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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6


1 :2016/11/26 〜 最終レス :2019/07/06
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。

2 :
前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5
http://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/uranai/1453976959/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4.1 (Part1の再利用)
http://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/uranai/1341180469/97-356

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/uranai/1341180469/1-96

前スレは、512k容量オーバーで書き込めなくなりましたので、
スレを立て直しました。 (^^;

3 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Westcott's fine explanation of Gematria is reprinted by Aleister Crowley in his
Equinox. (*95)
ウェストコット氏の「ゲマトリア」の素晴らしい説明は、アレイスター・クロウリー氏に
より彼の『春秋分点』の中に転載されている。(*95)
--- ここまで ---

ちなみに、(*95)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
95. Aleister Crowley, "The Temple of Solomon the King," Equinox, v.I, N0. V, 72.
Our example is taken from Crowley's quotation from Westcott's Introduction to
the Study of the Qabalah.
95. アレイスター・クロウリー著、「ソロモン王の神殿」、『春秋分点』第一巻第五号、
72ページ。
我々の例は、ウェストコット氏の『カバラの研究の入門書』からの、クロウリー氏の引用
からである。
--- ここまで ---
とあります。

なんで直接、ウェストコット氏の『Introduction to the Study of the Qabalah/カバラの
研究の入門書』からではなく、わざわざクロウリー氏の(おそらく無断)転載記事からの
引用にしたのかは、いまいち謎ですが、ウェストコット氏の『カバラの研究の入門書』の
「ゲマトリア」の項の当該箇所は、以下のようになっています。

--- ここから --- (William Wynn Westcott, 『An Introduction to the Study of the Kabalah』) ---
The letter Shin, Sh, 300, became an emblem of divinity by corresponding with
Ruach Elohim, RUCh ALHIM, the Spirit of the Living God.
文字「シン、Sh」、300は、「生ける神の霊」である、「ルアク・エロヒム、RUCh ALHIM」
に一致していることにより、神の紋章となる。」
--- ここまで ---

4 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
We repeat here one of his examples which uses the God Name [mem][yod][he][lamed][aleph]
[cheth][vau][resh](Ruach Elohim), meaning the Spirit of Elohim.
我々は、「神(エロヒム)の霊」を意味する、「神名」である[mem][yod][he][lamed][aleph]
[cheth][vau][resh](ルアク エロヒム)を使う、彼の例たちの1つをここに再掲載する。

The numercial value of this phrase is easily derived, as is shown below.
この句の数値は、以下に示されるように、容易に導き出される。

Having found the letters to have a total value of 300, we discover a parallel in
that the letter Shin also has a value of 300.
文字たちが300の全体値を持つことが分かったことで、我々は文字「シン」もまた300の値
を持っているという点で、我々は類似点を発見する。

Shin is the maternal letter of spiritual Fire.
「シン」は、霊的な「火」の母字である。
--- ここまで ---

この「the Spirit of Elohim/神の霊、[mem][yod][he][lamed][aleph] [cheth][vau][resh]」
は、『旧約聖書:創世記』1:2に出ています。

ちなみに、ウェストコット氏の『An Introduction to the Study of the Kabalah/カバラ
の研究の入門書』の「ゲマトリア」の項には、この他にも、「Messiah/メシア(救世主)、
[cheth][shin][yod][mem]」と、『旧約聖書:創世記』49:10で救世主の出現を預言した
「Shiloh shall come/シロが来る、[he][lamed][yod][shin] [aleph][beth][yod]」と、
『旧約聖書:民数記』21:9の「モーセの青銅の蛇」を表す「Nachash/蛇、NChSh/
[shin][cheth][nun]」のどれもが、358の合計値を持つという例が示されています。

まあ、膨大な聖書の文章の中から、たまたま探し当てたような感じで、だから何なの?、
というツッコミを受けそうな感じではありますが、ヒマつぶしには、役に立ちそうです。

5 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
If the 300 is reduced, it becomes 3, the number of Binah, implying a relationship
of both the Ruach Elohim and the potencies symbolized by Shin, to the first
formative Sephira.
もし300が縮小されるならば、それは「ビナー」の数である、3になり、最初の形成的な
「セフィラ」への、「ルアク エロヒム(神の霊)」と、「シン」により象徴される
潜在能力たちの両方の関係を暗示している。
--- ここまで ---

「ルアク エロヒム(神の霊)」と「シン」は、「ゲマトリア」では、どちらも300であり、
関係性があると見なされます。

さらに、この300の、100の位の「3」と10の位の「0」と1の位の「0」を足すと、「ギメル
[gimel]」の「3」になる、のではなくて、ここでは「ビナー」の「3」になるので、
 「ルアク エロヒム(神の霊)」=「シン」=「ビナー」
という論法が成立することになります。
(つまりここでは、「ギメル[gimel]」が「3」であることについては、諸般の事情により、
無かったことにされているわけですよね。)

ちなみに、魔術的な用途ではともかくとして、タロット占いにおいては、「ゲマトリア」
は基本的には使われていません。
なぜなら、「大アルカナ」に割り当てられている「ヘブライ文字」と「数」の体系は、
「ゲマトリア」とは異なっているため、ヘタに占いに取り入れると混乱するからです。

というか、そもそも「タロット占い」のような妄想系と、「ゲマトリア」の数秘術のような
論理系は、実践においては、いまいち相性が良くない、すなわち、言ってることがバラバラ
になってしまうという問題があるので、あまりあれこれと混ぜない方が良いかと思います。
とはいえ、「タロット占い」を論理系の占いとして取り扱っている人(カードの意味を
丸暗記して語るタイプの人)にとっては、さほど大きな問題は無いと思われますので、
まあ人それぞれでいいのかもしれませんけどね。

6 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
[resh] = 200
[vau] = 6
[cheth] = 8

[aleph] = 1
[lamed] = 30
[he] = 5
[yod] = 10
[mem] = 40
――――――
total 300
--- ここまで ---

ここは、「ルアク エロヒム(神の霊)」の各文字の数値と、それらの合計値が300である
ことを示しています。

さて、次のページには、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「First Knowledge
Lecture/第一講義文書」にある「THE HEBREW ALPHABET/ヘブル語アルファベット」の
表と大体同じものが掲載されています。(明日アップの予定です。)

この表において、ヘブライ文字には「最終形」という変化があり、それらに対しては別の
数値が割り当てられますので、「ゲマトリア」においては、実質的には27の文字に対して
27種類の値が割り当てられるということになっていますので、そういう意味においても、
「最終形」の変化に対応することができないタロットの大アルカナの22枚や「生命の木」
とは、いまいち相性が良くないとも言えるわけですよね。

7 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 136) ---
LETTER(Final) NAME EQUIVALENT VALUE MEANING
/文字(最終)  名称  相当(する英文字)  値  意味

[aleph]  ALEPH  A  1  Ox/雄牛
[beth]  BETH  B, V  2  House/家
[gimel]  GIMEL  G, Gh  3  Camel/駱駝
[daleth]  DALETH  D,Dh  4  Door/扉
[he]  HE  H  5  Window/窓
[vau]  VAU  O, U, V  6  Nail or Hook/釘あるいは鈎(かぎ)
[zayin]  ZAYIN  Z  7  Sword or Armor/剣あるいは鎧
[cheth]  HETH  Ch  8  Fence, Enclosure/柵、囲い
[teth]  TETH  Т  9  Snake/蛇
[yod]  YOD  I, Y  10  Hand/手
[kaph] ([kaph])  KAPH  K, Kh  20,500  Fist/手首
[lamed]  LAMED  L  30  Ox Goad/牛追い棒
[mem] ([mem])  MEM  M  40,600  Water/水
[nun] ([nun])  NUN  N  50,700  Fish/魚
[samekh]  SAMEKH  S  60  Prop/支柱
[ayin]  AYIN  Aa, Ngh  70  Eye/目
[pe] ([pe])  PE  P, Ph  80,800  Mouth/口
[tzaddi] ([tzaddi])  TZADDI  Tz  90,900  Fish-hook/釣り針
[qoph]  QOPH  Q  100  Ear, back of head/耳、後頭部
[resh]  RESH  R  200  Head/頭
[shin]  SHIN  S, Sh  300  Tooth/歯
[tau]  TAU  T, Th  400  Cross/十字
――――――――――――――――――――――――
THE HEBREW ALPHABET/ヘブライ語アルファベット
--- ここまで ---

8 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 136) ---
Through Gematria a "total" energy is considered as the sum of its parts.
「ゲマトリア」を通じて、「全体」の精力は、その部分たちの総合計として考慮される。

The same approach can be taken graphically, by using the Tarot to spell God Names.
同様の取り組み方は、「神名たち」を綴るために「タロット」を使うことにより、図式的に
受け止められることができる。
--- ここまで ---

「ゲマトリア」の手法は、単純に、文章中にある「単語」を構成している文字の値を足し
合わせていき、その合計値を「単語」の数値として、それをネタに、あれこれと詮索して
いくというのが、一般的な方法です。

まあ、こういう文字をコード化して、一定の法則で演算を行うという手法は、昔から暗号化
としても使われた手法でもありますので、とある有名な神秘的文書が、ひょっとしたら
何かの暗号文書ではないかと思って、隠された暗号解読を試みる人も出てくるわけですよね。

それはそれで、何となく理屈っぽいものは付くのですが、そういう「わけわからないもの」
に対して、それとはまた全く異なる体系を持つ「タロット」を当てはめるというのは、どう
考えてもミスマッチというか、「さらにわけわからないもの」となってしまいそうです。

「ゲマトリア」の「数式的」なものと、「タロット」の「図式的」なもの、というのは、
そう簡単にはマッチングしませんし、そもそも「タロット」には固有の数値体系があります
ので、そこでも「ゲマトリア」の体系とはマッチしません。
要するに、カオスな世界に陥ることは必至ですので、そういうカオスがお望みの人以外は、
あまり近づかないのが無難かと思います。

9 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 136) ---
Ruach Elohim, for example, is composed of the energies symbolized by the following:
たとえば、「ルアク エロヒム(神の霊)」は、以下のような象徴される精力たちから構成
される:

[resh] THE SUN/太陽
[vau] THE HIEROPHANT/法王
[cheth] THE CHARIOT/戦車

[aleph] THE FOOL/愚者
[lamed] JUSTICE/正義
[he] THE EMPEROR/皇帝
[yod] THE HERMIT/隠者
[mem] THE HANGED MAN/吊られた男
--- ここまで ---

たとえば、と言われましても、これをどうしろと。(^^;;

なんか、究極の投げっぱなしのオチになっていますが、大アルカナのカードを「図式的」
に8枚並べてみたところで、「神の霊」ランクのカードを、特殊召喚できるというわけでも
なさそうですし、マジックカードとして発動できるということでもなさそうですし。

とりあえず、スプレッドした時、場に「太陽、法王、戦車」もしくは「愚者、正義、皇帝、
隠者、吊られた男」が出ている時は、何となくラッキーとか、さらに、場に「太陽、法王、
戦車、愚者、正義、皇帝、隠者、吊られた男」が全て出ている時は超ラッキーとかいう
ような、オレ知ってる的な、自己満足程度の使い方ぐらいしか、思い付かないです。

というわけで、皆さんも、カードを使った遊び方を、色々と考えてみてください。(^^;;

10 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
SETS OF PATHS
小径たちの組たち
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「小径たちの組たち」です。
ここしばらく、「タロット」や「生命の木」とは、少々縁が薄い話が続いていましたが、
ここからは、また本来の話題(意味深)に戻ります。
というか、「宇宙の立方体」とか「数秘術」というのは、いまいちノリが悪いというか、
そそられる部分に欠けるというか、ネタになりにくいんですよね。

さて、「生命の木」においては、「セフィロト」が「左右の対になるもの」とか「○○の
三角形」とか「○○の柱」というように、色々なカップリングを創ることで、お互いの
関係を深く理解(意味深)することが出来ていましたが、それと同じような方法で、
「小径」たちの色々な組み合わせを考えることで、より深く語る(意味深)ことが出来る
ようになります。

さらに言うと、シンプルなデザインの「セフィロト」とは違って、我々の「小径」たち
には、「大アルカナ」の「擬人化された二次元象徴画」という燃料が投入されています
ので、初心者であっても、さらに深い妄想が捗るということにもなるわけですよね。

まあ、深い意味を考えなければ、「セフィロト」の「小アルカナ」で(*´д`)ハァハァ
するよりは、「小径」たちの「大アルカナ」を使って(*´Д`*)/ヽァ/ヽァ する方が、
初心者にとっては、より実用的(意味深)というか、より面白いわけです。

実際のところ、「タロット」の人気は、そういうところに負うものが大きいわけであり、
それはそれで否定できないものでもあるわけですが、できればその先にあるものも、
ついでに見ていってほしいな〜、とも思っているわけなのでした。

11 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Another way to consider the Keys is in terms of equilibrium and opposites (Figure 25).
「鍵(大アルカナ)たち」を考慮するための、もう一つの方法は、「平衡と反対のものたち」
に関してである(図25)。
--- ここまで ---

ついでに、図25の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Figure 25. Cards considered as opposites
図25。 反対のものたちとして考慮されるカードたち
--- ここまで ---

この図25には、「生命の木」の「小径」において、左右対称の位置にある「大アルカナ」の
カップリングが、以下のように図示されています。

・「MAGICIAN/魔術師」 − 「FOOL/愚者」
・「CHARIOT/戦車」 − 「HIEROPHANT/法王」
・「LOVERS/恋人たち」 − 「EMPEROR/皇帝」
・「JUSTICE/正義」 − 「HERMIT/隠者」
・「HANGED MAN/吊られた男」 − 「WHEEL OF FORTUNE/運命の輪」
・「DEVIL/悪魔」 − 「DEATH/死」
・「SUN/太陽」 − 「STAR/星」
・「JUDGEMENT/審判」 − 「MOON/月」

これって、なかなか興味深いというか、そそられる組み合わせですよね。
どちらが「攻め」で、どちらが「受け」とかを考慮する(意味深)のもいいですし、
お約束通り、左が「攻め」で右を「受け」として、さらにその詳細なシチュエーションを
考慮する(意味深)のも、なかなか楽しいのではないかと思うのでした。

12 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Here THE FOOL is viewed as the opposite of THE MAGICIAN, or THE CHARIOT the opposite
of THE HIEROPHANT on the basis of their position on the Tree of Life.
ここでは、「生命の木」の上での、それらの位置に基づいて、「愚者」は「魔術師」の
反対のものと、あるいは「戦車」は「法王」の反対のものと、見なされる。

It is important to note that position is the consideration here, since some
authorities establish card opposites in other ways.
何人かの権威者たちが、他の方法たちでカードの反対のものたちを制定しているので、
ここでは、位置が考慮事項であることに、注意することが重要である。
--- ここまで ---

「大アルカナ」には、「(反)対になるもの」を定義する理論は、公式には存在しません
ので、「authorities/権威者たち」と呼ばれる人たちは、それぞれ勝手に自分の好きな
理屈をデッチ上げて、それぞれのカップリングを楽しむことができます。

そして、ここでは、「生命の木」における位置関係が「左右対象」になっているものを、
とりあえずカップリングの対象としてみようという、ちょっと硬派な方法が紹介されて
いるわけですよね。

とはいえ、何度も繰り返し言いますが、「生命の木」と「大アルカナ」の対応関係には
諸説あって、ここでは「ゴールデン・ドーンの体系」に基づいていることを、忘れない
ようにしましょう。

結局のところ、こういう「(反)対のもの」というのは、一通りの方法ではなく、結構自由に
組み合わせを考えることが出来るということです。
つまり、ここで紹介されている理論が絶対ということでもないし、他のカプ厨、いやいや
「権威者たち」と呼ばれる人たちは、それぞれの趣味、いやいや理論体系で、それぞれの
カップリングを楽しんでいるということだけは、しっかりと理解しておいてください。

13 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Beyond Gematria as a means for examining the Tree's internal workings, one begins
to look for Paths that are related in special ways.
「木」の内部の働きたちを調査するための方法たちとしての「ゲマトリア」を越えて、
それは、特別な方法たちで関連する「小径たち」を捜しはじめる。

In this regard, we have already suggested that certain sets of (three) Paths define
aspects of the Self, i.e., the Supreme Spiritual Self, the Higher Self and the
Personality.
この点について、我々は既に、(3つの)「小径たち」の一定の組たちが、「自我」の様相
たち、すなわち、「究極の霊的自我」、「高次の自我」、および「人格」を定義することを
提案したところである。
--- ここまで ---

この「sets of (three) Paths/(3つの)「小径たち」の組たち」というのは、
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
のことを表しています。

今までは、この「三角形」については、「セフィロト」の「三つ組」について考察して
いましたが、この章からは、「小径たち」についても、考慮することになるわけです。
・「至高の三角形」:小径11,12,14:「0:愚者」「1:魔術師」「3:女帝」
・「倫理的三角形」:小径19,20,22:「8:力」「9:隠者」「11:正義」
・「星幽的三角形」:小径27,28,30:「16:塔」「17:星」「19:太陽」

ちなみに、「セフィロト」の「三角形」の関係よりも、「小径」の三角関係の方が、
より高次の存在であるため、ちょっとだけ解釈が難しくなってきます。
でもまあ、「三角関係」というのは、どの次元においても、複雑怪奇であって、そう簡単
には解けないシロモノであることは確かなんですけどね。

14 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Other sets of Paths are more obvious, such as those of the Flaming Sword (Figure 20),
where each card is important to the process of emanation of the Universe.
「小径たち」の他の組たちは、各々のカードが「宇宙」の流出の過程において重要である所
である、「炎の剣」(図20)のそれらなどにより、より明らかである。
--- ここまで ---

「炎の剣の小径」は、「1:ケテル」から始まり、「10:マルクト」で終わる「セフィロト」
を、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10の順に連結する「小径」の組で表されており、それは「宇宙の
流出の過程」の本流を表すと考えられています。

とはいえ、「生命の木」の図においては、「1:ケテル」から始まり、「10:マルクト」で
終わる「宇宙の流出の過程」は一通りではなく、色々な脇道が存在しています。
主なものとして、「ケテル」から「中央の柱」を通り「マルクト」に至る「中央ルート」、
「ケテル」から「慈悲の柱」を通り「マルクト」に至る「慈悲ルート」、そして「ケテル」
から「峻厳の柱」を通り「マルクト」に至る「峻厳ルート」があります。

要するに、「宇宙の流出の過程」においては、上から下への一方通行の流れというルールに
従ってさえさえすれば、どんなルートを通っても良いわけですので、これら以外の色々な
流出ルートについて考察してみるのも楽しいのではないかと思います。

ちなみに、占いにおいては、こういう「上から下へのエネルギーを導く大アルカナ(小径)
の組み合わせ」が生じている場合は、その場は大きなパワーを持つ、という解釈が可能と
なるのですが、お客さんは「生命の木」の理論を知らないわけですので、いまいち説得力
に欠けるというか、エンターテインメント的には役に立たないネタであると言わざるを
得ないわけなんですよね。

つまり、「生命の木」の理論には、今のところは自己満足以上のものを求めてはならない、
ということなのですが、逆に言うと、自己完結できる自己満足的な利用法であれば、それ
なりに使えますので、皆さんも色々と考えて、自分のためだけに使ってみてください。

15 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 138) ---
basis of their position on the Tree of Life.
「生命の木」の上での、それらの位置に基づいて。

It is important to note that position is the consideration here, since some
authorities establish card opposites in other ways.
何人かの権威者たちが、他の方法たちでカードの反対のものたちを制定しているので、
ここでは、位置が考慮事項であることに、注意することが重要である。
--- ここまで ---

この138ページの冒頭の文章ですが、実は前ページ(137ページ)の文章のコピペになって
います。
つまり、ここは「誤植」であって、本来は無いはずの文章ですので、とりあえずここは
「無かったこと」にしておきたいと思います。

さて、スペースが余ってしまうので、ちょっとしたネタ話でも。 (^^;

とある雑誌に、「天地捏造(てんちねつぞう)」というタイトルの記事を見つけました。
これは、『旧約聖書:創世記』の冒頭にある「天地創造」を皮肉ったもの、すなわち、
「とある聖書の物語」であって、現実の歴史とは異なるものを、強引に「公式な歴史観」、
すなわち、公立学校の「歴史の教科書」に載せてしまおうという困った人々が、この科学
の発達した現代においても存在するという、ちょっと不気味な話なのです。
そして、こういう「歴史の捏造」運動が、○国とか○国とかいうような未開の国々での話
ではなく、先進国であるアメリカで、結構大々的に行われているという、ちょっとした
ミステリーじみた、お話なのでした。

ここには、なぜ人々は、リアルを見ようとせず、バーチャルな世界に惹かれてしまうのか、
つまり、簡単に欺されてしまうのか、という根本的な問題があるわけですが、残念ながら
誰でもがかかる「病(やまい)」みたいなものであって、その原因も特定できていませんし、
それを治療するための特効薬も無いというのが現状なんですよね。(オチ無しww)

16 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 138) ---
One of the most potent sets of Paths is that of the Middle Pillar and involving
THE HIGH PRIESTESS, TEMPERANCE and THE UNIVERSE (Figure 26).
「小径たち」の最も影響力のある組たちのうちの1つは、「中央の柱」と、「高等女司祭」、
「節制」、および「宇宙」を含むそれである(図26)。

What this diagram says, in essence, is that through the experience of three separate
types of energy, we may attain knowledge of the Ultimate Godhead.
本質的に、この図表が言うことは、精力の3つの異なる種類たちの経験を通じて、我々は
「究極の神」の知識を獲得することができるかもしれない、ということである。
--- ここまで ---

今まで「中央の柱」については、「ケテル」「ティファレト」「イェソド」「マルクト」
の4つの「セフィロト」にのみ注目してきましたが、それを構成する「小径たち」である、
3枚の「2:高等女司祭」「14:節制」「21:宇宙」という「大アルカナ」にも注目してみま
しょうということですよね。

さて、この「中央の柱」を構成する、4つの「セフィロト」と、3枚の「大アルカナ」ですが、
「究極神」に到達する最短経路として、昔から「ま」の方々には、それなりに人気のある
登頂ルートではありますが、ある程度の山登りの経験のある人であれば、こういった垂直の
断崖絶壁並みに険しいルートは、避けて通る方がいいと考えるわけです。

そういう意味では、我々にとっての最短経路というのは、おそらく「炎の剣の小径」の
ジグザグルートだと思われるのですが、ここは宇宙の本流であって、それなりに流れも
速いですし、そもそも逆方向に「小径」を遡るという行為は、自然界のルールに背くこと
になるわけですので、それなりに大変な作業でもあるわけです。

結果として、最も流れが緩やかな、「20:宇宙」あたりを、ゆるーく遡る程度で、お茶を
濁しておきたいなぁ、と思っているわけでした。(←ヘタレですからw)

17 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図26の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 138) ---
Figure 26. The cards on the Middle Pillar.
図26。「中央の柱」のカードたち。

There are only three cards which are actually on the middle pillar, but to travel
these Paths means also to "cross through" the potent energies symbolized by three
other cards.
実際に、中央の柱の上にあるのは、たった3枚のカードだけであるが、しかし、これらの
「小径たち」を旅することは、3つの他のカードたちによって象徴されている影響力のある
精力たちを「通って渡る」ことも、また意味している。

Note also that the Path of the High Priestess extends through the Abyss.
「高等女司祭」の「小径」が、「深淵」を通って延びることも、また注目しなさい。
--- ここまで ---

この図26には、「生命の木」の図と、「中央の柱」を表す、「マルクト」から「ケテル」
へと遡る矢印、そしてそれに関係する「小径」である「HIGH PRIESTESS/高等女司祭」
「TEMPERANCE/節制」「UNIVERSE/宇宙」の3枚のカードのタイトルが書かれています。

とてもシンプルな図ではありますが、この図には、「the potent energies symbolized by
three other cards/3つの他のカードたちによって象徴されている影響力のある精力
たち」、すなわち「至高の三角形」「倫理的三角形」「星幽的三角形」に属していない
「中央の柱」の3枚の「小径たちの大アルカナ」が、それらの3つの「○○○三角形」を
接続し、さらに最終的な「マルクト」にまで直結するという、真に「核心的」な支柱として
の仕事をしているということが描かれているわけです。
とはいえ、「生命の木」は、この「中央の柱」だけで支えられているわけではありません
し、それだけを集中的に見ていればいいということでもありませんよね。
そう、「生命の木」において、本当に面白いところは、「右と左の均衡」にあるわけですから。

18 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 139) ---
If we apply the definitions of the Thirty Two Paths of Wisdom (Figure 27) in the
same way, we find these three major Paths described, in order of their progress
toward the Godhead, as:
もし、我々が「知恵の32の小径たち」(図27)の定義たちを同じように適用するならば、
我々は、「神」へ向かうそれらの進歩の順序において、以下のように、これらの3つの主要
な「小径たち」が記述されているのを見つけ出す:

The Administrative Intelligence (THE UNIVERSE), the organizing structure behind
our material environment;
「管理する知性(宇宙)」、我々の物質的な環境の背後にある組織化する構造;

The intelligence of Probation (TEMPERANCE), perhaps the most difficult Path on
the entire Tree of Life, one of Spiritual Alchemy and of the dreadful “Dark Night
of the Soul,” leading to knowing immersion of the Personality into the
consciousness of the Higher Self;
「試験の知性(節制)」、おそらく「生命の木」全体において最も困難な「小径」であり、
「霊的な錬金術」の一つ、そして、恐ろしい「魂の暗い夜」、すなわち「人格」の浸礼を
知ることにより、「高次の自我」の意識へと通じるものの一つ;

The Uniting Intelligence (THE HIGH PRIESTESS), the Path by which all that has
appeared to be separated from the Godhead is re-united.
「統一する知性(高等女司祭)」、「神」から切り離されたように見え続けているもの
全てを再結合するための「小径」。
--- ここまで ---

ここには、「the Thirty Two Paths of Wisdom/知恵の32の小径たち」と、「大アルカナ」
の関連が記述されていますが、実を言うと、この「知恵の32の小径たち」と「大アルカナ」
の関係付けも、ゴールデン・ドーンのローカル・ルールであって、元々のユダヤ教カバラの
「知恵の32の小径たち」の体系とは全く異なっているため、取り扱いには注意が必要です。

19 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図27の説明文です。
ここには、「生命の木」と、その「小径」に関連付けされる「知性」が書き込まれています。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 139) ---
SCINTILLATING/きらめき (11)
TRANSPARENCY/透明 (12)
UNITING/結合 (13)
ILLUMINATING/照明 (14)
CONSTITUTING/構成 (15)
TRIUMPHAL/勝利 (16)
DISPOSING/廃棄 (17)
INFLUENCE/影響 (18)
ACTIVITIES/活動 (19)
WILL/意志 (20)
CONCILIATION/調停 (21)
FAITHFUL/誠実 (22)
STABLE/安定 (23)
IMAGINATIVE/想像力 (24)
PROBATION/試験 (25)
RENEWING/更新 (26)
EXCITING/刺激的 (27)
NATURAL/自然 (28)
CORPOREAL/肉体的 (29)
COLLECTIVE/集団 (30)
PERPETUAL/永遠 (31)
ADMINISTRATIVE/管理 (32)

Figure 27. The Paths from the Thirty-Two Paths of Wisdom
図27。「知恵の32の小径たち」からの「小径たち」
--- ここまで ---

20 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 139) ---
The point here is the extent to which the ancient Qabalistic documents amplify our
appreciation of the Tarot and vice-versa.
ここの要点は、古代の「カバラ主義」の文書たちが「タロット」についての我々の理解を
拡大する範囲であり、そして逆もまた同様である。
--- ここまで ---

「カバラ」の基本文書は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』であり、その中で、
「知恵の32の神秘の小径」「10のセフィロト」「22の文字」が定義されています。

とはいえ、それらの3つの要素の間の関係性については、記述されていません。
すなわち、それらを図解的に統一する「公式」の「生命の木」は存在せず、我々が今使って
いる、「魔術カバラ」の「生命の木」の理論体系は、あくまでも「ゴールデン・ドーンに
より定義されたローカル・ルール」であることを忘れないようにしないといけないわけです。
つまり、「ユダヤ教カバラ」の「生命の木」においては、全く違う形であったり、全く違う
割り当てであったりするわけです。

実際のところ、図27の「知恵の32の小径たち」の文書は、13世紀頃に成立したということ
ですので、『ゾーハル(光輝)の書』と同じ頃であり、バリバリの「ユダヤ教カバラ」に
属している文書になります。
つまり、この文書に書かれている「ユダヤ教カバラ」の「小径」の意味は、本来は、図27の
「魔術カバラ」の「小径」に割り当てられているというわけではないのです。

まあ、これをどう解釈するのかは、各自の自由ではありますが、ワタシとしては、「魔術
カバラ」とは、古代の神秘主義の「ユダヤ教カバラ」を元ネタとしながらも、全く異なる
理論体系と、全く異なる近代的な世界観を持つ、ユニバーサルかつバーチャルな神秘風
の脳内理論体系である、というような考え方ですので、こういった「ネタ」にはしていても、
実はあまり細かいことは気にしていないわけです。
そういうわけで、あまりにも「古代の神秘主義」を売り文句にした、現代の「商業主義カバラ」
に対しては、ひどく違和感を感じているわけなんですよね。

21 :
タロットとカバラは伊泉先生のほうが詳しいね

22 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
THE INITIATORY SCHEME OF THE TAROT
タロットの初歩的な体系
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「タロットの初歩的な体系」です。
今までは、どちらかというと、個々の関係を見ていくような感じでしたが、ここからは
「生命の木」全体を通して、どのように「大アルカナ」の世界が作用していくのかという、
全体的な働きというか、全体的な流れを感じていく上で、重要なものを見ていきます。

ちなみに、「生命の木」の基本は、「右と左」、「陰と陽」、さらに「上と下」、「天と地」
のバランス感覚にありますので、「大アルカナ」に「生命の木」の理論を適用する際には、
そういう上下左右のバランスと、全体的なエネルギーの流れを掴むことが大事なわけです。

そして、ここにおいては、「生命の木」は、完全に「高次の抽象的なテンプレート」として
働いているわけであり、そういう意味においては、伝統的な「ユダヤ教カバラ」の「生命
の木」としてではなく、より抽象化された「魔術カバラ」の「生命の木」に配置され、
そして従来の「タロット」の意味を再解釈することで、全く新しい「ゴールデン・ドーン」
の「タロット理論」が導き出されているということになっているわけです。

ちょっと難しく言えば、「ユダヤ教カバラ(の生命の木)」の混沌とした体系から、
「帰納法」によって高次に抽象化された「魔術カバラ(の生命の木)」の体系が得られ、
その抽象化された体系を、「タロット」という抽象図像の体系と組み合わせ、そこから
「演繹法」により新しい理論体系を導き出していくという、まあ、当たり前というか、
割とわかりやすい手法を用いているわけです。
そういう意味では、「ゴールデン・ドーン」の神秘理論体系は、真面目に勉強していくと、
結構面白いというか、それなりに応用の効くものですので、ワタシも飽きずに、色々と
勉強のネタを探しているということなのでした。

23 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
As we have seen, the Tree of Life is based on one very simple principle, that of
a positive and a negative which, between them, produce a third and balanced energy.
我々がずっと見てきているように、「生命の木」は、1つの非常に簡単な原則、すなわち
正と負、そしてそれらの間にある、第三の釣り合いが取れた精力を生み出す、ということ
に基づいている。

These are the Yod, Heh and Vau of the Divine Name.
これらは、「神名」の「ヨッド」、「ヘー」、および「ヴァウ」である。

A variety of terms describe this pattern, such as: Male, Female, Neuter, or
Father, Mother, Son.
色々な言葉の表現は、以下のように、この様式を説明する:「男性」、「女性」、「中性」、
もしくは「父」、「母」、「息子」。
--- ここまで ---

「生命の木」の原則は、「正」と「負」と「無極性=バランスの取れた状態」の遷移に
あります。
それらの原則は、「小径たち」にも適用されますので、当然ながら「大アルカナ」にも、
そのまま適用されることになってきます。

とはいえ、「大アルカナ」には、元々のキャラのイメージがあるわけですので、そういう
旧来のイメージのあるものに対して、いきなり「生命の木」に基づく「攻/受/両刀」、
いやいや「正/負/無極性」の理論を適用すると、最初のうちは、いまいちしっくりと
来ないというか、ちょっとした消化不良を起こす場合もあるわけです。

まあ、そこはそれで、色々なシチュエーションを設定し、色々と腐った妄想を膨らませて、
今までにない、自分なりの「大アルカナ」のキャラのイメージを作り上げていけばいいの
ではないかと思ったりするわけなのでした。

24 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
Figure 28 labels the Sephiroth centers of Force and Form, whereas the Paths are
called Activating and Formative.
図28は、「セフィロト」を、「力」と「形」の中心たちと分類しているが、その一方で、
「小径たち」は、「活動的」と「形成的」と呼ばれる。
--- ここまで ---

図28では、「生命の木」の「セフィロト」と「小径たち」に、以下の表示がされています。

・「FORCE/力」:「コクマー」、「ゲブラー」、「ネツァク」に表示
・「FORM/形」:「ビナー」、「ケセド」、「ホド」に表示
・表示なし:「ケテル」、「ティファレト」、「イェソド」、「マルクト」の上

・「Activating/活動的」:「0:愚者」、「6:恋人たち」、「7:戦車」、「9:隠者」、
  「10:運命の輪」、「13:死」、「19:太陽」、「20:審判」に表示
・「Formative/形成的」:「1:魔術師」、「4:皇帝」、「5:法王」、「11:正義」、
  「12:吊られた男」、「15:悪魔」、「17:星」、「18:月」に表示
・表示なし:「2:高等女司祭」、「3:女帝」、「8:力」、「14:節制」、「16:塔」、
  「21:宇宙」に表示

ここでの「セフィロト」と「小径」の関係をまとめると、
・垂直の関係の、「ケテル」-「ティファレト」-「イェソド」-「マルクト」間の「小径」
  は「無極性」
・水平の関係の、「コクマー」-「ビナー」、「ケセド」-「ゲブラー」、「ネツァク」-「ホド」
  間の「小径」は「無極性」
・それ以外の、「FORCE/力」の「セフィロト」である「コクマー」、「ゲブラー」、「ネツァク」
  は、「Activating/活動的」が入力され、「Formative/形成的」が出力される
・それ以外の、「FORM/形」の「セフィロト」である「ビナー」、「ケセド」、「ホド」は、
  「Formative/形成的」が入力され、「Activating/活動的」が出力される
というように、比較的単純なルールになっています。

25 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図28の説明文です。
少々長いので、2つに分割します。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
Figure 28. Patterns of Form and Force on the Tree of Life.
図28。「生命の木」の上の「形」と「力」の様式たち。

The Activating Paths are the [yod] ; the Formative Paths are the [he] ;
the crossing Paths and those of the Middle Pillar are the [vau] .
「活動的な小径たち」は [yod] である;「形成的な小径たち」は [he] である;
横断する「小径たち」および「中央の柱」のそれらは [vau] である。

Note that the word "formative" is used here rather than "passive," chosen by
some authorities.
何人かの権威者たちにより選ばれた、「受動的」ではなく、「形成的」という言葉が、
ここでは使われることに注意しなさい。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、活動状態を表すものとしては、「3つ組」が基本となります。
すなわち、
・「力」:「火」:神名の[yod]:母字の[shin]:「力(慈悲の柱)」:「アツィルト界」
・「形」:「水」:神名の[he] :母字の[mem]:「形成(峻厳の柱)」:「ブリアー界」
・「平衡」:「空気」:神名の[vau] :母字の[aleph]:「均衡(中央)の柱」:「イェツィラー界」
であり、それぞれ次元の異なる「3つ組」たちが、色々と組み合わさって、この世界を
構築しているという理屈になっているわけですよね。

ちなみに、この中には「地」はありませんが、「地」は「マルクト」であり、その中に
「火」「水」「空気」の要素を全て含んで「物質化」したものとなっています。
つまり、我々が「物質」として認識しているものは、「地」という独立した要素ではなく、
上記の「火」「水」「空気」の3つの組み合わせで出来ているということになるわけです。

26 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図28の説明文の後半部分です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
There is no inertia on the Tree of Life; it is in a state of constant activity,
the formative process being a response to the activation.
「生命の木」の上には、惰性は無い;形成的な過程は、活性化への応答であり、絶え間ない
活動の状態にある。

This is not neutral in the sense that the word passive would imply.
これは、受動的という言葉が暗示するであろう意味においての中立ではない。

Here one might usefully consider the fact that THE EMPEROR is a Formative Path,
rather than an activating one, and the fact that Binah (like the Path of
THE EMPEROR) is bright red in Atziluth.
ここで、人は、「皇帝」が、「形成的な小径」であって、活動的なそれではない、という
事実と、「ビナー」(「皇帝」の「小径」のように)が、「アツィルト界」においては、
明るい赤であるという事実を、有効に考慮することができるかもしれない。
--- ここまで ---

「活動的な小径たち」と「形成的な小径たち」の関係は、単なる「プラス」と「マイナス」
の関係ではありません。
例えて言うなら、「男」と「女」の複雑な人間関係であり、野球で言うならプレイの起点と
なる「ピッチャー」と、プレイ全体を統括する「キャッチャー」の関係であり、ヲタク的に
言うなら、「攻め」と「受け」のカオスチックな関係であって、素人の目ではわからないよう
な、それなりに意味深なストーリーが、内なる世界において展開されているわけです。

そういった、内に秘められた意味深な関係を理解することで初めて、本当の理解が得られる
ということなのですが、まあ、色々と奥が深すぎて、ワタシのような普通の人間の脳ミソ
では、ついてイケない面もあるわけなのでした。(イロイロなイミで)

27 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
This slight distinction is made to point out that the Sephiroth are centers of
energy, while the Paths are the subjective experiences between those centers.
このわずかな区別は、「セフィロト」が、精力の中心たちである一方で、「小径たち」は、
それらの中心たちの間の主観的な経験たちであることを指摘することで生じる。
--- ここまで ---

「セフィロト」は「精力の中心たち」、すなわち、どちらかというと静的な「状態」を
表しているのに対し、「小径たち」は「セフィロト」の間に働く「主観的な経験たち」と
いう、少し次元の高いところに働く力になります。

そして、本来であれば、この「小径たち」は「セフィロト」とは無関係の存在であって、
「Activating/活動的」とか「Formative/形成的」というような「色」を持たない存在
であるはずなのですが、「生命の木」においては、「小径たち」は「セフィロト」に強く
関連付けされているため、結果的に、「セフィロト」の性質に引きずられるような形で、
「小径たち」にも、それに関連したキャラ付けがされているわけです。

まあ、こういうキャラ設定、いやいや関連付けというのは、色々と微妙な問題を抱えて
いるわけですので、どれが正解というものでもなく、時と場合と周囲の状況によって、
色々な性格が出てきたりします。
そういうわけで、「基本的にはこういうキャラ設定だけど」、というように、「ゆらぎ」
を前提として、捉えておいた方が無難かと思います。

ちなみに、何で「生命の木」には、こんな「正・負・無極性」というような固有の性質が
あるかというと、完全に均質な世界では、この我々の住む宇宙は生まれて来なかったと
いうことであり、この宇宙が存在しているのは、この「極性のゆらぎ」のおかげであると
いうことなのです。
え、何でそういう結論になっているのかって?
難しい話ですので、ワタシにもよくわかりませんが、とにかく我々の住む世界においては、
至るところに「ゆらぎ」があって、そしてそれは必要不可欠であるらしいのです。

28 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
Before proceeding further, it seems important to point out that the complex
discussion which follows is presented not so much for its content as for its
method of analyzing the Tree.
さらに進む前に、以下に続く複雑な議論は、その内容についてというよりもむしろ、
「木」を分析するためのその「方法」について提示されていることを指摘することが重要
であるように思える。
--- ここまで ---

頭の悪い人の勉強法は、頭の一部の機能しか使わない「丸暗記」、すなわち「method/方法」
から何かを見つけ出すのではなく、「content/内容」だけを記憶することに頼りがちです。

もちろん、こういう「知識の詰め込み型」の教育は、学校のテストで良い点を取るためには
必要なことなのですが、その手の「記憶」は、しょせん一時的なものであって、すぐに
忘れてしまう性質のものであり、バラエティ番組の早押しクイズ以外では、ほとんど役には
立たなかったりします。

そして、そういった「詰め込み」よりも、なぜそうなるのかという「方法」を知り、それが
実際に、どういうふうに応用されていくのかを、何度も実習しながら体験していくことが、
本当の「教え育くむ」ということではないのかな、と思うのでした。

脳を鍛えるためには、こういった「深く考える=哲学する」ということが、とても重要です。
現代の日本の風潮では、とにかく「効率」、すなわち「安さ」や「早さ」が重要視されて
いるので、そういう意味では、これからの「日本の教育」がどうなっていくのか、ちょっと
不安でもあります。

人間の脳ミソって、使わないと劣化しますので、今からでも決して遅くはありませんので、
きちんとした勉強をしていってほしいと思うんですよね。
(まあ、ここに誰も来ない時点で、日本の占いは終わってるなぁ、と思っていたりする
わけですが。)

29 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
The Tree of Life is a system of triangles made up of Paths which are Activating,
Formative and Balancing.
「生命の木」は、「活動的」、「形成的」そして「平衡」である「小径たち」 により
構成される三角形たちから成る体系である。

This is an absolute Qabalistic given, a universal pattern.
これは、絶対的なカバラ主義の既定の事実であり、普遍的な様式である。
--- ここまで ---

今まで何度も述べてきたように、「生命の木」の構造体系は、「三角形」を基本要素と
しています。

え、なぜに「三角形」なのか、ですか?

その答えは、「given/(天から与えられた)既定の事実」と、ここに書かれています。

え、それでは何の説明にもなっていないって?

まあ、要するに、わけわからないことは、とりあえず全てを「神様のせい」、すなわち
「神様がそう仰っているから」ということにして、明確な説明責任を神様に転嫁しよう
ということなんですけどね。

実際のところ、現代科学においても、全てのものを、明確に説明できるわけではありま
せんし、そういう意味での「神」は、いまだに多く存在しているわけです。
特に、最先端の科学の分野においては、いたるところで「神様」が微笑んでいますので、
そのさらに先を行く「カバラ」の分野における「神定義」は、避けては通れないものです。

ということで、皆さんも、「神領域」の「デルタ地帯」、いやいや「聖なる三角形」を、
じっくりと堪能して、いやいや深く瞑想しながら熟考していってください。

30 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
In light of this pattern, let us return to the idea that each of the key triangles
on the Tree refers to one part of the Soul: The Supernal Triangle is the Supreme
Spiritual Self, the Ethical Triangle is the Higher Self, and the Astral Triangle
is the Personality in incarnation.
この様式の観点から、「木」の鍵となる三角形のそれぞれが、「魂」の、ある1つの部分を
参照するという、以下の考え方に戻ることにしましょう:「至高の三角形」は「究極の
霊的自我」であり、「倫理的三角形」は「高次の自我」であり、そして「星幽的三角形」
は、肉体化の内にある「人格」である。

This idea, which was particularly developed by Dion Fortune,(*96) places special
importance on nine Tarot cards:
この考え方は、特にダイアン・フォーチュン氏により発展させられ(*96)、9枚の
「タロット」カードに特別な重要性を置く:
--- ここまで ---

ちなみに、(*96)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
96. Fortune, Mystical Qabalah, 43 ff.
96. フォーチュン著、『神秘のカバラー』、43ページ以降。
--- ここまで ---
とあります。
これは、邦訳の『神秘のカバラー』では、68ページ以降の「第七章 至高の三角形」の
章に相当します。

なお、このフォーチュン氏の『神秘のカバラー』の中身ですが、基本的には「生命の木」
における「セフィロト」に関する説明がメインであって、実のところ「大アルカナ」の
「小径」に関する記述は、ほとんどありません。
つまり、カバラ的解釈によって「大アルカナ」を一般向け文書として記述すること自体が、
実はとても困難である、というか、ほぼ不可能に近いということでもあるんですよね。

31 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
THE SPIRITUAL SELF/霊的自我
----------------------------------------
SUPERNAL TRIANGLE/至高の三角形
    THE FOOL (Activating)/愚者(活動的)
    THE MAGICIAN (Formative)/魔術師(形成的)
    THE EMPRESS (Balancing)/女帝(平衡)

THE HIGHER SELF/高次の自我
----------------------------------------
ETHICAL TRIANGLE/倫理的三角形
    STRENGTH (Balancing)/力(平衡)
    HERMIT (Activating)/隠者(活動的)
    JUSTICE (Formative)/正義(形成的)

THE PERSONALITY/人格
----------------------------------------
ASTRAL TRIANGLE/星幽的三角形
    TOWER (Balancing)/塔(平衡)
    STAR (Formative) /星(形成的)
    SUN (Activating)/太陽(活動的)
--- ここまで ---

ここは単に、「生命の木」における「セフィロト」の世界観を、大アルカナの「小径」に
適用しただけですので、理論上は、特に目新しさというものはありません。
とはいえ、この魔術カバラ的な理論を、実際に「タロット占い」に活用している人は、
おそらく皆無ではないかと思いますし、それ以前に、「大アルカナ」と「小アルカナ」の
基本的な違いを、きちんと区別して理解出来ている人も、ほとんどいないと思います。
まあ、魔術カバラの「大アルカナ」って、しょせん見えない世界での話なわけですので、
実践的な占いにとっては、いまいち使いにくいものであることは確かなんですけどね。

32 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
The core structure of each part of the Self is composed of three aspects, an
Activating (Yod-Fire), a Formative (Heh-Water) and an energy which is Balancing
(Vau-Air), as is shown in Figure 29.
「自我」の各々の部分の中核的構造は、図29において示されるように、3つの様相たち、
「活動的」(「ヨッド」−「火」)、「形成的」(「ヘー」−「水」)、そして「平衡」
(「ヴァウ」−「空気」)である精力により構成されている。
--- ここまで ---

次のページにある図29ですが、太い線の「小径」で結合された、おなじみの3つの三角形
を、3つ縦に並べたような構造が、いわゆる「core structure /中核的構造」であること
を表しています。
すなわち、この「活動的」、「形成的」、そして「平衡」から成る「三つ組」は、比較的
安定した存在であって、我々自身の「自我」として観測可能であるかもしれないものを、
表しているということでもあります。

これらを、量子力学的に例えるのであれば、この3つの「セフィロト」と3つの「小径たち」
から成る三つ組が、陽子や中性子などの、直接観測可能な「バリオン」となります。
そして、それらの3つの階層の「バリオン」たちを相互に接続しているものが、2つの
「セフィロト」と1つの「小径」から成る「中間子」たちということになります。

そして、それらが、結果的に「地」である「マルクト」と相互作用することで、我々は
その「存在」を、我々の肉体的な感覚器官で認識できているという構図になっていると
いうわけですよね。

33 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図29の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 142) ---
Figure 29.
図29。

This very complicated chart is based on the idea that each of the Triangles on the
Tree represents a given part of the Soul, The Spiritual Self, The Higher Self and
The Personality.
この非常に複雑な図表は、「木」の「三角形たち」の各々が、「魂」の天から与えられた
部分である、「霊的自我」、「高次の自我」、および「人格」を表す、という考え方に基づく。

If we accept this idea we are accepting that nine of the Paths (shown in black)
are givens, each being the positive, negative or balance of one aspect of the Soul.
もし我々がこの考え方を受け入れるならば、我々は、(黒(の太線)で示される)「小径
たち」のうちの9つは、天から与えられたものであり、それぞれは、「魂」の1つの様相の
「陽」、「陰」、もしくは「平衡」である 。

The question must then be asked: How do the other thirteen Paths relate to the
given nine?
その次に、以下の問題点が質問されるに違いない:他の13の「小径たち」は、天から与え
られた9つに、どのように関連しているのか?
--- ここまで ---

この図には、今まで説明のあったものを図示しているだけでなく、この後に説明される
他の13の「小径たち」のうち、8つのものに関するキーワードが書かれています。
・「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」:「戦車」、「運命の輪」
・「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」:「法王」、「吊られた男」
・「Connecting Activating Path/結合する活動的小径」:「恋人たち」、「死」
・「Connecting Formative Path/結合する形成的小径」:「皇帝」、「悪魔」

34 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
One important clue to the symbolism is that Heh-water, wherever it appears means
consciousness.
象徴的意義の一つの重要な手掛かりは、「ヘー」−「水」であり、それが出現する所は
どこであれ、「意識」を意味する。

In some Tarot cards this is a Universal Consciousness, while in others it is the
personal consciousness.
あるいくつかの「タロット」カードたちにおいては、これは「普遍的意識」であり、一方、
他のものたちにおいては、それは個人的な意識である。
--- ここまで ---

ここでは、以下の3つの様相たち、
・「Activating/活動的」:「ヨッド」−「火」
・「Formative/形成的」:「ヘー」−「水」
・「Balancing/平衡」:「ヴァウ」−「空気」
のうち、最初に最もわかりやすい「ヘー」、すなわち「水」から解説しようとしています。
なぜ「水」なのかというと、我々の「地」にとって、最も親密度の高いものであり、そして
「私はある」という意味での「存在」、すなわち「意識」の一部として説明することが、
かろうじて可能である、という点ですかね。

とはいえ、「意識」というものは、個人的経験とか、到達レベルの個人差とか、色々と
ありますので、どのカードが「普遍的意識」を表し、どのカードが「個人的意識」を表す
とかは、一概には言えなくて、人それぞれの解釈が可能ということになっています。
そもそも、「大アルカナ」のレベルでは、高度に象徴化されていますので、我々の低次の
意識を、そのまま一対一に対応付けすることは、全くもって不可能なんですよね。

まあ、ここは最初の「様相」ですので、とりあえずは、我々の「意識」が構築される上で、
「取っかかり」というか「鍵」となるカードが、この「Formative/形成的」なカードたち
である、という程度の理解でいいかと思います。

35 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 142) ---
Yod-Fire is the motive principle (what Fabre d’Olivet called the "intellectual
volative principle").
「ヨッド」−「火」は、原動力となる原則である(ファーブル・ドリヴェ氏が「知的で
不安定な原則」と呼んだもの)。

It is that on which consciousness acts.
それは、「意識」が行動しているものの上にあるものである。
--- ここまで ---

「volative」は、おそらく「volatile/不安定」の誤記です。
この「volatile/不安定」の反対語は、「Fixed/安定」ですので、おそらくこれは、
「火」と「水」の関係性を表すものだと思われます。

ファーブル・ドリヴェ氏(Antoine Fabre d'Olivet, 1767-1825)は、フランスのオカルト系
作家であり、ヘブライ語の研究により、後の魔術カバラに大きな影響を与えています。

さて、「意識」すなわち「水」は、それだけでは活動できないので、作動させるためには、
外部から何らかのエネルギーを供給する必要があります。
自然界においては、そのエネルギー源は「太陽光」であり、これが「火」に相当します。

つまり、「火」=「Activating/活動的」のエネルギーを、一度「水」=「Formative/
形成的」に移して、「空気(水蒸気)」=「Balancing/平衡」の状態に移行させることで、
「意識」である「水」が循環的に作動するというメカニズムになっているわけです。

まあ、こういう高次の世界の話を、単純な文章で例えるのは、ちょっとややこしいのですが、
そういうようなイメージがある、ということです。
そういう意味でも、ある程度の哲学や科学の経験値が無いと、うわべだけの理解に終わって
しまうので、オカルトを学びたい人は、一般的な学問の勉強も、きちんとしておいてほしい
なぁ、と思うわけなのでした。

36 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 142) ---
Vau-Air is the balance between these two, which sustains their interaction.
「ヴァウ」−「空気」は、それらの相互作用を支える、これらの2つの間の平衡である。

What is important to appreciate is that the pattern is implicit at all levels.
理解するために重要なことは、すべての段階たちにおいて、様式は暗示されていること
である。

And, having seen the activities of the Yod, Heh and Vau within the core structures
of the Self, we look for the same pattern in the Path energies around these core
structures.
そして、「自我」の中核的構造の内部の「ヨッド」、「ヘー」、および「ヴァウ」の活動
たちを見たことが、我々は、これらの中核的構造の周囲の「小径」の精力たちの中の同様
な様式を探す。
-- ここまで ---

ここで言いたいのは、「活動的」−「ヨッド」−「火」、「形成的」−「ヘー」−「水」、
そして「平衡」−「ヴァウ」−「空気」という3つの要素から成るパターンは、普遍的、
すなわち、全てのものは、このパターンを内に含むということであり、全てのものを、
このパターンに分類して考察することが可能であるということです。

つまり、中核的構造である3組の「三角形」たちを構成する「9つの天から与えられた小径
たち」以外の、「13の小径たち」についても、このパターンを適用することが可能であり、
そうすることは有用である、ということを言いたいわけです。

なぜこんなことを言いたいのかと言うと、「9つの天から与えられた小径たち」は、要する
に「定義」であって、それ以上の説明は不要というか不能なのですが、残りの「13の小径
たち」は、説明が必要であり説明可能な「定理」ですので、自分自身の内なる「自我」を
通じて深く探索することで、自分自身で納得できる、それなりの理屈を考えていかなければ
ならないということなんですよね。

37 :
ということで、今年最後のカキコになりました。

今年は、このスレ的には、無事に折り返し点を過ぎて、ついに「大アルカナ」にまで到達
できたということが、一番のトピックですかね。

とはいえ、魔術カバラの「大アルカナ」の領域は、タロット占いの「大アルカナ」とは、
まるで別物ですし、そもそも占いの際に、その手の知恵や知識が占う上で何かの役に立つ
というわけでもありませんので、占いが主な目的の人は、早々に脱落してもらっても
大丈夫かと思います。
というか、そういう人は、もうとっくの昔に脱落してもらってますよね。 (^^;;

まあ、そういうことですので、それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/

38 :
>>36
翻訳部分の修正です。 (^^;

最後の文は、
----------
そして、「自我」の中核的構造の内部の「ヨッド」、「ヘー」、および「ヴァウ」の活動
たちを、ずっと見続けている我々は、これらの中核的構造の周囲の「小径」の精力たち
の中の同様な様式を探す。
----------
に訂正しておいてください。

さて、これから取り溜めたアニメ消化しないと。(^^;;

39 :
以前から気になっていたのですが、風邪引いて戦力外通告を受けたので、
大晦日のこの隙間時間にパート1から読ませていただいてます。
ウォンのこの本は紙ではマルクス・アウレリウス出版のハードカバー(2004)
を、旧版はデータだけ持っています。

これからもときどき覗かせていただくのでよろしく!

40 :
皆さん、あけましておめでとうございます。(^_^)/

このスレも、ついに6年目の突入ですね。(^^;;
そして、目標とする10年計画の、折り返し地点でもあります。

ということで、今年もあせらずボチボチと、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>39
いらっしゃいませ。 (^^)/
年末年始の戦力不足の時期に戦力外通告とは、かなり酷い風邪なんですかね。
お大事に。(^^;;

ちなみに、こういう内容的にきっちりとした洋書を原文で読むことは、それだけでも
勉強になりますので、ぜひ読み進めていってくださいね。 (^_^)/
(このスレの翻訳や解説の方は、どうしようもない駄文なのは置いといて(^^;; )

41 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
The nine cards of the Self are clearly defined.
「自我」の9枚のカードたちは、明確に定義される。

What is then required is an appreciation of the relationship of the other cards
to these givens.
その次に必要とされることは、これらの天から与えられたものたちと、他のカードたち
との関係の理解である。

We know, first of all, that each Path represents a specific lesson about the Self,
a lesson required to full understand the core aspect (triangle) of the Self to
which it relates.
我々は、まず第一に、各々の「小径」は、「自我」についての特定の学課であり、それが
関連する「自我」の中核的な様相(三角形)を全て理解するために必要とされる学課で
ある、ということを象徴することを知っている。
-- ここまで ---

肝心要の「9枚のカード」は、「それ以上は考えてはならないもの」ですので、とりあえず、
それ以外の「13枚のカード」について、話を進めていきます。
まあ、こういうふうに、わからないものはわからないと割り切った上で、実践的な理論を
展開していくという煮え切らない態度は、現代科学においても普通に行われていること
ですので、ここは我々も割り切って考えましょう。
というか、わからないものを、わかったふりをして話を進めていくと、たちどころに論理
破綻するか、さもなくばトンデモ理論に陥ることになりますからね。

ということで、とりあえず、「13の小径たち」と「13枚のカードたち」を考察することで、
せめて外堀ぐらいは少し埋めていくふりをしてみようかなぁ、という曖昧な態度で、
お茶を濁していくことにしましょう。
え、なんでそんなに嫌そうにしてるのかって?
まあ、要するに、「大アルカナ」の世界って、色々と面倒臭いんですよね。

42 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
Here it will be seen that the subsidiary Paths operate in the same pattern of
zig-zag energies accross the Tree as do the Sephiroth.
ここでは、補助的な「小径たち」が、ジグザグ形の精力たちの同じ様式において、
「セフィロト」がしているのと同じように、「木」を横切って作用するのが見られるで
あろう。
-- ここまで ---

図29を見れば、一目でわかりますが、13の「補助的な小径たち」のうち、「中央の柱」に
属する3つの「小径」を除く10の「補助的な小径たち」には、以下のように、「Activating/
活動的」と「Formative/形成的」というラベルが貼られています。
・「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」:「戦車」、「運命の輪」
・「Connecting Activating Path/結合する活動的小径」:「恋人たち」、「死」
・「Activating/活動的」:「審判」
・「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」:「法王」、「吊られた男」
・「Connecting Formative Path/結合する形成的小径」:「皇帝」、「悪魔」
・「Formative/形成的」:「月」

そして、「中央の柱」に属する4つの「セフィロト」を除く6つの「セフィロト」には、
・「Force/力」:「コクマー」「ゲブラー」「ネツァク」
・「Form/形」:「ビナー」「ケセド」「ホド」
というラベルが貼られています。

これらの配置のパターンは、「中央の柱」を中心にして左右対称であり、それゆえ、
上から下、もしくは下から上へと向かう経路においては、「小径」も「セフィロト」も
同じように、「ジグザグ形」というものを意識することが必要となります。
要するに、どちらかに片寄った勉強法ではダメであって、「小径たち」が我々に課す
「ジグザグ形」の「lesson/学課」を、好き嫌いを言うことなく、全てをバランス良く
習得することで身に着くバランス感覚こそが、「天から与えられた自我の三角形たち」を
的確に支え、そして理解することに繋がるということなんですよね。

43 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
Considering only the outermost Paths:
最も外側の「小径たち」だけを考慮すると、以下のようになる:

CHARIOT/戦車      HIEROPHANT/法王
(Activating/活動的)   (Formative/形成的)
             ×
HANGED MAN/吊られた男  WHEEL OF FORTUNE/運命の輪
(Formative/形成的)    (Activating/活動的)
             ×
JUDGMENT/審判     MOON/月
(Activating/活動的)   (Formative/形成的)
-- ここまで ---

「生命の木」の最も外側かつ右側の「慈悲(力)の柱」のルートは、
・「ケテル(均衡)」→「愚者(活動的)」→「コクマー(力)」
 →「法王(形成的)」→「ケセド(形)」
 →「運命の輪(活動的)」→「ネツァク(力)」
 →「月(形成的)」→「マルクト(均衡)」

そして、最も外側かつ左側の「峻厳(形成)の柱」のルートは、
・「ケテル(均衡)」→「魔術師(形成的)」→「ビナー(形)」
 →「戦車(活動的)」→「ゲブラー(力)」
 →「吊られた男(形成的)」→「ホド(形)」
 →「審判(活動的)」→「マルクト(均衡)」

となっており、上下も左右も共に均衡の取れた、ほど良い配置になっています。
もちろん、こういう配置は意図的であって、カバラ理論において、こういうふうに定義
されたものなのですが、これが実に良く出来ているというか、この原理により、様々な
ものを、うまく説明できるようになっているわけなんですよね。

44 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
The four upper Paths are the extremes of energy which maintain the opposite Pillars
and which may thus be called Paths of Stabilizing Extreme energy which is either
Activating or Formative.
4つの上部の「小径たち」は、向かい合う「柱たち」を支えており、従って、「活動的」か
「形成的」かのいずれかの、「安定化する極端」の精力の「小径たち」と呼ばれるであろう、
精力の両極端である。
-- ここまで ---

4つの上部の「小径たち」、すなわち
・「法王」:「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」
・「戦車」:「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」
・「運命の輪」「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」
・「吊られた男」:「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」
ですが、これらは、左右で対になっている2本の柱、すなわち
・「慈悲(力)の柱」:「法王(形成的)」、「運命の輪(活動的)」
・「峻厳(形成)の柱」:「戦車(活動的)」、「吊られた男(形成的)」
を構成する基本的要素となっており、さらにこれらは、「生命の木」全体の構造を
左右から支え、そして全体の外形を形作るという、とても重要な要素でもあるので、
「Stabilizing/安定化」と呼ばれるということのようです。

そして、これらの「左右の柱たち」の4つの「小径たち」は、「中央の柱」から見て、
最も遠い位置にあり、直接の繋がりもないために、「Extreme/極端」と呼ばれる
ということのようです。

つまり、最も重要なのが、「天から与えられた」9つの小径たちであり、その次に重要
なのが、「安定化する極端」の4つの小径たちである、ということになります。

あとは、「月(形成的)」と「審判(活動的)」の小径があれば、「生命の木」の基本的
な外形は、完成することになります。

45 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
We then discover that at each level, the two Paths on either side of the balanced
Middle Pillar share the qualities of the cards beside them, an even more complicated
and interesting scheme appears, one which reveals card relationships obvious in
no other way:
我々は次に、各々の段階において、釣り合いの取れた「中央の柱」のどちらの側の2つの
「小径たち」も、それらの側のカードたちの品質たちを共有しているという、さらに
いっそう複雑で興味深い体系が出現していることを発見し、それは他の方法では明らかで
ないカードの関係たちを、以下のように明らかにする:

CHARIOT/戦車          HIEROPHANT/法王
(Activating/活動的)       (Formative/形成的)
  LOVERS/恋人たち   EMPEROR/皇帝
  (Activating/活動的)  (Formative/形成的)
               ×
HANGED MAN/吊られた男   WHEEL OF FORTUNE/運命の輪
(Formative/形成的)       (Activating/活動的)
     DEVIL/悪魔    DEATH/死
  (Formative/形成的)  (Activating/活動的)
               ×
  JUDGMENT/審判   MOON/月
  (Activating/活動的)  (Formative/形成的)
-- ここまで ---

ここでは、以前に出てきた6つの「小径たち」と、
・「Connecting Activating Path/結合する活動的小径」:「恋人たち」、「死」
・「Connecting Formative Path/結合する形成的小径」:「皇帝」、「悪魔」
との関係性を述べています。
要するに、この4つの「Connecting Path/結合する小径」たちは、前の文で述べた4つの
上部の「小径たち」を補強し、共に支えているという感じですかね。

46 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
Each Stabilizing Extreme Path is related to an inner Connecting Path (i.e., THE
LOVERS, THE EMPEROR, THE DEVIL, DEATH).
各々の「安定化する極端の小径」は、内側の「結合する小径」(すなわち、「恋人たち」、
「皇帝」、「悪魔」、「死」)に関連している。

These inner Paths connect the levels of the Self, rather than being a part of
either Pillar; they may also be considered the lesser extremes of Activating
and Formative energies.
これらの内側の「小径たち」は、どちらかの「柱」の一部であるというよりもむしろ、
「自我」の段階たちを接続している;それらは、また、「活動的」および「形成的」な
精力たちの、より小さい両極端と考えられるかもしれない。

These, and the Paths of the Middle Pillar can be called probationary Paths.
これらの、そして「中央の柱」の「小径たち」は、「試用の小径たち」と呼ばれることが
できる。
-- ここまで ---

この、内側の「結合する小径」は、「生命の木」における重要な機能ブロックである、
3つの「柱」と、3つの「三角形」を、お互いに結合するという働きをしています。

つまり、機能的には、どちらかというと補助的な感じの働きをしていますし、機構的にも、
外骨格となる「安定化する極端」の「小径」たちを補助しているような働きをしています。

とはいえ、それらの「内側の結合する小径」には、「恋人たち」、「皇帝」、「悪魔」、
「死」という、実に多彩なプレーヤーたちがいるわけであり、我々にとって、これらは
決して「lesser/より小さい」と言えるようなものではないことは、確かですよね。
そして、「中央の柱」の「小径たち」もそうなのですが、「生命の木」が安定して働くため
には、どの「小径」が欠けても不都合があるわけであって、全てをバランス良く働かせると
いうことが、大事だということなんですよね。

47 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
To some extent, these definitions are arbitrary, yet it is essential that we make
an attempt to place what we know into an overall intellectual perspective.
ある程度、これらの定義たちは恣意的ではあるけれども、我々が、全体的な知的な見方の
中に我々が知っているものを配置しようと試みることは、必要不可欠なことである。
-- ここまで ---

科学や哲学の分野に限らず、とりあえず何らかの枠組み、すなわち仮説としての理論体系を
考えておいて、今ある雑多な事象を、その中にすっきりとした形で収納できるかどうかを
見ていくということは、部屋の片付けの基本となってきます。
うまくそれらが収納できるのであれば、次はどんなものが収納できるのかも予想できる、
すなわち未来の予想も出来るようになるわけで、そういうふうにして理論は検証されて
いくわけです。
まあ、これはよくある、Plan・Do・Checkのループでもあるわけですが、魔術カバラに
おいては、この「生命の木」の「内なる理論」を、被験者でもある修行者が、自らの肉体
と魂に適用して、何度もこのループを繰り返すことで、自ら導き出した理論を検証し、
そして進化させていくというわけです。

当然ながら、これは占いにおいても有用なのですが、占いにおいては、Checkの部分が、
どうしても主観的というか恣意的なものというか、商売上の都合による何らかの
バイアスがかかってしまうこともあって、なかなかうまくループが回せていない傾向が
あります。
まあ、魔術カバラと占いとでは、色々な点でレベルの違うものですので、一緒くたに語る
ことは出来ないものなのですが、もうちょっと何とかならないのかなぁ、と思ったりも
するわけです。

とはいえ、この手の話しは、魔術と占いに限らず、科学や宗教など、いわゆる「研究」を
必要とする分野においては、ある程度は避けられない話でもあるわけです。
基礎的な分野を真剣に探究しようとすると儲からないし、いわゆる研究者として食っていく
ために儲けようとすると、なんか違う方向へと行ってしまいがちになるわけですよね。

48 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
From there we begin to internalize, personalize, concepts so that we view our own
lives differently than before.
そこから我々は、以前よりも我々が我々自身の生命たちを違ったふうに見ることができる
ように、概念たちを、内面化し、個人化し始める。

This process can be frustrating and painful.
この過程は、挫折感を起こしたり、苦痛を与えるものであるかもしれない。
-- ここまで ---

「生命の木」に関する理論は、基本的には「上の如く、下の然り」ですので、最初の検証
作業としては、「個人的な経験」「個人的な内面」「個人的な精神」「個人的な魂」の、
プライベートな領域で、じっくりと時間をかけて行うことが重要になります。

とはいえ、この自省の過程においては、自らの黒歴史を脳内再生しないといけないわけです
ので、なかなかやりづらいというか、普通の人であれば、避けて通りたい過程なわけです。
でも、うわべだけの自省では、「生命の木」を理解することは不可能ですので、とりあえず
自分に関する、ありとあらゆるものを、あまねく「生命の木」の理論にブチ込んで検証して
みることが、とても大事になってくるわけですよね。

そうすることで、自分自身の「光」の部分と「影の部分」が明瞭になり、その中にある
「Activating/活動的」や「Formative/形成的」の意味も、少しずつ理解できるように
なってくるというわけです。

まあ、そうはいっても、「生命の木」の理解には、とても時間がかかります。
学校の勉強と違って、教わることで簡単に身に付く知識ではありませんので、本当に時間を
かけて、日々の日常の中で、じっくりと検証していくという、毎日が試練の日々となります。
そんなに簡単には結果が出ませんので、飽きっぽい人や、せっかちな人には、向かないのは
確かですので、ワタシのように、日々のんびりダラダラと勉強を楽しむタイプの人には、
いいのかもしれませんよね。

49 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
Everyone who works seriously with the Tree of Life reaches a point where they are
no longer able to take the symbols at face value, where the symbols seem somehow
shallow and empty.
「生命の木」について本気で勉強する誰もが、彼らが、象徴たちがどういう訳か浅薄で
中身の無いように見える所での、表面的な価値では、もはや象徴たちを受け取ることが
できない時点に到着する。

It is then that one begins to ask: How do each of the Paths and Tarot Keys relate
to me personally?
人は、その時、以下のように尋ね始める:「小径たち」そして「タロットの鍵たち」の
それぞれは、どのようにして私と「個人的」に関連しているのか?
-- ここまで ---

「生命の木」のことをきちんと勉強していない人は、タロットの「大アルカナたち」の
象徴たちを、文字通り「at face value/表面的な価値で」しか見ることが出来ません。
実のところ、「タロット占い師」のほとんどは、「生命の木」についてのきちんとした
知識を持たないため、タロットの「大アルカナ」と「小アルカナ」を、ミソクソにして、
いやいや、分け隔てなく平等に、文字通りの見たままで解釈しているのが現状です。
(解説本に書かれている意味を丸暗記するということも含みます。)

でも、「生命の木」の理論を勉強することで、「象徴」を、文字通りの見たままで解釈
してはならないという本当の意味に、段々と本気で気づいてくるわけです。

そして、人は、改めて自分自身に問いかけます。
・「生命の木」の「セフィロト」や「小径たち」は、私にとって、どんな意味があるのか。
・「タロット」の「大アルカナ」や「小アルカナ」は、、私にとって、何を意味するのか。
・そもそも、「生命の木」を学ぶことは、私にとって、どういう意義があるのか。
そして、これらの問いに答えるためにも、もう一度改めて、自分自身のことについて、
じっくりと考えてみる必要が出てくるというわけですよね。

50 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
The question may grow from an internal observation of one's own thinking process,
what the Hermetic Mysteries would call “watching the watcher.”
質問は、「ヘルメス主義的神秘主義」が、「観測者を観測すること」と呼ぶ、人の自分自身
の思考過程の内なる観察から成長するかもしれない。

We are all aware of our own consciousness, although it is something on which very
few people ever stop to focus attention.
我々は全て、我々自身の意識に気づいてはいるけれども、それは、人が注意を集中する
ために、ほとんど立ち止まることのない所にある何かである。

And as we observe our own process of attention to ourselves, we may well ask how
the consciousness, as well as the observation of it fits on the Tree of Life.
そして、我々が我々自身に対する我々自身の注意の過程を観察するにつれて、我々は多分、
それ(意識)の観察が「生命の木」に適合するのと同様に、意識についても、質問するに
ちがいない。
-- ここまで ---

つまり、究極の質問は、「私とは何か」になるわけですが、そういう究極の質問を、
きちんと立ち止まって考えようとする人って、多いように見えて、実は少ないわけです。
なぜ少ないかというと、考えるには、あまりにもわけがわからないので、考えることを
止めて、次に行っていまうからなんですよね。
結局のところ、「我思う、故に我有り」という、わかったようなわからないような中途半端
な結論で満足せざるを得ないわけです。

でも、我々には、「生命の木」という、万能で強力な史上最強のツールがありますので、
これで「私とは何か」という「ラスボス」と本格的に戦うことが可能となっています。
とはいえ、このラスボスと戦う前に、それなりに経験値を上げ、装備を整えておかないと、
討ち死にしてしまいますので、きちんとレベルを上げ、そこまでのステージを一つ一つ
クリアしていく必要があるわけなんですよね。

51 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
To answer this question, let us consider our own bodies.
この質問に答えるためには、我々に我々自身の体たちを考慮させなさい。

The Qabalah neatly fits our physical vehicles into Malkuth (using the one Tree
system) or Assiah (on the four Tree system).
「カバラ」は、我々の物質的な媒体たちを、(単一の「木」の体系を用いた)「マルクト」、
もしくは(4つの「木」の体系における)「アッシャー」に、きちんとはめ込む。

Moreover, while the body is a totality, working as a unity in whatever physical
operation we may perform, we conceptualize its components as separate for the
sake of understanding their individual contribution to the whole.
そのうえ、身体は全体であって、たとえ我々がどのような物理学的な操作を実行しようと、
統一体として働いているけれども、我々は、全体へのそれらの個々の寄与を理解するため
に、別々にその構成部分たちを概念化する 。
-- ここまで ---

いきなり「意識」という高次レベルの話をする前に、まずは「物理学的なレベル」から
話を進めた方が、おそらく理解しやすいと思います。

というわけで、まずは、自分の「body/身体」を、「physical/物理学的」に観察して
みてください。
そして、体を構成する各々の部分を、動かしてみてください。
さらに、何か意味のある動作を、やってみてください。

カバラの基本は、「上の如く、下の然り」ですので、「木を見ることで森を見る」という
視点も、それなりに重要になってきます。
ただし、単に、個々の構成部分、すなわち「セフィロト」の動きだけを見るのではなく、
それらの有機的な繋がり、すなわち、それらの動きの裏で起きている「小径たち」の働き
についても、きちんと考慮して見ておいてください。

52 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
The head is not the hand, although one does not function without the other.
頭は手ではないけれども、一方は他方が無ければ機能しない。

And it is not difficult to apply the various parts of the Tree of Life to the body.
そして、「生命の木」の様々な部分たちを身体に適用することは難しくない。

No great intellectual effort is required.
知的な努力は、大して必要とされない。
-- ここまで ---

人間の「body/身体」のパーツは、生物学的な長年にわたる進化と淘汰の結果、見た目も
バランスよく、そして機能的にも効率良く働くように出来ています。
(巨乳が機能的かどうかの議論は、さておいて…)

そして、人間の全身のソリッド的な「身体パーツ」と、ワイヤフレーム的な「生命の木」の
マッチングという意味での相性は、かなり良い感じになっています。
そもそも、人間の「身体パーツ」を意識して、「生命の木」がデザインされているとも
考えられますしね。

さらに言うと、自分自身の「身体パーツ」は、「見える」「触れる」「感じる」ことが
できるものですので、「生命の木」とのマッチングについては、脳内妄想による余計な
補完作業、いやいや知的な努力なるものは、さほど必要とされないレベルでもあります。

このため、誰もが、「生命の木」をチャクラのように自分自身の身体に配置して、ヨガの
ような瞑想を行うことが可能となっています。
さらに、そういう身体的な低次元の世界から得られるエクスタシーっぽいものを感じる
ことも可能です。
そういう意味では、これは、初心者向きの入門ルートの一つであると言えますし、そして
カバラの基本的な修行の一つであるとも言えるわけですよね。

53 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
But when we become aware of our own consciousness, the Personality “I” that
functions in our heads, we may experience difficulty in relating what we observe
to the Tree of Life.
しかし、我々が、我々自身の意識、すなわち、 我々の頭の中で機能する「人格」である
「我」に気づくようになる時、我々は、我々が観察するものを「生命の木」に関連させる
ことの困難さを経験するかもしれない。

Our self-awareness (which is in actuality limited to the Personality for most)
does not fit anywhere on the Tree of Life in toto.
我々の自己認識(それは、実際には、ほとんど「人格」までに制限されている)は、
全体として「生命の木」のどこにも適合しない。
-- ここまで ---

人間の物理的な「body/身体」は、アッシャー界における「生命の木」には、実によく
マッチするのですが、精神的な「consciousness/意識」になってくると、一気に難易度
がアップして、上級者向けの話になってきます。

なぜなら、この「consciousness/意識」というものは、現代科学においても、ほとんど
分かっていないシロモノであり、それゆえ、頭で考える「理屈」が通用しないからです。
つまり人類は、いまだに「我思う、故に我有り」という状態から抜け出せていないのです。

さて、その厄介なる「意識」ですが、「生命の木」においては、「Personality/人格」の
レベル、つまり「星幽的三角形」のあたりに存在していると考えられます。
そしてそれは、我々の肉体器官である「脳」という「マルクト」を通じて作用しているため、
「ネツァク」「ホド」「イェソド」「マルクト」と、それらを繋ぐ「小径たち」に、密接に
関わっていると考えられます。
問題は、「考えられる」という想像レベルで終わってしまっていることであり、明確に、
ここがこういうふうに働いて、意識が作られている、とは言いにくいところなんですよね。
まあ要するに、ワタシも良くわかっていないのですよ。 (^_^;

54 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
The package of thoughts and feelings which we observe does not seem specifically
applicable to any Sephira or Path.
我々が観察する思考たちと感情たちの包みは、どの「セフィラ」や「小径」にも明確に
当てはまるようには見えない。

It can be said that Hod is intellect, that Netzach is intuition and feelings, or
even that Yesod is our faculty of imagination.
「ホド」は知性であり、「ネツァク」は直観と感情であり、さらにまた、「イェソド」は
我々想像力の能力であるとさえも言われることができる。

But when we think about something we are not functioning exclusively in Hod,
anymore than when we use our imagination we are funcioning exclusively in Yesod.
しかし、我々が何かについて考える時は、我々は「ホド」において排他的に機能している
ということはないし、ましてや、我々が我々の想像力を使う時は、我々は「イェソド」に
おいて排他的に機能しているということでもない。
-- ここまで ---

世間にある様々な精神理論はさておき、実際に我々自身の具体的な「思考と感情」を
観察していくと、それらの中身は明確には分離できないように思われてきます。
まあ、物理的なアッシャー界においては、それらのものは全て「脳」という一つの器官の
中で行われているのは明確なのですが、精神的な意味での自分自身の「脳内世界」の
話になってくると、てきめんに自分自身でも理解不能なものとなってしまうのです。

もちろん、ユング心理学の「直観」「思考」「感情」「感覚」のような、個別の判断要素
となりそうなものは、あることはあるのですが、実のところ、それらは密接に絡んでいて、
個々に分離して論じてしまうと、あまり意味を成さないことになっているんですよね。

なぜなのか? そしてどうすればいいのか?
まあ、それが分かれば、こんな苦労はしないわけですよ! ←見苦しい開き直り (^^;

55 :
初めてこのスレを覗いたんだけど
掲示板なのに誰とも会話してないスレなんだね。
なんで?

56 :
>>55
さあ (^_^;;

しいて言えば、誰も会話してくれる人がいないから、かなw

57 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
These qualities are not specific, they are fluid and interwoven.
これらの品質たちは具体的ではなく、それらは流動的で、織り合わされている。

In fact, we are, of necessity, functioning on all Paths at once.
実のところ、我々は、必然的に、全ての「小径たち」に基づいて機能を果たしている。

Our Personality consciousness is the combined effect of what happens on these
lower Paths.
我々の「人格」の意識は、これらの下部の「小径たち」の上で起きていることの結合された
効果である。
-- ここまで ---

「These qualities/これらの品質たち」、すなわち「直観」「思考」「感情」「感覚」
などと呼ばれている「脳内世界」の話は、現代科学をもってしても、直接観測することが
困難であり、かつ取り扱いに困るシロモノです。
結局、自分で自分を観測するしかないのですが、自分で自分の「脳内世界」を観測する
のも非常に困難なので、それゆえ「心理学」という境界分野の学問領域なんですよね。

というのは、人間って、自分自身に対して(まあ、誰に対しても、ですが)正直ではない、
すなわち「誰に対しても嘘をつく」という性質があるからです。
そして、「お前が犯人だろ」「いえ、ワタシはやってません」の取り調べを、自分の中で
しっかりやらないといけないわけです。
さらに、その「警察官」と「犯人役」のやり取りを、第三者が客観的に見ることができる
よう言語化する「書記官」みたいな役割も必要となりますので、なかなか大変です。

つまり、警察官と検察官と書記官になるべく、しっかりと勉強して訓練しておかないと、
そう簡単に「自分の中の人」の本当の姿を知ることは出来ないし、中途半端な技量の
ままで直接対決すると、あっさりと自分自身の中の人に欺されてしまって、自分自身の
ことを勘違いしてしまう目に遭うんですよね。

58 :
>>56
反応が無いってのも寂しいね。
自分にこれだけのカバラの知識があれば良かったんだけど
あいにく何が何の話なんだか、さっぱりわからん。ごめんねー

59 :
>>58
あ、お気になさらずとも結構ですよ。
誰もが最初は、知識が無い状態ですから。 (^^;;

60 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
We cannot separate our thinking capacity from our feeling capacity, but we can
focus on either (the Alchemical process of “Dissolution”).
我々は、我々の感情能力と我々の思考能力を分離することはできないけれども、我々は、
どちらの方でも焦点を合わせることができる(「溶解」の錬金術の過程)。

To do so is to begin the conscious travelling of a Path, where we encounter the
trail left by many others who have pursued the same process.
そうすることは、我々が、「小径」の意識的な旅行を始めることであり、そこで我々は、
同様の過程を追求したことがある、他の多くの人々により残された、踏みならされた小道
に出会う。

The Paths are partly the artificial separation out of twenty-two discrete aspects
of consciousness; they are also the encounter of the same specific qualities in
the Universal consciousness of mankind.
「小径たち」は、部分的には、意識の22の別々の様相たちの中からの人為的な分離である;
それらはまた、人類の「普遍的」な意識における同様の具体的な品質たちとの遭遇でもある。
-- ここまで ---

我々の脳内世界にある「品質たち」、すなわち「直観」「思考」「感情」「感覚」などは、
脳という媒質の中に、渾然一体となって溶けて混じり合っているので、それら一つ一つを
分離して抽出して取り出すことは不可能です。
でも、我々は、我々の脳内において、自らの意識を、「直観」「思考」「感情」「感覚」の
いずれかに集中することは可能です。
よくあるのは、「考えるな!感じるんだ!」ですよね。

そして、それらを自らの脳内で、じっくりと分析していくと、個人的な自己の脳内世界が、
先達たちが我々に残してくれた、22の「小径たち」で象徴される、人類の普遍的な世界観
と一致しているということが、段々と理解できて来るということです。

61 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
Using the formula "As Above, so Below," we begin by studying our own personal
intellectual and intuitive functions.
「上の如く、下も然り」の公式を使うことで、我々は、我々自身の個人的な、理知的で
直観的な機能たちを勉強することから始める。

As we begin to understand these, we also begin to recognize their patterns in all
created human beings.
我々がこれらを理解し始めるにつれて、我々はまた、全ての創造された人間たちの中に
ある、それらの様式を認知し始める。
-- ここまで ---

「intellectual and intuitive functions/理知的で直観的な機能たちを勉強すること」と
いうのは、「感情」や「感覚」ではなく、「直観」と「思考」、すなわち、ごく普通に
行われている勉強から始めようということです。
つまり、基礎知識を習得し、それを頭で理解し、次にそれを「自分自身」に実践的に応用
して、体で覚えるということですよね。
まあ、ごく当たり前のことなのですが、その当たり前のことが当たり前に出来ないのが、
「人間」という存在ですけどね。

ちなみに、オカルトを「直観」と「思考」で語ろうとすると、その論法には神秘学的な
「formula/公式」が必要とされますので、それらの基礎的な定義や定理や公式について、
きちんと理解して使いこなせるようになっていないと、なかなか大変です。
つまり、部外者には、何を言ってるのか、さっぱりわからないという状態になるわけです。

とはいえ、全ての人間に、「直観」や「思考」や「感情」や「感覚」はあるわけですので、
意識してバランス良く習得していくという態度が必要でもあるわけです。

そうして、自分自身の内なるものを見つめていくことで、他の全ての人間たちのことも、
段々と理解できるようになっていくという流れになっていくわけですよね。

62 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
It may, thus, be appreciated why it is only possible to express these qualities
in terms of symbols.
このようにして、象徴たちの観点からのみ、これらの品質たちを表現することが可能である
理由が、正しく理解されるかもしれない。

The separation of the Body, the Personality, the Higher Self and The Spirit is
only conceptual, the symbols providing a focus for study of any specific aspect
of the inherently indivisible whole.
「身体」、「人格」、「高次の自我」、および「霊」の分離は、ただ単に概念的なもので
あり、本質的に不可分の全体の、何か一つの具体的な様相の研究に向けた焦点を提供して
いる象徴たちである。
-- ここまで ---

オカルトの世界では、一般的な勉強のように言語や数式を使って、世の中の物事を理解して
いくのではなくて、より多義的で多面的な意味を含む「symbols/象徴たち」を使い、そして
我々の中にある目に見えない「内なる世界」を通じて、探究していくわけです。

「言語や数式」というのは、基本的には、物事の「一面」を表します。
それに対して、「内なる世界」は、見方によって、様々な「aspect/様相」を有しており、
一種のホログラムみたいなものになっていますので、それゆえ「言語や数式」でそれらを
完全に表現することは不可能です。
もちろん、単純化することで、一部の概念の「言語化」や「数式化」は可能なのですが、
それはあくまでも「一面」でしかないことは、理解しておかないといけません。

つまり、「内なる世界」が持つ「様々な面」を統一的に記述するための方法としては、
我々は今のところ「象徴」に頼る以外には無いわけであり、それゆえ、我々は「象徴」
の持つ多義的で多面的な意味について、慎重に理解を深めていく必要があるわけです。
そして、その勉強の助けとなるのが、これ以降に解説される、タロットの大アルカナの
象徴たち、というわけですよね。

63 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
32. THE PATH OF TAU
32. 「タウ」の小径

 The Universe
 宇宙

 The Twenty-first Key
 21番目の鍵(大アルカナ)
-- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「タウの小径」です。

さて、ついに最初の「大アルカナ」のカードの解説に到達したわけですが、ここで改めて、
「大アルカナ」の勉強方法について確認しておきたいと思います。

よく言うのですが、占いにおける「大アルカナ」の勉強法では、カードの意味を「覚える」
のではなく、カードの意味を「考える」、「感じる」、「ひらめく」ということを重要視
します。
もちろん、「覚える」ことを否定するわけではないのですが、それはもう重要ではないし、
そもそも記憶に頼る勉強法は、「小アルカナ」まででしか通用しません。
つまり、はっきり言って、「大アルカナの意味」として本などに書かれている文字列は、
実のところ「大アルカナの意味としては、意味の無いもの」であり、実のところ、ほとんど
役には立たないというか、的外れなものばかりなんですよね。

じゃあ、意味を覚えることがダメなら、どうやって勉強すればいいの、ということになる
わけですが、それは、今まで何度も述べてきたように、下位概念である意味を導き出す、
上位概念である「象徴」について勉強する、ということになるわけですよね。

64 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
□ PATH COLOR: Indigo
□ 「小径の色」:「藍色」

□ RELATED SOUND: A Natural
□ 「関連した音」:「Aのナチュラル」

□ PLANET: Saturn
□ 「惑星」:「土星」

□ MEANING: Tau Cross, Equal Armed Cross
□ 「意味」:「タウ十字」、「等しい腕の十字(ギリシャ十字)」

□ DOUBLE LETTER: Power-Servitude
□ 「複字」:「権力と隷属」

□ ESOTERIC TITLE: The Great One of the Night of Time
□ 「秘伝的な称号」:「時の夜の偉大なるもの」
-- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「タウ十字」と、「等しい腕の十字」と、ヘブライ文字の
「タウ」と、「土星」の占星術記号、および「生命の木」における「タウの小径」の位置が
図示された絵が描かれています。

まず、「PATH COLOR/小径の色」の項は、ゴールデン・ドーン体系における『黄金の夜明け
魔術全書』の「第五知識講義」の「4つの色階」の表において、「大アルカナ」は「王の
色階(アツィルト)」に属しているので、その32番目にある「Indigo/藍色」になります。

(次に続く)

65 :
(前の続き)

「RELATED SOUND/関連した音」の項は、ゴールデン・ドーン体系においては、その音階
は「A Natural/Aのナチュラル」、すなわちシャープもフラットも付かない基本の「ラ」
の音階(基本周波数は440Hz)であるとされています。

「PLANET/惑星」の項は、「タウ」が複字ですので、『セフェル・イェツィラー(形成
の書)』においては「惑星」に属し、ゴールデン・ドーン体系においては、そのうちの
「土星」に配属されます。

「MEANING/意味」の項は、ヘブライ文字の持つ意味であり、『黄金の夜明け魔術全書』の
「第一講義文書」の「ヘブライ文字アルファベット」表にある「Cross/十字」に関連する
ものとなっています。

「DOUBLE LETTER/複字」の項は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第四章に
ある「対立する意味」のうち、「Power-Servitude/権力と隷属」となっています。

「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の項は、『黄金の夜明け魔術全書』の「"T"の書」の
最初にある「タロットの象徴たちの称号たち」の表の、78番に書かれているものです。

とりあえず、以上が、「タウの小径」を象徴するものたちとなります。

だから何、とは聞かないでください。

その理由は、自分自身で考えるのですから。

66 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Thirty-second Path is the Administrative Intelligence, and it is so called
because it directs and associates, in all their operations, the seven planets,
even all of them in their own due courses.
「知恵の32の小径たち」:「32番目の小径」は「管理する知性」であり、 それは7つの
惑星たちの、それら全ての運行たちを、さらにそれらの全てにそれら自身に相応の進路を、
指導し関連付けるがゆえに、そう呼ばれる。
-- ここまで ---

ここは、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー
(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」からの引用です。

要するに、我々に見える宇宙の動きを制御する、運動神経系の末端神経節のような部分で
あって、この働きにより、我々の宇宙の構成要素である「7つの惑星たち」が運行している
ということになります。

ちなみに、「31番目の小径」と「30番目の小径」も、天体の運行に影響する要素となって
いますので、占星術の世界は、「生命の木」においては、このあたりの領域となっています。

さて、この「32番目の小径」は、天体の動きを最終的に司る「末梢神経節」であるため、
ここをうまく乗っ取ってやれば、理論上は、この宇宙もしくは太陽系を支配することも
可能となるわけであり、それゆえ我々にとっては、最も魅力的な領域でもあるわけです。
逆に言うと、「小径たち」を真に制覇するのって、いきなり最初からハードルが高いと
いうことでもあるわけです。

とはいえ、この宇宙である「マクロコスモス」の「小径たち」に対しては、我々は一般
ユーザであるため、書き込み権限を持たず、読み出しのみ可能なんですよね。
つまり我々は、その劣化コピーである自分自身の「ミクロコスモス」にハッキングして
書き込んでみて、その働きを色々と試してみるしか許されていないのでした。

67 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
Study of the Paths begins not with the first card, THE FOOL, but with the last,
THE UNIVERSE.(*97)
「小径たち」の勉強は、最初のカードである「愚者」ではなく、最後の「宇宙」から
始まる。(*97)
-- ここまで ---

ちなみに、(*97)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
97. Refer also, on each card to "Notes on the Tarot," by Mathers, Golden Dawn,
v. I, 141-143 with the "unofficial" discussion of the Tarot Keys, v. IV. ('Book
T'), 209.
97. また、各々のカードにおいては、マサース著の『黄金の夜明け魔術全書』第一巻
141-143ページの「タロットに関する覚書」を、「タロットの鍵たち(大アルカナ)」
第四巻('Tの書')の209ページの「非公式」の考察と共に、参照すること。
This article, entitled "The Tarot Trumps," is signed by "Q.L.," meaning "Quaero
Lucem" the Stella Matutina name taken by Mrs. Felkin.
「タロットの大アルカナたち」という表題を付けられた、この論説は、フェルキン夫人と
思われる「暁の星」団の名前である「探す光」の意味の「Q.L.」により署名されている。
She obviously lacked the profound understanding of the Tarot of either Mathers
or Crowley, but these descriptions have some utility.
彼女は明らかに、マサース氏やクロウリー氏の両者のようなタロットの深淵な理解が欠けて
いたが、しかしこれらの記述には、いくらかの有用性がある。
They are, surprisingly, the only discussion of the Golden Dawn Trumps.
それらは、驚くことに、「ゴールデン・ドーン」の「大アルカナ」の唯一の議論である。
Mathers confined his explanation to those few cards used in the early rituals.
マサース氏は、初期の儀式たちで使用された、これらの少数のカードたちについての、
彼の説明を限定した。
--- ここまで ---
とあります。

68 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
This is because we ascend the Tree of Life, working from our material perspective
("below") to the realms of Pure Spirit ("above").
これは、我々が「生命の木」を登るからであり、我々の物質的な見方(「下」)から、
「「純粋な精霊」の領域(「上」)へと向かって勉強することである。
-- ここまで ---

この本の「小径たち」の勉強では、最後の21番の「宇宙」を出発点とし、最初の0番の
「愚者」を目的地として旅します。
そして、その根拠は、(*97)の「The Tarot Trumps/「タロットの大アルカナたち」の最後
のあたりに、何となく書かれているということです。

ちなみに、この「下から上へ」という勉強法は、ワタシ自身も普通に使う勉強法であり、
最初に「世界」という「生命の木」の入り口でお姉さんと少々遊んでから、「生命の木」
の深遠なる世界の中へと入っていくのが好きです。

というか、ゴールデン・ドーンのカードの「世界」のカードって、どう見てもネオン街に
立つ、「ちょっとワタシと遊んでいかない?」的な人にも見えるわけで、ワタシにとって、
とても親しみが持てるというか、かわいいお姉さんに誘われてるから、ちょっと中に入って
みようか、という感じで、ついフラフラと「大アルカナ・ワールド」へと遊びに行きたく
なるんですよね。

つまり、「世界」から入るのがいいか「愚者」から入るのがいいかと聞かれたら、ワタシ
は迷わず、「世界」から入ることを選択します。

当然ながら、これはタロットをデザインした人の意図でもあるわけで、それゆえ我々の
ような煩悩にまみれた下界の人間は、妖艶なるお姉さんのいる俗っぽい「世界」のカード
から入り、聖なる「小径の旅」へと旅立つことが適切であると考えられるわけですよね。

69 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
Our understanding of the more refined universal patterns is based on what we learn
on this earth.
より洗練された普遍的な様式たちの我々の理解は、この地球の上で我々が学ぶものに基づく。

It is with the earth that serious esoteric work begins and ends, as long as our
Divine Consciousness is functioning through a physical vehicle.
我々の「神の意識」が物質的な媒体を通じて機能している限り、真剣な秘伝的な勉強が
始まり、そして終わることは、地球と共にある。
-- ここまで ---

「生命の木」の「小径たち」は、この「宇宙」のカードを起点とし、「大宇宙への旅」と
「小宇宙への旅」の二つのルートが、もつれ合いながら進行していきます。
そして、どちらも行き着く先は「ケテル」ですよね。

つまり我々は、我々のいる地点において、しっかりと地に足を付け、意識においても
自分自身を見失うことなく、すなわち「我ここにあり」という基底的状態を出発点とし、
上へ、そして下へと旅することが大事であるということです。

そして、その旅する上で重要なのは、今まで我々が地上で勉強してきたこと、つまり普通
の勉強で得られた知識や、普通の人生で得られた経験なのです。
要するに、妄想じみたオカルトの勉強をいくらしてみたところで、「宇宙への旅立ち」の
役には立たないということなんですよね。

とはいえ、この「大宇宙への旅」や「小宇宙への旅」というのは、現代科学においても
超絶最先端の分野であり、シロウトが簡単に知識を習得できるようなレベルでもないわけ
でして、それゆえ難解かつわけわからないシロモノでもあるわけですよ。
現代におけるプロの研究者でさえ理解できない分野を、我々のようなアマチュアのオカルト
ヲタクが、あれこれと詮索するということですので、あまり真剣にならずに、一つの娯楽と
割り切って楽しんでもらう方がいいのかな、と思ったりするわけなのでした。

70 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Path of Tau, THE UNIVERSE, joins Malkuth (the Earth) with Yesod (the Foundation).
「宇宙」である「タウの小径」は、「イェソド(基盤)」と「マルクト(地球)」を結合する。

It is the first Path out of the material condition and leads toward an understanding
of the Personality forged by the Higher Self of Tiphareth for each incarnation.
それは、物質的な状態から脱する最初の「小径」であり、各々の肉体化のために「ティ
ファレト」の「高次の自我」により作り上げられた「人格」の理解へと導く。
-- ここまで ---

我々「人間」は、ざっくり言うと「肉体」と「精神」の二つの要素から成っています。
そして、それらを繋ぐ最初のものであり、かつ最重要のものが、この「タウの小径(宇宙)」
になります。

そしてこれは、「the first Path out of the material condition/物質的な状態から
脱する最初の小径」であるのと同時に、我々が「物質的な状態へと入る最後の小径」でも
あります。
すなわちこれは、我々が「マルクト(地球)」に産まれ落ちる経路そのものであり、
それゆえ、我々が地上から見上げる「宇宙」のカードのデザインは、偉大なる「母なる
宇宙」、はーちゃんのはいてないまるみえのお○○こということになるわけです。

そして、我々が「タウの小径」を遡るには、実は二つの方法があります。
一つは、時間を巻き戻して、母なる胎内へと戻ることであり、もう一つは、時間を早送り
して、死して肉体を離れて霊となって、再生のために母なる胎内へと戻ることです。

そう、「タウの小径」って、実は「マルクト」の三次元空間の上位にある、四次元時空
を構築している「時間軸」をも司っているんですよね。

まあ、難しいことは抜きにすると、このカードは、我々にとっての「聖四文字」である
お○○こを象徴するというのが結論なのです。←強引な結論w

71 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Thirty Two Paths of Wisdom calls this the "Administrative Intelligence," and
says that it "directs and associates in all their operations the seven planets."
「知恵の32の小径たち」は、 これを「管理する知性」と呼び、そして、それは「7つの惑星
たちの、それら全ての運行たちを、導き関連付ける」と言う。

Symbolically, this Path connects the earth with the balanced powers of Microprosopus
represented by the Hexagram (seven planets on the Tree of Life.)
象徴的に、この「小径」は、地球を、「六芒星形」により表される「ミクロプロソプス
(小さな顔)」(「生命の木」の上の7つの惑星たち)の釣り合いが取れた力たちと接続
している。
--- ここまで ---

「大宇宙」および「小宇宙」の出入り口となる「宇宙」のカードの「門」は、我々に
向かって開かれています。(エロい意味で)

そしてそこにあるのは、童貞、いやいや地上に住む我々にとっては、ほぼ未知の世界であり、
そこで初めて、未知の体験をするということになります。

じゃあ、このエロい体験が、何で「Administrative Intelligence/管理する知性」と
呼ばれなければならないのか、ということですが、要するに、この32番目という最低準位
にある知性のレベルにおいては、そういう動物的とも言える人間の「低次の意識レベル」
を、上位陣の力を借りて、しっかりと本能的な欲望を管理して、余分なものをふるい落と
していく役割があるのではないかと、勝手に解釈しているのでした。

まあ、そういうわけで、ほとんどのエロ目的の童貞たちは、このゲートで待つお姉さんに
シコシコしてもらうことで満足して帰ってしまう(管理される)ので、そういう管理された
エロ・トラップを越えて、さらなる神秘の秘門へと立ち入ろうとするような物好きな人間
って、実はほとんどいないわけなんですよね。
以上、勝手な妄想ですが。w

72 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
Tau is the last letter of the Hebrew alphabet.
「タウ」は、ヘブライ語アルファベットの最後の文字である。

Between Aleph and Tau is the entire universe, referred to in Christian Greek terms
as the Alpha and Omega, the beginning and the end.
「アレフ」と「タウ」の間には、キリスト教ギリシャ語の用語たちにおいて、「アルファ」
と「オメガ」、始まりと終わり、と呼ばれている、完全なる宇宙がある。

Tau means cross, a T-Cross as well as one which is equal-armed, which is appropriate
to its position on the Cube of Space as described in the Sepher Yetzirah.
「タウ」は、「セフェル・イェツィラー(形成の書)」において説明されるように「宇宙
の立方体」の上でのその位置にふさわしい、「十字」を、「等しい腕の十字(ギリシャ
十字)」だけでなく「タウ十字」をも意味している。
--- ここまで ---

「アレフとタウ」、「アルファとオメガ」、日本語だと「一から十まで」といった感じで、
この世の全てのものを包括的に表現する用語です。

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』においては、「タウ」は、この宇宙の中心点を
表しており、それゆえ、東西、南北、上下の直行軸が交差(cross)する地点でもあり、
それゆえ、「十字」という意味が象徴的に使われているということです。
元々のヘブライ文字の意味も、「Cross/十字」ですので、なかなか良く出来ていますよね。

実のところ、物質界を統べる法則は、この「タウ」の交差で表されるように、数々の法則が
多次元的に組み合わさったものですので、我々の知る物理法則の多くは、この「タウ」と
いう、我々の物理界の一つ上にある抽象化次元において論じることのできるものも、
数多くあるというわけです。
注意すべきは、それらの法則は、あくまでも上位法則の「Cross/交差」により生まれた
見かけの法則であって、真の法則は、まだ隠されているということなんですよね。

73 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
That book refers to Tau as the "Palace of Holiness, sustaining all things."
その書物は、「タウ」を、「全ての物事たちを支える、神聖なる宮殿」と言及する。

It is both "Power and Servitude."
それは、「権力と隷属」の両方である。
--- ここまで ---

「タウ」は、「セフェル・イェツィラー(形成の書)」の第四章において、「Palace of
Holiness, sustaining all things/「全ての物事たちを支える、神聖なる宮殿」と説明
されているように、この宇宙の物質化という点において、最も重要な地点となっています。

そして、「タウ」は「Cross/十字」であり、かつ、その文字の形を見てわかるように、
上で支えられている一本の棒と、下で支える二本の棒から成ります。
この両者の関係を、「権力と隷属」という見方で、どう解釈するかですよね。

つまり、上で支えられる側が「権力」で、下から支える方が「隷属」と見ることも出来ます
し、下から支える方が「権力」で、、上で支えられる側が「隷属」と見ることも出来ます。
さらに言うと、上で支えられている一本の棒と、下で支える二本の棒から成る宮殿全てが
一体となって、「権力と隷属」を一体的に象徴すると考えることもできます。

つまり、我々は、「タウ」の「権力」に隷属することもできるし、権力により「タウ」を
「隷属」させることも出来るわけです。
そして、そういう「攻め」と「受け」の二面性があるからこそ、「タウ」の世界で遊ぶのは
楽しいし、なかなか飽きることもないということなんですよね。

実際のところ、ここら辺りで楽しく遊んでいるのが、一番楽しいのであって、ここから先は
わけわからない茨の道が続くわけですので、さっさと脱落した方がいいというのも確かです。

74 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
And, when considered on the Cube of Space, it is found to be at the exact central
point of the three Maternal Letters, Aleph, Mem and Shin, the symbolic forms of
energy from which manifestation was created.
そして、「宇宙の立方体」において考慮される時には、それは、3つの「母字たち」である、
「アレフ」、「メム」、そして「シン」、すなわちそこから顕在化により創造された精力の
象徴的な形態たちの、正確な中心点であることが分かる。

The Path of THE UNIVERSE is the key to all of this because it falls at the point
where they all cross (refer again to Figure 24).
「宇宙」の「小径」は、それら全てが交差している地点において、それが降下するので、
これの全ての鍵である(再度、図24を参照すること)。
--- ここまで ---

「宇宙の立方体」における「母字」の配属は、『セフェル・イェツィラー』由来のもの
ではなく、近代の定義によるものですので、ワタシ的には、あまり重要視するものでは
ないと思うのですが、とりあえず、ここでは、重要な「key/鍵」であるとされています。

とはいえ、「母字」の話を抜きにしても、この「タウ」が、この上位世界の宇宙の中心点
にあるということは『セフェル・イェツィラー』にも明記されているわけですし、この
中心点から、我々の物質的な下位宇宙が「manifestation/顕在化」によって創造された
というのも確かです。
すなわち、現代宇宙論で言うところの「ビッグパン」の中心ということですよね。

さて、この「宇宙の立方体」の理論に従えば、我々の物質宇宙と繋がっているのは、この
「タウの小径」だけという話になるわけで、これは「生命の木」の「マルクト」に繋がる
「三本の小径」の理論体系とは、整合性がありません。

この矛盾点がどこから来ているのかを考えてみることは、「生命の木」や「小径」の理解
にも繋がりますので、みなさんも、ぜひ色々と考えてみてください。

75 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
This crossing point, where these primary energies are balanced, is the sanctum
sanctorum of the devotional mysteries.
これらの主要な精力たちが釣り合いの取れた場所である、この交差する地点は、信仰の
神秘的教義の「至聖所」である。

Some writers have even described this Path as "Heaven," or "Nirvana," meaning that
here one experiences the consciousness of the greater universe, an ultimate reality
by comparison with our sensory condition.
何人かの作家たちは、この「小径」を、我々の感覚の状態との比較することにより、ここで
人がより大きな宇宙の意識や、究極の実在を経験することを意味する、「天国」、もしくは
「涅槃」と評しさえしたことがある。

And by the formula of "As above, so below," we understand that our experience of
the completed universal pattern below tells us something about the Creator above.
そして、「上の如く、下も然り」の公式に従って、我々は、下位の完成した普遍的な様式の
我々の経験は、上位の創造者についての何かを我々に語る、ということを理解する。
--- ここまで ---

まあ、難しい話を抜きにして要約すると、下位の「マルクト」にある我々が、「宇宙」の
お姉さんの○○○○に向けて上向きに精力を注ぎ込むことで「別人格の人間」すなわち
「新たな小宇宙」を産み出すという行為は、創造者が「ケテル」に向けて精力を注入する
ことで、「新たな大宇宙」を産み出すのと、似たようなものであるということです。

そういう意味では、我々人間は「創造神」の鏡像であり、我々自身を知ることは、創造神
を知ることと同等であるという屁理屈が成り立つわけです。
つまり、神秘的教義の「至聖所」は、視点を変えれば、よくあるエロ教義の「至性所」と
なるわけですが、神秘的教義のお題目である「上の如く、下の然り」の信仰にこだわる
限り、それらを区別することは不可能なんですよね。
ですので、きちんと見定めて、欺されないようにしましょう。

76 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
One symbol which can be applied to both THE FOOL and THE UNIVERSE, the beginning
and the end, is the Swastica or Gammadion.
始まりと終わりである、「愚者」と「宇宙」の両方に適用できる1つの象徴は、「まんじ
(卍)」または「かぎ十字」である。

In Kether its arms spin so rapidly that they merge and are perceived as a unified
point.
「ケテル」においては、その腕たちはとても速く回転するので、それらは溶け合い、統合
された点として知覚される。

Such is the lesson of THE FOOL.
そのようなものは、「愚者」の学課である。
--- ここまで ---

「Gammadion/かぎ十字」は、ギリシア文字の「gamma/ガンマ」の大文字であるΓΓ」を
四つ放射状に配置したものであり、「Swastica/まんじ(卍)」とは曲がり方が逆に
なっています。
そして、「まんじ(卍)」と「かぎ十字」の両方とも、「ケテル」に配属されており、
それらは「ケテル」においては「高速回転を伴う十字」を象徴しています。
その一方で、回転を伴わない普通の十字は「マルクト」に配属されています。

そういうわけで、最初のセフィラである「ケテル」の「まんじ(卍)」と「かぎ十字」が、
最初の小径である「愚者」に、そして最後のセフィラである「マルクト」の「等しい腕の
十字(ギリシャ十字)」が最後の小径である「宇宙」にも割り当てることができるという
理屈になるわけですが、なぜかついでに、「まんじ(卍)」と「かぎ十字」も「宇宙」に
割り当てようということです。
これはつまり、「宇宙」は、高速回転を伴わない、すなわち知覚可能なほど低速回転して
いる劣化「ケテル」の「まんじ(卍)」であり、「マルクト」で回転が停止して「十字」
になる一歩手前の状態を表しているということになるわけですよね。

77 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
On the Path of THE UNIVERSE, however, it could be said that the Swastica has slowed
its spin so that each of the arms is completely perceptible and are seen to be
perfectly balanced around the central point.
しかしながら、「宇宙」の「小径」の上では、「まんじ」がその回転を遅くしたところで
あるので、腕たちのそれぞれが完全に知覚可能であり、中心点の回りで完全に釣り合いが
取れていることが見られると、言われることができた。

This is the complete expression of The One in matter.
これは、「物質界における選ばれし者」の完璧な表現である。
--- ここまで ---

「The One in matter/物質界における選ばれし者」とは、すなわち「地上に降りた神」
もしくは「地上に降りた天使」のような存在であり、要は「この物質世界を統べる者」
そのものです。

そして、大きな翼をたたみながら着地する天の御使いのようなイメージでもいいですし、
ひらめく天の羽衣を纏った天女が舞い降りる姿でもいいですし、頭のてっぺんにくるくる
回転するタケコプターを付けたドラえもんが着地するイメージでもいいですし、とにかく
天空から地上に舞い降りる姿というものが、この「宇宙」の中にあるわけです。

そして、「上の如く、下も然り」。
つまり、天から舞い落ちてきた少女の下敷きになった「あなた」自身が、新たなる物語の
主人公、すなわち「物質界における選ばれし者」となって、新しい世界へと旅立ち、そして
混沌として波乱に満ちた、もう一つの世界を救うというストーリーもあるわけです。

「宇宙」が示す「タウの道」は、終わりでもあり、そして始まりでもあります。

新たなる物語の始まりを表すカードとしては、なかなか面白いデザインであると思いませんか。

78 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
In discussing THE UNIVERSE we are really discussing the world of matter.
「宇宙」について論じる中で、我々は実際には物質の世界について議論する。

Most people have a dualist conception of themselves: they are body and mind, and
when they dream or meditate, the images which come to them are considered to be
divorced from the physical.
ほとんどの人々は、彼ら自身の二元論的な概念を持つ:それらは、肉体と精神、そして
彼らが夢を見ているか、もしくは暝想する時は、彼らのところに来る映像たちは、身体
から分離されると考えられている。

Yet the Mysteries have stated for generations that the cosmos is all mind, and that
the distinction between mind and body is one of perception, not of actuality.
けれども、「神秘的教義」は、宇宙は全ての精神であり、精神と肉体の区別は現実のもの
ではなく、知覚のうちの1つであると、何世代にもわたって、ずっと述べ続けている。
--- ここまで ---

つまり、我々が見たり聞いたり触ったり味わったりしていると我々が考えている「物質」
というものは、「神秘的教義」においては、我々が現実にそこにそのようにあると考える
ようにあるものではない、すなわち「リアル」とは見なされていない、ということです。

そして、「我思う、ゆえに我有り」という一人称視点を理解できるのであれば、「我、
其れを思う、ゆえに其れ有り」というような第三者的視点というものも、何となく理解
できるのではないかと思います。
つまり、この宇宙の全てのものは、我々が知覚することで初めてリアライゼーション、
すなわち実体化されるという、ちょっとだけ高度な話になります。

ややこしいのは、我々の精神は、肉体とは切り離せないので、どちらが卵でどちらが鶏
かという話になった時は、人類の世代だけでは完結せず、この宇宙の創造神となるべき
「最初に知覚する神」の存在を必要とすることなんですよね。

79 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
In fact, when we close our eyes and see pictures, what we are first seeing is the
most refined form of matter, the images and energy forms which are closest to
the physical condition.
実のところ、我々が我々の目を閉じて映像たちを見る時に、我々が最初に見ているものは、
物質的な状態に最も近い、物事、像たち、および精力の形状たちの中で、最も多くの精錬
された形態である。

The concept which must be grasped (an admittedly difficult one) is that most of
the physical world is unseen.
把握されなければならない概念(疑いなく難しいもの)は、物質的な世界のほとんどは、
見えないことである。

It is for this reason that on the scheme of the Four Worlds, the Malkuth of Assiah
alone is described as our sphere of sensation.
「4つの世界たち」の体系において、「アッシャー」の「マルクト」だけが、我々の感覚の
天球と称されるのは、この理由による。
--- ここまで ---

我々の五感による感覚で認知できるものは、カバラの体系においては、「4つの世界」の
「アッシャー」という最下層の、そのまた最低準位にある「マルクト」に限られます。
感覚器官として最も優れている「目」であっても、遠くの方は、せいぜいアンドロメダ銀河
くらいまでしか見えないわけで、この宇宙全体から見ると、ごくごく一部なのです。
そして、近くであっても、小さいものは見えませんし、光を反射しない物質も見えません
し、何かに遮られていると見えません。

人間は、科学の力で、だいぶんと遠くの方まで、小さいものまで、光を通してしまうもの、
何かに遮られているものも、ある程度まで見ることができるようになってきてはいますが、
まだまだ人間には、見えない、そして知らない世界が、この宇宙には広がっているという
ことなんですよね。

80 :
sage

81 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
The idea is symbolized in the card by the seven pointed star representative of
the Seven Palaces of Assiah.
考え方は、「アッシャーの7宮殿」を代表する七芒星により、カードの中に象徴されている。

To experience the Path of THE UNIVERSE is to be taken to the gateway of these seven
palaces.
「宇宙」の「小径」を経験することは、これらの7宮殿の門に連れて行かれることである。
--- ここまで ---

ここでの「the Seven Palaces of Assiah/アッシャーの7宮殿」というのは、おそらく
「七惑星」、すなわち、我々の目に見える、間近の宇宙系である「可視太陽系」のこと、
つまり、我々が認知可能な「宇宙」の範囲である、「感覚の天球」の領域を表します。

そして、ウォン氏のゴールデン・ドーンのタロットでは、これを表す「the seven pointed
star/七芒星」が、裸の女神の足元に、さりげなく描かれています。

さて、この「宇宙」のカードが、上位世界への入り口であることは、おそらく誰もが直感的
に理解できるかとは思うのですが、それでも、多くの人は、黄道十二宮の輝くネオンサイン
に飾られた、裸の女神像に目を奪われていると思います。
そして、それらが、単なる客寄せのためのイルージョンであることは、賢明な人であれば、
うすうす気づいているかと思います。

そう、地上の我々にとって、「宇宙」のカードの中で最も重要な象徴は、実はこの○○○に
しか見えない「七芒星」であって、ここから大地に向けて噴出する「母なる女神」の○○○
の出てくる穴から、どうぞお入りなさい、という、とんでもない○○○○プレイなのです。

まあ、人間の出す○○○と比べれば、女神の○○○は聖なる○○○ではあるわけですが、
それでも、そういった象徴が堂々と描かれているということは、そういうプレイの要素が
魔術の中に含まれているということにもなるわけですよね。←酷い妄想w

82 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
THE UNIVERSE symbolizes a Path where the components of the Universal Plan become
apparent, without necessarily being understood.
「宇宙」は、必ずしも理解されることなく、「普遍的な計画」の構成要素たちが明白になる
ところの「小径」を象徴している。

One may enter the Holy of Holies, and encounter these forces in such a way that
he is "in them, but not of them."
人は、「最も神聖なる場所」に入り、そして彼は、「それらの中にいるが、それらに属して
いない」ような方法で、これらの力たちに遭遇するかもしれない。
--- ここまで ---

「宇宙」のカードの下部に空いている「七芒星形」の「○門」から、宇宙の体内に入る
ことは、外からは窺い知ることのできない宇宙の体内で何が行われているかを知るための、
偉大なる第一歩となります。

とはいえ、その場所で行われていることは、物理的な身体に結び付けられている我々に
とっては、まだまだ理解することのできないものばかりです。
それに何より、ここはそのうち自然に排泄される場所ですので、たとえ道に迷ったとして
も、じっとしていれば、比較的安全に下界に戻って来れるという特典もあります。
まあ、まだまだ「お客様」というか、単なる異物扱いされているわけですけどね。

そして、ここから先の道を行くには、さらなる「of them=宇宙との一体化」が必要と
されるわけであり、それには必然的に「理解」が必要とされ、そして戻って来れなく
なる危険性も出てくるわけです。

つまり、この「宇宙の小径」は、我々のような入門者であっても、オカルト的なプレイが
比較的安易に楽しめる場所であり、そして、この「神聖なる場所」で女神様の「運」を
付けておくと、下界で色々と良いことがありそうな感じもするわけですよね。

83 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
What is important is that, as opposed to other Paths, the energies are all present
in their full expression, and are self-balanced.
重要なことは、他の「小径たち」とは対照的に、精力たちが、それらの最大の表現において、
全て存在しており、自身で釣り合いが取れていることである。

This, as well as the idea that Tau is the central point of the Aleph, Mem and Shin
Paths, is what is meant by the equal-armed cross.
これは、「タウ」が「アレフ」、「メム」そして「シン」の中心点であるという考え方と
同様に、等しい腕の十字により意味されているものである。
--- ここまで ---

「タウ」は、最後の「小径」ですので、ほぼ全てが完成した状態となってから、最後の
「セフィラ」である「マルクト」へと出荷されていきます。
でも、「地」の要素が欠けていますので、完全に完成した状態ではないわけですけどね。

とりあえず、「タウ」には、「アレフ=空気」、「メム=水」そして「シン=火」が
バランスよく配合され、「マルクト=地」に注がれるという構図になるわけですが、
「生命の木」を見ると、「タウ」は「イェソド=空気」から出ていますので、どちらか
というと、「空気」成分が多めとなっています。
そういう意味では、「self-balanced/自身で釣り合いが取れている」とは言い切れない
わけで、他の「シン」や「レシュ」の「小径」を含めた形で釣り合っているようにも
見えるわけです。

とはいえ、その「濃さ」という意味においては、「イェソド」と「マルクト」を結ぶ
「タウ」が最も密度が高いのは確かですので、理論上は完全ではないにしろ、我々に
とっては、実用上は「self-balanced/自身で釣り合いが取れている」状態であると
言えるということも確かなのです。
要するに、我々にとっては、万能であって、使い勝手の良い「小径」の精力である、
ということになるわけですよね。

84 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
From the standpoint of practical mysticism, THE UNIVERSE may be considered the most
important card in the deck, for it is the point at which we begin the process of
inner exploration.
実践的な神秘主義の見地から、「宇宙」は、それが我々が内なる探究の過程を始める地点
であるため、デッキの中で最も重要なカードと考えられるかもしれない。

It is the point where we step abruptly into a reality that may be at once
frightening and reassuring because so much of what we encounter on this Path is
of our own making.
それは、我々が突然に実際に起こることに足を踏み入れる場所であり、この「小径」で
我々が遭遇するものの大半は、我々自身の制作物であるので、恐ろしいものであるのと
同時に、安心させるものであるかもしれない地点であることである。
--- ここまで ---

つまり、「宇宙」のカードで、お手軽に神秘体験は出来るけれども、その体験の大半は
自らが生みだしたもの、つまり、自らの肉体や精神の状態にまつわる生理的な「夢」に
似たようなものになる可能性が高く、それは本当の意味での「神秘体験」とは、また
ちょっと異なるものであるということです。

そういえば、「夢」って、割と「reality/リアリティ」があるというか、割と現実に
即した形で見ることが多いので、「夢」と「現実」が入り混じって混乱することも
あるのですが、これは「夢」が、あくまでも我々の「現実」の延長上にあるという
ことであり、これこそが、「我々自身が生みだした産物」であるということの証にも
なっているわけです。

要は、本当の「神秘」とは、我々の想像を超えた世界にあるものであって、それゆえ
簡単には理解できないシロモノであるわけですので、それについてあれこれ語るという
のも、なかなかしんどいものがあるんですよね。
だからこそ、「自分で経験してこい!」という放置プレイになってしまうわけです。

85 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
It is on this Path that we encounter our own individual personality consciousness,
all that is inside our heads, divorced from the security of physical reality.
我々が、物質的な現実の安全保障から切り離された、我々の頭の中にあるもの全てである、
我々自身の個々の人格の意識に遭遇するのは、この「小径」である。

It is the initiation of the Personality into its own structure, which is a
Microcosmic Universe.
それは、「人格」の、「ミクロコスモスの宇宙」であるそれ自身の構造への、参入儀式
である。

At the same time, we encounter symbols and ideas which are of a greater
consciousness than our own, and begin to see the ways in which our being relates
to a total universal picture.
同時に、我々は、我々自身のものより大きな意識についての象徴たちと考え方たちに
遭遇し、そして、我々の存在が、完全で普遍的な絵に関連しているという方法たちを
見ることを始める。
--- ここまで ---

「小アルカナ」は、物質的、そして肉体的な「束縛の鎖」からは逃れられない段階で、
それはそれで、自己の身体的なものを見失わないための安全装置でもあったのですが、
この「大アルカナ」で最初に遭遇する「宇宙」の「タウの小径」において、人は初めて
その「重い鎖の呪縛」から逃れ、新たなステージへと進む方法を学びます。

ついでに言うと、ここで「物質的」そして「肉体的」な関連付けが外れてしまいますので、
そこでもたらされる結果は、現世の「物質的」そして「肉体的」なものには反映されません。
要するに、新たなステージで得たものは、そのままでは、この世に持ち帰ることが出来ない
ものであるため、自分自身の中で、ほぼ精神的な面のみにおいて、しっかりと消化し吸収
しておかないといけないものなんですよね。

86 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
This is a Path which can only be successfully travelled by those who have begun
to bring their Personalities into a self-understanding balance; those who have
not will find themselves tormented by phantoms of their own making, and the Gates
closed to them.
これは、彼らの「人格たち」を自己理解の平衡状態に至らせることをずっと始め続けて
いる人々のみが首尾よく通ることができる「小径」である;そうでない人々は、彼ら自身
が作る幻影たちにより苦悩する彼ら自身を見つけ出し、そして「門たち」は彼らに閉じる。

On the other hand, those who have truly come to grips with the life experience
will find inner help and encouragment at every step.
その一方で、本当に人生の経験を把握するためにずっと来ることを続けている人々は、
一歩ごとに、内なる助けと励ましを見つけ出すであろう。
--- ここまで ---

ここの「encouragment」は、「encouragement/励まし」の誤植ですかね。

なお、ここには「幻影たちにより苦悩する」と書かれていますが、当人たちが、それらが
幻影であると気づかなければ、それは幻影には見えず、彼らにとっては、まごうことなき
真実の姿に見えるわけです。

実のところ、これは非常にやっかいであり、結果的に多くの人々を惑わすものとなります。
自分だけは大丈夫とか、自分は他の人とは違うというような思い込み強い人ほど、ここの
落とし穴にハマって抜け出せないことになりがちです。

一つ言えることは、ダラダラまったりでもいいですので、気長に続けていくことです。
そうすれば、そこにあるのは苦悩の茨の道なんかではなく、頭の中お花畑の世界であること
が、何となくわかってくるのではないかと思います。
そう、最初の「宇宙」の「小径」の課程は、まずは肉体という重い鎧と鎖を脱ぎ捨てて、
より自由な世界へと旅立ち始めることなのですからね。

87 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
It is on the Path of THE UNIVERSE that one discovers the extent to which the process
of inner exploration is guided and, particularly, the very real protection and
assistance given mankind by the Archangels.
人が、内なる探究の課程が誘導される範囲と、特に、「大天使たち」により人類に与えら
れた非常に現実的な保護と援助を発見するのは、「宇宙」の「小径」の上である。

Until one begins these exercises, the Archangels are merely an abstraction,
something in which one can vaguely believe or disbelieve.
人がこれらの練習たちを始めるまでは、「大天使たち」は、単に、抽象概念であって、
人が漠然と信じているか、もしくは疑っているかもしれない何かにすぎないものである。
--- ここまで ---

人間が支配する「アッシャー界」。
天使が支配し、「小アルカナ」で象徴される「イェツィラー界」。
そして、大天使が支配し、「大アルカナ」で象徴される「ブリアー界」。
つまり、我々人間は、この最初の「大アルカナ」である「宇宙」のカードの作用により、
初めて「大天使」と遭遇するわけですよね。

とはいえ、最初は、このカードにある「宇宙への旅立ちの門」をくぐることが出来ずに、
「妖怪」の住む妄想世界へのトラップにハマってしまう人が続出する場所でもあります。
まあ、それはそれで楽しいわけですし、実生活に支障さえ無ければ、少々ハメを外すこと
は、我々の人生にとっても、ある程度は必要なことです。

とりあえず、あれこれと試行錯誤しながらでもいいので、この「宇宙の門」を見つけ出す
ということが、大天使のいる「ブリアー界」へと至る最初のステップになります。
とはいえ、ここの最初のステップを越えるのは、簡単な人は簡単なのですが、そうでない
人にとっては、おそらく一生かかっても越えられない壁であるのかもしれません。
まあ、あれこれ言うよりも、一度チャレンジしてみないと分からないんですけどね。

88 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
A word of caution might be in order here.
警告の言葉は、ここの階層の中にあるかもしれない。

Insofar as THE UNIVERSE is a Path of entry to the Astral, it must be borne in mind
that the Astral "seeks to deceive."
「宇宙」が「星幽界」への入り口の「小径」である限り、「星幽界」は「欺くことに努める」
ということを、心に留めておかなければならない。
--- ここまで ---

せっかく「宇宙旅行」の話題で盛り上がっているところに、水を差すようで悪いのですが、
ここで改めて、「宇宙旅行」についての注意事項の確認です。

「宇宙」のカードは、我々の住む最下層の「アッシャー界」の「マルクト」から、一つ
上位の世界にある「イェツィラー界」の「イェソド」へと至る、最も人気のあるルート
です。
それゆえ、多くの成金の田舎者や死に損ないたちが、酒はウマイし姉ちゃんはキレイだ、
と、旅行中にハメを外して大騒ぎするわけです。

とはいえ、この「宇宙」のカードは、我々の魂が上昇していく上での、最初の関門でも
あるわけです。
そして、「成金の田舎者や死に損ない」が、なぜ関門を通過できないかというと、まだまだ
「マルクト」の「物」と「体」に対する「欲望」を捨てきれていないからであり、それゆえ
彼らに見える「リアル」は、実際には、自己の欲望から生まれた幻影でしかないわけです。

とはいえ、「欲望」の無い人間なんていませんので、それを捨て去ることも不可能です。
つまり我々は、この関門を正面から突破するためには、「彼を知り己を知れば百戦殆う
からず」という達人レベルにまで達する必要があるわけで、そのためにも、日々精進の、
まったりとした修行が必要になってくるわけなんですよね。

89 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
A great many people believe themselves to be on one Path or another when they are,
in actuality, entertaining themselves with an extended fantasy.
非常に多くの人々は、彼らが、実際には、拡張された幻想で彼ら自身を楽しませている時は、
彼ら自身は、何らかの「小径」の上にいることを信じる。

We must be extremely cautious in accepting any of the images which appear to us
as a "reality" of any sort, until we have applied every test of reason and feeling.
我々は、私達が理性と感覚のあらゆる検査を適用し終えるまで、あらゆる種類の「現実」
として我々の前に出現する映像たちのうちのいずれかを受け入れることに、極めて用心深く
なければならない。
--- ここまで ---

人間の脳って、セキュリティが甘いというか、複雑な割りには不完全な出来なので、比較的
簡単に「extended fantasy/拡張された幻想」を生み出すことができます。
まあ、寝たり、薬物を使ったり、強いショックやストレスを受けたりすると、割と色々な
脳内イメージが出てきます。
中には、現実逃避的なものもあるのですが、それも含めて、脳にとっては「現実にそこに
あるもの」として認識されるわけです。

でも、そうして生まれる脳内イメージは、あくまでも「マルクト」にある「物理的な人間
の脳」が作り出した仮想現実であり、上位世界とは、ほとんど何の関係もありません。

まあ、分かっている人なら分かると思うのですが、下位世界のエクスタシーを「官能的」
と呼ぶのであれば、上位世界のエクスタシーは「精神的」な喜びに近いものです。
まあ、きちんと説明しようがないので、どうやってそれらを「test/検査」すればいいのか
を一言で言うのは無理なのですが、いずれにしても、最初のうちは、ほぼ全てがニセモノ
と考えておけば、ほぼ間違いないと思います。
でもまあ、下位世界の我々にとっては、「官能的」なエクスタシーの方が利用価値は高い
ので、「花よりだんご」の方がいいということもあるんですけどね。←現実主義者w

90 :
松村元気か〜?嫁さんネット見すぎだろw

91 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
There comes a time when we know that what we are experiencing could not possibly
be of our own making because we are actually learning.
そこで、我々は、我々が経験しているものが、我々自身が作ったものである可能性を持つ
はずがないと知る時が来る。なぜなら、我々は実際に「学んでいる」からである。

We are acquiring new information which can often be verified or corroborated by
research.
我々は、しばしば研究調査により実証される、もしくは確証されうる新しい情報を習得
している。

One way or the other, a considerable amount of the gross must be sorted out before
we come to the subtle.
いずれにしろ、我々は微妙なるものに至る前に、かなりの量の総体は選別されなければ
ならない。
--- ここまで ---

それが上位世界に由来する「the subtle/微妙なるもの」であれ、下位世界に由来する
ものであれ、それらは脳内イメージの「the gross/総体」として認知されます。

そういう「何でもあり」の脳内イメージの原料から、大量のノイズ成分を取り除いた、
その後に残るかすかな信号成分らしきものを抽出して、それを研究調査により実証し
確証していくという、科学的な調査が必要とされるわけです。

要するに、単に「私には見える」からといって、大騒ぎすることは無いわけであり、
実際には、そのほとんどは「肉体的な病気、あるいは欠陥、もしくは精神的な問題」に
由来するものであって、上位世界とは何の関係も無いというのが、現実なのです。

とはいえ、人間である限り、そういう欠陥は憑きものですので、そういうノイズ成分を
どうやって取り除いていくかを、学習していかないといけないわけなんですよね。

92 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
This is one of the most important lessons of THE UNIVERSE, a Path which must be
approached with the virtue of Malkuth, that of discrimination.
これは、「宇宙」、すなわち「識別力」のそれである「マルクト」の美徳によって接近され
なければならない「小径」の、最も重要な学課たちの1つである。

It is only through discrimination that we can place ourselves in the "Administrative"
balance symbolized by the dancing woman draped with the Caph-shaped scarf (reference
to the WHEEL OF FORTUNE) and surrounded by the animal symbols of the Four Elements.
「識別力」を通じることでのみ、我々は、我々自身を、「カフ」の形をしたスカーフ(「運命
の輪」を参照)で覆われ、そして「四大元素」の動物の象徴により取り囲まれて踊っている
女性により象徴される「管理」の均衡の状態に置くことができる。
--- ここまで ---

「マルクト」の美徳が、「discrimination/識別力」であることは、既に述べた通り(P115)
であり、これが備わって初めて、「宇宙」への旅の準備が整います。
つまり、識別力の無い人々は、ニセの「宇宙」へと逝っているわけなんですよね。

「宇宙への旅立ち」において、我々に求められることは、地上での入念なる準備であり、
特に「識別力」を養うことが大事であるということです。
要は、普通に地上の勉強をして、人生経験を積んでいけば、ある程度までは鍛えられる
ものであり、特別な修行というのは、それほど多くは必要とはされません。
ちなみに、肉体的・精神的に多大なストレスを与える荒行っぽいものは、脳内での幻影を
生じるだけですし、それゆえ世間でよく語られている神秘体験なるものには、あまり近づか
ない方が無難です。

そして、本当に必要なことは、そういった「大量のゴミの山」から、自分にとって使えそう
なものを見つけ出す「識別力」ということなんですよね。
というわけで、ワタシはこうして、毎日ゴミの山を供給していますので、もし使えそうな
ネタがありましたら、拾いに来てください。

93 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
In Qabalistic terms, what is represented is, again, the principle of the Four
united by a Fifth which is Spirit.
カバラ主義の表現において象徴されていることは、再び、「霊」である「5番目」により
結合される「4つのもの」の原則である。

Here we may recall that the earliest Qabalists (as in the Sepher Yetzirah)
discussed only three Elements: Air, Water and Fire, with Earth and Spirit being
a later addition to the philosophy.
ここで我々は、最も初期の「カバラ主義者たち」が(『セフェル・イェツィラー』にある
ように)、たった3つの「元素たち」を論じたことを思い出すかもしれない:「空気」、
「水」、および「火」、そして後に哲学に加えられる「地」と「霊」と共に。
--- ここまで ---

「Spirit/霊」は、「Fire/火」「Water/水」「Air/空気」「Earth/地」の「四大元素」
を統一する上位存在であることは、既に述べた通りです。

とはいえ、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』においては、「三母字」に配属された
「三大第一元素」である「アレフ/Air/空気」「メム/Water/水」「シン/Fire/火」
のみ言及されています。
「霊」は上位概念なのでともかくとして、「地」が抜けているのは不思議ですよね。
ちなみに、「四大元素説」は、古代ギリシア発祥なので、初期の「カバラ主義者たち」が、
それを知らないはずは無いので、『セフェル・イェツィラー』において「地」が抜けて
いるのは、明らかに確信犯的であって、何らかの理由があるわけです。
とはいえ、その理由については書かれていないわけですので、後代の研究者が、あれこれと
詮索するためのネタを提供しているということなんですよね。

何事もそうなのですが、「完璧な文書」というものは、伸びしろが無いわけですので、
それ以上の広がりは無いわけです。
つまり、不完全なものの方が、後々、ネタとして楽しめるということなんですよね。

94 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
And, as we have seen, the Tree of Life has changed form over the centuries to
accomodate such conceptual changes.
そして、我々が見てきたように、「生命の木」は、そのような概念の変化たちを収容する
ために、何世紀にもわたって、形態を変化し続けている。

One such important change has related to the Thirty-Second Path which in some schemes
is the only Path connecting the sphere of sensation to the rest of the Tree.
そのような重要な変化の1つは、いくつかの体系たちにおいて「感覚の天球を『木』の
残りと接続する唯一の『小径』」である「32番目の小径」に、ずっと関連し続けている。
--- ここまで ---

ここの「accomodate」は、「accommodate/収容する」の誤植ですね。

さて、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』による定義が不完全な記述となっている
ため、後の時代になって、数多くの「生命の木」の異性体がデザインされ、そして今なお
時代に合わせて進化、というか変化を続けています。
要するに、上級者たちにとっては、「生命の木」の形態は、これが正解というものは無く、
それぞれが好きな体系を選んで研究すればいいということになります。
とはいえ、「何でもあり」というのは、初心者にとってはハードルが高すぎますので、
とりあえず我々は、「ゴールデン・ドーン」の公式形態を使っているわけです。

とはいえ、「ゴールデン・ドーン」の公式形態は、あくまでも一つの形態にすぎません。
そして、世の中には、「the sphere of sensation/感覚の天球」(=「アッシャー」の
「マルクト」)に接続される「小径」が「タウ/宇宙」のみの「生命の木」も、割と普通に
存在しているわけです。(P31の図2参照)

つまり、今まで多くの人が、我々の住む「マルクト」から抜け出すことが可能な唯一の
「小径」として、この「タウ/宇宙」を特別視してきたということでもあります。
まあ、現実的にも、「マルクト」から他の「小径」で上昇することは困難なんですよね。

95 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The addition of the Paths of Shin (JUDGMENT) and Qoph (THE MOON) while primarily
bringing the number of Paths in line with the Hebrew Alphabet, secondarily declared
a direct connection between Malkuth and the two Side Pillars.
「シン」(「審判」)と「コフ」(「月」)の「小径たち」の追加は、第一に「小径たち」
の数を「ヘブライ語アルファベット」に一致させることと同時に、第二に「マルクト」と
2つの「側柱たち」の間の直接的な連結を宣言した。
--- ここまで ---

「生命の木」の、「10のセフィロト」と「22のヘブライ語アルファベットの小径」の配属
の研究は、それだけで頭の痛くなるようなものですので、ここでは深くは触れませんが、
ゴールデン・ドーン公式のような形で「シン/審判」と「コフ/月」の「小径」が、
「生命の木」に追加されたのは、そんなに昔ではないということです。
追加された理由は、上記にあるように、今までは適当だった「小径」の数を「22本」に
決めてしまおうということと、「慈悲の柱」と「峻厳の柱」を、直接、接地することで、
全体のバランスを良くしよう、すなわち見栄えを良くしようということです。

「シン/審判」と「コフ/月」が「マルクト」に接続していない形態では、ほぼ全てが
「イェソド」に一旦集まってから、たった一本の「タウ/宇宙」の「小径」だけを通じて
「マルクト」に至るという、とても頭でっかちな形態となり、何となく不安定さを感じて
しまうので、このゴールデン・ドーンの公式形態は、なかなか良いデザインではないかと
思っています。

とはいえ、実質的には、この「タウ/宇宙」の「小径」が、「生命の木」の上部世界の
負荷のほとんどを支えているのも確かですので、この「タウ/宇宙」の「小径」の重要性
は、何ら変わりは無いということであり、そして我々が生きて上位世界に行くためには、
まずはここを通過する必要があるということでもあります。
そもそも、「シン/審判」や「コフ/月」の「小径」って、生身の人間が通れるような、
お気楽な「道」では無いわけですからね。

96 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
One very interesting illustration from the Sixteenth Century shows a man holding
the entire Tree by the Path of THE UNIVERSE. (*98)
「16世紀」からの、ある1つの非常に興味深い図は、人が「宇宙」の「小径」を持って
「木」全体を支えているのを示している。(*98)
--- ここまで ---

ちなみに、(*98)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
98. This is reproduced opposite the title page to Scholem's Kabbalah.
98. これは、ショーレム氏の『カバラ』に、タイトルページ(本扉)の反対側に複製
されている。
--- ここまで ---
とあります。

この「One very interesting illustration/ある1つの非常に興味深い図」というのは、
1516年にドイツのアウグスブルクで発行された『Portae Lucis/光の扉』という本の表紙
に描かれているもので、このウォン氏の本の31ページにある図2のC(ただし、図形はDと
入れ替わっているので注意)にも掲載されています。
ちょっとしたものを見てみたい方は、ググってみてください。

さて、この「16世紀の図」ですが、「生命の木」の形が「亀」のようにも見えます。
頭部が「至高の三角形」で、手足が「ケセド」「ゲブラー」「ネツァク」「ホド」で、
甲羅は六角形状の「ティファレト」で、尻尾が「イェソド」から「マルクト」に伸びて
いて、人がその尻尾、すなわち「タウ/宇宙の小径」を掴んでいるような感じですよね。
どう見ても、ウケを狙っているとしか思えないほど、意味深な構図となっています。ww

そして、この本のタイトルが『光の扉』もしくは『光の門』ということですので、かなり
昔から、この最下部にある「タウ/宇宙の小径」が、「光の世界」である上位への入り口
となっていることが、何となく理解されていたということなのではないかと思います。

97 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
So we see that for four hundred years, at least, the essential interpretation of
this Path as an experiential foundation for consciously travelling all of the
other Paths has not changed, though the concept has been slightly mitigated by
the addition of the two Paths.
それで、我々は、400年の間、少なくとも、他の全ての「小径たち」を意識的に旅行する
ための経験に基づく基礎としての、この「小径」の本質的な解釈が、ずっと変わっていない
ということがわかる。とはいえ、その概念は2つの「小径たち」の付加により、わずかに
和らげられたところであるけれども。

The principle that we grasp the entire Tree through what is taught on the Path of
the Universe is very profound, and brings us back to the idea of the "As Above,
so below."
我々が、「宇宙」の「小径」の上で教えられるものを通じて「木」全体を把握するという
原則は、非常に深遠なものであり、そして我々に「上の如く、下も然り」 の考え方を思い
出させる。
--- ここまで ---

まあ、今も昔も、この「タウ/宇宙の小径」は、上位世界の「入り口」であると同時に、
ここには上位世界の「ほぼ全て」が凝縮されて詰み込まれているということですよね。

つまり、この入り口からすんなりと入ってしまえば、後は何とかなるわけですので、我々
のような魔術童貞、すなわち未体験の初心者にとっての最大の課題は、ここの関門を、
どうやって攻略し突破するかに、かかっているわけです。
とはいえ、最初からいきなりレベルMAXクラスのラスボスと対戦するようなものなのですが、
このラスボスは、見た目だけは優しいので、雰囲気に騙されて、妄想だけでイカされて
しまって、なかなか中には入れない早漏気味の人も多いんですよね。
簡単に騙されて返り討ちにされないようにするためにも、こちらも、ある程度の経験値と
精力を溜めておいて、じっくりと粘り強く、相手の懐深く入り込むことが必要ということ
なのでした。

98 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
We have discussed the "Will to Form," of Binah, the Great Mother, which is the
origin of life consciousness, and which is Saturn in the exalted Supernal Realm.
我々は、「太母」である「ビナー」の「形の意志」を議論したことがあるが、それは、
生命の意識の起源であり、そして高位の「天上の領域」の「土星」である。

This is the same energy, now completely expressed, found on the Thirty-Second Path.
これは同じ精力であり、今は完全に表現されて、「第32番の小径」の上で発見される。
--- ここまで ---

というわけで、この「タウ/宇宙の小径」のラスボスの正体が、ここから明らかにされて
いきます。

まず、トップバッターとして出てくるのが、いきなり「ビナー」です。
この名前が出てくるだけで、知っている人であれば「何をやっても勝てそうな気がしない」
と思うのではないかと思いますが、実際のところ、100%、全くもって勝ち目がありません。

つまり、カバラを設計した者(すなわち神)は、間違いなく意図的に、最初にラスボスで
ある「ビナー」の分身の高レベルの「タウ/宇宙」に、カバラの志願者を遭遇させようと
しているわけですが、その意図としては、レベルの低い志願者に対して、「お母ちゃんの
おっぱいでも吸っとけ!」という感じで、ここに足止めさせているような感じもあるわけ
ですよね。

この手の「おっぱい崇拝」といえば、「エペソスのアルテミス像」が有名ではありますが、
つまり、この「女神」のいる場所で「おっぱい=現世(マルクト)で命を育むもの」と、
「○○○=上位世界で命を与え、そして奪うもの」という感じに分けられているわけです。

どちらの道を選ぶにしても、我々は、ここでは決して戦ってはいけません。
戦いからは、何も得るものはありませんし、そもそも何のメリットもありません。
ここは、自らの意志でどちらかの道を選ぶか、もしくは幻影の脇道を彷徨うか、なのです。

99 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The female figure at the center of the card is the fullest expression of the Great
Mother who is THE EMPRESS.
カードの中央の女性の人物像は、「女帝」である「大母」の中で最も満ちた表現である。

She is Isis, the Aima Elohim, she is Binah, she is Saturn, she is all the principles
behind what we perceive as matter, the Cosmic Dancer who administers and activates
the Elements.
彼女は「イシス」、「母神」であり、彼女は「ビナー」であり、彼女は「土星」であり、
彼女は我々が物質として知覚するものの背後にある全ての原則たち、すなわち、「元素
たち」を管理し作動させる「宇宙の踊り子」である。
--- ここまで ---

つまり、この「宇宙」のカードの女性像は、レベルMAXのラスボスに他ならないという
ことですよね。

では何でいきなりこんなラスボス級が最も低層である「宇宙」のカードに現れているの
かと言うと、やはりここは「母神」というものがキーワードになるかと思います。

そう、この「宇宙」のカードは、我々の物質世界を産み出す場所なんですよね。

「生命の木」の上位界のエネルギーは、我々の住む「マルクト」を産み出すために、
最後に、この「タウ/宇宙の小径」に向けて注がれます。
そして、この「タウ/宇宙の小径」の中で、最終的な相転移、すなわち物質変換が行われ
ることで、我々のいる宇宙の物質が産み出されていくというわけです。
そして、その、最終的な相転移を導くのが、この「the Cosmic Dancer/宇宙の踊り子」と
呼ばれる存在なのですが、現代科学においては、「弦の振動」というものが、物質の根源的
な姿であると考えている理論もあって、なかなかに興味深いと思います。
いずれにしろ、我々の知っている物質というものは、「宇宙の踊り子」の運動に他ならない
ということになるわけなんですよね。

100 :
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
She is also a doorway to and from Malkuth, Saturn who both gives life and destroys
it, the great tester who rules both birth and death.
彼女はまた、「マルクト」への行きと帰りの出入り口であり、生命を与え、そしてそれを
破壊する「土星」であり、誕生と死の両方を支配する偉大なる試験者でもある。

When we die, leaving behind our "animal skin," it is on this Path that we rise
like the Dancer, surrounded by a ring of stars.
我々が、我々の「動物の皮」を置き去りにして死ぬ時に、我々が、 星たちの輪により
囲まれて、「踊り子」のように舞い上がるのは、この「小径」の上である。
--- ここまで ---

我々は、特に修行などをしなくても、誰もが「産まれる時」と「死ぬ時」には、この偉大
なる「彼女」に、必ず出会うことになります。
つまり、今会えないからといって、焦る必要なんて、何もないわけです。

実際のところ、この「宇宙」の絵柄は、とても宗教的です。
日本人にとって見慣れている仏教芸術に、何と無く通じるものがあると、うすうす感じて
いる人もいるのではないかと思いますが、まさに葬式仏教なるものとは、非常に近い関係
があります。
そう、この「宇宙」のイメージって、「極楽浄土」そのものなんですよね。

ついでに言うと、この「彼女」は、我々の生命を産み出す「産神」であると同時に、我々
の命を奪う「死神」そのものでもあります。
すなわち、我々にとっての本当の「死神」とは、「13:死」のカードに書かれているような
「骸骨像」ではなく、この「21:宇宙」のカードに書かれている、一見そうとは見えない
「裸体の乙女像」なわけです。

ということで、皆さんにも、これが「ラスボス」であるという本当の意味が、何となく
理解できてきたのではないかと思うのでした。


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