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ゆいちゃんまじゆいちゃん
【論語】孔子の哲学【儒教】
白人だけが人間である。アジア人は猿、黒人は獣だ。
無 職 と 哲 学
【MobA】vainglory★tier232
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カール・マルクス29
☆♪g.美しさとは何か.★♪
引 き 篭 も り お じ さ ん 板
★哲学するスレ4
現象学倶楽部
- 1 :2019/06/12 〜 最終レス :2020/04/23
- 様々なことを現象学してみましょう。
※現象学とは何なのか(「現象学」の現象学)も、ありです。
- 2 :
- 天皇
- 3 :
- たまごボーロ
- 4 :
- 実を言うと現象学の方法論自体がよく分からん。まずはエポケーする所からだったよな?合ってる?
- 5 :
- エポケー🤤
- 6 :
- そうです。
エポケーして意味を宙吊りにします。
竹田青嗣氏によると、現象学は「確信成立の条件を問う学問」とされます。
例えば、目の前に「緑色」があるとします。何故、緑色があると言う確信が成立するのか、それを考えるのが現象学だと思います。
- 7 :
- そう、その「確信成立の条件」の条件とは何だろうか。内在で構成される、例えば何らかの構成物→「色」の条件とはある種の知覚で合ってる?
- 8 :
- 波平
- 9 :
- 丸山ワクチン
- 10 :
- 竹田青嗣さんがよく使う林檎の例で言えば、林檎があるという確信成立の条件は「つやつや」「丸い」「赤い」などでしたね。
では、色があることの確信成立条件(色の本質)ですが、おっしゃるように「知覚」とも言えそうですね。
或いは、郵便ポストの色を赤と言うなどの色に関する知識からでしょうか。
所で九鬼周造の著作に『いきの構造』がありますが、これも現象学のお手本的テキストとして参考になるかもしれません。
九鬼によれば「いき」の本質は@性的媚態A仏教的諦念B武士道的気概から成り立っていると言うのでした。
- 11 :
- ただ、「知覚」は存在者一般の成立要件かもしれません。何故なら、先の「林檎」も知覚なしには成立しないからです。
存在者の中でも、色彩にのみ特有な条件が見出だされないと、色彩の本質とまでは言えないのではないでしょうか?
- 12 :
- 全然レスが付いてないですが、やる気ないのかな?
- 13 :
-
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- 14 :
- >>10
>林檎があるという確信成立の条件は「つやつや」「丸い」「赤い」
「つやつや」「丸い」「赤い」これだけでリンゴがあるという確信できる?ぴかぴか光ってる赤信号もそうじゃん。
- 15 :
- まずエポケーするとして
その認識を他人と都合し合うことができないとなると、全ての学問の基礎とするには説得力に欠ける
自分の中だけの世界は芸術かオカルトにしかならない
- 16 :
- 14
ではあなたはどうして赤信号とリンゴを区別できるのですか?
15
現象学には「間主観性」と言う評価があるはずです。
- 17 :
- 逆に、科学では美やオカルトの領域を語り得ないと言うことがあります。
モナリザの絵を見たときにMRIを撮って脳が激しく活動していると言うような分析や作品や絵の具の年代分析のような事をいくらやっても美の本質には到達できない事になる。
かといってハイデガーの四方界のような「思想」をどのように評価するのかと言うような問題もあると思う。
その「正しさ」と言うのは、共感や共鳴のレベルではなかろうか。
- 18 :
- 「つやつや」「丸い」「赤い」→りんご
というのはまだまだ条件不足してるんじゃないかな。赤信号でもそうだし。
『「りんご」という名称の果実だ』という知識からの直観があれば方向性は定まりそうだけどね
- 19 :
- まあ、まだ条件不足でしょうね。丸い(球体)と円は違うだろうしね
交差点でそれを見たか、屋内かと言う文脈やシチュエーションも関係するだろうしね
- 20 :
- 球体であるなら、りんごではない。
少なくとも、リンゴを球体に加工したのでないとすれば。
これは確実である。球体に育つリンゴの果実は存在しない。
- 21 :
- もちろん不完全な球体であることが自然物であることの条件とも言える
- 22 :
- 少なくとも赤く、つやつやしており、手に収まる程度の大きさの、不完全ながら球形の物体をリンゴ畑で見掛けたら、リンゴだと確信する確率は高いでしょうね。
齧ると甘くて酸っぱい味がしたら、ますます、それがリンゴ以外のものと考えることが難しくなる。
- 23 :
- 現象学的リンゴの本質
丸形
つやつや
赤もしくは青みがかった黄色
手で持てるくらいの大きさ
植物学上のリンゴの本質(定義)
バラ科リンゴ属の落葉高木樹。またはその果実のこと。植物学上はセイヨウリンゴと呼ぶ。春、白または薄紅の花が咲く。多くの品種については果実は熟すと赤く、生食または調理を経て食用にされ、球形で甘酸っぱい。
- 24 :
- ではお待ちかね。
『現代社会』を本質直観してみましょう。
- 25 :
- リンゴの名前には意味はなくそこに味は匂いはない。リンゴを食べるからリンゴの意味が後からついた。
- 26 :
- 今、レスター・エンブリー著『使える現象学』を読んでいる。
序文に「現象学は過去の巨匠たちが書き残した現象学のテキストを学ぶものになりがちである。
確かにそれは重要だが、目的であってはならない。あくまで、現象学を学ぶのは現象学をすることを促す為である。」と言うような事が書いておりましたが
尤もなことだと思います。
まずは、しっかりと、方法を学び実践していきましょう。
- 27 :
- 要は、過去の巨匠たちの「リンゴ論」を参考にしつつも、
リンゴという「事柄そのもの」を探求することを忘れてはならないということです。
例えばハイデガーは現代技術社会の本質を「ゲシュテル」(総駆り立て体制・集立)と述べましたが
我々は彼の「ゲシュテル論」もエポケーしつつ、事柄そのもの(ここでは現代技術社会なるもの)に向かわなくてはならない。
- 28 :
- りんごが信号機に入っていたらどうしてくれるの。
- 29 :
- りんごを信号機として使ってる国があるかもしれないが、その時はどうしてくれるの。
- 30 :
- それさ信号がどのような「状態」かではなく、どのように「実感」されるかでしょ。現象学的には的外れな問い
- 31 :
- 「彼らは我々の文化で言うリンゴを我々の文化で言う信号機として使っているように見える」と記述すれば良いのではないかな?
- 32 :
- 「つやつや」「丸い」「赤い」というものをりんごと見るか、信号機と見るかは人間の意志(志向性?)が必要。
- 33 :
- 確かにデュシャンの『泉』も見る側の意識によって便器にも見えるし美術品にも見える。
勿論、デュシャンはこう言った認識の不安定性をも作品の中にテーマとして盛り込んではいるのだろうが。
- 34 :
- スーパーリアリズム絵画では、「つやつや」で「丸く」「陰影がある」リンゴを描くことで
リンゴの本質を、哲学以上にうまく表現していると思います。
余りにも現実そっくりなので、本当にリンゴがそこに存在しているかのように錯覚します
http://o.8ch.net/1hkm9.png
- 35 :
- リンゴのイデアやタマシイなのでは。脚色。リンゴ売りもあやしいし。
- 36 :
- >>34
自分にはサクランボに見える。
- 37 :
- 現象学ってこんな自分で手動で確かめていくんやね
- 38 :
- これは冗談で2ちゃん掲示板のペイント機能を使って私が描いたものです。
ハイパーリアリズムの絵画とは関係ないが
しかし、物事の本質の表現を可能とする分野が哲学だけではないということは言えるでしょう。
- 39 :
- もっと言うと、現象学と芸術には「本質の記述」という意味で非常に近縁性があるのではないか
と、考えてもいます。
http://o.8ch.net/1hkyf.png
- 40 :
- 本質って何のこと?
- 41 :
- 「イカロスの墜落のある風景」、ブリューゲルの絵画を模倣した1560年代の
作品とされるけど、どう見ても、ブリューゲルから着想を得て、現代までに
蓄積された絵画の技法を駆使して作り上げた偽ブリューゲルにしか見えない。
ブリューゲルの作品より技法が高度。大量の作品を手掛けていなければ、
これほどの技は実現できないし、それをブリューゲルと同時代に発揮していた
としたら無名にとどまっていたなんてあり得ないだろうと思う。
- 42 :
- うんちく垂れるだけの人間にはなりたくない
- 43 :
-
-‐- 、
, ' /V ヽ ヽ
! i iノノ)ノリ)〉 ! 。
|l l | -‐ - || i ゚ o
|| |iト、" ' /!リ ♪コーヒー飲みながら
|| /´LX」\| ) 少し話そうよ
||<__/<∧>i/i (
|/ ス, || / ! _'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄!_i》
- 44 :
- 現象学は飛び道具だよな。射撃の才能だ。
- 45 :
- 闇の弾丸の方がいいぞ。光の弾丸より。
- 46 :
-
.| ,. '"::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、
失 や 精 |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
せ る 神 |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
ろ か 安 |,. '" / `ヽ、::::::::::〉
ら 定 | / / i ハ ヽ 、 ヽ::/
. 剤 ノ/ /.ゝ!、ハ i ! ,!ィ! ハ !ハ
ヽ i ハ ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! / i
`''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ ト__,.リ レ' /
ほ 〈ヽ、 ! " "/! rイ
れ ヽ. ヽ.ヽ、 r─ 、 ,.イノ ノ
〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
__ rイ、__、___ iヽ--‐ヘ::::::ヽ:::ヽ.
と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
,. '", θ:..`ヽ、!,イ . 十::::::::::!、_r:、_rン
/./7 ,. . !ン ` - ''^:::::::-イ、 ヽ.
`´ / /7 ハ !ヘ 十::::::::iィ´ ノ
( /:::::::::::::::::::::::::::::::i
- 47 :
- 小さいスペースでコピペ繰り返すと、誤りだらけになるな。
スレッドの書き込みができなくなったので、誤爆させてもらう。
そこで、さらに手がかりを得るために中英辞典を引いてみると、
次のように記載されている。
https://www.wordreference.com/zhen/垄
垄 ridge
まさしく、イメージしたとおりである。
そこで、今度は逆に"ridge"に対応する中国語の表現を引いてみる。
その文例からすぐに私が想起するのは、「乗鞍岳」という山の名前にも
見られるような重量が「『の』る」というイメージそのものである。
https://www.wordreference.com/enzh/ridge
- 48 :
- 中国語の表現をピジン語として用いたと想定した場合の、日本語」における
「の」のイメージについては、龍/隆/垄(long)の尻尾をつかむことができた
ように感じる。中国語において"long"が想起させるイメージは、英語で表現
するなら"ridge"に相当するものであり、「せり上がり」としての曲線を、
極言するなら、指数関数のような昇り方をイメージさせ、それが本来の
隆起における「隆(long)」であり、「龍(long)」が昇るイメージであり、
畑の「垄」がせりあがるイメージなのだ。
日本語の「の」がその「龍/隆/垄(long)」を流用して、吸収していると
すれば、「の(伸/延)ぶ」は、本来は、そのままその上に伸びる曲線の
イメージを再帰形として用いたものであることになり、「の(乗)る」は、
その曲線が生じている様態を、平面に何らかの重量が乗った状態として
イメージしたことに依るものであると考えることができる。そのような
反転が容易に生じることは、「龍/隆/垄(long)」≒"ridge"としての
山の尾根や、背中から背骨が浮き上がる様子、法隆寺のように湾曲
して空に向かう屋根(ちなみに法隆寺には龍が彫られているらしい)を
思い起こして見れば、直ちに理解できるはずである。
さらに、「のるかそるか」という慣用表現として現代語に残っている
「のる」の用法も、古語としての「上に曲がるように伸びる」ことを
表していたものと考えられる。辞書では、「真っ直ぐに伸びるか、
曲がるか」を意味するものとしてエピソード的な解釈が加えられて
いるようであるが、エピソード的な解釈はほとんどの場合、間違って
いる。なぜなら、エピソード的な解釈は、用いられている言葉の
活力が失われて、意味が見失われたことの証左であり、後付けで
辻褄を合せるようにもたらされる場合がほとんどだからである。
人々は、直観的な表現を好むのであり、エピソードによって説明を
要する表現は、排除する。「のるかそるか」という表現は、
「意図に合うような曲線で理想的に伸びる(つまりうまく発展
する)か、その曲線から逸れるか」を表現していたものと見るべき
だろうと思う。
- 49 :
- このように見ると、「の(伸/延)ぶ」が、本来は、そのような「の」という
作用/動作/様態を再帰表現として表す動詞であり、「のぼ(昇/登/上)る」
は、「のぶ」という作用/動作の結果としての状態である「のぼ」
(「のぼせ」という表現を考えてみるといい)が生じるようにすること
を意味する、「のぶ」の再動詞化、つまり、「のぼ+る」であること
が分る。再動詞化の過程としては、「のぼ+り」という名詞化が先に
行われて、それを動詞として用いるために「+り」⇒「+る」となる
のだろう。
- 50 :
- ご安心ください。もうこのスレには書き込みません。
- 51 :
- 1つだけ付け加えさせてもらいます。
中国語の「隆(long)」や、それに対応すると想定される日本語の「の」の
イメージの共通性が見失われるのは、それらが、「重さのかかったせり上がり」
だけではなく、マウンドのような「盛り上がり」も表すように用法が拡張
されることによってである。この拡張は、中国語で既に生じている。
- 52 :
- 悪い癖で、前言を翻してすぐに補足したくなるな。少しだけ辛抱してもらおう。
のぎ(芒・禾)とは何か?
https://kotobank.jp/word/芒・禾-354203
>@ 稲・麦などイネ科植物の実の外殻にある針のような毛。のげ。
この説明は、「のぎ」という表現を正しく解釈しているのだろうか。
「のき(軒)」を岩波古語辞典で引くと、「屋根の端の、四方へ
垂れてさし出された部分」と説明されているが、「のき」は、
本当に本来的に古来から「『垂れて』さし出された部分」を表していたのか?
ちなみに、中国語で漢字の「禾」は、日本語の「のぎ」を意味していないが、
「禾雀花」を検索すると、こういう画像が出てくる。
https://img1.3lian.com/2015/w9/76/d/81.jpg
- 53 :
- 「軒(のき)を争(あらそ)ふ」という表現があるが、低く垂れさがった部分を
争そうというのは、本来的には、どうにもありそうにない感じがする。
精選版 日本国語大辞典の解説
のき【軒】 を 争(あらそ)う
@ 草などが高く伸びて軒をおおい、すきもなく生い茂る。
※源氏(1001‐14頃)蓬生「しげき蓬は、のきをあらそひて生ひのぼる」
A 軒と軒とが重なり合うように家が建てこむ。人家の密集している様子のたとえ。軒をきしる。軒を並べる。軒をつらねる。
- 54 :
- 「『の』ぞみ」は、常に見上げるように高いのだ。
- 55 :
- 今日は特に無い。
何かトピックスを振ってくれるとありがたいです。
- 56 :
- 野
- 57 :
- 中国語の"long"の発音が、中国語の表現をピジン語として用いた
日本語の「の」の発音に移され、吸収されたという想定は、突飛に
思えるかもしれないが、例えば、韓国の元大統領ののノ・テウ(노태우)
の「ノ」は、漢字で書けば「盧」であり、中国語の辞書を引くと
"lú"と発音されることが分る。つまり、"lú"という発音が「の/노」
の発音に移されているのである。
だからと言って、私は別に朝鮮語が日本語のベースにあると主張したい
わけではない。ただ、中国語の"long"の発音は、日本語の「の」に
吸収されたと想定するのは、それほど突飛なことではないことが、
この例からも理解できることを指摘しているまでだ。
- 58 :
- >>56
「野(の)」は、せり上がるイメージにも、重さがかかっているイメージにも
合致していないね。と同時に「野」は、「や」とも読まれるように、中国語
では「yě」と発音され、「野(の)」は、中国語の発音をまったく反映して
いない。つまり、「の」によって表現されていたイメージに「野」という
漢字の意味がある程度、重なるために、この漢字を当てたものだ。
この場合、「の」に対応する中国語の候補として考えられる表現は、
「怒 ピンインnù」ではないかと思う。
https://cjjc.weblio.jp/content/怒
勢いがすさまじい,猛烈である.⇒心花怒放 xīn huā nù fàng .
用例
百花怒放=さまざまな花がどっと咲く.
草木怒生=草木が勢いよく芽吹く.
https://cjjc.weblio.jp/content/野
勝手気ままである,野放図である,放逸である.
- 59 :
- 後は野となれ山となれ
- 60 :
- ああそうか、それでご祝儀袋に「熨斗(のし)」をつけるんですね。
のさばる、幅をきかせる、増長する
https://idioms.thefreedictionary.com/throw+weight+around
throw (one's) weight around
To assert oneself in a controlling, domineering, or authoritarian manner;
to exercise one's position of authority, power, or influence, especially to
an overbearing or excessive degree.
- 61 :
- >>60
ちょうど、英語の"overbearing"≒日本語の「の」だな。
重さをかけるイメージと上にの(乗)るイメージが一体化している。
- 62 :
- やる気ないんでしょうかね。
残念です。
- 63 :
- やってのけるには、それなりに気概が必要ということでしょう
やって「退/除(の)ける」という解釈はおそらく正しくない。
単に片付けるだけなら、やってのけることが立派なことにはならないでしょう。
やることが乗り越える(≒"surpass")ことになるから、立派だとされるのではないでしょうか
- 64 :
- 無迅で矢を架けるがごとくの方天画戟×七星剣の二人。
- 65 :
- ようゆうわ。バスケットボール。
- 66 :
- https://www.youtube.com/watch?v=XQsXdJgWHVI
- 67 :
- できもしいひんこと言うて恥ずかしないんか
- 68 :
- 806 :名無しさん@ピンキー :2019/07/11(木) 23:10:20.88 ID:AiwF0rVi
うちの嫁は初めて入れたときは
これまでにはない喘ぎ方をして2分で果てた
果てた後は抜いた後も5分くらいブルブル痙攣してたよ
- 69 :
- 記号論で扱われる"sign"を「記号」と考えるから、最初から記号論的な
アプローチの理解を誤る。"sign"とはまずなによりも「徴候」であり、
記号論とは、「徴候」によって何がどのように「合図」されているのか
を解釈しようとする試みである。さらにその試みは、ジャンケンの
グー、チョキ、パーがそれぞれ、「石」、「鋏」、「紙」を表している
というような約束事についての知識を収集して、集積しようとする
ようなものではない。記号論の試みは、「←」という記号を見て、
「これは矢を表している」というような貧しい理解を大量に蓄積しよう
とするようなことではないのだ。
- 70 :
- 「言葉の意味とはその用法である」とよく言われる。これは、どういう
ことだろうか。例えば、「←」は確かに矢を表しているだろう。
だが、矢に「←」が表示されていても、鉛筆に「鉛筆」と記されて
いるのと同程度に無意味だろう。では、矢筒に「←」が示されている
場合はどうだろうか。矢筒に矢が数多く入っている状態なら、その
「←」の意味を見出すことは難しいかもしれない。だが、矢筒が空
であったなら、その「←」は、その筒が、別の何かを入れる筒では
なく、矢を入れるための筒であることを示すことになり得るし、
さらに矢が数本入った状態で矢筒に下向き方向に、つまり、「↓」
が示されているなら、「鏃を下に向けて入れるべきこと」を示す
注意表示の意味を有し得る。さらに、「←」が矢筒ではなく、
いくつかある部屋の前のドアの脇の壁に記されていたら、その部屋
が矢筒のように矢を入れるべき場所であると理解する人はまず
いないだろう。「←」は、「そのドアから入るべきこと」を意味
するものと理解される。同様に室内でドアの脇の壁に「←」が
外に向かうように記されていれば、「そのドアから出るべきこと」
を意味するものと理解され、複雑な分岐のある通路に複数、
順次に「←」が示されているなら、その「←」は、「辿るべき
順路」を意味していることになるだろう。また、別の脈絡で
2つの「←」が互いにその先を向け合っているなら、
その2つの「←」が一緒になって、何かが「合わさること」を
意味し得るし、「←」と「→」が互いに平行に重ねられて
いるなら、何かが「双方向的であること」、「相互的である
こと」、「互換的であること」、さらには「互いに等しい」
ことさえ意味するものと理解される可能性が生じる。
- 71 :
- つまり、「←」の意味を理解するとは、それが矢を代表して
いるという貧しい限定的な解釈にとどまることなく、それが
どのように用いられているのかを適切に解釈することに他ならない。
まったく同じことが言葉の発音、及びその組合せについても
言えるのであり、言葉の表現を記号論的に理解しようとするとは、
言葉がどのように用いられていると解釈するのが妥当なのか、
試行錯誤しながら探ることである。例えば、日本語の「〜ふ」
という再帰形の動詞における「ふ」は、「←」の例に喩えるなら、
ちょうど、「←」と「→」が互いに平行に示されているような
「合図」であるものと考えることができ、そのために、相互性を
表すようにも、反復を表すようにも、作用が自らに返ることを
表すようにも用いられているものと解釈され得る。
- 72 :
- ⇄つ?
- 73 :
- ⇄たび
⇄、ふ、复/複(ピンイン fù)
https://cjjc.weblio.jp/content/fù
复(復)ピンイン fù
・重複する,重なる
・返事する,回答する
・繰り返す,反復する
・元どおりになる,回復する
・再び,また
- 74 :
- 現象を理解するというのは、徴候を通じて現れるイメージの戯れを身体的に
組織化して、自らがその戯れの共演者となることだろう。
- 75 :
- ここで、「イメージの戯れを身体的に組織化する」ことは、
「自らがその戯れの共演者となる」ことと同じである。
なぜなら、「みづから」とは、「身つ柄(から)」であり、
身体性に他ならないからだ。
- 76 :
- だからどうした。それを知ることが普通の人の生活にどう影響するのか?
- 77 :
- ⤵⤴↗↘
- 78 :
- → 矢
→| あ(当)たる
⤵
⤴ あ(合)ふ
→← あた(値/能)ふ
* 打ち消し合うそれぞれの矢印の大きさがあたひ(値)
_
⤵ そ(反)る、そ(逸)れる
⤵⤵ そ(沿/添)ふ
- 79 :
- ⤴ の矢印をつなげてぐるっと一周させれば、「ある(歩)く」(古語では、
「ありく」)≒"go around"の意味が表される。
- 80 :
- 論理国語が「表現の論理」を教えるものでないとするならば、
「『論理』国語」の「論理」とは一体、何を意味するのだろうか?
- 81 :
- 日本語の表現の論理を理解することはそのまま、諸外国で用いられる
言語における言葉の表現の論理を理解することの助けにもなる。
- 82 :
- >>79
ここで、⤴ という同じ方向を指し示す矢印をつなげてぐるっと一周
させることによって「ある(歩)く」(古語では、「ありく」)≒
"go around"という意味が表されるわけだが、同様に矢印を一周
させても、矢印の指し示す方向をばらばらにするなら、動きの
方向性は失われ、単に、不特定の位置で「あた(辺)り」にいる
≒"be around"ことだけが表されることになる。つまり、
「ある(歩)く/ありく(≒"be around")」ではなく、
「あ(有/在/或)る」≒"be around"の意味が表現されることに
なるのだ。このことからも、「あるく/ありく」という表現は、
「あ(有/在/或)る」から派生させられたと推測することが
できる。
- 83 :
- 誤:「ある(歩)く/ありく(≒"be around")」ではなく
正:「ある(歩)く/ありく(≒"go around")」ではなく
- 84 :
- A: 「何か食べるものは?」
B:「あるよ」
A:「どこに?」
- 85 :
- 実は、国語教育も外国語教育も表現の能力を身に付けさせるためにやって
いるのではなく、ダブルバインドを実践するための口実/手段として
利用しているだけ
- 86 :
- 人畜を管理するための看守の役割を誇りに感じているのは誰か?
- 87 :
- さて、ここで質問です。
言葉の表現において、様態/作用/動作、つまり、副詞/動詞と
名詞とでは、どちらがより中心的であると考えられるでしょうか?
矢という名詞と、矢のような様態/作用/動作とでは、どちらが
先立つと考えるべきなのか。ここで、副詞と動詞のどちらが先か
を問ふことは無意味でしょう。なぜなら、様態、つまり、「〜のよう」
であることは、その「〜のような」作用/動作としてしか現出し
得ないのだから。静止している場合でさえ、そのような様態の
作用としてしか現れ得ない。
矢があることと、矢のような作用があることはどちらが先なのか。
値(あたい)が存在することと、あた(値/能)ふことはどちらが
先なのか。矢がなくても、矢のような作用を生じさせることが可能
であるからこそ、矢を存在させること、つまり、矢を作ることが
可能なのではないか。
- 88 :
- >>47-57
日本語の「鎬(しのぎ)」という表現は、英語の"ridge"に対応している。
https://riverstone-roofing.com/basic/20150626_shinogi/
http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/kakubumeisyouhtm.htm
その一方で、「しの(凌)ぐ」という表現は、古語では、
@おさえ伏せる。上におおいかぶさる。A山・波などを押し分けのりこえる
を意味するように用いられていたことが、岩波古語辞典に記載されている。
このことから、「鎬(しのぎ)」と「しの(凌)ぐ」はともに、
ピジン語としての日本語が「の」の発音に吸収したものと想定した
中国語の龍/隆/垄(long)にうまく対応していることが分り、それぞれ、
「し・のぎ)」、「し・のぐ」と分解され、これらの「のぎ」、「のぐ」
は、「芒/禾(のぎ)」や「軒(のき)」という表現に関連している
のだろうと推測することができる。
- 89 :
- 「しのぐ」ことが、「のりこえる」ことや「のりきる」ことを意味する
ように用いられているとすれば、「しのぐ」は、英語を用いるなら
"surpass"に相当するように用いられていると言うことができ、その
場合、「し・のぐ」の「し」は、"pass"に相当する意味を担わされて
いると考えることができ、中国語の表現では、やはり、「疏(疎)
ピンイン shū」に対応していることになるだろう。
- 90 :
- 私の想定が妥当であるとするなら、中国語の表現は、日本語において便利に
利用されているという程度をはるかに超えて、日本語の表現の中核を形成
するほど日本語に深く入り込んでいる。にもかかわらず、日本語が決して
中国語化することがなかったのは、中国語の表現を大々的に利用しながらも、
そうしている話者には、自らが中国語を話しているという意識が働いて
おらず、「相手との意思疎通の目的で」中国語の表現を利用していることが
絶えず意識され、中国語の規範に合せて自らの話し方を修正するような
動機が働かなかったからだろう。
- 91 :
- なんかおもしろくない。
- 92 :
- どうせ完全に過疎って、だれも現象学についての議論など書き込まない
ようだし、記号論はそのまま現象学でもあるので、前言を翻して、また
少し書き込ませてもらうことにします。
- 93 :
- 日本語の「あ」は、「こ、そ、あ」の指示詞として用いられる場合以外
にも、「あ(有/在/或)る」、「ある(歩)く/ありく」、「あた(辺)り」、
「あ(悪)し」などに見られるように、しばしば、「不特定に離れている様態」を
表すように用いられている。ここで、日本語が中国語の表現をピジン語として
利用することにより形成されたものであると想定した場合、そのような用法
における日本語の「あ」に対応するような中国語の類似した発音の、類似した
イメージを伝える表現を見出すことができるだろうか。
だが、そのような中国語の表現の候補を見つけることは、そう容易ではない
ように思える。というのも、私の列挙した事例における日本語の「あ」が
「不特定に離れている様態」を表すように用いられているという私の考え
が正しかったとしても、「不特定に離れている様態」というイメージは
きわめて漠然としているからだ。さらに、実際、これらの事例における「あ」
にあ(当)てられている漢字を見ても、ばらばらであり、それらの漢字
の中国語における読みの発音は、いずれも「あ」とはかけ離れている。
- 94 :
- では、手がかりはないのだろうか。「あいうえお」の「あ」のような単純な、
しかも、これ以上ないほど一般的な母音について、系統関係の確立されていない
言語の間でそのような対応関係を探ろうという考えをおこすこと自体が馬鹿げて
いるというのは、日本語学者、言語学者にとどまらず、一般的に学問とかかわり
のある人々の普通の反応だろう。だが、私のように想像(そのような普通の人々
から見れば、単なる妄想)をたくましくするなら、手がかりは意外と簡単に
見つかる。それは、単純に岩波古語辞典の「あ」の項目の並びを眺めてみること
である。
- 95 :
- では、同辞典に記載されるとおりの順序で項目と意味の説明を
簡略に列挙してみよう。
1.あ【吾・我】 わたし。あたし。
2.あ【彼】 遠くにあるものを指す。あれ。
3.あ【足】 あし。
4.あ【畔】 たんぼの境界。あぜ。
5.あ【網】 説明省略(発音の想定される由来の詳述)
6.あ【案】 字音「あん」の「ん」を表記しない形
- 96 :
- ここで、1〜5までが、一般に「大和言葉」とされる表現であり、6だけが
漢字の音読みに由来する。2は、私が「不特定に離れている様態」と記述
した用法そのものであり、1〜5までのそれ以外の表現がそのような
イメージと結びついていると考えられるかどうかは別として(私は、結び
ついているだろうと考えるが)、6の「案(あ)」が表す意味は、どう見ても
そのようなイメージとは無関係であるように見える。引用されている例文は、
「あ(案)の如く...」というものであり、「あん」の「ん」の発音が
「の」の「n」の発音と連なっているために「の」の発音の側に吸収された
だけだろうと思える。だが、その一方で、1〜5までの漢字は、中国語の
読みの発音を調べても、やはり「あ」とはかけ離れており、ここで私が
目的としているのは、「あ」について、中国語で類似した発音の類似した
イメージを想起させる表現の候補を見つけることなのだから、発音について
の手がかりとして、とりあえず、「案」を中国語辞典で引いてみることにする。
- 97 :
- https://cjjc.weblio.jp/content/案
案 ピンインàn
(長方形の)机.
((法律)) 事件,裁判事件,訴訟事件
議案,提案.⇒方案
按(案)
ピンインàn
((文語文[昔の書き言葉])) (確認するために)参照する,照合する.
やはり、中国語の「案」という漢字によって表現される意味は、
日本語の「あ」が想起させる「不特定に離れている様態」とはあまり
関係がないという印象を受ける。しかし、ここで諦めずに、その発音
である「ピンインàn」のリンクをたどってみる。
すると、ただちに出てくるのが、「岸 ピンインàn」である。
ここで、中国語における「岸 ピンインàn」の用法を、前掲の
岩波古語辞典の「あ」の項目のリストと見比べると、少なくとも
私には、既に候補は「岸 ピンインàn」で決まりであるように
感じられるだけでなく、少なくとも一部の事例における「あ」の
イメージの由来さえ明確に理解できたような印象を受ける。
- 98 :
- 日本語を使う一般の人々が「岸」という漢字を見て思い浮かべるイメージは
どのようなものだろう。砂浜の広がる海水浴場のような海岸のイメージだろうか。
しかし、その用法からみて、「岸 ピンインàn」が伝えるイメージは、
そのようなものではないだろう。日本語の「あ」の用法に対応するものとして
の中国語の「岸 ピンインàn」から受ける印象を伝えるのに最もふさわしい
表現は、日本語としても用いられる「傲岸」という漢語である。
https://www.wordreference.com/zhen/岸
II 形 (书)
1 (=崇高) lofty
伟(偉)岸 wěi'àn
日本語の古語で「あしひきの」という枕詞は、「語義・かかり方未詳」
とされている。しかし、私は、まさしく、「あしひきの」≒"lofty"
だろうと考える。
https://kotobank.jp/word/岸-469124
きし【岸】
1 陸地の、海・川・湖などの水に接している所。みずぎわ。「岸に打ち寄せる波」
2 土地の切り立った所。がけ。
「あしひきの山かも高き巻向(まきむく)の―の小松にみ雪降り来る」〈万・二三一三〉
続きはまた後で書き込むことにしよう。
- 99 :
- 私が受ける印象の妥当性について論じるより前にまず、誰でも簡単に
確認できる事実だけ指摘しておこう。
中国語の「岸 ピンインàn」に対応する英語の表現は"bank"である。
これは、>>98に貼り付けた中英辞書でも確認できるし、日英の辞書
を引いてみれば、日本語の「川岸」に対して"the bank of a river"や
"riverbank"が提示されることからも確認できる。ところで、
>>95に記載した「あ」のリストの4番目、「あ【畔】」の英訳は
何だろうか。「あ【畔】」は、「たんぼの境界。あぜ。 」を意味して
いるのだから、これも当然のことながら、"bank"ということになる。
疑いをもつなら、"rice-field banks"で検索してみればいいし、
次のような記述からも確認できる。
https://www.dpi.nsw.gov.au/__data/assets/pdf_file/0007/829330/RGG-accessible-22Aug2018.pdf
Field banks
Rice field banks should be a minimum of 40 cm high at their lowest point.
Higher banks (up to 60 cm) might be needed around the outside of the field
if soils are prone to leaking or cracking through.
- 100 :
- ここで、そもそも私が「あ【畔】」について、この表現が大和言葉だと
考えられているとしたのが誤りで、「あ【畔】」は、中国語の
「岸 ピンインàn」に別の漢字を当てただけなのだから、英語にすれば
"bank"として同じになるのは当然で、他の「あ」の用例とは無関係
である、という反論があり得るだろう。
だが、そのような反論はむしろ好都合である。なぜなら、「あ【畔】」が
そもそも中国語の「岸 ピンインàn」と同じ表現であるなら、その事実に
よって、少なくとも発音に関して、「案(àn)」の文例のように後ろに
「の」が続かなくても、「àn」という中国語の発音が「あ」という日本語の
発音に移されたことが実証されることになるのだから。
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