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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part29


1 :2019/11/21 〜 最終レス :2020/01/21
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。

前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part28
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1570547952/

2 :
史実時系列表(仮・本戦後を加筆)
6月6日 会津征伐に関する軍議、芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
6月23日 細川忠隆隊上杉征伐に丹後宮津を出陣
6月27日 細川忠興隊上杉征伐に丹後宮津を出陣
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束が輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 前田、増田、長束「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 宇喜多、小早川、鍋島伏見到着、毛利軍が瀬田の砦構築を担当することとなる
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進開始、利長金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着
8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月4日 瀬田の砦構築完了
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月16〜17日 市橋長勝・徳永寿昌・横井時泰らが福束城を攻略。
         福束城主丸毛兼利、大垣からの援軍伊藤盛正・武光忠棟・石田らは敗走
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月19日 市橋・徳永らは高須城高木盛兼、駒野城高木帯刀、津屋城高木正家を攻略
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信が迎撃に失敗し岐阜城へ敗走、島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略、東軍先発諸将赤坂に布陣、秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日  京極高次が北陸から大津城に帰城、東軍方として兵3000で籠城する。付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約15000がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 家康清洲入城(33000?)、前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着、小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠、西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月15日 毛利元康ら大津入場
同日   関ヶ原の合戦(本戦)で東軍勝利、宇喜多石田大谷が壊滅、島津長束長宗我部他は撤退又は敗走

3 :
9月16日 伊勢亀山、桑名城など東軍に降伏し開城
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)、佐和山城落城、大津城開城、大垣城から相良秋月高橋などが降伏
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 大垣城の福原長堯が降伏
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着
9月24日 権中納言九条忠栄が家康へ戦勝祝い
9月25日 輝元大坂城退去、福島黒田らが大坂入城、増田長盛、高野山へ退去
9月27日 家康大坂入城
10月1日 恵瓊、行長、三成が斬首される

4 :
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700
岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000
犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000
伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)、
おそらく南濃周辺:長島城への備えとして原勝胤(長頼)800
近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)
伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、吉川広家ら5000、
  後続として毛利秀元ら1万、長曾我部盛親2100、鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700
その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中江直澄390、蒔田広定370あたり。
瀬田守備隊等
相良、秋月ら約6900、
美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?
大坂は輝元・元康15000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、
その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。
秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。
それと「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」
これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。
毛利は、毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)と仮定
毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)
なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。
■安濃津城攻城戦での吉川隊(秀元等他の毛利含めず)の死傷者数。
・戦死75名、負傷226名。死傷者計301名。
負傷内訳:銃創126名、槍創60名、矢創24名、刀創1名、銃槍創5名、銃矢槍創2名、
       矢槍創8名、計226名。
吉川広家が推測で兵3000引き連れていたとしたら、安濃津城力攻めでの死傷率は10%と言える。
けっこう高いね。
毛利の他隊も同様の損害が出てるなら、南宮山の秀元&吉川は13500くらいかもしれない。

それと東軍先発隊の兵数については、一般的には渡河部隊約35000と言われているけど、
>>5にあるように福島覚書準拠でいくと49300〜58000くらい?となる。
かなり差があるのでこれをどう見るか、だけど。

5 :
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)
上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000
下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000
下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。
犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000
清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら1050〜4000くらい?
長島城:福島正頼、援将山岡景友、計780余
これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。

あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。
伊勢の東軍方は、安濃津城の富田信高、伊勢上野城の分部光嘉(史実では
寡兵での上野城防衛は困難とし安濃津城の富田に合流)、
松阪城の古田重勝、岩手(岩出)城(三重県度会郡玉城町岩出)の稲葉道通、
あとは去就不明の桑名城の氏家行広。

池田家履歴略記 巻之三には
上流渡河組18250余、下流渡河組16730余、とある。

上流渡河池田隊:18250 下流渡河福島隊:16730
犬山城抑え:3000〜4000 清洲城守備:1050〜4000?  
東軍先発隊総計約39030〜42980。 なお松平忠吉は駿府在番説と清洲滞在説あり。

6 :
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城

こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。
これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。

関東方面在番状況
宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?
大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。
黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定
鍋掛:皆川広照、水谷勝俊
蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、
烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水
江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
    
特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。

7 :
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。
403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。
これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。
そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

8 :
■■1■■
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。
これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
■■2■■
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。
438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが
徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている
もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。
※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法
とある
岐阜城後詰め決戦は発生するよ  岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/24(火) 16:59:58.46 ID:ex8un7Uh [2/2]
>>208
渡河前の黒田ら書状で決死の覚悟で渡河して攻め入ると書いており士気は高く
渡河直後の井伊書状で後詰が来たら先に後詰軍をやっつけて勢い大垣も乗り崩すと諸将が合意したと書いてあり後詰との決戦も作戦内
大垣攻防戦で伊勢方面軍全軍が後詰に来て後詰案を上回る戦力差になっても撤退してない
上記からの士気も高く想定内の後詰の情報が流れただけで早期撤退する要素は史料上は見られず
軍事的にもいったん対峙したなら織田信秀の井ノ口崩れのように追撃で大損害を受ける可能性ある地形で撤退も難易度が高いので
史料的にも軍事的にも後詰決戦が成立する可能性は高い。

9 :
■■2■■
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流
膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…
■■3■■
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。
個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。
812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。
大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。
輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。

10 :
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ
原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>7
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>8の1
岐阜城早期落城させない為の手段が>7の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700
8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。
東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>7の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8の2
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9の2のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>9の3
なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>7の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後

家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる
8月下旬〜9月上旬までが勝負

11 :
岐阜城関連
岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf
山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。

国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm
一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を考え直させる大きな発見。
国史跡岐阜城跡 山上部の発掘調査で信長期に築かれた石垣を確認しました!
http://www.city.gifu.lg.jp/26193.htm
◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
 鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm  
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。
遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土
→中でも、今回発見した、裏門周辺における巨石列や石垣は、これまで謎に包まれていた裏門の構造解明につながる大発見
有識者の評価  中井 均 (なかい ひとし) 氏 (滋賀県立大学教授)
『稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)』に記された裏門とほぼ一致するところで門跡と見られる遺構が検出されたことは、
絵図が極めて詳細に現地の遺構を確認しながら描いた城跡図であることが明らかとなったといえる。
巨石を用いた構造は大手にあたる一ノ門、二ノ門と同じ構造であり、
背面の城域を区画する重要な門であったことがわかる。
また、今回明らかとなった裏門付近には小石材を用いた石垣も発見されているが、
これは斎藤道三の稲葉山城の石垣と見られ、金華山には道三期の石垣も残されていることが判明した。
門遺構、道三期の石垣が同時に発見された意義は大きい。

歴史遺産と都市文化創造?――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf
近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
農林水産省東海農政局 木曽川水系土地改良調査管理事務所の案内
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf
上記より抜粋
忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。

関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。
また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?

12 :
野間・内海合戦については詳細は不明で、
白峰氏は考察論文、「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討
の中で以下のように述べられている。
本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。

野間・内海合戦関連
愛知県史資料編13織豊3より引用
東軍の攻勢によって主戦場が尾張国内から木曾川を越えて美濃国西部へと
移っていく中、尾張・三河両国の海岸部では、西軍方に与した
志摩国鳥羽(三重県)の九鬼嘉隆の軍船が焼き打ちを行っており、
九月には毛利輝元の臣乃美景継・村上景弘らの軍船も伊勢湾に現れた。
毛利氏の水軍は九月九日未明に伊勢湾を渡って知多半島に押し寄せ、
各地で放火や合戦をおこなった。「慶長年中記」九月十日条にも
九鬼水軍による焼き打ちに関する記述がみえるが、
毛利氏の水軍もこれに加わっていた可能性がある。

慶長年中記 巻一
十日 熱田西の海辺四五ヶ所、是ハ敵方九鬼大隅(嘉隆)焼候よし、
岡崎?地鯉鮒(池鯉鮒)へ行に焼見ゆる、熱田海辺より五六町ほと大船一艘、
地ハ紫に白き桐のとうのまく張たる九鬼大隅守のミよし先へ被遣候、
御馬印持候ものさんたか橋にて 御目見いたし候、とかくの御意なし、
次は 慶長見聞書 二
同日(慶長5年7月21日)岩手(伊勢国)城稲葉蔵人(道通)手勢九百六拾人籠候処、
九鬼大隅守(嘉隆)町口迄取懸候へ共、堅固被相抱候間、
敵の人数引退申候、其後九鬼大隅守・堀内安房守(氏善)以下船手の衆卒し、
尾州・参州之灘浦を焼払、漁人村老男女僧侶に不限切捨狼藉前代未聞也、
尾州毛呂崎(師崎)江寄ンとす、
浦のもの内々近日従関東御上を聞て、其間敵をたるめ魚を取て日々に送り、
様々の音信におよひけり、
然るニ案のことく千賀孫兵衛(重親)一夜の内ニ而のりつけ、
大勢籠たるやうニ見せ、浦々に旗を立置候間、
敵驚寄せ不申、其間に松平紀伊守(家信)・小笠原新九郎(広勝)・
同安芸守(小笠原信元)次第ニ乗付申候間、
弥敵船驚きこきのき申候、右ノ海上浦々の悪行の天罰にや、
此口の寄手の大将達のすへ?迄後ニ皆たへはて申候、
武家の習殺業なくて不叶されとも、
分の敵を討て非分の者を不討とはかやうの事にや、
此時戸田三郎右衛門(忠次)・清水権之助(政吉)ハ
大野・とこなへ(常滑)に罷在候間、
舟を出し防候間、敵不叶舟をこきのき引取申候、

13 :
野間・内海合戦関連
浦備前覚書 巻一 無尽集第七七冊
先年関か原御弓矢之時、伊勢地数船之御船指廻し、御国?ハ村上八郎左衛門殿
(景広)・乃美備後殿(景継)御船手不残被差出、
大坂よりハ菅野平右衛門殿(管達長)・村上彦右衛門殿なだ声古ヲ被差添御廻シ被成候、
伊勢之鳥羽ニ者九鬼大隅殿(嘉隆)大坂へ之御馳走ニ、
右之御方々大隅殿江御座候而方角万事御談合被成、
尾張灘手を御働被成御儀定ニ相澄、
おふミなと(伊勢国大湊)まて御座候而、彼表ニ而長々船中各御苦労被成候条、
一夜彼在所にて御休め被成之由、悉宿を取り御休息候処ニ、
乃美備後殿野せつちん(雪隠)へ参と被申、
五六丁家はつれへ被参候而都合被見合候処ニ、
彼在所より弐里間にて岩手と申城を敵方?持堅、
おふミなとの在所からも殊外手広不審ニ相見候条、
各うかと罷居儀ニ而無之候条、夕飯を仕廻、
夜入候者船へ各被召可然之通被申付而、悉船ニのり申候へハ、
夜半迄(過)ニ岩手?夜打ニ心懸人数差出、殊外物あぶなき躰にて、
下々共ニ備後殿御見合之段感入候、一日間ニて血地江御働ニ、
不残御渡り被成候、尾州之内大野と申浦江九月九日未明ニ被打入、
一段仕合能発向被成候、其次ニ二浦同前ニ候而、各御談合ニ、
今日之働ハ不残出来申候へ共、放火不仕候条、
明日之働ニハほうくわ(放火)を専ニ仕候様ニと仰事ニ候、
かたかミと申在所を未明ニ御働、一軒も不残放火仕り、
頓而其次野間の内海と申浦江御仕掛候処、
是ハ先代(源)義朝之御腹被召たる浦ニて候得者、
船本江人数差出相さゝへ候へとも、船よりの御仕掛丈夫候故、
終ニハにけくつし多分追討ニ仕り、
船本より一里半奥ニ義朝之御影御座候故、坊中江おひ入候故、
跡?足長仕ル儀ニてハ無之候条、各引取り候へと被仰付、
不残引取申候、礒兼加賀殿上下八人ニ而、
彼御影之寺放火不仕候へハ、此在所相働専ハ無之候条、
是非共ニ放火仕り引可申と被申候而ふかいりの故、
人数三十計討出取まき候条、別条子細も無之候間、
足床を見合高ミを取可相果覚悟ニ候、
壱人にても足を乱シ候而ハ不叶儀候之条、八人之者ハひつかけ相果覚悟ニ候、
其人数ハ加賀殿上下三人・乃美平左衛門殿上下弐人・
末永惣右衛門・世良源右衛門・末島(島末)与左衛門、
此八人ハ鉄炮弐丁御座候而、引懸五間ほとにて討候やうニと覚悟仕り候処、
敵も其覚悟ミきりはた?と不仕懸候処ニ、舟本江此聞候而、
乃美備後殿・村上八郎左衛門殿自身かけつけ候へハ、
のほりさきを見及引取申候故、無事ニ御しのき、
御両人衆殊外御しかり被成、(乃美)宗勝巳来上りはたらきの仕やうハ御存知ニ而、
深入沙汰之限りと被仰、無事ニ船本御引候事、
二日之間ニ六浦御働殊外出来候事、

14 :
関連スレ
関ヶ原合戦の真実 Part11
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1568083936/
関ヶ原合戦(慶長庚子争乱)関連史料スレ
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1567939457/
大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part8
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1536754046/
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 6 【徳川】
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1568890504/
二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.sc
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1472608426/
【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ5【秀頼・秀次】
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1542893023/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その27
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1544017538/
誘導は上記適当スレへ。

15 :
過去スレ
part1  https://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2  https://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3  http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4  http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5  http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6  http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7  http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8  http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9  http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
Part14  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
Part15  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
Part16  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1530344370/
Part17  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1532773324/
Part18  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1535414790/
Part19  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1537715258/
Part20  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
Part21  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1543403991/
Part22  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
Part23  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1555282251/
Part24  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1559037707/
Part25  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1563146550/
Part26  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1565664890/
Part27  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1568867483/
Part28  https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1570547952/

16 :
おすすめ参考書籍・資料・史料等
関ヶ原の役: 日本の戦史 (徳間文庫カレッジ) 文庫
? 2016/5/7 旧参謀本部 (編集) 1566円
いわゆる今までの一般通説的な関ヶ原合戦はこれ読めばひと通り書いてある。
「関ヶ原」を読む: 戦国武将の手紙 単行本 ? 2018/2/25
外岡 慎一郎 (著)  2160円
北陸方面の前田、大谷あたりを中心にあまり偏った見解なくわかりやすく書かれている。
関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日 (中公新書 (642)) 新書 ? 1982/2/23
二木 謙一 (著) 799円
一般的通説の各種エピソードを詰め込んだ小説風。読みやすいことは読みやすい。
直江兼続と関ヶ原 単行本 ? 2014/8/4
公益財団法人 福島県文化振興財団 (著)  1728円
近年出てきた新説、新解釈等は、笠谷和比古氏、白峰旬氏、光成準治氏あたりの
著書が参考になると思われる。
金出したくない人向けには、
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E9%96%A2%E5%8E%9F%E8%BB%8D%E8%A8%98%E5%A4%A7%E6%88%90&viewRestricted=0
ここで関原軍記大成が読める。

17 :
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。
訂正等は遠慮なくよろです。
また、その他の案としては、美濃主攻案(P17>303)、北陸主攻案(P24>828)、
早期尾張進攻案(P26>188)、鳴海上陸作戦案(P24>137,405)、
9月7〜10日赤坂挟撃案(P19>841)、
西軍の基本方針としての後詰決戦案(P25>19)、
水口長束による上杉征伐時の大坂から江戸へ向かう家康の襲撃案(P28>317)等あり。
また、上記諸表の兵力数は戦闘の損害による兵力減少を考慮しておりません。

18 :
方面主攻別特徴
前田追撃・挟撃・殲滅のワンチャンに賭ける北陸主攻か、
尾張進攻をチラつかせる美濃主攻か
史実通りの伊勢主攻なら籠城からの岐阜城後詰決戦。
結局このあたりになる。
前田追撃以外は相手の動きを見ての受動的な籠城からの後詰決戦が一番合理的。
敵主力の撃滅をもって勝利を目指すのがいちばん可能性が高いと思われる。
ただ守るだけでは兵力劣勢を覆せない。各個撃破していくしかない。
状況次第では見捨てざるを得ないところもでてくると思われる。
手本は小牧・長久手時の家康・信雄方の立ち回り。
美濃・伊勢での後詰決戦適所は、岩村・苗木、岐阜(木曾川渡河させる)、桑名あたり。
要は攻めたら大軍の退却困難な場所。

岐阜城後詰決戦案おける東軍先発隊の対応想定
いくつか考えられるが列挙してみる。
1 岐阜城籠城につき攻略困難。とりあえず岐阜城にたいする抑えを置き、
 長良川に布陣し岐阜城への後詰軍を迎撃する方針。
 徳川が来るまで積極攻勢はせず長良川で対陣する方針。
 ただし西軍の加勢到着で彼我戦力比が逆転するようなら、尾張へ退却する。
2 岐阜城籠城につき攻略困難。とりあえず岐阜城にたいする抑えを置き、
  長良川に布陣し岐阜城への後詰軍を迎撃する方針。
 西軍に加勢宇喜多が到着し長良川まで進出した西軍に対し後詰決戦に応じる。
3 岐阜城籠城につき攻略困難。敵の後詰軍を長良川で支えるのは不利と判断し
 黒田城・伊木山・鵜沼の線まで後退し、犬山城孤立を強化する方針に転換。
 
4 岐阜城籠城につき攻略困難。美濃に留まるのは不利と判断に尾張に退却する。
 とりあえず黒田城・小牧山を前線拠点とし木曾川防衛。本拠を清洲とする。
5 岐阜城籠城につき攻略困難。後詰軍が来れば迎撃する方針だが、
 岐阜城は攻略する方針。長良川付近に一部の後詰阻止隊を配置し
 主力部隊で岐阜攻略を目指す。
6 その他。なにかあればよろ。

ポイントとなる部分は、決死の覚悟で木曾川を渡河したという点と、
岐阜への後詰が来れば迎撃する方針という点。
一応可能性が高そうな順に列挙した。

19 :
注意書き
スレタイと>>1をよく読むように。
ここはあくまでも、趣味カテゴリの戦国時代板であって、
初心者や戦国時代が好きな者を排除するスレではない。
ただし、ある程度は近年出てきた新説等は調べておくことを推奨する。
あと、このスレ的にはある程度の軍事知識もあったほうがよい。
スレタイと関係ない話でレスを無駄に消費するのはご遠慮願いたい。
(ただし過疎傾向が出てきたときは大目に見ましょう)

自演だのレッテル貼りだののくだらないことはこのスレでは禁止する。

20 :
>初心者や戦国時代が好きな者
定義としては
・専門書を読んで著者の意見とその根拠を理解しそれに最低限の敬意を払うこと
・必要条件と十分条件の違いくらいは理解して論理的な説明ができること
ってところかな

21 :
令和元年度岐阜城跡発掘調査を開始しました!
https://www.city.gifu.lg.jp/36652.htm
なにか新発見があればいいけど。

22 :
>>2

>9月1日 『岐阜城落城の報告を受け』家康は江戸から出陣
そもそも『』内は、「史実」で良んか?

23 :
R

R

24 :
>>22
8月28日付浅野長政宛徳川家康書状
書状則披見申候、仍去廿二日川を越被及一戦数千披討取、
翌廿三日岐阜の城乗取一人も不洩皆討取候註進有之候条、
来三日出馬申候、中納言(秀忠)ハ中仙道を相働申候間、
御同道被成御異見共頼入候、
今度左京大夫(幸長)殿瑞龍寺のつぶらに城を構候所、
即時に乗崩し壱人も不残被討取候、御手柄兵(共)ニ候、
可為御満足与致推察候、猶期後音之時候、
恐惶謹言、
八月廿八日       家康判
  浅野弾正少弼殿

岐阜城陥落の報告を受け、9月1日に江戸を出陣したでおかしくはないと思うが。
この書状だと3日に出陣すると言ってるけど。
ただ、岐阜城陥落がトリガーとなって出陣したのか、
元々この日に出陣する予定だったのかはわからんが。

25 :
>>24
9月3日出陣で16日着なら大津攻略隊がギリギリ間に合ったかもしれない。

26 :
>>25読んで気づいたんだが、>>24の書状の予定通り9月3日に江戸出陣ならば
家康の赤坂到着は15ないし16日(史実通り清洲で一日逗留すれば16日)。
秀忠の赤坂到着は史実通りなら18〜19日。
利根川の増水がなければ秀忠の到着は数日早まるだろうし、
家康の予定通りに進んでいれば9月15〜16日に赤坂に徳川68000〜71000が集まることになる。
それと同時に西軍も大津城組15000も間に合いそう。
田辺城組は9月13日からぎりぎり間に合うか間に合わないか微妙なところ。

家康の予定通りだったら西濃大垣関ヶ原あたりで
史実以上の一大合戦になってた可能性が高いかもしれない。

27 :
>>24
岐阜落城と家康江戸出発の関連性が明らかじゃないなら、
「家康、岐阜落城の報告を受ける。江戸を出陣する。」とかの方が適切じゃないか
もっというと、他日との平仄の観点からは「家康が江戸を出陣」だけで良いんじゃないか

なんか、「岐阜城が落ちなきゃ家康は江戸から出てこない」という
前提で話を進めてるレスを見かけるけど、必ずしもそうじゃないだろと

28 :
源氏出身の大名と藤原氏出身の大名なら、どっちの方が家柄が良いと思われますか

29 :
アホか

30 :
アホです

31 :
>>28
なんでここで家柄の話が出てくる。

32 :
過去スレを見てると岐阜城後詰決戦については2年前にかなり話が進められててよく考えられてるなと感心した。ただ惜しいのは最近、もしかしたらこの二年間議論がすすんでないかも知れないこと。これを機会に議論をさらに進めて欲しいね。

33 :
後詰決戦案(岐阜城後詰決戦案)まとめ

作戦
清須城に調略をかけつつ美濃伊勢の防衛線を早急に構築し
その後は調略が成功したら三河まで進出し
調略が失敗したなら美濃伊勢両軍が一手になり清須城を攻略する。ここまでは史実と同じ(三成書状)
もし東軍が本格的な先制攻撃をして来たら最前線は籠城し防御に徹して後詰を待ち、
他の方面軍は即急に転進し後詰に向かい後詰にて敵を殲滅する
岐阜に来たら岐阜城後詰決戦。大垣、桑名方面、越前方面等々に来た場合も同様に後詰決戦を志向する

利点
少なくとも西軍最大の失態の岐阜城瞬殺は回避できる
徳川軍が合流する前の東軍先鋒軍をまず叩き先鋒軍、秀忠軍、家康軍と兵力分散の愚を犯してる東軍を各個撃破する戦略なので西軍の弱点の正面戦力不足を補える
相手の出方を見てから動くので西軍の弱点の情報不足を補える
事前に方針を確定させておくことで西軍の弱点の合議制ゆえのタイムロスを補える
東軍先鋒軍を引き込んでから討つ作戦なので簡単に撤退されるそもそも攻めてこない等の東軍の行動を制約できる
事前合意に基づいて半自動的に行われる作戦であり期間も比較的短いので毛利の心変わりや広家秀秋京極などが蠢動できる隙が少ない
史実からの変更点が小さいので不確定要素も少なく考察しやすい
興ざめする強引な西軍有利な設定も特には必要はない。

事前準備
前線の諸城は籠城に向けた準備を万全にする
各方面軍は即急に後詰に行く準備を怠らない事。
各軍の連絡連携は密に行うこと
前線の小城など彼我の戦力差が圧倒的不利の場合は時間稼ぎが可能と思われる次の拠点に移りなるべく戦力を減らさないようにすること
等々を事前に合意しておく

34 :
日程
7/30〜8/4
大坂城に西軍首脳部が再集結してるので作戦決定と前線諸将の合意を取り付けておく

8/5〜8/21
西軍の行動は史実とほぼ同じ。
必然的に東軍も史実をなぞる事になるので以後は岐阜城後詰決戦に焦点を絞る

8/22
東軍先鋒隊の渡河開始。
岐阜城は全力で籠城しつつ即時救援要請
竹ヶ鼻城、加賀野井城の将兵は即時救援要請、出来れば撤退し大垣の合流、(兵力1000前後)

8/23
岐阜城攻防戦開始。
大垣勢は前線まで出陣しつつも戦わず黒田藤堂隊を誘引
犬山城の石川以外の加藤、稲葉、竹内らはすでに内応しており戦力として期待できなので史実通り中村隊を誘引してもらう
伊勢方面軍の後発隊のうちの毛利秀元や長宗我部隊らは竹ヶ鼻城辺りからの第一報で転進準備、岐阜城からの救援要請で転進開始
先鋒隊の広家らはそのまま安濃津城の抑え
宇喜多隊は草津付近より大垣に直行
明石隊、東軍の動きを見ながら大垣に移動(史実と同じ)

8/24
伊勢方面軍より長束安国寺らも転進。以後他部隊も順次転進

8/25
宇喜多隊(10000)大垣に到着(明石隊を待たずに直行)

8/27
明石隊(6000)大垣に到着(史実と同じ)

9/1
毛利秀元隊(10000)長宗我部隊(4000)大垣に到着(史実7/29頃出立9/7到着より6日早いので)

9/2
東軍先鋒軍3万5千 対 西軍5万(後詰軍4万4千+岐阜城6千)で後詰決戦

岐阜城
秀信一手5300、石田加勢1000、計6300
大垣城
石田5700、小西2900+与力4000、島津1000、計13600
大垣城援軍
宇喜多10000、明石6000 計16000
後詰
秀元10000、長宗我部隊4000、計
合計49900

岐阜城が持つ期間が長ければそれだけ九州勢合流、伊勢方面軍後続合流などで兵力は増す。
岐阜城守備隊や伊勢方面軍転進隊の兵数は調整可能


その後の展望
敗れて退く先鋒隊を清須城まで追撃して清須城を囲む。
救援の家康軍を再度の後詰決戦でさらに破る。(兵力的には優位)
※もし家康が出てこなければ先鋒隊を見捨てた家康の求心力は大幅に低下し抗戦は難しくなる
敗れて撤退し秀忠軍と合流した家康軍をさらに破る。各個撃破の完成
後は煮るなり焼くなりなどが考えられる

35 :
Q、諸将が同意する可能性は
当時の人間の心の中までは見られないので確かなことは言えないがIFということで。
史実からの変更点は最小クラスで慎重論よりで博打的要素も少なく
当時としては常識的な後詰決戦であり大垣城後詰も発生しておりそれを早めようというだけのものなので他の案よりはハードルは低いと思われ
この程度が認められないな他の案はもっと認められないと思われ


Q、岐阜城がどのくらい待つか
岐阜城は編纂史料や絵図では大規模な城塞と書かれているが、
通常は廃城の資材は転用されてしまうので現在は本丸しか残っておらず疑問視されてる面もあったが
発掘調査で残存石垣などが発見され史料が正しいと証明され十分な防御力があったと予想される
当時の武将も「東軍本隊に攻められたら50日は持たないだろう」と落城を予想しながら短期で落ちるとは考えていな
なお岐阜城欠陥説は根拠が薄いので蒸し返さないものとす
他城を参考にすれば1週間から十日は持つと想定。


Q、東軍先鋒隊が岐阜城を損害度外視の力攻めをした場合は?
兵力的に岐阜城は短期間で落ちるだろうが損害が出て疲弊し半壊した岐阜城に寄る東軍と戦えるのでそれはそれで有利


Q、東軍が後詰決戦を避ける可能性は?
八月十九日付黒田長政・徳永寿昌・奥平貞治連書状
決死の覚悟で木曽川を越えて天下之勝負に決着をつける決意でいる

八月二十二日付井伊直政書状
来ないと思われるが、大阪から後詰が来たら岐阜に抑えを置いて
先に後詰を叩いてそのまま大垣を乗り崩すことを諸将は決議している

状況は多少違うが9/7に大垣城包囲戦の時に伊勢方面軍が南宮山に到着し
それ以上の兵力的劣勢(東軍先鋒隊3万5千、西軍6万)になっても先鋒軍は撤退してない

平野の奥に大河がある追撃のは絶好の地形なので撤退は難易度が高く
史実(の可能性が高い)では織田信秀が同地での撤退戦で大打撃を受けた井ノ口の戦いがある

等々、東軍先鋒の決意と士気は高く後詰と戦うことも想定しており兵力的劣勢でも引くことは無かったので
後詰軍が現れた若しくは報告があったとしても即引く可能性は低く後詰決戦は成立する可能性が高い
仮に撤退されても、東軍を退けた実績と宣伝効果と追撃による損害と
畿内を固める時間的猶予が得られるのでその後は優位に戦え、史実に比べればずいぶんとマシ


Q、3万5千対5万で西軍勝てんの?
分かりません
実戦派武将の集まりの東軍先鋒隊には質で大きく劣るので負けるかもしれません。ぶっちゃけ負けそう。
その場合でも岐阜城が想定最低限の1週間より持てば兵数をさらに増やす事は可能
つか合戦実戦でどうなるかは限られた史料上机上の空論にしかならないので
個人的には「史実より有利な状況を整える」でとどめたいと思います。

36 :
前まとめてみたのを更新。
IFとしては隙すくないんじゃね。IFとしてはね

37 :
まあ、ここまで考えられる能力は、石田には
なかっただろうな。

38 :
>>33-35
まとめおつです。うまくまとまってるしQ&Aもついてるから次スレからは>>33-35
岐阜城後詰決戦案まとめとして使いましょうか。
大きな反対がなければ、ですが。

補足や追加の必要性や疑問点等今スレにて受け付け。各位よろです。

39 :
畿内で蜂起した三成を最初から西軍に入れず、光秀のような謀反人という扱いにして
中国から来た毛利の率いる西軍が謀反人三成を討伐して勝利するという
18年前の秀吉と同じ方法をとるのが最善の道だろ
謀反鎮圧の功績があれば政治的に優位な立場になり東軍も遅るるに足りない
西軍が勝つためには、三成との合流だけは絶対に阻止しなくてはならない

40 :
>>33-35
とりあえず

>大坂城に西軍首脳部が再集結してるので作戦決定と前線諸将の合意を取り付けておく
 ←「合意」が東軍に漏れないでしょうか?史実だと西軍の動向は筒抜けですが

>調略が失敗したなら美濃伊勢両軍が一手になり清須城を攻略する。ここまでは史実と同じ(三成書状)
 ←史実で西軍は清須城を攻略したんですか?

>相手の出方を見てから動くので西軍の弱点の情報不足を補える
 ←相手の出方を見てから動く、というのは情報収集能力と機動力が相手以上でなければ不可能では?
  「情報不足」が弱点の西軍に実施可能なんですか?

>兵力的劣勢(東軍先鋒隊3万5千、西軍6万)になっても先鋒軍は撤退してない
 ←東軍の木曽川渡河は、西軍が手薄である、との状況認識(佐々マサタカ書状)に基づいての行動なので、
  その前提を変えるならば、東軍もそれに対応(家康到着まで渡河を控える等)すると想定すべきじゃないですか?
  それをしないのは『興ざめする強引な西軍有利な設定』じゃないですか?

>畿内を固める時間的猶予が得られるのでその後は優位に戦え、
 ←時間の経過は、家康・秀忠・利長軍の順次来援及び清正・如水により北部九州が制圧が想定される東軍に
  有利ではないですか?

その他、
・そもそも史実の西軍は、会津従軍諸将を味方にできる前提で挙兵しているわけですが、
「事前合意」というのは、要するにそれが失敗する(味方にできない)という前提でないと
出てこない発想ではないでしょうか?

41 :
>>40
最後の行が気になった。
西軍は東軍を味方になる前提で動いてるというがその根拠は何?
前提というがそうであればいいなという程度かもしれないよ。味方にならなければそれもよしぐらいじゃないのかな。前提とまでは言い過ぎかもしれない。当然味方にならない時のことは頭に入ってるだろ。

42 :
そもそも石田三成は武断派に襲撃されるほど嫌われてて三成のいる西軍にホイホイ加入してくれるなんて本人ですら思ってないんじゃないの?

43 :
>>40
>>36のひとではないが、わたしなりに返答。

>一段目
漏れるかどうかではなく、そのタイミングで作戦方針の合意を得るということ。

>2段目
石田書状とあるように、味方しなければ清洲は攻略する方針だった。

>3段目
都度対応作戦を策定するのではなく、予め決められた作戦方針を半自動的に
遂行するだけなので情報不足による博打的戦力配分をする必要がないという意味。

>4段目
8月22日時点での美濃の西軍戦力量に変更はない。
変わっているのは岐阜城勢が渡河迎撃せずに籠城策を採る部分。
ならば東軍先発隊は史実同様木曾川渡河は実行すると思われる。
その後清洲に撤退するかどうかは既に触れられている。

>5段目
岐阜城が落ちないことによって挙動がわからなくなる部分は、
大津京極の離反、犬山城勢の動向、小早川秀秋の動向、田辺城組&大津城組、
鍋島勝茂、家康・秀忠の前線到着時期、前田利長の南下の可能性、
丹羽長重と前田利長の和睦、このあたり。
九州・東北情勢は長期戦になれば全体への影響はあると思われるが、
それは早くても10月以降と思われる。

>6段目
味方しない者がある程度はいるだろうことは想定しており
(史実ではある程度の範囲ではなかったが)
現に東軍についた伊勢諸将は攻撃されているし、清洲も味方しないなら
攻略するつもりであった。
というか、事前合意というのは作戦方針についてのこと。

44 :
>>40
「合意」が東軍に漏れないでしょうか?史実だと西軍の動向は筒抜けですが
A、後詰は当時常識的普遍的な軍事行動で史実の東軍先鋒隊も織り込み済みで行動してるので別に漏れても構かまわないです
平たく言えばIF西軍は味方が攻められたら助けに行くという当たり前の事を言ってるだけですから


史実で西軍は清須城を攻略したんですか?
A、作戦です。実際に行った行動ではありません。


相手の出方を見てから動く、というのは情報収集能力と機動力が相手以上でなければ不可能では?「情報不足」が弱点の西軍に実施可能なんですか?
A、「情報不足」で攻めてくるのを事前に察知するなどとてもできないので実際に攻められてから動く作戦です。
機動力に関してはスタート位置を変えてるだけで日程は史実に近づけています強行軍で〜とかできれば楽ですが


東軍の木曽川渡河は、西軍が手薄である、との状況認識(佐々マサタカ書状)に基づいての行動なので、
  その前提を変えるならば、東軍もそれに対応(家康到着まで渡河を控える等)すると想定すべきじゃないですか?
  それをしないのは『興ざめする強引な西軍有利な設定』じゃないですか?
A、木曽川以北の西軍戦力は基本的には変わっていません。


時間の経過は、家康・秀忠・利長軍の順次来援及び清正・如水により北部九州が制圧が想定される東軍に有利ではないですか?
A、東軍先鋒隊が無傷ならその通りですが、東軍先鋒を退けた宣伝効果と追撃の損害ののために展開が変わると思います。
今回は後詰決戦が成立する可能性が高い事と冗長になるので取り上げてませんがこれはこれで一個のIF案となるべきものでしょう

45 :
先に答えてくれた人いたのね

46 :
>>40
その他、
・そもそも史実の西軍は、会津従軍諸将を味方にできる前提で挙兵しているわけですが、
「事前合意」というのは、要するにそれが失敗する(味方にできない)という前提でないと
出てこない発想ではないでしょうか?

A、その前提をまずは証明してください。明確でないと答えられない案件です。
今回は史実で当てが外れてもなおやる気があった面子がたまたまそろうタイミングなので現象をIFに当てはめるだけで済むので触れてないですが
これは他のIF案ではすごく重要なので代わりに証明してくれるならありがたい
0か1ではなくその強弱、まったく当てにしてないということはまずないですので。
例えば豊臣恩顧が味方に付かないのが明らかになった時点で西軍が吹っ飛ぶほどの前提だったか
この場合は今でも成立の余地がほとんどない最初から豊臣恩顧を敵に回してしまう先制攻撃案は120%成立しなくなるし
今のところ不利になるだけで済んでる持久案やその他のIFのほとんども飛びますし
まぁしゃーないで済む程度なら言及する必要がなくなります
そんな極端なことはないのでその中間のどれだとすると何処なのかで成立するIFとしないIFが出てくる根幹議案です
別の言い方をすれば面倒なここに触れずに現象を当てはめるだけ済むのが後詰案を支持する理由の一つです

47 :
>>41
>根拠は何?
 ←7月晦日 真田昌幸宛石田三成書状
>>43
>都度対応作戦を策定するのではなく、予め決められた作戦方針を半自動的に遂行するだけ
 ←東軍の攻略目標や移動ルートを事前にいくつか想定して、それを部隊間で共有するということですか?
>8月22日時点での美濃の西軍戦力量に変更はない。
>変わっているのは岐阜城勢が渡河迎撃せずに籠城策を採る部分。
 ←西軍の部隊配置が変われば、東軍の行動も変化すると想定すべきでは?
  「前線の諸城は籠城に向けた準備を万全に(>>33)」するなら尚更
>家康の前線到着時期
 ←史実の家康は岐阜城が落城したから江戸を出発した、というお考えですか?

48 :
真田昌幸は、大坂方(西軍)に応じる旨を、7月21日付けの2度の書状で、近江佐和山の石田三成のもとに申し送った。その書状が27日、佐和山に到着、それに対する三成の返事である。
 長束正家等よりの最初の密書が、7月17日付けであるから、それが21日までに、下野に着き27日には昌幸よりの返書が、三成のもとに届いているわけである。ずいぶん迅速な急飛脚であったことがわかる。
 この書状により、石田三成は、挙兵の計画を事前に、昌幸に相談しなかったことについて弁明するとともに、昌幸等の妻子は、幸村の義父大谷吉隆が預っているから安心するように、などの事項を伝えている
とあるがどのへんが西軍が東軍の諸将が味方することを前提にした根拠なんですか?

49 :
>>47
大筋ではその通り。
東軍主力がどこを攻めるかなどわからない。
だからこその後詰決戦案。ただ、常識的に言って、
福束城に東軍が攻めてきたから福束城後詰決戦を行う方針とかじゃないよ。
その地域の基幹となす拠点、犬山、大垣、岐阜、桑名、北ノ庄等、
そこで籠城し後詰を待つというもの。
木曾川対岸に西軍の渡河阻止部隊がいなかったら東軍先発隊は木曾川渡河を
止めると言いたいわけ?
史実でも岐阜城はそれなりの城強化普請は行ってるよ。居館付近や瑞龍寺山等。
渡河迎撃隊がいないのは罠だと判断して攻撃先を犬山に変更する可能性が
ないとは言わんが、その可能性は極めて低いと見るし、その場合
犬山城後詰決戦になるだけ。
家康の江戸出陣は元々の予定だったのか岐阜城陥落がトリガーとなったのかは
わからないとしか言いようがない。
どちらとも取れる。

50 :
あと以前にも書いたけど、西軍の基本方針として後詰決戦案の弱点は、
多方面同時攻勢には対処しきれないというもの。

ただ、信長包囲網を見てもわかるように、外線側の同時攻勢というのも
また難しい。この時代の部隊間連絡の形態からはまぁそうだろうと言える

51 :
島津義弘の書状だかで関東の上杉征伐軍がロクに戻ってこない事、
奉行たちの予想と展開が食い違っているって感じの話が過去スレだか
別スレだか忘れたが言及されてたな
全員かはともかく、過半数以上は家康から離れて征伐軍が事実上崩壊状態になるのは
前提だったんじゃないかなあ
ぶっちゃけ家康が諸侯の支持を失ったら、場当たり的な侵攻は出来ても
まともな遠征なんか短期ではほぼ不可能だから、西軍の初期想定だと
積極的に攻勢をかける理由がないんだよね
前スレでも考察したけど、割と豊臣御為ってロジックに縋ったというか、
その言葉に悪い意味で酔っちゃった挙兵なんじゃないかな、少なくとも奉行は

52 :
>>48
そのページの下まで読めば書いてあるの分かるだろ

53 :
なあ
順番って知ってるか

54 :
7月中旬頃の当初の西軍の想定では、内府違いの条々の効果により、
いくらかは徳川に味方する者もあるだろうが、
多くは帰国等し、上杉征伐軍は事実上崩壊するであろうというものだったろうと予想する。

この時点での徳川の味方をするであろうと想定していたのは、
具体的には池田、浅野、黒田、細川、加藤、藤堂あたり。
理由は、九州、四国等遠国にもかかわらず早い時期から上杉征伐に従軍していたり、
つまり徳川与党であろうと。
逆に東海道筋の者達は、帰国して日和見するか
味方するであろうと見ていたと思われる。
この想定ならば、東軍先発隊として西上してくるのは、池田、浅野、黒田、藤堂、加藤、
細川あたり、およそ15000〜20000となる。
たしかにこの数字ならば、史実の美濃の西軍戦力で支えられる。

またそれ以前に西軍としては時期はわからんが徳川方が西上してくるのは想定しており、
当初は瀬田で迎え撃つつもりで砦構築をしていた。
また前田も南下し大聖寺城を陥落させ、7月末には内府違いの条々が想定通りの効果を
発揮していないのはこの時点で認識していると思われる。
ならば西軍としては、8月初頭以降は現有戦力での徳川方の撃滅の作戦方針を策定しても
別におかしいものではないと考える。

55 :
>>54
主であろうが順番な

56 :
>>54
3回読んだがイライラする

57 :
>>49
史実は、渡河阻止に来た秀信を撃破し追撃する過程で岐阜城攻めに
なったので、その前提が違うなら東軍の行動も変わるだろうと。
そっから先はなんとも。
例えば、竹ヶ鼻や福束を攻略したり小早川秀秋を調略したりしながら、
家康が到着を待ち、それから岐阜城なり大垣城なりを攻めるというこもと
考えられるでしょう。そもそも、家康が到着してから渡河、が東軍の当初
予定だったようなので。

58 :
岐阜攻めは追撃する過程じゃないでしょ

59 :
やっとまともな議論をしているようだな。
毛利のチンポコしゃぶった議論ばかりだったが。

60 :
>>51
別にさあ、福島正則一人が西軍が中立的な立場に成るだけでも家康の反転攻勢とか
不可能に成る気がするんだよね。
史実の流れは飽く迄も清須の莫大な兵糧と軍需品有っての物ですよ。
家康は確かに凄腕の賭博師だけど、ちゃんと或る程度以上の勝算有る時しか賭けてません。

情勢が流動的な状況で退却すると、行き成り味方が総崩れに成ったりした事も史実はでは良く有ります。
一度東海道に出てしまえば、作戦上の退却すら致命傷に成る可能性ありますよ。
東海道の豊臣恩顧は飽く迄も勝てそうな方に付いただけですし。

まあ、結局福島正則が帰国する8月14日までに何するかだと思う。

61 :
>>60
福島正則が8月14日に帰国した根拠は
この辺研究者によってまちまちなんだけど

62 :
>>60
まず、三成たちの心根を叩き直すことから始めないといけないな
勝手に蜂起しておいて、家康から離反するのが当然なんて
福島でなくとも三成たちは何様のつもりだ?となるよ
秀吉の威光で威張り散らしていた時代の感覚そのままで行動しているのだろうが
そんな時代は終わったことを理解して三成たちが悔い改めないと西軍に勝ち目はない

63 :
家康が自Rれば西軍が勝てたよ

64 :
>>61
そいついつもの荒らしやから触ったらあかん

65 :
漸く前スレ埋まったな
史実や資料や荒らしとか言うなら、順番な。日本人なら
で、鍋島と小早川の九州話はあまり出ていないので、皆さんの知識と考えをごひりろうつかぁせえ
何か思いつかなかった突破口が、あるよな気もします

66 :
漸く前スレ埋まったな
史実や資料や荒らしとか言うなら、順番な。日本人なら
で、鍋島と小早川の九州話はあまり出ていないので、皆さんの知識と考えをごひりろうつかぁせえ
何か思いつかなかった突破口が、あるよな気もします

67 :
漸く前スレ埋まったな
史実や資料や荒らしとか言うなら、順番な。日本人なら
で、鍋島と小早川の九州話はあまり出ていないので、皆さんの知識と考えをごひりろうつかぁせえ
何か思いつかなかった突破口が、あるよな気もします

68 :
三回も言うほど超大事なことだとは思えないな

69 :
怪しい日本語だなぁ

70 :
まぁ次から次と

71 :
大事な事だから3回書いたんだろうけど、何回読んでも意味が分からんわ

72 :
>>57
じゃ東軍先発隊はどのような目的で決死の覚悟で木曾川渡河したわけ?
下流渡河組はともかく、上流渡河組は渡河迎撃がなかったらどうしていたと?
そして渡河迎撃がなかった場合清洲に帰るとでも?
岐阜城後詰決戦案では東軍先発隊は長良川東岸あたりに布陣するであろうと想定してるけど、
それとどう違ってくると?

73 :
>>72
あくまで考察になるけど、東軍の先発隊視点で西軍の迎撃態勢が予想以上に
脆く見えたんじゃないかな
戦闘を開始しても西軍の抵抗が東軍の想定よりずっと弱いから、岐阜までもが
陥落してしまったんじゃないかと
渡河するってのは軍事的に結構危険なのは言うまでもないけど、
迎撃態勢が緩いのを西軍の罠ではないか、引き付けて殲滅する作戦ではないかと
警戒していたんじゃないか

74 :
福束の前哨戦でも石田方が3000しか出してこなかったから余裕戦力ないと判断したのかも
池田の旧領で案内人いたように息のかかった人材いるだろうし敵情を探れない理由はない

75 :
>>74
小西と全軍でいっていれば落ちなかったかも

76 :
これで上流に島津と織田軍全軍でいけば破られない

77 :
西国大名の多い西軍が東国というアウェーで戦うことが間違いだよ
ただでさえ西国大名の大半は朝鮮での疲弊が回復していないのだから
未知の東国まで行くだけで疲れ切ってしまい、戦うどころではなくなる

美濃なんて捨てて平家のように畿内から都落ちして、西国での戦いに移行するべきだった

78 :
伏見城のあとすぐに鍋島と立花を岐阜城に

79 :
>>78
西軍視点、そいつらが信用できんので先行させるのは無理
そいつら足止めして西軍に組み込んだだけだから

80 :
>>79
立花も?

81 :
>>77
とにかく7月中に清須に5万の兵で囲む
福島来るまで休憩
残りで伏見城 伊勢方面

82 :
>>80
豊臣御為で戦うと宣言した連中が、
政権や豊臣家と縁もゆかりもない、たかが外様をどうして信用できる?
>>81
内府違いの条々で、家康に従う理由のなくなった上杉征伐軍は
大半がこちらに戻って「政権を不安定にさせてすいませんでした」って
頭下げに来る予定なのに、なんでそんな無意味な事をせにゃならんのだ
後で関東征伐の時に精々使いつぶさせてもらう連中だぞ
そんな事したら、散々利用しておいしいとこだけ奉行支持派が持っていく事が出来ず、
関東征伐の時にこっちが矢面に立たされていらん損害を被るだろ

83 :
>>82
勝って石高増やす

84 :
まだ清洲ガイジに構うバカがいるのか
「清洲」でNGしてもいいレベルだぞ

85 :
>>84
勝つには清須

86 :
あと何回、石田三成が生首になれば勝てるんだよ

87 :
何度でも甦る

88 :
そもそも三成が首謀者なのかどうかも怪しい

89 :
>>88
家康だったりして

90 :
三成は西軍内では美濃方面の担当者っぽいな
だから伏見城攻めとかの他方面の戦には参加してなくて
やった仕事も秀信を味方に付ける説得工作とか美濃関連のもの
だから美濃で行われた関ヶ原本戦も三成の担当であり三成が西軍側責任者なわけよ
逆に言えば美濃は三成の責任なんだから毛利が参加して戦ってくれたらとか大津城攻撃軍が間に合ってくれたらとか
ムシがよすぎるんだわ
お前が任せられてんだからお前が何とかしろよという話だ

91 :
>>90
じゃあもっと美濃制圧しろ
福島いがいを

92 :
>>91
ちゃんと学校通ったか?

93 :
美濃方面は治部が中納言にあれこれ命令できるわけでもなく籠城要請するも断られ
むしろ中納言の指揮系統に入るほうがすっきりするのでは

94 :
>>93
中納言って秀信か?豊臣政権は中納言多すぎるから…
ただ、秀信のこと言ってるのならそれもちょっと難しいかと
そもそも秀吉が一応の旧主筋に当たる秀信に「飾り」以上の役割を求めてたかどうかってのがあるし、
奉行たちはその秀吉の側近としてその影響を色濃く受けていると思われるので
秀信に方面軍指揮権なんて大きなもの与えるかなあ
第一、政権上の役職より官位の上下が重要ってことにしてしまうと、
それこそ奉行たちの立場を貶めるようなものだし

95 :
>>90
後方支援係で戦経験も乏しいうえに
トラブルメーカーとして揉め事を繰り返して嫌われている三成を重要な美濃方面の担当者にするとか
もはや西軍には真面目にやる気がないと疑われても当然だな
本当に東軍に勝ちたいと必死だったら三成なんか前方で使うわけがない
三成がいる時点で胡散臭さが全開で論外でしょ
西軍が勝つためには三成外しを敢行するのが最低条件だよ

96 :
>>95
非現実的な話ばかりされてこれが当然と語られても困惑してしまう
三成外しって、いきなり奉行同士で仲間割れするような軍に誰が参入したがるものかね

97 :
>>84
孫子を読んだ事無いんかね?
緻密な作戦よりも、やっつけ仕事でも速さを重視した方がましってあるじゃん。

関ケ原の前哨戦の状況は正にそれって感じなのにさ。
多少危険でも、伏見なんか僅かな押さえで清須まで進撃した方が一番可能性有りそうなのに。

現代でも、どんなに準備しても天候までは支配出来ないですからね。
戦争自体が大博打なのに、そこまで緻密な作戦が必要ってのがおかしいのでは?

家康だって、秀忠軍と合流断念して野戦に出てるじゃん。
博奕ってそんなもん。

98 :
最初から投げっぱなしで戦に臨むのもねーよ
想定に想定を重ねたうえでそれで最小限の博打要素が出るって話すらわからんのか荒らしは

99 :
荒らしなんだからわかるもわからんもないだろ
そうやって構ってほしいだけ

100 :
強運に賭けて清洲を攻略。その勢いで東海道を爆進する
と言われると他人はまともにクチを挟めないよね
たしかに、なにかの偶然が重なって事態が激変することは歴史上ままあることだから、絶対に無理とは言わないけど、幸運を前提に計画を述べられると何を言っても「運がいいから」で済まされてしまうのがわかりきっているから、議論する意味はないよね

101 :
>>97
紙上に兵を談ず
君は趙括の生まれ変わりかな?

102 :
>>101
お前はまず学校に行って最低限の学力を身に付けろ

103 :
趙の重臣の藺相如は死期の迫った病の身を厭わず参内し「趙括は兵法書を丸暗記しているだけの未熟者、実戦での臨機応変の重要さを理解していません」と諌めたばかりか、
趙括の母までもが亡夫の遺言をもとに「人の命を軽んじる括では、将軍の命に耐えられません」と孝成王へ直訴した。


>>97も暗記した兵法を丸々当てはめようとし、後方に憂いを残したまま戦線を細く長くするという危険をおかし、戦争を博奕といい
人の命を軽んじてる趙括そのものだ、と私は直訴した。

104 :
広く長くだった。訂正

105 :
古田織部 筒井定次 脇坂安治 鍋島 小川 赤座 朽木 金森 を完全に調略できないですか

106 :
大谷の合図で小川が藤堂軍に前進
続いて赤座 朽木 脇坂も前進
左翼は押されはじめる
家康は小早川に鉄砲を撃てと命じるが左翼が危険な状態で近づけない
三成の狼煙があがる
ついに小早川は動く

107 :
そういう夢小説はいらないです

108 :
>>107
脇坂を調略できたら可能

109 :
>>95
伏見城 田辺など西軍が攻めた城は
2000程度で囲む
大阪城も2000
そして毛利輝元大将に全軍で清須攻め
三成は後方支援
これなら裏切り出ないだろうし、筒井、金森、古田も西軍についてくれる

110 :
これが学校に通わなかった引きこもりの子供部屋おじさんか

111 :
>>86
来年の大河は明智光秀で本能寺をやるんだが信長さんがテレビと映画で殺されるのはこれで何回目なんだ。信長殺され過ぎィ。

112 :
>>109
清須攻めはともかく総大将が出陣しないと士気はあがらんよな。

113 :
そもそもの疑問として、輝元が総大将として出張ったところで
諸将を統御できるほどの貫目があるのかいなというのがあるんだが
輝元って家康と真正面から対峙できるほど合戦の経験値積んでるの?

114 :
>>113
貫目はあるんじゃね
個人的なカリスマだのは知らんが曲がりなりにも大名として信長と戦争やったことある人間なんてもうそうそういないし

115 :
>>109
テルさんが来ないからどうしようって話をしてたのに、なんでそこ跳ばして来たこと前提でプランを進めてるのか

116 :
>>113
さすがに輝元を馬鹿にしすぎだ
あの時点で西軍側の総大将に一番ふさわしい人間だよ、一応
家臣団も方針の違いで家臣同士でもめることはっても
輝元を盛り立てる方針自体は一致してるし
(秀元が独立騒ぎを起こした程度、秀秋は毛利といい難いので除外)
少なくとも秀家よりは、はるかにマシ

117 :
>>115
勝てる可能性ですよ
家康が来るのなら先打って出る

118 :
>>113
毛利秀元がいるし立花もいるし
島左近に明石もいるし
西軍ハイブリッド弱いわけではない

119 :
14歳で3万軍勢の大将

120 :
輝元は秀吉在世時はやはり軽く見られており、どうしても「小早川隆景とセット」の
扱いだった。しかし秀吉死後のいわゆる七将襲撃事件で家康とともに事態の収拾を
主導したことで一気に存在感が高まり、前田利家の死去もあって、家康に対峙できる
存在という衆望を集めた感じでは有る。

121 :
それは対抗馬として相対的に評価が高まったということだな
絶対的な評価が要求される戦場のような場所では弱いな

122 :
>>117
だからどうやってアイツを引っ張り出すのか聞いてんだよ
お前の「可能性ですよで」でテルさんが動くんなら、三成がキャンキャン騒いでたのにピクリとも反応しなかったのはなんでよ

123 :
>>122
大阪にすぐにきたし
そのまま清須ならいってくれます
切り取り次第毛利領って言えば

124 :
>>121
秀元がいるじゃあないか

125 :
>>123
で、それのどこが豊臣御為なの?
つーかさ、利益を提示したとしてそれが実行される保証って一体どこにあるの
私はそんな保証ないと思ってるんですが
後、切り取り次第なら自領周辺、つまり瀬戸内の方抑えた方がはるかに楽だし
維持のしやすさ、徳川と直接ぶつからなくていいという点ではるかにお得なんだけど
それを覆せるほどの利益って西軍は提示できる?
>>124
秀元の功績があまりに大きくなると、輝元が困りますね
幼少の息子の秀就よりも元養子で秀吉養女(秀長の娘)が嫁いでる
秀元の方が後継者にふさわしいとか言われかねないし
ぶっちゃけ、戦場で奮戦も討ち死にってのが輝元視点、一番都合がいい

126 :
>>115
おおそうだった脱線しそうになったな。そりゃTERUがくれば違う条件だしな。

127 :
そしてまた石田三成は生首になったのであった。

128 :
>>123
毛利視点で清洲なんか貰っても困るだろ。毛利が欲しいのは瀬戸内海周辺だよ
あのさキミ、ひとを利で釣るなら釣るでいいから相手が欲しがるものを提示しなよ

129 :
>>125
いや清須名古屋だよ
瀬戸内なんて毛利の留守居でも切り取れるがここは別格

130 :
>>125
秀元には活躍してもらわなきゃいけない
西軍きっての武将なんだし
忠義わきまえているし

131 :
まだ清須ガイジに構うのか…
「清須」でNGが賢明だぞ
荒らしに長文反論ってバカじゃね?

132 :
>>128
清須
自力ではとれない領地
秀吉が金かけたし

133 :
>>131
わかったないな
持論はある?

134 :
>>130
独立騒動起こすような奴が忠義わきまえてるとは思えんが
>>129
毛利視点だといらん、博多なら欲しがるかもしれんが
偉大なる祖父が制圧を望み、ついに果たせなかった悲願の土地だからな、博多は
そもそも奉行が重要拠点を外様の大大名に渡すことを良しとしないよ

135 :
>>134
わからんでもないがね

なぜ秀吉がかったか
たまたまの遭遇で助かっただけではないかと

上げ上げモードの秀吉は人をみる目をもっていたんじゃないかな

136 :
>>103
それは、書物だけで知識を得てると全ての大前提に成ってる物に気が付きにくいって逸話だと思う。
蜀漢の登山家も、高地に陣取ればいろいろな意味で有利「投射武器の射程延びるし、敵の布陣も丸見え」だけど
逆に完全に包囲されると補給が問題って事に気が付かなかったんですよね。
元々其れ用の山城とかなら兎も角、只の高地に布陣なら井戸とか有る訳無いしね。
でね、西軍挙兵直後は日和見の大名が多いんだから、「中々やるやないか!!!」って感じで西軍優性の情勢を
作らないと真面な作戦が通らないと思うんだよ。
この、西軍優性の宣伝する為には無茶しても早期に清須まで出ないと駄目でしょ。

137 :
>>136
清須というか尾張以東は西軍主力には情報が無い
家康の動静を赤坂まで掴めなかった程度の諜報力
対して東軍主力は東海畿内は自分の庭同然

無茶じゃなくて無知に突っ込めと言って従う馬鹿はいない

138 :
>>137
構ったら居つくから触っちゃだめよ
それまともに調べなければ他人の指摘も聞きたくないっていう議論できるだけの品性が身についてないやつだから

139 :
何度構うなって言われても構い続けるんだから無駄だろ
こいつも荒らしだよ

140 :
>>139
毎回毎回、君があらしだろうが
無視して勝てる案を出しなさい

141 :
>>134
秀元って関ヶ原の戦いのあとおとがめ無しなのに本家に譲ったんじゃ無かったっけ

142 :
そもそも福束城とられたのがいけない
援軍に島左近がいっていれば勝てた

143 :
西軍は情報収集なさすぎ
三成の子孫はのちに忍者集団をつくるのだがこれを早期に作れなかったか
母のつてでタキ家経由で甲賀者を雇うとか

144 :
東軍、というより家康の場合は
情報の方が勝手に家康の元に集まってくるような状態だからなあ
あ、阻止するのは不可能です
西軍の首脳部クラスが家康に書状で情報を送ってるレベルらしいので

145 :
>>144
まるでミッドウェー海戦前の旧日本軍みたいだ

146 :
>>144
貴方が言ってるのは、有名な増田長盛の書状の事だと思う。
確かに西軍の大幹部の奉行の中から内通してる奴が出たって考えるなら大事件だね。
でも、書状の日付けから考えると毛利の主力が大阪城の二の丸に入城する前だよ。
つまり、挙兵の初期段階で毛利が乗るか不安なので、家康にお手紙って事。
其の後は増田は普通に西軍で動いてる。
だからさあ、早期に伏見なんか放置して尾張まで出れば逆に情報集まったんでは?
豊臣家の大名率いて大阪に反転西上なんだよ?

147 :
>>146
流石に伏見は陥落させないとまずい
最悪のパターンだと、西軍によって足止め食らった大名の
避難先になってしまう可能性がある
元々、西軍参加者の半分近くは上杉征伐に向かう途中で挙兵に巻き込まれてる形だし
そうなったら西軍の兵力が足りなくなってしまう
島津を鳥居が追い出した件なら、どうも義弘は早い段階で西軍だった節があるので
怪しまれてたんじゃないかな
そのほかの大名なら鳥居も伏見防衛に参加させる可能性はあると思う

148 :
>>145
内閣の大臣がアメリカに通じたりしてないだけミッドウェーのがなんぼかマシ

149 :
>>147
輝元は大阪に寄らず一気に知多に
そのまま清塚城を取り囲む
軍勢の多さに留守居はひるんで明け渡す

150 :
>>147
じゃあ小早川と脇坂と吉川と島津で落とせばいい
長束の忍者使って

151 :
清須ガイジはNG推奨
構うバカも荒らし

152 :
>>151
君があらし

153 :
>>152
君もあらし

154 :
>>153
子供か
指摘される理由と向き合いな

155 :
縄張り争い的なものはないのか
尾張は織田の庭でおいそれと触れるものか
織田秀信の頭ごなしに

156 :
まーーーーた輝元もポコチンしゃぶりだすやつが出てきたwwwww

157 :
もしかしてこのスレ過疎りすぎてボケ役と進行役と真面目に考察役と1人で何人もこなしてるのか?

158 :
西軍には大名として勢力を率いて戦った戦上手がいないから何やっても勝てそうとすら思えないんだよな
せめて毛利両川が生きていれば

159 :
>>158
立花 毛利秀元

160 :
>>159
ガイジが俺に触るな

161 :
島津もいるけど采配が奉行衆だから戦名人がいるとかいないとか関係なくないか

162 :
そもそもそういう大立者を政権から排除する為に起こした戦だし
毛利両川クラスの人物が健在なら関ヶ原になるかというと

163 :
>>148
五十六はアメリカの、米内はソ連のスパイ

164 :
>>163
ナイスジョーク

165 :
>>163
米内はともかく56はアメリカに撃墜されとったがな

166 :
>>159
秀元が東軍相手に華々しい武功を挙げてしまうと毛利の後継者を秀元に戻そうという動きが出てきてしまう
豊臣家としても秀吉が可愛がって子飼いにした秀元が毛利家当主になった方が都合がいいからね
だから史実の毛利の行動は東軍にビビったというだけでなく
秀元の活躍を阻止して輝元の血統を守るという意味合いもある
たとえ西軍が勝っても自分の実子が毛利を継げなければ輝元にとっては史実以上の敗北になる

167 :
>>166
秀元の活躍で西軍は勝てた
黒田が島左近に襲いかかる
これを追いやりその勢いで石田全軍で黒田軍に反撃
全軍で来るとは思わずあっさり壊滅
続いて細川加藤に鉾先を変える
それを見た島津は石田に続く
南宮山組のもとに黒田壊滅の知らせ
三成が狼煙をあげた
長束安国寺長宗我部は池田輝政に突き進む
それでも吉川広家は動かず
この機を逃してなるものか
毛利秀元は吉川を迂回して南宮山をかけ下る
池田輝政討ち死
勢いは止まらず浅野山内有馬と秀元はどんどん蹴散らしていく
松尾山付近では狼煙を合図に赤座朽木小川が京極に襲いかかる
それを見た大谷吉継。目指すは藤堂全軍突然と軍配を返した

168 :
小早川隆景が生きていたらまた違った展開になっていただろうに

169 :
https://youtu.be/Ejwuatj4BhQ

170 :
>>167
その功績を利用して秀元が毛利家後継者になり、実子が排除されることを輝元は恐れたのだろうね
石田・大谷・宇喜多なども秀就よりも秀元の方が都合がいいから秀元に味方するのは明白
秀就を後継にするためには、秀元に戦わせないことにより活躍の機会を与えず
石田・大谷・宇喜多を見捨てて殲滅することが最大の解決策となる
秀元や三成たちの野心に気付いた輝元と広家にとっては、西軍が負けることが自分たちの勝利を意味していた

171 :
>>167
キミ、ひとの話ちゃんとを読んでからレスしてる?

172 :
>>165
口封じだろ。
ついでに近衛もスパイ

173 :
>>172
ナイスジョーク…と言いたいが、結果的にはそうだな
近衛個人は軽薄で責任感の無いお調子者に過ぎないんだけど
近衛を人間としての芯がないと言って嫌っていたのは昭和帝だったかな

174 :
あぁ、またもや石田三成が生首になってしまった


リセットリセット

175 :
オールユーニードイズ石田

176 :
>>170
西軍が負けて領地減る
もしくは改易にさらされる
広家は察知できなかったのだろうか

177 :
>>171
チャンスがあれば止められないってのが読み取れないかな

178 :
ガイジの自演

179 :
>>176
秀元が毛利の後継を奪い返せば、輝元の子孫はどのみち領地ゼロ
それどころか粛清される危険も大いにある
輝元もそのリスクを天秤にかけて東軍に降伏する方が得策と判断したのだろう
広家は輝元に言われた通りのことをやっただけなので批判される謂れもない

180 :
>>179
関ヶ原に布陣した西軍は2班に別れて夜中に進軍した
大谷宇喜多は松尾山に
三成小西長束はなんと吉川広家に
黒田に潜んでいた三成の忍びから内通していると知らせがあったのである

181 :
なろう小説ガイジ

182 :
>>177
キミ、リアルで「会話ができない人」て言われたことない?

183 :
>>166
下手すりゃ切腹や島流しになるかもしれないのに。

184 :
>>172
56さんはあんな状況で自分だけは助かると本当に思ってたのかな?

185 :
>>182
頭悪いやつだなあ

186 :
>>179
広家の裏切りは独断なのか輝元からの指示なのかまだはっきりしてないよ。

187 :
>>185
またIDチェンジですかそうですか
キミ、幼児みたいだね

188 :
>>186
独断でやってあの結末ならさすがに毛利家内で殺されてるんじゃないか?

189 :
南宮山には輝元の近習連中も入ってたんだから独断なんてありえない

190 :
秀吉が秀元に領地を与えるように伝えた遺言を無視して、家康に言われるまで領地を与えるのを拒否しているあたり
輝元が秀元に不信感を抱いて警戒していたのは間違いないこと
そもそも輝元にとって秀元は、秀吉にとっての秀次と同じ立場と言っていい
秀吉が秀次を排除して秀頼を豊臣家当主にする代償として家康を政権執政者に取り立てたように
輝元が秀就を毛利家当主にするため秀吉と似たような選択をすることは不自然ではない
秀元に乗っ取られるリスクよりも家康の権力を認めて秀就を後継者に認めてもらう方を土壇場で選んだだけ
広家は後世で責任転嫁されただけで輝元の使いに過ぎないので関係なし

191 :
>>190
何かまだ語られていない 東軍に勝てる要素があるのかもも

192 :
逆だな
新たな視点が発見される度に東軍というか徳川家康が次代の覇者になった理由がわかる

193 :
>>176
本来の首謀者である、毛利家の領地が減るのは織り込み済み。
改易だけは免れるように、決戦に参加せず、三成ほかに責任を押し付けた。

194 :
>>193
大阪になぜきたのだろうか
自国でじっとしていれば減らなかったのでは

195 :
>>192
いずれにせよ
江戸城冬の陣で家康は破れる

196 :
関ヶ原の後始末の戦いでも毛利は戦力そのままだろ
これで輝元と話ついてないのは不自然

197 :
>>195
知的障害者

198 :
>>188
出来る訳無いでしょ?関ケ原後に吉川広家を処分すれば家康から「ほう、俺と親しいんで消したんだ」って
難癖つけられるに決まってるんだからさ。
つまり、毛利家内部では許し難い裏切り者、でも消したら家康が大喜びで毛利を改易するって非常に
腹立つ存在だね。
と言うか、家康は寧ろその展開を希望してたでしょうに。
毛利にお手伝い普請命じて、資材の買い占めとかやるのが家康。
暴発は寧ろ大喜び。

199 :
>>194
毛利が動かないなら、抑々挙兵失敗な訳でこのスレの議論としては意味が無いでしょうに。
只さあ、家康が目指してるのは子孫迄伝える徳川の覇権なので、毛利が見逃される可能性は
無いよ。
ヒトラーが、英仏がミュンヘンでチョコスロバキアを見捨てたら、平気で翌年ポーランドに攻め込んだ
みたいなもんだな。
安芸征伐が数年以内に起こるだけ。

200 :
>>176
内紛って屡々そんな展開に成るよ、船の中での覇権争いで勝っても、抑々乗ってる船が
沈没したら意味が無いですけどね。
でも内紛してる連中って、屡々それをやる。
そうそう、ミュンヘン会談でチョコスロバキアが解体された時、ポーランドも分け前「領土」貰ってます。
ヒトラーは抑々ポーランドを消すつもりだったんですから((´∀`))ケラケラwwwwwwww
まあ、後から考えれば馬鹿な選択でも、当事者が大真面目は良く有るよ。多分毛利家内部で深刻な
内紛が有ったんかもしれませんね。
安国寺や秀元と仇敵だったんかも?

201 :
>>200
久しぶりだな例え話ガイジ

202 :
>>199
じゃあこの時点ですでに家康は豊臣を裏切る気はあったってことか。そんな野心はそもそもないなんていう人が多いからな。

203 :
>>202
ここは初めてか?
そいつは例え話ガイジという荒らしだから相手するだけ無駄だぞ

204 :
>>202
実際はあったかもしれないが書状などの証拠は無い
表面上はクソ真面目に豊臣政権の政務を行ってます
会津征伐は政務の一環
逆にあからさまに豊臣への忠誠心が無かったのが上杉
上洛して釈明すれば会津征伐は無かった

205 :
基本的にこのスレで句点使ってる奴は全員荒らし

206 :
>>204
まあそうだろうな。

207 :
>>194
そら、清州城が落とされて、九州で黒田に大友がやられ、四国でも河野が地味加藤にやられるまでは
この機に豊臣家の権威を担いで、西国を毛利で支配してやろう、って考えてたからだよ。

208 :
>>204
釈明しても無傷の訳無いでしょ?家康の目的は徳川の覇権の確立なんだから会津に反徳川色の
強い大名なんて認めるはずないですよ。
大幅減封か、懲罰的な転封が確実に有ったはずですよ。

王朝乗っ取りの時に、前王朝の一門諸侯や恩顧諸侯を消すのはデフォルトでしょうに。
明らかに徳川牽制の為に置かれた上杉を放置とか有り得ん。

209 :
>徳川牽制の為に置かれた上杉
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

210 :
>>208
そんなこと言ってたらそんな事を記した史料はどこにもないと言っていつもの人が突っついてきますよ。
まあ本心を記載した文書なんて都合の悪いものほど残ってないですけどね。

211 :
>>206
普通に、豊臣家の旗本や奉行が憤激する事は山程してると思うんですが?

自分一人の花押で、豊臣家の蔵入り地を勝手に自派の大名に加増「関ケ原前に」してますよ。
豊臣家の領地削って多数派工作した訳で、放置すれば大阪城だけ残して秀頼は丸裸にされるじゃん。

で、それに文句言える資格がある同格の大老を謀反人だと言い掛かり付けて討伐軍送ると。

212 :
句点が多いな。同一人物か

213 :
>>209
じゃあさ、貴方は第一次世界後のベルサイユ条約で作られた東欧諸国見てどんな感想持つの?
明らかに、ポーランドはドイツ牽制の為に作ってますよね?

「ポーランドに海を与えるべき」って意味不明の理由で作られたポーランド回廊とか見てどんな感想を?
あそこは数百年も前からドイツ領だったのに、強引に東プロイセンと分断されてますよね。

更に、チェコスロヴァキアは当時有数の工業国で、あそこをオーストリアから独立させた意味は?

上杉景勝の立場は、ヒトラーから見たポーランドやチョコスロバキアだよ。
英仏が、ドイツ牽制の為に作ったあれと同じ。

214 :
>>213
ガイジは黙ってろ

215 :
>>213
秀吉が上杉を徳川と同等以上の扱いしてない以上その例えは全くの無意味

216 :
東北における上杉派閥を強化していないのに徳川対策だと言われても景勝も迷惑だろうな
ポーランド回廊については失笑の一言
証明されていない事例に対して、歴史上の自分にとって都合のいい事例を持ってきて「ホラ、これと一緒!」とやるのは彼の常套手段だけど、これで納得する人はマルチで騙されるタイプだね

217 :
前任者である蒲生は自分が対徳川のために置かれてるって
ちゃんと自覚してたぞ。上杉が自覚無かったなんて話しは
それこそお前の妄想だろ。

218 :
>>211
家康が関ヶ原前に豊臣領地を勝手に処分は事実?

219 :
朝鮮征伐の論功行賞を一部行ったのなら事実
豊臣家のための出兵の褒章を豊臣の蔵入地から出すのも当たり前
その論功行賞が自分の派閥を優先してないか、と言われると優先してるかもしれないね、レベル

220 :
家康は朝鮮役絡みの論功も当時のレベルで言えば相当公平だぞ。
あと上杉景勝は堀家のとの紛争で「出ていったら訴訟に負ける」って
引きこもってたんだから、一義的には家康との対立ではない。

221 :
>>218
信州川中島の豊臣家蔵入り地が消える形の処分をしてるよ。
事実上豊臣家の蔵入り地が消えてるのに、家康一人の花押の文書で決済。

で、直ぐ後に会津征伐軍を編成してるから知らない人多いけど、非情に重大だと思う。

事実上主家の領地の横領始めたんだもん。

222 :
>>221
根拠になる記録も上げずにそんな事言われましても…

223 :
まあ政権握っちまうと無理筋だろうがどうにかして難癖付けられるってことだ

224 :
>>217
蒲生が秀吉からそれを命じられたという史料でもあるのかね

225 :
上杉も会津転封にあたって徳川から指南を受けている始末だしな

226 :
>>221
その件なら奉行が現地に赴いて受け取りの対応やってるんで
家康単独でやってたとは考えにくいって指摘が過去スレであったが

227 :
佐竹 堀 石川 仙石を上杉につけてやりたい
秀信には古田 金森を

228 :
>>227
年貢泥棒しといて堀がつくわけないだろ
アホか

229 :
秀吉死後から関ヶ原直前の上杉の行動ってアホバカマヌケの類だからな
秀吉の下で臥薪嘗胆でもしてたのかと

230 :
>>228
返すから

231 :
>>226
他の大老に相談した形跡はないですよ。
奉行が関知したのは、そうしないと豊臣家の権威がガタ落ちだからでしょ。

何にしろ、加増転封を複雑に組み合わせてるから見えにくいけど、気がつくと豊臣家蔵入り地が
消えてるって手口は関ケ原後と同じですね。
表面上の建前は、豊臣家からの恩賞だけど実質豊臣家の領地の山分けはじめたの。

一度無法が通れば二度三度の無法に苦情言えんしな。
あの時点で、俺が諸侯の主君「加増や領地の安堵は主君の権能」だと主張したも同じ。

つかさ、あれで他の大老と戦う以外の選択肢消えてると思う。

232 :
>>219
本来合議制のはずなのに、自分一人の花押の文書で豊臣家蔵入り地を削る意味は明白。
「心配ないよ、この措置に文句言うなら徳川の武力で潰すから」って事でしょ。

つまり、五大老では無く、徳川家単独の武力の権威で支さえられてる文書で豊臣家の領地を
削ったんだね。
他の大老も、豊臣家自体も、文句有るなら弓矢で挨拶しろって言われたも同じ。

で、直ぐに会津征伐軍編成だから馬鹿じゃないなら意味解かるでしょ。

233 :
>>231
ソースは?

234 :
合w議w制wwwまだ言ってんのかwww

235 :
利権絡みなんだろうな

236 :
合議制って後付の作り話じゃないの
資料も実態も無い
五大老の名称もあとからだし

237 :
>>230
誰がそんな話信じるんだよw
名人が死んだと思ってなめくさってた奴を許すわけないだろ

238 :
家康の後継って秀忠に既に決まってたんだっけ?
秀忠を戦死させたら井伊、本多、大久保、榊原などの家臣団がそれぞれの推す後継で内紛が起こり、外様にもその影響が波及しないかなと

秀忠の軍勢の方が主力クラスだったから難しいか

239 :
>>232
最近それを正当化するための秀吉死後から全権委任の正式に認められた家康政権だったとかいうのが出てきたけど。根拠的に苦しいな。

240 :
逆に徳川家が正式かつ独占的に認められた政権だったという根拠はなんだろう。

241 :
>>236
作り話というのは初耳だな

242 :
>>237
米は欲しい

243 :
合議云々の話になったのは秀吉死後だっつーの。
秀吉の遺言で政務に関われるのは家康と前田利家だけ

244 :
そもそも、大老が全員の合議で重要案件決めたことってあるの?
5人全員の花押が座った指示文、って残ってるの?

245 :
>>243
何の史料の何処にそんな事が書いてあるんだ?

246 :
>>243
五大老と呼ばれる人間の中ではということかな?

247 :
>>246
五大老とは一応徳川、前田、上杉、宇喜多、毛利の五人を指すものだが、その他にも五奉行も政には関わってたんでしょと。

248 :
>>244
抑々、太閤すら自分の花押のみの文書は殆んど出して無いはずですよ。
五大老って制度は、当時大名家などで良く有った加判衆「公文書に当主と一諸に署名か判子押す人」を
意識してるのだと思います。
だとすれば、徳川と前田が一格高い地位だとしても全員の花押が前提じゃないでしょうか。
逆に言うと、こういう形の拒否権無いなら合議制とも言えないと思うのでね。
花押押す必要無いなら、抑々大老は要らない気もするんだよね。
公文書無視したら、花押を押した五大老が同盟して攻めて来るぞって脅しが本来でしょうし。

249 :
>>245
史料スレの>>13の史料じゃないの

250 :
>>231
あまり言われてないけどどさくさに徳川の領地を増やしてるというね。

251 :
今日も句点が多いなあ

252 :
ちょっと質問
そもそも西軍に大義はあったのか?
なかったらただの反乱軍だし開戦以前に勝てる見込みなんてないと思うんだが

253 :
大義は作るもんだよ

254 :
西軍の大義の趣旨があの内府違いの条々なんでしょ。西軍内部からも含めて「アホか」って
思われるような内容だけど。

255 :
>>254
まあ、一部はそういう解釈もできる、って部分はあるがね
それに彼らは政権の大老・奉行という政権運営を行う立場ではあるから
内府違いの条々の公儀性がゼロとまでは言い切れない部分はある
いわゆる西軍公儀説も全てとは言わんが、納得できる部分もある
ただし、家康の公儀性が否定されたとか、消滅したって話になると
何故?となってしまうけど

256 :
内府違いの条々は「言いたいことは解るがどれも普通に家康に対して話し合いなり訴訟なり
すればばいい内容で、いきなり挙兵する内容じゃ無いだろ。」に尽きる。

257 :
>>252
負けてたら家康には大義は最初からなかったことになってた。

258 :
私婚問題の時からそうだからなあ
もっと穏便に済ませる方法はあるのに
相手の失脚を狙いにいって返り討ちにあうパターン

259 :
私婚問題なんて大々的に糾弾した挙句一つの婚姻撤回も無かったからな。
アレはむしろ大名間の婚姻に関しての家康の指導性を追認したような決着。
前田利家も事実上家康に屈服したし。

260 :
>>257
そもそも諸大名のやる気を引き出す大義がないと戦に勝てない
西軍に最初から大義がないから負けたのでそれは通用しない

261 :
西軍に大義があったかどうかなんて歴史を見れば分かるだろ。
後に徳川は幕府を作り秀頼を殺しちゃうんだから。

262 :
>>261
秀頼が馬鹿なだけじゃん

263 :
私婚禁止なんて秀次事件のとき出された御掟に婚姻は太閤の許可が必要とあったのが根拠だろ
その秀吉が死んだら誰が許可を出すんだと、相続人がガキの時点でどうしろと
ガキがマトモな判断力を持つ齢になるのを待てってことなら
その世代の諸大名の姫は皆婚期を逃すだけだろ

264 :
>>262
あのな、秀吉が本能寺が起きる前、つまり織田家臣時代から
関白になって天下を手に入れるつもりだったとでもいうのか?
自分の認識や立場が大きく変わるような事件や事態になれば
考え方や政治的な動きなんて変わっていくに決まってるだろ
関ヶ原ってのはそのレベルの事件だと認識しているけどね

265 :
>>261
歴史知らない馬鹿に多い、関ヶ原から大坂の陣までの間に何年有ったか無視しちゃうタイプ

266 :
>>263
秀次をなぜ死に追いやったんだ
狂っているのか
バカなのか
五奉行制もそう

267 :
>>265
たった10年だろ。それに豊臣を主家だと思っていれば何年経とうが
幕府も作らないし、ましてやRなんてありえねーだろ。

268 :
>>267
さすがそのたった10年の間の経緯や出来事すら理解したり勉強したりすることを拒絶する愚鈍な輩は言うことが違うな

269 :
>>268
じゃあそのRに足る理由を書いてくれよ

270 :
さて、秀吉が死んでからの16年〜17年の歳月を「たった」と言い切る人に>>268氏はどのような言葉をもって応えることができるのだろうか
…タタミの目でも数えていた方がマシかもしれんけど

271 :
人生50年時代の10年は現代の20年くらいか

272 :
>>269
一応負けて勝手に自害だけどな

開戦までの流れは秀頼が形式的な臣下の礼を拒み大阪城に兵を集めたため

朝廷は秀吉のせいで内部がグチャグチャになったし関白問題もあるから豊臣家からは距離を置いてる
武家も朝鮮遠征と関ヶ原と幕府開府で徳川に従う流れ
秀頼は孤立しているのに気づかなかったのだろうか?

家の存続という点では毛利輝元のほうが有能

273 :
>>269
まず君は家康が将軍に就任してから豊臣家に対する徳川家からの年頭礼を廃止し、
一方で豊臣家は徳川家への年頭礼を続けたことについてどう思いまちゅか?

274 :
前スレだったかねえ、三年をたった三年って表現したら
三年は長すぎるわ!って暴れまくってたのがいたのは
秀吉が死んでから幕府開くまでおよそ五年なら結構な長さじゃないの?
滅亡まで十七年なら充分義理は果たしたと思うわ、家康

275 :
まずロケットを大量に作る

276 :
>>275
はい
この時代でいうと大筒
大砲ですね

277 :
大砲は違うだろ
自身が推進力を持ってなければロケットとはいえないだろ
まあ宋の時代には既に飛火槍や火箭なんかがあったし
インドやイスラムなんかでも似たようが使われてたから荒唐無稽な話ではないな

278 :
>>265
歴史を知らないねえ?
三晋だと、元々六卿と言われる六人の大臣の力が強く晋室の力は弱かったのです。
そして、最大勢力の范氏中行氏対韓魏趙智の四氏の対立に成ります。
史記とかの記述だと良く解らないのですが、当初晋室は范氏中行氏側だったはずですが最終的には
四氏側に成ったようです。
敗北した二氏の領地は四卿が分けたけど、名目は公室領だったみたいです。
30年後、出公が四卿に返還を命じて逆に追い出される事件が起こります、ここで事実上晋滅亡ですが
四卿最大勢力の智氏は、丸ごと乗っ取りを狙ったので晋室を担ぎ続けます。
其の後、最大の智氏が趙氏を攻めて逆転負けして滅亡「晋陽の戦い、前457年」し、勝ち残った三氏は
智氏領だけじゃ無くて、晋室の領地を全部山分けにします。
晋室は、都の絳と曲沃のみの弱小諸侯に転落しました。

279 :
>>278
続きですよ。
それでも韓、魏、趙の三氏は形式的には晋の大夫で臣従を続けました。
前403年、周王室が三氏を諸侯と認めて形式的な主従関係すら否定されました。
其の後、韓魏趙に滅ぼされたはずですが史記とかの記述は相互に矛盾してて良く解りません。
つまり滅ぼしては御家再興「形式的に」して他氏を攻める旗印とかに「足利将軍みたいに」したんでしょうね。
つまり、范氏中行氏滅亡から100年以上は担がれてたって事だな。
家康は、それが秀吉の膝の上でも幼児の秀頼に臣下の礼取った事あるやろ。
15年程度なら、普通に弑逆って言われるよ。

280 :
>>256
家康が、自分一人の花押で決済してるのに、家康をKする訴状とか意味有るの?
ヒトラー相手に、お前はワイマール共和国の法律に違反してるって訴状出す様なもんだな。
強大な私的武力持つヒトラーにK状出してなんの意味があるんだよ。

281 :
>>258
>>259
穏便に済ませる方が有ったってえ???な訳無いだろがwwwwwwwww
縁組強硬した大名の面子見ろよ、伊達、福島、蜂須賀だぞ?これは天下取りの野望剝き出しだと
解釈されても仕方無いだろ。
太閤在世の時に言い出したら、翌日には徳川討伐の陣振れが出る内容だろうが。
奥州の曲者伊達61万石、東海道最大の要衝で莫大な兵糧と軍需品が有る清須の福島。そして
阿波の領主で大阪城の背後を守る位置の蜂須賀だぞ、露骨すぎるよ。
豊臣家の有力家臣で要衝守る奴の寝返り工作だと見られるよ。
太閤在世なら、翌日に討伐軍編成されるわい。
お前馬鹿かよ...( ̄▽ ̄;)

282 :
>>263
別に婚姻を禁止した訳ではないよ、五大老五奉行の承認が居るだけ。
そうしないと、史実の家康みたいな露骨な切り崩し工作仕掛ける奴が出るやん。
同じ事は、徳川幕府もしてるんだけど。
大名間の縁組は、幕府の承認が入るって制度はね。

283 :
>>255
いやいや従ったにしてはかなりの人数が西軍についてたよな。もし本戦で内応がうまくいかず東軍が負けてたらバカでも何でもない。東軍としては毛利勢が背後から攻めて来ないことが前提の布陣だった

284 :
>>281
まあ野心はあったし豊臣家も内心快くはなかったと思う。

285 :
>>274
リアルの3年とこんなごちゃんの一スレの3年とは違うと思う。しかも情報化が進んだ現代と江戸以前ですぜ例えがおかしい。何をやるにも当時は時間がかかった何事も前々から根回しをしておかないと出来ないことが多いってこと。

286 :
>>267
およそ15年か。まあ短いといえば短いかな。こういう議論がでてくると秀吉も織田家から権力を簒奪したんだから徳川は悪くないというのがいるけど同じ穴のムジナだよな。

287 :
さっきも言ったけど現代のしかもインターネットを用いた議論で3年という
のは長いよ。一スレッド1000レスとしてそれが28スレ以上なんて膨大な量の文書を昔ながらの書状のやり取りだけでやろうとしたら何年かかるんだろうな。昔の一年は何をするにも時間がかかる。その代わり意思決定は割と早いが。

288 :
ID:SkZfAaBK
令和になってまだ合議制とか言ってる奴は言うこと違うぜ

289 :
>>278
晋王室が元々どれくらいの家柄でどれくらいの伝統がある国で近隣諸国との関係はどんなもんでってのは完全無視ですか
君の例え話はいつも比較のしようがないくらい元の話題と比較対象の本質に差があって説得力皆無

290 :
>>289
もう少し例えを身近にしたほうがいいかもね

291 :
>>281
ただの派閥工作じゃね。直前に他の大老奉行が「秀吉の遺言なんぞクソ喰らえ」
「これからお前のやることなすことに派閥組んで反対のための反対するぞ」って意思表示した流れ完全無視かよ

292 :
>>291
秀吉の遺言なんてクソ喰らえなんて意思表示したら恐ろしいことにならないか

293 :
>派閥組んで反対のための反対
この時点で、相手の出方に応じた対策取るか、徹底的にやられるままになって家が没落するの指くわえて眺めてるかどっちかしかないんだよな
なんでこの人、徳川以外の大老奉行は豊臣への忠誠マックス、同僚としてなら徳川のことも尊重するつもりはあったんだけどって前提で話すのかね

294 :
自衛隊召喚

295 :
>>282
大名間の通婚に五大老の承認が必要なんてルールねえよ。
秀吉が死ぬ前に通婚に関する承認権限がどこにあるか決めてない。
秀吉から政務を委任された家康が自分の権限と考えてもおかしくない。

296 :
隆元が生きてたら西軍に加わっただろうか

297 :
隆元が生きていたかレベルだったら秀吉の天下統一があったかどうかのレベルから
考え直したほうがいいぞ

298 :
例え話しくんの口調が荒くなってた
昨夜は酔ってたのかキャラの維持が雑になってるね

299 :
家康が即討伐軍出されるほどの罪を犯してるのに
前田まで担ぎだして糾弾しておきながら何も覆せなかったとなると
大老奉行が家康以外置物以下の存在になっちゃう阿呆みたいな話だからな

300 :
>>299
別に即討伐軍出されるほどの罪なんて犯していないだろ
石田や小西なら朝鮮での利敵行為で即討伐軍出されても文句が言えないけど

301 :
>>276
大砲では十分な推進力にならないでしょ

302 :
福島正則改易
西軍に味方していれば生き残れたのか

303 :
>>302
宮部長房が一人増えるだけだな

304 :
>>302
まあ福島は東軍の中ではバカ筆頭だな

305 :
>>304
家康に鞍替えするために三成襲撃までやらかしてるから後戻りできなかっただろうがな

306 :
まあいわゆる七将による「三成襲撃」、少なくとも武装襲撃は無かったという考え方が
今は強いけどな

307 :
>>299
私婚問題は意外と大問題だと思うよ、兎も角内容が危な過ぎるからな、豊臣家の東海道方面の本拠地と
言っても良い清須の福島正則と家康が婚姻とか通る訳がない。

前田の健康状態が良かったら、普通に討伐軍が出たんじゃないでしょうか?
もし家康が詫びたら、今度は徳川の権威がガタ落ちだしね。

相手がその時点で本気で軍事介入すれば敗北した可能性が高いって意味で、ヒトラーの
ラインラント進駐みたいなもんでしょ。
後年、あの後の48時間程長かった事が無いと当人がね。

逃げるしかないけど、逃げたらナチス政権はすぐさま崩壊だろし。

308 :
私婚問題といって徳川の落ち度として取り上げたことが間違い
婚姻問題は秀吉の落ち度でもあるのだから
大名間の婚姻は朝廷の官位問題と同じで放置すれば政権が回らなくなる事案
一つも破談してないことから前田は現実が見えていると考えていい

309 :
>>308
歴史って後から考えれば意味が明確ですが、その時点で当事者が良く解って無い事が
良く有ります。

ヒトラーのラインラント進駐の意味は、対フランスの要塞群の建設「ジークフリート線」を可能に
する事に有りました。
東のチョコスロバキアやオーストリアやポーランドに攻め込む時、フランスが即座に西部戦線に
攻め掛かれば如何考えても負けます。

で、ある以上ヒトラーが命じても国防軍が動くか謎に成る訳でね。
軍事介入しても、ジークフリート線を抜くのに大損害が出るって脅しがその後のヒトラーの政治的な
資産に成る訳です。

清須って、東海道方面の豊臣家の事実上の本拠地ですから。この人と姻戚って東海道の豊臣恩顧を
切り崩して防衛線を無効化するって宣言した様なもん。
徳川軍が自由に畿内に介入できるなら対抗出来る勢力はない。

310 :
>>308
>婚姻問題は秀吉の落ち度でもあるのだから

何を朝鮮人みたいな事言ってんの?

311 :
>>309
徳川は豊臣の筆頭大老で自由に機内の政治に介入してますがな
なにがラインラントでジークフリードだ馬鹿馬鹿しい

312 :
>>310
大名間の婚姻には秀吉の許可が必要だが秀吉死後のことは明言しておらず放置したまま秀吉は死んだ
これは朝廷の官位問題も同じ
遺言したと解釈するなら政務を任せた家康にだが、それでも揉めて私婚問題として騒動になった
秀吉の遺言が大雑把すぎた

313 :
そもそも御掟からして秀次事件の後に出された弥縫策だもの

314 :
ついでに言えば私婚問題は基本的に家康を批判した側の屈服で終わっている。
家康の進めた婚姻は何一つ中止されておらず、前田利家は大名間の婚姻の許認可権が
家康に有ると認めたといえる。

315 :
>>302
福島は東軍に付いたから改易程度で済んだと言える
秀次は聚楽第に乗り込んだ三成たちに謀反人と糾弾され、無抵抗で降伏したが
結局は妻子もろとも殺された
福島も三成を殺さなければ自分が妻子もろとも殺されると危機感を抱いていた
子孫の命を守ったという意味では、福島が東軍に付いたことは正解と言える

316 :
だれが福島をRんだ?

317 :
そりゃ誰かが許認可権持たないとな
大老奉行の合議制とかは一番有り得ない
異なる派閥や思惑が交錯する10人もの船頭がいたらまとまる話もまとまらない
だれかが一手に担って決めなければ
やはり適任は家康であったろう

318 :
>>311
徳川軍が自由に東海道を通行できるか如何かは大問題でしょうに。
東海道の豊臣恩顧は清須を本拠地にした縦深陣地に見えますね。
彼らが居城で籠城抗戦すれば、如何に徳川が大兵力でも簡単には近畿に軍事介入できない。
そして、徳川嫌いで有名な上杉が会津に存在してるって配置。
書いてて気が付いたけど、豊臣時代の徳川周辺の大名配置ってベルサイユ条約でのドイツ周辺に
似てるね。

319 :
>>314
前田と和解したって事は、その時点では無効が条件だったはずですよ。
何度も言うように、東海道の豊臣恩顧と徳川の婚姻認めたら、太閤が考えた防衛線が無効化
されてしまう。
前田利家が秀頼に忠誠心持ってたのなら、これを条件にしない訳が無いです。
時間稼ぎして、利家が死んだんで抜け抜けと蒸し返したんじゃないだろうか?

320 :
>>318
読んでて気付いたけど、君の例え話はいつも的外れだし解釈は斜め上だね

321 :
>>319
>太閤が考えた防衛線
本当に警戒してるなら、んなもん考える前に二位三位足しても追いつかないくらいの石高家康に与えてんじゃねーよ
>前田利家が秀頼に忠誠心持ってたのなら
忠誠心が利家の行動原理だと断定できる根拠が無い
批判喰らっても誰かが解決しなきゃいけない問題に家康が動いたから
そこに付け込んで政争を有利に進めようとしただけとも考えられる

322 :
>>318
筆頭大老の政治を東海道の大名が結託して妨害してたら政権自体が成り立たんよ
キミ、アホちゃうか?

323 :
見てて気付いたけど、アホに構うやつがアホだぞ

324 :
相変わらず例え話が言い負かされると構うなマンが現れる
何度目だコレ

325 :
>>922
ヒトラーが独裁者足りえたのは、親衛隊とかの自分個人に忠誠を使う私兵を持ってたからでしょ。
国防軍は、忠誠の対象がドイツと言う国でヒトラーじゃないですもんね。
家康個人に忠誠誓う軍隊を自由に畿内に入れられたら、豊臣家なんて飾りに成るじゃん。

326 :
>>325
間違えた
正確にはこの安価は
>>322
ですよ。
まあ、早い話が豊臣軍なら大阪攻めろって言うても拒否する可能性有るけど、徳川軍なら家康個人が
忠誠の対象だから何でもできる。

327 :
きっと>>321の指摘にも答えてくれるんやろなあ

328 :
>>325
逆。独裁者に成ったから私兵を組織できた

329 :
>>328
突撃隊で調べたら如何かな?
ナチス党の私兵で「元々は演説会場警備隊だったらしい」、政権掌握前から存在し様々なテロ行為を
行い政敵を威嚇「まあ共産党も同じだし当時のドイツの政党は全て私兵持ち」してた。

ナチスは確かに合法的に政権掌握したかも知れんけど、国防軍より規模が大きい突撃隊って私兵を
ナチスが持ってた事も大きい。
大体、共産党の私兵と勝手に争い死者多数とかだったんだからさ。

政権掌握後、幹部のレームが自分達をドイツの正規軍にしろって要求して粛清されたくらい強大。

要するに、自衛隊は国の軍隊だから総理が独裁者じゃ無いんで、自民党軍とかが有ったら
他の政党はお飾りだろ。

中国の状況がそれで、人民解放軍は中国共産党軍で国軍ではない。

330 :
「ヒトラーは親衛隊を作ったから独裁者になれた」
なら
そんなもの無しに秀吉死後に畿内で政権を運営していた家康は大方の諸侯から正当な運営者と認められていたってことになるだろ
例え話クンは自説の真逆を得意気に語ってなにがしたいんだ?

331 :
触んな

332 :
>>329
いいか馬鹿、突撃隊を組織できたのはヒトラーがナチス党の独裁権を握ってからだ。
親衛隊が国家的組織に成り得たのはヒトラーが国家権力を握ってからだ。
暴力機構はあくまで政治権力に付随するもので、逆は無い。

333 :
「清須」「ヒトラー」←NG推奨

334 :
上杉との問題はあったが、堀は西軍に組みするべきであった

335 :
組みするww

336 :
>>335
ww
ワルックス ワラワラ w

337 :
>>334
オメーが言うなドアホ

338 :
>>337
死んで改易って悲しいよ

339 :
>>330
私婚問題で、大阪伏見の睨み合い成った時の徳川の増援はその後も畿内に居たみたいだよ。
加賀征伐は、畿内に存在する徳川軍の脅しが可成り影響してるみたい。

つかさ、豊臣家の大老なら豊臣家の旗本に護衛されるべきで、私兵を上げてる時点で。

>>332
ヒトラーが入党する前のナチス党の勢力とか理解してますか?
党員数十人だし、アクティブに活動してた人は更に少ないですよ。
そして、入党してからはヒトラーの個人演説会が党の主な収入源になってますからねえ。

右翼政党って建前の、ヒトラー主催の演説芸を見せる劇団みたいだったのが初期のナチス。

元々は、ビアホールで煽動演説して楽しむサークルみたいなもんだったんよ。
そこに、天才的な煽動演説芸を見せるヒトラーが入党した訳。

ヒトラーは独裁権くれないなら辞めるで充分脅せる立場。

340 :
まだ30代の秀政が突然死んで元服したばっかりの若君を支えていかなきゃいけなくなって大変だったのに年貢泥棒だよ
三成がちゃんと話を聞いて取り成してやれば西についたかもねー

341 :
何も決められなくなれば良いの行き着く先は力ある者の支配と派閥化なんだな
現代ですらそうなのに独裁者がいなくなった不安定期ならなおさら

342 :
関ヶ原の戦いの後に死んだ大名が多いのは何故だろう

343 :
>>342
家康からの暗殺指令

344 :
>>342
まるで関ヶ原前はみんな長生きだった、みたいな考え方やね

345 :
そりゃあ柳生一族の暗躍でしょう
特に加藤清正の死因なんて「へうげもの」や「捨て童子松平忠輝」といった名だたる一級史料のほとんどが
柳生の仕業であると記録してるんだから
史料厨ですらこれは否定できない史実と認めざるをえないだろう

346 :
自演乙

347 :
面白くもなんとも無い。東軍厨はつまらん。

348 :
宗茂が本戦に参加してたらどれだけ獅子奮迅の活躍をしただろうな
福島・黒田辺りは蹴散らしただろうな
家康本陣に突撃くらいはできそう

349 :
>>348
来れたとして
どこに布陣するのだろうか

350 :
>>349
大津攻略が早く終われば
宇喜多・大谷の間から元康と合わせて15000が福島藤堂に襲いかかる
さすがにこの勢いには観念したのか
小早川も寝返らずになだれをうって東軍に襲いかかるわ
てか京極が寝返らなければな

351 :
>>350
そして吉川は池田輝政に襲いかかる
家康本陣は左翼に回るでしょうね

ぜひ立花宗茂に家康の首とって欲しい

352 :
はいはい今どき宗茂最強説かよホント30年知識が更新されてないな

353 :
それしかすがるものが無い

354 :
まさに老害

355 :
>>339
>徳川の増援はその後も畿内に居たみたい
>畿内に存在する徳川軍の脅しが可成り影響
徳川の増援が畿内に留まった根拠(まあどうせ撤退した旨の記録が無いことくらいなんだろうが)
あとその増援とやらがどれだけいたのか数字を挙げて示して欲しいね
(記録が無い説以外に根拠があるなら当然できるはずだ)
外征で25000、防衛戦ならもっと動員できるであろう前田をビビらせるくらいの大軍だったんやろなあ

356 :
「ヒトラー」もNGだな
バカがバカに構うからつけあがる

357 :
>豊臣家の大老なら豊臣家の旗本に護衛されるべきで
豊臣本家の旗本を他家の護衛にする権限持ってるのは秀頼以外ならせいぜい北政所か淀君ぐらいやろ
関ヶ原でなんで豊臣本家が中立を保てたのかわかってないんやろな

358 :
>>348
どれくらい活躍するかは分からんが
見てみたかったな。

359 :
ttp://gensen2ch.com/archives/80869545.html
【北朝鮮】 豊臣秀吉の朝鮮出兵を非難「野蛮な行為として許せない」

360 :
織田信雄がおとなしく転封に応じて東海道を押さえていれば、あるいは

361 :
>>356
お前がNGだろうが

362 :
↑お前もな

363 :
〜すればよかったの原因作ったのほぼすべて秀吉だからな
むしろ秀吉隠居させて口出しさせなければうまくいったのでは

364 :
朝鮮出兵が豊臣政権の崩壊の始まりだよな

365 :
>>363
秀吉が失脚しちゃうと豊臣政権が崩壊すんじゃね?

366 :
西軍が負けた原因っつーか、徳川の強権になってしまった理由は
秀吉が関東250万石もあげてしまったからだからな。

上方に近いとはいえ、旧領のままだったら、他の有力諸侯も
ビビるほどの力は持ってなかった。

367 :
×あげてしまった
〇やってしまった

368 :
>>366
確かに関東250万石は油断し過ぎてアホ
それでも秀吉に子供がたくさん居れば豊臣は滅びなかった

369 :
つか秀吉は、その家康とほぼ同等の勢力だった小田原北条氏を圧倒してるんだから、
そこをそのまま貰った家康を恐ろしいと思うわけ無いだろ。油断でもなんでもねえよ。

370 :
朝鮮出兵時、家康や外様から順番に行かせばよかった

371 :
>>370
軍役は地理的に近い大名から前線に行くのがルールであり
それはたとえ秀吉でも無視できることではないよ
朝鮮に出兵するなら九州の大名が最前線で、これに続くのは中国や四国の大名で、次が畿内の大名になる
よく家康を朝鮮の最前線に行かせろという人がいるが、軍事というものを全く理解していない
こういう無知な人間が西軍が勝つ方法を考えるとかしても無意味なことだよ

372 :
そもそも唐入りは成功前提の計画であり、
西国や子飼いの大名に中国のおいしい土地を与えるって計画だから
小田原征伐で活躍してたっぷり褒美をもらってる家康を
最優先で行かせる必要が、秀吉視点微塵もないのよね
家康に10万以上の軍の指揮権を与えるという経験を積ませるの?って話でもあるし
家康渡海させるなら格と地位、立場を考えると総大将しかありえんからな

373 :
じゃあ秀長が生きていれば

374 :
関東は名人に任せるつもりだったって話あるよね
死者への手向けに盛ってるにしても家康に丸投げにはならなかったのでは

375 :
いやあ堀秀政って死んだとき北ノ庄18万石程度でしょ?
それでいきなり関東まるまるは家の経験実力的に到底無理だし北条征伐の論功行賞としても他の諸侯とで差があり過ぎる
10倍以上の加増だぜ?同じ北条征伐なら徳川家のほうがむしろ戦功第一と言われてるのに
徳川堀で分割統治といっても旧領の規模からしてやはり徳川は200万石近くは与えなきゃおかしいし
堀はよくて倍増もらえばいいほうでそれでも徳川との差は歴然過ぎる
それに何より政権の課題として中央の眼が届きにくい東国で睨みをきかせる強力な大名を関東に置く必要があったということ
堀に与えるはずだった説は何が典拠なのか知らないけど、非現実的な気がするし
「太閤の恩がある堀が関東にいれば」的な後付け願望だと思うけどな

376 :
堀秀政生前から家康の関東入りは決まってたわけで本当だとしてもせいぜい上野に入るとかその程度でしょ。

377 :
>>368
せっかく北条を倒したのにあれではなんの意味もない

378 :
>>369
それを潰すのに徳川含め総力戦で苦労したのに徳川が変心して敵になったらとは思わなかったのか、そこが不思議。

379 :
>>372
それはそれで危ないな。でもその前に北条から接収した領土は徳川家以外にも与えて分割して与えるくらいで良かったと思う。

380 :
残念でしたね(^^)

381 :
>>376
堀も加藤清正みたいに殺されたのだろうか

382 :
堀が38蒲生が40
元々病弱って話はないよね

383 :
本能寺後に秀吉にとって目障りな織田重臣が揃って亡くなった分の帳尻としか
堀と蒲生の早すぎる死

384 :
>>382
蒲生は30代前半で死んでる

385 :
氏郷の話なのか秀行の話なのか
定秀や賢秀はそこまで早死にでもなかったと思うが、氏郷の母親の神戸の血があかんかったのかな

386 :
陰謀論なら本能寺も秀吉怪しいって話になるな
てか堀って秀政以降も若死に続いてんだからもともと短命家系なんじゃないの?

387 :
今度は堀君のチンポコをしゃぶってんのか?w

388 :
家康を九州に移封は無理?
そして半島への先鋒を務めさせる

389 :
蒲生の早死には伊達家名物心尽くしの膳のせいだろうな

390 :
>>388
東北仕置どうするんだよ定期

391 :
>>386
お父さんは長生きなんだよ
孫と同じ年に死んでる

392 :
浅野幸長も殺されたのかな

393 :
織田系の大名は加増転封されると頑張りすぎて過労死しちゃう印象

394 :
歴史上は大往生とされながら実は他殺、なんて大名も何人かいるんだろうな

395 :
三成が50万石くらいあったらどうなったろう?

396 :
秀吉在世中に北九州に100万石の話はあったらしい。
しかし、三成が断ったとか。司馬の小説で。
秀秋を改易でもするのか?

397 :
>>396
北九州だと大領でも左遷?
蒲生も会津じゃ天下を狙えないって悔しがったんだっけ

398 :
>>396
史料スレの>>177の史料に書いてあるだろう

399 :
>>396
慶長の役で朝鮮まで行って必死に戦っている武将には何の恩賞もなしで
慶長では戦闘どころか渡海すらしていない三成には100万石への加増話とか
もはや戦うのが馬鹿馬鹿しくなるだろ
石田派閥以外の西軍大名が関ヶ原で戦いたがらなかったのも当然だよな

400 :
>>395
750万石あっても裏切られて家康に負ける

401 :
>>399
切り取り次第であろう
明智光秀の苦悩ほどではないだろうが

402 :
有楽がなくなった場所が有楽町なんだ

403 :
秀吉に対して抱いてた不満を三成にぶつけるの当然だよな
恩はないのかと言われても人間そんな単純じゃない

404 :
>>403
恩はないのかと言われても、秀頼本人が直接言うならともかく
豊臣一族でも何でもない三成に言われる筋合いはないだろ
秀吉の恩を主張していいのは秀吉の家族だけであり
赤の他人の三成が主張するなんて何様のつもりだということになる

405 :
>>399
石田派閥の軍監に加増したのはまずかったよな…

406 :
>>405
ごめん朝鮮出兵と加増は関係無かったかも

407 :
増田長盛が豊臣蔵入地からの兵や軍資金を断ってたってマジ?
これがあれば西軍にも有利だったかもしれんな

408 :
関ヶ原駅の看板?に
平塚某というどうでも名前が出てるのはなぜだ?

409 :
子供のころは三成偉い!とひどく同情し、正則らを憎々しくおもっていた。
しかし、おとなになって、いろんな経験も積んで感じるのは、
三成糞むかつくやつってことだ。


大人になると、正則らの気持ちが理解できる。

410 :
三成は、義侠心なんてもってない。
自分のポジションを守りたかっただけ。
そのために、秀頼を利用した。


まさに当時正則らが考えたことと同じ結論にいたった自分がいる。

411 :
まあ現在じゃ三成も巻き込まれ説有るので何とも言えん

412 :
前奉行で実権ないのにでしゃばりすぎ

413 :
>>409
大人は歴史上の人物に糞ムカつくなんて言わない

414 :
>>413
ああそうだね。
超イラっと来るわ!とはいうかね。

415 :
でも、ほぼ当時のみんなが、こう思ってただろう。

太閤死んだのにどうしてあいつが一人
でしゃばってるの?
新しいボスは、総選挙してもう一回決めようよ、、と。

416 :
関ヶ原の勝敗うんぬん言ってるけど
そんな話所詮ゲームなわけで
不思議なもので
最も妥当な結果にその後のリアルの歴史がながれていったというところは
感心する

417 :
どう考えても
あの時点で
ポスト太閤は家康だもんな
実際そうなった
歴史は正直だよね

418 :
だから今
安部の一強だっていうのも
安部が最強だからなんだろうね

419 :
物事が決まるにはそれなりの理由がある
偶然はあり得ない
すべて必然である
ということだよね

420 :
まずは落ち着け

421 :
>正則らを憎々しく思っていた
から
>三成糞ムカつく
と真逆に振れただけで成長もしてなきゃ大人にもなっていない
輪っかの中で走ってたハムスターがフト右から左に見る方向を変えたというだけのこと
普通の大人は400年も前の歴史上の人物にそんな感情的にはならない

422 :
あ、ガイジが出たよ♪よよいのよい♪

423 :
>>418
安倍の字もわからないとか障害者かよ
ちゃんと義務教育受けたか?

424 :
>>411
普通に考えてたかが19万石の三成が主導で挙兵はおかしいし三成の挙兵に賛同して動いたにしては毛利の動きが前から準備してたのように素早いから主犯は毛利という説には納得できる。

425 :
>>418
安倍のこと?

426 :
>>423
阿呆の阿に部分の部で阿部とかいってるやつもいるな。

427 :
>>417
どう考えてもかどうかはわからんが近いということは言えるな

428 :
織田信雄が健在だったら織田家に盟主が戻ってたかも

429 :
信忠が健在だったら、、、

430 :
鶴松がもっと長生きしてれば…

431 :
今川義元が桶狭間で倒されなければ明日

432 :
秀長が家康と同じくらい長生きしてれば
豊臣の天下はゆらがなかったでOK?

433 :
秀長はむしろいい時期に死んだと思う
長く生きてたら秀頼を脅かす脅威になると思われて秀吉の猜疑心が秀長にも向くことになったろう
叔父と甥の骨肉の権力争いなんてそれこそ壬申の乱の昔からよくある話だからな

434 :
秀吉の事だから秀長も殺されるかもな

435 :
そもそも秀長が秀吉に重用されていたかって言うと非常に疑問だしなあ

436 :
>>433
養子を取ったら後で実子は昔から良く有る話ではある。
ほんの少し前の南部氏でも、娘しか生まれないから一族から婿取るかでやったら
実子産まれて御家騒動してるし。
ま、南部の御家騒動は実子の方が敗死したみたいだけど。
秀長は疑われないのでは?この人疑うなら信用出来る奴居ないよ。

437 :
>>417
誰が考えても徳川が危険って事は、反徳川連合が産まれる可能性大って事だ。
敗北して負ける可能性其れなりに有ると思うんだけどなあ?

ディアドコイ戦争とか知ってますかね?
誰が考えても最有力だった、帝国宰相のぺルディッカスに対して他のディアドコイが連合組んだ。
そんで、見せしめにエジプトのプトレマイオス攻めたら失敗して部下に暗殺された。

家康も、結講危ない橋渡ってますよ。

438 :
>>437
豊臣政権にとって危険=自家にとって危険
というわけではない
徳川と反徳川を比べてどちらが自家にとって有益か、あるいは危害が少ないかで人は動くものであって、
せめて比べるならデアドコイ戦争などではなく現実に反徳川として矢面に立つ可能性のあった人物や集団としていただきたい
あなたが言っていることは「道を歩けば車に跳ねられることもあるだろう」という低い可能性を拡大解釈した詭弁に過ぎない

439 :
お家騒動起こしたら改易するからなと警告しても度々起きるんだから
未熟な秀吉がやらかさないほうが可能性低い

440 :
>>437
お前が頭足りてないのは分かる

441 :
ペルディッカスはじめとしたマケドニアの後継者たちと家康は根本的に違う。
家臣として育って自前の領地や家臣団を持っていなかったディアドコイと
家康の様な独立勢力から政権に投じたのでは脚元の安定感がちがう。
ペルディッカスに比べるべきは寧ろ三成はじめ所謂五奉行の方だろ。

442 :
なんかスレのながれが本題からどんどんそれてってるんだがみんな飽きて興味が失せてしまったか

443 :
>>432
それを言うなら秀吉自体が長生きしてれば

444 :
もし家康が秀吉より早く死んでたら秀忠は秀吉の仕事親父と同じ事はできただろうか?ほとんどの人は無理だというだろうが

445 :
間違い秀吉の死後

446 :
青汁飲んで健康になった人つかまえて
この青汁飲んだらみんな健康になりますよ
レベルの詐欺CMと同レベルの話してるやつに説教してもわかるわけないやん
論理がわかるだけの知性がないんだから

447 :
>>158
後をついだ両川が秀秋、広家などという西軍にとって最低のクソだったという

448 :
>>444
その場合は徳川家が削減や分家を立てられて弱体化しているかもしれんから同じ仕事は無理
ドングリの背比べ状態になって第二次戦国時代に突入かな

449 :
能力的には秀忠充分あるけど
この時代若いだけでめちゃくちゃ舐められるしな
とはいえ生前から秀吉自体が明確に秀忠を徳川家の後継として遇してるから分家といった形ではなく、あの若輩の言うことなんで聞かなあかんねんにはなるかもしれない

450 :
>>438
何故例に出したかと言うと、ディアドコイ達は中央集権派と地方分権派に分かれてるからだよ。

大王領全部取る気の奴と、一分をかすめて独立政権派で混戦だからね。

家康は関東に引きこもり狙いでは無くて、全部取る気なんだから地方で半独立狙う大名からすれば
潜在的な敵だよ。

451 :
>>449
豊臣家が生き残るにはなんとしてでも秀吉が長生きしないとダメだったんだな。80まで生きてたら一応家康が先に死んでたわけだが、現実には家康との寿命勝負に負けた。60やそこらで死ぬのは早いよな。

452 :
>>450
自分に都合のいいケースを歴史上の数多の中からつまんで出してくればどんな詭弁でも成り立つと言ってるんだよ
アンタはいい加減に自分の馬鹿さを理解して関ヶ原戦役を正面から見る努力をしろよ。デアドコイじゃなくてさ

453 :
少なくとも奉行5人のうち、石田と増田あたりを秀吉存命時に放逐しとけばあんな豊臣の名に泥を塗って公儀としての力のなさを世間にしらしめる状態にならず
家康がちゃんと豊臣公儀としてまとめ続けてくれたやろうね

あとは単純に秀頼を少なくともまともに教育してれば
とはいえこれは秀吉自身が甘々に甘やかしてたしな

454 :
>>453
溺愛してるのがわかる手紙がニュースになってたよね。あれはなかなか珍しい。

455 :
>>453
西軍が起きなかったら、そのまま家康が有力者排除して
天下取っただけだ。

家康が豊臣の臣下として働いたとか
どこの大学出たら教わるんだよ馬鹿が。

456 :
どこのバカなら他人にいきなり喧嘩吹っ掛けてくるんだ?
どこの大学も出れてないのか?

457 :
>>455
確か、福島正則とかに出してる手紙を解説してる本を読んだ事有るよ。

最初は意外なほど低姿勢で懐柔してるのに、勝利確定すると豹変だもんな。
まあ、覇者の心理ってああいう物かもね。

ヒトラーの演説とか思い出した、数限りない程嘘吐きで信じられない程に人騙してるんだけど...
記録動画とか見ると、信じてしまいそうなのが怖い。

458 :
自分の根拠のなさを散々指摘されてるのに無視しくさって悦に入り続けてるだけのやつのがよほど問題やろ

他人のナチスっぷりを疑う前に自分の狂信っぷりを疑う程度の理性を持てよ

459 :
>>458
ヒトラーやナチスの場合は、戦後機密文書とか公開されたんで、あの時点でこんな事言ってたけど
既に影でこんな事言ってました、既にこんな計画建ててました的な答え合わせ出来る所が面白い。
再軍備、ラインラント進駐、ミュンヘン会談、こういう節目節目で、意外な程ヒトラーって平和平和なんだよな。
チェンバレンが聴きたいだろうなあってセリフを、クリティカルで囁いてる。
でも、機密文書見ると、最初から騙す気でやってる事が丸わかりで笑うよ、ドイツが敗戦しなければ永遠に
公開されなかっただろうけどね。
まあ、ポーランド侵攻でも英仏は宣戦布告しない予想で焦り捲りとかは笑うけど。

460 :
びっくりするほど知ったかだな。つか2,30年前の知識から一歩も進んでない。

461 :
知識の更新は難しいのはある程度理解はするが
ここまでくると更新する気がそもそもない、老害と言われるべき状態やね
そもそも会話が成り立ってるようで成り立ってすらいないし

462 :
池沼をいじめるな

463 :
その池沼例え話くんが自分から車道に飛び出してくる当たり屋だからどうしようもない

464 :
新しい知識に臨機応変に順応できない所を見ると、職場でもそうだったんだろうなぁと想像できるな

仕事のできない奴だったんだろうなぁ

465 :
まーた単発IDが自演かよ

466 :
俺も西洋史好きなんだが例え話君が険悪なムードを作るからやりにくいわ

467 :
気に入らないなら聞き流せばいいのに
一部が過剰反応してるだけだろう
険悪なムードを作ってるのはレッテル張りや否定ばかりしてる連中の方ですよ
レスとしては例え話の方が面白い

468 :
なぜか口調も違う相手を自演と言う学歴コンプレックス君がいたけれど
普通はたとえ話レベルにわかりやすいのくらいの相手じゃないと自演とは言わないんよね
あるいは自分が普段から自演し慣れているから相手もしてるに違いないと思い込んでるやつか

469 :
>>467
臭すぎるよ、頭悪いのかな?

470 :
>>467
そもそも例え話のチョイス自体微妙なのは抜きにしても、
「部分的に類似してる事例としてこんな話もありますよ」だけならまだ分かるんだけどね
部分的な類似点を以て全体を無理矢理重ね合わせるやり方はバカにされて当然だわ

471 :
>>455
それは秀頼が自分の意思で判断するべきことであって、三成たちが勝手に判断することではないだろ
家康と戦うかどうかなんて豊臣にとって何にも勝る最重要問題なのだから
成人した秀頼の確かな意思の下で加藤や福島を含めた多くの家臣の意見を聞きながら判断すること

三成たちが勝手に判断して勝手な暴走をすることは豊臣に対する謀反でしょ
だから東軍が三成たちを豊臣に対する謀反人として処罰することは当たり前だよ

472 :
>>471
家康って人を若い時から調べて言えるのは、途轍もなく乾いた人って事なんだよな。
人間って、普通は如何しても過去の恩義や義理に縛られるもんだし、身内を見捨てる決断なんて
簡単には出来ない。

でも、家康が今川から独立を決めた時は、正室と子供二人が人質に取られてました。
実際には、家康が今川の有力武将を捕虜にして人質交換で取り戻したけど、普通はそれ以前の段階で
今川に切られてる「大体その時点で今川の城攻めてるもん」方が普通でしょう。

正室の親父「信康の外祖父」は切腹させられてるから。
家康は、こんな決断を計算ずくで出来る人なんだよね。

信康を見捨てた話も有名ですよね、家康はこういう決断も出来る人。

こういう人が、秀頼に感傷なんて持つ訳が無く、あの結果は必然でしょ。

473 :
大体さあ,、奸雄と言われてる曹操ですら、後漢王朝に対する感傷を少し感じます。

曹操の祖父の曹騰は順帝に少年時代から仕えた超大物宦官でした。曹騰の没年は記録に無いですが
少年時代の曹操は面識有ったんじゃないでしょうか?

家柄からして、曹家には順帝から下賜された宝物が有っても不思議じゃ無い家柄ですし、幾ら曹操でも
後漢王朝には感傷が少し有った気がします。
曹操は、有る意味後漢王朝の譜代の家の子ですからね。

でもさあ、家康ってのは、そういうのとは全然無関係の乾いた人にしか見えないですね。
寧ろ、以前頭を下げた屈辱を消すために...とか考えそう。

秀頼を消すことに後ろめたさとか感傷とか全然ない人だと思いますよ。

今川とか、北条に対する扱いみればね。

474 :
>>473
うんち!

475 :
思いますを繰り返されてもな

476 :
例えに三国志を出す奴は間違いなく痴呆

477 :
論理ってものをそもそも理解できてないやつやから誤謬という概念もそもそも理解してないんやろな
ほんとただただはた迷惑な荒らし

478 :
例え厨さんは老害さんですね

479 :
秀吉にとっての信雄、秀信
信長にとっての斯波義銀
曹操曹丕にとっての献帝
大坂の陣の時の秀頼のように徹底して次期権力者の顔に泥塗りまくった奴がこの中にいるか?
今川?じゃあ信玄が遠江まで独り占めするの指くわえて見てればよかったのかな
北条?じゃあ小田原攻め直前になって今更秀吉に反旗翻して北条に味方するのが普通なのかな

480 :
先生!
三國志さんに表記される憤死が意味わかりません!
血管切れて死ぬんですか?

481 :
西の丸に釣り天井を仕掛けておき
家康を串刺しにするのじゃ

482 :
どういう訳か石田三成が吊り天井の下敷きになり死亡

483 :
仮に諸葛孔明が西軍にいてもどうにもならなかった、、、、かな?

484 :
そりゃ言葉通じないからね

485 :
松永久秀が生きていて西軍についたら凄絶に大阪城でボンバーやってくれる

486 :
>>485
茶釜持って爆死でしたっけ

まてよ 関ヶ原の戦いの前に炸裂弾があったのか

487 :
>>486
焙烙玉は海戦兵器としては普通に存在したし、
”てつはう”は鎌倉時代から、地雷は伝説的には三国時代からあるだろ

488 :
マジレスするのもあれだけど
松永の爆死は天野氏がWW2後にできた創作と指摘してたろ

489 :
マジレスするのもあれだけど
松永の爆死はWW2以後にできた創作と天野忠幸氏が指摘してたろ

490 :
松永の爆死はWW2以後の創作ってかなり有名やと思うが

491 :
おっと、書き込み成功してたか
何度も書き込み失敗と出てたから文字のどこが引っかかったのか書き換えて書き込んでたが
連続レスになって申し訳ない

492 :
偽松永不発嵐w

493 :
他板でもちょくちょく多重書き込み見るから2chの鯖がおかしいかもしれない

494 :
松永の手榴弾部隊が三成に味方して
黒田細川をぶっ飛ばす

495 :
松永久秀、明智光秀、石田三成
突発的に謀反を起こして暴走の果てに死んでいく制御不可能な戦国3大危険人物だな
こういう管理不能な人間を入れれば組織が崩壊するのも当然だろう

496 :
ほんと30年前から何一つアップデートされてないんだなお前

497 :
>>471
6歳の子供に自分で判断しろって草生えるわ

498 :
>>497
それな。判断能力の無い六歳児の代わりに能吏で名将でイケメンな豊家の忠臣石田三成様の言葉を絶対とするのが当然なんだよな

499 :
>>497
秀頼が成人するまでは家康が代理で判断する仕組みに秀吉が決めたのだから
その家康と戦うというなら秀頼が自分で判断するしかないだろ
少なくとも三成が判断する次元の問題ではないな

500 :
>>499
家康が代理なんて遺書に書いてねーよカス
三成は年寄だから彼等が考えて家康と利家が
決めるってだけだボケ

501 :
>>499
漢の高祖の真似で良いだろ。

高祖「異性の者が王に成ったら皆で挙兵して討て」

秀吉「自分一人の花押で文書だす馬鹿が出たら、皆で挙兵して討て」

502 :
>>500
いやいや何事も家康と利家に相談しろってんだから
謀反を起こすときも相談しなきゃ駄目だろ

503 :
家康に惣無事任せてるって遺言もあるよな
浅野家文書のほんと都合のいい部分しか見ないからとんでもなく偏った見方しかできてないだけで
普通に秀吉没前後の関連文書読んだら誰に何を任せてるのかわかるのに

504 :
>>487
棒火矢があればなあ

505 :
結局秀吉の遺言内容は「家康が政務全般、利家が秀頼の守り、後はその二人の補佐、以上。」
なんだよなあ

506 :
なるほど
なら婚姻の許可を出す役目も家康の担当だな
むしろ家康を補佐しろという遺言を破ったのは西軍の奸賊共だといえるな

507 :
私婚問題は秀吉死後の十人衆誓紙に対する違反だからね
だから縁組を破談にしたり遺言で保証された家康の地位を否定するところまではいかなかった

508 :
見せるだけって
小学生の低学年くらいが先生怒らせる気満々で
せんせー問題できたら見せてねって言ったじゃーん、はい見せたー
ってやるのと同レベルで草

509 :
>>505
だから、この場合の傅役って事実上全部丸投げ位強力に見えるよ。
利家との関係は豊臣子飼いなら皆知ってる事ですからね。
「その気なら乗っ取ってもいいよ、その代わり秀頼の身が立つようにしてね」くらいの感じだと
思う。
丁度、劉備の遺言みたいな感じ。

510 :
>>509
> この場合の傅役って事実上全部丸投げ位強力に見えるよ。
みえねえよ

511 :
秀吉と利家との関係?勝家裏切ったこと言ってるのかな?

512 :
前田が西軍の中心になればまた異なる展開になっていたかも

513 :
その前田を陥れたのは奉行

514 :
十人衆誓詞って三成の主導なんだっけ?
この誓約と秀吉の遺言覚書との整合性は当時どのように認識されていたんだろう
明らかに遺言覚書の趣旨を踏みにじるものだったが止むを得ず家康も同意したのか
遺言覚書で明文化されていなかっただけで当時の共通認識だったものを改めて明確にしたものだったのか

515 :
>>510
良く、前田の所領は80万石で250万石の大所領持つ徳川と対抗できないって言う人が
居ますが、姻戚関係見ると飛んでも無い大勢力ですよ。
宇喜多秀家57万石の正室は、太閤の養女にして利家の実の娘の豪姫です。
他にも、浅野や細川とも縁組が有り、太閤死去時点では実質150万石以上だと思いますね。
この上更に秀頼の傅役ですから、利家が許し難い討伐軍送るって宣言すれば家康だって
勝てる訳ない。
後三年寿命あれば、家康の出る幕無いでしょう。

516 :
まーた思う思うの感想文垂れ流しかよ
懲りねぇなぁ
一度真面目に病院で精神障害の検査受けた方がいいぞほんとに
明らかに論理的な判断能力が欠如してるから

517 :
>>515
問題は利家がそのような決断できる経歴でなかったことだな

518 :
利家が大名として自力で戦ったといえるのは秀吉に下ってから佐々と戦っただけの短期間
武田北条羽柴と渡り合った家康とは雲泥の差
利家はすでに病気だったようだし信玄が長生きしてればみたいなもの
死ぬのは確定

519 :
>>518
武田と北条には完全な負けだぞ。
渡り合ったとか嘘っこ武勇伝良くない。

520 :
>>519
どういうところが完全に負け?
信玄に三方ヶ原で破られはしたが滅ぼされもせず10年以上も対峙してるし
北条にいつどこで負けたのか、小田原征伐以外で直接やり合ったのは天正壬午の乱のときくらいだが
負けるどころか戦略的勝利とも言える和睦で甲斐信濃領有を確実にしていて到底敗北とは思えないんだが

521 :
>>514
直接どう認識されてたのかって書かれてる書状は知らないなぁ
勅使が秀吉病気時から家康邸を訪れたり
秀吉生前から政治的決定へ再考を促すことができてるのが家康、利家、北政所だけだったり
席次官位縁戚から推して知るべしってところじゃない?

522 :
>>520
おまえとは話してない、>>518の ID:VE4iib3l
と話してる。

523 :
>>522
ああ、反論できないんだね(笑)

524 :
呼ばれてる気がした
>>519
勝ち負けじゃなくて渡り合ったと書いたんだが
武田は三方ヶ原では勝ったが信玄の死で徳川に粘られ紆余曲折はあったが家臣団の大半が徳川に吸収された
北条も徳川の甲信支配を認めざるをえなかった
勝ち負けでいうなら家康の粘り勝ちじゃないか

525 :
>>509
だから、この場合の傅役って、「古い友人に華持たせてやるか」程度の名誉職的な意味合いに見えるよ。
中国の歴史書なんか読んでると、皇帝の教育係に祭り上げられて実権を失うなんて話はよくあるんだよね。

526 :
見えるよ
思えるよ
お前の主観に価値はない

527 :
>>525
>だから、この場合の傅役って、「古い友人に華持たせてやるか」程度の名誉職的な意味合いに見えるよ。


全く見えません

528 :
>>527
見えない理由についての史料的根拠を述べよ

529 :
>>525が頭悪そうな物言いしてるのって、>>509に対する皮肉のつもりで真似してるんじゃないの

530 :
悲しいことにどんどん本題からそれていってるね。スレ主の注意を聞く気もないのかね。

531 :
>>528
>525が史料的根拠述べてるか?中国の例え話してるだだけだ。

532 :
>>527
君は>>510の人と同一人物?

533 :
>>532
違うが?

534 :
>>532
意見が間逆だと思う

535 :
>>533
なんで>>509はノータッチなのかと思ってね
>>509は多分いつもの例え話ガイジで、>>525はその真似をしておちょくろうとしてるだけなんだろうけど

536 :
>>457
前々から思ってるんだけどさ、関ヶ原が起きた後の家康の動きを見て
その前の家康の行動を判定するのって間違ってるだろ
あなたの意見が正しいとすると、人間はどんな事件や出来事が起きても
絶対に認識や考え方を改めることはない事になってしまう
例えば、家康が秀吉死んでから大坂を落城させるまで17年かかってるけど、
秀吉が1573年の時点で、関白に就任して小田原征伐を目論んで動いていた、
なんて言い出すのがいたら私はそいつはおかしいと思うぞ
人間、その人にとって大きな出来事や衝撃的な事件が起きたら
いくらでも認識や行動を改めるものだし、関ヶ原はそのレベルの出来事だろう
まあ何が言いたいかというと、関ヶ原が起きた後の家康の行動を
関ヶ原前の家康の行動の証拠にすべきじゃない、って事

537 :
関ヶ原で豊臣家が「頼うだる」つまり自家の保全と栄えを保証してくれる存在ではないことが露になったからな
豊臣家を主人として立てていても自家の保全に何の保証にもならないって

538 :
>>537
家康が今川と手を切って織田についた理由もそれだよね
今川の傘下にいたのはあくまで松平の立場と地位を保証してほしいからなんだよ
桶狭間の後になおも今川方として行動し続けるとなると、事実上
今川の為に松平はすり潰されろと言ってるのに等しいからな、これでは本末転倒だ
こんなの裏切りと言われたって家康も困るだろう、御家の当主として
御家大事を最優先として動くのなんか当たり前の事なのだから

539 :
潔癖症の女の子見てるみたいだね

540 :
潔癖症では人は死なない、はず
後ろ盾が無ければ滅びる家はある

541 :
わたしは時系列を無視して「家康は最初から謀叛を〜」と言ってる人に対して「潔癖症の女の子みたいだね」と言ったんで生き死にの話しはしてないよ

542 :
>>541
まあ何事も準備が必要だから気が変わったからといってすぐには行動できんがね。秀吉の死で天下が視野に入り関ヶ原後に本格的にいけると思ったという風には見える。誰がその立場でもチャンスがあれば天下を取りに行くものでそのチャンスがきただけのことだろ。

543 :
何で西軍スレなのに家康厨がいんの?スレタイ読めないとか?

544 :
西軍が絶対的な正義でかつ有能ということにしないと家康厨認定されるらしい

545 :
正誤への指摘を好悪だと思ってる時点で論理のろの字も出来てないバカだって自己紹介してるやん

546 :
>>536
ヒトラーの場合、既に政権獲得前に「我が闘争」って著書が出てる。

面白いのは、その時点では真面目に読んでた人のいない所謂「飛んでも本」だったのに
後から考えると大真面目だったって事だな。

自分が権力獲得したら何をするか、何を目的として動くかって事細かく説明してあります。
そして、後年に実際にやった事考えると、一度もぶれて無いんだね。
その上で、その場その場では極めて柔軟な対応「要するに騙し」をしてます。

政権獲得後も1939年のチェコスロヴァキア征服までは、国防軍はナチス政権を潰せる力を
持ってました。
その間、焦らず徐々に力を削いでいく所など見事な物です。

平和平和言いながら、実際には見事相手の力を削ってます。

547 :
家康が最終的に作り上げた体制考えると、構想は相当前から有ったんじゃないでしょうか?

太閤死後、すぐさま諸侯の屋敷を訪問し捲りとか思い付きで出来る事じゃないでしょうよ。
そして、私婚問題にしても、見事に壺を抑えた大博奕ですもん。

伊達は元本拠が米沢だった関係で上杉と険悪だし、豊臣家とも微妙。
福島正則は、東海道最大の要衝の尾張清須城主。蜂須賀は大阪の対岸で大阪城を防衛する
水軍持ち。
こんなん、思い付きでやる事かな?

548 :
>>547
石田が聚楽第に乗り込んで秀次を謀反の罪で糾弾したり、小西が朝鮮での講和に失敗した時点で
家康が秀吉死後の混乱を収拾して天下の舵取りをすることは秀吉も認めた確定事項でしょ
豊臣内部の執権としてやるか外に独立してやるかなんて場所の違いだけでしかない
思い付きも何も数年前から決まっていたことをしているだけ
石田・小西が巻き起こした騒動の後始末をしてあげたのだから文句を言われる筋合いもない

549 :
あほを構うな
いかれてるなーって指さしてバカにしとくだけでええねん
まともな人間として扱うと無限に調子乗り続けるんだから

550 :
とりあえず天下人なんて名誉だけしかない義務の重いものを、誰しもが狙ってるはずというノブヤボ脳なんとかしような

そして秀吉が生前時から家康を政権の首脳にしてる認識くらい持とうな
これすら持たないで秀吉没後語ったって前提の知識足りてなさすぎて鼻で笑われるレベルだべ

551 :
家康の政治力の一定分は本多大久保ら四天王の器量に負うところ大だから
何人か口実設けて遠方に隔離する策無かったか…

552 :
石川数正離反させたろ

553 :
>>551
> 本多大久保ら四天王
本多も大久保も四天王ではない件

554 :
本多忠勝「・・・・」

555 :
敵は小早川〜敵は小早川〜

556 :
>>548
決まってたんですか?

557 :
>>548
幕府開設は秀吉のリクエストであると?

558 :
>>548
>家康が秀吉死後の混乱を収拾して天下の舵取りをすることは秀吉も認めた確定事項でしょ


何か史料に確定事項らしき記述ってありました?

559 :
幕府開設はしてないだろ
幕府を開きますよーと家康が宣言したこともない
後世になってからあれはいわゆる幕府みたいなものだったなと、「幕府」という言葉を後から充てられただけでな
それこそ史料に記述ないだろ
家康はただ征夷大将軍に就任しただけよ
そして征夷大将軍は天皇が任命するんだから
秀吉ではなく帝のリクエストに決まってるだろう

560 :
つまり家康は生前の秀吉に頼まれたとおりに政権運営の激務を忠実に担っていた
なので切り取り次第の世に戻そうとする上杉等の不届き者が現れた場合、政権運営担当者としての義務を果たすためにこれを征伐せねばならない
放っておいたら秀吉から任された役目を放っておく怠慢になってしまうからな、なので会津征伐軍を出立させた
するとその隙に上方でも叛乱を起こす逆賊が現れた、これも政権運営担当者の義務としてちゃんと成敗して叛乱軍を抑え、役目を果たした
そのようにしっかり仕事をこなしてるうちに
今度はその働きぶりを認めた帝から是非とも将軍に就任するようにと頼まれたので受けた
こういう経緯なわけよ
秀吉もかつて帝から関白に任命された男というポジションだったわけで
当然帝>秀吉なわけよ
その帝から頼まれたら当然これを優先しなけりゃならん
家康は従うべき者の命令を忠実に従い続けた忠臣として当然の判断を繰り返しているうちに結局こうなった、というだけの話だわな

561 :
>>547
これから政権を主導していく責任者が自ら諸侯に挨拶回りすることがそんなに異様かね?
礼儀正しくてむしろ好感がもてるぐらいだ

562 :
>>551
それ事実上、徳川家臣団に全国統治の経験を積ませるのと変わらんから
豊臣政権の徳川依存度が上がるだけだぞ(そのほうがマシかもしれんが)
というより、奉行らの仕事や権限が小さくなるようなもんじゃないの、それ?
下手すると、秀吉子飼いが徳川家臣の傘下になっちゃいそうだが

563 :
利家が家康と同じくらいまで長生きしたらどうなってたの?

564 :
利家は出家して見事な高僧になっていたんじゃね

565 :
利家なんて秀吉が無理くり引き上げただけで大分買いかぶられてるよな
独立大名として今川武田北条豊臣ともやり合った家康と渡り合えるだけの才も能も前田家としての実力もないよ、格が違う
賤ヶ岳でもわかるようにギリギリのところで自己保身に走る小物に過ぎない
そもそも信長から勝家の与力程度の器と見なされてたわけだしな
あの時点で死んだから西軍びいきにやたら持ち上げられてるが長生きしたって結局は
賤ヶ岳で勝家を見捨てたように豊臣家を捨てただろうね

566 :
まだ蒲生氏郷の方が家康張りに長生きしていたら異なる展開になっていたか知らんけど

567 :
>>562
隔離配転で旧主となる家康との主従関係をどこまで切り離せるかだね

しかし猿に天寿が少な過ぎた

568 :
小川雄氏いわく
蒲生家は加増転封の際に人手不足から、東国北国の惣無事任されてる徳川から本多政重やら曽根昌世らを転属してもらってるぞ

名将言行録レベルの怪しげな逸話抜きにしたら蒲生は徳川に超お世話になってる縁戚の家や

569 :
氏郷も会津に置かれたのは家康を牽制するためだとか言われるけど逆じゃね?て感じ
むしろ南部やら伊達やら不穏要素がある奥羽方面をにらんだ
東国総督家康の与力として置かれたんじゃないかと
大陸出兵を考えてた秀吉の構想は家康を関東に押し込めるなんてものじゃなく
あくまで実力を認めた徳川家を中心として東国を静謐ならしめることだったと思う

570 :
>>567
秀吉はどうも井伊直政を厚遇していたふしがあるんで、
彼を直江とか伊集院ポジにしようとしてたんじゃないかな
後、六十過ぎての病死なら充分長生きでしょう、少なくとも早死にとは言わん

571 :
とっとと唐入りしたい秀吉は九州みたいに一揆で余計な手間かからない様に信頼できる人物に大封を与え関東東北を任せたわけで
任せた同士が反目し合ってけんか始めたら本末転倒やでな

572 :
石田はどうして馬で佐和山に退却しなかったのか

573 :
石田三成 第10位

574 :
>>573
一位 織田信長
二位 上杉謙信
三位 伊達政宗
四位 真田幸村
五位 徳川家康
バサラの影響パネェなw

575 :
ゲームっぽい面子になったよね。昔の三傑謙信玄プラス政宗時代の面影も残ってるけど

576 :
>>569
その結果家康が力をつけて豊臣家にとって変わる危険性は秀吉は認識してはなかったのかな。

577 :
秀次が失脚するなんてこの時点では思ってもないからね

578 :
唐入りするために拙速でも早く国内を落ち着けたかったんだろう。

579 :
徳川と秀次、領地もかなり近いし九戸の乱でも秀次のサポートに徳川入れてるし
思いっきり次代の後継者のサポートまで任す気満々やで

580 :
縁戚関係を見ても、豊臣と徳川を一体化させる気しかないと思う

581 :
>>562
それが嫌なら責任を家康に被せて死んだ秀吉に言うべきだ
それともキミは家康がふんぞり返っていたら「豊臣家に忠義を尽くしてる」と思うわけか?
キミはこれから政権を主導していく家康がどうしていれば満足するのかね?

582 :
ごめん。>>581は誤爆

583 :
西軍勝利でも乱世に逆戻りの展望しか見えないからどうやっても否定論にしかならんな

584 :
駿府城でかい

585 :
>>581
もしかしてふんぞり返っていたら忠義をつくしてないかな

586 :
>>577
とにかく豊臣家には不運が続いた。秀吉本人の身から出たサビでもあるけど

587 :
>>581
大老筆頭とはいえ家康は豊臣家に臣従という立場なので無断で縁組などせず豊臣家に許しを得るべきかと

588 :
誰の許しを得るんだよ

589 :
秀頼には許可取ってるんじゃない

590 :
>>576
だから色んな可能性を考えて、他の奴に比べたら家康に力与えるのがまだなんぼかマシだって判断したんだろ

591 :
秀吉なき関ヶ原の戦い
豊臣対徳川
三成憎悪なんて関係ないのに
総選挙でもいっていましたねえ
豊臣対徳川って

592 :
家康が天下簒奪したんじゃないってディベートはもういいから。
ここは関ヶ原スレですよ?徳川スレでやってくれ。

593 :
まーた大河ドラマ、もしくはそれ以下のレベルの媒体の話してんのか

594 :
>>592
「家康が何をしていてそれはどういう意味を持つのか?」
それは関ヶ原の本質だぞ
戦場でコマをぶつけ合うだけが戦争じゃないぞ

595 :
>>592
世間一般では簒奪で通ってがね

596 :
>>590
ところが後世猫にかつぶしの番をさせるなどと言われる結果に

597 :
何だ明治政府のプロパガンダにまだ騙されてることを自慢してるのか

598 :
>>589
許可をとってないから前田利家と一触即発の事態になったんではないかな

599 :
>>597
明治政府のプロパガンダとは


600 :
>>583
そういうふうに言われることが多いけど案外適当にまとまってたりしてね。

601 :
>>598
結局前田利家が詫びに来たのに?アホか

602 :
世間じゃ坂本龍馬を討ったのは新選組だし織田信長は3段撃ちしてる神仏も恐れぬ先進性だし

世間じゃ〜〜ほど専門の話で役に立たんものはないねんけど、それを軸に語ろうとする時点で学問の素質がないで

603 :
ときに前田利家は秀吉のような年でなくなったわけだが逆に家康がこの年代で死んで前田利家が家康のように長生きしてたら豊臣家をもり立てて行ってくれたんだろうか?それとも家康のように天下を望んだか?

604 :
>>602
それとこれとは全然信憑性の違う話。例え話さんを笑えんね。

605 :
同じ世間一般でもそれなりに信憑性のある説もある。坂本龍馬を殺害したのは新選組というのは義経=ジンギスカンレベルの与太。関係ないヨーロッパの話に例える人と本質は変わらんね。

606 :
信ぴょう性一緒レベルの話やで
君がろくにも調べてないから信ぴょう性が薄いと認識してるだけやで

ついでに言えば例え話がバカにされてるのは相関関係のないものを相関してると語ってる部分やからね
なーんにもわかってないなら黙って見てる方がまだ賢いよ

607 :
司馬史観がまだ大手を振ってるからな

608 :
一般じゃ〜〜と言われてるっていうのを論拠にしようとした時点で
お前さんは自分がただ噂の話を鵜呑みのするだけのおまぬけさんっての証明してくれただけだから

1れすで済むレベルのどうでもいい言い訳とお前が悪いんですーっていう自己弁護でレス消費されても邪魔やで

609 :
そもそも明治新政府による幕府否定について何も知らない時点で何書き込んでも
「僕は全く勉強もしていないバカです」って言いふらしてるのと一緒だわ。

610 :
ID:xcu1e7Gp
こいつ気持ち悪いな

611 :
>>601
結果はそうかもしれんが衝突の原因は家康の無断縁組のせいだよな

612 :
>>611
いや、家康は奉行衆などに通達している。無断では全く無い。

613 :
>>612
一方的にやりますよみたいなやつかな遺言とは違ったから怒ってったって話で

614 :
wikiでは大老奉行に無断で縁組してるとあるが事実はどうなのか

615 :
>>613
秀吉の遺言違反じゃない
秀吉死後に五大老五奉行で交わした誓詞違反

当然のことだが秀吉の遺言が優先されるので利家が家康に詫びることになった

秀吉の遺言>>越えられない壁>>五大老五奉行間の誓詞

616 :
どちらかって言うと五大老五奉行の誓詞のほうが遺言違反で奉行衆による筆頭大老への脅迫ではあるまいか

617 :
秀吉没後すぐの間隙突かれて遺言無視の誓詞飲まされた家康の、巻き返しが決定的になったのこそが私婚事件とおっしゃってる方もいたなぁ

618 :
https://youtu.be/Ejwuatj4BhQ

619 :
>>596
それが嫌なら豊臣家自体が実力をつければよかっただけ
外様の大名頼りにするのではなく
自分で定めた後継者と一族を皆殺しにして意思表示もできない幼童一人にした挙句
その幼童が成人するまで恩賞も出すな、朝廷の人事も一切動かすななど
私的都合で国政を停滞させるような家に天下人の資格はない

620 :
会津で上杉が東軍を迎え撃ってたらどうなったの?

621 :
上杉が滅んでいた

622 :
>>619
秀吉からすると政略結婚を繰り返した徳川は豊臣一族という感覚なんだよ
そもそも当時の武家で大臣になれるのは豊臣一族だけの特権であり
家康を内大臣に昇進させた時点で秀長さえも上回る豊臣一族待遇にしたということ
豊臣一族たる家康が国政を担うから秀次一族を抹殺して幼児一人になっても
豊臣家が全国統治していることに変わりがないから問題ないというのが秀吉の判断なわけ
だから秀吉本人は外様大名を頼りにしたという認識すら希薄だった
問題は、あくまで秀吉個人の感覚であって三成たちは家康を豊臣一族とは思っていないから
家康が国政を担っただけで外敵に侵略されたと思い込んで暴走を始めたことだろう

623 :
>>622
普通は姻族を一門っていうのは『一応はそう』レベルの話ではあるけどね
ただし豊臣の場合、一門がそもそも壊滅状態だからな
あくまで秀吉の身内に限るなら一門筆頭がガチで秀秋になってしまう
秀家は猶子だし、徳川との関係を考えると秀康の方が格上だと思うし

624 :
だからより強く結びつけるために遺言で淀と家康の婚姻の話も出てたんやろうね、スキャンダルで潰されたけども
秀康についても、格上になりかねないから秀吉生前から気を付けて決して秀忠よりも官位上にならないよう扱われてるし

625 :
1599年に無断縁組について説明を求められた時ご法度を忘れてたとしらばっくれたらしい。秀吉は生前から大名同士の勝手な縁組を禁じてた件についてだがそれなら遺言以前だね。

626 :
家康の力技でまかり通ってしまったが大名通しの無断縁組については秀吉の遺命に背くといのは事実らしい。

627 :
>>615
生前秀吉は無断縁組はご法度といってたらしいが

628 :
ところでこのスレのお歴々に問いたいが高橋陽介氏の主張する秀吉の遺言は家康政権だった説についてどう思われますか?この高橋氏は新説を唱える人らしいがこの説はあくまで新説であり確定ではないですよね?

629 :
>>626
ここの事実らしいってのはなんや
ついでに言うと法度を忘れていたなんて釈明ではなく奉行に通達したのにこの扱いはおかしいやろと切れてるぞ、家康

630 :
また、生きてる間に定められた法と遺言とで変わるのは当たり前やろと思うが
遺言ってワシがしんでまうから今までと規則変えるでーって言うとるわけで

631 :
>>630
ご法度の取り消しはしてないようだが

632 :
取り消すもなにも、無効になるのくらい法度と遺言読めばわかるやろ

秀吉おらんのに政務任されてる秀吉の義理の弟以外のどこの誰に許可取って縁組させるつもりやねん

633 :
じゃあ、あの世の秀吉の許可を得るのが法度だとでもいうのか?
誰かが秀吉の代わりをする必要があり、秀吉が十人衆会議なんて言っていない以上、それは家康が決めるしかないんだよ
奉行に煽られた利家が「この婚姻はおかしくね?」とケチを付けたけど「俺の勘違いだったわ。メンゴ」で解決し、煽った奉行は頭をまるめたじゃないか
不忠というならこの件を政争のタネにして前田を巻き込み、結果として前田の株を下げた奉行たちだよ
彼らは後に安易な軍事行動に出て今度は前田ではなく豊臣家の株を暴落させただろ
やってる事の規模が違うだけで、彼ら奉行の独り善がりな傲りと短絡的な思考はこれと全く同じままだよ

634 :
洋泉社の「秀吉研究の最前線」という本によると、いわゆる「五大老・五奉行」という言い方も制度も実は無くて、
後に「五大老」と呼ばれる人々、特に徳川家康に対して「奉行」と呼んでいたのが、もっぱら石田三成ら「五奉行」の方で
「五大老」の側は、とくに自称することも無く、「五奉行」も自分たちを「年寄」と自称していたんだとか

秀吉の遺言違反についてはともかく、この石田三成らが、わざわざ家康を「奉行」(命令を受けて業務を行う者)呼ばわりするあたりが
家康と三成たちの立場と感情を示しているんだねぇ

以前読んだ別の本では、そもそも「五大老」たちは、自分たちが「豊臣家の家臣」という意識があったかどうか疑問、みたいな記事があった
彼らにとっては、本領をほったらかしにして大坂への常駐を強制されてるだけでもう、迷惑千万な話だったのではないか、とか

635 :
島津や加藤清正ら、あと公家も含めて家康たちを年寄と呼んでる書状は結構出てくるね
逆に既存の5奉行たちが他称で年寄と呼ばれた例は浅野家文書の遺言以外はないね

636 :
>>634
最後の一行はすごく理解できる
室町時代に守護大名が京都にい続けた結果、徐々に地方への統制が弱まって
現地国人や守護代が力をつけすぎて戦国時代へと移行してしまった事を考えると、
自分の領地にに帰りたくなるのは当然だと思う
宇喜多騒動とか、秀家自身がもっと領地にいられたらここまでこじれなかったろうし
けれど逆にうかつに上方を離れると、前田征伐みたいなことになってしまう
そう考えると、定期的に領地と中央を往復する江戸時代の参勤交代ってのは
当時としては結構理にかなった制度だといえるね、問題ゼロとまでは言わないが

637 :
大老のうち常駐というか在所を指定されてるのは家康と利家だけ
七将襲撃事件のとき輝元は領国にいたし景勝が上方にいたなら上洛するしないで揉めることはない
そもそも徳川前田しか当主不在でも領国経営を任せられるような成年の後継者がいないわけで
問題が起きた時に一々領国にいる大老呼び寄せてたんじゃ仕事にならないから

638 :
>>629
だから、他の大老奉行が承諾する事は有り得ん内容でしょうが。
伊達、福島、蜂須賀なんて、誰が見ても簒奪の野心見え見えだよ。

例えばだ、島津家が肥後の加藤、小西両名と縁組したいって言うたら通ると思うの?

毛利が宇喜多や南条や亀井とかと縁組できるの?

上杉と伊達の婚姻が可能なの?

家康の私婚問題は、ルビコン渡河のようなもの。

639 :
>島津家が肥後の加藤、小西両名と縁組したいって言うたら通ると思うの?
>上杉と伊達の婚姻が可能なの?
島津に上杉に伊達って地方を代表する問題児達じゃん
島津が進んで秀吉子飼いと縁組希望するってどうぞ首輪をはめてくださいって状況
上杉が会津に移されたのは伊達と拮抗させるためだし、そいつらが大人しくしてくれるってんなら
天下静謐を願うならむしろありがたい話だろうが
>毛利が宇喜多や南条や亀井とかと縁組できるの?
吉川広家は秀家の姉婿だぞ。南条やら亀井やら中央での発言力があるわけでもない小物と組んで何の影響がある?
本当に例え話が下手糞だな

640 :
>>636
その辺は、非情に微妙な問題ですよね。
秀吉と同じ一代成り上がりの前漢だと、統一の過程で何の武功も無い一門に全国の
7割くらい割いて封建してる。

でも、呂氏が滅亡したのは中央軍の指揮権放棄して呂氏一門が領地に行こうとしたから。
軍権握った儘だと、一族の斉王が皇位を狙った謀反にされたかも。

641 :
「誰が見ても」って「キミが偏見に満ちた目で見たら」てだけじゃないか。主語の大きいヤツだなぁ

642 :
>>639
だからね、大名相互の監視されたり監視したりって関係は江戸時代もある事だよ。

外様の大身大名には、必ず監視役の譜代大名が置かれてるの知らないの?
そして、外様大名が在国の時は、監視役の譜代も在国がデフォルト。

例えば肥前の佐賀藩に対する唐津藩とかね。
この関係は全国的に有る。

643 :
>>638
わからんやっちゃな
そいつらはそもそも政務者ちゃうやろ
当主が生きてる間に無断で縁組なんてしたらたとえ嫡男だろうと謀反やわ、だがその当主が死んでその後継託されてる人間がやる分には何ら問題ないどころか必要な行動だろうが

主語もでかいわ理屈も理解できないならほんと絡んでくんな例え荒らし

644 :
>>638
言ってることは正しいがそこで世界史ネタぶっこんだら台無しになるw

645 :
ほんと日付変わった瞬間に元気になる辺り
意図的にID変えてNG避けしとるんやろな、鬱陶しい

646 :
>>643
明らかに、徳川牽制や監視役の大名と縁組って普通に謀反準備ってみられるよ。

「つまり、お前は豊臣家中の切り崩ししてんだろ」って他の大老から見れば成る。
まあ、引っこめたら今度は徳川の権威がた落ちなんで...

普通にあの時点で、徳川vs前田で二分して戦でも不思議じゃないよ。

647 :
>>643
トップと目される人間が無断縁組などしてたら他の大名に示しがつかないとは思わんか?まあ洗脳されてりゃ思わんだろうがな
それに秀吉が死んだからといってそれ
まで言ってきたことを無かったことに
するのも乱暴な意見。遺言においても
大名通しの縁組は自由とするなんてこ
とはいってないしな。あまり家康の詭弁を真に受けないほうがいい。あくまで実力者である家康が反対する他の大老や奉行を黙らせただけであって無断縁組自体は正当なもんでもなかったよな。

648 :
監視役って誰が決めてん、お前また妄想特別ついとらんやんけ
前主の死後に縁組した事で謀反呼ばわりされた当主がおるなら持ってこい
妄想と史料の見分けもつかないなら病院に行け
言われた事以外のいらん情報持ってくんなよ荒らし

649 :
>>646
そこを無理やり謀反準備だの言いがかりつけたから家康に切れられたと上杉文書にある
家康に否がないので利家は詫びを入れて奉行衆は頭を丸めるはめになった

650 :
奉行らに断り入れてるともされてるしな
勝手に奉行らが無断だとはやし立てて引きずりおろそうとした、と充分とれる状況やな

651 :
>>642
豊臣と徳川じゃ諸大名の統制の仕方がかなり違うだろ
関が原挟んで勝ち組負け組はっきりさせた後の徳川と違って、豊臣はなんとなく頭下げてきた連中にも
それなりに気遣う必要があったし、諸大名間の融和にも心砕いてた
なんで飴と鞭の使い分けのうち鞭の部分だけみてそれが全てであるかのように語るんだよ

652 :
>>647
家康の性格を実によく表してる事実として、誓紙に対する態度が激変してる。
太閤生前に、何枚も書いたのは良くしられてる事ですね。
所が、死後に態度激変してるからね、この人。
生前の誓紙は飽く迄も太閤個人の権威の証明でしかない。
死後に書いたら今度は秀頼や他の大老に権威付ける事になりますから。

653 :
>>647
十人誓紙の一件挟んだ上でわざわざ他の大老奉行にお伺い立てるってんなら痴呆もいいところだ
反対のための反対喰らって停滞するのが目に見えてるだろうが

654 :
奉行達が、通達を握りこぶして前田を利用して、家康を追い落とそうとしたの?

655 :
というか、他の大老奉行は家康のやる事なす事一々ケチ付けてその発言力を削ろうとしないならバカ、
家康はその事態を予測できないならバカってことだろ
無意味な揚げ足の取り合いが政治においていかに重要か、現代の与野党の攻防を見てれば分かるはず

656 :
大老奉行制度を合議制で家康の牽制が目的である制度と定義すると
私婚問題において家康以外の大老奉行が束になっても敵わなかった
つまり牽制として機能していない事実の説明が難しくなるよね
辻褄を合わせるには家康がそれだけの横車を押すことのできる巨悪とするしかないけど
そうすると牽制役として他の大老奉行の存在意義がなくなり
家康を遺言により指定された政務の責任者であるという主張より絶大な権力を家康が所持している事になってしまう

657 :
>>656
それは、前田利家の病気って予想外の事態が有ったんでは?
利家の寿命がもう少しあったら、事態は全然別では無いでしょうか?
前田が総大将で討伐軍が編成されるか、嫌なら大幅減俸の上隠居程度の措置が出たのでは?
勿論当主は豊臣よりの秀康で。

658 :
大老奉行が秀吉の権威があってもクソの役にも立たなかった無能だし
秀吉は警戒してるのに他大老奉行を凌駕するレベルの実力与えた無能つってるのと一緒なんよな
自分たちの主張がどんだけ他者の能力下に見積もってるのかもわからない阿呆だってことが分かってない辺りやべーわ

659 :
も一つ言うと
相手の主張受け入れる受け入れられないはともかくとして
家康が政務者だったという前提の主張に対して、仮に家康が政務者じゃなかったとするとおかしいって主張を反論として出してくるの
そもそも反論にすらなってないってのすらわかってない

660 :
>>657
その前田利家が健在の頃ですら機能を果たしてない
というか利家が病気になった時点で機能しないなら
合議制ではなく家康が政権担当で利家が豊臣家の家政担当である二頭体制だといってることになるぞ

661 :
>>654
ルール違反やらかした人間の一方的な通達に不服だったから文句をつけに言ったはずなのになんで引き下がったのかね。

662 :
>>657
前田利家に味方する人間が多いから家康ですら事を構えるのは慎重で話し合いで済ませた。利家もその後すぐ亡くなった事を考えると先が長くないから手打ちしたと読み取れる。決して家康の無断縁組みが正当で納得して許したわけではないだろう。

663 :
あと事情を知ってる人に聞きたいけど家康が奉行に縁組みを通達したといったがそれはどの段階かな?もしかして縁組みした後の事後報告かな?それとも事前に奉行に報告して了解しましたとの返事をもらったのか?あと奉行に通達を出したというもちろん史料はあるよな。

664 :
>>決して家康の無断縁組みが正当で納得して許したわけではないだろう。
これを勝手に決めつける意味がわからんな

なんとなく自分がそう思ったの間違いじゃないのか?

自分が知ってる史料としては縁組が無断だったのではという質問に対し家康が奉行に伝えたのにこの扱いはおかしいだろって切れてる記述やね
もちろん本人が言ってないのに言ったと言い張ってる可能性もあるが
そもそも無断だったと断定できる証拠すらそもそもないよね

665 :
>>656
そりゃ家康は250万石の大大名だからね しらばっくれて黒を白と言い張っただけだろ。また他の連中にはその時点ではそんな家康と戦う気概も無かった。

666 :
利家は「前田徳川の対決が即始まってもおかしくないほど」緊迫してるのに
振り上げた手を下ろすほどの馬鹿っつーことになるんだよね
その後の成り行きを鑑みれば健康に不安があるなら尚の事やっとかなきゃいけない戦なのに

667 :
>>664
無断でなく納得していたなら後から文句はでないだろ。納得してて何で詰め寄った。

668 :
>>666
戦いの最中病気で倒れたら息子の利長はどうなる?

669 :
>>667
なんで家康は黒を白だとしらばっくれると思えるのに
奉行衆が白を黒だと言い張る可能性に触れないの?

他の連中はその時点でそんな家康と戦う気概がなかった?
こっちはそもそも遺言で政務者と決まっていた家康を勝手に合議制にした連中だと認識してるんだが?

670 :
>>669
まあ家康どのの性格は皆さんよく知ってるでしょう?嘘つきですから。

671 :
>>668
そんなに健康に不安があるならそもそも大問題にしてどうする

672 :
結局「自分が勝手に思い込んだ家康の性格ならするに違いない」
っていう妄想が根拠だと白状してくれたわけやね

論ずるに値しないバカですと言い出してくれてありがとう

673 :
つまり利家は病気で明日をも知れぬ命ながら内戦寸前の事態を引き起こし
家康が信用できないのに手打ちで済ませた大馬鹿野郎っつうことになるのよね

674 :
>>672
へえお前の中ではあんなもんが正直者なわけか?妄想というより変態やね。なんであれがタヌキと評価されてるか考えた方がいい。

675 :
>>673
病気で明日をも知れない命なら判断が正しくできなくなることもある。秀吉ですらそうだった。

676 :
狸なんて後世のすこぶる偏った情報を基に勝手に言い出された事なんやが
すごいな、そんなもんを基に勝手に性格判断してましたってのを恥ずかし気もなく言える脳足りんっぷりが

史料史料と言うから少しは脳みそは期待したが、ろくに史料も読んでなさそうだな
自分がろくに史料も読んでないから史料と言われれば相手もきっとなんも言えなくなるはずだ、とでも思ったんかね

677 :
>>672
お前は朝鮮人か

678 :
>>676
何がすこぶる片寄ってるってそれこそ妄想だろが

679 :
はい、ろくでもない人間のいつもの発言
自分が気に食わない発言をするやつは朝鮮人だ、発言いただきました

いくら付け焼刃したところで品性ももとより、ろくに調べてない知識も隠し切れないんやな

680 :
>>675
危篤の人物担いで政争起こす奉行も奉行だな

681 :
>>679
なんだ図星だったのか。ごめんね本当のことをいってしまって。

682 :
>>680
それはそうだな

683 :
そろそろ飽きたから去るわ良いお年を朝鮮野郎。

684 :
まったく、品性下劣だわ自分が腹立つ発言はきっと相手も腹立つはずだって間違った認識してるわ
少し突かれたらぼろ出して品性最低の発言くり返す、わかりやすいやつやね

685 :
>>677
顔真っ赤で草

686 :
なかなか見苦しくもカッコ悪いやつだったな

687 :
前田はボケてろくに政治判断下せない無能
他の大老奉行はそんな前田を担ぐろくでなし&役立たず
結局家康しかまともな判断下せる人間がいないという事になってしまった
そんな極論よりかは家康が政務の代行者とするほうがよっぽど筋が通るという

688 :
矢部健太郎氏の本だったか、面白いことが書いてあったな
「政務を担当する徳川家康には、前年に地震でぶっ壊れて突貫工事で立て直され、たぶん設備もままならないであろう、
伏見城で仕事をするように命じ、実権はないが、秀頼の後見役に任じた前田利家には、難攻不落の大坂城に常駐するよう
言い残したところに、豊臣秀吉の、自分の死後への不安が読みとれはしないか」
みたいな

前から不思議なんだけど、あのタイミングで前田利家が死んで、よく家康による毒殺疑惑が出なかったなぁ
当時だろうと後世の創作だろうと
関ヶ原の戦い後には、秀頼びいきの大名が立て続けに死んで、家康の毒殺によるものだった、みたいなフィクションがあるのに

689 :
史学者にあるまじき情緒的な書き方やな

690 :
毒Rる前に家康に屈服してるし

691 :
お話として面白いかどうかってのがその手の話に重要やしな
しにそうな歳のじいさんがしんだってのは当たり前の話すぎて面白くもなんともないわ

692 :
屈伏(和解のような気もするが)する前ならわかるがした後に毒殺したんじゃ家康がただのサイコパスみたいになる

693 :
>>688
現代に例えるなら当時の伏見城はホワイトハウスで、大坂城はトランプタワーだよ
つまり秀吉は今後10年間は家康が豊臣政権の大統領と定めて
利家はあくまでも今後10年間の私的な子供教育係だということ
よく大坂城こそ豊臣政権の中心地と思われがちだけど
秀吉時代の中心地はあくまで伏見であって大坂ではない

694 :
だからこその「桃山(伏見城の所在地)時代」って名称なわけだからな

695 :
よく分からんが西軍が勝つには秀吉没後まで戻らないとどうしようもないということか?
1対9で1の言い分が通るようでは実力者は1のほうだと誰でも思うよなあ?

696 :
西軍が勝つには、もうずーっと遡って、石田三成が、他の秀吉恩顧の諸大名たちから嫌われないように
やり直すしかないんじゃないの

697 :
じゃ三成の子供時代からやり直さないと

698 :
三成なんか関係ないよ
秀次を殺しその側近を粛清した時点で豊臣家は詰んでいた
後は「看板豊臣で中身は徳川」という新体制を認められない反動勢力が立ち上がっただけで、別に豊臣家の為でもなんでもない

699 :
>>694
そもそも本来の豊臣政権の活動拠点は京であって大坂ではないんだよね
だから秀吉も秀次も伏見や聚楽第を拠点として、大坂を政権の拠点にはしていなかった
大坂城というのは、豊臣が都落ちして家康が東日本から京までを勢力圏に治めた場合に機能するもの
意地悪な言い方をすれば、平家の一ノ谷やら壇ノ浦と変わらない
そういう状況だと大坂城単体が難攻不落であったところで戦術上の些末な問題に過ぎなくなる

矢部健太郎に限らず難攻不落の大坂城という言葉に惑わされて
なぜ桃山時代なのかという本質を忘れている人間は多いな

700 :
私領の中心てことだろ

701 :
>>692
えっサイコパス丸出しやん違うの?

702 :
秀吉も自分の死後に三成ら奉行衆があれほど自己主張丸出しで政治活動始めるとは思わなかっただろうな
それも毛利との私的盟約やら十人衆誓詞やら遺言覚書を無視するか変質させるようなものばっかりで
いずれも家康よりも先に動き出してる
家康のいわゆる私婚運動はこれらの動きの後で始まったもので、これまでの俗説や小説ドラマで描かれたような
天下取りの野心で家康が積極的に動いたというよりは>>617にあるように三成らの政治的策動への対抗措置だったのではとも思わせる

703 :
>>702
歴史研究者の中にも徳川家康の野心を指摘してるのがいるけど

704 :
>>703
そこには「個人の感想」以上の根拠がない。

705 :
>>704
歴史研究者が個人の感想?ではあなたの最後の行政三成に対抗するためともおもわせるってのももろ個人の感想だよな。しかもあなたは歴史研究者ですらない。

706 :
間違えた最後の行

707 :
>>704
ときにあなたは一時史料にみる関ヶ原の戦い(高橋陽介著)という本についてどう思われますか?

708 :
>>703
関ヶ原前の家康に野心が全くなかったか、といえば確かに微妙だ
ただし、それは奉行に野心がなかったこととイコールにはならんし
家康の野心が豊臣その物を滅亡させうるものだったかどうかは確定できない
何故なら関ヶ原が起きてしまったからだ
極めて大きな事件や衝撃的な出来事、体験をした場合、人はいくらでも
その認識や考え方を変えてしまうし、立ち位置や状況によっても当然変わる
例えば、秀吉が本能寺前と後で認識や考え方を一切変えていないと考えるのは
どう考えてもおかしいでしょう
つまり、関ヶ原後の家康が豊臣に対して何をしようとも、
それは家康が関ヶ原前からそれをやるつもりだった証拠になんかならない

709 :
>>703
言えることは家康より三成ら奉行衆と毛利のほうが秀吉死後先に動いていたということ
当然三成らは何らか独自の政治的構想を持っていたと言えるし
それを徳川から豊臣家を守るためだとするか秀吉の遺言した徳川首班体制を否定するためだとするかは
評価が分かれるだろうが、旧来のような家康の行動先行で政局が動き三成らは受け身だったというような構図は
修正と再検討が必要だと思う
自分も数年前まで三成らがそんな秀吉の遺言を否定するかのような動きをしていたなんて知らなかったからな

710 :
>>699
どうだろう
秀吉の死後、北の政所と入れ替わりで、家康が大坂城に入ったりしたよね
少なくとも、関ヶ原の戦いまでは、大坂が政治の中心、あるいは権力の象徴と言う共通意識があったんじゃなかろうか

711 :
どの研究を信用するかはちゃんと内容を読んで判断することで
史学者が言ってるから必ず正しいってもんでもない
先の矢部氏も情緒的な記述するわ自分の不利な史料無視するわやってるようで、自分としちゃ眉に唾つけて読まなきゃいけない部分多いと感じるしな

712 :
>>708
その変わりかたがゆくゆくは天下取れたらいいなでも無理だから今は嫌々豊臣に従っておくかという考え方からこ
れはチャンスやらなきゃ意味ないでし
ょというような変わり方なら本質的に最終目的は変わってない。状況が変わったことでハッキリと天下取りへの道筋が見えてしまったみ
たいな変わり方なら。最初はノーチャンスだったが豊臣家のポカで徐々に徳川有利となって押し殺してきた本性が
変わったとみるけどね。最後のはもちろん個人の感想だよ。

713 :
>>711
思ったよりバランスとって考えてるんですね。このスレには自分の主張する説以外は絶対認めない。それこそが関ヶ原研究界隈の公式見解だみたいな捉え方をしてる人が多いのでね。同じ史料でも違った捉え方があるわけだしバランス感覚は大事ですね。

714 :
大坂で秀吉自身が政治を執り行った様子はないし、あくまでも秀吉の実子がいる城という認識のが良いと思うな
宇喜多秀家が勝手に大坂城に入って家康がその警戒として入ってる様子だし
確か晩年に大坂へ政治拠点移そうとはしてたはずだから、寿命がもうちょっと長ければ大坂を政治の中心にしたかもしれないが
移せていない以上あくまでもただの城と見るべきかな

715 :
>>713
押し殺してきた本性が露わになっただね

716 :
史料ガン無視でおかしなこと言い出す人がいるから反論する側も過激化するわけで
そういう意味でも史料と研究者に敬意を払えって上に書かれている意味は考えないといけないわね
今年は荒れなきゃいいが

717 :
>>701
あんたがどう思うかなんか知らんわ

718 :
>>716
まぁ無理だろう。ガン無視くんが被害妄想の領域に突入して家康をサイコパス呼ばわりしだしてるし

719 :
研究者の史料発掘には頭下がるが好き嫌いにいくらか左右されてるのがね
あと重鎮や恩師の意見に真っ向から逆らえないとかもあるし

720 :
こうやって見てくると、毛利が関ヶ原というかこの戦いに勝った後、どのような政権構想を持ってたか興味あるところだよね。なぜ、豊臣政権を大切に思う(とされる)石田とかが協力したのか。
後世から見ると、豊臣政権に何のメリットもないし。

721 :
あくまでも共通の権力欲によって結ばれた関係だろう
奉行にとって利用価値がなくなれば前田のように切り捨てることだろうよ

722 :
自派閥が追い詰められてのクーデターだから
その後の事はあまり深く考えてないんじゃないの
まずは戦に勝つことが先決

723 :
>>721
まあそう思うんだが、奉行らの場合は立場上そうせざるを得ない部分もある
奉行の権威や権力の源泉は結局のところ豊臣政権あってのものであり、
政権の絶対性を前提としていないとそもそも諸侯に対して強く出ることができない
そして少なくとも秀吉が生きているときは、家康をはじめとした諸侯は
皆豊臣政権に頭を下げていたことも間違いはない訳で
そして、奉行たちはその政権をある程度は運営する立場でもあるのだから、
諸侯に対して迂闊に下手に出ること自体、政権の権威を乏しめるようなものである、
と考えてもそこまでおかしくはないだろう(官僚的な考え方だとは思うが)
問題は、後世の視点で見ると豊臣政権が実質秀吉政権でしかないという
残酷な指摘がある事なんだが、奉行は立場上そんな事認められる訳ないんだよね
つか、関ヶ原前の家康でさえそんな指摘したら怒り出しそうだ
毛利と上杉はあっさりと同意しそうだけど

724 :
>>723
奉行衆も実質認めてる
秀吉が死ぬことで奉行衆の地位が低下すると認識したからこそ
奉行衆の地位を大老たちと同格とするような起請文を大老奉行で取り交わした
秀吉に遺言で権力と家格を保証された徳川前田は起請文を交わす必要など無い

725 :
>>710
確か、太閤の遺言で「我の死後100日で秀頼を大阪城に移して城外に出すな」と。

だから、この時期の大阪城は秀頼を握るって意味が有り、そこに前田利家入れた意味は明白
でしょ。
この遺言を実行されたら、伏見の家康は定期的に大阪城の秀頼の元にご機嫌うかがいに
行かないと駄目になる。

つまり、ミニ参勤交代を繰り返す事に成り徳川の権威が落ちる。

726 :
>>722
奉行と毛利が繋がるのって秀吉死後から見た場合、かなり早いぞ
ほぼ秀吉死亡直後に毛利と四奉行が誓紙をかわしたなんて話もあるから
最初から奉行は前田も徳川もどうにかするつもりだったんじゃないか
ただし、毛利の野心のレベルによっても話は変わってくるがな
輝元の方が秀吉死後の天下の情勢を睨んで、奉行に接近した可能性もあるし
まあ奉行を最大限好意的に見るのなら、バランサーのつもりだったのかね
徳川や前田の権力突出を防ぐために毛利の力でそれに対抗しようとしたと
結果論でいえば完全に失敗したが

727 :
身の程知らずのバカな官僚が太閤という「独裁者の後ろ楯」あってこその歪で不公平な側近政治をまるで永久普遍の正義のように勘違いしたのが間違いのはじまり
そんなものを維持する為に徳川という豊臣家の親族や前田家のような友人の家を排除して、毛利や上杉のような外患を誘致したんだから豊臣家にしたらいい迷惑だろう

728 :
>>726
秀吉が死んだ直後と関ヶ原直前じゃ全然状況が違うからね
一貫した方針があるわけじゃないと思う
輝元にしても当初から本格的に徳川と対立するつもりはなく
秀元の相続問題を有利にする為に奉行と結び
その後の一連の政変で追い込まれて泥縄式に決起に至ったんじゃないかと
そうすると輝元の腰の座らなさに説明がつく

729 :
そういや秀元の所領相続でなぜか石田と増田のみの知行宛行状が出てたね
勝手に知行宛行状書くのは論外なんだけどそれでも書いたってことはこの二人が特に毛利と懇意なんかね
そのあとの七将事件で毛利側が石田と増田の隠居で済むならいい的なこと言ってたはずだし
毛利と懇意&独断が奉行内でも甚だしい2名として当時認識されてたっぽいか

730 :
>>715
自演失敗くんは歴史のことより自分のオツムの心配をしてはどうか

731 :
5 仙台藩百姓 2009/08/30(日) 18:12:40 ID:j8i7nHZT
◆◆◆前田利家の輝かしい実績◆◆◆

・父が養育していた娘まつ(12)を妊娠させ前田ペド家の名を欲しいままにする
・信長にケツを差し出したのが自慢だったが、信長の寵愛が拾阿弥に移り嫉妬
拾阿弥を殺害し逃亡
・流浪するも柴田勝家、森可成らのとり成しで後に織田へ帰参
「落ちぶれた時に人は離れていくが、そんな時に声をかけてくれる者こそ真の友人だ」
と感謝し勝家をおやじ殿と呼び慕う
そして後に勝家が落ちぶれた時に利家は先頭切って離れていった
・兄から家督を奪う
・北陸で民衆を釜茹でにしたり荒木村重の一族郎党を焼き殺したり処刑人として大活躍する
・槍働きのみが取り柄だが、長篠で葉武者に殺されかける
・賎ヶ岳で柴田勢が劣勢と見るや豊臣に寝返り、先陣切っておやじ殿を攻め殺し恩賞に与る
・ケチで小銭貯め込むのが趣味だったが、武将の務めである兵の雇い入れすらケチり
兵力不足に悩み妻まつから罵声を浴びせられる
・秀吉(48)に娘(13)を差し出し機嫌を取る
・秀吉から指揮のヌルさを叱責され慌てて八王子城兵を皆殺しにし機嫌を取る
・秀吉から秀頼を託されて引き受けるも家康を恐れ
手を合わせて前田家の安泰のみを哀願する

732 :
大久保藤五郎って誰

733 :
大半秀吉小判家康
西軍豊臣東軍徳川

734 :
>>728
輝元、関ヶ原で軍を率いての上洛はかなり早かったらしいけどな
何かしらの思惑があって関ヶ原に参加したのはあると思う

735 :
>>734
そりゃ戦争をする以上何らかの思惑くらいはあるだろうよ
ただそれは>>720でいうような戦後の政権構想とかをきちんと考えた上での決起ではないだろうね
政争で負け続けてるのに秀吉死後から一貫した計画が立てられるわけがない

736 :
天地燃ゆ - 清洲会議、そして隆広の出生 - ハーメルン

http://web.archive.org/web/20200103140053/http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:https://syosetu.org/novel/118932/68.html&strip=1&vwsrc=0

http://archive.is/pJwsX

https://megalodon.jp/ref/2020-0103-2305-15/https://syosetu.org:443/novel/118932/68.html

737 :
>>696-698

▼清洲会議、そして隆広の出生
 
…丹羽長秀の取り込みに成功した水沢隆広は佐和山城を出た。そこには随伴してきた石田三成が待っていた。

「丹羽様の取り込みの首尾は?」

「ああ、丹羽様は殿に…」

 同じく佐和山城の入り口に歩んでくる一行がいた。

「羽柴様、お久しぶりに…」

 と隆広は笑顔で久々の再会を喜んだが秀吉は笑顔一つ見せず隆広を睨んだ。笑って対せるはずなどない。隆広は自分の中国大返しを無にした男なのである。

筑前 「美濃」

隆広 「は、はい」

 いつも隆広に笑顔を向けてくれた秀吉。だがこの時の秀吉は敵のように隆広を見つめるのだった。

筑前 「五郎佐に何を申した…?」
隆広 「は…?」

筑前 「質問に答えよ」
隆広 「…申せません」

 秀吉の後ろにいる山内一豊、仙石秀久もすでに隆広を敵のように見た。

一豊 「策を弄したか、美濃殿」
隆広 「一豊殿…」

筑前 「よせ一豊、ワシも五郎佐を取り込もうとしていたのじゃからお互い様よ」
一豊 「羽柴様…」

筑前 「…五郎佐が勝家の篭絡に落ちたのなら佐和山に用はない。帰ろう」

 秀吉はくるりと隆広に背を向けて歩き去った。

三成 「お、親父様!」

筑前 「なんだ佐吉?」
三成 「い、いえ…」

筑前 「用がないのなら呼ぶな、たわけ」
三成 「申し訳ございません…」

 一豊、秀久も去っていった。あんなに自分と親しくしてくれた秀吉とその臣下たち。だが今や権謀術策がうずまく敵も同然なのである。

隆広 「佐吉…」
三成 「……」

隆広 「行くのか…?」
三成 「……」

 三成は答えられなかった。そして神経が擦り切れるほどの選択を心の中でしている三成に対して隆広は何も言えなかった。

隆広 「帰ろう、今のお前の家は北ノ庄。家族も待っているだろう…」
三成 「…は」

738 :
>>698

…そして数日後、世に云う清洲会議が催された。会議と云うより、ほぼ勝家からの伝達の場と言って良かった。勝家恩顧の府中三人衆は無論、織田の重臣である丹羽長秀、滝川一益、そして池田恒興も勝家についた。
無論、隆広も勝家と意見を同じくしている。清洲会議の議事録は今に残るが、書かれている文はほとんど勝家の言葉である。

勝家 「以上である、織田の頭領は本日より信孝様じゃ!」

筑前 「待たれよ!」

 秀吉が発した。

筑前 「承服いたしかねる。信孝様は事もあろうに大殿の甥御である津田信澄様を殺害し、あまつさえ京の日向(光秀)に一番近い位置にいながら何ら動かず、あげく兵に逃亡されるという体たらく!
 とても新たな当主として、この筑前認められぬ! 修理亮殿(勝家)が信孝様を推すのは、信孝様元服のおり、加冠の役を務めたからでござろう!」

勝家 「バカを申せ! そんなつまらん了見で大事な世継ぎを推薦するものか?!」

 隆広は以前に“信孝様でなく殿(勝家)が継いではいかがか”と遠まわしに進言したが、それは勝家に一蹴された。織田の臣として流石にそれは出来ないと云うのである。

勝家 「では筑前、誰が新たな当主ならば納得するのか」

筑前 「その前に!」
勝家 「その前に何じゃ?」

筑前 「この筑前、修理亮殿にお聞きしたい事がござる!」

勝家 「ワシに?」

筑前 「北陸からの大大々返し、いかに誰がどう見ても早すぎもうす! まるで中央に狂乱ある事を存じていたとも思える!」

勝家 「何が言いたい?」
筑前 「修理亮殿は日向が謀反! 存じておったに相違ない!」

勝家 「なんじゃと?」

筑前 「修理亮殿はおそらく日向と共に大殿を討つ算段をして、日向が事を成した後に天下が欲しくなり、まだ謀反人の状態である日向を討ち、まんまと天下餅をかっさらったのじゃろう! そうとしかあの大返しは説明つかん!」

勝家 「筑前きさま! ワシが大殿を謀り討つ絵図を描いたとほざくのか?!」

筑前 「そうでござる! 五郎佐殿、恒興殿、一益殿、権六(勝家)にだまされまいぞ!」


 丹羽長秀、池田恒興、滝川一益も顔を見合わせた。確かにあの電撃的な大返しは前もっての備えがなくばおぼつかないと考えるのも無理はない。

隆広 「その議、しばらく、、」

筑前 「おぬしは引っ込んでおれ美濃っッ!!」

 怒鳴る秀吉。

隆広 「いいえ、修理亮が一門として黙っておられませぬ。筑前殿、明智日向守殿の謀反、柴田は存じていたわけではござらぬが、危惧してはおりもうした」

筑前 「なにぃ?」

隆広 「安土大評定ののち明智家で催された茶会にて、惟任日向殿がそれがしを始め、重臣の秀満殿と利三殿が話しかけても気付かず黙り込んだままで、何かを深く考え込んでおりましたのを、この目で見てございます。
これは重大事に駈られているとそれがし読み取った次第で、その後に思案いたしました。日向殿が重臣が話しかけても気付かないほど考え込む事案は何かと。家中のこと、ご家族のこと、戦、政治、と頭の中で列挙していきましたが、最後に残ったのは叛意にございました」

筑前 「……」

隆広 「日向殿が亡き大殿(信長)より受けし数々の理不尽を思えば、叛意を抱いても無理らしからぬこと。それに大殿は筑前殿の援軍に赴くため西に向かいましたが、軍勢を連れて出たわけではなく、身の回りの世話を焼く小姓たちや
番兵だけ連れて、ゆっくりと京に入り、しかも宿泊する場所は城でも何でもない本能寺。その本能寺を織田の京本陣にすべく改修したのは他ならぬ日向殿。この機会を逃すだろうかと、それがしはまず直主・修理亮(勝家)に相談した次第にございます。」

739 :
クソつまらない長文を見ました

740 :
ホントツマンね。

741 :
どこが面白いのかわかなくてすみません

742 :
面白いかつまらないか判断できるくらい真面目に読んだ奴がこんなにいる方が驚き

743 :
ガイジだよね

744 :
なにこのクソスレ関ヶ原の模索スレでもなんでもないやん

745 :
>>710
秀吉の遺言では家康は大坂に入城しろとは書いてなかったし口頭で話したという事も聞いたことがないけどそれは家康の独断ということでいいのかな?

746 :
そこは独断やろな、ただ前提としてまず秀吉は家康一人に執政を任せてるっていう前提やで我々は
前田が恐らく無断で帰ってなぜか大坂城に宇喜多が詰めだすっていう異常事態への執政担当としちゃおかしな行動ではないって認識

747 :
大阪城が全く統帥の取れていない状況になり、これに家康が入ることで秩序を回復する、という事だな

748 :
>>745
>>746
如何かんがえても、秀吉の遺言の二頭政治を潰したんだろ。

前にも書いたけど、諸大名は名目上の主君の秀頼が居る大阪に詰めてる。

家康が伏見在住なら、定期的に大阪城の秀頼の元にご機嫌伺いしなければならない。
つまり、徳川が太閤死後も秀頼に臣従してる事の宣伝に成る。

だから、簒奪狙いの家康は強引に大阪城に入る必要あり。

749 :
別に二頭とも思わんけど
というか、前田が帰って遺言違反の宇喜多が詰めてるのに対処してるっての無視して語るのやめーや

750 :
秀吉の遺言はいる場所指定された前田と徳川以外 東国の大名は大坂に、西国の大名は伏見にであって
全員大坂に詰めろなんて言われてないしな

751 :
政務の中心だった伏見から五奉行が大坂城の前田のところに移動しちゃった時点で、
家康は豊臣政権として政務が取れなくなったんじゃね?
この時点で政治の中心が伏見から大坂に移動してて、家康は干されかけてる。
前田の死後、大坂に移動したのは政権の中心に復帰したってことだろ。

752 :
京を放棄して都落ちなんて少し前までは愚策の極みだったものだが
五奉行も余裕がなくなって感覚が麻痺していたんだろうな

753 :
>>751
>家康は干されかけてる
具体的には?

754 :
そもそも発給文書から家康が政務を主導していたのははっきりしている。それを否定している研究
なんて見たこと無い。どういった根拠で言ってるの?

755 :
他家の政務なんて能吏でもない家康がいきなり見れるかよ。
しかも天下の豊臣だぞ。

756 :
発給文書くらい最低限読もうや

757 :
徳川家臣団が豊臣の政務全般を取り仕切れそうだから奉行衆があせったあげくの挙兵かな
徳川は東国の取次やってたし家康は秀吉の相談役だったから政務を回せる下地はあった
秀吉がそこまで見込んで遺言したかは判らないけど

758 :
家康は諸大名との取次も奉行衆から自身の吏僚に切り替え始めてるしな。
徳川家臣団はいわゆる役人の層が分厚い。

759 :
秀吉死亡時点の徳川家は旧今川武田北条の人材と統治ノウハウを吸収してるからな
三国同盟の三家の衣鉢を継いだ後継者のようなものだから
他の大名とはちょっとレベルが違う域にまで達してる

760 :
>>755
まさかの妄想?w

761 :
家康は関ヶ原前から徳川家臣だったら譜代扱いにしたんだから、逆に言えば
その時点で天下経営が不可能ではないレベルで行政回せる家臣団がいたって事じゃないの
そりゃ少数の例外はいただろうけどさ

762 :
>>753
五奉行が全員大坂にいて、家康だけ伏見にいて政権運営ができると思う?

763 :
>>762
君はアホなのか。奉行も伏見と大阪に分かれて駐在するように言ってる。それこそ「秀吉の遺言」でな。
なんで史料も読まずに関ヶ原の議論ができると思ってんの?

764 :
>>762
え?断定調で書いてるから根拠聞いただけなんだけど、マジで妄想なの?w

765 :
>>756
豊臣の発給文書なんて見つかってたの?
どこで見れる

766 :
徳川家康文書の研究に載ってないか?

767 :
>>765
ええ…

真面目にドン引きなんですけど

768 :
この人はいったい何ならまともに会話ができるんだろうか?

769 :
新規参入者募集
皆で競いあってこの乱世の覇者にならないか?
徳川家を滅ぼせ
IDに出た数字の分だけ知行を貯めて百万石85
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1570237955/

770 :
“出羽の関ヶ原”・長谷堂合戦で使用 「最上義光の指揮棒」復元 時には武器に「ずっしりとした重さ」 
http://www.sakuranbo.co.jp/sp/news/2020/01/07/post-3753.html

771 :
関ケ原に言及、野党けん制 安倍首相「やるべき時は決断」
安倍晋三首相は7日、東京都内で開かれた時事通信社など主催の新年互礼会に出席した。首相は今年と
同じ庚子(かのえね)の年だった1600年に徳川家康が関ケ原の合戦で勝利したことを紹介。「やる
べき時には戦わなければならない」と衆院解散をほのめかし、野党をけん制した。
https://videotopics.yahoo.co.jp/video/jijisp/395226

772 :
岐阜城発掘調査進展あり。


令和元年度岐阜城跡山上部発掘調査で信長期の天守台石垣が見つかりました!
https://www.city.gifu.lg.jp/36963.htm

岐阜城で信長時代の天守台石垣を発見 岐阜市 安土城より前の「日本最古」か
https://mainichi.jp/articles/20200107/k00/00m/040/426000c

上記より引用
市史跡整備委員長の中井均・滋賀県立大教授(日本城郭史)は
「日本最古の天守台が見つかったと考えていい。
日本の城郭の変遷、天守の成立を考える上で大きな意義がある」と話した。

773 :
時にどうすれば西軍が勝てたかを論じるスレなんですが西軍がどうすれば勝てたかが少しも論じられてないんですけど、ここらでそれは諦めてスレッド名を変えてはいかがですか?関ヶ原戦役に関するスレッドみたいな名前に。それなら今の脱線状態も一応ありですし。

774 :
そもそもどうしても西軍を勝たせるスレではないからな
検討に値する策がないならあなたが諦めたら?

775 :
>>773
それは真実スレが担当するのが妥当とみる。
こっちはifスレ。

776 :
>>774
そうは言ってない脱線しすぎてそのへんが論じられてないから。ちょっと前までは一部の人が岐阜城後詰決戦の方向で論じてたが後が続かない。こちらとしてはその先が気になる。

777 :
>>775
でもなんか家康スレになってるよ。家康そのものにフォーカスしすぎててスレ違い気味。そうでなかったら西軍の無能っぷりを罵るとかどちらもスレ違い。

778 :
>>774
スレのタイトルをそのまま書いただけで勝たせるとは言ってないな。

779 :
たしかに>>46関連のレス以降>>33-35, >44 ,>46の岐阜城後詰決戦案概要及び
Q&Aに対する質問、疑問、反論等がない。

780 :
>>776
分岐が多すぎて誰一人意見や視点が一致しないから
まとまらないし発展しないのはこれまで見てきたとおり
その先を望むなら個人ブログででもやるしかない
>>778
そもそも勝てたかどうか『検証』するスレだったから
だから末期の豊臣政権のあれこれを語る場でもあり
その結果勝てませんで構わないし脱線でもなんでもない

781 :
博識な人たちに聞きたいのですが、駒姫は実在したのでしょうか

782 :
>>780
結論は出ましたか?ここの論調を見てるとそもそも西軍がが勝つのは無理だったというのが主流の意見と見受けられます。

783 :
>>780
ヨーロッパの歴史を語ったりわけのわからない小説を披露したり短絡的に奉行がバカだからそもそも無理だったとかそのへんは脱線してると思うがな。

784 :
>>606
ダメだこの人

785 :
>>782
結論なんてそんなすぐに出るもんじゃないよ、まだスレできてから3年程度だよ?
専門家だって何十年もかけて関ヶ原研究してるのがいるんだから、
たかが素人がそんな短期間で結論出せる訳ないじゃないの
何、家康が秀吉死んでから17年後に大坂を落城させたのを『早すぎる』って
文句つける奴がいる位なんだ、3年程度なんか誤差だよ、誤差

786 :
やたら他人に結論せっついてくるやつはなんなんだ?
知りたいなら自分でどんどん調べりゃいいし勝手に遅い遅いと言ってるだけでなんもしない
荒らしたいんか?

787 :
ついでに言えば
意見を出してるのは大多数なんだから言ってない人間にヨーロッパの歴史とか脱線してるーとか言っても意味なかろうに
他人せっついてるのは義憤なんです、だからどんだけ他者せっついてもいいしなんなら自分が脱線させてもそいつらのせいって言い訳してるようにしか見えん
脱線だと思うなら人様詰るよりまず自分で何度も問題提起してこれならどうでしょうってのを続けなさいよ、荒らしでしかないよ今やってること

788 :
>>776
自分がゲームマスターだと主張する人が湧くからループだね。
史実に無い展開の議論なのに、超時空権現は何が有っても勝つってやられると終わり。
ゲームなら、cpu成りゲームマスター成りが判定して終わりなのに、強引に割り込む人居るし。
史実に無い展開の議論は、逆に史実で起こった「何これ...Σ(・□・;)」の多さを理解すべきだと
思うんだよね。
近代ですら、黄海海戦みたいに、偶々弾薬庫に砲弾が命中して戦況逆転「逃亡されたら日本の負け」とか
有るのにさ。
小早川は最初から東軍説とか強硬に主張されたら議論ならんやん。
そういう解釈が有る事は認めるが、それしか有り得ないは変。

789 :
・西軍には大義が無い
・家康は豊臣を守ろうとした
・秀吉は家康に天下を譲った
・家康は秀吉の身内である
・西軍はクーデターである
・西軍が勝ったら乱世になる

この辺の話しに突然話しがすり替わったりな。

790 :
>>773
現実問題として、関ケ原までの流れは家康の謀略や調略が大きな要素だと思うんですよね。
この場合、史実で起こった展開以外は認めないってやられると、議論は其処で終了な気がする。
現実には、岐阜落城までは相当情勢は流動的だと思うのに、その辺無視されるし。

791 :
この辺りの時間にレスする時点であーあいつかーってなってるよ
突然でもなんでもなくずっと言われてることなのに、被害者ぶらないの

792 :
>>791
だから、此処は超時空権現家康をたたえるスレじゃないんだよ。
あのさあ、あんたの方がスレの趣旨を無視してる荒らしだと思うんだけど?

小説や漫画やゲーム何かでは、初期の僅かな違いで展開が変わるって話は普通だろ。
まあ、其の後の解釈で最終的に似たような結末に成るという解釈と、全然展開が変わる並行世界に
成るって解釈と別れてるんだけどね。

でね、最終的な勝者が可成り記録を捻じ曲げてるんだろうなってのは、史書読んでると普通に
感じる事でしょ。

例をあげるとこんな感じ。

家康を讃える資料では、今川に虐め抜かれた事に成ってますが、あの時代の常識では当主が
幼少で領地守る能力無しでの取り潰しは普通ですよ。
沢山有る松平同族の誰かに岡崎をやるくらい普通の時代。

だからこれはのちの謀反独立正当化の為の宣伝でしょ。

793 :
今残ってる史料は殆ど家康有利に書かれているはずだ、だから自分が自分の基準で史料を取捨選択します
言ってる事これ

自分で自分が妄想で語ってますって表明しながら松の内も明けるか明けないかの時から荒らさないで

794 :
とにかく徳川を悪ってことにしたいだけだろう

795 :
>幼少で領地守る能力無しでの取り潰しは普通
つまり豊臣政権が滅ぶのは必然ということだな
真面目な話あの時点で天下人たる家が日和見はありえない話だし

796 :
>>794
その逆もある

797 :
>>792
確かに家康を称えるスレになってるときがあって気持ち悪いな
そうでなければ世界史を語り出すと同じでれこそスレ違いだな

798 :
>>569
東国を牽制するために家康を関東においたというより畿内から家康を遠ざけるために関東に移転させたというのが一般的な説だな。

799 :
>>789
大半嘘臭い妄想ばっかだな

800 :
>>790
そこまでは西軍が勝つ可能性もあったからこそ毛利が動いたわけで最初から負けると思って総大将なんかやらんな。

801 :
>>788
当然最初から東軍説も確定じゃないからね

802 :
>>789
俗説はダメで妄想だとかここで言われてるがけど西軍が勝つと乱世になるというのも一般的よくにいわれててそれはとりいれるのかね。そもそも西軍は勝ってないから実証のしようもない。

803 :
>>789
二番、三番、四番は新説でとなえられてる怪しげな説だね。

804 :
>>793
勝てば官軍とはよく言われるわな。史料は重要だが鵜呑みにせず考えないと。

805 :
>>793
じゃあ脳ミソ空っぽにして見たまま嘘かどうかま検証せず受け入れるのか?それもどうかと思うぞ。

806 :
新説なんて書籍が売るために妄想はいてるのも散見されるしな。勝てば官軍ならぬ売れれば官軍だな。

807 :
他人や研究者が史料批判もせずに史料鵜呑みにしてると思ってるんか
史料批判にももちろん基準がある
当時に書かれたものか第三者が記述を行ったものなのかできれば比較できる史料があるか
すでにそれが終わった上でその史料を信用できるとしてんだよ
決して僕のか考えた物語じゃこの史料があると不利になるからこれは無視しよう
なんて基準で取捨選択していいものではない

808 :
>>807
そのようにしか見えんわあんたらの態度見てるとな。いつも断定的な書き方してるしな。新説にしても確実にそうだということでなくそういう可能性もあると割り引いて考えないとな。

809 :
それにしか見えないのはまるで研究を読んでないからだよ
ののしってるとかじゃなく真面目に
というかいつもってなんだ?あなたみたいな連コメや例え話ほど分かりやすい書き方してる連中ならともかく
多人数いる中でなぜ勝手にいつも断定してるなんて言ってるんだ?俺暫くここに書きこんでなかったし
徳川有利の史料は徳川史観だ!勝てば官軍史観だ!新説は売れ行き正義だからまともなこと書いてない!
とか変なレッテルを張る前に調べる、読む、はしような
結果だけ追うからインパクトだけの話に見えるだけでちゃんとした研究は新説だろうとなぜそう解釈したのかについての筋道部分がしっかりしてるからね
筋道の部分を読んで信用できる研究かどうかを判断しようね

810 :
史料がどうこうはいいが歴史的事象は人間がやる以上
損得や感情の部分が入るわけで博打の選択を取れ、しかも勝ち前提で考えよはさすがに賛同できないな

811 :
あー、それいっつも荒らすたとえ話が問題視された場所を根本からすり替えて被害者ぶろうとするからなんか否定された風になってるだけ
あれがずっと否定され続けてるのは最初から最後まで自分の好悪で史料を取捨すんな、相関してないものを相関したように語るな

この2点をずっとツッコまれて続けてるだけ、それすら言われてる本人が理解できずに誰も言ってない超時空家康がどうたらゲームマスターぶってるとか他人のせいにしつづけてるけど

812 :
しかし、なんで豊臣秀頼政権が安定しないこの時期に、豊臣政権を大切に思う(とされる)石田とかは豪族とか人の力を借りてクーデータなんぞ起こしただろうな。
負ければ歴史の通りだし、勝っても借りた豪族の勢力が伸びるだけだし。
歴史的みても似たような例は沢山あるけど、ほとんどの場合現政権の弱体化を招いてるだけだし。

813 :
>>805
根拠無しで嘘扱いするなら、そもそも東軍が勝ったという歴史自体嘘で
実際は西軍が勝ってたのでした、ってことでいいよもう

814 :
>>812
「豊臣政権」をどう認識していたかによるわな。
三成ら四奉行は自分たちを「大老」と自称したことも含めて、
自分たちこそが豊臣政権だ、と考えていたフシが有る。

815 :
>>812
自分ならうまいことやれる、じゃないの
そんなもんだよ、人間って

816 :
大事になんか思ってないからだよ
大事なのは自分たちのグループの権力の維持で、
その為には徳川の力を借りて前田を蹴り落とすし、今度は毛利の力を借りて徳川を蹴落とそうとする
そして失敗して破滅した
愛国とか忠義ってのは小悪党の最後の隠れ蓑

817 :
いつも通りの流れですね

818 :
どっちが好きか嫌いかって話じゃなく、史料解釈の話やからさ
あんま変な断定はせんでくれや
それ見て例え話もなんか反骨精神燃やして暴れだすから

819 :
てか句点多いし極論吐くしID:neHEepcgの自演だろ

820 :
>>788
池沼くんは、歴史じゃなくてまずは日本語のお勉強をしっかりやろう

821 :
西軍は積極的参加が毛利宇喜田小西と奉行衆ぐらいで更に思惑も家中統制もバラバラだから
奉行筆頭のはずの増田と前田玄以は内通してるし他の参加大名は拉致ったり恩賞で釣っただけ
指揮権も曖昧でやる気もあるかどうかでまとまった攻めの行動が出しにくい

822 :
前田征伐は、4奉行による石田襲撃に対する報復で、
主対象は浅野だったが、前田、清正、細川辺りのグループの失脚も
一石二鳥で狙えると見た4奉行による家康の力を利用した謀略だったんじゃないかと
個人的には思う。
7将襲撃は浅野幸長がたしか参加してるでしょ?
奉行の息子が他の奉行を襲撃するとか4奉行からしたら浅野は裏切り者としか
思えないんじゃない?

823 :
秀吉の死の直後に浅野抜いた四奉行が毛利と誓紙交わしてるんだから、裏切りというより
宣戦布告したら応えて来たってだけだろ

824 :
浅野とその他奉行の対立が思ったより深刻な気がする
結果論だが、浅野を奉行に置いたのは秀吉の失敗だったんじゃないか
というより、なんでこんなに対立してるんだ

825 :
この場合、中立な奴が多くいれば戦争を回避できたわけよ
大阪の陣は浅野や加藤が急死したから起きたわけで
家康からしたらこの二人が邪魔だった

826 :
>>825
まーた陰謀論で超時空権現家康を讃えてるのか

827 :
浅野と加藤が豊臣寄りとか、とっくに否定されているだろう

828 :
>>824
対立というか立場が違いすぎる、浅野は秀吉の親族で、五奉行の中で唯一
豊臣姓を与えられていて、むしろ他の四奉行の上司と言っていい存在だろう。

829 :
つか五奉行自体、何かしらそういう組織役職が有ったわけじゃなく、なんとなく
豊臣政権の秀吉近臣層で有力な五人をたまたま並べたに過ぎず、いわば
三好三人衆みたいなもんだからな。「五大老」も一緒だけど。

830 :
>>828
上司どころか、浅野が排除対象にされてるようにしか…
なんつーか、秀吉以外の上位者を認めないかのような行動してないか、奉行
別スレで出ていた輝元との書状も、なんか内容が不穏というか、不遜だったし

831 :
秀吉の死前後の三成ら奉行の動向ってもっと研究解明されるべきだと思うわ

832 :
なんか今度は奉行をいじるスレ展開になったw

833 :
俺、この間51になったけど毎日シゴいているよ。
今日も朝からソープに行ってきた。

834 :
老人ホーム資金はあるのか?
ちゃんと用意しておけよ

835 :
このスレ読んでて思うんだけど、昔の人は今より桁違いに迷信深い訳よ。

歴史上の英雄は一度は奇跡を起こしてるんですね。天運が味方してるとか思えないってのは
意外と重要だと思います。
例えば後漢の光武帝だって、昆陽の戦いの奇跡や華北の難儀で天運が味方してるとか思えないって
出来事が有ったのがカリスマの原因でしょうね。

関ケ原戦役として見るならば、福島正則が東軍についた事や清須の軍需品が無傷で家康の手に
入った事がそれにあたると思いますね。
現実には、東海道に置かれた大名は全て豊臣系で徳川につかないと駄目な理由が有るのは岡崎の
池田くらいだと思いますよ。

此れに岐阜落城で、西軍大名が動揺したと。

836 :
> 昔の人は今より桁違いに迷信深い訳よ
そこがまず思い込みから来る間違いに過ぎないわけよ

837 :
海道諸侯の去就や岐阜落城は当時の人が見ても単なる政治や軍事の結果に過ぎない
しかも極めて順当に推移した結果な
なんで迷信がどうこうなんて話が出てくるんだよ
>徳川につかないと駄目な理由が有るのは岡崎の池田くらい
西軍に付く理由の方が勝ってる奴はそれこそ皆無だがな
なんで昨日まで同格だった毛利や奉行の走狗になって、秀吉が指名した
政務の総覧者の家康と戦うんだよという
迎撃失敗の戦術ミスが無くても岐阜城なんて何度も落ちてるし、将兵は経験不足
叩き上げの多い東軍先発隊相手に持ち堪えられなくてもそんなおかしいことじゃない

838 :
いや西軍に内通者続出は岐阜落城の結果だが

839 :
>>837
>なんで昨日まで同格だった毛利や奉行の走狗になって、秀吉が指名した
>政務の総覧者の家康と戦うんだよという


思い込みが激し過ぎる

840 :
>>833
うるせーよソープマンそんなことここで書くなスレ違いなんだよ

841 :
最初から神頼みだったら、神様も嫌がると思うけど。
何気に、石田とか奉行達に対して酷いこと言ってるよな。

842 :
間違った仮定から現実を解釈するととんでもない愚か者が居ないと辻褄が合わくなるからね

843 :
>>837
じゃあなんで、東海道諸侯の城に徳川の子飼いの兵を入れてんだよ。
それは、そこまでしないと駄目なぐらい不自然な結末だと思ってたからだろ。

実際さあ、豊臣家の諸侯に西上して大阪攻めるから味方しろってんだからな。

844 :
>>843
家康が「豊臣公儀」そのものだからに決まってんだろアホか

845 :
>>844
何断定してんの?もっと控えめに発言したら?

846 :
>>843
一応突っ込むが、大坂じゃなくて政権事業を行っていた
政権運営者である家康の行動を妨害している奉行とそれに一味するものを
排除するって理屈じゃないかな
それと、東海道諸侯はあくまで自発的に家康に城を開け渡したんであって
排除した訳じゃないんだから、その理屈はおかしいだろう
関ヶ原後の話なら、戦後処理の一環だから関係ないでしょう
私は関ヶ原後の家康の行動をもって、関ヶ原前の家康の行動を判断、判定を
するべきではないと考えていますので

847 :
結局、「東軍西軍どっちに与するのが自然か」って話じゃなく、
西軍に与するのが自然だという結論に持っていきたいのでそれに都合のいい部分的な事実だけを強調し
強引かつ曖昧な解釈を加えてるだけなんだよね

848 :
>>845
なぜID:Fk6Urv12にはそれを言わないの?

849 :
>>845
そいつキチだからまともに相手しちゃ駄目だって

850 :
>>846
つまり、豊臣家大老で有る家康の行動に反抗するものは謀反人って理屈ですね。

でね、西軍は大阪城に陣取ってるんだから、その奉行衆に味方する謀反人に秀頼その人が
含まれる可能性有るけど、それでも構わないって事です。
実際に大阪城に秀頼居るんだから、普通に秀頼戦死の可能性有る訳ですが?

歴史上家康の立場に成った人は、大抵名目上の主君担いでましたよ?関ケ原の場合は
名目上の主君すら担いでないですね。

という事は、家康は秀頼戦死の場合は適当な奴を名目上の主君にして論功行賞する気
だったって事ですね。「直ぐに豊臣家滅ぼせば謀反の印象強いし」そうでしょ?

つまり、「豊臣家大老として大阪城の謀反人討伐する、場合により秀頼様も含まれる」って条件での
陣触れですね。
流石に二年前まで太閤に絶対の忠誠誓ってた大名にはきついと思う。

851 :
豊臣の当主監禁されてる以上現地まで行かなどうしようもないやろ
人質取った強盗の周り囲んだ警察は人質死なせる前提やったつってるのと変わらんレベルの暴論やって少しは気づけよマヌケ

ヤッパ持った連中大坂城に乗り込ませてる西軍は、最初から秀頼Rつもりで乗り込ませてるんやろな、こいつの頭の中じゃ

論理的思考以前に常識的な判断能力すら欠如してるやん、よくここまで頭の悪い論思いついて書き込もうと思えたな

852 :
あっ、それともあれか!
建前だけでも秀頼御為つってる西軍が
俺たちに手を出したら秀頼の首を刎ねるぞってやる訳か

それやられたら確かに見動きも取れねーわな

853 :
名目上はどちらも豊臣秀頼を当主として担いでる事実すら捻じ曲げるし
幼君秀頼がなぜか西軍を支持した事に捻じ曲げてるし

アホな論出したばっかりにどんどん事実を歪曲させて自分の認知を歪ませてく

854 :
例え話君の主張の結果
西軍は豊臣御為と嘯きながら秀頼をRつもりで大坂城占拠、家康が来ようものなら交渉すらせず秀頼即惨Rる
っていうあの時代でも中々いない畜生集団であるという解釈になる訳だ

一番西軍をバカにしてるの例え話君だよな

855 :
大天使タトエルくんのお陰で西軍がただの凶悪人質籠城犯に成り下がってしまったな

856 :
おまえら脱線もそこまでにして真面目に議論しろやいいかげんふざけすぎ

857 :
>>856
そう言うんならネタ振ってよ

858 :
それじゃなんかいい塩梅のお題出して

関ケ原研究なんて日進月歩とはいえ昨日今日で新発見あるもんでもなし
割と語るもんがない

859 :
>>858
それならもし岐阜城後詰め決戦案において西軍が東軍先鋒隊を撃退しある程度の打撃を与えて撃退できた場合その後の展開はどうなるかというのはどうだろう

860 :
それもいくらか議論されてるはずだけど俺は結構いいと思うよその話題
どう展開すると思うのか、まず提案者のシミュレーションを聞きたいかな

861 :
>>859
簡単に言えば、第2次小牧・長久手になると思う。
敗走した東軍先発隊は有力武将2〜3人が討ち取られ清洲に引き籠ると思われる。
しかし1〜2万が籠もる清洲はそう簡単に落ちるわけもなく、
西軍主力は清洲を包囲もしくは抑えの部隊を残しつつ他方面への展開かな?
その戦況(東軍先発隊清洲へ敗走)下で、前田、小早川秀秋、越後の堀、
信濃諸将あたりの動向がどう変わるか、
家康、秀忠はどう動くか、

とりあえず犬山城勢は西軍方としてやる気出すと思う。
尾張進攻の先手衆になるだろうし。
伊勢方面隊も西軍優勢の展開で手柄取りにやる気出すと思われる。
鍋島直茂、島津義久あたりも前線からの援軍要請に応えるか、
九州で西軍方として積極行動する可能性も出てくると思う。
元康・秀包、立花の大津城組も、戦略予備として佐和山辺りまで前進するんじゃないかなぁ?
輝元は家康が出てくるまでは大坂にいると思う。

要は岐阜城陥落クラスのインパクトが今度は東軍及び日和見気味な諸将に向くわけで、
もし東軍先発隊が壊滅的打撃を受けたならば、
残存する徳川に味方してるのは前田、堀、蒲生、里見、奥州諸将、信濃諸将、
清正あたり。
日和だしてもおかしくないと思う。

862 :
>西軍が東軍先鋒隊を撃退しある程度の打撃を与えて撃退できた場合その後の展開はどうなるか

こういう話にはならんだろってレスが過去散々あったはずだか、それは無視?w

863 :
>>853
担いでるって、現実には西軍は大阪城に陣取ってるんですがね?
家康が豊臣家大老の立場を崩さないって事は、冷静に見るならこういう事でしょ。
豊臣家を担ぐけど、秀頼その人の安全は保障しないとね。仮に攻城戦で秀頼が戦死したとしても
適当に見繕って豊臣家当主に担ぐから問題ないって事だろ。
どんな言い訳しようと、現実に西軍が大阪城に居る以上反転攻勢は秀頼の安全は保障しないとね。

864 :
秀頼が死ぬとしたら追い詰められて暴走した西軍の手で血祭りに上げられる以外に無い
それの可能性を諸侯が考えていたとしたら西軍は明らかな謀反人ということになって
彼らが東軍に付くのは必然だったということになる

865 :
曹魏では、皇帝がクーデター起こしたら司馬氏に殺された事件が有ります。
戦後処理で、彼は高貴郷公で有って皇帝では無かった事にされました、時間遡ってね。
皇帝弑逆の事実粉飾する為にそういう記録にした訳です。
司馬氏から見れば担いでるのは曹氏で有って、曹髦って個人などでは無かったって事だね。
現実問題として、家康は攻城戦に巻き込まれて秀頼戦死でも平気だったと思うよ。
誰か適当な奴を豊臣家当主にすえるだけ。
主君と思ってるはずがない。

866 :
西軍は西の丸には入ったけど本丸入城は拒否されて秀頼は本丸に籠城状態
西軍が秀頼を攻めているという状況でもある

867 :
なんだ大阪城と豊臣本家の状況を知らずに話してるのか
ただの知ったかかい

868 :
つまり東軍が大坂城を攻囲する前に
西軍が大坂城本丸に居る秀頼を攻める戦があるっちゅうことね

869 :
>>865
何断定してんの?もっと控えめに発言したら?

870 :
>>867
関ケ原の戦後処理こそが、家康が豊臣秀頼を敗者と見てる証拠だと思いますが?
恩賞って大義名分で、65万石迄領地減らしてるじゃん。

871 :
>>865
東軍諸大名が大阪城攻めなんて参加する訳ないだろカス

872 :
>>870
つまり西軍は家康一人勝ちのために家を潰し首を捧げた家康の同志かw
西軍が秀頼から拒否されてるのは大阪城の状況から明らか
豊臣本家は家臣の内輪もめという態度だけどね

873 :
>>870
関ヶ原の秀頼は勝者でも敗者でもなく傍観者
もっとはっきりと言えば東軍も西軍も見捨てとてもじゃないが天下人とは呼べない存在
>>792の言葉を借りれば自分の領地も守れない取り潰されてもおかしくない状態

874 :
秀吉の最盛期ですら諸侯に気を遣い気前よく賞していたというのに、
その秀吉がいなくなったのに恩賞ケチらない(=為政者の義務を果たす)のは不自然らしい

875 :
>>865
>現実問題として、家康は攻城戦に巻き込まれて秀頼戦死でも平気だったと思うよ。
>誰か適当な奴を豊臣家当主にすえるだけ。
>主君と思ってるはずがない。
それは誰にとってもそうだろうね
上杉は明らかにその旨意思表示してるし、毛利や奉行、存命時の利家含む前田やその他諸侯も同じ

876 :
関ヶ原後の家康担ぎ出しの主犯は朝廷だと思う

877 :
>>873
松平は織田と今川の境目の大名だから、あの場合取り潰しか松平同族の誰かを岡崎城主に
任命しても普通な状態。
それを取り潰ししてないから、寧ろ今川の温情って見るべき状況ですね。

それを、今川に虐め抜かれたって宣伝ですから、プロパガンダは怖いなと。

878 :
せっかく岐阜城の後詰決戦案でも話しよかって話になっとる時に
この例え話はまだバカやらかすんかい

西軍が不当に秀頼を監禁してるだけで東軍からしたら普通に当主のままやっちゅーのもわからんオツムやし
ゴミみたいな妄想の追加してるだけでまるで説明にもなってないし
大坂城の構造すら理解できてないし

こいつほんま救いようのないバカやな

879 :
本領と蔵入り地の見分けくらいつけられるようになれやほんまに

880 :
>>877
まあそういうことにしないと平和ボケの感覚で織田と組んだこと批判する奴出てくるからね

881 :
日付変わったら池沼くんがわらわら出てきて、なかなか末期感あるな

882 :
日付変わってからだとまだ1レスしか例えてないぞ

883 :
>>876
それは完全な勘違いだ

884 :
>>877
秀頼が主としての責任を果たせていないのには変りはないな
だから家康に代行を頼んでるってのに西軍はそれを不服としてクーデターを起こすし
秀頼は家康を支持するわけでもなくかといって西軍を支持するわけでもない
どちらかの肩を押してそちらを勝たせていれば体面だけは保てたかもしれないのに
人の主として求められる責任を放り出して天下人としての資格を失ったわけだ

885 :
>>884
秀頼って当時何歳だよ

886 :
>>885
知らないの? 検索すれば分かると思うよ?

887 :
>>886
そうゆう話しじゃねーだろ

888 :
>>876
この時点での豊臣家は朝廷からしたらどうでもいい存在になってる
徳川が始末してくれればご苦労様程度じゃないかな
ただ明t光h・・・じゃなかった天海がパイプ役的な仕事はしてたかもね
他にも井伊、本多、藤堂、服部、秀忠に家光と磐石すぎる布陣だ

889 :
秀吉の関白詐取以来朝廷はぐっちゃぐちゃに混乱させられたからなぁ
朝廷からしてみたら朝議もろくにできない状態を正常化してくれるなら豊臣政権なぞどうなってもいい、
正常化してくれそうな奴を天下人認定したるわって気分だっただろうね

890 :
>>879
どちらにしろ豊臣の領地が家康に処分されたわけでな

891 :
>>862
それは史実通りに進めた場合、あくまでifだから後手に回って多勢に無勢で岐阜城が落城したのが史実、そこをかえるというのはifなら何もおかしくはない。あくまで仮定だからシミュレーションするのも悪くないだろ。

892 :
これで領土処分されたから最初から主君蔑ろにしてるってのならまさしく、本能寺の後に所領バラバラに分割統治始めた織田家臣は全員最初から織田家乗っ取る気だったと主張するんかね
ちょこっとでもマシなオツムがあればわかる事をどうしてまともに考えない?

893 :
>>892
それもおかしいんじゃない

894 :
とりあえず君はまず、お客様根性で賛成の反対なのだをずっと繰り返す前に求められた岐阜後詰案の自分なりのシミュレーション出してみなさい

895 :
>>892
その最初からかどうかは誰も言ってなくて勝手に処分したその事は家臣として出すぎた真似だ。

896 :
まず第一に勝手でもなんでもないっての勉強しといで
知識が足りてなさすぎる

897 :
敵か味方かわからない金吾を関ケ原に入れない
伏見城に続き大津城担当にさせておけば味方だったかもしれない

898 :
>>892
あと秀吉そのものにも織田家をないがしろにしたという事実はある。秀吉が清洲会議で担いだ後に秀信になる子供なんて一大名扱い。最初からかどうかは問題じゃない。

899 :
分かりづらいかもしれないけど勉強をしといで
柴田も丹羽も池田も滝川も、所領勝手に分割したからこの時点で出すぎた悪臣ですにはならんから
幼君で政治判断ができない以上、家臣が蔵入り地の管理をすることになるってのはわかろうか
ましてや遺言でこいつに政務任せるからと言われて、さらにもともと蔵入り地の管理をしてた連中が軒並み謀反でしょっ引かれたなら猶更
あまりに知識が間違いすぎてて、しかも聞かんのは問題すぎるで

900 :
>>894
上の人は真面目にシミュレーション
してくれたね。その他の人は相変わ
らずだ。実際上手くいったら東軍の
戦力が削がれた分を埋めるべく急い
で家康と秀忠が揃って美濃にやって
くるはずでから史実のような秀忠遅
参は無かったかもしれない。それを
受けて大阪の輝元が援軍にやってく
るかどうか。岐阜城健在ならある程
度時間を稼げるから形を変えて総力
戦になるかな。

901 :
うん、その場合北陸の前田勢をフリーにしかねないね
あと他の人は相変わらずだっての、少なくともそれに油注ぎ続けてる君が言えた義理じゃないからね?

902 :
家康の優秀な家来を片っぱしに暗殺
とにかく忍者を大量に雇う
情報だ
次に武器
堺と国友独占
次に舟海上閉鎖

903 :
菅沼の相手をするなよ
信忠スレを見習え

904 :
岐阜城後詰め決戦で西軍が大勝して、やっと互角の状況じゃないかな
前田のフリー問題は彼らにどちらにつくかを考えさせる時間を与えるということでもあるし、史実のような西軍に一方的に不利な案件ではなくなるからだいぶマシかな
どちらにせよ関ヶ原戦役の天王山は岐阜城戦であって、関ヶ原本戦は消化試合に過ぎなかったのかもね

905 :
>>904
前田は仕方なしに家康の軍門に下ったが状況によっては裏切って西軍につく可能性もあったのかな

906 :
>>904
実は天下分け目の岐阜城攻防戦だったかもしれんのか。史実があまりにもかんたんに落城させられたから一般的には大きな出来事としてとらえられてないんだよな。

907 :
>>904
家康と秀忠の徳川軍だけで7万近い大軍だからね

908 :
実際前田が味方してくれるような状況になれば利家が柴田勝家を裏切ったことをふまえ親も親なら子も子だと言われてただろうな。

909 :
岐阜城攻防戦で後詰による数的優位を作り出しては
赤坂の陣で西軍の方が多いのになぜ手出ししなかったのか

910 :
毛利が日和ったから

911 :
最強の城を見たが
岐阜城かなりの防御力
池田が元城主といえど
何故1日で落ちたのだろうか

912 :
テレビを信じるなよ

913 :
>>911
守備隊の人数が少なすぎた
防衛線をはるなら大垣までさがっちゃダメでしょ。

914 :
やっぱそこは軍事のセンスが無かったってことなんかな

915 :
むしろ西軍の限界を表していたと言えよう

916 :
大垣がそもそもアカン土地なのか、それ自体はセーフだけど市橋と徳永の動きに対応してるうちに反応遅れたのか

917 :
仮に西軍が勝ったとしたら
五奉行、五大老はどうなってたの?
五奉行の力が強くなって
五大老は徳川、前田降格で島津、真田辺りが入るか?

918 :
西軍が勝っても豊臣政権が秀吉の頃のようになる可能性は限りなく低いし存続できるかすら怪しい
だから豊臣政権のことはもう横に置いといて純粋に西軍が軍事的に勝つにはどうすればよかったかを
検証しようという流れになってる
つまりは秀吉が死んだ時点で政権としては詰んでるんだがそれを認めたくない誰かさんが
古臭い知識で荒らし回ってるのが現状

919 :
中央政権があることのうまみを理解してたのは奉行と政務執ってた家康くらいでしょ

920 :
>>916
こいつらを制御できないのか
可能だったら岐阜城もセーフ?

921 :
>>918
清須開城断られた時点で力攻め
これで美濃伊勢の敵対武将波動西軍に
堀に仙石 田中も

922 :
すがぬま〜

923 :
>>918
もともとそれがスレの本道でスレタイ通りのネタ。豊臣政権をどうすれば救えるかなんて最初から問題じゃない。

924 :
>>789
主に新説で語られてるところだな

925 :
伊勢なんか放置
前田も放置
全軍で清須を攻めよ

926 :
>>925
だったら伏見も放置でいいな

927 :
>>926
小早川だけに攻めさす

928 :
じゃあ大阪城も放置で

929 :
>>923
西軍が何のために挙兵したのか考えたら
豊臣家や政権がどうなろうと知ったこっちゃないなんて論外じゃないの
その辺の原因を無視って、じゃあ何のために西軍は挙兵したんだよ

930 :
>>928
放置でいい
輝元も清須に駆けつける

931 :
>>929
家康の首を捕る為だろうが

932 :
>>929
自分たちの権力の維持
でも、その為には豊臣政権が必要だから、さすがに知ったこっちゃねーとはいかないね

933 :
>>931
その家康を討伐するって行動を、
豊臣政権や豊臣家がどうなっても構わんという認識になってまで
やる必要が西軍にあったのかって話をしてんだよ
それって毛利はともかく、奉行や宇喜多にとって自己否定に近いんだけど
そういう部分を無視するのはいくらIFだとしても、どうなんだ?って話

934 :
「清須」はNG推奨ワードだぞ

935 :
>>933
なにを言っての
秀頼も淀も死んで
大阪城は燃え落ちたんだぞ

936 :
弱く小さくなった豊臣政権でもいいんじゃね
秀吉存命時ほどまではいかなくても短命だろうと、地方に多少デカい顔できる政権ならそこで権勢振るう価値はあろうよ

それこそ権力争いで自分とこの屋台骨崩れても争い続ける佞臣なんて歴史上腐るほどいるし

937 :
>>935
それ大坂の陣の話だろ、何言ってるんだ?
ああ、ひょっとして家康が未来においてそれやってるんだから
そんなこと言ってる場合か!って話なのか?
それって関ヶ原という天下を揺るがす極めて大きな事件が起きて、
天下や人々の認識や立場が大きく変わった事を無視してるよね
要するに、関ヶ原が起きる前から家康が豊臣を滅ぼすつもりだった証拠は
別にないですよね、って事
例えばさ、秀吉が本能寺が起きる前から関白就任して小田原征伐や
九州征伐なんかをして天下統一するつもりだったと思うか?それはないでしょう
あくまで本能寺という極めて衝撃的な事件が起きたうえでの話でしょ、それ
つまり、関ヶ原後の家康の行動はその前の家康の行動を判定する証拠にはならないの

938 :
>>933
それは西軍の大義や正義を問うことでスレの趣旨とは違う

939 :
>>933
戦国時代に何求めてんの?連中はそんなキレイな思想では生きてない
勝てりゃ何でもありだろが

940 :
豊臣政権の代替わりは大失敗だな

941 :
>>937
君の言うてる事はまともな人間なら十二分に理解できることで、そんなもんを理解出来てない時点でマジもんの頭アレなやつか荒らしでしかないからかまわんといて

学べるだけのオツムのないのに説教しても無駄やから

942 :
>>937
極めて衝撃的な出来事で考えが変わったということだがそれって簡単にいうとチャンスがきたからやっちまったってやつだよな

943 :
>>937
秀吉に関しては北条攻めや九州征伐など具体的なビジョンはその時その時で考えていったにすぎないが本能寺が起きたからチャンスが来て漠然と天下取りが見えてきたというのはあると思うぞ。

944 :
>>938
西軍は豊臣御為を掲げたんじゃなかったっけ?
それを理由に挙兵しているんだから、初手からそんなもん無視なんてできないよ
そもそもそれを掲げたからこそ、西軍が一応の成立を見ているわけで
そんなもん無視ってそれただの謀反ですらない暴挙だから誰もついてこないよ
>>942
どちらかというと「ああいう展開になってしまった以上、
こうなってしまった、もうどうしようもない、仕方がない」の方が近い

945 :
>>944
そういうのも建前だから勝てばなんでもいいんだよ。実際西軍が勝てば淀殿や秀頼君から逆賊家康をよくぞ討ち果たしてくれましたとか賛辞が送られるだろ。建前上の大義らしきものは両軍ともあったから勝つか負けるかだけが問題。

946 :
>>945
そこら辺を完全無視する場合、前提として
「自分たちが絶対的に不利であることを自覚していること」が必要でしょう
もしくは「何やろうが絶対に負けることはない」場合だ
で、関ヶ原の場合、一応は豊臣御為を掲げなければならなかった以上、後者はない
で、問題は前半だが西軍がこういう認識になるのはどう考えても
岐阜陥落前後になって初めてそういう認識になるはずだ
西軍は『前提として』自分たちの挙兵によって家康に従う必然性のなくなった
上杉征伐軍が瓦解して大半がこちらに戻ってひれ伏し、家康は震えあがって
関東に引きこもる(少なくとも即反攻作戦はとれない)という想定をしている
つまり、建前を無視する理由が少なくとも岐阜陥落前後までは一切ない
だから、その想定をするのなら『どうして西軍がそんなことしなきゃならないの?
どうして西軍が未来の出来事をすべて見通してるの?』という話になってしまう
いくらIFでもその辺の整合性位はきちんとしてほしい

947 :
>>937
清正 堀 仙石 浅野 福島 結城
他も多数 死んだ

948 :
>>940
それそれ
現代迄引き継がれている有様

949 :
>>947
まーた陰謀論持ち出して超時空権現家康を讃えてるのか

950 :
>>949
家康に騙されて利用される組に、君も入っているの気づかないのか

951 :
どんだけスレの本題に巻き戻そうとしても陰謀論バカとそれはやし立てるのが湧き出てくるんだからどうしようもないな
マジで暫く次スレも立てないでバカ避けした方がええんとちゃうか、すぐ立てるからバカが居つくんやと思うで

952 :
>>951
バカをバカにするな
バカ
バカ
 (>⌒⌒⌒<)
 ((● ●))
 ( (_人_) )
  ( U )
  ( ^^ )
  (^ ^)
  ( ^^ ⌒⌒⌒⌒ヽ
  (^ ^^ ^ ^ )
  ヽ ^ ^ ^ ^ ノ
  ( ( )~ ̄(~( )
  (_(_)  (_(_)
   UU   UU

953 :
>>951
そしたら今度は真実スレに居着くんじゃないか
史料と学者の論文を元に語るスレで
そんなもの信用できないって叫き立てる奴だぞ
史料を信用できないのに他の歴史で例えるなんて阿呆な奴なんだからな
結果から歴史を語るという史学ではやってはいけない事も知らず、
誰からも賛同を得られない、自分の妄想が一番正しいと思っているから始末に悪い

954 :
あー、あんなのが真実スレに行くのは申し訳なさすぎるな

ここバカ集積所として素晴らしい機能してたんだな

955 :
>>953
そんなことばっかり言っていると
家康に殺られるぞ

956 :
>>954
ということは今書き込んでるあんたもバカの一員なわけだ

957 :
>>953
なんかごっちゃになってないか

958 :
南宮山にも上ったことがないお前らに何がわかる?wwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

959 :
おー、ものすごい勢いでバカが吸い寄せられてる すごい

960 :
>>959

とかいってる自分だけは例外と勘違いしてるやつ

961 :
そもそもいい年こいた大人が西軍だ東軍だ奉行には大義がない家康がとーたら言ってる時点で馬鹿だろ。金にならんなら特に。

962 :
>>961
そんなことを言ってると
大久保長安に資産 根こそぎ奪われますよ

963 :
名指ししてるわけでも、書き込んでる人間全員がバカだとだれも言ってないのに今書き込んでるのはバカとか斜め上の解釈しながら突っかかってる辺り、自覚してるっぽい

964 :
残りレスも少ないんだし議論以外のレスは控えてくれないかね

965 :
>>956
必要条件と十分条件って知ってる?
「バカはここにしかいない」と「ここにいるのは例外なく全員バカ」ってのはイコールじゃないぞ

966 :
>>965
顔真っ赤にしちゃってw

967 :
自分がお顔真っ赤になってるからといって他者が必ずお顔真っ赤になるわけでもないってのも見分けがつかないらしいからまぁ

ほんとに適当な方に向かってバカって呼んだら何がバカだって顔出すもんなんですね、バカって

968 :
>>966
井伊の赤備えに串刺しにされるぞ

969 :
>>967
そんなに必死になるなよ笑けて来るだろw

970 :
あかんいつものお笑いスレになってしまってるなスレ主さん次スレお願いします

971 :
>>968
ぐはっ

972 :
次スレたてました。


関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part30
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1579283442/

973 :
>>972
ありがとうございます

974 :
埋めますか?

975 :
いや、無理に埋めんでも。

ネタ振りとして、鳴海上陸作戦案考えてた時
なんとなく思ったことだが、
伊勢湾回航した毛利水軍は隆景旧臣の連中っぽいなと。
わたしは二通りの見方ができるなと思った。
ひとつは輝元直属として、輝元は東海道進出に意欲的であったという見方と、
もうひとつは、扱いに困った隆景旧臣をとりあえず最前線送り。
四国上陸作戦の支援でもいいと思うけど、
輝元の意図がいまいち読めない。

976 :
>>975
毛利といえば水軍だけど関ヶ原戦役において使う機会がなかったことは残念

977 :
東軍が安濃津に上陸したから慌てふためいて急遽送っただけやろな
陸軍の動きに比べ遅すぎる

978 :
>>975
大阪寄らずに一気に知多にいってしまう
毛利4万全軍で

979 :
大坂の陣のときでさえ、大名同士の横の連携がまったくとれてなかったっぽいんだから、
さらに欲得がモチベーションになってた関ヶ原の戦いで、陸海の連携作戦なんか取れる余地があったんだろうか

980 :
水軍送って情報収集と牽制かな
毛利視点だと前線の石田らの情報がアテにならないと見たか
少なくともこの時点までは輝元にもまだやる気はあった
岐阜城陥落後の毛利の速やかな和睦交渉はこのルートの情報があってのことかもしれない

981 :
秘境駅のオープニング出てくる鉄道オタク
うざい
平野レミとタイプ似ていて

団長も

企画はいいのだが

982 :
最初から、大坂以東はあきらめて、秀頼を人質に大阪城に籠城すればいいんじゃね?

983 :
建前上とはいえ決起の名目の君主を人質にする外道プレイ
やれたら強いかもね

984 :
>>982
そうなると前田利長と東軍が合流する

985 :
>>982
作戦概要と勝ち筋を説明してもらえる?

大坂城占拠するだけで勝てるなら苦労はないんだけど。

986 :
>>985
大坂城に5から6万程度で籠城して、余剰戦力をすべて
九州四国中国の敵対戦力掃討に充てる。
大坂以東の上杉とかも全部東軍に降伏することになるだろうが、
元々西日本の方が豊かなんだから、後方から攻撃される
心配さえなくなれば長期持久戦をやれる。
海外からの硝石の輸入ルートは西国を経由しているので、
西日本を全部抑えてしまえば東軍は火薬の生産に支障を来す
から、長期戦に持ち込めば有利になる。

987 :
>>986
関所止めで西軍に組み込まれた連中がボロボロ離脱せんかね?

988 :
西国制圧が成った時には中央ではすべて終わってそうですねとしか

989 :
長期戦に持ち込めるだけの準備と戦力が整ってたらいけるやろうな
問題としちゃ長期戦に持ち込めるだけの準備も戦力もない点で

990 :
大阪籠城だと近江大和は東軍になるので増田長束石田は領地無し
奉行衆の実権は無くなる

991 :
なぜ彼らがそうしなければいけないのかという根本的な疑問は措いておくとして
上杉真田に佐竹あたりに死に物狂いに働いてもらってやっと大坂以西じゃ割に合わないような

992 :
九州四国中国勢も攻めてきたら抵抗するやろしな
毛利宇喜多の影響強い中国は抑えられるかも知らんが
九州は領国に戦力残してる連中も多いし叩ききれなかろう

993 :
上杉が死に物狂いをやるつもりだったかは判断できない
上方の西軍が会津征伐軍引き付けてくれたおかげで自分より弱い最上を虐める余裕ができただけ
佐竹に至ってはそんな気はさらさらなかったことが明白

994 :
>>990
元々、領地の広さや勢力で権勢を張ってたわけじゃないと思うが。

それに、逆に西国の東軍の本拠地もなくなるわけで、黒田とかも根無し草になるぞ。
真田はともかく、上杉や丹羽は適当なところで降伏するだろうけど、すぐに東軍の
戦力になるわけでもなし。
西軍で大坂以東に領地のあったのは上杉・丹羽・織田以外は小領主ばかり。
手勢を連れて大坂に来させればいい。
大坂城を占領して、米蔵・金蔵を接収すれば養えるだろ。
「秀頼を人質にする」前提なんだから、秀頼や淀の考えは関係ない。
なんなら、淀殿を磔にして、大坂に攻めてきたら今度は秀頼がこうなるぞ、といってやれ。

995 :
>>994
淀を磔にするということは豊臣の旗本と戦う大阪城本丸攻めになるので西国平定どころじゃない
宇喜多立花長宗我部あたりは離反
島津も義久が義弘を呼び戻しそう
大阪城攻めで大きく戦力を削られた奉行衆と毛利だけになるのか
御館の乱の二の舞かも

996 :2020/01/21
烏合の衆が大義名分を放棄したら崩壊するだけ

江戸時代、ハワイは日本の植民地だった。
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