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  スピノザ


1 :2015/04/30 〜 最終レス :2020/06/01
浅田彰 ライプニッツはものすごい天才だと思いますが、哲学に関するかぎり、
スピノザはもっとすごい天才かもしれないですね。いまだにぼくはスピノザと
いうのがよくわからないんです。

2 :
異端であり天才

3 :
第26回スピノザ協会総会・講演会のお知らせ更新

下記の日程で、スピノザ協会総会・講演会を開催します。

日時:6月13日(土)13:00-18:00
場所:明治学院大学白金キャンパス1355・1356教室
 (アクセスはこちらをご覧下さい。)

13:00-13:50 総会
14:00-15:30

 講演@ 平尾昌宏「スピノザ《〈往復〉書簡・集》を巡って----リマスターとリミックス」

15:50-17:20

 講演A 鈴木泉「スピノザ《形而上学的思想》をめぐって」(仮題)

18:00-  懇親会

4 :
天才とかどうでもええわ。哲学的内容書けよ。

5 :
スピノザ

6 :
>>1
出店、おしえてください。

7 :
2015年4月30日木曜日

『スピノザ哲学研究』(復刻版)は5月13日頃の発売
工藤喜作氏の名著、『スピノザ哲学研究』の復刻版が発売されます。
この本は500部限定の出版で、入手いただけるのは今回限りとなります。

スピノザは工藤氏が研究していた頃は、マイナーな領域であり、研究者の数はごく少なかったといわれいます。
しかしながら、アルチュセールやポストモダンの思想家たちが注目したことによって、スピノザル・ネサンスという一種のブームが起こり、一躍注目されるようになりました。
工藤氏はドゥルーズの『スピノザと表現の問題』の翻訳にも携わっておられますが、
そうした流行とは無関係に、伝統的なスピノザ研究を踏まえ、形而上学を中心としたスピノザ像の解明に取り組んできた真摯な研究者です。
500頁を超える大著には、正統なスピノザ研究のアプローチがここかしこに見られるはずです。
ずっしりと読み応えのある本です。スピノザに興味のある若い世代の人々にはぜひ挑戦してもらいたいと願っています。
付録として、工藤氏のお嬢様、工藤寿子氏が工藤喜作氏の私生活の一面を紹介する小文を掲載しました。

8 :
Hirao, M. @HiraoM 2011年9月20日
@assazi 工藤先生の「近代哲学研究序説」という、いかにも入門風のタイトルの著作は、実は全編スピノザ主義の研究になってます。

9 :
工藤 喜作 スピノザ哲学研究
福居 純 スピノザ『エチカ』の研究―『エチカ』読解入門
柴田 寿子 スピノザの政治思想―デモクラシーのもうひとつの可能性
河井 徳治 スピノザ哲学論攷―自然の生命的統一について
竹内 良知 スピノザの方法について
桂 寿一 スピノザの哲学

10 :
>>8
これ実は碌に図書館にも収蔵されてないんだよな
ドイツのスピノザ論争を知るのにいいって聞いたから以前に読もうと思って調べたんだけど
何か理由でもあるのかな

11 :
「近代哲学研究序説」これ最近神保町で500円で見つけた。
もってるから買わなかったけど。

12 :
時代、社会、文化背景から
  どうしても「神」が必要なのでしょう。

現実社会は、これら一流の研究者は、今では「文献学」の研究者
と言うべきでしょうか。

13 :
私は科学者だからスピノザがもっとも性に合う

14 :
 

15 :
そだねー。アインシュタインもスピノザの神は信じていると言っているし。

16 :
外国人と交流する職業だと、にわかでもキリスト教徒であることは、全般に物事がうまくいく。

私は神道と仏教だ、とか言うと絶望的に話がややこしくなる。
そのてん、たまの日曜に教会に行ってあとは聖書を読んでれば、波風はたたない。

17 :
じゃ哲学の中身について。
スピノザは経験から離れて公理主義的な無限の操作に転換した。
感覚や個々の行為と切り離された視点から見て、
内面的なカント的な観念論やライプニッツの目的は消滅する。

カントなぞ同じように無限のアンチノミーを問題にし、
神を殺したはずが裏口から神を導入して、
人間を神の操り人形の支配者にしただけ。
主体と言う名の操り人形。
スピノザはカント的な心が先にある主体を解体した。
だからデカルトも批判された。
心は体の可能性をより伸ばせるか否かの生を充実させられるか否かの、
道具にすぎない。
心自体には価値はない。
神のため、理想のため、資本主義のため、民主主義のため。
そういうライプニッツ、カント、ヘーゲル的な、
秩序への献身や、自己目的化は否定される。

スピノザのエチカはカント的な道徳の否定。
フーコーの言う人間の終焉はカントの人間イコール神の共犯関係のK。

弱者の連帯による禁欲主義的な道徳のテロリズムは否定される。
スピノザは体の能動反動が問題でその役に立つなら他者とも、
連帯を求めることがあるにすぎない。

連帯ありき、ルサンチマンの押しつけありきの観念論の全体主義。
そういう弱者のルサンチマンがナチズムなどを生む。

スピノザの哲学はそういう思想の先回りした否定だが、
ニーチェがハイデガーに曲解されて利用されたように、
スピノザはヘーゲルはじめ正反対の全体主義者に盗まれ偽造された。

18 :
ヘーゲルがいつスピノザを盗んだのだ
ヘーゲルの基礎はアリストテレスで、むしろスピノザのことを
本物の哲学者だといって褒めてるんだが

19 :
盗んだというより、本物であると認めた上で利用したんでしょ

20 :
ぶっちゃけ、ヘーゲル思想はキチガイじみていて
手も足も出ない
スピノザがシンプルで一番良い

21 :
哲学者は全て一度はスピノチストにならなければならない。
とかいっといて、スピノザとは正反対の内面化、目的論の権化だろ。
ヘーゲルほど汚い奴はいない。

22 :
スピノザにとって心は体の可能性を引き出すドライバーにすぎない。
ヘーゲル的な世界史を背負った目的論とかは無意味。

23 :
ベルクソン

この世には二種類の哲学しかない。
スビノザ哲学とMY哲学

24 :
ライプニッツやカントやヘーゲルの下らない目的論をRために、
先回りして潰すためにスピノザの哲学があるんだが、
実際はスピノザが出た後に栄えた。
これは、浅田彰が日本の現代思想をRために、構造と力と逃走論で、
全てをチャート化して、これ以上語れないようにしたのに、
実際は火に油を注いでしまったように、よくあることだが。

哲学の歴史なんかそんなのばっかしだが。

25 :
失われた素朴さを取り繕うためにスピノザを読んでるような人を見ると、悲しくなるね

26 :
能天気な運命論は、懐疑論までが行き詰まった時代に流行るというだけ

27 :
ライプニッツみたいに世界に秩序があると言っても、
そんなものは証明できないし、個々の人間や存在には関係ない。
なのにわざわざそれを証明装うのは欲望を満たすため。

神学や哲学の官僚に支配を許すだけ。

神や人間などによって正当化される必要のない生を、
スピノザは肯定しただけなのに。

28 :
権力から解放されたいサヨクにとっての最後の救いの糸がスピノザだったというわけね

29 :
求めているのは知的コンプレックスからの解放でしょう

30 :
ライプニッツたちは実際は、同情や憐れみを排除した、
スピノザの悦びに満ちた知を嫌って、
大衆に支持されたというのがあるんだよな。
ライプニッツのまやかしの目的論やカントの欺瞞に満ちた自由と主体性が。
大衆を大衆のまま奴隷化し閉じ込めるものなのに。
スピノザには一切そういう誤魔化しはない。

ヘーゲルまで行くと彼らへの対抗からスピノザが擁護されるが、
スピノザの否定した、自由、主体性、目的、秩序持ち込みまくりの、
この世で一番スピノザから遠い思想だから。

31 :
ライプニッツが歓迎されたのもスピノザの否定した、
目的や秩序があるからだし。
カントもスピノザのように主体や目的を否定しなかったから、
ヨーロッパ哲学の覇権を握れた。

スピノザにとっては目的や秩序や自由は、過ったイメージでしかなく、
生を小さく閉じ込めるもので反動的なものでしかない。
能動的に生を解放することを目指すスピノザの倫理において、
それらは悪いことはあっても良いものではない。

32 :
> 能動的に生を解放することを目指すスピノザの倫理において、

サヨクが現代思想をこじらすとこんな能天気なことを言うはめになる

33 :
>>32
スピノザは観念論によるイメージによる受動を明確に批判しているんだが。
お前は何を言ってるんだ?

34 :
スピノザは神なり人間なりに純粋な目的があるとかの思考を、
誤謬推理だと明確に批判してるわけで。
そういう過ちによる生の反動化を防いで能動的に生きることを模索してる。
身体の純粋な可能性を追求しようとしている。
何か馬鹿に目をつけられてスレが汚されているが。

35 :
またニーチェにかぶれた馬鹿が、スピノザを無理やりニーチェの理論化に仕立て上げて
崇め奉るという構図がw

36 :
ニーチェとか抜きにスピノザが目的や自由とか否定して、
観念論を反動だと批判してるのは事実なのに何言ってるんだwww
スピノザが観念論的自由を否定したのを知らんのかw
能動、受動で理論組み立ててるのを知らんのかw

37 :
スピノザの公理主義。

経験離れたアプリオリを論ずる、有限離れた無限を論ずるのは、
プラトンのイデア論以来の伝統だが、
無限を操作として、有限に対する独立した切断として論じたのは、
デカルトでもなくライプニッツでもなくスピノザ。
デカルトなんかは直観主義で古い。

無限の操作の中で正しく、日常の感覚や経験から超越している。
ライプニッツやカントの内面、主体を否定して、
ルサンチマンを排除した、スピノザの反観念論。

38 :
ニーチェとスピノザは違うし。
ニーチェにはスピノザの公理主義はないし、
スピノザにはニーチェの系譜学はない。
でもどちらも観念論による生の反動化の批判では共通している。

39 :
スピノザがスピノザの公理を神と呼んじゃったことはつくづく悔やまれる
『神学・政治論』もスピノザ哲学においてはあまり重要ではないような・・・

40 :
ドゥルーズに引き付けて読むつもりもないけど、
目的を求める思考や観念論の批判がスピノザのやってることだし、
ニーチェと同じにしたくはないが、
目的論や宗教的ニヒリズム批判して、能動、受動で考えてるのは、
否定しようがないんだよな。

ニーチェやドゥルーズが嫌いなら、
ニーチェとは違う、公理主義的思考と無限論を掘り下げればいい。

41 :
むしろ、ニーチェとは違うように読みたいんだが、
結論部分の方法論では同じになってしまうので、
つまらんなというのが正直なところ。

42 :
ララビアータという田島某のブログ、スピノザ再考が面白い

43 :
スピノザの一番つまらない部分論じてないか?
自己原因とか。

44 :
田島がそこで論じていることは
・意味は全体の中で決まるから、
デカルトみたいにいちいち全部疑わなくていいってこと。
・自己原因はアリストテレスみたいに原因を遡った結果要請される、
論理的な必要性ではなく、認識は認識からしか生じなくて、
全ては自己保存、自己拡大しようとするその物が自己原因て話で。

スピノザ理解としては正しいんだが、
結局、それがスピノザの限界になっちまた部分で、
デカルトやニーチェを越えられなかった部分なんだよな。

批判していても、であるが故に同じ土俵、同じレベルでの争いと言う。

一番スピノザのどうでもいい部分。

45 :
そうかな
スピノザの最も面白く、かつ哲学者らしい部分だと思うけどね
先を探求する余地を残しているところ

46 :
意味が全体の中で決まると言ってもデカルトはその全体自体を疑ったわけでさ。
デカルトと同じ土俵で争った一番どうしょうもない部分なのは事実だけど。
全体か部分かで争ってしまうという。

47 :
スピノザ自身がデカルト自身と争った?
そんな馬鹿な・・・
結果以前に発生と過程が全く異なってるのだから争おうにも争い様がない

48 :
>>47
日本語がおかしい。
馬鹿なの?

49 :
abcdから全ての要素から考えないといけないとスピノザが、
デカルトの方法論的懐疑を否定しようとしても、
デカルトもまた、abcdの全てが正しくないとうまく行かないから、
疑おうとやってるだけだしな。
スピノザは何も付け加えていない。
スピノザの一番駄目なところなのは明らかで田島も馬鹿すぎる。

50 :
>>39
神とか外して唯物論にすれば有り難がる馬鹿なの?

51 :
スピノザの核心は公理主義による内面主義の排除にあるから。
その部分から考えればドゥルーズの共通概念によるスピノザ論とか、
論外。
鼻くそみたいなもの。

無限の操作性で考えればカント的な主観主義やドイツ観念論など、
全ての内面に依拒する思想が成り立たない。

52 :
スピノザにジョン・ロックの著作を読ませてやりたかった

53 :
三角形が常に三角形である真理性が無限の操作による一致にしかなく、
感覚や経験から全く断絶して成立するように、
実体や身体や心の真理性が心理や感覚や内面と独立に断絶してある。

ライプニッツの目的の調和やカントの主観の定言命法による命令など、
成立する余地のない下からの自然による実体や身体を、
心はただ受け入れるしかない。

54 :
スピノザの間違いは無限を使い、全てを数えあげることで、
もたれあいを排除するのは理論上正しいけど、
究極においては人間は全てを知り得ないから、
どっちにしても弱者の連帯とかも必要になることなんだよな。
能動、受動だけでは分けられない。全てを説明できない。
能動のような受動もあるし、受動と分かちがたい能動もある。

ニーチェもそうだが、そこらへんが限界。

55 :
千葉雅也 7時間7時間前
やっと自分なりにスピノザの必要性がわかったのだろうか。

千葉雅也 7時間7時間前
無意味なる、無解釈の、純然たる力。これはスピノザだな。

56 :
無意味無解釈ではなくアンタッチャブルなんだよ>スピノザ公理
けど人間は知的好奇心があるから、知りえない、たどり着けないとわかっていても
スピノザ公理への指向はなくならないし、そのことに何等問題はない

57 :
>>56
馬鹿すぎ。

58 :
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/25160/2/04_%E8%BF%91%E8%97%A482.pdf
エピステモロジーの伏流としてのスピノザ、あるいはプラトン : Knox Peden, Spinoza contra Phenomenology. French Rationalism from Cavaillès to Deleuze を読む
近藤 和敬

ところで、スピノザをめぐる二〇世紀フランス哲学の迷走の一つの重要な原因は、この政治思想
の潮流の変化にある。すくなくともカヴァイエスとゲルーは、自らの政治的で宗教的な立場を、ス
ピノザの『エチカ』によって基礎づけようとは考えなかった。確かにカヴァイエスの政治的行動も
宗教的行動も、本人も述べているようにスピノザ主義者のものであるとみなされうるが、その一方
でそれらの行動が『エチカ』によって、つまり倫理によって正当化が為されうるとは認められてい
ない。その一方、ドゥサンティもアルチュセールも、ともに『エチカ』という形而上学的体系によっ
て、自らの立つ政治的な立場の正しさを基礎づけようとする(アルチュセールにおける科学として
の歴史的唯物論がその最たるものであり、ドゥサンティの場合、たとえば『哲学史入門』における
議論に見られる)。この思考様式は、アルチュセールの後にドゥルーズへと引き継がれ、さらにネ
グリの『構成的権力』およびハートとの共著である『帝国』の議論にまで至る。しかしこの正当化
という目的に従って、スピノザの『エチカ』それ自体が歪曲されてきたということは、しばしば指
摘されてきた1
。問題がさらに複雑化するのは、この時正当化された立場から批判される対象が常に
一つの同じ現象学であり、したがって現象学の対立項としてのスピノザというものの姿が捻じ曲げ
られている以上、この現象学にたいするスピノザに依拠した批判というものもまた同様にある種の
捻じれを含むことになるということである。

59 :
I have striven not to laugh at human actions, not to weep at them, nor to hate them, but to understand them.
~Spinoza

60 :
"All things excellent are as difficult as they are rare." Spinoza

61 :
He alone is free who lives with free consent under the entire guidance of reason.
- Baruch Spinoza

62 :
すまん、スピノザでよくね?

63 :
ジュンタロコロコロ
「思想2016.5」ヘルダー-近代の詩的思考-特集号が届く。イメージ論からして、詩人であり、カントよりゲーテに近い。
カントが「学的でなく詩的」と批判し、対してゲーテがヘルダーの影響でスピノザを理解し、
それがドイツでのスピノザ理解を促進したと興味深い記述あり。
2016年5月7日

64 :
メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学Cスピノザの神即自然とメリッソスの真なる実在
2016年5月13日
http://information-station.xyz/3009.html

65 :
あ、あとあれなんだよね、
サイエンス漬けではあるけど読んでなかったドゥルーズの「スピノザと表現の問題」を読んでるんだけど生きる気力が湧いてくる感じだよね。
ネグリの野生のアノマリーと相通じるところがあってある意味で相互補完的かもしれないよね。
まぁあと俺が今やってることってスピノザでいえばまさに知性改善だからね。
んでもやっぱオントロジーのコアの部分をpotensiaとするところがかっこいいよなっていうか元祖ニーチェだよね。
ニーチェがスピノザのことを友だ!とかって言ってたのもうなづけるよね。
ネグリのマルチチュードっつーのもイデオロギー臭い左翼思想というよりかは元のスピノザに寄せて考えれば
左翼云々関係なく存在自体があるということとそれが分化していくとか運動していくとかっていうダイナミズムとして考えられるよねっていうか
まぁようは別にネグリみたいにゴリゴリのマルクス主義者じゃなくてもオントロジーとして解釈可能っていうか
もともとがオントロジーでそこにマルクス主義とか左翼的flavorを入れるとネグリのイデオロギーってことになるんだけど
元のスピノザで言えばドゥルーズ的な千のプラトーとかさ、ガタリの闘争機械ということにしたってまぁ根源的にはオントロジーだもんね。
ニヒリズムに寄せ過ぎかもしれないけど
基本的にこういうニーチェ的というか力能的なものってのがドゥルーズとかガタリとかってベースになってるからね。
だからやっぱ思想としてのパワーがあるんだと思うけどね。ネグリの野生のアノマリーにしても
絶望しながら獄中で書かれたっつーのが逆説的に凄まじい力のあり方を論ずるスピノザ論ってのがまたロマンあるよね。
あとまぁヨブのやつとかもいいんだよね。凄く。まぁただ根本的に絶望してるか絶望を経験してないと体感できないよね。こういうのって。
そこがまぁやっぱ思想とのシンクロニシティっつーのかな。リア充に哲学が無理なのもそういう理由ですね(笑)
http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20160522

66 :
◆◆◆神がプログラムしていた人類歴史・預言・神の裁き◆◆◆

http://blogs.yahoo.co.jp/honest_and_hawk/55615652.html
↑ヨハネの黙示録 20世紀〜現代 解説
http://synchronicity7.seesaa.net/article/433130959.html
↑神による歴史のプログラム シンクロニシティ-共時性-【概説】
http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html
↑裁 マクロ精神分析
http://individualspirit.seesaa.net/
↑個体精神分析 精神の病を克服する
◆◆◆

67 :
夢中夢/mutyumu
◾エチカ/スピノザ
僕自身が理性の哲学者の中で特に惹かれる1人がスピノザだ。
スピノザはデカルトの心身二元論の問題を引き継ぎ第一原因は全てに先立つ超越的なるもの、すなわち神であり、
全ては実体である神の属性だと考え論証的に説明した。

が、概念が擬人化された教義の神の信徒からは神=世界全体であること(汎神論)が逆に無神論的と批判された。
またスピノザは全てが神ならば偶然などなく全ては理性による必然であると考えた。
この考えはライプニッツ(ライプニッツは何度もスピノザを訪ねている)などの理性主義者に継承されている。

また神の永遠の相において、その永遠と無限の前では時間的、空間的な区別は普遍化されると考えた。
またスピノザは人格神の非合理な教説に批判的で、真に超越的な神の概念を相手にしていたスピノザは共同体であるユダヤ教から破門された。

1950年代にスピノザの破門解消の動きがあったがその反対陣営には「イリヤ」でおなじみレヴィナスがいた。
レヴィナスは「スピノザはタルムードを知らなかったのか?」と不快感を示しているが、
むしろ定理に対する注解も重視するスピノザの姿勢は感覚的にはその逆に見える。

スピノザもレヴィナスも共に無限を相手にしているがその中身は決して相容れない。
スピノザの無限では永遠の相において私と他者という個体の区別は解消されるが、
レヴィナスにとっては無限は私の前に広がる外部であり他者だ。

スピノザの神の前では個体はある構造体に与えられたパラメータの差異であり、
あらゆる固体の運動は関数に与えられた引数の差異だけかもしれない。
ただこれは決して個体を無視するわけではなく、理性的に多様性や詩的な自然観も保証されていくはずだとと僕は楽観的に考えている。

ところで西洋社会では長らく無限より有限が重視されており、無限はネガティブなものだったらしい。
が、スピノザは有限より無限を積極的に優先した。
で、スピノザの時代から時は流れると無限に惹かれ、その不思議な特性を次々と証明した信仰心の強い数学者カントールが現れる。

もし集合論のアレフ数としてスピノザの神が記号化されるならば、永遠の相の下にラッセルのパラドックスが出現するかもしれない。
2016年6月4日

68 :
「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は
次の点にあります。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper
sartumtectum conservo )。従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさってい
る度合に相当するだけの権利しか市民に対して有しないものと考えています。自然状態
においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、
岩波文庫、237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注でもホッブズの
名を挙げて、ホッブズの説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上301−2頁)。

69 :
スピノザの怪物的知性、ギャグかと思うわ

70 :
アリストテレスは全ての系列を遡ってその始点、それを神とする
神は全ての系列のメタにあり世界の目的や秩序を
個の視点から説明できない世界の意味を与える
人間はそれに寄り添えばいい

スピノザはその全ての系列が予め与えられたものとして
その全体を目の前において神=無限だとする
神さえもその中にいて超越できない
目的なんかは外にはない
中での少しでも能動的になろうとする活動としてしかない
目的も秩序も鰯の頭の信心でしかない
全ては渦中の中の生存競争でしかない
アリストテレス、アクィナス、ライプニッツやそれを人間学化した
秩序や目的は否定される

71 :
アリストテレスは全ての系列を遡ってその始点、
個の機会主義やリゴリズムを越えた全体の視点に立て超越できる場所
それを神とする
神は全ての系列のメタにあり世界の目的や秩序を
個の視点から説明できない世界の意味を与える
人間はそれに寄り添えばいい

スピノザはその全ての系列が予め与えられたものとして
その全体を目の前において神=無限だとする
神さえもその中にいて超越できない
目的なんかは外にはない
中での少しでも能動的になろうとする活動としてしかない
目的も秩序も鰯の頭の信心でしかない
全ては渦中の中の生存競争でしかない
アリストテレス、アクィナス、ライプニッツや、
それを人間学化したカント的な秩序や目的は否定される

72 :
アリストテレスの神、系列の外、メタに立ち、
外から世界に目的を秩序を意味を与える神、
時にキリスト教的な人格神さえ与えられるアクィナスやライプニッツ、
人間学化して主体性の内面化するカント的な近代哲学
それを批判するのが全ての系列の外には出られない神=無限
スピノザ的な内在神

神さえ無限の外には出られない、目的も秩序もない世界で
能動の限界に挑戦するのがスピノザの倫理=エチカ
頼れるのは己の体=内在性のみ

73 :
真理を発見しました (哲学系)
http://p.booklog.jp/book/106489/read

無料の電子書籍です!

74 :
宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
   ――スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」(全文)

「序言
 経済政策に就て記述した大抵の人々は、恰も彼等が商品経済の法則に従う商品経済的の
物を取り扱うのでなくて、商品経済の外に在る物を取り扱うような方法を取っている。
云々

 定義
 一、二 略
 三、経済政策とは商品経済の運動を増加し、或いは滅少し、促進し或いは防止する商品
経済の発動、及びそれと同時に、これらの発動の観念であると解する。
 それ故に若し社会がこれらの発動の妥当なる原因であり得るならば、社会は政策を働'と
解し、然らざる場合には受'働'と解する。

 仮定
 一、商品経済の社会はその活動を増加或いは減少する多くの仕方において刺戟され、又
同様にその活動力を増加或いは減少しない他の仕方においても刺戟されることが出来る。
 二、商品経済の社会は多くの変化をうけ、且つその際に対象の印象或いは痕跡に従って
物の同じ表象像を維持することが出来る。

 定理
 一、政治は或働を為し、又或る働を受ける。即ち政治は妥当なる観念を有する限りに於
いて必然に或る働を為し、又非妥当なる観念を有する限りに於いて必然に或る働を受ける。
 証明。略
 系。これから、政治は非妥当なる観念を一層多く有するに従って益々多くの働を受け、
又反対に、妥当なる観念を一層多く有するに従って、益々多くの働を為すことが起こる。」

(2008年お茶の水書房、宇野弘蔵『『資本論』と私』271-272頁より。同書解説ではスピ
ノザのパロディと解釈される。初出は1935年、東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号。)

75 :
参考:
宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版局1973]:475-476頁
大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007
http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
(これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999『批評空間』第II期
第20号,太田出版 他を纏めたもの)

76 :
系列の外に出る神、超越神の系譜の中で、そういうメタを一切否定するのがスピノザ

77 :
神が外にいると、世界の外から目的や秩序を与え従属させる
スピノザは神さえ世界に従属し出られないから目的はない
その中で落とし前つけないといけない

78 :
スピノザの読み過ぎで「超越が大事」と言われても全くピンとこなくなった
日本的多神教の話もなんかウザい
でもそいつらの心情は一応大事なんだろうなと『神学・政治論』マインドから考えている

79 :
トンデモと思うかもしれないがとりあえず見て欲しい

へブル語と日本語の類似 秦氏 (新説!? みのもんたの日本ミステリー,関根勤他ゲスト)
http://youtu.be/PvtI1akmzTE 29:47

相撲の「ハッケヨイ、ノコッタ」もヘブライ語の説明(「投げろ、征服しろ」)の方がすっきりする。

「失われた十支族」が日本に来たかどうかはわからないが、ペルシャの宝物があるくらい
だから、ユダヤの影響がない方がおかしいだろう。

参考:
http://www.fitweb.or.jp/~entity/seisho/isuraeru.html リンク切れ
紀元1世紀の歴史家フラヴィウス・ヨセフス(スピノザも『神学政治論』で引用している)の
著書『ユダヤ古代誌』第11巻(11:5)には、10支族は滅亡しておらず、ユーフラテス川の
彼方で膨大な民衆と化しているとある(「残りの一〇部族は現在までユウフラテス川向こう
の地におり、その数は無数で確定できない。」『ユダヤ古代誌』第11巻5章2節、ちくま学芸
文庫 秦剛平訳、第3巻p345。
ちなみに聖書には次のように書かれている。「アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル
人を捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザン川のほとり、メディアの町々に住ま
わせた」列王記下17章6節。「イスラエルは自分の土地からアッシリアへ引いて行かれた。
今日もそのままである」同23節 )。
http://bible.50webs.org/sj/2kings.html リンク先移転
http://bible.50webs.org/sj/

またある研究者は「大化の改新」の詔勅にも旧約聖書の影響があるという。

80 :
江川せんせの講座取ってるけど、江川せんせのスピノザ解釈ってほぼドゥルーズじゃね?

81 :
上野修のスピノザ論はどうよ

82 :
新書で一番読まれてんじゃない

83 :
中身は?

84 :
神学・政治論を語ってるところはいいんじゃない
エチカ一辺倒じゃないことでスピノザの企図がはっきりするから

85 :
知性改善論やエチカの哲学
神学・政治論の宗教論
国家論の政治論とかの関係をどう思う?
エチカの自由意志否定
合理主義による宗教否定じゃなく不合理で
大衆レベルで語ったからこそ宗教は正しいとな
社会契約しても自由はあるとか一見互いに矛盾して一筋縄ではないけど

矛盾してはないけど説明も大変だ

86 :
83を踏まえた上で上野修をどう思う?

87 :
ドゥルーズはスピノザのエチカには三つの文体があるという、
柄谷行人はその起成原因に着目する
どちらも内在的だ
上野修の場合、スピノザ自身のホッブズとの比較が決定的なものとしてある
外在的なのだ
むしろホッブズ研究の関連でスピノザがあると見た方がしっくりくる
イギリス経験論の歴史は重要なのだからそれでいい

ちなみに柄谷行人には下の図式があって、これでスピノザの著作は分類できる。
エチカの扱う対象はこの枠外にフラクタルに拡大するべきだが
 ___________________
|         |         |
|   国家論   | 神学政治論   | 
|   国家    | ネーション   |
|   B     | A       | 
|         |         |平
|_________|_________|
|         |         |等  
|   エチカ   | 知性改善論   |       
|   資本    | アソシエーション|          
|   C     | D   X   |          
|         |         |
|_________|_________|
         自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。
スピノザ著作名を加筆した。文字ズレ失礼。

88 :
デカルトの場合は、

      思惟、精神
        |
      延長、身体

と、精神が上位に来る。

スピノザの場合は、

   思惟、精神−延長、身体

と、両者は並行関係にある。

89 :
エチカの第一部読んでると本当によくできていると思う一方で想像を絶する神だわ。

ハイデガーにおける考えられない最後の神とはスピノザの神なのではとすら思える想像しづらい神

90 :
主体の論理・概念の倫理 二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義 単行本 – 2017/2/27
上野 修 (編集), 米虫 正巳 (編集), 近藤 和敬 (編集)

単行本 ¥ 3,456

内容紹介
近年、哲学研究のなかで参照されることはあっても本格的に言及されることがなかった17世紀の哲学者スピノザ。本書はフランスでの〈スピノザ集団〉、『分析手帖』、「概念の哲学」の系図を迫った日本での本格的なスピノザの研究書。

単行本: 488ページ
出版社: 以文社 (2017/2/27)
言語: 日本語
ISBN-10: 4753103382
ISBN-13: 978-4753103386
発売日: 2017/2/27

目次
スピノザ人物相関図
第一部〈概念〉
第二部〈主体〉
第三部〈生〉
第四部〈現在〉
鼎談 総括と展望
【コラム】

91 :
スピノザの存在論的実在論
上野 修 , ウエノ オサム , Ueno Osamu
メタフュシカ 47, 1-10, 2016-12-25
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/59485

92 :
スピノザの人生と作品
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/16Spinoza_vida.html

93 :
>>7
『スピノザ哲学探究』工藤は興味あるけど上野修のうすい新書版手こずってる自分
じゃ値段も内容も立ち向かっていけそうにないな。
これっきりで入手できないんだったら買っておく手もあるが

94 :
皆さん!

スピノザの「慎重に」
をしないと危険ですよ♪

95 :
懐かしい。

96 :
目次

主体の論理・概念の倫理 二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義

主体の論理・概念の倫理 二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義

上野 修(編)/ 米虫 正巳(編)/ 近藤 和敬(編)
スピノザ人物相関図

第一部〈概念〉
 導入  カヴァイエス、エピステモロジー、スピノザ
 第一章 一つの哲学的生成―ブランシュヴィックからカヴァイエスへ
 第二章 ジャン・カヴァイエス―概念の哲学 その下部構造の諸要素
 第三章 カヴァイエスとスピノザ『エチカ』のあいだに見出しうる一つの関係
     ―カヴァイエスはなぜ『公理的方法と形式主義』の口頭試問でスピノザの加護を求めたのか
 第四章 ヴュイユマン『代数学の哲学』とスピノザ『エチカ』の幾何学的秩序
第二部〈主体〉
 導入  エピステモロジーと精神分析―ラカン、ドゥサンティ、スピノザ
 第一章 構造と主体の問い―『分析手帖』という「出来事」
 第二章 ラカンの「エピステモロジー」における真理の探究について
 第三章 ラカンにおけるスピノザのプレゼンス
 第四章 ラカンと数理論理学
     ―フランス現代思想におけるスピノザ受容の一側面として
 第五章 概念の哲学・精神分析・生命の哲学の知られざる結節点
     ―ドゥサンティとそのスピノザ主義について

97 :
第三部〈生〉
 導入  生命のエピステモロジーとスピノザ主義
 第一章 概念の哲学から生命の哲学へ―カンギレムによるスピノザ主義の展開
 第二章 カンギレムとヘーゲル―概念の哲学としての生命の哲学
 第三章 ドゥルーズにとってのスピノザ―『エチカ』の意味論的解釈をめぐって
 第四章 構成主義としての哲学と内在としての生
     ―ドゥルーズ/スピノザとゲルー/フィヒテ
第四部〈現在〉
 第一章 現代英語圏におけるスピノザ読解
     ―分析形而上学を背景にした、スピノザの必然性概念をめぐる側面的考察
 鼎談  総括と展望
【コラム】
人物紹介
欧語文献
邦語文献
人名索引

98 :
良書。

99 :
スピノザは17世紀唯一の代表格ですねー😃

100 :
スピノザの汎神論の元ネタは、古代ローマのストア派なんだってね?

101 :
スピノザいいよな。

102 :
ショッピングか。

103 :
柄谷行人『哲学の起源』でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに関しては、
http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html
http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html 等を参照。


「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
 あるいは手によって絵をかき/
 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」(断片15)

参考:
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると
言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。
そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、
その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」
書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より  👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63)


104 :
>>103
それは誤解です。


牛さんも馬さんもそんな絵を書いたなら


根拠のなぜ?根拠と問いを出し
世界と自分達のニヒリズムに気がつき

動物から人間へと人間から神へと哲学するでしょう

三角形と円は動物ではないし

その可能性はないかもしれないけど。

105 :
>>103
だからスピノザが言ってるでしょ

「慎重に」ってね

106 :
あらゆる規定は否定である
Every determination is a negation
Omnis determinatio est negatio
http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/nenpo_47_nisikado.pdf

107 :
>>106
あらゆる規定は相対化です。

108 :
スピノザは17世紀の人間。
そう考えると哲学的な問題というのは現代ではほとんど出てきてはいないんだな。
昔に問題自体はほぼ出尽くした感がある。

109 :
>>1
まず一つ

スピノザは歴史概念とデカルトの概念をもって信仰態度を表現しました。

110 :
中公のエティカ読み始めたが、工藤さんの文章いいな

111 :
スピノザに倣いて アラン
アラン、カントについて書く アラン
デカルト アラン
幸福論 (岩波文庫)アラン
四季をめぐる51のプロポ (岩波文庫)アラン
アラン定義集 (岩波文庫)アラン
芸術論20講 (古典新訳文庫)アラン
精神と情熱とに関する八十一章 (創元ライブラリ)アラン
芸術論集 文学のプロポ (中公クラシックス)アラン
人間論 アラン
生きること 信じること アラン
プロポ〈1〉〈2〉アラン
哲学講義 (白水iクラシックス)アラン
プラトンに関する十一章 (ちくま学芸文庫)アラン
小さな哲学史 アラン
アラン 芸術について (大人の本棚)アラン
人生論集 アラン
アラン経済随筆 アラン
わが思索のあと アラン

112 :
スピノザ って

スペルマ を思い出すわね

113 :
『初期プロポ集』 アラン
『音楽家訪問 -ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ』アラン 岩波文庫
『芸術の体系』アラン 光文社古典新訳文庫
『神々』アラン 彌生書房
『人生語録』アラン 彌生書房
『彫刻家との対話』アラン 彌生書房
『ラニョーの思い出』アラン 筑摩書房
『マルス -裁かれた戦争』アラン 思索社
『バルザック論』アラン 冬樹社
『考えるために』アラン 小沢書店
『裁かれた戦争』アラン 小沢書店

114 :
『スピノザに倣いて』神谷幹夫(翻訳)平凡社
『アラン、カントについて書く』神谷幹夫(翻訳)知泉書館
『デカルト』桑原 武夫 (翻訳), 野田又夫(翻訳)みすず書房
『プロポ』〈1〉〈2〉山崎庸一郎(翻訳)みすず書房
『アラン 芸術について』山崎庸一郎(翻訳)みすず書房
『小さな哲学史』橋本由美子(翻訳)みすず書房
『生きること 信じること』神谷幹夫(翻訳)岩波書店
『幸福論』神谷幹夫(翻訳)岩波文庫
『アラン定義集』神谷幹夫(翻訳)岩波文庫
『四季をめぐる51のプロポ』神谷幹夫(翻訳)岩波文庫
『音楽家訪問 -ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ』杉本 秀太郎 (翻訳)岩波文庫
『芸術の体系』長谷川宏(翻訳)光文社古典新訳文庫
『芸術論20講』長谷川宏(翻訳)光文社古典新訳文庫
『精神と情熱とに関する八十一章』小林秀雄(翻訳)創元ライブラリ
『芸術論集 文学のプロポ』桑原武夫(翻訳)杉本秀太郎(翻訳)中公クラシックス

115 :
ピレボス (西洋古典叢書)山田道夫(翻訳)
エウテュデモス/クレイトポン (西洋古典叢書)朴一功(翻訳)
饗宴/パイドン (西洋古典叢書)朴一功(翻訳)
エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン (西洋古典叢書)朴一功・西尾浩二(翻訳)
ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)納富信留(翻訳)
饗宴 (光文社古典新訳文庫)中澤務(翻訳)
プロタゴラス〜あるソフィストとの対話〜 (光文社古典新訳文庫)中澤務(翻訳)
メノン〜徳(アレテー)について〜 (光文社古典新訳文庫)渡辺邦夫(翻訳)
テアイテトス (ちくま学芸文庫)渡辺邦夫(翻訳)
ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)三嶋輝夫・田中享英(翻訳)
ラケス (講談社学術文庫)三嶋輝夫 (翻訳)
アルキビアデス クレイトポン (講談社学術文庫)三嶋輝夫(翻訳)
ティマイオス/クリティアス(白澤社)岸見一郎(翻訳)

116 :
あしぶみいさみ
『中動態の世界』では、スピノザの様態論を取り上げてスピノザの哲学を中動態の哲学として捉えていたアガンベンの見方と、
スピノザ的な内在的原因を重視する著者自身の立場とはかなり共通するものだと見なされてたけど、
どうもそうとは簡単には言えなくなってしまうのでは・・
20 Apr 2017
https://twitter.com/AshibumiIsami/status/855098305239330816

117 :
東京堂書店@神保町
唐突ですが。スピノザが『エチカ』で「創造」の語を避け「産出」を用いたことと、
『短論文』の「摂理」が『エチカ』の「コナトゥス」概念に変容したことは恐らく深くつながっている。
産出の現在と産出物(現実存在existentia)の様態をどうとらえたらよいのか考えることで糸口がつかめそう。
20 Nov 2016

余形お屁居
おそらく「自尊心」は、「自己を保持するもの」と言っていい。
中島敦がスピノザを読んでいたことを考えると「コナトゥス」と解釈してもいいのではないか。
最後の抵抗のようなもの、喘息で朦朧とする意識に対する最後の砦のようなものではないか。
7 Jun 2016

清水高志
コナトゥスとか、物理の概念も微積も、そういう風に「隙間を埋めていく」ものとして理解できるし、
そもそもバロックそのものがそうした意匠だ。
そんな風に数学の対象が出来ちゃっていいのかという点については、当時はまだまだ議論があったが、
ライプニッツはその点パイオニアだった。
24 May 2016

118 :
Teatro. Vol. 2 - Pasolini, Pier Paolo - Ebook - PDF con DRM | IBS
https://www.ibs.it/teatro-vol-2-ebook-pier-paolo-pasolini/e/9788811139997

パゾリーニ豚小屋(演劇版)戯曲第10幕、スピノザと主人公ジュリアンがエチカを引用する。
映画版にはない。
2011年日本語版公演でも公開練習ではあったそうだが本番ではカットされてしまった。
スピノザの夢と名付けられたこの場面を読むとパゾリーニがスピノザを読み込んでいたことが
わかる。教育的効果を狙ったのだろうか?
引用は第1部定義8と第4部定理2の二箇所。

最初は[スピノザが述べ]、[主人公ジュリアンが残りを述べる。]
次は[主人公ジュリアンが定理を述べ]、[スピノザがその証明を補足する。]

スピノザ『エチカ』
 1:定義八 永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、
存在そのもののことと解する。

スピノザ『エチカ』
 4:定理二 我々は、他の物なしに自分自身だけで考えられることができないような自然の
一部分である限りにおいて働きを受ける。
 証明 我々がその部分的原因にすぎないようなあることが我々の中に生ずる場合(第三部
定義二により)、[言いかえれば(第三部定義一により)我々の本性の法則のみからは導き出
されえないようなあることが我々の中に生ずる場合、]我々は働きを受けると言われる。[ゆえ
に我々は、他の物なしに自分自身だけで考えられることができないような自然の一部である
限りにおいて働きを受ける。Q・E・D・]

以下の論考に詳しい。
Spinoza in Pasolini's Porcile Manuele Gragnolati and Christoph FE ...(Adobe PDF)
http://www.worldpicturejournal.com/WP_10/pdfs/Gragnolati_Holzhey_WP_10.pdf

119 :
>>1
同感💒

120 :
モナドとコナトゥスの融和性について想いを馳せること

121 :
保管

122 :
補完

123 :
ERO JIRU SU-PU

124 :
真理は教会

125 :
上野修教授最終講義「大いなる逆説スピノザ」(1/3)
https://www.youtube.com/watch?v=IwDwN4ztUoA

126 :
運命とは、受け入れるべきものではない、それは自ら選び創り出すものだ。

スピノザっぽくない

127 :
スピノザと動物たち

 こちらは、ちょっと楽しい本。題名通り、蜘蛛から(書簡32に出てくる)イソップの山羊に
至るまで、スピノザと関わりがあったり、スピノザの著作に出てくる動物たちとの関係で
スピノザの思索を見ていくもの。スピノザと非人間主義的思考を考えるためにも、何か
インスピレーションを与えてくれるかも知れない。
http://www.ajup-net.com/bd/ISBN978-4-588-15087-6.html
第1話 蜘 蛛/第2話 二匹の犬/第3話 人間、ロバ、象/
第4話 血のなかにいる虫/第5話 海の魚
第6話 天使とネズミ/第7話 翼のある馬の観念/第8話 キマイラ
第9話 驚 き/第10話 痕 跡
第11話 前 兆/第12話 奇 蹟
第13話 隣人の雌鶏/第14話 作者の考え
第15話 神の法/第16話 石の落下
第17話 ビュリダンのロバ/第18話 陶工の神
第19話 馬のリビドー/第20話 蜜蜂と鳩
第21話 獅 子/第22話 蛇
第23話 憂鬱な気分の人/第24話 家 畜
第25話 記憶喪失に陥った詩人/第26話 二匹の犬
第27話 子 供/第28話 社会的動物/第29話 セイレンたち/第30話 イソップのヤギ

128 :
スピノザは哲学界のモーツァルト

129 :
>>128

汎神論の何がいいんだよ!

130 :
https://www.msz.co.jp/book/detail/08348.html
著者 スピノザ
訳者 佐藤一郎

「共同の暮しの中でよく出遭うものがみなむなしく、くだらないということを経験から教わったのち、
失われるのではないかと心配していたもの、招くことを恐れていたものがどれも、それによって気持が揺すぶられたからということがなければ、
それそのものには善いところも悪いところもそなわらないことを見たとき、わたしはやっとたずねようと心を定めた。
真の善でみずからを分ちあずからせるような或るものが与えられるかどうか。
ほかのいっさいを投げ棄てて、独りそれだけから気持が触発されるようなもの、
それを見出して獲得すると、持続する最高の喜びが永遠にわたって享受されるような或るものが与えられるかどうかをたずねよう、と。」(「知性改善論」)

131 :
「歴史上、最も過激な思想家」という、スピノザへの評価は、普通の日本人にはまずピンとこないだろう。

スピノザの汎神論は、八百万の神の文化を持つ日本人にとっては、一神教よりも
ずっと親しみやすい。過激どころか、むしろ穏健な思想に思われる。

ところが、キリスト教の教義とは真っ向から対立する。

キリスト教では「神に創造された被造物」とされる、この世の諸存在を「神」だという思想。

17世紀といえば、まだまだ異端者が火あぶりにされていた時代。
これほどキリスト教の教義をバッサリと否定する思想を唱えた、スピノザは驚異。

132 :
当然のごとく迫害されたため、「言論の自由」を唱えた。

汎神論があまりにも有名になりすぎたために隠れているが、史上初めて「言論の自由」を唱えた、
自由主義者としても重要。

133 :
>>1

宗教と無縁な人生を送ってきた浅田彰に、スピノザの過激さを実感できるはずがない。

だからどうだってわけじゃないんだが、いい悪いは別にして、無理だ。

134 :
迫害されたといっても、スピノザが隠遁して逃げ回っていた最大の原因は、
カトリック教会ではなく、彼を破門した同胞のユダヤ教会だった。

カトリック教会が恐るべき敵なのは明らかだったが、それ以前に、ユダヤ教会が目前の敵だった。

135 :
そうした逃亡の日々の中で精神的にも追いやられハゲ散らかしたのだった。

136 :
ユダヤ教徒に刺し殺されそうになったと伝記で読んだがどこまで本当なのだろう?

137 :
小学校の頃ミサを1〜2回か経験したことはあった。けれども、中学受験では無宗教の学校を選んだ。
浅田彰みたいに中1から高3まで6年間もカソリック系の学校に通う気にはとてもならなかったわ。

138 :
日本のカトリック系学校は名ばかり

139 :
>浅田彰みたいに中1から高3まで6年間もカソリック系の学校に通う気にはとてもならなかったわ。

それは、単に京都で一番の名門校に通ってただけだろ(笑)

140 :
 以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
Kindle: http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
iBooks : https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11

《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付
けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる*。》
(上巻第五章)

*極東におけるオランダの交易相手として、スピノザは日本という非キリスト教国の存在
だけでなく、日本でのオランダ商人たちの暮らしぶりについてもある程度のことを知って
いたらしい。宗教儀礼にこだわらないことで開かれる異教徒・異教国との交流可能性を
説明する好例として、スピノザは本書後半でもう一度日本のことを引き合いに出している。

《もし、至高の支配権を手にしているのが異教徒たちだったら、次の二通りの考えがあり
うる。…たとえばキリスト教国を支配している人たちは、自国の安全を高めるためなら、
トルコ人などの異教徒たちと同盟を結ぶことをためらわない。また現地滞在に赴く自国民
たちには命令を出し、人事であれ神事であれ、両国間ではっきり取り決めているか、現地
政府がはっきり認めている以上の自由を求めないよう促しているのである。これは前に
述べておいた、オランダ人と日本人の取り結んだ協定からはっきり分かる。》
(下巻第十六章二十二節)

141 :
斯比諾薩(スピノザ)

142 :
度加多(デカルト)

143 :
洛克(ロツク)

144 :
韓図(カント)

145 :
倍根(ベーコン)
度加多(デカルト)
斯比諾薩(スピノザ)
洛克(ロツク)
来布尼(ライプニツツ)
伯科里(ベルキユリ)
富謨(フユーム)
里度(リード)
韓図(カント)
非布底(フイフテー)
舎倫(シエルリング)
歇傑而(ヘーゲル)
波密頓(ハミルトン)
空山(クーデン)
坤図(コント)
弥爾(ミル)
斯賓撒(スペンセル)

146 :
愛阿尼(アイオニツク)
以太利(イタリツク)
英利亜底(エリヤチツク)
詭弁(ソフイズム)
瑣克剌底(ソクラテス)
弗拉的(プラトー)
亜里斯多徳(アリストートル)
土多亜(スター)
英彼古羅(エピキユラス)

147 :
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

6GKRI

148 :
6GKRI

149 :
ウサイン・ボルトはスピノチスト

https://twitter.com/arapanman/status/963695738394886144

ボルトが桐生選手にしたアドバイスを出場選手全てに贈りたい。「いいか桐生
自分のために走れ それが国のためになればいい まずは“自分のために走る”
そして“楽しむ” それが日本のためになるんだ 決して国のためだけに走っては
だめだ 楽しもう スポーツは楽しむものだ」

150 :
康徳 与 馬克思
カント と マルクス

151 :
よくスピノジストとかいうけど○○イズムってスピノザ的からいちばん遠い

152 :
汎神論者を上手くカタカナで言った言葉ってないのか?

153 :
パンテイストでぐぐったらパンについての記事しかヒットしなかった

154 :
ユビキタシスト
ubiquitousist

155 :
>>152
パンシロン

156 :
孤立を求めて連帯を恐れず

157 :
阪神論

虎最強

158 :
スピノザの学説に関する書簡
Friedrich Heinrich Jacobi (原著), F.H. ヤコービ (著), 田中 光 (翻訳)
出版社: 知泉書館 (2018/4/15)

本書は1785年に刊行され、ヘーゲルなどに大きな影響を与え、
カント、ゲーテをはじめドイツ思想界を巻き込んだ「汎神論論争(スピノザ論争)」発端の書である。
巻末には訳者によるヤコービの紹介と年譜、『スピノザ書簡』各版の異同情報を付す。

159 :
きょう岩波の短論文をブックオフでみつけて300円で買った
そのまま本屋に行ったら短論文と知性改善論の新訳が出てた
7000円もするのだった

160 :
もう上に出てたし8000円以上するし

161 :
ラテン語ってどこで勉強すればいいの?

162 :
スピノザの定理は面白いよな。どんな世界でそんなことが起こっているのか
想像つかないし、まあ尋常な哲学ではないさ。ライプニッツの比ではない。

163 :
>>161

ラテン語の勉強のサブテキストにはグレゴリオ聖歌がいい

チコちゃんに叱られる
https://video.twimg.com/ext_tw_video/987863625757900801/pu/vid/480x360/q3pgw1o92hFK_EOy.mp4
https://video.twimg.com/ext_tw_video/987860684506521600/pu/vid/480x360/j3qMl0eVF23csU-C.mp4
https://video.twimg.com/ext_tw_video/987862326870097920/pu/vid/480x360/K7ZyHMnMMZXdy25f.mp4

Ut queant laxis
https://youtu.be/9fMppPLocmo

Ut queant laxis. Himno a San Juan Bautista.
https://youtu.be/SugtS3tqsoo


Ut queant laxis resonare fibris Mira gestorum famuli tuorum, Solve polluti labii reatum,
Sancte Ioannes. (汝のしもべが、弦をかきなでて、汝の妙なるわざをたたえ得るように、
このけがれある唇の罪をのぞかせたまえ、聖ヨハネよ。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E8%B3%9B%E6%AD%8C
聖ヨハネ賛歌(せいよはねさんか)または聖ヨハネの夕べの祈り(せいよはねのゆうべのいのり)
とは中世の賛歌のひとつである。イタリア語とフランス語の音名の由来になったことで知られている。

164 :
あちこちで新訳全集のうわさがあると聞いて久しいが
専門家ならラテン語で読むんだろ
何万にもなるだろうし売れそうもないから頓挫したかな
岩波文庫が畠中訳全巻を復刊してほしい

165 :
新全集頓挫の話はみすずから出た知性改善論の新訳のあとがきに書いてあった。
みすずの知性改善論は全集として出すはずのものだったとのこと。

166 :
うえに佐藤訳の例があったけど畠中訳より読みづらいね
精確さではなく日本語としての話だけど
神学政治論の新訳は読みやすい
岩波は書簡集だけ持ってないんだよなあ

167 :
高くても良いから、エチカ単体をハードカバー愛蔵版とかで出して欲しいな。
今普通に買えるものは岩波の文庫サイズと中公の新書サイズしか出ていないし。

168 :
ハードカバー本なんか本棚に飾って来客にさり気なく知的な風を装ったり
悦に浸るための価値しか無い

169 :
ハードカバーの方が所有しているという喜びを感じることができるんだよ。
余白にも書き込みやしやすいし。

170 :
ワイド版の岩波文庫を買って雑誌製本してもらうという手はある

171 :
洋書は昔からそうやってるな

172 :
ゲプハルト版ラテン語原文との対訳仕様なら今出しても価値はありそうだな
競馬でも当たったら買っちゃうんじゃないかな

173 :
ゲルーの注釈本とゲプハルト版の翻訳、今からでもやってくれい

174 :
新訳よりめぼしい解説書の翻訳のほうがありがたいかもね
公理7でもう躓いちゃったよ
たぶん向いてないし俺の頭も悪いんだろうけど
わかりたいんだよなあエチカ

175 :
定理7だったわ

176 :
第2部定理8の矩形の説明は佐藤訳の訳注が詳しかった気がする

177 :
神学なんとかってのが本棚にあるけど、ラテン語勉強していないから当分、読む予定はない。

178 :
神学政治論のラテン語の原書があるよって話か?いいな

179 :
みすず書房で出している、佐藤訳の『エチカ抄』は、他の訳者との違いを際立てようとするあまり、
全体的に妙な当て字を使っているから読みづらいのだ。

180 :
いっそ可能な限り言語的曖昧性を排して
すべての連関を図解で示してもらいたい

181 :
定理も女性人口の多い大都市で開くと輝きました。

182 :
「スピノザは神に酔った人間である」 (ノヴァーリス)

https://yojiseki.exblog.jp/12754007/

183 :
そしてお前は酒に酔った人間である

184 :
神にも人間にも自由意志はなく、一切の事物は必然であるなんて、
スピノザ哲学のどこに魅力があるのかわからねえ。

スピノザ哲学の解説書をやっと見つけた暇な時間に
酒をやりながら開いたが、酒がまわっているとよくわからんな。

185 :
3:56備考
http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note3p56n
 備考 きわめて多様であるべき感情の種類(前定理により)の中でも特に著しい
のは美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲である。これらは愛もしくは欲望の
感情の本性をその関係する対象によって説明する概念にほかならない。なぜなら、
我々は美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲を美食、飲酒、性交、富および
名誉への過度の愛もしくは欲望としか解しないからである。なおこれらの感情は、
単にその関係する対象のみによって相互に区別される限り、反対感情を有しない。
http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note3k48
…これらの感情に対置されうるものは、我々がのちに述べるであろう寛仁と勇気のみ
である。

186 :
定理は面白いけど、情報は伝わるものの、文、読書 行動
として成り立つにはまだ時間がかかるだろう。情報の受け手の対応策も大事なら
書き手の送り手への配慮も賭けてはならないと思う。天才的というより
独立している、書簡だと思う。

187 :
心に響く。頭で理解していなくても、理屈を捏ねて否定しようとしても、
既に伝わってしまっている。

188 :
心理学や病跡学でIQ180と推定されているゲーテが、
スピノザの「没我主義の輝き」にひきつけられたと言って
(『詩と真実』)、
スピノザを研究していた時期があるくらいだから、
スピノザってのは凄いんだろうな

ゲーテのスピノザ論
https://www.soka.ac.jp/files/ja/20170428_224130.pdf

189 :
>>184
お前は真実性よりも魅力のあるなしで哲学に関心をもつのか

190 :
スピノザを推す人たちが豪華すぎて無視できない
万が一わかったらそんな偉人たちと肩を並べた気になれるのだとしたら
そんな幻想抱いてもいいよねなんせスピノザの翻訳薄いし安いし

191 :
>>1
浅田彰って修士だったんだな
博士は持っていない
まあ論文すらまともに書いていないんだから
彼の学者としての限界は意外と早くて
助手になってからすぐだったんだだろう
書けないんじゃどうにもならない

192 :
スピノザ実践の哲学でドゥルーズがヘンリー・ミラーを引用してるけど
そのミラーの出典分かるって方いらっしゃいませんか?

193 :
大江柄谷全対話より
2018[1995]

大江 …
 自然と、自然の中に含まれるすべてのもの、僕のようなもののサブスタンスも実在
も、全部神という大きい実在のうちにあるもので、自然イコール神であると同時に
神は実在全体に対する認識を持っていて、その認識の一部として僕の認識もあると考
えれば、むしろ歴史の対極にあるものだと思います。
 ところが、そのような僕たちの実在、神の認識の中で動いて生きている僕たちの実
在が、じつは歴史を構成している。そうすると、あなたがおっしゃったマルキシズム
も、あるいはポスト構造主義も、スピノザの考え方の展開の中にある。その意味で、
僕は決して矛盾しないと思うんです。
 それをはっきり具体的に示していた人はドゥルーズです。マルクス主義との関係、
あるいはポスト構造主義との関係においてスピノザを考えれば、ドゥルーズはこれか
らも非常に意味のある人だろうと思います。
118頁

194 :
柄谷
…スピノザは人格神を想像物と見なしています。
しかし、神 世界 自然=唯一実体という考えの中には、ヘブライ的なものが入って
いると思います。それが伝統的な形而上学、あるいはデカルトの実体論とは異質な点
です。スピノザが永遠と呼ぶのは、この歴史的世界を越えるものではなくて、この歴
史的世界そのものだと思うんです。
 一見すると、それは矛盾するようですが、このような矛盾は、スピノザが自由意思
を否定したことについてもいえます。つまり、それなら、彼の行動は、自由な決断で
はなかったのか、というような。もちろん、彼の決断は自由になされています。しか
し、それは彼がこの世界を越えてあることではないし、さまざまな諸原因によってい
るわけです。すべてが自然的原因によって決定されているから自由はない。しかし、
自由はある。この問題を徹底的に考えたのはカントだと思うんです。いわゆる第三ア
ンチノミー(二律背反)というのがそうですが、彼は、これは第一 ・第二のアンチノ
ミーと違って、矛盾しないと考えました。彼は、この二つの次元が違うというふうに
考えたと思うんです。片一方から見れば、すべて自然に決定されているともいえる。
しかし、片一方から見れば自由であるともいえる。永遠と歴史にかんしても同じこと
がいえると思います。
120頁
1996

195 :
カマヤツひろし

196 :
----------------------------------------------------------------------------------------
神は一切である

一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在しない。

神即自然 | スピノザ
https://hitopedia.net/%E7%A5%9E%E5%8D%B3%E8%87%AA%E7%84%B6/
-----------------------------------------------------------------------------------------

「一切の事物は必然である」って、『エチカ』のどこに書いてあるのか教えてください
とても気になる部分です 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)


197 :
第1部
公理三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反して
なんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。

198 :
>>197
195番さんの書き込みは、

「一切の事物は必然である」、

一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在し
ないという事とは、少し意味が違うと思うんですが・・・

「一切の事物は必然である」って、『エチカ』のどこに書いてあるんでしょうか?

199 :
どこっていうか全体的にそれを書いてないか

200 :
「人間は自由の刑に処せられている」と言ったサルトルだったら、
「一切の事物は必然である」と断定したスピノザを、どのように否定するだろうか。

スピノザの、

一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在し
ない。
事物の必然性の背後には神がいる。神の本性が自然のあり方を決定しているので、事物は
いまあるように存在するほかない。全ては必然的なものとして、神に決定されている。

といったスピノザの定説の根本的な誤りに、サルトルは明確に言及するかもしれない。

201 :
スピノザでは必然こそが自由なんだよ
いやまじでそういってるらしいんだよ

202 :
第2部
定理49備考
…三角形の本質からその三つの角の和が二直角に等しいことが生ずるのと同一の
必然性をもって、一切のことは神の永遠なる決定から生ずるからである。

203 :
ちなみにスピノザのいう神とはいわゆ神さまとは違うからなる

204 :
そもそも定義で自由という言葉の使い方を普通とは変えている

205 :
少なくともエチカくらい読んでから書き込もう

206 :
『スピノザの世界』のキャッチコピーによると
「神は制作者ではない。神にも人間にも自由な意志は存在しない。」

神に決定されているんじゃなくて、神「も」決定されているって感じだ

207 :
現代の科学的決定論から見たら
当たり前のことを言っているだけのように見える

208 :
三部以降が真骨頂

209 :
いや本当にとりあえずエチカを翻訳で読みなさいよ
岩波でも中公でもいいからさ

210 :
エチカくらい読んでからといったら誰もいなくなっちゃった

211 :
いま読んでる最中なんだろう

212 :
まあたしかにエチカの読みづらさは異常

213 :
最初から1ページずつ読んでいくもんじゃないね。
まず定義と公理と定理だけを読んで用語と流れを掴んでから
証明やら系やら説明やらをクリアしていく。

214 :
といってもとりあえず第一部は受け入れないと始まらないっていうね

215 :
「神」=自然、宇宙

と我流で勝手に読み換えたら、結構納得できました。>エチカ

216 :
ただそれだと啓示宗教との戦いが意味不明になるから、
神学・政治論も読むべき

217 :
>>215
そんなこと哲学では当たり前以前の話だ

218 :
エチカの属性とその変様に関するお話を読めば
その読み替えで大丈夫なときと大丈夫ではない場合があることがわかるはず

219 :
>>218 排中律博士botフォローしてるやろ

220 :
>>219
何それ?

221 :
排中律博士bot@dr_haichu_bot
2 時間2 時間前
コンタクトは適当に人と会う時に使う場合とそうでない場合があるぞい

排中律博士bot@dr_haichu_bot
23時間23時間前
でもやっぱり、ここで捕まるわけにはいく場合といかない場合があるぞい

中律博士bot@dr_haichu_bot
8月28日
人生は一箱のマッチに似る場合とそうでない場合があるぞい

222 :
>>221
フフフ実は私が排中律博士だったのだ!

一応言っておくとさっきの書き込みで言いたかったのは
延長と思惟との違いに注意しようねってことね

まあさらに実体について考えるときはそれ以上に注意しようね

223 :
マジなのか
排中律博士の中の人がスピノジアンだったと…?

224 :
本人に聞いてみ
違うって答えるから

225 :
アインシュタインは「人格的な神は信じないがスピノザの神は信じる」と述べている。

https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/84.html

226 :
「神」=自然、宇宙
と読み換えたらまあ納得できましたね、
私の場合は。

227 :
誤読だけどな

228 :
それは独自の読み方でもなんでもない、汎神論ってのはそのことを指してるのだから

229 :
スピノザは文学じゃねえんだよ
文字通りに読まなきゃはじまらん

230 :
>>4
天才がどうのというより、「浅田彰でもよくわからないほど、謎の哲学者」ってのがミソでしょうな

231 :
実際のところ、デカルトやロックはよく分かるんだが、スピノザはなんとなく謎めいている

232 :
一般教養レベルの王道哲学史ではけっして重要視されていないこの変態思想に
いまどきの現実社会で生活する日本人すなわちあなたたちが 興味を持つにいたる
その経緯のほうが興味深い

233 :
定理なんて面白いけど実現性は薄いかもね。ほとんどの人にとって。

234 :
ただの決定論だからこの上なく現代的な思想というべきだろう

235 :
>>232
まあ、汎神論には、欧米人より日本人のほうがかえってナジミ深いとは、よく言われるけどな

236 :
ただし、「八百万の神」という日本人のアミニズム信仰は、スピノザにしてみれば迷信・俗信そのものなんだが

237 :
「神より大いなるものは無い」。これが大前提。

もしも、世界のどこかに、神でないものがあるとする。

そうすると、「世界 (= 神+神でないもの) > 神」ということになり、この前提と矛盾する。

このため、必然的に唯神論とならざるを得ない。

238 :
>>215
神を「自然、宇宙」と読み替えたのでは、作者の意図が伝わらなくなる

作者は、自然や宇宙を神と言っているわけではない

あえて、「神の属性」、「神の様態」と言っている

239 :
これを一種の自然崇拝みたいなものだと思ったら、かなりの誤読になる恐れがある

240 :
自然の背後に人格的な存在があってそれを崇拝していると考えたら
誤読になるけど、自然の背後には自然しかなくそれを崇拝していると
考えたら間違えではないのでは

241 :
なるほど

242 :
スピノザの神に人格はないし、意志もない

243 :
崇拝もなにもおれもあんたも神の変状っていってるんだよ

244 :
>>242

飾りかよ!

245 :
中世イスラム哲学では、宗教の人格神を「アッラー」、哲学の抽象的な神を「ハック」と呼び、この2つを明確に区別していた。

近代ヨーロッパの哲学も、これを継承している。
デカルトにとっても、カントやヘーゲルにとっても、神とは、「ハック」の方を意味する。
スピノザは、これを誰よりも明確に表面化させたにすぎない。

246 :
スピノザは、哲学史の系譜から逸脱する孤高の異端児みたいに思われることが多いけど、実際にはそうでもない。

基本的には、デカルトの物理的な世界観を継承している。

それから、ホッブズ的な、リアリストの政治思想家という側面が、勝るとも劣らないほど重要だ。

思想史的には、「言論の自由」を初めて唱えた人物という面が、それ以上に重要だろう。

247 :
汎神論という面が、ちょっと有名になりすぎた。

これのせいで、なんだか、古代ローマの神秘思想家みたいに見えてきてしまった。

実際には、そうではない。

先行する英仏の物理的な世界観や、リアリスト的な政治思想を受け継ぎ、後のカントやヘーゲルへとつなげた人。

248 :
まあ、現代においては
自分の好き勝手に読めば良いと思いますよ
「誰も」それで迷惑を被ることは無いし

あと、読まないよりマシ、という別の観点から言っても

249 :
信仰 結婚 改宗 だって 難しいテーマだよ。精霊八百万は現実であり、スピノザの神も然り。

250 :
2ちゃんねるに書き込まれる解釈に従うなら、神などという表現を使う必要が微塵もない

251 :
実は神って言わなくていいからな
実体とかポチとかタマでもいい
第一部のように定義しさえすればいい
しかしそうするとポチやタマを犬や猫を指すときに使う場合には注意書きが必要になる
まあ神や実体という語によって当時考えられていたものがスピノザが定義したものに一番近かったんだろう

252 :
スピノザは破門されたとかってことになってるけど、実はそんな大げさ
なことではなくて、当時の状況はもっと複雑だったって話をしてたけど、
なんだかよく覚えていないな。どっちにしろ、そんなドラマチックな
話ではなかったらしいということだけ憶えている。

253 :
スピノザにとって、人間は感情に支配される卑小な生物。

そんなつまらない存在である人間が集まった社会で、いかなる政治が行われるべきか。

そこから出発しているから、徹底したリアリストになる。

254 :
>>252
スピノザを破門したのは、キリスト教会ならともかく、ユダヤ教会だからな。

255 :
ユダヤ教会そのものが、西欧社会の異端者

256 :
ユダヤの狂信者に刺されかけた(あるいは刺された?)っていうエピソードは伝説的に残ってる
穴の空いたマントを教訓として残してたとかなんとか

実際、書簡集でも自分の哲学を語る相手は選んでた印象を受ける
もっとも相手のほうがまったく理解出来なくてやりとりをやめちゃったり
科学の話だけするようになったり
カトリック教会の宗教体験にやられちゃったかつての友人からボロクソに書かれた手紙に悲しそうに返信してたり
かなり大変だった模様

257 :
人間も先輩に恵まれればチャンスはあるよな。ルイ サイファー バランス型がおススメ。

258 :
>>251
神以外のことを考えていたらああいうものを思いついたんじゃなくて
あくまで絶対的な神というものを考え抜いたらああいうものになって
しまったんだろう

259 :
>>258
そのほうが正しいだろうね

>まあ神や実体という語によって当時考えられていたものがスピノザが定義したものに一番近かったんだろう
この一文は忘れてくれ

260 :
スピノザより前のデカルトでさえ、「フランスでは無神論がはびこっています」という書簡を残しているくらいなんだから、スピノザの時代のオランダも、無神論者は珍しくなかっただろう。

261 :
デカルトは、無神論の流行に危機感を抱き、「神の存在を証明して無神論者に反論する」という目的で哲学を始めた。

その哲学の継承者であるスピノザはどうだったか?

262 :
彼の哲学の目的は『知性改善論』のはじめに書かれているね
「人間としての最高完全性へ到達すること」
「精神と全自然との合一性の認識」を為すこと、あるいはそれに向かうことが彼にとっての喜びだったらしい

263 :
ところでみんなはエチカ読んだんだろうな

264 :
読んでなさそうな人はいる

265 :
神を信じないのではなく神が知覚できないのが無神論だよ。

266 :
神がいないわけがなく、接点がないんだろうね。

267 :
神は何も知覚する必要がないだろう

268 :
左が身体、右が精神
スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン


スピノザ『エチカ』
              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定)\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳./
               \/
              5自由

ダビデの星ではなくバラの花だと思ってほしいcaute!
http://nam21.sa kura.ne.jp/spinoza/caute.jpg

269 :
>>263
あれほど、読むのに根気が要る本も珍しいな

270 :
現代人の無神論とは違うな

271 :
現代人のは、無神論というより無関神だな

272 :
神が知覚されるから遅れて涙がにじむだろう。

273 :
最高で完全なるものが間違いなく存在していて神はそれに他ならず
万物はそれによって産み出された被造物であり
創造は聖書に記述された神話的時代、あるいは現世の時間の外もしくはそのはじまりにのみ行われた
現世には創造的進歩はない
言い換えれば自然法則は永遠不変のもので現世において新しく生じることはない
人間本性も創造されたときから変化していない

これらすべてを信じている人はそうはいないだろう

274 :
本性と本質で対。エロくなきゃね。

275 :
神は世界全体のことであり、世界に存在しているものすべてが神の一部です。

私たちが目にしたり感じたりする事の出来る実体のあるものは全て神の一部ということです。

つまり、人間も神の一部ということになります。

それは、人間の行動すべても神の一部がしているということであり、例えば罪を犯すことも神の意志ということになります。

言い換えると人間の自由意志はないということもできます。

276 :
決定論は、汎神論とならぶスピノザの二本柱

277 :
「人間に自由意志はない」

278 :
今日されたレス全体的にわりと面白いじゃん
これとか>>271

279 :
>>275
>人間の行動すべても神の一部がしているということであり、例えば罪を犯すことも神の意
志ということになります

広島と長崎の原爆投下による無残な大量虐殺、ナチスのアウシュビッツ収容所でのユダ
ヤ人の大量虐殺、第一次世界大戦と第二次世界大戦での大規模戦争と人間の大量殺戮、
そして日常的な世界でのおびただしい凶悪殺人事件―これらすべては、神による行為。つ
まりスピノザの神は、人間を大量殺戮することを頻繁に、日常的に行う「大量殺戮をするこ
ともある神」であるということになる(「戦争を頻繁にする神」でもある)。

「大量殺戮をすることもある神」が善いか悪いかは、人間にとって「悪い」に決まっている。
しかし、それでもスピノザの神は、哲学的に信ずるに値する神だと思う。

280 :
「天の父は、悪しき者の上にも善き者の上にも太陽を昇らせ、 正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」ということ

281 :
親鸞と親和性高そうな思想だなぁ
スピノザと親鸞の対話篇よさそうだ どちらも他人という存在にきわめて深い理解があるもの

282 :
デカルトは、機械論的な世界観や人間観を確立した科学的合理主義者だが、
「瞑想中の幻夢」を思想の原点とする、いたってマジメなスピリチュアリストでもあった

283 :
おそらく、スピノザもそうなのだろう

284 :
デカルトを「科学的合理主義の祖」として信奉する人々には、デカルト本人が言及している神秘主義者としての側面を、「後世の偽作」とする向きもある

285 :
スピノザの汎神論は、一種の自然哲学

神というから現代人には宗教っぽく見えるが、中身は機械論的な物理世界観だ

スピノザの決定論も、宗教っぽく聞こえるのだが、実際には、人間を身体という機械として捉える思想

286 :
それでいて、「宇宙との合一」というような、宗教的境地を目標としている

287 :
スピノザは宗教の洞察を決して軽んじてはいなかった
確かに迷信や教会の組織的腐敗等に関しては抵抗していた
しかしだからといって、全面的に宗教から身を引いたわけではなく、理性をもって自然すなわち神と接した
単なる部分の集積によっては汲み尽くされない全体(性)について考察を続けた

288 :
デカルトの神の存在証明

まず、否定できないものが存在し、精神がそれであるということから精神が実体であると証明する。次に、その精神についての疑問が出てくる。精神が完全で、他の何者にもよらないということは、経験上いえないから。精神が何を原因としているかが問われることに。

しかし、その原因として延長をあげることはできない。精神についての考察で、既に否定しているから。

そこで、別のものとして原因が措定されなくてはならないということになる。これが神の存在証明

289 :
スピノザによる批判

実体であると一度精神を認めながら、そこに不完全性を認めてその上位の実体を想定したのが誤りである、というのがスピノザの批判。
そこで、デカルトの証明したことから精神が実体であることをのぞくことになる。つまり、実体が一つであって全ては必然だと言うこと。今まで、神だとか精神だとか言う名前で呼んで感銘を受けていたものは、全て自然の実体性の一部を見て感じていたものにすぎないということ。

290 :
実体の本質の分析と、それが唯一であることの証明の二段階よりなる。

自然の必然性。現に産出されているのとは異なった秩序があり得ないことの証明。これが基礎になっている。
これは、それより上位のもの、それを変化させうるものがあり得ないという仕方で証明される。神の存在証明。また、同時に神に付されていた諸々の性質を否定することで。

自然の必然性を否定するものが無くなった以上、その一部でしかない人間、意識も同様に考察されることになる。それを否定する根拠が存在しないから。

逆に言えば、スピノザの特色は証明の順序を確定したことにある。まず最初に考察されなければならないのは、自然の必然性を否定するとしてそれはどういう可能性によるのか。それを一々検討して、それが不可能であることを示した。
世界が必然であるかどうかをまず議論して、その後で人間が自由意志を持つかどうかを考えよう、という順序。

291 :
そして、これは複数の観点で述べられている。

人間は実体ではない
存在するのは観念のみであり、それとは別の意志など存在しない。すべて観念により決定する
精神は身体を動かさない。その原因ではない。

292 :
神を主語ー述語の言語構造で処理すると神は唯一の根本的主語にしかならない
そのような根本的主語に実体という語を与えたのなら、他の一切のものはその述語にしかならない
だから、それら他の一切のものに対しては、神(実体)という主語との関係において、それらにふさわしい述語としての名を与えなければならない

デカルトはこのような構造で神を処理しなかったが
スピノザは徹底的にこの構造で処理した

293 :
ちょっと煩わしい程度の害悪を徹底的に未然に防ごうとすべきではない。
あからさまに悪意のある相手さえ、その行為が自分に大きな被害をもたらさない
限りは、自分の役に立っていると認識することが重要。
小さな害悪というのは、そのものがいわば日常的な予防接種のようなもの
として作用する。出した資源ゴミを勝手に持ち去られるのは煩わしいし、
きちんと処理が行われなければ迷惑だ。しかし、そのような小さな窃盗
行為を経験することで、油断をしていれば、いつでも家宅侵入による窃盗
などの被害に遭う可能性が意識されて、警戒する。それでいいのだ。
日常的に小さな害悪すら生じないことが当たり前になって、警戒しなくなり、
ある日、突然、取り返しのつかない大きな被害に遭うよりよほどいい。

294 :
はやく完全になりたーい

295 :
なる

296 :
こんな所で糞の役にも立たない長文を書き
他人様に何かを伝達できたと悦に入っているであろう者の人生の敗残は
少し興味深い

297 :
スピノザを読んでいるとそういうことを書き込むのに躊躇するはずなんだけど

298 :
スピノザを素通りできない人たちが案外多いことに関心があります

299 :
結局のところ、「不完全な人間が、どうやって完全になるか?」というのが、スピノザ哲学

300 :
ヘーゲル「精神現象学」のテーマもそれ

301 :
それはまさしくそのとおり

302 :
スピノザ哲学では「完全」なのは神だけなのでは。
人間はただ「改善」ができるだけであって。

303 :
自分の不完全さを自覚しない人にはまるで関係がない、存在しないのと同じだから
重ねて不完全さを自覚してなおかつ生きようとする人の中でも、二重にその関係性が重なってくる
ヘーゲルに対するキルケゴールの関わり方は、見逃せない意味がある
ヘーゲルが重要な人間だってことと、キルケゴールが重要な人間だってことをどちらも身に染みて実感した上で二つの立場を枠外から捉え直した時、なおどの立場に付くか何をすべきかそこに踏みとどまる
自分には、同じ考え方を取ったうえでヘーゲルの側についたバタイユが先行する人間としてこの世にいてくれたことに感謝してる

304 :
うんまあ
ちょっと前に引用されているように「人間としての最高完全性」なんだけどね

305 :
その過程はスピノザより後になって、個人の極限の主張という形となって個別の事例で現れてくるという話だ
例え自分の中や世間で反発しあうもの同士に観念的にバランスを整えられたとしても、自分自身だけでは別の価値観の極点には関与できない
だから他人が限界まで推し進めた主張と、その敵対関係にあるまた限界の姿をした主張とに、身を投げ込む必要がある
平均台の上を渡りきることと、谷の上で綱渡りをすることは違うことだと思う

306 :
完全になったら終わりなのだろうか。完全という概念にたどり着いたらもう成長はないのか。何をもって未熟な人間が完全を目指し完全なのか。

307 :
>From towering redwood trees and diminutive mosses to plants
>that have stinging hairs and poisons,[...]

"diminutive mosses"は、普通に訳せば「ちっぽけなコケ」だが、
この"diminutive"を「わび(侘)しい」に変換できるかどうかが
センスの分かれ目だろう。

308 :
神を紙面の中だけに見るのもつまらないだろうな。下積み生活だなあ。

309 :
神を目の当たりにすると、人生観かわるさ。

310 :
日本には八百万の神々が住んでいます。実話。

311 :
スピノザ哲学のベースには、常にデカルト哲学がある。

スピノザのいう「完全、不完全」というのは、かの有名な「デカルトによる神の存在証明」と切っても切れない。

312 :
デカルトは有名な「神の存在証明」を行い、それにしたがって認識の確実性を基礎づけようとしている。一般にこのデカルトの証明は詭弁とされているが、一応見ておこう。

何かを疑いの対象とするのは不完全な存在のみだ。疑うためには完全であってはならない。それゆえ人間は不完全な存在である。

不完全な人間が完全な神の観念をもっている。不完全なものは完全なものに由来するのでなければならない。したがって神が存在するのでなければならない。

ところで人間のもつ観念は神に由来する。神が人間を欺くことはありえない。したがって人間の観念は確実に真であるほかない。

つまりこういう感じだ。

神は完全(無限)であり、人間は不完全(有限)。完全なものが不完全なものに由来することはありえない。むしろ逆。だから不完全な人間の由来としての完全な神が存在すると言わなければならない。

313 :
ヘーゲルはカントのあとを受けているがカントより危険でなく、
はからずも、はかられて刑務所インフラや病院インフラに人事をうって、凋落の
一途をたどっているとこが笑える。

314 :
>>306
まあ、「人間が神になる」というのを目指してるわけでは、さすがにない。

「普遍的な世界認識に到達する」というのが、ここでの最終目標でしょうな。

315 :
神が人間におりてまた返り咲くか人間を選んだら感動的だ。神は高次の段階だと思うよ。人間から成りあがってもほぼ不完全な人が多いだろうね。

316 :
デカルトの本業は数学者だ。

デカルトのいう「完全・不完全」というのは、数学の「無限・有限」とセットで考える必要がある。

無限から一部を切り離せば、有限になる。

しかし、有限をどれだけ伸ばしても、決して無限にはならない。

無限から有限は生まれるが、逆は無理なのだ。

317 :
有限を分かち合うこと。無限に還ってゆくこと。

318 :
スペースと身体の関係のことに思う。

319 :
無限なら大酒のみがいいだろう。有限ならタバコかなあ。

320 :
天文科学館、文学資料より抜粋。

321 :
『短論文』には「我々の完全性は、我々が常にますます向上しようとつとめずにおられぬ点に存する……」(第二部第十八章)と書かれている
岩波の古い訳からとってきたので現代仮名遣いに直しておいた
最近、知性改善論と短論文の二つの新しい訳を合わせた単行本が出たんだけど高すぎて買ってない

322 :
微妙に直ってないけど意味はわかるのでまあいいか

323 :
人間の完全性はその能力の能う限りにおいて自然をより広く認識し
自然のうちのものどもに、各々の本分を十分に発揮できるようにさせ
もって神の永遠無限の存在と同一になることにある

人間の観点から見ると神へと向上する、神の完全性へと向かっていく、というふうにいわれる
同一「になる」というよりはむしろ同一「である」というほうが、万物は神から流出しているという観点からみれば正しい
というわけで人間の完全性は神が神自身を表現し続ける永遠の過程の一部だともいえる

324 :
論理の先に神が存在したというのなら理解できるが神というものを前提にして論理を組み上げるってのは
理性的なやり方ではないね

325 :
スピノザは完全なるものとしての神を前提にしてそこから論理によって
世界と人間がどのようなものであるかを導き出しているのであって、
「論理を組み上げ」ている訳ではない。

326 :
同じことだろ(笑)

327 :
幾何学の定理と演繹法則が異なるように
論理によって組み上げられるものと論理そのものは別物

328 :
科学用語でもない論理という言葉に数学の公理や定理とそこから導き出される関係性を指すような厳密な意味などない

329 :
論理学においてはもちろん日常用語でも
論理はある事実からある事実を導出する基本的な規則を意味しており
そこには大した曖昧さはない

330 :
まあ言いたいことはわかる
スピノザが神の定義に至る前に多少なりとも一連の思考の過程というか手続きが確かにある(『エチカ』にはないけれども他の著作ではある)
神の認識についてスピノザは直観だと言うだろうがね

331 :
完全という造形は時代遅れだろうね。

332 :
私は神の名のもとに、無限性や必然性、絶対性であるといった観念を抱くが、それらの観念は私自身の中にはもともと存在しないものである。

何故なら私は有限であり、偶然に支配され、誰かとの相対的な関係の中でしか生きられない存在だからである。

だから、これらの観念は神によって私にもたらされたのだと考えるほかはない。

333 :
私は、清楚で淫乱な人妻という、明晰判明な観念をもっている

それは、私の中には存在しないものである

334 :
ダメやん

335 :
realitas objectivaですね

336 :
この観念は、エロ動画によって私にもたらされたのだと考えるほかはない

337 :
お前たちは全て私の自己の中に包摂されている

私も包摂されたかったなー

338 :
相互包摂いたしませう。

339 :
あなたとはイヤ。

340 :
317 :学術 :2018/10/21(日) 08:39:35.41
有限を分かち合うこと。無限に還ってゆくこと。

341 :
つまり、こういうことだ

無限=神は、すべてを包摂し、逆に、個物から包摂し返されるのを待望している
だが、
中には包摂し返されたくない個物もおり、拒絶されるのは、個物自身が神となることを欲するような包摂の場合である
ただしい包摂とは、神から包摂されているという事実への反省、すなわち、神からの包摂の包摂=受託である

342 :
それだと神の必然性に個物側が抗いうるということだから
スピノザの考える神ではなくなっちゃうよ
個物側にも形而上学レベルである種の自由を与える思想は他にもあるだろうから
そっちを研究したほうがいい

343 :
「スピノザは、石がある衝撃によって空中を飛ぶとき、石に意識があれば、自分自身の意志
で飛んでいるのだと考えるだろう、と言っている[書簡六十二]。わたしはこれにさらにつけ加え
て、石の考えていることは正しいとだけ言っておく。」
ショーペンバウアー「意志と表象としての世界」第24節より

344 :
自然が神様に見えるの??

345 :
スピノザが言っているのは全体としての自然
しかもここでの「全体」は全体と部分という意味とともに全体はおのれ自身を元としては含まないというような意味での全体でもある

また、スピノザが自然について言及するとき、五感で知覚できる純粋に物体的な自然(スピノザにおいては延長における諸様態)だけを指しているわけでもない

哲学では同じ語でも意味がまったく違ったりすることがよくある

だから>>344の言うところの「自然」と「神様」はどういう文脈で使うのかを明らかにしてくれないとなんとも言えない

346 :
>>344
自然の中には、人間も含まれる

347 :
自然こそ神なんてわざわざ宣言しなくて良いよな
なぜ神を持ちこまなきゃいけなかったのか
自然は自然で良いわけで
自然には完璧な法則が働いてるということを
神抜きで言ってしまうと不味かったのか

348 :
>>347
「自然」には人間も含まれる

349 :
それも、物質的な身体だけではない

精神も含まれる

350 :
精神世界と物質世界は、同時平行で進行している

両方とも、神が持つ2つの性質の表れ

351 :
「自然」が物質世界だけを指しているのなら、わざわざ「神」という必要はない

そこには精神世界、つまり、人間の心の中の観念も含まれる

352 :
カントを先に読んでいたんだが
カントとはア・プリオリの使い方が違っていて混乱した思い出がある
もっともスピノザの特別な用語の使い方じゃなくてデカルトもそうだったんだけど

353 :
スピノザのいう「自然」は、現代人が「自然」と聞いてイメージするものとは、だいぶ異なる(そもそも、訳語だし)

起源は古代ローマのストア派哲学なので、それを知っとくと意味が分かってくる

354 :
ストア派の哲学は、古代ギリシャのゼノンという人物による思想で、「禁欲主義」と呼ばれています。
ちなみに、「ストイック」という言葉はこのストア派に由来します。

そのことからもわかるように、ストア派の哲学では理性(ロゴス)によって感情(パトス)に打ち勝つことを目指します。

そして、それによって感情に負けない心(アパテイア=不動心)という究極の境地に到達することが幸福だと考えます。

財産や地位など外的なものを欲する感情に打ち勝ち、理性による自己鍛錬で徳を高めていこうというわけです。
それこそが幸福の道だと。

355 :
ゼノンは「自然に従って生きよ」とも主張しました。
何も文明を捨てて自然の中で暮らせとか、食品添加物は食べるなとか言っているわけではありません。

全宇宙を貫く自然の法則は、全てが必然で合理的なものであるから、「人間もその秩序に従って生きるべきだ」という意味。
富や名誉といった人間の欲望や感情に起因する物事に縛られていることこそ不自然であり自然の摂理に合致していないというわけです。

だから、そういった人間のちっぽけな欲望や感情に理性をもって打ち勝ち、自然に従って生きよ、というのがストア派の哲学。
人間の欲望や快楽に飲み込まれることなく、宇宙の秩序と法則に従い自然の全体と一致して生きれば、心の安らぎが得られると説いたわけです。

現在一般的に使われる「ストイック」という言葉のイメージとは少し違いますね。
ストア派の哲学は、どちらかというと修行僧のようなイメージに近いかもしれません。

356 :
ストア派(希: Στωικισμός)はヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。
破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた。

ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。
このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた。

357 :
ストア倫理学では決定論が支持される。ストア的な徳を欠いた人間に関して、邪悪な人間は「車にくくり付けられた犬のようなもので、車の進む方向へどこにでも行かされる」とクレアンテスは考えた。

対照的に、ストア派の徳は人間の意志を世界と一致するものへと修正し、エピクテトスの言うところによれば、「病むときも幸福で、危機の内に在るときも幸福で、
死を迎える時にも幸福で、追放されたときにも幸福で、恥辱を受けた時にも幸福[7]」であらしめるために、「完全に自立的な」個人の意志と同時に「厳密に決定論的な統一体」である世界を断定する。

この思想は後に「古典的汎神論」と呼ばれ(、オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザに採用され)た[9]。

358 :
ストア派によれば、世界は物質的で、神あるいは自然として知られている理性的な実体であり、能動的・受動的の二種類に分けられる。受動的な実体は物質であり、「何にでも使える実体だが不活性で、何者かによって運動を加えられないと動かないままでいる[17]」
運命あるいは普遍的な理性(ロゴス)と呼ばれる能動的な実体は知的なエーテルつまり原初の炎であり、受動的な物質に働きかける:

359 :
世界それ自体が神であり、世界が自身の霊魂を流出する;
それは同じ世界を導く原理であり、物の一般的本性やあらゆる物質を包含する全体性とともに心や理性の中で働く;
運命づけられた力と未来の必然性; それにエーテルの炎と原理;
さらに水、大地、空気のような本来の状態が流動的・遷移的な諸元素;
それから太陽、月、星々;
これらと、全てのものが内包されるような普遍的存在が含まれる

—クリュシッポス,キケロ『神々の本性について』第I巻より

360 :
「読書百遍、意おのずから通ず」というけど
エチカを百回よんだって、スピノザの言ってることは理解不能

でも、古代ローマのストア派哲学を予備知識として知っとくと、急に分かってくる

361 :
ニーチェやハイデガーもそうだけど、キリスト教のドグマに異論を唱える人が拠り所にするのは、やっぱり、ギリシャ・ローマの古代思想

要するに、「キリスト教が普及する以前に還れ」ということになる

362 :
柄谷行人『哲学の起源』第四章2でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに
関しては、http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html
http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html等を参照。


「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
 あるいは手によって絵をかき/
 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」
(クセノファネス断片15)

参考:
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると
言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。
そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、その
他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」
書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より 

ただしスピノザは定義に起成原因を求めている点が優れている
例えば円の定義には円を作図する方法が含まれるべきなのだ
(参考『探究2』柄谷行人) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63)


363 :
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

364 :
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

365 :
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

366 :
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

367 :
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

368 :
新プラトン主義的でもあるとも言える
デカルトは必須として
結局いろいろ読まないと理解出来ないというのは確か

369 :
まあ、論語も孟子も知らずに、荻生徂徠や伊藤仁斎を理解しようというようなものだからな

無理がある

370 :
小林秀雄の『本居宣長』
孔子はともかくそういった人びとについてまったく知識がなく挫折した
今も読んでない俺を叱ってくれ

371 :
本当にダメな奴

372 :
そもそもそんな書を読む必要はないでしょ

もう少し言うと
「エチカ」も読みづらくてつまらないから読む必要はないと思う

さらに言うと
読み了えた所で、どうせ死んでしまうし

373 :
そうだね
プロテインだね

374 :
惑星ソラリスとスターウォーズを見ればエチカがわかる
逆にエチカを読めば上の映画をもっと楽しめる

375 :
 《スピノザの哲学は (「人間」的なものの籠絡からの)静かなデタッチメントの哲学だ。
すなわち、われわれの身体が物質宇宙の一部分であるように、われわれの思考も無限な
思考宇宙 の一部分である。われわれに思考があるのにわれわれがその部分である自然
に思考がないとするのは不自然である。われわれの中で事物自身が事物自身について
肯定したり否定したりするようになったとき、われわれの精神は「自動機械」となって、自分
のいる場所(自然)がずっと「神」であったとわかる。カメラが引いていくと、帰還した地球の
故郷が実は惑星ソラリスの変様部分であるのが判明するあのタルコ フスキー監督の「惑星
ソラリス」のラストシーンを思い出す。》
(上野修、講談社『本』5月号「スピノザから見える不思議な光景」より)

376 :
>>375
そういうことでしょうな。

「物質世界と精神世界が、並行して同時進行している」というのが、スピノザの世界観の核心

われわれ人間の身体は、あきらかに物質世界の一部として存在している

であれば、われわれ人間の精神もまた、同じように精神世界の一部であるはずだ

377 :
物質世界も精神世界もともに、自然=神の表れた姿

378 :
お前ら、死後は地獄行き〜

379 :
山葵(わ・さび)≒"diminutive+さび"でしょうか
ちょっと寂びを感じるんでしょうね

380 :
古代ローマ哲学を、デカルト風に書いたのがスピノザ

古代インド哲学を、カント風に書いたのがショーペンハウアー

381 :
肉体的快楽を全否定せずに凡庸な快楽主義からいかに脱するか?

382 :
エピクロス派の哲学を再検討したらいいのでわ

383 :
隠れて生きよ。か。アナトールフランスのテクストも日本翻訳ですら、質が高い。

384 :
スピノザ哲学の要点は

デカルトが

精神
身体


確立させたヒエラルキーを


身体ー精神

並行に捉えたということ


これはデカルト哲学の根本的な読み直しでかつ
デカルトへの最大評価でもある

歴史的な第一歩で
人類にとって不可逆的な進歩なのだ

385 :
>>384
デカルトくらい、殆どの哲学者が論破してるのに、デカルトごときで、何の自慢があるのやら

386 :
さすがにそれはデカルトを見損ない過ぎ

例えば学校で見てきたx軸とy軸の直交座標系はデカルトがもたらしたもの
彼が「整理した」(心身二元論的思考は古代ギリシャはもちろん東洋にもあったといえばあった)心身二元論もビックリするほど現代に影響を与えている
他にもたくさんあって枚挙の暇がない

デカルト自身の形而上学がそのまま採用されることはほぼなくなったとはいえ
デカルトを抜きにして現代のあらゆる思想は語れない
明白な間違いが彼の思想にはあったのだろうが
それゆえにこそ我々が乗り越えるべき地盤を作った人でもある

387 :
おれはなぜいまここでスピノザなのかを聞きたいんだよなあ

388 :
延長的世界観に支配されたといっていい現代社会において
その世界観がそもそもどこに由来するのだろうかと考えるとだいたいデカルトに行き着く
しかしスピノザを見るとデカルトに大きな影響を受けつつも思惟(精神)を自然から放逐してはいない
デカルトとは別の、そして今日とは別の形而上学体系を構築している
それはいったいいかなる考え方なのだろうか
スピノザの思想は今現在生きているわれわれの生の問題に現代諸科学とは別の側面から、というか別の次元からアプローチ出来るようにさせてくれるのではないか
とか考えろ
逆に現代の科学信仰にまったく違和感を覚えておらず人生も充実しているなら
多分読む時間が無駄になるから自分のお仕事や研究に邁進してどうぞ

389 :
>>387
プラトン的なものとアリストテレス的なものが、手を変え、品を変え、違う形で何度でも再登場するのが、哲学の歴史

今は、新プラトン主義が復活しているのではないか?

390 :
>>387
>おれはなぜいまここでスピノザなのかを聞きたいんだよなあ

オレも、なぜいまここでスピノザの哲学が必要とされるのか、
自分の人生にスピノザの哲学が「なくてはならないもの」なのかが聞きたい
それこそが本質論だろう

391 :
それこそ自分で読んでみて「なくてはならないもの」と見極める問題では……
ほかの哲学でも科学でも宗教でもなんだったらスポーツとか芸術とかそういうのでもいいだろ

392 :
デカルトもそうだしスピノザも、本人は思いっきり新プラトン主義にハマっているのだが、後世から見ると「脱・宗教」の先駆者

393 :
デカルトにはアウグスティヌス、スピノザにはゼノンの影響が顕著であることが、たびたび指摘されている

両方とも、古代ローマ帝国期の人だ

394 :
日本では、デカルトとカントについては、高校の倫理の授業のおかげで、世間の一般人も普通は知っている

スピノザだと、普通の人はまず知らない

395 :
現代人にとっては、汎神論や決定論よりも、言論の自由や、思想の自由を唱えたという、社会思想史上の意義のほうが大きいように思われる

396 :
誰でも、という時代だものね
中島義道のチラ見した本で「現代では哲学の門はすべての人に開かれている。カントも百姓や大工に読まれるとは考えなかっただろう」という意見を書いてた
限定された知識階層で回してきたものが、下から這い上がってきた素材と努力の善く結合した人間に思いきりひっくり返されることがよく起こると思う
そうなると、汎神論というのがついに現実に姿を表したという風に私は見る

397 :
新プラトン派ないし新プラトン主義(neoplatonism、ネオプラトニズム)とは、西暦205年〜270年ごろに生きていたギリシアの哲学者であるプロティノス(Plotinos)を創始者とする哲学思想の潮流であり、

新プラトン派においては、プラトンのイデア論の思想に基づいて、現実の世界における具体的な事物の背後には、真なる実在としてのイデア(idea)が存在する観念の世界であるイデア界があるとされ、

そうした真なる実在としてのイデアが存在する知性的世界(イデア界)と、現実の世界における具体的な事物が存在している感覚的世界(現象界)という二世界論において世界の構造がとらえられていくことになります。

398 :
認識においては、自分自身の魂の探求から、自らの始原である知性、そして、さらにその大本にある究極の根本原理である一者へと到達し、

自らの存在の根源にある一者へと帰一することが哲学的探究の究極の目標であるとされることになります。

そして、

こうした新プラトン派の認識論においては、エピクロス派における認識の区分と同様に、知性による認識のあり方は、

部分から部分へと論証を積み重ねて真理へと迫っていく論理的思考と、事物のあり方全体を一挙に把握する直観的把握という二つの認識のあり方に分けて捉えられることになるのですが、

人間の魂自身は、論理的思考しか行えないため、部分から部分へと論証をつなげていく際に、その思考の過程に誤りが生じてしまうという不完全な認識にとどまるのに対して、

直観的把握の方は、全体を一挙に把握するため誤りが生じ得ない完全な認識であるとされ、

そうした完全な認識のあり方である直観的把握は、魂がその始原である知性へと純化していくことによって得られる純粋な知性の働きによってもたらされると説かれることになります。

399 :
つまり、

人間の精神がその究極の原理である一者の認識へと到達するためには、哲学的探究と自分自身の魂の内省を経て、その精神を知性へと純化して高めていくことが必要であり、

そうした一者に対する究極の認識は、自己自身を含むすべての存在をその根拠から一挙に捉えるという純粋な知性の働きに基づく直観的認識によってもたらされるとされることになるのです。

400 :
・・・という具合に、新プラトン主義の存在論や認識論を見ていくと、そのまんま、スピノザ哲学そのものだってことが分かる。

スピノザ哲学というのは、新プラトン主義の一種だと言える。

401 :
ルネサンス期のイタリアでは、フィチーノやピコ・デッラ・ミランドーラといった人々が出て新プラトン主義を創始し、古代ギリシャ・ローマの哲学を復興した。

デカルトとスピノザは、古代ギリシャ人・ローマ人の思想を直に学んだというよりは、こういうルネサンス期の新プラトン主義から強い影響を受けたと考えられる。

さらに、当時はまだ哲学といえば中世のスコラ哲学だったため、彼らもスコラ哲学をしっかりと学んでいた。

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」、「すべてを疑う」という元ネタは、聖アウグスティヌスだと言われている。

402 :
ここはスピノザスレなので、新プラトン主義については別スレを立てた

http://itest.2ch.sc/lavender/test/read.cgi/philo/1540681624

403 :
結局、浅田彰がなんで「スピノザというのがよく分からない」なのかというと、彼は20世紀の唯物思想からこの道に入ったため、新プラトン主義の素養がないからであろう。

404 :
本だけ読んで哲学を頭に詰めるだけも汚い生き方だろう。
哲学者 若手の課題。

405 :
イデアと違う世界の構成の相手に世界を善意で押し付けるきらいがあるな。
もっとよく考えてみなければならないところだ。

406 :
浅田彰は誰よりもスピノザを理解している
ただし浅田彰自身はライプニッツ的多元論の人だからスピノザを
理解しているとしたらスピノザを批判せざるを得なくなる
だから理解できないということにしているのだろう


《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるという
ことではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見するこ
とが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類
は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはな
いんだから。》浅田彰
「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録


この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世
界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプ
キの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられ
ないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのであ
る。》(柄谷行人『探究2』(単行本版p52)

407 :
新スレたてたが、すでにあった

http://itest.2ch.sc/lavender/test/read.cgi/philo/1526903416

408 :
>>406
そりゃそうだろうな

あれだけジル・ドゥルーズに傾倒したんだから、ドゥルーズを通じてスピノザにも慣れ親しんだであろう

409 :
スピノザ研究は、ドゥルーズのライフワークと言ってよい

410 :
しかし、現代の唯物論者たちは、スピノザを「無神論の祖」として評価している

スピノザ本人にとっては、心外なことであろう

411 :
スピノザとライプニッツの調停法は一つしかない。
可能世界のない世界が可能世界的に一つだけあるということだ。

412 :
プロティノスをはじめとする新プラトン主義の哲学者とライプニッツの関連が問題になるが、これについては、かなり明瞭なつながりが認められているようだ。

たとえばドゥルーズ「襞----ライプニッツとバロック」には、ライプニッツのモナドという言葉は、新プラトン主義の哲学者の用語に由来すると書いてある。

413 :
スピノザと同じく、ライプニッツの哲学も、思いっきり新プラトン主義っぽい

414 :
プラトン主義の根は深い

415 :
スピノザにおける「本当の」存在は神だからね
この世の事物はその派生物に過ぎない
勝義の実在を身近な事物ではない何かに見出すのは本当にプラトン的というか宗教的というか

416 :
スピノザとライプニッツ

どこが、どう違うのか?

417 :
似たような思想に思えるが

418 :
おおきみ おおかみ?

419 :
一なるものが多なるものをうちに含むということを強調するか
多なるものが一なるものをかたちづくるということを強調するか
この違い

420 :
スピノザに目をつけるとは
哲学板で、初めてマトモな人を見た気がしましたわ😃👯

421 :
>>419
なるほど

一者からの流出がスピノザ

多者による綜合がライプニッツってとこか

422 :
それと神様が外にいるか内にいるかという違いもある
あの時代に内にいると言うといろいろな所から怒られる

423 :
スピノザが盛り上がるねえ嬉しいけど不思議だよ

424 :
神について言及しても「宗教じゃんそれ」って言われないからねぇ
他の哲学者のスレだと形而上学的話題に踏み込むだけでアレルギー反応を示す人も多い

あとドゥルーズのお気に入りなのも大きいか

425 :
定理 は 確かに日本翻訳ですらよくできていたよ。
存在証明なんだろうなビジネスライクな神の人を介した。

426 :
読後感は繊細で堅い哲学だなあと。切り崩していってたけど。

427 :
よしあなたたちの見解を信じて見る気になったぞ
なので一冊でわかる新プラトン主義入門的な書籍を紹介してくれたまえ
目的はあくまでスピノザ理解なのでその一助になるかも程度のやつで結構です

428 :
中央公論社の哲学の歴史第二巻
プロティノスのほかにストア派やエピクテトス等ヘレニズム期の他の思想の解説もあってオススメ

429 :
>>428
ありがとうございますググってみたら良さそうですね
年内には読みたいと思います

430 :
世界思想社からその名も『新プラトン主義を学ぶ人のために』
が出てたな

431 :
現代の分析哲学においてしばしば用いられる「可能世界論」は、可能性と現実性についてのライプニッツの主張から始まっている。
ライプニッツは我々のこの世界を最善の世界であるとしたのは、神がそうなるように選択したからという根拠に基づくものだった。
しかし可能性においては、神はこの世界とは違った世界を作ることもできたはずであるが、「現実」に神が創造したのは我々のこの世界なのである。
つまりあらゆる可能的世界において、神が「この世界」を選択して創造したのだから、この世界は最善の世界であるとするのが、オプティミズムである。

このライプニッツの思想は、スピノザの思想への反論でもある。
スピノザはそうした可能性を認めず、この世界は神の必然的な決定によって出てきたのであり、これ以外の仕方は考えられないとするからである(『エチカ』第一部定理28)。
スピノザの考えでは、神における知性と意志とは区別されない。神は全能であるゆえに、神に何らかの思惟(可能性)が生じたなら、それはすべて現実化されるはずだと考える。
従って神の知性と意志とを区別する必要もなくなるわけである。

432 :
説明の理路が不明で何を言いたいかよく分らない

433 :
この世界は善く・悪く創造された云々についてはプラトンやストア派や新プラトン派等でも話題にされていたとだけ言っておく

434 :
>>432
要するに、この宇宙は無数のモナドの集合であり、あらゆる可能性の中から、予定調和によって最善の均衡へと向かう・・・というのが、ライプニッツの説

435 :
ざっと過去のレス眺めて思ったのは
物理学的対象としての「自然」の哲学だと思ってスピノザを学びはじめて
実はスピノザの自然がそういう「自然」と違っていて困惑する人が多いんだなあということ

436 :
>>435
いやいや、そこに気づいて困惑する人より、気づかない人のほうが多い

437 :
ていうか、むしろ、そこに気づかない人はスピノザの言ってることが意味不明に見えて困惑する

438 :
そもそも、それは「自然」という日本語の訳語の語感によるものが大きい

日本人には「八百万の神々」という古代の自然信仰の伝統が残っているので、どうしてもそこにバイアスがかかる

439 :
早い話が、哲学マニアを除く普通の日本人が、スピノザの汎神論の話を聞くと、「八百万の神々」というような自然信仰のイメージがパッと浮かぶ

でも、スピノザの汎神論は、そういうものではない

440 :
あーなるほど
物理学的対象としての「自然」について語られているのだろう
「汎神論」なる言葉から日本の八百万の神のようなもののについて書かれているんだろう
といった風にスピノザを読む前にスピノザについて書かれたものからちょろっとワードだけ引き抜いてそれらを前提にして読んでしまうと大混乱大会になっちゃうのか

441 :
とか言いつつもはじめて読んだ時に混乱した人
正直に手を挙げなさい
はい

442 :
訳語だと「自然」と「本性」が違うもののように見えるけども
ラテン語だとnaturaだし
「本質」(essentia)という訳語も
英語でいうところのbe動詞の派生語であることがわかりにくくなるという問題がある
これらも日本語での読解の障害になると思われる

443 :
ちょっと前で話題になってた『新プラトン主義を学ぶ人のために』を図書館で借りてみたんだけど
新プラトン主義の思想の流れを概観出来てかなり便利だね

444 :
>>443
それは良さそうだ!

445 :
ライフ ミッツ

446 :
>>442
最近みすずから出た抄訳版では「自然の性」と訳している。
でも、かえってわかりにくい。あなたの書き込みを見て
ああ「natura」をこう訳しているんだなと思ったけど、
平凡に「本性」と訳してくれた方がよかった。。。

447 :
>>446
確かにそれは逆にわかりにくいですね……

448 :
たとえば神にデウスというようにいちいちルビをふってくれればよかったのに翻訳

449 :
もう訳として定着しちゃった以上
ルビふるなり訳注で説明するなりするのがベターか

450 :
スピノザのお気に入り愛読書は、古代ローマのセネカ

デカルトと並んで、ストア派に決定的な影響を受けた

451 :
「生の短さについて」最近借りたとこだったわ

452 :
現代人にとってスピノザの世界観はなんとも摩訶不思議なものに思えるのだが、セネカを読めば分かってくる

やはり、思想家を理解する早道は、そいつの愛読書を読むこと

453 :
セネカ 人生の短さについて、の版だよ。日吉にあったのは。
岩波じゃないけどプラトンからスピノザに行くといいと思うよ。

スピノザの神の構成構造とは私は違うから、ひかれあって存在するんだろう。

454 :
NHK教育を見て56492倍賢くスピノザ
http://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/liveetv/1543841584/

455 :
「100分de名著」でスピノザのエチカを放送中。

456 :
概ね好評
再放送は水曜日朝と昼
http://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/liveetv/1543841584/
NHKオンデマンドは4日から

テキスト
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KR3HC77/

457 :
http://2chlog.com/2ch/live/readphp/read.php/liveetv/1543841584/

458 :
100分de名著 スピノザ エチカ
http://www.nhk.or.jp/meicho/
https://nhks-vh.akamaihd.net/i/meicho/movie/an_82.mp4/master.m3u8 1分30秒

https://www.amazon.co.jp/dp/B07KR3HC77/
 私はスピノザ哲学を講じる際 、学生に向けて 、よくこんなたとえ話をします 。
 ─ ─たくさんの哲学者がいて 、たくさんの哲学がある 。それらをそれぞれ 、スマホや
パソコンのアプリ (アプリケ ーション )として考えることができる 。ある哲学を勉強して理解
すれば 、すなわち 、そのアプリをあなたたちの頭の中に入れれば 、それが動いていろいろ
なことを教えてくれる 。ところが 、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない 。なぜかというと 、
スピノザの場合 、 O S (オペレ ーション ・システム )が違うからだ 。頭の中でスピノザ哲学を
作動させるためには 、思考の O S自体を入れ替えなければならない … … 。

459 :
現代でこそ哲学史上の名著とされる「エチカ」ですが、出版当初は無神論者による冒涜の書として黙殺されました。
その理由は、常識を覆すあまりにも革新的なスピノザの思考法にありました。
この世界のすべてのものは神のあらわれであり、神は世界に偏在しており、神と自然は一体であるという「汎神論」。
それをベースとして、「自由意志の否定」「人間の本質を力だと考える人間観」「活動能力による善悪の再定義」など、常識とは全く異なる考え方が導かれていきます。

460 :
>「人間の本質を力だと考える人間観」

マジか!?

それは知らんかった

それは、ショーペンハウアーやニーチェその他、後世への影響があまりにも大きいな

461 :
ライプニッツの「欲求」がカントの「物自体」になり、それがショーペンハウアーの「生きんとする盲目的な意志」となり、さらにはニーチェの「権力への意志」となった・・・
というのが、よく言われる哲学思想の流れだが

言い出しっぺはスピノザだったか?

462 :
>>458
それは、ユダヤ人なのでキリスト教の影響が小さいからですな

463 :
キリスト教掘り下げまくりだっつうの
神学政治論が生前の主著みたいなもの

464 :
参考:

「我思う、故に我あり(cogito ergo sum. 正確には、ego cogito , ergo sum .)」
  デカルト(1596-1650『方法序説』『哲学原理』他)

「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」
  スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)

「私は思惟する事物である 」
  ライプニッツ(『人間知性新論』4:2 みすず368頁 )

《スピノザは、石がある衝撃によって空中を飛ぶとき、石に意識があれば、自分自身の意志で飛んで
いるのだと考えるだろう、と言っている[書簡六十二]。わたしはこれにさらにつけ加えて、石の考え
ていることは正しいとだけ言っておく。》ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」第24節より

《僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者
だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの
「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の
傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質
な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的
世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時の
ように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、
二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!》
(ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

465 :
たしかコレ孤独がEinsamkeitで「二人連れの孤独」がZweisamkeitなんだが
「前はひとりぼっちだったが、今はふたりぼっちだ」と訳した人がいてうまいと思った

466 :
エチカは書物だけじゃない 定理でも厳しい読み手に向けてはね。

467 :
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1070283774590574592/pu/vid/1280x720/NM2o3gzZZtZOxunl.mp4

468 :
國分先生かぁ
上野先生のほうがうれしかったなぁ

469 :
佐藤優が國分との対談で、スピノザの汎神論は汎悪魔論に転化する云々語っていて、
國分はその発言に対して何も語っていないように見受けられたけど、
エチカのどこを読んでそんな解釈が成り立つのかと。
佐藤はかつて自著のブックガイドでエチカを挙げていたけど、本当に読み通したのか怪しいもんだ。

470 :
シェリングあたりの時期のドイツ観念論では、スピノザをそういう方向で捉えてキリスト教のスタンスから再批判する人がいたから、クリスチャンならそうなる

471 :
>>460
>>461
ニーチェ自身、『人間的な、余りに人間的な』の著書の中で、霊界でスピノザとよく精神的
交流をしているといったようなことを言っているそうだ。

『善悪の彼岸』『悦ばしき知識』(理想社)の人名索引でも、スピノザとの関連ページが多い。
スピノザの「神への知的な愛」について、ニーチェが何度か論じていた。

472 :
スピノザもニーチェも、「哲学史上、最も過激な思想家」として、よく名前があがる

473 :
ヘルダーの『神・スピノザをめぐる対話』の新訳を読んだ人いる?

登場人物の対話の中で、神=世界という理解は汎神論的な考えで否定すべきという記述があったけど、
『エチカ』の代名詞と言えば、「神即自然」と言われるくらいだから、読んでいて混乱してきたのだが。

474 :
引用不十分で却下

475 :
神が一番人気かどうか。

476 :
>>467
Aより コナトゥス 変状 欲望 感情
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1072136359614136322/pu/vid/1280x720/gQPQ5QND7qY5QGxa.mp4
Aより 時代背景
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1072136563440545792/pu/vid/1280x720/ninweKfaLNm5LicA.mp4

Bより 自由な意志
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1074889454395961345/pu/vid/640x480/mssWWmlhwQhbtWGU.mp4
https://youtu.be/YcrsDw4d7fY

477 :
ニーチェもスピノザを貶すときは貶してるからな
スピノザもところどころは認めてやるって程度だろ

478 :
そりゃ、スピノザは非キリスト教的だけど、きわめてプラトン的だからな

キリスト教だけでなく、プラトンも否定しなければニーチェの立場では認められまい

479 :
ニーチェも己の考えに固執するあまりその行き過ぎた信念が宗教じみてて皮肉な結果となったな

480 :
>>473
存在に<対して>神という概念があれがば汎神論
存在に<対する>神という概念で<なければ>汎神論にはならない

481 :
悪魔の方が多様で軍勢が多いのではないかな。神魔というカテゴリーをつくろうよ。
女神転生。

482 :
神のうちに世界があるというか
世界とは神の顕現なわけで神と世界は等置されるわけではない

483 :
エチカCより
デカルトとの比較
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1077245474426413063/pu/vid/1280x720/PZU_Eh8P3maPtn60.mp4

484 :
定義における起成原因の重要性に触れなかったことと
疑いつつある、というフレーズを紹介しなかったのが残念

485 :
伊集院が嫌い

486 :
伊集院は上手い例えを生み出す名人だな

487 :
コルベンハイヤー
こるべんはいやー
Erwin Guido Kolbenheyer
(1878―1962)
ドイツの作家、思想家。ブダペスト生まれ。ウィーン大学で哲学、自然科学、心理学を学ぶ。
処女作の戯曲『ジョルダーノ・ブルーノ』(1903)、スピノザを主人公とする長編小説『神を愛す』(1908)、
小説三部作『パラケルスス』(1917〜26)など、正統的な思潮に抗する歴史上の異端者の孤独で悲劇的な生涯を題材とする作品が多い。
「民族生物学」なるもののうえに個人と集団の関係を意味づけようとする俗流形而上(けいじじょう)学的体系の書『建築小屋』(1925)にはナチズムとの内的親近性が歴然とみられ、
異端者崇拝と相まって、ナチス時代の代表的な作家とされた。[池田浩士]
『手塚富雄訳『神を愛す』(1953・筑摩書房)』

488 :
>>188
「・・・、ゲーテ、・・・などの文人は、明らかにスピノザ主義の精神を汲み取った人たちである。
・・・特に、ゲーテはスピノザを「最高の有神論者、最高のキリスト者」とみなしているのである」
(工藤喜作著 『スピノザ』 P.204)

489 :
>>458
紹介の例えにはいいかもしれないけど初めからスピノザと同じOSを積んでる人間だってきっと多くいるね
私は逆に、ここで言われる「たくさんの哲学者」を読むほうが困難で仕方ない
恐らく自分のようなタイプ以外の読者に対して配慮して書かれた文章が心底気に食わずにイライラさせられるんだろうけど
スピノザの本にはそんな瞬間が一度も訪れないという幸せがある

490 :
悪魔は存在します

491 :
スピノザはほとんど読んでないな
最近、よく「コナトゥス」とかいう言葉を持ち出してくる人を見かけるけど、
ネットの検索でヒットする説明を読んでもよく分らない。
「コナトゥス」という表現自体は死語になってしまったのだから、
現代の言葉でそれに取って代わった表現があるはずだし、
感覚的に馴染むように現代の日本語で表現したらどういう言葉になるんだろう。

492 :
承認欲求やそれを得ようと必死に動く現代の人たちの努力は、他者に依存したコナトゥスであるかもしれない

493 :
「コナトゥス」という言葉を使ってみたい人がそれなりに沢山いるだけで、
この言葉によってイメージしていることや、意図していることはまるで
ばらばらである可能性も十分にあるわけだ

494 :
スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定_\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\_____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳_/
               \/
              5自由

文字化けしているかもしれないが、肝心なのは私見では縦の中心線にある、「努力」、「欲望」、「徳」だ。
(コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいるが、内在する力というイメージがなくなるからいい訳語ではない)
逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。法学でいう自然権とも関わる。

ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
國分のドゥルーズ論も一応ドゥルーズの系列的思考に触れていてその点は優秀だ。

495 :
以下は國分NHKテキストより

《コナトゥスを定義した定理が次のものです 。

おのおのの物が自己の有 〔引用者注 :存在 〕に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない 。
(第三部定理七 )

文中の 「有 」という訳語より 、 「存在 」としたほうが分かりやすいでしょう 。ここで 「努力 」と訳されているの
がコナトゥスで 、 「自分の存在を維持しようとする力 」のことです 。大変興味深いのは 、この定理でハッキリと
述べられているように 、ある物が持つコナトゥスという名の力こそが 、その物の 「本質 e s s e n t i a 」であると
スピノザが考えていることです 。》

496 :
>おのおのの物が

「物」という表現で何が想定されているのか不明だな。
その場合、風や光は物なのか?

497 :
>コナトゥスという名の力

力は物なのか?

498 :
おそらく、私の哲学へのアプローチの仕方が、スピノザについて語る大多数の
人々の場合とは異なっているのだろうと思う。スピノザに限らず、誰か特定の
哲学者に共感を覚えるかどうかは、私にとってどうでもいい、というより、
その発言を役立てることができる限りで、発言者である哲学者に私は共感
していると言える。『神学・政治論』にはそういう発言があったような曖昧
な記憶があるが、よく憶えていない。「コナトゥス」の定義を見せられても、
それがどう役に立つのか、今のところ私にはよく分らない。

499 :
「コナトゥス」という表現を用いなければ得られない洞察とはどのようなものなのか?
それが示されないかぎり、「コナトゥス」という表現を用いるべき理由が私には
見当たらない。

500 :
スピノザが「コナトゥス」についてどう論じたのかよく知らないので、定義や
ネットで見かける説明からの印象に過ぎないが、「コナトゥス」という概念が
分りにくいのは、その理路に大きな問題があるからだろうという気がする。

501 :
コナトゥスって躓くようなところじゃないと思うんですが…

502 :
難癖つけたいんだと思う
おそらく國分が嫌いなやつ

503 :
中公の『エティカ』が本当に好きだ
すごく伝わってくる。原典が読めないから、訳者の熱量かスピノザの熱量か判らないけど
畠中訳の『知性改善論』と光文社新訳の『神学政治論』も好きだ
自分は日本のスピノザ翻訳の恩恵をたくさん受けている

504 :
>>503
翻訳者の工藤喜作の『スピノザ哲学研究』もいいよ。
『エティカ』理解の助けになるし。

505 :
>>501-502
じゃあ、「コナトゥス」は日本語の「努力」と理解していいわけですか?
「コナトゥス」は、ラテン語から派生したフランス語、イタリア語、
スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などでは、どのように継承
されて、またはどのように変容して用いられているのですか?

506 :
>>502
好き嫌いということで言えば、私は、そうやってなんでもかんでも
人物評価や人格の問題にすり替えようとする人間が身の毛もよだつほど嫌いだ。

507 :
あなたのその言い方がすでに人格還元なわけでしょう?
いわゆる「自分の頭で考える」在野幻想が強すぎる御仁とみた

508 :
>あなたのその言い方がすでに人格還元なわけでしょう?

いいえ、匿名の人の行為に対する一般的な発言なのだから、
人格還元ではなく、振舞い還元ですよ?

509 :
スピノザ・スレで「在野幻想」とか、相当に重症だな

510 :
>>505
「そういうわけで、一個の力能の度としての様態の本質は、その様態が存在し始めたときから、コナトゥスとして、いいかえれば存続しようとする努力もしくは傾向として規定されることになる。
傾向とはいっても存在への移行もそれではなく、その存在を維持し確立しようとする傾向である。力能はどこまでも現実態であることをやめるわけではないからだ。」(ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳、208頁)

「「努力」というと何かある目標があってその達成に努めるという語感が残るが、スピノザの「努力」は実はどんな目的意図とも無縁である。」(上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ』125頁)

「あたりまえだが、猫Aをかくあらしめている肯定は猫Aの否定を含まない。一般に、事物はみなそれぞれに、それ自身の肯定であり、それをキャンセルしようとする一切に抵抗する。スピノザはこの抵抗力を「コナトゥス」と読んでいる。」(上野修『スピノザの世界』135頁)

「我々の精神の最初にして最主要なもは、我々の身体の存在を肯定する努力である」(スピノザ『エチカ』畠中尚志訳、第3部定理10証明)

フランス語ではポートラ訳だとeffort
コナトゥス概念がなんの役に立つかはネットの解説だけじゃなく自分で本読んで勉強して考えてくれ
少なくともここで教わるようなことじゃない

あと國分功一郎はコナトゥスの定義って言ってるけど厳密にはコナトゥスは定理のなかで証明されて出てくるものであって、スピノザ自身も定義はしていない。
だから「これ!」っていう定義は実はないからそこに拘ると話がややこしくなる。
國分功一郎はわかりやすさ重視して結構重要な議論をはしょったり短絡的な表現を使ったりするから注意が必要。
概ねは正しいんだろうけど。

511 :
>>510
すばらしい、最高
読んでないけどぱっと目で見たその行為に賞賛!

512 :
>>510
ドゥルーズからの引用に誤字があった
×傾向とはいっても存在への移行もそれではなく
◯傾向とはいっても存在への移行のそれではなく

513 :
>>510
その説明を読む限り、やはり理路に大きな問題があるとしか思えない。

514 :
「コナトゥス」という表現が重要であると言うなら、やはり、それが
どのように現在、用いられている言語表現に継承されているのかを説明でき
なければならないだろう。

515 :
それを言い出したら現代の言葉に直接的に影響を与えていない哲学者はほぼ全滅しそうだけど…
あなたが言う「現在、用いられている言語表現に継承されている重要な表現」って例えば何?

516 :
習慣

517 :
コモンセンス

518 :
コナトゥスという言葉自体で見れば、そりゃ何百年も前の哲学用語なんだから現代は使われていないし、現代の言葉に対応するものを見つけようとしても「その言葉がコナトゥスを継承しているか」は文献学的な証明が必要なわけで、相当な苦労を要する

とは言ってもスピノザの哲学が現代に至るまで様々な哲学者や思想家に多大な影響を与え続けているのは事実なわけだし、言葉そのものが「現代に継承されていない」というだけで理路に問題があるはかなり乱暴な議論かと

古代哲学やスコラ学なんてもう今は見なくなった哲学用語だらけなわけだし

519 :
>現代の言葉に直接的に影響を与えていない哲学者はほぼ全滅しそうだけど…

その考え方が完全に狂っている。哲学者は、自らが生きた時代と先人の言語表現を
借りているのであり、問題は、哲学者が借りた言語表現がどのように(変容を
受けながらでも)受け継がれているのか、どのように派生させられているのかだ。

520 :
それが分らない限り、「よく分らない表現だ」と言うほかない。

521 :
>>519
狂っていると言われましても、あなたの考え方に乗っかればそういうことになるんじゃないかという指摘です

522 :
四日間洗ってないとか言われましても

523 :
四日間洗ってないって、前に洗った日を含めて四日目ということ、
それとも前に洗った翌日から数えて四日経過して五日目に入っているってこと?

524 :
同じ日本語を使っていても、分っているようで実はよく分っていない表現は沢山ある。

525 :
努力とはいうがそこはスピノザ、
自由意志ではありえません

526 :
スピノザの用いる「コナトゥス」という表現と、アリストテレスによって
表明される次の考え方とは、どのような関係にあると考えればよいのでしょうか?

「すると、消滅するものはどんなものでも、同一で数的に一つのまま存続
することはできないから、持続的に永遠的なものと神聖なものにあずかる
ことは不可能だという理由で、それぞれに可能な仕方で多少ともあずかる
のであって、つまり、そのものが存続するのではなく、類似したもの、
すなわち、数的に一つのものではなく種において一つのものが存続するの
である。」 アリストテレス、「心とはなにか」、p.88

527 :
コナトスって何だ?

粉末にすることか?

528 :
「コナトゥス」という表現の用法の歴史から見て、「コナトゥス」
という表現によって何が意図されているかよく分るなんて主張する
人間は、それをよく分る日本語の表現に言い換えることができない
限り、嘘をついているとしてか思えないね。

https://en.wiktionary.org/wiki/wiki/conor
Etymology
From Proto-Italic *kōnāō, from Proto-Indo-European *kona, from
root *ken- (“to set oneself in motion”).

https://en.wikipedia.org/wiki/Conatus
The history of the term conatus is that of a series of subtle tweaks
in meaning and clarifications of scope developed over the course of
two and a half millennia. Successive philosophers to adopt the term
put their own personal twist on the concept, each developing the term
differently. [...] Today, conatus is rarely used in the technical
sense, since modern physics uses concepts such as inertia and
conservation of momentum that have superseded it.

529 :
哲学と哲学学の違いはそこにある

530 :
https://ja.wiktionary.org/wiki/いきおい
いきおい【勢い】(歴史的仮名遣い: いきほひ)

1. 発動しようとする力。ものが運動する際に生じる力。
3. 弾み。成り行き

531 :
>modern physics uses concepts such as inertia and
>conservation of momentum that have superseded it

発動しようとする力≒momentum、成り行き≒inertiaで考えれば、
だいたい合ってるよね。きっかけは提供したので、次の方どうぞ↓

532 :
>>503
中公の『エティカ』、注文しました
書評がすごく伝わってきました

533 :
「短論文」読み始めた
自分には「エチカ」よりこっちのほうがいいかもしれない

534 :
エチカは普通の読み物じゃないから、よほどの動機がないと最後まで読めないな

535 :
>「悪であるようなあることをしようと努力する」?

これってどういう文脈で言っているのだろう。畠中尚志訳の
「エチカ」は、ざっと目を通したことがある気がするけど、まるで
憶えていないな。

536 :
>>535
参考:
エチカ第4部
 定理四五 憎しみは決して善ではありえない。
 証明 我々は我々の憎む相手を滅ぼそうと努める(第三部定理三九により)。言いかえれば
我々はそれによって(この部の定理三七により)悪であるようなあることをしようと努める。…

岩波文庫版より

537 :
ドゥルーズの言う通り『エチカ』は定理証明という流れと独立的に備考という流れがあるから、ひとつひとつの定理の証明を追うのがしんどい人は序文定義備考付録だけ追って読んでもいいかもしれない
多分専門的なスピノザ研究者以外の人はほとんどそうしてる

538 :
定理はいいものだよ。しかし数学的自信がないな。寄稿しとくよ。

539 :
目を通したのが「エチカ」だったのかどうか不確かだけど、
定理と証明の形式で書かれていたことは記憶している。
随分、考えが青いなという印象受けたけど、「エチカ」は
後期の著作なんだね。

540 :
>>539
ぼくちゃん2ちゃんねるで何いってんのw

541 :
工藤喜作、上野修、國分功一郎のスピノザ論をそれぞれ読んだけど国内だと上野修が頭一つ抜きん出てると感じ
工藤喜作はちょっと古すぎかて、目新しいものがない
國分功一郎はほぼドゥルーズのコピーでドゥルーズのスピノザ解釈入門といった感じ
上野修だけがドゥルーズを参照しつつも独自性を打ち出してるように感じた
いまだ國分のスピノザ解釈ではなく上野のスピノザ解釈がスタンダードなのも頷ける

542 :
スピノザ『エチカ』講義: 批判と創造の思考のために 単行本 – 2019/2/26
江川 隆男 (著)
単行本 ¥ 5,400
内容紹介
誰もが知る『エチカ』は、その重要さと同じくらい難解さでも知られている。
本書は、全五部のうち、多くの人が躓いてきた第一部と第二部をあとにまわし、第三部の経験論的な場面から出発することで、この稀代の書の読破を実現する。
そこに立ち現れるのは、過去に蔵された古典作品である以上に、現代に生きる人々が生きる上での指針の書の姿にほかならない。
強い推進力で一気に読ませる著者待望のスピノザ論!

著者について
1958年生まれ。東京都立大学大学院博士課程満期退学。立教大学現代心理学部教授。専門は西洋近現代哲学。
著書に『存在と差異――ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館、2003年)、
『超人の倫理――〈哲学すること〉入門』(河出書房新社、2013年)、
『アンチ・モラリア――〈器官なき身体〉の哲学』(河出書房新社、2014年)などがある。

登録情報
単行本: 406ページ
出版社: 法政大学出版局 (2019/2/26)
言語: 日本語
ISBN-10: 4588150987
ISBN-13: 978-4588150982
発売日: 2019/2/26

543 :
>>542
100分de名著本に出ている國分功一郎の読み方に共通しているな
第一部と第二部は確実に後回しにされている

544 :
でもあれスピノザ的には第一部や第二部を通して思考を矯正する意図があるんじゃなかろうか
だから第一部からごりごり読まないとダメなのではないか
……と思ったけど哲学に慣れていない初学者は
第三部から読んで哲学的思考に慣れた後で第一部からまた読み直せばいいのか

545 :
>>542
何にせよ、発売日が待ち遠しいな。『エティカ』理解に役立つのか、立ち読みしてから購入検討するつもりだ。

546 :
ゲルーの一部二部の注釈本の翻訳がほしい

547 :
スピノザが使っている、17世紀頃のラテン語を学べる良い本ありますか?

548 :
17世紀にはラテン語は日常言語ではなくて
神と学問のためにもっぱら使われていたんじゃないの

549 :
普通にその辺の参考書で十分だよ
スピノザのラテン語はかなりシンプルだし
思うにスピノザはラテン語がデカルトやホッブズほど得意ではなくて、自分の哲学を上手くラテン語にできなかったんじゃないかという節もある

550 :
天理教入る

551 :
天照によるEnlightenmentですか?

552 :
古典ギリシャ語やラテン語はちょっとやって基本語彙とその変化を学ぶだけでも
英独仏らへんの本がだいぶ読みやすくなる

553 :
ありがとうございます
有田潤の初級ラテン語入門を読んでみようと思います

554 :
若い人なら『基本から学ぶラテン語』が一番現代的な構成(最近の英語の参考書みたい)になってていいかも
『ラテン語四週間』はあまりおすすめ出来ない

555 :
ラテン語勉強は会話を楽しむことがないし
主要な古典は邦訳されているので長続きしない

そこで副読本に勧めるのは

オウィディウスでラテン語を読む 著者 風間喜代三
さらに順序は逆だが同著者による
ラテン語・その形と心

オウィディウスはエチカを読むものには特別な存在のはずだ
数箇所だが引用は異例

肝心のエチカもラテン語はネットにある
http://users.telenet.be/rwmeijer/spinoza/works.htm?lang=E
ラテン語と対照させると中公より岩波文庫の方がしっくりくることがわかる

気分転換にグレゴリオ聖歌もおすすめ
youtubeでかなり聴ける

Ut queant laxis 聖ヨハネ賛歌
https://youtu.be/9fMppPLocmo
Ut queant laxis リラックスできるように
Resonare fibris 響かせ
Mira gestorum 貴方の行いの奇跡を
Famuli tuorum 貴方のしもべ(親族)に
Solve polluti 罪を溶かして下さい
Labii reatum 穢れた唇から
Sancte Johannes 聖ヨハネ様

チコちゃん
https://video.twimg.com/ext_tw_video/987860684506521600/pu/vid/480x360/j3qMl0eVF23csU-C.mp4

556 :
>>555
すごい早口で言ってそう
それが透けてみえるんだから、まだ勉強が足りないね

557 :
スピノザって本は全部ラテン語で書いてんの? 不得意なら他の言語で書いたものは残ってないんか

558 :
オランダ語とヘブライ語がある

559 :
哲学板にしてはマトモなスレだな。
去年の國分功一郎のNHKの番組がなかなか好評だったからのようだ。
コナトゥスという言葉の意味が問題になっている。
俺の思考OSでは、神性と獣性の狭間で葛藤しつつなんとか神性の方へ向かおうとする人間だけが持つ志向と理解した。
欲望や恐怖といった弱さの葛藤が存在しない神や動物ではコナトゥスは問題にならない。
恐らく東洋的な概念でもないだろう。

560 :
そう言えば、ラテン語は日本語に近いところがあると誰かに聞いたことがある。
動詞の主語が省略されることが多く、誰の行動なのかはっきりしないことがままある。
動詞の格変化で誰の行動なのか推測することが多い。
昔の言語は何でもだいたいそういうものだったのかも知れない。
近代に向かって人間が主体性を確立するにしたがって主語をはっきり言うようになった。
日本語はまだまだだ。

561 :
動詞の格変化?

562 :
スマン。
動詞の活用だ。

563 :
どの言語でもよく知れば日本語に近いところが見つかる
英語にも、ドイツ語にも日本語と瓜二つの表現が見つかる

564 :
相手を敬う場合に、相手を主体として特定することを避けようとする場合が多くある。

565 :
相手の命令によってやらされるのではなく、相手の意向に沿って自主的に
やることによって、相手があらかじめ責任を免れる。

566 :
「させていただく」、"with your permission"
相手は、「させる」こと、使役することができるだけ身分が高いが、
相手が「させる」のではなく、自分がそうすることを「相手が許す」のである。

567 :
>>559
コナトゥスは存在者であればすべてが備えている本質
それに神性とか獣性はいかにも価値評価的で全然スピノザ的ではない言い方

568 :
あらゆる存在は神の可能性の表現という意味で等価なのではと思ってる

569 :
>>558
スピノザ研究者は全部読めなきゃいけないんか 大変やな

570 :
オランダ語は、ドイツ語と英語を学んでいれば楽勝という気がする
ヘブライ語がどのような言語なのか知らないが、まずは文字を覚えるのが
面倒くさそう。

571 :
読めなくてもエチカだけならなんとかなるけど神学政治論ちゃんとやるならヘブライ語文法綱要も踏まえた方が良いのは言うまでもない

572 :
読めなくてもエッチかだけならなんとかなるけど神学蛇論ちゃんとやるなら
クリフトブライ語文法綱要も押さえてドラクエIVを1章からという

573 :
ネットエッチカット。

574 :
スピノザ研究に没頭したいという動機が働かない
ユダヤ教に関心があるわけでもないので、ヘブライ語を勉強する
時間があったら、その時間を、2ちゃんねるへの書き込みとか
他のことに使うだろう

575 :
スピノザの神学政治論はユダヤ教批判の古典だから、むしろユダヤ教苦手な人が読むとよい。
とはいっても内在批判だが

576 :
スピノザの神学政治論を読むのはいいんだが、というか、ラテン語版を
所持している(読んではいない)が、その読解のためにわざわざヘブライ語
を勉強しようという気にはならないな。

577 :
神学政治論ではヘブライ語はスピノザ自身がラテン語に訳してるからね
スピノザ自体の研究であれば読める必要はそんなにないと思う
畠中尚志も工藤喜作も上野修も國分功一郎も読めないんじゃないかな確か
ユダヤ学としてスピノザを読むなら別だろうけどね
合田正人とかは読めるんだろうか

578 :
ユダヤ教なんて日本に全然関係ないしな
少なくとも聖書が日常に登場する機会のある国ならスピノザ以外の動機でも文脈を遡ろうとする気が湧くだろうけど

579 :
スピノザの神って物自体ですか?

580 :
>>579
そういった疑問を持ってる時点でカント的な枠組みに囚われている
スピノザは近代哲学の常識で捉えているうちは理解出来ない

581 :
ある意味そうだよ
というか現象もカテゴリーさえもその存在のレベルにおいて神の顕れだよ

582 :
カントの体系とスピノザの体系をそれぞれ絶対視せずに比較検討し
明白な差異や接点を見つけるお仕事
言うは易し行うは難し……

583 :
存在を名詞的に捉えないところ好き

584 :
そもそもスピノザはデカルトやカント的な認識主体や認識対象みたいな認識論ではないから、物自体という言葉自体がそぐわない
上野さんや國分さんの本を読めばなんとなくわかると思うが、我々は神の思考の一部なんだよ

585 :
認識と存在が一致した神という概念を議論の出発点としているから
存在論と区別された認識論を論じる余地がないんだね

586 :
苦しいデカルトのせいだ

587 :
でもやってるだろ?
誰もやらずに放置されてるってことはさすがに現代ではないんだろ?

588 :
変状と様態って同じようなもん?
ラテン語だとどういうふうに使い分けされてるの?

589 :
>>582

スピノザの言う思惟と延長に対してそれ以外の未確認の属性
この二分法を取ればカントの批判哲学と繋げられるはず

ただカント体系は記述順に負いすぎる
思索の経験論として偉大だし嘘はないが
誰もピラミッドをスケッチするときひとつひとつの石から描き始めないのに…
原理論と方法論の区別が先だ
フィードバック装置としてはわかりにくい

より厳密にはスピノザに多々言及しているカントの遺稿を読むべきだろう
(カントの遺稿は岩波全集には収録されなかったので中公哲学の歴史シリーズ*を読む必要がある)


『哲学の歴史 07 理性の劇場』 加藤尚武編 (中央公論新社). 理性の劇場
にコンパクトな福谷茂によるカント遺稿関連の論考が載っている
英訳を読む方がはやいかも

590 :
定理は使えるがほかの文脈にはなじまないだろう。天災の書だが他人行儀さがない。

591 :
天才

592 :
ごめんくさい

593 :
>>579
それだと汎神論じゃなくなる

594 :
神よりも大きいものはない

ここで、神の他に、なにか別のものが存在すると仮定する

そうすると、「神+別のもの」は、「神」よりも大きいということになる

それは、「神より大きいものはない」ことと矛盾する

ゆえに、神でないものは存在しない

595 :
「物自体」は存在のすべてではない

だから、スピノザの神ではない

596 :
なにを神とするか
どうでも良すぎる定義だな

597 :
別のものがマイナスだったら

598 :
世界各地では殆ど進化論支持です。
君達遅れてるね。

599 :
神=自然、宇宙

と読み替えれば『エチカ』は現代人にも読解可能だが
しかし現代人には
「結局、3行程度で言える内容だよね、それ」
で済まされて終わる

600 :
世界を貧しい禁欲主義的小市民的な去勢された内面化として捉える
神がいて有限な人間は神には届かないから子羊として定言命法に従属する
スピノザの全てはそういう認識論の否定だ
スピノザはカント的な認識論、近代的主体性に基づく、
実はキリスト教的な神学的知の欺瞞を暴いているところが凄いわけで
自然とか唯物論とか宇宙とかどうでもいい
唯物論だとしてもカント的な布地の中で考えているなら
下らない鼻くそみたいなもんだ
実際マルクス主義も分析哲学の物理主義もその手の
去勢された倒錯した神学に過ぎない

601 :
カントは神じゃない人間はアンチノミーにさらされるから無限はわからないと言った
そうやっておっかなびっくり周りの目を気にしながら他人を傷付けてないか
心配しながら正しい道徳に従属しよう
そんな道徳=哲学をスピノザは嘲笑う
神に叩きつけられて衝動の中で選択もくそもない他人を気にしている余裕はない
スピノザには偽善も欺瞞もない
それがスピノザの神=自然=世界=宇宙
そんな中で何がなしうるかそれを問うのがスピノザの哲学=倫理
道徳と倫理は真っ向から背反する
スピノザの衝動を自然を無視した欺瞞の中に成立するのが
カントの道徳論でありヘーゲルの絶対精神でありドイツ観念論

602 :
道徳的であるとき人は自由である。つまり、自由意志が無ければ道徳的であることはできないから
選択もクソもあるってカントは言ってるんだろ

603 :
ポストモダンで流行ったスピノザのニーチェ的な解釈だね

604 :
現代思想2019年3月臨時増刊号 総特集=ジュディス・バトラー
T i t l e : T h i s L i f e , T h i s T h e o r y
J u d i t h B u t l e r


この生、この理論
ジュディス・バトラー/坂本邦暢訳
 私はここにいることを大変光栄に思っており、東京、そしてとりわけ明治大学への訪問を可能にしてくれた
すべての人に感謝いたします。私は自分の哲学上の歩みについて話せないかと頼まれました。私は回想録や
自叙伝を書こうと思ったことは一度もありません。なぜなら、私の自己は、私にとって最も不透明なものか
もしれないからです。私の自己が、著者として語る私の声にたいしてもっている関係は、少なく見積もっても
大変にぎこちないものなのです。…

…スピノザいわく、人間の場合、人間の精神(神の属性と考えられています)の観念は、なにか存在する
ものとリンクしていなければならず、その存在するものと独立にあるということはないのです。このことが
スピノザを二つの重要で驚くべき定理に導きます。第一に、人間の精神の観念は、必然的に身体について
の観念であるという定理です。身体は、人間の精神に対応して存在しているのです。第二の定理は、精神の
観、精神の観念というのは、触発される過程で形づくられるというものです(これは、神によって触発さ
れることだと考えられるでしょう。これが観念をもたらすのです)。さらに、人間の精神が別の個体を
触発できるのは、精神に対応して存在しているもの、すなわち身体を通してだけだということがいえます。
スピノザは精神と身体を区別して話していますが、それらがダイナミックな統一体をなしていることは、
はっきりさせています。人間の身体は、私たちが知覚するようにそれが存在している限りで、精神の対象です。
しかし人間の身体というのは、精神が現実的に存在するあり方でもあるのです。…

訳註
[1]スピノザ 『エチカ 』第二部公理二、三、岩波文庫、2011年改版、上巻、113ページ(訳語を変更した)。
[2]スピノザ 『エチカ 』第二部要請五、141ページ 。
[3]スピノザ 『エチカ 』第二部要請四、141~141ページ 。
[4]スピノザ 『エチカ 』第三部定理七、214ページ 。
[5]スピノザ 『エチカ 』第三部定理一九、229ページ。

605 :
*この記事は 、二〇一八年一二月六日 、明治大学にて行われた講演会の発表原稿を載録したものです 。

チラシ
http://www.meiji.ac.jp/bungaku/info/2018/6t5h7p00000tf8do-att/a1543882965377.pdf

606 :
イエスキリストを信じなさい

607 :
「死者に死者を葬らせよ」
マタイ8章22節(ルカ9章60節)

608 :
エチカ第2部より

定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の
様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。

定理二三 精神は身体の変状〔刺激状態〕の観念を知覚する限りにおいてのみ自分自身を認識する。

609 :
エチカ 第2部より
定理二六 人間精神は自己の身体の変状(アフェクトゥス)〔刺激状態〕の観念によってのみ
外部の物体を現実に存在するものとして知覚する

610 :
スピノザみたいな心身並行論だと、思考はどうなっちゃうの?

お腹すいたなあ とか この世界は夢かもしれないなあ とか
そういう漂う思考は身体に基盤を持っていない気がするんだが

611 :
スピノザは禁断の木の実を食べることはそれが腹下しをするから体に悪いから避けられると語る
スピノザ往復書簡集
神の掟に従わないから神に罰せられる失墜するなどの過剰な物語、道徳の因果物語は認めない
原罪を神に突き放された人間の贖罪の神話を認めない
んなこと言うからユダヤ社会から追放されキリスト教社会から無神論と呪われ続けた

カントは定言命法、万人にとって普遍的にいついかなる時も変わらない法則を元に理論を作る
個人の欲望離れて誰にとっても妥当する道徳、己を捨てたところに成り立つもの
普遍的な効率良いルール、自分がやられたらうれしいことを人に与えよ

スピノザはカント式の小市民を効率的に支配するそういう畜群道徳を批判する
善悪はない
母親殺しさえオレステスでは褒められネロでは悪行の第一に数え上げられる
行為に予め善悪はない
つねに正しい道徳も反対の悪もなく全ては状況で決まり内部では正しさは決定できない
全ては善悪の彼岸で、それぞれの生の可能性を押し広げるならそれは良いものである、それがスピノザの倫理
人をRことも良いことになりうるし、道徳的なことも生を抑圧するものになりえ全ては状況依存だ
善悪の常に成立する状況離れたアフリオリな正しさなどはない
カントとは正反対だが
同一性ではなく差異を秩序や目的ではない欲望や衝動を突きつける
己をRのがライプニッツやカント
己を突きつけるのが、己をいかに伸ばすかがエチカ
スピノザの倫理はカント的な普遍的道徳を抹Rるところに成立する
スピノザはニーチェともドゥルーズとも違うがカント的な道徳律の全面批判や
ライプニッツ式目的の予定調和や秩序の批判として成立する、これは揺るがない
そんなのはポストモダンの解釈だ本当のスピノザは違うとか小賢しく言って否定する奴はただR
馬鹿はR

612 :
自分を勘定に入れないのがカント
自分の勘定を如何に最大にするのかがスピノザ

613 :
カントでも何でも他を貶めてスピノザを持ち上げることしかできない時点で
ポモにどうしようもなく毒されているんだよ。江川のスピノザ講義も酷かった。

614 :
>>613
カントが自分を無にして万人にとっての道徳律を語ったのに
スピノザは同じことやってもネロとオレステスは違う善悪の彼岸を語った
同じことやっても扱いは違う
普遍的な道徳なんかはない
それにはどう答えるんだ?

スピノザの標的はカント的なものなのにお前は死んだ方がいいよ

615 :
こんな所で誰も読まない長文を投稿している、
という一つの生のあり方には、とても興味を覚える

晒しage

616 :
プラトンはソフィストの批判だしアリストテレスはプラトンへの批判
カントはライプニッツやヒュームへの批判
何を標的に哲学を語っているかそれがわからなきゃ哲学なんかできない

禁断の木の実の話一つ取ってもスピノザが万人にとっての普遍道徳の批判を目的にしていることは明らかで
カントやライプニッツみたいな一般的道徳や秩序信仰が敵なんだよ

617 :
スピノザが普遍道徳を批判しているのは証明さえいらない前提条件だ
著作に明白に書いてある
その上でスピノザは何を語ったか

スピノザの無限、スピノザの公理主義を語らなければならない
そこでははっきりニーチェなんかとは違う

618 :
>>615
ただのヒステリーだろう

619 :
敵/味方という分け方で語る理由がよくわからん

620 :
スピノザは、一切を必然と考えることは、人間に安らぎと最高の幸福を与えると言っているという。
(『スピノザの世界』 上野 修著)

621 :
言ってなさそう
典拠なし

622 :
スピノザってスペルマに似てるよな

623 :
うむ。おどろいたね

624 :
林葉直子の愛人かね?

625 :
世の中の言論はおおむね、沈黙と工作に二分されている

626 :
いつでもこういうものだ。戦争に向かうときでもね。
戦前だろうと戦後だろうと、決して反省などしていない。

627 :
都合が変わったから、それに合わせて表向きの言動が変わっているだけ。
自分に都合がいいように発言するか、さもなければ沈黙している。

628 :
だからこそ、ほとんどの人間はうまくコントロールできる。
どういう言動をすることが自分の不都合になるのか、実力行使または
その可能性を示唆して、示してやればいいだけだから。
自分の都合にすら配慮しない人間は、まともではない変な人間だ。
だからコントロールが効かず、危険である。

629 :
統治にとっての危険は、ご都合主義の沈黙を可視化してしまうこと
において、大方、人々にとっても危険である。それは、人々全体に
とって危険であるというのではなく、そのことで気まずい思いを
させられる各自にとって危険なのだ。ご都合主義が人々全体に
危険を招いたとしても、その危険が皆に共有されていると感じられる
限り、人々は心の安らぎを確保できる。

630 :
社会が人間主体で形作られる限りにおいてご都合主義でないことなど存在しない
誰にとってご都合主義なのか?という違いがあるだけだ

631 :
だから、各自にとって何が不都合であるかを思い知らせてやることが
できるなら、全体にとっての不都合は、それがカタストロフィ的な破滅を
もたらすとしても重要ではなくなる。

632 :
個々人の選好がそれぞれ異なるってる時点で全体に適用できる不都合ってのは限られるんだよ
経済システムがその好例だが、ある人にとって良いことが別の人にとって悪いことになる
誰かが損しなきゃ儲からないってのが経済の本質でありそれが社会の基本構造だろう

633 :
ある充足を求める目的社会では生存以外の権利はほとんど
どうでも良いことと看做されるが
経済社会においてはその生存権すら脅かされるという始末だ
太古のように団らんとか過剰を求めない安定的な暮らしに基礎を置くなら
誰からも奪わず奪われず、奪う対象者がいないので
こうした悲劇は生じてこない

634 :
自分の活動能力を高めてくれるものが「善」であるとスピノザは言っているようだが、スピノ
ザの哲学は、果たして自己の活動能力を高めてくれるものであるのだろうか?
また、スピノザ哲学が自己の活動能力を高めてくれるものであるとしても、それはどの程度
のものであるのか?

例えば、「神即自然」の認識は、どの程度自己の活動能力を高めてくれるものであるのだろ
うか?

635 :
猟奇犯、サディストなんかは他人を傷つけることで性的興奮を満たし活動能力が高まる訳だからな
善というのは個人の活動にのみ還元できる代物ではなく他者との関わりという複合的な要素が
絡んでいるからそんな風に単純化できるものではないだろう

636 :
>>634
コトバンクの神即自然のスピノザよりに書かれている「神」の部分を「何か」に
置き換えて読んでみるのだ。スピノザは説いたと思っていたのかもしれないが
人間精神が完全な能動に達して自由を実現してないから犯罪も紛争も止まないわけで。

637 :
人間精神が完全に自律的であることなどありえないとスピノザは前提してるんだよ
だから、精神が活発に働くような生き様が善でありそれが善であるとした

638 :
損得勘定が前提にあるスピノザも人間だもの

639 :
スピノザもデカルトもやっていることは同じ
他者とは意見が異なりうる、視点によって見方は変わる
全ては疑いうる
デカルトの悪霊
しかし、連続関数でどっかに不動点はある
それが神だ
アリストテレス、アンセルムス、トマスなどと同じで個々の事実は疑えても遡って食い違いのない正解は必ずある
それが方法論的懐疑

更に数学とか経験離れたアプリオリな真理も嘘ついちゃ仕方ないから、疑いえない真理に基づく合理論哲学が構築できる
デカルトは天才数学者でもあり、数学を柱に延長を使って哲学を作る

スピノザは、方法論的懐疑の所を無限に置き換える
無限で全てを白日の元にさらせば必ず正解はある
他者との食い違いも、関係ない正しい答えが存在することは証明できる
また、相対的な経験、感覚、内面を排除して、無限の操作で、円に対する正しい観念は得られる
それは主観に関係ない

主観に基づく内面性、弱者の連帯の観念論廃した、唯物論の白馬の騎士、ドゥルーズ型のスピノザの出来上がり

640 :
作図された円に感覚で接している限り、歪んでいて、半径もこちら側とあちら側で違う
ヒルベルトが言うように公理主義的な点や直線や平面は、経験的な点や直線や平面とは違う
全ては無限の規則の束で、であるが故に主観や感覚や相対性と無縁だ
この無限を通された物は、誰にとっても厳密に妥当し、揺らぎはない、誰にとっても違いはないから
主観主義的観念論、相対性、非厳密性は排除される
主体や内面性、視点の相対性が除外される
ヒルベルトの無限は、
一、全てを目の前に持ち出し何も外部がないこと
二、感覚や相対性超越した無限の厳密性
この二つの意味がある

641 :
ヒルベルトじゃなくスピノザな

642 :
スピノザ『エチカ』wiki*、ってものを発見したよ。
2007年というから、ずいぶん前からあったんだね。
一見トンデモとおもたよ。なにせ「自己原因」が「ひとり立ち」、
「実体」が「物質」(! それじゃmatterじゃん)、「属性」が「性質」
(それじゃnatureじゃん)、「様態」が「化身」(それじゃ渡辺淳一じゃん)
になっているのだからね。文体もこんなふうに、まあくだけてる。
でもこれがなかなか本格的なんだ。ちゃんとしているみたいなんだ。
ありふれたかぶれじゃないみたいなんだ。いいんだ。じゃ。

643 :
経済にももうけ過ぎると浄化作用は必要。

644 :
マフィアや暴力団に投資する方が上向く。

645 :
朝から起きてるなら
探せばいいのに

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646 :
バイトも終わったんで、改めてスピノザ『エチカ』wiki*について。
どこのどなたがスピノザになりかわっているのか知らないが、
感謝の気持ちを表明させてもらう。「知性」の解釈など。
で、再開してもらうわけにはゆかんのだろうか。第五部だけでも
っていうのは都合がよすぎるかな。
以下は読み飛ばしてね。
まず、「舗装」のところは何か誤解があるのかな。
それから、スピノザは祈らなかったと思う。往復書簡集の53(岩波文庫では)
の最後のところによれば、「ボクセルさん、あなたのことで神に祈ることは、
私には笑うことなしにはできません」とスピノザは言ったらしい。これは
ボクセルのことがきらいだったからでなく、そもそも自分を含めて
誰のためにも祈らなかったということだと思う。畠中さんもそう見ている。じゃ。

647 :
定理面白いよなあ。神々。

648 :
スピノザ『エチカ』wiki*のことで、とりあえず最後に。
考えてみたら、このなりすましさんはもう(ないし以前から)立派な
論文をお書きかも知れないわけで(皮肉じゃないよ)、
その筋の人にはすでに知られているかもね。
いっそ、あいつの名前なんかは省いたり、さすがに「物質」は
やりすぎかもと思ってもらったりした上で、書物にしてみたら?
バルーフさんが草葉のかげで泣くようなものにはならないと
思うんだけどな。じゃ。

649 :
神学・政治論おすすめ
エチカ挫折するやつ多いからなおさら

650 :2020/06/01
>>649
>エチカ挫折するやつ多いからなおさら
お薦め本:
『スピノザ よく生きるための哲学』 (フレデリック・ルノワール著)
『エチカ』がわからなくても、『エチカ』がゲーテをはじめ物凄い影響力をもち、
人間の生き方を変えてしまう書物だということがよくわかる。

(*˘◦˘*)
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