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マルティン・ハイデガー6
- 1 :2019/09/18 〜 最終レス :2020/06/22
- 前スレ
マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.sc
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1468060350/
- 2 :
- ハイデッガー全集
Martin Heidegger Gesamtausgabe, Frankfurt, Vittorio Klostermann, 1976-
http://de.wikipedia.org/wiki/Gesamtausgabe_%28Heidegger%29
・ハイデッガー全集の独、日、英版リスト
『ハイデッガー全集』辻村公一ほか編、創文社、1985-
http://ambos.h■atenablog.com/entry/2015/01/03/220709
・邦訳状況一覧
下記『ハイデガー読本』には、全集全巻のサマリーがある
- 3 :
- >>2
ハイデガー読本(秋富克哉、安部浩、古荘真敬、森一郎、法政大学出版局)
『ハイデガー読本』(2014)
・ハイデガーの主要な概念や思索を個々の論文で追ったもの
・巻末に全集全巻のサマリーあり
『続・ハイデガー読本』(2016)
・古代ギリシャからポスト構造主義〜プラグマティズムまで
・ハイデガーが読んだ哲学者や、ハイデガーを読んだ哲学者など、哲学史を通して描かれるハイデガー
- 4 :
- ハイデガー哲学の主要概念
現存在、実存、存在了解、基礎存在論、事実性の解釈学、
時間性、テンポラリテート、世界内存在、存在論的差異、
本来性/非本来性、形而上学、言葉(ロゴス)、真理(アレーティア)
自然(フュシス)、存在史、性起、転回、存在忘却、故郷喪失、放下
『ハイデガー:知の攻略 思想読本』 木田元編、作品社 (2001) 用語集より
- 5 :
- 最小限の時間でハイデガーを始められる3冊
・ハイデガー 『存在と時間』 細谷貞雄訳、筑摩書房 (1994)
・ハイデガー 『現象学の根本問題』 木田元訳、作品社 (2010)
・木田元 『ハイデガー「存在と時間」の構築』 岩波書店 (2000) (※ケーレと上記2冊の解説を含む)
- 6 :
- 『Sein und Zeit』の主な訳本 (英:Being and Time、仏:Être et Temps)
『存在と時間』 筑摩書房 (細谷貞雄訳) 全2巻
『存在と時間』 中央公論新社 (原佑、渡辺二郎訳) 全2巻
『存在と時間』 作品社 (高田珠樹訳)
『存在と時間』 岩波書店 (熊野純彦訳) 全4巻
『存在と時間』 光文社 (中山元訳)<...刊行中> 全8巻
『存在と時間』 岩波書店 (桑木務訳)
『存在と時間』 勁草書房 (松尾啓吉訳) 全2巻
『存在と時間』 三笠書房 (寺島実仁訳)
『存在と時間』 理想社 (細谷貞雄、亀井裕、船橋弘訳)<ハイデッガー選集>
『有と時』 創文社 (辻村公一、ハルトムート・ブフナー訳)<ハイデッガー全集>
「Destruktion」の訳語
「解体」=細谷、桑木、高田、中山、辻村(構造解体)
「破壊」=原&渡辺、熊野、松尾、寺島
- 7 :
- >>6
ハイデガー 『存在と時間 <上>』 序論2章6節、細谷貞雄訳、筑摩書房 (1994) p68
“それ自身の歴史に透明な見通しをつけることが
われわれの課題なのであるから、
固定化した伝統を解きほごして、
その伝統が生みだしてきた蔽塞状態を解消することが必要となる。
この課題をわれわれは、存在問題を手びきとして、
古代的存在論の伝承的形態を解体し、
かつて存在の最初の ―そしてそれ以来主導的となった― 諸規定が
そこで得られた根源的諸経験へひきもどす
解体作業(Destruktion)という意味でうけとる。”
- 8 :
- デリダの脱構築(déconstruction) → ハイデガーの解体(Destruktion) → ルターの解体(destructio)
という経緯については、以下が詳しい。
・宮ア裕助 「プロト脱構築について――ルター、ハイデガー、デリダ」
『現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー -黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
・茂牧人 「なぜ日本にキリスト教哲学が必要なのか」 (2009) ※ハイデガーとルター https://serve.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=49&block_id=42&item_id=1245&item_no=1
- 9 :
- >>8
デリダの脱構築(déconstruction) → ハイデガーの解体(Destruktion)
“親愛なる井筒教授(…)私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。[略]
なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion〔破壊〕もしくはAbbau〔解体〕という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。このハイデガーの二つの言葉がこのコンテクストで意味していたのは、西洋存在論もしくは西洋形而上学の根本諸概念の伝統的な構造ないし建築にかかわる操作でした。
けれどもフランス語では「破壊〔destruction〕」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。私はこの「脱構築」という語(一見きわめて自然と思われる仕方で私に到来したこの語)が、たしかにフランス語であるかどうか、探ってみた記憶があります。”
・ジャック・デリダ 「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明Ⅱ』 (2019/03/27) p2-3 https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf
※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった
- 10 :
- >>8
ハイデガーの解体(Destruktion) → ルターの解体(destructio)
ルター「ハイデルベルク討論」の「十字架の神学」部分
> (19)神の「見えない本質が」「造られたものによって理解されると認める」者は、神学者と呼ばれるにふさわしくない[ローマ 1:20]。
> (20)だが神の見える本質と神のうしろ(Posteriora Dei)[出エジプト 33:23]とが、受難と十字架によって認められると理解する者は、神学者と呼ばれるにふさわしい。
ハイデガーが掘り起こした古代ギリシャの「真理(アレーテイア)」概念(『ハイデッガー全集 75』)
> “既にこの太古の神性Ἀφαία(アパイア)
> - 現われざるもの、現われることから身を引くもの、逃れつつ現われ出でるもの -
> それがアレーテイアの謂うところを名指している。”
このどちらもが、「現れるもの」と「現れざるもの」を問題にしている。
・『ルター著作集 第1集 第1巻』「ハイデルベルクにおける討論」 ルター著作集委員会 編、聖文舎 (1964)p109-110
・D. Martin Luthers Werke : kritische Gesamtausgabe (Weimarer Ausgabe) Bd1, Weimar, H. Bohlaus Nachfolger, 1964-1997, p354
Disputatio Heidelbergae habita. 1518
"19. Non ille digne Theologus dicitur, qui invisibilia Dei per ea, quae facta sunt, intellecta conspicit,
20. Sed qui visibilia et posteriora Dei per passiones et crucem conspecta intelligit."
・『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』 p279
- 11 :
- 真理(アレーテイア)について
“「真理」という語は、ギリシア人のもとでは或る否定を伴っている、
すなわちア-レーテイア<ἀ-λήθεια>――
非-覆蔵性、覆蔵されて-いないこと、である。”
― 『ハイデッガー全集 55 ヘラクレイトス』 p110
“既にこの太古の神性Ἀφαία(アパイア)
- 現われざるもの、現われることから身を引くもの、逃れつつ現われ出でるもの -
それがアレーテイアの謂うところを名指している。”
― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』 p279
“自然(ピュシス)は隠れることを好む”
― ヘラクレイトス 断片123(『ハイデッガー全集 55 ヘラクレイトス』 p141参照)
ピュシス [physis]
〔哲〕 〔自然の意〕 単に物質的な自然でなく、生ける霊にみちた能動的・有機的なもの。ギリシャ哲学の最初の主題となった。(大辞林 第三版)
- 12 :
- >>5
『存在と時間』の前後とケーレ(Kehre 転回)
『アリストテレスの現象学的解釈』(1921/22年)(「ナトルプ報告」、『存在と時間』の原型)
『カッセル講演』(1925年)(『存在と時間』の原型)
↓
『存在と時間』(1927年)
『現象学の根本問題』(1927年)(『存在と時間』の仕上げ的内容)
↓
『真理の本質について』(1931/32年) <----- 思索のケーレ(転回) -----
『形而上学入門』(1935年)(2段階目のケーレ)
↓
『哲学への寄与論考』(1936年)(『存在と時間』からの到達点)
↓
『「ヒューマニズム」について』(1946年)(ケーレについての回顧)
2段階のケーレ
ハイデガーは1930年代の前半に、思索のケーレを経験する。
それは現存在から存在へ、つまり人間よりも存在を重視する存在論的転回だった。
更に、その存在については、存在了解(存在理解)から存在の生起へというケーレを重ねている。(“有の了解から有の生起へ”『形而上学入門(全集版:補説)』)
- 13 :
- 四方界 <Geviert>について
“元有の真理を、われわれは、世界が世界するはたらきにおいて思索し、
天空と大地、死すべきものどもと神的なものどもからなる四方界の反照-遊戯、ととらえた。”
― 『ハイデッガー全集 第79巻 ブレーメン講演とフライブルク講演』 p93
- 14 :
- >>13
天空、大地、人間、神々
\ (1) /
\ /
(2) X (3)
/ \
/ (4) \
(1)空 SKY
(2)人間 MORTALS
(3)神々 DIVINITIES
(4)大地 EARTH
― 『ハイデガー(FOR BEGINNERSシリーズ)』 p147の図
人間
↑
大地 ← E → 世界
↓
神々
Eは
Ereignis(性起)または
Erklüftung(裂き開き)
― 『ハイデッガー全集 65 哲学への寄与論稿』 p335の図
- 15 :
- >>13
<Geviert> 四方界(四方域)の解説
・『現代思想 2018年2月臨時増刊号 特集=ハイデガー-黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
(1)グレアム・ハーマン「大陸系実在論の未来:ハイデガーの四方界」“四方界こそハイデガーの最高の発見”
(2)村井則夫「自性態と四方域:後期ハイデガーにおける概念的思考と像論」
・神尾和寿「ハイデッガーにおける「四方界(Geviert)」の思想の可能性と限界を巡って」(2001)
・試論:四方域[Geviert]の範疇論的解釈に至るための準備 http://trounoir.ohitashi.com/geviert.html
・鈴木哲「四方域の思惟への道 ハイデッガーの新たなる世界思惟」(1995) https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1995/45/1995_45_252/_article/-char/ja/
・秋富克哉「技術時代に死すべき者たちとしてこの大地の上に住む : ハイデッガーの技術論再考」(2013) https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/87/2/87_KJ00008912632/_article/-char/ja/
・辻村公一 『ハイデッガーの思索』「八 或る一つの東アジア的見地から見たハイデッガーの世界の問 ―集-立と四方界―」 (1991)
・グレアム・ハーマン 『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』 (2017)
四方界関連
・『ハイデッガー全集 79 ブレーメン講演とフライブルク講演』〈1949、1957〉 >>13
・『ハイデッガー全集 65 哲学への寄与論稿-性起から(性起について)-』〈1936-38〉 >>14
・『ハイデッガー全集 4 ヘルダーリンの詩作の解明』〈1936-68〉
・『ハイデッガー全集 39 ヘルダーリンの讃歌』〈1934-35〉
・『ハイデッガー全集 52 ヘルダーリンの讃歌『回想』』〈1941-42〉
・『ハイデッガー全集 53 ヘルダーリンの讃歌『イスター』』〈1942〉
・『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』〈1942-43〉
- 16 :
- ハイデガーとナチズム関連
(1)『ヒトラーと哲学者 哲学はナチズムとどう関わったか』 イヴォンヌ・シェラット (2015)
(2)『ハイデガー哲学は反ユダヤ主義か 「黒ノート」をめぐる討議』 ペーター・トラヴニー (2015)
(3)『ハイデガーとナチス』 ジェフ・コリンズ (2004)
(4)『ハイデガーとナチズム』 ヴィクトル・ファリアス (1990)
(5)『ハイデガー哲学とナチズム』 トム・ロックモア (1999)
(6)『ハイデガーと「ユダヤ人」』 ジャン‐フランソワ・リオタール (1992)
(7)『アーレントとハイデガー』 エルジビェータ・エティンガー (1996)
(8)『哲学とナショナリズム ハイデガー結審』 中田光雄 (2014)
(9)『他者なき思想 ハイデガー問題と日本』 浅利誠 (1996)
- 17 :
- 以上
- 18 :
- ドイツのハイデガー専門家の多くに物が壊れる色々な
映像を見せて判定させれば、日本語側での解体と
破壊どちらが原語のイメージに近いかある程度
客観的に判定できるだろうね
- 19 :
- ハイデガーの優れた部分というのは、『存在と時間』という代表作以外の著作群のなかに
あるのかもしれない。
Sein und Zeit (1927)『存在と時間』
Hölderlins Hymne »Der Ister«(1942)『ヘルダーリンの讃歌「イスター」』
Nietzsche (1961)『ニーチェ』
『存在と時間』が書かれたのは37歳の時。
『ヘルダーリンの讃歌「イスター」』が書かれたのは53歳。
『ニーチェ』が書かれたのは72歳。
哲学史で注目されている『存在と時間』は、まぎれもなくハイデガー初期の作品。
円熟期の著作こそ、すべての哲学者の中核的・根本思想であるから、『存在と時間』の根
本テーマがどれほど優れたものであるにしても、それはハイデガー初期の思想過程に過
ぎないということでしょうか。
- 20 :
- ハイデガーの提示する「永遠の動態」とヘルダーリン。
「永遠の動態」と「存在と時間」の関係・・・
- 21 :
- 『ニーチェ』は良い本
- 22 :
- 加藤智大から青葉真司へ・・無敵の人を繋ぐ「媚」の構造を少女達が断罪する
少女達と無敵の人による或る秘めやかな「性的儀式」
無敵の人3.0 POST HUMAN SEXと
量子的シンギュラリティに関する最終報告
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n3344fs/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
- 23 :
- 「死への先駆」の自覚から、「良心の呼び声」が自己の内部からいろいろと聞こえてくる。
「良心の呼び声」が、「自己にふさわしい可能性に向ってこえ出ようと」欲する。
「投企(企投)」:M.ハイデガーの Entwurf,J.P.サルトルの projetの訳。
投企
https://kotobank.jp/word/%E6%8A%95%E4%BC%81-103267
- 24 :
- 論理学の方にも書いてるよね
- 25 :
- 「存在論のすべての命題はアプリオリであり存在者ではなく存在にかかわらねばならい。存在は、存在者とのすべての出会い・存在者の了解に先立って理解されるべきであるからだ。
ハイデガーはこの、哲学はアプリオリという考えを、時間がアプリオリのソースとして機能するというユニークな概念化と結びつける。」
- 26 :
- ワンダーウーマンのアレスってハイデガーを意識してると思わない?
- 27 :
- ハイデガー自身は言及していないと思うが、彼のいう人間の(現存在の)「本来性」には、
心理学者のV.E.フランクルがいう、すべての人間に潜在する超越的存在(神・天・仏など)
への志向性が、重要なものとして含まれているのではないか。
「ハイデガーと宗教との関わりは微妙である。微妙であるだけにまた研究の興味をそそる
テーマともなる。端的にこれを表明すると、ハイデガーは無神論者か、という問いとなる。
肯定と否定、いずれの主張も可能であり、いずれとも決し難いところに微妙という評言の
意味がある。」
※ ハイデガーと宗教
https://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf10/10-049-060-Asano.pdf
- 28 :
- 舟木亨『現代哲学への挑戦』という本を読んでいます。
前期ハイデガーの存在論について書かれた、下記の部分について質問したいです。
……
現存在の特徴は、世界のうちにあって、世界のなかの他者や道具に心を奪われているという事態、「頽落」です。
これが「人間」と呼ばれるものです。しかし、人間は、他者や道具を失う場合とは異なって、世界そのものの無について、漠然とした不安を抱きます。
これが「わたしはある」とはどういう意味か、という問いのもとになります。
……
私は「世界そのものの無について、漠然とした不安を抱」いたことなんてないように思うのですが、
その不安は多くの人が感じているものですか。
また、その不安は例えばどういう時にどんな風に感じるものですか。
- 29 :
- >>28
思春期とか、自分の死を意識する出来事とか。
- 30 :
- >>29
自分の死は自分が死ぬだけで世界そのものの無と違うんじゃないの?
世界そのものの無って、アンゴルモアの大魔王が降ってきて人類滅ぶみたいなこととも違うんでしょ?
(年齢ばれそうな例えだがその頃ちょうど思春期だった)
- 31 :
- ハイデガーの存在論を一通り知っておきたいので
世界そのものの無に対する不安とやらを知っておきたい
- 32 :
- >>31
完全な中二病、というより小五病ぐらいだな。
君のことじゃなくて、ハイデガーのことね。
- 33 :
- そうなの・・・?
じゃあ、理解できないかもしれない
残念だ
- 34 :
- 「世界が全部消えちゃったらどうしよう?」っていうのが
世界そのものの無についての漠然とした不安?
- 35 :
- >>28
ニヒリズム - wikiより
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語: nihil(無)に由来する。
- 36 :
- >>30
世界が消える事と、自分が消える事。
自分の視点からは全く同じ現象だぞ。
- 37 :
- >>36
それは主観と客観の混同だ。
主観の世界が消えても客観の世界は残るが、客観の世界が消えれば主幹の世界も消える。
- 38 :
- >>37
貴方が客観としているそれも、主観の一部ですから。
- 39 :
- >>38
ハイデガーを含めて、観念論者のそういう妄想がバカにされる。
すべては主観だと思うなら、目の前のコーヒーカップを主観の力で30?ほど動かしてごらん。
主観の中なんだから自由自在だろ?
まあ、顔を少し横に向けて、ほら30?動かした、というのが精一杯だろうw
- 40 :
- >>39
何の話してるの…?
手を使って30cmほど動かせばいいんじゃ…?
- 41 :
- >>40
世界はすべて主観なんだろ?
なんで手を使う必要がある?
- 42 :
- >>41
主観ってそういう事じゃない。
世界と自分との境界は明確でない、という意味だよ。
後、貴方は質問者じゃないよね。
邪魔。
- 43 :
- >>42
世界と自分との境界は明確だ。
明確じゃないというなら、そのあいまいな部分を主観で動かしてみろよw
- 44 :
- 言うは安し行いは難しの立場でやってみろと言える資格はないな
- 45 :
- >>44
>言うは安し行いは難しの立場
それ君たち観念論者のことだよw
- 46 :
- という観念でした
- 47 :
- >>46
ハイデガーは言葉が現実だと思ってる。
愚かなことだ。
- 48 :
- >>35
ハイデガーはニヒリズムではないし
世界そのものの無への漠然とした不安はニヒリズムではないと思うけど
どういう意味でニヒリズムの説明をしてくれたの?
- 49 :
- wiki読んだ?
- 50 :
- >>49
今よんだ
ハイデガーは積極的ニヒリズムの人ってことね
消極的ニヒリズムしか知らなかった
- 51 :
- ハイデガーを読んでる皆さんは、存在のヤバさについてよくわかっていますか
- 52 :
- >>51
存在ってなに?
- 53 :
- そんなこと答えられるわけないだろ。
それがハイデガー。ごまかし専門。
- 54 :
- >主観ってそういう事じゃない。
>世界と自分との境界は明確でない、という意味だよ。
主観と客観の問題は、境界が明確か明確でないとかの問題ではない。
そこがハイデガーのずるさと限界。
大事なのは主観と客観の関係
- 55 :
- 自分以外(人間以外?)のものは道具として認識されてるっていうけど、自分(人間)も道具じゃないの?と思う
自分(人間)とその他の存在の明確な違いってある?ハイデガー的に
- 56 :
- >>55
道具であるかないかを論じるなら、道具の定義が必要。
- 57 :
- >>55
世界を内在しているかどうか。
- 58 :
- >>57
なんだそれw
- 59 :
- 世界が内在されているかどうか、のがいい?
- 60 :
- >>59
なんだそれ2w
- 61 :
- あのカベどのカベ
- 62 :
- 最近よく質問してる者だけど誤爆しましたスマソ
>>57
ちょっと手持ちの本読んで考えてる
- 63 :
- https://i.imgur.com/GYkZevj.jpg
- 64 :
- ハイデガーの「死への先駆」で自分を奮い立たせて生きようと思うのだが、なかなかうまく
いかない。
膵臓にがんになった渡邊二郎氏(ドイツ哲学の研究者・東京大学名誉教授)は「先駆的決
意性」をもって、生まれ変わったように生きるが、私も渡邊二郎氏のようになりたい。
メメント・モリ、または先駆的決意性
http://www.homo-contribuens.org/wp/wp-content/uploads/2016/04/thesis_taki_013.pdf
森 一郎(1962年- 渡邊二郎の高弟 和辻哲郎文化賞受賞)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E4%B8%80%E9%83%8E_(%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
- 65 :
- パソコンも道具だよなあ。
- 66 :
- >>28
>私は「世界そのものの無について、漠然とした不安を抱」いたことなんてないように思うのですが、
>その不安は多くの人が感じているものですか。
>また、その不安は例えばどういう時にどんな風に感じるものですか。
多くの人は感じたことはないでしょうね。何か契機があれば感じますよ。ガン告知で入院し、
自分がもしかしたらあと数カ月で死んでしまうかもしれない、とか。何か自分が生を受けた
ことの使命を感じたときとか、生きている間にこれをやっておかなければならないと感じた
とき。死はいつでもやってくるもので、実は今このときもそうです。そのときに初めて本来的自己
とは何か考えるようになる。雑音が入らなくなる。
会社で出世すること、人並みと呼ばれること、勝ち組の仲間になること、空気が読めること、
・・・等々、いかに自分が本来性を忘れていたかに初めて気が付く。
良心の呼び声はそういう‘人並み’等々に引き摺られていく頽落から抜けさせる自己なんです。
しかしそういうことに気が付くことは難しいです。有る、の意味を問うというのはそういうことでし
ょう。
- 67 :
- 良心ではないね。
生存本能。
- 68 :
- >>64
がん患者である渡邊二郎氏のような死の現実性と必然性には遠く及ばないが、ハイデガー
は「ピンピンして老病の翳など微塵もないうち」(森一郎氏)でも、「可能性への先駆」で「先
駆的決意性」を持てると言っている。(『存在と時間』第一部第二篇第一章第53節)
渡邊二郎氏までとはいかなくとも、「可能性への先駆」で充分に生を充実できるのだ。
- 69 :
- 1: マルティン・ハイデガー6 (68)
2: 【あずま】東浩紀528【システム】 (743)
3: う ん こ 製 造 機 お じ さ ん 板 (1)
4: 無 職 と 哲 学 (425)
5: 波 平=禊 の ス レ 上 げ タ イ ム (88)
6: ■■■しぬ気で頑張れ!ヒキオナニート禊健太郎!!■■■ (117)
7: 引 き 篭 も り お じ さ ん 板 (510)
- 70 :
- 世界の無は、最近なら天文学に思いを馳せると
分かりやすいのかもしれないがどうかね
昔なら生物進化史とかか
両方とも、ヤバイと感じさいなまれる
- 71 :
- マルクスの史的唯物論をよめ!いうことやな
- 72 :
- ハイデガーの訃報かと思ったら、宍戸錠だったんですよ〜
- 73 :
- >>52
>存在ってなに?
>>53
>そんなこと答えられるわけないだろ。
「存在」とかいうと、何だそれ?、になる。哲学翻訳の弊害でもあると思うが、もともと存在とは
何かがあること、でしかない。しかしその何かがあること、について、考えをめぐらし、生と
一つなのではないか、ということを考え詰めてきたのが思索であり亦哲学でもある。
「存在と時間」という名称を絶対化すると何が何だか分からないが、
「(何かが)あること-と-時間(の関係)」だとするとまだテーマは分かり易い。
あの本を開けば冒頭に本の主題が手短に書かれている。その「有ること」や本来性が
「(何かが)有ること」との関わりとして書かれていく本。
- 74 :
- >>71
>マルクスの史的唯物論をよめ!
因みにマルクスの言葉「哲学者は世界を解釈してきたが、大切なのは世界を変えること
である」にたいする批判をハイデガーは試みている。〈世界〉を有るものもしくは有るものの集積だ
とするのか、それとももっと別の意味を汲み取ることができるのか。マルクスはそこが曖昧で
ある。そこから思考の混乱が生の混乱が起因する。
実際マルクス主義では政治制度・社会制度を変えることばかりが重要視されていき、他の
視点は取れなくなっていく。変革における倫理もないがしろにされていく。一人の生も
ないがしろにされていく。そういうところに穴ぼこが開いて、後に批判されていくようになった。
- 75 :
- >>74
曖昧といえば、ハイデガーの「有」ほど曖昧な概念はないね。
哲学史上最大の曖昧な概念だ。
- 76 :
- 「存在者の存在それ自体は存在者ではない」から
- 77 :
- 無駄だ
- 78 :
- >>75
>曖昧といえば、ハイデガーの「有」ほど曖昧な概念はない
いや。単に「あること」を縮めただけにすぎない。「有」訳は自動詞「ある」の名詞型にすぎない。
そこで派生していると分かれば何と言うことはない。実際「有」訳を読めばそこの辺は視えてくる。
道元と同じだと流布され、あたかも道元を知らなければ有も分からないかの如くされている
のが「有はむずかしい」の根拠。道元など知らなくとも上記の理由で読める。
- 79 :
- 世界を変えるより自分を変えろよ。迷惑だ。
- 80 :
- >>78
だからさ、それが無意味だといってる。
有るものはある、無いものはない、それだけのこと。
「有」一般などというものはないんだ。
有るとは、常になにものかであるということ。
- 81 :
- マルクス主義の限界といいつつ、ハイデガーはかなりしょぼいユダヤ陰謀論信じてたからなあ
- 82 :
- ハイデガーはその後期の講義録『ニーチェ』のなかで、「存在者の根本性格は悲劇的性格で
ある」と述べているが、どうであろうか?
これは『存在と時間』のなかでは語られなかった洞察だ。
(『ニーチェ』 第二講「同一物の永劫回帰」 第4章「悲劇ガ始マル」)
- 83 :
- >>82
ヘーゲルやマルクスが指摘した弁証法的存在ということに過ぎないんじゃないか?
客観的な言いかたと、主観的な言いかたの違いはあるが。
- 84 :
- >>83
>客観的な言いかたと、主観的な言いかたの違いはあるが。
反証決定されない前者は非論理、非科学ないい方であり、
後者は主体的な論理、科学だ。
だが反証決定されるそれは逆だ。
- 85 :
- >>84
>後者は主体的な論理、科学
主観(感情)の吐露、という意味では科学として扱うこともできるが、論理ではない。
「悲劇」という言葉を「喜劇」に替えても、「有」に替えても「無」に替えても、言葉の整合性に問題がでないからだ。
つまり、ただ言葉を当てはめているだけということになる。
- 86 :
- >>80
>有るとは、常になにものかであるということ。
それは〈有ること〉についての一規定であって、現象学をそこで思い起こせばよい。
「何かがある」「何かである」という場合、「何か」「(何かがあると言明する主体)」「何かを直観
する対象化」という3つがある。
「何ものか」だけに照明を当てるしかしないとなれば上記のような、「何ものか」だけにしか
視点が行かないことになる。そうなると事態を正確に視てはいない、ということになる。
実際には直観においては視る主体が先に有る。視るからには誰かが有らねばならない。
人間が先に有らねば何もない。対象化する人間(誰か)がいなければ対象もないのだよ。
そこがなければ学問もなにもない。研究者も人間だからね。
そこで〈有ること〉とは何か、に問題を移すことには必然がある。むしろ学問以前の問いと
して起こる必然がある。現象学の先行領域として有の問いがある。有の問いに現象学が
含まれるとするのも当然だとなる。現象学は当時の学問をさらに事態に即して発展させよう
とした。学問の基礎付けとして。しかしそこに謂わば噛みついたのがハイデガーであり
有の問いなわけだ。
- 87 :
- >>82
>ハイデガーはその後期の講義録『ニーチェ』のなかで、「存在者の根本性格は悲劇的性格で
>ある」と述べているが、どうであろうか? これは『存在と時間』のなかでは語られなかった洞察だ。
>(『ニーチェ』 第二講「同一物の永劫回帰」 第4章「悲劇ガ始マル」)
そこを正確に引用するとこうである。
《悲劇が始まる。如何なる悲劇か。答え、それは有るものそれ自身の悲劇である。しかし
ニーチェは悲劇ということで何を意味しているのか。悲劇は悲劇的なものを歌う。この悲劇的な
ものをニーチェは彼の言うところの悲劇の始まりからしてはじめて規定していることを、我々は
認識しなければならない。回帰思想の思惟とともに悲劇的なものそれ自身が有るものの
根本性格となる。歴史的にみれば、「ヨーロッパにとっての悲劇の時代」(『力への意志』、第37
番、および第16巻、448頁)の始まりである。ここで始まり起こっていることは、大いなる静けさ
のなかで起き、長い間、そしてたいていの人には覆蔵されつづけている。その歴史については
何も歴史書には記載されることはない。》 ハイデッガー全集第6-1巻 ニーチェ ? 240頁
「悲劇が始まる」
すなわち《悲劇的なものそれ自身が有るものの根本性格となる。》とはニーチェによる時代規定
また有るものの規定、であり、何故そのように言わなければならなかったのか、がこの節での思索
となる。ニーチェの思想解読がここでの作業である。
《何故、永劫回帰の思想は最高の肯定であるのか。なぜなら、この思想は究極の否定、
殲滅と苦悩を、有るものに属するものとして、肯定するからである。それ故、この思想とともに
初めて悲劇的精神が、根源的かつ全体的に有るもののなかに立ち現れるのである。「悲劇が
始まる」とニーチェは言う。しかし、「ツァラトゥストラが始まる」とも言っている(『偶像の黄昏』、
第8巻、83頁)。》 ハイデッガー全集6-1 ニーチェ ? 242頁
- 88 :
- >>87
なので「有るものの根本性格としての悲劇」、ということにはニーチェ解読作業と一つの意味が
ある。つまりニーチェから引用なしでハイデッガーが編み出した命題ではない。よってこれが
『存在と時間』では語られなかったのは当然といえば当然。『存在と時間』はニーチェ解読作業
ではないから。ニーチェを読みながらニーチェを有の思索の先行者として読んでいくのが
ハイデガーの『ニーチェ』。悲劇的なもの・有るものの根本性格、というのもニーチェから
受けついでいった概念。
命題を書かれた文脈から切り離して読んでしまうと訳が分からなくなる。本の読み方は
大事。
- 89 :
- ダンスや クラブ 作曲 板がおススメ。
- 90 :
- >>86
君の文は、主観(主体)と客観(客体)がごちゃごちゃになってる。
現象学というのがまさに主客の混同から生まれた哲学。
結局収拾がつかなくなって、人間の態度の問題という主観の海に沈んだのがフッサール。
ハイデガーは、無意味な存在一般なるものを想定したが、同じく主観の海に落ちてしまった。
「存在」といっても「有」といっても、そこに神を見出したかっただけともいえる。
哲学者ではなく、宗教家であり、処世家であると見られることが多いのも理由のないことではない。
- 91 :
- >>89
板とはなんだ?
- 92 :
- >>88
「もし『存在と時間』の下巻が書かれていたら、そこには案外ニーチェ由来の概念が溢れたか
もしれないのである。」( 木田元著『ハイデガーの思想』 P.130)
- 93 :
- >>66
感じてみたいような
恐ろしいから避けて通りたいような
- 94 :
- test
- 95 :
- 965 :名無しさん@ピンキー :2020/02/27(木) 13:37:10.93 ID:7J/vrkgZ
数少ないチャンスからレスを脱却したいと思ってるんだけどセックス中って女性がノリノリだとひく?
旦那が淡白な上にEDだからお薬飲まないと出来ないんだけど、仕方ないことだとわかってても1年に1回は正直辛い
でも1人でしてる形跡があるからセックス>オナニーになるように仕向けたらレス解消になるかもしれないと思ってる
Rとか腰振り練習したらもう少しセックス好きになってくれないかな?
EDだからこちらからは誘えないし生殺し状態だわ
- 96 :
- >>95
他の男とすればいいじゃないか
- 97 :
- デリダの「戯れ jeu」、ハイデガーの「遊動 Spiel」の背景にあるニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子供 pais paizon」。
解体/構築が対で見られる。
“いかなる道義的な責任もとわれることなく、永遠に変わることなき無垢のまま、生成と消滅、建設と破壊を営むものは、この世においてはただ芸術家と小児との遊戯のみである。
そして小児や芸術家が戯れるように、永遠に生ける火が、無心に、戯れ、築き上げ、崩してゆく――そしてこの遊戯をみずからと戯れるのがアイオーン〔永劫の時〕である。
彼は、水や土に身を変じながら、小児のように海浜に砂山を築き、築き上げるかと思えば崩してゆく。
往々にして彼はこの遊戯を最初からやり直すことがある。満足したと見えるのもつかのま、欲求が芸術家を創作に駆り立てるように、欲求が彼を襲う。傲慢ではなく、繰り返し新たに目覚める遊戯衝動が、他のもろもろの世界を生み出すのである。
小児は一度は玩具を放り出すが、やがてまた無邪気な気まぐれでそれを取り上げる。しかし築くとなれば、子供は、法則に従い内なる秩序に従って結び合わせ、繋ぎ合わせ、形づくってゆく。”
― ニーチェ 「ギリシア人の悲劇時代における哲学の誕生」 『ニーチェ全集 2 悲劇の誕生』 ちくま学芸文庫 (1993) 7節、p389
- 98 :
- 井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。
“真昼時――地上の万物がそれぞれの輪郭線を露出しつつ
キラビヤカに浮かびあがる光の世界――に、
どこからともなく夕闇の翳りしのび寄ってくる。
事物は相互の明確な差別を失い、浮動的・流動的となって、
各自本来の固定性を喪失し、互いに滲透し合って次第に原初の混沌に戻ろうとする。
有分節的世界が己れの無分節的次元に回帰しようとする両者の中間に拡がる薄暮の空間、
存在の深層領域が、人々の好奇心をさそう。
地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、
何か言いしれぬ魅惑がある。”
― 井筒俊彦 「監修者のことば」 (エラノス叢書 『一なるものと多なるもの〈1〉』(1991)
- 99 :
- みそけんあげ
- 100 :
- >>97
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