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戦国時代の日本VSイングランド


1 :2019/04/06 〜 最終レス :2019/09/18
戦国時代〜大坂の陣までの日本の戦国大名連合軍と
飛ぶ鳥を落とす勢いだったイングランドではどっちのほうが強い?

2 :
戦場はどこだよ

3 :
クロムウェルには誰も勝てない

4 :
イングランドも同時代で比較?

5 :
無敵皇軍に負けはないハイル・チョン!

6 :
アルマダの海戦あたりのイングランドの動員兵力って陸海あわせて1万弱程度で
下手すりゃ百年戦争の頃の自国と戦っても人数差で押し切られそうなレベル

7 :
プランタジネット家統治下の西フランスがむしろ本国だったころを除くと、
イングランドがマジに強くなってきたのは、名誉革命でオランダ金融資本をぶっこまれてからだぞ。

8 :
ロングボウと和弓ってどっちが強いの?

9 :
引尺が長いのでエネルギー的には和弓の方が有利
あと取り掛けが弓の左側で弓の持つ位置も真ん中あたりなので基本的にロングボウは馬上で使えない

10 :
>>9
本当に使えないと思う?

11 :
人口が少ないから勝てそう
でも実際にはフランスと植民地争奪戦をして勝ってしまったんだからわからん

12 :
イングランドの戦国時代ってヘプトアーキー時代のことか?
クソ雑魚だろ。

13 :
>>11
それ、いわゆる「第二次英仏百年戦争」だが、
出発点はオランダとフランスの覇権争いの代理戦争の側面が濃くて、
もろにオランダからの軍事費への資本投入が行われとるのよ。

まず、出発点はルイ14世のオランダ侵略。
ここから欧州大陸で反フランス王国の「大同盟戦争」に発展していくわけなんだが、
その一側面で始まったのが「第二次英仏百年戦争」。

最初は当時のスチュワート朝のスコットランド・イングランド同君連合が
フランスとオランダのどちらとも親しくて、そこにフランス側から
フランスのオランダ侵攻の片棒を担いで背後からオランダを脅かすように
工作がかかっていた。

オランダは陸上からフランス、北海側から英国に攻撃されたら進退窮まるので、
スチュワート朝王権と不仲のイングランド議会に対して政治工作をかけておいて、
隙を見て一気に大艦隊を送って上陸作戦を行い、イングランドを確保、
親スチュワート王権の勢力が強かったスコットランドやアイルランドを
軍事弾圧した、というのがいわゆる「名誉革命」。

名誉革命体制で、オランダの指導下でオランダ資本を大量注入して設立されたイングランド銀行が、
対仏戦争の軍資金を拠出するエンジンになっていくことで、英国はじわじわとフランスを圧迫し、
軍資金の枯渇したフランスは、フランス革命で王政が崩壊してしまうことになった。

14 :
世界最強国家イギリス様の功績

・世界初の憲法マグナカルタによって租税法律主義や罪刑法定主義を規定、他国に先駆け専制政治から脱却し議会制民主主義を確立した

・近代科学の父ニュートン、電磁気学の祖マクスウェル、世界初の抗生物質の発見者フレミング、進化論を説いたダーウィン、
 他にキャヴェンディッシュ、ファラデー、ドルトン、ラザフォード、ホーキング等優れた科学者を輩出

・他国に先んじて市民革命を成し遂げ、また人権思想を確立したロックやホッブズ等の思想家による自由精神が海を越えて波及しアメリカ独立革命やフランス革命を惹起した

・産業革命を起こし資本主義社会に移行、近代化の先陣を切って従来の価値観を一変させ今日の社会の礎を築いた

・鉄道、テレビ、電話、地下鉄、掃除機、ATM、インターネット(Web)等現代の生活に欠かせぬ発明を多数やり遂げた

・無敵の海軍力と鋭利な外交力によって時の強国スペイン、オランダ、フランス、ロシア等と覇権をかけて連戦連勝
 史上最大の帝国を築き、軍事力だけでなく科学力、影響力、文化力でも他国を優越し
 また鉄道を敷き学校を建てるなど率先して第三世界の文明化に貢献した

・トラファルガーの海戦、バトルオブブリテンによって欧州の支配と独裁を企てるナポレオン、ヒトラーの野望を打ち砕き、欧州の守護者となった

・シェイクスピア、スウィフト、クリスティ、ドイル、トールキン、ウェルズ、オーウェル等優れた文学者を輩出し続け、またSF、ミステリー、ファンタジー等のジャンルを確立した

・ゴルフ、サッカー、ラグビー、競馬、卓球、カーリング等ほぼ全ての近代スポーツの発祥地である

・英語やスーツ等の英国文化が21世紀現在もグローバルカルチャーであり、またロンドンを基点にしたグリニッジ子午線が世界で採用され、英国を中心とした世界地図が国際的に使用されている
https://i.imgur.com/KUt5ge0.png

・20世紀に入りビートルズ、ストーンズ、ピストルズ、クラッシュ、スミス、オアシス等下層階級を中心とした文化であるロックが栄え、既存権力に対抗するカウンターカルチャーの中心地となり
 国際都市ロンドンの街並みが象徴するように、優れた歴史とモダン文化が交錯する英国は今も世界中の若者の憧憬の地としてその存在を示している

15 :
>>13
結局、中世以降の西ヨーロッパ史というのは、

A ブリテン島の元大陸勢力
B ガリアのカペー系王朝
C ローマ教皇庁

主役は一貫してこの3者。おそらく21世紀の現在でも、形は残ってる。
(フランスが共和化した点だけ違う)
まずAがBを圧迫し、その反作用でBが独立性・一体性を強めると、Cがあちこちの舎弟を煽って巻き返す。
ずっとこのパターン。

王政スレには昔からハプスブルグ好きが常駐してるけど、あんまり役割は大きくない。
巨視的には、Cの舎弟でしかないんだろうな。

16 :
>>15
神聖ローマ皇帝(ローマ王)ってのは、ライン川の東の諸勢力の持ち回りなんだが、
その諸勢力ってのが、ローマ教皇庁の様々な派閥と結びついてそれを背景に勢力争いをしているんだよな。

これが、中央集権志向のフランスと、連邦指向のドイツの歴史の方向性の分岐点になっている。

ただ、中世ヨーロッパの人口稠密地帯であり経済枢軸でもあった北イタリアからスイスの峠を越え、
ライン川流域を通ってネーデルラントに至る「ロタリンギア地帯」の利権をめぐって、
フランス王権と神聖ローマ皇帝権はかなり熾烈な闘争を演じていているので、
ここら辺も注目すべきではある。

17 :
>>16承前

ローマ教皇庁の諸派閥と、神聖ローマ帝国で帝位持ち回りを争う諸勢力は完全に一体化しているので、
中世において「ドイツ史」と「イタリア史」は別々のものではなくて、ほぼ一体化して動いている。
近代国家ベースの「各国史」で分断すると、それが見えなくなる。

近世になってのローマカトリックからのルター派やカルヴァン派の分離も、ある意味ローマカトリック
内部の派閥抗争と「ライン川の東の諸侯」の派閥抗争の連動の一幕とも解釈できる。

18 :
同じころの室町幕府軍も一万は動員できないから
条件は同じだな(錯乱)

19 :
ヒトラーもフランコもムッソリーニの舎弟ってことか

20 :
「大系朝鮮通信使」に収められている朝鮮出兵時の陣立表だと
名護屋で留守番組も含めて総勢で役50万だな

21 :
というか朝鮮も一応正規軍が17万人ほど居ることになってたはず

22 :
産業革命までヨーロッパより東アジアの方が動員力が大きい

23 :
人口密度が全然違うんだから当たり前

24 :
1393年に李成桂が各道に按廉使を派遣して作成した兵員名簿だと騎兵歩兵水軍
すべて合わせて二十万八百人

25 :
>>22
だから、大航海時代に東アジアに進出したスペインやポルトガルといったイベリア勢力も、
部族国家のレベルだったフィリピン諸島の一部や大陸だとゴアやマカオのような港湾部しか
抑えられてない。

内陸の王朝諸国にはとても歯が立たなかった。

18世紀半ばに英国がインド亜大陸で覇権を獲得できたのも、ムガル帝国の派遣の崩壊の混乱に乗じて、
半ば現地の群雄の一端と化した英国東インド会社が火事場泥棒的に勢力を広げたという色彩が濃い。
それも、英国人の軍勢によるというより現地雇用の軍勢によるところが大きかった。

その後の阿片戦争だって、「英国軍」が清朝と戦ったというより、インドから動員した「インド軍」に依るところが大きい。

26 :
>>14
輝かしい過去の栄光の裏で三角貿易だけでなく
3枚舌外交や、そもそもが国家的海賊行為で資金を蓄えたことなど負の面も無視できないな

27 :
近世までのヨーロッパって戦闘継続能力もやったら低いからな
薔薇戦争とか30年続けておいて実際に戦闘があった日数が428日程度とか

28 :
それが、日本史研究者の平川新が中公新書で出してベストセラーになっている(らしい)
『戦国大名と大航海時代−秀吉・家康・政宗の外交戦略』って著作では、
当時のスペイン王国が世界最強国で明帝国もスペインによる植民地化の危機にさらされていた、
という事にされている(らしい)。

(らしい)というのは、日本経済新聞の書評やネット上での読後感想にそう書かれていて、
自分自身で買ったり図書館で借りたりして確認したわけではないから。

なんか、日本史のわくで研究を深めている研究者の「世界史」認識って、
かなり「時代遅れ」なんじゃないかと疑ってしまう。

29 :
>>28
他スレでも反論したけど、そうかねぇ。
豊臣秀吉がスペインに対して厳しく軍事的に警戒したのは、正確な認識だと思うけどね。
というのは、日本はインドや中国と違って、細長い島国で地理的縦深がない。
従来接してきた(広義の)中華帝国はまともな海軍を持つことがなかったので、
「仮に攻めてくるとしても博多だけ」だろうという、暗黙の了解があった。
このことは、元寇防塁をみればわかる。いきなり若狭湾に元軍が来ると思ってないし、実際に来なかった。
博多や下関にしか上陸できないのなら、京都までは陸路600kmあるから、縦深が確保できる。

でも南蛮船をみると、こいつは長崎だろうが大坂だろうが江戸だろうが石巻だろうが
問題なく余裕でやってくるのは明らかだ。

この日本列島の地理的縦深の問題、江戸時代後期には幕閣や政治思想家の間で真剣に論じられていたのに、
>>25>>28は全く無視してる。進歩したのか退歩したのかわからん。まあ平和ボケなんだろうが。

30 :
で上陸したとして動員兵力はどのぐらいよ?
数万単位の兵力を展開出来るならともかく数百とか数千レベルならハチの巣に手を突っ込むようなもんだぞ

31 :
>>29
アロー戦争や幕末の頃になると、西欧列強のアジアへの兵力動員レベルがけた違いになっている。

大航海時代ととても比較になんてならない。

それと、ちょうど幕末から明治初期の時代というのが、銃火器の技術レベルが全時代と全く違うレベルに
革新を遂げていった、正にリアルタイムの時期。
それとともに歩兵の運用技術なんかも激変している。

32 :
あと、大航海時代の頃は、欧州からアジアに航海する過程で、ビタミンC欠乏症の
壊血病で半分ぐらいがバタバタ死ぬ時代。

ところが、幕末の頃は、柑橘類の供給によって長期航海時の壊血病の問題を克服した後。

33 :
だからさ、動員力ガーガーガーって、
日本という山岳大杉の島国では、海岸沿いの交通の要衝を
同時多発ピンポイントで押さえられたら、それだけで詰んでしまうでしょうにw

どうして江戸幕府がオランダ人まで出島に閉じ込めたのか、
開国時に、どうして最初は下田を指定したのか、
その後、開港場を神奈川のはずなのに横浜にすり替えるなんで小賢しいことまでやったのか、
動員力ガーガーではさっぱりわからんだろう。

おまえさんよりも、鎖国下の幕閣のほうがよほど優秀だったんだよ。

なお、幕末の小栗上野介は、陸路東へ向かう官軍に対し、由比通過時に総攻撃をかけるという
有名な方策を練っていた。これをやったら江戸はガチで守れたとも言われる。結局未実行だったけど。

34 :
>>28
新書で売るためにホルホル要素を入れただけでしょ

35 :
>>31
そもそもペリーが来るその日まで、日本人は19世紀の西欧の海軍力なんて知らないんですよ?
未だに火縄銃。大きな船なんて、長崎港で、絶賛衰退中のオランダ東インド会社のポンコツ船しかみたことない。
それでも、17世紀の化石のような記憶と、オランダ経由でごくわずかに漏れてくる事情だけで、
日本列島には縦深がないことが致命的だ、という見解は共有されていた。
あの悪名高い「外国船打ち払い令」とそれに対する批判や言論弾圧は、江戸後期の有名な話。

36 :
オランダ人を出島に閉じ込めたのは、その前段階での平戸オランダ商館の運営実態に大きな問題があったから。

平戸オランダ商館は、純粋な貿易港というより、東インド諸島、今のインドネシアの海域での
欧州勢力間の覇権闘争、香辛料産出島嶼の確保のための兵站基地として運用されていた。
つまり、刀、槍、火薬、火縄銃、そして戦場の消えた日本で仕事にあぶれた「牢人」を
傭兵として東インド省の海域に送り出す兵站基地が平戸オランダ商館だった。

この事業が順調に推移したので、オランダ商館長は徳川二代将軍秀忠に、正式な
傭兵輸出契約を持ち掛けた。

それによって、日本が東洋の海域の戦場に結び付いて国際紛争に巻き込まれる恐れがある事を
自覚した徳川秀忠や幕閣が、通常貿易に活動を限ることを申し付けて軍需物資や
傭兵の持ち出しを禁止し、出島に閉じ込めた、という流れ。

オランダ側も、日本の豊かな銀や銅が東洋での貿易活動に必須だったので、
おとなしく従った。

37 :
舞台設定は戦国時代あたりのはずなのになんでそのあとの時代の話ばかりになってるの?

38 :
>>33
同時多発ピンポイントなんて本格的な艦砲射撃のできる時代にならなきゃ無理だろ。
17世紀初頭の段階でのスペインの脅威というのは倭寇と同じような意味だと思うよ。

39 :
江戸時代後期には、蘭学研究によってリアルタイムの西欧の軍事革新の情報が
かなり入ってきていた。

さすがに幕末段階では時代遅れになっていたが、高島秋帆による欧州の小銃・大砲
運用の取り入れなんかが実施されている。

40 :
>>35
ジャワあたりの類推で言ってるんだろうけど、あっちは国家権力自体が交易に依存していたから。
琉球がスペインやオランダに本気で攻め込まれたらひとたまりもないわな。

41 :
なんで>>1はそんな想定じゃなかったのに近世後期とか幕末とかそんな話ばっかりなんだ?
みなさん戦国と同時代の15、16世紀頃のイングランドはあまり詳しくないの?

42 :
>>33
できないから、勝海舟に談判したら無血開城なんでしょ。

43 :
そういえば、ちょっと失念していたが、戦国〜江戸初期、つまり16〜17世紀の艦砲の砲弾は、
江戸後期〜幕末と大きく異なっている。

後者の時代には艦砲の弾は炸裂弾になっているが、前者の時代には単なる鉄の塊。
炸裂弾は艦船には普通搭載されない「臼砲(モーター)」専用だった。

非炸裂弾は炸裂弾より艦砲射撃をしたときの破壊力が段違いに低い。
艦砲でも「ブドウ弾」を使えば歩兵集団にそこそこの破壊力を発揮できるが、
射程がかなり短い。

44 :
>>36
南トンスル省については、どうでしょうか?

45 :
>>44
人糞の穢れで病魔を払うって思想は東アジア広域で広く見られたんだからさぁ、
ブーメランになる危険があるんだからそれで朝鮮を揶揄するのはやめとこうよ。

46 :
>>44
省じゃなくて道でしょ

47 :
>>45
その場合日本だとどういったものが見られるんだろうか?

48 :
>>47
幼名に「うんこ」系の名前を付けまくった。
乳幼児死亡率が高かったからね。

紀貫之の幼名「阿古久曽」=「うんこガキ」が有名。

49 :
>>47
あと、江戸時代までは日本でも漢方の生薬で人糞系をかなり使ってる。

前近代には人体臓器系の生薬も普通に流通していたしね。

50 :
>>47
人糞じゃないが、昭和も戦後のかなり後期まで、「鶯の糞」が
スキンコンディショナー系の化粧品として使われてたな。
1980年代になると、もう廃れてきていたので、詳しい使い方を教えてくれって
投書が、大手新聞のQ&Aコーナーの投書に掲載されたのを見たことがある。
鳥類の消化酵素はかなり強力なので、糞に残存している消化酵素で
過剰な皮脂などを分解除去する効果があったらしい。

51 :
もう大韓起源説とか食糞宗主国とかに日本関係無いじゃん。
精神的勝利ならトンスル族の内輪で勝手にやってよ。

52 :
>>33
16世紀のルソン総統府の保有兵力って精々2000程度何だけど
そんな倭寇にすら劣る動員兵力でどうやって交通の要衝抑えるの?

53 :
そもそもルソンと目と鼻の先にあるマギンダナオ王国やスールー王国の制圧すら手こずって19世紀までかかってるの
遥かに動員兵力があり要塞化された拠点を無数に有している日本をそんな鼻くそみたいな兵力でどうやって攻略するの?

54 :
島国は縦深がなく、その中でも日本は、海軍力「から」守るには軍事的に世界最悪の地勢だという話、
説明するまでもないと思うんだが、ここまで通じないかね?
ジャワ島より「薄い」島で急峻な山がそびえ立ち、農法(稲作)の関係から山奥や高原地域が人口希薄、
海岸沿いの細長い地域だけに、人口も生産力も交通網も集中している。
由比や親不知のような、海に直接面した交通網上の致命的急所が何箇所もある。

こんな国が、平時でインドや中国のような、他のアジア諸国のような軍事的ランドパワーを確保できると思えるのか?
戦国末期というのは、日本史上空前絶後の、「陸軍的な超重武装状態」だった。これが偶然に幸いしただけ。

熱帯域では世界唯一の肥沃な土壌に恵まれたジャワ島を、「あっちは交易に依存だった」と切り捨てたり、めまいがするよ。


話を戻せば、「島は海軍力『に』弱い」というのは、よく考えれば当たり前の話で、
イングランド史もまさにこの問題によって、何度も歴史的転換点を迎えている。
南蛮船が来るまで、日本の周囲にはたまたま、まともな海軍力を持つ勢力が全く存在せず、
これが、日本史と英国史を大きく分けている。

55 :
日本列島は可住地だらけのブリテン諸島やジャワ島と比べて山岳地帯だらけで高さがあるから『海軍力「から」守るには軍事的に世界最悪の地勢』では到底ありえない
元寇や応永の外寇の様にせいぜい離島の一つや二つを占領するのがやっとだ
それどころか起伏の多い地形が車輪や騎馬の使用を妨げて通常の陸軍からも守るのも容易い
陸軍力海軍力両方を持ち合わせていたとしても通用しえない

56 :
鄭成功ってランドパワーだったんだ

57 :
鄭成功が征服したのはただの沿岸に作ったショボい砦だろが
内陸の生蕃相手に大暴れしたでもあるまいに

58 :
林道乾とか林鳳とか数万の軍勢を用していたのだから
たかだか数百程度のスペイン軍風情に負けるぐらいならとっくに後期倭寇に支配されてるって

それと16世紀に日本は海岸沿いの細長い地域だけに、人口も生産力も交通網も集中していない
日本人が平野部に進出し始めたのは治水技術が向上した17世紀に入ってからのこと
それ以前は治水技術が稚拙ですぐ平野部はすぐ増水してしまうから宿場町や城下町もほとんどは山間部か谷あいに点在していた
一条谷、躑躅ヶ先館、小谷城、春日山城、月山冨田城などなど戦国大名の居城ってすごい山奥にあるだろ

59 :
>>54
急峻な山奥や高原地域がお前の言う「縦深」防御に最も適した土地なんだが
軍事学のターム振りかざすならせめて毛沢東の「遊撃戦論」ぐらい読んでからにしろ

60 :
>>58
だいたい同意するけど山間部は言いすぎ。
平地の端の山裾に道があってそこから川を遡るように開発されていくのが基本かと。

61 :
>>59
現代のそれも正規軍でもない限り人口希薄地帯は縦深にならんぞ

62 :
日本最高峰の山城である御坂城
何であんなことにあるかと言えば鎌黒街道の要衝御坂路が山のてっぺんを通ってるから

旧街道や宿場町の分布見りゃわかるけど江戸時代になってもかなりの山奥にある場合が多い

63 :
>>49

>あと、江戸時代までは日本でも漢方の生薬で人糞系をかなり使ってる。

それじゃちょっと具体性が感じられないな
具体的にどういった史料からそれを確認できるんだろう?

64 :
>>61
一体それは何を根拠に言ってるんだ
毛沢東が籠った延安解放区や抗日パルチザンの拠点の間島とかスカスカもいいとこだぞ
というか何で山間部に籠ったほうが有利なのか理解できてないだろ

65 :
>>61
逆だろ
兵站が確立できない程度の技術力なら物資補給は現地からの略奪に依存することになり、人口希薄地帯ではそれが不可能となる

66 :
>>63
むかし、元妻が薬剤師で漢方に関心を持っていたので、
専門書のコピーを見せてもらったことがある。

67 :
>>62
平らな吉田・河口湖から平らな甲府盆地に抜ける近道な

68 :
そりゃ初期の中国共産党のように、少人数が全力でひたすら逃げ回るだけなら、
たとえ細長い島でも、険しい山岳地帯こそ縦深として機能するだろうけどなww

ここで論じるのは、まとまった人口を持つ社会が陥落されるかどうか。
これもジャワと比較するとわかりやすい。
ジャワは島全体にまんべんなく人口がある。
むしろ、海岸沿いよりも内陸の高原地帯に人口や生産力の主力がある。
そうすると、海岸から侵攻してくる侵略者に対して、
細長い島でも、内陸高原の枢要地帯までの距離を使って、それなりに応戦することができる。
実際、ジャワの諸王国はそうやって抵抗してきた。

他方で日本。16世紀は山間部ガーというレスがあるが、
豊臣秀吉の中国大返しのルートをみてみ?見事に海岸沿いだから。
大河川の沖積地を治水できなかっただけで、海岸沿いに極端に集住することは変わらない。
古代以来、主要街道は海岸沿いに集中する(これは朝鮮半島と比較してすら際立った特徴)
飛騨国は奈良時代から下国。伊賀国ですら下。
日本の内陸は山が急峻かつ寒冷だから、人口保持力・農業生産力がない。
少数の山賊が逃げ回るだけならともかく、国土防衛としては縦深にならない。

69 :
>>68=最近いつも発狂してる例のアスペガイジくん発狂してて草
海軍力で日本を攻められるかの話をしてるのに内乱の話をするとかどれほど的外れのアホなの?バカなの?死ぬの?

実際に外から攻められて全部水際で撃退してる時点で、海洋国家からの防衛力は
日本>>>>>>>(バカの壁)>>>>>>島国民に内陸まで攻め込まれた支那大陸
だってはっきりわかんだね

70 :
ちょっと待った。
なんか出発点の議論とどんどんずれてきてないか?

もともと、平川新の著作で
「世界最強国のスペイン」

「明帝国を植民地に正にせんとしていた」
事に
「秀吉が対抗して唐入りをした」
という論に注目が集まっているけど、
それは本当に妥当か、という問題提起だったはず。

71 :
秀吉が大陸に攻め込んだ時点で戦闘力明らかに列島のが支那大陸より上じゃん
細かく盆地に分かれた日本列島の中で割拠して殺し合って実力を研鑽しあった侍たちが腐敗しきった明の連中より弱い訳がない
いわゆる蟲毒の理論よ

72 :
>>68
>そりゃ初期の中国共産党のように、少人数が全力でひたすら逃げ回るだけなら、
>たとえ細長い島でも、険しい山岳地帯こそ縦深として機能するだろうけどなww

百団大戦も知らんのか?
女子供を含む主武装が刀槍の軍勢に曲がりなりにも近代軍である日本陸軍が敗北すると言う前代未聞の事態だぞ

>豊臣秀吉の中国大返しのルートをみてみ?見事に海岸沿いだから。
そりゃ海路沿いのほうが移動が容易だから当然だろ

>海岸沿いに極端に集住することは変わらない。
播磨守護所が置かれた此隅山城がどこにあるのか調べてから出直して来い

>日本の内陸は山が急峻かつ寒冷だから、人口保持力・農業生産力がない。
中世日本では谷戸田が上田とされ収穫量が多かったのだが
永原慶二の「荘園」でも読め
負けたくないという熱い意思は伝わってくるがお前はあまりにも無知すぎる

73 :
>>69
海からガチの内陸まで攻め込まれたのは中国4000年の歴史の中でも1回だけだよな。
あとは川を溯上された程度。
敵の本拠地が近くて橋頭堡まで作られると脆いもんだ。

74 :
>>73
遡上できる大河が何本もある時点で中国大陸こそ「最弱の地形」じゃい
あそこは人命の価値が極限まで軽いのが強み

75 :
>>72
百団大戦?敵軍の支配下で仕掛ける非対称戦の話をされても。
谷戸田どうこうは、なんかスケールの違う話をごっちゃにしてないか?
松代幕府とかあり得ないよね。

76 :
>>75
お前いい加減本筋に関わらへん揚げ足取りばっかりでつまらへんのじゃ
ブレインストーミングの作法憶えて出直してこいハゲ

77 :
>>66
人中黄とかは漢籍の孫引きみたいなもんだろ

78 :
>>77
大韓兄さんもジャップ弟も結局はウンコ文化は支那父さんのパクリなんやなあ

79 :
昔の日本で、人間の生き胆を干したものが梅毒や結核といった不治の病の特効薬とされたのは、
どこら辺がルーツになっているんだろう。

江戸時代みたいな刑死遺体からの正規供給ルートが絶たれた明治時代には、
裏供給ルートを作った闇勢力による大量殺人事件が起きてるよな。

80 :
そういう迷信は今でもアフリカ行ったらあるから人類の普遍的なもんだろうな

81 :
日本も古代からそういうことがあるのかな?

82 :
>>79
壊血病

83 :
人間の生き胆を薬とするのは基本的に支那、所謂漢方薬の書物から。
唐代の医師・陳臓器あたりが最初かとも言われているが、明代の医師・李時珍が著した「本草綱目」にも記述されており、
この書は当時の最新医学の書として江戸時代初期に日本に輸入されており、その後の日本の医学薬学の礎となった。


16〜17世紀当時のイングランドの動員力は、頑張ってもせいぜい二万人くらいじゃなかったか?

84 :
オスプレイ・メンアットアームズシリーズの「ばら戦争 装甲騎士の時代」に載ってる
数人単位まで兵力が書かれた史料だとスコットランドも含めて1万数千人程度
シャルル7世が全諸侯軍を解体して編成した常備軍コンパニ・ド・オルドナンスが15部隊9000人なので
15世紀以前のヨーロッパで万単位の戦いはまずなかったと言っていい
フロワサール年代記だと景気のいい数字がポンポン出てくるけどあくまで読み物だからねえ

85 :
戦国日本が防衛側だといつから錯覚していた?
外海に出たら英国艦隊と遭遇なんてこともあるかもしれんよ

86 :
戦国時代の日本人は傭兵として東南アジアに進出して戦いまくってるだろ

87 :
>>86
戦国時代真っ最中より、天下統一で日本国内の戦場があらかた閉鎖されてから、多くの傭兵が東南アジアに出ていった。

それを最も積極的に活用したのがオランダ東インド会社。

88 :
東インド会社がインドネシアの島侵略してる絵にスモウレスラー描いてあったりするから草
https://tabi-navis.com/indonesia/maluku-banda/banda11.html

89 :
明や日本の事情で海賊行為をやれなくなった連中が東南アジアに渡ったんだろうな


田中健夫「倭寇」
・明の隆慶・万暦年間は倭寇の衰退期で、その舞台は・フィリピン・南洋の方面に移っていった。

・明の隆慶元年(1567年)福建巡撫使塗沢民の上奏によって、明初以来二〇〇年にわたって
施行されてきた海禁令が解除され、中国内地人の海外渡航が許され、従来密貿易と
みなされていたものが公許の貿易としてみとめられることになった。
倭寇猖獗の主原因が海禁と深い関係をもっていることが世論によって指摘されたからである。

・このような情勢のなかでもさしもの倭寇活動も終局に近づきつつあった。
日本における国内統一事業の進展、とくに豊臣秀吉が天正十六年に海賊禁止令を出したことなどは、
日本人が倭寇に参加することをさまたげる一因となった。

90 :
ドレーク率いるイギリス海軍と李舜臣率いる朝鮮海軍が戦ったら、のほうが実力が拮抗してそうで興味深い。

91 :
当時のヨーロッパは軍艦商船問わず隔壁がなく一か所でも浸水すればそれでおしまいだから
真正面から撃ち合ったらまずイギリスに勝ち目はないだろうけどな

92 :
日本軍に領土奥深くまで侵攻されてる時点で海軍力もクソもねーよ
大体海岸沿いに進軍してる訳じゃないし

93 :
>>92
電車とか好き?

94 :
李舜臣率いる朝鮮海軍、撤退中の島津隊に追撃かけてるけど返り討ちにあってるな
しかも李舜臣戦死するというオマケつき

95 :
つか、あえて褒めるとすれば明軍が介入するまで持ちこたえた全羅道の義兵だろうな

96 :
>>90
来るかどうか半信半疑で敵の強さもわからなかった文禄のときはともかく
慶長のときは自慢の海軍力で上陸阻止したりはしなかったの?

97 :
そもそも文録の時に釜山までのりこめーってやって普通に撃退されてるからな李舜臣

98 :
上陸阻止できてい時点で実はそこまで強くないんじゃありゃせんか?

99 :
兄さんも父さんも倭寇にボッコボコやぞ

100 :
>>90
なんでイギリス海軍と拮抗できるような強大な朝鮮海軍が大した船のない日本ごときの上陸を阻止できなかったのか?
何か理由があるなら教えてほしい

101 :
正規軍ですらない民間の海商である倭寇に襲われまくってる時点でねえ…

102 :
地域限定レベルならギリギリ名将ではあっても世界レベルなら凡将止まりの評価になりそう
世界中には無能な味方に足を引っ張られても勝っちゃう人とか普通にいるしな

103 :
日本も唐入りの時には輸送船に護衛船をつけていたのに太平洋戦争の時には何故無防備で輸送船団を渡航させていたんだろ?
沈められた輸送船随分多かっただろ
日本は資源がないのだから輸送船は命綱だったのに艦隊の保全ばかり考えていたのでは本末転倒

104 :
護衛船も燃料を消費する
護衛や兵站、輸送は落ちこぼれのすること。

105 :
>>102
逆だよ
そもそも李舜臣は戦局に大した影響なんか与えてないけど地上軍がボロ負けしたお陰で相対的にマシに見えるだけ

106 :
>>101
倭寇とイギリス海軍では規模が全然違うだろ
イギリスに倭寇みたいに万単位の動員能力ないし

アルマダの海戦を見るとイギリス海軍の正規艦は34隻で臨時挑発した民間商船を含めても200にも届かない
この正規艦もトン数で言うと100〜200トン級艦がほとんとで日本の関船や千石船とどっこいどっこい

107 :
ブリカスさぁ…

108 :
倭寇の親玉っていたの?
イギリス女王やスペイン国王のような

109 :
王直とか徐海が有名だな

110 :
でもドレークの船は世界一周できるくらいの造船技術、航海力があった船
九鬼水軍の船よりもずっと性能が良さそうではある
おそらく積んでいた火砲もイギリスのほうが日本より上だったのではないか?

111 :
>>101
バイキングを恐れていた欧州ディスってんの?

112 :
何より平和的な商業活動で運んでくる富が全然違う。
最初のうちはそれが決定的だったんじゃないかね。

113 :
>>110
上かもしれないけどこの当時の軍艦の大砲の命中率ってどんなもんだったんだろうな?

114 :
>>113
確か、命中率も破壊力も全然弱い時代だから、遠くで撃ち合って艦を破壊沈没させるってのはあまり期待してなくて、
近接で撃ち合って艦上部の帆やロープ、帆柱を破壊して動けなくし、接舷斬り込みで決着をつけてたんじゃなかったか。

115 :
戊辰戦争になっても西洋式の海戦戦術としての切り込みをやったくらいだから
ヨーロッパでもほぼ砲戦だけになるのは結構後なのかな?

116 :
>>115
西洋製の軍艦も、日清戦争期まではぎりぎり「衝角」が残っていて、
艦自体を質量兵器としてぶつけることが想定されているよね。

事実上艦砲だけで戦えるようになるのは、
・砲弾信管の発達による炸裂弾の艦砲への導入
・後装ライフル砲の普及による弾道の安定
・砲塔の普及による照準の精密化
が大きくて、

それは日本史でいうと幕末〜日清戦争期の間に爆発的に進歩してるんじゃないかな。

117 :
>>116追加
>>・砲弾信管の発達による炸裂弾の艦砲への導入
>>・後装ライフル砲の普及による弾道の安定
>>・砲塔の普及による照準の精密化

に加えて、
・帆船から汽船への転換による艦船運動の自由度の激変

118 :
そういえば日本の軍船ってラムあったのかな?

119 :
>>113
前田慶次が海戦で砲台が破壊された大砲を肩に担いで、ライバルのスペイン人カルロスが乗っていた舟を狙って火薬に火をつけさせて放ったら見事に命中した。

120 :
つまんないこと書いた人がいるせいでスレが完全に止まってしまったな
本人はこれを面白いと思ったんだろうか?

121 :
>>8
なんかTVでやってたが貫通力は大弓のが高かったな

122 :
明代の弓術書の「射経」には和弓は張力が強く矢が重いゆえに当たると必ず斃れる
ゆえに華人はこれを非常に恐れてはいるとあるな

123 :
ロングボウもフランスが大砲を多用したことから無効化された
百年戦争でフランスが勝ったのは大砲といった火器が発達したから

124 :
>>123
シェークスピアが史劇「ヘンリー六世」の中で、城を守る歴戦のイングランドの老騎士が
フランス側で従軍している少年がたわむれに撃った大砲で吹き飛ばされて死ぬ場面を、
ちょうど「フランス卑怯なり」みたいな描写をしているね。

125 :
百年戦争とか大砲がまともに使われたのはカスティヨンの戦いぐらいだけど
15世紀の大砲は装填から発砲までの間に弓術隊の支援射撃を前提としたもので到底それ単体で運用できるものではない
しかも鋳造技術が未熟で数発撃つと砲手を巻き添えにして破裂するというおまけつき

126 :
じゃあお芝居は大げさってこと?

127 :
ジャンヌダルクの快進撃を支えたのは大砲じゃなかったの?

128 :
100年戦争よりも後に起こった薔薇戦争でも両陣営とも主力は重装騎兵と弓術隊という旧態依然としたものだったからな

129 :
ただばら戦争最後の戦いであるボズワースの戦いの
戦場認定地を発掘したところ銃弾が出土されていて
銃は思われていたより使われいたのではと思われているらしい

130 :
>>128
ばら戦争の時代ではそこまで時代遅れでもないんじゃない?

131 :
クロスボウはロングボウより弱いはずなのになんでイギリスはフランスに負けたの?

132 :
雑魚だから
三角貿易で奴隷を使うのが上手いだけ

133 :
>>131
ジャンヌダルクという救国の女戦士にやられたから

134 :
ジャンヌダルクは大砲使うのがうまいんだろ
聞いたことがある

135 :
クロスボウはロングボウより弱いわけじゃない
長所と短所が違うだけ

136 :
どっちが射程上なの?

137 :
ようつべ動画

クロスボウ 世界記録680ヤード
ロングボウ 世界記録非公認403ヤード

138 :
百年戦争当時のものだとどうなんだろうな

139 :
タイムマシーンを発明するしかない

140 :
有効射程なのか最大射程なのか
火縄銃も飛ばすだけなら600メートルくらいいくけど
空気抵抗の大きい弾丸だから殺傷力を保った有効射程としては遥かに短くなるよな

141 :
>>58
海沿に弥生時代の田んぼの遺跡とかいっぱいあんじゃん。
今の街と近い場所なら、福岡市の板付遺跡とか、堺市の四ツ池遺跡とか、泉大津市の池上曽根遺跡とか、静岡市の登呂遺跡とか。
吉野ケ里遺跡は今でこそ有明海から20キロも離れてるけど、当時は海岸線に近い場所の筑後川の堆積平野。

17世紀に入ってからとかいうけれど、別段途絶えたわけでなし、上の四ツ遺跡の墓地なんて弥生時代から現代まで現役であらゆる時代の遺物が重ねってるし、
その近くの堺は14世紀から結構な街になっていたし、摂津国一ノ宮の住吉大社、和泉国一ノ宮の大鳥大社も海に近い平地にある。
大阪も、仁徳天皇が難波京を置いてから平安遷都まで一貫して実質的な首府でありつづけたし、その後も、廃れることなく町があった。
稚拙だろうとなんだろうと、或いは、仁徳天皇が実在でなかろうと、古事記の編纂された8世紀時分には、既に、大阪湾・淀川下流域を茨田堤や難波堀江のような
治水、水田開発をして水田の生産力を向上させる行動をとっていたことが判る。

142 :
東京でも標高ゼロメートルに近い低地は昔は海だったから進出しようがないけど
一般的に「平野」に含まれる標高20、30メートルくらいの台地なら
江戸以前の遺跡は結構あるんじゃない?

弥生時代の由来になった本郷弥生町なんかもそういうところでしょ

143 :
>>58
>一条谷、躑躅ヶ先館、小谷城、春日山城、月山冨田城などなど戦国大名の居城ってすごい山奥にあるだろ

これは防衛と関わる面が大きいだろ

144 :
海戦だったら普通にやったら勝てないんじゃないか
瀬戸内海というホームで村上水軍ならワンチャン程度

145 :
>>68
狭義のマレー系人種って農耕は内陸高地でやってるよね。
スマトラにしてもセレベスにしてもずーっと遠いマダガスカルにしても、

146 :
>>68
>ジャワは島全体にまんべんなく人口がある。
>むしろ、海岸沿いよりも内陸の高原地帯に人口や生産力の主力がある。

確かにジャワ島1.4億人のうち首都ジャカルタにいるのはそのうちのたった1000万人で
ジャカルタ近郊を合わせた都市圏としてもせいぜい3200万人にしかならないもんな

日本なんか1.2億人のうちの927万人もの人口が東京にいて周辺都市を含む首都圏の人口が
3814万人だというんだからいかに首都圏に集中してるかわかるよな

同じ島国なのに全然事情が違うわこれ

147 :
>>146


148 :
>>146
面積とか顧慮してるん?

ジャワ島 12700平方キロ 12400万人
ジャカルタ首都州 660平方キロ 1000万人
ジャカルタ都市圏 7300平方キロ 2400万人

本州 22800平方キロ 10300万人
東京都 2200平方キロ 1400万人
首都圏 37000平方キロ 4300万人

149 :
皮肉ってんだろが

150 :
そういうの通じない人いるから

151 :
和弓って板金鎧貫けるの?

152 :
>>151
フライパンを戦国時代よりも弱い現代の和弓で撃ち抜けるから、
本当の実戦用の強力なやつなら可能だろう。
フライパンは薄いと言うだろうが、現代のスチールは
昔の冶金技術のスチールより強度高いからね。

153 :
昔の鎧は皮を固めたものも多かった

ただし、かなり硬い

154 :
戦国時代だったら銃もかなり使われてるでしょ
イングランドじゃもうそのころロングボウも廃れてる

155 :
>>153
古い翻訳ものの実験考古学の教科書で、銅板打ち出しの盾と革製の盾の両方に銅剣で切り付けてみたら、
革製の盾の方が断然耐久性があったなんて話が出てたなぁ。

156 :
ワールシュタットの戦いでは鎖帷子のヨーロッパ軍と革の鎧のモンゴル軍どちらが装備が優れていてのかよく話題になるね

157 :
水を含ませ槌で叩いて硬くするという板目革の製法を聞くだけで相当硬そうではある
ただ多いものでは鉄小札の割合が5割くらいの大鎧もあるようだからやはりちゃんと鍛えた鋼の小札には
及ばないかもしれないが

158 :
>>157
有機高分子と金属の複合素材ってのがいちばん頑丈そうではある。

159 :
発想が違うからな
革鎧は矢が刺さってもいいんだよ。内着を貫かないまで減速してれば十分。
今の強靭繊維の不織布でつくる防弾チョッキに近い発想だ。

160 :
Mythbustersの実験だと鋼鉄製と紙製の鎧では後者のほうが刀剣、弓矢、弾丸どの攻撃に対しても
耐久性で軍配が上がってた
革鎧と比較しても同じ結果になったと思う
じゃあ鋼鉄製の鎧が何故使われたのかと言うと日持ちして長年使えるのと富や権力を誇示しやすいという威信財の役割が大きかったのだろうな

161 :
>>158
そうだな。ただ接合部から激しく劣化しそう。

162 :
https://i.imgur.com/jW34oth.jpg

163 :2019/09/18
英国人に日本の城の虎口抜きとかできるイメージが湧かないな

つーか大将は誰になるんだよ

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