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アンネ・フランクを密告したのは誰だ?


1 :2011/12/07 〜 最終レス :2020/05/02
どうぞ

2 :
単発スレ立てんなR

3 :
一階に忍び込んだ泥棒?

4 :
朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作を行っていた。
捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。
>>866
14時以降に何が起きたんだ
>>866
Domain Information: [ドメイン情報]
a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP
e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ
f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社
これが規制されたからじゃねw
−「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」−
これはおそらく週刊誌さえ書けない。
「失語症躁鬱ニートはRよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ 2009年3月


5 :
昔の建物って概して防音とか考慮されてないから、普通に生活音でバレたんじゃネーノ

6 :
戦時下手記マニアだけど日記自体はよんでない。
ミープヒースのやつは読んだ。不特定多数が出入りしてたんだし誰でもあり得るよ。
個人的にはマルゴットの日記を読んでみたかった。

7 :
倉庫番の一人だった、ファン・マーレン という男も かなり 臭いらしい。

8 :
オットーさん、同じ生還者で娘の友人の母親と再婚したんだっけな。
その娘の手記も出てるけどその中に兄とマルゴットが親友だったというくだりがあるが
アンネの親友のヨーピーだっけな?に強く否定されてた。
アンネ財団の代表であり友人としてアンネの式典をとりしきっていることに
その親友は強い不快感を表していたけど
財団の規模も大きいしビジネスも絡むので色々あるのかもしれないね。
ミープも基本的にはマスコミに関わりたくないので一切インタビューには答えないけど
どうしてもの場合もアンネ財団を通さないといけないと警戒心がつよかったとか。
隠れ家系、収容所系、難民として疎開系、ホロコースト文学に関してはメジャーなものは
ほぼ読みつくしたけどなぜこれがこれほどまでに称賛されるのか正直わからない。
決してアンネをけなすのではなく、他に魅力的な作品が山ほどあるだけの話だが。

9 :
ゲシュタポの魔の手から逃れることは
針の穴にラクダを通すよりも難しい

10 :
カール・ジルバーバウアーにより逮捕

11 :
犯人はアンネ自身という可能性は・・・
ただ動機が難問だが・・・
恋・・・
思春期・・・
失恋・・・
大人への反抗・・・
見えてくる構図・・・
犯した罪への恐れ・・・
自作した大人の玩具・・・
真実は・・・

12 :
>>10
オーストリア人だっけ?
>>9
ベルリンで堂々と音楽家として活躍しながら潜伏したコンラートラテとかもいるし
運と出会った人によるのかなあ。1人のユダヤ人を助けるのに30人近い協力が必要だったというし。
オランダ人も黄色い星をつけて抗議デモしたりしたんだよね。
1944秋ぐらいから食料切符持ってるキリスト教徒ですら食料が手に入らなかったり
どっちにせよ都市部で地下潜行した人たちは密告されなかったとしても
終戦を迎えるまでに飢えと病気に耐えられなかったんじゃないかなと思う。
アンネが中継収容所にしょっぴかれた時期はあと少しずれていれば
アウシュビッツへの移送がなかったんじゃない?
それでも他の収容所へはあったかもしれないけど。
ベルゲンベルゼンは元は捕虜交換のって名目の場所で
アウシュビッツ閉鎖前は他よりは待遇マシだったんだよね。

13 :
フランクフルト市の場合、終戦時には市内にユダヤ人が数百人まだ潜伏していたらし

14 :
収容所への集団移送が本格化したのってこのへん?
ポーランド・・1941
リトアニア・・1941
ドイツ・・1943
オランダ・・1943
フランス・・1943
ハンガリー・・1944
ギリシャ・イタリア・・1944

15 :
平松邦夫/民主党
大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ
・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞
・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派
VS
橋下徹/維新の会
大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫
 様子見:公明

16 :
ベルゲンベルゼンは 殺戮施設ではないものの、最低限の食料・トイレ・医療・生活用品などでさえ ほとんどない状態で、飢えと寒さと糞尿の山により、伝染病チフスが大流行し猛威を振るった。

17 :
アウシュビッツからの移動組の生存者は口をそろえて
焼却場がないだけでアウシュビッツよりひどかったっていうな。
1941〜1942の比較的早い時期の移送組のポーランド系ユダヤ人の証言だと
ロシア捕虜を銃殺してスペースを開けたアウシュビッツTは
ひどい所ながらも寝棚にもまだ人数に余裕があり、
トイレも点呼就業以外は使えたし週に何度かは水道で手や顔を洗えたようだが
ビルケナウが完成して本格的な大量移送が始まってからが
本当の地獄だったっていう。
フランク一家の輸送はアウシュビッツを閉鎖する前だったから
それまで隠れ家とはいえ人間的な生活ができていた人には
到底順応できないものだったろうよ
ゲットーからきた人はすでに飢餓状態ではあったが
奇跡的に選別に通れば生存競争の場では強かったかもしれん。

18 :
ユダヤ人

19 :
アンネの日記読んだことあるけどアンネフランクってかなりの中二病で痛いやつって感じだった

20 :
>>19
まあ実際の中2前後だから仕方がない。
人気が出たのも十代前半の女の子が書いて本人が死んでいるというのも理由のひとつだろう。
死後に家族が頑張って売り出して有名になった例は他にも色々あるし。

21 :
>>19
お前も中二の頃はそうだったろww人間が成長するにあたって必要な過程だべ
アンネの日記はミープさんのサイドストーリーがあってこと初めて生きるもので
日記自体は別段大人が読んで面白いものでもなんでもなかろう。
俺はオットーさんの手記が読みたかった。
先の大戦でドイツ軍として戦った爪の先までドイツ人の男がこの迫害から生還し
どう精神の再構築をしていったか、大人の男の目線で見た現実を読みたかった。
俺はゲットー・収容所の手記マニアだけど基本的にそこで亡くなってしまって
日記が誰かの手によって陽の目を見るってたぐいの本は極力避けてる。
やはり体験して生還した本人が書くことでしか伝わらない生への強い執念を
文章から感じたいんだ。

22 :
あの一家で収容所から帰ってきたのオットーさんだけなんだっけ…

23 :
>>22
オットーさんてすごい生還率だよな。
第一次大戦でも戦場から生還、第二次大戦でも収容所から生還、たしか80代まで生きたろ。
収容所から生還して何かを成した人は長生きだよな。
ヴィーゼンタール、夜と霧のフランクリン、ソルジェニーツィンなど90歳前後まで生きた。
元から生命力があるのかと思えてしまう。

24 :
>>23
記憶では90近くまで生きた気がする。後妻さんも生還者でそっちは娘と共に。
「レナの約束」のレナ・ゲリゲッセンは驚異の1700番台での生還者で
こちらも姉妹で共に80代までは生きたはず。
女性オーケストラの団員でもアニタ・ラスカー始め数名は80代、
ゾンダーコマンドで唯一の生還者のシュロモベネツィアも長寿だった。
もちろん生還後すぐ亡くなった人も多いだろうけど、元から備わった生命力ってあるんだろうね。
アンネの関係者は
・アンネ→ベルゲンベルゼンでチフスにより死亡
・マルゴット→同一
てのはなんとなく記憶にあるけどその他の人たちはどうだったんだっけ。
オットーさんは病気で出発をあきらめてダッハウまでの死の行進をしなかったお陰だっけ。
あれは究極の選択だったんだろうな・・


25 :
>>19
それだけのことが言えるだけの知性の持ち主が日本にいるとは
どんな業績をお上げになった方なんでしょうか
2chにそんな方がおられるとは知りませんでした
ノーベル文学賞をお断りになったサルトル以上の方じゃないと、恥ずかしくてそんなことは言えないはず
どんな実績をお上げになっているか、ぜひわたくしにお教えください

26 :
君のほうが痛いよ・・すこし落ちつこう
>>24
死の行進と解放直後でかなりの人が亡くなってるからね。
オットー氏もその他の人もナチスにとらえられた瞬間から常に究極の選択をしてきたんだろう。

27 :
けど実際アンネの日記はかなり痛い日記だったな
アンネフランクはあんまり頭よくないのにだんだん自分のこと勘違いし始めたり

28 :
最後のほうはわけわからない持論語り始めたかなり痛い子
論理的な人ではない
感情的で都合のいい考え方するよくいる女って感じ

29 :
少し持ち上げすぎのような気がする
スター性があるとか
文章が大人びてるとか
ただの中二病でカッコつけてるようにしか見えない

30 :
だからリアル中二なんだって!

31 :
リアル中二病の女の日記公開してよかったのかな
顔もはっきり言ってよくないし

32 :
ユダヤのプロパガンタの為にアンネの日記を大いに利用している


33 :
今日、アンネの日記読み終わった

34 :
アンネが生まれた1929年って
世界大恐慌が起こった年だね
これはまた色々すごいときに生まれたもんだ


35 :
ペーターが一番可哀想。
1945年5月5日にマウトハウゼンで死亡。
この時はヒトラーは自殺しベルリンも陥落していた。
ペーターってベルゲンベルゼンにいたら生き延びることができたのかな?
ベルゲンベルゼンは確か4月15日解放だったな。
>>12
そう、ウイーン生まれらしい。

36 :
ベルゲンベルゼンは管理がほとんどされず衛生状態最悪
食べ物がほとんどない上にチフスが大流行の最悪の収容所だからな
ここに行っていたらむしろもっと早く死んでいた可能性が高いだろうな

37 :
ここで聞くことじゃないかもしれないけどベルゲンベルゼンにボルマンっていう女看守がいたらしいな。
確か戦後処刑されてた。
こいつはマルティン・ボルマンと関係あるのか?

38 :
あと2,3か月でも見つかるのが遅れていたら
どうなっていたか
とりあえず8人とも即ガス室送りは免れたし
本当に惜しかったな

39 :
>>31
写真見る限り顔は悪くないと思うが・・・
アンネは作家になるのが夢だったみたいだし
よかったんじゃねーの

40 :
そもそもアンネ・フランクなる人物自体存在しなかった

41 :
土佐日記、紫式部日記、更級日記>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>アンネ・フランクの日記

42 :
アンネは顔はむしろ平均以上だろ

43 :
密告の電話の声は女性だった、ということは判明しているとか。
あの建物の管理人の妻(掃除をしていた)の可能性が高いと。
戦後、その夫婦は「まったく気づいていなかった」と証言しているが
それは嘘で、支援者の一人(日記の中ではベップ)に「ユダヤ人たちが潜伏しているんじゃないか?」
と疑念をもらしていたそうです。
終戦まで潜伏に成功したユダヤ人も少なからずいたのに残念なことでした。

44 :
あんな都会で8人も暮らしていて
誰も気がつかないなんてありえないしな
気づいていた人は多いだろうと
オット―さんも言っている

45 :
>>44
日本でも似た様なことがあるだろう、発見したら死亡後半年とか……
そういう無関心が多分に働いたんじゃ無いかねえ。
戦時とは言え、そういう部分は変わらんと思うが

46 :
戦後、オットーさんは近隣の人たちから
「物音などから察していた。」と言われたそうですね。
黙認してくれた人たちは多かったろうと思います。
当の建物の関係者となると、発覚したら黙認していた自分たちにも被害がくる、
という危機感があったのでしょうね。

47 :
凄いな…それだけナチズムによる思想統制も、大多数の住民には影響を
与えず、少数派ながらナチズムを信奉するSSなどが頑張っている中で、
大多数の無力な多数派がただ立ち尽くしていたという構図は怖いね。
歴史は常に、また繰り返される可能性がある。

48 :
ドイツって当時、世界の中でももっとも優れた憲法だと言われていたんだよな
それが僅かな期間であそこまでおかしなことに・・・
一党独裁というシステムは、ほんと人類にとっての“最大の敵”なんだな

49 :
>>48
当時のドイツの状況ではあの憲法は絵に描いた餅に過ぎなかったよ

50 :
おれは維新の会が正直、少し怖い。
日本人の民度に絶望しているから。

51 :
父親は第一次世界大戦はお国(ドイツ帝国)の為に命を掛けて戦ったのにこんな仕打ちを受けるなんてたまったものじゃ無いな

52 :
アウシュヴィッツから苦しい旅のはてにここへやってきたアニタ・ラスカー・ウォルフィッシュはこう語る。「アウシュヴィッツでは人間が殺害されました。ベルゲン=ベルゼンではただ朽ちはてるにまかせたのです」
収容所の衛生状態は、言葉でいいつくせないほどひどいものだった。「収容所は全体が一つの下水道のようなものでした」と囚人医師ドクトル・レオは収容所の状態を語る。彼はここで発疹チフスや結核や、赤痢やコレラと絶望的な戦いを戦っていた。
ぬかるみと、排泄物と、害虫の泥沼の中で、これらの病気はものすごい勢いで蔓延していった。
 …(略)…
この収容所で、黙示録さながらの歴史が最後の月を迎えたとき、日に日にうず高くなる死体の山との絶望的な戦いを、死体処理班はすでに放棄していた。ベルゲン=ベルゼンの元囚人ハンナ・レヴィ=ハスは秘密の日記にこう書いている。
「生きていたり死んでいたりする他者の亡霊たちに囲まれて、わたしは残されたこの半分だけの命を使いはたしてしまうだろう。
死体が、現実の死体が、いつも傍にある。ベッドに横たわっている」。
寝台の上に、バラック棟の間に、道端に、死体が転がっていた。春の太陽で緑色に変色し、ありとあらゆる腐敗の段階を見せていた。
強烈な悪臭は数キロメートル離れた所にまで達した。
「あの臭いは表現のしようがありません」と、アニタ・ラスカー・ウォルフィッシュは語る。「ベルゲン=ベルゼンそのものが一個の死体の山でした。
腐敗しかけている死体以外のなにものでもありませんでした」
 グイド・クノップ『ホロコースト全証言』pp.392-394
アンネとマルゴーはこんなところに5カ月もいたんだよな
ぞっとしてくるわ

53 :
アンネの追憶とかいう映画が公開されるな
見に行ってみるか

54 :
http://www.youtube.com/watch?v=9iFFGbF_Yjo&feature=related
ベルゲンの死体の山は動画で見たけど、あの収容所は焼却設備がなかったんですね。
絶滅ための収容所ではなかったから、生き残れるかどうかはもう生命力の強さだけ。
巨大な穴に投げ込まれた死体の中にアンネとマルゴーの死体もあったかもしれない。
二人が亡くなった二週間後?くらいに解放されたというから。
連合軍があと少し早く来ていれば・・・と思わずにいられません。

55 :
アンネの日記って
未だに根強いねつ造説があるが
全部否定されたらしいな
ボールペインはアンネが描いたやつじゃなくて
メモ書きだったとか
筆跡が全然違うとか言われていたが
結局同一人物という結果が出たとか

56 :
そういえばミ―プさんが
2010年に100歳で亡くなったんだっけ
これでもう隠れ家に関わった人はみんな亡くなったわけか
アンネと仲のよかった友人は何人か生きてるけど

57 :
アンネの日記チラッと見てみたが
クラスメイトの紹介が酷すぎ、ワロタ

58 :
戦争末期が圧倒的に収容所での死者が多かったんだよな
ドイツが劣勢のため食料が届かず
一つの収容所にありえない人数を収容したため
管理が不可能になって酷い有様だったようだ
それでも密告されるのがあと半年遅ければ
8人とも生きてえられたかもしれんが

59 :
一番怪しいと言われているのは
やっぱファン・マーレンらしいな

60 :
>1
おそらく欧州人なのは間違いない。

61 :
池上彰『世界を変えた10冊の本
の中にアンネの日記が入ってるな
それほどの影響力があったのか

62 :
>>61
この本が欧米のイスラエル政策を後押し(同情的な意味で)する効果があったんなら、
世界の政治経済における中東の重要度が高い以上、まずまず影響があったと言えるかもね

63 :
生き残ってくれれば
収容所の詳しい様子とか
色々面白い本を書いてくれたろうに
残念だな

64 :
生き延びてたらアンネ・フランクなんか誰も知らないだろ。日記も出版されなかっただろうし。
別に特に文才あるわけじゃなし。

65 :
>>64
アンネは戦争が終わったら
あの日記を基本にした隠れ家の本を出そうと考えていたってのを見たことがある
どっちにしろアンネは友人に作家になりたいって言っていたみたいだし
本を出していたには確実だろう

66 :
おもわくを持って作られたフィクションだと思う

67 :
2009年にNHKでやっていたドラマニコニコ動画で見てみたが
なかなかおもしろかったな
最後の収容所で死亡文字が鬱すぎる

68 :
つーかもっと早く手を打てばよかったのに
親戚はもっと早くナチスの手の届かない場所に亡命していたのにな

69 :
俺です。アンネをピーターに取られたのを恨んでいたから密告しました。

70 :
愛は罪悪ですよ

71 :
マジレスすると
下の店の客か
かくまってた奴だろ

72 :
>>70 こころ の先生の台詞ぱくらんでも

73 :
>>72
いえ考えたんじゃ無い、やったんです。(アンネを密告

74 :
アンネはセックルしたの?

75 :
>>74
してない
少なくとも記録の上では

76 :
生理のことをアンネの日記とか言ってるのって日本だけ?

77 :
>>76
そんなこと言ってる人いるのかよ・・・
日本の恥もいいところだ

78 :
アンネの追憶、面白かったよ

79 :
ミープさんの話だったかな
知人に、人付き合いの理由から、心ならずもナチスに入らなければならなかった人がいて、
その人が、フランク一家逮捕の事を聞いて、
「戦争も終わりかけているし、ドイツの人たちは、帰国の事を考えている
きっと、お金を出したら、フランクさんたちをこっそり釈放してくれるんじゃないですか」と
耳打ちしてくれた人がいた
で、交渉にいったんだけど、遅かったってね
その心ならずもナチスに入らなければならなかった人、戦後、どうなったか気になる

80 :
アンネの追憶の主人公を演じたロザベル・ラウレンティ・セラーズが出演した独伊加合作アニメ『Mia and Me』が話題となっている。
ブレスレットに身につけ、『私はミア』と叫ぶと異世界セントピアへ
ttp://www.youtube.com/watch?v=tUrbsH1QGQo
まさに実写とアニメが融合しているなw

81 :

アンネ・フランクが映っている動画、YouTubeで公開
[オランダ発] 
『アンネの日記』で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクの生前の姿が映っている動画が9月23日、YouTubeで公開された。
アムステルダムの「アンネ・フランクの家(記念館)」による。
わずか20秒のビデオは、生前のアンネを撮った唯一のもの。
隣人の結婚式当日、新郎新婦を一目見ようと、2階の窓から身を乗り出している彼女の姿が、
数秒間(0:09-0:14)収められている。
撮影日は1941年7月22日。アンネはこの時、数えで13歳だったそうだ。
それから1年もしないうちに、彼女は両親や姉と共にアムステルダムで潜伏生活に突入。
しかし、1944年8月、密告により隠れ家がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に発見され、
アンネは1945年3月、ナチスの強制収容所でチフスのため死亡した。
ちなみに、新婚夫婦は今も存命で、ビデオはこの夫婦が提供したものだという。
記念館が最近開設した公式チャンネルでは、このほか、アンネの父親オットー・フランクや、
フランク一家らの潜伏生活を支援したオランダ人女性ミープ・ヒースのインタビューからの抜粋も公開されている。
また、開館50周年記念の一環として、バーチャル記念館が来年4月28日オープンする予定だそうで、その予告編も見ることができる。

アンネ・フランクが映っている動画 ↓
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-412.html
 ↑
アンネの父親オットー・フランク
   ミープ・ヒース     の インタビュー動画も

82 :







83 :


84 :


85 :
>>81の動画見た。なんか色んな感慨が湧いてきたよ。
彼女は間違いなく笑顔で生きていたんだ、それからたった4年で、と思うと暗澹たる気分になる・・

86 :
密告だけど、レナ・ハルトホとかいう奴がやったって説が有力っぽいよ。
ミープさんも「多分犯人は彼女だ」って言ってるし、密告の声は女性だったらしい。

87 :
この有名な手紙、一番最初の手紙、これが私宛の最初の勧誘メール。
ダビデの星がね、綺麗にねデザインされていて、こんなのが直接来るのよ。
こういうとっても怖いのが来ちゃうわけよ、普通だったらビビるでしょ。
普通だったらパンパースかなんかなっちゃうでしょ。(笑)
ところがリチャード・コシミズはちょっと太り気味でパンパースが入らなかったのね。
ということで、あんたなかなか結構やるじゃんかと、そこは認めてくれてる。
で認めてくれたうえで、あんた凄いと思ったのはヒットラーの件まで分かっちゃってると。
あんたの言うとおりにヒットラーは死なないで戦後南米に逃れてガキの二人も作ってるんだよと。
で名前はフリードリッヒとオルガだということまで書いてある。
でとにかくあちら側に寝返れと、寝返ったらあんたは一生ヒットラーやロックRーのような、
豪華な生活を送ることができると、そういうふうに勧誘いただいたわけだ。
これほんと勧誘レターよ、この後また何通も何通も来てるんだけど。
僕はこのメールをもらってから五分以内にこれをネットに上げたね。
そして十五分以内に翻訳文を上げたね、それが彼らに対する対抗策。
向こうはビビッたと思うよ、自分達が苦心惨憺作ったメールを、あっという間にネットに上げられた。
というわけでどうやらドイツのメルケル首相はヒットラーの娘のようです。
http://www.youtube.com/watch?v=eJzQm_-z0ic
【メルケルは】Merkel ist eine Tochter von Hitler.【ヒトラーの娘】
http://www.youtube.com/watch?v=weOg9Ut4GAA

88 :
密告者が誰かはオットーさんは知ってたらしいけど、あえて他言しなかったみたいね。
逮捕したゲシュタポのヤツの名前も知ってたらしいのに、わざと間違えた名を言って戦後20年も逮捕を遅らせたらしい。

89 :
アンネ・フランクを逮捕したことで起訴されたジルバーバウアーって運の悪い奴だな。
有罪にはなってないけど無駄に知名度上げたよな。
逮捕したのが無名のユダヤ人(フランク一家も当時は無名だが)だったら今日では学者でも存在を知らないどこの誰だか分らぬSS下士官にすぎなかったのに。
>>88
オットーさん知ってたのか?
ゲシュタポのジルバーバウアーは「密告する人間なんて山のようにいたからいちいち覚えていない」とか言ってたようだが

90 :
『アンネ・フランクの生涯』って本でそう書いてたような。
ゴメン。記憶曖昧・・

91 :
アンネの日記読んだら、控えめそうな見た目してるのに重度のナルシストだったでござる

92 :
日記読むと、よくも悪くも普通の思春期・反抗期の子供じゃない?
凄い際立った個性があるとか、そういうタイプには思えない。
だからと言ってアンネの日記が無価値かと言うと決してそうではなく、むしろ逆にその普通っぽさが普遍的に共感を呼びやすいんだと思うけどね。

93 :
生きてたらビッチになってたかもわからん

94 :
アンネの日記の研究版高すぎンゴwwwwさすがに5k超えはwwんんww

95 :
多感な時期の女の子の日記を公開する父親ってのも
考えようによっては無神経だなあ。いくら平和のためと言っても。

96 :
ミープだと思うね。

97 :
横文字は苦手だ

98 :
内容から言ったらエレーヌ・ベーヌのほうがずっと中身があると思うけど、こっちはアンネに比べてずっと知名度が低いね。
大学院生だったらから、内容がしっかりしているのは当たり前だけど。

99 :
間違えた
×エレーヌ・ベーヌ
○エレーヌ・ベール

100 :
>>94
「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」上下巻それぞれ5k越え、より万倍マシなのではないか。
新装版なのに訳が…・・・なところもあって、こりゃちょっと笑えねえぞ。
「モルモット」の訳とか。萎える。

101 :
.
生前のアンネ・フランクの唯一の映像
9秒〜13秒のあたり ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4hvtXuO5GzU
アンネの父親 / オットー・フランク
http://www.youtube.com/watch?v=AWRBinP7ans
http://www.youtube.com/watch?v=T8PuzPAOVsA
http://www.youtube.com/watch?v=MTbHYBeUe0Y
http://www.youtube.com/watch?v=3vjajGBdsSk
支援者 / ミープ・ヒース
http://www.youtube.com/watch?v=aDU34fvA9C4
http://www.youtube.com/watch?v=v-Z320oIJmM
http://www.youtube.com/watch?v=jybUICycSKY
http://www.youtube.com/watch?v=AdJ-hV61x5U
http://www.youtube.com/watch?v=kmAa2eN7wFY
http://www.youtube.com/watch?v=-aS13YieM4o
http://www.youtube.com/watch?v=99vA77xvvmY
http://www.youtube.com/watch?v=PVPjNv19p3E
http://www.youtube.com/watch?v=2kVuLJPpWq0
http://www.youtube.com/watch?v=tBI4cso0Yd8

102 :
.
アンネの親友 / リース
http://www.youtube.com/watch?v=pHliFKiMgFg
http://www.youtube.com/watch?v=lNlL8sVq6dQ
http://www.youtube.com/watch?v=wa_Y7JM4f-A
http://www.youtube.com/watch?v=l_wE0ynSLZI
隠れ家の内部
http://www.youtube.com/watch?v=Nzxr8iSSOKk
http://www.youtube.com/watch?v=5hHVYrDnmoI
http://www.youtube.com/watch?v=um3umnwgK3k
http://www.youtube.com/watch?v=GTpXf5Np3Pw

103 :
ごめん、俺だは……

104 :
ソウルは都市全体がベルゲン・ベルゼンだったのを日本が衛生化したんだよな

105 :
>63
ホラーだよ 体験したものは書く気はしない

106 :
ナチの収容所を映画化したらホラー映画になるだけだからな

107 :
.
アンネ・フランク  過去ログ  
http://www.logsoku.com/search?q=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D++%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
.

108 :
.
ユダヤ系団体 : ナチ戦犯の情報提供を…独でキャンペーン
http://mainichi.jp/select/news/20130802k0000m030077000c.html

109 :
.
アンネ・フランクが映っている動画、YouTubeで公開
[オランダ発] 
『アンネの日記』で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクの生前の姿が映っている動画が9月23日、YouTubeで公開された。
アムステルダムの「アンネ・フランクの家(記念館)」による。
わずか20秒のビデオは、生前のアンネを撮った唯一のもの。
隣人の結婚式当日、新郎新婦を一目見ようと、2階の窓から身を乗り出している彼女の姿が、
数秒間(0:09-0:14)収められている。
撮影日は1941年7月22日。アンネはこの時、数えで13歳だったそうだ。
それから1年もしないうちに、彼女は両親や姉と共にアムステルダムで潜伏生活に突入。
しかし、1944年8月、密告により隠れ家がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に発見され、
アンネは1945年3月、ナチスの強制収容所でチフスのため死亡した。
ちなみに、新婚夫婦は今も存命で、ビデオはこの夫婦が提供したものだという。
記念館が最近開設した公式チャンネルでは、このほか、アンネの父親オットー・フランクや、
フランク一家らの潜伏生活を支援したオランダ人女性ミープ・ヒースのインタビューからの抜粋も公開されている。

生前のアンネ・フランクの唯一の映像
9秒〜13秒のあたり ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4hvtXuO5GzU
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110 :
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【国際】アンネの悲劇 密告者は特定できず 真相は謎のまま
http://www.logsoku.com/r/news/1051360834/
03/04/26
アムステルダムからの報道によると『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクの隠れ家を、
ナチスに密告したのは誰かを調べていたオランダ国立戦時資料研究所は、過去に取りざたされた
人物を含め密告者は特定できないとする報告書をまとめた。通行人が偶然、隠れ家を見つけた
可能性もあるとしており、アンネの悲劇を生んだ密告者は永久に謎のままとなりそうだ。
今回の調査は、英国人作家が昨年3月、アンネの父オットーの商売相手だった男性が密告者だと
する著書を出版したことを受け同六月から始まった。この商売相手のほか過去に密告者と指摘
されたことがある隠れ家の建物で働いていた倉庫番の男性、清掃員の女性の計3人について
検討した。その結果、商売相手が密告者という説については「本人の生前の証言が根拠に
なっているが、この人物は実際以上に自分を重要人物と見せようとするほら吹きで信用できない」と
結論。ほかの二人についても「以前に否定されている」「証拠がない」などとした。
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111 :
お金持ちだし亡命できただろうね
なんで篭ろうとしたんだろ…
もし数ヶ月で戦争終わっても
周りの人間が裏切ったら終わりなのに

112 :
銀行家なのにね。
普通、真っ先に亡命しそうだし、どこでも裕福に暮らせただろうに。

113 :
相当裕福だったみたいだし、アンネの同級生も結構逃げてるから余裕だっただろうと思う。

114 :
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アンネ・フランクの生涯 [単行本]
キャロル・アン リー (著)
, Carol Ann Lee (原著), 深町 真理子 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
アンネ・フランクの従兄であり、アンネ・フランク財団の理事長であるバディー・エリーアスのインタビュー、親族のもとに残されていたアンネの手紙、
未刊のオットーの回想録など、貴重な取材をもとに、綿密に描かれたアンネ・フランクのすべて。
単行本: 590ページ
出版社: DHC (2002/09)
ISBN-10: 4887241925
ISBN-13: 978-4887241923
発売日: 2002/09
商品パッケージの寸法: 19 x 12.8 x 3.6 cm

115 :
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アンネ・フランク最後の七ヵ月 [単行本]
ウィリー リントヴェル (著), 酒井 府 (翻訳), 酒井 明子 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
『日記』に書かれなかったアンネの真実「ドアをしめて、ドアをしめて」それがアンネの最後の言葉だった―。
『アンネの日記』が最後に書かれた1944年8月1日から、ベルゲン‐ベルゼン収容所での死の瞬間までの七ヵ月間を、
アンネが収容所に送られてから7ヶ月の間にアンネと出会った女性6人の証言でまとめた貴重な一冊。
単行本: 254ページ
出版社: 徳間書店 (1991/02)
ISBN-10: 4193544435
ISBN-13: 978-4193544435
発売日: 1991/02
商品パッケージの寸法: 19.2 x 13.2 x 1.8 cm

116 :
銀行員じゃなくて銀行家だったんでしょう?
どうして逃げなかったんだろう?

117 :
やっぱり他国のことだから、噂程度でしか伝わってなかったと。
で、逃げようと思ったら資産凍結でどうにもならなくなったんでは

118 :
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで殺されずにベルゲンベルゼンに生きたまま移された。
なぜか銃殺などでアウシュヴィッツで処分されなかった。
アンネの日記にはガス室の描写が一切ない。
アンネの日記が本物か偽物かなどは本質をそらすミスリード。

119 :
>>118
>アンネ・フランクはアウシュヴィッツで殺されずにベルゲンベルゼンに生きたまま移された。
なぜか銃殺などでアウシュヴィッツで処分されなかった。
アンネの日記にはガス室の描写が一切ない。

これの意味するところはなに?あるいはどういう推測ができる?

120 :
>>1
おれ。

121 :
>>119
子供は正直でいいのでは?

122 :
>>118
あれ?アンネの日記って捕まる直前で終わってるよね?
ガス室の描写が無いのは当たり前なんじゃ?
捕まった後の事なんだもん

123 :
2001年のアンネフランク見たけど
近所のオランダ人のおばさんがゲシュタポかなんかへ
公衆電話で情報あるって密告してた
知ってて黙ってたら自分達まで捕まるとか言って

124 :
>>122
なぜかアウシュヴィッツで殺されていないんだが。

125 :
>>123
密告の電話の声の主が「女性」であることは
ゲシュタポの記録に残されている、と。
密告であるから当然名乗りはしないから名前は分からない。
Kは正義と考えていた人たちは堂々と名乗っていたから戦後裁判にかけられて
処罰を受けたが、アンネを密告した女性は、防衛本能ゆえの行為だったのだろう。

126 :
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ハンネリ・ホースラル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%AB
ハンナ・"ハンネリ"・エリーザベト・ピック=ホースラル(Hannah "Hanneli" Elisabeth Pick-Goslar、1928年11月12日 -)は、アンネ・フランクの友人だったユダヤ人女性。
愛称はリース(ハンナの発音ができないオランダの子たちから)。
『アンネの日記』上では「リース・ホーセンス(Lies Goosens)」という偽名になっている
ベルゲン・ベルゼン強制収容所
1943年6月20日に親衛隊がアムステルダム・ザウト地区で大規模なユダヤ人狩りを行った際に父と妹と共に逮捕された。母はこれ以前に産褥熱によって死亡していた。
しかしホースラル一家はパラグアイの旅券を所有していたため、ヴェステルボルク通過収容所を経てベルゲン・ベルゼン強制収容所の「中立国外人」ブロックに収容され、赤十字の支援物資を受けることができた。
アンネも後にこのベルゲン・ベルゼンに移送されてくる。
ハンナによると1945年初め頃に有刺鉄線越しだがアンネと再会できたという。
二人は互いの無事を喜び涙を流しあったという。アンネはこの時ようやく実はスイスに亡命したのではなくて隠れ家で隠れていたことをハンネに打ち明けた。
また両親とは離れ離れになったことを告げ、「私にはもう両親がいないの」と涙ながらに語っていたという。
その後も三、四回あったというが、二月末ごろからアンネの姿を見なくなったという。
ハンナと妹は生き残る事が出来たが、父ハンスのみ1945年2月25日にベルゲン・ベルゼン収容所内で死亡している。
アンネは隠れ家生活中、祖母の形見の万年筆を失った直後の1943年11月末に、夢枕でハンナと対面し、その時点では彼女の生存を絶望視していたが、皮肉にも二人の最終的な運命は、まったく逆になってしまった。

127 :
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戦後
ベルゲン・ベルゼンが英軍によって解放された後、ホースラル姉妹はオランダ・アムステルダムへ戻ろうとしたが、結核を患っていたために許可が下りず、しばらくマーストリヒトの病院で暮らした。
1945年8月にアンネの父オットー・フランクがこの病院に駆け付け、以来オットーは父親代わりとなって姉妹の面倒をよく見た。
1945年12月にオットーの支援でスイス・チューリヒにいる伯父のもとに引き取られた。
1947年には妹とともにイスラエル首都エルサレムへ移住し、看護婦になった。出版業者と結婚して子供3人、孫10人に恵まれている。現在もエルサレムに在住。

アンネの親友 / リース   動 画
http://www.youtube.com/watch?v=pHliFKiMgFg
http://www.youtube.com/watch?v=lNlL8sVq6dQ
http://www.youtube.com/watch?v=wa_Y7JM4f-A
http://www.youtube.com/watch?v=l_wE0ynSLZI

ベルゲン=ベルゼン強制収容所(1)
http://lesvoyages.fc2web.com/deutsch/deutsch9.html
ベルゲン=ベルゼン強制収容所(2)
http://lesvoyages.fc2web.com/deutsch/deutsch10.html

ハンネリ・ホースラル ヤフー検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%EF%BE%8A%EF%BE%9D%EF%BE%88%EF%BE%98%E3%83%BB%EF%BE%8E%EF%BD%B0%EF%BD%BD%EF%BE%97%EF%BE%99&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
ベルゲン=ベルゼン強制収容所   ヤフー検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%3D%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

128 :
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アンネ・フランク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク、ドイツ語: Annelies Marie Frank 発音[ヘルプ/ファイル] 、1929年6月12日 - 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。

オットー・フランク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
オットー・ハインリッヒ・フランク(Otto Heinrich Frank、1889年5月12日 - 1980年8月19日)は、『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクとその姉マルゴット・フランクの父親である。
アンネの死後の1947年、彼女の日記を出版した。
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129 :
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エーディト・フランク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
エーディト・フランク(Edith Frank、1900年1月16日‐1945年1月6日)は、「アンネの日記」の著者アンネ・フランクとその姉マルゴット・フランクの母親であるユダヤ系ドイツ人の女性。
オットー・フランクの妻。旧姓はホーレンダー(Holländer)。

マルゴット・フランク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
マルゴット・ベッティ・フランク(Margot Betti Frank、1926年2月16日 ― 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクの姉にあたるユダヤ人の少女。 愛称はマルゴー。
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130 :
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ミープ・ヒース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%B9
ミープ・ヒース(オランダ語: Miep Gies、1909年2月15日 - 2010年1月11日)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクらの隠れ家での生活を支援していたオーストリア系オランダ人女性。
隠れ家がナチスに発見されて隠れ家住人が逮捕されたのち、『アンネの日記』を発見して日記を保存した。
アンネの日記上では「ミープ・ファン・サンテン」という偽名になっている。

ヤン・ヒース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%B9
ヤン・ヒース(Jan Gies, 1905年10月18日 - 1993年1月26日)は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによる占領に抗したオランダのレジスタンス活動家。
『アンネの日記』の著者アンネ・フランクらの隠れ家での生活を支援していたミープ・ヒースの夫。
『アンネの日記』上では「ヘンク・ファン・サンテン」という偽名になっている。

ベップ・フォスキュイル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A4%E3%83%AB
ベップ・フォスキュイル(Elisabeth "Bep" Voskuijl, Bep Vuskuil, Bep van Wijk-Voskuijl、1919年7月5日-1983年5月6日)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクらの隠れ家での生活を支援していたオランダ人女性。
オランダ語の発音は「ベップ・フォスカウル」が近い。
アンネの日記では"Elli Vossen"として書かれている。 アンネの父オットー・フランクの秘書であった。
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131 :
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ヨハンネス・クレイマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3
ヨハンネス・クレイマン(Johannes Kleiman、1896年8月17日 - 1959年1月28日)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクらの隠れ家での生活を支援していたオランダ人男性。
完全版以前の『アンネの日記』上では「ヨー・コープハイス」という偽名で表記されていた。

ヴィクトール・クーフレル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%AB
ヴィクトール・クーフレル(Victor Kugler、1900年6月5日 - 1981年12月16日)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクらの隠れ家での生活を支援していたオーストリア系オランダ人男性。
完全版以前の『アンネの日記』上では「フィクトル・クラーレル」という偽名で表記されていた。
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132 :
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ヘルマン・ファン・ペルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B9
ヘルマン・ファン・ペルス(Hermann van Pels、1898年3月31日‐1944年)は、『アンネの日記』を書いた少女アンネ・フランクとともに隠れ家に同居していたユダヤ人男性。
アンネの恋人ペーター・ファン・ペルスの父親である。
『アンネの日記』上では「ハンス・ファン・ダーン」という名前になっている。

アウグステ・ファン・ペルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B9
アウグステ・ファン・ペルス(Auguste van Pels、1900年9月29日 - 1945年)は、「アンネの日記」の著者アンネ・フランクの恋人ペーター・ファン・ペルスの母親。
アンネの日記上では「ペトロネッラ・ファン・ダーン」名になっている。

ペーター・ファン・ペルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B9
ペーター・ファン・ペルス(Peter van Pels、1926年11月8日‐1945年5月5日)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクとともにオランダのアムステルダム市のプリンセンフラハト263番地の隠れ家に暮らしていた少年。
アンネの恋人だった。アンネは日記の上ではペーター・ファン・ペルスを「アルフレート・ファン・ダーン」と記述している(アンネは日記の出版を目指していたのでその時に備えて登場人物を仮名にしていた)。
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133 :
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フリッツ・プフェファー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
フリッツ・プフェファー(Fritz Pfeffer、1889年4月30日 – 1944年12月20日)は、ドイツの医師。ユダヤ系ドイツ人。
『アンネの日記』の著者アンネ・フランクが暮らしていた隠れ家の同居人の一人。
『アンネの日記』上では「アルベルト・デュッセル」という偽名で表記されてある。


カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC
カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972年9月2日)はドイツのナチス親衛隊の下士官。最終階級は親衛隊曹長(SS-Oberscharführer)。
1944年にオランダに隠れていたアンネ・フランクとその家族らを拘束した中心人物。
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134 :
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ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレン
http://previous.mindia.jp/book/Kokoro/keyword/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%EF%BD%A5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3
アンネ・フランクが隠れていた建物の一階の倉庫で働いていた。
アンネたちが隠れていたことを知っていたのではないか、密告したのではないか、と長年疑われていた。
1948年3月、尋問を受けたが、証拠不十分で捜査は何度も中止になり、そのまま1971年、76歳でアムステルダムで亡くなる。

ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレン倉庫番
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

ランメルト・ハルトホ / 倉庫係
その妻で掃除婦のレナ・ハルトホ
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%9B++++%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
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135 :
>>124
アンネは、アウシュビッツへは送らなかったの?
どこでなくなったの?

136 :
映画しか見てなかったので
今日単行本「アンネの日記」を買ってきた
古本だけど表紙はアンネの写真出ててなんとも味わい深いの

137 :
こう言っちゃなんだがアンネの日記は他人への悪口が多すぎて読み続けてるとしんどくなる
ユダヤ人への迫害を神が与えた試練とする記述とか印象的なのもあるし、文才はある方だと思うんだけど
それ以上に読むのがしんどいわ

138 :
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写真物語 アンネ・フランク [単行本]
リュート ファン・デル・ロル (著), リアン フェルフーヴェン (著), アンネフランク財団 (編集), 平和博物館を創る会 (編集), Rund Van der Rol (原著), Rian Verhoeven (原著), 難波 収, 岩倉 務
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4938365162/ref=dp_olp_used?ie=UTF8&condition=used

内容(「BOOK」データベースより)
この写真集『アンネ・フランク』では、“裏の家”での潜行時代を中心として、アンネの人生史をあつかっています。しかし、それだけはなく、彼女の生きた時代の背景や、アンネの日記自体の歴史にもふれています。
内容(「MARC」データベースより)
"裏の家"での潜行時代を中心として、アンネの人生と、彼女の日記に登場する様々な出来事、事件を、豊富な写真とともに解説する。

登録情報
単行本: 64ページ
出版社: 平和のアトリエ (1992/12)
ISBN-10: 4938365162
ISBN-13: 978-4938365165
発売日: 1992/12
商品パッケージの寸法: 29 x 21.6 x 0.6 cm
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139 :
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思い出のアンネ・フランク (文春文庫) [文庫]
ミープ ヒース (著), アリスン・レスリー ゴールド (著), Miep Gies (原著), Alison Leslie Gold (原著), 深町 真理子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4167309270/ref=dp_olp_used?ie=UTF8&condition=used

内容紹介
丸二年と四ケ月、隠れ家のアンネたちにパンとミルク、花と本を届けて支えとなった女性が、あの日日をつぶさに回想する感動の手記
内容(「BOOK」データベースより)
隠れ家のアンネ一家にパンとミルクを、花と本を届けつづけた人、一家がナチに連行されたあと、隠れ家の床に散乱していた「日記」を回収、保存したその人。
「あの人たちのことを悲しまずに過ぎる日はいまも一日とてない」と述懐する著者の回想は、「アンネの日記」の行間を埋める貴重な資料であるばかりか、それ自体感動と勇気の書だ。

登録情報
文庫: 381ページ
出版社: 文藝春秋 (1994/04)
ISBN-10: 4167309270
ISBN-13: 978-4167309275
発売日: 1994/04
商品パッケージの寸法: 15.6 x 11 x 1.8 cm
.

140 :
アウシュヴィッツで殺されなかったのは不自然だとは思う。

141 :
アルコールやニコチン中毒じゃなかったし
怠慢でも無かった
ももクロみたいに労働讃歌してたのか

142 :
>>141
アンネが労働をしていた証拠あるのか。

143 :
無いけど
筆マメな子だし仕事出来そう

144 :
>>143
何の労働していたのか証拠出せよ。

145 :
そこがそんなに追求したい部分なのw

146 :
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1392971152/
【東京】「アンネの日記」が200冊以上破られる事件、ユダヤ系団体が捜査を要請★2
1 : ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★:2014/02/21(金) 17:25:52.22 ID:???0
ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は20日、
東京都内の図書館で「アンネの日記」や関連書籍計200冊以上が破られたことに「衝撃と深い懸念」を表明、
捜査と実行者の特定を求める声明を発表した。
声明で、同センターのクーパー副所長は、一連の被害についてホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に関する人々の記憶を
「侮辱する組織的な試み」だと非難した。
著者のユダヤ人少女アンネ・フランクが多くの日本人に親しまれていることに言及し、
「アンネの歴史的な勇気、希望、愛の言葉を破壊しようとするのは偏見と憎悪に満ちた者だけだ」と指摘。
その上で「この中傷活動の実行者を特定し、対処するため努力を強めるよう求めていく」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140221/amr14022113230006-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140221/amr14022113230006-p1.jpg
前 ★1が立った時間 2014/02/21(金) 14:21:28.07
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1392960088/

147 :
アンネがどんな思いで、必死に
戦禍の中で、暗い隠れ家の中で
あの日記を書いたのか、犯人は一生をかけて味わい
謙虚に反省すべき

148 :
アンネの日記は偽物で13歳の少女は書いていないという残念な事実

149 :
●緊急拡散希望 《『アンネの日記』関連本を破る国際謀略》
■都内全域で 『アンネの日記』関連本に狙いを定めて、破ることを組織的に実施している輩は、日本を陥れる国際的な謀略組織です。
それは、戦時中もユダヤ人に愛情を注いで、1938年、2万4000人のユダヤ難民を救出した樋口季一郎ハルビン特務機関長や
1941年に、6000人のユダヤ人に命のビザを発給した杉原千畝リトアニア総領事など、日本人とユダヤ人の歴史的な信頼関係を貶める国際謀略です。
反日左翼の日本人でも、文献を破る行為を潔しとしない不文律があります。
筆者が以前警告を発したことがありますが、日本に一冊しか所蔵されていない1899年韓国で発行された『大韓地誌』の原本に添付されていた竹島が韓国領だったと仮定すると、
管轄していたであろう「江原道」の地図だけが、破り取られていたのです。
この地図は、韓国が主張する日露戦争のドサクサで竹島を日本が奪い取ったとの言いがかりを潰せる証拠だから持ち去ったと判断し、
必死に復刻版を探して見つけた「江原道」の地図は、『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』に収録してあります。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4569806864/ref=mp_s_a_4?qid=1340108812&sr=1-4&uid=NULLGWDOCOMO
この度のカリフォルニア州グレンデール市の慰安婦像の撤去を求める在米日本人グループが提訴した裁判と『アンネの日記』破る事件は、水面下で連動していると思っています。
それは、在米韓国人ロビー活動が一部ユダヤ人組織に支えられていることは公然の秘密であり、本格的にユダヤ人組織が動くと米国韓国人ロビー活動が破綻する危機感があり、
日本はユダヤ人を差別する国との宣伝工作として、今回の事件を見ると分かりやすいでしょう。
また、在米日本人が慰安婦問題を法廷に持ち込んだことも危機感になっているのです。それは、米国法曹界は圧倒的なユダヤ人社会であり、
良質なユダヤ人は日本人の「恩」を深く心に刻んでいることで、強烈なブーメラン効果で、在米韓国人が全米で批判に晒される可能性がでてきました。
警視庁は各図書館の防犯ビデオを徹底的に分析して犯人を捕まえることが最重要です。

150 :
>>145
労働力でないのなら生かす理由がない。
エミール・モーリスのような名誉アーリア人なのか?

151 :
これ朝日新聞だろ?

152 :
日本に反ユダヤ思想は無いから
韓国の日本を孤立させる謀略

153 :
ユダヤの人権団体が毎回抗議してくるのを
快く思わない人たちはネットにたくさんいるけどね

154 :
>>152
ユダヤ人が世界を裏で支配しているという陰謀説を唱えているやつはいる

155 :
犯人のネトウヨはこの本破りでナチス自民を応援してるつもりなんだろうなあ
ネトウヨデモやツイッターアイコンもハーケンンクロイツだらけだし
はだしのゲンの焚書坑儒といいネトウヨってのはキチガイばかりだわ

156 :
アンネの日記破りニュースを新聞で見て
「あっ、これネトウヨっぽい犯罪」って思ってしまった

157 :
日記破ったのは
全世界でDISCOUNT JAPANを展開中の近親相韓国もしくは人肉食中国の在日です。
日本のイメージを悪くするために
イルカ漁とこれで今世界中でさかんにやってるわ。
中国や韓国のようなウジ虫民族のなすがままに日本人はつぶされるんですかね?
留学生やら観光客に化けた移民を増やしてる政府だものね。日本人は殺されるんだろね。
チベット人みたいに。

158 :
ナチスが台頭し始めたワイマール憲法下のドイツでも
インテリとかは馬鹿なウヨがなんかやってるわ、って感じだったんだろうなあ

159 :
反共の旗頭だし、中産階級以上のインテリ層には結構受けてたんじゃないか?
初期に入党したメンバーにはインテリ多いっしょ

160 :
アンネの日記に意味があるとすれば、
日記にガス室の描写が何もない。
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死ななかった。
上記の事しか意味がない。
日記の正否などはミスリードでしかない。

161 :
ネトウヨ「アンネの日記なんて虚構。価値なんてない」
ネトウヨ「特攻隊の遺書にこそ日本人の精神の真髄がある。世界遺産にするべきだ」

162 :
>>161
日記の正否には何の意味もないんだよ。
意味があるのは日記にガス室の描写が何もない。
そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死ななかったの2つだけ。

163 :
世界史版にもネトウヨって来てるんだね

164 :
>>163
それなら日記にガス室の描写はあるのかどうなんだよ?
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのかどうなんだよ?
ユダヤ人修正主義者がいるのかどうかどうなんだよ?

165 :
>>162
日記に書かれてるのは、捕まる前までだろ。
なんで捕まった後のガス室の事が日記に書けるんだ?

166 :
>>165
アウシュヴィッツで殺されてなければ書ける余地があるかもしれないが。
どちらにしろあの日記には何の意味もないが。

167 :
>>164
なんでアウシュビッツじゃないと駄目なんだ?
そのこだわりがよく分からない
他の強制収容所で死んだとしたら、何か問題があるのかい

168 :
>>167
アンネの日記はガス室および600万の証拠になるのか?

169 :
もしも密告した人がまだ生きていて、密告した事を告白したらその人はどうなるの?

170 :
>>169
それよりガス室と600万の証拠を出してもらいたいんだが。

171 :
アンネは死んだからこそ名を残せた人物
生きる方法や生き残った過程をするのは愚かだ

172 :
>>171
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んでいない上に日記にはガス室の描写がない。
ベルゲン・ベルゼンでチフスで死んだ。
正否など全く意味がない上に日記自体ヴィルコミルスキーの断片と同じで関心がない。
肝心のガス室と600万の証拠を出せよ。

173 :
>>172
アスペかよ

174 :
すまないが、アナル・フランクな方以外は帰ってくれないか

175 :
>>173
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
日記にガス室の事が書いているのか?
正常なら答えろよ。
>>174
肝心のガス室と600万の証拠を出せよ。

176 :
ペーター視点だと「それなんてエロゲ」って感じの展開だったと思う。

177 :
日本語の読み書きが不自由な基地外が一匹紛れ込んでいるようだな

178 :
>>176-177
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
日記にガス室の事が書いているのか?
お前ら正常なんだろだったら答えろよ。
正常ならヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな?
正常ならせめて600万の証拠だけでも出せよ。

179 :
宗教から歴史、オカルト、UFO問題まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は「大日本帝国は生きている ヒトラーのUFO」です。
UFOはドイツ製って本当? ヒトラーは日本神道を学んでいたのか??
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

180 :
アウシュヴィッツに入所した後も日記なんて書けたのか?
ナチスがユダヤ人にそんな“贅沢”させる訳ないだろ
だのにガス室の描写なんて残る訳ない
万が一書いたものがあってもそれこそ捨てられて終わり

181 :
話噛み合ってる?

182 :
>>1
日本で言うと横田めぐみさんのような人か。
方や全ユダヤ人の女神、方や全日本人の女神。

183 :
>>180
そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
お前ら正常なんだろだったら答えろよ。
正常ならヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな?
正常ならせめて600万の証拠だけでも出せよ。

184 :
なあ、みんな。
日本版のアンネ・フランクは横田めぐみさんだよな?
意見求む。

185 :
>>184
話そらすなよ。
そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
ヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな?
せめて600万の証拠だけでも出せよ。

186 :
日記も捏造
音楽も捏造
細胞も捏造
お前ら日本人はクズだな。

187 :
>>186
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
ヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな?
せめて600万の証拠だけでも出せよ。
600万数えるのに必要なユダヤ人と非ユダヤ人の境界線って何?

188 :
ユダヤか否かはまず宗教の違い。
キリスト教国ではカトリックなりプロテスタントなりのコミュニティに属してないという時点でかなり異質。

189 :
横田めぐみさんは北朝鮮の強制収容所で死んだの?

190 :
>>188
>ユダヤか否かはまず宗教の違い。
>キリスト教国ではカトリックなりプロテスタントなりのコミュニティに属してないという時点でかなり異質。
それなら600万数えるのに必要なのでソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。
そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
>>189
確認できないから判断できない。

191 :
今ちょうど隠れ家支援者の本読んでるけど
オランダの食料事情が著しく悪化した時期の前だったとはいえ
42年の夏から丸2年、8人もの大所帯を一カ所で匿っていられたのは凄いことだと思う
あのままあと半年頑張ればと思いながら読み進めていたが
そこから先の半年は飢餓の冬があり物資の調達もままならず互いに地獄と化していたろうな

192 :
>>191
それなら600万数えるのに必要なのでソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。
そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
これらの方が重要なんだが。

193 :
600万死んだとか誰のレスにあるの?お前だけでしょ?

194 :
>>193
多くのユダヤ人が600万に固執しているのを知らぬはずがないだろ。
ヒルバーグの510万でもこの場合意味は同じ。
600万を数えるのに必要なのでソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。
ソ連とナチスではユダヤ人の定義が大きく違う。
ナチスは4分の1でソ連は自己申告制。
正統派と改革派でもユダヤ人の定義は違うので最低4種類ユダヤ人の定義がある事になる。
そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?

195 :
アンネフランクとは関係ねえじゃん
お前アンネの日記読んだ事あんの?

196 :
>>195
その人完全に頭おかしいみたいだからもう放っておいたほうが良いんじゃない?
日本語の会話が成り立ってなくて異常だよ。
誰も相手してくれなくて飽きたらor寂しくなったらそのうち消えるんじゃないかな。

197 :
>>195-196
どういうユダヤ人の定義を使ってアンネをユダヤ人と確定させたのかな?

198 :
>>195
アンネはホロコーストの話ではないのか?
>>196
お前はまともなんだろ?
まさかヒルバーグを知らないのか?
600万でもヒルバーグの510万でもかまわないので、
ソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。

199 :
馬鹿丸出し
VIPR

200 :
>>199
賢いと主張したいのなら、600万でもヒルバーグの510万でもかまわないので、
ソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。
根幹だが、アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?
アンネはホロコーストの話ではないのか?

201 :
知らん。

202 :
>>201
まさか知らないのに、600万でもヒルバーグの510万でも正しいと断言できるのか?
ユダヤ人と非ユダヤ人の境界線がないとユダヤ人は数えられないが。
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか?

203 :
オランダ人が密告しさんじゃないの?

204 :
>>203
アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのかどうなんだ?

205 :
死んだのはアウシュヴィッツじゃなくてベルゲン・ベルゼン収容所だけど、それが何なんだ?

206 :
荒らしに構うなよ

207 :
ごめん

208 :
>>205-207
アウシュヴィッツで死ななかった理由は?
600万でもヒルバーグの510万でも正しいと断言できるのか?
ユダヤ人と非ユダヤ人の境界線がないとユダヤ人は数えられないが。

209 :
日本のアンネ・フランクこと横田めぐみさんが拉致されたのは、
日本国内に北朝鮮の協力者がいたから。
それゆえに、アンネ・フランクのまわりにもナチスの協力者がいたのは間違いない。
しかし、どちらも真相は謎のままである。

210 :
北朝鮮の協力者は、他の人ではなくて、普通の女子中学生が適任だと思ったの?

211 :
JKアンネ なんという美しい響き

212 :
そういやアンネ・フランクってアラフォーだっけ?

213 :
ユダ狩りのゲシュタポ、武装SS、更にはSS装甲師団相手に、
アラフォー幻魔拳を駆使し、ばったばったとなぎ倒しオランダを解放する
アンネ・アラフォー・フランクの姿が目に浮かぶ。

214 :
小学3〜4の頃クラスで12人ぐらいでできたグループがあった
もう派閥とかじゃなく多数派。スポーツやってた
ある日横一列(12人でw)になって歩いているそいつらの後ろにいた。
俺の視線に気づいた奴が不快そうな顔で振り向いた。
そいつの隣にいたリーダーポジションだった奴が何か言った。
そいつら12人がいっせいに石を投げてきて俺の頭にあたった。
ひとりが謝りながら俺の頭を撫でてきた。
俺は泣いた。
親に話がいき相手は謝って終わった。
人間って怖いね。「グループの誰かがやったから」と脊髄反射で行動する前に考えた方がいいよ。

215 :
最後の方で夜中に一階に不審者が入ってきて物色していたのをどうするかで隠れ家の人達がもめた
その時鍋だったか積んでいたのを落としてしまいその物音に驚いた不審者は逃げ出していった
その数日後にゲシュタポが来て捕まる
と言うことで、その不審者が上の階に人が居るのを察知してゲシュタポに連絡した

216 :










217 :
賞金とかもらえたの?

218 :
アンネの日記の真贋が騒動になったら困るってことで
頭がおかしい訳でもない犯人が名前も出ず罪にも問われず
に釈放されたんですよ。
まあ、日記は捏造ですけどね。

219 :
別にあの当時なら、アンネ以外でも潜伏ユダヤ人の中で、毎日日記書いてた人は沢山居たと思う。
しかももっと史料的に信頼できるレベルの。

220 :
 
アウシュビッツ生存者が語る「死の収容所」、解放から70年
AFP=時事 1月26日(月)17時10分配信

【AFP=時事】張り巡らされた鉄条網で感電死した女性の耳をつんざくような悲鳴、ガス室へ送られた子どもたち、
絶え間ない死の恐怖──アウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の生存者たちは、史上最も忌まわしい「死のキャンプ」での生活を驚くほど鮮明に語る。
ドイツの若者、5人に1人が「アウシュビッツって何?」
生存者たちの大半は今や90代に達しているが、何人かは、27日に開催されるアウシュビッツ解放70年の記念式典に出席できる。
現在のポーランド南部にあったナチス・ドイツ(Nazi)最大の絶滅収容所は、1945年1月27日にソビエト連合の赤軍によって解放された。
「感電して死んでいく人の叫び声なんて、想像できないでしょう」。
生存者の1人、ソフィア・ポスムイシ(Zofia Posmysz)さん(91)は、共に捕らわれていた人々が自ら死を選び、収容所を取り囲んでいた電流が流れる鉄条網に身を投げ出していった様子を語った。
アウシュビッツと独北部ラーベンスブリュック(Ravensbruck )の強制収容所で3年間を過ごしたポスムイシさんには、今も当時の記憶が付きまとう。
「鉄条網に引っかかった遺体を幾つも見た。夜になると、バラックから若い女性たちが出てきて、鉄条網に身を投げた。恐ろしい光景だった」
「つんざくような叫び声で目を覚ましたものです」と話すポスムイシさんの左腕には、今も囚人番号「7566」の入れ墨が残っている。
 

221 :
 
■ 囚人が行っていた収容所長の散髪
囚人番号「121」の入れ墨を持つユゼフ・パチンスキ(Jozef Paczynski)さん(95)は、目を閉じれば、アウシュビッツの悪名高い所長、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)のひげそりと散髪の儀式をありありと思い出すという。
パチンスキさんは1940年6月に初めてナチスがアウシュビッツへ送り込んだ囚人700人のうちの1人だった。
収容所へ到着するとまもなく、理髪班に配属された。
「(収容所には)ワルシャワ(Warsaw)から来た理髪師たちが8〜10人ほどいて、ヘスは私のような見習いに命じて自分の髪を切らせた」
「私の手は震えた。しかし、命令は命令だ。仕事をしなければならなかった」と、パチンスキさんはAFPに語った。
「カット方法は簡単だった。一般的なドイツ風の髪型だ。かみそりで首筋をそらなければいけなかったし、もみあげにはバリカンを使った。私はいい道具を持っていた。同僚がいつも刃を研いでおいてくれた」
かみそりをヘスの喉へ突きつけようと思ったことはなかったのか、という質問をパチンスキさんは何度も浴びるという。
「結果は分かっていたし、私は狂ってはいなかった。もし私が彼の喉を切り裂けば、すぐさま収容所の囚人の半分が処刑されただろう」
 

222 :
         
■「集団で歩くときは常に真ん中に」
ポスムイシさんもパチンスキさんも、19歳で収容所へ送られた。2人が生還できたのは、まだ若く、そして収容所で生き延びる方法を素早く学んだからだった。
「生き延びる方法を覚えた。集団で歩くときには、最前列や両端にならないよう気を付けるのが肝心だった。
常に集団の真ん中の方にいるようにして、犬や看守、囚人を殴って来るカポ(監視役の囚人)たちから離れていなければならない」
「何としてでも、懲罰を受けるような目に遭わないようにすることが基本だった」(ポスムイシさん)
囚人番号「118」のカジミエシュ・アルビン(Kazimierz Albin)さん(92)が生き延びることができたのは、1942年2月27日に他の囚人6人とともに脱走したからだ。
「星のきれいな夜で、外気温は零下8〜10度だった」と追想する。「みんなで服を脱いで、ソラ(Sola)川を半分ほど渡ったところでサイレンが聞こえた。私たちの周りには氷が浮いていた」。
逃げ切ったアルビンさんは、ポーランドのレジスタンスに合流した。
脱出した例は、まれだ。収容所跡地にあるアウシュビッツ・ビルケナウ博物館(Auschwitz-Birkenau Museum)によれば、アウシュビッツへ送られた約130万人のうち、脱出を試みたのは女性45人を含む802人だけで、成功したのはわずか144人。
327人が捕まり、残る331人の運命は分からない。
「あの殺人者たちを忘れたり、許したりすることができるだろうか。真っすぐガス室へ送られた女性や子どもたちのことを忘れることなど、絶対にできない」。
こう述べたパチンスキさんは、だが、次のように付け加えた。「終わりのない戦争を続けたって、死者は帰ってこない──和解がなされ、平和があり、境界が消えたことを嬉しく思う」 【翻訳編集】 AFPBB News

ポーランドのクラコフで取材を受ける、ナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所から生還したユゼフ・パチンスキさんが見せる左腕に刻まれた囚人番号の入れ墨(2015年1月5日撮影)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150126-00000057-jij_afp-int.view-000
       

223 :
     
93歳の元ナチス親衛隊員を起訴、30万超の殺人共犯で
http://www.afpbb.com/articles/-/3026045?utm_source=yahoo&utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_Mon_r1

〔写真特集〕アウシュビッツの記憶
http://www.jiji.com/jc/d4?p=asw024&d=d4_oldnews
〔写真特集〕ワルシャワ・ゲットー〜1943年4月蜂起〜
http://www.jiji.com/jc/d4?p=wsg420&d=d4_mili
     

224 :
        
アウシュビッツ収容所解放70年 繰り返さぬ…誓い胸に
産経新聞 1月28日(水)7時55分配信
【クラクフ(ポーランド南部)=宮下日出男】ナチス・ドイツによる第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を象徴するアウシュビッツ強制収容所の解放から、27日で70年を迎えた。
ポーランド南部オシフィエンチムの収容所跡地では関係各国の首脳や生存者らが出席して記念式典が開かれ、犠牲者を追悼し、悲惨な歴史を二度と繰り返さないことを誓った。
アウシュビッツ収容所は大戦末期の1945年1月27日、旧ソ連軍が発見し、残されていた約7千人を救出した。
今では当時を直接知る生存者の多くが80〜90代と高齢化し、記憶の継承が課題となっている。
式典に参加する生存者も解放60年時の約1500人から約300人に減少し、今回は多くの生存者が集まる「最後の機会」ともされている。
このため式典では生存者の証言に耳を傾けることを重視し、代表3人が演説で再発防止を訴えた。
式典にはドイツのガウク大統領やフランスのオランド大統領ら約40カ国の首脳らが参加。
ガウク氏はこれに先立つ独連邦議会での演説で「アウシュビッツなしにドイツ人のアイデンティティーはない」と訴えた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150128-00000093-san-eurp
     

225 :
          
(朝鮮日報日本語版) 独首相「ナチス虐殺の記憶はドイツ人の永遠の責任」
朝鮮日報日本語版 1月28日(水)9時38分配信

「アウシュビッツ強制収容所」の解放70周年を翌日に控えた26日、ドイツのメルケル首相は「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を記憶することはドイツ人の永遠の責任」と述べた。
アウシュビッツ収容所はナチス・ドイツが第二次世界大戦中にユダヤ人約100万人を殺害した場所だ。
ここに収容されたユダヤ人たちは1945年1月27日、ソ連軍により解放された。
メルケル首相は同日、独ベルリンで行われたアウシュビッツ開放70周年記念式典で「アウシュヴィッツは人間が人間にどれだけ残酷なことができるかを示す警告だ。
これはきょうのような記念日だけでなく、常に我々が頭を痛めなければならない課題だ」と言った。
そして、「収容所の生存者たちの証言のおかげで、私たちは過去を記憶できる」と、生存者に対し感謝の言葉を述べた。
記念式典に参加した若者たちにも「私たちは歴史を学ぶことで洞察力を得ることができ、社会的価値を脅かす勢力を見分けることができる」と語った。
そうした一方で、最近ドイツで目立つ反ユダヤ主義の動きに対し懸念も示した。
メルケル首相は「ユダヤ人たちが理由もなく攻撃されるのはドイツの恥。反ユダヤ主義と人種主義から自由・民主主義・法治などの価値を守るには、関心と努力を続けることが必要だ」と訴えた。
ホロコーストの生存者約300人りとフランソワ・オランド仏大統領、ヨアヒム・ガウク独大統領など各国首脳は27日、アウシュビッツ収容所で行われる追悼式に出席する。
     

226 :
           
生還者語る…“アウシュビッツ”解放70年
日本テレビ系(NNN) 1月27日(火)22時14分配信
70年前の27日、現在のポーランドにあったアウシュビッツ強制収容所が連合軍の手で解放された。
ナチス・ドイツによって600万人もの人が殺害されたといわれる「ユダヤ人大虐殺」を象徴する場所。
当時の様子を知る人々が高齢化する中、「人類史上最悪」の虐殺の記憶をどう語り継ぐのか。収容所から生還した男性に話を聞いた。
ポーランド南部にあるアウシュビッツ強制収容所では23日、解放から70年を記念した追悼式典の準備が進められていた。
ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の象徴であるアウシュビッツ。第二次世界大戦当時、ユダヤ人や捕虜などがヨーロッパ全土から100万人以上、送り込まれた。
アウシュビッツは、現在は国立の博物館として保存されている。
第一収容所のゲートには、「働けば自由になれる」との文字が。しかし、連れてこられた人のほとんどがここで命を奪われた。
薄暗い窓のない部屋。シャワー室にみせかけ、天井から毒ガスを投入し、一度に多くの収容者を殺害するために造られた。
ガイド「彼らは全員が確実に死ぬまで30分は待ちました。ガス室の扉が開いた時、生存していた人は銃殺されました」
収容者の生活スペースだったバラック群には、当時の資料が展示されている。毒ガスの原料の缶の他、遺体から奪ったカバンやメガネ、兵士の制服などに使うために刈り取られた髪の毛など。
さらには、山積みになった子ども用の靴も。子どもたちは労働力にならないと判断され、到着後すぐにガス室に送られたり、人体実験の実験台などにされたりしたという。
アウシュビッツでは110万人が殺害されたともいわれている。
     

227 :
   
ポーランド・ワルシャワで、当時を知るステファン・ソトさん(84)に話を聞くことができた。
13歳の時、突然自宅にドイツ軍がやってきたという。
ソトさん「(ドイツ軍は)ワルシャワ西駅へと我々をせき立てました。何の説明もありませんでした」
「政治犯」のぬれぎぬを着せられ、ユダヤ人ではないソトさんも母親らと共にアウシュビッツへ送られ、約5か月間過ごした。
ソトさん「殺りくは毎日行われていました。囚人たちは毎日ベッドに入る時、そして起床した時、命があることを神に感謝していました」
あの忌まわしい記憶から70年。ソトさんは、アウシュビッツに向かった。
貨物列車で連れてこられたというソトさんは、暗く不衛生な宿舎で、棚のようなベッドに押し込められ、食事も満足に与えられず、重労働を強いられたという。
ソトさん「(他の収容者が)『君たちが自由になるのは、あそこ(焼却炉)の煙突を通ってからだ』と。生きてここから出られるとは思っていませんでした」「食事なんて言えない、最低なものでした。家畜の豚の方がましなものを食べていたでしょう」
何とか生き残り終戦を迎えたソトさんは今、ある使命を感じている。
ソトさん「歴史は歴史です。私たちが伝えなければ、誰が伝えられるのでしょうか」
語り継がれるアウシュビッツの記憶−。しかし、当時、生き残った人も年々減少している。
そこで、アウシュビッツでは歴史を風化させぬよう取り組んでいる。英語、ロシア語、日本語など19の言語に対応できるよう外国人ガイドを起用している。
また、修学旅行なども積極的に受け入れ、若い世代の教育にも力を入れている。
追悼式典の3日前、当時、“加害者”だったドイツから、アウシュビッツに50人余りの学生たちがやってきた。
見学が始まると学生らの表情は一変した。彼らの祖父母の世代にこの悲劇は起きたのだ。
学生「実際の現場に来ると、すごく胸が痛みます」「戦後世代として、この記憶を継承し、議論していくことが私たちの責任だと思う」
悲劇の記憶を未来へと語り継いでいく取り組みが続いている。.

最終更新:1月27日(火)22時14分

228 :
     
アウシュビッツ強制収容所 解放から70年
日本テレビ系(NNN) 1月28日(水)7時30分配信
第2次大戦中、ナチスドイツが110万もの人を虐殺したといわれるポーランド・オシフィエンチムのアウシュビッツ強制収容所が27日、解放から70年を迎え、生存者などが出席して追悼式典が行われた。
式典は収容所の正門の前で行われ、加害国ドイツの大統領など49か国の首脳や要人のほか、生き残った元収容者およそ300人が出席した。
元収容者の代表は「私たちの過去と同じことを子どもたちの未来に起こしてはならない」と訴えた。
「死の壁」は反抗した収容者が射殺された場所で、解放後、初めて訪れたという生存者もいた。
元収容者「言葉にならない。当時の私と今の私は別人のように感じる」
高齢化が進み、今回の式典は「生存者が一堂に会する最後の機会」とも言われている。記憶を語り継ぐことが課題となっている。
最終更新:1月28日(水)7時30分
     

229 :
   
アウシュビッツ強制収容所解放から70年の追悼式典
TBS系(JNN) 1月28日(水)10時11分配信
第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺を象徴するアウシュビッツ強制収容所が解放されてから、ちょうど70年となる27日、現地ポーランドで追悼式典が開かれました。
今年はアウシュビッツ強制収容所が解放されてから70年の節目ということもあり、27日の追悼式典には、世界各地から元収容者およそ300人が集まりました。
当時、高齢者に加え、女性や子供が容赦なくガス室に送られ、犠牲者はアウシュビッツだけで110万人を超えました。
収容所が1945年に解放された時、残っていた収容者はわずか7500人だったといいます。
「子どもたちの未来が、私たちの過去のようであって欲しくありません」(元収容者)
こうした生存者のうち、現在何人が生きているのかはっきりしたデータはありません。
しかし、ほとんどの人はすでに80歳を超えていて、10年前の追悼式典の時と比べて参加者は5分の1に激減。 貴重な歴史の語り部は減る一方です。(28日10:50)
最終更新:1月28日(水)12時36分
   

230 :
   
アウシュビッツ解放70年、年老いた生還者「永遠に忘れない」
AFP=時事 1月28日(水)9時55分配信
【AFP=時事】第2次世界大戦(World War II)中ナチス・ドイツ(Nazi)がユダヤ人を大量虐殺し、「死のキャンプ」と呼ばれたアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所が解放されて27日で70年を迎えた。
ポーランド南部オシフィエンチム(Oswiecim)にある収容所跡では同日、追悼式典が開かれ、出席した高齢の生還者らが史上最悪の残虐行為の一つを決して忘れてはならないと訴えた。
雪に覆われ冷たく荒廃した収容所跡で行われた式典には各国首脳に並び、今やその多くが80〜90歳台になった生還者約300人も出席した。収容者の服と同じ青と白のしま模様のスカーフを着用して式典に臨んだ人もいた。
フランスやドイツをはじめ、欧州各地で反ユダヤ主義の再燃が懸念されている中での開催となった。
「われわれの過去を、子どもたちの未来にしたくはない」と訴えたのは、生還者の一人、ロマン・ケント(Roman Kent)さん(86)。
「アウシュビッツの入り口で目にした残虐行為だけで(当時のことを)永遠に記憶するには十分だ。辺りに充満した焼け焦げる人肉の臭いをどうやったら忘れられるというのか」と、ケントさんは抑えきれない感情に声を震わせた。
日が落ちると各国首脳や生還者らは、収容所の周囲に張り巡らされた鉄条網の影が落ちる手すりに沿って歩き、花輪やろうそくなどを手向けた。
ドイツのヨアヒム・ガウク(Joachim Gauck)大統領、フランスのフランソワ・オランド(Francois Hollande)大統領、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ(Petro Poroshenko)大統領ら各国首脳が出席したが、
ロシア、米国、イスラエルは首脳ではない代表者を出席させるにとどめた。
この日は、アウシュビッツの所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)の孫、ライネル・ヘス(Rainer Hoess)さんも式典に姿を見せた。
「私は自分の父も祖父も許すことができない。私は全く違っている」と語ったライネルさんは報道陣に対し、反ユダヤ主義との闘いに力を尽くすと誓った。【翻訳編集】 AFPBB News
   

231 :
アンネとその家族が全員アウシュヴィッツに送られて殺されていないのはなぜか。
これこそがアウシュヴィッツが絶滅収容所ではなかった証拠。単なる労働収容所の可能性大。そもそもドイツ軍側に考えて少しでも戦争経済に奉仕する奴隷労働力が欲しいときに囚人を無駄にRなんてつじつま合わない。
俺が思うに戦争末期のドイツ軍の後退で前線の収容所が閉鎖されたことで、そこに収容されていたユダヤ人たちが後方の収容所に送られて、各収容所が過密状態となり、それでチフスと飢餓が蔓延して大量のユダヤ人がばたばた死亡。
で、収容所を解放した連合軍は「およ?収容所の中は死体だらけじゃん。ぴんぽーん。ナチスがユダヤ人絶滅政策を行っていたということにすれば俺たち正義の味方面できるじゃん」
でチフスや餓えで死んだユダヤ人が絶滅政策の被害者という風に宣伝された。これだとすべてのつじつまが合う。

232 :
   

日独枢軸・松岡洋右外相の訪独を大歓迎するベルリン市民(Japan-Deutschland)
https://www.youtube.com/watch?v=cVw5I-6j-zI


松岡洋右「日本精神に目覚めよ」
https://www.youtube.com/watch?v=HKwvkvXWKtk

松岡洋右 ジュネーブ決別の際のメッセージ
https://www.youtube.com/watch?v=KIJAT6dJVIE

歴史的音源 / 日独伊三国同盟締結を終えて帰国した松岡洋右外相
https://www.youtube.com/watch?v=KepLPPUh3H0


日独枢軸・時の人は語る(スターマー特派公使、大島駐独大使)
https://www.youtube.com/watch?v=6Iqb-UM-tkQ
   

233 :
  
  

234 :
オットーは元ドイツ軍の将校

235 :
小学生の頃に見たミュージカルでは夜に隠れ家部分の下にあるオフィスに忍び込んだ泥棒が後にナチスに密告した設定になっていた

236 :
倉庫番か管理人夫妻だろうね、多分
ペーター少年が5月4日まで生きていたとは
知らなかった
すっかり衰弱していただろうから
解放直後に没したかもしれないが
それにしても残念

237 :
家の構造を見てみたら2階のオフィスより上の部分に何かがあると疑問に思わなかったのだろうか?

238 :
アムスに生還したオットーさんが近所の人たちから
聞いたところによれば少なからぬ人が気づいていたそうな

239 :
隠れ家がある裏側は森か林に面していたのかな?

240 :
6階まで作って3階は隠れる前にあらかじめ買い貯めした保存食や洗剤石鹸の物置にして出来る限り立ち入らないようにして
4階は史実の3階と5階は史実の4階と6階は史実の5階とほとんど同じような構造にすべきだった
そうすれば音でバレにくくなった

241 :
【ゲスウヨ】  ハイ、予告通り、欧米から経済崩壊、最後のトドメは、バカウヨの望む中国からの・・・ではなく、日本からの株式大暴落www(笑)  【カスウヨ】



マイト レーヤの出現のタイミング

近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。崩壊によって生じる現実感覚が、マイト レーヤが待っておられる要素の一つです。


最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。


日本国民はどう対処すればいいのか。

新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。(安倍ちゃんサヨナラ笑)

242 :
牧師に懺悔してどうしたらよいか尋ねた男がいた。彼はすすり泣きながら言った。

男 「懺悔することがあります。第二次世界大戦の最中、私はユダヤ人を天井裏に匿ったのです。」
牧師「それは、罪とは言えませんよ。」
男 「だけど、彼に家賃を払わせたのです。」
牧師「それはさすがによろしく無いことだ。しかし君自身もリスクを背負ったのだ。」
男 「本当にそう思いますか?ああ、牧師様、ありがとうございます。あなたがそう言ってくれた事で
   どれだけ私の良心が救われたことか。しかしながら、もう一つだけ質問があります。」
牧師「それはなんでしょうか?」

男 「彼に戦争が終わったことを教えてあげなくちゃだめでしょうか?」

243 :
保守

244 :
アンネフランクの日記は矛盾が多すぎてすべてが捏造じゃないにしても後日オヤジが加筆したのは明白だが
尿道オナニーの部分だけは真筆と信じたい

245 :
アンネよりも姉の方が好き

246 :
アンネの日記は当時全く普及してなかったボールペンで書かれてるってみんな知ってた?

247 :
アンネの日記は捏造ウヨ

248 :
アンネの性格どうよ

249 :
>>248
自立心が強い一方で甘えたがり
思春期にはこういう二面性はよくある

250 :
>>244
加筆よりも削除が多数
同居者ら関係者の悪口や性に関わる記述が多すぎたから

251 :
>>19アンネフランクってかなりの中二病で痛いやつって感じだった

亀レスだが同意。それゆえ俺のばあいは黒い意味で共感しすぎて、最初の
数ページで挫折した。言い換えれば、ねつ造ってのはありえんわ


>>250
2chのよその書きこみによれば、ベルギー王への忠誠だの、黒人などの異人種
には、当時の白人らしいナチュラルな差別意識も吐露していたと書いていたが
本当だろうか? ちょっとその個所は読んでみたい

252 :
>>251
思春期だから許してあげて

253 :
厨臭い日記を後年見返して黒歴史に身悶えするどころか焼却する機会が永遠に失われ、さらに翻訳までされて世界中に未来永劫晒され続けるとか罰ゲームすぎ

254 :
>>253
アンネ自身が出版しようと考えてたし

255 :
アンネ逮捕、密告でなく偶然か=博物館が新説紹介−オランダ
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121700249&g=int

256 :
保守

257 :
   
アンネ逮捕、密告でなく偶然か=博物館が新説紹介−オランダ

【ハーグAFP=時事】オランダの首都アムステルダムにある、アンネ・フランク財団が運営する博物館「アンネ・フランクの家」が、1944年8月のフランク一家逮捕のきっかけについて、
従来言われてきた密告ではなく「偶然だったのではないか」と推理する新説を紹介している。
17日付の声明で明らかにした。

声明は「最近の研究は従来と違う視点を提供しており、偽造配給券の家宅捜索中だったナチス親衛隊情報部(SD)が偶然、アンネたちを見つけた可能性がある」と紹介。
「裏切りがあったという定説に反論するわけではないが、別の説も考察されていい」と述べている。
「誰がアンネたちを裏切ったのか突き止められていない」と定説の弱点も指摘した。
 アムステルダムのアンネたちの隠れ家では44年4月、配給券偽造で2人が逮捕されている。
これが8月の家宅捜索につながった可能性がある。
アンネは逮捕から1年もたたず、ドイツ北部のベルゲン・ベルゼン強制収容所で死亡した。(2016/12/17-22:47)

258 :
ワンワン🐶

259 :
レナ・ハル○ホかも

260 :
「密告者は女だった」っていうレスもあるようだけど、
ソースはあるの?
あるんだったら、ぜひとも教えてもらいたい。

261 :
  
1948年、オランダの警察は、《隠れ家》の友人たちが密告され、逮捕された件につき、調査を行った。
警察の記録によれば、確かに誰かが私たちの友人を密告したことになっていた。
ただし、残された記録には、名前はいっさい記載されていず、
ただある人物がユダヤ人ひとりにつき、7・5ギルダーの報奨金を受け取ったことが記されているのみだった。
つまり、総額では60ギルダーである。
友人たちが密告されたのに違いないということは、私たちも確信した。 (後略)

         ミープ・ヒース著 「思いでのアンネ・フランク」

262 :
ベルゲン・ベルゼン収容所は、女囚が殆んど

263 :
  
密告の容疑者


● ファン・マーレン(倉庫係)

● ランメルト・ハルトホ(ファン・マーレンの助手)

● レナ・ハルトホ(ランメルト・ハルトホの妻・掃除係)

● 隠れ家の近所のオランダ人たち

● 隠れ家の事務所を訪れてフ事務所を訪れてくる客

● 夜中に事務所に押し込んだ泥棒たち
  

264 :
     

アンネ・フランク一家は本当に裏切られたのか? あれから72年、歴史家が新説を発表(オランダ研究)
アンネの一家、偶然見つけられた可能性 新研究
アンネ逮捕、密告でなく偶然か

2016年12月27日


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/17286/1367758646/121
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/17286/1397393066/35
  

265 :
  
アンネフランク逮捕について
http://ikukuru.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-69b9.html

>ゲシュタポは密告を受けて出動していた。
 この密告者が誰かについては今日に至るまで判明していない。
 倉庫係ヴィレム・ファン・マーレン、ランメルト・ハルトホ、もしくはその妻で掃除婦のレナ・ハルトホを疑う説もあるが、真相は不明である。

266 :
「アンネの日記 : 研究版」

オランダ国立戦時資料研究所編 ; 深町眞理子訳
文藝春秋, 1994.12


内容説明・目次

内容説明

完全版はこの本から生まれました。三種類の「日記」の徹底比較と筆蹟鑑定。


目次

第1章 “…出生地、フランクフルト・アム・マイン”
第2章 逮捕と連行
第3章 密告はあったか
第4章 収監と移送
第5章 『隠れ家』の出版と各国語への翻訳
第6章 戯曲『アンネの日記』をめぐる紛糾
第7章 日記の信憑性にたいする攻撃
第8章 アンネ・フランクの日記として知られるテキストの文書調査、ならびに筆跡鑑定報告—その要約
アンネ・フランクの日記

267 :
  

カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972年9月2日)はオーストリア及びドイツの警察官、諜報員。

オーストリアの警官だったが、オーストリア併合後にナチス親衛隊の下士官となった。最終階級は親衛隊曹長(SS-Oberscharführer)。
戦時中にはオランダ・アムステルダムのSD・ユダヤ人課に勤務していた。1944年にプリンセンフラハト263番地に隠れていたアンネ・フランクとその家族らを逮捕したことで知られる。
戦後はオーストリア警察に復職していたが、1963年にサイモン・ヴィーゼンタールの調査によってアンネの逮捕者であることを付きとめられた。
訴訟になるも罪に問われることがなく余命を全うした。



ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレン(Wilhelm Gerardus van Maaren、1895年8月10日 - 1971年11月28日)は、アンネ・フランクとその家族が隠れていたプリンセンフラハト通り263番地のオペクタ商会の倉庫係をしていたオランダ人男性。

戦後、隠れ家の密告者ではないかと疑われた。
  

268 :
真の密告者は、依然として歴史の陰に身を潜ませているのだ。

アンネたちが連行されてゆくところを遠巻きにして見ていたのかもしれない。

269 :
永遠の謎なんだろうが、
警官たちはすべてが分かっているかのように行動していた。

あの隠れ家のみを捜索しに来たってことを考えると、やっぱり密告はあったんじゃないかなぁ。

270 :
ミープというのが定説だろ

271 :
  
(虐殺者)
知ってるつもり?! アドルフ・アイヒマン
https://www.youtube.com/watch?v=caQiDthyDok

272 :
生前にミープは「密告者はレナ・ハルトホです」とアンネの伝記作家に証言している
息子が殺されて失意のどん底にいたレナは、家族そろって潜伏していたフランク一家に嫉妬し逆恨みしていた

273 :
どうせトランプの祖父ということにしてネガキャンやるつもりに100CNNクレジット

274 :
ミープは密告者はファン・マーレンではないと断言している
なぜなら、ファン・マーレンもユダヤ人を自宅に匿っていたから

それと、隠れ家にフランク一家はじめユダヤ人が潜伏していたのは、
近所の住人たちは気づいていたらしい
知っていて、暗黙の了解で黙っていた

おそらくミープの言うとおり密告者はレナ・ハルトホだろうな

275 :
そうか、密告者はレナ・ハルトホだったのか・・・・・

276 :
カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアーにしても、
ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレンにしても、
僕が子供のころまでは生きていたんだな。

277 :
アンネ・フランク
(1929年6月12日 - 1945年3月上旬)

僕の父親より1才年上だ。

278 :
http://this.kiji.is/65080851729876469?c=39546741839462401
アイヒマン書簡を公開
「私は道具」と恩赦要求
2016年1月27日 23時36分

【エルサレム共同】イスラエルは27日、第2次大戦中の
ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の責任者として
1962年にイスラエルで死刑を執行されたアドルフ・アイヒマンが
恩赦を求めた手書きの書簡を公開した。ロイター通信が報じた。

当時のイスラエル大統領に宛てた書簡で日付は死刑の2日前。
自分はホロコーストに責任のある指導者の「単なる道具にすぎない」と主張。
「私は責任ある指導者ではなく有罪と感じていない」として死刑を執行しないよう求めた。

アイヒマンは60年、逃亡先のアルゼンチンで
イスラエルの対外特務機関モサドに捕らえられ62年に絞首刑となった。


http://giwiz-nor.c.yimg.jp/im_siggidqwo7qM5p_XKcm4k2icmg---exp3h/r/iwiz-nor/ch/images/65088119653056520/origin_1.jpg

279 :
作家のメリッサ・ミュラーさんは、アンネの伝記を執筆するために、あらゆる資料を詳しく調べ上げました。
その結果、倉庫係のファン・マーレンは密告者ではないという結論に達したのです。
『アンネの伝記』の著者 メリッサ・ミュラー「資料すべてに目を通した結果、彼が密告者だという証拠は、どこにも見当たりませんでした。
しかもミープ・ヒースは、40年間ずっと、ファン・マーレンは無実だと言い切っています。これに私は関心を持ちました。
1987年に出版されたミープの回想記のなかでも、彼女は、警察はどうかしている。密告者の可能性のある人を放っておいて、ファン・マーレンばかりに注目するのはおかしいと主張しています。
それで私は、密告者の心当たりがあるのかどうか、ミープに尋ねました。
すると彼女は、フランク一家を密告したのは、おそらく、レナ・ハルトホ・ファン・ブラデレンでしょうと答えたんです。」
(以下略)
http://www10.plala.or.jp/elf_/hakenkreuz/4-8.html

280 :
アンネ一家・ゲシュタポ拘置所から通過収容所へ
https://ameblo.jp/hiro-1/entry-11933616465.html

281 :
密告者はレナ・ハルトホで間違いなさそうだな
そもそも倉庫係は最初から雇わないか、秘密を守れそうな信頼できる人物を雇うべきだった

フランク一家たちは、潜伏し始めは物音にも細心の注意を払っていたが
潜伏期間が長くなるにつれて油断し警戒心が緩くなっていったらしい
そして倉庫番たちにも気づかれてしまった

282 :
ファン・マーレンは1948年3月に事情聴取を受けた。彼は密告について否定するとともに、疑念に対して次のように反駁した。
「1943年から1944年にかけてパン屋や牛乳屋、八百屋などがしょっちゅう大量の食糧を届けてくることから
社屋の中でなにか奇妙なことが進行しているという疑いは持っていましたが、
ユダヤ人が匿われているという可能性には一度も思いいたりませんでした」
「私がそんなこと(罠の設置)をしたのはあまりにも頻繁に物が盗まれるうえ、皆が私に疑いの目を向けていたからです。
終業後に誰かが忍び込んでいる、そういう証拠を見せられれば私への疑いは晴れますから」
「(アンネたちの逮捕の前に)私がケフ商会(隣の会社)の社員と、うちの社屋に匿われているユダヤ人のことを話題にしたという話は嘘です。
あのユダヤ人たちが連行された後にはそういう話もしましたが」
「手入れの後でヒース夫人から鍵をもらいましたが、それがSDの命令でなされたとは知りませんでした」
「私がヒース夫人にSDと親しい間柄だからあんたは逮捕される心配をする必要はないなどと言ったというのは、全く事実に反します。
それどころか私は友人の間では筋金入りの反ドイツ主義者として知られていたのです。」

283 :
結局ファン・マーレンの主張を突き崩すほどの具体的証拠はなく、1948年11月、アムステルダムの特別裁判所はファン・マーレンを条件付き免責とした。
条件とは3年間「戦争犯罪人監視局」の保護観察に付すというものだった(またその間は公職に就くことを禁じられ、また選挙権・被選挙権を停止される)。
これは戦争犯罪人への扱いとしては最も軽微な物で、当時何万もの「対独協力者」とされた人々がこの処分を受けていた。
しかしファン・マーレンはこれに憤慨し、ただちに「Kされた罪状は身に覚えがない」として不服申し立てを行った。
そして5日後に治安判事は密告の事実は立証されなかったことを認め、ファン・マーレンを無条件免責とした。彼の疑いは公式にはこれで晴れたはずだった

284 :
ところがその後、『アンネの日記』が爆発的に世界に広がったため、密告者が誰なのか世界中から関心を寄せられた。
また1963年にはサイモン・ヴィーゼンタールの調査によりジルバーバウアーが「アンネを逮捕した者」として突き止められた。
これを機にアムステルダムの国家犯罪調査部は密告の容疑者の捜査に本格的に乗り出した。
世界の目もあり、この時の捜査は1948年の時以上に厳しく徹底した物となった。

警察はまずJ.J.ド・コックという1943年中に2、3か月だけファン・マーレンの下で働いていた男の居場所を探し出し、事情聴取を行った。
ド・コックは自分とファン・マーレンは結託して倉庫から盗みを働いていたと証言した。
ただしド・コックは「ファン・マーレンに関する限り、国家社会主義に関心があるどころか、占領軍に取り入ろうとする形跡さえ見られませんでした」
と証言している

285 :
ファン・マーレン自身は1964年11月に警察から事情聴取を受けた。その中で彼は倉庫から盗みを働いた事実は認めた。
また食料を運びこんだり、倉庫に見慣れない足跡があることについてクーフレルを問いただした時、彼のはぐらかすような態度から
疑念を抱いていたことも事実と認めた。クーフレルの証言にある青いペンキを剥ぎ取って云々という話は否認したが、
主屋の後ろに家があることは雨漏りの修理で屋根に登った時に気付いたことを認めた。
しかしそこにユダヤ人が匿われているのを知っていたことについては否認し、したがって密告したのは自分ではないと主張した。
また事務所の鍵はミープから渡された物でジルバーバウアーから管理者に任じられたという話は否認した。
また自分はレジスタンス組織のリーダーと友人関係にあったことを証言した。

286 :
レジスタンス組織のリーダーと親しかった件は当のレジスタンス組織のメンバーから証言が取れた。
そのレジスタンスたちはファン・マーレンが金に意地汚い男だったことは認めたが、
彼がアンネの事をドイツ軍に密告をするなど到底考えられないと証言した。
一方、別の人間から彼がドイツ国防軍に購買代理人として雇われていたという証言も出てきた
(ファン・マーレンはこれを否認している)。

いずれにしてもファン・マーレンの主張を突き崩すほどの具体的な証拠は見つからず、
1964年11月4日に捜査は再び打ち切られた。
ファン・マーレンはその後1971年にアムステルダムの自宅で死去した。76歳だった。

287 :
>>286
なぜレナ・ハルトホには、ファンマーレン並の事情聴取が行われなかったんだろう?
オランダ警察は無能としか思えない

288 :
アンネの家族の中で唯一の生き残ったのは父親だけだった。
アンネの逮捕につながったナチへの密告は誰がしたのか? 多くの名前があがっているが、特定はできていない。

カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972 年9月2日)はオーストリア及びドイツの警察官、諜報員。
オーストリアの警官だったが、 オーストリア併合後にナチス親衛隊の下士官となった。最終階級は親衛隊曹長(SS- Oberscharführer)。
戦時中にはオランダ・アムステルダムのSD・ユダヤ人課に勤務し ていた。
1944年にオランダに隠れていた アンネ・フランクとその家族らを拘束した中心人物。
1944年8月4月、ジルバーバウアー の勤めるアムステルダムのSDに何者かから電話があった。
ジルバーバウアーの上司 ユリウス・デットマン(Julius Dettmann)が電話を受けた。
電話の内容はプリンセンフラ ハト263番地にユダヤ人がかくまわれているという密告情報だった。
デットマンはジルバーバウアーを出動させた。

アンネ一家の居所について電話を受けたナチの将校ユリウス・デットマンは、ドイツの降伏後自殺した。
密告電話について彼が知っていたことは、本人と共に永遠に墓の中に葬られてしまった。

https://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52230214.html?_p=6

289 :
密告の電話の声は女性だったという説がある
ということは…

状況証拠から考えて、レナ・ハルトホしかいない

290 :
当時の電話の音質なんて低かったろうから、裏声とか出したら分からないだろ

291 :
>>290
密告電話にわざわざ裏声を使う意味がわからん

292 :
1944年当時、ナチス政権下でユダヤ人狩りの密告は日常茶飯事だった。

フランク一家を通報した密告者は、
まもなくドイツが負けて、
アンネの日記が出版されて、
世界的ベストセラーになったおかげで密告者探しが始まり、
自分が密告したのがバレて逮捕されることを、少しでも予想しただろうか?
そんなリスクも不安も感じてないのに、わざわざ裏声で女性のフリをするだろうか?

普通に考えてあり得ない。

293 :
倉庫係なんか雇わなければ、密告されることもなかった
アンネもマルゴーも生き伸びてたと思うと…

294 :
カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972年9月2日)

ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレン(Wilhelm Gerardus van Maaren、1895年8月10日 - 1971年11月28日)

295 :
レナ・ハルトホは地獄で苦しめばいい

296 :
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

10QF1

297 :
マルゴーの日記も読んでみたかった
アンネと違って人の悪口は書かなそうだけど

298 :
>>93
女流官能作家になっていたかも分らんね
とはいえ。わざわざアンネ自身が読まれたくないと思いなおして前張り・・・
もとい、紙を張ってかくしたエロページまで解読してしまうとは何という死体蹴り

ttp://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1528295387/

299 :
>>93
女流官能作家になっていたかも分らんね
とはいえ。わざわざアンネ自身が読まれたくないと思いなおして前張り・・・
もとい、紙を張ってかくしたエロページまで解読してしまうとは何という死体蹴り

ttp://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1528295387/

300 :
【高プロ制は、人柱″】 臣民は、残業して、朕の、東電株を、支えろでおじゃるニダ < `∀´>
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1528335690/l50

301 :
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

9IO

302 :
>>1
レナ・ハルトホ

303 :
アンネ・フランク一家は本当に裏切られたのか? あれから72年、歴史家が新説を発表(オランダ研究)
2016年12月27日
http://karapaia.com/archives/52230916.html

アンネ・フランク一家は本当に裏切りられたのか? あれから72年、歴史家が新説を発表(オランダ研究)
http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52230916.html

304 :
アンネの一家、偶然見つけられた可能性 新研究
http://news.livedoor.com/article/detail/12432833/

アンネ逮捕、密告でなく偶然か=博物館が新説紹介―オランダ
http://sahara-ch.com/71263/

305 :
あいうえお

306 :
保守

307 :
誰でもいい 所詮は他人だ

308 :
Youtubeにあがっているアニメのアンネの日記を今見てるけど
なかなか良い仕上がりだね。黒柳徹子のペトロネラが似合ってたw

309 :
https://i.imgur.com/U1y6jEB.jpg

310 :
>アンネを密告したのは誰か?拘束の謎解明へ 

>元FBI捜査官チームが調査 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したのは誰か。
>米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが長年の謎の解明に乗り出すことが4日、分かった。
>アンネが拘束されて75年となる2019年8月の調査結果公表を目指す。
>公式サイトによると、調査を主導するのはFBIで麻薬犯罪捜査などを担当していたビンス・パンコーク氏。
>歴史家ら各分野の専門家が加わり、最新のデータ解析技術を駆使して調査を進めるという。  
>アンネの一家は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を進めるナチスから逃れようと占領下のアムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、
>1944年8月に拘束された。ドイツ北部の強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
>密告説については多くの研究が行われてきたが、密告者は謎のまま。
>オランダの博物館「アンネ・フランクの家」は昨年、密告ではなく別件捜査で偶然ナチスに隠れ家が見つかったとの新説を発表した。  
>パンコーク氏は、第2次大戦後、米国に移送された機密文書から新たな情報を得たとしている。(共同)

311 :
>アンネを密告したのは誰か?拘束の謎解明へ 

>元FBI捜査官チームが調査 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したのは誰か。
>米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが長年の謎の解明に乗り出すことが4日、分かった。
>アンネが拘束されて75年となる2019年8月の調査結果公表を目指す。
>公式サイトによると、調査を主導するのはFBIで麻薬犯罪捜査などを担当していたビンス・パンコーク氏。
>歴史家ら各分野の専門家が加わり、最新のデータ解析技術を駆使して調査を進めるという。  
>アンネの一家は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を進めるナチスから逃れようと占領下のアムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、
>1944年8月に拘束された。ドイツ北部の強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
>密告説については多くの研究が行われてきたが、密告者は謎のまま。
>オランダの博物館「アンネ・フランクの家」は昨年、密告ではなく別件捜査で偶然ナチスに隠れ家が見つかったとの新説を発表した。  
>パンコーク氏は、第2次大戦後、米国に移送された機密文書から新たな情報を得たとしている。(共同)

312 :
>アンネを密告したのは誰か?拘束の謎解明へ 

>元FBI捜査官チームが調査 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したのは誰か。
>米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが長年の謎の解明に乗り出すことが4日、分かった。
>アンネが拘束されて75年となる2019年8月の調査結果公表を目指す。
>公式サイトによると、調査を主導するのはFBIで麻薬犯罪捜査などを担当していたビンス・パンコーク氏。
>歴史家ら各分野の専門家が加わり、最新のデータ解析技術を駆使して調査を進めるという。  
>アンネの一家は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を進めるナチスから逃れようと占領下のアムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、
>1944年8月に拘束された。ドイツ北部の強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
>密告説については多くの研究が行われてきたが、密告者は謎のまま。
>オランダの博物館「アンネ・フランクの家」は昨年、密告ではなく別件捜査で偶然ナチスに隠れ家が見つかったとの新説を発表した。  
>パンコーク氏は、第2次大戦後、米国に移送された機密文書から新たな情報を得たとしている。(共同)

313 :
独ソ戦に興味がある

あと、「史上最大の作戦」にも

314 :
保守

315 :
>>312

期待したいなぁ・・・

316 :
保守

317 :
保守

318 :
遅ればせながら、ヨーピーの渾身の手記読みました。
オットーは何故イケズの女を後妻に迎えたのでしょう?
連れ子エヴァもホラ吹きだし、やるせない。
アンネの友達ヅラするのは百歩譲って許すにしても、アンネがエヴァにエヴァの兄を紹介しろと迫ったとドキュメンタリー番組の中で証言したのは許せない。それもお得意の捏造なんだろうけど。

319 :
保守

320 :
保守

321 :
保守

322 :
保守

323 :
なんでこんなことが気になるんだろ。
当時は悪い事ではないだろうし、他にも密告にあった人はたくさんいるだろうに。
フランク一家だけ特別扱いっておかしい。
日記ない人はどうでもいいのかと。

324 :
保守

325 :
アンネは実在した
アンネは悪いユダヤ人のプロパガンダとマネロンに利用されたかわいそうな子どもだと俺は思う

326 :2020/05/02
保守

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