TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
【敗北を】その後の榎本武揚2【抱きしめて】
なぜ、日本人はアメリカ人が好き?
日本は侵略国家じゃないとか言うけどさ Part4
日本に本物の保守主義はないよね
【南京】東中野裁判14【新路口事件】
【朝鮮】明治政府は何で朝鮮(韓国)なんか併合したの?【韓国】
財務省主計局長と世界銀行副総裁は兄弟
■■日本人の犯罪、性奴隷=従軍慰安婦問題25■■
日本が無条件降伏したか検討するスレ
ダグラス・マッカーサー元帥(GHQ最高司令官)

松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15


1 :2018/04/15 〜 最終レス :2020/03/23
骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。

前スレ
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう14
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history2/1342871083/

・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・幕末明治に関する小説、TVやドラマの話題もOK。
・木戸周辺の人たちの話題も歓迎。
・ここ見て木戸が気になった人は松菊木戸公傳・木戸孝允日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集・木戸孝允関係文書などを読んでみよう。
 大きな図書館には大抵あるよ!
・木戸に関する論文や小説は>>2以降参照

2 :
250 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2013/12/14(土) 09:20:26.42 ID:JaxK04Dhi

松尾正人『木戸孝允』は当然読んでるという前提で。

木戸の名前を冠したものでは
長井純市「木戸孝允覚書─分権論を中心として─」『法政史学』第50号 1998
森川潤『木戸孝允とドイツ・コネクションの形成』広島修道大学研究叢書第93号 広島修道大学総合研究所 1995
内山京子「木戸孝允と明治初期の新聞界」『日本歴史』12月号 吉川弘文館 2008
あと 五十嵐暁郎『明治維新の思想』世織書房 1996 収録の木戸孝允論はおすすめ。
この部分だけネットでも読めるのでググれ。
落合弘樹「国家構想の展開と木戸孝允─往復書翰から見た木戸孝允と井上馨─」『明治大学人文科学研究所紀要』第64号 2009 
これもググれば読める。

木戸についておもしろい論文が載ってた記憶があるのは
松尾正人『廃藩置県 近代統一国家への苦悶』中公新書 1986
松尾正人『維新政権』吉川弘文館 1995
松尾正人 「明治初年『新聞雑誌』の廃藩論」 『中央史学』第19号 1996
松尾正人 「山口藩知事毛利元徳の辞職「上表」」 『中央大学文学部紀要』第168号(史学科42号)1997
家近良樹『幕末政治と倒幕運動』吉川弘文館 1995
芳賀徹 編『岩倉使節団の比較文化史的研究』思文閣出版 2003
沼田哲 編『明治天皇と政治家群像─近代国家形成の推進者たち─』吉川弘文館 2002
高橋秀直『幕末維新の政治と天皇』吉川弘文館 2007
高橋秀直「廃藩政府論─クーデターから使節団へ─」『日本史研究』356号 1992

青山忠正の薩長盟約に関する論文はどこだったか忘れたが
たぶんどっかに引用されてるだろう。

まあ1980年代後半以降のまっとうな明治初年政治史の論文集なら
まずもれなく木戸についてのまっとうな記述があるから
何でも読んでみりゃいいんじゃね

3 :
最近刊行された関連書籍

プリミエ・コレクション 90 木戸孝允と幕末・維新 急進的集権化と「開化」の時代 1833〜1877
齊藤 紅葉 京都大学学術出版会
佐藤智恵『ハーバード日本史教室』(中公新書ラクレ、10月の新刊)
日本政治史の中のリーダーたち 明治維新から敗戦後の秩序変容まで
伊藤之雄・中西 寛 編 京都大学学術出版会


小説 木戸孝允 上巻:愛と憂国の生涯
小説 木戸孝允 下巻:愛と憂国の生涯
中尾 實信 (著) 鳥影社

角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」の12巻『明治維新と新政府●明治時代前期』
木戸孝允(桂小五郎) (小学館版 学習まんが人物館) 坂倉 彩子
集英社版・学習まんが 世界の伝記NEXT 木戸孝允と高杉晋作
梅屋敷 ミタ【まんが】/三上 修平【シナリオ】/河合 敦【監修・解説】

4 :
スレ立て乙

5 :
>>1

おつでごわす

全板対応の避難所  2ちゃんねる避難所@2NN 2ちゃん
http://www.2n★n.jp/refuge/  ← ★を取ってね

2ちゃんねる避難所(FC2ウィキ)(編集可能)
http://2chhinan.wiki.fc2.com

2ちゃんねる避難所(2ちゃんねるウィキ)(編集不可)
http://info.2ch.sc/?curid=1660

6 :
スレ立て乙です

龍馬宛て木戸孝允書簡発見=大政奉還、倒幕促す
ttps://www.jiji.com/sp/article?k=2018041100201

7 :
国立国会図書館デジタルコレクションで読める主な史料・伝記
(『松菊木戸公伝』以外は1巻目のみ示しますが、全巻読めます)
『木戸孝允日記』第1
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075389
『木戸孝允文書』第一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920489
『木戸孝允遺文集』(全1巻)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038118
『松菊木戸孝允公伝』上
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187471
『松菊木戸孝允公伝』下
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187507

8 :
>>1
新スレ乙であります

9 :
こいつの動画でも語られてるな・・・

https://www.youtube.com/watch?v=a6PI1ksqZug

10 :
動画を見たけど、嫌悪感を覚えるな。
この人、在日ですか。
韓国は西郷の征韓論より木戸さんほうを嫌っているのかな。

11 :
何?見る価値あるの?

12 :
保守〜

13 :
龍馬宛て木戸孝允書簡発見=大政奉還、倒幕促す

これの原文って見れるところありますか?

大河ドラマだと木戸は大政奉還反対派みたいに描かれてるけど。

14 :
岩倉の木戸、大久保評価
「木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面では議論せず、陰に局外の者へなにかと
不平ばなしをするのは、木戸の悪いくせである。大久保は才なく学問もないが、ただ確固
として動かぬのが長所だ」(冨成博著、維新から明治へその虚像と実像)

15 :
高杉や木戸のような死に方をしたい。
もしくは武市、近藤、小栗。
最悪は坂本、大久保。突然襲われて心の準備もなくやられるのは御免だわ。

16 :
>>15

山縣有朋がベスト。

17 :
中尾本小説、齋藤本評論、皆さん読んでいるのですか?
どちらですか? 両方!というツワモノも居ますか?

さすがに価格や読破時間を考えると、自分はほぼ後者一択かと思いつつ、
晩年の病と死に至る道、その記述の差(齋藤本の方に、もう少しここがあれば…)は気になる。
やっぱり木戸さんの生涯を思い、そこの部分で感傷に浸りたいというのはありますね。

小説、まだ書店で発見できていないので、一度現物確認して最終決定します。それまでは競馬POG本で時間を埋めてね。
(都内某大型書店の検索システムでは「在庫あり」だったのに、指定された場所にあったのは齋藤本のみ。これ担当舎が入力間違ったよw)

18 :
古川薫氏の「維新の商人」では、木戸さんはどれくらいどういう風に描かれていますの?

19 :
大久保にも言えるが地元に強烈なアンチがいて不憫だなあと思う

20 :
>>19

木戸の場合、熱烈なファンも少ないが、病的なアンチも少ないのでは?

21 :
>>20
桂小五郎は長州のドンなんだけど、吉田松蔭、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋なんかに知名度や人気を取られているな。
せっかくの剣豪なのにな。
あと、途中で名前を変えたのも知名度が分散して良くない。

22 :
改名した動機というか理由はなんだっけ?

23 :
お尋ね者になったからじゃなかった?

24 :
胃癌で病死した説があるが、腹の痛みは訴えていなかった
(少なくても記録には残っていない)ので、どうなんだろうねえ?

死の数ヶ月前に東京から京都に移動しているので
その時にはそれなりの体力が残っていたことになるが。

25 :
長州のドンとして色々やるときにお尋ね者のときの名前じゃ不都合だろってことで藩主が付けてくれたんじゃなかったっけか

26 :
羽曳野市のはびきの市民大学の司馬遼太郎の講座、東京住みで行けないからスルーしてたが

> 7/6 司馬遼太郎はどうして桂小五郎(木戸孝允)が嫌い?
> 11/30 『翔ぶが如く』と村松剛『醒めた炎 木戸孝允』に見る木戸像の違い
ttp://www.minorinosato.com/shimindaigaku/kouza18/dayori2018.05.pdf

この二つだけめっちゃ聴きたいw

27 :
貼りにきたら既に話題が出てたw
自分も距離的に難しいんだがその2コマだけでもなんとか受講できないものか…

28 :
>>26

> 司馬遼太郎はどうして桂小五郎(木戸孝允)が嫌い?


「花神」を読むと、木戸嫌いとはとても思えないのだが。

強いて言えば維新後の木戸が嫌いなのか?

29 :
「跳ぶが」では、辛辣な言葉をつかって木戸さんの性格を描いている。
本当にきらいなのだと思うよ。ただ、この小説は、他と違って史実に基づくスタイルを
とっているので、木戸さんの実績については評価していると思う(評価せざるを得なかったというところかな)。。
例えば、版籍、廃藩は木戸さんが中心だったとか、文民統制のことなど。
その反対が西郷かな。愛情をもって描いているが、この人は明治以降の実績が少ないため、
さすがの司馬さんも実績面では評価しづらかったようだ。

30 :
尾崎行雄も木戸嫌いを公言していたな。

なぜ木戸が嫌われるのか俺にはわからないのだが。

31 :
私は、木戸さんと後藤象二郎の要素を持った人間です。あと、特に自分が若い頃は江藤みたいなところも。
大久保、西郷にはなれんです。

32 :
何かの歴史本で読んだげと、
歴史ファンは自分の性格に似た人物のファンになるみたい。

33 :
>>30
ぶっちゃけこいつに好かれたところでなあ…みたいな人物ではあるがw>尾崎

尾崎が木戸嫌いって初めて聞いたな
幸一の方じゃなくて?
単純に閥族政治嫌い→長州のドンだから悪者!みたいなノリか?
大隈直系だし色々吹き込まれたのかね

34 :
木戸と大隈の関係は特に悪くなかったのではないか?  大木喬任とも悪くないはず。

35 :
大隈は政治家として第一は木戸、第二は大久保と言っている。
維新当初は木戸を頂点とする開明派にいたわけだし、タイプは似ていたのかもしれない。
廃藩直後には木戸の推挙で参議に再任しているし、木戸に対して悪い感情はない筈。

36 :
嫌いという言葉が一人歩きしそうだが
どっちかというと
強烈な偏った個性がないので興味をもたれにくいというところではなかろうか
司馬のキャラ生活付けも創作を盛り上げるためのものでもあるし

37 :
維新後は気難しい人だったみたいだからなあ。

伊藤博文も木戸の死後に愚痴っている。

38 :
京大・齊藤本、誰一人カスタマーレビュー書かないのな。
ホント、本を読まなくなったよな、この国の人はorz ただひたすらスマホだもんな。電車乗っていてもあきれる程の光景だし。

39 :
斎藤紅葉さんの本の書評が載ってるというので読売新聞買ってきたが本当に読んだのか?という感じでがっかりした・・・

40 :
”廃藩置県を主導し" までは良いがその後のコメントがなぁ〜。

41 :
齋藤本、昨日から読み始めたが、
プリミエールであることもあるのか、本人及び編集者の力量にやや難があって、文意の通じないところがかなりあるね。
接続語の使い方、主語・述語の関係に?が付いたり、明らかな間違いもあるし…

内容に関して言うと、
「理想主義的」という見られてきた木戸の姿の、具体の何を指して「理想主義」というのか、
その姿が、幕末期・維新直後・廃藩置県後でどう変わるのか変わらないのか、読解できるようには書かれていないように思う。

42 :
土居豊 @urazumi
本日から開講したはびきの市民大学の西郷隆盛講座、次回は6月22日です。
この講座は、一回のみの聴講も可能ですので、西郷や司馬遼太郎、『飛びが如く』など
幕末・明治初頭の歴史ものにご興味あれば、気軽にお申し込みください。

ttps://twitter.com/urazumi/status/1005076503523090433 

>一回のみの聴講も可能
マ ジ で !

43 :
齊藤本、注釈が多過ぎてね。
しかも巻末に置いてあるもんだから、本文と行ったり来たり読まなければならず、
本文が集中して頭に入って来ない。
頁捲りも大変。あの大きさの装丁だから猶更手の操作が大変。

44 :
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

45 :
斉藤本、”てにをは”の使い方にやや難あるが、博士論文を基にしているだけあって、
読者受けを狙って木戸を描くのではなく、多くの歴史資料を使って客観的且つ無機質に
木戸を描こうとする姿勢は伝わってくる。

46 :
木戸がライバル心が強いってのはどっから出てきたん?

47 :
齊藤本は研究者が研究者向けに書いた研究書・学術書だから、われわれ素人には難解なうえ、
研究者の習性として先行研究が進んでいる部分は深入りせずにさらっと流すことが多いので、
伝記として読む場合にも不満が残ることになるだろう。例えば初期の部分(第一章・第二章)では、
吉田松陰との関係、丙辰丸盟約(成破の盟約)に至る水長提携運動、文久2年の攘夷藩論への
大転換に至る中津川会議・京都河原町藩邸での会議、これに起因する義弟(年齢は木戸より
4つ上だけど)来原良蔵の自刃などは素人的には興味深いところなんだけど軽く流しており、
その他でも「これについてはすでに指摘されている(注)」という記述がやたらと多いのが難だな。

48 :
>>42
大阪住みの人行ってほしいね
平日だもんなぁ…

49 :
司馬が竜馬がゆくを執筆したのは出石の木戸が潜伏した旅館ではなかったかな。
司馬の木戸に対する感情は屈折しているように思える。

50 :
「西郷どん」が寺田屋事件の文久2年(1862年)まで来て、初の長州藩士として久坂玄瑞が登場、
そろそろ桂小五郎も出てきそうなので、文久2年までの桂(木戸孝允)の予習・復習となる論文
落合弘樹「幕末政局と木戸孝允」(『明治大学人文科学研究所研究紀要』第76冊、2015年3月)
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/17628/1/jinbunkagakukiyo_76_%281%29.pdf

51 :
でも西郷と木戸は、慶応元年1月、西郷が木戸を伏見で迎えたときが初対面だから、まだまだ先よ。

52 :
でも西郷と木戸は、慶応元年1月、西郷が木戸を伏見で迎えたときが初対面だから、まだまだ先よ。

53 :
史実とこの大河は別ですし。
つか、史実通りで良かったんだよ(遠い目

54 :
NHKといえば「幕末未来人」は、史実とは違って桂小五郎が幕末に暗殺されてしまったなw

フィクションだから何をやってもいいわけだがw

55 :
慶応二年やで。

56 :
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

EI3

57 :
>>50
「幕末政局と木戸孝允」と銘打ちながらメインは長井と周布の政治活動と毛利父子の去就
題名と中身が全然違うという最近の歴史新書本のやり口をなぜ論文で踏襲してしまうのか

58 :
使節団編成の時に大久保が居なくなるのを反対していた井上が賛成に転じたのは木戸を外遊させたくてねじ込もうとしたからじゃないかって言うのを読んだ
井上イイヤシ…
木戸の使節団入りが本決まりした後にまた大久保が行くのを反対し始めたのはワロタ

59 :
禁門の変の際、部隊長として兵を率いて戦ってたって説とあくまで文官としてあちこち駆けずり回ってたて説あるけど
どっちだったの?

60 :
仕事はできるが、ひがみっぽくて、気難し屋で、気に入らない仕事だと投げ出す
ようなタイプだったのかな。
台湾問題の時、どうしてもっと踏ん張れなかったのか。廃藩までリードしてきた
プライドが邪魔したのか。大久保の執着心の半分でも持っていたらな。

61 :
>>59

後者だと思うが、証拠がない。

62 :
【 &⇒ふ 】 御用学者が漢字由来と捏造中のカナ文字、実は <へブル文字> だと知ってましたか?
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1532140889/l50


え! なんで日本人がイスラエル人と同じ文字を使ってるの!

63 :
>>60
うわあ……

64 :
幕末・維新人物伝 木戸孝允
加来 耕三 (企画・原案), 中島 健志 (イラスト)
出版社: ポプラ社 (2018/8/11)
ttps://www.amazon.co.jp/幕末・維新人物伝-木戸孝允-加来-耕三/dp/4591159493

さて

65 :
>>50 の落合論文はミネルヴァ日本評伝選で執筆予定の『木戸孝允』の草稿と講義ノートを
お手軽にまとめたような、文久2年までの評伝、概説書といった感じで、
論文としての深みがあまり感じられない。
それに、手書きの原稿をあまり出来の良くない学生にでもワープロ入力させて、
それをきちんと校正していないのではないかと疑われるほど、誤字・誤変換が多いのも難点。

66 :
ミネルヴァの評伝、早く出て欲しですよね・・・(遠い目)

67 :
明治5年に西郷が国元にあてた手紙
「榎本らの処遇について木戸だけが厳罰を主張していたが、周囲に説かれてやっと嫌々ながら黒田清隆の寛大案を呑んだ」
木戸さん……

68 :
そりゃ木戸はトップに全ての責任を取らせてそれで手打ちにしましょう派だし

69 :
今でいうと 荻上チキ みたいな人だったんだろうな。

70 :
>>67
木戸がいかに貴重な存在かわかる
今の自民党でいうと、安倍さんの案にも
とりあえずNOを言える存在
そういう人がいないと、政府は単なる私党になってしまう

71 :
まだ新しい体制で憲法すら無かった明治初期の体制を現代に置き換えるのは馬鹿げてる
ましてや後世に名を残す偉人を100年後には忘れられてるような現代人に置き換えるのは偉人の矮小化に他ならない

72 :
>>70
>とりあえずNOを言える存在
野党のことか

73 :
筒井清忠編『明治史講義【人物編】』(ちくま新書、2018年4月)
第1講 木戸孝允—「条理」を貫いた革命政治家 落合弘樹(p.15〜30)
江戸遊学と研鑽/政治活動の開始/藩論転換を主導/攘夷断行と藩の苦境
薩長連合の成立と木戸/急進改革の演出者/煩悶する元勲

『明治史講義』というタイトルにも関わらず、明治史は最後の4ページほどで、
幕末史が中心となっている。ミネルヴァ日本評伝選も幕末中心になりそうだな。
松尾本がほとんど明治なのを意識しているのかもしれない。

74 :
海音寺潮五郎は木戸孝允を「手腕は買えない」「革命家として全部失敗してる」つってる
七卿落ちも蛤御門の変も失敗したと言って
どっちも木戸孝允の本だと木戸は反対してた側だとされるもんだけど、実際はどうだったんかね

75 :
>>74

海音寺潮五郎は木戸のどういうところ(長所)は評価しているの?

76 :
【竹島尖閣ウソ】  日ソ不可侵以前に、日本列島は神武の占領地、固有領土はウソ  【北方四島ウソ】
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1533869923/l50

77 :
>>75
覚えてないから、そういう言及無かった気がする。まぁ鹿児島生まれの人だしね
薩に肩入れする人が維新史を書けば維新は薩摩中心になるし
長に肩入れする人が維新史を書けば維新は長州中心になるっていうよくあるパターン

版籍奉還なんか発端は長州閥だったと思うが、「西郷も当然考えていた」、「誰が最初とか言っても仕方がない」とする

78 :
イケメソ

79 :
剣の達人

80 :
長州藩

81 :
風間もりお

82 :
ちゅーか一小説家の私見持ってこられてもね
そんなんるろうに剣心をソースに幕末語られるのと同レベルの話だし…

83 :
大河出たね
またテンプレ桂小五郎だったけどね

84 :
その時代の雰囲気が大切なんだろうけど10年も経つと自分が生きていたのに
なぜあんなものが流行ってたのかも分からなくなってしまう。
まして150年昔がどんな時代だったかなんて分からないんだよ。

85 :
6月7日から8月30日まで、他の本に回って中断する期間がありましたが、
齊藤紅葉氏の京大本を読み切りました。マーカー、傍線一杯引いてね。
組織人としていろいろ参考になりました。
欲を言えば、病の具体の内容・経過を書いて欲しかったけれど、それは医師の方のあの小説に譲りますかね。

ところで、昨日、母に
「桂小五郎ってどんな人?何をやったの? 西郷・大久保は分かるけれど…」と訊かれました。
「長州藩のリーダー。幕末から維新の過程の事象、ほぼ全てに関わった。廃藩置県を早くから提唱。」
と答えましたが、
もっと具体に分かり易く説明するなら、どうなりますかね?
母に齊藤・京大本を読めというのは無理なので。

86 :
歴史詳しくない人なら、あの伊藤博文は桂小五郎の従者だったよとか?
いち早く世論の大切さに気づいて新聞雑誌を作ろうとしたり、国家の発展は国民の教育が不可欠と教育に力を入れたり
あとは東京桜前線の観測地点、靖国神社の桜を植えた人

87 :
●幕末長州藩のリーダー。
●薩長同盟を結んだ人。
●”5か条〜”、版籍奉還、廃藩置県、四民平等、三権分立を主導した人。
●会津藩士を青森(斗南藩)に閉じ込めて弾圧した人。
●普通教育の振興を主唱した人。
●高杉晋作がつくった奇兵隊を潰した人。
●伊藤、大隈の兄貴分であった人。
●靖国神社の銅像の人を発掘した人。
●憲法の制定、国会開設による立憲政治(漸次立憲政体樹立の詔)を主導した人。

88 :
維新政府の創業期はある種の合議制だったから、どれが誰の功績かってのは一概には言えないのが難しいとこだ
表立って出てないけど、発案、あるいは空気づくりの点で実は木戸の手柄ってのは割とあるんだろうなぁ

89 :
木戸孝允は日本大学の創立に大きく

貢献した人。


日本法律学校は長州藩士の山田顯義(市之允)が
創立したんだが、木戸孝允(桂小五郎)の
構想を具体化したのが山田顯義です。 愛エメ

90 :
山田顯義のお師匠さん。

91 :
木戸松菊公逸話読んでて初めて知ったんだが木戸孝允て藤田東湖好きだったんだな「最も敬慕しておられた」って
なんかあんまそんなイメージなかったわ

92 :
現在子孫いないよこの人

93 :
斎藤本はダメダメだね。
たとえば木戸日記明治7年2月6日条「今日岩倉にて会議あり、台湾一条なり、
廻しの書面に同意せり、よって今日出会を断れり」
つまり台湾出兵自体には同意してるという指摘(これに反論、再反論が続くが省略)
に対して何ら答えてない。しかもまだ「薩長同盟」だの「討幕」だの言ってるのは驚くほかない
これじゃ読んでもしょうがない

94 :
明治4年6月27日 木戸孝允日記
「わが論のたちまちに彼の心腹に入るを覚ふ。西郷の公心、余の心に徹し覚えず感歎せり」
醒めた炎では、”わが論”を廃藩置県と解釈しているが、解釈に少し無理があるように思う。
制度改革のことではないかな。
参考までに、木戸孝允遺文集(妻木忠太編)によれば、「明治4年6月27日西郷が始めて公(木戸)が
言う廃藩置県の主意を了解した」となっていて、醒めたと同じ。

95 :
そうだね。6月下旬なら木戸の関心は政体改革以外になく
西郷への働きかけも行われている。
制度取調は7月5日に西郷を加えて開始。
廃藩置県はまた別途、7月8日以降に伝わってるからこの時点では違うし、
7月9日の木戸邸での会談でも政体基則が議題に挙がっている。

笠原英彦「廃藩置県と留守政府:明治4年の政治動向」に木戸日記のその箇所が注釈で挙がっている
file:///C:/Users/Shigeo%20Ohshima/Downloads/AN00224504-20070428-0095.pdf

96 :
やはり制度改革のことだよね。
木戸孝允遺文集は、妻木さんが、木戸日記にのっていない事柄を、備忘録やメモ書きを
集めて、編集したものと理解している。これに廃藩のことが載っているということは、
西郷に対して当日の本題である制度改革の話の中に廃藩をさらりと織り込んだのかしらん。 
遺文集によれば6月4日三条へ、6月5日岩倉へ制度改革案、廃藩のことを意見している。

<<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038118>>

97 :
【ミステリー・サークル】 和製ホーキング気取りの大槻教授「神はいない」 【世界教師マ@トレーヤ】
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1540692991/l50

98 :
西郷どん、酷い描き方だわ。廃藩置県、木戸が最大の主導者なのに…orz

99 :
東京大学は文部卿木戸孝允(桂小五郎)の
手によってスタートしました。

木戸孝允の後を継いだのが山田顯義(市之允)です。

100 :
>>98
西郷どんでマトモな描かれ方をした人物がいたか?

101 :
西郷家の人物以外、ホンマ、殆ど全てリスペクトsareteiない人物造形なんだよな。

102 :
西郷どんの木戸は、文句を言っているだけだなw
長州藩政、明治維新政府を主導した姿がこれっぽっちもないw
齋藤紅葉氏はNHKに抗議しているかな?

103 :
木戸さんを綺麗どころ扱いにしたことは評価したいw

104 :
木戸さん大河ならだいたいイケメン枠でしょう
なお性格は…

105 :
日本大学と早稲田大学の違いは 長州藩出身者と佐賀藩出身 [無断転載禁止]&copy;2ch.sc
https://medaka.2ch.sc/test/read.cgi/jsaloon/1506120669/l50

陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]&copy;2ch.sc 1
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/joke/1501510625/

陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]&copy;2ch.sc 2
https://tamae.2ch.sc/test/read.cgi/jsaloon/1481985949/

狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html

106 :
ボアソナードは経営の苦しいフランス派の拠点 法政大学の為に私財を投げ出し奮闘するんだがな。 [無断転載禁止]2ch.sc
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/joke/1502677275/

高慢ちき?なボアソナードが日本で働けたのは 大木喬任や山田顯義司法大臣らが親身になって [無断転載禁止]2ch.sc
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/joke/1502794322/

どうだい。法政大学にもう一つ 山田法典伯タワーを立てるのわ。 [無断転載禁止]2ch.sc
http://medaka.2ch.sc/test/read.cgi/jsaloon/1502794279/

な。 法政大学は創立当時から経営基盤が弱く、首脳陣は 夜逃げしたり病死したりと頼 [無断転載禁止]2ch.sc
http://medaka.2ch.sc/test/read.cgi/jsaloon/1502677371/

法政と日大のライバル関係 (41)
https://2ch.vet/re_nozomi_jsaloon_1506938916_a_0

107 :
>>102
西郷どんはフィクションとして観るようにしています。

108 :
そら、最初からフィクションなわけだが、
こんな木戸や大久保、見とうはなかった!

109 :
木戸さんの死因ってはっきりしてないよね?

110 :
木戸幸一は木戸孝允の孫と関連のサイトや書籍に書いてあるからいままでそう信じていたけど
木戸孝允の妹の血筋であって直系ではないんだね。木戸幸一の父親は木戸孝允の娘と結婚していたけど子を成す前に死別しているし

戸籍的にはそうなんだろうけど普通に祖父とか孫とかいっているから直系だと勘違いしていたよ

111 :
>>109

胃癌という説があるが。

112 :
>>109,>>111
木戸公が亡くなったことを伝えた新聞記事には「胃の腑の腫れ物」と書いてあったとか。

最終的に胃癌がトドメだったのかもしれないけど、多病な人だから複合要因だとは思う。

113 :
>>104
花神の米倉さんみたいのは異端?

114 :
>>113

異端だが、あの木戸孝允が一番良かったと思う。

115 :
胃の腑の腫れ物 = 胃癌      としか解釈しようがないのだが。

116 :
長州藩には珍しく汚職はしなかったよな。
藩医に息子だったから裕福だったからかな

117 :
日本史上一番頭がよかったのが木戸じゃろ。

118 :
伊藤と木戸の関係性いいよな物語として
兄弟同然→対立→やや仲直り→死別
伊藤は木戸のような政治家を理想としていたかはわからないけど、晩年になればなるほど思想も行動も木戸に似てくる

119 :
実際のとこ伊藤は木戸のことどう思ってたんかねぇ
飲んでる時に高杉晋作に、「来原良蔵と桂小五郎どっちが上か?」って聞かれて「来原良蔵」って答えて、
その話を噂で聞いた桂小五郎がしばらく不機嫌だったって話好きなんだがwあれほんとなんだろか

120 :
>>117

知能だけなら江藤新平のほうが上。

121 :
長年の付き合いからくる遠慮のなさというかある種の親しみを感じるエピソードよな

122 :
>>119
『伊藤公直話』(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224551/117
「木戸孝允を語る」はコマ番号22〜33、「来原良蔵を語る」は62〜64。
「処世の術は木戸或は来原に勝るものがある。然れども学問・見識・人格に
至つては来原は遥かに木戸の上にある。」(コマ番号64、原本100ページ)
新人物文庫にも『伊藤博文直話』と改題されて収録されているよ。

123 :
乱世に必要なのは

処世術 >>>>> 学問・見識・人格

だからな。



明治新政府には無学で人格的にも問題があった政府高官が多数いたわけで。

124 :
正直伊藤の人格がな…

125 :
>>122
この本の信憑性ってどこまで信じられるんかね
小松緑って人が昭和10年に「伊藤博文公からこんな話を聞いた!」って言って出した本らしいけど

126 :
>>125
はしがき(コマ番号10)に「これらの直話は、末松謙澄・大岡硯海・大橋乙羽・古谷久綱・
坪谷水哉諸氏及び私どもが、親しく筆記して(伊藤博文)公の検閲を経たものである。」
と記されているので、それを信用していいと思いますよ。伊藤之雄先生をはじめ名だたる
歴史学者も引用してますし、捏造・歪曲があったら公爵伊藤家が黙ってなかったでしょう。

なお、>>122 の「来原良蔵を語る」は「来原良蔵割腹の話」の誤りでした。

127 :
・幕末、明治維新の騒乱期ばかりでなく現代でも処世術は大変大事。
・木戸は政治家であり、学者・思想家ではない。岩倉が「木戸は才あるが、云々)と評価した
よに、政治家としての学識は十分であった思う。
・井沢元彦本は、木戸は天成の調整家であり、攘夷か、開国か真っ二つに割れていた藩内を
無血で開国(下関)でまとめた。帰国後の長州は事実上、桂政権であり、藩主のお気にいりで
あったと述べているので、処世術は大変長けていたであろう。
・一方、伊藤も、担ぐ神輿を高杉→木戸→大久保→岩倉と変えて総理まで昇りつめたのだから、
処世術は長けている。
・木戸は議論好きで、相手を不快にするまで論破することがあり、後日、相手の意見が
価値あると分かるや、自分の意見のように提起することがよくあったとのこと。
伊藤にあてはまる史実としては、伊藤の版籍奉還案は木戸らにより後退させられ、兵庫県知事の
辞職を余儀なくさせられたこと、洋行中における条約改定問題に絡んで、青木の前で木戸から
叱責されたことなど。伊藤はおもしろくなかったろう。
・以上からの想像だが、木戸と伊藤は処世術に長けた似たもの同志故、反目と融合を繰り返し、
けっして心許せることはなかった。伊藤は木戸を政治家としては評価したが、自分が処世術に
長けている故、処世術に長けている木戸を生涯の師とするような気持ちまでにはなれなかった。

128 :
伊藤は才識においては木戸がまさり、忍耐力においては大久保がまさったと述懐してる。

129 :
幕末に木戸と伊藤で黒船かなんかの見学行って会津藩士名乗って行った茶屋で長州藩士の桂だとバレた時2人で顔見合わせて笑ってたエピソードすっき

130 :
伊藤にとって木戸は師匠の親友にして義兄、17ぐらいからずっと一緒にいた家族みたいなものだし。裏切っただの言われる割には死んだ時心配されるくらい泣いてたり四賢にしたり石碑建てたり。でも人物評はやたら手厳しかったり。
木戸の理想を1番実行してたのはなんだかんだで伊藤だったり本当面白いよねあの2人。

131 :
来原さんの紹介で俊輔が木戸さんの従者になった時に
身分制度で主と従者的になってるけど、君と僕は同士だから
って身分制度感覚の無い事を木戸さんが言ったって話が好き。

132 :
うろ覚えだけど上の人に上げるための牛肉つまみ食いしたのも伊藤とだった気がする

133 :
木戸はもともと和田家のひとで和田家は藩医だった。
末期養子で桂家に入って木戸は侍の身分になった。
むかし木戸のついて調べるため萩に行った人は
あそこはもともと侍の家ではないと木戸がいた家の近所の人に聞いたという。

134 :
みなもと太郎の歴史大河ギャグ『風雲児たち』の最新の第31巻のp.50~68に桂小五郎が出ている。
口絵の裏も高杉晋作とのツーショット。舞台は文久2年(1862年)6月で、中山道の本陣で高杉、
江戸で長井雅楽と出くわすけど、残念なことにどちらもフィクション。高杉はまだ上海にいるし、
江戸には行かずに中津川宿で藩主一行と落ちあって今後の方針(翌7月の京都での会議で藩論は
攘夷に転換された)についての会議を主導したのち、京都に戻った。>>50 の落合論文に詳しく記されている。

135 :
吉田松陰が死んだ時、死体を前に桂小五郎は何度もため息をついて、伊藤博文は号泣してたっていうエピソード
出典なにか分かります?

136 :
>>26 のはびきの市民大学の司馬遼太郎の講座が書籍化された模様

「司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解」
土居 豊 著 関西学院大学出版会
ttp://www.kgup.jp/book/b383192.html

137 :
きどこういん、おおむらますじろう、やまだあきよしぐるーぷは

わいろとはむえんでした。

138 :
来原良蔵と長井雅楽は母親が福原家出身の姉妹なので、母方のいとこにあたる。
つまり来原の妹である木戸の妻も長井のいとこなので、
木戸から見ると長井は妻のいとこ、長井から見ると木戸はいとこの夫という親戚関係。

139 :
>>138

木戸の妻=幾松  ではないのか?

140 :
来原の妻である木戸の妹、だね

141 :
手話についての講義を聞きに行ったら山尾のことが出てきた
さすがに木戸さんの口利きまでは出なかったけど山尾は凄く褒められてたからちょっと嬉しかったな

142 :
明治4年6月11日木戸日記にある、岩倉に唱えた第二策については歴史家によって
解釈が異なるよね(官制改革か廃藩置県か)。徳富蘇峰の「近世日本国民史 廃藩置県篇」
では、これを恐らく官制改革としながら、6月初めごろ、木戸が岩倉に廃藩置県の断行を
説いたことが記されている「岩倉公實記」を紹介し、この記述は6月11日の木戸日記に該当
するしている。又、同日の木戸日記に伊藤と論じたことが記されており、これは廃藩置県
と察せられるとしている。

添付、岩倉公實記下巻 473コマ 913ページ をご参照あれ
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781064>

143 :
町田明広「薩長同盟論 幕末史の再構築」
木戸について、まっとうな記述がある。
<https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784409520741>

144 :
ミネルヴァ書房日本評伝選 今月の新刊 一坂太郎著『久坂玄瑞 志気凡ならず、何卒大成致せかし』
http://www.minervashobo.co.jp/book/b431737.html
人名索引で「桂小五郎」のページをチェックした限りでは、木戸に関しての新知見・新見解は見当たらなかった。
著者は『久坂玄瑞史料』(2018年、マツノ書店)の編者なので、久坂が歴史に与えた最初にして最大かもしれない
インパクトの「謗詞一件」についての記述に期待していたけど、2004年に高橋秀直氏が出された「この(内勅の)
問題部分は本旨の内容と矛盾するため、玄瑞らが裏工作して中山(忠能)に追加させたもの」という推察を紹介して
それを追認しただけだったのには拍子抜けした。落合弘樹氏の『木戸孝允』も早く刊行されることを期待しよう。

145 :
たまに保守

146 :
4月末の知恵泉の廃藩置県回を見たけど、いつもより扱いが良かった。
山の絵のお手紙を出してくれて笑ったけどw

147 :
>>146
木戸さんの命日に再放送する模様w

ttps://www4.nhk.or.jp/chieizu/
5月26日(日曜)NHKEテレ1 午前0時30分〜 午前1時58分
先人たちの底力 知恵泉・選
廃藩置県▽藩をつぶして国家をつくれ/都道府県誕生

148 :
>>146
知恵泉の木戸さん、どんな描かれかたしてんの。

149 :
どうしても、「冷静」「慎重」ってイメージに引っ張られるけど、丙辰丸の盟約結んだり、廃藩置県では最も急進派だったり、
「まずやってみる」っていう手数の人だったんじゃないかなぁ
と思ってたら自分を「狂気軽躁」と分析してたようで、やっぱりと思った
村松剛さんは「その形容は似つかわしくないけれど」と書いてるけども

150 :
>>148
連レスごめん

版籍奉還の布告文「朝廷其宜に処し、其与ふ可きは之を与へ、其奪ふべきはこれを奪ひ」の部分、
「与えるものは与える」を差し込むことで、大名たちに「形式だけのもの」と思わせ、
いわばだまし討ちしたのは木戸の作戦じゃないか
って感じ

151 :
>>149

「ダメ元でやってみる」という感じはするな。

152 :
壊す方はとりあえずやってみるってスタンスだけど作る方は慎重だった気はするけどなあ

153 :
4藩主による版籍奉還の建白文は木戸が起草したとされている。
コマ番号43
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937219>

後年、木戸は薩摩藩(大久保)との妥協を得るために、用術策(朝廷に一旦封土を返上し、
再交付については朝廷に従う)を用いたと述懐している。

廃藩置県については、それを唱えて、推進した第一人者は木戸であるが、明治4年7月に断行できたのは、
西郷の功績大というのが、おおかたの歴史学者の考えみたい。

最近、幕末維新専門の若い歴史学者が増えて、司馬小説の影響がうすれてきていると感じるのは
僕だけかな。

154 :
晩年は政治的に孤立してたってま?

155 :
自分から孤立しにいってた感じもあるしね

まぁ、どのタイミングで死んだか、っていう話な気がする
大久保利通ですら、岩倉使節団帰国後に箱根だかどっかに隠棲してるタイミングで病気で死んでたら
「同調者を見いだせず失意の内に死亡」てなってたろうし

一つ言えるのは、維新の功労者筆頭数名に関しては当時ですら明らかに別格視されてて、
たとえその瞬間孤立していたとしても、いつでも復元できる可能性は持ってたと思う

156 :
>>154

健康問題があるから動きようがなかったということもある。

157 :
桂小五郎は暗殺が嫌いだったとされてるが、伊藤博文が功名に焦って塙保己一の息子を殺したときどう思ったんだろ
博文が小五郎にマジギレされたのは使節団ででかけてるときの一件だけらしいからこんときは許したんだろか

158 :
動機を同じくする坂下門外の変を起こした水戸の人とは盟約関係なんだよなぁ
学者を殺しても体制には関わりないし無用の事だったとは思うけど、そういう時代だったのかな・・・
山尾庸三とも深く信頼して付き合っていたようだし

伊藤は後年この暗殺を悔いていると話していたようだね

159 :
新説坂本龍馬 町田明広 インターナショナル新書

プロローグから抜粋
〜 司馬の作品には事実誤認が散見され、時には作為的な匂いすら漂う 〜

のっけから中々、刺激的な文章。
司馬によってこきおろされた木戸さんも少しはうかばれるかな。
木戸さんのことを史実に基づいて客観的に描いている。

160 :
ttps://www4.nhk.or.jp/chieizu/
10月22日火曜 NHKEテレ1 午後10時00分〜 午後10時45分
「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸孝允」
幕末、激動の時代に活躍した人物から、事を成すための知恵を2週にわたって探る。
今回は、薩長同盟の密約を交わし、維新の立役者の1人となった、桂小五郎の生き方に迫る。
幕末の長州藩士、桂小五郎、後の木戸孝允。薩長同盟や廃藩置県などの功績を残した
。しかし桂は、「逃げの小五郎」と呼ばれるほど、危険を察知すると、逃げた。幕府に追われ、
物乞い、荒物屋、寺男となり各地を転々、潜伏を続けた。それは決して保身だけではなかった。
無謀な争いを避け、情報を得、自分を活かす機会を待つ。そんな姿勢が混乱の時代には必要だ。
逃げるは恥だが、桂なりの美学と信念があった。その生き方に迫る。
【出演】甲野善紀,藤本隆宏,萩博物館総括学芸員…道迫真吾,【司会】新井秀和

161 :
過激派長州のなかでも人を斬ったことはない。暗殺を命令したかもしれんが・・・。

162 :
>>160
「池田屋で屋根伝いに逃げた」っていう説採用したり、あたかも「幾松に尻を叩かれて長州帰った」としたり
まぁ取り上げてくれるだけありがたいかって感じだな

163 :
この局だとむしろスルーされた方がマシな気もする

164 :
https://i.imgur.com/7Tx5vKk.jpg

165 :
木戸孝允が一番好きだったのは山田顯義だと思うな。
長州藩の名門の生まれもあって礼儀正しいからな。
功山寺の挙兵が成功して萩の町に攻め込むときに
高杉晋作と伊藤博文は長州の町を焼き払おうとした。
焼き払うのはイギリス大使館以来、高杉と伊藤博文の
得意技だからな。
その時必死で萩の町を焼き払うのに反対したのは
山田市之允(顯義)だという。
美しい萩の町が今も健在なのは桂小五郎【木戸孝允】が大好きだった
礼儀正しい山田市之允が必死に反対したからです。 愛エメ総長

166 :
萩の町を救った山田顯義伯爵
慶応元年1月16日夜半、遊撃隊は赤村を、鴻城隊は佐々並村を
攻撃した。藩政府軍も必死に反撃したが、戦う者たちの意識の高さに
圧倒され、敗走した。(高杉)晋作は一気に萩攻撃をすべきと
主張した。しかし山県(有朋)は、藩主が滞在し、多くの知古が暮らす
萩城下を戦火で焼くことは避けるべきだと、反対した。太田や
山田(顯義)も同じ意見だった。
「俗論等の輩は滅ぼさねばのう」 伊藤博文は身分の高さで
威張り散らす武士階級を敵視していた。
「去年の夏、京都の戦で都は火の海につつまれた。
おれたちはその中を逃げてきた。
一番難儀をこうむったのは罪もない町民だった。
萩の町を焼いちゃぁいけん」
思わず(山田)市之允は、叫ぶように(高杉)晋作らの
強硬意見に反対していた。

167 :
萩の町を救った山田顯義伯爵
まぁ 山田市之允がいなかったら
萩の城下町は焼かれていた可能性が高いな。
高杉晋作は建築中のイギリス大使館を伊藤博文、井上馨らと
焼き払った「凶」の人だからな。
まぁ ヤマダ顯義が征韓論にも征台論にも反対して
軍人を辞めたのは正解だったな。
東大も法政も日大も明治も国学院も独協も関西大も中大も
日本医大も北里大も慶応医学部も京大法学部も北大も学習院も
ヤマダ伯爵が
丹念に手を掛けたおかげで立派な大学になりました。
参照 小説木戸孝允ー愛と憂国の生涯 上 中尾實信著作
     鳥影社 3,500円+税
※山田顯義は軍事よりも大切なものは法律と教育だと説くんだよな。
 全国の大学生にぜひ知って戴きたい人物です。

168 :
「勤皇の大義」 1
慶応三年十月二十六日、薩長同盟を既に結んでいた長州藩は出兵を完了。
二十三歳の山田顕義はお世話になった大先輩の桂小五郎に向けて
「発するに臨み、再開期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや」
と悲痛な覚悟。
十月、長州軍は三田尻に集合、出陣式が行われ毛利内匠が軍令を読み上げ
山田顕義に軍を指揮する武刀が渡され、軍は船に乗り込んだ。

諸隊総指揮の任命を受けた山田市之允が、三田尻(港)を発足せんとするに際し、
山口の藩庁に桂小五郎(木戸孝允 )を訪ねたが、他に出張して不在、一書をしたためて
挨拶とした。市之允は使命の重要さを認識したのであろう。
「発するに臨み、再回再開期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。」と
筆紙の中に無量の感慨を述べている。

169 :
「勤皇の大義」 2
 お訪ね申し候処、不幸御他行にて懐ひ残り少なからず存じ奉り候。
 愈々只今より出足の覚悟に御座候間、差急に拝顔を得ず、
 残念の余り一筆留め置き候。
 今更申し上げ候迄も御座無く候得共、七百人の生死は搦手の遅速に関係仕り
 候事に付き、幾應も御尽力の上、急速御手下し相成る様、
 千万拝み祈り奉り候。
 何分皇國の興隆は合従の二字に有之候間、御國家の為に後来この上乍ら、
 御尽力偏へに願い奉り候、平常の御懇情一々、謝し難く、早々如此。
 発するに臨み、再會期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。
 何卒御氣体御養護、邦家の為に、後年専用と存じ奉り候。
                        匆々不一
     慶応三年九月二十五日   山田市之允
 木戸準一郎(孝允)様

170 :
勤皇の大義」 3
 発するに臨み、再會期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。
 何卒御氣体御養護、邦家の為に、後年専用と存じ奉り候。

慶応三年十一月二十五日早朝、出動全軍鞠府に会し、総督毛利内匠の
軍令を伝え、八咫鳥神社に参拝して武運長久を祈った。
次いで総督及び参謀等は鞠府艦に、その他の属員は丙寅艦に塔乗し、整武、振武の両隊は
葵亥艦に、鋭武隊は丙辰艦に、第二奇兵隊は乙丑艦に、鋭武隊は満珠艦に、
奇兵、遊撃、膺懲の三隊は庚申艦に分乗し各艦一画三星の藩旗をひるがえし、
空砲七発をもって征途に上った。
●出兵協定を結んでいたにも拘らず、薩摩軍が約束の9月26日までに現れず、
地団駄を踏んだ長州藩でしたが漸く、10月3日に薩摩藩の初の軍船が三田尻に到着。
薩摩兵は藩重役と三田尻町民の大歓迎を受けています。
薩摩と長州が手を結ぶことで初めて勝ち目が出て来ました。大村益次郎は
長州藩の単独出兵には慎重でした。
先鋒隊の総指揮官に大村益次郎と木戸孝允の意見が一致。
ところが選ばれた今牛若丸、蚤の心臓?山田市は徳川軍の大軍を
前にとても勝てるとは思って
いなかったようです。 愛エメ総長

171 :
元治元年(1864)甲子7月19日京都蛤御門の変で敗れた長州藩は
慶応三年(1,867年)丁卵十二月十一日、諸隊総指揮官山田市之允に率いられ
再び入京。京都の地に現れる。「防長勤王史談」に記載されている当時の模様を下に掲げる。
(前日の)長州兵の入京(毛利内匠の小部隊)は夜半に相成り、格別人目には触れざりしが、
十一日奇兵隊其の他の入京は白昼のことにて、四年来初めての入洛なれば、
市民至るところに於いて、
弾薬袋の一字三星の紋を見て、長州ぢゃ長州ぢゃと人皆仰天し、涙を垂れて拝むものあり、
こわ(怖)やのこわやのといふものもあり、諸藩邸の人々は一目見て、奥に走り込む模様、
随分一時震動の勢いにつき、二条城に於いては長軍対戦の用意致し候由、
後に相聞きたり・・・・・・・云々。

172 :
山田市之允入京し、京都御所を拝して、かつて蛤御門に敗戦した往時を
思い浮かべて涙潜然、すなわち賦して曰く。
三軍來踞承明門
要表真誠訴宿冤
鳳詔方降紫宸殿
壮夫揮涙拝天恩

 読み下し
三軍來踞す承明門。
要を表して真誠宿冤を訴う。
鳳詔まさに降る紫宸殿。
壮夫涙を揮(ふる)って天恩を拝す。

173 :
長州兵の入京。乳臭兒が長州軍を指揮

 慶應三年、顯義、長藩の隊長となり、一隊の兵を率ゐて攝津西の宮に屯した。
當時、會桑の兵を京都より拂はんとする議があつて、長州兵の入京を急がすの
必要があつたから、西?隆盛旨を傳へて、顯義の進軍を促さしめるために、
大山彌助(巖)を西の宮に遣つた。大山、西の宮に來り、陣門に入りて、顯義に逢はん事を求めた
。帷幕の裡に待つことやゝ乍らくあつて、顯義が出て來て、其姓名をつげ、大山の使命を聞かんといふ。
 大山、顯義を熟視すると、之れ一箇の矮小漢であり、年齒も甚だ若い。
 
 其英名はかねてより聞いてゐるが、かゝる小忰とは思はなかつたから、大山大に侮る色が生じた。
かゝる乳臭兒が何を能くするかと思ひつゝも、西?の使命は傳へねばならぬから。西?の密書を
懷より取り出して渡し、時機甚だ切迫してゐるから、急いで兵を進ませられよと陳べた。
顯義、曰く諾と。直に左右を顧みて、出兵の命を下した。其言語擧動の敏捷なる、
流石評判に恥ぢぬだけのものがある。大山亦侮り易からざるを感じつゝ、
辭して陣門を去らんとすると。早、兵隊の部署は整然として悉く定り、將に進發せんとする模樣がある。
之れを見て大山遂に顯義の穎秀なるに敬服して了うた。
時に顯義二十二&#27506;、大山二十四&#27506;であつた。

174 :
時に顯義二十二才、大山二十四才であつた。
鳥羽伏見の戦いで戦ったのは山縣有朋でも
板垣退助でもないのだな。山縣と板垣は
郷里でお留守番。
高杉晋作の遺言で諸隊の指揮官は大村と山田市之允で決まり!
山縣有朋は補欠?
京に上る長州軍の総指揮官は大村益次郎と木戸孝允の意見が一致。
今牛若丸山田市之允が大役を任され補欠の山縣有朋には出番なし。 愛エメ総長

175 :
木戸さん
今年も靖国神社の桜が咲きましたよ

176 :
靖国神社の隣に住んでいた広沢真臣を殺した犯人はいまだにわかっていないんだな。

177 :
靖国神社には御所に向けて発砲した逆賊や朝鮮人が祀られている

178 :2020/03/23
木戸さんは文部卿に就任したように
文人肌なんだな。ロマンチストの一面があります。
日本の軍隊は大村益次郎と山田顯義の2トップから
スタートします。軍隊のスタートが大村と山田だった証拠は
靖国神社の大村益次郎の銅像が物語っています。
山田顯義の骨折りがなければ銅像は誕生しませんでした。
大村益次郎の死後、薩摩の西郷兄弟が肩入れし、
日本軍隊を山縣有朋が横取りするんだがな。
憤慨する山田顯義を宥めて、木戸孝允は「軍隊は
山縣にくれてやれ、軍事よりも大切なものは
教育と法律!」と口を酸っぱくして山田顯義に説くんだよな。
木戸孝允が後世を託した山田顯義伯爵は日本大学と
國學院大學を創立し、再評価が進んでいます。
木戸孝允同様山田顯義も有名人にしたい筆頭の人物です。 愛エメ総長
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html

真珠湾攻撃 - みごとにひっかけられたアホな日本2
安易に流行ってた「明治維新否定」って何なの? 2
● もしも日本が米英に負けていたら (4敗目) ●
【上野介】小栗忠順【幕臣】
西郷隆盛【人を相手にせず、天を相手にせよ】
なぜ慰安婦問題は極東軍事裁判から除外された
幕末暗殺史
■狭山事件5■
日本近現代史上、池田大作はどう評価されるべきか
日本の歴代事件
--------------------
若手のホープ・早船 歩!
天皇は靖国神社に参拝しない
■長澤まさみ と 野田洋次郎の噂 ワンオクtakaの噂 ★36
フォア面に赤貼ってる奴wwwwwwwww
■同人ボードゲーム・カードゲームを語るスレ■22
(゚Д゚)野球オールスター驚愕の低視聴率【1.4%】
【HKT48】朝長美桜ちゃん応援スレ☆282【みお】
〓名前が格好いい武将〓
【未来感】空飛ぶクルマで出勤は30年以内に当たり前になる? 今夏に日本初“有人”デモフライトへ
生活保護の傾奇者だけど質問ある?Part.165
【政治】菅官房長官、レバノン政府に協力要請へ ゴーン被告逃亡
M−1グランプリ2018 Part4
☆樋浦舞花ちゃん☆樋浦結花ちゃん☆
えらいてんちょう及びエデン界隈スレ 3
セピア色の思い出のBGMは洋楽だよな
どの軽のデザインが好き?
【治験】創薬ボランティア Part.25
誰かがどんなくだらない質問にもマジレスするスレ789
【Twitch】LoL配信者ウォッチスレ Part29【ニコ生】
【歴史】 北朝鮮 「歳月が流れても忘れない」 日本に過去清算・賠償を要求
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼