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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら17
戦国時代の中心は織田信長
畠山義綱
しかし農民出身なのに天下人までのぼりつめるとは
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武田勝頼 PART26


1 :2020/01/16 〜 最終レス :2020/02/10
武田勝頼を主軸にして、武田家について語りましょう!
http://itest.2ch.sc/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1577253347
前スレ PART25

2 :
長篠からひけなかった時点でどボンクラ

3 :
軍神と言われただけあって合戦の実力は一級品
ただしその才覚をもってしても信玄の負の遺産が大きすぎた

4 :
いや言ってないし

5 :
実際強かったのって信玄が残した武田軍団が機能してた長篠前までで
その後はもう立て直しにも失敗してあっさり滅亡だからなぁ

6 :
信玄は「人は城で石垣で堀」って言って信頼できる人間が集まるから強国になる
と言っておいて自身は人をまったく信用しておらず
トイレに籠って実務をしていた
これが武田の現状を物語っているわけよ

7 :
鉱夫も娼婦も生き埋めにするしな(実際の話なのだろうか)

8 :
やっぱ義信事件で失われた人材もデカいんだろうな
あれがなければ長篠みたいになってもまだ建て直せるだけの人材残ってただろうに

9 :
関係ないだろ
毛利上杉も織田って言うより柴田と秀吉相手に敗戦濃厚だったわけだし

10 :
やはり追放されようがノブに手討ちにされようが本願寺に一揆を起こされようが
安土に出頭し泣いて土下座してノブに許しを請うしかなかったんや・・・
なまじ真面目だった為に徹底抗戦しちまって滅ぼされてしまった

11 :
そもそも信玄が勝頼に義信の飯富みたいな重量級のある重臣をつけてないのが悪い。
跡部とか家柄だけのクズつけてるし。
山縣は無理かもしれんが、内藤か馬場付けたら良かったんだ後見役に。

12 :
信玄はむしろ飯富みたいのをつけたから義信が変な気をおこしたって思ったんだろ

13 :
信玄は飯富の軍事力と影響力を無視できないから武田の跡取りの後継人につけた
それだけ信虎追放の中心人物の板垣甘利飯富は武田で力をもっていた
その他にも甲斐には穴山と小山田がいて武田宗家の力が弱かったから
板垣甘利飯富がいないと政治ができなかった面もある
煩い後継人の板垣が甘利と一緒に戦死したのをきっかけに信玄は一気に実権を握った
だから信玄は政治をするのに武田最強軍の飯富を政治的に利用していたんだろう
飯富的にはおもしろくないでしょうね
あと義信は名門三条の血が入っていて、その血統だけで周囲の田舎侍を黙らせる影響力があった
信玄は義信中心に政治をしていたのは確かでしょう
今川北条上杉も義信の血統は無視できない
それだけ大切に育てた義信がクーデターを起こして死んだっていうは
信玄っていうか武田という戦国大名にとって相当なダメージなった

14 :
>>12
最後まで権力移譲しなかったしな
自分が親追放して嫡男にクーデター起こされたんだから
震えたのも当然と言えば当然だが
勝頼も元はと言えば諏訪の血を継いでて武田の信の字も与えず
諏訪勝頼として高遠城に入れて信濃先方衆扱いしてたし
恨まれてる可能性がないわけではなかったし

15 :
勝頼って哀れだよな
信玄が滅ぼした諏訪の血を引いて諏訪勝頼扱いで
義信が死んで甲斐に呼ばれるも古参連中は諏訪勝頼扱いで
内心馬鹿にしており、見返すために先頭に立って突撃
今度は脳筋扱いでまた失笑される
信玄は義信事件で震えあがって勝頼に権力を譲ろうとはせず
最後にとち狂って織田との同盟破棄して全面戦争開始もすぐに死亡
権力移譲されてなかったから体制固めるまで時間がかかりその間に浅井・朝倉は滅亡
織田を牽制する勢力がいなくなり信長は長篠に3万以上動員して圧倒的な戦力差で勝頼は大敗
バブル崩壊後に業績悪化した親族企業を継いだような間の悪さ
業績悪化の原因を作った親は名経営者とたたえられ、負の遺産継いだ息子は会社を潰した愚息と罵られる

勝頼が越後に逃げずに甲斐で自決したのは武田というブランドに振り回された勝頼の最後の意地だろうな

16 :
結局信玄死後に諏訪勝頼が武田継いで体制固めるには
織田との同盟が必要不可欠で織田を通じて上杉とも和睦し
北条とも同盟復活させた状態で勝頼が継いでれば
国内の地盤固めに数年は専念できた
徳川も大井川越えて攻め込んでくるとは思えないし
松姫を信忠の正室に送り込んで嫡男生まれてりゃ武田の立場も盤石だっただろうし
信玄の最後の気まぐれが武田を滅亡させたとしか言いようがないな

17 :
武田ブランドなんざ投げ捨ててノブに土下座すればよかったんだよ
ノブも義理の息子が泣いて頭を下げたら無下にはできまい

18 :
>>7
技術が追いつかないから採算度外視で深い脈堀に行くしかないんよ
信玄時代に金山が枯渇したのではなく正しくは浅い脈が枯渇しただけで江戸時代はちゃんとほれてる

19 :
明智城攻めた時点で完全に勝頼からの宣戦布告だからなぁ
しかもこれが浅井・朝倉滅亡後なんだから
まぁあの時点で対上杉=論外だから織田か徳川と戦うしか拡張方向無いんだけどさ

20 :
負けないで滅亡したならともかく、失策続きで滅亡したのに父親のせいにして勝頼同情する気には全くならないな
こういう同情する輩って環境のせいにするタイプだろ
すぐ何やっても駄目みたいな発想をする

21 :
と意味不明なことを言ってる職歴なしのコドオジがいましてw

22 :
>>20
まあ確かに。
長篠は明らかに勝頼のミスだからな。
というか、なぜあの兵力差で野戦したのかホントにわからん。
あれで仮に勝てても、武田側もかなりの被害は出るだろう。
なぜ、退却しようとしなかったんだか。

23 :
実際本能寺の奇跡みたいな事でも起きない限りどうしようもない
有能な外交官を育成したり登用出来なかったのも痛すぎ

24 :
今川にいた雪斎みたいな坊主か、信長家康みたいに自ら外交を切り盛りするかだが、武田はどっちもダメでしたね。
信玄は目先の利益だけしか見えない。
部下も将来を考えない。

25 :
すねえもんが援軍が来るって言ってんだからすぐ逃げれば良かった

26 :
>>25
というか、鳥居は武士の鏡として助けてやる度量もないのか武田は。あるいは切腹くらい許してやればいいのに、一番恥辱になる磔やるし。
あれでは信長より武田は度量が小さいよな。

27 :
鳥居の逸話って事実なん?最初の出典はなによ

28 :
恥辱になる磔とか個人的感想でしかないからなw

29 :
ちょっとググってみたが甫庵信長記が最初か
眉唾だな

30 :
旗印残ってるくらいだし多少の差異はあっても似たような事はあったんじゃない?

31 :
強右衛門の子供が褒美をもらってるから手柄は立ててる

32 :
なんにしても上杉毛利も織田に敗戦濃厚だったんだから勝頼が織田に勝てないのも仕方がない
しかも戦国の覇者も家康も相手にしている

しかも武田は織田徳川のオールスター相手に数的不利で負けているだけ言い訳ができる
逆に毛利とかほぼ全盛期の状態で秀吉に押されていた

33 :
そりゃ信長とか信忠軍だとか滝川とかの遊撃部隊に地ならしをしてもらった後だしね

34 :
長篠後に武田が生き残る方法って
謙信と信長が対立した時に信長と同盟して松姫を送る
くらいしかチャンスなさそう
その代わりボロボロの武田軍率いて川中島の戦いやることになるから
この時期の上杉軍とまともにやりあって勝てる可能性ゼロ
信長の援軍が来るまで海津城で籠城する以外に道はない

35 :
>>34
謙信には勝てなくても、信濃を制圧は無理だろ地理的に。せいぜい川中島はじめ北信4郡くらいだよ奪われても。

36 :
>>14
他の養子にいった兄弟どころか従兄弟、更には穴山も信を使わせてもらってるのに
なんで勝頼だけ、「勝」にしたのかと思うとやっぱり武田じゃないってことになるよね

37 :
勝頼は最後まで諏訪の人間だったってことだよ

38 :
謙信が甲越相の三和を受け入れればいいだけだわな
あと長生きしてもらわないといけないや

39 :
>>38
謙信が長生きしたら、本能寺が起きるかどうかが微妙になりかねない。さ

40 :
本能寺なくても謙信があのまま北陸一向一揆を率いて南下してたら、荒木離反も別所離反も対応が難しくなって武田どころじゃなくなるからね

41 :
謙信はホントに上洛する気があったか怪しいけどな
あの期に及んで関東攻めの準備中に死んでるし

42 :
そもそも他国跨いで上洛なんてする意味ないわな
拠点離れての活動なんて限界がある
だから信玄や今川の上洛もあり得ない

43 :
謙信は二度上洛してるけどな
経路の大名に話つけたうえで

44 :
謙信って制圧しても領土化しないからね。
上洛戦なんてしても北条があるかぎり
途中で引き上げるのが関の山。
天正壬午の乱で徳川の5倍の兵力がありながら佐竹が動き出すと撤退しなければならず徳川有利な和睦を飲まざるを得なかった北条みたいになる。
中国異民族系の人間で領土経営する気がサラサラない。
破壊、略奪して撤退。
小田原征伐で相模までいったのに相変わらず
越後のはしっこ居城にしたままで引き上げてしまい
松山城奪還され主導権失う。
武田が動くとわざわざ越後まで撤退。関東なんか知らん。
関東かんれいになって平井制圧、厩橋城取ったなら上野に居城移すとか考えもしなかった旧世代の人間。
信長どころか家康でさえ先祖からの岡崎に固執せずたかが三河から浜松までそんな遠くもないのに居城移してる。

45 :
謙信の上洛なんかわずかな供回りでのものだろ
そんなもん義輝の時代に信長もしてるし武田信虎もしてる。
詳しいことはわかっていなく
5000の軍勢を引き連れたなんてのは間違いなく誇張。

46 :
直江津と言う滅茶苦茶オイシイ港を抱えてる上越をなんでわざわざ捨てて関東経営しなきゃならねーんだよ
謙信の時代の関東なんて不毛の地に等しいのに
美濃や近畿と言う尾張より更にオイシイ所に進出できたノブや
岡アなんてさして旨い汁の吸えない拠点から出発した家康とは事情が違う
信玄はド田舎甲斐から拠点を移そうとしなかったから批判されても仕方ないがな

47 :
謙信の上洛が千人規模なのは公家の日記にも残ってるしね
謙信の目は海に向いていたと指摘されてて、能登越中ではしっかりとした占領政策もやってるね
松山城攻略された直後、武蔵下野を転戦して氏康の評判を地に落としてるし主導権なんて握られてないしね
間違いだらけの指摘ですわな

48 :
信虎は大義名分と三条の嫁を信玄に連れてきたりと悪くはなかったよね

49 :
軍勢引き連れて陸路で上洛してたのか
船で能登や越中加賀を迂回して敦賀あたりまで一気に海路で行ったんだろうと思ってたわ
朝倉には通してやるよう将軍から話を付けてもらった上で

50 :
>>42
応仁のチートキャラ大内

51 :
>>44
あれは浜松が必要だったというよりは
岡崎を離れたかったんでは

52 :
岡アに居ると鬼嫁の機嫌を取らなければならないからなw

53 :
実家が旦那のせいで滅ぼされたから恨んでもしゃーなし

54 :
似たような立場だった足利尊氏は鬼嫁にいびられてメンヘラになってしまった

55 :
尊氏すき楠木正成よりすきかも
なんともいえない魅力人間臭さ

56 :
頼朝の嫁も鬼嫁だったな
一夫多妻が当たり前の時代に妾すら持つことを許さなかったんだっけ

57 :
嫁以上に三河武士が全体的にめんどくさい連中だし

58 :
>>56
まぁ子供が複数いれば側室はいらないよね
しがらみが増えるし

59 :
頼朝直系の血筋はすぐ途絶えちゃうんだよね

60 :
>>56
何故武家政権の創始者は揃いも揃って嫁に恵まれなかったのか

61 :
>>59
そういえば直系ってどういう意味だっけ?
信忠の息子秀信の死で信長の直系が絶えたと言ってる人いたけど、
信長の次男信雄の家系が継承されていればいいじゃんと思うんだが

62 :
>>61
信長直系なら信雄含むんじゃない?
ググっても親子関係だから信長直系なら親子関係ある人
嫡流と傍流なら区別しないといけない
信忠嫡流なら秀信まで

63 :
>>62
なるほど直系と嫡流は話が別なのねありがとう

64 :
天皇以外は御家残すのが最優先で
養子でも何でもありだからなぁ
もし信玄が織田と同盟したまま勝頼時代に松姫が輿入れして
織田が歴史通りに急成長して武田が徳川みたいな扱いになった場合
信忠と松姫の三男辺りを信勝の後の武田本家の後継者にねじ込まれたら
御親類衆や家臣団はどういう対応取るのかな?
「勝頼のためにこれは許せない!一戦交えてでも!」みたいな奴は武田家にいなさそう
「諏訪史郎殿より松姫の男子の方が・・・」云々言い出しそう

65 :
>>44
結局の所、大雪が降ると関東と越後間は閉ざされちゃうんで関東に拠点移すと越後が危険になる
逆に御館の乱で、氏政は冬の前に越後から撤退してるんで防御機能も下手に関東に進出するよりも有る
直江津港さえ押さえていれば、と景勝はどんどん勝頼に割譲していったからな

66 :
景勝が勝頼譲ったのってとっくに北条に制圧された東上野と
これまた武田が制圧した奥信濃だから交渉した時点でリアルに失ったものって金だけだよね?
菊姫迎えて武田と同盟するなら緩衝地帯としての奥信濃は別になくても良いし
滅亡寸前なのに奥信濃譲ったら〜なんて言っても意味がない
景勝は生き残るために手段を選ばなかった
それは関ヶ原後の生き残りでも発揮されてる
勝頼に足りなかったのはこのなりふり構わない部分だよなぁ

67 :
いいように利用されただけだから景勝のが上手だったね

68 :
甲江和与で、どんな条件出したら信長が許すと思う?

最低でも

松姫の信忠への降嫁。
武田一門を何名か織田へ人質に出す。
勝頼の隠居と信勝の家督相続。
武田領の割譲。

まず、信長に交渉のテーブルについてもらう条件として、これくらいはしないとダメだろう。

で、和睦交渉はさらに厳しくなる。
はっきり言って、武田は織田が東国制圧するにあたり、自ら尖兵になる覚悟はしないと。

69 :
降嫁は皇族女性が臣下に嫁ぐことであって武田には使わんぞ
そもそも力関係からして織田のが上だし

70 :
降伏しても伊勢北畠の運命を辿りそう

71 :
甲斐一国安堵で大名として家名が残ればいいほう
甲斐のうちいくつかの群を与えられるぐらいじゃね

72 :
1580年以降で甲江和与なんて成立するのは
信長が急死でもして信忠政権の安定まで時間欲しいとかじゃなければ無理だろうな

73 :
信玄が信長を激怒させたから無理だろうな
信玄が死んで勝頼の代になったら、勝頼が俺は信玄とは違うと信長に謝罪&岩村城返還してれば良かったが
明知城を攻めてしまったから言い訳は不可能

74 :
ただの後知恵

75 :
岩村城返すのは秋山が反対するだろうし
信玄を否定=武田家臣による勝頼追放になるだろう
信玄が全部悪いのは確か

76 :
氏真みたいに追放されようが竹千代に土下座する羽目になろうが構わねえよスタンスで
ノブに土下座していれば今頃は名将の名を欲しいままにできただろうに
なまじ真面目だったから・・・

77 :
勝頼って長篠負けた後もまだ織田徳川に無二の決戦挑むとか書いてる馬鹿ですよ?

78 :
>>77
パフォーマンスじゃないの?
味方を一応納得させるための?

長篠以後でそんなことできるかどうかは、後世の我々が〜以前の問題だし。

79 :
「もうダメです勝てません」とか仮に思ってても残さないわな
とは言え現実の甲州征伐のような何もできない滅亡をリアルに思い描けてたかは別の話

80 :
>>78
いやいや、味方が壊滅して痛んでる時にそんな勇ましいこと言われてもしらけるだけよ

81 :
>>80
それがわかっててもやるのが政治だよ。

82 :
>>81
はいはい、最後まで本土決戦と勇ましかった旧日本軍の大本営発表も立派な政治ですねw

83 :
ほんとレベル低いスレだことw

84 :
次の決戦は勝つ!
って他人にはいうやろそりゃ…出来ないと思ってても

85 :
>>68
そもそもその先兵を信長はもう必要としてない
畿内を身内で固めて功臣は地方に飛ばすつもりだったから
下手に既存勢力残すと地方に飛ばせなくなっちゃう

織田家臣団が東国支配しくじるまで隠れ廻って、旧領一揆が全国同時多発的に起きた時にワンチャン掴めるかどうか

86 :
>>76
お前はまだ「ノブ」言うてんのか!
信長でええやないか!
なんかこうムズムズするんじゃ
ノブやめい

87 :
ノブって言っている奴キモすぎ
いつからおるねんw

88 :
岐阜県がノブさまと公式でゆるキャラ出してるから仕方ないね

89 :
東濃侵攻:実入りは少ないがまだ理解可能
高天神城攻略:東遠江支配と西遠江侵攻の為には必要で理解可能
奥三河侵攻(長篠の戦い):理解が困難
御舘の乱での対応:目先の利益に飛び付きすぎ
上野国侵攻:織田徳川とも関係改善せず北条まで敵に回すとか自暴自棄

90 :
勝頼は信長との決戦を急がず東美濃と遠江制圧に力を注ぐべきだったな
川中島に拘った信玄みたいに長期間の兵站が可能で統治が可能な掛川城に
粘り強く侵攻作戦を繰り返していたら長篠のような一敗地に塗れる事はなかった

91 :
>>90
東美濃なんか制圧してどうするのよ。
実入り少ない、隣に超強大な勢力ありで。

92 :
実入り少ないのに下手に領土を拡大するから防衛のための兵が必要になり兵力分散&負担増となり…

93 :
いや東美濃は対織田・徳川の防衛拠点として重要だろ
仮に放棄しても伊那口のどこかに防衛拠点は必要になるから
それなら守りの堅い東美濃が最適になる
それに奥三河の武田派もとても守りきれないから徳川に下る可能性もある

94 :
それなら木曽で十分だろ
織田に喧嘩を売ってまで東濃取る意味はない
織田だって木曽が裏切るまでは武田に本格的に攻められていない
長篠直後も内応がすぐ鎮圧され謙信が動かなかったから武田征伐を止めたくらいだから

95 :
東美濃はいらん
武田を攻めなかったのは攻める必要が無かったから(優先度が低いから)

96 :
間違いの話ならそもそも絶対いずれ潰されることになる織田徳川と戦うのが間違ってるからなぁ

97 :
一敗地に塗れなければじわじわ失血死するだけ

98 :
戦う前から土下座するような家じゃないし

99 :
>>85
1580年の同時期に宇喜多がかなり苦労する形で許されているから、武田も思い切り土下座したら可能性はあると思う。思い切り土下座し、条件は何でも飲むだが。

100 :
宇喜多は織田家を裏切ってませんけど?

101 :
信長は裏切ったから許さないとか感情で動くタイプじゃないと思うけど

102 :
感情で動くタイプじゃなきゃ尚更許さなくね
その時点で許す必要ないし

103 :
>>102
宇喜多は対毛利で利用価値があるからだろ
勝頼にはない
上杉相手に苦戦した場合くらい

104 :
>>103
北条用がある。

105 :
>>104
だとしても徳川が納得しないから無理

106 :
武田か駿河持ってるから徳川が東進できない
武田が信濃上野持ってるから織田が東進できない

最低条件は武田は甲斐以外全部召し上げだろうな

107 :
そりゃそうだろとしか・・・
甲信駿上100万石の大名として残るのはあり得んでしょ

108 :
宇喜多はただの鞍替えってだけで織田に鞍替えするなら大歓迎やろ
そもそも織田が宇喜多を冷遇するだけの理由がない

109 :
>>103
感情で動くタイプじゃなきゃなおさら(武田を)許さなくね
(武田を)その時点で許す必要ないし

110 :
>>109
そう
だから勝頼が土下座すれば信長許してくれるとか、信玄が喧嘩売ったのがいけないというのは的外れ
両雄並び立たずでいずれは衝突が避けられない

111 :
>>104
北条は信長時代は臣従する方向にいってたよ
甲州討伐に雉だの馬だの差し入れしてるし

112 :
北畠信雄みたいな形で名跡だけは残れるかもしれんぞ

113 :
信長は宇喜多を許さない方針だったが秀吉が独断で臣従を認めてやったのでは
武田のために叱責覚悟で身をていしてくれる重臣が織田家にいるかね

114 :
敵勢力分断できたし東に全力を注げるようになったしで宇喜多の裏切りはタイミングが最良だからなぁ
宇喜多と秀吉にとっての毛利が武田にはいない

115 :
>>94
木曽に伊那口まで防衛させるのは無茶すぎない?
そもそも東美濃を取る=織田と敵対関係になる必要が
なかったのはそうだと思うけど

116 :
>>115
東美濃取ってそこを防衛するなら甲斐から信濃通過し、木曽越えてその先の辺鄙な東美濃へ行くルートか
甲州征伐の信忠信長が通ったような遠回り迂回ルートで東美濃の防衛しにいくしかないが
その道のりも信長公記には険難節所と書かれるくらい長く険し過ぎて防衛には不向きじゃね?
援軍にいけずに見捨てるつもりなら高天神の二の舞だぞ

117 :
恵那郡が北三河、信濃平谷下条、飯田、木曽を囲むように位置するから、
恵那取ることで戦線を狭くするって意味でなら守りやすくなるよ。

118 :
>>113
信忠?
本能寺時点で正室の座は空いてたよ
とっくに結婚してる年だよね

119 :
防衛も援軍ありきなのに敵側からは近く容易に囲めて、こちら側援軍に行くのに長く険しい道の先を守ってなんの意味がある
本来なら伊那は秋山虎繁が守るはずだったのに孤立した先で囲われて全滅してるじゃない

120 :
>>117
恵那郡逆に美濃では突き出てるだろ。
あそこを守るためにどこまで甲信で負担するんだ? しかも勝頼が明智まで落としてさらに深みにはまった形になってるし。

東美濃と言っても、恵那郡以外の国衆がほとんど応じてないから、あんなところをいつまでも守るなんて何らかの経済的利点が無いならいらないよ。

景勝が御館で奥信濃を、氏康が川越で駿東を割譲したみたいに、さっさと織田に返したら良かったあそこは。

121 :
囲むようにじゃない、恵那郡が囲まれるようにだ。

122 :
>>118
側室との間に子供は2人いたが、なぜか正室迎えてない。
勝頼も最初の正室死んでから5年も開けてるし、このあたり素早く次を迎えたりしないのかね?

123 :
守りの基本は籠城してる城に後詰め(後巻き)して敵を追い払う
籠城で耐えて敵の兵糧切れを狙う
このふたつしかない
東濃は後巻きするにも甲斐から遠いし敵拠点の岐阜に近すぎて兵糧切れも狙えない

124 :
甲斐を守るだけならイケるんじゃね
あの地形は守りやすい
この場合の勝頼は無理な領土拡大のために重税で苦しめる勝頼ではないので
地元の農民の支持も得られます

125 :
>>124
それを何年やれるのかな?
確かに山岳を利用したゲリラ戦なら、1、2年はいけるかもしれない。
だけど織田徳川が国力に物を言わせて物量戦できたら、甲斐しかない武田はいずれ音をあげるしかなくなる。
勝頼はとにかく、織田に1573年の時点で頭を下げるべきだった。浅井と朝倉が滅んだ時点で詰んでるんだから完全に。

126 :
>>124
ただし駿河関連の利権全部捨てさせられて最前線に立たされる穴山が裏切らないことが条件になります

127 :
穴山みたいな不穏分子は予め誅しておけば良い
信玄が一族の勝沼衆(勝沼信元)を始末したようにな

128 :
ガガイ
信濃に利権持ってるやつらにも同じように戦いもせずそれ全部捨てろって言うんだろ
で不満持つやつ全員Rと
誰もいなくなるな

129 :
新規仕官者募集!
お主達の努力で武田家をすくえ
IDに出た数字の分だけ知行を貯めて百万石86
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1579478342/

130 :
結局、武田に必要なのは、勇猛な武官ではなく、全体的に周りが見える外交官と政治家だったな。雪斎が武田にいれば……

131 :
真田というミニ信玄がいるじゃない

132 :
多少知恵は回るといったくらいで全体が見える程視野の広い人物だったとも思えないな
中央にコネがある訳でも無いし

133 :
なんつーかハメ技探し、バグ探しの天才ってイメージ

134 :
それで勝頼が長篠城を取ったら本当に織田は撤退するのだろうか?
徳川・織田が長篠城を取り返すために持久戦になったら
織田に大軍を維持するだけの兵糧はないので
徳川から調達するのだろうか?
徳川はその条件を飲まざるをえない。
それとも兵糧が足りないので兵の半分を尾張に返して戦うか?
織田にはいろんな選択肢があるけど、
武田は城を取っても武田軍自体が攻めるときに城を壊してるので城の防御機能は
ほとんど失われている。また兵糧は武田も厳しかった。
それなら、織田徳川は城を奪い返しにくるだろうな。
つまり、織田の援軍が来る情報を知った時点で甲斐に撤退するしかない。
しかし、なんの収穫も無しに甲斐にもどったら勝頼の威信は下がる。
それでも長篠で大敗するよりはマシ。

135 :
信長は渋々やってきたんで取り返すとは思えない

136 :
>>134
なんの収穫もなしに。
信玄はそれを二回もやって、盛り返した。
勝頼も引くときは引いて、盛り返したらよかっただけ。

137 :
>>135
>渋々やってきたんで

ソースは信憑性の低い甲陽軍鑑ですかな?
信長公記は兵を隠して誘き寄せる気満々でしたよw

138 :
だから、もうどこの大名も限界なわけよ
100年ぐらい戦争やっている。なにもしないと時間切れ死ぬ。だからどこも多少無茶をして攻めないと先がなかったのね。
ふつうに考えれば分かることで、戦国時代なんてもんは、毎年大災害が起きているのと同じなんだよ
戦争で死者がでる、侵略されると略奪や刈田や人身売買で土地が荒らされる。
こんなのを後、何十年もやれるわけがないんだよ。だから信長がどうこうより
戦国は確実に収束に向かうわけよ。
ぶっちゃけた話、どこの大名もメチャクチャな総力戦のチキンレースをやっている状態
武田だって第4次川中島の被害が3000程度で、軍事の常識だと最大動員2万程度で3000だと軍が崩壊するレベル
それでもやってこれたのは無茶をしていたから。先が見える信玄ならこの時点で、武田の寿命があと20年程度だと分かっていたんじゃないかな。
あとは最大版図は本拠地から200キロが限界。これ以上になると、戦国大名の性質上、軍事を維持できない
つまり、最前線の城が攻められて大名が援軍を出せる範囲が200キロってこと。
もし見捨てると大名は家臣から信用を失う。勝頼の敗因は高天神城を見捨てたことでしょう

139 :
ガガイ

140 :
>>137
兵を見えないようにしただけの事を、勝手に脳内変換して招き寄せた事にすり替えないでね

141 :
38000の兵を宣伝して行軍すれば武田は引かざるを得ないはず
5万どころか10万の兵と誇大広告してもわからないだろう
それをせずに戦端が開くまで隠し通した
逆に38000もの兵を察知できない武田の諜報力よ

142 :
兵を隠して兵数を見誤ったは流石にない
電撃的に長篠に援軍に来たわけでもなく普通に移動して来たんだぞ?

1000人前後は見誤るかもしれんが万単位で間違えた、測り損ねたのであれば武田家はもはや無能者の集まり

143 :
>>140
信長公記より
武田軍が設楽原に進軍したのを見た信長は
「今度、間近く寄り合い侯事、天の与うる所に侯間、ことごとく討ち果たさるべき」
ってあるから武田を設楽原に誘い込めたことが天の与うる所
兵を隠したことに対して勝頼が引っ掛かるかどうか判らなかったが
勝頼が設楽原に進軍してきた(誘き寄せた)事が信長にとって天の与うる所=最上の結果
であったから尽く討ち取れると信長は大喜びした
しかも信長公記だけじゃなく細川への書状でも武田の「根切り」は目前だと
書状を送っちゃうくらいの喜びようだからな

144 :
単なる個人的憶測
引っ掛ける為に見えないようにした、とは一言も書いてませんな
しかも信長書状まだ勝頼が鳶ヶ巣砦にいて、前進してくる前の物と指摘されてるし

145 :
書状でも根切り、信長公記でも悉く討ち取るとあるから信長はやる気満々だったのはわかるけどな
>>135の信長は渋々だったというソースを出す番だぞw
出せなければ個人的憶測な

146 :
信長公記より
窪地に兵を隠す

勝頼が設楽原に進軍してくる

設楽原に誘き寄せたことに信長は、天の与うる所=最上の結果だと喜んでる時点で個人的憶測でもないけどな

前スレにいたアホも信長が決戦する気がなかったとかいってたがどこにもそんな記述はないしな
天の与うる所で悉く討ち取れると大喜びしてた

147 :
だから信長書状は勝頼が設楽が原に進軍する前の物だと指摘されてるってのに
信長が必ずしも決戦志向ではなかった事は、複数の専門家の先生が述べてることだし
キミのは単なる個人的憶測

148 :
>>147
はあ?進軍前でも進軍後でも根切りって言ってんなら決戦志向だろうが
むしろ武田進軍前から根切りって言ってんなら思いっきり決戦志向だろw
頭大丈夫か?
それと信長公記にも悉く討ち取るって言ってんのに信長は決戦する気がないとか渋々とかどこに書いてあるんだよw

149 :
ID:kV/ky6ahは自分は何一つ説明できず
専門家ガー素人ガーと曲解した持論を
繰り返す菅沼だから

170:人間七七四年 2019/11/01(金) 00:08:47.97 ID:T6v7xsTX
信玄は信長以上の外交上手と谷口克広は評価してるね

250:人間七七四年 2019/11/01(金) 22:28:59.97 ID:nXMa3mHt
研究史も追えてない素人がそんな事言ってもなw
史料解釈が素人にできるなら専門家なんていらねーなw

335: 人間七七四年 [sage] 2020/01/01(水) 11:08:27 ID:2j1tpbSN
信長も秋の本願寺攻めに備えて決戦する気無かった訳だしね

353: 人間七七四年 [sage] 2020/01/01(水) 23:33:43 ID:2j1tpbSN
史料を読むことと解釈することは全く別問題なんで、素人の恣意的願望的解釈なんぞどうでもいいですわw

150 :
>>147
専門家の先生。

誰のことか教えて下さい。

151 :
金子先生、藤本先生ね

152 :
>>151
金子は当てにならん。あいつは公記すら読んでるのか著書を見る限りでは疑問符すらつく。

藤本は初めてで、著書を見たことがない。wikiを見る限りでは著書も少なそうだが、どういう著書を書いてるのか見たことないから何とも言えない。

153 :
藤本先生の著書見た事ないのに長篠についてよく発言できるもんだわ
さすがに呆れ果てる

154 :
本の元は公記やらを引用にしてんだから本も引用してる原文があるはず
本の内容でも軍鑑を引用する説は信憑性が乏しく
学者も可能性があるくらいしか云ってないだろうに

155 :
https://www26.atwiki.jp/dagamatome/
だがの見分け方

>権威主義者らしく、研究者の名前を持ち出して自分の主張を正当化しようとする。

そのまんまだな

156 :
しかもその著書の論説の根拠を提示できないから本人は研究者の本を読んでない事は明らか
それで人様には本を読めとのうのうとほざく

157 :
>>153
藤本ひとりでよくそこまで偉そうに言えるな。
読んでないのはこちらの落ち度だが、金子程度を信じているお前には言われたくないわ。

158 :
こりゃだめだ

159 :
>>156
菅沼なんて昔から曲解と拡大解釈繰り返してるからね
論説の根拠を提示せずに学者の名前しか言わないのは内容を把握して無いか曲解してるのがバレちゃうからだろうね

160 :
>>138
関東は何十年早く戦国始まったけど
上方の介入が無ければまだまだ続ける気まんまんでしたよ?
佐竹の三十三館粛清とか

161 :
kV/ky6ah

菅沼注意。

162 :
さすが鎌倉武士団のお膝元、世紀末関東伝説だな
後北条はあんな弱い軍団でよくこいつらを屈服させられたな

163 :
ヒント:何度負けても服従してくるまで止めない

164 :
仮に勝頼が長篠城を落として、万一、織田徳川が城を奪い返しにきても
武田は守り切れるよね?
確かに城は武田が攻めた際に城の防衛機能はほとんど壊されたかもしれないけど、
武田の1万5千の兵がいれば、織田徳川のたかだか倍の兵力で城を奪い返すのはかなり難しいのでは?
あっ、武田が長篠城を落とした時、織田がそう考えたら、織田は引くよな。

165 :
穴だらけの長篠城で防衛すんのかよ
寝返りで落とした明知城とはわけが違うぞ

166 :
織田は完全に包囲して兵糧切れ待つだろ
史実以上に武将格の損害出そう

167 :
武田にこれ以上長期戦やる余力があるかどうかだな。織田はその気になれば、さらに増員することも不可能ではないし。

168 :
かつて穴だらけ(システム的な意味で)の新府で北条の大軍を撃退した三河武士団がおりまして

169 :
あれはよくやったと思うが、軍の規模とか周囲の状況から見ても勝頼の方が詰んでる

170 :
北条は長篠敗戦後の弱体化した武田に押し込められちゃうくらいだし

171 :
穴だらけの長篠城?
寒狭川の東側に陣取って鳶ノ巣山砦固めたら織田徳川はそれ以上動けないよ

172 :
天正壬午の乱は甲斐の武田旧臣うまく取り込めた徳川に利があった
一方北条が何度もチャンスを掴めなかったのも事実だが

173 :
信長は渋々やってきたんで長期戦はしない

174 :
武田も長期戦なんてできない

175 :
>>173
渋々やって来た。

渋々やって来たなら、3万も連れてくる必要性がない。

176 :
渋々やってきたという資料が織田徳川側にあるのだろうか
信長自らの出陣だが徳川への義理だけなら家臣に3万あずけて出陣させれば十分

177 :
設楽が原に陣取った時点で少なくとも不利な地形で戦うのは回避している

178 :
>>166
結局そうなるだろうしそうなれば経済力勝負になり
武田がそれに勝つ可能性あるか?となるよね

179 :
西や南からどうやって長篠城包囲するんだ?

180 :
じゃあ武田軍はどうやって長篠に籠るんだ?

181 :
そりゃ、補給に関しては大軍を有する織田徳川も武田も厳しいので長期戦はお互い無理だろ。
しかし、山岳戦となれば織田徳川は大群を持て余す可能性大。
つまり、武田が有利ということだ。
織田もそう考えるだろうから、武田が長篠城を落とした時点で織田は撤退する。

182 :
落としたばかりの長篠城で敵中孤立とかやばすぎやろ
誰も支援してくれんし補給も出来なければ援軍すら見込みなし
罰ゲームでしかない

183 :
そもそも長篠城に15000も籠城できるのか?

184 :
遠征で敵地にいるほうが補給は圧倒的に不利
しかも奥三河という貧しい土地で現地調達も厳しい
織田が包囲対峙して膠着させ
徳川が奥三河遠江間の補給を断ったら終わり
浜松城を背後に残して長篠にきているのはなあ
掛川城も取ってない

185 :
15000で籠るんなら勝頼本人は残るんだろ
敵の総大将を自領近くで包囲してそのまま討ち取れるとか千載一遇すぎるチャンスじゃん
帰るわけねえだろ

186 :
武田が長篠城落とした後、織田徳川と対峙するなら長篠城に篭るんじゃなくて鳶ノ巣山砦と寒狭川渡る橋の防御を固める
そこら辺甲陽軍鑑に書いてあるだろ
包囲なんかされないし、そういう地形じゃない
軍鑑だと武田の兵糧は信濃から輸送が容易とも書いてある

軍鑑だから信用できない?
はいはい、それ以外に史料ないんですよ
素人の脳内妄想とどっちもどっち

187 :
>>186
その場合、確かに地形的には先に動いた方が不利だね。ただし、勝頼の性格を考えてみてよ。長篠前に出してる強気な書状を見る限りは、信長や家康より短気なのは明らかだよ。

しかも遠征をこの場合はさらに続行するから、将兵にさらに負担をかけることになるし。勝頼のほうが先に我慢できなくなりそうな気がするんだけどね。信長、家康は慌てる必要性がないし。

188 :
信長も予定してる本願寺攻めに備えなきゃいけないからだらだらとしてられないだろう

189 :
そもそも当初の目的は吉田を攻略して三遠を分断して遠州攻めを容易にするのが目的だろう
吉田攻略に失敗して戦果なしじゃ甲斐には帰れないから長篠にターゲットを変更した
軍鑑の記述は吉田と比べれば長篠は補給が容易って意味じゃ無いのか?
どっちにしても長期化すれば補給面で武田が先に音を上げるのは立地的にも国力的にも明らか

190 :
>>188
予定している本願寺攻め?
長篠前に高屋を攻めて河内平定して畿内に一段落つけてるのに、何で石山を攻めるの? 史実では攻めたのは翌年だし。

191 :
>>186
完全に菅沼じゃんw

http://hissi.org/read.php/sengoku/20190611/NjF1QlNPUGE.html
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1559717511/955
955: 人間七七四年 [sage] 2019/06/11(火) 22:38:47 ID:61uBSOPa
>>894
武田側の重臣達が普通に「信濃が近いので補給が容易。」的に述べて持久戦を
勝頼に推奨していた事なのですが。
かね。


軍鑑盲信
素人連呼は>>155も合わせると菅沼確定申告
池沼だから昔から変わらないんだなw
語尾にねえはもう付けないのか?w

192 :
そうやって煽るとまた長文コピペを連投し始めるぞw

193 :
>>190
本願寺も完全に守勢になってるのに意味わからんよなw

194 :
>>149でも信玄の外交が信長より上だの、根拠を全く語らず、権威主義的な臭い奴がいたからw

195 :
輸送言うなら、伊勢湾から近い織田の方が楽だろ。

196 :
>>193
そりゃ知識が無いから分からないだろう
信長が秋に本願寺攻め表明してるの知らないんだろうな

197 :
5月の時点で一向宗攻め予定してたか?

198 :
軍鑑の著者とやらは長篠の現地視察は当然してるんだよなwwwwwww
それで輸送が容易だっつってるんだよなwwwwww
単に地図見て三河と信濃の国境が接してるから輸送できるだろとか考えたわけじゃないだろうなwwwwww

199 :
信長公記だと長篠合戦の後は摂家や親王と蹴鞠や能を楽しみ
ゆったりとしてたみたいやね
本願寺とは和睦してたから敵対行為する武田に信長自らが出陣したんでしょ

200 :
寒狭川行ってみろwwwww
視点変わるからwwwwww

201 :
>>196
細川への書状で「天下安全の実現のために倒すべき敵は本願寺のみとなった」

もしかしてこれを信長は武田より本願寺最優先の書状だと思ったの?
その前の文を読めば武田の主力を徹底的に潰せたから、残るのは本願寺のみって意味だぞ
アスペルガーと呼ばれても仕方ないね

202 :
>>197
三月の段階で表明してる

203 :
>>202
してねえよ。

204 :
>>202
武田が三河攻めたのが三月下旬な
勝頼本隊ではなく少数の先遣隊
勝頼本隊が攻めて来たから武田迎撃を優先した
上で細川に書いたように信長は本願寺優先ではなく、武田と本願寺が当面の敵と認定してた
武田の主力潰せたからは残るは本願寺ってね

205 :
「本願寺のみと『なった』」
状況が変化したという意味であり、その前は「本願寺のみ」ではなかったことを示す
小学校中学年の国語の問題だな

206 :
>>203
してますがw

207 :
>>188
三月のいつ頃?
武田が攻めてくる三月下旬前なら状況の変化する前だから武田より本願寺を優先してたって証明にはならない
せめて勝頼本隊が来たのを知った四月下旬〜五月上旬あたりで、武田より本願寺を優先するって書状か史料はあったよね?

208 :
3月22日長岡藤孝宛の書状
4月の書状は知らないな

209 :
>>184
500の籠城でも1万5000で耐えていたわけで
武田なら一ヶ月ぐらいは容易に耐えられる

だから問題は、織田の主力と徳川4万が数ヵ月も長篠を包囲できるのか?って話
他を無視して長篠だけに固執する意味があるのか?
織田からしたら地理的に厳しい長篠に固執する意味はないと思うぞ
当然攻める方が犠牲が大きい
だから長篠を取れば武田の勝利だった

210 :
500人で守れる城に1000人入れても500人が無駄になるんやで

211 :
>>210
アホちゃうw
長篠が500しか入らない城なのかとw
武田は砦だけで余裕で3000なのにw

212 :
>>209
バカなことを……
長篠城の広さで15000もどう収容する気だ?
それと長篠城攻めで少なからず弾薬は消費してるはずなのに、すぐ補充する当てはあるのか?

あと、この場合は織田4万を遊ばせておく必要はないな。1万くらいの別働隊組織して、遠州の武田領にちょっかい出すのもいいんじゃね?

213 :
>>211
砦だけで余裕3000。
その砦がいくら急襲とはいえ同数程度の酒井にあっと言う間に落とされたんだから、どれだけ穴だらけの砦を作ったいたんだろうな?

214 :
一万五千で踏みとどまるなら長篠の小城に籠城という形ではなく寒狭川を防壁にした野戦になるだろ

215 :
城の牽制に残した三千全部砦に入ってたの?城の動きに即応できない対岸に全部?

216 :
別に長篠だけで防衛戦を展開する必要はないの
周りは天然の要塞で長篠周辺に防壁をつくればいい
そもそも、織田は4万いるのに1万5000の武田相手に土塁を築いて防衛戦やってたわけよw
これを見ても長篠付近に軍を展開するのは二次被害が出て危険と判断したんでしょう


こんな当たり前のことも想定できないのかとw

217 :
織田徳川が布陣するには十分な広さあるからどちらにしろダメそう

218 :
>>213
アホちゃうw
本気で言っているの?
長篠城と酒井の奇襲の挟み撃ちでどうにもならんのは
アホでも分かるでしょう
菅沼でもここまで言わんぞw

219 :
>>209
あるのか?って
勝頼がいるならあるだろ

220 :
>>208
勝頼は3月24日に書状で大規模な動員かけてるから信長が武田の大規模な侵攻を察知するのは後やね

221 :
>>211
入らないなんて言ってないぞ
無駄になると言っているんやで

222 :
周囲の砦に分散配置したため酒井の別働隊に各個撃破されたが史実の展開だったが
一万五千を分散させたらどうなることやら
地形的に大部分が長篠城の北側に布陣することになりそうだが

223 :
渡河のリスクがあるとはいえ倍の兵力差だからな
四万十川の戦いや山崎の戦いみたいになるよな

224 :
武田が守りに入ったら織田徳川は長篠城の西の寒狭川は渡れない
攻めるとしたら史実の酒井隊のコースしかない

225 :
雑賀衆なみに鉄砲揃えていればね
史実の武田には無理だな

226 :
で、武田はいつまで守りに徹したらいいの?
長篠城を落とす。たぶんこの時点でかなり無理押ししてるから被害はそれなりにでてるだろう。こんなんで長期戦の士気は維持できるの?

227 :
>>6
こいつみたいに物の本質が全く理解出来ない憐れな知能で長文かいてるゴミって死ぬまでこの憐れなザマなんだろな
クズの人生って・・・w

228 :
最近、この板は酷いよな
絶対ありえない話でも強引に正当化してアホみたいな主張を通そうとするイカレたのがいる
長篠の話なんて、ここでも10年以上やってきたわけで
武田が長篠を落とした仮定の話もあっただろうが、そこから織田が長篠を奪い返す展開なんて
主張するのはなかった
最近は、これを平気で主張するのがいるw
ここまで酷いのはいなかったよな

229 :
そのまま15000で籠城する仮定は初めてだと思う
勝頼まで籠ったらそりゃ逃がさんだろ

230 :
武田の国力はどこまで持つ設定なんだろ?
まさか織田の方が先に尽きるとかは言わないよね?

231 :
撤退の容易でない狭い土地で雪隠詰めになったところを、「無理して根競べすることも無いか」って見逃されるとしたら
勝頼はどんだけ信長に馬鹿にされてたんだよって話だな

232 :
5月15日の書状に長篠城の守備は堅固であると書かれてるから長篠城は落ちないでしょ
長篠城が容易に落ちないから信長は兵を伏せて余裕ぶっこいて陣城を築き出した
長篠城が容易に落ちそうにないから勝頼は少数に見える後詰めを追っ払うことにした
落城寸前と書かれてたのは後世の脚色溢れる三河物語だからなぁ

233 :
実際でも後方の田峯が調略されて織田方に寝返ってるのに
長篠に籠ったら勝頼は流石に生きては甲斐に帰れんやろ

234 :
城の兵糧が焼けたってのも三河物語だけの話なんだっけ?

235 :
あの状況で勝頼討てれば東国戦線ほぼ詰みだからな

236 :
>>230
で、こいうアホがなんか言っているだろw
国力ってwwwww
あのな、そもそもな、この話自体がアホなだよ
仮に武田が長篠を落とした場合、織田がそのまま長篠に固執して奪い返す展開にならんわけ
ここをみんな、わかっているから、こういう話がなかったんだよ
こういう展開になったら織田は武田と戦う意味がないから論ずるに値しない
最近、これ平気で越えて、アホみたいに主張するキチガイが沸いてきたと

237 :
勝頼の首なんて無意味とはひどい言い草だな

238 :
>>236
長篠を取ればってアホな話をしているのお前も同類だな
長篠を落城できないから陣城で待ち構える設楽原に進軍したんだから

239 :
>>238
なんで君がそれ知ってるの?
無理すれば落とせたが、どうしても決戦したいからああなった可能性もあるじゃないか

240 :
ねっ
勝頼の首がーってねw
まだ話が通用しないだろw
こんな次元の話をしていない
織田がここで損害を無視して長篠を取りに行く展開を
余裕で主張すること自体イカれているw

よく考えてみ?
他に見えてくるのがある、織田は徳川の救援に向かった
史実の織田は武田とどこまでやりあうつもりだったのか?
土塁の馬柵で防衛を固めた時点で、損害を出したくないってのが見てとれるじゃないの?
奇襲を仕掛けたのも酒井
さて、こういう織田が仮に武田が長篠を落とした場合、危険を犯してまで落としにくるか?

241 :
どうしても決戦したかった(笑)

242 :
ここまでアホの為に親切に説明してやったんだから
さすがにアホでも理解出来るだろうw

243 :
>>240
>土塁の馬柵で防衛を固めた時点で、損害を出したくないってのが見てとれるじゃないの?
前スレで信長が兵を隠した時期と
設楽原に進軍してきた武田を見て信長が敵を悉く討ち取る指令と損害がでないように命令した時期の区別がついてない頓珍漢がいてワロタ
相変わらず信長公記さえ読めてないベルの低さに草生える

244 :
いや理解できんよ
というか自分に都合の悪い事は理解しようとしない
極めて身勝手で我儘なガキだから

245 :
でw
武田が長篠を落とし場合、織田は長篠を落としに来るの?
まだやるの?

246 :
>>244
なるほどなw
なら、もうええわ

247 :
信長公記も三河物語も軍鑑も信長書状もほぼ一致してんだよ
地形的に寒狭川沿いと鳶ノ巣山固められたら織田徳川軍は困ったってこと
こんなの今の地形見てもわかること
当時の寒狭川は溺死するくらいの流れね
それらをシカトして穴だらけの長篠城で戦えないとか、包囲されるとか、長期戦でも織田徳川が勝てただとか妄想書き並べられても困る

248 :
頑として長篠を取り返す取り返さないの話しかしたくないのか?
長篠の地政学的な価値は低くても武田に泥付けることは十分に価値があるだろ
長篠が落ちた場合取り返すこと自体の意味は薄いから城攻めという形ではなく、撤収する本隊に追撃かけるという形になるだろ
間に合わなかったらそのまま撤退すればいい程度の考えだったならまた佐久間に任せればよかっただろ
その程度の目的でわざわざ自ら出張るとか信長はどんだけ暇だったんだよ

249 :
ID:8TGf4I4f
http://hissi.org/read.php/sengoku/20200101/MmoxdHBiU04.html
http://hissi.org/read.php/sengoku/20200102/QTFhT042a3M.html
言ってることが同じで素人連呼だから菅沼別回線かな
長篠城をどうやって落とすかも書かずに、いきなり落とした後から妄想中の菅沼

250 :
さて、そろそろ菅沼はテンプレの如く専門家や素人連呼する頃かな?

251 :
でたー困った時の菅沼認定w

252 :
長篠落城しても織田側が武田に打撃を与えたいと考えているなら、
まず長篠城西岸と南岸の鳶ノ巣山を制圧、
その後は敵前渡河は難しいから別働隊組織して
寒狭川大野川の上流で渡河して武田本隊の包囲と退路と輸送路遮断とかするんじゃ。
一応それやっても何とかなる程度の兵力差と地形だし。

253 :
菅沼は菅沼認定されると非常に都合が悪いと見える
過去の失態で自分に何の信用も無い事くらいは自覚しているのかな

254 :
>>252
勝頼が長篠に籠ったのなら作手亀山や武節、二俣といった周辺の城を調略して孤立化を図るだろ
勝頼が甲斐に引き上げても同様
結局兵站の長い武田が三河まで頻繁に救援に駆けつけるなんてありえないから
孤立化させれば城兵は音を上げる
ノブから見れば家康の離反さえ防ぐことができれば決戦を急ぐ必要は無い

255 :
前スレに書かれてたこれが読めれば武田軍の殲滅と損害が出ないように完勝を目指す指令が出たのは
武田軍が設楽原に進軍した後なのが分かるのにこれさえ読めないレベルの低い>>240が未だにいるのがビックリw

382: 人間七七四年 [sage] 2020/01/02(木) 13:36:23 ID:RDtFNkgO

「敵へ見えざるように」布陣し

「居陣侯はゞ、何れともなすべからず侯ひしを」
「武田四郎滝沢川を越し来」たので

「天の与ふる所に侯間、悉く討ち果たされるべき旨」
を決定し「御身方一人も破損せず侯様に、御賢意を加へ」
「坂井左衛門尉を大将として」「鳶の巣山へ」

その後決戦というのが信長公記の記述
素直に読んだら勝頼が誘い込まれたから撃滅しようと決め
損害を減らすために鳶ヶ巣山を攻めたとなる

http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1577253347/382

256 :
>>251
すぐにレッテル貼りと人格攻撃する人なんぞ相手にするなって
知識レベルも知れたものだから自然と淘汰されてくよ

257 :
・根拠を求められても自分で説明できない
・次に専門家、素人連呼
・信長が渋々きていたと主張
・武田殲滅指令と損害が出ないようにする令は同時に出てたのに、なぜか抜け落ち信長は損害が出ないようにしてたから決戦する気なかったと主張
・甲陽軍鑑を盲信
信長公記さえ読めない知識レベルの低さから同一人物だとすぐ分かるw

258 :
指摘されたことに的確な反応もできない、知識も論理的思考力も欠如した人はいつ淘汰されるのかな

259 :
単発IDで自己擁護も追加で

260 :
史実の織田は1575年中は8月から越前侵攻始めるけど
これは長篠で決戦回避して睨み合いになれば
後回しで長陣しても問題ないだろね
その後年末にかけて行われた信長の官位上昇が
朝廷が信長の天下を公認したと言われてるけど
そのスケジュールは遅れるだろね
信忠単独での岩村攻囲から織田家督継承も
明けて76年正月に波多野秀治の離反や本願寺の再挙兵
これが起きると信長は多分退かざる得ない
なので石山合戦や長島のような年単位の根比べはない
ただその前に武田側から撤退選ぶんじゃないかな
甲信も北陸ほどじゃないけど雪降るから
帰れなくなる可能性出ると動揺するでしょ
そこで戦局動くと思う

261 :
>>257
個人的妄想で満足ならそれで良いのではw
研究史には何の影響も無いんでファンタジーを楽しむといいよw

262 :
勝頼は前哨戦の吉田城の陣で家康に負けた時点で既に詰んでた気がする。
1万1千人の兵で3000人の三河兵に撃退されて腹いせに長篠城を帰りの駄賃で落そうとしたんだろ

263 :
菅沼認定されてて笑ったw

こいつ、24時間監視しているキチガイニートだろ
どんだけ信長が好きなんだよ
働け

ねぇとか菅沼がキチガイ過ぎるから隠れていたけど
こいつも同レベルでヤバイ
やっぱキチガイにはキチガイなんだな

264 :
日曜日に働け…?曜日が関係無くなるような生活をしてるのだろうか…?

265 :
菅沼とやり合ってた奴に1人ヤバいのがいたのは知ってる

266 :
ID:8TGf4I4f
ID:Sc6Hp5iw
片方の都合が悪くなるともう片方が即座に出てくる…妙だな…

267 :
菅沼としてやり合ってた時期に1人ヤバいのがいた

菅沼の体験記か

268 :
ダメだよみんな菅沼なんて呼び捨てにしちゃ
菅沼遼太とフルネームで呼んであげないから怒ってるじゃないか

269 :
ノブって書き込む奴といい
信長信者はキモいのばっかだなw

270 :
気持ちは分かるけど信長自身が自分をのぶって書いてるしなあ

271 :
居酒屋のぶ

272 :
井脇ノブ姐

273 :
ノブの野望

274 :
お笑いコンビ千鳥 ノブ(本名 信行)

275 :
無知なクズしかいなくて草生える

276 :
>>263のID:8TGf4I4fのレス見ると他人をアホだのキチガイだの認定して煽っておいて
自分が菅沼認定されるとブチ切れるって…
しかも史料の記述や長篠の戦いの議論しているのに急に信長がどんだけ好きなんだよと喚きだす…
誰か信長が好きか嫌いか議論してたのか?
しかも日曜に働けって…菅沼と認定されても文句は言えないね

277 :
そもそも戦国板において菅沼って呼称は特定の個人を指す固有名詞じゃないんだよ
・論理的思考力が皆無で思考の過程と結論が全く結びついていない
・知識に乏しい上それを自分に都合よく捻じ曲げて解釈する
・読解力も無いため他人の指摘にドヤ顔で的外れな回答をする
こういった特徴を備えた人間を菅沼という枠に分類しているだけだ

278 :
菅沼遼太だ

279 :
>>276
そりゃ菅沼認定したらもう議論は終了だろ
認定した方が負け

280 :

菅沼認定やめてくれ!

281 :
菅沼「認定」っていう言い方もおかしいんだよ
ID:8TGf4I4fが菅沼遼太と同一人物かどうかはぶっちゃけどうでもいい
ただ彼が菅沼という集合体の一員となるのに相応しい無知蒙昧ぶりを発揮したのは事実だから菅沼に分類してるだけだ

282 :
>>281
それってただの人格攻撃だよね?

283 :
>>281
議論というのはお互い根拠を求められるのは当然だからな
根拠を求められたのに、それを自分で説明できない&拒否してる時点で議論には参加していないと見なされる
議論に参加できない知的障害=菅沼に類する何かと呼ばれて
つまみ出されるのは当たり前の事だしな

284 :
>>282
「イカれたの」「アホ」「キチガイニート」とか人格攻撃しまくりの奴が昨日いましたね
ID:8TGf4I4fっていうんですけどね

285 :
>>284
君が先に人格攻撃してるようにみえるよ

286 :
>>285
折角ID引用してるんだから読めばいいのに。
「キチガイニート」は菅沼認定の後だからともかく、
他はただ単に自分と意見が違うだけの人間に向かって先制攻撃加えてるやん。
てか俺は昨日は発言してないけど。

287 :
自分の気に入らない意見を言う者=菅沼だからね
基地外同士で一生やってりゃいい

288 :
>>191
とか>>249とか

流れぶった切って菅沼認定
菅沼認定して何が得られるのか不明

289 :
>>288
>>209
>だから長篠を取れば武田の勝利だった
と自分がIFの話をしておいて
その後の他人のIFの話はアホだの煽ってればそりゃアスペとして菅沼認定されるw

290 :
>>289
文句があるならそう言えばいい
菅沼認定するから荒れるんだろ

291 :
>>290
キャーステキ
スガヌマサンダイテ!

292 :
>>290
話きいてますか?
ID:8TGf4I4fは先にアホだの煽って暴れてたから菅沼認定された

293 :
>>292
210、213、230あたりは自分もアホだと思う

294 :
他人のふりw

295 :
>>294
別人です

296 :
>>295
バレバレですよ

297 :
安土本丸3000人の話は菅沼

298 :
>>293
アホとか人格攻撃して何が得られるの?

299 :
菅沼認定がダメならアホ呼ばわりも駄目
アホ呼ばわりが許されるなら菅沼認定も無罪放免
至極簡単な理屈だ

300 :
https://i.imgur.com/oKmFqe9.jpg

301 :
>>299
アホだけで終わってないからな
菅沼認定はただの捨て台詞

302 :
210、212、223あたりはそもそも長篠城辺りの地形も理解していない
軍鑑も信長公も読んでいないのか理解していないのか
軍鑑、信長公記、三河物語全て無視して武田が守りを固めても織田が勝てたなんて書かれてもただの妄想だろとしか

303 :
>>301
ダラダラ長く喋ってりゃ「アホだけで終わってない」ことにはならんよ
結局なんら説得力のある指摘はできてないし、人に指摘されたことに対して的外れな反応しかできてないし
アホもただの捨て台詞

304 :
俺が武田勝頼に転生してたら1982年まで粘りに粘って本能寺の変を待って明智を討って清洲会議で三法師の後見人になる。

305 :
菅沼vs菅沼認定
屑の頂上決戦w

306 :
>>302
軍鑑、三河物語と信長公記を横並びさせてる時点で信憑性のある史料の区別がついてないと見える
中身を知らないんだろうなぁ

307 :
困ったら菅沼認定するのは公平じゃない
公平だから議論が成り立つわけで
自分の都合の悪いことを言われると、だれでもかんでも菅沼認定をする
これはもう逃げているのと同じ
じゃ公平にするには、菅沼認定するキチガイニートにも名前を授けないといけない
「菅沼ノブ」
でどうだろうか?

308 :
勝頼は損切りが下手糞な人だったよね。
信長が本願寺・三好と泥沼の戦を始めたから
この隙を突いて家康を殺そうと出征したわけで
吉田城で家康に負け、さらには信長が本願寺と和解して三河に来た以上は
多大な戦費はもったいないけど当初の計画が全て失敗してる事を認めて
退却する以外の選択肢など最初から無かったはず

309 :
>>304
親族が生き残ってるのに他人に後見人なんかさせるわけないだろ

310 :
>>307
>>249で指摘されてるように困ったら他人を素人認定、素人連呼して煽ってた奴が急に被害者ぶるw

311 :
>>306
信憑性があるなしの話ではなく、全ての史料が一致してることに意義がある
ついでに言うと信長の細川宛書状も武田方の陣地は切所で進軍が容易でないと書いており、だからこそ前進せず設楽が原に陣を構え、勝頼がわざわざ出てきたから信長にとって千載一遇の機会となった
その流れや史料を無視して武田が守り固めても織田は攻めて勝てたとか、国力がどうとか書いてるのはアホだろう
言っておくが、それで武田が勝つとは言わないよ
信長にとってその方がずっと嫌だっただろうと思うだけで

312 :
>>307
自分の都合悪くなったから菅沼認定じゃないだろ
頓珍漢なことしか言わないからだろ

313 :
>>310
うんw
だからお互い同レベルだからw
これからは菅沼ノブというコテで頑張ってw

314 :
そもそも織田厨織田厨言い始めた時点で私は菅沼ですってゲロってるようなもんだ

315 :
>>312
頓珍漢なこと言ったら菅沼認定なのか
世も末だね

316 :
>>315
まあ許してあげなさい
菅沼さんを恐れるあまり皆疑心暗鬼になってるからね
菅沼さんの切れ味鋭い論説でさんざん論破されてきたトラウマがあるからねこのスレの愚か者共には
だから論戦で敵わないと見るや、もしやこの相手、あの菅沼では?と
今でもその芳名が真っ先に挙がるわけなのよ

317 :
そもそも武田スレで織田厨って言われて発狂する方が
キチガイだと思うぞ
あとノブって言うのもw

318 :
>>311
細川の書状なら5月15日に長篠城の守備は堅固であると書かれ
信長公記にも落城寸前とも書かれておらずゆっくり進軍して陣城を作ってる
勝頼も長篠城は落とすのを止め設楽原に進軍して後詰めを追っ払おうとするくらい
史実でも落とせてないのに長篠城落としたら勝てたと言った>>209は君のいうアホだって話だね

319 :
織田厨という言い方は菅沼が使い出したからな
ネトウヨとかパヨクと同じで菅沼と判断するための識別子

320 :
>>319
じゃおれも菅沼だなw

321 :
>>320
正解

322 :
>>320
菅沼は回線は複数もち
そのうちのいくつかはID変えまくって自演してる
菅沼wikiまで出来る始末

323 :
>>315
だからさ、菅沼って特定の個人を指す言葉じゃないんだよ
頭が悪くて話が通じないという状態を示してるだけ

324 :
>>322
いやそれお互い様やろw
菅沼ストーカーニートも自演しまくっているぞw
もうわかるんだよ
本能寺と信忠スレで秀吉信者に粘着しているのとここで菅沼認定しているキチガイは同一人物
こんな過疎板で、都合よく毎日24時間体制で菅沼認定やる奴なんて一人しかいないw

325 :
つまり菅沼と菅沼認定はセットで同レベルってことw

326 :
>>324
24時間云々で全員同じに見えるって菅沼遼太が抱えてた病気じゃないか(笑)

327 :
本能寺の黒幕スレもおかしいんだよ
黒幕の話をするんだから秀吉や朝廷説を唱えるのはあたりまえ
それで個人攻撃しているからなw
>>322おまえのことだよ
で、ここで織田を叩かれると発狂すると

328 :
>>326
上の(>>323)レスみてみ?
もう気に食わないのはすべて菅沼認定するって宣言してるで

329 :
>>326
上の(>>323)レスみてみ?
もう気に食わないのはすべて菅沼認定するって宣言してるで

330 :
>>327
黒幕スレは行ってない
私見を言わせてもらえば本能寺の黒幕なんていないと思ってるので用の無いスレだ
本能寺の変の時の明智はアホだし
新資料が見つかればいいけど明智個人の問題だと思ってるので無理だろう
本能寺の変は永遠の謎が俺の結論

331 :
菅沼は低気圧の接近で自律神経でもおかしくなってるのか?
ここまで発狂してるのは最近あまり記憶にないんだが

332 :
ID変わって他人の振り登場w

333 :
>>324
どう見ても菅沼です。
本当にありがとうございました

334 :
まー結局、手当たり次第菅沼認定してたらこうなる

335 :
別回線で第三者を装うやり方は昔と変わらんよなw

336 :
>>304
羽柴秀吉ってノブの親戚だったんだ〜
アホは黙ってた方が良いよ

337 :
>>309
こっちへのレスだった >>336

338 :
信長公記でも武田が守り固めていれば勝てるとは書いていないが

339 :
本物の菅沼は最近いないだろ
コピペ爆弾ないから分かる
文章も全然違う

菅沼認定厨のニートが常にいるのは分かる
武田を擁護したり、都合が悪いとすぐ菅沼認定するから
未だに見えない菅沼と戦ってるのか知らんけど

340 :
まじでうんざりするよな
消えてくんねえかな

341 :
>>339
>菅沼認定厨のニート

この言葉で菅沼本人がいってるのがすぐわかるw

342 :
菅沼君は最近ホモネタが投下されないので欲求不満とみゆる

343 :
>>324
>本能寺と信忠スレで秀吉信者に粘着しているのとここで菅沼認定しているキチガイは同一人物
>こんな過疎板で、都合よく毎日24時間体制で菅沼認定やる奴なんて一人しかいないw

他のスレに出張してそこでも同じように複数から菅沼認定されるって自分が悪いと思わんのか?
上でも言われてる通り根拠を語らずに他人を素人認定で煽り、アホだのキチガイだの言ってればそりゃ誰からも叩かれる
自分が悪いのが理解できず、他のスレで菅沼認定されたから全員同一人物、毎日24時間監視されてると言い出す病気のは菅沼遼太と同じ
自分が悪いのが理解できないから菅沼遼太とも言える

344 :
俺を含めた菅沼叩きストーカーどもが悪く無いとは言わんが
菅沼遼太みたいに、相手の主張を捏造して論破した事にして根拠のない主張を押し通そうとするような真似はしてない。

345 :
>>344
>俺を含めた菅沼叩きストーカーどもが悪く無いとは言わんが

自覚してるんですね
もう止めような

346 :
>>343
君もネチネチと粘着質で攻撃的すぎ
菅沼並みだよ

347 :
>>345
やめても何も変わらない。
お前が菅沼で無いのなら、荒らしをバカにして楽しむ俺とかの菅沼叩き厨と
全く同じ意識で書き込んでいるお前には言われる筋合いはない。

348 :
>>307
菅沼認定じゃなくて菅沼遼太呼びな
ちゃんとフルネームで書けよ菅沼遼太

349 :
本物の菅沼遼太はもういないって言ってる人に言いたいんだけどさ、あいつ菅沼認定とか菅沼ストーカーとかは書くくせに「菅沼遼太」とは絶対に書かないんだよ。本人以外、自分のフルネームを避ける理由があるか?
俺があいつから「菅沼ノブ」とか呼ばれても何も気にしないよ。菅沼でもなければノブでもないからな
「菅沼」と呼ばれたら「お前らを菅沼ノブと呼ぶぞ」と無意味な反撃をし、「菅沼遼太」呼びをかたくなに避ける存在はこの世に菅沼遼太本人以外いないんだよ

350 :
>>347
>荒らしをバカにして楽しむ俺とかの菅沼叩き厨と

などと自分で自分のことを性格悪いと自白しており、

351 :
>>349
>「菅沼」と呼ばれたら「お前らを菅沼ノブと呼ぶぞ」と無意味な反撃をし、「菅沼遼太」呼びをかたくなに避ける存在はこの世に菅沼遼太本人以外いないんだよ

菅沼と呼ぶのが無意味な反撃だろw
認定して何が生まれるんだよw

352 :
>>343
そもそもアスペルガーというのは諭して治る病気ではない
他人を素人認定・アホだのキチガイだの煽っておいて
自分は全く悪くないと思うのが
アスペルガーだがこと菅沼遼太たる由縁なのだから

353 :
複数から認定っ自演してるだけだからね
たまにはID固定して会話してみなよ
まあ無理だろうな

354 :
>>351
お前はハエやゴキブリを潰す時に生産性を考えるのか?
止めてほしいんなら、痛いから止めてくださいと泣いて頼めよ

355 :
>>334
手当たり次第ではないな

菅沼本人が>>324
>都合よく毎日24時間体制で菅沼認定やる奴なんて一人しかいないw

と毎日看破されてると感じちゃうほど百発百中でブチ切れて発狂している
このスレ見れば素人云々と連呼、暴れている奴にしか菅沼だと言っていない
つまり俺の指摘は全部菅沼遼太一人にヒットしていたと菅沼本人が自白しているわけだ

356 :
これは何のスレ?
勝頼のスレじゃないのか?

357 :
自分では何ら説得力のある意見を言わず、自分と対立する立場に人間に
アホだのイカれてるだのキチガイニートだの罵声を浴びせるだけの人間が出てきてこうなっちゃったんじゃよ

358 :
菅沼の名前出したら荒れるだけなのに学習能力の無さときたら
あ、面白くてやってんのか
性格悪いな

359 :
>>355
わざわざID変えんなよクズ

360 :
菅沼の脳内ではそうなってるみたいだけど順番が逆なんだよな
前スレから素人連呼や他人をアホやら喚いて荒れてたから菅沼指摘しただけなんだよ
そいつが消えれば荒れないw
http://hissi.org/read.php/sengoku/20200101/MmoxdHBiU04.html
http://hissi.org/read.php/sengoku/20200102/QTFhT042a3M.html
http://hissi.org/read.php/sengoku/20200111/WnZjMC8yZEE.html

361 :
>>339
>本物の菅沼は最近いないだろ
>コピペ爆弾ないから分かる
>文章も全然違う
本人は隠してるつもりだけど、滲み出る知識の無さは隠せないわけよ

362 :
アホだのイカれてるだのキチガイニートだの罵声浴びせてたら荒れるだけなのに学習能力の無さときたら
あ、面白くてやってんのか
性格悪いな

363 :
>>360
こんなもんをいちいちリンクしてくる時点で完全に頭がおかしい
自覚してないの?
お前頭おかしいよ

364 :
関ヶ原の真実スレを見習えよ
菅沼がいくら荒らそうが誰も相手にしないからすぐ消えたぞ

365 :
>>360
おまえも大概だな

366 :
>>276
なっ見てみ?
平日火曜の午前、昼間から菅沼がーってやっているわけよw
これでキチガイニートじゃないよって言われても、なんの説得力もないんだよ
ええ加減、働けよ
情けない人生やのー

>>355のレスと投稿時間みてみ?
どこから突っ込めばいいのか、もうあれよw

367 :
つまり>355氏の指摘が大変痛かったということだな菅沼遼太

368 :
菅沼遼太君はニートだから休憩時間の概念さえ分からないんだな
日曜日に働けとかも云うのも納得できるw

369 :
>>364
まぁ関が原は粘着荒らし君が崇拝してやまない衆道の英雄・武田信玄も
ライトな行為を衆道と称した粘着荒らし君が絶対に許せない織田信長も
関りの無い戦いだからなw

370 :
一般的に10時〜、15時〜が休憩時間に入る会社が多いと思うけど
その概念さえないって事は働いたことさえないんだな菅沼遼太君

371 :
菅沼が勝頼の配下に下り
武田を盛り返すのじゃ

372 :
子供部屋おじさん菅沼遼太

373 :
この人まじで単なる荒らしでしょ
異常に攻撃的だし、菅沼とか言い出す人を今後相手する必要ないと思うけど

374 :
アホとかキチガイは良くて菅沼は駄目なのね、了解

375 :
なんで菅沼認定したがるんだろうね
そんなに菅沼が恋しいのか?
菅沼認定して楽しむという意味も常人には理解しがたい

376 :
>>263から先にニート煽りしてた菅沼遼太本人が反撃を食らいニートとバレてしまった菅沼遼太自身の自業自得だよね

377 :
「認定」じゃないだろ。菅沼っていうのはアホとかキチガイと同じただの煽り文句なんだよ
ID:8TGf4I4fは、自分と意見が違うというだけの相手をアホとかイカれてるとか先に煽り立てたから菅沼と煽り返された
それだけ

378 :
>>375
面白いのと、菅沼遼太本人のあぶり出しが理由。
菅沼遼太と呼ぶと嫌がって暴れだすから。
荒れて価値の無いスレでしか菅沼遼太呼ばわりしないよ。少なくとも俺は。

379 :
>>378
それの何が楽しいんだろうな
変わった趣味だね

380 :
これ、完全に荒しやなw

こういうのが通り魔殺人とかやるんだろうね
完全に病気。もう一日中、菅沼がーをやっているよw

381 :
菅沼と決めつけるのとこういう奴が通り魔やらかすって決めつけるのって何が違うんだろう?

382 :
>>380
お前の場合は英一郎のように親にやられるんだろうな
子供部屋おじさん菅沼遼太

383 :
すごいねw
このレスの返しの早さ
さすが24時間体制

もう完全に病気
他にやることないかい!

384 :
>>381
さすがに平日一日中、菅沼ガー!をやるのは異常だろw
まー狂人なら理解できないか

385 :
>>383-384
全員が同じに見えたり監視されてると感じたりするのはこういう病気らしいぞw
https://www.mental-navi.net/togoshicchosho/check/

386 :
手当たり次第、菅沼認定しているのが何を言うのかとw

387 :
手当たり次第といいながら>>355より菅沼遼太には全ヒットしてる模様w
>>380みたいに唐突に通り魔○人とかいうキーワードを使いだす奴が一番怖い
どんな人生送ってたらそんな言葉が唐突に出てくるんだ?

388 :
一日中、菅沼がーやってお疲れさまでしたw
おまえ病気だろ

389 :
だから働こうよ
今日は日曜日じゃないんだよ

菅沼認定してお金は貰えないんだよ
今日一日のレス見てみ?
ヤバイと思わないの?
まー病気なんだろね

390 :
自己紹介文かな?

391 :
要は菅沼遼太と呼ばないでくださいってことだろ
キミが嫌がるんだから続けるに決まってるじゃないか
この人たちはキミが大嫌いなんだから

392 :
惨めだなお前さん
リアルの日常が上手くいってなのは想像に難くない

393 :
菅沼遼太涙目

394 :
自分の主張を受け入れてくれない板住人にコピペ長文荒らしで散々ぱら議論を妨害し
住人を不快にさせて喜んでいたネットテロリストが
僕の嫌がる事はやめろとか醜悪にもほどがあるやろ

395 :
謎の透視能力で菅沼認定

396 :
始めてここ見る人は菅沼認定を見てどう思うだろうか?アホとかなら分かるが、菅沼は何のことだか分からないだろう
そういう想像力がないのが残念

397 :
おまえがコピペ荒らししたせいで新規の住人なんざこの板には寄り付かねーよ
板を過疎らせた戦犯が何言ってやがんだ

398 :
初めて見ても菅沼ってやつがやべーやつだろうなってのはわかるよ
だって>>389みたいな奴なんでしょ?
そりゃガイジですわ

399 :
>>397
少なくとも最近はコピペ荒らしないよね
認定荒らししかいない

400 :
過去はチャラにはならんのよ菅沼遼太くん
それに今菅沼遼太と呼ばれているのはきみの言動が多数の人に不快かつ迷惑だからであってコピペかどうかの問題じゃないの

401 :
>>400
粘着質だなあww

402 :
菅沼遼太くんはそれだけされるようなことをしたからね
そして今もしている。これからもするだろう
草いっぱい生やして余裕のふりをして見せてもダメダメ
きみが困ってることはみんなわかってるんだよ菅沼遼太くん
ホラ、見てごらん。きみ以外のみんなはフルネームで書くようになったよ菅沼遼太くん

403 :
今日も菅沼認定で1日過ごすのか?

404 :
ねえはたまにとある歴史まとめサイトに出没するが武田の話のスレはたまにしかまとめられないから出るに出てこれない
そして他のサイトの武田まとめには影も形もないから既にアク禁されてると思われる

405 :
>>388
そもそもズガヌマって誰

406 :
>>388
間違えた菅沼って誰?

407 :
https://w.atwiki.jp/dagamatome/pages/58.html
菅沼遼太発禁事件

408 :
君たち良く考えてみなさい
例えば君たちが菅沼認定されたとする
ID:8TGf4I4fみたいにアホだのイカれただの先に言っていたんなら自分に非があるのは確実
史料を読んでなく史料を読めと指摘されたらそれも自分に非がある
俺は菅沼と別人だから次からは菅沼と呼ばれないように暴言はやめ、史料も読んでちゃんと説明できるようにする
荒らしの菅沼と同じ扱いされるのは嫌だから呼ばれないように対策する
それで日付が変わってIDが一斉に変わったら指摘された事をしないようにして何食わぬ顔して議論に再参加する
まあこれが菅沼と別人の場合の対応だろう
でもさ、今菅沼と呼ばれてる人の対応は菅沼と呼ぶ奴を悪とし、菅沼への批判がまるで自分が受けてるかのように個人攻撃しまくり
そして菅沼遼太と名を出すこと自体を悪としてやめさせようとしているよね
不思議だよね
本人の可能性が限りなく高い

409 :
彼はアホ、キチガイ、ニート、イカれたと相手を認定しておいて菅沼認定だけはダメだと言ってるからなww

410 :
すげえ粘着ぶりだなお前w

411 :
反撃して来んな!黙って罵倒されてろ!
と、菅沼遼太が申しております。

412 :
都合が悪いと菅沼認定

413 :
罵倒荒らしに会ってまともな話も出来ない事が、都合悪くて何がおかしい?
まともに議論出来ないから、菅沼遼太と呼んで菅沼遼太本人かどうか確認して
まともなヤツは去り、代わりに俺ら菅沼遼太マニアが相手する。
昔からずっとこうだろ?

414 :

管沼認定は的中してるから止めてくれ!

415 :
くだぬまになってるよ

416 :
もう菅沼の話題はやめない?

417 :
えっと
武田が川渡らず守り固めたら織田は勝てたか

織田が来るまでに長篠城落とせたか
長篠城落ちてたら織田はどうしたか
長篠城落ちていて織田は取り戻そうとしたら勝てたか

こんな感じのこと話合っていたんだっけ?

418 :
>>417
正直どうなったか全く分からないんだよな。
でも長篠を落とさずおとなしく勝頼が帰国してれば
信長は家康に対して「義理を果たした」ことになるので追撃せずに帰国した可能性はあると思う。
むしろ長篠城を落として確保してたら信長は体面を守るためにも勝頼と全面的に
戦わざるを得ない

419 :
>>418
戦って勝てるのかな武田は。
田峯まで離反してるのに。
それに落とすというこれが極めて重要。

信長が来るまでに落とすなら時間はないから、確実に力勝負になる。力勝負になればいくら長篠城と城兵らも全てやられるだろうが、これでどれくらいの犠牲が出るのか。

岩屋城は島津の猛攻で落ちたが、かなり無理をしたから3000も死傷者が出てる。島津軍3万5000で3000だから1割近い。

武田は力勝負して損害を1割以下に抑えられるのかね?

420 :
田峯を調略して寝返らせてた時点でノブは勝頼を叩き潰す気満々だったと思うよ
勝頼が大人しく兵を引いても追撃したと俺は考える

421 :
>>419
勝てるかどうかは分からない。
でも信長は勝ち負けではなく損か得かで判断するから
勝頼が勝手に帰国してしまえば、あとは家康VS勝頼で
いつまでも泥沼戦争をしてくれるので得しかない。

422 :
田峯城の家臣の裏切りは長篠で惨敗したから好機とみて乗っ取ったんでしょ

423 :
高天神とか明智とかでは内通者が出て城が落ちたけど体面のために攻めかかったりはしてないな
違う点を挙げるとすれば高天神は大軍の進退が容易な平地だし、明智は後方に岩村があるので逃げ込める
長篠は山を背にした狭隘な地形で武田にとっても撤退は容易でない

424 :
信長にとって武田家の拡大は絶対に許せないが徳川家の伸長も望ましいものではない。
両者がゴリゴリ潰し合って川中島みたいのが最も好ましい

425 :
徳川の伸長なんて危惧する状況でもないと思うがなあ
武田のやりたい放題を亀になってやり過ごして、折角寝返ってきた奥平も救えなかったとなれば
遅かれ早かれ徳川は武田に呑み込まれたような

426 :
おっ久しぶりに人間らしい会話が始まったな
勝頼が前進しない場合転機になりえる
ポイントはいくつかあるよね

1.城将奥平信昌の生死

元々織田からすると彼を救うための出兵なので
焦点になるのはいつまで持ちこたえられるか?

持ちこたえられないようなら織田方から
仕掛けて包囲を解く必要が出るので状況が動く

一方武田としては数倍の織田を抑えながら力攻め
という厳しい戦略を取る必要は多分あんまりない
理由は以下

2.拠点長篠城の確保

長篠城が落ちてしまった場合織田徳川の当主が揃って
出馬したのに甲斐無くということになり面目を失う
が、そこで武田勝利に終わるかは別の話

面目を失った織田方としてはそのまま帰るより
せめて長篠を奪還した、追撃して損害を与えて
挽回する必要が出る
経済的に引く理由は薄いので睨み合いが続く

3.武田軍の越冬

長篠は山間とは言え冬の越せない気候じゃない
しかし甲斐信濃は必ずじゃないが雪に閉ざされ
帰国できなくなる可能性のある領国

そうなる前に帰国を望む将兵から動揺が広がり
結局撤退戦を開始しなきゃいけなくなる

4.上方の政変

史実では翌1月に波多野秀治が
ついでに本願寺の再挙兵が起こる
こうなると織田方が退かざる得なくなる

427 :
>>423
武田方は撤退容易ではないとは思わない
理由は寒狭川は簡単に渡れないから
おそらく一つしかないであろう橋に殿おけば相当な時間を稼げる
織田徳川軍の陣地はやや遠いし、かつ寒狭川までの道が狭い

428 :
そもそも勝頼は信長が三好・本願寺と戦い始めて三河に下向できないから徳川領を急襲したわけで
信長が本願寺と和解した時点で前提が崩れてるのだから帰国してよかったくらいだ

429 :
あの時は撤退するのが正解だし信長が追撃しない可能性もあった
だけどこれを繰り返していたら経済力に劣る武田が確実に先に破綻する
正解を繰り返して敗北するわけだ
だから、いつかどこかでやらなきゃいけない勝ち目の薄い決戦を勝頼はあそこでやった
で、やっぱり負けた
可哀想な人だと思うよ

430 :
>>429
それじゃ昭和の日本軍と同じだろ。
国力に差があるからと無茶を繰り返して破滅したのと。

現在の国力を維持して時を待つとか考えないわけ? 米ソがいつまでも仲良くできるかと同様に、織田が本願寺や毛利といつまでも仲良くできるか考える頭はないのか?

431 :
>>429
信長が兵をわざと隠したら
勝頼「お、織田軍が逼迫してるように見てるから今が信長の首を取る絶好のチャンス!」
と設楽原に進軍してしまったわけですね

432 :
>>430
それは勝頼に言ってあげてくれ
わたしは勝頼はそう判断したんだろうしそれは彼の立場なら無理からぬ部分があるって言ってるだけだ
「それじゃ日本軍と同じだ」と言われてもな。どっちも日本人なんだから不思議じゃないし、勝頼は日本軍の事例なんか知らないんだから

433 :
経済力の差があってもそれなりの規模の相手を当たり前のように圧殺なんてできない
斎藤朝倉武田と、信長が大国を滅ぼすのは大抵相手が自分のミスで弱ったところを一気呵成にって形になる
チャンスがあれば逃さず最大限活かし切るのが信長の強みだけど、逆に隙を見せない相手をこじ開けるのは下手

434 :
上手なやつはいないだろ

435 :
きみたちのような先の先まで見通せる優れた家臣を持てなかったのが武田家と勝頼の不運だったんだよ
わたしのような腰抜けがそばにいても「泣いてあやまりましょう。安土までいって一緒に土下座しましょう」としか言わんから相手にされんだろうし

436 :
>>429
いつかどこかでやらなきゃいけないとしても
あのタイミングで長篠の地でという選択肢は無かったよね
まだ関ヶ原で決戦をした三成の方がまとも

437 :
信玄は川中島で決戦をしようと海津城を作り
景勝は河籠原で決戦をしよと白河口を整備し
秀吉・勝家・家康は賤ケ岳なり小牧山なり長久手なりで
砦、柵、陣地などを作りどんな戦をするか思い浮かべていたのに
勝頼は長篠で何をしてたんだ。ちゃんと準備した?長篠で待ち受けてる側は勝頼の方なのだから
先に準備万端にしてないとおかしいのに何もしてないようにしか見えなかった

438 :
長篠で待ち受けてるというのが認識違うんよ

439 :
>>438
どういうこと?

440 :
決戦したくて長篠攻めてたわけじゃないってこと

441 :
浜松城と岡崎城を遮断するって話しはよく出るが吉田城取らないことには不可能だし
長篠城に拘る意味もない
あそこまで長篠城に拘ったのは裏切り者の奥平への私憤だろうな

442 :
私憤っつーか見せしめだろ
あと待ち受けるってのは決戦志向ではないにせよ後詰が近付けないよう守り固めるべきだったって話じゃね

443 :
見せしめで人質処刑してるでしょ
生かしておけば交渉材料に使えたかもしれないのに

444 :
勝頼はおよそ大将の器じゃないね

445 :
>>436
これがさ、「次のチャンス」が長篠よりマシな保証がないからね
いつか来るかもしれないチャンスの時に賭けてやっぱり駄目で後世から「なんでそこで戦うねん!」て言われてるかもしれんわけでさ
で、チャンスがついに来なくてしょっぱい滅亡をしたら「なんで長篠の時にやらんねん!」と言われていたかもしれん

446 :
後詰の相手と決戦はまずすぎですよ!

447 :
勝頼に決戦の意図は無かっただろ
時期的に考えてノブが本願寺と戦ってる隙に徳川領を侵食するのが目的
主目標だった吉田の攻略に失敗したのでせめてもと長篠を攻めたがここも取れなかった
焦ってるトコに織田が見た目少数で援軍に来た
こいつら痛めつけて面目保ってからケツまくろうと思ったら実は大軍でボコボコにされた
こんなトコだろ
外野の俺達から見たらマヌケにしか見えないが
権力基盤が不安定で家臣の支持も得られていない当時の勝頼の心理を考えると
同情の余地は多分にあるかと

448 :
街道を堂々と進軍してる連合の数を見誤ったんですか?無能の極地です!

449 :
だって武田の諜報なんてさぁ・・・
1万超えの上杉軍が妻女山降りてるのを察知できないレヴェルなんだぜ?
信玄はアレで情報の重要性を認識できなかったのかね
できてたら諜報部隊を整備して勝頼があんな失敗を犯さずに済んだんだぜ??

450 :
明知城も高天神城も織田の後詰は消極的で
行軍してる間に城落とせてそれで撤退してた
単純に長篠もその延長で考えてたろうね

451 :
ノブは明知高天神を撒き餌にして勝頼を誘き出したみたいな口伝が語られてきたけど
そうしてみるとあながち間違っていないかもな
長篠じゃ明らかに殲滅狙いの作戦行動だし

452 :
行軍中の兵数の正確な諜報って言うほど簡単じゃないよ
現代でさえ数千規模で間違う事あるくらい
当時はまず軍勢全体を俯瞰する手段がないので
万単位の兵の行軍を万単位の人の塊の形で
一望の元に把握する手段がない
5列縦隊で一万人が進めば2キロにもなるわけで
野鳥の会でもそう簡単にはいかない
いくつかの道に分かれて行軍する場合もあるし
野営地もひとかたまりではなく途中分散する場合あり
炊煙や焚き火の把握もかなりの範囲の調査となり
敵地で住民の前でそれなりに時間かけてやる必要ある
また人より早い情報伝達手段がないので調査結果を
行軍してる兵士に先行して伝える手段がない
早馬など飛ばせば確実に先行してる敵軍に遮られる
狼煙のような手段は当然敵地では不可能
伝書鳩も日本での記録は江戸以降だしこれも
敵地で活動する細作が連れてるのは異様

453 :
列の最初から最後まできっちり5列縦隊して行軍してるわけでもないだろうしな。

454 :
武田の諜報力が低レベルだとしても、普通は予測くらいは立てないものかな? 長篠時点で織田は既に隔絶した兵力がある。ましてや信長直々なんだから、どんなに少なくても武田軍以下はあり得ないだろう。

普通敵地で、同数の無傷の後詰が来るなら速やかに撤退しないものかな?

455 :
信長本人が来ているのを知っていた時点でそれなりに大軍が来ていると考えてたはず
とにかく決戦でケリつけたかったのだろう

456 :
単に徳川領を侵食するのが目的なら掛川城を狙ったはず
駿河に近く、高天神城と二俣城と天竜川があるから織田徳川も援軍を送りにくい
しかし掛川城は確実に籠城され長期戦になり、勝頼は早期に野戦に持ち込みたかったから選ばなかった

長篠で決戦に挑んだのも、仮に長篠城を力攻めで落としても信長が退却するか睨み合いに移行するだけで信長の首をとるチャンスは皆無だから
だから自分から不利な態勢でも決戦に挑んだ

結局は若くて苦労知らずの御曹司で好戦的という印象

457 :
岡崎長篠間の行軍で数を見誤ったならまだ分かるが主力の織田は尾張→岡崎→長篠と移動してるから大きな間違いは普通はせんやろ
当時の情勢を考えれば大軍が向けられるのも間違いない

この状況下で兵数を見誤ったというなら戦略分析も情報分析も五流以下

458 :
いやむしろ正確な兵力把握なんて当時はできる人いない
軍役が数値で定めたのも武田北条あたりの一部のみだしな

自軍は着到で把握するけどそれが集約されるのは本陣
そこで結構な事務仕事をこなしてようやくわかるが
報告者ごとに盛ってアピールもあり得る
ましてそれを対外的に発信する時にも盛る

そうやってあやふやな数値が行き交ってるのを
伝聞で聞いたものが各種史料に載ってると考えるべき

459 :
正確には無理だが大凡は掴めるでしょ?
1000〜5000見誤った所でそれでも圧倒してる
しかもこの時期明らかに織田には余裕ある

460 :
他にも謎はあるな。
なんで穴山隊は長篠に居たんだろ?
普通に考えたら牽制隊として掛川城に直行させるべきで
それ以外の武田軍が吉田城を攻めればその中間に居る浜松城の家康は
東進するか西進するか進退窮まったのに

461 :
武田隊が一か所に集まってたために
家康が機敏に浜松城→吉田城(防衛戦で勝頼に勝利)→岡崎城(信長への救援要請と出迎え)
→設楽が原と僅かな時間で機敏に動きまくりやりたい放題にさせてしまった

462 :
東西から武田軍一万五千名で浜松に向かえば家康は信長に救援要請する間もなく
滅亡したのでは?もちろん岡崎は無傷で残るので信康が徳川家を継いで
勝頼は遠江・東三河だけを奪取して帰国の途につくことにはなるだろうけど。
sssp://o.2ch.sc/1lzzt.png

463 :
・穴山はその頃駿河を任されてもないし別働隊率いたこともない
・軍鑑に1万5千しか連れて行けなかった理由が書いてあるのにそれを知らない
・もし1万5千追加で別働隊があったとしても掛川、浜松城は織田を待って原則籠城するだけ(信玄の西上はそうだった)

464 :
三河攻めてそっちに徳川がかかりきりになってるうちにじっくり掛川方面を料理するつもりだったんだろ
高天神も先に明知足助を攻めてそっちに警戒の人手を割いてるうちに落としてる
敵の中枢近くに楔を打ち込んで敵の兵力の分散を強いるのは別に珍しい作戦じゃないぜ

465 :
>>452
鷹は?犬は?

466 :
信長は厳しいよな、だってあいつ真面目に働かないと怒ったりリストラしてくんだぜ

467 :
勝頼は何を基準にしていたんだろうか。

468 :
長篠城も最初からそこを落とそうと専念してたら実は簡単に落とせたんだよな。
でも勝頼は吉田城を落とす事を主目標にしてたために当初は長篠城陥落に力を注がなかった。
全ては行き当たりばったりなんだよ

469 :
>>468
長篠城の構造調べて言ってるのかな?

城跡は東西354メートル、南北396メートル、本丸跡は東西72メートル、南北45メートル、土塁とその外に堀があり、他に弾正郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭などがあるなど、非常に複雑な構造。

これを力攻めで落とすには犠牲がかなり必要。

470 :
>>469
そんなの大前提だろアホ
おまえ頭が猛烈に悪いんじゃね?
死んでくれ

471 :
>>459
死体の数さえ正確に数えられてない時代に動いてる人間を正確に数えられてたのか
戦が始まると数千の先陣衆が先行して切り開き、その後に数日遅れで大軍の本隊が到着するのは様々な戦の史料の記述でも見て取れる
長篠みたいに狭い土地に先陣衆が先に来て封鎖されたら、後から来る信長本隊の数なんて勝頼本陣に伝えられるはずもない

472 :
でも信長の命なんて絶対に代替えの効かない重要なものなのだから
信長親征というだけで持ってる限りの兵を全て連れてくると常識的には考えるだろ
むしろなぜ勝頼がそう考えなかったの方が謎

473 :
>>465
そういう漫画みたいな諜報活動ができないと無理ってことな
どちらも通信手段として使われてない

474 :
>>470
言葉には気をつけましょうね。
この程度でそんな態度をとるようなら、勝頼と同じです。

475 :
>>474
「君は聖徳太子を知ってるのか?え!?知ってるのか?答えろ!」
みたいな事を言われれば誰でも怒るだろw

476 :
>>468
吉田城は戦略的に重要だから狙うのは当然
長篠目的で来る奴はいないだろう

477 :
武田勝頼に関連する事柄や人物だけで毎日投稿があって凄いですね。(笑)

478 :
長篠城は最初から一万余の兵が主目的で落とすなら可能だが
帰りの駄賃で楽々落とせるほどの城ではないよな。

479 :
>>457
小牧長久手で陣築いて向かい合ってる最中に敵主力が味方別動隊叩きに抜け出しても
気づかないのが現実
お前は無知な知恵遅れが頑張ってるだけの話

480 :
>>473
漫画っつーか軍鑑

481 :
>>468
簡単には落とせないだろ、何を根拠にそう判断してるんだ?
>>472
明智でも高天神でももってる限りの兵力連れてきていないし、
更に言うなら他の時も全兵力連れてと言うのは多いわけじゃない。
信玄は自分が戦に出る時はほとんど常に全ての兵動員するようなタイプみたいだが。
それまでの情報から常識的に考えるなら信長は大動員するとは限らないと考える方が普通だろ。
まあ全力動員しなくても武田家よりは多いだろうと考えるはずだとは思うんだが。

482 :
HKMuNwam
菅沼注意。

483 :
ある程度は出兵兵力を推測できなければ対応ができなくなる
出兵したのが百単位か千単位か万単位かもわからないということは無い
物資も動くし

484 :
>>478
帰りの駄賃で信長直轄軍と決戦しようとしてるよなw

485 :
>>479
それは抜け出すのをバレない様に努力した結果だろ?
連合は普通に進撃してるし隠す努力もしてないからだいたいの数は把握出来る
無論正確な兵数を把握するのは無理だが万単位で誤差が出るのは有り得ないだろ

戦略上他に兵力をさく状況でもないし兵を少なく見積もるのは勝頼の認識能力があまりにも低い

486 :
当時の人間から見ても勝頼が長篠で決戦をしたのは謎が多く滑稽に見えたので
・大岡弥四郎(大賀とも)の内通の過大評価 ・佐久間信盛の偽内通の過大評価
などにより勝頼は自軍が有利だと思い込んだのではなかろうかと無理な説がまかり通ってるよね。

487 :
母数が多いんだから、万単位で誤るぐらいは普通じゃ?
桁間違うはないだろうけど。

488 :
そもそも勝頼が決戦したくて撤退しなかったのかどうかも分らん
撤退の意思をまとめて実行するのが間に合わなくて後詰が来ちゃったのかもしれん
「正直自分ビビってるっス」なんて言っちゃう奴もおらんだろうし書状で強気なのは当てにならん

489 :
38000を一万少なく見積もったとしても武田の倍近い
二万くらいに見積もったらワンチャンと思うかもしれんが実数の半分くらいに見間違うのは流石に酷い

490 :
鳥居強右衛門から信長・家康の本隊が大軍を引き連れて岡崎城を出発する報を聞いた時点で
後詰だけおいてさっさと帰国する以外はなかったと思うのだが。

491 :
>>489
やはり兵卒の強さに差があるのかな?
甲斐兵は強く、尾張兵は弱い?

492 :
人員・財政で圧倒的に負けてるのだから地の利で勝たないといけないんだが。
最初から織田軍を自領内に引き込むのを前提とした戦術なら大勝までありえたと思う。
村上が信玄をコテンパンにしたように

493 :
>>488
諏訪四郎「言葉ではなく、私の顔を見て真意を察して欲しかった」

494 :
>>480
真面目に言えば犬や鷹を通信手段とするのは
かなり限られた条件下でないと無理だと思う
犬なんかは100キロとか離れてても家に帰る例があるけど
任意の地点から任意の地点への確実に行くように
躾けるのは多分無理だ
引っ越した飼い主を見つけた例もあるけど
それもかなり時間がかかってたりするしな
そもそも確実な数値把握自体がかなり難しいしね

495 :
動物の帰巣本能利用するってことは、報告入れたい目的地を自分が帰るべき巣だと認識するように育てないといけないからな
甲斐から連れてった鳥や犬じゃだめだ、長篠で何かあることを見越して長期間現地で飼ってた奴じゃないと

496 :
特殊な育て方をすると移動した部隊の巣箱を探し当てて戻ってくるように鳩をしつけられるそうな
戦国時代にできたかどうかは知らんけど

497 :
>>491
鉄砲なら腕力いらん

498 :
>>485
信長は設楽原で兵を隠してるけどね

5月13日、岐阜出陣
5月14日、岡崎に到着
5月15日、岡崎に宿陣
5月16日、牛窪に宿陣
5月17日、野田原に野営
5月18日、設楽原に到着

岐阜から岡崎まで猛スピードで来て、岡崎到着後から不可解な遅さになってるから
まあ封鎖完了するまで待ってたか、何か準備が整うまで待ってたんだろうね

499 :
伝書鳩が日本の歴史に出てくるのは江戸時代以降でしょ
しかも輸入してたから武田には無理な話
伝令については史料では繋ぎの城という兵糧中継基地&伝令用の馬と護衛を常備しろという記述があったくらいで動物を使った記述は見たこと無い

500 :
>>498
雨でも降ってたんじゃないの、雨だと屋外で鉄砲使いづらいし
>>499
家康って趣味が鷹狩りだから鳩なんか使ったら家康に情報がばれそうな気がする

そもそも、この時期の武田の諜報とかを担当していた武将って誰だ?

501 :
鷹狩りで鳩は取らんだろう

502 :
>>498
牛久保までは、隠したくても隠せないはずなんだよな地形的には。つまり武田は諜報を怠っていた?

503 :
人数の把握はともかく、戦場が近付くほどノロノロ行軍するようになったなら戦意が薄いように見えなくも無いのかな

504 :
>>493
牟田口ほんと好き

505 :
武田の諜報はスカスカだからな
というか東国だとこんなもんだったのかもしれんな
今川義元も桶狭間でノブの接近を察知できず討ち死にしてるし
謙信が強かったのも情報の重要性を知っていて諜報部隊を整備したからじゃないかな
だから北条と武田を同時に相手にできた
彼の死後、諜報に優れた織田を相手になると途端に弱体化したし

506 :
>>503
行軍を急に遅くしたり、兵を隠したりと心理戦を仕掛けてたのは確かかな
書状では武田を根切りしたくてしたくて仕方なかったという

507 :
まぁ自分の貞操を狙われたらそういう心理にもなろうて

508 :
指揮官の能力の差が大きかったな

509 :
勝頼が織田軍の兵数を見誤ったという説は疑わしい
織田が大軍であろうと、勝頼は突撃するつもりだったと思う
皆が思ってるより勝頼は単細胞で猪突猛進型

510 :
勝頼は長篠まで勝ち続けてきたから勝つのが当たり前という危険な心理状態
信長は実際に何度も死ぬ目に遭っているからそれなりに注意してる

勝頼も長篠で大敗する前に一度は死にそうな目に遭えば良かったのにね

511 :
国力的にジリ貧だからさっさと決戦と言うけどそれなら1万5000みたいな半端な数の時でなく2万以上集めてからやるべきだな

512 :
>>505
氏政が謙信との同陣を頑なに拒んだの
自称関東府執権とガチ関東管領の上下関係を避けたということなんだけど
それ以上に北条兵が農民兵による水増しがバレるというのが最大の理由であるまいか

513 :
勝って当たり前というより
勝ち続けないといけないという
そういう意味で危険な心理状態と思う

勝利によって求心力を高めてただけに
弱腰な対応ができなかったんだと思う

514 :
氏康や元就と違って信玄は自分の死後の武田家の体制を何も考えてなかったのが致命傷だな。
輝元なんてお子様でも毛利家を生き残らせられる体制を築いてた元就は偉すぎる

515 :
仮に撤退せざるを得ない状況だと判断したとして、それを即座に諸将に納得させて実行に移せる求心力が
勝頼にあったのかどうかすら分からない

516 :
長篠で重臣が皆反対してたのに勝頼がごり押ししたなら求心力落ちてそうなのにね
勝頼の求心力が落ちたのは高天神城だからな

517 :
>>516
信玄のおかげ

518 :
>>517
信玄のせいで武田は滅んだとも言える

519 :
どこかの雑誌で長篠の戦いは実数、織田徳川連合7万人ぐらいで
武田軍が2万人ぐらいだと書いていました。
そもそも開戦前に真田昌幸が佐久間の裏切りはデマだとかつより
に進言をしましたがすでにちょうりゃくを受けていたと思われる
穴山梅雪が佐久間の裏切りを信じといて武田軍の大半が

520 :
交戦しいたにもかかわらず穴山梅雪の
配下2千人のうち五百人しか戦わずに
先に逃げてしまいました。穴山梅雪みたいな
ご親類衆が逆らうために勝よりは撤退せずに
開戦に至ってしまいました

521 :
穴山のせいで負けた、穴山に責任があったとしたら
穴山に江尻城与えて駿河を任せないでしょ

522 :
穴山に江尻城をあたえて駿河をまかせたのは
信玄の頃でして穴山の責任を高坂のとおり追及をしたら
穴山が離反していた可能性があったために責任を
追求ができませんでした

523 :
>>519
7万も長篠の戦場に来たら逆に身動きできなくなり、武田側に勝機が生まれそうだ。

524 :
江尻は山県だろ
で山県戦死後に穴山じゃ

525 :
当時の長篠は森林伐採のために禿げ山のために
やまとかにももっと布陣ができたそうですよ

526 :
また粘着荒らし君はキャラ変えて会話に潜り込もうとしてるのか
バレバレなんだよ

527 :
戦後の植樹は凄まじかったらしいしな。
今は田舎に行くとどこも杉林だらけだけど
そうなったのはWW2以降の農林水産省の杉苗密植政策のせいだし
その時期までは日本中ハゲ山だらけだった

528 :
豊臣秀吉の建築狂のため日本中から巨木がなくなり
彦根城や姫路城を始めとして多くの城では他の廃城の廃木を使ったり
木同士を組み合わせて継ぎ金をして一本の木として使ったり涙ぐましい努力をしてたんだよな

529 :
また菅沼とやらが紛れこんで来たの?
一気にレベル低い話になるから本当に議論の邪魔だな

530 :
>>21
てめぇだろ腑抜け猿w
>>28
スカしてんじゃねぇよ知的障害

531 :
47は流石に勘弁

532 :
甲斐国は昭和あたりまで山で焼き畑してはヒエを育てて食ってたんだよな。
山梨県立博物館で見た

533 :
信玄と勝頼ってどちらが戦上手だったの?

534 :
戦国武将の多くが実戦で切り合いを経験している。
命のリスクを冒してでも自らも率先して戦う必要がある時もある。
切り合い経験がないのは秀吉くらいか?(誰か教えてくれ)
二代将軍の秀忠でさえ、実際に切りあったかはわからないが、
遺骨には複数の鉄砲玉の傷があるという。
根本的に家臣に舐められたら総大将はつとまらない。
逃げても負けても武田の求心力は落ちるなら、
負けてでも、いっそ打って出た方が面目は保たれる。
あそこで引いても武田はジリ貧になるのは目に見えてるしな。

535 :
>>534
なんで足軽大将で殿も務めた藤吉郎が切り合いをしたことがないと思った?

536 :
今川義元はなさそう

537 :
武田信玄は上田原の戦いで右手を負傷してるしけど
生涯戦うこと57度されど、かすり傷一つ無し──. 天下三名槍の一つ「蜻蛉切」を手にした本多忠勝。
のように最前線に常に居ても傷一つ負わない人も居るからそれは運だろうな

538 :
信長は天王寺の戦いで銃創を追ってるし
自らの手で銃を撃ったり刀で自ら部下の首を斬ったり
弓矢を放ったり槍で戦ったり、かなり能動的に武具を扱った人だな。
家康にはそういう記録は無い

539 :
秦の始皇帝はただの一度ですら武具を手にした事はないが
おそらく歴代の皇帝の中でも最も部下からも敵からも恐怖された。
自分で武威を示さなきゃ畏れられないような奴は所詮雑魚なんだよ

540 :
武田領内にある約20金山のうち穴山梅雪が
10金山も所有をしていたのがなんかもったいない
江戸時代にはその金山が所有する金は現代の価値で
何百億円にもなるという

541 :
>>540
大丈夫、戦国時代の技術じゃどの道採算合わないくらい技術不足だから

542 :
井伊直政みたいに軍団の指揮は家老に任せて自ら突撃し負傷するスタイル。
すぐ無礼討ちするために人斬り兵部とも呼ばれる。

543 :
>>539
で、その恐ろしい皇帝が死んだら反乱続出で秦は僅か2代で滅んだw
恐怖支配は一時的には反抗勢力を抑え込めるが長くは続かんのだよ
ノブや勝頼みたいに自ら槍持って前線に出るのは味方を畏怖させるだけでなく
俺はオメーら兵卒と同じ立場になる事も厭わねーぞとアピールして
兵の信頼を得る意味もある

544 :
>>538
鷹狩りがトレーニングみたいなもんなんだって
家康も好きだよね

545 :
勝頼は蒲原城で無策の突撃で突撃癖が付いてしまったんですね

546 :
そうして兵の信頼を得たノブとカッツンは存命のうちに裏切られたわけだが

547 :
カッツンて勝頼か?
勝頼は圧政と高天神による自業自得
本能寺の変は明智が狂ったとしか思えない

548 :
>>543
そうやって兵卒の信頼を集めた信長とシーザーが家臣にあっさり殺されたのは皮肉だな。
逆におそらく一度も槍を手にした事のないアウグストゥスと始皇帝は滅茶苦茶部下から畏れられた。
それどころかアウグストゥスは千年帝国ローマの始祖となった。

549 :
>>548
馬廻り連れてたら信長だけでも何とか逃がせたかもしれないけど
小姓や女たちの100人足らずしかいなかったからね

550 :
>>549
もう反抗しようとも思えないほどの恐怖感と畏敬感を与えるのが帝王なんだよな。
信長は松永、荒木、明智が気軽に反抗しようと思える程度の存在にしかなれなかった

551 :
劉邦もそういう意味ではダメ君主だったな。
生きてる間は病死する寸前まで全土で反乱が続き
彼が生きてる間は漢帝国は安定しなかった。
呂后がクーデター政権を作り呂氏漢帝国となり始めて誰も叛乱しようと思わなくなり
全土が安定した。

552 :
軍事と政治の才能は中々両立しづらい。
秀吉と家康はまさに両方の才を持った天才としか言いようがない。
勝頼と信長と謙信はどちらかと言えば軍事の才に傾いていた

553 :
そういうのは独裁者がいなくなると一代で崩壊する
徳川政権最強かい

武田はどっちにしろ無理ゲーだが

554 :
徳川政権も本当に安定したのは五代将軍綱吉の治世と言われてるしな。
三代将軍の家光の時代に諸侯は完全に徳川政権に反抗する意欲を無くしたが
まだ家老・大老などはクーデターで徳川家にとって代わろうという意欲は持ってた。

555 :
むしろ5代まで繋げられたのが凄いんだが

556 :
>>555
外征を早くから諦め内治に専念したというのも大きいだろうね
また「無理をしない」という考えが徳川家は徹底してた。
石高制から貫高制にとうとう265年間直さなかったし(近代国家として本当は直すべきだった)
度量衡の統一や貨幣の統一も早々と断念したし、単に諸侯を束ねる代表としての連邦国家とし
本当の意味での中央集権国家を作らなかった。中途半端なこの状態で265年間も政権を維持し続けたのは
奇跡とも言える。

557 :
>>539
荊軻を自分で刀を振るって斬ってるから、鍛錬はしていたはずだがな。

558 :
>>534
逃げて負けても武田の求心力は落ちる。

たった1回で落ちるなら、それは大将の問題よりシステム的な問題。信長や家康も負けはあったけど、それで求心力がダダ落ちしたとは聞かないがな。

559 :
システムとゆーか勝頼の場合はもう武田継承の経緯からしてダメだろ
敵国諏訪の息子で諏訪領を継ぐ筈が信玄が義信殺しちまったから呼び戻された挙句死んじまった
そんなのを御屋形様と敬愛しろ言われても家臣も困るし
本人もどうやって彼らの信頼を得られるかなんてわからん
で、手っ取り早く戦争に勝って求心力を高めようとした
当時の勝頼に他に方法があったとも思えん

560 :
義信事件で信玄の路線と違う考えは粛清という事実を作り上げてしまったから
勝頼も信玄と同じ路線を継承せざるを得なかった
つまり織田に喧嘩を売った信玄が悪い

561 :
んなもん長篠で惨敗した勝頼が悪いに決まってる

562 :
まあなんか判断悪かった
野田城落とした所で突然帰る事にして道中で死ぬぐらいなら、もう寿命と腹決めて
そこで家康の首とって東海道の支配盤石にしとくのが最上じゃないの
出来る時に出来る事やっとかないと禍根残す典型例

563 :
>>561
義信が嫡男だったのに粛清したのは信玄

564 :
寿命なのに見苦しく生きたい生きたいともがいた結果だよ
京都まで行けばいい薬があるとか本願寺に騙されたんだろうw

565 :
無能親子の限界だったな

566 :
岐阜間近までチェック掛けてたのにね
惜しかったね

567 :
間近ってwww笑わせんなw

568 :
お勉強しましょうね

569 :
>>535
したと思ってるの?

570 :
秀吉はいいとこの武家の出じゃなくてマトモな家臣もいない
前線にたつ足軽大将なんて下からナメられやすいから強い弱いは別にして武器は振るうんじゃないの

571 :
三方ヶ原の戦いで武田信玄が織田徳川連合軍を破った後
徳川家康にとどめをささずに西に向かったのは
徳川家康は武田信玄の隠し子だったかららしい
その証拠に日光東照宮に徳川家康の位牌の所に
武田信玄の位牌がありますよ

572 :
>>571
家康が信玄の隠し子として。
どうやって当時の信玄が三河水野家と関係を持っていたのかな?

573 :
老中の土井利勝は家康の落胤説があるよね。
特に証拠はないが家康と全く同じ顔をしてたので
雰囲気的に家康の子だよなという扱いだったそうだ

574 :
>>571
10年以上前にブックオフでそんなタイトルの本を見た気がする

575 :
水野信元の晩年の子であるなら家康の従兄弟だし、別に似てても
水野家の血が濃いな、ということで終わってしまう話ではあるんだけどな
重用の理由も母方の親族なら十分だし

576 :
嫡男の義信を平気で粛清するスターリンもドン引きの恐怖の独裁者が
家康が仮に自分の息子でもそれが理由でとどめを刺さないとは思えないなぁ

577 :
>>576
親子喧嘩なんて中世の武士には日常茶飯事だよ

578 :
>>577
信長は親子ではしなかったな。
兄弟ではしたが。

579 :
嫡男が父親に謀反起こすのが二代続くのは
さすがに異常だろ。

580 :
>>579
親子二代で争った例に大友義鑑、宗麟、義統がいるな。ただ宗麟は義統を殺したり廃したりしなかったし、何より身の程を知ってて最後は秀吉を頼ったのが、信玄との差かな?

581 :
まぁ武田は源氏だし・・・

582 :
義信には息子がいたけどその息子を武田の跡取りにしたらどうだったろう?
勝頼もその方が楽だったろうな

583 :
義信息子 『我が祖父とは言え父上を殺め今川殿と北条殿をry
        叔父上、私に信玄を討たせてくださりませ』
勝頼    (なんで俺に振るんだよ・・・・)

584 :
>>580
大友義鑑は義鎮と争った訳ではないぞ
大内介入のために義鎮を廃嫡したのが二階崩れの一因だけど廃嫡は最後の一押しであって義鎮は実はあまり関係ない

大友義鑑は大神系国人衆に打撃を与えて同紋衆に力を与え過ぎないように大神系国人衆以外の他紋衆を抜擢して田原家と手打ちをして大内家に介入しようとした
が、追い詰められた当時の同紋衆が先手を打って義鑑を討ち取ってしまった
権力の急すぎる拡大が二階崩れを引き起こした

585 :
後半は安定?してたけど大内家も親族で家督争いばっかりしとったやんけ!

586 :
信長による甲州征伐の際に武田に庇護されていた、土岐頼芸が発見されたらしいですね。
生き恥さらしてますな。
武田も無駄な出費してる。勝頼も財政火の車なんだからそういうのはさっさと追い出せば
よかったのに・・・。

587 :
>>582
甲斐を義信、諏訪は勝頼
今川は残る(越相同盟は成立せず)。

武田・今川vs織田・徳川(長篠とは別の場所で睨み合い程度)

勝頼は上杉を牽制。

北条と謙信が亡くなった後の上杉がどうなるか。

588 :
相越同盟が結ばれないので御館の乱が発生しない
今川は武田がバックに居るので徳川は史実程遠江に浸食できない
ノブの美濃攻めも恐らくかなり遅れる
武田は生き残れるかもしれないが戦乱期が100年単位で長引く
あるいはイベリア諸国に日本が征服される

589 :
二階崩れは確かに義鎮の関与はないとされてるけどそれ言うなら
義信も直接謀反で殺されたのは飯富で義信自身の関与は不明じゃね

>>577
だから殺さない理由にはならないという話でしょ

590 :
徳川方式というのもありえた。
信玄が諏訪館に城を築き、義信と信繁に躑躅ケ館を守らせ
信玄が信濃、西上野、飛騨、北三河、東美濃を侵食していくと。
家康は親族一同を信康と正妻と親族たちに預けて
自分は若者たちを集めて浜松で一生懸命遠江を侵食してたわけだし

591 :
その徳川方式とやらが失敗したんですけどね

592 :
家康ですらそれで家臣が割れて女房と息子をRはめになったのに
内ゲバがお家芸の武田源氏がそんなことをしたらどうなると思う?

593 :
信玄は信虎が甲斐を離れた隙にクーデターを起こしてる
本拠を移すなら義信も同行させるだろうが甲斐衆が納得しないだろう

594 :
本拠移してもメリットほとんど無し

595 :
駿河侵攻の領土拡大派が信玄及び多数の武田家臣
親今川の三国同盟堅守派が義信と飯富(弟は信玄派)と少数の家臣
武田家臣の支持を得てないから信玄との内乱に陥るか
信玄を暗殺しても信玄派の家臣が勝頼立てて内乱になるだけじゃない?

596 :
そもそも義信が謀反を企んだ、計画したという証拠はない。軍鑑に記録されてるだけで、他家の記録にすらない異常な状況。
一次史料にしても信玄が義信一派を一網打尽にして、家臣に大したことないよ、と言ったり、誓紙を出させてるだけ。
義信が派閥を形成したのが謀反に当たるのなら仕方ないが、義信が謀反を計画した、という証拠は未だに無いのは異常だよ。

597 :
二階崩れにせよ、義信事件にせよ、信康事件にせよ謀反の証拠になるような史料が残るわけないだろ
残ると思う方がおかしい

598 :
確実なのは嫡男なのに処分しなきゃいけないほどのことをしでかしたということ

599 :
>>597
信康事件は三河物語に家忠日記に信長公記とあるんだけど?

600 :
>>588
上杉vs北条
武田・今川vs織田・徳川
足利将軍、本願寺、毛利、朝倉、浅井と織田を包囲。
決め手がなく小競合いか睨み合い程度で終わりそう。

601 :
>>599
三河は眉唾、信長は作者がソースから遠いのでどこまで信用できるか
家忠は信用できそうだが家康と信康が対立したと書いてあるだけで
詳細についての記述は無い

602 :
>>599
三河物語
信康は有能な人物であり、信長が信康を切腹させよと命じた
家忠日記
信康は誰かと不仲であり、家康が浜松から仲裁に何回も来るくらいの大事だった
信康は内政に無頓着だったのか築山殿が岡崎衆と音信していた
信長公記
信長が信康を切腹させよとは書かれておらず、使者が馬を進上した程度の記述
前身の安土日記には信康の逆心と書かれている
ただ信長との対面の信長(家臣)への報告の書状には、信康を浜松城から追い出し蟄居させたと報告しているので
信長が信康を切腹させよと命じたとされる三河物語は創作である
処罰された原因の真相ははっきりしていない

603 :
訂正
ただ徳川使者と信長が対面した後に、徳川から織田家臣への報告の書状には、信康を岡崎城から追い出し蟄居させたと報告しているので

604 :
こう考えると那古屋城、尾張城、小牧城、岐阜城と
かつての根拠地を子や親類や家臣に任せっきりにして裏切られてなった信長は傑出してるな

605 :
>>604
おつやの方

606 :
ノブの場合、伊勢湾や木曽三川の水上交通利権によって
旧居城を任された者が敢えて裏切りのリスクを背負う意味が無い旨味があったからな
武田や徳川はそうはいかんだろう
皆カツカツだからリスク背負っても自分の食い扶持増やさないと生きていけない

607 :
自分は裏切られる事はないという根拠のない自信に満ち溢れてたよな。
信長が謀反によって死ぬのは当たり前だわw

608 :
>>605
岩村城だろ
いつ根拠地にした

609 :
>>511 敵だらけの謙信への備えなんて城で十分だわな。

610 :
謀反したアホは10日で死んだがな

611 :
岐阜は信忠入ったので有名だが他はどうだっけ?
と、思って調べたら那古野城は信光が入ってすぐ変死→林→廃城
清洲は番城、小牧も廃城
と結構廃城にしてるのね
清洲は元守護所で政治的にも重要だったのかね
>>605
かつての根拠地?

612 :
>>566
美濃国人の内応書状なんて、ウェーイ系大学生の「行けたら行くわ」くらい宛にならんぞ。
実際、明知の戦いすら最前線の遠山家臣の一部しか武田についてない。

613 :
光秀は絶対過労でおかしくなってたと思うんだよね
戦場なんて過酷極まる場所で長年過ごして来たら劣化も早いわな
だから戦国武将は大体40過ぎたら一線を引いて隠居してた
光秀は一説には本能寺時点で60近かったんだろ?

614 :
誤爆かな

615 :
>>604
裏切られて死んだのに傑出してるのかw

616 :
>>615
「信じる力」が傑出してると言えないか?
裏切られたかどうかは結果でしかない。

617 :
信玄は義信を生かそうとかは考えなかったのかな?

618 :
信玄は自分に逆らう奴は絶対に許せないタイプの独裁者だから
彼に寛大なんてものはない

619 :
自分が親の信虎を追い出したのもあるし、お隣では義龍が親の道三討ち取ってるから生かすリスクが高いと考えたんだろうな

620 :
>>616
信勝、浅井、松永、荒木、別所、信玄、明智
勝手に信じて結局裏切られるの連続の人生だな

621 :
>>620
死後も含めたら秀吉を筆頭にほとんどの家臣に裏切られた事になるね

622 :
一度も裏切らなかった老臣は追放するし

623 :
>>621
それ言うなら勝頼なんか悲惨だろ。
最後まで従った40人以外全て裏切られた。
信長はまだ信忠やその配下数百人、さらに殉死者までいるだけマシだわ。
秀吉なんか死後嫁をはじめ、全て裏切られてるし。

624 :
まぁ信玄からして実の息子を平気で殺しちまう恐怖の独裁者ですから
家臣が武田に対して憎悪を抱くのも無理からぬ事
勝頼に殉じた40人は武田家ではなく勝頼個人の為に馳せ参じた連中

625 :
>>624
>まぁ信玄からして実の息子を平気で殺しちまう恐怖の独裁者ですから

家康も同じことしている通り武士の世界では珍しくもなんともないし、それだけで恐怖の独裁者とか言わない

626 :
>>620
信長は将軍の敵、仏敵に指定されてあの程度で済んで逆に凄いと思わん?
裏切る大義名分が転がってる訳だからな

比較にはならんけど三河一向一揆なんか譜代まで家康から離れてるけどな

627 :
そりゃまあ戦国時代は何処の家だって
主従関係は危ういものを含んでるよそりゃ

628 :
むしろ秀吉のほうが酷すぎる。
死後にあれだけ裏切るのも凄いよな。

629 :
勝頼の時だって忠臣達が勝頼のために大勢死んでくれたじゃん。
甲州崩れの時だって積極的に裏切ったのは木曽と穴山くらいでほとんどは裏切らなかったろ

630 :
>>629
忠臣達って誰のこと?
高遠で死んだ奴らか?

小山田に小笠原に下條にと、裏切りパーティ開催してただろ南信で。

631 :
極め付けが領民まで勝頼を裏切ってるし。

632 :
長篠の時だってと書こうとした・・

633 :
結局主従関係って主人が家臣の地位と権益を保証し
代わりに家臣は主人のために尽くして成り立つ関係だから
主家が衰え保証が怪しくなれば成り立たないのが理の当然

何処の家中だからとか、何処の国だからとか関係なく
情勢難しくなれば揺れる家臣は現れるし
家運が傾けば見限る者も増えていく

634 :
確かに義信は武田の嫡男だったけど、
能力は勝頼の方が上。
もし、義信が信玄のあとをついだら、
武田の滅亡は史実よりもっと早かった。

635 :
義信が当主を継ぐということは外交政策が変わるという意味だしな。
駿甲相三国同盟が堅持されて織徳同盟に対抗する事になるので未来が大きく変わる

636 :
>>625
家康は信康を殺してしまったショックで寝込んだが
信玄な顔色一つ変える事無く何事も無かったかのように振舞ってるからなぁ
義信を慕ってた連中は武田という家をさぞ憎悪しただろう

637 :
>>634
勝頼のほうが上。
どうなんだろうな。

638 :
>>635
信玄を討ち、駿河侵攻を推す家臣を粛清して当主になったら御館並みの弱体化だけどな

639 :
>>638
御館は景勝と直江が坂戸、与板以外の家臣を冷遇してトラブルを起こした結果。あの内乱はもしそれが無ければ1579年で終わっていた。

義信が必要以上に反対派を粛清するなら別だが、信虎の事例を見る限りは武田は勝者にすぐ擦り寄るみたいだしな。

640 :
>>639
信玄と駿河侵攻支持が多いのにすぐ終わる?
むしろ義信は反対したから粛清されたんだろ
なんですんなり当主になれる設定なんだ?

641 :
難しい設定だけど信玄がもっと早い時期に重い病にかかって気弱になり
「西上作戦なんてとても無理だ。俺の目の黒いうちに義信に家督を譲り権力移譲をすまさなければ」と思えば
歴史は大きく変わった

642 :
71年から病を自覚してるぞ

643 :
今川と同盟組んでもすぐに織田徳川にやられて吸収され、
織田徳川の先方として武田の敵になるだけ。
弱すぎて今川領は、緩衝地帯にもならない。

644 :
戸田の金山と清水湊などを家康に獲られる前にあせった凶行なんだろうけど
果たしてそれは本当に得策だったんだろうか?

645 :
>>642
自覚していて、形式的でも隠居しないとか信玄は気でも触れたのか。

646 :
>>643
今川は遠州錯乱を抑えて徳川の侵攻を止めていた。信玄が徳川に連携しなければ、まだまだ持ちこたえられた可能性は十分ある。

647 :
>>641
西上作戦時では今川滅んで義信死んだ後じゃない

648 :
>>646
武田から見たらどう見ても今川が押されてるし、上杉とは泥沼だし、奥三河と美濃は甲斐から遠いしで三国同盟のメリットがない

649 :
>>648
甲府から居城を移さない信玄も悪い。

650 :
>>649
何度もその話しているが、どこに本拠を置こうと兵は領内各地から来る
武田の場合は甲斐衆が結局は主力

651 :
>>650
いや山に囲まれて守りには適しても、いちいち出るのは大変でしょ? 何も甲府捨てろと言ってない。一族の重鎮に任せて、もう少しマシなところに移れば良かったんだよ。

今川潰して駿河手に入れたときも、駿府より江尻に本拠置く意味不明なことしてるし。今の江尻見たらわかるけど、あれでは駿河取った意味がないよ。

652 :
駿河取る前なら甲府が一番マシだろ。他はもっと狭いぞ
取ってからも駿河に本拠地移したら南に寄り過ぎることになるし

653 :
>>651
話が通じてないな
信玄が信濃に本拠を置こうと、兵の主力は出兵の都度甲斐から来る

654 :
>>653
では信長は近江、美濃に移しても、主力は尾張から来てたのか?

655 :
>>654
まだ通じてないのか
君が言ってる話は本拠地に兵のほとんどがいるような兵農分離が進んでいないと成立しない
武田は甲斐が主力で甲府にも兵はそんなにはいない
織田は尾張、美濃領内各地から兵は集まり、岐阜城や安土城にはそんなには兵はいない

656 :
>>655
信長直属軍の馬廻りは安土在住だよ
家族が残ってる岐阜の家を焼いてまで完全に移住させてた
岐阜の兵力は信忠のもの

657 :
馬廻りって立派な武士だぞエリートだぞ
戦となればその馬廻りらも自分の領地から兵を連れてくるんだよ

658 :
>>656
ほら馬廻りしかいないじゃん
9割以上は領内各地にいる
岐阜城も同様
岐阜城も安土城も人口1、2万しかいない

659 :
>>658
永禄から天正までに城下に1、2万も人口がいたら立派な大都市なんだがな。一体どういう城下町を考えてるんだ?

660 :
安土は人工都市なのに人口1万もいたの?
江戸ですら太田時代の城下絵にちゃんと村があるのに

661 :
都市の規模というより織田家の動員数の中だとごく一部でしかないってことだろ

662 :
>>659
君が城下に兵が住んでる前提で話してるんだろ?
安土城にも岐阜城にも兵はほとんど住んでません
故にどこに本拠に置こうと兵は領内各地から来る
信玄の場合は信濃に本拠移しても甲斐衆にとっては奥三河や美濃は遠いから何も変わらない

663 :
仮に1万としても5人家族でそのうち一人が兵となるなら、兵力は2000人。
実際には商人職人の家族もいるので実際にはもっと少ないってなるわけだし。

664 :
大勢力の首領が居城を移すとなればそれなりに人も移動する筈だがな
別に領民は農民だけじゃない
商人なら権力者とパイプ持ってた方が商売がやりやすいから居城近くに住むだろうし
貴人も多く住むだろうから工芸などを生業とする連中も移動するだろう
インフラ整備もされるだろうから利便性を求めて人が流入する事も考えられる

665 :
まあ本拠地移動させることで、
前線との距離が近くなって、情報を得て判断下すまでの時間が数日分早くなる、
征服地に本拠地移すことで領土化を早める、
大名と一緒に常駐兵力が前線近くにいるってことで相手に圧力かけれる、
とかそういった方のメリットはあるかもしれないが。

666 :
動員に関することは>>650が正しいね
長篠前の勝頼も出陣する前に何日までに諏訪上原城に何日までに来るようにと書状送ってるから
結局は本拠を移した所でどこかで合流するために待ち合わせにして来るからな

667 :
>>665
信長が岐阜に移したのは木曽川が氾濫するから出遅れる
安土に移したのは内陸の水運を握れるから

小牧山はうーん…対美濃くらいしかメリットないから廃城にしたんだろうね

668 :
本拠地を移すメリットというのは常備兵を置くこともあるけど
それ以上に情報伝達速度の方が重要なんだよね。
だから秀吉は名護屋城では満足できず、自ら渡海して釜山を根拠地にしようとしたわけだし
日清戦争の際、日本の軍首脳は全員広島に移転して策源地にしたわけだし。

669 :
ちなみに劉邦はほぼ一度も巴蜀や長安に戻らなかった。
常に最前線の榮陽(ケイヨウ)城と成皋(セイコウ)城に臨時首都を置き
そこから下がらなかった。最前線に都を置くのはむしろ常識だが

670 :
上杉も敵だし、北条を敵に回したり、敵が弱ったり隙を突いて攻める信玄にとってはどこも前線なわけだけどね
信長みたいに背後は徳川に任せるとかしないから

671 :
シナの衰退政権は逆なんだよな。
南宋などが顕著だが北方の民族に圧迫されると
首都をジリジリと南下させて最前線から遠ざける傾向にある。
逆に攻める胡側はどんどん首都を南下させ最前線に近づけていく。

672 :
項羽が天下を失った最大の原因は首都を咸陽に置かず彭城に置いた事だしね。
そのため、斉や漢の叛乱のたびに何千キロも離れた土地へ遠征しなきゃならなくなり
道中で兵糧を彭越に強奪されまくって国力が疲弊した

673 :
古代中国の話なんて話半分にしとけ

674 :
我が国では白村江の惨敗後に首都を内江の近江に下げる一方で第二首都として朝倉宮を太宰府を拡充した

675 :
本当は諏訪を落としたと同時に遷都を断行すべきだったが
甲斐国内の政情的に無理だというならせめて新府に根拠地を変えるべきだった。
信濃に行くにも駿府に行くにも断然その方が近いわけだし

676 :
信虎の時代に根拠地を八ヶ岳→韮崎→甲府とどんどん東進させたわけだけど
それはあくまで小山田氏を服属させるためと
その後、北条氏綱を滅ぼして相模の国を併呑するという目的があったから
でも信玄は外交政策を変えて三国同盟を結び信濃併呑をもくろんだわけだから
甲府に居る必然性が皆目ない

677 :
諏訪って、あの標高高くて平地少なくてクッソ寒いところだっけ?

678 :
諏訪に移したら駿府は遠くなるだろw

679 :
岐阜城も尾張城と比べたら標高が糞高くて糞寒いところだけどなw

680 :
清洲城と間違えたw

681 :
その岐阜は甲府と比べてもマシなんだから武田にとってどっちがいいかって判断材料にはならん

682 :
しかし司馬遼太郎説によると信長が大坂へ遷都するのはほぼ既成事実で
秀吉が大坂城を作らなくとも信長が造っただろうとされてるけど
そうなんだろうか? 京にすら居つくのを嫌がって安土城を作った信長がなんで
大坂に拠点を遷すのを既成事実しして描いてたのか疑問に思う

683 :
岐阜城の山頂の天守は飾りで政務を行う居館は麓にあったけどね
石高的にも尾張と同等

684 :
岐阜はともかくとして小牧に遷都した時は諏訪どころの騒ぎじゃないと思うぞ
今も航空自衛隊基地しかないところだし

685 :
ちなみに安土も行った事があれば分かると思うが
山がびわ湖に接していて平地など無い。
移動もびわ湖沿いの細い道を馬で移動するか船しかなかっだろう。
平地の広さや便利さを求めるなら大津に城を築いたはず。

686 :
諏訪なんかに移しても兵は各地からやってくるから意味ないけどな
対上杉には海津城築いて終わりだから
その後駿河侵攻するんだから甲斐のままで良い

687 :
舟運、ええやないですか。蒸気機関が発明されるまでは最強のアシですよ。平地が無いことのデメリットをすべて解消してくれますよ

688 :
>>683
というか本来ただの物見櫓の天守に住んだ人って安土の信長と
備中は松山の城ヲタ水谷勝宗くらいでは

689 :
諏訪に移して何のメリットがある?
情報が速いというけれど狼煙台はあるし、兵は結局甲斐から呼ばないといけないから数日も速くなるものではない
諏訪と甲府ならせいぜい1日だろう
信濃は上伊那、下伊那、諏訪、木曽、深志、海津、小県、佐久それぞれが別の地域にあるようなもので甲府よりもずっと狭く、人口も甲府がずっと上
信長とよく比較されるが、信長は安土を除いてあくまで濃尾平野内での移転である

690 :
>>668
>本拠地を移すメリットというのは常備兵を置くこともあるけど

何度も書かれている通り常備兵は少なすぎて侵略には役に立たない

>だから秀吉は名護屋城では満足できず、自ら渡海して釜山を根拠地にしようとしたわけだし

秀吉は唐入りしたかっただけだよ
甲府と信濃の距離と名護屋と朝鮮の距離も全然違う

>日清戦争の際、日本の軍首脳は全員広島に移転して策源地にしたわけだし。

論外
時代が違います

691 :
>>675
>信濃に行くにも駿府に行くにも断然その方が近いわけだし

甲府と新府なんてほとんど違わない
そもそも結局は領内各地から集まるんだから近いもクソもない

692 :
そもそも本拠地移すのと常備兵置くのが一緒になってる所から意味不明

693 :
>>676

>それはあくまで小山田氏を服属させるためと
>その後、北条氏綱を滅ぼして相模の国を併呑するという目的があったから

そんな説初めて聞いた
最近の平山氏の信虎の本にもそんな説は一切書いていない

694 :
既に支配下に置いたところを通って報告に来るのと、朝鮮水軍の妨害かわしながら玄界灘越えてくるのも大分違うなあ

695 :
>>667
安土は京と本国尾張岐阜の中間に位置するのもあると思うよ

696 :
勝頼が好きな奴は浅井長政も好き
これ豆な

697 :
安土城はただのプロパガンダ用の城じゃない?
流通の拠点だからこそ全国に噂も広がりやすいだろうし…

その後大阪城を作るつもりだったかはわからんけど、安土城を統一後も本拠地にするとはちょっと考えにくい

698 :
ノブが統一後の日本をイベリア諸国のような海洋国家にしたいと考えていたなら
やはり大阪に拠点を移したいと考えるだろうな
堺港に近く淀川水運で京都とのアクセスも容易
安土は畿内を統治するには便利な立地だけど外国との貿易外交には不便

699 :
兵が各地から集まってくるのはそうだが
本拠が一番の防衛機能、街道整備、戦場に近ければ兵糧と金が一番集まるのは確か
最前線と近ければ情報伝達の速さと継戦能力が上がるのは確かでしょう
ただすぐ囲まれるような規模の小さい拠点だと囲まれたら指令系統が遮断される
武田のような貧乏国が大規模な拠点をホイホイ作れたかというと疑問

700 :
大規模とかホイホイとか余計な形容詞だな

701 :
織田の軍団長の策源地は前線近く
信忠岐阜
勝家北ノ庄
秀吉姫路
明智亀山
滝川厩橋
家康浜松
織田家の規模があればこそだが

702 :
根拠地を移転しなかったのは信玄の慎重な性格のせいだと思うが。
父親が無理な遷都を断行したせいで親戚の大井氏を始めとして多くの国人が叛乱を起こし
その内乱を鎮めるためにどれだけ苦労してきたのか間近に見てたから。
信虎は自ら手討ちにした家臣だけで五十余人を数えたと言われてるけど
信玄は自ら手討ちにした事はないだろ。毎回幽閉して自分の目に触れないところで切腹か処刑してるし
反逆する家臣に面罵されながら刀でぶった切って血を見るのに耐えられない性格だったのかもしれない。

703 :
>>702
いやむしろ陰湿なやり方だよ。

704 :
山道の上に距離があるから微妙な距離に根拠地を移すより海津城等の前線兵糧基地を作った方が効果的だったんじゃね?

705 :
現在の松本見てるとそうは思えないが。

706 :
城の目的はその地域一体を治める内治用のものと
外敵と戦う前線基地用のものとあるしね。
信玄は府中には積極的に城を作ろうとしなかったし内治用としては不要だと思ってたんだろうね

707 :
外征の多い信玄としては内地に城を作ると逆にクーデターされた際の根拠地にされるかもしれないと思ったか
本当に貧しくて城を作る余裕が無かったか、その両方だったのかよく分からない。
人は城〜人は石垣〜もどこまで本気だったことやら

708 :
タダで移転できるなら話は簡単
引越しや家買うのは金がかかることくらいお前らも知ってるだろ?

709 :
信玄は莫大な金かけてまで移転するメリットあるかというと、ないという判断で移転しなかっただけだろ
勝頼はあると考えたがそれでも韮崎止まり、しかも防衛を重視した可能性がある
信濃なんて尚更無理だろう

710 :
北条家も本当は川越か江戸あたりに移転すべきではあった。
一々、関東の西端から下総、下野、上野に転戦ではコストも時間も無駄だ。
でも両上杉やら謙信やら信玄やら強くてしばしば追い込まれてるので
最後まで本城を引っ越す余裕などなかったな

711 :
結果論じゃね
家康だって自分で自由に選べたら江戸は選ばなかっただろう

712 :
今川館もそうだけど、防御力の低い居館と支城による攻められることをあまり想定しない作りは武田も同じだから
引っ越しはしにくいよな

713 :
>>711
いや家康入府の前の江戸城は
奥羽征伐の為の秀吉の休憩所として
それなりの城だったらしいから
江戸を選んで当たり前

714 :
設楽が原に博物館があって屋上から戦場全般見渡せるけど
織田・徳川連合軍の布陣した前面の丘の後ろは完全に死角
信長が丘の後ろに兵を隠したって話は信ぴょう性が高いと思う
武田軍に突撃させるという意味でも兵を少なく見せる必要はあっただろうし
なお勝頼の本陣があった才の神も行けるけど今は植林されてるから見通しが悪い
あの狭い地域に両軍合わせて5万ってのは異常な密集度だと思う
武田軍は設楽が原に進出すべきではなかったな

715 :
>>714
設楽が原に行く決心したのは医王寺山からの視察かと
たしかここも見晴らしはいいが、やはり丘の向こうは見えない

勝頼としては医王寺山にいる限り攻められる可能性は低いし、織田は設楽が原に数日動かないしで、織田軍が多かろうと決戦するためには設楽が原行くしかなかったんでしょう

716 :
>>715
結論は信長が一枚上手だったってことだよなぁ
結局信長自身が武田と直接対決したのはこれが最初で最後
でもその一回で武田軍を粉砕
勝頼が死んだから反対する重臣を押し切って勝頼が突撃させた扱いだけど
実際は重臣連中も優勢な兵力で後詰して数キロ離れた丘に引きこもる織田・徳川見て
戦意が無いと判断してたんだろうな

717 :
>>716
だとしたら老臣連中バカ揃いだな。
あれだけ経験豊富な老臣がそんな判断するかな?

718 :
どういう戦術的判断で決戦に向かったのかはともかく、誰が主導だったのかって犯人捜しは不毛だよ
軍鑑は信玄や老臣の別の落ち度を無理矢理勝頼世代におっかぶせてるところはあるけど
だからといって長篠の件に関しては勝頼が乗り気だったことを完全に否定する材料もない

719 :
信長は勝てる確証が持てるまで出なかった
間にいる徳川が盾になってるし

720 :
>>718
むしろ積極的では?
事前に勝頼が出した書状見る限りはそうとしか思えないが。

721 :
勝頼が決断して決めるのが仕事であり責任
家臣がどうだったかなんて免罪符にならない

722 :
「勝頼が悪い」と「勝頼が全て悪い」はイコールではないんだから、長篠合戦における個々人の影響と責任の度合いを検証するのは大事だよ

723 :
「安倍ちゃんが悪い」と「官僚が全て悪い」はイコールではないんだから、
モリカケ事件における個々人の影響と責任の度合いを検証するのは大事だよ

724 :
>>722
勝頼が悪い、には変わりがない

725 :
>>723
官僚が全て悪いだと安倍ちゃんが悪くないことになっちゃうからその言い方間違ってるぞ

726 :
「安倍ちゃんが悪くない」と「官僚が全て悪い」はイコールではないんだから、
モリカケ事件における個々人の影響と責任の度合いを検証するのは大事だよ

727 :
>>724
無論、それはある
ただ勝頼が悪いで終わっては学問ではない

728 :
>>727
実際問題、軍議の内容の史料なんて今後も出るわけないから家臣の動向は軍鑑しかない
軍鑑無視しても謎で終わりで家臣の責任にはしようがない
一方で勝頼の責任ははっきりしている

729 :
出る訳が無いと何故言い切れるのか?
長篠を生き残った武田家臣がその時の様子を記録した文書が
絶対に今後出て来ない、残っていないと言い切れる根拠は何なのか??
それこそ思考停止であり学問の進歩の否定じゃ無いのかい

730 :
>>728
当代記も軍議内容あったよ。

731 :
勝頼「官僚が忖度して設楽原に進軍しました。僕は知りませんでした」

732 :
>>729
450年出てこない物を期待する方がおかしいと言ってるだけだがな
しかも記録に残りにくい物だし
三方ヶ原や川中島すら史料に乏しいのに更に軍議の内容まで期待するのか?
出てくるならそれはそれで嬉しいが、学問の否定?なに言ってんだか

733 :
>>730
重臣達は軍鑑同様、反対だね

734 :
当代記の信長時代の記述はパクリだからなぁ

735 :
450年経っても出てくるもんは出てくる。出てこないもんは語れないから出てきてから話そう

736 :
勝った負けたに関しても責任は問われるべきだけど
それ以前に戦略目標が曖昧だったと思う。
家康を殺せれば殺したい
それがダメなら吉田城を落としたい
それがダメなら長篠城を落としたいで
旗が右へ左へ動いてるので将も兵士も右往左往してしまう。

737 :
最近でも秀吉が清正に出陣を促す文書が発見されたし
武田信玄が信長に謝意を伝える文書もこの間、発見されたばかりだろ
今まで出て来なかったから今後も出て来ないなんて保障はどこにもないぞ
何の根拠があってそんな決めつけができるんだ??

738 :
御館の乱への対応でも甲相同盟への対応でも新府城建設及び破棄でも信念を持った行動ができてない。
その場のフィーリングで対応をどんどん変えてしまうわけで結局何をしたいのか分からない

739 :
信念も糞も本来武田を継ぐつもりじゃなかったのに
信玄が義信殺しちまったせいでgdgdで当主に祭り上げられちまったらそうなるだろ
家臣の信頼も得なければならないし、荒廃した領土も再建しなくてはならない
信玄がゼロまで叩き落した外交の信用も回復させる必要がある
何を優先させればいいのか整理できなかっただけだろ

740 :
>>737
軍議の内容という性格上、出てこないと考えるのは自然なことだろ
そこ、噛みつくことか?

741 :
>>740
じゃあもっと単純に聞こう
『出て来ないと言い切った、あるいはそう考えた明確な根拠を提示しろ』

742 :
これもうどっちかが大人にならないと終わらないやつや

743 :
ノブと呼んでる時点でヤバいやつ
何で怒ってんのか意味不明

744 :
争え…もっと争え

745 :
戦略目標が曖昧というよりあれもこれも大事で
どれかに絞っても他がダメなら行き詰まる
それをつまりジリ貧という
そりゃ家康信長の首が取れれば解決かもしれんけど
そんなん狙って取れるものでもないわけで

746 :
>>745
全く可能性がないわけではない。
信長は桶狭間で奇跡を起こした。

747 :
武田勝頼と毛利輝元

甲芸同盟を結んでたの知らなかった。

748 :
同盟なんて呼べる代物じゃないな
文通友達

749 :
>>746
「戦略目標は奇跡」って格好いいな

正しくジリ貧としか言いようがないけど

750 :
信長の長所は織田家の目標を分かりやすいスローガンとして掲げ(天下布武など)
武将や足軽や小物や商人などにも各自明確な目標を持たせ
その目標に向かって努力をすれば報われる社会を実現させようとしたことかと思う
秀吉もその志を継いで天下静謐、大東亜共栄圏みたいな方向に向かったが
さすがに天下統一後の目標値は高すぎた

751 :
ただ「いついつまでにこれこれをやれ」というノルマ主義を
パワハラでやり続けた信長に対して家臣たちがノイローゼになり
時に出奔したり時に謀反をするというのは自然な流れだったのだろうと思う。
努力すれば報われるとは言っても超絶ブラックである事は疑いないわけだから

752 :
小学生の作文より酷い考察

753 :
ブラックだったのは間違いない
出世すればするほど不幸になる感じ

754 :
出世した分だけ成果だせってことだな
出来ないなら隠居して後進に譲れと
高給取りの出来の棒が居座られても困るし
引き際を整えられなかった

755 :
>>747
テルは義兄弟の誓いもあっさりたばかるし
友軍も戦況次第であっさり見捨てる
最も頼みにしてはならない人間

756 :
輝と勝頼は長篠敗戦後も尾張、美濃に攻めこむと夢を語りあったんだっけ

757 :
こうして文字にしてみると景勝とあんまりかわらんな
あれっ?!おかしいなぁ

758 :
>>685
スレ違い気味なのは承知で
あの周辺を何度か巡ってみた印象だと
大津は京都に近すぎるし、比叡山にも近すぎるな
濃尾&伊勢がテリトリーだった信長が岐阜の次に移ったのが安土というのは堅実な感じがした

759 :
つーか瀬田橋を落とされたら尾張岐阜から援軍大幅に遅れて孤立してしまう大津に拠点を移すとか無能のやること

760 :
全くの素人考えだが大津は天智天皇の古都で京の玄関口
叡山や日吉大社のような寺社勢力も盛んということで
元々栄えてて大規模に開発する必要も余地もあんまないのでは?

761 :
安土開発は公共事業的な側面もあったのかもしれんな
雇用を創出して庶民の懐を温め消費を促して商人たちに還元するみたいな

762 :
安土と坂本と長浜の位置関係も面白いな。
武田に絡めると、下手すると安土城って新府城より小さいんじゃないかと思うが実際のところどんなものだろうか?

763 :
グーグルの航空写真を見る限りじゃ規模はどっこいどっこいだな

764 :
今は埋め立てられてるが安土城の周辺は池みたいなのを水堀としてたみたいだから防御力優先だったらしい

765 :
防御に力を入れてるわりには建物の中まで公開してるけどねw
有料でw

766 :
自信と自慢の表れ

767 :
城は水堀等の防御と城郭で防ぐもんで内部の建物で防ぐものではない

768 :
建物内部の情報が役に立つ状況ってもう負けてね?

769 :
安土城は信長の財力と威光を示す為の言うならば見せる城。
信長が常日頃から居住した城でもあるし、家康一行を信長御膳でもてなした様に
日常生活には不向きな戦争用の城でなく利便性を重要視した政治用の城

770 :
南近江の国人たちに、新しい支配者は六角氏ではなく織田氏なんだよと
強くアピールして彼らから抵抗する気を奪うためにわざわざ歴史ある観音寺城の目と鼻の先に
安土城という巨大な城を築いてシンボルにするという目的もあったのでは?

771 :
勝頼が生き延びるには甲州征伐前に本能寺的なのが起きるしかないけど
武田滅亡が本能寺の引き金だからどうにもならんよな
唯一可能性あるとすれば勝頼が越後に逃げて本能寺が起きるパターン
クソみたいな小笠原ですら旧領回復成功したのを考えると勝頼が景勝の援助で
甲斐・信濃奪還できる可能性はそこそこありそう

772 :
>>771
>武田滅亡が本能寺の引き金だからどうにもならんよ

そうとも限らないよ

773 :
>>770
そのアピールに六角の築城手法を取り入れてるのはちょっと違和感

774 :
大坂城も安土城を目的が似てる気がする。
わざわざ本願寺のシンボルであった石山の地に巨大な大坂城を築く事によって
本願寺の信徒たちに新しい支配者は秀吉であって、大坂城の巨大さを見るたびに
もう反抗しても無駄だと思わされたろう。

775 :
居住や政治に関しても大坂城と同じだね
あれも淀川から水を天然の水堀に利用した要害

776 :
家康が佐和山城を超速で破却させ
その他の三成に関する城や砦を一つとして許さず全部壊させた後に
その廃材で井伊氏に彦根城を作らせたのも目的は似てる気はする
それを見て近江の人間も新しい天下人は家康と配下の井伊であって
一刻も早く秀吉・三成様の事は忘れなければいけないと

777 :
>>770
観音寺城落としてから安土城築くまでどんだけ歳月かかってるのよ

778 :
水攻めされても大丈夫なように安土城は安土山に
大坂城は石山に
利便性重視なら山の上に作らない

779 :
武田家がいまいち信濃に根付かず
今でも長野県民に信玄が嫌われむしろ空気というのは
信玄が根拠地を信州にせず必要な公共事業もしなかったのが
ダイレクトに影響してると思う。自分たちの御領主様なんだという気持ちは
ほぼ無かったでしょう。上田城を作ってくれた真田の方がまだ慕われてるという

780 :
でも近江も信長嫌いが酷いな。
近江八幡の豊臣秀次や井伊家や天智天皇や三成みたいに尊敬も崇拝もされてない。
安土城の再建も地元安土市の人も無関心。
なんで信長の城を再建しなきゃいけないんだよという空気の方が大きい

781 :
>>777
観音寺城落ちてから六年くらい六角のゲリラが暴れててその間は築城とか無理だっただろうな
最後の拠点である菩提寺、石部の二城が落ちてから二年後に着工って流れ
>>776
石田領だけで天下人がどうこうって思考のスケールがおかしい

782 :
安土城完成してから信長死ぬまで3年ない
同時に焼けちゃったからそこまで馴染みがないんかと
江戸期は豊国大明神のが人気あったしね

783 :
信長は天下統一まで行ってないから
その分リアルタイムの民衆の印象だと秀吉より大物感に欠けてたのかもしれないな

784 :
秀吉も家康も信長をディスってるしな

785 :
というか信長は近江の人たちが信仰していた神社仏閣を随分多く叩き壊して
それを建材にして安土城とか作ってたからな。その中には墓石なども含まれてたと
聞いた事があるぞ。好かれてないというより普通に滋賀県民に嫌われてるよ。
秀吉も近江に縁の深い人物だけどあまり好かれてない。
やはり近江で割と慕われてた秀次を無理にぶっ殺したのは印象よくなかったのでは

786 :
結局滋賀って今じゃ井伊か石田三成なんだよな
大河に便乗して最近は明智光秀推しらしいが
一方山梨は完全に信玄
山梨出身の金丸信は今信玄なんて言われてたな

787 :
>>786
金丸が今信玄?
ああ、確かに佐藤や田中を裏切ったやり方は信玄に似ているな。

788 :
歴史資産が多いところはいいな

789 :
山梨って歴史的に偉人が少ないから信玄に頼らざるを得ないんだろうな

790 :
山梨県立博物館は信虎推しをしたり甲斐徳川家推しをしたり
色々頑張ってるけど笛吹けど踊らず。庶民の心には響かない

791 :
信虎は厳しかったが、偉大だと思うがな。
13で父親を失い、14で叔父と争い、37で甲斐を統一し、47で追放されるまでに信濃に拡大して今川と同盟。

地味だけど信玄より偉大だと思う。
信玄は信虎からそれなりの基礎をもらっときながら、信濃取るのに20年。その後12年で駿河とかだけだし。

792 :
新田次郎が信玄、勝頼に続く三部作として武田信虎も描いていれば
今頃、山梨県内で英雄の座を占めてたかもね。
でも彼は信虎よりはむしろ上杉謙信などへの興味が強かった

793 :
信玄は村上に手こずった結果、長尾景虎が越後固めて信濃に介入できる時間を作っちゃったからな

794 :
新田次郎の武田勝頼は御舘の乱以降の対北条戦全く描かずに
新府城築城から甲州征伐だもんなぁ

795 :
歴史小説は司馬遼太郎ばかり読んでた身で新田次郎の武田物読んだ時は、読んでるものが漫画からドキュメンタリーにジャンル変わった位の感じがしたな
別に上下や優劣を言う気は無いけど

796 :
甲斐国の文化後進国っぷりは多くの著名人が指摘している
武田の末裔名乗って入ってきた板垣退助すらドン引きしてる

まぁ江戸時代領主が領内に殆どいなかったりやむを得ない諸事情があるけど

797 :
新田次郎以来勝頼の小説は読んでなかったけど
これを読んで再び勝頼熱が出た
https://ncode.syosetu.com/n4278fr/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)


798 :
>>794
財政がとにかく苦しくて穴山が負担のかかる高天神城を放棄して体制立て直そうぜ、と具申したのを、勝頼が許可しなかったんだよな。

それで、穴山が北条や徳川が攻めてきたらどう対処しろというのか、という下りになっていたような。

799 :
三方ヶ原前後の畿内では朝廷も幕府も本願寺も果ては庶民までも
武田!武田!で信玄は上洛するものだという気運が高まってたらしいけど
自然発生的にそうなったというよりは自身の復権を目指す信虎が
洛中でもてる人脈を総動員してそういう空気を作ったんじゃなかろうか

800 :
この時代って任務地から追い出された前守護とか元守護と言われる人間が多く京都に住みサロンを作り
足利家などにもお仕えしてたから信虎が京都に住んで派手に交際を繰り広げてても
まるで違和感はなかったらしい

801 :
あのまま信玄が元気に指揮をとれていたら、信長や家康は倒せていた?

802 :
>>801
倒せるというより信長の領内統治はおそらく不可になってた。
無政府状態になり瓦解しただろう

803 :
武田軍を純軍事的に考えたら兵站や兵糧などとてもじゃないが京都まではもたないわけで
信玄が「上洛」を果たすのが可能かと言われたら多分無理だけど
信長を支持してる尾張、美濃の国人も岐阜城への救援には駆け付けず
自分の城や土地を守るため動かなかったんじゃなかろうか

804 :
徳川は武田に劣勢だけど1572年の時点で浅井朝倉は虫の息だから信玄いきててもしゃーない

805 :
家康も虫の息では?
信長はまだ余力はあるとは思うが。

806 :
信玄がもし上洛できても3万の兵力を都で養うような財力もなく
結果的に義昭は扱いにくいから撤退するしかないと思う

807 :
>>806
美濃尾張を手に入れたら財政は解決されるかと。美濃尾張をとらないと上洛できないし。

808 :
徳川は相手にならないの露呈してもう人心掴むの無理だから東海道を武田が経営していく
兵も吸収して普通に織田に対して位押ししていく感じじゃないの
んでどこかで決戦しようとする
まあ信長は受けずに交わそうとしそうだけど

809 :
>>808
三方ヶ原を高く評価しすぎ
家康は負けたが致命的な敗北ではない

810 :
家康はまだ余力あるだろ、重要拠点はまだほとんど維持しているし、
武田撤退後反撃するような余裕あるし。

信長の方は余力どころかもう少しで敵対勢力にトドメ刺すような状況じゃ。

811 :
信玄が家康に止めを刺せるかどうかがせいぜいでしょ
徳川の盾が無くなるから信長の天下は遅れるだろうけど、後はあんまり変わらない展開じゃないかな
信玄が信長と決戦するとは思えない

812 :
浜松城残してる時点であれ以上進めないだろう
信玄アホすぎる

813 :
三方ヶ原後もダラダラ小さい城囲んで落としてたけど
要するに徳川方に裏切りの連鎖なんかが起きてなかった証拠だよなぁ

814 :
三遠駿の豪族は全部が元今川家なわけで
今川攻めから三方ヶ原の戦いの内容もほとんど知ってるだろうし
徳川を高く買ってるか武田が嫌われてたかのどっちかでしょう

815 :
信玄死んだら手のひら返す奥平
末端には信玄死んだの知らされていなかったんだったか

816 :
信玄が元気だったら天下が取れたか?
ムリムリ、肝心要の1572の時点で徳川と遊んでるようじゃ見込み無しよ
岩村から使い捨て前提の100人単位のゲリラ部隊を多数組織して
阿木川から木曽川を下らせて美濃尾張各地を襲わせるくらいやらなきゃ
兵には長島で収容して船で甲斐に帰れるぞと騙してw

817 :
>>816
最早狂気の作戦だな。
ソ連と変わらん。

818 :
>>816
そういうの実行できるのは精鋭しかできないからどのみちやる方が大ダメージ
一万五千いたとしても戦える主戦力は半分いるかいないかと言われるように
雑兵にやらせたら間違いなく途中で逃げる

819 :
このスレ謎のゲリラ戦への期待が凄いな
勝頼も山奥でゲリラ戦やれば勝てるとか

820 :
>>819
勝頼の場合は勝てるというより、史実よりマシな最期を飾れる程度だろう。あるいは群馬山中に潜伏してかつての赤軍みたいに生き延びるとか。

群馬山中の山狩りは織田や徳川の兵力も関係無いからね。

821 :
ゲリラ戦の前提条件は地元民の支持があること
群馬の山奥で冬は雪で閉ざされるのに食料もなくて死ぬだけだべ
地元民の支持が無ければ落ち武者狩りされる可能性もあるし

822 :
織田は対伊賀忍者のゲリラ戦の総大将がバカな次男でも勝てるんやで

823 :
>>779
長野も信玄に寄生しまくりだろ
例えば長野県に信玄の隠し湯を自称して売り文句にしてる温泉とかな
いったいいくつあるんだよと言いたくなるくらいあちこちで名乗ってる

824 :
>>822
1回目ぼろ負けで2回目は総大将変更してなかった?

825 :
>>823
信玄と秀吉の温泉好きは有名だしな。
神奈川県にも信玄の隠し湯がいくつかある。
伊香保温泉や草津温泉にも深く関わってたらしいし
温泉の神様的な扱いなんじゃね?
一応、本家本元温泉の神様として有名なのは
大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)だけど

826 :
傷病兵の湯治用として信玄が温泉を重視してたのは史実だけど
本当にそれだけだったのだろうか。火薬の主原料として重要な硫黄が
草津温泉の付近では豊富に取れたのでそれを利用しなかったとは考えづらい

827 :
もし勝頼が山岳ゲリラ戦始めたら
間違いなく信長は勝頼に懸賞金掛けて
農民や猟師に落ち武者狩りさせるよなぁ

828 :
>>827
なぜそれを斎藤龍興や六角氏などにしなかった?
雑賀衆の鈴木孫一を殺せなかった?

829 :
>>824
1回目はパパの許可なく勝手にやってボロ負け
2回目はパパがつけてくれた手勢と共に戦って勝った
信長は終わってから見に行っただけ

830 :
斎藤龍興は河を下り長島の反信長勢力に保護されたのと違い、勝頼は山に籠るんだろ?
勝頼の重税で苦しめられたけど誰か味方に付けてたのか?

831 :
>>820
やっぱゲリラ戦への憧れがすごすぎだなw

832 :
現在も台湾の玉山(新高山)の周辺には反政府ゲリラが居て一般人立ち入り禁止だし
ミャンマー、ビルマ、タイの国境地帯の密林も反政府ゲリラぞろい。
ブラジルアマゾンも警察の力が及ばない密林地帯が多く残ってるし
一般論として山とか森林は現代科学をもってしてもゲリラが一度潜伏すると
殲滅するのは基本不可能。

833 :
地元民の支持がなければ無理

834 :
山奥に地元民いないだろ

835 :
虫さえ気にしなきゃそこらでゴロ寝できるあったかい土地っていいよね

836 :
長篠でも山に逃げたのが餓死したと書かれてたのに地元民から支援を受けないでゲリラとか出来るのか?w

837 :
西日本の山地ではいたるところに平家落武者伝説があるけど
割と温暖な地だから逃げおおせたのかね
ポツンと一軒家でも先祖が落武者だとする人がかつて出たと思うけど

838 :
小山田が収めてた土地の多くは代官も居ないし年貢も取ってなかったんだよね。
山中の木こりから税の徴収をするというのは不合理で実質不可能だから。
収入源は相模国と甲斐国の間を往復する商人や旅人などからの関銭など。
江戸時代を通しても代官所が八王子にあるだけでそこより西は役人がおらず
年に一度、木を一本切って多摩川に流せという緩いものだったらしい。
米は獲れないので芋を植えて自給自足生活をしていた

839 :
水食料が確保できてエコシステムが確立できれば生きては行けるが再起するまでは無理
ゲリラ戦は武器や情報など余計なものを手に入れる必要があるので地元民の協力が不可欠

840 :
>>822
倒すのは無理。だけど東濃、中濃までは織田家の有力武将もいないので
大した苦もなく信玄が制圧し信長の西進に楔を打ち込む事はあり得る

841 :
あんな山岳地帯とられてもとっても仕方ない
取られたら不快だけど必死に維持する事もない
濃尾に出られない様にすればそれでいい

842 :
>>837
落人伝説というのは正体を隠して移り住んで集落の祖になったとかそういうので
別に地元の支持もなくゲリラ戦を展開したとか何もない山中に長く生き残ったとかじゃないよ

843 :
>>838
それでよく笠原清繁の妻を買う余裕あったな
余程の美人だったのか

844 :
戦国時代の森林は今のようじゃなかったはず
伐採したら植林するのはもっと時代が下ってからだと思うし…
秀吉時代に巨木がなくなったなんて話を読むと、当時の山岳地帯って木がスカスカだったかも

845 :
・信玄がそもそも一向宗徒を戦術の駒になると考えてない(一向宗は外征出来ない、出来たとしても雑魚と考えてる?)

・朝倉は寝返り、サボタージュが多発して戦闘集団としての能力が著しく低下している

・浅井は秀吉単軍に攻勢を防がれた上に敗退、内部も切り崩されて小谷城下に秀吉や勝家が侵入してくる始末

信玄は無理してでも東美濃から強引に突破して濃尾平野に出ないと周辺勢力を保てなかったね
まぁその程度の情報収集能力だったとしか

846 :
軍鑑に馬場が信玄に、家康を味方にしよう、と言った記述があるが、信玄と家康が組めば信長打倒も可能だったか?

847 :
ビンボー人がビンボー人と手を組んで何ができると

848 :
>>844
畿内一帯は建築資材にできるような木は伐採しつくされてて
城を建てる際にわざわざ遠隔地から船で持ってこなきゃならなかったほどとは
伝わってる。でも「山岳地帯」からわざわざ木材を供給してるわきゃーなくて
持ち運びが簡単な平地や川沿いから切られたのは想像に難くない。

849 :
当時、下剋上で追い落とされた元国主って土岐頼芸のように
人知れず放浪してどこかしらで厄介になってたケースが多いと思うのだが。
歴史の舞台から姿を消すだけで必ずしもみんな死んでない。

850 :
武田なんてぶっちゃけると関東でも北陸でもあちこちに腐るほど同族が居るし
妻や妾の実家なども含めるとこんなに潜伏先に恵まれた家もないと思うよ

851 :
>>846
家康寝返って戦力的には互角ぐらいだろうな。
織田は状況の変化に混乱するだろうから、全体としては包囲網側有利になると思うが。

852 :
>>846
軍鑑は嘘っぱちだからな
所詮ストーリー軍記物

853 :
家康が寝返ったら直接尾張に侵攻できるし、あるいは尾張、美濃の二方面作戦も可能だから、織田は終わりじゃない?

死にかけの浅井朝倉もいることにはいるし。

854 :
美濃の国人が信長に心服しきってるわけがないしな。
武田・徳川が組んだら余裕で武田家の被官になるか
運が良くても筒井の洞が峠状態になるでしょ。
尾張の各城に居る信長の親族たちは信長に殉じてくれそうだけど

855 :
家康は謙信らへの書状に信長を武田と手切れするように説得すると武田を敵対表明してたのに家康が武田と組むw
ソースは軍鑑w

856 :
家康が寝返ったところで矢作川とゆー暴れ川の堀があるうちは織田は安泰やろ
尾張南部は河川だらけで少々押し込まれても阻止は容易
だからこそノブは今川の侵攻に晒されながら尾張統一戦を勝ち残るという離れ業をやってのけたんだろ

857 :
信玄が織田と戦うことになったのは徳川のせいなのに徳川が武田へ裏切るわけない

858 :
長篠の後に勝頼がノブに謝罪したら、さすがに許されたと思うよ?
上杉征伐の先鋒をかって出ますとかいえば喜んで迎えられたのはおそらく確実。
勝頼は不運なところもあるけど、長篠の敗戦後も意地を張り続けたのはさすがに自己責任。

859 :
生き残った重臣がダメって言うんです

860 :
そもそも信玄が権力移譲に無関心なのが一番の問題やろ
勝頼を甲府に置いて政治させてればよかったじゃん

861 :
だって武田じゃないもの諏訪だもの

862 :
信濃統一をよりスピーディーに出来てたら歴史が変わったかもな

863 :
速き事風の如くというが
むしろドン牛のようにのろかったと思えるが
走りだせば速いんだろうが出発するまでに時間かけすぎだろ

864 :
いつものように遠江の連中を調略しようとしたんだけど、遠江の国衆たちは信玄に靡かなかった?
家康の居城が三河から遠江に移ったというのは、言い換えると織田との関係が強固で隙あらば武田領を狙ってる、武田に調略の隙を与えないということになるか

865 :
奥三河の連中が信玄に靡いたけど遠州には調略をかけなかったのでは?
武田本軍が遠州に直接行かないと調略は効かないと思う

866 :
>>858
長篠後の武田は徳川単独に抑えられるくらい弱体化してるんだが。

長篠前の強力な武田なら和睦の価値はあるが、後ではないでしょ。

867 :
信玄は東(北条)西(織田)南(今川、徳川)北(上杉)の全てを
敵に回して単なるアホだと思う

868 :
>>865
天野とか小笠原がついているだろ
井伊は退散して武田領になっているし
あとは有名な国人いたっけ

869 :
>>857
徳川が武田に降伏してもタダで済むわけないもんな
最高でも諏訪と同じ扱いになることは明らか

870 :
確実に言える事はまだ若い家康は信玄に掘られる

871 :
>>853
尾張、美濃の二方面作戦も可能って、織田もそれの両方に対応できるぐらいの兵力あるだろ。
浅井朝倉は死にかけで秀吉ほぼ単独相手に勝つことが出来ない、
長島の抑えの滝川は別戦線に出る余裕ある。
畿内の諸勢力はそれぞれ自分の敵がいるので積極的に動けない。
武田徳川相手に濃尾と近江の一部の兵力向かわせることも可能な情勢だから、
武田徳川に攻勢に出ることは無理でも守るぐらいは可能だと思う。

872 :
諏訪頼重・寅王にしてしまった悪事がここで響いてくるんだよな
自分の義兄や甥に対してすらあの処分だから家康を重用するはずがないと思われてしまった。
家康も信玄が自分を重用するくらい器量が大きいと思えば信長から信玄に乗り換えるのに
何の不都合もなかった。

873 :
>>872
家康は自分の野心のために今川を裏切り、武田に喧嘩を売ったんだから信玄の器量なんか関係ないよ

874 :
家康と信玄がお互いにブチ切れてて、むしろ武田との戦意が一番高く武田包囲網やろうとしてたのが家康なのに
どういうミラクルが起こって家康と信玄が手を組むんだ?

875 :
関ヶ原IFスレでいう石田三成と徳川家康が手を組むみたいなもん

876 :
でもそのミラクルを家康は何度も起こしてるしな。
敵同士として桶狭間の戦い後も2年間格闘してた相手(信長)と織徳同盟を結んでるし
天正壬午の乱で戦い抜いた氏政と同盟を結んだり、仇敵だった氏真と盟約
(武田勢力を駿河から追い払った後は、氏真を再び駿河の国主とする)を結んだり
小牧長久手でしのぎを削った秀吉に圧倒的有利な条件で和睦し天下第一の家臣となったり
通常考えられない事を数多くしてる。信玄が信用に値する相手だったら普通にそういう選択肢はあったが
一ミリたりとも信用の置けない相手だから相手にされなかった。

877 :
桶狭間は義元という当主が討ち死にの混乱に乗じて
天正壬午は本能寺の変の混乱に乗じて

信玄の西上作戦はもう信長包囲網は終息しつつあり混乱はないからなぁ

878 :
そう考えると武田との講和はあり得ないな
家康の外交感覚は本当凄いわ

879 :
秀頼から政権を取り上げたのも目の前に政権が転がってるから奪っただけであって
無理が生ずるようなら普通に忠臣として生涯を過ごしたとは思う。

880 :
>>876
家康が信用で動いてないことくらい気がつこうよ

881 :
家康が野心と打算で動いてる人間だとしても
降伏した人間を劣情の餌食にしてしまう相手と組むなど出来よう筈もない
それが信用ってヤツだろう

882 :
信用においても打算においても信玄はナシナシのナシだったんだよ

883 :
信玄すぐ裏切るんだもん
そりゃ信用されないよ

884 :
>>881
北畠、斯波「だよねー」

885 :
そもそも甲陽軍鑑は長篠前も家康が裏切る云々の会話形式の創作かましてるからな
一次史料の書状には対武田のために佐久間が大量に兵糧持ってきたの見て大絶賛
大賀は鋸引き、武田内通を疑われた水野処刑、信康と築山も表向きは武田内通として処刑
武田に対する妥協はない

886 :
>>883
信玄に裏切るな、とは言わない。
あの時代だし。
ただ、信玄は余りに場当たりすぎでその場だけで裏切ってるように見える。
何であとあとのことを少しは考えないんだろうか。

887 :
武田に降りるととんでもない事になると噂になってて
勝ち目の無い国人にすら信濃では散々抵抗されたからな。
とても下手糞なやり方だったと思う。

888 :
そもそも諏訪をR理由がわからない。
名だけ与えて生かすのがあの時代の常套手段なのに。信長や家康も逆らわない限りは生かしてるし。

諏訪って何で殺されたの?

889 :
>>888
信玄の周りには知恵者が居なかったんだろうね。
諏訪明神甲斐分社の大祝(おおほふり)として祭事を司らせれば
諏訪・信濃を武田が治める大義名分にもできたのに。
実際、信玄はこの時の事を反省したのか善光寺別当栗田氏に命じて
本尊の阿弥陀如来像や寺宝を甲斐国甲府へ移転し甲斐善光寺を創っている

890 :
源氏は古くから八幡大菩薩を守護神としていたため
もちろん武田家も八幡大菩薩を守護神としていたけど
甲斐を治めるにあたって甲斐一宮である浅間神社も祀り
さらには信玄の家庭教師をしていた臨済宗の坊主たちや
諏訪大明神や善行寺や日蓮宗も積極的に保護する事にしたんだよね。
カルトを手なずける事は領内支配に役立つと彼は思ってたんだろうね

891 :
>>889
諏訪頼豊の家計に継がせてるよ
敵将の子を生かしておくメリットもないし、そもそも寅王丸は夭折だろ

892 :
>>891
家康は敵将の子を殺さないんだよね。
遠州を支配するにあたって自分が殺した遠州の国人の子を取り立てて
自分の腹心などにしてしまっている。武田狩りの時も武田の旧臣をかなりかくまった。
だからその後、壬申正午の乱でも旧武田家家臣はなだれを打って家康の下に参じた

893 :
ノブも殺した弟の子を保護して厚遇してるな

894 :
信玄は自分が見込んだ家臣に名家の名跡を継がせて重用するケースが多かったと思う。
元の地位はあまり重視せずに忠誠心と能力重視で。

895 :
逆に無能な家臣を憎悪したよね。板垣信憲とか。
家柄がどんなによくとも自分の地位に安穏として働きの悪い奴は許さなかった

896 :
水野とか酒井とか三河の旧臣一族が威張りすぎてて
なんなら俺は徳川家と同格だという態度をまるで隠さないから
家康は閉口して地位は与えるけど近侍はお断りするという玉虫色の対応をしてたよな。
むしろ新しく抱えた家臣や小姓あがりの家臣を肌身離さず重用してた

897 :
結果として権力与えて遠ざけた家臣が増長して
嫁さんと息子を担ごうとし始めて殺さにゃならん羽目になったんだよなぁ
ホント家臣の統制は大変やで

898 :
>>892
>遠州を支配するにあたって自分が殺した遠州の国人の子を取り立てて
誰?

899 :
武田に例えると、信濃勢を抜擢して優先的に使う感じ?
真田は信濃系
軍鑑関係者は基本信濃閥だよね
抜擢者枠で旧臣組とは距離があったかも

900 :
>>896
室町戦国初期の館を発掘すると当主も家臣も館の規模があんまり変わらんという話があったな。
そういう館って京都の花の御所を見習って作るから似たような大きさになる。
中央集権化が進んで家臣より圧倒的に大きい規模の城を作るようになった。
そう考えると信玄が居城を作らなかったのは中央集権化が遅れたということなんじゃないじゃとも思う

901 :
勝頼が新府城に移ろうとして反発を招いたのも
でかい城に住む事で上下関係が明確になるのを嫌った一面もあったかもしれんな

902 :
>>898
井伊直政、菅沼忠久、近藤康用、鈴木重時、渥美助左衛門

903 :
今川家の被官だったが家康に抗戦し後に忠誠を尽くした遠江の国人たち
久野宗能、堀越氏族、奥山朝忠

904 :
>>902
信玄の諏訪頼重に対する位置づけと全然違くね?
信玄が朝比奈と岡部を登用したようなものじゃないか

905 :
もし信玄に信用があれば、今川に対するやり方は幾らでもあっただろうな。史実の今川に対するやり方は最悪すぎる。

906 :
駿河制圧して清水湊取っても大して活用しなかったのもな

907 :
駿河を得るために払った代償は跡取り息子の命と
6分の1の家臣の放逐(重臣を含む)と北条家との同盟と
武田家の信用。
元を獲れたのだろうか?

908 :
取れたんじゃないか?
その後徳川はまだしも織田にまで喧嘩売ったおかげで無意味になったが。

909 :
川中島取った代償→信繁と3000の将兵。
葛尾取った代償→横田高松と1000の将兵。
駿河取った代償→義信と飯富とその側近ならびに軍。

割りに合わないこれでは。

910 :
>>907
6分の1って?
貴方の書いてることは的外しすぎでは?

911 :
>>909
結果的に少なくとも織田と開戦するまでは大勢力築くのに成功してるんだから割りに合わないことはないでしょ
犠牲もなく勢力拡大できると思う方がおかしい

912 :
>>911
こんなに大被害出して取った例があるか? 武田以外で。

織田も徳川も上杉も北条も毛利もこんなに大被害出して取った例はそうそう無いはずだが?

913 :
川中島は絶対に損の方が大きいと思うけど。
せいぜい十万石の土地を獲るためにどんだけの戦費と人員と時間と
将兵の命を捨てたんだ

914 :
>>913
最終目標は越後の直江津だし
取れてればモトはとれた筈だが取れなかったからな・・・
そんで駿河を取りに行ったがその為に義信を生贄にして家督継承に火種を撒いた
で、その駿河も北条や徳川との紛争で碌にモトも取れないままと言う

915 :
>>914
せっかく清水湊を獲っても隣接港が北条領と徳川領でしかも敵対関係じゃ
全く無意味だしね。あくまで貿易相手との仲が良好じゃないとなんのために駿河を獲ったのやら

916 :
川中島に関しては早々に高梨さんに娘でも譲り婿にして
武田の藩屏として扱うというのじゃ駄目だったのかね?
越後が何かの理由で分裂などをすれば高梨に道案内させて武田が介入できるし

917 :
信玄て政治力ないよな。
かといって勝頼より武力も劣るし。
何か取り柄はあったのだろうか……

918 :
>>915
直江津取っても青苧で儲けられたか分からん
景勝が移封で職人引き連れて行ったら越後の青苧座は廃れたし

>>916
高梨さえ無事なら謙信も来たか怪しいしな
武田から政略結婚させて武田と上杉の緩衝地帯にすりゃ良かった

919 :
いだてんに比べれば麒麟はかなりマシだな

920 :
オリンピックプロパガンダの最低と比べてマシと言われても

921 :
>>915
山岡荘八の武田信玄では、駿河が肥沃で豊かな土地だからとか言ってたな。

922 :
>>919
麒麟は駄目だ
味方が不利で生きるか死ぬかの戦いなはずなのに侍大将の頸がどうのこうのと呑気でもうね
昔の武田信玄とかは暗かったから良かった

923 :
>>922
これからじゃないの
まだ何の責任もない若者だし

924 :
>>922
というかダラダラしすぎだろ。
尾張潜入とかさ。
全然話進まないし。

925 :2020/02/10
>>921
石高は 遠江>>甲斐>駿河なんだよね
駿河国は貿易、金山、製塩による収入がやはり大きかったと思われる
駿州往還などを通じて甲斐国にも塩を売ってたようだし

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