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西郷隆盛【人を相手にせず、天を相手にせよ】
- 1 :2014/06/14 〜 最終レス :2014/08/09
- 以下、テンプレ
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
- 2 :
- もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
- 3 :
- 西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島市城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
19日、政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を拒否され、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
- 4 :
- 西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》
西南の役の最後の日、城山で西郷は足を撃たれたあと自決したことになっていますが、
その西郷の足を撃ったのは、西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
政府軍に助命を拒否された西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕を主張する桐野がこれを発見、激怒して西郷を追いかけ銃撃したというのが真相のようなのです。
桐野による西郷銃撃は、目撃者の証言もあるのです。
- 5 :
- 西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に”正座”し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無し。
はっきり言って資料価値のきわめて怪しいプロパガンダ本なのです。
だいたい足を撃ち抜かれたうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が”正座”できるわけがありません。
じつは東大図書館に西郷遺体の検死報告書が保存されているのですがそこにはこう記録されています。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
腹部に刀創はありませんので、切腹はしていない。
また、銃弾が骨を貫通していることから(当時の銃の性能を考慮すると)至近距離から被弾した可能性が高い。
「頭(頸)体離断」は首を切断されていたということです。
つまり、太腿を至近距離から銃撃されたあと、
介錯のためか、頭部を隠すためか、首を切断されたということです。
- 6 :
- 西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。
- 7 :
- 西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入佐俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
- 8 :
- 毎日新聞連載中の「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は当時わざわざ一日分を費やして
「別府晋介の従僕に城川なる者はいなかった」として桐野射殺説を否定されたが、
「葛城彦一伝」に”別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門”と明記され、
墓碑まであるのだからこれは当然司馬氏の勇み足だろう。
「跳ぶが如く」の連載が終わって、歴史家萩原延寿氏との対談(朝日紙)の中で、
「当時の桐野の心境を考えると西郷を撃つという事も状況としてあり得る。」
と述べて、司馬さんもその後の考えを変えておられるようである。
- 9 :
- 城川市二さんの孫嫁さん(当時73歳)の健在を聞いて、
国道10号線沿いの城川さんのお宅に行き、話をお伺いした。
「お祖父さんは83歳で亡くなられるまで、私たち夫婦がずうっと面倒を見てきました。
お祖父さんは鹿児島の町の黒岩どんから養子に来られた方で、口数の少ない
きびしい人で亡くなられるまで、西南の役の戦さのことはほとんど話されませんでした。
(城川翁が頑なに口をつぐんでおられた様子が窺われる。)
従軍仲間の小杉恒吉衛門さんなどがお見えになると、来たか、上がれ上がれと喜んで
奥の座敷で焼酎を飲みながら、昔話をいろいろ語っておられました。
- 10 :
- 昭和の3、4年ごろ確か東大の先生だったと思いますが、二、三度春になりますと
お見えになり、お祖父さんは羽織はかまに威儀を正して、ふすまを閉めきって
私共を近づけずに、朝から遅くまで何事か話をしておられました。
ここ城川の家は代々、鍋製造が稼業で職人が20人ぐらいおりましたので、
三時の茶入れの時なぞはいろんな噂話がはずむものでしたが、そんなとき
お祖父さんが現れて、今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか
と詰問されて、相手は眼を白黒させて、いや、ただ人から聞いた話でございもすと言うと、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリと言って
引っ込んで行かれるもんで、ヒャッとするもんでござした 」
と語られたが、城川翁がいかに実話を重んじた人柄か眼の当たり見るようである。
帰りに国道10号線沿いの墓地で城川翁の墓参りをすませて城川家を辞去した。
- 11 :
- 西郷さんは誰からも敬慕される人格者だったが、小才が効く俗物は
己の小さが映しだされる鏡として西郷さんを嫌い、遠ざけようとした。
- 12 :
- ■よくある質問&回答
Q :西南戦争は西郷さんにとって自ら滅ぶための戦いだったんですよね?
西郷さんは、近代化で行き場を失った士族たちをその胸に抱き、
日本の未来のため自ら退場したのだとテレビでやってました
A :
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。
またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
西郷軍の桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(政府鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、
この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」と鼻息を荒くしていました。
(「鹿児島討征録」)
西郷隆盛と西郷軍は彼らなりの勝算を持ち、反乱を決起したのです。
自ら滅んだというストーリーは、後世の、西郷隆盛にシンパシーをもつ人々が作った幻想、
または負け惜しみです。
- 13 :
- ■よくある質問&回答
Q : 西郷さんが「征韓論」というのは間違いで、ほんとうは「遣韓論」なんですよね?
西郷さんは丸腰で交渉に行って戦争を避けようとしていたと聞きました。
最近では小林よしのり氏もそう言ってます。
A :
遣韓論者の根拠は、西郷は政府閣議において、武力征韓を主張する板垣退助を抑え、
自らが使節となり平和的に朝鮮に開国を勧める「遣韓」を主張していた、というものだ。
しかし、鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。
西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
- 14 :
- ■よくある質問&回答
Q : 西郷隆盛と大久保利通が薩摩の二大英雄とされ、
鹿児島では誇りにされていると聞きました
A :
大久保は、西南戦争で西郷を殺し薩摩を滅ぼそうとした張本人として、
鹿児島では憎まれ嫌われ、近年まで地元への納骨すら避けられていました。
現在、鹿児島市には大久保の銅像がありますが、これは西南戦争百周年に際して東京から
「なぜ鹿児島に大久保の銅像がないのか」と言われて、渋々作ったそうです。
現在では、鹿児島でも大久保の再評価がされていますが、しばらく前までは
大久保の話も出来ないほどでありました。
鹿児島市の大久保像
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/shins2m/20130612/20130612144650.jpg
狼藉を考慮して、非常に高い台座の上に設置されている
大久保像 碑銘
http://livedoor.blogimg.jp/john96pierre/imgs/8/7/87ef85e5.jpg
「通」という字があからさまにズレていますが、
人としての道(通)を外した男、という意味が込められているそうです。
- 15 :
- >>11
大事は小事の積み重ねなり。
小事を成せぬ者に大事を成すこと能わず。
西郷南洲はこれがために倒れた。
- 16 :
- 小林よしのり氏(笑)
- 17 :
- どうして西郷の信者には基地害が多いんですか?
- 18 :
- >>17
どうして西郷のアンチには、粘着基地害嵐しかいないんですか?w
そんなに西郷が羨ましくて毎日毎日叩かないと死にそうなくらい、頭が西郷でイッパイイッパイなんですか?w
- 19 :
- 西郷隆盛好きを広言している者たち
小沢一郎 (民主党 → 国民の生活が第一 → 日本未来の党 → 生活の党 →参院選当選ゼロ 「韓国人が日本に移り住み、初代天皇になった」)
鳩山邦夫 (ルーピーの弟 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー。「わたしの友人の友人はアルカイダ」)
渡辺美樹 (ワタミ社長 「365日24時間、死ぬまで働け。」)
小林よしのり(60歳。「AKB48大島優子とセックスしたい」) ← NEW!
- 20 :
- 「人を相手にせず、天を相手にせよ」というのは西郷さんの言葉ですか?
- 21 :
- >>20
西郷さんが漢詩からパクった言葉でしょ。
この人そんなのばっかり。自分の腹の奥から出た言葉じゃないから、言ってることとやってることが違ってる。
- 22 :
- >>20
西郷さんが漢詩からパクった言葉でしょ。
この人そんなのばっかり。自分の腹の奥から出た言葉じゃないから、言ってることとやってることが違ってる。
- 23 :
- 大事な事だから2回も言った?w
- 24 :
- 今の日韓関係、西郷さんならどのような立場を取るのだろうか?
煽りぬきで議論しましよう
- 25 :
- 西郷さんが孫文と出会ってたら日中の不幸な歴史はなかっただろう。
両雄が肝胆相照らして亜細亜復興東洋恒久平和の礎を築いたにちがいない。
大東亜共栄圏は明治の末年には実現していた。
- 26 :
- >>25
煽るわけじゃないんですが、
「肝胆相照らして亜細亜復興東洋恒久平和の礎を・・・」のような理想主義的な軍人が
ドロ沼の日中戦争を始めたんじゃないんですかね?
- 27 :
- 西郷さんは功名を焦って小手先の陰謀を弄ぶ昭和の軍人とは
人間の出来が違う。深く聖人の道に学んで人格を陶冶して将に将たる器、
国家的大人物となった。
- 28 :
- 大久保や伊藤の業績は認めるが、彼らの成した業績は、彼らで無くともいずれは誰かの手でなし得た事。
しかし西郷の代わりは西郷以外では誰も成しうることはできなかった。
- 29 :
- >>28
西郷でしかなしえなかった業績とは? できるだけ具体的に
- 30 :
- >>29
数多くあるが代表的なところは廃藩置県だろう。
- 31 :
- ■西郷隆盛に関する典型的な勘違い例■その1
< 西郷隆盛は廃藩置県を行った >
明治3年、新政府は廃藩置県に先立ち、
鹿児島の西郷隆盛と5千人の薩摩藩士を御親兵として東京に出仕させました。
廃藩置県に反発する武士層の反乱が予想されたため、
これを鎮圧するのに、薩摩兵とこれを束ねる西郷の力が必要であった。
同時に、もっとも反乱を起こしそうなのが鹿児島住みの薩摩藩士と西郷であったために、
これを未然に懐柔しておくためでもあった。
ではなぜ西郷は懐柔されたのか。
西郷にとっての廃藩置県は、藩主に権力を返上させ、士族が実権を持つ
という意味であったからだ。
西郷は、出仕の際に出した意見書(「西郷吉之助意見書」)で、
「新政府に必要なのは士族を中心とした軍備強化と農本主義的な国家経営であり、
近代工業や鉄道などの建設を推進する政府は「商人」のようである」と糾弾しており、
廃藩置県には同意しても、士族中心の国体を固守する考えに変わりはなかった。
旧弊にとらわれない中央集権国家を目指す新政府とは同床異夢であったといえる。
新政府からの同様の懐柔措置は長州と土佐に対しても行われており、
いずれも御親兵を東京に出仕させている。
つまり西郷隆盛はあくまで、廃藩置県に協力した一人である、
という話しなのです。
よく言われる、岩倉使節団が洋行しているあいだに、
西郷がその声望と求心力で、廃藩置県を断行した、という類の話しも
まったくのデタラメです。
新政府が廃藩置県を断行した後に、岩倉使節団は出発しています。
- 32 :
- >>31
岩倉海外脱出組は怖かったんだろうな、士族による反乱が。
2年近くも海外避難w
- 33 :
- >>31
その話には突っ込むところが多すぎて話にならないが
百歩譲ってもお前は西郷の動機の問題についてしか述べていない。
「西郷でなければ廃藩置県は成し遂げられなかった」という事実
に対して何ら影響は無い。
- 34 :
- かもしれない
というだけで、
事実とも言えないけどな
- 35 :
- 西郷がいなけりゃ、海江田やほかの人物が薩摩下士の窓口になってたろうし
そっちに出仕を命じればいいだけ
西郷である必要はまったく無い
- 36 :
- 冷静に見れば、西郷は既得権益にしがみついてる老害だよ
- 37 :
- 学制、徴兵制、地租改正、戸籍、太陽暦、秩禄処分等、明治の最大の
改革が西郷政権の手で成し遂げられた。西郷は急進的改革派。
- 38 :
- しがみついてる奴らは西郷のまわり
当人じゃないだろ
- 39 :
- >>38
どう違うと?
- 40 :
- >>37
よく誤解してる人居るけど日本初の徴兵制って新政府が始めたんじゃないよ
廃藩置県より前から自主的に藩単位で徴兵制とか既に始まってるので、実は新政府は後乗り。
西郷さんも「色々参考にしたいから」と弟や部下を派遣して
徴兵制について教わったり見学させて貰ったりしてる
- 41 :
- 岩倉使節団が命がけの洋行で、不平等条約の改正を探り、
近代文明の調査に力を尽くしていた頃、
日本に残った西郷隆盛は何をやっていたのか・・・
西郷と同じく参議であった大隈重信の証言がある。
「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、
岩倉公ら洋行の留守内閣では太政官の正院に出頭しても、
ただ板垣(退助)と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていた」
明治新政府における西郷の浮き上った、無為無策のイビツな姿が目に浮かぶようだ。
- 42 :
- 西郷は大隈のことを俗吏であると陰口する一方で、政務は大隈頼みで、
決済に使う自分の印章も大隈に預けていたんだよ。
そんなんだったら、潔く身を引けよって思うけどね。
明治新政府としては西郷をクビにして鹿児島に帰らせたら何するか分からんということで
大目に見ていたのだろうが、
西郷がほんとうに国家のことを考えていたのなら、参議を辞任し、東京の郊外などに隠棲すべきだった。
- 43 :
- >>40
それを全国でやるようになったのが明治になってからのすごいところなんだけどね
- 44 :
- 大隈は俗吏だから西郷さんを悪く言う。板垣は西郷と
肝胆相照らす仲だった。英雄能く英雄を知る
- 45 :
- 西郷さんを高く評価したのは勝海舟、福沢諭吉、頭山満、内村鑑三等々、
みんなひとかどの人物だよ。
- 46 :
- 西郷と寝たんだな
- 47 :
- >>45
それみんな、現場を知らない評論家タイプですね。
政府に反乱した西郷の”偶像”に、自らの反政府思想を仮託してるだけですね。
腐敗政府に鉄槌を下そうとした正義の人、西郷隆盛、という”偶像”なところがミソですね。
というかこういう人たちが西郷美談みたいなことを言い出した結果、西郷が実物とはかけ離れた”偶像”と化したんでしょうね。
- 48 :
- >>43
正直あんまりそういう印象ないかも
徴兵制に関しては大藩で何年も上手くいって問題起きてないの確認して
データとってから行ってるので
それに全国の徴兵制に関しても、あれは山縣有朋の尽力の結果であって
そもそも西郷は元は徴兵制派ではないよ。
山縣が自分の意見通すため味方を増やす過程で上手い事言って西郷も取り込んだだけで
西郷は山縣支持者として動いてる。
つまり西郷は、徴兵制に関しては、後乗りの上に、さらに後乗りした状態だよ
だから西郷さんの功績です!とするにはかなり無理があるかと
- 49 :
- 西郷は徴兵制と士族制は並立できると思っていたのだろうか・・
当時のロシア軍は士官が貴族出身者で、兵卒は徴兵した農民だった。
そのような軍隊を西郷は想像していたのかもしれない。
- 50 :
- >>44
板垣って、いわゆる「お飾り総裁」で有名な人だが>>44的には良いのか?
>>44が西郷アンチで、わざと「英雄は英雄を知る」とか言っているのだったらヤボな意見すまん
- 51 :
- 小林よしのり大先生は板垣なんかも持ち上げてたからなw
反政府に傾倒した人間なら誰でもいいのかw
そんなだから自己投影なんて言われるんだよw
- 52 :
- 板垣先生は無欲恬淡で剛直な古武士の風格がある人でした。
西郷さんと同タイプです。西郷さんが民権思想を取り入れ、
板垣先生が武力反乱に同調したら大久保政権は倒れて
明治10年ごろに立憲制度が確立してたでしょう。
- 53 :
- 大隈、山県、伊藤、井上のような俗物をもちあげるやつは
自分も俗物の小者である自覚な足りないんじゃないか。
それでは西郷さん、板垣先生の大きさはわからない。
- 54 :
- なるほど、上の奴は実はアンチによるホメ殺しだったのかw
- 55 :
- >>51
小林は、反政府やってる俺かっこいい
と自己陶酔している中学二年生だな
あまり長くやり過ぎると
何もわからず当たり散らすだけの爺にしかならないが
- 56 :
- >>52
確かに板垣が「無欲恬淡な超イイ奴」である事は本当。
ただ政治家としては本当にダメで、経営能力無いわ、すぐミスするわ、金策能力無いわ
結局、初期中の初期段階から土佐藩閥の実質的な代表者は元海援隊筋で
ローテーションさせるのが当然になっちゃったくらいだ。
なので総裁の板垣より、元海援隊筋の要人の指令が優先されるのが自由党の日常だw
ただ板垣の偉い所は、党員の総裁スルー状態でさえ結局すぐ許してくれる所だ。
イイ奴である事は確か。だから「1人の人間」としてはとても好かれていて
自分が客寄せパンダ化する事を受け入れている節もある。
こういう性質の板垣が、西郷が同タイプだという意見ならば、別にあえて異論は唱えないが
- 57 :
- 武智と坂本が世を去ってなければ
軍人として生きていったのかもしれない。
- 58 :
- 西郷さんは無私無欲清廉高潔にして慈悲深く情誼に厚い人。
- 59 :
- 会ったことないし
- 60 :
- >>58
>慈悲深く情誼に厚い人
西郷さんは薩摩士族に対しては、とても慈悲深く情誼に厚い人で
新政府に薩摩士族をガンガン取り立ててやったが、
他藩出身者から見れば、薩摩人による卑劣な依怙贔屓による
薩摩藩閥の養成にしか見えない
今の日本人も「K市議さんは、ウチの息子を市役所に無理矢理就職させてくれた、
このご恩は忘れない、一生K市議を応援する」とか、
不公正な手を使っても自分達を贔屓してくれる権力者に対して、
猛烈な忠誠心を持つが、きわめて民度の低い話だね。
単なる腐敗政治家じゃないか
- 61 :
- ↑
山本権兵衛、大山巌、東郷平八郎など
ちゃんと実力があったし、国を売ったり私利私欲にまみれた
人間は全くいなかったろ薩摩は島津の教育がしっかりしてたから
逆に長州閥の方が酷い
- 62 :
- ↑
こういう非論理的なマンセーが西郷信者の特徴だな
山本権兵衛とか大山巌とか、むしろ薩摩流を否定した人なのに、
なんで薩摩マンセーの根拠として引き合いに出すのか、滑稽ですらある
- 63 :
- 西郷が取り立てた薩摩人は、海江田信義のように何の実力もなく、
卑劣な嫉妬心だけで大村益次郎を暗殺してしまったクズがほとんど
彼等は薩摩士族だという理由だけで大出世
藩閥政治というガンを生み出した
- 64 :
- >62
薩摩は私利私欲を捨てよ、民衆には慈愛をもて等の教訓を島津が常に言ってる
- 65 :
- 島津が自らの民のために何かしてあげたことなんて薩摩史上一度も無いのではないか?
日本史上、薩摩島津ほど民を搾取した支配者はいないよ 八公二民とか異常すぎる
薩摩の、藩士と民の支配関係って、李氏朝鮮の両班と民の支配関係にそっくりだ
ふつうは支配層と民の間に多少なりとも互恵関係があるものだが、
薩摩のそれは一方的に搾取するだけ搾取して、見返りも何も一切与えないという朝鮮スタイル
- 66 :
- >>63
卑劣な嫉妬心だけで大村益次郎を暗殺したクズは長州のクズ
大村は身代わりが死んでくれたお陰で助かったのに隠れてたから脚を化膿させ
さっさと切断すれば助かったのに決断出来なくて死んだのは明治政府の愚かな制度のせい
つまり長州のせいで薩摩にも西郷にも関係ない
長州士族だという理由だけで大出世して藩閥政治というガンを生み出したのは長州
山縣有朋ら長州閥のせい
>大村益次郎を襲ったのは、8人の男だった。
>リーダーは、長州の神代直人。狂信的な攘夷論者であり、高杉晋作が気に入らないからとつけ狙い、それに閉口した高杉が長州から逃げ出したという、典型的なテロリストだ。
>この惨劇の中で、大村側では来客と従者の4人が死に、襲撃者も1人が死んだ。
>しかし大村益次郎は何か所かを斬られ、特に右足の傷は深かったが、階下の風呂場へ逃げて助かった。
>来客の1人、長州藩の洋学者、安達幸之助が「自分が大村だ」と言って河原に飛び降り、それを斬殺した神代らが「やった、やった」と叫んだので、襲撃者は逃げ去り、大村は命拾いしたのである。
>「身代わり」となった安達は、風貌が大村に似ていたという。
>神代直人は故郷の長州へ逃げたが、後に追い詰められて自刃した。
>さて、襲撃当日には助かった大村だったが、結局、およそ2か月後の11月5日に死んだ。最も深手だった右足の傷口が化膿し、敗血症を起こしたのである。
>実は、足を切断すれば助かったはずなのだが、当時は、政府高官の手術には勅許を必要とした。
>その手続きのために、手遅れになったのだった。
- 67 :
- >>65
島津様も領民の為になんかしてるだろ。
俺ら土人にも闘牛する事許してくれた
- 68 :
- 薩摩藩・鹿児島県による長年の激しい搾取と身分差別によって苦しめられ、
心の自由を求めて、日本一キリスト教徒比率が高い奄美大島の島民。。
薩摩士族の凄まじい農民搾取は有名だが、明治維新後、さらに西南戦争後も
鹿児島県による凄まじい搾取は続く
マリアの島の祈り
http://373news.com/_life/go_out/amami/20130808.php
- 69 :
- >>68
嫌われ者大村益次郎暗殺犯が同じ長州のテロリストで
同じ長州の身代わりの死で助かったはずが明治政府の無能な長州の奴らのせいで死んだのがバラされたら
西南戦争後の鹿児島県叩きにまで飛躍して話題そらしか
死んでる西郷に関係ないな
明治政府が無能だからだろ
身分差別の厳しさといや長州山口県
被差別部落が多い
>江戸・上野の山の彰義隊討伐でも、最も激戦が予想された黒門口(今は西郷さんの銅像がある登り口)攻撃に薩摩藩兵が割り当てられた際、驚いた西郷隆盛が
>「薩摩人はRということか」と尋ねると、大村が平然と「そうです」と答えたのは、有名な話だ。
>「大村益次郎は人情に欠ける」と多くの人が感じ、大村を嫌った。
- 70 :
- ↑
てんで的外れな反論でワロタw
長州の百姓階級や町人から維新で栄達した人はたくさんいる
大村益次郎がまさにそう
薩摩の百姓階級はどうですか? 世に出た人なんて聞いたことがない
こんな県は他に無いと思う
- 71 :
- なんかで見たけど薩摩は3分の2が士族らしかったからな
- 72 :
- >>68
奄美に実際住んだことがない人が、記事だけ読んでそんなこと書き散らしてもダメだよ。
西郷の奄美に対する複雑な感情も、何も理解は出来ないよ。
あなたよりビッグダディの方が、奄美大島に移住した分、なんぼもマシ。
- 73 :
- >>72
68じゃないが、リンク先は奄美のことをちゃんと調べた人間が書いてるんだからいいじゃないか
それよりおまえはどうなんだ?
奄美に住んでる人間なら、西郷の奄美に対する複雑な感情とやらを、美談抜きで、分かるように説明してくれよ
- 74 :
- てんで的外れな話題そらし嫌われ者大村益次郎オタ
海江田にも子孫にも謝れ
>海江田の曾孫である東郷尚武さんが書いた『海江田信義の幕末維新』(文春新書)では、
>海江田が、死刑の執行手続きの不備をとがめたからだと説明されている。
>当時の司法組織が不完全だったことも、騒動の原因の一つだったようだ。
>しかし、9日間延期されたとはいえ、死刑が撤回されることはなかった。
- 75 :
- なんだ、やっぱり海江田は大村暗殺犯の味方だったんじゃないかw
死刑を中止させようとか、分かりやすすぎ
- 76 :
- >>69
>身分差別の厳しさといや長州山口県
>被差別部落が多い
ウソはいかんよ、ウソは
山口県の被差別部落数は全国で14位、被差別部落人口は18位で普通だな
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10112865275
「被差別部落が多い」という根拠は??
ただの妄想?www
- 77 :
- 分かりやすすぎなのは西郷の人気を妬んで薩摩ごとイチャモンをつけてくる嫌われ者の大村益次郎オタ
いくらやろうが嫌われ者の大村益次郎は西郷人気には勝てないから諦めろ
海江田は嫌われ者の大村益次郎暗殺犯だろうが手続きの不備を許さず筋を通してから正式にキッチリ処罰しただけ
過疎ってる大村益次郎スレが人気の無い何よりの証左だから
空き家に早く帰って一人で壁うちして盛り上げて来い
- 78 :
- 山口県の被差別部落出身のテレビで有名になった猿回しが
子供時代に山口県で受けた酷い差別について公表してるのも長州藩の身分差別の厳しさも知らない上に
Yahoo知恵袋をソースにするという程度の低さ
これが山口県人クオリティ
- 79 :
- ソースがテレビの猿回しって、おまえバカだろw
- 80 :
- 周防猿回しの会も元山口県光市市議会議員の村崎義正も
息子の村崎太郎もその嫁がフジテレビの誰かも知らないバカは黙って知恵袋で聞いて来い
- 81 :
- 結論としては、
西郷隆盛は地元の薩摩士族だけを依怙贔屓した、卑劣な腐敗政治家
西郷と薩摩人の腐敗体質が西南の役を引き起こす
- 82 :
- 山縣有朋らは地元の長州士族だけを依怙贔屓し国民に嫌われ、葬式には依怙贔屓された人間以外誰も行かなかった、汚職まみれの人気のない卑劣な腐敗政治家
山縣有朋と長州人の腐敗体質が満州朝鮮への侵略戦争を引き起こし、木戸岸松岡ら山口県人が日本をアメリカに占領させ命乞いをした
アメリカに媚び生き延びた山口県人が金と権力を握り続け、無能な子孫に世襲し現在に至る
- 83 :
- >>82
>山縣有朋と長州人の腐敗体質が満州朝鮮への侵略戦争を引き起こし
昭和になると藩閥政治の反動で山口県出身者は帝国陸軍で
むしろ迫害を受けるようになって出世できなくなり、その代わりに
東条英機・板垣征四郎・畑俊六・石原莞爾などの陰険な東北閥が陸軍を握り
日本を破滅的な戦争の奈落の底へと落として行った
- 84 :
- >>83
参スケも知らないなら、知恵袋でアホ面晒して聞いて来い
軍で嫌われたのをいい事に、官と財で満州で甘い汁を吸いまくるポストを独占し、アメリカに命乞いをし生き恥晒したのは山口県出身の恥知らずども
弐キ参スケ
満州国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者のこと。
メンバー
以下の5人の実力者を指す。「弐キ参スケ」は彼らの名前の末尾からつけられた。
東條英機(とうじょう ひでキ、在満期間:1935年〜1938年 離満前役職:関東軍参謀長)
星野直樹(ほしの なおキ、在満期間:1932年〜1940年 離満前役職:国務院総務長官)
鮎川義介(あいかわ よしスケ、在満期間:1937年〜1942年 満業(満州重工業開発株式会社)社長)※山口県出身
岸信介(きし のぶスケ、在満期間:1936年〜1939年 離満前役職:総務庁次長)※山口県出身
松岡洋右(まつおか ようスケ、在満期間:1921年〜1930年、1935年〜1939年 離満前役職:満鉄総裁)※山口県出身
概要
5人のうち、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも称された。※三人全員山口県出身
第二次世界大戦終結後、5人ともA級戦犯容疑者として逮捕された。
鮎川・岸の2人は不起訴となったが、※山口県出身
東條・星野・松岡の3人は起訴された。東京裁判において、松岡は公判中に病死し、東條には死刑、星野には終身刑の判決が下った(星野は後に釈放)。
- 85 :
- >>84
>東條には死刑
東条英機が陰険きわまる陸軍東北閥の中心人物という事も知らないのか?(失笑
- 86 :
- 芋づるにすぎなかった薩摩閥はあっというまに崩壊し、以後鹿児島からは一人の大物も出ていないが、
それに比べて長州人やその後継者たちはまがいなりにも中身がともなっており、
現在にいたるまで国の命運を左右しつづけているということか・・・
- 87 :
- >>85が陰険きわまる山口県人で、スレタイも読めないわ失笑の意味も知らないのはわかった(嘲笑
失笑がどんな笑いか聞いて来い、知恵袋で
- 88 :
- >>86は
長州人が「まがいなりにも」とこれまた存在しない日本語で長州人の恥を晒すし、長州人の日本語レベルは揃って最低だな
長州人の後継者らが「紛い物」なら、素晴らしい正解だが
- 89 :
- >>87
反論できないので、ついにギブアップか?wwww
ところで、東条英機・板垣征四郎・畑俊六・石原莞爾・・・・
日本を戦争に引きずり込んで滅亡させた東北閥の恐ろしいまでの「暗さ」は
一体何なんだ?
どうしたらこんな陰険な人間ばかり育つんだ??
元々「暗い」人間ばかりの上に、福島原発事故で凄まじい放射能浴びて、
陰険な東北人はみんな鼻血だしてのたうち回っているのか?wwww
なんでそんなところにいるんだ?
放射能汚染された汚い東北なんてとっとと捨てて、逃げればいいのにwwww
- 90 :
- >>89は西郷の人気には絶対勝てず反論できないので、ついにスレチで関係ない東北を叩きだしギブアップした長州人
南国で明るく誠実で寛大で人気のある薩摩には長州は勝てないんだよ、暗く陰険で欲深く卑怯な長州人
- 91 :
- *大村益次郎と西郷隆盛*
慶応四年、西郷隆盛にとって屈辱的な事件が起こった。
江戸の彰義隊に手を焼いていた西郷が東征軍司令官の任を解かれたのだ。
大村益次郎が彰義隊を討伐するために京都からやって来たからだ。
合理主義者の大村は先任者の西郷におもねることがなく、
薩摩隊に対しても特別あつかいをせず、あくまで彼らを新政府配下の一隊として指図したそうだ。
大村は一日で彰義隊を壊滅させ、西郷と薩摩隊の面目はまる潰れになった。
この一件で大村は薩摩人から恨みを買い、
後年大村が暗殺されたのも、薩摩人が仕組んだのではないかとの憶測が出た。
そして西郷は西南の反乱で、政府鎮台軍に討伐されることになるが、
この徴兵制近代陸軍は大村が生前に準備していたものであった。
大村と西郷の不幸な関係は、大村の政治的配慮の無さと、西郷の(他国人をうけつけない)度量の狭さ
によるところが大きいと思うが、
もし大村が殺されず長命していれば、精神論や村社会に依らない、
合理的で開かれた日本、という国の姿もあったのではないかと思うと残念である。
- 92 :
- >>91
薩摩だけでなく同じ長州にも嫌われた、嫌われ者大村益次郎
明治政府が、助かる脚切断を遅らせたのも大村を助けたくない誰かが何かしたからでは?
生き延びてもどうせ嫌われて、同じ長州の嫌われ者山縣に追放されて何も出来ないわ
>江戸・上野の山の彰義隊討伐でも、最も激戦が予想された黒門口(今は西郷さんの銅像がある登り口)攻撃に薩摩藩兵が割り当てられた際、驚いた西郷隆盛が
>「薩摩人はRということか」と尋ねると、大村が平然と「そうです」と答えたのは、有名な話だ。
>「大村益次郎は人情に欠ける」と多くの人が感じ、大村を嫌った。
>大村益次郎を襲ったのは、8人の男だった。
>リーダーは、長州の神代直人。狂信的な攘夷論者であり、高杉晋作が気に入らないからとつけ狙い、それに閉口した高杉が長州から逃げ出したという、典型的なテロリストだ。
>この惨劇の中で、大村側では来客と従者の4人が死に、襲撃者も1人が死んだ。
>しかし大村益次郎は何か所かを斬られ、特に右足の傷は深かったが、階下の風呂場へ逃げて助かった。
>来客の1人、長州藩の洋学者、安達幸之助が「自分が大村だ」と言って河原に飛び降り、それを斬殺した神代らが「やった、やった」と叫んだので、襲撃者は逃げ去り、大村は命拾いしたのである。
>「身代わり」となった安達は、風貌が大村に似ていたという。
>神代直人は故郷の長州へ逃げたが、後に追い詰められて自刃した。
>さて、襲撃当日には助かった大村だったが、結局、およそ2か月後の11月5日に死んだ。最も深手だった右足の傷口が化膿し、敗血症を起こしたのである。
>実は、足を切断すれば助かったはずなのだが、当時は、政府高官の手術には勅許を必要とした。
>その手続きのために、手遅れになったのだった。
- 93 :
- >>92
黒幕は卑劣な薩摩の海江田だろ
同じ長州人を参加させるあたりが、郷土性が強い田舎者で
陰湿な薩摩人らしいな
卑劣な手を使って犯人の処刑をストップさせるあたりも卑劣な薩摩人らしい
- 94 :
- >>93
卑劣なのは長州だろ
同じ長州人を簡単に殺しまくるあたりが、閉鎖性が強い田舎者で陰湿な長州人らしい卑劣なやり口だ、陽気で誠実で律儀な薩摩人には考えられんね
海江田は正規の手続きで犯人の処刑をしてる、何も文句を言われる筋合いは無い
わざわざ大村の治療をストップさせて苦しめて殺したり、山縣が汚職発覚した時に長州御用商人を自殺に追いやり口を封じたあたりが、実に卑劣な長州人らしいやり口だ
そのやり口を現代の政治家が真似してるのが、実にわかりやすい
- 95 :
- >>94
>同じ長州人を簡単に殺しまくるあたりが
文久2年の寺田屋騒動では、有馬新七をはじめ薩摩藩士が8名も
同じ薩摩藩士に簡単に殺されたね。黒幕は同じ薩摩の島津久光だ
薩摩人同志で殺し合うのが、野蛮で卑劣な薩摩の習慣だろwwwww
- 96 :
- >>95
黒幕も何も、藩主の父親の島津久光に薩摩藩士が逆らえるとでも?
なら長州人同士で「正義派」「俗論派」と殺し合ったのは、野蛮で卑劣な長州の習慣だな
逆らえない藩主の命令じゃない、長州藩士の意志で殺しあったんだから
- 97 :
- >>96
>藩主の父親の島津久光に薩摩藩士が逆らえるとでも
つまり、卑劣な薩摩人同志の醜い内ゲバだろwww
海江田は薩摩藩の内ゲバの習慣に倣って、神代に大村を殺させた
>「正義派」「俗論派」と殺し合ったのは
それを言い出したら、薩摩のお由羅騒動で藩を真っ二つにして
大量に殺し合ったのはどうなるの???
八百屋の娘の妾が、自分の子供を藩主にすべく、正嫡の子を大量に殺害し
藩士が二つに割れて殺し合うなんて、卑劣で女々しい薩摩人らしいなwwww
- 98 :
- で、海江田が大村暗殺の黒幕という証拠は?
- 99 :
- >>98
どうして悪辣な凶悪犯たちを、海江田が処刑中止にしたのかな????
卑劣な薩摩人の嫉妬か?
海江田が神代と親しかったからか?w
西郷のように同じ薩摩人を依怙贔屓する事しか出来ない卑劣な汚職政治家は
とっとと死んだ方が日本のためだったが、大村は本当に惜しかったな・・
大村が長命していれば、日本の運命は変わったかも知れん
- 100 :
- 海江田って薩摩人からも白眼視されていた老害じゃねえかw
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