TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ4【秀頼・秀次】
長尾景春
【今ごろ?】 もし豊臣時代に信長が帰って来たら?
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part26
東北戦国史
【今ごろ?】 もし豊臣時代に信長が帰って来たら?
ホモの戦国武将
結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
そろそろ最強の剣豪を決定しようか
戦国時代評論家総合スレ

武田勝頼 PART22


1 :2019/08/03 〜 最終レス :2019/10/22
武田勝頼、PART22です。

武田勝頼、及びその関係について何でもどうぞ!

前スレ
武田勝頼 PART21
ttps://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1562411499/

2 :
武田勝頼 PART18
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1557248611/
武田勝頼 part20
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1560182866/
武田勝頼 part19
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1559717511/
武田勝頼 part18
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1557227300/
武田勝頼 part17
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1554870783/
武田勝頼 Part16
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1553253429/
武田勝頼 part15
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1551006280/

3 :
武田勝頼 パート14
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1546935322/
武田勝頼 パート13
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1545459786/
武田勝頼 パート12
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1544005614/
武田勝頼について パート11
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1541821589/
武田勝頼について パート10
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1539470644/
武田勝頼について Part9
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1537200334/

4 :
保守

5 :
借米しても豊臣に返すだけ、米を遠い戦場に
運んでたのが行き先が豊臣領になるだけの話
自領だと捻出できる兵糧は石高の限りがあるし
自領から遠い戦場に持っていく時は運ぶ陣夫、
兵糧を護衛する奉行、護衛や運ぶ人馬にかかる食料
諸々掛かるのになぜか無料で、米も無限に湧く設定
借米する時はなぜかかなりのペナルティが課せられ
大名は兵糧を借りない設定
実際小田原征伐では秀吉は清水港に20万石を超える
兵糧を運び込み、雑兵や馬用の米雑穀20万石も徴発
長文コピペの人は誰も使わないのに秀吉はそんなに
大量の兵糧を持ち込んだと思っているんだね

6 :
鉄砲など怖れてはならぬ!われらには亡きお屋形さまが、信玄公がついておる。

7 :
九州でも集めていたな

8 :
>>5
またいつものように捏造ですかあ?
織田の兵糧補給の話だったでしょうに。
またいつものように、都合の悪い事は必死に答えないようにしておいでのようですけど、
>甲州征伐の前年に牧之原城に織田が兵糧を運び入れている
と貴方こと必死な織田ファンさんが書いた事ですけど、黄金50枚で兵糧8000俵、のこの記述が、
色々と貴方の論旨と矛盾した事を、示唆してますように思えますが。
まず、兵糧8000俵、というのは、米俵一俵がおよそ60キログラム、という事ですので、
当時の足軽とかは一日に5合の米は普通に食べていたそうで、戦闘中ではカロリーも多く使いますので、
もっと食べたとも思えますが、まず「少なく」考慮して5合としますと、
一合は一五〇グラムですので、5合は七五〇グラム程。
六〇キログラムの米俵は、60000グラム÷750グラムは80なので、
米俵一俵は、およそ80人程の軍勢の関係者の一日の食事だったという事になっていきますね。
で、この要領でいきますと、米俵8000俵、は、80を8000でかけて、64万人程の食事、という事になっていきますね。
で、武田攻めに参戦した織田勢は5万程はいたそうなので、仮に5万としますと、
この米俵8000俵では、たったの12日程の兵糧、という事になっていくのですが。
しかも、貴方も書いていますように、この米俵8000俵は、
使ってないのが多くあったので、家康や家臣達に渡しています。

なので、普通に考慮をしていけば、織田勢5万にとっては、たったの12日程の兵糧でしかない、
米俵8000俵、が、そんなに使ってないで、多くあまっていたので、家康と家臣達に与えた、
という事は、数か月程に及んだこの武田攻めにおいて、
この米俵8000俵、は、ほとんど使ってなかった、という事になっていきます。
貴方は、この米俵8000俵とかを、
普通の織田徳川の兵糧補給の為のもの、と思っておいでのようですけど、
上記のような事柄などを考慮していきますに、
この兵糧は、豊臣政権が、朝鮮出兵の時に、
基本的には各武将達の自弁での補給をさせていきつつ、
必要になった時に、豊臣政権が収集した米を「借米」させた、というのと同じように、
あくまでも、必要になった時の為のもので、普通の兵糧補給は、
各武将達の自弁によっていた、としか、
何度も私が提示をしてきました、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をも考慮していきますと、自然なように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

9 :
>>5 宛続き
で、実際問題としては、給料で返していく事が可能な金額であっても、
借金をしていく必要がない場合は、借金をしていく人が少ないように、
武将達だって、必要がない場合は、借米をしていこうとはしなかったでしょうし、
実際に、織田の事例でいえば、>>8にも書きましたように、
信長が用意した、兵糧8000俵が、ほとんど使ってなくて、
あまっていたように、織田家の武将達とかも、可能だけ自弁で補給をしていって、信長が用意をした兵糧を使うのは、必要になった時だけ、
という感じだったようなのですが。
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

朝鮮出兵の事例とかも考慮をしていきますと、
借米は基本的には使わないようにしていくものだったようなのですが。

10 :
菅沼アホだな
信長が黄金50枚で徳川から買い取った兵糧とは別で、牧之原城に織田過信が兵糧を運び込んでるのに
黄金50枚の8000俵は使う前に武田が崩壊しただけだぞ

11 :
聞クトコロニヨルト、武田ノ新タナ御屋形ハ、コノ武田勝頼トイフ人物デシタガ、甲斐ノ産マレデハナク、母親モ、信濃産マレノ側室ダッタタメ、甲斐軍団ヲ統率スルニハ、適当ナ人物デハナカッタソウデス
ソノウエ、少々強引ナトコモアッタヨウデス

12 :
>>8
こっちは豊臣政権時の借米の話をしているんだが?
豊臣政権時の借米が全く使われずに小田原征伐で
兵糧20万石がそっくりそのまま残されてたという
記述は?

13 :
>給料で返していく事が可能な金額であっても、借金をしていく必要がない場合は、借金をしていく人が少ない
桁が違う。いうなりゃ起業するのに銀行の融資は一切受けず資金全額自力で稼いで貯めろっつってるレベル
返済にかかる金利と、時間的損失や計画段階からの市況の変動リスクでは比べ物にならない

同様に、返済する米に色付けて大坂に輸送するコストと、
遠征先に多大な費用使って道中の危険乗り越えて輸送するコストどっちがデカいか

14 :
>>9
アホかこいつ。
何一人でバカなこと語ってるんだ。

15 :
輸送コストに関しても一度に大量に運んだ方が現代でも輸送コストが抑えられるのは当たり前の話
菅沼は働いたことがないから人件費や輸送コストが理解できないんだろう

16 :
小田原攻めは知らないけど信長の時代は兵糧は現地調達と自弁だよ

17 :
いや信長の時代も大名が集めるようになってるよ。
もちろん全てを大名が用意するわけじゃないけど。

18 :
>>17
大名というのは信長ではなく、筒井や明智みたいな大名のことを指すなら分かる
信長は基本的には用意しない

19 :
>>18
信長は家康から兵糧を買ったり、牧之原城に兵糧を運ばせてるのに信長は用意しない?
ギャグですかな?

20 :
池沼に構うなよ

21 :
>>19
>>18
>信長は家康から兵糧を買ったり、

これは要するに現地調達

牧之原城に兵糧を運ばせてるのに信長は用意しない?
>ギャグですかな?

牧之原城は信濃攻めには関係ないし、量も微々たるもの

22 :
嘘も百回繰り返せば真実になると思ってるんだろうな粘着荒らし君は

23 :
>>21
>これは要するに現地調達

信長公記で信長がもう要らぬと言って家康の家臣に配った所は浜松城な


>牧之原城は信濃攻めには関係ないし

牧之原城は運ば込み易く、移動もしやすい東海道側の城なのにそこから動かない設定なんだw


>量も微々たるもの

東海道側だから山道と違って大量に搬入しやすいのに、量も微々たるものってどこに書いてあるの?

24 :
米は収穫後、各武士に給付され城に備蓄される
有事の際にその城を守る武士がその米を使う
その流れを無視して信長が参陣した全武士の米を用意しようとしたら人足も費用も全く割りに合わない
例えば8万の兵の米を用意しようとしたら同数の非戦闘員を信長が直轄地から自腹で用意しないといけない
そんなことはなかったし、記録もない

25 :
>>18
>信長は基本的には用意しない
ちょっと意味がわからないな。
用意するのは奉行だと言いたいのか?

26 :
>>24
本隊の後ろに付く大規模の小荷駄隊は信長+各家臣が供出した兵糧の集合体ってのを知らないんだなw

27 :
>>26
つまり信長が用意した荷駄隊ではなくて各城の兵糧の寄せ集めってことだね

28 :
>>25
各城主が用意する
それが軍役ってもの
信長が負担してくれるほど甘くない
信長が負担してくれるなら織田家は攻められることはなかったから各城の兵糧は全部売っていいということになる
だから甲州征伐に呼ばれた近畿の部隊は迷惑したという記録があるし、信長がタダで配ったら「かたじけない」という認識になる

29 :
>>27
>信長+各家臣が

って書いてあるのも読めないのか
信長直臣や近衆、直轄地の兵も他の国の大名扱いしてるのか
菅沼並の頭だな

30 :
>>29
君が信長がほぼ全ての兵糧を負担したみたいなこと言ってるから指摘したんだが
直轄地分は直轄地の城に備蓄された兵糧を持っていくが、信長が全武士の米を用意したというには程遠い

31 :
>>26
人足も供出してるんじゃ。

>>27
それをまとめて大名とか上位の家臣が管理するんだろ?

>>28
こっちは別に信長の旗本領除く天領から負担するとは主張していないぞ。

32 :
>>30
>君が信長がほぼ全ての兵糧を負担したみたいなこと言ってるから指摘したんだが

どこで?
お前が先に信長は基本的に用意しないと言い出したんだろ?
お前、頭の病気か?

18:人間七七四年 2019/08/06(火) 12:55:25.99 ID:9pjI0Kbi
>>17
大名というのは信長ではなく、筒井や明智みたいな大名のことを指すなら分かる
信長は基本的には用意しない

33 :
簡単に領地わけると
1.信長の台所領
2.信長の旗本領
3.信長直轄の武将領

4.明智なんかの大名所謂軍団長の台所領
5.明智の旗本領
6.明智の武将領
7.明智与力の大名領

とあるわけだが
信長は2.3の荷駄をまとめて管理して、1の部分から供出したりもする
で他の大名は他の大名で456でまとめて管理して、1の部分から借米したりもする
7は更に自身の台所領や自分の家臣をまとめて管理して、場合によっては寄親に組み込まれたり
信長に組み込まれて管理されたりもする

とかこんな感じじゃ。
正確に言うなら武将領から更にそれの陪臣領とかに分類されていくが。

34 :
>>32
直轄地分を用意するから信長も負担してるという屁理屈なのか?
自分は公儀の負担ではないという意味で書いた
直轄地分の米だって正確には信長のものではない
信長の直轄地の武士のもの
だから正確には信長が負担したものではない(信長が給料として渡したから信長が負担したという屁理屈ならそうだが)

35 :
>>34
屁理屈こいてんのはお前じゃねーかw
信長がどこをどう攻めるか、どこの国衆を出陣させるか
兵糧基地をどこにするか決定権が全部あるのにw

36 :
>>34
その理屈なら
>大名というのは信長ではなく、筒井や明智みたいな大名のことを指すなら分かる
なんでこんな発言が出るんだ?
その理屈なら筒井や明智も負担していないことになるのに。

37 :
>>36
信長=公儀
明智、筒井=公儀ではない
から

38 :
>>35
意味がわからない

39 :
ID:9pjI0Kbi
誤魔化しに誤魔化しを重ね、ついに意味不明なことを言い出すw

40 :
>>37
全く意味がわからないんだが。
筒井や明智だって家臣いるんだよ。

41 :
>>39
君こそ何を主張してるのかわからないよ
君は甲州征伐は兵糧は公儀の負担だったと主張しているのかと思ったのだが、違うのか?

42 :
>>40
信長の直轄地分の兵糧は直轄地が負担する→公儀の負担ではない(もともと当然に負担すべきもの)
非直轄地の兵糧を非直轄地が負担する→公儀の負担ではない(もともと当然に負担すべきもの)
非直轄地の兵糧を直轄地が負担する→公儀の負担

最後だけ大きな違いがある

43 :
33付けたしで
軍団長は軍団長で4の部分から56に供出したり貸したりも当然あったろうな。

44 :
ただの言葉遊びじゃ?
それで何で>信長は基本的には用意しないになるのかも意味不明だし。

45 :
菅沼がID増殖してるな

46 :
>>41
>>24では信長を含めた兵糧の構成の話してたのに、急に公儀ガーは笑えるw

47 :
>>46
で、君は何を主張してるの?

48 :
>>44
公儀の負担ではないということ
言葉遊びじゃなくて大事なことだよ
家臣は自弁が基本
信長からもらうならそれは公儀の負担なんだから歴然とした違いがある

49 :
>>47
18:人間七七四年 2019/08/06(火) 12:55:25.99 ID:9pjI0Kbi
>>17
大名というのは信長ではなく、筒井や明智みたいな大名のことを指すなら分かる
信長は基本的には用意しない

>信長は基本的には用意しない

信長は黄金50枚で兵糧買って用意してたし、前年に牧之原城にも兵糧運び入れてるから
最初からお前の話は破綻してたんだけどね
急に公儀ガーは笑えるよなw

50 :
>>49

>信長は黄金50枚で兵糧買って用意してたし、前年に牧之原城にも兵糧運び入れてるから
>最初からお前の話は破綻してたんだけどね
>急に公儀ガーは笑えるよなw

何度も書くけど牧之原城の位置的に信濃攻めとは何の関係もない
公儀の負担というには買った兵糧の量が極めて少ない
君こそ何を主張してるのかわからない

51 :
自分の間違いを認めず駄々捏ね
ホンマ幼稚園児と変わらんメンタルやな粘着荒らし君は

52 :
>>50
戦いがまだ始まってない甲州征伐前の前年に牧之原城に運び入れてるのに、位置的に関係ない?
大量に運び込み易く、他に移しやすい東海道側の城なのに?
甲州征伐のために用意した8000俵を信長は浜松城で要らぬと言って家康の家臣に配ってるけど?


黄金50枚で買った量が少ない?
信長の直轄地の兵だけならそこそこの量じゃない?

>>30
>君が信長がほぼ全ての兵糧を負担したみたいなこと言ってるから指摘したんだが

お前が8000俵で全部の軍を賄うって言い出してるよね?w

>信長は基本的には用意しない

用意しないんじゃなかったの?
何回も言うがw

53 :
>>52
>>50
>戦いがまだ始まってない甲州征伐前の前年に牧之原城に運び入れてるのに、位置的に関係ない?
>大量に運び込み易く、他に移しやすい東海道側の城なのに?

牧之原城から信濃に送れないだろ

>黄金50枚で買った量が少ない?
>信長の直轄地の兵だけならそこそこの量じゃない?

は?直轄地の兵の為だけと言いたいの?

>>30
>>君が信長がほぼ全ての兵糧を負担したみたいなこと言ってるから指摘したんだが

>お前が8000俵で全部の軍を賄うって言い出してるよね?w

何言ってんだか意味不明
相手に分かりやすい文章書こうな

54 :
>>53
>牧之原城から信濃に送れないだろ

じゃあどこの兵糧?

55 :
>>54
推測にしかならないが駿河か甲斐で長期戦になった時や徳川向けだろ
牧之原城から信濃には送れません

議論の前に君が何を主張してるのか自体分からないんだけど

56 :
>>55
>徳川向けだろ

42:人間七七四年 2019/08/06(火) 14:54:27.91 ID:9pjI0Kbi
>>40
信長の直轄地分の兵糧は直轄地が負担する→公儀の負担ではない(もともと当然に負担すべきもの)
非直轄地の兵糧を非直轄地が負担する→公儀の負担ではない(もともと当然に負担すべきもの)
非直轄地の兵糧を直轄地が負担する→公儀の負担

最後だけ大きな違いがある



>非直轄地の兵糧を直轄地が負担する→公儀の負担

徳川家康は信長の同盟国で非直轄地だよな?
信長は公儀(笑)の負担をしてたってことか

あれ〜?信長は公儀(笑)の負担とやらをしてたってことか〜


↓信長は公儀の負担はしてないんじゃなかったの〜(笑)
34:人間七七四年 2019/08/06(火) 14:19:52.26 ID:9pjI0Kbi
>>32
直轄地分を用意するから信長も負担してるという屁理屈なのか?
自分は公儀の負担ではないという意味で書いた
直轄地分の米だって正確には信長のものではない
信長の直轄地の武士のもの
だから正確には信長が負担したものではない(信長が給料として渡したから信長が負担したという屁理屈ならそうだが)

57 :
ID:9pjI0Kbi
自分の言ったことを忘れる鳥頭
間違いを認めずに駄々を捏ねる幼稚さ
菅沼と同じで武将が個々に運んでたと自弁にやたら拘り、菅沼と同じ主張

本人だよねw
長文コピペして頭に記憶障害があるのか矛盾を突っ込まれまくる激弱っぷり

58 :
>直轄地分の米だって正確には信長のものではない
>信長の直轄地の武士のもの

久々にワロタ

59 :
>>56
徳川向けだろうと量は少ないし、信濃から入った織田軍には関係ない話

自分の主張は自弁と現地調達が基本で信長は公儀として兵糧は負担しないのが原則ということだが、君の主張は?
自分の主張も言わずにあれこれ揚げ足取るのは卑劣だよ

60 :
>>59
>自分の主張も言わずにあれこれ揚げ足取るのは卑劣だよ

お前が馬鹿なだけなんだぜ?

>>18でお前「信長は基本的には用意しない」と言い出し

>>36でその理論だと明智や筒井も用意してないって事では?っと矛盾を指摘される

>>37>>42でお前が矛盾の誤魔化しで苦し紛れに公儀ガーと言い出す

俺が>>56でその公儀(笑)とやらの矛盾を突っ込む


矛盾を隠そうとしたって誤魔化せないだけだぞ
素直に間違いを認めずに幼稚な駄々を捏ねるからw

61 :
>>53
>何言ってんだか意味不明
>相手に分かりやすい文章書こうな

公儀とは…自己が所属する公権力側を「公儀」と呼ぶ
      紛争等が起こった場合、朝廷や幕府の後押しがあるか大義名分がある方を呼ぶ


公儀の意味も勝手に作らず日本語で話せよw
兵糧のことで使う言葉じゃないからw
分かりやすく書こうな菅沼

62 :
>>61
明智にしろ、直轄地の武士にしろ、城に自分の知行から得た兵糧を備蓄し、それを合戦で消費する
自分の給料を自分で使ってるだけ
つまり自弁

一方で信長が自腹で兵糧を家臣のために用意するのは新たに給料与えてる又は減税しているのと同じ

両者は全然違うから後者を公儀の負担と書いた
君はどう主張してるのか?

63 :
>>62
>>58でも笑われてるように、お前の意味不明な区分けがみんな理解不能なんだよ?
お前が誤魔化しで他人が理解しにくくなるために意味不明な公儀(笑)とやらを言い出し
それを俺は頑張って理解した上で、>>56でお前の矛盾を突っ込んだら卑劣呼ばわりだもんなw

最初から俺は>>19>>26で信長は兵糧出してるって言ってるのにw

64 :
字面見て借米の意味理解するのそんな難しいか?長文コピペマンでさえ理解できてることなのに

65 :
>>63
朝鮮出兵ですら各大名の自弁、現地調達なんだけどね

66 :
>>62
明智も自分の家臣に対しては自分の知行内で信長と同じことしてるわけだが?

67 :
>>66
明智は麾下、与力に問題生じたら信長から大目玉くらう
信長は明智他の麾下の兵糧面倒みる義務はない
信長がやるのは配下に領地を与え、領地を保護すること
だから前線の配下が攻められたら兵糧を与えたりはするが、侵略する時は兵糧は配下の自弁が基本

68 :
>>66
>>36でも同じ質問をした人がいるんだけど
返ってきた返答は>>37

意味わかるかい?w

69 :
>>68
君は公儀や着到の意味も知らないレベルだから仕方ないが
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/6187/1/kenkyu0090300230.pdf

あたりを読んで出直したらどうだ?

70 :
ID:9pjI0Kbi
どこか逃げちゃったみたいだねw

71 :
自弁が基本だとする根拠の論文提示されてんだからそれについて、学術的に反論してみたらいいんじゃないかな

72 :
>>71
そんなものあったか?
別のスレの話?

73 :
上のpdfか、まだ見てなかった、すまん

74 :
>>65
え?部下に任せっぱなしで秀吉が敵地に行かずゴタゴタで失敗して文治派と武断派の決裂に繋がる朝鮮出兵と
甲州征伐時の信長が兵糧を用意してないって話に何か関係あるの?

75 :
>>69
失敗した戦の例でこれが標準と語るのってまんま菅沼じゃないかw

76 :
戦国時代の中頃まではせいぜい隣国に攻めいる程度だったけど戦国時代後期は
複数の国を領する大名が出現することにより国を跨いだ遠征が
各地で行われ、それにより遠方の家臣達は自弁する事が難しくなった。
そのため武田であれば内藤が兵站を担う奉行に任命されたりと
自弁から組織的な兵站に切り替わっていった

77 :
近畿から信濃に兵糧を運び入れるとかバカの極み
普通に濃尾と三河遠江、あと現地調達に決まってる

78 :
>>77
誰かさんの頭の中では地理の知識が幼稚園児以下だから、何処でも簡単に輸送できるんだよ。

79 :
菅沼曰く、三河においての主城は浜松城だしなw

80 :
ID:9pjI0Kbi の主張が意味不明すぎる。
>>16で最初に現地調達と自弁と言っておいて、
>>18では大名というかトップは集めたりしない
筒井や明智みたいなそれなりの領地持った有力武将は現地調達と自弁だけではなく集めると主張。
>>48では家臣は自弁が基本に戻る。

自分の中で完結していて周りに上手く説明出来ないだけなのか、
条件反射でレスして意味不明になっているのか、言葉足らずなだけなのか。

81 :
>>67
それ信長を明智に、明智を明智家臣にして同じこと言えるぞ。
領地貰ってる家臣は基本小さな大名みたいなものなんだから。

>>69
釜山に送られた秀吉の蔵入り地の兵糧米が秀吉直轄の部隊用ってのは知らなかった。

でこれ見るとやっぱり大名は武将の領地ごとではなく大名がまとめて調達してるみたいだな。

>>71
自弁が基本には誰も反論していないような・・・

82 :
>>69に書かれてることを抜きたすと

・太閤蔵入地(豊臣所領)の蔵米を兵糧米にしろと秀吉から命令が下る
・海運、海路でしか敵地に行けない特殊事情のために、運賃が課せられる

・文禄元年10月頃、捻出した蔵米を兵糧米として送るために各大名所有の船を日本に戻せと秀吉が命じる
 そして浅野長政が各大名の駐屯する城へ分配

・先遣隊が確保した城に兵糧を送ろうにも秀吉直臣団渡海のために兵糧輸送が遅滞する ← もうグダグダ

・上の遅滞について、清正から現地調達したから要らないと報告あり
 三鬼清一郎氏の紹介した30万石のおかげと注釈

・文禄二年2月9日に自力での兵糧確保を命じる
 注釈で借米の事も書かれる

・加藤清正と毛利輝元が自領に物資輸送を頼む

・豊臣政権の蔵米の輸送と大名らへの輸送が競合した時、商人は利が大きい豊臣政権の蔵米を優先した

・先遣隊は秀吉とその直臣団の兵糧確保のために御城米に手をつけられなかった

83 :
>>81
何が「やっぱり」なのかとは思うのですが、
何度も提示をしてきた事のように思うのですが、
第二次川中島の時とかに、普通に今川の援軍とか、
武田側の武将達とかが、兵糧の自弁補給をしていて、
その兵糧を輸送していく為に、関所のフリーパスを認めていた、
という事例が存在してます。

今川の援軍は数百程だったように思いますし、
武田側の武将達も、一人一人の軍勢数は数百〜千、
というのが多かったと思いますし、
そもそも、一万石の普通の動員数は250人程、という事になってますが、
一万石程でも、一応は江戸時代的には藩としての認めが可能ですし、
豊臣政権においても、一万石〜数万石程の、
多くの領国をもった武将の陪臣ではなく、
(豊臣政権に従ってはいつつも、)
独立した領国をもった家臣の武将は多く存在をしてます。

このような感じで、数百人程の軍勢の武将でも、
普通に兵糧の自弁補給とかは可能なのですし、
実際に第二次川中島とかでは、普通に信玄に従う武将達が自弁補給などをやっていたように思えます。
貴方は国主程の武将ではないと、兵糧の自弁補給ができない、
というような書き方をしておいでのように思えますが、
そのような事はないと思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

84 :
>>81 宛続き
>自弁が基本には誰も反論していないような・・・
いや、貴方は国主程の武将でないと、兵糧の自弁補給ができない、
的に書いてますし、貴方のすぐ前の書きこみの>>76とか>>75とかの、
必死な織田ファンさんは、必死に自弁補給の事を否定しようと、
躍起になっておいでのように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

85 :
>>79
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

86 :
>>79 >>78
で、またIDチェンジとかID増殖を>>85に書いたようにしつつ、
必死に捏造などを、必死な織田ファンさんがしておいでのように思えますが、
その浜松云々は岡崎の書き違いだと何度も書いてますし、
またいつものように捏造と変な認定ですかあ?
私は資料とか史実とかに基づいて、書き込みなどをさせていただいてますし、
何度も書いてきましたけど、信濃美濃の移動は、
1 小笠原も普通にやってますし、
2 1565年に東美濃で武田と織田の勢力が戦って、武田側が織田側に勝利をした時に、
織田側が武田側に同盟を求めたのも、普通に信濃美濃で美濃を攻めていく事が可能、
という事を信長が想定していた、としか考慮できないですし、
3 信玄西上の時も、信長は信玄が率いた武田西上軍を警戒して、
美濃に留まっていて、信長の書状でも、
「長尾上杉が武田領土に攻めていけば、武田側はその対応をしていく事になって、
織田側への圧力が減少していくので、自身は存分にしたい。」
「長尾上杉が軍勢を越府に納めた事の報告がきたので、(上のような感じで、)
(主に武田方面への、)各方面への備えも少なくしていく事が可能になっていくと思うので、
自身は上洛して存分にしたい。」
的に書いていた事は、信長が信玄の率いた武田西上軍が美濃を攻めていく事が可能だと想定をしていた、
としか考慮していく事ができないと思いますし、
4 信玄が死亡した後の東美濃攻防の時も、普通に勝頼が1万5千余の軍勢で美濃を攻めて18諸城を制圧してますし、
5 1582年には、信長が美濃信濃で信濃を攻めてますし、
という感じで、歴史的にはいくつも事例が存在をしていて、
信長自身がその事を普通に可能だと想定をして、
警戒をしてますのに、貴方がそんな事を書いてもしょうがないと思うのですけどね。
信濃三河も山県が5千もの軍勢で移動や補給をしてますのに、なんで貴方の都合の悪い時にだけ、
厳しい事になっていきますのか、 という事について、お答えの方などをお願いいたしますかね。

貴方の地理論、というのは、このように歴史的には事例がいくつも存在してますのに、
貴方の都合の悪い時にだけ、その場所が断崖絶壁になって移動が厳しくなっていく、的な地理論で、
私とかが何度も普通に歴史的に事例が存在していた事とかを提示して、
貴方が議論的に厳しくなっていくと答えずに、的な経緯が、
多く存在してますのに、そのように地理論がどうとかお書きになっていくのは、
どうなのでしょうか、とも思うのですが、この事についての、お答えの方などを
お願いいたしますかね。

87 :
>>77
またいつものようにIDチェンジとかID増殖ですかあ?またいつものように捏造ですかあ?
勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方こと必死な織田ファンさんが、
IDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますし、 貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方的な定義によって、8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事例も、
いくつも存在をしておいでのように思えてもしまいますのに、
そのようにお書きになっていくのは、いかがなものなのでしょうか、
とも思ってもしまうのではございますが、この事につきましてのお答えの方などを、
なにとぞなにとぞなにとぞお願いいたしたいと思えてもしまいますかね。

で、貴方がそう書いたような事を示す資料とかの提示をしていないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。
実際問題としては、何度も書いてきましたけど、
信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令を、貴方はどう解釈していくのでしょうか、と思うのですが、
この件についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

88 :
>>84
おい、菅沼>>8で言った朝鮮出兵で自領から兵糧を送って補給するってどこに書かれてるのか
教えてくれ

89 :
>>76
内藤は、三増峠の時の荷駄奉行でしたけど、
三方ヶ原の時は、甘利が荷駄奉行だったのですが。
どっちも、
荷駄の護衛などを主な任務としていたように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

>それにより遠方の家臣達は自弁する事が難しくなった。
実際問題としては、何度も書いてきましたけど、
信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令を、貴方はどう解釈していくのでしょうか、と思うのですが、
この件についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

>自弁から組織的な兵站に切り替わっていった
>>83とかにも書きましたように、そもそも、豊臣政権においても、
一万石〜数万石程の、豊臣政権に従う独立した領国の武将、とかは多く存在をしていて、
その軍勢数は数百〜千、という感じだったのですが。
で、そういった武将達は、普通に自弁補給を行っていたはずですし、
こういった程の軍勢は、普通に武田とか長尾上杉とか北条とかに従っていた武将達も、
同じ程の軍勢を率いていた武将は多くいたでしょうし、
数百〜千程の軍勢を招集可能な領土をもった、独立した領国の武将は自弁補給が可能だけど、
数百〜千程の軍勢を招集可能な領土をもった、陪臣の武将は自弁補給ができない、という事はないと思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

90 :
>>88
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

91 :
コピペで逃げて答えられないか?菅沼

92 :
>>88 宛続き
>>69の人が提示をした論説とかにも書いてますように、
普通に、豊臣政権が収集した米は、
御城米、として、普通の各武将達の兵糧補給には使ってはいけなくて、
制圧した城におくっていく為の米だったようですね。
そして、この御城米、は、
その城にいた各武将達が使ってはいけなくて、秀吉自身の軍勢の為に、
その城に備蓄をしていく米だったようですね。
で、兵糧が必要になった武将は、「借米」として、
その兵糧を使った、という感じだったようで、
豊臣政権が招集をした米は、基本的に秀吉自身の軍勢の為に確保をした米、であって、
基本的には、各武将達が自弁補給をしていく、というのが基本だったように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

93 :
>>91
まずは、その菅沼なんとか認定の矛盾について、>>90とかについて
答えてくださいね。>>92についても、お答えの方などをお願いいたしますかね。

94 :
>>92
ちなみにその>>69は間違ってるけどな
文禄の役は慢性的な兵糧不足で失敗例な

時系列でいうと
文禄元年(1592)10月、蔵米を兵糧米として送るために各大名所有の船を日本に戻せと秀吉が命じる
 そして浅野長政が各大名の駐屯する城へ分配

文禄二年(1593)1月5日、小西行長は平壌城から漢城に撤退
   開城にいた小早川隆景も漢城に撤退

文禄二年(1593)1月15日、石田三成らが名護屋へ戦況報告
・小西行長は兵糧が一切なく、数万の攻撃を受けたので後退
・加藤清正が失態を犯し大きな損害を被る
・漢城には去秋に刈田を行い兵糧が正月分はあり、残りは一万四千石
・漢城には宇喜多秀家ら軍勢一万七千が在陣
・加藤清正は遠国へ入り過ぎ後退して来ない
・兵糧がなく陣替えの五日路、十日路も調整できない
 富田仙助氏所蔵文書より

文禄二年(1593)2月9日、自力で兵糧米確保を命じる

文禄二年(1593)2月27日、漢城の軍議で寒さと兵糧不足が深刻であり、釜山へ撤退するのを進言するか話合われる

文禄二年(1593)3月中旬、漢城の龍山にある兵糧庫が焼き討ちにされる

文禄二年(1593)4月17日、秀吉軍は漢城撤退し、その後講和になり釜山へ退却

文禄二年(1593)7月、休戦

文禄二年(1593)8月、釜山郊外の西生浦倭城にいた清正が冬に備えて物資調達を督促

催促するが調達に国元は難渋した模様で、翌文禄3年4月に清正は重臣達の怠慢を叱責する書状を送っている
中野等「唐入り(文禄の役)における加藤清正の動向」『九州文化史研究所紀要』
藤原秀之「加藤清正朝鮮人書状について」『早稲田大学図書館紀要』文書より

文禄二年(1593)8月、毛利輝元は日本に帰還


慶長二年(1597)10月13日、輝元が3000石の物資催促

95 :
>>75
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

96 :
>>75
で、実際問題としては、朝鮮出兵でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

97 :
>>94
いや、貴方が時系列をペタ、っと貼っただけで、
豊臣政権の収集した兵糧米を、どのように使っていたか、という事を書いた、
>>69の人が提示をした論文、を否定していく事はできないと思いますし、
貴方がそのように書く場合は、資料とかを基にして、
どこがどのように違うというのか、を論証した方がいいのではないか、
と思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

98 :
>>74
実際問題としては、朝鮮出兵でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

99 :
>>10
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

100 :
>>96
どこに自領から郵便物みたいに送り続けたって書いてあるんだ?

・小西行長は兵糧が一切なく、数万の攻撃を受けたので後退
・漢城には去秋に刈田を行い兵糧が正月分はあり、残りは一万四千石
・兵糧がなく陣替えの五日路、十日路も調整できない


慢性的な兵糧不足で刈田や略奪を行った結果
朝鮮農民から反感食らって義勇兵が立ち上がる事態になったんだろ?
慢性的な兵糧不足で撤退する嵌めになる失敗例な

101 :
>>97
第二次川中島 ← 兵糧の心配から今川義元に和睦仲介して貰った兵站失敗例

朝鮮出兵 ← 兵糧不足に陥り兵站失敗した例


菅沼が挙げた自領から郵便物みたいに運んだ例は兵站失敗した例なのに
なぜ標準的な兵站と語るのかw

102 :
訂正
朝鮮出兵は自領から郵便物みたいに送ってすらいないなw
現地調達という略奪しかできなくなり兵糧不足に陥る

103 :
>>10
>信長が黄金50枚で徳川から買い取った兵糧とは別で、
この兵糧は、
信長が黄金50枚で買った、とは書いてますけど、
そのようには書いてなかったように思いますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。
何度もかいてきましたけど、>>8にも書きましたように、
兵糧8000俵では、織田勢5万の12日程の兵糧にしかなってませんし、
しかも、ほとんど使ってなかったようですので、
基本的には、各武将達の自弁補給だったように思うのですが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

>牧之原城に織田過信が兵糧を運び込んでるのに
どんな記述で、
具体的にどんだけの兵糧を運びこんだのか、についての、
ご提示の方などをお願いいたしますかね。

104 :
>>100
攻めた所が遠くなって、兵糧が補給できなくなった、というだけの話だと思うのですが。
>>69の人が提示をした論説とかにも書いてますように、
普通に、豊臣政権が収集した米は、
御城米、として、普通の各武将達の兵糧補給には使ってはいけなくて、
制圧した城におくっていく為の米だったようですね。
そして、この御城米、は、
その城にいた各武将達が使ってはいけなくて、秀吉自身の軍勢の為に、
その城に備蓄をしていく米だったようですね。
で、兵糧が必要になった武将は、「借米」として、
その兵糧を使った、という感じだったようで、
豊臣政権が招集をした米は、基本的に秀吉自身の軍勢の為に確保をした米、であって、
基本的には、各武将達が自弁補給をしていく、というのが基本だったように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

だろ?と資料とか論拠もなしに、そのように貴方が書いてもしょうがないと思いますので、
具体的に資料とか論拠とかを基にして、語っていただきたいと思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

105 :
>>101
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

106 :
>>101 宛続き
第2次川中島は普通に200日も滞陣を行った事例ですし、
朝鮮出兵は、攻めた所が遠くなって、兵糧が補給できなくなった、
というだけの話だと思うのですが。
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

107 :
>>104
>基本的には、各武将達が自弁補給をしていく、というのが基本だったように思えますが、


文禄二年(1593)1月15日、石田三成らが名護屋へ戦況報告
・小西行長は兵糧が一切なく、数万の攻撃を受けたので後退
・加藤清正が失態を犯し大きな損害を被る
・漢城には去秋に刈田を行い兵糧が正月分はあり、残りは一万四千石
・漢城には宇喜多秀家ら軍勢一万七千が在陣
・加藤清正は遠国へ入り過ぎ後退して来ない
・兵糧がなく陣替えの五日路、十日路も調整できない
 富田仙助氏所蔵文書より


はい、史料な
慢性的な兵糧不足と現地略奪な
はい、次は菅沼が朝鮮出兵で自領から郵便物みたいに送り続けたって史料出す番な

108 :
>>12
朝鮮出兵の事例で考慮をしますと、基本的には、豊臣政権の米は、
武将達が使っていく場合は、「借米」として使うものだったようで、
その城にいた各武将達が基本的には、使ってはいけなくて、秀吉自身の軍勢の為に、
その城に備蓄をしていく米だったようですね。
で、兵糧が必要になった武将は、「借米」として、
その兵糧を使った、という感じだったようで、
豊臣政権が招集をした米は、基本的に秀吉自身の軍勢の為に確保をした米、であって、
基本的には、各武将達が自弁補給をしていく、というのが基本だったように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

109 :
>>107
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

何度も書いてますけど、貴方が書いたその事は、兵糧補給を行っていない、
という資料としていくには、不可能だと思うのですが。
攻めた所が遠くなって、兵糧が補給できなくなった、というだけの話だと思うのですが。
>>69の人が提示をした論説とかにも書いてますように、
普通に、豊臣政権が収集した米は、
御城米、として、普通の各武将達の兵糧補給には使ってはいけなくて、
制圧した城におくっていく為の米だったようですね。
そして、この御城米、は、
その城にいた各武将達が使ってはいけなくて、秀吉自身の軍勢の為に、
その城に備蓄をしていく米だったようですね。
で、兵糧が必要になった武将は、「借米」として、
その兵糧を使った、という感じだったようで、
豊臣政権が招集をした米は、基本的に秀吉自身の軍勢の為に確保をした米、であって、
基本的には、各武将達が自弁補給をしていく、というのが基本だったように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

110 :
>>104
>攻めた所が遠くなって、兵糧が補給できなくなった、というだけの話だと思うのですが。


つまり攻める所が「遠い」と自領から郵便物みたいに兵糧を送り続けることが出来なくなると認めたわけですね!
つまり菅沼が>>8で言った朝鮮出兵で自弁云々は間違いだったと^^

111 :
>>13
またいつものようにIDチェンジとかID増殖ですかあ?またいつものように捏造ですかあ?
勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方こと必死な織田ファンさんが、
IDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますし、 貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方的な定義によって、8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事例も、
いくつも存在をしておいでのように思えてもしまいますのに、
そのようにお書きになっていくのは、いかがなものなのでしょうか、
とも思ってもしまうのではございますが、この事につきましてのお答えの方などを、
なにとぞなにとぞなにとぞお願いいたしたいと思えてもしまいますかね。

>桁が違う。いうなりゃ起業するのに銀行の融資は一切受けず資金全額自力で稼いで貯めろっつってるレベル
そんな事はないでしょうに。朝鮮出兵の事例で考慮をしていく場合は、
>>69の人が提示をした論説とかにも書いてますように、
普通に、豊臣政権が収集した米は、
御城米、として、普通の各武将達の兵糧補給には使ってはいけなくて、
制圧した城におくっていく為の米だったようですね。
そして、この御城米、は、
その城にいた各武将達が使ってはいけなくて、秀吉自身の軍勢の為に、
その城に備蓄をしていく米だったようですね。
で、兵糧が必要になった武将は、「借米」として、
その兵糧を使った、という感じだったようで、
豊臣政権が招集をした米は、基本的に秀吉自身の軍勢の為に確保をした米、であって、
基本的には、各武将達が自弁補給をしていく、というのが基本だったように思えますが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

112 :
>>110
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(フャ@ースト)で私bェ書き込みをしbトいく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

自弁補給が基本だったので、兵糧が届いてない場合は、現地調達をしていくしかなかった、
という事例で、貴方が「豊臣政権が賄っていた!」とかいう理屈ではまったくなくて、
何度も書いてきましたように、豊臣政権の収集した米は、
基本的に各武将達が使ってはいけない米だったのですが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

113 :
>>14
またいつものようにIDチェンジとかID増殖ですかあ?またいつものように捏造ですかあ?
勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方こと必死な織田ファンさんが、
IDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますし、 貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方的な定義によって、8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事例も、
いくつも存在をしておいでのように思えてもしまいますのに、
そのようにお書きになっていくのは、いかがなものなのでしょうか、
とも思ってもしまうのではございますが、この事につきましてのお答えの方などを、
なにとぞなにとぞなにとぞお願いいたしたいと思えてもしまいますかね。

そのように、必死にIDチェンジとか、ID増殖とかをしてないで、
具体的に語っていただきたいと思いますので、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

114 :
>>112 がなんか文字化けがしてますね。
勝頼スレパート18(フャ@ースト)で私bェ書き込みをしbトいく前にも、

勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
に修正の方などをしておきますかね。

115 :
>>112
>>8の菅沼「朝鮮出兵でも自領から郵便物みたいに兵糧を運ば続けたんだよ!」



今の菅沼「攻めた所が遠くなって、自領から兵糧補給できなくなったと認めます 」


ってことだよねw

116 :
>>15
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(フャ@ースト)で私bェ書き込みをしbトいく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

実際問題としては、朝鮮遠征の事例でいいますと、
豊臣政権の収集した米は、秀吉自身が率いた軍勢の為に、使っていく為のものであって、
各武将達が基本的には使ってはいけない米であって、
各武将達が必要になった時には、借米、として使っていたようなのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

117 :
>>115
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

実際問題としては、朝鮮遠征の事例でいいますと、 貴方は豊臣政権が賄っていた、
的に書いてましたけど、
豊臣政権の収集した米は、
秀吉自身が率いた軍勢の為に、使っていく為のものであって、
各武将達が基本的には使ってはいけない米であって、
各武将達が必要になった時には、借米、として使っていたようなのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

118 :
>>17
実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

119 :
>>117
朝鮮出兵の兵糧補給は借米と現地略奪は書かれてるけど
菅沼の>>8で言ってた自領から郵便物みたいに兵糧を送り続けたとは書いてないよね?
お前の負けだよ菅沼

120 :
>>19 >>20
またいつものようにIDチェンジとかID増殖ですかあ?またいつものように捏造ですかあ?
勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方こと必死な織田ファンさんが、
IDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますし、 貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方的な定義によって、8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事例も、
いくつも存在をしておいでのように思えてもしまいますのに、
そのようにお書きになっていくのは、いかがなものなのでしょうか、
とも思ってもしまうのではございますが、この事につきましてのお答えの方などを、
なにとぞなにとぞなにとぞお願いいたしたいと思えてもしまいますかね。

実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

121 :
>>119
その菅沼なんとかに関しては、>>117とかの設定矛盾などについて、
答えていく事をお願いいたしますかねー。

借米、は基本的にはしてはいかないようにしていく事だったのですが。
その米は、
秀吉自身が率いてきた軍勢の為の兵糧だったのですしね。
このように、借米が基本的にしてはいけない事ですのに、
基本的な兵糧輸送を自弁補給以外でどうやっていくのか、
という事について、お答えの方などをお願いいたしますかね。
もともと現地調達、が基本だったという事はないのですしね。

122 :
>>118
>信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「【遠い】ので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」



>攻めた所が【遠く】なって、兵糧が補給できなくなった、というだけの話だと思うのですが。


【遠い】と自領から郵便物みたいに兵糧を送り続けるのは無理だって認めたばかりじゃないw
信長は遠いと自領からの補給が難しくなり、現地調達に頼らざるを得ないから兵数を減らせと解釈できますよね!

123 :
>>22
またいつものようにIDチェンジとかID増殖ですかあ?またいつものように捏造ですかあ?
勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方こと必死な織田ファンさんが、
IDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますし、 貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方的な定義によって、8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事例も、
いくつも存在をしておいでのように思えてもしまいますのに、
そのようにお書きになっていくのは、いかがなものなのでしょうか、
とも思ってもしまうのではございますが、この事につきましてのお答えの方などを、
なにとぞなにとぞなにとぞお願いいたしたいと思えてもしまいますかね。

実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

124 :
>>121
菅沼が>>8で朝鮮出兵は自領から郵便物みたいに兵糧を送り続けたと断言してたのを
菅沼が間違ってたと暴いただけですよw

これからもう朝鮮出兵を例に使えなくなっちゃったね!^^

125 :
>>122
その理屈は、要は結局は、自弁補給が基本だ、
という事を、貴方が認めた、という事でいいのですよね。
で、「遠い」といっても、他国の朝鮮と、武田領土まで、では、
遠さ、がまったく違いますし、
普通に武田攻めまでは、普通に兵糧が補給可能だったけど、
普通の遠征と比して遠いので、信長は遠い領土の武将には、
自弁補給をさせていく為に、人数調整を命令した、としか、
解釈ができないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

126 :
>>124
その菅沼なんとかに関しては、>>117とかの設定矛盾などについて、
答えていく事をお願いいたしますかねー。

いつものように、都合の悪い事は必死に認めないようにしておいでのようですけど、
借米、は基本的にはしてはいかないようにしていく事だったのですが。
その米は、秀吉自身が率いてきた軍勢の為の兵糧だったのですしね。
このように、借米が基本的にしてはいけない事ですのに、
基本的な兵糧輸送を自弁補給以外でどうやっていくのか、
という事について、お答えの方などをお願いいたしますかね。
もともと現地調達、が基本だったという事はないのですしね。

127 :
>>23
>量も微々たるものってどこに書いてあるの?
具体的に、貴方が如何程の量の備蓄があったのか、を提示した方がいいのでは?
>>8にも書きましたように、黄金50枚での兵糧8000俵、では、
織田勢5万の12日程の兵糧にしか使えなくて、
しかも、ほとんど使ってなくて、あまっていたようですしね。
普通に、多くの兵糧は、各武将達の自弁補給だったとしか、
考慮ができないように思うのですが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

128 :
>>25
実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

129 :
>>125
>攻めた所が【遠く】なって、兵糧が補給できなくなった、というだけの話だと思うのですが。


遠くなると自領からの継続補給が困難になると菅沼自身が認めたわけじゃないw
しかも武田という貧乏山国だから現地調達も難しいから兵数を絞ったと

130 :
>>26
その理屈は、結局は、各武将達が自弁補給をしていた、
という事を、貴方が認めた、という事にしかなってないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

131 :
都合悪くて菅沼はコピペしかまたできなくしてしまったかw
俺は史料の提示したけど菅沼からは何の史料も出てないのは秘密な

132 :
>>129
その菅沼なんとかに関しては、>>117とかの設定矛盾などについて、
答えていく事をお願いいたしますかねー。

その理屈は、要は結局は、自弁補給が基本だ、
という事を、貴方が認めた、という事でいいのですよね。
いつものように、都合の悪い事は必死に認めないようにしておいでのようですけど、
で、「遠い」といっても、他国の朝鮮と、武田領土まで、では、
遠さがまったく違いますし、普通に武田攻めまでは、普通に兵糧が補給可能だったけど、
普通の遠征と比して遠いので、信長は遠い領土の武将には、
自弁補給をさせていく為に、人数調整を命令した、としか、
解釈ができないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

133 :
>>131
その菅沼なんとかに関しては、>>117とかの設定矛盾などについて、
答えていく事をお願いいたしますかねー。

いや、普通に貴方が都合が悪い所を必死に認めないようにしておいでなだけで、
他国の朝鮮と、武田領土まで、の「遠さ」が同じという事はまったくないですし、
その理屈は、要は結局は、自弁補給が基本だ、
という事を、貴方が認めた、という事でいいのですよね。
資料を貴方はとくにだしてなくて、ただペタ、っと時系列だけを貼って、
その事が妥当かどうかも語ってなくて、
結局は自弁補給が基本な事まで貴方が認めてますけど、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

134 :
>>29
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

実際には、>>128のように、自弁補給をしていたようにしか思えない事例が多く存在していますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

135 :
>>132
今日の収穫

>>8で菅沼は朝鮮出兵は自領から郵便物みたいに送り続けたと断言してたのを
実際は借米と現地略奪だったと間違いと認めさせた


>攻めた所が遠くなって、兵糧が補給できなくなった、というだけの話だと思うのですが。


遠いと自領からの補給が難しくなると認めさせた

朝鮮出兵を例に出来なくさせた


余は満足じゃ
気持ち良く寝れそうw
おやすみ、またね菅沼!

136 :
>>35
実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

137 :
>>135
その菅沼なんとかに関しては、>>117とかの設定矛盾などについて、
答えていく事をお願いいたしますかねー。

またいつものように捏造ですかあ?
>実際は借米と現地略奪だったと間違いと認めさせた
こんな事はまったく認めてないですが。
いつものように、都合の悪い事は必死に認めないようにしておいでのようですけど、
借米、は基本的にはしてはいかないようにしていく事だったのですが。
その米は、秀吉自身が率いてきた軍勢の為の兵糧だったのですしね。
このように、借米が基本的にしてはいけない事ですのに、
基本的な兵糧輸送を自弁補給以外でどうやっていくのか、
という事について、お答えの方などをお願いいたしますかね。
この事について、貴方は私が何度もきいてきましたけど、
まったく答えてないのですが。
もともと現地調達、が基本だったという事はないのですしね。

そもそも、貴方は、
豊臣政権とか、織田家が兵糧を基本的に賄っていた、
とここまでずっと喚いてきましたのに、
その理屈は、要は結局は、自弁補給が基本だ、
という事を、貴方が認めた、という事でいいのですよね。
いつものように、都合の悪い事は必死に認めないようにしておいでのようですけど、
「遠い」といっても、他国の朝鮮と、武田領土まで、では、
遠さがまったく違いますし、普通に武田攻めまでは、普通に兵糧が補給可能だったけど、
普通の遠征と比して遠いので、信長は遠い領土の武将には、
自弁補給をさせていく為に、人数調整を命令した、としか、
解釈ができないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

138 :
>>45
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

139 :
>>49
実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

140 :
>>51
またいつものようにIDチェンジとかID増殖ですかあ?またいつものように捏造ですかあ?
勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方こと必死な織田ファンさんが、
IDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますし、 貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方的な定義によって、8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事例も、
いくつも存在をしておいでのように思えてもしまいますのに、そのようにお書きになっていくのは、
いかがなものなのでしょうか、とも思ってもしまうのではございますが、この事につきましてのお答えの方などを、
なにとぞなにとぞなにとぞお願いいたしたいと思えてもしまいますかね。

またいつものように、違う人を私と同じ人認定とかをして、変な認定とかをしようとしておいでのようですけど、
実際には、貴方こと必死な織田ファンさんが、都合が悪くて答えていない事などは、
いまでは数十は存在してますように思えますが、
そのように貴方が書く場合は、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

141 :
>>52
>黄金50枚で買った量が少ない?
>信長の直轄地の兵だけならそこそこの量じゃない?
その他の軍勢は、基本的に自弁補給をしていた、という事を、
貴方が認めた、という事でいいのでしょうかね。
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

142 :
>>57
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

143 :
>>57 宛続き
またいつものように、違う人を私と同じ人認定とかをして、変な認定とかをしようとしておいでのようですけど、
実際には、貴方こと必死な織田ファンさんが、都合が悪くて答えていない事などは、
いまでは数十は存在してますように思えますが、
そのように貴方が書く場合は、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

144 :
俺はお前のことを菅沼とかなんとかとは思ってなくて、ただ長文コピペする迷惑な人だとしか思ってないが、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」というのが
各武将達が自弁補給をしていた、としか解釈ができない、という絶対条件としてなぜ成り立つのか
そのロジックが理解できないんだが、その点をもうちょっと丁寧に説明してくれるか
その文章だけなら「本隊が運び込める兵糧に限りがあるから」というようにも解釈できるんだが

145 :
>>60
実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

146 :
>>144
コピペも何も、必死な織田ファンさんが都合が悪くて答えていない事などを、
提示してきた、というだけの話ですしね。

その理屈でいう場合、畿内武将達にたいしてのみ、なぜそう命令をしていくのか、
という事になっていくと思うのですが。
他の地方の武将達にも、同じように命令をしていないと、おかしいと思うのですが。
畿内武将達にたいしてのみ、「遠いので」と書いていた事は、
普通に畿内武将達は武田領土まで「遠いので」、
兵糧をもたせていく為に、人数調整が必要、という場合は、
自弁補給をしていた事で、遠い場合は、兵糧をもたせていく為には、
人数調整が必要、という事にしかなっていかないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

で、信長の整えた兵糧云々も、>>8にも書きましたように、
信長の整えた兵糧8000俵は、
織田勢5万の12日程の兵糧としてしか使えず、
しかも、ほとんど使っていなくて、戦いの後で、
家康やその家臣達にあたえていますので、多くの兵糧は、各武将達の、
自弁補給によっていた、というのは、自然な話なのではないか、
と思うのですが、この事については、いかがなものなのでしょうかね。

147 :
>>61
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

またいつものように、違う人を私と同じ人認定とかをして、変な認定とかをしようとしておいでのようですけど、
実際には、貴方こと必死な織田ファンさんが、都合が悪くて答えていない事などは、
いまでは数十は存在してますように思えますが、
そのように貴方が書く場合は、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

148 :
>>63
実際問題としては、朝鮮遠征でも、
基本的には豊臣政権が収集した米は、借米、として、
基本的には、各武将達が使ってはいけない感じだったようですし、
第2次川中島でも普通に今川の援軍とかも、武田に従う武将とかも、
自弁補給をしていたようですし、
>>8にも書きましたように、信長が黄金50枚で用意した兵糧は、
織田勢5万を数か月養っていくには、少ない量で、
しかも、ほとんど使っていなかったようで、
信長自身も、信長公記の、畿内武将達に対しての、
「遠いので、兵糧をもたせていく為に、人数調整をしてこい」
的な命令をしていて、という感じで、各武将達が自弁補給をしていた、
としか解釈ができないような事例がいくつも存在をしていますが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

149 :
>>64
そもそも、「借米」とか、自弁補給とかの史実的な事例などを提示してきたのは、
私のように思うのですが、
そのように書くのは、いかがなものなのでしょうか、
と思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

150 :
>>67
そのような感じのように思いますかね。

151 :
ID:9pjI0Kbiはどこに行った?
菅沼遼太呼ばわりされたら恥ずかしくてキレるぞ。普通の人ならw

152 :
長々とよく分からなくなってるが、当時は自弁と現地調達が基本ということで終了だな
信長が全軍の為に兵糧用意したなんて完全なデタラメ

153 :
>>152
おは菅沼

154 :
菅沼の言ってる各武将って大名のこと言ってるじゃないか

155 :
69読む限りは、朝鮮出兵時は
大名が領地全体から兵糧集めて、
そこから商人に後方集積地の名護屋までは輸送頼んで、そこから前線まで輸送するって形みたいだな。

朝鮮出兵だと各武将が自分の領地から個々に前線まで輸送してるわけじゃないな。

156 :
>>152
自分は33と同意見だが、
69読む限りは、大名が自分の直轄地から兵糧調達して自分の武将の分用意してるか、
武将の領地含む領国全体から武将の分まで調達してるかまではわからないぞ。

157 :
そういや、武田も弾薬は大名負担だっけか

158 :
>>69に書かれてることを>>94で朝鮮出兵時の時系列に組み込んだけど
最初は快進撃で良かったが兵站はボロボロで兵糧不足に陥った失敗例だからな

自領から直接兵糧を大名(秀吉ではない)個々が郵便物みたいに延々と送っていたと言う証拠もないのに
菅沼は>>8で朝鮮出兵を例にしてたけどもw

159 :
>>157
長篠まではな、
長篠以降は各自で用意してになった。

160 :
甲州征伐も朝鮮出兵も信長、秀吉の名の下に兵糧の運送管理されてた

配下武将の個々の判断で自領から郵便物のように遠い戦場に兵糧を送り続けたってデマ話は
甲州征伐や朝鮮出兵時での史料には全く出てない

これで決着かな

161 :
>>94
秀吉らしくない戦略だね
この時にはもう秀吉は老害化してたのかな?
それとも奉行中心な戦略?

162 :
>>160
69読んでその結論かよw

163 :
>>146
信長公記に書かれてるのは下記の部分でいいよな?
この前後を読む限りだと俺は自弁ではないと解釈するんだけど

「右遠陣の儀条、人数すくなく召し連れ、在陣中兵粮つゞき侯様にあてがひ簡要侯」

「右」で出陣を命じられた武将が兵糧を担当する場合、兵数がわかっているから遠かろうと近かろうと
必要な兵糧は逆算できる(遠ければその分の兵数を少なくするだけ)。だからわざわざ信長が
上のように言及する必要はない
逆に信長あるいは他の武将が担当する場合、兵数はわからないから多すぎると用意した兵糧が続かなく
なる可能性があるので少なくするようにいうのはおかしくない

後は「右」に挙げられているのは確かに畿内の武将だけだけど、この命令は2/9の内容で先陣の信忠隊は
先発が2/3に既に出陣しており信忠自身も2/12に出陣するので、ここで挙げられてるのは信長本隊の話で
他に信長が出陣を命じてる個所もない。だから信長が畿内武将だけに命じたのではなく、連れて行くのが
畿内武将だけだったと考えられる

164 :
>>161
徐々に朝鮮制圧をすることを優先すればここまで兵糧不足にはならなかったかもね
秀吉は唐入りを目指してたからな

>>162
>>69>>94で時系列で纏めたから読んでね

165 :
「三月廿四日、各在陣致し、兵粮など迷惑仕るべきの旨、仰せ出だされ、菅屋九 郎右衛門、御奉行として御着到つけさせられ、諸卒の人数に随つて、御扶持米、 信州ふかしにて渡し下され、忝なき次第なり。」

こんなの書いといて自弁が原則でないと言うのもふざけ過ぎだ
自弁が原則だからこその記述

166 :
>>165
逆だろ
むしろ信長が兵糧管理していたからこそ
信長の一声で兵糧を配れたんだろ

167 :
>>166
着到の意味も知らなかったくせによく言うよなw

168 :
>>167
は?何のことだ?
>>69を素人レベルの論文をドヤ顔で出してソースにしてた阿呆がそんなこと言ってたなw

169 :
>>168
菅屋を小荷駄奉行に任命してw深志まで兵糧を輸送したと読んだのはお前だろw
深志に勝手に諸将が集結してる謎設定もお前だろw

170 :
>>169
ん?前スレで兵糧不足と人馬足立たぬと言われてたのに、深志になぜか移動してた設定を言ってフルボッコにされたのお前でしょw

171 :
>>166
マジな話、何を根拠に信長が兵糧管理していたと主張してるのか知りたい
明後日の方向にある牧之原城のわずかな兵糧を除いて、ね

172 :
>>171
>明後日の方向にある牧之原城のわずかな兵糧を除いて、ね

わずかな兵糧だとどこに書いてあるの?
信長公記にも信長が兵数を絞れと陣触れ出してるし、信長の一声で兵糧が配られた事が書かれてるけど?
俺が言ってるのは、近畿から武将個々の判断で郵便物みたいに兵糧を延々と送り続けるとどこに書いてあるのか聞いてるんだけど?

173 :
>>172

>わずかな兵糧だとどこに書いてあるの?

黄金50枚の米8千俵

>信長公記にも信長が兵数を絞れと陣触れ出してるし、信長の一声で兵糧が配られた事が書かれてるけど?

なんでそれで全軍の兵糧管理してるといえるのか
昨日から自弁が原則というのに噛みついてるのは君だけだが

>俺が言ってるのは、近畿から武将個々の判断で郵便物みたいに兵糧を延々と送り続けるとどこに書いてあるのか聞いてるんだけど?

菅沼が書いた表現だからあれだが、>>69の論文読む限り毛利や加藤や前田は公領の兵糧貰えず、自領から補給をしていたとしか読めないが?

174 :
>>172
で、管理してたという史料は?
悪いが菅沼じゃなくてもツッコミどころ満載だと思う
菅沼が聞いてることに全然答えてないからどうせコピペ爆弾始まるだろうし

175 :
>>173
>黄金50枚の米8千俵

それは信長が家康から買った兵糧な
そして浜松城にて信長はもう要らぬと言って家康家臣に配った
牧之原城は織田家臣が兵糧を運び込んでいる


>なんでそれで全軍の兵糧管理してるといえるのか

武将が個々の判断で兵糧を持ってきて、近畿からも郵便物みたいに独断で運んでるなら信長口出し出来ないだろw

>毛利や加藤や前田は公領の兵糧貰えず、自領から補給をしていたとしか読めないが?

>>94見な
>>64の論文書いた奴は
文禄二年(1593)2月9日に自力での兵糧確保を命じる
という文書から自領から補給したと繋げたいみたいだけど
加藤は休戦後に冬の備えと催促したが、国元で難渋して送って貰えなかったのか怠慢だと言って家老を叱責
毛利は慶長二年の話で4年後の話を無理矢理くっ付けてる
しかも慶長の役では輝元は朝鮮渡海を止められていて自領からの物資とは関係ない

176 :
>>174
そのまま返すぜ
で、甲州征伐や朝鮮出兵で自領から兵糧を延々に送り続けてたという史料は?

177 :
>>175
要するに牧之原城以外に史料ないんだろ?

>>94読んでも意味わからないわ
君の文章は何言いたいのか意味わからない
加藤も毛利もなんで近くの公領の兵糧を使わせてもらえず、現地調達なんて無駄な時間使って挙句に兵糧不足になって遠く離れた自領に催促してんだよというのが普通の感想

178 :
訂正
>>64じゃなく

>>69の論文書いた奴は
文禄二年(1593)2月9日に自力での兵糧確保を命じる

だった

179 :
>>177
牧之原城に織田家臣が兵糧を運びこんだ
黄金50枚で買ったとは書かれてない

>>173でお前が
>自領から補給をしていたとしか読めないが?

これに対して実際は運べていないという話な
催促した文書で補給したと勝手に確定してるが、次の文書を全く読んでいない幼稚な話ってことだ

180 :
>>179
>>177
>牧之原城に織田家臣が兵糧を運びこんだ
>黄金50枚で買ったとは書かれてない

日本語できる?
返事になってない
牧之原城以外に史料ないんだろ?と聞いたんだけど

>これに対して実際は運べていないという話な
>催促した文書で補給したと勝手に確定してるが、次の文書を全く読んでいない幼稚な話ってことだ

論点は君が秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してたと主張してる点だろ?
遠く離れた敵地へ輸送できていたかは不明だが、現地調達と自弁だったとしか読み取れないんだが?

181 :
>>180
牧之原城に織田家臣が兵糧を運び込んだ
黄金50枚で信長が兵糧を買い、浜松城にて信長はもう要らぬと言い徳川家臣配った

兵糧の入手方法も場所も全然違うんだけど?
日本語分かる?


>遠く離れた敵地へ輸送できていたかは不明だが、

>>94で書いたように加藤清正が文禄二年(1593)8月に国元に催促して月に

文禄二年(1593)8月6日以降に、秀吉からの命で島津義弘の唐島城、鍋島直茂の金海城に増田らから兵糧が運び込まれてるけどな

加藤清正は国元から難渋されて運ばれなかったのか家臣を怠慢だと叱責したが
島津と鍋島には【秀吉の命令】で増田らが運び入れた
>>69で全くそこら辺は書かれてない話なw

182 :
>>173
>>69の論文む限り毛利や加藤や前田は大名がまとめて管理しているみたいで、
個々の武将が各自の領地から補給しているとは読めないが。
あと輸送もまとめて商人に委託して運んで貰ってるみたいだが。

183 :
武将大名の定義が菅沼と同じで秀吉政権の大名は武将扱いなんだろう

184 :
>>182
そいつと>>69の論文書いた奴も他の文書を読んでないっぽい
論文書いた奴は、文禄二年(1593)2月9日に自力での兵糧確保を命じる

これをソースにずっと自力で兵糧確保したと言ってるのみたいだが
他の文書も交えて時系列で見ると何が起こったか分かりやすい


文禄元年(1592)12月10日、秀吉は鍋島直茂の陣所までの荷物運送を大谷吉継へ命令する

文禄二年(1593)2月5日、朝鮮まで運ぶ船頭と水夫の過半数が死亡した事により、朝鮮まで運送困難になり
秀吉は水夫徴発を各地に命じる

文禄二年(1593)2月9日に自力での兵糧確保を命じる

水夫の過半数が死んで朝鮮まで運送困難になったから、兵糧を節約するためになるべく現地調達しろって話だと分かる

で、>>181に書いたように鍋島と島津には秀吉の命令で武具、兵糧・塩噌・雑子を増田長盛らの奉行が運び入れてるからな
個々の判断で自領から直接入れてないんだよな

185 :
>>184
>>
>論文書いた奴は、文禄二年(1593)2月9日に自力での兵糧確保を命じる
>これをソースにずっと自力で兵糧確保したと言ってるのみたいだが

天正20年1月と文禄2年5月は?

>水夫の過半数が死んで朝鮮まで運送困難になったから、兵糧を節約するためになるべく現地調達しろって話だと分かる

>>94でそんなこと言ってなかったろw
しかもますます意味わからないわ
既に朝鮮に運んである城の兵糧を水夫が不足したから現地の各大名に使わせるのをやめるみたいな掌返しするなんて
水夫が不足したなら各大名は尚更送れないのに
しかも粛々と古米と新米を交換する作業をするというw

>で、>>181に書いたように鍋島と島津には秀吉の命令で武具、兵糧・塩噌・雑子を増田長盛らの奉行が運び入れてるからな

これ論文でいうところの城の備蓄用で各大名が手をつけられなかったものだろ?違うなら根拠を証明しないと

186 :
>>185
>天正20年1月と文禄2年5月は?

文禄の役は天正20年3月に陣立てだろ?


>>94でそんなこと言ってなかったろw

お前の盲信する>>69には何にも書いてないけどな

>これ論文でいうところの城の備蓄用で各大名が手をつけられなかったものだろ?

ちなみに唐軍と休戦した後な
島津と鍋島には兵糧米と一緒に武具、塩噌・雑子を持ってきているから完全な補給な

187 :
>>186

>文禄の役は天正20年3月に陣立てだろ?

>>69に書いてあるから読みな

>ちなみに唐軍と休戦した後な
>島津と鍋島には兵糧米と一緒に武具、塩噌・雑子を持ってきているから完全な補給な

これが秀吉の公領の兵糧であり、かつ、島津、鍋島へ送られたという根拠を出しなさいよ

188 :
>>187
いや天正20年は借米の話しかないだろ

あと、これも他の文書で見つけたぞ
天正二十年(1592)1月26日、秀吉は九鬼嘉隆の報告を受け加藤嘉明へ肥前国名護屋へ船を早急に回送することを指示
兵糧備蓄は多量ほど手柄とし、3月の羽柴秀吉自身渡海予定を前にして軽率な行動を戒める

手柄が欲しい大名・武将は余計に米に手を付けられんわな


>これが秀吉の公領の兵糧であり、かつ、島津、鍋島へ送られたという根拠を出しなさいよ


秀吉の管理の下、奉行を介して奉行が運んで来たとしか読めんが?
どこに武将の個々の判断で自領から運んで来たと書いてあるのか教えてくれw

>>184で書いたこれも秀吉の命の下に運送
文禄元年(1592)12月10日、秀吉は鍋島直茂の陣所までの荷物運送を大谷吉継へ命令する

鍋島や島津は度々秀吉の命で兵糧が運ばれてる史料が俺は提示したが
お前から鍋島や島津等が自領から個々の判断で独断で持ってきたという史料が全く出てないけど?

189 :
おっと訂正
手柄が欲しい大名・武将は余計に前線への米運送に手を回さんわな

190 :
戦前から名護屋城に全国から大量の兵糧集積
そこから秀吉が家臣に命令して朝鮮半島へ輸送
これ以外読めない

191 :
変な連中が出現してから菅沼が来ないな

192 :
お察し

193 :
菅沼には兵站の知識は無い。
何処でもいつでも財政関係無しに輸送可能。
それが菅沼流。

194 :
>>190
俺は>>160で最初からそう言ってるんだけどね

武将が個々の判断で自領から独自に兵糧を郵便物のように送り続けたって菅沼と同じ主張の人が噛み付いてくるけど

いつも菅沼は深夜から朝方に出没するのに、今日はそいつがいて、なぜか菅沼は現れなかったというw

195 :
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=8190&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1&page_id=28&block_id=27

これ見てもやはり自弁が原則
秀吉から兵糧タダでは貰えない

196 :
軽く目を通したがこっちは>>69の論文と異なり、
秀吉が兵糧を配ったりしてると書いてあるな。

197 :
>>195
ちゃんと読んだのか?
自弁はともかく、秀吉が兵糧配ってると書いてあるぞ。
勿論毎回すべてただで配ってるとまでは書いていないが。

198 :
合戦が始まる前に戦地に近い城を兵糧集積地にする
合戦が決まり出陣 自弁が尽きたら小荷駄の兵糧を使う
小荷駄の兵糧が尽きたら兵糧集積地の兵糧を使う
そこが尽きたら現地商人から買う
そこが尽きたら最後の手段で農民から略奪
戦国時代はこんな感じじゃないの

199 :
>>197
どこに書いてある?
>>69もそうだが、天正20年1月の書状で各大名は家中の者の6ヶ月分兵糧用意しろと書いてあると読めるが

200 :
またわけのわからんソース持ってきての論点反らしか?

201 :
>>199
横からでスマンが、お前が>>180で俺に突っ込んだレスは

>論点は君が秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してたと主張してる点だろ?

文禄元年(1592)12月10日付文書より、【秀吉の命令】で鍋島直茂の陣所まで大谷吉継が荷物運送

文禄二年(1593)8月6日付文書より、【秀吉の命令】で島津義弘の唐島城、鍋島直茂の金海城に増田らが兵糧や武具等を運送

この文書より秀吉が奉行や大谷に命じ兵糧輸送管理してるのが分かる


>>69もそうだが、天正20年1月の書状で各大名は家中の者の6ヶ月分兵糧用意しろと書いてあると読めるが

この文章の続きに足りない分は借米として貸すぞって話だよな?
6ヶ月の兵糧を用意しろ ← 大名(加藤ら)自身の裁量を無視して秀吉が兵糧に強制介入
足りない分は借米しろ ← これも強制介入で秀吉の米が混じる

これ思いっきり秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してた証拠だよね?

202 :
>>201
>>199

>6ヶ月の兵糧を用意しろ ← 大名(加藤ら)自身の裁量を無視して秀吉が兵糧に強制介入
>足りない分は借米しろ ← これも強制介入で秀吉の米が混じる

>これ思いっきり秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してた証拠だよね?

は?6ヶ月用意しろと命じることが管理してる根拠と言ってるのか?w
つまり自弁だったのは認めるのか?

203 :
兵糧ってある程度は自弁ではないのかな?
現地調達や近隣調達は否定しませんが。

徳川家康が高天神城を攻めていたとき、鳥居元忠の隊が輸送の遅れから餓えた話もあるし。

204 :
>>202
>>180より
>論点は君が秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してたと主張してる点だろ?

秀吉が兵糧の数量を指定&足りなければ借米しろと強制
それだけじゃなく秀吉が朝鮮への輸送も指示してんのに兵糧管理してないと?w
これがお前の言ってた論点なんだけど、どうなのよw

205 :
>>204
君がいう管理とは秀吉は米等を負担をせず、各大名が自弁と現地調達で兵糧を賄うよう秀吉が指示することなのか?

206 :
>>205
え?俺が秀吉が15万を超える全軍の兵糧を負担しているって言ってたの?
どこで?

>>180より
>論点は君が秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してたと主張してる点だろ?

と言ってたのを都合悪くなって論点逸らししてるだけじゃないのww

207 :
>>206
>>205
>え?俺が秀吉が15万を超える全軍の兵糧を負担しているって言ってたの?
>どこで?

えー今更?w
管理どころか各大名に丸投げしてるだけじゃないかw
結局、自弁と現地調達が基本だったことを認めるんだな?

208 :
>>207
やっぱ、どこで言ってたか出せないんだw
菅沼みたいに見えない物が見える病気かな?

お前の>>180のレスした先のアンカー見ると

>自領から補給をしていたとしか読めないが?


加藤や毛利の文書を例に自領から補給をしていた云々と言ってたのお前だよな?
自領から補給していたという主張を論破されて取り下げて、次は秀吉が管理していたか云々からの論点からも逃げて
最終的に>>195で秀吉の兵糧がタダだったかに論点逸らしか?w

209 :
今ホットなワードの輸出管理

210 :
>>208
加藤目線で見てみよう
6ヶ月分の兵糧用意して渡海し、始めは現地調達で余裕があったが、やがて困窮し、あらゆる物質を釜山や名護屋ではなく、自領に繰り返し執拗に要求している
秀吉の御蔵米は触ることも禁じられ、城に備蓄が厳命され、古米の消化の際にしか使わせてもらえない
これで秀吉が全軍の兵糧管理してたと?笑わせるなよw

211 :
>>210
丸投げとか言ってるあたり管理を指揮統率することだと思ってんのか?
まず日本語を学べ
次は秀吉の采配の罵倒で論破逸らしか?w

212 :
>>211
真面目な話、君がいう管理って何なの?
何をどう管理してんの?w

213 :
>>212
お得意のネットから論文を探すみたいにググってみたらいいじゃないw

秀吉の名の下に水軍や商人に命じ全国から兵糧の集積指示
秀吉が6ヶ月分の兵糧を用意しろと命じ、足りない分は借米で貸し出すと諸大名に指示したり
秀吉の命令で島津や鍋島に兵糧や武具の搬入してるのに管理と言わないなら
お前の管理の定義を逆に聞いてみたいわw

214 :
>>213

>秀吉の名の下に水軍や商人に命じ全国から兵糧の集積指示

直轄地だけという盛大なオチw

>秀吉が6ヶ月分の兵糧を用意しろと命じ、足りない分は借米で貸し出すと諸大名に指示したり

命令してるだけで管理も負担もしていない各大名の自弁頼み
甲州征伐の信長は小荷駄隊等で兵糧用意してたと主張してた割にはひどく大幅な退化w
この程度の管理ではそりゃ甲州征伐も兵糧不足になるよなw

>秀吉の命令で島津や鍋島に兵糧や武具の搬入してる

これの史料提示しなよ?

215 :
>>214
>直轄地だけという盛大なオチw

おや?誰かさんは丸投げって言ってなかったっけ?

>甲州征伐の信長は小荷駄隊等で兵糧用意してたと主張してた割にはひどく大幅な退化w
>この程度の管理ではそりゃ甲州征伐も兵糧不足になるよなw

甲州征伐と朝鮮出兵の規模を同じと考えるアホな理論ですかな?
秀吉が経験してない海路で外国攻めた朝鮮出兵の失敗例を標準的な兵站だと語った菅沼を馬鹿にするのは止めろw
そして菅沼と一緒でその海を越えて、自領から兵糧を送り続けたと語り、俺に論破されて取り下げて、論破逸らししか出来なくなったお前とかなw

>これの史料提示しなよ?

>>201に書いてあるだろ鳥頭

216 :
唐入りみたいに陸運による兵站の失敗が敗因の戦いを例に出しても意味ない

217 :
>>198が合ってるのか誤ってるのか誰も指摘してくれない。。。

218 :
少なくとも略奪は最後の手段でもなんでもないと思う

219 :
武田はむしろ略奪が目的で戦争してたようなもんだし

220 :
菅沼は、武田領は大内氏に勝り、織田氏に匹敵する豊かさがあるとか言っていたがな。

221 :
商人略奪は順不同だけど、他はそんな感じだと思う。

222 :
>>215

>おや?誰かさんは丸投げって言ってなかったっけ?

直轄地以外は丸投げな

>甲州征伐と朝鮮出兵の規模を同じと考えるアホな理論ですかな?

統一政権ですらこの程度だから甲州征伐も推して知るべし
なにせ牧之原城以外の史料は皆無

>>201に書いてあるだろ鳥頭

誰宛のどこの文書?全文読まないと判明しない

223 :
朝鮮出兵の兵站は船による輸送が主力なので西国の大名が自弁するのは困難ではない。
中央政権が兵糧を手配するのは武田征伐、小田原征伐、大坂の陣など自弁が不可能または困難な場合

224 :
>>222
>統一政権ですらこの程度だから甲州征伐も推して知るべし

文禄の役は休戦まで一年以上、引き揚げるまで数年掛かってるから兵站に関する史料がかなり残ったが
甲州征伐で一ヶ月で壊滅した武田は糞雑魚すぎて史料がほとんど残ってないのがなw

>誰宛のどこの文書?全文読まないと判明しない

島津家、鍋島家の文書だ
宛先も島津、鍋島

225 :
>>217
現地商人もどうかね
戦場に隣接する同盟国、友好国から派遣して貰わないと厳しいと思う
敵国なのに自国の商人が兵糧を敵に売ったら、敵を撃退した後にその商人は斬首されても仕方ない

226 :
>>224

>甲州征伐で一ヶ月で壊滅した武田は糞雑魚すぎて史料がほとんど残ってないのがなw

そしてわずか1ヶ月で兵糧不足に陥る諸将がいた織田軍w

>島津家、鍋島家の文書だ
>宛先も島津、鍋島

君はもちろん全文読んだんだよな?

227 :
>>226
武田は総大将の勝頼含めて悉く討ち取られちゃったけどな

>君はもちろん全文読んだんだよな?

お前は>>69を盲信して他の文書の存在すら知らなかったみたいだけどねw

228 :
>>227
>>226
>武田は総大将の勝頼含めて悉く討ち取られちゃったけどな

意味不明
誰も武田持ち上げてないんだけど

>お前は>>69を盲信して他の文書の存在すら知らなかったみたいだけどねw

君ね、上の二つの論文は基本的に公儀の兵糧や物資を朝鮮の城に届けても、それらは各大名に使わせるものではないという主張なのだから、君の掲げる文書がそういう兵糧や物資でないか確認はしないといけないだろ?まさか読んでないの?

229 :
>>227
あと、加藤清正は自領にあらゆる物質を釜山に送るよう催促しているが、君はそれらは届かなかったと主張してるのか?

230 :
>>228
ほら武田が糞雑魚すぎって書いたら、急に織田ガー言い出したじゃないw
君がいるうちは菅沼今日一日このスレ来てないみたいだけどw

226:人間七七四年 2019/08/08(木) 23:31:49.62 ID:mP+vpsIv
>>224

>甲州征伐で一ヶ月で壊滅した武田は糞雑魚すぎて史料がほとんど残ってないのがなw

そしてわずか1ヶ月で兵糧不足に陥る諸将がいた織田軍w

231 :
>>229
>>94の通り国元が難渋し翌年重臣が叱責されてるじゃない
しかも休戦後の8月の話で名目は冬の備えとして、な

鍋島と島津の文書にケチをつけてるみたいだが、鍋島と島津は秀吉から物資を受け取ってる書状はあるが
他の文書だせばいいだけだぞ

232 :
>>199
横からだが、
一、国内での年貢米徴収
の章の
ページは612で
『九州大名については一定額の蔵米の割当があったらしい。』
『近畿以東の諸大名に対し、四月から九月の間に兵糧を与えると述べている。』
『小早川隆景も、秀吉から飯米配りがあるほか、兵糧米不足の場合には、大坂で借米できる』
『出兵に際して、兵糧は自賄であったが、一定の扶持が与えられた』
『御陣へ召連れた若党・小者を交代させた場合、去年の配当の半額を遣わす』
このページだけでこれぐらい秀吉が兵糧をただで配ってるらしい記述が見つかった。
精査したわけじゃないから違う意味の場合もあるかもしれない けど、
これで何処?と思うようならリンク先間違っているんじゃないか?

それとも軍役提供しているからただじゃないとかいう理屈か?

233 :
>>230
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。

234 :
>>233 宛続き
で、またいつものように、必死に煽ろうとしておいでのようですけど、
いまは私はリアルが忙しいので、反論の多くはまた後で、という感じですかね。

235 :
忙しい奴が随分いろんなスレに顔を出すもんだなあ

236 :
>>154 >>151 >>153
その菅沼なんとか、については、>>233とかの、
菅沼なんとか認定の設定矛盾とかについて、お答えの方などをお願いいたしますかね。

>菅沼の言ってる各武将って大名のこと言ってるじゃないか
何度も書いてきましたけど、
1、豊臣政権に従う独立した領国をもった武将、
2、そういった武将達に従う陪臣達、
の2種類の武将達がいて、
1、の武将達においても、一〜数万石程の領土の武将は多くいて、
そういった武将達の率いた軍勢は数百程だったように思いますが、
普通に自弁によっての兵糧補給をしていて、
2、の武将達も、数百程の軍勢を率いた武将とかは多く存在していたはずなのですが、
なんだって、兵糧補給ができない事になっていくのでしょうか、と思うのですが。
と、いいますか、信玄西上の時に、
山県勢が5千程の軍勢で独立した行動などをしていたように、
普通に、こういった陪臣達でも、自弁補給によって、
独立した行動を行っていた事例は、いくつも存在をしていたように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

237 :
>>235
ちょっと書きこみや反論の量が少ないですので、
その事についての、挨拶をしてまわっていたような感じですかね。
>>158
その菅沼なんとか、については、>>233とかの、
菅沼なんとか認定の設定矛盾とかについて、お答えの方などをお願いいたしますかね。

実際には、加藤清正とかの事例とかでも、
多くの兵隊とか、武器の補給とかを、領国に命令をしていた事例が、
いくつも存在をしてますので、朝鮮出兵においては、
普通に武将達は、領国との補給が可能だったとしか思えないのですが、
この事についての、お答えの方などをお願いいたしますかね。
>>160
>>8とかをはじめとして、織田がそんな事をしていた、とかにしていくのは、
色々と厳しいと思うのですが、
この事などについての、お答えの方などをお願いいたしますかね。

238 :
>>163
>「右」で出陣を命じられた武将が兵糧を担当する場合、兵数がわかっているから遠かろうと近かろうと
>必要な兵糧は逆算できる(遠ければその分の兵数を少なくするだけ)。だからわざわざ信長が
>上のように言及する必要はない
いや、武田とかでは、領土の逆方向の遠征に参戦をしていく時とかには、
軍勢を如何程率いて参戦をしていくか、というのが、決まっていたようなのですが、
織田においては、そのような規定とかがなくて、
信長の場合は、「なるべく多く」的なイージーな命令が多いですので、
遠い所への遠征の時には、
信長が普通に「兵糧をもたせていく為に」命令をした、
というので、普通に話が理解可能だと思うのですが。

そもそも、貴方的な理窟でいいますと、
「遠いので、」と書く理由がないと思うのですが。
どこの武将であっても、
信長が兵糧をまかなって、その兵糧をもたせていく為に、人数を少なくしていく、
というのが普通だった場合は、
実際に距離が遠い、畿内武将達に対して、
「遠いので、」と書く必要はないと思うのですが。
遠くても、そうでなくても、兵糧の担当をしていくのは、
貴方的な理窟では、信長なのですし、その場合は、
武将達も、人数を少なくしていくのが普通、という事になって、
命令をしていく必要もない、という事になっていくように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。

239 :
いまは私はリアルが忙しいので、他の事についての、反論などは、
あとにさせていただきたいと思いますかね。

240 :
>>239
忙しい奴がこんなにレスを短時間にできるわけねーだろ。
見苦しいいい訳せずに、暇だから付き合って下さい皆さんお願いしますと言ってみろタコ。

241 :
忙しいらしい人のレス数
http://hissi.org/read.php/sengoku/20190809/MzhvSHJLL3E.html

242 :
>>231
その文書は朝鮮への侵攻が頓挫し、南岸を中心に城を普請して鍋島達の大名に在番させたという背景がある。
その普請した城に兵糧と武器等を入れたという史料
その兵糧はあくまで秀吉の物であり、在番衆は食べられないし、食べたら罰せられる。
ただし、古米と新米の交換は命令されている。

結局は各大名の兵糧はいつも通り自弁や借米で賄うのが原則。上記の文書で鍋島達が奉行から補給を受けたというのは誤り。

243 :
>>242
御城米は秀吉直臣のための物だから
他の大名が使う場合は借米になる
食べたら罰せられるってどこに書いてあるの?

244 :
>>242
昨日の菅沼別回線か?
お前の主張は、毛利や加藤の文書を例に自領から兵糧を郵便物のように延々と運び続けた

お前自身の>>180より
>論点は君が秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してたと主張してる点だろ?

兵糧がタダだったのかの話じゃないのに勝手に論点すり替えるのは菅沼そのものだなw

245 :
>>238
>武将達も、人数を少なくしていくのが普通、という事になって、
ごめん、信長が兵糧を用意するなら武将は兵数を少なくするというロジックが全く分からない
武将は遠慮することになるってこと?

兵糧については
消費する兵糧=兵数*日数
んで
用意できる兵糧>消費する兵糧
なら兵糧は賄えるといえるよね?

自弁の場合は不定なのは日数だけだから見込みを立てて大体の兵数は計算できる
遠ければ日数は増え、用意できる兵糧も制限がかかるから必然的に兵数も少なくなる

対して信長が用意する場合は兵数も不定になるから消費する兵糧が計算できない
用意できる兵糧が十分でないならアバウトにでも「兵数は少なく」命令を
出すのはおかしくないよね?
武田征伐の場合は信長は近江から出てるし、美濃尾張の兵糧は信忠も使うだろうから
「遠い」ので用意できる兵糧は十分でない説明になると考えられる
(まあ遠いのは自弁、信長が準備のどちらでも共通だけど)

246 :
>>244
>お前の主張は、毛利や加藤の文書を例に自領から兵糧を郵便物のように延々と運び続けた

加藤が何度も繰り返し自領に補給を厳命しているのにそれらは全て一方通行で運んでないと言うのか?君は自弁であることを認めたよな?ならどうやって補給してたのか説明すべきだ

>兵糧がタダだったのかの話じゃないのに勝手に論点すり替えるのは菅沼そのものだなw

兵糧が自弁かどうかはっきりもせずに兵糧管理してたと断言するのは如何なものか
そもそも君は水夫が不足したから自弁になったとデタラメ書いてたくせに

247 :
>>243

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/138219/1/JOR_66_2_229.pdf

>>69
>>195

上記3つの論文読めばいい

248 :
この兵糧の話題はいつまで続くんや
キチガイが集まりすぎやろ

249 :
>>246
>加藤が何度も繰り返し自領に補給を厳命しているのにそれらは全て一方通行で運んでないと言うのか?

加藤は冬の備えとして催促

催促するが調達に国元は難渋した模様で、翌文禄3年4月に清正は重臣達の怠慢を叱責する書状を送っている

>兵糧が自弁かどうかはっきりもせずに兵糧管理してたと断言するのは如何なものか

いや、お前の最初の主張は加藤と毛利の文書で自領から個々に運び込まれたって主張だったろ
鍋島と島津の>>201の文書では秀吉の命令で補給されてる
つまり秀吉に兵糧管理されてる

天正二十年(1592)4月、加藤清正らが釜山に上陸、5月に遅れて島津が上陸

文禄二年(1593)8月に鍋島や島津は補給(上陸から1年4ヶ月後)
最初に用意した6ヶ月分はとっくに無くなってる計算だぜ?
他の大名らがみんな自領から個々の判断で朝鮮まで海を越えて運んでたって文書を探し来れば?
冬の備えと催促した加藤は国元で難渋されて翌年4月に重臣たちに怠慢と叱責してるから送られてなかったみたいだけどw

250 :
>>246
>そもそも君は水夫が不足したから自弁になったとデタラメ書いてたくせに

自弁になった?借米と現地調達だろ?また菅沼みたいな捏造か

文禄二年(1593)1月15日、石田三成らが名護屋へ戦況報告
・小西行長は兵糧が一切なく、数万の攻撃を受けたので後退
・加藤清正が失態を犯し大きな損害を被る
・漢城には去秋に刈田を行い兵糧が正月分はあり、残りは一万四千石
・漢城には宇喜多秀家ら軍勢一万七千が在陣
・加藤清正は遠国へ入り過ぎ後退して来ない
・兵糧がなく陣替えの五日路、十日路も調整できない
 富田仙助氏所蔵文書より

文禄二年(1593)2月5日、朝鮮まで運ぶ船頭と水夫の過半数が死亡した事により、朝鮮まで運送困難になり
秀吉は水夫徴発を各地に命じる

文禄二年(1593)2月9日、自力で兵糧米確保を命じる

文禄二年(1593)2月18日、秀吉は鍋島直茂へ赤国、白国への援軍派遣予定と兵糧を釜山浦より手繰りで給与すること、
持船は全て名護屋へ廻漕しろと命令

ここでも兵糧を釜山で受けとれと書かれてるね
手繰りで給与と

251 :
>>247
それ読み間違えてるよ
替米で新しくなった御城米には手を付けるな
古米を先に使えってのを曲解してる

252 :
>>249

>いや、お前の最初の主張は加藤と毛利の文書で自領から個々に運び込まれたって主張だったろ

>>195の加藤清正の自領への催促の内容読むと少なからず届いてるようにしか思えないが?そもそも君はその加藤家の文書全て読んだのか?豊臣関係の第一人者が自弁しているという文脈で書いているのに(「出兵の負担は最終的に領民の負担に転嫁された」等)

>鍋島と島津の>>201の文書では秀吉の命令で補給されてる

>>242の通り、それは秀吉のものであって鍋島と島津のものではない
秀吉は鍋島と島津の兵糧は管理してない
管理してたというのはかなり語弊がある

253 :
>>250

>自弁になった?借米と現地調達だろ?また菅沼みたいな捏造か

自分は自弁というのは公儀からの援助を受けない、借米や現地調達を含むものと考えていたが、君は違うのな
噛み合わないわけだ

>文禄二年(1593)2月18日、秀吉は鍋島直茂へ赤国、白国への援軍派遣予定と兵糧を釜山浦より手繰りで給与すること、
>持船は全て名護屋へ廻漕しろと命令

>ここでも兵糧を釜山で受けとれと書かれてるね
>手繰りで給与と

また後出しで文書かよ
内容読まないと何意味するか分かんないんだが、君は読んだのか?

254 :
>>252
冬の備えと言って催促してたのに、冬を越えて翌年の春に怠慢だと国元の重臣を叱責してるのに
ちゃんと運ばれてたと?w
他の大名たちの6ヶ月の兵糧はとっくに尽きてる計算なのになぜ文書をだせないの?

>>242の通り、それは秀吉のものであって鍋島と島津のものではない

御城米だから手を付けられない云々と主張してるみたいだが、鍋島、島津の補給は
米だけじゃなく武具、塩噌、雑子と書かれて完全な補給なのも知らないみたいだなw

>>253
>自分は自弁というのは公儀からの援助を受けない

公儀ガーと>>60で矛盾突かれて論破されてたアホかw

>また後出しで文書かよ

お前が何も知らないだけなのを人のせいにするなよw

255 :
ちなみに兵糧に関する文書はまだまだあるからな
>>69の論文書いた奴とお前がいかにそういう文書を知らずに語ってるか
加藤清正の陣替の時に兵糧が足りなければ貸し与えよとか
今は文禄の役に限って文書を挙げてるが、慶長の役にも兵糧に関しての秀吉の指示の文書もまだまだあるからなw
それでも秀吉は兵糧管理してないと言い張る
そして、その文書の中には他の大名(先遣隊)が個々の判断で自領に向けて兵糧を朝鮮まで直接送り続けろという文書が無いことも
>>69がいかに都合の良い所だけを挙げて書いてあるか分かるw
特に文禄の役の話から4年後の慶長の毛利の例を無理矢理くっ付けたり、素人の論文で草が生える

256 :
>>254
アホとか汚い言葉やめなよ

257 :
一般的には盆休みに入ってるのに
平日より菅沼は忙しいのか

258 :
>>254

>他の大名たちの6ヶ月の兵糧はとっくに尽きてる計算なのになぜ文書をだせないの?

まず、三鬼氏が掲げてる加藤清正の文書を君はすべて読んだのか?

>米だけじゃなく武具、塩噌、雑子と書かれて完全な補給なのも知らないみたいだなw

それらと兵糧は蔵に入れて秀吉の物、備蓄用として在番衆は使わせてもらえなかった
君は読んでないからデタラメ書くんだろうけど

>お前が何も知らないだけなのを人のせいにするなよw

君、読んだの?なんならここに全文書いてみなよ

259 :
>>255

>今は文禄の役に限って文書を挙げてるが、慶長の役にも兵糧に関しての秀吉の指示の文書もまだまだあるからなw

ならここに書いてください
文書の中身も読まずに見出しだけでまだまだあるとかやめてください

>特に文禄の役の話から4年後の慶長の毛利の例を無理矢理くっ付けたり、素人の論文で草が生える

文書の中身も読んでない、着到や公儀も知らなかった素人が輩がまさかの研究者批判w

260 :
232の言う通り論文には秀吉が配ってると書いてあるのに、まだ秀吉は指示してないって言い張っているのか

261 :
>>258
>それらと兵糧は蔵に入れて秀吉の物、備蓄用として在番衆は使わせてもらえなかった
>君は読んでないからデタラメ書くんだろうけど

その前の7月26日の兵糧の指示文書

持タザル者ハ此ノ米下行仕リ、其ノ算用来春申シ上グベク候

お前が言ってる蔵に入れろと言ってる文書はお前こそ全部読んでるか?
足りなければ使えと言ってる
お前こそ全文読んでなくてデタラメ吹いてるだろ

262 :
>>259
お前が最初、個々の判断で自領から延々と郵便物みたいに朝鮮の前線に送られ続けたと主張して
加藤と毛利の例を挙げてたのに毛利の例は速攻で無かったことにしたくせにw
加藤の例も国元に難渋されて怠慢だと叱責されてるからこれも取り下げ

他の大名の文書も出せばいいのに、弾切れかな?w

263 :
>>259
研究者の私見が全部正しいなら
昔、信長の鉄砲三段撃ち、信長の兵農分離を
唱えてた相当権威があった学者の論は正しかった
ということですか?

264 :
>>263
少なくとも259みたいな口汚い素人よりは信用できる

265 :
>>261

>お前が言ってる蔵に入れろと言ってる文書はお前こそ全部読んでるか?
>足りなければ使えと言ってる

誰宛の何の文書か分からない
この辺りの時期の事情は
>>195にその辺書いてあるけど、原則使えない
使ったら結局は借米や年貢で返済

>お前こそ全文読んでなくてデタラメ吹いてるだろ

研究者じゃないから読んでないよ
その代わりに研究者に敬意は払うけどね
君は全文読んだの?

266 :
>>262
自領から輸送を受けた場合は文書はなかなか残らないだろ
命令や催促した文書が残るだけで
加藤の文書全て読めば届いてた物も分かるかもしれないが
秀吉が兵糧や物資の面倒を見てくれるならそもそも加藤清正は自領に命令や催促なんかしない
御蔵米の下行を受けても、年貢米で割高に返済する羽目になるから自領から送るよう催促したんだろう

267 :
>>265
>>242より
>その普請した城に兵糧と武器等を入れたという史料
>その兵糧はあくまで秀吉の物であり、在番衆は食べられないし、食べたら罰せられる。
>>258より
>それらと兵糧は蔵に入れて秀吉の物、備蓄用として在番衆は使わせてもらえなかった



>この辺りの時期の事情は
>>195にその辺書いてあるけど、原則使えない
使ったら結局は借米や年貢で返済


在番衆は食べられないとか罰せられるとか
言ってたのに大分トーンダウンしたなw

またもや取り下げたのかw
全文読んでなくデタラメ吹いてるから

268 :
>>266
つまり、他の大名(先遣隊)の史料は見つけられなかったって事か
秀吉からの命令で朝鮮に届けられた史料はたくさんあるけどね

269 :
>>267
トーンダウンも取り下げもしないよ
現に在番衆には手をつけるなと厳命してんだから
君みたいに蔵に入れた=在番衆に補給したと勘違いする輩が出ないようにちゃんと文書で残してるんだな

270 :
>>268
他の大名について探す前に加藤の件どう言い訳するんだよ?秀吉がちゃんと兵糧と物資を管理してるならどうして加藤清正は自領からの補給に躍起になってるんだ?
上記について答えられない、文書も読んでない、研究者に敬意も払わない君に他の大名について調べろという権利はあるのかい?

271 :
>>270
>上記について答えられない、文書も読んでない

文書を読んでないのはお前な
豆と米については↓
持タザル者ハ此ノ米下行仕リ、其ノ算用来春申シ上グベク候

同じ書状に書かれてる内容はこれな↓
右、武具並ニ塩噌、雑子、干飯、鰯、炭以下ハ、自然ノ時ノ為ニ籠メ置カレ候間、其ノ意ヲ為シ、聊爾ニ召シ遣ベカラズ候ナリ。

どこにも秀吉の物で在番衆は一切使うことはできず罰せられるとは書いてないんだよ?w
むしろ親が子供にお小遣いをあげる時に無駄使いするなと言ってるだけなのを
原則禁止で使ったら罰っせられるとか言ってて草生えるw

272 :
>>269
>現に在番衆には手をつけるなと厳命してんだから
>君みたいに蔵に入れた=在番衆に補給したと勘違いする輩が出ないようにちゃんと文書で残してるんだな

馬鹿な論文を真に受けずに>>271を読みな
そのレス恥ずかしくなるからw

273 :
>>271

全然噛み合ってないが、君は>>195を読んだのか?
兵糧を始め、物資は蔵に入れて保管し、在番衆は手をつけることは禁止された、これが原則
使いすぎるな、じゃなくてこれは秀吉の物だから欲しいなら代金払えということ
つまり下行される場合は有償で負担させられる
無償でもらえる、使いすぎなければ貰えるならどうして加藤清正は自領に何度も催促したんだ?
いい加減、問いに答えような

274 :
>>268
これの史料も>>195の6ページに何度か書いてあるだろ
各大名も自分の手船で輸送してたんだよ

275 :
>>273
ああ、読めないんだw
時系列で前後の原文読めば全体が分かるのにw

聊爾ニ=考えも無しに。いい加減に。

これだけでもある程度推察できるでしょw
絶対に使うな、罰せられるとは書いてなく
むしろ無駄使いは避けろ、有事の際には使えということなんだけど

>使いすぎなければ貰えるならどうして加藤清正は自領に何度も催促したんだ?

冬の備えな
しかも国元に難渋しめされて送られなかったのか
翌年に重臣たちを怠慢と叱責まで入れろよw

276 :
>>274
文書もってこればいいじゃない
毛利と加藤の文書はドヤ顔で持ってきたのにw

277 :
加藤清正は補給の立場の奉行衆に讒言されてたから
奉行衆から補給は受けないと意固地になってたんじゃね?
唐入りから奉行衆と険悪化だから

278 :
>>277
清正の独断専行が悪いのかどうかだな
秀吉からの唐入り命令を厳守したとも言えるし、あの距離だから後方からの補給は絶対に無理だからな
現地の略奪しすぎたのか、三成の讒言なのか、だな

279 :
三成らの清正独断専行を含む戦況報告から清正の陣替えはあったみたいだが
確執の原因は他の史料探さないとあかんかな

280 :
>>275

>むしろ無駄使いは避けろ、有事の際には使えということなんだけど

前後読めてないのは君だよ
自然ノ時の為二保管すべき、つまり有事がないと使えない
お小遣い使いすぎるな、とは全然違います

>冬の備えな
>しかも国元に難渋しめされて送られなかったのか
>翌年に重臣たちを怠慢と叱責まで入れろよw

その文書に半分も届いてない、とあるから逆にいうと少しは届いてたんだな
君の主張は覆されたね

281 :
>>280
>前後読めてないのは君だよ
>自然ノ時の為二保管すべき、つまり有事がないと使えない
>お小遣い使いすぎるな、とは全然違います


聊爾ニ=考えも無しに。いい加減に。

お前の主張
>その兵糧はあくまで秀吉の物であり、在番衆は食べられないし、食べたら罰せられる。

実際↓
持タザル者ハ此ノ米下行仕リ、其ノ算用来春申シ上グベク候

最初から読めてなかったのお前な


>その文書に半分も届いてない、とあるから逆にいうと少しは届いてたんだな

戦が休戦になった後の冬の備えでな
お前の主張は秀吉からの送られた米は使えず罰せられるから使えない
そんな叱責される失敗状態がメインの補給だと語ってたのはお前だぜ?w

282 :
>>281
>お前の主張
>>その兵糧はあくまで秀吉の物であり、在番衆は食べられないし、食べたら罰せられる。

在番衆への別の書状には蔵米は厳重に保管し、量を保つよう命じているのは>>195の論文にも書いてあるじゃないか

>実際↓
>持タザル者ハ此ノ米下行仕リ、其ノ算用来春申シ上グベク候
>最初から読めてなかったのお前な

算用の意味わかってるか?使った分返せということだぞ

>戦が休戦になった後の冬の備えでな
>お前の主張は秀吉からの送られた米は使えず罰せられるから使えない
>そんな叱責される失敗状態がメインの補給だと語ってたのはお前だぜ?w

冬の備えだけであんなあらゆる物資の催促しませんよw
君は自領からの輸送届かなかったとほざいてたけど謝罪無しなの?w

283 :
>>282
>算用の意味わかってるか?使った分返せということだぞ



在番衆は食べられないし食べたら罰せられるってのがお前の主張だったでしょ
実際は兵糧足りない者には米下行
しかも秀吉は兵糧管理をしてないと主張してたのは誰だっけ?

>冬の備えだけであんなあらゆる物資の催促しませんよ

冬の備えとして文禄2年8月に物資督促 → 翌文禄3年4月に怠慢だと叱責
約8ヶ月間も物資がまともに送れない状態で8ヶ月後に去年のことにぶち切れ
他の先遣隊の文書も見つけられず、加藤清正のそんな機能してないボロボロの失敗例な兵站を例に自領から送るのがメインだと語ってたことを謝ろうなw

284 :
>>283

>在番衆は食べられないし食べたら罰せられるってのがお前の主張だったでしょ

>>69>>247に書いてあるよ

>約8ヶ月間も物資がまともに送れない状態で8ヶ月後に去年のことにぶち切れ

半分弱届いたのがいつだったか何で君が知ってるの?
デタラメ書いた謝罪まだ?

285 :
>>284
文書も読まず鍋島や島津に送った物は一切使えないとデタラメ吹いてたのは誰でしたかな?
兵糧も使えなくて罰せられるとデタラメ吹いてたのは誰ですかな?


>半分弱届いたのがいつだったか何で君が知ってるの?

約8ヶ月間というと一年の2/3だ
そんな長期間も怠慢だと叱責されるレベルのボロボロの兵站を例に、朝鮮の先遣隊は個々の判断で自領からの送られてきたのがメインだと語ってたのは恥ずかしくないか?w

286 :
>>284
>論点は君が秀吉が朝鮮出兵の際に兵糧管理してたと主張してる点だろ?

しかもお前が論点がこれだと言ったように、こっちは秀吉が兵糧管理していたという文書はたくさん出してるのに
お前の個々の判断で兵糧を送り続けたって根拠の文書の毛利は速攻取り下げ
加藤の例は8ヶ月もの長期間の兵站も怠慢だと叱責されるレベル
他の文書は全く出せず

287 :
>>286

>しかもお前が論点がこれだと言ったように、こっちは秀吉が兵糧管理していたという文書はたくさん出してるのに

備蓄用、公儀の兵糧だけな
各大名の兵糧は管理してない

>お前の個々の判断で兵糧を送り続けたって根拠の文書の毛利は速攻取り下げ

取り下げてないけど
調べてないだけ
君は調べたの?

>加藤の例は8ヶ月もの長期間の兵站も怠慢だと叱責されるレベル
>他の文書は全く出せず

ボロボロだろうと懸命に調達しようとしてたのは、秀吉が面倒みてくれないからだろ(正確には兵糧を自弁するのが奉公であり、手柄なんだけど)

288 :
>>287
>備蓄用、公儀の兵糧だけな
>各大名の兵糧は管理してない

>>60でも公儀ガー言ってたのが矛盾を指摘されてたけど、鍋島や島津などの非直轄地のを管理した時点でまた破綻しちゃうんでない?w
武具や塩噌、雑子等は考えのないままに使うな、有事に際には使えってのだからな
しかも奉行衆らを撤兵させ、西国大名を在番衆として残し、城を守る在番衆のために用意したのだと分かるんだけど

>君は調べたの?

YES

>ボロボロだろうと

長期間ボロボロで怠慢と叱責されるぐらい機能しなかったのに、それがメインの補給だと主張されてもな
鍋島や島津の他在番衆もそういう状態ならともかく文書はないしな

289 :
>>287
6月に明国と和平の条々

秀吉本隊出陣予定が書状から立ち消え

7月に休戦に入る
西国大名が倭城を守る在番衆として残り、奉行衆や東国大名の撤兵が決まる

8月3日、秀吉は北政所に大坂に凱旋すると報告
8月6日、鍋島と島津が>>201>>271で書かれてる目録の補給を受ける


7月に撤兵を決め、8月には秀吉が大阪に凱旋すると報告した後に鍋島や島津に補給物資を送ったんだぜ?
お前が言ってる秀吉本隊や秀吉直臣のための備えじゃなくなってるわけだけど?

290 :
>>288

>武具や塩噌、雑子等は考えのないままに使うな、有事に際には使えってのだからな

結局、有事はなかったから使えない

>しかも奉行衆らを撤兵させ、西国大名を在番衆として残し、城を守る在番衆のために用意したのだと分かるんだけど

そんなん上の3つの論文に書いてある通り、在番衆に使わせる為ではなく、城の備蓄用
君はその3つの論文に異を唱えるの?

>>君は調べたの?

>YES

加藤の文書すら調べてなかったくせにwクスクス

>長期間ボロボロで怠慢と叱責されるぐらい機能しなかったのに、それがメインの補給だと主張されてもな
>鍋島や島津の他在番衆もそういう状態ならともかく文書はないしな

他の在番衆も論文に書いてある通り、備蓄用の兵糧の古米と自分が調達した新米との交換を命じられてる時点で、兵糧は自分で調達してたとしか読めないけどな

291 :
>>289

何言いたいのかよく分からないが、1593年7月までは秀吉は各大名の兵糧についてただ自弁を命じただけってことでいいのかな?開戦から1年以上もそれで管理してた、とw

それ以降は下行される場合があってもそれは有償で加藤は自領に補給の催促を重ねるほど在番衆には厳しい在番だったってことでいいのかな?

292 :
>>290
>結局、有事はなかったから使えない
>そんなん上の3つの論文に書いてある通り、在番衆に使わせる為ではなく、城の備蓄用

豆と米については↓
持タザル者ハ此ノ米下行仕リ、其ノ算用来春申シ上グベク候

その他
右、武具並ニ塩噌、雑子、干飯、鰯、炭以下ハ、自然ノ時ノ為ニ籠メ置カレ候間、其ノ意ヲ為シ、聊爾ニ召シ遣ベカラズ候ナリ。

使えたけどな
原文は一次史料、論文は個人の偏った見解が入った2、3次史料な


>加藤の文書すら調べてなかったくせにwクスクス

加藤の催促は国元で難渋されて怠慢と叱責されてたのを知らなかったくせにwクスクス
毛利の例もドヤ顔で挙げたが慶長の話で朝鮮渡海すらしてないのを知らずに挙げてたから、取り下げて無かったことにしたよなwクスクス

>備蓄用の兵糧の古米と自分が調達した新米との交換を命じられてる時点で、兵糧は自分で調達してたとしか読めないけどな

2月18日文書
兵糧は釜山で手繰りで配分し、開城で管理している小早川隆景の兵糧は替米のため
黒田長政と小西行長が受け取り、都で蔵米を小早川隆景に渡せ

秀吉はこういう指示を出してるけど、釜山で手繰りで配分された兵糧は自分たちで調達した兵糧ってことになってるのかw
釜山に降ろした新米と城に保管されてる古米を交換してるだけにしか見えないけどw
え?こんな文書知らなかったって?w

293 :
集めた兵糧30万石が仮に秀吉直属の部隊用とするなら集め過ぎだろ。
豊美政権より天領多い江戸幕府でさえ旗本の陪臣含めて8万騎、
1石は1年分の食糧と言うが戦時で多目に消費するとしても、30万石は過剰すぎる。
古米と新米入れ替えることが書かれているというのは数年分の食糧集めたというわけでもないだろうし。

294 :
>>291
秀吉の命令で先遣隊や在番衆の元に奉行によって兵糧が運ばれ
釜山にて配分された物を運んでわざわざ古米と入れ換えるという普通なら嫌がることを命令できるのは秀吉の命令だからこそだけどね
それで兵糧管理してないと言われてもw

295 :
論文の内容への>>232の指摘はずっとスルーされてるよね

296 :
>>292

>使えたけどな
>原文は一次史料、論文は個人の偏った見解が入った2、3次史料な

三鬼氏みたいな著名な研究者に何無礼なこと言ってんだよ
蔵に入れて保管するというのは公私混同するなという意味があり、タダでは渡さないということ
だから原則使うな、考えなく使うなということ
使った場合はキッチリ申告等し、借米等で有償であること、最終的に各大名の負担に転嫁されたこと
これらは上記論文に共通している

297 :
>>294
1593年2月に普通に自力での兵糧調達を命じてる秀吉が各大名の兵糧管理してるとか言ってもねw

https://core.ac.uk/download/pdf/144469049.pdf
の末尾でも声出して読んで秀吉は加藤清正の兵糧物資を管理してましたかともう一度自問自答した方がいいよw

298 :
>>295

>『九州大名については一定額の蔵米の割当があったらしい。』

割当があったというのがどれだけの量なのか、有償なのか無償なのか不明
出兵時に結局6カ月分兵糧等用意する命令出されてるから結局は各大名の負担だった
貰ってたとしても雀の涙

>『近畿以東の諸大名に対し、四月から九月の間に兵糧を与えると述べている。』

>>69の論文の通り誤読
東と西の大名の負担に差がありすぎるから誤読とするのが適当かと

>『小早川隆景も、秀吉から飯米配りがあるほか、兵糧米不足の場合には、大坂で借米できる』
>『出兵に際して、兵糧は自賄であったが、一定の扶持が与えられた』
>『御陣へ召連れた若党・小者を交代させた場合、去年の配当の半額を遣わす』

原則自賄、扶持があっても各大名の負担は極めて大きかったのは明らか
飯米配り、扶持=補給とは限らないし、何かの褒賞かもしれない(船を徴発した等)

299 :
>>298
ほとんど個人の感想じゃないか

300 :
>>296
>蔵に入れて保管するというのは公私混同するなという意味があり、タダでは渡さないということ

>>292の原文は豆や米、その他の物資をは蔵に入れろという文に続く兵糧の扱いについての御触れなんだけど?

>>297
その史料に面白いこと書いてあるね

>清正は出兵の負担にどのように対処し、兵カ・装備を整えていったのか
>朝鮮出兵に際し、現地で必要となる諸物資のうち特に兵根について、当初は現地での調達を目指していた。
>しかし、現実には知行改・年貢徴収といった収奪計画が軌道に乗らず、結果として日本からの輸送に頼ることに

>朝鮮侵略に慎重な家康や、和睦をすすめようとした行長らに対して、これまでみてきたように清正は積極的に出陣していった。
>多くの戦功を挙げようとした彼の努力が、秀吉に対して自らの存在をアピールしようという側面があったことは否定できないが
↑この話に続き例の冬の備えの物資送れの話に続く

>ここには、秀吉に対し忠節を尽くすという意味もあろうが、その点からは、名護屋在陣の秀吉に対し陣中から数次にわたって
>銀をはじめとして様々な貢物をしたり、国元に命じて珍品を贈らせるなど、秀吉の存在を強く意識した行動も多く見られる

他には多くの戦功を挙げるには鉄砲が必要なこと、そして穀物類を売却で財政を支えたこととかか

君の出したその論文を見ると加藤清正は秀吉へのアピールのため、珍品を仕入れるため、貢物の資金を稼ぐために国元に物資輸送をさせた
家臣らはそれを見透かして難渋したと理解できるんだけど?w

301 :
>>300

>君の出したその論文を見ると加藤清正は秀吉へのアピールのため、珍品を仕入れるため、貢物の資金を稼ぐために国元に物資輸送をさせた
>家臣らはそれを見透かして難渋したと理解できるんだけど?w

そんな風に読むのは君だけだよ
自領から朝鮮へ兵糧送れの史料多いんだから
秀吉への贈り物の為ではありません
兵糧も含めて物資を自弁することも奉公だという前提を君は理解してないから秀吉が補給してたと考えたがるんだろね

302 :
>>300

>>292の原文は豆や米、その他の物資をは蔵に入れろという文に続く兵糧の扱いについての御触れなんだけど?

自然の時の為に保管すべき、考えもなく使うなだから基本使えない、としか読まないな

>↑この話に続き例の冬の備えの物資送れの話に続く

前から何なんだよ「冬の備え」ってww

303 :
このスレ初めて来たけど、何で加藤清正の話になってるの?

304 :
>>301
>自領から朝鮮へ兵糧送れの史料多いんだから
>秀吉への贈り物の為ではありません
>兵糧も含めて物資を自弁することも奉公だという前提を君は理解してないから秀吉が補給してたと考えたがるんだろね

史料が多い?その8ヶ月間まともに送られず何回も催促しただけでしょw
清正の催促が国元で難渋されて最後は怠慢だと叱責したのが補給?
物資を自弁することも奉公だという前提を国元のは家臣は全く理解してなかったってことですね!www
その主張は清正家臣に否定されてるねw

305 :
>>302
休戦後の話で西国大名は倭城を守る在番衆と任命されて、その城の防衛のために物資補給された
自然の時で考えもなしに使うな
在番衆は城を守るために任命されてるんだから使える
つまり在番衆が城を守るように補給されたわけだ
奉行衆と東国大名は撤兵、秀吉は大坂に凱旋予定
城を守るのは在番衆しかいないんだからな


>前から何なんだよ「冬の備え」ってww

文禄二年8月に清正が送った催促の名目は冬の備えな
叱責の文書にも冬も越えたのに物資が来ていないという話で繋がってるw

306 :
ID:1UXdWofWの主張
自領から西国大名の個々の判断で直接朝鮮に送られるのがメインだった。秀吉は兵糧管理してないと主張
 毛利の例
 ↓
 取り下げ

 加藤の例
 ↓
 補給がまともにされないから催促され続け8ヶ月間もそのやり取りが続き、怠慢だと叱責される補給w

 秀吉は兵糧管理していない
 ↓
 前線の将が嫌がりそうな替米を命令したり、考えもなしに使うなと在番衆にも補給している

 その兵糧はあくまで秀吉の物であり、在番衆は食べられないし、食べたら罰せられる。
 ↓
 どこにもそんなことを書かれてなく、秀吉から足りなければ米は下行
 その他物資は考えもなしに使うな、有事には使えと城を守る在番衆のために用意された

 物資を自弁することも奉公だという前提

 清正の家臣は全く理解してなく8ヶ月間催促され続け、まともに送らず叱責される


主張は全部覆ったか取り下げてるじゃないw

307 :
>>293
留守の兵もいるだろうから、秀吉直属の遠征軍は5万として兵糧10万石使い
他諸経費として5万石使うとしても、15万石は余る計算

諸大名に配る、あるいは借米すること前提で集めたか
秀吉本隊と一緒する大名は負担するつもりで集めたとかじゃないと数字的におかしいな

308 :
菅沼もう三日くらい来てなくね?
お盆休みで忙しいってあり得ないから
逮捕されたか、どこかで野垂れ死んでて欲しい
平和が訪れたね

309 :
じゃあネタフリしても大丈夫かな?
土日月の3日で田野寺の勝頼の墓に手を合わせて来たわ
静かで綺麗な川も流れてて近くに温泉もありいい所だった

名古屋近郊からバイクで行ったんだが
茅野から甲府までの道のりが予想以上に険しく距離もある事に驚いた
甲州征伐の信忠軍が補給に苦労したってハナシも頷けるし
諏訪方面に戻る際に遭難者が出てもおかしくない道だったわ

310 :
風の通り道みたいになってるいて風強いから、濡れると割とヤバい

311 :
>>304

>史料が多い?その8ヶ月間まともに送られず何回も催促しただけでしょw

ちゃんと声に出して読んだのか?届いてる物もそれなりにあるんだけど

>清正の催促が国元で難渋されて最後は怠慢だと叱責したのが補給?

そう
秀吉が管理してなかったから苦労してる
1593年2月の兵糧自力調達しろという秀吉朱印状の後も自領に兵糧を催促してる
要するにずっと自弁が基本

>物資を自弁することも奉公だという前提を国元のは家臣は全く理解してなかったってことですね!www

何言いたいのかさっぱり分からないが、揃わないものは揃わないってことだろ

312 :
>>305
>>302
>休戦後の話で西国大名は倭城を守る在番衆と任命されて、その城の防衛のために物資補給された
>自然の時で考えもなしに使うな

ちゃんと論文読んでこいよ
備蓄用の兵糧と日常用の兵糧は区別された
日常用の兵糧は自弁か借米で別にある

313 :
>>306

> 毛利の例
> ↓
> 取り下げ

取り下げてない
調べてないだけ
毛利なら1593年2月の兵糧自力調達の朱印状で自力調達してたとしか

> 加藤の例
> ↓
> 補給がまともにされないから催促され続け8ヶ月間もそのやり取りが続き、怠慢だと叱責される補給w

そもそも補給がどれだけ届いたかが論点ではなく、何故秀吉が管理してるなら加藤は何故自領に兵糧要請するのかという話だと思うが?

> 秀吉は兵糧管理していない
> ↓
> 前線の将が嫌がりそうな替米を命令したり、考えもなしに使うなと在番衆にも補給している

何言いたいのか分からない

> その兵糧はあくまで秀吉の物であり、在番衆は食べられないし、食べたら罰せられる。
> ↓
> どこにもそんなことを書かれてなく、秀吉から足りなければ米は下行

蔵に保管すべき、という命令だけで普通は簡単に使えないと読める
在番衆への書状は多くあるようだから調べるよ

> その他物資は考えもなしに使うな、有事には使えと城を守る在番衆のために用意された

城を守って在番することは有事に含まれない

> 物資を自弁することも奉公だという前提
>↓
> 清正の家臣は全く理解してなく8ヶ月間催促され続け、まともに送らず叱責される

揃わないことと理解してないことは別だろう

314 :
>>311-312
たぶん知らないんだろうが、1592年4月26日に毛利や西国大名の輸送船を豊臣に提出させられてるからな
水夫の食い扶持も豊臣が支給して水夫の動員も握り
1593年2月5日に船頭と水夫が大量死したら、秀吉の命令で西国大名本国の留守居へ直接、徴発命令
書状にも朝鮮にある大名の船含む全ての船を名護屋に回せと秀吉から命令も何回も来てる

休戦した1593年7月以降はそういう命令はほとんど無くなったが
船頭と水夫、大名の船を秀吉に握られてる状況で、どうやって西国大名の個々の判断で自領から朝鮮前線に補給し続けたのが説明してくれな?

清正の書状も休戦後で秀吉に握られてた船と水夫がある程度自由になったからか清正が送れと言ったが
国元は難渋し八ヶ月間も催促され続け怠慢だと叱責される有り様の酷い補給で
休戦前の秀吉に水夫と船を握られてた頃にどうやって送ってたのかとりあえず説明してくれw
書状もつけてな

315 :
>>313
>毛利なら1593年2月の兵糧自力調達の朱印状で自力調達してたとしか


そこについては>>250で説明してるが?
お前の貼った論文にも最初は刈田などで現地調達を当てにしていたと書かれてたろ
加藤清正も兵糧はいるか?と奉行に聞かれたら現地調達(刈田や敵城から接収)したから要らないと返答した書状もある
しかし義勇兵や一揆、中国からの援軍で兵糧不足で劣勢になり
水夫が大量死で新しく全国から徴発してるのが1593年2月5日
お前の言ってる自力調達を命じたのはその後の1593年2月9日の話だぜ?

そんなことを知らなくて自力での兵糧調達を命じてるから管理できていない?
水夫の大量死に加え2月は既に兵糧不足で戦線後退してる時期だから、なるべく大名らが現地で確保しろって話だろ
そんな時期に秀吉に頼まずに大名が個々の判断で催促すれば兵糧確保できたと言わないよな?
秀吉に輸送船と水夫を握られ、その水夫が大量死した後なのに
しかも戦の休戦後に朝鮮南海側の倭城にいた加藤清正でさえ8ヶ月もの間に怠慢と叱責されるレベルの補給でw
そして、毛利は輸送船を豊臣に提出した後で、その毛利の書状は慶長二年の話(四年後)で1593年2月の話とは繋がらないんだぜw

316 :
>>313
>>314
Rガイジども
てめぇらで別スレ立てて勝手に議論してろ
スレ違いなんだよアンポンタン

317 :
田野寺の案内看板に紹介されていた勝頼の辞世の句

おぼろなる月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端

西の山の端は京都の事を指していて
月にかかる雲のように俺は消えゆく運命だが
この期に及んでまだ上洛の夢を捨てきれない
死んで魂になったら京都に行けるのかな
という意味だと俺は解釈したのだがどうなのかね

318 :
菅沼遼太の別IDが遠吠えしてるようやな

319 :
>>308
コミケって知ってるかい

320 :
>>319
知らん

321 :
コミケに武田信玄のエロ本を買いにいく菅沼

322 :
北条の方と早川殿の薄い本はよ

323 :
コミケって何?ってググってみたら
2019年8月9日〜2019年8月12日
菅沼が忙しいと言い出した>>234は8月9日
8月10日 1レスも無し
8月11日 1レスも無し
8月12日 1レスも無し


あーそういうことか

324 :
菅沼がいなくても、スレ違いの揚げ足取り合戦して
無意味な長文議論延々と垂れ流してる、アイツと同類の荒らしがいるから
何も嬉しくない

325 :
論破されたからってそう恨むなw

326 :
>>321 >>323
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も2chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。

その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。
織田ファンさんは、コミケをエロ同人販売と勘違いしてるようですが、
普通の資料も販売していて、勘違いしないようにして欲しいですかね。

327 :
でも歴史評論系は3日目ですよね?
他の日はやっぱり二次創作エロ見てたんじゃないの?

328 :
な、やっぱりコミケだったろw

うんうん。歴史史料を集めに行ったってのが免罪符なのかw

329 :
三条夫人と龍勝院の薄い本もはよ

330 :
言い訳すること信玄の如く

331 :
エロ本買い漁ること風の如く

332 :
コミケ期間中の静かなること林の如く

333 :
長文コピペすること火の如く

334 :
働かざること山の如し

335 :
文章の読み難き事陰の如く

336 :
君たちセンスあるなw

337 :
長篠城行ってきたわ
牛渕橋は思ってたより高くてビビった
水量は渡れそうだったが宇連ダムと大島ダムが
あるから当時よりは少ないのかね
その前に甲冑着て断崖絶壁の崖を降りたり
崖をまた登るのに一苦労だろうけどw

338 :
寒狭川と合流するより上流で三輪川に橋架かってたんじゃないかね
そもそも武田も鳶が巣山から城を監視してても速やかに川渡れないと意味無いし

339 :
菅沼がいないと誰も発言しないな

340 :
>>337
ダムあるなら、水溜めることで水量が平均的になるのであって、
ダムが無かった当時は、雨の後は現代よりも水量多くて、
それ以外は現代よりも少ないってなると思う。

341 :
>>340
いや、それは常に貯水率100%を保ってる場合の話だろ
7月〜9月の洪水期の前にダムの水を放出して貯水率の上限を下げて
大量の雨が降っても水を蓄えて水量の調節を行ってるのが今の時期
今年の5月に宇連ダムは貯水率0%になって、未だに貯水率100%(上限が下がってる基準)になってないから
ダムはなるべく貯水率を上げるために出水を絞ってるはずだよ
だから今の時期はダムのせいで水量が絞られてると言う>>337の見解が正しい

342 :
豊川の水源は標高1000前後の鳳来寺山と段戸山だから水量はさほどではないと思われる
と言っても長篠の時は絶賛雨期の真っただ中なので暴れ川化してたとは思うが

343 :
東三河の水源は宇連ダムと大島ダムの豊川水系しかないのに
水量は大したことないと言ってんのか

344 :
だから東三河はいつも渇水で苦労してるんだ

345 :
信長公記より
あるいは山へ逃げ上り飢死、あるいは橋より落され川へ入り水に溺れ、際限なく侯

当時は水に溺れるくらいの水量があったのは確かだな

346 :
>>341
長篠の戦いは6月の終わりで梅雨の時期だぞ。

347 :
>>346
そのレスは>>337が現地に行った話に対してのことだぞ

348 :
前に勝頼が岡部元信抜擢したかと言う話題あったけど
武田氏研究60号で

武田信玄・勝頼と岡部元信
−武田二代による重用、その背景について−

って論文出てるな。

349 :
>>348
勝頼って岡部元信を重用したと言えるの?
死地の高天神城に送り込み、善戦してるのに後詰も救援もしない。
捨て石にされてるけど。

何年間も徳川家康を苦しめた岡部元信を重用するのなら、長篠後に空席が出来まくりの老臣ポストにつけるのが当たり前では?

350 :
>>345
敗走して疲労困憊の兵士なら、普通の水量でも体力の問題で流される可能性ってないのかな?

351 :
>>349
軽く立ち読みしただけだけど、その論文では重用したという結論だった。
領地加増に寄親失った寄子を元信に付けたり、
息子を勝頼旗本に抜擢し、娘を土屋昌恒の正室にしたりと、勝頼自身と関係深めているらしい。

352 :
そら重用されて無ければさっさと高天神城ごと徳川に寝返ってるわな

353 :
>>349
岡部って、桶狭間の時に義元の首級を取り返すぜ、応ーっ!の大将だろう?
今川家からの降将としては厚遇された方かと。真田ほど売り込みが上手くなさげだが、外様に辛い武田家で一応は城を任された。
あと、長篠で空席が出たからといって、織田家の原田直政討死後の処理みたいなことは、武田家では無理じゃないか?
国衆の統制が効かなくなる可能性が高い。なにしろ大敗の責任者は勝頼だからな。
これがゲームなら、長篠後、秋山を脱出させ、岡部、大熊らを内藤、山県、馬場の後継にするのも手だが、史実でそれをやったら甲斐の擾乱とかなりそう。

354 :
外様を優遇すれば譜代や一族衆の嫉妬や不満が募るのは避けられないからな
甲州崩れも勝頼が真田ら新参を重用した事にも一因がある

355 :
>>353
>あと、長篠で空席が出たからといって、織田家の原田直政討死後の処理みたいなことは、武田家では無理じゃないか?

武田だって浅利や両角や原美濃守とか代替わりで権力奪われてる
初期と後期で重用される家もガラリと変わってる
山縣、内藤、秋山は一族以外から養子をもらって嫡子にしているが、信玄勝頼の意向だろう
この辺国衆ぽくない

356 :
>>353
一城を任されたというより捨て石にされたと思うがな

高天神城は横田尹松が1574年に城代、岡部元信は城将で入る
1579年に岡部元信に城代を任せて横田尹松は高天神城方面の軍監に
横田尹松が勝頼に高天神城を見捨てよと進言し
勝頼は受け入れ岡部元信らは討ち死にしたが横田尹松はノコノコ生還した

357 :
横田の経歴見る限り絶対徳川に篭絡されていただろ

358 :
>>357
江戸幕府の旗本で最高の石高頂いてるからな。
ほとんど大名クラスだし。

長篠後なら、岡部元信、真田昌幸、依田信蕃、高坂昌信とまだまだ人材がいたんだから、こいつら重用してあげたら良かったのに。

359 :
岡部はセンゴクから結構世間に認知されるようになったよね

360 :
>>359
香のもの一切れすき

361 :
高天神は、勝頼が玉砕させたのか、岡部が玉砕を選んだのか、
後詰できると舐めてたら手遅れになったのか、どれだ?

362 :
>>361
岡部が勝頼に援軍要請して横田が勝頼との連絡役だったが
横田が見捨てろと進言し勝頼が承諾
援軍来ないから岡部は家康に城兵と共に降伏を願い出る
が、信長の指令を受けた家康が降伏を認めず日干し続行
横田とともに岡部は突撃を決め突撃するが、横田はその隙に甚五郎抜け道から撤退
岡部らは全員討死

363 :
まじ横田って鬼畜やん

364 :
見捨てるっつーか高天神は放棄して城兵は本国に撤退って意味じゃないのか
援軍要請無視されたというより勝頼の許可取って開城手続きしようとして徳川に蹴られたような
武田と徳川の城の奪い合いはそれまでお互い開城した城の将兵に寛大な処置取るのが
通例だったから勝頼も断られることを想定してなくて鈍間な対応しか取れなかったと考えられる

そもそも捨て石にするメリットが皆無だし
兵は減る、敵の戦術的にダメージ与えるチャンスもない、配下の信頼失う

365 :
>>364
通例と言われても長篠後の岩村城は皆ごろしにされたけどね
結局勝頼は武勇功績がある外様の声より譜代の声を重視したってことだな

366 :
>>365
岩村城は織田だろ
対徳川の二俣城、諏訪原城あたりは城兵退去が認められている

367 :
それに横田は譜代ではない

368 :
>>365
>外様の声より譜代の声を重視
いや、勝頼も横田も岡部もさっさと城明け渡して帰れるもんだと思い込んでたっつってんだけど

369 :
>>366
信玄時代から家康の織田家臣扱いしてたのに独立した大名とは思ってないでしょ
高天神城は六砦の準備から日干し計画して年月かけてるからな
織田家臣が検分にきてるくらいだし

>>367
原虎胤は信虎時代から仕えてるから少なくとも勝頼時代では準譜代にはなる

370 :
>>368
横田は勝頼に、高天神城は捨てるべき
と書状を送っている
家康でも兵力劣っていて援軍に駆け付けたり、織田に援軍要請して落ちた後に来たり
と家臣は助けるというスタンスを見せてる
最初から援軍に行かず見捨てるというのは圧力かけて交渉もしないということだからな

371 :
長島や岩村の前例があるのに、ある程度粘った後での開城が可能と
本気で思っていたのなら武田は甘過ぎ。付城の普請が始まった時点で
駿河に撤退すべき場所。 掛川攻略を諦めた時点で退いて良いくらい。

372 :
>>369
準譜代だろうが、譜代家老衆でもなく、甲斐に地盤もないし、功績もまだあげてない若年の足軽大将なのだから武勇功績のある外様の声より譜代の声を重視したというのは全然違うだろう
そもそも決めたのはどうせ跡部長坂信豊の総意だろうに

373 :
>>371
中世はそういうのあまり出来ない
高天神城の領地を持ってる家臣がいて彼等を減俸リストラするに等しいから、そっちの方が問題になる

374 :
ここで書かれてる事やwikiレベルの記録見る限りじゃ
この横田ってヤツは相当悪どい輩ように思えるんだけど
研究者や武田ファンからの評価ってどんなモンなん?
岡部を悲惨な末路に追い込んで自分だけ生き延びた事に
釣り合いの取れる功績とかあんの??

375 :
>>372
原虎胤の孫であるお陰で功績もまだあげてない上に若年なのに足軽大将につけているんでしょ

376 :
wikiのスカスカの記述元に人物評行う時点で多分に拡大解釈というか脳内補完が入ってると思うんだが
「高天神は捨てよう」ってのは「城は徳川に渡して撤退させてくれ」って意味に取る方が自然
甲陽軍鑑の太刀貰うの断った逸話も、逃げて来たのに褒美出るってことは城兵が生還することが勝頼の望みだったことになるし
武田びいきの著者も叩くべき行動と見なしていなかったことが分かる
岡部は岡部で立派な覚悟ではあるが、夜陰に乗じて逃散するのが不可能な訳でも無いし、あくまでも自己判断
むしろ横田のせいでとか言うのが岡部にケチ付けることになるんじゃないかね

377 :
軍鑑は軍鑑で長篠後に穴山と信豊の腹を切らせろと無茶書いてるからなぁ
穴山は駿河方面で病気になるまで徳川に対して奮戦してたのに

378 :
横田 『高天神はもう持ちません。援軍を送るのは無益です』
勝頼 『しかし、岩村の秋山の件もあるからな。
     徳川が降伏を認めなかったら守備兵は皆殺しだぞ・・・』
横田 『御心配には及びません。抜け道を用意してあります。
     夜陰に紛れて甲斐に逃れます』
勝頼 『そ、そうか。ならばお前に任せる』

  ↓  ↓  ↓

横田 『岡部殿がコソコソ逃げるのは嫌だと言って玉砕してしまいますた・・・・』
勝頼 『・・・・・・・。』

こんな感じか

379 :
>>377
そもそも甲陽軍鑑だと長篠の戦いは決戦前に織田徳川10万と見積もって武田1万5千で決戦挑むとかアホなこと書いてるからな
決戦前の勝頼の書状だと織田徳川軍は手段に窮して縮こまっている有様だから、一気に敵陣に突撃して討ち取ってやると
明らかに敵兵力を少なく見誤ってるからな
武田重臣が長篠の大敗を最初から未来予測してるかのような視点で書かれてる時点で嘘臭い

380 :
援軍を送っても無理という時点でどうしようもない
付城に囲まれてるし、信長が確実に援軍に来るから簡単に近寄れない
援軍送るポーズだけでもというけど軍費と時間の無駄でもあり、一方で上野攻めれば実利がある
付城築かれる前はというと、領地持ってる家臣が納得しないし撤収しても代わりに駿河がより侵略されるだけになる
こうなったのも結局は長篠惨敗と北条との開戦が原因

381 :
軍鑑によると勝頼は強すぎる大将であるが故に敗死したらしい
信玄死亡後の家康と勝頼の攻防の移り変わりを見るに分からなくもない

382 :
>>380
高天神城への六砦建設と締め付けは1579年から始まってるからな
六砦が完成してから援軍送っても意味がないと言っても、完成する前になんとかしろって話だな

383 :
>>373
軍鑑では長篠の後に高坂昌信が五ヶ条の献策にて
駿河・遠江は北条氏に割譲し北条氏政の幕下となれ
と云ってたらしいけどね

384 :
>>376
軍鑑の著者とされる小幡景憲は横田の息子を養子にしているから、横田を悪く書くわけがない。

385 :
そもそも高天神防衛で後手にまわったのは勝頼が御館の乱の対応で北条と手切れになったせいでしょ
たかだか足軽大将の横田に責任おっかぶせるのはどうかと…

386 :
横田が悪く言われるのは武田滅亡後に徳川に重用されたからやろ
徳川に通じていたと思われても仕方ない
軍鑑の褒美云々の記述はともかくとして甲斐帰還後に横田が処罰された形跡は無いので
少なくとも勝頼や武田首脳は横田に責任をおっかぶせてはいない

387 :
>横田が悪く言われるのは武田滅亡後に徳川に重用されたからやろ
>徳川に通じていたと思われても仕方ない
確かにそれを明確に否定する材料はない。同時に事実と証明する材料も無い
小説のネタとして史実と齟齬が出ないって意味では面白い解釈だが、
状況証拠だけを元に確定的な事実のように扱うのでは、関が原で西軍勝たせるスレで
「宇喜多騒動は家康の仕込みに違いない!」って喚いてた例え話ガイジと何ら変わらん

388 :
てかよくもまああんな小物相手に熱心にヘイト吐き散らす暇があるな

389 :
話の始まりは>>348で勝頼は岡部を重用したか?
って話には疑問が出てきたってことだな

390 :
>>382
六砦の中心の横須賀城は1578年7月建設
御館の乱で武田が越後に行ってる隙をついたな。

>>386
横田家は5千石の旗本だけど、
土屋は数万石の大名で土屋家の方が重用されてるような。
ちなみに土屋は岡部の娘の子孫。

391 :
横田尹松の子
政松、倫松、述松、胤松、綱松、直松、
縄松(小幡景松)(小幡景憲養子)


リアルおそ松くんじゃない

392 :
清洲城の兵糧については豊臣名目の上杉征伐のために大半は江戸城入りしてると思うのが普通

393 :
昔の美人
https://youtu.be/PQAcUmY9vz8

394 :
土屋政直って人が綱吉、吉宗から累次加増されて、本家を凌ぐ大名にのしあがった。

395 :
JR東日本が発行する新幹線車内誌「トランヴェール」で勝頼特集
https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/

396 :
>>395
山梨県も観光客呼ぶのに勝頼に注目し始めてるのかね
お盆に田野に行って来たけど大和町じゃ郷土の英雄みたいな扱いで
駅前に銅像まで立っていたが

397 :
うーん、勝頼はどうなんだろうねぇ
地元で再評価するのは別に分からくないけど
他所から来た人からすれば、やはりお家を滅亡に追いやった張本人だからね
しかも滅び方が何とも言いがたい程、惨めな最期だったからね
あんまり持ち上げすぎるのもどうかと思うが

398 :
聞クトコロニヨルト、勝頼ハ、甲斐ノ生マレデハナク、母親モ、信濃生マレノ側室ダッタタメ、甲斐ノ売リ込ミニハ、適当ナ人物デハナカッタソウデス。

399 :
ドノをつけろよフロイスさんよ
名門武田への敬意が足りないぞ

400 :
勝頼を再評価すると信玄の評価は下がるジレンマ

401 :
甲斐衆「勝頼は諏訪の子」
諏訪衆「勝頼は武田の子」



山梨県民「あ、うちは信玄だけで良いです」
長野県民「うちも真田だけで十分だから」

402 :
いつまでも信玄じゃ若い人たちは興味を持つまい
やはり勝頼だよ
稀有な才覚を持ちながらも
時流に恵まれず滅びの道を歩んだ悲劇の武将と喧伝するのだ
前線指揮官としてなら優秀な人物ではあったからウソは言ってないw

403 :
https://youtu.be/XgkiHsukQeo

404 :
流行りは信玄謙信氏康の時代よりも勝頼景勝氏政よな

405 :
勝頼が戦略面で優秀って言われるのって、信玄が落とせなかった高天神落としたこと以外になんかあったっけ

406 :
戦略じゃねえ、戦術だった

407 :
明智城とか?
高天神城は単独で落としてもあまり意味が無いというか
逆に滅亡の遠因になってしまったかもしれない(悲)

408 :
蒲原城攻めの信玄の書状より勝頼と信豊が無策に城へ攻め登り肝を冷やしたとあったな
あの時に信豊が死んで痛い目にあってれば脳筋突撃癖は治ってたかもな
痛い目あった戦は長篠まで無いもんな

409 :
>>405
長篠以前の武田家臣団なら優秀に決まってる
長篠以降は押されっぱなしだし

410 :
明智城も高天神も内部から勝手に内通者出ただけで仕込みしてた訳でもないしなあ
明智城で地形利用して援軍足止めとか書いてたけど、信長が岐阜出た翌日に内通者出たってことは
そもそも援軍間に合わなかっただけじゃねーかってなるし
あとは上野で北条と渡り合ったこと?真田独力でどの程度進めたのかよう知らんけど

411 :
野戦でこちらが少数で敵大軍を討ち破る … 戦術の評価特大

寡兵の籠城で敵大軍を追い払う … 戦術の評価大

野戦で同数前後の敵を討ち破る … 戦術の評価大(地の利がある防衛側なら評価中)

籠城して援軍到着まで耐えたor降伏開城しても敵足止めに成功 … 戦術の評価中

野戦でこちらが大軍、敵が少数で討ち破る … 戦術の評価小(勝って当然、負ければ暗愚)
※野戦で少数の敵軍を倒しても勝って当たり前だから戦術評価は低いが、 逆に敵に勝る兵力を用意できたとして戦略評価は高くはなる

大軍で寡兵が籠る敵城を囲い落とす … 戦術の評価小(戦国時代で大部分を占める戦)


勝頼は一番下ばかりだからなぁ

412 :
糸魚川を上杉から割譲され、武田領が日本海に達したとか

413 :
常に相手よりも大軍で危なげなく勝つのが真の名将だよ

414 :
一応三方ヶ原でそれまで負け知らずだった家康の直属部隊を
1時間程度で敗走せしめた実績あるから
部隊レベルの指揮官としては充分評価できるのでは?
ソースは軍鑑ですけど

415 :
長篠前に死んでいれば、天下も狙えたのに…って2chで
スレが立てられるだろうくらいには優秀
それなんて信玄

416 :
>>412 そうなれば越中から勝家に攻められるだけ

417 :
>>412
勝頼のこの功績はもっと周知されて然るべきじゃないかなぁ
その後がgdgdすぎて実利に乏しかったのは事実だが

418 :
瞬間風速的に見れば功績と呼べるのかもしれんが、そもそも北条と訣別することを前提にしてるから
トータルではプラスになりようがないんだよな

419 :
景虎を見殺しにした後、景勝殺して越後獲れよ。どうせ不義理するなら。

420 :
領土割譲にしても防波堤として景勝にいいように利用された感強くね
本能寺なければ、一緒に滅びただろうけど

421 :
謙信が健康を保ち、死の直前に準備していたらしい関東侵攻が成功=北条滅亡

謙信に臣従して織田に対抗

は無理かな?

422 :
まず小田原城落ちないだろうけど
晩年は関東の諸将への態度が冷淡になっていたと思いきや、死の直前の計画は関東出兵説が主流らしく
この期に及んで、まだ関東に拘っていたとは謙信も変わり者だわなあ

423 :
謙信曰く、
『勝頼は信用できるヤツだ。同盟を組んでもいい
 だが氏政は信用できん。あいつと組むなんて御免だ』
だ、そうだ

424 :
上洛じゃなくて関東だったのかよw
執念かw

425 :
>>421
そもそも景勝潰して氏政に臣従してればよかっただけの話ですからね

426 :
氏政はノブサマに睨まれたら勝頼を生贄に差し出して保身を図るだろ

427 :
>>417
北条と手切れになるくらいなら御館の乱に乗じて
北条と組んで普通に侵略すれば良かっただけでは?

428 :
氏政は越後まで来ないから独力で春日山城の景勝を滅ぼさないといけない
力攻めは多分無理だし、滅ぼした後も越後治める大義名分が景虎、北条にある

429 :
>>428
氏政は冬だから撤退しただけだろ
武田が独力で景虎を勝たせたなら氏政にも景虎にも大きな恩を売れる
むしろ景虎を勝たせる必要もなく上杉領を取れるとこまで取って御館の乱を長引かせて疲弊させればいいだけだが

430 :
信長がアメリカみたいな超大国化してなければ、それで全然良かったんだろうけど
まあ焦ってたんだろうね
越後の内紛を長引かせたくなかった

431 :
北条を相手にするくらいなら内紛長引かせてた方が100倍マシだったろう

432 :
北条にやる気がないように見えたから、景虎見捨てても問題ない
それより対織田優先する方が長期的には北条のためになる

ぐらいの感覚だったんじゃ

433 :
軍費・兵糧がもたないかも知れないが、上越に駐兵したままにして、
景虎が劣勢になったらせめて身柄は庇護して、東上州には進出せず
−−くらいしておけば、北条とも手切れにはならなかっただろうに。

434 :
好き勝手言ってるけどそりゃ俺達が後の出来事を知っている未来の人間だからだぜ
謙信から信用できないヤツと酷評され
事実、実の兄貴を簡単に見捨てる様を目の当たりにして
これ以上氏政と組み続けたいと思うか?
いざ織田と決戦て時に日和られて背中を刺すかもしれんぞ??

435 :
>>433
北条と徳川に二面攻撃されりゃそりゃ破綻するわな

436 :
北条が織田との戦いに最低でも中立以上の立場をとるとは到底思えん
小牧・長久手の戦いすら徳川に援軍出さないくらい頭悪い

437 :
謙信の見識はおそらく的を得ていたな
実際に景虎を見捨て、勝頼を見捨て
信長が死ぬや否や滝川を裏切り、真田と名胡桃で揉める
とても信用できんやろ
秀吉が征伐に乗り出すのも無理は無い

438 :
的は得るんじゃなくて射るもんやで
それに北条の対外政策の迷走ぶりと、勝頼が積極的に北条に喧嘩売ることは別問題

439 :
>織田と決戦て時に日和られて背中を刺すかも
それで織田に背を向けて北条に殴りかかって、息切れしてたんじゃ世話は無い
地雷を踏まないように気を付けていても爆発するかもしれないので進んで踏みに行くなんて話は聞いたことが無い

440 :
だから織田とは和睦しようとしてた訳やろ
失敗したがそれは結果論に過ぎん
信長と氏政どっちが信用できるかってハナシ

441 :
79年の段階で北条も武田と敵対しようとしてたから、
勝頼が喧嘩売らなくても時間の問題だったろ。

442 :
名胡桃に関しては秀吉と真田のトラップかも知れんが、室町幕府奉公衆以来の
名族にしては、官位含む中央工作がダメ過ぎる>北条。

443 :
>>440
信長に長篠でコテンパンにされて、降伏以外許されないのに
信長を信頼して仲良くなろうと思ってたなら相当無能やで

444 :
勝頼の誤算は景勝も池沼やった事でしょ?
御館の乱はまだ仕方ないにしても新発田の乱に至るまでの過程は最早わざとやってレベルの最悪の行動やし
あれがなかったら上杉と北条・織田と戦えた可能性もゼロじゃない
勝てるとは思えんけど

445 :
景勝でも景虎でも、どっちでもいいから
スムーズに家督を譲っていれば対織田での力関係変わるから勝頼も滅びずに済んだ可能性高いよなあ
ただ二人で後継者説、景虎に関東管領、景勝に越後守護をとるならば
どっちにしろ内乱になるかなあ

446 :
氏政が信用できないってのも結果論じゃね

447 :
洋泉社新書の御館の乱本だと、景虎も認めて家督を嗣いだ景勝が、葦名の侵略に備えて
領民から人質集めた国人を景勝が詰問して「何や、このガイジ⁉」と離反が広がった説を
提起してる。新発田の乱誘発を見ても、ありえる話。

448 :
武田には言われたくないな

449 :
御館の乱はそっちの説の方が有力になりつつあるね
武田滅亡もだけど、国衆の取り扱いを杜撰にすると痛いしっぺ返しがくるいい例

450 :
景勝は何だかんだ言って外交で領地を餌に勝頼に取り入り
秀吉に外交で取り入って120万石
関ヶ原では土下座して切腹改易を免れて減封で生き残る
景勝が前線に立って采配したという話は聞いたことないな
長谷堂城の戦い見るに直江が総大将だしなぁ

451 :
上杉主力は領地の守りに付いていたわけで
長谷堂城の戦いは二軍三軍を引き連れての戦やろう

452 :
まぁ世渡り上手ではあるよな>景勝
御館や新発田の乱で身の程を知り
必要とあらば猿相手でも狸相手でも平気で土下座できる割り切りと
処世術を身につけたのだろう

453 :
統治能力(人心掌握)と指揮能力(戦での戦略戦術)が無くても外交能力だけありゃ何とかなる例だな

454 :
まぁその辺は有能な家臣に投げときゃ何とかなるしな

455 :
>>452
新発田は直江が悪いよ直江が
てか直江て官僚としては優秀でも行政主導する政治家としてはマジ無能なんじゃねえかと思う。

456 :
>>450
新発田の乱で葦名勢やっつけた時は景勝は現場に居て、暇なのかイライラしてたのか知らんがやたら槍であちこち突っついたら湧水が出て
掘ってはみんなに飲ませて結果士気があがる大活躍(戦闘は参謀の直江と藤田がいるから)
大阪の陣でも現場いたでしょ?

457 :
>>444
新発田重家「あんたら御館の乱で味方したら恩賞くれる言ったよな?」

直江兼続「ダメです(まーた安請け合いしやがって)」

安田「ゴメン!新発田さん(切腹)」

上杉景勝「この間はごめんな重家、そのかわり神余を攻略すれば恩賞として三条切り取り次第にしていいよ」

新発田重家、独力で三条攻略

直江兼続「この三条は元々長尾の持ち物だから景勝様の一族に与えるで」

上杉景勝「三条の件は悪かった、代わりだけど新潟城築城したらその領域は全部キミのもの」

新発田重家、築城

直江兼続「新潟城の城代は上田衆に決まったから退去を命じる」

新発田重家、謀叛

直江兼続「おのれ新発田重家!」

458 :
>>456
湧水は逸話レベルで信憑性はあれだし、指揮能力関係なく運良く水が出た話
大坂の陣は冬は少数相手の小競り合いのみ、夏は京都警備だからなぁ

459 :
>>457
酷すぎワロタ

460 :
謙信は類稀なカリスマ性で統治していたが
それ故中央集権化を景勝の時代に一気にやらなければならなくなった側面はあるかもしれない

461 :
直江山城って優秀かと思いきや、結構大ポカやらかしてるよね

462 :
>>457
勝頼よりも余程酷い気がする
木曽が新府城の負担のせいで離反したって逸話あるけどそれどころじゃないな

463 :
滅びたら悪口言われホーダイの見本だよな

464 :
>>455
三成と仲が良かったけど、類友ってやつか

465 :
>>457
かなり脚色してるだろ

466 :
あと数週間、本能寺がずれていたら
景勝も勝頼と変わらない評価になり
直江は長坂と同類にされてた訳か・・・

467 :
長篠みたいに大敗したり、北条との手切れで外交でやらかしてないからな
謙信が信長に喧嘩売ったのと嫡男を残さなかったのは負の遺産だな

468 :
>>457
俺でもブチ切れるわ!

469 :
新発田は信長と繋ぎをつけていて、芦名の後援も得ていたから、本能寺がなければ新発田が下越一帯に蟠居する勢力として残るチャンスはでかかったのにな

470 :
信長の野望だと脳筋にされてるけど初期の景勝直江よりよっぽど外交できてるな

471 :
国内統治に失敗してるだけで外交じゃないような

472 :
>>470
親父にあれだけ好き放題やられてる謙信が
勝頼は信用できるヤツだから同盟してもいいなんて言うくらいだぜ
愚直とも言えるが誠実な人柄だったんだろうな

473 :
>>472
ごめん。>>470だけど新発田の話したつもりだった

474 :
いいように使われただけやでなぁ

475 :
>>434
実の兄貴って誰や?新九郎氏親のことか?

謙信がむしろ氏康氏政に酷いことしたよね

越相同盟に出した北条側の譲歩の内容
・氏政の子を謙信の人質に出す
・謙信に上野、及び武蔵の内岩付城他数箇所を領有を認める
・足利義氏を古河公方とし、謙信が関東管領と認める


これで武田に攻められて援軍要請したのに知らんぷりされたから
そりゃ氏康氏政もぶち切れるよ

476 :
謙信って、ムラっ気が強すぎて、同盟相手としては頼りない感じ。
関東の反北条諸将にも見限られたし。裏切上等の信玄とはまた違うが。

477 :
敵に回すと恐ろしいけど味方にすると?同盟相手としては、
つれない奴というか役に立たないところあるよな、家康相手にも口はともかく実際の行動はそんな感じ
でも死に際のボケた信玄と氏康に困ったらあいつを頼れって言われたから
人間としては良い奴だったんだろう

478 :
謙信を頼れなんて勝頼陣代説なんかが出てくる信玄の遺言と幕末の名将言行録ネタだから

479 :
信玄が駿河侵攻した時期、謙信は今川と同盟していたのに今川攻める徳川とも仲良くしたり、信玄攻める気全くなかったりで今川とは同盟が機能していない
その後の北条との同盟も全く機能していない
織田との同盟も武田攻めた実績はゼロ、長篠合戦で牽制になった程度
挙句、長篠合戦後に今更織田と開戦

結局何したかったのか一番意味不明な人物

480 :
謙信 『直江津の収入で悠々自適できるしよそ様の揉め事に首を突っ込む気は無いよ
     武田と北条は越後を攻めようとしたからぶちのめしたけど』

481 :
謙信は越後が戦場にならず他国で乱取り出来れば良かっただけじゃね?
国主として最も重要なのは民衆を飢えさせず食わせること。

稲作が不適な越後で麻の本格的な殖産を行いメガシティ京都に
トップセールスを掛けるとか他の大名がなかなかやらないことも御大自らしてたし

482 :
>>480
北信濃村上は…
緩衝地域が欲しかったんかね

483 :
>>482
兎も角、川中島が武田領に なると困るしか感じないよね。
逆に言うと、海津城まで上杉にやれば和陸出来た気がする。

484 :
二次川中島で和睦してる。その後いつも通り信玄が和睦を破り北信濃侵攻を再開した

485 :
>>481
それなら何故織田と開戦したんだ?っていう
そのせいで景勝の時代に越後は危ないことに

486 :
織田との開戦も川中島同様、両国存立の保持が目的と見られてる

487 :
>>481
上杉青苧販売は配下商人に丸投げだよ
悪く言うなら金のなる木を抱えてあの程度
織田か北条ならもっと上手く使えただろうね

488 :
>>485
憶測にすぎないが織田が越前を押さえた事で
北陸航路の利権や青苧の輸出入で揉めたんじゃないかな

489 :
あんだけ戦をしまくってたのに莫大な遺産が残されてたんだよね
その遺産が勝頼との同盟時に使われる事になるわけだ

490 :
謙信は金貸しみたいなこともやってたね
金儲けの才能はある人だった

491 :
景勝から婚姻の際に金を貰った事も領民に悪く見られてしまう一因になってるんだよな

492 :
小山田なんかはそれで北条と破談になって滅亡する羽目になったと勝頼を批判してるな

493 :
目の前の餌に飛びついて後先考えないのは父親譲りじゃん
やっぱ親子だよ

494 :
景勝が勝頼を買収したって話はよく聞くけど、
景虎は勝頼に何か取引したとかそういう記録はないのか?
家臣とかならともかく、外部勢力を味方として保持したい場合、
相手方に利を提示しておいた方が当然味方にしやすいと思うんだが

495 :
出典は知らんが、景虎は逆に、 織田・徳川に押されてる武田の弱みに衝け込んで
「上野の武田領と北信を寄越せ」と要求して、勝頼がキレたという話がある。

496 :
もしそれが本当なら景虎は勝頼生け贄に差し出して織田に媚びるつもりだったのかもな
上杉は武田ほどエグい真似はしてないので
許された可能性が高いのは確かだけど

497 :
普通に自分を生贄にしようとしてる奴の方につける訳ない
本当の話なら、欲望をおっぴろげ過ぎたな

498 :
信玄や勝頼配下には名将がたくさんいたのに、大局を見ることができる能臣はいなかったのかな?

499 :
いるにはいたんでしょうけど、御親類衆が勢力を増大させたからむつかしかったのではないですか
穴山梅雪の独断行動なんか信玄在世期なら切腹もんでしょう

500 :
>>498
「指揮官としては有能」どまりだったんじゃないの?それでも二十四将を持ち上げるために
後世の創作では、長篠で諫言が容れられなかった重臣達が死を承知で突撃したとか脚色される。
義信事件があったにせよ、対織田開戦も長篠突撃も重臣は異を唱えていないし、ノリノリで
内心反対だった感じでもない。

501 :
>>494
普通にさ、武田と北条は同盟関係で其処に上杉が加わる事は理知的に考えるなら利益だよ。
寧ろ、北信濃や上野で譲歩して良いくらいの利益だね。

戦線が事実上徳川相手の三河遠江のみに整理されるんだからさ。
北条は北関東の諸侯に全力出来るし上杉は北陸の織田に全力出来る。

勝頼の思考が異常なだけ。

502 :
家臣に領地や財産、国人に故郷を捨てろって納得するわけないだろ
城一つでも揉めそうなのに、内乱になるぞ

503 :
北条を敵に回して高天神の悲劇に繋がって内部崩壊引き起こしたし、
どのみち遅いか早いかの違いだったねえ

504 :
粘着荒らし君は頑なにノンケの勝頼を認めようとしないね

505 :
>>495
このレス書いた本人さえ知らない出典を前提に語ること自体がもうアレだなw
そういうのを創作と呼ぶ

506 :
495じゃないけどなんかの小説にそんな話あったの覚えてる、すごく前に読んだからタイトル思い出せず
登場人物が揃いも揃ってあの謙信でさえ魅力なかったんだけど
勝頼が景虎に説教してる場面だけ凄い印象に残ってる

507 :
小説をソースとして出されてもなぁ
創作だし

508 :
>>467
新発田で十分

509 :
>>494
勝頼に北信の割譲を要求したw

510 :
上杉景勝の理屈
子こそいないが、自分の正室は武田信玄殿の娘であるから、甲斐、信濃を包括承継する資格がある

北条氏直の理屈
自分は、武田信玄殿の外孫にあたり、武田家血脈に一番近い、だから甲斐、信濃を包括承継する有資格者である

511 :
御館の乱はどっち勝たせても武田家にとっては結果は酷いもんだろ、俺でも景勝選ぶと思う

はっきり言ってもう天運から見放されてる

512 :
景虎への対応みても対織田で北条はあまり役には立たないだろうな

513 :
北条が援軍に来るかというより北条を敵に回したから徳川に好き放題やられたけどな
内乱後の上杉見ても新発田の件で攻める余力がないし
景虎を勝たせても景勝に味方した新発田討伐するだろうから
どっちにしても上杉は放置してもOK

514 :
景虎勝たせて相甲同盟を堅持しても氏政に背中刺されるだけやろ
敵対してた訳でもない滝川が信長の遺児を守るため畿内へ向かおうとしてるのを
背中から刺して領土奪おうとする様な奴だぞ

515 :
甲芸盟約なるものが締結されたらしいが、機能はしたのか。大坂湾に駿河の水軍を繰り出す決断があれば機能の余地はあったか?

516 :
>>515
機能するわけがない。
武田が三河か美濃に侵攻してそこを荒らし回り、毛利が播磨から摂津まで進出できて、初めて機能するような同盟です。

517 :
>>514
氏政は西上作戦にちゃんと援軍送ったり
勝頼が長篠で大敗した後も妹を勝頼に嫁がせて同盟を婚姻同盟までしたんだけどね
甲相同盟は堅守してたんだよな
勝頼が上杉と婚姻同盟結んで攻めてくるまではね
そこから氏政はぶち切れてるから変わっちゃったんだろ

518 :
そもそも勝頼が上杉と北条、景虎と景勝の仲介にいずれも失敗しているのが問題なんですが。

519 :
>>518
一度は和睦させたよ。

520 :
北条と手切れになるのは明らかに利がないのだから勝頼としては想定外の事だったんだと思うよ

521 :
父信玄のだました者勝ちの教えのせいで大勢を見誤った

522 :
>>520
勝頼から北条を攻めて手切れにしてるじゃない

523 :
戦は強いから北条との同盟を守り織田徳川相手に善戦してたら
甲斐一国と南信濃くらいは安堵されたかもな。目先しか見えないのは
父親譲りなのかも知れないけど

524 :
>>523
勝頼は戦は強くても、戦略0だからどうしようもない、信玄みたいに戦術謀略でそれを穴埋めする才能もないし。

525 :
そもそも戦強いっつっても漫然と大軍で小城囲んで内通者出てくるのを待つ(仕込みは特にしない)パターンばっかでは

526 :
力攻めで幾つも城を落とせるほど城攻めが強いのはそれだけで才能を伺える。
城攻めが得意と言われる秀吉でさえ力攻めは極力避けてたからな。

守りに徹してる相手の僅かな隙をつき幾つもの城を落城させるのはそう容易いことでない。

527 :
時代も悪いよ
信玄も色々失敗して成長してきたが、そのときには織田という大国は現れていなかったから
取り返しがつくものだった

528 :
そもそも勝頼は義信の下前線指揮官として活躍する事を期待されてた訳で
義信死後それなりの教育は受けていたとしても
謀才や誘降工作の手法などそう簡単に習得できるものじゃない
やっぱ策謀に長けた参謀が不在だったのが痛いな

529 :
信玄の方がヤバイだろ
板垣が勝手に諏訪攻めして問題起こすわと
実権なかったしな

530 :
>>528
そもそも義信自体が家臣に担がれてバレて粛清だからなぁ
勝頼のがマシな類いかもしれん

531 :
>>530
その言い方だと義信を下げすぎ。

義信自身は戦での活躍ぶりもさることながら、
信玄の駿河侵攻にも堂々と反対できる、一廉の大将だった。
駿河欲しさと勝頼可愛さで、義信に対する姿勢が怪しくなった
信玄を危ぶんだ義信の傅役らが謀議していたのにかこつけて殺されただけ。

532 :
結果だけ見れば義信の主張が正しかったからな
義信は実績と言える実績の記録が無いので能力は未知数だが
義信を処断せず家督を継がせていれば生き残れたのではと思わずにはいられない

533 :
義信は律儀な男よな
彼が信玄の追い出しに成功してたら、ここまで武田の名は大きくなかっただろうが
家は残ったかも
昔ブックオフで100円で買った本に義信が信玄を謙信のところに追放する小説を読んだ
最後は俺たちの戦いはこれからだみたいな終わり
タイトル忘れちゃったんだけど

534 :
駿河侵攻までは間違いではない。大井川以西は手出しせず、
北条を攻めれば良かった。

535 :
それよりも氏真と組んで徳川を攻めた方が良かったのでは?

歴史を見れば織田・徳川とは早めにぶつかった方が良かった
ように思える。

536 :
信用の無い信玄を追放し、氏真を救援する見返りに三河と尾張をいただく
似たような事を信玄も考えていた感はあるが氏真に信用されず断られてるからね
その後は足利幕府再興を大義名分に氏真と共に上洛

537 :
>>534
今川なんかいつでも対処できるんだから、あの時点での駿河侵攻は間違い。徳川単独で今川に勝つのはかなり難しいから、まずは奴らだけでやらせて、今川に恩を売ればよかった。

538 :
義信がクーデター成功したら信長との婚姻は絶対に無くなるから信玄よりも早期に信長と敵対するね
斎藤と組んで普通に徳川、織田と対決してく方向になるだろうね
普通に勝つかもね

539 :
???www
甲斐から美濃に援軍だすつもり??ww
越後勢に抑え残してどうやって援軍だすんだwww

540 :
信長が美濃攻めに苦戦したのは
美濃方を武田が支援してたせいで東濃方面に兵を出せなかったからやで
援軍を出したかどうかは知らんが信玄は書面で派兵の用意があると言ってる

541 :
>>538
義信のクーデター成功?
信玄の拡大路線が家臣の多くに支持されて
義信の親今川路線は家臣に支持されてなかったから密告されて幽閉されたんだろ
うまくいっても信玄側に家臣が多くついてるから内乱に陥り、義信が負けるだけ

542 :
>>540
斎藤なんて美濃衆調略されて終わっただけだろ
武田の援軍関与なんて全く記されてないから
来てても極少数で影響はない

543 :
定期的にあほ義信を持ち上げる流れが来るな

544 :
>>542
お前は無知だな

545 :
>>543

前々から思っているのだが、こういうレスする奴は
本当に歴史好きなのかね?

自分がどれほどのものか知らんが、歴史上の人物をいとも簡単にこき下ろして
まるで俺も方が偉いとでも言わんばかり。
歴史や人物に対する敬愛が感じられず、ただ議論でマウントをとりたいだけ。

典型的な小人で、口先だけの腐れ儒者みたいなやつだから、
同じ時代に生きてれば、虫けらみたいに殺されて終わりなんだけろうども
本人にはそういった自覚が無さそうでだから救いがたい。

546 :
>>544
美濃の石高がある西濃じゃなくて東濃云々言ってる時点で無知はお前だけどな
西美濃衆が寝返った時点で終わりなのw

547 :
今川と協力したら三河侵攻するための遠江が取れず
斎藤とも協力したら美濃も取れず
武田家臣が納得するような領土拡大できないのに
武田家臣の支持が得られて対織田徳川と戦うというのは地理に疎いあの人ですか?w

548 :
>>545
なんで発狂しているん?

549 :
>>547
駿河侵攻しない武田は、面積はデカいが貧しい甲信2国の大名でしかないんだよね。
確かに信濃からは三河や東濃に出兵できるけど、恵那郡や奥三河を押さえるのがせいぜい。
信玄が方針転換するなら兎も角、義信が親をRか追放するかした後のガタガタでは無理。

550 :
>>545
粘着荒らし君はノンケの義信と勝頼は絶対に認める事はできないから

551 :
駿河侵攻するなとは言わない。
ただ、やり方が違う。

例えば、義信を取次にして氏真と関係を保持し、武田は北信か上野に出兵して徳川が今川に手を出すのを待つ。徳川が手を出せば、武田が今川を助ける名分は強引でも成立するんだから、それから三河だろうが遠州だろうが手を出したらいい。

史実みたいに自分から、は絶対ダメ。
ましてや徳川にお膳立てまでしてるし。

552 :
義信ぶっ殺した時点でな
あれで内外の信用は完全に無くなった
家中は一時的には恐怖支配できたが
信玄が死んだらそのしわ寄せが全部勝頼に来た
義信の顔を立てて今川と良好な関係を保ちつつ
じわじわと保護領化していけば良かったのに

553 :
武田が今川家中に調略すら仕掛けない場合、寿桂尼没後の氏真は今川領の混乱を
収拾できたか?家康は三河独立回復後、武田・北条を警戒して遠江に介入しないか?

信玄だと、北遠江か奥三河で何かしら仕掛けて、出兵の口実を作るんだろうな。
東濃に手出ししなけりゃ、史実に照らすと信長は家康を助けなさそうだし。

554 :
駿河は何とかするだろうが遠江は収拾できない
そこで武田の出番となる
氏真は自身と部下の身の安全さえ保障されるなら体裁など気にはしない
三河と遠江の割譲を条件に救援を要請して来る
ただし信玄じゃダメだ、信用が無さすぎる
だから川中島4の損害の責任を取るとか言って隠居し、義信に家督を譲っておく

555 :
遠江取ったら今川から返せって言われて同盟が拗れるだけだろ

保護領w
そんなことできるんなら諏訪も保護領にしてやれば良かったのに
信玄が途中で別人になる設定なのかな?w

556 :
武田が駿河侵略してる時期に信長は畿内進出してるけど
信長が畿内で活発に活動出来たのも信玄が今川を無力化して東からの脅威が薄まってたおかげかな?

557 :
>>555
今川から返せ。

氏真にそんな恥知らずな行動できるの?
返せったって、武田側が切り取ったのに間違いはないんだから、見返り寄越せは言える。

氏真をここで押さえ込めないんじゃ、武田は結局その程度。浅井が朝倉と同盟関係ながら実質保護国みたいになっていたように、信玄は氏真を押さえ込めないの?

無理に氏真が要求してきたら、それこそ手切れでもいい。これなら史実よりまだマシだよ名分や理はあるし。

558 :
>>556
それもあるだろうな。
もし義元が生きていたら、常に東を警戒しないといけなくなる。

559 :
直接駿河攻めないで今川守りながら領土化を目標にしたら史実より何年も遅れる上に完全に領土化もできないだろうね
徳川が単独で掛川城落とせるとも思えないから武田に援軍要請するとは限らないし、北条に頼むかもしれないし

560 :
>>556
義元はもう死んでて今川の衰勢は明らかだから信長には関係ないよ
せいぜい徳川と武田を西に目を向けない効果があるくらい

561 :
>>559
北条に頼んだら幸い。
信玄や武田が余計な汚名かぶる必要がなくなる。今川も武田に全面協力するしかなくなる。東は切り取り放題になる。

562 :
>>561
違う
今川が掛川城の後詰めを北条に要請さたらという意味
武田は蚊帳の外ということ
それだと武田は何もできない

563 :
>>557
武田なんて最初から氏真は信用してなかったのに
何を言ってんだよw

564 :
>>556
だから婚姻同盟を申し入れたんだよ

565 :
>>556
武田が北信や駿河を諦めて東濃狙えば、確かに信長は畿内制圧どころか
時期によっては美濃征服も覚束無い。だけど応仁以来の入京大名たちの
グダグダを横目に見たら、自領拡大より隣の大名の上洛妨害を優先する
判断はできないだろう。

566 :
>>556
信玄が今川を無力化?
義元が死んで元康が独立し、その元康に三河平定されてるのに
今川がどこで織田に脅威を与えてたんだ?
むしろ関東の1560年代は謙信が連合組んで暴れまくって
その対処に今川は北条に援軍送って三河方面放置せざるを得なくなってただろ
武田も三国同盟で上杉と戦わざるを得なくなってた
信玄が駿河侵攻するときは元康が三河平定&三河一向一揆鎮圧して今川を攻めようって時に
今川が与える織田への脅威とは?

567 :
武田当主が義信だったら信長による東濃、中濃の制圧が難しくなるから更に美濃攻略が困難になるね

568 :
武田と北条が連帯して、今川領をウチらに信託統治させろと迫る方法はどうだろう。
治安維持や家中騒動の予防を引き受ける代わりに、年貢や鉱山収入から、いくらかの取り分を得る。
遠江三河国境には武田が警備拠点を置く、今川領の無害通行権を認めさせる。

569 :
氏康は兎も角、諏訪や北信御三家に不埒を働いてる信玄じゃ信用無いから無理

570 :
>>567
信玄は死ぬまで実権握るし、拡大路線じゃない義信の親今川路線じゃ家臣に支持もされないから
無理矢理家督奪おうにも密告されて失敗する
信長が美濃攻略が困難になる?
義信がそんな早く家督貰うこと自体不可能ですよw

571 :
なら武田滅亡は不可避と言う事
信玄が悔い改め自ら義信に家督を譲る気にならなければ

572 :
信玄が悔い改めるような性格だったり、誠実なら例の諏訪への仕打ちもなくなるので
勝頼が誕生しなくなってしまう件

573 :
>>567
義信がクーデター成功なら今川と組んで徳川、織田と対決するのは明白だよね
斎藤と同盟組むのも織田を共通の敵として史実通りになりそうだし面白そうだな

574 :
義信継承の場合、上杉とどういう関係を築くのか、も問題だよな。代替わりしたから仲良くしましょう、でいけるのか、その場合、北条との関係がやばくなりそうだが。

575 :
>>571
同盟国だった諏訪や今川にも攻めこんで
上杉との和睦を仲介して貰った信長に対しても
恩を仇で返すように攻めこんだ信玄が悔い改めることはあるのか?

576 :
義信ならあくまで上杉に拘るのでは

577 :
上杉に拘るにしたら、西上作戦の直前の方が駿河を領有してる分、有利だと思うけど?
結局、義信粛清した悪影響は目に見える形ではほとんどない

578 :
氏真に協力して三河侵入してその勢いで尾張入ってくとか

579 :
信玄が死ぬまで実権を握り続けるから義信当主は不可能

580 :
という事にしたいとw

581 :
>>576
川中島直後に信玄が病死して、謀叛無しで義信が承継した場合、駿河侵攻で得られたはずの
国力抜きで、上杉や徳川、織田に突っかかりまくったら、家中の疲弊・不満は相当だろうな。

582 :
>>575
なら川中島4で軍神様に信玄を討ち取って貰おうぜww
んで、『我が父と言えど非道の限りを尽くした晴信を討ち取った貴公を恨むつもりはありませぬ』
とか言って和睦する

583 :
>>582
北条と上杉が犬猿の仲
それで義信は北条今川の三国同盟堅守派で謙信と和睦?
信玄が北進諦めて南進するのを反対したのが義信だろw

584 :
北条は上野の割譲と景虎を差し出して上杉とは和睦してる
武田が敵対しない場合、そこまで譲歩できるかは分からんが
今川が危機的状況なんだから遠江、三河に向ける戦力を抽出する必要があるので
どっちにしろ北信は諦めるしかない

585 :
新田次郎の武田勝頼面白いね

586 :
誰か三味線塚の玉音伝説を取り上げた小説を書いてくれないかな

587 :
>>584
上杉と北条は和睦したはいいが北条の援軍要請を謙信はスルーしたから
結局は北条のためになることをしたくなかったんだろうな
しかも同盟破綻しても人質の景虎も返さなかった

588 :
景虎は謙信の上野国支配、関東管領職の裏付けだからね
逆を言えば景虎は謙信の跡目を嗣ぐこととワンセットだったから北条も返還要求をしてない

589 :
>>588
援軍要請スルーして約束守らずに、同盟破綻して犬猿の仲に戻ってるのに
景虎が跡目を継ぐという話が本当で、約束が必ず守られると信じてるのなら相当北条はお人好しだぞw

590 :
>>589
信じてる信じてないの問題じゃないだろ
てか実際御館の乱になってるやん

591 :
景虎が跡目を継ぐってのは北条贔屓の某作家がしきりにアピールしてたな

592 :
>>590
御館の乱は>>447で言われてる通り、後継は景勝に決まっていたが統制に失敗した説
官位も謙信は景勝に弾正少弼の官位を譲っているしなぁ

593 :
義信残しても御館の乱みたいになるんじゃね?

594 :
>>585
漫画にもなってるしね

595 :
信玄が川中島に拘り過ぎ、駿河侵攻が遅れたことと瀬田までの足掛かりになる
中濃を得ないまま西上作戦を強行したツケが勝頼の時代に回ってきた

596 :
勝頼は軍人としては中々のものだったけど外交センスがなかったね

597 :
>>595
北信濃を取らなきゃ南信濃も失うことになるんだよ
君は理解できないかももしれないけどね

598 :
義元が間に入ったときの国境線画定じゃ駄目だったの?

599 :
川中島近辺だけで15万石位じゃないっけ
取らないと駿河侵攻できなくね

600 :
>>597
全くもって意味不明なロジックw

601 :
>>598
戦国時代だからね
信玄が守っても謙信や村上は守らないよ

602 :
謙信はどうだろ
関東に集中したいんじゃないの
実際全部破ってるのは信玄からだよ

603 :
謙信が関東を攻めるなら武田は北条の援軍に行かなきゃいけないじゃん
それが三国同盟だよ

604 :
甲斐も越後もろくに米取れないしめちゃめちゃ米取れる川中島がどうしても欲しかったんじゃね

605 :
三国同盟は対上杉同盟だから川中島以降も武田は上杉と戦わざるを得なかった
和睦してもキチガイみたいに関東攻めだした謙信に対して北条と共に武田は戦ってるんだからな
三国同盟堅守と謙信との不戦協定は両立しないよ

606 :
>>601
和議を全部破ったのは信玄。
村上も謙信も遵守していた。

607 :
>>606
そういう話じゃないよ
流れを理解してね

608 :
じゃあ結局武田上杉北条の当主の実力が拮抗していて
三国志として足を引っ張り合うしかない状態では織田の台頭は防げないってこと?
どこかの当主がポンコツなら状況は打開できた
まあ織田を敵にまわすより謙信と泥沼を続けていたほうが、まだ可能性はあったとか

609 :
上杉としては川中島は国土防衛上絶対に譲れない死生のライン
武田にとっては越後侵攻のためにどうしても押さえておきたいライン
両者の利害が対立するから致し方ない部分はある。
もしどちらかが譲歩しなければならないなら信玄がする他ない。
別に川中島を獲らなくともそれで古府中が脅かされるなどという事はないのだから。

610 :
そもそも論になってしまうけど信玄も外交センスが全く無い。
周辺で奪えそうな土地ができたら侵攻する。ただそれだけの事を一生涯続けていた。

611 :
そもそも論ならクーデターしたとき佐久小県失ったのが大きいのでは
これなければもっと早く信濃平定できてたでしょ

612 :
信玄が北信濃をとらずに甲斐と南信濃だけだったら今川や斎藤相手にする以前に村上がヤバいんじゃね

613 :
大きなイチモツを下さい

614 :
村上は絶対に共存できない相手だから激突したのは正しいと思う。
信玄が下出に出たら「ほら、源氏の長は俺だし信濃も俺のものだから」と思われるだけだし
でも高梨を味方に引き込まなかったのはもう池沼としか言いようがないと思う。
外交的にこれほど使える駒などないのにアホなんじゃなかろうか

615 :
>>610
諏訪や今川に対して悪行ゲージがパンク寸前にならない
やり方はもっと他にあったとは思う

616 :
越後守護代の長尾家がなぜ高梨なんてカス国人に気を使って
代々政略結婚を続け対等な関係を維持し続けてきたかよく考えたら信玄のような行動にならない。

617 :
>>592
御館の乱は上杉憲政が三郎側についている通り関東管領の正当後継者と目されていたのは三郎だと俺は思ってる

618 :
信玄てなぜあれだけ約束を守らないんだろうか。戦国とはいえ酷過ぎるし、勝頼がその報いを受けたとしか思えない。

619 :
そもそも諏訪をRのが理解できない。
諏訪には大祝職という名誉職だけは残して、自分の甥でもある虎王に継がせて、妹に後見させて残してやれば利用しやすいのに。何で排除する必要があるのか?

領土や利権だけではなく、名誉も手に入れないと気がすまないのかな?

620 :
何度目よその話題

621 :
信玄の人格否定が目的というか、貶める事自体が目的だからじゃないの

622 :
父親や環境のせいにしたって本人の評価は変わらない

623 :
新田次郎の武田勝頼のおかげで、知った。
硝石はヨモギの葉っぱと人尿と蚕の糞を混ぜて風通しのよい床下に数年置くということを。

624 :
やはり粘着荒らしくんはノンケの義信と勝頼を頑なに認めようとしないな

625 :
外交という意味では信虎は優秀だったよな。
力でねじふせた小山田と穴山を改易しないで娘を嫁がせて手駒としてコキ使いまくり
宿敵の大井からは娘をもらって身内にし(その後、繰り返し謀反されて出家・隠居させたが)
天敵である今川家には義元に娘を与え、諏訪とも政略結婚し両上杉と同盟した上で相模侵攻を繰り返してた。
なんでこの優秀な父から信玄などが生まれてしまったのだろう

626 :
信玄って外交上手じゃないの?
横山や新田は外交上手と言ってるが。

627 :
甲斐統一と信濃攻略&三国同盟への足掛かりはパパの遺産(死んでないけど)。
それを足場にすれば、並の戦国大名なら、四分五裂の信濃と弱体化した駿河は
切り取れる。その過程で、余計な敵を作りすぎてる。最期のやらかしが対織田開戦。

628 :
谷口氏は信玄は信長以上の外交上手だと言ってるな

629 :
織田とは仮に信玄が友好を維持しても、いつかは破られたのではないのかな? まあ、史実で先に破ったのは信玄だが。

630 :
>>609
三国同盟を堅守するなら北条が上杉に攻められたら武田は上杉と戦わなくちゃならない
信玄は謙信率いる関東連合の大軍相手に後巻で行っても勝ち目はない&北条の後巻に行くだけでは武田に利がない
だから北進して上杉を北条攻めから目をそらさせなければならない
三国同盟堅守する限りは川中島を攻めざるを得ないんだよな

631 :
信玄も上手いけど下に化け物の太原雪斎がおったからな
結局、三国同盟も今川有利の同盟で武田の動きに制限が掛かった
義信の死も今川関係だしね
信玄が外交の天才なら、この三国同盟以上の外交を思い付いただろう
現代の我々でも思い付かんからね
それだけ大原は天才なんだよ
同時代に大原がいたのが信玄の限界

632 :
下って南のこと?

633 :
川中島の戦いをやって曲がりなりにも北信地方を掌握したから西上野やら取りに行けて
それができたから駿河攻めだの小田原攻めだのやれて
更にそれができたから中央勢力とあれだけ戦い続けられたんでしょ
まぁ結果滅んだわけだが

634 :
信玄がもし、義理堅くて戦略性に溢れた人物なら歩む道も違ったんだろうか。

635 :
足利尊氏みたいに内ゲバに振り回される道を歩むかと

636 :
信虎時代に手詰まりにはなってたけど
基本的には彼の戦略は手堅かったと思うよ。
郡内と河内は政略結婚で懐柔しながら家臣化していき
今川と諏訪には娘を与えて同盟を結び、両上杉家と軍事同盟を結んだ上で
佐久と相模を侵攻する。
問題があるとすれば北条家が強すぎた事だけ。

637 :
信虎のが先進的な考え方はしてたね
中央集権を進めていた

638 :
>>637
やり方が性急すぎた。
それと厳しすぎる。

639 :
信虎は平成以降は割と再評価されて
山梨県博物館でも甲府を開いた始祖として信虎展などするようになったよね。
今までは新田次郎などのせいで信玄を神格化するあまり
彼に追放された信虎は鬼や悪魔として非難する事を甲斐の人間は強要されてきた。

640 :
信虎と信玄ってどちらが優秀だと思う?
跡継ぎにしても、信繁もかなりの実力者であるから、信虎の選定に間違いがあったとは思えないんだが。

やはり正室の長男に継がせないといけないのかな、当時でも。

641 :
>>640
そもそも信虎が信玄を廃嫡する予定だったのは本当だったのかな?
事実だとしたら実際にクーデターを起こしてるわけだし凄い慧眼だと思う。
でもおそらくは単に信玄が自分の悪事を正当化するために
「信虎は妊婦の腹をかっさばいて胎児を取り出して笑ってた」とか
「気が狂って嫡男信玄を廃嫡しようとしてたので致し方なく駿府へ追放した」とか
言ってるように見えるんだけど

642 :
>>636
信玄が若く病死して信虎が相模を狙い続けている間に、軍神様が越山を始めれば
三方全て敵な北条は滅びたかも知れない。武田が佐久で止まっていれば、軍神様が
関東に全力投球できるし。

643 :
信虎は信玄の箔付けの為にいいトコの嫁さん貰って来たり官位の手配をしたり手を尽くしてるが信繁には・・・
信玄を廃嫡しようとしたとかは絶対嘘だと思う

644 :
そもそも信虎追放は信玄主導じゃないというのは置いといて、
他に親の偏愛受けた弟と家督争いした例だと相手Rのが基本だし
増して信玄の性格ならなおさらだから敗着の件は作り話だろうな

645 :
>>638
景勝も中央集権しようとして御館と新発田の乱だろう
景虎もそれに対する反発で担がれただけだろうな

646 :
信虎は最初、晴信の正室に上杉朝興(関東管領)の長女を迎え
その娘が死ぬと(死因不明)
三条公頼(従一位・左大臣)の二女を正室に迎えた。

もし信虎が信玄を廃嫡しちゃうと両上杉家や朝廷との関係が悪化すると思うのだが。
本当に信虎がそんな事をするんだろうか?

647 :
父子でナアナアだったという珍説もある。悪評は父親が引き受け、ドラマチックに隠居追放という形をとり、人心を一新するとか

648 :
もし信虎がクーデターされずにそのまま当主だったとしたら
その他の家臣の謀反が起きたりしてその鎮圧に手間取っていたかね。
信長となんとなく似てる。中央集権化する過程で謀反や反乱が絶えなかった。

649 :
信虎から見たら今川氏真も寅王(諏訪家当主)も可愛い孫なわけで
裏切って殺しちゃう対象ではなく可愛い傀儡として飼ってた可能性が高い

650 :
>>649
信玄にとっても甥だし、あんな扱いする理由がわからん。信長なんな自分に何回も歯向かった弟の遺児(津田信澄)を重用しまくってるのに。

651 :
>>646
朝興の娘は信玄満で13で妊娠してる。
当時とはいえ少し早すぎる。
たぶんまだ身体ができてない娘が妊娠して、体力的に持たなかったんだろうな。

652 :
傀儡おっさんはもう飽きたわ

653 :
>>649
そういうやり方は信長が上手だな

654 :
血縁頼りにして他家を配下にするのと自分の血縁送り込んで家乗っ取るのは大分話違う気がする

655 :
政略結婚でオーストリアをヨーロッパの強国にしたマリアテレジアの例とかもあるけどな

656 :
政略結婚ではないけど幕末の主役となった高須四兄弟の例とかもあるし
美濃国高須藩(10万石)の松平義建は子沢山で

子供たちは
松平容保(会津藩藩主)
徳川慶勝(尾張藩藩主)
松平定敬(桑名藩藩主)
徳川茂徳(一橋家当主)
松平武成(浜田藩藩主)
松平義勇(高須藩藩主)
幸(米沢藩正室)

657 :
例えを元に何を主張したいのか分からん

658 :
よくある話で親子、数代掛けての統一事業ってのはある
信虎の爺さんが跡部氏から甲斐の実権を取り戻して息子に家督を譲った
これも自身に対しての国人家臣の不満を避けるためだろう
信虎も強引に甲斐を統一したせいで相当国人を不満が貯まっていた
見方を変えれば信虎はクーデターを起こされたより
国内の不満をすべて自分で背負って信玄に家督に継がせたってのもある
美濃の斎藤氏も同じだろうし、尼子やら毛利長宗我部やらもこういう形跡はあるのね

659 :
勝頼って信勝以外に子供はどうしたんだ?
政略結婚したくても信勝だけじゃ頭数が足らん。

660 :
竜勝院を亡くして以降、北条の方を迎えるまで何故か奥方を迎えていないからな
一応、北条の方との間に姫が居たなんて話は聞くけど
勝頼って色っぽい話があんま無いんだよな

661 :
>>650
確か、当初は助命が条件に成ってそうなんだよね、諏訪氏攻めでは。
信玄からしても姉婿だから、捨扶持程度やる意味有るし完全に滅ぼす意味が解らん。

似たような例で、長宗我部元親は宿敵の本山氏を助命してる。
以前の和陸で元親の姉が嫁いでるので、姉婿だし子供は甥に成る。

まあ、長宗我部元親は自分にも寛大な所有るって宣伝したかったんだろうけど、信玄も
同じ事できた。
後で甥に名跡だけ継がせるでよさそうなのにね。

662 :
>>661
想像の話になるが、信玄ではなくて家臣側の意思という可能性はないのか?
家臣側が捨扶持の取り分すら渡すのが惜しくて処分に走ったとか
後期はともかく、初期の信玄は明らかに家臣に担がれてる感があるし

663 :
>>662
捨て扶持まで惜しむとか、何処まで強欲なんだ武田は。

信玄の織田徳川今川の対応見てると、諏訪も信玄の意思じゃないかと思う。

664 :
信玄はイケメンの信長、家康、氏真を掘りたかっただけだよw
頼重で味をしめてしまったんだな

665 :
>>663
変な情けをかけると頼朝みたいなのを産むと危惧するのも一理ある

666 :
平清盛と頼朝はよく例えに出されるけど、結局源氏はそれで身内を殺しまくって
嫁の実家に乗っ取られてるから彼も同じく失敗してるんだよ
武田のゴダゴダ見てるとここも源氏の血だなあと

667 :
信玄なんて親を追放してるし
西上作戦出陣前も喀血してたのに死ぬまで家督譲らなかった
誰も信用してない疑心暗鬼だろう

668 :
>>665
頼朝は、担ぐ勢力が有ったから復讐できたんだしさ。
諏訪氏の遺児が、信玄に復讐するには旧家臣に担がれないと駄目。

助命されて捨扶持貰ってる状況なら、旧臣が担ぐには余程冷遇されてないと駄目だよ。
信玄次第なんだよね、この辺。
未だ、信濃の大部分の征服残ってるし、諏訪の旧臣優遇する事は可能に見えるな。
諏訪郡の直接支配に拘るって、余程武田の蔵入り地は少なかったんだろか?

669 :
信玄が信虎の路線を完全に否定することで家臣団に対して
支持を集めるためのパフォーマンス的な意味合い…いや、ないかな

670 :
>>585
https://i.imgur.com/ARfNU13.jpg

671 :
頼朝と違い、甲斐で軟禁しておけば、反乱の頭目に担がれるのを防げるどころか
むしろ人質にできたのに。真田や木曾との扱い差は、何か尤もな理由があったのか、
若気の至りなのか。

672 :
>>668
諏訪郡は板垣に与えて信玄自身はさっさと甲斐に帰国してなかったっけ?

673 :
若気の至りはあるよな。
上田原の戦いは甘利たち重臣が自分の命を捨てて信玄を逃したから
間一髪死なないで済んだだけで信玄が死んで武田家滅亡は十分にありえた。

674 :
信玄じゃなくて信繁が武田家継いでいたらよかったのかな?

675 :
誰が継いでも山梨長野が中央勢力に勝てるわけない

676 :
信繁なら滅亡は回避しそう

677 :
信繁公はその気になれば信玄との家督争いを軽く勝利し
甲斐信濃越後を速やかに征服し5年以内に天下を統一する事ができた
しかし、兄弟の情が出て兄と争う事ができなかった為に非業の死を遂げた

678 :
信濃攻略が頓挫して、甲斐でウダウダやっているうちに台頭した
中央政権に臣従したら、名族として残れたかもな。

679 :
>>660
ただ、遺された肖像画に北条夫人、信勝と3人で描かれてるのあるんだが、
家族でかくってすごく珍しいんだよね。
人柄が見えてくる。

680 :
川中島までは何とかして獲るでしょ
あそこ獲らないと越後関東駿河に対抗できない

681 :
そもそも村上義清どうにかしないと信濃支配が安定しない

682 :
信玄でも駿河侵攻までは正解なんだよな
そのあと北条攻めて信長と仲良くやっていれば…

683 :
駿河侵攻するなら北条との敵対は避けられないし…

684 :
北条夫人と信勝の同人誌きぼんぬ

685 :
>>682
北条を越相同盟にまで追い込んでおきながら、東遠江や奥三河の僅かな土地狙って
徳川とも二正面作戦始めるとか、正気とは思えん。

686 :
>>684
勝頼 『信勝を女を知らぬまま死なせるのは忍びない・・・お方よ不本意とは思うが・・・』

687 :
>>685
先に上杉と組んで北条を攻め滅ぼしていたらどうなっていただろう
もっとも家康が大人しく指を咥えて傍観してるとも思えないが

688 :
流石に上杉と組むのは無理だろ

689 :
>>687
普通に考えて武田も滅びるだろそれ

690 :
耐えがたきを耐え忍び難きを忍び上杉の傘下に入るのだ

691 :
入るべきは長尾上杉ではなく山内上杉なのでは

692 :
信玄って家族愛が無いよな。
父親追放だし、母とも仲が良かったという記録は無いし
最初の妻の上杉某は不審死してるし二番目の妻の三条の方とは不仲で有名だし
諏訪御料人は信玄を恨んでただろうし、嫡男の義信は殺してるし
勝頼には家督を譲ってないしw

693 :
いや、別にそんなもんなくても天下は取れるしなあ…
御家維持のためなら息子もRぐらいの奴のほうが御家のトップとしては信用できるし
むしろ息子や家族にいらん情を注いで御家を傾かせる方が余程困るよ

694 :
家族すら平気でRような恐怖の独裁者
恐ろしくて仕えたくないよ
現に村上も氏真も信玄を信用できず徹底抗戦して
ノブに天下レースで後れを取ったじゃ無いか

695 :
>>687
1561年の上杉が北条討伐の連合で攻める前に三国同盟破棄して北信から撤退
それと義信を人質に出せば上杉と同盟は行けるかもな
北条でさえ領地割譲と人質で同盟組めたし
1561年だと家康は三河平定とその後三河一向一揆あるから
信玄が2年で駿河遠江平定すれば三河一向一揆中の三河に滑り込める

696 :
北信から撤退したら駿河獲るには国力足りなくならんか

697 :
>>694
そうかな?それやった家康は天下取れたけどな
まあ三傑はいろいろ規格外だから例外にしろ、って考えなら
特に反発はしないけど

698 :
>>696
1561年だと義元や重臣死んだ後で家康も離反
そして今川は北条に援軍送っているのでいくらか手薄になっている
上杉の北条討伐の機を逃すと逆に北条が援軍に来るので国力不足は響くだろう

699 :
>>696
北信諦めないで上杉との同盟できるのかね
義信は三国同盟破棄に反対するから人質というか追放みたいなもんだけど

700 :
義信 『私を捨て今川殿と伊勢殿裏切りry

701 :
晴信「政虎殿、そやつ(義信)は甲越同盟を反対し、三国同盟守れと煩いので人質として送り申す。
   そちらでも煩いなら切腹させて貰えると手間が省けます。」

702 :
政虎 『なんという不憫な・・・義信殿、貴殿を養子に迎えよう。今日から景虎と名乗られるがよい』

703 :
>>694
ノブも弟殺してるじゃん

704 :
信勝はスリーアウト・ルールに引っ掛かった懲りない常習犯みたいなもんで、
信長はその息子(信澄)を重用した。庶兄も反逆未遂後は許した親族大好きマン。

705 :
御館の乱で景虎が義信だったら勝頼はどっちにつくのかね
義信のが嫡筋だから見捨てそうな気がする

706 :
>>692
息子は有名な話だが娘も信玄の行いのせいで全員不幸になってるんだよな

707 :
信玄・勝頼って武田家に関わる人を全員不幸にしたな
家康に拾ってもらえた人だけ幸せになれたが

708 :
>>706
松姫の話は有名だよね、幼い頃から信忠と婚約状態で当人もそのつもりだったのに
信玄は平気で掌返し。
この結婚が成立してたら、武田の名跡は残った可能性は非常に高いんだよな。
松姫が複数の子供産めば、誰かに名跡継がせるで織田家中も納得するだろうし。

>>704
まあ、あの時代の常識なら一度許すだけでも相当甘い。
信澄の扱い見ると、信長も相当後ろめたいって感覚有ったんだろな。

709 :
信長公の家来になれてたらなあ〜〜

710 :
>>703
一回許したのがそもそも異例。
にも関わらず再犯したらRのは当たり前。
むしろ再犯なのに、その遺児が生かされて重臣にされたのも異例。

711 :
>>699
北信に村上義清が帰ってくるだろうし真田の動向も怪しくなる

712 :
久しぶりに来たけど、
荒らしはいなくなったのか

713 :
>>711
佐久郡等の東信は返す必要はないんじゃね?
小県郡は上杉(村上)と武田(真田)で分割だろうな

714 :
信虎が追放されてなかったとしたら三国同盟は結んでおらず両上杉家との同盟が
継続してたわけだから上杉謙信と武田信虎が同盟を組び相模国と伊豆は武田の
領地という条件で北条家が滅んでいただろうね。

715 :
そこまで上手くいくとは思えん
三国同盟が結ばれていなければ北条も背後を警戒せねばならず
上杉憲政が越後に逃げなくてはならないほど追い詰められたとは考えにくい
関東に謙信が出る幕はなくなる
武蔵や駿河の国境で泥沼の抗争をしていた可能性の方が高そう

716 :
>>712
何で菅沼遼太を召喚しようとすんだよ  ( ;∀;)
最近、あいつ何処にでも湧くのに。

717 :
信虎が追放される前の数年は毎年不作が続いてて飢饉だった事が分かってるんだよね。
百姓たちの我慢も限界に来てて誰かを吊るし上げて
責任を取らせないと済まない状況になってた。

718 :
>>713
国人が上杉選ぶだろうそれ

719 :
>>713
いったん大幅譲歩した武田を真田がどこまで信用するか怪しいし
村上義清は旧支配地にいずれちょっかいかけてきそう、謙信も律儀に約束守るタマじゃないし

720 :
>>718
国人が真田に調略されたのになぜ上杉につく?

>>719
史実で越相同盟までして敵対した謙信が信濃に攻めこんでないのに
武田と同盟した上杉がなぜ攻めてくるというのが謎だな

721 :
>>715
北条も武田も越後国境に近づかないなら、長尾は北陸を西進する戦略をとるだろうな。

722 :
>>721
東進して山形を獲るルートも十分にあるよ

723 :
>>720
なぜ関八州ほぼ上杉につき北信まで上杉勢力下になった状態で諸侯が付いてくると??

724 :
>>723
同盟結ぶのになぜ史実でさえ謙信の許可がないと攻めなかった村上
なぜか村上が暴走して同盟破って攻めてきたり、同盟破って勝手に国衆が上杉に行くのか謎だって話な

725 :
>>722
揚北衆は庄内を、三条衆は会津を切り取り自由にして、
景虎は西へ向かうんじゃないかな。

726 :
「両上杉を中心に北条今川を滅ぼして長尾武田上杉を中心とした秩序を関東にもたらす」が戦略目標になるのかその場合
そんなうまく行くか

727 :
>>724
へーお前の考えた架空戦記だと今川北条攻め滅ぼしたあと圧倒的に勢力を拡大した上杉と武田の同盟は維持されるのか、グッドエンドでよかったなw

728 :
>>727
攻めるところがなくなればな
上杉は西進できるし、史実でも村上が謙信の許可もなく暴走して信濃に攻めこんだ事もない
謙信は信濃より越中と関東にしか興味無かった
武田も三河がある
三河一向一揆中なら尚更三河にいくだろう

729 :
村上義清だって北信である程度の勢力回復すれば史実とは違う行動とるかもしれんし
謙信もたいして実害なければ甲斐と南信程度の武田相手ならある程度黙認するんじゃないか
そもそも国人だってあっさり領土明け渡すような弱腰の奴なんて頼りがいがないだろ

730 :
両上杉は北条に圧迫されたから超仲良くなってるだけで
北条が亡んだら速攻で上杉同士で殺し合いを始めるだろ。
俺こそが関東管領ニダ!って
両者を争わせて漁夫の利を武田と長尾が貪るのでは

731 :
長尾家って代々守護代で結構な勢力だったのに北信の糞雑魚国人の高梨家に対し辞を低くして
対等な縁戚関係を結んできたわけで信濃に対する領土的野心は無かったと思う。
あくまで防衛上の理由で北信は身内の者に管理して欲しかったというのが正直なところだったろうと思うよ。

732 :
関東管領職就任は長尾家にとって関東に足場を築くチャンスと同時に
毒まんじゅうでもあっただろ。
越後の長尾家としては商業的な利を考えたら
わざわざ貧しい内陸の信濃や上野に苦労して山登りしながら侵攻するより
佐渡島および東西の湊を次々と海沿いに侵略したかっただろうと思う。
かつてバイキングや古代ギリシャ人が内陸地を無視して地中海の沿岸部を
次々と侵略して植民地にしたように。

733 :
>>729
勢力回復は謙信のお陰なのに謙信の顔に泥を塗るのをやるっていうのなら
史実でもやってるだろう
しかも息子が上杉家に養子に入ってるし、越中国やら各地で転戦してる状況

734 :
>>732
青苧関連で敦賀津の津料や入港〜京都までの主導権を得るために越前まで目指してた説はあったな

735 :
謙信自身が、北陸を西進して二度も上洛しているしな。北信や関東に
関わってなきゃ、死の間際でなく、もっと早く加賀まで領土化できただろう。

736 :
上杉の上洛って何も陸路で行かんでも、海から行けるからな

737 :
普通のルートだと春日山城→直江津→敦賀or小浜→大津→京かね

738 :
朝倉義景「上洛や青苧で湊使わせてあげたから加賀一向一揆を一緒に挟撃してくれって言ったろ?」
上杉憲政「関東管領をあげたら山内上杉家の旧領復帰してくれるよね?」
村上義清「武田から旧領復帰してくれるって信じてるから!」
今川氏真「武田に攻められたら助けてって言ったよね?」
北条氏康「関東管領認めて人質と領地やるから武田が攻めてきたら助けてくれって言ったよな?」
佐竹と反連合達「お前が連合の総大将だったろ!」
朝比奈泰朝「今川家再興を・・・」
朝倉景嘉「え?朝倉家再興してくれるって!?」
徳川家康「武田が攻めてきたら武田攻撃してくれ!」
織田信長「長篠後に武田弱ってるから一緒に攻めようって言っただろ」


敵にすると手強いけど味方にすると役に立たない

739 :
武田家再興の核となるべき人物として、せめて信勝のみの越後亡命は、図られるべきでした

740 :
2ちゃんのネトウヨみたいな奴だったんだな謙信って
確かに厨臭いところあるし

741 :
>>738
土下座してお願いすればやらせてくれそう>謙信

742 :
敵対してる時の上杉謙信

               ,.. --‐'"ヽ、
         ,.∠´,,.. -‐/ヾ_\
      ,,..-'"  _,,..===,`'  ,-、゙ヽ.
     /,   ,.. -‐<__,{  ,(´  `ヽ、
    (´ォi ゙r-‐''"´ ̄ { ,/´' ,   ', ゙i
    'ミーぅ∪'      ∨   ヽ. リ  リ
    `ー'′       人、,.-、..ヽ,  '   
                / ,'   { r,(`・ω・´)   
             /'     !∨/:`ニニ´/ ̄ヽ  
               i ゙i       /`ヽ、_,,. `ヽ´ ヽ
           .ハヽ   ノ__,.-、  `Y´ `ヽ   ',
               !. {  `,r-{´、 ,..ーヽ ヽ{. ,,..- 、:_   リ
             /!ゝ、  ゝ_ヘ‐'_,..-'"ヽ、._/´_,,. _ ゙ヽ_,ハ
            / ハ.(`},、   `ヽ.-‐''',.ハ _ ̄ 、.  ヽ、,リ
          /', ヽ、゙i、ヽ.   },`=彡ヾ、 、.  、  ∨
       / ヽヽ、 } ヽ}゙¨`)ヒニ彡>、   `` 、.ヽィノ
      /:  ヽ.  ヽ. イ /´'''7´  \.ヽ `ヽ、_ノ


同盟してる時の上杉謙信

´・д・)

 フ゜ッ ∩ 
  ℃ゞノ ヽ(・ω・`)
  ⊂´_____∩

743 :
https://youtu.be/PQAcUmY9vz8

744 :
>>740
でも軍師(笑)気取りじゃなくて前線に出てくるし、
猛将っぽいかと思えば突然ヒキコモリ宣言するし、
細川政元以外に似たタイプいない規格外大名。

745 :
>>616
中野まで勢力維持してた時は5万石くらいあっただろうし、為景が関東官令軍ぶち破ったのは高梨軍の活躍があまりにデカイ

746 :
>>745
信玄って単純な領土欲だけしか、なかったのかな? 自分の娘の黄梅院もそのために犠牲にしてるし。

747 :
敢えて擁護するなら領土を少しでも増やして
家臣たちに分配する姿勢を常に見せておかないと
甲斐とゆー過酷な国土はまとまらなかったんじゃないかな

748 :
信玄が単純な領土欲しか無かったなんて言われてもないしね

749 :
まーでも武田はうまくいけばソ連やロシアになれた
織田徳川が日米で上杉北条が欧州
どこの国も無理して甲斐や信濃なんて欲しくはない
しかし武田ロシアは豊かの土地の凍らない港がある織田徳川日米を領土がほしかった
凍らない港が欲しいからロシアは南下に拘った
だからロシアは北方領土なんて返す気はさらさらない

750 :
ナチスを悪者に仕立て上げて英米から援助を引き出したスターリンよろしく
北条を悪者に仕立て攻め込み上杉織田から援助を引き出せと?
あとスターリンは世界各国にスパイやロビー団体を潜り込ませて
情報収集や政治工作を行わせていたが
武田にそんな事ができる人材は居るのか?

751 :
諸国御使者衆 青木九郎十郎兵衞

752 :
>>750
武田信玄は領土欲のためなら、自分から悪者になる馬鹿野郎でしょ? 諏訪や今川や徳川とか、やり方が普通はあるのに、自分からふっかけてるし。

753 :
>>750
長延寺実了

754 :
戦国大名としては別に異常ではないが、強欲で猜疑心の強い信玄が大人物のような
イメージなのは、例の実は別人の肖像画とそれを使った後世の創作による影響だよな。

755 :
そもそも信玄は三国志オタクだから
信玄の政治戦略は印象ほどもっとスマートだよ

756 :
>>754
実際は病気でやせ細っていたらしいね
なんかの小説では(誰だっけ?)、その戦略・性格は
病弱で、だいたい病床に伏しているから、そこからくるものって説を展開していて新しかった

757 :
ホントに信玄が病弱だったらヒャッハーモヒカン同然の甲斐の国衆どもが黙ってないだろ
あんな奴に国を任せてられるかって追い出されてるわ

758 :
信玄は甲斐守護のお坊っちゃんなんだよね
秀吉もつけ髭を付けて大きく見せようと演出していた
信玄の自画像も実物より厳つく描かせていたんでしょう

武田は老舗大名
織田の様に、身分にとらわれず外から招き入れると、古株の社員の反発にあう
これは今の企業でも同じ。外から人材を招き入れると反発に合う
だから信玄は、有力家臣の次男や弟を集めて育成して出世させて、組織を固めた
これは時間が掛かる。

このような組織固めは別に斬新ではない。勝頼にはこれをやる時間が単純になかった。
つまり現代的な企業方針でみても、織田人材登用は斬新でもなんでもないのね
大名の立場の違いでしかない。大企業/老舗企業と新興企業/ベンチャーの差でしかない
武田は組織の成り立ちで織田の様に拠点を移すのが簡単ではなかった
あくまで甲斐信濃の守護大名として
こういう武田をみて織田が斬新だったって言うのは違うでしょう。
織田も武田と同じ中世の大名。

759 :
>>756
中井貴一が主演した大河の、線が細くて咳き込んでる信玄は、その点でリアルだった。
息子より長生きした親父が元気過ぎる辺りも、義信の余裕の無さも。

760 :
源氏って骨肉の争いが絶えないね・・・・

761 :
農民出の香坂、出戻りの内藤、浪人の山本勘助、真田幸隆、原虎胤などを登用し
板垣の息子であっても役立たずとなれば処分している
まあ武田に限らず戦国時代の大名は実力主義だよ
戦で負けたら終わりだからね

762 :
>>759
あれは長尾景虎がかっこよかったな

763 :
柴田恭兵の謙信のイメージを一瞬で塗り替えたGACKT謙信・・・

764 :
>>763
どっちもイデオロギー優先の変人だけど戦は鬼強くて
「らしさ」が出てて好評だったんでは?

勝頼で大河やろうとすると、家督継承前が材料不足かな?

765 :
あんなに耽美なGACKT謙信がアラブ人風の阿部謙信になっちゃうんだから驚きだよな
一応続き物扱いなんだっけnhk的には

766 :
おれはプーチン謙信かな

767 :
>>766
どうぞ
https://i.imgur.com/eN0mRq2.jpg
https://i.imgur.com/yvAoalm.jpg
https://i.imgur.com/gCbHHZX.jpg
https://i.imgur.com/1Or0auY.jpg
https://i.imgur.com/QZs4bIU.jpg

768 :
こんなん来たら逃げるわ

769 :
プーチン謙信の部下にはマルクスもいます
https://i.imgur.com/JNDzr0W.jpg

770 :
センゴクは作者が上杉家に関する知識が乏しいから完全にネタに走っちゃったな。当時、天地人が放送してたから人気取りのため無理やり描いたから付け焼き刃の知識だったみたいだけど

771 :
センゴクは関東遠征出稼ぎ説だっけ
珍説のひとつだけど、インパクトはあるかな

772 :
>>767
なんか、これはこれで良い!!!!なんかいいいよ。

少なくとも、部下が喜んで突撃するカリスマ性は感じるもんな。
こうしてみると、プーチンもカリスマ性が有る武将たいぷやね。

773 :
まんざら外れてもいないだろ
平山も黒田もその頃は酷い凶作続きで侵略戦争でまかなうしかなかったと書いてる
で、上杉は年がら年中遠征して
特に領土増えてないのに
領民はとくに一揆起こすわけでもなく
家臣も恩賞で領土増えてないのに文句言ってない。

774 :
出稼ぎ説なんて最新の論集じゃ否定されてるわな

775 :
最近の論説とやらは知らんが
そこまで切羽詰まっていたなら
勝頼に支払った莫大なカネはどっから出て来たんだって話になる

776 :
やはり、青苧の儲けなんですかねえ

777 :
そもそも日本海側の重要港抑えてるからな

778 :
謙信が将軍の御内書に従ったり上洛したのも青苧で儲けるためだろうからなぁ
一方、信玄は清水湊を取ったが回りに喧嘩売ってばかりだから
まったく生かせず
青苧に手を出すも質が悪かったのか流行らず、三条西家から徴収指導を受ける始末

779 :
>>775
上杉年譜を信じるならば、謙信が春日山の蔵にかなりの金を溜め込んでいたらしいから、その遺金。

780 :
最近読んだ本だと直江津と寺泊の貿易だけで30万石分くらいの儲けがあったとかなんとか。加え金山もスゴい。
そう言や出稼ぎ説の言い出しっぺの藤木久志氏が最近亡くなったな。まぁ単に冬は雪で動けん場合が多いから春に出発して秋の終わりに帰るだけだった模様

781 :
謙信の遺産は普通に伊佐早文書に詳細が残ってるよ
あんだけ戦争しまくってたのに武田とは逆に莫大な金を蓄えていたのは史実なんだよね

782 :
センゴクの上杉謙信は戦争狂で俺が戦争を楽しめればそれでいいからとにかく戦争しまくろうみたいな設定だったぞ

783 :
>>782
自身が死んだ時に『俺は好き勝手やってただけなのになんで皆悲しんでるんだ?』
みたいな事言ってお迎えに来た毘沙門天に諭されてるトコ好きだわ

784 :
>>780
やべえな

785 :
謙信、結果的に関東方面では北条に負けてしまったんだよな
越中方面に伸びたのはいいけど関東方面だと完全に越相同盟が悪手だったね

786 :
冬になったら閉ざされる越後から本拠地を移せなかったからどうしようもない

787 :
だから上杉が強いのは単純に経済大国だったからなだけ
戦争するにも金がいるんよ
無限に戦争できるんだからゲームで言うとチートと同じ
あと北条は武田上杉よりさきに100万石を超えて戦国を一歩リードしていた大名
これも早雲という英雄のおかげ
今川もリードしていた
武田は遅れまくっていた、早雲より下の世代の信虎が甲斐を統一する
信玄が誕生した年に

788 :
勝頼を謙信のところに人質に送って
経済と金儲けの方法を学ばせる

789 :
>>787
信虎が甲斐を統一したのは1531年だから、信玄誕生から10年後だよ。

790 :
謙信は動員兵士数は武田北条に劣るんだよね
金があっても人がいなきゃどうにもならんけど、謙信は戦闘では圧倒するのよね
武田は貧困国なのに良く人数集めたわ

791 :
北条の動員兵士数すげーよな

792 :
動員数より兵士の質
陣夫や雑兵で水増ししても戦えない

793 :
信玄も農民なんて素人で邪魔だから戦に連れて来るなって言ってるな

794 :
謙信が動員兵力が少なくても精強だったのは
やっぱプロの軍人比率が高かったからなん?
カネがあれば訓練も捗るだろうし

795 :
動員兵力が少なくても精強なのは一向一揆、内乱、越中、東北、北信濃、関東で
毎年毎年毎年戦い続けたから兵士が自動的に戦慣れしてベテラン化したせい。
普通は軍費が枯渇して滅ぼのだけど謙信は金儲けも上手かったから手に負えなくなった。

796 :
関東管領就任の際には、越後だけじゃなく、関東の諸武将11万5000を率いて小田原を囲んだそうだな

797 :
北条は関東諸侯に敵が多すぎて戦力集中出来ないのがあまりにも痛いやろ
兵力分散しすぎて決定的な勝利を得るのが難しい

798 :
北条が滅んだ原因がこの関東の弱小大名が我先と秀吉に属したせいで
北条は豊臣に臣従するタイミングを逃してしまったと
争っている弱小より後から下ると関東でも立場がなくなる
早雲ブランドもあって北条はプライドが高かったが、情勢は読めていた
失敗したのは、秀吉の統一事業が早すぎたのと、徳川がもっと抵抗すると思っていて
徳川のせいで秀吉に下るタイミングを誤った

799 :
>>798
>徳川が抵抗する
意味不明、北条は小牧の役で秀吉によって扇動された関東諸侯と戦うばかりで結局徳川に援軍送れてない

結果家康は北条とは戦えないと判断して徳川・北条征伐が発令されると即座に秀世に詫び入れた
(結果九州征伐が優先されて期待してた関東諸侯は激おこやったが)

これで北条が徳川に期待してたっていうなら政治音痴すぎて話にならんよ

800 :
氏政ってマジで碌な事してねえな・・・
結局北条が最後まで秀吉に詫び入れなかったのは
敵対してた訳でも無い滝川の背中を刺すような真似をしたからだろ
同じ織田家臣出身の秀吉に頭を下げても許される訳が無い
秀吉は氏直は見どころがあると助命し
ゆくゆくは西国の国一つ任せるつもりだったが
氏政には切腹命じてるし

801 :
氏政公の悪口はそこまでだ
俺の知る限り言うほど器量無しじゃなかったぞ

802 :
>>796
>>797
>>798
このあたりだろうと思う。
関東諸侯が一緒に戦ったから、謙信軍は少数でも良かった。
謙信は関東の兵の質が悪いと文句言ってたが数が必要なんだから負け惜しみと信玄への媚だろ。
北条が豊臣に下れなかったのも関東諸侯が先に下っていたのもあるだろう。

803 :
ないない
大徳寺でも「おめーの席ねぇから!」と門前払いするくらい険悪だったし
秀吉にとってクリステル一益なんて邪魔者でしかなかったから
むしろあいつを叩いてくれてナイスアシストって感じだろ

804 :
>>790
川中島、唐沢山城後詰め、尻垂坂とか寡兵の上杉勢だけで圧倒してますな

805 :
勝頼は信虎が甲斐に戻ろうとした時に拒否したんだっけか

806 :
>>805
軍鑑によると、信虎は信玄が死んだあと、勝頼に面会を求めて高遠で面会した。信虎はここで80とは思えない動きを見せて元気に振る舞ったが、勝頼についてきた武田四天王を見て「お前らなんか知らん」と罵倒しまくった。

勝頼や四天王は信虎が帰参したら余計な火種が生まれることを恐れて、高遠にとどめた。

807 :
だってさ、抜刀して素振りを披露したんでしょ。こりゃ、皆さん警戒しますわな。
墓地は甲斐の寺に埋葬されたようだが…

808 :
まぁ下手に帰ってきたら権力基盤が脆弱な勝頼政権が更にややこしい事になるから高遠で我慢して貰ったんやろ
甲府で葬儀してるから嫌われてた訳では無いと思う

809 :
逸話だけど信虎って今川が衰退してるから駿河侵攻の好機だと信玄に伝えたり、西上作戦の時に義昭に協力して兵を集めたり信玄とそんなに仲悪くなかった感じもする

810 :
信長は、信虎の動向を監視とかしてたんかな?

811 :
>>810
70超えた老人で、しかも何の地縁も無いところで爺さんが何してもたかがしれてるから放置では? そもそも監視下に置いていたなら、信虎の身柄を交渉材料に使える。

812 :
>>802
小牧の役で関東扇動すれば北条が関東から動けなくなるのが秀吉にバレた
無位無官で関白秀吉に降ると聚楽第でよくて廊下の末端、下手したら並ぶ諸侯の前で庭で正座
上記を嫌って豊臣政権になんの貢献もしてないのに要求する官位は上杉家以上
領土要求も繰り返す身の程知らず

クソ田舎のボス猿が中央の情勢も考えずに自分本位に動いた結果の破滅であり、同情の余地もない

813 :
せめて小牧長久手の時に家康の背後を突いていれば・・・

814 :
???w

815 :
>>812
左京大夫は氏綱以来の公式なものでは?

816 :
朝廷の記録がない

817 :
そうなんだ。
他の大名達は朝廷の記録のこっているの??

818 :
朝廷の官位販売の記録だし当然残ってるぞ
まぁ、関東じゃ自称官位でも問題ないけどな
上洛する事もないんだから(笑)

819 :
官位の僭称は当時としては一般的なものよ

820 :
当時って何年から何年くらいの事をいってるんだよ

821 :
>>775
ジブンが豊かと配下が食えてるかは直接には関係ないよ
再分配なんて概念無いから産物の儲けを領民にバラ撒く義理はないよ
戦争という公共事業をやって手柄として報奨金撒くのはアリ
武田とかそのために甲州金作ったよね
手柄あげられなくても乱取りすれば元が盗れる
人望がなかった勝頼が戦略的に無茶な合戦ばっかりやってたのも短期的にはやむを得ない面も一応ある

822 :
>>808
我慢してもらったといえば聞こえはいいが
結局勝頼の一存で動かせたのが高遠だけだったんじゃないかと最近思った
勝頼って諏訪時代も諏訪総領継げたわけじゃないらしいじゃん

823 :
>>820
戦国初期から後期まで信長の上総介、羽柴の筑前守等有名どころにたくさんあるだろ、知ってるよね?

敵対していた豊臣政権が家格改革行ってしまったから政権に組み込まれた武家の任官が進んだわけで、敵対していた北条が取り残されただけでしょ

824 :
北条は、武田や今川の正規任官工作をどう思ってたのかな?
関東公方を取り込んだら自身は無位無官で十分と慢心したか?

825 :
秀吉なんて琉球守とか捏造官位の名乗りを認めたりしてるじゃん
ある意味自称よりも酷いじゃん

826 :
カメイ台州守

827 :
>>824
関東政界だけだったら実質No.1みたいなもんだもんな

828 :
氏綱後妻は関白太政大臣の娘で将軍義晴の合婿になるんだが
関白の婿や孫が無位無冠てあるのかしら?
北条家中でも近衛殿の系譜は重んじられてるように見られるし
役後に毛利が身元引き受けたのも家康が側室にしたのも
太政大臣の裔と無関係とは思えない

829 :
左京大夫は人気の官位で、武家では四職家が任命されるところを
朝廷に献金すれば貰えるようになった。
北条家では氏綱、氏康、武田家では信虎が左京大夫。
氏政、氏直は叙任されてないみたいだが、秀吉の宣戦布告状の宛名は
「北条左京大夫どの」となっている。

830 :
つーか当時の官位やら朝廷なんて意味なかったでしょ
朝廷自体が没落していて
秀吉が格を付けるために朝廷と官位を利用したと

831 :
>>830
多くの大名が官位を求めたのに意味がないわけないだろ
あほか

832 :
官位もらえる大名は朝廷に伝があるということだからな

833 :
>>830
途方もない馬鹿だな

834 :
当時の朝廷なんて没落してて侍女が食うために遊女をしていたレベルだぞ

835 :
権力・財政的に没落してたことと、それなりの権威があったことは矛盾しない。

836 :
需要がある限り価値はあるので
意味がなかったら、そもそも自称しないでしょ

837 :
逆にいうと天皇や貴族は困窮するレベルの需要
それなりの名門大名以外は金出さないで自称していた

838 :
っで、結局氏政の使者として上洛した北条氏規は自称官位で諸侯の前で大恥かかされて、
氏政は景勝以上の官位要求と身の程知らずも甚だしい田舎の大将っぷりを露呈する訳だ

因みに大内家は従三位従二位を歴任して、大内家に意思があれば鎮西将軍(他の将軍職でも可)に就任する事も可能だった
大内はあくまで足利家内での権力拡大を目指したが

839 :
その氏政が官位を要求したって話は何が出典??

840 :
秀吉がインフレさせるまで大名でも従五位あれば十分だった

841 :
まぁ昇殿できればいいからね

842 :
>>830
新領地の経営の正当性をアピールできるからみんな欲した

843 :
それ幕府の守護職じゃないの
そもそも、現代でも天皇の威光があるのであれば勲章をもっている飯塚氏が
ここまでネットでバッシングされるのはおかしい
勲章は天皇の名で授与されるものなわけ
つまり飯塚氏を叩く行為は皇室を侮辱する行為
現代でも無意味なのに戦国時代の没落朝廷じゃ話にならんでしょ

844 :
なんで急に現代の話が出てくるんだ

845 :
>>830
大義名分ってのは、或る程度の実力を持ってる奴の場合は強力な効果が有るんだよ。
ゲーム風に言うと、配下武将の忠誠が無条件に+20とか、そんな感じ。
強力な支援効果のあるアイテムって感じだね。

例えば周防の大内氏は、宿敵の少弐が何度叩いても御家再興するのは官位のせいかも?って事で
太宰大弐の官位を貰ってる。

大弐は在京の官職なんで、少弐は事実上の太宰府の長官なんだよね。
それを、九州三前守護「筑前、豊前、肥前」の大名がもてば朝廷が認めた九州の覇者ってイメージに
成る。「

846 :
先生、飯塚大名と比べるのは流石に話が飛躍しすぎていると思いまーす

847 :
勝頼が朝敵認定されたら武田が寝返り続出で瓦解したように
落ちぶれても朝廷の影響力は決して侮れないものであった
でなければ信長が上洛後に朝廷を保護して再建したりはしない
信玄とて川中島3を義輝が調停した時には信濃守護の叙任を要求してる

大名達はあくまで朝廷のコントロール下にある軍事、行政機関であって
朝廷の支配力が衰えた結果、自衛の為に独断で行動していたに過ぎない
ましてや秀吉政権の頃には朝廷の行政機能は回復しており
それに従わない勢力はただのテロリストでしかない

848 :
朝廷の敵ってだけで寝返る理由になるからな

849 :
まあ、実力もないのに官位だけでイキがってもダメなのは確かだよ
ただ、だからといって官位なんてどうでもいいは極端すぎる
強いやつは実力も肩書も両方持ってるから強いんだよ
どっちかが欠けると必ず御家か本人に危機が訪れる
…たまに本人ではなくてその子孫に跳ね返ることがあるのがアレなんだが

850 :
>>847
守護は室町幕府の役職やで

851 :
>>849
信長のことですね、分かります

852 :
>>851 上総は親王任国なのに介を僣称してた頃だけやろ?政権期は順当に右大将貰ってる。

853 :
>>843
ここまでの馬鹿はこの板で初めて見た

854 :
懐かしい言い回し

855 :
>>851のことね

856 :
勝頼のスレなんだから、勝頼の話してほしいよ。

857 :
勝頼の本でオススメない?

858 :
じゃあ勝頼の話をするね
新府城が色々言われるけど、以前に実際行ってみたら面白かったわ
なんか本丸が広いんだ
なんだかんだで100万石超の大名の本拠地として作られたんだなってわかった
逆に甲府の躑躅ヶ崎は手狭すぎるよね
人は石垣といえば聞こえがいいけど
それは甲斐の連中を掌握してるからであって
勝頼時代のように勢力範囲が拡大したらそういうことは言っていられなくなると思った
いつ本能寺を喰らうかわからん
ただ、新府城全体を見ると本丸が大きい割に他があまり大きくない印象を受けた
新府城は戦闘目的じゃなくて居住性優先という説が出るのって
本丸が他の山城と違う感じがするからかな?

859 :
新府城は花見の季節には賑わうからな
高遠と並んであそこの桜は一見の価値ありだぜ
躑躅崎は今は武田神社になってるけど
別に有事の際もあそこに籠る訳じゃない
すぐ北に要害山城があるからそこに籠るんだろ

860 :
新府城の築城で領国に重税を敷き、民心の離反を招き、織田軍侵攻を食い止める役割は果たせず、炎上するありさまを石和から眺めて涙するだけの結果となった
皮肉にもここを有効活用したのは、2ヶ月後の徳川家康対北条決戦においてであった。

861 :
武田氏滅亡はどうかな

862 :
新府城は本丸の骨子はできてたけど二の丸・三の丸を含めた全貌は計画する前に
織田家の侵攻があったんじゃないの?

863 :
>>843
飯塚さんと安倍先生
ごめんなさい

864 :
新府城放棄はよくわかんないよなあ 
ほとんどできてたなら使うのが普通だし
せっかく作ったのに燃やして捨てるって、ほんとにバカみたい
ついでに家臣からとった人質焼き殺したって説もあるし
実は、勝頼を貶めるための捏造エピソードかなあ

865 :
先陣衆が敗戦と裏切りで壊滅、高遠の籠城兵も全滅
建物ができても堀や城郭が完成してないと戦えないのも分からない馬鹿

866 :
規模がでかすぎて一定数の兵が居ないと防御施設としては使えない
裏切り続出で兵が集まらなかった勝頼としては妥当な判断では
人質焼き殺しは知らんけど

867 :
勝頼なら焼殺も平気でやるよ
あれはそういう男だ
蛇責め・蓑踊り・釜茹でもやってたろう

868 :
木曽義昌実母と息子の処刑ですね。現在の甲府駅南口あたりで実施したらしい

869 :
完成していたとしても甲斐まで攻め込まれる状況では城を守るだけの兵が集まらんという問題
つまりは武田120万石の本拠にふさわしい城を建てただけだろう

870 :
まさしく人は石垣人は城
勝頼は佞臣にかどわかされ巨大城郭を作りたくなったんだろう
軍艦再評価が捗るな

871 :
>>867
小幡信貞の正室が女中を蛇詰で責め頃した逸話があるらしい
そもそも武田家中では普通のことだったのかもしれん

872 :
天正壬午の乱で家康が8000人で新府城跡に立て籠ったように
天然の要害である事は間違いないんだよな。

873 :
仮に勝頼の中の人が家康だったら兵と米をとっとと新府城建設予定地に籠め
遊軍としての別動隊を黒駒や八代に置いたと想像できる

874 :
どうせ滅びるなら、要害山城で華々しく玉砕すれば伝説になったのに。
田野なんかに逃げるより。

875 :
>>874
軍鑑によると、信勝は新府城で玉砕しようと言ったが、勝頼が拒否している。小山田が裏切り田野に逃げた際、土屋正恒が勝頼に対し、新府城で玉砕したほうがマシだった、と勝頼をなじっている。

876 :
勝頼は諏訪で迎え撃つ選択肢はなかったんか?
諏訪にいた時はまだ兵も1万程いたみたいだが

877 :
先陣衆がボロ負けや裏切って残りの1万全員が戦えると思ってるのはゲーム脳か

878 :
>>875 主君に最後の苦言を呈して、片手斬りで奮戦した土屋さんはカッコ良すぎ。

879 :
それ考えると上杉は凄かったな
北は新発田の乱、葦名も信長とやりとりしてて協力的、信濃方面は森軍団、
上野方面は滝川軍団の正に四面楚歌だったのに
武田みたいに寝返り、逃亡することなく
魚津城は数ヶ月持ちこたえ
景勝から援軍行けないから降伏していいよと言われたのに拒否して本能寺まで持ちこたえる。

仁科も物資満載だった高遠城で数ヶ月籠城してくれてたら武田は再編成や
新府城の準備が整っただろう。
もし天正人午で北条氏直軍4万から砦で数ヶ月持ちこたヨイダノブシゲが配備されてたら硫黄島の栗林中将みたいに
圧倒的大軍相手でも数ヶ月持ちこたえただろう。

880 :
>>875
玉砕って、本人らは満足かもしれんが要は「諦めた」ってことではあるがな
そういう意味では勝頼はその時点ではまだ「諦めてなかった」とはいえる
結末が哀れとはいえ、御家をここで潰してなるものかという勝頼の態度は
わからんでもない、とも思える
そもそも日本人ってあまりに諦めがいいと、それはそれで嫌う奴がいるな
自分は嫌いではないけど、関ヶ原後の毛利輝元とか、鳥羽・伏見後の徳川慶喜とか
相当批判されてると思う
まあ、勝頼はこの二人と違って結局はここで死んでるわけだから同列にはできないけど

881 :
いちいち山越えて援軍に出なきゃならない駿河を領土にしたことからそもそもどうなんだろうって感じがある
どの時点からでも織田に勝つのは無理だったのでは

882 :
穴山が裏切ったから駿河方面から甲斐に侵入されるんで
新府で籠城しても甲斐は守れないと判断したんだろうか

883 :
常識的に考えて最前線に一番多く武器弾薬物資を集めてただろう
その最前線が裏切ったわけで
プラスその前から織田軍10万が攻撃してくると噂が流れてたそうなので
皆パニック状態だったんだろう

884 :
>>882
完成してない櫓とかなかったらしい

885 :
>>882
まあ、駿河江尻は重要な拠点だったろうしね。
関ケ原の時の、福島正則の立場かな。

886 :
駿河を取らなけりゃ今川北条と織田徳川を駿河で噛み合わせてもっと自由に動けたんじゃなかろうか

887 :
越後しか行くとこない自由ですか

888 :
飛騨あるよ

889 :
駿河侵攻自体は間違いではない。織田の同盟国=徳川に喧嘩吹っ掛けたのが余計。
大井川ラインを守り、次は上野から伊豆にかけて北条相手に東進すべきだった。
飛騨は実入り少ないし、越中が脅かされれば、また謙信が攻めてくる。

890 :
北条の面目潰したのがダメだったでしょ

891 :
東進しても小田原は絶対落とせないでしょ

892 :
絶対の根拠は?

893 :
>>879
ヨイダノブシゲって誰だ?

894 :
依田信蕃だろ
難しい字だからさ、このくらい脳内変換しとけよ

895 :
依田信蕃?

896 :
駿河を今川に持たせたまま1570年に今川と共同で西上作戦やるってのは?

897 :
その場合織田武田の同盟は結ばれるのか?
1570年というのは織田が朝倉浅井と対立後に織田と敵対するということか?

898 :
依田信蕃はすげーよなあんな春日小屋なんて堀も無い砦で4万からなる大軍を釘付けにし
氏直軍諦めて前進したらまってましたとばかりに出撃されて兵站荒らされて身動き取れなくなる
お前は彭越か
依田信蕃が高遠城に配備されてたらおもしろかったな
史実でも信長軍は兵糧不足だったし
物資も豊富で精鋭集められてたって言うからな平山曰く
信忠軍にも死傷者出まくったからかなりの強兵部隊だったんだろう
つくづく撃って出てしまった仁科ぼっちゃんが鳩山なみのくるくるぱーだったのが悔やまれる
ペリリューで米軍の大軍釘付けにした中川大佐ゆ硫黄島の栗林中将みたいに自分の役割理解してないんだ仁科のアホは

899 :
>>893
すまんの
それかいた時会社にいてスマホだったんよ
スマホの入力苦手なんよ
変な変換するんよ

900 :
戦国時代ってのは、どこもペース配分無視のメチャクチャな総力戦をやってたわけよ
つまりどこも余裕がなくて止まったら死ぬ状態。
戦国時代なんて現代の日本で例えると、一年に数回大災害が起きて死人が出まくっているのと同じ
台風19号みたいなのが年に数回来たらエグイでしょ。
戦争で死人が出て略奪やら人身売買刈田が起きるわけよね
富国強兵なんてやっている暇はない
だから常に動き続けないといけない。止まった大名から脱落していく
最後まで動き続けてゴールしたのが信長秀吉なんだよ
武田も動き続けるには駿河を攻めるしかなかった。甲斐から距離的に上野方面はすでに限界

901 :
>>898
菅沼みたいに馬鹿っぽいなw

902 :
>>898
いくら依田でも、高遠にいたら物量でいずれ潰されるよ。織田の物量に勝てるわけがない。確かに織田も補給には難があったみたいだが、武田には後詰できるのか依田を。

903 :
いや、多少持たせてくれるのを期待という話で、いずれ潰れるのはそりゃそうでしょうよ。
でも数ヶ月は無理だろうなあ

904 :
武田の生存ルートは河越に乗じて北条ボコるしかなかったのは分かってるが、それだと今の名声は無く関東の有象無象の一つで終わってた。
まあそれくらいが身の丈だったのかもしれん

905 :
いずれ潰れるだろうけど、要は時間稼ぎができればいいのよ
勝頼本隊が出来るだけ迎撃体制を整えられるだけの時間をね
さすがに半日しか持ちこたえられないのはちょっと…

906 :
北条に降伏して、駿河と信濃を割譲するしかなし

907 :
兆散する時間が稼げるだけだったりして

908 :
高遠城が半日で落ちたのは、城外に打って出たから?

909 :
旧武田領が台風でエラいことになってるな。

910 :
軍団崩壊しちゃったので打って出るしかなくなった、とかだったりして

911 :
違う違う
信忠軍が高遠城に到着したと同時に搦手を一直線に来たから
城の構造に詳しい者が裏切ってる
それに大手門から出たと言って城から離れて野戦したわけではない
大手門の前は道が狭い坂道で一応城の防衛施設内
搦手からも普通に堀を登られ、柵を引き破られてるから
単に搦手が弱点となる高遠城の城郭がショボかっただけ
山城の岐阜城も搦手攻められてすぐ落ちた
水堀だったら搦手だろうが弱点にはならないが

912 :
1日で堀を昇られて柵も壊される規模の城じゃ何日も持たないな
城郭城壁じゃなくて柵って時点で武田の貧乏さが分かる

913 :
高遠って勝頼のかつての所領なのに、城を大修築とかしてなかったのかな? 仮にも武田の一族なのに。

914 :
籠城目的の城とそうじゃない城があるから
敵の足止め用の城は味方も逃げやすいように作られてるんじゃないかね
しばらく抵抗して無理なら搦手から逃げる

915 :
高遠城は信玄が攻め落としてから1582年まで40年近く高遠城は攻撃されてない中継の城になってるんじゃない?
前線の城や大名の居城ならともかく戦にさらされてない城の強化は貧乏の武田には難しいだろう

916 :
上杉謙信ですら落とせなかった海津城に立て込もって、景勝の後詰めを期待するのは?

917 :
改修はしてる話はあるがかなり昔だな
鉄砲の主戦力化や大鉄砲、抱え大筒が出てくる前と後では
城の防御や対策はかなり違ってくるでしょ

918 :
>>916
海津城に行くまでに織田軍に捕捉されそうな気がする。

919 :
鉄砲が大量配備される前の城は馬出やら虎口やらで敵を狭いところに誘導して
そこにピンポイントで配置した鉄砲&弓矢の主力部隊で攻撃していくスタイルらしいけど
織田軍みたいに大量に鉄砲持ってる相手だと、その主力部隊に鉄砲で集中攻撃されて逆に無力化されちゃうみたいね

後の時代の北条になると直線の土塁を築いて後ろに沢山鉄砲を配置してそこに敵を誘導する
点から線に以降した感じなのかな

920 :
その論理だと安土城は大量の鉄砲で守る前提なら弱くない城なんだろうか

921 :
勝頼が群馬山中に逃れたら、織田徳川も捕捉は不可能かな?

922 :
少なくとも斎藤龍興は捕捉不可能になったよな

923 :
そりゃあ自分が逃げるだけなら簡単に逃げられるよね

924 :
川を船で下るなら楽だし簡単には捕捉されないし
長島という反信長の協力者がいるから食べ物にも困らない
勝頼の場合は標高が高い山中に籠っても
領民の協力者がいなければ餓死か凍死するでしょ
諏訪でさえ織田軍が凍死してるし

925 :
>>924
さすがに甲斐の領民は勝頼に協力しないかな?

926 :
普通に人質がいるんだから篭るなら奥多摩檜原じゃね
だから大菩薩峠に向かったんだろうし
まあ追いつかれたけど
勝沼で無駄な時間浪費した
やることなすこと全てが死亡フラグ立てだった勝頼

927 :
小田氏治さんとか三好三人衆とか敵が来るとさっさと遁走して
隙を見て失地回復するタイプの大名も居るし遁走自体は難しくはないと思う。
ただ大名家として復活するのは人望が厚くないとゲリラ協力者が出てこないので困難だと思う

928 :
それを狙うなら尚更北条と手切れすべきじゃなかったな

929 :
海もない、経済圏もない、民衆からの憎悪、絶望的補給路、未来もない

誰もついてきませんよ

930 :
>>927
ソイツらの敵は、田舎大名やチート化前の信長だから可能だった。
仮に勝頼が甲信以外に逃れたらしいとなれば、信長は北条含め東国
大名全てに「匿ったら潰す」と号令するだろう。景勝以外に味方は
見当たらない。

931 :
朝敵となった勝頼に
日ノ本で生きる場所なぞ無い

932 :
血筋を残すことだけ考えるなら、どこかの城で自焼して見せて、信勝は影武者を死なせて
平民に紛れさせるくらいか。でも信勝は真面目だから、拒否するんだろうな。

933 :
逃げても信豊みたいに部下に裏切られて首を差し出されるのがオチ

934 :
俺が勝頼なら上杉頼って朝鮮半島に逃げるわ

935 :
お前の母国だもんな

936 :
織田軍を領国深くに誘い込んで補給で難儀させて
信長に割に合わないと思わせる事で交渉の余地を作る
勝頼の選択は血筋を残す目的なら理に適ってると思うんだよね
小山田が裏切らなかったら織田軍は岩殿までいくつもの険しい峠を越えて攻めなきゃならない
補給が追いつかず前線部隊が音をあげたところで開城交渉
勝頼はまず助からんが信勝の助命は通るだろ

937 :
>>936
馬鹿

938 :
>>936
岩殿まで織田が来た、ということは、甲府や石和は落ちているはずだろ。それで音をあげるとか意味不明。そこまで来たなら、織田は慌てずに岩殿にかかればいいし。

939 :
岩殿だろうが、岩櫃だろうが、織田は付城で包囲して甲信統治を始められる
戦力があるチート超大国だからな、この頃は。徳川と北条も敵だし、民心は
離反してるし、上杉は余裕ないし。

940 :
信勝が、蔑まれても自分の生存を最優先する性格で、投降したら
信長は助命したかな?

941 :
そのパターンは信長が嫌悪するので処刑されるのでは
何とか交渉に持ち込んで勝頼の切腹と武田姓を捨てる条件なら助かると思う
信行の息子すら助命し重用した信長が自分の孫に苛烈な処遇をするとは考えにくい

942 :
おつやの方の最後を見る限り…

943 :
あの人の場合、子供を甲府に送っちまったのが運の尽き
信勝は信長の逆鱗に触れるような事をしでかした訳じゃない

944 :
その信長を怒らせた武田の者なのを忘れてるね
武田一門はことごとく処刑されてるのに

945 :
穴山は?

946 :
武田侵攻が本格化する前に、徳川家康を通じて織田に通謀表示をしたことが、ききめ充分にて、また、弟を犠牲にしており、武田宗家への義理は果たしたと考えていたかもしれない
河内地方は穴山に安堵

947 :
岩殿って絶対落とせないよな

948 :
事前に内通してるので木曽義昌とほぼ同じ立場になる
母親も信玄の姉妹だから血統的にはより近いけどあくまで傍流

949 :
信長と武田が対立した原因を説明すると上杉と徳川の対応が原因
織田は基本、武田と徳川の争いにはノータッチだった
徳川が武田と対立して北条と挟み撃ちにしようとした。このピンチに信玄は信長に泣きついて
徳川を止めてくれと頼んだ。信長は武田の関係も大事だが徳川も大事で止めれないから、代わりに上杉を抑えますと
結果、上杉の攻撃は回避したが徳川北条を敵に回して駿河遠江侵攻は依然厳しい状態
徳川は信長がなにも言ってこないのを見てさらに暴れる。信玄は家康にやられたい放題だった
信玄は信長の対応にも激怒して氏康がボケて北条の対武田の方針が転換した好機を利用して
一気に織田徳川を攻めると
信長は武田のために必死に上杉に頭を下げて抑えていたのに、いきなり攻められてて大激怒
この信長の恨みは相当で、完全に武田は信長の信用を失った

950 :
戦国大名としては当然の行為を恨まれてもな

951 :
信玄も恨まれることは承知してるからノーダメージ

952 :
そもそも最初に挟み撃ちにされてピンチになるような状況を作った信玄が悪い

953 :
だから川中島3で謙信とは手打ちにしときゃ良かったんだよ
で、謙信の関東管領就任を認め臣従して南下
謙信が小田原囲んでるうちに駿河、遠江、三河を分捕る
上手く行きゃ尾張まで取れるぞ

954 :
面白い冗談だな

955 :
>>947
「難攻」であっても「不落」ではない。食糧と水を自給できる
台地を丸ごと山城化でもしない限り、大軍の包囲に耐えられない。

956 :
徳川が暴れるって何?
武田に攻め込まれるまで、武田への軍事行動起こさず、手紙攻勢してただけじゃないか。

957 :
>>950 恨みを買っていいのは、恨まれても平気な国力がある大名だけ。

958 :
国力があれば木曽や穴山などの重臣に裏切られることもなかった

959 :
>>958
勝頼が無い国力をさらに消耗したのもある。

960 :
金や金がないのが悪いんや

961 :
でも実際に金が無かったんだろうか?
最近、旧武田領だけでなく相模でも信玄時代の
甲州金が多く出土されてる。かなり広く武田の貨幣制度が
普及してたのではなかろうかというのが新説。
ちなみに同時代の津島は明銭、鐚銭が流通
堺から西は秤量銀が流通、北条領ではなんと
北条家自家製の明銭(銅銭)が流通してたみたいだけど

962 :
金があると言っても甲斐の山奥で物資流通が困難極めた地勢を考えると普及してたとは考えにくい
普通に考えて携帯が便利なだけで日常生活に役に立つ訳でもない貨幣を使うより
生活必需品や食料を直接物々交換した方が効率的だから

963 :
>>961
金なら他国でも交換は可能だと思うよ。
流通していた、というより、信玄の買収工作でばら撒かれた金じゃないの?
信玄は、金を買収工作などのバラマキに使っていたし、流通や産業に力を入れていたとは聞いたことがない。

964 :
管理通貨が流通してたなら経済的覇権の証拠だが、黄金なら二次三次……でも
交換に使えるしな。貧乏な甲斐が相模からあれこれ買わざるを得なかった証と
解釈もできる。

965 :
なぜ家康が西日本では銀本位制(しかも秤量銀)にして
関東では金本位制(しかも甲州流四進制)にしたかというと
家康が武田信玄に憧れてたからではなく家康が江戸に入府した頃には既に
武田の一両金貨や一分金貨などが商人の間では使われてたからではなかろうか

966 :
室町前期は銅貨がとても広く流通していたけど
室町後期はそうでもなくなってきてたんだよな。
大インフレが起こって通貨が全く足りてなかった。
だから信長は家臣に褒美を与える時は銭だったけど
後に茶器にして百姓どもには木綿を与えた(尾張は綿の生産地で木綿は貨幣としても使われた)
秀吉にいたっては宣教師や御伽衆に大判や小判などの金貨を与える事もあったけど
好んで「米」を褒美として与えた。貫高制から石高制に変えるくらいだし
通貨不足がかなり深刻だったんだろうね。

967 :
出た!
菅沼の無根拠信玄age!

968 :
信玄ageではなく家康が江戸入府後に東日本では金本位制の甲斐流四進制にしたのは史実だしなぁ

969 :
金本位など甲斐の制度を導入したのは単に武田の遺臣が徳川に多く仕え
手っ取り早く制度化できたからに過ぎない

970 :
>>969
でもそれは関東より東にとどまり、西日本は太閤秀吉が作った貨幣制度に
そのまんま乗っかって江戸時代を過ごした。

971 :
久々につべにあるおんな風林火山を見たが
かなり無能に書かれてるな

972 :
親父が織田に喧嘩吹っ掛けて死んだ不利はあるにしても
長篠敗戦と御館の乱後の北条との開戦は無能だからな。

973 :
そもそも勝頼を武田の家臣って余りに侮りすぎてないか。
いくら母親の出自に問題があるからって、相手は信玄の4男だよ。
義信みたいに生まれての貴公子というわけではないし、今までスペアがいきなり自分らの上になったからそりゃ家臣団も侮ろうとか、何か嫌だという気持ちが出るのも一応の理解はできる。
しかし、信玄の息子であることは明らかな事実。
なのになぜあそこまでコミュニケーションがとれなかったのか。
勝頼にコミュニケーション能力が欠如していたのか。
それとも、家臣団に理解者がいなかったのか……。

974 :
武田の家臣たちは信玄の息子に何の敬意も持っちゃいないよ
自分達の利益の為に当主を担いでいるだけだ
それは義信でも信玄ですら同じ事だったろう
信玄は自分達の利益に叶う人物だったから持ち上げていただけ
それを知っていたから勝頼は無理に無理を重ねて拡大路線に邁進し破滅してしまった

975 :
>>966
インフレって言うか、有名な「悪貨は良貨を駆逐する」現象が起こったんだと思う。
永楽銭の信用力は高かったけど、粗悪な私鋳銭なんかも流通してた訳だしね。
もし、日本の500円玉と韓国の500ウォン玉が表向き等価になれば、500円玉は流通しなく
成るでしょ。
まあ、金貨や銀貨は地金価値が有るから良いけど、銅貨は粗悪品が流通すればねえ...

976 :
>>975
純粋に人口が倍になって取り扱う商品や流通してる商品数が数倍になったのが主因だと思うけど

977 :2019/10/22
>>976
現代の様に紙幣が有る訳では無いので、単純に人口や商品が増えたのならデフレ「銅銭の価値上昇」に
成るはずだと思うんですが?
それが逆って事は、粗悪な銅銭が大量に出回ったんでは?

女の子な安東愛季と共に苦難を乗り越えていくスレ3籠
戦国大名の家柄や先祖について
【東播磨】別所氏を語る【三木城】
【宇喜多騒動】花房職秀 花房正成 戸川達安【東軍】
信長が最も恐れた男は誰なのか? Part2
竹中半兵衛
実績の割に知名度が低い戦国武将
【秀吉の闇】関白秀次切腹事件について その3
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その26
何故、徳川家康は天下統一ができたのか?
--------------------
IDにgokiが出るまで奮闘するスレ21
理系中学生だけど質問ある?
アドバンスド大戦略はMD版に限る!その12
あぼーん
【行っ得 つしま!】11月から対馬宿泊割引 韓国人観光客の急減受け 長崎県など島内事業者向け説明会 対馬市長何処?[10/8]
千葉県の高校野球 Part857
福田花音「2019年もありがとうございました!2020年は年始から驚かせてしまう大きなご報告がありまする。」
千葉市長、安倍首相の小中高に臨時休校要請に「衝撃。社会が崩壊しかねません」 ★9
☆☆彡 三文字リレー小説【part209】彡☆★
【豪雨・先手対応】政府、道路寸断で陸の孤島=広島県呉市に海上自衛隊がタンクローリーを海路で輸送しガソリンを供給(画像・動画あり)
☆クレジットカードVS現金主義?
【レベル5】妖怪ウォッチぷにぷにフレンド募集★10
【ガルパ】BanG Dream! ガールズバンドパーティ!★2077【バンドリ】
【ファン専用】Jake E. Lee's RDC 15【BBA出禁】
【#おうちで握手会】いいね数ランキング トップ30【SKE48ver】
【邦楽・新譜】CDチャート速報/売り上げ議論・予想スレッド 2017/08/02 〜【オリコンチャート】
メンヘラで生活保護 41
自衛隊辞めようと思う
【GOGO!!】ジャグラーボ口勝ちボ口負けスレ【272勝】
FXパンダ(期間工の銀時) part2
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼