの資産家が雇った家政婦が過酷で理不尽な環境の中過労死したり自殺したりする例がいっぱいある

360 :
サウジでは魔女裁判が現役で処刑も行われてるそうだ
宗務庁に魔術相談窓口があって、他人に魔術を掛けられた
という相談を受け付けているとか

361 :
イギリスは飯まずのイメージからか美味しいワインが想像できない
ワインといったらやっぱフランスとかスペイン

362 :
>>359
オマーン国際空港で有名なオマーンか

363 :
>>361
塵もええで

364 :
https://imgur.com/a/REHsru4

365 :
>>362
オマーン国際スタジアムもあるぞ

366 :
スタジアムやドームのオリジナルってローマ帝国のコロッセオだよな?

367 :
>>366
ドームは先史時代からある
どこで発明されたかわからん
エスキモーも氷のブロック積んでドーム作るで

368 :
へー

369 :
エスキモーのドーム
https://i.imgur.com/ehF3nRu.jpg

370 :
なんで黄金期から落ちぶれたの?
それがわからん
普通は発展していくはず

371 :
いや黄金期の次は普通は停滞や衰退だが
だからこそ繁栄のピークを黄金期と呼ぶわけで

372 :
「中流層の没落」からの「貧富の二極化」
これが文明衰退のお約束

373 :
てことは今先進国は文明衰退過程にあるが、全世界的には中流層は増大しているから、
全体としては文明黄金期に向かってる???ってこと?

374 :
アメリカは貧窮分解してるぞ

375 :
共和政ローマ 兵士兼農民 → 兵士 帝国に発展
中世東ローマ 兵士兼農民 → 農民 滅亡

376 :
東ローマ 
バルカン兵士+小アジア農民+シリア都市民+エジプト農民
↓ 
小アジア兵士兼農民

外国人傭兵+小アジア農民

377 :

外国人傭兵+王侯貴族

滅亡

378 :
東ローマがマンジケルトの戦い後に小アジア農民を見捨てたのは
小アジア農民が軍事力として当てにならなくなったのと
船でコンスタンティノープルに物資を供給出来るようになったからかな?
アラブ軍が強い時は海が危険で小アジアに物資を依存していたようだ

東ローマは小アジア農民を見捨てたので国民がいなくなってしまった
バルカン側の領民はスラブ人が多くて彼らは東ローマ人意識はなくて
ブルガリアやセルビアなど自分達の国を再独立する機会を窺っていた

379 :
東ローマ政府よりも外国人傭兵の方が小アジア農民を守ろうとしたようだ
ノルマン人傭兵ルーセル・ド・バイユールらはガラチアのアンカラと
ポントスのアマセイアで地元民に支持されていた
東ローマがノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク朝に依頼したので
アンカラの住民は追い払われ小アジアのトルコ化がスタートした

380 :
ルーセル・ド・バイユールはエジプトのサラディンや
メフメト・アリーのようになりそこなった
サラディンやメフメト・アリーの方が後の人物だけど

381 :
傭兵ってろくでもない奴しかいない感がある

382 :
傭兵って今でいうヤクザだから
略奪はするし違法取引はするし居座るとマフィア組織を形成しだす

383 :
傭兵から王様にやった奴って日本でいう清水次郎長みたいな奴

384 :
>>379
その小アジアの住民はギリシア語話者で正教徒?

385 :
>>378
建国当初からコンスタンティノープル以外のことは知らんってのが国是で
搾取に耐えかねた農民や地方民がしょっちゅうブルガールやフンとか引き入れてますけど

386 :
>>384
ガラチアのアンカラの住民は古代ローマ帝国全盛期には
ケルト語話者だったけど中世にはギリシャ語話者になっていた
ポントスのアマセイアの住民もギリシャ語話者だった

387 :
ロマノス4世達の出身地カッパドキアの住民は
ギリシャ語話者になっていなかった
カッパドキア人はアルメニア語話者だった
アルメニア語話者だけどギリシャ正教徒が多いので
ロマノス4世はアルメニア本国もアルメニア正教から
ギリシャ正教に改宗させようとした
ギリシャ正教に改宗したくないアルメニア人は
セルジューク軍に参加したのでマンジケルトの戦場では
アルメニア人同士が殺し合いギリシャ人は逃げた

388 :
アメリカでヒスパニック以外は英語が普及しているけど
ユダヤ人はユダヤ人だしアイルランド系はアイルランド系だよな
東ローマでもギリシャ語を話すようになってもパフラゴニアや
フリギアとか元の出自に対する拘りが残っていたようだ

389 :
まあ今のアメリカだとそこらへんはな
先祖はイタリアンだけどアイリッシュと結婚して
その子はハンガリアンと結婚してとかもう

390 :
カソリックどうしかな

391 :
カッパドキアの連中はアルメニア系だったのか・・・

392 :
ユスティニアヌス大帝の征西がローマ滅亡なのか
ランゴバルド大暴れがローマ滅亡なのか
皆さんはどうおもいまするか

393 :
>>388
ビデオチャットでよくメキシコ人やチリ人、ブラジル人と話すけどヒスパニックは
英語ペラペラだし日本の歌やアニメとかも英語字幕見て理解してるぞ

というか世界的に見てもほとんどの国は日常的に言語を使い分ける多言語話者ばかりで日本のようなモノリンガル国家のほうが少数派だけどな

394 :
>>392
シャルルマーニュだろうね

395 :
>>392
オドアケルがゼノンに帝位返上したとき
西の帝位を返上したのだから、これ以後「西ローマ」は存在しなくなった

396 :
>>393

>というか世界的に見てもほとんどの国は日常的に言語を使い分ける多言語話者ばかりで日本のようなモノリンガル国家のほうが少数派だけどな

2カ国語を話すのがバイリンガル
3カ国語を話すのはトリリンガル
1カ国語しか話せないのは?

答はアメリカンでした(米国以外でやるとうける)
日本語が世界中で通用するようになればいいけどね(洋ゲーの対応言語とか)

397 :
日本人でも琉球やアイヌ、朝鮮系、華僑はマルチバイリンガルだな
圧倒的大多数を占める大和民族がマイノリティーの言語をサラサラ覚える気はないというだけで

398 :
マルチリンガルのアイヌなんて今日日絶滅してるわ
現存してるのはアイヌ語が話せないアイヌ系日本人

399 :
>>391
カッパドキアはヘラクレイオスやニケフォロス2世の出身地で
中世東ローマで最強の尚武の気風の地なんだろうね
ここが失われると再起不能という事だよね
カッパドキアはアケメネス朝が開拓する以前は大都市がなくて
キンメリア人とかが遊牧している土地だった
アルメニア語はキンメリア語に由来するみたいだね

400 :
>>392
ユスティニアヌス大帝の征西が古代ローマ滅亡
546年ローマ陥落
ランゴバルド大暴れは西ローマ滅亡
751年ラヴェンナ陥落
西ローマはそもそもディオクレティアヌス帝以来
東に任命された総督みたいなもので独立国ではない
例外的に独立していたのはマクセンティウスとかだな
スティリコとかは自立しようとして殺された
ローマ帝国は実は東西分裂しなかった
ゴート戦争の時こそ東西分裂していたと言えるかも

401 :
どこで質問していいか分からないのでここで質問しますが
アラブ社会にも奴隷制度があったそうですが
アラブの奴隷承認がアフリカのどの地域で奴隷を集めてたのか分かりますか?
今現在の地域でいえばどこの国になるか分かる人いたら教えて下さい

402 :
ザンジュ

403 :
奴隷制度があったそうですがって奴隷制度がない国や民族なんて存在しないけどな
日本でも卑弥呼が奴隷を魏の曹丕に献上してただろ
中世の下人や所従とかあれも金品で売り買いされる奴隷身分だぞ

地方では戦後になっても糸満売りとかおじろく、おばさとか実質上の奴隷制度が残存していたし
奴隷がなくなったのってホントつい最近のこと

404 :
しかし現代でも事実上の奴隷制度は存在する
外国人労働者、技能実習生制度とかな
旧共産圏は党官僚以外の国民は全部奴隷みたいなもん
結局、どれだけ人間社会の発達や技術革新が進んで便利になっても、
搾取される層がいないと社会は成り立たないってことだな

405 :
その論法だとアメリカじゃ現在でも黒人が奴隷か?
それともヒスパニック系不法移民が黒人に代わる新たなる奴隷か?

406 :
土地の移動の自由がなかった中世の農奴と
自分で行き先を決められる現代の外国人労働者は同じには見えないな

407 :
>>405
捉え方の問題の話をしてるだけで、厳密にこうだという定義はないよ
ただ、よく現代の奴隷制度って話があるじゃん?
その一例を示しただけ
アメリカだと黒人やヒスパニック系の移民でもアメリカ国籍取得して
それなりに稼げる位置にいる元外国人もいるし、
その一方で黒人スラム並かそれ以下の貧困から抜け出せない白人層もいる
アメリカは福祉がまるで整っていない国なので、
教育にも医療にも金がかかって貧困層が貧困から抜け出すことはほぼ不可能
たまに音楽やらの才能で一発当てて出世する奴がいるが、そういうのは稀で、
それがアメリカンドリームの正体だったりする
まあとにかく、黒人や移民が必ずしも奴隷ぽくなる訳でもないし白人が奴隷になる場合もあるし、
奴隷みたいな位置にいる奴が極稀に出世する場合があるのが、
ある意味身分が流動的だったローマ帝国に似た部分があると思う・・・という俺の個人的見解

408 :
アメリカは現代のローマ帝国とはよくいったもんだわ

409 :
ゲルマン人「ウホウホウホ」
ローマ人「蛮族はイヤー」

キリスト教徒「神を信じよう」
ローマ人「カルトはもっとイヤー」

410 :
日本の江戸時代だと
稀に百姓や商人が養子縁組などで武士身分になることもあったけど
中世ヨーロッパだと
貴族は貴族、騎士は騎士、商人は商人、農民は農民って感じで
全く流動性がないイメージだわ

411 :
西アメリカ帝国、東アメリカ帝国

412 :
乞食坊主から皇帝になった朱元璋、百姓から関白になった豊臣秀吉
成り上がり2トップはやはりこの二人か

413 :
いつの間にか皇帝(emperor)のいる国が日本だけになってしまった件

414 :
王政復古や帝政復古は、近代化が進行した現代世界にあっては、起こらないものかねぇ…

415 :
スペイン

416 :
カンボジア

417 :
アメリカにも皇帝がいたらしいぜ(実話)

418 :
フランス、ドイツ、イタリア、ロシアあたりは
旧王族も残ってるし、復活しようと思えばいつでも出来そう

419 :
ドイツ第四帝国とかいいね
ヒトラーの子孫の方はおられないのかな?

420 :
今のEUが第四帝国

421 :
ハプスブルク家は健在
ナポレオンは直系の末裔はいないけど、傍系ならいる

422 :
デンマーク王家が一番古いんだっけ?

423 :
キリスト教は教義がシンプルで、また隣人愛の教えに基づいて相互扶助が機能していたから身分の低い人を中心に大流行した。

424 :
>>408
トランプは現代のカエサルのつもりなんだろう?
末の息子をアウグストゥスにしたいみたい
先にブッシュ家が王朝化を企んだけど頓挫したようだ
フーヴァーFBI長官の急死後にグローバリストが
跋扈するけどこの急死にパパブッシュが関わったようだ
フーヴァー長官の時代こそがアメリカの黄金時代だった

425 :
>>413
日本が開国した頃は世界中エンペラーだらけだったんだけどねぇ
だから日本がエンパイアを名乗ってもあっさり認められたんだが
その後エンパイアがバタバタ倒れるわ倒れるわ
とうとう日本だけになってしまった

426 :
>>425
日本も天皇が皇帝と称してたのは大日本帝国時代だけやけどな
大日本帝国時代には天皇の署名は「大日本帝国皇帝 裕仁」やったけど
今は天皇の署名は称号無しで「徳仁」だけやで

427 :
大黒屋光太夫を取り調べた江戸幕府の記録「北槎聞略」に「世界に帝号を称する国はただ7つだけで日本もその一つ。光太夫がロシアで厚遇されたのは日本が帝号の国だから!王号だったら馬鹿にされた筈」
とか書いてあって、今のネトウヨの天皇ホルホルのはしりだなあ、と思ったり。

428 :
原文ネットに落ちてたわ
「帝号を称する国をイムペラルトルスコイといひ、王爵の国をコロレプスツワといふ。彼邦にて他邦の者どもおち合、互たがいに其許の国は何国にて何爵ぞと問とき、
コロレプスツワなりといへばとり合あう者もなし。イムペラルトルスコイなりといへば席中形を端ただし上座を譲と也。世界の間四大部洲にして其容る所の諸国千百に下らず、
其内帝号を称する国僅に七国にて、皇朝其一に居る。されば光太夫等何方に行ても少しも疎略にせられざりしなり。」

429 :
>>426
今でも欧米では天皇陛下のことをemperorと呼んでいるぜ

430 :
アウグストゥスと始皇帝
東西のファーストエンペラー

431 :
>>427
山村才助『訂正増訳采覧異言』(1802年)は、そういうホルホルに茶じゃを入れるパヨクのはしりかも知れない
彼は11の帝国を三段階に分類したそうだ
1.誰が見ても大国  神聖ローマ、ロシア、オスマン、清、ムガル
2.国土が広い大邦  ペルシア、エチオピア、モロッコ
3.自主独立してそれなりの軍事力のある帝国 タイ、日本、スマトラ
日本は全帝国中第10位だそうだ

432 :
>>431
平田流国学者
「でっでもっ、大日本は昔から、天から降りてきた神様の子孫が統治する世界で唯一の神国なんだからっ!そんな怪しい土人国と一緒くたにしないでよねっ!」

433 :
まあ光太夫はなかなか学問のある人だったから、当時流行の学問だった国学にも何ほどか触れていて、その神国思想から影響を受けていた可能性もあるな

434 :
キュアクサレス2世とチャンドラグプタと始皇帝と冒頓単于

435 :
ダレイオス1世と劉邦

436 :
アウグストゥスとセレウコス1世と劉邦だよな

437 :
>>430
アウグストゥスよりキュロス2世のほうが600年古い

438 :
>>431
>誰が見ても大国  神聖ローマ
ここ笑うとこ?

439 :
>>438
>>431
なんか多いな
べつに帝国名乗ってないモロッコ、タイと統一国家ですらないスマトラはともかく
あと一つ七国のうちに入ってないんはどれや?

440 :
>>430
アッシュール・バニパルと始皇帝

441 :
日本の天皇、中国の皇帝、トルコのスルタン、イランのシャーは西欧のemperor扱い

442 :
大ハーンもやで

443 :
>>441
オスマン帝国の君主の正式称号は、パーディシャーだよ。

444 :
オスマンのスルタンはカリフとローマ皇帝(ルームカイセリ)も兼任

445 :
>>431
モロッコのどこが大国なんだろう?
超大国だった時代(ムラービトとムワッヒド)のことか?
タイも大国とは思えん。全盛期カンボジアのことか?
そもそもなんで当時世界を制覇していたはずのイギリスやフランスが入ってないのか?

446 :
>>422
イギリス(ウェセックス王家)とスペイン(ヒメノ王家)も古い

447 :
>>445
クメール滅亡後にカンボジアは小さな属国に
転落し、ミャンマー、タイ、ベトナムが
インドシナの地域大国になる

448 :
>>445
北アフリカで唯一トルコから独立を守った
モロッコは未だにアフリカでは大国。
左派政権のリビア、アルジェリアに対抗して
アフリカの覇権を取ろうとし、
政変後のコンゴにも介入しようとしていたが、
これでもレコンキスタの後のスペインに
攻め込まれセウタ、メリリャ、西サハラを
奪われた後は全盛期に比べてかなり勢いは落ちた

449 :
この時代の海外認識にそこまで正確性求めても・・・

北槎聞略では「光太夫の言うネメツ国(ロシア語でドイツ人の意)とオランダ人の言うゼルマニヤって実は同じ国なんじゃね?」ってレベルなんだし

450 :
>>448
ローマ帝国やイスラム帝国の支配を受け入れたが、オスマン帝国は嫌だったのね

451 :
ゲルマン人の中でも特に野蛮で有名なヴァンダル族でさえ
ベルベル人の侵攻には手を焼いたようだぜ

452 :
後ウマイヤ朝はベルベル人傭兵の反乱で滅亡した

453 :
カルタゴってベルベル人なの?
もしそうならハンニバルみたいな連中ばかりで怖かっただろうな

454 :
住人はフェニキア人、兵士はベルベル傭兵
ローマと違って人口が少ないから兵士を傭兵に頼らざるを得ない
雇う金は腐るほどあったしね

455 :
ムラービト、ムワッヒドでようやくベルベル人が主役になり、
スペインのイスラム教徒から文明を取り入れて一流になれるかとおもいきや
自分でアラビア語をしゃべるようになり
君主もわざわざアラブ人を連れてくるという卑屈さ
日本人が孔子の子孫をつれてきて天皇にするみたいな感じ。

456 :
ムハンマドの末裔だっけ?

457 :
村人なんて田舎臭いわ

458 :
ベルベル人ってアフリカ在住の黒人という誤った認識を持っていたがベルベル人の語源は古代ギリシャ語のバルバロイなんだな
いわゆるハム語族と呼ばれる人たちだったんだ

459 :
サハラ以北はホワイトアフリカ

460 :
キリストも絵画では白人風に描かれるけど
リアルではセムハム系の褐色黒髪なんだよな

461 :
古代イスラエル人に一番近いのはパレスティナ人だろうけど普通に金髪碧眼も普通にいるけどな
あのあたりはコーカサス人種と古くから混合してるので西欧人と見分けがつかない人も多い

462 :
聖書にイエスキリストの生物学的特徴が記載されてないのは何故なんだろ?不都合があったんだろうな

463 :
>>461
スラブ奴隷との混血
中世ヨーロッパは古代ローマとは比べ物にならないほど貧しくて目ぼしい売り物もなく
最初はゲルマン女を売っていたけど、ゲルマン女が嫌がるから
東欧でスラブ女を捕まえて売っていた

464 :
>>461
トルコ人も白人っぽい人が多いよ
元は中央アジアにいたコテコテのアジア人だったらしいけど
もはや原型をとどめていない

465 :
>>464
>アジア人

「アジア」ていうのはアナトリア半島のことやから
アジア人は元々コーカソイドや

466 :
>>460
エチオピア正教会のイコンではキリストはアフロ

467 :
>>462
アナクロニズム
「キリストは金髪碧眼白人じゃないと不都合」なんて、遥か後代の思想だろ

468 :
>>465
じゃあ「東アジアってのはワン湖のあたりを言うんですよ」って外務省に教えたげれば?
語源と語義は違うんだよ

469 :
そもそも古代人て人種的特徴に無頓着というかなんというか
中国の史書でも匈奴の人種的特徴が出てこないから未だによう分からん

470 :
>>468
おまえが「アジア人」なんていうわけわからんこと言いだしたから嫌み言うてんねん
「アジア人」なんていう民族も人種も語族も無いわアホンダラ

471 :
ペルシャ人も見た目欧州人と変わらないよな
ペルシャ人は印欧語族だからそうなんだけど同じ印欧語族でもインドにいる人はどうなの?

472 :
>>464
>トルコにも白人っぽい人が多いよ
ウイグル族もトルコ人の仲間でしょ?
新疆ウイグル自治区に住むウイグル族の人たちって白人みたいな顔してんの?
中国人やモンゴル人みたいなモンゴロイドだとずっと思っていた

473 :
>>472
ヤクートはトルコ人でかつ純粋なモンゴロイドやで
https://1.bp.blogspot.com/-Jaibe3K21hw/WmLYdK8kelI/AAAAAAAAPVI/p6FNGgwenSQ_yWTtQ_CWsPmvvJ8OcNGOQCK4BGAYYCw/s1600/2.jpg

474 :
>>471
ペルシャ人は目ん玉黒い白人
アラブ人は目ん玉黒くて日焼けしたラテン系
見た感じ

475 :
>>467
確かに金髪で青い目のキリスト像なんか見たことないな
よく見るようなキリスト像は中東の人間だとしても大して違和感はない

476 :
>>464
中央アジアからアナトリア半島に来て更にバルカン半島に進出するまでに
イラン人、アラブ人、ギリシャ人、スラブ人と混血を繰り返したわけだしな

477 :
フランス人で金髪碧眼は多くない(ゲルマン系のフランク族由来)
大多数は元から居たガロ・ローマ人の末裔だから黒髪が多い

478 :
アングル人とサクソン人がセックスしまくってアングロ・サクソン族になったわけね

479 :
ウェセックス

480 :
>>478
正しくはアングロサクソンジュート族や

ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリアの各王国がアングル族のつくった王国
ウェセックス、サセックス、エセックスの各王国がサクソン族のつくった王国
ケント王国はジュート族がつくった王国

481 :
>>473
アナトリアにおるトルコ人はコーカソイドやで
同じトルコ人でもモンゴロイドのトルコ人とかコーカソイドのトルコ人っておるのか?

482 :
>>481
そのとおりや
人種と民族は何の関係も無い

483 :
>>461
パレスティナ建国の父はハドリアヌス帝
パレスティナ人の祖先にはローマ帝国の
ヨーロッパ属州出身者もいたはず

484 :
パキスタンから西は基本白人に見える

485 :
>>482
そうなんだ
でもコーカソイドのトルコ族とモンゴロイドのトルコ族が同胞意識もつのかな?
インドも肌の白い人と肌の黒い人がいるが彼らも同じインド族として同胞意識持ってるのかな?

486 :
>>485
インドは宗教対立とカーストで分断されてるから、なんとも言えんな

487 :
>>485
そもそもイスラム教徒にとっては民族や人種なんかより
イスラム教徒> その他の経典の民 > 無信仰者 > 偶像崇拝者
やから、同じトルコ人と言えどもイスラム教徒でないヤクート人なんかに仲間意識を持つことは無いと思う
イスラム教徒のトルコ人にとってはヤクートなんかより
異民族でも同じイスラム教徒のアラブ人やペルシア人のほうがよっぽど仲間やろ

488 :
インドのイスラム教徒はカースト外の存在なの?
あれはあくまでヒンドゥー教徒内における身分制度だし

489 :
日本に例えると神道=ヒンドゥー教、仏教=イスラム教みたいなもんなの?

490 :
神道と仏教はかなり融合してるから違う

491 :
商業都市とか教会都市っていうの?
それらは封建領主の城にくっついてたの?

492 :
>>489
神道徒と仏教徒が殺しあいの戦争したことがあるか?

493 :
>>492
蘇我氏vs物部氏 で殺し合いやった

494 :
>>491
それは国によるけどね
イタリアは分離してる場合が多いけどフランスは結合型が多い
で忘れてならないのがヨーロッパの自治都市は一種の独立国みたいなもので都市自体が
国王とは独立して司法権や外交権、徴税権、軍事権を持っていて時には封建領主を打ち負かして
市民を君主とする君臣関係を結ばせることもあった
市民が総体としてあたかも君主のようにふるまうこういった現象を「集団領主」という
けして武士が町人風情を君主として仰ぐわけがなかった身分間の上下関係がハッキリしている日本の封建社会とはここが違うわけよ

495 :
>>494
サンクス

496 :
ローマ帝国は比較的宗教に寛容だったけど
キリスト教徒は皇帝を神として崇めるのを拒否したから迫害された

497 :
>>493
それ嘘だぞ

498 :
>>488
便宜的にクシャトリア扱い。

499 :
嘘こけ
だったら不可触民の連中はみんなイスラム教に改宗しとるわww
王族・武人階級やん

500 :
じっさいにアウトカースト中心に下位カーストがイスラム教に改宗してきた歴史がここ八百年ほどあるんだけど…
現在は仏教とキリスト教、とくにキリスト教への少数民族や下位カーストの集団改宗が激増していて、
聖書の部族語への翻訳と、翻訳者へのヒンドゥー教徒やイスラム教徒による襲撃と虐殺が多発しているのは、西欧では広く知られていること

501 :
クシャトリア扱いはムガール帝国期と植民地時代の一時期だな

502 :
始祖のバーブルはチンギス・ハンとティムールの双方の血を受け継いでいるトルコ系イスラム教徒

503 :
そんな教科書にも載ってるような話をしたり顔で書かれてもねぇ?
そもそもトルコ民族の崇拝するイスラム教って実際にはイスラムの皮をかぶったテングリ崇拝やシャーマニズムの残滓だったりする

かのイワン雷帝がカザン・クレムリンを攻囲したときのこと城壁上にシャーマンたちが現れて呪詛を唱え始め
モスクワ側も負けじとイコンを掲げて呪詛返しを行ったらしいwww

504 :
近代に必要なのってローマじゃなくてギリシアだな 

505 :
酒好きのロシア人に禁酒のイスラム教はまず無理だな
トルコ人みたいにムスリムでも平気で飲んでる奴もいるけど

506 :
>>505
砂漠の都市民特化されたの宗教が寒帯の農民国家に合うとは思えんわ

507 :
西ローマ帝国が滅んで知識や技術の継承は途切れたけど
ワインの作り方はそのまま伝わっているんだな
明らかに贅沢品なのに・・・
暗黒の中世だからこそ酒でも飲まなきゃやってられないってか

508 :
イスラム教が禁酒とはいえ、聖職者はともかく
貴族や庶民までも本当にそれを厳格に守っているのだろうか?
裏でこっそり飲んでいたりして?

509 :
庶民の多くがまだイスラム教徒じゃなかった

510 :
割と、イスラム教徒でもゆるい奴は酒飲んでるみたいだけどな
海外行って酒飲んで「神様もここまで見てないからヘーキ!」みたいなノリ

511 :
>>509
中世はともかく現代の話よ

512 :
普通に酒とか買うのにすげー制限あるイスラム系の国あるよ  
マジで買えない国ある

513 :
>>507
なんせ修道院でワイン醸造してたからな
そもそも聖体拝受で宗教儀式自体に酒が組み込まれてるキリスト教

514 :
イエス「水を酒に変えられるよー」

515 :
>>513
シャンパンという英語風の名前で有名なシャンパーニュワインのブランド、
ドンペリもフランスのドン・ペリニヨン神父が確立したもんだっけか
神父が酒を開発ってどういうことだよって思ってたけど、
よくよく考えれば聖体拝受でワイン使うくらいキリスト教では酒が一般的だもんな

516 :
>>515
修道院は自給自足が原則だから拝受式用のワインも自家醸造なわけで

517 :
中世初期の西欧のワイン醸造は修道院の独擅場
東ローマでは商業的な醸造元生き残ってたけど

518 :
>>508
「アラブ飲酒詩選」とか知らない?
今で言う相席屋とか売り専バーみたいなのがすでにあったらしいぞ
しかもバグダッドで

519 :
俺は酒タバコやらんけど

520 :
>>518
それって8世紀から9世紀にかけての話でしょ?
21世紀のアラブ人はどうなのよ

521 :
>>508
小学生が酒飲んで美味いと思うか?
酒なんか飲み慣れてなかったら辛いだけや
わざわざ飲みたいなんて思わんわ
飲酒の習慣の無い社会で育った人が酒飲みたいなんて思わんわ

522 :
日本も戦国時代までは犬を食べていたけど
江戸時代からは食べなくなった(生類憐みの令?)

523 :
朝鮮ヒトモドキは未だに犬食ってる

524 :
異なる文化圏の飲食について、一方的に非難するのは野蛮人のすること

鯨だろうが犬だろうが同じだ

525 :
ジャップランドのモンキーは未だに鯨を食っている

526 :
牛やクジラとか偶蹄類の肉を
人類は美味いと感じるわけか

527 :
>>508
聖職者もわからんでえ
そんんなので表向きは品行方正でもダーティーなやつは少しも珍しくないし
酒なんて糖類さえあれば簡単に作れるし

528 :
誇らしい文化なら堂々と犬食えよ

529 :
ドイツは割と最近まで犬食ってたな

530 :
そもそも、イスラムは専門の聖職者ってのはほぼいないし?ウラマー(イスラム法学者)も、禁制に関しては一般信徒と変わらんので議論自体が無意味

531 :
ベトナム人も犬食ってるよ
韓国だけの食習慣ではない
韓国のことを政治的に嫌うのは勝手だし俺も政治的な意味では嫌いだけど、
衣食住の文化までバカにするのは関心しない
捕鯨もイルカ漁も生魚食う習慣も世界的に特殊な日本だけど、それらは日本だけの習慣ではないし、
仮に日本だけだったとしても「これがウチの文化だ」と主張すればいい
だから捕鯨・イルカ漁の文化を自然愛護の精神で否定する欧米は独善的でクソだし、
同時に犬食やら乳出しチョゴリの文化をけなす日本人もクソ

532 :
鯨肉美味いよ

533 :
>>530
それ知ってる でも実質的には権力者ってのはいる

534 :
そうそう、堂々と犬食ってれば世界が認める韓国文化になるよ

535 :
>>533
権力者は、この場合「より世俗から離れて禁欲的な生活が望まれる階層」ではないから、議論自体が成り立たない
ってお話
中世欧州におけるワイン(というか酒)まで話を戻すと
ビールも、ブランデーも、シードルも、あの時代は修道院において技術継承され、製造されていたってのはおさえてもいい

536 :
ジャップも昔は犬食ってただろw

537 :
武家も町人も犬ほどうまい肉はないとして特に冬場になる犬は見かけ次第殴り殺して食べてしまっていたので
昔は野良犬はほとんどいなかった(落穂集)とか山川出版の教科書にも載っている話なのに
まぁ歴史の授業何てつまらないし特に男子は寝てる奴多いから覚えてないのも仕方ないね

538 :
キリスト教こそが、中世ヨーロッパをローマと繋いでいた存在ってことだね

539 :
>>507
中世の修道院、十字軍の巨大要塞、中世後期の
ゴシック建築、ルネサンスは一旦ローマ時代の
遺産が完全になくなった後で出来たのか
中国の場合、王朝滅亡時の破壊がいかに凄まじいものであっても、中国人が全滅したように見えてもやはり引き継がれる文明、文化はあるように思う
東日本大震災と今度の巨大台風は甚大な被害を
もたらしたが、東日本の人が江戸時代に戻った
訳ではないし

540 :
ヨーロッパに比べ、
中国では異民族の流入は少なかったってことか
五胡16国でも文明崩壊とかなかったもんな

541 :
十字軍の巨大要塞って中東にある奴か?
あれはひっ捕らえた現地のアラブ人に作らせた奴だぞ

当時のヨーロッパの世俗建築とか王侯貴族の城塞ですらバイユーのタペストリーに描かれてるような小山に掘っ立て小屋をぽつんと一件立てた程度のモノ
モット&ベイリーとかいうやつな

542 :
>>539
文革でさえ文明崩壊まではいかなかったからな
マジで文明を破壊したのはクメール・ルージュ

543 :
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパ
クメール・ルージュによるぶ文明破壊後のカンボジア

ワースト1位2位やね

544 :
古代ゲルマン人はもともと城塞を造らなかったようだけど
ローマ軍によってケルト人やダキア人の城塞が陥落すると
ケルト人の真似をして城塞に籠城しても無駄なので
ケルト人が残した城塞も使わなかった

ゴート族は森林から平原に移住しても
城塞を造らなかったので
フン族に襲われると逃げ出した
スラブ人は城塞を造っていた

545 :
中国だって五胡十六国時代は人口が半分くらいになっててもおかしくはないな

546 :
>>540
んなことないやろ
中国の歴史はは匈奴・突厥・モンゴル・女真・ウイグルetc・・・
多種多様な民族の侵入に事欠かない
そもそも古代の段階で長江文明は黄河文明に飲まれて、
しかも黄河文明の方が少数派でコーカソイドだったぐらいだぞ
どこからどこまでが異民族の血統なのかは当の中国人ですら分からない
中国の歴史学者ですら、ホントの漢人は客家ぐらいだって言うくらいだ
中国人には二文字以上の姓を持つ人がごくたまにいるが、
それらは異民族と混血していく過程でそうなったものらしい
中にはあの匈奴の血筋じゃないかと思ってる人も・・・?

547 :
>>507
>明らかに贅沢品なのに・・・
ワインは贅沢品じゃないでしょ 
安物は奴隷でも飲んでいた

548 :
そりゃローマ時代の話だろ
交易網の寸断された中世では贅沢

549 :
ローマ全盛期や中世温暖期にはブリテン島でも
ワインを製造出来たんでしょう
14世紀から寒冷化したのでワインは贅沢品になる

550 :
>>531
犬なら日本でも食うてたわ

551 :
中世初期に果実栽培や醸造が各所で断絶してるし、わりと贅沢品になってたのは確かだぞ

552 :
>>539
>中国人が全滅したように見えてもやはり引き継がれる文明、文化はあるように思う
「あるように思う」て……
思うどころか明白に続いてるやろスカタン
膨大な量の書籍

553 :
>>551
中世はみんな食うに精一杯で小麦に全振りよ
果物とか酒とかのぜいたく品を栽培する余裕はなかった

554 :
そもそも五胡の支配が及んだのは華北限定だし
その華北にしても鄴とか洛陽とか衰退するどころか人口が後漢時代よりかえって増えて羅城を新しく増築してるぐらいだからな

555 :
>>551
中世初期は寒冷期だから果実栽培が出来なくなった
2世紀後半にゴート族がポメラニアからウクライナへ
移住するから寒冷期が始まっていたようだ

556 :
わからんな
中国とヨーロッパの文明低下度の違いはなんなんだ

557 :
>>556
南北朝の南朝で文明維持された
東西ローマの東ローマで文明いじされた
大して違わんやん

558 :
北朝の支配下にあった地域はけして暗黒時代にあったわけではなく、むしろ道教・仏教など中国的な文化の隆盛期だったし…

559 :
>>556
そこはピレンヌ・テーゼじゃね?
グレコローマン文明は地中海あっての存在、そこにイスラムが侵入して経済圏が分断され、ムスリム海賊によって地中海が脅威の源に変わったときにはじめて、本当に古代世界が崩壊した。

560 :
>>559
中世中期以降のイタリアの復活が、イタリア海洋都市群によるバルバリア海賊との勢力均衡によるものともいえるな、確かに

561 :
>>546
そこらへんは分子人類学が明らかにするよ
たぶん真実だとは思うが・・・

562 :
>>556-558
俺の聞きかじりから推測するけど、中国の歴史の転換点の一つは唐帝国が崩壊してからだと思うね
唐の時代は東西から様々な民族が長安に訪れ、宮廷には国際色の強い空気が流れていたらしい
その後五代十国時代を経て宋の時代に入るけど、
以降の中華帝国は漢人の文化にのみ拘泥する帝国だった
中華帝国が世界史の観点から見るとあまり目覚ましいものがなくなるのも宋以降じゃないかと

563 :
>>560
バルバリアもローマ領だったから
バルバリアの衰退も暗黒時代かな
バルバリアはムスリムどうしの仲間割れで衰退した
ファーティマ朝がベドウィンを大量移住させたので
バルバリアのアラブ化も促進した

564 :
>>562
宋や南宋に目新しいものがないとか?

565 :
>>564
いや商業の発達など国内政治・経済などの発展は見られるよ
そういうことじゃなくて、東アジアをリードする力は失われたってこと
日本もベトナムも高麗も全部独自の道を歩み始めたじゃん?
もちろん中国の儒学は以前として注目され続けたけど、
律令制度など抜本的に政治を変えるような革新的なものは生み出されなかった
日本の歴史だって鎌倉時代以降中国の影響で政治が変わった!なんてことはあまりない
同時に中華帝国も内に引きこもりがちになっていったというか・・・
異民族が宮廷内にいたのは元の時代ぐらいだけど、
あれは中華帝国としてはカウントしない考えも多い

566 :
>>562
一番目覚ましかったら時代は宋やで

567 :
宋が目覚ましとか儒学者だけ
朱子学がうまれて世界に光が生まれたみたいな思想丸出し
イスラムでもムハンマド以前を無明時代という

568 :
>>565
それは単に日本や高麗やベトナムが成長して
以前ほど中国との差が無くなったからでは?
ただ、日本も文明レベルが上がるにつれ、
中国由来の文化が庶民まで広く普及するようになったな

569 :
>>567
朱子学とかどうでもよろしい
宋代に発達したのは、経済規模、陸海の物流網、磁器、繊維、冶金などの工業技術、そういったものの集大成

570 :
>>568
宋代の日韓とか、貨幣とか書物とかまるっと宋頼りではなかろうか

571 :
>>567,569
世界で初めて出版業が成立したのはそれこそ大革命やろ
それまでは手作業で書写した本が細々と流布するだけだったのに
宋以後、印刷された本が大量に流通するようになった

572 :
>>565
ダイチン・グルン朝廷関係者一同
「あのー・・・」

573 :
膨大な量の貨幣の流通
宋代の銭の発行量は年に5億枚にも達した
おかげで宋銭は今でも大量に存在していて
骨董品としては価値皆無で銅地金としての価値しか無い
そして世界初の紙幣

574 :
>>569
地域的枠組がほぼ明確化して地域経済が一気に発達し始めたのが五代十国
それらを市場統合するかたちでまとめたのが宋だね
ターニングポイントは唐末の節度使の軍閥化と藩鎮の自立化ってところかな

575 :
>>574
唐末に貴族全滅したことも

576 :
唐宋の断絶よりも宋明の断絶の方が大きい印象
文化的には宋明の方がつながってるんだけどさ

577 :
明清のゴテゴテとした装飾過剰な工芸って
明らかに遊牧民のセンスだよね

578 :
>>577
明清ほどではないけど唐もわりと派手や
絵はモノクロの水墨画、建築は白壁に黒瓦の宋の文化だけ異様に地味なんや

579 :
>>572
元の支配層はモンゴル人であることを保ち、儒教には染まらなかった
一方、清朝の支配層の満州人は自ら漢人の文化に染まることを部族全体に奨励した
(漢人側に押し付けた文化もあるけどね。辮髪強制とか)
だから清朝は中華帝国としてカウントするのは当たり前
乾隆帝とかの内政にも有能な皇帝も輩出したし

580 :
>>578
日本人の好みに近いな
というか日本人の感性が宋文化の影響を受けて形成されたものかもな

581 :
>>578
>>580
中国の人たちの小噺で
唐在日本
宋在越南
元在蒙古
明在韓国
清在中国
というのがあるとか
ちなみにこの小噺まだ続きがあるんだって
その続きは少々政治色を帯びた話でもあるからスレが横道に行っても何なので、
続きは各自で検索してみてくださいな

582 :
>>579
乾隆帝は版図こそ拡げたけど、内政そのものはむしろ硬直化させた向きがある
康熙帝や雍正帝のほうが内政面では優れていたともいえる
康熙帝自身がトライリングアル(満・蒙・漢)だったほどだし、雍正帝も民族融和政策に特筆されるところがあった

583 :
漢以前の文化は唐以降に比べて日本に近いな
床にゴザ引いて座るし
粒の飯食べるし漆器使うし服も和服に近いし

584 :
>>561
分子遺伝子学だと鮮卑や匈奴と言った五胡は周代以前から中原にいて華北人の祖であるハプロ3と共存していたことがわかってるけどな
漢人時代が等閑視していただけでいきなり降ってわいて出たわけではない

585 :
>>554
地中海でもコンスタンティノープルや西ゴートの都トゥールーズとか
ローマ全盛期よりも発展しているから首都に選ばれると発展するよね

586 :
>>585
トゥールーズは確かにそういう面があるけど
コンスタンティノポリスは、あの地の利があって政治的に安定してれば発達してない方が異常事態だと思う

587 :
ビュザンティオンは古代にはそれほど重要な交易拠点ではなかったようだね
ビュザンティオンはカルタゴやシラクサのように自力で大都市に成長しなかった

588 :
>>562
中国文化の全盛期は宋代
日本は江戸時代だな

589 :
支那は拷問と食人が日常化していた
拷問史とか見ると支那は趣味ってくらい拷問大好き

590 :
>>587
後背地の黒海沿岸がグレコ・ローマン文化的にみて後進地域だったのが大きいのではなかろうか

591 :
>>589
リョウチケイとかは女真の影響だっけか?
首・手・足に縄付けて牛に引かせてバラバラにする奴は漢族オリジナルか

592 :
>>589
中世ヨーロッパのアイアンメイデンとか痛そうだけど、一度中に入ってみたい気もするw

593 :
>>581
民国在台湾

594 :
>>592
それよりまずファラリスの雄牛に入ってみてくれ

595 :
>>591
四つ裂きの刑ならヨーロッパにもあったぞ
こんだけ離れてると起源も違いそう

596 :
>首・手・足に縄付けて牛に引かせてバラバラにする奴は漢族オリジナルか

こんなん世界中どこにでもあるやろ

597 :
明在韓国というのは的確であろう
支那本土の中華文明は明の滅亡に消滅した
小中華として中華の資格と儒教の宗家を継承したのが李王朝だったからだ

598 :
>>597
日本の「明治」も「夷狄に占拠されてるシナに代わって日本が明の治を受け継ぐ」という意味があったらしいで
もちろん出典である「易」の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」にはそんな意味は無いけど

599 :
まあどっちかといえば、世界観自体よりは様式性とか、それに元の場合には民族色でしょ
(隠れた続きの部分には、世界観も混ざったりするんだけどね)
様式性でいえば、日本と唐、モンゴルと元、韓国と明は確かにという感じがする

宋在越南というのは例えばどういったところで感じられるかな
開封、杭州、それにハノイかフエ辺りの、三、四箇所みな行ったことある人いる?

600 :
東京一極集中を解消するには首都を名古屋に移転するしかない
国会議事堂と霞が関をまるまる名古屋に引っ越しさせよう

601 :
首都なんか佐渡か淡路島でええわ

602 :
モンゴルが攻めてきたた時の高麗かよww

603 :
南宋は台湾に移住しようとしなかったよね
なぜだろう?

604 :
>>585
トゥールーズ伯国の首都にもなってたっけ

605 :
>>603
そもそも漢族が台湾に定住するようになり始めた時期自体、17世紀
三国の呉の時代には台湾と推定される島嶼が既に知られていた様子だけれども、
唐・宋代の文献には、台湾と推定される島嶼自体が登場しない
当時は地理学的にあまりに不明確で、南宋朝廷の移転先としては候補にできなかっただろう

606 :
>>605
唐・宋代の台湾の呼称は琉球やろ
小琉球が台湾で大琉球が沖縄

607 :
>>603
当時の台湾は未開の土人の島
台湾の歴史は明代に福建人が入植したときから始まる

沖縄より大きいのに不思議なことに文明化は沖縄より遅かった

608 :
>>606
名称の如何以前に、そもそも台湾と推定される島嶼の関連記述が元代に関する記録に登場するまで間がとんで出てこない

609 :
日本ではすでに奈良時代の文献に阿児奈波(オチナハ)島が見える

610 :
『隋書』は唐代の文献じゃないのか
隋が遠征した流求国は台湾に推定されているそうだが

611 :
>>610
ああごめん、書き方が曖昧だったね
隋代に関する史料には出てくるけど唐代に関する史料には出てこない、ってこと

612 :
中世ってローマ帝国末期、つまり古代末期から
近世ルネサンスの手前までの千年近くが中世だろ
前期の東ゴート、ランゴバルド王国の時代、
中期のフランク王国の時代、
後期のノルマン諸公国の時代、
末期の十字軍の時代に分けて見たい感じだな
同じ時代に捉える事は出来んわ
日本だって古墳時代と飛鳥奈良時代と平安時代と鎌倉時代を同時代として扱う事は無理だからな

613 :
中世ドイツ史では一般的に

Frühmittelalter(初期中世) 500-1050
Hochmittelalter(盛期中世) 1050-1250
Spätmittelalter(後期中世) 1250-1500

という区分になる

614 :
ゲルマン民族がゴートやランゴバルドのような民族移動の性質を失ったのが10世紀ころ
中世といってもドイツは野人の集合体で古代に近い状態だった

615 :
ゴートもランゴバルドも10世紀以前にすでに滅んでいるし
それまでの市民共同体に変わってゲルマン人の従士制度がヨーロッパ各地に広まった5世紀を起点として
ヨーロッパでは中世と古代とを区分しているのだから色々とズレてるな

616 :
西ヨーロッパに関してはフランクの支配が大きいんだろ
東ヨーロッパはまだまだだったが

617 :
>>614
ゲルマン民族が移動しなくなったのはカール大帝の征服とキリスト教布教の賜物。
布教師たちが同じキリスト教徒を傷つけてはいけないと教え諭したから略奪文化が廃れた。
ドイツ本土で異教からの改修を阻んだ人たちは北欧に逃亡してバイキングになる。
キリスト教の神とゲルマンの神々は数百年の間戦っていたといえる。

618 :
自分に自分でレス返して自作自演してるとこに水差して悪いのだけど
いくら何でもバカすぎへん?

619 :
昔は蛮族だったドイツと北欧が今では世界有数の高所得国
昔は栄えある文明を誇ったギリシャイタリアの没落ぶりよ

620 :
北欧はどうやって文明化したのだろう?
ドイツはザクセン戦争
イングランドはノルマン・コンクエスト
バルト諸国はドイツ騎士団
多くの国は文明国に征服されて文明化した

621 :
北欧は19世紀後半は貧困でアメリカなどへの移民の供出地だった
豊かになったのは20世紀に入ってからだな

622 :
>>620
>イングランドはノルマン・コンクエスト
これってワザと馬鹿レスしてるの?
アルフレッド大王の文化振興とか都市建設とか知らない?
当時のノルマンディーなんてイングランドと比べたらド田舎の辺境もいいとこなんだが

623 :
>>622
真面目に言ってるのか?

624 :
>>622
ああ?

625 :
(>>622は、きっとイングランドで教育を受けた日本語を操れるイングランド人なんだ、と思ったらほっこりした)

626 :
また分かりやすい自演だな

627 :
>>620,622
当時のイングランドとノルマンディーって目糞鼻糞じゃない?
単に軍事力の高いノルマンディーが一番最後に乗り込んできて勝った感じ
ただ、イングランドはノルマン人による支配で間違いなく文化的な転換点を迎えたとは思う
それまでサクソン人としての文化+デーン人の文化だったイングランドは完全に
フランス化したノルマン人が支配層になったことでフランスのラテン文化の強い影響を受けることになる
大陸からの文化流入=文明化というのとはちょっと違うと思うがね

628 :
>>627
相対的な話になるけど
カロリング・ルネサンスを経た北フランスと、それまで北海勢力との攻防に巻き込まれ続けたイングランドでは
明確な差があるよ

だから、コンクエスト後の各種社会システムの北フランス化がスムーズに進んだ面がある

629 :
ええええ?????カロリング朝ルネサンスのきっかけとなったアルクィンはどこの人だと思ってるの?

630 :
ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ

631 :
侍の振りじゃなくてオランダ人の振りして行けば良かったのに

632 :
ヨーロッパでゲルマン系が上流階級だった
フランス人は自分たちをゴロワと呼ぶがこれはゲルマン系ではなく古くから土着のガリア系というアイデンティティ表明
日本人は天皇を始めとする最古の在日層が縄文系原始人を支配して生まれた国
ネトウヨの空想とは裏腹に日本は代々支配階級が韓半島の国であった

633 :
シドッチは初めて日本に行ったイタリア人なのかな
ローマ人で中国まで行った人はいるかもだが

634 :
>>613
初期が長すぎ
初期だけで半分超えてるやん

635 :
ドイツ史という事ならば
ザクセン戦争以前と以後で
分けるべきだよね

636 :
朝鮮半島を文明化したのは日本

637 :
フランク王国のカールは何故あんなに戦に強かったのかね
東ローマを悩ませ続けたイタリアのランゴバルドを瞬く間に滅亡させた
スペインを征服した全盛期のムスリム軍を撃ち破った
モンゴル系遊牧民の無敵と思われていたアヴァール族を全滅させた
屈強なザクセン族を殲滅してオーディンへの信仰を滅亡させた
善悪はさておき奇跡の人だろう
ナポレオンに匹敵する

638 :
ザクセン戦争で、800年ぶりにヨーロッパの境界が東に拡大した

639 :
>>637
はじめて封建騎士軍を本格的に組織したからだ、と言われてるな。

メロヴィング朝の諸王は封建制よりも古代国家的王権に基づく民兵召集権に頼る度合いが高かったとか。

640 :
>>632
>ネトウヨの空想とは裏腹に日本は代々支配階級が韓半島の国であった
自分がネトウヨのつもりはないけど、それはさすがに?
せいぜい朝鮮半島と日本の関係は古代ではひどく曖昧だった程度でしょ
フランスとイングランドの関係みたいな?
しかも、その説は正確には半島起源説じゃなく、『騎馬民族征服王朝説』ね。
百済王朝の王は半島人ではなく中国東北の騎馬民族が起源であり、
それが百済人を征服し、そして天皇家と姻戚関係を結んだ。(桓武天皇の母は百済王室出自)
つまり、そこから言えることは日本の天皇家は『日本人と半島人との混血』程度なのであって、
男系の血筋の起源は未だはっきりしないってこと。
更に言うと、その説を支持するなら百済王朝の起源は百済人(過去の半島人)ではなく
大陸東北の騎馬民族ってことまで分かるがね・・・
韓国起源を自慢した結果自分の首も絞めてるぞ?
まあそもそも、日本人という概念も朝鮮人という概念もない古代で
半島起源持ち出す辺り、どこの出身かがバレそうだが・・・?

641 :
近代史学が存在しない国の人に何を言っても

642 :
韓半島などという地名は歴史上存在しない
たかだか70年以下の歴史しかない南朝鮮語で古代世界を語るのは宇宙広しといえど南病身キムチ野郎どもだけだ

643 :
ローマみたいになれなかったからしゃーない
同じ半島国家なのに

644 :
>>643
ローマには地中海があったけど、ほかにはなかった
ローマの発展にはそれはとても大きかったと思う

645 :
何だこのカオスな本は
経済紙が世界史で宗教…?
https://i.imgur.com/9nMskrI.jpg

646 :
>>634
古代末期と重なるから

647 :
>>639
>メロヴィング朝の諸王は封建制よりも古代国家的王権に基づく民兵召集権に頼る度合いが高かったとか。

西ローマ帝国時代にはとっくに市民による軍団制は廃れて代わりにセナトール貴族の私兵ラエティを中心とした封建軍になってますけど

648 :
先進国だから豊か、後進国だから貧しいという図式が成り立たなくなってきた
旅行や留学で来てるシナ人見れば分かる
明らかに中国の中流>>>日本の下流になっているしな

649 :
>>637
シャルルマーニュ、ジャンヌ・ダルク、ナポレオン

650 :
>>637
ナポレオンはカエサル以来の英雄やで
全ヨーロッパを支配したのはローマ帝国、フランス第一帝政、ドイツ第三帝国くらいだしな
まさに本当の意味で皇帝

651 :
>>647
西ローマ帝国に「封建性」はないだろ・・・

652 :
>>640
最後の一文で台無しw
なんでネトウヨって国籍透視を我慢できないの?

653 :
>>647
私兵制度と封建制度って両立せんけども

654 :
シャルルマーニュ?カール大帝?

655 :
騎士と傭兵

656 :
中世ヨーロッパで常備軍を保有していたのはオスマン帝国オンリーだった件
西ローマ帝国滅亡後から絶対王政まで欧州各国に常備軍はなかった
戦の度に皇帝・王の命令で諸侯や貴族が配下の騎士を従えて参陣するといった具合

657 :
日本だと百姓や商人でも手柄や養子縁組で武士になれたけど
中世ヨーロッパでも農民や商人が貴族・騎士になれることはあったの?

658 :
十字軍では数万の軍がぞろぞろ動いてるけど、これほど大規模な行軍はローマ軍以来なんだよな
ただローマ軍は兵站がしっかりしてたけど、十字軍の補給は略奪に頼っていたのが大きな相違点か

659 :
>>652「ガイジの俺様を働かせようと社会的圧力をかけてくるアベはヘイト政権だから辞めろ」
まで読んだ

660 :
>>651
じゃあプレ封建的兵士とでも言い換えれば満足かな?
帝政末期のローマでは市民階層が没落して最早かつての軍団制の復活が不可能となった
そこでセナトール貴族層は兵役に堪えられる農民層を土地の権利を保障する代わりに自らの私的な兵士として駆使した
これを恩貸地制と言いゲルマン族の従士制と並んで封建制の原形である
世界史の授業で習うようなレベルの話だからこの板の住人なら当然知ってるよね

661 :
>>657
そもそも、都市貴族とは交易商人が貴族化したものだけれど
ただ、地主貴族に関しては、日本の武士ほど簡単には貴族(騎士)にはなれなかった

662 :
>>660
原型は原型であって、封建制度の根幹たる封主と封臣の契約(権利義務の明確化)とか、封建王政の諸制度とかないのよね
ローマ末期の恩貸地制は、たしかに封建制を生み出す萌芽にはなったけど、本質的な意味で封建体制じゃないし、封建騎士軍とは異なる存在

663 :
>>657
普通にある例えば中世イベリアの民衆騎士とか村落騎士とか
日本の場合は士は農工商と兼ねることはできないがヨーロッパの場合は町人百姓身分のまま同時に騎士身分を兼ねることが出来た
これが日本の中世とは違う所

664 :
>>652
ネトウヨをこき下ろすのだけが趣味のパヨクさんは具体的な反論もできないw

665 :
武装して戦うのには、他の職業よりも遥かに多くの金がかかることはわかった

666 :
>>648
支那は先進国にそもそもなれない

667 :
先進国=核保有国では?

668 :
パキスタン先進国説頂きました

669 :
中国には中流でも言論の自由がなかったり
日本は下流といっても病気になれば誰でも医療サービスを受けられるわけで
目に見えない豊かさというのがあると思うんだけど
見れば分かると言ってしまっていいのだろうか

670 :
>>663
惣の構成員で同時に守護の被官となった土豪なんかがそれにあたるのかも

671 :
中国の問題は「大中華帝国の復興」以外の繁栄モデルを描けないこと
国家観やら市民意識やら、いろいろと前時代的

672 :
中国人が国家や市民意識しだしたら春秋戦国時代以前の城市国家群に分解しそう

673 :
>>669
なら医療無料の国が先進国
医療が有料の日本は貧困国ていうことかな?

>>672
都市国家でええやん
都市国家はあかんの?

674 :
きみの あたまの なかでは
それで いいんじゃないかな

675 :
>>654
どっちも同じ。

676 :
>>666
その上日本以上のジニ係数の高さで中流とは

677 :
>>672
事実と願望をごっちゃにしないように。

漢民族は民族意識強いし、ほとんどの小数民族自治区では漢民族が多数派なんだから、分裂する理由がない。分裂の可能性があるのは、ウイグルとチベットくらいだろう。
そのウイグルでもウイグル人は半数切ってるし、独立ウイグル国家がウイグル人中心政策を取り始めたら、他の諸民族から猛反発食らいそうだけどな。

678 :
>>677
必ずしも民族単位で国家が形成されるわけでばないがな
現状で中華人民共和国の本土部分が分裂することは当面ないことは同意するがね

679 :
>>677
カザフ人やウズベク人は?

680 :
第二次大戦後に中国人を一番頃したのが
中国人
歴史を通じてもそうかも知れない

681 :
有史以前に民族形勢を終えて一貫して単一民族であった世界でも希有な存在である我々日本人には
理解できない思考だが漢族の民族意識ってのは入れ子構造になってるんだよ
まづ最初にどの城市の出身か次にどの省かどの地方かが来てその上に漢民族という概念が来る
こういう考え方が未だに残ってる
日本人でも沖縄の人なら多少は理解できるかもしれない
沖縄の人も日本人であるという意識と同時にウチナンチューという同胞意識があり
同じウチナンチューでも本島とそれ以外で分かれている
本土人とは同じ日本人という意識はあるものそこには大きな壁があり決して同胞と見做すことは無い

682 :
熊襲、隼人、琉球、蝦夷、アイヌ

683 :
日本もフィリピンやインドネシアみたいに島ごとに民族意識や言語が違ったままだったら面白かったのに

684 :
>>683
つ 八丈語

685 :
>>683
日本語の方言の一部には、他国で有れば別言語扱いされてもおかしくないレベルのものはなくもない

686 :
>>685
日本ではなんでもかんでも方言にしてしまうからなあ
国内に「○○語」が存在するのが許せないんやろか

687 :
薩摩弁はわかりにくいみたいなもんか
半分外国語

688 :
津軽弁も異言語としか

689 :
>>686
中国「そうアルよ(便乗)」

690 :
>>686
個人的には、幕末明治維新期における近代統一国家の過程で、フランス(リシュリューの単一言語政策)からの
影響が大きかったのではないか、と地味に思っている

まあ、この影響受けてない近代国民国家なんてないけど

691 :
外債の償還が滞れば領土を取られる時代だからな
中央集権国家建設は焦眉の急だったし
そのために言語の統一は不可欠だった

692 :
>>690
そういえばフランス国外のオック語(モナコ)及びアルピタン語圏(スイス西部、イタリア・アオスタ谷)までパリ方言に近いフランス語(オイル語)を標準語として使っているのはどういう歴史的経緯があるんだろう?

693 :
>>690
そのおフランスにもオイル語(いわゆるフランス語)とオック語、ブルトン語、アルザス語(ドイツ語のエルザス弁)があるのに

694 :
>>681
忘れてないか?琉球民族は大和民族ではないぞ
今では大部分が日本化されてしまっているが、そもそも沖縄人は異民族
江戸時代に薩摩藩による征服で日本の一部になっただけ。
でも琉球語は日本語の沖縄『方言』ではなく、完全な別言語。
アイヌとかも同様。
ただし、アイヌは大分移住してきた本土人との混血化が進んだので、
今じゃ誰がどのくらいアイヌの血を引いてるのかすら分からんが

695 :
>>694
同じ語族なら「完全な別言語」ではないな

696 :
>>695
英語とベンガル語とサンスクリット語とラテン語は別言語ではないと?

697 :
語彙の一致率から算出された日琉の分岐年代は2000年前で、印欧語族各語群の分岐年代よりかははるかに歴史が短い

698 :
>>697
なぜ”言語”じゃなくて”語群”? あと言語年代学って今では疑似科学の烙印を押されてるんじゃなかったっけ?

699 :
>>696
それはまあ政治的に決まることだな。

700 :
>>698
史学的にもゲルマン・イタリック・アーリア各民族の分岐年代は大和朝廷の勃興より遥かに昔なのでその言いがかりは的外れ

701 :
分岐からまだ300年しか経ってないカザフ語とウズベク語は?

702 :
>>697
一致率って交流があるかないかでかなり変わってくるから
意味ないぞ

703 :
>>702
なら漢語語彙を中世日本語からの借用に依存している琉球語は猶更もっと日本語に近い
中国語の各方言を独立の言語扱いしないなら琉球語も日本語の一部

704 :
例えば江戸時代に琉球王国がどっかの譜代大名と国替えし、譜代大名による琉球藩ができたとする。
そしたら琉球語は完全な日本語扱いになりそう。
また、どっかの藩が日本から独立したらその藩の言葉は日本語族内の別言語扱いになりそう

705 :
>>704
独立しても米語もブラジル語も別言語扱いになってないし
ベンガル後語とヒンディー語とマラヤーラム語はインド国内の独立してない民族の言語やのに別言語やん

独立とかそんなことは関係ないわ

706 :
英領インド帝国は内部に半独立の藩王国があるからそこで同じ言語系統内で複数の標準が出来上がったという歴史的経緯がある
最多数派のヒンドスターニー語でも宗教でヒンディー語とウルドゥー語に分かれるし各民族の間で圧倒的な上位言語というものがなかった
あえて言えば英語こそが標準語であるからそこを鑑みる必要がある

そういえばポルトガル語はブラジルの方に世界標準が合わせられたな
政体として独立しても同一民族という意識があれば標準語を同期させようという動きは出るだろう
でないと今頃アメリカ英語は母音大推移が起らずにイギリスと聴いて分かりあえないレベルの別言語になっていた可能性がある

707 :
>>695
琉球人は同じ語族かどうかも分からんぞ
何せ日本語は言語学上は『孤立した言語』だからな
そんで琉球語はそれの仲間かどうかも分からん
まあ確かに完全な別言語かどうかも断定できないが

708 :
>>707
「てぃんしゃぐのはなぬちみさきしみて」は標準語の
「テンサゴの花で爪先染めて」に母音を少し変える
だけで変換出来るくらい、日本語標準語に近いぞ。
北京語と福建語よりも違いは少ない。

709 :
琉球人は縄文系の血が濃いというが、
隼人や沖縄先住民の言葉の影響はないのだろうか?

710 :
>>692-693
既に書いたけどリシュリューの言語政策とアカデミー・フランセーズのあたり調べてみるといいよ
彼の真の偉大さというか傑物ぶりが分かる
フランスがオイル語を標準語として「フランス語は一つ」とやったのは極めて政治的な背景がある

711 :
>>709
基層も日本語族
古くに分岐した日本語族の言語の上に新しい日本語の要素が乗っかってる
音韻変化を見ると各地の方言が唐代に分岐したことになっているのにそれ以前から中華帝国の統一があった中国語と同じ構造

712 :
琉球は遺伝的にも日本と変わらん

713 :
オック語はオイル語よりもスペイン語やイタリア語に近いだっけ
要するにオック語はフランス語の方言じゃないわけか
トゥールーズ伯国はボヘミアのように異民族の国なんだな
アルビジョワ戦争やユグノー戦争はガリア対ローマの続き

714 :
>>705
ちょっと待った
ベンガル語とヒンディー語は印欧語族だが、マラヤーラム語はドラヴィダ語族だ
そもそも語族が全く違う
その場合、敢ていうなら、ベンガル語とヒンディー語の他にはそれら以外のインド国内の印欧語族言語を例に挙げるべきかと

715 :
同じラテン系で方言連続体にはなってるから
ドイツに対するボヘミア程違ってはいない
区切り方の問題

716 :
カタルーニャとラングドック
ベルギーとラングドイルが同じ
国境と民族がずれている

717 :
地理的障壁があまりないのに南北フランスで言語差があるのが謎だ
どうしてピレネーとアルプスで政治と言語が同時に綺麗に分かれることができなかったのか

718 :
山岳民が山の両サイドにいるから

719 :
世界一の金持ち国家アメリカ
借金1100兆円以上の貧乏ジャップランド

720 :
ホームレスの人数

米国 55万人
日本 5千人

721 :
反応したら負けかと思いつつ

アメリカの政府債務残高22兆ドル、2400億円

722 :
2400兆円だった

723 :
gdp比率で比較しないと意味ないだろ・・・

724 :
>>723
書いておいてなんだけど、他にも連結でどこまで含めるかとか、政府資産とバランスシートとか
考慮すべき要素多いから、これだけ取り出しても何も分からんのだ

725 :
基軸通貨

726 :
在日が何の脈絡もなく突然>>719みたいなこと書き込むってことは
ウリナラの経済破綻が近いということだろう
ここんとこ輸出急減と言ってたしな

727 :
ダキア金山の枯渇、ゲルマン人やササン朝との戦いによる事費増加

都市への増税

みんな都市を捨て農村に

荘園領主が独立性を高める

728 :
金山が枯渇したからダキアを放棄したわけだな
ローマの本国がイタリアならこれで全く問題ないけれど
当時は既に皇帝も将兵達もバルカン出身者だらけだった
ダキアを放棄するとバルカンはより危険になり
ダキアに移住したゴート族は100年後には
バルカンに住むようになった

729 :
>>717
辺境で俗ラテン語がどんどん訛って、その辺境のはずのパリがなぜか中心になってしまったから。

730 :2019/12/22
おフランス語 = ラテン語のズーズー弁

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