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【阿曇・住吉】海人族 Part. 5 【宗像】
- 1 :2019/07/09 〜 最終レス :2020/06/06
- 謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
イザナキ・イザナミから生まれた海神
ワタツミ、スミヨシ
出生地:筑紫日向小戸橘之檍原
アマテラス・スサノヲから生まれた海神
ムナカタ
出生地:天之安河
※自説のゴリ推しはやめましょう。
持論の展開には根拠を明確にしましょう。
妄想や行き過ぎた推論はSF板かオカルト板でやってください。
https://mevius.2ch.sc/sf/
https://mao.2ch.sc/occult/
※推奨NGワード
「@阿波」「忌部」
※前スレ
【阿曇・住吉】海人族 Part. 4 【宗像】
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560160045/
【阿曇・住吉】海人族 Part. 3 【宗像】
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1558853954/
【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1459603848/
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1317289551/
海人(アマ)≠天については>>2
住吉の筑紫本貫地説については>>3
- 2 :
- 古事記 巻上-ニの冒頭の訓み下しと口語訳は以下の通り
【原文】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神《訓高下天云阿麻下效此》
【訓み下し】
天地(アメツチ)初めに發(オ)こりたる[之]時(トキ)、
高天原(タカアマハラ)に於(オ)いて、成(ナ)りまし神(カミ)の名(ナ)、
天之御中主(アメノミナカヌシ)
《高(タカ)の下(シタ)なる「天」を訓(ヨ)み、阿麻(アマ)と云(イ)ふ 下(シタ)は此(コ)れに效(ナラ)ふ》
高(タカ) の 下(シタ) な る 「天」 を 訓(ヨ) み、 阿麻(アマ) と 云(イ) ふ 下(シタ) は 此(コ) れ に 效(ナラ) ふ
【口語訳】
天地が初めて発った時に、高天原に成った神の名は天之御中主(注:高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う)
高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う
高 に 続 く 天 は ア マ と 読 み 、 以 下 は 此 れ に 従 う
高+天の場合はアマと読む
高 + 天 の 場 合 は ア マ と 読 む
- 3 :
- 庚辰年、十二月、戊戌朔辛亥。
生二、譽田皇子一。
故時人、號二其産處一曰二宇瀰一。
筑紫大神、奉レ定レ社誨二皇后一曰。我荒魂、令レ祭二於穴門山田邑一。
時穴門直之祖、踐立、津守連之、祖手搓足尼、啓二于皇后一曰、軍三神欲レ居之地。必レ宜レ定。
- 4 :
- 【倭国】
弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭国が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことであるという説がある。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
連合国家である倭国の盟主は海神の故郷である筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
その中で、大陸や半島との交易は一貫して筑紫が独占していた。
卑弥呼の時代には倭は九州内陸へ拡大していく。
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
これに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。
- 5 :
- >>4
まだ天津神=海神なんて幼稚な妄想続けるのかよ…
- 6 :
- >>1-3
おつです
- 7 :
- >1乙です。
- 8 :
- >>5
しつこいのだけが取り柄の奥山だからしゃーない(笑)
- 9 :
- 2〜3世紀頃には、私貿易があったのはほぼ確実。
- 10 :
- 対馬海峡の抜け荷は大率が許さないよ。
- 11 :
- 私貿易の舟が唐津に着いたとは限らないな。
- 12 :
- 何のためにわざわざ「女王国より北を検察した」と書いてあると思う?
対馬海峡全域にわたり、不審船を取り締まるためだ。
特に壱岐と対馬の間は距離がギリギリで代替ルートもなく、取り締まりは容易だったろう。
よって、3世紀において倭王の目の届かない私貿易は困難であったと考えられる。
対馬海峡の制海権の確保が天津神(倭王)であるための必要条件だったのである。
- 13 :
- 倭人伝が書いてある記述は、唐津の港での査察は中国や朝鮮半島の国々からの公的な積み荷についてであり、私的な積み荷についての査察ではないようだ。
そもそも、この査察官が対馬海峡の海域警備も行っていた証拠はない。
- 14 :
- >>5
天津神=海(アマ)津神(海を渡って来た(渡来)した貴人)
- 15 :
- 10
高麗が海峡仕切るよ〜になったんそんな古くないぞ
そいからその大卒とやらがどんなとこから派遣されどんな過程で取り仕切っただ?
ならその子孫らに全ての責任を負ってもらうか?
公的に主張するならな
- 16 :
- 全ての罪過を当人に関係あるものらに背負ってもらう
あたりめの話なんだ
- 17 :
- >>15
なんで高麗が出て来るんだ。
大率は倭王の直属だろ。
率と帥は意味も発音も同じとのことなので、大率は大宰の帥と同じ。
倭王に代わり実権を行使する官僚だよ。
伊都から船で出かけて対馬海峡を検察していたのだろう。
- 18 :
- >>17
臨検もしたのかよ。
対馬の私交易舟に襲われて海の藻屑だろな。
- 19 :
- 倭国そのものが、対馬海峡を牛耳っていた海賊が成り上がったものかもしれない。
だから対馬海峡においては敵はない。
- 20 :
- 一大率なんだから一大国の帥だろ
- 21 :
- >>14
無能の遠吠えw
- 22 :
- >>19
それなら、私交易もお手のものだね。
- 23 :
- 要するに海賊だろ
- 24 :
- 21
てめザコだろ
- 25 :
- >>20
率は帥と同じで(率いる)意。
倭人伝では率を名詞として用いているので、(率いる者=将)の意味。
で、一大率=一人の大将の意味。
まあ、(軍隊)の意味だな。
- 26 :
- そんな感じには見えんがな
- 27 :
- てよりかこつけのカスかてめえは?
なんか願望くさい
- 28 :
- 大将の目を盗んで抜け荷をしたらどうなるか、わかるよな?
- 29 :
- >>25
三行目と四行目が一致してないんだけど
- 30 :
- >>24
ゴミのうめきwww
- 31 :
- バカだろおまえw
- 32 :
- 勝手にほざいてグダグダ言ってるんだろw
- 33 :
- 【マッカーサー真っ青】 陸軍第5軍、全軍撤退せよ
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/army/1562651199/l50
- 34 :
- 古事記 巻上-ニの冒頭の訓み下しと口語訳は以下の通り
【原文】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神《訓高下天云阿麻下效此》
【訓み下し】
天地(アメツチ)初めに發(オ)こりたる[之]時(トキ)、
高天原(タカアマハラ)に於(オ)いて、成(ナ)りまし神(カミ)の名(ナ)、
天之御中主(アメノミナカヌシ)
《高(タカ)の下(シタ)なる「天」を訓(ヨ)み、阿麻(アマ)と云(イ)ふ 下(シタ)は此(コ)れに效(ナラ)ふ》
高(タカ) の 下(シタ) な る 「天」 を 訓(ヨ) み、 阿麻(アマ) と 云(イ) ふ 下(シタ) は 此(コ) れ に 效(ナラ) ふ
【口語訳】
天地が初めて発った時に、高天原に成った神の名は天之御中主(注:高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う)
高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う
高 に 続 く 天 は ア マ と 読 み 、 以 下 は 此 れ に 従 う
高+天の場合はアマと読む
高 + 天 の 場 合 は ア マ と 読 む
- 35 :
- >>29
率と帥は同義。
帥は将の意味。
元帥というように、帥は将軍の意味だから、
大率は大将軍。
- 36 :
- >>28
そのように海上警備の目をかいくぐって運び入れる密輸だから、その物品は高値で取引される。
いつの時代も密輸はある。
- 37 :
- 全体としてはわずかに過ぎない。
- 38 :
- >>37
平原の舶載鏡が2面だけで、あとは皆国内鋳造鏡だという研究が正しければ、政府間交易はわずかだったことになる。
- 39 :
- >>38
その平原の舶載鏡も私交易品だった可能性が高い。
- 40 :
- 政府あったの?
- 41 :
- 俺が習ったの九州に呉あたりから流れてきた連中がきて漢字だの使い始めた
九州からは漢字を使った文章みたいなんの遺物が紀元前後くらいから出てない?
海上取り引きでしか漢字を使ったやりとりやらんやん
そいから日本語自体が漢字の書き下し文で発展してきたとこあるからの
- 42 :
- 漢音を使った学問所自体が流行りだしたんが平安時代やぞ
これ主に公家連中相手の学問所ができたんが最初やから間違いなかろ
武家は武家の時代になってから
- 43 :
- 古墳の話なら吉備あたりから広まったんだろ
この形は日本オリジナルで海外にはないからよ
それ以前に出とるんは円墳と方墳
両方をくっつけた前方後円墳が出始めたんが吉備あたり
- 44 :
- >>43
>古墳の話なら吉備あたりから広まったんだろ
なに言ってんの? 倭国(阿波)だよ。
古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、一目で「忌部はん」 のお墓と判るのに、いつまでもwww @阿波
- 45 :
- >>38
直前の他の伊都国の王墓からは大量の後漢鏡が見つかっているが、平原遺跡は一転して国産の鏡ばかりになる。
これはすなわち平原遺跡は後漢滅亡後、倭国大乱より後の卑弥呼の墓だということだ。
- 46 :
- >>40
伊都国には王がいると倭人伝が書いてるし。
しかし、この伊都国の王は後漢や魏に朝貢した節はみられないから、
楽浪郡や帯方郡へ詣でて、そこの市場で鏡などを購入したのかも知れんな。
- 47 :
- ちゃんと後漢から金印をもらっているよ。
漢委奴国王印だよ。
江戸時代まで細石神社が保管していたそうだ。
- 48 :
- 却下だ却下
- 49 :
- >>47
伊都国は、中国や朝鮮半島の役人が倭の国々へ行くときにしばらく逗留するところだった。
倭人伝にそう書いてあるし。
- 50 :
- >>49
途中で道草を食ってはいけない。
滞在したのは、そこが最終目的地(または近接した地)だったから。
- 51 :
- 49
ずいぶん舐めくさった話やん
そんなんが入りこんでいたってか?
あのやろ〜(°▽°)
な
支那人らには問答無用で死んでもらうべえや
キチガイがよ
- 52 :
- https://i.imgur.com/H2hBzsa.jpg
ゴン「ねェ、ゴレイヌは一体どんな修業したの?」
ゴレイヌ「まずゴリラを具現化しようと決めてからはイメージ修業だな
最初は実際のゴリラを一日中いじくってたなとにかく四六時中だよ
目をつぶって触感を確認したり何百回何千回とゴリラをスケッチしたり
ずーっとただながめてみたりなめてみたり音を立てたり、嗅いでみたり
ゴリラで遊ぶ以外何もするなと師匠に言われたからな
しばらくしたら毎晩ゴリラの夢を見るようになってその時点で実際のゴリラをとりあげられた
そうすると今度は幻覚でゴリラが見えてくるんだ
さらに日が経つと幻覚のゴリラがリアルに感じられるんだ
重さも冷たさもすれあう音も聞こえてくる
いつのまにか幻覚じゃなく自然と具現化したゴリラが出ていたんだ」
https://i.imgur.com/Op2taIh.jpg
https://i.imgur.com/2THqZcx.jpg
- 53 :
- ほれほれ変な物語り書いてんなよ(°▽°)
- 54 :
- >>50
目的地に行くまえにしばし逗留したところと、目的地に到着したところとでは、えらい違いだな。
倭人伝は、当然前者だよ。
- 55 :
- >>54
根拠は?
- 56 :
- 他スレでもいたがサルがのさばってるよ(°▽°)
- 57 :
- >>55
「郡使往来常所駐」
郡の使節が目的地への往来の際に、いつも一時逗留するところ。
これ以外に読みようがない。
- 58 :
- 【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?
https://asahi.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1562853581/
- 59 :
- >>57
伊都国に滞在して帰る、つまり伊都国が目的地。
- 60 :
- >>59
往くときに留まり、来くるときにも留まる。
往復の途中に留まるところ。
これ以外に読みようがない。
- 61 :
- >>57
>郡の使節が目的地への往来の際に、いつも一時逗留するところ。
勝手に「一時」なんて追加するなよ。
- 62 :
- >>61
これは、文意を分かりやすくしたもので、あってもなくてもおんなじ。
原文だけなら、>>60の通り。
- 63 :
- 内陸の伊都国(直方辺り)に一大率が置かれた理由を教えて進ぜよう。
大陸からの行きと帰りのルートは異なる。
伊都国(直方)は大陸との往路と復路の分岐点である。
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率(筑紫忌部)が置かれた。
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、「出入国管理局」。
その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。 @阿波
- 64 :
- 邪馬台国から東へ舟で千余里のところに倭種の国がある。
阿波は、その倭種の国の一つだろ。
阿波が邪馬台国なら、東へ舟で行って紀伊水道越えてたら和歌山になるし。
千余里行くには和歌山から紀ノ川遡って吉野、さらに宇陀から鳥羽まで陸行だから。
そして、鳥羽から舟で行くことになるが、二度舟に乗るなんて書かれてないからな〜。
- 65 :
- >>59
邪馬台国に行く道筋として、伊都→奴→不彌が挙げられているし。
- 66 :
- 奴国は大きい国だから見学だろうけど、不弥国へは何しに行ったのか?
基本的には少し足を伸ばしただけで、女王に会いに行くときは伊都国から直接行っただろうね。
- 67 :
- 海人カンケーなくなってて草
- 68 :
- わりわり。
>>39→40で舵が別の方に動いた。
平原の鏡40面のうち2面だけが舶載鏡であとは全部国内産という説もあるから、舶載鏡2面は対馬海峡の海人たちによる私貿易でもたらされたものじゃないかということも推定できるし。
私貿易も朝貢貿易も対馬海峡の海人たちが牛耳っていたのじゃないの。
3世紀前半頃に、対馬、壱岐の海人たちは南北に交易して、その利益で米など生活必需品を購入していたと倭人伝は書いているしな。
伽耶の市場で鏡を仕入れて、それを壱岐経由で唐津へ渡して、高値で売って米などを買ったのだろう。
朝貢貿易のときは、渡し賃として米を要求しただろうな。
- 69 :
- 基本が妄想とか・・・
- 70 :
- >>64
>阿波が邪馬台国なら、東へ舟で行って紀伊水道越えてたら和歌山になるし。
その通り。
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)
>千余里行くには和歌山から紀ノ川遡って吉野、さらに宇陀から鳥羽まで陸行だから。
和歌山も倭種の国だよ。 @阿波
- 71 :
- だからその綿津見の頭領が倭王と呼ばれたわけだよ。
親魏倭王卑弥呼も歴代倭王の一人。
その支配機構が伊都国に置かれた大率。
大率の許可のない抜け荷は基本的には許されなかっただろう。
後の瀬戸の海賊とか朱印貿易とかと同じで、どこまでを公式とするかの線引きの問題だけど。
- 72 :
- 平原遺跡の鏡は、後漢鏡については先代の倭王が下賜されたものを継承したのだろうから、私貿易とは呼ばない。
倭国大乱で後漢鏡の多くが散逸したのかもしれないが。
魏からの鏡は鋳つぶして八咫の鏡にしてしまったのだろう。
- 73 :
- >>71
一大率は伊都国に置かれてないぞ文盲
- 74 :
- >>70
ひえ〜。
“短里”などという遺物、まだ使ってる〜。
遅れとるなあ。
- 75 :
- >>69
倭人伝から導くことのできる最もリアルな対馬海峡海人像が>>68だな。
- 76 :
- >>71
仮にそのような警察機構があったとしても、対馬と壱岐では私交易してると倭人伝が書いているのだから、私交易はあったのよ。
その私交易に鏡が入っていたとしても、それはごく普通のことだな。
- 77 :
- >>76
それも元締めがあってのこと。
さらに銅鏡は倭国と中国の朝廷との間で直接やり取りするものだ。
平原遺跡の後漢鏡の少なさは、平原遺跡が後漢滅亡後の卑弥呼の時代の遺跡であることを明確に示している。
- 78 :
- キナイコシは威信財である銅鏡が私交易でもやり取りされたという根拠を示すように。
- 79 :
- >>77
密貿易では、これこれの物品を持ってくるから買うかどうかという約束ができていて初めて成立する。
話がついているわけ。
- 80 :
- >>78
やり取りされなかったという根拠を示すように。
- 81 :
- >>77
鏡は倭国と中国の朝廷との間でやり取りするものであったとする根拠を示すこと。
- 82 :
- 漢と日本との接点ないからな
- 83 :
- 漢書
楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。
明確に接点があり朝貢しているね。
その見返りとして下賜された前漢鏡も日本各地で見つかっている。
これが朝貢貿易であり、基本的には王と皇帝との間のやりとりだ。
- 84 :
- >>83
倭人が四季の挨拶にやってきたのは、楽浪郡。
前漢の朝廷には朝貢していない。
朝貢していたなら、記録があるはず。
「献見云」は、楽浪郡へ倭人が挨拶に来ているという報告書の記録が前漢朝廷の記録保管庫にあったということ。
また、その際に楽浪郡から返礼が贈られただろうが、その返礼に鏡があったという証拠はなし。
- 85 :
- 投げやりだなこいつら
- 86 :
- 84
日本から楽浪郡に挨拶に行ったなんて記録すらない
伽耶の国に日本から少しばかり渡って向こうにも少しだけ人が住んでいた
ただそおあるだけ
- 87 :
- >>84
>朝貢していたなら、記録があるはず。
>「献見云」は、楽浪郡へ倭人が挨拶に来ているという報告書の記録が前漢朝廷の記録保管庫にあったということ。
つまり記録があったということ。
証拠は漢書。
>また、その際に楽浪郡から返礼が贈られただろうが、その返礼に鏡があったという証拠はなし。
日本国内で大量の漢鏡が出るのが証拠。
- 88 :
- なにが証拠だボケ
- 89 :
- 漢書がどないしたの?
向こうで文献あったからありがたやありがたや(*⁰▿⁰*)か乞食
- 90 :
- 四季四季に挨拶にやってきた倭人に、そのたんびに高価な鏡を贈っていたとは考えにくいな。
絹やその他の貴重材ならまだしも、鏡はないだろうな。
中国では同型鏡(同じ鋳型から鋳造した鏡)は一枚も出てないらしい。
一つの鋳型で鏡を鋳造したら、その鋳型は廃棄して同型鏡は造らないということだな。
とすると、中国でも鏡は目むくほど高価だったことが考えられる。
そんな高価な鏡を、四季ごとに楽浪郡へ挨拶に来る倭人にそのたんびに贈っていたとは考えられん。
市場に出回っていた中古骨董品の鏡なら、また別かもな。
むしろ、楽浪郡に挨拶にやってきた倭人が、市場でそうした鏡を購入して帰ったというほうが考えやすい。
- 91 :
- だから鏡は四国あたりで作られてたんじゃねえの?
- 92 :
- 中国文を刻む場合は必ず韻を踏む
日本から出土した鏡はまったく韻を踏んでない
韻を踏むって意味理解しとる?
- 93 :
- 韻を踏まなきゃまったく意味が通らない文章にしかならない
つまりまったくのデタラメ
- 94 :
- >>91
>だから鏡は四国あたりで作られてたんじゃねえの?
「蓮華谷古墳群(U)二号墳」
前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、 特に銅鏡は?製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。
三角縁神獣鏡の?製・古墳への副葬は、これ以降だろう。 @阿波
- 95 :
- 真似て土産観光レベルの副産物
- 96 :
- 一つ考えられるのは中国の方からいつの時代か分からないが鏡を手に入れた
大量に模造品が作られた、それが日本中に出回った
もちろん書いてある文字みたいなものもまったく意味が通らないものになった
つまり柄扱い
- 97 :
- >>95
>真似て土産観光レベルの副産物
三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られた?製鏡で、全国へ配られている。
根拠:気延山古墳群の宮谷古墳出土三角縁神獣鏡と同笵鏡が、大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳)・奈良(黒塚古墳)・群馬(天神山古墳)で出土している。 @阿波
- 98 :
- 八咫の鏡だっけ?
所以は中国あたりから入手した鏡を模して作った模造鏡かもね( ◠‿◠ )
- 99 :
- そのオリジナルあたりを天皇家が独占みたいなん今はしてるとか?
三種の神器を勝ち取った者が古代に於ける天皇位を争ったらしいからな
つまり三種のなくしていくら天皇名乗ろうが追放処分みたいなん
壇ノ浦で安徳天皇が三種の神器抱えて飛び込んだときに本物失われたみたいな話やなかったっけ?
そのあとは模造品作られたんかもな
ヒスイの勾玉は縄文時代からあったやつ
- 100 :
- >>99
その、「三種の神器」は、倭国(阿波)の専売特許だから。 @阿波
- 101 :
- >>98
八咫の鏡は内行花文鏡。
前漢鏡や後漢鏡にもよく見られた形式であり、漢からの倭王の冊封の証だった。
漢が滅亡すると倭人は自ら巨大な内行花文鏡を製作して、それが引き続き王権の証となった。
天皇家の三種の神器の一つであり八咫の鏡である。
漢の滅亡後、倭国大乱の後に作られた女王墓である平原遺跡にも、八咫の鏡と思われる鏡が副葬されていた。
その女王の候補は卑弥呼しかいない。
- 102 :
- >>90
>四季四季に挨拶にやってきた倭人に、そのたんびに高価な鏡を贈っていたとは考えにくいな。
朝貢貿易って知らないか
>>91
>だから鏡は四国あたりで作られてたんじゃねえの?
九州で作っていたよ。
- 103 :
- >>101
卑弥呼と張り合っていた巫女王じゃないの。
- 104 :
- 張り合っていたのは南側の狗奴国の男王だけですよ。
- 105 :
- >>104
何と言っても、女同士はね。
- 106 :
- >>102
出張所に挨拶だからなあ。
本店に行ったわけじゃないし。
- 107 :
- とりあえずバカはRばよいとしか言いようがないぞ
- 108 :
- 102
そかそかならその朝貢貿易説明してみな
- 109 :
- お前ら海人の話しろよ
- 110 :
- 109
瀬戸内か?
海賊の縄張りだった!そんだけ
海賊ってより海船主体とした私兵集団て方が近いがな
- 111 :
- 「政治的関係による定期的かつ儀礼的な交換を契機に、またそれに付随してさまざまな商業ベースの消費財が交易される機会が作り出されたことは想像に難くない」
こういう状況を想定する学者もいるな。
朝貢交易に伴って、私交易も活発に行われていたとみるわけ。
その私交易を担っていたのが対馬海峡の海人であり、博多などの海人なのだ。
そして、朝鮮半島側にいたのが中国人商人だったということになるな。
こうしたネットワークによって舶載された鏡や剣ほかの貴重材を博多の海人が販売し、それを日本海側の海人や熊本などの海人によって運ばれて行ったということになる。
この海人のネットワークなくして広域交易は成り立たなかったのだよ。
- 112 :
- 瀬戸内締めてた海賊の本家みたいなんが河野一族ちて四国あたりの島々を本拠地としていた
こいつらが平家に味方してただよ(°▽°)
- 113 :
- あとは奥州にいた安東水軍、伊勢あたりを拠点にした九鬼水軍、東海の間宮水軍に関東で有名なのは里見水軍
- 114 :
- 水軍と海人は別モンやんけ
- 115 :
- 消費材?その学者とやらの背景が分からなきゃ意味ない
自分のバックで語るクセがあるからな
- 116 :
- >>115
記述から理解しなよ。
朝貢を契機として私交易が活発になったという意味だよ。
著者は考古学者だから安心するといい。
- 117 :
- 116
だからね、そゆのは認めないの(°▽°)
安心とか変なこと言ってんな
- 118 :
- ふざけた発言してるならその学者やらって話になるんだよ
- 119 :
- >>111
>こういう状況を想定する学者もいるな。
学者ではなく妄想家
- 120 :
- 博多湾の海神の頂点に立つのが天津神、アマテラス。
これが倭王そのものであり、私貿易とは別に朝貢貿易で鏡を得た。
後の天皇家につながる。
- 121 :
- 学者らだよ
- 122 :
- 学者を騙る妄想家
- 123 :
- ここは海人族スレであって邪馬台国スレではありません。
- 124 :
- 時代も場所も被っているのだから仕方がない。
- 125 :
- 仕方ないなんて言葉は存在しない
- 126 :
- >>111
>貴重材を博多の海人が販売し、それを日本海側の海人や熊本などの海人によって
>この海人のネットワークなくして広域交易は成り立たなかった・・・・・・・・・
博多というと中世以後の対宋貿易を話しているの?
中世以前の弥生時代の鉄資材や縄文時代の黒曜石や翡翠珠玉の流通を
海人というか海洋民が、担っていたよ。、
>「政治的関係による定期的かつ儀礼的な交換を契機に、またそれに付随してさまざまな
>商業ベースの消費財が交易される機会が作り出されたことは想像に難くない」・・・・・
政治的関係による・・・交換って、誰と何をなの? 朝貢=交換ではない。
商業ベースの消費財・・・って何?当時の「生産財」とは、何?
この持って回った物言いの学者って、誰なの?
- 127 :
- 玄海灘の漁師たちは朝鮮人などと徒党を組んで犯罪に手を染めていた
異民族であるけれども国外からは倭寇と呼ばれて
まるで倭人が略奪民族であるかのように言われてしまうので
これからは犯罪は止めて欲しい
- 128 :
- それが天津神(海の神)
- 129 :
- >>126
その海人の物流センターが、博多=儺の津。
朝貢という行為によって物品の献上と物品の下賜が行われることを、物品の“交換”と表現しているのだろう。
交換には違いないな。
そして、その商業ベースの“消費財”とは、卑弥呼が献上した物品や、魏の皇帝が下賜した物品などの類の個別的な商取引財がそれに当たるな。
- 130 :
- >>117
認めないとね。
朝貢で頂いたものだけじゃ、皆に行きわたらないし。
- 131 :
- >>128
テンプレで否定されてるのにしつこすぎ(笑)
- 132 :
- >>129
魏志倭人伝によると、朝貢貿易の物品の管理は伊都国で行っていた。
一般の荷は奴国の那津で扱っていたと想定できるので、それぞれ分けられていたことになる。
私貿易と朝貢貿易は港からして区別されていた。
銅鏡は朝貢貿易だけだよ。
- 133 :
- >>130
朝貢貿易の品は、皆に行き渡らせる必要はない。
王族が独占していただろう。
銅鏡などまさにそれ。
生活必需品は那津で私貿易で良い。
- 134 :
- 私貿易と書くから混乱する
物々交換と書けば良い
- 135 :
- 朝貢貿易も物々交換だから、それでは区別できないですね。
却下。
- 136 :
- >>135
無知無能
- 137 :
- おいこら(°▽°)
発言に気をつけろ
- 138 :
- 129
消費財だろ(°▽°)
却下だ
- 139 :
- >>137
図星すぎて発狂カコワルイ
- 140 :
- 北部九州じゃ産物ないから貢ぐ物ないだろ
- 141 :
- 無知無能
- 142 :
- 絹とかを献上してますね。
- 143 :
- かっこわるい!ってなんだそりゃ?
誰がかっこつけの話をしてんだよ
- 144 :
- >>143
バカ丸出し
- 145 :
- >>133
朝貢貿易のない山陰などで鏡が出てるのを、どう説明するのよ。
- 146 :
- >>133
独占したままだったなら、「あ、あいつ、わがばっかり」と評判悪くなり、そのうち王位交代ささせれるの必定。
皆のものだから、ちゃんと分配してこそ皆納得。
- 147 :
- >>145
前漢の頃はバラバラに倭人がやってきて、皆が大夫を自称したとありますね。
後漢になってから、倭奴国の王を代表に冊封しました。
後漢鏡が出るのはその親族です。
- 148 :
- 頭わるげだなマジでよ
こんなバカに関わったらそりゃ病気にもなるわな
- 149 :
- >>147
仿製品だよ。
- 150 :
- 倭奴国王は倭国の代表じゃないよ
名前も書かれないから非倭人
- 151 :
- >>150
呆れた。
- 152 :
- 後漢書倭伝は共立された卑彌呼の邪馬臺國を倭国の代表として最初に書いている
極南界の倭奴国が朝賀した時代に九州島には倭人の風習の卜骨は一欠けらも出ていない
魏志倭人伝でも従属している伊都國王の名は書かれない
- 153 :
- 宝物と鏡を祭祀を結びつけて価値を創出し物々交換
これで沿岸地域を手なずけ渡来人を入植させる
この方法論を2世紀に確立させたのだと思うんだよね
それで土着弥生民の国力が高かった機内と結び付くことで強勢を得る
瀬戸内や和歌山などの沿岸では元来巨岩信仰だけど機内や内陸部は山岳信仰
これは伊都国と筑後平野の祭祀対象の違いと被る
この辺りも考察材料かなと感じる
- 154 :
- 邪馬台国ネタと魏志倭人伝ネタは専スレがあるんだからそっちでやれよ
- 155 :
- >>152
>魏志倭人伝でも従属している伊都國王の名は書かれない
王名曰卑弥呼
- 156 :
- >>153
>瀬戸内や和歌山などの沿岸では元来巨岩信仰だけど機内や内陸部は山岳信仰
>これは伊都国と筑後平野の祭祀対象の違いと被る
ええと、どっちがどっちかわかりにくいけど、伊都の高祖山信仰が畿内大和の山岳信仰、肥前の巨石信仰は瀬戸内の巨石信仰でいいのかな?
すると天孫族が筑紫の日向の伊都から大和の橿原に移転して、その後に伊都に卑弥呼政権が誕生でいいよね?
- 157 :
- 邪馬台国ネタと魏志倭人伝ネタは専スレがあるんだからそっちでやれ
- 158 :
- >>156
ちゃんと調べてないので雰囲気でだけど、海人族の系統としての基本は巨石信仰で瀬戸内や和歌山沿岸を経由して太平洋沿岸に続き、その系統に追従して山岳信仰の系統が上陸するようなプロセスを感じる
山岳信仰派はより鏡を祭祀対象としての価値を高めたのに対し、巨石信仰派は伊都国や隠岐島的な宝物の一つとして鏡の価値を捉えてたような印象
- 159 :
- 鳴門市・板野郡(旧板野郡)には,きわめて重要な遺跡群がある。 このような特異な遺跡群は畿内にも九州にも存在しない。
萩原墳丘墓・・・前方後円墳のルーツ,2号墓で中国鏡の破片・中国の朱,1号墓で画文帯神獣鏡の副葬
阿王塚古墳・・・2面の画文帯神獣鏡の副葬(宮内庁所蔵の優品)
天河別古墳群,西山谷古墳群・・・国内最古級の古墳を含む古墳群
黒谷川郡頭遺跡・・・朱の精製,弥生後期〜終末期の県内最大級の規模の住居遺跡
鳴門市大代古墳・・・甲冑の出土
これらの遺跡群の真の重要性はまだ一般には知られていない。 @阿波
- 160 :
- >>158
そこまで明確に分けられないのではないかな。
筑紫の天孫族と肥国の卑弥呼で分けても、沖ノ島のアマテラスの祭祀も岩上だし、肥前は巨石パークだし、どちらも共通の要素を持つのだろう。
- 161 :
- >>156
そこで東遷説がなんで出てくるのよ。
大和政権の誕生に北部九州は無関係だからね。
- 162 :
- >>160
どちらにしても、磐座信仰は古墳時代になってから。
- 163 :
- 証拠をもって遡れるのがそこまでだという話にすぎない。
おそらくは原始の信仰のありようなので、もっと古くからあっただろう。
- 164 :
- >>161
大和政権そのものが、故地は筑紫の日向と明言している。
無関係ということはできない。
- 165 :
- 邪馬台国ネタと魏志倭人伝ネタは専スレがあるんだからそっちでやれ
- 166 :
- >>163
磐座信仰の前は、御前(みさき)信仰。
これは山の尾根の先端を御前として、そこに神が宿るとする考え。
この段階では、巨岩に神が宿るとする信仰はみられないような。
原始に行くほどに、神は岩から離れていく。
- 167 :
- >>164
大和の王の出身地が南九州ということ。
日向は南九州。
北部九州が日向とは聞いたことがない。
海人のルーツが南九州。
大和の王は海人がルーツということになるな。
- 168 :
- 筑紫の日向の小戸が福岡市西区小戸。
博多湾沿岸が弥生文化の発祥の地、倭国建国の地、倭王の王都。
- 169 :
- >>168
>筑紫の日向の小戸が福岡市西区小戸。
違うだろ。 「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」 阿波の阿南市橘あたりが禊の地。
>博多湾沿岸が弥生文化の発祥の地、倭国建国の地、倭王の王都。
「丹」の採れないところに、「倭国建国の地、倭王の王都」など在る訳がない。 以上。 @阿波
- 170 :
- 鉄器がない畿内説
丹がない九州説
鉄器も丹もある阿波説 @阿波
- 171 :
- >>170
狗奴国はどこよ。
- 172 :
- >>1が読めんのか?
> ※推奨NGワード
> 「@阿波」「忌部」
荒れるだけで何も得はないんだから妄想キチガイの相手するなよ
- 173 :
- >>171
狗奴国は、阿波の南部地方(長国)。 阿南市周辺だね。
狗奴国(長国)は、辰砂の山 と 豊かな海の資源を持つ強大国なんだよ。
鉄器がない畿内説
丹がない九州説
鉄器も丹もある阿波説 @阿波
- 174 :
- >>172
>荒れるだけで何も得はないんだから妄想キチガイの相手するなよ
阿波説にビビってしまっているスレ主。 ワハハハハは @阿波
- 175 :
- >>173
丹が出るのは倭国ではなく、狗奴国だったと。
倭人伝は「(倭)国に丹あり」と書いてなかったか。
で、その丹を出す若杉山は阿南市にあった。
なるほど、辺鄙に鉄の鍛治炉がたくさんあって原料の鉄材が外から供給されていたのは、丹のお陰だったのだな。
狗奴国は裕福だったということになるな。
ところで、阿南市の名は阿波の南という意味だな。
- 176 :
- 魏書の言う「丹」って辰砂限定なんだっけ?
赤色顔料全般が丹じゃないの?
辰砂は真珠と明記されてるでしょ?
- 177 :
- >>176
中国語の丹は丹砂のこと。
水銀と硫黄の化合物という。
忠国語の丹にはベンガラは含まれないのではないか。
- 178 :
- >>176
>赤色顔料全般が丹じゃないの?
ああ、だから九州の古墳はベンガラなんだね。 ワハハハハ @阿波
- 179 :
- >(吉備の内側削りで薄く仕上げる)庄内式・布留式土器
器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法は、阿波の「東阿波型土器」が元祖だよ。 @阿波
- 180 :
- >>176
それで合ってるよ
- 181 :
- >>176
>赤色顔料全般が丹じゃないの?
ああ、だから九州の古墳はベンガラなんだね。 ワハハハハ @阿波
- 182 :
- 「其山有丹」でも阿波。 「橘」でも阿波。 「楠」でも阿波。 なにがどう転んでも、阿波。 @阿波
- 183 :
- 『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。
この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。 @阿波
- 184 :
- そもそも、卑弥呼のような大王墓は奈良盆地や福岡平野のような平地なんぞに築かない。 神は山稜に宿るもの。
ましてや、前方後円墳など何をか言わんや 無礼極まる話である。 @阿波
- 185 :
- 板野命婦」(いたののみょうぶ)
生年:生没年不詳。
奈良時代の女官。粟凡直国造若子とも。 外従五位下。 藤原房前の七男 楓麻呂を出産。
阿波国板野郡貢上の采女で,光明皇后の御所に仕え、写経事業のための経典貸借などの責任者として活躍し、造東大寺司との連絡係などを務めた。
出家し、尼となった。 <参考文献>『正倉院文書』、「板野命婦」(『角田文衛著作集』5巻)
「板野命婦」も8世紀の奈良遷都に伴い、天皇家に付き従い、阿波国板野郡から奈良の都へ移住したとみられる。 @阿波
- 186 :
- 【祓詞】
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
倭国(阿波)の「竺紫(とくし)」で、倭国(阿波)の「阿波岐原」
高らかに、倭国(阿波)を讃えている。 @阿波
- 187 :
- 奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。 @阿波
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
ttp://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354
- 188 :
- 論語間違ってるけどなw
奈良は7世紀前半の木簡が出てる
- 189 :
- >>188
>奈良は7世紀前半の木簡が出てる
ウソはイカンぜよ。 @阿波
- 190 :
- 皆知ってる
- 191 :
- なんじゃそれ? わははははは @阿波
- 192 :
- チマチョゴリ阿波は徳島のことしか知らんな
- 193 :
- >>184
3世紀前半、平地に墳丘墓があるのは尾張と纏向だけ。
そのほかは全部、山の尾根筋。
尾張は前方後方型で、纏向は前方後円型。
尾張は2世紀後半からそれがみられる。
前方後円墳のルーツが尾張の前方後方型なのは明らか。
卑弥呼の墓が纏向にあるはずがないな。
- 194 :
- >>187
隋書では、倭王のもとへ行く使節団が「海岸」に着くまでに海を渡った記述がない。
ずっと陸伝い。
その「海岸」へ倭王の歓迎団が馬に乗ってやってくる。
馬は、明石海峡や鳴門海峡泳いで渡れんし。
- 195 :
- 3世紀前半に大和型庄内甕の模倣製作が始まる博多の那珂八幡古墳(TB期)は平地
- 196 :
- 2世紀後半の瀬田の周溝墓は円形墳丘の南側に台形の陸橋がついた前方後円型
- 197 :
- >>195
那珂八幡古墳は平地だが、3世紀後半ないし4世紀初頭。
- 198 :
- >>196
瀬田の周溝墓は、基本的に瀬戸内東部系の突起付き円墳。
その突起は東田大塚古墳の前方部にそっくりで、円墳部は箸墓の後円部に似て整円形。
2世紀後半は奈良研の独自編年。
3世紀後半築造だろうな。
- 199 :
- >>198
3世紀後半築造は誰の説だよ
- 200 :
- >>192
キチガイに触るなよ
テンプレに従ってNGワードに「@阿波」「忌部」を入れとけ
- 201 :
- 海人言ったらなにが浮かぶ?
- 202 :
- 神武天皇は日向なんだよな〜
- 203 :
- 南海道だろ
- 204 :
- >>199
おめら、学者が唱えた説しか認めんのか。
それ、受け売りというものじゃんか。
独自説だしてみろよ。
- 205 :
- >>201
アマテラス(海を支配する王)
- 206 :
- >>193
尾張名護屋も、「東海忌部」。 以上。 @阿波
- 207 :
- >>193
「萩原2号墓:弥生末期の三重構造埋葬施設を確認」 徳島
全国で珍しい「積石木槨」構造が確認された萩原2号墓=徳島県鳴門市大麻町萩原
徳島県鳴門市大麻町萩原の萩原2号墓で、板材でつくった墓室・木槨(もっかく)を積石(つみいし)で囲んだ三重構造の埋葬施設が確認された。
14日発表した県教委と県埋蔵文化財センターによると、築造は弥生時代終末期の2世紀末〜3世紀初頭で、邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍した時期に一致する。
石で木槨を囲う例は、他には弥生墳丘墓と前方後円墳の過渡期的存在とされるホケノ山古墳(奈良県桜井市、3世紀前半)だけで、同古墳の構造に影響を与えたのは確実。
前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料となる。
墳丘は直径20メートルの円丘に、方形の突出部が付いた形態。円丘の中心に棺を納め、15〜20センチの砂岩を積み重ねた壁で囲ったうえ、その外側に40〜60センチの砂岩を積んで、全体を覆っていた。
埋葬施設は東西6.5メートル、南北4.1メートル。朱を内側に塗った木槨を、砂岩を積み上げた壁2層で覆った構造だったとみられる。
一方、ホケノ山古墳には中間に石の壁はなく、木槨を石で囲う二重構造。
徳島、香川両県には石清尾山(いわせおやま)古墳群(高松市)など、石を積み上げた古墳時代前期の積石塚が点在。「画文帯(がもんたい)神獣鏡(しんじゅうきょう)」などの中国鏡も出土、瀬戸内で勢力を広げた有力豪族がいたらしい。県教委は「阿波や讃岐の墳丘墓が奈良盆地東南部での前方後円墳の発生に大きな影響を与えたことが確実になった」としている。(毎日新聞)
http://www2.odn.ne.jp/kofun/hagiwara.htm
- 208 :
- >>205
くどすぎる
このスレでは(天=アメ)≠(海人=アマ)が確定
- 209 :
- >>208
それは奈良時代以降
- 210 :
- アメテラスとは読まないし。
- 211 :
- 中国朱が検出された萩原墳墓群・天河別神社古墳群のある地域を支配していた有力者は
当時、魏と交流していたことが窺える。
その、魏の水銀朱が使われた萩原古墳群から出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群から出土の斜縁二神二獣鏡
魏から下賜された鏡は、この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかの可能性が高い。 @阿波
- 212 :
- 古事記(天武を支えた海部系)と日本書記(不比等)の違いだな
- 213 :
- >>206
その海人忌部の宗家が薩摩阿多。
火明命は薩摩阿多の日神の別れ。
丹後の海部も火明命なので、おんなじ。
海部は阿南からの北上組と@阿波説。
つまり、阿波忌部も宗家薩摩阿多の別れ。
- 214 :
- >>213
>つまり、阿波忌部も宗家薩摩阿多の別れ。
その真偽はともかく、邪馬台国の時代は忌部一族の時代。 @阿波
- 215 :
- >>211
若杉山産の地元の丹より中国産の丹のほうが上質だったということだな。
中国産の上質の丹が私貿易の対価として倭に渡っていたことが考えられる。
その中国産の丹が回りまわって萩原の部族が入手したということもあるしな〜。
- 216 :
- >>215
>若杉山産の地元の丹より中国産の丹のほうが上質だったということだな。
違う。 まさか、邪馬台国で丹が採れるとは、魏も思っていなかったからだよ。
だから、邪馬台国は、のちの朝貢で、これ見よがしに、負けじと丹を献上している。 @阿波
- 217 :
- 四国チョンコに触るなよ・・・
- 218 :
- >>211
?製鏡 三角縁神獣鏡は、この斜縁神獣鏡をお手本として、?製したものだろう。 @阿波
- 219 :
- >>211
仿製鏡 三角縁神獣鏡は、この斜縁神獣鏡をお手本として、仿製したものだろう。 @阿波
- 220 :
- >>219
そんなふうな話もあるな。
しかし、造った場所は大和だがな。
- 221 :
- >>220
>しかし、造った場所は大和だがな。
しかし、大和には魏の朱といっしょに埋葬された斜縁神獣鏡はないよ。 お手本が無いんじゃ仿製しようがない。 ワハハハハ @阿波
- 222 :
- >>221
斜縁神獣鏡は奈良県内の8か所の古墳でみつかっているな。
一方、徳島県は2か所の古墳でみつかっている。
保有率は奈良県のほうがはるかに多い。
- 223 :
- 海人は海流に逆らって船を漕ぐためにマッチョ体型だった
長崎の離島で出土「マッチョ弥生人」は何者か?短躯だが骨太で筋骨隆々
https://www.j-cast.com/tv/2018/09/28339822.html?p=all
“マッチョ”な弥生人 その正体は!?
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1114.html
> 弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で
> 古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。
> “マッチョ”な理由を探ってみると、古代人たちの知られざる営みが見えてきました。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_eyecatch.jpg
- 224 :
- そして>>223と同様のマッチョ古代人は渥美半島の保美からも見つかっている
保美の縄文人研究でも、2位につけたのが北部九州の玄界灘集団だというから恐らく同族だろう
日本一「マッチョ」な男は“渥美半島”にいた!縄文人800人比較 | ハザードラボ
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/6/26178.html
https://readyfor.jp/projects/koukai2/announcements/84232
> 最後に補足ですが、図中のGは保美に次いでマッチョだった縄文男性なのですが、北部九州の玄界灘集団です。
渥美(アツミ)の語源は阿曇(アズミ)と言われている
北部九州の志賀島を本拠地とする阿曇族は、縄文時代には既に東海にまで拠点を持っていたわけだ
https://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
- 225 :
- ちなみに>>224の2つ目の研究ではサヌカイトが畿内の内陸部にある二上山由来としているが恐らく違うだろう
サヌカイトは日本語名を讃岐岩というくらいなので香川の特産品である
その香川のサヌカイト鉱山は海のすぐそばなので、海人にとっては内陸の二上山まで歩くよりもこちらのほうが交易上都合が良かっただろう
http://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/image/733.gif
渥美半島の縄文人は穏やかな内湾の伊勢湾を渡って徒歩で二上山に行ったのではなく、黒潮の激流に逆らって四国まで船で行っていたために
異常なほどマッチョになったと考えたほうが辻褄が合う
- 226 :
- >>224
>北部九州の志賀島を本拠地とする阿曇族は、縄文時代には既に東海にまで拠点を持っていたわけだ
どうみても南方起源だろw
- 227 :
- 古墳人は高身長で華奢
マッチョな海人は高貴な身分にはなれなかった
- 228 :
- :;」
- 229 :
- この図の緑の丸印が弥生時代の南西諸島産貝(ゴホウラ・イモガイ)の出土状況である
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/img2011/kai448-thumb.jpg
東は渥美半島周辺に印があるので、やはりここまでは古くから阿曇の手が伸びていたようだ
それより東の黄色の丸印は古墳時代に入ってからなので、古代の貝交易からの推測では弥生時代にはおおむね東海までが
阿曇の勢力が及ぶ範囲だったように思われる
関東の赤い丸印(オオツタノハ)は東の海人が伊豆諸島の南部で採取したものと思われるが、オオツタノハは南西諸島でも採れるので
西日本の赤い丸印(オオツタノハ)は関東との交易によるものか南西諸島由来かは不明であるが、
中間の瀬戸内海沿岸には分布が無いことや地理的条件を考えると後者の可能性が高いだろう
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
- 230 :
- なおオオツタノハ貝について、かつてはオオツタノハは北緯30°が北限とされ、遥か南方の鳥島までしか生息していないと思われていたが、
近年の調査により伊豆諸島の南部でも生息が確認されている
これにより東日本に分布の偏るオオツタノハが関東由来であることがほぼ確実となった
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note25.htm
> 伊豆諸島の貝類調査を開始したのは1999年でした。
> そしてついに足かけ10年におよぶ調査によって生きたオオツタノハの「捕獲」に成功し、東日本では従来からオオツタノハ生息の条件と言われていた
> 北緯30°よりも遥かに北の伊豆諸島南部海域にも分布する事実がつきとめられたのです(写真5・図7、忍澤2011)。
- 231 :
- >>226
どこをどう見たのか知らないが、マッチョなのは渥美半島と玄界灘の集団だ
- 232 :
- >>231
マッチョな人骨は渥美半島の縄文貝塚と弥生時代の西北九州で出てるんだろ
で南西諸島の貝輪が運ばれてる
- 233 :
- >>232
玄界灘は西北九州ではないし、縄文人だと明記されている
https://readyfor.jp/projects/koukai2/announcements/84232
> 最後に補足ですが、図中のGは保美に次いでマッチョだった縄文男性なのですが、北部九州の玄界灘集団です。
- 234 :
- >>233
西北九州沿岸のマッチョな人骨出土地マップはあるが
玄界灘集団の出土地データが無い
沖縄諸島には貝輪の加工遺跡がある
- 235 :
- >>234
>図中のGは保美に次いでマッチョだった縄文男性なのですが、北部九州の玄界灘集団です。
日本語が読めないのか?
はっきり北部九州の玄界灘集団だと書いてあるわけだが
データが欲しければプロジェクトに問い合わせたら?
沖縄には北部九州から貝を取りに行っていたのだから遺跡があるのは当たり前
加工遺跡は薩摩など九州本土側にもある
現地加工もあれば材料だけ持ち帰って九州で加工する場合もあった
- 236 :
- >>235
「現段階では十分な検討はできていませんが、
この地域は朝鮮半島との交流があった可能性が疑われる場所であり、」とは書いてるが
沖縄まで貝を採りに行ったとか、渥美半島に移住したなど書いてない
- 237 :
- >>236
なんだただのアスペか
>>229を見ろよ
- 238 :
- >>237
他所で出たものを全部自分のとこが起源のように考えるな
- 239 :
- 海人族の話をしろってw
- 240 :
- >>238
イミフ
頭おかしい人か
- 241 :
- >>240
妄想を否定されると興奮するアスペはお前だろ
- 242 :
- >>239
海人族は縄文時代には既に北部九州から東海まで進出していた(>>224)
その通り道である瀬戸内海も当然支配下に置いていたし、日本海も制していた(>>229)
この状況下で畿内勢力に海外との交易は不可能
よって邪馬台国は畿内では無いことが確定したのである
ではどこなのか、と言えば南海産貝の最大の消費地である北部九州
この図の「貝の消費地 北部九州の弥生のクニグニ」と書かれた辺りとなろう
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
- 243 :
- 渥美半島と奈良県吉野川の宮滝遺跡の縄文人、ベトナムの古代人のDNAが極めて近い位置にあると科学博物館が分析結果を公表していたよな。
しかも、渥美半島と吉野川宮滝遺跡は貝文土器でつながっており、この貝文土器は薩摩阿多発祥の貝文土器が祖形だとみられている。
薩摩阿多など南九州の海人は、縄文早期末には東海地方などへも移動していることが分かっている。
皆、南九州系の縄文人だよ。
上半身がマッチョなのは、子供の頃から丸木舟を漕いで海上交易を生業にしていたからだとみられているな。
- 244 :
- 結局のところ、海に囲まれた倭国から海外に出ていけたのは航海術を持つ海人しかなく
その海人の本拠地が北部九州であるという事実は古代における九州の優位性を確実なものとしている
- 245 :
- >>242
北部九州で南海産の貝輪が多く出るのは弥生時代
福岡で盛行した甕棺墓の人骨は高身長、マッチョな人骨は低身長
西北九州弥生人、南九州の人骨は低身長
- 246 :
- >>245
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
図の解説にある通り、南海産の貝交易が始まったのは弥生時代だからな
当たり前のこと
それより前の縄文時代に既に阿曇は東海にまで達していたというのが>>224
話をごっちゃにするなよ
甕棺墓は主に平野部の農耕遺跡で海人の墓じゃない
- 247 :
- >>246
>それより前の縄文時代に既に阿曇は東海にまで達していた
根拠なし、妄想
- 248 :
- https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3
この図の伝阿曇居住地(水色の丸印)を見ると、北部九州の海人・阿曇によって畿内は完全包囲されていたことが分かる
独立を最後まで保ったのは山に囲まれた奈良盆地だけで、盆地の外の河内などはもう北部九州勢力に占領されていた
だから弥生期の製鉄遺構は奈良盆地の外ばかりに存在する
つまり近畿の製鉄遺構は進出してきた北部九州勢のものだということが分かる
中心地のはずの奈良に鉄製品が僅少なのはこのためである
実際、畿内の目と鼻の先の淡路島の製鉄遺構からは北部九州系のカエシの付いたヤスが見つかっている
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
- 249 :
- >>247
>>224を否定する根拠がゼロ
お前が妄想
- 250 :
- >>249
縄文時代の北部九州沿岸は遺跡も少ないし、何も盛行していない
- 251 :
- >>250
ソースなし
妄想乙
- 252 :
- >>251
お前の妄想はお前がソース出せ
渥美半島の次に骨が太いだけだろw
- 253 :
- >>248に加えて、近江の状況からも阿曇が邪馬台国の頃には既に近畿を制していたことが分かる
3世紀以前にはもう阿曇が近江に移住済みだった
瀬戸内海側も近畿の北側も阿曇の勢力圏であった以上、やはり邪馬台国時代にはもう独自勢力は奈良盆地から紀伊半島にかけてしか
残っていなかったと見るべきだろう
https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
>
> しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> 安曇川の源流を見下ろすようにそびえている。
- 254 :
- >>252
もう出してるが健忘症かね?
渥美(アツミ)の語源は阿曇(アズミ)と言われている
北部九州の志賀島を本拠地とする阿曇族は、縄文時代には既に東海にまで拠点を持っていたわけだ
https://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
- 255 :
- >>253
近江には関連地名が多く存在して、福岡は1ケだろ?
- 256 :
- >>254
>>250をもう1回読め
- 257 :
- >>255
安曇の本拠地が志賀島なのは周知の事実なんだがこいつはナニを言ってるんだ?
- 258 :
- >>256
>>251をもう100回読め
- 259 :
- >>22
>斜縁神獣鏡は奈良県内の8か所の古墳でみつかっているな。
しかし、大和には魏の朱といっしょに埋葬された斜縁神獣鏡はないよ。 お手本が無いんじゃ?製しようがない。 ワハハハハ @阿波
- 260 :
- >>225
>黒潮の激流に逆らって
いやいや、黒潮は沖合を流れていて、沿岸は流れていない。 沿岸航行すれば、黒潮に逆らうこともないよ。 @阿波
- 261 :
- >>229
どちらにせよ、神社や伝承、地名で痕跡を残しているのは、阿波の「忌部一族」のみ 。 阿曇一族?とやらも、「忌部はん」ということだ。 @阿波
- 262 :
- >>244
>その海人の本拠地が北部九州であるという事実は古代における九州の優位性を確実なものとしている
それは、ない。
神社や伝承、地名で痕跡を残しているのは、阿波の「忌部一族」のみ 。 @阿波
- 263 :
- 海人族は交易の民なのだから、初期は土地を征服する考え方よりも在地民の産物を交易するために沿岸に寄生したのだろう
奈良はその条件から外れていてかつ豊かな土地だったので東海方面から川を遡って三輪山の麓に大市を展開した
それが巻向遺跡
物資供給は初瀬街道かな
ある時期からは船で渓流や山間を越える技術が用いられ、内陸の豊かな地域に到達した
その文化の名残が諏訪大社や伊勢に見られるお木曳きだろう
沿岸交易から急発展するのはこれが要因だと思う
- 264 :
- >>263
>奈良はその条件から外れていて
よって、卑弥呼時代に、奈良盆地が発展する余地なし。 卑弥呼以後、奈良盆地は「忌部はん」 の墓地と化した。 @阿波
- 265 :
- >>263
>その文化の名残が諏訪大社や伊勢に見られるお木曳きだろう
その諏訪大社や伊勢神宮も、元社は倭国(阿波)という落ち。 @阿波
- 266 :
- 筑紫の日向は福岡県
- 267 :
- >>266
いくら、駄々をこねても、無駄。
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 わははははは @阿波
- 268 :
- >>259
中国朱と斜縁神獣鏡の相関関係が不明だけどね。
- 269 :
- >>268
よく読んでね。 倭国(阿波)は凄いんだよ。 @阿波
「萩原2号墓」出土の水銀朱と同様に「天河別神社古墳群」2号墓および4号墓には中国貴州省産の水銀朱が使用されていました。
鳴門市大麻町 天河別神社(追記)
http://goutara.blogspot.jp/2013/12/blog-post_22.html
- 270 :
- 中国産と考えられている辰砂は
弥生中後期の北部九州沿岸から北陸の日本海沿岸地域で出土している
- 271 :
- 弥生時代後期(紀元1〜2世紀)は中国産の朱が地域の中心となる王墓に使用され,
弥生時代終末期(紀元3世紀)は中国産と日本産の混在
あるいは日本産の使用に転換している。
さらに古墳時代前期(3世紀後半以降)になると日本産朱の使用に画一化
されることが硫黄同位体分析から推察される。
- 272 :
- >>270
いずれにせよ、「弥生中後期」は、卑弥呼時代より、前だね。 残念。
そして、北部九州は「其山有丹」に該当しないことがよく分かる。 @阿波
- 273 :
- こっちも四国チョンコ来てんのか(笑)
- 274 :
- >>271
>弥生時代後期(紀元1〜2世紀)は中国産の朱が地域の中心となる王墓に使用され,
「若杉山辰砂採掘遺跡」では、縄文時代から辰砂を採掘していたようなので、弥生時代後期(紀元1〜2世紀)でも、若杉山の朱が倭国(阿波)周辺で使われていたのは確実。 @阿波
- 275 :
- 日本に原爆投下を命令したトルーマン米大統領「猿(日本人)をバカに変えて我々が飼い続ける」(ゆるねとにゅーす 2016年8月17日)
https://ameblo.jp/damedamewanko2/image-12418438163-14301569564.html
- 276 :
- つまり卑弥呼の頃に国内でも朱が産出するようになったと。
しかし精製などのことwp考えると、王墓には中国産を使用した、つまり平原が卑弥呼の墓で良い。
- 277 :
- >>276
>つまり卑弥呼の頃に国内でも朱が産出するようになったと。
だから、縄文時代から と、何度言えばw @阿波
「若杉山辰砂採掘遺跡」では、縄文時代から辰砂を採掘していたようなので、弥生時代後期(紀元1〜2世紀)でも、若杉山の朱が倭国(阿波)周辺で使われていたのは確実。 @阿波
- 278 :
- 平原1号墓の築造は卑弥呼の遣使の30年以上前
- 279 :
- >>277
出たwチョンコ特有の循環論法www
- 280 :
- >>279
>つまり卑弥呼の頃に国内でも朱が産出するようになったと。
だから、縄文時代から と、何度言えばw @阿波
「若杉山辰砂採掘遺跡」では、縄文時代から辰砂を採掘していたようなので、弥生時代後期(紀元1〜2世紀)でも、若杉山の朱が倭国(阿波)周辺で使われていたのは確実。 @阿波
- 281 :
- >>278
根拠なし
- 282 :
- >>281
学者の年代を拒絶した2ch名無し編年は根拠にはならない
- 283 :
- >>282
学者も適当に言っただけ。
- 284 :
- >>283
お前が無知だからそう思うだけ
- 285 :
- 土器も出ていないような遺跡の年代を正確に判断できる人などいない。
- 286 :
- >>279
>つまり卑弥呼の頃に国内でも朱が産出するようになったと。
だから、縄文時代から と、何度言えばw @阿波
「若杉山辰砂採掘遺跡」では、縄文時代から辰砂を採掘していたようなので、弥生時代後期(紀元1〜2世紀)でも、若杉山の朱が倭国(阿波)周辺で使われていたのは確実。 @阿波
- 287 :
- >>285
ど素人がケチつけてるだけで
学問レベルでは名無しの年代案などは無い
- 288 :
- 名無しの年代案ってなに?
- 289 :
- 2chの名無し
- 290 :
- 後漢鏡が減って国産鏡ばかりになっていることから、平原遺跡は倭国大乱の後の女王墓だよ。
- 291 :
- >>290
それが2chの名無し編年連呼
- 292 :
- >>286
ウケるwww
- 293 :
- そもそも中国の銅鏡は小さいものが多く直径20センチを超えるような大型鏡は少ないんだが、その上
魏の領内には目ぼしい銅鉱山が無かったから魏は銅不足に苦しみ貨幣の改鋳もろくに出来ない状態が続いた
当然銅鏡なんて作る余裕はほとんどなく、魏晋時代の役人の墓に副葬されているのもごく小さい鏡ばかり
直径20センチ超の大型鏡である三角縁神獣鏡なんて魏がくれるはずがない
<コラム>三国志時代の銅貨幣から邪馬台国を検証する
https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20190606059/
> 後漢以降「魏・呉・蜀」の三国時代になると、呉や蜀の貨幣(銅銭)は稀に見られるが、魏時代(曹操以降)の貨幣がなかなか見つからないのが実情であった。
> 山田勝芳「貨幣の中国古代史」によると、後漢末「董卓」による悪銭(董卓小銭)流通により市場経済は混迷した(西暦191年)。
> その後の洛陽を都とした魏国(曹操)は、董卓小銭を廃止して漢代からの五銖銭を標準貨幣にしようと鋳造を試みるが、銅原料が洛陽周辺から手に入らず、
> また燃料炭(木炭)も長い戦災によって極度に不足、銅銭による貨幣経済安定が得られない状況であった(写真3は曹魏五銖)。
> その反面、呉は揚子江周辺(華中)、蜀では成都の西南部で銅鉱石が掘られ「直百五銖:写真1左」・「太平百銭」・「世平百銖:写真1右」や
> 「大泉五百:写真2左下」・「大泉当千」・「大泉二千:写真2右上」などの銅貨幣が鋳造された。
> これらの筆者が集めた大型銅銭を見るにつけ、銅銭鋳造すらおぼつかない「魏」では、銅鏡をつくることは不可能であったろうと推定する。
>
> 強大な兵力を有する「魏」は西暦263年に「蜀」を滅ぼし、西暦265年には魏の実権を握っていた司馬炎による晋王朝(西暦265年〜316年)が樹立、
> 西暦280年にはついに「呉」を滅ぼし、ここに三国時代は終了する。
> ようやく安定した銅鉱石を入手して安定した銅鋳造が可能になったのは、西暦263年以降280年代に入ってからである。
> そうなると、景初2年(西暦238年)に卑弥呼に下賜した100枚に銅鏡は、魏の時代というより漢時代に作られた漢王朝の「漢鏡」を提供したと考えるのが普通であろう。
- 294 :
- >>293
>直径20センチ超の大型鏡である三角縁神獣鏡なんて魏がくれるはずがない
中国朱が検出された萩原墳墓群・天河別神社古墳群のある地域を支配していた有力者は
当時、魏と交流していたことが窺える。
その、魏の水銀朱が使われた萩原古墳群から出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群から出土の斜縁二神二獣鏡
魏から下賜された鏡は、この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかの可能性が高い。
ぼう製鏡 三角縁神獣鏡は、この斜縁神獣鏡をお手本として、ぼう製したものだろう。 @阿波
- 295 :
- >>294
ウケるwww
- 296 :
- >>269
中国産朱が入手できるだけ阿波は裕福だったということだね。
しかし、その阿波では斜縁神獣鏡が2面しか出土していず、
一方、奈良では同時期の斜縁神獣鏡が6面(それより少し新しい時期のものがさらに2面)が出土している。
卑弥呼の倭国だった阿波では2面しかなく、隣の奈良では6面も出ているのは、主客転倒ではな〜いの。
- 297 :
- >>296
>卑弥呼の倭国だった阿波では2面しかなく、隣の奈良では6面も出ているのは、主客転倒ではな〜いの。
なにをとぼけたことを言ってるんだい?
魏からもらった100枚の斜縁神獣鏡を、奈良へ進出した大和忌部に下賜したものだよ。 有難く、倭国(阿波)本国に感謝したまえ。 大和忌部の末裔さん? @阿波
- 298 :
- >>297
斜縁神獣鏡は全国で53面出土している。
このうち阿波のと同じ古いのが35面で、新しいのが18面。
その35面のうち2面が阿波にあり、6面が奈良にある。
27面がその他だね。
阿波倭国は2面しか手元に置かなかったと?
卑弥呼は欲がなかったのかな〜。
- 299 :
- >>298
全53面のうち北朝鮮に5面あるし。
北朝鮮へも倭国が分けてやったの?
- 300 :
- >>298
>卑弥呼は欲がなかったのかな〜。
そうなんだろうね。
下賜するために、ぼう製するお手本だけあれば、よかったんじゃないの? わははははは @阿波
- 301 :
- >>300
ウケるwww
- 302 :
- >>299
>全53面のうち北朝鮮に5面あるし。
倭国(阿波)に下賜する鏡を 北朝鮮で作ったからじゃないの? @阿波
- 303 :
- >>302
ウケるwww
- 304 :
- >>302
楽浪郡では卑弥呼に贈る鏡を造った際、5面をネコババしたと解釈していい?
- 305 :
- >>304
いや、105枚作ったんだよ。 贈ったのが100枚。 5枚は予備。 わはははは @阿波
- 306 :
- 新羅の4代目王は倭国のタバナ国(丹波国か)の出身だからな
2代目王の南解次次雄と博多住吉神の中筒男のつながりも意味深だ
(どちらもナカツツオと読める)
俺はこのナカツツオが金印を印綬された倭国王だと思ってるんだよな
- 307 :
- 新羅の王になったなら、倭王ではないだろう。
倭国の分家というだけ。
金印はやはり本国である博多湾の王であるべきで、イザナギの方がふさわしい。
ただ、年代的に疑問もあるので、ニニギかもしれない。
- 308 :
- イザナギは高天原の神なので博多湾にはいない
- 309 :
- >>305
ウケるwww
- 310 :
- >>308
筑紫の日向の小戸で禊をした。
- 311 :
- >>310
それ、帥升だよな。
- 312 :
- イザナギが帥升だと?
個人的には帥升がニニギ。
まあ、どちらも断定的ではないけどね。
どれも同じ博多湾の倭王なので、わずかな年代比定のズレで人物の比定が変わってきてしまう。
- 313 :
- 海人族の話をしろよ
- 314 :
- 博多湾沿岸の海神の王の話だよ。
- 315 :
- 鮮人と考えることが同じ
- 316 :
- 私が今まで言ってきたことがやはりほぼ主流になりつつありますな。
当時は散々みなさんにばかにされましたが。
糸島の特に志摩は今の天皇家の故郷であり聖地。
邪馬台国は福岡平野にあり、30余国は福岡平野のクニムラの数。
奴国が卑弥呼時代の邪馬台国の南限であり北限は半島南岸。
狗奴国は久留米付近にあり、あるいみ倭国内であり元は福岡平野の国々とは同盟を結んでいた倭国内の国。
卑弥呼時代に今の基山、三国境付近を界に争っていた。
南九州は熊襲。あるいみ倭国とは別。
天孫族はのちに志摩や伊都から邪馬台国の中心部福岡平野の国々を従えた。
国生みや神産みはそれを正当化するための物語。
大国主は遠賀川流域におり直方付近と思われる。
大国主を追い出して大国主は出雲へ追放。
大国主に従えていた宗像三女神は天照大神とスサノオの儀式で天孫族に支配されるべきことを正当化される。
六ケ岳や宗像の猿田峠はその証。
神武天皇は初め福岡の京都郡で福岡県東部の大国主一派の豪族たちを取り込む戦いをしていたが、関西への東征を決意し
福岡平野にもどり筑紫より東征開始。
こういった事がのちの真実にきっとなりますよ。
by筑紫倭皇帝
- 317 :
- 帥升はスサノオだろ
金印倭奴国は帥升より50年前
2世代前の人間
- 318 :
- 四国チョンコにつづいて新たに痛いのが住み着いたな・・・
- 319 :
- このスレもわたしの説が浸透したからできたスレなのですよ。
お忘れなく。
筑紫倭皇帝
- 320 :
- しかし当時はわたしが博多湾岸の豪族たちことを散々力説しましたが散々ばかにされましたね。
それが今じゃわたしの説のおかげでこのようなスレが立ってることを嬉しく思います。
筑紫倭皇帝
- 321 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 322 :
- >>316
>糸島の特に志摩は今の天皇家の故郷であり聖地。
糸島の伊都の方でしょう。
>奴国が卑弥呼時代の邪馬台国の南限であり北限は半島南岸。
そらは後漢の頃。
卑弥呼の時代はもうすこし南に広いはず。
理由は後述。
>狗奴国は久留米付近にあり、あるいみ倭国内であり元は福岡平野の国々とは同盟を結んでいた倭国内の国。
問題は、福岡平野だけでは奴国でいっぱいで、その他の30カ国をいれる余地がないことです。
- 323 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 324 :
- >>317
金印がイザナギ、帥升がニニギくらいの方がいい。
スサノオは出雲の方にいたとすると、博多湾沿岸の倭奴国の王にはなれない。
倭王ではあったのだろうけれど。
- 325 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 326 :
- 海人と後漢書、魏志倭人伝と記紀の神代は時代と場所が丸かぶり。
- 327 :
- >>316
>糸島の特に志摩は今の天皇家の故郷であり聖地。
もし、糸島が天皇家の故郷であれば、倭国(阿波)に替わって践祚大嘗祭の麁布を調進しているよ。 天皇家に対し、無礼千万。 @阿波
- 328 :
- >>324
帥升は倭面土国だぞ
倭奴国じゃない
倭面土国は魏志倭人伝に出てこない国
邪馬台国連合の範囲外
つまり東福岡(遠賀川)〜山陰(出雲)だろう
- 329 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 330 :
- 忘れてはならないのは、記紀では扱いが軽い綿津見、大山祇(この二人は兄弟だ)も、おそらく博多湾沿岸の倭王であり、倭奴国王の候補だということ。
記紀は諸般の理由で傍系にも焦点を当てている。
- 331 :
- 金印の倭奴国=半島南部〜博多=住吉族=ナカツツオ=新羅2代目王
帥升倭国=倭面土国=東福岡〜出雲=スサノオ
(倭奴国を盟主として金印を与えていたため帥升は金印もらえず)
邪馬台国連合=半島南部〜九州
倭奴国の後継国家として金印を貰う
高天原=馬韓
卑弥呼=馬韓の卑弥国の王族
狗奴国の卑弥弓呼も卑弥国王族
倭国大乱=半島での扶余の南下により馬韓諸国が崩壊して日本列島に馬韓諸国の難民や王族が押し寄せたことをきっかけとした混乱
倭奴国は宗主の地位を失う
- 332 :
- そもそものきっかけは後漢の崩壊
後漢の崩壊により扶余が南下して馬韓が日本列島に流れ込んだんだろう
- 333 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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- 334 :
- 神功皇后が住吉大神と密通して新羅を征服しにいったのも、
それが二人にとっての「故地奪還」だったからだわな
もともと新羅は住吉族の土地で、神功皇后の実家の息長氏も新羅が出自
- 335 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
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- 336 :
- チョンコネタはチョンコスレでやれ
- 337 :
- 遺物も遺伝子も朝鮮半島から北部九州に流入するのは紀元前だから
戦国時代の騒乱がきっかけだろう
- 338 :
- 呉の太伯の子孫だからな倭人は
だから全身に刺青してた
- 339 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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- 340 :
- >>337
2018年、木村資生記念進化学セミナー 第1回「Human Evoluion I」
https://kimuraseminar.files.wordpress.com/2017/08/20170804_humanevol1_saitoun.pdf
発表者である国立遺伝学研究所の斎藤成也教授はNHKの取材に対してハッキリと弥生系渡来人の定義を「中国大陸からやってきた」断言してる
https://i.imgur.com/UJZubVQ.jpg
https://i.imgur.com/2YKTJN4.jpg
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によって、朝鮮ヒトモドキ要素はゼロと判明
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_20190303075459.html
朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明
https://i.imgur.com/3uWM5cK.jpg
従来のY遺伝子D系統におけるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/mLgiqTd.jpg
https://i.imgur.com/1Yl4qgn.jpg
https://i.imgur.com/fQ7qJ4s.jpg
Y遺伝子(父系)のD2はアイヌ88%、沖縄56%、日本本土42〜56%、チョン半島0%
従来のミトコンドリアDNAならびにY染色体DE、O2b1とO2b*によるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/YlzY3cM.jpg
チョンコはミトコンドリア(母系)においてニッポン人女性と牝ヒトモドキに差異はないとホルホルするが、アジア全体で大きな差はない
また有史以来、チョンコロ半島の国々は貢ぎ物として牝ヒトモドキを大量輸出していた実績があり、その伝統は近年の第五種補給品まで続いていた
なおM7aがニッポン人女性の特徴と言える
結論:ニッポン人にとってチョンコは距離的には近くても血統的には非常に遠い存在
- 341 :
- 篠田謙一教授の核DNAY染色体の解析から父系は縄文系が多いという結果
が出たのは青谷上寺地の人骨だな
北部九州弥生人は日本列島で飛び抜けて朝鮮人に近い
佐世保の西北九州弥生人も縄文人直系ではなかった
- 342 :
- 朝鮮人に異常に近い遺伝子をもつ北部九州で盛行した甕棺墓集団は
九州東部に拡散することもなくど没落し
全羅南道で5世紀くらいまで存続する
北部九州に見られる頭部切断埋葬も日本列島に拡がることはなかった
- 343 :
- 日本語 主語→目的語→動詞
韓国語 主語→目的語→動詞
中国語 主語→動詞→目的語
倭猿と文化的に近縁なのは?ww
- 344 :
- >>342
一部が新羅王家となったということと同義だね。
別の末裔は畿内で天皇家になったのだね。
なぜ甕棺を捨てたのかな?
- 345 :
- >>344
このように鮮人の起源説と考えることがまったく同じ
- 346 :
- >>343
SOV型(主語 - 目的語 - 動詞)は世界的に最も多く見られる語順
https://ja.wikipedia.org/wiki/SOV%E5%9E%8B
- 347 :
- 文章の話をしているの?あまり関係無いと思うんだけど
あと、どのスレだったかな、
人のことを朝鮮(韓国)人認定したり、何やら〜と言っている人がいたりw
もれ(仮)の知っている金、朴〜・・・?
という人などがいるでしょ、日本人ではない
- 348 :
- どちらが、おかしな事を言っているんだと思う?
例えば
家が朝鮮、韓国人で?・・・某や某が日本人w
- 349 :
- >>346
多いか少ないかは関係ないよな
中国語と日本語は似てない
日本語と韓国語は似てる
って言ってるだけで
- 350 :
- >>349
日本語のSOV型は世界的に最も多い語順
文化的に近縁かどうかはSOV型とは関係ない
- 351 :
- 関係あるだろ
中国から人間、文字、文化が伝わったというなら、文法体系もある程度は似た形で伝わっているはずだろ
- 352 :
- >>351
日中の文法体系の違いから、
中国から人間、文字、文化が伝わったのが限定的であるという推察ならわかるが
同じSOV型だから文化的に近縁かどうかは関係ない
- 353 :
- 中国と韓国、どっちが文化的に近縁なのかは、「類推」はできるだろ
1変数でも類推は可能
その相関係数の大きさはどれくらいかは別問題としてな
- 354 :
- >>353
それは言語類型だけではわからない
- 355 :
- もちろん総合的に見る必要はある
しかし一部分だけ取り出しても意味はある
なぜなら総合的に見る、ということは一部分を見ることの総和だからだ
- 356 :
- SOV型 日本語など。世界の言語の約50%を占める。
SVO型 英語など。世界の言語の約40%を占める。
VSO型 アラビア語など。世界の言語の約10%。
語順は主にこの3種しかないので
文化的に近縁かどうかは関係ない
- 357 :
- たとえば、ある人間を、情報だけで「男か女か」当てるとする
情報によると、ある人間の身長は175センチとのことだ
ならば、ある人間は男である可能性のほうが高いだろう
なぜなら身長が175センチある女はとても少ないからだ
このように、「1変数」だけでも類推することは可能だ
信頼性の高い低いは置いといて
- 358 :
- >>356
関係なくはないだろう
たとえばヨーロッパなんかは「印欧語族」といって、民族の移動による文化伝播からその分布になる
- 359 :
- >>357
身長と性別の関係の話はしていない
- 360 :
- 民族の移動による文化伝播をベースに考えるなら
中国北方民族→朝鮮半島→日本
というルートが想定される
これは「扶余族」の移動ルートである
- 361 :
- >>359
1変数でも類推は可能だという話をしている
- 362 :
- >>358
ヨーロッパでドイツ語、オランダ語はSOV型
- 363 :
- >>361
していない話の例を作られても困る
時間の無駄
- 364 :
- いやドイツ語の文法は複雑やん
イッヒリーベディッヒ
↑
これはSVOやし
- 365 :
- >>363
お前の理解力が足りないだけ
- 366 :
- >>365
お前が関係ない話にすり替えてるだけ
- 367 :
- >>364
ドイツ語、オランダ語は SOV-V2 であり、
スウェーデン語、アイスランド語、イディッシュ語は SVO-V2
- 368 :
- ヘイトスピーチうざい
- 369 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
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- 370 :
- 書き直し
記紀では扱いが軽い綿津見、大山祇(この二人は兄弟で、いわゆる海神)も、おそらく博多湾沿岸の倭王であり、倭奴国王の候補だということ。
記紀は諸般の理由で傍系であった高天原のアマテラスや出雲の大国主を物語の主軸に据えているだけ。
- 371 :
- 綿津見(海の神)と大山祇(山の神)の兄弟は、海幸彦と山幸彦の兄弟と同じ意味。
さらにはアマテラス(海を照覧する)と大国主(陸の主)も同じ。
兄弟での分割統治でもしていたのだろう。
ワダツミとアマテラスが同じ意味だから、ワタとアマはどちらも海の意味。
- 372 :
- 記紀はヤマト王権が書いたものだから
1世紀に北部九州で盛行した甕棺墓は韓国の全羅南道で存続するので
玄海の海人の古代は全羅道の古文書や伝承から
探ったほうがいいんじゃないかな
- 373 :
- 中国側の史書でも
北部九州と推定されている後漢書の倭奴国にしても
倭人伝の女王國に従属した伊都國にしても非倭人の王名は書いていないからね
- 374 :
- >>372
ヤマト王権も九州北部の海神の末裔だということ。
甕棺墓はおそらく天孫族の墓制。
- 375 :
- 日本人とは違う民族性が表れてる
- 376 :
- 海運業なんだよね
決して農耕民族から発達したものではない
土着農耕民に交易と軍事的守護を担われた結果覇権を確立する手法
後の世で言うと鉄道会社が沿線を発展させる手法に近い
- 377 :
- 倭人伝に書かれた共立祭祀女王とまったく異なる作り話王国だな
- 378 :
- 農耕民と漁撈民の融和が倭国成立の過程なんだよ。
- 379 :
- >>376の作り話は融和じゃないじゃん
- 380 :
- >>377
卑弥呼共立より前の話だからね。
- 381 :
- 天孫族のそんなやり方も限界にきて、急速に豊かになってきた豊国が政権を取ったのが邪馬台国。
しかし内紛により卑弥呼と卑弥弓呼の二人の王が並び立ってしまった。
- 382 :
- >>380
北部九州の甕棺墓集団は卑弥呼共立より前にど没落した
- 383 :
- 思い付きの新説だけど
近江伊勢遺跡や出雲みたいに近隣首長が集まるいわゆる神々の集いの遺構は、それぞれの生産物を宝物や銅器、鉄器と交換するための集まりと考えると府に落ちるんだよね
だから遺跡には生活の痕跡がなく、無事に交易が完了するための祭祀跡が残る
そしてそれらが海人族の進出と共に生まれた文化と考えると時代的にも符合する
そのための物資輸送の重要拠点はやはり隠岐島や九州北部になるわな
あと宇佐から瀬戸内に入るルート
- 384 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 385 :
- >>382
それが倭奴国だろう
住吉神として残った
- 386 :
- >>383
「市」だわな
フリーマーケットだわ
その主催者が大国主で、通貨が「銅剣」だったわけだ
- 387 :
- で、そんなデカい「マーケット」を開けば、各国の「営業部長、購買部長クラス」が集まるわけで
それをもって「神が集まった」と言ったわけだわな
「マーケット」が開催される月には、各地から偉い人が出雲に集まるから出雲では「神在月」
出雲以外からは偉い人がいなくなるから「神無月」と
- 388 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
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- 389 :
- 神無月ではなく本来は神奈月だとのこと。
秋に行う理由は稲作の収穫の祭りをだからだが、農耕民と漁労民が物々交換していた可能性はある。
流石に銅剣は武器だから流通ではなく大国主の管理下だろ。
荒神谷遺跡は出雲の国譲りで武装放棄した時のものかもしれない。
- 390 :
- >>383
伊勢遺跡の円周上の建物は、二十四節気暦に対応しているようなので、この祭祀施設は基本的に稲作儀礼の施設だろうね。
祭祀施設の外では市が立っただろうけど。
これは、大和の纏向遺跡と同じパターン。
纏向遺跡も二十四節気暦に基づいた稲作儀礼と施設の外での市がセットとなっていたようだ。
- 391 :
- >>390
>伊勢遺跡の円周上の建物は、二十四節気暦に対応しているようなので
そんなもの、そこが特別なところじゃないよ。 @阿波
「西長峰遺跡:弥生時代中期の大形掘立柱建物 分銅形土製品」 徳島県阿波市阿波町
竪穴住居跡が26棟、掘立柱建物跡(14棟大型のものを含む)。
西長峰遺跡は、中心の建物を取り巻くように中小建物を放射状に計画配置しているもので、纏向の大型建物群が軸線をそろえて並行に配置されているのとは、また別だな。
西長峰遺跡の建物は、弥生中期後半から後期初頭にかけての遺跡。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023030/
- 392 :
- 祭祀をしていたのも、伊勢遺跡だけじゃないよ。 倭国(阿波)のまねごとを「忌部はん」 が伊勢遺跡でしていただけ。 @阿波
「石井・井ノ元遺跡」
「古墳時代前期 土器群が出土」 「祭祀用など250個以上」
「石井の井ノ元遺跡」
石井町教委は15日、石井町石井の井ノ元遺跡から古墳時代前期(4世紀前半〜半ば)の土器群が出土したと発表した。
県内で同時期の土器がまとまって出土するのは初めてで、町教委は「土器によって年代を決定する編年研究の基準資料となり得る」としている。
土器群は地下約1.8mで見つかり、南北10m、東西35mにわたって帯状に広がっていた。
完全な形を残す物だけで250個以上あり、うち7割を祭祀用と思われる小型丸底壺や高坏が占める。手ごね土器や石製小玉、鉄製鍬先なども発掘された。
町教委は、祭祀後に土器を捨てた場所と推定し、近くに祭祀が行われた遺構が存在するとみている。
南側に渡内川があることから、水の神を祭る祭祀が行われていた可能性もある。
今回照査したのは約1500m2。西側に隣接する石井幼稚園の改築工事に伴い、5月から掘削に取り掛かった。
近世(18〜19世紀)から古墳時代前期にかけての4面の遺構が確認され、土器群のほか、
江戸時代の藍商屋敷に設けられていた石組み井戸や屋敷外の水田、飛鳥〜奈良時代の素掘り墓35基なども出土した。
奈良時代の水田を形成する溝の方角が8世紀前半〜中頃の条里制と一致することから、
石井町域でも阿波国府域と同時期、条里制に基づいて開発が進められていることも分かった。
町教委の菅原康夫文化財指導員は「今回見つかった土器群は、祭祀の内容や古墳時代の土器の様相を考える上で貴重な資料となる」と話している。
2017年11月16日 徳島新聞朝刊転記 @阿波
- 393 :
- >>390
纒向の方はそこまで言うのは無理じゃない?
- 394 :
- 「樋口遺跡」
弥生時代終末期の集落遺跡
眉山の南西の麓、園瀬川の自然堤防上に営まれた集落遺跡。 1983年(昭和58年)以降数次にわたる発掘調査により、弥生時代の終末期の竪穴住居跡や奈良時代の掘立柱建物跡などが見つかっている。
竪穴住居跡からは土器や石器など多数の遺物が出土しており、中でも東阿波型土器が多く含まれる点は遺跡の大きな特徴である。
そのほか注目すべきは、赤い顔料である朱が付着した土器が多数出土していることである。 これらの土器の分布範囲は広く、人々の交流が活発であった様子がわかる。
樋口遺跡の集落内には、幅広い交易に関わった人々が暮らしていたのであろう。 @阿波
樋口遺跡 http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%C8%F5%B8%FD%B0%E4%C0%D7
- 395 :
- 「芝遺跡」
第3遺構面では弥生時代前期後半以降頃の遺構と遺物を検出した。
中期中頃〜後半にかけての円形周溝墓を4基検出し、
時期が確定できる円形周溝墓としては、県内初出となった。
この内、円形周溝墓1は直径約11メートル、溝幅が最大約2メートルを測り、陸橋を持つ。出土遺物は陸橋周辺に集中して出土しており、
結晶片岩を含む吉野川下流域産と考えられる土器がほとんどを占め、若干の在地土器が混じる。
この他、周溝墓の可能性のある溝も検出しており、この時期の集落内墓地であった可能性が考えられる。
また、弥生時代後期中頃と推定される竪穴住居では、炉跡内から鉄切片・小破片が出土し、炉跡底面に焼土面が広がっていた。
そのため、本炉跡は鍛冶炉跡と推定され、U類(村上1998)にあたると考えられる。
この他、サヌカイト片や特殊なものとして朱付着石杵も出土しており、この朱は水銀朱であることが確認されている。
したがって、竪穴住居では石器・鉄器・朱を扱う工房跡であった可能性が指摘でき、阿波南部地域に鉄・朱が伝わっていたことを実証できる好資料である。 @阿波
- 396 :
- >>393
そうでもない。
纏向の大型建物群の中心軸は、東西線に対して南へ5度程度振っている。
この東西線に対する5度の傾きは、二十四節気暦の啓蟄点に対応している。
3棟の大型建物が軸線を揃えて啓蟄点に向けて建てられているということは、その日に最大の稲作儀礼が行われたことを示している。
- 397 :
- >>396
妄想や行き過ぎた推論はSF板かオカルト板でやってください。
- 398 :
- >>391
西長峰遺跡の建物の配置図がみつからん。
- 399 :
- >>396
計測がアバウトだっただけだろ。
啓蟄なんて稲作に意味を持たない。
- 400 :
- 巻向は大市と呼ばれてたと言われているからそのままその通りだったと思う
交易の利潤が当時の税みたいなものだったのではないかな
それを納めて管理するのが伊勢神宮などの倉庫形態の建造物だから後の世に神社のシンボルとなるみたいな
因みに鳥居や注連縄も南方起源と言われてるからその辺りまとめて海人の習俗とも言えるだろう
だってさ、土着農耕弥生民の環濠集落にはその遺構は見つからないからな
- 401 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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- 402 :
- >>400
掘っ立て柱式倉庫は、近江の下之郷や筑後の吉野ケ里ほか列島全域にみられるし。
伊勢神宮の社殿は、伊勢遺跡の円周上建物がルーツ。
神様を収納する施設として掘っ立て柱倉庫を利用したことから、のちに神社の本殿とされるようになった。
このことは、伊勢神宮の社殿と伊勢遺跡の円周上建物にともに芯柱が設けられていることで分かる。
このような芯柱は、他の掘っ立て柱の倉庫にはみられない。
- 403 :
- >>399
冗談?
啓蟄は、気候が暖かくなって土中から虫が這い出てくる時期の意味。
農作業の準備を始める時期に当たり、全国の農業従事者が啓蟄を目途にして、畑などに出るようになる。
この啓蟄点に沈む夕陽に向けて、纏向遺跡の大型建物軸線をそろえて建ててあるの。
夕方から夜を徹して大農事開始祭を行ったのだろう。
なんといっても、当時は農業が基幹産業だったからな。
- 404 :
- >>397
ノンノン。
これはオカルトではなく、弥生後期から各地の王の主要祭祀となる二十四節気に基づいた稲作などの農業祭祀。
纏向連合政権は加盟国が多かったから、その祭祀が盛大になった。
つまり、纏向の場合は、啓蟄点の祭祀が連合の最重要祭祀となった。
そして、加盟各国の在地でも同様の祭祀が同じ日に行われたはず。
- 405 :
- 邪馬壹国、学術的には否定されてるからよ
日本にあったってのがな
- 406 :
- 学術で否定されてんだよ
調べりゃ調べるほど否定される結果にしかならないの
- 407 :
- 倭人伝でも書かれている鯨面や南方習俗とかをみて思うのは、土着弥生民、海人族、渡来系の三位一体共生が弥生終末期の実態ではないかと感じることだ
その中心にあるのは「技術伝播による生産性の向上」と「共同の祭祀形態=経済圏の確立」ですね
それぞれの異文化を認め合いつつ共存できるというのは、基本的に征服ではなく職業的住み分けと緩いヒエラルキーを残した融合が合理的に行われた結果なのではないだろうか
- 408 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
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- 409 :
- 弥生系を土着と言われても違和感がある。
海人と渡来系をどう分けているのかもわからない。
渡来した時期の違いで区別するなら、別の呼び方がないものだろうか。
縄文系以外はすべて弥生時代=神代に渡来した部族のはず。
- 410 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 411 :
- >>407
「技術伝播による生産性の向上」と「共同の祭祀形態=経済圏の確立」を有機的にネットワーク化したのが海人の海運力だな。
この海人の伝統的な広域海運ネットワークなくして、弥生後期〜終末期の社会変革は成り立たなかった。
- 412 :
- >この海人の伝統的な広域海運ネットワークなくして、弥生後期〜終末期の社会変革は成り立たなかった。
つまり、この海人族とは、阿波の「忌部はん」 なり。 @阿波
- 413 :
- >>412
いんべ〜!!!!!!
- 414 :
- >>412
まだお里自慢の逆立ち妄想に取り憑かれとるんかwww
- 415 :
- >>414
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 反論できる人は、はい、どうぞ。 @阿波
- 416 :
- 阿波くんも白旗でしょ
だって、「海人族が阿波に住み着くまで」の話だもん
もともと紀元前後には朝鮮半島の銅器や南九州のホラ貝、北陸のヒスイなんかが交易品として日本列島に出回ってて
その時期は邪馬台国阿波説を取ったとしても阿波なんてその主役では全然ない
- 417 :
- >>412
海人族が阿波に住み着いて忌部氏族になっていっただけ
もとは住吉だよ
新羅系の住吉族と
馬韓系の卑弥族
- 418 :
- >>416
>だって、「海人族が阿波に住み着くまで」の話だもん
なに言ってんの? 「忌部はん」 は8世紀に奈良大和へ遷都するまで、倭国(阿波)で王政をしているよ。 ワハハハハは @阿波
- 419 :
- >>417
>もとは住吉だよ
そのもとは、倭国(阿波)の海人族だよ。 住吉海人族なんて、どこにも痕跡を残していない。 ワハハハハは @阿波
- 420 :
- 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 反論できる人は、はい、どうぞ。 @阿波
- 421 :
- >>419
だから、阿波に住み着くまでの話だっつの
- 422 :
- 紀元前の遺跡ないだろ?阿波には
九州にはあるんだよ
で、九州の遺跡から南九州のホラ貝や北陸のヒスイ、大陸の銅器が出てくる
だからその拠点間を結ぶ海人族のネットワークがあったってことだろ?
阿波とは関係なくな
- 423 :
- >>422
>紀元前の遺跡ないだろ?阿波には
頭、大丈夫かね? 初心者? @阿波
- 424 :
- >>421
いくらがんばっても、「其山有丹」で決着済み。 阿波に住み着こうが着くまいが、もう終わってるよ。 ワハハハハ @阿波
- 425 :
- はい逃げ
邪馬台国論争のときは具体的に神社や遺跡について語るのに、
>>423こういう中身なし罵倒でしか反論できない時点で負け
- 426 :
- >>425
>紀元前の遺跡ないだろ?阿波には
>こういう中身なし罵倒でしか反論できない時点で負け
縄文時代でいいかい?
「加茂宮ノ前遺跡(上)」
阿南市加茂町にある加茂宮ノ前遺跡のは発掘調査では注目すべき成果がいくつもあった。
その一つに縄文時代後期(約4千〜3千年前)の集落跡の発見を挙げることが出来る。
集落跡からは、竪穴住居2軒のほか、屋外炉(火を燃やした跡)、土坑などが見つかった。
注目されるのは、県内で初めて確認された円形配石遺構16基だ。
1基の円形配石遺構は、直径が1〜3m。
人の頭よりやや大きい砂岩の河原石を円形に並べたもので、円の内部には小石や、白色の小円礫(砂利)が敷き詰められていた。
また、16基あるサークルが一部重なり合っていることや出土した地層に高低差があることから、全ての円形配石遺構同時期に作られたのではなく、長期間にわたって順に造られたと考えられる。
配石遺構は、主に祭祀施設として利用されたと考えられる。
縄文時代前期から中期(約7千〜4千年前)ごろ、中部地方を中心として直径が50mを超えるような環状列石(ストーンサークル)が造られるようになった。
後期に入ると、その分布は東北地方にまで広がる。
一方、西日本では、こうした大型の環状列石は造られることはなく、代わりに小型の円形配石遺構が造られた。
しかし、発見された遺構は極めて少ない。
円形配石遺構が竪穴住居に近接している加茂宮ノ前遺跡の場合、日常生活と祭祀をした場所が一体として発見された稀な例として、全国的に注目されている。(県埋蔵文化財センター事業課長・氏家敏行)
2019年(令和元年)6月30日 徳島新聞朝刊
- 427 :
- じゃあ阿波じゃん
- 428 :
- >>425
>紀元前の遺跡ないだろ?阿波には
>こういう中身なし罵倒でしか反論できない時点で負け
ついでに、卑弥弓呼(狗奴国)時代もどうぞ。
「加茂宮ノ前遺跡(下)」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡は、那賀川の右岸、標高24〜26mの自然堤防上に立地している。
発掘調査で弥生〜古墳時代集落の中心部を確認した。
それ以前の調査成果と合わせ、竪穴住居が約100軒発見されたことになる。
県内の他の弥生時代集落では、鉄器が製作されたとみられる竪穴住居は各集落の中で1,2軒程度しかない。
ところが、加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居の約半数では、鉄器を生産していたことを示す鍛冶炉が複数設けられていた。
生産に関わる道具類と鉄鏃などの製品も出土した。
背景には、水銀朱の生産との関連が考えられる。
これまでの発掘調査で、石臼や石杵といった水銀朱の生産に使った道具類のほか、原材料となる辰砂が大量に出土している。
その流通ネットワークを通じて、当時の最先端技術だった鉄器の製作法とその原料の鉄が持ち込まれたと推測できる。
加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居からは、稀少な装飾品も多数発見された。
この時期の県内の他の遺跡からは、ガラス小玉や凝灰岩製管玉などが数点しか出土していない。
加茂宮ノ前の集落が繁栄していた証といえる。
県内の弥生時代中期末の鍛冶炉の発見例は、県内では加茂宮ノ前遺跡が初めてだ。
それ以外は鳴門市大麻町の光勝院寺内遺跡、徳島市名東町の名東遺跡、徳島市国府町の矢野遺跡など、いずれも吉野川下流域の遺跡に限られていた。(県埋蔵文化財センター専門研究員・田川憲)
2019年(令和元年)7月 1日 徳島新聞朝刊
- 429 :
- >>425
>紀元前の遺跡ないだろ?阿波には
>こういう中身なし罵倒でしか反論できない時点で負け
縄文時代をもうひとつ
「矢野遺跡」
徳島南環状道路建設に伴い1992〜98年に行われた発掘調査で、縄文時代後期初頭(約4千年前)の遺構面から見つかった。
このうち、土面は縦15.8センチ、横16.7センチ、厚さ1センチのほぼ円形で、粘土で作られている。穴を開けて目や口を作り、鼻や眉も付けている。
用途は定かではないが、祭祀で使われた可能性がある。土面としては国内最古で、最も西の地域の出土例となっている。
土器は煮炊き用の深鉢や盛り付けに使われた鉢、つぼなど。関東の土器に見られる文様だけでなく、近畿から九州北部の広範囲で確認された文様が混じっている。
祭祀で使われた赤色顔料「水銀朱」が付着しているものもあり、国内最古の水銀朱の使用例として注目されている。
石器にはやじりなどの狩猟道具や食物加工用具がある。最も多いのは石の重りの石錘で、網にくくりつけて漁労に使ったほか、編む際の重りなどに使われたとみられる。
文化審議会は「縄文時代最古級の土面や、水銀朱の使用例が含まれ、西日本における縄文時代中期末から後期の生活の様子を示す資料として貴重だ」としている。
2019年(平成31年)3月19日 徳島新聞朝刊
- 430 :
- でも喜界噴火で全滅したんでしょ
- 431 :
- >>425
>紀元前の遺跡ないだろ?阿波には
>こういう中身なし罵倒でしか反論できない時点で負け
>>425さんは負けて逃げたの? >>430さん @阿波
- 432 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
- 433 :
- 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 反論できる人は、はい、どうぞ。 @阿波
- 434 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 435 :
- >とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
海人族も、倭国(阿波)の「忌部はん」 。 @阿波
- 436 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 437 :
- 古代日本の海人は一つの系統しかない。
1万2000年前に中国南部から拡散を始めたY-O1aの種族がその同時期に南九州にも到達して先住の縄文人と同化した。
彼らは南九州から北上して1万年前には済州島まで北上し、また東は四国や瀬戸内海の明石付近にまで進出していた。
この種族の本拠地であった南九州が、屋久島北海域にあった巨大カルデラの7300年前の大爆発による火砕流によって壊滅したが、
この際に生き延びた者たちが各地へ避難し、海上交易を生業とする最初の海人となった。
そして、巨大カルデラの大爆発による降灰が収まった300年後には、避難していた者たちが再び南九州の本拠地に帰還した。
南九州の南方系文化はカルデラの大爆発によって途絶してしまったのではなく、帰還者たちによってそのまま復活継続していたことが分かっている。
この帰還の時期は、縄文前期初頭ということになる。
つまり、その後、南海産の貝殻を北海道まで運び、また新潟の勾玉を西日本へと運んだ海人交易者は、この南九州を本拠地とするY-O1a系の海人だったということだ。
そして、日本書紀が熱心に皇統のルーツが南九州にあると書き記した理由は、ヤマト王権のそもそもの権威が南九州のこの海人に発していることを示すことにあったのだ。
博多の奴国や筑後山門の卑弥呼政権に日本のルーツがあるのではないと宣明したわけである。
では、博多の奴国や筑後山門の卑弥呼政権は何なのかということになるが、日本書紀の主張では奴国や卑弥呼政権は南九州海人の分家の一つであって、宗家海人のそもそもの正統はヤマト王権に受け継がれているということなのである。
それが、日本の海人政権の真の姿だということだな。
わははははは。
- 438 :
- >>437
>南九州の南方系文化はカルデラの大爆発によって途絶してしまったのではなく、帰還者たちによってそのまま復活継続していたことが分かっている。
根拠の提示希望
- 439 :
- >>437
そういう、妄想話にはぜんぜん興味が湧かない。 @阿波
- 440 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 441 :
- >>438
轟A型と轟B型の土器について、学者の考えをぐぐってみるとよい。
- 442 :
- >>439
これが歴史の真実だな。
- 443 :
- >>442
歴史の真実は、邪馬台国は倭国(阿波)と言うこと。 @阿波
- 444 :
- >>443
いんべ倭国〜!!!!!!
- 445 :
- >いんべ倭国〜!!!!!!
歴史の真実は、邪馬台国はいんべ倭国〜!!!!!! と言うこと。 @阿波
- 446 :
- >>445
倭の邪馬台国は筑後山門。
阿波はいんべ倭国。
別物だにゃ。^^
- 447 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 448 :
- >倭の邪馬台国は筑後山門。
なにそれ? どっかのお寺の山門? わははははは @阿波
- 449 :
- >>448
山門はヤマトじゃなくて、ヤマドな。
サンモンは四文の前だから。
^^
- 450 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 451 :
- 邪馬台国はブラックホール
その前後1000年の歴史議論を全て飲み込み邪馬台国論争になってしまふ
- 452 :
- >その前後1000年の歴史議論を全て飲み込み
いや、考古学が、歴史の真実を暴いてくれた。 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波
- 453 :
- 魏志
馬韓 鬼神を祭る 卑弥国がある
邪馬台国 鬼道により卑弥呼が統治する
答えは同じ書物の中にあった
- 454 :
- >>453
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
麻といえば、阿波忌部。
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波
- 455 :
- >>452
倭人伝の「其山有丹」の「其」は「倭地」を指していて、必ずしも倭国や邪馬台国を指しているものではないようだ。
この記述の元資料は、魏と倭国が冊封を結ぶまえに魏から派遣された帯方郡の役人が調査したものだろう。
この役人は、辰砂の鉱脈で働く工夫を実際に見たわけではなく、邪馬台国の役人から「我が国では辰砂がでるよ」と説明され、辰砂が入った袋をみせられたかも知れない。
「其山有丹」はそうした伝聞のはず。
この時期には、大分の野津原で朱が出ていた可能性があり、そうしたことを魏の役人は聞いたのかも知れない。
ただ、実際には野津原の朱はベンガラであった可能性もあるようだ。
いずれにしても、「其山有丹」は、魏の役人が倭地の辰砂鉱脈の現場を実見したものではないだろうな。
- 456 :
- >倭人伝の「其山有丹」の「其」は「倭地」を指していて
「倭地」は倭国(阿波)のことだよ。 ワハハハハ
>いずれにしても、「其山有丹」は、魏の役人が倭地の辰砂鉱脈の現場を実見したものではないだろうな。
で、それがなにか? なにが言いたいの? ワハハハハ @阿波
- 457 :
- 現代ではあまり意識されないけど、露天辰砂鉱脈は中央構造線沿いに有ったことが通説だよね
それがそのまま海人の拠点に通じるのは皆さんお気づきの通り
構造線が吉野川沿いに走る四国は言わば当時の宝の山で発展するのは当然と言えば当然だ
個人的には始皇帝によるニーズの創始があり、そのまま中国において貴重品として取引する流れのなかで海人族が発展したとすると、裏で徐福から始まる秦氏の行動原理が伺えたりする
出雲吉備なんかは辰砂取引の中継地だったみたいだし、当時の産物として重要なのは確かだ
古代は大体こういう貴重品取引ブームみたいなのが連続しているよね
- 458 :
- >>456
倭人伝の「倭地」は、倭人が住んでいるところを指していると考えられる。
そうすると、邪馬台国から東へ舟で千余里行ったところにも倭人の国があるとの記述があることから、
難波、大和付近も「倭地」であることになる。
そして、その難波や大和の付近の「倭地」で丹が出るところと言えば、阿波と奥伊勢の丹生がある。
ということは、「其山有丹」の山は阿波や奥伊勢丹生のことであってもおかしくないということ。
ただ、邪馬台国は筑後山門にあるよということだけどね。^^
- 459 :
- >ただ、邪馬台国は筑後山門にあるよということだけどね。^^
その心理が理解できないw @阿波
- 460 :
- >>457
>古代は大体こういう貴重品取引ブームみたいなのが連続しているよね
「阿波の青石石棒」も祭祀の貴重品だった。 西日本各地へ拡散している。 @阿波
- 461 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
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四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
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- 462 :
- >>459
^^
- 463 :
- 貴重品取引ムーブメントか
黒曜石に始まり宝貝類、辰砂、鉄、勾玉の原料である翡翠や瑪瑙、銅鐸に銅矛、銅鏡、絹織物
果てはシルクロードの産物まで
交易による貴重品取引こそ海人族の真骨頂だな
これらの貴重品取引が祭祀と結び付き各地の交易を活性化させる
それらを統括する各地の海人が富の蓄積を競い合う
中国に朝貢することで交易イニシアチブを取った天照一族が覇権を確立
高価に取引された辰砂の交易を抑えるため九州から畿内に拠点を移動
戦闘はある種の海人族同士の内ゲバ
稲作と水運を連動した土地開発力により畿内がより活性化
従来の地域征服による国の拡大とは違う視点が見えてくる
これが畿内ヤマト王権確立の実態なのかもな
- 464 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
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- 465 :
- >>463
>高価に取引された辰砂の交易を抑えるため九州から畿内に拠点を移動
畿内は海外貿易の拠点としては不利だよ。
どうしても福岡が牛耳ってしまう。
>稲作と水運を連動した土地開発力により畿内がより活性化
畿内の生産力が九州を上回るのは、律令制以後を待たなくてはいけない。
4世紀に有明海沿岸の生産力が伸長して博多湾を上回るので、そのモデルはまずは博多湾沿岸と有明海沿岸に当てはめるべきだろう。
- 466 :
- >>457
>古代は大体こういう貴重品取引ブームみたいなのが連続しているよね
「阿波の青石石棒」も祭祀の貴重品だった。 縄文時代から、西日本各地へ拡散している。 @阿波
- 467 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
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四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
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- 468 :
- >>463
辰砂の交易をコントロールするために博多から大和へ都落ちしたとする東遷論は、まったく迫力がない。
- 469 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
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四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 470 :
- >>468
まさにそれは都落ちという表現が正しいのだろう。
神武らは「もっと良い政治をするために大和に行こう」と決めたらしいが、交易に優位な場所にある王都を捨てての逃避行を「転進」と言いくるめただけだよね。
- 471 :
- >>470
>神武らは「もっと良い政治をするために大和に行こう」と決めたらしいが
神武の時代に、九州から大和への大遠征など出来る訳がない。 あまりにも兵站を無視しすぎ。 あまりにも軽率短慮。 @阿波
- 472 :
- >>471
その論が正論なわけだから、日本書紀の神武の時代の年代設定が編纂者によって意図的に遡らされたと考えるのが妥当、とする通説がやはり正しい。
実際の大和の政権のスタートは3世紀中頃と考えられるので、神武が大和にやってきたのは3世紀中頃だったとみなすのがよかんべ。
ただ、神武は大軍団を率いてやってきたわけではなく、神武とされる人物は一定程度の祭祀集団とともに大和に入り、皆が見る前で纏向連合政権の大祭祀者の座に座ったということにすぎんな。
のちになつて、日本書紀編纂者が軍事的な大遠征として脚色したということだよ。^^
- 473 :
- >>472
>実際の大和の政権のスタートは3世紀中頃
3世紀中頃の奈良盆地に、政権など興る訳がない。 3世紀中頃の奈良盆地にあるのは、湿地帯だけ。 あまりにも軽率短慮。 @阿波
- 474 :
- 神武は大和における合同祭祀に参加させてもらえる程度だったのではないかな?
先にアマテラスの直系の饒速日がいて、後世においても朝廷の祭祀を司るのは饒速日の末裔である物部氏の役割とされていた。
- 475 :
- >>474
>神武は大和における合同祭祀に参加させてもらえる程度だったのではないかな?
3世紀中頃の奈良盆地に、政権など興る訳がない。 3世紀中頃の奈良盆地にあるのは、湿地帯だけ。 あまりにも軽率短慮。 @阿波
- 476 :
- >>475
3世紀の中頃には各地勢力の連合政権がすでに大和にあったのは、474さんが指摘する通り。
その時代の祭祀の在り方としては、崇神紀に記されているようだ。
物部氏云々の指摘がその一つ。
纏向に造られた大型建物群やその建物群の周辺に5基の大墳墓が連続して造られていることが政権の存在を示しているね。
し〜かし、この政権は倭人伝に言うところの邪馬台国ではなく、邪馬台国から東へ舟で千里行ったところにあると記述される倭種の国なんだよね。
その倭種の国が、この纏向に祭祀所と大墳墓を造った連合政権だったのよね。^^
- 477 :
- >>476
>3世紀の中頃には各地勢力の連合政権がすでに大和にあったのは、474さんが指摘する通り。
3世紀中頃の奈良盆地に、政権など興る訳がない。 3世紀中頃の奈良盆地にあるのは、湿地帯だけ。 あまりにも軽率短慮。
>纏向に造られた大型建物群やその建物群の周辺に5基の大墳墓が連続して造られていることが政権の存在を示しているね。
そのお墓は、「忌部はん」 のお墓。 し〜かし、その「忌部はん」のお墓は、4世紀の築造。 @阿波
- 478 :
- >>476
>その倭種の国が、この纏向に祭祀所と大墳墓を造った連合政権だったのよね。^^
古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、一目で「忌部はん」 のお墓と判るのに、いつまでもwww @阿波
- 479 :
- >>473
>3世紀中頃の奈良盆地に、政権など興る訳がない・・・・・・・・・・
奈良盆地桜井市の箸墓古墳の築造年代が、通説では3世紀中葉〜後葉と
されています。墳丘長300m近い古墳を築くには多数の民衆を使役できる
政権がないと不可能だと思いますが、如何?
- 480 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 481 :
- >>479
>墳丘長300m近い古墳を築くには多数の民衆を使役できる政権がないと不可能だと思いますが、如何?
王権が、奈良盆地に在る必要はない。 倭国(阿波)を発った「忌部はん」 たちの主導による築造である。 @阿波
- 482 :
- >>471
福岡で数年、広島で数年すごしてる
はじめから畿内が目的地ではなく、
単に「転勤族」だったんだろう
- 483 :
- >>479
ここは海人のスレ。
あと、3世紀後半なら既に卑弥呼は死んでいる。
- 484 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 485 :
- >>477
4世紀に造られる前方後円墳の後円部や円墳は整円形となっていて、その整円の墳墓のルーツが纏向の箸墓古墳だというのが通説。
箸墓は3世紀後半の築造。
それ以前の前方後円形墳墓の後円部や円墳は不整円形。
つまり、箸墓以前の3世紀前半に不整円形の円墳部を持つ大墳墓が纏向にあったことになる。
この大墳墓は、当時列島最大の墳墓だったので、そのような最大墳墓を連続してつくるには、確固とした政権がないことには造れない。
でもって、その政権は忌部はんであったとしても、時期は3世紀前半。
この忌部はんの政権は、あちこちの勢力が連合して造ったものなので、墳墓を造る人員は、地元のほかにそれらの勢力が送り込んできていたもの。
人員は十分あったということになるなあ〜。^^
- 486 :
- >>478
忌部はんが海渡ったのは3世紀後半かもな〜。
大和の墓から鉄器でるの3世紀後半からだし。^^
- 487 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 488 :
- >>482
>福岡で数年、広島で数年すごしてる
記紀にはどこにも、「福岡」とか「広島」の記載はない。 勝手な決めつけ。 神武東征は倭国(阿波)での出来事である。 @阿波
- 489 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 490 :
- >>488
福岡の岡田宮
安芸の埃宮
これらは阿波説だとどこに比定してるんだよ
- 491 :
- >>490
>これらは阿波説だとどこに比定してるんだよ
現在未定。
【天武天皇紀に記される地名が阿波吉野川北岸の地名にはっきり残っている】
・粟津:鳴門市里浦町粟津
・大津宮:鳴門市撫養町木津、鳴門市大津町木津野
・菟田(うだ):板野郡土成町鵜田尾(うのたお)
・鈴鹿:板野郡土成町樫原を流れる鈴川(すずかわ)
・桑名:板野郡土成町と阿波市市場町の境 九王野(山)
・安八麿(あちはま):阿波市市場町粟島(あわしま)
・大野:阿波市市場町大野
・尾張:阿波市市場町尾開(おばり)
・倭京:阿波市市場町奈良坂(若宮皇太神宮)
・不破道:阿波市市場町大門から讃岐に通じる奈良街道
・乃楽山(ならやま):阿波市市場町奈良街道沿い城王山(旧名 奈良山)
・美濃:三好郡三野町
・伊勢:阿波市阿波町伊勢
・高安城(たかやすのき):美馬市脇町の大滝山
・吉野宮:三好郡三野町加茂野宮
- 492 :
- 【W神武天皇の出生と東征の時代】
・「和多都美豊玉比売神社」 祭神 「海神の娘・豊玉比売命」 比定 西宮神社(和多都美宮跡)
・「天石門別豊玉比売神社」 祭神 「天孫三代の后:豊玉比売」 比定 城山東麓(神陵跡)
・「宇志比古神社」 祭神 「神武の参謀:速吸の宇豆比古」 比定 宇志比古神社(神陵遥拝地:西山谷二号墳)
・「伊比良姫神社」 祭神 「神武天皇の妃 阿比良比当ス」 比定 伊比良姫神社 藍住町徳命が神陵跡
・「阿佐多知比古神社」 祭神 「神武天皇か」 比定 阿佐多知比古神社 元の鎮座地は渋野か
- 493 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 494 :
- 九州繁栄から始まる大陸交流はやがて海人族による各地の交易へと変遷し繁栄する
つまり海人族の活躍も古墳時代のような王権に関わる一つの時代として考えた方が辻褄が合いそうだ
- 495 :
- 続けろ
- 496 :
- 弥生時代と古墳時代を区分する意味がない。
一貫して筑紫倭国の海神が支配を拡大する時代だ。
- 497 :
- どこの池沼なんだ?
- 498 :
- >>496
「丹」の採れない筑紫に、筑紫倭国など在る訳がない。 以上御終い。 @阿波
- 499 :
- >>496
朝鮮半島、中国大陸、ロシアにまで進出、
勢力を拡大したという話みたいなんだけど、あとタイのほうとか?
ふーん(それで)?としか言えない
- 500 :
- 他のスレにも書いていることなんだけど、
チンピラか何かなんだろう?と聞いているんだよ
- 501 :
- >>500
良いところ突いてる
只の海賊だとしたらそこまで日本全国の拠点を発展させることが出来たかどうか
そこで理念としての九州の祭祀
それに大陸交流するためのバックグラウンドとして一定以上の初期権力が必要だっただろう
これが「まつろわせる」の語源的な意味だと思うんよね
まつろわせることで利益と義務を与える
- 502 :
- >>498
泡チョンコロの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるなwww
- 503 :
- |_ l ―┬─ l ヽヽ |_ .┌-┐ へ | ヽヽヽ
| l ─┼─ ヽ/ _|∠ | / /__ \  ̄| ̄ヽ \
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\ノ\ レ .(_ノ`ヽ ヽ__ |_|.| |__| ノ ヽノ
(ヽ三/) ))
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. ヽ、 ヽ、 | ) .__| } / / __|
ノ |___i ヽ/ \ノ\ __ノ / \__ (_l\ W W W
- 504 :
- >>503
泡チョンコロの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるなwww
- 505 :
- >>504
:_ ..、 ..__ 、___
_jllll′ ョ- 4il||l "lll'、 ‐ 、 _..-''lllliin 、 _ `''||ゞ'
,ョ广 ゙廴_j=冖゙゙'ll'、 .llll′ `||li '''l 、 ,j广 l|! "ll'、 、 __ョ=ョ 、 ,,_、 、 ..,,_
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'llL_ "'´ |ll、゙゙''冖′ lll 、 llll 〃 ..ulll!' ‖ ,jlll′ _|lll′ ||l ゙llll ./゙l||| l||′
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`il|l' il|l `'ill||lll''~ ~~ ` -‐'~~ ..l广 .`'' ゙''′
; ∧,_∧: 悔しいニダァァアーーッ!!!
:<;l|l;`田´>;
(65049):
:ム__)__)
- 506 :
- 泡チョンコロ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
- 507 :
- 真
.言 実
.わ を
.れ
ハ .て
ラ 余
が .計
立 .に
つ
((⌒⌒))
ファビョ━ l|l l|l ━ン!!
∧_,,∧
(( ∩#`田´>
〉@阿波つ ))
(,,フ .ノ
.レ'
- 508 :
- >>506
:_ ..、 ..__ 、___
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; ∧,_∧: 悔しいニダァァアーーッ!!!
:<;l|l;`田´>;
(6>>5049):
:ム__)__)
- 509 :
- 真
.言 実
.わ を
.れ
ハ .て
ラ 余
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立 .に
つ
((⌒⌒))
ファビョ━ l|l l|l ━ン!!
∧_,,∧
(( ∩#`田´>
〉>>506つ ))
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.レ'
- 510 :
- 九州のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
∧_∧,、, __________
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いちいちこっちみんなオラァ !!!
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∧_∧,、, __ 从ノ (ミ_ (⌒\ヽ _ ___
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- 511 :
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\ ´`ヽ.__,ノ / ノ
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 ̄ ヽ、_ 〉 ,!、__/
- 512 :
- 倭国(阿波)のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
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いちいちこっちみんなオラァ !!!
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- 513 :
- サルマネ九州チョンコwww
/_ノ ヽ、_\
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- 514 :
- 九州のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
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- 515 :
- 倭国(阿波)のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
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- 九州のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
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- 517 :
- 倭国(阿波)のことが気になって気になって
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いちいちこっちみんなオラァ !!!
九州スレでホルっとけ
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アイグォッ ドガッ (・ω・`# ) ─_____ ___
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- 518 :
- 九州のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
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いちいちこっちみんなオラァ !!!
九州関連スレから出ていって
泡スレでホルっとけ
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アイグォッ ドガッ (・ω・`# ) ─_____ ___
∧_∧,、, __ 从ノ (ミ_ (⌒\ヽ _ ___
・∴<`Д(#Σ( (二( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄( ( (≡ ̄ ̄ ̄ ̄三\⌒ノ ノ )
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- 519 :
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_jllll′ ョ- 4il||l "lll'、 ‐ 、 _..-''lllliin 、 _ `''||ゞ'
,ョ广 ゙廴_j=冖゙゙'ll'、 .llll′ `||li '''l 、 ,j广 l|! "ll'、 、 __ョ=ョ 、 ,,_、 、 ..,,_
、l|′ :、_uil||l' _ __'||l |lll′ lll _. |ll'、:lll′ _lll′ lllll ゙'il|l′ "lll| ゙llll| l||l l||l′
'llL_ "'´ |ll、゙゙''冖′ lll 、 llll 〃 ..ulll!' ‖ ,jlll′ _|lll′ ||l ゙llll ./゙l||| l||′
゙l||li、 |ll、 'll'、 ,__〃 ゙||lli ゙゙ 'l|l'′ ,,._lll′ ,,lll′ .|lll' `'l|||′
`il|l' il|l `'ill||lll''~ ~~ ` -‐'~~ ..l广 .`'' ゙''′
; ∧,_∧: 悔しいニダァァアーーッ!!!
:<;l|l;`田´>;
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- 521 :
- 九州のことが気になって気になって
夜も眠れないニダ
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いちいちこっちみんなオラァ !!!
九州関連スレから出ていって
泡スレでホルっとけ
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=彡 ''" 丶 「゙弋ー、l i 泡チョンがいるぅぅぅ!!!
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n r !|l l ;;l :! キムチわるいぃぃぃぃ!!!!!
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`ヽ{ レ'´ `く ヽl| |i / ″′ ヽ どうして泡チョンがいるのぉぉぉおぉぉ???
ヽ ノ ′,;ii/ /
ト- ==== ''" ,,;iill/ / } あっち行ってえええええ いやあああああああ!!!
. ノ /iilil{ / {
≧== 彡l||llx _ イ ∧ / ,勿 ヽ
 ̄`xl|i彡'´ / ハ 〈 彡'´ ノ
- 530 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
四国ネタは
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 531 :
- / ̄ ̄^ヽ 泡チョンコ完全敗北で闘争www
l l ____
_ ,--、l ノ . /_ノ ヽ、_\
,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l o゚((●)) ((●))゚o プギャアアアアアアアアアアアアアア
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l l . l !:: |::: l | | | | | ノ ~.レ-r┐、
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| l . } l:::::,r----- l. \ `ー'´ ./ 〈 ̄ `-Lλ_レレ
ヽ :l:::: ト:;;;;;;;;;/-/__........... /  ̄`ー‐---‐‐´
- 532 :
- 「麁布の麻 心込め」 木屋平で初紡式
皇位継承に伴う11月の重要儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」に調進される麻織物「麁布(あらたえ)」になる麻糸を紡ぐ初紡式(はつつむぎしき)が7日、美馬氏木屋平の三ツ木八幡神社であり、関係者約70人が出席した。
本殿に設けられた麁布麻績殿(おうみでん)に巫女5人が正座。
水や米ぬかに浸すなどした精麻を竹くしで整えた後、繊維の強度を上げるため、糸車で麻糸を巻き取りながらねじって毛羽(けば)を取り除くなどした。
住民も加わって今月下旬まで作業を行い、調進する4反分の麁布に必要な約52kmの麻糸を紡ぐ。
4月に約600uの畑に種をまき、約3mの背丈に育った7月に抜き取った。
湯を張ったおけに浸して殺菌し、乾燥や発酵などを経て精麻した。
代々調進してきた三木家の28代当主、三木信夫さん(82)は「布ができるまでは気が抜けない。 完遂に向けて粛々とやっていきたい」と述べた。
紡いだ麻糸は、9月上旬に吉野川市の阿波忌部麁布調進協議会に渡した後、献上品の反物に仕上げる。
10月末に三木さんら関係者が皇居に納める。
令和元年8月8日 徳島新聞朝刊
- 533 :
- >>532
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるなwww
- 534 :
- 八幡神の起源がずっと謎のままだけどこれは八咫鏡から来てるのではと考えている
海人族視点からだと見えてくる
八咫鏡は平原古墳出土の超大型鏡と同型と言われており国産銅鏡の最高峰
平原1号墳は伊都国内の内湾鼻先に存在し海人族の拠点としてとても適した場所だ
天照の原初在地としても適当だと思うし実際そういう説もある
八幡神は宗像と宇佐で信仰されているが、それぞれが天照率いる海人の初期拠点であり太陽祭祀のシンボルである八咫鏡を「やはた」と呼び崇め信仰を深めたことに不自然さはない
もうひとつ重要なのは八幡信仰は奈良時代まで銅鏡製作を行っており後には大仏建立の協力もしている点
天照率いる物部や宗像などの海人族と出雲系大物主との戦いにより両者併合され、交易と祭祀を天照が担い、開発を出雲が担うための新都市構想が畿内の地に起こった
天照の太陽祭祀が3世紀半ばに突然三輪山に鎮座する説明としてこれらの考察が適当かと
妄想七割だけどw
- 535 :
- 平原の鏡は内行花文鏡だから、太陽信仰そのものだろうね。
アマテラスは海人族の王だろう。
ただし年代としては平原は卑弥呼(日御子?)の墓だろう。
実在のアマテラスは天津神の男王で、後世に混同されたように思われる。
- 536 :
- 太陽信仰は世界的原則として農耕民族から発生する
海洋民族たる海人族とはスタートが違うと見るべき
宗像社伝を紐解くと旧来の漁業ベースの集落と内陸側で農耕を始めた集落が同じ宗像族として共存していたとされている
生産高の増加によって地位が入れ替わり、次第に本家(漁業)が分家(農業)に主権を奪われた可能性がある
- 537 :
- 稲作が拡大すればそうなるだろう。
そこでアマテラス(海の王)が大国主(陸の王)に領土をよこせと迫ったんだよ。
最終的にアマテラスの孫が豊葦原中国(稲作地域)の王を兼ねるために筑紫すなわち倭国の中枢に派遣される。
そしてそれまでそこにいた志賀島の海人族の海神(ワダツミ)にかわり、王となった。
その移動を助けたのが天津神(アマツカミ)と同じ海人族であった宗像氏族である。
全ては海人族の中の勢力争い(大国主だけ海人族ではない)。
志賀島の一族である大山祇(ワダツミの弟)は、娘を天孫に輿入れさせたが、扱いは国津神に降格させられている。
- 538 :
- 坊やは天津神≠海人族だって何度も論破されてるのにしつこいねぇ
- 539 :
- 筋が通っているだろ?
- 540 :
- >>536
漁業を生業としていた側の海人族が主権を握っていたのは縄文末期まで。
開拓が進み縄文晩期には明らかに農業を生業とした側が主権を握っている。
農業の拡大とともに暦を読む必要性や雨乞いが重要となり、自然派生したのが太陽信仰→太陽神信仰→日巫女の誕生。
海人族が再び日の目を見るのは航海(海運)技術が上がってから。
- 541 :
- >>539
誰の目に見てもただの言葉遊びから妄想を膨らませただけの珍説でしかないぞ(大爆笑)
- 542 :
- 確かに伊都国イコール平原1号の女王国と考えるのは早計な気がしてる
海人族は当初交易専門集団として南九州から発祥し、隠岐や伊都国の様な権益の大きな拠点を間借りして発展したのではないだろうか
北九州や筑後平野には元々開発を担ってきた土着神が存在しそれが高良神や八女神や祇園山古墳の主ではと考えている
そこに大陸からの品を祭祀と結びつけて価値を高め、拠点とする場所を提供してもらい権益の足掛かりとするのが海人族のビジネスモデルとして成立
その方法論を瀬戸内や四国や本州沿岸で展開したのが尾張氏などの一族
巻向などはその文化が成り立った集大成の様な気がする
- 543 :
- 博多湾沿岸の筑紫の日向でイザナギの禊で生まれた三神である天照、月読、スサノオの行方を確認しよう。
月読は対馬(月読神社)、スサノオは出雲、天照は高天原だ。
博多湾沿岸の支配者はイザナギの息子である志賀島の綿津見(海神)とその弟の大山祇であった。
スサノオの跡を継いだ出雲の大国主が天照に倒されると、天照の孫が宗像の三女神に守られて筑紫の日向に戻ってきて、豊葦原中国の王となった。
もし高天原が沖ノ島なら、対馬、出雲、筑紫の間で睨みを効かせる要所になるのがわかるだろうか。
そして大国主以外はすべて海人族なのである。
- 544 :
- >>542
宮崎の都万は隼人の拠点であり、その祖は海幸彦だ。
海幸彦は筑紫の日向において山幸彦との争いに敗れて南方の海に敗走したことになっている。
そして山幸彦ことヒコホホデミは倭国の王都である伊都の高祖宮の祭神となっている。
つまり宮崎は福岡の分家なんだよ。
- 545 :
- 伊都の高祖宮の神輿が細石神社に渡る神事がある。
細石神社の祭神は木花咲耶姫であり、高祖宮のヒコホホデミの母親だ。
しかし細石神社の墓である三雲南遺跡は王と王妃の墓であったから、王の方は天孫ニニギとわかる。
つまり卑弥呼の前に伊都国にいた代々の男王70〜80年が日向三代なんだよ。
ワダツミ神や宗像神をはじめとしたイザナギの子孫たち、すなわち海人族にとって、筑紫の日向の小戸(福岡市西区)が故地であり王都である。
それは天孫族も同じこと。
最終的に天孫族の末裔が天皇家に繋がるからなんとなく特別視してしまいがちだが、記紀をよく読めば、海人族はすべて博多湾の王となったイザナギの子孫たちとまとめることができる。
- 546 :
- >>542
>巻向などはその文化が成り立った集大成の様な気がする
尾張からの中継地の一つに過ぎないね。
過大評価。
- 547 :
- >>541
スレが久々に盛り上がってるの見ると珍説提供者冥利につきますなw
海人系はその影響力の割に一族としての風習や伝説をどう扱うのか謎に満ちてるので考察の格好の材料になる
この海人族視点からの考察が今後のトレンドになると思ってるんだよね
- 548 :
- >>542
>確かに伊都国イコール平原1号の女王国と考えるのは早計な気がしてる
まあ、そこは慎重さが必要で、卑弥呼自身は海人族ではなく、肥国の別氏族の可能性がある。
魏志倭人伝で伊都国の官として登場するネギこそ、ニニギの末裔であり天孫族を祀る神官かもしれない。
卑弥呼は筑紫と肥国の筑後平野をめぐる争いである倭国大乱を収めるために共立されたのかもしれない。
証拠は不足しているけどね。
- 549 :
- 邪馬台国=卑弥呼の女王国=古の倭奴国=福岡県=弥生文化の中心地=倭国の都=筑紫の日向=天皇家の祖である山幸彦の国
投馬国=宮崎県都万=隼人の祖である海幸彦の国
狗奴国=熊本県=熊襲の国
日本国=畿内=倭の別種=ヤマト王権
- 550 :
- >>548
面白いね
ヒミコ=肥の御子みたいな
魏志の鯨面親衛隊は間違いなく海人族で、国内で共生してた記録ではないかと思ってる
- 551 :
- >>545
出た細石神社wwwww
- 552 :
- 海人族は博多湾沿岸を舞台として誕生して、対馬海峡を自在に往来する技術を確立し、漢から認められて倭国が成立したのだろう。
それを証明するのが三雲南小路遺跡の三種の神器を持つ王墓であり、そこに伝世していたと伝えられる漢委奴国王印だ。
彼ら海人族またの名をアマツカミこそ、倭国すなわちアマツクニの支配者であり、伊都はその王都、邪馬台国だよ。
宮崎県の都万国は記紀でその分家と明記されている。
- 553 :
- 天照大神は「あなたたち三神は、道中(みちなか)に降臨して天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」と命じた。道中とは玄界灘である。
命じられた宗像三女神が祭られるのが沖ノ島を含む宗像大社なわけだが、そもそもは沖ノ島の祭祀は、天照も祭っていたのではないか。
さらに踏み込んで言えば、沖ノ島こそ天照の宮があった高天原なのではなかったのか。
それでこそ、古代最大級の聖地として沖ノ島の祭祀が大々的に続けられた意味がわかろうというものだ。
沖ノ島から筑紫に降臨する天孫を送迎する宗像士族と猿田彦の船の行き来をみあれ祭に見ることができるのだろう。
宗像大社は交通安全の神様として知られるが、それは天孫の降臨の道中の安全を守るようにという天照の神勅に基づいている。
そして天照は天孫に自らの形見として祭るようにと八咫の鏡を託したのだが、西海道風土記逸文によると、八咫の鏡は宗像大社に祭られていたのである。
天孫が降臨したのは筑紫の日向、すなわち福岡県西部の高祖山(日向山)周辺であり、魏志倭人伝の伊都国として知られる高祖宮こそ、記紀において神代の王都として知られる高千穂宮なのだろう。
- 554 :
- 【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
博多湾沿岸は、倭国の王権の発祥の地として知られている。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。
最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。
- 555 :
- >>550
そうすると、卑弥呼は天津神ではなく国津神ので出自でりながら、倭王の地位についたことになる。
記紀が卑弥呼に触れない理由はこのあたりにあるのではないか。
記紀はあくまでも博多湾沿岸に起源を持つ天津神(海神)の歴史書であり、有明海沿岸の肥国の王統を認めたくはないのだろう。
卑弥呼共立に対する反発が神武東征であり、東征について行かなかった天津神の残党が、伊都国の官なのだろう。
- 556 :
- ■ 祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち
諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと
恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす
- 557 :
- 個人的には邪馬台国よりも海人族による畿内ヤマト王権の成立に興味がある
新たに生まれたり消えたり受け継がれたりする文化がダイナミックに推移する面白い時代だと思う
- 558 :
- 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。
その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、耳の娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。
この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。
古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
- 559 :
- そして全員が筑紫の日向の小戸でイザナギの禊で生まれた筑紫倭王家の末裔である。
この一族を称して天津神(アマツカミ)という。
(アメツカミではない)
- 560 :
- ■ 祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち
諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと
恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす
- 561 :
- 宋史日本国伝
其《年代紀》所記云:
初主號天御中主。
次曰天村雲尊,其後皆以『尊』爲號。
次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,
次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑒尊,次天萬尊,次沫名杵尊,
次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
凡二十三世,並都於築紫日向宮。
彥瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。
- 562 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭國ネタは
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
- 563 :
- >>562
なぜ阿波チョンコの誘導先を消したんや?
- 564 :
- >>563
そりゃ、倭国(阿波)は歓迎されてるからだろ。 わははははは @阿波
- 565 :
- ちゃんかチョンコ踊りが中止になった苦悩で自殺したんだろ
- 566 :
- なんやちゃっかり生きとったんかいな
台風10号の役立たずめ
- 567 :
- >>563
そりゃ、倭国(阿波)は歓迎されてるからだろ。 わははははは @阿波
- 568 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 569 :
- >>566
倭国(阿波)は不死身だよ。 なんせ卑弥呼女王がついている。 わはははは @阿波
- 570 :
- このスレのローカルルールに『※推奨NGワード 「@阿波」「忌部」』とあるんだから相手するなって・・・
- 571 :
- そんなこと言っても、無理・無駄! @阿波がいないと、錆び着いて、カビの生えたネタしかないんだから。 わはははは @阿波
- 572 :
- >>571
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 573 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 574 :
- 過疎ったな
- 575 :
- しゃーないで
- 576 :
- >http://www.city.okayama.jp/contents/000246755.pdf#search=%27%E7%9F%B3%E9%87%8E+%E5%90%89%E5%82%99%E8%AA%AC%27
石野の古狸さん、「おそらく、ホケノ山古墳の被葬者は、半島と往来していたアワ、サヌキの海洋民だろう。」ってさ。 これ、どうすんの? わははははは @阿波
- 577 :
- >>576
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 578 :
- >>308
イザナギ・イザナミは元来は高天原の神ではないでしょう。
松前健著『日本の神々』(中公新書)によれば、
神階無品のイザナギが親王に相当する最高位の一品を授けられたのが
9世紀前葉の貞観元年。
淡路国一宮に奉じられるように元来は淡路島の野島海人や三原海人などの
神だったのが、朝廷への海産物の貢納により朝廷に知られて
何らかの思惑により皇祖神に取入られた。
- 579 :
- でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 580 :
- イザナギは筑紫の日向の小戸、すなわち博多湾沿岸で禊をしています。
イザナミと別れた黄泉比良坂は、ヒラが上り坂、サカが下り坂の古語であり、黄泉への峠を意味します。
黄泉とはわずかに峠を一つ越えただけのところです。
イザナギがいたのが伊都国、日向峠を越えた早良古王国が黄泉の国だったのです。
記紀の神代の伝承は、弥生時代の人たちから見た博多湾沿岸の故事を奈良時代の言葉で書き記したものです。
博多湾沿岸は弥生稲作文化の伝来の地、倭国の王権の発祥の地です。
- 581 :
- ピラもサカも同じ意味だよ
- 582 :
- 峠は中華漢字じゃないしな
- 583 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 584 :
- 海人の最大勢力である安曇の居住地を見ると奈良盆地だけぽっかり空白になっている
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
海から来た北部九州の勢力が最後まで手こずったのが山に囲まれた奈良盆地だったということだろう
奈良盆地より先に海から行ける東海を勢力下に置いて、奈良盆地を孤立させた上で土着勢力を降伏させたと見るべきだろうな
土器の状況から見て奈良盆地の勢力と東海勢力は交流が深かったようだから、東海が神武率いる九州海人側についたのは痛かったろう
なにせ東海の尾張氏は北部九州の海人・安曇氏と同じく大綿津見(豊玉彦)を祖神とする氏族なので、東海に対しては武力制圧したわけではなく
元々親戚筋なのであっさり九州側につけることができただろう、あるいは最初から仲間だった可能性さえある
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
ちなみに系図の通り安曇は東征した神武天皇ともごく近い親戚筋であるし、後に大和の地を治めた倭国造の祖・珍彦も同祖氏族
最終的には奈良盆地も九州海人の支配下に入ったのは疑念の余地がない
- 585 :
- 単に奈良盆地は内陸だったから後進地域だっただけ。
東海が初めから九州北部の親戚筋だったのはその通り。
何しろ記紀でも、神武と饒速日はともに天神の末裔とされているからね。
- 586 :
- 奈良盆地に在地の勢力なんてなかった。
長髄彦でさえ、瀬戸内海を東進した三島の神の末裔であり、神武とは遠縁(5-6親等くらい?)にあたる。
大山積は邇々藝の義父であり、豊玉姫の祖父にあたる。
素戔嗚の義父、長髄彦の祖父でもあるので、継承された称号の可能性もあるけれどね。
- 587 :
- 安曇の祖とされる安曇磯良(あずみのいそら)には磯武良(いそたけら)という別名があり、五十猛(いそたける)と同一の可能性がある
恐らくイソタケルとは個人名というよりはイソの王という意味だろう
イソとは伊都、つまり魏志倭人伝にいう伊都国は後の安曇族の国だった可能性が高い
筑前国風土記逸文に、
「五十迹手(いとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」
「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。伊覩(いと)と謂うは訛れるなり」
とあり、怡土郡が元々はイソという地名であったことが記されている
日本書紀によれば五十迹手は筑紫の伊覩県主(いとのあがたぬし)の祖
- 588 :
- >>587
マルチやめい
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬漆
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1566335692/292
292 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2019/09/01(日) 23:33:53.40
安曇の祖とされる安曇磯良(あずみのいそら)には磯武良(いそたけら)という別名があり、五十猛(いそたける)と同一の可能性がある
恐らくイソタケルとは個人名というよりはイソの王という意味だろう
イソとは伊都、つまり魏志倭人伝にいう伊都国は後の安曇族の国だった可能性が高い
筑前国風土記逸文に、
「五十迹手(いとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」
「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。伊覩(いと)と謂うは訛れるなり」
とあり、怡土郡が元々はイソという地名であったことが記されている
日本書紀によれば五十迹手は筑紫の伊覩県主(いとのあがたぬし)の祖
- 589 :
- >>590
マルチ禁止な
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬漆
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1566335692/293
293 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2019/09/01(日) 23:41:52.72
伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif
https://img04.ti-da.net/usr/o/c/t/octagon/image_1378.jpg
また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>247のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
- 590 :
- >>588
スレが乱立してるのだからしょうがない
- 591 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 592 :
- >>590
言い訳するなゴミ!
- 593 :
- >>592
話題も提供できず罵倒するだけのお前がゴミ
消えろ
- 594 :
- >>593
ゴミの分際で人並に悔しがるなよ生意気にも程があるwww
- 595 :
- 邪馬台国が九州だと判明して近畿パーが荒らしに必死
- 596 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 597 :
- >>589
>製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>247のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
南の方は狗奴国じゃあるまいか?
- 598 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 599 :
- もしも畿内に海人が主導した新たな国が起こったとして、その国が発展するための条件としてまずは交易ルートの安定的な確立が課題としてあったはず
本州からの交易品や辰砂などの物産を鉄器などの開発資材に交換したり祭祀具を提供して民の求心力を高めるなど、これは海人族が開発手段を提供し支配地を広げるための方法論であっただろうと考える
肝心の交易を担うのは巻向で出土する尾張伊勢の方面ではなく瀬戸内ルートの吉備か北上して日本海沿岸に出る出雲の2ルートが想定される
この二つの勢力が交易の主導権を確立するために競り合った期間が2世紀から3世紀初頭にかけてだろう
根拠は銅鐸から銅鏡に移り変わる時期で、唐子鍵と巻向が並立していた可能性のある時期
結果的に出雲ルートよりも吉備ルートが主導権を握り、3世紀以降は吉備からの文化とともに交易が発展し前方後円墳の文化がこのルート上に出現する
畿内からの交易の中継地として福岡北岸の奴国や宇佐、宗像が地理上説明がつきやすい
その結果3世紀初頭の奴国には畿内の交易遠隔拠点が出来上がっていたと推測する
その拠点は畿内からの豊富な物資と九州の先進文化を背景とした祭祀が並立していただろう
この拠点こそ邪馬台国なのではないかと考えている
要するにヤマトは畿内だが発展した拠点と卑弥呼が存在したのは九州といった可能性がある
海人の活躍を念頭にそんなストーリーが思い浮かぶのだが、ここに記紀の記述を絡めるととんでもなくややこしくなるのでそれは考えないでおく
- 600 :
- >>597
当時は鉄が国産化されておらず、朝鮮半島の弁韓から全量輸入していたと思われる
そうなると航路の関係上、伊都国の安曇海人の協力がなければ鉄が手に入らず、伊都国が邪馬台国側についていたため
狗奴国は鉄の入手が難しかったと考えられる
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
この図を見ると熊本の鉄工房は北側に偏っているので、その辺りまでは邪馬台国だったのではないか
- 601 :
- >>599
記紀の神代の記録は筑紫の天津神(海の神)が出雲の大国主を倒して海人の頭領となった経緯を書いているだけだから、難しくないだろ。
大和に舞台が移ってからも、尾張を拠点としていた天神の饒速日に加えて神武も大和に居着きましたと書いてあるだけだ。
饒速日は河内の交野に上陸したが、神武は日下で上陸できずに熊野に回ったとあるだけだ。
- 602 :
- >>600
邪馬台国の南の端と狗奴国が、もとは一つの肥国だったと考えれば難しくはない。
どちらも王の名が似ているから、同じ国だったのが分裂したんだよ。
元から顔見知りどころか同族で家督争いをしていただけだから、素より不和というわけだ。
- 603 :
- >>600
なるほど理屈は通っているな
- 604 :
- 伊都国王家=天孫族=安曇や宗像ら海人族の長
- 605 :
- そもそも支配域から考えれば安曇海人は伊都国ではなく奴国だろ
- 606 :
- 本州まで支配域に含める勢いなのに、そんな細かい区分は意味がない。
- 607 :
- 魏志倭人伝によれば奴国に王はなく、代々伊都国にいると。
- 608 :
- >>607
時代が違う
- 609 :
- どう違う?
- 610 :
- >>604
糸クズの強引な願望
- 611 :
- 海人は海運を握ってた証拠がごまんとあるが、伊都の遺跡や伝承にそれがないのだから別物と考えるのが当然
- 612 :
- >>604
伊都国は代々王がいるにも関わらず、諸国の中でも女王国の役人である一大率に統治されているという最も惨めな国であることが魏志倭人伝に記されている。
- 613 :
- 中国からの品がほぼ伊都の独占状態だから、少なくとも対馬海峡の海運は掌握していただろう。
魏志倭人伝にも、伊都で荷に誤りがないか確認しているとある。
海人族の本拠地である博多湾沿岸で、伊都が最大勢力だよ。
- 614 :
- >>613
糸クズの願望を域を出ない妄想
- 615 :
- >>613
伊都国は代々王がいるにも関わらず、諸国の中でも女王国の役人である一大率に統治され、荷降ろしの場としてこき使われていた最も惨めな国であることが魏志倭人伝に記されている。
- 616 :
- 中国からの贅沢品がほぼ伊都国の王墓に納められているところを見ると、その解釈は間違いだ。
- 617 :
- >>616
>中国からの贅沢品がほぼ伊都国の王墓に納められている
何の根拠もない思い込みやんけ
- 618 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 619 :
- >>617
三雲南小路遺跡や平原遺跡などを見てみろ。
舶来品がドッサリだぞ。
- 620 :
- >>619
> 三雲南小路遺跡や平原遺跡などを見てみろ。
> 舶来品がドッサリだぞ。
何の根拠もない思い込みやんけ
- 621 :
- 根拠って、出土品という根拠があるだろ?
- 622 :
- アホはほっとけ
伊都国が女王国連合の中でも特別に高い地位にあったのなんてそいつ以外誰も疑ってない
- 623 :
- >>611
この説支持
伊都国の副葬は後漢鏡が多いため弥生末期において隆盛を誇ったのち、交易主導権を奴国側に譲る事象が起こったと思われるよね
国産鏡による価値破壊や鉄資源独占のイニシアチブを奪われた事が関係しているのでは
地理的に考えると、背後に筑紫平野があることで九州の発展には適した立地だけれども、瀬戸内や出雲側からの本州向けの拠点しては奴国に先を越されやすいと言える
明らかにある時点から畿内への求心力が高まった瞬間がある
- 624 :
- 国産鏡ったって平原から大量に出てて奴国には出てたか?
- 625 :
- >>605
奴国を海沿いと勘違いする人が多いが、奴国の中心地である巨大な弥生遺跡群
通称弥生銀座は内陸に入った春日丘陵に位置する
この図のFに当たる場所
http://www.city.fukuoka.lg.jp/maibun/images/remains_map/map.gif
- 626 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
糸クズネタは↓
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 627 :
- >>625
同意。
奴国は魏志倭人伝で二万戸の大国なので、平野部が大きいと思われます。
同じく魏志倭人伝では奴国に王はなく、伊都国に王がいるとあるので、どちらが優勢かという問題ではなく、機能が分化していたのでしょう。
そして伊都国に貿易を監督する機能があったことが魏志倭人伝からわかります。
- 628 :
- ガラス宝飾品は圧倒的に伊都国に多い。
特に平原遺跡のものは中国産と思われるが、技術的にはペルシャ系のもの。
弥生時代としては国内最高峰の財宝。
- 629 :
- とりまこのスレでは海人族の話をしよう。
魏志倭人伝ネタは↓
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1547774646/
九州倭国ネタは↓
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1563587141/
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
金印ネタは↓
漢委奴国王印 いわゆる金印part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1557131847/
糸クズネタは↓
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1553928240/
阿波チョンネタは↓
邪馬台国四国説 part3
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1560747609/
- 630 :
- >>628
そりゃ平原遺跡は女王卑弥呼の墓なんだから
武器よりもアクセサリーがお好みでしょうて
- 631 :
- 卑弥呼は海人族の長も兼ねていたのだろう。
伊都から北を大率が治めていたということは、志賀島を含む海人族の統治機構であったということだ。
すなわち倭王イコール海人族の長なんだよ。
- 632 :
- 「@
- 633 :
- >>631
>>584の系図を見るとたしかに皇室はそんな感じだな
南九州のニニギ系と北部九州のワダツミ系の間に生まれたのが神武天皇ということになってる
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
神武は南北九州の海人の統合の象徴的な立場だったのだろう
九州全体の海人が統合されたことで外征の余裕が生まれ東征に繋がったのかもね
- 634 :
- >>633
ヒコホホデミ(山幸彦)の宮が伊都の高祖宮、つまり倭国王都=邪馬台国。
その兄の海幸彦は追い出されて南の海へ逃げ、隼人の祖となったとあるので、これが宮崎の投馬国(都万)。
これで九州の南北になる。
宮崎を日向と呼ぶようになるのは景行天皇が命名してからであり、それまでは福岡県西部が筑紫の日向。
- 635 :
- 希望を交えず魏志倭人伝の漢文を正確に読めば以下のようになる
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
結論
つまり女王国の北限に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を代々の王を差し置いて統治しているということ。
そして何より志賀島から新宮までを支配域にしていた安曇を勝手に伊都国と併せるなよ(笑)
- 636 :
- >>633
>九州全体の海人が統合されたことで外征の余裕が生まれ東征に繋がったのかもね
尾張氏の祖は饒速日とも言われており、神武に先行して東征が繰り返されている。
饒速日が上陸したのは交野のあたりと言われている。
(当時の海岸線は今より内陸にあった)
神武は饒速日と和解して大和に入ったが、初期のヤマト王権では軍事も祭祀(まつりごと)も饒速日の末裔である物部氏の担当だった。
その饒速日一族の拠点の一つが尾張なんだよ。
- 637 :
- 女王国以北は、女王国(を含めてそこ)から北のことなので、伊都が女王国の一部で、支配した対象は伊都を含みその北方、つまり志賀島を含む玄界灘だよ。
大率の検察には通常は船を用いたと思われる。
大率は海人族の支配機構そのもの。
- 638 :
- 希望を交えず魏志倭人伝の漢文を正確に読めば以下のようになる
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
結論
つまり女王国の北限に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を代々の王を差し置いて統治しているということ。
そして何より志賀島から新宮までを支配域にしていた安曇を勝手に伊都国と併せるなよ(笑)
- 639 :
- 名字が神の人は諏訪氏か三輪氏の子孫の可能性が高いの?
- 640 :
- 福岡の神夏磯さんとかもいるから、そういうわけでもないだろ。
(景行天皇と共闘した筑紫の梟帥、八咫の鏡を持っていた)
- 641 :
- そんな海人族達が5世紀以降海の民としての文化を捨てて武人貴族化したのはやはり騎馬文化と白村江の敗戦が理由なのだろうか
その後の交易は遣隋使などの朝廷特務機関となり一族としての交易活動は減少したように見える
- 642 :
- >>641
白村江はもっと後でしょ。
朝鮮半島から畿内への流入、百済との関係の強化は影響したかも。
- 643 :
- 希望を交えず魏志倭人伝の漢文を正確に読めば以下のようになる
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
結論
つまり女王国の北限に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を代々の王を差し置いて統治しているということ。
そして何より志賀島から新宮までを支配域にしていた安曇を勝手に伊都国と併せるなよ(笑)
- 644 :
- >>641
鉄の国産化だと思う
朝鮮半島の弁韓から全量輸入していたころは航路を独占する海人の地位は絶対的なものだったが
日本国内で鉄が作れるようになるとその相対的地位は低下せざるを得なかったのではないか
- 645 :
- >>644
なるほど納得
逆にいえば、3世紀〜5世紀の鉄交易はいかに弥生末期の社会を変える力をもっていたか、という思いを馳せることができる
開発と軍事に関する革命だったのだろうね
- 646 :
- >>645
「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」 @阿波
- 647 :
- でも忌部じゃなくて物部なんだろうね
- 648 :
- ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波
- 649 :
- >>646
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 650 :
- >>648
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 651 :
- 大率は物部、武内だよ。
- 652 :
- >>651
いずれにせよ、「忌部一族」だよ。 @阿波
- 653 :
- >>652
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 654 :
- 物部の実績を盗もうとしてるのか
- 655 :
- その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波
- 656 :
- >>655
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 657 :
- 忌部族と阿波忌部は大阪ガスと大阪ガスサービスショップくらい関連性は殆どない
- 658 :
- ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波
- 659 :
- >>658
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 660 :
- 阿波忌部は部民
そして海人阿曇族のパシリ
- 661 :
- ここでいう「忌部一族」とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
「忌部一族」とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波
- 662 :
- >>661
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 663 :
- 女王卑弥呼は阿波にいた? 邪馬台国論争、徳島が名乗り 朝日新聞デジタル @阿波
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6335687
- 664 :
- >>663
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 665 :
- 四国に「しては」阿波にあれこれ弥生遺跡があるのは確かだが、
不思議なのは神武東征から景行西征にかけての弥生時代を含む部分に
阿波が目立たないんだよね。
敵だったのか?
- 666 :
- >>665
>不思議なのは神武東征から景行西征にかけての弥生時代を含む部分に
「神武東征」も「景行西征」も、倭国(阿波)国内での出来事 だと、何度言えばw
>阿波が目立たないんだよね。
目立つもなにも、記紀は倭国(阿波)国内での記述 だと、何度言えばw @阿波
- 667 :
- >阿波が目立たないんだよね。
目立つもなにも、倭人伝も記紀も倭国(阿波)国内での記述 だと、何度言えばw @阿波
- 668 :
- 四国スレでやれやボケ
- 669 :
- >>666-667
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 670 :
- >>669
荒らしは消えて
- 671 :
- 一番の荒らしは阿波チョンコ
- 672 :
- 一番の「目の上のたん瘤」は阿波チョンコ。 わははははは @阿波
- 673 :
- >>672
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 674 :
- >>1
なんで三神なのだろう?
ムナカタあたりはそれぞれに個性が残っているが
ワダツミスミヨシも元は三神それぞれに謂れがあったのだろうか。
- 675 :
- 誰か一人はしらぎのおうになったんだっけ?
- 676 :
- 倭人伝スレに先に貼っちゃったけど、こっちのスレのほうが向いてたな
というわけで再掲
安曇磯良は本当にあちこちに出てくるな
タケミカヅチやアメノコヤネまで安曇磯良らしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
>民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
>(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
>袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
>一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。
- 677 :
- しらぎのおうになったのが王族なら
とうしらぎ連合軍に負けたらやばいよな
そのまま武力侵攻されたら大王を名乗られる危険性がある
- 678 :
- >>676
そうそう、これこれ。
この間、鹿島に行って来たときに、何だったかなと思い出せなかった。
つまり関東の拠点である鹿島香取は志賀島海人族に由来するわけだ。
- 679 :
- >>678
>つまり関東の拠点である鹿島香取は志賀島海人族に由来するわけだ。
そうそう、これこれ。
つまり関東の拠点である鹿島香取は「忌部一族」の海人族に由来するわけだ。 @阿波
- 680 :
- 辰砂や鉄やベンガラを多用し赤を好む一派が海人の特徴だったとかはないのだろうか
石棺や舟や鳥居に化粧も赤だったとすると後世のイメージの鬼や卑弥呼の鬼道に繋がる部分を感じる
吉備津彦に退治された温羅も鬼と言われ製鉄を行っていたとされるしな
前世代の鉄文化圏を畿内で成立した新世代の王権が支配を塗り替えたという仮説もあるのではと思う
まぁどちらも深く関わるのは海人の一族だとは思うが権力に関わる職業能の変化というのはあった気がする
- 681 :
- >>679
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 682 :
- >>680
赤は大抵の文化圏で好まれているから押しに使うにはちと弱いと思われる
じゃあ他の海人や他の族がが赤以外を特に好んだかとかそれらと比較検討するのに赤という色合いが重要かと考えても微妙
重箱の隅をつつくようで申し訳ない
- 683 :
- 11月3日は文化の日。
親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波
- 684 :
- >>682
いえいえ
九州説畿内説に拘らない考察において海人族ベースに拠り所を探してるだけなので、意見を頂けるのはありがたい
- 685 :
- >>680
末廬国と思われる佐賀県桜馬場遺跡出土の有鉤銅釧の内側には赤色顔料の痕跡があるらしいよ
http://inoues.net/club/sakurababa05.jpg
まあ確かに>>682の言う通り赤はどこも大抵使ってる感はあるから決め手にはならないだろうけど
肌に触れる内側に顔料の跡があるってことは、魏志倭人伝で倭人が体に朱丹を塗っていたという記述の裏付けにはなるんじゃないかな
顔料の種類が書かれてないのが残念
- 686 :
- >>680
辰砂はクマ除けサメ除けの効果があるんだから
どこぞの一派だけが使うなんてことは無いよ
- 687 :
- >>683
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 688 :
- 弥生末期の王墓の古墳には大体棺にベンガラや丹が使用されていることから、やはり赤は高貴の象徴の意味合いがあった
あと天皇祭祀というよりは神社創建に対して朱塗りの文化は継続されてるような気がするね
朱塗りの神社と出雲や伊勢神宮、諏訪大社などの朱塗りを使わないものとの明確な差別化はあるのだろうか
- 689 :
- 辰砂は貴重だから手に入らない時に
@諦める
A弁柄で代用
のどちらかを選択したという事じゃない?
- 690 :
- >>689
その通り。 @阿波
- 691 :
- >倭国伝と日本国伝に分かれてるのは、国名変更のあったとされる700年前後をまたいで遣唐使が送られたからだ
違う!
国名変更のあったとされる700年前後をまたいで倭国(阿波)から奈良大和への遷都が行われたからだ。 @阿波
- 692 :
- > 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
- 693 :
- 奈良は攻略する価値がない。
海がない僻地で、土地もジメジメ。
今でもそう。
- 694 :
- 奈良の港が大阪なんだから海が無いという言い方はおかしい
- 695 :
- >>693
何故奈良なのかという疑問は考察に値すると思う
開発地として余力があったから
瀬戸内から大和川を遡った水路が内陸まで到達していたから
唐子鍵などの北陸系先住集落があり、それなりの発展と富の集積が認められたから
伊勢方面の辰砂鉱脈の品を瀬戸内経由で運ぶための中継地として紀伊経由よりも利便性が高かったから
沿岸にはない魅力(台風や塩害から農作物が守られやすい)
これらの複数要因が考えられるかな
- 696 :
- >>695
>これらの複数要因が考えられるかな
苦しい。 @阿波
- 697 :
- >>694
纒向から河内の土器が出ない。
摂津河内などで水揚げした物資は奈良盆地に流入しない。
- 698 :
- 奈良盆地は畿内の中ではとりわけ交通の便が悪い後進地域だと理解したほうがいいな。
いい加減に大和が中心だったという妄想から逃れるべきだよ。
- 699 :
- 巻向遺跡が物部と葛城の支配地の干渉点にあるということも一つのヒントになるかもね
2つの統合に天孫を加えた場所として確立したとか
- 700 :
- 物部と関わりが強いのは交野。饒速日の降臨の地。
あとは物部の本拠地であった石上。
纒向の重要性は歴史的に低い。
一部の考古学者が言い張っているだけ。
- 701 :
- そこらは、「忌部はん」 の入植地 だと、何度言えばw @阿波
- 702 :
- >>697
当時の港って日下とかだぞ
- 703 :
- >>701
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 704 :
- 饒速日の活躍が記録されなかったのは、
モノノベさんの8世紀における立ち位置が関係してるんすかね?
- 705 :
- でしょうね。
- 706 :
- てことは、卑弥呼の活躍が記録されなかったのも、
その子孫氏族の立ち位置が関係してるんすかね?
- 707 :
- >>706
>てことは、卑弥呼の活躍が記録されなかったのも
「天照大神」や「大宜都比売」として記録されているよ。
「卑弥呼」は中国の文献なんだから、混同しないように!! @阿波
- 708 :
- >>706
卑弥呼を祖先に持つ豪族が存在しないという事でしょ
- 709 :
- 大日孁女命
>>706
>てことは、卑弥呼の活躍が記録されなかったのも
「大日孁女命」や「天照大神」や「大宜都比売」として記録されているよ。 @阿波
- 710 :
- >>706
同じ筑紫で八咫の鏡を持つ女王として神夏磯姫がいて、その末裔に田油津姫がいます。
田油津姫は神功皇后に滅ぼされてしまいます。
これが卑弥呼の末裔かもしれません。
- 711 :
- >>706
>てことは、卑弥呼の活躍が記録されなかったのも
「大日孁女命」や「天照大神」や「大宜都比売」として記録されているよ。 @阿波
- 712 :
- >>711
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 713 :
- 空白の4世紀スレから転載
ヤマトタケルは海人族だった
20 :日本@名無史さん :2019/09/14(土) 15:54:56.09
玄界灘を本拠地とする海人が東へどんどん勢力を伸ばしていったのが弥生後期〜古墳前期頃の出来事
そしてその勢力拡張は畿内に留まっていない
九州海人の権力の証である有鉤銅釧は畿内をはるかに飛び越して関東沿岸にまで分布している(下図の黒丸)
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
実はこの東方の有鉤銅釧出土地をよく見ると、ヤマトタケルの東征伝承の地と多く重なっている
草薙剣で火難を逃れた焼津、海上で波浪に遭って后が入水した横須賀、その后を思って過ごしたという木更津、
白い鹿を討ったという足柄峠付近など、これらがいずれも有鉤銅釧の出土地になっている
https://i.imgur.com/bdBE1QJ.jpg
つまり九州海人にとって畿内征服は最終目標ではなく、そのさらに東の地域を征服するための通過点に過ぎなかったわけだ
東海以東をも視野に入れていた彼らにとって、本拠地が九州のままでは遠すぎて指令を出すのに不都合だったため
四世紀初め頃に新たに手に入れた畿内に前線司令部を作ったのがヤマト政権の起こり
しかし東西に広い日本を広範囲に支配するには畿内のほうが地理的に好都合だったため、やがてそちらが中心となっていった
そして旧都の九州も古墳時代にはまだ旧狗奴国領域を含めて多量の財宝を所有しており豊かであった、完全に衰退するのは白村江の敗戦以降だろう
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
- 714 :
- >>713
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、海人族など居る訳がない。 なにを考えているんだか。 以上御終い。 @阿波
- 715 :
- >>713
畿内という枠組み自体、なかったろう。
九州北部を出発した海人族が拠点としたのは、河内摂津、尾張などの開運に適した土地だ。
特に東日本の攻略には尾張が重要だ。
ヤマトタケル伝説にもゆかりが深く、考古学的にも東西日本の流通の要だった。
しかしそこはもう畿内ではない。
畿内説は根本から間違っている。
- 716 :
- >>715
>特に東日本の攻略には尾張が重要だ。
尾張は、東海忌部の管轄だね。 @阿波
- 717 :
- >>713
https://i.imgur.com/bdBE1QJ.jpg
完全に一致、ってやつだな
これほどきっちり重なるとは
- 718 :
- >>717
完全に、「忌部一族」の進出・拓殖地にこれほどきっちり重なるとは。 わははははは @阿波
- 719 :
- 九州拠点だった海人族が本州に拠点を移して繁栄したことが初期ヤマト王権が生まれる要因
これは九州に富を集める目的がある時期を境に本州地域の発展へとシフトを替えたことを指している
可能性として、海人族が畿内在地の天孫族を推戴する可能性に気づいたことと、交易ルートの独占に成功しかつ米を徴用して軍備の増大化を図れたことでクーデター的に発展したのではないかと推測している
河内本拠の物部氏と東海本拠の尾張氏がそれらを統括したことが想像できる
ヤマトタケルはまさにその頃の覇道の記録ではないだろうか
海人族が畿内王権を支持できた根本要因の交易手法と軍備がどうなっていたか
これからの研究課題はここかな
- 720 :
- >>719
>九州拠点だった海人族
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、海人族など居る訳がない。 なにを考えているんだか。 以上御終い。 @阿波
- 721 :
- >>719
尾張氏は安曇と同祖氏族なので九州出自
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
物部氏は筑後山門が発祥の地
九州邪馬台国時代からの皇室の家臣
ゆえにカバネが連である
> 331 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 18:19:03.66 ID:yjDSp0sY0
> >>300補足
> のちの大連・物部氏の故地が福岡県みやま市瀬高町太神にある「こうやの宮」と呼ばれる場所
> 正式名称は磯上物部神社
> 久留米の高良大社にある高良記天慶神名帳に「礒上物部神(いそのかみもののべしん)」と書かれている
>
> そこには5体の神像が祀られていてそのうちの一つが手に七支刀を持っている
> 明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた
> 物部氏の像と考えられており、物部氏が九州出自の氏族であることを示している
> カバネが臣ではなく連なのもこのためだろう
> https://stat.ameba.jp/user_images/20190526/11/kenbuncho2017/1b/e2/j/o1475087514416523027.jpg
>
> そしてこの磯上物部神社のある場所こそまさに筑後国山門郡にあたり、邪馬台国があった場所と考えられる
> 地名の太神(オオガ)は古代にはオオミワと読まれていた
> 明らかに畿内大和の祖型となった地である
> https://lunabura.exblog.jp/25416518/
> >この地の旧名は筑後国山門郡太神村で、『倭妙類聚抄』には「太神郷」と出てきます。
> >「山門」には「夜万止」(やまと)、
> >「太神」には「於保美和」(おほみわ)と読み仮名がついています
- 722 :
- >>720
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 723 :
- >>721
面白い情報ありがとう
物部と九州と畿内がここまで関連付けられるとニニギの伝承はそのまま物部の記録のように思えてくるな
断定はしないけど
高良さんの謎深さや神護石などは物凄い神秘性を感じてこの辺りが源流だという感じがひしひしと伝わってくるんだよね
最近話題の日田の鉄鏡といい、最近は邪馬台国という話題性よりも弥生末期の王権の成り立ちに興味が湧く
自分の中でも海人族の足跡を知ることで古代の点と線が繋がる感じがして楽しいわ
- 724 :
- それならもう各地の伝承や記紀を参照するだけでいいよ。
物部氏と尾張氏の祖である饒速日を王として戴いた氏族はちゃんと登美の鴨族と書いてある(その長がナガスネヒコ)。
実は天孫族より先に、他の海人族が先遣隊として開拓をして、そこに饒速日、神武の順に天孫族が入植したことが記紀に明記されている。
ではこの登美一族は何者か。
その祖は三島溝食耳とされている。
この人物こそ瀬戸内ルートの開拓者であり、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などに祭られている畿内開拓の功労者だ。
そのさらに祖は大山積ことワダシノカミつまり志賀島の海神とされている(だから伊予三島の大山祇神社は三島溝杭耳より先に父親の大山祇を祭る)。
余談だが、三島溝杭耳は神武を導いた金色のトビの正体でもあるとされる。
ナガスネヒコとの衝突は、不幸な行き違いに過ぎなかった。
饒速日と神武は大和で和解した。
すでに饒速日は三島溝杭耳の末裔の姫を娶っており、神武もまた末裔の姫(イスケヨリヒメ)を娶り、第二代天皇につながってゆく。
三島の鴨族は外戚として存在し続けている。
- 725 :
- >>723
高良大社はこの地域の重要ポイントだと思う
高良大社の草創以来からの神職に物部氏も安曇氏もいて両氏族は近い関係にあったと思われる
https://lunabura.exblog.jp/22077245/
>B高良社仕人
>高良社草創以来の仕人は
>丹波氏(俗体大宮司法体坐主兼宮師職、武内宿禰嫡流)、
>物部氏(祝司、大祝、小祝職、武内宿禰乳母の子孫)。
>安曇氏(磯良の子孫、筑前磯鹿浜の辺に住む、三韓征伐の時の梶取なり。その嫡孫は安曇氏を称す。後、三潴酒見村の風浪宮神主となる)、
>百済氏(百済王子、降人)、前田氏(下宮大宮司)、草部氏(御供所、三毛郡司)等、此の外仕人多数なりしも中古に至り滅ぶ(高良山日記、千手院文書)。
- 726 :
- 大山祇は筑紫においてはニニギら天孫族の外戚となっている。
木花咲耶姫、豊玉姫などがそうであり、その出自が志賀島であることは言うまでもない。
大山祇は山の神(ミやミミは王の意味)だが、綿津見(ワタは海、ミは王)と兄弟である。
海と山の兄弟は、ニニギの子らの海幸彦と山幸彦もそうだし、ニニギの祖先にもアマテラス(海を支配する)がいて、その弟の息子は大国主(大地の王?)がいる。
記紀は神武につながる家系のみを重視しているが、一貫して志賀島を含む大山祇ら海神こそが本来の倭王の宗家だったのではないか。
そこから代表権を奪った一大事が天孫降臨だったのだろう。
そう考えると、記紀にある倭国の神代の歴史とは、玄界灘の海神(海人族)の歴史そのものなのだろう。
- 727 :
- >>721
>http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
この家系図は筑紫の天孫族(天神)と志賀島の豊国王家(海神)の関係を示しているが、饒速日を祖とする尾張氏と物部氏の祖が豊玉彦となっており、すなわち邇邇芸ではないもう一つの天孫族である饒速日(アマテラスの孫だから)と海神はほぼ同一となる。
それは天津神と海神はどちらも同義であることになる。
- 728 :
- >>727
魏志倭人伝スレで検証されてたけど、旧事本紀などの系図に出てくる天火明命(饒速日)の孫の天村雲命は安曇磯良と同神になるとのこと
15 :日本@名無史さん :2019/09/18(水) 07:30:40.41
>>8関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛、誤字一部修正
安曇の祖とされる安曇磯良(あずみのいそら)には磯武良(いそたけら)という別名があり、五十猛(いそたける)と同一の可能性がある
恐らくイソタケルとは個人名というよりはイソの王という意味だろう
イソとは伊都、つまり魏志倭人伝にいう伊都国は後の安曇族の国だった可能性が高い
筑前国風土記逸文に、
「五十迹手(いとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」
「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。伊覩(いと)と謂うは訛れるなり」
とあり、怡土郡が元々はイソという地名であったことが記されている
日本書紀によれば五十迹手は筑紫の伊覩県主(いとのあがたぬし)の祖
天村雲命の別名に天五多底(あめのいたて)がある
五十迹手(いとて)と同一人物の可能性がある
また射立神(いだてのかみ)という呼称もあり、伊達神こと五十猛と同一視する向きもある
そうすると天村雲命=五十迹手=五十猛=安曇磯武良
草薙剣の元の名が天叢雲剣なのは有名だが、ヤマタノオロチからこれを手に入れたのは素戔嗚命であり、その息子が五十猛とされる
スサノオが息子の五十猛=安曇磯武良=天村雲命に譲り、その佩剣となったから天叢雲剣なのではないか
天叢雲剣は皇室の神器となった後に熱田神宮に祀られているが、熱田神宮の大宮司は当初は尾張氏だった
尾張氏は安曇氏と同祖氏族
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
- 729 :
- >>728の続き
19 :日本@名無史さん :2019/09/18(水) 07:37:16.06
>>15関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛
筑前国風土記逸文に五十迹手が伊蘇志(イソシ=勤)と褒められたので地名をイソにしたとある
一方の五十猛はイサオシの神と称えられている
安曇磯武良=五十猛=五十迹手は確実のようだ
伊太祁曽神社の御由緒について
http://itakiso-jinja.net/yuisho.php
> そして五十猛神は高天原から樹種を持ってきますが韓国には植えず日本に持ってきて、九州より播き始めて日本中を青山にしました。
> このことから有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)と呼ばれています。
また、先代旧事本紀によれば天村雲命の別名は天五多底(あめのいたて)とされているが
兵庫県の射楯兵主神社に祀られている射楯大神(いたてのおおかみ)はそのものずばり五十猛だとされている
http://sohsha.jp/under02.php
> 御祭神 射楯大神 いたてのおおかみ
> 五十猛命(いたけるのみこと)と称し、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子神であられ、檜や楠等の木々を植樹して、日本の国土を緑豊かな国にされた
> 植樹の神様と崇められています。
> また、神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅遠征の折に、御船の先導をしたという播磨国風土記の故事から、勝利や幸福へ導く道開きの神様としても崇敬されています
事績に神功皇后の新羅遠征で水先案内をしたとあるが、太平記や磯良神社の社伝によれば、神功の水先案内を務めたのは安曇磯良とされる
安曇磯武良=五十猛=五十迹手=天村雲命はもう間違いないと断定していいだろう
- 730 :
- >>728-729関連
行数制限のためレス番など一部割愛
まさにそこが今回最大の収穫かもしれない
つまり記紀神話の年代のでっち上げの手法が判明したということだ
五十猛は素戔嗚命の息子なので神代の人間、というか神だが、五十迹手を褒めたのは仲哀だし、磯良は神功の水先案内を務めているから人代の話である
つまり実在の人物として人代に記録されている人間が別名を使って素知らぬ顔で神代にも書かれていることになる
従来考えられていたように神代が九州で人代が畿内というような分かれ方ではなく、人代の出来事を神話仕立てにして遠い過去の出来事として
投影したのが神代であり、人代と同一人物が重複して登場しているのだ
これはつまり、他の神々にも人代におけるモデル人物が存在する可能性を示している
例えば天照大神のモデル人物は神功皇后かもしれない、とかな
スサノオの子であるイソタケルが安曇磯武良なら、天照大神はその伯母にあたるから一世代上だが概ね同時代の人物とみると
むしろそう考えたほうが自然なくらいだろう
単に伊都国が安曇の国であることを実証するのが目的だったのだが、思いがけず記紀の嘘を暴いてしまったのかもしれない
もっと深い問題もある
天村雲命が五十猛=安曇磯武良=五十迹手と同一人物だということが分かったわけだが、この天村雲命は
「然が宋の太宗に献上した王年代記にも登場する
曰く
「初めの主は天(御)中主と(号)す。 次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って(号)と爲す。」
とうとう倭王になってしまった
しかもなんと天之御中主に次ぐ二代目の倭王にされてしまっている
王年代記は記紀よりも後に作られており、神武の即位が周の時代と書かれていることからも明らかに年代が捏造されている
そして二代目倭王が天村雲命=五十猛=安曇磯武良になっているのを見ても、単に年代を何百年かスライドさせたのではなく
倭王の即位順までメチャクチャに改竄されているし、倭王じゃない人まで倭王にされている有様
要するに、大和朝廷が作成した史書は、個々のエピソードについては脚色、改変はあれど元になった事実があるのだろうが
その年代観も天皇の順番さえもまるで信頼が置けないということである
- 731 :
- >>728
>天村雲命の別名に天五多底(あめのいたて)がある
全国で唯一、饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県旧麻植郡)。
延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。その論社が徳島県旧麻植郡山川町村雲にある「天村雲神社」である。
祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。
「天村雲命」は,饒速日命の孫で,天香語山命又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと)高倉下命(たかくらじのみこと)と穂屋姫(ほやひめ)の子である。
「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。麻植郡には忌部郡と射立郡があり,「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。
「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。 @阿波
- 732 :
- >>729
>筑前国風土記逸文に・・・
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波
- 733 :
- この辺くっそ面白いな
- 734 :
- >>730
むしろいろんな人物を同一人物にまとめてしまっているところに問題があるのでは?
- 735 :
- 記紀はその性質からしても物部系の排除が目的とすると、巨大前方後円墳の記述が無いことも納得できるな
- 736 :
- >>729
>筑前国風土記逸文に・・・
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波
- 737 :
- >>734
同じ人が二度も三度も別名で登場するってことは、実際の歴史は二分の一、三分の一の長さしかなかったということもあり得るわけだからな
まあそうやって年数を水増しした結果の神武即位紀元前660年なんだろうが
- 738 :
- あの怪しい祠の人形は関係ないのか?七支刀持ったやつ
- 739 :
- >>738
>>721のやつ?
- 740 :
- 朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。 忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。
忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。
「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。
「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。
櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。
さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。 つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。
「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。
これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。
つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。
もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。 大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。
徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。 両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。
矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。 時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。
矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。 @阿波
- 741 :
- >>739
それの赤いやつ
- 742 :
- 年代くらいわからないものなのかねえ?
- 743 :
- 日本の遺物としては異色よね。捏造でなければ。七支刀が六支刀(欠けたというが)になってるところから、江戸のかなり新しい、場合によっては維新後の作とみる。民俗学好きがいて、勝手につくったのでは
- 744 :
- 七支刀そのものは史書に書かれていたわけだしね。
- 745 :
- >>742-743
ここのサイトで五体の神像の写真が色々載ってるけど、他の像では顔が剥がれたりしてるのでそんなに新しくはなさそう
江戸期くらいかな
http://www.jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_trip_chikugo_0106.html
http://www.jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/img/tsuchigumo_kouyanomiya14.jpg
個人的にはカッパ像が気になるね、これって安曇じゃないのか
裸なのは漁労民だからだろうし、肌が赤いのは一日中日に焼けているからor魏志倭人伝のとおり朱丹を体に塗っていたから
なにより上腕部に腕輪があるけどこれは貝輪か銅釧を表現しているように思う
- 746 :
- https://ameblo.jp/indiaindia-27/entry-12082062853.html
こうやの宮
福岡県みやま市瀬高町太神1674
太神鬼木(おおがおにき)部落の人達が先祖代々氏神として祀り続けている小さな祠がある。
中に五体の御神体が安置されていて異国風の服を着て「七支刀」を持った男神と鏡を持った女神、カッパ像などがある。
奈良県天理市で七支刀が発見される以前からこうやの宮に七支刀をを持つ神像を祀っていたことからマスコミで話題となり見学人で賑わったこともある。
町指定有形民族文化財に指定されている。
七支刀とは、現在奈良県天理市石上(いそのかみ)神社に国宝の鉄鉾で刀身の銘文から泰和4年(369)に百済の太子貴須から
倭軍派兵によって高句麗を討つた御礼に倭国王旨に献上された刀である。
「日本書紀」に、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮・百済(くだら)から献上されたとしるす「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。
七支刀は、いったん邪馬台国の発祥の地として有力視されているみやま市太神の「こうやの宮」(磯上物部神社)に安置され、大和朝廷が安定後、
物部一族により天理市の石上神社に奉納されたものと一部の郷土史愛好家の中で推定されている。
みやま市の庶民信仰より
- 747 :
- 宮そのものは相当古くからあるようだ
https://kusennjyu.exblog.jp/22914198/
大和朝廷の確立後、九州に大宰府が置かれた。この大宰府が、天慶4(941)年から7(944)年にかけて、筑後国にあった六位以上の神名を記録した。
この古文書が『天慶神名帳(てんぎょうしんめいちょう)』と呼ばれ、久留米市の高良神社に現在も残っている。
その山門郡を見ると、磯上物部神(いそのかみもののべかみ)、物部阿志賀野神、物部山国神、そして物部田中神二神、なんと物部の神だけで五神がある。
六位以上の神が山門郡全体で二十六前のうち、五前が物部神である。
『天慶神名帳』に載っている神名を現存する神社と対比していくと、およその神々を当てはめることができる。
「こうやの宮」は、その昔、磯上物部神だったと推定できる。
- 748 :
- すばらしい。
磯上=石上の物部氏の七支刀で綺麗にまとまったね。
やはり古代史の鍵は物部氏なのだな。
- 749 :
- >>745
他の像と違ってそれだけ目の周りが黒いように見えるんだがひょっとして安曇目か?
http://amanokuni.blue.coocan.jp/azumi.htm
>阿曇連浜子(あずみのむらじはまこ)
>17代履中天皇の即位前紀、淡路の野島の漁師を率いて、履中の同母弟、住吉仲皇子の叛乱に荷担。
>因みに、倭直吾子籠も住吉仲皇子に荷担している。同母(葛城磐之媛)というが、住吉というだけあって、海人系の皇子だったのだろう。
>吾子籠は妹を履中の采女に差し出し、浜子は死罪を免れて、目の縁に入墨をされた。時の人はそれを阿曇目(あずみめ)といったという。
>
>「魏志・倭人伝」に、倭の水人は「男子は大小と無く皆、黥面文身(入墨)している」とある。
>また、久米氏の祖の大久米命も、黥利目(さけるとめ・入墨した目)であった。入墨は海人の象徴だったのである。
>宗像氏は「胸形」とも書かれるが、「ムナカタ」は胸に入墨をしている意だともいう。
>尚、河内の飼部(うまかいべ)らも、目の縁に入墨していたらしい。
>同じ履中紀5年の9月、天皇が淡路島で狩した際、飼部らがお供をしたが、その一人の入墨が乾き切っていなかったので、
>この島の伊弉諾尊神が「血の匂いが耐えられない」と神託し、その後、飼部の入墨の風習は無くなったという話が載っている。
>因みに淡路島は阿曇氏の本拠地の一つ。
- 750 :
- >>748
>やはり古代史の鍵は物部氏なのだな。
その通り。 その物部氏(「忌部はん」 )の本貫地が阿波國旧麻植郡ということ。 @阿波
- 751 :
- >>749
>因みに淡路島は阿曇氏の本拠地の一つ。
因みに淡路島は倭国(阿波)の島の一つ。
因みに阿曇氏は「忌部はん」 の一つ。 @阿波
- 752 :
- 腕輪ってブレスレットではなく二の腕に付けるのか
ムエタイの装束みたいで興味深いな
- 753 :
- だにしても、あの人形の来歴は疑ってかかる必要がある。塗り替えというのも怪しいし
- 754 :
- 都合のいいところだけ取ると阿波になる。自戒せねば
- 755 :
- >>751
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 756 :
- >>746-747
やはりかなり古い時代の物みたいだな
謎は深まるが
- 757 :
- 九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波
- 758 :
- >>745赤い人は手に何を持ってるの?
- 759 :
- 九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波
- 760 :
- これからは貝輪や銅釧が海人族を解く鍵になりそうな雰囲気だもんな
- 761 :
- >>760
ねえねえ、
九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったの?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないの?
あとは、推して知るべし。 @阿波
- 762 :
- 七支刀ってなんか微妙な代物だよね
由来は忘れられてるけど神宮では六叉鉾と呼ばれてるのに日本書紀で七支刀になってしまってるという…
鉾というか槍の先っちょならあの形でも納得の代物なのに
ちなみに矛(鉾)と槍の違いというのが、矛はソケット型で柄を差し込む仕様で槍は茎が付いてて柄に茎を差し込む仕様だとか
当時、茎が付いてたので剣の類とされたのかな
技術的には青銅だと当時(の中国では)は強度が足りなくて身を細く出来ずにソケット型に作ったとか、鉄製に切り替わってからは茎型になってるけどね
七支刀は鉄製の茎付き、当時の日本では平安時代に入っても長柄武器はソケット型の矛タイプだったから長柄武器とはみなされなかったか?まあ当時はオーパーツではあっただろうけど
余談だけど
>>なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないの?
豊後国風土記に景行天皇の九州巡幸による地名の由来の話とか載ってますよ
- 763 :
- >>762
>豊後国風土記に景行天皇の九州巡幸による
景行天皇自身が、九州巡幸したという根拠はなにかな? わははははは @阿波
- 764 :
- >>758
どうも紐状の何かだがはっきりしない
https://pds.exblog.jp/pds/1/201108/12/97/a0137997_844545.jpg
アップの写真発見
やはり目の周りは黒く縁取られているようだ
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-17-23/hachimituwine/folder/435533/89/11535589/img_7?1385500715
- 765 :
- http://www.oct-net.ne.jp/hatahata/kouyanomiya.html
>行けばわかるが、台風で倒壊した旧廟を再建し、中の人形のお社も新調してある。
>人形は代々、塗り替えられてきた。だから漆も美しい。
地元で大切にされてきたことは喜ばしいのだろうが、それゆえにかえって制作年代が不明になってしまったようだな
社そのものは>>747のとおり10世紀にはもうあったようだが
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d818.html
>日比野克彦がレポーターになった秘境探検風のテレビ録画には、今のように新しくなる前のあばら屋のままのこうやの宮が映っていましたが、
>その後には、中津江村村長や星野村有志の援助も受けて、無事、再建されたこうやの宮の、再建までの村民の働きぶりが映っていました。
>そう、あのお宮は小さいですが、地元のかたがたが自分たちの手で再建されたものです。
>
>ビデオを見てわかったのですが、あの人形はやきものなのですね。木彫りではない。
>いつごろできたものか、には、番組中では触れられません。
>ただ、代々受け継がれてきた、とだけです。そこが弱いといえば弱いですかね。
人形は焼き物らしい
- 766 :
- >>764返事ありがとう
左手は釣糸なのかな?
左右の手の角度から推測すると
本来は右手にも何かあったかもね
右手にも穴が有るような気がするよ
- 767 :
- >>763
@阿波じゃなくて@阿保にしてみてはどうかな、ぴったりだよw
- 768 :
- >>764
やっぱり安曇目なのかな?
- 769 :
- >>767
まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 @阿波
- 770 :
- >>762
>豊後国風土記に景行天皇の九州巡幸による
景行天皇自身が、九州巡幸したという根拠はなにかな? わははははは @阿波
- 771 :
- >>764頭のお皿も焼き物だろうから
お皿だけなら年代特定できるはず
銅釧に気づいたのは素晴らしい
みんな見てるようで見てないんだよなあ
- 772 :
- >>770
そもそも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 773 :
- あのお人形はそんなに古いものには思えないでふよね
- 774 :
- >>773
>>765のとおり塗り直しされてるそうだからな
外見からじゃもう分からん
鑑定団派遣するしかないな
- 775 :
- 安曇目は縄文
- 776 :
- 古いものをなんでも縄文と呼ぶアホを発見
渡来人であり弥生時代の中心勢力なんだから、弥生人
- 777 :
- >>776
みんな縄文時代が好きなんだよ
自給自足の平等な狩猟採集社会、土器土偶の高い芸術性
- 778 :
- 確実に日本に住んでいた人が刺激を受けて進歩したことが解るから海人は面白いな
しかしその海人と融合しつつも明確な祭祀的価値観を持った天孫族の存在は未だに謎
調べても別の存在に思える
国内起源と思いたいが、2世紀末の卑弥呼の後から明らかに統治の方法論を確立した何らかの勢力が海人と結託して各地を統率しようとしてるよな
その結果が古墳時代に繋がる
- 779 :
- >>779
>何らかの勢力が海人と結託して各地を統率しようとしてるよな
だから、その勢力が「忌部はん」 だと、何度言えばw @阿波
- 780 :
- >>779
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
- 781 :
- >>778
阿波爺ではないがそれは忌部物部連合で間違いないと思う
- 782 :
- >>778
謎でも何でもない。
海人族の中でも最も優勢だったのが天孫族だったというだけ。
天孫族が婚姻した志賀島の綿津見(海の王)だって、屈服させた大国主(陸の王)だって、元をたどれば博多湾のイザナギの末裔であり、すべて親族だ。
本州に行った天孫族の饒速日は天照国照の称号を持つ(先代旧事本紀)。
九州の天孫族の邇邇芸の息子は海幸彦と山幸彦だ。
陸海をどのように分けて統治するかの綱引きを一族で行なっていたが、要するに全員が天津神(海の神、海神、海人族)なのだ。
- 783 :
- 魏志倭人伝との繋がりからいえば、倭国大乱の前の男王70〜80年が天孫族の日向三代だろう。
その末裔が伊都国の官の禰宜なのだろう。
古墳時代を代表する前方後円墳は饒速日の末裔である物部氏と尾張氏の墓制であり、彼らこそ本州の覇者だったと考えられる。
筑紫を出発した数次に渡る天孫族を含む海人族の活動が、倭国の領土の拡大と弥生文化の普及、瀬戸内海ルートの開拓につながった。
- 784 :
- >>781
>阿波爺ではないがそれは忌部物部連合で間違いないと思う
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波
- 785 :
- >>784
阿波忌部(自称であって同族ではない)笑
- 786 :
- >>785
全国に、今もって名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波
- 787 :
- >>786
阿波忌部(自称であって同族ではない)笑
- 788 :
- 全国各地に、今もって忌部の地名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波
- 789 :
- >>788
阿波忌部(自称であって同族ではない)笑
- 790 :
- それはどういう根拠で?
- 791 :
- マルチうざいよ
>>1に「@阿波」「忌部」が推奨NGワードになってることから察しなよ
- 792 :
- ↑根拠を示せていないよ! @阿波
- 793 :
- >>792
阿波忌部(自称であって同族ではない)笑
- 794 :
- 根拠を示せていないよ! @阿波
- 795 :
- アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
- 796 :
- 住吉も綿津見も博多湾で甕棺地域なのに
宗像だけ甕棺ないのはなぜだろうね。同じ福岡県なのに。
- 797 :
- 記紀でも別の氏族扱いだから、不思議でもなんでもない。
- 798 :
- 宗像だけが土着なんだろ
- 799 :
- 宗像は別勢力
大和政権の時代も大和は博多と対立(磐井の乱)していたが宗像とは連携(沖ノ島ルートによる交易)
- 800 :
- 宗像は海人族の中ではむしろ後発組だからな
- 801 :
- >>1
>イザナキ・イザナミから生まれた海神
>ワタツミ、スミヨシ
>出生地:筑紫日向小戸橘之檍原
>アマテラス・スサノヲから生まれた海神
>ムナカタ
>出生地:天之安河
そうなると
ワタツミ、スミヨシ、が生まれた筑紫日向小戸橘之檍原は甕棺墓領域
ムナカタ、が生まれた天之安河は宗像ということになるのかな
- 802 :
- 天の安河は高天原だったはずだから、それが宗像だというのなら、高天原と宗像は同じエリアだろう。
やはり沖ノ島が高天原なのではないか。
- 803 :
- >>802
>古風土記編纂時に温泉が九州にないってことは無いと思うよ。
だよね。 では、
九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波
- 804 :
- 高天原にいるアマテラスとスサノオは海ではなく天之安河を隔てて対峙している
葦原中つ国と高天原の位置関係も海を隔てたものではなく上から覗き込む位置
- 805 :
- 上から?
それこそ後世の視点だろ。
- 806 :
- >>804
>高天原にいるアマテラスとスサノオは海ではなく天之安河を隔てて対峙している
その「天之安河」がまさに「鮎喰川」なんだよ。
邪馬台国と狗奴国は激しい戦闘を繰り広げている。
狗奴国の軍勢は、鮎喰川下流の邪馬台国王都に攻め込み、鮎喰川上流の神山まで押し寄せている。
そこで、邪馬台国側は吉野川流域の勢力を味方につけ、狗奴国軍を押し戻し、打ち破った大戦争。 @阿波
- 807 :
- >>803
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよマヌケ(大笑)
- 808 :
- >>806
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよマヌケ(大笑)
- 809 :
- >やはり沖ノ島が高天原なのではないか。
発掘できないからなんともいえんが
人が住むのも難しそうだしましてや政権があって外界に指令するのも難しそう
時代比定がどうあれ沖ノ島が高天原なら魏志倭人伝の頃にも一定の影響力を持っていて
魏志倭人伝にも書かれてそうだが
- 810 :
- >>809
そこがミソで、天孫族が伊都国の官とされたネギなら、実権を卑弥呼の姫氏にとられていたと考えられる。
直前の倭国大乱で天孫族の長である五瀬と弟の神武が筑紫を出てしまっている。
卑弥呼の時代、甕棺墓の先代男王たち、すなわち日向三代の天孫族はもう筑紫における実権を失っていたんだよ。
だから沖ノ島にも権威はない。
しかし4世紀に神功皇后らが卑弥呼の王統を滅ぼして実権を掌握すると、沖ノ島の祭祀が国家的規模で再開されるんだよ。
- 811 :
- >>809
全然ちゃうぞ
- 812 :
- >>804
>高天原にいるアマテラスとスサノオは海ではなく天之安河を隔てて対峙している
その「天之安河」がまさに「鮎喰川」なんだよ。
邪馬台国と狗奴国は激しい戦闘を繰り広げている。
狗奴国の軍勢は、鮎喰川下流の邪馬台国王都に攻め込み、鮎喰川上流の神山まで押し寄せている。
そこで、邪馬台国側は吉野川流域の勢力を味方につけ、狗奴国軍を押し戻し、打ち破った大戦争。 @阿波
- 813 :
- >>804
その「天之安河」がまさに「鮎喰川」なんだよ。 そして、「高天原」が神山一帯の四国山地。
邪馬台国と狗奴国は激しい戦闘を繰り広げている。
狗奴国の軍勢は、鮎喰川下流の邪馬台国王都に攻め込み、鮎喰川上流の神山まで押し寄せている。
そこで、邪馬台国側は吉野川流域の勢力を味方につけ、狗奴国軍を押し戻し、打ち破った大戦争。
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 814 :
- 泡チョンコは自スレで妄想語ってホルっとけって笑
- 815 :
- >>814
「九州Rにゃ刃物は要らぬ。 丹と行幸あればよい」。 あぁ、こりゃこりゃ。 わははははは @阿波
- 816 :
- >>809
沖ノ島自体はわからんけども宗像地域は甕棺墓がないのだから
天孫族を甕棺墓と考えるのなら宗像や沖ノ島は天孫族とは別の種族となるが
- 817 :
- 記紀でも別の氏族のような扱いだね。
その通りなんだろう。
え?
天照から生まれているって?
そんなこと知らんがな。
- 818 :
- >>815
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
- 819 :
- 大型古墳の年代測定を不明と断定した場合、3世紀半ばの時代は九州と畿内の2つの勢力が拮抗していたと考えてもおかしくない。
そこで推察できるのは、九州から離れて勢力を培った海人族が交易権を握るために急進的に畿内に連合拠点を築いた可能性
そのために作られたのが大量の大型古墳であり、最近言われてる纏向遺跡が古墳の造営基地だったというのはあながち間違いでもないように思える
纏向の段階ではそのような程度の土地であったということなのではないか
鉄器の出土が少ないのも、武装反乱を防いだり高価な資材を投入する必要性が無かったことの理由になる
つまり別の本拠地から畿内に都市を移すにあたっての開発準備期間と捉えることが出来るかもしれない
その後祭祀や王権の移動が行われヤマト王権が確立したと考えられるし、逆に言うとそれまでの畿内は唐子鍵程度の文化水準でしか無くむしろ尾張や備前や琵琶湖沿岸に海人族勢力の個別文化が集積していたのだろう
- 820 :
- >>819
すべて、妄想。 妄想は楽しいかい? わははははは @阿波
- 821 :
- >>820
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンコロ
- 822 :
- 泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 823 :
- 神無月が10月というのは意味深いと思う
各地の収穫物、特に新米を持って国の首長が出掛けることを指していると思うのだが、これは各地の国にとっては収穫物を他の価値の高い何かと交換することを意味している
それを提供したり交換するのが海人族の役割であったはず
そして祭祀と銘打って税を徴収
そういう姿が想像できる
- 824 :
- 「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 @阿波
- 825 :
- >>824
泡チョンコはキモいから自スレで妄想語ってホルっとけよマヌケ
- 826 :
- >>824息長は鍛冶の神
これだけは譲れないわ
- 827 :
- >>826
>息長は鍛冶の神
息長ということは生粋の海人族であるとともに、鍛冶もやれば古墳も造る。 @阿波
- 828 :
- >>824
>神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。
朝鮮半島への侵攻理由は、鍛冶材料の安定的確保のためだろう。 @阿波
- 829 :
- >>827
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたからRって笑
- 830 :
- >>828
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョン
- 831 :
- 「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 832 :
- 武内宿禰の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、
武内宿禰の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、
船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、武内宿禰の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 833 :
- 蘇我氏、葛城氏のおこりはそれぞれ、蘇我石川宿禰と葛城長江曽都比古となるが、ともに武内宿禰の子。
武内宿禰は、第八代孝元天皇と伊迦賀色許売命との間に生まれた彦太忍信命(ひこふとおしのま)の子とある。
また伊迦賀色許売命は、次帝の開化天皇の妃ともなり、崇神天皇を生み、その崇神天皇は、対する孝元天皇と波邇夜須比売との間に生まれた建波邇夜須比古(武埴安彦)
との皇位争いに勝利し、閨閥を拡げていったのである。
もちろん、伊迦賀色許売・伊迦賀色許男姉弟は、日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/44664411
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 834 :
- >>832
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョン
- 835 :
- >>833
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョン
- 836 :
- 今日は文化の日。
親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。
ちなみに、深曽木の儀で踏む「青石」も、手に持つ「山橘の小枝」も、倭国(阿波)の特産物。 @阿波
- 837 :
- >>836
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 838 :
- >>837
ところで、 「橘(たちばな)」は? なに、逃げてんの? わははははは @阿波
- 839 :
- >>838
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 840 :
- 橘はタジマモリが常世の国(公孫氏)から持ち帰った果実
- 841 :
- >>840
帯方郡に「橘」が自生すると? 何考えてんの? @阿波
- 842 :
- https://i.imgur.com/XFgVLXa.jpg
- 843 :
- >>841
逆になんで自生してなかったと思うの?
なんに引っかかってる?
今の橘の元になった品種をタジマモリが公孫氏の領域から持ち帰って、それが日本で微妙に変化して今の橘になった
って言えば納得できるか?
- 844 :
- >>843
>逆になんで自生してなかったと思うの?
気候! 公孫氏の領域が温暖な地域なのかね? 帯方郡に「橘」が自生すると? 何考えてんの? @阿波
- 845 :
- なるほど気候ね
ただ公孫氏の末裔の渡来人には「常世氏」という氏姓が与えられてて
明らかに中世の倭政権は公孫氏を常世国として想定してるんだよ
実や種だけを貰ったのかね
- 846 :
- >>845
>なるほど気候ね
君には、古代を考えるセンス・常識がないね。 妄想だけはたくましいがwww
>ただ公孫氏の末裔の渡来人には「常世氏」という氏姓が与えられてて
>明らかに中世の倭政権は公孫氏を常世国として想定してるんだよ
君には、古代を考えるセンス・常識がないね。 妄想だけはたくましいがwww
>実や種だけを貰ったのかね
君には、古代を考えるセンス・常識がないね。 妄想だけはたくましいがwww @阿波
- 847 :
- 壊れたレコーダーになっちゃった?
阿波は比較的まっとうに議論できるやつと思ってたけど
- 848 :
- わははははは まっとうに議論できるやつなら、
>なるほど気候ね
>ただ公孫氏の末裔の渡来人には「常世氏」という氏姓が与えられてて
>明らかに中世の倭政権は公孫氏を常世国として想定してるんだよ
>実や種だけを貰ったのかね
なんて、寝とぼけたこと、言わないよ! わははははは @阿波
- 849 :
- 楽しそうでなにより
- 850 :
- 公孫氏の伝説が公孫氏の故郷を指すわけじゃないからね
- 851 :
- 公孫氏の伝説は公孫氏の故郷を指すだろ
- 852 :
- 「倭は公孫氏に属す」って出てくるしな
- 853 :
- >>841
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 854 :
- >>844
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 855 :
- >>846
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョン
- 856 :
- >>848
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョン
- 857 :
- 今日は文化勲章親授式。
その親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波
- 858 :
- 勾玉は新潟だろアホ
- 859 :
- >>857
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 860 :
- 淡路島でなんかやるらしい
古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示
https://www.sankei.com/west/news/191108/wst1911080011-n1.html
ν速にスレも立ってる
【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流−青銅・鉄・朱・塩−」
https://asahi.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1573215754/
- 861 :
- 淡路島も倭国(阿波)の領分。 @阿波
- 862 :
- >>861
泡チョンコはキモいから自スレで妄想語ってホルっとけよマヌケ
- 863 :
- まさに、ここ掘れワンワン状態の、阿波考古学。 阿波の遺跡は、他のトンデモ説のチンケな遺跡とは、別格!
女性の人骨出土 犬山天神山古墳(徳島市)
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/52348696
石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波
- 864 :
- >>863
泡チョンコロの民族願望にはもうウンザリ
さっさと死んでこい笑
- 865 :
- 女性の人骨出土 犬山天神山古墳(徳島市)
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/52348696
石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波
- 866 :
- >>865
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れ
- 867 :
- 女性の人骨出土 犬山天神山古墳(徳島市)
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/52348696
石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波
- 868 :
- >>867
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 869 :
- 沖縄の神アマミキヨ
奄美大島の方の人かな?
アマって名前が気になる
- 870 :
- オトってのは日本の女性の名前
オトって名前の人物、実際にいた
- 871 :
- >>869
ニライカナイは東の果て
奄美大島とは方角が合わないんだぞマヌケ
- 872 :
- 》マヌケさん
ニライカナイは島じゃないですよ、海
死者の霊が集まる場所
アマミキヨについては奄美大島にも似た話があり
奄美の語源はアマミキヨじゃないかと言う人もいる
- 873 :
- >>870
浦島太郎竜宮城訪問譚のオトヒメ、ヤマトタケル東征譚の
オトタチバナヒメを知らぬのか?
倭語で姉妹の姉娘・妹娘が、それぞれ兄媛(エヒメ)・弟媛(オトヒメ)だ。
- 874 :
- 乙姫様には姉がいたのか?
海神の宮に行ったのは彦火火出見で、乙姫は豊玉姫のことだよね。
豊玉姫(乙姫)の妹が彦渚(彦火火出見の息子)の妻となった玉依姫だ。
その乙姫に姉がいたなら、実は三姉妹だったのかもしれないな。
そうすると自然と宗像の三姉妹を思い出す。
海神の宮がある志賀島と宗像は目と鼻の先であり、いずれも海人族だから、実は乙姫ら海神は宗像三女神の言い換え?
- 875 :
- >>874
あり得るね
綿津見三神と住吉三神も同一くさいし
佐賀県の志賀神社は綿津見三神を祀る志賀島の志賀海神社から分霊された志賀大神を祀っているとされるが
主祭神を見ると綿津見三神ではなく住吉三神の名が書かれている
同一の神だったとしか思えない
そもそも海の神で三兄弟ってキャラ被り過ぎだろ
- 876 :
- 綿津見三神と住吉三神は全然違うでしょ
- 877 :
- 全然というほどではないな。
同じ博多湾沿岸の海の神の三兄弟。
日本人は同じものを違う言葉で言い換えることが昔から雅としていた。それを利用して、場面ごとに違う呼称で読んでいるだけかもしれない。
同じ人物が出世や立場で違う名前になることなど、古典では当たり前だし。
源氏物語とか、原文だとわけわからん。
- 878 :
- 弥生時代は博多湾が内陸まで入り込んでいたので、
博多湾一体が良好な港でかつ温暖な地域だったことは間違いないだろう。
魏志倭人伝の倭国の記述そのままのイメージでいい。
- 879 :
- >>876
違わないから志賀神社に住吉三神が祀られてるんだろ
- 880 :
- 宗像も三姉妹だしな
- 881 :
- 住吉大社の社伝によると住吉神の本名は筑紫大神。
そして三兄弟になったのは摂津に分社された後のこと。
おそらく住吉三神は綿津見三神や宗像三女神の模倣ではないか?
- 882 :
- >>877
>同じ博多湾沿岸の海の神の三兄弟。
根拠のない妄想。 @阿波
- 883 :
- >>878
>博多湾一体が良好な港でかつ温暖な地域だったことは間違いないだろう。
根拠のない妄想。 @阿波
- 884 :
- 「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 @阿波
- 885 :
- >>881
記紀でも誕生の時から三兄弟じゃないか?
- 886 :
- >>884
>夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
「武内宿禰」の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、
「武内宿禰」の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、
船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、「武内宿禰」の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 887 :
- >>882
なんだ泡チョンコロ死んでなかったんか笑
とりま泡チョンコはキモいから自スレで妄想語ってホルっとけって笑
- 888 :
- >>883
何だよ泡チョンコ死んどらんかったんか?
とりま泡チョンコの民族願望にはもうウンザリ
さっさと死んでこい笑
- 889 :
- 綿津見や宗像三女神は他の日本神話の神々と同じく
結婚したり子供を産んだりと部族の祖や首長のような経歴を持っているが
住吉だけはそういうのがないんだよねお役所的な
- 890 :
- >>884
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって何度言わせんだよ?
- 891 :
- >>886
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
- 892 :
- >>889
神と言っても、つまりは弥生時代の権力者ないし首長層のことなんだよな。
- 893 :
- 「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 @阿波
- 894 :
- >>893
>夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
「武内宿禰」の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、
「武内宿禰」の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、
船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、「武内宿禰」の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 895 :
- 往古の阿波に収集マニアがいたことはわかった。
- 896 :
- >>895
「往古の阿波」 恐るべし! @阿波
- 897 :
- >>895
「往古の阿波」 恐るべし!
蘇我氏、葛城氏のおこりはそれぞれ、蘇我石川宿禰と葛城長江曽都比古となるが、ともに「武内宿禰」の子。
「武内宿禰」は、第八代孝元天皇と「伊迦賀色許売命」との間に生まれた彦太忍信命(ひこふとおしのま)の子とある。
また「伊迦賀色許売命」は、次帝の開化天皇の妃ともなり崇神天皇を生み、その崇神天皇は、その後、孝元天皇と波邇夜須比売との間に生まれた
建波邇夜須比古(武埴安彦)との皇位争いに勝利し、閨閥を拡げていったのである。
もちろん、「伊迦賀色許売・伊迦賀色許男」姉弟も、日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/44664411
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
- 898 :
- >>893
泡チョンコの妄想はキモいから自スレで一人勝手にホルっとけよ
- 899 :
- >>894
泡チョンコの民族願望にはもうウンザリだからさっさとRって
- 900 :
- >>896
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって何度言わせんだよ?
- 901 :
- >>897
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧
- 902 :
- ♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ チャンカチョンコ♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーラ張ハッタ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ 目ーガ吊ッタ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ホルホルホルホル
〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ 下ノ無能♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ オナージミンジョク ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪
- 903 :
- >>878
下示安曇族記事抄録の全文の読めるURLは、
何々なのかな?
”「安曇族」のあらすじ 安曇族を解く鍵「金印」 博多湾の入口にある
志賀の島は 海人の安曇族の根拠地として また AD57年に・・・・”
海から見た日本列島「安曇族」粗筋 2006/12/25
ttps://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=
H ttp%3A%2F%2Fwww2.odn.ne.jp%2F~nov.hechima%2F&sort=eid
ttp://www2.odn.
Ne.jp/~nov.hechima/
- 904 :
- >>881
住吉を「スミヨシ」と発音するようになったのは平安時代あたりからで、古代での発音は「スミノエ」だったとされる
これは安曇江(アズミノエ)の転訛だと言われている
つまり住吉三神というのは「住吉=安曇江の住人たちが祀っている三兄弟の海の神」という意味になるので
綿津見三神と本質的には同じ神のことだと考えられる
多分、「安曇さんたちはこんな神様を祀ってるらしいよ」といった感じで外部から見た呼び名だったんじゃないかな
- 905 :
- >>904
だからそう書いてあるやん。
- 906 :
- >>904
そうすると安曇族と住吉族は同じものか
和邇と宗像もほぼ同族らしいしあまり細分化されてなかったのかな
https://yomiagaeru.exblog.jp/tags/%E5%92%8C%E9%82%87%E6%B0%8F/
> ■ 和邇氏の系譜
> 1)さて、この和邇氏であるが、「新撰姓氏録」(815年)を見ると
> 大和国 神別 地祇に 和仁古 大国主六世孫 阿太賀田須命之後也
> とある。
> 出雲族の系譜というわけである。
>
> この「阿太賀田須命」が、宗像氏の「吾田片隅命」が同じかどうかわからないが
> 宗像氏も姓氏録で見ると
>
> 右京 神別 地祇 宗形朝臣 大神朝臣同祖 吾田片隅命之後也
> 河内国 神別 地祇 宗形君 大国主命六世孫吾田片隅命之後也
>
> と、あり宗像氏と半ば同族のように見える。
- 907 :
- 海人つ持ち
↓
安曇
↓
安住
↓
住江
↓
住吉
- 908 :
- 宗像の地は志賀島と同じく古の豊国であり、鰐をトーテムとする天孫族の外戚だということだね。
それが大国主の家系だということになると、そもそも国譲りってどこで起きた話なんだということになる。
出雲の国譲りを受けて筑紫に天孫が「豊葦原中国の王となるために」筑紫に降臨して豊国の姫たちを代々嫁として迎えていたわけだから。
- 909 :
- いや宗像は海人族の中では新参だろ
- 910 :
- 神産みで8番目に生まれたのがオオワタツミ
禊祓で三貴子より先に生まれたのがワタツミ三神とスミヨシ三神
アマテラスとスサノオの誓約で誕生したのがムナカタ三女神
- 911 :
- 古事記 巻上-ニの冒頭の訓み下しと口語訳は以下の通り
【原文】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神《訓高下天云阿麻下效此》
【訓み下し】
天地(アメツチ)初めに發(オ)こりたる[之]時(トキ)、
高天原(タカアマハラ)に於(オ)いて、成(ナ)りまし神(カミ)の名(ナ)、
天之御中主(アメノミナカヌシ)
《高(タカ)の下(シタ)なる「天」を訓(ヨ)み、阿麻(アマ)と云(イ)ふ 下(シタ)は此(コ)れに效(ナラ)ふ》
高(タカ) の 下(シタ) な る 「天」 を 訓(ヨ) み、 阿麻(アマ) と 云(イ) ふ 下(シタ) は 此(コ) れ に 效(ナラ) ふ
【口語訳】
天地が初めて発った時に、高天原に成った神の名は天之御中主(注:高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う)
高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う
【現代語訳】
高 + 天 の 場 合 は ア マ と 読 む(高が頭に付かなければアメと読んでいた)
- 912 :
- >>910
宗像もそれほど新参者には思えないな。
- 913 :
- >>912
神産みで8番目に生まれたのがオオワタツミ
禊祓で三貴子より先に生まれたのがワタツミ三神とスミヨシ三神
アマテラスとスサノオの誓約で誕生したのがムナカタ三女神
- 914 :
- そりゃあ相当に古いな。
- 915 :
- >>912
筑紫海人としては新参者ということだろ
安曇と住吉が近畿に移住した後も筑紫に残ったという点で貴重ではあるだろうが
- 916 :
- 綿津見や住吉と一世代しか違わないじゃん。
それで新参者かよ。
- 917 :
- >>916
ワタツミとスミヨシはアマテラスたちより先に生まれてるんだから相当年数離れてるだろうな
この神様の一世代の間に海を指す語がワタからアマやウミに変わり、天を指す語がアメからアマに変わってるんだから一世紀は優に離れてる
- 918 :
- >>907
ちょっと違う気がする
海人つ持ち
↓
安曇
↓
↓
墨江
↓
住吉
ではないかな?
- 919 :
- 訂正
海人つ持ち
↓
阿曇
↓
墨の江
↓
住吉
- 920 :
- >>917
ワタもアメもアマになったら区別つかなくなるだろ。
ワタ、アマ、アメと発音が変遷し、海人から天への意味のすり替えが後世に(おそらく天武朝で)行われたのだろう。
アマテルと大国主、海幸山幸など、陸海がセットであり、天は後付けでしかない。
- 921 :
- >>920
いや天はアメが最初だよ
高天原の読みを定義するときに初めてアマと読むことになったと日本書紀に明記されている
- 922 :
- >>921
天武の意向を反映した日本書紀の読みだからこそ、信用できないわけで。
何しろ天皇制を確立して神格化した張本人だから、海人族の長であったアマテラスを天津神とし、海人と天の分離を謀ったのだよ。
君は千数百年の時を超えて、天武の計略にまんまとはまっているだけ。
- 923 :
- >>920
俺もアメはアマからの変化だと思う
というのもたぶん天浮橋とは後世に海の中道と呼ばれる九州本島から志賀島に続く細長い砂州のことだと思うんだよね
この砂州は潮が満ちると海中に沈む箇所があることでも知られているが、昔はむしろ沈んでいることのほうが多かったらしい
恐らく大潮の干潮時などの限られたタイミングでのみ海中から浮かび上がったこの砂州が天浮橋だろう
その先にある志賀島は海人の聖地だし、限られた日にのみ浮かび上がる砂州は古代の海人たちの目には
神が自分たちを招いているように思えたことだろう
そのタイミングで島に渡り神事を行ったのだとすれば「天浮橋=海人の浮橋」という解釈が成り立つ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E4%B8%AD%E9%81%93
>砂州の幅は一様でなく、西の西戸崎(さいとざき)と東の雁ノ巣(がんのす)で博多湾側に向かって砂嘴が伸びて、前者では幅 2 km を超えるが、
>その間では幅 0.5 km を切るところもある。先端部の志賀島との間およそ 1 km は砂州の幅が特に狭くなり、玄界灘と博多湾の対照的な海が迫った光景が広がる。
>ここは満潮時には一部が海水で区切られることがあるため道切(みちきれ、満切)と呼ばれ、橋がかけられている[3]。
>18世紀の『筑前国続風土記』によれば、当時は道がつながることの方がまれであった[4]。
- 924 :
- >>923補足
細長い砂州のことを「橋」と表現するのは天橋立とも共通している
ここも橋立の内側の海が阿蘇海と名付けられているなど九州の影響を感じる
天然の良港が並ぶ若狭一帯には海人が大量に来ていたようだしな
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
- 925 :
- >>922
根拠のない妄想を事実のように語る知的障害者やん(笑)
- 926 :
- >>923
日本書紀をちゃんと嫁w
- 927 :
- 日本書紀なんてデタラメばかりじゃん
あんなもん真に受けるバカは畿内説だけで充分
- 928 :
- >>927
そこ全否定したら古代史なんて何にも分からないやんけ無能
- 929 :
- >>928
考古学と照らし合わせて考えるんだよ無能
書紀の記述はそのままだと考古学と一致しない
- 930 :
- >>929
無能が分かったような口利いてて草ァwww
- 931 :
- 日本書紀は読んでもいいが、天皇を権威づけるための天武の策略に嵌ってはいけない。
アマは本来は天ではなく海神のこと。
- 932 :
- >>931
その根拠のない妄想いいかげんウンザリ
- 933 :
- >>931
その海神が内陸に引きこもったのはいつ?
- 934 :
- 卑弥呼は海神(天津神)ではないんだよ。
火の国の国津神だろうね。
日御子。
- 935 :
- >>934
海神は国津神だぞ
天津神とは別種
- 936 :
- 海神の一部を天津神として特別扱いして、その他を国津神に分類しなおしたんだよ。
でもその定義は流動的なんだ。
そもそも天津神のもととなった天照が「海を照らす王」なんだから。
照らすが支配する意味であることは、猿田彦も陸と海を照らしていたとあることからわかる。
照覧と同じような意味合いなんだろう。
- 937 :
- まーだ天=海だって言い張る無能朝鮮人が跋扈してんのか・・・
- 938 :
- >>2
古事記 巻上-ニの冒頭の訓み下しと口語訳は以下の通り
【原文】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神《訓高下天云阿麻下效此》
【訓み下し】
天地(アメツチ)初めに發(オ)こりたる[之]時(トキ)、
高天原(タカアマハラ)に於(オ)いて、成(ナ)りまし神(カミ)の名(ナ)、
天之御中主(アメノミナカヌシ)
《高(タカ)の下(シタ)なる「天」を訓(ヨ)み、阿麻(アマ)と云(イ)ふ 下(シタ)は此(コ)れに效(ナラ)ふ》
高(タカ) の 下(シタ) な る 「天」 を 訓(ヨ) み、 阿麻(アマ) と 云(イ) ふ 下(シタ) は 此(コ) れ に 效(ナラ) ふ
【口語訳】
天地が初めて発った時に、高天原に成った神の名は天之御中主(注:高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う)
高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う
高 に 続 く 天 は ア マ と 読 み 、 以 下 は 此 れ に 従 う
高+天の場合はアマと読む
高 + 天 の 場 合 は ア マ と 読 む
したがって少なくとも古事記が書かれた時代までは「高」が接頭しない「天」はアマとは読まなずアメと読んでいた
- 939 :
- >>937
朝鮮は関係なく、日本語の古語の解釈として、アマは海洋国家の支配者である海神のことであり、その最高位がアマテラスだということ。
日本語がわからないアホは黙っとれ。
- 940 :
- >>938
✕:古事記が書かれた時代までは
○:古事記が書かれた時点では
それより上古のことは言えないぞ捏造ボーイ
- 941 :
- >>924
>細長い砂州のことを「橋」と表現するのは天橋立とも共通している
あー確かに
そうなると干潮で浮き上がる砂州は浮橋といえるな
- 942 :
- そうすると、天孫は志賀島に上陸して海の中道を通り、博多を横切って高祖山に登ったことになる。
- 943 :
- >>939
古事記 巻上-ニの冒頭の訓み下しと口語訳は以下の通り
【原文】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神《訓高下天云阿麻下效此》
【訓み下し】
天地(アメツチ)初めに發(オ)こりたる[之]時(トキ)、
高天原(タカアマハラ)に於(オ)いて、成(ナ)りまし神(カミ)の名(ナ)、
天之御中主(アメノミナカヌシ)
《高(タカ)の下(シタ)なる「天」を訓(ヨ)み、阿麻(アマ)と云(イ)ふ 下(シタ)は此(コ)れに效(ナラ)ふ》
高(タカ) の 下(シタ) な る 「天」 を 訓(ヨ) み、 阿麻(アマ) と 云(イ) ふ 下(シタ) は 此(コ) れ に 效(ナラ) ふ
【口語訳】
天地が初めて発った時に、高天原に成った神の名は天之御中主(注:高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う)
高に続く天はアマと読み、以下は此れに従う
高 に 続 く 天 は ア マ と 読 み 、 以 下 は 此 れ に 従 う
高+天の場合はアマと読む
高 + 天 の 場 合 は ア マ と 読 む
したがって少なくとも古事記が書かれた時代までは「高」が接頭しない「天」はアマとは読まなずアメと読んでいた
- 944 :
- >>940
それだってお前の願望と捏造だろマヌケwww
- 945 :
- 伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。
- 946 :
- 安曇川の近くだけど、大昔に漢字の曇を書いたり覚えるのが苦労してた記憶がある。
まさか安曇族が関係してたとは、少し感動。まあ安曇族あんまり知らないですけどね。
- 947 :
- >>945
>(諸国の一つである)伊都国を
勝手にカッコをつけている詐欺
- 948 :
- >>947
はい、完全論破
伊都国の内情
原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
書き下し文:
”官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。
千余戸有り。
世王有り。
皆女王国に統属す。
郡使往来し常に駐する所。”
現代文:
官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。
(人口は)千余戸ある。
代々の王がいる。
みな女王国に従属している。
(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
解説:
三国志の記述では前節が後節に掛かっているので、
女王国に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指す。
つまり、伊都国の王も役人も住民も女王国の臣民である証明である。
また三国志における魏代の刺史は官と同義であるため、すでに伊都国には爾支という官が務めているのだから
魏の刺史(=官)と同等の一大率は伊都国の役人でないことは明白。
つまり、一大率は女王国か直属の役人であり、伊都国には属していない証明である。
結論:
伊都国は女王国ではなく、女王国に従属する諸国の一つであり、
一大率は伊都国には存在せず、女王国の北限で伊都国を監視する女王国の役人である。
- 949 :
- 一大率で負けることを予感したキナイコシがタゲ逸らしを開始しましたw
- 950 :
- 伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。
- 951 :
- 伊都国の内情
原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
書き下し文:
”官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。
千余戸有り。
世王有り。
皆女王国に統属す。
郡使往来し常に駐する所。”
現代文:
官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。
(人口は)千余戸ある。
代々の王がいる。
みな女王国に従属している。
(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
解説:
三国志の記述では前節が後節に掛かっているので、
女王国に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指す。
つまり、伊都国の王も役人も住民も女王国の臣民である証明である。
また三国志における魏代の刺史は官と同義であるため、すでに伊都国には爾支という官が務めているのだから
魏の刺史(=官)と同等の一大率は伊都国の役人でないことは明白。
つまり、一大率は女王国か直属の役人であり、伊都国には属していない証明である。
結論:
伊都国は女王国ではなく、女王国に従属する諸国の一つであり、
一大率は伊都国には存在せず、女王国の北限で伊都国を監視する女王国の役人である。
- 952 :
- 顔真っ赤w
- 953 :
- 顔マッカッカニダ〜_____
∧_∧ |//∧_∧ ||_∧ ドーゾドーゾ
< > |/ <`Д´ >.||ω-` )
( >952) | ( ) ||⊂ )
u―u'  ̄ ̄ ̄ ̄ ( ̄(_⊃
- 954 :
- >>948
>三国志の記述では前節が後節に掛かっているので、
意味不明な勝手ルール
そもそも、前から後ろにかからない文章ってなんだ?
中国人が返り点打ちながら読んでいるとでも思っているのか?
キナイコシが漢文を読めない無能だと露見したレスw
- 955 :
- >>954
いい加減しつこいよ
以後は自スレでやってくれ
- 956 :
- じゃあキナイコシの負けということで決着かな?
- 957 :
- どこレスがキナイコシなんだ?
- 958 :
- ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名(A)」は24か所。
“Aに役所を置いた”の意味で使われた例 ☆22
"Aを治めた"の意味で使われた例 ★2
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、東武陽県に役所を置かせた
☆紹歎其能徙爲東郡太守治東武陽 袁紹は臧洪の能力に驚嘆し、東郡の太守に転任させ、東武陽県に政庁を置かせた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣?如舊 (閻柔に)元からの如く廣?(上谷郡の寧城)で執務させた
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている。(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下は先主を荊州の牧に推し立てて、公安県(を州都として)で執務することにした
☆治成都 (先主は)成都に役所を移した
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌の都尉(6県を統治)に任命して、海昬県に役所を置かせた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧の任務を行い、公安にその役所を置いた。
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 程普を呉郡の都尉に任命し、銭唐に役所をおいて執務させた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、建業に役所を置かせた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 政府を開設させて、その役所は半州に置かせた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた
- 959 :
- 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。
・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い
女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。
刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。
中国大陸は広いので、報告するに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから(水行10日)、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。
- 960 :
- 根拠
自女王國以北について:
「自女王國以北 其戸数道里可得略載 其余旁國遠絶 不可得詳」
”自女王國以北は女王國を含む”
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北には 一大率を特に置き、検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常には伊都國に治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国内とその北方に対しては、一人の大率を特別に設置して、検察している。諸国は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。(大率は)普段は伊都国で働いている。(大率とは)(陳寿と三国志完成当時読者の暮らす西晋における)刺史(監察官)と同職のようである。
解説
まず、余旁國との対比によって、自女王國以北は女王國も含むことがわかる。
また刺史は、もともと漢の設置した監察職であったのが、三国志の戦乱期には一時的に長官職となったが、
西晋初代皇帝が全国統一を果たすに及び、職権乱用を粛清されて元の監察職へ戻された。
女王國は女王が支配しているのだから、女王國をも担当する大率は支配官ではなく、女王國の監察官である。
- 961 :
- 三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名」は24か所。
うち22例にて、"A+治+地名B"は、
「A自らの中心拠点を(Aの管轄域の主要地である)Bに設置した」の意味で使われている。
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹は太祖曹操を兗州東郡の太守に任命し、曹操は東武陽県に郡治を置いた
☆徙爲東郡太守治東武陽 (臧洪を)東郡太守に転任させ、臧洪は東武陽県に郡治を置いた
☆郡所治廣武 郡庁所在地の廣武県
☆治廣?如舊 (烏丸校尉の閻柔は)元からの如く廣?(上谷郡の寧城)で執務した
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 (益州牧)劉焉は綿竹県に州治を移した
☆焉徙治成都 (綿竹の大火災)劉焉は成都に州治を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 先主(劉備)は公安県に州治を置いた
☆治成都 (劉備は)成都を首都とした
☆先主爲漢中王遷治成都 劉備は漢中王になると、成都を首都とした
☆移治味縣 (庲降都督)馬忠は主要拠点を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の州治は昔から壽春県にある
☆繇乃渡江治曲阿 (揚州刺史)劉繇は長江を渡って曲阿県に州治を移した
☆權徙治秣陵 孫権は首府を秣陵県に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌都尉(6県担当)に任命し、太史慈は海昬県に主要拠点を置いた
☆領荊州牧治公安 (劉備は)荊州牧を拝領し、公安に州治を置いた
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 (呉郡都尉)程普は銭唐に軍事拠点をおいた
☆領江夏太守治沙羨 江夏郡の太守になって、程普は沙羨県に郡治を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊郡の太守にして、呂範は建業県に郡治を置いた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵〜公安の軍事担当となり、樂鄉に主要拠点を置いた
☆假節開府治半州 (鎭軍大將軍の孫慮に)軍政府を開設させて、孫慮は幕府を半州に置いた
☆爲吳興郡治烏程 (烏程候から皇帝になった孫晧は)呉興郡を新設して、烏程県に郡治を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉を関中に留めて治めさせる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた
- 962 :
- 郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
以上。
- 963 :
- 日本史板上に下示後発スレ発見
「君が代」の君=阿曇磯良
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1583887428/
- 964 :2020/06/06
- >>963
で?
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