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ペルシャ人、ペルシャ語文化圏の歴史


1 :2012/02/14 〜 最終レス :2020/06/15
古代から世界に進出していたペルシャ人、ペルシャ語(タジク語、ダリー語等を含む)圏の
歴史、文化について語るスレです。
主な対象国・地域
イラン、タジキスタン、アフガニスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、イラク、
グルジア、パキスタン、バーレーン、インドのパルスィー等
*古代ペルシャも一応対象ですが、突っ込んだ話はこちらで、
ペルシア帝国について語るスレッド
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1304337577/

2 :
ウズベキスタン? イラク? バーレーンのどこがペルシャじゃ?

3 :
ペルシャ語圏って意味分かる、僕?

4 :
>>2
ペルシャ語って、この地域に広く分布しているんだよ。

5 :
ペルシャ語の影響を強く受けたアナトリアやロシア南部は対象?

6 :
まあムガール帝国の公用語だったしな。
今でも、意外に広い範囲で使われている。

7 :
チュルク語とアラビア語だろ。僕たち。

8 :
>>5
大丈夫でしょ。
ネタがあるなら披露してください。

9 :
>>7
それは対象外な

10 :
スレ主はバーレーンはアラブ人がほとんどでアラビア語が公用語と知らない池沼

11 :
早速荒らされてるかw

12 :
ウズベキスタンはウィグル語とほとんど同じのウズベク語。
ソースは直接ウズベク人に聞いた。

13 :
ウズベキスタンのブハラはタジク語話者が多い地域。ペルシア語文化圏という
スレタイには沿っているかと。

14 :
>>10
どこに公用語だと書いてあるのやらw

15 :
>>12
ウズベキスタンではウズベク語しか使って無いとでも思ってるのかな?
世の中、日本みたいな国ばっかりじゃないんだよ。

16 :
>>15
そいつはフォークランド紛争の時20代だったと他スレで言ったが、その年齢でも>>12程度のことしか言えないから
むやみに近づいちゃけない部類のおっさんだ。

17 :
世界史を語るスレなのに21世紀の国境線に拘泥する必要はないわな。

18 :
スレ主はイランではコーランがペルシャ語で書いてあると思ってる池沼

19 :
>>16
偉そうにインテリ脳内つもりか? てめー、このクソガキ!
ウリがフォークランドで何を言ったか引っ張ってこいや!
そんなもん忘れちまったぞ! 朝鮮人!

20 :
池沼って言葉使うやつで、池沼じゃなかったやつを知らない。
当然俺も池沼

21 :
まあ、宗教経典をその言語で書いてはいけない(書いてもいいけど一切神聖視されない)のに、
文章語として堂々と復活して、歴史書から詩文まで、世俗の様々な文書が書かれ、
さらに一つの国を超えて、一つの文化圏を作り上げたというのは、大したものだよな。
世界史的にもあまり例が無い。

22 :
早くフォークランドのスレを持って来んかい! 韓国人!
完全に忘れて捜すのめんどーなんだよ! 三国人!

23 :
ペルシャ語スレを立てておきながらフォークランドがどうのこうの言っる時点で住民は池沼

24 :
言っると言ってる時点で知脳障害・・・

25 :
どうでもいいけど朝鮮人だけはこの世の中から消滅して欲しい。みんなもそう願うだろw

26 :
2/14も終わったことだし、やっと落ち着いてきたか。

27 :
>>26
イミフ 流石に池沼が立てたスレだけあって日がわりで奇妙なレスがあるな?

28 :

悔しくてしょうがない連中のレス


29 :
オリエントを語るスレもっと増えてほしいわ
少なすぎて悔しいです!<ヽ`∀´>

30 :
朝鮮顏ばっかりのスレだニダ

31 :
>>15
隠語あつかいだけど、ウズベキスタンでもタジク語が通じる。
ウズベク・ウイグル語とタジク語のちゃんぽんのエイヌ(艾努)語もあるし
なぜか基層にペルシャ・タジク系があるのだ。
トルコではある時期、クルド語やギリシャ語禁止だったけど
ウズベキスタンでは、ウズベク語とロシア語以外を禁止することまではいっていなかった。
ブハラ国やホラズム国という国があり、ウズベク界隈は多言語世界だった。
しかし、スターリン時代にウズベキスタンへまとめられ国境も線引きされてしまったので
ペルシャ・タジク系の言語は、公用語の地位を失ってしまったのだ。

32 :
超頭のいいヤツと超バカのどちらかだな。世界史スレは? 俺はドッチだ、バカヤロー!

33 :
チュニジア、リビア、スーダン、エジプト、シリア、イラクは
アラブ人に支配された所はアラブ化したのに
なんでイランだけはアラブ化しなかった?

34 :
イランだけじゃなくトルコ系諸国もアラブ化しなかったが?言語の問題じゃないの? 
上記のセム語の国々はアラビア語を簡単に会得できたのだろ。
ちなみに俺の出会ったウズベク人はコーランは読むけど意味があまり分からないと言ってた。
トルコ語は微妙に分かってやウィグル語はほぼ同じだけどアラビア語が分からないと言ってた。
ややこしいのはアメリカのイラン人。多くがパーレビ時代にアメリカに留学してた連中で
ほとんどが金持ちのユダヤ系。ビバリーヒルズは貸し家だらけで多くがイラン系ユダヤ人が大家。
ムスリムもいるがゾロアスターだと言って隠れムスリムになってるのが多い。
ユダヤスレにRってか? フォークランドの話してた奴はどいつだ?

35 :
12 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/14(火) 21:19:01.53 0
>ウズベキスタンはウィグル語とほとんど同じのウズベク語。
>ソースは直接ウズベク人に聞いた。
16 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:54:47.55 0
>>15
>そいつはフォークランド紛争の時20代だったと他スレで言ったが、その年齢でも>>12程度のことしか言えないから
>むやみに近づいちゃけない部類のおっさんだ。
>>16
お前の程度はどんなもんじゃ? ノウガキたれてみろやカス!

36 :
池沼は池沼同士でフオークランドスレで死ぬまでやれや
         ↓

37 :
ペルシャ人は今でもクルド語をペルシャ語の方言と主張しているらしい

38 :
一方トルコ人はクルド人は山岳トルコ人だと主張した

39 :
グノーシス派が今でもイランに残っているのには驚いた(マンダ教)。
イランのどこかに黒人少数民族がいるって話し聞いたけど真偽のほど知ってる人いる?

40 :
「インドのパルスィー」ってペルシャ文化圏だが、スレタイの「ペルシャ人」でも「ペルシャ語」でもないぞ?
インドのパルスィー入れるんだったら「ペルシャ語」じゃなくイラン語派スレということでもよくなってこないか?
タンザニアのゾロアスター教徒、クルマンジ・クルド人、オセチア人、西欧のロマもスレ的に可にするのか?

41 :
スレ主に放棄されたスレw

42 :
>>34
アラブ人てウズベクまで征服したっけ?
イスラム教は広まったけど

43 :
>>42
8世紀初頭にはクタイバによってかなり奥地まで征服されてるよ。
ただ、この頃の中央アジアはまだトルコ化は進んでなく、
ソグド人などが中心だったから広義ではペルシャ文化圏に入るかも知れない。

44 :
>>40
>「インドのパルスィー」ってペルシャ文化圏だが、スレタイの「ペルシャ人」でも「ペルシャ語」でもないぞ?
ペルシャ文化圏もありってことだろ。
すべて細大漏らさず書いていたら、きりが無い。

45 :
>>43
せっかく下がったのに上げるなよ。

46 :
もう『シャー・ナーメ』を愛好する者たちのいる土地で良かろう。

47 :
まあ、そんな感じで。

48 :
細々と定義を決める必要があるのか?

49 :
そうそう。
>>40だって、突っ込みながらパルスィーの話題に繋げればいいだけのこと。
延々定義ばっかりで、話が何も始まらない。

50 :
>>42
そいつに触るなよ。
また荒らされる。

51 :
ザンド朝なんてどうよ。サファビー朝がほろんだあと一回は版図をとりもどしたけども短命だった王朝。

52 :
だから、挙げるなって。

53 :
>>51
この時代のペルシャはかなり混乱してて分かりにくいよね。
アフシャール朝のナーディル・シャーとかはまだ有名なほうだけど。
僕も詳しく走らないけどザンド朝って地味に海外貿易に力入れたりしてたらしいね。
>>52
世界史板全体が最近過疎気味だから別にsageる必要性はないと思う。
ペルシャなんてマイナーだから下手したら過疎スレになりそうだしgeても良いでしょ。

54 :
×僕も詳しく走らないけど
○僕も詳しくは知らないけど

55 :
>>42
ペルシャもトルコも逆にアラブを征服してるが?
それが仲間の中央アジアにいるイラン系やチュルク系に広まったんだろ。
ウズベキスタンまでアラブ人は行ってない。

56 :
>>55
>ウズベキスタンまでアラブ人は行ってない
いや、クタイバが普通に中央アジアまで攻め入ってるよ。
ただ、この頃のウズベキスタン辺りはまだトルコ化してなくソグド人などが中心だったから、
トルコ系地域がアラブ化しなかったという>>34の発言は少しおかしいかもね。

57 :
>>53
お前も分からない奴だなあ。
数日前にあれだけ荒らされて、みんなせっかく下げてるのに、なんで上げる?

58 :
>>53
>ペルシャなんてマイナーだから下手したら過疎スレになりそうだしgeても良いでしょ。
このスレ最初から読み直せよ。
まともに話なんか出来ない状態だったんだけど。

59 :
実際古代ローマの制度って、かなりペルシャのぱくりのような気がする。
ヨーロッパ人はそんなの認めるの嫌だから、ギリシア由来のものばかり強調されてるけど。

60 :
>>57-58
あぁ、ごめん。荒らされてたからその対策ということなのね。
そういうことならsageるよ。

61 :
【不老】百歳以上生きた世界史上の人物【不死】
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1326441219/42,45

42 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/02/17(金) 14:08:45.06 0
>>41
シーア派って、イスラームの皮をかぶったゾロアスター教っぽくない?

45 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/02/18(土) 01:27:19.31 0
>>42
確かにな。
シーア派の分布地域がもろに、イランとその周辺だけだし。
さらに、伝説では、4代目イマームが、ササン朝ペルシアの王女の息子だしな。
何というか、圧迫されていたゾロアスター教徒が、当時、同じく圧迫されていたシーア派に共感を持ったか、
もしくは、単に宗教的な隠れ蓑にしようとした可能性も考えられるし。
いずれにせよ、イラン民族の意地のようなものが微妙に感じられるな。

62 :
アラブ人のフセインが一番嫌ってたのはアメリカじゃなくてかペルシャ人だったらしい。
パキスタンってアラブ化してるか? パシュトン人とかペルシャ系が多いだろ。

63 :
シーア派のイマームお隠れ説なんてのは
イスラム教とは思えない ほとんど別の宗教

64 :
ムハンマド信奉者にとってムハンマドの直系子孫がカリフにつけなかったのが
許せなかったんだろうなとは思う

65 :
>>62
フセインってサダムのこと?だったらイスラム共和制が嫌いだっただけだろう。

66 :
>>61
シーア派が今のペルシャの地域で多数派になったのってサファヴィー朝以降でしょ。
それ以前もそれなりにいたけど、多数派になったのはこの王朝の影響だよ。
>>62
パキスタンはほとんどアラブ化してないね。パシュトゥーン人は、
いわゆるアフガン人のことで言語的にはペルシャに近い。
まぁ、パキスタンで最大数を占めてるのはパンジャーブ人と呼ばれる人たちだけど。

67 :
>>66
今のイランの十二シーア派が多数派になったのは、サファヴィー朝がレバノン
あたりから学者を招いたかららしいが、それ以前にもシーア派と定義されて
いなくても、イマーム信仰は強く、ナジャフとかカルバラー信仰が流行していて、
イマーム信仰の形をまとった反乱が目立つよね。そういうところに、
なにかイランに土俗的な、ゾロアスター時代から続いている宗教意識を
感じるんだよね。ゾロアスター教も、経典は神官しか読めず(その神官も
辞書なしでは読めなかったという)、一般信徒は儀式だけだったらしいから、
サーサーン朝時代も、民衆の間には土俗信仰っぽいゾロアスター教が残っていて、
それがイマーム信仰と結びつき、シーア派を受け入れる土壌に結びついたのでは
ないだろうか。という気がする。

68 :
>>67
確かにそういう面はあるかも知れないね。
ゾロアスター教的な信仰がイスラーム征服後のイランに残ってて、
それがこの地でシーア派が受け入れられた一因というのは一理あるし。

69 :
ムハンマドの時代までペルシャ湾岸とイエメンはペルシャの勢力圏?

70 :
ペルシャ沿岸は基本的にそう。イエメンの南部は基本的にエチオピアの
勢力圏で、575年になってサーサーン朝が占領した。イエメン古代の歴史に
ついては、↓の中近東協力センターが異様に詳しい。
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Jeddah-2.html#2.11
アウグストゥス時代にローマ軍がイエメンのあたりまで遠征した話が詳細に
地図入りで掲載されている。

71 :
シーア派は基本肖像画にも寛容だし、確かに何か異質だ。

72 :
シーア派もスンニ派も関係なく、スーフィーは
チュルク系地域や中国に浸透していった。
行者ダルヴィーシュ集団の歌舞音楽によって中央アジアで受け入れられた。
もともと外国語クルアーンが出版されたのはペルシャ語、チュルク系の順。
スーフィーは現地語訳クルアーンを使って布教した。
アラブ世界では、各国語は注釈書扱いでクルアーンと認めていないが現地では正式文書と対立がある。

73 :
>>72
スーフィズムはかなり広い範囲に分布してるからね。当然イランにも結構広まってた訳で、
この地でシーア派が広まるきっかけとなったサファヴィー朝も元を辿ればスーフィズム教団だ。
スーフィズムはペルシャやトルコなどで地域に根差した信仰を広めていったね。

74 :
シーア派とイランとの関係だと、ブワイフ朝の存在も気になるね。
イマーム消失から50年後に権力を掌握した彼らは、シーア派だったし、
しかも、イラン的な伝統を尊重していたから、何かしらの影響があったかもしれない。
例えば、ブワイフ朝は権力を握ると、シーア派である自分たちを誇示するために、
カリフのいるバグダードで、シーア派の行事アーシュラーを強行させたりした。
その時に、シーア派の人達に何かの刺激を与えたかもしれない。
また、ブワイフ朝の王たちは、自らをシャーハン・シャーと号しており、旧ササン朝を意識していたようである。
しかも、王族の一人アズドッダウラは、ペルセポリス遺跡を訪問して、
ゾロアスター教徒の神官にペルセポリス遺跡の壁面にあったササン朝期の碑文を解読させている。
さらに、その隣に自分たちの碑文を誇らしげに刻ませていたりする。
さすがに、ここがアカイメネス朝の遺跡であるとは知らなかったようだが、
ここがイラン神話の聖地であるとは意識していたようだ。
このように、シーア派の信仰とイランの伝統の両方に親しんでいたブワイフ朝が、
シーア派とイランを結び付ける上で、何かしらの影響を与えたんじゃないか?と思ってしまう。

75 :
>>74
へ〜、ブワイフ朝ってそんなにイランの伝統を重視してたんだ。
シーア派王朝だったのは知ってたけどペルセポリスを訪問してたのは知らなかったなぁ。
でも、確かにシャーハンシャーとか名乗ってたところを見ると、
シーア派と古代イランの伝統の結びつきに考えを巡らせずにはいられないね。
後にイランにシーア派を根付かせることになったサファヴィー朝の君主も、
シャーの称号を名乗ってたから、その先駆者的な意味はあったのかも知れない。
ブワイフ朝の支配者層の多くはペルシャ人で占められてたみたいだし何か関係ありそうだ。

76 :
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー磯智明(反日・天皇制度廃止論者)の全プロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
C『気骨の判決 (2009)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
D『鉄の骨 (2010)』反体制・反社会
E『15歳の志願兵 (2010)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
F『心の糸 (2010)』反体制・反社会

77 :
シーア派 ペルシア系
スンニ派 アラブ系
宗派争いではなく民族対立ということか


78 :
>>76
ネトウヨの人がコピペしたんだろうけどさ・・
本当にネトウヨって頭悪いよね・・・

79 :
>>77
必ずしもそうとは言えないけどね。かつてはファーティマ朝など、
北アフリカのほうでもシーア派が興ったこともあるし、
現在でもイラクなんかはアラブ人が多いのにも関わらずシーア派が多数派だったりする。
まぁ、イラクのシーア派の場合はサファヴィー朝の影響が大いにあるんだろうけど。
イラクはシーア派の聖地であるカルバラーなんかもあるしね。

80 :
ファーティマ朝がシーア派でサラディンのアイユーブ朝からスンニ派になったわけだよな
スンニ派とシーア派の対立ってのは俺らが思っているよりも深刻なんだろうな

81 :
おのれ、カルバラーでの恨み忘れまいぞ・・・。

82 :
シャーハンシャーを称することと、イランの伝統を重視することは、
あまり関係が無いと思うけどなあ。
東アジアでの皇帝という称号の方が、よっぽど漢文化に深く根ざしているけど、
漢文化をちっとも尊重しなかった元の大ハーンだって皇帝を名乗った。

83 :
>>82
モンゴル帝国で初めて皇帝を名乗ったフビライはそれまでのモンゴル帝国の中では、
かなり中国かぶれのほうだったと思うんだけど。遊牧民の伝統も結構重視してたけど、
漢文化に興味がなかった訳ではないよ。でなかったら大都なんか建設しないだろうし。
とは言え、モンゴル帝国のことはここではスレチだから一応置いとくか。
ペルシャに話を戻すと、シャーハンシャーという称号はかつてのササン朝のものだった訳で、
それを名乗るということは、多かれ少なかれ古代イランとの繋がりを意識してたことは否めないでしょ。
まぁ、だからと言ってブワイフ朝が全てにおいてペルシャ的だったのかまでは知らないけど、
少なくともそれまでイスラーム圏で主流だったアラビア文化とは少し毛色の違うものだったのは確かだよ。

84 :
ファーティマ朝の起源であるイエメンは古代から独自文明が栄えた地域。
ローマ時代にはローマのインド貿易の拠点都市があり、航路警備のため
ローマ軍も駐留していた。一時的とはいえ、サーサーン朝の支配下にもあり、
その前は長年エチオピアの影響下にあった。そして重要なのは、アッバース時代には
既に辺境地帯となっていたこと。
同じくダイラム地方、ギーラーン、マーザーンダラーンは、サーサーン朝以来、
サファヴィー朝中期まで細々と現地王朝が続き、「シャー」の称号を保持していた。
この地はアッバース朝・ウマイヤ朝通じて半独立辺境地帯だった。サファヴィー朝が当初から
シャーを名乗ったのもアゼルバイジャンのカスピに近い地方出身だったからのようだ。
ファーティマ、ブワイフの二王朝の勃興は、イマームお隠れの数十年後や、
そろそろ亡くなったかも、という時期のあたりで
起こっているから、両者がイマームお隠れと連動していることは
間違い無いと思う。
不思議なのは、マームーン時代のメルブは、アブー・ムスリム時代からの
シーア派が多く、マームーンも8代目イマームを一時後継者にしていたと
されるくらい、シーア派の雰囲気にいたようで、8代イマームがトゥース(だっけか)で
死去し、現在マシャドの廟は広大な参拝地となっているくらいなのに、
サーマーン朝がシーア派色が見られない(ように思える)点。イマームお隠れの
時期に勃興し、その地を領内にもつサーマン朝がシーア派にならなかったのはなぜだろうか、と
思ったりしている。

85 :
まあな10世紀以降イランで「シャー・ナーメ」とかのペルシア語文学も徐々に復活し始める頃だしな…

86 :
>>84
シーア派はイスラームの中では少数派だから、イエメンやダイラムのような、
アッバース朝の支配が及びにくい辺境地帯を拠点とせざるを得なかったんだろうね。
そう考えるとファーティマ朝やブワイフ朝がシーア派王朝だったのも不思議ではないね。
時期的に考えてもイマームお隠れの時期と連動してるそうだし。
サーマーン朝って確かわりと歴史あるイランの土着貴族が起源なんだよね。
そういう意味ではブワイフ朝と似たようなものなのにシーア派ではなくスンナ派だね。
アッバース朝から権威を借りて勢力を広げた点もブワイフ朝と同じなのに。
強いて言えばサーマーン朝のほうがよりアッバース朝に近かったからなのかな。
マアムーンはシーア派っぽい部分もあったみたいだけどあくまでアッバース朝自体はスンナ派だし。
とは言え、それでもサーマーン朝がシーア派になる要素も充分にあった気はするけど。
>>85
シャー・ナーメなどペルシャ文学はちょうどこのサーマーン朝の頃に発展し始めたね。
イスラーム後のペルシャ文化興隆のきっかけとなった王朝でもあるんだよね。

87 :
ブワイフ朝はパフラヴィー語の銘文を貨幣に刻んでいたらしい。

88 :
>>82
中東におけるペルシア文化の影響ってすごく大きいんだよ

89 :
ブワイフもファーティマも独特だけど、サーマーン朝も確かに不思議だ。
ペルシア文学が勃興したり、ブハラのイスマイル廟に見るように、ペルシア的
建築も建てていて、辺境地帯ということでアブー・ムスリムが反乱の拠点とした
ように、一応辺境地帯だった。あえて言えば、アブー・ムスリムの時代の
ウマイヤ朝の拠点はシリアだったから、イラクを拠点としたアッバース朝の
方がブハラに近いという見方はできるし、征服戦争を行ったばかりの
ウマイア時代の中央アジアと比べれば、アッバース時代の中央アジアは
はるかに帝国の重要地として密接な地域となっていたのかもしれないな。

90 :
>>87
へ〜、そうなんだ。個人的にこの時期のペルシャ文化の保護者というと、
サーマーン朝のほうばかりを思い浮かべてたけどブワイフ朝も結構ペルシャ的なのね。
古代からのイランの伝統をそれなりに重視してたということか。

91 :
>>89
アブー・ムスリムなどアッバース朝建国の功労者と縁が深いことからも分かるように、
初期のアッバース朝においてホラーサーンは国の中心地域と言っても過言ではなかったらしい。
実際、初期のアッバース朝軍の中心はホラーサーン出身者で占められてたそうだし。
アッバース朝後期になると軍の中心がトルコ系のマムルークに変わってくるけど、
サーマーン朝はマムルークの供給地である中央アジアにも領地を持ってたからね。
ホラーサーンや中央アジアなどを主な領土してたサーマーン朝が、
アッバース朝と結びつきが深かったのもそう考えると分からなくはないかも知れない。
まぁ、その一方でサーマーン朝はかなりペルシャ的な王朝でもあるんだけどね。

92 :
>>91
確かにそうだね。アブー・ムスリム以前は辺境だったにしても、アブー・ムスリムの
時代からアッバース朝の重要地となったということか。そう考えると、
マームーンが即位前にメルブにホラサン総督として赴任したのもよく理解できる。

93 :
>>92
うん。そう考えるとそもそもアッバース朝はウマイヤ朝に比べるとだいぶペルシャ的なのかも知れない。
あくまで中心はアラブ人だったけどホラーサーンなどイラン東部とも結びつきが強かったし、
そもそもの成立の経緯もアラブ人中心のウマイヤ朝に対する反発によるところが大きいからね。
でも、あくまでアッバース朝はスンナ派王朝だったからサーマーン朝もスンナ派だったのかな。
アッバース朝も初期の歴史を見ると結構シーア派に傾いてもおかしくないところがあるけどね。
マアムーンがシーア派っぽかったのもそういう意味ではそんなに珍しくないのかも知れない。

94 :
マイナーな地域どころか、近頃珍しいぐらいの勢いでスレ伸びてるな。

95 :
サファヴィー家って民族的にはペルシャ人なん?

96 :
なんやったっけ講談社の緑の表紙のシリーズ本の何巻だかに書いてあったんだが忘れた。
初めは別として後には混血を繰り返すから王家が何人かはあまり意味がないのではないかっていうことを
アゼルバイジャンの歴史家に言ったとかみたいなこと書いてあった。
サファビー朝が色々持ちあげられるのは、
その前のイルハン国とかティムール朝に対して
久しぶりに土着の者が立てたっていうところと、
オスマン帝国とならんだ中東を二分する繁栄を築いたっていうところな。

97 :
>>96
講談社じゃなくて中央公論の世界の歴史シリーズだね。羽田正氏がそんなこと書いてた。
あの人、前はイラン史の研究家としてわりと色んな本出してたのに、
ここ最近はすっかり別分野に興味持ち始めてグローバルヒストリーみたいなことやってる。
それはそれで悪くないと思うけど、日本じゃイラン史の研究家は珍しかったから少し残念ではある。
まぁ、それはともかくサファヴィー朝の場合、初期はクズルバシュが中心だったりして、
トルコ系の要素も強いから必ずしも純粋なペルシャ人の王朝とは言いにくい面は確かにあるね。
あなたの言うようにイランに起きた久しぶりの土着王朝であり(白羊朝や黒羊朝もあったけど)、
オスマン帝国と並んでイスラーム圏を2分する大国だったことが、この王朝が有名な理由だろうね。
とは言え、サファヴィー朝も君主がシャーの称号を名乗るなど、ペルシャ的要素は備えてるんだけど。

98 :
>>オツガイ
いい加減に勉強しろ!

99 :
>>97
こいつもどうせ三国志から世界史に入ったほうだろうよ
ガチガチの西洋史以外歴史と認めないような奴はいない訳?

100 :
>>59
ローマどころかギリシャだってイランのパクリですよ


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