TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
富雄地方の世界265
最近幽体離脱にはまった
スピ以外の視点で瀬織津姫を考えるスレ
【荒覇吐】アラハバキ統一スレッド2【物理反射】
東日本に於ける古代信仰
聖書の価値を追究する☆虹的理解→神話
天狗に関する知識をひけらかしてくれ!!
【最強】全知全能唯一神インドラ様スレ【善神】
【しっぽが出た】ダニキ天は猿【サイバー仏教】
最近幽体離脱にはまった

【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】


1 :2010/10/23 〜 最終レス :2020/02/17
日本のますらを文化

2 :
日本人の性格には一種微妙な本能がある。すなわち、理想と自我とを融合させようとする傾向が、はっきりした
強い底力となっている。
乃木大将の生涯は、この日本人の特質をそっくり具体化したものである。
スタンレー・ウォシュバン「乃木大将と日本人」より

3 :
神風特攻隊のメンバーは、ほとんど例外なくその先祖が武士だったのだよ。
アンドレ・マルロー
パリでの、竹本忠雄との談話より

4 :
西欧全体にたいしてフランスは日本の精髄の《受託者》たらんとするものであります。
この日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを、どうか、しっかりと肝に銘じて
いただきたい。
全世界にとって日本とは、依然としてエキゾチズムか絵葉書風景の国、目もあやな、あの版画に描かれたかぎりの国に
すぎないのであります。さればフランスは、なによりさきに、こう表明しなければなりません――
日本は中国の一遺産ではない、なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切りはなされて
いるから。
騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるようにつとむ
べきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の十二世紀の偉大な画家たちであり、
隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、断じてその版画に属する世界ではない、と。
アンドレ・マルロー
1958年、ド・ゴール政権、文化大臣時の来日講演より

5 :
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――
すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、
カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは
一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、
神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日、三谷信への葉書より

6 :
>>3
武士の家故に勉学を重んじており子息の大学進学率が高かった
ってことじゃね?

7 :
避けえないとなったときに、祖国のため、先祖、子孫のために、戦いの場に赴いた戦士たちを、後世の人間が
敬意をもって遇しないとしたら、その国はやがて滅びるだろうと私は思います。
難民救済活動でいろんな国へ行きましたが、女子供、老人たちが見るも無残な難民となって、彷徨う姿を見るたびに、
国や民族が滅びるとはこういうことかと、とても悲痛な思い駆られます。
だから私は、「自衛力なき民族は滅びる」という言葉を実感としてうけとめられるのです。
全人類の歴史を考えてみれば、いったいどれほどの民族が絶えてしまったか。
もう自分が生きていることは奇跡のようなことだと思って間違いない。
そして自分を、自分の両親、そのまた両親を生かしてくれるために、自らの命を投げ出してくれた人がいる。
自分の存在はそうした尊い犠牲の上にある。
この感覚は理屈では教えられないような気がする。もう素朴は宗教心しかない。
靖国神社にはそうした、生きてはまみえることのなかった子孫のために命を投げ出してくれた人たちが祀られている。
藤岡弘、
「正論」平成15年11月号より

8 :
感謝の気持ちは自分もまた次なる子孫のために、愛の連続性に責任を持つという姿勢として現れてくる。
だからこそ、どの国、どの民族も自国の為に戦って倒れた戦士の慰霊を大切にする。
当たり前の行為なんだということを改めて日本人は自覚すべきである。
私は世界中を回って、共産主義というものがどれほど嘘で、どれほど裏のあるものかということを実見してきた。
スローガンの”平等”は実現されず、一部の特権階級だけが潤っている。
粛清された大勢の遺骨の山とは、悲惨な現実を見せられたら、日本で共産主義を信じて私を排除することに
汲々としている人が哀れに思えてきたくらいです。
藤岡弘、
「正論」平成15年11月号より

9 :
私にいわせれば、いまの日本が徹底した侮りをうけないで済んでいるのは、身命をなげうって究極の奮戦を
してくれた英霊、とくに神風特攻隊のお陰です。
彼らが武士道精神を発揮して戦ったその記憶が『バリア』となって、いまもわれわれを守ってくれている。
あまり日本に理不尽なことを仕掛けてはならないという自制を世界にもたらしている。
問題なのはその残像が彼我の間から急速に薄れつつあることです。
戦後半世紀の平和は、「平和憲法」によってもたらされたものではなく、最悪の戦いのなかで、究極の武徳を
示してくれた英霊のお陰だと私は思っています。
逆説的ですが、戦う力をもってはじめて、『孫子』にある「戦わずして、人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
が果たせるのです。
戦後の日本人はこの逆説がまるで分からなくなってしまった。
藤岡弘、
「正論」平成15年11月号より

10 :
藤岡弘、
w

11 :
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、
あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。どんな時代だって、どんな階級に
属していたって、人間は命が惜しいですよ。それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世に
いるとは、ぼくは思いませんね。だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。
維新にしろ、革命にしろ、その覚悟の見せどころだとぼくは思うんだが、全共闘には、やっぱり生命尊重主義というか、
人命の価値が至上のものだという戦後教育がしみついていますね。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

12 :
ぼくがウソだと思ったのは「きけわだつみのこえ」でした。あの遺稿集は、もちろんほんとに書かれた手記を
編集したものでしょう。だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているような
ものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、
日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。そこを突っきって行ったやつは、
単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。そういう考えは、
ぼくは許せない。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

13 :
特攻で死んだ者の中には朝鮮人も居るのだが

14 :
――それはそうと、この間江田島の参考館へ行って、特攻隊の遺書をたくさん見ました。遺書というのではないが、
ザラ紙に鉛筆の走り書きで、「俺は今とても元気だ。三時間後に確実に死ぬとは思えない……」などというのがあり、
この生々しさには実に心を打たれた。
九割九分までは類型的な天皇陛下万歳的な遺書で、活字にしたらその感動は薄まってしまう。もし出版するなら、
写真版で肉筆をそのまま写し、遺影や遺品の写真といっしょに出すように忠告しました。
それにしても、その、類型的な遺書は、みんな実に立派で、彼らが自分たちの人生を立派に完結させるという
叡智をもっていたとしか思えない。もちろん未練もあったろう。言いたいことの千万言もあったろう。
しかしそれを「言わなかった」ということが、遺書としての最高の文学表現のように思われる。
三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

15 :
僕が「きけわだつみのこえ」の編集に疑問を呈してきたのはそのためです。
そして人間の本心などというものに、重きを置かないのはそのためです。もし人間が決定的行動を迫られるときは、
本心などは、まして本心の分析などは物の数ではない。それは泡沫のようなただの「心理」にすぎない。
そんな「心理」を一つも出していない遺書が結局一番立派なのです。
それにしても、「天皇陛下万歳」と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。もう二度と
来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、
何だか、おそろしい幸福感で思い出すんです。いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感は
いったい何だったんだろうか。
三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

16 :
今の日本の大威張りの根拠は、みんな西洋発明品のおかげである。
これはそもそも、大東亜戦争の航空機についてさへ言へることで、あの戦争が日本刀だけで戦つたのなら
威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦つたのである。ただ一つ、真の日本的武器は、
航空機を日本刀のやうに使つて斬死した特攻隊だけである。
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より

17 :
遺書は上官に検閲されて書き直しを命じられてたのだが。

18 :
>>17
全部が書き直ししてるわけじゃないから、そんな日教組みたいなこと言っても無意味。

19 :
>>17
それに検閲されてたら「きけわだつみ」のようなのあるわけないし。

20 :
アメリカの青年たちよ。東洋には、すばらしい国がある。それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに
違いない。奮起しろ!
レイモンド・A・スプルアンス大将(硫黄島攻略の米軍第五艦隊長司令官)

21 :
覚えておいてくださいよ。切腹は自殺にあらずということを。切腹とは、祖廟をまえにした犠牲(いけにえ)であるということを。
この庭園も、これまた一個の祖廟ならずしてなんであるか。
アンドレ・マルロー「日本の挑戦」より

22 :
知覧は陸軍。「きけわだつみの声」は海軍。
日教組ではなく、元特攻隊員が書き直しを命じられたことを発言してる。
遺書に限らず、兵士の手紙の検閲は当たり前の事。

23 :
書き直してない人も沢山いるから、どうでもいいよ、そんなこと。

24 :
「東京裁判」は、実際には、何人かの被告を見せしめに裁き、全員、愛国心のゆえに有罪なりと宣言したに
すぎない。(中略)民主主義思想の愚鈍ぶりは、東条英機をして「ファッシスト的」独裁者たらしめた。これは
歴史的真実に反するのみならず、当時の君主制日本の神制政治上の概念にも相反するものである。諸政党解党に
つぐ大政翼賛会の唯一党結成は近衛公の意志によるものであって、東条英機将軍は、公に代って帝国政府の
総帥となるに及び、連合国にたいする政府の決断躊躇をすべて引きつぐ結果となったのである。連合国側こそ、
「経済制裁」に名をかりて、宣戦布告もなく日本を窒息死せしめんとしていた事実を忘れてはならない。
ピエール・パスカル「花山信勝著『平和の発見』付録」より

25 :
捕虜収容所の日本人指揮官のなかには、無数の捕虜にたいする扱いが穏当でなかった者も、それは多々あったで
あろう。しかし、「捕虜虐待」で絞首刑にされた人々の運命たるや、シベリアへの「死の行進」やカティンの
大虐殺をやってのけた連中、またケニヤ・エジプト・北アフリカ・インドなどの収容所の警護者どもの思いも
およばないようなものだったのだ。
…リチャード・ストリーがその著『近代日本史』のなかで記しているごとく、日露戦争時において、ロシア兵の
捕虜ならびに支那の民間人にたいする日本軍のふるまいは「世界中の尊敬と感嘆を勝ちえた」事実を思うがよい。
でなくして、旅順開城ののち、露軍司令官ステッセルは、なぜ乃木将軍にその白馬を献じようと欲したであろうか?
ピエール・パスカル「花山信勝著『平和の発見』付録」より

26 :
最初の特攻隊が比島に向つて出撃した。我々は近代的悲壮趣味の氾濫を巷に見、あるひは楽天的な神話引用の
讃美を街頭に聞いた。我々が逸早く直覚し祈つたものは何であつたか。我々には彼等の勲功を讃美する代りに、
彼等と共に祈願する術しか知らなかつた。彼等を対象とする代りに、彼等の傍に立たうとのみ努めた。
真の同時代人たるものゝ、それは権利であると思はれた。
特攻隊は一回にしては済まなかつた。それは二次、三次とくりかへされた。この時インテリゲンツの胸にのみ
真率な囁(ささや)きがあつたのを我々は知つてゐる。「一度ならよい。二度三度とつゞいては耐へられない。
もう止めてくれ」と。我々が久しくその乳臭から脱却すべく努力を続けて来た古風な幼拙なヒューマニズムが
こゝへ来て擡頭したのは何故であらうか。我々はこれを重要な瞬間と考へる。人間の本能的な好悪の感情に、
ヒューマニズムがある尤もらしい口実を与へるものにすぎないなら、それは倫理学の末裔と等しく、
無意味にして有害でさへあるであらう。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

27 :
しかし一切の価値判断を超越して、人間性の峻烈な発作を促す動力因は正統に存在せねばならない。
誤解してはならない。国家の最高目的に対する客観的批判ではなく、その最高目的と人間性の発動に矛盾を
生ずる時、既に道義はなく、道徳は失はれることを云はんとするのである。人間性の発動は、戦争努力と同じ
強さを以て執拗に維持され、その外見上の「弱さ」を脱却せねばならない。この良き意思を欠く国民の前には
報いが落ちるであらう。即ち耐ふべきものを敢て耐ふることを止め、それと妥協し狎(な)れその深き義務より
卑怯に遁(のが)れんとする者には報いが到来するであらう。
我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に
対して早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から
目を覆ひ、国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を
声高に叫び、彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒涜の語を放ち出した。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

28 :
彼等は戦術と称して神の座と称号を奪つた。彼等は特攻隊の精神をジャアナリズムによつて様式化して安堵し、
その効能を疑ひ、恰(あた)かも将棋の駒を動かすやうに特攻隊数千を動かす処の新戦術を、いとも明朗に
謳歌したのである。沖縄死守を失敗に終らしめたのはこの種の道義的弛緩、人間性の義務の不履行であつた。
我々は自らに憤り、又世人に憤つたのである。しかしこの唯一無二の機会をすら真の根本的反省にまで
持ち来らすに至らなかつた。
軈(やが)て本土決戦が云々され、はじめて特攻隊は日常化されんとした。凡ての失望をありあまるほど
もちながら、自己への失望のみをもたない人々が、かゝる哀切な問題に直面したことには一片の皮肉がある。
我々は現在現存の刹那々々に我々をして態度決定せしめる生と死の問題に対して尚目覚むるところがなかつた。
もし我々に死が訪れたならそれは無生物の死であつたであらう。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

29 :
(中略)
沖縄の失陥によつて、その後の末世の極限を思はしむる大空襲のさなかで、我々がはじめて身近く考へ
目賭(もくと)したのは「神国」の二字であつた。我々には神国といふ空前絶後の一理念が明確に把握され
つゝあるが如く直感されたのである。危機の意識がたゞその意識のみを意味するものなら、それは何者をも
招来せぬであらう。たゞ幸ひにも、人間の意識とは、その輪廓以外にあるものを朧ろげに知ることをも包含する
のである。意識内容はむしろネガティヴであり、意識なる作用そのものがポジティヴであると説明して
よからうと思はれる。それは又、人間性の本質的な霊的な叡智――神である。(中略)
我々が切なる祈願の裏に「神国」を意識しつゝあつた頃、戦争終結の交渉は進められてあり、人類史上その
惨禍たとふるものなき原子爆弾は広島市に投弾されソヴィエト政府は戦を宣するに至つた。かくて八月十五日
正午、異例なるかな、聖上御親(おんみづか)ら玉音をラヂオに響かし給うたのである。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

30 :
「五内(ごだい)為に裂く」と仰せられ、「爾(なんぢ)臣民と共に在り」と仰せらるゝ。我々は再び我々の
帰るべき唯一無二の道が拓(ひら)くるを見、我々が懐郷の歌を心の底より歌ひ上ぐるべき礎が成るのを見た。
我々はこの敗戦に対して、人間的な悲喜哀歓喜怒哀楽を超えたる感情を以てしか形容しえざるものを感ずる。
この至尊の玉音にこたへるべく、人間の絞り出す哭泣の声のいかに貧しくも小さいことか。人間の悲しみが
いかに同じ範疇を戸惑ひしてうろつくにすぎぬことか。我々はすでにヒューマニズムの不可欠の力を見たが、
これによつて超越せられたる一切の価値判断は、至尊の玉音に於て綜合せられ、その帰趨(きすう)を
得るであらうと信ずる。人間性の練磨に努めざりし者が、超人間性の愛の前に、その罪を謝することさへ
忘れ果てて泣くのである。この刹那我等はかへりみて自己が神であるのを知つたであらう。人間性はその限界の
極小に於て最高最大たりうることを。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

31 :
(中略)
けふ八月十九日の報道によれば、参内されたる東久邇宮に陛下は左の如く御下命あつた由承る。
「国民生活を明るくせよ。灯火管制は止めて街を明るくせよ。娯楽機関も復活させよ。親書の検閲の如きも
即刻撤廃せよ」
かくの如きは未だ嘗て大御心(おほみこころ)より出でさせたまひし御命令としてその例を見ざる処である。
この刹那、わが国体は本然の相にかへり、懐かしき賀歌の時代、延喜帝醍醐帝の御代の如き君臣相和す
天皇御親政の世に還つたと拝察せられる。黎明(れいめい)はこゝにその最初の一閃を放つたのである。(中略)
青年の奮起、沈着、その高貴並びなき精神の保持への要請が今より急なる時はない。
ますらをぶりは一旦内心に沈潜浄化せしめられ、文化建設復興の原力として、たわやめぶりを練磨し、
なよ竹のみさを持せんと力(つと)めることこそ、わが悠久の文学史が、不断に教へるところではあるまいか。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

32 :
交戦中に殺された男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。
…日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。
それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、また
たしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。戦争中ずっと
この対照が私の心につきまとってはなれなかった。
ドナルド・キーン「日本との出会い」より

33 :
そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。
しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。
それは確実に言えることです。「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、
アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。
日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。
ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記を
つけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした。
結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信ずるにいたった。
ドナルド・キーン「日本との出会い」より

34 :
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を
離れて行動の世界に入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼む
ミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは人間性の自然である。

「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩(平八郎)は太虚といふものこそ
万物創造の源であり、また善と悪とを良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに
至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると主張した。彼は一つの譬喩を
持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま太虚に
帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち
肉体に包まれた思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち
肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に偏在する太虚に帰することができるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

35 :
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば
能動的ニヒリズムの根元と考へてよいだらう。
…仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に
達してまた現世へ戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へには
この仏教の空観と陽明学の太虚をつなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける
抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、また陽明学的な行動ともいふことが
できるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

36 :
陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。
ラショナリズムに立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。

われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、
太虚の一つである。この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や
耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つてゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と
異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に帰すれば、天がすでに
その心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。

「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

37 :
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていく
ほかはない。形のあるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつて
ゆすぶられる。何故なら形があるからである。しかし、地震は太虚を動かすことはできない。
これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を語ることができるのである。
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。
心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して真の良知に達し、天の
正義と一致するのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

38 :
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。
また、心の外にある虚は、すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。
この説は世界の実在はすなはちわれであるといふ点で、ウパニシャッドのアートマンと
はなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを
恨む」といふことをつねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと
思はれるのである。心がすでに太虚に帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。
だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。心が本当に死なないことを
知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

39 :
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると
日本には、平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」
といふ人が無数にふえていくことが想像される。肉体の延命は精神の延命と同一に
論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、
肉体の死ぬことばかり恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり
平和である。しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを
恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

40 :
死を恐れるのは生まれてからのちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が
生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の性質であつて、肉体を離れるとき初めて
この死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ気持のうちに
死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に
帰ることである。

ひたすら聖人に及ばざることのみを考へてゐるところからは、決して行動のエネルギーは
湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と同一視することであり、
自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。

何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを
経過した行動ならば、その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な
行動原理が日本人の心の中に潜む限り、これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ
知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは予言してもよい。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

41 :
日本が貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの
一環に属することによつて西欧化に対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による
抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を
革正することによつてしか、最終的に成就されない道である。そのとき革新思想が
どのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその政治的有効性の方向に引きずられて
いくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの陽明学といふ
忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における
精神の闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

42 :
娘が明かす鶴田浩二「傷だらけの人生」
「いろんな奴が、いろんなことを言った。俺はちゃんと聞いてたよ。確かに俺には戦争の体験はない。
戦友が散っていったのを、この目で見たわけでもない。でもそういう映画が俺を一人前にしてくれたんだ。
俺は戦争で死んでいった人たちに、生かされたっていう思いなんだ。」
父はお前に分かるか、という目で私を見詰めた。私には父が言っていることが全て理解できた。
私が深くうなずくと、父は再び話し始めた。

43 :
「女の人の手も、髪の毛一本だって触れることが出来ないで、『お母さん』と思いきり泣くことも我慢して
死んでいった若い人たちの魂を思うと、俺は生き残りだ、あの人たちに生かして貰ったんだと強く感じるんだよ。
そういう気持ちで、そういう姿勢で、俺は若いうちに死んでいった人たちを悼んでいかなきゃならないんだ。」
閉じていた目蓋をゆっくり開いて、もう一度私を見た時、父の目は、自分はそうするしかなかったと言っていた。
「同じ日本人の血が流れてるのに、どうして無関係だと言えるんだ。俺の中ではね、あの人たちの死は、
戦争を始めた誰それがいけなかったとか、天皇の責任だとか、そんなこととは全然別の問題なんだ」

44 :
武士道とは死狂いなり。
覚悟を決めて突き進むのみである。
他に意味はない。 山本常朝『葉隠』
どうしたら覚悟が決まるんだろう?
凡人は欲が邪魔をするが、天才は違うのだろうか?
凄すぎる。

45 :
うるせーよ。
少しは自分の言葉で物事を語ってみたらどーだ?
俺は27歳の愚民の1人だ。でも特攻し散られた方々の様々な手記を読み、
俺の今後の人生を考え直すきっかけとなった。
現世に彼の方々の精神、魂が生き、そして俺を突き動かしてくれた。
それが彼等の本望ではないのは百も承知だ。
でも、俺の意志、考えを変えてくれたのは紛れもない事実。
彼等の魂は間違いなく今も生き、平成の世を動かしている。

46 :
電波スレ

47 :
厨二病スレ

48 :
支那スパイが飛んできました

49 :
武士道

50 :
それでも無職引きこもりの>>45であった(笑)

51 :
武士道って、死を常に見つめる事ですよね?死を認識して初めて生きる事が出来ると。覚悟って、いつかは死ぬんだって認める事では?

52 :
武士道(笑)

53 :
【野分祭】三島・森田両烈士の遺した憂国の情
http://www.youtube.com/watch?v=hcG6h8AzZ-0

54 :
三島由紀夫も森田必勝もいいけれど、それ以前の武士も学ぼうぜ

55 :
ネトウヨ湧き過ぎwwwwwwww

56 :


57 :
第7回出陣学徒慰霊祭のお知らせ
●開催日:12月5日(日)
●場所:第1部 靖国会館
    第2部 靖国神社本殿
●参加費3000円(玉串料込)学生1000円
●当日のスケジュール
■記念講演 於靖国会館2階偕行の間
13:00開場、13:30開会
・実行委員長挨拶
・来賓挨拶
・学生意見表明
・記念講演:宮本雅史先生
演題:「回天特攻の真実」
(宮本雅史先生略歴)
1953年和歌山県生まれ。慶應義塾大学卒業後、産経新聞社入社。93年にゼネコン汚織事件のスクープ
で新聞協会賞を受賞。書籍編集者を経て、現在那覇支局長。『回天の群像』では、元特攻隊員や遺族
の証言を追い、特攻隊員の心とその背景に迫った。著書に『特攻と遺族の戦後』『歪んだ正義―特捜
検察の語られざる真相』ほか多数。
■出陣学徒慰霊祭 於靖国神社本殿
15:40より
●主催:日本保守主義研究会学生部
http://www.wadachi.jp/
●協賛:拓殖大学政策研究愛好会「日本の心」http://nihonnokokoro.web.fc2.com/
 当日予約なしの参加も承っておりますが、会場の都合事前に下記のフォームよりお申し込みください。
http://form1.fc2.com/form/?id=533120

58 :
ここで武士道はいかにも日本の文化って書いてるけど日本人の90%以上は武士以外なんだぜ
ほんの一部の上流階級の軍事的文化を無理矢理日本人に押し付けたのは明治政府
権力に弱い日本人はそれに従ったけど言ってみればそれは権力によって自分または家族が危機に陥るのを恐れていただけ
西ヨーロッパみたいに命を懸けての民衆革命なんてなかった
だから戦後すぐに日本人はもとの軟弱民族に戻った。軟弱になったんじゃなくて「戻った」だけ
かの三島由紀夫でさえ「若きサムライのために」の中で日本人は本来兵士には向かないと述べている(一部のサムライ除く)
興味があれば読んでほしい

59 :
ネトウヨとチョン湧き過ぎwwwww
巣に帰れ

60 :
>>58
武士は世襲でも血脈でもない。
公家、農民、海賊からも大名を輩出していることからわかるだろ。
ちなみに、武士道は死狂い、一向宗は退けば無間地獄、進めば往生極楽だ。
つまり武士道は日本人のスタンダード。
>>59
オマエは中立な良い子ちゃんなの?w

61 :
日本人ほど精神性が出来上がった戦士はいない。それは昔の歴史を調べるとわかる事。
基本的に昔の人達の伝記を悪く伝わっているのは今の日本政府の教育に問題がある。
今の日本を見ているとそれがわかるんでないか?
平和を語るくせに、戦争から目を背ける日本。
他の国より豊かなのに、殺伐とする日本。
平和路線で国を運営するのに、道徳授業を重要視しない日本。
戦争をしない国なのに、意味なく人をR国日本。
他人に対する愛よりも、自分の利益のみを考える人が多くなった日本。
テロは許されない行為と語りながら、尖閣諸島漁船衝突事故・普通にみれば、
中国の日本に対するテロとわかるのに、テロリストに屈服する日本政府。
敗戦してから、日本は自分たちの正義を見失った・・・。
昔の日本が正しいとは言い切れないが・・日本としての正義があった。
将来的に今の日本は外国に侵略される事を意味している。
なぜか・・今の日本政府は国民のために命を捨てる気がない・・。
歴史を見てもわかる事ではないか・・日本の将来は・・。

62 :
夢や戯言だけでは、世の中は回らないという事。

63 :
>>62
その通り
現代日本の平和思想は夢や戯言だ。
平和のなはずの日本の年間自殺者数の多さが物語る

64 :
武士道の素晴しさにアンチと在日が火病ってるな
これは武士道の正しさの証左
本も読まずに、ネットに書かれてることだけ鵜呑みにしてる
ユトリバカが多いなあ。
本は、右も左も思想があって、ニュートラルだけど
ネットは、どっちかに傾いてる事が多い。
少しは外に出なさい。

65 :
>>60
>武士道は死狂い
それは江戸時代の平和な時代に書かれた「葉隠」についていってるのかな?
それの本当の意味は、戦争のない武士が低級官僚化した江戸時代の
武士の理想像やマナーとして書かれた物であって、実際に戦っていた
戦国時代の武士の物ではないよ。
戦国時代の武士は、生き残るために無能な君主は裏切ったり、仕える
大名を何度も変えたり、ゲリラ戦や闇討ち、暗殺、略奪も行っていた。

66 :
 
日本の「真逆のトリック」はその戦術でも
http://s1.shard.jp/deer/0202/6/151.html
日本の切腹、特攻隊、武士の武勇、全て真逆のプロパガンダだった。
戦争の戦術でも、日本の武士たちは常に臆病で卑怯者だった。
時代劇、歴史ドラマ、戦争物語は、全てプロパガンダと捏造だ。
日本の得意とする戦術は、「褒め殺し」と「騙し討ち」だった。
その邪悪さは想像を超える。だから、これまで、ほぼ、ことごとく成功してきた。
この「褒め殺し」は、心理的なものではない。
本当に「褒めて」、本当に「R」のだ。

67 :
>>66
くだらねぇプロパガンダしてるのは朝鮮人のお前じゃねーか

68 :
今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄が
マバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを「誇り」に思っています。
ダニエル・H・ディゾン画伯

69 :
古代から世界各国に似たような話あると思うが…
現代ではイスラム過激派がやってる

70 :
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」
「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」
「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」
「広東新語・語器」 屈大均(1630〜95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」
「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」

71 :
>>65
葉隠読んだことあります?
山本常朝がどういう武士だったのか知っていますか?

72 :
「鎌倉武士のなんともいえぬ潔き気風の真髄となっているものもやはり平安時代の「あわれ知ること」である。
平安士女の生活と鎌倉武士の生活が相異なるから、その現れた事相はもちろん違う。
彼にあっては花鳥風月恋愛等に顕れたものが、これにあっては、軍陣の関係、忠孝の事蹟などに顕れたが、
その外相をおいて、その真生命について見るときには、同じ情韻が溢れているのである。
自分の詠歌を勅撰集に加えたいばかりで、死を決して落ち行く旅の路から戻ってきて、夜、和歌の師の門を叩いた平忠度もある。
足柄山の月の夜に笙の秘伝を伝えた新羅三郎もある。
落花に対して風を恨んだ源義家もある。
梅の花を箙に插して敵陣に突進した梶原景季もある。
熊谷直実が平敦盛を逃がそうとしたなども、みな鮮明に鎌倉武士の風尚を示すものである。
これらはむしろあまり鮮明すぎて、鎌倉武士の風尚を浅くするかと思わるる事例に過ぎぬ。
実に鎌倉武士は武健であった。(1/2)

73 :
忠君の情が厚かった。
そしてその武勇や忠義に一種の気韻を与えて、花よりも美しからしめるものは、
この「あわれ知る」という気風であったのである。
武士道は決して文字の上の解釈で知られるものでもなく、理屈や教条で組立てられるものでもない。
理屈や条規は、ただその形体である。その真体、精神はただ身証体得するほかには、これを捉える術はないのである。
鎌倉武士のあいだに禅学の流行したのも、その原因はこの辺にあるのである。
このことについては、武士はいつ死ぬか分からぬから宗教によったのだろうとか、
在来の仏教が腐敗したから禅宗が流行ったとか、いろいろの解釈をする人があるけれども、
我は禅の直覚的悟道と武士道の真髄なる物のあわれ、物の心を知るということと同じ趣があると思う。」(堀維孝)『国民道徳に関する講和』稿本。大正二年(2/2)

74 :
>>73
>この「あわれ知る」という気風
加賀百万石・前田家の子孫は鼻高々だろうね。
前田利家は釜ゆで大好きな残酷野郎だが。
残酷な先祖に感謝。
それと聖将とも言われる上杉謙信は、奴隷狩りで有名
http://sengokuclub.com/cgi-bin/uda/col3.cgi?mode=dsp&no=21&num=

75 :
>>73
>忠君の情が厚かった。
信長
目上である将軍を蔑ろ。 尽くしてきた部下も合理主義で切り捨て。
秀吉
信長の子も不都合ならR。 信長を「虎狼の心」などと中傷。
家康
秀吉との約束を破り、陰湿な言いがかりで豊臣家を滅ぼす。

彼らが代表武将トップ3 忠孝?信?なにそれ。

76 :
>>73
>武士道の真髄
そもそも、武士道に明確な定義は存在しない。
戦国期、江戸武士道、鍋島藩の葉隠、みな異なる。
各人が好き勝手を主張。新渡戸も実情との差異を批判されてる。
武士は一般的に、戦国期は仁義なき利の争い、平定後は忠義面で家存続第一。
庶民にとっては年貢を納める対象。その他の面は、個々人のケースにすぎない。

77 :
多様性を主張しながら、他者の意見を否定するバカとは話にならない

78 :

ドラマで有名な忠義武士道は、「印籠、へへーっ」の水戸黄門だが、
実像は若い頃に辻斬り、後には酷税で民を苦しめてる。
ラストサムライのモデルと言われる、「敬天愛人」の西郷隆盛は、
薩摩藩による酷い離島搾取を、明治以降も継続しようと大島商社を設立。

79 :

武士と暴力団の共通点。
暴力の縄張り争い。メンツを重視。庶民を威圧&たかる。○○道と美化。
旗本奴なる武士ヤクザ集団が世間に迷惑掛けたりも。


80 :

長い武士道教育の結果(幕末)がこれだよ。
薩摩 黒船前から幕府に隠れて密貿易。反幕府の原動力に (武士道の忠義が蔑ろ)
薩摩 農民に重税。さらに奄美の離島などで酷い搾取。明治後も継続計る。 (民に非情)
長州 幕末にテロ起こしまくり (武士道はテロリズム?)
薩長 会津戦争 (幕府への忠義に殉じた敗者への狼藉で、長く怨みを残す)
水戸の天狗党 尊皇の先駆者だが、藩の内ゲバで敵の身内まで標的 (陰湿凄惨な報復合戦)
「反幕府・テロ・非情」

81 :
ファビョって連投・・・わかりやすいw

82 :
自演だろカス

83 :
武士(源頼朝)が朝廷に認めてもらい、荘園管理の地頭を全国に。
しかし武士なので暴力的。
おまえら農民が言う事を聞かないなら、
妻子たちを閉じ込め、耳を切り、鼻をそぎ、髪を切って尼のようにし、縄で縛って痛めつけるぞ
「紀伊国阿弖河荘(あてがわのしょう)百姓訴状」
まさに支配側に立ったヤクザ。

84 :
飛行機に爆弾詰め込んで突っ込ませるって作戦は気に入らない
けどそれをやった特攻隊員の人達は素直に尊敬するなぁ
ほぼ100%の人達が作戦には同意してなかったんじゃないかな よく解らないけど
でもそれをしないと自分はおろか家族までもが非国民扱いされるのが当時の日本だった
家族を守りたかったから 将来の日本が平和になるように という考えで特攻した人がほとんどじゃないのかな

85 :
>>58
三島由紀夫の「若きサムラヒのための精神講話」には、そんなこと一つも書いてなかったよ。

86 :
>>84
(´;ω;`)

87 :
>>84
自分と家族が非国民扱いされるのが恐いから、無駄だと分かって
ても爆弾背負って的に体当たり攻撃しなきゃならないって、
村八分や集団いじめが恐いから、家族の中で若者を犠牲に差し出す
的な、かなり陰惨な状態だな。
そんな悲惨で末期的な状態の国には二度としないために、遺族や
生き残った人々は、過ちを繰り返さないようにすると思うけど。

88 :
戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

89 :
その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

90 :
すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

91 :
そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

92 :
「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について

93 :
兵隊さんは命がけ 私たちは襷がけ
一億一心
長期決戦の為に一層の節約を心がけませう

94 :
私は戦後の国際戦略の中心にあるものはいふまでもなく核だと思ひます。そして核のおかげで、世界大戦が
避けられてゐるのも事実ですが、同時に核が総力戦体制をとることをどの国家にも許さなくなりました。なぜなら、
総力戦体制をとつた戦争はただちに核戦争を誘発するからであります。そして世界戦争の危険がさけられると同時に
限定戦争と云ふ新しい戦争が始められました。(中略)ところが、限定戦争の最大の欠点は国論の分裂を必然的に
きたすといふ事であります。なぜなら総力戦体制に入つた場合にはどんな自由諸国でも国民の愛国心がおほいに
高揚されて、国民はいやでもおうでも、祖国のために戦ふといふ信念に燃え立ちます。第二次世界大戦時がさうで
ありました。ところが今は、一方で国家が国家の国際戦略に従つて、限定戦争を行なつても、国内では総力戦体制が
しかれてをりませんから、これに反対する勢力は互角の勝負で戦ふことが出来ます。従つて限定戦争があるところでは、
かならず平和運動と反戦運動が収拾出来ないやうな勢ひで燃え上ります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

95 :
(中略)しかしながら、限定戦争に対する抵抗する体質としては、自由諸国と共産諸国とではおのづから違ひます。
共産諸国は、閉鎖国家でその中で言論統制が自由であり、相互の監視が徹底してゐますから、国論の統一のためには、
どんな陰鬱な暗澹たる手段を弄することも辞さない。(中略)
そしてアメリカでは御承知のとほり反戦運動が収拾つかないやうな形になつてをり、しかもそれがブラック・パワーの
やうな一種の民族主義的なものと結びついて、ますます国論統一を妨げていく状況です。
(中略)共産圏の有利な事は、人民戦争理論といふものがありますから、自由諸国の正規軍に対して、自分らの方は
不正規軍をもつて不正規戦を戦ふことが出来る。この不正規戦はあくまで人民が主体で、女、子供もこの戦争に
参加します。そして彼等は、いはゆる工作員になつて、全くなにも知らない子供が手紙の走り使ひにつかはれても、
その手紙が重要な秘密文書である場合もある。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

96 :
(中略)これで一方では、アメリカ正規軍の兵隊が十人死ぬとする。一方では人民戦争に参加した、あるひは、
ひそかに参加した女、子供が十人死んだとする、その場合にその死の与へる衝撃は女、子供の方が何十倍強い事は
御承知のとほりであります。
(中略)
今言つた事をだいたい要約しますと、共産圏の利点としては、限定戦争下における国論統一の利点、人民戦争理論に
よるヒューマニズムの徹底的利用の利点、この二つが彼等の最大の利点であります。この点については自由諸国内の
マスコミュニケイションは、むしろ共産圏に有利に働くわけであります。(中略)
かういふ点から、自由諸国は二つの最大の失点を初めから自らのうちに包含してゐるんです。これを考へないでは
世界戦略も国際戦略もないといふ事は非常に重要な問題で、これをコンピューターではじいて、物量の上で、
あるひは純戦術的な上で勝つ事が明らかな場合でも、この二つの失点によつて負けるべき事は今までしばしば
実際にあつたとほりです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

97 :
日本のことを考へますと、私は日本はやはり、あくまで忘れられたものに対する価値といふものを認識してゐないと
いふ感じがしてしやうがないのです。といふのは、日本も自由諸国の一環でありますから、私は言論統制といふ事には、
非常に反対であります。そして分断国家の場合には共産圏に対する反感、憎悪、あるひは競争意識、かういふものは、
国民に彌漫してをりますし、また、共産圏からも直接的な被害、肉親の殺戮、その他の恐ろしい体験がありますから、
これに対する言論統一はむしろ容易であります。韓国が良い例であり、いろんな分断国家ではさういふ例が見られます。
(中略)さういふ意味で(日本は)非常に言論統一といふ事がむづかしい。もしこれを強行しようとすれば、
非常に人工的な手段を使つて、益々国民の反撃をかふやうな方法でしか出来ないわけでありますから、マスコミ操作と
いふ事自体が難しくなつてくる。これはアメリカも同然であります。ところが日本人には民族精神の統一として、
その団結力の象徴といふものがあるのに、それが宝の持ち腐れになつてゐるといふのは、これは当然天皇の問題で
あります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

98 :
またもう一つは、第二のヒューマニズムの利用といふ点につきましても、我々は現代の新憲法下の国家において、
ヒューマニズム以上の国家理念といふものを持たないといふ事によつて苦しんでゐる。先のよど号事件にも
見られましたやうに、韓国や北鮮が非常に鮮明な単純なわかりやすい国家意志を表明したのに、日本政府は、
つひに人命尊重以上の理念を打ち出す事が出来なかつた。これはあくまでも敵に戦略的に負けてゐる事であると
私は思ふのです。といふのは、新憲法の制約が、あくまで人命尊重以上の理念を日本人に持たせないやうに
ぎりぎりに縛りつけてあるからであります。
私がこれから申し上げる防衛問題の前提としてこれを申し上げるのは、我々はヒューマニズムを乗り越えて、
人命より価値のあるもの、人間の命よりももつと尊いものがあるといふ理念を国家の中に内包しなければ
国家たり得ないからであります。これは種々利用されて欠点はありますが、我々は天皇といふものを持つてゐる。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

99 :
我々がごく自然な形で団結心が生ずる時の天皇、それから、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統と、この
二つのものを持つてゐながら、これを常にタブーにして手をふれることが出来ないままに戦後体制を持続してきた。
ここに私は共産圏、敵方に対する最大の理論的困難があるにもかかはらず、結局この根本的な問題を是正すること
なしに、ずるずると動いてきてゐることに非常に危機感を持たざるを得ないのです。そして現在の状況は、戦争は
すぐには起りますまいが、ある暴力が発生すると、非暴力といふものが非常にいいことに見えます。(中略)
さういふ点から、左右そのものが平和的な仮面を被つた共産党系と、いろんな点で利用し合ふやうになる。
これは大きな政治の場面でも、向うが平和的な手段にくれば、これを利用することによつて自分も利得をうる。
そして中間にゐる大衆社会はどちらもニュートラルなものとして歓迎する、さういふ状況が出来上つてゐることが
戦略上、非常に私は問題点であると考へます。これは、私は日本の防衛といふものの、先づ基本的な前提として
判つていただきたいと思ふのです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

100 :
第二に今度私は国防理念の問題を申し上げたいと思ひます。それで国防理念の問題としては、我々はつまり物理的な
あるひは物量的な戦略体制といふものに非常に頭が凝り固まつてゐる。例へば中国の核の問題。この核に
対抗する手段が我々には無いわけです。ABMを持たうと思つてもABMは非常に金がかかりますから、ABMを
持つことだけでも大変なことであります。それによつて我々は、集団安全保障といふ理念の中に入つて日米安保
条約によつてアメリカの核戦略体制の中に入るといふことを、国家の安全保障の一つの国是にしてゐるわけです。
ところが、アメリカはABMを持つてをりますが、日本はABMを持つてゐない。従つて核に対しては、我々は
アメリカの対抗手段に頼ることは出来ますが、アメリカの防衛手段から我々は疎外されてゐる訳であります。
我々は防衛手段を自分で持たなければなりませんが、その防衛手段については、あくまでも核の問題が入つて
きますから、非核三原則を原則とする現政府では、それについて核に対抗する核的な防衛手段もまた制限されて
ゐるといはなければなりません。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

101 :
ところが集団安全保障と自主防衛との問題が段々出てきますにつれて、この間の矛盾が、私は、国防理念の中で
段々大きなギャップと裂目を露呈してくるのが、これから二、三年の大きな問題ではないかといふふうに考へて
をります。といふのは、沖縄の問題において、我々は自主防衛といふ問題にいやおうなく直面せざるを得ませんが、
自主防衛とは何であるかといふことについて、先づ人々が考へることは、核のことであります。我々は核が無ければ
国を守れない、しかし核は持てない、これは永遠の論理の悪循環で、核が持てないから集団安全保障に頼る外はない。
従つて我々にとつては、純然たる自主防衛といふことは有り得ないんだ。我々の自主防衛といふものは、
集団安全保障の前提付の上で、二次的に自主防衛といふものが、からうじて許されるわけである。かういふ
固定観念が私は非常に強くなつてゐると思ひます。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

102 :
さういふ場合には、新憲法自体が国連憲章の上に成り立つてゐまして、国連の防衛理念といふものが第一になつて
ゐるにもかかはらず、我々は国連軍に参加することも出来ませんから、国連の防衛理念に対しては、片務的であつて、
我々は国連的な防衛理念によつて、自らの手で自らを守る、といふやうな論理矛盾を犯さざるを得ない。
(中略)我々は我々の国を守るのだ、外国の世話にならないで我々のことは、我々でやるんだ、ともかく我々の
この腕の力の限り、やるだけやるといふところが、我々の考へる自主防衛です。しかしこの理論的裏付けとしては
はつきりいつて何も無い。といふのは、もし戦略的に考へれば、そんな事は、不可能だ、だから国連軍に入れば
いいだらう。従つてもし、非常に政治的にいへば、お前はさういつてゐる段階でもうすでにアメリカの戦略的体制に
引つかかつてゐるんだ、お前はアメリカの傭兵になつてゐるんだと、いはれざるを得ないところへ自分を
追ひこむ外はない。自主防衛といふ言葉をさういふふうに使はしてしまつたのは誰の罪だ。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

103 :
人民戦争理論でなくて核でなくて、日本が闘へる、しかし一歩も日本によせつけないといふものを考へますと、
これは、私は英語を使つたコンベンショナル・ウェポンでなくて、日本には日本刀といふものがあるではないか、
日本刀で充分だと云ふ考へに到達せざるを得ない。私は、かういふのは単に比喩としていつてゐるのであつて、
日本は、日本刀だけで守れるとは限りませんから、五十歩百歩と云ふことを考へれば、たとへ非核ミサイルを
持つても、地対地ミサイルを持つても、地対空ミサイルを持つても、核でないから日本刀と同じことなのです。
全く同じことなのです。それならば日本刀の原理といふものを復活しなければ、どうしたつて防衛問題の根本的な
ものは出てこないんです。(中略)使へる武器だけを持つてゐるのは日本の利点だと考へなければいけない。
(中略)そしてここにつまり武士と武器といふものを、武士と魂とを結びつけることができなければ、日本の
防衛体制は全く空虚なものになつてしまふ、といふところが私の考へてゐる最終的のところです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

104 :
さて、武士といふものはどういふものか。私は、中曾根長官が就任されたとき、又聞きですから、軽率な判断は
慎みますが、自衛隊は一種の技術者集団である、そしていはゆる武士ではない、などと仰せられた様に仄聞して
をります。私の間違ひだつたら訂正致しますが、とんでもない話である。もし自衛隊が武士道精神を忘れて、
いたづらにコンピューターに頼り、いたづらに新しい武器の開発や、新しい兵器体系といふ玩具に飛びつくことに
よつてしか日本の防衛が考へられないやうになつたら、その体質において自衛隊には超近代軍隊といふものが持つ
非常な欠点が表はれる。それは軍の官僚化といふこと、次は軍の宣伝機関化だといふことだ。そしてかういふことは、
各国の軍隊で非常に困つてゐることでありますが、さらにもう一つ、軍の技術者化。この三つが問題です。(中略)
そのテクノクラットは、このテクノクラシーの社会でなんら軍人といふ意味をもたないのです。大会社の実験を
やつてゐる技術者と軍隊で一番新しい兵器を開拓した技術者と、スピリットとしてちつとも変わらないものになる。
そこに産軍合同の理念があるわけです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

105 :
もう一つは、軍のパブリシティといふもの、軍の秘密主義からなるたけ国民にパブリサイズすることとなれば、
軍の主張は必然的に大衆社会に追随することになりますから、いつまでたつても、軍といふものは、男性理念を
復活することができなくて、益々、おふくろ原理に追随しなければならない。もう一つ軍の官僚化といふことは、
軍が戦争しないうちに、あくまで、軍の秩序維持といふことに、頭を労してゐるうちに、シビリアンコントロールが
いきすぎて、軍の体質といふものが、野戦の部隊長といふものを生まなくなる。あくまでも、この静かな奇麗な
官僚機構の中の一環になつて、これは、政府には、非常に喜ばしい傾向かもしれませんが、武士としては、野性の
欠如した、非常に上官にペコペコするやうな、全く下らない人間が出来上る。そして、単なる戦争技術者になつて
一切スピリットが無くなる。このスピリットが無くなる空隙を狙つて、先に申し上げた共産勢力といふものは
自由自在に入つてくるんです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

106 :
(中略)
よく外国人の記者からいはれますが、私は、小さな会などをやつてゐますから、お前は日本に軍国主義が
復活するのを鼓吹してゐるのではないか、軍国主義を鼓吹するために、さういふ事をやつてゐるのではないか、
といろいろいはれるんです。私はいつも、それについて申しますのは、武士道と軍国主義といふものを、一緒に
扱つたのがアメリカの占領政策の一番悪い処である。アメリカ人は、日本が負けた時に、武士道精神をもつて、
日本の武士道に対する敬意だけを残すといふことを遂にしなかつたではないか。彼等は、日本の武士道と日本の
末期的な軍国主義とを全く同一視した。そのために、剣道もやらせなくなつた。そして、まあ一時は歌舞伎ですら、
非常にこの復讐劇や、侍の精神を鼓吹したやうな歌舞伎はやらせなくなつた。
彼等は、外国人だから、仕方がないけれども、日本の武士道といふものは、軍国主義と如何に背反して悲劇的な
結末にいたつたかといふことを、歴史的に無視したからだといふ風にいつも説明するのです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

107 :
私が外人に説明しますことは、乃木大将をもつて、日本の軍における、武士道といふものは、一応終つたんだ、
といふ風に説明するんです。(中略)私は、外人に極く概略的に説明しますことは、武士道と云ふものは、
セルフ・リスペクトと、セルフ・サクリファイスといふことが、そして、もう一つ、セルフ・レスポンシビリティー、
この三つが結びついたものが武士道である。そして、この一つが欠けても、武士道ではないのだ。もしセルフ・
リスペクトと、セルフ・レスポンシビリティーだけが結合すれば、下手すると、ナチスに使はれたアウシュビッツの
収容所長の様になるかもしれない。何故なら彼としても、自分自身に対する尊敬の念を持つてゐただらう。自分の
職務に対する責任を持つてゐただらう。しかしながら上層部の命令するとほりに四十万のユダヤ人を焚殺したでは
ないか。日本の武士道の尊いところは、それにセルフ・サクリファイスといふものがつくことである。この
セルフ・サクリファイスといふものがあるからこそ武士道なので、身を殺して仁をなすといふのが、武士道の
特長である。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

108 :
そしてこの三つが、相俟つた時に、武士道といふものが、成り立つのだ、といふことを、外人に説明するんです。
ですから侵略主義とか軍国主義といふものは、武士道とは始めから無縁のものだ。武士道は、セルフ・リスペクトを
もつた人間が、自分の行動について最終的な責任を持ち、そして、しかもその責任を持つ場合には、自己を犠牲に
すること、一命を鴻毛の軽きに比するといふ気持が、武士道の権化で、これがないときには、武士道といふものはない。
ところが戦後の自衛隊にはこのセルフ・リスペクトといふものが常になかつた。また、セルフ・レスポンシビリティーは
あるかもしれないが、これも官僚的セルフ・レスポンシビリティーに堕してしまつたかたむきがある。第三に、
セルフ・サクリファイスについては、遂に教へられることがなかつた。といふのは、あくまでも人命尊重理念が、
先に立つてきたからであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

109 :
香川県の某接骨院に勤務する指圧師です。(勤務先は申し上げられません)
 
仕事以外に興味を持ち我流ですが回春・性感マッサージを致しております。
当然、院内ではできませんので、個人的に細々とやっており、
ご夫婦の方からも好評を頂いております。
 
内容はカウンセリング、体のコリ、緊張を解すマッサ、整体からはじめ
その後アロマオイル、ローションを用いた
女性には性感マッサージ(ご希望によりソフトからハードまで)、
男性には回春マッサージ(ご希望により前立腺マッサージも)を施術し、
その後ご希望でしたらお二人のSEXのギャラリーとして待機、
事後のクールダウンマッサージも致します。
衛生面にも留意しており、性感、回春は専用のデスポ手袋を着用、
ご希望で玩具を用いる場合は使い捨てに致しますし、
ご希望で生物(ペニス)をご希望の際にはスキンを装着します。
また施術前後はアルコール剤にて滅菌消毒いたしております。
 
趣味と実益(アルバイト)を兼ねておりますので
夜間や土日の休診日のみの対応になりますが、
その分、廉価でサービスをさせて頂きます。
 
ご興味のあるご夫婦、カップル様はぜひ、お問い合わせください。
 
香川がベースですが近隣、また遠方でも交通費ご負担いただければ
参ります。
 
よろしくおねがいします。

110 :
(中略)
一旦終焉した武士道は、どういふ形で生き永らへたか。私は、軍閥といふものは、一朝一夕で成つたとは思ひません。
これは、やはり山県有朋以来の権道主義の政治家と軍人とが徐々に徐々に作りあげていつたものだと思ふのです。
その中では、セルフ・サクリファイスといふ理念は完全に失はれてしまつた。そして勿論、天皇の軍隊であり
ましたから、セルフ・リスペクトの点については欠ける処がなかつた。あるひは、セルフ・レスポンシビリティーの
点についても立派だつたでありませう。しかし、軍の主流は徐々に徐々に、その権力主義と、ファシズムを
受け入れる体制になりつつあつた。そして、全くこの頑固なセルフ・サクリファイスに生きようとする武士は、
段々辺境へ追ひやられてしまつた、まあ、いい例が、ノモンハン事件ですけれども、ノモンハン事件で、
参謀本部がとつた態度は、完全に責任逃れで、現地部隊長を皆自決させて、自分達だけが、一切責任を逃れて、
出世しようとしか考へなかつた。セルフ・サクリファイスの最後の花は、いふまでもなく特攻隊でありました。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

111 :
軍のこれに対して、私に言はせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したもので
ありますが、結局勝ちをしめた統制派といふものが、一部いはゆる革新官僚と結びつき、しかもこの革新官僚は、
左翼の前歴がある人が沢山あつた。かういふものと軍のいはゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としての
ファシズムが結びついて、まあ、昭和の軍国主義といふものが、昭和十二年以降に始めて出てきたんだと外人に
説明するんです。私は、日本の軍国主義といふものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、
全部外国から学んだものだ、と外国人にいふんです。純粋な日本では、さういふものはなかつた。日本の武士とは
さういふものではなかつた。君等がそれを教へたんではないか、(中略)あくまで君等、ヨーロッパ文明の中にある
過酷さが、我々日本を毒したのではないか、我々日本の純粋の武士の魂の中にさういふものはなかつたんだと
いふことを口を極めて説くのであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

112 :
軍国主義といふものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。といふのは、
我々は外国からいい影響だけ受けてゐたと思つたのは、非常な間違ひであつた。明治以降の日本が今日まで
やつてきた西欧化の努力によつて、近代国家になつたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義を
もたらしたのである。ここをよく考へないと日本の近代感覚といふものの一番大きな問題点は掴めない。日本は、
西洋から、善と悪の二つ、なにもかも全部採り入れた。その結果、こんどの敗戦が招来されたと私はみるのであります。
そして、軍国主義のいはゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失はれていつたのは大きい。
といふのは、今のベトナム戦争でも判るやうに、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によつて、
ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましてゐる。日本は、かういふことを一切しないで、正に外国から得た武器によつて、
西洋の武器をもつて、西洋と闘はうとした。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

113 :
これがまづ戦略的に大きな問題だつたのではないか。これは、私は大東亜戦争の敗因の一つではないかとさへ
思つてゐるわけです。参謀本部の頭の中に近代化された頭脳の中にその悪が潜んでゐた。 我々は、もう一つ、
ここで民族精神に振り返つてみて、日本とはなんぞや、武器と魂といふものを日本人は如何に結びつけたか、
そこに立ち返らなければ、日本といふものの防衛の基本的なものは出てこない。そのために、私は、終始一貫した
憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまひなしに、
一介の人間としてそれのみをいつてゐるのは、決してそれによつて、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによつて日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとつて最も基本的な問題、もつと大きくいへば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシビライゼーションとの対決の問題、これが、底にひそんで
ゐることをいひたいんだといふことです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

114 :
乃木大将の死とともに終つた陽明学的知的環境は、大正教養主義と大正ヒューマニズムの敵に他ならなかつた。
過去の敵であるばかりではなく、未来の敵にもなつた。といふのは、大正知識人が徐々に指導者となる時代、
昭和初年にいたつて、このやうに否定され忌避され抑圧された陽明学的潮流は、地下に潜流して、過激な右翼思潮の
温床となつたために、ますます大正知識人に嫌はれる対象となり、被害者意識から大正知識人が、後輩へあへて
伝へまいとした有害な「黒い秘教」になつたのである。
一方マルクシズムは、知識層の革命的関心の、ほとんど九十パーセントを奪ひ去つた。北一輝のやうな日本的
革命思想の追究者は、孤立した星であつた。マルクシズムが陽明学にとつて代り、大正教養主義・ヒューマニズムが
朱子学にとつて代つたといふこともできるであらう。朱子学の、なかんづく、荻生徂徠のやうな外来思想の心酔者は、
大正知識人にとつてもむしろ親しみやすかつた。しかし国学と陽明学はやりきれぬ代物だつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

115 :
国学は右翼学者の、陽明学は一部の軍人や右翼政治家の専用品になつた。インテリは触れるべからざるものに
なつたのである。
今日でも、インテリが触れてはならぬと自戒してゐるいくつかの思想的タブーがあり、武士道では「葉隠」、
国学では平田(篤胤)神学、その後の正統右翼思想、したがつて天皇崇拝等々は、それに触れたが最後、
インテリ社会から村八分にされる危険があるものとされてゐる。さういふものを何か「いまはしい」ものと
考へるインテリの感覚の底には、明治の開明主義が影を落としてゐる。西欧的合理主義の移入者であり代弁者で
あるところに、自己のプライドの根拠を置いてきた明治初期の留学生の気質は、今なほ日本知識層の気質の底に
ひそんでゐる。決して西欧化に馴染まぬものは、未開なもの、アジア的なもの、蒙昧なもの、いまはしいもの、
醜いもの、卑しむべきもの、外人に見せたくないもの、として押入の奥へ片付けておく。陽明学もその一つで
あつたのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

116 :
現代日本知識人は、かくて無意識のうちに朱子学的伝統を引いてゐる。すなはち、西欧化近代化の文明開化主義の
明治政府と、その劇画化としての第二次大戦後の政府との、基本方針を逸脱せぬところで、同じ次元で、これを
批判し、あるひは「教育」する立場に矜りを見つける。マルクシストさへ、近代化の方策の差といふのみで、
近代主義者には変りがないから、近代主義の先駆としての立場から、「保守的」政府を批判し、それ以上には
出ないのである。大内兵衛氏が、自民党内閣と社会党と双方に関係するのは、双方が近代主義の異腹の児で
あるといふ点で、矛盾はない。
現代日本知識人の身を置く立場や思想は、マルクシズムの神話の崩壊につれ、ますます朱子学の各分派といふ様相を
呈するであらう。私見によれば陽明学は、決してその分派に属さない。むしろ今こそそれは嘗てあつたよりも
激しい形で、提起され直さねばならない。あらゆる政治学が劇薬でありえなくなつた現在、菌にも耐性ができて、
大ていの薬では利かなくなつたのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

117 :
さて今まではといへば、たとへば(中略)氏(丸山真男)はそのかなり大部の著書の中でわづかに一頁の
コメンタリーを陽明学に当ててゐるに過ぎない。氏は、陽明学をあくまで朱子学に依存する一セクトとして見、
これを簡略に説明して、朱子の「知先行後」に対して「知行合一」を主張するところの主観的、個人的哲学で
あるとなし、陽明学は朱子学の理の内包してゐた物理性をことごとく道理性のうちに解消せしめたが故に、
朱子学ほどの包括性をもたず、朱子学ほどの社会性を失つた、と説いてゐる。
しかしながら陽明学は、明治維新のやうな革命状況を準備した精神史的な諸事実の上に、強大な力を刻印してゐた。
陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。
大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティシズムの
二本の柱にあると思はれる。(中略)二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッカーの準備した
能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの「二十世紀の神話」が、
ナチスのミスティシズムを形成した。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

118 :
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に
入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは
人間性の自然である。
明治維新は、私見によれば、ミスティシズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によつて準備された。
本居宣長のアポロン的な国学は、時代を経るにしたがつて平田篤胤、さらには林桜園のやうなミスティックな
神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培つた。
また、これと並行して、中江藤樹以来の陽明学は明治維新的思想行動のはるか先駆といはれる大塩平八郎の乱の
背景をなし、大塩の著書「洗心洞箚記」は明治維新後の最後のナショナルな反乱ともいふべき西南戦争の首領
西郷隆盛が、死に至るまで愛読した本であつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

119 :
また、吉田松陰の行動哲学の裏にも陽明学の思想は脈々と波打つてをり、一度アカデミックなくびきをはづされた
朱子学は、もとの朱子学が体制擁護の体系を完成するとともに、一方は異端のなまなましい血のざわめきの中へ
おりていき、まさに維新の志士の心情そのものの思想的形成にあづかるのである。
主観哲学であり、且つ道理を明らかにすることによつて善悪を超越する哲学であるこの陽明学といふ危険な思想は、
丸山氏のいふところの、まさに逆を行つて、権力擁護の朱子学、徂徠学の一分派といふ仮面に隠れながら、その実、
もつとも極端なラディカリズムと能動的ニヒリズムの極限へ向かつて進んでいつた。その「良知」とは、単に
認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入つて創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、
武士的な行動原理と思はれる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもつとも危険な消息を伝へるものであつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

120 :
(中略)
私はさつき、死に直面する行動がニヒリズムを養成するといふことを言つた。陽明学の時代にはニヒリズムと
いふ言葉はなかつたから、それは大塩平八郎(中斎)の中斎学派がとりわけ強調した「帰太虚」の説の中に
表はれてゐる。
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩は太虚といふものこそ万物創造の源であり、また善と悪とを
良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると
主張した。彼は一つの譬喩を持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま
太虚に帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち肉体に包まれた
思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に
偏在する太虚に帰することができるのである。
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば能動的ニヒリズムの根元と
考へてよいだらう。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

121 :
ただ、この太虚が仏教の空観に、ともすると似てきてしまふことは、森鴎外も小説「大塩平八郎」の中でそれとなく
皮肉に指摘してゐる。仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に達してまた現世へ
戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へにはこの仏教の空観と陽明学の太虚を
つなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、
また陽明学的な行動ともいふことができるのである。
陽明学をごく簡単に説明したものとしては、井上哲次郎博士の「王陽明の哲学の心髄骨子」といふ古い論文がある。
(中略)明代の哲学者王陽明は朱子哲学の反動としておこつた人であるが、朱子哲学が二元論であつたので、
これに対して一元論の哲学を唱導し、陸象山の思想を受けてこれに自由主義的あるひは平等主義的な傾向を与へて
陽明学を体系づけた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

122 :
(中略)
そもそも陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。ラショナリズムに
立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。
もちろん、認識と行動との一致といふことを離れて考へてみても、われわれが認識ならぬ知に達する方法としては
古人がすでに二つの道を用意してゐた。一つは、認識それ自体の機能を極限までおし進めるアポロン的な方法であり、
一つは、理性のくびきを脱して狂奔する行動に身をまかせ、そこに生ずるハイデッガーのいはゆる脱自、陶酔、
恍惚、の一種の宗教的見神的体験を通じて知に到達するといふ方法である。これは哲学の中の二つの潮流を
形づくると同時に、人間の行動様式、行動様式の表はれとしての倫理や文化などの、すべての分岐点として現はれた。
陽明学を革命の哲学だといふのは、それが革命に必要な行動性の極致をある狂熱的認識を通して把握しようとした
ものだからである。私がかう言ふのは、学問によつてではなく行動によつて今日までもつとも有名になつてゐる
大塩平八郎のことをいま思ひうかべるからだ。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

123 :
(中略)
大塩が思ふには、われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、太虚の一つである。
この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つて
ゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に
帰すれば、天がすでにその心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていくほかはない。形の
あるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつてゆすぶられる。何故なら形があるからである。
しかし、地震は太虚を動かすことはできない。これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を
語ることができるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

124 :
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して
真の良知に達し、天の正義と一致するのである。
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。また、心の外にある虚は、
すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。この説は世界の実在はすなはちわれであると
いふ点で、ウパニシャッドのアートマンとはなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを恨む」といふことを
つねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと思はれるのである。心がすでに太虚に
帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。
心が本当に死なないことを知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

125 :
New!!

熊本/大学生・女児殺害事件「ここ1年くらいはパチンコ店に入り浸っていた」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/720

ギャンブル依存 発達障害がある場合も
「ギャンブルにのめり込んでいる人の中には、発達障害の人がかなりいる」。
こんな見方が、ギャンブル依存者の回復を支援する専門家の間で認識され始めた。
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
http://megalodon.jp/2011-0210-0913-45/www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
2011年2月1日
兵庫・加古川の母娘殺害:夫に懲役25年
「勤務先を解雇されてパチンコなどのために借金を重ね、家族の生活費などを使い込んだ…
このため妻しのぶさんから離婚を求められ絶望的な気持ちになり」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/718
東池袋 出会い系カフェ殺人事件・女子大生と男「1万円の攻防」
借金200万円→パチンコで負けてから深夜11時出会い系カフェ入店→ラブホテルで殺害
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/714-719
北関東・5人幼女連続R殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
北関東・5人幼女連続R殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
警察は犯人を知っています。
警察は犯人を知っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/669-671
●マスゴミは大学生がパチンコに入り浸っていたことは総スルーするぞ(笑)●

126 :
(中略)
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、平八郎とは
反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」といふ人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重の
ヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり
恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死を
ものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が
底流することになるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

127 :
(中略)
大塩平八郎の死は、前にも言つたやうに天保八年三月のことであつたが、それから四十年を経た、西郷南洲の
西南の役における死に思ひ及びと、西郷の生涯が再び陽明学の不思議な反知性主義と行動主義によつて貫かれて
ゐることにわれわれは気づく。西郷の「手抄言志録」によれば、その第二十一には、死を恐れるのは生まれてから
のちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の
性質であつて、肉体を離れるとき初めてこの死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ
気持のうちに死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に帰ることである、
といふ意味のことをいつてゐる。
現にま西郷は幕吏に追はれた親友の僧月照と共に薩摩の海に舟を浮かべ、月照が示した和歌に同感して直ちに
彼と共に相擁して海に身を投じたことがある。そのときに死んだのは月照だけで、西郷は蘇ることになるのであるが、
彼はその後一生、月照と共にRなかつたことを憾みに思つてゐたやうである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

128 :
(中略)
この(「南洲遺訓」)文章などは、われわれの中で一人の人間の理想像が組み立てられるときに、その理想像に
同一化できるかできないかといふところに能力の有無を見てゐる点で、あたかも大塩平八郎の行動を想起させる
のである。聖人がわれわれの胸奥に住むならば、その聖人とわれわれとは同格でなければならない。甚だ傲慢な
哲学であるが、それはあたかも「葉隠」の、「われは日本一なりとの増上慢なくてはお役に立ち難し」といふやうな
自我哲学の絶頂と照応してゐる。
このやうな同一化の可能性が生じないで、ただおとなしくこれを学び、ひたすら聖人に及ばざることのみを考へて
ゐるところからは、決して行動のエネルギーは湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と
同一視することであり、自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

129 :
そのやうな行動の、次元を絶した境地は、吉田松陰が獄中から品川弥二郎に送つた書簡の中にもうかがはれる。
松陰は一つの空虚を巨大な空虚に結びつけ、一つの小さな政治的考慮を最高の理想に結びつけて、小さな行動を
最終の理念に直結させるための跳躍の姿勢をさまざまにためした。そのとき狭い獄舎の中で松陰が試みた精神的
ジャンプは、たちまち日常生活の次元を超えて、空間と時間とを新しい次元へ飛躍させたのである。
松陰が入つていつたこのやうな心境を証明するもつとも恐ろしく、私の忘れがたい一句は、「天地の悠久に比せば
松柏も一時蠅なり」といふものだ。(中略)
そのとき松陰は、人生の短さと天地の悠久との間に何等差別をつけてゐなかつた。われわれの生存がもつてゐる
種々の困難、われわれの日々の生が担つてゐるもろもろの条件を脱却して、直ちに最小のものから最大のものに、
もつとも短いものからもつとも長いものへ一ぺんに跳躍し、同一視する観点を把握してゐた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

130 :
(中略)
この陽明学はおそらく、乃木大将の死に至つて、日本の現代史の表面から消えていつたやうに思はれる。その後、
陽明学的な行動原理は学究を通じてではなくて、むしろ日本人の行動様式のメンタリティーの基本を形づくることに
なつて、ひそかに潜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るまで、日本人が企てた行動には、
西欧人が企及し得ぬ、また想像し得ぬさまざまな不思議な要素がふくまれてゐる。そしてその日本人の政治行動
自体には、完全な理性主義や主知主義に反するところの不思議な暴発状況や、無効を承知でやつた行動のいくつかの
めざましい事例がみられるのである。
何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを経過した行動ならば、
その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、
これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは
予言してもよい。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

131 :
日本における革命運動は、日本的革命とは何ぞやといふ問題をひさしく閑却してきた。革命はすべて外来思想であり、
マルクシズムも亦西欧の近代化の一翼に乗つて日本に入つてきた一思想であつた。そして、日本といふアジアの
後進国家が物質文明による近代化に乗り出したときに、その近代化に随伴する一つのアンチテーゼの思想が
移入されたのは必然的であつた。そして、マルクシズムの思想の日本化のためには、苦しい血のにじむやうな
努力が要つた。
転向の問題は、一度、外来思想を人間の肉体と心情を通して濾過し、その心情の根底において思想とは何ものかを
問ふといふことによつて、日本の知識人に重要な歴史的転機を与へた。もし、あの転向の思想的体験が戦後の
革命思想に正当に貫かれてゐたならば、私は「日本的革命とは何ぞや」といふ問題が、真に展開されてゐたで
あらうと思ふ。
しかしながら、戦後のアメリカ民主主義による突如の解放によつて、革命思想の日本化肉体化といふ問題は一時
置きざりにされた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

132 :
即ち、それは再び啓蒙思想に復帰し、近代主義に立ち戻り、すべてを振り出しから始めるといふ新しい楽天的な、
再度の近代化西欧化の代表をつとめるやうになつたのだ。戦後、このやうな近代主義がたちまち破綻したのは
当然のなりゆきである。
その後の新左翼の勃興は、かうした混迷、矛盾を経て老朽化していつた共産党的革命思想に対するアンチテーゼで
あつたが、その後被ら自身が自分の思想の肉体化といふことについて、風土性の問題から離れざるを得ぬといふ
時代的環境に置かれていつた。すでに農地改革以後、ブルジョア革命が成就した日本で、極度の急激な工業化と共に
大衆社会化状況が生まれ、工業化、都市化の進展は農村人ロの減少をもたらし、その思想の風土性は、帰るべき
故郷を失つた状態にあつた。主に学生運動は都市から発生し、その都市化の極点における空白においてのみ、
一般の大衆の精神的空白と相わたつた。そのとき、もはや革命思想は日本的、風土的なものに還元されるべき
手がかりを失つてゐた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

133 :
(中略)
七〇年は予想されたやうな波瀾も見せずに、再び占領体制下と同じやうな論理が復活するのに役立つた。いまや
自民党も共産党も同じやうな次元の議会主義政党に堕し、共に政治目標実現の最終的な不可能を知りながら、
目前の事態の処理によつて大衆社会をどちらがより多く味方に引きつけるか、といふ術策に憂き身をやつすやうに
なつた。このやうな政治行動は、すみずみまでソロバンづくの有効性によつて計量され、有効性の判断が政治行動の
メリットの唯一の基準になつた。すでに自民党がさうである如く、共産党も政権獲得のための票数の増加と、
日常活動による市民生活への浸透に目安をおいて、一刻一刻、一日一日の政治行動を、すべてこのプラクティカルな
目的に対する有効性によつて判断してゐる。
それをジャーナリズムはまた、理想主義の終焉、あるひは脱イデオロギーの時代が来たとよんでゐる。そして
工業化社会の果てに、ポスト・インダストリアル・ジェネレーション、脱工業化社会が来るといふことは、つとに
予見されたことであつたが、その予見は半ば当り半ば当らなかつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

134 :
工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によつて埋められ、精神の飢ゑが再び飽満した食欲によつて
満たされることになつた。そして先にも言つたやうに、人は心の死、魂の死を恐れないやうになつたのである。
陽明学が示唆するものは、このやうな政治の有効性に対する精神の最終的な無効性にしか、精神の尊厳を認めまいと
するかたくなな哲学である。いつたんニヒリズムを経過した尊厳性が精神の最終的な価値であるとするならば、
もはやそこにあるのは政治的有効性にコミットすることではなく、今後の精神と政治との対立状況のもつとも
きびしい地点に身をおくことでなければならない。そのときわれわれは、新しい功利的な革命思想の反対側に
ゐるのである。陽明学はもともと支那に発した哲学であるが、以上にも述べたやうに日本の行動家の魂の中で
いつたん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

135 :
もし革命思想がよみがへるとすれば、このやうな日本人のメンタリティの奥底に重りをおろした思想から
出発するより他はない。一方、国学のファナティックなミスティシズムが現代に蘇ることがはなはだむづかしいと
するならば、陽明学がその中にもつてゐる論理性と思想的骨格は、これから先の革新思想の一つの新しい芽生えを
用意するかもしれない。
われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の陰に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬つてきた。われわれは西洋に
対して戦ふといふときに何をもとにして戦ふかを、つひに知らなかつた。そして西欧化に最終的に順応したもの
だけが、日本の近代における覇者となつたのである。明治政府自体が西欧化による西欧に対する勝利といふ理念を
掲げたときに、その実力による最終証明となつたものは日露戦争であつたから、その後の日本は西欧的な戦争を
戦ふことによつて西欧に打ち勝つといふ固定観念に向かつて進んで、第二次大戦の破局に際会した。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

136 :
一方目ざめたアジアは、アジア独特の思考によりベトナムや中共で西欧化に対するしたたかな抵抗の作戦を展開した。
それらはもちろん、地理的な条件やさまざまな風土的な条件の恵みによることはもちろんであるが、日本が
貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの一環に属することによつて西欧化に
対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を革正することによつてしか、
最終的に成就されない道である。そのとき革新思想がどのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその
政治的有効性の方向に引きずられていくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの
陽明学といふ忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における精神の
闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

137 :
Q――石原(慎太郎)氏に向かつて「自民党にはひつたら党を批判するな」といふあなたの論法。これをおし
進めると、抵抗を否定することになる。従属といふか、非常に暗いものを要求する、抵抗を押へるのではないか、
と思ふのだが……。
三島:抵抗は死に身になれ。抵抗はやれ。ただし遊び半分にやるな、といふことだ。たとへば抵抗は楽しいもの
であるといふベ平連などの考へですね。あれが一番きらひなんです。ベ平連式の“抵抗”は、大衆にアピールする。
抵抗とは楽しい、抵抗とは手をつないでフランス・デモをやることだ、フォーク・ダンスをやることだ、これが
非常にいやなんです。抵抗はナマやさしいもんぢやない。血みどろで、死に身にならなきやできないのが本当である。
内部批判をする連中が、手柄顔で歩いてゐる。石原君のことぢやなく、世間一般ですよ。共産党を内部批判すると
英雄になる。公明党を内部批判すると英雄になる。自分の属してゐるものの内部批判した男が英雄視される。
こんな間違つたことはない。抵抗をもう少し暗いものにしなきやいかん。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より

138 :
(中略)藩のきびしさは、いまの会社などとは、なるほど、くらべものにならないかもしれない。しかし、
そこに仕へるものの内面的なモラルといふものは同じだ。つまり、お前はこんな批判をしたから切腹ものだ、
首をはねる、なんて規則は外面的な規則でしよ。だけど自分は賊名を着せられてもあへてやるんだとか、あるひは
自分の中では内面的にそれを許さない、といふ場合に、人間はどういふ態度をとるべきか。その態度決定は
文化や伝統が規定すると思ふんです。(中略)
Q――「個人的なフラストレーションと公的な憤りを混同するな」といふことを書いてをられる。
三島:それは抵抗側の政治組織の問題です。つまり個人的な怨恨を巻きこまなければ、大きな抵抗は組織できない。
さういふ組織がいけないといふのではない。(中略)
いまの日本は「公」と「私」の別がないやうな国、私益優先の国ですね。人命尊重以上の高い価値を持つたものは
なくなつた。それがいまの日本です。ですから「よど号」事件なんかでも、日本の政府は人命尊重以外には何も
いへない。日本には、それ以上の国是がないんだから。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より

139 :
韓国でも北朝鮮でも国家意志といふものがあつたでせう。いまの日本には、国家意志などといふものはない。
石原君なんか、国家意志を持たうとするために政治家になつたのぢやないか。さういふ日本から脱却して――。
ぼくは、そのために彼を応援したのぢやないのか。だから石原君が私益優先みたいな社会の中で「私」と「公」を
混同するやうなものの考へ方だつたら、初めから矛盾ぢやないのか。あくまで公的なものだけを大切にするのが
彼の政治行為ではないのかと思ふのです。ぼくはむりやりにでも「公」と「私」を分けなきや政治行為なんて
できるものではないと思つてゐる。いまの若いもの、若い政治家が持つてゐる満たされないもやもやしたものを、
公的なものにすりかへてゐる。これは卑怯です。石原君だけでなく、日本人の多くが、いまさうですね。会社の
帰りに、いつぱい飲みながらやる上役の悪口が、いま日本中の世論といふものの原型になつちやつた。昔は、
あんなもの私的なもので、上役とのいさかひはその場で終はつた。翌日はケロッとしてゐたものだ。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より

140 :
Q――士道とは何か。
三島:山鹿素行の士道とか、吉田松陰のそれとか、士道にもいろいろあつてね。さう堅いことばかりいつてゐる
わけぢやない。「柔よく剛を制するの理(ことわり)をわきまふべし。しゐてつよからんと思へば、かへつて
よはきことあり。われつよければ、かれも又つよし」なんてのもある。こりや、ぼくのこといつてるのかも
わからんが……。
ぼくは、魂の問題といふことで「士道」といふ言葉を使つた。内面的なモラルといつてもいい。内面的なモラル
といふものは、自分が決めて自分がしばるものだ。それがなければ、精神なんてグニャグニャになつちやふ。
今日では、自分で自分をしばるといつたストイックな精神的態度を、だれも要求しなくなつた。ストイックなのは
損だと、だれもが考へてゐる。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より

141 :
Q――「士道」といふもの、そもそもアナクロニズムではないのか。みんなが「士道」を実践してゐないのに、
一人だけサムラヒになつても効果がないんぢやないか。
三島:ぼくは「士道」を、みんなに向かつて鼓舞するつもりはない。ストイックなものだから、一人がさうで
あればいい。あるひは十人がなるかもしれないが、この巨大な社会の歯車の中で、一人がストイックになれば、
それがしだいに波及して順々に歯車が動いていくんぢやないか。さういふ気違ひみたいなヤツがゐないと、
日本、面白くないと思ひますね。
アナクロ? さうかもしれない。しかし、人間、どんな新しい身なりをしてゐても、一つだけ古いものを
持つてるのがダンディーぢやないのですか。精神的態度として。士道ていふのはダンディズムですよ。男の
“見伊達”といふか、さういふものですね。精神的な伊達ものですね。最新流行の服を着て、口に何十年か前の
古いパイプをくはへてゐるやうに、精神的にも一点、アナクロニズムが残つてゐるてのがダンディーなんですよ。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より

142 :
Q――「士道」の復活は、現代において可能ですか。
三島:ぼくはさういふふうに問題を考へてゐない。「士道」といふ言葉をいふのは、その言葉が、まるで一滴の
しづくのやうにその人の心にしたたつたら、自分で考へてごらんなさい――といふだけなんです。「士道」といふ
ものは、マスコミを通じて広まるやうな性質のものではない。われわれの心の中を探つてみると、心のなかに
持つてゐる自己規律に照らして、どこかやましいものがあるはずだ。やましいものがあれば、士道に反してゐるのだ
と考へるべきだ。それが日本人だと思ふんです。なぜやましさを感じるか。それは士道にもとつてるからなんです。
士道つてそんなものではないか。一言でいへば、「士道」とは男の道ですよ。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より

143 :
新渡戸に洗脳されちゃった哀れな方々か

144 :
日本人は世界から見ればすごい人種だと思われているんだよ
原発作業の50人は世界から英雄だと評価されている
戦後、日本を復興させてきたおじいちゃん、おばんちゃん世代の人たちは本当にすごい人たちなんだよ
日本の戦後復興は世界から奇跡と言われていたんだよ
うちのおばちゃんが今回の地震で戦後の日本を思い出すって言ってた。
日本人は本当にすごい人種なんだよ。 本当に
そして日本は色々な国に援助をしてきた アフガニスタンにしろ中国にしろ復興金など援助金など払っていた
ベトナムにも援助をしていた
だから色々な国から逆に援助金など寄付などしてくれるんだよ
それは今ままで日本はいろいろな国に援助なり寄付なりしてたからだよ
それに比べて韓国人は戦後、日本に密入国をして大暴れをして強奪やRや殺人などをして
日本人から金を奪っていた。これは真実。
地震後の復興でマスコミは韓国を押して韓国アイドルのニュースを日本国民に押し付けたりする
気づいてほしい。 いい加減マスコミに騙されないほしい。 韓国人という人種は嘘や犯罪を犯すそういう人種なんだよ


145 :
>>144
日本人が中国や韓国にしたひどいことは?
そして日本は殺人ないの?

146 :
>>144
今回の震災で被災地の方々の忍耐や助け合う姿勢は日本人は立派だと思うし、
各国の支援援助関係は日本は世界から愛されていると思うけど、日本国内の
政治家や一部企業のトップなどの対応はクズだと思ったので、手放しに
日本および日本人は凄いとは思えないな。
戦争に関しては、日本国内の歴史を見れば、戦国時代では当時の国同士
で戦乱で虐殺したり、戦時のRや略奪は日常茶飯事だったので、
韓国中国日本関係なく、戦争とはそういう物だと思う。
近代に近い戊辰戦争でも、たいして変わらない状況だったと言う。

147 :
タバコ出荷停止!
皆さん大丈夫ですか?
近所のコンビニにもタバコがありません
でも、ご安心を!
タバコは個人輸入すれば問題なし
なんせ海外のタバコは激安
送料込みで1箱60円とかもアリ
コンビニで買うのがバカらしく思える
日本語の個人輸入代行業者は沢山あります
「タバコ 個人輸入」とかで検索して
良さそうな業者を選べばOK

148 :
三島の武士道は単なる武士道ではなく、しいてゆえば
軍士道(ぐしどう)であり帝国軍人の道を説いている。
ゆえにいわゆる武士ではなくて帝国
軍人としての武士であるが、ようするに
伝統ある歴史的軍隊の延長としての近代的
西洋軍隊、軍人という軍士の精神理論。

149 :
そもそも「さむらい」の淵源は
俘囚軍にあると思う。
喜田貞吉も言ってたはずだ。
つまり縄文系の戦士を朝廷で
使役するにあたって、武士道と言う
生命軽視の価値観が生まれた。

150 :
>>146
政府の対応に不満がっていうけど、贅沢いったらキリないのでは?

151 :
>>145
東ア+で聞いたらいいんじゃね

152 :
 
海上自衛隊の軍艦旗はモンゴルの旗
http://s1.shard.jp/deer/0204/46/305.html
モンゴル帝国を記念した旗だったとは。
そこには、「神風」の秘密がある。

153 :
軍による死の強要

154 :
>>152
こいつの病気は年々酷くなるな・・・・
まあ、いまさら社会には適応できんだろうし
親も諦めてるんだろうな。

155 :
>>151
じゃぁ日本においても殺人犯を野放しにしてね

156 :
>>155
殺人暴力強姦放火窃盗で有名なミンジョクが
野放しになってるだろw

157 :
私は進歩主義者ではないから、次のやうに考へてゐる。
精神をきたへることも、肉体をきたへることも、人間の古い伝統の中の神へ近づくことであり、失はれた完全な
理想的な人間を目ざすことであり、それをうながすものは、人間の心の中にある「古代の完全性」への郷愁である、と。
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにもかけはなれてしまひ、
社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。ここから人間を取りもどすには、ただ
はふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
三島由紀夫「きたへる――その意義」より

158 :
苦しい思ひをしなければならぬ。人間の精神も肉体も、ただ、温泉につかつて、ぼんやりしてゐるやうには
できてゐない。鉄砲でも、刀でも、しよつちゆう手入れをしてゐなければ、さびて使ひものにならなくなる。
精神も肉体も、たえず練磨して、たえずみがき上げてゐなければならぬ。
これは当り前のことなのだが、この当り前のことが忘れられてゐる。若いうちに、つらいことに耐へた経験を
持つことほど、人生にとつて宝はないと思ふ。軍隊のやうな強制のない現在、一人一人の自発的な意志が、
一人一人の未来を決定するにちがひない。
三島由紀夫「きたへる――その意義」より

159 :
何代も百姓やって来た家系の子孫は喜んで息子を戦争にやった
何百年も待ち望んだ念願のサムライ(もどき)が家から出るのは名誉だと思ってた
虚弱体質で「オマエイラネ」と言われて兵士になれなかったのが三島由紀夫
そういった人間が非国民扱いされた時代に生き、心に大きな傷を抱える
勉強は出来たので東大には入れた、文章の才能があって人気作家にもなれた
しかし、どれだけ精神を病んでいたのだろう

160 :
元パリ・マッチ特派員アルフレッド・スムラー著「日本は誤解されている」より抜粋。
「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、
このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」

161 :
南シナ海で支那とベトナム&フィリピンの間で緊張が高まり、ベトナムもフィリピンも支那の侵略に備えているのに、
日本は尖閣や艦隊通過と、やられたい放題。支那に対峙するベトナム人の気概のルーツを解説。
西村幸祐氏のfacebookより http://t.co/aI5KGZj
インドを含めた東南アジア諸国の独立は間違いなく日本。ベトナムと日本軍に関してはここで知りました。http://t.co/DmknPc2

162 :
英霊が命を賭して護り、遺して下さった国土が穢されてるんだぜ?
女子高校生を強姦し下着奪う 朝鮮籍で住所不定の会社員呉紘希容疑者(27)を逮捕
http://toki.2ch.sc/test/read.cgi/dqnplus/1308928312/

163 :
 
八百長戦争の特攻隊とは何だったのか。
http://s1.shard.jp/deer/0202/3/119_2.html
特攻隊とは、「ほめ殺し」の典型事例だった。
今でもそうだが、当時の大本営には、地域町内会の会長から、
「死んで欲しい」家族・若者のリストが軍部に送られた。
そして、特別に召集令状が送られた。
特攻機には、二機の監督機が伴走した。
特攻機には片道の燃料、他の二機はもちろん往復の燃料だ。
どう見ても「人殺し」でしかなかった。
このインチキは、「八百長戦争」の論理で初めて説明がついた。

164 :
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
        jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
       (ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´:::  :::: |;;;;;彡|
        }ミミ;;;} :::  {:: ゙:::::、:::    :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
        jミミ;;;;} :::  ヽ::::ミヽ::  |  ノ  W::  |;;;;彡:|
          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
         iミ゙;;;ノ::::::  \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
        {;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
          |l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´   .:::lリノ/
         l'、〈;', :::    :::::::t、,j iノ:::、::..    ..::::lー'/
   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
)ヽ"´   ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;""  ゙l|  ::j ::: |: l,,,,
         ゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ  l| :" l  |',`ヽ,
    す そ     (,l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
   ご . う      Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ   ,r' //  |
   い な     >,; :::ヽ  ::ヽミニニニ彡'"  , '::::://  |
    ね ん     フヽ :::\ : ミー―― "ノ , ':::: //:   |
   ┃ だ      }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://:    |
   ┃  /     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
   // ・     ( |  ヽ ヽ :::: ::::::...  :://     |    |
)  ・・.       (  |  ヽ ヽ::  ::::::... //      リ.    |
つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /

165 :
この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな怪物的日本は、
鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、われわれの口を
借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。このやうな叫びに
目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、人の口から出るのを
きくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、あちらには
「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと一体化することのもつとも
危険な喜びを感じずにゐられない。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より

166 :
そしてこれこそ、人々がなほ「剣道」といふ名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い
「精神主義」の風味なのだ。私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、
あくまでその反時代性を失はないことを望む。
(中略)
スポーツは行ふことにつきる。身を起し、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの
快さについて、かつてマンボ族が流行してゐたころ、
「このシャワーの味はマンボ族も知らねえだろ」
と誇らしげに言つてゐた拳闘選手の言葉を私は思ひ出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。
運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれてゐる。どんな権力を握つても、どんな放蕩を
重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知つたとはいへないであらう。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より

167 :
「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんたうの
恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。恋愛のエネルギーはけつして内に
たわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに
滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての
時代とは比べものにならぬほど豊富に恵まれてゐる。しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは
恋愛といふものの死である。もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ経過を
何度もくり返してゐると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目にみえてゐる。若い人たちが
いちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、この点であるといつていい。

三島由紀夫「葉隠入門」より

168 :
かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が女郎屋へ連れて行つて
肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さへふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうへに成り立ちながら、一方では古いピューリタニカルな
恋愛伝統を保持してゐたのである。しかし、いつたん恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の
犠牲の対象がなければならない。それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、融通のきく恋愛の
保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。恋のためには死ななければならず、死が恋の
緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の説いてゐる理想的な恋愛である。

三島由紀夫「葉隠入門」より

169 :
おそるべき人生知にあふれたこの著者(山本常朝)は、人間が生だけによつて生きるものではないことを知つてゐた。
彼は、人間にとつて自由といふものが、いかに逆説的なものであるかも知つてゐた。そして人間が自由を
与へられるとたんに自由に飽き、生を与へられるとたんに生に耐へがたくなることも知つてゐた。
現代は、生き延びることにすべての前提がかかつてゐる時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、
われわれの前には単調な人生のプランが描かれてゐる。青年がいはゆるマイホーム主義によつて、自分の小さな巣を
見つけることに努力してゐるうちはまだしも、いつたん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんで
はじかれた退職金の金額と、労働ができなくなつたときの、静かな退職後の、老後の生活だけである。(中略)
戦後一定の理想的水準に達したイギリスでは、労働意欲が失はれ、それがさらには産業の荒廃にまで結びついてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より

170 :
しかし、現代社会の方向には、社会主義国家の理想か、福祉国家の理想か、二つに一つしかないのである。
自由のはてには福祉国家の倦怠があり、社会主義国家のはてには自由の抑圧があることはいふまでもない。
人間は大きな社会的なヴィジョンを一方の心で持ちながら、そして、その理想へ向かつて歩一歩を進めながら、
同時に理想が達せられさうになると、とたんに退屈してしまふ。他方では、一人一人が潜在意識の中に、深い
盲目的な衝動をかくしてゐる。それは未来にかかはる社会的理想とは本質的にかかはりのない、現在の一瞬一瞬の
生の矛盾にみちたダイナミックな発現である。青年においては、とくにこれが端的な、先鋭な形であらはれる。
また、その盲目的な衝動が劇的に対立し、相争ふ形であらはれる。青年期は反抗の衝動と服従の衝動とを同じやうに
持つてゐる。これは自由への衝動と死への衝動といひかへてもよい。その衝動のあらはれが、いかに政治的な形を
とつても、その実それは、人間存在の基本的な矛盾の電位差によつて起こる電流のごときものと考へてよい。

三島由紀夫「葉隠入門」より

171 :
戦時中には、死への衝動は100パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に
抑圧されてゐる。それとちやうど反対の現象が起きてゐるのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、
100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。十年ほど前に、
わたしはある保守系の政治家と話したときに、日本の戦後政治は経済的繁栄によつて、すくなくとも青年の
生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはつひにふれることなく終はつた。しかし、青年の中に
抑圧された死の衝動は、何かの形で暴発する危険にいつもさらされてゐると語つたことがある。
(中略)
トインビーが言つてゐることであるが、キリスト教がローマで急に勢ひを得たについては、ある目標のために
死ぬといふ衝動が、渇望されてゐたからであつた。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで
及んだローマの版図は、永遠の太平を享楽してゐた。

三島由紀夫「葉隠入門」より

172 :
現代社会では、死はどういふ意味を持つてゐるかは、いつも忘れられてゐる。いや、忘れられてゐるのではなく、
直面することを避けられてゐる。ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなつたといふことを言つた。
人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなつてしまつた。
そしてわれわれの周辺には、日清戦争の死者をうはまはるといはれる交通戦争がたえず起こつてをり、人間の
生命のはかないことは、いまも昔も少しも変はりはない。ただ、われわれは死を考へることがいやなのである。
死から何か有効な成分を引き出して、それを自分に役立てようとすることがいやなのである。われわれは、
明るい目標、前向きの目標、生の目標に対して、いつも目を向けてゐようとする。そして、死がわれわれの生活を
じよじよにむしばんでいく力に対しては、なるたけふれないでゐたいと思つてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より

173 :
このことは、合理主義的人文主義的思想が、ひたすら明るい自由と進歩へ人間の目を向けさせるといふ機能を
営みながら、かへつて人間の死の問題を意識の表面から拭ひ去り、ますます深く潜在意識の闇へ押し込めて、
それによる抑圧から、死の衝動をいよいよ危険な、いよいよ爆発力を内攻させたものに化してゆく過程を示してゐる。
死を意識の表へ連れ出すといふことこそ、精神衛生の大切な要素だといふことが閑却されてゐるのである。
しかし、死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変はりなく存在し、われわれを規制してゐるのである。
その観点に立つてみれば、「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いはば同じことだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと
思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。

三島由紀夫「葉隠入門」より

174 :
西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、
じよじよに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、
まつたく肉欲と断絶したところの精神的な愛であつて、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
(中略)
日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながつてゐる。もし女あるひは若衆に
対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変はりない。このやうなエロースと
アガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」といふ名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤を
なした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊して
ゐるとはいへない。それは、もつとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に
一直線につながるといふ確信である。

三島由紀夫「葉隠入門」より

175 :
一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬはうを選ぶべきだといふ決断をすすめながら、一方ではいつも
十五年先を考へなくてはならない。十五年過ぎてやつとご用に立つのであつて、十五年などは夢の間だといふことが書かれてゐる。
これも一見矛盾するやうであるが、常朝の頭の中には、時といふものへの蔑視があつたのであらう。時は人間を変へ、
人間を変節させ、堕落させ、あるひは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか
真実がないとすれば、時の経過といふものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、
その夢のやうな十五年間を毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、
一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いてゐる生の哲学の
根本理念である。

三島由紀夫「葉隠入門」より

176 :
「葉隠」は、一面謙譲の美徳をほめそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従つて、
大きな行動を成就するところに着目した。(中略)
もし、謙譲の美徳のみをもつて日常をしばれば、その日々の修行のうちから、その修行をのり越えるやうな
激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといひ、わが身一身で家を背負はねばならぬと
いふことの裏づけである。彼はギリシャ人のやうにヒュブリス(傲慢)といふものの、魅惑と光輝とその
おそろしさをよく知つてゐた。


男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。武士道の世界は、一見
荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。


忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで
惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、
恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。
三島由紀夫「葉隠入門」より

177 :
思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。


長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことが
できない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。そして生きるといふことは向かうから、あるひは
運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。


戦士は敵の目から恥づかしく思はれないか、敵の目から卑しく思はれないかといふところに、自分の対面と
モラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。


いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野の
かたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

178 :

特攻隊も南京虐殺も全て目的は別のところに
http://s1.shard.jp/deer/0202/3/119_2.html
日本の戦争遂行は本当に巧妙だ。
常に、小さな費用で、大きな成果を得ようとする。
その大きな成果の中心は「心理的効果」だった。
世界支配の最大の武器は「マインドコントロール」であることを、
日本はよく知っている。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html )

179 :
新渡戸稲造がスルーなのは意図的なの?

180 :
合理的に考へれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはゐない。合理主義的な
観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによつて、あたかも普遍性を
獲得したやうな錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまふ。常朝がたえず非難して
ゐるのは、主体と思想との間の乖離である。

「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。


いまの恋愛はピグミーの恋になつてしまつた。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛は
イメージの広がりを失ひ、障害を乗り越える勇気を失ひ、社会の道徳を変革する革命的情熱を失ひ、その内包する
象徴的意味を失ひ、また同時に獲得の喜びを失ひ、獲得できぬことの悲しみを失ひ、人間の感情の広い振幅を失ひ、
対象の美化を失ひ、対象をも無限に低めてしまつた。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、
こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫してゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より

181 :
エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などは
もはや問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。そんな始末に
おへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。


いまの時代は“男はあいけう、女はどきよう”といふ時代である。われわれの周辺にはあいけうのいい男に
こと欠かない。そして時代は、ものやはらかな、だれにでも愛される、けつして角だたない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、さういふ人間のステレオタイプを輩出してゐる。「葉隠」は
これを女風といふのである。「葉隠」のいふ美は愛されるための美ではない。体面のための、恥づかしめられぬ
ための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、
このやうな精神の化粧をはなはだにくんだ。現代は苦い薬も甘い糖衣に包み、すべてのものが口当たりよく、
歯ごたへのないものがもつとも人に受け入れられるものになつてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より

182 :
常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間がいやおうなしに成熟していくことも知つてゐた。
時間は自然に人々に浸み入つて、そこに何ものかを培つていく。もし人がけふ死ぬ時に際会しなければ、そして
けふ死の結果を得なければ、容赦なくあしたへ生き延びていくのである。
(中略)一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じかげろふの世であるが、また一面から見れば
二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与へずにはおかぬ時間の恵みであつた。それを彼は
「御用」と呼んでゐる。(中略)
彼にとつて身養生とは、いつでもRる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦へるやうに健康を大切にし、
生きる力をみなぎり、100パーセントのエネルギーを保有することであつた。
ここにいたつて彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になほ深いニヒリズムを露呈していくのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

183 :
陸軍沖縄戦特別攻撃隊
出身地別戦没者数一覧
北海道:35 青森:9 岩手:18
宮城:27 秋田:9 山形:10
福島:22 茨城:25 栃木:28
群馬:24 埼玉:22 千葉:27
東京:86 神奈川:31 新潟:17
富山:13 石川:17 福井:8
山梨:6 長野:30 岐阜:21
静岡:22 愛知:43 三重:18
滋賀:10 京都:26 大阪:35
兵庫:28 奈良:8 和歌山:14
鳥取:9 島根:8 岡山:26
広島:28 山口:20 徳島:13
香川:17 愛媛:13 高知:6
福岡:43 佐賀:22 長崎:18
熊本:20 大分:25 宮崎:20
鹿児島:40 沖縄:6 樺太:2
朝鮮:11

184 :
「葉隠」の死は、何か雲間の青空のやうなふしぎな、すみやかな明るさを持つてゐる。それは現代化された形では、
戦争中のもつとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
神風特攻隊は、もつとも非人間的な攻撃方法といはれ、戦後、それによつて死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名を
かうむつてゐた。しかし、国のために確実な死へ向かつて身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの
心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあつたに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、
「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もつとも完全に近づいてゐる。人はあへていふだらう。特攻隊は、いかなる
美名におほはれてゐるとはいへ、強ひられた死であつた。(中略)志願とはいひながら、ほとんど強制と同様な
方法で、確実な死のきまつてゐる攻撃へかりたてられて行つたのだと……。それはたしかにさうである。
では、「葉隠」が暗示してゐるやうな死は、それとはまつたく違つた、選ばれた死であらうか。わたしには
さうは思はれない。

三島由紀夫「葉隠入門」より

185 :
「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かつて、われわれの決断を促してゐるのであるが、同時に、
その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たはつてゐる。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強ひられることもできない。たとへ、強ひられた死として
極端な死刑の場合でも、精神をもつてそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強ひられた死ではなくなる
のである。また、原子爆弾の死でさへも、あのやうな圧倒的な強ひられた死も、一個人一個人にとつては
運命としての死であつた。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追ひつめられた形でしか、
死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、
永久にまつはりついてゐる。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであらう。自殺がさうである。
ある場合には完全に強ひられた死とも見えるであらう。たとへば空襲の爆死がさうである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

186 :
しかし、自由意思の極致のあらはれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、つひに自分で選んで
選び得なかつた宿命の因子が働いてゐる。また、たんなる自然死のやうに見える病死ですら、そこの病死に
運んでいく経過には、自殺に似た、みづから選んだ死であるかのやうに思はれる場合が、けつして少なくない。
「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与へられてゐるわけではない。(中略)
「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強ひられた死だと、厳密にいふ権利はだれにも
ないわけなのである。問題は一個人が死に直面するといふときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかといふ
人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかといふ問題である。
そこで、われわれは死についての、もつともむづかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとつて、
もつとも正しい死、われわれにとつてみづから選びうる、正しい目的にそうた死といふものは、はたしてあるので
あらうか。

三島由紀夫「葉隠入門」より

187 :
人間が国家の中で生を営む以上、そのやうな正しい目的だけに向かつて自分を限定することができるであらうか。
またよし国家を前提にしなくても、まつたく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の
完全に正しい目的のための死といふものが、選び取れる機会があるであらうか。そこでは死といふ絶対の観念と、
正義といふ地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、
また歴史によつて十年後、数十年後、あるひは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
「葉隠」は、このやうな煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくといふことを考へてゐる。
なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかと
いふときに、死ぬことをすすめてゐるのである。それはけつして死を選ぶことだとは言つてゐない。なぜならば、
われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

188 :
われわれが生きてゐるといふことは、すでに何ものかに選ばれてゐたことかもしれないし、生がみづから
選んだものでない以上、死もみづから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きてゐるものが死と直面するとは何であらうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、
情熱の高さとその力を肯定して、それによつて生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、
上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでゐる。死について「葉隠」のもつとも重要な一節である。「武士道といふは、
死ぬ事と見付けたり」といふ文句は、このやうな生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、
一刀をもつて切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」
図に当たるとは、現代のことばでいへば、正しい目的のために正しく死ぬといふことである。その正しい
目的といふことは、死ぬ場合にはけつしてわからないといふことを「葉隠」は言つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より

189 :
「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きてゐる人間にいつも理屈がつくのである。
そして生きてゐる人間は、自分が生きてゐるといふことのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。
したがつて「葉隠」は、図にはづれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはづれて死んだはうがまだいいといふ、
相対的な考へ方をしか示してゐない。「葉隠」は、けつして死ぬことがかならず図にはづれないとは言つてゐない
のである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理論のためにRるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、
もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを
主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より

190 :

苟も一廉の武士でありたいならば、衆道の嗜みを身につけられよ。




191 :
剣道は柔道とともに、体力が必要であることはむろんであるが、柔道は一見強さうな人は実際に強いけれど、
剣道は見ただけでは分らず、合せてみてはじめて非常に強かつたりする“技のおもしろさ”がある。それに
スピードと鋭さがあるので僕の性にあつてゐる。また剣道は、男性的なスポーツで、そのなかには日本人の闘争本能を
うまく洗練させた一見美的なかたちがある。
西洋にもフェンシングといふ闘争本能を美化した格技があるが、本来、人間はこの闘争本能を抑圧したりすると
ねちつこくいぢわるになるが、闘争本能は闘争本能、美的なものに対する感受性はさういふものと、それぞれ
二つながら自己のなかで伸したいといふ気持があるものです。
さらに剣道には伝統といふものがある。稽古着にしたつて、いまわれわれが着てるものは、幕末の頃からすこしも
変つてゐない。また独特の礼儀作法があつて、スポーツといふよりか、何か祖先の記憶につながる――たとへば
相手の面をポーンと打つとき、その瞬間にさういふ記憶がよみがへるやうな感じがする。

三島由紀夫「文武両道」より

192 :
これがテニスなんかだと、自分の祖先のスポーツといふ気はしない。だから剣道ほど精神的に外来思想とうまく
合はない格技はないでせう。たとへば、共産主義とか、あるひはほかの思想でもいいが、西洋思想と剣道をうまく
くつつけようとしてもうまくくつつかない。共産党員で剣道をやつてゐる者があるかも知れないが、その人は
自分の中ですごい“ギャップ”を感じることでせう。僕は自分なりに小さい頃から日本の古典文学が非常に
好きでしたし、さういふ意味で、剣道をやつてゐても自分の思想との矛盾は感じない。
戦後、インテリ層の中で、「これで新らしい時代がきたんだ、これからはなんでも頭の勝負でやるんだ……」
といふ時代があつた。その頃僕は、僕を可愛がつてくれた故岸田国士先生に「これから文武両道の時代だ……」
といつてまはりの人に笑はれたことがある。当時、先生のまはりにゐた人達にしてみれば、新らしい時代が
きたといふのに、なんで古めかしいことをいふと思つたのでせう。
三島由紀夫「文武両道」より

193 :
元来、男は女よりバランスのくづれやすいものだと僕は思つてゐる。女は身体の真中に子宮があつて、そのまはりに
いろんな内蔵が安定してゐて、そのバランスは大地にしつかりと結びついてゐる。男は、いつもバランスを
とつてゐないと壊れやすく極めて危険な動物です。したがつてバランスをとるといふ考へからいけば、いつも
自分と反対のものを自分の中にとり入れなければいけない。(私はさういふ意味で文武両道といふ言葉をもち出した)。
さうすると、軍人は文学を知らなければならないし、文士は武道も、といふやうになる。実はそれが全人間的といふ
姿の一つの理想である。その点、むかしの軍人は漢学の教養もあり、語学などのレベルも高かつた。私はいま
二・二六事件の将校のことを研究してゐますが、当時の将校は実に高い教養の持主が多かつたと思ふ。末松太平と
いふ方の「私の昭和史」(みすず書房刊)なんかみると、実にすばらしい文章で、いまどきのかけ出しの作家などは
ちよつと足元にも及ばない。ああいふ立派な文章を書くには、よほどの教養が身につかなければ書けないものです。

三島由紀夫「文武両道」より

194 :
また、文士も、漢学を学び武道に励むといつた工合で、全人間的ないろいろな教養を身につけてゐた。ところが
大正に入り昭和になつてくると、この傾向はだんだんやせ細つてきてバランスが崩れ片輪になつてきた。そして
大東亜戦争の頃の日本人の人間像といふものは、一見非常に立派なやうですが、実際はバラバラであつた。
近代社会の毒を受けたかたちの人間が多かつた時代です。つまり先にいつた文武両道的な――自分に欠けたものを
いつも補ひたい気持、さういふ気持がなくなつてゐたのです。
最近はさらにかういふ考へ方がなくなつてゐる。また余裕もないだらう。環境も変り、いまの生活では、静かな部屋で
読者するといふこと自体何かぜいたくになつてゐる。子供がゐたり、テレビがうるさかつたり、なかなかわれわれの
生活環境はゆつくりと落ちつかせてくれない。
しかし、僕は思ふのだが本を読むにしても本当に読む気があれば必ず読めるものだ。とかくいまは無理をするといふ
ことを一般に避けるやうになつてきてゐる。

三島由紀夫「文武両道」より

195 :
そこで、またバランスのことにもどるが、一般に美といふ観点からも“バランス”は大事である。古いギリシャ人の
考へは、人間といふものは、神様がその言動や価値といふものをハカリでちやんと計つてゐて、一人一人の人間の中の
特性が、あまりきはだちすぎてゐると、神の領域にせまつてくる、として神様はピシャつと押へる。すべての面で、
このやうに一人一人の人間を神様はじつとみてゐるといふのですね。人間のこの行為をがう慢といつてゐた。
人間が神に対してあまりがう慢すぎるといふわけです。
このやうな考へ方は、当時ポリス(都市国家)といふ小さな社会で均衡を保つた政治生活をおくる必要から
生れたものと思ふが、なかなかおもしろい考へ方です。人間が知育偏重になれば知識だけが上がり、体育偏重になれば
体力だけがぐつと上がる。――これはバランスがくづれるもとで、神様はこのことを、蔭でみてゐて罰する。
だから理想的に美しい人間像といふのは、あくまで精神と肉体のバランスのとれた、文武両道にひいでたもので
なければないといふわけです。

三島由紀夫「文武両道」より

196 :

仏敵ぶっ倒せ!【ぶってきぶったおせ!】
創価学会に敵対する人物を、読経により学会員全員で呪いR為のスローガン。
学会員には年初にマス目を塗りつぶせるポスターが配られる。
読経の度にマス目を塗りつぶし、1千万遍唱え全部塗りつぶせると、仏敵は死ぬと信じられている。

まさに世界が危険認定済みのカルト集団。
国は創価学会を早く解体させるべき。公明党と分離させるべき。政教一致は憲法20条違反だ。


197 :
「日露戦争と浪花節〜桃中軒雲右衛門事件」
http://hogakukyoushitu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5afa.html
解説)日露戦争後、それまでは薩摩琵琶や唱歌を聴いていた人々が、一気に浪曲に
 惹かれていった。浪曲というのはいわゆる「浪花節」であり、すべての作品が背景に
 武士道をもっている。この武士道鼓舞が日露戦争後の大衆にウケたのだ。
 特に、桃中軒雲右衛門は、その抑揚の効いた声が人々を魅了した。
 本郷座での公演も大成功し、レコード化した時に権利をめぐって裁判が起きたのだ。
 大審院は「浪花節なる低級音楽」と切って捨てた。のちのこの「権利」概念は改められている。
 そういう話をまとめておきました。

198 :
Q――現代のビジネスマンに要望することは?
三島:私はね、商人といふのはきらひなんですよ。ですからね、万国博にも行つてゐないですよ。あれは商人の
お祭だから、武士は行かないんだといつてぐわんばつてゐるんです。
とはいひながらね、デパートだつて商人だしね、武士といへども、商人とつきあはざるを得ない、つらいところ
ですよね(笑)。武士だけやつてゐると、お米も食へなくなつちやふ。
かういふ世の中だから商人様全盛の世の中でしよ。ですけど、ぼく本人の中にはやつぱり武士の魂はあると思つてね。
商人の中にも銭屋五兵衛みたいな男もゐますしね。明治の政商でも、政治とかんでゐて、そこでやつぱり自分の
意気地を投げ打つといふ気持があつたと思ふんですよ。商人がきらひといふ意味は、商人を尊敬しないわけぢやない。
ただ一般に、商人には自己犠牲の精神がないからきらひなんです。
日本人といふのは、自己犠牲の精神がなくなつたら日本人ぢやないですよ。今の商人といふのはさういふ気持が
ないから本当のユダヤ人になつちやふだらうと思ふんです。

三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より

199 :
資本といふのは、本質的にインターナショナルなものですよ。どんな国の、いかにも民族資本でもね、
インターナショナルな性質をもつてゐるのが資本だと思ふんですよ。ところがそつちの面ばかりが出てくるとね、
日本人の魂が商人道によつてをかされてきてゐると思ふ。そのお金本位、金権主義にをかされてゐるのがこはい。
私は、青年が金権主義といふものに反抗する気持がいちばんよくわかる。自分らが企業体の中で活躍するとき、
いかに武士の魂をもつてても、結局、金権主義、ご都合主義、さういふものによつてをかされていくといふのは、
青年として耐へがたいだらうと思ふ。それでボクは武士は武士として一人でぐわんばつてゐる。ところがボクもね、
扶持をくれないから浪人なんですよ。

三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より

200 :
やつぱり日本人は身を殺して仁をなすといふ気持がなければだめなんだけど、これがね元禄時代と同じでね、
今、税法がモラルを崩壊させてゐるでしよ。あのころの侍がみんな藩のお金を平気で使つて飲み食ひする、
何をする、さういふことをしない人もゐますがね、当時から日本人はさういふ悪いところがあるんですよね、
公私混同みたいなところが。
とくにね戦後は税法のおかげで会社の交際費が自由に使へるとね、社長にいたるまで家族つれてすし屋に行くとか。
戦前は少なくともポケットマネーがありましたからね、重役クラスになりますと、金の使ひ方が公私混同して
ゐなかつたですよね。これは自分のこづかひといふけぢめがあつたでしよ。今何でも会社の伝票を切る、
かういふことがいちばん日本人全体のモラルを崩壊させてゐると思ふんです。

三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より

201 :
Q――先生の小説、たとへば「奔馬」なんかにも自己犠牲といふことが強く出されてゐますね。
三島:さうですね。「奔馬」は自己犠牲を非常に強く出してゐる。このごろ外人記者なんかに会ひますとね、
日本に軍国主義が復活してゐることを懸念してゐる。これは実はまちがひだつていふんです。(中略)
といふのは武士道といふのを、日本人がわからなくなつてゐるからだ。武士道といふのは何かといふことを
外人に説明するとき、三つあるといふんです。
それはSelf-respect 自尊心ですね。次はSelf-responsibility 自己責任ですね。自己において責任が終了するといふ。
第三がSelf-sacrifice 自己犠牲ですね。この三つのうちどれをとつても武士ぢやないといふんですよ。そしてね、
軍国主義といふのは外国からきたものでね、このSelf-respect と、Self-responsibility はあるかもしれない。
Self-sacrifice は欠けてゐると。

三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より

202 :
かうなつたらアウシュビッツの収容所長だつてさうなんで、自尊心はもつてゐた、責任観念はもつてゐた、ただね
Self-sacrifice といふものは外国にはないから、だからさういふことになるといふふうに説明するんですよ。
ですから本当に日本人が武士道にめざめれば、あなたがたが心配することは何もない。身を殺して仁をなすことが
武士道の極意だと説明するんです。その場合、欠けてゐるものは武士道のみならず、ことに商人に欠けてゐる。
そして、とにかく口では国家の再建をとなへ、日本精神をとなへ、自分の金は一文も出すのはいやだ。十円の
金も惜しい、全部会社の伝票、そんな精神ぢやだめなんだといふことですね。(中略)
常に自主防衛といふと核装備なんだかんだといふけれども、自主防衛といふのは自分が苦しい思ひをするといふ
ことがだれもわかつてない、まづ自分が犠牲をはらふといふことがまづない。
それは私の「楯の会」の根本理念である、まづ自分が苦しい思ひをしないで何で自主防衛ができるかといふことを
青年にわからせたいですね。

三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より

203 :
Q――「楯の会」も誤解されてゐる?
三島:ええ、「楯の会」を誤解するやつに限つて自分の金が惜しい人ですよ。つまり自分の身を犠牲にするのが
惜しい人なんだ。そんな連中に限つてつらいことをひとつもしたくないんですね。

Q――行動の美学といふことが先生の基本テーマだと思ひますが、その本質は?
三島:やつぱり、行動の美学の本質といふのは、日本に武士道といふのがあるんだから、武士として生きる
といふ以外にないですね、男としてはね。女にはまた別のがあるでせうけど。どうやつて生きるかといふのは
むづかしいことです。
女性といふのは生き方なんか教へる必要ないんです。女性はね、戦後の体制といふものを女性が代表してゐるんです。
この戦後のあらゆる困つたことは、みんな婦人参政権のせゐです。憲法改正ができないのも婦人参政権のおかげが
一つある。
そしてこの平和ムードの奥底にあるのもこの女性的なものです。どんなに会社でバリバリした男でもうちに帰ると
女房にガッチリおさへられてゐると、その女房はですね、すでに解放された女で、男の理念にしたがはず、女の
独特の理念をもつてゐるわけでせう。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より

204 :

225149714461.tumblr.com

205 :
広めてほしい。
告知動画_国士舘大学の国旗冒涜眉中許さし !
http://www.youtube.com/watch?v=j7L55jEZ8u0

206 :
命が惜しくないなら原発労働者になればどうよ

207 :
剣を失へば詩は詩ではなくなり、詩を失へば剣は剣でなくなる……こんな簡単なことに、明治以降の日本人は、
その文明開化病のおかげで、久しく気づかなかつた。大正以降の西欧的教養主義がこの病気に拍車をかけ、さらに
戦後の偽善的な平和主義は、文化のもつとも本質的なものを暗示するこの考へ方を、異端の思想として抹Rるに
いたつたのである。(中略)
以前から、終戦時における大東塾の集団自決が、一体何を意味するかといふことは、私の念頭を離れなかつた。
神風連は攻撃であり、大東塾は身をつつしんだ自決である。しかしこの二つの事件の背景の相違を考へると、
いづれも同じ重さを持ち、同じ思想の根から生れ、日本人の心性にもつとも深く根ざし、同じ文化の本質的な問題に
触れた行動であることが理解されたのであつた。
影山氏の「日本民族派の運動」を読む人は、かういふ氏の思想の根を知ることによつて、さらに興趣を増すことと
思はれる。

三島由紀夫「一貫不惑」より

208 :
氏はおそろしいほど実証的であり、歴史を正す一念において、博引旁証、及ばざるところがない。忘れつぽい
日本人から見ると、その点、却つて日本人離れがしてゐる。実に皮肉なことだが、神風連の事件そのものが、
純潔に自分の思想を守つて抵抗するといふ徹底性の点で、却つて西欧人に理解されやすい要素を含んでゐると
思はれるのと、このことは照応してゐる。西欧化した日本人が、西欧から学ばなかつた唯一のものこそ、
思想に対するこのやうな西欧人の態度なのである。(中略)
又、思想的立場を異にする花田清輝氏などに対しても、本書は公正な態度で、さはやかな記述をしてをり、その点、
思想上の敵に対して卑劣な悪罵の限りをつくす一部の左翼人の著書とは対蹠的である。(中略)
昭和の文学史は、あまりに多くのイデオロギッシュな歪曲や、眼界のせまい文壇人の文壇意識などによつて
毒されてきた。今後昭和の戦前戦中の文学について語る者は、必ず本書に目をとほすことなしには、公正な目を
養ふことができないであらう、と私は信ずる。

三島由紀夫「一貫不惑」より

209 :
申し訳ないけど大和特攻は犬死
せめて本土艦砲射撃に来る連合国艦隊に突っ込むべきだった

210 :
>>203
独善的だね

211 :
アメリカ国籍の日本人も第二次世界大戦では、特攻した!
■442連隊とは、アメリカ最強の部隊
日系人442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変した。
「個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中               1位」
「累積死傷率320%・全米軍部隊中                     1位」
「名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中(一人あたり平均2個) 1位」
という前代未聞の大記録であった。
この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられた。
同時に日系人が置かれた状況も広く報道され人々はアメリカの暗部を知る事となったのだ。
終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行った。
その内容は
「戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。
これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。
それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、
彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う」
                      といったものだった。

そして現在、
442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、
多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのである。

212 :
ikipedia より抜粋
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、1891年6月2日 - 1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。
最終階級は海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(青垣町を経て現在は丹波市)出身。
海軍兵学校第40期生。「特攻生みの親」として有名ではあるが、
これが事実であるかは議論の余地がある(後述)。
日本の敗戦を見とどけると、8月16日、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して
割腹自決。遺書には特攻で散華した兵士達への謝罪と共に、
生き残った若者に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭している。
自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と
医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために
夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54歳。

213 :
ある特攻隊員の談話としてこんな話を
何処かで読んだ。
特攻隊員(甲)おいこの特攻で勝てると思うか?
特攻隊員(乙)いいや、勝つ事は出来ないだろう。
特攻隊員(乙)そう言うお前はどうなんだ?
特攻隊員(甲)勝てるとは思わん。ただ、、、
特攻隊員(乙)「ただ」なんだ?
特攻隊員(甲)勝てなくとも、
「向う百年、どの国も日本に手出しできない」
と思わす事は出来る。
特攻隊員(乙)おう、そうだな。それだけでも意味があるな。

214 :
真珠湾攻撃に参加した飯田大尉は、
「もし不測の事態で帰還不能となったら、米軍施設に突っ込む」
と公言していた。

不幸にもそれが事実となり、彼の機は燃料が漏れを起こした。
飯田大尉は躊躇することなく、米軍の格納庫に突っ込んだ。
米軍は後に、「敵ながら天晴れ」と感銘しハワイの格納庫後に飯田大尉の記念碑を建てた。

特攻隊が設立される前から、
日本人は死ぬ時(人生)を見つけたのであった。

215 :
世界中の人々が
時として神風という
軍神になる日本人を恐れている
YOUTUBE“KAMIKAZE” の検索結果 約 5,310
http://www.youtube.com/results?search_query=KAMIKAZE&suggested_categories=10%2C27%2C1%2C22%2C25&page=1
Google KAMIKAZE の検索結果 約 9,830,000
http://www.google.co.jp/search?q=KAMIKAZE&rlz=1I7DAJP_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&redir_esc=&ei=jNbFS_6kFtCGkAWLxNWPDg
神風をいくら貶めようとも
世界中で神風と書いた鉢巻きや
音楽のジャケットに描かれたり
一部の卑怯な自爆テロを神風に例えたり
世界各地にその記念碑があったり
映画で日本人の死を持って高潔さを保つことの例えとされたり
畏怖畏敬され、驚きや驚異として
語り継がれているのは
それだけ、特別なことだったんだろう
良くも悪くも
世界から日本人の資質として認識され
称賛と賛辞として
世界から「神風」は語られる。

216 :
アメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】第二次世界大戦
http://www.youtube.com/watch?v=evC_UP-J6ME&feature=PlayList&p=8AF8EC210AAA6E9E&playnext_from=PL&playnext=1&index=28
この中で米軍関係者は
神風特攻隊を
「軍神」として称えている
実際に沖縄上陸戦直前に
米海軍の兵卒は神風に怯え
戦意を喪失しかけていたと報告されている

217 :
ラフカディオ・ハーンは言っていた
日本は死の国であると
日本人は簡単に死という言葉を使う
死んでもやる
必死になる
死ぬ気でやる
決死の覚悟
死して名を建てる
桜は刹那の命を比喩している
ぱっと咲いて、数日で一斉に、はらはらと散っていく
そこに日本人は「もののあはれ」と「潔さ高潔さ」を見出した
屈するより、死して抗うこと
せめて一矢報いることを
良しとしたのである。

218 :
航空特攻の事例ばかりですねw

219 :
昭和二十年八月一五日正午、その日は天文台によると三十三度で特に暑かった。
突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)ノ正装ニテ至急整列スベシ」との館内モールス信号で校庭に集合し直立不動で
汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機五十八期生(昭和二十年に海軍兵学校と合併)は、最後の
帝国海軍将校生徒として整列しラジオから流れる玉音放送を聞いた。
海軍機関学校の入学試験の体格検査で七十五センチだった胸囲が入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か三ケ月で
百四センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。
しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。当時の日本人は
全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が
負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。
〜続く〜

220 :
現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を
迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。
会原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」 (海軍は京都帝大と
「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾を
ハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。
特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を
兼務することになった経過がある。
この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから陛下の衝撃は大きく終戦する一つの
きっかけになったと思われる。
〜続く〜

221 :
しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。
しかしそれは陛下の御意向に反しているので原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、
いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。元来日本は武士道を基に
戦争を行ってきたのである。
陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。
米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が
世界に及び世界中の人が死ぬ。これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、
日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。日本は負けていないのに終戦したのである。

中松義郎博士

222 :
日本は負けていない! 〜超経験者しか知らない真実〜  中松義郎博士
http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html

223 :
特攻機というのは途中で艦載機に発見されたら空中戦をせずに
やられっぱなしですか?

224 :
戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。

三島由紀夫「『戦塵録』について」より

225 :
その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。

三島由紀夫「『戦塵録』について」より

226 :
すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。

三島由紀夫「『戦塵録』について」より

227 :
そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。

三島由紀夫「『戦塵録』について」より

228 :
「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」

三島由紀夫「『戦塵録』について」より

229 :
自主独立の問題一つとつても、戦前の「自主独立」の日本が、軍縮会議以来、いや三国干渉以来、絶えず列強の
干渉によつて軍縮に対するチェックを受け、それによつて国内世論が、沸騰してきたことを考へると、日本のやうな
地理的要衡の、一定の経済力と一定の軍事力しか持ちえない小国が、条約下にあらうがあるまいが、国際同盟の
参加国であらうがあるまいが、外力の影響によつて左右されるのは宿命的だと思はなければならない。
(中略)
抵抗とは遊戯ではない。完全無防備の抵抗といふものがもしありうるならば、その最有力な例をとり上げて
指摘するならともかく、それが成功するかしないかの時点で、それを無防備的抵抗の良きお手本とすることは、
それ自体が国家を否定し、民族の自立を否定する思想であると言はなければならない。

三島由紀夫「自由と権力の状況」より

230 :
(中略)
無益な武力的抵抗によつて、国家主権を奪はれるくらゐなら、流血の惨を避け、秩序を保つて表面的に妥協を
受け入れ、国家の存立をはかつたはうがよい、といふならば、非武装抵抗の利点は、一つは血を流さないですんだ、
といふことと、一つは国家の主権が曲りなりにも保たれたといふことでなければならない。
しかし、それはあくまで「非武装抵抗」の利点であつて、「非武装」の利点ではない。非武装(チェコは事実上
非武装国家ではなかつたが)それ自体は、強大な武力に対して何らの利点を持ちえないことは明らかである。
武力抵抗の反対概念は、非武装そのものではなく、非武装抵抗といふことであらう。

三島由紀夫「自由と権力の状況」より

231 :
そして非武装抵抗の存立条件は、国民の結集した否(ノン)にしかなく、又、陰に陽にサボタージュその他で
抵抗する他はないが、次に来る段階は、非武装抵抗ですら血を流さずには有効性は発揮しえぬ、といふ段階であり、
又、国家の主権が曲りなりにも保たれても、その国家権力の実質的な主導権を奪はれるといふ状況をすでに
容認するならば、そのあとで、実質的な主導権を奪ひ返さうといふ抵抗は、抵抗の最初の論理的根拠を欠くことになる。
なぜなら、われわれが抵抗の手段の選択を迫られたとき、その一方(すなわち非武装)によつて、論理的に
一貫するならば、敵をすでに受け入れた己れの状況に対する抵抗とは、われわれ自身に対する抵抗に他ならなく
なつてしまひ、抵抗の論理は自らの身を喰ふものになるからであり、つひには抵抗それ自体が成立たなくなる
からである。そのとき、われわれは、非武装抵抗の利点が一つもない地点に立つてをり、「非武装抵抗」と
「非武装」とは同義語になり、つひには敗北主義の同義語になるのである。

三島由紀夫「自由と権力の状況」より

232 :
私は、ごく簡単に言つて、青年に求められるものは「高い道義性」の一語に尽きると思ふ。さう言ふと、バカに
古めかしいやうだが、道義といふのは、青年の愚直な盲目的な純粋性なしにば、この世に姿を現はすことはないのである。
老人の道義性などといふのは大抵真っ赤なニセモノである。
私がいつも思ひ出すのは、二・二六事件で処刑された青年将校の一人、栗原中尉のことである。(中略)
中尉の部下だつた人から直接きいた話であるが、あるとき演習があつて、小休止の際、中尉の部下の一上等兵が、
一種のアルコール中毒で、耐へられずに酒屋へとび込んでコップ酒をあふつてゐた。そこへ通りかかつた大隊長に
詰問され、所属と姓名を名乗らされたが、その晩帰営すると、大隊長は一言も講評を言はず、全員の前で、
その兵の名をあげて、いきなり重営倉三日を宣告した。
中尉は部下に、その兵の演習の汗に濡れたシャツを取り換へさせるやう、営倉は寒いから暖かい衣類を持つて
行かせるやうに命じた。それからなほ三日つづいた演習のあひだ、部下たちは中尉の顔色の悪いのを気づかつた。
存分の働きはしてゐたが、いかにも顔色がすぐれなかつた。
三島由紀夫「現代青年論」より

233 :
あとで従兵の口から真相がわかつたが、上等兵の重営倉の三晩のあひだ、中尉は一睡もせず、軍服のまま、
香を焚いて、板の間に端座して、夜を徹してゐたのださうである。
釈放後この話をきいた兵は、涙を流して、栗原中尉のためなら命をささげようと誓ひ、事実、この兵は二・二六事件に
欣然と参加したさうだ。
青年のみが実現できる高い道義性とは、かういふことを言ふのである。第一、老人では、いくらその気があつても、
三日も完全徹夜をした上で走り回つてゐたら、引つくりかへつてしまふであらう。
二・二六事件が右寄りの話で面白くないといふのなら、左翼の革命運動も、青年がこれに携はる以上、高い道義性の
実現なしには、本当に人心を把握できないと私は信ずる。チェ・ゲバラは革命家の禁欲主義を唱へ、強姦の罪を
犯した愛する部下を涙をのんで射殺したが、これはゲバラが革命の道義性をいかに重んじたかの証左であつて、
毛沢東の「軍事六篇」もこの点をやかましく言つてゐる。

三島由紀夫「現代青年論」より

234 :
…一学生の万引き事件、日大紛争における暴力団はだしの残虐なリンチ事件、……これらは学生による政治活動から、
道義性が崩壊してゆくいちじるしい事例である。あとには目的のためには手段をえらばない革命戦術が残つてゐる
だけである。一見、平和戦術をとつてゐる一派も、それ自体が戦術であることが見えすいてゐて、何ら高い道義性を
感じさせることはない。
ここまで青年を荒廃させたのは、大人の罪、大人の責任だ、といふのが、今通りのいい議論だが、私はさう考へない。
青年の荒廃は青年自身の責任であつて、それを自らの責任として引き受ける青年の態度だけが、道義性の源泉に
なるのである。
私の知つてゐる青年たちの中には、たしかに立派な青年もゐる。信ずるに足る青年もゐる。私の知つてゐる
非青年五十人と、青年五十人と公平に比べると、大した差はみとめられない。日本人が全部堕落してゆくとは
とても信じられない。しかし、私は、青年をおだて上げておいて、自分は左ウチハで暮さうといふ気はみぢんも
ないから、無理を承知で自分も青年と一緒にかけまはつてゐるのである。

三島由紀夫「現代青年論」より

235 :
>>223
爆弾積んでるから夢中な旋回はできない。
簡単に表現すれば
木で作った構造体の下に鉄アレイをぶら下げた場合と
S45Cで作った構造体の下に鉄アレイをぶら下げた場合
大きく振り回せばどっちが壊れるかは想像し易い。

236 :
武士道って何?

237 :
講談も時代劇も衰退しきった上に改悪されまくってかろうじて生き残ってて
それさえ見ないのが若い世代で普通になってる、そんな環境で
武士や武士道を語るのは果てしなくめんどくせえw

238 :
渡邉恒雄 そして、それよりも何よりも、特攻攻撃がどんどん始まるわけです。
       特攻に行くのは、最初は長男は許された。長男はいい、次男はいけ、
       というわけだ。それがそのうちに長男も次男もなくて、志願するも
       のは一歩前へ出ろ。一歩前へ出ると、それはもう明日には死ぬわけ
       だ。出ないやつは助かるが、あとでボコボコにやられるわけです。
       それで、そんなにやられるならおれも一歩前だ、と出る。当時ニ
       ュース映画で特攻隊出撃の場面を見た。勇んで行くどころか、皆
       首を垂れ、うなだれたような悲哀を感じさせる姿としか思えなかった。
  田原  そういうことですか。
  渡邉  だから、強制ですよ。暴力による強制。
  田原  お国のためとか、天皇のために、特攻に出たんじゃない。
  渡邉  とんでもない。ほとんど暴力による強制です。この間、僕は政治家た
       ちに話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。これがよく
       やったと思う番組でね。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音し
       たもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。死にたくないって。
       戦時中、よくこんな録音を放送できたと思う。
  田原  あ、そんな録音がとってあった。
  渡邉  特攻隊の死ぬ前の晩の声。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信
       じられているけど、ほとんどウソです。
田原総一朗責任編集『オフレコ!』(アスコム)2005年 Vol.1

239 :
嘘だ

240 :
リアル武士道「煩悩シュレッダー(Shredder House)」Suicide control program (後半グロ注意)
http://www.youtube.com/watch?v=fUWWvuynfYI

241 :
そもそも武士の家系じゃない奴が武士道とかちゃんちゃらおかしい。

242 :
新撰組は武士

243 :
★アンドレ・マルロー(フランス 元文化相)
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにも替え難いものを得た。
それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、
ナチ党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動だった。
日本の特別攻撃隊たちは、ファナチックだっただろうか。断じて違う。彼らには、
権勢欲とか名誉欲など、かけらもなかった。祖国を憂える尊い情熱があるだけだった。
代償を求めない純粋な行為、そこには真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは
根本的に異質である。人間は、いつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ」

244 :
★アーノルド・J・トインビー(イギリス 歴史学者)
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に
偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった
大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを
支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを
明らかに示した点にある」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)

245 :
日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。
安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、
それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合ひ、
ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、
トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。私は自民党の生きる道は、真の
リベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における共産党の生きる道は、
すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。真にナショナルなものは、そのいづれにも
本質的に欠けてゐるのである。
真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しない
ものだと思はれる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

246 :
現状維持といふのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊といふのは、つねに飢ゑ渇いた貧しい思想である。
自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取つて代らうとするのも、同じ権力意志の
ちがつたあらはれにすぎぬ。権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方にかかはり、文化にとつてもつとも
大切な秩序と、政治にとつてもつとも緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象として、
われわれは「天皇」を持つてゐる。実は「天皇」しか持つてゐないのである。中共の「文化」大革命に決定的に
欠けてゐる要因はこれであり、かれらは高度な文化の母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で
代行するといふ、方法上の誤りを犯した。文化に積極的にかかはらうとしない自由主義諸国は、この誤りを
犯す心配はない代りに、文化の衰弱と死に直面し、共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極的に
かかはらうとする姿勢において、すでに文化を殺してゐる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

247 :
(中略)
最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵をRのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の責任は
直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

248 :
なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断
(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、
かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとは
さういふ意味である。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

249 :
 いま蘇る特攻の精神 
  このままでは日本は亡国の道を歩むしか手段はない

大野俊康『特攻魂のままに』(展転社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@
 著者の大野氏は元靖国神社宮司。学徒出陣し特攻で多くの戦友を失った。祖国の再建のためには英霊を顕彰し、その志を継いで靖国のこころを回復させ、
本物の日本人にわれわれは回帰する必要がある。そうしなければ祖国は再建できないという信念で全国を講演して歩いた。
『靖国之宮』という歌がある。
 正気凜たり靖国の宮
 祠前に拝跪して思い窮りなし
   偉勲千載何ぞ鎖滅せん
    新日本は生きる偉烈の中
 現在日本は凜としなくなって外国からさげずまれ、若者に怯懦がはびこり、国体は顧みられず、政治は腐敗して「政権ごっこ」の子供らと宇宙人と
「小さな小さなファシスト」に壟断された。正気が失せた。


250 :
 大野宮司は三島由紀夫の『行動学入門』のなかに次の記述を見つけ出した。
 「オーストラリアで特殊潜水艇が敵艦に衝突寸前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったが、
ハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾をあびて戦死したという話が語り伝えられているが、
このような場合にその行動の形の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。
しかしこのような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」(『行動学入門』)
 この文章を前提に大野宮司は論を進めた。
 「この海軍将校こそ殉忠・菊地一族の流れをくむ熊本県山鹿市出身の軍神・松尾敬宇中佐」であることを確かめた氏は、その後の逸話を披露する。
 豪海軍は、この大胆不敵なる日本軍人に「深く感銘し」、沈んだ潜水艇を引き上げた豪州海軍は「廷内から収用した四勇士を海軍葬の礼をもって弔った」

251 :
 敵の軍人を葬る必要なしという豪世論を前に、往時の豪海軍シドニー港司令官グールドは、かく反論したという。
「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推奨せらるべきものである。
これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。これらの勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある豪州人が幾人いるのであろうか」。
 そして戦死から二十六年を閲し、豪海軍は勇士をたたえる記念碑を建立した。松尾の母は八十三歳の老婆となっていたが、けなげにも
慰霊をかねて豪を訪問した。そこで豪の新聞は書いたのだ。
「勇士の母、きたる」
「勇士の母は詩人」
 豪は十日間の老婆の訪問を歓迎した。
 最初から最後まで涙なくしては読み通せない。

252 :
必ず死ぬ作戦立て過ぎな参謀共を擁護する奴の多いこと多いこと
だったらお前が行け!芙蓉部隊美濃部少佐

253 :
>>252
批判したところで得る物は無いだろ

254 :
珍風特攻隊をマンセーする低学歴底辺wwwwwwwwwwwwwwwww

255 :
>>253
芙蓉部隊は批判した上成果も残した

256 :
尚武って何よ?

257 :
武士道なんて存在しなかったのになw
あんなパクリを日本の文化なんて恥もいいとこ

258 :
>>3
>神風特攻隊のメンバーは、ほとんど例外なくその先祖が武士だったのだよ。
つまり、大東亜戦争敗戦によって日本人は遺伝子改造を受けた。
現代人と敗戦前の日本人は異なった遺伝子プールを持つ。
すなわち、武士・侍は大東亜戦争で滅びた。

259 :
>>4
フランス、ドイツ、イタリア、日本は手を結べる。
>>10
藤岡弘を笑い飛ばせるのは本物の古流武術家だけですよ?
全国に百人もいないでしょう。

260 :
山本五十六は言ってるじゃないですか、一年ぐらいはもつって。
勝った勝ったでいくだろうと、だけど後はもう知らんて。
そしたら天皇はそれでもいいからやれちゅーわけですよ、やらないと自分の身が危ないと。
スキャンダルをみなばらされて全部失うと、スイスに貯めた金も失うと。
なぜ石油があったか考えてみたことありますか。
これはですね戦争のときに、アメリカは日本には石油を売らないと。
ところがパナマ国籍の船ならば、石油を積んでいって日本に売っても自分達は攻撃できない。
というような理屈で日本に石油を間接的に売るわけです、本当の話です。
でこれに三菱が作った昭和通商という会社がそれを引き受けるわけです。
で昭和通商と三菱は同じですけど、そこでまずいので日本水産という会社が代行するわけです。
魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、
戦争は長引くわけです、太平洋でいっぱい戦争しました。
あれはアメリカの石油をもらって、
アメリカの石油を使った軍隊と戦争ゴッコをやったっちゅーことですよ。
そしてある時になってもう石油をやらないという時に、天皇は気がつく。
ああ遂に終わりがきたかと、これが真相なんですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes
中曽根が自分の『天地有情』の中にも『回顧録』の中にも書いてます。
俺はCIAのテストを受けた、英語もあった、論文も書いた、パスした。
自分から進んでCIAのテストを受けたちゅーことですね。
それで彼はアメリカに派遣されます、で中曽根は自分で自慢げに書いてますけど、
色んな原子力発電所の法律は俺がみんな作ったってね、野党改進党です。
自民党、自由党時代で、その野党の若造が作れるはずがない。
そこの背後にCIAがみんな絡んでます。http://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4
日本の電気料金は世界の電気料金の三倍なんです、三倍ですよ、でまだこれから上がります。
彼らはみんな太ったわけです、だから自民党の政治家も民主党の政治家も、
ほとんど反対しないじゃないですか、今でさえ反対の声上げないじゃないですか。
ここまで福島の人が苦しんでいるのに何をやってるんだと。
http://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk

261 :
安楽死党
生きるも死ぬも自分で決める
日本でも安楽死制度の創設により将来の不安を軽減する
安楽死って言う制度はどんな保険よりも安心感が持てると思いませんか?
http://www.youtube.com/watch?v=8nU2UaSlGx0

262 :
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
仏教・神道・宗教・歴史・政治経済・心理学・超常現象・・・
読めば読むほど面白い情報の宝庫!
『中杉弘のブログ』をぜひご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

263 :
現在の日本社会をまざまざと映し出す案内人
http://music.geocities.jp/jphope21/0202/3/119_1.html
それは、知覧特攻平和会館の案内人の言葉にあった。

264 :
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ

265 :
取材に応じた元特攻隊員は11人。
重爆撃機や戦闘機のほか、潜水服を着ての「人間機雷」まで、
担当した兵器は様々だが、いずれも目標に達する前に撃ち落とされたり、不時着したり、
搭乗するはずの航空機がなくなったりと、偶然の積み重ねで生き延びた人達の真実の証言集。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20140122-OYT8T00325.htm
「せっかく生まれたからには、明るく楽しく、
 他人の命も自分の命も同じように大切に生きる、
 それが一番幸せなことだと思います。
 人間独りじゃ生きられない、
 周囲の大勢の人のお陰で楽しく生かされて生きているんです。
 それを忘れてはなりません。
 お互いに助け合って生きていることを、
 今の人たちは理解していないのではないでしょうか。
 自分の命を本当に生かしたいのなら、
 他人の命を生かす努力をすることです。
 自分を支える周囲の人々への感謝の気持を、
 どうか忘れないでいて欲しいですね」
 …………前村 弘[陸軍第三〇戦闘飛行集団・飛行第六二戦隊・陸軍特幹1期候補生]

266 :
【リアル永遠の0】特攻隊員たちがこの世界に遺した最期の言葉
http://kmhyoka.com/archives/2700292.html

267 :
なんだネトウヨ隔離スレか

268 :
気風は良くなるが打者出身の監督はなかなか大成しない

269 :
朝日住宅は日曜日以外毎日8時から18時過ぎまで長期間に渡って周囲に騒音をまき散らさないように
配慮して工事する金儲けより公共の利益を重視するすばらしい会社です

270 :
祖父は特攻隊の生還者なのですが、高齢で92になります。体も頭も健康なのですが何時他界してもおかしくありません。質疑応答で戦争時の記録を何とか残したいと思ってるのですが、どんな質問を投げかければいいでしょうか
よろしくお願いします

271 :
>>270
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 821
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1405868551/
このスレは人が少ないから、上のスレですることをお勧めするよ。

272 :
>>271
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 822
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1406900980/
スレが移行したよ。

273 :
>>272
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 823
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1408679694/
スレが移行したよ。

274 :
>>273
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 824
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1410100525/
スレが移行したよ。

275 :
ほとんど、若者にだけやらせたね
高官は命令だけしてヌクヌク高みの見物
これが日本の武士道w

276 :
【社会】神風特攻隊から70年 元婚約者(95)「あの人たちは何のために死んだのかしら。今の日本を見ると、かわいそうで仕方がない」
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1414248276/

277 :
>>274
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 826 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1414842597/
スレが移行したよ。
>>276
【社会】神風特攻隊から70年 元婚約者(95)「あの人たちは何のために死んだのかしら。今の日本を見ると、かわいそうで仕方がない」
スレが落ちたよ。

278 :
>>277
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 827 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1416045834/
スレが移行したよ。

279 :
ageて教えてあげな。

280 :
>>165-177,180-182,184-195,198-203
本来の古流剣術の竹刀稽古では掛け声は出しません。
シャウト効果よりデメリットのほうが大きかったからです。

281 :
わかる気がする
柔術でも稽古の際は奇声を発したりしない

282 :
なるほど…

283 :
>>278
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 829 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1418882231/
スレが移行したよ。

284 :
>>283
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 830 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1420267550/
スレが移行したよ。

285 :
>>284
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 831 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1421982600/
スレが移行したよ。

286 :
>>285
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 832 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1423293969/
スレが移行したよ。

287 :
>>286
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 833 [転載禁止]&copy;2ch.sc
http://peace.2ch.sc/test/read.cgi/army/1424442943/
スレが移行したよ。

288 :
朝鮮半島と中国への侵略を繰り返した日本

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/34/225.html

日本は歴史が始まって以来、事あるごとに起こしていた。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://music.geocities.jp/jphope21/0103/33/217.html )

289 :
これまでの意見をまとめると
これが正論

特攻攻撃はサイパン失陥後戦争指導部で体系的実施を本格的に計画されたが
特攻攻撃が通常攻撃の数倍の効果を持つことは戦略爆撃団調査報告からも明白

要するに通常攻撃は機材・要員訓練・編成いずれも資源と時間のムダである

であれば日本の戦争指導部はもっと早くから
すくなくともサイパン防衛戦の時期までに大規模な特攻攻撃部隊を準備すべきであった
マリアナ邀撃戦でまだ初期構築段階の米機動部隊の邀撃能力を飽和させるのである

これにより生産・訓練・編成も特攻攻撃に最適化できる
日本軍の伝統はこのような計画を即座に実行し熱意をもって遂行するであろう

290 :
米海軍機動部隊の邀撃能力は史実のマリアナ沖海戦時ではぎりぎりの状況
もう一押しすればよかった

米海軍が特攻機に手を焼いたのはCAPとピケットラインを突破してから
高速で突入してくる事
これはニミッツの戦記にも明言されている

通常攻撃の場合は投弾コースを妨害すれば良いが特攻攻撃は撃墜するまで安心できない
より遠くでより確実に仕留めなくてはならない
ボフォース40mmの間合いで漸く撃墜できたケースは無視できない
このためカミカゼ対策として初期上昇力の良いF2Gの開発やリーチの長い3インチ両用砲への移行を強いる

沖縄戦までに特攻戦術は編成、接敵、突入方法、いずれも洗練されている
優良機に搭乗した熟練搭乗員が制空部隊となり訓練時間の短い特攻要員が突入を図る
練習機特攻は単に訓練時間30時間の練習機過程を卒業した搭乗員が操縦できるのが
練習機であるという合理的な理由による
もちろん対機動部隊攻撃に高速機が必要なら例えば四式戦などを積極的に用いている

さて源田實はサイパン失陥後
編成中の陸軍四式戦部隊を空母に乗せることも含め日本陸海軍の航空打撃力を総動員して
奪回作戦を実施せよと言った
どのみち絶対国防圏を突破されれば時間の問題なのである

これを特攻戦力を用いてマリアナ海戦時に実施すべき
戦後のソ連海軍が案出した長射程高速対艦ミサイル群による米機動部隊に対する飽和攻撃
その先駆をマリアナ沖で目の当たりにすることができたであろう

291 :
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/touch/20070907/1189162993

私はあるとき上司であった源田大佐についての「ご意見」を伺ったのだが、志賀少佐も他人の評価は慎重になさる方で決して誹謗することはなかった。

御子息の志賀元次氏が文春に次のように書いておられる。

「私が一番驚いたのは、松山第343空の飛行長として、「紫電改」に乗って本土防衛戦を展開していたときのエピソードです。
部下の零戦隊から特攻隊志願者を差し出すように、高級幕僚から命令されたのですが、断ったのです。
さらに「どうしてもというなら自分が行くから上官たちもみんな後に続いて特攻してくれ」と言い放った。
それは上司だった源田実さんなども含めてのことでしょう」

 この一説を読んで、私はその時のエピソードを思い出した。

私が直接伺った話とは若干ニュアンスが異なっているが、私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。

 ちょっと考えた志賀少佐は
「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。
それは松山空も特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。
そこで私は『喜んで行きましょう。ただし条件があります。
帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。
司令は黙っておられましたが、その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」

292 :
>>291
【佐藤守が自演してまで源田実の虚偽の中傷を流している理由】

志賀淑雄少佐の証言 (NHK-TV「NHK特集 紫電改 最後の戦闘機」)
上層部から343空に特攻を出すように命令がきた際、
志賀が「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。
ただし条件として、命令してきた(軍令部の)参謀が最初に私と来るというなら343空はやりましょう」と進言すると、
源田実司令も「全くだ」と賛同した。それ以降、上層部から特攻の話は来なくなった。

この時、特攻を命令した軍令部作戦課航空参謀が寺井義守中佐であり、この娘婿が佐藤守である。
その佐藤守は、志賀少佐の死後に参謀の部分を源田司令に改ざんして拡散しているが、志賀少佐が残した生前の証言とは大きく食い違う。
佐藤守が志賀少佐の死を幸いと死人に口無しを利用したことは言うまでもない。

志賀少佐は生前、源田実大佐を以下のように評価している。
「実に立派な戦闘機乗りの先輩でした。彼ほど飛行機を愛し、また戦闘機を自らも操縦して、あれだけの見事な戦略、戦術を考案された方は外にはいないと思っております」

寺井義守中佐は、軍令部参謀の前は人事局航空参謀であり、大田正一少尉を第一〇八一海軍航空隊に転勤させるなど
特攻兵器「桜花」の後ろ盾をした人物でもあり、軍令部で作戦の全てを特攻に切り替えるように主張していた議事録も残っている。
寺井中佐は、開戦時に宣戦布告文書を届けなかった駐米武官で、帰国後は終戦まで中央勤務で前線に出ることはなかった。

293 :
     /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
    /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::://ヽ:::::::::::::::|
    l:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::// ヽ::::::::::::::l
    l:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/:::「'ヽ::::::::::://   ヽ:::::::::::|
    |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノl:::ノ l:::::::/      ヽ::::::::|
   ノ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ ゙゙  ノ:::/ ,,;;;;;;,,    ,,,,ヽ:::::l
   ):::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/    ノ/ __,'''i: ('''__):::l
  )::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/         ̄ ̄ン:. :「 ̄`ヾ
 1:::::::::::::::::::::::「 `┤l:::::::::::::::::l          ̄   ,  ヽ ̄ l
  `l:::::::::::::::::::::ヽ  :l li:::::::::::::/           /´   `l  |   <ヴップル!!!
  ヽ::::::::::::::::::::::\_」 lヽ::::/            !:-●,__ ノ  /   
  ノ:::::::::::::::::::::::::::ノ | l `゙゙            ,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,  /ヽ
,/ ヽ::::::::::::::::::::::(  l l::::::::..         /.:''/´ ̄_ソ  /  `ヽ
     ヽ:::::::::::::::ヽ | l:::::::::::...      /::// ̄ ̄_ソ  /    \
        ヽ:::::::\| l::::::::::::::::...    / :::.ゝ` ̄ ̄/ /       ヽ
           ヽ:::l l:::::::::::::::::::..      ̄ ̄;;'' /         ヽ
              l l;;;;;;:::::::::::::::.....;;;;............;;;;;;''ノ            l
              l l '''''''''''''''''''''''''''''''''''''' ̄l |             |
https://www.youtube.com/watch?v=dFj6B-dIKY8

294 :
ヴォエッ

295 :
295保守

296 :
https://youtu.be/85-XncAUZXc

297 :
プレミア見れない
ブンデス見れない
CLEL見れない
音楽聞けねえちきしょう
テレビ見れねえちきしょう
同和のクズ共Rクソ共がざまあみろ気違い共
ほれ気違い共もっともっとドア閉めろ通れ
それしか能のない能無し共がざまあみろ地獄に落ちろ
悔しいか、ざまあみろくたばれクソ同和
お前らの恐ろしさをもっと見せてみろ。そんなんじゃなんともねえぞ
袋とじ見たぞ
悔しいか、ざまあみろくたばれクソ同和
嫌がらせがエスカレートするのが楽しみでしょうがない
今それだけが楽しみだ
俺の生き甲斐藁
それだけ怒ってるってことだもんな藁

298 :
長渕剛「今の日本はアメリカかぶれが酷くてやたら横文字を使ったりする。
英霊が護った美しき国土と文化を破壊する行為。
60年前の戦いに殉じた日本の男たちに対する鎮魂歌
『クローズ・ユア・アイズ』
聴いてくれ

299 :
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

300 :
>>298
英語タイトルじゃねーか長渕ハゲ!

301 :
神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

FAPN6

302 :
いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

SJA

303 :
>300
ナゼかテラワロタ!wwwwwwww

304 :
紫電改って何故か魅力を感じる

305 :
基本、零戦とあまり変わらないのかな

306 :
生きることをスポーツの競技と捉え、そのスポーツの競技をスポーツマンシップにのっとって正々堂々闘い抜くこと。それが、武士道であろう。

307 :
低学歴で鉄砲持って地面這いずり回って餓死するか高学歴で飛行機で敵に突っ込むのどっちいい?
http://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1560328996/

308 :
https://i.imgur.com/L2b3gQ8.jpg

309 :2020/02/17
   
【画像】ダイヤモンドプリセンス号で作業する自衛隊員をご覧ください w w w
http://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1581935010/
   

日本神話総合スレ七
☆民俗・信仰★瀬織津姫スレッド2★学術・霊性★
東日本に於ける古代信仰
西遊記
福井の米澤物産について語れ!
◆◆メソポタミア・エジプト神話について語れ!◆◆
西遊記
【山岳民族】山・高地の習俗・伝説【山の民】
【セノイ族】夢にまつわる習俗【夢占い】
【風習】  日本奇々怪界  【お祭り】
--------------------
【ミミズゲーム】slither.io 8匹目【スリザリオ】
【クールジャパン】動画コンテンツの制作・配信を支援へ 「クールジャパン機構」
***関西学院大の一般入試比率の驚くべき低さ****
SG開催地予想スレ
CPUクーラー総合 vol.347
キャンディッドフォトこそ至高
【PS4/XB1/switch】クラッシュバンディクーレーシング ブッとびニトロ!Part6
【風神雷神500円硬貨爆誕なるか】財務省、東京五輪記念500円玉案をTwitterアンケで決定へ A.風神雷神 B.富士山 3.国立競技場【画像あり】
【重ダル】更年期で辛い女性1
○アトピーと寝具○
【加賀】石川県の釣り 36匹目【能登】
(´・∀・`)@難民【113】 [転載禁止](c)2ch.net
どうしても復縁したい
日蓮ってver.51
【iOS/Android】Arcaea(アーケア) part24
アベノミクス失敗を認識して日銀は利上げをする
ジョイフルすらない札幌って糞田舎(笑)
エスパス上野新館の遠隔操作について考察するスレ
新型コロナウイルスにかかって死んで欲しい奴を書き込む1
安価でイラスト描きます!
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼